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立場と言い回しが噛み合わない。
この年でもう手遅れかもしれないけど
小学生が転校せずにのぞみで通学

闇の中の天使

レス81 HIT数 8943 あ+ あ-

中谷月子( ♀ ezeSnb )
13/02/19 21:07(更新日時)

平和な生活を送っていた高校一年生多田由香里は、ある日弟が加担した虐めにより、少女が自殺をしたことによってその生活が一変する。

弟の弘一はマスコミを避けて、親戚中をタライ回しになった後、消息が知れなくなる。
父は、連日続く家の周りを取り囲むマスコミや野次馬に耐えられなくなり、「買い物に行く」と言って家を出たまま戻らなくなる。
とうとう母は、心が壊れてしまい入院先の病院で自ら命を絶つ。

由香里は幼稚園の時の先生、曽根崎美恵と再会した。
曽根崎レジャー開発という大会社の元会長の娘である曽根崎美恵は、由香里を養女にし、可愛がってくれ、そんな曽根崎美恵を由香里は‘おば様’と呼び、慕う。
これまでの過去を封印して、曽根崎由香里となりあらゆる教育を受ける。


そして由香里は様々な高校に転校生として現れては、闇の中に閉ざされた‘虐め’という問題に立ち向かうことになる。

No.1917064 13/02/19 17:41(スレ作成日時)

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No.1 13/02/19 17:46
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

また痛ましい事件が起きた。
O市の中学二年生女子がいじめを苦に自宅マンションから飛び降り、その短い生涯に幕を閉じた。
少女の儚い命は幕を閉じたが、そことはまた違う場所で密かに、人知れず新しい幕が開こうとしていた。



「では、そういうことで…」
低く、重々しい声色の男の言葉が合図のように、これまで暗闇だった場所に明かりが点いた。

そこは無機質と言えるただ広い部屋。
グレーの薄いカーペットが敷きつめてあり、同色のスチールの机と椅子が十数個並べられており、その前方には大きなスクリーンが吊るされている。
かすかに人の動く気配がしたが、それもすぐに静まった。
程なくしてスクリーンが自動でするすると音もなく巻き上げられていくと、残るのはグレー一色の誰もいない空間となった。


No.2 13/02/19 17:55
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

「日下さん、本当にこれでいいのでしょうか?」
「君は反対だというのかね?」

日下と呼ばれた五十を少し過ぎた男は、仕立ての良いスーツの前ボタンを外しながら、そう聞いた。
きちっと髪を整え、年のわりに艶のある肌をしている日下は、きりっと口を結んでソファーに奥深くまで腰を沈めながら矢島の顔を見上げた。

矢島は「反対、というわけではありませんが…こういう方法しか無いのは、僕はとても残念だと思います」と、日下の横に立ち、そう答えた。
日下は背もたれから体を離すと、両膝の上に肘を乗せ、その手をゆっくりと組んだ。

それはまるで祈るような格好だった。

「矢島君、このプロジェクトはもう始まっているんだよ。現在、被害者家族による第三委員会が発足したとはいえ、それは事件後の調査に過ぎない。私は、事件を未然に防ぐためのもっと深く切り込むような機関が必要だと考えているんだよ」

日下はゆっくりと低い声でそう言うと、隣に立つ矢島を見上げてその目をじっと見た。


No.3 13/02/19 17:59
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

矢島は日下の目をじっと見て、「そうですね。これが最善の、そして最終手段とも言えるかも知れません」
その言葉に納得したかのように日下は深く頷くと、
「矢島君、会議であったとおり、このプロジェクトは内密に行われる。教委にも悟られないようにしっかりと進めてくれたまえ」
そう言い、ソファーから立ち上がった日下は厚みのある手でぐっと矢島の左肩を一度握ると、重厚なドアを開け、部屋から出て行った。

その場に残された矢島は、しばらくその場から動くことができなかった。
左の肩には日下の残した ‘期待している’という思いが込められた感触が強く残った。



「ああ、疲れたあ!」
曽根崎由香里は、スマートフォンの相手に嫌味を含んだように言った。

「どうでしたか?初日は」
電話の相手は疲れたと言う由香里の言葉を無視したかのように軽快な口調で問いかけた。
「どうも何も…、私、この年になってまた勉強することになるなんて思いもしなかったわよ」
「まあ、そうでしょうね」
由香里は「今時の子との会話なんてやってらんないわ」と不貞腐れたように言った。
「でも、やって頂かないと困ります」
「分かってるわよ」

由香里はワンルームに小さなキッチンの付いた狭いマンションにいた。
そこが今の由香里の生活拠点だ。
キッチンには冷蔵庫と電子レンジ、炊飯器など必要最低限の調理器具が備えられている。

部屋にはシングルのベッドがあり、木製の机と椅子が備えられている。
机に付属されている書棚には、高校一年生の教科書がずらりと並べられ、さっき帰宅した時に置いた学章が印刷されてある紺色の鞄が椅子にある。
由香里は、片手で薄茶色のブレザーを脱ぎ、暗赤色のネクタイを外してベッドに投げ出した。
電話からは、
「何か必要な物があればいつでも仰ってください」
と、抑揚はないが、聞き心地の良い声が聞こえた。


No.4 13/02/19 18:03
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )


「必要な物、ねえ…」

そう言いながら由香里はキッチンに行くと、冷蔵庫を開けて缶ビールを一本取り出すと、プルタブを引いた。
微かに炭酸の弾く音がプシュッと鳴った。
電話の相手は、その音を聞き逃さなかった。
「お酒は控えてください。もしも学校でアルコールの臭いでもすれば、問題になりかねません」
と、さっきまでとがらりと口調を変えて、由香里を嗜めた。
缶ビールを一口飲んだ由香里は
「分かってるわよ!特別目立たない、そして特別暗くもない、そして酒臭くもない高校一年生を演るからそんなにムキにならないでよ。あのね、私はね、二十三歳なんだから、ちょっとぐらいだったらいいでしょう?」


そう、曽根崎由香里は二十三歳。
れっきとした大人の女だ。
高校の担任の女教師とさほど年齢は違わない。

No.5 13/02/19 18:05
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )



半年前。


多田由香里は、大学在学中に内定をもらった大手の医療器具開発会社の庶務課に勤務していた。
後輩も出来、仕事も覚えてきた由香里は充実した日々を送っていた。
会社の先輩であり、営業部の深沢尚幸とは、結婚を前提とした恋人関係にあり、プライベートも順調だった。

定時にデスクを片付けて、会社を出た由香里はいつもの地下鉄の駅に立った。
時刻通りに到着した電車に乗り込むと、二つ先の駅で降りた。
由香里の住むアパートは、六つ先にある。

改札を出ると、慣れた道を進み見慣れたカフェに入った。
すぐに可愛らしいウエイトレスが来て「お一人様ですか?」と、トレイを手にして微笑みかけてきた。
由香里も、軽く微笑み返すと「いえ、待ち合わせです」と言って、店内を見回した。

いつもは窓辺の席に座っている深沢尚幸が、今日は珍しく奥の方に座っている姿を見つけて、由香里は尚幸に近付いた。


「お待たせ。早かったのね、直帰?」


No.6 13/02/19 18:08
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 5
営業部の尚幸は顧客との商談次第で、直行直帰が認められている。

「まあ、ね…」
と、いつになく歯切れの悪い言い方で、尚幸の向かいの席に座る由香里を見た…、だが、尚幸は由香里の胸元を見ただけで、ちゃんと目を見てはいなかった。

すぐにさっきのウエイトレスが、おしぼりとコップに入った水を持って来た。
「ご注文は?」
「そうねえ、ブレンドを…」
「かしこまりました」と、言ってカウンターの方へ入って行った。

この店は、注文が入ってから豆を挽くので、コーヒーが運ばれて来るまでに少し時間がかかるが、挽きたてのコーヒーの香りが気に入り、仕事を終えた由香里と尚幸の待ち合わせの場所となった。

そろそろ付き合って一年になろうとしている。
知り合ったのは、由香里が入社してすぐの頃だった。
会社に届いた郵便物をそれぞれの部署に配って回ることも庶務の仕事の一つだったが、慣れない部署へ郵便物を持ち、配って行くのは入社したての由香里にとって、苦痛だった。
特に営業部には、外出している者が多く、誰が誰だかさっぱり分からない。いちいちそこに居る者を捉まえては
「すみません、葉山さんのお席はどこでしょう?」
「あの…、大木さんはどこのお席ですか?」
と、聞いて歩かなくてはならない。
活気に溢れ、いつも忙しそうな営業部の者達は、
「ああ、あっちだよ」とか「あの奥」と、迷惑そうな顔をする上に、適当にしか教えてくれないものだから、由香里はいつも困っていた。



No.7 13/02/19 18:11
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 6
その日も慌ただしい営業部で郵便物を配りながらうろうろとしていると、横から郵便物の入ったケースをさっと奪う者がいた。
「大変そうだね。僕が配っておくよ」
そう笑った男性社員は、手際よく手紙や葉書などをそれぞれのデスクに置いて行った。
「あ…、ありがとうございます!」由香里がお礼を言うと、その男性社員は、笑顔で答えた。

翌日、また営業部に届いた郵便物を持って来た由香里は驚いた。
全てのデスクの端にテプラで作成した社員の名前が貼ってあった。
由香里が辺りを見回すと、昨日、郵便物を配ることを手伝ってくれたあの男性社員が、ドアの付近にいて、由香里のいる方を振り向いた。
由香里と目が合うと、にっこりと笑った。‘あの人が、こうしてくれたんだ’由香里には、すぐ分かった。
その男性社員は、大きな声で
「行ってきます」
と言うと営業部にいる社員達が一斉に「おう!」「頑張ってこいよ」などと声を掛けた。

その時の男性社員こそが、深沢尚幸だった。
そして、由香里は尚幸に対して好意を抱き、尚幸も由香里に対して特別な感情を抱き始め、

そして今に至っている。


No.8 13/02/19 18:14
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 7 由香里は隣の椅子にバッグを置くと、改めて尚幸の顔を見た。
尚幸は、やはり自分の目の前にある、先に運ばれて来ていたコーヒーカップに目を落としたまま、由香里の顔を見ようとはしなかった。
「尚幸さん?仕事で何かあったの?」
由香里は尚幸の顔を覗き込むと心配そうな表情を浮かべた。
尚幸は「あ、いや…」と言って、一度は顔を上げたがすぐにまた視線をコーヒーカップに戻した。

「ねえ、やっぱり変よ。疲れてるの?」
由香里は再び尚幸に話しかけると、尚幸はやっと顔を上げた。そして
「実は…」と、やっと話を始めた。
尚幸は、意を決したように「実は、由香里に話があるんだ!」と由香里の目をじっと見た。


その時、由香里は‘え…、まさか…’と、戸惑った。
付き合い始めて一年。
たまにちょっとした喧嘩をすることもあったが、大抵はその日の内に仲直りをして、尚幸との付き合いは順調だった。
その尚幸が、こんなに真剣な顔を見せることは今までなかった。

由香里の頭の中には‘結婚’の二文字が浮かんだ。

由香里は姿勢を正すと
「尚幸さん、話って?」
と、少し頬を赤らめながら聞いた。


「別れて…欲しいんだ」




No.9 13/02/19 18:16
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 8
尚幸の口から出たのは、結婚どころではなく‘別れ’の二文字だった。

思いがけない尚幸からの別れ話に、由香里はただ困惑した。

「どうして…?」

固まった笑顔のままで、そうこぼれるような小さな声で聞くのが精いっぱいだった。

尚幸は、いつも持ち歩いているブリーフケースを足下から持ち上げると、膝の上
でケースを開いた。
そこから取り出した一枚の紙を、そっと由香里の前に置いた。
由香里はそれを見た瞬間、体が硬直する自分が分かった。起きているのに、まるで金縛りにでもあったかのように動けなかった。

「僕の母が、由香里の事を興信所に依頼して…」
「そう…」
「母は、由香里にご両親がいない事が気に入らなくて…」
「そう…」
「だけど、僕は何とか母を説得して、由香里と結婚したいと思っていたんだ…」
「そう…」
「由香里が悪いわけじゃない。分かっているけど…」


「お待たせしました」
芳ばしい香りを湛えてコーヒーが運ばれてきた。
ウエイトレスは、テーブルの上に置かれた紙に当たらないように、由香里の席から少し離れた場所にコーヒーを置くと「ごゆっくりどうぞ」と丁寧に言ってから下がった。
ウエイトレスがテーブルから離れると、尚幸は言った。


「由香里、ごめん。僕は君とは結婚できない…」




No.10 13/02/19 18:18
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 9

由香里はコーヒーカップに手を伸ばしたが、尚幸が置いた紙が邪魔してその震える手はカップにたどり着く前に引っ込められた。
尚幸は、その紙をそっとずらすと、コーヒーカップのソーサーをすっと持って由香里の前に置いた。

最後まで優しくしないでよ!

由香里は、恨めしそうにコーヒーカップを見つめた。
涙も出なかった。

尚幸は、「じゃあ、行くよ」そう言うと、伝票を手にしてカフェから出て行った。

ガラス張りの窓を振り返り見ると、肩を落とした尚幸が遠ざかって行くのが見えた。
尚幸は、一度も振り返ることもなく由香里の視界から消えた。

由香里は尚幸が置いて行った紙に手を伸ばした。
いったん震えるその手をぐっと止めて、思い直したように今度はちゃんと紙の端を持つと、目の前に持ってきて、それをじっと見つめた。


この紙は、コーヒーカップを持つことさえ容易に邪魔できる効果を持っているのだから、由香里の人生の邪魔をすることだって、た易いことだろう。



No.11 13/02/19 18:20
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 10

《中学一年生女子 首つり自殺!虐めによるものと学校側が認めた。警察では、虐めに関わったと思われる男子生徒四名から事情を聴いている》


左手にその紙を持ち、右手でカップを持ち上げるとゆっくり口に運んだ。
カップを戻してから、由香里は無表情でその紙を丸めるとぎゅっと握り締めた。

No.12 13/02/19 18:21
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 11
由香里は自分がまだ高校一年生だった頃を思い出していた。


ガシャン!
「きゃーっ!」
二階にある私の部屋に、その音を聞きつけた母がすぐに飛び込んできた。
「由香里!大丈夫?」
割れた窓ガラス。
子供の握りこぶし程の石。
それを見て、母は「由香里、こっちに来なさい!」そう言って私の肩を抱くと、部屋から連れ出した。
背後では、更にガラスが割れる音が響いた。
一階の道路に面した場所にある窓のガラスはすでに全て割られ、段ボールをガムテープで貼り付けていた。
外からは日がな一日「人殺し!」「出て来い!」と怒鳴る者もいれば「出て行け!」と叫ぶ声が聞こえていた。

平和だった生活が、一変した。
あの日から。

No.13 13/02/19 18:24
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 12 「お邪魔します」

少女が首を吊って亡くなった翌日の夕方、由香里よりも三歳下の弟、弘一の通う中学校の担任の男の先生と、生活指導の体育教師が家に来た。
母は、「学校で大変なことがあったようですねえ」と、眉間に皺を寄せてお茶を出していた。

弘一は、二人の教師を前に、応接のソファーの向かい側に母と並んで座った。
その頃、私は高校一年生だった。
応接室から漏れ聞こえる教師が何を言おうとしているのかが気になって、廊下でそっと立ち聞きしていた。
明日、学校で友達に話して聞かせるような情報が得られるかも、と、私は興味津々で耳をすませた。

「弘一君、新田有希さんのことで、何か知っていることはないですか?」
担任の声が聞こえた。私が卒業した中学でもあるから、この先生達のことは知っている。
「弘一、何か知っていることがあったら、ちゃんとお話するのよ」横から母が口を出す。
続いて、生活指導の強面の体育教師の声がした。
「弘一、新田さんは遺書を残していた。虐められていたと」
母がまた口を挟む。
「え、虐めですか?まあ…、かわいそうに…」

No.14 13/02/19 18:26
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 13
母に構わず、体育教師は続けた。

「遺書には、虐めに加担した男子生徒四名の名前が書いてあった」

その直後、聴こえてきたのは弟の泣き声だった…。
弟は、虐め加害者の一人だった。

その後、弟は警察に連れて行かれ事情を聴かれ、弟を含む四人の男子生徒はその事実を認めた。

そしてその翌日から自宅にはマスコミや野次馬が毎日のように押し掛けてきた。
弟は、遠い親戚に引き取られたが、そこにまでマスコミが押し寄せ、転々としたようだが、その後の消息は分からなくなった。


マスコミ達が自宅に来るようになって、電話も鳴りっぱなしだった。
父は、電話の線を引きちぎった。
庭へ出る雨戸も閉めたままだ。
真っ暗な部屋で、父と母と私は三人で震えて一週間を過ごした。
時々テレビを点けてみると、弟達が自殺した女子生徒にした惨たらしい虐めの様子が次々に克明に放送され、父は私からリモコンを取り上げると、テレビを消した。
母は、ただ泣いていた。
食料が底を尽いた時、父は
「何か…買ってくる」
そう言ってマスコミをかき分け、罵声が飛び交う中、もみくちゃにされながら外に出た。

そして、
父はそのまま帰っては来なかった。



No.15 13/02/19 18:28
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 14
その後、気を取り直した母は非常用食を押入れから取り出すと、私に
「食べなさい」
と、強く、そして静かに言った。
パサパサの乾パンや、缶詰を少しずつ食べ、水道の水を飲んで更に二週間が過ぎた。

四人分あった非常食は無くなろうとしていたが、外にいるマスコミ達は減る様子は無かった。
私は耐えきれず、二階の自室に閉じこもった。
母の前では我慢していたが、大声で泣いた。
地獄のような日々…
まだ高校一年生だった私には、耐え難い苦しみだった。
そして、二階の私の部屋にまで石が投げつけられるようになった頃から、母の様子が変わってきた。


「由香里、弘一、ご飯ができたわよ。お父さん、遅いわねえ」

そう言いながら、キッチンに立って何も乗っていない皿や茶碗を四人分、ダイニングのテーブルに並べた。
私は、その母の姿を見て「お母さん!お母さん!」と抱きついて、また泣いた。



No.16 13/02/19 18:30
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 15

私は覚悟を決めると、母を抱きかかえるようにして家から出た。
小柄な体格の私は、必死で母を支えた。
フラッシュが眩しいほどに焚かれ、たくさんのマイクが私達母子を取り囲んだ。
母は
「あら、たくさんお客様がお見えなのに、お茶もお出ししませんで…」
と言い、お辞儀をした。
「息子さんがした虐めについて、謝罪は無いのですか?」
マスコミのそういった質問に、母は「あの子はまだ学校から帰っておりませんが…」と答えた。

私は無言で母を引きずったが、マスコミ達を撒くことなんて出来なかった。
タクシーを捉まえると、母を押しこんでから私も乗り込み、運転手に大学病院の名を告げた。
後ろからは、マスコミ達の車が追いかけてくる。
病院に到着して、タクシーから降りた私達をまたマスコミが囲った。
病院の一階のフロアは一時騒然となり、何事かと警備員や看護師達が入口に立塞がると、マスコミを制止した。

こうしてやっとのことで母を医者に診せることができた。
医師から聞かされたのは、「精神的なショックが原因…」と、分かりきった診断結果だった。
入院の手続きをした私は、これからあの家に帰る勇気も無くフロアに並んだ椅子に座った。

これから…どうしよう。

No.17 13/02/19 18:34
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 16 私は覚悟を決めると、母を抱きかかえるようにして家から出た。

小柄な体格の私は、必死で母を支えた。

フラッシュが眩しいほどに焚かれ、たくさんのマイクが私達母子を取り囲んだ。
母は
「あら、たくさんお客様がお見えなのに、お茶もお出ししませんで…」
と言い、お辞儀をした。

「息子さんがした虐めについて、謝罪は無いのですか?」
マスコミのそういった質問に、母は「あの子はまだ学校から帰っておりませんが…」と答えた。

私は無言で母を引きずったが、マスコミ達を撒くことなんて出来なかった。
タクシーを捉まえると、母を押しこんでから私も乗り込み、運転手に大学病院の名を告げた。
後ろからは、マスコミ達の車が追いかけてくる。
病院に到着して、タクシーから降りた私達をまたマスコミが囲った。
病院の一階のフロアは一時騒然となり、何事かと警備員や看護師達が入口に立塞がると、マスコミを制止した。

こうしてやっとのことで母を医者に診せることができた。
医師から聞かされたのは、「精神的なショックが原因…」と、分かりきった診断結果だった。
入院の手続きをした私は、これからあの家に帰る勇気も無くフロアに並んだ椅子に座った。
これから…どうしよう。
改めて見た曽根崎先生は、薄く化粧を施していた。
私が幼稚園の頃には、すでに髪に白いものが見えていたことを思い出した。

曽根崎先生は、私の家族があの事件に関わっていることを知らないんだ…。


私は、大好きな曽根崎先生に知られていなくて良かったと、胸を撫で下ろした。



No.18 13/02/19 18:37
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 17
「先生は、どうして病院に?」

「わたしの主人がね、癌なのよ…」
そう呟くと、顔を上げて私を見た。
「人生ってね、あっという間に終わっちゃうのよ。わたしだって、いつお迎えがくるかわからない。ゆかりちゃん、生きていて無駄なことって無いのよ。その時には無駄だって思っても、何年も何十年もしてから、意味があったって気が付くこともあるの。ぜーんぶ繋がっているの。だから、どんなことにぶつかっても、傷ついても、立ち上がって生きていかなきゃだめよ」

「先生…、どうしてそんなお話を…」


「さっき、あなたのことを見掛けた時に、なんだか消えちゃいそうな顔をしていたから」

曽根崎先生になら、打ち明けられる。
今のこの状態をどう乗り越えたらいいのか、きっと答えを出してくれる!

私は、自分の家族に起こったことを曽根崎先生に話した。
先生は途中で口を挟んだりすることなく、最後まで私の話を聞いてくれた。

私が、こうして母を連れて病院に来たことを話したところで、曽根崎先生はバッグからハンカチを取り出して、私の手に握らせた。
自分でも気付かない内に、私は涙を流していた。

曽根崎先生からハンカチを受け取った私は、急に怖くなった。

今まではあんなに親切だった近所の人達が事件を知って、変貌する姿を思い出したからだ。

毎朝
「おはよう、由香里ちゃん」
と、声をかけてくれた隣のおばさん。
「おはようございまーす!」
「気を付けてね、いってらっしゃい」
「はーい、行ってきます」
毎朝のやり取り。

当たり前だったやり取り。


No.19 13/02/19 18:39
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 18
あの事件があって、家がマスコミに囲まれるようになった時、外に出ることがままならなくなった母が、隣のおばさんに買い物を頼む電話をした。
「人殺しの頼みなんか利けないわよ!」
そう言って、電話は切れた。

夕方のニュースに、そのおばさんが「買い物して来てって、図々しい電話があってねえ。お隣がこんなことになって、本当に迷惑してるって言うのに」そうインタビューに答えていた。
罵声の中には、聞き覚えのある近所のおじさんの声も混じっていた。


曽根崎先生も、変わってしまうの?

私は恐る恐る隣の曽根崎先生の顔を見た、瞬間。
先生は、すくっと立ち上がると背筋を伸ばしてきっぱりと言った。

「一緒に行きましょう」

先生は、病院の外で待ち構えているマスコミ達を睨みつけると、しゃきっとした姿で「おどきなさい!」と、言った。その気迫に圧されたようにマスコミ達が皆一歩下がった。
ドアを開けて待っているタクシーにするりと優雅に乗り込むと、その隙をついて病院から飛び出した私も続けてそのタクシーに飛び乗った。
タクシーの中、曽根崎先生は私に向かって優しい笑みを投げかけただけで何も言わなかった。


私はこの数週間、ほとんど寝ていなかったのと、緊張が解けたのとでぐっすりと眠ってしまった。


No.20 13/02/19 18:43
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 19
肩を軽く揺すられ「もうすぐよ」と、起こされた私はすぐに状況が把握できなかった。

隣に座っている曽根崎先生を見て、やっと病院での再会、タクシーに乗ったこと
などを思い出した。

タクシーの料金メーターを見ると、一万円を超えたところだ。
かなり遠い所まで来たようだ。

「先生の家って、こんなに遠いんですか?」
そう聞くと先生は、すっと人差し指を唇の前に立てた。そして、ちらっと、タクシーの運転手に目をやった。

そうか…、このタクシーはマスコミにマークされている。後からきっとこの運転手に車内での会話や様子、行先などをインタビューするだろう。
曽根崎先生は「そこの駅で停めてちょうだい」と言った。

そこからは電車に乗った。
二回乗り換えて、降りた所からはバスに揺られた。
どんどん山奥に向かっている。


No.21 13/02/19 18:46
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 20
バスを降りると、バス停の名前を見たが、古く錆びていて文字が読めなかった。

曽根崎先生は「少しだけ歩くわよ」と言うと、緩やかな上り道を歩き始めた。
私は急いで先生について歩いた。
急いでついて行かないといけないくらい、先生は早足だった。
私が竹藪を覗き込んでいると「ゆかりちゃん、もうすぐよ。急がないと日が暮れちゃいますよ」と、園児に話しかけるように言った。

ここはもう東京ではないということだけは分かる。

「さあ、ここよ」
細い土と雑草の道から、急に開けた場所に出た。
そこは、古くなってはいるが石畳が秩序良く敷かれていた。
そして目の前には、これも古いがあちこち手入れをしているらしく、しっかりとした佇まいの洋館があった。

「すごい…」


「あら、ちょうどカンさんが来ているみたいだわ」
洋館の前に停めてある軽トラックを見て、先生が呟いた。


「奥様?」
「カンさん、御苦労さまですね」
「おいでになるなら、お迎えに行きましたのに…」
「いいのよ。若い方と一緒だったから歩いた方が良かったのよ」
と、私を見た。

そう言えば、こんなに歩いたのは久しぶりだった。
何週間も家に閉じこもっていたから。
山の緑の香りの中、歩いている時は何も考えなかった。


良い事も、悪い事も。

No.22 13/02/19 18:47
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 21 私は‘カンさん’と呼ばれたおじいさんに
「こんにちは」
と、挨拶した。
カンさんは日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑顔になると「こんにちは」と、挨拶を返してくれた。

「しばらくここを使おうと思っているの。カンさん、明日でいいから食料品の買い出しをお願いします」
「はい、奥様。今日の夕飯は如何されますか?うちのを呼んで、何か作らせましょうか?」
「いいえ、大丈夫。何か、あるものですませます」
「分かりました。ちょうど、今日は部屋の空気を入れ替えたところだったんで、良かったです」
「いつもありがとう、奥様によろしくお伝えくださいね」
「はい、では…」
カンさんは、軽トラックのエンジンをかけると、私達が歩いて来た道を帰って行った。

「さあ、入りましょう」曽根崎先生に促されて、私は洋館に足を踏み入れた。


「素敵…」

私は夢の国って、本当にあるんだというような思いがした。
天井は高く、二階まで吹き抜けになっている。
そこからはキラキラと煌めく大きなシャンデリアが嫌味なく見える。
濃茶色を基調としたその家の中は、窓枠だけが白く清楚な雰囲気を醸し出している。
年代物の家具はヨーロッパ調で統一され、奥には暖炉があり、ロッキングチェアが見えた。


No.23 13/02/19 18:49
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 22
「お腹がすいたわね。何か作りましょう」
そう言った先生の後についてキッチンに入った。

手を洗った先生は、大きな冷蔵庫から焦げ目の付いたハムの塊を出すと薄くスライスしながら「ゆかりちゃん、そこの棚からお皿を二枚取ってくれる?」と、私に言った。
「はい」
お皿…と言われても、食器棚には色とりどりのお皿がたくさんあった。
私はその中から、縁だけが蒼く彩られた少し大きめの皿を選ぶと、先生に見せた。

先生は皿を見ると、にっこり笑って一度頷いた。

続いて先生は冷蔵庫からレタスを取り出すと、葉を三枚ほど剥いて、水でさっと洗い手でちぎって赤みを帯びたハムと一緒に皿に乗せた。
「ゆかりちゃん、そこの籠にはいってあるオレンジを取ってくれる?」
私は言われた通り、オレンジを手に取った。
独特の甘酸っぱい香りがしている。
新鮮なレタスや、このオレンジ…、

カンさんがいつ先生が来てもいいように用意しているのだと思った。


No.24 13/02/19 18:51
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 23
あっと言う間に、皿にはハムとレタス、オニオンスライス、プチトマトのサラダ。食べやすくカットされたオレンジが品よく盛り付けられた。

「ゆかりちゃん、お皿をテーブルにはこんでくれるかしら?」
「はい」
大きな厚みのある一枚板のテーブルに皿を運んだ。
すぐに先生が「ゆかりちゃん」と呼んだ。
トレイの上に、オレンジジュースの瓶とワインのボトル、ワイングラスと氷の入ったコップが乗っていた。
私はそのトレイをまたテーブルに運んだ。
先生が、フォークとナイフとクロワッサンの入ったバスケットを持って、テーブルに着いた。
「ゆかりちゃんも座りなさい」
「はい」
「若い人には物足りないかしら?」
「いいえ!すごく美味しそうです」
「そう、それは良かったわ。サラダのドレッシングは、その小さいボトルに入っているから、お好みでお使いなさいな」
私がハムだと思っていたのは、ローストビーフだった。

数時間前の私は、病院の椅子に一人座って途方に暮れていた。
それが、今はこんな素敵な家で美味しい夕食をとっている。

先生が、「食事がすんだらお風呂に入りましょう、たくさん歩いて疲れたでしょう?」と、ワインを口に含み味を楽しむようにしてから、私の顔を見た。

「あの…、すみません。いろいろお世話になってしまって…。先生、本当にお会いできて、良かったです」
「ゆかりちゃん、わたしはもう先生ではないのですよ」と、微笑んだ。
「じゃあ、何て呼んだらいいですか?そうね、美恵って名前でいいわ」

「美恵…さん?」
先生は満足そうに私を見た。



No.25 13/02/19 18:53
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 24
食事が終わると、私が皿洗いを引き受けた。

その間、美恵さんは眼鏡をかけると、革の手帳を開いてアンティークな形をしたダイヤル式の電話でいくつか電話をしている様子だった。

皿洗いが終わると、「あちらがバスルームだから、ゆっくり入ってらっしゃい」と言ってくれた。

いつの間にかバスルームの手前の脱衣場にはバスタオルと、タオル、新しい下着と白いフリルの付いたネグリジェが用意され、バスタブにはお湯が張ってあった。
お風呂は蒔きで焚くのかと思ったら改築されたらしく、シャワーも付いていて捻ればお湯が出た。

東京とは違い、騒音が遮断されたこの場所は今朝までの騒がしい自宅とは違い、私はゆっくりとお湯に体を沈めた。




朝。
鳥のさえずりで目を覚ました私は時間を確認しようと時計を探したが、どこにも時計は無かった。
昨日、お風呂から上がった私は、美恵さんに案内された二階にある部屋に入った。
タクシーの中でもずいぶん長い時間寝たはずなのに、私はゆったりとしたダブルベッドに横になるとすぐに深い眠りについた。
大きな鏡のドレッサーがあり、スツールが置かれていた。
スツールには、綺麗にたたんだワンピースが置いてあった。



No.26 13/02/19 18:54
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 25 私は部屋にある洗面台で顔を洗うと、ネグリジェからワンピースに着替えた。
ワンピースは、私の体にフィットしていた。
柄はオフホワイトの生地の裾にだけ大きく艶やかな花柄の刺繍が施されているが、派手ではなく、膝より少し下の長さのそのワンピースは清楚だった。

私は一階に降りて行くと、ロッキングチェアを揺らしながら本を読んでいる美恵さんを見つけた。

「おはようございます」
「おはようございます。ゆっくり眠れましたか?」
「はい、とても!」
美恵さんは、嬉しそうに笑った。

「あの…、今…何時ですか?」
私の問いに意外な答えが返ってきた。
「そうねえ、何時かしら…。ここには時計を置いていないから、分からないわ。何か用事か約束でもあるの?」
「いいえ。時計が無いのって珍しいですね」
「ふふふっ。そうかも知れないわね。でも、ここでは時間は関係が無いですからね。朝、目が覚めたら、朝ごはん。お腹がすいたらお昼ごはん、夕暮れには夕ごはん…暇な時には本を読んだり、庭のハーブのお手入れ、時にはパンを焼いたり、絵を描いている内に気が付いたら一日が終わっていることもあるのよ」
「なんだか、ゆっくりと時間が流れているような感じですね」
「少し違うわね。ここは時間が止まっているのですよ。ゆかりちゃん、朝ごはんの支度を手伝ってもらえるかしら?」
「はい」


No.27 13/02/19 18:56
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 26 朝食は、カリカリに焼いたベーコンと、半熟のスクランブルエッグ。サラダは昨日の夜よりも多く、皿とは別に木製のボールに入ったものを取り分けて食べた。
サラダに入っていたクレソンは、きっと庭で採れたものだろうと思った。

「あの…」私は食事をしながら美恵さんに、気になっていたことを聞いた。
「このワンピースって、どなたの物なんですか?」
美恵さんは、手作りの野菜ジュースを飲んでから、「それはね、私の娘のものなの。お好みじゃなかったかしら?」
「いいえ、とても繊細な刺繍が素敵です」
「そう、良かった。その刺繍はわたしがしたのですよ」と言って、私を驚かせた。
「娘さんは今…?」

「ゆかりちゃん、お食事が終わったら少しお話をしませんか?」と美恵さんが提案した。
「はい」

私はそれだけの返事をしたが、何の話をするのかが気になった。


食事を終えて、皿を洗うと美恵さんは私を裏庭に誘った。

花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、いろいろな種類のハーブが植えられていた。
広い芝生の片隅に、家の中にあるダイニングテーブルを小振りにしたようなしっかりとした木製のテーブルと、ベンチがあった。
陽射しを避ける大きな厚手の白い生地のテントも施されている。
美恵さんは、ベンチの落ち葉をさっと手で払うと、そこに座った。そして、私に向かい側に座るように手をすっと出して示した。

私は美恵さんと同じように、ベンチにある数枚の枯れ葉を手で払うと、そこに座った。


No.28 13/02/19 18:58
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 27
「今日も、いいお天気ねえ」
美恵さんは笑顔で言った。
「はい」
「ゆかりちゃん、あなたは高校生でしょう?学校に行かなきゃいけないわねえ」
「でも…」

あんな事件を起こした弟の姉である私を高校は強制的に退学させることはできないにしても、他の生徒や、その保護者達は黙ってはいないだろう。

「わたしの古くからの友人が、高校の理事長なの。昨日ね、電話をしてあなたのことを話してみたら、受け入れてくれると今朝、返事のお電話を頂いたの。あなたさえ良ければ、転校してはどうかと思って」
「本当ですか?私を…事件のことを知って、受け入れてくださるんですか?」
「ええ、本当ですよ。あなたの弟さんの話もちゃんと説明しています」
「私、学校に行きたいです!でも…、あのことがばれたら…」
「大丈夫ですよ。あなたは‘多田’ではなく‘曽根崎由香里’という名前で学校にいくのですから」
「曽根崎…美恵さんの名字を使わせて頂いていいんですか?」
「ええ。戸籍もわたしの所に入れて、あなたは新しい人生を始めるのです」
「戸籍?」
「そうです。…一つ、悲しいことをあなたに伝えなくてはいけません」
「悲しいこと?」

美恵さんは、少し下を向いた。睫毛の影がこれからどんな悲しい話を始めるのか私を不安にさせた。

「今朝、カンさんが新聞を届けてくれました。そこに、あなたのお母様が病院でお亡くなりになったとありました」

「お母さんが…?」

「ええ。とっても残念なお話です。お母様は自ら命を断たれたようです」
「自殺?」
「親として、お亡くなりになった女子生徒の責任を取ります、といった内容の遺書があったそうです」
茫然とした私の耳には、美恵さんの言葉はもう入って来なかった。
今までさわさわと風に揺れていた草花の音も、何も聞こえなかった。
「おかあさん…お母さん…」

私はそう呟いて、頬に熱いものが流れることで自分が泣いているのだと思った。
美恵さんは立ち上がり、私の隣にそっと腰を下ろすと何も言わずに私の背をゆっくりとさすってくれた。


私は、溢れ流れる涙を我慢することはしなかった。




No.29 13/02/19 19:00
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 28
それから二日ほど、私は放心状態で過ごした。


子供の頃の記憶が蘇る。

お父さんがいて、お母さんがいて、弟がいて、私がいる。
いつだってみんな笑顔だった。

どうしてこんなことになってしまったのだろう…
弘一が、あんなことさえしなければ…
弟を恨んだ。
私達を放って出て行ってしまった父を恨んだ。
私を残して自殺した母をも恨んだ。


食欲は無く、夜も眠れない。
少しうとうととすると、家の周りから聴こえるあの罵声や、マスコミ達の騒ぎ声、ガラスの割れる音にうなされ、泣きながら目を覚ました。

こうして一週間が過ぎようとした頃、美恵さんは私にきっぱりと言った。

「全部食べなさい」

決して威圧的ではなく、だからと言って柔らかな声色では無かった。

私は朝食をほとんど残したままの皿に目を落とした。
深く、頷いた私は、フォークを手にすると、残した食事を口に運んでは、水で無理矢理飲み込みながら食べた。


その様子を美恵さんは、ただ静かに見ていた。




No.30 13/02/19 19:01
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 29
「ゆかりちゃん、カンさんのお家にお使いに行ってくれないかしら?」
朝食を終えて、庭のあのベンチでぼんやりとしている私に、美恵さんが声をかけた。
「はい」

「これをね、カンさんに届けてもらいたいの」
美恵さんは、桐の箱を丁寧に風呂敷で包みながら言った。
「これはね、とーっても大切な物なの。だから、途中で道端に置いたりしないで、しっかり持って行って欲しいのですが、お任せしてもいいかしら?」
「はい、分かりました」
「カンさんのご自宅は、あのバス停を越えてそのまま真っ直ぐに行けばあります。お隣りですし、一本道ですから迷うことはないでしょう」
「はい」
「では、くれぐれもよろしくお願いしますね」

私は美恵さんが包んだ風呂敷包みを手にした。
重っ!
今度は両手でしっかりと持って、洋館を出た。

私はここに来た時の道を歩いた。
バス停までは十五分くらいだった。
手が痺れてきたので、包みを抱きかかえるように持ち替えた。

それから、私は重い包みを抱えて舗装されていない土の道をずいぶん歩いた。
美恵さんは‘お隣だから…’そう言っていたが、そのお隣はなかなか見えなかった。
もう、一時間近く歩いただろう。
秋に入り始めているというのに、私は体中から吹き出すように汗をかいた。
着ているTシャツの肩でこめかみに流れる汗を拭った。
包みは、重さを増していくようだった。
とうとう両腕も限界で、私はいったん下に包みを置こうとした。
‘途中で道端に置いたりしないで…’美恵さんの言葉が頭をよぎって、下に置くことはやめて、再び歩き出した。
いくら歩いても、民家らしきものは見えない。
一本道だと言っていたから、迷ったわけではないだろう。実際に、別れ道はなかった。
私は無心になって、汗を拭うこともやめて歩き続けた。


その時、遠くの方に萱ぶきの屋根がチラリと見えた!
「あった!」
私は思わず感嘆に似た声を上げた。




No.31 13/02/19 19:03
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 30 そこからは、歩みも早くなりどんどん萱ぶきの家に近付いた。
玄関までたどり着くと、表札を見た。

津田完吉。

カンさんの家に間違いない。
あの軽トラックが停まっているのも見えた。私は大声で「カンさーん!」と、呼んだ。
呼鈴はあったが、包みを両腕に抱えているので押すことができなかった。
すぐにカンさんが玄関の引き戸を開けると、「お嬢様、遠いところまでよく来て下さって…」と、玄関先で丁寧にお辞儀などするものだから、私は急いで「カンさん、これ!あの…美恵さんからのお届けものです!」そう言って、カンさんに押し付けるように渡した。
受け取ったカンさんは包みを軽々と持った。
私は真っ赤になった二の腕を交差するようにしてさすった。
「さあ、お上がりください」
「はい…おじゃまします」

カンさんの家の中は、畳の青いいい香りがした。
カンさんと同じように真っ黒に日焼けした奥さんが出てきて、挨拶をした。
奥さんが出してくれた冷たい麦茶を、私は一息に飲み干した。
奥さんはにっこりと笑って、麦茶をコップに注いでくれた。それもまた、私はすぐに飲み干した。
四杯目が注がれて、やっと私は汗で流れ出た水分が全身に行き渡ったような満足感を得ることができた。

カンさんは、風呂敷の包みを開け、中から桐の箱を取り出した。
箱を丁寧に開けると、白い封筒を取って開けて読んでいた。
うん、うん、と二度頷く格好をして手紙を読み終え、風呂敷を丁寧にたたむと、私に差し出した。
「お疲れさまでございました」と、くしゃくしゃの笑顔で言った。

帰りは、カンさんが軽トラックの助手席に乗せてくれて、美恵さんの待つ洋館まで送ってくれた。
あっという間に到着した時、あれだけ歩いたのに、車だったらこんなに早く着くことに驚いたのと、どうして美恵さんはカンさんに車であの包みを取りに来させなかったのだろうと、不思議に思った。
洋館の板チョコのようなドアが開き、美恵さんが出てきた。
カンさんは美恵さんに「大切なお品、確かに頂戴いたしました」とだけ言った。
美恵さんは「カンさん、ゆかりちゃんを送ってきてくださってありがとう。ゆかりちゃん、御苦労さまでした」と、優しい眼差しを私に向けた。
カンさんの乗ったトラックは、すぐに帰って行った。


No.32 13/02/19 19:05
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 31
家の中に入り、カンさんから渡された風呂敷を美恵さんに差し出した。

美恵さんは受け取ると、「こちらへいらっしゃい」と言って、ダイニングのテーブルに座った。
私も座ると、美恵さんは風呂敷をテーブルに広げた。
それを満足そうに見つめてから、「ごめんなさいね」と、言うと私の手を握った。

美恵さんがどうして私に謝ったのか、分からなかった。

「風呂敷、こんなに綺麗ね。あなたはわたしが言った通りに、一度も下に置くことをせずに、遠いカンさんのお家まで届けてくれたのね」
そう言いながら、強く私の手を握り直した。
「あの…?」
美恵さんの真意が分からず、私は聞こうとしたが、それより先に美恵さんは私にこう言った。

「試すようなことをして、本当にごめんなさい。あなたがもしも、あの箱をカンさんの所まで言われた通りに届けてくれなければ、わたしはあなたをここに置いてはおけないと思っていました。お母様があのような形でお亡くなりになった悲しみは、よく分かっているつもりです。ですが、ずーっとあのままの状態のあなたを高校にやることはできないと思いました。…病院であなたと再会した時にわたしが言った言葉を覚えていますか?」

私は、病院で会った時に美恵さんが私に言った言葉を思い返した。

「美恵さんは…どんなことにぶつかっても、傷ついても、…立ち上がって生きていかなきゃいけない…って、そう言っていました」

「そう。よく覚えていてくれたわね」
そう言いながら、私の頭をまるで幼稚園児を褒める時のように優しく撫でてくれた。
そして「ゆかりちゃん、そろそろ立ち上がる時ですよ」と付け加えた。
美恵さんは、わざとあの重い荷物を持たせ、私を遠いカンさんの家まで届けるように言ったのだった。
ただ無心に、重さに耐えて歩いたカンさんの家までの道のりは、私に生きていくための活力を取り戻させ、流れ出る汗に生きているという実感を思い出させ、最後まで諦めずにやり遂げた達成感を得ることができた。
それが、美恵さんの真意だったのだと知った。

「美恵さん、あの箱の中身は何だったんですか?」
「ああ、あれはお漬物の石ですよ」

一瞬、あっけに取られた後、私は「あははっ」と、笑った。
美恵さんも「うふふふっ」と笑った。


そして洋館は二人の明るい笑い声で包まれた。




No.33 13/02/19 19:08
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 32
翌日、美恵さんが私に
「お母様のお骨は、ちゃんとお墓にあります。いろいろなことが落ち着いたら、お墓参りに行きましょう」
と、目を細めて優しく言った。
私は「はい」と、返事をしてから
「母のことまで気にかけて下さって、ありがとうございます」
と、お礼を言った。

「お昼を食べたら、仕立ての者がみえますからね」と、美恵さんが言った。
「仕立て?」
「ええ。ゆかりちゃんの高校の制服をお願いしてあります」
「だいたいのサイズの既製品を買うのではないんですか?」
「いいえ。曽根崎の娘として生きて行くのですから、いい加減なものを身に着けるわけにはいきませんよ」
「あの…、聞いてもいいですか?」
「あら、何かしら?」
「美恵さんって、普通の幼稚園の先生ではなかったんですか?」

美恵さんは、すっと窓の外を見るような素振りをしてから私の方に向き直ると、「‘普通’とはどんなものか分かりかねますが、わたしの父は、あの幼稚園の経営者であり、曽根崎レジャー開発の会長でした」

「そっ…、曽根崎レジャー開発う?」

それは高校生の私でも知っている大企業の名だった。
いくつものホテルなどを経営していて、海外にもレストランなどを持つ有名な会社だ。

「バブルの崩壊で、多少の痛手はあったようですが、その頃に父はもう会長の座を譲り、事業からは撤退しておりましたから、多少の財産を私に残すことができたのですよ」
美恵さんの言う‘多少’とは…いったい…?
私は、黙って美恵さんの言う話に耳を傾けた。




No.34 13/02/19 19:10
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 33
「父と母の間には、子供はわたししかおらず、婿養子の夫を後継ぎにと、わたしは結婚したのですが、夫は裕福な家柄であり、次男坊でそれはずいぶん野放図な性格でした。わたしと結婚したというのに父の会社を継ぐことはしませんでした。ですから、父は会社を諦め会長を退いたのですが、そのおかげでバブル崩壊後の経営の傾きにはほとんど関わりなくいられたのです。会社の方はその後、他社と合併してなんとか持ち直すことができている様子ですが…わたしは父がまだ健在だった頃、父に頼んであの幼稚園で働くことを許してもらったのです。その時に、一番わたしになついてくれたのが、あなた。ゆかりちゃんでした」
懐かしそうにうっすらと口元に微笑みを湛えたままで、美恵さんは思いがけない事を言った。
「わたしと夫の間には、娘が一人いました」

‘いました’って、過去形?

「中学生の時に…亡くなりました」
私は、かける言葉が見つからなかった。

「学校で虐めにあっていたのです。わたしは何度も学校に行き、先生に訴えましたが、たかが子供の悪戯だと、とりあってはくれませんでした。そして、事故が起きました。虐めていた女の子が娘を突き飛ばしたところに走ってきたトラックに轢かれて…即死でした…」

美恵さんの頬には涙がつうと、ひと筋流れた。

私は何も言えなかった。
私の弟は、虐めをした側なのだから…

私も涙が込み上げてきたが、ぐっと堪えた。
虐めの加害者家族である私には泣く資格なんてない。

No.35 13/02/19 19:11
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 34
「わたしも夫もしばらくは泣き暮らしました。ですが、何年も経って、ようやく生きる光を見つけることができたのです」
美恵さんは、私の顔を見るといつもの頬笑みに戻った顔を見せた。
「その、生きる光については、おいおいお話しますね」そう言った。

「美恵さんは、私を憎く思わないんですか?」
「どうしてそう思うの?」
「だって…、私の弟は虐めに加担した側の人間です」

美恵さんは、白い窓枠に近付いて空を仰ぐと「誰にでも、過ちはあります。その過ちをどうやって償うか、そこに真価は問われます。あなたはすでに加害者家族としての制裁を受けています。わたしは、そんなあなたを責め立てるつもりはありません」
振り返った美恵さんは、いつもの笑顔を湛えると「さあ、たくさん歩いてお腹が減った
でしょう。シャワーを浴びていらっしゃい。わたしがお昼の用意はしておきますから」と、何事もなかったかのように言った。

言われた通りに私はバスルームに行くと、シャワーを浴びた。
私は、ここまで親身になってくれる美恵さんが分からなくなっていた。美恵さんの言葉通りに受け取っていいのか、それとも、思慮深い美恵さんには何か別の思いがあるのか、考えたが答えは見つからなかった。

昼食を終えた後、美恵さんは「明日、わたしの自宅に戻りますよ」と言った。



No.36 13/02/19 19:15
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 35
呼鈴が鳴り、仕立屋が来ると私の体のサイズを丹念にチェックし、書きとめていった。

私は黙って、されるがままに腕を水平に伸ばしたり、背筋をぴんと張って立っていた。果ては、椅子に座って、足の型を縁取って、足のサイズもメジャーでいろいろな角度から採寸した。
少し離れた場所のロッキングチェアーに座っている美恵さんは、時折手にした本から目を離し、私を見ては満足そうな笑みを浮かべ、また視線を本に戻した。

翌日の朝、真っ白なロールスロイスが洋館の前に停まった。
運転手の三十代半ばの男は素早く後部のドアを開けて、美恵さんと私が乗り込むと、丁寧にドアを閉め、運転席に回るとエンジンをかけた。
「奥様、ご自宅でよろしいでしょうか?」
「いいえ。その前に寄りたいところがあるの」美恵さんは運転手にデパートの名を言った。

「では、二時にまた迎えに来てちょうだい」
「はい」運転手は返事をすると一礼した。

「さあ、いろいろ買い揃えなくてはね」と、美恵さんが私に言った。「あちらの家では、着る物がわたしの娘のものしかなくて、あなたに嫌な思いをさせてしまったことでしょうね」
「そんな…、申し訳ないとは思いましたが、嫌だとは思いませんでした」
「そうでしたか」

美恵さんは、優しく笑った。


No.37 13/02/19 19:18
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 36
美恵さんがデパートに入ると、すぐにデパートの従業員が二人出てきて
「曽根崎様、いらっしゃいませ」
と、深々とお辞儀をした。

「こんにちは。今日は、この子に合う服を選びにきました」と、私をすっと見てから従業員に言った。
「かしこまりました」従業員はそう言うと「お嬢様、お好みはどういったブランドでしょうか?」と聞いてきた。

「あの…、私は、ブランドとかよくわかりません」

美恵さんは、「とりあえず、グッチと…そうねえ、落ち着いたバーバリーをそれぞれブラウス、スカート、ワンピース、あとはお任せしますから、三十着ほど用意してくだるかしら」
「かしこまりました。サイズは昨日、私どもの者がお測りしたものでお間違いないでしょうか?」
「ええ、それでよろしいです。ブランドは最近の若者に人気の物をいくつか加えてちょうだい。バッグと、靴も適当にお願いしますね。他はお任せします」
「はい、制服は明後日にはお届できる手筈になっております」
「そう、ありがとう。では、ゆかりちゃん、行きましょう」
私は、こんな買い物の仕方など見たことが無く、しかもすべてオーダーメイドって…驚いた。
昨日、制服の採寸に来た人はこのデパートの人だったんだ、と思った。

品よく並ぶブランドの店舗を並んで歩きながら、美恵さんはブルガリに入ると、ショーケースに入っているアショーマという腕時計を指して「これを見せてちょうだい」と、スタッフに声をかけた。ケースから出されたブルガリのアショーマは、シルバーが基調で、橙色のラインが入っている。長方形の文字盤は白く、針も橙色で可愛らしい。美恵さんは、その腕時計を私の左腕にはめてから「いい?あの家では時間は止まっていたけれど、これからは動き出すのよ」そう囁くように言って「これをいただくわ」と言って、歩きだした。スタッフは「ありがとうございました」と言って深くお辞儀をした。
この腕時計があった横には¥525,000という値札が置かれていた。

「ゆかりちゃん、いいですか?これからは一流の人間になるのだから、一流のものを身につけなさい。外見だけでは無く、内面も一流の人間になるべく勉強してもらうつもりです。ですが、あなたの人格は否定しません。嫌なことは嫌だとはっきり言うようにしてください。わたしはあなたではありませんから、何が好きで何が嫌いなのかわかりませんから」
戸惑いながらも、私は「はい」と答えた。


No.38 13/02/19 19:22
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 37
デパートを出ると、近くのフレンチレストランに入った。

ランチの時間にしては少し遅いせいか、ちらほらと食事をしているお客がいるだけで、静かだった。

「いらっしゃいませ、曽根崎様」
店のオーナーらしき年配の蝶ネクタイ姿の男がすぐに出てきてテーブルに案内してくれた。
美恵さんは「お久しぶりですね。今日のお勧めは何かしら?」と聞くと「新鮮なホウボウが入っております」「では、お願いします」

美恵さんは「テーブルマナーも覚えなくてはなりませんね」と、言った。

私は、美恵さんのすることを真似て、ナプキンを半分に折った。
「ゆかりちゃん、ナプキンは、折り目の付いた方を自分に向けて、膝におきます。目上の者が先にナプキンを膝に置いたら、それに従います。食事が終えたら、ナプキンは簡単にたたんで、テーブルの左側に置いて下さい」
と、教えてくれた。そして急に声を潜めると
「もしも、お料理が粗末なものだと思ったら、ナプキンは、きっちりと綺麗にたたんで、テーブルの左角にまたきっちりと合わせて置いてください」
と、少し微笑んで言った。
私も声を小さくして「どうしてですか?」と、聞いた。
「お食事がおいしくありませんでした、しっかりしなさい!と、戒めのサインなのです」
と、また美恵さんは子供のように少し肩をすくめて笑った。たかがナプキン…、こんなにたくさんの意味があることを知らなかった。

こうして、次々に運ばれてくる料理のマナーを美恵さんは、丁寧に教えてくれた。私が恥をかかないように、小さな声で。

デザートが運ばれてきた時に、シェフが席に挨拶に来た。


「曽根崎様、ご無沙汰しております」


No.39 13/02/19 19:24
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 38
「本当に、お久しぶりね。とっても美味しくいただきしました」
と美恵さんが言った。「そうそう、主人のお見舞いをありがとう」
「旦那様のお加減はいかがですか?」
「今のところ、落ち着いております」
「そうですか。こちらのお嬢様は?」
シェフがすっと優しい眼差しで私を見て聞いた。「曽根崎の親戚の由香里と申します」と、美恵さんは嬉しそうに言った。
「そうでしたか。初めまして。シェフの長瀬と申します。お嬢様、お味はいかがでしたでしょうか?」
私は、「とても美味しかったです。こんなに美味しいお料理は生まれて初めてでした!」と、素直に答えた。
シェフは目を丸くして、「それは、それはうれしいお言葉を頂戴いたしました」そう言うと、シェフは満面の笑みを含んだまま、下がった。

私は真剣な目に戻ると、美恵さんに聞いた。
「病院で会った時に、美恵さんの旦那さんが…あの…、癌だとおっしゃっていましたが…大丈夫なんでしょうか?」

美恵さんは、甘味を押さえたザッハトルテをデザートフォークで丁寧に口に運び、目を閉じてその味を堪能する様子を見せてから
「主人は、好き勝手に生きてきた人ですから、思い残すことはないでしょう。誰もがいつかはおしまいの時が来ます。わたしも、ゆかりちゃんも…。だから、今を精いっぱい生きましょう」
と言った。


美恵さんは私の‘大丈夫なんでしょうか?’の問いには答えなかった。
それで、かなり深刻な病状なのだと私は理解した。




No.40 13/02/19 19:27
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 39
二時になり、運転手が迎えにきた。

美恵さんは、一度もスマホなどで運転手に居場所を告げていないのに、レストランを出ると、後部ドアを開けた運転手が待っていた。
あのデパートに行った後は、このレストランで食事をするのが美恵さんのパターンだということを運転手は知っているのだろう。

車に乗ると、「わたしは病院で降ります。それから、ゆかりちゃんを‘ソノハラ’まで送ってちょうだい」と言った。
「美恵さん、私は旦那さんのお見舞いに一緒に行っては駄目ですか?」
「主人は、誰にも会いたがらないのですよ。自由気ままに生きてきた人ですから、弱っていく姿を誰にも見せたくはないのでしょう。ですが、あなたのことは主人に話しておきますからね」と、優しく言った。
「あの…‘ソノハラ’って、どこですか?」
「美容室です。カットは美容師にお任せすると良いかと思います」
「はい…」

病院のロータリーで車を降りた美恵さんは、軽く右手を上げて私を見送ってくれた。
運転手と二人の気まずい車中。
「お嬢様、寒くはないですか?」
「はい」
それだけの会話で、車は‘ソノハラ’に着いた。

とても小さな美容室。
私はそのドアをゆっくりと押した。

「いらっしゃいませ。曽根崎様」

曽根崎…まだ、慣れない。
お嬢様と呼ばれることも、慣れない。

店内にはたった一つしか椅子は無く、だがその椅子は高級感を漂わせていた。
私と同じくらいの年と思える若い男性と、三十を過ぎたくらいの女性の二人がいた。
女性の方が「こちらへどうぞ」と言い、パーテーションの向こう側に私を案内すると、シャンプー台の付いた椅子に座らせ、膝掛けを置いてくれた。
ゆっくりと椅子が反り返っていく。顔には水が掛からないように、ガーゼのような布を掛けた。
丁寧にシャンプーをして、椅子の位置を元に戻すと、タオルで叩くように髪をあるていど乾かすと、「お疲れ様です。では、鏡の前へどうぞ」そう言って、女性はあの高級感のある椅子に私を座らせて、ケープを着せた。


意外にも、鏡の向こうには若い男性が立っていた。



No.41 13/02/19 19:29
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 40
「園原と申します。本日はようこそお越しくださいました」
と言った。この若い男がオーナーだった。その私の表情を読み取ったかのように、
「ご安心ください」
と付け加えた。
心を見透かされたようで、私は申し訳なく思って「ごめんなさい」と、慌てて謝った。
「僕が若いので、驚かれるお客様はたくさんいらっしゃいますから、お気になさらないでください」鏡の中の園原は、にっこりと笑った。「どのような髪型になさいますか?」
私は、美恵さんに言われた通りに「お任せします」と言った。
「かしこまりました」
私の髪は、肩より少し長いくらいの長さだ。少し癖がある。
園原は、軽く髪にブラシをあててから、銀色に光るハサミを腰のポーチから取り出すと、早速カットを始めた。
まるで手品師のような早いハサミの動きに、私はただ見とれていた。
園原は何も語らず、真剣な目でハサミを巧みに動かし続けた。

「シャンプー台へどうぞ」
園原の声に、我に返った。
私の髪は、あっと言う間に耳が隠れるくらいの長さになっていた。
先ほどの女性がシャンプー台で髪を流してくれた。良い香りが私の鼻をくすぐった。

「これは、何の香りですか?」
「これは当店オリジナルのトリートメントです。ハーブが入っていて、血行を良くするのと髪を紫外線から守る効果、そして艶を持続させる効果もあります」
とても心地が良い…

鏡の前にもう一度席を移すと、園原がブローしてからワックスを付けた両手で私の髪をそっと持ち上げるようにセットしてくれた。
園原は、私の癖のある髪の特性を生かして、ふんわりとしたボブカットにしてくれた。鏡の中の私は、大変身していた。
園原は鏡を持つと、後の方まで見せてくれた。少し首筋が覗く長さだ。「いかがですか?」満足した私は、「とても気に入りました」と答えた。

立ち上がり、ポケットから財布を取り出した私に、園原もアシスタントの女性も戸惑った表情を見せて、慌てて「お代は奥様から頂いております」と言った。


デパート、レストラン、そしてこの美容室…
私は美恵さんがお金を支払う姿を一度も目にしていない。
お金持ちって、これが普通なんだろうか…


No.42 13/02/19 19:31
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 41 「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」

そう言って店を出ると、ここから…どうしよう?と、迷った。
が、すぐに車が目の前に停まり、運転手がさっと降りてきて後部のドアを慣れた手つきで開けた。
「あ…、ありがとう…」
運転手は、私を見ると「とてもお似合いです」と、言ってくれた。
運転席に乗り込んだ運転手は「これから病院に奥様をお迎えに参ります」と、言った。
「あの…、私はあなたを何と呼べばいいですか?」
「私は、矢島と申します」
運転手は名乗った。

病院に着き、美恵さんが車に乗り込むなり私の髪型を見て、「まーあ、可愛らしくなって…」と、嬉しそうに笑った。
なんだか恥ずかしくて、私は思わず下を向いた。

美恵さんの自宅は千葉県のA区にあった。
高層マンションの最上階のワンフロアが自宅だった。
「お帰りなさいませ」
出迎えたのは、地味ではあるが品のあるベージュのワンピースに山吹色のカーディガンを着て、長い髪は後ろで束ねてある四十代前半と思える女性だった。
「ただいま。これが由香里です。ゆかりちゃん、この方は家政婦の佐伯春江さんといいます。これからあなたの教育係りにもなります」美恵さんはそう言って佐伯さんを紹介してくれた。
「佐伯です。よろしくお願いいたします」
「こ…、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、たどたどしく挨拶を返した。
「お嬢様‘お願いします’ではなくて‘よろしくお願いいたします’の方がよろしいかと思います」佐伯さんは、私に早速注意を促した。だが、それはとても柔らかい言い方だった。


No.43 13/02/19 19:34
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 42
「はい。よろしくお願いいたします」
と、言い直した私を美恵さんはいつもの笑顔で見てから、
「わたしは少し疲れたので、休みます。佐伯さん、ゆかりちゃんに家の中を案内してあげてください」と言って「ゆかりちゃん、ではまた夕飯の時に…ね」
と言った。

病院で車に乗った時の美恵さんは笑顔で私の髪型を褒めてくれたが、とても疲れた顔色をしていた。
旦那さんの容体が悪いのだろうか…。私は心配になったが、何も聞かなかった。

「では、こちらへ…」佐伯さんが私に部屋を案内してくれた。
これまでいた洋館と似たヨーロッパ調の家具が嫌味なく揃えられていた。
三十人くらいは余裕で寛げるリビング。
広く、暖房の付いたバスルーム。

「ここがお嬢様のお部屋です」佐伯さんが開けたドアの向こうには、ゆったりとした空間が広がっていた。
南向きの窓からは、陽が差し込んでいる。
勉強机、ソファー、テーブル、テレビ、ウォークインクローゼット、その向こうの部屋には大きなベッドがあった。
部屋の中には、トイレとバスルームもある。
「足りないものがあれば、仰ってください」
「あの…」
「何か必要な物が、ございますか?」
「いえ…、私のことを‘お嬢様’と呼ぶのは、決まり事でしょうか?」
一瞬考えた佐伯さんは「決まりではありません」と答えた。
「では、由香里と呼んでください」
「かしこまりました。由香里様」
「あの…」
「他に何か?」
「えっと…、‘様’って、どうしても付けるものなんでしょうか?」
「由香里様は、どのように呼んで欲しいとお考えですか?」
「‘由香里さん’では、ダメですか?」

「かしこまりました。由香里さん」
佐伯さんは、そう言うと私を見て微笑んだ。そして、
「お話の前に‘あの…’や‘えっと…’と仰るのは、直された方がよろしいかと思います」
と、付け加えた。
私は素直に
「はい」
と返事をした。




No.44 13/02/19 19:35
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 43
ソファーに向かい合わせに座ると、佐伯さんはテーブルに「これが、由香里さんのスケジュールです」そう言って、A4サイズの紙を広げた。

月曜日:下校後、五時から七時まで宿題と予習。英語のレッスン。夕食後、ピアノのレッスンを一時間。
火曜日:下校後、五時から七時まで宿題と予習。茶道のお稽古。夕食後、ピアノのレッスン一時間。
水曜日:下校後、五時から七時まで宿題と予習。テーブルマナーのレッスン。夕食後、ピアノのレッスン一時間。
木曜日:下校後、五時から七時まで宿題と予習。合気道のお稽古。夕食後、ピアノのレッスン一時間。
金曜日:下校後、五時から七時まで宿題と予習。お花のお稽古。夕食後、ピアノのレッスン一時間。
土曜日:朝食後、読書二時間。昼食後、宿題と予習二時間。夕食後、ピアノのレッスン一時間。
日曜日:朝食後、読書二時間。昼食後、予習と復習二時間。夕食後、ピアノのレッスン一時間。

※雨天を除く毎朝、六時起床。一時間のジョギング(紫外線対策をすること)
※外出の際には、必ず行先を言うこと。門限は十八時。



「これって…、友達と遊ぶ時間もないじゃん…」
「これが、曽根崎家のお嬢様にふさわしい生活です。それから‘これでは、友人と遊ぶ時間がありません’が、正しい言い方です」
「はい…」

「では、由香里さん。来週から高校に登校されることになっております。送り迎えは矢島が致しますので、ご安心くださいませ」


「はい…」


No.45 13/02/19 19:37
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 44
翌日には、弁護士が来た。

曽根崎家との時別養子縁組を交わし、私は多田由香里から正式に曽根崎由香里となった。
夕食の時、「美恵さん、私は‘美恵さん’と、これまで通りに呼んでいいのでしょうか?」と聞いた。
「あなたはどう思うの?」
「私は、もし良ければ…お母様と御呼びした方がいいのかと思いました」
「どうして?」
「今日、弁護士さんがいらした時に、私が‘美恵さん’と呼ぶのを不思議そうに見ていました。これから、ご一緒にお出かけすることもあると思います。ですから曽根崎を名乗る私が‘美恵さん’と御呼びしては他の方に違和感を持たれるのではないかと思いました」
私は、ゆっくりと言葉を選びながら丁寧に話した。
スープを運んできた佐伯さんは、満足気な表情を示した。
「気を遣ってくれてありがとう。でも、わたしではあなたのお母さんにしては、少し年を重ね過ぎています。それでは‘おばあ様’ではどうかしら?」
「えっ!先生のことを‘おばあ様’だなんて…」
「ふふふ…、すっかり年を取って、おばあちゃんなのですから、それで構いません」
「それでは‘おば様’と呼ばせて頂いてもいいでしょうか?」
「分かりました。あなたのお好きなように御呼びなさい。さあ、スープが冷めてしまいますよ」
「はい、おば様」
美恵さん…いや、おば様と佐伯さんは私に柔らかな笑顔を向けてくれた。


そして、制服が届いた。
「おば様!」
リビングでくつろいでいるおば様の前に制服姿を見せに行った。
「まあ、良く似合っていますよ」
傍に来た佐伯さんも「由香里さん、とってもお似合いですね」と言ってくれた。
おば様が「明後日から、いよいよ登校ですね。ゆかりちゃん、明日はお母様のお墓に行きませんか?」と言った。


お母さんの…お墓…


「はい…」


No.46 13/02/19 19:39
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 45
母の墓は、曽根崎家の墓の敷地内にひっそりとあった。

和服姿のおば様が「ここよ」と、案内してくれた。

制服姿の私は、曽根崎家の墓も含め、多田雅代と刻まれた墓の周りをほうきで掃き、水を掛けて墓を綺麗に磨いた。
母の墓石に打水をして、花立に生花を添えて、水を注いだ。
半紙の上に和菓子を置き、ろうそくと、お線香を手向けた。

全て、昨日の内に佐伯さんが私に教えてくれたことだった。

私は、母の墓石の前で手を合わすと、
「お母さん、来るのが遅くなっちゃってごめんね。こちらの方は、曽根崎美恵先生よ。お母さん、覚えてる?ほら、幼稚園の時の先生。私は、今は曽根崎の姓を名乗っているの。だって、あんなことがあったから…。お母さん、分かってくれるよね?見て。新しい制服。明日から、新しい高校に行くの。私、ちゃんとがんばるから。だから…だから…お母さん、私を見守っていて…」
言葉に詰まった。

おば様が、私の横にしゃがむと、母の墓に手を合わせてから私の背中をさすった。

「ゆかりちゃん、泣いていいのよ」
「だって…。私には泣く資格なんて…」
「いいのよ。ゆかりちゃん…」


私は、胸の中に詰まっていたものを一気に吐き出すように嗚咽した。
「お母さん!どうして死んじゃったのよお!」
おば様は、何も言わずにずっと私の背中をさすっていてくれた。



冬が終わりに近づき、少し早い春の日差しがそっと私を包んだ。


No.47 13/02/19 19:42
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 46
「行って参ります」
「はい、行ってらっしゃい」

おば様と佐伯さんが、玄関まで見送りに来てくれた。
マンションの一階まで降りると、エントランスからロールスロイスの後部ドアを開けて待っている矢島さんの姿が見えた。

「おはようございます。お嬢様」
「おはようございます。矢島さん」

私は車に乗り込むと、「矢島さん、私をお嬢様って呼ぶのはやめてください」といきなり言った。
車を発進させようとした矢島さんは、慌ててブレーキを踏むと「では、なんとお呼びしましょうか?」と、振り返って聞いてきた。

「私の名前は由香里です」
「はい、由香里様」
「‘様’は嫌です」
「由香里…さん?」
「はい」

佐伯さんと初めて話した時の再現のようだった。


私は、佐伯さんの提示したスケジュールに従って、今朝は六時に起きて、一時間
のジョギングをした。
私が玄関先でスニーカーを履いていると、「さあ、行きましょうか」と、後から佐伯さんがトレーニングウェア姿で首にはタオルを巻いて、立っていた。
「佐伯さんも?」
「もちろんです」
爽やかな朝だった。

一時間のジョギングは、かなりきつかった。
運動不足が身にしみた。
帰ると、シャワーを浴びてあの美容師の園原さんがしてくれたように、髪をドライヤーで乾かしてから、ワックスを手に取って、ふんわりと持ち上げてセットした。
制服を着て、朝食の席に着いた。

「いよいよ、ですね」
おば様がそう言った。
「はい、いよいよです」
そう答えた。




「由香里さん、由香里さん」
え…?

私は目を覚ました。
運転席の矢島さんが体を捻って、私の方を向いて声をかけていた。
ジョギングの疲れのせいか、寝てしまったらしい。

「由香里さん、高校に到着しました」
矢島さんが、運転席を出て、いつものように後部ドアを開けてくれた時、
「あの…、由香里さん…」
声を小さくして「お口に…、よだれが…」
私は、顔を真っ赤にしてポケットからハンカチを出すと、口元を拭った。
「どう?」
矢島さんに聞くと「大丈夫です」と言われて一安心。

私に学生鞄を手渡すと、「行ってらっしゃいませ」そう言いながら矢島さんは深くお辞儀をした。

No.48 13/02/19 19:45
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 47
他の学生がたくさんいる。
「ちょっと、恥ずかしいからやめてよ」

「何が恥ずかしいのですか?」
そう言われて、周りを見るとあちこちで高級車から降りた女子高生に運転手達がそれぞれ頭を下げていた。
いわゆる、お嬢様高校なんだ…と、やっと気が付いた。



「転校生の曽根崎由香里さんです。曽根崎さん、ご挨拶を…」
教室の黒板の前に立たされた私は、「曽根崎由香里です」と言って、頭を深く下げた。「もうすぐ二年生になるので、二か月だけですが、よろしくお願いいたします」
佐伯さんに習ったように‘お願いいたします’と、はっきり言ってほっとした私は、次の瞬間、唖然とした。
なぜだか、クラスのみんなが揃って、クスクスと笑っている。
あ…、よだれがまだちゃんと取れて無かったか!
慌てて、手の甲で口元をごしごしとこすった。
その姿を見て、クスクスの笑いは更に大きさを増した。
担任の先生が、慌てて「曽根崎さんは、転校してこられたばかりですから、この高校のことを知らなくて当たり前ですよ」大きな声でそう言うと、教室は静かになった。
後ろの方の一人の生徒が立ち上がり、
「みなさん、謹んでください」
と言った。真っ直ぐな長い黒髪で、お人形のように目の大きな綺麗な女子だった。
「私は、園田佳奈美です。この高校は、一年から三年の卒業まで、ずっとクラス変えは無いんです。私はこのクラスの委員長ですから、分からないことがあれば何でも聞いてきてください。よろしくお願いいたします」
そう言って、伸ばした姿勢を崩さずに、綺麗な姿でお辞儀をした。

すると、次々に誰彼が立ち上がり、「私は黒木菜穂です」「私は円城寺由紀です。よろしくお願いいたします」「私は戸田茜と申します」と、皆が挨拶を返してくれた。


いきなり全員の名前を覚えることはできなかったが、クラス委員長の園田佳奈美の名だけは、はっきりと頭に残った。

最後に、担任の女の先生が「私はこのクラスの担任と、一年と二年の古文の教師、舛崎美由紀です」と、笑顔の挨拶を終えると、一斉に拍手が沸き起こった。
舛崎先生は、「後の空いている席を使ってください」と言った。


No.49 13/02/19 19:46
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 48
それは、園田佳奈美の隣の席だった。

私は、座る時に軽く園田佳奈美に会釈した。
園田佳奈美も、笑顔で返してくれた。
朝のホームルームが終わり、舛崎先生は教員室に戻った。
すると、すぐに私の席は囲まれて「ねえ、どこから引っ越してきたの?」「曽根崎さんって、あの曽根崎グループと関係あるの?」口々に聞かれた。
転校生は、この高校では珍しいそうだ。
「私は、父の仕事の都合でアメリカに住んでいました。最近、日本に帰国したばかりです。曽根崎の元会長は、私の叔父です」
予め、佐伯さんと決めておいた私の自己紹介をした。
嘘で塗り固められた私…。

一時限目は英語の授業だった。
私は緊張した。
アメリカ帰りなのだから…。
屈強そうな英語教師は、いきなり私の名を呼んで、「曽根崎さん、三十二ページを最初から読んでください」と言った。
静かな教室内が、誰もが息を潜めて私の英語力を試すように、耳を欹てて更に静けさを増したように感じた…。
私は静かに椅子の音を立てないように立ち上がると、教科書を両手で持ち、その英文を読み始めた。

I passed one day happily today. I t was glad that the childhood friend who met after a long time had not changed.

「はい、そこまで」
ようやく、英語教師はストップをかけてくれた。
囁き声で「すごいね」と、あちこちから聞こえた。

夕べ、遅くまで佐伯さんと英語のレッスンをした甲斐があった…。
佐伯さんは、大方この辺まで授業は進んでいるだろうと踏んで、徹底的に教えてくれた。
ほっと胸をなでおろした。
椅子に座ると、刺さるような視線を感じ、隣を見たが園田佳奈美は真っ直ぐに黒板を見ていて、視線は気のせいだったのだと思った。


No.50 13/02/19 19:48
中谷月子 ( ♀ ezeSnb )

>> 49
お昼休憩は、食堂…というよりも、レストランのような部屋で食事をとることになっている。
ビュッフェ形式になっていて、ワンプレートに、好きな物を各自選んでよそっていく。

私は、ポテトサラダと、茹でたブロッコリー、人参のグラッセ、チキンのハーブグリル、パイナップル、フランスパンをひと欠け、それらを皿に盛って、コンソメスープをスープカップに注いだ。
片手にはプレート、もう一方にはスープカップを持って、空いている席を探し見回した。
空席を見つけ、テーブルに着くと各テーブルにはお箸とフォークやナイフが籠に入って置いてある。
ハンカチを取り出して、膝に置いた。ナプキンの代わりだ。
籠からフォークとナイフを取り出しポテトサラダを一口…「ここ、座ってもいいかしら?」ふいに話しかけられて、ゴクンとサラダを飲み込み、ハンカチで口を拭くと「どうぞ」と言った。
声をかけてきたのは、園田佳奈美だった。
他に、二人いたがその二人の名前はまだ覚えていなかった。
園田佳奈美が私の隣に座り、あとの二人は向かい側に座った。
向かい側に座った一人、肩くらいの長さの少し茶色い髪をした方が、「曽根崎さんって、さすが帰国子女よね」と、早速声をかけてきた。
一夜漬けでも、なんとかなるものだと思ったと同時に佐伯さんに感謝した。
「私のおじいちゃま、イギリス人なのに私ったら英語が苦手なのよねえ」そう言われ、髪が茶色っぽい理由が分かった。
もう一人の眼鏡を掛けた方が「遠藤さんって、クウォーターなのよ」と、教えてくれた。
茶髪が、遠藤さん…と、頭で反芻した。
眼鏡の子が「ねえ、曽根崎さんってどこの美容室に行ってるの?」と、急に聞いてきた。
遠藤さんが「曽根崎さんは、帰国したばかりだからまだ美容室は決めてないんじゃない?」と言った。「でも、カットしたてっぽい感じだと思ったんだけどな…、真田さんはどこの美容室?」「私?私はルフールよ」「ああ、最近出来た店ね」「そう、けっこう感じが良かったわよ」
この会話で、眼鏡を掛けているのが真田さんだと知った。
「ねえ、曽根崎さん。日本でカットした?」

「ええ。少し前にソノハラで…」

「ホントに?」
「ええ…」

「すごーい!」

何が…、すごいんだろう…


  • << 51 近藤さんが 「ソノハラって、半年くらいの予約待ちでしょう?一日に三人くらいしかお客を受けない店で、イケメン美容師がいるって聞いたことがある!」 と、興奮気味に言った。 真田さんも驚いた表情で、「ねえ、私も予約できるかな?」と聞いてきた。 「無理よ、言ったでしょう?ソノハラは半年の予約待ちなんだから」近藤さんが、繰り返し言った。 真田さんは「だからあ、曽根崎さんの口利きで…」それに便乗したように「それなら私も…」と、近藤さんまでが言いかけた時に「おやめなさい」園田佳奈美が静かに言った。 「今日、転校してきたばかりの方に、無理なお願いをするなんて失礼よ。もし、半年待ちなら横入りみたいなズルはしないで、ちゃんと予約して順番を守るべきじゃないかしら?」と、理路整然と言い放った。 二人はつまらなそうな表情で、プレートに乗った食事をもそもそと黙って食べ始めた。 やだな…、なんだか雰囲気が悪くなっちゃったな。 「ダメかも知れないけど、おば様にお願いしてみます」私は、つい言ってしまった。 二人は、ぱっと明るい表情になった。「うわあ…、楽しみ!」「本当に、ダメかもしれないから…」「うん、分かったわ」二人は口を揃えてそうは言ったものの、もうソノハラに行けると思い込んでいるのが見て取れた。 園田佳奈美はもう何も言わず、鈴かに食事を続けていた。 午後の授業も終わり、私が校門をくぐるとそこには矢島さんが待っていた。 「おかえりなさいませ。由香里さん」と言って、ドアを開けてくれた。 「ただいま」 運転しながら、矢島さんはルームミラーで私の顔を見て、「どうかされましたか?」と聞いた。 「ううん。何でも無いの」 私は、今日のお昼に真田さんと近藤さんに頼まれたソノハラの予約のことを考えていた。 園田佳奈美が言ったことは、尤もなことだとも思うし、一方ではこれから卒業まで同じ顔ぶれで送る高校生活のために、真田さんや近藤さんと仲良くしたいとも思う。
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