🎈手軽に読める短編小説
皆様こんにちわ‼手軽に読める短編小説始まります…待ち合わせや夜の時間に手軽にサクッと読めちゃう、そんな小説スレです❤貴方はどのお話が好きですか?…
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>> 150
🍜14🍜
『こ…ここは…ウチ』
頭の上に氷のうが乗せられてあり勇は布団の中に寝ている事に気付いた
『よく頑張ったね、おじさん!お医者さんが過労だって…最近ほとんど寝てなかったんじゃない?』
見ると横であの女の子がお粥を茶碗によそっていた
『…あ、有難う…悪いね…君にこんな事させて…』
首を優しく横に振り女の子は静かに笑った…
『で、どうだった?俺のラーメンの味…』
『うん!最高に美味しかったよッ…遂に完成したねッッ…おじさんの味…先代のお母さんに負けないおじさんだけの最高のラーメン…明日からつづれ亭は行列間違いなしだよッッ!』
勇は苦笑いした…
『君は…君は一体何者なんだ?若いくせにラーメンの知識は半端じゃないよ…』
『さぁ…自分が誰だか時々解んなくなる時がある…はい、ここに置いとくからお粥食べてねッッ!』
女の子は帰り支度を始めた…
『ねぇ、君…』
『ん?…なあに?』
勇は一呼吸置いた後切り出した…
『こんな事尋ねられるの…嫌だろうけど君…いじめられてるんだろ?学校で…』
『…………』
女の子の顔からさっきまでの笑顔が消えた…
『俺で…俺で良ければ相談に…乗るよ…』
勇はゆっくり起き上がり女の子を見た…
>> 151
🍜15🍜
『…色々あるんだね…中学校生活って…』
女の子は靴を履きながらしみじみ言った…
『…君は俺にやれば出来るって事…努力すれば道が開けるって事教えてくれたッ!だから今度は俺もッ!俺も君の力になりたいんだ…君には人生に負けて欲しくないんだよッ!』
勇はうつ向いた…
『有難う…おじさん…でも大丈夫ッ、私はきっと大丈夫だよッッ…うまくやれる…そんな気がするよッ…』
女の子は靴をトントンと履き、勇の方を見た…
『今の中学生は複雑なんだ…昔みたいにみんな純粋じゃない…それが良く解ったんだ…』
勇はうなだれ涙を流した…
『クッ、こんなに良くして貰って俺から何にも返せないなんてッ、チキショウ!』
『何言ってるの!私はおじさんに沢山の大切な物貰ったよ!じゃあね!おじさん…』
女の子は店の戸を開け、振り返り勇を見つめて最後に言葉をかけた……
『コラッ、いつまで泣いてるッッ!シャキッっとせんねッッ、勇ッッ!!』
『!!えッッ……!?…か、かあ…母ちゃん!?』
その日以来勇の前にその女の子が現れる事は無かった…
⑪~麺食娘~完
>> 152
【⑫】~死霊の村~
👣1👣
『おい野村ッッ…煙草あっか?』
手に執拗に止まる虻蚊を払いながら大磯伍長は新米自衛官で二等兵の野村に声をかけた…野村は大磯に煙草を手渡すと一度小さくため息をついた…有子鉄線の張り巡らされた金網のすぐ脇で今夜も二人は当番に当たっていた…
『大磯伍長…私正直怖いでありますッッ!ほ、本当に大丈夫でありますかッッ!?』
自衛官の試験に本当に受かったのかと間違える位華奢な体に根っからの臆病者ときている新米自衛官の野村は震えながら大磯に詰め寄った…
『大丈夫大丈夫ッッ!外界への出口はここしかないんだしほら、こうして厳重に村全体も包囲してあるんだッ…我々だって万が一感染しないようにガスマスクも装着している…何も心配ないッッ!』
大磯は野村にそう言うとガスマスクの下から美味しそうに煙草を吹かした…真夏の月は不気味な程明るく、近くの田んぼではけたたましく牛ガエルの合唱が聞こえる…
『ほら野村ッッ!ぼちぼち餌の時間だぞッッ!やって来いッッ!』
『!え、えぇッッ!?わ、わ、私がでありますかッッ!!いや、それはッッ…』
『つべこべ言わずやって来いッッッ!!』
>> 153
👣2👣
野村は自衛隊のトラックから重たそうにバケツを取り出すとその臭いに思わずその場で吐いてしまった…
『…コラ野村ッ…早く慣れろッッ!…これも自衛隊の仕事のうちだぞッッ!』
(な、慣れろってったって…こんなに牛の脳味噌がてんこ盛りッッ…臭くて臭く…ウッ!…オ、オゥエッッ、オゥエッッ!)
野村はヨタヨタと大磯の居る村の出口から20m程登った場所まで歩くと金網の外から杓子で金網の中に向かって腐りかけの牛の脳味噌を投げ込んだ!ペチャッ、ペチャッっと地面に脳味噌が潰れたような音がした…
(アァ…や、ヤダッッ…く、来るッッッ…)
金網の向こうの暗闇から一人、また一人と人間らしき物体が野村に向かってゆっくり歩み寄ってくる!
『ウワァッ!ヤダヤダヤダヤダッッッッ!』
『ほらッッ!しっかり投げ込むんだよッッ!奴さん達腹減って死にそうだとよッッ、ガッハッハ!』
悲鳴を上げる野村を嘲笑うかのように雑誌を読みながら大磯はまるで人事のように煙草を吹かした…
『アワ…アワッ、ヤダ、やっぱりヤダこんな仕事ッッ!!』
《脳味噌クレェ~、モット…モット脳味噌クレェ~ッッ…》
何十人もの人だかりができ、その人々は落ちた脳味噌に喰らい付いた!
>> 154
👣3👣
『んだょ!まだ震えてんのかよッ…チッ!だらしねぇ奴だなぁ、ったく!』
餌場から帰って来た後も野村の震えは止まらなかった…
『ダダダダだってッッ…誰がどう考えたかって異常ですよッッ…ゾンビに…死霊になった村人に脳味噌の餌を撒いてるんでありますからッッ…ハアッ、ハアッ…』
『まぁ確かに異常だわなこの村は…近くの原子炉が爆発事故を起こし村人は全員放射線汚染され突然死したかと思いきやある日突然生き返って脳味噌を喰らうゾンビになっちまうんだから魔可不思議だよなッッ…アメリカのホラー映画真っ青ッッ…ほら、何つったあれ?…オバタリアンだっけ?』
『…それを言うなら《バタリアン》でありますッッ、伍長ッッ…!』
さっきまで金網の向こうでうごめいていた唸り声と脳味噌を喰らうペチャペチャという音は消えていた…
『しかし政府も何でコイツらを生かしておくんだろな…さっさと始末すりゃ他の正常な国民が怯える事ねぇのにさッッ…』
『し、始末って伍長ッッ…お言葉でありますが姿形はどうあれこの人々も立派な国民でありますッッ…』
『国民ねぇ…ハハハ、脳味噌を喰らう日本国民なんて聞いた事ないぞッッ!』
>> 155
👣4👣
『まぁあれだッッ…コイツらをこの金網から外に出さなけりゃいい事だッッ…なぁ~んも心配ないないッッ!仮にコイツらが外に出ようもんなら頭をライフルでブチ抜きゃあいいだけだッッ!その緊急事態での政府の許可は降りてるんだからな…ハハハ!』
大磯は立ち上がり一度大きな伸びをするとトラックの荷台に設営されたテントに仮眠を取る為に入った…
(あ、頭をブチ抜くって…そんな事して本当に大丈夫なんだろうか…アァ…)
人一倍小心者の野村は大磯が仮眠から戻る間見張り当番の為に出口の金網の前に一人座った…
(アァ…ヤダなぁ…こんな寂しい場所に一人…アァ…ヤダヤダヤダヤダヤダ!)
リンリンリンと虫の音色が木霊する…月はやはり不気味な位明るく村全体を照らしている…さっきまで震えていた野村にもさすがに眠気が襲い始め、ウツラウツラと首が傾き始めた夜中の1時頃だった…
ガシャガシャ…ガシャガシャ…
『!…ん?』
ガシャガシャ…ガシャガシャ…
野村は半分寝かかった目を擦りながらゆっくりと辺りを見た…
ガシャガシャ…ガシャガシャ…
『ん?…何の音だぁ?』
>> 156
👣5👣
野村はゆっくり腰を上げた瞬間ッッ…驚きの余りまた腰を抜かしたッッ!
『う、ウギャァァァァァァッッッッ!!アワ、アワ…!』
『た、助けてくれッッ!なぁ、頼むッッ、お願いだッッ、ここ、ここを開けてくれェッッ!でないと食われちまうッッ、や、や、奴らに脳味噌食われちまうヨォォッッ!』
野村が見たものは金網を鷲掴みにし、向こう側から必死の形相で助けてを呼ぶ一人の痩せた中年男性だった!
『って、なッ、なッ、何でそんな場所にッッ!?そ、そっちは政府指定のさ、さい、最重要警戒危険地域ですよッッ!ってゆうか死霊の村ですよッッ!?何でアァタ、そそそそんな場所にいるんですかッッ!?』
野村はとにかく驚きの余り頭がパニックになっていた…普通の人間がいるはずのない金網の向こうのその重要警戒地域にまさか正常な一般市民が取り残されていたなんて夢にも思わなかったからだ!
『は、話は後だって!とにかくここをッッ!この金網の出口を開けてそっちに入れさせてくれッッッ!!』
男は金網を渾身の力で揺すり冷や汗を垂らしながら野村に必死に懇願していた!
『わ、わわわかりましたッッ!とにかく…とにかく開けますッッ!』
野村は鍵を取り出した…
>> 157
👣6👣
『は、早くぅ!奴らもうそこまで来てるんだよ~ッッ!食われちまうヨォ~ッッ!』
『わ、わわ解ってますッッ、ち、ちょっと焦らさないで下さいよッッ!』
野村は7種類程付いた鍵の輪から金網の鍵を必死に探した!
『!あ、あったッ、これだッッ!』
野村は金網の鍵を錠前に差し込もうとしたその瞬間、何とその男の目の前にライフルの銃口が伸びて来た!
『下がれッッ!手を上げてそのまま3歩下がれッッ!早くッッ!』
『お、大磯伍長ッッ!』
野村は驚いた…ライフルを構えていたのはさっきまで後ろのトラックで寝ていた筈の大磯だった!
『アワ、…た、助けてくれよッッ!頼むよッッ!』
『いいから黙って下がれッ!今すぐ言う通りにせんと容赦なく射殺するッッ!!』
大磯はまるで獲物を狙う猟師の如く鋭い眼光で男に銃口を向けていた!
『あ、お、大磯伍長ッ…気は、お気は確かでありますかッッ!相手は一般市民ですよッッ!放射線で汚染された死霊の村人ではありませんよッッ!』
野村は銃を掴むと大磯の凶行を止めに入ろうとしたッ!
『ど、どけ野村貴様ッッッ、馬鹿野郎ッッッ!』
大磯は野村を銃で殴り倒した!
『さぁ手をッ!手を上げろッッッッ!!』
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👣7👣
『大磯伍長ッッッお願いでありますッッ!お願いでありますッッ!どうかッ、どうか落ち着いて下さいッッ!』
野村は銃を構える大磯の足にしがみつくと必死で大磯を制止した!
『……アワアワ…』
男は怯えながら両手を上げ静かになった…
『…よぉ~し!…いいかよく聞け、今からお前に質問をするッッ!正直に答えるんだッッ!解ったなッッ!?』
男は半分べそをかきながら分かったと頷いた…
『今日は何年何月何日だッ?…言ってみろッッ!?』
『大磯伍長ッッ、それはいったい何の質問なんですかッッ!?』
足にしがみつきながら野村は大磯に尋ねた…
『フフフ、…こいつが死霊の村人かどうかの質問だッッ!本当の人間なら簡単に答えれる質問ばかりだ…それに簡単に答えられないのなら…コイツはもう脳味噌をかじられた死霊ちゃん!っとまぁこういう事だッッ!』
『どこからどう見たって人間じゃないですかッッ!ゾンビには到底見えませんよッッ!お願いであります大磯伍長ッッ、どうかお気を確かにッッ!』
『野村ッッ…おかしいと思わないか?ここが閉鎖されてもう2年だ…普通の人間がこうしてこの村で生き延びてるはずがないッッ…奇跡だとしてもあり得ない!』
>> 159
👣7👣
『お゙ッ、俺はゾンビなんかじゃねぇッ!ずっと奴らに見つからないよう地下の倉庫に隠れてたんだッ!信じてくれェッッ!』
男は大磯と野村に説明した・・・
『大磯伍長ッッ、どうするでありますかッ!?』
『だからさっさと質問に答えろッ、今日は何年何月何日だッ!?』
大磯は銃を構え直した・・・
『俺は今日まで太陽の光すら拝めず、ずっと地下に隠れて身を潜めてたんだッ、今日が何日だとかそんなの解る訳ねぇだろッッ!』
『そうか・・・言えないのか・・・益々怪しいな・・・』
大磯は男を全く信用していない様子だった・・・
『大磯伍長ッ!お言葉を返すようですがもし彼が脳味噌を喰われたゾンビならここまでしっかり喋る事が出来るでありましょうかッッ!?死霊になった人達はここまで明瞭に言葉を発する事など到底不可能でありますッッ!』
『そうだよッッ!そっちの兄さんの言う通りだよッ!早くッ、早く開けてくれったらァッッ!』
男は金網に持たれかかり、大磯に必死に訴えた・・・
『・・・・・・』
大磯は暫く考え込むとゆっくりと銃を下ろした・・・
>> 160
👣9👣
『野村・・開けてやれッッ!』
大磯は暫く考え込んだ後野村に開錠を命令した・・・
『有り難いッ!助かったよッッ!』
『ただし完全に信用した訳じゃない・・身体を拘束させてもらうッッ!』
大磯は男の両腕をトラックの荷台の柱に後ろ手に縛り付けた・・野村は死霊の村人が来るのを恐れ、すぐさま再び頑丈に金網の入口を閉鎖した・・
『しかしよく生き残る事が出来ましたよねッッ!?周りは全て血に飢えた死霊達ばかりですよッッ!』
野村は縛られた男に近寄った・・
『ば、馬鹿ッッ!あんまり近寄るなッ野村!脳みそカジラレて死にたいのかッッ!』
『ま、まだ信用してねぇのかよッッ!俺は普通の人間だってッッ!』
男は汗ばんだ窶れ切った顔で鬼瓦のような大磯の顔を睨みつけた・・
『大磯伍長ッ!・・彼をどうすれば・・?』
野村はこの男の扱いに困ったような顔で大磯を見た・・
『この死霊の村に居た人間として上に報告せねばなるまいが今日はもう遅い・・明日の交代を待ってこの男を調査の為に政府に引き渡す!』
『ち、ちょっと待ってくれよッッ!政府に引き渡すって俺はモルモットじゃねぇぞッッ!早く自由にしてくれよッッ!』
『黙れッッ・・!』
大磯は再び銃口を男に向けた!
>> 161
👣10👣
真夏の夜の闇は一層深くなり虫の音色も僅か程になってきていた・・大磯は野村に男の見張り番を任せると自分はとっととまたトラックの荷台のテントに就寝しに行ってしまった・・
(あぁ・・なんか嫌だナァ・・気味悪いなぁ・・)
臆病者の野村は男となるべく視線を合わさないようにじっと前だけ見ていた・・
『・・なぁ兄さん・・腹が減って死にそうだよッッ・・何か食べさせてくれよ・・』
男は野村に食べ物をねだった・・
『な、な、何かって、・・に、握り飯しかないけどいいかい?』
野村は握り飯を取り出すと恐る恐る男の口に入れた・・
『・・有難う・・アンタさっきのオヤジと違って優しいな・・』
男はおにぎりを口一杯に頬張りながら笑った・・
『ねぇ・・オタクよく二年もの間この死霊の村で生き延びてこれたよねッッ・・』
野村の最大の疑問はそこだった・・村人の全員が放射能に感染しそのまま絶命しゾンビになっていたはずなのに彼だけどうしてこうして生き残る事が出来たのかが野村には不思議でならなかった・・
『俺はこの村の住人じゃないッッ・・ただの電機工事の職員だよッッ・・』
『・・え?・・じゃあ全くの部外者って事ぉ?』
>> 162
👣11👣
『俺の会社は二年前にこの村に電気と下水道工事を頼まれたんだ・・見ての通りここは周りを深い山々に囲まれた原子力発電所があるだけの陸の孤島みたいな寂れた村でよッッ・・俺達も初めはあんまり気味悪いから気乗りしなかったんだが・・まぁ仕事だし仕方なく工事に入ったって訳・・』
男は野村に淡々と話をした・・
『あの日はちょうど下水道の配管工事も兼ねててよッ・・俺だけ一人深く掘削した地下で作業してたんだ・・したらドッカァ~ンて凄い音がしてそのはずみか何かで俺が出るべき穴がそのまま塞がっちまったんだ・・一日半は経っただろうかな・・俺は何とか自力で穴から地上に抜け出したんだ・・したら村の外は何か異様な雰囲気に包まれてよぉ・・』
野村は耳を塞ぎたくなったが黙って男の話を聞いていた・・
『あ、あのぅ・・ちょっとオシッコに行ってもいいですかッ?』
野村は震えながら近くの林で用を足すとゆっくり男の元に戻って来た・・
『地上に上がり村中を歩き回っても人っ子一人いなくてさッ・・したら一番はずれの空き地に村の住人が集まってたんだ・・あぁよかったぁ!と思った瞬間村人がいきなり俺めがけて《脳みそクレェ~ッッ!》って襲い掛かって来たんだ!』
>> 163
👣12👣
『よく見ると村の奴ら倒れて動けない人間の脳みそ貪り喰ってるんだ・・俺何が何だか解らなくてよッ・・怖くなって必死に元いた穴に逃げ込んだんだッッ!』
『・・それで二年間もその穴にッッ!?その間食べ物はどうやって調達してたんですかッッ!?』
『幸いそこは地下から稲を保管してある納屋まで続く穴があったんだ・・その納屋にある米を食い繋いで今日まで来たんだ・・で、さっきアンタらの声がしたんでスキをついて逃げて来たって訳だ・・まさに奇跡だぜッッ!』
野村は信じられなかった・・確かに骨と皮だけのダシが取れそうな位の華奢な身体ではあるが二年もの間米だけで生活出来たなんて有り得ない!
『あ・・アンタ俺の事疑ってるだろッ!?』
男は野村を睨み付けた・・
『疑ってはいない・・さっき握り飯を食べたからゾンビでない事は解った・・けどなんか負に落ちないんだよな・・』
野村はじっと空を仰いだ・・
『なぁ・・もういいだろ?両腕の縄を解いてくれよッッ!』
男は野村に自由にしてくれと懇願した・・
『し、しかし・・大磯伍長の指示がないと・・』
『大丈夫だよッッ!逃げやしないからッ!同じ人間同士じゃないかッッ!なッ!?頼むよッ!』
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👣13👣
『有難う・・助かったよ・・身動き取れないとなんか不安でさッッ!』
男は手首を摩りながら野村に礼を言った・・
『お願いだから逃げたりはしないで下さいねッッ・・貴方を逃がしたら僕のクビが飛びますから・・』
野村はそう言うと金網の前の見張りについた・・
『しかしひでぇ話だよな・・原発事故の放射能浴びただけであんな化け物に変わっちまうんだから・・村の中はあちこちにゾンビと化した村人がノッソノッソと脳みそを探しさまよい歩いてるんだもんな・・まさに地獄絵図だぜ・・』
男は野村の横に座った・・
『そ・・・・そんな人達が村から出てしまったら日本中は大変な騒ぎになるでしょうね・・想像しただけでオシッコちびりそうですよ・・!』
トラックの荷台のテントの中から大磯のイビキが地響きのように聞こえている・・
(いい気なもんだよなッッ・・自分だけ熟睡かよッッ!)
野村は眠い目を擦りながら任務に着いていた・・男もよほど疲れたのか野村の横で眠りに付いていた・・金網の向こうからはまるで狼の遠吠えのような無数のゾンビになった村人達の呻き声が不気味に聞こえて来る・・気味悪いと感じながらも野村も精神的疲労も重なりウトウトと眠ってしまった・・
>> 165
👣14👣
辺りは身を切る程の静寂に包まれていた・・何時間ウトウトとしただろう・・野村の意識がゆっくりと覚醒に向かっていた・・
(ヤバイ・・寝ちゃったかな・・)
野村は身体を起こすとゆっくり目を開けた・・
(ん?・・誰だ?こんな夜中に大勢・・・・・・!!ってッッッ!!え、エェッッッ!!)
野村は思わず跳び起きた!すると野村の顔の真正面にこの世の物とは思えない、蝋燭のロウが溶け出したかのような、ただれて目玉が飛び出した人間の顔があった!
『ぎ、ぎ、ギャァァァァァァッッッッ!!ごごご、伍長ッッッ!大磯伍長ォォォォォッッッ!!』
野村は腰を抜かしまるで蜥蜴が全力疾走するかのように四つん這いでその場から逃げたッッ!
『クレェ~クレェ~!脳みそクレェ~ッッッ!!』
野村の眼前に信じられない出来事が起きていたッッ!何故か外した覚えのない金網の扉が開き、中からおびただしい数のゾンビと化した村人が出てきているではないかッッ!
『伍長ォォォッッ!たッたッたッ大変ですッッ!緊急事態でありますッッ!』
野村はトラックの荷台のテントに寝ていた大磯を叩き起こしたッッ!
『ンア~・・何だ騒々しいッッ!』
『村人がッッ!ゾンビの村人達が金網の外に出て来てますッッ!』
『!なッ、何だとッッ!?』
>> 166
👣15👣
『う、ウワァッッッ!な、何だこりゃッッ!』
大磯が表に出ると辺りはゾンビと化した村人達で埋め尽くされていたッッ!
『脳みそ・・脳みそクレェ~ッッッ!』
大磯と野村に村人達が覆いかぶさるように近付いて来たッッ!
『ち、チキショウッッ!野村ッッ、銃をッッ、銃を出せ早くッッ!』
大磯は野村から奪い取るように銃を取ると狂ったかのように乱射したッッ!
『ウッオリャァァァァァッッッッ!コノッ、コノッ、近付くナァァァァッッ、化け物めッッ!』
ガガガガガガガッッ!
トラックの周りを取り巻く村人を排除するかのように大磯は機関銃をブッ放したッッ!野村もゴメンナサイ!と叫びながら村人に機関銃を乱射したッッ!緑色した血しぶきが飛び散り死霊の村人達は散らばるようにして倒れ込んだッッ!
『ど、どうだ化け物ッッ!ざまあ見ろッッ・・ハアッ、ハアッ、ハアッ』
『大磯伍長ッッ!見て下さいッッ!アァァ・・』
銃弾を浴びた村人は再びノッソノッソと立ち上がると二人の脳みそ欲しさにまた群がって来たッッ!
『う、うわぁッッ!な、何でッッ!来るなッッ!こっちに来るナァァァァァァッッッ!』
大磯は半狂乱に陥ると再び村人めがけて機関銃を乱射し始めた!
>> 167
👣16👣
『い、一体全体な、何でこうなったんだ馬鹿野郎ッッ!ハアッ、ハアッ、ちゃんと見張りしていたんじゃないのかッッ!?』
『も、申し訳ありませんッッ・・寝ていた間にハアッ、ハアッ・・僕にも何が何だかッッ!』
開かれた金網の扉から次々とゾンビの群れが放たれて辺りにはこの世の物とは思えない不気味な呻き声が響き渡った!
『アァァ・・大磯伍長ッッ!どんどん出て来ちゃってますッッ!こ、このままじゃ我々は懲罰委員会モンでありますかッッ!?』
『アホッッ!その前に自分の命の方が大事だろがッッ!野村ッッ!早くトラックのキーをッッ!』
『ち、ちょっと待って下さいよッ!このまま放って逃げてしまうおつもりでありますかッッ!そんな無責任なッッ!コイツらが麓に降りて他の街を襲い出したらもう最期ですよッッ!』
野村の足に死霊の村人がしがみ付いて来たッッ!
『ウワァッ!い、嫌だ嫌だァァッッ!あっち行けッッ!』
野村はポケットからトラックの鍵を出すと荷台から運転席に飛び移った!
『脳みそ・・脳みそクレェ~ッッ!』
『う、ウワァッッ!あっち行けッッ!あっち行けったらッッ!クソォ、もうどうなっても知らないからなッッ!』
重なり合うようにして手を伸ばしてくる死霊達を手で振り払うと野村はトラックを急発進させたッッ!
>> 168
👣17👣
トラックは寂れた農道を全速力で加速しながら下って行った・・
『ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・・知らない知らないッッ!僕は知らないからなッッ!ハアッ、ハアッ・・』
野村はハンドルを握る震える手をパシンと叩くと自分を落ち着かせようと必死だった・・トラックは何度も上下に跳ね上がり爆音を上げながら道なき道を走っていた・・
『大磯伍長ッ!大丈夫でありますかッッ!?』
10分程走った所で野村はようやく落ち着くと後ろの荷台にいる大磯伍長に話し掛けた・・
『・・我々大変な事をしでかしてしまいました・・このまま駐屯地へは帰る事は出来ません・・ハアッ、ハアッ・・逃げましょう・・ハアッ、ハアッ・・きっと明日には何も知らない麓の村や街の住人の脳みそが奴らのディナーになってしまうんですよね・・アァァ・・一人が二人、二人が四人・・四人が十六人と・・アァァ・・そして一年も経たない内に全人類は脳みそを食べ尽くされ・・やがて世界は終わるッッ!ウワァッッ!何て事をッッ!我々は自らの手で自らを絶滅させてしまうんですッッ!』
野村は一人人類が辿る恐怖の未来予想図を描いていた・・
『伍長ッ!聞いておられますかッッ!黙ってないで何とか言って下さいッッ!』
>> 169
👣18👣
『大磯伍長ッッ!聞いているでありますかッッ!』
野村は返事のない大磯を振り返り確認しようとしたその瞬間・・
『脳みそ、オマエノ脳みそクレェ~ッッ!』
『!ぎッッ、ギャァァァァァァッッ!』
何と突然野村に荷台にいた血だらけの死霊が覆いかぶさって来たッッ!
『ギャァァァッッッ!ウワッ、ウワッ、ウワッ、あっちッッ、あっち行けェェェッッッ!』
野村は死霊に頭をかじられまいと必死に首を振った!その途端ハンドルの制御が効かなくなり野村の運転するトラックは近くの雑木林に突っ込んだッッ!
ガッシャァァァァッッッ!!
大木の幹に頭から突っ込んだトラックはそこで停止したッッ!
『アァァ・・ハガッ、アッ・・た、助けて・・ングッ・・誰かッッ!』
野村は頭をフロントガラスに強く打ちつけたが何とか無事車から脱出した・・
『!うッッ!ウワッ、ウワァァァァッッッ!』
次の瞬間、野村が停止したトラックの荷台で目にした物は数人の死霊に頭をかじられて絶命している大磯伍長の血だらけの姿だった!
『脳みそ・・オマエノ脳みそクレェ~ッッ!』
大磯の脳みそを食べ尽くした死霊達は今度は野村に照準を絞ったようでノッソノッソと野村に近寄って来た!
『う、ウワァァッ!くッッ、来るナァァッッ!』
>> 170
👣19👣
暗闇広がる深夜の雑木林の中を野村は無我夢中で休みなく走り続けた・・暫く走ると死霊の声も途絶え、追ってこなくなっていた・・
『ハアッ、ハアッ、ハアッ、・・ングッッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ・・』
1時間走り続けた野村は疲労困憊で木の影に腰を下ろし遂には動けなくなった・・
『ハアッ、ハアッ、ま、まさか・・ハアッ、ハアッ・・大磯伍長までッ、ハアッ・・どうすりゃ・・僕はこれから一体どうすりゃあ・・!!う、ウワッ、!』
突然後ろから肩を叩かれ野村は心臓が止まりそうになった!
『俺だよ俺ッッ!』
『ハアッ・・な、何だあんたかッッ!脅かすなよッッ・・ハアッ、ハアッ・・』
それはさっき金網の中から助け出したあの電気工事の男だった・・
『ッていうか何であんたが此処にいるんだッッ!勝手に逃げたのかッッ!?』
野村は男に問い詰めた・・
『そりゃあんな奴らが団体で襲い掛かって来たら誰だって逃げるに決まってるだろッッ!・・実はよ、俺もさっきウトウトしててよ、ふと目を醒ましたらアイツら金網から出てきやがるんだぜッッ!ビックリしたの何のッて!』
男は死霊が逃げ出した時のいきさつを野村に説明した・・
『とにかく安心したよ・・生き残りの人間が居て・・』
>> 171
👣20👣
野村と男は煙草を吹かし休息を取った・・
『ハァ・・終わりだな・・全人類はアイツらに食い尽くされやがて地球上の人間全てがゾンビになる・・』
野村は天を仰ぐとため息をついた・・そしてふと大磯伍長の血だらけの死体を思い出した・・
『大磯伍長も・・いずれはあんなゾンビになって人間の脳みそ目当てに徘徊するんだろなぁ・・』
『・・・・』
男はただじっと俯いていた・・
『なぁ・・あの村で生き延びたアンタなら見た事あるんだろ?』
『何を?』
『アイツらに脳みそ喰われてゾンビになるまでってだいたいどれくらいの日にちがかかるのか・・もしすぐって訳でもないのならせめて今まで世話になった大磯伍長の死体に手くらい合わせにあげたいと思って・・』
男の手は小刻みに震えていた・・きっと奴らから逃げた時の恐怖がまだ残っているのだろう・・
『大丈夫かい?顔色が真っ青だ・・熱でもあるんじゃないのかい?』
野村は男に優しく問い掛けた・・
『ありがとう・・少し寒いだけだよ・・アンタってホントいい奴だよなッッ!じゃあな!』
そう言うと男はすっと立ち上がった・・
『!ち、ちょっと何処に行くんだよッッ!怖いから一緒に居てくれよッッ!』
野村は男に行動を共にしようと懇願した・・
>> 172
👣21👣
『やめた方がいい・・』
男は震えながら言った・・
『どうしてッッ!アンタ頼りになるよッッ・・一緒にいてくれよッッ!頼むよッ!』
野村はこんな死霊達がさ迷う山の中で一人取り残されるのが死ぬ程嫌だった・・
『どうして行っちゃうのさッッ!僕と居るのがそんなに嫌なのかッッ!』
『・・そうじゃない・・そうじゃ・・アンタがいい奴だから・・だから傷付けたくないだけだッッ!』
男は野村に背を向け泣いているようだった・・
『な、何だよそれッ!意味が解らないよッッ!』
『・・駄目だ、ゴメンな・・どうやら手遅れみたいだ・・』
男は意味不明の言葉を発した・・
『はぁ?・・何が言いたいんだぁ?』
野村は男に近寄って肩を叩いた・・
『アンタさっき聞いたよな?・・・・答えは《丸一日》だ・・』
『は?何が?』
次の瞬間男は両手で野村の髪の毛を掴むと前頭部に噛み付いていたッッ!
『・・・・人間が死霊達に脳みそ喰われてゾンビに変わる日にちの事ダヨォ~ッッッ!ウガァァァァッッッッ!』
その瞬間野村は自分の身に何が起きたのかが理解出来なかった・・ただ自分の頭の上で《カリッ》という異音が鳴った事だけははっきりと覚えていた・・
~死霊の村~完
>> 173
【⑬】~性悪天使と優しい魔女
🎀1🎀
ある静かな夜の事でした・・私の枕元に突然魔女さんが現れて私にこう言ったんです・・
《アンタのその透き通るような美しい心と引き換えに誰もが羨む特別素敵な容姿を与えてやるがいかがかな?》
と・・・・私正直言って自他共に認めるかなりの[ブス]です・・中学の時のあだ名は半漁人に似ていると言う事で[ハンギョドン]でした・・目は一重で鼻の穴は真っ直ぐ天を向いています・・ニキビ面で出っ歯でほんと自分でも嫌になるくらいの超ドブスなんです・・だから魔女さんの提案に心底悩みました・・
(誰もが羨む素敵な容姿は得られるけど・・でも心は今の自分じゃなくなるんだッッ!)
三日三晩悩みに悩んだ末、私は魔女さんに綺麗にして欲しいと頼みました・・
《・・ホントにそれでいいんだね?後悔しないね?一度綺麗になったらもう元のアンタには戻れないんだからねッッ!その覚悟は出来てるんだねッッ!》
魔女さんは何度も念を押した末、意志の固い私に負けてその願いを叶えてくれる事になりました・・
《いいねッ!いくよッッ!ビビデバ美デブ~ッッッ!》
その瞬間私は真っ白な煙に包まれました・・
>> 174
🎀2🎀
『別れるぅッッ!?ひ、酷いじゃないかッッ!あれだけ散々僕に貢がせておいて用が無くなったらポイ捨てかよッッ!クッ、お・・お前は鬼だッッ!悪魔だッッ!』
『ったく・・ホント男らしくないねぇアンタッて!そんな所にもう嫌気がさしたって言ってんのよッッ!だいたいアンタみたいなイモがこの何もかも完璧な私に半年間も付き合ってもらい夢見させて貰ったんだから逆に感謝されてもいいくらいだわッッ!』
喫茶店の店員が二人の会話にびくついていた・・男性は半泣きになりながらチキショウ!テメェなんかロクな死に方しないぞッッ!と捨て台詞を吐き帰って行きました・・
『おとといきやがれッッ!ヘンッ!あんなイモおたく野郎がこの私と、松本康子と付き合おうなんて百万年早いんだよバァ~カ!』
・・・・松本康子は組んだ足を解くと椅子から立ち上がり不機嫌そうに喫茶店を出た・・
『ったくッッ!綺麗になったのはいいけど・・世間にゃロクな男居ないわねッッ!どいつもこいつもいい加減で馬鹿ばっかッッ!』
魔女から美しさを貰った松本康子は髪をかきあげるとブーツを鳴らしながら夜の街を歩いた・・
『ねぇ彼女暇ッッ!?』
『可愛いねッ!遊ばないッ?』
5mも歩けば康子の回りには男達がたかった・・
>> 175
🎀3🎀
ファッション雑誌から飛び出してきたかのような妖艶なプロポーションに少しハーフがかった鼻筋の整った端正な顔立ち・・黄金色に輝くストレートの長い髪・・そしてそんな完璧な彼女に群がる沢山の男性達・・心と引き替えに魔女から貰ったこの文句もつけようのない美しすぎる美貌に康子は自ら酔いしれていた・・
(フフフ・・見てる見てるッッ!男も女もみんな私の美貌に釘付けみたいッッ!キャハハッッ!)
《楽しんでいるみたいだね・・新しい自分を・・ヒヒヒ・・》
ご機嫌な康子に魔女が声をかけた・・魔女の姿は康子にしか見えないらしく日中街に出る時はいつもポケットに入る程度のコンパクトさになっていた・・
『だって次から次へと男性だって思いのままなんだよッッ!まるで今までの自分じゃないみたいッッ!羽が生えて飛んで行きそうになるくらいにねッッ!キャハハッッ!』
《そうかいそうかい・・けどこれだけは言っておくよ・・アンタは美しさを手に入れたかわりに大事な物を失ってしまったんだよ・・それだけは肝に銘じておくんだねッッ!》
魔女は苦笑いを浮かべるとまた来るよッと言い残して康子の元から消えて行った・・
>> 178
🎀4🎀
(何だか私って…へん…自分が自分じゃないみたい…)
その異変に気が付いたのは康子がまさに通算6人目の男性をフッてしまったすぐ後の事だった…
『楽しんでいるかい?…ククク…』
『ねぇ…最近ふと思うんだけど…私って昔からこんなだったのかな…何だかこの頃しっくり来ないんだよね…』
康子は久しぶりに枕元に現れた魔女に尋ねてみた…
『ククク…覚えていないだろうね…無理もない…アンタはアンタにとってとても大切な物とその美貌を交換しちまったんだからね…』
『大切なもの?…交換?』
康子には到底理解出来るはずもなかった…何故なら康子が目を見張るような美貌と引き換えに魔女に差し出したのは本来康子が持っていた《透き通る程清らかな心》だったからだ…美貌と引き換えに差し出した清らかな心…それを持ち合わせない代わり、つまり美貌を得るという事はわがままで自分勝手な心を引き受けるという事を意味する…そんな事とは知らず康子は魔女の要求を受け入れたのだ…
『綺麗にさえなれりゃぁ何だって構わない!…アタイがあの時感じたアンタの心の素直な叫びだよ…ククク、アタイはそれをただ実行させてもらった訳さッ!』
魔女はニヤリと笑った…
>> 179
🎀5🎀
康子が山田陸という男性に出会ったのは彼が通算8人目の康子の彼氏になった時だった…
『ちょっと先に言っとくけどさッ、私結構言いたい事ハッキリ言う人間だからさ…それでも良いっていうなら付き合ってあげてもいいけど…』
『大丈夫だよ…よろしくね!』
陸はニッコリと優しく笑ってみせた…山田陸という男は少し変わっていた…康子が何を言っても怒る事はなかったしどんなに待たせても道理にたがわぬわがままを言っても文句一つ言う事はないある意味特殊な男性の部類であった…
(今までの男とはなんか違う…ってゆうか普通あれだけ言われたら怒ったりヒイタりするよね…もしかしてドM?)
康子は初め気味悪く思ったがここまで色々自分に尽くしてくれる陸の事を次第に心地良く思うようになっていた…
《どうやらいい彼氏が出来たじゃないかい…ヒッヒッヒ…》
久しぶりに枕元に現れた魔女が康子に言った…
『…う~ん…でも何だか調子狂っちゃうんだよね…アイツといると…こっちの願いや思ってる事何でもウンウンって聞いてくれるし…』
《それがアンタの望みだったんじゃないのかい?…男に振り向いて貰いたかったんだろ?》
魔女は不敵に微笑んだ…
>> 180
🎀6🎀
『私来月パリに行きたいッッ!そこでシャネルの鞄と服買って!』
『あぁ…いいよッ!』
『あ~ぁ!今日は何か喋りたくない気分ッ!ずっと黙っててッ!』
『分かった…そうする…』
康子と陸の姫と執事のような関係がその後も続いていた…
(何かムカツクッ!そこまで言われて男としてどうして怒らないのよッ!バカヤローッ、調子に乗るんじゃねぇって頬の一つや二つ張りゃいいじゃんよッッ!普通のまともな男ならもうとっくにぶち切れてるわよッ!)
どんな無理難題を言われてもただ従順な召し使いのように康子の言う事を聞く陸に康子の言いようのない苛々が募っていった…同時に段々康子の心にも少しずつ陸とのそんな関係に小さな罪悪感のようなものが生まれつつあるのも事実だった…
《…なんだい…浮かない顔だね…綺麗になって男を鼻であしらう生活が楽しくないのかい?アンタが夢見ていた世界だろ?》
ある夜魔女が鏡で自分の顔をじっと見つめている康子に問いた…
『そんな事したい為に私ッ…綺麗になりたいと思った訳じゃ…ない…』
《おや?なんだい?おかしな事言うじゃないか…じゃぁどうしてアタイと契約したんだい?大事な物を棄ててまで…》
『解らない…解らないよッ…』
>> 181
🎀7🎀
陸が優しい言葉をかける度…わがままを何も言わず聞いてくれる度に康子の心はやりきれない嫌悪感で一杯になっていた…
《え?…元に戻して欲しいだって?》
ある夜枕元に現れた魔女に康子が頭を下げボソリと告げた…
『お願い…元の松本康子に戻してッ!』
《いい?…アタイはあれほど念を押したよね?もう元には戻れないって…それに…元の松本康子に戻るって事がどういう事なのか…解ってるんだろね?…今のままその誰もが羨む容姿で生きていく方が幸せなんじゃないのかい?どうしてまたわざわざイバラの道を歩こうとしたいのさ?》
康子は俯き暫く黙っていた…
『…これ以上…彼に嘘は…嘘はつけない…つきたくないッッ!…初めて…こんな何の取り柄もない平凡な私が初めて…本気で好きになった人だから…だから全部本当の事話すよッ!本当の私を見てもらうッッ!…それで、それでフラれても…私後悔しない…』
《……フッ…どうやら恋の魔法にかかっちまったかい…ハハッ!》
魔女は苦笑いをして窓の外の満月を見つめた…
『お願いッッ!返してッ!ありのままの私を返してッッ!お願いッ!お願いッ!』
《………》
>> 182
🎀8🎀
《…戻してやってもいいが…本当にいいのかい?覚悟は出来てるんだろねッッ?元に戻ればもう二度と綺麗な松本康子にはなれないよッッ!ずっとアンタは以前の松本康子のまんまだよッッ!?いいんだね!?》
『…うん…それでいい…』
魔女は腕組みをして暫く考えた後首を縦に振った…
《ハァ~…せっかくアンタの清らかな心を酒のあてに飲もうと思っていたのにさッ!これじゃあ魔女商売アガッタリだよッ…》
魔女は手に持った樫の黒い杖を振りかざした!
《いいねッ!戻すよッ!ビビデバ美デブリブリ~ッッ!》
プシュュュュュ~ッッ!
魔女の呪文が部屋中に響き渡り白い煙とともに康子の顔と身体はみるみる元の姿に戻っていった…
『…戻ったの…?』
《あぁ…鏡を見てみなッ!以前のアンタさ…アタイと出会う前のね…》
康子は鏡を見た…そこには以前の半漁人のような決して美しいとは言い難いありのままの康子がいた…
(…これで…これでよかったんだよね…この姿を…ありのままの私を陸に見てもらおう…明日…)
覚悟していたとはいえ余りの変わりように康子はその場でうずくまり泣いてしまった…
>> 183
🎀9🎀
約束の時間の公園のブランコの側に山田陸は立っていた…
(ハァ~…落ち着いて康子ッ!…フゥ~ッ!)
電柱の陰に隠れながら康子は一度深呼吸をした…
(とにかく…とにかく目の前まで歩いていってきちんと説明しようッ!…私は昨日まで貴方と一緒にいた康子の本当の姿だって事…)
《クックック…やけに緊張しているじゃないかい?》
『!ッッて、び、ビックリしたぁ~ッ!驚かさないでよッ!何でいるのよッここにッ!』
最高潮に緊張する康子の横から魔女が現れた…
《だってさ、こんな面白い見世物あんまりお目にかかれるもんじゃないからねッ!…クックック…》
『ンモッ無責任ねッッ!あっち行っててよッ!こっちは心臓が飛び出しそうなんだからねッ!』
康子は魔女を押しのけた…
《言われなくったってアンタとはここでサヨナラだよッ!…ッつぅかアンタに一つ言い忘れていた事があってね…じつはあの…》
『ち、ちょっとそんな事後にしてくれない?空気読んでよッ!』
康子は魔女の言葉を無視してゆっくりと陸に向かって歩き出した…
《あァ…あ…ッて…チッ、人の話は最後まで聞けってぇのさッ!》
魔女はため息をつくと電柱の陰からじっと二人の様子を眺めていた…
>> 184
🎀10🎀
康子は顔をまともに上げる事も出来ずただゆっくりと落とし物を探す人のように陸に近付き目の前に立った…
『……り、陸く…君…ッッ…わ、私…』
康子はゆっくりと陸の顔を見た!
『……ん?』
(ヤッパリッ!ほらッ、完全にヒイテるよッッ!ヤダ…逃げ出したいッ!)
緊迫した空気の中、続く言葉が見つからない…しかし康子は意を決して次の言葉を選んだ…
『陸君…し、信じられないかもしれないけど私ッ…私…その…昨日まで貴方の隣にいたや、康…子ま、松本康子なのッッ!』
『………』
『…ごめんッ!…今まで嘘付いてたの…私本当はあんなに綺麗な女の子じゃないんだッ!…見ての通り…これが私ッ!本当の松本康子なのッッ!』
(…終わった…私の初恋…)
『…知ってるよッ!君が僕が大好きな康子だって事位…』
『!……え…?』
陸は康子の身体をギュッと抱きしめた!
(…え?……えぇッ!?)
康子は頭が混乱していて今この場で何が起きたのか理解出来ずにいた…
『し、知ってるよって…陸君わ、私は…ッ』
『フフフ…康子だろ?出会った時から知ってるよ…だって僕の一目惚れだったんだから…』
(何…何なのッ!一体私に何が起きたって言うのッ!?)
>> 185
🎀11🎀
『…好きだよ…康子…』
康子を抱く陸の腕に力が篭った…
『し、信じられない…こ、こんな私でもッ!?』
『あったり前じゃない…そんな君だから…いや、そんな君じゃなきゃ駄目なんだ…僕…』
『…陸…君…』
ブランコに眩しい太陽が反射し、いつまでも抱き合う二人の影を包んでいた…
《ハァ~…だから魔女の話は最後まで聞きなってのさッ!…アタイの魔力はまだ未熟でね、一度願いを叶えても時間が経てば次第に効力が無くなっちまうのさ…アンタが陸って子に出会った時にはもう美貌の魔法は消えちまっていたってぇ訳…つまり彼は魔法にかかった容姿端麗のアンタを好きになったんじゃなくてありのままのアンタを好きになってたって事だよッ!ホント鈍いったらありゃしない…こんな慈善事業は金輪際もうお断りだからねッ!》
魔女は笑いながら独り言を呟くと白い煙とともに消えて行った…魔女の魔法が本当に未熟だったのか…初めから康子に綺麗の魔法をかけてはいなかったのか…それは誰にも解らない…ハァ~めでたしめでたし!
~性悪天使と優しい魔女~完
>> 186
【⑭】~笑い星~
☺1☺
『みんなァ~ッッ!今日は愛川可憐のコンサートツアー見に来てくれて本当にアリガトね~ッ!みんな最ッッ高~ッ!大好きだよォ~ッ!』
アンコール曲を歌い終え、コンサート会場の熱気は最高潮に達した…愛川可憐(あいかわかれん)が汗だくになりながらマイクを持ち手を振るとドーム会場が崩れ落ちんばかりの歓声と地響きが広がった…赤いウチワを持った愛川可憐の親衛隊の男性達がハッピ姿で口に手を当て激しく《可憐ちゃぁ~ん!》を連呼していた…
『ゴメンみんな少し聞いてッ!…最後に可憐から大事な話があるのッ!』
息を切らしながら可憐は会場の観客に静寂を促した…会場は可憐の話を聞こうと今度は一気に静まり返った…
『…実はね…可憐…このツアーを最後に歌手を引退しますッッ!』
『………』
会場の観客は余りの突然な言葉に皆狐に摘まれた顔をした…暫くすると観客は一斉に何でいきなりッ!どうしてだよッ!嘘だろッ!冗談よね!?というざわめきが交錯した…
『…私…私…に、日本一の漫才師に…なりますッッ!』
ええッッッッッッッッッ!?
『日本一の漫才師になりたいんですッッッッ!』
>> 187
☺2☺
愛川可憐は一年前に突然彗星の如く芸能界にデビューした18歳のアイドル歌手である…デビュー以来出すシングル曲、アルバムは全てミリオンを記録し続け、この世代のアイドルでは右に出る者はいない名実ともまさに芸能史に名を残すスーパーアイドルとなっていた…そんな彼女がツアーの途中に突然の引退宣言、それもあろう事か漫才師になるという天地をひっくり返したようなニュースは日本中に衝撃を与えた…
『こ、困るよ可憐ッ!あんな場所で告白するなんてッ!その事はまだ内緒にしておくって約束だったでしょうがッ!お陰で世間は大混乱だよッ!』
所属事務所の可憐の専属マネージャーの坪井が頭を抱えた…
『でも遅かれ早かれ解る事だもし…告白遅れてファンのみんなを困らせるのも嫌だし…』
『…そう思ってくれるのならもう一度考え直してくれないかな?お父さんだってそんな事望んでおられないはずだよッ!』
坪井は上目使いに可憐を見た…
『お父さんは関係ないよッ…漫才師になるのは私の子供の頃からの夢だったんだから…』
可憐は視線を落とした…
『ハァ~…さぁ、次の仕事が待ってるよッ!AMT放送の歌番組だッ!行くよ可憐…』
可憐は深いため息をついた…
>> 188
☺3☺
《愛川可憐突然の歌手引退宣言!人気絶頂の陰に何がッ!》《何故今お笑いなのか?平成の歌姫に不可解な男の影?》《富も名誉も棄てた人気アイドルが夢見た上方漫才の道とは…》
毎日のようにこんな記事が新聞、週刊誌を賑わせていた…
『可憐…これはどういう事だ?私の知らない内にお前は一体何をやっとるんだッ!』
自宅の部屋の戸が開かれ、可憐の父でもあり可憐が所属する事務所の社長でもある愛川豊が鬼のような形相で週刊誌を投げ捨てた…
『…見ての通りよ…私、漫才師になる為に弟子入りするの…大阪に行くッ!』
可憐は慌ててラジカセから流れてくる漫才のCDを止めた
『…この期に及んでまだそんな馬鹿げた事を言っておるのかお前はッ!私がお前をどんな思いでここまで人気歌手にしてやったと思ってるんだッ!』
『私決めたのッ!本当にやりたい事やるって…子供の頃からずっと夢見てた漫才師になるって…もう決められたレールの上を歩くのは疲れたのッ!歌手なんてホントはやッ…』
突然豊は可憐の頬をぶった!
『…漫才師…お笑い芸人になるって事がどういう事か解ってるのか…人前で馬鹿を言って…おかしな事やってただ客に笑われるんだぞ?…』
可憐は俯いた…
>> 189
☺4☺
『お父さんは人に笑われる職業についてもらいたくてお前を芸能界に入れ育てあげた訳じゃないッ!富も名誉も人気も絶頂のお前がいきなりお笑いの世界に飛び込むと聞いたらマスコミや新聞社はお前を好奇の目でしか見なくなる…お父さんはそれが耐えられないッ…だがそれを承知の上での馬鹿げた決意なら勝手にしなさいッ!私はもう何も言わない…でももし泣き付いて来ても…金輪際事務所の敷居は跨がせないッ!歌手の道は途絶えた、そう思え、いいなッ!?』
豊はそれだけ言うと部屋を後にした…
(……もう…決めたんだもん…私の本当の生きる道…)
可憐は手帳から亡き祖母の写真を取り出し眺めた…
(おばあちゃん…ホントによかったのかな…これで…)
波立つ気持ちを抑えつつ可憐は暫く祖母香代子の笑顔の写真を見つめていた…
《可憐は笑顔の可愛い子だよ…その笑顔で沢山の世の中に疲れた人達を救ってあげれれば素敵じゃないか…》
可憐の胸に死ぬ間際に香代子が孫の可憐にポソリと言ってくれた言葉が甦った…
『よく寄席に連れて行ってくれたよね…おばあちゃん…』
心筋梗塞で五年前に他界した祖母の顔を可憐はいつまでも言葉をかけていた…
>> 190
☺5☺
全国ツアーが終わり引退騒動も一段落した頃、所属事務所関係者やTV局に挨拶を終えた可憐は単身新幹線東京駅の構内にいた…
《今君が歌手活動を辞めるという事が事務所にとって…いや、芸能界にとってどれほどの損害になるのか解っているよね?…君はそれほど大変な事をしたんだ…だから最後まで夢を諦めずしっかりやっておいで…》
昨夜最後まで歌手引退に反対だったマネージャーの坪井のかけてくれた言葉だった…坪井は涙を浮かべていた…さぞ悔しかったに違いない…デビューの頃からずっと二人三脚できた自分の自慢だった愛川可憐という商品を断腸の思いでなくなく手放したのだから…
(坪井さん…ごめんね…私頑張るから…)
人目につかぬよう深々と帽子を被ると可憐は自由席に腰掛けた…事務所が餞別代わりにくれたグリーン車の切符をも断って…
(よし!私の人生一から出直しだッ!)
新たな決意と単身大阪に行く不安が交錯し可憐は心細くなった…別に大阪に当てがある訳でもない…社長である父のコネもきっぱり断っていたからだ…新幹線はゆっくりと走り出した…成功するまで帰らない…窓の外の景色に可憐は誓った…
>> 191
☺6☺
『あぁ…松前座ならその先やッ!』
可憐は大阪の地に降り立った…大阪難波付近の地図を広げ通りすがる人に道を聞きながら可憐はひたすら意中の目的地を目指した…コンサートツアーでは何度となく訪れた事のあるここ大阪だったがこうしてじっくり中心部を歩き回る事は勿論初めての事だった…
『あった!松前座ッッ!』
いかにも上方伝統芸能といった日本家屋風の建物に沢山の寄席芸人の昇りが旗めいていた…
(ここが上方漫才界の聖地《松前座》…)
その出演者の一番上の看板に可憐の目指している名前があった…
(《三島ヨット・ボート》…あった…!)
可憐は思わず寄席のチケットを購入し中に入った…ちょうど若手の漫才が終わりいよいよ真打ち登場、《三島ヨット・ボート》の出番だった…軽快なお囃子と共にベテラン漫才コンビ三島ヨット・ボートが現れた…可憐の胸に祖母香代子との懐かしい過去が鮮明に蘇った!
(…おばあちゃん…)
小さい頃忙しい両親の代わりにいつも可憐の面倒を見てくれていた優しいおばあちゃん…その祖母が初めて連れて行ってくれた場所が寄席だった…そこで初めて目にし、耳にした感動…その視線の先が三島ヨット・ボートの軽快な漫才だった…
>> 192
☺7☺
三島ヨット・ボート…数々の賞を受賞し上方漫才界に燦然と輝く現在も若手を引っ張るしゃべくり漫才の第一人者である…生粋の天然のボケキャラ親父三島ヨットと鋭いツッコミを見せる三島ボートのコンビは今や上方漫才界でも名実ともにトップクラスであった…可憐が漫才師を志したかったのも初めて祖母に連れていかれた寄席が当時から実力No.1と騒がれていたこの三島ヨット・ボートの軽快な漫才を見たからだった…
《いつか三島ヨット・ボート師匠の弟子になって漫才の勉強がしたい…》
…人気アイドル歌手愛川可憐をこれほどまでに動かした理由である…
(アハハ、やっぱりいつ見ても面白いッ!…二人の漫才を見てると嫌な事全部忘れていつしか笑顔になってる…三島ヨット・ボート師匠…ヤッパリ貴方達は私の夢見てた最高の漫才師ですッ!)
漫才を聞き終えるや否や可憐はその足で楽屋口に走っていた…
(いきなりのアポ無しだもんね…怒鳴り返されるかも…いや、私は諦めないッ!そんな簡単な気持ちでここ大阪に来た訳じゃないもんッ!)
震える肩を落ち着かせながら可憐はいつまでも三島ヨット・ボートが出て来る楽屋口で立っていた…
>> 193
☺8☺
楽屋口を引っ切りなしに出入りするスタッフや若手芸人を時折チラチラと眺めながら可憐は三島ヨット・ボートが出てくるのを待っていた…
(…逢ったら何て声をかけようかなッ…ハァ~…緊張するぅッ!)
『…さっきから何してんの?何か用?』
何回も楽屋口に出入りする男性が可憐に声をかけてきた…
『あ…い、いや…その…』
『ん?…あ、あんたどっかで見た顔やなぁ…え~ッと…』
その男性は可憐の顔をじっくり見つめ始めた…
『!あッ、あんた…ほらッ!愛川可憐!そやろ?アイドルのッ!間違いないッ!そうやんなッ!ウッワァ~感動したぁ~ッ!本物やがなッ!アンサンみたいなスーパースターがこんな寄席の楽屋裏で何してるんでっか?』
『あ…いや、その…み、三島ヨット・ボート師匠にあ、逢いに…』
全てを悟ったように男性は可憐の肩を抱くとさぁ入り入り!と可憐を楽屋に招いた…
(…寄席の楽屋口ってあ、案外簡単なものなんだ…ハハハ…)
首を傾げながら可憐は男性の言われるがままに楽屋に入った…中は意外と質素で廊下に仕切られた左右に部屋があり、今日の出演者の名前が張り出されていた…
(ウワァ~凄い凄い凄いッ!ここが漫才の聖地《松前座》の楽屋ッ!)
>> 194
☺9☺
『三島ヨット・ボート師匠の楽屋はこちらですッ!』
男性は可憐を三島ヨット・ボートの楽屋まで案内してくれた…
『あ、ありがとうございました…』
『…師匠達に突撃取材の番組ロケか何かですか?人気アイドルも大変ですなぁ…ハハハ』
男性が苦笑いしながらほな!と可憐から去った…
(いや…ハハハ、そうじゃないんだけどなぁ~)
可憐は気を取り直し一度深呼吸をすると小豆色の暖簾に三島ヨット・ボートと書かれた他の芸人とは明らかに違うそこだけ別格の楽屋をノックした…中からはいどうぞ!と声が聞こえたので可憐は一度唾を飲み込むと
『失礼いたし…しますッ!』と中に進んだ…
『はい…何の用でっか?』
(ほ…本物だッ!)
そこにいたのはツッコミの長身、三島ボートの方だった…
『あ、あ、あの…』
三島ボートは暫くじっと可憐を見つめるとどうぞと中にと手招きした…
『し、失礼します…』
三島ボートは芸風通り見るからに几帳面で真面目そうな感じの紳士に見えた…
『…で、私に何かご用ですか?お嬢さん…』
『……あ…』
可憐は憧れの漫才師を目の当たりにした緊張の余り言葉を無くした…
『あ、もしかしてヨット君の方に用事かな?彼なら今食事に出かけとる…』
>> 195
☺10☺
『あ…違うんです…実はですね…』
三島ボートは真っ直ぐ可憐の目を見て次の言葉を待っているようだった…
『じゃあ何の用事かな?』
『実は私…む、昔から三島ヨット・ボートさんの大ファンで…そ、それで漫才師になりたくて…それで…』
『あぁサインかいな…ハハハ、宜しい宜しい…書いてあげますさかい…』
三島ボートは引き出しからマジックを取り出しさぁ何処に書きましょ?と満面の笑顔を見せた…
『あ、ち、違うんですッ…実はですね…』
『…何やのん辛気臭いッ!はよぅハッキリ言ってみなさいな…』
三島ボートは少し不思議そうな顔をして可憐を見た…可憐は一度唾を飲み込むと言葉を放った…
『…弟子に…三島ヨット・ボート師匠の弟子になりたいんですッ!』
『……はぁ?』
『私は幼少の頃浅草の遠征寄席で見た三島ヨット・ボート師匠の絶妙で繊細な一流のしゃべくり漫才に一目惚れしたんですッ!どうか私もお二人の弟子にして頂き、上方漫才の真髄を学びたいと思ってますッ!どうか、どうかお願いしますッ!』
可憐は思いきり頭を下げた…そこにはつい最近までミリオン連発のカリスマアイドル歌手の片鱗は微塵も感じ取れなかった…
>> 196
☺11☺
『弟子カァ…』
三島ボートは腕組みをしながら暫く黙り込んでいた…
『お、お願いしますッ!私本気の本気で漫才師になりたいんですッ!決して生半可な気持ちではありませんッ!お二人の漫才は最高です…そんな三島ヨット・ボートの漫才の原点は何なのか知りたいんですッ!…洗濯でも身の回りの世話でも何でもさせて頂きますッ!だからどうか、この通りお願いいたしますッ!』
可憐は知っている限りの敬語と誠意で三島ボートに弟子入りを迫った…
『お嬢さん幾つや?』
『え?…あ、はい…じ、18歳ですッ!』
三島ボートはあぐらをかき直した…
『…う~ん…素晴らしいな…』
『え?…』
顎髭を摩りながら三島ボートは目を閉じ言葉を発した…
『初対面の目上の者に対する挨拶の仕方、礼儀作法、言葉使い…どれをとっても現代の若者にしては珍しく感じのえぇ娘さんやな…いや素晴らしい…感服しました…』
三島ボートは今度は正座をすると笑顔を見せた…
『あ、いや…そ、そんな…ハハハ』
思いもよらない三島ボートの言葉に可憐は戸惑った…弟子入りを迫ったら百%怒鳴りつけられる事を覚悟していたからだ…
(こ、この感じ…もしかして幸先いいのかな…)
>> 197
☺12☺
『芸人の養成学校があちこちに出来始めて芸人目指すたいがいの若い子はそっちに入学しよる…昔ながらの師匠に弟子入りするっちゅう徒弟関係を嫌うヤカラが多い中、アンサンはこの三島一門に弟子入りしたいと言うんやな?』
『はい、是非お願いいたしますッ!』
三島ボートは葉巻の煙草を粋に吸い始めた…いけるッ!絶対オッケーが出るッ!可憐の思いが通じて必ず弟子入りを認めてくれる、そう確信した時だった…
『…悪いがお嬢さん…それは出来ん…』
『……え、えぇ?…そ、それはどうして…?』
可憐の膨らんだ期待は一気に音を立てて萎み出した…
『弟子には出来んっちゅうこっちゃ…それだけや…』
三島ボートは立ち上がると背広に着替え出した…
『な、何故ですかッ師匠!?…私の事今褒めて下さったじゃないですかッ!礼儀正しい、最近にはいない子だって…なのに、なのに何故弟子にして頂けないのですかッ!女だからですかッ?』
可憐は食い下がった…
『確かにお嬢さんは礼儀正しいしきちんと物事考えられる賢い女性やと思う…漫才に対するその真面目で一途な気持ちは素晴らしいと思う…』
『だったら…だったらどうしてッ!?』
可憐は激しく動揺した…
>> 198
☺13☺
『…向いてないんや…』
『えッ?…向いて…いない?』
『そやッ!お嬢ちゃんは漫才師、いや…そもそも芸人っちゅう職業には向いとらんッ!悪い事は言わん…やめときッ!』
三島ボートは可憐の目の前でそう言い切ってしまった…
『な、どうしてですかッ!?師匠はどうして私が芸人に向いてないって言い切れるんですかッ!?私は師匠達の出演された演芸は欠かさずチェックさせてもらい間の取り方だとかツッコミのタイミングだとか…毎日独学ながら勉強して来ましたッ!だから他の人より少しはこの世界の事理解しているつもりですッ!それを向いてないの一言で…じ、じゃあ私は、私はどうすればいいんですかッ!?』
可憐は縋り付くように三島ボートに詰め寄った…
『…何で向いてないか…おせぇたろか?お嬢ちゃん…ワシらかて上方漫才界の至宝とまで言われたコンビや…弟子になりたいて言って来た若者は山程おるッ!けどもアンサン程情熱持ってワシらの門叩いてくれた若者はおらんッ!アンサンはホンマにえぇ子や…』
『だったら何故…?』
可憐は思わず泣き崩れそうになった…
『顔や…』
『か、顔ぉ?』
『そや…アンサンはベッピンすぎる!そこが一番の弱点なんやッ!』
>> 199
☺14☺
『顔が…私の顔がぁ?』
『そや…そんな人形さんのように可愛いらしい女の子が漫才して誰が心底笑う事が出来ると思う?まあな、今TVで売れてる芸人が全部が全部不細工やとは言わん…せやけど舞台やTVで面白い事やる芸人さんてぇのは大体不細工って相場が決まっとる…不細工が真剣に馬鹿やってるから世間の人らは腹抱えて心の底から笑う事が出来る…そう思わんか?』
『…確かに…それはそうかも…』
可憐は言葉に詰まった…日本中を熱狂させるスーパーアイドルだった彼女はこれまでいかに自分を可愛いらしく愛らしく世間のファンに見せる事こそが大事だった…《愛川可憐》というプリンセスを自ら作り上げ、自分の本当の気持ちを偽ってでも飾り立てる事を義務付けられて来たのだ…
『顔が…この顔が仇になる…師匠はそうおっしゃりたい訳ですね?…こんな面白みのない顔で舞台で何を喋ってもお客さんは笑ってくれない…師匠はそうお感じになられたんですね?…容姿って…漫才をするのに容姿ってそんなに大事な要素なんですか?…』
『…漫才は第一印象も笑いの大事な要素なんや…ハッキリ言うわ…アンサンのその綺麗な容姿では客は笑ってくれへんッ!』
- << 201 ☺15☺ 可憐にとって三島ボートの言葉は衝撃的屈辱的なものだった… (そんな…この容姿のせいだけで…断られたんだ…私…) 《どんなに話術が優れていて面白く、漫才をする最高の素質を兼ね備わっていたとしても…顔が綺麗過ぎては客には笑ってもらえない…》思いもしていない言葉…綺麗にして来いと言われればまだ手の施しようもある…だが綺麗な物を不細工にするなど聞いた事もない… 『わ…私はどうしたら…』 『元いた場所に帰りなさい…アンサンの居場所はここやない…』 『えッ!?…』 三島ボートは可憐を優しく見つめた… 『アンサンにはアンサンが一番輝ける居場所があるやろ?ってゆうとるんです…』 『…師匠…し、ご存知だったんですか…私の事…』 『当たり前田のクラッカーや…こんな年寄りでも芸能週刊誌くらい見ますがなッ!』 三島ボートは週刊誌に掲載されていたアイドル愛川可憐の記事を指さし微笑んだ… 『…し、師匠…』 『漫才師になるて引退か…まさかワシらの所に来るとはな…ガハハ…』 三島ボートは可憐の正体を初めから解っていた… 『何億円も稼いでるからもっとわがまま高飛車娘かと思ってたけど…フフフ…なかなか出来たお嬢さんで驚きました…』
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