神社仏閣巡り珍道中・改
[神社仏閣珍道中] 御朱印帳を胸に抱きしめ
人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く、本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。
ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!
┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間です。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことのない人間です。
そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねいたします。
そして┉相も変わらず、作法のなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。
神さま仏さま、どうかお導きください。
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群馬県みどり市の東町花巻というところにある【祥禅寺】さんは、埼玉県にある興禅寺さんというお寺さんの末寺に当たるとのことですが、この花輪には三つの末寺を持つお寺さんです。
ご本尊は延命地蔵菩薩さま。
大同年間(806〜823)、赤城山麓の二の鳥居に開創され、建久年間(1190〜1198)にこの地に移設されたとのことです。
なんでも、祥禅寺さんには、流行の風邪が治るといわれる『綿神様』という神さまがお祀りされているようだったのですが、亡くなられたご住職にお手を合わせるためと山門をくぐらせていただいたため、境内をうろうろするのはどうかと思い、御本堂と太子堂、それから石仏さまと金仏さまをお参りしただけにとどめ、綿神さまがどちらにおられたのか分かりませんでした。
この地の出身で童謡の父と呼ばれる『石原和三郎』氏もここに眠られているとのことであります。
そんな祥禅寺さんの境内、山門を入ってすぐのひだりてにうろうろしなくとも目に飛び込んでくる、そんな巨大なモニュメントがありました。
古い墓石を集め、まるでピラミッドのように組んで、そのてっぺんにお地蔵さまと思われる石仏さまが祀られていました。
隣にある庁舎とほぼ同じ高さですので、三階建ての、公共の少し天井の高い建物と同等の高さということになろうかと思います。
こういったモニュメントはみどり市の東町や桐生市の黒保根辺りでは見かけることがあるのですが、こちらではこの塔を『無円塔』と呼ばれているようです。
墓石の他に石仏さまや石灯籠などもバランスよく組まれてあります。
『無縁仏を集めた霊地』とも表現されておられます。
また、個人の墓所にご先祖の供養とためとのことで建立された丈六の大仏さまが祀られていました。
モニュメントも目をひきますが、私はどちらかというとこの大仏さまが目につき、なおかつ建立された方とその目的を知り、びっくりいたしました。
いろいろな供養があるものです。
ご住職を失われて、すっかり静まりかえった境内にはさまざまな色の牡丹の花が風に揺れていました。
華やかな花であるはずの牡丹がなんだかとても寂しげでありました。
「ギンリョウソウって珍しい花が咲いているの、ご覧になった?」
ウォーキングによく行く地元の低山を歩いていて同年輩の女性に不意に声をかけられました。
「えっ、も、もう一度お願いできますか?」
「ギンリョウソウ、っていうの。珍しいから是非見たほうがいいわよ」
「ありがとうございます」
と、その方はわざわざ道を戻ってくださって、ギンリョウソウの咲くところへと案内してくださいました。
…。
…ニョロニョロ?
「ユウレイダケとも呼ばれるのよ。馬の立髪に見えるっていう人もいるらしいわ」
…私はニョロニョロに見えます、とは言えなかったですが。
ギンリョウソウは銀竜草と書くようです。
名前の由来は白く光りまっすぐに伸び、首をかしげたような姿が銀の竜のように見えるから、だといいます。
確かに。
形はタツノオトシゴとよく似ています。
薄暗い林の中、木の根元に張られたロープの中で、ニョロニョロの集団がいくつか。
この低山、実は数々の花の咲く花の名所なのだそう。
まるで知らなかったです。
気づきもしなかった。
花言葉は「はにかみ、そっと見守る」。たしかに林の中、うつむく姿はたしかに、はにかんでいるようにも見えます。
私に言わせると、…ニョロニョロが、なんですけど、ね。
こちらのお山。
実は小さな祠があって、北向観音さまと呼ばれています。
いつもお花やら飲み物がお供えされています。
この、ギンリョウソウを教えてくださった方にお会いできたように、
この北向観音さまのいわれをご存知の方にいつかお会いできる日はくるかしら。
出不精で人混みの嫌いな珍道中ペア。
このゴールデンウィークはどこもかしこも混んでるようでしたので、私どもは、のんびりゆったり過ごそうという計画を立てていました。…それを計画というかどうかは定かではないのですが…。
アウトドアチェアを持って出ては行った先でのんびりゆったり。
川のせせらぎや鳥の声。
滝の落ちる音を聴きながら、のんびりゆったり。
石仏さまや道傍に建つお堂を訪ねて手を合わせて。
そんな日々を過ごしておりました。
群馬県みどり市東町花輪の辺りはそういう石仏さまやお堂があり、田植え前の田や葉の色を濃くしつつある果物の樹木、路端に咲く草花を見ながら歩いて、お堂や石仏さまをお訪ねいたしました。
群馬県みどり市大間々町にあります阿弥陀堂にも参拝いたしました。
この阿弥陀堂は、この辺りにあった高津戸城との関係の大変深いもののようで、以前書かせていただきました要害神社さんのある要害山の麓となっており、その要害神社さんこそがその高津戸城のあった城跡そのもの、であります。
高津戸城は後三年の役のあと、寛治ニ(1088)年に山田氏が築いたと伝えられています。
ちなみにこのみどり市大間々町は平成の大合併以前までは『山田郡大間々町』。
この山田郡という名称はここから来ている…のではないかなぁと私は思っているのですが。
合併により、歴史あるものがいくつも失われていきましたことを、なんとも切ない思いで振り返る私でありますが、もともとそんなには(いや、むしろまるで)歴史に詳しくない人間。
地元を愛する方々、歴史に詳しい人たちはどんなに悔しく歯がゆい思いをされたことでしょう。
そんな山田氏により二百数十年にわたりこの高津戸の地は治められていたのですが、南北朝時代の観応ニ(1351)年、桐生国綱に攻められて滅亡してしまいました。
この阿弥陀堂に安置されておられる阿弥陀石仏さまこそが、この山田氏のものであったと伝えられているものであります。
阿弥陀堂のそばにある凝灰岩製の大きな五輪塔も山田氏のものであると伝えられます。
年一回四月に、こちらのお堂を管理されている群馬県みどり市大間々町の『自音寺』さんが御開帳され法要を営まれているようです。
山田氏に由来して山田郡大間々町であったのか、もともと山田という土地であったから『山田』を名乗ったのか、前レスを投稿してから、(あれ?もしかしたら…?)と思ったり。
そもそもが山田氏のゆかり自体がよく分かってはいないということであるといい、まぁ、分かっていないことをあれこれ考察したり調べたりするのが、歴史のロマンなのかもしれません。
そんな二百数十年続いた山田氏が滅んだと言われるのが天正六(一六五一)年六月のことであるといわれています。
その後この高津戸城に『里見家』の七代義連の三男『氏連』。
氏連が『仁田山八郷(高津戸、須永、東、西小倉、上、中、下仁田山、名久木)』 に入ったのは、建徳二年(一三七一)であったといい、『桐生国綱』の娘が氏連の正室となりその縁で仁田山八郷を国綱から任されたのだといいます。
仁田山城は、以前は山田氏の居城であったといい、仁田山里見氏と呼ばれたといいます。
その氏連より四代後の『宗連』は、越後の『上杉謙信』に攻められ自刃したといい、それが天正二(一五七四)年のことであったといいます。
…何故?
その辺、私が調べたものではわからなくて。
うーん、戦国の世は、その名の通り、国取りのため人が簡単に殺されていたし、戦略、戦さばかりの世であったからなぁ。
そんな頃、房州の里見実尭(勝広)は、仁田山に住む一族の宗連の許しで身を寄せていたといいます。
宗連の没後桐生に移って桐生氏の客分となったのですが、実尭は二人の子ども『勝政』と『勝安』を上杉謙信に託します。
…ここでまた、身を寄せていた仁田山里見氏が謙信に攻められ自刃したというのに?という疑問が。
この辺を歴オタの夫に聞いたところ、
「よくわかんないんだよな、実は。その辺の歴史って、調べてみると史実と異なることが結構あるんだよね」とのことで。
なるほど…。
ま、歴オタの血に火がついたようで、仕事の昼休みに「調べてみる」と夫。
…いや、そんなにまで調べなくとも。
みんな説明している人が触れない、濁しているところをみれば、やはりよくわからない、というのが正しいところ、なのでしょう。
ところがこれが、
『上杉謙信』に二子を預けたことが『桐生親綱』に誤解され元亀元(1570)年に、詰め腹を切らされることとなります。
上杉謙信の元にいた兄弟『勝政』と『勝安』は親の仇を討ちたいと天正四(1576)年に、謙信の援助を受けて高津戸城に入ったといいます。
実はその間に桐生氏は由良氏に討たれ滅亡してしまいましたが、父を陥れ自害させた桐生氏の家臣は由良氏に残っていたため、その翌年『用命の砦』を襲います。
しかしながら念願果たせず、由良国繁の怒りを受けることとなり、天正六年、勝安(二十五歳)は討死、
兄勝政(二十八歳)は城兵の助命を条件に自刃したといいます。
その里見兄弟の墓や山田氏の墓がこの高津戸城のあった『要害山』のふもと『阿弥陀堂』に静かに眠っていると伝えられており、阿弥陀堂の向かって右側にはたくさんの墓石が身を寄せ合うように並んでおります。
また、兄弟二人の戒名の彫られた大きな石碑がこの阿弥陀堂の入り口にそびえています。
この房州里見氏こそが、かの【南総里見八犬伝】のモデルとなったあの里見氏で。
私どもと、それより少し上の世代が夢中になって観たテレビ人形劇【新八犬伝】はこの南総里見八犬伝をもとに作られております。
こんなに身近なところに、里見氏が、そしてここで滅亡していたなんて…。
当時の私は、…どころかこの神社仏閣巡り、珍道中を始めるまで知りもしなかったこと。
うーん、歴史って、…深いなぁ。
そうそう、その【新八犬伝】で、誰もが忘れられないキャラクター、『玉梓』の人形を、昨年日テレの番組のおかげで、桐生市で見ることができたっけ。
つながって…はいないか。
しかしながら。
追記させていただくならば、この里見兄弟の悲話は近世期に作られた戦記物語に登場する史話であり、確実に存在したという史実は見あたらないのだといいます。
里見兄弟に関する唯一の遺跡として、この阿弥陀堂の墓地が存在しています。
五輪塔の数は約三十数基分、それ以外に宝篋印塔、永禄年号の石殿等があり、中世の武士団の墓地であることは間違いないであろうとされるのみで、里見兄弟の墓と称される五輪塔も『逆修 天正六季 随見」「道壽 八月廿九日」と刻まれているとのことなのですが、みどり市の教育委員会の調べによると、
これらの五輪塔は凝灰岩製であり、形式的には鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、時代が一致しないのだといいます。
こういったことから、里見兄弟にまつわる史話は伝承の域を出ないものであるということを、伝えておかねばならないと思い、追記しておきます。
私は里見兄弟の話を信じている一人なのですが、ね。
夫は「そういう説があって、俺が読んだ関八州の本にも書かれていたけれど、山田氏ののことか、仁田山里見氏とかは出てこなかった。
このあたりの歴史は立証されることもなかなかないし、『わからない』というのが正しいんだと思うよ」
と。
ちなみに。
余談ではありますが、あの城好きで有名な、【笑点】の司会者、春風亭昇太師匠は、この高津戸城の城跡、要害神社を訪ねているとのことでしたよ。
…すごいなぁ。
私などここ数年の間にようやく、
そういった歴史があったことやら、幼稚園の時バス旅行で来た『ながめ余興場』のすぐそばの橋を渡って左側にそびえる山にお城があったことを知ったばかりだというのに。
その『ながめ余興場』にお仕事でみえて、地図にある『要害』という土地名から、城跡であろうと推測して
お仕事の前に登った、というのですから。
私よりも年上の昇太師匠、お若いなぁ。
NHK大河ドラマ「どうする家康」の木彫りのウサギさん。
この七日の放送にも登場したようです。(あとで見なくては♡)
素朴で可愛らしくて好きなのですが、実はあのウサギの彫刻、群馬県前橋市出身の仏師の方が彫られており、主演の松本潤さんに木彫りの演技指導もされています。
関侊雲(本名・勇一郎)さんは仏師の道に入られて約30年となられるとのこと。
現在は、富山県にお住まいで、富山県南砺市に主な工房を構え製作活動、弟子の育成をされておられますが、群馬県内にも二か所木彫教室をお持ちになられています。
以前からこちらの教室に通いたかった私だったのですが、近くの教室は曜日の都合がどうしてもどうしてもつかないため、泣く泣く諦めたもので。
関侊雲先生のお仏像や木彫、仏画は前橋市や高崎市のお寺さんで拝見することができるのですが、どれも心打たれぽあぁっとしばし立ち尽くす私。
木彫りのウサギは少年の頃の家康が彫ったものということで、あのような素朴なものになっていますが、素朴なものであっても均整のとれたものとなっていますよね。
あれを初めて見たとき、(家康、うますぎじゃない?)と思ったくらいでしたので。
第一話では、松潤演じる少年期の家康が木を削ってウサギの木彫りを作るシーンであったため、少年という設定に合わせて身体を小さく見せる構えなども教えられたといいます。
また松潤に基本的な彫り方も教えておられ、
「(松潤は)思った以上に手つきが上手だった。一生懸命、練習をされるので、(けがをしないか)不安だった」と振り返っておられました。
引き続き今後もドラマのために新たに製作した作品も登場する予定だといいます。
侊雲先生は「松本さんやスタッフの方と話し合いながら、その時その時の心情に沿った手つきや気合を模索していきたい」とおっしゃっておられました。
うーむ。
…少しだけ遠いけれど、やっぱり侊雲先生の教室に通おうかなぁ。
あ、ちなみに私は松潤のファンではなく、あくまでも侊雲先生のファンなので。
午前中、気持ちのよい青空が広がっていました。
家の者が使っている敷布団全てと毛布やらを干し、うーんと一声唸ったのち。
生垣の柘植と、灯台躑躅を刈って、それからそれを全てゴミ袋につめて。
遅めのお昼ごはんを食べていましたところ…。
大きな羽音の羽虫が。
殺虫剤だぁ!と立ち上がり、何気に窓の外を見ると。
あの青空はどこはやら、今にも雨が降りそうな空であります。
慌てて布団をしまい、洗濯物をしまった途端に、サラサラと雨音がし、
すぐにザーザーという雨音へ。
ようやく落ち着いて、今さらと思いつつ羽音の主を探しましたがどこにもいません。
神さまか仏さまが羽虫を使って私に教えてくださった?
本当にそう思えたタイミングでありました。
ん?
えっ?雷!!
雷電神社さまの雷よけの御守、御守!
雷よけの御守がいつもバッグに入れてあるくらい私は雷が大の苦手。
今年は雷よけのお札もお受けしようかしら。
群馬県板倉町に鎮座する【雷電神社】さんは、関東地方に多い『雷電さま』の総本宮です。
そういえば昨年はお詣りしていなかったかもしれない。
こちらは『聖徳太子』さまにより創建されたと伝わります。
徳川綱吉公が社殿を再建しており、屋根にはあの徳川家の『三ツ葉葵』の紋章がみられます。
特記すべきはこちらの社殿に施されたなんとも美しく見事な彫刻であります。
実に精巧な彫りであります。
あぁ、行きたい!
こちらの神社さんの境内には、群馬県最古といわれる木造建築物であります、『八幡宮稲荷神社』さんがあり、さらにこちらは全国で七ヶ所しかないという珍しい造りの建物であります。
扉の真ん中に一本柱が立っている『二間社造り』と呼ばれるものだといいます。
…などとあれこれつぶやいている間に、雷電神社さんの御守が雷を去らせてくださいました。
なんと霊験あらたかなことでしょう。なんとありがたい事です。
今年はぜひお詣りさせていただかねば!
…そうして…館林名物の『鯰の天ぷら」をいただけたらなぁ。
最近、なかなか遠くの神社さんやお寺さんに行けていない。
一人で行くことも減っています。
…えっ?
運転技術的にとか致命的な方向音痴のせいで、行けないのでは?…
あうあぅ…。
いやいや、行けないところが多い、というだけで、道を覚えた、山道でもない、高速を使うわけでもない、秩父とか、行けるところはあるにはあるのです。(たぶん…)
ただ、やはりコロナが大きなブレーキをかけたかもしれません。
慢性の呼吸器疾患を持ち、毎月の受診が欠かせない夫にはコロナ罹患はできうる限り避けたいこと。
それと…。
以前にも書いたのですが。
まだ訪れたことのない神社仏閣に私が一人で訪ねようものなら、すぐさま直近で予定を立て、そこに行く夫。
一人で行ってくれるならとにかく、私も一緒。へたをすると数日後同じところへ行くことになる。
それって…。
何度も続くと、結構気持ちがそがれるもので…。
それでも、春らんまんの今日このごろ。
どこかに行きたいなぁと。
コロナが感染症法上の位置づけが5類感染症となり、夫のテレワークも週三回となり、正午ちょうどまでのお昼の支度もしなくてよい日が増えたこともあって、少しだけ気持ちがウズウズ。
ま、まぁとりあえずは紙の上で。
観音霊場の一つに、坂東三十三観音霊場があります。
三十三という数字は、観世音菩薩さまが衆生の苦しみを救う際、相手に応じて三十三の姿に変化して救済するとされているからです。
西国観音霊場、坂東観音霊場、そして秩父と合わせてちょうど百観音となるよう、秩父は三十四観音霊場となっているといいます。
観音霊場巡りは、まず西国三十三ヶ所から始まったものと思われるといわれます。
伝説では、奈良時代、奈良の長谷寺を開いた徳道上人が閻魔大王の勧めで始めたのが最初、とされています。
その後、平安時代後期になって花山法皇が自ら巡礼して広めたとされます。
坂東の札所も西国同様、花山法皇が巡ったのが始まりと伝わります。
とはいえ、これはあくまでも伝説、実際どのように札所が定まったかを明らかにする資料はないといいます。
ただ。鎌倉時代には現在のように三十三の寺院が札所としてほぼ定まっていたのではないかと推定されています。
坂東の霊場は、神奈川県鎌倉市の【杉本寺】が一番札所であること、源頼朝が観世音菩薩に深い信仰をよせていたこと、多くの札所が鎌倉、相模、武蔵に位置すること、などから鎌倉時代の成立と推測されます。
おそらく平家追討のため、京に攻め入った坂東武者が、すでに巡礼の始まっていた西国札所を見聞きし、坂東に広めたのであろうと考えられています。
坂東三十三観音巡礼が庶民に広まったのは室町時代とされます。
栃木県足利市の鑁阿寺などに三十三観音巡礼をしたという巡礼札が残されているといいます。
巡礼がもっとも盛んにおこなわれ、札所が賑わったのは江戸時代であっったとされています。
巡礼路は全行程約千三百キロ。
東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、栃木県、群馬県にわたり札所が点在しています。
いつか坂東三十三観音霊場巡礼もといいながら、コロナのせいで果たせず。
ただ、あらためて坂東三十三ヶ寺を見直してみますと、御朱印こそは拝受していないものの、結構まわっていたことをしりました。
茨城県、千葉県が未踏ではあるものの、あとはほとんどお詣りさせていただいておりました。
もちろん、三十三観音霊場巡りは、目的をもって、発願(ほつがん)し結願(けちがん)するのが目的ですので、当然再拝となるお寺さんがたくさんあるということ、…なのですが。
さて。
珍道中の相棒はどう思うのだろう。
↑
一つ前のレスで誤字脱字どころか脱文があり、訂正して再レスいたしました。
せっかくお読みくださった方申し訳ありませんです。
(慣れた。とおっしゃられそうなくらいいつもいつもで、本当にすみません)
そして今なおおかしな部分。
…本当に申し訳ありません。
心がなんだかざわついて眠れないで、ふと枕元に置いていた彫りかけのお不動さまを握りしめてみました。
私が彫ったものだから、なんのお力も備わってはいないはずですのに、とても優しい気が伝わってきました。
木の温もりなのかとも思いつつ、こんな愚かな人間が彫ったものであっても、お不動さまを思って一彫り一彫りしたものには、お不動さまの御慈悲が備わってくださるものかもしれないと、うれしく思えたものです。
もう少し。
寝相の悪い私がそのまま眠るとお不動さまに大変なご無礼をしでかしそうなので。
やはり眠れずにいる。
そんな夜なんだと思うことにしたけれど。
藤の香のお香を焚きました。
良い香りが部屋中に広がっていきます。
私はお香の白い煙がゆるやかに穏やかに広がっていくさまを見るのがなによりも好きなのです。
眠れない夜、こんなことができるのも一人の部屋でいるからこそ。
あたたかなジンジャーティーも飲もうっと。
こんな夜には軽くなにかを読むとしよう。
明日は朝早くから孫のもとへと行って半日預かることとなっているのだけれど。
眠れないと焦るより穏やかに過ごそう。
御朱印帳は御朱印ブームを受けて、実にさまざまなものがあります。
お寺さんや神社さんのオリジナルのものはもちろん、キャラクターのものなどもありますし、和紙などの紙を特産としているところであったり、刺繍やら織物で有名なところであったりと、本当に煩悩のかたまりである誰かさん(ま、わたし、なんですがね)の物欲を実に見事なまでに刺激してやまないもので。
そんな煩悩おばさんの誕生日の花は『三椏(みつまた)』という花。
実に地味な花ではありますが、和紙の材料として有名で、あの大蔵省紙幣としても採用されている優れもの。
そんな三椏入り和紙を使用したオリジナルの御朱印帳を授与しておられる神社さんがあるようです。
柄も三椏。
これは!
これはなにかの思し召し。
ぜひとも参拝させていただき、拝受しなくては!
おおっ!
しかも栃木県!
お隣の県ではないですか!
…茂木?
Motegiぃ⁈
も、もてぎ、ですか!!
こ、これは…。
一人では二日くらいかかりそう。
あ、普通なら日帰りで夕方になる前には帰れますが、ね。
普通の人、ならば。
下道を使って、道に迷うことを考えたら、まあ、二日あれば…。
…ダメかぁ。
あ、待てよ。
モビリティリゾートもてぎに行くわけではないんだ。
電車で…。
駅員さんが泣くなぁ。
そんな御朱印帳の大きさといえば、ほんの少し前、ちょうど私が御朱印を始めたころは二種類で、大判と呼ばれるB6サイズ、縦18cm 横12cmのものと、
小さい方が文庫本のサイズで縦16cm 横11cm
といったものでありました。
それが『見開き』と呼ばれる御朱印帳を二ページ使ったものがあらわれたかと思えば、四ページ、なかには六ページなどとダイナミックにページを使っての御朱印が現れ、
ことに二ページを使う、見開きのものについては、そのサイズのノートタイプの御朱印帳までが用意されるにいたりました。
そういえば、その少し前から大判と呼ばれるものよりももっと大きい判のものが見かけられるようになっていました。
また、書き置きの御朱印の対応が増えたことに対応して差し込みタイプの御朱印帳もあるようです。
私は頑なに大判と呼ばれるサイズのものしか使わないので、どこでそういったサイズのものが購入できるのかは存じ上げないのですが、見開きのものに関しては見開きの御朱印を多くお書きくださっている神社仏閣でお取り扱い…というよりはオリジナルのものをご用意されているようです。
さらに、…私のような井の中の蛙は見たこともないのですが、どうやら『手のひらサイズ』と呼ばれるものもあるようです。
今年の一月に、あるお寺さんでお坊さんにお聞きになられていたのを聞きつけて知っただけなので、こちらに関しては現物すら見たことがないのですが、そのお坊さんもご存知でしたので、御朱印帳の界隈では有名なもののようでした。
うーん。
私はやっぱり『大判』と呼ばれる一般的なサイズのものだけでいいかな。
…おっ、珍しく物欲が薄い、と思われたかしら。
…違うんです。
もう自分一人でまわれるであろう範囲にある神社さんやお寺さんの御朱印を受けても充分なくらい、御朱印帳がすでに手元にあるんです。
御朱印を集めていることを知っている息子からも二冊プレゼントされていますし、余剰気味なのを知っているはずの夫からも何故かプレゼントされ。
東北路で一冊、ある神社さんの社殿を刺繍したオリジナルのものがどうしても欲しくて拝受したものもまだ手つかずのままなくらいで。
あ、それでも息子にもらったものは一冊は結ぶことができ、もう一冊は今使っているので、夫からのものとその東北の神社さんのものが手つかずであるのみ。
あとはもうどんなに欲しい御朱印帳を見かけても涙を飲んで我慢してきたので。
…といいたかったのですが、昨年そこにBS日テレの神技スペシャルという番組と桐生市のコラボ企画で行われていたスタンプラリーの景品で見事二等賞を当て、その景品こそが群馬ちゃんの小さく織り込まれた桐生織の御朱印帳。
欲しいと思う御朱印帳があったところで、すでに三冊も抱えこんでおり、これ以上は増やせないのが現状、なのです。
でも、御朱印帳を集めるのを楽しみにされておられる方も多くいらっしゃるようで、中にはそんな御朱印帳を神社さんに奉納された方がおられると、ある神社さんのサイトに書いてありました。
その神社さんでは、その御朱印帳を希望の方にお譲りしてその代金は神社の修繕などに使わせていただく旨書かれていました。(ちなみにその使途については…私の記憶違いでなければ 笑)
さらにさらに。
この神社さんやお寺さんの御朱印ブームに便乗して…なのかどうかはさだかではないのですが。
お城印、ですとか、鉄道の駅印、ですとかもあるようで。
現在わが家などはこの物価の高騰であっぷあっぷしている状況で、御朱印自体をセーブするくらいな状況ですので、この御朱印帳、使い切れるかどうか…。
物欲が治まった、のではなく、物欲により余剰していること、ツケが溜まった状態、そんな現状からのこと。
あいも変わらずこまったおばさん、なのです。やれやれ。
昨日、今日。
群馬県山名八幡宮高崎市の安産子育ての宮・【山名八幡宮】さんが、母の日の週末に、ということで今年、初めての『母為祭(ははためさい)』 を執り行っておられます。
平安時代末期に創建されてから、現在まで約850年間続く、安産子育ての宮・山名八幡宮さん。
安産祈願や初宮参りなど、 女性に寄り添う神社として、日々多くの参拝者が訪れています。
正直、田舎という雰囲気のところにある神社さんでありますが、七五三の近い頃にはびっくりするくらい参拝の親子連れが待合室に詰めていました。
境内には子育て中のママさんに寄り添うように併設された施設があり、そこには私が感動したくらい、小さなお子さんの夜泣きなどに悩むママさんへそっと語りかけるような、手紙のような書面が、子連れで訪れているママにも読みやすい長さの文章と、大きさの文字のものが、何枚も何枚も設置されていました。
そんな、もともと子育て中のママさんに寄り添う神社さんであった山名八幡宮さん。
山名八幡宮さんが鎮座する、高崎市山名町には特別史跡【山上碑(やまのうえひ)】があります。
この碑は今から約1300年前に建てられた石碑であり、現存する日本最古の碑と言われています。
当時、長利(ちょうり)という名の僧によって、 母を想う気持ちを意味する“母為記”の文字や母との系譜が、碑に刻まれているといいます。
五月十三日、十四日の⼆日間、山名八幡宮さんでは【母為祭】と名付けた、新たなお祭りを執り行うこととされたとのことで、御朱印や御守等の授与所で、
「山上碑 オリジナルレターセット」と、⻩⾊のダリアをイメージした「母為記 御守」に一輪の花を添えた三点からなる『母の日特別セット』や、母為祭限定御朱印の授与を行っておられるとか。
…新聞の情報はここまで、なので実際参拝しないと、どんなお祭りなのか想像すらつかないんですがね。
ちなみにここ、ナビさえ使えば私も一人で行けるんですよ。
まぁ、わが家のメーカー純正ナビはじゃじゃ馬ナビなので、「近くだがそこには着かない」場所へ案内するんですけど、ね。
ただ、あいにくの雨、なんです。
こちら駐車場もすごい混みようですし、境内もきっと…○▲⭐︎✖️。
出不精、人ごみ嫌いのおばさんは遥拝しています。
…方角、合ってればいいのだけれど。
母の日。
名ばかりの母である私だというのに、子どもたちからは先週や昨日、プレゼントを贈られ、この物価高騰の折、申し訳ないという思いが強いのが正直なところ、なのですが。
私の母は他界していて。
今、私の中で母というと、子育てに奮闘する娘が頭に浮かぶのです。
頭が下がるくらい、
我が子ながら尊敬するほど、
頑張って頑張って子育てをしております。
母の日ありがとう。
そして。
なんちゃって母ちゃんの私の元に生まれたのに、しっかりと立派に育ってくれた子どもたち、本当にありがとう。
神社さんやお寺さんにほぼ関わることなく生きてきた私。
そもそも自分の結婚式って?
…。
ホテルで挙式・披露宴をしたことは確かなんだけれど、うーん…。
ウェディングドレスでもなければチャペルでもなかった、それは確かなんだけれど。
仏前でもなかったけれど、神前…だったかどうか。
なんちゃって神前、だったのかもしれない。ホテルの方がセッティングしてくださってるので確かなことはわからない。
玉串をお供えしたおぼえもないのだけれど、それは私の記憶がないだけの可能性も大で。
捨てる捨てないで揉めて保留となっているビデオもあるにはあるが、捨てたい派の私は今さら見る気などさらさら無い。
写真とてそお〜っと捨てているくらいだ。
今となっては、ホテルの挙式なんかより、神さまや仏さまに失礼のない装いで神社さんやお寺さんでの結婚式の方が良かったなぁ〜などと思ってはみるけれど。
そんな挙式すらを知らなかったしなぁ。
時々、神社さんの境内を婚礼衣装に身を包んで、幸せそうに二人で歩かれるカップルに出会うことがあるけれど、偶然居合わせた人たちみんなを幸せな気持ちにしてくれて、そんな人たちからも祝福されて、本当にいいなって思うのです。
『子どもたちの結婚及び結婚式には一切口出しはしない』
それは自分の結婚式で学んだこと。
それでもご長男に嫁いだ娘には「嫁ぎ先のご意向に耳だけは傾けて」と言ってしまったけれど。
成人式にもご挨拶に行くことはなかったなぁ。
両親の離婚で父方のお墓参りは、私が嫁いで勝手にお参りするようになるまで中断することとなってしまったし。
神社さんに至っては、うーん。
お祭りには行っていても肝心の参拝をしていなかった気がする。
とすれば七歳の七五三まで遡るのかしら。
…やれやれ。
本当に神さま、仏さまに申し訳ないことでございました。
その分も今から学び、参拝させていただかなくてはいけないな。
上野公園内に神社さんがあること、ご存知の方も多いかと思いますが、私は子どもたちが小さい頃には、まるでその神社さんの存在に気づきもせずにおりました。
ええ、まさに真横を通っていたにもかかわらず、です。
さすがうかつもので名を馳せるおばさんです。
時を経て、子どもが大人になってからも一緒に上野公園に行ったりもした家族なのですが、神社さんの存在を知らなかったのは両親だけで、その日一緒に行った子どもたちはそこに神社さんが鎮座されていることを知っていたそうな。
…ありがたいことです。
うかつな両親から産まれ、うかつな両親に育てられたというのに、ちゃんと気づいていたなんて、子どもたちにはうかつな遺伝子は伝わっていなかったということで。
そんな上野公園内に鎮座される神社さんはその名も【上野東照宮】さん。
そうです、徳川家康公をお祀りしております。
その存在に気づいたのは、『上野国立博物館』の運慶展に行ったのちに上野公園に寄ってのこと。
ただ、この日はせっかく嫁いだ娘も一緒に来てくれていたので、ついつい上野の動物園を楽しんだり、街中のお店をのぞいたりすることに重きを置いてしまったのです。
その後はなかなか上野に行く機会もなく、そして…コロナ禍に突入してしまったのです。
行きたいなぁ、東京。
行きたいなぁ、上野。
以前、ここに行きたいなぁとつぶやくと、近いうちに行けたジンクスがありました。
上野東照宮さんに行きたいぞぉ!
葛飾柴又の帝釈天さまに行きたいぞぉ!
巣鴨のとげぬき地蔵尊、高岩寺さんに行きたいぞぉ!
深大寺さんに行きたいぞぉ!
深川のお不動さまに行きたいぞぉ!
小網神社さんに行きたいぞぉ!
浅草寺さんにも再々再々拝したいぞぉ!
愛宕神社さんにも再々拝したいぞぉ!
東京に行きたいぞぉ〜!
人の噂も七十五日とかいうけれど、本当はそんなことはなくて。
何年経っても消えない噂はあると思うのです。そういう噂は…たしかにあると思うのです。
まだ助けてと言うことすらできない、歩くことどころか座ることすらできない赤ちゃんが、…それもゴミ捨て場に捨てられた事件がありました。
保育園の隣という場所であり、すぐさまその保育園で保護したこともあり、幸にしてこの赤ちゃんは命に別状はないとのことではありますが。
母親である女性はそれでもどこかに罪悪感があったのでしょう、すぐに警察に連絡しているようです。
とはいえこの案件、この母親である女性の元に返されることはまずないだろうと思うのです。
おそらくは乳児院なような施設に入れられることとなるのだとは思うのですが…。
大きくなったとき、
「自分にはどうして両親がいないのだろう」と思わない日はないと思うのです。
そうしたとき、ゴミ捨て場に捨てられたことを知ったら、どれだけショックを受けることでしょう。
たしかにロッカーでは呼吸も難しいし、トイレでは発見が遅れたかもしれない。
そういった意味でこの母親である女性は保育園の隣という場所を選んでいたのかもしれません。
生きていてほしい思いはあったのだと信じたいのです。
でも…。
そもそもが赤ちゃんを遺棄すること自体が言語道断で、どこであろうとその捨てられた立場の者からしたら、これ以上ないショックなことで。
産まれてきた自分の生が否定されたことに他ならないのです。
何かの拍子で、この事件を知ったらこの子はどう思うのか…。
物価の高騰、失業と、生活に困窮する人は増える一方です。
生活に困ってこのような方も増えているのが現状です。
こうした思いにとらえられたとき、
…赤ちゃんを捨てたいと思ったとき、相談窓口を知ってさえいれば、そこでいろいろ制度を知ってさえいれば…
くやまれて、ただくやまれてなりません。
春の陽気に誘われて、一人のんびり出かけたい気持ちがウズウズ…。
そんな私が好きな街、ゆっくりと散策したり、のんびりと時を過ごしたいと思う街、群馬県館林市に行きたいと強く思うようになりました。
夫にもそう折りに触れては伝えているのに、何故か採用してもらえない。
ほんと、何故なんだろう。
まぁ夫婦といえども、珍道中ペアといえども関心のあるところは異なるもので、だとしたらやっぱりここは一人で行くしかない。
えっ?
大丈夫なの?
と思ってくださった方、…ありがとうございます。
が。
大丈夫。…だと思うのであります。
道はさほど複雑ではなく、何よりかつての同僚は毎日の勤務、館林市から通っていたくらいなので。
…まぁ、そんな通勤、若くても無理〜っ!な私ではありますが。
なんなら電車に乗って、という選択も可能。
あ〜っ、行きたい!
【館林市】は、かの群馬県民の愛してやまない(?)上毛かるたで『鶴舞う形』といわれる群馬県の、東南部、ちょうど鶴の頭の部分にあたり、関東地方のほぼ中央に位置しています。
北には渡良瀬川、隣接する邑楽郡明和町を隔てた南には利根川と、南北に大きな河川が流れ、城沼、多々良沼、近藤沼や茂林寺沼といった多くの池沼が点在するなど、豊かな水資源と自然環境に恵まれ、多様な動植物の生息地となっています。
城沼と多々良沼では越冬のため白鳥たちが訪れます。
桜の花とこいのぼりの競演で春が幕を開け、その後、群馬県では有名なツツジの名所、県立つつじが岡公園でツツジの花が一斉に花開きます。
今年はそれが一時に楽しめたようです。
そして館林市には今なお城下町であった名残が色濃く残っています。
といいますのも、この館林市にかつてあった【館林城】はさまざまな変遷を経ながらも、明治の廃藩置県まで、城主のいた城であったため、なのです。
この館林城は十五世紀に築城されたと伝えられます。
中世には館林城をめぐって大きな戦乱があったといい、越後上杉氏、甲斐の武田氏、相模の北条氏による三つ巴の攻防のなかで、上杉勢によって館林城は攻められ、足利長尾氏が城主となります。
次いで北条氏、そして榊原氏へ領主が変わり、榊原氏所領の時代に10万石の館林藩が成立するのです。
(つづく)
そんな館林城。
江戸時代、館林城主は徳川四天王の一人、榊原康政公となり、ここで大きく改修整備されます。
その後、城主は榊原氏から松平氏、徳川氏、松平氏…などなど変遷を経て、そして最後の城主『秋元氏』と代わります。
いずれも徳川家とのかかわりの深い大名家が館林を治めてきました。
特に、五代将軍【徳川綱吉】公が、将軍になる前の二十年間、館林城主となっていたことは、この館林が江戸幕府にとって重要な拠点であったといえましょう。
…戦国時代に上杉氏、武田氏、北条氏が攻防戦を繰り広げ押さえようとした城でありますし、それだけの土地であったのだと思います。
館林市が好きで、なおかつ前橋の総社藩主秋元氏が大好きで、コツコツと自分で調べたくらい、なのです。
…珍道中ペアの片割れは、すでに館林は廻りつくしているのかなぁ。
「江戸時代にはあまり興味がなくて詳しくはないんだよ」と言ってもいたし、だから、なのかなぁ。
…あ、もちろん、そうは言っても私の数千倍は詳しい、んですがね。
県立美術館も常設の作品のほか、イベントや期間限定の展示など、美術に(も)あまり…まるで詳しくはないおばさんも楽しめるものであります。
雷さんの怖い私の大切な神社さん、【雷電神社】も館林市のお隣で、『館林名所(などころ)七所(ななしょ)に数えられているくらいです。
この名所七所に選ばれている神社仏閣さんは
この雷電神社さんをはじめ、
善道寺さん、
善長寺さん、
尾曳稲荷神社さん、
長良神社さん、
茂林寺さん、
普濟寺さん。
普濟寺さん以外はみな、参拝させていただいておりますが、再拝、再々拝させていただいており、どちらも居心地の良い、素敵な神社仏閣であります。
あー。
これはもう行かなくては。
行くしかない!
さぁて、今日は家事を頑張るぞぉ!
あ、ツツジの盛りが過ぎてからでないと、すっごく混むんだと聞いたことがあります。
…それが過ぎてから、だなぁ。
明日五月十八日は博物館の日。
私は何年か前のこの日に群馬県みどり市にある『岩宿博物館』に、この日は無料で入れるからと同僚に誘われて行ったことがあり、どの博物館もこの日は無料で入れるのだと勘違いをしていました。
今年、妙にその〝無料で入れる博物館の日〟にスイッチが入って、一カ月も前からワクワクして過ごしていました。
(どうせならいつもは行かないような博物館に行きたいな)とあれこれ思いを巡らせて。
いくつかの候補を絞って、今どんな企画展をしているかをしらべようと、〝博物館の日〟で検索をかけたところ、…!
衝撃の事実が判明いたしました。
『すべての博物館が無料で入館できることとなるわけではない』ということ、であります。
ええぇっ?!
しかも、しかもです。
群馬県はただ一つ、まさにその『岩宿博物館』のみが無料で入れる施設なのだといいます。
嘘ぉ〜。
さして関心を持っていなかった博物館に無料で入って、それで新たな発見、出会いがあるかもしれないことに多大なる期待をしてしまっていた私。
…お金を払ってまで見たい所って、そういう出会いが…ないわけではないけれど、正直、(うーん、ここでお金を払ってまでは見たいものはないかな)って思っている博物館には一生行くことはないだろうし。
…はあぁ。
ま、ひとえに自分の早とちりがいけない。
…栃木県は?
でました!
おばさんの悪あがき。
『足利市立美術館』と那須。
那須はなぁ、…遠いよなぁ。
足利市立美術館は、去年、まさに〝お金を払って〟観に行っているし。
…。
と、東京は?
おおぉ〜!
さっすが東京だあ!
国立博物館も美術館も無料だぁ。
トーハク、かはく、西美と三カ所まわって、上野公園に行って上野東照宮!
夢のようだ。
…ダメだ。
最近やたらとため息の多い、怒りっぽい相棒が、そんなことをしたら僻んで僻んで大変だ。
殊に上野東照宮は行きたがっているからなぁ。
…。
ああぁぁ、博物館の日ぃ〜。
お不動さまを彫らせていただく。
…。
……。
…キョンシーになっていくようにしかみえない。
いくらなんでもキョンシーはないでしょう。
凄まじいまでの不器用さだ。
お不動さま。
どうかお姿を写しとらせてください。
まさか、キョンシーが宿ってる?
やめて。
このおばさん、最近は神社仏閣には行っていないのだろうか?
というくらい、なんだかつまらない呟きばかりが続いております。
…行ってるんです。
行かせてはいただいているんですが、毎月、へたをすると月に二回参拝させていただいているお寺さんや神社さんのことを毎回毎回つらつらと書き連ねても、せっかくこんな駄スレを、こんな間違いさがしの特典があるのか?っていうくらい誤字、誤文のレスをお読みくださる方々に、それでは面白みもないだろうと、書いていないだけでありまして。
でもそれって神社仏閣を訪ねるにあたり大切なことの一つなのではないかなぁとも思ってもおります。
いつも同じところを定期的にお参りさせていただいて、お礼や反省を述べること。
…本当は、こうしたことを頑張りたいと思います、とか申し上げられれば一番良いのでしょうが、なかなか、それこそ神仏を前に嘘をつくことになりそうで、滅多なことは申し上げられずにはおりますが。
まぁ、いまだに知らないことがたっくさんあって、相も変わらず失礼なお参りをしていそうで、毎回緊張してお参りをしているのですが、
そんなことも少しずつ調べて、確かなものにしていけたらと思う次第であります。
とりあえずの課題であり目標は、
茅の輪くぐりを正確に覚えスムーズにとりおこなうことができる。
かな。
あとは…もしその機会を得ることがあれば、となりますが、玉串の奉納の正確な手順をしっかりと習得し、落ち着いて臨むことができる。
ですかね。
…ええ、相変わらずそこで停滞しております。
あまり機会もないし、家で練習しても変なおばさんMAXなだけだし。
何より神事を家で意味もなく繰り返し練習するなんて失礼極まりないし。
こうしてきっと、その機会を得ると、あたふたあたふたして、パニックのままどう動いたかすら覚えていないくらいのまま、貴重な瞬間を終えるんですよね。
やれやれ。
このおばさん、ご承知のの通り頭が悪く、しかも記憶力もない人物。
神社さんに参拝するには、
御祭神はどなたであられるかをあらかじめ確認して参拝したいとおもいつつも、学んだつもりの神さまのお名前は本を閉じてすぐにさらさらと砂のようにこぼれ落ち始め、先ほどまでの時間はなんのために費やしたものなのかと、悲しむばかり。
八百万といわれる神さまでございますし。
まぁ、それほどの神々にお護りいただく日本の国であると思うと、ただただありがたく思うばかりなのですが。
日本の神さまは、よく三つのグループに分けられます。
【古事記】【日本書紀】に登場なさる神さまがたがそのうちの一つのグループ、であります。
この、【古事記】【日本書紀】だけで、三百二十七柱の神さまの御名が出てくるといいます。
…三百二十七であってもそのお名前を全部覚えるのは私には到底無理だわ。
流石に、これでも日本人の端くれ、ですので、有名な神さま方のお名前くらいは存じ上げておりますが…。
古事記の最初に、神さまたちの誕生が描かれており、
天と地がひらけたとき、高天原と呼ばれる天上界に出現されたという神さま、
『アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)』さまが出現されます。
…すでにここでもう、つまづいてしまいます。
ここでは、三柱の神さまが出現されるのですが、一柱目の神さまのお名前でつまづいているくらいですので、当然そのあとに続かれる二柱の神さまのお名前も当然、無理で。
この三柱の神様がたを【造化三神】とお呼びするのだといいます。
ただこの三柱の神さまがた、何故かすぐに姿を消してしまわれたとされます。
地上界は、まだ水に浮かんだ脂のように漂っているころとされます。
そんななか、地上界にも二柱の神さまが出現されるのですが、やはり姿を消していかれます。
その名も
『ウマシアシカビヒコジノカミ』と『アメノトコタチノカミ』
…ええ、長いんです、御名前。
薬剤の名前もやたらと長くて、しかもカタカナというところも似ていますが…。
…無理だわぁ。
この五柱の神さまがたは【別天津神(ことあまつかみ)』と総称されます。
造化三神であるとか、別天津神くらいまでならなんとか覚えられるんですけどねえ(…たぶん)。
ところで。
(またまた誤りを発見したため、ほぼ同一内容のものとなります。ごめんなさい。千文字を超えて書き直した際、残ってしまった
『古事記と』と書いた部分を削除してあります)
前述させていただいた別天津神(ことあまつかみ)さま方は『古事記』における神話であります。
『古事記』と、『日本書紀』は世界の始まりについての記述、神話が異なっているといい、『日本書紀』においての神話は、[天地も定まらない混沌]から始まります。
まず天ができて、次に地ができる様子が描かれ、そののち天地の間に『クニノトコタチノカミ(国之常立神)』さまをはじめとする神様たちが誕生します。
『クニノトコタチノカミ』さまは古事記にも『別天津神』さまのあとに登場されておられます。
『古事記』と『日本書紀』はともに同じくらいの時代に編纂されたものでありますが、同じ神話であっても取り扱いがこのように異なっています。
【天武天皇】の意により編纂されたものであると伝えられるものであるのですが、実際にはそれははっきりとしたことはわかっていないとされます。
『古事記』は全三巻で神代(かみよ)から推古天皇の代までが記され、神話が一巻分を占めていますが
、一方『日本書紀』は全三十巻で神代から持統天皇の代までが記されており、神話部分は二巻、割合からすると古事記より少なくなっています。
日本書紀では五柱の別天津神さまが存在せず、日本書紀で最初に現れる『クニノトコタチノカミ』さまを含む三柱の神さまと四組の神さまを総称した『神代七代』と呼ばれる方々から描かれ、この『神代七代』の神さまたちの御名も『古事記』とは異なっています。
まぁ、神代、ですからね。
別天津神さまにおかれましては天上界【高天原】のことですし。
ここまで書かせていただきました神さまがたは、神社さんにお祀りされておられますことはまずないことかと思います。
…たぶん。
…間違っていたらごめんなさい。
別天津神さまのあと、(日本書紀では書かれない神さま方、ですので古事記において、となります)『神世七代(かみよななよ)と呼ばれる神さま方が現れます。
古事記においては、二柱の独り神さまと、五組の男女一対(双び神(ならびがみ))さま。
日本書紀では、三柱の独り神さまと、四組の双び神さまが『神世七代』となっているといいます。
クニノトコタチノカミさまは共通しておられ、また『イザナギノミコト』『イザナミノミコト』もおられます点は同じです。
ここでも古事記とは異なっています。
あわせて『記紀』と呼ばれることもあるという(私は初めて知りました…私の記憶の中では 笑)この二書、前述の通り編纂された時期も同じ時期であり、ともに『日本という国をつくった神々から天皇へとどのように系譜がつながっているか』が語られていますのに、結構違いも多いよう感じます。
編纂した人が異なることと、主として国内に向けてのものである『古事記』、対して『日本書紀』は、当時の国際的なスタンダードに準拠した立派な『正史』をまとめることを目的としていたといいます。
これ以前にも『日出処の天子』と称し、文書を送っていることもありますが、『日本書紀』は海外、特に中国に対して国としての権威を示そうという政治的な意図から編纂されたと考えられています。
そんなこと…からなのか、その辺は定かではないようですが、こと神話に関しては異なる点が多々あることは確かです。
イザナギノミコトとイザナギノミコトによる『国産み』も、
古事記では別天津神に国産みを命じられますが、日本書紀では別天津神が存在しておりませんので、自分たちの意思で国産みを開始しますし、
その国産みで思うようにいかなかったとき、
古事記ではイザナギとイザナミが高天原を訪れて別天津神に相談していますが、これも日本書紀では自分たちで考えてやり直しています。
『国産み』を終えて、次に行われたのが『神産み』でした。
ここでたくさんの神々が産まれます。
そう、神産みでたくさんの神々がお生まれになられます。
まず最初に『オオコトオシオノカミ』さま。
カタカナで書くとその長さに、もう覚えられないという先入観が生じてしまうおばさんでありますが、言葉に出すとさほどでも無さそうな…、本当かな?
次いで『家宅六神』と呼ばれる、住まいに関係の深い神々が生み出されました。
石の神、土砂の神、門の神、それから、屋根を葺く神、屋根の棟の神。(このような神さまがおられましたか。さすが八百万の神さまがたでございます)
続いて、海や水に関わる神々、自然現象の神々が産まれます。
このなかにオオワタツミ(大海神)、オオヤマツミ(大山祇)ほかがおられ、これらの神々の間から、さらに新たな神が生み出されます。
イザナギ、イザナミは、船や交通をつかさどる神(トリノイワクスフネ)、食物の神(オオゲツヒメ)を産んだのち、火をつかさどる【カグツチ】別名『ヒノヤギハヤオノカミ』を誕生させます。
この燃えさかる『カグツチ』を産んだイザナミは致命傷となる火傷を負ってしまうのです。
これは「古事記」の中でも有名な話の一つであろうかと思うのですが、実は日本書紀の神産みには、イザナミがカグツチを産んだことで致命傷を負い命を落とすといったくだりはないといいます。
したがって、これに続くかの有名なイザナギが【黄泉国】へと訪れるといった事も、『古事記』だけのエピソードなのだといいます。
えっ。
……。
じゃあ…。
あの黄泉国のくだりは?
イザナミさま=伊邪那美神さまは、火の神を生んだことで、苦しみながらついに〝神避(かむさ)って〟しまわれます。
苦しみのなかでも金属、陶器、農業などに欠かせない神々が現れました。
…すごいなぁ、神さまは。
イザナギ、イザナミの二柱の神が共に生んだ島は十四島、神は三十五柱であるといいます。
(これはイザナミが、まだ神避らぬうちに産んだ神々の数であります)
神産みが上手くいかないと葦の葉で織った船に乗せて流してしまわれた、蛭のように骨のないヒルコ(蛭子)と、次に産まれたアワシマ(淡島)は子の数には入れません。
子供と引き換えに妻を失い、泣き叫ぶイザナギの涙からも新しい神さまが出現します。
イザナミは出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬られました。
妻を死に追いやったカグツチを許せないイザナギは息子カグツチの首を長剣で斬り落としてしまいます。
この刀から飛び散った血や、殺されたカグツチの頭部や胸、腹、両手両足などからも、山にまつわる八柱の神が現れます。
…子どもの頃、この辺りのくだりを読んで、その残虐さに言葉を呑み、それでもそこから神さまが産まれる不思議に、神の力の偉大さというものを思い知らされたものです。
イザナギは、亡き妻に会いたい気持ちが募り、死者の国である黄泉国までイザナミを追って行きました。
そして黄泉の国の御殿の内側にいる妻のイザナミ神に向かって、
「いとしい私の妻よ。
私とあなたで作っている国は、まだできあがっていない。
どうか、帰ってきておくれ」
と言います。
しかし、イザナミは、
「残念です。
私は、黄泉の国で作った食べ物を
食べてしまいましたので、もう帰らことができないのです。
でも、いとしい夫のあなたが来てくださったのですから、 黄泉の国の神と相談いたしましょう。
その間、けっして私を見ないでください」
と言って、御殿の奥に入って行きました。
どのくらい時が過ぎたのか、長く待ちますがイザナミは現れません。
待っていられなくなったイザナギは、ついに髪の左の鬟(みずら)にさしていた、櫛の歯を一本折って火を灯し、御殿の中に入ります。
そこで見たイザナミの姿は。
…。
イザナミの体には蛆虫がたかり、頭、胸、腹などに八雷神がいるではないですか。
それを見たイザナギは恐れおののき、黄泉の国から逃げ帰ろうとします。
イザナミは
「よくも私に恥をかかせましたね」と怒り、ヨモツシコメに、イザナギの後を追わせました。
イザナギが逃げながら黒蔓草でできた髪かざりを投げると、地面に落ちて山ぶどうの木が生え、瞬く間に実がなりました。
シコメたちが山葡萄の実をむさぼり食べている間に、イザナギは逃げます。が、山葡萄を食べ尽くしまだ追いかけてくるので、今度は右の鬟にさしていた竹のくしの歯を折って投げ、今度はそこにたけのこが生えました。シコメがそれを抜いて食べている間にイザナギはまた逃げました。
そこで今度は自分の体にいた八種類の雷神達に千五百の軍勢をつけて追いかけさせました。
イザナギは、剣を抜いて体の後で振りながら逃げましたが、雷神は追いかけてきます。
イザナギが黄泉比良坂のふもとに来た時に、そこに生えていた桃の木から実を三つ取り、待ちかまえて投げつけたところ、雷神達はそれを嫌がり黄泉の国に帰っていきました。
それを知って今度はイザナミ自身が追いかけてきました。
イザナギは、千人で引くほどの大きな重い岩で、黄泉比良坂を塞いでしまいます。
その岩を間に、イザナギとイザナミと向かい合って立ちました。
…今の人は…蛆虫など見たことは無いことかと思います。
私とてそんなには見たことはありませんが、蛆虫の無数に蠢く様は確かにたいそう、たいそう気持ちの悪いもの。
愛する妻であったがこそ、余計にその変わり果てた姿にショックを受けたのでしょう。
しかしながら、子どもであった私は、…蛆虫の蠢く様を見たこともあったにも関わらず、そんなイザナギを冷たく思うのでありました。
だって、イザナミを失った悲しみと怒りから、カグツチを斬り殺してしまうほどだったんですよ?
…まぁ、蛆虫だけではないわけですが、…私は未だもってそんな様を目にしたことは無いですからね。
簡単にはイザナギを責められはしない、ということで。
それにしても…。
イザナギ、イザナミと尊称も省いて書いてしまっております事もあって、まあまぁ国産みの神さまたちに、好き放題の発言を…。
さて。その大きな岩を隔てて。
イザナミは、
「いとしい私の夫よ。
あなたがこんなことをするのなら、
あなたの国の人を一日千人、殺しましょう」
と言います。
えっ。
あなたの国って…。
…貴女もちょっと前までそこに住み、なにより一緒に造って(産んで)きた国、ですよねぇ。
むしろ産んでいる分、愛情が深かったりはしないものでしょうか。
イザナキはそれに応えて、
「いとしい妻よ。
あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう」と。
というわけで、この日本の国では、一日に千人が死に、千五百人が生まれることとなるのです。
こうしてイザナミは、【黄泉津大神】という名になります。
ちなみにこの話に出てくる黄泉比良坂は、出雲国の「伊賦夜坂」 のことであると言われています。
さらにイザナギは、「ここから、こちらの世界には来るな」と、杖を投げられました。
その杖が神となり、岐神(フナトノカミ)、
また帯を投げられるとその帯がまた神となり、長道磐神(ナガチワノカミ)と申されます。
衣を投げられると煩神(ワズライノカミ)、
褌(はかま)を投げられると、開くい神(アキクイノカミ)、
履(くつ)を投げられると神となり、道敷神(チシキノカミ)と申されます。
そして、坂を塞いでいる磐石を、泉門塞之大神(ヨミドニフタガリマスオオカミ)またの名を道返大神(チガエシノオオミカミ)ともいいます。
イザナギは
「私は穢れたところに行ってしまったので、この身の穢れを洗い清めよう」
と、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の小戸(おど)の橘のあはぎ原に行って禊祓をされました。
その時、「上方は瀬の流れが速すぎ、下方は瀬の流れが緩すぎる」とおっしゃって、中ほどの瀬で身をすすがれました。
これによってヤソマガツヒの神が出現し、次にそのまがっているのを直そうとして神直日神(かむなおひのかみ)、次に大直日神(おおなおひのかみ)が出現します。
また、海の底に潜って身をすすがれた時に、底津少童命(ソコツワタツミノミコト)という港の神さまが産まれ、
海の中ほどで身をすすがれた時には、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、
海の上で身をすすがれた時には、表筒男命(ウワツツノオノミコト)
が出現しました。
この三柱の神が住吉大神であります。
その後、イザナギが左目を洗われた時に、天照大神(アマテラスオオミカミ)が
右目を洗われた時に、月読尊(ツクヨミノミコト)が、
鼻を洗われた時に、素戔嗚尊(スサノオノミコト)がお生まれになりました。
イザナギが禊をなされた際、数多く産まれた神さまの中に、『瀬織津姫』やその他三柱の神様からなる【祓戸大神】さまという、
私たちの罪や穢れを消し去ってくださる神様も生まれたとされます。
しかしながらこの四柱の神々は、古事記や日本書紀ではその表記はないのですが…。
その神様に、私たちの罪や穢れを祓ってくださいという意味を持つのが【祓詞】、であります。
ここに祓詞を書き込めるほど、私は何ら修行等していないので、書くことはできないものと思っておりますが、まさにこの、黄泉国から戻られたイザナギが禊をなされた場所などがそっくりそのままに述べられていることに、驚きました。
ただ、…日本書紀ではイザナミがお亡くなりになられることはないとのこと。
つまりはこのくだり一切が無いということになるはずです。
日本書紀まではもう手も頭も回らない状態のおばさん、それでもはたと悩むのであります。
…ここのくだりは一体どうなっているのだろう。
それは…イザナミさまが〝神避る〟ことなど無い方が良いです。
でも、子供向けの『古事記』を読んで育ち、しかもすでに頭が凝り固まって今さら直せない(治せない)おばさんとしてはそこが気になって仕方がない。
だってかなりの衝撃でしたもの。
(神さまもお亡くなりになられるんだ)って。
…まぁ、それを言ったらもういろいろ衝撃的な内容であるんですが、ね。
うーむ、日本書紀、かぁ。
古事記だってかいつまんで書かれたものを最初の方を読んでいるところで止まっているというのに。
…そういった意味では子どもの時の方が一冊丸々読んでいる分、しっかりしていたなぁ。
まぁ、子供向けのその本とて、全三巻の古事記の全てではなく、神話の部分だけ、つまりは一巻分であったのだろうし、所詮はかいつまんで書かれたものであったのだろうけれど。
あの子供向けの本、今は中古市場ですら見かけなくなっていますが、今なおお持ちの方とかおられるのだろうか。
地元の図書館はもとより近隣の市の図書館にまで出向いてはみたものの出会えたことがないのだけれど、もう一度全シリーズ読んでみたいなぁ。
もともと、そのシリーズ作品はみな、学校の図書室で借りて読んだだけだったので、何度も繰り返して読めたわけでもなかったし。
母は私の大切にしていた本やらお人形やおもちゃなどを断りもなく、突然いとこにあげてしまうような人だったので、あの中にはきっと今でも手元に置いておきたかった本があったのになぁ。
学校から帰るとゴソっと大切に並べて置いた本やらお人形やらが無くなっている恐怖ったら無かったなぁ。母に「これは大切な物だから」と宣言し、念のため隠して学校に行っても、繰り返しそういったことがあったし。
ああ、『男』だけでなく『子どももつらいよ』ね。
イザナギが黄泉国へと行く話、そして…黄泉国の食べ物を食べたイザナミが帰れないというくだり、実はそれとよく似た話が、ギリシャ神話にも登場しています。
死んだ妻を訪ねて冥界へ行くけれども、「見てはいけない」という〝禁〟を犯したために連れ戻せなくなったオルフェウスの話と。
冥界の食べ物を食べたペルセフォネが生者の世界に戻れなくなる話です。
昔話と呼ばれますものにも似たような…よく似た話が存在します。
なかなかこれは興味深いこと、ではないですか?
遠く、遠く離れた地の神話がこうも似ている…共通点があるなんて。
…もしかして。
もしかしたらこれは。
…人智を超えた真実、なのかもしれません。
殊、神話に関する限り。
世界を創造し、人間をつくりたもうた〝神〟のお話です、からねえ。
ちなみに。
日本書紀においてイザナミは〝神避られる〟ことになっていない、ということで。
当然、黄泉国のくだりも、イザナギの禊もありません。
イザナギとイザナミは、アマテラスノオオミカミとツクヨミに相当する『日の神』さま『月の神』さまをお産みになられます。
その次にヒルコ。
ヒルコを産んで流したのち、スサノオが誕生する、ということとなっているようです。
先ほど帰宅したら、私に宛てて封書が届いておりました。
特段絵などない、いわゆる普通の淡いグレーの封筒です。
裏を返すと、【日光山輪王寺常行堂】と書かれているではないですか!
ぽわぁ♡
ラブレター…ほどではありませんが、それは確かにラブレターほどではないのではありますが、…なんとも嬉しく、ワクワクしたのも確かであります。
檀那寺さんのない私にお寺さんからお便りをいただくなど、とても嬉しく、なんだか光栄に思えたのです。
…えっ?変わったおばさん?
まぁ、そのへんは何レスかお読みくださった方はすでにご承知のことではございましょうが…。
仏縁、とまではいかないのでしょうが、お寺さんとご縁ができたようで、とても嬉しく思えたのです。
まぁ、理由は単純。
昨年、常行堂さんで回向の法要をお願いしたご縁から、なのですがね。
ああ、行きたいなぁ、日光。
(そろそろネズミの額ほどの庭
にも咲きはじめた紫陽花)
黄泉の物を食べることを『ヨモツヘグイ』といいます。
〝黄泉(よみ)の国にある竈(かまど)で作ったものを、食べること〟を意味します。
「ヨモツヘグイ」をすると黄泉の住人であると認められ、現世へ帰ることができないと言われています。
これはイザナミの死を悲しんだ夫イザナギが、彼女を連れ帰そうと黄泉の国へ迎えに行った際、
イザナミが
「黄泉の国の物を食べたため、元の世界へは戻れない」と断った、あの話が元となり「ヨモツヘグイ」が”黄泉の物を食べること”という意味で広く使われるようになったといいます。
「ヨモツヘグイ」は漢字で『黄泉竈食い』と表します。
『黄泉』はそのまま黄泉国を、『竈』はかまどを、そして『食い』で食べることを表しています。
『黄泉戸喫』と書いて「ヨモツヘグイ」と表すこともあります。
「黄泉戸喫」の場合『戸』が”かまど”を、『喫』が〝口を通して腹に収めること〟を意味します。
この「ヨモツヘグイ」には『供食信仰(きょうしょくしんこう)』が関係しているとも言われています。
供食信仰とは〝家族や地域などのコミュニティのなかで同じものを食べ、一体化を図ること〟を意味します。
よく言われる「同じ釜のメシを食べる」、ですね。
「ヨモツヘグイ」では黄泉の国の食べ物を外からきた者が口にすることで、黄泉の国の一員であると認識されるのです。
日本の「ヨモツヘグイ」に似た話として前述したギリシャ神話に登場するペルセフォネの話をさらに詳しく書きますと、
春の女神ペルセポネは、冥界でザクロを食べてしまいます。
十二粒あったザクロの内の四粒を食べた彼女は、一年のうち四カ月を冥界で過ごすことになったのです。
地上へ出られる、という点は異なっていますが、その地の物を口にして元いた場所へ戻れなくなるという点では「ヨモツヘグイ」と共通しています。
「ヨモツヘグイ」は、怖い話や映画に扱われることもあるといいます。
迷い込んだ見知らぬ土地で食事をしてしまい、元の世界へ帰れなくなったという話や、異界の物を食べなかったために元の世界へ戻れたという話など、「ヨモツヘグイ」をテーマにした話は数多くあるようです。
私などは食い意地がはっているので、これは気をつけないと…。
夫は好き嫌いが激しいので大丈夫、かと。
お、これは…私だけ帰れない?
神仏にほぼ関わりをもつことなく人生を送ってきたとはいえ、縁あった方の葬儀に参列する事もありましたし、嫁ぎ先や身内の法要や葬儀もありましたので、そういうことを機に…仏教がほとんどではありますが、宗教にふれる機会はありました。
ことに身内である、嫁ぎ先ではそれこそ危篤の時にもそこに共におり、今まで知らずにいた、人が亡くなられた際のお寺さんとの関わりを、少しだけではありますが学ばせていただく機を得ました。
亡くなられた方の枕辺にお供えする枕飾り、いつも開けられたままの仏壇の扉は閉ざされ封印が施され、神棚にも白い半紙がかけられること、など。
そんな非日常となった義実家の光景の中で、一番衝撃を受けたのは、…いつもと変わらないように見える穏やかな顔で横たわる義祖母や義父が、まばゆいくらい白い包布でおおわれた、これまたまばゆい銀糸で織られた立派な立派な布団を掛けていたこと、でした。
…えっ?
そんなところに?、ですか?
いつも使っていた煎餅布団、木綿に印刷されただけの布で作られた掛け布団とは打って変わった、ふわふわで、どこまで沈むんだぁ〜ってくらいの敷き布団に、まばゆいくらい贅を凝らした掛け布団。
寝心地が悪くて目を覚ましてくれるんじゃないかと思うくらいの差で、死んでからこんな良い布団に寝かせるくらいなら、生きているうちにもっと良い布団に寝ていただきたかったなぁと、思わずにはいられませんでした。
ま、昔もんのおばあさんと爺さん(義父のこと 笑)でしたから、もったいない、要らないと言うんですけど、ね。
あ。
…それでも爺さん、入院中に私が持っていった肌掛けをたいそう喜んで掛けていてくれたなぁ。
病院は暑いから調節用の布団や掛け物があるといいんだよなぁと思ってのことだったのだけれど、私まで嬉しくなるくらいに喜んでくれたっけ。
山盛りにしたご飯に箸を刺してお供えして。
(ああ、これがあの「ご飯に箸を立てるんじゃない!」って叱られる由縁だなあ)と思ったり。
【枕飾り】とは故人が棺に納まるまでの間、遺体の枕元に用意するお供えのことをさします。
白い布がかけられた台に一膳飯や水、香炉・燭台・花立などを用意し、簡易的な小さな祭壇として設置します。…葬儀社の方が、なんですよね、今は。
テキパキと用意されるさまを、ただボォっと見ていただけ、なんですけど、ね。
(前レスに引き続き、亡くなられた故人を送った際の光景を書いております。
おつらい思いを抱えておられる方は思い出されて、おつらく感じられる事もあろうかとも思いますので、ここまででこのレスはお閉じください)
白い布がかけられた台には一膳飯や水、香炉・燭台・花立などを用意し、簡易的な小さな祭壇として設置します。
これらには亡くなったばかりの故人の魂が食という欲から解放され心残りなく成仏でききるようにとの願いが込められているといいます。
お線香とろうそくは故人の浄土への導きの意味があるので、納棺まで絶やさぬように注意しなければなりません。
そんな中、檀那寺のお坊さんがお越しくださいました。
お姿を見ただけで、無宗教の私でもなんともありがたい思いがしたものです。
【枕経(まくらぎょう)】と呼ばれる儀があることもここで、義実家で初めて知りました。
【枕経】とは、臨終後故人の浄土への旅の道しるべとするために、枕元でお経を読むことといいます。
仏式の葬儀で納棺の前に故人の枕元で読経すること、です。
【枕経】の起源は諸説あり、平安時代にまでさかのぼると言われます。
もともとは、危篤状態からの回復を願って家族が仏にすがる想いで枕経を僧侶に依頼することもあったようで、源氏物語などを読むとそのあたりの描写がよく出てまいります。
危篤状態の人の枕元でお経を読むことで不安を鎮めるといった意味もあったようです。
その後時代を経て、臨終後に、迷わず成仏するよう導くといった意味や、親族の心を落ち着ける意味で行うように変化してきました。
古くはインドにもあった習わしだといいます。
ただ、宗派によっては死生観の違いから枕経を行わず、臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)、または無常経(むじょうきょう)といった呼び名で読経が行われることもあるようです。
身内しか列席しないものであり、何よりお坊さんのご都合でお見えになられるため、何時にお越しになられるかわからないこともあって、必ず列席できるとも限らないもので、貴重な体験をさせていただけたのかもしれません。
が、母のときはこの枕経がありませんでした。
喪主が断ったのかもしれませんが、そのへんは定かではないのですが、私はとてもそれが寂しくもあり、母にも礼を欠いているような、気すらしたものです。
(前レスに引き続き、亡くなられた故人を送る際の枕経について書いております。
おつらい思いを抱えておられる方は思い出され、さらにまたおつらく感じられる事もあろうかとも思いますので、ここまででこのレスはお閉じください)
【枕経】には宗派によって違いがあるといいます。
『天台宗』の枕経では「阿弥陀経」や「般若心経」が読まれ阿弥陀仏のご加護と、故人がさまようことなく極楽浄土へ往生することを願うのだといいます。
『真言宗』の枕経では般理趣経を読み、慈救の呪・陀羅尼・光明真言・御宝号を唱えるといいます。
『浄土宗』は枕経の代わりになる『枕のお勤め』があるといいます。
まずはじめに『十方如来世尊・世尊・釈迦如来』を勧請し仏に懺悔をするのだといいます。
剃刀を故人の頭に当てて(今はあまり行われないといいます)十念を読み上げ、仏門に帰依させ戒名を授けるといいます。
それが終わると「開経偈」を読み、その後読経では、「四誓偈」や「阿弥陀経」「仏身観文」「聞名得益偈」「発願文」「摂益文」を順に読み上げていき、その後『南無阿弥陀仏』を繰り返して唱えます。
この『南無阿弥陀仏』は来迎仏や掛け軸、屏風などに向かって唱えるといいます。
浄土宗では亡くなった後にすぐに極楽浄土へ召されると考えられるためで、故人にではなく仏壇や掛け軸へ向けて読経するのだといいます。
『浄土真宗』では枕経ではなく『臨終勤行(りんじゅうごんぎょう)』を行うといいます。
お勤めも、故人の枕元では行わずに、仏壇や掛け軸に向かって行います。読経を読み上げる前に仏壇の燈明に火を灯して、故人に法名を授けるのだといいます。
読経では、「正信偈」や「仏説阿弥陀経」を読み上げるそうです。
『臨済宗』では『枕経諷経(ふぎん)』と言い、観音経、大非心陀羅尼(だいひしんだらに)などのお経で故人に対し〝仏教徒の教え〟を伝えるのだといいます。
『曹洞宗』では『臨終諷経(りんじゅうふぎん)』、といい、三回の読経で仏弟子の心構えを故人に伝えるのだそうです。
『日蓮宗』では、読経の前に、勧請を行い諸仏や諸尊を招いて、「開経偈」を読み上げ、読経後、「祖訓・唱題・宝塔偈」の順に読み上げて、回向します。
日蓮宗では一般的に使われる木魚は使わず、甲高い音をだす木証(もくしょう)を使い読経するのだといいます。
…長々と枕経について調べたのには実は少しだけ意味があります。
母が亡くなったあと、通夜の席までお坊さんはお見えにならないということを知り、枕経のない宗派があるのかどうか等々、母の遺体の傍らで調べてみたりしたのです。
すると枕経という言い方をしないまでも、通夜の前のお勤めはどの宗派でも存在するようです。
それがお寺さんの方針なのか、喪主を務める者が断ったのか、そのときはもうそれを確認するのも憚られ、
言い出したところでその時点ではお寺さんにお越しいただくのにはもう夕方となってしまっていました。
母の菩提寺の宗派では【般若心経】をお唱えすることをあらかじめ調べ、
なおかつ、お寺さんに失礼がないことを確認しようと、
素人の娘がそばで般若心経をお唱えしても良いものかどうかを確認するためお寺さんにお電話を差し上げたのです。
すると、
「こちらの宗派では般若心経をお唱えすることはないから。ただ、あげたければあげてもらって全然良いと思います。当寺に失礼ということはまるでありませんし、どうぞお唱えしてあげてください」
えっ?
「〇〇宗では般若心経は唱えないんですよ」
…ま、まぁ、私はど素人でありますし、そう言うことであれば、かえって母の御魂を混乱させても良くはないし。
一人、ただただお線香をあげて時を過ごしておりました。
ただ、般若心経をお唱えしない宗派がある事は存じ上げた上で、お電話差し上げたので、どうもそこが釈然としなかったのも確かでありました。
葬儀を終えて、あっという間に四十九日の法要を迎えました。
法要を終えたお坊さんが
「般若心経をお唱えしたいと電話くれたのはどなたでしたか?」
私がそっと手を挙げますと
「般若心経は簡単に唱えられ大変良いお経ではあるのですが、〇〇宗では般若心経をお唱えすることはないんですよ」
「出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした。ただ、〇〇宗のお寺さんで写経をさせていただいたとき、お唱えしたのも写させていただいたお経も般若心経だったものですから」
「はあ?どこのお寺です?」
「〇〇市の」
「それはおかしい。〇〇宗では般若心経を唱えることはないです。間違いではないですか?」
…決して間違いではなかったのです。
でも出過ぎた真似であったのも確かなことなので、すみませんと謝ってその場を過ごしました。
ただ…。
私の中で釈然としない思いはずっと燻り続けておりました。
その後、他の〇〇宗のお寺さんを参拝しても、どこも写経をすれば般若心経でしたし。
かつて写経をさせていただいたお寺さんがもし〇〇宗であれば、それは間違っている、そんな風にもお話しになっておられました。
私はその、かつて写経をさせていただいたお寺さんで、大変親切にしていただき、とても居心地の良い思いをさせていただきましたので、そちらのお寺さんまで否定されたようで、正直どうしても納得がいかなかったのです。
つい先日、とある〇〇宗のお寺さんの奥さまとお話をする機会を得ました。
しばらくお話させていただいたあと、ずっと燻り続けていた疑問を、
そっと奥さまにお聞きしてみました。
…やはり〇〇宗では般若心経をお唱えするとおっしゃって、むしろびっくりされておられたくらいでありました。
「そのお寺さん、ということではなくて?〇〇宗とおっしゃられたので?」
「はい」
「〇〇宗の寺族の集まりでも皆で般若心経をお唱えしておりますよ。うちのお寺では法要の際に参列者の方たちにも般若心経を共にお唱えいただいているくらいですし、お唱えいただいて大丈夫ですよ。良い事なのでどんどんお唱えになられてください。っていうか…どのお経をお唱えになるっておっしゃるのだろう」
「〇〇経だけだとおっしゃっていました」
「いや、それは確かにそのお経もお唱えするけれど、それだけってことはないですから」
…ですよね。
般若心経をお唱えにならなくとも、お経はたくさんあるので、〇〇経だけ、というのもおかしな話だと…、思っても決して口には出しませんでしたけれど。
そのお寺さんではそこまではっきり断言されているので、何故か?などよもや聞くこともできないですし。
ただ、〇〇宗のお寺の奥さまのおかげでようやく私のモヤモヤはスッキリいたしました。
ちなみに…もう一つお聞きしました。
〇〇宗は宗派で分かれていてそういう宗派もある、とかではないですか、と。
…それも否定されました。
母の菩提寺は〇〇経しかお唱えしない、そうした慣習がある…のかもしれません。
ただ。
〇〇宗は、という言い方は間違いだということ。
写経をさせていただいたお寺さんは決して間違ってはいない、いなかったのです。
私のような罪の多い人間は、早くから閻魔さまに罪を認め謝っておかなければならないと日頃より思っており、今日は閻魔さまへお目にかかりに行ってまいりました。
群馬県前橋市の【玉泉寺】さんの閻魔堂におられる閻魔さまにお会いしてまいりました。
玉泉寺さんは応永二十六(1419)年、頼慶僧都の開山、上泉城主・上泉憲綱公の開基とされています。
その後、利根川洪水や戦乱などにより天正二(1574)年に現在地へ移転しているといいます。
玉泉寺さんに着いて。
(これは…?)
古い車掌車両が庫裏の前方に置いてあるではないですか。
…何故?
しかも庫裏のそばにいたっては、〝象〟はとにかく、〝サイ〟の石像があるではないですか。
うーん。
お、お寺さんは、…本堂はどこだろう。
木々の隙間から御本堂らしき建物が見えました。
よかったぁ。
庫裏にはどなたもおられない様子で、いったん二本の寺標を出て駐車場に戻りました。
寺標や庫裏とは隔たれた、墓地の中にいったん入ってから、山門があるようで。
建て直し、…再建の際にこういった造りになったのでしょうか。
新しそうな山門です。
山門の前に仁王さまがお立ちです。
そして山門の内には。
山門の内には…。
ガシャポンが四機。
ガ、ガシャポン。
おみくじのようです。
た、たしかに、ガシャポンはある意味くじ、ですよね。
こ、これは。
栃木県佐野市の佐野厄除け大師さんにはおみくじや御守りの自販機が置いてあったくらいです。その点ガシャポンなら…ガシャポンかぁ。
山門を入ってすぐの所にガシャポンが置いてあろうとは。
人生うん十年、まだまだびっくりさせられることがたくさんあります。
ガシャポンのおみくじにたいそうびっくりはしたものの、おみくじをひくことはなく。
…ああ、こちらのおみくじはひく、ではなくて回す、ですかね。
まずは御本堂へお参り、お参り。
すると目の前にまた初めて見るような石造りの御仏の像。
【金剛聖水受處】とあります。
ん?
おおっ!
こちらの石造りの石仏さまは二段になって、下はキューブ状になっていて、そのキューブの中におさまるように浮き彫りされた御仏がおられ、その上に『大日如来』さまがお座りになられておられるのです。
下の段におられる御仏も坐像であります。
大日如来さまが坐する台にはそれぞれの面に一体づつ御仏が彫られております。
阿閦如来さま、
宝生如来さま、
阿弥陀如来さま、
不空成就如来さまが彫られていて、これで金剛界を表わしている…のだといいます。
ん?
上に座しておられる大日如来さまのお膝の下、…お身体の下から静かに、ゆるやかに水が溢れ出ているではないですか!
えっ?
ええぇっ?!
な、何のために?
聖水受處、って、文字通りなんだぁ!
そんなハイテクな石仏さまに驚いたのち、向かいましたのは御本堂。
庫裏がお留守、ということで、まあ、当然のことながら御本堂もしっかり施錠されておりました。
で、久しぶりに、おばさんの得意技が。
…そう、ガラス越しに御本堂をそっと覗き込みました。
と。
お、大きいっ
おおぉぉ〜っ!三尊像さまです!!
しかも、お寺さんの、あの高い天井にぶつかるやもしれないほどの大きな大きな三尊像!
丈六、でありましょうか。
大きな御像でありますので、遠くてもそのお優しい美しいお顔立ちが見てとれます。
しかも鴨居の彫刻も細やかな彫りが施されています。
うー、素敵♡
なんて素敵なんでしょう♡
さて。
こちらのお寺を訪ねさせていただくこととなった【閻魔堂】へと向かいます。
閻魔堂は山門をくぐった向かって左側。
お堂の前で手を合わせ、またまたおばさんの得意技を。…こんなおかしな話はないですよね。
閻魔さまに自らの罪を詫びんがためにこちらを訪れている身が、よりにもよってここ、閻魔さまの御前で、『覗き』という罪を重ねるなんて。
…まぁ、そんな浅ましいおばさんです。
そぉっと覗いたお堂の中。
大きな…やはり丈六になるのでしょうか、大きな軀の閻魔大王が正面に座しておられます。
鮮やかな色彩で彩色された御像であります。
そして何よりも。
弾けるばかりの笑顔、なのです。
えっ。
…たしかに栃木県益子町にあります【西明寺】さんの閻魔さまも、『笑い閻魔』と呼ばれるくらいに、一見笑っておられるように見えるお像であります。
が。
たしかに、西明寺さんの俗名『笑い閻魔』さまも破顔一笑されておられますが、西明寺さんの閻魔さまは、「片腹痛いわ!」といった感じで笑いを浮かべた瞬間を切り取ったかにも見えるのです。
傍らに事務官も控えておりますし。
こちらの、玉泉寺さんの閻魔さまはどう見ても…笑っておられる。
にこぉっと、まるで「よく来たなぁ」とでもおっしゃっているように見えます。
…まぁ、閻魔さまにお会いするってことは『地獄』ですので、閻魔大王に「よく来たなぁ」と笑顔で言われることは、それはそれで身も凍るほど恐ろしい事態、なはずなんですけれど。
…和むんです。
どう拝しても、…和むんです。
それでも。
それはそれで和んだ気持ちのままに自分の犯した罪のあれこれを認め、今後少しでも正しい道を歩んで行こうと思っておりますことを伝えさせていただきました。
特記するならば、こちらの閻魔さまの前には、大釜が置かれていました。
『地獄の釜』、なわけですね。
地獄の釜の蓋はしっかりと閉じられておりましたが、ね。
参拝を終えて、貼り紙を見つけ読みますと、な、なんと!
扉は開いていたとのこと。
覗きという罪をまた一つ重ねたというのに、フタを開けたら、覗かなくとも戸が開くとかいうオチが。
はぁ、やれやれです。
さすが珍道中おばさんです。
ちなみに夫は、180センチという身長なため普通にお堂の前に立つだけで、閻魔さまのお顔が見えるのでありました。
そんな夫が言うことに、
「お堂の扁額は『三仏堂』と書いてあるんだけれど、他にもどなたかがお祀りされているのかなぁ。
ガラス越しに見てみてもあまり見えないのだけれど」
「…」
…そう私に言われましても…。
閻魔堂というバスストップにはなっているので、それで良いのでは?
こちらのお寺さんでの閻魔さまのお縁日は、一月と七月の十六日と〝バスストップ〟の標識に書いてあります。
そのときにお邪魔させていただくことができれば、少しはそのようすがわかるかもしれません。
山門の隣には優しげなお顔のお地蔵さまが何体か、それから如意輪観音さまが並んでおられます。
いつかまた。
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