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神社仏閣巡り珍道中・改

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旅人さん
23/06/23 06:04(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く、本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間です。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことのない人間です。


そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねいたします。
そして┉相も変わらず、作法のなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神さま仏さま、どうかお導きください。


No.3666755 22/11/06 23:54(スレ作成日時)

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No.1 22/11/07 07:29
旅人さん0 

昨日は【桐生天満宮】さんへ参拝させていただきました。

こちらは京都の『北野天満宮』さんより御分霊を頂いた神社さん。
『天満宮』と言えば学問の神様と言う印象がありますが、こちらはそれだけにあらず、【菅原道真公】をはじめ、公の御先祖である【天穂日命(アメノホヒノミコト)】さま、さらに【祓戸四柱 (ハラエドヨハシラノオオカミ)】さまを奉斎しております。


もともとは景行天皇の御代、『上毛野国造』が天穂日命さまを奉斎した『磯部明神』でありました。
その後文治三(1187)年から当地を支配した『桐生氏』が代々の守護神として崇敬し、観応年間(1350年頃)、京都より北野天満宮の御分霊を合祀して『桐生天満宮』と改称し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められました。

『天穂日命』さまは当地で有力な土師部の遠祖に当たられ、菅原道真公の御祖先にも当たる御祭神で、古来、産業開発の守護神として崇敬されております。

『祓戸四柱』さまはあらゆる災いや罪・穢れを祓い清める神々で、【瀬織津姫神】・【速開都姫神】・【気吹戸主神】・【速佐須良姫神】を祓戸四柱大神と称え奉っております。


また、桐生と言う場所は風水において理想の地といわれているとのことで、それに基づいて御神体の周りの配置にこだわっているとのことであります。
御本殿内陣には、風水に基づいて御神体の四方を守護する霊獣、すなわち『東の青龍』・『西の白虎』・『南の朱雀』・『北の玄武』の四神を配し、
それぞれ東(職業・学業) 西(商業・金運) 南(家運・良縁) 北(健康・厄除)等の広大無辺な御神徳によりこちらを参拝・祈願する全ての方々がこの理想的な風水によって護られ、大地のエネルギーである「気」を受けていることとなるのだといいます。



桐生市のメインストリートの突き当たりの道路沿いに鎮座されております。
一の鳥居は、まさにその道路に面し、目の前に立つと見上げても鳥居全てが目に収まらないくらい大きいです。
この鳥居をくぐり、先へ進んでいくとまっすぐに参道が続いています。

ちなみにこちらの神社さんの駐車スペースは、この大きな鳥居をくぐることなく境内内に入ることができるのですが、肝心の参道を踏んで渡って駐車することとなるのです。

うーむ。
鳥居をくぐらずに済むとはいえ、参道を突っ切る…、それでも裏手にも駐車場があることを知りました。


No.2 22/11/07 11:14
旅人さん0 

少し話が外れますが、現在、この桐生市のメインストリート、本町通りの桐生天満宮寄り、本町一丁目から二丁目にかけては『桐生新町重要伝統建造物群保存地区となっているとのことで、この街並みを保存し、なおかつ歴史まちづくりをしようという動きがあり、その一環として、アスファルトの道路を石畳み風にしようと工事が行われています。

あまり広くはない通りが、ほぼ常に工事中でありまして、なおかつ、石畳み風にするということに対し、私などはさっぱり意味がわからず、この市はもっと違うところにお金をかけることはできなかったのだろうかと、通るたびに思うのであります。
アスファルトでない道路=車道が、車として走りやすいかといえば、決してそのようなことはなく、どちらかといえば悪くなったような…。
しかもあくまでも石畳み風であるため、むしろこの道路が傷んできた時には、普通のアスファルトの道の修理よりもずっとずっとお金がかかるものだと思うのです。

行政というのは、上は国家から、下は市町村単位まで、人々の暮らしに寄り添うようなお金の使い方ができないようになっている、ということなのかなぁ。

閑話休題。


この桐生新町の成り立った歴史は、天正九(1581)年、ここ桐生天満宮が徳川家の祈願所となったことから始まっています。
関ヶ原合戦の際には、かつて新田義貞が旗揚げしたという由来に倣い、軍旗に用いる旗絹を神前に供えて戦勝祈願したと伝えられています。

小山評定(現在の栃木県小山市で、関ヶ原合戦直前に行なわれた徳川軍の作戦会議)後、小山にいた軍を関ヶ原に帰す時に、厩橋城(うまやばしじょう=前橋城)の城主・平岩親吉(ひらいわちかよし=今川義元の人質時代から家康に付き従った忠臣で、徳川十六神将のひとり)を介して旗絹を求めたところ、一日にして二千四百疋もの旗が集まり、東軍の勝利を陰で支えたと、いたく感動されたといわれています。

その結果、凱旋を吉例として境内で織物市が始まったといい、現在はこれを骨董市とし市(いち)が立ちます。


No.3 22/11/07 15:55
旅人さん0 

慶長五(1600)年の関ヶ原の合戦には軍旗に用いる桐生織の旗絹をこの【桐生天満宮】の御神前に供え、戦勝祈願をしたといいます。
その勝利凱旋を吉例とし、将軍家がこの桐生市の織物を重んじたことが
のちの桐生織物の繁栄の礎となったのだといいます。

そんな経緯を持って、桐生新町(桐生新町重要伝統的建造物群保存地区)(現・群馬県桐生市本町)は、な、なんと、徳川家康の命により、天正十九(1591)年から慶長十一(1606)年に造られた町、となるのであります。


基点をまさにここ、この【桐生天満宮】とし、現在の本町六丁目まで町並みを延伸させた際に止めに【浄運寺】を桐生新町の南の要として配したのです。


『桐生は日本の機どころ』と、例の【上毛かるた】に歌われていますが、門前町である桐生新町はまさに神さま、そして仏さまに守られて発展したのです。

…そんな歴史、もちろん教科書に載ってなどおりませんし、群馬県に住んでいても、小、中、高、どの歴史の授業でも習わなかったことで、これを知ったのは何年か前。
桐生市の『織都桐生 案内人の会』という桐生市観光物産協会運営の、案内人の方にお教えいただき初めて知ったものであります。
桐生市出身の友人に聞いても誰一人知らないといい、地元の歴史などというものは、努力して伝えていかないと、伝わっていかないものなのだなぁと思ったものです。


さて、また恒例の、話があちこち状態ですみません。

一の鳥居をくぐったところに話を戻します。

一の鳥居をくぐると、石畳み参道の先に(これは正真正銘本物の石畳みです)二の鳥居があり、そこをくぐると。
むかってみぎてに機神神社が祀られています。そのひだりてには高くそびえる銀杏の御神木があります。
そして参道をさらに進むと、石造りの太鼓橋が二つ並んであります。
一つはその傾斜が急なためなのか、もう長いこと通行止めとなっています。
太鼓橋を渡ると、みぎてに藤棚があります。
その前にそれは立派な手水鉢があり、それは立派な手水舎があるのですが、…コロナ禍となるずっと前からそれは立派な蓋がされて、…どうやらこちらは特に手や口を清めることを勧めない方針の神社さんのようです。



No.4 22/11/08 06:00
旅人さん0 

参道をまっすぐ歩み、小さな方の太鼓橋を渡っての正面に、新しめの門があります。
拝殿の周りを囲う、やはり新しめの塀があり、その門をくぐっての参拝となります。
あまり他の神社さんでは見かけた覚えのない、〝神門〟というものだそうで、『桐生門』という名前がありました。

なんでも、江戸時代の御社殿建設計画には、神門の建設が予定されていたのだそうです。
それが諸般の事状で実現せず平成大修理事業を記念して新設されたものだといいます。

私はこの囲われた感じがあまり好きではなく…常々「何故このような囲いを?」と思っておりましたが、なるほどそういう経緯があってのことでありましたか。
きっと、その時代に建てられ、共に時代を重ね周りと馴染むものとなっていたならば、ありがたいものだと、その塀や門にすら手を合わせていたのだろうな…あ、神門なのでくぐる前後には必ず手を合わせていますが、ね。
我ながら、やれやれ、です。

ただ…。

囲うことがなんとももったいないと思うくらいに、こちらの社殿は素晴らしいもの、なんです。

建物としての出来映えもさながら、拝殿の前に立つと、それはそれは神々しく、あたたかな気が拝殿からあふれ、そして…何やらあたたかい視線のようなものを感じるのであります。


そんな拝殿の全景がその囲いがあることで隠されてしまっているのです。

神門と塀だけならまだよかったのでしょうが、その囲いにおおわれた空間に、社務所が設けられているのですよ。
たいへん狭い感じを否むことができません。

桐生市は今、この〝古き時代〟を観光のメインにもっていこうとしているのか、あちらこちらで古い時代の資料を見ることができるのですが、なるほど、明治から昭和にかけての写真を見ると神門はなく、拝殿のすぐそばで撮られた結婚式での親族写真などもありました。



…うーむ、せめてこの社務所さえなければ…。

No.5 22/11/08 06:46
旅人さん0 

社殿は安永七(1778)年に起工して寛政五(1793)年に落成したものであるといいます。
そして。
…何度も参拝させていただきながら、私は、実に今回初めて知ったのですが、こちら
『岩の上の天神』と称されているとのことで、本殿・幣殿は岩の上に建っているというのです。
社殿すべてが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、群馬県指定の重要文化財となっております。


棟札によれば、現本殿及び幣殿は、安永七(1778)年に起工して、寛政元(1789)年に上棟、寛政四(1792)年には寺社奉行への披露を経て、翌、寛政五(1793)年に遷宮開帳をおこなった。
拝殿は、享和二(1802)年に棟札をあげた。

社殿は、県内の江戸時代の神社建築に多くみられる本殿が幣殿及び拝殿につながるいわゆる権現造りの形式である。
本殿・幣殿の外壁には極彩色の精巧かつ華麗な彫刻が施されており、内部にも同様な彫刻とともに壁画も描かれている。
このように桐生天満宮社殿は、北関東の近世神社建築の特徴をよく示した優れた文化財である。

(…桐生天満宮HPより抜粋)


古来からの大樹や大岩はそれだけで信仰の対象でしたが、そこにさらに社殿を配することで、人々の信仰を一身に集めたといいます。

…いやぁ、そうでしたか。
『岩の上の天神』。
知る人ぞ知る、なのでしょう、かね。
HPには書かれておりましたが、昔はそんなもの無かったですものねぇ。境内には特にそのような案内はなかった…のかなぁ。迂闊なぼんやりおばさんだからなぁ。

…今度参拝させていただく時に、もっとゆっくりと時間をかけて境内を歩かせていただきましょう。


…いやぁ、そうでしたか。
岩の上の天神さま。

…秩父第十九番札所の【龍石寺】さんが岩の上に御本堂が建っていることにたいそう感動したものですが、群馬県の、それもこんな街中にもあったんですねぇ〜。



No.6 22/11/08 18:03
旅人さん0 

今日は満月。
そして皆既月食。

現在は天体ショーとなっている日食や月食ありますが、昔は天の乱れとされ、天が乱れると国も乱れると考えたり、天変地異の前触れなどと、不吉な現象として恐れられてきました。

…まぁ、それはそうですよね。
月の満ち欠けは暦であり、暦はそのまま農耕に直結する、それこそ命すらかかる大切な大切なものであり、燭台等の薄暗い手元くらいしか照らさない灯りしかなかった時代において、月あかりはありがたい灯りでありましたもの。
今よりもずっとずっとその灯りを頼りに生きていた時代、少しづつその月が欠けていくのはそれはそれは恐ろしく思えたものでしょう。

そんな日月食の不吉を除き、天下泰平に導く仏さまがおられるといいます。
その御仏は【一字金輪仏頂尊(いちじきんりんぶっちょうそん)】さま、とおっしゃるそうです。
もちろん初めて知りました。

なんでも、おすわりになられている蓮華座を七頭の獅子が支えているのだといい、蓮華座を支える七頭の獅子は『北斗七星』を表しているとされていて、
一字金輪仏頂尊さまは、太陽・月・北斗七星などの星宿(せいしゅく)全ての力を備えている最高の尊各とされ、天の乱れ(ここではあくまで日月食を指します)による災いを防ぐと伝えられています。


また日食や月食は、【阿修羅】とも関係が深いといい、阿修羅が日の光りをさえぎれば日食となり、月の光りをさえぎれば月食となると言われています。

諸説あるとはされますが、阿修羅は光りの神『アフラ・マズダ』が元になっているとも言われ、太陽と月の光を操ることができる『光明の神さま』とされているのだとか。


また、そんな不吉な現象とされていた日月食ですが、
あの弘法大師さまが唱えたとされることで有名な、虚空蔵菩薩の真言を唱える密教修法、【虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)】は、『満行』や『結願』の日に〝流星群〟や、月食や日食となるように修行に入ると伝えられているのだとか。

…ということは、昔の人でも事前に日食や月食の日を知っていた、ということ?


いやぁ、ほんと、昔の人ってすごいよなぁ。

No.7 22/11/08 18:23
旅人さん0 

今、ご近所の方がサンマを届けてくださいまして、はからずも二人で皆既月食を見上げることに。

欠け出していることに気づいていなかった彼女、
「うわぁ、教えてくれてありがとう」って。
いやいや、ありがとうはこちらですが。

明るい、暖かな月夜を、もっともっ
と明るいあたたかなものにしてくれた彼女は、私の癒しの人であります。

No.8 22/11/09 03:02
旅人さん0 

桐生の総鎮守として尊崇を集める群馬県桐生市の【桐生天満宮】さん。

『 桐生(貴龍)天満宮の五利益(御利益)

一、昇運の守護神
二、厄除・方位除・災難除の守護神
三、交通・旅行安全の守護神
四、学業・合格祈願の守護神
五、安産・子育て・児童の守護神 』

と掲げられていました。

主祭神の一柱であられる菅原道真公が
(1)神童と呼ばれるほど学問に秀でていたことから『学業受験合格』

(2)天満宮の建立によって道真公の荒ぶる御霊が鎮められたことから『厄除け・災難除け』

(3)京都から遠く離れた大宰府への道のりを無事に旅したことから『交通安全・旅行安全』

この三つのご利益を授けくださる神さまとされます。


…うーん。たしかにあの時代に京都から福岡県太宰府までの道のりは大変な大移動。その道のりを無事にたどり着くことはそれはそれは大変なことでありましたでしょう。
ただ、「無事に旅した」と書かれるとちょっと違和感がないわけではない。たしかに〝旅〟してはおられます。
なんの間違いがあるわけではありません。いや、〝旅〟なんですけど、ね、間違いなく。
ただ、都で大切にされていた梅の木すらが、道真公を慕って太宰府まで飛んだという伝説からも、道真公の人柄が計り知ることができるようであり、こんな騙し落とされ左遷されての移動を〝旅〟と申し上げるのはなんとも申し訳ないような気がしてしまうおばさんなのでありまして。
…まぁ、ただそれだけ、なんですけどね。

わたし的には道真公はそもそも祟るようなお人柄ではなかったのではないか、荒ぶる御霊というような存在になられるような方ではなかったのではないかという思いもありまして。
だって、京の都で大切にされていた梅の木さえもが、道真公を慕って太宰府まで飛ぶようなお方です。
移られた先の自然を愛で、その地になじまれようとされるお方であったのではないかと、勝手に思っている者なのであります。


閑話休題。


実は。
こちら桐生天満宮さん。
前述しておりますとおり、徳川家康公の命(めい)で、当時の最高レベルで造られたものであります。
精密で華麗な彫刻が施された社殿であります。
日光東照宮の修復や榛名神社の彫刻を手掛けた名工・関口文治郎によるもの、なのであります。
その繊細にして重厚な彫刻といったら。

No.9 22/11/09 03:37
旅人さん0 

精密で華麗な彫刻の数々がそこここに散りばめられております『桐生天満宮』さん。
木というものがこれほどに薄くて動きのある…例えるなら薄い絹織物のようにできるものなのかと、思うくらいに立派なものなのです。
重厚でしなやかで品位のあるもの、なのです。
躍動感あふれる龍。
一つ一つ挙げていたらきりがありません。

風雨にさらされ色彩がはがれてしまっていますが、完成当時は極彩色の華やかな彫刻でした。
色がなくても、微細な部分まで彫り込まれた彫刻は見る者を飽きさせず、時を忘れて見入ってしまいます。

これに美しい色が施されていたと考えると……。当時の人々の感嘆が聞こえてくるようです。
当時の人たちは(例の)囲いもなく。岩の上にそびえ立つ、この見事な彫刻を間近で観ておられたのかぁと、私の羨望の声も…聞こえません?


この日は裏の駐車場から入っての参拝でありました。
裏手からは鳥居が一つもないので、それはそれで神域に忍び入るような申し訳ない気分になるのでありまして、普段は裏手の駐車場に車を置いたら鳥居のあるところまで歩き、そこから入らせていただいているのですが、この日は近くで大きなイベントがあり、歩道に人が多く、裏手の入り口から入らせていただいたのですが…。

ちょうど昼どきの日の光を浴びた、それはそれは美しい、まるで金色と言っても過言ではない、御本殿の裏にある彫刻を拝することができたのです。

うわぁぁ♡
…ええ、声に出して感嘆いたしましたとも。
なんと美しい光景でしょう。


この見事な彫刻。
傷む前に手入れをといつも祈るように願う私。

そうだよ、道路なんかに手を入れてる場合じゃないよ!
色など褪せようと、剥げようと、それはそれで良いのです。きっと私はこの方が好きなので。
ただ、それが剥げてしまった状態が長く続けば、木部が傷んでくる可能性も高くなります。
それは是非避けたい、避けなければいけないと、私は強く思うのです。

まあ、神さまがお護りくださっているので、今はまだ全然(?)大丈夫かもしれませんが。
傷みがひどくなってしまってからでは修復もより大変になります。

ただ、今のところ宮司さまにそのようなお考えもないようなのですが…。

No.10 22/11/09 03:42
旅人さん0 

昨夜の月食。
息子のおかげで天王星食をも見ることができました。

何より、十一月とは思えない暖かさと、雲一つない空を、お与え下さった神さまそして仏さまに感謝いたしました。

No.11 22/11/09 16:59
旅人さん0 

かつて私が仕事をしていた時、(とはいってもまだ二年ほど前のことですが)、
仕事先での人間関係や、その中での理不尽な扱いであったり、あるいは日々の暮らしの中で、家族のこと、親のこと、などなど、常に悩んだり迷ったり、嫉妬したり怒ったり、くよくよしたりしたものです。

今は…。

…もちろん今も。

つまらないことに心を囚われ、いろいろ考え、考えすぎて、起きてもいないことをすら、あれこれ想像しては気を病み、と、心はせわしなく、ストレスもたまりがちです。
いろいろ考え過ぎて心が疲れてしまうこともよくあります。


かつて仕事先の人間関係やら、親のこと、子供のこと、あれこれ悩んで落ち込んでいた際、【禅語】に助けていただいたことをふと思い出したのです。
私の心に寄り添い、乱れがちな心を整えて、穏やかに前向きに過ごすためのヒントとなる言葉が集められた、そんな一冊の本に出会ったのです。

それが禅の言葉、禅語を集めた本でありました。

No.12 22/11/10 06:37
旅人さん0 

『「サクマ式ドロップス」を製造販売する佐久間製菓(株)が2023年1月20日に廃業すると通知した。』

ああ、あの【火垂るの墓】の…。
ドロップスまで消えていきますか。


終戦記念日といえば放映されていた『火垂るの墓』が放映されなくなってだいぶ経つようです。
切なすぎて、救いが無さすぎて、観るのがつらいと、そんな声をよく聞きます。
娘などはせっかく買ったジブリ全曲集なのに、火垂るの墓の中で流れる『埴生の宿』が入っているので聴けないとまで言います。
実際年々視聴率は下がり、放映されなくなった理由の大きな一因でありましょう。


何が言いたいか…。
正直自分でも何が言いたいのかわからない感情のまま書いています。
なら書くなよ、の話です。
ごめんなさい。


私とて戦争を知らない世代ですし、火垂るの墓のあのどこまでも救いの無い内容に、心をやられます。

でも、あれが、あの〝世界〟が、とりたてて異様だったわけではないかつての日本であったことを、忘れてはいけないと思うのであります。

火垂るの墓を観ることは重すぎて切なすぎてつらいけれど、サクマ式ドロップスのあの赤い缶を見て、忘れてはならない諸々を心に置いておりました。
そんな母の独りよがりは、『埴生の宿』が聴けないくらいの子どもたちにはその〝赤い缶〟すら切なくてつらく、嫌であったでしょうね。



ただ私には自分が子供の頃に、…そう、この映画が作られる前、この映画の原作である野坂昭如氏の小説を読めないくらいの子供の頃に、あの赤い缶のドロップに、〝ハズレ〟味〝当たり〟味を、勝手に決めて、まるでくじ引きかガシャポンでもするかのようにワクワクドキドキした時代があったものだから。

…一つの時代がおわる、寂しさを感じたのでありました。


緑缶(別会社さんの佐久間ドロップ)にはハズレが無いらしいし。
そもそもが私、あまり飴が好きでは無く、最後にサクマ式ドロップスを手にし舐めたのはいつのことだったか…。

でもやはり寂しい。

〝ハズレ〟が出ると、父や叔父にあげていた要領の良かった私。
そんな思い出も詰まっていました。

No.13 22/11/10 13:51
旅人さん0 

『挨拶』『暗証』『縁起』『億劫』『我慢』『慈愛』『主人公』
『所詮』『退屈』『智慧』『徹底』『油断』


…おば(か)さん、今日は漢字のテストでもしてみたんだろうか?

そう思われますよね。
これ、実は全て【禅語】なのだそうです。
こんな日常的に使っていた言葉が禅語であったとは。

私が手にした禅語の本は、心が折れそうな時に寄り添ってくれるような言葉が集められたものでしたので、まさか禅語がこんなに日常にとけこんでいたなんて思ってもいませんでした。
まさに目から鱗でありました。

ちなみに、この『目から鱗』という言葉、禅語ではなかったのですが、な、なんとこちらは新約聖書由来のものなのだそうで。

こんな無宗教で、信心深くも無い人間でも、宗教と何かしらの関わりをもって生きているのだなぁとあらためて思ったしだいです。


そんな、禅語の上っ面を、まるでパラパラと冊子でも繰るように見ているだけの状態のおば(か)さんが、
気になってしまった禅語を一つ。


【放下着】。


ええ、ご想像通り、この字を見て、おば(か)さんは思いました。
…下着を…放る?

夫や子どもたちがこんな所でこんな怪しい事を書いていることを知ったら、どんなに嘆き悲しむことでしょう。

【放下着】は『ほうげじゃく』と読むそうで、もちろん、このおばかさんが思い描いたあの〝下着〟ではありません。

【放下着】とは。
一切の執着を捨て去りなさい、ということだそうです。
煩悩や妄想、欲や見栄、自分は悟ったという自負まで捨てよ、という意味なのだそうです。
たしかに認められたい、良く思われたいという願望はなかなか捨て去れませんが、とらわれて、思いが叶わずにストレスをためてしまうのもつらいこと…ですはあるのですが、ね。

たしかにそんな煩わしい思いの一切を手放し、清々しく過ごせたらいいですよね。

放下着かぁ。
見栄を捨て、煩悩を捨て、欲を捨てる。
まさに私の目指すべきところ、でありました。



ただ…。

子供の頃学校で、目標とすることを書いた紙を貼っておいたりしたものですが、
この『放下着』、たとえ意味は尊いものでも、貼り出すものとしてはなんとなく躊躇うものでありましょう?
立派なお寺さんに、立派な掛け軸にして飾ってあったとしても、やっぱりなんとなく不自然な感が否めない気がする、おばかさんでありました。




No.14 22/11/11 07:19
旅人さん0 

今日は『世界平和記念日』と記されていて、第一次世界大戦が終結した日なのだそうです。

せっかく記念日まで設けてるのに、このあと第二次世界大戦までが起きてしまう。
しかも人類最悪の殺人兵器が使われた呪わしい世界大戦が。


そして今年二月に勃発したロシアによるウクライナへの攻撃は、今なお終結することがない。


今日をもってもう一つの世界平和記念の日としないだろうか。

私は祈る。

No.15 22/11/12 04:31
旅人さん0 

あの平成の市町村合併で、群馬県みどり市となった山田郡大間々町が、合併前の平成六年に発行した資料集を一部を購入いたしました。
それはそれは綺麗な写真の使われた紙箱のケースに収められた、重厚な装丁で3センチはゆうにある厚さの大変に立派な作りの資料集。

大間々町誌『石造物編』であります。

…ええ、私の大好きな石仏さまがたくさん収められた資料集であります。

三年をかけた調査総数は 約7000基!

そのうちの2806基を分類、解説していて、詳しい地図も付いています。
ええ、もちろん写真も♡

人々の〝信仰〟が後世に残るよう、たいへんな情熱を込めて調査したことがよく分かります。
夫のようなタイプの人には読み物としても大変おもしろいもの、のようです。

この本との出会いは、みどり市大間々町の歴史博物館【コノドント館】、群馬県民の日のイベントの一環として〝無料〟で入れた日のことであります。
とはいえ、私がこのような本を手にするのはなかなか大変珍しいことで、夫が好きそうだ、と思ってたまたま手にしたのでありました。

…好きそう、というよりももろに好き、なんですが、ね。

ちなみにこの資料集のケースの顔ともいえる写真となっているのは穴原薬師堂というところの『馬鳴菩薩像』です。
ええ、その写真を一目見てキュンとなったおばさん、なのでありました。


そんな資料集、ましてやそんな立派な装丁なもの、高いんじゃ?


定価二千四百円、それが半額で出されていました。

うーん、高いととるかはその人の価値観によるものかとは思うのですが、この装丁だけでもちょっとあり得ない価格な気がいたします。定価設定自体があり得ない。
しかもこの内容。
一万円、と言われても「…でしょうねぇ」と思うものです。
専門書ならそのくらい当然するものでありましょう。

…が。

これはあくまでも…言葉を選ばず言えばあくまでもマニアックな大間々町誌。
欲しいと思う人、団体は、出版された時点で買い求めていたものでありましょう。しかも多分さほどの数はいなかったのでは。

そして。
その後この資料を必要としたり、欲しいと思う人物は、かなり少ない…珍しい、のではないかと思うのです。

ぶっちゃけて言ってしまえば、作り過ぎてしまって、平成六年発行のものを今なお大量に在庫を抱えている状態、が現実なようです。

No.16 22/11/12 05:04
旅人さん0 

そんな資料集。

しばらくは座右の書として、それこそ枕元に置いていたのでありますが、なにぶんにも大きくて厚い。
しかも立派な装丁で、これを枕元の本とするのは少しばかり大きくて厚くて硬い…ではなくてボロボロになりそうで、さすがに今は夫の仕事する部屋に置いてありました。

えっ?
飽きたのだろう?

いやぁ、私はこの資料を元にあくまでも石仏さまに会いに行きたい〝だけ〟なので。

じゃあ買わなくともよかったんじゃあ…?

…ですよね。

私だけならば。


大丈夫。
この本を読む人がわが家にはおります。

そんな人もいないと、この本が化石になりそうです。

そう、この本と出会った【コノドント館】の〝コノドント〟の化石のようにね。


それにしても久しぶりにパラフィン紙だかグラシン紙だかにカバーされた本に会いました。
かつて岩波文庫といえばこのグラシン紙が書皮とされていたものです。
他の出版社の文庫はみな綺麗なカバーがかけられているのに、岩波文庫さんはこのグラシン紙をつけていました。

実はこのグラシン紙というもの、湿気や手脂、日焼けなどから紙を守るのに最高なものらしいです。


ま、ガサツな私には、すぐにぐしゃっとなる上、破れやすく、あまり好んではおりませんでした。
ガサガサいうし、薄くてすぐにずれるし。

でも。
今はなかなか出会うことなく、懐かしく思っております。

今年は…二冊、手元に来てくれました。

No.17 22/11/12 06:10
旅人さん0 

ところで。

この資料と運命の出会いを果たした【みどり市大間々博物館・コノドント館】という名称、一度聞いたら、なかなか忘れない名前ではないですか?

こちらはみどり市の大間々地域の自然や歴史、民族をわかりやすく展示している歴史を主としたテーマの博物館。
年間九千人ほどが訪れるといい、小学校の社会科見学などにも利用されています。

貴重な資料の調査・研究・収集・保管はもちろんのこと、誰もが気軽に立ち寄れる「楽しめる博物館」をモットーに、展示も大変工夫されています。

そんなコノドント館という名称に使われる【コノドント】。
昭和三十三(1958)年、日本で初めてのコノドントの化石が、桐生市黒保根町のチャートと呼ばれる岩石から発見されました。

ウナギのような姿で背骨を持たない謎の生物を『コノドント動物』と呼ぶのだそうです。
その口の部分にある歯状の微化石が発見されたコノドント。
大きさは、な、なんと1ミリにも満たないもので、顕微鏡でなければ観察できない、それを微化石と呼ぶのだといいます。


…そんな小さなものを。


きっとその時代に生きていた生物やその土地の歴史、などなどの、専門的な知識を持っていた方だからこそ、そして大変感のよい、運の良い方だからこそ、それを手にし、そこに〝コノドント〟の微化石が含まれていたことを発見できたのでしょう。…そうなんでしょうがねぇ。
そう考えてもまさに奇跡のような出会いでしかなかったであろうと思うのであります。
このコノドント、カンブリア紀から三畳紀(六億年前から一億八千万年前)の地層から発見されるものなのだといいます。
…すごいなぁ。
浪漫だなぁ。


…で。
なんで桐生市で見つかった〝コノドント〟の名を?

実は、この日本初のコノドント化石を発見したのが、大間々出身の林慎悟氏。
林氏に敬意を表し、建物の名称を「コノドント館」としたのです。


そんなすごい〝コノドント〟も、発見された桐生市ではさしたる特別扱いもしておらず。、

…まあ、みどり市は岩宿遺跡の発見もありましたしね。

こちらはみどり市の笠懸町となりますが。

こちらは日本にはないとされていた旧石器時代があったことを証明した歴史的な発見でありました。

人の価値観って、さまざまです。
行政も人のすること、ですからね。

No.18 22/11/12 06:40
旅人さん0 

ちなみに、この【コノドント館】の建物、大正十(1921)に建築された『旧大間々銀行』の本店営業所。
その本館及び土蔵を活用しています。

建物の骨組みは木で造られていますが、骨組みの外がわに石を積み、さらに石の外側に赤茶色のタイルを張ってあります。
まるでレンガでつくられたように見えます。
木の骨組みのため地震に強く、石が積まれているために火事にも強いという工夫がされているものだといいます。

現存する銀行の建物として県内で三番目に古く、貴重な近代化遺産であることから、みどり市の重要文化財にも指定されています。
保存状態は大変良好で、昭和六十三年のコノドント館開館にあたっての改修は最低限にとどめ、当時の面影を残したままにしているといいます。

なかなかお洒落な外観で、私はこの建物は好きでしたが、今回初めて訪れました。


館長さんがとても熱心に勉強された方で、しかも大変親切な方でありました。

私が石仏さまを訪ね歩いて、わからなかったことを質問したところ、どの質問にも瞬時に答えてくださいました。
わかりづらい場所のものは、みどり市の住宅地図をコピーしてくださって(しかも無料で!)、丁寧に目印になる建物やポイントを教えてくださいました。
さらにはかつてこちらで行なったというイベントの資料もくださいました。

訪れた子どもたちには、その子の興味のありそうなものについて、その子の年齢に合わせて話をしたり、解説したりしてくださっていました。


すっかり館長さんのファンになったおばさん、また石仏さまに会えなかったら館長さんにお尋ねしようと思っております。

ちなみに、県民の日のイベントで今回は無料で入ることができましたが、通常は入館料二百円。

今回、博物館の中はさっぱり見て歩かなかったので(おいっ!)、とりあえず、それを見る目的もあるといえばありますし。

石仏さまを取り扱うようなイベントもあったようなので、今後はこちらのHP等をこまめにチェックしていこうっと♡

No.19 22/11/14 12:39
旅人さん0 

九月に、それはそれは長々と、群馬県前橋市の【光巖寺】さんと【秋元公】について、熱く熱く語っておりましたおばさん。

昨日【総社秋元公歴史まつり】が、前橋市総社町で開催されました。
例によって例のごとく、夫の運転でそのお祭りに出向いた私たちでありました。

前橋市の中心部に入った頃から、ナビの案内がそれはそれは賑やかとなり、何度となく頻回に、交通規制による変更を行なっておりまして、
「…まさかこんな遠くから総社のお祭りで規制をかけないよね』
と、笑い話として話していたのですが…。

まさかのそれ!

すごか遠い位地からすでに案内兼整備の人員が配置され、
「えっ、こんな位置からもう交通規制かかるの?どこで曲がれば指定された駐車場に着けるの?」
軽く悲鳴をあげ、パニックを起こすくらいに総社・元総社の町が、そのほとんど、ほぼ全てが、車の侵入が封鎖されていました。
ええ、住民とて入れないほど。

な、なんで?
どうしたらいいの?


びっくりです。
だって、前橋市の中の〝町〟という単位の主催する、公民館をメイン会場とするお祭りですよ?

ひえぇ〜っ。

No.20 22/11/14 12:51
旅人さん0 

まぁ、結論から言えば、最悪なタイミングで前橋市を訪れた私たち夫婦。
ちょうど武者行列のため、最大の交通規制をかけた時間帯だったようでありました。

前橋市にはそれこそ週に一度は出かけるのですが、総社地区にはほとんど行かないため、町の道に疎く。
ナビはうるさくて、さらにまるで役に立たない妻までもうるさくて、夫というのもなかなかの修行を強いられるものであります。(…それをなんと他人事のように語る妻でしょう)

武者行列にさしたる関心はなかったので、間に合わなかったことに悔しさは微塵も無いのですが、…それはそれは盛大なものだったようでありました。
地元の方に言わせれば、だいぶ規模を縮小した、人数もかなり減らしたものだったようですが…。


私どもは見られしなかったので、拾い画像となりますが、町の一行事にしてはすごくないですか?


(総社秋元公歴史まつりの武者行列)

No.21 22/11/14 17:26
旅人さん0 

出不精なのに、コロナ禍の人混みを避けてたのに、お祭りには行くんだ?

たしかに。

ただ。実はこの『総社秋元公歴史まつり』、いつもは閉ざされていて、末裔の方たちのみが法要の際等使われる時にだけ開けられる『秋元家廟所』の、御堂の扉が開けられる貴重な一日、なのです。

本当は『光巖寺ガイドツアー』なるものがあったのですが、一応お祭りのイベントの一環ということですので、密になることも考え、そのガイドツアーへの参加は諦めて、ただただその廟所へのお参りのために、お祭り会場ではなく、ただひたすらに【光巖寺】さんにのみ向かったのでありました。

横並びにいくつも並んだ秋元家歴代当主の御位牌を拝んで、ふと見上げた天井に!
それはそれは立派な、それはそれは見事な墨書きの龍がおりました。

ん?
どこかで見たことがあるような?

あ!
日光の輪王寺さんの護摩堂の天井画にきっと似ているんだ!
…私の記憶の中の、ですがね。

廟所のみでは申し訳ないので、長い石段を登って、古墳の上に建てられいる秋元家歴代当主の墓所も参拝いたしました。


あぁあ、コロナ禍でなければ、光巖寺ガイドツアーに参加したかったのになぁ。
これはもう信仰心とか関係なく、ただただ拝観したいって願望に過ぎませんね。

いつも閉ざされた御本堂も公開されるかと思っておりましたが、こちらの戸ははいつものように固く閉ざされたままでありました。
かつては御本堂も公開されたようなのですが、やはりコロナ禍ということでありますかね。

うーん、コロナのばかぁ!!


…もしかしたら光巖寺ガイドツアーに参加すれば、御本堂の拝観もあったのかもしれない。

よぉし、…次回だ。
次回の総社秋元公歴史まつりだ!

隔年のこの行事、なかなか気の長い煩悩一つ、やれやれです。

No.22 22/11/14 18:28
旅人さん0 

今日、生まれて初めての、変な揺れの地震がありました。
しかも関東地方が揺れたのに、震源は三重県沖だったとか。

私の下はまるで揺れることなく、一部の柱の下のみ揺れたようで、なんと一部だけの天井や屋根がやたらと鳴って。
なんだか不気味で怖かったです。

家が倒壊するか、それとも〝何か〟が悪さをしているのかと、本気で思いました。…霊感ないくせに。

茨城県は震度4だったとか。
そういえばあの東日本大震災の年、震源が深いところのものだと、遠いところが揺れる現象が起きるとテレビで解説していた、そんな地震があったなぁ。
『異常震域』というもの、らしい。



…うーん。

No.23 22/11/15 05:51
旅人さん0 

今、三島由紀夫著【金閣寺】を読んでいます。

若い頃読んだ文庫本での再々読で、前回読んだ時からかなりの年月が経ち、紐解いた時その文字の小ささに思わずうなりました。



…読めないかも。

でも読み進めるうちに文字の小ささはまるで気にならなくなり、あっという間に本の世界へと入り込んでいました。

…変わらないんです。
初めて読んだ時と、その作品から受け取る感覚がまるで。

…たしかに進歩のない、どころか退化の一途をたどるおばさんではありますが、初めて読んだ高校生の自分が抱いた感覚とまるで変わらないことに躊躇いと、それでいて〝やっぱり…〟と思う自分がおりました。

読む年代によって、受け取り方が変わる作品は数多くありますが、おそらく〝三島由紀夫〟の作品は、ずっと変わらない、…そんな気がするのです。


初めて読んだ時、実はこの金閣寺の事件が実際にあった事件であったことも知らず、それどころか幼少期の私に大きな衝撃を与えたテレビの報道の主が三島由紀夫であったことすら結びつけずに、ただただ一冊の小説として手にしていたという、ある意味奇特な読者であったかもしれません。

私がこの〝金閣寺〟を読み終え、たまたま手にしていたのを見かけた、…父、だったか、姉、だったかが、その二つの事実を事もなげに伝えて、さらなる大きな衝撃を受けたのでありました。

もう一度そうした視点で、…実際に起きた金閣寺の放火事件を調べてのちに、またすぐ読み直しをした事も記憶しておりますが、その時ですら受ける印象が大きくは変わらなかったので、今また、大人となって読み直してみて、この感覚が変わらないだろうことは、私の中では想定内、だったようです。

そうした…事実を基にした小説であった事も、衝撃的な自刃という最期を遂げた事も、大きく影響しないほど、私にはこの〝金閣寺〟の中の若き学僧は、三島由紀夫の中にいた、もう一人の三島だったような気がしたのです。

本人が書いたかのようなリアルさは、ひとえに三島の才能でありましょうが、どこか憑依しているかのような一体感を感じたのであります。

そして。
読んでいて受ける印象の変わらないところも、どうしてなのか…私はなんとなく予想がつくのでありました。

No.24 22/11/15 19:43
旅人さん0 

本日は十五日。

…そう、神社さんへ行く日であり、父と義父の命日で、特に今日は義父の祥月命日でありました。

義父の眠るお寺さん。
墓所に入って思わず、絶句!

一面真っ黄色。

地面が見えるところがまるでないほど、ふっかふかに黄葉が何層にも何層にも敷き詰められていたのです。

五センチは軽く積もった落ち葉。
心地よい音が響きます。

ようやく到着した夫の実家のお墓も、もちろんごっそりと黄色い落ち葉に埋もれています。
それでもやはり「うわぁ」と声が出ます。

夫の実家のお墓の囲いの中にある落ち葉だけで、45リットルのゴミ袋がいい感じにいっぱいになります。

毎年来ておりますがこんな事は初めてでありました。

お掃除をがんばったご褒美に、あれこれとお願いごとをする次男の嫁にきっと草葉の陰で義父は苦笑していた事でしょう。

ま、生前はお願い事とかしなかった、できた嫁だったから、その辺は大目に見て、どうか私の願いを聞き届けてね。
お願いね、じいさん♡

No.25 22/11/15 21:30
旅人さん0 

実はまた、資料集を買ってしまいました。

『群馬県前橋市の文化財』
オールカラーで五百円!
よっしゃ、買ったぁ!


胸がときめいて、苦しくなるほど美しい御仏の御像。

これは…恋心、でしょうか。

No.26 22/11/16 04:08
旅人さん0 


道を隔てたお隣の奥さんが、ガリガリに痩せて密かに心配している。

遅くとも朝九時半くらいにはもう我が家の前を通り、午後の一時半にはまた出かけていく。
…かつてはほとんど家を出ないような方であったのだけれど。

ご主人が定年退職されてからは、彼女がしていた庭木の手入れから買い物まで、みんなご主人が一手に引き受けて、彼女の姿を見ることはさらに減っていった。
町内で、お金を納めてもらい銀行に預ける役をおおせつかったときも、玄関に出てくるのが彼女であっても、お金を預かることや領収を切ることはみなご主人に任せていたくらい、〝護られて〟いた。


そう、今年の春、ご主人がおうちで急変されそのまま帰らぬ人となられるまでは。

二年くらい前から、ご主人はびっくりするくらい痩せ細って、やっと動いているように見え、それこそ入院するレベルに見えていた。

…入院しないでいるのは奥さんを守るため?
そんなふうに思えるくらい衰弱されていた。

それでも車でゴミ出しをなさっておられた。
二人暮らしの、いつもきれいに片付いている、贅沢など一切しないお二人だから、たいしたゴミの量ではないにもかかわらず、もうその十何メートルが歩けなかったのだ。
しかも、その姿をあまり見せないようにされていたのか、それとも他の車が多く行き交う時間帯を避けるためだったのか、朝の五時にはゴミ出しをされていた。

…だから少し離れた所に住むご近所さんには、まさに急変されて亡くなられたように思えただろう。
でも間近に住む私は、(ああ、そこまで頑張ってしまっておられたのか)と思った。

たまたまご主人が急変され救急要請されたとき、私は出かけており、家にいた夫がその異変に気づき、最悪の結果だったと悟って、帰宅した私にに報告してくれたのだった。


…半年。

ご主人が亡くなられてしばらくは、それこそびっくりするくらいみせていた彼女の笑顔が消えた。
口角を少しだけ上げて、微かに作る笑顔となった。

取り憑かれたように歩いている。
一人暮らしの生活、毎日毎日買い物などあろうはずがなく、徒歩で往復七、八キロの距離すら歩いて過ごしている。

挨拶はするものの、忙しいのかと遠慮していた私は意を決して話しかけてみた。

「一人でいるとおかしくなりそうで、とても家に居られない」



…やはりそうか。





No.27 22/11/16 13:34
旅人さん0 

長野県長野市の【善光寺】さんの、二人おられる住職のお一人、今年の六月就任された『栢木寛照(かやきかんしょう)』貫主(かんす)を披露する【晋山式】が、本日朝から執り行われております。

栢木貫主が善光寺木遣りに導かれながら、僧侶や信徒などとともに大勧進に向かって参道=仲見世通りをゆっくりと進んで行かれる映像。
そして、大勧進の本堂【萬善堂】で比叡山延暦寺の次席探題からの辞令を受け取られる様子と、抱負を語る様子が映像として流れました。

晋山式かぁ。

参列された方や、宿坊からの行列を見守られた方々。…いいなぁ。

煩悩おばさんの溢れんばかりの煩悩がまた一つ。


でも、でもですよ。

晋山式って、ご住職さまや副住職さまの就任のお披露目など、滅多に営まれるものではないものであり、通常ですとそのお寺さんの檀信徒さん代表が参列できるくらいの稀少なもの。
善光寺さんほど大きな施設であったからこそ、一般の方がその様子を見守ることができたというわけで。


ああああぁぁ…_| ̄|○


でも…。
…テレビで拝見する事ができました。
仕事をしていたらおそらくはテレビの配信すら観ることなく過ぎたことでありましょう。

比叡山延暦寺さんの次席探題の正装姿も拝見できました。
いかにも『延暦寺』!っていう感じのお支度をなさっておられました。
このお姿もまた、なかなか拝見する機会はないものかと思います。


ほんの短い…一分あったかないかの映像と共にクルクルと変わるおばさんの気分。

目の前にいた夫は、見慣れたものでありますが、まるでNHKの教育テレビ(現在のEテレ)の人形劇の、一瞬にして女の人が鬼女へと変わる、あんな感じ…なのでしょうかね。

No.28 22/11/17 00:31
旅人さん0 

…『スピリチュアル』ってなんなんだろう。

『スピリチュアル』とは。
「霊魂」のこと。
また、「精霊」「精神的な」。

…いや、そういうことではなく。
神社さんやお寺さんのことをネットで検索していたりすると、時々寄り添うように出てくることがあるのだけれど、私にはまるでわからない。
どうやら「宗教的な“こと”や“もの”」を指す場合もある、ようです。

そこではよく『カルマ』という言葉が出てきます。
…カルマってなに?


…。
YouTuber…って若い男の人がヒットするんですけど…。

あっ、これかな?
『行為』…?
または行為の結果として蓄積される『宿命』…???
『業』っていうのもあるな。

で…『魂』と『業』、ということでいいのかなぁ。

横文字に弱いおばさん、今までこれは西洋のもの?と位置付けて、軽く流しておりました。

だってこの人(=わたし)、いい年はしているものの、日本の神社さんのことも、お寺さんのこともまるでわからないほどの初心者で、しかもいつになってもそのレベルが上がらない人なので、あまり手広くしようとすると、今でさえキャパオーバーしているくらいです。

キリスト教とも少し離れたもの…なのかなぁ。

ま、まぁ、そういうことで、結論として軽くは調べてみたけれどわからなかった、ということで。


じゃあ書くなよ。
…はい、すみませんでした。


一応わからないことは調べて、私なりにわかるところまでは持っていきたい、というスタンスなんですけれど、基礎となる諸々の学がまるでないものだから、すぐにつまずく。

学ぶ、ってとても大切だけれど、自分の器を知ることも大切。

もう、自分の器に合わせて楽しく学ぶのでいいんじゃないかな、と。


…煩悩おばさんは自分に甘いなぁ。

No.29 22/11/17 05:42
旅人さん0 

本日ミクルさんの十七周年の記念日とのこと。

本当におめでとうございます。

ミクルの社長さんや社員の方々、スタッフの方々の弛まぬご努力によりますこと、心から感謝いたしております。


私の駄文をこうして綴らせていただき、
そして素晴らしい方々と出逢い、お話しさせていただくことができました、私にとって
大切な大切な場所であります。


今後ますますのご躍進を心よりお祈りいたします。

おめでとうございます。

No.30 22/11/17 06:20
旅人さん0 

さて。

私なんだかんだでこの珍道中録を書かせていただき、○年が過ぎたようで、我ながらびっくりしたくらいでありました。
何年過ぎたかをぼかしたところで、それだけ年齢を重ねたことは変わらない事実なのですが、煩悩おばさん、本日も朝からそんなつまらないことで歳を隠そうとしております。

その間、

〇〇はレベルが1あがった!
ちからが○ポイントあがった!
すばやさが○ポイントあがった!
最大HPが○ポイントふえた!
最大MPが○ポイントふえた!
〇〇をおぼえた!

などということは全く無く、むしろ退化すらしているおばさんです。

上がるのは毎年一度年齢のみで、しかも年齢が上がるたびに力もすばやさも、HPもMPも下がっていくという哀しい世界を旅しております。

呪文はド忘れし「あれ?なんだっけ?」などと申し「アレだよアレ」と発する言語にはやたらと〝アレ〟が増え、宿屋に泊まっても(=寝ても)疲れは全快せず。
いただけるゴールドは運転免許のみ。


ま、それもいいじゃん!と言うは易く、行うは難し。
日々くよくよと過ごすおばさんなのでありました。


No.31 22/11/17 19:59
旅人さん0 

神社仏閣に関与することなく長いこと生きてきた私。


子育てが一段落し、空っぽな自分に嫌気がさしました。
私は何を目標に生きてきたのだろう。
私はこののちどう生きたいか。

…。

朝起きて、新しい朝を迎えられたことに感謝して。
身体が動くことに感謝して。
晴れた日には晴れたことに感謝して。
雨が降ったらその恵みに感謝して。

神仏を敬い。

生きていることに感謝できる生き方をし、生かされていることに感謝して。

人の目を気にするのでなく、自分の生き方をきちんと見つめて生きたいと思い。


…とりあえず、神さま、そして仏さまのおられる神社仏閣をお訪ねしよう。
そう思って始めた神社仏閣巡りでありました。

とはいえ、親の代から神社や仏閣と縁のない生活を送ってきており、礼儀も作法も何一つ知らない状態でありました。
…それこそいい歳をして。


ネットで調べたり、神社さんやお寺さんでお聞きしたりしながら、現在に至っておりますが、覚えも悪いこともあり、なかなか身にならない。

そもそも神社さんとお寺さんのこと、ちゃんとわかっているかというと…うーん。


鳥居があるのが神社さんかといえば、立派な鳥居のあるお寺さんがあるし。
仏さまをお祀りしているのがお寺さんと言いたいところだが、神さまもお祀りされておられるし。

いまだにこんなところからつまずくようなヤツで…。

それこそゲームに当てはめたら、いつまで経ってもレベル1、おんなじところをぐるぐると回り、スライムは倒せてもドラキーに苦戦するような。


私ってば、よく『神社さん』と一言で表していますが、
『神宮』『大社』『宮』『社』『神社』
この違いは?

わからないまま、とりあえず神社さんと一括りにしているし。

ダメじゃん。

No.32 22/11/17 22:54
旅人さん0 

本日は六代目円楽の四十九日だったようで、群馬県前橋市の【釈迦尊寺】さんで法要が営まれ納骨をされたようです。

円楽師匠は生前、
「死んだら住民票を移す。前橋の魅力を広めていきたい」
とおっしゃっておられ、釈迦尊寺さんに生前墓を建てておられました。

「死んだら住民票を移すのは不可能だよね」
まだまだ円楽師匠がお元気であられた頃、夫が笑いながらそんな話をしていましたが、円楽師匠、本当に前橋市に移り住んで来られたようです。

御家族は東京にお住まいでお墓参りも大変でしょうから、実際には使われることはないのだろうと思っておりましたのに…。


人との繋がり、そして〝自分の口から出した言葉〟を本当に本当に大切になさる方でありました。


御家族のご迷惑にならぬような形でお墓参りをさせていただきたく思います。

No.33 22/11/18 05:28
旅人さん0 

私は基本的にテレビドラマを観ない人間です。
理由は…ドラマの放映時間に睡魔に襲われて惰眠を貪っているから。

いやぁ、もうただの習慣に過ぎないんですけれど、ね。
…食後って眠くなるじゃないですか。
それと今で言う〝ワンオペ育児〟だったので、子供たちを寝かしつけてそのまま眠ってしまう習慣がついていたり。

そんな寝かしつけるとかって、子どもが小さい頃だけのことでしょう?
…なんですけどね。
習慣化ってなかなか直せないものなんですよ。
若いとき夜勤のバンバンある仕事をしていたので、「寝られるときに寝ておかないと」という癖づけもあったし。





あ。

今はそんなことを話そうとしていたわけではなくて。

そんな私でも観たいなぁと思うドラマはあるんですよ。
でもビデオで取ってもなかなか観ない。
だから今流行りのドラマとかの話題にはまるっきりついていけないのです、はい。

ほら、例の『鎌倉殿』だってそうだし。
ええ、相変わらず観られない。
寝ちゃうんですよ、画面観ながらでも。

それ〝観たい〟と思ってる人じゃないから!…ええ、そんなお声が聞こえてきそうです。

いやぁ、それでも観たいなぁと思ってる気持ちは確かなもの、なんですって。


そんなドラマが観られないおばさん、今話題の川口春奈さん主演のテレビドラマ『silent』は気になりつつもやはり観られない。
でもこのドラマ『silent』は、ただ単に寝ているから観られない、わけではないんです。


このドラマが聴覚障がいを取り扱っているから。



『silent』は放送直後にTwitterのトレンド世界一になったり、Tverでの見逃し配信再生回数が最高記録の489万回再生を記録したりと切ないストーリーに涙腺崩壊の声が溢れているようです。

ドラマでは、「若年発症型両側性感音難聴」を題材としているようです。


…中途失聴をされた方の辛さや苦しみを、知ってもらうことはとても必要なこと。
なのでこのドラマが何を目指すものかはわからないのではあるけれど、聴覚障がいの方たちのご意見をきちんと取り入れてあるものなのか、正しく伝えているものなのか、そこがとても心配なのです。

(続きます)



No.34 22/11/18 06:02
旅人さん0 

(続き)

ドラマの影響ってとても大きなもの。
だから間違っても健常者の方が作る以上は、より多くの検証をして欲しいと、おばさんは切に切に願うのです。
まだドラマは途中の段階です。今後どう展開していくものなのか、わからない段階ではあります。

おばさんがこの段階で何を不安に思っているのかというと、
途中失聴された方が、手話を学んで手話や筆談をしている点、なんです。


…観てるんじゃん。

夜中にやってるんですよ、再放送。
それに放送前からかなり番組の宣伝もありましたし。

聴覚障がいの方って発症された時期でそのコミュニケーションのとり方がさまざまで、そして障がいにもその方その方の個別のものがある、
すごくデリケートなものだと私は思うのです。

「いやぁ、これドラマだから」

いや、その影響力を考えたらそこんとこはやっぱりしっかりと検証して確認しながら進めて欲しいと切に切に思うんです。

親友や元恋人とすら手話って、…たしかにそこに至るまでのさまざまなことがあって、絶対にないことではないとは思うんです。
手話を使っていれば、面倒な誤解もなく周りに簡単に聴覚障がいがあることを理解してもらえる、から。

聴覚に障がいをお持ちの方が健常者とコミュニケーションをとるため、どれだけの努力をしてこられているか。
聴覚障がいのある方=手話、ではないことはこのドラマからはむしろ伝わらないでしょう?

元恋人との関係を絶った理由も、この病気の発症と進行によって失聴していく過程でのものだったようですので、今後心がほぐされたとき、この方が再び発語する展開なのかもしれませんが、ね。

聴覚障がいの方々がコミュニケーションをとるためどれだけの努力をされておられるかを考えるきっかけになってくれる、ドラマであること、ドラマとなられることを、私は切に祈って願っております。


見た目に障がいがない障がい者の方とその御家族の苦しみが少しでも軽くなる世の中となっていきますことを祈り、願います。


No.35 22/11/18 14:14
旅人さん0 

『神宮』『大社』『宮』『社』『神社』。

【神宮】といえばヤクルト!

…ではなくて。

まあ、この場合には【明治神宮】を指すのですが、他に【伊勢神宮】、【伊弉諾神宮】、【橿原神宮】、【平安神宮】、そして【石上神宮】、【鹿島神宮】、【香取神宮】などなどがございます。

【神宮】とは
社号として『神宮号』を名乗る神社である。
とありました。

『日本書紀』では『伊勢神宮』『石上神宮』、そして『出雲大神宮(現・出雲大社)』のみが神宮と記載されていたようです。
その後平安時代に成立した【延喜式神名帳】では、『鹿島神宮』『香取神宮』『大神宮(伊勢神宮内宮)』が神宮と表記されているといいます。

そして、明治以降、天皇や皇室の祖先神を御祭神とする神社の一部が社号を『神宮』と改めています。
とはいえ、仁徳天皇を祀る『難波神社』など、必ず『神宮』としたわけではなかったようです。
また、『神宮』を名乗るには勅許が必要であったようです。

戦後、国家管理であった神社が『神社本庁』傘下となっても、勅許は不要となったとはいえ神宮を名乗るには特別な承認が必要なようです。
とはいえ、社格制度は廃止され、今は『神宮』以外は神社の規模や歴史などにかかわりなく、自由に社号を名乗ることができるということです。

ところで。
その『神社本庁』、社会法人なのだそう。
私、『庁』などという字をつかっているものだから、てっきり【官公庁】かと思っておりました。

いやぁ、勉強になりました。
この社会法人『神社本庁』に属さない『神社』もあり、当然、その神社は『神宮』を名乗ることも可能で、実際そういった『神宮』も存在しているようです。


…なるほど〜っ。


まあ基本的には規模が大きくて皇室と深い関わりがある。…ということであります。


【大社】
は地域の信仰のちゅうしんであり、多くの神社の【総本社】であるようです。
『出雲大社』『春日大社』などがあります。


まぁ、レベルアップとまではいえないけれど、【神宮】と【大社】の違いは、おおよそ理解できたかと思います。

…おおよそ、ね。

No.36 22/11/19 07:37
旅人さん0 

『神宮』『大社』『宮』『社』『神社』。

【宮】とは。
〝宮〟という社号がついた神社で、その多くは、皇族や実在の人物が神さまとなった『ヒトガミ』を御祭神としているようです。

『菅原道真公』をお祀りした【天満宮】や、『徳川家康公』をお祀りした【東照宮】などがあります。


【社】とは、〝社〟を社号とした神社で、実はかつては大多数の神社が〝社〟を名乗っていたのだといいます。
現在は最も多いのは『〇〇神社』という社号であります。
いつ、どの時点で社号を変えたのかは、その神社さん神社さんで異なるようではあるのですが…。

現在は、この『社』という社号を用いるのは比較的小さな神社さん、という傾向はあるようです。
祭神を勧請してきた、各地の祇園社、稲荷社等があります。


とはいえ、戦後、社格制度は廃止され、今は神社の規模や歴史に関わりなく、自由に社号を名乗ることができるので、社号と神社の性格のつながりはやや弱いようです。
かつての、国の定めた社格制度にはどういった社号をつけるかには、細かなルールがあったようであります。

No.37 22/11/20 05:29
旅人さん0 

本日、群馬県内では恵比寿講が開かれているところが何ヶ所かあります。

十一月十九・二十日という日程で、特に今年はその日程が土、日と重なったため、この日近辺に開催している地域も重なって、いつもより多い各地での開催となっているようです。


主人の実家には、義父が存命中に営んでいた店の、店先にも小さな神棚がありそこに恵比寿さまのお札が貼られております。
ただ、義母が老人施設に入所してすでに四年の歳月が経ち、そのお札は五年ほど前のものが貼られたままになっているのでありますが。

こうしたお札の扱いはどうしたら良いのかと、思ってみたりもしないではないのですが、義母に頼まれたわけでもない、ましてや跡取りと親の代より言われた義兄を差し置いては、なんの手出しも、ましてや口出しなどはできませんので、家の風通しやお線香あげに訪問した折、手を合わせるくらいしかできないのですが…。


そんな恵比寿講さまのお札、実はえ【おみえ】と呼ばれているようです。

【おみえ】とは、「御神影」と書くように神様のお姿を写したお札(画像札)であります。

こちらは、
えびす大神さまの総本社である【西宮神社】が全国に配札されているものでありました。
【えびす大神さま(西宮神影)】
【大国主大神さま(大国神影)】

【田の神さま(五穀神影)】の、お姿が描かれ、さらに透かしの入ったお札となります。

夫の実家にあるのはこのうちの、
かえびす大神さまと大国主大神さまのもの。

せめて舅とご先祖さまの代わりにお参りだけでも。


今年はアフターコロナの中、初めて規制のないかたちでの開催、密を避けるべく、朝のうちにお参りして参ります。

No.38 22/11/20 09:58
旅人さん0 

行ってまいりました。
【桐生えびす溝】!

いやぁ、すごいすごい!
コロナ前の賑わいがすっかり戻っておりました。

大分の中津の唐揚げや、台湾唐揚げ、横浜のチンチン焼き、すみっこぐらしのくじ引き…。
定番のたい焼きやお好み焼き、わたあめ、イカ焼き等々、…
…ええ、朝の六時台、みんなブルーシートがかかっていましたけど、ね。






ではなく!

それでも開店していたのが、熊手等の縁起物を扱う露天商さん。
こんな時刻からでも買い求める方はちらほらおられました。

だから、ではなくて!


まだ、薄暗い日の出前のえびす講は、厳かであり、また大変風情あるものであります。
清らかな空気の中、ゆっくりと落ち着いたお参りのできる贅沢な参拝であります。

手水は手水鉢から竹筒を出し、そこから流れ出る水でお清めをするよう工夫されていました。

昨年は金色で見事だったイチョウは、今年はすっかり葉を散らしていました。


いつもとはまるで佇まいの異なる、【桐生西宮神社】さんであります。

No.39 22/11/20 18:41
旅人さん0 

こちらの【桐生西宮神社】さんは、普段は神職の方の不在の神社さん。高台にあって、桐生の町を悠々と、ゆったりと見守ってくださっておられる神さまたちだけおられる場所、であります。

一年に一度、この『えびす溝』の時だけ神職の方が来られ、氏子の方々が拝殿の中にお詰めになって、社殿がぱぁっと賑わいます。

このたった二日間という短い短い期間だけ祈願をお願いすることができ、二日間のみ開かれる拝殿に昇殿することができるという、実にレアな昇殿祈願なのであります。

とはいえ二日間で二十万人の人出となり、露天商の数も五百をゆうに超えるお祭り。

夕方からの参拝などはまさに身動き取れない状態となる参道となります。ことに境内に入ろうものならば石段となるので、足を置ける場すら不安定で怖かったですし、お参りしていても実は何を拝んだのかすら分かっていない、ただただ、人、人、人!といった参拝となります。

こちらの参拝はいつもそんな状況なので、私はこの『桐生えびす溝』で昇殿祈願ができるのだということを実は今年初めて知ったのであります。

まさに今朝、参拝を終えた拝殿正面みぎてに、『昇殿参拝入口』と書かれた案内があって、
「えっ?昇殿できるんだ!」
とびっくりした次第でありまして。

一緒に参拝している人間とすら、人の波に揉まれ、あっという間に離れ離れになるような参拝では、そんな案内に気づくことなど全く無く、昇殿祈願の際打ち鳴らされる太鼓の音ですらかき消されるほどの人々の話し声。


まぁ、私などはこの『えびす溝』というものが実は神事であったことすら知らない子供で、しかも迷子にしたら大変という大人たちの配慮もあって参道そばにすら行かない状態でしたので、歩行者天国の、露天商の屋台の居並ぶ楽しい楽しいお祭り、でしかなかったですし。
せいぜい、『お宝』と呼ばれる飾りが新しい物と変えられる『お祭り』、でしたかね。


…やっぱり、私は幼少期からそういった宗教的な教えを受けずに育っていたのだなぁ。

No.40 22/11/20 21:37
旅人さん0 

この【桐生えびす溝】の開かれる【桐生西宮神社】さんが勧請されることとなったのは、実は大火が原因だったといいます。


以前にも綴らせていただきましたが、群馬県桐生市の目抜き通り『本町通り』は、南北に走る長さ二・五キロにも及ぶ直線道路であります。いまでこそシャッターが目立つ、寂れた地方都市の一風景にすぎないこの通りが、実はこの桐生が織物で繁栄を極めていたころは大きな店構えの商店が軒を連ねてひしめき合い、人通りが絶えなかったのだといいます。
桐生近郊の人々はここを「おまち」と呼び、出向くときは下着まで取り替えて晴着を着込み、いまの東京・銀座にまさるとも劣らぬ人混みを楽しんだのだといいます。


まあ、今はその頃を語る『桐生織都の会』の方々から、その頃の片鱗を伝える建物をもって知ることができるようになりましたが、それほどの〝まち〟であったこととは、やはり正直信じがたいものがあります。
それでもまだ微かにはそのにぎやいだ感を残した桐生を知る者である私などは「へぇー、そんなだったんだ」と言うこともできるのですが、すでに衰退した桐生しか知らないうちの子ども達などは、群馬県の、ではない、どこかの桐生市という街の話であろうとしか思えないでありましょう。
わが家の子どもたちの生まれた頃には、すでに、そのメインストリートである〝本町通り〟はシャッター街でしかなかったのですから。

その本町通りの北の端に【桐生天満宮】さんがあることも書かせていただきました。
徳川将軍家の命で造られた町、桐生新町はこの桐生天満宮を起点に、【浄運寺】さんまでとされ、それが基盤である〝本町通り〟は一丁目から六丁目として南に下ります。

その大火は、天満宮から八百メートルほど南に下がった本町三丁目の北端にあった綿屋、せんべい屋、座布団屋が入った長屋から出たといいます。明治三十一(1898)年五月の朝だったといい、もう百二十年以上も昔の火事であります。
もちろんいまその本町三丁目を歩いても火事の痕跡はひとかけらもありません。出火原因も損害額も調べた限りでは分からなかったといいますが、


火事は、いまも三丁目の本町通り沿いにひっそりと鎮座する『新田不動尊』の手前で鎮火したといいます。

No.41 22/11/20 22:13
旅人さん0 

まあ、それ以前にも大きな火災はたびたび起きていたようです。

なにしろ、当時は木造家屋であります。しかも家と家との間にはほとんど隙間がない。くわえて、絹織物で繁栄を極めていた桐生には群馬県名物赤城おろしが吹くのです。
明治四年、三百四十軒に火の手が広がった本町四丁目の火事、明治八年には一丁目、ニ丁目を焼き尽くした「あかまや火事」と呼ばれる大火があったようです。

それを教訓として耐火構造の蔵が造られることとなり、今なお、それが桐生市の町に点在し残っているといいます。


実はその頃、時を同じくして桐生の近代化を担うはずだった『日本織物会社』という会社のの経営不振、桐生経済を引っ張っていた同じく本町の佐羽商店の廃業、そして追いかけるように起きたのが本町三丁目の大火だったというのです。
一つの町をこれだけ次々に不幸が襲えば、普通しばらくは町から賑わいが消えてしまうことでしょう。

ところが、当時の桐生はそんな常識が通用しない町だったようで、『町衆』と呼ばれる桐生の『旦那衆』は、クヨクヨするどころか、逆に「災いを転じて福としよう。福の神=えびす様を祀る西宮神社を桐生に招聘しようではないか」と立ち上がったのだというのです。

それをいつ、誰が言い出したのかははっきりしないようですが、
豪商佐羽家には文政八(1825)年に定めた家定家訓(いまの社訓にあたる)に「西宮大神宮を信仰せよ」と明記してあったといい、その改訂版である天保九(1838)年版には、
勤務時間は朝四時から夜十時までが通例だった時代(…ええぇっ!)に、蛭子様(えびすさま)の日には夜なべ仕事はしなくてよい、と書いているといいます。
佐羽家と並ぶ買い継ぎ商だった書上(かきあげ)家は、毎年えびす講の日には取引先、同業者、町内有力者、出入り職人などを招いて大宴会を開いていた記録があるといいます。

もともとそれほどえびす信仰が浸透した町だから、
「災いを転じて福とする。それにはえびす様をお招きするに如(し)くはない」
という空気が三丁目の大火をきっかけに盛り上がったのでしょう。

この大火から三年後の明治三十四(1901)年に桐生の代表二人が西宮市の西宮神社本社にお願いに上がり、分霊を認められ、【桐生西宮神社】が誕生したといいます。
桐生えびす講は桐生西宮神社の神事として、その年から始まっているようです。

No.42 22/11/21 00:08
旅人さん0 

この【桐生西宮神社】さん。
そんな大火の後に建てられたものであるにもかかわらず、こうした費用は誰にも頼らず、すべてを町の人たちの寄付金で賄われたといいます。その多くはたしかに旦那衆の〝ポケットマネー〟であったといわれますものの、大火に残った人々の寄付でもあったとのこと。

…すごいなぁ。

そこに大きな〝力〟を感じさせられます。希望にあふれた人々の笑顔が見えるようです。

そして。
【えびす講】とは。
えびす様のお祭りです。
『えびす祭り』といわずに『えびす講』と呼ぶのは、えびす様を信じる人たちの集まり(これを「講」といいます)が、自分たちの一年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する祭りとして始めたからだといわれています。
そして、それがいつの間にか、信者であってもなくても楽しめるお祭りになっていったといいます。

全国的には神無月の十月に催すところが多いようです。

これは旧暦十月が『神無月』といわれていることに由来しているようです。

全国の神様が出雲に集合して自分の神社を留守にする期間、えびす様は「留守神」と言われ、他の神さまが留守をおまもりくださるのだとか。
だから、えびすさまは出雲にはお行きにならない神さまと言われており、その感謝をしたのがこの【えびす講】へと変わっていったものといいます。
また一説にはこのお祭りの前後だけは出雲から戻って来られる(「えびすさまの中通い」という)と説明されているものもあります。

桐生をはじめとして、群馬県ではこの〝えびす講〟を、十一月に催しますが、これは〝お盆〟がやはりひと月遅れの旧暦扱いで行われていることと同じ理由でありましょうか。

また、桐生独自のものもあるといいます。
それは『おみえ』の祀り方であります。

桐生の多くの家庭に見られる祀り方として、部屋に『恵比寿宮』をいただく棚を作ります。
この棚を〝縁起だな〟と呼びます。

お受けいただくお札は三枚あり、まず、御神札(西宮大神宮)は〝恵比寿宮〟の真ん中にお祀りします。
一緒に入っているお姿=『おみえ(御神影札)』は、その恵比寿宮の向かって右がえびす様、左に大黒様、というのが桐生の習いです。

全国的には逆の並びが多いのですが、桐生は『大黒さま』をいただく【三和神社】さんが、西宮神社さんの左側にあるため、このように並べるのだといいます。

No.43 22/11/22 00:44
旅人さん0 

2022年度の、百二十二回をこえたという桐生西宮神社さんのえびす講は盛大に執り行われ幕を閉じました。

ただ、残念なことに今年、夜の歩行者天国が解かれた後、露天商の屋台が一軒全焼する火災があったようですが、類焼することなく消し止められたのは、えびすさまと大黒天さまの御守護によるものと、桐生・みどり市消防署の働きによるものであります。

奇しくもその現場は本町三丁目であったようで、
かつての大火で被災された先人が、同じ被害を出さぬようにしてくださったようにも…思えてなりません。

No.44 22/11/22 18:37
旅人さん0 


♪ そこに行けば どんな夢も
かなうと言うよ

誰もみな 行きたがるが
遥かな世界

その国の名は ガンダーラ
どこかにある ユートピア
どうしたら 行けるのだろう?
教えて欲しい

In Gandhara, Gandhara
They say it was in India
Gandhara, Gandhara
愛の国 ガンダーラ

生きる事の 苦しみさえ
消えると言うよ
旅立った人はいるが
あまりにも遠い

自由な そのガンダーラ
素晴らしい ユートピア
心の中に生きる 幻なのか

In Gandhara, Gandhara
They say it was in India
Gandhara, Gandhara
愛の国 ガンダーラ ♪


これはかつて放映されたテレビドラマ【西遊記】のエンディング曲であります。

このドラマが放映されたのは1978〜1980年までとのことで、大河ドラマの裏番組という悪条件もなんのその、平均視聴率20%、最高視聴率は27.4%という、これを観ていないと学校で友だちと話が合わないというくらいの番組でありました。

また、やはり視聴率30%を超えるおばけ番組であった『ザ・ベストテン』があり、こちらでこの『ガンダーラ』、山口百恵やピンクレディをおさえて、堂々の一位を取り続けた曲でありました。


この歌、今聴いても心に響く名曲、であるのですが、

『♪ They say it was in India(ガンダーラはインドにあった)』
と歌われております。

実は『ガンダーラ王国』、パキスタン北西部にあったもの。


…そう、なんです。
ガンダーラは、この歌に歌われているようにインドにあったわけではないのです。

歌詞の日本語部分では、
「どんな夢もかなう」
「どこかにあるユートピア」
「生きる事の苦しみさえ消える」
といった描写が見受けられます。

ユートピアとは、現実には決して存在しない理想的な社会、理想郷(りそうきょう)のこと。


でも西遊記は、インドにお経をとりに行くお話。ガンダーラではありません。


ま、ドラマとテーマソングがキチッと合っていないことなどたっくさんありますし。

ただ、三蔵法師=玄奘さまは、ちゃんと『ガンダーラ』を通過したみたいですが、ね。

No.45 22/11/24 13:36
旅人さん0 

この玄奘さまは六○ニ年、中国に生まれました。
十三歳で出家し、その後仏教の教えについて疑問を抱いたことをきっかけに、六ニ九年、国禁を犯して仏教の本場であるインドへと旅立ちます。

インドへの道のりは遠く、それもほとんど馬か、せいぜい徒歩の旅。
西遊記のように妖怪たちこそは出ないものの、それは厳しい、苦難の連続であったろうと思われます。
玄奘は危機に陥るたびに経を唱えて難を逃れたといいます。
その経は『摩訶般若波羅蜜大明呪経』ではなかったかといわれているといいます。

…堺正章扮する悟空の頭に嵌められた『緊箍児(きんこじ)』を締め付ける際に、夏目雅子さん扮する三蔵法師さまがお経を唱えていたけれど、あれはなんのお経だったのだろう…?


閑話休題。

苦難の末、インドにたどり着いた玄奘さまは、仏教理論など、さまざな学問を学ばれます。
十七年に及ぶ留学生活を終え、膨大な数の経典とともに帰国し、皇帝の勅命で、持ち帰った仏典の翻訳を始めます。
玄奘さまは六十二歳で亡くなられるまでに、数多くの経典を翻訳されます。
そのうちの一つが【般若心経】であります。

般若心経は、玄奘さまがインドから持ち帰った六百巻にも及ぶ経典【大般若波羅蜜多経】をまとめて漢訳したものであると伝えられます。


で。

このありがたいお経であります般若心経、私は気づいてしまったのです。

実はこの般若心経、『日本においては、宗派によって若干読み方が違うらしい』、ということに。


は?

そうなんです。
はあぁ?…ってなりますよね。

私の手元にある経本は、とある真言宗豊山派のお寺さんのご住職さまがくださったものであるのですが、ある時、その教本を手に、
異なる宗派の僧侶の方がお唱えになるお経に合わせて読経しようとしたところ、少しだけ読み方が違うんではないかと思われたのでありました。


はあぁ?

聞き間違えか何かじゃないの?


…私とて我が耳を疑いましたとも!
でも何度聞き直しても手元の教本と耳から入ってくるものは微妙に違うのです。


No.46 22/11/24 14:07
旅人さん0 

私の手元にある経本は、前述しました通り真言宗豊山派さんのもの。

で。
耳から聞いていたのは、あの歌う僧侶、薬師寺寛邦さんの、般若心経に音楽を合わせたものなのですが、薬師寺寛邦さんのお寺さんは『臨済宗』。


えっ?
…少し違う?

そう思えて仕方がなかった私は、ちょっとだけ調べたんです。
私のお授けいただいた経本は、ちゃんとふりがなの振ってあるもの、なので、読み方の違いは目で見て読んでわかるものなのです。

うーん、違うかも。

ま、あくまでも〝読み方〟なので、濁るとか濁らないとか、そういった違いって、生じなくはない、…のかもしれません。

でも、ほら、このおばさん、無知であるのはここミクルさんでも周知の事実となっておりますが、と、同時に小心者、なんです。

仮にもお経、ありがたいお経が宗派によって微妙に異なるなんて思ってもいなかった、まさに青天の霹靂、だったんです。

聞き間違えにしてははっきりと異なる発音です。

で、家にある、書店で買った般若心経の本を見ましたところ、その本を監修されたのがまさに薬師寺寛邦さんと同じ『臨済宗』の方で、そこにふりがな付きの全文があり、私の聞き間違いではないことが裏付けられたのでありました。


そ、そうなんだぁ…。

しかも一箇所ではないんです。
濁る派と、濁らない派。


な、なるほどぉ〜。
たしかに、お経はその文字、その言葉が表す意味が大切なので、読み方はさほどには重視されない、ってことなのでしょうかね。

うーん、深い。
深いなぁ。

No.47 22/11/24 17:06
旅人さん0 

ところで。

堺正章が悟空に扮する『西遊記』は、再放送などで平成生まれのわが家の子どもたちも観たことがあるものなので、若い世代の方もご存じの方は多いかと思うのですが。

もう一つ、昭和世代に、忘れられない『西遊記』があります。
…というか、その世代、世代で忘れられない『西遊記』があるのかもしれませんが。


私の、もう一つの、忘れられない『西遊記』は、ドリフターズ(以下、ドリフ)の人形劇 『飛べ!孫悟空』であります。
放送は1977年10月から1979年3月まで、全74話、一年半続いたヒット番組でした。(…だそうです)。

これはうちの子どもたちも観たことがないよう記憶しています。(このおばさんの記憶ほど当てにならないものもないのですが…)

これがなんとも面白くて、あの頃楽しみにしていた番組の一つでありました。

しかもその時代の名だたるスターがこぞって出演していましたし(ただし人形化されていましたが…)、
あの時の超人気スター、ピンクレディが主題歌を歌っておりましたし。



…これはあくまでも、西遊記つながりで書きたかっただけの話です。
申し訳ありません。



(『飛べ!孫悟空』)画像

No.48 22/11/25 15:28
旅人さん0 

そんな、…と言われても、どこにかかる〝そんな〟だよと言われそうですが、宗派によって、もしかしたら読み方が若干の違いがある…かもしれない、【般若心経】。

【摩訶般若波羅蜜多心経】の『摩訶』

これは摩訶不思議という言葉で使われている〝摩訶〟であります。
今、『摩訶不思議』というと、〝非常に不思議なこと〟を指しますが、もともとは『人知を越えた素晴らしさ』を意味する言葉であったといいます。

といいますのも、【摩訶】という言葉は、古代インドのサンスクリット語【maha=マハー】の音写で『偉大な』『大きな・大いなる』『非常の』『優れている』『神秘的』といった意味があることによります。

私たちがよく知っている【一休さん】のモデル【一休禅師】は、
「摩訶とは、すべてを包み込む大きな心。
その心を得るためには、生きていく中でいつの間にか知ってしまった損得や善悪など、自分勝手に考える小さな心を全て捨てること」
と説いたといいます。

こんな最初のたった二文字に、すでにこれほどの教えが込められていたものであったとは。

やはりお経というのは素晴らしいものなのだとあらためて知るのでありました。




  (銀杏 いちょう)

No.49 22/11/26 03:54
旅人さん0 

と、【一休】さんの話が出たところで(…出した本人がいう言葉ではない気がする)。

私の世代、アニメ【一休さん】が放映された時代でありました。
この作品、再放送も何度もされたもので、主題歌は今、一部のTikTokとかで使われているようであります。

昔から頭のネジが数本足らなかったおば(か)さんは、この主題歌になんの疑問も羞恥心も持たず、大声で歌っていたものでありますが、今ネットでこの歌に関して何気なく検索してみたら、「恥ずかしくて歌えなかった」「どうして一休さんのアニメでこの出だし?なんでこんな主題歌なの?」等々の意見があって、
本当に今更ながら
「なるほどぉ〜」と思ったのでありますが、たしかに、


♪ 好き好き好き好き好きっ好き!
 愛してる

 好き好き好き好き好きっ好き!
 一休さん ♪

この出だしは、今こうして打ち込んでいて、恥ずかしい。
たしかに、そう言われれば、どうして、『一休さん』のアニメの主題歌が、いきなり「好き好き好き好き好きっ好き! なんだ⁈」と思う。

ですが当時の私は、なんの疑問も浮かばず、羞恥心が浮かび出ることもなかった、ネジも足りなければ、恥をも知らない、(…別段今と変わらないのでは…?)お子さまでありました。

そして。
エンディング曲の、

♪ ははうえさま〜
 お元気ですか

 夕べ杉の梢に明るく光る星一つ
 見つけました

 星はみつめます
 母上のようにとても優しく
 私は星に話します

 くじけませんよ
 男の子です
 さびしくなったら
 話しに来ますね 

 いつかたぶん… ♪

…この歌に関してはいまだに好きでありまして、記憶の中にあるものをそのまま打ちこんでみたのですが、念のため確認してみたら全てあっていたほどに歌い込んだようでありました。
あ、今は聞き手(夫)がいろいろうるさいので、歌いませんが、ね。


が。

私の世代。
これ以前にもあった『一休さん』の歌も知っているんですよね。
童謡?文部省唱歌?
…もはや検索してもなかなかHITしない作品となってしまったようですが、…あるんです。

No.50 22/11/26 04:27
旅人さん0 


♪ 一休さん 一休さん
この橋わたっちゃ いけません
なぜなぜわたってきたのです
いえいえ 橋はわたりません
まん中とおってきましたよ

※{なるほど なるほど
 これはまいった しくじった
 アハハッハハ オッホホホ}


一休さん 一休さん
お膳にでてくる お吸いもの
おふたのまんまで めしあがれ
おやおや おつゆが冷えました
おふたを取らずにかえとくれ

※印 くりかえし


一休さん 一休さん
びょうぶに描いた あの虎を
しばってください この縄で
はいはい どなたか追い出せば
わたしがとらえてしばりましょう

※印 くりかえし


これはちょっと、私の記憶と歌詞が異なるところがあるのですが、何しろ、ネットで検索しても、もうこの歌に関してHITするのが二件、(…あくまでもおばさんリサーチ、ですが)
十中十、ここにコピして貼り付けたものがあっているものなのでしょうが、ね。…。

…何をそこにこだわるかというと、私、うちの子どもたちが小さな頃、子どもの前で歌っていたものだから…。間違えて歌っていた母のせいで、間違えて記憶してしまったかもしれないという罪悪感が今沸々と沸いております次第でありまして。
ま、今後真実を知ることがあったなら
「ああ、あのボケた母親がまた」
と思うだけなのでありましょうが、ね。

アニメの『一休さん』の〝母上さま〟とはまるで違う、母親でごめんなさい、と心の中で詫びておこう。


そんな一休さん。

杖の頭に髑髏を付けて町中を練り歩いた、などというショッキングな逸話があるのをご存じですか?
私の頃の子供向けの伝記にはここまでしっかりと記されていたという、今では考えられないことが、普通にありまして。
でもそれが真実であるか否かはとにかくとして、そういった逸話があることも、包み隠さず書いてあった昔の子供向けの伝記の方が私は好きかもしれません。

少し話はそれますが、〝野口英世〟の借金ぐせも、それを一晩でパァァっと遊んで使い果たしてしまったことも、私の時代の子供向けの伝記にはみんな包み隠さず書いてありました。


一休さんに話を戻しますが、一休さん、奇しくも臨済宗の僧でありまして。
「ああ、一休さんは濁らない般若心経の方をお唱えされていたのだなあ」と思った、おばさんでありました。

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