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🎈手軽に読める短編小説

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ヒマ人
08/09/06 15:03(更新日時)

皆様こんにちわ‼手軽に読める短編小説始まります…待ち合わせや夜の時間に手軽にサクッと読めちゃう、そんな小説スレです❤貴方はどのお話が好きですか?…

No.1157387 07/10/22 18:10(スレ作成日時)

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No.1 07/10/22 18:32
ヒマ人0 

【①】~999の鶴~


🎒1🎒

私の大親友の雅美ちゃんは白血病というなかなか治りにくい大変な病気だそうです…小さい頃から凄く元気で遊んでたのにある日突然鼻血が止まらなくなりました…その時からずっとずっと病院で生活しています…

『美砂ッ!勝手に院を出てきちゃ駄目じゃない!』

『だって三好先生…私、雅美ちゃんの事が心配だもの…そばにいていい?』

『駄目に決まってるでしょ!先生だってそう何回も無菌室には入れて貰えないのよッ!さぁ…帰りなさい…』

雅美ちゃんが入院している病院の玄関で孤児院の三好先生に見つかった…私が泣きそうな顔をしたから三好先生は困った顔をして私を見た…

『フゥ…仕方ないわね…いいわ!でも窓越しからよッッ!』

私は飛び上がって喜んだ…雅美ちゃんに会うのは一ヶ月振りだ…病院の長い廊下を三好先生は私の手を引きながらゆっくり歩いた…

《雅美ちゃん…起きてる?美砂ちゃんが来てくれたよッ!》

三好先生はガラス越しのマイクから無菌室の雅美ちゃんに向かって声をかけた…

《え!?…うそッ!美砂ちゃん?…美砂ちゃん?》

私は雅美ちゃんのそのかすれた声を聴いた途端何だか涙が溢れてきた…

No.2 07/10/22 18:45
ヒマ人0 

>> 1 🎒2🎒

雅美ちゃんの髪の毛は殆ど抜けてました…雅美ちゃんは私を見ると恥ずかしそうに頭を隠してうつ向きました…

《雅美ちゃん!元気?》

《……うん、元気…美砂ちゃんは?》

備え付けの面会用のマイクで私の声を聞いた途端、雅美ちゃんはまたいつもの元気を取り戻しました…

《また一緒に遊びたいね!》

雅美ちゃんが悲しそうに私に言いました…

《きっと遊べるよ!また元気に二人で遊ぼッ!》

私は笑顔で答えました…私は三好先生の顔を見て、あの事を雅美ちゃんに言ってもいいかと問いました…三好先生は優しく、うん…と言ってくれました…

《雅美ちゃん!美砂ね、今雅美ちゃんの病気が治るように祈りながら千羽鶴を折ってるんだ!…あともう少しで出来るから待っててね!出来たら雅美ちゃんのベットの横に置いておいてねッ!》

雅美ちゃんは有難うと私に笑いかけてくれました…

《願い…叶うかな…?》

雅美ちゃんが言いました…

《叶うよ!千羽折ったら何だって願いが叶うんだから!美砂の千羽鶴は凄いんだからッ!》

私は雅美ちゃんにガッツポーズをして見せました…雅美ちゃんはガッツポーズで返してくれました…頑張れ!頑張れ!雅美ちゃん!!

No.3 07/10/22 18:59
ヒマ人0 

>> 2 🎒3🎒

(私は捨てられた…要らない子供だったんだ…)


孤児院にいる時も私は一心不乱に毎日毎日千羽鶴を折り続けました…三好先生も手伝ってあげようかと言ってくれましたが私一人の力で折りたいと無理を言いました…150…360…580…毎日休まず私は鶴を折り続けました…産まれた時からずっと一緒だった雅美ちゃんが居なくなる事なんて信じられません…信じたくありません…私には雅美ちゃんが全てでした…学校で親無し~とクラスメートから苛められても同じ境遇の雅美ちゃんがいるから頑張れました…だから…だから絶対信じません!雅美ちゃんは絶対居なくなったりしません!綺麗な天使になる位なら汚くても悪魔でもこの世の中に居て欲しい…雅美ちゃん以外の誰も私は好きにはなれません!家族の居ない私にとって雅美ちゃんは一番の絆です!頑張って雅美ちゃん!頑張って雅美ちゃん!…私も頑張るから…だから絶対諦めないで!690…830…もうちょっと…もう後ちょっと!!…

No.4 07/10/22 19:26
ヒマ人0 

>> 3 🎒4🎒

『先生ッ!三好先生ッ!千羽鶴が完成したよッ!』

私は自分の背丈程ある千羽鶴を持って雅美ちゃんの病院に急ぎました…

(出来たよ出来たッ!待っててね、雅美ちゃん!)

私は三好先生と一緒に廊下を早歩きしながら千羽鶴を見た時の雅美ちゃんの喜ぶ顔ばかりを想像しました…無菌室の前で私と三好先生は雅美ちゃんの担当の先生に止められました…暫く待合室の椅子に座らされました…ようやくお呼びがかかり、私は雅美ちゃんの部屋に入りました…そこには椅子に座る孤児院の院長先生と白いタオルをかけられた雅美ちゃんが静かに横たわっていました…

『雅美…ちゃん…?』

三好先生は泣いていました…私はこの時初めて雅美ちゃんはもうこの世にはいないんだという事を悟りました…

『雅美ちゃん?…どうして…私…千羽鶴…折ったんだよッ!雅美ちゃん、どうして!?どうしてッッッ!』

私は雅美ちゃんの亡骸に泣き崩れました…部屋の中に眩しい夕焼けが差し込んでいました…雅美ちゃん…大好きな雅美ちゃん!!…願い叶わなかったね…ゴメンね…

No.5 07/10/22 19:58
ヒマ人0 

>> 4 🎒5🎒

雅美ちゃんの小さな棺桶は霊柩車に乗せられ、孤児院の子供達や先生らに見送られて焼き場に向かいました…私はもう泣きませんでした…雅美ちゃんは天使になったんです…私を捨てた両親とは違って雅美ちゃんは愛されて産まれた子供でした…赤ちゃんの時に両親が事故に遭い、仕方なくこの孤児院に連れて来られた子供だったから…だから雅美ちゃんは幸せなんです…だって天国の両親に引き取られるんだから…良かったね…雅美ちゃん…部屋に戻り、私は何気なく雅美ちゃんにあげるつもりだった千羽鶴の数を数え始めました…998…999…!

(え…999羽!…そっか…1羽…足りなかったんだ…ゴメンね…雅美ちゃん…)

私は机の引き出しから折り紙を一枚取り出すと最後の千枚目の鶴を折り上げました…

(これで千羽鶴完成!…フフフ…)

私は涙が止まりませんでした…その時突然三好先生が慌てて私の部屋に入って来ました…

『先生どうしたの?そんな慌てて…』

三好先生は一度唾を飲み込むと私に言いました…

『美砂ちゃん…落ち着いて聞いて頂戴ね!?…今貴方のお母さんから電話があって貴方を引き取りたいって!!』


~①999の鶴~完

No.6 07/10/22 22:13
ヒマ人0 

>> 5 【②】~ジンクス~

🚚1🚚

『大変だぁッ!やっちまった!』

高速の料金所入口を抜けた途端、克美は思わず天を仰いだ…車線変更が遅れ、無理にでも割り込もうとしたが運の悪い事に大型の観光バスが連なり結局克美の乗るトラックは車線変更出来ずにそのまま目の前の料金所を通過したのだった…

(どうしよう!…参ったなぁ…)

降って沸いた一人娘の見合い話に運転がうわの空になり、克美は一瞬気を取られてしまったのだ…

(まずい…あそこの料金ゲートを通らないとエライ事になるんだよッ…)

克美にはジンクスがあった…運送会社に勤務する克美は仕事で毎週東京から大阪まで長距離トラックを走らせる…克美はいつも東名高速道路に入る手前の料金所の一番右のETCの料金ゲートをくぐる事を日課にしていた…何故ならこのゲートをくぐった時は必ずといっていい程納入先の工場へ品物を時間通り届ける事が出来るのである…逆にこのゲートを通らないで他のゲートを通過して大阪に向かうと克美は決まって今まで良くない事が起きていたのだ…

(どうしよう…今更引き返す訳にもいかないしナァ~…)

悲痛な思いで克美は祈りながら深夜の高速道路でトラックを走らせた…

No.7 07/10/23 07:55
ヒマ人0 

>> 6 🚚2🚚

克美の脳裏に嫌な記憶が蘇って来た…

(前回あのゲートをくぐれなかった時は名古屋で未曾有の大事故に遭遇しちまって4時間も渋滞で足止めくらっちゃったし、その前はサービスエリアでつい仮眠したらそのまま朝まで寝ちまったし…ホントろくな事がないんだよナァ…)

克美のハンドルを握る手が汗ばんできた…

(今回は何が起きるんだろ…何も起きずに納入先の工場に辿り着ければいいんだけど…)

克美は頭の中で工場までのプランを綿密に立てていた…

(まずホントならゆっくり仮眠を取る予定のあのサービスエリアはトイレ休憩だけにしてすぐに出発しようッ!…そしてもし渋滞にはまってもいいようになるべく時間を短縮して目的地に向かおう!…遅刻するのは悪いけど工場に早く着くのは誰も文句は言わないはずだから…)

そう計画を立てると不思議と克美の胸は安堵した…

(そうだ…慌てないで慎重に…しっかり運転してりゃジンクスなんて関係ないんだッ!)

克美はオレンジの鮮やかな道路の灯りをみつめながらもう一度眠気醒ましのガムを噛んだ…

No.8 07/10/23 08:17
ヒマ人0 

>> 7 🚚3🚚

克美のトラックはその後何事もなくトイレ休憩を取る予定のサービスエリアに到着した…

(フゥ~…ここまでは順調ッ…大阪の工場まであと約半分って所だな…渋滞もまだないみたいだし…)

トイレから出て煙草を吸うと克美は一度伸びをした…

『あのぅ…すみません…』

克美は声をかけられて振り向くとそこにはリュックを背負った20歳代位の若者が立っていた…
『な、何?』

その若者のイデタチを見て克美は嫌な予感がした…克美も過去に何度か乗せてあげた経験がある…これはまさしくヒッチハイカーだ…

『あの…広島まで行きたいんですが…もし同じ方向なら途中まで乗せて貰えないでしょうか…』

克美の予感が当たった…おそらく関東方面から車を乗り継いでここまで連れて来て貰ったのだろう…真面目で純朴そうなそのヒッチハイクの若者は丁寧に克美に頭を下げて来た…

(…広島…カァ…乗せてやりたいのは山々だが…)

いつもの克美ならいいよ!と二つ返事で返す所だが今回に限ってはなかなか気乗りがしなかった…

(きっといつものゲートをくぐっていればこんな卑屈な気持ちにはならなかったと思うんだが…)

克美はスマナイ、他の車を当たってくれと若者の頼みを断ってしまった…

No.9 07/10/23 09:08
ヒマ人0 

>> 8 🚚4🚚

克美の車は順調に京都府に入った…

(さっきの若者…悪い事したなぁ…)

克美も学生時代、ヒッチハイクで日本一周の旅をした経験があり、そんなヒッチハイクの若者の気持ちは人一倍理解しているはずだった…

(ゴメンよ若者…だがワシも今日は心に余裕がないんだ…ジンクスが破られた以上どうしても時間通りに大阪の工場に到着しなきゃならない…)

深夜の闇を克美のトラックが疾走する…

(!?…ん?…)

数分走ると道路の遥か前方にハザードランプを付けた車が止まっていた…よく見ると後輪のタイヤの周りに若い女性達数人が固まって座っている…

(何だ?…パンクか!?)

一人の女性が克美のトラックに大きく手を振った…

(おいおい…またかよッ!…こんな時に限って!)

元来困っている人を放っておけないタチの克美は仕方なく減速し、トラックを停車させた…

『どうしたの?…』

『パンク…みたいなんです…タイヤ交換とか出来ますか?』

女子大生風の4人組だった…聞けば埼玉から深夜車を走らせ神戸の大学の先輩のウチに遊びに行く途中らしい…克美は悩んだ…ここで下手に時間を取る事はしたくない…何せ今日はジンクスが破られた日だ…

『助けて下さい…お願いしますッ!』

No.10 07/10/23 10:19
ヒマ人0 

>> 9 🚚5🚚

『ロード…ロードサービス頼んだらどうだい?』

『えぇッ!?…交換…してくれないんですかッ!』

女子大生は克美の意外な言葉に目を丸くした…女子大生達の目はトラックを運転している男性がまさかタイヤ交換も出来ないの!という冷ややかな視線だった…克美も当然タイヤ交換くらい容易だったが何せ今日という日は何のトラブルも背負いたくないというのが本音だった…

『ご、ゴメン…先急ぐからッ!』

後ろ髪を引かれる思いで克美はその場から去った…女子大生の一人が小さな声で《ケチッ!》と呟いた声が克美の胸に突き刺さった…

(ワシだって替えてやりたいよッ!クゥ~ッ!いつものゲートさえ通ってりゃこんな事にはッ!)

今の騒動で克美のトラックは自身が計画していた予定時間より少し遅れ始めた…

(ヤバイ…急がなきゃ!)

克美のトラックはディーゼルのエンジン音を響かせながら目的地である大阪府内に入った…

(大丈夫…大丈夫だ克美ッ…もう大阪だッ!ここまで来たらもう安心だ!ジンクスなんて糞喰らえってんだッ!)

克美の気持ちに余裕が出かかったその時、目の前の光景に克美は唖然とした!

No.11 07/10/23 10:36
ヒマ人0 

>> 10 🚚6🚚

『じッ、事故だぁッッ!』

克美は思わず目を見開いた…乗用車とバイクの接触事故らしくバイクの運転手らしき男性が中央分離帯のすぐそばで倒れていた!周りには他の車は無かった…

(た、大変だッッ!…まさに今起きたての事故じゃないかッッ!どうしよう…助けなきゃ…救急車呼ばなきゃ!)

克美はすぐさまトラックから飛び出してバイクの倒れた運転手の容態を確かめに行きたかった…しかしその瞬間!何故かまた克美の心にブレーキがかかった!

(だ、駄目だッッ!ここでトラックを降りたら…一時間やそこらじゃ到底済まないッ…警察の事情聴取や何やかんや…アァッ…工場の納品時間に間に合わないッッ!…でもこのまま放っておいたらッッ!クソッ!チキショッッ!…ワシが他の料金ゲートをくぐったばっかりにッッ!どうすりゃいいんダァ~ッッ!)

克美は思わずハンドルを持つ手を頭に置き、目を瞑った!

(ゴメンッッ!ゴメンゴメン!…ワシには…ワシにはやらなきゃならない事がッッ!今日だけはッッ!今日だけはホントにゴメンッッッ!!)

克美のトラックは横たわるバイクの運転手のすぐ脇を抜けて朝日が登り始めた薄明るい高速道路の靄の中に消えて行った…

No.12 07/10/23 11:04
ヒマ人0 

>> 11 🚚7🚚

『カッちゃん、今日は間に合ったな!ジンクス守れたんやなッ!?ガハハハ!』

産業廃棄処理される鉄クズの納品先の工場長の榎本が煙草を吸う克美の肩をポンと叩いた…克美は朝日が昇る澄んだ空を見上げながらため息をついた…

(破った…ハハハ…ワシの忌まわしいジンクスを今日、見事自分の力で破って見せた!ざまぁ見やがれッッ!)

胸内で散々毒付くと克美は疲れ切った体を持ち上げ、事務所に納品のサインに向かった…しかしこんな些細なジンクスを破る為だけに自分は今日1日一体どれ程の人々を犠牲にしてきたのだろう…ヒッチハイクの若者、女子大生…それにあの事故に遭ったバイクの男性…こんなチッポケなジンクスを破る為だけにワシは…克美が深いため息をついた時、突然工場長の榎本が血相を変えて克美に歩み寄って来た!

『ど、どうしたんですかッ!榎本さん?』

『どうしたもこうしたもあるかいッッ!お前何を運んで来たんやドアホッッ!』

『何って…鉄クズですけど…』

『今トラックの積み荷見たら全部メリケン粉やないけッッ!!』

『……はぁ?まさか…』

トラックの積み荷には大量のメリケン粉が積まれていた…

《そんなアホなぁ~!!》

【②~ジンクス~完】

No.13 07/10/23 16:46
ヒマ人0 

>> 12 【③】~箱の中のラブ~


🐻1🐻

…もう閉じ込められて二時間にもなる…春先とはいえ、室内は悠に30度を越えていてたまらなく熱い…そして次第に空気も薄くなっているようだ…優は全身汗だくになりながら救助隊の助けを待っていた…さっきの地震の影響でエレベーターのボタンはどれも役に立たない…加えて緊急用の呼び出しボタンですらまるでただの玩具のように外部との通信が断たれていた…

(どういう事よッッ!これじゃ緊急呼び出しの意味がないじゃないのッッ!)

熱さと飢えで優は次第に苛立って来ていた…

『ねぇチョット貴方ッッ!何か食べる物ない?』

優の他に不運にもこのエレベーターに乗り合わせた一人の男性に優は話しかけた…

『………』

『ハァ…相変わらずダンマリねッ…はいはいッッ!いいわよ別に嫌なら喋べらなくてもッッ!』

茶色のコートを着て、帽子も顔が見えないくらい深々と被ったその無口な男性はかなりの大柄でシャツの袖から見える太い腕は毛むくじゃらであった…

(愛想のない人ね…それに中がこんなに熱いんだから服を脱げばいいのに…!)

優はうつ向きがちに静かに座っているその大男に視線を送った…

No.14 07/10/23 17:12
ヒマ人0 

>> 13 🐻2🐻

(しかし因果なもんね…昔イヤという程遊んだこの団地のこのエレベーターに閉じ込められるなんて…)

30歳の優は保険の外交員で今日は上司から指定された担当地区を保険の勧誘に回っていた…この団地は優がかつて小学校低学年時代を過ごした公団団地だった…親の転勤で引越しを余儀なくされ、それ程長くは生活していなかったのだが優はこの団地があまり好きではなかった…

(あ~ぁ…ここを任された時何か嫌な予感してたんだ…出来れば足を踏み入れたく無かったな…いい思い出なんて一つも無かったし…)

優はうなだれた…小さな余震がまだ続いていた…室内は水を打ったように静かだった…

(かなり揺れたもんね…外だって相当な被害なんだろな…)

優は座り直すと脚を三角にした…そしてゆっくりとまたうつ向きながら黙って座る大男の姿を見つめた…

『ねぇ!』

『……』

『ねぇってばッ!口あるんでしょッ!?…何か言いなさいよッッ!』

『……』

(ハァ~…何とかこの場から脱出しようとかさ…そんな悪あがきとかしなさいよッッ…ったく男のクセに!体だけは一人前に大きいんだからッッ!)

優は大男を見つめながら胸内で散々毒付いた…

No.15 07/10/23 17:51
ヒマ人0 

>> 14 🐻3🐻

(このまま誰にも発見されずに死んじゃうのかなぁ…私…)

不吉な結末ばかり優の脳裏に浮かぶ…エレベーターは優が脚を組み換える度にギシギシと大きく不自然に揺れた…

『何かロープ一本で繋がってる感じしない?…凄く不安定なんだけど…このエレベーター…』

大男は死んでるのかと思う位にその大きな体を微動だにしなかった…

(確かこのエレベーターに乗った時は10階だったっけ…さっきの揺れで一体どれくらい落下したんだろ…)

優が地震に直面した時、確実に自分の体がフワッと浮いた事を憶えていた…だとしたらこのエレベーターは不安定な状態でかなりの速度で落下した事になる…

『貴方…独身?…歳は幾つ?ここの団地の人?』

優が沈んでいく気持ちを紛らわせるかのように大男におもむろに話しかけた…

『……』

『貴方が話したくないのは勝手だけど…私は気が滅入るから勝手に話をさせてもらうわ…別に面倒なら相槌とか打たなくていいから…もう口を開かないと不安で不安で仕方ないのよッッ!』

元来話し好きな性格の優は大男の返事も待たずに自分勝手に話を始め出した…

No.16 07/10/23 18:18
ヒマ人0 

>> 15 🐻4🐻

『私さ…小学校1年の時に親の転勤でこの団地に来たんだよね…けど学校にも友達にもなかなか馴染めなくてさ…いつも一人ぼっちだった…』

優は何故か幼少期に住んでいたこの団地の思い出話を始めた…別に話題は何でも良かったのだがどうせ此処に閉じ込められたのも何かの縁だと一人黙々とこの団地での思い出を語り出したのだ…

『けどそんな私にもさ、親友ってのが出来てさッ…この団地に住んでる同い年の女の子…』

突然余震が起こり、優はビクついたが揺れはゆっくり治まっていった…

『仲良かったんだ…最高にね…けどね…ある日大喧嘩しちゃってさ…』

大男は優の話を聞いているのかいないのかさっぱりな反応でじっとそこに座っていた…

『私、腹立ててその子から以前に誕生日プレゼントに貰ったクマのぬいぐるみ…ゴミと一緒に捨てちゃったんだ…そのぬいぐるみはその子がずっと大事にしていたぬいぐるみでさ…あれを捨てたとその子が知った時…凄く泣いてさ…その子とはそれ以来プッツリ…』

大男は肩で息をしているようで少し苦しそうに優には見て取れた…

『どうしてあの時…ゴメンねの一言が…言えなかったんだろって…』

優の息も荒くなって来た…

No.17 07/10/23 18:48
ヒマ人0 

>> 16 🐻5🐻

『あの子…まだこの団地に住んでるのかな…ハアッ、ハアッ…んな訳ないかッ…あれからもう20年以上だもんね…普通なら…ハアッ…いいお母さんになってる年頃…』

その時遠くで微かに救急車のサイレンが鳴り響くのを優は感じた!

『…救急車だ…ハアッ…ハアッ…聞こえた?…救急車だよッ!私達助かるかも知れないねッ…ハアッ…ハアッ…』

大男も次第に息が荒くなって来た…もう室内に吸える酸素はごく僅かなのだろう…冷や汗を流しながら大男は何度も汗を手で拭った…

『ハアッ…ハアッ…救急隊が先か…ハアッ…私達の命が途絶えるのが先か…ハアッ…ハアッ…』

その時更なる余震がエレベーターを揺らした…

『……マモル…』

『え?…何ッ!?』

騒然とした混乱の中で初めて大男が言葉を発した…

『今何て言ったの!?』

『…マモ…ル…』

『マモル?…え?…それって貴方の名前?』

ゴォォォォォォ!突き上げる地響きと共にいきなりエレベーターが左右に激しく揺れ始めた!

『きゃァッッッッッッッ!!』

ゴゴゴゴゴォォォォォ!!

天井のパネルが落ちて来て中の蛍光灯が衝撃でパリンと割れた!その直後、エレベーターは一気に落下した!!

No.18 07/10/23 19:08
ヒマ人0 

>> 17 🐻6🐻

《あの時どうしてゴメンの一言が言えなかったんだろ…》



『大丈夫ですかッ!?意識ありますかッッ!?』

瞼を開くと視界に輪になるように救助隊員の顔があった…

『わた…し…どう…しッ…』

『良かった!意識戻りました!生存者一名確保ですッッ!』

優はゆっくり体を起こそうとしたが全身に激痛が走った…

『あ、動かないでッ!全身骨折だらけですからッッ!でも安心してッ!内臓には損傷ありませんし頭蓋部も奇跡的に無傷でしたッ!良かった!良かった!』

優はゆっくり辺りを見回した…よく見るとそこに建ってあったはずの団地は跡形もなく見るも無惨な瓦礫の山と化していた…

『私…あの時…凄い余震が来て…』

優の頭はまだ混乱していた…もう死んだと思った…あの瞬間エレベーターが凄い速さで落下して…建物もこんな悲惨な状態なのにもかかわらず自分がまだ生きている事が優には信じられなかった…

『!…あッ!一緒にいた男性はッ!?私と一緒にエレベーターに乗っていた男性はどうなりましたかッッ!?』

優は思いついたようにあの一緒にいた大男の安否を救助隊に詰め寄った…

『…男性?…貴方の他に男性が居たんですか?』

救助隊員は不思議そうな顔をした…

No.19 07/10/23 19:30
ヒマ人0 

>> 18 🐻7🐻

『何言ってるんですかッッ!確かに一緒にエレベーター内に居ましたよッッ!茶色のコートを着た大柄な男性がッ!まだ瓦礫の中に居るかも知れないッ!探してあげて下さいッッ!お願いしますッ!』

酸素マスクを付けられて優は必死にまだ男性が中にいる事を救助隊員に告げた…

『奥さん…何度も確認しましたがそのような男性の姿は確認出来ませんでしたよ…ショックで幻覚でも見られたんじゃ…』

『信じてッ!確かに…確かに居たんですッッ!大柄で毛深くてまるでクマのような…』

『あぁ!はいはい…クマねッ!チョット待ってて下さい…』

救助隊員が優の言葉に反応した…一人の救助隊員が優のお腹にクマのぬいぐるみをそっと置いた…その瞬間!優は目を疑った!

『こ、このぬいぐるみ…!まさか…』

『瓦礫の中から貴方を発見した時、頭蓋部を守るようにコイツが重なってましたよ…このぬいぐるみのクッションのお陰で貴方は奇跡的に命拾いしました…良かったですね…これ、貴方のでしょ?』

(うそ…信じられないッッ…ラブだ…私のラブ…じゃああの男性はッッ!?)

ぬいぐるみの胸元のリボンには《ラブと優》の文字が書かれてあった…



【③~箱の中のラブ~完】

No.20 07/10/23 19:40
ヒマ人0 

>> 19 🍵休憩タイム☺

皆様こんにちわ‼作者です✨3つのお話終了した所でお邪魔します✌さて、短編小説楽しんで頂いてるでしょうか⁉長い携帯小説を読むのは疲れる~😩💦という方にこのスレは持ってこいの長さではないでしょうか⁉😁短くても内容の濃いインパクトがある、読み終えた後にいい意味で後に引く~😨作品を目指して今後も頑張って行きますね💪是非読者様からのメッセージ気軽にお待ちしています📝私はこの作品が良かった💝とかの感想もどしどし✌お待ちしていますね✨✨

No.21 07/10/23 19:53
バトー ( ♂ IbDL )

どうも、この掲示板内にチラホラ出没しているバトーと申します。以後お見知りおきを。
お手軽に読ませていただきました。先の読めない展開と、濃密な内容に読んだ後すっきり感を覚えました。更新楽しみにしてます。
頑張って下さい。

因みに自分は千羽鶴の話が泣けました。

No.22 07/10/23 20:02
ヒマ人0 

>> 21 バトーさん、有難うございます✨💝これから色々なジャンルのお話が登場します💦よろしければお付き合い下さい💝

No.23 07/10/23 22:03
ヒマ人0 

>> 22 【④】~受精面接~


👶1👶

『次ッッ!《雄FQ28番》君!入りたまえッ!』

長いヒダの廊下をくぐると僕は真っ黄色な部屋に通された…

『受精卵番号《雄FQ28》です…』

『はい、そこに漂ってッ!では只今から受精する母胎を決める受精面接を始めますッッ!』

面接官は見た事もないようなカップクの良い年輩の精子だった…きっと凄いお偉いさんに違いない…彼の周りには取り巻きのように無数の若い精子達がこの様子を見ていた…きっとこれから受精を待つ研修精子達だろう…

『あのぅ…今更なんですがこの場で質問してもいいですか?』

僕は恐る恐る面接官に切り出した…

『手短に頼むよッ!後がつかえてるからね…』

『どうしても今ここで受精する母胎…つまり親を選ばないといけませんか?』

面接官は尾を激しく揺らせた…

『受精卵《雄FQ28》君ッッ!君は今更何ぁ~にを言っておるんだねッッ!?受精卵が親を決めるのは当たり前ではないかッッ!』

カップクのいい面接官は地面のヒダを激しく叩いて怒った…面接官はゆっくりと僕の周りを漂いながらお説教を始めた…

No.24 07/10/23 22:26
ヒマ人0 

>> 23 👶2👶

『じゃあ何かね《雄FQ28》君…君はこのままずっと受精卵のまま、ここで漂っていたいのかね?折角何十億分の1の確率で受精卵となったラッキーボーイだというのに、晴れて受胎し、人間界に産まれ落ちる喜びを君はみすみす放棄すると言うのかね!?』

面接官は声を荒げた…取り巻きの精子達はそうだそうだ、贅沢だッ!と一斉に僕を罵倒し始めた…

『い、いいえ…そりゃぁ僕だって産まれたいですよ…オギャァ~ッて元気よく…』

『…確かに昔のシステムに子供は親を選べない!なぁ~んてのがあったそうだがそんなのはもう時代遅れ!…今は子供が親を選ぶ時代に突入したのだ…それも受精卵単位からゆっくりじっくり自らの宿り先を決定出来る素晴らしい時代になッ!』

面接官は自分に酔っているような弁達者ぶりで僕に話をした…解ってますよそれくらい…だからこうして僕は真剣に悩んでるんじゃないですかッッ!そうはっきり言い返す勇気もないまま僕はカップクの良いその面接官のお説教をそれから2時間余り聞かされてしまった…

『解ってくれたか?…そうかそうか…では受精卵《雄FQ28》君…本題に入ろう…』

面接官は二組の新婚夫婦を僕の目の前に映し出した…

No.25 07/10/23 22:50
ヒマ人0 

>> 24 👶2👶

『え~受精卵《雄FQ28》君、厳正なる委員会が選考の結果、君が母胎に宿る権利がある夫婦はこの二組に決定した…』

僕は固唾を飲んで面接官の話に耳を傾けた…

『まずこちらはアメリカ、カリフォルニア州のIT企業の若社長夫婦の長男として産まれ出る権利、もう一方は中国雲南省北部の貧しい農村の三男として産まれ出る権利…』

僕の丸い体は緊張の余り大きく跳ねていた…

『まぁ選ぶまでもなかろう…君はアメリカの若社長の長男って事でじゅ…』

『チョ、チョ、チョット待って下さいッッ!』

周りにいた事務係が当たり前にハンコを押そうとした瞬間、僕はそれを制止させた…面接官と事務係はどうして止めるの!?と不思議そうな顔をして僕を見つめた…

『おい、受精卵《雄FQ28》君ッッ!どういうつもりだねッッ!?結果はもう出ているではないかッッ!?』

『ま、待って下さい…少し考えさせてくれませんか?』

面接官は目と尾を丸くした!

『か、考えるぅ~!?…考えんでもいいように極端な二組を用意したつもりだが…《雄FQ28》君ッッ!君は一体何を考えてるんだッッ!どう見たって社長の息子に産まれた方が幸せに決まってるだろッッ!』

面接官は僕に詰め寄った…

No.26 07/10/23 23:12
ヒマ人0 

>> 25 👶4👶

『果たして…社長の息子に産まれたからといって…ホントにそれで幸せでしょうか…中国雲南省の農村に産まれても幸せになる可能性はあると思うのですが…』

僕は恐る恐る面接官に言葉を返した…

『呆れたッッ…呆れてモノも言えないぞ…君みたいな受精卵は前代未聞だ《雄FQ28》君!…いいか?中国雲南省の三男の方は超がつくほどの貧乏一家だぞ!?それでもいいのか!?…父親は仕事もせずに博打に明け暮れ、毎日毎日夫婦喧嘩ばかりのろくでもない農村家族の三男だぞ!?苦労するのは目に見えてるじゃないか?君は敢えてそんな修羅場に飛び込んで行くというのか?自分から人生を捨てに産まれに行くようなもんだぞッッ!?まぁいい、時間をやる…よく考えろ《雄FQ28》君ッッ!』

確かに面接官の精子の言う通りだと思う…けど僕には将来が約束されているからとはい、じゃあ!と簡単には飛びつけなかった…面接官はあと2日間やるからよく考えろと言ってくれた…僕は2日後にまたここで面接官に逢う約束をして元来たヒダの道を帰って行った…そうだよな…あそこで即答出来なかった僕はやっぱりバカな受精卵かもしれない…僕は一人孤独感にさいなまれていた…

No.27 07/10/23 23:35
ヒマ人0 

>> 26 👶5👶

『ホントッ!バカもバカ、超がつく程のバカ受精卵だわ、貴方ってッ!』

帰るや否や、僕は友達の受精卵《雌KW1929》にこっ酷く叱られた…

『だって…自分の人生だろ?…そう簡単に決められないってッ!』

『あのねッッ!いい?若社長の息子か映画スターの子供かって選択ならいざ知らず、そんな馬鹿でも解る二択なんて考えるまでもないじゃないのよッッ!貴方人生を捨てるつもり!?そんな安易に物事運んで死んで行った何十億の同僚に申し訳ないと思わないのッッ!?』

友達の受精卵《雌KW1929》はため息をついた…彼女は受精研修の頃からの同期でついこないだ同じ頃に受精に成功した僕が密かに憧れている将来きっと美人になるであろう雌の受精卵であった…

『まだはっきり決めた訳じゃないよ…ただ考えてみたいだけだよ…自分の人生を真剣に…』

《雌KW1929》は悲しそうに僕の周りを漂った…

『私…貴方はそんな受精卵じゃないと思ってた…もっと前向きで堅実で保守的な受精卵だとずっと思ってきたのにね…あれは間違いだったんだよね…』

『《雌KW1929》さん…』

僕は悲しそうに漂う彼女の丸い体をただじっと見つめるしかなかった…

No.28 07/10/23 23:59
ヒマ人0 

>> 27 👶6👶

『《雄FQ28》君…私ね…実は昨日、受精面接だったんだ…』

《雌KW1929》さんは静かに言葉を発した…

『でね…私はスロバキア共和国の国王の次女に産まれ出る事にしたの…』

『スロバキア国王ッ…そ、それって…皇族だよね!?…す、凄いッッ…』

僕は思わず声を大にした…

『もし貴方がアメリカの若社長の息子として産まれ出たならまだ万に一つの可能性もあるかも知れない…だけど…中国雲南省の貧乏な農村に産まれても私達は…一国の皇族の私とは二度と巡り逢う事はないでしょうね…』

…間違いない…可能性はゼロ…いや、マイナスだ…

『人間界に産まれ出たなら私達の今の記憶は全て無くなるわ…私も貴方を…貴方もこの私を忘れてしまう…だからこそ貴方には素晴らしい人生を送って貰いたいの!有意義な何でも叶う環境で自分の力を発揮して欲しいのッッ!』

(《雌KW1929》さん……)

『だからお願いッッ!よく考えて結論を出してねッッ!』

《雌KW1929》さんそれだけ僕に告げるとは悲しそうに転がって去って行った…

(そうだよな…一度しかない自分の人生だもんなッッ…有難う…)

僕は思わず外郭から分泌物を出していた…

  • << 30 👶8👶 《15年後…》 『皆様、本日はスロバキア国王陛下在位20周年記念祝賀宮中晩餐会にお越し頂きまして誠に有難うございます!』 きらびやかなシャンデリアにオーケストラの生演奏が響き渡る中、スロバキア国王陛下と王妃は二人の娘を連れて壇上に姿を現した… 『本日はお忙しい中各国から私の為にこんなに沢山の方にお越し頂いて感謝致します!』 来賓客から盛大な拍手が起こった… 『本日は私の在位20周年記念もさる事ながら実は次女カーミアの15歳の誕生日でもありまして大変おめでたい日となりました…』 次女カーミアは一歩前に出て両手でドレスを持ち、来賓客に軽く会釈した… 『皆様本日はどうぞごゆっくりとフランス料理のフルコースをお召し上がり下さいませ!』 来賓客の各テーブルにフランス料理の前菜が運ばれてきた… 『さぁ、我々も頂きましょう…』 スロバキア王妃がそう家族に声をかけると国王一家は料理の席についた… 『前菜は南仏サンジュ産のパプリカと茸のトマトソース和えでございます…』 晩餐会は静かに進んでいった…

No.29 07/10/24 07:49
ヒマ人0 

>> 28 👶7👶

『ホントにそれで…それで君はいいんだね?…後悔しないね?』

『はい、何があろうと覚悟は出来てます…』

約束の日…面接官は渋い表情で何度も僕に尋ねたが僕の気持ちは変わらなかった…

『まぁ君がいいというなら我々も引き留めはしまい…だがもう後戻りは出来ないからそれだけは肝に命じなさいッ!』

僕は面接官に頷いた…

『では受精卵《雄FQ28》君ッ!君は中国雲南省北部の農村で農業を営む【鄭林章・程欄夫妻の三男】として生を受ける事を許可しますッッ!』

事務係は勢いよく書類にハンコを押した…

『…結論出したんだね…』

帰り道の途中で《雌KW1929》さんが僕を待っていた…彼女の顔は淋しそうだった…

『ゴメンね…やっぱり僕…レールに敷かれた人生を送りたくないんだ…自分の人生だもん、どんな事になっても後悔しない…』

『……そう…寂しいけど君が決めた事だから私もう何も言わない…元気でね…《雄FQ28》君…』

『有難う…君も…立派なプリンセスになる事を祈ってる…《雌KW1929》さん…』

僕は彼女と笑顔で別れた…

No.30 07/10/24 08:07
ヒマ人0 

>> 28 👶6👶 『《雄FQ28》君…私ね…実は昨日、受精面接だったんだ…』 《雌KW1929》さんは静かに言葉を発した… 『でね…私はスロバ… 👶8👶

《15年後…》


『皆様、本日はスロバキア国王陛下在位20周年記念祝賀宮中晩餐会にお越し頂きまして誠に有難うございます!』

きらびやかなシャンデリアにオーケストラの生演奏が響き渡る中、スロバキア国王陛下と王妃は二人の娘を連れて壇上に姿を現した…

『本日はお忙しい中各国から私の為にこんなに沢山の方にお越し頂いて感謝致します!』

来賓客から盛大な拍手が起こった…

『本日は私の在位20周年記念もさる事ながら実は次女カーミアの15歳の誕生日でもありまして大変おめでたい日となりました…』

次女カーミアは一歩前に出て両手でドレスを持ち、来賓客に軽く会釈した…

『皆様本日はどうぞごゆっくりとフランス料理のフルコースをお召し上がり下さいませ!』

来賓客の各テーブルにフランス料理の前菜が運ばれてきた…

『さぁ、我々も頂きましょう…』

スロバキア王妃がそう家族に声をかけると国王一家は料理の席についた…

『前菜は南仏サンジュ産のパプリカと茸のトマトソース和えでございます…』

晩餐会は静かに進んでいった…

No.31 07/10/24 08:43
ヒマ人0 

>> 30 👶9👶

コースが進むにつれ、来賓客の各テーブルから料理が美味しいとの声が上がりだした…

『このラム肉の柔らかい事ッッ!最高の味付けですわッッ!』

『このスープだって…クセがなくてホントに飲み易いッッ!』

一体誰が作っているのかといった声まで上がるようになっていた…

『これはまた、エライ盛況だね…』

国王が来賓客の反応を見て驚いた…

『お父様、皆様が唸るのも頷けますわッ!だってホントに美味しいんですもの、こんな美味しいフランス料理、今まで食べた事がないですわッッ!』

次女のカーミアが言葉をかけた…

『うむ…確かに上品で繊細で素晴らしい…あ、君!すまんが今日の料理を作っているシェフをここに…』

国王は執事にそう言うと執事は今日の晩餐会担当シェフを国王の前に連れて来た…

『お口に合われましたでしょうか?』

『君が…君がこれを全部作ったのかねッ?』

シェフの余りの若さに国王一家は皆驚いた!

『彼は中国人で初めてドイツの5つ星フランス料理店で総料理長を任された鄭朴孫さんです!彼は6歳の頃に単身フランスに渡り人一倍の努力で15歳という若さでこの地位を勝ち取った正に天才シェフなんです!』

国王はじめ来賓客一斉に拍手が起こった…

No.32 07/10/24 11:36
ヒマ人0 

>> 31 👶10👶

『素晴らしいッッ!いやぁ、鄭料理長、貴方を見ていると料理の上手さは年齢ではないのだという事をたった今痛感させられたよッッ!若いのにホントに見事だ!』

『お褒めの言葉を頂戴し、誠に感謝します…私事ではございますが幼少の頃から私の農家は貧乏で母の体が弱く、何とか美味しい料理を作りたくて単身ヨーロッパ中の料理店で皿洗い等をしながらフランス料理を学び今日まで来ました…今日ここでスロバキア国王の晩餐会担当料理長に任命された事を名誉だと胸に誓い、これからも頑張っていこうと思います!』

鄭は深々と国王一家に頭を下げた…その鄭の様子を瞬きもせずに見つめていたのが次女のカーミアだった…鄭は静かに頭を持ち上げた時、カーミアと目が合った…

『!?…姫君…私の顔に何かついていますか?』

鄭は不思議そうに自分の顔を見つめているカーミアに言葉をかけた…

『…あの…以前何処かでお会いした事がありますか?』

カーミアは静かに鄭に言葉を返した…



④~受精面接~完

No.33 07/10/24 13:11
ヒマ人0 

>> 32 【⑤】~素敵なあなたと~

🚨1🚨


『あのぅ…すみません…佐藤由道さんですよね?』

自宅マンションに入ろうと鍵を開けた時、由道(よしみち)は見知らぬ女性に声をかけられた…

『はい…そうですが何か?』

由道は何の用だろうと不思議そうに女性を見た…

『あのぅ…折り入って頼みたい事がッ…』

年の頃は50歳前半といった所か、小太りで黒髪にパーマネントの典型的な《おばちゃん》だった…

『実はですねッ…大学受験を控えているウチの息子が先日バイクの無免許運転で捕まりまして…』

『はぁ…で?』

女性は一呼吸置いた…

『でですねッ…その…貴方のお力でその事実を何とか帳消しに出来ないかと…あ、そりゃタダでとは申しません、それなりのお礼は、はいッ…』

由道は何の事か理解出来ずにただじっと女性の話を聞いていた…

『あの…貴方の息子さんの違反の事を何故僕に?』

飲み込み悪いわねッ!といった顔つきでその女性は言葉を続けた…

『だって貴方警察関係の方なんでしょ?警察関係者なら犯罪の事実隠蔽くらい簡単に出来るんじゃないんですかッ?』

由道は驚いた…

『って言うか、何故貴方が僕が警察関係者だって事を知っているんですかッッ!?』

No.34 07/10/24 15:24
ヒマ人0 

>> 33 🚨2🚨

警察官をはじめ司法関係者等の特別国家公務員は第3者にみだりに自らの身分を明かしてはならないという規則がある…由道が見た所、その女性は過去に犯罪に巻き込まれた被害者や加害者家族、自身の親戚関係者でない事は断定出来た…間違いなくこの女性はこれまで由道の警察人生に関わった事のない人物だ…

『どうして僕が警察関係者だと解ったんですかッ?』

『この町内じゃ有名ですよッッ!インターネットの書き込みに書いてありました…東雲町サニーハイツ309号室に住んでいる佐藤由道は神奈川県警立木署の現職刑事だって!』

(インターネットだって!?…ま、まさか…個人情報漏洩じゃないかッッ!)

由道は愕然とした…

『お、奥さんッッ!そ、それはどこのサイトですかッッ!?教えて下さいッッ!』

由道は血相を変えて女性に詰め寄った!

『えぇ、いいですけど…もしお教えしたらウチの息子の無免許運転取消して下さいますッッ!?』

女性は何ら悪ぶれる素振りもなく由道に尋ねた…

『そッ、そんな事出来る訳ないでしょうがッッ!さぁ、早く教えて下さいッッ!いいですか?個人情報が洩れてるんです!これは立派な犯罪なんですよッ!』

No.35 07/10/25 08:01
ヒマ人0 

>> 34 🚨3🚨

『何よそれッッ!まるで悪質なストーカー行為じゃないッッ!』

客に頼まれていた花束を作りながら由道の高校時代からの同級生である美鳩(みはと)は声を荒げた…

『正直参ってる…毎日のように何処の誰だか解らない人から電話が掛かってくるんだ…どこそこのアイツは連続殺人犯だから逮捕しろだとか、裁判の証人に立ってくれだとか…挙句の果てには俺は警察が嫌いだ!だから今からお前を殺しにいくッッ!とか…ハァ~…もうウンザリだよッッ…』

由道は花屋のレジのそばの椅子に腰掛けて頭を抱えた…

『ねぇ由道…そのインターネットに載せている人物が誰だか特定出来ないの?過去に捕まえた凶悪犯だとか…まあね今の時勢、頭の切れる悪いヤツは何だってやっちゃう時代だからね…』

美鳩は出来た!と言って自分の上半身程の大きな花束を奥の棚に置いた…

『いずれにせよ相手は僕の身元や生活を完全に把握しているんだ…僕だけに危害が及ぶならいい…けどもし犯人がエスカレートして僕以外の友達や親戚にまで照準を絞り出したとしたら…』

由道の不安げな表情を見た美鳩は大丈夫だよッ!少なくとも私はッ!と笑顔を見せた…

『だけどフィアンセの友子さんは注意してあげた方がいいかもね…』

No.36 07/10/25 08:22
ヒマ人0 

>> 35 🚨4🚨

『実はさ…』

非番の日、由道は来月結婚する予定の婚約者、岬友子のマンションにいた…

『嘘だろ…友子それ本当かッッ!?』

『最初は玄関の鍵穴が潰されていて…次は駐車場に停めてあった私の車にスプレーで口にも出せない位猥褻な言葉がかけられていて…次は…』

『まだ…まだあるのかッッ!』

友子は戸棚から一枚の封筒を取り出し由道に見せた…由道は目を覆いたくなった…風俗雑誌の表紙に《お前をいつか犯しに行く!》と記されていた…

『なんてこと…友子、どうしてすぐ警察に連絡しなかったんだッッ!っていうかこの僕に相談位出来ただろッッ!?』

『…だって…由道に余計な心配かけたくなかったんだもん…きっとただのイタズラだと…すぐ飽きてやめるだろって…』

由道の恐れていた事が既に現実になっていた…犯人が何処で調べたのかは解らないが婚約者の友子にまで触手を伸ばしていた事に由道は動揺を隠せなかった…

『由道…私…怖い…』

友子は不安な顔つきで由道を見つめた…

『ゴメンな…理由は解らないが…どうやら犯人はこの僕を困らせて楽しんでいるらしい…チキショッッ!』

震える友子の肩を抱きながら由道は何度も何度も心配ないからと呟いた…

No.37 07/10/25 09:52
ヒマ人0 

>> 36 🚨5🚨

『許せないッッ!友子にまでそんな卑劣な事ッ!きっと貴方達の結婚に恨みを持つ変態野郎の犯行だわッッ!』

真っ赤なエプロン姿の美鳩は長方形の細長い箱から今朝仕入れたらしい百合の花束を取り出した…

『所轄の先輩刑事や同僚に僕がいない間の友子の監視を頼んでおいた…今度彼女の身辺に何かあればすぐに犯人が解るようにね…』

『けど犯人ってどんなヤツなんだろ…きっとパソコンオタクで変質者みたいな男じゃないかな…』

美鳩は腕組みをして考えていた…

『これは僕の安易な推測なんだけど…もしかして友子が過去に付き合っていた、もしくは訳あって振った男の中に犯人はいるんじゃないかって…ほら、アイツ学生の時から結構モテてたから…』

それは大いにあり得るわね!と美鳩は何度も頷いた…

『ねぇ由道…ハッキリと犯人が捕まるまで来月の結婚式延期にしたらどう?友子だってかなり動揺してると思うし…』

由道は美鳩が入れてくれたコーヒーを飲みながら考えておくよと言った…

『…チクショッ!いったい何処の野郎だッッ!コソコソと卑怯な真似しやがって!僕が憎いなら面と向かってハッキリと言えばいいじゃないかッッ!』

由道は机を叩いた…

No.38 07/10/25 11:34
ヒマ人0 

>> 37 🚨6🚨

結婚式が3日後に迫った…その後も由道と友子に対する細かなストーキングは続けられていたのだが二人は予定通り結婚式をあげる決意をした…つい先日犯人から《式ヲヤメロ!サモナイト新婦ガ二度ト見ラレナイ顔ニナルゾ!》との脅迫めいた手紙が届いたばかりだったが由道と友子はそんな脅迫には屈せず頑張って式をあげようと誓ったのだ…

『そっか…そうだよね…変質ストーカー野郎にびびってちゃ何にも出来ないもんねッ!』

慌ただしく店の後片付けをしながら美鳩は由道に優しく言った…

『美鳩…お前も来てくれんだろ?…披露宴…』

『あったり前じゃん!私は二人の共通のマブダチじゃんッ!それに友子に披露宴のお花全般頼まれてるしさッ!商売商売ッッ!ハハハ…』

由道は苦笑いを浮かべながらおもむろにポケットにある披露宴で新郎側新婦側両方の若い列席者一覧の紙を眺めた…

(もしかしてこの中に犯人がいるかも知れない…ヤツが本気なら披露宴の最中にも何らかのアクションは起こしてくるはずだ…)

由道は改めて新婦である前に自分は刑事なんだという事を自覚していた…由道は友達の美鳩にサヨナラを告げると彼女の経営する花屋を去った…

No.39 07/10/25 12:10
ヒマ人0 

>> 38 🚨7🚨

『新郎由道君、新婦友子さん…ご結婚おめでとうございます!』

結婚式当日、由道と友子は無事式を終え披露宴会場の高砂席に座っていた…代表者のお祝いの挨拶も滞りなく終わり、披露宴は何事もなく進んでいった…披露宴の列席者の中に由道と友子の学生時代の友人が多数いた…《正木啓吾》《島原守》その中に友子と以前訳ありだった二人の男性も混ざっていた…

(正木啓吾…友子がボート部のマネージャーをしてた時に付き合っていた部のキャプテン…島原守は友子の職場の同僚…どちらも過去に友子と別れている…)

列席者にビールを注がれながらも由道の目はその二人の男性の行動に敏感でいた…

『どう?怪しい人いる?』

黒のカクテルドレスに真珠のネックレスをつけた美鳩が由道にビールを注ぐフリをして耳打ちしてきた…

『…みんな犯人に見えてくるよ…これも刑事としての性分…自分の結婚式なのに因果なもんだッ…』

『大丈夫よ由道ッ!きっと何にも起こらないわッ!ねッ?美鳩ッッ!』

美鳩と由道の会話に深紅のドレスを着た新婦の友子が入って来た…高砂席の前には花屋の美鳩が用意した薔薇の花束が鮮やかに飾り付けられていた…

『綺麗なお花、有難うねッ!』

友子は美鳩に言った…

No.40 07/10/25 12:56
ヒマ人0 

>> 39 🚨8🚨

(どうやら…何にも起きなかったようだ…良かった…)

由道の心配をよそに披露宴はもう最終段階に入ろうとしていた…

『では最後に新郎新婦からご両親に花束の贈呈でございます!』

会場が割れんばかりの拍手に包まれ、由道達が席を立とうとしたまさにその時だった!!

『キャァァァァァァッッッ!』

突然友子の席から悲鳴が聞こえたッッ!会場は一斉に高砂席の友子を見た!

(!!…な、何ッッ!)

由道は思わず声を上げたッッ!しかしその悲鳴は友子のものではなく、友子のドレスを介添えしていたホテルの年輩従業員のものだった!

『ギャアァァァァッッ、手がッッ、手が痛いッッ!』

会場は騒然となった!

『だ、大丈夫ですかッッ!?』

思わず側にいた友子がその従業員に歩み寄った!

『駄目だ友子ッッ!離れろッッ!そこから離れるんだァッッ!』

由道は友子とその従業員を引きずるように高砂席から降ろした!

『大丈夫ですかッッ!?どうしましたッッ!?』

由道は従業員を支えた…

『手がッ…手がァァッッ!』

従業員の手を見ると驚く程赤く腫れ上がり、皮膚は焼けただれたようになっていた!

(チクショッ!…や、薬品ッッ!?…こ、これは硫酸ッッ!?何て事をッッッッ!!)

No.41 07/10/25 16:25
ヒマ人0 

>> 40 🚨9🚨

披露宴会場はパニックに陥った…

『今何処でこれがかかったか分かりますかッッ!?』

由道は硫酸を浴びせられ震える従業員に問い正すと答えも聞く間もなく友子が座っていた高砂席の辺りに不審な物がないか探し始めた!

『待ちなさいッッ!何処に行く気ッッ!?』

その時一人の男性が後ろの扉から出ようとする所を美鳩が腕を掴んで制止していた!

(!…ま、正木ッッ!)

それは披露宴列席者の中にいた友子の学生時代の友人、正木啓吾だった!

『アンタがやったのねッッ!?』

『ち、違うッッ!ぼ、僕じゃないッッ!』

『じゃあ何で逃げようとするのよッッ!』

美鳩は正木の腕をたぐり寄せ会場の真ん中まで引きずり出した!

『正木ッッ!』

『ま、正木さんッッ、ま…まさかッッ!』

由道はそばのホテルの係員にすぐ硫酸をかけられた従業員の救急車の手配を促した…

『し、信じてくれッッ!僕じゃないッッ!』

『貴方確か今繊維会社の研究所に勤めていたわよねッッ!硫酸なんて容易に手に入れれるんじゃないッッ!?』

美鳩は正木の前で仁王立ちになり怒鳴りつけた!両家の親戚達はみな一塊になり震えながら一部始終を黙って見つめていた…

『さぁ、白状しなさいッッ!アンタがやったんでしょッッ!?』

No.42 07/10/25 16:45
ヒマ人0 

>> 41 🚨10🚨

『間違いないッッ!貴方よッ!由道と友子に執拗に悪質なストーキングを繰り返し、挙句の果ては元恋人だった友子に高砂席の花束に仕掛けてあった硫酸を巧妙に浴びせようとしたのよッッ!』

『ち、違うッッ!僕はそんな事しないッッ!』

由道と友子はゆっくりと美鳩とうなだれている正木の元に歩み寄った…

『正木君…ホントなの?』

友子は由道の体の背後から恐る恐る尋ねた…正木はただ黙ってうつ向いてしまった…

『ほらッッ!何も言えないじゃないッッ!やっぱり貴方が犯人なのよッッ!由道が刑事だって知ってての大胆な犯行…人生で一番の晴れ舞台をこんな形で復讐するなんて絶対に許せないッッ!これは計画的で悪質な殺人未遂よッッ!さぁ、由道ッッ…早く逮捕してッッ!』

美鳩は由道に正木を突きだした!

『……』

『さぁ由道ッッ!早く捕まえてッッ!』

『……』

『どうしたの?何黙ってるの?』

『……猿芝居はもうそれくらいでいいだろ!?…美鳩ッッ!!』

由道の余りにも意外な一言で会場中が騒然となった!

『な、何を言ってるの由道ッッ!美鳩は関係ないじゃないッ!』

友子は由道の言葉に驚愕した!

『…は?…由道どうしちゃったの?』

美鳩は目を丸くした!

No.43 07/10/25 17:18
ヒマ人0 

>> 42 🚨11🚨

披露宴会場は水を打ったように静まり返った…

『もういいだろ…美鳩ッッ!犯人は君なんだろ?』

由道は静かに美鳩を見た…

『ち、チョット待ってよッッ、ま、まさか由道私を疑ってるのッッ!?信じられないッッ!』

『そうよ由道ッッ、美鳩を疑うなんて、貴方気でも狂ったの!?』

美鳩と友子が一斉に由道の言葉を否定した…

『…信じられないのはこっちの方だよッ…何度間違いであってくれと思った事か…』

由道はため息をついた…

『どういうつもり?…あんなに何でも相談に乗ってあげて親身になってあげていたのに…由道がそんな事私に言うなんて…酷い…』

美鳩はその場に崩れ落ち泣き始めた…

『最初におかしいと思ったのは美鳩…君が執拗に犯人は男性だという事を僕に植え付けさせようとしていた事だよ…パソコンオタクだからって、友子にレイプまがいの脅迫状が届いたからと言って必ずしも犯人が男性だとは限らないと感じたんだ…それにもし犯人が結婚する友子の事がまだ好きならあの式の前に届いた脅迫状のように友子に危害を加えようとする確率は極めて低い、普通は好きな彼女の相手の男を殺したいと思わないか?』

友子は黙って由道の話を聞いていた…

No.44 07/10/25 18:26
ヒマ人0 

>> 43 🚨12🚨

『ボーイさん、チョットこれお借りします』

由道はテーブルの上にあったオードブル等を掴む小型の万能ハサミを持ち出しそのまま友子が座っていた高砂席に歩み寄った…そして目の前の薔薇の花束の中から一本の小さな香水瓶を万能ハサミで摘み上げた…

『由道…これって!』

友子が驚いた…

『これは薔薇の花束の中に仕掛けられていた硫酸が入った香水瓶です…瓶の横に箱のような物が貼り付けてあって、これはおそらくタイマーで目的時間が来れば自動的に中の硫酸が噴霧される仕組みです…』

『チョット待ってよッッ!それを私が予め薔薇の花束の中に仕組んでおいたって言いたいのッ!?そんなの私が友子を傷付けようとした何の証拠にもならないわッッ!他の誰かが仕掛けたかも知れないじゃないッ!』

美鳩は泣きながら必死に事件との関与を否定した…

『そうだね…でもさっき君は正木を責めている時に大きな失言をしているんだ…』

『えッ!?』

『僕はさっき被害者がかけられた薬品は《硫酸》だなんて誰にも一言も言った覚えはない…なのに君は花束に硫酸が仕掛けられていたと言った…瓶の中身は犯人しか知り得ない情報だよね?違う?』

美鳩の顔つきが変わった…

No.45 07/10/25 18:55
ヒマ人0 

>> 44 🚨13🚨

『う、嘘…美鳩…貴方なの?…全部貴方の仕業だったの!?』

友子はまだ信じられない様子で美鳩に問い詰めた…

『…私の方が…』

『え?…』

『由道には私の方がふさわしいとずっとずっと…なのに貴方は簡単に私の全てを奪っていった…許せなかった…二人が結婚するって聞いた瞬間…私…気が狂いそうだった…ウゥッ…』

美鳩は唇を噛み締めた…由道は静かに目を閉じて天を仰いだ…全ては由道に好意を抱いていた美鳩の嫉妬心から来る凶行だった…美鳩の周りを張り込んでいた私服警官達が取り囲んだ…

『久留米美鳩ッッ…殺人未遂容疑で署に連行するッッ!』

警官の一人が手錠を填めようとした時、由道はそれを黙って制止した…

『…美鳩…済まなかった…今の今までお前の苦しみを解ってやれなくて…』

由道は頭を下げた…

『ホント鈍感ッッ!馬鹿なんだからッッ…結婚式こんなにしちゃってゴメンね…幸せになってね…』

美鳩はそう言うと自ら警官に手錠を促した…



~⑤素敵なあなたと~完

No.46 07/10/26 12:23
ヒマ人0 

>> 45 【⑥】~寿命カウンター~

⏳1⏳

《皆さんは超能力って信じますか?…》


…小学1年生だった10年前のある日…隆志は自分には変な超能力がある事を初めて知った…

(14637日…チッ!あの憎たらしい隣の雷親父ッ、まだあと40年以上も生きるのかッッ!)

(チョットやばいよッッ!3211日ッ…駄菓子屋の清美婆ちゃんもう10年切ってんじゃん!)

【人の顔を見るだけで、たった一度だけその人間の寿命が判る】そう…隆志の超能力とはサイコキネシスでもテレパシーでもないその人間の寿命が見えるという凄く奇異で希少な能力だった…隆志が一番最初にその能力に気が付いたのは小学1年の秋、同じ学校にいた3ツ子の同級生と公園で遊んでいる時だった…隆志は突然3ツ子の額全員に【152】という数字が浮かび上がっているのに驚いた…何の数字なのか、どうして友達の額に数字が浮かび上がったのか、幼い隆志には理解出来なかったがそれから5カ月程経過した寒い雪の朝、3ツ子の住んでいた家は火の不始末による火事で不運にも3ツ子の同級生達だけが焼死した…それは隆志が公園で彼らの額に見た数字…正に丁度【152】日目の事だった…

No.47 07/10/26 12:46
ヒマ人0 

>> 46 ⏳2⏳

その事実を知って隆志はただの偶然だと思っていた…でもその後も次々に額に現れる数字とその人の寿命とがピタリと一致しているのに気持ち悪くなってきた…

(そんなはずない…僕がそんな事判るはずないッッ!)

そんな隆志の猜疑心を一気に打ち砕いたのが大好きだった祖父の病死だった…【1093】見たくも無かった、感じたくもなかった隆志の祖父の額に現れた寿命は1日の狂いもなく確実に実現されてしまった…それ以来隆志は自分のその能力を受け入れるようになっていた…

(出来る事ならオヤジや母ちゃん、弟の春彦の寿命だけは見たくないよな~)

高校の部活の帰りの電車に揺られながら隆志がいつも思う事だった…隆志の能力はその人を見たからといってすぐに現れる事ではないらしく偶然、それもその人ひとりにつきたった一度だけ不規則に隆志の身に訪れる不思議な超能力なのだ…幸い隆志の家族はまだ誰も現れていないらしい…

(今日だけで19人…ハァ~…何か今更ながら人の寿命が判るってのは気が重いよな~…さっきのサラリーマンなんて100日切ってたもんな~…)

隆志はなるべく顔を上げず行き交う人の顔を見ずに重い足取りで改札を出た…

No.48 07/10/26 16:41
ヒマ人0 

>> 47 ⏳3⏳

『兄ちゃんまたその話ぃ?死神デュークじゃあるまいしッ!人の寿命を当てられるだなんて信じられっかよッ!』

弟春彦は隆志がその超能力を持っていると告白した唯一の人間だった…

『間違いないんだってッッ!ほら、一年半前にあの人気絶頂のロック歌手があと【663】日目に死ぬって言ったろ?先週その通りになったじゃん!』

『あんなの偶然に決まってるさッ!あの人さ、麻薬中毒か何かの疑惑あったじゃんかッ!元々体が蝕まれてたんだよッッ!死んだ日にちだって単なるまぐれに決まってんじゃんかッッ!』

隆志は二段ベッドの上でため息をついた…

『そんなに言うなら兄ちゃん、俺の寿命当てて見ろよッッ!』

『だから何回も言っただろ?全員が全員のを見たい時に見れる訳じゃないんだって!』

『ほぅら、ヤッパ無理なんじゃんッ!』

弟だけには理解して欲しいと思った隆志だったがやはり聞き入れてもらえない…それにもし弟の寿命が見えて仮に【500】を切ってたりなんかしたら僕は弟に何て打ち明けるんだろ…とも思った…それはそれでかなりヘビーだ…

(ハァ~…特別な能力を持った人間は誰からも認められず孤独だって超能力の全てって本に載ってたっけ…悲しい…クッ!)

No.49 07/10/26 17:14
ヒマ人0 

>> 48 ⏳4⏳

(高校の購買部の尾崎のおばちゃん【10994】…塾の数Ⅱの岸本先生【17639】…西高の憧れの宮城幸子ちゃん【19629】…ハァ~…今日もまた見えちまった…)

塾の帰り、隆志は重い足取りで家路に向かっていた…他人の額に数字が浮かび上がる度に自分は凄く悪い事をしているんじゃないかと頭がどうにかなりそうな時がある…しかし自分の意志に関係なく浮かび上がる人間の寿命日数を見ない訳にはいかない…これも生まれ持った神様が与えた我が宿命なのか…隆志はため息をついた…家の路地に入る大きな交差点で信号待ちをしている時だった…

(…チキショ!今日はヤケに多いなッッ!大漁かよッッ!)

向かい側で信号待ちをしている人々の額に数字が浮かび上がっていた…5、6人の男女の額にポッカリと映る寿命日数…

(【20100】…ヘェ~長生きじゃん!【17800】…【4458】…【276】…ありゃ、この人ヤベッ…)

何気なくその人々を眺めていたその時、突然隆志の目にとんでもない衝撃が走った!

(いッ!?…う、嘘だろッ!?…【1】ぃぃぃッッッ!!?)

隆志は思わず腰を抜かす程驚き、後ろの植え込みの中に尻餅をついたッッ!

No.50 07/10/26 17:42
ヒマ人0 

>> 49 ⏳5⏳

(まッ、まッ、まじでッッ!?い、いや確かに…確かに今【1】って浮かび上がったよなッッ!?…ま、ま、間違いだったのかなッ…!?)

抜けた腰をゆっくり上げ隆志は額に【1】と出た人物を確認した…

(お、女の人ッッ!?…幾つ位だろ…OL?)

隆志の目に【1】と映ったその人物は背の高いとても綺麗な女性だった…仕事帰りだろうか、その女性は足早に交差点を隆志の方に向かって歩み寄ってきた…交差点の端で隆志はその女性とすれ違った…

(だ、駄目だッ!確認できないッッ!もう額の数字、消えちゃってるッッ!)

すれ違い際、隆志はその女性の額を穴が開くほど見つめたがもう数字は消えてしまっていた…

(何てこった…マジかよッッ!今まで最高【75】って人は見た事あったけど…まさか【1】だなんてッ!ってゆっか、【1】って事はつまり…あの人あと…あと1日しか寿命がないって事だよなッッ!)

隆志は動揺した…体の底からこみあげてくる本物の恐怖…そしてこの時初めてこんな能力を授けた神様を心底怨んだ…

(どうする…どうするんだよ隆志ッ!つぅかこのままあの人放っておくのかよッッ!アァ~チキショォォォォォ!!)

ふと気が付けば隆志は思わずその女性の後を追っていた…

No.51 07/10/26 18:08
ヒマ人0 

>> 50 ⏳6⏳

(ヤバイヤバイ絶対ヤバイよこれッッ!…ど、どうしようッッ…声掛けてみようかな…駄目駄目ッッ!そんな事して何になる隆志ッッ…どうせ超能力の事なんか信じて貰えないよッッ…貴方は今日中に死にますって言われて誰が信じんだよッッ!気違い変態扱い受けるの確実だってッッ!アァッッ…)

隆志は怯えながらゆっくりその女性の後をつけた…

(ってゆぅか僕は何で後を付けてんだッッ?…放っておけばいいじゃないか…別に親戚縁者でもあるまいアカの他人の彼女が今日死のうが明日死のうが僕には関係ない事じゃないかッッ!)

隆志の脳裏は最早大混乱に陥っていて簡単に整理が付きそうにない状態だった…

(とにかく、とにかく落ち着け、落ち着くんだ隆志ッッ…こうなった以上最後まで彼女に起きる事の顛末を見届けようじゃないか…半分はこの僕にも責任があるッッ!い、いや、責任はないけど…【1】という彼女の寿命を知った以上彼女が何処でどうやって命が断たれるのかを見届る義務がある…!)

隆志は何とかして彼女の寿命を伸ばす方法はないかと考えていた…同時に間近で彼女の死を見届け、自分の超能力の力を裏付けたいと思う興味本位な気持ちがあるのも事実だった…

No.52 07/10/26 18:31
ヒマ人0 

>> 51 ⏳7⏳

(彼女は一体これからどんな形で死ぬんだろ…事故死?それとも病死?…ってゆうかあんなに若くて元気そうに歩いてる…いきなり病死ってのは考えにくいよナァ…)

隆志の一番の関心は最早そこにあった…隆志は塾の重たいボストンバックを肩にヨッコイセとかけ直すと一心不乱に彼女を尾行した…彼女は地下鉄の駅に降りて行った…

(地下鉄ッッ…考えられるのは列車事故?)

隆志は素早く切符を買いホームに降りた…

(…待てよ…もし列車事故で彼女が死ぬ事になるのなら一緒に乗った僕も巻き添え食うじゃないかッッ…)

次の瞬間隆志は閃いた!彼女は一番前の車両に乗り込んだ…電車は幸い少しの間車掌乗り換えの為に停車していた…隆志は車外から彼女の周りの乗客を見つめた…

(良かった…いたぞッッ!【13667】…【20041】…【9342】よしッッ大丈夫だッッ!)

隆志は一番前の車両にそのまま乗り込んだ…

(どうやら彼女はこの地下鉄で事故死する事はないらしい…もしここで列車が大惨事で事故るなら他の乗客に【1】の人が居たって不思議じゃないからねッッ…こんな時この能力は使えるよなッッ…僕って頭ッイイ~!!)

隆志の訳の解らない自我自賛だった…

No.53 07/10/26 18:55
ヒマ人0 

>> 52 ⏳8⏳

(現在午後8時…今日が終わるまであと4時間…カァ…)

地下鉄を降りた女性と隆志は商店街を歩いていた…

(彼女の地元かな…)

土地勘のない隆志は周りをキョロキョロと見回し彼女の《死因》を探した…女性は商店街の外れの一軒のコンビニに入った…

(!…コンビニかぁ…もしかして強盗ッッ!?…あり得るよなッッ…押し入った強盗が彼女を人質に取り彼女だけグサッ!!…さっきの地下鉄とは違いここじゃ他の客の寿命知っても仕方ないよな…殺されるのは彼女だけかも知れないし…)

隆志はあれこれ分析していた…

(…違うのか…なぁんだ!)

女性は何事も無く無事買い物を終えコンビニを後にした…

(彼女本当に今日死ぬんだろうか…僕が勘違いしたんだろうか…)

隆志は不安になって来た…最早ここまで来たら彼女を助ける道を探すどころか本当に自分の示した能力通り彼女が死んでくれるのか否か、誠に不謹慎ではあるが隆志の中の焦点はそこに絞られていた…

(もうすぐ今日…終わっちゃうぞ…さぁさぁどうなるんだよッ!僕の能力を裏付けさせてくれッッ!僕の肉眼にその瞬間を見せてくれよッ、頼むよッ、寿命【1】の彼女ッッ!)

その時突然女性が振り返って隆志を見た!

No.54 07/10/26 19:14
ヒマ人0 

>> 53 ⏳9⏳

『さっきからどういうつもりッッ!地下鉄乗る所からずっと!これ以上ツケてくるなら警察呼ぶわよッッ!』

『!!…あ…』

女性は隆志を睨み付けた!隆志の尾行は完全に女性にバレていた…

『い、いや…あ、あの…そのぅ…』

『私に何の用ッッ?』

『い、いや…用ってゆっか…何つぅかその…』

隆志は思わず顔を伏せた…

『貴方高校生よね?…変態ストーカー野郎には見えないけど…』

女性は腕組みをして更に隆志を睨みつけた…

(ここで本当の事言ったって更に傷口は開くよな…よし決めた!逃げよッッ!)

隆志は女性に背を向けその場から逃げようとした!

『ち、チョット待ちなさいよッッ!逃げるつもりッッ!』

女性が思わず逃げようとする隆志の腕を掴んだその時!酔った車が猛スピードで二人めがけて突進して来た!

『キャァァァァァァァ!!』

『あッ、危ないィィィッッッッ!!』

隆志はとっさに我が身をその女性に被せ、抱きしめるとそのまますぐ横の植え込みの中に身を投げた!

『バッキャロッッ!何処でイチャついてんだバーロッッッ!』

酔った運転手が罵声を飛ばしそのまま去っていった…

『ハァ…ハァ…こ、怖かったぁッッ!!』

『貴方、だ、大丈夫!?怪我はない!?』

No.55 07/10/26 19:47
ヒマ人0 

>> 54 ⏳10⏳

『ハァ?…私の寿命が1日しかないだってぇ?…貴方それ何の冗談ッッ?』

『ほら、ヤッパ信じてくれないじゃん…』

隆志と未菜というその女性は近くの児童公園で傷の手当てをしていた…

『つまり君が人の寿命が見える超能力を持っていてたった1日しか寿命がないこの私を興味本位で尾行してたって訳?』

未菜は隆志の口元の血を持っていたハンカチで拭った…

『ホントごめんなさい…僕、つまらない事言って…帰ります…』

帰ろうとした隆志を未菜は待ってと制止した…

『もし…もしもよ?その話がホントなら…さっきの酔っぱらいの車にひかれて死んでいたかも知れないんだよね、私…』

隆志はハッとした…そうだ…もしかしたら未菜の寿命はさっきの車で消される予定だったのでは!これはもしかして本来起こりうる未来を僕がねじ曲げてしまったのではッ!とすると…

『…でも私…今こうして生きてるよッ!…これってもしかして未来が変わったんじゃないの?』

あくまでも君の話を信じるのが前提としてよッ!と未菜は苦笑いで言った…

(そうだッ!もしかして僕は僕自身の力でこの超能力に打ち勝ったんだッッ!彼女の寿命をこの手で伸ばしたのかも知れないぞッッ!)

No.56 07/10/26 20:23
ヒマ人0 

>> 55 ⏳11⏳

『はい、コーヒーでいいよね?』

未菜はブランコに座っている隆志に缶コーヒーを投げると自分も隣のブランコに腰掛けた…

『…そっかぁ…寿命が見えるんだ…フフフ…面白いねッ…』

未菜はコーヒーを開けた…

『信じて貰えないと思うけどホントなんだ…見たいって念じれば誰かれ見える訳でもない中途半端な能力なんだけどさッッ…』

『信じるよ…私は…』

未菜はブランコを揺らした…隆志は目を丸くした…

『だけど…他人の寿命は見えても…自分の寿命って解らないんだよね?鏡とか見ても駄目なんだッ?』

隆志はそう、と頷いた…

『他人のは見えて自分のは見えない…カァ…何か人生そのものだよねッッ!?何もかも自分の思い通りにはいかないもんなんだよね…素敵じゃない…何かそれ…』

『たまに思うんだ…僕には一体どれだけの寿命があるんだろかって…』

『フフフ…知りたいんだ…だよね…』

未菜はブランコから立ち上がり隆志に握手を求めた…

『助けてくれて有難うッッ!じゃ私帰るね!』

隆志は照れ臭そうにそれに答えようと立ち上がったその時!いきなり背後に人影を感じたッ!

『騒ぐなッッ!あり金全部出せッッ!』

隆志の喉元にナイフが突き付けられていた!

No.57 07/10/26 20:40
ヒマ人0 

>> 56 ⏳12⏳

(……ここは…どこ…僕は…一体…)



何が起きたのか隆志には理解出来なかった…ただ気がつくと病院のベッドらしき場所に寝かされていた…

『気がついたかいッッ!良かったぁ~ッッ!』

『ここは…僕は何故…』

隆志は頭の中を整理していた…未菜という女性と握手をしようとして…そしたら急に…

『君は二時間前に近くの公園で暴漢に襲われて胸を刺されたんだよッ…』

隆志の担当医らしき医師が静かに隆志に言葉をかけた…

『胸を…刺され…た?』

『だが奇跡的にナイフが急所から外れていてねッ…ホントに奇跡としか言いようがないよッッ!君は命拾いしたんだよッッ!』

医師と側にいた看護師達は笑顔で隆志を見た…

『!そだ!未…な…未菜って女性はッッ!?確か僕と一緒にあの場所にッッ…彼女はッ、彼女は無事なんですかッッ!?』

隆志の質問に医師は一気に顔色を曇らせた…

『彼女は…亡くなったよ…ついさっき…』

『亡くなった…って…死んだって事?…そんな…嘘だ…』

隆志は未菜の死を受け入れられなかった…

(寿命を…彼女の寿命を伸ばす事が出来たと思ったのに…何で…何でだよッッッ!!)

No.58 07/10/26 21:25
ヒマ人0 

>> 57 ⏳13⏳

『目撃者によれば君が暴漢に刺された後、彼女は瀕死の君をおんぶして2kmも離れたこの病院まで全力疾走したそうだ…頑張ってッ!頑張ってと励ましながらシニモノ狂いで走ったそうだ…』

『…そんな…未菜サン…そんなぁ…』

隆志は目を閉じて唇を噛み締めた…

『…死因は心臓発作だった…君を抱え一気に全力疾走したので心臓に負担がかかったらしい…元々持病の狭心症を持っていたそうだ…』

隆志はただ黙っていた…

(未菜サン…未菜サン…ヤッパリ…救えなかったんだね僕…こんな能力ッッ!消えてしまえばいいんだッッ!したら誰も傷つく所を見なくて済むんだッッ!)

隆志は泣き崩れた…

『彼女がね…息を引き取る間際に君に伝えてくれって…伝言があるんだ…』

医師は隆志を見つめた…

『な、何ですか…伝言って…』

『《大丈夫ッッ!心配しなくても君は【21054】ッ!大往生だよッッ》…私には何の事かサッパリ…』

(!!…まッ…まさか…未菜サン…あなたッ!!?)

時計は11時55分を刻んでいた…隆志は溢れる涙を止める事が出来なかった…



⑥~寿命カウンター~完

  • << 60 🗿2🗿 柿内恭一郎の職業は俳優である…俳優といってもTVドラマに顔を晒す俳優ではない…主にヒーローショー等の着ぐるみや衣装を着て動き回る、いわゆる《スーツアクター》という専属の役者である…つまり変身ヒーロー役の人間の姿の俳優が変身した後に登場する被り物専門俳優といった所か…人間役の役者達とは違い恭一郎の仕事は子供達に決して顔を晒す事はない地味な仕事とも言える… 『愛美…最近正憲と俺のショー観に来ないのか?』 晩酌をしながら恭一郎は妻、愛美に話かけた…もうすぐ4歳になる愛息子の正憲は奥の部屋で寝息を立てていた… 『…こないだ幼稚園で友達にからかわれたんだって…』 『からかわれた?…何でッッ?』 愛美は恭一郎のグラスにビールを注いだ… 『マー君ちのパパってホントは悪い怪人なんでしょ?…ッて…』 愛美はゆっくり腰掛けた… 『今の子供って現実的よね…正義のヒーローだって中に違う誰かが入ってるって事位周知の事実みたい…』 恭一郎の箸が止まった… 『正憲もまだ小さかった頃は何も解らずただ喜んで観てたけど…あの子ももう4歳よ…良きにつれ悪きにつれ、社会の事何でも吸収しだす年頃なのかもね…』 恭一郎は寝息を立てている正憲を眺めた…

No.59 07/10/27 13:01
ヒマ人0 

>> 58 【⑦】~パパは《悪ター》!?~

🗿1🗿


『柿内さん…さっきの殺陣(たて)の場面さッ…もっとバサッって勢いよく倒されてくんないッスかねぇ~…』

恭一郎が額の汗を拭って水分補給をしていた時、後輩の長谷川忍が恭一郎に声を掛けてきた…

『何かあれじゃシグナルエースが圧倒的パワーで悪の帝王ジャリンガに勝ったって気がしないんスよッ…午後の部はそこん所宜しくお願いするっスッッ!』

シグナルエースのスーツを着たまま長谷川は不服そうに自分の控室に帰って行った…

(チクショッ!忍のヤツ自分の演技が下手な事を棚に上げやがってッッ!主役やりだしてからホント生意気になって来たなッッ!アイツ…)

恭一郎は肩に掛けてあったタオルを床に叩き付けた…

(あ~ぁ…俺も忍くらい若い頃にゃ、バリバリ主役張ってたもんなぁ…だけど今じゃ悪の幹部が関の山カァ…)

いくら経験や演技力が豊かであっても重ねる年齢には勝てないと恭一郎はため息をついた…子供達で埋め尽された会場を袖で眺めながら恭一郎はふと息子の正憲の事を考えた…

(そぅいやぁ最近アイツ…俺のショーを観に来なくなったよナァ~…)

何故だろうと考えながら恭一郎はペットボトルの水を飲み干した…

No.60 07/10/27 13:26
ヒマ人0 

>> 58 ⏳13⏳ 『目撃者によれば君が暴漢に刺された後、彼女は瀕死の君をおんぶして2kmも離れたこの病院まで全力疾走したそうだ…頑張ってッ!頑張っ… 🗿2🗿

柿内恭一郎の職業は俳優である…俳優といってもTVドラマに顔を晒す俳優ではない…主にヒーローショー等の着ぐるみや衣装を着て動き回る、いわゆる《スーツアクター》という専属の役者である…つまり変身ヒーロー役の人間の姿の俳優が変身した後に登場する被り物専門俳優といった所か…人間役の役者達とは違い恭一郎の仕事は子供達に決して顔を晒す事はない地味な仕事とも言える…

『愛美…最近正憲と俺のショー観に来ないのか?』

晩酌をしながら恭一郎は妻、愛美に話かけた…もうすぐ4歳になる愛息子の正憲は奥の部屋で寝息を立てていた…

『…こないだ幼稚園で友達にからかわれたんだって…』

『からかわれた?…何でッッ?』

愛美は恭一郎のグラスにビールを注いだ…

『マー君ちのパパってホントは悪い怪人なんでしょ?…ッて…』

愛美はゆっくり腰掛けた…

『今の子供って現実的よね…正義のヒーローだって中に違う誰かが入ってるって事位周知の事実みたい…』

恭一郎の箸が止まった…

『正憲もまだ小さかった頃は何も解らずただ喜んで観てたけど…あの子ももう4歳よ…良きにつれ悪きにつれ、社会の事何でも吸収しだす年頃なのかもね…』

恭一郎は寝息を立てている正憲を眺めた…

No.61 07/10/27 14:12
ヒマ人0 

>> 60 🗿3🗿

『覚悟しろッッ!悪の帝王ジャリンガッッ!この世にシグナルエースがいる限り、お前の好き勝手にはさせないッッ!』

会場から割れんばかりの子供達の声援が飛び交った!

『フフフ…何度でもほざくがよいッッ!所詮お前はこの悪の帝王ジャリンガ様の相手ではないッッ!ジワジワと苦しめて地獄に送ってやるッッ!』

ジャリンガの言葉に子供達は一斉にブーイングを浴びせた…

《ジャリンガなんかヤラレちゃえッッ!》

《死ねッ!死ねッ!死んじまえッッ!》

《殺せッッ!ブチ殺せッッ!コイツ殺しても犯罪にはなんねぇぞッッ!ヤッちまえッッ!》

ジャリンガの着ぐるみの中で恭一郎は何故か哀しい気持ちになった…それらは最早純真な気持ちでヒーローの活躍を目を輝かせながら見つめる小さな子供の言う言葉ではなかった…

(ハァ…これじゃ正憲に観に来いなんて言える環境じゃないよなぁ…)

まだ自分がシグナルエースであったなら救いはあったのかと恭一郎は思っていた…

『死ね、ジャリンガッッ!シグナルボンバーァァァァァッッッ!!』

シグナルエースのキックが恭一郎の腹にヒットした!…恭一郎はそのまま舞台の下に吹っ飛ばされた…

No.62 07/10/27 14:45
ヒマ人0 

>> 61 🗿4🗿

仕事柄、地方の遊園地や百貨店の出張が多い恭一郎であったが久しぶりに家でゆっくり休める日が出来た…恭一郎は部屋で黙々と超合金のオモチャで遊ぶ正憲の側に座った…

『…なんだ…シグナルエースで遊ばないのか?』

恭一郎は別のキャラクターの玩具で遊ぶ正憲に声をかけた…

『シグナルエース…嫌いッッ!大嫌いッッ!』

恭一郎はそっかぁと少しニヤついた…

『でもジャリンガはもっと嫌いッッ!大大大~ぃ嫌いッッ!!』

(…………凹むナァ…)

『ねぇパパ…』

正憲が列車のオモチャで遊び出した…

『…ん?…』

『パパはどうしてヒーローじゃないの?どうして悪の帝王ジャリンガなの?』

恭一郎は黙り込んだ…正憲のその質問に対しすぐに的確な答えが見つからない…

『正憲は…パパがジャリンガだったら嫌か?』

『………』

『……だぁよな…ハハハ…』

正憲は恭一郎に背を向けるようにひたすら列車のレールを作っていた…暫くの沈黙が続いた…

『正憲ッッ…パパはねッ…昔正義のヒーロー《神話戦隊オメガマン》のオメガレッドだったんだよッッ!スッゴク格好良かったんだから!』

部屋の外からそっと妻の愛美が声を掛けてきた…

  • << 65 🗿5🗿 『嘘だッ!…パパが正義のヒーローな訳ないよッッ!だっていつもシグナルエースにヤラレる役ばっかだよッッ!僕、僕…強くて格好いいパパ見たいよッッ!』 正憲は寂しそうにそう言った… 『マー君…チョット来てごらん…』 愛美は正憲を居間に連れて来るとビデオをセットした… 『恥ずかしいからマー君には見せたくはなかったんだけど…』 愛美はそう言うとビデオの再生ボタンを押した…《神話戦隊オメガマンッッ!》正憲の目の前に五人の鮮やかな戦士達が現れた…それは10年以上も前の戦隊ヒーローのビデオだった… 『愛美お前…こんな古い映像…保管してたんだ…』 恭一郎は驚いた…軽快なオープニング主題歌が流れだし、五人の隊員達の映像が順に紹介されていく… 『!…あッ!パパだッッ!赤いの、パパだッッ!』 いきなり紹介されたオメガマンのレッド役はまさに恭一郎だった…正憲は身を乗り出すようにその映像を見た… (懐かしい…俺が一番輝いてた頃だ…) 隊員が順に紹介され正憲はハッとした… 『?…ママだッッ!これママだッッ!ママだよねッッ!?』 五人目の唯一の女性、オメガマンのピンクは愛美であった…

No.63 07/10/27 17:43
匿名さん63 

新しい小説もよいですが、復帰できたなら、今までなげてた小説完結してもらいたい。次々書いてポイ捨てじゃ、ずっとファンでしたが正直うんざりきます。

No.64 07/10/27 23:14
ヒマ人0 

>> 63 匿名63様厳しいご意見誠に身にしみる思いです…😥今後の反省材料にさせていただきます…💀

No.65 07/10/28 07:17
ヒマ人0 

>> 62 🗿4🗿 仕事柄、地方の遊園地や百貨店の出張が多い恭一郎であったが久しぶりに家でゆっくり休める日が出来た…恭一郎は部屋で黙々と超合金のオモチ… 🗿5🗿

『嘘だッ!…パパが正義のヒーローな訳ないよッッ!だっていつもシグナルエースにヤラレる役ばっかだよッッ!僕、僕…強くて格好いいパパ見たいよッッ!』

正憲は寂しそうにそう言った…

『マー君…チョット来てごらん…』

愛美は正憲を居間に連れて来るとビデオをセットした…

『恥ずかしいからマー君には見せたくはなかったんだけど…』

愛美はそう言うとビデオの再生ボタンを押した…《神話戦隊オメガマンッッ!》正憲の目の前に五人の鮮やかな戦士達が現れた…それは10年以上も前の戦隊ヒーローのビデオだった…

『愛美お前…こんな古い映像…保管してたんだ…』

恭一郎は驚いた…軽快なオープニング主題歌が流れだし、五人の隊員達の映像が順に紹介されていく…

『!…あッ!パパだッッ!赤いの、パパだッッ!』

いきなり紹介されたオメガマンのレッド役はまさに恭一郎だった…正憲は身を乗り出すようにその映像を見た…

(懐かしい…俺が一番輝いてた頃だ…)

隊員が順に紹介され正憲はハッとした…

『?…ママだッッ!これママだッッ!ママだよねッッ!?』

五人目の唯一の女性、オメガマンのピンクは愛美であった…

No.66 07/10/28 09:33
ヒマ人0 

>> 65 🗿6🗿

『でもこんなの僕が生まれるずぅッとずぅッと前の事でしょ!?…今のパパは悪い怪人なんだもん…全然強くないし…すぐにヤラレちゃう…そんなパパ…僕見たくないよッッ!』

正憲は悲しそうに列車のオモチャで遊ぶ為にスネるように部屋に戻って行った…恭一郎と愛美は顔を見合わせ静かにため息をついた…

『俺がいけなかったんだ…もう少し大きくなる迄この仕事の事正憲に隠しておくべきだったんだ…少なくとももうヒーローなんて信じないッていう年頃まで…』

『恭ちゃんは間違ってないわよ…それだけ自分の仕事に誇りを持ってる証拠だわ…早いうちから子供に父親がどんな仕事してるのか教えておくのって私は大事だと思う…私は恥ずかしかったから今の今まで正憲には言えなかったけどねッッ!』

愛美の言葉に恭一郎は少し救われた気持ちになった…同期の戦隊ヒロインで職場結婚し、恭一郎と同じ苦しみを知り尽くしている妻ならではの意見だと恭一郎は感じていた…

『俺の気持ちを理解してくれる君と結婚して良かったよッッ…』

恭一郎は笑顔で愛美に言った…

『さぁて…後は正憲をどうするか!だよねッッ…』

腕組みをしながら愛美は洗濯物を取り込みにベランダに向かった…

No.67 07/10/28 10:57
ヒマ人0 

>> 66 🗿7🗿

『ハァ?…恭ちゃん今何て言ったァ?』

『柿内さん、それ冗談ッスよね?』

次の日の仕事帰り、恭一郎はショーの統括責任者の一ノ瀬とシグナルエースのスーツアクターの長谷川忍に深々と頭を下げた…

『お願いしますッッ!一度でッ、たった一度でいいんですッッ!』

一ノ瀬は目を丸くして驚いていた…

『シグナルエースのスーツアクターを忍と替わってくれって言うのならいざ知らず、今の配役のまま悪の帝王ジャリンガにシグナルエースが倒されてくれって恭ちゃん、そんな事子供達の前で出来る訳ないじゃないのッ!気でも狂っちゃったの!?』

恭一郎は息子正憲の事を二人に詳しく打ち明けた…一度でいいから親父が勝つ姿を見せてやりたいと…

『柿内さん、じゃぁ一度だけ僕、シグナルエースとジャリンガを交替してあげますから…』

先輩に気を使ったのか長谷川忍は言葉をかけた…

『いや、それじゃぁ意味がないんだ…気持ちは嬉しいけど…今の自分のありのままを息子に見せてやりたいんだ…』

『恭ちゃん…気持ちは解るがこれは正義のヒーローショーだ!幕が降りた後に個人的にしてやる事は出来るがショーの開演その真っ只中にそんな事は絶対に許される事じゃないッッ…頭を冷やせッッ!』

No.68 07/10/28 11:22
ヒマ人0 

>> 67 🗿8🗿

『…まぁ誰が考えたって当然の結果よね…一ノ瀬さんに私は全面的に賛成よッ…何処の世界に正義ヒーローショーで悪に倒されるヒーローがいる?それは恭ちゃんが一番判ってる事じゃない…いくら正憲の為だからってそれはやり過ぎ…』

食器を棚に片付けながら愛美は静かに恭一郎に諭した…

『俺だって解ってるさそれ位…けど正憲の為になるなら…』

『恭ちゃん、正憲のせいにしてる…』

『!…え?』

『恭ちゃんはまだ自分の過去の栄光に未練があるのよッ…恭ちゃんは正憲の想いを利用してただあのヒーローだった若くて輝いていた頃の自分を取り戻したいだけなんだ…敵をバッタバタと倒していた頃の自分に…』

愛美は残り物のオカズを小鉢に移し変えた…

『…随分な言い方だな…俺はただ…』

『悪の帝王ジャリンガがシグナルエースを倒したからって…正憲の気持ちがスッキリする訳じゃない、そうする事によって本当は恭ちゃん自身が納得したいだけなんだよッッ!違うッッ!?』

『ジャリンガである恭ちゃんがシグナルエースを倒したとしても…正憲はきっと喜ばないと思うよ…それって何か違うと思う私…』

愛美の言葉に恭一郎はただうつ向くだけだった…

No.69 07/10/28 11:53
ヒマ人0 

>> 68 🗿9🗿

(自身の過去の栄光に未練…カァ…)

爽やかな風が吹き抜ける平日の午後、河原で恭一郎は仰向けになり考えていた…愛美と正憲はすぐ側でボール遊びをしている…愛美の言った事は確かに当たっていた…俺は正憲の気持ちと自らを重ね合わせていたのだ…正憲の願う強い父親像は今の己れ自身に打ち勝つ強さであるという事なのか…過去に縛られない精一杯今の自分を見つめ直す力という事なのか…澄んだ青空にかかる飛行機曇を眺めているうちに恭一郎の中で何かが弾け飛んだ…

『パパッッ!野球しよッ!マー君バッターだよッッ!』

ボール遊びを終えた愛美と正憲が恭一郎の元に帰って来た…

『なぁ正憲…』

『ん?…なぁにパパ…?』

恭一郎は正憲を目の前に座らせた…

『強いパパ…見たいかッッ!?』

『……うん…見たい!』

少し間をおいて正憲は恥ずかしそうに答えた…

『よぉし!じゃぁ今度の日曜ショー観に来いッッ!メチャンコ強いパパを見せてやるッッ!』

『ホントッ!?パパもう倒されない?』

『あぁ、倒されるもんかッッ!反対に返り討ちさッッ!』

今までに見せた事がない正憲の笑顔だった…

『き、恭ちゃんッッ!』

心配そうな愛美に恭一郎はウインクした…

No.70 07/10/28 14:05
ヒマ人0 

>> 69 🗿10🗿

《ッとその時だったッッ!シグナルエースの背後に怪しい影ガァッッッ!》

『グゥッハッハッハッッ!まんまと罠にハマったなシグナルエースッッ!今日こそお前の最期ダァッッ!』

白煙が会場全体を包み込み辺りは真っ暗になった!あまりの恐ろしい演出にすすり泣く子供もいた…観客席の一番前に愛美と正憲は座って恭一郎の出番を待っていた…父親の登場を間近に正憲の目は爛々と輝いていた…

『マー君ッ…ほら、もうすぐパパが出てくるよッッ!』

『パパ本当に負けないよねッッ!?絶対シグナルエースをやっつけてくれるよねッッ!?』

正憲の言葉に隣にいた子供達は驚いた様に目を丸くした…

《ジャリンガッッ!今日こそお前の息の根をとめてやるッッ!》

子供達が一斉に拳を突き上げた!

《それはこっちのセリフだッッ!シグナルエース覚悟しろッッ!》

ジャリンガとシグナルエースが激しく剣で交戦を始めた!

『頑張れッッ!ジャリンガッッ!』

全ての子供達がシグナルエースへの声援を送っている中で正憲だけは胸の前で両拳を握り締め必死にジャリンガに声援を送っていた…

(恭ちゃん…)

愛美も正憲の横で事の顛末を固唾を飲んで見守っていた…

  • << 72 🗿12🗿 愛美はショーの楽屋口で正憲と恭一郎が仕事を終えて出てくるのを待っていた… 『!あッ…マー君…パパだよッ!』 うつ向き加減で恭一郎が出口から出てきた… 『……正憲…ゴメン…』 恭一郎は正憲の視線に自分の目線が届くように中腰になって息子を見た… 『……』 『ほらッ、マー君…!』 愛美が静かに黙っている正憲の背中を叩いた… 『パパな…ホントにシグナルエースをやっつけるつもりで精一杯頑張ったんだ…だけどあんの野郎ヤッパリ正義の味方だからさ、メチャンコ強くってさ…パパ全然歯が立たなかったんだ…ゴメンな…』 愛美は恭一郎の言葉に苦笑いした… 『……』 『強いパパ見せるって約束破っちゃったな…』 『……仕方ないよ…』 正憲が静かに口をついた… 『仕方ないよ…だってシグナルエースは正義のヒーローなんだから…パパが負けちゃうのは…当たり前だよッッ!』 『ま…正…憲…』 恭一郎は愛美と顔を見合わせた… 『でもパパ…格好良かったよッッ!シグナルエースよりずっと…だって僕のパパは悪の帝王ジャリンガなんだもんッッ!明日幼稚園で自慢してやるんだッッ!』 正憲の言葉に恭一郎は涙が溢れた… ⑦~パパは《悪ター》!?~完

No.71 07/10/29 07:58
ヒマ人0 

>> 70 🗿11🗿

シグナルエースと悪の帝王ジャリンガとの激しい交戦が続いていた…

『負けないでッッ…ヤッつけてッッ…パパッッ!』

祈るような気持ちで正憲は目を閉じた…

『大丈夫だよマー君ッッ、パパはいつだって強いんだよッッ!絶対自分から逃げたりしないんだからッッ…』

愛美は正憲の肩を抱きながら息子にそう言葉をかけた…その時ッッ!シグナルエースの必殺技《シグナルボンバー》がジャリンガのお腹にヒットした!

『ウガガァァァッッ、お、おのッ、おんのれェェェェェッッッッ!!』

ジャリンガは黒い煙とともにその場に倒れ込んで動かなくなった!

『!ッ…パパ…パパァァァァァァッッッ!!』

正憲はジャリンガの敗北に顔を覆った…《見たかジャリンガッッ!これでまた地球の平和は守られたッッ!》シグナルエースが拳を大きく突き上げると会場から大歓声が上がった…

『パパ…パパ…負けちゃった…ママ…パパ…負けちゃったよッッ…』

正憲は大粒の涙を溢した…それは自分との約束を守ってくれなかった父親への怒りとは違い、自分の大好きな父親が大勢の観客の前で倒された事への寂しさだった…

No.72 07/10/29 08:44
ヒマ人0 

>> 70 🗿10🗿 《ッとその時だったッッ!シグナルエースの背後に怪しい影ガァッッッ!》 『グゥッハッハッハッッ!まんまと罠にハマったなシク… 🗿12🗿

愛美はショーの楽屋口で正憲と恭一郎が仕事を終えて出てくるのを待っていた…

『!あッ…マー君…パパだよッ!』

うつ向き加減で恭一郎が出口から出てきた…

『……正憲…ゴメン…』

恭一郎は正憲の視線に自分の目線が届くように中腰になって息子を見た…

『……』

『ほらッ、マー君…!』

愛美が静かに黙っている正憲の背中を叩いた…

『パパな…ホントにシグナルエースをやっつけるつもりで精一杯頑張ったんだ…だけどあんの野郎ヤッパリ正義の味方だからさ、メチャンコ強くってさ…パパ全然歯が立たなかったんだ…ゴメンな…』

愛美は恭一郎の言葉に苦笑いした…

『……』

『強いパパ見せるって約束破っちゃったな…』

『……仕方ないよ…』

正憲が静かに口をついた…

『仕方ないよ…だってシグナルエースは正義のヒーローなんだから…パパが負けちゃうのは…当たり前だよッッ!』

『ま…正…憲…』

恭一郎は愛美と顔を見合わせた…

『でもパパ…格好良かったよッッ!シグナルエースよりずっと…だって僕のパパは悪の帝王ジャリンガなんだもんッッ!明日幼稚園で自慢してやるんだッッ!』

正憲の言葉に恭一郎は涙が溢れた…


⑦~パパは《悪ター》!?~完

No.73 07/10/29 12:52
ヒマ人0 

>> 72 【⑧】~戦国ほうむれす~


🎎1🎎

『ほれッ、コレでも食えッッ!?腹減ってるんやろ?…さっきコンビニの裏で捨てられてた弁当やッッ!賞味期限切れててもまだ充分食べれるでぇ~ッッ!』

師走の寒い夜…闇夜にポッカリ浮かぶ鋭利な三日月を寂しそうに眺めている吉田為衛門(ためえもん)に源吉は食べかけのコンビニ弁当を手渡した…

『あんがとな、源吉殿…だどもオラは今腹減ってねぇからッッ…』

『遠慮せんと食わんかいなッ!…袖触れ合うも他生の縁ッちゅうてな、ここ人情の街大阪の人間は誰にでも優しいんやッッ!特にワシらホームレスの人間同士はお互い助け合わなアカンッッ!なッ!ガハハハハ!』

源吉は為衛門の肩を叩いた…

『あ…して、源吉殿ッ…ここは一体何処だぁんべさ?…オラ…』

『だぁからッッ!ここは人情と水の都、大阪やないけッッ!為ちゃん頭打ったんとちゃうかッッ!?河内や河内ッッ!河内の国やッッ!』

『カワチ…ここは河内の国け?…っぅこたぁオラ…まんずこらぁてぇへんな事になったダァ!』

為衛門は頭を抱えた…

『まぁとにかく悩んでないでワシのウチ泊まれやッッ!重ねた団ボールで温熱しとるから温いデェ~!』

源吉は為衛門を連れてウチの中に入った…

No.74 07/10/29 16:40
ヒマ人0 

>> 73 🎎2🎎

『源さん、コレ見てみぃ!行きつけのフランス料理店の裏でキャビアの缶詰見つけたでぇ~ッッ!』

源吉と為衛門が源吉の団ボールハウスにいると外からけたたましい声を上げ、隣の寅江が飛び込んで来た…

『ナァんや寅ちゃん騒々しいなッッ!』

『ホレ、これ3年前に賞味期限切れたキャビアやで勿体無いッッ!まだワテらのお口の許容範囲やがなッ!ガハハハハ!……ってか…源ちゃん、お客さんか?』

『おぅ、昨日公衆トイレの側で糞まみれで倒れてたんや…』

寅江は為衛門を凝視した…

『アンさんこの辺では見ん顔やな…ケッタイな身なりしてどっから来たんや?着物にチョンマゲて…仮装大賞かッッ?』

この寅江という女性は言葉は汚いが悪い人間でない事は源吉と話しているのを聞いて為衛門は理解した…

『…お、オラ…まだあだまン中真っ白で…何が何だか…』

為衛門は源吉に視線を送り事の発端を説明してくれという仕草をした…

『寅ちゃんよう聞きや…この為ちゃんはな、どうやら昨日戦国時代からタイムスキップして来た越後のしがない農民らしいわッッ…』

『………はァッッ?タイムスキップぅ?』

寅江は源吉の言葉に口をアングリと開くしかなかった…

No.75 07/10/29 17:12
ヒマ人0 

>> 74 🎎3🎎

『タイムスキップっちゅうのは…あぁ…その過去やら未来やらを行き来でけるっちゅうマンガ映画のあれけ?』

寅江は半信半凝で源吉と為衛門の話を聞いていた…

『ンダ…オラァ越後長岡藩主村岡実友様を親方に持つ稲作農民のハシクレ吉田為衛門だべさ…親方様の余りにもきんびすぃ年貢の取り立てに我々城下さ農民は一揆を企てたべ…だども村岡様の屋敷に踏み込んだど思った矢先に…気が付いたらこげんな場所に…』

『つまり、原因は判らんがこの戦国時代の農民である為ちゃんは21世紀の大阪に飛ばされたっちゅう訳やッッ…』

源吉は寅江が手に入れたキャビアの缶詰を必死で開けている…チョット!と寅江は源吉の襟元を掴んでハウスの外に連れ出した…

『源さん、まさかアンタあの仮装大賞の言う事信用してるんちゃうやろなッッ!』

寅江は不快そうに眉間に皺を寄せた…

『信用するも何も…行き場がのぅて困っとるんや、いつの時代に生まれようが人類皆兄弟やッッ、ガハハハハ…』

『ホンマに源さんは人がえぇっちゅうか頭のネジ一本抜けてる言うか…まぁ源さんが信用するならワテも信用するけど…』

寅江はしかしそんな事もあるんやな~と感心した…

No.76 07/10/29 17:46
ヒマ人0 

>> 75 🎎4🎎

大阪市内の高層ビルやマンションに囲まれた小さな公園の一角に源吉達10人程が生活しているテント村がある…家を追い出された、借金で夜逃げした、事業に失敗して文無しになった等…色んな諸事情で宿無しになった者達のここは至極のパラダイスである…戦国時代の世に住む為衛門が何故大阪のこんなテント村にタイムスリップして来たのかは謎であったが源吉や寅江をはじめとするこのテント村の住人はよそ者の為衛門に不信感や不愉快な素振りは微塵も見せる事なくそんな行き場のない為衛門を快く受け入れた…

『ほら、為ちゃん…このソーセージ食えッッ!近所の小学生にもろたんやッッ!』

『為ちゃんッッ、チョット缶集めに行くの手伝ってくれるけ?』

『為ちゃん…織田信長ってヤッパリ凄い奴なんけ?』

元来人当たりもよく優しい性格の為衛門はいつしかこのテント村きっての人気者になっていた…

『疲れたやろ?…一服しよかッッ!』

源吉の引くリアカーの後ろを押す為衛門に源吉が声をかけた…

『ハァ~…どや為ちゃん?こっちの暮らしにゃあ慣れたけ?』

手渡された煙草の使い方が解らず為衛門はキョトンとしていた…

『……もうじき正月やなぁ…』

No.77 07/10/29 19:10
ヒマ人0 

>> 76 🎎5🎎

『源吉殿…ひとつ尋ねてえぇだか?』

『源吉殿なんて呼び方やめてぇなッッ…源ちゃんでえぇッッ!』

煙草はこうやって吸うんだと源吉は為衛門に教えた…

『ここさ人達はみな良か人ばかりだべ…オラみだいなよそ者に優しくしてぐれる…どしてだべ?』

『…そやな、この公園に住んでる奴らは皆人生のスイも甘いも経験し尽くした奴らばっかりやからな…姿形や言葉や身なりで差別せぇへん器のドデカイ人間の集まりなんや!』

為衛門は煙草にむせて咳き込んだ…

『オラ…何がまだ夢さ観てるようで…けんどこれは…誠の事なんだべな…』

道路をひっきりなしに走る車を眺めながら為衛門はため息をついた…

『…帰りたいんか…戦国時代に…そらそやな…乱世やゆうても為ちゃんの故郷やもんな…』

源吉は優しく為衛門に笑いかけた…

『…源き…ッ…うんや、源ちゃんおめぇ…嫁ごさ居るのが?』

『嫁はんか…とっくに別れた…娘は一人おる…』

『そっがぁ…娘コ…いるのが…』

急に為衛門の顔が曇った…

『為ちゃんもおるんか?娘…』

『ンダ…だども…親方様に年貢のカタに取られてしまったべ…それが年貢さ払えねぇ親方様との約束だったべな…』

No.78 07/10/29 19:34
ヒマ人0 

>> 77 🎎6🎎

『しかし酷い話もあるんやな…年貢米のカタに娘を連れてかれるなんて不条理やッッ!そんな事現代社会じゃあ許されへんッッ!営利誘拐やッッ!』

テント村の一足早い忘年会で鍋をつつきながら寅江は源吉から聞いた為衛門の村の話に怒りシントウだった…

『仕方ないんだべ…年貢米の払いが悪けりゃ親方様の戦ば使う兵糧さ減るだ…したらオラらが農地さ別の藩主さモンになるだべ…ンナ事さなったらオラ達の命も無んなんべ…』

仕方ないと肩を落とす為衛門の横顔を源吉はじっと見ていた…そして何かを感じたのかいきなり立ち上がり忘年会に集まっていたテント村の住人達に呼びかけた!

『なぁみんなッッ!為ちゃんを返してやろうやないかッッ!口には出さんけどきっと為ちゃんは娘さんの事メッチャ心配しとるはずやッ!戦国時代からこっちへ来れたんやッッ、こっちから向こうへ返せん道理はあらへんッッ!どやッみんな、為ちゃんの為に一肌脱いだろやないかッッ!』

寅江をはじめ、みんな一斉に声を上げて源吉の提案に賛成した…

『おめぇら…あんがと…かたじけねぇだべ…オラ…何だか…嬉しいべ…もうあっちには帰れんと思ってだども…まっこと嬉しいだ…嬉しいだよッッ!』

No.79 07/10/29 20:34
ヒマ人0 

>> 78 🎎7🎎

翌日…テント村住人は稲作農民、吉田為衛門を元の戦国時代へ戻すべく緊急会議を開いた…まず議長兼為衛門の第1発見者である源吉が紙と鉛筆で説明を始めた…

『まず4日前にワシが為ちゃんを発見したのが公園の公衆トイレのすぐ横の垣根やった…今朝この垣根付近を捜索したんやが特に怪しいモンは無かった…』

『為ちゃんはこっちの世界にタイムスキップしてきたその瞬間は意識あったんけ?』

おッ!それえぇ質問やがなッッ!と寅江の問いに周りの住人から尊敬の声が上がった…

『…オラ…まっこと意識さ無かったべ…気がついたら源ちゃんに助けられてたもんで…』

『けどタイムスキップして来た場所ってのはあの公衆トイレ付近に間違いないんやないけ?』

『源さん寅ちゃん…さっきからタイムスキップっちゅうとるでッッ!タイムスリュップが正しい発音やッッ!』

そんな事どうでもえぇがなッッ!と住人達からため息が漏れた…

『とにかくッッ!為ちゃんは確かにこっちに来れたんやッッ!ほならこっちから向こうへ行ける穴か何かが存在するはずやッッ!明日はその辺りを徹底的に捜索やッッ!えぇか、みんなッッ!』

会議の住人達は一斉に雄叫びを上げた…

No.80 07/10/29 20:57
ヒマ人0 

>> 79 🎎8🎎

テント村住人は総動員で公衆トイレの周りの捜索を開始した…しかし半日も細かく捜索したが為衛門が通り抜けて来れるような穴はひとつも見つからなかった…

『ヤッパリ無理だべか…』

草むらをかきわけながら為衛門は諦めたように呟いた…

『諦めんのはまだ早いッッ!きっと何か…何か見落としとるんやッッ…探せッ、穴という穴を探しまくるんやッッ!』

源吉は必死に探し続けた…

『精が出まんなぁ…立ち退きが近いっちゅうのにコオロギ採集でもしてますんか?』

突然源吉達の背後から声が聞こえた…其処にはブランド物の背広にスーツケースを抱えた男性が立っていた…その男性を見た瞬間、源吉はじめテント村住人の誰もが眉間に皺を寄せて不快な顔をした…

『……何の用だっか!?』

源吉の声は明らかに緊張していた…

『用はひとつに決まってますがな…年末までにこの公園から立ち退いて貰うっちゅう用事です…』

ひとり部外者の為衛門は皆のただならぬ気配にこれから一体何が起こるのかと固唾を飲んでその男性とテント村住人との行動を見守っていた…

No.81 07/10/30 07:55
ヒマ人0 

>> 80 🎎9🎎

『源ちゃん…さっきの男さ、どごの誰だべか?』

テント村に帰り一息ついた時、為衛門は源吉に尋ねた…

『…為ちゃんには関係ない…お前さんは無事に戦国時代に帰る事だけ考えたらえぇんやッッ!』

源吉は吐き捨てるように答えた…

『何が困ってる事があるんやながが?オラァ、源ちゃんや村のみんなに今までまっごど良うしてもろうただ…何がお返しがしたがッッ…』

為衛門の必死な態度に源吉はゆっくり口をついた…

『実はな…このテント村を年末までに撤去しろって大阪市から要請があってな…来年早々この公園取り壊してマンション作るらしいんや…』

『ここが無くなるだが?…そッだら事したら…源ちゃんらの居場所無くなるでねぇかッッ!折角こんな沢山のえぇ仲間が出来たのに…みんな離ればなれになるでねぇかッッ!駄目だべッ、そんな事絶対駄目だべッッ!』

源吉や寅江、他のテント村住人は皆黙りこんだ…

『仕方ないんや…これでもワテらかて必死で抵抗したんやで…けどな…お上の言う事は絶対なんや…従わなアカンのや…』

寅江が悔しそうに言葉を発した…

『そだな…そだな事…そいじゃまるでオラの時代と一緒じゃなががッ!皆はそがな事でえぇがか?離れ離れになってもえぇがかッ?』

No.82 07/10/30 08:12
ヒマ人0 

>> 81 🎎10🎎

『為ちゃんの気持ちは有難いけどな…今はお前はんを無事に戦国の世に送り返すのが先決やッ!あんな市の職員の糞野郎なんかほお…ほ…え!く、糞ぉッッ!?』

源吉が突然何かに気付いたように言葉を止めた!

『そういやぁ確か為ちゃんを見つけた時…為ちゃん全身糞まみれになってた…そうかッッ!!』

源吉は突然外に出ると公衆トイレに向かって走り出した…為衛門や住人達は源吉の不可解な行動に訳も分からずついて行った…源吉は公衆トイレの個室の和式便器の中を覗き込んだ…

『…なるほど…為ちゃんよッッ、謎が説けたでッッ!おそらくお前はんはこの便器の中からタイムスキップして現代の大阪に来たんやッッ!間違いないッッ!』

『けど源ちゃん…どっからどう見ても普通の便器やけど…』

寅江が首を傾げた…

『為ちゃんッッ!お前はんが親方の屋敷に殴り込みに入る時、月はどんな形してたか覚えとるかッッ?』

『ンダ…確かあん夜は綺麗な満月の夜だったべ…』

『ビンゴ!それやッッ!きっとこの便器の中は満月の夜にだけタイムトンネルになるんやッッ!間違いないッッ!』

源吉の確かではないが独特な推測に全員がもしかしたらそうかも!と声を上げた…

No.83 07/10/30 10:01
ヒマ人0 

>> 82 🎎11🎎

『えぇか為ちゃん…新聞の気象欄見たら次の満月は来週の火曜日辺りや…おそらくその満月の夜にあの公衆トイレの和式便器の中に戦国時代と現代を繋げるトンネルが出来よる…そこに一気に飛び込めば為ちゃん、お前はん、無事に戦国時代に帰れるでッッ!』

源吉は焼き芋を頬張りながら為衛門に戦国時代に帰る方法を事細かく説明した…

『源ちゃん…あんがど、あんがどな…オラァ皆に何でお礼さ言っていいのがわがんねッッ…まっごどあんがどな…』

『せやかて為ちゃんは帰っても辛い現実が待っとるで…生活苦しいて一揆起こすのは解るけどあんまり無茶したらアカンで…命あってのモノダネやからなッ…』

『……ンダな…帰っだら親方様に何とか謝っで娘さけぇして貰えるよう頼んでみるだ…』

それがえぇかもな…と源吉は為衛門の肩を叩いた…

『ワシ…為ちゃんに出会えてホンマ良かった思っとる…』

『オラかでさぁ…源ちゃんやテント村のみんなが大好きだべ…』

次第に丸みをおびだした月が二人の別れを惜しむかのように光々と高層ビルに囲まれた小さな公園を照らしていた…

No.84 07/10/30 10:18
ヒマ人0 

>> 83 🎎12🎎

為衛門が空き缶回収で留守の時のある昼の事だった…

『という訳で…再三の立ち退き要求にもかかわらずテントを自主的に撤去する意思がない物と見なして19日水曜日早朝よりこの公園一帯のテントを市の職員により強制撤去させて貰います!』

四角い印鑑が押された一枚の紙が源吉達テント村住人の前に突き付けられた…

『水曜て…そんな殺生な…』

『何度も警告したやないですか…それに従わへんかったアンタらが悪いんですわッッ!』

源吉、寅江は唇を噛み締めた…

『この鬼ッ、悪魔ッ!ほなワシら…ワシらどこに行けばえぇっちゅうんやボケッッ!』

住人の一人が職員に掴みかかろうとしたが源吉と寅江がそれを止めに入った…

『…アンタらは社会のクズですわ…』

職員のその言葉に源吉はじめテント村住人全員の顔つきが豹変した!

『何やて…もうイッペンゆうてみいッッ!』

『や、やめぇ、寅ちゃんッッ!』

源吉は今にも殴りかかりそうな寅江を羽交い締めにした!

『働きもせんと毎日毎日ブラブラ…世間のゴミは早い目に処理せんと他のちゃんと真面目に働いてる人らに迷惑でっさかいなッッ…』

何やとコラッ!と公園内はテント村住人と市の職員とが入り乱れ騒然とした!

No.85 07/10/30 10:42
ヒマ人0 

>> 84 🎎13🎎

とうとう為衛門を戦国時代に返す満月の夜が来た…公衆トイレの前に住人達が為衛門を見送る為にズラリと並んだ…

『何ぞあっただか?…源ちゃん何が元気ないみてぇだ…』

『あ、アホッ、んな事あるかいな…今日は為ちゃんを戦国の世に返す門出の晩やがなッッ…ほら元気元気ッッ!ガハハハハ!』

源吉は水曜日の強制撤去の一件は絶対為衛門の耳に入れてはならないとテント村住人達に固く口止めしていた…変な心配をさせて為衛門を動揺させてはならないという配慮からだった…源吉の推測通り、満月が上がると公衆トイレの和式便器の中に奇妙な渦巻きの不思議な空間が現れていた…

『ほだら…オラァ…けぇるだ…みなほっだら色々あんがどな…ここで受けた恩はオラァ一生忘れねぇだ…』

為衛門は源吉の顔を見た…

『源ちゃん…あんがど…』

『為ちゃん…元気でなッッ…また娘さんと暮らせたらえぇな…』

為衛門はテント村住人達一人一人と握手を交すと和式便器の個室の中に入り、一度だけこちらを見て静かに個室の扉を閉めた…

『行っちゃったな…為ちゃん…』

『…そやな…さぁて、ワシらも今夜で最後やな…みんなで飲もかッ!』

源吉の言葉にテント村住人達はすすり泣きを始めた…

No.86 07/10/30 11:15
ヒマ人0 

>> 85 🎎14🎎

翌朝、作業服を着て軍手をした50名程の市の職員が源吉達のテント村を取り囲んだ…

『お約束通り、全て撤去させてもらいまっさかい…』

背広の職員が誇らし気に言った…

『…どうしても…壊すっちゅうんですな…』

悔し涙を浮かべ源吉はうつ向いた…

『社会のゴミは早い事掃除せんとなッッ…汚のぅて汚のぅてカナイマセンわッッ、ガッハハハハ!…ほな、始めましょか!』

背広の職員が指で合図をすると木槌や電気ノコを持った作業員がテント村のテントに歩み出した…

『さぁ早いトコ済ませましょッッ!他にも仕事山程ありまっさかい!』

背広の職員の号令と共に作業員が一斉に動き出したその時だった!

『ちょっと待つだッッッッ!!』

いきなり茂みから声がしたかと思うと背広の職員の前にチョンマゲ着物姿の男性が現れた!

『た、た、為ちゃんッッッッ!?』

テント村住人が一斉に声を上げて驚いた!昨夜戦国時代に帰ったはずの吉田為衛門が紛れもなくそこに居た!

『な、何やこのオッサン、チンドン屋かッッ!?』

背広の職員は為衛門の突然の登場に目を丸くした…

『た、為ちゃん!帰ったんやなかったんかッッ!?』

為衛門は背広の職員の前でいきなり土下座した!

No.87 07/10/30 11:39
ヒマ人0 

>> 86 🎎15🎎

『親方様、どうか…どうかこの通りだッッ…ここにいるテント村の仲間さ、引き裂かないでくんろッッ!此処のみんなは全員人生を精一杯生きてる、誇りを持って生活してる人間ばかりだべッッ!何も悪い事っだぁしでねッッ!だがら…だがら…取り壊すの勘弁してけろッッ!おねげぇだッ、親方様ァッッ!!』

『為…ちゃん…』

為衛門は額を地面に擦りつけ、必死に背広の職員に懇願した…

『な…こ、これは何の余興ですか?これ…アンサンらが考えた撤去引き延ばし方法か何かでっか?ハハハ、アホらしぃて開いた口塞がりまへんわッッ!』

背広の職員は土下座している為衛門の頭に靴を乗せた…

『おいオッサン、何の演出か知らんけどなッ、貴様らは社会の落ちこぼれなんじゃッッ!こんな粗大ゴミ一刻も早く処理するんが社会全体の為なんやッッ!そんな事も判らんのかッッ、オッサンッッ!』

背広の職員は靴で為衛門の頭を激しく押さえつけた!

『おねげぇしますッッ!どうかッッ、勘弁、勘弁しておくんなましィッッッ!』

『や、やめろッッ為ちゃんッッ、もうえぇッッ!もうえぇからッ!』

源吉が為衛門の側に駆け寄った!

No.88 07/10/30 11:55
ヒマ人0 

>> 87 🎎16🎎

『コラッ、お前らボサッとしてんとはよ取り壊しに掛らんかいッッ!』

為衛門の鬼気迫る迫力ある土下座姿に取り壊し作業員達も圧倒されていた…

『ほ、ホンマに宜しいんでっか…取り壊してもッ?』

困惑した作業員から言葉が漏れた…

『は、はよぅせんかいッッ!』

背広の職員は作業員に怒鳴りつけた!

『!?ッ…な、なんじゃいッッ!お前らッッ!?』

背広の職員が気づくと目の前には何十人もの土下座の山が築かれていた!

『お願いしますッッ!延期しとくれやすッ!』

『どうかッッ!どうか堪忍しとくれやすッッ!』

『この通りですッッ、もう少し、もう少しだけッ、待って下さいッッ!頼んますッッ!此処は…このテント村は…ワシらの…ワシらの全てなんですッッッッ!!』

為衛門に続き、テント村住人全員が地面に頭を擦りつけ、一心不乱に懇願していた…そして背広の職員めがけそのままジリジリとにじり寄って来た!

『な、な、なんや己れらッッ!く、来るなッッ気持ち悪い奴らやなッッ!わ、解ったッ、取り壊し、もうチョットだけ延期したるッッ!けど今度来た時は立ち退いて貰うからなッッ!あ~気持ち悪ッッ!』

そういうと背広の職員と作業員は帰って行った…

No.89 07/10/30 12:25
ヒマ人0 

>> 88 🎎17🎎

『ホンマ…いきなり登場したか思たら無茶な事してからにッッ…』

寅江は救急箱から絆創膏を出すと為衛門の額に貼り付けた…

『…為ちゃん…昨夜戦国の世には帰らへんかったんか?』

アグラをかいた源吉が静かに為衛門に尋ねた…

『ンダ…帰り際の源ちゃんの落ち込んだ顔さ見て感じただよ…もしかして此処を取り壊される日ば近いんじゃなかんべがって…』

『為ちゃん…』

住人達から笑みが溢れた…

『次の満月まで帰られへんねやで!それでも良かったんか?』

寅江が話しかけた…

『…オラ、みんなにこげな世話になったども、何にもおけぇし出来てねぇばこた感じただべ…んだから何がみんなの為さなる事ないか思うて…すごしは恩返しでぎたがッッ源ちゃん?』

『……アホッッ!戦国時代の農民に気ぃ使われたないわッッ!為ちゃんはアホやッッ、アホ通り越してホンマのドアホやッッ!なぁ、お前らもそない思わんけッッ!』

源吉の声にアホや、ホンマにアホや!とあちこちから歓声が上がった…

(そげん照れば隠さんでもえぇだがに…源ちゃん…)

苦笑いを浮かべ笑い合う仲間達を見て為衛門は時代は変われど人の優しさはいつの時代も同じなんだと心底心に響いていた…

No.90 07/10/30 16:45
ヒマ人0 

>> 89 🎎18🎎

『ほッッだら源ちゃんには世話になったべな…』

『ナァ~にゆうとるんやッッ…お礼言わなアカンのはこっちの方や…』

ワンカップ酒を酌み交わしながら源吉と為衛門は冷たい寒風の中、星空を眺めていた…

『あの時の為ちゃんの必死な姿見てな…ワシらも逃げてばっかりやったらアカンて気付いたんやッッ…これからは何でもハイハイ言う事聞かんと立ち向かっていかなアカンなって…』

『源ちゃんは立派だべ…テント村のみんな、よぉまとめて頑張っとるが…きっとあの親方様にも源ちゃん達ば気持ち、伝わっていきよぅが…』

照れるやないけッ!と源吉は為衛門の肩を叩いて笑った…

『次の満月でホンマのお別れやな…』

『ンダな…源ちゃんも元気でな…まだ娘コさ逢えるといいだな…』

二人は固い握手をして笑った…

『…なぁ源ちゃん…今度はオラさうぢ来ねぇだか?』

『…戦国時代へ?ワシがぁ?ハハハ…こりゃ傑作やな…』

為衛門の顔はまんざら冗談でもないようだった…

『気持ちは嬉しいけんどやめとくわ…ワシこの大阪が好きゃし…それに…タイムスキップの途中で糞まみれになるのかなんしな!』

源吉は為衛門の肩を抱くと一緒に大阪ラブソディを合唱した…


⑧~戦国ほうむれす~完

No.91 07/10/30 19:29
ヒマ人0 

>> 90 【⑨】~蛍地蔵~


🌟1🌟

『お爺さんッこんにちは…いつもこんな場所で何をしているんですか?』

夏奈子は今日こそ勇気を出して尋ねてみようと思っていた…緊張の余り声が上擦り、シャツの背中は暑さも手伝って汗だくになっていたが我ながら上手くいったと思った…

『…ハイハイ、お嬢ちゃんこんにちは…ハハハ…』

年齢は90歳を悠に越えているであろうか、背中は収穫間近の稲穂のように頭を垂らして曲がっており、顔の皺は水を流せばそのまま川のように流れて行きそうな深さだった…人も車も殆ど通らない典型的な田舎の県道の脇でその老人は今日も静かにただじっとしていた…夏奈子は暫く老人の様子を観察していたがそれ以上何も話す事がないと思い、首に巻いたタオルで額の汗を拭うとその老人を尻目に今朝通った県道を一人ただひたすら自転車を漕いで帰って行った…

(…毎日1日も欠かさずあそこに座ってる…)

端から見ればその老人の行動は特に異様な光景ではなかった…普通田舎育ちの高齢者になるとあんな風にじっと毎日を過ごす事位何らおかしい事ではなかった…しかしあの老人を見かけてから夏奈子には何か胸につかえる変な感情が芽生えているのは確かだった…

No.92 07/10/30 19:49
ヒマ人0 

>> 91 🌟2🌟

『いつの頃からかしら…確かに毎日あの場所にいるのを見かけるわねッッ…この町内の人じゃないみたいだけど…』

葱の束を包丁でザクリと切ると夏奈子の母和恵はそのまま鍋の中に放り込んだ…

『学校に行く朝も下校する夕方もあそこにじっと座ってるの…炎天下の時も大雨の日だって…ねぇお母さん、何かおかしいと思わない?』

宿題の数学の問題集を勢い良く閉じ、学生服の上からエプロンをかけ、夏奈子は母の台所を手伝い始めた…

『別に普通じゃないの?お年寄りはみんなあぁやって毎日じっとしてるのが幸せなのよ…夏奈子が不思議がるような事でもないでしょ…』

『だけど変じゃない?どんな天候の日だってあんな老人が毎日あの場所に居るんだよッ!きっと何か理由があるのよッッ!』

ハイハイ、その話はまたね!といった仕草で母和恵は冷蔵庫から夫のツマミの枝豆を取り出した…

『何か引っ掛かるんだよね…』

ボールの中の卵を上の空で泡立てながら夏奈子の視線は宙に浮いていた…

『そんな事より夏奈子ッッ、明日は実力テストでしょ?しっかりやりなさいよッッ!』

母和恵の激が飛び、またかぁ~と顔をしからめ夏奈子は今度は真剣に卵をかき混ぜ始めた…

No.93 07/10/30 20:38
ヒマ人0 

>> 92 🌟3🌟

実力テスト最終日、時間が空いた夏奈子は密かに決意した…

(今日こそあのお爺さんと話するぞッッ!)

元来人一倍好奇心旺盛な夏奈子であったがいざ、人前に出るとアガッてしまい我を忘れてしまう所がある…友達とのテストの答え合わせも程々に夏奈子は自転車に跨ると勢い良く自転車を走らせた…30度を悠に越えるうだるような暑さの中、夏奈子は途中行き着けの雑貨屋で麦藁帽子とペットボトルのお茶を購入すると見慣れたいつもの県道をひた走った…

(いたッッ!!)

いつもの場所に今日もあの老人が座っていた…少し遠目に自転車を停めると夏奈子は抜き足差し脚でゆっくりと背後から老人に歩み寄った…

『お爺さんッこんにちは…頭、暑くないですか?これどうぞ…』

太陽を遮る適当な日陰もなく、ただ炎天下の道路の脇に座る老人に夏奈子は麦藁帽子を差し出した…

『ハイハイ、こんにちは…』

老人は夏奈子に満面の笑顔で答えた…電子レンジでチンした後のホットドックのような無数の皺顔で老人は麦藁帽子を有難うとお礼を言って受け取ってくれた…

『あの…横…座ってもいいですか?』

夏奈子は申し訳なさそうに老人に尋ねたが答えの反応が無かった…仕方なく夏奈子は少し離れて座った…

No.94 07/10/31 08:01
ヒマ人0 

>> 93 🌟4🌟

老人は入れ歯が合わないのか、しきりに顎をクチャクチャと動かしながらただじっと目の前にある山の断崖を眺めていた…夏奈子は老人に何と言葉をかければいいのか迷っていたが意を決して話しかけてみた…

『あ…暑いですね…』

『ハイハイ、暑い暑いッ、ハハハ…』

夏奈子は道路の筋向かいにバス停の小さな小屋を見つけた…バスといっても2時間に一本あるかないかの粗末な行路である…

『ねぇお爺さん…ここは日陰がないからあの向かいのバス停の小屋に移動しませんか?でないと熱射病になっちゃいますよ!』

老人はここでえぇんじゃ、有難うと首を振った…幹線道路に伸びるこの細い県道は昼間でも殆ど車や人通りがない…20分程沈黙が続いた…彼岸も近いというのに蝉の騒がしい合唱は止む事はない…その哭き声と道路に照り付けるアスファルトの反射がさらに熱さを助長する…

『あの…これ飲んで下さい…』

夏奈子はタオルで汗を拭きながら老人に水分補給させようとさっき買ったペットボトルのお茶を差し出した…

『ハハハ…お気を遣わせますナァ…ワシは大丈夫じゃて…』

老人は遠慮がちに右手を横に振った時、老人が左手に何か持っている事に気付いた…

No.95 07/10/31 11:02
ヒマ人0 

>> 94 🌟5🌟

(!…遺…牌!?…遺牌だよね…)

夏奈子は老人の左手の中に握り締められている物を何気なく確認した…それは紛れもなく戒名が書かれた金箔貼りのあの仏壇に奉る立派な遺牌のようだった…

『…お爺さん…ご身内でどなたかお亡くなりになられたんですか?』

大きなお世話だと尋ねた夏奈子の方も思ってしまった…ただどうしても夏奈子の中で老人がここに居る理由とその遺牌との接点を確かめてみたくなったのも事実だった…

『一言で…一度でいいんじゃ…』

『……な、何が…ですか?』

『一度でいいから…ハァ…』

『一度で…いい?…何がです?』

夏奈子は老人は何が言いたいのかがイマイチ理解出来なかった…しっかり受け答えが出来ている所をみる限り、認知症やアルツハイマーではないらしい…

『ほたる…』

『ほ…蛍…はい、蛍がどうかしましたか?』

『大好きだったんじゃ…蛍が…』

『え?…お爺さんがですか?』

なかなか話が噛み合わない…夏奈子は老人の気持ちを察してとにかく今日の所は引き揚げようと腰を上げた…

『舞…まいちゃん…』

(!…まい…舞って?)

夏奈子の耳に舞という二文字が入って来た…それから老人はまた黙り込んでしまった…

No.96 07/11/01 18:16
ヒマ人0 

>> 95 🌟6🌟

(!…お、お爺さんッッ!)

何日か過ぎたある大雨の日、例の場所を自転車で通りかかった夏奈子は思わず絶句した!あの老人がいつもの場所にいた…しかしいつもと違うのは老人はビショ濡れのまま倒れ込んでいた事だった…

『お爺さんッッ!お爺さんしっかりしてッッ!』

夏奈子は老人を抱きかかえるとそのまま向かいのバス停の小屋の中へ運んだ…女子校生の夏奈子の力でも容易に運ぶ事が出来る位、老人の体は痩せ細り今にも折れそうだった…

『お爺さんッッ!お爺さんッッ!』

余りの突然の出来事に夏奈子が差していた赤い傘は風で崖の下へ落ちてしまっていた…

『…アァ…こんにちは…ハハハ…』

『!よ、良かったァ~!こ、こんにちはじゃないですよッッ傘も差さないでッッ!死んでしまいますよッッ!』

夏奈子は意識のある老人を見てひとまずホッとした…夏奈子は学生鞄の中からタオルを取り出すと老人の体の水気を拭き取った…

『ここまでしてあの場所にいる理由は何なんです?私凄く気になるんですッ…教えて頂けませんか?』

『……』

老人はじっと夏奈子を見つめた…

『舞…舞ちゃんに似とるのぅ…』

『ま、舞ちゃん…舞ちゃんって誰なんですか?』

No.97 07/11/01 18:37
ヒマ人0 

>> 96 🌟7🌟

『舞ちゃんは蛍が大好きじゃった…夏になると毎日蛍を追いかけとった…ハハハ…』

『舞ちゃんって…お爺さんのお孫さん?』

老人の体を拭いたタオルは水を含んでボトボトになった…夏奈子はタオルを雑巾のように搾ると老人にそう尋ねてみた…老人は静かに頷いた…

『…舞ちゃんは蛍が大好きだったんじゃ…』

『舞ちゃんは…どちらに住んでいるの?』

夏奈子は搾ったタオルを老人の頭にそっと乗せた…

『一度でいいんじゃよ、それでワシも…そして舞ちゃんもきっと…』

『そっか…お爺さんは孫娘の舞ちゃんに逢いたいんだね?…だけどなかなかこっちに遊びに来てくれない…当たり?』

三角座りで少し小首を傾げ、おどけた感じで夏奈子は老人に笑顔で聞いた…

『舞ちゃんは遊びには来ん…もう…』

老人はいきなり号泣しだした…

『!…って…えッッ!?』

老人は左手を夏奈子の前に突きだした…

『ま…まさか…舞ちゃん…って…!?』

その左手にはいつものように金箔の遺牌が持たれていた…

『舞ちゃんは蛍が大好きだったんじゃ…』

その瞬間、夏奈子の胸の奥の隙間は何か軟らかい物で一瞬で埋まってしまう感覚だった…

No.98 07/11/01 19:05
ヒマ人0 

>> 97 🌟8🌟

『あぁ…与貴(よたか)のジィさんだろ?…知ってるよッッ!この辺りじゃ有名だよッッ!』

夏奈子は翌日隣町にある友達の佐野遥の家に遊びに行った時、偶然遥の兄智之から例の老人の話を聞いた…

『ねぇ…あのお爺さんに何があったの?』

『……』

智之は話をしにくそうに一度頭を掻いたが夏奈子の真剣そのものの顔を見て腹をくくった…

『夏奈ちゃん、2カ月程前にあの近辺であった交通事故のニュース知ってっか?』

『…交通事故……こ…!ッッあッ!』

夏奈子は思わず声を上げた…

『ありゃ確か雷鳴神社の夏祭りん時だったっけ…』

智之は腕組みをして宙を見た…夏奈子の脳裏に完全な記憶が甦った…

(夏祭りの帰り道、仲良く手を繋いで歩いていた祖父と孫の背後から白いセダンが突っ込みそのセダンは当時5歳だった女の子を後輪に絡ませたまま100m程引きずりそのまま逃走…!間違いないッッ…地元新聞に載ったあの轢き逃げ事件だッッ…じゃああの老人はあの時傍にいた…孫娘を引きずられるのを真の当たりにさせられた…老人ッッ)

夏奈子は思わず恐怖の余り目を閉じたッッ!

No.99 07/11/01 19:29
ヒマ人0 

>> 98 🌟9🌟

《舞ちゃんは蛍が大好きだったんじゃ…》


左後部バンパーとテールライトに大きな損傷のあるトヨタの白いセダン…当時簡単に見つかるとされていたその犯人と犯行車輛は未だ見つからず事件から90日が経過しようとしていた…夏奈子は遥の兄智之からその事実を知って以来、夏奈子はあの場所に座る老人に声を掛ける事が出来なくなった…老人があそこに座る理由を知ってしまった以上実際何と言って慰めてあげればよいのか夏奈子には解らなかったからだ…

(きっとお爺さん…あそこでずっと悔いてるんだ…あの日の事…助けてやれなかった最愛の孫娘の事…きっと犯人が見つかるまであそこであぁやって供養する事がお爺さんの懺悔なんだ…)

考えれば考える程夏奈子の胸には幼い子供を轢き、そのまま逃走した犯人に対する激しい憤りと恨みを感じずにはいられなかった…

(お爺さん…)

小さな背中を丸め、衰弱した体に鞭を打ち、今日もずっとあの事故現場に座る老人を見て夏奈子は思わず涙を拭いた…

(このままじゃ舞ちゃん…お孫さんが浮かばれないよッッ…)

No.100 07/11/01 19:48
ヒマ人0 

>> 99 🌟10🌟

その夜はまるで無数の蛍が飛び交っているかのような綺麗な星空の夜だった…

(……お爺さんッッ!)

遊びに行った遥の家から帰る途中やはりあの県道に老人はいた…

(こんな夜遅くまで…)

老人は夏奈子に気付いたらしく鶏の手羽先のようなか細い手で夏奈子を手招きした…夏奈子は一度躊躇したが老人の余りにも優しい表情に吸い寄せられるように老人の横に遠慮がちに腰掛けた…

『お爺さん…私の事憶えてくれてたんですね?』

老人は笑いながら夏奈子の手に茶封筒を置いた…

『ん?…何ですか?』

老人は夏奈子の問いには答えず

『……有難う…有難う…』

と夏奈子に両手を合わせてひたすら拝んでいた…

『この封筒…どうすればいいんですか?』

老人はお前さんが大事に持っておいてくれ!という様なニュアンスの行動をとった…

『これ…私が持っていればいいんですね?』

老人は満面の星空を見上げながら一言呟いた…

《舞ちゃんは蛍が…こんな蛍が大好きだったんじゃ…舞ちゃん…舞ちゃん…》

夏奈子が老人のその優しい声を聞いたのはその星空の夜が最後だった…

No.101 07/11/01 20:26
ヒマ人0 

>> 100 🌟11🌟

『凄くカッコイイですよ、お爺さんッッ!』

残暑も終わり次第に秋風の匂いが肌を触るようになった…夏奈子はその小さな地蔵を《蛍地蔵》と名付けた…雨風を防げるよう夏奈子は町の職員と石材店にお願いしてその地蔵をバス停の小屋の傍に静かに建立した…

『これで良かったんですよね…お爺さん…』

与貴弥吉の葬儀はしめやかに質素に執り行われた…夏奈子はその葬儀に参列した…弥吉の娘夫婦、つまり孫娘、富樫舞子の両親は弥吉の葬儀には来なかった…舞子の死をまだ受け入れられない精神的ショックと娘を救えなかった弥吉への憎悪と妙な確執とが彼らをそうさせたのだと葬儀で弥吉の親類が話していたらしい…

『…お爺さん…私は貴方のようには生きれないと思います…』

夏奈子は蛍地蔵に手を合わせると石材店に別注文で密かに依頼しておいたさらに小さな地蔵をその蛍地蔵のすぐ横に置いた…

『お爺さん…舞ちゃんも一緒ですよッッ…』

No.102 07/11/01 20:49
ヒマ人0 

>> 101 🌟12🌟

【孫の舞子は蛍が大好きでした…もし書生が死んだ折にはこのお金でどうかあの場所に地蔵を建立して頂きたい…もし舞子を殺めた罪人が改心し、心底その罪を償いし気持ちになれば再びこの地に足を踏み入れよう…その時この地蔵があればその汚れし心、少しは後悔の念悔いてくれれば書生は本望である…地蔵建立に当たり、地元の石材店及び吉備名町役場の連絡先をここに記さん…最後にお嬢さん…舞子の分まで長生きされん事心より祈る…平成○年○月○日…与貴弥吉】


《次のニュースです…今年7月、長野県吉備名郡吉備名町の県道で当時5歳だった富樫学さんの長女富樫舞子ちゃんが轢き逃げされた事件で今日未明、岐阜県大西町の山林で容疑者の遺体と手配車輛が発見されました…容疑者は林元男20歳…調べによると林は事故車輛で走行中誤ってガードレールから転落した模様…事故車輛を調べた所、割れたフロントガラス一面にこの季節には珍しい無数の蛍の残骸が張り付いていたとの事…捜査本部は……》



⑨~蛍地蔵~完

No.103 07/11/02 11:15
ヒマ人0 

>> 102 【⑩】~ESCAPE GAME~


🔥1🔥

【《ESCAPE GAME》とは中東マスランダ軍最高指導者ダイーが捕虜の身柄解放の為考案した世紀軍捕虜収容所からの脱出ゲームである…】



『痛ッッ!人の体だと思ってそんな乱暴に扱わないでよッッ!』

窓もない無機質な鉛色の牢獄にリサ・ボナコフは粗雑に放り込まれた…

『私は兵士でも技術者でもないタダのジャーナリストよッッ!どうして此処に収容されなきゃならないのッッ!』

牢獄に鍵をかけるマスランダ軍の兵士に向かってリサは必死に訴えた…

『…疑わしきは捕獲しろとのダイー将軍の命令でなッ…悪く思うなよッ!』

銃を小脇に抱えたマスランダ軍の兵士は含み笑いを浮かべながら持ち場に去って行った…

『チキショッッッッ!!』

牢獄の金網を一度思い切り蹴り上げるとリサはその場でしゃがみ込んだ…

『アンタ…ジャーナリストなんだ…フゥ~ン…』

リサの背後で声がした…振り返るとその牢獄には5人程の捕虜らしき女性が座っていた…その内の妙に体格の良い金髪の女がリサの元に歩み寄って来た…

『ようこそ!サガン世紀軍捕虜収容所へッッ!』

金髪の女はリサに握手を求めて来た…

(………!?)

No.104 07/11/02 11:48
ヒマ人0 

>> 103 🔥2🔥

208○年…世界は残虐な過激派テロの毒牙に蝕まれていた…国連を傘下に置く各国の連合組織からなる《世界平和維持世紀軍(通称…世紀軍)》は中東アラブを基点とする最大規模の過激派テロ組織《マスランダ》との抗争を余儀なくされていた…世紀軍はペルシャ湾一帯に最新鋭の空母を無数に駐留させ、 陸上では装甲車や戦車を駆使し、圧倒的武力でマスランダの聖都を制圧した…だがマスランダ軍も地乗りを生かしたゲリラ戦で応戦し、両軍一歩も譲らないガップリ四ツの《百年戦争》に突入していた…


『……』

『捕まっちゃったんだ、お気の毒に…奴ら世紀軍ってだけで誰かれ構わず目の色変えて捕まえにくっからねッッ…』

金髪の女はリサの横に座りため息をついた…

『アタイはシンディ…シンディ・モーガン…アメリカ海兵隊第26次作戦部隊にいた女性兵士ッ…って言ったって判んないかッッ!ハハハ…アンタは?』

『私?…わ、私はリサ・ボナコフ…ロシア国際日報ジュネーブ支部に所属する新聞記者兼カメラマン…て言ったって…判んないよね?』

リサとシンディは互いの顔を見合わせ笑った…

No.105 07/11/02 12:46
ヒマ人0 

>> 104 🔥3🔥

『このサガンは砂漠のど真ん中にある…夜になると零下5度位になるから気をつけなッッ…』

シンディは牢獄に収容されている残りのメンバーをひと通り紹介すると奥の棚から毛布を取り出しリサに投げた…

『あ…有難う…』

『シンディは長いの?…ここ…』

リサはカビ臭い湿った毛布を匂い、眉間に皺を寄せた…

『もう2年位になるかなッッ…ルイロの町のゲリラ戦で捕まってそのまま捕虜としてこのサガンに連れて来られたんだ…最初は最低最悪~の生活だって落ち込んでたけど毎晩食事に出てくる豆の煮付け料理のマズさだけ我慢したらまぁまんざら生活しにくい所ではないよッッ…』

シンディは海兵隊員だけあってまるでボディビルダーのような筋肉を備えていて何処を取っても無駄のない締まった体をしていた…

『私は…こんな所何時までもいる気は…ない…』

リサは親指を噛むと真っ直ぐ視線を落とした…

『……まさかリサ、アンタ…入って早々妙な事考えてるんじゃないだろうねッッ!?脱獄なんて止めときなッッ!この収容所は砂漠のど真ん中にあって仮に外に出られても場所も方角もまるっきり判りゃしない…脱獄なんて自殺行為だよッッ!』

シンディは唇を噛み締めた…

No.106 07/11/02 16:49
ヒマ人0 

>> 105 🔥4🔥

『ここサガン収容所はおそらく世紀軍前線基地がある遺跡都市スラマーの北約100km程にあるはず…』

リサはシンディにこの砂漠収容所サガンは世紀軍の前線基地にさほど遠くないという事を語った…

『…は?、嘘ッ…冗談キツイねッ…サガン収容所が世紀軍の基地のそんな至近距離にあるだなんて…信じらんないよッッ!』

シンディはソッポを向いた…

『シンディ…私、何年この国でマスランダのスクープ記事追いかけて来たと思ってるの!?こんな事冗談で言えるはずないじゃない…』

『……それ確かなのッッ!?』

リサの真面目な顔つきにシンディは思わず組んでいた脚を座り直した…

『かなり信憑性高いわ…正確な方角は私しか知らない…』

『じゃあもし…もしもよッッ?…ここから出られたら…世紀軍に連絡してこのサガン収容所を一気に叩けるじゃないッッ!捕虜を救う事だってッッ!』

シンディの目が期待と希望で爛々と輝いているようだった…

『リサ…アンタまさか…』

『そう!…このサガンの所在地を正確に知りたかったのッ!だからあえて…フフフ…』

シンディはリサの大胆不敵な行動に目を丸くした…

No.107 07/11/02 17:14
ヒマ人0 

>> 106 🔥5🔥

『食事は私語をせず黙って摂れッッ!制限時間は10分だッッ!』

体育館程の広い部屋に世紀軍の軍事捕虜達総勢200名程が一斉に食事を摂っていた…

『…マスランダ軍の捕虜収容所の中でもここサガンは一番警備が厳しい場所だって聞いたわ…』

シンディの隣の席でリサは看守の兵士に気付かれないよう静かにシンディに話しかけた…

『そうさ…ここサガンは世紀軍の幹部クラスの重要軍人捕虜を収容してる所だって噂だよ…手荒な拷問で上層部から一気に口を割らそうって魂胆らしい…ったく、酷い事するよね…ダイーの野郎ッッ!』

『…そんな難航不落の収容所から抜け出す方法なんてあるのかしら…』

リサは自分からこのサガンに収容された事を少し後悔していた…余りにも尋常でない警備兵の数、入り組んだ施設の地形構造、そしてこの寒暖の気候差…どれをとってもやはり簡単に実行とはいかないようだ…

『…リサ…ここから出たいかい?』

『…え?…何か考えがあるの、シンディ…?』

『面白い話がある…後で話すよ…』

そう言うとシンディは皿に盛られたいつもの豆料理を一気に口に放り込んだ…

No.108 07/11/02 17:38
ヒマ人0 

>> 107 🔥6🔥

『え?…《ESCAPE GAME》?…それって何なの?』

『2年に一度だけダイーの誕生日6月16日に開催されるマスランダの宗教祭の一環として捕虜収容所の中の希望者だけが参加出来る《生死をかけた脱獄ゲーム》の事さ…』

シンディは見回りに訪れる警備兵の目を気にしながら毛布を被りリサに説明した…

『生死をかけた…って…それどういう事?もし脱獄に失敗したら死ぬ…いや、殺されるって事?』

シンディは射撃の真似をしながらゆっくり頷いた…

『ルールは簡単さ…スタート地点のこの監獄棟から一時間以内に収容所の正門前の広間まで辿り着ければ我々の勝ち…』

『そんなの…15分もあれば辿り着けるんじゃ…』

シンディは目を閉じた…

『それがそう簡単には行かないんだよッッ…正門までの距離は短いが途中に何箇所かの難関があるんだ…それに…』

『それに?…』

『捕虜がスタートして10分後に銃を持った警備兵が逃げた捕虜の後を追いかけてくる…もしそいつらに見付かれば…バキュン!』

『…そ、そんなぁ…酷い…』

リサは思わず頭を垂れた…

『チャンスはやる…が命の保証はない…奴らにすればこれはチョットした娯楽なんだろよッ!』

No.109 07/11/02 18:03
ヒマ人0 

>> 108 🔥7🔥

『ゲームに失敗すれば収容所からの脱獄犯と見なされやむなくその場で射殺したと言う奴ら独自の判断なんだろね…だがもしこのゲームに成功すれば…その捕虜の地位、階級に関わりなくダイー将軍様から恩赦が与えられるってぇ訳…』

『恩赦…つまり逃して貰えるの?』

シンディは頷いた…

『そんなの信じられないわッッ!ゲームに成功したからってあのダイーがすんなり捕虜の解放に同意する事なんて有り得ないッッ!』

リサは地面を拳で叩いた…そして間髪入れずにシンディに尋ねた…

『…今までにそのゲームに成功した捕虜はいるの?』

『過去に13人の捕虜が自由を勝ち取る為にこのゲームに挑んだけど全員失敗…正門まで辿り着けたけど時間オーバーで命だけは助けられたたった一人を除いてはねッッ…』

リサはゆっくりシンディの方を見た…

『ニヒヒ…その一人ってのは、ワ、タ、シッッ!だけどねッッ…アハハハハ!』

リサは驚きのあまり大声を出しそうになったが慌てて口を押さえた…

『だけどほらッ…アタイはペナルティって事でこんな事されちまってさ…』

シンディは眼帯を取った…右目は焼けただれ見るも無惨な状態だった…

No.110 07/11/02 18:31
ヒマ人0 

>> 109 🔥8🔥

『これより3日間、《ESCAPE GAME》の参加希望者を募るッッ!偉大なるダイー将軍様のご慈悲である事を真摯に受け止め、勇気ある者、再び生きて祖国の地に足を踏み入れたし者は各監獄棟担当官に参加希望の旨を報告せよッッ!以上ッッ!』


『…どうするリサッ…やるのか、やらないのか…』

リサは牢獄の中で一人考え込んでいた…シンディは深呼吸するとゆっくりリサの横に座った…

『…アタイと一緒にやるってぇなら…勝ち目はあるッッ!』

シンディは力強く言い切った…

『…シンディ…』

『アタイはこのゲームを一度経験している…だから警備兵や他の連中も絶対解らない逃走ルートだってあるんだ…少し厄介な関門もあるけどきっと今度はうまく行く…だからアタイはもう一度やるッッ!…だからリサ、アンタも勇気出してやってみないか?此処から出さえすりゃぁこっちのモンさッッ…後は世紀軍の前線基地に辿り着けさえすりゃ一気にマスランダの主力を壊滅出来るんだよッッ!どうだい?…アタイがアンタを責任持って守ってみせるよッッ!だからやろうよッッ!皆の自由と平和の為にさッッ!』

シンディはリサに笑いかけた…

No.111 07/11/02 19:22
ヒマ人0 

>> 110 🔥9🔥

『12人か…今回はえらく多いじゃないか…命知らずがッッ!』

アルコール度のキツイ酒を一気に飲み干すとマスランダ軍最高指導者であるダイー・ムハマドは苦笑いをした…

『今年は何人失敗するでしょう…将軍様ッッ!』

側近が悪戯っぽくダイーに質問した…

『おいおい、《何分もつか?》だろ?ガハハハハ!』

黄色いターバンを巻いた顔中が殆ど髭だけのダイーは下品に笑った…

『おい、それはそうと例の話は本当なんだろうなッッ!まさかガゼネタではあるまいなッッ!?』

側近はダイーにそっと耳打ちした…

『それは面白くなって来たな…』

ダイーは砂漠の真っ暗な窓の外を眺めて一人ほくそ笑んだ…


🔥🔥🔥




『決心ついたんだねリサッッ!それでこそ世紀軍の誇りだよッッ!』

次の朝リサは悩みに悩んだ挙げ句、シンディ・モーガンを信じてこの死の脱獄ゲームに参加する意志を固めた…

『いいかいリサ…?まともに正門まで走り抜けるのはタダの馬鹿な奴がする事ッッ…相手の裏の裏をかかなきゃね!逃走ルートは全部私に任せなッッ!絶対に時間内にリサと一緒にゴールしてみせるッッ!』

リサとシンディはその夜から念入りな打ち合わせに入った…

No.112 07/11/02 19:43
ヒマ人0 

>> 111 🔥10🔥

6月16日…マスランダの宗教祭の日がやって来た…

《これより【ESCAPE GAME】を開始するッッ!》

高らかな号砲とともにこのゲームに参加する捕虜12名がソファーに座るダイーの目の前に並ばされた…

『ダイー将軍のご慈悲を受け、懸命に自由が待つゴールまで走り抜けるがよい!』

無数の花火が打ち上がった…

『いよいよだねッ…』

『う、うんッッ…』

『大丈夫だよリサッッ!アタイがついてるから心配いらないよッッ!』

シンディは緊張するリサの肩を叩いた…

『!?…おやおや、これはこれは…リベンジマッチですかなッッ!?』

突然シンディの姿に気付いたダイーがシンディの目の前に立った…

『…おいオッサン…口臭いからあんまりアタイに近寄らないでよッッ!』

シンディはダイーを睨みつけた!

『一度経験したからといってそんな生易しいモノではないぞッ…フフフ…!』

次の瞬間シンディの顔面にダイーの拳が突き刺さった!流石のシンディでもその拳に吹き飛ばされた!

『ックショ!イテェじゃねぇか!』

『口を慎め、この愚か者がッッ!今ここで殺してやろうかッッ!』

ダイーは今度はシンディのお腹に数発蹴りを打ち込んだ!

No.113 07/11/05 11:12
ヒマ人0 

>> 112 🔥11🔥

『あんの野郎ッッ、いつか世紀軍の前で土下座させてやるッッ!』

『シンディ、落ち着いてッッ!…挑発に乗っちゃ駄目ッッ!…今は我慢しなきゃ…』

リサはゆっくりシンディを抱き上げた…

《ルールは事前に伝えた通り、至って簡単だ!…此処から正門までの約1、7kmを走り抜け一時間以内にその正門にある扉の銅貨を外したらお前達の勝ちだ…銅貨は人数分だけきちんと用意してある…全員クリアする事を願っている!》

側近の合図と同時にファンファーレが鳴り響いた…参加者12名が横並びにスタートラインについた…

『リサ聞いてッッ!』

シンディが小声でリサに言った…

『スタートしたらあの前方に見えるT字路を右だよッッ!いいねッッ!』

『ち、チョット待ってよシンディッッ!右に行ったら行き止まりだよッッ!確か厨房のはずッッ!』

リサが話し終えないうちにスタートのピストルが鳴ったッッ!!

《スタートッッッッ!!》

(え、…えッッ!?)

突然参加者全員が走り出したッッ!

『あ、ま、待ってよシンディッッッ!!』

『早くリサッッ!チンタラ走ってる時間なんてないよッッッ!!付いて来なッッ!!』

リサは訳も解らずシンディの後を追った…

No.114 07/11/05 11:28
ヒマ人0 

>> 113 🔥12🔥

生死をかけた【ESCAPE GAME】が今幕を開けたッッ!!参加者12名中、女性はリサとシンディだけだった…腕に覚えのある参加者の男達はまるで亥の大群のように正門のある方向に走り出していた!

『ハアッ、ハアッ…シンディ、シンディ待ってったらッッ!』

さすがに元海兵隊隊員だけあるシンディは男性顔負けの走りを見せていた…リサもシンディのすぐ後を必死で追い掛けた…

『ハアッ、ハアッ、…リサッッ!T字路だよッッ!解ってるねッッ!』

シンディは殆どの参加者が左の進路を取ったのに対し、逆方向の右の進路を選択したッッ!

(大丈夫かな…ハアッ、ハアッ…行き止まりだよッッ!)

一抹の不安を抱えながらリサもシンディの後を追い、進路を右に取った…するとリサの後ろを二人の男性参加者が追って来た…

『シンディ、ハアッ…後ろから他の参加者も追ってきてるよ…ハアッ、ハアッ』

『…だろうねッッ…ハアッ、ハアッ…』

シンディはそうなる事を予想していたかのようにチラチラと後ろの男性二人を眺めながら長い廊下をひた走っていた…

(どうしてみんなッッ…ハアッ、ハアッ…こっちは行き止まりだよッッ!!)

リサはこのゲームに参加した事を少し後悔していた…

No.115 07/11/05 17:46
ヒマ人0 

>> 114 🔥13🔥

シンディとリサは厨房の扉に辿り着いた…後を追って来た男性二人が同時にそこに着いたその時、けたたましいサイレンが収容所内に鳴り響いた…

『…追跡者よッッ…奴らが来るッッ!』

このサイレンはスタートしてから10分経過した後に追跡を開始する兵士達の合図だった…銃を持って追い掛けてくるマスランダ兵に見つかるとその場で射殺される…これはまさに生きるか死ぬかのデスマッチなのだ…

『ハアッ、ハアッ…どうするのシンディ…ハアッ、ハアッ…』

『厨房のダクトの中に細い抜け道があるッッ…人が一人通り抜けれるかどうかって位の細い通路がねッッ…そのダクトを通れば兵士に見つからずかなり先に行けるわッッ!』

シンディは男性二人と一緒に協力して厨房に入る扉を蹴破った!

『さぁ、こっちよッッ!』

シンディが冷蔵庫の横にある金網を壊すと通気口のような穴があった…

『さぁリサから早くッッ!グズグズしてたら追跡者が追ってくるよッッ!さぁッッ!』

シンディは先にリサを通気口の中に押し込むと自らも続いた…二人の男性も急いで二人に続いた…

『ハアッ…ハアッ…せ、狭いッッ…』

『気をつけて…ゆっくりねッッ…ハアッ、ハアッ…』

No.116 07/11/05 18:09
ヒマ人0 

>> 115 🔥14🔥

『アタイはシンディ・モーガン…こっちはリサ…ハアッ、ハアッ…アンタ達は?』

『第8監獄棟にいたビルだ、ビル・クロスビー、コイツはスペイン軍人のサラス・アントニオ…ハアッハアッ…宜しくなッッ!』

『色々聞きたい事あるけど後で聞くよッッ!』

その細い通気口は先に行けば行く程段々と狭くなっていく…

『ハアッ、ハアッ…ねぇシンディ…もう限界ッッ…もう人間一人も通り抜けれないよッッ!』

『いいかいリサ!上を向いて両手を上げるんだッッ!背泳ぎの体勢でゆっくり足の裏で地面を蹴って反り進むんだッッ!』

リサはシンディに言われた通りに仰向けで両手を真っ直ぐ上げながらゆっくり進んだ…

『す、凄いシンディ!…ゆっくりだけど確実に距離を取る事が出来るッッ!』

リサはシンディのアドバイスに感心した…

『その背泳ぎの体勢が人間の骨格上、一番細くなれる体勢なんだッッ!覚えときなッッ!』

四人は狭くて暗い空気の薄い通気口の中をひたすら反り進んだ…暫く進んだ後、リサの手に穴から出た感触があった…

『!シンディッッ…風だッッ!手に風を感じるッッ!』

『おめでとうッッ…第1関門見事突破だッッ!』

No.117 07/11/05 18:34
ヒマ人0 

>> 116 🔥15🔥

『!…ここは?』

『正門のすぐ下の下水道さッッ!ハアッ、ハアッ…』

穴を抜けるとそこは下水道だった…カビ臭い匂いと汚物の悪臭が鼻をつく…

『ハアッ、ハアッ…少し休もう…3分程…』

さっき通り抜けた狭い通気口の中は空気が薄く四人は軽い酸欠状態にあった…

『…で?ビル・サラス…アンタらはどうして他の連中と一緒に左の通路に行かなかったんだい?』

シンディが座り込みながら尋ねた…

『シンディ・モーガンに付いて行けば確実にゴール出来るって思ったからさッッ…アンタ前回のこのゲームの生き残りなんだろ?聞いたぜ…』

白い歯を見せながらビルとサラスは笑った…どちらも人の良さそうな青年にリサには映った…

『俺達だってここから脱け出して祖国の家族に逢いたいんだ…少しでも確率の高い道を選びたかったのさッッ…』

訛りの強い言葉でサラスが言った…

『フッ…それはそれは…エラく英雄扱いしてくれんだねッッ…まぁいいさ、同士は一人でも多い方がいいからねッッ!』

シンディとリサはビル達と握手を交した…

『さて…問題はここからだよッッ…』

シンディはゆっくり腰を上げて辺りを見回した…

No.118 07/11/05 19:30
ヒマ人0 

>> 117 🔥16🔥

『チクショウ!何てこったッッ!』

シンディは腰に手を当て頭を垂れた…

『…ど、どうしたのシンディ!?』

『ホラ、前を見てみな…落盤さ…』

『落盤?』

リサ達の目の前には無数の巨大な岩が積み重なっていた…

『前回のゲームの時はこの先にある通路から正門の南の井戸に抜ける事が出来たんだけど…おそらく地震か何かでその通路が岩で塞がれちまったみたいだよ…チッ、ついてないよッッ…』

『で、どうするんだよ、シンディ!?』

藁をも掴むような声でビルとサラスはシンディに問い詰めた…

『…仕方ない…大幅に時間はロスだけどもう一つの方法でいくかッッ…』

シンディは大きく深呼吸をした…

『…で、どうするのシンディ?』

リサはじっと考え込んでいるシンディに声を掛けた…シンディは何を思ったのかいきなり汚物だらけの下水道に飛び込んだ!

『!お、おぃ…な、何て事ッッ…き、汚いじゃないかッッ!』

ビルとサラスはシンディの突然の行動に思わず眉間をしからめた…

『さぁ、このままこの下水道の中を歩くよッッ!嫌ならここで殺されなッッ!臭いのを我慢するか天国に行くか…二つに一つだよッッ!』

『わ、私も行くわ、シンディ!』

No.119 07/11/05 19:55
ヒマ人0 

>> 118 🔥17🔥

『こ…こりゃたまらん…』

四人は鼻を摘みバシャバシャと水をかき分けながら下水道の中を進んだ…無数に浮かぶ汚物と尿の鼻をつく悪臭…自分達が排泄した物とはいえ、その匂いはまさにこの世のモノとは思えない地獄だった…

『大丈夫かい、リサ…』

『ハハ…な、何とかね…けど臭い~ッッ!』

ゴツゴツと水中で体に当たる汚物やドブ鼠に耐えながらリサ達は我慢しながら進んだ…

『だが下水道とは考えたな…こんな臭い下水道を我々が逃げているなんて追跡者もまさか思ってないだろうからなッッ!』

ビルが涙目になりながら笑った…シンディは苦笑いした…長くて薄暗い、まともに息も出来ない程の下水道を抜け、四人は地上に抜ける地下の扉の下まで来た…

『フゥ~さぁ…ここからが本番だよッッ…地上に上がれば追跡兵からの銃撃の危険性も増す…慎重に行くからねッッ…』

体に染み付いた悪臭を我慢しながらシンディはゆっくりと地上に抜ける地下扉をギィ~ッと開いた…

『よしッッ…誰もいない!』

シンディは一番に地上に上がった…

『ここから500m先のマスランダ、ダイーの石像の所まで突っ走るよッッ!』

No.120 07/11/06 17:05
ヒマ人0 

>> 119 🔥18🔥

その時だった…

ガガガガガッッッ!!

突然銃声が辺りを包んだかと思うと一番後ろにいたサラスがまるでスローモーションを見ているかのように前のめりに倒れ込んだッッ!

『サ、サラスゥゥゥゥッッッッッ!!』

ビルが倒れたサラスに駆け寄ろうとした瞬間!

ガガガガガッッッ!ガガガガガッガガガガガッッ!

さらに激しい銃声が三人を包んだ!

『ビルッッ!危ないッッ!逃げろッッ!!』

シンディがリサの手を掴み、サラスの死体に覆い被さるビルに叫んだッッ!

『バッキャロッシンディッッ!このままコイツを見殺しにする気かッッ!』

『バカはアンタの方さッッ!可哀想だが彼は助からないッッ!早く逃げろッッ、でないとアンタまで死んじまうんだぞっ!!』

ガガガガガッッ!

見つけたぞ!と声を上げ、追跡者のマスランダ兵5、6人がすぐ後ろから迫っていた!

『お願いッビル!シンディの言う事を聞いてッッ!』

突然の銃撃に何が起きたのか解らずリサはただシンディに手を引かれ、後方のビルの安否を気遣いただ叫び続けた…

『!チクショウ、チクショウッッ!』

ビルは諦めてシンディ達の後を追った…

No.121 07/11/06 18:11
ヒマ人0 

>> 120 🔥19🔥

『チクショウ、アイツらッッ!ハアッ、ハアッ…いきなり殺す事はねぇだろがァッッッ!!チクショウ!チクショウ!』

三人は必死に走り、追跡者をまき、何とか石像の前まで辿り着いた…ビルは仲間のサラスの突然の死に反狂乱状態だった…

『ハアッ、ハアッ…あれが奴らのやり方だよ…ハアッ、人殺しを楽しんでるのさッッ…収容所の中で誰かが死んだとしても咎める者は居ないからねッ…』

シンディは唇を噛み締め天井を仰いだ…

『酷いッッ…許せないッッ!こんなやり方…』

リサは拳を地面に叩き付けた!シンディは暫く考えていたがゆっくりとリサを見つめて言葉をかけた…

『よく聞いて、リサ、…とにかく時間がないッッ…周りには追跡者がウヨウヨいる…ここから先は別行動で行くからね!私とビルはアンタの後方支援に回る!15分後にこの先にある正門の手前の《ルイズーの源泉》で落ち合おう!岩肌から地下水が流れてるからすぐに解るよッッ!いいね、死ぬんじゃないよッッ!』

『私もシンディに付いてくよッッ!』

リサは不安げにシンディを引き止めた…

『駄目だッ!共倒れだけは絶対阻止しなきゃ…大丈夫!アンタならやれる!信じてるよッッ、リサ…』

No.122 07/11/06 18:27
ヒマ人0 

>> 121 🔥20🔥

リサはシンディに言われた通り、地下水が湧き出る源泉まで死に者狂いで走り抜けた…リサが走っている間も後方で激しい銃声が幾度となく聞こえ、リサはシンディとビルの安否を気遣った…

(し、死なないで…ハアッ、ハアッ…シンディ…ハアッ、ハアッ…)

リサが源泉に辿り着いた時、残り時間はもう後10分しかない事に気付いた…

(早くッッ…早くここまで来て、シンディッッ…時間がないッッ!)

追跡者達に見付からぬよう洞窟の影で祈るようにリサはシンディ達を待った…

『!…シ、シンディ!!無事で良かった…』

数分後、倒れ込むようにしてリサの所までシンディが走ってやって来た!

『シンディ…ビル…ビルはッッ!?一緒じゃなかったの!?』

『ハアッ、ハアッ、…ビルは…ハアッ、ハアッ…撃たれ…た…ハアッ、ハアッ…』

『う、撃たれたってまさか…し、死んだのッッ!?』

『さぁ走れリサッッ!悲しみに暮れてる暇なんてないんだよッッ!止まったら殺されるッッ!さぁ走れッッ!正門はもうすぐよッッ!』

シンディは泥だらけの顔から涙を流しながらリサの服の襟を掴み、走り出した!

『死んだ皆の為にも勝たなきゃ!勝たなきゃ!』

No.123 07/11/06 18:45
ヒマ人0 

>> 122 🔥21🔥

『走りながら聞いてリサッッ!ハアッ、ハアッ…もう正門まで時間が間に合わない…ハアッ、ハアッ…だから正門には向かわないッッ…』

『え?…ハアッ、ハアッ…じゃあどうするのッッ!?ハアッ、ハアッ…このまま降伏ッッ?』

『冗ぉ~談ッッ!…ハアッ、ハアッ…いい?今からもう一つの出口に向かうよッッ…ハアッ、ハアッ…アタイが何ヶ月もかけて調べたんだ…ハアッ、ハアッ…この収容所の西に小さな扉がある事をねッ…ハアッ、ハアッ…そこから完全に収容所の外に出られるッッ…ハアッ、ハアッ…』

『…つ、つまりもうゲームを無視して本当の脱獄をするって事ぉ!?ハアッ、ハアッ…シンディ貴方もしかして始めから…』

『そうさッッ…こんな馬鹿げたゲームにクソ真面目に参加する気なんて更々無かったんだ…ハアッ、ハアッ…全てはリサと一緒に脱獄する作戦だったって事!どうしてもアンタを逃がしてやりたかったんだッッ!』

『シンディ…』

『さぁ次の角を左だよッッ!走って走って走り抜けるんだッッ!ハアッ、ハアッ、ハアッ…高い塀に監視塔が見えて来たらすぐだよッッ!!』

リサとシンディは長くて暗い砂漠の洞窟をひたすら走った…

No.124 07/11/19 19:43
ヒマ人0 

>> 123 🔥22🔥

『西口の扉の前に3つの高さ40cm程の石門があるッ…ハアッ、ハアッ…最後の超難関だッ…』

『…それを、それさえ抜ければ外に出られるんだねッッ…ハアッ、ハアッ…』

シンディとリサは必死に走った…

『…3つの石門の距離間隔は均等に50m…ハアッ、ハアッ…最初の石門をくぐり抜けた時点で緊急非常探知機が作動し侵入者を感知、その約20秒後に残りの二つの石門も閉じられるって訳ッッ…ハアッ、ハアッ…つまり20秒以内で100mを走り抜け、尚且つ、高さ40cm余りの石門をくぐり抜けなくっちゃならない…ハアッ、ハアッ…』

『まるで運動会の障害物競争だねッ…ハアッ、ハアッ…』

二人の背後に追跡者のマスランダ兵の声がした!

『やれるかいッッ…リサッッ!』

『やるっきゃ道はないっしょ!』

二人は走りながら固い握手を交わした!目の前に石門が近づいて来た!

『よぉ~しリサッッ!死ぬ気で走り抜けろッッッッ!!』

『シンディもッッ!!絶対クリアしてねッッ!』

石門の遥か向こうに西口の扉が微かに見えたッッ!!

《行くぞォォォォォォォッッッッッ!!》

No.125 07/11/19 20:36
ヒマ人0 

>> 124 🔥23🔥

リサとシンディは最初の石門をくぐり抜けた!

《シンニュウシャ!シンニュウシャ!》

けたたましいサイレンが鳴り響いた!

『さぁ走れッッ、リサッッ!!』

20秒のカウントダウンが開始されたッッ!

『焦るなッッ!焦りさえしなけりゃ抜け出せるんだッッ!20秒しかないと思うなッッ!20秒もある!と思えッッ!』

シンディはリサにアドバイスすると二つ目の石門をくぐった!

『リサッッ!来いッッ!』

リサも二つ目の石門に滑り込んだ!

『ヨォ~しッッ!最後だッッ!走れリサッッ!まだ時間があるッッ!』

最後の石門のまさに3m手前で意外にもいきなり石門が閉まり始めたッッ!

『!う、嘘だろッッ!?まだ20秒経ってねぇぞッッ!』

『!そッ、そんなぁ!!』

石門はゴトゴトとゆっくり閉まってゆく…

『リサッッッ、飛込めッッッッッッ!!』

『だ、駄目ッッ!挟まるわッッッッ!』

シンディとリサは一か八か石門の僅かな隙間にヘッドスライディングするように飛び込んだッッ!!

ズザザザザァァッッッ!!

リサの体は間一髪抜け出した!

『やったッッ!やったよシンディッッ!…シン…シンディ…シンディィィィッッッッ!!』

No.126 07/11/19 20:52
ヒマ人0 

>> 125 🔥24🔥

『ウガァァァァァァッッッッッッッ!チキショウッッ!ウガァ!』

『シンディッッ!う、嘘でしょッッ!?イヤァァァァッッッ!!』

リサは目を疑った!シンディは上半身こそ抜け出したものの、膝から下はその最後の重い石門の下敷きになってしまっていた!

『シンディ、しっかりしてッッ!待っててッッ…今助けてあげるからねッッ!』

リサは石門を何度も必死に持ち上げたがビクともしなかった…

『グッ…リサ…む、無理だ…ハアッ、ハアッ…一人で持ち上がるような重さじゃない…ハアッ、ハアッ…アタイの事はいいから早く行けッッ!』

『イヤ!イヤよッッ!せっかくここまで一緒に来たのにッッ!…こんな所でシンディを置いてはいけないわッッ!』

シンディは汗を流しなから怒鳴りつけた!

『バッキャロッッ!せっかくリサだけでも抜け出せたんだッッ!二人共犠牲になる事はないッッ!ハアッ、ハアッ…例えここから出られてもアタイはもう走れない…無理だッッ!さぁ早く行けって言ってんだろがッッ!じきに追跡者が来るッッ!』

『イヤァイヤァイヤァァァァッッ!シンディを置いてなんか…そんな事出来ないッッ!』

リサは何もしてやれない自分の情けなさに号泣した…

No.127 07/11/20 12:03
ヒマ人0 

>> 126 🔥25🔥

『なぁ…頼むッリサッッ!…こんな所で共倒れしたら何にも…ハアッ、ハアッ…何にもならないだろッッ!?リサが世紀軍の前線基地にここの場所を教えりゃぁ…ハアッ、ハアッ…この収容所にいるみんなを助ける事になるんだぞッッ!アタイに構うなッッ!さぁ行けッッ…ハアッ、ハアッ…』

『シンディ…シンディッッッ!!』

リサはシンディの両手を掴むと慟哭した…

『これ…これは二人の…ハアッ、ハアッ…友達の証だッッ…』

シンディは首にかけていたペンダントをリサに渡した…

『シンディ…ッッ』

『アタイの大切な宝物だッ…これをアタイだと思って…ハアッ、ハアッ…頼んだよッッ…リサ…さぁ行けッッッ!行けって言ってんだろがぁッッ!』

『シンディ…忘れない…絶対にッッ!』

リサはシンディのペンダントを握り締めると暫くシンディを見つめ、涙を拭きながら振り返ると西口の扉に走り出した!

『………リサ…ハアッ、ハアッ…ゴ、ゴメン…』

走り出したリサの後ろ姿をじっと眺めていたシンディは気丈に振る舞っていた精神力も途切れたのか精も渾も尽き果てたようにその場にぐったりと頭を下げた…

No.128 07/11/20 16:39
ヒマ人0 

>> 127 🔥26🔥

『おぉ、ブラボーブラボーッッ!見事な演技力だったなシンディ…アカデミー助演女優賞とでも言おうかッッ、ガッハッハ…』

突然岩の後ろからダイーの声がした…

『おぃッッ!石門を上げてやれッッ!』

シンディはダイーの側近達に抱えられるようにして石門の下敷きから救出された…

『リサ・ボナコフ…まさか世紀軍のスパイが混じっていたとはなッッ…シンディ・モーガン…お前の緻密な計画と演技のお陰でこれで奴らの前線基地の正確な場所が解り一網打尽ッ…フフフ…』

『命は…せめてリサの命だけは助けてやってくれんだろなッッ!?』

シンディはダイーの側近から冷たい氷タオルを貰い、赤く腫れ上がった太股を冷やした…

『フフフ…そいつは無理だッッ…奴は脱獄囚だッッ!世紀軍の基地の確かな所在が分かり次第、後を付けている狙撃兵によって射殺するッッ!』

『!なッ、や、約束が違うじゃねぇかッッ!?リサをうまく逃がしたらリサの命とアタイの釈放は保証してやるってッッ!クソッ、汚ねぇぞチキショウッッ!!』

側近はシンディを殴りつけた!

『お前は脱獄囚を擁護したとしてさらに期間延長だッッ!』

『!て、テメェッ、騙したなッッ!』

No.129 07/11/20 17:02
ヒマ人0 

>> 128 🔥27🔥

『フフフ…しかし哀れだなぁ…信頼していた筈の仲間にこうも簡単に騙され、最後は利用されるだけ利用され飼い主の元に帰る途中…バキュンッ!ガッハッハ!こりゃ愉快だッッ!』

ダイーは高笑いした…

『チキ…ショウ、ダイーてめぇ…騙しやがったなッッ!…リサは助けてやるって言ったじゃねぇか…クソッッ!』

《将軍ッッ…只今逃げた女はサガンの南西の砂漠地帯を必死に歩いていますッッ!疲れはあるようですが足取りは確かですッッ!おそらく世紀軍の前線基地に向かい歩いている模様…》

ダイーの無線に狙撃兵からの連絡が入った…

『イシシシ…聞いたか?シンディ…お前に裏切られた女はもうすぐ基地の位置を知らせ、そのまま撃たれ息絶える!ガッハッハ!最高のシナリオだなッッ!』

『こ…殺してやるッッ…ブッ殺してやるッッッ!!』

シンディは足の痛みで立つ事すら出来ない…

『シンディ…お前からあの女の情報と引き換えに祖国への釈放を聞かされた時は正直ワシも迷った…しかし考えた…簡単に逃がしたらつまらんッッ、ゲームをしようとな!』

『脱獄した捕虜なら…簡単に殺せる…そう思いついたって言いたいのかッッ!この人殺しッッ!』

No.130 07/11/20 17:26
ヒマ人0 

>> 129 🔥28🔥

『逃げろシンディッッ!基地には帰るなッッ!』

『ガッハッハ!聞こえん聞こえん!…もうすぐこの南部一帯の世紀軍は全滅するッッ!ガッハッハガッハッハ!』

『フッ…さて…それはどうかなッッ!?』

いきなりシンディの顔つきが変わった!

『!何だぁ!?負け惜しみか?』

その言葉と同時にバタバタバタと何十台ものヘリの轟音が響き渡った!

『!な、なんだッッ、何事だッッ!?』

ダイーが慌てた!それと同時に収容所の玄関を警備していたマスランダ兵数十人が機関銃の雨を浴びて絶命していた!

『残念ッッ!ダイーちゃん…アンタこそ最期だよッッ!!』

『な、なにぃ!?』

既に収容所の周りはおびただしい数の世紀軍の軍隊が包囲し、降伏した何百人ものマスランダ兵が銃を捨て、両手を挙げていた…

『アンタの負けだよダイーッッ!』

ダイーは世紀軍の軍隊に捕獲された…

『な、な、何故…何故ここがッッ!?厳重な警備で鼠一匹入れないワシのこの鉄の要塞がッッ!ガハッ…』

腰が立たない程動揺しているダイーは今何が起きたのかが理解出来ていなかった…

『マスランダ最高指導者ダイー!只今ここで第一級戦犯として確保するッッ!』

No.131 07/11/20 17:54
ヒマ人0 

>> 130 🔥29🔥

マスランダの領地であったサガン捕虜収容所は陥落した…200人もの捕虜は世紀軍により解放され皆喜びに満ちた顔で祖国に帰って行った…シンディも世紀軍の医療チームに運ばれ、担架に乗せられた…

『シンディッッ~ッ!シンディッッ~ッ!』

『!…リ…リサッッ!リサァァァァッッッ!』

ヘリに乗せられようとした時、シンディの元にリサが駆け寄って来た!二人は抱き締め合った…

『シンディ、良かった…無事だったんだねッッ…良かった…』

リサは涙を流しシンディをきつく抱き締め続けた…

『リサこそ無事で良かった…良かった…』

『まさか…シンディから貰ったこのペンダントが探知機になってたなんて…』

シンディがリサに手渡したペンダントは収容所の中では電波が届かない高性能な探知機だった為シンディが外部に通じるリサに託した物だった…

『シンディ…貴方初めからこうなる事を想定して…』

リサはシンディを見つめた…

『ゴメン…リサ…アタイ…アンタを…アンタをさッッ…』

『いいよ…もういいんだ…解ったからもう泣かないでッッ…』

砂漠の夕日が二人の長い影を作っていた…



⑩~ESCAPE GAME~完

No.132 07/11/20 19:30
匿名さん132 

>> 131 アツです!
いや~完結して良かったッス
大どんでん返しの連続で、見事なまでに裏をかかれました

また書いて下さい!!
すっげー楽しみッス☆

No.133 07/11/20 19:40
ヒマ人0 

>> 132 アツ様🙇感想有難うございます💕…🔥はちょっとラストがゴタついたんですが何とか終わる事が出来ました💨有難うございました‼またの機会に書きますね😁

No.134 07/11/20 19:43
匿名さん132 

>> 133 この短編は、本当サクッと読めていいッスね

またと言わずジャン②書いて下さいよ(笑)

No.135 07/11/20 19:47
ヒマ人0 

>> 134 有難うございます‼分かりました😤💨(笑)全国の読者の為に…書きます💪

No.136 07/11/20 19:55
バトー ( ♂ IbDL )

めちゃくちゃ読んでてハラハラしました。
う~ん……っ!!
面白かった!!😁

流石!ビリケン様は御達筆でいらっしゃる!
また新作が楽しみです。

No.137 07/11/20 19:57
ヒマ人0 

>> 136 バトー様にまで言われたら😳続けなきゃいけませんね(笑)‼有難うございました💨

No.138 07/11/20 20:49
ヒマ人0 

>> 137 【⑪】~麺食娘~


🍜1🍜

『おいオヤジッッ!よぉ~くもこんなマズいラーメン客に出せるもんだよなッッ!先代のおっかさんのラーメンは最高だったのに息子のお前さんがどうしてその味出せないんだッッ、バーロ!』

あしげく通ってくれていた常連客のサラリーマン風の二人組が遂に我慢しきれなくなり、箸を叩きつけ、鬼のような形相で怒って帰って行った…

『あ、お、お客さんお勘定ッッ!…あぁ…ッッ』

津連(つづれ)勇はオフィス街の一角にあるしがないラーメン屋《つづれ亭》の店長だった…亡くなった先代の勇の母親から続くラーメン屋を継いだのだが勇の作るラーメンに客は皆顔をしかめ母親が切り盛りしていた行列の出来ていたあの頃に比べ客足は遠のき、次第に勇の店は傾き始めていた…

(何が…何がいけないんだろ…母ちゃんの味を完璧に真似してるのにッッ…)

勇は涙を堪えて客の食べ残したラーメンを流しに捨てた…

(あ~ぁ…今日もお客は3人…うち2名は無銭…ハァ~…母ちゃん…俺もう駄目だッッ…店畳んで土木作業員にでも転職すっかな…)

母、トメ子の仏壇の前で勇はため息をついた…

No.139 07/11/21 08:09
ヒマ人0 

>> 138 🍜2🍜

勇が40年続いたラーメン屋《つづれ亭》を今月いっぱいで閉めようと決心したのはそれから一週間後の事だった…

(母ちゃんゴメン…やっぱり俺じゃ無理だった…母ちゃんの大切な店、閉めるのは忍びないけど…旨いラーメンが作れないんだから仕方ないよな…)

一人仕込みをしながら勇はため息をついた…50前まで独身のまま、公務員として勤務し、母親の死を期に2年前急にやった事のないラーメン屋を継ぐ羽目になった勇にとり、店の存続は最早不可能だった…

(今日も雨か…よく降るな…)

勇はつづれ亭の黄色い暖簾を軒下に吊すと開店準備を始めた…

(!…んッッ…!?)

暖簾をかけ店の中に入ろうとした勇の目に一人店先でびしょ濡れで蹲る女の子の姿が入った…

(…傘もささないで…ずぶ濡れじゃないか…)

その娘はどこかの学生服を着た女子中学生のようだった…勇は声をかけようか迷ったがかかわらないでおこうと店に入ろうとしたが蹲る女の子の事がやはり気にかかり、ゆっくりとその中学生に近づいて行った…

『あ、あのぅ…お嬢ちゃん?こんな場所でなに…』

次の瞬間、その女の子に近づいた勇の目に信じられない光景が入って来た!

『お…お嬢ちゃんッッ…あ、あんた…!』

No.140 07/11/21 11:45
ヒマ人0 

>> 139 🍜3🍜

勇が驚いたのは女の子がズブ濡れになっていただけではなかった…女の子の持っていた鞄にはスプレーのような落書きが無数にあり、鞄から少し覗いていた教科書にも油性のマジックのような物で一面に落書きがしてあったからだ…

『…お、お嬢ちゃん…こ、これは…!』

勇は女の子にどんな言葉をかければいいのか解らなかった…

『……』

女の子は蹲りただじっと肩を震わせていた…ブレザーの肩にパチパチと雨粒が弾き、かなり水分を吸い込んでいるようだ…

『と…とにかくッッ、ここじゃ風邪をひくッッ、な、中に…店の中に入りなさいッッ、さあっ!』

勇は不器用に女の子の濡れた肩を抱えるとそのまま店の中にズブ濡れの女の子を入れた…

『さぁ、このタオルで頭と体を拭いてッッ!』

勇は店の奥からタオルを持ち出すと女の子に渡した…

『……』

女の子は何も言わず一度静かに勇に頭を下げるとタオルを使い頭を拭き始めた…長い黒髪からポタポタと雨粒が滴り落ちていた…

『……』

勇は床に置いた女の子の落書きだらけの鞄を険しい顔で再び見つめた…

(…いじめ…これはどうみたって明らかにいじめ…だよな…)

勇は腕組みをしながら女の子が体を拭き終えるのを静かに待っていた…

No.141 07/11/21 12:04
ヒマ人0 

>> 140 🍜4🍜

『……』

勇と女の子の間で暫く沈黙が続いた…勇は前掛けを指でいじりながらこの女の子にどんな言葉をかけたら適切なのか頭の中で整理していた…

(次にな、何て声…かけりゃいいんだろ…)

女の子の鞄の凄まじい落書きの跡は明らかに自分の好みで飾りつけたものではない…その証拠に鞄の側面に《学校来るな!》《死ねッッ!》という文字も勇にははっきりと見て取れた…もしファッションで鞄にお洒落しているのであれば自らそんな言葉を選ぶ訳がない…勇は確信した…これはこの女の子が今現在受けている悪質ないじめなのだと!

『……寒くないかい?服、着替えるか?』

勇はつい心にもない言葉を口走ってしまった…おい勇ッッ!お前は今彼女にそんな事を聞きたい訳じゃないだろ!…もう一人の自分の声がした…

(でも…自分はこの子の担任でも教育者でもない…今辛い事をあれこれ聞いてむやみに彼女を刺激するのはいかがなものだろう…)

勇はそう感じた…

『服着替えた方がいい…そこにシャツ出しておいた…男物で悪いけど風邪ひくよりマシだ…さぁ!』

勇は女の子を店の奥の居間に通すと襖を閉めた…

(ハァ…何かエライ事になってしまったナァ~…)

勇は頭を抱えた…

No.142 07/11/21 12:30
ヒマ人0 

>> 141 🍜5🍜

店内にモウモウと湯気が立ち始めた…勇は着替えたての服でじっとカウンターの一番端に座り、ただうつ向いて黙っている女の子を尻目に取り敢えず開店準備を再開した…

(今の中学生のいじめって…あんなに酷いものなのか…)

ラーメンの薬味に使う長葱をまな板の上でトントン!と軽快に刻みながら勇はチラチラと時折女の子の様子を伺っていた…

『あ…あれだッ…そのぅ…お、お嬢ちゃん腹、腹減ってないかい?雨で体冷えきってんだろ?ラーメン食って行きなよッッ、な!?』

『……』

女の子はうつ向いたまま反応が無かった…

『……ラーメン…嫌いか?…ハハハ、そんな奴はいねぇよなッッ…遠慮するなよッッ、おいちゃんの奢りだからッッ…!』

勇は丼を一度湯通しすると麺を茹で始めた…

(しかし参ったナァ…)

麺が茹で上がる間、腰に手を当てながら勇は考えていた…

(誰にいじめられたんだって聞くのはナンセンスだし…いちいち事の成り行き尋ねるってぇのもウザいんだろうし…あぁ、俺には子供がいないから解んないよッッ、こういう時どうしてやるのが一番適切なのかがッッ…)

勇は丼にスープを注ぐと茹で上がった麺をゆっくり入れ、薬味を乗せて一度手を叩いた!

『よぉし、完成ッッ!』

No.143 07/11/21 12:55
ヒマ人0 

>> 142 🍜6🍜

『さぁ遠慮はいらねぇよッッ!当店自慢の豚骨スープが決め手の本格派、《つづれラーメン》だッッ!さぁ、食べて食べてッッ…せっかくの麺が伸びちゃうから!さッ!』

勇は蓮華と割り箸を女の子に手渡すと満面の笑顔をした…女の子は一度ゆっくり勇の顔を上目使いで見つめるとパチン!と箸を割った…

『そうそう、若いんだから沢山食べねぇとなッッ、ハハハ!』

女の子は真っ先に左手の蓮華でスープを掬い、一度目の前で香りを確かめるとゆっくり口にすすり込んだ…

『……どうだ?ハハハ…旨いだろ!?』

『………』

女の子に反応はなかった…其れどころか女の子の眉間にみるみる皺が現れ出した!

『……まず…いッッ…』

『!ま、ま、マズイぃ?そ、そんな事ねぇだろッッ!?』

それは女の子が勇に発した初めての言葉だった…

『スープがなってない…それに麺も硬い…茹でる時の火の通り具合が問題外…』

勇は愕然とした…名だたるラーメン通や料理評論家に言われたのならいざ知らず、まさかこんな中学生に、それもまだ麺すら口に入れていないうちに勇のラーメンを全否定されてしまった事に勇は脳天を撃ち抜かれたような気になっていた!

『残念だけど…これは店に出せる商品じゃない…』

No.144 07/11/21 16:34
ヒマ人0 

>> 143 🍜7🍜

こんな中学生につづれ亭の味が解ってたまるかッッ!…勇は一瞬そう思ったがどんどん客足が途絶え瀕死の状態でもあるこのラーメン屋の現状を改めて見るとこれは謙虚に受け止めねばならない事実だという事を勇は痛感した…グルメな味に煩いこの年頃の中学生だからこそきちんと何処がいけないのかを意見してもらう意味はあるのではなかろうか…勇は謙虚になろうと決めた…

『ど、何処がいけないんだろね…ハハハ、実は恥ずかしながらウチのラーメン屋は閑古鳥が呆れて逃げちまう程の流行らないラーメン屋でさッ…良ければこのラーメンのどこがいけないのかお嬢ちゃん、教えて貰えないだろうか…?』

女の子は暫く黙っていた…そしてボソリと言った…

『自分自身でどこが悪いのか解らないうちはラーメンの味は良くならないと思う…』

女の子は吐き棄てるように勇に忠告した…

『お、お嬢ちゃんなら解るのかい?…どうすりゃこのラーメンが旨くなるのかが…先代の母ちゃんのような旨いラーメンが作れるのかがッッ!?』

女の子は席を立つと着ている服はいずれクリニングして返しますとだけ勇に告げ、そのまま玄関から出て行った…

(…なん…何だったんだぁ??)

勇はただ呆然と立ち尽くしていた…

No.145 07/11/21 17:02
ヒマ人0 

>> 144 🍜8🍜

それから数日間やはりお客はゼロだった…沸騰した豚骨スープのアクを掬いながら勇は誰もいない厨房でため息をついていた…

(ハァ~…自分自身で解らないうちは旨いラーメンは作れない…ッッかぁ…ハァ~…)

あの日の女の子の言葉が勇には妙な引っ掛かりだった…

(あんな幼い中学生にマズイ!ってはっきり…尚更舌の肥えたこの辺りのビジネスマンにゃあ到底相手にされる訳はないよなぁ…)

勇から急にやる気が萎え、今日は店を臨時休業にしようと決めたその時…ガラガラガラ…

(!あッ……)

店の戸が開いた…其処にはあの日の中学生の女の子が立っていた…今日は学生服ではなく水色の淡いセーターにジーパン姿だった…手には勇から借りていたシャツが綺麗にクリニングされて持たれてあった…

『や、やぁ…こないだはどうも…わざわざ持って来てくれたのか、それ…あ、有難う…』

勇のその言葉には反応を見せず女の子はクリニングを勇に手渡すとこないだ座っていた一番端のカウンター席に静かに座った…

『…つづれラーメン一つ下さい…』

『!…え?…あ、いや…えぇッッッ!?』

女の子はいきなりラーメンを注文したので勇は驚いた!

No.146 07/11/21 17:20
ヒマ人0 

>> 145 🍜9🍜

『あ、あの…ラーメンってったって…ハハハ…ウチのラーメン…君は…』

勇は女の子の余りにも意外な行動に目を丸くした…あの日ウチのラーメンを食べた後、あれ程までに味を否定していたにも関わらず、女の子は懲りずに再び勇のラーメンを注文したのだ!

『…ホントに…いいの…かい?』

『…つづれラーメン一つ下さいッッ!』

女の子はそれだけ言うとただ一点を見つめるかのようにじっとラーメンの出来上がりを待っていた…

(何考えてんだろこの子…どう考えたって冷やかしに来たとしか思えないッッ…!)

勇は女の子に不快感を持ちながらも仕方なくラーメンを作り始めた…

『は、はい…お待ちッッ!』

震える手で勇はラーメンの丼を女の子の目の前に置いた…女の子は蓮華を持つとそれをゆっくり浸しスープの濁り具合を確かめていた…

(い、嫌だナァ~…何か試験受けてるみたいだ…アァ…)

勇は生唾をゴクリと飲み込むとラーメンを食べる女の子の様子を凝視していた…

『…ご馳走様でした…』

(!えッ、えぇッッッ!?)

女の子は今度はスープにすら口を付ける事なく勘定だけテーブルに置いて立ち去ろうとした!

『ち、ちょっとぉ、ちょっと待ちなよお嬢ちゃんッッ!!』

No.147 07/11/21 17:44
ヒマ人0 

>> 146 🍜10🍜

勇は女の子を引き留めた!

『ラーメン注文しておいて一口も口を付けないのって!アンタそりゃ失礼なんじゃないのッッ!?ましてやこないだ散々俺のラーメンをマズイと言っておきながら今日はこうして注文してあから様に残すなんてさッッ!馬鹿にしてるにも程があるよッッ!』

勇は思わず女の子にぶちまけてしまった…

『……』

女の子は黙って勇の怒鳴り声を聞いていた…

『何とか言いなよッッ!最近の中学生はちょっと甘い顔をしたら図に乗ってよッッ!大人をナメてんじゃないよッッ!!』

すると勇の文句を聞き終わるや否や、今度は女の子が振り返り、勇を睨み付けた!

『…私があれほどマズイって言ってあげ、改良点も助言してあげたのに全く改善されていない…それ所か自分の無努力向上心の無さを客のせいにまでするッッ!それこそ楽しみにラーメンを食べに来る私達お客を馬鹿にしてるって事になるんじゃないのッッ!違いますかッッ!?』

『!……うッ……』

その女の子の言葉に勇は何も言い返す事が出来なかった…女の子は何も言わず戸を開けて帰って行ってしまった…

(チキショウ…何なんだよッッ!…クソッ、クソッ!)

やり場のない怒りとイライラに勇はさいなまれた…

No.148 07/11/21 18:46
ヒマ人0 

>> 147 🍜11🍜

『なぁ母ちゃん…これから俺どうしたらいいんだぁ?…』

母トメ子の仏壇の前で勇は途方に暮れていた…確かにあの女の子の言う事も一理ある…これだけ客にマズイとはっきり言われ続けて来たにも関わらず、自分は何の努力もせずにただ流されるままこの店を継いで来たのだ…《何の努力もせず》…この言葉が勇の卑しい心に響いた…仏壇の写真立てには生前の元気だった頃の勇の母トメ子の写真が飾られている…

(母ちゃん…俺…今の今まで店を存続する事しか頭に無かった…ただつづれ亭を何年続けられるかって事しか…けど母ちゃんの願いはきっとそうじゃないんだよなッッ…この俺が何とかして母ちゃんの味を…母ちゃんが40年間も一人立派に切り盛りしてきたこのつづれ亭を以前のように行列が出来る位の人気店にする事なんだよな…)

勇は母の写真に手を合わせた…

《シャキッとせんねッッ!勇ッッ!》

勇の脳裏に生前母の口癖だった言葉が蘇った…

『母ちゃん…俺やるよッッ…どうせ駄目だっ!て逃げてるばっかじゃ先には進めないもんなッッ!』

勇は思い立ったように立ち上がるとその足で厨房に入り、頭に鉢巻きをギュッと巻き付けると一からスープ作りに取り掛かった…

No.149 07/11/21 19:05
ヒマ人0 

>> 148 🍜12🍜

『つづれラーメン一つ下さいッッ!』

何と驚いた事に次の日も突然あの女の子が勇の店にやって来て同じラーメンを注文した!

『……い、らっしゃい!』

徹夜でスープ作りに奔走した勇は頭が朦朧状態にあったが女の子の姿を見た途端条件反射のようにその眠りかけていた体は覚醒した!

『へい、お待ちッ!』

勇はいつものカウンター席に座る女の子の前で仁王立ちになるとさぁ、食べてみやがれッ!と言わんばかりに腕組みをして女の子を睨み付けた!

(そうかいそうかいッッ、そっちがそういうつもりならこっちだって!よぉし、こうなりゃ戦争だッッ!この子に俺のラーメンが旨い!と唸らすまでとことん闘ってやるッッ!)

勇は心に誓った…

(ん?……おッッ!)

次の瞬間、昨日とは違い、女の子は勇が徹夜で仕込み上げたスープを一口すすった!

(よしッッ!どんなもんだいッッ!)

勇は僅かばかりの優越感に浸っていたその矢先、女の子は箸を置き、ご馳走様をした!

『なッ、何でぃ!?食べないのかいッッ!?』

勇は焦った…

『…努力しただけの事は見受けられる…スープは悪くない…だけど麺はまるでなってない…』

女の子は帰って行った…

(ち、チキショウ!見てろよッッ!)

No.150 07/11/21 19:30
ヒマ人0 

>> 149 🍜13🍜

…その日から勇と女の子の奇妙な戦いの日々が始まった…

『スープの濃さが一定してないッッ!ダシ汁との割合が甘いんじゃないのッッ!?』

『このスープには太麺は馴染まないッッ!思い切って繋ぎを使ってない細麺に変えたらどう!?』

『余計な薬味は入れ過ぎないッッ!白胡麻振り掛ければいいって問題じゃないわッッ!発想が単純なの!もっと考えて行動しなよッッ!』

…次から次へと覆い被せられる女の子の駄目出しの嵐に耐えながら勇も負けてたまるか!の勢いで対抗した…雨の日も晴れの日も定休日でさえも女の子は何度も何度も勇の店に現れてはつづれラーメンを注文し続け、ラーメンの味にも注文をし続けた…そんな女の子に勇も必死に喰らい付いた!そして試行錯誤を重ねに重ねた3週間後のある夜の事だった…

『…飲んだッッ…スープを最後までッッ…つ、遂にッッ!やったぁ!!』

女の子はつづれラーメンを最後のスープ一滴まで飲み干し、完食したのだ!

『ハァ~…大将、お見事ッッ!美味しかった!』

女の子はピースサインを出し初めて勇に向かって満面の笑顔を見せた…

『や、やたぁ…つ、遂にッッ…ヤッ…タ……』

徹夜続きと緊張の糸が一気に切れ脱力したせいで勇はその場にヘナヘナと倒れ込んだ…

No.151 07/11/21 19:54
ヒマ人0 

>> 150 🍜14🍜

『こ…ここは…ウチ』

頭の上に氷のうが乗せられてあり勇は布団の中に寝ている事に気付いた

『よく頑張ったね、おじさん!お医者さんが過労だって…最近ほとんど寝てなかったんじゃない?』

見ると横であの女の子がお粥を茶碗によそっていた

『…あ、有難う…悪いね…君にこんな事させて…』

首を優しく横に振り女の子は静かに笑った…

『で、どうだった?俺のラーメンの味…』

『うん!最高に美味しかったよッ…遂に完成したねッッ…おじさんの味…先代のお母さんに負けないおじさんだけの最高のラーメン…明日からつづれ亭は行列間違いなしだよッッ!』

勇は苦笑いした…

『君は…君は一体何者なんだ?若いくせにラーメンの知識は半端じゃないよ…』

『さぁ…自分が誰だか時々解んなくなる時がある…はい、ここに置いとくからお粥食べてねッッ!』

女の子は帰り支度を始めた…

『ねぇ、君…』

『ん?…なあに?』

勇は一呼吸置いた後切り出した…

『こんな事尋ねられるの…嫌だろうけど君…いじめられてるんだろ?学校で…』

『…………』

女の子の顔からさっきまでの笑顔が消えた…

『俺で…俺で良ければ相談に…乗るよ…』

勇はゆっくり起き上がり女の子を見た…

No.152 07/11/21 20:38
ヒマ人0 

>> 151 🍜15🍜

『…色々あるんだね…中学校生活って…』

女の子は靴を履きながらしみじみ言った…

『…君は俺にやれば出来るって事…努力すれば道が開けるって事教えてくれたッ!だから今度は俺もッ!俺も君の力になりたいんだ…君には人生に負けて欲しくないんだよッ!』

勇はうつ向いた…

『有難う…おじさん…でも大丈夫ッ、私はきっと大丈夫だよッッ…うまくやれる…そんな気がするよッ…』

女の子は靴をトントンと履き、勇の方を見た…

『今の中学生は複雑なんだ…昔みたいにみんな純粋じゃない…それが良く解ったんだ…』

勇はうなだれ涙を流した…

『クッ、こんなに良くして貰って俺から何にも返せないなんてッ、チキショウ!』

『何言ってるの!私はおじさんに沢山の大切な物貰ったよ!じゃあね!おじさん…』

女の子は店の戸を開け、振り返り勇を見つめて最後に言葉をかけた……

『コラッ、いつまで泣いてるッッ!シャキッっとせんねッッ、勇ッッ!!』

『!!えッッ……!?…か、かあ…母ちゃん!?』

その日以来勇の前にその女の子が現れる事は無かった…



⑪~麺食娘~完

No.153 07/11/22 18:12
ヒマ人0 

>> 152 【⑫】~死霊の村~


👣1👣

『おい野村ッッ…煙草あっか?』

手に執拗に止まる虻蚊を払いながら大磯伍長は新米自衛官で二等兵の野村に声をかけた…野村は大磯に煙草を手渡すと一度小さくため息をついた…有子鉄線の張り巡らされた金網のすぐ脇で今夜も二人は当番に当たっていた…

『大磯伍長…私正直怖いでありますッッ!ほ、本当に大丈夫でありますかッッ!?』

自衛官の試験に本当に受かったのかと間違える位華奢な体に根っからの臆病者ときている新米自衛官の野村は震えながら大磯に詰め寄った…

『大丈夫大丈夫ッッ!外界への出口はここしかないんだしほら、こうして厳重に村全体も包囲してあるんだッ…我々だって万が一感染しないようにガスマスクも装着している…何も心配ないッッ!』

大磯は野村にそう言うとガスマスクの下から美味しそうに煙草を吹かした…真夏の月は不気味な程明るく、近くの田んぼではけたたましく牛ガエルの合唱が聞こえる…

『ほら野村ッッ!ぼちぼち餌の時間だぞッッ!やって来いッッ!』

『!え、えぇッッ!?わ、わ、私がでありますかッッ!!いや、それはッッ…』

『つべこべ言わずやって来いッッッ!!』

No.154 07/11/22 18:31
ヒマ人0 

>> 153 👣2👣

野村は自衛隊のトラックから重たそうにバケツを取り出すとその臭いに思わずその場で吐いてしまった…

『…コラ野村ッ…早く慣れろッッ!…これも自衛隊の仕事のうちだぞッッ!』

(な、慣れろってったって…こんなに牛の脳味噌がてんこ盛りッッ…臭くて臭く…ウッ!…オ、オゥエッッ、オゥエッッ!)

野村はヨタヨタと大磯の居る村の出口から20m程登った場所まで歩くと金網の外から杓子で金網の中に向かって腐りかけの牛の脳味噌を投げ込んだ!ペチャッ、ペチャッっと地面に脳味噌が潰れたような音がした…

(アァ…や、ヤダッッ…く、来るッッッ…)

金網の向こうの暗闇から一人、また一人と人間らしき物体が野村に向かってゆっくり歩み寄ってくる!

『ウワァッ!ヤダヤダヤダヤダッッッッ!』

『ほらッッ!しっかり投げ込むんだよッッ!奴さん達腹減って死にそうだとよッッ、ガッハッハ!』

悲鳴を上げる野村を嘲笑うかのように雑誌を読みながら大磯はまるで人事のように煙草を吹かした…

『アワ…アワッ、ヤダ、やっぱりヤダこんな仕事ッッ!!』

《脳味噌クレェ~、モット…モット脳味噌クレェ~ッッ…》

何十人もの人だかりができ、その人々は落ちた脳味噌に喰らい付いた!

No.155 07/11/22 19:11
ヒマ人0 

>> 154 👣3👣

『んだょ!まだ震えてんのかよッ…チッ!だらしねぇ奴だなぁ、ったく!』

餌場から帰って来た後も野村の震えは止まらなかった…

『ダダダダだってッッ…誰がどう考えたかって異常ですよッッ…ゾンビに…死霊になった村人に脳味噌の餌を撒いてるんでありますからッッ…ハアッ、ハアッ…』

『まぁ確かに異常だわなこの村は…近くの原子炉が爆発事故を起こし村人は全員放射線汚染され突然死したかと思いきやある日突然生き返って脳味噌を喰らうゾンビになっちまうんだから魔可不思議だよなッッ…アメリカのホラー映画真っ青ッッ…ほら、何つったあれ?…オバタリアンだっけ?』

『…それを言うなら《バタリアン》でありますッッ、伍長ッッ…!』

さっきまで金網の向こうでうごめいていた唸り声と脳味噌を喰らうペチャペチャという音は消えていた…

『しかし政府も何でコイツらを生かしておくんだろな…さっさと始末すりゃ他の正常な国民が怯える事ねぇのにさッッ…』

『し、始末って伍長ッッ…お言葉でありますが姿形はどうあれこの人々も立派な国民でありますッッ…』

『国民ねぇ…ハハハ、脳味噌を喰らう日本国民なんて聞いた事ないぞッッ!』

No.156 07/11/22 19:31
ヒマ人0 

>> 155 👣4👣

『まぁあれだッッ…コイツらをこの金網から外に出さなけりゃいい事だッッ…なぁ~んも心配ないないッッ!仮にコイツらが外に出ようもんなら頭をライフルでブチ抜きゃあいいだけだッッ!その緊急事態での政府の許可は降りてるんだからな…ハハハ!』

大磯は立ち上がり一度大きな伸びをするとトラックの荷台に設営されたテントに仮眠を取る為に入った…

(あ、頭をブチ抜くって…そんな事して本当に大丈夫なんだろうか…アァ…)

人一倍小心者の野村は大磯が仮眠から戻る間見張り当番の為に出口の金網の前に一人座った…

(アァ…ヤダなぁ…こんな寂しい場所に一人…アァ…ヤダヤダヤダヤダヤダ!)

リンリンリンと虫の音色が木霊する…月はやはり不気味な位明るく村全体を照らしている…さっきまで震えていた野村にもさすがに眠気が襲い始め、ウツラウツラと首が傾き始めた夜中の1時頃だった…

ガシャガシャ…ガシャガシャ…

『!…ん?』

ガシャガシャ…ガシャガシャ…

野村は半分寝かかった目を擦りながらゆっくりと辺りを見た…

ガシャガシャ…ガシャガシャ…

『ん?…何の音だぁ?』

No.157 07/11/22 19:55
ヒマ人0 

>> 156 👣5👣

野村はゆっくり腰を上げた瞬間ッッ…驚きの余りまた腰を抜かしたッッ!

『う、ウギャァァァァァァッッッッ!!アワ、アワ…!』

『た、助けてくれッッ!なぁ、頼むッッ、お願いだッッ、ここ、ここを開けてくれェッッ!でないと食われちまうッッ、や、や、奴らに脳味噌食われちまうヨォォッッ!』

野村が見たものは金網を鷲掴みにし、向こう側から必死の形相で助けてを呼ぶ一人の痩せた中年男性だった!

『って、なッ、なッ、何でそんな場所にッッ!?そ、そっちは政府指定のさ、さい、最重要警戒危険地域ですよッッ!ってゆうか死霊の村ですよッッ!?何でアァタ、そそそそんな場所にいるんですかッッ!?』

野村はとにかく驚きの余り頭がパニックになっていた…普通の人間がいるはずのない金網の向こうのその重要警戒地域にまさか正常な一般市民が取り残されていたなんて夢にも思わなかったからだ!

『は、話は後だって!とにかくここをッッ!この金網の出口を開けてそっちに入れさせてくれッッッ!!』

男は金網を渾身の力で揺すり冷や汗を垂らしながら野村に必死に懇願していた!

『わ、わわわかりましたッッ!とにかく…とにかく開けますッッ!』

野村は鍵を取り出した…

No.158 07/11/22 20:33
ヒマ人0 

>> 157 👣6👣

『は、早くぅ!奴らもうそこまで来てるんだよ~ッッ!食われちまうヨォ~ッッ!』

『わ、わわ解ってますッッ、ち、ちょっと焦らさないで下さいよッッ!』

野村は7種類程付いた鍵の輪から金網の鍵を必死に探した!

『!あ、あったッ、これだッッ!』

野村は金網の鍵を錠前に差し込もうとしたその瞬間、何とその男の目の前にライフルの銃口が伸びて来た!

『下がれッッ!手を上げてそのまま3歩下がれッッ!早くッッ!』

『お、大磯伍長ッッ!』

野村は驚いた…ライフルを構えていたのはさっきまで後ろのトラックで寝ていた筈の大磯だった!

『アワ、…た、助けてくれよッッ!頼むよッッ!』

『いいから黙って下がれッ!今すぐ言う通りにせんと容赦なく射殺するッッ!!』

大磯はまるで獲物を狙う猟師の如く鋭い眼光で男に銃口を向けていた!

『あ、お、大磯伍長ッ…気は、お気は確かでありますかッッ!相手は一般市民ですよッッ!放射線で汚染された死霊の村人ではありませんよッッ!』

野村は銃を掴むと大磯の凶行を止めに入ろうとしたッ!

『ど、どけ野村貴様ッッッ、馬鹿野郎ッッッ!』

大磯は野村を銃で殴り倒した!

『さぁ手をッ!手を上げろッッッッ!!』

No.159 07/11/22 20:57
ヒマ人0 

>> 158 👣7👣

『大磯伍長ッッッお願いでありますッッ!お願いでありますッッ!どうかッ、どうか落ち着いて下さいッッ!』

野村は銃を構える大磯の足にしがみつくと必死で大磯を制止した!

『……アワアワ…』

男は怯えながら両手を上げ静かになった…

『…よぉ~し!…いいかよく聞け、今からお前に質問をするッッ!正直に答えるんだッッ!解ったなッッ!?』

男は半分べそをかきながら分かったと頷いた…

『今日は何年何月何日だッ?…言ってみろッッ!?』

『大磯伍長ッッ、それはいったい何の質問なんですかッッ!?』

足にしがみつきながら野村は大磯に尋ねた…

『フフフ、…こいつが死霊の村人かどうかの質問だッッ!本当の人間なら簡単に答えれる質問ばかりだ…それに簡単に答えられないのなら…コイツはもう脳味噌をかじられた死霊ちゃん!っとまぁこういう事だッッ!』

『どこからどう見たって人間じゃないですかッッ!ゾンビには到底見えませんよッッ!お願いであります大磯伍長ッッ、どうかお気を確かにッッ!』

『野村ッッ…おかしいと思わないか?ここが閉鎖されてもう2年だ…普通の人間がこうしてこの村で生き延びてるはずがないッッ…奇跡だとしてもあり得ない!』

No.160 07/11/24 08:20
ヒマ人0 

>> 159 👣7👣

『お゙ッ、俺はゾンビなんかじゃねぇッ!ずっと奴らに見つからないよう地下の倉庫に隠れてたんだッ!信じてくれェッッ!』


男は大磯と野村に説明した・・・

『大磯伍長ッッ、どうするでありますかッ!?』

『だからさっさと質問に答えろッ、今日は何年何月何日だッ!?』

大磯は銃を構え直した・・・

『俺は今日まで太陽の光すら拝めず、ずっと地下に隠れて身を潜めてたんだッ、今日が何日だとかそんなの解る訳ねぇだろッッ!』

『そうか・・・言えないのか・・・益々怪しいな・・・』

大磯は男を全く信用していない様子だった・・・

『大磯伍長ッ!お言葉を返すようですがもし彼が脳味噌を喰われたゾンビならここまでしっかり喋る事が出来るでありましょうかッッ!?死霊になった人達はここまで明瞭に言葉を発する事など到底不可能でありますッッ!』

『そうだよッッ!そっちの兄さんの言う通りだよッ!早くッ、早く開けてくれったらァッッ!』

男は金網に持たれかかり、大磯に必死に訴えた・・・

『・・・・・・』

大磯は暫く考え込むとゆっくりと銃を下ろした・・・

No.161 07/11/26 12:17
ヒマ人0 

>> 160 👣9👣

『野村・・開けてやれッッ!』

大磯は暫く考え込んだ後野村に開錠を命令した・・・

『有り難いッ!助かったよッッ!』

『ただし完全に信用した訳じゃない・・身体を拘束させてもらうッッ!』

大磯は男の両腕をトラックの荷台の柱に後ろ手に縛り付けた・・野村は死霊の村人が来るのを恐れ、すぐさま再び頑丈に金網の入口を閉鎖した・・

『しかしよく生き残る事が出来ましたよねッッ!?周りは全て血に飢えた死霊達ばかりですよッッ!』

野村は縛られた男に近寄った・・

『ば、馬鹿ッッ!あんまり近寄るなッ野村!脳みそカジラレて死にたいのかッッ!』

『ま、まだ信用してねぇのかよッッ!俺は普通の人間だってッッ!』

男は汗ばんだ窶れ切った顔で鬼瓦のような大磯の顔を睨みつけた・・

『大磯伍長ッ!・・彼をどうすれば・・?』

野村はこの男の扱いに困ったような顔で大磯を見た・・

『この死霊の村に居た人間として上に報告せねばなるまいが今日はもう遅い・・明日の交代を待ってこの男を調査の為に政府に引き渡す!』

『ち、ちょっと待ってくれよッッ!政府に引き渡すって俺はモルモットじゃねぇぞッッ!早く自由にしてくれよッッ!』

『黙れッッ・・!』

大磯は再び銃口を男に向けた!

No.162 07/11/26 16:47
ヒマ人0 

>> 161 👣10👣

真夏の夜の闇は一層深くなり虫の音色も僅か程になってきていた・・大磯は野村に男の見張り番を任せると自分はとっととまたトラックの荷台のテントに就寝しに行ってしまった・・

(あぁ・・なんか嫌だナァ・・気味悪いなぁ・・)

臆病者の野村は男となるべく視線を合わさないようにじっと前だけ見ていた・・

『・・なぁ兄さん・・腹が減って死にそうだよッッ・・何か食べさせてくれよ・・』

男は野村に食べ物をねだった・・

『な、な、何かって、・・に、握り飯しかないけどいいかい?』

野村は握り飯を取り出すと恐る恐る男の口に入れた・・

『・・有難う・・アンタさっきのオヤジと違って優しいな・・』

男はおにぎりを口一杯に頬張りながら笑った・・

『ねぇ・・オタクよく二年もの間この死霊の村で生き延びてこれたよねッッ・・』

野村の最大の疑問はそこだった・・村人の全員が放射能に感染しそのまま絶命しゾンビになっていたはずなのに彼だけどうしてこうして生き残る事が出来たのかが野村には不思議でならなかった・・

『俺はこの村の住人じゃないッッ・・ただの電機工事の職員だよッッ・・』

『・・え?・・じゃあ全くの部外者って事ぉ?』

No.163 07/11/26 18:28
ヒマ人0 

>> 162 👣11👣

『俺の会社は二年前にこの村に電気と下水道工事を頼まれたんだ・・見ての通りここは周りを深い山々に囲まれた原子力発電所があるだけの陸の孤島みたいな寂れた村でよッッ・・俺達も初めはあんまり気味悪いから気乗りしなかったんだが・・まぁ仕事だし仕方なく工事に入ったって訳・・』

男は野村に淡々と話をした・・

『あの日はちょうど下水道の配管工事も兼ねててよッ・・俺だけ一人深く掘削した地下で作業してたんだ・・したらドッカァ~ンて凄い音がしてそのはずみか何かで俺が出るべき穴がそのまま塞がっちまったんだ・・一日半は経っただろうかな・・俺は何とか自力で穴から地上に抜け出したんだ・・したら村の外は何か異様な雰囲気に包まれてよぉ・・』

野村は耳を塞ぎたくなったが黙って男の話を聞いていた・・

『あ、あのぅ・・ちょっとオシッコに行ってもいいですかッ?』

野村は震えながら近くの林で用を足すとゆっくり男の元に戻って来た・・

『地上に上がり村中を歩き回っても人っ子一人いなくてさッ・・したら一番はずれの空き地に村の住人が集まってたんだ・・あぁよかったぁ!と思った瞬間村人がいきなり俺めがけて《脳みそクレェ~ッッ!》って襲い掛かって来たんだ!』

No.164 07/11/26 20:46
ヒマ人0 

>> 163 👣12👣

『よく見ると村の奴ら倒れて動けない人間の脳みそ貪り喰ってるんだ・・俺何が何だか解らなくてよッ・・怖くなって必死に元いた穴に逃げ込んだんだッッ!』

『・・それで二年間もその穴にッッ!?その間食べ物はどうやって調達してたんですかッッ!?』

『幸いそこは地下から稲を保管してある納屋まで続く穴があったんだ・・その納屋にある米を食い繋いで今日まで来たんだ・・で、さっきアンタらの声がしたんでスキをついて逃げて来たって訳だ・・まさに奇跡だぜッッ!』

野村は信じられなかった・・確かに骨と皮だけのダシが取れそうな位の華奢な身体ではあるが二年もの間米だけで生活出来たなんて有り得ない!

『あ・・アンタ俺の事疑ってるだろッ!?』

男は野村を睨み付けた・・

『疑ってはいない・・さっき握り飯を食べたからゾンビでない事は解った・・けどなんか負に落ちないんだよな・・』

野村はじっと空を仰いだ・・

『なぁ・・もういいだろ?両腕の縄を解いてくれよッッ!』

男は野村に自由にしてくれと懇願した・・

『し、しかし・・大磯伍長の指示がないと・・』

『大丈夫だよッッ!逃げやしないからッ!同じ人間同士じゃないかッッ!なッ!?頼むよッ!』

No.165 07/11/27 10:26
ヒマ人0 

>> 164 👣13👣

『有難う・・助かったよ・・身動き取れないとなんか不安でさッッ!』

男は手首を摩りながら野村に礼を言った・・

『お願いだから逃げたりはしないで下さいねッッ・・貴方を逃がしたら僕のクビが飛びますから・・』

野村はそう言うと金網の前の見張りについた・・

『しかしひでぇ話だよな・・原発事故の放射能浴びただけであんな化け物に変わっちまうんだから・・村の中はあちこちにゾンビと化した村人がノッソノッソと脳みそを探しさまよい歩いてるんだもんな・・まさに地獄絵図だぜ・・』

男は野村の横に座った・・

『そ・・・・そんな人達が村から出てしまったら日本中は大変な騒ぎになるでしょうね・・想像しただけでオシッコちびりそうですよ・・!』

トラックの荷台のテントの中から大磯のイビキが地響きのように聞こえている・・

(いい気なもんだよなッッ・・自分だけ熟睡かよッッ!)

野村は眠い目を擦りながら任務に着いていた・・男もよほど疲れたのか野村の横で眠りに付いていた・・金網の向こうからはまるで狼の遠吠えのような無数のゾンビになった村人達の呻き声が不気味に聞こえて来る・・気味悪いと感じながらも野村も精神的疲労も重なりウトウトと眠ってしまった・・

No.166 07/11/27 11:41
ヒマ人0 

>> 165 👣14👣

辺りは身を切る程の静寂に包まれていた・・何時間ウトウトとしただろう・・野村の意識がゆっくりと覚醒に向かっていた・・

(ヤバイ・・寝ちゃったかな・・)

野村は身体を起こすとゆっくり目を開けた・・

(ん?・・誰だ?こんな夜中に大勢・・・・・・!!ってッッッ!!え、エェッッッ!!)

野村は思わず跳び起きた!すると野村の顔の真正面にこの世の物とは思えない、蝋燭のロウが溶け出したかのような、ただれて目玉が飛び出した人間の顔があった!

『ぎ、ぎ、ギャァァァァァァッッッッ!!ごごご、伍長ッッッ!大磯伍長ォォォォォッッッ!!』

野村は腰を抜かしまるで蜥蜴が全力疾走するかのように四つん這いでその場から逃げたッッ!

『クレェ~クレェ~!脳みそクレェ~ッッッ!!』

野村の眼前に信じられない出来事が起きていたッッ!何故か外した覚えのない金網の扉が開き、中からおびただしい数のゾンビと化した村人が出てきているではないかッッ!

『伍長ォォォッッ!たッたッたッ大変ですッッ!緊急事態でありますッッ!』

野村はトラックの荷台のテントに寝ていた大磯を叩き起こしたッッ!

『ンア~・・何だ騒々しいッッ!』

『村人がッッ!ゾンビの村人達が金網の外に出て来てますッッ!』

『!なッ、何だとッッ!?』

No.167 07/11/27 16:45
ヒマ人0 

>> 166 👣15👣

『う、ウワァッッッ!な、何だこりゃッッ!』

大磯が表に出ると辺りはゾンビと化した村人達で埋め尽くされていたッッ!

『脳みそ・・脳みそクレェ~ッッッ!』

大磯と野村に村人達が覆いかぶさるように近付いて来たッッ!

『ち、チキショウッッ!野村ッッ、銃をッッ、銃を出せ早くッッ!』

大磯は野村から奪い取るように銃を取ると狂ったかのように乱射したッッ!

『ウッオリャァァァァァッッッッ!コノッ、コノッ、近付くナァァァァッッ、化け物めッッ!』

ガガガガガガガッッ!

トラックの周りを取り巻く村人を排除するかのように大磯は機関銃をブッ放したッッ!野村もゴメンナサイ!と叫びながら村人に機関銃を乱射したッッ!緑色した血しぶきが飛び散り死霊の村人達は散らばるようにして倒れ込んだッッ!

『ど、どうだ化け物ッッ!ざまあ見ろッッ・・ハアッ、ハアッ、ハアッ』

『大磯伍長ッッ!見て下さいッッ!アァァ・・』


銃弾を浴びた村人は再びノッソノッソと立ち上がると二人の脳みそ欲しさにまた群がって来たッッ!

『う、うわぁッッ!な、何でッッ!来るなッッ!こっちに来るナァァァァァァッッッ!』

大磯は半狂乱に陥ると再び村人めがけて機関銃を乱射し始めた!

No.168 07/11/27 17:09
ヒマ人0 

>> 167 👣16👣

『い、一体全体な、何でこうなったんだ馬鹿野郎ッッ!ハアッ、ハアッ、ちゃんと見張りしていたんじゃないのかッッ!?』

『も、申し訳ありませんッッ・・寝ていた間にハアッ、ハアッ・・僕にも何が何だかッッ!』

開かれた金網の扉から次々とゾンビの群れが放たれて辺りにはこの世の物とは思えない不気味な呻き声が響き渡った!

『アァァ・・大磯伍長ッッ!どんどん出て来ちゃってますッッ!こ、このままじゃ我々は懲罰委員会モンでありますかッッ!?』

『アホッッ!その前に自分の命の方が大事だろがッッ!野村ッッ!早くトラックのキーをッッ!』

『ち、ちょっと待って下さいよッ!このまま放って逃げてしまうおつもりでありますかッッ!そんな無責任なッッ!コイツらが麓に降りて他の街を襲い出したらもう最期ですよッッ!』

野村の足に死霊の村人がしがみ付いて来たッッ!

『ウワァッ!い、嫌だ嫌だァァッッ!あっち行けッッ!』

野村はポケットからトラックの鍵を出すと荷台から運転席に飛び移った!

『脳みそ・・脳みそクレェ~ッッ!』

『う、ウワァッッ!あっち行けッッ!あっち行けったらッッ!クソォ、もうどうなっても知らないからなッッ!』

重なり合うようにして手を伸ばしてくる死霊達を手で振り払うと野村はトラックを急発進させたッッ!

No.169 07/11/27 17:29
ヒマ人0 

>> 168 👣17👣

トラックは寂れた農道を全速力で加速しながら下って行った・・

『ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・・知らない知らないッッ!僕は知らないからなッッ!ハアッ、ハアッ・・』

野村はハンドルを握る震える手をパシンと叩くと自分を落ち着かせようと必死だった・・トラックは何度も上下に跳ね上がり爆音を上げながら道なき道を走っていた・・

『大磯伍長ッ!大丈夫でありますかッッ!?』

10分程走った所で野村はようやく落ち着くと後ろの荷台にいる大磯伍長に話し掛けた・・

『・・我々大変な事をしでかしてしまいました・・このまま駐屯地へは帰る事は出来ません・・ハアッ、ハアッ・・逃げましょう・・ハアッ、ハアッ・・きっと明日には何も知らない麓の村や街の住人の脳みそが奴らのディナーになってしまうんですよね・・アァァ・・一人が二人、二人が四人・・四人が十六人と・・アァァ・・そして一年も経たない内に全人類は脳みそを食べ尽くされ・・やがて世界は終わるッッ!ウワァッッ!何て事をッッ!我々は自らの手で自らを絶滅させてしまうんですッッ!』

野村は一人人類が辿る恐怖の未来予想図を描いていた・・

『伍長ッ!聞いておられますかッッ!黙ってないで何とか言って下さいッッ!』

No.170 07/11/27 17:47
ヒマ人0 

>> 169 👣18👣

『大磯伍長ッッ!聞いているでありますかッッ!』

野村は返事のない大磯を振り返り確認しようとしたその瞬間・・

『脳みそ、オマエノ脳みそクレェ~ッッ!』

『!ぎッッ、ギャァァァァァァッッ!』

何と突然野村に荷台にいた血だらけの死霊が覆いかぶさって来たッッ!

『ギャァァァッッッ!ウワッ、ウワッ、ウワッ、あっちッッ、あっち行けェェェッッッ!』

野村は死霊に頭をかじられまいと必死に首を振った!その途端ハンドルの制御が効かなくなり野村の運転するトラックは近くの雑木林に突っ込んだッッ!

ガッシャァァァァッッッ!!

大木の幹に頭から突っ込んだトラックはそこで停止したッッ!

『アァァ・・ハガッ、アッ・・た、助けて・・ングッ・・誰かッッ!』

野村は頭をフロントガラスに強く打ちつけたが何とか無事車から脱出した・・

『!うッッ!ウワッ、ウワァァァァッッッ!』

次の瞬間、野村が停止したトラックの荷台で目にした物は数人の死霊に頭をかじられて絶命している大磯伍長の血だらけの姿だった!

『脳みそ・・オマエノ脳みそクレェ~ッッ!』

大磯の脳みそを食べ尽くした死霊達は今度は野村に照準を絞ったようでノッソノッソと野村に近寄って来た!

『う、ウワァァッ!くッッ、来るナァァッッ!』

No.171 07/11/27 18:07
ヒマ人0 

>> 170 👣19👣

暗闇広がる深夜の雑木林の中を野村は無我夢中で休みなく走り続けた・・暫く走ると死霊の声も途絶え、追ってこなくなっていた・・

『ハアッ、ハアッ、ハアッ、・・ングッッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・』

1時間走り続けた野村は疲労困憊で木の影に腰を下ろし遂には動けなくなった・・

『ハアッ、ハアッ、ま、まさか・・ハアッ、ハアッ・・大磯伍長までッ、ハアッ・・どうすりゃ・・僕はこれから一体どうすりゃあ・・!!う、ウワッ、!』

突然後ろから肩を叩かれ野村は心臓が止まりそうになった!

『俺だよ俺ッッ!』

『ハアッ・・な、何だあんたかッッ!脅かすなよッッ・・ハアッ、ハアッ・・』

それはさっき金網の中から助け出したあの電気工事の男だった・・

『ッていうか何であんたが此処にいるんだッッ!勝手に逃げたのかッッ!?』

野村は男に問い詰めた・・

『そりゃあんな奴らが団体で襲い掛かって来たら誰だって逃げるに決まってるだろッッ!・・実はよ、俺もさっきウトウトしててよ、ふと目を醒ましたらアイツら金網から出てきやがるんだぜッッ!ビックリしたの何のッて!』

男は死霊が逃げ出した時のいきさつを野村に説明した・・

『とにかく安心したよ・・生き残りの人間が居て・・』

No.172 07/11/27 18:28
ヒマ人0 

>> 171 👣20👣

野村と男は煙草を吹かし休息を取った・・

『ハァ・・終わりだな・・全人類はアイツらに食い尽くされやがて地球上の人間全てがゾンビになる・・』

野村は天を仰ぐとため息をついた・・そしてふと大磯伍長の血だらけの死体を思い出した・・

『大磯伍長も・・いずれはあんなゾンビになって人間の脳みそ目当てに徘徊するんだろなぁ・・』

『・・・・』

男はただじっと俯いていた・・

『なぁ・・あの村で生き延びたアンタなら見た事あるんだろ?』

『何を?』

『アイツらに脳みそ喰われてゾンビになるまでってだいたいどれくらいの日にちがかかるのか・・もしすぐって訳でもないのならせめて今まで世話になった大磯伍長の死体に手くらい合わせにあげたいと思って・・』

男の手は小刻みに震えていた・・きっと奴らから逃げた時の恐怖がまだ残っているのだろう・・

『大丈夫かい?顔色が真っ青だ・・熱でもあるんじゃないのかい?』

野村は男に優しく問い掛けた・・

『ありがとう・・少し寒いだけだよ・・アンタってホントいい奴だよなッッ!じゃあな!』

そう言うと男はすっと立ち上がった・・

『!ち、ちょっと何処に行くんだよッッ!怖いから一緒に居てくれよッッ!』

野村は男に行動を共にしようと懇願した・・

No.173 07/11/27 18:52
ヒマ人0 

>> 172 👣21👣

『やめた方がいい・・』

男は震えながら言った・・

『どうしてッッ!アンタ頼りになるよッッ・・一緒にいてくれよッッ!頼むよッ!』

野村はこんな死霊達がさ迷う山の中で一人取り残されるのが死ぬ程嫌だった・・

『どうして行っちゃうのさッッ!僕と居るのがそんなに嫌なのかッッ!』

『・・そうじゃない・・そうじゃ・・アンタがいい奴だから・・だから傷付けたくないだけだッッ!』

男は野村に背を向け泣いているようだった・・

『な、何だよそれッ!意味が解らないよッッ!』

『・・駄目だ、ゴメンな・・どうやら手遅れみたいだ・・』

男は意味不明の言葉を発した・・

『はぁ?・・何が言いたいんだぁ?』

野村は男に近寄って肩を叩いた・・

『アンタさっき聞いたよな?・・・・答えは《丸一日》だ・・』

『は?何が?』

次の瞬間男は両手で野村の髪の毛を掴むと前頭部に噛み付いていたッッ!

『・・・・人間が死霊達に脳みそ喰われてゾンビに変わる日にちの事ダヨォ~ッッッ!ウガァァァァッッッッ!』

その瞬間野村は自分の身に何が起きたのかが理解出来なかった・・ただ自分の頭の上で《カリッ》という異音が鳴った事だけははっきりと覚えていた・・



~死霊の村~完

No.174 07/11/28 08:09
ヒマ人0 

>> 173 【⑬】~性悪天使と優しい魔女

🎀1🎀


ある静かな夜の事でした・・私の枕元に突然魔女さんが現れて私にこう言ったんです・・

《アンタのその透き通るような美しい心と引き換えに誰もが羨む特別素敵な容姿を与えてやるがいかがかな?》

と・・・・私正直言って自他共に認めるかなりの[ブス]です・・中学の時のあだ名は半漁人に似ていると言う事で[ハンギョドン]でした・・目は一重で鼻の穴は真っ直ぐ天を向いています・・ニキビ面で出っ歯でほんと自分でも嫌になるくらいの超ドブスなんです・・だから魔女さんの提案に心底悩みました・・

(誰もが羨む素敵な容姿は得られるけど・・でも心は今の自分じゃなくなるんだッッ!)

三日三晩悩みに悩んだ末、私は魔女さんに綺麗にして欲しいと頼みました・・

《・・ホントにそれでいいんだね?後悔しないね?一度綺麗になったらもう元のアンタには戻れないんだからねッッ!その覚悟は出来てるんだねッッ!》

魔女さんは何度も念を押した末、意志の固い私に負けてその願いを叶えてくれる事になりました・・

《いいねッ!いくよッッ!ビビデバ美デブ~ッッッ!》

その瞬間私は真っ白な煙に包まれました・・

No.175 07/11/28 14:09
ヒマ人0 

>> 174 🎀2🎀

『別れるぅッッ!?ひ、酷いじゃないかッッ!あれだけ散々僕に貢がせておいて用が無くなったらポイ捨てかよッッ!クッ、お・・お前は鬼だッッ!悪魔だッッ!』

『ったく・・ホント男らしくないねぇアンタッて!そんな所にもう嫌気がさしたって言ってんのよッッ!だいたいアンタみたいなイモがこの何もかも完璧な私に半年間も付き合ってもらい夢見させて貰ったんだから逆に感謝されてもいいくらいだわッッ!』

喫茶店の店員が二人の会話にびくついていた・・男性は半泣きになりながらチキショウ!テメェなんかロクな死に方しないぞッッ!と捨て台詞を吐き帰って行きました・・

『おとといきやがれッッ!ヘンッ!あんなイモおたく野郎がこの私と、松本康子と付き合おうなんて百万年早いんだよバァ~カ!』

・・・・松本康子は組んだ足を解くと椅子から立ち上がり不機嫌そうに喫茶店を出た・・

『ったくッッ!綺麗になったのはいいけど・・世間にゃロクな男居ないわねッッ!どいつもこいつもいい加減で馬鹿ばっかッッ!』

魔女から美しさを貰った松本康子は髪をかきあげるとブーツを鳴らしながら夜の街を歩いた・・

『ねぇ彼女暇ッッ!?』

『可愛いねッ!遊ばないッ?』

5mも歩けば康子の回りには男達がたかった・・

No.176 07/11/28 19:53
ヒマ人0 

>> 175 🎀3🎀

ファッション雑誌から飛び出してきたかのような妖艶なプロポーションに少しハーフがかった鼻筋の整った端正な顔立ち・・黄金色に輝くストレートの長い髪・・そしてそんな完璧な彼女に群がる沢山の男性達・・心と引き替えに魔女から貰ったこの文句もつけようのない美しすぎる美貌に康子は自ら酔いしれていた・・

(フフフ・・見てる見てるッッ!男も女もみんな私の美貌に釘付けみたいッッ!キャハハッッ!)

《楽しんでいるみたいだね・・新しい自分を・・ヒヒヒ・・》

ご機嫌な康子に魔女が声をかけた・・魔女の姿は康子にしか見えないらしく日中街に出る時はいつもポケットに入る程度のコンパクトさになっていた・・

『だって次から次へと男性だって思いのままなんだよッッ!まるで今までの自分じゃないみたいッッ!羽が生えて飛んで行きそうになるくらいにねッッ!キャハハッッ!』

《そうかいそうかい・・けどこれだけは言っておくよ・・アンタは美しさを手に入れたかわりに大事な物を失ってしまったんだよ・・それだけは肝に銘じておくんだねッッ!》

魔女は苦笑いを浮かべるとまた来るよッと言い残して康子の元から消えて行った・・

No.177 07/12/19 23:32
匿名さん132 

アツです!続き読みたいッス

時間ができたら また書いて下さいね

No.178 07/12/23 22:34
匿名さん178 

続きよろしくです🙇

No.179 07/12/27 20:51
ヒマ人0 

>> 178 🎀4🎀

(何だか私って…へん…自分が自分じゃないみたい…)

その異変に気が付いたのは康子がまさに通算6人目の男性をフッてしまったすぐ後の事だった…

『楽しんでいるかい?…ククク…』

『ねぇ…最近ふと思うんだけど…私って昔からこんなだったのかな…何だかこの頃しっくり来ないんだよね…』

康子は久しぶりに枕元に現れた魔女に尋ねてみた…

『ククク…覚えていないだろうね…無理もない…アンタはアンタにとってとても大切な物とその美貌を交換しちまったんだからね…』

『大切なもの?…交換?』

康子には到底理解出来るはずもなかった…何故なら康子が目を見張るような美貌と引き換えに魔女に差し出したのは本来康子が持っていた《透き通る程清らかな心》だったからだ…美貌と引き換えに差し出した清らかな心…それを持ち合わせない代わり、つまり美貌を得るという事はわがままで自分勝手な心を引き受けるという事を意味する…そんな事とは知らず康子は魔女の要求を受け入れたのだ…

『綺麗にさえなれりゃぁ何だって構わない!…アタイがあの時感じたアンタの心の素直な叫びだよ…ククク、アタイはそれをただ実行させてもらった訳さッ!』

魔女はニヤリと笑った…

No.180 08/01/07 19:36
ヒマ人0 

>> 179 🎀5🎀

康子が山田陸という男性に出会ったのは彼が通算8人目の康子の彼氏になった時だった…

『ちょっと先に言っとくけどさッ、私結構言いたい事ハッキリ言う人間だからさ…それでも良いっていうなら付き合ってあげてもいいけど…』

『大丈夫だよ…よろしくね!』

陸はニッコリと優しく笑ってみせた…山田陸という男は少し変わっていた…康子が何を言っても怒る事はなかったしどんなに待たせても道理にたがわぬわがままを言っても文句一つ言う事はないある意味特殊な男性の部類であった…

(今までの男とはなんか違う…ってゆうか普通あれだけ言われたら怒ったりヒイタりするよね…もしかしてドM?)

康子は初め気味悪く思ったがここまで色々自分に尽くしてくれる陸の事を次第に心地良く思うようになっていた…

《どうやらいい彼氏が出来たじゃないかい…ヒッヒッヒ…》

久しぶりに枕元に現れた魔女が康子に言った…

『…う~ん…でも何だか調子狂っちゃうんだよね…アイツといると…こっちの願いや思ってる事何でもウンウンって聞いてくれるし…』

《それがアンタの望みだったんじゃないのかい?…男に振り向いて貰いたかったんだろ?》

魔女は不敵に微笑んだ…

No.181 08/01/08 16:46
ヒマ人0 

>> 180 🎀6🎀

『私来月パリに行きたいッッ!そこでシャネルの鞄と服買って!』

『あぁ…いいよッ!』

『あ~ぁ!今日は何か喋りたくない気分ッ!ずっと黙っててッ!』

『分かった…そうする…』

康子と陸の姫と執事のような関係がその後も続いていた…

(何かムカツクッ!そこまで言われて男としてどうして怒らないのよッ!バカヤローッ、調子に乗るんじゃねぇって頬の一つや二つ張りゃいいじゃんよッッ!普通のまともな男ならもうとっくにぶち切れてるわよッ!)

どんな無理難題を言われてもただ従順な召し使いのように康子の言う事を聞く陸に康子の言いようのない苛々が募っていった…同時に段々康子の心にも少しずつ陸とのそんな関係に小さな罪悪感のようなものが生まれつつあるのも事実だった…

《…なんだい…浮かない顔だね…綺麗になって男を鼻であしらう生活が楽しくないのかい?アンタが夢見ていた世界だろ?》

ある夜魔女が鏡で自分の顔をじっと見つめている康子に問いた…

『そんな事したい為に私ッ…綺麗になりたいと思った訳じゃ…ない…』

《おや?なんだい?おかしな事言うじゃないか…じゃぁどうしてアタイと契約したんだい?大事な物を棄ててまで…》

『解らない…解らないよッ…』

No.182 08/01/08 17:11
ヒマ人0 

>> 181 🎀7🎀

陸が優しい言葉をかける度…わがままを何も言わず聞いてくれる度に康子の心はやりきれない嫌悪感で一杯になっていた…

《え?…元に戻して欲しいだって?》

ある夜枕元に現れた魔女に康子が頭を下げボソリと告げた…

『お願い…元の松本康子に戻してッ!』

《いい?…アタイはあれほど念を押したよね?もう元には戻れないって…それに…元の松本康子に戻るって事がどういう事なのか…解ってるんだろね?…今のままその誰もが羨む容姿で生きていく方が幸せなんじゃないのかい?どうしてまたわざわざイバラの道を歩こうとしたいのさ?》

康子は俯き暫く黙っていた…

『…これ以上…彼に嘘は…嘘はつけない…つきたくないッッ!…初めて…こんな何の取り柄もない平凡な私が初めて…本気で好きになった人だから…だから全部本当の事話すよッ!本当の私を見てもらうッッ!…それで、それでフラれても…私後悔しない…』

《……フッ…どうやら恋の魔法にかかっちまったかい…ハハッ!》

魔女は苦笑いをして窓の外の満月を見つめた…

『お願いッッ!返してッ!ありのままの私を返してッッ!お願いッ!お願いッ!』

《………》

No.183 08/01/08 17:33
ヒマ人0 

>> 182 🎀8🎀

《…戻してやってもいいが…本当にいいのかい?覚悟は出来てるんだろねッッ?元に戻ればもう二度と綺麗な松本康子にはなれないよッッ!ずっとアンタは以前の松本康子のまんまだよッッ!?いいんだね!?》

『…うん…それでいい…』

魔女は腕組みをして暫く考えた後首を縦に振った…

《ハァ~…せっかくアンタの清らかな心を酒のあてに飲もうと思っていたのにさッ!これじゃあ魔女商売アガッタリだよッ…》

魔女は手に持った樫の黒い杖を振りかざした!

《いいねッ!戻すよッ!ビビデバ美デブリブリ~ッッ!》

プシュュュュュ~ッッ!

魔女の呪文が部屋中に響き渡り白い煙とともに康子の顔と身体はみるみる元の姿に戻っていった…

『…戻ったの…?』

《あぁ…鏡を見てみなッ!以前のアンタさ…アタイと出会う前のね…》

康子は鏡を見た…そこには以前の半漁人のような決して美しいとは言い難いありのままの康子がいた…

(…これで…これでよかったんだよね…この姿を…ありのままの私を陸に見てもらおう…明日…)

覚悟していたとはいえ余りの変わりように康子はその場でうずくまり泣いてしまった…

No.184 08/01/08 18:03
ヒマ人0 

>> 183 🎀9🎀

約束の時間の公園のブランコの側に山田陸は立っていた…

(ハァ~…落ち着いて康子ッ!…フゥ~ッ!)

電柱の陰に隠れながら康子は一度深呼吸をした…

(とにかく…とにかく目の前まで歩いていってきちんと説明しようッ!…私は昨日まで貴方と一緒にいた康子の本当の姿だって事…)

《クックック…やけに緊張しているじゃないかい?》

『!ッッて、び、ビックリしたぁ~ッ!驚かさないでよッ!何でいるのよッここにッ!』

最高潮に緊張する康子の横から魔女が現れた…

《だってさ、こんな面白い見世物あんまりお目にかかれるもんじゃないからねッ!…クックック…》

『ンモッ無責任ねッッ!あっち行っててよッ!こっちは心臓が飛び出しそうなんだからねッ!』

康子は魔女を押しのけた…

《言われなくったってアンタとはここでサヨナラだよッ!…ッつぅかアンタに一つ言い忘れていた事があってね…じつはあの…》

『ち、ちょっとそんな事後にしてくれない?空気読んでよッ!』

康子は魔女の言葉を無視してゆっくりと陸に向かって歩き出した…

《あァ…あ…ッて…チッ、人の話は最後まで聞けってぇのさッ!》

魔女はため息をつくと電柱の陰からじっと二人の様子を眺めていた…

No.185 08/01/08 18:28
ヒマ人0 

>> 184 🎀10🎀

康子は顔をまともに上げる事も出来ずただゆっくりと落とし物を探す人のように陸に近付き目の前に立った…

『……り、陸く…君…ッッ…わ、私…』

康子はゆっくりと陸の顔を見た!

『……ん?』

(ヤッパリッ!ほらッ、完全にヒイテるよッッ!ヤダ…逃げ出したいッ!)

緊迫した空気の中、続く言葉が見つからない…しかし康子は意を決して次の言葉を選んだ…

『陸君…し、信じられないかもしれないけど私ッ…私…その…昨日まで貴方の隣にいたや、康…子ま、松本康子なのッッ!』

『………』

『…ごめんッ!…今まで嘘付いてたの…私本当はあんなに綺麗な女の子じゃないんだッ!…見ての通り…これが私ッ!本当の松本康子なのッッ!』

(…終わった…私の初恋…)

『…知ってるよッ!君が僕が大好きな康子だって事位…』

『!……え…?』

陸は康子の身体をギュッと抱きしめた!

(…え?……えぇッ!?)

康子は頭が混乱していて今この場で何が起きたのか理解出来ずにいた…

『し、知ってるよって…陸君わ、私は…ッ』

『フフフ…康子だろ?出会った時から知ってるよ…だって僕の一目惚れだったんだから…』

(何…何なのッ!一体私に何が起きたって言うのッ!?)

No.186 08/01/08 18:46
ヒマ人0 

>> 185 🎀11🎀

『…好きだよ…康子…』

康子を抱く陸の腕に力が篭った…

『し、信じられない…こ、こんな私でもッ!?』

『あったり前じゃない…そんな君だから…いや、そんな君じゃなきゃ駄目なんだ…僕…』

『…陸…君…』

ブランコに眩しい太陽が反射し、いつまでも抱き合う二人の影を包んでいた…



《ハァ~…だから魔女の話は最後まで聞きなってのさッ!…アタイの魔力はまだ未熟でね、一度願いを叶えても時間が経てば次第に効力が無くなっちまうのさ…アンタが陸って子に出会った時にはもう美貌の魔法は消えちまっていたってぇ訳…つまり彼は魔法にかかった容姿端麗のアンタを好きになったんじゃなくてありのままのアンタを好きになってたって事だよッ!ホント鈍いったらありゃしない…こんな慈善事業は金輪際もうお断りだからねッ!》

魔女は笑いながら独り言を呟くと白い煙とともに消えて行った…魔女の魔法が本当に未熟だったのか…初めから康子に綺麗の魔法をかけてはいなかったのか…それは誰にも解らない…ハァ~めでたしめでたし!



~性悪天使と優しい魔女~完

No.187 08/01/12 11:45
ヒマ人0 

>> 186 【⑭】~笑い星~


☺1☺

『みんなァ~ッッ!今日は愛川可憐のコンサートツアー見に来てくれて本当にアリガトね~ッ!みんな最ッッ高~ッ!大好きだよォ~ッ!』

アンコール曲を歌い終え、コンサート会場の熱気は最高潮に達した…愛川可憐(あいかわかれん)が汗だくになりながらマイクを持ち手を振るとドーム会場が崩れ落ちんばかりの歓声と地響きが広がった…赤いウチワを持った愛川可憐の親衛隊の男性達がハッピ姿で口に手を当て激しく《可憐ちゃぁ~ん!》を連呼していた…

『ゴメンみんな少し聞いてッ!…最後に可憐から大事な話があるのッ!』

息を切らしながら可憐は会場の観客に静寂を促した…会場は可憐の話を聞こうと今度は一気に静まり返った…

『…実はね…可憐…このツアーを最後に歌手を引退しますッッ!』

『………』

会場の観客は余りの突然な言葉に皆狐に摘まれた顔をした…暫くすると観客は一斉に何でいきなりッ!どうしてだよッ!嘘だろッ!冗談よね!?というざわめきが交錯した…

『…私…私…に、日本一の漫才師に…なりますッッ!』

ええッッッッッッッッッ!?

『日本一の漫才師になりたいんですッッッッ!』

No.188 08/01/12 12:30
ヒマ人0 

>> 187 ☺2☺

愛川可憐は一年前に突然彗星の如く芸能界にデビューした18歳のアイドル歌手である…デビュー以来出すシングル曲、アルバムは全てミリオンを記録し続け、この世代のアイドルでは右に出る者はいない名実ともまさに芸能史に名を残すスーパーアイドルとなっていた…そんな彼女がツアーの途中に突然の引退宣言、それもあろう事か漫才師になるという天地をひっくり返したようなニュースは日本中に衝撃を与えた…

『こ、困るよ可憐ッ!あんな場所で告白するなんてッ!その事はまだ内緒にしておくって約束だったでしょうがッ!お陰で世間は大混乱だよッ!』

所属事務所の可憐の専属マネージャーの坪井が頭を抱えた…

『でも遅かれ早かれ解る事だもし…告白遅れてファンのみんなを困らせるのも嫌だし…』

『…そう思ってくれるのならもう一度考え直してくれないかな?お父さんだってそんな事望んでおられないはずだよッ!』

坪井は上目使いに可憐を見た…

『お父さんは関係ないよッ…漫才師になるのは私の子供の頃からの夢だったんだから…』

可憐は視線を落とした…

『ハァ~…さぁ、次の仕事が待ってるよッ!AMT放送の歌番組だッ!行くよ可憐…』

可憐は深いため息をついた…

No.189 08/01/12 13:14
ヒマ人0 

>> 188 ☺3☺

《愛川可憐突然の歌手引退宣言!人気絶頂の陰に何がッ!》《何故今お笑いなのか?平成の歌姫に不可解な男の影?》《富も名誉も棄てた人気アイドルが夢見た上方漫才の道とは…》

毎日のようにこんな記事が新聞、週刊誌を賑わせていた…

『可憐…これはどういう事だ?私の知らない内にお前は一体何をやっとるんだッ!』

自宅の部屋の戸が開かれ、可憐の父でもあり可憐が所属する事務所の社長でもある愛川豊が鬼のような形相で週刊誌を投げ捨てた…

『…見ての通りよ…私、漫才師になる為に弟子入りするの…大阪に行くッ!』

可憐は慌ててラジカセから流れてくる漫才のCDを止めた

『…この期に及んでまだそんな馬鹿げた事を言っておるのかお前はッ!私がお前をどんな思いでここまで人気歌手にしてやったと思ってるんだッ!』

『私決めたのッ!本当にやりたい事やるって…子供の頃からずっと夢見てた漫才師になるって…もう決められたレールの上を歩くのは疲れたのッ!歌手なんてホントはやッ…』

突然豊は可憐の頬をぶった!

『…漫才師…お笑い芸人になるって事がどういう事か解ってるのか…人前で馬鹿を言って…おかしな事やってただ客に笑われるんだぞ?…』

可憐は俯いた…

No.190 08/01/12 16:26
ヒマ人0 

>> 189 ☺4☺

『お父さんは人に笑われる職業についてもらいたくてお前を芸能界に入れ育てあげた訳じゃないッ!富も名誉も人気も絶頂のお前がいきなりお笑いの世界に飛び込むと聞いたらマスコミや新聞社はお前を好奇の目でしか見なくなる…お父さんはそれが耐えられないッ…だがそれを承知の上での馬鹿げた決意なら勝手にしなさいッ!私はもう何も言わない…でももし泣き付いて来ても…金輪際事務所の敷居は跨がせないッ!歌手の道は途絶えた、そう思え、いいなッ!?』

豊はそれだけ言うと部屋を後にした…

(……もう…決めたんだもん…私の本当の生きる道…)

可憐は手帳から亡き祖母の写真を取り出し眺めた…

(おばあちゃん…ホントによかったのかな…これで…)

波立つ気持ちを抑えつつ可憐は暫く祖母香代子の笑顔の写真を見つめていた…

《可憐は笑顔の可愛い子だよ…その笑顔で沢山の世の中に疲れた人達を救ってあげれれば素敵じゃないか…》

可憐の胸に死ぬ間際に香代子が孫の可憐にポソリと言ってくれた言葉が甦った…

『よく寄席に連れて行ってくれたよね…おばあちゃん…』

心筋梗塞で五年前に他界した祖母の顔を可憐はいつまでも言葉をかけていた…

No.191 08/01/13 09:28
ヒマ人0 

>> 190 ☺5☺

全国ツアーが終わり引退騒動も一段落した頃、所属事務所関係者やTV局に挨拶を終えた可憐は単身新幹線東京駅の構内にいた…

《今君が歌手活動を辞めるという事が事務所にとって…いや、芸能界にとってどれほどの損害になるのか解っているよね?…君はそれほど大変な事をしたんだ…だから最後まで夢を諦めずしっかりやっておいで…》

昨夜最後まで歌手引退に反対だったマネージャーの坪井のかけてくれた言葉だった…坪井は涙を浮かべていた…さぞ悔しかったに違いない…デビューの頃からずっと二人三脚できた自分の自慢だった愛川可憐という商品を断腸の思いでなくなく手放したのだから…

(坪井さん…ごめんね…私頑張るから…)

人目につかぬよう深々と帽子を被ると可憐は自由席に腰掛けた…事務所が餞別代わりにくれたグリーン車の切符をも断って…

(よし!私の人生一から出直しだッ!)

新たな決意と単身大阪に行く不安が交錯し可憐は心細くなった…別に大阪に当てがある訳でもない…社長である父のコネもきっぱり断っていたからだ…新幹線はゆっくりと走り出した…成功するまで帰らない…窓の外の景色に可憐は誓った…

No.192 08/01/13 09:56
ヒマ人0 

>> 191 ☺6☺

『あぁ…松前座ならその先やッ!』

可憐は大阪の地に降り立った…大阪難波付近の地図を広げ通りすがる人に道を聞きながら可憐はひたすら意中の目的地を目指した…コンサートツアーでは何度となく訪れた事のあるここ大阪だったがこうしてじっくり中心部を歩き回る事は勿論初めての事だった…

『あった!松前座ッッ!』

いかにも上方伝統芸能といった日本家屋風の建物に沢山の寄席芸人の昇りが旗めいていた…

(ここが上方漫才界の聖地《松前座》…)

その出演者の一番上の看板に可憐の目指している名前があった…

(《三島ヨット・ボート》…あった…!)

可憐は思わず寄席のチケットを購入し中に入った…ちょうど若手の漫才が終わりいよいよ真打ち登場、《三島ヨット・ボート》の出番だった…軽快なお囃子と共にベテラン漫才コンビ三島ヨット・ボートが現れた…可憐の胸に祖母香代子との懐かしい過去が鮮明に蘇った!

(…おばあちゃん…)

小さい頃忙しい両親の代わりにいつも可憐の面倒を見てくれていた優しいおばあちゃん…その祖母が初めて連れて行ってくれた場所が寄席だった…そこで初めて目にし、耳にした感動…その視線の先が三島ヨット・ボートの軽快な漫才だった…

No.193 08/01/14 09:02
ヒマ人0 

>> 192 ☺7☺

三島ヨット・ボート…数々の賞を受賞し上方漫才界に燦然と輝く現在も若手を引っ張るしゃべくり漫才の第一人者である…生粋の天然のボケキャラ親父三島ヨットと鋭いツッコミを見せる三島ボートのコンビは今や上方漫才界でも名実ともにトップクラスであった…可憐が漫才師を志したかったのも初めて祖母に連れていかれた寄席が当時から実力No.1と騒がれていたこの三島ヨット・ボートの軽快な漫才を見たからだった…

《いつか三島ヨット・ボート師匠の弟子になって漫才の勉強がしたい…》

…人気アイドル歌手愛川可憐をこれほどまでに動かした理由である…

(アハハ、やっぱりいつ見ても面白いッ!…二人の漫才を見てると嫌な事全部忘れていつしか笑顔になってる…三島ヨット・ボート師匠…ヤッパリ貴方達は私の夢見てた最高の漫才師ですッ!)

漫才を聞き終えるや否や可憐はその足で楽屋口に走っていた…

(いきなりのアポ無しだもんね…怒鳴り返されるかも…いや、私は諦めないッ!そんな簡単な気持ちでここ大阪に来た訳じゃないもんッ!)

震える肩を落ち着かせながら可憐はいつまでも三島ヨット・ボートが出て来る楽屋口で立っていた…

No.194 08/01/14 18:28
ヒマ人0 

>> 193 ☺8☺

楽屋口を引っ切りなしに出入りするスタッフや若手芸人を時折チラチラと眺めながら可憐は三島ヨット・ボートが出てくるのを待っていた…

(…逢ったら何て声をかけようかなッ…ハァ~…緊張するぅッ!)

『…さっきから何してんの?何か用?』

何回も楽屋口に出入りする男性が可憐に声をかけてきた…

『あ…い、いや…その…』

『ん?…あ、あんたどっかで見た顔やなぁ…え~ッと…』

その男性は可憐の顔をじっくり見つめ始めた…

『!あッ、あんた…ほらッ!愛川可憐!そやろ?アイドルのッ!間違いないッ!そうやんなッ!ウッワァ~感動したぁ~ッ!本物やがなッ!アンサンみたいなスーパースターがこんな寄席の楽屋裏で何してるんでっか?』

『あ…いや、その…み、三島ヨット・ボート師匠にあ、逢いに…』

全てを悟ったように男性は可憐の肩を抱くとさぁ入り入り!と可憐を楽屋に招いた…

(…寄席の楽屋口ってあ、案外簡単なものなんだ…ハハハ…)

首を傾げながら可憐は男性の言われるがままに楽屋に入った…中は意外と質素で廊下に仕切られた左右に部屋があり、今日の出演者の名前が張り出されていた…

(ウワァ~凄い凄い凄いッ!ここが漫才の聖地《松前座》の楽屋ッ!)

No.195 08/01/14 18:47
ヒマ人0 

>> 194 ☺9☺

『三島ヨット・ボート師匠の楽屋はこちらですッ!』

男性は可憐を三島ヨット・ボートの楽屋まで案内してくれた…

『あ、ありがとうございました…』

『…師匠達に突撃取材の番組ロケか何かですか?人気アイドルも大変ですなぁ…ハハハ』

男性が苦笑いしながらほな!と可憐から去った…

(いや…ハハハ、そうじゃないんだけどなぁ~)

可憐は気を取り直し一度深呼吸をすると小豆色の暖簾に三島ヨット・ボートと書かれた他の芸人とは明らかに違うそこだけ別格の楽屋をノックした…中からはいどうぞ!と声が聞こえたので可憐は一度唾を飲み込むと

『失礼いたし…しますッ!』と中に進んだ…

『はい…何の用でっか?』

(ほ…本物だッ!)

そこにいたのはツッコミの長身、三島ボートの方だった…

『あ、あ、あの…』

三島ボートは暫くじっと可憐を見つめるとどうぞと中にと手招きした…

『し、失礼します…』

三島ボートは芸風通り見るからに几帳面で真面目そうな感じの紳士に見えた…

『…で、私に何かご用ですか?お嬢さん…』

『……あ…』

可憐は憧れの漫才師を目の当たりにした緊張の余り言葉を無くした…

『あ、もしかしてヨット君の方に用事かな?彼なら今食事に出かけとる…』

No.196 08/01/14 22:22
ヒマ人0 

>> 195 ☺10☺

『あ…違うんです…実はですね…』

三島ボートは真っ直ぐ可憐の目を見て次の言葉を待っているようだった…

『じゃあ何の用事かな?』

『実は私…む、昔から三島ヨット・ボートさんの大ファンで…そ、それで漫才師になりたくて…それで…』

『あぁサインかいな…ハハハ、宜しい宜しい…書いてあげますさかい…』

三島ボートは引き出しからマジックを取り出しさぁ何処に書きましょ?と満面の笑顔を見せた…

『あ、ち、違うんですッ…実はですね…』

『…何やのん辛気臭いッ!はよぅハッキリ言ってみなさいな…』

三島ボートは少し不思議そうな顔をして可憐を見た…可憐は一度唾を飲み込むと言葉を放った…

『…弟子に…三島ヨット・ボート師匠の弟子になりたいんですッ!』

『……はぁ?』

『私は幼少の頃浅草の遠征寄席で見た三島ヨット・ボート師匠の絶妙で繊細な一流のしゃべくり漫才に一目惚れしたんですッ!どうか私もお二人の弟子にして頂き、上方漫才の真髄を学びたいと思ってますッ!どうか、どうかお願いしますッ!』

可憐は思いきり頭を下げた…そこにはつい最近までミリオン連発のカリスマアイドル歌手の片鱗は微塵も感じ取れなかった…

No.197 08/01/15 11:51
ヒマ人0 

>> 196 ☺11☺

『弟子カァ…』

三島ボートは腕組みをしながら暫く黙り込んでいた…

『お、お願いしますッ!私本気の本気で漫才師になりたいんですッ!決して生半可な気持ちではありませんッ!お二人の漫才は最高です…そんな三島ヨット・ボートの漫才の原点は何なのか知りたいんですッ!…洗濯でも身の回りの世話でも何でもさせて頂きますッ!だからどうか、この通りお願いいたしますッ!』

可憐は知っている限りの敬語と誠意で三島ボートに弟子入りを迫った…

『お嬢さん幾つや?』

『え?…あ、はい…じ、18歳ですッ!』

三島ボートはあぐらをかき直した…

『…う~ん…素晴らしいな…』

『え?…』

顎髭を摩りながら三島ボートは目を閉じ言葉を発した…

『初対面の目上の者に対する挨拶の仕方、礼儀作法、言葉使い…どれをとっても現代の若者にしては珍しく感じのえぇ娘さんやな…いや素晴らしい…感服しました…』

三島ボートは今度は正座をすると笑顔を見せた…

『あ、いや…そ、そんな…ハハハ』

思いもよらない三島ボートの言葉に可憐は戸惑った…弟子入りを迫ったら百%怒鳴りつけられる事を覚悟していたからだ…

(こ、この感じ…もしかして幸先いいのかな…)

No.198 08/01/15 12:31
ヒマ人0 

>> 197 ☺12☺

『芸人の養成学校があちこちに出来始めて芸人目指すたいがいの若い子はそっちに入学しよる…昔ながらの師匠に弟子入りするっちゅう徒弟関係を嫌うヤカラが多い中、アンサンはこの三島一門に弟子入りしたいと言うんやな?』

『はい、是非お願いいたしますッ!』

三島ボートは葉巻の煙草を粋に吸い始めた…いけるッ!絶対オッケーが出るッ!可憐の思いが通じて必ず弟子入りを認めてくれる、そう確信した時だった…

『…悪いがお嬢さん…それは出来ん…』

『……え、えぇ?…そ、それはどうして…?』

可憐の膨らんだ期待は一気に音を立てて萎み出した…

『弟子には出来んっちゅうこっちゃ…それだけや…』

三島ボートは立ち上がると背広に着替え出した…

『な、何故ですかッ師匠!?…私の事今褒めて下さったじゃないですかッ!礼儀正しい、最近にはいない子だって…なのに、なのに何故弟子にして頂けないのですかッ!女だからですかッ?』

可憐は食い下がった…

『確かにお嬢さんは礼儀正しいしきちんと物事考えられる賢い女性やと思う…漫才に対するその真面目で一途な気持ちは素晴らしいと思う…』

『だったら…だったらどうしてッ!?』

可憐は激しく動揺した…

No.199 08/01/15 16:47
ヒマ人0 

>> 198 ☺13☺

『…向いてないんや…』

『えッ?…向いて…いない?』

『そやッ!お嬢ちゃんは漫才師、いや…そもそも芸人っちゅう職業には向いとらんッ!悪い事は言わん…やめときッ!』

三島ボートは可憐の目の前でそう言い切ってしまった…

『な、どうしてですかッ!?師匠はどうして私が芸人に向いてないって言い切れるんですかッ!?私は師匠達の出演された演芸は欠かさずチェックさせてもらい間の取り方だとかツッコミのタイミングだとか…毎日独学ながら勉強して来ましたッ!だから他の人より少しはこの世界の事理解しているつもりですッ!それを向いてないの一言で…じ、じゃあ私は、私はどうすればいいんですかッ!?』

可憐は縋り付くように三島ボートに詰め寄った…

『…何で向いてないか…おせぇたろか?お嬢ちゃん…ワシらかて上方漫才界の至宝とまで言われたコンビや…弟子になりたいて言って来た若者は山程おるッ!けどもアンサン程情熱持ってワシらの門叩いてくれた若者はおらんッ!アンサンはホンマにえぇ子や…』

『だったら何故…?』

可憐は思わず泣き崩れそうになった…

『顔や…』

『か、顔ぉ?』

『そや…アンサンはベッピンすぎる!そこが一番の弱点なんやッ!』

No.200 08/01/15 17:15
ヒマ人0 

>> 199 ☺14☺

『顔が…私の顔がぁ?』

『そや…そんな人形さんのように可愛いらしい女の子が漫才して誰が心底笑う事が出来ると思う?まあな、今TVで売れてる芸人が全部が全部不細工やとは言わん…せやけど舞台やTVで面白い事やる芸人さんてぇのは大体不細工って相場が決まっとる…不細工が真剣に馬鹿やってるから世間の人らは腹抱えて心の底から笑う事が出来る…そう思わんか?』

『…確かに…それはそうかも…』

可憐は言葉に詰まった…日本中を熱狂させるスーパーアイドルだった彼女はこれまでいかに自分を可愛いらしく愛らしく世間のファンに見せる事こそが大事だった…《愛川可憐》というプリンセスを自ら作り上げ、自分の本当の気持ちを偽ってでも飾り立てる事を義務付けられて来たのだ…

『顔が…この顔が仇になる…師匠はそうおっしゃりたい訳ですね?…こんな面白みのない顔で舞台で何を喋ってもお客さんは笑ってくれない…師匠はそうお感じになられたんですね?…容姿って…漫才をするのに容姿ってそんなに大事な要素なんですか?…』

『…漫才は第一印象も笑いの大事な要素なんや…ハッキリ言うわ…アンサンのその綺麗な容姿では客は笑ってくれへんッ!』

No.201 08/01/15 17:37
ヒマ人0 

>> 200 ☺15☺

可憐にとって三島ボートの言葉は衝撃的屈辱的なものだった…

(そんな…この容姿のせいだけで…断られたんだ…私…)

《どんなに話術が優れていて面白く、漫才をする最高の素質を兼ね備わっていたとしても…顔が綺麗過ぎては客には笑ってもらえない…》思いもしていない言葉…綺麗にして来いと言われればまだ手の施しようもある…だが綺麗な物を不細工にするなど聞いた事もない…

『わ…私はどうしたら…』

『元いた場所に帰りなさい…アンサンの居場所はここやない…』

『えッ!?…』

三島ボートは可憐を優しく見つめた…

『アンサンにはアンサンが一番輝ける居場所があるやろ?ってゆうとるんです…』

『…師匠…し、ご存知だったんですか…私の事…』

『当たり前田のクラッカーや…こんな年寄りでも芸能週刊誌くらい見ますがなッ!』

三島ボートは週刊誌に掲載されていたアイドル愛川可憐の記事を指さし微笑んだ…

『…し、師匠…』

『漫才師になるて引退か…まさかワシらの所に来るとはな…ガハハ…』

三島ボートは可憐の正体を初めから解っていた…

『何億円も稼いでるからもっとわがまま高飛車娘かと思ってたけど…フフフ…なかなか出来たお嬢さんで驚きました…』

No.202 08/01/15 18:00
ヒマ人0 

>> 201 ☺16☺

三島ボートはさっきまで首にかけていた愛用の手ぬぐいにササッとサインを書くと可憐に手渡した…

『人間適材適所って言葉があるやろ?さぁ、帰って元気で歌う事に専念しなさい…此処はアンサンのいる場所やない…』

『……』

可憐は俯いたまま黙っていた…

『…別にアンサンの事が憎いとか嫌いやとかやないんや…実は元々ワシは弟子はとらへん主義でな…ハハハ…悪く思いなさんな…けどワシはよう解ったで!アンサンは漫才師になれんでもこんなに素晴らしい礼儀正しい気持ちの持ち主や…ま、だからここまで歌手として成功を収めたんやろうな…ウンウン頷けます…』

『……師匠ッ…』

三島ボートは楽屋の玄関まで可憐を送ってくれた…

『久しぶりに気持ちのええ子に逢えて嬉しかったッ!ハハハ、爽快爽快ッ!ほなね!またどこかの番組で一緒になれるやろか…ハハハ…さいなら!』

手を振り三島ボートは帰って行った…可憐はそこから一歩も動けずただ涙を流した…

(帰れったって…もう私には帰る場所なんてない…)

シトシトと浪花の空から雨が降り出した…このまま車道に飛び出して顔を車に轢かれようか…そしたら不細工な弟子として師匠に認めて貰えるのだろうか…可憐はふと思った…

No.203 08/01/15 18:35
ヒマ人0 

>> 202 ☺17☺

『こんのドアホッ!誰が中山の9R買って来いってゆうたんじゃッ!阪神の9Rに決まってるやろがッッ!見てみぃッ!案の定きとるがなッ、《タニノキャプテン》ッ!ちゃんと買うて来てたら万馬券やったやないかッ!』

すぐ横の路地でバケツが転がる音と怒鳴り声がして可憐は跳び起きたッ!

(私…寝てたんだ…)

可憐は楽屋裏の玄関口の側でうずくまり眠ってしまっていた…

『す、スミマセン…』

『スミマセンで済みませんッ!っていつも口酸っぱなるくらい言ってるやないかボケッ!芸が面白ないんやからせめて言われた遣い位ちゃんとせんかいダアホッ!』

(この声…?)

可憐は起き上がると聞き覚えある声の方向をそっと覗いた…

(ヤッパリそうだッ!三島ヨット師匠ッ!)

小柄な風貌に特徴的なガラガラ声…そこに居たのは三島ヨット・ボートのボケ担当の三島ヨットだった…三島ヨットは弟子らしき若者の頭をこれでもか!と言わんばかりに殴っていた…

(ウワァ…芸風通りだ…何か自由奔放で荒っぽい…ボート師匠とは正反対だ…)

可憐は暫く二人のやり取りを眺めていた…

(まだ殴られてる…よっぽど要領が悪いんだ…可哀相…)

No.204 08/01/15 18:51
ヒマ人0 

>> 203 ☺18☺

『もうえぇわ!お前と話してたらこっちまで疲れてくるッ!ンモ~ほなら夜舞台で着る背広クリニング屋からとって来てくれッ!これやったら小学一年生でも出来るお使いやッ!ほらグズグズせんと早ぅ行かんかいッ!』

弟子らしき若者は三島ヨットに背中を叩かれるとヨロヨロ頼りなく歩き出した…

『ハァ~…ホンマいつまで経っても成長せん奴やなぁ…』

その後ろ姿を眺めながら三島ヨットはため息を付いていた…

(…何かお弟子さんで苦労してそう…弟子…ん?)

可憐はふと気が付いた…

(確か三島ボート師匠は弟子は取らないって言ってた…て事は…さっきの人はヨット師匠の方のお弟子さん…て事は…ッ!!)

突然可憐の目の前が明るく開けたようになった!

(何も弟子になるのはボート師匠だけじゃない…ヨット師匠はお弟子さんがいる…なら私にもまだチャンスがあるかも…顔の事で落とされない限り…そう、そうだよ可憐ッ!…当たって砕けろだッ!)

可憐は三島ヨットに弟子入りの全てを託そうと決意した…絶対このまま泣き寝入り出来ないッ!私は諦めて帰る為にこの聖地に赴いた訳じゃないッ!気が付いたら可憐は三島ヨットのいる場所に歩き出していた…

No.205 08/01/15 19:13
ヒマ人0 

>> 204 ☺19☺

『あのぅ…すみません…』

『ん?……』

可憐は三島ヨットに声を掛けた…

『!てッ…アッ、アッ、アッ…アンサン…あッ!…アイ、アイ、愛川ッ!愛川可憐ちゃんやないかッ!』

三島ヨットはいきなり可憐に抱き着き頬にKissをしたッ!余りの不意な出来事に可憐はただ目を丸くし何も出来ずにいた…

『……あ、ハハハ…あの…』

『愛川ッ!愛川可憐ちゃんやろッ!?なッ?なッ?ウワァ、本物、本物やっッ!』

『あ…』

三島ボートと余りの対照的な歓迎振りに可憐は戸惑った…

『ワシ、アンサンの大ファンなんやッ!CDかて全部持ってるでッ!コンサートかてダフ屋で買ってよう行ってるッ!』

(ハハハ…ダフ屋でね…)

可憐が話そうとすると三島ヨットはまあまあと肩を抱いてお茶でも行こッ!と半ば強引に可憐を連れ出した…

『イヤァ最高最高ッ!こんな所でアンサンに逢えるたぁ…クゥ~実物は想像以上にベッピンさんやなぁホンマ…ガハハ!何食う?お好み焼きか?ん?』

(…ま、まぁいいか…このまま黙って従おう…まさか変な所には連れて行かれないとは思うけど…ハハハ)

しきりに可憐の腰の辺りを摩るように持ちながら可憐は上機嫌の三島ヨットに付いていった…

No.206 08/01/15 19:48
ヒマ人0 

>> 205 ☺20☺

『旨いでッ!ここのミックスジュース』

三島ヨットは松前座近くの喫茶店に可憐を連れ出し大阪名物らしい特製バナナミックスジュースを美味しそうに吸い込んだ…

『あ…あのぅッ…』

『あ~気にせんでもえぇッ!それはワシの奢りやッ…遠慮せんと飲んでやッ!…って言いながらホンマは奢られるの待ってたりして…何ちゅうても年収何億円のアイドルなんやから…ってガハハ冗談冗談ッ!』

(………)

可憐は深呼吸をすると三島ヨットを見た…

『…弟子に…私を師匠の漫才の弟子にして下さいッ!お願いしますッ!』

『ガハハッ!最近のアイドルは冗談も面白いナァ!今度それネタに使わして貰うわッ!』

ガンッッ!

…可憐は勢いよく机を手で叩いた…三島ヨットは可憐の気迫に黙り込んでしまった…

『お願いですからフザケないで下さいッ!私真剣なんですッ!私本気で漫才の勉強したいんですッ!』

『……ま…マジかいな…』

『マジですッ!…限りなくッ!』

三島ヨットの顔つきが豹変した…

『本気で…そんな事言っとるんか?』

『…はい、本気ですッ!』

暫く腕組みをしながら三島ヨットは黙り込み考えていた…可憐は三島ヨットの次の言葉をただじっと待っていた…

No.207 08/01/15 20:37
ヒマ人0 

>> 206 ☺21☺

数分間の睨み合いが続いた…

(駄目と言われても食い下がるッ!頑張れ可憐ッ!)

『……えぇよッ!弟子にしたる…』

『ヤッパリ…ハァ~…駄目ですか……ってえぇッッ!い、いいんですかッ!?』

『うんえぇよッ…』

三島ヨットは満面の笑顔で可憐を見た…その気配が逆に可憐には不気味に感じた…

『あ、あの…わ、私って師匠から見てこの道に…む、向いてないとか…思いませんか?』

『何で?』

三島ヨットはジュースを飲み干した…

『い、いやそのッ…後からヤッパリ向いてないって断られたりしないカナァ~なんて…アハハ…』

『何や…向いてないって誰かに言われたんか?』

『アハハ…じ、実はさっき三島ボート師匠の楽屋にお邪魔して同じように弟子入り志願したんですけど…断られまして…』

『あぁ…ボート君は弟子取らへん主義やからな…あぁ見えて結構な頑固モンやさかい…』

とりあえず可憐はホッと胸を撫で下ろした…

『ただし条件がある…』

『じ、条件?』

真面目な顔付きで三島ヨットはお冷やを飲んだ…

『ワシの決めた相方と漫才コンビを組んで三ヶ月後にあるお笑い新人漫才賞に出て優勝するッ!これが正式な三島一門への弟子入りの条件やッ!』

『!え、えぇッ!?』

No.208 08/01/15 20:53
ヒマ人0 

>> 207 ☺22☺

『ち、ちょっと待って下さいよ、お笑い新人漫才賞ってったら新人漫才師達の登竜門、プロも大勢参加するというあの由緒ある漫才賞じゃないですかッ!む、無理ですッ!どう考えたって優勝なんか出来る訳ッ!私はまだ漫才の《ま》の字も解らないズブの素人ですッ!どんな凄い相方さんがついたって優勝なんて…絶対無理ですッ!』

三島ヨットは可憐の言葉を聞いていた…

『…なら無理や…弟子入りは認めれんッ!今まで通り歌唄ってお客さん喜ばしときッ!』

三島ヨットは店員を呼ぶとその場でミックスジュースの勘定を支払い席を立った…

『ち、ちょっと待って下さい師匠ッ!』

『…お前の漫才にかける情熱はそんなモンなんやな…そんな弱気じゃあ日本一の漫才師には到底なれんッ!ワシの決めた相方とコンビを組みお笑い界の頂点を目指す…お前にはそれしか道はないッ!よう覚えときッ!返事は明日まで待ったる…ほなら!』

三島ヨットは喫茶店を後にした…

(ど、どうしよう…弟子入りの条件が新人漫才賞優勝だなんてッ!…無茶苦茶だよッ…アァ…お婆ちゃん、どうしよう…私一体どうすれば…)

可憐は一人頭を抱えた…

No.209 08/01/16 11:35
ヒマ人0 

>> 208 ☺23☺

『そうかッ…やるかッ!…それでこそ男やッ!』

(…お、女なんですけど…)

近くの格安ビジネスホテルに宿泊した可憐は翌日真っ先に松前座の楽屋裏に訪れた…約束通りそこで待ってくれていた三島ヨットに漫才コンビを組んでやってみます!と返事をした…

『三ヶ月しかないからな…しっかりネタ詰めて頑張りやッ!一応アンサンの立場は事がハッキリするまで《弟子見習い》っちゅう事で…えぇか?』

可憐は返事をした…先の事は不安だったが見習いでも何でもとにかく弟子にしてもらえた事に可憐はホッと胸を撫で下ろしていた…

『アンサンの芸名考えといた…』

『芸名…ですか?』

『本名の《可憐》では何かそのまんまアイドル歌手の延長やと周りから何かと妬まれるかもしれんやろ…せやから師匠のワシが芸名をつけたるッ!お前は人形みたいに可愛いらしいから《ダッチ荒川》…てのはどないや?荒川はワシの本名や…』

『ダッチは…?…人形とダッチとどういう関係があるんですか?』

『こッ、子供は知らんでえぇッ!そんな詳しい事ッ!』

三島ヨットの含み笑いを察した可憐は不審に思った…

『な、何か変な意味なんですかッ!?…なんか嫌ですッ!他の名前にして下さいッ!』

No.210 08/01/16 11:58
ヒマ人0 

>> 209 ☺24☺

冗談や!と笑いながら三島ヨットはポケットから一枚の紙を取り出し可憐に見せた…

『《椿…三島椿》…椿は三島一門の古くからの家紋に使われている高貴な花らしい…その花の名前をお前の芸名にするッ!…えぇか椿ッ…少なくとも三ヶ月の間はお前はアイドル愛川可憐やない…漫才師の卵、三島椿として生活するんやッ!分かったな?』

(椿…椿カァ…ウフフ、可愛い名前だ…)

『師匠有難うございますッ!椿…メチャンコ気に入りましたッ!』

三島ヨットはダッチ荒川の方が売れたかもと仕切に呟いていたが可憐は無視した…

『えぇか椿ッ…どの世界でもそうやが特にこの芸の世界は男女の差などない弱肉強食の実力主義やッ!これまでのお前の輝かしい経歴はここでは通用せんッ!いつまでも自分はアイドルで特別なんや、チヤホヤされるってやわな気分でおったらエライ目に遭うでッ!』

『はいッ!分かってますッ!全てを捨ててこの世界に飛び込んで来たんですから…甘えや泣き事は言いませんッ!死ぬ気で頑張りますッ!』

三島ヨットは改めて可憐の漫才師になるという決意を確かめるようにそう言うとヨッシャ!と可憐の肩を叩いた…

No.211 08/01/16 12:43
ヒマ人0 

>> 210 ☺25☺

『遠慮せんとまぁ入りッ!…』

昨日通された通路を通り可憐は三島ヨットに楽屋裏の施設をあれこれ教えてもらいながら歩いた…

『!ッこ、コラァッ!ボケッか己れッ!今から舞台に履いてでる靴ビチョビチョやないかッ!』

楽屋入口で三島ヨットはいきなり怒鳴り声を上げたので可憐は驚きの余り身を竦めた…

『す、スミマセン…今ドライアーで乾かしますんでッ…』

怒鳴られた先に居たのは昨日三島ヨットに怒鳴りつけられていた例の弟子だった…

『…お前ナァ~、ドライアーで靴乾く訳ないやろがァ~…ハァ…天日干しやッ!裏で乾かして来いドアホッ!』

三島ヨットはそのふがいない弟子を足で蹴り上げた!

『スミマセン、師匠スミマセン…』

弟子は慌てて靴を持ち裏口へ走った…

(こ、怖いナァ~…私もヘマしたらあんな風に蹴り倒されるんだろか…ヤダなぁ…)

可憐は急に不安になって来た…

『ったく!…いつまで経っても…あ、気にせんといてや、いつもの事やさかい…アイツは人一倍要領の悪い奴やさかいに…ガハハッ!』

(そういえば三島一門は弟子には厳しいって雑誌に書いてあったわ…アァ、私ついていけるのかな…)

可憐はため息をついた…

No.212 08/01/16 15:53
ヒマ人0 

>> 211 ☺26☺

二人が楽屋に入ると三島ボートが座っていた…ボートはヨットが連れて来た可憐を見て全てを悟ったのか何も口に出さなかった…

『ボート君、紹介しとくわッ…今度見習い弟子になった椿やッ!よろしゅう使ったってくれ…』

ボートは煙草に火を付け息を吐いた…

『つ、椿ですッ!よ、宜しくお願いしますッ!』

まるで初対面のように可憐は改めてボートに頭を下げた…

『そうか…そこまでして三島の弟子になりたいんか…フフフ、根性だけはホンマ見上げたもんやな…』

物静かに三島ボートは呟いた…

『けどまだ弟子として正式に認めた訳やないんや…三ヶ月後にある上方新人漫才賞に出場して優勝したらッ…の条件付きでなッ!』

三島ヨットはボートに告げた…

『ヨット君、そりゃ無茶苦茶やでッ!余りにもハードルが高すぎるがなッ!』

ボートは目を丸くして驚いたがヨットは大丈夫大丈夫ッ!と笑った…

(だ、大丈夫じゃないって…ほぼ自殺行為だよッ!)

『…まぁヨット君が決めた事や…ワシは何も言わんけどせいぜい頑張りッ!』

三島ボートは可憐に優しく微笑んだ…

『…ボート師匠の弟子になりたかったな…』

『!んッ?何かゆうたか椿ッ!』

No.213 08/01/16 16:13
ヒマ人0 

>> 212 ☺27☺

『椿お前…住む所あるんか?まだ決まってないんやったらワシんとこに来いッ!小汚いアパートやけど…』

『…え、い、いいんですかッ!?』

可憐はまさか弟子入りを認めて貰えるとは思ってもいなかったので住まいをまだ決めてはいなかった…だからまさか師匠の家に住み込めるなんて正に一石二鳥だと喜んだ…午後の寄席の仕事を終えた三島ヨットに連れられて可憐は三島ヨットのアパートに向かった…

(汚いアパートって謙遜してたけどきっと凄いマンションに住んでるんだろな…)

着の身着のままで詰め込んだ黒いボストンバックをヨイショと担ぎ直し、可憐はまだ見ぬ三島ヨットの豪邸に胸を踊らせていた…

『さぁここやッ!遠慮せんと入りッ!』

『……え…ここ…ここ…ぶ、文化住宅…ですけど…』

『何や不満か?築40年のワシの豪邸やがなッ!ガハハッ!』

可憐の期待は事々く崩れ落ちた…

(小汚いアパートって…そのまんま…じゃん…)

そんな事も口には出せず可憐は三島ヨットの後を失意のままついて行った…

『こ、ここに住むんですかッ!?ワンルームじゃないですかッ!あ…私の部屋は…』

『んなもんあるかいなッ!ワシと同じ部屋で寝食を共にするんやッ!』

No.214 08/01/16 16:32
ヒマ人0 

>> 213 ☺28☺

『ギッ!…師匠とこの部屋で…この小さな6畳で寝泊まりするんですかッ!?こ、このまだ18歳になったばかりのうら若き乙女のこの私とぉ?…ま、まさか嘘ですよねッ!?また冗談なんだ…ハハハ、本当はきちんと私の住む部屋を用意…』

『いや、今度ばかりは冗談やない…ここで生活してもらうッ!』

三島ヨットは真面目な顔で答えた…

『だ、だって私はッ…』

『何や…?だって何やと言いたいんやッ?…《私は女やから…特別やから》…そう言いたいんかッ!?ナメるなよッおい!』

三島ヨットの顔がみるみる豹変していった…

『あ、いや…私は…ただ…』

『この世界じゃな、師匠と一緒に寝食共にさせて貰える弟子は数える程しかおらんのじゃッ!師匠と一緒に寝食共にするって事は師匠の芸を盗む一番の近道なんや…それを己は女やからどうだの汚いからどうだの…ナメとったらアカンどコラァッ!』

三島ヨットの雷が落ちた!

『ワシと一緒に住めん言うんならやめてまえッ!荷物まとめて東京帰れドアホッッ!』

三島ヨットは部屋の鍵を開けると可憐を表に残し一人部屋の中に入ってしまった…

『あ…し、師…匠…ッ』

可憐はどうしたらいいのか解らずただじっと部屋の前に立ちすくんでいた…

No.215 08/01/16 17:09
ヒマ人0 

>> 214 ☺29☺

『師匠私…甘えてました…間違ってました…スミマセン…こちらで喜んでお世話になりますッ!』

『…そぅか…解ればえぇんや解れば…』

可憐は何度も三島ヨットに詫びを入れて許しを得た…そして自分の甘さを痛感していた…初めて飛び込む芸の世界…今までアイドル時代に抱えていた常識や偏見はこの世界では通用しないのだ…

『まぁ中に入り…』

迎え入れてくれた師匠の部屋は究極に汚かった…

(…ウプッ…な、生ゴミが散乱してる…)

正直確かに10代の若い娘が住める環境ではなかった…カップラーメンの空、何故かカチカチに固まって開かない雑誌…靴下に何度もご飯粒が引っ付いた…

『そ、掃除…しますね…ハハハ…』

『あ…悪いな…』

三島ヨットは可憐のその言葉を待っていたかのように恐縮した…

(これも弟子の仕事のうちッ!…頑張らなきゃッ!)

鼻を摘みながら可憐は部屋の掃除をした…三島ヨットは座布団をひいて居眠りを始めた…

(ハァ~…まさかいい家政婦さんが来てくれた!…ナァ~んて考えてないわよね…師匠ッ!)

時折居眠りする三島ヨットを睨み付けながら可憐は誇りにまみれた掃除機をブツブツ言いながらかけ始めた…

No.216 08/01/16 19:11
ヒマ人0 

>> 215 ☺30☺

『お!…旨いやないか…何処で教わったんやッ元アイドルのくせに…』

『師匠…その元アイドルって言うのやめて頂けます?』

ひとまず綺麗に整った部屋の真ん中に座ると可憐と三島ヨットは可憐の入れた煎茶をすすった…

『えぇか?日本一の女漫才師になる第一歩は師匠に美味しいお茶を入れれるかどうかで決まるッ!』

『あ、有難うございます…お茶やお華は小さい頃祖母に教わりました…礼儀作法や着物の着付け等も…』

『ヘェ~!意外やなぁ…超人気アイドル歌手やていうからもっとチャラチャラしたイケイケギャルやと思っとったけど…ムフフ…古風なんや…』

三島ヨットは腕組みをして可憐をジロジロと眺めた…早くこのイヤラしい視線にも慣れなければ…

『で師匠ッ…三ヶ月後にある新人漫才賞優勝を目指す私の相方さんという方にはいつ逢わせて下さるのですか?』

可憐は三ヶ月後にあるお笑い新人漫才賞の事で頭が一杯だった…

『あぁ相方か…そやな…明日にでも正式に挨拶させよか…』

三島ヨットはそう告げると風呂の湯沸かし器のスイッチを押した…

『椿ッ…風呂沸いたら先に入りぃや!』

『え!…ふ、お、お風呂…ですか?…アハハ…』

『?…何顔赤ぅしとるんや?』

No.217 08/01/16 19:30
ヒマ人0 

>> 216 ☺31☺

(け、結局一睡も出来なかった…アハハ…)

翌日可憐は眠い目を擦りながら三島ヨットより早く起きて朝ご飯の支度を始めていた…決して師匠の事を信じていない訳ではない、しかし50過ぎたとはいえまだまだ元気な独身男性である事は紛れもない事実…いきなりウブな若い娘が独身男性の狭いアパートで布団を並べて一夜を共にする事自体余り想定出来ない展開だ…

(こんな事が毎日…ハァ~…一日でも早く慣れなきゃ…体が持たないヨォ~)

可憐の心の正直な叫びだった…

『おは…よ…エライ早いやないかッ…』

『おはようございますッ!冷蔵庫の中の物で朝ご飯作っておきました…お口に合えばいいですが…』

三島ヨットは驚いていた…料理まで作れるんかッ!たまげたな…そんな言葉が聞こえてきそうな顔だった…

(よしッ!少しでも点数稼ぎしなきゃッ!フフフ…)

『…椿…』

『あ、はいッ!何でしょう…』

『ワシ…朝はパンて決まっとるんや…谷町六丁目にあるパン屋《ベルモット》の限定10食限りの特製メロンパン…』

『と…メ、メロンパン…ですか…アハハ』

『悪いな…ダッシュやッ!いけぇ~ッ!』

可憐は目が点になった…朝はパン食だなんて、そんなの知らないヨォ~ッ!

No.218 08/01/16 19:50
ヒマ人0 

>> 217 ☺32☺

『師匠ッ…今日のスケジュールは…?』

『ん?あぁ…予定はマネージャーに任せとる…お前は心配せんとワシの身の回りの世話さえしとけばえぇ…』

小柄な三島ヨットに背広を着せながら可憐ははいと頷いた…しかし狭い部屋で二人でこうしていると何か新婚夫婦のように感じ可憐は急にこっ恥ずかしくなった…イヤイヤ勘違いしてはいけないッ!私は漫才師三島ヨットの付き人兼見習い弟子という立場なのだ…それに三島ヨット師匠には悪いが一人の男性として年齢を差し引いたとしても完全に私の恋愛対象でもなければタイプでもない…それだけは胸を張って言える!

『あ…そや!相方の件やけどな…』

『あ、はい…ッ!』

玄関でトントンと靴を履きながら三島ヨットが言葉を発した…可憐の耳がダンボになった…三島ヨットが続きを話そうとした瞬間玄関の扉が激しく開いたと思うとその扉が三島ヨットの頭を直撃したッ!

『!イッ、イッタァ~ッ!こ、コラァッ!このボケがぁッ!いきなり扉開く奴あるかいドアホッ!』

『あ!す、スミマセン…師匠ッ!スミマセンッ!』

(あ…例の要領悪いあのお弟子さんだッ!)

次の瞬間三島ヨットのゲンコツがその弟子の頭を直撃していた!

No.219 08/01/23 09:40
ヒマ人0 

>> 218 ☺33☺

『ほんまにいつまで経っても成長せん奴やねんからッ!あ…そやッ…紹介しとくわッ!この娘は昨日ワシの弟子になった椿やッ!まあまだ見習いっちゅう身分やがな…』

『あ…つ、椿です、よろし…』

コブを作った頭を撫でる三島ヨットに紹介され可憐が挨拶しようとしても安藤という弟子は師匠の靴を揃えるのに必死のようだった…

(な…何ッ!人が挨拶しようとしてるのにッ!)

『そいでこいつはワシの一番弟子の安藤義彦…芸名は《カキフライ安藤》…おいカキッ!ちゃんと挨拶せんかいッッ!』

三島ヨットに促されて安藤という青年は初めて顔を上げて可憐を見た…

『……ども…』

『……』

安藤は身長は可憐よりも低いだろうか…オカッパ頭に思いきり主張した出っ歯…近眼なのか昔のアニメに出てくるがり勉キャラのような眼鏡をかけたまさに見るからにお笑い芸人の典型的な容姿だった…安藤はじっと可憐を見つめた後何かに気付いたような表情になったみたいだがそれから何も口に出さなかった…

『まあワシの弟子はお前ら二人だけやから…仲良うせぇなッ!仲良うっちゅうても間違っても色恋沙汰にはならんといてやッ!ガハハハ!』

(ないない…ぜ、絶対ないッ!)

No.220 08/01/23 13:03
ヒマ人0 

>> 219 ☺34☺

可憐の本格的な芸人修行がスタートした…安藤の運転する車に乗り込んだ三島ヨットと可憐は途中でボート師匠を拾い、TVの演劇番組収録の為に国営放送局があるNOKに向かった…

『どうです?…昨日はよぅ眠れましたか?』

後部座席の可憐のすぐ隣りに乗り込んだ三島ボートは優しく緊張している可憐に話しかけた…

『あ…はい…い、いぇ…』

でしょうねッ!と三島ボートは笑った…

『そらボート君ッ…あんまり可愛いから襲い掛かろうと思ったでッ!何せ皆のアイドルやってんから…ガハハハ…』

助手席から妖怪のようにヌッと首を伸ばし、三島ヨットが話に割り込んで来た…

(…このまま一緒に住んでるうちに本当にやりかねないかも…)

安藤は三人の話を面白くなさそうにムッとしながら前を向いてハンドルを握っていた…

『えぇか椿…お前はワシの弟子やゆうても言い換えたら漫才師三島ヨット・ボートの弟子やッ!せやからワシだけでのぅてボート君の世話もしっかり焼かなアカンのやでッ!』

『あ…はい、そのつもりですッ!しっかり勉強させて頂きますッ!』

…ボートに弟子入りを断られはしたが間接的にこうして二人に勉強させて貰える…可憐の心は弾んでいた…

No.221 08/01/24 12:43
ヒマ人0 

>> 220 ☺35☺

漫才師三島ヨット・ボートの一日のスケジュールはまさに殺人的だった…NOKの演芸寄席の収録が終わると着の身着のまま公民館での営業、雑誌の取材に答えた後、オニギリとお茶で軽い昼食、午後からは地元松前座の定期公演2回をこなす間に上方落語会主催のパーティーに呼ばれ、締めは来月行われる上方芸人運動会の総合司会の打ち合わせを地元TV局と…この日二人が仕事を終えたのは午前様近くだった…途中でボートを自宅で降ろした後タクシーは午前零時過ぎヨットのアパート前で停車した…

『フゥ~どや…一日目で死ぬ程疲れたやろ?…けどこれでも今日仕事少なかった方やッ!』

部屋の鍵を探しがら三島ヨットは可憐に言った…

『大丈夫ですッ!こういう分刻みの地獄のスケジュールには慣れっこなんで…ハハハ』

『あ!…せやった…お前は寝る暇もない元スーパーアイドルやってんものなッ!これくらい朝飯前かッ!ガハハハ…』

部屋に入ると可憐は真っ先にヨットの下着を洗濯機に入れ機械を回した…

『…しかしビックリした…お前は何でもよう気の付く奴っちゃ…』

可憐は少し照れながら首を振った…

『それに引きかえカキの奴はッ…!』

三島ヨットは舌打ちをしてお茶をすすった…

No.222 08/01/24 16:32
ヒマ人0 

>> 221 ☺36☺

『今日かて舞台の袖で待っとけてあれほど言うてんのに楽屋でじっとワシの帰り待っとるんや…アイツ頭の線一本抜けとるんやないやろな…』

背広のワイシャツを無造作に放りなげると可憐はそれを素早く空中でキャッチした…

『安藤さん…師匠についてもう長いんですか?』

可憐は風呂の湯沸かし器のスイッチを入れるとヨットにお茶を差し出した…

『漫談師になりたいて三島の門叩いてもう二年になるかな…どうしてもワシらの弟子になりたいて頼むから渋々ワシが引き受けたんやが…ハッ…見ての通り芸を盗むどころか雑用すらまともに出来ん役立たずやッ!』

『な…何もそこまで…』

可憐はヨットの安藤に対する余りの言いように言葉を無くした…

『…ええ素質…』

『え?…』

三島ヨットはほころびた畳をじっと眺めていた…

『せやけどな、カキの奴…ほんまワシらがいくら頑張って努力しても敵わん芸人としてのえぇ素質持っとるんや…けど…けどアイツはそれをよう発揮せん、いや…発揮の仕方が解らんのやな…勿体ない…アホや…』

(し、師匠…何だかんだ言っても可愛いんだ…安藤さんの事…フフフ…)

畳を触りながらしみじみと安藤の事を口にするヨットに可憐は微笑んだ…

No.223 08/01/24 16:49
ヒマ人0 

>> 222 ☺37☺

『なぁ椿ヨォ…』

『あ、はい…何でしょう?』

『お前何で漫才師になりたいんや…?』

ヨットが手招きしたので可憐はゆっくりとヨットの前に鎮座した…

『な、何故って…ヤッパリ人を笑わせたい…毎日が嫌になったり悲しんだりしてる人達が一人でも多く私の漫才見て笑顔になってくれたらなって…って師匠どうしてそんな事聞くんですか?』

ヨットは目線を窓に移した…今日の仕事疲れなのかヨットの目は明らかに虚ろだった…

『歌で…お前は今まででも歌という形で沢山の人様を幸せに、笑顔にしてきたやないか…なのに何でまた今漫才なんやろか?そう思うただけや…ハハハ気にすんな…』

ヨットはヨイショと腰を上げた…

『…師匠…もうお休みになられますか?お布団しき…』

『…ヤッパリそれしか無いかな…うん!』

ヨットは思い立ったように自分で独り言を呟いた…

『え?…それって何ですか?』

可憐はヨットの後を追うようにヨットの風呂の下着の準備をし始めた…

『…なぁ椿ッ!…今度の新人漫才大賞にな、お前安藤とコンビ組んで出ぇッッ!…』

『!……えぇッッッ!?し、師匠じ、冗談でしょッッッ!?』

可憐はヨットの言葉に目の前が真っ白になってしまった!

No.224 08/01/24 17:31
ヒマ人0 

>> 223 ☺38☺

(…結局一睡も…トホホ…)

昨夜のヨットの一言が可憐を今日も不眠に追いやった…

(安藤さんと組むぅ?…う、嘘でしょッ!?よりによってどうして安藤さんとなのォ~ッッ!)

目の下にクマを作り今朝も可憐は憂鬱なままヨットが仕事に出る支度を始めていた…ヨットが安藤ど漫才コンビを組めといった意図は可憐には全く理解出来なかったし可憐もまだ素人ながらあの根暗で要領の悪い神経質な人間といくら漫才をしてもきっと息すら合わないだろうし面白くもないだろう…何故かそんな確信も抱いていた…

『あ…今日からワシらにつかんでえぇからッ!』

玄関でヨットがいきなり可憐を制止させた…

『え?ど…どうしてですか?』

『新人漫才大賞までもうあと何日もない…今日からお前は相方の安藤とネタ作って新人漫才大賞に備え練習するんやッ!やり方はお前らの好きにせぇ…詳しい事は今朝安藤に電話で話しといたから…ほな!』

『ほな…て…ッ!し、師匠ォォォォ~ッ!』

ヨットは新人漫才大賞の結果が出るまで自分の付き人は要らないと一人鞄を担いで仕事に出掛けた…

(ど…どうしよう…どうすりゃいいのッ?…ンモッ!ンモッ!)

可憐はため息をついたまま頭を抱えた…

No.225 08/01/24 17:59
ヒマ人0 

>> 224 ☺39☺

ぶっきらぼうで無愛想な安藤の電話で呼び出され、可憐は近くの公園に来ていた…公園一面に銀杏の黄色い葉っぱが絨毯のように敷き詰められた都会のど真ん中にある小さなこじんまりした公園だった…

『……あ!おはようございますッ!…』

約束の時間に20分も遅刻しノソリと安藤がいかにも面倒臭そうに可憐の前に現れた…

『……』

安藤は可憐と挨拶どころか目すら合わせる事もなく暫くじっと地面の土を蹴っていた…

『……』

(な…なんか喋ってよ…大人気ないなッ!)

通行人にまっ昼間からこんな人気のない公園で男女が二人何をしているのだろうかといった視線で見られながら沈黙は続いた…

『ヨット師匠から説明受けました…でッ!…あ、あのぅ…とにかく…始めませんか?』

可憐は出来るだけ作り笑いにならないような笑顔で安藤に話しかけた…

『……』

『えぇ~とッ!私…希望は《ボケ》なんですが…ハハハ…どうしてもって言うなら話し合いで…ハハハ…』

『…お前バカかッッ!?』

突然吐き捨てるように安藤が言った…

『え?…ば…バカ…ぁ…』

『何浮かれてんだって言っとんじゃッ!頭おかしいんとちゃうかッ!?』

可憐は安藤の余りにも意外な言葉に呆然とした…

No.226 08/01/24 18:38
ヒマ人0 

>> 225 ☺40☺

『あ…あのッ!いくら兄弟子だからっていきなりバカはないんじゃないですかバカはッッ!』

『バカはバカだろがッ!他に言いようあるかいッッ!』

安藤は傍にあった小石を思い切り蹴飛ばした!

『お前愛川可憐やろッ!?アイドル歌手のッ!』

『だ、だったら…だったら何なんですかッッ!』

安藤のその言葉に一瞬たじろいだが可憐は肩を怒らせ安藤を睨み返した!

『前から言いたかったんや…お前馬鹿にしとんのかッ、えぇッ!?この世界を馬鹿にしとるんかって聞いてるんやッ!』

凄んだその安藤の姿は師匠の前では決して見せないものだったので可憐はかなり驚いた…

『アイドル歌手が真剣に漫才師を目指したらそれって馬鹿にしてる事になるんでッッすッッかッッ!?』

『当たり前じゃッッ!芸の世界を舐めんなよッ!お前みたいな持ち上げられて来た歌手がノリと興味本位だけで通用する程漫才の世界は甘ぅないんじゃッ!』

どうしたどうした喧嘩かッ!?と二人の回りを野次馬が取り囲み始めた…

『そんな文句言う為に私を此処に呼んだのですかッ!?安藤さん、新人漫才大賞に出場して優勝したくないんですかッ!?』

『先に言うとくッ!お前とは絶対コンビなんか組まんからなッ!』

No.227 08/01/24 19:29
ヒマ人0 

>> 226 ☺41☺

『だって師匠が決めた事なんですよッ!そんな事言わないで頑張ってみましょうよッ!とにかくやらなきゃ始まらないじゃないですかッ!』

『アイドルなんかと漫才が出来るかいッ!みんなの笑い者やッ!』

チキショ!チキショ!と怒鳴りながら帰る安藤の後を追いながら可憐は身振り手振りで必死に呼び掛けた…私だって好き好んで貴方とコンビを組みたい訳じゃないッ!でもやらなきゃッ!自分の将来が…夢がかかってるんだからッッ!…どんだけ安藤にこの言葉を浴びせたかった事か…しかし可憐はそれを飲み込んでひたすら安藤にどうか落ち着くように、ゆっくり話そうと諭した…が、みるみる安藤の姿が見えなくなっていく…可憐は追い掛けるのを諦めると一度右足で地面を踏み天を仰いだ…

(な、なァ~んでェ~ッ!…アァ~嫌だ嫌だァ~あのネガティブ精神何とかしてェ~ッ!)

可憐は銀杏の黄色い絨毯にしゃがみ込んでため息をついた…

(お婆ちゃん…ヤッパリ私…無理なのかな…みんなの笑顔…舞台で見る事は出来ないのかな…)

可憐にとって《歌手愛川可憐》がこの時位疎ましく感じた事はなかった…

No.228 08/01/24 20:40
ヒマ人0 

>> 227 ☺42☺

『ガハハハッ!そうかッ…カキの奴えらい剣幕やったんやな珍しい…アイツは女子供だけにはメッポウ強いからなぁ…』

『もう!…笑い事じゃないですッ…結局それ以来丸二日も口聞いて貰えないんですからッ!所詮アイドルはアイドルらしくフリフリのスカート履いて踊ってろだとか、水着になって男に色目使ってりゃいいだとかもう言いたい放題ッ!』

栗ご飯の甘い香りが部屋中に充満した…三島ヨットは大好物のイカの塩辛を可憐の作った栗ご飯に乗せると美味しそうにかきこんだ…

(ってゆうか…どういう味覚ですか師匠ッッ!)

『師匠…安藤さんに何とか言って下さいますよねッ!?私とネタ合わせちゃんとしろっ!て…』

可憐の真剣な眼差しに照れながら三島ヨットは手を横に振った…

『悪いけどそれはお前らの問題やッ!…ワシは関与せんッ!勝手にやってくれ…』

『そ、そんなぁ~師匠ッッ!』

可憐はヨットのご飯のおかわりを無視した…

『クッ…あ、あのな椿…そんな事ぐらいで躓いてるようじゃぁ到底日本一の漫才師にはなれんッ!お前もカキの奴もなッ!』

『どうしても安藤さんとコンビ組まなきゃ駄目ですか?』

『そやな…お前ら二人で新人漫才大賞に出て優勝…それしか道はない…』

No.229 08/01/24 23:24
ヒマ人0 

>> 228 ☺43☺

『師匠…私どうしたらいいんでしょうか…』

安藤からことごとく無視され仕方なくその日も可憐は三島ボートの荷物持ちを手伝っていた…

『師匠のヨット君がそうしろと言ってるんや…従うしかないやろ…』

粋なキセルで粉煙草をふかしながらヨットと全く正反対の上品な三島ボートは休憩中いきつけの喫茶店のコーヒーを飲んだ…

『けど肝心の安藤さんにあんな態度取られたら…私どうしていいのか解りませんッ!ヨット師匠も師匠ですよッ!無責任にお前らで解決しろだなんて…』

『ほんまに…無責任なんかな?』

ボートは瓶の角砂糖を一つ口に入れてねぶり始めた…ボートは無類の甘党で有名だ…

『お前らで解決せぇ…ヨット君はそう言った…その意味解るか?椿ッ!?』

可憐は首を傾げた…

『嫉妬やな…』

『え?…』

『ん…い、いや…何もないッ…ハハハ、まあしっかり頑張りやッ!』

笑うと皺だらけの面長の顔でボートはそれだけ言うと喫茶店を後に松前座の楽屋口へと消えて行った…

(とにかく新人漫才大賞はひと月を切っている…何とか…何とかしなきゃッ!…何が何でも安藤さんに分かってもらわなきゃッ!)

可憐は楽屋まで二人の背広を届けると一人気合いを入れた…

No.230 08/01/25 11:47
ヒマ人0 

>> 229 ☺44☺

『!ッ…な…何やッ!』

安藤の住むアパートは可憐の想像通り、昭和漫画家の聖地《トキワ荘》を彷彿とさせるような典型的な長屋のアパートだった…

『…用があるから来たに決まってますッ!』

半ば怒り気味に可憐は鞄から束になった古い大学ノートを安藤に差し出した…

『…な…何やこれッ…』

『私が小学生の頃から自分で考えて作っていたネタ帳ですッ!これを読んで下さいッ!読めば私が本当に腰掛けや興味本位でこの世界に入ったのかどうかが解って頂けると思います…』

『な、何で俺がこんなモン読まな…』

『読んで下さいッッッッ!』

可憐は強引に安藤の脇にノートを差し込んだ…

『正直内容は人様に披露出来るレベルじゃないかも…救いようがない位つまらないかもしれません…けど…だけどッ!貴方みたいに何でも否定的で自己嫌悪バリバリの何もしないウジウジして他人を批判する人よりは無謀でも馬鹿でもこうして明日を考えてる私みたいな人間の方がまだ百倍マシだと思いますッ!違いますかッ!?』

安藤は視線を床に落として黙っていた…可憐は帰り際振り向き安藤に言った…

『あの公園で毎日一人で練習してますからッ…貴方が嫌でも私、やり通しますからッ!』

No.231 08/01/25 16:49
ヒマ人0 

>> 230 ☺45☺

『チッ!何やあのガキッッ…一丁前な事言いやがってッッ!』

可憐が帰った後安藤はそのノートを思い切り床に叩きつけた!

(お前にッ…お前に俺の何が解るってゆぅんじゃッッ!)

安藤は自分の部屋で大の字になると喚き散らしたッ!

(こんなママゴトノートが何やっちゅうねんッ!)

安藤はコンロに火をかけると可憐の大学ノートを近づけたッ!

(クソッ!こんなノート…燃やしたるッッ!)

安藤の振える手が火に伸びる…

(クッ…クッソォォォ~ッッ!馬鹿にしやがってぇぇぇッッ!)

安藤は寸での所で火からノートを離したが三分の一程焼いた所で我に帰り横の壁に燃えかけの可憐のノートを叩き付けた!

『…何やっとるんやッ!』

『あ…し、師匠ッ…』

玄関に師匠の三島ヨットが立っていた…

『何一人で暴れとるんやッ…』

『あ…いえ…』

猫を被ったように師匠の前で安藤は大人しくなった…

『気になって仕事の合間に来てみた…どや、椿とネタは仕上がったか?』

『………』

『な…何や…どないしたんや?まだ出来てへんのか?』

安藤はただ黙ってその場にへたり込んでしまい、うなだれてじっと窓の外の秋空を眺めていた…

No.232 08/01/25 17:37
ヒマ人0 

>> 231 ☺46☺

『ほれ食えッ!ベルモットの特製メロンパンや…今日は特別やぞッ…』

ヨットは安藤にメロンパンの半分を手渡した…

『……』

『…何やカキお前…椿の事が嫌いかッ?』

うっすらと光の差し込む安藤の部屋の真ん中でヨットは手についたメロンパンの皮の部分をヌチャヌチャと舐めながら尋ねた…

『確かにアイツは何考えてるか解らん所あるな…人気絶頂のアイドルやったのを蹴ってまでこんな芸人の世界に飛び込んでくるくらいやからな…おい、茶やッ!』

安藤はスミマセンとお茶の用意を始めた…

『けどなカキ…お前も二年前はあんな顔しとったで…椿のようなな…』

『え?…』

『この芸の道一筋で食っていくッ!そんなギラギラした目でワシの前で頭下げたんや…』

安藤は熱いのか温いのか中途半端なお茶をヨットに差し出した…

『言っとくけどなカキ…お前にももう後がないんやでッ!』

『え…し、…』

『椿とうまい事いけへんてゆぅんならもうワシの弟子も破門するッ!』

『!…う…そ、そん…な』

安藤はヨットの顔をマジマジと見つめ驚きの表情を見せた…

『お前も椿も前に…ドンドン前に進んで行くしか道はないッ!…道はないんや…わかったな?』

No.233 08/01/25 18:01
ヒマ人0 

>> 232 ☺47☺

《お前も椿も前に進んでいくしか道はないんや…》

師匠の言葉がいつまでも安藤の心に残っていた…

(前に…カァ…)

両手を頭の後ろで組み安藤はじっと天井の模様を眺めていた…高校を卒業し、芸人の世界に憧れこの世界に飛び込んだまではいいがいつまで経ってもウダツの上がらぬ付き人で仕事らしい仕事は殆ど無いただ惰性に生きている空気みたいな存在…安藤はそんな情けない自分を自覚していた…だからこそ可憐に言われた事に腹が立ったのだ…そんな事今更お前に言われなくても解ってるッ!と…《顔が面白いからって即舞台で笑われる一流芸人になれると思ったら大間違いやぞッ!そっからまた一歩努力せんかったら芸人それでおしまいなんやッ!》…いつしか師匠に言われた言葉が蘇り安藤は目を閉じた…

(俺も二年前は…アイツと同じ目を…してたんや…)

安藤はふとさっき壁際に捨てた焼けかけの可憐の大学ノートに目をやった…そしてゆっくり手に取り中身をパラパラとめくってみた…



《平成11年6月12日…今日初めて三島ヨットボートさんの漫才を見た…電気が走ったよッ!凄いッ!二人の漫才を聞くだけでこんなに心が暖かくなれるんなんてッ!私決めたッ!絶対漫才師になるッ!》

No.234 08/01/25 18:21
ヒマ人0 

>> 233 ☺48☺

《平成11年7月26日…今日初めてネタを作りました…本気で嫌がる親友のカナに相方をやってもらいみんなの前で披露…結果散々…でもめげないッ!きっと魚屋って設定が悪かったのよッ!次はネタにしやすい散髪屋で再度挑戦ッ!頑張ろうねカナッ!チュッ!》

《平成11年8月1日…ヤッパリうけない…私がボケ担当の方がいいのかな?…散髪屋のパーマのくだりはチョイ受けあと全滅…ハハハ》

安藤はじっと可憐のノートを読んだ…

《平成11年9月20日…カナが相方を辞めたいって言い出したの…クスン…漫才するのは決して恥ずかしい事じゃないよッ!人を笑わせて幸せに出来る最高のエンタテイメントだよって必死に2時間説得…キャハ!ヤッタァ~ッ!カナ相方続けてくれるって…大好きカナ!》

(……コイツ…馬鹿か?…ハハハ)

安藤は苦笑いするとお茶を入れて今度はゆっくりと腰を据えてノートの続きをまた読み始めた…

《平成11年11月9日…今日はネタ…書きたくない…ごめんなさい私…》

(ん?…)

安藤の目線がこのページで止まった…その日からノートは白紙のページが続いた…

No.235 08/01/25 19:15
ヒマ人0 

>> 234 ☺49☺

冬に差し掛かる肌寒い朝、安藤は例の公園の前にいた…

(……いた!)

安藤は公園の公衆便所の側の金網に可憐を発見した…可憐は金網に向かってブツブツと話しかけながら時には大声で笑ったり身振り手振りで動き回っていた…安藤には明らかにネタの練習をしていると解る後ろ姿だった…

『だからぁ!さっきから言ってるでしょッッ!丸坊主にパーマはかけられないんだってッッ!じゃあどうすんのよッ!お客さんその気になってじっと座ってるじゃんッ!』

(ハァ~…一人二役かよ…落語じゃねぇんだからッ!…み、見てらんねぇ~!)

可憐の漫才の常識を超えたハチャメチャな練習風景に安藤は草場の陰でため息をついた…

『うちは散髪屋だよッ!…そんな…』

『アカンアカンアカンッ!そんな中途半端な設定で客が食いつくかいなッッ!』

『!…えッッ?』

可憐が振り向くとそこに可憐が書いたらしいネタ帳を見つめる安藤の姿があった!

『あ…あ、安藤さんッッ!』

『…なるほどな…散髪屋に来た客と店主夫婦のやり取り…ちゅう訳か…う~ん、イマイチ解りずらいな…客ッ!』

『はぁ?…』

『客やッ!俺を客やと思って話膨らませてみいッッ!』

『安藤…さん…じゃあ…私とッ!…』

No.236 08/01/25 19:34
ヒマ人0 

>> 235 ☺50☺

『せやからぁ!客はパーマをあててもらいたいんやろッ!?そこで店主の《顔剃りますかぁ?》ってクダリは変やって言ってるんやッ!』

『だ、駄目ですッ!ここは譲れませんッ!ボケにボケの繰り返しッ!これっきゃないんですッ!』

気がつくと安藤と可憐のネタ作りはヒートアップし、深夜まで続いていた…二人のテンションの高さに犬の散歩に来た近所の主婦は目を丸くしている…

『ハア~お前と話してたら疲れるわッ!考えが幼稚なんやって!休憩休憩ッッ!』

安藤は一段落付かせるように近くの自販機で缶コーヒーを二本買って一本を可憐に投げた…

『あ…有難うございます…』

コオロギの微かな声が聞こえる公園で二人は土の上にゆっくり腰を下ろした…安藤はため息を付きながら星空を見上げた…

『…来て下さったんですね…有難うございます…』

可憐はコーヒーを両手に囲んだ…

『か、勘違いすんな…俺は…俺はただ…』

俯く安藤に可憐はコノコノ~と肘でコツいて見せた…

『あれからずっと此処で…一人で練習してたんか…』

可憐は頷いた…

『そっか……』

安藤はコーヒーを飲み干した…

『けど不思議やな…こと漫才の事になると自然と身体と頭が…』

可憐は苦笑いした…

No.237 08/01/25 19:54
ヒマ人0 

>> 236 ☺51☺

『俺目醒めたわ…お前に言われた《やらなきゃ始まらない》って言葉にな…』

『…安藤さん…』

安藤が着ていた緑のパーカーの帽子の部分が風に揺れた…

『こんな俺でもな…昔ちょっと売れ出した時期があったんや…大阪のTVのバラエティ番組で前説とかさせてもろたりしてな…ほら、俺て…顔面白いやん?』

『…はい…羨ましい位に…嫉妬します…』

そこは否定せんかッ!と安藤は笑った…

『けどある日先輩芸人に言われたんや…《カキは顔がオモロいだけで人間は全然オモロない…そんな奴の漫才聞いても誰も振り向かへん》って…俺その言葉にかなりショック受けてな…』

『……』

可憐は短く切った髪の毛をかきあげじっと安藤の話を聞いた…

『そこで何クソッと奮起したら…出来てたら俺もう少し変わってたんかもしれん…けど出来んかった…それ以来殻に閉じこもり自分に自信無くしてな…何もかも嫌になってな…このザマや…ハハハ』

『……』

公園の街灯に虫がバチバチと近付いて花火のような音を奏でている…可憐は缶コーヒーを開けるとゆっくり口をつけた…

『ハア~美味しいッ!…昼から喉カラカラだったから…』

それを見て安藤が目線を合わさず苦笑いをした…

No.238 08/01/25 20:39
ヒマ人0 

>> 237 ☺52☺

安藤はポケットから丸めた大学ノートを取り出した…

『これって…』

『すまん…ちょっと焼いてもうた…けど全部読ませてもろた…お前が小さい頃から本気で漫才師に憧れてたって事…どんだけ漫才が好きかって事よう解った…』

焼けた箇所に幾つものセロテープの跡があったので可憐は少し笑った…

『なぁ…一つ聞いてえぇか?』

安藤は猫背の姿勢を正した…

『何で白紙やったんや?』

『白紙?…』

『途中からネタ日記書かんと止まっとったやないか…え~確か平成11年…』

可憐は側の葉っぱを摘むとパラッと撒いてみせた…

『なぁ…気になったんや…あんだけ毎日楽しく書き込んでたのに…な…』

『夢を…』

『えッ…?』

『夢を捨てなきゃならなかったから…だからもう書けなかったんです…』

可憐の顔が曇った…

『夢を…捨てる?』

『父に…事務所の社長であった父に半ば強引にアイドル歌手の道を歩む事を約束させられたその日だったから…』

突然晩秋の冷たい風が銀杏の枯れ葉を引き連れて二人の回りを舞った…

『…椿お前ホンマに…辛かったんや…アイドルになる事…』

可憐は黙って金網の向こうの風のざわめきを聴いていた…

No.239 08/01/25 21:03
ヒマ人0 

>> 238 ☺53☺

『俺正直お前の事見下しとった…何がアイドルじゃッ!漫才師なりたいて馬鹿にしとんのかッ!って…どうせバラエティに興味持つ芸の事全然解りもせんガキが話題性や知名度上げる為の宣伝にでもするんかッ!…て』

『…仕方ないですね…そう思われても…』

可憐は切り替えるようにさぁ!もう一踏ん張りネタ詰めましょうッ!と立ち上がった…

『すまんな…ホンマに…』

『もういいですよッ!過去の事とやかく言ったって戻って来てはくれないじゃないですかッ!前を見ましょうよ前をッ!半月先に迫った新人漫才大賞予選会突破目指してッ!』

可憐は安藤に握手を求めた…

『じゃあ正式にッ!今日平成19年11月14日午前零時22分ッ!私《三島椿》と《カキフライ安藤》の新漫才コンビ誕生ッ!コンビ名は名付けて《カキツバキ》ッ!どうですかッ!?』

『カキ…せ、センス無いなぁ~…まぁえぇわ…』

照れ笑いを浮かべながら安藤は可憐の手を握った…

『いっちょやったろかッ!』

『漫才界に旋風を起こしてやりましょうッ!』

寒空の中漫才の頂点を目指す若い二人は互いに笑い合った…

No.240 08/01/26 13:06
ヒマ人0 

>> 239 ☺54☺

《元スーパーアイドル愛川可憐が漫才コンビ結成ッ!目指すは上方新人漫才大賞ッッ!?》

二人が漫才大賞予選にエントリーしたその数日後、週刊誌にはそんな記事が飛び交っていた…

『さっすがエライ人気やないか椿ちゃんッ!』

『ハハハ、人気だなんて師匠ッ…ただマスコミに半分笑い者にされてるだけですよッ!』

楽屋で週刊誌を眺める三島ヨットの衣装整理をしながら可憐は答えた…可憐と安藤が師匠である三島ヨットの前でコンビ結成の報告をした時ヨットはさほど驚いた様子もなくそうか、しっかりやれ!とだけ二人に告げた…

『で、予選用のネタは仕上がったんか?』

可憐の横で靴を揃える安藤に三島ヨットは尋ねた…

『あ…はいッ…一応…椿と二人で練りに練りまして…ハイ…』

小さな声で申し訳なさそうに安藤は答えた…

『見せてみッ!』

『…え?い、今ぁ?…此処でですかッ!?』

可憐が反応した…

『そや…お前らに任せるとはゆうたがどんな漫才に仕上がったんか興味ある…見せてみぃ!ほら…』

お茶と饅頭でくつろぎながら三島ヨットは二人にこの場でネタ見せを命令した…

『はい…じゃあ…安藤さん…』

『て、照れますね…ヤッパリ…』

二人は立ち位置に収まった…

No.241 08/01/27 08:47
ヒマ人0 

>> 240 ☺55☺

《はいどうも~皆さんこんにちはッ!カキツバキでぇ~すッ!》

三島ヨットはあぐらをかいて真剣に聞くようでもなく新聞を読みながら耳だけ二人に傾けていた…手洗いから帰った三島ボートも加わり三島ヨット・ボートの二人は弟子の漫才を聴いていた…

《実はね椿ちゃん、僕この間散髪屋に行って来た時の話やねんけどな…》
《カキちゃんでも散髪するんやね、河童やから毛伸びないんやと思ってたわッ!》
《オイ待てッ!待てッ!待ったらんかいッッ!…だ、誰が河童やねんッ!ほな何かッ!?この僕の髪の毛の下には皿でも忍ばせとんかいッ!》

ネタは二人が二週間かけて練り上げた例の散髪屋の客と店員の会話だった…椿がおバカな店員になり安藤がそんな彼女に振り回されるお客の役で約3分間の二人の創作漫才が始まった…師匠二人はそれぞれくつろぎながらじっと二人の漫才を聴いていた…

《…てゆうかやめさせてもらうわッ!どうもッ有難うございましたぁ~ッ!》

3分間の《カキツバキ》の漫才が終了した…楽屋内に暫く沈黙が続いた…

『……お、終わり…です…』

『………』

『…で、い、いかがだったでしょうか…』

可憐と安藤は緊張の面持ちで二人の顔を見た…

No.242 08/01/28 20:22
ヒマ人0 

>> 241 ☺56☺

三島ヨットとボートはじっと視線を落とし黙っていた…可憐と安藤はただじっと直立不動で二人の言葉を待っていた…

『うん…まぁ…一つの作品としては及第点は付けられるな…』

鼻をかみながら意外な師匠ヨットの第一声だった…

『基本的な事はきっちり出来てます…つい最近生まれた急造コンビにしてはなかなかのモンや…ネタはしっかりしてます…』

後からボートの優しい声が飛んだ…二人の師匠の余りにも意外な言葉に可憐と安藤は思わず飛び上がりそうになる程喜んだ…

『ただァ~しッッ!』

楽屋中に響き渡るような声でヨットが声を発した!

『…ただし、そんなネタでは新人漫才大賞どころか…予選すら通過せんやろな…』

『……え?…そッ…なッ…ど、どうしてですか?』

喜びもつかの間可憐と安藤はヨットの言葉に動揺した…

『…可もなく不可もなく…ごく普通ぅ~の教えられたような漫才やからや…』

隣でボートもそうやと頷いていた…

『せ、せやかて師匠ッ!俺と椿は来る日も来る日もとことん頑張りましたッ!だから…予選はこのネタで…俺らこの漫才で勝負したいんですッ!』

安藤が珍しく声を荒げた…

『…らしさがないんや、らしさがッ!』

No.243 08/01/31 19:53
ヒマ人0 

>> 242 ☺57☺

『らしさ…ですか…』

可憐と安藤は俯きがちに顔を見合わせた…

『そやッ!…ワシはお前らにしか出来へん漫才があるってゆうとるんや…』

三島ヨットのそばでボートも同じくその言葉に頷いた…

『そんな誰かに教えてもろたような教科書通りの漫才やってて客が喜ぶと思うか?客が見たいのは《お前ら》という人間やッ!お前らの全部を全裸で毛穴の中まで洗いざらい見て貰う程の覚悟がないと客は真剣にお前らと向き合う事はせんのやッ!解るかッ!?』

『…私達という人間?…どういう事か解りません、師匠もっと詳しくはな…』

『アホンダラッッ!甘ったれるなッ!それが解らんようじゃ漫才師どころか予選も通過せぇへんわッ!しっかり頭使うて考えッッ!』

それだけ言うと三島ヨット・ボートは出番の為舞台の袖に消えて行った…

『…らしさ…カァ…難しいなぁ…』

安藤が頭を抱えた…可憐は黙って爪を噛みながらその場に暫く立ちすくんでいた…

(全てをさらけ出す…一体どういう意味だろ…)

可憐は自信満々だったネタが却下された悔しさよりも三島ヨットの言葉の重さにただただ唇を噛み締めていた…

(らしさ…私らしさ…)

  • << 249 ☺58☺ 『らしさ…カァ…師匠も難しい注文出しよるなぁ…』 新人漫才大賞予選会が明後日に迫っていた…安藤と可憐は三島ボートのアパートで途方に暮れていた…三島ボートの言う《らしさ》の意味がイマイチ理解出来ぬまま何の打開策も見出だせないまま悩んでいた… 『ねぇ安藤さん…私解んないよッッ!らしさってどういう意味ですかッッ!?』 『あ、アホッッ!俺に聞いても解るかいッッ!』 『つまり…正統派漫才をするな!…ネタや設定の段階から冒険しろ!という意味ですかね…ア~ン、解んないィ~ッッ!』 せっかく起動に乗り出した可憐の夢も暗礁に乗り上げた形となっていた… 『……もう諦めるしかないんかな…』 安藤が自信なさげに呟いた… 『なッ!何言ってるんですかッッ!安藤さんの漫才師になるって夢、そんなチッポケな物だったんですかッッ!?まだ二日ありますッッ!諦めずに頑張りましょうよッッ!』 可憐は何とか安藤のやる気を奮起させようと必死に自分自身の萎える気持ちと共に闘っていた… 『フフ…さすが元スーパーアイドル…貧相な俺とはモチベーションが違うわッッ!』 安藤は苦笑いした…

No.245 08/02/14 17:03
アル『日 ( 30代 ♂ ycvN )

ビリケン昭和💀さん、こんちくわ😚🍢
元気ですか~ッ💨🔉

~笑い星~☺の続き🌠も寝れず😪💤グウッ…ゴホンッ💦楽しみに待っとります☝😁

ついでに💝🍫も、待っとります😁ニヤリ

では👋😁
アル🍺

No.246 08/02/14 20:50
ヒマ人0 

>> 245 アル様❤いつも有難うございます💦今日は聖バレンタインデーでしたね😉では若輩ながら私ビリケン💀からアル様に💋…
🍫🍫🍫チョコっとね❤😳💦

やだ~💦ビリケンが女だったって事ばれるじゃないですカァ~ぷんぷん💨

No.247 08/02/14 22:16
向日葵 ( dtkN )

>> 246 既にバレてますから…🐯には(笑)アルさん、🐯からもチョコレートあげます😁あ、すいません💢谷間に挟まってました😱ちょっと温いけど…どうぞ(笑)ところで、ビリケンさん…短編小説の更新ストップしてますが…?

No.248 08/02/14 22:28
アル『日 ( 30代 ♂ ycvN )

>> 247 🐯さんまで、💝🍫有り難う😚
で、どちらの谷間で…
😍グフッ💧
あっ すいません💦つい涎が…💦

☝😂🔥🔨100t

💀さん、🐯さん、いただきます😳

アル🍺

No.249 08/03/01 13:23
ヒマ人0 

>> 243 ☺57☺ 『らしさ…ですか…』 可憐と安藤は俯きがちに顔を見合わせた… 『そやッ!…ワシはお前らにしか出来へん漫才があるってゆうとるん… ☺58☺

『らしさ…カァ…師匠も難しい注文出しよるなぁ…』

新人漫才大賞予選会が明後日に迫っていた…安藤と可憐は三島ボートのアパートで途方に暮れていた…三島ボートの言う《らしさ》の意味がイマイチ理解出来ぬまま何の打開策も見出だせないまま悩んでいた…

『ねぇ安藤さん…私解んないよッッ!らしさってどういう意味ですかッッ!?』

『あ、アホッッ!俺に聞いても解るかいッッ!』

『つまり…正統派漫才をするな!…ネタや設定の段階から冒険しろ!という意味ですかね…ア~ン、解んないィ~ッッ!』

せっかく起動に乗り出した可憐の夢も暗礁に乗り上げた形となっていた…

『……もう諦めるしかないんかな…』

安藤が自信なさげに呟いた…

『なッ!何言ってるんですかッッ!安藤さんの漫才師になるって夢、そんなチッポケな物だったんですかッッ!?まだ二日ありますッッ!諦めずに頑張りましょうよッッ!』

可憐は何とか安藤のやる気を奮起させようと必死に自分自身の萎える気持ちと共に闘っていた…

『フフ…さすが元スーパーアイドル…貧相な俺とはモチベーションが違うわッッ!』

安藤は苦笑いした…

No.250 08/03/11 16:54
ヒマ人0 

>> 249 ☺59☺

『あ…安藤さん…今何と…何と言いました?』

突然可憐は何かを思い出したかのように安藤ににじり寄った…

『なッ、何や…気持ち悪いッッ…どないしたんや?』

『今何と言いましたかッッ!?』

可憐は安藤の襟首を掴みユサユサと揺らした…

『ちッ、ちょっと待てッッ、いたい…痛いやろがッッ…さすが元スーパーアイドルやなって褒めただけやがなッッ!』

『!ッッ…そ、それですッッ!分かった!私…分かっちゃいましたッッ!師匠達の言わんとしている事が今ッッ!』

可憐は安藤の手を取ると小躍りするようにその場を走り回った…

『ち、ちょっと…何がッ…何が分かったんや?』

『練習ですッッ!さぁ練習しましょッッ!安藤先輩ッッ!ウフフ…』

『き、気持ち悪いナァ…何が何か俺に解るように説明してくれるか?』

可憐は笑顔で安藤を見た…

『ほらッ…このままで…このまま飾らない私達でいいんですよッ!答えはそれです!』

可憐はそう言うと安藤を定位置に立たせてゆっくり深呼吸をした…

『で…ネタは?』

『そんなモノ要りませんよッッ!』

『……え?…』

No.251 08/03/11 18:41
ヒマ人0 

>> 250 ☺60☺

『よ、予選通過したって…お前らそれ…ホンマけッ!?』

それから三日後、舞台の合間に食堂でキツネうどんをすすっていた二人の師匠三島ヨット・ボートは目を丸くした…

『あ~師匠その顔ッッ!まさか私達弟子の事全然期待してなかったんじゃありませんかッ!?』

『……ま…まぁな…すまんけど…その通りや…』

可憐と安藤は上方新人漫才大賞予選通過者だけに送られる本選決勝大会に出場出来る分厚い封筒を見せた…

『…み、見てみぃボート君…これ…ホンマもんや…』

『…あぁ…コラ驚きました…』

二人は封筒の内容を何度も読み返して信じられない様子だった…

『ネタは?…例の散髪屋のアレでいったんか?』

『いぇ違うネタで…師匠に言われたようにあのネタは封印して私達らしい漫才のネタに変えて…』

ヨットとボートは首を傾げながらそらおめでとうと初めて笑顔を見せた…

『本選決勝大会は来週OBV演劇ホールで全国ネットで生放送ですッッ!師匠ッ…見てて下さいねッ!私達《カキツバキ》きっと新人漫才賞の頂点に立ってみせますからッッ!』

安藤も可憐に続き笑顔を見せた…

『そうか…しかしお前ら二人共えぇ顔しとるッ…見違えたわ…まあ頑張りッッ!』

No.252 08/03/11 19:00
ヒマ人0 

>> 251 ☺61☺

上方新人漫才大賞当日…OBV演劇ホールは異様な熱気に包まれていた…昨今のお笑い漫才ブームに煽られてかホール内はビッシリと今旬で最先端のお笑いコンビを一目見ようと満員の観客で埋め尽くされていた…

『よう!ボート君…やっぱりアンタも観に来たんか…』

観客席の最後尾でオフの三島ヨットが同じく仕事休みのボートを見つけ声をかけた…

『…ヨット君もか…ハハハ…さては、可愛い弟子達のする漫才が気になると見た!図星ですやろ?』

『ハハハ…まぁな…アイツら一体どんな漫才して決勝まで勝ち残ったんかが興味あってな…』

私もです!とボートも頷いた…

『しかし頭のえぇ子らやないですか…あの二人ヨット君のアドバイス、きちんと飲み込んでちゃんとここまで来たんですから…』

ヨットは黙ってまだ開かぬ舞台の幕を眺めていた…

『だからこそ見てみたい…アイツらの漫才を…って事ですな?』

ボートの言葉にヨットは苦笑いを浮かべた…

『さぁ始まるでッッ!』

番組ディレクターの前説が終わり、軽快な音楽とともに眩しいスポットライトが会場を交錯した…《輝けッッ!上方新人漫才大賞ぉッッッ!》ヨットとボートは息を殺した…

No.253 08/03/11 19:19
ヒマ人0 

>> 252 ☺62☺

8組中6組の漫才が終了した…汗だくで緊張しながら漫才を終えて舞台の袖に下りてくる他の決勝進出者を眺めながら可憐はゆっくりと深呼吸をした…

『大丈夫や椿ッッ…落ち着け…予選の時みたいに落ち着いてやったら結果はついてくるッッ!』

『はいッッ…あ~ん、人前に出るのには慣れてるはずなのに緊張するぅ~ッッ!』

可憐は自分の頬を一度ピシャリと叩いた…

『えぇか椿…俺達はここで終わりやないッ!…ここから始まるんやッッ!』

安藤は震える可憐の両肩に手を置くと笑顔で言葉をかけた…そこには以前の何でも悲観的で消極的な安藤の姿はもうなかった…可憐は初めて見るそんな安藤を芸人の先輩として頼もしく感じた…

『そ、そうですよね…ここからが私達の始まりですよねッッ!』

二人が出番です!とディレクターに呼ばれた…

『よし!いくぞ三島椿ッッ!』

『はいッッ!全国に《カキツバキ》ありって所見せてやりましょッッ!カキフライ安藤兄さんッッ!』

紅白の衣装を着た二人が軽快なお囃子と共に勢いよく夢の舞台に飛び出した!

《はぁ~いどうも~カキツバキでぇ~すッッ!》

No.254 08/03/11 19:36
ヒマ人0 

>> 253 ☺63☺

二人の漫才が始まるや否や会場は割れんばかりの大きな笑いに包まれた…

『…そう来たか…フフフ…そうかそうか…』

三島ヨットは今まで新人の漫才では耳にした事のないような観客の心からの笑い声にただ苦笑いをしていた…そしてゆっくり席を立ち帰る支度を始めた…

『…最後まで見ていかないのんですか?ヨット君…』

ボートがヨットに声をかけた…

『フフフ…この観客の笑い声聞いてみぃやボート君…もうワシは充分や…何も言う事ない…これが全ての答えや…』

『…フフフ…確かに…では私も…』

三島ヨット・ボートの二人は可憐と安藤の漫才を終わりまで見る事なく会場を後にした…二人がホールを出た後も観客の笑い声がなりやむ事がなかった…

『なぁボート君…アイツら…きっと将来ワシらをも脅かす存在になるかもな…』

ボートは襟を正しながら黙って微笑んだ…

『何やヨット君…泣いてるんと違いますか?』

『あ、アホ言うなボート君…目に埃が入っただけやッッ!』

二人は笑いながら今夜は飲み明かそうと肩を抱いて深いネオン街に消えて行った…

  • << 256 ☺65☺ 『じ、じゃぁボート師匠が私達の師匠にッッ?』 可憐の言葉にボートは優しく頷いた… 『昔から弟子は取らへん国宝級の頑固者やで…そのボート君がお前ら二人の漫才を認めたんや…有り難う思いやッッ!』 ヨットの心憎い演出に可憐と安藤は思わず泣きそうになった… 『有難うございます師匠ッッ!』 『これから漫才道をビシビシしごきまっさかいにな…覚悟しなはれやッッ!』 苦笑いしながらボートは二人に笑いかけた… 『そうと決まれば明日から松前座のワシらの前座に出て漫才してもらう!』 ヨットの言葉に可憐と安藤は目を丸くして驚いた… 『わ…私…たちが…あ、あの伝統の松前座…の前座ぁ?嘘…嘘みたいッッ!』 『三島ヨット・ボートの一番弟子として恥ずかしくない漫才をしなさいッ!それが私達のお前さんらに対する注文や…』 『し…師匠ッッ!』 可憐と安藤は二人の師匠に抱き着いた… 『漫才の一番星…笑いの頂点を目指す長い旅が今始まったんです…頑張りやッッ!《カキツバキ》』 可憐と安藤は二人の膝でいつまでも溢れる涙を拭う事が出来なかった…

No.255 08/03/11 20:30
ヒマ人0 

>> 254 ☺64☺

『…そうか…優勝は出来んかったか…』

翌日ヨットは二人から決勝大会の結果を聞いた…

『…何や…お前ら悔しいないんか?優勝出来んでもっと落ち込んでると思ったけど…』

ヨットは笑顔を見せる可憐と安藤を不思議そうに見つめた…

『そら悔しいないって言ったら嘘です…けど師匠…俺ら持ってる力全て出し切りました…観客からもいっぱい笑い声もろうたし…もう大満足ですッッ!な?椿…』

『はいッ!…師匠に言われた《らしさ》の意味…やっと解りました…有難うございましたッ!』

ヨットは照れ臭そうに煙草を吹かした…

『あ、そや…優勝したらワシの弟子入り正式に認めたるってあの件な…』

可憐と安藤はその言葉に反応した…

『優勝逃したしやっぱり約束は約束やから…お前ら弟子には出来んッッ!』

『…ですよ…ね…約束は約束ですよね…解ってます…』

可憐と安藤は淋しそうに肩を落とした…

『…と!思ってたら何やお前らに興味持ってる物好きな漫才師がおってな…その人の弟子でも良ければ漫才続けてもえぇッッ!』

『ほ、本当ですかッッ!?で、その方はどこに?』

可憐と安藤はヨットに詰め寄った…

『さっきからここに居ますがな…』

声の主は三島ボートだった!

No.256 08/03/11 20:47
ヒマ人0 

>> 254 ☺63☺ 二人の漫才が始まるや否や会場は割れんばかりの大きな笑いに包まれた… 『…そう来たか…フフフ…そうかそうか…』 三島ヨットは今… ☺65☺

『じ、じゃぁボート師匠が私達の師匠にッッ?』

可憐の言葉にボートは優しく頷いた…

『昔から弟子は取らへん国宝級の頑固者やで…そのボート君がお前ら二人の漫才を認めたんや…有り難う思いやッッ!』

ヨットの心憎い演出に可憐と安藤は思わず泣きそうになった…

『有難うございます師匠ッッ!』

『これから漫才道をビシビシしごきまっさかいにな…覚悟しなはれやッッ!』

苦笑いしながらボートは二人に笑いかけた…

『そうと決まれば明日から松前座のワシらの前座に出て漫才してもらう!』

ヨットの言葉に可憐と安藤は目を丸くして驚いた…

『わ…私…たちが…あ、あの伝統の松前座…の前座ぁ?嘘…嘘みたいッッ!』

『三島ヨット・ボートの一番弟子として恥ずかしくない漫才をしなさいッ!それが私達のお前さんらに対する注文や…』

『し…師匠ッッ!』

可憐と安藤は二人の師匠に抱き着いた…

『漫才の一番星…笑いの頂点を目指す長い旅が今始まったんです…頑張りやッッ!《カキツバキ》』

可憐と安藤は二人の膝でいつまでも溢れる涙を拭う事が出来なかった…

No.257 08/03/11 21:04
ヒマ人0 

>> 256 ☺66☺

翌日…芸能週刊誌のある記者の記事が大々的に掲載されていた…

【お笑い新人発掘~先日行われた第52回上方新人漫才大賞で惜しくも三位に終わった元アイドルとピン芸人の異色コンビ《カキツバキ》に注目が集まった…コンビ歴は浅くまだ粗削りだが物おじした所がなく生き生きと力を発揮していたと感じた…特に目を引いたのは現役の人気アイドルだった愛川可憐の見事なまでのお笑いへの転身振りである…自身のアイドル時代の過去の禁断エピソード等を振り返り、それをネタにするというある意味業界タブーな試みは関係者を驚愕させた…それゆえ愛川可憐自身の漫才という物に対する一途なまでの真剣さが垣間見え、私には気持ちよく爽快に映った…今後の彼等の活躍を心より願います…頑張れ!カキフライ安藤、三島椿ッッ!】



~笑い星~完

No.258 08/03/12 00:37
アル『日 ( 30代 ♂ ycvN )

ビリケン昭和💀さん、こんばんわ
   〆
m⊆(_ _)⊇m

☺笑い星🌠のカキツバキ最高グウ~😚👍
ビリケンお笑いバッチグウ👍

グウ👍
グウ 👍
グウ👍
グウ 👍
グウ~ッ👍👍
😲グモ~ッ💨

おっと💦失礼おば💦
また、新たな短編まっとります😁
頑張って下さい👍
ではでは
👋😁

草場の陰から見守るアル🍺より

No.259 08/03/13 15:55
サクラ ( 20代 ♀ zgXCh )

こんにちわ☆
初めまして😁
全部おもしろかったです✨‼
特に、箱の中のラブが①番好きです😍
これからも楽しみにしていますので書き続けてくださいね💕

No.260 08/03/13 16:44
ヒマ人0 

>> 259 サクラさん初めまして…ビリケン昭和💀です💕レス有難うございます😁💦ラブ🐻におほめの言葉頂き有難う‼これからも様々な角度から短編を書いていきたいと思ってます🎈そしてアル様もいつも有難う‼次回作もう間もなく✨😱お楽しみに💀💦

No.261 08/03/13 19:29
ヒマ人0 

>> 260 【⑮】~お兄ちゃんの最期の言葉~


☔1☔

ここから見下ろす人影はまるで胡麻粒を運ぶ蟻のようだ…赤…青…紫…緑…街のビルの色様々なネオン灯が代わる代わる私の全身に色を作っては消える…夕方から降り出した雨は容赦なく横なぶりで室外ファンの上のトタンをパチパチと鳴らしている…

(お兄ちゃん…あの朝…私に何て言ったの?…)

私は傘も射さず、ずぶ濡れのままさっきからずっとこの場所に立っている…時折身体ごと吹き飛ばされそうな突風と雨によろめきながら静かにその時を待っている…お兄ちゃんのそばに行く準備をしている…揃えてそっと横に並べて置いた靴はもう中が水溜まりになっている…

(お兄ちゃんの居ない人生なんて…無いに等しい…)

私は一歩前に出た…背後からまるで早く逝け!と突風が後押しする…待って!…やっぱり…あの時私に言ったお兄ちゃんの最期の言葉を思い出すまでは私…大好きだったお兄ちゃんのあの朝に言った《最期の言葉》を思い出すまでは…私はゆっくり足を後ろに引いた…決して自殺を思い留まった訳じゃない…その言葉さえ思い出せたら…そしたらすぐに逢いに行くからね…お兄ちゃん…

No.262 08/03/13 20:01
ヒマ人0 

>> 261 ☔2☔

【ほんっとお前らは仲がいいなッッ!…そうして並んでるとまるで恋人同士みたいだぞッッ!】


放心状態の私のレンズにあの頃の記憶が蘇る…私はいつも学校の帰りにお兄ちゃんが働く小さな洋食店に毎日遊びに通っていた…お兄ちゃんは私が来るといつも店長さんに内緒で大きなオムライスを作って食べさせてくれた…大きな口を開けて美味しそうにオムライスを食べる私の顔を見ているのが好きだと笑って言ってくれた…お兄ちゃんが店を終わるのを待ち、私はお兄ちゃんの腕を組んでいつも一緒に帰った…本当の兄妹じゃない事なんて私にはそんな事どうでもよかった…ただ大好きなお兄ちゃんの横顔をずっと見つめていたかった…ずっとずっと…

(お兄ちゃんの最期の言葉…思い出せないよッッ…哀しい…哀し過ぎるよ…あんなにお兄ちゃんの事毎日見てたのに…髪の毛の枝毛から足の小指の爪の形まで私お兄ちゃんの事なんだって知ってるんだもん…なのに…あの朝の最期の言葉がどうしてもッッ!どうしても思い出せないッッ!)

下着の芯まで雨水で濡れていた…前髪からボタボタと滝のように雨水が滴り落ちる…私は膝を抱えた…

No.263 08/03/13 20:38
ヒマ人0 

>> 262 ☔3☔

(私のせいだ…私のせいでお兄ちゃんは…)

こんな春の土砂降りの夜にこんな都会のど真ん中の雑居ビルの屋上で一人の女々しい女が今まさに自殺を図ろうとしている事なんて誰も気付きはしないだろう…《私の最期》に着て来たこの空色のセーターとベージュのスカートは去年お兄ちゃんが私の誕生日に買ってくれた服で私の大切な宝物の一つ…だけど雨粒の跳ね返りの泥と化粧落ちした私のファンデの跡とが混ざり合い、もはや原色をとどめない汚い色に変わっていた…もう!こんな厳粛で大事な日に雨なんか降らないでよッッ!私は仰向けになり放射線状に降り注ぐ雨空の軌跡をじっと眺める…

【お兄ちゃんと結婚出来たらナァ~…】

あの時のお兄ちゃんの驚いた顔…今でも思い出せるよ…お兄ちゃんは馬鹿ッッ!と私の頭をコツイて照れ隠しに慌てて台所に立ち食器を洗うフリしてた…でもねお兄ちゃん…私あれ…本気の本気だったんだよ?本当にそうなればどんなにどんなに幸せだったかって…他人の目なんてどうだっていいんだ…これは私の紛れもない揺るぎない本心だったんだから…本気でお兄ちゃんの事…ハハハ…ハハハ…

No.264 08/03/13 21:25
ヒマ人0 

>> 263 ☔4☔

向かいのビルの窓に人影が見えた…若いスーツの男と制服の女が辺りを気にしながら窓越しでイチャついている…馬鹿みたい…誰にも見られてないつもりなんだろうけどここからじゃまる見えッッ!…脳天気なあの幸せそうな男女ももう後数十分もすれば自分達がいたすぐ前の道に女の飛び降り自殺した無惨な死体が転がるとは夢にも思いはしないだろう…

(お兄ちゃん…あの時何て言ったの?)

私はいつだってお兄ちゃんの話す言葉を身体で聞いていた…一字一句を魂で聞いていた…なのにあの日に限ってどうしてッ…あの時ちゃんとお兄ちゃんの言葉を聞いてさえいたなら…ちゃんと返事を返してさえいたなら…お兄ちゃんは今でも私の…私だけの大好きなお兄ちゃんでいてくれたのかな?…お腹が鳴った…そういえばこの数日間まともに食べてなかった…フフフ…死ぬ間際だってお腹はすくのね…馬ッ~鹿みたい…どうせ死んだら食べる事さえ心配しなくていいのにね…雨足はますます強くなり街のネオン灯はまるで絵の具をパレットの上で混ぜたように澱んでいる…

(あの時どうして私…お兄ちゃんにあんな事言っちゃったんだろ…もう私の事なんか放っておいてよッッ!…なんてあんな酷い事…)

No.265 08/03/13 23:07
ヒマ人0 

>> 264 ☔5☔

たった一度の…最初で最後の過ちだった…私はお兄ちゃんに内緒で外泊して朝帰りした…

【何処に行ってたんだ!?朝帰りなんて一体どういうつもりなんだ!?連絡くらいできただろ?心配したじゃないかッッ!】

…私の事なんて全然心配なんかしてないくせにッッ!思わず口をついてしまった全くの本心でない刺の言葉…

【何処に行ってたんだ?】

私の親代わりとして当然の質問だった…お兄ちゃんは全然悪くないんだから…なのにあの時何故か一瞬だけ大好きなお兄ちゃんが疎ましくなった…

【放っておいてよッッ!私の事なんかッッ!本当は全然心配なんてしてくれてないくせにッッ!】

大好きなお兄ちゃんに私何て酷い事…馬鹿だった…限りなく愚かだった…私は自分勝手に身勝手に腹を立て、部屋に篭りその日は一歩も部屋から出ては行かなかった…

(お兄ちゃん…優しすぎだよ…たまんないよ…)

私は降りしきる雨の中何度も叫んだ…バカヤロウ!バカヤロウ!バカヤロウッッッ!…って…だけど雨はそのけたたましい心の叫び声を当然聴いてはくれない…雨は我が物顔で全身全霊で私に覆いかぶさってくる…やっぱりヤダ…こんな日に雨だなんてッッ!

No.266 08/03/14 08:19
ヒマ人0 

>> 265 ☔6☔

お兄ちゃんを困らせるつもりなんてなかった…悲しませるつもりなんて毛頭…《あの朝》…喧嘩した次のあの忌まわしい翌朝…お兄ちゃんは何事もなかったようにいつものように早起きして私のお弁当と朝ご飯を作ってくれた…気まずい私は頭から布団を被りお兄ちゃんのトントンと鳴らす包丁の音だけを部屋から聞いていた…

【じゃぁ…お兄ちゃん行くから…ちゃんと朝ご飯食べて学校に行くんだぞッッ!?】

固く閉ざした私の部屋の扉の外からお兄ちゃんの優しい声がした…その日に限って私…お兄ちゃんに《いってらっしゃい》が言えなかった…今まで一度たりとも忘れた事がなかったお兄ちゃんへの《いってらっしゃい》…お兄ちゃんの淋しそうなスリッパの音が玄関に移動した…玄関の扉を開き…その時お兄ちゃんが私に言ったこの世での《最期の言葉》…

【かえ………ようなッッ!】

扉がカチャリと閉まった…その瞬間がお兄ちゃんと私の絆が永遠のサヨナラを告げた時だった…どうして覚えてないんだよッッ!お兄ちゃんが最期に私にかけてくれた言葉だったのにッッ!どうしてッッ!?ねぇどうして覚えてないのッッ!?水捌けの悪い屋上のコンクリの床はもう川のようになっていた…

No.267 08/03/14 10:17
ヒマ人0 

>> 266 ☔7☔

生まれてからずっとお兄ちゃんと喧嘩なんかした事なかった…ち、違うッッ…ずっとお兄ちゃんが私の自分勝手な我が儘を何も言わず優しく包んでくれてただけ…お兄ちゃんの方が私なんかよりずっとずっと大人だった…時には厳しい父となり時には優しい母となり、いつも私の側に居てくれてたから私は今日までこうして生きてこれた…そしてお兄ちゃんを大好きでいられたんだ…だから私に気まずく突き放されたあの朝のお兄ちゃんの哀しみは私には計り知れないものだったに違いない…ごめんねお兄ちゃん…何度謝っても許される事じゃない…遠くで救急車のサイレンが鳴る音がする…私のいるこのビルの真下の道にももうすぐ救急車が来てドーナツのように眉間に皺を寄せた黒い人だかりが出来るんだろうな…どうか顔だけはこのまま潰れないでいたい…ハァ~そんな訳にはいかないよねッ…潰れた顔でもお兄ちゃん、向こうで私に逢ってくれるかな?…お兄ちゃんの最期の言葉…思い出せない…思い出したいッッ!でないと私天国でお兄ちゃんに何を話せばいいの?ね?…だからこの世で思い出してからすぐに逝く…待っててね?大好きな大好きなお兄ちゃん…

No.268 08/03/14 10:43
ヒマ人0 

>> 267 ☔8☔

あの朝仕事に向かうお兄ちゃんはいつもと違う道を通った…駅までの近道である路地中を通らず何故か駅までは遠回りの大通りのビル街を選んだ…一度も駅までの歩く道を変えた事がなかったのに…その日に限ってお兄ちゃんは別の道を選んだんだ…きっと…私と言い合った事がずっと引っ掛かってたんだよね?いつも実直で几帳面なお兄ちゃんが普段そんな選択する訳ないもん…ゆっくり考えたかったんだ…考えてくれてたんだ私の事真剣に…雑踏に紛れる駅に着くまでにゆっくり時間をかけて私の事…だからッ…だからッ…ごめんねお兄ちゃんッッ!ごめんなさい…



《今日午前8時25分頃、○○区の雑居ビルから若い女性が飛び降り自殺を試みました…しかしちょうどその時落下地点を通行していた飲食店職員の橋爪浩一(25)さんが落下してきた女性の巻き添えになり全身を強打し搬送先の病院で間もなく死亡が確認されました…自殺を計った女性は肋骨を折る等しましたが奇跡的に一命は取り留めた模様です…》

【かえ……ようなッッ!】

あの朝の…お兄ちゃんの最期の言葉…もうすぐ思い出せそうだよッッ…

No.269 08/03/14 16:53
ヒマ人0 

>> 268 ☔9☔

…珍しく学校を遅刻して二時間目の授業が始まる矢先、担任の先生からすぐ病院に行くように言われた…お兄ちゃんが怪我をした、大変らしいと…曖昧に話す担任の言葉に私はお兄ちゃんの身に何が起きたのかとっさに理解出来なかった…とにかく急がなくちゃッッ!お兄ちゃんが大怪我をして病院にいる事は確かなんだ…私は言われた通りの病院に駆け込んだ…

【浩一さんの妹さん?でしょうか…】

小柄な年輩の警察官が私に話しかけて来た…

(な、何で?…何があったの!お兄ちゃんッッ!)

警察官の後ろを歩きながら私は考えた…お兄ちゃんの容態よりもむしろ…朝シカトした事なんて謝ろうかって…面と向かってお兄ちゃんに謝る事が出来るだろうか…そんな事ばかり考えていた…

【この中です…さぁどうぞ…】

…病室じゃない…何でッッ!?冷たい無機質な鉄の扉は黒くススちゃけていた…中に入るとプゥ~ンとお線香の香りが漂っていた…そして脇に血だらけの遺体が白い布を被せられて横たわっていた…

【…あなたの…お兄さん…】

警察官が布を捲くりあげると同時に私の中の血液が全部足元から流れ抜けて行くようだった…

(!…アァッッ…う、…)

No.270 08/03/14 18:29
ヒマ人0 

>> 269 ☔10☔

さっきまであれだけ激しかった雨風がピタリと止んだ…雨に洗われた向かいのサラ金のネオン広告灯がやけに鮮やかに映る…私はゆっくり立ち上がった…濡れた服が重りのように全身にピタリと張り付いて気持ち悪い…悔しいけどやっぱり私思い出す事が出来ないや…お兄ちゃんの最期の言葉…涙なんてもう枯れ切って身体から一滴たりとも出ないはずなのにお兄ちゃんの顔を浮かべると不思議と大粒のそれがとめどなく溢れ出す…いつまでもこうしてる訳にはいかないよね…決心が鈍っちゃうもん…私はポケットから一枚の大切な写真を取り出した…同じサッカーのチームを応援に行った試合の帰り道、通りすがりの人にシャッターを押して貰った一枚の写真…勿論全部好きだったけれど取り分け私はこの写真のお兄ちゃんの笑顔が特に大好きッ…天国に行ってもお兄ちゃんのこの笑顔見れるかな…ストッキングの伝線が内腿の辺りまで進んでいた…別にいっか!この期に及んでなりふりなんて気にはしない…私は再びビルの端からそっと真下を見た…なるべく人が居ない時に逝こう…でないとお兄ちゃんを殺したあの女の二の舞になってしまう…それだけは絶対嫌だから…

No.271 08/03/14 18:53
ヒマ人0 

>> 270 ☔11☔

(この女が…この女がお兄ちゃんを殺した…)

鼻に管を挿入され包帯を巻いたその女の眠る顔を見た時、私の中に沸々と湧き出した殺意と憎悪の感情…

(どうして…どうしてアンタだけ生きてるの?アンタ…死ぬんじゃなかったの?なのにどうしてのうのうとアンタは生き長らえてんのッッ!?)

この手で締め殺してやりたかった…どうしてあと30秒後に落ちなかったのよッッ!どうしてあの瞬間に落ちなきゃなんなかったのよッッ!アンタが死ぬのは勝手だけど何でッ…何で私のお兄ちゃんを道連れにする必要があったのよッッ!…許さない、絶対に許さないッッ!て…この女をいくら責めてもお兄ちゃんは帰って来ないんだ…

【かえ…ようなッッ!】

タイムリミット!…お兄ちゃんの最期の言葉…もう《向こう》でお兄ちゃんに直接教えてもらう事にするね?私は建物の端にゆっくりと足の前半分を反り出した…風が止んだ…もう誰にも邪魔されない…もう誰にもお兄ちゃんをあげないッッ!私の身体がフワッと軽くなった…まさにその瞬間だった!私の右眼の視界に人影が映り込んだ!

(!…え…な、何ッッ!?)

No.272 08/03/14 19:11
ヒマ人0 

>> 271 ☔12☔

私の眼に映り込んだのは背広を着た若い男性だった…男性はビルの端に足をかけ、今にも飛び降りそうな態勢に入っていた!

(じッ…自殺ッッ!?ま、まさか…)

男性は緊張の顔付きで私の存在には全く気がついていないようだった…声をかけれないッ!かけた瞬間その男性は決断してしまうッッ!どうしよう…どうしよう…有り得ない…まさか私が飛ぶ予定のすぐ側で同じ決意を持った人がいるなんて事ッッ!どうしよう…どうしたらいい?彼はまだ私には気がついていない…このまま見届ける?そんな事したら…でも私だってもうすぐ逝く身だもん…ここで彼を助けようとしたりしたらきっと私…アァ…どうしようお兄ちゃんッッ!お兄ちゃんッッ!男性が空を仰いだ!次の瞬間ゆっくり深呼吸をして視線を真下に移したッッ!

(だ…駄目ッッ…本当にい、逝っちゃう!)

私の身体は不思議なくらい機敏に動いた…そしてまさに飛び込もうとしたその瞬間男性の腕を掴んでビルの床に叩き付けていたッッ!男性は私を幽霊でも見るような顔付きで驚愕の表情を浮かべ、アァ~ッッ!と喚き出すと緊張感から解放されたのかその場でガタガタと振るえ出した…

No.273 08/03/14 19:36
ヒマ人0 

>> 272 ☔13☔

【な、何で…ハアッ、ハアッ…貴方何してんのよッッ!?…ハアッ、ハアッ】

膝まづいた拍子に私は足首を捻挫した…男性は眼を爛々と見開き、額から大粒の汗を流しながらこの世に留まっている現実を噛み締めようとしているように見えた…

【あ…アンタこそな、何なんだッッ!勝手な事しないでく…】

【どうして私の邪魔したのッッ!?召されるのは私の方が先だったんだからッッ!】

そんな私情、男性には関係ない事だ…ただ言える事は今日この場所で自殺しようとしていた二人の人間がまだ生きているという事実…

【何もハアッ…同じこの日にハアッ、ハアッ…此処で自殺しようとしないでよッッ!】

私は男性を怒鳴り付けた…

【そ、そんな事…僕に言われたって…ハアッ、ハアッ】

私は側にあるフェンスの金網を鷲掴みにすると捻挫の足首をかばいながらゆっくり立ち上がった…そして足を引きずりながら室外機の上に座り込んだ…

【早く此処から居なくなってよッ…でないと私も…落ち着いて逝けやしないから…ハアッ、ハアッ】

【もっと自分を大切にしなよッッ…】

【ハアッ…これから死のうと思ってたあ、アンタに言われたくないッッ…ハアッ、ハアッ…】

No.274 08/03/14 20:03
ヒマ人0 

>> 273 ☔14☔

【アンタ…どうして自殺なんか…】

私は肩を震わせる男性に尋ねた…

【…償い…かな…】

【償い?】

水溜まりに映る色とりどりのネオン灯が男性の顔に反射した…

【君は?…まだ若いのに…】

【死ぬのに若いも年寄りもない…生き甲斐を失ったから…ただそれだけ…】

【生き甲斐…かぁ…ハハハ…】

男性は初めて笑った…

【大切な人を失ったからよッッ!アンタなんかには到底解らないよッッ!どうせ借金か何かで思い詰めただけでしょッ!?】

男性は虚ろに視線を落とした…

【僕も失った…大切な人を…生きてても仕方ない…そう思ったから…】

男性はゆっくり立ち上がり一度私を見ると黙って階段を降りて行った…

(……大切な人…かぁ…)

私は暫く街のネオンをじっと眺めていた…

(…そうだよね…フフフ…私って何か…ほんと…馬鹿ッッ…)

急に気持ちが萎えた…萎えたというより初めから萎えるような物は何も無かったのかもしれない…私は痛む足を引きずりながらハンドバックを肩にかけ、雨水が染み付いたパンプスを片手に持つとさっきの男性と同じようにゆっくり階段を降りて行った…

No.275 08/03/14 20:50
ヒマ人0 

>> 274 ☔15☔

《天国のお兄ちゃんへ…お兄ちゃんが天国に逝ってからもう五回目の春を迎えますね…あれから私何度もお兄ちゃんの側に逝こうと思ったんだ…だけどやっぱり決心が付かずにいます…その訳は私、お兄ちゃん程ではないけど素敵な男性を見つけて去年結婚しました…お兄ちゃんによく似た背の高い優しい人だよッ…その人は大好きだった妹さんを事故で亡くした私と似た境遇の男性…これからはお互いの傷を拭い合い、庇い合い生きて行こうと思います…お兄ちゃんもきっと私にそうしろッて言ってくれるよね?私はいつまでもお兄ちゃんの事忘れない…子供が出来てお母さんになってもお婆さんになって命尽きるまで私は大好きなお兄ちゃんの笑顔を忘れないからね…》


【まだ拝んでるの?もういいよッッ…】

私の側で主人がお兄ちゃんの遺影に向かって今日もじっと手を合わせてくれている…あなた、もう償いなんてよしてッッ…貴方は散々苦しんだわ…だからもういいの…頭をあげて毎日を生きて欲しい…それがきっとお兄ちゃんの願いでもあるはずだから…妹さんもお兄ちゃんに会ってきっと償っているはずだから…妹さんも苦しんだよ…どうして自分だけ生きてたのかって…だから…

No.276 08/03/14 21:25
ヒマ人0 

>> 275 ☔16☔

【せっかく神様から貰った命だったのに…あんな形で…】

【仕方ないさ…それがコイツの運命だったんだよッ…】

桜の花びら達が墓石の回りを悪戯に舞った…交通事故でこの世を去った主人の妹さんの墓に花を添えると私は静かに合掌した…

【僕達二人があの日あのビルの屋上で出会ったのも運命だったのかもな…】

主人は苦笑いを浮かべて杓で墓石に水をかけた…

【貴方が洋食屋さんのコックさんだったって事もね…】

私は主人の肩を抱いた…

【さて!…帰って何か旨いモンでも作ろっか?】

【私オムライスがいいッッ!】

またかぁ~と主人が笑った…春の風が優しく二人を包んだ…主人のオムライスを食べる度に思い出す《お兄ちゃんの最期の言葉》…

『帰ったらオムライス一緒に作ろうなッッ!』

あの朝私にかけてくれたあの言葉はいつまでもいつまでも私の一生の宝石です…



~お兄ちゃんの最期の言葉~完

No.277 08/03/16 15:25
ヒマ人0 

>> 276 【⑯】~10回の裏~

⚾1⚾


『いよいよ準決勝だねッ…』

『あ、うん…まさか俺達がここまで来ちまうなんてなッ…』

香坂徹は自転車の前籠のボストンバッグをずり落ちないように乗せ直した…岬の向こうの夕日がまだ淡いオレンジ色の光りを名残り惜しそうに反射させている…

『なぁ美佳…本当に大丈夫なのか?』

徹は自分のすぐ前を歩く小柄な上原美佳に声をかけた…

『大丈夫って?』

『本当は今すぐにでも入院とかしなきゃなんない大変な病気なんだろ?』

美佳は黙って港の堤防に腰掛けた…

『トンちゃんが心配する程の事じゃないよ…ありがと!』

『…って言ったってッッ…心配するよそりゃッッ…』

知り合いの漁師が美佳に声を掛けた…美佳は笑顔で返した…

『トンちゃん私ね…決めたの…我が傍野南高校が晴れの甲子園初出場を決めるまで…それまで頑張るって…』

自転車のスタンドを立て、徹も美佳の隣に腰掛けた…凪の海はパステルブルーの海と夕日の橙が微妙な色彩を奏でている…

『甲子園出場は何もトンちゃん達野球部だけの夢じゃないんだからッ…私の最後の…夢でもあるんだから…』

『美佳……』

漁船の汽笛があちこちでコダマした…

No.278 08/03/16 17:41
ヒマ人0 

>> 277 ⚾2⚾

(私の最後の夢…か…)

ミシミシと床から音がする自分の部屋に入ると徹はドサッとベッドに倒れ込んだ…同級生の上原美佳が咽頭癌だと知ったのは昨年秋の選抜高校野球選考を兼ねた沖縄予選の最中だった…

《私…来年の夏の予選で…もうみんなの名前…アナウンスできないかもしれない…》

九州大会の一回戦で負けた後、美佳が部員達や徹にそっとその事を告げた…上原美佳は傍野南高校2年の野球部のマネージャーをしていた時、たまたま沖縄県野球連盟が公募した《沖縄大会予選会での鶯嬢募集》で鶯嬢に抜擢された…将来高校を卒業したら本土に渡ってアナウンサーになるのが夢だった美佳にとり、野球試合の鶯嬢をするという事は喜びであり生き甲斐を感じていた…しかしその矢先の不運な運命に周囲は落胆に包まれていた…

(…複雑だな…)

徹はため息をついた…傍野南高校が勝ち続けるという事は美佳の咽頭癌の手術を遅らせている事にもなっていた…

(俺が何言ったって聞かない筋金入りの頑固者だからなアイツ…)

徹は机の上に置いた愛用のグラブを持つとパンパンと右拳をグラブに叩き付けた…

No.279 08/03/16 21:41
ヒマ人0 

>> 278 ⚾3⚾

最後の守備練習が終わり泥だらけの野球部員が監督の具志堅の元に集まった…

『よしッ…いよいよ明後日名門《柿添商業》との準決勝だ…3年は悔いの残らないようないい試合をしようッッ!そして必ず勝つッッ!いいな?』

ひたすら熱い若手監督のもと部員は円陣を組み一斉に掛け声をあげるとその日の練習を終えた…

『お疲れッッ!』

『お疲れ様~ッッ!また明日なッッ!』

徹は水道で頭についた汗や泥を洗い流しながら先に帰る部員を見送った…

『…♪《4番、センター…香坂君》…!』

『!み…美佳…つぅかそれ嫌味かよッッ…俺補欠だし…』

洗濯籠に沢山の洗い物を抱えながら徹の横に悪戯な笑顔の上原美佳が立っていた…

『お…お疲れッッ…た、大変だな…それ今からだろ?』

『…早くしないと転移するかもって…先生がさッ…』

美佳は部員の洗濯物を洗濯機に放り込むと洗剤を入れ洗いレバーを回した…

『て…転移って…お前』

『でもやっぱり私最後までやりたいの…傍野南が甲子園初出場まであと2試合…2試合頑張り抜けば私の役目は終わるから…』

『役目が終わるだとか…そんな縁起でもない事言うなよッッ…』

徹はタオルを被ると丸坊主の頭を一気に拭いた…

No.280 08/03/16 22:06
ヒマ人0 

>> 279 ⚾4⚾

『なぁ美佳…お願いだから病院でゆっくり治療しろよッッ…マネージャーの仕事なら後輩の1年にやらせりゃ済むんだから…』

徹は少し伸びた顎髭を右手で摩った…美佳の顔から笑顔が消えた…

『入院したらきっと…すぐに手術って言われる…そしたらもう…』

年代物の洗濯機が跳びはねんばかりに右に左に轟音をあげて踊っている…

『大会に無理言って傍野南の試合の担当鶯嬢させて貰ってんだもん…みんなが甲子園に行く瞬間一緒に味わいたいんだ…私も試合に参加して一緒に戦いたい…だからたとえ声が出なくなったって私やるから…絶対最後までやり抜くからッ…』

南国ソテツの葉が南風にザワザワと揺れた…

『…本当お前は昔から融通の効かない女だよなッ…』

『何よッ…悔しかったらレギュラー勝ち取ってみなよッッ…私に《♪香坂徹君》って毎打席アナウンスさせてよッッ!』

痛い所を付かれて徹は何も言えずにため息をつき天を仰いだ…背番号16番…3年で唯一の補欠というだけでお情けでベンチ入りさせてもらっている徹の現状を幼なじみの美佳はよく解っていた…

『チャンスはあるよ…絶対に…代打だって何だって絶対に俺の名前お前にアナウンスさせてやるからなッッ!』

No.281 08/03/16 22:52
ヒマ人0 

>> 280 ⚾5⚾

準決勝を翌日に控えた朝、徹は野球部監督の具志堅新に職員室に呼ばれた…

『監督何すか?用って…』

徹はひそかに淡い期待を抱いていた…監督直々に俺を呼び出すという事はつまりッッ…明日の試合、先発センターという事かもッッ!

『お前…上原と仲良かったよな?』

(…何だ…先発の告知じゃなかったのか…だよなァ~…)

具志堅はトレードマークのピンクのポロシャツの襟を直し話を続けた…

『昨日の晩上原のお母さんから連絡が入ってな…何とかして彼女を病院へ入院させる方法はないかと泣き付かれてな…』

『上原…み、美佳に何が!?』

『かかりつけの南日本付属大消化器外科の医師の話によると、例の病気の件…予断を許さない状況らしいんだと…俺も何度か上原を説得はしてはみたんだが…ほら、アイツあぁ見えて…』

頑固だから…具志堅の言葉の続きが徹には手に取るように解った…

『美佳も自分で言ってました…今のまんまじゃいつ転移してもおかしくないって…けど明日の準決勝でアイツ…母校の鶯嬢するのを楽しみにしていて…』

『一日も早く…医師の通達らしい…それほど上原の病状は進行しているという事だ…』

具志堅は腕組みをしながら窓の外一点をじっと見つめていた…

No.282 08/03/16 23:13
ヒマ人0 

>> 281 ⚾6⚾

(説得っつったってナァ~…)

徹は石垣の小高い階段を登りこれまでの人生で何度も足を運んだ上原美佳の家のインタホンを鳴らした…

『あら、トンちゃん…いらっしゃい…』

明らかにいつもの元気なおばさんの顔ではなかった…

『あのぅ美佳…いますか?』

『美佳なら…』

美佳の母親は浮かない顔で黙って左手で海岸の方を指差した…

『明日のアナウンスの練習するって勝手に飛び出して…私の言う事なんて…ハァ~…』

心底落ち込む美佳の母親に徹は大丈夫ですからと甚だ無責任な慰めを言うと美佳がいつも事ある毎にそこに行けば落ち着くという海岸に向かった…台風が近づいているせいかいつもの海岸は波が荒かった…

『《♪2番、ショート…島袋君ッ…背番号…6》』

明日の先発オーダーが書かれた紙を持ち強い風に飛ばされそうになりながら上原美佳は砂浜のど真ん中でアナウンスの練習をしていた…

『…美佳ッッ…!』

『!……トンちゃん…』

美佳が着ていた黒のタンクトップが風にパタパタと舞った…

『おばさんが心配してる…とにかく帰ろ!』

『駄目…本番は明日だしそれに…ウチじゃぁ大きい声出せないし…』

徹は頭を掻いてその場にしゃがみ込んだ…

No.283 08/03/16 23:37
ヒマ人0 

>> 282 ⚾7⚾

『トンちゃんさぁ…私の将来の夢知ってる?』

しゃがみ込む徹に美佳が言葉をかけた…

『夢ぇ?…パフェの大食い女王になる事だっけ?』

『ンモッバカッ!…バカ野郎ッッ!』

美佳は徹を持っていた紙を丸めて殴りつけた…

『あ、わッ、解ってるって!…冗談だよ冗~談ッッ!イテッ!』

夕闇の砂浜の遥か先で観光客らしき若者達が打ち上げ花火で騒いでいる…

『…トンちゃん…私の声…どう思う?』

『ど、どうって…』

『自分でも特別綺麗な声だとか発音がいいだとか…そんな事これっぽっちも思ってないけど…』

『けど?』

暫くの長い沈黙が続いた…波がさっきよりさらにうねりを増したようだ…

『…神様ってホント…意地悪だよねッッ!何考えてんだろッッ!』

美佳は肩が取れそうな位ン~ッと大きな伸びをしてそのまま後ろから砂浜に倒れ込んだ…

『傍野南高校の3年間はホンット最高に楽しかっタァ~ッッ!』

美佳はバタバタと手足をバタつかせた…

『美佳…』

『そんな最高の高校生活の最後…私の夢の終焉の舞台にふさわしいかもねッッ…フフフ』

美佳はゆっくり起き上がると徹を見た…

『手術するとね?…多分もう声…出せなくなるんだ…私』

『!…えッッ!?』

No.284 08/03/17 00:12
ヒマ人0 

>> 283 ⚾8⚾

『こ、声…出せなくなるってそれ…ど、どういう意味なんだよッッ!?』

『…喉に出来た腫瘍がね…声帯の神経を圧迫してんだって…だからもし腫瘍を切除出来たとしてもね…声帯の一部を切除しなくちゃいけないみたい…』

『まさか…う、嘘だろッッ?』

『…仮に腫瘍を摘出出来ても…声帯の神経がないから私…人工的に声を作る装置でしか声を出す事出来なくなるの…無機質なただの電子音の声…まるでロボットのような無感情な冷たい声にね…』

徹は淡々と語る美佳の言葉にただ硬直していた…知らなかった…徹にはずっと美佳の手術がもっと簡単な物なのだと思っていた…腫瘍さえ取れれば全てが元通りなんだと…浅はかだった…愚かだった…そんな美佳の陰の苦しみ、葛藤、絶望も知る由もなく自分はただのうのうと美佳に接して来たのだ…

『高校生活最後の夏…大切な仲間と共に闘って大好きな事してさッ…18年間一緒に居てくれた自分のこの声とサヨナラしたいんだよねッッ!…だから転移する事なんて怖がってられないんだよね…神様に誓ったんだ…声はあげても命まではあげるもんかッ!て…』

『み、美佳ッッ……』

徹は言葉が出なかった…遠くで花火の音がした…

No.285 08/03/17 08:41
ヒマ人0 

>> 284 ⚾9⚾

台風が逸れ、翌日の沖縄は雲一つない晴天になった…沖縄県営野球場には名門柿添商業が出場するとあって大会最高の人手となっていた…

『すげぇ観客だな…』

『甲子園出場通算12回、うち沖縄県勢初の全国大会準優勝1回…県内では敵なしの古豪だから無理もないけどよッッ…』

試合前の素振りをしながら徹はレギュラーで同じクラスメートの親友の関谷順平に言葉を返した…

『おい集まれッッ!』

監督の号令がかかり16人の選手全員が監督に輪を作った…

『よしッッ!今日が事実上の決勝戦だッ…お前らこの3年間で培った全力を出しきれッッ!…いいなッッ!』

『ハイッッッ!上原の場内アナウンスも聞こえるしきっと勝てますッ!いや、勝ってみせますッッ!な、みんなッッ!』

主将の島袋がそう言うと輪の中に入り全員が気合いの雄叫びをした…

『…香坂ッ…ちょっと来いッッ!』

徹だけ監督の具志堅に呼ばれベンチ裏に入った…

『はい…何すか?』

『…実はな…』

サイレンが鳴り大観声の中傍野南と柿添商業の選手達がグランドに出て試合前のキャッチボールを始めた…

『……に、入院した?…み、美佳がッッ!?』

徹の言葉に具志堅はゆっくり頷いた…

No.286 08/03/17 10:54
ヒマ人0 

>> 285 ⚾10⚾

『昨日の深夜上原のお母さんから連絡があって上原の容態が急に悪化したそうだ…そのまま病院に搬送されて深夜から腫瘍摘出手術に入ったらしい…』

『あ、アイツ…そんなに…そんなに悪かったんですかッッ!?』

具志堅はレギュラー選手に守備練習の用意をしろと伝えた…

『医師の話では手術まではあまり声を出すなとの忠告を受けていたらしい…そういえば最近上原の奴少し声を出すのが苦しそうだったような…』

徹は昨日の砂浜での出来事を思い返していた…

(あれからもずっとアイツあそこで練習を…クソ…無茶しやがってッッ!)

『監督ッ…あ、アイツ…』

『あぁ…解ってる…解ってるって…けど一番辛いのは上原自身だ…』

徹の気持ちを見透かすかのように具志堅は徹の肩を叩いた…

『…行っても…いいぞッッ!…香坂ッッ…』

具志堅は視線をわざとグランドに向けた…

『い…いぇ…今日は大事な試合です…もしかしたら高校生活最後の…美佳だって…きっとそう感じてるはずですから…俺が行ってもすぐ試合に戻れッッ!って…怒鳴りつけると思いますから…』

具志堅は一度地面の土をならしてそうだな…と苦笑いした…

『よしッなら試合に集中しろッッ!』

『はいッ!』

No.287 08/03/17 11:50
ヒマ人0 

>> 286 ⚾11⚾

《♪只今より準決勝第2試合、柿添商業高等学校対傍野南高等学校の試合を開始します…》

両校選手が大歓声と共に一斉にマウンドを挟んだ…一番後ろに並んだ徹は一瞬スコアボードを眺めた…

(美佳…)

マイクから流れるアナウンスは当然の事ながら上原美佳のものではなかった…

『ヨォ~シャみんなッッ!上原の為に勝つぞッッ!』

ついさっき徹に遅れて部員全員が上原美佳の手術の事を監督の具志堅から聞かされたばかりだった…その事が部員全員に改めて気合いを入れ直させる材料となった…

《♪先に守りにつきます傍野南高等学校…ピッチャー、蒲地君…キャッチャー、渡嘉敷(由)君…》

ドンドンと太鼓を鳴らし地元後援会のメンバーと在校生達が選手の名前が呼ばれる毎に声援を送った…控えの徹はベンチの最前列に立ち、じっとグラウンドの同級生達に視線を送っていた…

(美佳…勝つからな…みんなと一緒に全力で…柿商に勝ってみせるからなッッ!)

傍野南エース蒲地の投球練習が終わり柿添商業の一番打者がバッターボックスに入った…

《プレイボールッッ!》

審判の右手が灼熱の太陽にギラリと反射した…

No.288 08/03/17 16:48
ヒマ人0 

>> 287 ⚾12⚾

『手術は成功しました…腫瘍も幸い他の臓器やリンパ節等には転移が確認されておりません…』

南日本大附属病院消化器外科の診察室で美佳の両親はほっと胸を撫で下ろした…主治医の廣沢はそれでも悲痛な顔は崩さなかった…

『しかしそれにもかかわらず…以前にも申し上げましたように…美佳ちゃんの腫瘍は声を出す為に必要な神経組織にまで特殊に浸蝕していて…』

『…解ってます先生…命だけでも助かったんですから…有難うございました…』

美佳の父親が拳を握ったまま静かに廣沢に頭を下げた…

『…今後は言語聴覚士さんと言葉の発声練習等、特別なリハビリをして頂く事になります…』

『廣沢先生…やはり美佳は以前のようにもうまともには話せないんでしょうか?…』

美佳の母親が前のめりになりながら最後の希望を繋いだ…廣沢はとにかく命が助かっただけでもと母親を宥め聞かせた…

『…ある意味命より大切な…あの子の夢を…アァ~…』

母親は父親に泣き崩れた…

『仕方ない…仕方ないんだよ…』

廣沢はでは…と静かに診察室を出た…

『さ!笑顔で美佳に逢いに行くぞッッ!』

美佳の父親は母親の背中を軽く叩くとゆっくり立ち上がった…

No.289 08/03/17 17:42
ヒマ人0 

>> 288 ⚾13⚾

麻酔がうまく効いたらしく、病室の美佳は首に包帯が巻かれている他は手術前と何等変わらないように両親には映った…

『美佳?……よく頑張ったな…』

まるで腫れ物にでも触るかのように美佳の父親はベッドで仰向けに寝る美佳に言葉をかけた…

『美佳ッッ?』

『……』

母親が声をかけても美佳は反応しなかった…いや、声帯の一部を切除されて反応出来なかったというのが正解か…気を効かせた看護師が美佳にそっとメモ用紙とペンを手渡した…無理せずにここに思った事を書きなさい、そういう事だろう…美佳は暫くじっとその紙とペンを眺めていた…そしておもむろに手に取るとゆっくり文字を書き始めた…

《テレビが見たい…》

『テレ…ビ…あ!そ、そうかッッ…そうだなッッ…』

美佳の父親はベッドの横の液晶テレビにカードを入れた…チャンネルを地元沖縄放送に変えた途端、柿添商業の4番バッターが値千金の3ランホームランを打ったまさにその瞬間だった!

『!……』

『アッチャ~…打たれちゃったね…蒲地君』

美佳と同じ母校の若い看護師が悔しそうにため息をついた…

『……』

美佳はただじっと冷静に画面を食い入るように眺めていた…

No.290 08/03/17 18:05
ヒマ人0 

>> 289 ⚾14⚾

『ドンマイ蒲地ッ…まだ攻撃は3回残ってるッッ!』

特大の3ランを打たれ、うなだれてベンチに帰ってくるエース蒲地に徹は声をかけた…7回表を終了し、県内屈指の強豪《柿添商業》相手に傍野南高校は予想以上の善戦だった…1回裏に相手の失策と犠牲フライにより虎の子の1点をもぎ取った後、エース蒲地が緩急を付けた得意のカーブとチェンジアップで6回まで柿商打線を翻弄していたが7回表に3ランホームランを打たれ、3-1と形勢は一気に柿添商業に傾いた…

『オラ島袋ッッ!ミートだミートッッ!』

打席の主将島袋にナインと監督から激が飛ぶ…7回裏の傍野南の攻撃はあっさり3者凡退に終わった…

『大丈夫かな、蒲地の奴…さっきの3ラン…尾を引いてなきゃいいんだが…』

メガホンを潰れるくらい握りしめ、監督の具志堅は苛立ちの貧乏揺すりを始めた…具志堅の嫌な予感が的中した…8回表、四球と二本のヒットで蒲地は無死満塁の大ピンチを迎えてしまった…

『タイムだッッ!おい香坂ッ、伝令だッッ…行って来いッッ!』

具志堅に背中を叩かれ、背番号16がマウンドに伝令に走った…傍野南の内野全員がマウンドに集まった…

No.291 08/03/17 18:31
ヒマ人0 

>> 290 ⚾15⚾

『ほら美佳ッ、トンちゃんだよッ…トンちゃんが映ってるッッ!背番号16ッッ…』

美佳の母親が美佳の肩を抱き必死に画面を観ていた…美佳はただ虚ろな目で背番号16の後ろ姿を追っていた…

『蒲地君…開き直るしかないよな…ここで点取られたら決まってしまうッッ!』

エース蒲地をよく知る美佳の父親が隣で冷静に画面を観ている…

『大丈夫だよッ…蒲地君なら…ね?美佳ちゃんッッ!』

看護師が後ろから声援を送った…背番号16が帽子を取り画面から消えた…傍野南の内野は定位置に戻り試合が再開された…

『頑張ってッッ!傍野南ッッ!』

その瞬間、美佳が突然テレビを消した…

『…美…佳……見ないのか?』

美佳は布団を被るとみんな病室から出て行ってというジェスチャーをした…

『み、美佳……』

美佳の両親と看護師は黙って部屋から立ち去った…布団を被った途端、美佳の目から涙が溢れ出した…次々ととめどなく流れる涙はいつしかシーツをグショグショに濡らしていた…何が哀しいのか、何が悔しいのかが美佳には頭の整理がつかなかった…ただ確かなのはいくら必死に試みても自分の口から発せられない《みんな頑張って!》の一言が出ない絶望感だった…

No.292 08/03/17 19:58
ヒマ人0 

>> 291 ⚾16⚾

『踏ん張れ蒲地ッッ!』

ベンチからエース蒲地への声援が飛んだ…158センチという投手としては決して恵まれた身体とは言い難い蒲地の手からチェンジアップが放たれた!ボテボテの打球はショート島袋の前に飛んだッッ!

『佳ッバックホームだぁぁッッ!』

島袋はゴロを処理するとホームで1アウトを取った…

『ッッしゃッッ!!』

捕手渡嘉敷由典が思わず拳を握った…傍野南応援団から地響きのような歓声が沸いた…

『あと2つあと2つッッ!』

一死直も満塁でベンチから徹の声が飛んだ…

『よぉ~し…落ち着けぇ~…落ち着くんだッッ!』

具志堅が身を乗り出し守備陣に指示を送った…セットポジションから蒲地の3球目が放たれた…

(!しッしまったぁッッ!)

ど真ん中のボールは打者のバットの芯を捉えレフトへ高く上がった!

『レフトォォォッッッ!勝也ぁぁッッ!』

サードランナーがベースに戻りタッチアップの準備をしていた…

(た、頼むッッ、勝也ッッ!)

徹は思わず両手を合わせた!レフトの渡嘉敷勝也がフライを取った瞬間、サードランナーはタッチアップを始めた!

『チキショォォォォッッッッッ~ッッ!ウリャァッッ!』

No.293 08/03/17 20:37
ヒマ人0 

>> 292 ⚾17⚾

『傍高をッッ、ぬぁぁめんなヨォォォォッッッ!』

渡嘉敷勝也の世紀の大遠投だった! 青空に大きく孤を描いたボールは真っ直ぐに双子の兄、捕手渡嘉敷由典に向かってダイレクトに飛んで来た!

『由ッッ!ガードだぁッッ!ガードしろッッ!』

ホームベースで待ち構える渡嘉敷由典にサードランナーがヘッドスライディングを試みた!

ズザザザァッッッッ~!

ベース上で砂煙が濛々と舞った…

『ど、どうだッッ…どうなったッッ!?』

監督をはじめ控え選手が全員身を乗り出した!

『……あ…アウトォォォォッッッ!』

ウオォォォォォッッ!

審判が右手を上げたその瞬間、球場内はまるで傍野南が優勝したかのような大歓声に包まれた…ベンチに帰って来る選手は全員ハイタッチや抱擁で喜びを全身で表した…

『見たかァッ、俺の弾丸返球ッッ!』

『馬鹿ッッ!俺のガードのお陰やぞッッ!』

渡嘉敷兄弟の一世一代のスーパープレイにベンチは一気に盛り上がった…

『さぁ試合はこれからッッ!気を引き締めてガツガツ行けッッ!』

具志堅の激が飛んだ…

(美佳見てるか!?…俺達の夢はここからやぞッッ!)

歓声の輪の中徹は呟いた…

No.294 08/03/17 21:38
ヒマ人0 

>> 293 ⚾18⚾

医局の戸がコツコツとノックされた…

『…み、美佳ちゃん…』

廣沢が扉を開けるとそこに車椅子の美佳がいた…

『勝手に出歩いちゃ駄目だろ?…喉の傷口からばい菌が入ったらどうすんの…安静にしてなきゃ…』

美佳は右手でゴメンと振りをした…

『フフフ…いいよ、どうぞ…中には誰も居ないから…』

美佳は馴れない手つきで車椅子を漕ぎ医局室に入った…

『ん?…紙と鉛筆…要るかい?…』

美佳は頷き紙と鉛筆を手に取ると早速書き始めた…

《先生…助けてくれてありがと…》

『ハハハ…いいよ、そんなのいちいち…』

照れ臭そうに廣沢は缶コーヒーを飲んだ…

『テレビ…観なくていいのかい?野球部の準決勝なんだろ?』

《先生、夢を諦める時ってどんな時?》

美佳は突然そう書き記した…

『…夢カァ~…そうだな…自分を信じれなくなった時かな?…』

《先生私の夢…知ってるよね?》

『あぁ知ってるとも!…素晴らしい夢じゃないか…』

《適当~ッッ!人事だと思って!》

美佳はそう記すとふて腐れた…

『おいおい、適当なもんかッ…僕はね美佳ちゃん、考え方一つだと思うんだ…叶わないと思う事でもさ、目線を変えたらほぅら!って事あるじゃない?』

廣沢は笑った…

No.295 08/03/17 23:11
ヒマ人0 

>> 294 ⚾19⚾

《目線を…変える?》

『そうだよッ…人の数だけ夢の形はあるんだからねッッ?それは自分で見つけるしかない…誰かに頼ってちゃ夢は叶わない…僕はそう思うよ…』

美佳の鉛筆の手が止まった…

『…ん?…どうしたの?』

美佳は暫く無心に考えていた…廣沢はただ黙ってその様子を見ていた…次の瞬間美佳は何を思ったか車椅子を発進させて病室に帰ろうとした…

『!…部屋に帰るんだね?…いいよッッ!送るよッッ…』

廣沢は必死に車椅子を押す美佳の後ろをゆっくりと歩いた…病室に帰るや否や美佳はテレビのスイッチを付けた…

《8番早乙女君も続いたァァッッ!傍野南連続ヒットでツーアウトながら1塁2塁ッッ!傍野南反撃ですッッ!》

試合はまさに8回裏、傍野南高校の攻撃だった…美佳は何かに取り付かれたようにテレビ画面に食い入った…そして一度大きく頷くと引き出しから大事そうに紙袋を取り出し廣沢に手渡した…

『?…なに?これ…』

《先生に頼みがあるの…》

美佳は紙に小さくそう書いた…

『頼み?……』

美佳は両手を合わせて必死に廣沢に頭を下げた…

《この病院から沖縄県営球場まで近いですよねッッ?》

No.296 08/03/18 09:31
ヒマ人0 

>> 295 ⚾20⚾

全国高等学校野球選手権大会沖縄県予選準決勝第2試合8回裏は異様な雰囲気に包まれていた…下馬評では県内屈指の強豪《柿添商業》の圧勝との見方が大半を占めていたこの試合、創部11年目で甲子園初出場を目指す新鋭《傍野南》がまさに互角の戦いを見せていたからだ…

『よしッ!代打今井だッッ!』

今日ノーヒットの板状に代わり勝負強い代打の切り札今井亮介がヘルメットを被り打席についた…2死ランナー1、2塁で長打が出れば同点の場面、右打席の今井亮介はじっと投手を睨み付けた…

『亮介ッッ、力抜けッ!リラックスリラックスッッ!』

ベンチから必死に徹が声を出した…

《ストライクツーッッ!》

相手投手の速球で今井はツーナッシングと追い込まれた…

『今井ッ…バットをもっと短く持てッッ!当たれば飛ぶからッッ!』

徹の声に今井は拳一握り短く持つと一度大きく息を吐いた…うだるような暑さの中3球目が投げられた!コツ~ッッ!快音とは言い難い今井の打球はフラフラとライトとセカンドの中間に上がった!

『!、お、落ちるッッ!回れッッッッ!』

全員が打球の軌跡を追った!セカンドランナーの島袋は一気に走り出した!

No.297 08/03/18 10:24
ヒマ人0 

>> 296 ⚾21⚾

打球は柿添商業ライトのダイビングも虚しく緑の芝生の上で跳ねた!

『ッッシャァッッッッ!』

2塁ランナーの代走島袋(幹)が一気にホームを駆け抜けた!ウワァッッッッッ!この試合一番の大歓声が球場内に響き渡った!

『よしッッ、あと1点ッッ!あと1点ダァァッッッッ!』

ベンチはまるで盆と正月が一緒に来たような興奮に包まれた!予想外の展開に柿添商業スタンド応援団からどよめきが起こっていた…こんなはずは!学ランの応援団長もチアガール達もそんな顔付きでグランドを眺めていた…次の打者は凡退に終わったが流れは一気に傍野南に傾いていた…

『よしッッ!9回きっちり抑えて裏の攻撃に全てを賭けようぜッッ!』

主将の島袋がナインに声をかけた…

⚾⚾⚾


病院の医事課の職員に外出すると声をかけると廣沢は車に乗り込んだ…

(間に合うかッッ…)

エンジンをかけ、白いセダンは急発進した…信号待ちで廣沢は備え付けのカーテレビを付けた…

《9回表、傍野南高校またまた大ピンチを迎えてしまいましたッッ!》

アナウンサーの搾り出すような声に廣沢はフゥ~とため息をついた…

(頑張れッッ!…傍野南高校ッッ)

廣沢は心の中で呟いた…

No.298 08/03/18 11:41
ヒマ人0 

>> 297 ⚾22⚾

無死2、3塁…マウンド上のエース蒲地は8回に続き絶体絶命のピンチを迎えていた…連投の疲れからか球が上擦り、柿添商業打線に甘い球を痛打されていた…

『監督からの伝令だ…何とか踏ん張れッッ!ここを踏ん張れば奇跡は起こるッッ!』

再び伝令に出た徹が内野手全てに視線を送った…

『ッッしゃみんな気合い入れて守り抜くゾォォォォッッッ!』

グラブを叩き主将の島袋がみんなに気合いを入れた…初夏の太陽が守る傍野南ナインに容赦なく照り付ける…蒲地はゆっくり投球に入った!

『!ッッな、何ぃぃッッッ!?』

捕手渡嘉敷由が思わず声を上げた!打者は打つ構えから突然バントの構えに変えたッッ!

『す、スクイズだぁッッッッッッ!』

ボールは打者のバットにコツンと当たるとフェアグランドに転がった!予めスタートを切っていた3塁走者が渡嘉敷由に突進して来た!

(ま、間に合うッッ!)

蒲地は慌ててマウンドを下り転がるボールをグラブで掴むとそのまま渡嘉敷由にトスした!砂煙を上げてランナーと渡嘉敷由がホーム上で交錯した!

《あ、アウト…アウトォォォッッ!》

審判の手が上がった…スタンドがさらに沸き上がった…

No.299 08/03/18 12:43
ヒマ人0 

>> 298 ⚾23⚾

9回表を何とか無失点に抑えた瞬間、病室のベッドの上で美佳は合わせた手を額に移し

(よしッッ!)

と息を吐いた…そして美佳は今この興奮の瞬間、あのバックスクリーンのスコアボードで名前をアナウンスしながら部員達の勇姿を見る事が出来ない事が心底悔しかった…

(頼むみんなッッ…勝ってッ!そして私の夢を繋いでッッ!)

声にならない心の叫びが美佳の全神経をいっぱいにしていた…まるで志半ばにして果たせなかった自分の夢を傍野南ナインに託すかのように美佳は祈った…

《ヒットヒットッッ!最終回先頭打者の関谷君がセンターに弾き返しましたッッ!》

テレビのアナウンサーはまるで劣勢の傍野南を贔屓しているかのような大声で叫んだ…

(お願いッッ…何とか繋いで1点…いや、サヨナラでもいいからッッ!…)

美佳の感情が一気に膨れ上がったその瞬間だった!自分の身に何が起こったのか美佳には解らなかった…頭の中が真っ白になり美佳の身体はスローモーションのようにゆっくりと床に落ちて行った…ガシャン!花瓶が割れる音がした…隣の病室にいた看護師が物音に気付いて美佳の病室に駆け寄った!

『!ッッ…み、美佳ちゃんッッ!?』

No.300 08/03/18 16:29
ヒマ人0 

>> 299 ⚾24⚾

《俊足関谷すかさず盗塁成功しましたァッッ!最終回傍野南高校同点のチャンスが広がりましたァッッ!》

球場内に地割れのような大声援が波打ち塁上の関谷はベンチに向かってガッツポーズをした!

『ッし、島袋ッッ!きっちり送れッッ!』

2番主将の島袋がランナーを進める送りバントを成功させると場内は異様な程の興奮に包まれた!誰があの名門柿添商業相手にここまでの接戦を予想したであろうか、1死3塁という絶好の同点期の場面、傍野南高ナインは全員総立ちとなり3番レフト渡嘉敷勝也に全てを託した…

『勝也ッッ!ヒーローになれッッ!』

『力むなッッ!当てて行けッッ!』

押せ押せムードのベンチは全員が一丸となっていた…柿添商業のエースは肩で息を吐き明らかに動揺していた…カウント2-2からの5球目ッッ!渡嘉敷の放った打球はセンター浅く上がった!

(ちッ、チキショッ!無理かッッ!)

誰もがタッチアップを諦めた瞬間、関谷が帰塁し、何とタッチアップの態勢に入った!

『や、やめろッッ関谷ッッ、浅いッ、無理ダァァッッ!』

センターが捕球と同時に関谷はホーム目掛けて突進した!

『む、無理だ!浅いッッ!』

No.301 08/03/18 16:52
ヒマ人0 

>> 300 ⚾25⚾

センターの矢のような送球がバックホームに向かって放たれた!

『うっラァァァッッッッッッっ!』

関谷は返球されてくるボールすら目に入らずひたすらホームベースに突進した!

『頼むゥゥゥゥゥッッッ!』

ベンチ、いや…傍野南高校応援団全員が祈るような気持ちで関谷の生還を信じた!ボールは関谷の滑り込んだ足よりも早くキャッチャーミットに納まっていた!

『!ッッ…クッソォォォォォォッッッ!』

渇ききった土のグランドに今日一番の砂埃が舞った…

『!……ど、どっちだッッ!』

誰もが目をつむった…タイミングは完全にアウトだった…

『………』

『!…ッッ、』

球場の全ての目が本塁審判に注がれた!徹はゴクリと唾を飲み込んだ…

《……アウ…》

ナイン全員が頭を抱えようとした!

《…い、いや…セーフセーフセーフッッッ!》

(え?……)

柿添商業の捕手のミットから白球が零れ落ちていた!ウワァァァァァァァァッッッッッッッッ!関谷の足が捕手のミットを捉えていた…関谷の気迫が捕手のキャッチミスを誘ったのだ!

《同点同点ッッ!何と傍野南高校、最終回に同点に追い付きましたぁァッッッ!》

ナイン全員が関谷に覆いかぶさり喜びを露にした…

No.302 08/03/18 17:19
ヒマ人0 

>> 301 ⚾26⚾

(や…やりなやがったなぁコノコノコノッッチキショッめ!)

運転中の廣沢も興奮の余り思わず拳を振り上げていた…同時に車は沖縄県営球場の駐車場に止まった…

『す、すみませんッッ、球場の放送室って何処ですかッッ?』

駐車場にいた警備員に掴みかからん勢いで廣沢は真っ先に球場のアナウンス室の場所を聞きそこに向かい走った!

『す、すみませんッッ!』

『…だ、誰です?』

長い階段を駆け上がり廣沢が扉を開けると熱気立つ狭いアナウンス室の中に二人の男女がいた…

『ち、ちょっと貴方ッッ、誰の許可でこんな場所まで…駄目ですよ入っちゃ!』

眉間に皺を寄せおそらくアナウンスの全てを統括するらしき男性と廣沢は部屋の外に出た…

『た、頼みがあるんですッッ!』

『頼みぃ?見ての通り今試合の最中で忙しいのッッ!話しなら後に…』

『今じゃなきゃ駄目なんですッッッ!』

廣沢の気迫にその男性は一瞬たじろいだ…

『放送室の中にカセットデッキってありますよね?』

『あ…ま、まぁ…』

廣沢は美佳から手渡された紙袋の中身を取り出した…

『カセットテープぅ?…これがどしたの?…アンタまさかッッ!?』

男性は何かを察したような驚いた顔付きになった…

No.303 08/03/18 18:02
ヒマ人0 

>> 302 ⚾27⚾

試合は3-3の延長戦に突入した…10回表、エース蒲地の疲労はもはや限界に達しつつあった…先頭打者に四球を与え何とか2アウトは取ったものの続く2人の打者に連続死球を与え、またもや満塁のピンチを迎えていた…

『大丈夫か?カマ…』

『あぁ、大丈夫…ここは意地でも抑えるからッッ…』

蒲地は捕手渡嘉敷由典にポンと背中を叩かれタイムを解いた内野手が定位置に散った…

《♪4番ファースト、奥村君…》

大歓声と共に7回に逆転の3ランを放った柿添商業の主砲、奥村がゆっくりと打席に入った…

『監督…蒲地…もう限界なんじゃ…』

ベンチで徹が具志堅に言葉をかけた…

『分かってる…しかし予選の試合は全てアイツが投げ抜いて来たんだ…ここまで来たらアイツと心中だ…』

具志堅は片膝に肘をついてじっと戦況を見つめていた…

《ボールスリーッッ!》

カウントは0-3となった…柿添商業スタンドから歓声が上がった…

(まずい…もうボールは投げられないッッ!)

蒲地が投げた4球目のカーブだった…

カキィィィィッッッ~ン!

打った瞬間入ったとわかる打球はグングン伸びてレフト渡嘉敷勝也の遥か上空に消えて行った…

No.304 08/03/18 18:34
ヒマ人0 

>> 303 ⚾28⚾

10回表が終了した…《7-3》…肩を落として失意に満ちた顔で傍野南高校ナインはベンチに引き上げてきた…

『…ごめん…みんな…』

蒲地がナインに謝った…

『バカ…何言ってんだよッッ…お前はよく投げたよ、ここまで…な、みんな!』

主将の島袋が気丈にエース蒲地を慰めるとナイン全員がそうだよッ!と肩を叩いた…

『野球は最後まで何が起こるか解らない素晴らしいスポーツだ…それに巡り逢えたお前らも最高に素晴らしい経験をしてきた…最後まで諦めずに仲間達と一緒に全力を出し切れッ…いいな?』

円陣の真ん中の具志堅はナインにそう告げた…主審が具志堅の元に歩み寄って来てさき程の攻撃時に柿添商業の選手がスライディングで足を怪我したとの事で治療に少し時間がかかると報告してきた…

『という事だ…静かに待て…』

ナインは試合再開までベンチに入った…熱戦に水を差すようにグランド係員が整地を始めた…

『4点差カァ…ハァ~…』

『コラ終わった訳じゃないぞセキッッ…俺達にはまだ《10回裏》が残ってるんだ!』

腕組みをしてため息をつく関谷に徹が言葉をかけた…

『あ~ぁ…神風なんて吹かないかなぁ~』

関谷は天を仰いだ…

No.305 08/03/18 18:54
ヒマ人0 

>> 304 ⚾29⚾

『…事情はよく解りましたが、しかしそんな事この試合で出来る訳ないでしょうがッッ…』

廣沢の必死の懇願に男性は困り顔でため息をついた…

『お願いしますッッ!別にそんな事は駄目だと高校野球大会規約には書いて無いはずですッッ!』

『確かにそうですが…ハァ~…』

『…別にいいじゃないですか、赤城さん…』

廣沢と赤城というその男性の会話に入って来たのはさっき放送室にいた女性だった…

『あ、この試合の選手アナウンスを担当させて貰っています大会ボランティアの手塚と申しますッ…』

手塚という女性は廣沢に丁寧に頭を下げた…

『お話聞こえてしまいました…私に出来る事なら協力させて下さい…元はといえば私だって代役なんですから…』

『あ、ありがとうございますッッ!』

廣沢はカセットテープを取り出すと手塚と共に放送室に入った…赤城はハァ~、勝手にやってよ~というジェスチャーをすると二人に続いて放送室に入って行った…

『幸運な事に今試合が中断している所ですッッ…早く編集しましょう!さ、赤城さん!』

手塚は赤城と一緒にカセットテープの中身を聞き始めた…

No.306 08/03/18 19:55
ヒマ人0 

>> 305 ⚾30⚾

柿添商業の選手の治療が終わり、審判団がグランドに散った…

『よしッ!始まるぞッッ!』

傍野南高校4点差を追う10回裏の攻撃が始まった…

《♪10回の裏…傍野南高校の攻撃…》

この回の先頭打者、セカンド早乙女が打席に入ったその時だった!

《♪8番…セカンド、早乙女君ッッ!》

傍野南ナインが一斉に球場放送室があるスコアボードに視線をやった!

『お、おい…い…今の後の声…』

『う、上原の声…だよなッッ!?』

『ま、まさかッッ!?…上原なのかッッ!?嘘だろッッ!』

ナインは全員総立ちになり驚いた…昨夜喉の緊急手術で今日此処にいないはずのあの上原美佳の声が確かにアナウンスで流れてくるではないかッッ!

『か…監督ッッ!』

徹は具志堅と顔を見合わせただ驚いて言葉が出なかった…

『上原だ…確かに上原の声だッッ!あいつ何でッッ!』

渡嘉敷勝也も由典も島袋も今井もナイン全員がこの場所にいるはずのないその上原のアナウンスの声を確かに聞いたのだ…

《プレイッッ!》

審判の掛け声で試合が始まった…

(美佳…お前ッッ…!)

徹が我に帰ると8番早乙女が初球をレフト前に運んでいた!

『ッッシャァッッ!見てろよ上原ッッ!』

No.307 08/03/18 20:37
ヒマ人0 

>> 306 ⚾31⚾

放送室では手塚と赤城が美佳のテープの編集に右往左往していた…

『次はラストバッター比紀君ですッッ!』

『はいよッ、準備オッケーだ!』

赤城は9番で9回から守備に付いていた比紀雅人のアナウンスを用意した…

『でもこれって凄いですッ…傍野南ナインがどんな組み合わせ、守備、打順の巡り会わせにも対応出来るように選手全てのパターンのアナウンスが録音されてありますッッ!…何百というパターンを完璧にッ…全てを網羅、録音するのはかなり時間がかかったでしょうねッ…』

『確かに…僕も初め彼女からこの話を聞かされた時、まるで信じられませんでした…彼女が我が身を削ってまでずっとこんな過酷な作業をしていたかと思うと何だか…これは彼女の傍野南ナインへの愛情、自分の存在価値を残す為の挑戦だったんでしょう…』

赤城と手塚は改めてまだ見ぬ上原美佳という女子高生の果てなき最後のメッセージを感じずにはいられなかった…

『さぁお喋りは後だッ…次次ッッ!』

赤城は美佳が録音した1番打者、関谷幸生のアナウンスを探した…

(美佳ちゃん…見てるかい…君の天使の声が今からナインに奇跡を起こすからねッッ!)

廣沢は気合いを入れた…

No.308 08/03/19 08:41
ヒマ人0 

>> 307 ⚾32⚾

『神風だ……』

『え?…』

『これが神風なんだよ徹ッッ!』

順平の双子の弟関谷幸生が嬉しそうに徹にそう言うと手にペッと唾を吐き一度気合いを入れ直すとネクストバッターサークルに歩み出した…

(み、美佳…お前いつの間にッッ…まさか自分が近く声が出せなくなる事を予想して…美佳ッッ!)

その時傍野南高校応援スタンドからまた凄まじい歓声が上がった!

《続いたァァァッッ!途中から守備についていた比紀君も内野安打で繋げた~ッッ!ノーアウト1、2塁ッッ、傍野南最後の最後に執念の粘りを見せますゥゥゥゥッッッ!》

『ッッシャァッッ、よう繋げた比紀ッッ!』

ベンチは正にお祭り騒ぎだった…まるで美佳のアナウンスが起爆剤になってしまったかのように各選手がまだいける!逆転出来る!と信じて生き生きとプレーしているようだった…

(上原が…俺の名前を呼んでくれるッッ…)

関谷はゆっくり打席に入った…

《♪1番ファースト、関谷幸生君…》

『ッッッッしゃぁぁッッッッありがとよッ!上原ァッッ!』

上原のアナウンスの声に関谷は打席でバットを大きく二度回すと構えに入った!

『♪かっ飛ばせッッ幸生ッッ幸生ッッ!♪』

柿添商業の投手が投球に入った!

No.309 08/03/19 10:58
ヒマ人0 

>> 308 ⚾33⚾

『くぉっレガァァァッ、傍高魂ダァァァァァッッッッッ!』

渾身の力で振り切った関谷の打球は1塁線ギリギリを地を這うように鋭く切り裂いた!

《フェアーッフェアーッッ!》

ウワァァァァァァッッッッ!

1塁審判が大きなアクションを見せると大歓声が地響きのように兒玉したッッ!

『回れッッ、回れッッ!』

3塁コーチャーはじめ、ベンチの傍野南高校ナイン全員が総立ちとなり腕をグルグルと回したッッ!2塁ランナー早乙女が生還した…1塁ランナー比紀も3塁を落とし入れ、打った関谷は2塁へヘッドスライディングをして雄叫びを上げた!

『見たカァァァァッッッッ!ウォォォォォッッッ!』

関谷は泥だらけの顔で腰の辺りで何回もガッツポーズを見せた…

『凄いッッ!いけるぞッッ!美佳の声がッ、ナインに火を付けちまったッッ!』

具志堅は手をパチンと叩くと生還した早乙女とハイタッチした…7-4、なおも無死2、3塁という傍野南高校の大チャンスとなっていた…柿添商業内野手はタイムをとりマウンドに集まった…

『島袋ッッ、いい球だけ狙い撃てッッ!』

ヘルメットを目深に被り主将2番島袋がゆっくり打席に向かった…

No.310 08/03/19 11:21
ヒマ人0 

>> 309 ⚾34⚾

『…す、凄いッ…完全にスイッチ入っちまったじゃねぇか…傍高の選手…』

赤城が頭を掻いた…放送室でも廣沢、手塚、赤城が傍野南の驚異の粘りに目を丸くしていた…

『この声…彼女の声は彼らにとってまるで魔法のおまじないなんですね…』

手塚が廣沢に言葉をかけた…

『えぇ…部活の3年間苦しい時も嬉しい時も励まされ続けて来た彼らにとっての最高の活力剤なんだと思いますッ…』

手塚は廣沢の言葉に優しく微笑んだ…

『赤城さんッ…こんな無理聞いて下さって本当にありがとうございますッ!美佳ちゃんも傍高ナインもみんな喜んでると思いますッ、赤城さんのお陰ですッ!』

廣沢は編集作業中の赤城に頭を下げた…

『よッ、よせやいッ…アンタに礼言われる筋合いなんて…ハハハ…礼なら手塚ちゃんに言っとくれぇな!』

根は優しい方なんですよッ!と手塚が付け足すと赤城は馬鹿野郎ッ、と言って照れ隠しをした…

(さぁ、後は美佳ちゃんの為に奇跡を起こすだけだぞッ!傍高ナインッッ!)

廣沢が再びグランドに目をやったその時ッッ、廣沢の携帯電話が鳴った…

『はい廣沢です……はい…は……え、…何ですって!?…う、嘘…ですよねッッ?』

No.311 08/03/19 12:23
ヒマ人0 

>> 310 ⚾35⚾

《2番ショート…島袋君ッ!》

柿添商業投手がセットに入ると3塁走者比紀、2塁走者関谷がゆっくりリードを始めた…

《♪押~せ~押~せ~押せ押せ押せ押ぉ~せ!》

傍野南高校スタンドから地響きのような合唱が始まった…カウント2-1からの4球目、島袋の構えがバントに変わった!

『な、何ぃッッッ!?』

『スクイズッ…い、いや、セフティースクイズだぁッッッッ!』

島袋は誰もが異表をつくセフティースクイズを試みた!3塁線に転がった打球を見て3塁走者比紀がスタートをかけた!柿添商業3塁手はホームを諦め1塁島袋をアウトにした!

『ッッシャッッ!』

ウワァァァァァァァッッッッ!

『やったな、島袋ッッ!』

してやったりの表情で島袋がベンチに帰って来た…

『あと2点ッッ!あと2点で追い付けるッッ!頼んだぞッ勝也ッッ!』

1死3塁…得点差は2点…

《♪3番レフト…渡嘉敷勝也君…》

上原のアナウンスに渡嘉敷勝也がゆっくりと打席に入った…

(2点差…一発出れば…同点ッッ!)

渡嘉敷勝也はヘルメットをバットでコツンと叩くと構えに入った…

『ッッしゃ来いッッッッッッッ!』

  • << 313 ⚾37⚾ 『勝也ッッ!よく球を見ろッッ!』 カウント2-2となり具志堅がメガホンで指示を送ると3番渡嘉敷勝也はフゥ~と息を吐きゆっくりと構えに入った… (頼むッ、勝也ッッ!) ベンチで徹は目を閉じ祈った…柿添商業ピッチャーが5球目を投げたッッ! 『!ッッ…ふんッッ!』 渡嘉敷勝也の鋭い打球はライナーとなり三遊間に弾き返された! 『!ッッしゃぁァァァァッッッ!』 ベンチ全員が打球の行方を追った… (抜けたッッッ!) 誰もがそう思った瞬間、渡嘉敷勝也が放ったライナーはダイビングした柿添商業ショートのグラブの中に吸い込まれていた! 《ア…アウトッッ!》 『チッキショォォォッッッ!』 ベンチのナインはガクリとうなだれた…ツーアウト3塁となり球場内は騒然となった… 『みんなッッ!何肩落としてんだよッッ!試合はまだ終わっちゃいないんだぜッッ!』 徹がいきなり立ち上がりナイン全員に激を飛ばした… 『そ、そうだな…野球は2アウトからだ…』 『そうだ!勝敗なんて最後まで解らないんだッッ!』 最後まで声を出そうとナイン全員がベンチ前に乗り出した! 《4番キャッチャー…渡嘉敷由典君ッッ》 (上原…奇跡を見せてやるッ!)

No.312 08/03/19 13:07
ヒマ人0 

>> 311 ⚾36⚾

『こ、こ、昏睡状態ってッッ…そ、それどういう意味だッッ!?一体何があった!?』

電話越しの廣沢の大きな声に赤城と手塚は驚いた…廣沢はすぐ帰るとだけ告げると悲痛な表情で携帯電話を閉じた…

『廣沢先生…な、何かあったんですか?』

尋常ではない廣沢の顔を見て手塚が声をかけた…

『…美佳ちゃんの…上原美佳の容態が悪化したと病院から…』

『!ッッて、し、手術は成功したんじゃないのかいッッ!?』

赤城が自分の事のように心配した…

『とにかく電話では詳しい事はッ…こ、ここはお二人にお任せしますッ!僕は病院に戻りますッッ!』

言うが早いか廣沢は放送室の扉を開けて廣沢は駆け出して行った…

『…赤城さんッッ!』

手塚は赤城の言葉を待った…

『と、とにかくあれだッッ…少女の方は先生さんに任せてよ、お、俺達は今出来る事を必死でやり遂げるまでさッッ!』

そうですねと手塚は頷いた…

(頑張って美佳さんッッ!彼らだって今必死に闘ってるのよッッ!)

手塚は一度深呼吸をするとテープの編集作業と録音された美佳の肉声を場内に流す作業に集中した…

No.313 08/03/25 20:37
ヒマ人0 

>> 311 ⚾35⚾ 《2番ショート…島袋君ッ!》 柿添商業投手がセットに入ると3塁走者比紀、2塁走者関谷がゆっくりリードを始めた… 《♪押~せ… ⚾37⚾

『勝也ッッ!よく球を見ろッッ!』

カウント2-2となり具志堅がメガホンで指示を送ると3番渡嘉敷勝也はフゥ~と息を吐きゆっくりと構えに入った…

(頼むッ、勝也ッッ!)

ベンチで徹は目を閉じ祈った…柿添商業ピッチャーが5球目を投げたッッ!

『!ッッ…ふんッッ!』

渡嘉敷勝也の鋭い打球はライナーとなり三遊間に弾き返された!

『!ッッしゃぁァァァァッッッ!』

ベンチ全員が打球の行方を追った…

(抜けたッッッ!)

誰もがそう思った瞬間、渡嘉敷勝也が放ったライナーはダイビングした柿添商業ショートのグラブの中に吸い込まれていた!

《ア…アウトッッ!》

『チッキショォォォッッッ!』

ベンチのナインはガクリとうなだれた…ツーアウト3塁となり球場内は騒然となった…

『みんなッッ!何肩落としてんだよッッ!試合はまだ終わっちゃいないんだぜッッ!』

徹がいきなり立ち上がりナイン全員に激を飛ばした…

『そ、そうだな…野球は2アウトからだ…』

『そうだ!勝敗なんて最後まで解らないんだッッ!』

最後まで声を出そうとナイン全員がベンチ前に乗り出した!

《4番キャッチャー…渡嘉敷由典君ッッ》

(上原…奇跡を見せてやるッ!)

No.314 08/04/11 11:26
ヒマ人0 

>> 313 ⚾38⚾

渡嘉敷由典はゆっくり構えに入った…

(2死3塁…点差2点…)

『由典ッッ!繋いでいけッッ!』

ベンチの徹が喉が切れんばかりに打席の渡嘉敷由典に叫んだ!

(…頼む由典ッ…美佳の為にッ、傍高みんなの為にッッ…奇跡を起こしてくれッッッ!)

セットポジションから柿添商業ピッチャーの第3球目が投じられた!

(!クッ…あ、甘いッッッ!)

渡嘉敷由典は甘く入ったカーブを思い切り掬い上げたッッ!

カキィィィィィィ~ッッッン!

球場全体がその瞬間時間が止まった…渡嘉敷由典が放った打球はグングン伸びセンター頭上を襲った!

『!ッた!?イッタかッ!』

柿添商業センターが背面に打球を追った!球場内が大歓声に包まれた!

『ぬッ…抜けろォォォォォ~ッ!』

『は、入れッッ!そのままッッ!』

具志堅監督はじめ傍高ナインが身を乗り出すように打球の行方を追った…全員の瞼に薄い入道雲が映り込んでいた…

(よしッッ!入れッッッ!)

徹は思わず天に祈った!その時初夏の青空に一瞬だけ上原美佳のあの笑顔が徹自身の瞼に映り込んだ気がした…三年最後の野球部の夏だった…

No.315 08/04/11 12:10
ヒマ人0 

>> 314 ⚾39⚾

『…こうなってしまった原因は実際の所私にもよく解りません…精神的疲労と術後の一時的興鬱状態から美佳ちゃんの身体に何等かの障害が加わってしまったとしか考えられないんです…』

上原美佳の主治医である廣沢は美佳の両親に彼女が昨日から昏睡状態に陥った経緯をこう告げた…

『咽頭癌摘出のオペは間違いなく成功しました…医者である私がこんな事を言うなどおかしな話なんですが…後は彼女が…彼女自身が奇跡を起こすだけ…ただそれだけです…』

レントゲン灯にかけられていた上原美佳の脳のMRI画像をバサリと引き抜くと廣沢はうなだれる上原美佳の両親に頭を下げた…

『大丈夫だよ…美佳は強いから…』

美佳の両親は長椅子が並べられた待合室で肩を落としていた…

『!…せ、先生…』

美佳の父親が自分達の前に静かに立つ具志堅と香坂徹の姿を見つけた…

『…大変でしたね…』

具志堅は他に言葉が見付からないのかただそう美佳の両親に告げた…

『具志堅先生…残念でしたね…ラジオ聴いてました…』

『…い、いや…選手達はよくやってくれましたから…満足です…』

徹は肩を落としただうずくまりながら泣いている美佳の母親をじっと見ていた…

No.316 08/04/11 12:32
ヒマ人0 

>> 315 ⚾40⚾

開け放した病室から渇いた爽やかな風が吹いて来る…

『お、おばさん…』

『!…トンちゃん…さ、入って!』

何かをしていないと落ち着かないのか、翌日徹が美佳の病室に見舞いに行くと美佳の母親はしきりに林檎の皮を剥いていた…それがすぐそばで死んだように眠る美佳に食べさせる林檎でないにせよ…

『…4日間眠ったまんまなの…まるで生きてないみたいでしょ?だけどちゃんと息はしてるのよ…』

精神的疲労からか美佳の母親はまるで我が子を飼っていた動物か何かのように例えた…

『あ、さっき柿添商業…甲子園出場決まりました…』

『…そう…ごめんね…野球見る暇なくて…』

徹は今この場で話す事でもなかったと後悔した…昏睡状態で生死をさ迷う我が子の看病をする母親にとってそんな事どうでもいい事だ…徹は身を乗り出してじっと深い眠りにつく上原美佳の顔を眺めた…喉元に巻かれた包帯以外はいつも見ていたあの上原美佳の綺麗な顔だった…

『……美佳…ごめんな…約束果たせなくて…負けちゃったよ…傍高…』

『……』

美佳の母親は気を利かしたのか少し散歩に出ると言って病室を後にした…二人きりの病室にまた爽やかな風が舞った…

No.317 08/04/11 12:54
ヒマ人0 

>> 316 ⚾41⚾

『由典の大飛球は柿商センターのグラブにフェンス一歩手前でパシッ!…納まっちゃった…ハハハ…あと一歩だったんだけどな…』

徹の独り言に美佳の身体はピクリとも反応すらする事なくただ呼吸機器のスー音だけが部屋中に漂っていた…

『…なぁ美佳…あのまま傍高が同点に追い付いてさらに延長って事になってたとしたらさッ…俺にも出番あったのかな…どう思う?』

徹はすぐ目の前にある美佳の小麦色に日焼けした細く長い指に触れようとして止めた…

『みんな喜んでたぜッ…幸も島も渡嘉敷兄弟も…お前に名前呼んでもらえて…アナウンスして貰えて…凄く喜んでたんだからなッ…それで始まったんだから…あの奇跡の10回の裏が…』

当然反応のない美佳を見て徹は一度フゥ~と息を吐いた…

『…香坂…徹君だね?』

突然背後から声がして徹が振り向くとそこに美佳の主治医、廣沢が立っていた…

『はじめまして…美佳ちゃんの喉の手術をした主治医の廣沢です…』

『…は、はぁ…』

『ちょっと…いいかな?』

廣沢は徹を廊下に呼び出した…そして試合の延長であのアナウンスが流された経緯を徹に伝えた…

『…美佳の奴…アイツ…』

『美佳ちゃんから君に渡して欲しい物があるって…これ…』

No.318 08/04/11 13:16
ヒマ人0 

>> 317 ⚾42⚾

(カセットテープぅ~…?)

廣沢から手渡されたのは一枚のカセットテープだった…

『な、何ですかこれ…』

徹はカセットの裏に書かれてある文字を見つけた…

『《あの砂浜で…聞け》?…な、何の事だろ…《あの》って何処のだよッ!』

廣沢はそれだけ徹に手渡すと惜しかったな!とだけ告げて長い廊下に消えて行った…


⚾⚾⚾

美佳のお気に入りの夕暮れの砂浜はいつもと変わらぬ風景で徹を迎えてくれた…夕日が射す水平線から何隻もの漁船が長い漁を終え港に帰って来る…つい先週来たばっかりの美佳と一緒でないその白い砂浜は徹にとって何故か何処か他の砂浜に見えてならなかった…徹は砂浜のど真ん中に腰掛けると家の物置から持って来た古びた銀色のカセットデッキに美佳のテープを差し込んだ…

《ヤッホ~!トンちゃんッッ!元気ッッ!?私デェ~す!上原の美佳ちゃんですヨォ~!》

『フッ…わ、解ってるってッッ…』

突然大声で流れ出したテープの声に徹は思わずツッコンでいた…テープから流れる美佳の声に徹は思わず笑った…同時にもう何年も耳にしていないような懐かしさと淋しさが交錯した…

No.319 08/04/11 13:39
ヒマ人0 

>> 318 ⚾43⚾

《…トンちゃんがぁ~このテープを聴いてるって事はぁ~…ウェ~ン…我が青春の母校、沖縄県立傍野南高等学校は見事柿添商業に負けちゃったって事カナ?…ハハハ、当たり?》

『……み、美佳ッ…』

徹はじっと耳を澄ませて美佳の声を聴いていた…

《実はねトンちゃん…美佳はもうすぐ喉の手術に向かいます…残念な事に今日は傍高の大事な大事な準決勝戦なんだけど…こんな事になり悔しいけど仕方ないよねッ!…フフフ、だからこの録音はトンちゃんが美佳の声を聞く事が出来る本当に本当の最後になっちゃいます!…エヘヘ…》

(美佳…お、お前…)

《トンちゃん…私の夢は報道アナウンサーになる事だった…けどその夢もう叶えられそうにないから…だったら最後に…この声が出るうちに部員み~んなにマネージャーらしい事してあげたいと思いました…かなり喉痛かったんだけど頑張って録音しました…みんな…私の最後の声聴いてくれたよね?…フフフ、決して美声ではないけどねッ、キャハ…》

遠くで終業のサイレンがけたたましく鳴った…徹の瞼が熱くなった…

No.320 08/04/11 13:59
ヒマ人0 

>> 319 ⚾44⚾

《傍高の三年間は最高でしたッ!…友達の大切さを学び野球の素晴らしさに感動し…そして叶えられなかったけど自分の夢を見つける事が出来ました…先生や両親、友達や部員、みんなみんなに感謝感謝で一杯ですッッ…》

徹の目から涙が溢れた…

《あ、もしかしてこの辺りで泣いてたりしてェ~!ヤァ~い、トンちゃんの泣き虫ィ~ッッ!》

徹は思わず照れながら涙を拭いた…

《でもね…そんなトンちゃんが…》

『!…ん?』

《そんなトンちゃんが…トンちゃんが…》

『……』

徹は唾を飲み込んだ…

《そんなトンちゃんが大好きですッッ!これからもきっと…人生補欠だって大好きですッッ!エヘヘ…》

(ば、馬鹿ッッ…)

《さぁ立てッ!香坂徹ッッ!早くッッ!》

(へ?…立…つ?)

美佳はその場で徹に立って打者のように構えろとテープで指示した…

《今から人生の延長戦に入りますッッ!》

『…な?…何なんだ?』

《⑦番ピッチャー蒲地君に代わりまして…代打、香坂君ッ!背番号16ッッ!》

(み…美佳ッッ…ありがとう…美佳ッッ!)

地平線に真っ赤な夕日が静かに落ちた…


~10回の裏~完

No.321 08/04/12 11:42
ヒマ人0 

>> 320 【⑰】~掴む男~


✂1✂

『あ~んッッ!もう少し右だったじゃん!下手くそッッ!』

女子中学生の小枝子はどうしても《超電子戦記コンバットビュー飛鳥》の縫いぐるみが欲しかった…しかし無情にも最後のお小遣いの200円はその想いと共に泡と消えてしまった…

『絶対取ってやるッ!任せろって言ったのは何処の誰よッッ!責任取ってよねッ真ッッ!』

『…んな事言われてもサァ…』

小枝子の同級生で幼なじみの茂田井真(まこと)はフゥ~とため息を付いた…

『だいたいサァ…こんな縫いぐるみ店で買えばいいだろッッ…いちいちUFOキャッチャーなんかで取らなくてもさ…』

『解ってない…真アンタ本当に解ってないよ…いい?この紫の飛鳥は激レアなのッッ!コンバットビューシリーズでも1番人気のこのUFOキャッチャーでしか取れない究極最高のお宝なのよッッ!』

『…し、知らねぇよ…んな事ッッ!興味ねぇもん…』

真は帰るわ!と鞄を背負った…

『ち、ちょっと待ってよッッ!取ってくれないのッッ!』

小枝子は真の袖を持ち引っ張った…

『自分で取りゃいいじゃんか~こんな事人に頼むなって!』

『…酷いッ…私がUFOキャッチャー下手なの知ってるくせにッッ!』

No.322 08/04/12 12:20
ヒマ人0 

>> 321 ✂2✂

(アァ…私の愛しの飛鳥様…)

真が呆れて帰った後も小枝子はずっとゲームセンターのUFOキャッチャーの器械のガラスに顔を押し付け名残り惜しそうにその縫いぐるみを見つめていた…

(…ハァ~…あの愛しの紫の飛鳥様を私のこの手の中に抱きしめさせてくれる王子様…何処かに居ないカナァ…)

先月UFOキャッチャー限定の紫の飛鳥があると知人に聞いた時から小枝子は地元千葉県内のありとあらゆるゲームセンターを探し回ってやっとの思いで紫の飛鳥が一体だけ入っているこのゲームセンターのキャッチャーを見つけたのだ…

(…こんな目の前にいるのに私の思いが…手が届かないなんてッ…まるで甘酸っぱい片思いね…グスン…)

器械に向かってブツブツ訳の解らない事を呟く小枝子を他の客がジロジロと眺めていた…

『苦戦してるようだね、お嬢さん…カッカッカ!』

意気消沈する小枝子に声をかけたのはこのゲームセンターのキャッチャー担当の片桐という年配従業員だった…

『おじさん…お願いッッ!この紫の飛鳥様私に売って下さいッッ!死ぬ程手に入れたいんですッ!』

『カッカッカ…悪いがお嬢さん…それはUFOキャッチャーの景品だ…売る訳にはいかない…カッカッカ!』

No.323 08/04/12 13:04
ヒマ人0 

>> 322 ✂3✂

『どうしても売ってくれないの?』

『あぁ…欲しいなら取るしかないねッ…カッカッカ!』

『私…飛鳥様を取る為にもう幾ら使ってると思ってんですかッッ!ケチッ…ドケチ!』

片桐は私には関係ないといった顔で不精ヒゲを指で整えると勝ち誇ったような顔つきでコインスロットコーナーに去った…

(チキショッ!毎日あしげく通ってる常連にこんな仕打ちってあるッ!?…じ、地獄に堕ちちゃえッッ!ベェ~だ!)

小枝子はまた深いため息をつくと床に置いたままの鞄をゆっくりと担いで肩を落としゲームセンターの玄関を出ようとした…

(!…ん?)

『目標確認ッッ!右斜め前方の俯き加減のアンパ○マン!』

小枝子の耳に大きな声が入って来た…小枝子はその大きな声の方を向いた…

(へ?…)

そこには全身迷彩柄の派手な服を着た40前後の奇妙な男性が立っていた…どうやら人気キャラクターのUFOキャッチャーをしているみたいだ…

(…あんな大の大人が真剣にマァ…ハハハ…馬ッッッ鹿みたい!)

小枝子は玄関を出ようと扉を開けた瞬間また迷彩服男の大きな声がした!

『よしッッ!目標確保ォォォォッッッ!』

その瞬間見事にアンパ○マンが宙に浮いていた…

No.324 08/04/12 13:28
ヒマ人0 

>> 323 ✂4✂

(すッ、凄いッ…チョット凄くないッあれッ…)

目を丸くした小枝子は玄関を出るのを一旦止めると両替械に身を潜めその迷彩男の様子を暫く眺めていた…迷彩男は数あるキャッチャーの器械を物色するようにゆっくりと見て回り、そしていきなり立ち止まると店内に響き渡らんばかりの大きな声を出した!

『次の目標確認ッ!ドラゴンボール孫○空のキーホルダー右手掛けッッ!発射ァァァァァッッッ!』

お金を入れキャッチャーのアームが動き出した…

『…!ムッ、ここだぁァァァッッッ!』

迷彩男は下降ボタンを押した!アームは見事にキャラクターの右手部分に引っ掛かるとアームと共にゆっくりと宙に浮いた!

『確保ぉッッ!オラ、見事孫○空確保ダゾッ!』

迷彩男はキャラクターの物まねをし、高らかに拳を突き上げると周りをも気にする事なく吠えていた…

(…な、何アレ…す、凄い…プロだ…キャッチャーにも…プロがいたんだッッ!)

今の小枝子にはその奇妙な迷彩男の気持ち悪さよりも確実に目標を捕え一発で成功させるそのキャッチャーの腕にただただ驚愕していた!

(これよッ…彼だわ…彼しかいないッッ!私の王子様ッ!)

小枝子は迷彩男に近付いた…

No.325 08/04/12 14:04
ヒマ人0 

>> 324 ✂5✂

『あ…あのぅ…』

小枝子は迷彩男の横に立つと不安げに声をかけた…

『…ん?…何だ少女ッッ…この僕に何か用か?』

(し、少女って…タハハ…)

見るからに奇妙な男だった…頭はスキンヘッドでどこの国の物か解らない腕章をつけ、人一人しまい込める位の黒い巾着袋を肩にかけた誰がどう見ても《あぶない奴》の象徴ともいえる男だった…

『あ…ハハハ、凄いですね…』

『…何がだッ?ん?言ってみたまえ…このイカした身なりがか?』

迷彩男の軍人口調はどこか威圧感があった…

『いや、その…UFOキャッチャー…全部一回で…ハハハ…実は見てましたッ…』

小枝子は頭を掻きながら出来るだけ下手に出ようと決めた…

『当然だァァァァッッッッ!僕を誰だと思ってるんダァーッッ!』

いきなりの大声に小枝子は驚いて耳を塞いだ!

『ッて!…そ、そんな大きな声を出さなくても聞こえますからッッッ!で、誰なんですかッおじさんは!?』

『…名乗る程の者ではない…』

(何よそれッ…さっき誰だと思ってるんダァ~て言ったじゃん…!)

支離滅裂な会話に小枝子は頭が痛くなりそうだった…

『で…僕に何の用だね、少女…』

『あの…実はですね…取って貰いたいキャッチャーの景品がありまして…』

No.326 08/04/12 14:31
ヒマ人0 

>> 325 ✂6✂

『これなんですッ…』

小枝子は迷彩男を紫の飛鳥があるUFOキャッチャーの前に連れて来た…

『…ホゥ…あの紫の小僧の縫いぐるみか…』

(小僧って何よ小僧ってッッ…失礼なッ…飛鳥様よッッ!コンバットビューの窪内飛鳥様ッッ!)

『何回やっても取れないんですッ!けど私どうしてもあの紫の飛鳥様が欲しいんです…だからその…おじさんの腕を見込んで代わりに取って頂けないかと…アハハ…』

迷彩男は腕組みをしながら暫くじっとその縫いぐるみを眺めていた…

『お願いできますか?』

『……』

迷彩男はキャッチャーの器械の周りを一周すると険しい顔付きで言葉を発した…

『少女…結論から言おう…あの小僧を確保するのは無理だッッ!』

『え…む、無理ってそんなぁ…どうしてですかッッ?あんなに身体も浮いてるし…さっきのおじさんの腕ならいとも簡単に…』

『甘いな少女…サトウキビにグラニュ糖かけて食べる位甘いッッッ!』

迷彩男はゆっくり側の椅子に腰掛けた…

『甘いって…どうして出来ないんですかッッ!?』

小枝子は一気に意気消沈した迷彩男に詰め寄った…

『いいか少女…UFOキャッチャーはそんなに甘いもんじゃない…生きるか死ぬかの世界だッッ!』

No.327 08/04/13 06:34
ヒマ人0 

>> 326 ✂7✂

『いいか少女…あの小僧の縫いぐるみをもう一度よく見てみたまえッッ!』

迷彩男は立ち上がると紫の飛鳥の縫いぐるみを指差した…

『身体は完全に浮いてはいるがほぅら…縫いぐるみに付いているタグが下の縫いぐるみに絡み付いているのだ…』

小枝子はそれがどうしたの?と首を傾げた…

『ンア~ッッ、まだ解らんのかッッ!つまり身体の部分がうまく持ち上がったとしてもだッッ!あの絡み付いたタグのせいでいくらアームで引き上げようとしても下の縫いぐるみの重みでおそらくあの小僧は落ちてしまう…』

『…じゃあつまりあのタグの部分を外さなきゃいけないって事?そんなのッッ…お金が幾らあっても足りないじゃないッッ!』

小枝子は迷彩男に詰め寄った…

『だから僕はさっきあの小僧を吊り上げるのは無理だと言ったのだッッ!僕はこう見えても百戦錬磨のキャッチャーの達人…本当の達人はな、負け戦はせんのだッッ!諦めたまえ少女ッッ!ほれ、代わりにこれを進呈しよう…シマシマ寅のしまじ○うの可愛い縫いぐるみだッッ!』

迷彩男は巾着袋からさっき獲得した戦利品の縫いぐるみを小枝子に差し出した…

『い、要らないです…寅は…私は飛鳥様が…』

No.328 08/04/13 06:57
ヒマ人0 

>> 327 ✂8✂

『おじさんお願いですッッ…私千葉県内を探しに探してやっとの思いでここで一体だけ紫の飛鳥様を見つけたんですッッ!毎日取れずに諦め家に帰っても他の誰かにこの飛鳥様を吊り上げられるんじゃないかって不安で不安で夜もろくに寝れないんですってばッッ!だからどうかッッ…どうか私のこの一途な願いを聞いて下さいッッ!』

小枝子は半ば泣きそうになりながら迷彩男に懇願した…

『……なるほど…悲痛な願いだな少女ッ!…縫いぐるみ一つにここまで命をかけれるなんて…まるで俄虫しゃらに青春を駆け抜けた昔の若い僕を見ているようだ…』

迷彩男は暫く腕組みをしながら思案すると小枝子の肩を叩いた…

『!とッ、取ってくれるのおじさんッ!?紫の飛鳥様をッッ!』

『…いいか少女ッよく聞け…人間何事も辛い険しい苦労があってこそ最高の幸せが訪れるものだ…』

『はぁ……で?』

『僕がここであの小僧をいとも簡単に吊り上げたとしよう…少女はそれで本当に満足だろうか…』

『はい…とても満足ですッ!』

『いや違うッッ!それは本当の満足感達成感ではないッッ!』

小枝子はまた首を傾げた…

『本当の満足感とは自らの手で勝ち取るものだァァッッ!』

No.329 08/04/13 07:17
ヒマ人0 

>> 328 ✂9✂

『まッ…まさか…私に取れなんて言わないでしょうねおじさん…』

小枝子は迷彩男の鬼気迫る目に不安を擡げた…

『…これでも私はキャッチャーの達人だ…依頼人と目標確保の契約を交わすとなると莫大な報酬を貰わねばならんッッ…今の少女にそれほどの報酬が払えるとも思えんからな…しかしここで会ったも何かの縁ッ!少女が頑張ってこの小僧確保に精進するというのなら微力ながらこのキャッチャーの達人の僕がアドバイス報酬は無料で力になろうではないかッッ!どうだ?』

『あ…あのおじさん?…そ、そんな大層な事ではないんですよッ…ただおじさんがサクッと手っ取り早くこの紫の飛鳥様を私に取って頂けたならそれでいいんで…ハハハ…』

小枝子は話せば話す程疲れてくるこの奇妙な迷彩男に次第に不快感を覚え出して来た…

『初対面でこんな事を言うのは悪いが少女…そんなやわで中途半端な気持ちの持ちようではこの難航不落の小僧の縫いぐるみは確保出来ないぞッッ!悔しかったら人に頼らず根性見せて自らの手で栄光を勝ち取ってみろッッ!』

『ハァ~もういいです…解りました…おじさんには頼みませんからッッ…』

小枝子は諦めるとゆっくり玄関に歩き出した…

No.330 08/04/13 17:34
ヒマ人0 

>> 329 ✂10✂

(あ~ん私の愛しの紫の飛鳥様ァッッ~!どうか誰のものにもなっていませんようにッッ~!)

学校にいる間も小枝子の心は落ち着く事がなかった…現国の教科書を頭に乗せ祈るような気持ちで小枝子は6時間目終了のチャイムを待った…

『おい小枝子ッ~今からみんなでカラオケ行くんだけどお前も行くだろ?』

『行かないッ…悪いけど帰るッッ!じゃね、バイバイ!』

真の誘いを断り掃除当番も友達に任せると小枝子は急いで鞄に教科書を詰め込み学校を飛び出した…

(飛鳥様ッ…飛鳥様ッ…ハアッ、ハアッ…お願いッッ!今日も無事再会出来ますようにッッ!あの爽やかな笑顔に会えますようにッッ!)

小枝子は電車に飛び乗ると何度も祈りながら隣り街にある例のゲームセンターに向かった…20分後にゲームセンターに到着した小枝子は財布の小銭を確認した…

(神様ァ~!私神崎小枝子、断腸の思いで宝物だった漫画とCDを全て売りに出してお金に替え全身全霊をコンバットビュー紫の飛鳥様に捧げる決心を致しましたッッ!どうか小枝子のこの想い…優しく受け取って下さいッッ!)

小枝子はよし!と拳を握り締めると紫の飛鳥が入っているUFOキャッチャーの台に向かった…

No.331 08/04/14 08:45
ヒマ人0 

>> 330 ✂11✂

『ムフフ…少女…やはり来たかッッ!』

紫の飛鳥のUFOキャッチャーに向かおうとした矢先、背後から聞き慣れた声がした…

『!…お、おじさん?』

振り向くとそこに例の迷彩男が昨日と全く同じ身なりで立っていた…

『来ると思っていたぞ、少女ッッ!やはりあの小僧を諦め切れぬようだな…』

迷彩男はニヤリと笑った…

『あ、あのッッ!もうおじさんには頼りませんから…気が散るんであっち行っといてもらえますッッ!?』

『ほぅ…自らの力で小僧を吊り上げるというのだな…ムフフ…そうだッ!その気合いこそがキャッチャー達人への道の第一歩だッ!』

『あ、あのねおじさん…私は別にキャッチャーの達人になりたいなんてこれっぽっちも思ってませんからッッ…私はただこの紫の飛鳥様さえこの手に抱きしめさえすればそれでいいんです…超満足なんですッッ!』

迷彩男は何も言わず腕組みをすると黙ってキャッチャーの中の景品の山を覗き込んだ…

『ムムッ!…こ、これはッッ!』

キャッチャーの台の中を覗き込んだ迷彩男の驚いた顔に小枝子も思わず動揺した…そして次の瞬間小枝子の目に飛び込んできた事実…

『!…な、ない…む、紫の飛鳥様の縫いぐるみがッッ…な、な、無くなってるッッッ!』

No.332 08/04/14 10:55
ヒマ人0 

>> 331 ✂12✂

『…少女ッッ…残念だが目標は既に猛者により確保されたようだ…』

『…う、嘘ッ…たった一体しかない…む、紫の飛鳥様…だったの…に…あんなに探し求めて…やっと…アァ…』

小枝子は崩れるように膝から落ちた…小枝子はあまりのショックでそこから動く事すら出来なかった…

『ム…たかがキャッチャー…されどキャッチャー…という事だ少女ッッ…この世界はまさに生きるか死ぬかの真剣勝負!キャッチャーはまさに箱の中の小さな戦場なのだッ…悔しいだろうが仕方あるまい…少女はよく戦った…諦めよッ少女ッッ!ほら、僕がさっき確保した《いたずらスティ○チ》の縫いぐるみを進呈しよう…だから元気を出せッッ!』

小枝子の余りの意気消沈ぶりに迷彩男はかける言葉を失いつつあった…そして同時に迷彩男は今までこれほどまでにキャッチャーに命をかけた人間は自分以外見た事がないと半ば驚きを隠せなかった…

『どうしたのお嬢さん…そんな所で寝そべって…』

ふいに声をかけてきたのは年配従業員の片桐だった…

『…と、と…取られちゃったんですッッ…私の愛しの紫の飛鳥様ッッ!何処の誰だか解らないけど…超KYの卑怯者ッッ!』

小枝子は肩を落とした…

No.333 08/04/14 11:30
ヒマ人0 

>> 332 ✂13✂

『アァ…お嬢さんが狙っていたあの紫の縫いぐるみならまだあるよッ…』

『…え…ほ、ホントにッ!?』

小枝子の垂れた重い頭が一気に持ち上がった!

『キャッチャーの機械が調子悪くてね…あの台毎昨日業者に修理に出したんだよッ…あの紫の縫いぐるみならほらッ、あの隅のキャッチャーの台に移してある…カッカッカ!』

片桐の話しが終わるや否や、小枝子はバタバタと一目散にそのキャッチャーの機械に駆け寄った…

『!…あ…アァ、あったぁ~…私の愛しの紫の飛鳥様ァァァ~ッッ!こんな店の片隅にポツンと置かれて…ナ、何ともおいたわしや…』

まるでショウウインドーに飾られた宝石を穴が開く程見つめる女性の如く、小枝子は一瞬にして幸せに包まれた…

『あ…有難うおじさんッッ!私が欲しいって言ってたから紫の飛鳥様だけこっちの機械に移しておいてくれたんですよねッッ…有難う…ホントに有難うッッ!』

『カッカッカ…ウチも商売だからね…ドンドンお金使ってもらわないとね…』

店の事情はどうあれ小枝子には紫の飛鳥と再会出来た事が取りあえず嬉しかった…

『聞き捨てならんな…主…』

突然あの迷彩男が口を挟んで来た…

『ん?…アンタ誰?』

No.334 08/04/14 12:05
ヒマ人0 

>> 333 ✂14✂

『今何と言った?…商売だからジャンジャンお金を使ってもらわないとだとぉ?主、貴様確かに今そう言ったな!?』

迷彩男は小枝子と片桐の間にヌゥ~ッと割って入ると片桐を睨み付けた…

『そ、そうだよッッ…それの何が悪いんだッッ…普通にいとも簡単に景品取られちゃぁ商売上がったりでしょうがッ…』

『ち、ちょっと止めてよッ…口出ししないでよッおじさんッッ!』

小枝子は二人の大人の険悪な雰囲気に割って入った…

『聞き捨てならんッッ…僕は納得いかんぞ主ッッ!』

『部外者のアンタにとやかく言われる筋合いはないよッッ!それにほら、こうしてこのお嬢さんの為にだけこの縫いぐるみを残してあげたんだ…感謝されても非難される覚えはないがねッッ!』

片桐と迷彩男は紙一枚入るか入らないかといった間隔で睨み合いを続けた…

『キャッチャー一筋20年のこの僕を見くびるなよ主ッッ!少女を騙せてもこの僕の目は欺けはしないぞ主ッッ!』

迷彩男はゆっくりキャッチャーの機械の前に仁王立ちした…

『何なんだお嬢さん…このイカれた男は…知り合いか?』

『い、いぇ…昨日初めて…ちょっと変わってるんです、気にしないで下さいッッ!アハハハ…』

No.335 08/04/14 16:58
ヒマ人0 

>> 334 ✂15✂

『ほぅ~…この少女の為だとぉ?そんな上辺だけの冗談をよくもイケシャアシャアと口に出来たものだッッ!』

迷彩男は片桐の胸倉を掴んだ!

『ち、ちょっと止めてよおじさんッッ!暴力反対ッッ!片桐のおじさんは私の為を思ってこうして紫の飛鳥様を取り置きしておいてくれたんじゃないッッ!そんな優しい人の事悪く言わないでッッ!おじさんこそ何よッッ!いきなり変な格好で現れて変な事ばっか言って…少しはキャッチャーが上手いからって調子に乗らないでよッッッ!』

小枝子は片桐にかかった迷彩男の手を解くと咳込む片桐に大丈夫ですか?と優しく呟いた…

『し、少女ッッ、騙されてはいけないッッ!いいかよく聞けッッ…ぼ』

『おじさんの話なんか聞きたくナァ~いッッッ!どっか行ってよッッ!』

小枝子の両手は迷彩男の身体を凄い力で押した!ガタンと迷彩男は飛ばされ灰皿の角で頭を打ち付けた!

『…クッ…そ、そうか…少女…僕の話を聞いてはくれないのか…』

『そうよッッ!どっか行きなさいよッッこの変態UFOキャッチャーおたくッッ!』

迷彩男はゆっくりと立ち上がると巾着袋を肩に抱え、小枝子の顔を一度見るとそのまま店から立ち去ってしまった…

No.336 08/04/14 19:37
ヒマ人0 

>> 335 ✂16✂

(アァ~ン!また駄目ダァ~ッッ!ビクともしないじゃんッッ!)

その日から小枝子の孤独な戦いが始まった…一日500円以内と決めて毎日のように紫の飛鳥が静かに佇むそのゲームセンターに足を運んでいた…

『カッカッカ、どうだいお嬢さん?お目当ての縫いぐるみはまだ取れないのかい?』

ニヤついた顔付きで片桐が近付いてきた…

『ハァ~…おじさん…もう限界ッ…私の虎の子の侘しいお小遣いが底をついて来たヨォ~!…ハァ~…』

『カッカッカ…どうしたんだい、最初の威勢の良さはッッ…まぁ頑張りなさいッッ、カッカッカ…』

(こんなにまで注ぎ込んでるのにッ、このお店に貢献してるのに…何か冷たいんだよなァ…)

顔では優しく振る舞ってくれるがどこか冷たい片桐に小枝子の心は次第に落ち込んでいった…紫の飛鳥が吊り上げられぬまま数日が過ぎた頃通い詰めているコインスロットの常連客から小枝子は奇妙な噂を聞いた…

『うそ…嘘でしょ?そんな事…』

『ホントだよッッ!キャッチャー担当の従業員が縫いぐるみの中に重り入れてるの俺この目でバッチリ見たんだからッッ!ありゃ詐欺だぜ詐欺ッッ!』

小枝子は信じられなかった…まさか片桐さんがそんな事…

No.337 08/04/14 19:56
ヒマ人0 

>> 336 ✂17✂

(まさか…そんな酷い事…しないよね…)

小枝子は常連客の言葉がずっと引っ掛かっていた…片桐さんを信じたいけど確かめたい…その日から小枝子は他のゲームをするフリをしながらそれとなく従業員の片桐を監視していた…

(…う、嘘でしょ…そ、そんなぁ!)

数日後の閉店間際の客が誰もいないキャッチャーコーナーにいた片桐に小枝子は目を疑った!なんと片桐はキャッチャーの人気のあると思われる景品の縫いぐるみの中に何やら黒い物体を入れ込んでいるではないかッッ!

(そ、そんな…酷いッッ!みんなが大事なお金で頑張って必死で吊り上げようとしてる景品の中に重りなんてッッ…あんなのいつまで経っても無理じゃない!あ、あのお客さんの言った事ホントだったんだ…きっと紫の飛鳥様の中にもッッ…ゆ、許せないッッ!)

小枝子の中で怒りの炎が燃え上がった!

『見たよッおじさんッッ!縫いぐるみの中に何入れてるのッッ!?』

小枝子は片桐の前に仁王立ちして不穏な動きをする片桐を睨みつけた!開き直ったのか片桐は詫びる様子もなく信じられない言葉を小枝子に放った!

『これがどうかしたかいお嬢さん…店の景品をどう扱おうか私の勝手だよ、カッカッカ!』

No.338 08/04/14 20:36
ヒマ人0 

>> 337 ✂18✂

『そ、そんな事しておじさん…良心が咎めないんですかッッ!UFOキャッチャーを楽しむのは何も私みたいな学生や大人ばかりじゃないんですッッ!人気キャラクターを吊り上げようと健気に頑張る小さな子供だっているんですッッ…なのにこんな…酷いッッ!酷すぎるッッ!』

『何とでもいいなさい…カッカッカ!一方で原価何円ともかからないこんなチンケな景品欲しさに目が眩み必死に金を注ぎ込む馬鹿な大人だっているんです…ここは私のお店ですッ!私が何をしようと私の自由なんですッ!カッカッカ…』

片桐は小枝子を睨み付けた!

『カッカッカ!悔しいかい?そうだろうね~ッ…悔しかったらほれ、取ってみなさいよッッ!お嬢さんの愛しの紫の飛鳥様をね!ギャハハハハ!』

『鬼ッ!悪魔ッッ!信じてたのにッ…優しいおじさんだって今の今まで信じてた私が馬鹿だったッ!』

小枝子は何も出来ずにただ悔しさと怒りが混じり合って自分をどう制御すればいいのか解らなかった…店の玄関を飛び出した小枝子は泣きながら走り出した…

(クソッ、クッ…このままで済まさないッ!キャッチャーを心から楽しむ人達の為にも絶対に絶対に許さないッッ!)

No.339 08/04/14 20:52
ヒマ人0 

>> 338 ✂19✂

『身長は165㌢くらいで丸坊主、いつも派手な迷彩柄の服を着て黒い巾着袋を担いでる目茶苦茶UFOキャッチャーが上手いちょっと危ない変なおじさんなんですッッ!知りませんかッッ!?』

次の日から小枝子は千葉県内のゲームセンターを次々訪れ、あの迷彩男を捜し回った…

『さぁ…知らないネェ~この店には来た事ないかな…』

『そうですか…』

小枝子はあの日の哀しそうな迷彩男の最後の目を思い出していた…

(おじさん…あの時きっと…きっとおじさんは全部解ってたんだよね…なのに私…おじさんに冷たく当たってしまって…ごめんねおじさん…)

ベンチに腰を降ろすと小枝子は人の中身を見抜けない自分自身が情けなくなった…

(アァ…逢いたいな…おじさん…今の私には…おじさんの力が必要なの…あんなインチキ親父が二度とあんな酷い事出来なくする為には…おじさんの力が必要なの…お願いおじさんッッ!力を貸してッッ!何処にいるのおじさんッッ!)

小枝子は決意した…あの迷彩男を捜し出し、片桐にリベンジする日が来るまでは絶対に諦めないと!…

No.340 08/04/15 11:12
ヒマ人0 

>> 339 ✂20✂

(あ~ァ…何処に居るのッ…おじさんッッ!)

何の手掛かりもなく幾日か過ぎた頃、捜索を続ける小枝子に思わぬ奇跡が起こった…

(お…おじ…さん…お、おじさんダァッッッ!)

隣町の小さな商店街のゲームセンターに男はいた!スキンヘッドに迷彩柄の服、黒い巾着袋に時折あげる奇声…それは間違いなくあの男だった…

『おじさんッッ!おじさんッッ!私ですッッ私ッッ!』

小枝子はプ○キュアのキャッチャーの台を真剣に眺める迷彩男の後ろから肩を叩いた!

『…ん?…誰だ?』

『嘘ッッ、解るでしょ!ほらえ~ッと…あ、紫ッッ、紫の飛鳥様ァ~のッッ!』

『!お、オォ!あの時の少女ではないかッッ!』

迷彩男の持つ巾着袋の中には相変わらず凄い数のキャッチャーの景品が入っていた…

『こんな所で何をしているッッ…してその後あの小僧は確保出来たのか?』

『…ごめんなさい…おじさん…』

『何を謝っているのだ…少女に謝ってもらう筋合いはないが…それよりほら見てみなさいッッ!キュアア○アが…』

『ちょっといいかな…おじさん…シェイク奢るからさ、付き合ってよ…』

小枝子はそう言うと迷彩男の袖を掴みゲームセンターから出た…

No.341 08/04/15 11:42
ヒマ人0 

>> 340 ✂21✂

『ほぅ…これがマ○クシェイクという飲み物カァ…プロテインに似ているな…』

ファーストフード店の3階の1番端の席に小枝子と迷彩男は座った…

『おじさん…ごめんなさい…変態キャッチャーオタクだなんて言っちゃって私…』

小枝子は申し訳なさそうに頭を下げた…

『少女…謝る事はない…紛れもない事実だからな…はっきり言おう!僕は変態だしオタクだ…』

小枝子は少し微笑んだ…

『やっぱりあの片桐の親父…ズルしてたのッッ!景品に細工して簡単に吊り上げられないように縫いぐるみの中に重りを入れてねッッ!酷いと思いませんッッ!?』

『…僕の思った通りだ…以前からアソコの景品にはどこか不審な点が沢山あったからな…』

迷彩男はストローを抜き取ると全体をベロリと舐めた…

『おじさん私悔しいんですッッ!紫の飛鳥様が取れなかった事よりも、みんなが楽しむUFOキャッチャーにあんな酷い細工してるって事がッッ!今までもあのインチキ親父に泣かされてきたお客さんだってかなりいるはずだし…だからお願いおじさんッッ!仇を取って!』

『仇とは…穏やかではないな少女…僕にどうしろと言うのだ?』

小枝子は身を乗り出して迷彩男を見つめた…

No.342 08/04/15 16:34
ヒマ人0 

>> 341 ✂22✂

『片桐のインチキ親父と約束してしまったの…もし片桐の見ている前でたった一回きり、200円だけで紫の飛鳥様を吊り上げる事が出来たならあの親父は今迄の行いを悔い改め、謝ってもいいと…』

『なぬ…で、少女は呑んだのかその約束…』

小枝子は首を縦に振った…

『ねぇおじさんッッ!おじさんのあの目を見張るキャッチャーの極意を私に伝授してッッ!お願いしますッッ!これはUFOキャッチャーを愛する人達の未来をかけたたった一度の最初で最後の真剣勝負、おじさんのアドバイスがないと私…私…お願いします、おじさんッッッ!』

小枝子は深々と頭を下げた…暫く沈黙が続いた…迷彩男はじっと腕組みをしながら目をつむっていた…

『…貧乏だったんだ…』

『…はいッ?』

『僕のウチは超が七つ程つくくらいの貧乏家族でな…両親がくれるのは二ヶ月に一度のたった200円のお小遣いだけだった…しかし僕にはそのお小遣いの日が楽しみで楽しみでならなかったのだ…』

迷彩男は目を閉じながら幼少期の話を始めた…

『その頃ちょうど流行っていたんだよ…こいつがな…』

迷彩男は小枝子の目の前でキャッチャーのアームを掴む真似をした…

No.343 08/04/15 16:52
ヒマ人0 

>> 342 ✂23✂

『おじさん…』

『少女…何故僕がここまでキャッチャーの達人と呼ばれるようになったのか解るか?それは毎日が真剣勝負だったからだ…当時金持ちで何でも買って貰える級友達を見ていて僕は思った…自分は貧乏だ…貧乏は貧乏なりに金持ちと同じように何とか幸せを勝ち取りたいッッ!…それが、その一途な想いがキャッチャーの道へと僕を駆り立てたのだ…何千円も払えば簡単に手に入れれる玩具を持つ金持ち達を見て痛感した…貧乏な僕が残された道はただ一つッッ!この200円という虎の子の金であいつらと同じ物を手に入れてみせる事ォッッ!それが今の私の全てなのだ…』

『あ…熱いですね…相当…』

小枝子は迷彩男の話を真剣に聞いていた…

『とにかく…おじさんはキャッチャーに対する愛情が半端じゃありませんッッ…だからこそ私はこの勝負にはおじさんが…おじさんのその熱いソウルが必要なんですよッッ!どうかお願いしますッッ!私のそばでアドバイスして下さいッッ!』

迷彩男は店員にシェイクのお代わりを頼んだがお金払って下さいと見事に断られた…

『お願いします、おじさんッッ!』

『……良かろう…少女の熱いソウルに免じて助太刀いたすッッ!』

No.344 08/04/15 17:22
ヒマ人0 

>> 343 ✂24✂

『カッカッカ…ようやく来たねお嬢さん…首を長~くして待ってたよ~』

翌日小枝子と迷彩男は紫の飛鳥様があるあのゲームセンターの玄関をくぐった…奥から脳天気な顔付きで片桐が姿を現した…

『いいかいお嬢さん…200円だ、たったの1プレイでこの紫の縫いぐるみを引き上げてみたまえッッ!まぁ100%無理だろがね…カッカッカ!』

いつの間にか小枝子の回りには人だかりが出来ていた…

『!おや?…後ろの男は助っ人かい?おやおや、アドバイスを頼むのかい…カッカッカ!いくら達人にアドバイスを受けた所で所詮ボタンを押すのはお嬢さん…繊細で微妙なアームの落下角度が解りきるとも思えませんなぁ…カッカッカ!』

『少女ッ!相手の挑発には動揺するなッッ!今は集中だッッ!昨夜のイメージトレーニングを静かに脳裏に思い浮かべるのだッッ…』

『う、うん解ったおじさんッッ…』

迷彩男は小枝子の緊張をほぐそうと優しく言葉をかけた…

『さぁ、では始めましょうか…UFOキャッチャー一発勝負ッッ!カッカッカ…』

嫌味な片桐の合図で小枝子はゆっくりと紫の飛鳥が中央に静かに眠る台の前に立った!

No.345 08/04/15 17:48
ヒマ人0 

>> 344 ✂25✂

『いいか少女…この台のアームは落下時に左斜めにずれていく癖がある…予め目標より少し右寄りでアームを止めろッ!』

『う、うん…解った…けど紫の飛鳥様の中には重りが入ってるわ…アームが耐えれるかな…』

『落下ポイントさえ間違わなければ大丈夫だ…落下目標は縫いぐるみの右脇と左頚部、これを外すとまず吊り上げる事は出来ないッッ!いいか、慎重にな…最後は自分自身を信じる事だ…少女ならやれるッッ!自信を持つんだッッ!』

迷彩男のアドバイスに一度大きな深呼吸をすると小枝子は100円硬貨2枚をチャリンと機械の中に投じた…辺りが静まり返った…誰もがその異様な緊張感と雰囲気に呑まれていた…

(まず右→①ボタン…落ち着いて~小枝子ッッ…)

小枝子の指がボタンに掛かった!心臓の音がドクドクと聞こえた…♪ピロピロピロ~電子音が渇いた室内を埋め尽くした…

(!ここだぁッッッッ!)

アームは紫の飛鳥の手前で見事計算通りに止まった!

『よ、ヨシッ、完璧だッッ!左右はこれ以上の位置はないッッ!』

思わず迷彩男が拳を突き上げた…

『問題は前後の位置だ…これで全てが決まるッッ!』

小枝子は一度唾を飲み込むと↑②ボタンを押した!

No.346 08/04/15 18:09
ヒマ人0 

>> 345 ✂26✂

♪ピロピロピロ~緊張感漂う室内には場違いな可愛いらしい電子音が響いた…アームはゆっくり縦方向に軌道を進めた…

(そうだ…そのまま…そのままだッッ!)

迷彩男は祈るようにアームの軌道を眺めていた…その時余りの緊張感で小枝子のボタンを押す手が微妙に狂った!

(は、早いッッッ!まずいッッッ!)

小枝子が思わず心で声を上げた!アームは目標より少し手前で停止すると口を開き、掴む態勢に入った!

(だッ、駄目ッッッ!このままじゃ紫の飛鳥様の胴体部分を吊り上げてしまうッッ!失敗だッッ!)

『カッカッカ…残念ですね…この位置だとアームで吊り上げる事は不可能ッッ!カッカッカ、私の勝ちですなッッ!』

片桐が高笑いを始めた…

『黙れ主ッッ、アームはまだ降りてないッッ!勝負はまだ終わった訳ではないぞッッ!』

迷彩男が片桐を睨み付けた!しかしアームは片桐、小枝子の予想通り胴体部分をガシリと掴んだ!

『む、無理だよッッ、どうしようッ、失敗しちゃったおじさんッッッ!』

『馬鹿ッ少女ッッ、最後まで自分自身を信じろッッ!信じるんダァーッッッッ!』

アームからスルリと紫の飛鳥の縫いぐるみが抜け落ちた!

(だ、駄目ェェェェッッ!)

No.347 08/04/15 18:30
ヒマ人0 

>> 346 ✂27✂

『あ~ぁ…ありゃ駄目だッッ!』

そこにいた客の殆どがそう思ったまさにその瞬間だった!

(……え……!)

諦めに目を閉じていた小枝子がゆっくり目を開いた瞬間にそれは起こった!

『そ、そんなぁ…嘘でしょ!』

片桐が頭を抱えた…

(う…そ…あ、飛鳥様…紫の飛鳥様がッ…宙にッ、宙にう、う、浮いているッッ!)

小枝子は思わずガラスにしがみついた!紫の飛鳥の縫いぐるみはタグの部分が完全にアームに引っ掛かったままそのままゆっくりと吊り上げられたまま景品受け取り口にポトンと吸い込まれた!

『き…奇跡だ…や、やった…遂に…遂に紫の飛鳥様を私がッ…このキャッチャー音痴の私が…嘘…信じらんない…』

『そんな…ば、馬鹿な…有り得ないッッ…』

余りのショックに片桐はその場に倒れ込んだ…ウワァ~ッッ!一瞬間が開いた後すぐにギャラリーからその奇跡的な吊り上げ技に心からの祝福の拍手喝采が沸き起こっていた…

『やった…やったんだ私…』

小枝子の頭の中は真っ白になった…それは念願悲願であった愛しの縫いぐるみ、紫の飛鳥をゲットした事よりもむしろ一つの事を成し遂げた達成感のほうが今の小枝子をより強く彼女を支配しているようだった…

No.348 08/04/15 18:50
ヒマ人0 

>> 347 ✂28✂

『ヤッタァッッッ!ヤッタヤッタッッ~!遂にやったよおじさ…え?…お、おじ…さん?』

小枝子が紫の飛鳥をその手に抱きしめ振り向いた時にはもうあの迷彩男の姿は消えていた…

『おじさん…嘘…何処行っちゃったのッッ!』

小枝子は店の玄関を飛び出し迷彩男の姿を捜したがどこにも確認する事が出来なかった…

(ひ、酷いよおじさん…勝手に居なくなっちゃうなんて…きちんとお礼…言いたかったのに…)

紫の飛鳥を抱きしめながら小枝子は肩を落とした…

✂✂✂

それから数週間が過ぎた…例のゲームセンターは内部職員からの告発による片桐の不正が元で警察沙汰にまで発展し結局店終いし《貸店舗》の貼紙が虚しく張られていた…小枝子はあれから何度か迷彩男を捜したが結局見付ける事が出来ずにいた…

『大事に抱えてんだな…それ…結局取れたんだ…よかったじゃん!』

学校帰りに真が小枝子に話し掛けてきた…

『…うん…』

『何だよ…せっかく愛しの飛鳥様~に会えたってのに元気ないじゃん!』

真が小枝子の顔を覗き込んだ…

『まぁね…ここに至るまではマァ色々あったからね…ネェ~飛鳥様ッッ!』

小枝子は紫の飛鳥に頬擦りをしておどけて見せた…

No.349 08/04/15 19:13
ヒマ人0 

>> 348 ✂29✂

(なぁ~んか変なおじさんだったけど…暖かい人だったナァ~)

イブの夜…自宅の大きなクリスマスツリーのすぐ横のソファーで小枝子は仰向けになりぼんやりテレビ画面を眺めていた…

《次のニュースは少し変わったサンタさんの話題です…千葉県内にクリスマスイブの夜に毎年孤児院を廻りプレゼントを配って回る身元を明かさないサンタさんがいます…そのサンタさんは何と迷彩服を着て黒い巾着を持つという少し風変わりなサンタさんで…》

(!…ん?迷彩…巾着ぅ?)

小枝子は跳び起きて画面に食いついた…

《彼のクリスマスプレゼントは何と彼自身がUFOキャッチャーゲームで獲得した景品でかなりの腕前を誇る自称キャッチャーの達人という事だそうです…》

(お、おじさんッッ!おじさんだッッ!間違いない…)

《彼自身幼少期は貧乏だったそうでそんな同じ境遇の貧しい身寄りない子供達の笑顔が見たいとの事で毎年こうして善意の寄附をして下さっています…》

(おじさん…有難う…有難う…なんか私ッッ…アァ…)

小枝子の目に涙が溢れた…

《なおこのサンタさんの好物は冷たいマ○クシェイクだそうです…》


~掴む男~完

No.350 08/04/16 17:10
ヒマ人0 

>> 349 ⑱~原稿犯~


📝1📝

『イヤァ乗りに乗ってますネェ~俄夢(がむ)先生ッッ!今週号も《雪の微笑み》読者投票断トツの一位ですよッッ!』

少女漫画雑誌では珍しい男性少女漫画作家、涌井俄夢の編集担当である九鬼恭平がニコニコ顔で俄夢の仕事場に入って来た…

『佳境に入ってきた主人公《一之瀬衛》と《日向加奈子》の切ない恋路に読者はもう目が離せないッて感じ…ンン~凄いですよ男性なのにこの先生の微妙に揺れ動く女性の繊細な感性描写はッッ!正に秀逸ッッ!』

つい最近までタメ口を聞いていた俄夢より一回りも年上の俄夢の編集担当である九鬼は俄夢の漫画《雪の微笑み》が大ヒットした途端手の平を返したように俄夢に対して低姿勢で接するようになっていた…

(ハァ~…怖い怖い…)

俄夢は九鬼のあまりの変貌ぶりに売れたら勝ち!の泥ついたこの世界の縮図に一抹の不安を抱くばかりであった…

『先生ッッ…今週号の原稿締め切り明後日ですが間に合いますか?』

主人公の顔にペンで目を入れている最中に九鬼が不躾に話しかけてきた…

『大丈夫ですよ…明日中には仕上がりますから…』

手の平を揉みこねながら九鬼は笑顔でよろしくお願いしますとだけ告げると部屋から出て行った…

No.351 08/04/16 17:34
ヒマ人0 

>> 350 📝2📝

(フゥ~…あとはこのページにトーンを貼って終りだ…)

アシスタントを帰らせた後も俄夢は一人今週号の原稿の仕上げに入っていた…殺伐とした暑い室内で俄夢は飲みかけの温いコーヒーを飲み干すと大きく背伸びをした…

(夜中の2時…カァ…ハァ~!)

一気に俄夢に眠気が襲い始めた…この世界に慣れて来たとはいえ、丸二日徹夜の作業は体力のある若い俄夢とてかなりの疲労感であった…

(少し休むカァ…)

染みだらけのソファーに横たわると俄夢は毛布を被った…

♪Piriri!Piriri!

突然俄夢の携帯電話が静かな室内に鳴り響いた!

『!ッあッ、ビックリしたぁッッ…ンモッ誰だよッッこんな夜中にッッ!はいモシモ~しッッ!』

《………》

『もしもし?…九鬼さんっスかぁ?』

《………》

僅かに雑音がするが声が聞こえない…

『……ンモッかけ間違いっすよッッ…もう一度番号を確か…』

《……新宿駅ニ爆弾ヲ仕掛ケタ…》

『は…はいぃ?爆…弾ん?…っぅか誰オタク…?』

俄夢は眠い目を擦った…

『あのねッ…爆弾がどうしたか知りませんけどアーミーゲームか何かならよそでやってもらえます?』

《今カラ言ウ事ヲ良ク聞ケッッ!》

No.352 08/04/16 22:21
ヒマ人0 

>> 351 📝3📝

『はい先生ッッ!今週号の原稿確かにッと!…ん?どうしたんですか?浮かない顔して…』

『…いや…別に…』

翌日の夕方俄夢は原稿を担当の九鬼に手渡した…

『じゃぁ早速来週号の原稿のネーム打ち合わせしたいんですが…今晩21時第7東急ホテルでどうですか?…せ、先生ッ?ちょっと涌井先生聞いてますッ?』

『あ…アァすみませんッッ…聞いてます…』

俄夢は上の空で九鬼の話を聞くとおもむろに冷蔵庫のおしぼりを目に当てた…

『…どうしちゃったんですか?何かいつもの元気な俄夢先生じゃないみたいですけど…何かありました?』

上辺だけは心配そうに九鬼が俄夢の顔を覗き込んだ…

『実はね…昨夜ちょっと奇妙な電話がありまして…』

『奇妙な…電話ですか?どんな?』

オカルト好きな九鬼が興味本位で少し食いついた…

『あ…いいや、忘れて下さいッッ…じゃ今晩21時に東急ホテルでまた…』

他愛もない事だと念を押すと俄夢は夜まで少し眠りたいと九鬼に部屋から出ていってくれるよう指示した…

(ハァ~馬鹿馬鹿しいッッ…んな事にいちいち付き合ってられっかっての!)

俄夢はアイマスクをして眠りについた…

No.353 08/04/17 08:04
ヒマ人0 

>> 352 📝4📝

『えッ!?漫画の主人公を殺せってぇ?でないと東京の主要な駅や施設を次々に爆破するぅ?な、何だよそれッッ!』

二日後俄夢は居酒屋で友人であり同じ漫画家仲間でもある横石保にあの晩の電話の事を話した…

『まぁ軽いいたずらだとは思うんだけど…何か気味悪くてさ…何処で知ったのか俺の携帯番号も…』

『なるほど…で、涌井お前どうすんだよッッ…』

『どうするって?』

横石は梅酒のお代わりを注文した…

『そいつの指示通り…』

『ばッ、よ、横ちゃん冗談言うなよッッ!今佳境に差し掛かってる《雪の微笑み》の主人公、一之瀬衛を死なせたらそれこそ読者から暴動が起こるよッッ…多分俺の漫画を妬んでるか面白がって困らそうと考えてる頭のイカれた輩の仕業だよッ…気にしない気にしない…』

『だよなッッ!ハハハ…んな事いちいち気にしてたら漫画なんて描けねぇもんなッッ!』

さぁ飲み直そうぜと横石は俄夢にも生ビールを注文した…

『明日発売の少女メイト《雪の微笑み》はいよいよ一之瀬衛と日向加奈子の運命の再会の回だよなッッ…俺もいち読者として雪微ファンの一人として胸ワクワクだよッッ!ハハハ…』

横石は梅酒をグイッと飲み干した…

No.354 08/04/17 08:51
ヒマ人0 

>> 353 📝5📝

予想通り今週号の漫画雑誌《少女メイト》は発売を待ち切れない雪の微笑み目当ての読者が殺到し驚異的な売上を記録した…

『先生~ッッ!凄い凄いッッ!衛と加奈子の再会に心打たれたとメール、FAX、出版社のホームページに応援がわんさかッッ…ハハハ、さすが少女漫画の革命児、涌井俄夢大先生ですッッ!よ、日本一ッッッ!』

『よ、よして下さいよ九鬼さんッッ…』

作業場のアシスタントと打ち合わせに入っていた俄夢はホッと胸を撫で下ろしていた…

(ヤッパリあの電話はいたずらだったんだ…だよなッ…どういう理由か解らないけどこんな若手漫画家ごときいちいち脅迫したって…)

『先生知ってました?今朝新宿駅西口でゴミ箱に仕掛けられた爆弾が爆発して通行人10数人が負傷したの…怖いっすよね~』

『……え?…』

『先生知らなかったんですかッッ!?朝からニュースはそればっかでしたよッッ!』

『新宿…で爆弾が?…ま…まさかッ…』

俄夢の背筋に一筋の生温い汗がつたった…俄夢は思わず側にあるテレビをつけた…《卑劣!新宿駅無差別テロ》真っ赤なテロップが書かれた映像には多くの救急車やパトカーが停まり血まみれの通行人が映っていた!

No.355 08/04/17 10:08
ヒマ人0 

>> 354 📝6📝

(有り得ない…う、嘘だろッ…偶然?…そ、そうだよ偶然だよ偶然ッッ!)

洗面所で顔を洗いながら俄夢は何度もそう呟いた…俺があの電話の奴の言う通り、《雪の微笑み》の主人公一之瀬衛を死なせなかったから?…まさか…まさかたったそんな事だけであんな大それた事が…ヤッパリ有り得ないッッ!俄夢の両手が小刻みに振るえ出した…

♪Piriri…Piriri…

(!ハッ…ッッ!)

夜の部屋にまた携帯電話の着信音が鳴り響いた!俄夢は少し間を置いた後ゆっくりと電話に出た…

『はい…もしも…し…』

《マダ生キテイルナ…今週号デドウシテ死ナセナカッタ!オマエノセイデ何十人モノ人間ガ犠牲ニナッタ…》

『…ふ、ふざけるなッッ!お、お前があの爆弾テロをやったってのかッッ!?冗談もいい加減にしろよなッッ!どッ、何処の誰なんだよお前ッッ!』

《イイナ…コレデ嘘ジャナイッテ事ガ分カッタダロ…来週号デ主人公一之瀬衛ヲ死ナセロ…!》

『待てッッ…そんな事できッッ…』

《連載ヲストップサセテモ駄目ダ…言ッタ通リニシナケレバ…バンッッ!!次ノ犠牲者ガ出ル…》

電話はそこで途切れた…俄夢の心臓は今にも飛び出しそうだった…

No.356 08/04/17 10:50
ヒマ人0 

>> 355 📝7📝

『ハァ~しかし前代未聞だな…実際の民間人を人質に漫画の中の架空のキャラクターを殺せって…日本の猟奇的犯罪も堕ちる所まで堕ちたって訳だ…』

『感心してる場合じゃないだろ横ちゃんッ!こっちはどうすりゃいいのかマジで悩んでんだからさッッ!』

そりゃゴメンと友人の横石は頭を下げた…

『警察には知らせたのか?』

『警察には知らせるなって電話の奴…それにこんな話しても警察だってまともに取り合ってくれるとも思えないしな…』

俄夢は頭を抱えた…

『九鬼さんには?編集担当の彼にはこの事知らせたのか?』

『…あの人はあんまり信用出来ない…何でもペラペラ喋るし…』

横石はピスタチオの殻を剥き口に放り込んだ…

『いずれにせよ人気作家のお前の事を妬んでるイカレ野郎の仕業としか考えられないな…《雪の微笑み》の人気を失墜させて喜びを覚えようとする同業者かも知れない…用心に越した事はないぜ…』

『そういう横ちゃんだって同業者だぜッ…ま、まさかッッ!』

アホッ!俺がそんな手の込んだ事すっかよッッ!と俄夢の頭を叩いて笑った…

『まぁも少し様子見なッ…本当の偶然を装った愉快犯かも知れないしな…』

俄夢はサンキュと横石に頷いた…

No.357 08/04/17 20:37
ヒマ人0 

>> 356 📝8📝

『はぁ~いお疲れ様でした先生ッッ…では今週号の原稿確かにお預かりしましたッ!ニャハハハ…』

九鬼が満面の笑顔で俄夢に頭を下げた…

(ホントにお疲れ様だなんて思ってんのッッ!…アンタはこの原稿さえありゃいいんでしょッッ!)

人気作家の編集担当で有頂天になっている九鬼を横目に見ながら心の中で俄夢は散々毒づいた…

『ね、ねぇ九鬼さん…』

『はい?何ですか先生…』

俄夢は一度視線を落とした後話しかけた…

『この主人公の一之瀬衛さぁ…この先死ぬって設定…駄目かな?』

『なッ、な、何言ってるんですか先生ッッ!先週号でやっと意中の女性、日向加奈子に再会したばかりじゃないですかッッ!今一之瀬衛殺しちゃうなんてそんな事ッッ…いくら奇抜で洗練された先生の案でも、そりゃぁ幾ら何でも無謀ですよッッ!』

一体何て事言うんだこの若造が!九鬼の顔付きが俄夢にはそう見えた…

(…だろうな…編集の立場から言わせりゃ今この順風満帆な連載の流れを主人公が死ぬ事で止めたくはないよな…)

『どうしちゃったんですか?何か二、三日前から少し変ですよ先生ッッ…』

『あ…いや、すみません…忘れて下さいッッ…』

俄夢は手を振り原稿のペン入れに入った…

No.358 08/04/18 20:45
ヒマ人0 

>> 357 📝9📝

別に電話の爆弾魔が怖い訳じゃない…だけどもしこれが本当なら…爆弾魔が俺の描く漫画《雪の微笑み》の主人公、一之瀬衛を標的にして楽しんでいるのなら…俄夢のペン先がピタリと止まった…考えないようにしてはいるがやはりこのまま連載を続け、一之瀬衛を生かし続けていいのだろうか…複雑奇妙な不安と恐怖感が俄夢の脳裏を支配していた…

(一体誰がッ…他にも儲けてる漫画家なんて五万といるだろッッ…いずれにせよ俺を嫉む人間には違いない…)

『先生ッ…俄夢先生ッッッ!』

『あ…ご、ごめん…何?』

『港とビル街の背景描き終えましたよッッ!……大丈夫すか先生?顔色悪いッスよッッ!?』

アシスタントが心配そうに俄夢の顔を覗き込んだ…

『な、何でもない…』

俄夢は側にある自分の携帯電話を見た…

(頼むッッ…もう掛かってこないでくれッッ!俺が何か悪い事したのかよッッ!これきりにしてくれぇッッ!俺の事はそっとしといてくれよッッ!)

祈るような気持ちで俄夢は携帯から視線を外すと遅れ気味の来週締め切り原稿にペンを入れ始めた…俄夢の描くその原稿の中ではまだ一之瀬衛は生きていた…

No.359 08/04/19 08:40
ヒマ人0 

>> 358 📝10📝

それから二週間が経過したが俄夢の携帯電話に脅迫めいた電話は掛かって来なかった…

(あれから二週も連載を続けている…一之瀬衛は生きているが爆弾魔からの電話もなけりゃ爆弾事件も起きたというNewsもない…やっぱりあれは偶然だったのか、それとも俺の事もう諦めたのか…)

久しぶりのオフに俄夢は横石保とまた居酒屋で酒を呑んでいた…

『その後どうなんだよッ…例の奴から脅迫電話はあったのか?』

横石は疲れ果てた俄夢に声をかけた…

『いや…それがないんだ…不思議なくらい…』

『まぁ向こうさんも涌井が頑なに漫画の中で主人公生かし続けてるからもう諦めたんじゃねぇの?警察に知らせるまでもなかったじゃんか…』

『うんまぁ…諦めてくれたんならそれでいいんだけど…けど何か気持ち悪いんだよなッッ…』

俄夢はお通しの筍の木の芽和えを口に放り込んだ…

『あの爆弾魔さ…凄く身近な誰かだと思うんだよな俺…』

『え…?』

俄夢がふと呟いた…

『身近な…誰か?…』

横石はジョッキを空にした…

『おいおいッ…まさかこの俺を疑ってんじゃねぇだろなッッ涌井ッッ!』

横石は冗談は休み休み言えッッ!と急に怒りだした…

No.360 08/04/22 18:00
ヒマ人0 

>> 359 📝11📝

『ふぁ~…先生ッ、じゃお疲れ様っす!』

眠たい目を擦りながら終電間際に五人の俄夢のアシスタントが帰っていった…

(フゥ~…いよいよ告白…カァ…)

俄夢は《雪の微笑み》、出来上がり原稿をしみじみ眺めると主人公、一之瀬衛に一途な日向加奈子が告白し、一之瀬衛がそれを受け入れ、優しくキスをする山場のシーンにもう一度チェックを入れ直した…

(けど…ここで愛する二人に邪魔が入るんだよな…)

俄夢は冷めきったコーヒーを一口飲むといつものソファーにお決まりのように寝転がった…

♪Piriri…Piriri…

(!ハッッッ……)

携帯電話の音に俄夢は敏感に跳び起きた!

(まッ…まさかッッッ!?)

血の気が引いたような気分で俄夢は恐る恐る通話ボタンを押した…

『は……はい…もしもし…』

《あ、涌井先生ッ?私ですッッ、九鬼ですッッ》

(ハァ~…んだよッ、九鬼さんか…)

《どうしたんですか?そんな鬼気迫る声なんて出して…》

『用件は?…原稿は出来上がりましたけど…』

居酒屋だろうか、電話口からは賑やかな男の声がしていた…

《突然なんですけど先生ッ…主人公の一之瀬衛…来週号で殺してみましょうか?》

(……え?…う、嘘でしょ?)

No.361 08/04/22 18:18
ヒマ人0 

>> 360 📝12📝

《…さっきまで編集長と話してたんですよッ…やっぱりここで一之瀬衛は交通事故か何かで命を落とした方が読者も更にこの先作品に感情移入しやすいんじゃないかってね…ホラ、先生も前に私に言ったじゃないですか…一之瀬衛が死ぬ方向はどうかと…言いましたよね確か?》

『そ、そりゃ…言いました…けどあの時は…』

酒が入っているせいか九鬼の俄夢に対する言葉遣いはブッキラボウに映った…

《まぁ来週号はその線でネーム練りましょうよッ!じゃまた明日ッッ》

一方的に電話が切れた…俄夢は暫く放心状態のまま時を過ごした…

(そんないきなり…無茶苦茶だよッッ!)

俄夢の頭は混乱していた…確かにあの時は爆弾魔怖さに動揺して九鬼にあんな事を口走ってしまったがあの電話が偶然の悪戯だと解ってからは逆に主人公はこのまま生かした方が作品としては絶対いいと感じていた…いくら編集長の意見だからって…まてよ!…もしかして…俄夢の脳裏に一つの考えが生まれた…

(まさか…あの一連の脅迫電話は…いや、有り得ないッッ!俺の編集担当だぞッ…けど…)

考えれば考える程俄夢の頭は混乱していた…九鬼さんがあの爆弾魔に何等かの関与をしている?…そんな馬鹿な…

No.362 08/04/22 19:18
ヒマ人0 

>> 361 📝13📝

♪Piriri…Piriri…

俄夢が考えを張り巡らせている時また電話が鳴った…

『あ、九鬼さんッ?さっきの件なんですけど…』

《ツクヅク馬鹿ナ男ダナ…》

(はっッッッ…!)

聞き覚えあるその電子音のような無機質な声に俄夢の身体が一気に硬直した!

《一之瀬衛ハマダ生キテイルナ…約束ヲ守レナイノナラ爆弾ヲ爆発サセルシカナイ!》

『まッ、待てッッ!お前一体誰だッ!?どうして俺を付け狙うんだよッッ!俺がお前に何かしたかッッ!?』

《…何カシタカァダト?オ前自分ガシデカシタ事スラ解ラナイノカ…ツクヅク馬鹿ナ男ダ…》

『待てッ、切るなッッ!よ、よし…キッチリ決着付けようじゃないかッッ!何が目的だ?…金か?お金なら出来るだけの事はしようッッ…だから…』

《クックック…売レダスト何デモ金デ済マセヨウトスルンダナ…モウイイ…話シテテモ無駄ダ!最後ダ…本当ノ最後通告ダ…来週号デ一之瀬衛ヲ殺セ!サモナイト今度ハ朝ノ通勤時間ノ渋谷駅ヲ爆破スル!》

電話が切れた…

(な、何なんだよッ、チキショッ!)

それから数時間、俄夢の身体から小刻みな震えが止まる事はなかった…

No.363 08/04/22 19:50
ヒマ人0 

>> 362 📝14📝

『どうしたんですか先生ッ…私の顔に何かついてますか?』

『あ、いえ……』

翌日俄夢と九鬼は次週の《雪の微笑み》のネーム作業に入っていた…

『一之瀬衛と出会い同棲を始めた加奈子…しかし二人の背後には加奈子を愛する余り無理矢理結婚式を執り行い式の最中に加奈子に逃げられ恥をかかされた政治家の息子、曽我幸一郎が執拗に二人の仲を裂こうと迫っていた…』

九鬼は今後のストーリーについて自分なりの考えを真剣に俄夢に伝えていたが俄夢は当然半分上の空だった…

『復讐鬼と化した幸一郎は一之瀬衛が会社から帰宅途中を狙い殺害を決意、乗っていた車で一之瀬衛をバンッッ!…てな感じいかがですか?』

『…どうしても一之瀬衛を殺害したいみたいですねッ…殺害しなきゃいけない何か特別な理由でもあるんですか?』

俄夢は上目遣いで九鬼を睨んだ…

『へ、変な事言いますね先生ッ…一之瀬衛殺しは昨日の電話で納得して下さったんじゃないんですかッッ?編集長も賛成なんですよ?』

今ここであの脅迫電話の話しをしたらこの男一体どんな表情するのだろうか…俄夢は喉元まで出かかったその言葉を寸での所で飲み込んだ…

No.364 08/04/23 19:40
ヒマ人0 

>> 363 📝15📝

(だ、駄目だ…ペンが進まないッ…)

俄夢は頭を抱えるとそのままオデコを机に擦りつけた…結局来週号の結末は編集長と九鬼の意向で主人公一之瀬衛を交通事故で死なせる場面で終わる事に決定した…

(この漫画業界って奴は作家無視の酷い所だって聞いてたけど…ハァ~)

俄夢は散々毒付きながらゆっくり主人公一之瀬衛の輪郭を描き上げていった…

(これでいいんだ…これで…)

やり切れない想いが何度も俄夢の頭をもたげた…有名になれば何でも思い通りに自分の世界を表現出来ると思い信じ続けていた自分がつくづく情けなくなった…ここで一之瀬衛を死なせたらきっと漫画《雪の微笑み》の人気は急降下するに違いない…熱狂的ファンからも非難や罵声の手紙が送られてくるかもしれない…仕方ない…こうなってしまった以上…爆弾魔に九鬼らが関わっているという証拠もない…警察に言っても捜査に腰を上げるばかりかまともには信じてはもらえないだろう…

(さよなら…俺の大作《雪の微笑み》…そしてさようなら…一之瀬衛…)

俄夢は一度ため息をつくと最後の生きた一之瀬衛がいるページにペンを入れた…

No.365 08/04/23 23:51
ヒマ人0 

>> 364 📝16📝

『はい、お疲れ様でした先生ッッ…確かに…』

数日後、編集担当の九鬼は俄夢の原稿の中身をチェックするとためらう事なく受け取った…

『じゃあこれ明日の号で…お疲れ様でした…』

『あ、あの…九鬼さん…!』

『何ですか涌井先生?』

九鬼は不思議そうに俄夢を見た…

『違いますよね?…信じていいですよね?』

『何がです?ハハハ…変な先生ッッ!』

九鬼は微笑むと俄夢の仕事場の扉を開け急ぎ足で出版社に帰っていった…

(これでいい…これでいいんだよな…)

俄夢は三年程前から止めていた煙草に火をつけると一気に吸い込んでため息と一緒にその煙を吐き捨てた…

(人気少女漫画家-涌井俄夢の事実上最期の原稿かァ…)

俄夢はお気に入りのソファーに寝転がるとゆっくり寝息を立てた…

♪Piriri…Piriri…

突然の着信音が仕事場を包んだ!

『は、はい…涌井です……はい…はッ…えぇ!?…う、嘘でしょ!?…く、九鬼さん…がッッ?家に帰る途中に車に撥ねられたぁ!?』

俄夢の意識は一瞬のうちに覚醒し、同時に目の前が真っ白になった!

No.366 08/04/24 00:12
ヒマ人0 

>> 365 📝17📝

出版社に原稿を手渡し自宅に帰る途中、九鬼は飲酒運転の車に轢かれ帰らぬ人となった…今週号の少女メイトに《雪の微笑み》が掲載されたまさにその日、未曾有の哀しみの葬儀に参列した俄夢は祭壇で九鬼の遺影に手を合わせた…

(九鬼さん…すみません…少しでも疑った俺が馬鹿でした…よくよく考えると九鬼さんはやっぱり作家の感性を重視してくれた数少ない編集担当の一人でした…)

俄夢は悲しみに暮れる親族に一礼すると九鬼の葬儀場である地元の公民館の玄関を出た…

♪Piriri…Piriri…

『はいもしもし…涌井ですが…』

《ヨクヤッタ…約束事ヲ守ッタナ…》

あの爆弾魔の声だった…

『!きッ、貴様ぁ…まだ何かッッ!約束通り主人公は殺したッッ!それでいいだろッッ!?もう俺とは関わらないでくれッッ!』

《次ノ指令ヲ出ス…出来ナケレバ…クックック…》

『いい加減にしてくれッッ!貴様誰なんだッッ!もう貴様の言う事なんて従うもんかッッ!』

《無駄ダヨ…私カラハ逃ゲラレナイ…》

俄夢は思わず携帯の電源を切った…

(チキショッ!チキショッ!一体俺をいつまで追い詰めりゃ気が済むんだよッッ!)

No.367 08/04/24 00:36
ヒマ人0 

>> 366 📝18📝

【一之瀬衛を失って失意のどん底に叩き落とされた日向加奈子を救ったのは意外にもあの政治家の御曹司、曽我幸一郎だった…幸一郎は加奈子の哀しみを受け入れながらも自ら加奈子への一途な愛を貫き通すのであった…】

この漫画の核である主人公を失ったにもかかわらずその後の斬新な切り口と展開で《雪の微笑み》は俄夢の予想を反してさらに人気が上がっていった…

『こ、この先はこれでいいんだな?』

《ソウダ…ソノママ曽我幸一郎トノ深イ絆ヲドンドン進展サセレバイイ…》

その後も電話越しで俄夢と正体不明の爆弾魔との奇妙なやり取りが続けられていた…当初俄夢は脅迫めいた指示を受け思い悩んだ日々を送ってはいたがこの爆弾魔の指示通り描けば当の漫画は不思議な事に前より益々人気があがる事に半ば驚きを隠せなかった…数日経ったある日出版社のスタッフが俄夢の仕事場を訪ねて来た…

『先生ッ!新しい編集担当が決まりましたんで紹介します…何とビックリ仰天同性同名ですよッッ!関西支社から来られた《曽我幸一郎》さんですッッ!』

(…え……?そ、曽我幸一郎ォ?…まさか…)



~原稿犯~完

No.368 08/05/12 05:10
HΛL ( PT3Gh )

小説家【夜華笆(やかは)】さんのシステムエラーを読みました。ネット検索で出ますので、皆さんも読んでみて下さい。
凄い作品力で最近フォレスト出版で有名な人気作家さんです!

No.369 08/05/26 21:39
通行人 ( 30代 ♀ SlCKh )

初めまして。
最近ここのスレを見つけて、ちょこちょこ読ませてもらってます。
感想を言いたくてお邪魔しました😄
お話は面白くてどんどん先が気になります!全部オリジナルですよね。書きためているんですか?特に私はサスペンスっぽいのが好みです✨ちょっと風刺的要素もあり、厚みが感じられます。
強いて難を言えば文章の終わりの「ッッ」と「…」が多くて読んでいて気になります😓
内容としてはせっかく本格的な小説を書いていらっしゃるのに、幼稚な安っぽい携帯小説のように感じられかねません。勿体ないと思いました。
偉そうにすみません。不愉快に思われましたらスルーして下さいね。

No.370 08/05/27 16:27
ヒマ人0 

>> 369 通行人様お便りありがとうございます💦作者のビリケン昭和💀と申します…🎈手軽に読める短編小説を読んで下さってありがとうございました🙇最近なかなかこのミクルに来る機会も少なく無責任な私です💧この短編小説も既に終了とさせて頂いています😢…しかし短編小説の血がまたひしひしと疼き出したら続きを書くやもしれません…そして私は決して本格的な物を書いている等とは微塵も思っていません✋💦…下手でも少しでも読むのを楽しみにしてくれている方に喜んで頂けたなら安っぽい携帯小説で充分でございます😃✨お便りありがとうございました💀ビリケン昭和💨

No.371 08/06/10 19:07
ヒマ人0 

>> 370 ⑲~地球最期の夏休み~

🎐1🎐

『なぁ亮介ニュース見たか?…昨日またメキシコに東京ドーム3個分の隕石が落ちたんだってさ…』

河川敷で鉛色の夕方の空を見上げながら相楽時男は呟いた…

『…何かまだ嘘みてぇだよなッ…二階堂総理、《実はドッキリカメラでしたぁ~!国民の皆様ごめんなさい~》って明るく否定してくんねぇかな…』

亮介はそばの葉っぱを掴むと空に無造作に舞い上げた…

『地球環境を考えようだとかECO推進だとかさ…二酸化炭素削減したからって結局そんな事全部無駄だったって事だもんな…あ~ぁ…』

河川敷を散歩する笑顔の老人夫婦を見つめながら亮介はため息をついた…

『なぁ亮介…逃げようぜッッ!』

『逃げるって何処へだよッッ…大気圏外にかよ?』

『……だよな…逃げようないよな…ハハッ』

時男はお尻の葉っぱを掃うとじゃな!と亮介に手を振って帰って行った…亮介は靴下を履かない蚊に噛まれた素足を擦り合わせると学生服のまま暫くその鉛色の空をじっと見つめていた…亮介お気に入りの携帯ラジオからは世界各国のあらゆる宗教の説法が永遠と流れている…

『チッ…たまにはロックとか流せよなッッ!』

亮介は吐き捨てるようにラジオの電源を切った…

No.372 08/06/10 19:42
ヒマ人0 

>> 371 🎐2🎐

《国民の皆様にご報告致します…》

8カ月前の年末、お笑い番組の途中に突然画面が替わり二階堂総理の演説が始まった…ポテチを頬張りながら亮介と親友の時男はその瞬間を目の当たりにしたのだ…

《回りくどいのはかえって混乱を招きかねませんので率直に言わせて貰います…皆様どうか気を落ち着けて今から私が言う事をしっかり聞いて下さい…そしてゆっくり準備を始めて下さい…》

その総理の心痛な面持ちに亮介と時男はただならぬ雰囲気を感じ取った…次の瞬間亮介と時男は何かの冗談だと笑った…しかし総理を取り囲む画面の大人達は誰一人として白い歯を見せる者は居なかった…

『隕石?…隕石ってあの空から降ってくる石コロの事だよな…』

時男のくわえていたポテチが絨毯にポロリと落ちた…

『石コロ…なんかじゃないみたい…ち、地球の半分の大きさだって…衝…突ッッ…来年の夏にッッ!…う、嘘だろッッ!?』

後ろでテレビを見ていた亮介の母親が思わず手に持っていた食器をガシャリと床に落とした!…

《今世界各国が準備を始めています…我々日本国民もゆっくり始めましょう…》

二階堂総理の顔は全てを悟り諦め、不気味なくらい落ち着き払っていた…

No.373 08/06/10 20:24
ヒマ人0 

>> 372 🎐3🎐

『予測ではブラジルの東側に落下衝突すんだろ?ギリ日本はセーフなんじゃない?ホラ、真反対側だし…』

『大丈夫だって、アメリカだって馬鹿じゃねぇし…映画のアルマゲドンみたいにきっとガツンッッ!て隕石爆発させっからさ!』

『死なないよね?ねぇ、私10月にミスチルのコンサート行くの、ねぇあるよね?コンサート…』

教室にクラスの半数にも満たない生徒達があれやこれやと噂話をしている…亮介は横目でそれを眺めながらため息をついた…

『めでたい奴らだな…亮介』

時男が隣のクラスからやって来て亮介の隣の空席に座った…

『どう?B組は…』

『今日も一人減って7人…担任もまるで授業なんてやる気ないっ~て感じだし…』

亮介のA組に教頭の真柴が入って来た…

『何だお前達いたのか…帰りなさいッッ!もう学校には来なくていいから…それよりもっと大事な事があるだろッッ…帰って一日でも多く家族との思い出作りなさい…さ、帰った帰った!』

普通なら到底教師が放つような言葉ではなかったが今は普通ではない…

『先生ッッ!私達は勉強したら駄目だって言いたいんですかッッ!もうみんな死ぬから勉強なんてって…そう思ってるんですかッッ!?』

声は亮介のクラスの清原唯だった…

No.374 08/06/10 20:46
ヒマ人0 

>> 373 🎐4🎐

『タイムリミットが近いからってみんながみんなそんな風に生活しなきゃならないんですかッ?普通にこれまでみたいに毎日を当たり前のように過ごしたい人だって居るはずなんですッッ!少なくとも今この教室に居るみんなはそう思ってます…だからこうしてきちんと学校に通ってるんです!違いますか教頭先生ッッ!』

真柴教頭は生徒会長でもあり生真面目な性格の清原唯の言葉に圧倒されていた…

『し、しかしだね清原君ッッ…』

『人生なんて…人の未来なんてどうなるか解らないじゃないですか…そうでしょ教頭先生…』

清原唯の悲痛な言葉に教室が静まり返った…

(清原……)

その凛とした整った綺麗な横顔を亮介はじっと眺めていた…

『とにかく…昼から授業はないから…それにもうすぐ夏休みになる…どのみち学校はお休みだ…』

早く帰りなさいと教頭の真柴は力無く言葉をかけると教室のドアを閉めた…

『…死ぬのかな…私…お母さんもお父さんも弟も親戚のおばさんもみんなみんな…ヤ…イヤ、嫌だよッッッ!死にたくないよォォォォッッッ!』

さっきまで気丈に笑っていたクラス一のお調子者の里中ゆかりが泣き崩れた…ゆかりの肩を唯はゆっくり抱き上げ泣かないでと笑った…

No.375 08/06/10 21:40
ヒマ人0 

>> 374 🎐5🎐

『強いよな、清原って…』

『強い?何処が?私はただ最後まで当たり前の事を普通にしたいだけ…人生に悔いを残したくないから…それが強いって事になるの?』

いつも一緒に帰ろうと声を掛けれずにいた亮介だったが今日は何故か勇気が出た…その思いに唯も答える形となった…

『怖くないの?…』

『全~然ッッ!』

『え…嘘でしょ…?』

『嘘ッッ…怖くない訳ないじゃない…でも今更怖がったってどうなるもんでもないんだし…』

清原唯はトレードマークである青い眼鏡を指で持ち上げた…

『世間じゃぁまだ何とかなる、アメリカあたりがきっと隕石の軌道を変えてくれるって安心してる人もいるみたいだけど…ホント映画の見すぎよねッ…現実はそうはいかないもんねッッ…』

楽観的なのか悲観的なのか亮介には唯の性格がいまいち掴みきれずにいた…

『明日も学校来るの?』

『どうしよっかなァ~…教えてくれる先生もいないんじゃね…ハァ~』

『お、俺も同じ考えなんだッッ…ハハハ…今更どうあがいたって…それよか普通に今まで通り仲間と一緒に馬鹿やって笑いたいんだ…』

『……ふぅ~ん…』

唯はそれから何も言わずただ地面の石を必死に蹴って歩いていた…

No.376 08/06/11 00:14
ヒマ人0 

>> 375 🎐6🎐

『《アラブの大富豪が大枚をはたいてエベレストの頂上付近に住居を建設中》か…ガハハ、笑わせるよなッ…この期に及んでまだ生き残りてぇのかな金持ちって奴はッッ…』

そう言うと亮介の父、長田学は新聞を置き、摘みのピーナツを口にほうり込んだ…

『そいやぁ隣街の建設会社のホラ、永富さん夫婦…先月カナダのロッキー山脈って山に移住したらしいわ…お金ある人はいいわよねッ…そうやって生き残る術があるんだからッッ…』

今度は亮介の母親貴子がお茶をすすりながら新聞に目を通した…

『もっと早くに隕石の接近て解らなかったのかな…』

そういうと亮介が冷蔵庫の中の蜜柑の缶詰を取り出し開け始めた…

『隕石が直撃する可能性がある数年前から世界各国の宇宙開発事業団が協力して何とか隕石の軌道を外す努力をしたそうだが無駄だったようだ…国民には動揺を避ける為に計画断念のギリギリまで隠してたんだとさッッ…フン、政府のやりそうな事だ…何だって後手後手でさッッ…結局国民の事なんて後回しなんだよな…』

学の言葉に亮介は深いため息をついた…

『とにかく後の残された時間をどう有意義に生きて行くかだ…』

亮介は半分まで開けた缶切りを見つめた…

No.377 08/06/11 11:07
ヒマ人0 

>> 376 🎐7🎐

街は不気味なくらいに淡々と動いていた…数ヶ月前までは日本各地で警察絡みの暴動や店舗強盗等の犯罪が頻発していたが少なくとも亮介の住む街では今はもうそれは殆ど見られない…

『《静かに死を受け入れましょう》《最期の日貴方は誰と何処にいますか?》…か…最近本屋もこんな宗教的な本ばっかだな…』

駅前の本屋で立ち読みした後、亮介はいつものように学校に向かった…学校は閑散としていて人がいる気配がない…校門には《臨時休校》とだけ書かれた貼紙がはためいていた…亮介は3年A組の教室に向かった…

『誰もいないだろな…けどまッ、いいかッ!』

教室の扉を開くと亮介は一瞬ハッと驚いた…

『あ…お、おはよッ…』

そこにはただ一人教室の机で教科書を開くあの清原唯の姿があった…

『おはよ長田君ッッ…どしたの?遅刻だよ?』

清原唯は淡々とした喋り口調で視線をまた教科書にやった…

『誰も…来てないみたいだなヤッパ…ハハハ…』

『………』

亮介は清原の席から斜め後ろの三つ目の窓際の席に腰掛けた…暫くの沈黙が教室内を支配していた…

『親友の雪子がね…』

突然清原唯が話し出した…

『え?…う、うん…』

亮介は座り直した…

No.378 08/06/11 11:58
ヒマ人0 

>> 377 🎐8🎐

『自殺未遂起こしたの…』

『え…』

『どうにか一命は取り留めたんだけど手首の傷が深くて出血も…こないだお見舞いに行ったらもう逢いに来ないでって…《どうせみんな死ぬんだから仲良くしたって一緒だから…私の事はそっとしといて!》て…私何だか無性に悲しくなって…』

蝉の鳴き声が誰もいない校庭に響いていた…

『人間って脆いよね…まだ何にも起きてないのにこんなに動揺して錯乱して自分を見失うんだ…』

『多分みんな実感が沸かないからだろ…隕石が衝突して地球が大変な事になるって事だけは認識してるけど…いざその時になってみないとその先どうなるかなんて誰にも解らない…だって地球の人間誰一人経験した事ない惨事がこれから起きようとしてるんだから…』

亮介はゆっくり窓の外を見た…

『長田君は…地球最期の日何処で誰といるつもり?』

清原唯は亮介に振り向く事もなく教科書を眺めながら尋ねた…

『え?…最期の日…誰と?…ハハハ、考えた事もないやッッ…』

そうだよね~と清原唯は笑った…

『清原は?』

質問を返されるのを期待していたのかどうかは亮介には解らなかったが清原唯はその時初めて教科書を置いて亮介の方を見た…

No.379 08/06/11 13:06
ヒマ人0 

>> 378 🎐9🎐

【8月28日】

これまで国民には一切明らかにされてこなかったその《衝突の日》が夕方の臨時放送で開示されたのはそれから数日後だった…

『亮介知ってた?駅前のデパート、遂に品物全品無料奉仕だとさッッ!朝から長蛇の列だって!』

時男が亮介の部屋になだれ込むようにして入って来た…

『今更金儲けしてもどのみち…って思いなんだろな…しかし衝突の日が明確に知らされてから何だか益々世の中が騒然としてきたって感じだな…世界で自殺する人が後を絶たないらしいし…』

亮介は読み掛けの音楽雑誌をパタリと畳んだ…

『噂じゃぁ政府関係者や軍人のお偉方さん達は来月早々秘かに大型シャトルを飛ばして地球からオサラバするって話だぞ亮介ッッ!大事な国民を差し置いて自分らだけ助かろうって腹だよッッ、チキショウ…』

『そうして衝突を免れた所でどうせ帰還する場所はないんだ…宇宙で永遠に迷子になるよかこの地球でパァ~ッと花火みたいに散りゃいいじゃん!』

亮介は時男の前で両手を突き出すとケタケタと笑って見せた…だよな!と時男も笑い返した…《地球最期の日》…一緒に居るのはいつまでも変わらない親友相楽時男でもいいかなと亮介は感じていた…

  • << 382 🎐10🎐 夏休みがやってきた…夏休みとはいっても春以降まともに学校は機能していなかったのだからただその休みの延長に過ぎない… (あと約一ヶ月…遂にカウントダウンが始まるのか…) とりあえずスーパーで身の回りの品を買い込んで亮介は周囲の雑踏に紛れながら家に向かって帰っていた… 『…ハァ~また葬式か…最近あの公民館葬式していない日が無いって位毎日のようにあぁして誰かを見送ってるよなぁ~』 亮介は申し訳なさそうに横を通り過ぎようとした… (!…えッ!?…き、清原ぁ?) 公民館の門柱に書かれた名前を見た瞬間亮介の鼓動が早くなった… (清原って…まさかッッ!) 亮介は恐る恐る中を覗き込んだ…目の前に大きな祭壇が飾られ慌ただしく係員が葬儀屋の若い衆に指示を送っていた…そしてその祭壇の端に清原唯が肩を落としてじっと座っていたのだ… (き、清原…嘘だろッッ!) 亮介は改めて祭壇にある遺影に視線をやった…遠くから見ているのではっきり確認は出来なかったが間違いなく飾られたその遺影は二つ並べられてあった… 『まだお若いのに…』 亮介の側を通った喪服の老婆がボソリと呟いた時亮介は全てを理解した! (あれって…清原の両親ッッ!)

No.380 08/06/11 13:45
ゆうママ ( ♀ 5ETJh )

こんにちは!わたしは👶が寝た後とかにチョコチョコみてます❤ビリケンさんの作品、とても面白いから楽しみだったんですが、終了と聞いてガッカリしてたとこです💨 が、久々にみたら再開してて嬉しかったです😍また沢山書いて下さい🙇わたし的にはゾンビの話みたいなやつが好きです!

No.381 08/06/11 14:57
ヒマ人0 

>> 380 ゆうママ様💕メッセージありがとうございます‼ビリケン昭和💀です…🎈短編小説は仕事の合間に気張らずに更新出来るので継続を決めました✨ファンの皆様方にはいつも勝手ばかりで申し訳ありませんが長い目で見てやって下さい💦今回の🎐地球最期の夏休みはビリケン昭和自信作品ですのでごゆっくりお楽しみ下さいませ…💕💀

No.382 08/06/11 15:32
ヒマ人0 

>> 379 🎐9🎐 【8月28日】 これまで国民には一切明らかにされてこなかったその《衝突の日》が夕方の臨時放送で開示されたのはそれから数日後だった… 🎐10🎐

夏休みがやってきた…夏休みとはいっても春以降まともに学校は機能していなかったのだからただその休みの延長に過ぎない…

(あと約一ヶ月…遂にカウントダウンが始まるのか…)

とりあえずスーパーで身の回りの品を買い込んで亮介は周囲の雑踏に紛れながら家に向かって帰っていた…

『…ハァ~また葬式か…最近あの公民館葬式していない日が無いって位毎日のようにあぁして誰かを見送ってるよなぁ~』

亮介は申し訳なさそうに横を通り過ぎようとした…

(!…えッ!?…き、清原ぁ?)

公民館の門柱に書かれた名前を見た瞬間亮介の鼓動が早くなった…

(清原って…まさかッッ!)

亮介は恐る恐る中を覗き込んだ…目の前に大きな祭壇が飾られ慌ただしく係員が葬儀屋の若い衆に指示を送っていた…そしてその祭壇の端に清原唯が肩を落としてじっと座っていたのだ…

(き、清原…嘘だろッッ!)

亮介は改めて祭壇にある遺影に視線をやった…遠くから見ているのではっきり確認は出来なかったが間違いなく飾られたその遺影は二つ並べられてあった…

『まだお若いのに…』

亮介の側を通った喪服の老婆がボソリと呟いた時亮介は全てを理解した!

(あれって…清原の両親ッッ!)

No.383 08/06/11 18:54
ヒマ人0 

>> 382 🎐11🎐

清原唯の両親の死因は都市ガスを使用しての無理心中だった…清原唯が買い物に出掛けた後決行したらしく突然の両親の死に落胆の色は隠せなかった唯は丸三日も一歩も家から外に出ようとしなかった…しかし葬儀に出向いた亮介の両親の話では清原唯は両親の祭壇の前で何故かにこやかに微笑んだという…亮介には到底理解出来なかったのだが母貴子によると何とも優しい悟りの微笑みに見えたそうだ…

『何かやりきれないよねッッ…私唯ちゃんに何て言葉をかけていいのか解らなかったわ…』

母貴子の言葉が亮介の胸に重々しくのしかかっていた…

『衝突の日を待たずにあぁやって先に逝っちまう方が楽なのかな…』

父学がポソリと呟いた…

『そんな事ッッ、そんな事あるかよッ、どうなるか解らないうちから何もかも投げ出すなんて絶対しちゃいけないんだよッッ!みんなどうかしてるよッッ、死ぬ程怖いのは解るけどそれまでにもっとやらなきゃなんない事あるはずだよッッ!』

亮介は混乱する世界にただ何も出来ないにもかかわらず訳もなく一人牙を向いていた…そうする事で自分の中の恐怖心を拭い去ろうともしているようだった…

No.384 08/06/12 11:14
ヒマ人0 

>> 383 🎐12🎐

それから数日が淡々と過ぎて行った…《衝突の日》まであともう少しだというのに不思議と亮介の中に恐怖感や焦りのような物は無かった…いや、むしろ何もかも初めての経験で自分でもどう恐怖を感じていいのですら解らない状態だったのだ…《その日》まで一体何をして過ごせばいいのか、どんな心の準備が必要なのか…それを教えてくれる者もなく亮介はただ一人途方に暮れていた…亮介の住む街も表向きは普段と変わりなく動いているように見えたが見えない部分で少しずつ変化もしているようだった…

(あ…き、清原…ッッ)

コンビニの帰りに通った川添いの遊歩道で亮介は偶然清原唯を見つけた…あの両親の葬儀の日に見て以来だったので声を掛ける事を躊躇した亮介だったが黙って通り過ぎる訳にもいかないので思い切って声をかけてみようと決意した…

『清…原…ッッ』

亮介がか細い声で後ろから遠慮がちに声を掛けると清原唯は聞こえたのか聞こえてなかったのかただじっと本を読み耽っていた…

『あ…清原ッッ!』

『!…あぁ…長田君…』

清原唯は無機質な物体でも見るような顔付きで亮介を一度見るとまた本の方に目をやった…

No.385 08/06/12 16:24
ヒマ人0 

>> 384 🎐13🎐

亮介は清原唯の側に遠慮がちに腰掛けた…第一声が見つからないまま数分が過ぎた…意を決して話しかけようとした時、清原唯の方から先に話しかけてきた…

『もし地球に隕石が衝突したら…どれほどの衝撃なんだろね…』

『え?…』

清原唯から放たれた第一声が余りにも意外な言葉だったので亮介は戸惑った…確かにここは両親を失った友達への同情の言葉より、そんな話題の方がかえって穏やかで差し支えない話題のような気に亮介はなった…

『さ、さぁな…俺には想像もつかねぇよッッ…』

亮介はコンビニ袋から買って来た好物のコンソメ風味のポテチの包みを無造作に開けると食べろよ!と清原唯の前に広げた…空には透き通るような真っ青な空が広がっていて入道雲が押しくら饅頭でもしているかのようにギュウギュウに湧いていた…

『本当に隕石なんて近付いてきてるのかな…何だか私達馬鹿にされてるような気がしない?全部嘘だったら…冗談だったらいいのにね…』

清原唯はポテチを一つ摘むと有難うと亮介に礼を言って笑った…

『…これからどうすんの?』

『どうって?』

『あ、ホラ…その…生活とか…』

清原唯は亮介の言葉に目を細めると微笑んだ…

No.386 08/06/12 16:43
ヒマ人0 

>> 385 🎐14🎐

『私には兄妹とか居ないし親戚も海外に避難してもう日本には誰一人居ないみたいだし…《衝突の日》までこうして本を読んでる以外にやる事ないじゃんッッ!フフフ…』

『清原……』

眼鏡を指で持ち上げる横顔が何とも哀しそうに亮介には見えた…遠くに見える河原の河川敷で子供達が無邪気に水遊びをしている…

『ねぇこれ見て長田君ッッ…』

清原唯はさっきからずっと読み耽っていた本を亮介に見せた…

『《隕石【ハリソン1970】による世界被害予想概要》?…何だこれ…てゆぅか【ハリソン】って言うんだ今度やってくる隕石…』

『そう…五年前に初めて天体望遠鏡でこの隕石を発見したイギリス、バーミンガム国立大の天文部大学生の名前にちなんでだって!名前なんてどうだっていいよねッッ!』

清原唯のポテチを摘む手が早くなった…

『色々調べたの…ホラ私も学校で天文部だったじゃん、まさかこんな形でその知識を発揮出来るなんて皮肉だけど…』

清原唯はポテチのついた手を右腰あたりでパンパンと掃うとゆっくり隕石【ハリソン1970】について話しを始めた…

No.387 08/06/12 17:03
ヒマ人0 

>> 386 🎐15🎐

『コラそんな所で二人して何してんだよッッ!ヒュ~ヒュ~!』

いきなり背後から亮介の肩を叩いたのは彼の親友の相楽時男だった…

『あ、お前らいつの間にそんな仲になってたんだぁ~?』

『馬鹿ちげぇよッッ!俺らはただ…』

亮介が清原唯の顔色を伺ったが清原唯は別にどうでも~と言った顔付きだった…

『で、何してんのさ、勉強?やめとけやめとけッ!地球が無くなってから東大行ったって手遅れだっての!ガハハハ…』

『だぁらその地球が今後どうなるかって話をしようとしてた所だよッタコッ!』

清原唯は亮介と時男の掛け合い漫才のような会話を聞いて声を出して笑った…

『俺も聞きたいッッ!隕石がブチ当たった後どうなるかッッ!いいだろ清原ッ?』

屈託のない時男の明るい性格に根負けしたように清原唯はいいよ!と苦笑いで頷いた…清原唯は本の裏から自分の大学ノートを取り出すと草の上に置いた…

『いい?今隕石は地球から275600㌔離れたこの位置、我々惑星とほぼ直角に地球に向かって進んでいるの…』

亮介と時男は清原唯が書いたノートの文字と絵を食い入るように見つめていた…

No.388 08/06/12 17:57
ヒマ人0 

>> 387 🎐16🎐

『巨大隕石【ハリソン1970】は太陽系の遥か遠くの名もない木星位の大きさの恒星が自然爆発して飛び散った破片なのね…殆どの破片は隕石となり小惑星に衝突したり宇宙をさ迷ったりして消えていくんだけどこのハリソンだけは遥か彼方の我々太陽系の惑星群に本当偶然に軌道を合わせて現れたって訳…それもあろう事かこの第三惑星【地球】に何十億分の1って確率で…本来なら有り得ない天文学的確率なんだけどね…超最悪!どうせ来るなら何百年も後にしてって感じ…』

亮介と時男は唾を飲み込んだ…

『ハリソンは時速何万㌔という速さで今も真っ直ぐ地球に向かってる…到達予定時刻は8月28日午後5時03分…ブラジル、リオデジャネイロ港沖約500㌔の海上付近…到達直前の空は隕石が放つ赤い光で真っ赤に染まり風が舞いこれまで感じた事もないような地響きが起こる…』

清原唯は世界地図を広げブラジル沖の地点を丸く鉛筆で囲んだ…時男の歯がガチガチと震え出した…

『で、地球に隕石が落ちた後は予測ではどうなるんだ?』

亮介がまるで怖い者見たさの少年のように清原唯に尋ねた…

『衝突する角度速さにもよるんだけど…』

清原唯はノートを畳んだ…

No.389 08/06/12 18:25
ヒマ人0 

>> 388 🎐17🎐

『地球の大気圏を通過した隕石【ハリソン1970】はその速度を緩める事もなくそのまま海面に激突…海溝を突き破り地中内部まで到達…その瞬間嘘のような静寂が辺りを包む…でもそれはこれから始まる壮絶な悪夢の序章…』

『お、おい清原…何か顔こぇ~よ!修学旅行の怪談話じゃねぇんだからさ、もっと普通に話せよッッ!』

時男の怖がりは以前から知っていたが当の亮介も清原唯の話にさっきから冷や汗がとめどなく流れていた…

『次の瞬間海面が異常に盛り上がり巨大な津波が出現し数十分後に各大陸の主要な港にそれが猛然と襲い掛かる!』

『津波ってったって…5m位のだろ?』

時男が亮介の後ろに隠れながら清原唯に尋ねた…

『海抜の低い南北米大陸や西アフリカ、ロシア東部を除くヨーロッパ主要都市ははおそらく第一陣の波で全て水没するッッ!』

亮介と時男は口を開いたまま止まっていた…

『波の高さは推定…5㌔㍍…いっとくけど横にじゃないわよッッ、縦によッッ!縦に5㌔㍍…想像もつかないけどそれが被害予想なの…』

淡々と話す清原唯の声に亮介と時男は改めて事の重大さを痛感していた…

No.390 08/06/12 18:47
ヒマ人0 

>> 389 🎐18🎐

『言っておくけど津波は後から次々と大陸を襲ってくる…ホラ、水の中に鉄の球をドボンと落とした時何層もの水の波紋が現れるでしょ?あの原理…』

『日本はッッ?で日本はどうなるんだよッッ!』

時男が我慢しきれない様子で清原唯に尋ねた…清原唯は眼鏡を一度クイッと上げた…

『日本は島国…西からの津波は広大で高地の多いユーラシア大陸に阻まれ中国内陸で止まると予想されてるけど怖いのは東、太平洋側からの津波よッッ…北南米大陸で守られてるなんて思ってたら大間違いッッ!第一陣の津波で飲み込んだ北南米大陸の圧迫された海面がさらに膨張し太平洋上を西へ西へと移動…さらに高い津波となってポリネシア諸島、オーストラリア、フィリピン、台湾を飲み込んだ後…日本にやってくる!その津波の高さは想像を絶するわッッ!一瞬で何もかも…水の中に消えてなくなる…』

『…そ、そんなぁ…』

時男は顔面蒼白になって震えていた…

『悲しいかな…地球上の人類の約9割5分はこの津波の被害によって絶命するとされているの…仮に生き残ったとしても後から来る何百年間の氷河期でとても生きては行けない…』

蝉の声が止んだ…

No.391 08/06/12 19:12
ヒマ人0 

>> 390 🎐19🎐

『…聞かなきゃよかった…まだ足が震えてるぜッッ…なぁ、カルピスソーダ残ってる?喉カラカラ!』

日の暮れた夜道で時男は亮介の自転車の後ろ座席に腰掛けたまま両手で互いの肩を摩っていた…

『…予想はしてた事だけど、いざ清原にあぁやって改めて詳しく聞かされると何か…ハァ~て感じだよな…』

『ナァ亮介、俺思ったんだけどさ…どうせ死ぬんなら死ぬ前に何かこう思い出作りたくね?何でもいいんだ…俺達に出来る事ッッ!』

『思い出カァ…そうだな…』

亮介の押す自転車のペダルが自動的にクルクルと回転している…

『みんなどんな気持ちで来たるべく《その日》に備えてんだろな…』

時男の喉が鳴った…

『さぁ…人の心の内までは解らないよ…その日を穏やかにただじっと迎える奴、神頼みする奴、まだ信じてねぇ奴、先に逝っちまう奴…人それぞれ色々だかんな…』

『なぁ亮介…』

『ん?』

時男はゴミ箱に飲んだ缶を捨てた…

『最期の日も…変わらず一緒に馬鹿やって遊ぼうなッッ…俺達…』

『フフッ…あぁ、約束だぞ時男ッッ!』

パンという掌を合わせる音が真夏の夜道に響いた…

No.392 08/06/12 19:41
ヒマ人0 

>> 391 🎐20🎐

『だッ!誰に吹き込まれたのそんな馬鹿な予測ッッ!ハハァ…唯ちゃんねッッ!アンタあの子に逢ってまたそんな話ばっかしてるのかいッッ!?』

夕食の席で亮介の母貴子がいきなり怒り出した…

『だって事実なんだぜ…母ちゃんだってもう腹くくってんだろッッ!じゃぁ何言ったって平気だろッッ!?』

『清原さんちは自治会も一緒だしそれなりの付き合いがあったからお葬式には行ったけど…あの子は少し変わってるから付き合うなって母ちゃん言ったよね?ねッッ!?…どうしようもない子だねったくッッ…』

貴子は食器を流しに投げ込むようにほうり込んだ…

『清原は変な奴じゃないよッッ…そりゃ少し根暗な所あるけど…決してオカルトじみた変人なんかじゃないからなッッ!』

亮介は貴子を睨み付けると階段をダンダンと駆け昇り自分の部屋に入った…

『チキショッッ母ちゃん…清原の事何にも知らない癖にッッ!』

亮介はベットの上で大の字になり天井を仰いだ…

(…まぁ俺も憧れってだけでまだ清原の事何にも知らないんだけど…)

亮介はカーテン越しにじっと真夏の大三角輝く夜の星空を見上げていた…

No.393 08/06/12 20:41
ヒマ人0 

>> 392 🎐21🎐

8月に入った頃から次第に世間が俄かに騒ぎ始めた…世界での自殺者数がこの一年で遂に3000万人を越え、人生に疲れ、どうせ皆死ぬのだからと自暴自棄となった人間が犯す犯罪も一気に加速し、各国で殺人や強盗事件が相次いだ…その余りの件数に警察機構も麻痺し、もはや躍起になって犯人を捕まえる事すらしなかったせいで益々凶悪犯罪に拍車がかかったのだ…

『嘘だろッッ…法務大臣が国連命令で来週にも全国の刑務所や拘置所に収容されている犯罪受刑者の釈放を宣言したってさ…』

亮介は新聞記事に目を丸くした…隣で時男が音楽を聴きながら雑誌を読んでいる…

『…文字通り世も末だぁね…どうせ死ぬんだから最期位お前らも好きにしな!…って事なんだな…これじゃ野放しの狼、益々犯罪に拍車がかかるじゃん!』

亮介は激しい夕立を見つめながらふとまた清原唯の顔を思い出した…

(アイツ…家で一人なのかな…淋しいだろな…)

亮介は時男のTシャツの袖を取るとついてこいッッと傘を差し玄関を出た…

『ち、ちょっと亮介ッッ、何処行くんだよッッ!』

『いいからついて来いってッッ!』

No.394 08/06/13 11:09
ヒマ人0 

>> 393 🎐22🎐

街灯のついていない清原家はまるでお化け屋敷のようだった…

『…いないのかな…』

何度もインタホンを押すが応答はない…

『親戚んちにでも行ったんじゃね?』

透明のビニル傘を面倒臭そうに肩にかけながら時男が言った…

『親戚はもう日本には居ないってアイツ言ってた…自宅に居るはずなんだけどな…』

『あのな亮介ッ…両親が自殺しちまって同情する気持ちは解るけどさッッ…もうそっとしといてやったら?清原の事は…』

亮介は黙って踵を返すと土砂降りの夜道を歩き出した…角の児童公園を通り過ぎようとした時、亮介は公園の砂場に真っ赤な傘を確認した…

『あれ…もしかして…』

亮介は傘の遮る場所からゆっくり顔が確認出来る距離まで近付いてみた…

『清原だ…』

『嘘ッッ…何してんのこんな土砂降りの夜に…』

『な、泣いてる…ッッ!』

清原唯は両親の小さな遺影を抱きしめて一人激しく嗚咽していた…雨か涙か解らない粒が容赦なく真っ白な頬に次々と弾ける…

『…俺達の前じゃ気丈に振る舞ってさ…本当は…』

『……清原…』

いつしか真っ赤な傘はブランコの側まで飛ばされていた…

No.395 08/06/13 11:32
ヒマ人0 

>> 394 🎐23🎐

清原唯が汗をかきながら亮介と時男のいる河川敷に現れたのはそれから2日後の8月5日だった…

『きッ、清原どうしたのさッ、』

駄菓子屋で買ったソーダアイスを口に含みながら亮介は目を丸くした…

『ハアッ、ハアッ…大ニュースよ大ニュースッッ、ハアッ、ハアッ…』

『とにかく落ち着けってッッ!ホラ、お茶飲むか?』

時男が渡した烏龍茶のボトルを一飲みすると清原唯は真夏の草の上に腰掛けた…

『私が趣味でやってるHam無線でたまたま政府機関の情報を傍受したのねッッ、ハアッ…ハアッ…したら…』

『…Ham無線ってお前…しかし色んな事やってんだな…女のくせにッッ…』

時男が清原唯に呆れていた…

『ちょっと!人の話を最後まで聞きなさいよッッ!したらね…聞いちゃったのよッッ!』

亮介と時男は顔を擦り合わせんばかりに清原唯に注目した…

『もしかしたら巨大隕石【ハリソン1970】は最悪《摩擦衝突》だけで済むかもってッッ!』

『ま…摩擦?…衝突ぅ?』

清原唯はそんなのも解んないのッッ!というような不愉快な顔をした…

『つまりッッ!隕石は地球に真っ直ぐぶつかるんじゃなくて、地球をかすり、えぐるるように通過してくって事ッッ!』

『…?はぁ…』

No.396 08/06/13 11:58
ヒマ人0 

>> 395 🎐24🎐

『当初隕石は地球に真っ直ぐぶつかるって予測だったの…でもNASA航空宇宙局の研究者達の見解が少しずつ変わって来たんだって…』

『て事はつまり…隕石の野郎の軌道が当初の予測より微妙にずれて来たって訳?』

亮介の言葉に清原は人差し指を立てて正解!と笑った…

『どういう事?解りやすく説明しろよ亮介ッッ!』

一人だけ蚊帳の外の時男が詰め寄った…

『野球で説明すれば簡単だ…こないだまではバットに真っ芯に当たる予定だったボールがファウルチップで済むかもって事!』

『なるほ~…それっていい事なのかッッ?』

時男は清原唯を見た…

『う、うん…直撃が免れただけでも凄い事だわ…』

『イヤッホ~ッッ!やったやったスッゲ~ッッ!助かるのか俺達ッッ!イヤッヒョ~イ!』

時男は余りの嬉しさに踊り出した…

『ち、ちょっと待ってよッッ!勘違いしないでッッ!直撃しないってだけで隕石【ハリソン1970】は確実に地球に衝突はするんだからねッッ!』

亮介は踊り狂う時男を制止した…

『もっと詳しく聞かせてよッッ…《天文博士》ッッ!』

亮介は清原唯に笑いかけると清原唯は少年のような目でまたノートを取り出した…

No.397 08/06/13 16:43
ヒマ人0 

>> 396 🎐25🎐

『いい?ここからはあくまでも私の想像…地球を霞んで通過すると言っても安心しないでッッ!その衝撃は半端じゃないからッッ…まず、直撃の津波と違って摩擦衝突の場合は一度に何回も津波は来ない…多分大きな波が1、2回程度…でも接触角度や地形、気候、その他様々な環境で状況は目まぐるしく変わるわ…』

清原唯はノートに何個も円を描いた…

『海面をえぐるのか陸地をえぐるのかでもかなり被害に差が出そう…予定通り海面だと津波、陸地部分だと推定マグニチュード16・0…阪神淡路大震災の約二倍のエネルギーが活断層にかかる…都市部だとまずどんな耐震設備を兼ね備えた建物でも倒れずに残る術はまずないと思うわ…』

亮介は生き生きと話をする清原唯を見た…これが本当に女子高校生なのかと疑う位に清原唯は淡々と自らの推測を理論立てた…

『で結局俺達はどうすりゃ…何処にいれば助かるのさッッ!』

時男が難しい話はゴメンとばかりに清原唯をせき立てた…

『巨大隕石【ハリソン1970】衝突に備えて生き残る方法はただ一つ!あくまでも一時的にだけど…』

清原唯の眉が動いた…亮介と時男は身を乗り出した…

No.398 08/06/13 17:50
ヒマ人0 

>> 397 🎐26🎐

『私達日本国民が生き残る方法はただ一つ…隕石が東から西へ、それも中国大陸から以西の陸地をえぐるように衝突する事ッッ!そうすれば日本列島かなりの揺れは起きるけど沿岸から到達する津波の影響は最小限に食い止められるのッッ!そりゃ日本沿岸一帯の土地は津波で水没はするだろうけど関東でいうと内陸の山岳地帯、長野や岐阜、それに山梨県北部はかろうじて水没から免れる…』

『じゃさ、今からそこに逃げて衝突すんの待てばいいんじゃんかッッ!生き残る事出来るじゃんかよッッ!』

時男が鬼の首を取ったように言葉を発した…しかし清原唯の顔は曇ったままだった…

『…そんな私達日本人にだけ好都合に隕石は落ちてはくれないわよ…これは私が独断と偏見で調べあげたただの願望シュミレーションなんだから…』

『………』

亮介はなぁ~んだと萎れる時男の肩を叩いた…

『ま、自分達だけ助かろうなんて甘いよな…そだそだッッ…ハァ~』

時男が納得いかない顔付きでボソリと独り言を呟いた…

『落ち込むなよ時男ッッ!奇跡が起こるかもしんねぇじゃんかッッ!落ちてみなけりゃ解らないって!』

亮介は時男の頭を抱えて微笑んだ…

No.399 08/06/13 18:21
ヒマ人0 

>> 398 🎐27🎐

8月14日…《隕石衝突の日》が二週間後に迫った…世界では未来に希望を失った自殺者を含む犯罪、交通事故等での死傷者の数が遂に9000万人を越えるという最悪の事態に陥っていた…亮介の住む街も殆どの家から人の姿が消えていた…新聞やTV等のメディアも中断され、政府からの隕石衝突について何の情報も得られないまま残された住民は頭を抱えて怯える日々を淡々と生きていた…亮介は迫り来る恐怖に塞ぎ込み布団に震え蹲る母親の看病をしながら自分に何か出来る事はないのかと自問自答の日々を送っていた…

『お、どうしたんだよ…時男』

玄関のチャイムが鳴り出てみるとそこにはボストンバックを抱えた相楽時男がいつになく神妙な面持ちで立っていた…

『どしたんだよ…そんな荷物抱えて…』

『亮介……ごめん…』

時男は亮介に深々と頭を下げた…

『な、何だよ…!』

『母ちゃんが…母ちゃんが…睡眠薬大量に飲んで倒れた…俺…母ちゃんの側にいて看病してやりたいから…だから…約束守れなくて本当にごめんッッ!』

『時男の…お母さんが…う、嘘だろ…』

亮介は時男の顔を見る事が出来なかった…

No.400 08/06/13 18:55
ヒマ人0 

>> 399 🎐28🎐

『母ちゃんの里、岐阜の大垣って所なんだ…そこに家族全員で移り住もうって今から新幹線で…ホラ、清原が言ってたじゃん…もし隕石が衝突してももしかしたらあの辺りは大丈夫なんじゃないのかって…だから俺決心したんだ…亮介、俺お前も大切だけどやっぱ大事な母ちゃん放っとけねぇし…だから…ごめん…衝突の日は一緒に居られない…』

『…分かってる時男…当たり前じゃんかッッ!お母さんがそんな状態でまだ俺と居るだなんて言おうもんなら今度は俺の方がお前をブン殴るぜッッ…元気でな、時男ッッ!お互い生きてたらまた逢おうぜッッ!』

亮介は時男の髪をクシャと乱した…時男は亮介に目配せするとゆっくり振り向いて亮介の玄関を後にした…

(絶対また逢おうな…時男ッッ…)

亮介の心の中で何かが弾けた…寂しさとどうしようもないぶつけ所のない怒りが交錯し一気に亮介に襲い掛かってくるようだった…《地球最期の日…貴方は誰と何処で過ごしますか?》いつか本屋で見たその言葉が亮介の脳裏を光のように駆け巡った…

No.401 08/06/13 19:37
ヒマ人0 

>> 400 🎐29🎐

8月21日…とうとう一週間のカウントダウンが始まった…隕石衝突に関する何の情報も得られないまま街ではあちらこちらで白い服を着た団体が神頼みで地球救済を念じて回っていた…

(世紀末…フッ…いや…《惑星末》…かッッ!)

必要最小限の食料を買い、亮介は清原唯の家に向かった…野性と化した首輪をした何処かの元飼い犬達が牙を向きながら亮介に吠え立てる…

(いるかな…清原…)

チャイムを何回か鳴らした後、亮介は広い裏庭に回ってみた…

『何だいるじゃんッッ!返事くらいしろよッッ!』

清原唯は黒のタンクトップ姿でじっと夕方の空を見上げていた…

『……相楽君…行っちゃったんだ…』

『……あぁ…』

清原の身体からほのかに蚊取り線香の臭いがする…

『…長田君は?』

『え?……』

『長田君はどうするの?あと168時間…』

《一週間》と簡単に言わない所が清原らしいと亮介は苦笑いした…

『…そうだな…どうすんべか…段々俺の周りから親しい人が消えてくようで何かやりきれねぇ…』

『……』

『あ…ごめん…そんなつもりで言ったんじゃないからッッ…』

いいよ、気を遣わなくてと清原唯は眼鏡を指でクイッと持ち上げた…

No.402 08/06/13 20:23
ヒマ人0 

>> 401 🎐30🎐

『今回の隕石衝突の余波…世界で亡くなった人今日付けで約1億1200万人…長田君この数字どう思う?』

突然清原唯が口をついた…

『どう思うって…哀しい数字だよ…隕石が衝突する最後の最後までどうなるか解らないのに混乱して先走って…哀しいね…』

『そう、そこッッ!私もそこに引っ掛かってるんだよね…』

清原唯は腕組みをし、考え込んでいた…横顔を見ながら付き合えば付き合う程風変わりな子だと亮介は思った…

『清原はどうすんだよッッ…このままここにいるのか?最後まで…』

亮介は核心をついてみた…

『う~ん…』

YesともNoとも取れる曖昧な返事をすると清原唯は側にあった温くなった麦茶を飲み干した…

『うん、きっと大丈夫だ…』

清原唯は突然そう言うと苦笑いした…

『何が?』

『だから大丈夫だってッッ!多分…』

清原唯の奇妙な受け答えに亮介は戸惑った…まさかとは思いたくはないが隕石衝突の恐怖やそれに伴う両親の心中のショックで頭がどうかしてしまったのだろうかと亮介は清原唯を案じた…このままこの子を一人にしておけない!亮介の中に変な正義感が沸いて来た…

No.403 08/06/13 20:48
ヒマ人0 

>> 402 🎐31🎐

その夜亮介は父学を居間に呼び出した…

『え?…山形の甥っ子の所へ母さんと一緒に行けだって!?』

突拍子もない亮介の言葉に学は息を飲んだ…

『あそこは高い奥羽山脈に囲まれた盆地だから津波が来てももしかしたら助かる可能性があるんだッッ!病弱の母さんを支えてやれるのは父さんだけだからッッ、ね?頼むよ…確率は低いけど万に一つ生き延びる可能性がある、頼むから父さん、俺の言う事素直に聞いてくれッッ…』

『亮介…お前はどうすんだ?勿論一緒に行くよな?』

学の言葉に亮介は首を振った…

『俺には守らないといけない人がいる…最後まで一緒にいたいって思う人が…だから俺はその人と行動を共にするよ…心配いらないよ父さん…俺は大丈夫だからッッ…』

学は今まで一度たりとも見た事のない息子の真剣な表情に圧倒されていた…そして暫く考え込んだ後ゆっくり亮介を見た…

『本来なら引きずってでも一緒に連れて行く所だが…信じていいんだな?』

『……大丈夫!きっと生き延びるからッッ!』

何の根拠もない慰めを父に見せると亮介は部屋に戻って行った…

(馬鹿野郎ッッ…命を粗末にしやがって…)

学はさりげなく手渡された山形行きの航空券を見た…

No.404 08/06/13 23:23
ヒマ人0 

>> 403 🎐32🎐

翌日盛岡行きの東北新幹線で亮介の両親は山形の亮介の従兄弟の実家に旅立っていった…すがり付くように泣き叫ぶ母親貴子を何とか宥めると新幹線は定刻通り発車した…

(ごめんね、お父さん…お母さん…)

亮介は踵を返すと在来線を乗り継ぎ、見慣れた地元の街に帰って行った…途中救急車のサイレンがあちこちからひっきり無しに鳴り響き、自分の住む街に着くまでに飛び降り自殺したと思われるビニルシートの死体を幾度となく確認した…この瞬間にも世界で次々と尊い命の火が消えているのかと思うと亮介は自身まだ正気ですらいる事が逆に恐ろしく猟奇的にも感じた…そしてあてもなく街を歩き、気が付くと亮介はやっぱり清原唯の家の前にいた…チャイムを鳴らす事もなく亮介は裏庭の軒先にいるであろう清原唯の姿を見付けに中に入って行った…清原唯は身体の何倍も長い天体望遠鏡を庭に備え付け、しきりにピントを合わせながら中を覗き込んでいた…

『この期に及んで天体観測かよッッ…他にする事ないのかい…』

『そのお言葉そっくりそのままお返ししますッッ!』

余計な挨拶もなく清原唯はそれでもじっと夜でもないのに望遠鏡を覗いていた…

No.405 08/06/13 23:46
ヒマ人0 

>> 404 🎐33🎐

『あの…家の中が荒らされてるんだけど…』

『あ、それ…それさっき外国人の物取りが侵入してきて…別にどうぞご自由にって感じ…』

『ご、ご自由ってったって清原これッッ…ハァ~』

本当に少々の物事には動じない鉄のような女だなと亮介は頭を抱えた…

『今日両親を山形の知り合いの家に避難させた…』

『そっ…まぁ備えあれば憂いなし…何にもなかったらそれはそれで結果オーライだしねッッ…いいんじゃない?』

清原唯は今日初めて亮介に笑顔を見せた…

『で、こんな明るいうちから何見てんの?星?』

言うが早いが頭にピンと来た亮介は慌てて言葉を被せた…

『あ!ま、もしかして例の隕石【ハリソン1970】?まさかもう望遠鏡で確認出来るのッッ!?』

『……うん…まぁ…』

清原唯の例の感情の篭っていない相槌だった…

『けど不思議なんだよね…』

『不思議ぃ?何が?』

清原唯は一度望遠鏡から目を離すと腕組みをして瞑想に耽った…

『…もうあと六日足らずで地球に衝突するはずのその隕石が確認出来ないんだよねッッ…』

『…え…ま、マジでそれッッ…つまりどういう事?』

亮介は清原唯の次の言葉を待った…

No.406 08/06/14 07:58
ヒマ人0 

>> 405 🎐34🎐

『見えないって…隕石だからそりゃ望遠鏡くらいでは…』

『地球の半分程ある隕石よッッ…この目で見えないはずはないわ…考えてみて!何万光年も離れたあのベガやアルタイルですら肉眼であんなにコウコウと光輝いているのよ…まさにあと六日で地球に衝突する星が肉眼で確認出来ない訳ないと思わない?』

確かにその通りだ…そんな巨大な隕石ならもうとっくに肉眼ではっきりと見えたって不思議じゃない…亮介は静かに頷いた…

『じゃぁ隕石は?【ハリソン1970】は一体今何処に?』

清原唯は軒先の格子に腰を下ろすとじっと空を見ていた…

『…私数日前からずっと考えてた…何だかしっくり来ない胸騒ぎはどうやらこれだったんだ…』

『なぁ清原ッッ…解るように説明してくれないかッッ?これってどういう事ッッ!?』

清原はふと顔を上げた!

『長田君ラジオ持ってたよね!?携帯ラジオ…ちょっと貸してくんない?』

『あ、あぁ…いいけど…』

清原唯は亮介からラジオを借りると電源を入れた…

『言っとくけど清原ッ…ラジオはどの局もずっと宗教番組で念仏とかコーランとか唱えた奴流してて隕石の情報なんて何も掴めないぜッッ!』

『それだッッ!』

清原唯は立ち上がった…

No.407 08/06/14 08:36
ヒマ人0 

>> 406 🎐35🎐

清原唯は血相を変えて家の中に入ると慌てて離れにある自分の部屋に駆け出した!

『ち、ちょっと清原ッッ!何処に行くのさッッ!』

亮介は慌てる清原唯の後を追うようについて行った…清原唯は部屋に入ると机に腰掛け自分の耳より大きなヘッドフォンをかけると壁にある無数のスイッチの電源を順番に入れていった…

『すッ…すげぇな、お前の部屋ッッ…』

ピンクの壁紙に縫いぐるみ、若いタレントのポスターを想像していた亮介の目に飛び込んで来たのは無機質で機械的空間に囲まれた本格的なアマチュア無線室だった…

『まるでTV漫画の地球防衛軍の基地か何かみたいだ…』

『ちょっと座っててッッ!後でゆっくり説明するから…』

清原唯はラジオのチューニングのようなものを慎重に合わせながら面倒臭そうに亮介に言った…

(言葉悪いけどこりゃ世間の皆に変人って言われる訳だ…)

亮介は床に腰掛け辺りをキョロキョロ見回しながら心でそんな事を呟いた…

『また防衛庁の周波数を傍受出来ればいいんだけど…』

清原唯は真剣に機械の波と向き合っていた…何かに没頭しているその真剣な横顔が亮介は好きだった…

No.408 08/06/14 09:24
ヒマ人0 

>> 407 🎐36🎐

『クソッ、思った通り…向こうさん周波数を変更してるッッ!私のこないだのハッキングがバレたみたい…』

『……ハッキングね…ハハハ』

亮介は返す言葉も見当たらずただ頭を掻いた…

『でもこれではっきりと裏付けられたわねッッ…』

独り言を言うと清原唯はまた腕組みをした…

『ハァ~…防衛庁の緊急周波数に合わせるにはまた時間がかかる骨が折れる作業になりそッッ…あそだ!長田君、お腹空いてない?』

清原唯は立ち上がると少し休憩と呟きながら散らかった台所に向かった…清原唯は手際よくタラコのスパゲティを作って亮介に出してくれた…

『うまいッッ…料理も上手いんだね清原は…』

『…そんなの即席使って麺茹でるだけ、簡単じゃん!』

いつもの素っ気ない言葉が返ってきた…

『衝突しないよッッ!…隕石なんて…』

清原唯が頬杖をつきながら突然亮介に言い放った…

『そ、それ…本当?マジで?』

『うん…本当…マジ…常識では考えられないんだけど多分隕石衝突は地球世界規模の《大嘘》ッッ!』

亮介のフォークの手がピタリと止まった…

『な…何でそんな嘘をッッ…!』

清原唯はゆっくり俯いた…

No.409 08/06/14 10:05
ヒマ人0 

>> 408 🎐37🎐

『これはあくまで私の推論推測の域を出ないんだけど…今回の一連の騒動は何年もの時間入念に計画された大規模な人口削減計画なのかも…』

『じ、人口削減計画ぅ…なぁ清原…な、何かお前凄く怖い事言ってないかッッ?…』

『《もうすぐ地球に巨大な隕石が衝突します…おそらく人類はほぼ滅亡するやも知れません…ですから世界の皆さん、それぞれ選んだ道を準備し進んで下さい…》…間違いない、これは人類史上およそ想像も出来ない《人減らし》計画なのよッッ!』

亮介はフォークを叩き付けた!

『や、やめろ清原ッッ!いい加減な事言うなッッ!人間が自らそんな酷い決断する訳ないだろッッ!そりゃ今地球は自然環境が深刻に悪化して危機的状況にあるよ、それらの原因は全て我々人間が招いたんだけど…だからって、だからって地球の人口を減らしたからって解決する問題じゃないだろッッ!人減らし計画なんて出鱈目もいいとこだッッ!どうかしてるぞお前ッッ!』

暫くの沈黙が台所を支配した…

『そう…そうだよね…人間が自らそんな事する訳ないよね…私の考え過ぎだった…ごめん…』

清原唯はそう言うと流しに食器の皿をトポンと浸けた…

No.410 08/06/14 11:06
ヒマ人0 

>> 409 🎐38🎐

8月25日の朝を迎えた…いつものように亮介は一人清原唯の家に足を運んだ…清原唯は部屋でしきりに無線をいじっていた…政府機関の極秘情報を入手しようと必死のようだ…

『世界での自殺者がとうとう2億人を突破したよ…今朝近所の交番の警官に聞いた…』

『……そ…』

『なぁ清原…俺考えてたんだけど…お前の推論…まんざら間違いでもないんじゃないかって…』

亮介の意外な言葉に清原唯の作業の手が止まった…

『もしかしたらこれは未来の地球環境を守る為人類自ら下した霊長類の人工淘汰なのかなって…決して許されるやり方ではないんだけど…』

『何か難しい言葉使うわね…けどそれ当たってるかも…』

清原唯は苦笑いをして見せた…

『一つの国の権力者が無差別虐殺をすればそれは大罪…でもそれが世界同時規模で行われるとしたなら…それは紛れもなく揺るぎない絶対的《正義》なのッッ…つまり人類はそれを決断したのかも知れない…隕石という《未知なる虚偽の悪魔の大王》を造り上げてまでも…人類は自分達の住む地球の未来をもはやこんな形でしか救う事が出来ないと感じたんじゃ…』

『酷い…それが事実ならあんまりだ…』

亮介は肩を落とした…

No.411 08/06/14 11:53
ヒマ人0 

>> 410 🎐39🎐

盆が過ぎ秋の気配が随所に見られ出した…8月27日のその夜は余りにも静かで厳かに過ぎ行くようだった…

『西瓜食べない?買って来た…』

亮介は朝から片時も無線機から離れる事のない清原唯に声をかけた…

『いよいよ明日…明日何も起きなけりゃ全てが終わるんだね…ま、隕石は出鱈目だから何も起きる訳ないんだけど…少なくともこれ以上の悲惨な自殺者は防げるか…』

『………』

『どしたの?…また考え事?』

清原唯はまた腕組みをして夜空を見上げた…

『…ん~もし…もしよ…仮に私が地球の未来を牛耳る絶対的権力者だったとしたら…』

また始まった!…亮介は気にせず真っ赤に熟れた西瓜をかぶった…

『こんな大規模な嘘ついてまで全世界人口の1%にも満たない削減だけで果たして成功と思えただろうかしら…?』

『どういう意味だよそれッッ…』

清原唯の奇妙な言い回しに亮介は耳だけ傾けていた…

『うぅん、気にしないで…何でもない…』

『変なのッッ…』

蟋蟀の哭き声がリンリンと輪唱で聞こえる…

『ねぇ亮介君…今日泊まってかない?』

『え!?…』

清原唯から初めて聞く《亮介》という響きに亮介は一瞬ドキッとした…

No.412 08/06/14 12:27
ヒマ人0 

>> 411 🎐40🎐

『無線…聞かなくていいの?』

清原唯は来客用の真新しい布団を敷くとバサッとシーツを広げた…

『いいのッッ…あ、ちょっとその端持ってくれる?』

部屋を襖に仕切られてはいるものの女性とこうして一つ屋根の下で寝る事に亮介は胸の鼓動が治まらなかった…

『清原…な、何も…しないよね…』

『!あのねッッ、それは普通私の言う台詞じゃん!何で亮介君が先に言うのよッモゥッ!』

清原唯はアハハと笑った…眼鏡を外した清原唯を見たのは亮介は初めてだった…

(やっぱり可愛い顔してるよな…あと趣味嗜好がごく普通なら文句なしなんだけど…)

『じゃ…おやすみ…』

『あ、おやすみなさい…』

『亮介君…』

『ん?…何?』

『うぅん…何でもない…早く終わるといいね…何もかも…』

『そうだね…』

それだけ言うと清原唯は襖を閉めた…

(ハァ~…しかし明日以降一体どうなるんだろ…この地球…)

そんな事を考えながら亮介はゆっくり目を閉じた…遠くで野犬の遠吠えの声がしていた…亮介は人の気配でハッと起きた!

『……清原…どしたの?』

『……一緒の布団で寝ていい?』

清原唯は半分涙目でじっと亮介の目を見ていた…

『あ、あぁ…い、いいけどッッ…』

No.413 08/06/14 13:03
ヒマ人0 

>> 412 🎐41🎐

心臓が喉から飛び出そうとはこの事だった…清原唯の温かな体温を感じながら亮介は身体中を強張らせ緊張していた…

(こ、これじゃ…眠れないよッッ!)

亮介は興奮気味の気持ちを抑えるように横に寝ている清原唯に言葉をかけた…

『結局何年もな、夏祭りとかなかったね…ハハハ、よく行ってた?夏祭り…』

『うん…雪子とね…花火大会とか海とか…毎年夏休みが待ち遠しかったな…』

『へ~結構普通なんだ…夏休みは毎日Ham無線に勤しんでるのかと思ってた…』

『ンモッ、それどういう意味よッッ!人を万年オタクみたく言わないでよッッ!』

二人は苦笑いをした…

『ねぇ亮介君…どうして私に優しくしてくれたの?教室じゃ殆ど会話なんて交わさなかったのに…』

『さ、さぁ…どうしてだろ…ハハハ』

亮介はバツが悪くなり寝返りを打った…

『亮介君…』

『…ん?』

『ありがとね…色々…』

清原唯はそっと亮介の背中に身を寄せた…

(あ…まずいってッッ!アァ…)

『明日が終わるまで私と一緒に…私のそばに居てくれる?』

『…う、うん…そのつもり…』

『何にも起きなきゃいいのにね…』

その言葉を最後に清原唯は寝息を立て始めた…

No.414 08/06/14 13:27
ヒマ人0 

>> 413 🎐42🎐


(ありがとう…最後まで一緒に居てくれて…本当にありがとう…)

地球最期の日、貴方は誰と何処で過ごしますか…?



ピキィィ…

【8月28日午前8時30分…世界各国の主要軍事施設から一斉に核爆弾が発射された…世界150カ国からなる地球環境保全地球人口削減計画委員会の当初の予定通りの決断だった…世界に飛び交った70基の爆弾で全人類の約5分の1にあたる12億人もの尊い命が失われた…地球がいつしか放射能汚染から脱し、また緑ある美しい星に生まれ変わるまで生き延びた我々は一体どれだけの歳月を費やせばよいのだろうか…運よく生き延びた、いや神によって生かされた我々に出来る事…それは再び同じ過ちを起こさぬようにする事…ゼロからのStartを切る事…さすれば再び地球は美しい星へと創世するのかもしれない…】



~地球最期の夏休み~完

No.415 08/06/14 16:10
アル『日 ( 30代 ♂ ycvN )

>> 414 ビリケン💀さん、こんちくわ🍢😚


着衣✨👚✨

🙌トオッ

🔥

➰➰🙎クルクル

🔥🔥🔥
🔥💃🔥ゴガア~ン‼


☁☁☁
☁☁☁ゲホッ💨ゲホッ💦

😤ンモウ~ッ💢スタッフさん火薬多すぎ💢

😲おっと…

いや~ッ💦💦
「地球最後の夏休み」
流石はビリケン💀さんとしか言いようのない物語の構成の仕方、自分的にはハッピーエンドで行って欲しかったところですが、これはこれで本当に実際あってもおかしくない話しですね😨💦
今は地球温暖化で北極海の氷が減りCO2を冷却して海底に押しやる力が100年後には弱まると言います😱
これからどうなる地球🌏⁉💦💦
あっ、話しは脱線しましたが💦こいからも執筆頑張って下さい😚次回作待ってます👋草場の陰からいつも応援しとります😁フッフッフッ…

🌏最後の日は👪と一緒に過ごしたいアル🍺より

No.416 08/06/14 21:45
向日葵 ( dtkN )

>> 415 ども、あさひ🐯です。
なんか人類滅亡じゃないけど、私が住んでるとこ今朝の地震で有名になっちゃいました💧幸い、私の家は山が近いとかではないので、土砂崩れもライフラインの不通もないのですが、余震で家の中が危険なので、今夜は車で寝ることになりました。因みに、地震当初、下半身丸出しでボットントイレにお尻がはまらないようにと格闘してました(爆)宮城県沖地震があった30年前は生後2ヶ月の赤ちゃんだった私が、まさか30歳になって二度も大地震に見舞われるとは…日本てホント島国地震大国ですよね(苦笑)皆さんもお気をつけあそべ。

No.417 08/07/28 11:06
ビリケン昭和 ( Y5u6h )

>> 416 携帯小説ファンの皆様こんにちは✌ビリケン昭和の🎈短編小説の過去作品です💨まだの方や新規の皆様、待ち合わせや暇な時間手軽に読めますのでこちらもどうぞよろしくお願いしま~す😁✨

No.418 08/09/06 15:03
ビリケン昭和 ( Y5u6h )

>> 417 💀みみ様💕こちらですよ~😁✌

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