🎈手軽に読める短編小説
皆様こんにちわ‼手軽に読める短編小説始まります…待ち合わせや夜の時間に手軽にサクッと読めちゃう、そんな小説スレです❤貴方はどのお話が好きですか?…
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>> 250
☺60☺
『よ、予選通過したって…お前らそれ…ホンマけッ!?』
それから三日後、舞台の合間に食堂でキツネうどんをすすっていた二人の師匠三島ヨット・ボートは目を丸くした…
『あ~師匠その顔ッッ!まさか私達弟子の事全然期待してなかったんじゃありませんかッ!?』
『……ま…まぁな…すまんけど…その通りや…』
可憐と安藤は上方新人漫才大賞予選通過者だけに送られる本選決勝大会に出場出来る分厚い封筒を見せた…
『…み、見てみぃボート君…これ…ホンマもんや…』
『…あぁ…コラ驚きました…』
二人は封筒の内容を何度も読み返して信じられない様子だった…
『ネタは?…例の散髪屋のアレでいったんか?』
『いぇ違うネタで…師匠に言われたようにあのネタは封印して私達らしい漫才のネタに変えて…』
ヨットとボートは首を傾げながらそらおめでとうと初めて笑顔を見せた…
『本選決勝大会は来週OBV演劇ホールで全国ネットで生放送ですッッ!師匠ッ…見てて下さいねッ!私達《カキツバキ》きっと新人漫才賞の頂点に立ってみせますからッッ!』
安藤も可憐に続き笑顔を見せた…
『そうか…しかしお前ら二人共えぇ顔しとるッ…見違えたわ…まあ頑張りッッ!』
>> 251
☺61☺
上方新人漫才大賞当日…OBV演劇ホールは異様な熱気に包まれていた…昨今のお笑い漫才ブームに煽られてかホール内はビッシリと今旬で最先端のお笑いコンビを一目見ようと満員の観客で埋め尽くされていた…
『よう!ボート君…やっぱりアンタも観に来たんか…』
観客席の最後尾でオフの三島ヨットが同じく仕事休みのボートを見つけ声をかけた…
『…ヨット君もか…ハハハ…さては、可愛い弟子達のする漫才が気になると見た!図星ですやろ?』
『ハハハ…まぁな…アイツら一体どんな漫才して決勝まで勝ち残ったんかが興味あってな…』
私もです!とボートも頷いた…
『しかし頭のえぇ子らやないですか…あの二人ヨット君のアドバイス、きちんと飲み込んでちゃんとここまで来たんですから…』
ヨットは黙ってまだ開かぬ舞台の幕を眺めていた…
『だからこそ見てみたい…アイツらの漫才を…って事ですな?』
ボートの言葉にヨットは苦笑いを浮かべた…
『さぁ始まるでッッ!』
番組ディレクターの前説が終わり、軽快な音楽とともに眩しいスポットライトが会場を交錯した…《輝けッッ!上方新人漫才大賞ぉッッッ!》ヨットとボートは息を殺した…
>> 252
☺62☺
8組中6組の漫才が終了した…汗だくで緊張しながら漫才を終えて舞台の袖に下りてくる他の決勝進出者を眺めながら可憐はゆっくりと深呼吸をした…
『大丈夫や椿ッッ…落ち着け…予選の時みたいに落ち着いてやったら結果はついてくるッッ!』
『はいッッ…あ~ん、人前に出るのには慣れてるはずなのに緊張するぅ~ッッ!』
可憐は自分の頬を一度ピシャリと叩いた…
『えぇか椿…俺達はここで終わりやないッ!…ここから始まるんやッッ!』
安藤は震える可憐の両肩に手を置くと笑顔で言葉をかけた…そこには以前の何でも悲観的で消極的な安藤の姿はもうなかった…可憐は初めて見るそんな安藤を芸人の先輩として頼もしく感じた…
『そ、そうですよね…ここからが私達の始まりですよねッッ!』
二人が出番です!とディレクターに呼ばれた…
『よし!いくぞ三島椿ッッ!』
『はいッッ!全国に《カキツバキ》ありって所見せてやりましょッッ!カキフライ安藤兄さんッッ!』
紅白の衣装を着た二人が軽快なお囃子と共に勢いよく夢の舞台に飛び出した!
《はぁ~いどうも~カキツバキでぇ~すッッ!》
>> 253
☺63☺
二人の漫才が始まるや否や会場は割れんばかりの大きな笑いに包まれた…
『…そう来たか…フフフ…そうかそうか…』
三島ヨットは今まで新人の漫才では耳にした事のないような観客の心からの笑い声にただ苦笑いをしていた…そしてゆっくり席を立ち帰る支度を始めた…
『…最後まで見ていかないのんですか?ヨット君…』
ボートがヨットに声をかけた…
『フフフ…この観客の笑い声聞いてみぃやボート君…もうワシは充分や…何も言う事ない…これが全ての答えや…』
『…フフフ…確かに…では私も…』
三島ヨット・ボートの二人は可憐と安藤の漫才を終わりまで見る事なく会場を後にした…二人がホールを出た後も観客の笑い声がなりやむ事がなかった…
『なぁボート君…アイツら…きっと将来ワシらをも脅かす存在になるかもな…』
ボートは襟を正しながら黙って微笑んだ…
『何やヨット君…泣いてるんと違いますか?』
『あ、アホ言うなボート君…目に埃が入っただけやッッ!』
二人は笑いながら今夜は飲み明かそうと肩を抱いて深いネオン街に消えて行った…
- << 256 ☺65☺ 『じ、じゃぁボート師匠が私達の師匠にッッ?』 可憐の言葉にボートは優しく頷いた… 『昔から弟子は取らへん国宝級の頑固者やで…そのボート君がお前ら二人の漫才を認めたんや…有り難う思いやッッ!』 ヨットの心憎い演出に可憐と安藤は思わず泣きそうになった… 『有難うございます師匠ッッ!』 『これから漫才道をビシビシしごきまっさかいにな…覚悟しなはれやッッ!』 苦笑いしながらボートは二人に笑いかけた… 『そうと決まれば明日から松前座のワシらの前座に出て漫才してもらう!』 ヨットの言葉に可憐と安藤は目を丸くして驚いた… 『わ…私…たちが…あ、あの伝統の松前座…の前座ぁ?嘘…嘘みたいッッ!』 『三島ヨット・ボートの一番弟子として恥ずかしくない漫才をしなさいッ!それが私達のお前さんらに対する注文や…』 『し…師匠ッッ!』 可憐と安藤は二人の師匠に抱き着いた… 『漫才の一番星…笑いの頂点を目指す長い旅が今始まったんです…頑張りやッッ!《カキツバキ》』 可憐と安藤は二人の膝でいつまでも溢れる涙を拭う事が出来なかった…
>> 254
☺64☺
『…そうか…優勝は出来んかったか…』
翌日ヨットは二人から決勝大会の結果を聞いた…
『…何や…お前ら悔しいないんか?優勝出来んでもっと落ち込んでると思ったけど…』
ヨットは笑顔を見せる可憐と安藤を不思議そうに見つめた…
『そら悔しいないって言ったら嘘です…けど師匠…俺ら持ってる力全て出し切りました…観客からもいっぱい笑い声もろうたし…もう大満足ですッッ!な?椿…』
『はいッ!…師匠に言われた《らしさ》の意味…やっと解りました…有難うございましたッ!』
ヨットは照れ臭そうに煙草を吹かした…
『あ、そや…優勝したらワシの弟子入り正式に認めたるってあの件な…』
可憐と安藤はその言葉に反応した…
『優勝逃したしやっぱり約束は約束やから…お前ら弟子には出来んッッ!』
『…ですよ…ね…約束は約束ですよね…解ってます…』
可憐と安藤は淋しそうに肩を落とした…
『…と!思ってたら何やお前らに興味持ってる物好きな漫才師がおってな…その人の弟子でも良ければ漫才続けてもえぇッッ!』
『ほ、本当ですかッッ!?で、その方はどこに?』
可憐と安藤はヨットに詰め寄った…
『さっきからここに居ますがな…』
声の主は三島ボートだった!
>> 254
☺63☺
二人の漫才が始まるや否や会場は割れんばかりの大きな笑いに包まれた…
『…そう来たか…フフフ…そうかそうか…』
三島ヨットは今…
☺65☺
『じ、じゃぁボート師匠が私達の師匠にッッ?』
可憐の言葉にボートは優しく頷いた…
『昔から弟子は取らへん国宝級の頑固者やで…そのボート君がお前ら二人の漫才を認めたんや…有り難う思いやッッ!』
ヨットの心憎い演出に可憐と安藤は思わず泣きそうになった…
『有難うございます師匠ッッ!』
『これから漫才道をビシビシしごきまっさかいにな…覚悟しなはれやッッ!』
苦笑いしながらボートは二人に笑いかけた…
『そうと決まれば明日から松前座のワシらの前座に出て漫才してもらう!』
ヨットの言葉に可憐と安藤は目を丸くして驚いた…
『わ…私…たちが…あ、あの伝統の松前座…の前座ぁ?嘘…嘘みたいッッ!』
『三島ヨット・ボートの一番弟子として恥ずかしくない漫才をしなさいッ!それが私達のお前さんらに対する注文や…』
『し…師匠ッッ!』
可憐と安藤は二人の師匠に抱き着いた…
『漫才の一番星…笑いの頂点を目指す長い旅が今始まったんです…頑張りやッッ!《カキツバキ》』
可憐と安藤は二人の膝でいつまでも溢れる涙を拭う事が出来なかった…
>> 256
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翌日…芸能週刊誌のある記者の記事が大々的に掲載されていた…
【お笑い新人発掘~先日行われた第52回上方新人漫才大賞で惜しくも三位に終わった元アイドルとピン芸人の異色コンビ《カキツバキ》に注目が集まった…コンビ歴は浅くまだ粗削りだが物おじした所がなく生き生きと力を発揮していたと感じた…特に目を引いたのは現役の人気アイドルだった愛川可憐の見事なまでのお笑いへの転身振りである…自身のアイドル時代の過去の禁断エピソード等を振り返り、それをネタにするというある意味業界タブーな試みは関係者を驚愕させた…それゆえ愛川可憐自身の漫才という物に対する一途なまでの真剣さが垣間見え、私には気持ちよく爽快に映った…今後の彼等の活躍を心より願います…頑張れ!カキフライ安藤、三島椿ッッ!】
~笑い星~完
ビリケン昭和💀さん、こんばんわ
〆
m⊆(_ _)⊇m
☺笑い星🌠のカキツバキ最高グウ~😚👍
ビリケンお笑いバッチグウ👍
グウ👍
グウ 👍
グウ👍
グウ 👍
グウ~ッ👍👍
😲グモ~ッ💨
おっと💦失礼おば💦
また、新たな短編まっとります😁
頑張って下さい👍
ではでは
👋😁
草場の陰から見守るアル🍺より
>> 260
【⑮】~お兄ちゃんの最期の言葉~
☔1☔
ここから見下ろす人影はまるで胡麻粒を運ぶ蟻のようだ…赤…青…紫…緑…街のビルの色様々なネオン灯が代わる代わる私の全身に色を作っては消える…夕方から降り出した雨は容赦なく横なぶりで室外ファンの上のトタンをパチパチと鳴らしている…
(お兄ちゃん…あの朝…私に何て言ったの?…)
私は傘も射さず、ずぶ濡れのままさっきからずっとこの場所に立っている…時折身体ごと吹き飛ばされそうな突風と雨によろめきながら静かにその時を待っている…お兄ちゃんのそばに行く準備をしている…揃えてそっと横に並べて置いた靴はもう中が水溜まりになっている…
(お兄ちゃんの居ない人生なんて…無いに等しい…)
私は一歩前に出た…背後からまるで早く逝け!と突風が後押しする…待って!…やっぱり…あの時私に言ったお兄ちゃんの最期の言葉を思い出すまでは私…大好きだったお兄ちゃんのあの朝に言った《最期の言葉》を思い出すまでは…私はゆっくり足を後ろに引いた…決して自殺を思い留まった訳じゃない…その言葉さえ思い出せたら…そしたらすぐに逢いに行くからね…お兄ちゃん…
>> 261
☔2☔
【ほんっとお前らは仲がいいなッッ!…そうして並んでるとまるで恋人同士みたいだぞッッ!】
放心状態の私のレンズにあの頃の記憶が蘇る…私はいつも学校の帰りにお兄ちゃんが働く小さな洋食店に毎日遊びに通っていた…お兄ちゃんは私が来るといつも店長さんに内緒で大きなオムライスを作って食べさせてくれた…大きな口を開けて美味しそうにオムライスを食べる私の顔を見ているのが好きだと笑って言ってくれた…お兄ちゃんが店を終わるのを待ち、私はお兄ちゃんの腕を組んでいつも一緒に帰った…本当の兄妹じゃない事なんて私にはそんな事どうでもよかった…ただ大好きなお兄ちゃんの横顔をずっと見つめていたかった…ずっとずっと…
(お兄ちゃんの最期の言葉…思い出せないよッッ…哀しい…哀し過ぎるよ…あんなにお兄ちゃんの事毎日見てたのに…髪の毛の枝毛から足の小指の爪の形まで私お兄ちゃんの事なんだって知ってるんだもん…なのに…あの朝の最期の言葉がどうしてもッッ!どうしても思い出せないッッ!)
下着の芯まで雨水で濡れていた…前髪からボタボタと滝のように雨水が滴り落ちる…私は膝を抱えた…
>> 262
☔3☔
(私のせいだ…私のせいでお兄ちゃんは…)
こんな春の土砂降りの夜にこんな都会のど真ん中の雑居ビルの屋上で一人の女々しい女が今まさに自殺を図ろうとしている事なんて誰も気付きはしないだろう…《私の最期》に着て来たこの空色のセーターとベージュのスカートは去年お兄ちゃんが私の誕生日に買ってくれた服で私の大切な宝物の一つ…だけど雨粒の跳ね返りの泥と化粧落ちした私のファンデの跡とが混ざり合い、もはや原色をとどめない汚い色に変わっていた…もう!こんな厳粛で大事な日に雨なんか降らないでよッッ!私は仰向けになり放射線状に降り注ぐ雨空の軌跡をじっと眺める…
【お兄ちゃんと結婚出来たらナァ~…】
あの時のお兄ちゃんの驚いた顔…今でも思い出せるよ…お兄ちゃんは馬鹿ッッ!と私の頭をコツイて照れ隠しに慌てて台所に立ち食器を洗うフリしてた…でもねお兄ちゃん…私あれ…本気の本気だったんだよ?本当にそうなればどんなにどんなに幸せだったかって…他人の目なんてどうだっていいんだ…これは私の紛れもない揺るぎない本心だったんだから…本気でお兄ちゃんの事…ハハハ…ハハハ…
>> 263
☔4☔
向かいのビルの窓に人影が見えた…若いスーツの男と制服の女が辺りを気にしながら窓越しでイチャついている…馬鹿みたい…誰にも見られてないつもりなんだろうけどここからじゃまる見えッッ!…脳天気なあの幸せそうな男女ももう後数十分もすれば自分達がいたすぐ前の道に女の飛び降り自殺した無惨な死体が転がるとは夢にも思いはしないだろう…
(お兄ちゃん…あの時何て言ったの?)
私はいつだってお兄ちゃんの話す言葉を身体で聞いていた…一字一句を魂で聞いていた…なのにあの日に限ってどうしてッ…あの時ちゃんとお兄ちゃんの言葉を聞いてさえいたなら…ちゃんと返事を返してさえいたなら…お兄ちゃんは今でも私の…私だけの大好きなお兄ちゃんでいてくれたのかな?…お腹が鳴った…そういえばこの数日間まともに食べてなかった…フフフ…死ぬ間際だってお腹はすくのね…馬ッ~鹿みたい…どうせ死んだら食べる事さえ心配しなくていいのにね…雨足はますます強くなり街のネオン灯はまるで絵の具をパレットの上で混ぜたように澱んでいる…
(あの時どうして私…お兄ちゃんにあんな事言っちゃったんだろ…もう私の事なんか放っておいてよッッ!…なんてあんな酷い事…)
>> 264
☔5☔
たった一度の…最初で最後の過ちだった…私はお兄ちゃんに内緒で外泊して朝帰りした…
【何処に行ってたんだ!?朝帰りなんて一体どういうつもりなんだ!?連絡くらいできただろ?心配したじゃないかッッ!】
…私の事なんて全然心配なんかしてないくせにッッ!思わず口をついてしまった全くの本心でない刺の言葉…
【何処に行ってたんだ?】
私の親代わりとして当然の質問だった…お兄ちゃんは全然悪くないんだから…なのにあの時何故か一瞬だけ大好きなお兄ちゃんが疎ましくなった…
【放っておいてよッッ!私の事なんかッッ!本当は全然心配なんてしてくれてないくせにッッ!】
大好きなお兄ちゃんに私何て酷い事…馬鹿だった…限りなく愚かだった…私は自分勝手に身勝手に腹を立て、部屋に篭りその日は一歩も部屋から出ては行かなかった…
(お兄ちゃん…優しすぎだよ…たまんないよ…)
私は降りしきる雨の中何度も叫んだ…バカヤロウ!バカヤロウ!バカヤロウッッッ!…って…だけど雨はそのけたたましい心の叫び声を当然聴いてはくれない…雨は我が物顔で全身全霊で私に覆いかぶさってくる…やっぱりヤダ…こんな日に雨だなんてッッ!
>> 265
☔6☔
お兄ちゃんを困らせるつもりなんてなかった…悲しませるつもりなんて毛頭…《あの朝》…喧嘩した次のあの忌まわしい翌朝…お兄ちゃんは何事もなかったようにいつものように早起きして私のお弁当と朝ご飯を作ってくれた…気まずい私は頭から布団を被りお兄ちゃんのトントンと鳴らす包丁の音だけを部屋から聞いていた…
【じゃぁ…お兄ちゃん行くから…ちゃんと朝ご飯食べて学校に行くんだぞッッ!?】
固く閉ざした私の部屋の扉の外からお兄ちゃんの優しい声がした…その日に限って私…お兄ちゃんに《いってらっしゃい》が言えなかった…今まで一度たりとも忘れた事がなかったお兄ちゃんへの《いってらっしゃい》…お兄ちゃんの淋しそうなスリッパの音が玄関に移動した…玄関の扉を開き…その時お兄ちゃんが私に言ったこの世での《最期の言葉》…
【かえ………ようなッッ!】
扉がカチャリと閉まった…その瞬間がお兄ちゃんと私の絆が永遠のサヨナラを告げた時だった…どうして覚えてないんだよッッ!お兄ちゃんが最期に私にかけてくれた言葉だったのにッッ!どうしてッッ!?ねぇどうして覚えてないのッッ!?水捌けの悪い屋上のコンクリの床はもう川のようになっていた…
>> 266
☔7☔
生まれてからずっとお兄ちゃんと喧嘩なんかした事なかった…ち、違うッッ…ずっとお兄ちゃんが私の自分勝手な我が儘を何も言わず優しく包んでくれてただけ…お兄ちゃんの方が私なんかよりずっとずっと大人だった…時には厳しい父となり時には優しい母となり、いつも私の側に居てくれてたから私は今日までこうして生きてこれた…そしてお兄ちゃんを大好きでいられたんだ…だから私に気まずく突き放されたあの朝のお兄ちゃんの哀しみは私には計り知れないものだったに違いない…ごめんねお兄ちゃん…何度謝っても許される事じゃない…遠くで救急車のサイレンが鳴る音がする…私のいるこのビルの真下の道にももうすぐ救急車が来てドーナツのように眉間に皺を寄せた黒い人だかりが出来るんだろうな…どうか顔だけはこのまま潰れないでいたい…ハァ~そんな訳にはいかないよねッ…潰れた顔でもお兄ちゃん、向こうで私に逢ってくれるかな?…お兄ちゃんの最期の言葉…思い出せない…思い出したいッッ!でないと私天国でお兄ちゃんに何を話せばいいの?ね?…だからこの世で思い出してからすぐに逝く…待っててね?大好きな大好きなお兄ちゃん…
>> 267
☔8☔
あの朝仕事に向かうお兄ちゃんはいつもと違う道を通った…駅までの近道である路地中を通らず何故か駅までは遠回りの大通りのビル街を選んだ…一度も駅までの歩く道を変えた事がなかったのに…その日に限ってお兄ちゃんは別の道を選んだんだ…きっと…私と言い合った事がずっと引っ掛かってたんだよね?いつも実直で几帳面なお兄ちゃんが普段そんな選択する訳ないもん…ゆっくり考えたかったんだ…考えてくれてたんだ私の事真剣に…雑踏に紛れる駅に着くまでにゆっくり時間をかけて私の事…だからッ…だからッ…ごめんねお兄ちゃんッッ!ごめんなさい…
《今日午前8時25分頃、○○区の雑居ビルから若い女性が飛び降り自殺を試みました…しかしちょうどその時落下地点を通行していた飲食店職員の橋爪浩一(25)さんが落下してきた女性の巻き添えになり全身を強打し搬送先の病院で間もなく死亡が確認されました…自殺を計った女性は肋骨を折る等しましたが奇跡的に一命は取り留めた模様です…》
【かえ……ようなッッ!】
あの朝の…お兄ちゃんの最期の言葉…もうすぐ思い出せそうだよッッ…
>> 268
☔9☔
…珍しく学校を遅刻して二時間目の授業が始まる矢先、担任の先生からすぐ病院に行くように言われた…お兄ちゃんが怪我をした、大変らしいと…曖昧に話す担任の言葉に私はお兄ちゃんの身に何が起きたのかとっさに理解出来なかった…とにかく急がなくちゃッッ!お兄ちゃんが大怪我をして病院にいる事は確かなんだ…私は言われた通りの病院に駆け込んだ…
【浩一さんの妹さん?でしょうか…】
小柄な年輩の警察官が私に話しかけて来た…
(な、何で?…何があったの!お兄ちゃんッッ!)
警察官の後ろを歩きながら私は考えた…お兄ちゃんの容態よりもむしろ…朝シカトした事なんて謝ろうかって…面と向かってお兄ちゃんに謝る事が出来るだろうか…そんな事ばかり考えていた…
【この中です…さぁどうぞ…】
…病室じゃない…何でッッ!?冷たい無機質な鉄の扉は黒くススちゃけていた…中に入るとプゥ~ンとお線香の香りが漂っていた…そして脇に血だらけの遺体が白い布を被せられて横たわっていた…
【…あなたの…お兄さん…】
警察官が布を捲くりあげると同時に私の中の血液が全部足元から流れ抜けて行くようだった…
(!…アァッッ…う、…)
>> 269
☔10☔
さっきまであれだけ激しかった雨風がピタリと止んだ…雨に洗われた向かいのサラ金のネオン広告灯がやけに鮮やかに映る…私はゆっくり立ち上がった…濡れた服が重りのように全身にピタリと張り付いて気持ち悪い…悔しいけどやっぱり私思い出す事が出来ないや…お兄ちゃんの最期の言葉…涙なんてもう枯れ切って身体から一滴たりとも出ないはずなのにお兄ちゃんの顔を浮かべると不思議と大粒のそれがとめどなく溢れ出す…いつまでもこうしてる訳にはいかないよね…決心が鈍っちゃうもん…私はポケットから一枚の大切な写真を取り出した…同じサッカーのチームを応援に行った試合の帰り道、通りすがりの人にシャッターを押して貰った一枚の写真…勿論全部好きだったけれど取り分け私はこの写真のお兄ちゃんの笑顔が特に大好きッ…天国に行ってもお兄ちゃんのこの笑顔見れるかな…ストッキングの伝線が内腿の辺りまで進んでいた…別にいっか!この期に及んでなりふりなんて気にはしない…私は再びビルの端からそっと真下を見た…なるべく人が居ない時に逝こう…でないとお兄ちゃんを殺したあの女の二の舞になってしまう…それだけは絶対嫌だから…
>> 270
☔11☔
(この女が…この女がお兄ちゃんを殺した…)
鼻に管を挿入され包帯を巻いたその女の眠る顔を見た時、私の中に沸々と湧き出した殺意と憎悪の感情…
(どうして…どうしてアンタだけ生きてるの?アンタ…死ぬんじゃなかったの?なのにどうしてのうのうとアンタは生き長らえてんのッッ!?)
この手で締め殺してやりたかった…どうしてあと30秒後に落ちなかったのよッッ!どうしてあの瞬間に落ちなきゃなんなかったのよッッ!アンタが死ぬのは勝手だけど何でッ…何で私のお兄ちゃんを道連れにする必要があったのよッッ!…許さない、絶対に許さないッッ!て…この女をいくら責めてもお兄ちゃんは帰って来ないんだ…
【かえ…ようなッッ!】
タイムリミット!…お兄ちゃんの最期の言葉…もう《向こう》でお兄ちゃんに直接教えてもらう事にするね?私は建物の端にゆっくりと足の前半分を反り出した…風が止んだ…もう誰にも邪魔されない…もう誰にもお兄ちゃんをあげないッッ!私の身体がフワッと軽くなった…まさにその瞬間だった!私の右眼の視界に人影が映り込んだ!
(!…え…な、何ッッ!?)
>> 271
☔12☔
私の眼に映り込んだのは背広を着た若い男性だった…男性はビルの端に足をかけ、今にも飛び降りそうな態勢に入っていた!
(じッ…自殺ッッ!?ま、まさか…)
男性は緊張の顔付きで私の存在には全く気がついていないようだった…声をかけれないッ!かけた瞬間その男性は決断してしまうッッ!どうしよう…どうしよう…有り得ない…まさか私が飛ぶ予定のすぐ側で同じ決意を持った人がいるなんて事ッッ!どうしよう…どうしたらいい?彼はまだ私には気がついていない…このまま見届ける?そんな事したら…でも私だってもうすぐ逝く身だもん…ここで彼を助けようとしたりしたらきっと私…アァ…どうしようお兄ちゃんッッ!お兄ちゃんッッ!男性が空を仰いだ!次の瞬間ゆっくり深呼吸をして視線を真下に移したッッ!
(だ…駄目ッッ…本当にい、逝っちゃう!)
私の身体は不思議なくらい機敏に動いた…そしてまさに飛び込もうとしたその瞬間男性の腕を掴んでビルの床に叩き付けていたッッ!男性は私を幽霊でも見るような顔付きで驚愕の表情を浮かべ、アァ~ッッ!と喚き出すと緊張感から解放されたのかその場でガタガタと振るえ出した…
>> 272
☔13☔
【な、何で…ハアッ、ハアッ…貴方何してんのよッッ!?…ハアッ、ハアッ】
膝まづいた拍子に私は足首を捻挫した…男性は眼を爛々と見開き、額から大粒の汗を流しながらこの世に留まっている現実を噛み締めようとしているように見えた…
【あ…アンタこそな、何なんだッッ!勝手な事しないでく…】
【どうして私の邪魔したのッッ!?召されるのは私の方が先だったんだからッッ!】
そんな私情、男性には関係ない事だ…ただ言える事は今日この場所で自殺しようとしていた二人の人間がまだ生きているという事実…
【何もハアッ…同じこの日にハアッ、ハアッ…此処で自殺しようとしないでよッッ!】
私は男性を怒鳴り付けた…
【そ、そんな事…僕に言われたって…ハアッ、ハアッ】
私は側にあるフェンスの金網を鷲掴みにすると捻挫の足首をかばいながらゆっくり立ち上がった…そして足を引きずりながら室外機の上に座り込んだ…
【早く此処から居なくなってよッ…でないと私も…落ち着いて逝けやしないから…ハアッ、ハアッ】
【もっと自分を大切にしなよッッ…】
【ハアッ…これから死のうと思ってたあ、アンタに言われたくないッッ…ハアッ、ハアッ…】
>> 273
☔14☔
【アンタ…どうして自殺なんか…】
私は肩を震わせる男性に尋ねた…
【…償い…かな…】
【償い?】
水溜まりに映る色とりどりのネオン灯が男性の顔に反射した…
【君は?…まだ若いのに…】
【死ぬのに若いも年寄りもない…生き甲斐を失ったから…ただそれだけ…】
【生き甲斐…かぁ…ハハハ…】
男性は初めて笑った…
【大切な人を失ったからよッッ!アンタなんかには到底解らないよッッ!どうせ借金か何かで思い詰めただけでしょッ!?】
男性は虚ろに視線を落とした…
【僕も失った…大切な人を…生きてても仕方ない…そう思ったから…】
男性はゆっくり立ち上がり一度私を見ると黙って階段を降りて行った…
(……大切な人…かぁ…)
私は暫く街のネオンをじっと眺めていた…
(…そうだよね…フフフ…私って何か…ほんと…馬鹿ッッ…)
急に気持ちが萎えた…萎えたというより初めから萎えるような物は何も無かったのかもしれない…私は痛む足を引きずりながらハンドバックを肩にかけ、雨水が染み付いたパンプスを片手に持つとさっきの男性と同じようにゆっくり階段を降りて行った…
>> 274
☔15☔
《天国のお兄ちゃんへ…お兄ちゃんが天国に逝ってからもう五回目の春を迎えますね…あれから私何度もお兄ちゃんの側に逝こうと思ったんだ…だけどやっぱり決心が付かずにいます…その訳は私、お兄ちゃん程ではないけど素敵な男性を見つけて去年結婚しました…お兄ちゃんによく似た背の高い優しい人だよッ…その人は大好きだった妹さんを事故で亡くした私と似た境遇の男性…これからはお互いの傷を拭い合い、庇い合い生きて行こうと思います…お兄ちゃんもきっと私にそうしろッて言ってくれるよね?私はいつまでもお兄ちゃんの事忘れない…子供が出来てお母さんになってもお婆さんになって命尽きるまで私は大好きなお兄ちゃんの笑顔を忘れないからね…》
【まだ拝んでるの?もういいよッッ…】
私の側で主人がお兄ちゃんの遺影に向かって今日もじっと手を合わせてくれている…あなた、もう償いなんてよしてッッ…貴方は散々苦しんだわ…だからもういいの…頭をあげて毎日を生きて欲しい…それがきっとお兄ちゃんの願いでもあるはずだから…妹さんもお兄ちゃんに会ってきっと償っているはずだから…妹さんも苦しんだよ…どうして自分だけ生きてたのかって…だから…
>> 275
☔16☔
【せっかく神様から貰った命だったのに…あんな形で…】
【仕方ないさ…それがコイツの運命だったんだよッ…】
桜の花びら達が墓石の回りを悪戯に舞った…交通事故でこの世を去った主人の妹さんの墓に花を添えると私は静かに合掌した…
【僕達二人があの日あのビルの屋上で出会ったのも運命だったのかもな…】
主人は苦笑いを浮かべて杓で墓石に水をかけた…
【貴方が洋食屋さんのコックさんだったって事もね…】
私は主人の肩を抱いた…
【さて!…帰って何か旨いモンでも作ろっか?】
【私オムライスがいいッッ!】
またかぁ~と主人が笑った…春の風が優しく二人を包んだ…主人のオムライスを食べる度に思い出す《お兄ちゃんの最期の言葉》…
『帰ったらオムライス一緒に作ろうなッッ!』
あの朝私にかけてくれたあの言葉はいつまでもいつまでも私の一生の宝石です…
~お兄ちゃんの最期の言葉~完
>> 276
【⑯】~10回の裏~
⚾1⚾
『いよいよ準決勝だねッ…』
『あ、うん…まさか俺達がここまで来ちまうなんてなッ…』
香坂徹は自転車の前籠のボストンバッグをずり落ちないように乗せ直した…岬の向こうの夕日がまだ淡いオレンジ色の光りを名残り惜しそうに反射させている…
『なぁ美佳…本当に大丈夫なのか?』
徹は自分のすぐ前を歩く小柄な上原美佳に声をかけた…
『大丈夫って?』
『本当は今すぐにでも入院とかしなきゃなんない大変な病気なんだろ?』
美佳は黙って港の堤防に腰掛けた…
『トンちゃんが心配する程の事じゃないよ…ありがと!』
『…って言ったってッッ…心配するよそりゃッッ…』
知り合いの漁師が美佳に声を掛けた…美佳は笑顔で返した…
『トンちゃん私ね…決めたの…我が傍野南高校が晴れの甲子園初出場を決めるまで…それまで頑張るって…』
自転車のスタンドを立て、徹も美佳の隣に腰掛けた…凪の海はパステルブルーの海と夕日の橙が微妙な色彩を奏でている…
『甲子園出場は何もトンちゃん達野球部だけの夢じゃないんだからッ…私の最後の…夢でもあるんだから…』
『美佳……』
漁船の汽笛があちこちでコダマした…
>> 277
⚾2⚾
(私の最後の夢…か…)
ミシミシと床から音がする自分の部屋に入ると徹はドサッとベッドに倒れ込んだ…同級生の上原美佳が咽頭癌だと知ったのは昨年秋の選抜高校野球選考を兼ねた沖縄予選の最中だった…
《私…来年の夏の予選で…もうみんなの名前…アナウンスできないかもしれない…》
九州大会の一回戦で負けた後、美佳が部員達や徹にそっとその事を告げた…上原美佳は傍野南高校2年の野球部のマネージャーをしていた時、たまたま沖縄県野球連盟が公募した《沖縄大会予選会での鶯嬢募集》で鶯嬢に抜擢された…将来高校を卒業したら本土に渡ってアナウンサーになるのが夢だった美佳にとり、野球試合の鶯嬢をするという事は喜びであり生き甲斐を感じていた…しかしその矢先の不運な運命に周囲は落胆に包まれていた…
(…複雑だな…)
徹はため息をついた…傍野南高校が勝ち続けるという事は美佳の咽頭癌の手術を遅らせている事にもなっていた…
(俺が何言ったって聞かない筋金入りの頑固者だからなアイツ…)
徹は机の上に置いた愛用のグラブを持つとパンパンと右拳をグラブに叩き付けた…
>> 278
⚾3⚾
最後の守備練習が終わり泥だらけの野球部員が監督の具志堅の元に集まった…
『よしッ…いよいよ明後日名門《柿添商業》との準決勝だ…3年は悔いの残らないようないい試合をしようッッ!そして必ず勝つッッ!いいな?』
ひたすら熱い若手監督のもと部員は円陣を組み一斉に掛け声をあげるとその日の練習を終えた…
『お疲れッッ!』
『お疲れ様~ッッ!また明日なッッ!』
徹は水道で頭についた汗や泥を洗い流しながら先に帰る部員を見送った…
『…♪《4番、センター…香坂君》…!』
『!み…美佳…つぅかそれ嫌味かよッッ…俺補欠だし…』
洗濯籠に沢山の洗い物を抱えながら徹の横に悪戯な笑顔の上原美佳が立っていた…
『お…お疲れッッ…た、大変だな…それ今からだろ?』
『…早くしないと転移するかもって…先生がさッ…』
美佳は部員の洗濯物を洗濯機に放り込むと洗剤を入れ洗いレバーを回した…
『て…転移って…お前』
『でもやっぱり私最後までやりたいの…傍野南が甲子園初出場まであと2試合…2試合頑張り抜けば私の役目は終わるから…』
『役目が終わるだとか…そんな縁起でもない事言うなよッッ…』
徹はタオルを被ると丸坊主の頭を一気に拭いた…
>> 279
⚾4⚾
『なぁ美佳…お願いだから病院でゆっくり治療しろよッッ…マネージャーの仕事なら後輩の1年にやらせりゃ済むんだから…』
徹は少し伸びた顎髭を右手で摩った…美佳の顔から笑顔が消えた…
『入院したらきっと…すぐに手術って言われる…そしたらもう…』
年代物の洗濯機が跳びはねんばかりに右に左に轟音をあげて踊っている…
『大会に無理言って傍野南の試合の担当鶯嬢させて貰ってんだもん…みんなが甲子園に行く瞬間一緒に味わいたいんだ…私も試合に参加して一緒に戦いたい…だからたとえ声が出なくなったって私やるから…絶対最後までやり抜くからッ…』
南国ソテツの葉が南風にザワザワと揺れた…
『…本当お前は昔から融通の効かない女だよなッ…』
『何よッ…悔しかったらレギュラー勝ち取ってみなよッッ…私に《♪香坂徹君》って毎打席アナウンスさせてよッッ!』
痛い所を付かれて徹は何も言えずにため息をつき天を仰いだ…背番号16番…3年で唯一の補欠というだけでお情けでベンチ入りさせてもらっている徹の現状を幼なじみの美佳はよく解っていた…
『チャンスはあるよ…絶対に…代打だって何だって絶対に俺の名前お前にアナウンスさせてやるからなッッ!』
>> 280
⚾5⚾
準決勝を翌日に控えた朝、徹は野球部監督の具志堅新に職員室に呼ばれた…
『監督何すか?用って…』
徹はひそかに淡い期待を抱いていた…監督直々に俺を呼び出すという事はつまりッッ…明日の試合、先発センターという事かもッッ!
『お前…上原と仲良かったよな?』
(…何だ…先発の告知じゃなかったのか…だよなァ~…)
具志堅はトレードマークのピンクのポロシャツの襟を直し話を続けた…
『昨日の晩上原のお母さんから連絡が入ってな…何とかして彼女を病院へ入院させる方法はないかと泣き付かれてな…』
『上原…み、美佳に何が!?』
『かかりつけの南日本付属大消化器外科の医師の話によると、例の病気の件…予断を許さない状況らしいんだと…俺も何度か上原を説得はしてはみたんだが…ほら、アイツあぁ見えて…』
頑固だから…具志堅の言葉の続きが徹には手に取るように解った…
『美佳も自分で言ってました…今のまんまじゃいつ転移してもおかしくないって…けど明日の準決勝でアイツ…母校の鶯嬢するのを楽しみにしていて…』
『一日も早く…医師の通達らしい…それほど上原の病状は進行しているという事だ…』
具志堅は腕組みをしながら窓の外一点をじっと見つめていた…
>> 281
⚾6⚾
(説得っつったってナァ~…)
徹は石垣の小高い階段を登りこれまでの人生で何度も足を運んだ上原美佳の家のインタホンを鳴らした…
『あら、トンちゃん…いらっしゃい…』
明らかにいつもの元気なおばさんの顔ではなかった…
『あのぅ美佳…いますか?』
『美佳なら…』
美佳の母親は浮かない顔で黙って左手で海岸の方を指差した…
『明日のアナウンスの練習するって勝手に飛び出して…私の言う事なんて…ハァ~…』
心底落ち込む美佳の母親に徹は大丈夫ですからと甚だ無責任な慰めを言うと美佳がいつも事ある毎にそこに行けば落ち着くという海岸に向かった…台風が近づいているせいかいつもの海岸は波が荒かった…
『《♪2番、ショート…島袋君ッ…背番号…6》』
明日の先発オーダーが書かれた紙を持ち強い風に飛ばされそうになりながら上原美佳は砂浜のど真ん中でアナウンスの練習をしていた…
『…美佳ッッ…!』
『!……トンちゃん…』
美佳が着ていた黒のタンクトップが風にパタパタと舞った…
『おばさんが心配してる…とにかく帰ろ!』
『駄目…本番は明日だしそれに…ウチじゃぁ大きい声出せないし…』
徹は頭を掻いてその場にしゃがみ込んだ…
>> 282
⚾7⚾
『トンちゃんさぁ…私の将来の夢知ってる?』
しゃがみ込む徹に美佳が言葉をかけた…
『夢ぇ?…パフェの大食い女王になる事だっけ?』
『ンモッバカッ!…バカ野郎ッッ!』
美佳は徹を持っていた紙を丸めて殴りつけた…
『あ、わッ、解ってるって!…冗談だよ冗~談ッッ!イテッ!』
夕闇の砂浜の遥か先で観光客らしき若者達が打ち上げ花火で騒いでいる…
『…トンちゃん…私の声…どう思う?』
『ど、どうって…』
『自分でも特別綺麗な声だとか発音がいいだとか…そんな事これっぽっちも思ってないけど…』
『けど?』
暫くの長い沈黙が続いた…波がさっきよりさらにうねりを増したようだ…
『…神様ってホント…意地悪だよねッッ!何考えてんだろッッ!』
美佳は肩が取れそうな位ン~ッと大きな伸びをしてそのまま後ろから砂浜に倒れ込んだ…
『傍野南高校の3年間はホンット最高に楽しかっタァ~ッッ!』
美佳はバタバタと手足をバタつかせた…
『美佳…』
『そんな最高の高校生活の最後…私の夢の終焉の舞台にふさわしいかもねッッ…フフフ』
美佳はゆっくり起き上がると徹を見た…
『手術するとね?…多分もう声…出せなくなるんだ…私』
『!…えッッ!?』
>> 283
⚾8⚾
『こ、声…出せなくなるってそれ…ど、どういう意味なんだよッッ!?』
『…喉に出来た腫瘍がね…声帯の神経を圧迫してんだって…だからもし腫瘍を切除出来たとしてもね…声帯の一部を切除しなくちゃいけないみたい…』
『まさか…う、嘘だろッッ?』
『…仮に腫瘍を摘出出来ても…声帯の神経がないから私…人工的に声を作る装置でしか声を出す事出来なくなるの…無機質なただの電子音の声…まるでロボットのような無感情な冷たい声にね…』
徹は淡々と語る美佳の言葉にただ硬直していた…知らなかった…徹にはずっと美佳の手術がもっと簡単な物なのだと思っていた…腫瘍さえ取れれば全てが元通りなんだと…浅はかだった…愚かだった…そんな美佳の陰の苦しみ、葛藤、絶望も知る由もなく自分はただのうのうと美佳に接して来たのだ…
『高校生活最後の夏…大切な仲間と共に闘って大好きな事してさッ…18年間一緒に居てくれた自分のこの声とサヨナラしたいんだよねッッ!…だから転移する事なんて怖がってられないんだよね…神様に誓ったんだ…声はあげても命まではあげるもんかッ!て…』
『み、美佳ッッ……』
徹は言葉が出なかった…遠くで花火の音がした…
>> 284
⚾9⚾
台風が逸れ、翌日の沖縄は雲一つない晴天になった…沖縄県営野球場には名門柿添商業が出場するとあって大会最高の人手となっていた…
『すげぇ観客だな…』
『甲子園出場通算12回、うち沖縄県勢初の全国大会準優勝1回…県内では敵なしの古豪だから無理もないけどよッッ…』
試合前の素振りをしながら徹はレギュラーで同じクラスメートの親友の関谷順平に言葉を返した…
『おい集まれッッ!』
監督の号令がかかり16人の選手全員が監督に輪を作った…
『よしッッ!今日が事実上の決勝戦だッ…お前らこの3年間で培った全力を出しきれッッ!…いいなッッ!』
『ハイッッッ!上原の場内アナウンスも聞こえるしきっと勝てますッ!いや、勝ってみせますッッ!な、みんなッッ!』
主将の島袋がそう言うと輪の中に入り全員が気合いの雄叫びをした…
『…香坂ッ…ちょっと来いッッ!』
徹だけ監督の具志堅に呼ばれベンチ裏に入った…
『はい…何すか?』
『…実はな…』
サイレンが鳴り大観声の中傍野南と柿添商業の選手達がグランドに出て試合前のキャッチボールを始めた…
『……に、入院した?…み、美佳がッッ!?』
徹の言葉に具志堅はゆっくり頷いた…
>> 285
⚾10⚾
『昨日の深夜上原のお母さんから連絡があって上原の容態が急に悪化したそうだ…そのまま病院に搬送されて深夜から腫瘍摘出手術に入ったらしい…』
『あ、アイツ…そんなに…そんなに悪かったんですかッッ!?』
具志堅はレギュラー選手に守備練習の用意をしろと伝えた…
『医師の話では手術まではあまり声を出すなとの忠告を受けていたらしい…そういえば最近上原の奴少し声を出すのが苦しそうだったような…』
徹は昨日の砂浜での出来事を思い返していた…
(あれからもずっとアイツあそこで練習を…クソ…無茶しやがってッッ!)
『監督ッ…あ、アイツ…』
『あぁ…解ってる…解ってるって…けど一番辛いのは上原自身だ…』
徹の気持ちを見透かすかのように具志堅は徹の肩を叩いた…
『…行っても…いいぞッッ!…香坂ッッ…』
具志堅は視線をわざとグランドに向けた…
『い…いぇ…今日は大事な試合です…もしかしたら高校生活最後の…美佳だって…きっとそう感じてるはずですから…俺が行ってもすぐ試合に戻れッッ!って…怒鳴りつけると思いますから…』
具志堅は一度地面の土をならしてそうだな…と苦笑いした…
『よしッなら試合に集中しろッッ!』
『はいッ!』
>> 286
⚾11⚾
《♪只今より準決勝第2試合、柿添商業高等学校対傍野南高等学校の試合を開始します…》
両校選手が大歓声と共に一斉にマウンドを挟んだ…一番後ろに並んだ徹は一瞬スコアボードを眺めた…
(美佳…)
マイクから流れるアナウンスは当然の事ながら上原美佳のものではなかった…
『ヨォ~シャみんなッッ!上原の為に勝つぞッッ!』
ついさっき徹に遅れて部員全員が上原美佳の手術の事を監督の具志堅から聞かされたばかりだった…その事が部員全員に改めて気合いを入れ直させる材料となった…
《♪先に守りにつきます傍野南高等学校…ピッチャー、蒲地君…キャッチャー、渡嘉敷(由)君…》
ドンドンと太鼓を鳴らし地元後援会のメンバーと在校生達が選手の名前が呼ばれる毎に声援を送った…控えの徹はベンチの最前列に立ち、じっとグラウンドの同級生達に視線を送っていた…
(美佳…勝つからな…みんなと一緒に全力で…柿商に勝ってみせるからなッッ!)
傍野南エース蒲地の投球練習が終わり柿添商業の一番打者がバッターボックスに入った…
《プレイボールッッ!》
審判の右手が灼熱の太陽にギラリと反射した…
>> 287
⚾12⚾
『手術は成功しました…腫瘍も幸い他の臓器やリンパ節等には転移が確認されておりません…』
南日本大附属病院消化器外科の診察室で美佳の両親はほっと胸を撫で下ろした…主治医の廣沢はそれでも悲痛な顔は崩さなかった…
『しかしそれにもかかわらず…以前にも申し上げましたように…美佳ちゃんの腫瘍は声を出す為に必要な神経組織にまで特殊に浸蝕していて…』
『…解ってます先生…命だけでも助かったんですから…有難うございました…』
美佳の父親が拳を握ったまま静かに廣沢に頭を下げた…
『…今後は言語聴覚士さんと言葉の発声練習等、特別なリハビリをして頂く事になります…』
『廣沢先生…やはり美佳は以前のようにもうまともには話せないんでしょうか?…』
美佳の母親が前のめりになりながら最後の希望を繋いだ…廣沢はとにかく命が助かっただけでもと母親を宥め聞かせた…
『…ある意味命より大切な…あの子の夢を…アァ~…』
母親は父親に泣き崩れた…
『仕方ない…仕方ないんだよ…』
廣沢はでは…と静かに診察室を出た…
『さ!笑顔で美佳に逢いに行くぞッッ!』
美佳の父親は母親の背中を軽く叩くとゆっくり立ち上がった…
>> 288
⚾13⚾
麻酔がうまく効いたらしく、病室の美佳は首に包帯が巻かれている他は手術前と何等変わらないように両親には映った…
『美佳?……よく頑張ったな…』
まるで腫れ物にでも触るかのように美佳の父親はベッドで仰向けに寝る美佳に言葉をかけた…
『美佳ッッ?』
『……』
母親が声をかけても美佳は反応しなかった…いや、声帯の一部を切除されて反応出来なかったというのが正解か…気を効かせた看護師が美佳にそっとメモ用紙とペンを手渡した…無理せずにここに思った事を書きなさい、そういう事だろう…美佳は暫くじっとその紙とペンを眺めていた…そしておもむろに手に取るとゆっくり文字を書き始めた…
《テレビが見たい…》
『テレ…ビ…あ!そ、そうかッッ…そうだなッッ…』
美佳の父親はベッドの横の液晶テレビにカードを入れた…チャンネルを地元沖縄放送に変えた途端、柿添商業の4番バッターが値千金の3ランホームランを打ったまさにその瞬間だった!
『!……』
『アッチャ~…打たれちゃったね…蒲地君』
美佳と同じ母校の若い看護師が悔しそうにため息をついた…
『……』
美佳はただじっと冷静に画面を食い入るように眺めていた…
>> 289
⚾14⚾
『ドンマイ蒲地ッ…まだ攻撃は3回残ってるッッ!』
特大の3ランを打たれ、うなだれてベンチに帰ってくるエース蒲地に徹は声をかけた…7回表を終了し、県内屈指の強豪《柿添商業》相手に傍野南高校は予想以上の善戦だった…1回裏に相手の失策と犠牲フライにより虎の子の1点をもぎ取った後、エース蒲地が緩急を付けた得意のカーブとチェンジアップで6回まで柿商打線を翻弄していたが7回表に3ランホームランを打たれ、3-1と形勢は一気に柿添商業に傾いた…
『オラ島袋ッッ!ミートだミートッッ!』
打席の主将島袋にナインと監督から激が飛ぶ…7回裏の傍野南の攻撃はあっさり3者凡退に終わった…
『大丈夫かな、蒲地の奴…さっきの3ラン…尾を引いてなきゃいいんだが…』
メガホンを潰れるくらい握りしめ、監督の具志堅は苛立ちの貧乏揺すりを始めた…具志堅の嫌な予感が的中した…8回表、四球と二本のヒットで蒲地は無死満塁の大ピンチを迎えてしまった…
『タイムだッッ!おい香坂ッ、伝令だッッ…行って来いッッ!』
具志堅に背中を叩かれ、背番号16がマウンドに伝令に走った…傍野南の内野全員がマウンドに集まった…
>> 290
⚾15⚾
『ほら美佳ッ、トンちゃんだよッ…トンちゃんが映ってるッッ!背番号16ッッ…』
美佳の母親が美佳の肩を抱き必死に画面を観ていた…美佳はただ虚ろな目で背番号16の後ろ姿を追っていた…
『蒲地君…開き直るしかないよな…ここで点取られたら決まってしまうッッ!』
エース蒲地をよく知る美佳の父親が隣で冷静に画面を観ている…
『大丈夫だよッ…蒲地君なら…ね?美佳ちゃんッッ!』
看護師が後ろから声援を送った…背番号16が帽子を取り画面から消えた…傍野南の内野は定位置に戻り試合が再開された…
『頑張ってッッ!傍野南ッッ!』
その瞬間、美佳が突然テレビを消した…
『…美…佳……見ないのか?』
美佳は布団を被るとみんな病室から出て行ってというジェスチャーをした…
『み、美佳……』
美佳の両親と看護師は黙って部屋から立ち去った…布団を被った途端、美佳の目から涙が溢れ出した…次々ととめどなく流れる涙はいつしかシーツをグショグショに濡らしていた…何が哀しいのか、何が悔しいのかが美佳には頭の整理がつかなかった…ただ確かなのはいくら必死に試みても自分の口から発せられない《みんな頑張って!》の一言が出ない絶望感だった…
>> 291
⚾16⚾
『踏ん張れ蒲地ッッ!』
ベンチからエース蒲地への声援が飛んだ…158センチという投手としては決して恵まれた身体とは言い難い蒲地の手からチェンジアップが放たれた!ボテボテの打球はショート島袋の前に飛んだッッ!
『佳ッバックホームだぁぁッッ!』
島袋はゴロを処理するとホームで1アウトを取った…
『ッッしゃッッ!!』
捕手渡嘉敷由典が思わず拳を握った…傍野南応援団から地響きのような歓声が沸いた…
『あと2つあと2つッッ!』
一死直も満塁でベンチから徹の声が飛んだ…
『よぉ~し…落ち着けぇ~…落ち着くんだッッ!』
具志堅が身を乗り出し守備陣に指示を送った…セットポジションから蒲地の3球目が放たれた…
(!しッしまったぁッッ!)
ど真ん中のボールは打者のバットの芯を捉えレフトへ高く上がった!
『レフトォォォッッッ!勝也ぁぁッッ!』
サードランナーがベースに戻りタッチアップの準備をしていた…
(た、頼むッッ、勝也ッッ!)
徹は思わず両手を合わせた!レフトの渡嘉敷勝也がフライを取った瞬間、サードランナーはタッチアップを始めた!
『チキショォォォォッッッッッ~ッッ!ウリャァッッ!』
>> 292
⚾17⚾
『傍高をッッ、ぬぁぁめんなヨォォォォッッッ!』
渡嘉敷勝也の世紀の大遠投だった! 青空に大きく孤を描いたボールは真っ直ぐに双子の兄、捕手渡嘉敷由典に向かってダイレクトに飛んで来た!
『由ッッ!ガードだぁッッ!ガードしろッッ!』
ホームベースで待ち構える渡嘉敷由典にサードランナーがヘッドスライディングを試みた!
ズザザザァッッッッ~!
ベース上で砂煙が濛々と舞った…
『ど、どうだッッ…どうなったッッ!?』
監督をはじめ控え選手が全員身を乗り出した!
『……あ…アウトォォォォッッッ!』
ウオォォォォォッッ!
審判が右手を上げたその瞬間、球場内はまるで傍野南が優勝したかのような大歓声に包まれた…ベンチに帰って来る選手は全員ハイタッチや抱擁で喜びを全身で表した…
『見たかァッ、俺の弾丸返球ッッ!』
『馬鹿ッッ!俺のガードのお陰やぞッッ!』
渡嘉敷兄弟の一世一代のスーパープレイにベンチは一気に盛り上がった…
『さぁ試合はこれからッッ!気を引き締めてガツガツ行けッッ!』
具志堅の激が飛んだ…
(美佳見てるか!?…俺達の夢はここからやぞッッ!)
歓声の輪の中徹は呟いた…
>> 293
⚾18⚾
医局の戸がコツコツとノックされた…
『…み、美佳ちゃん…』
廣沢が扉を開けるとそこに車椅子の美佳がいた…
『勝手に出歩いちゃ駄目だろ?…喉の傷口からばい菌が入ったらどうすんの…安静にしてなきゃ…』
美佳は右手でゴメンと振りをした…
『フフフ…いいよ、どうぞ…中には誰も居ないから…』
美佳は馴れない手つきで車椅子を漕ぎ医局室に入った…
『ん?…紙と鉛筆…要るかい?…』
美佳は頷き紙と鉛筆を手に取ると早速書き始めた…
《先生…助けてくれてありがと…》
『ハハハ…いいよ、そんなのいちいち…』
照れ臭そうに廣沢は缶コーヒーを飲んだ…
『テレビ…観なくていいのかい?野球部の準決勝なんだろ?』
《先生、夢を諦める時ってどんな時?》
美佳は突然そう書き記した…
『…夢カァ~…そうだな…自分を信じれなくなった時かな?…』
《先生私の夢…知ってるよね?》
『あぁ知ってるとも!…素晴らしい夢じゃないか…』
《適当~ッッ!人事だと思って!》
美佳はそう記すとふて腐れた…
『おいおい、適当なもんかッ…僕はね美佳ちゃん、考え方一つだと思うんだ…叶わないと思う事でもさ、目線を変えたらほぅら!って事あるじゃない?』
廣沢は笑った…
>> 294
⚾19⚾
《目線を…変える?》
『そうだよッ…人の数だけ夢の形はあるんだからねッッ?それは自分で見つけるしかない…誰かに頼ってちゃ夢は叶わない…僕はそう思うよ…』
美佳の鉛筆の手が止まった…
『…ん?…どうしたの?』
美佳は暫く無心に考えていた…廣沢はただ黙ってその様子を見ていた…次の瞬間美佳は何を思ったか車椅子を発進させて病室に帰ろうとした…
『!…部屋に帰るんだね?…いいよッッ!送るよッッ…』
廣沢は必死に車椅子を押す美佳の後ろをゆっくりと歩いた…病室に帰るや否や美佳はテレビのスイッチを付けた…
《8番早乙女君も続いたァァッッ!傍野南連続ヒットでツーアウトながら1塁2塁ッッ!傍野南反撃ですッッ!》
試合はまさに8回裏、傍野南高校の攻撃だった…美佳は何かに取り付かれたようにテレビ画面に食い入った…そして一度大きく頷くと引き出しから大事そうに紙袋を取り出し廣沢に手渡した…
『?…なに?これ…』
《先生に頼みがあるの…》
美佳は紙に小さくそう書いた…
『頼み?……』
美佳は両手を合わせて必死に廣沢に頭を下げた…
《この病院から沖縄県営球場まで近いですよねッッ?》
>> 295
⚾20⚾
全国高等学校野球選手権大会沖縄県予選準決勝第2試合8回裏は異様な雰囲気に包まれていた…下馬評では県内屈指の強豪《柿添商業》の圧勝との見方が大半を占めていたこの試合、創部11年目で甲子園初出場を目指す新鋭《傍野南》がまさに互角の戦いを見せていたからだ…
『よしッ!代打今井だッッ!』
今日ノーヒットの板状に代わり勝負強い代打の切り札今井亮介がヘルメットを被り打席についた…2死ランナー1、2塁で長打が出れば同点の場面、右打席の今井亮介はじっと投手を睨み付けた…
『亮介ッッ、力抜けッ!リラックスリラックスッッ!』
ベンチから必死に徹が声を出した…
《ストライクツーッッ!》
相手投手の速球で今井はツーナッシングと追い込まれた…
『今井ッ…バットをもっと短く持てッッ!当たれば飛ぶからッッ!』
徹の声に今井は拳一握り短く持つと一度大きく息を吐いた…うだるような暑さの中3球目が投げられた!コツ~ッッ!快音とは言い難い今井の打球はフラフラとライトとセカンドの中間に上がった!
『!、お、落ちるッッ!回れッッッッ!』
全員が打球の軌跡を追った!セカンドランナーの島袋は一気に走り出した!
>> 296
⚾21⚾
打球は柿添商業ライトのダイビングも虚しく緑の芝生の上で跳ねた!
『ッッシャァッッッッ!』
2塁ランナーの代走島袋(幹)が一気にホームを駆け抜けた!ウワァッッッッッ!この試合一番の大歓声が球場内に響き渡った!
『よしッッ、あと1点ッッ!あと1点ダァァッッッッ!』
ベンチはまるで盆と正月が一緒に来たような興奮に包まれた!予想外の展開に柿添商業スタンド応援団からどよめきが起こっていた…こんなはずは!学ランの応援団長もチアガール達もそんな顔付きでグランドを眺めていた…次の打者は凡退に終わったが流れは一気に傍野南に傾いていた…
『よしッッ!9回きっちり抑えて裏の攻撃に全てを賭けようぜッッ!』
主将の島袋がナインに声をかけた…
⚾⚾⚾
病院の医事課の職員に外出すると声をかけると廣沢は車に乗り込んだ…
(間に合うかッッ…)
エンジンをかけ、白いセダンは急発進した…信号待ちで廣沢は備え付けのカーテレビを付けた…
《9回表、傍野南高校またまた大ピンチを迎えてしまいましたッッ!》
アナウンサーの搾り出すような声に廣沢はフゥ~とため息をついた…
(頑張れッッ!…傍野南高校ッッ)
廣沢は心の中で呟いた…
>> 297
⚾22⚾
無死2、3塁…マウンド上のエース蒲地は8回に続き絶体絶命のピンチを迎えていた…連投の疲れからか球が上擦り、柿添商業打線に甘い球を痛打されていた…
『監督からの伝令だ…何とか踏ん張れッッ!ここを踏ん張れば奇跡は起こるッッ!』
再び伝令に出た徹が内野手全てに視線を送った…
『ッッしゃみんな気合い入れて守り抜くゾォォォォッッッ!』
グラブを叩き主将の島袋がみんなに気合いを入れた…初夏の太陽が守る傍野南ナインに容赦なく照り付ける…蒲地はゆっくり投球に入った!
『!ッッな、何ぃぃッッッ!?』
捕手渡嘉敷由が思わず声を上げた!打者は打つ構えから突然バントの構えに変えたッッ!
『す、スクイズだぁッッッッッッ!』
ボールは打者のバットにコツンと当たるとフェアグランドに転がった!予めスタートを切っていた3塁走者が渡嘉敷由に突進して来た!
(ま、間に合うッッ!)
蒲地は慌ててマウンドを下り転がるボールをグラブで掴むとそのまま渡嘉敷由にトスした!砂煙を上げてランナーと渡嘉敷由がホーム上で交錯した!
《あ、アウト…アウトォォォッッ!》
審判の手が上がった…スタンドがさらに沸き上がった…
>> 298
⚾23⚾
9回表を何とか無失点に抑えた瞬間、病室のベッドの上で美佳は合わせた手を額に移し
(よしッッ!)
と息を吐いた…そして美佳は今この興奮の瞬間、あのバックスクリーンのスコアボードで名前をアナウンスしながら部員達の勇姿を見る事が出来ない事が心底悔しかった…
(頼むみんなッッ…勝ってッ!そして私の夢を繋いでッッ!)
声にならない心の叫びが美佳の全神経をいっぱいにしていた…まるで志半ばにして果たせなかった自分の夢を傍野南ナインに託すかのように美佳は祈った…
《ヒットヒットッッ!最終回先頭打者の関谷君がセンターに弾き返しましたッッ!》
テレビのアナウンサーはまるで劣勢の傍野南を贔屓しているかのような大声で叫んだ…
(お願いッッ…何とか繋いで1点…いや、サヨナラでもいいからッッ!…)
美佳の感情が一気に膨れ上がったその瞬間だった!自分の身に何が起こったのか美佳には解らなかった…頭の中が真っ白になり美佳の身体はスローモーションのようにゆっくりと床に落ちて行った…ガシャン!花瓶が割れる音がした…隣の病室にいた看護師が物音に気付いて美佳の病室に駆け寄った!
『!ッッ…み、美佳ちゃんッッ!?』
>> 299
⚾24⚾
《俊足関谷すかさず盗塁成功しましたァッッ!最終回傍野南高校同点のチャンスが広がりましたァッッ!》
球場内に地割れのような大声援が波打ち塁上の関谷はベンチに向かってガッツポーズをした!
『ッし、島袋ッッ!きっちり送れッッ!』
2番主将の島袋がランナーを進める送りバントを成功させると場内は異様な程の興奮に包まれた!誰があの名門柿添商業相手にここまでの接戦を予想したであろうか、1死3塁という絶好の同点期の場面、傍野南高ナインは全員総立ちとなり3番レフト渡嘉敷勝也に全てを託した…
『勝也ッッ!ヒーローになれッッ!』
『力むなッッ!当てて行けッッ!』
押せ押せムードのベンチは全員が一丸となっていた…柿添商業のエースは肩で息を吐き明らかに動揺していた…カウント2-2からの5球目ッッ!渡嘉敷の放った打球はセンター浅く上がった!
(ちッ、チキショッ!無理かッッ!)
誰もがタッチアップを諦めた瞬間、関谷が帰塁し、何とタッチアップの態勢に入った!
『や、やめろッッ関谷ッッ、浅いッ、無理ダァァッッ!』
センターが捕球と同時に関谷はホーム目掛けて突進した!
『む、無理だ!浅いッッ!』
- << 301 ⚾25⚾ センターの矢のような送球がバックホームに向かって放たれた! 『うっラァァァッッッッッッっ!』 関谷は返球されてくるボールすら目に入らずひたすらホームベースに突進した! 『頼むゥゥゥゥゥッッッ!』 ベンチ、いや…傍野南高校応援団全員が祈るような気持ちで関谷の生還を信じた!ボールは関谷の滑り込んだ足よりも早くキャッチャーミットに納まっていた! 『!ッッ…クッソォォォォォォッッッ!』 渇ききった土のグランドに今日一番の砂埃が舞った… 『!……ど、どっちだッッ!』 誰もが目をつむった…タイミングは完全にアウトだった… 『………』 『!…ッッ、』 球場の全ての目が本塁審判に注がれた!徹はゴクリと唾を飲み込んだ… 《……アウ…》 ナイン全員が頭を抱えようとした! 《…い、いや…セーフセーフセーフッッッ!》 (え?……) 柿添商業の捕手のミットから白球が零れ落ちていた!ウワァァァァァァァァッッッッッッッッ!関谷の足が捕手のミットを捉えていた…関谷の気迫が捕手のキャッチミスを誘ったのだ! 《同点同点ッッ!何と傍野南高校、最終回に同点に追い付きましたぁァッッッ!》 ナイン全員が関谷に覆いかぶさり喜びを露にした…
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