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神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編(ふたたび)

神社仏閣巡り珍道中

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旅人( pu5bob )
22/08/12 09:49(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く、本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間です。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことのない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。

22/05/09 22:30 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。

No.3536620 22/05/08 22:26(スレ作成日時)

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No.1 22/05/09 16:59
旅人 ( pu5bob )

今年のゴールデンウィークは、コロナ禍となって初めて規制のないものではありました。
が、元々人混みの苦手な私ども夫婦。テレビに映し出される鎌倉や日光の様子を観ては「ああ、行きたいけれどこれじゃあねぇ」とため息をつくばかり。

ゴールデンウィークではなかったものの、
四月に執り行われた日光二荒山神社の弥生祭は今年も神職のみで執行されたようでしたし、善光寺さんの御開帳は夫の体調不良で行けなかったし。
そもそもがこんなことでブツブツ言っているあたり、少しも減らない煩悩を物語っているのですが…。

ゴールデンウィークに出かけたところといえば、参拝の方もおらず、お寺の方もお出かけになられたお寺さんであったり、野仏さまのおられる山道でありました。

…ん?
日光…?
【鎮将夜叉尊】さまのの御開帳が行われている【輪王寺】さんに蔓延防止等重点措置が解除されてすぐ、日光に出むき、鎮将夜叉尊さまを参拝させていただいたことを、まだ書いていなかったのでは…?


昨年の十月に輪王寺さんから送られてきました御札のご案内に、鎮将夜叉尊さまが九年に一度の御開帳となるとありました。
もう二年も行けず、ずっとずっと行きたかった日光。行きたくて行きたくて、それでも我慢しておりました、日光。

蔓延防止うんちゃらが解けたなら、…行ってもいいんじゃ?
N 95のマスクを着用し、念のためフェイスシールドも持ち、食事は持参して車内で食べる!
ゴールデンウィークにならないうちに、行ってしまえ、ということで、いざ日光へ。


その御札のご案内とともに送られてきた、御開帳の案内には、
なんでも、今年は五黄中宮という年にあたるとのことで、九つある星のいずれにも暗剣殺の付かない年であるといい、
暗剣殺は付かないが、全ての星に良くも悪くも強運が出やすく、天災や大事件が起こりやすいと言われているのだと書かれていました。

五黄中宮の年であった平成7(1995)年は、1月に「阪神淡路大地震」、3月に「サリン事件」が発生している年で、それ以前にも、関東大震災、伊勢湾台風、三億円事件、太平洋戦争勃発、三原山噴火などが、この五黄中宮の年に起こっているのだといいます。

うーん。


とはいえ、「東日本大震災」は五黄中宮という年回りではなかったし、悪いことを拾えばキリが無いだろう。

No.2 22/05/09 17:46
旅人 ( pu5bob )

…私どもが日光へと参拝に出かけた頃にはすでにロシアのウクライナ侵攻が始まっておりました。
その時には、このように長期化するなど思ってもおらず、さらにはこの戦争が世界情勢にこんなにも大きな影響を与えることとなろうとは、当時思ってもおりませんでしたが。

そもそもこんな煩悩だらけのおばさんが、鎮将夜叉尊さまを参拝したところで、なにが変わろう。
むしろ参拝しないほうが鎮将夜叉尊さまのお力がより発揮されるのではないか?

…でもそこは煩悩のかたまりのおばさん。九年に一度の御開帳の鎮将夜叉尊さまを一目拝したくて、日光に行きたくて。

目指すは輪王寺三仏堂。

…三仏堂さん、今まで以上に拝観者を集客して、あの御札、この御守をとご案内しておりました。
こんなご時世にもっと近くに詰めてお寄りくださいって…よいのか?
そも、こんなに集客しては五センチにもみたないといわれる鎮将夜叉尊さまはちゃんと拝観できるの?


…できました。

長い時間をかけては無理でしたが、しっかりと拝んでくることは出来ました。
小さな小さな御仏さまでありました。ですが、細やかに彫られたお美しい御像でありました。
少なくとも江戸時代初期にはすでにあった御像でありましょうに、ごく最近作られたといっても通るくらい、美しい、白檀でつくられたものでありました。
坐像であられる鎮将夜叉尊さまは、その座られた下に悪しきものを幾つも抑えておられました。


実は鎮将夜叉尊さま、毘沙門天さまの特殊なお姿なのだそうであります。


【慈眼大師天海】さまが日光山に伝えた【鎮将夜叉法】は、鎮将夜叉尊を本尊とする密教の修法といいます。
世の混乱や災いを鎮圧し、災いを吉祥に転ずる利益があるといわれ、
天台密教における『四箇大法(しかだいほう)』の一つにも数えられているというものだといいます。

家光公が髷の中に入れて、お守り代わりにしたともいわれているとのこと。
今は金色に光る二重の御厨子に納められておりました。
普段は大護摩堂におさめられてお祀りされておられるのだということであります。

No.3 22/05/10 06:36
旅人 ( pu5bob )

世界遺産となった日光の社寺の中の、こと輪王寺についてはあまりふれたことがなかったように思いました。
といいますのも、十三年に及ぶ長いこと大修理をしており、その間は実物大の写真の印刷された大きな垂れ幕で覆われておりました。

その半解体ともいわれる大改修の様子を、二十六メートルという高さの三仏堂の中に設置された階段を使って最上階…というか屋根の上と同じ高さにあたるところあたりまで行って、その高さや工事の様子を見てまわることもできましたが。
(この見学用の通路は、【天空回廊】と呼ばれ、三仏堂の屋根の頂上と同じ高さで造られたもので、ビルの七階相当の高さとなるものでありました。三仏堂の屋根の上から日光の門前町の様子を眺めることができました)
…それはそれで滅多にないある意味歴史的な機会ではありましたので、ここに記してはおきましたが、なにぶんにもその際にはご本尊さまである三仏もおられず、本堂を参拝したという感覚ではありませんでしたし。
その後の参拝でも、毎回毎回拝観の形が異なっており、ようやく今回、前回の参拝と同じ形での拝観となっておりました。(とはいえ、団体客でもないのに、ツアーのように拝観する形は以前からのままでありましたが…)


三仏堂さんへの拝観は、まず黒門と呼ばれる門をくぐるところから。
ちなみにこの〝黒門〟にも御朱印があるというサービス精神たっぷりなお寺さんです。

黒門をくぐると真正面に見えてくるのは大きな大きな香炉であります。
それを中心に向かって右側に、宝物殿、逍遥園があります。

【逍遥園】は輪王寺門跡の庭園として江戸時代初期に造られた庭園です。ここはここでたいへん心落ち着く、見事な庭園であります。

そして黒門をくぐってすぐのひだりてに鐘楼があります。
それを香炉の辺りまで進むと、拝観券の購入受付の建物があります。
拝観券は時によりいろいろなセットがあり、『逍遥園・宝物殿』『三仏堂』『大猷院』全てに入れるもの、『三仏堂』のみ、『三仏堂・大猷院』といったものが今回は用意されていました。

ちなみに。
鳴き龍で有名な薬師堂は、東照宮の中にありますので、こちらで購入する拝観券では入ることができません。
東照宮への拝観券をあらためて購入する必要があります。

No.4 22/05/12 04:50
旅人 ( pu5bob )

幅広いコンクリート製の階段を登ると、まるで吸い込まれるように高くて広い、開け放たれた扉の向こうに外陣があります。
高さ二十六メートル、柱の端から端までが三十四メートルという大きな大きな建物だけあります。

その入り口を入るとすぐに目に入るのはかなりの高さにある外陣であります。この大きな建物にあって、実は外陣はさほど広くはなく、須弥壇も外陣も驚くほどに質素でシンプルです。
その須弥壇の向こうに、こちらのご本尊さまの尊顔を拝することができます。
こちらのご本尊さまは三仏堂の名の由来ともなる、三仏、【千手観音】さま、【阿弥陀如来】さま、【馬頭観音】さまであります。


その、外陣へと上る階の上から、若い係の方が声を張りあげて言うことに「出来るだけ前に詰めてください。お隣との間を詰めてもっと前にお越しになってください」


はっ?
その台本はいつの時代のもの?
誰もがそう思ったようで、おずおずと顔を見合わせていました。なおも若い係の方は「もっとお隣との間を詰めて、…そこはもっと詰めてください」
ここは治外法権ですか?

…コロナ禍となって三度目の春。
さまざまな考え方が広がっています。今後ますます、その感染対策に対する温度差は広がっていくことでしょう。
それはそれでよいのではないかとは思っています。
それはもう〝生き方〟というものにすらなっているので。

経済がまわらなければ、その日の生活すらが危ぶまれる方が実際何人おられることか。
物価は上がり、お給料は減り、楽しみもなければ、生きがいすらないような世の中では、世を儚むことにもなりましょう。

ですが、人との距離をできるだけ取りたいと考え、その上で、行動したい人間も当然あるわけで。
それもまた当然の権利であると思うのです。

それをできるだけ距離を縮めるよう指示するのは、私にすれば言語道断。憮然として仏頂面でそこに立っていたものの、そこはコロナ禍、マスクではその表情で感情を伝えることは残念ながらできませんでした。

そこで始まるのは日光名物の御札や御守りのご案内。
…たしかに。緊急事態宣言下においては、参拝すらを止めておられましたし、コロナ以前の集客にはほど遠いものでしょう。

ですが、ねえ。


閑話休題。


No.5 22/05/12 05:56
旅人 ( pu5bob )

こんな乱れた感情で御仏の前にいてはならない。
そう考えて、少し視線を上にすると、須弥壇にさらに御仏の御像がお祀りされておりました。

若い係の方は、かつてはその存在すらがごく一部の方にしか知られていなかった〝鬼門除け〟のお札のご案内を声高に始めました。
「一家にお一つ、世帯の異なるご家族にはまた別に一体をお受けいただき、玄関や人の集まる居間などにお祀りください」
…もはや日光山名物、とも言えましょう。
かつてはそんなご案内を最前列で熱心に聞き、一体、あるいは複数体の御守りを購入していたものでありましたが…。
ちなみに、今年もわが家の居間にお祀りさせていただいてあります。

外陣を右に歩いていくと、回廊のようになっており、そこを進んでいくとすぐに【慈眼大師】さまの尊像がこちらを優しく見守っておられます。(あいも変わらずどこも進歩なく、未熟者で申し訳ありません)と、心の中でお詫び申しあげるのでありました。

この回廊の壁や柱は、何層も何層も漆を塗られ、重厚にして神々しいものとなっております。とても木造建築物には見えません。

そして、この三仏堂、ご本尊さま以外にもたくさんの御仏像がお祀りされております。
そんな御仏には見向きもせずに案内人は折れ曲がった短い階段を降りて行きます。

おおっ!

何度拝しても大きく神々しい御仏さまです。千手観音さまの横顔から見えてまいります。
こちらの三仏、実は日光山の三山、男体山、女峰山、太郎山をそれぞれ本地仏とされました親子の御仏三躯。
一番右におられますのが男体山であられる千手観音さま。
真ん中におられるのは女峰山の阿弥陀如来さま。
左におられる馬頭観音さまが太郎山となります。
一番大きな男体山でありますのに、何故か一番小さな千手観音さまです。
しかも本来ならば古来より中心となるべき父親に当たるはずなのではないかと思うのではありますが…。
係の方曰く、女性が中心で笑っている家庭こそが一番理想であるからだと説明をされておりました。

はあ…。

長い長い歴史の中、いろいろなことが後付けされたり、元とは違った伝承となってしまったりしているのではないだろうか、…そんなふうに思うほどに、こちらの説明を聞く機会を持ってしまったようであります。


No.6

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No.7 22/05/12 15:28
旅人 ( pu5bob )

大きな、煌びやかで神々しい三仏の前を、いつの間にやら集団客化されて、順番に、案内人に誘導されながら、歩いて行きます。
(もっとゆっくりと御仏と向き合っていたいのだけれど)
雑念と煩悩でできたおばさんは常に不満たらたらです。
ちなみに、こちらの三仏堂は一度出てしまえばもう一度拝観券を購入しに、まさにふりだしに戻ることとなります。
お願いだから、私を自由にさせて!
とばかりに、少し早めに先に進んでいくと、私について来られる方。
そしてそれに合わせて誘導員…ではなく案内の方の人数が増えます。
前半、後半。
最終的には三つか四つのグループになっていました。
結局はグループ、なのでありました。なかなか流れに逆らって逆戻りすることは人数的にも難しい、…というか最初のスタートよりも人数が明らかに増えています。
やれやれ。
ベルトコンベアーに乗っているようです。

と、曲がり角に見慣れないスポットが。大きな大きなご本尊とはうって変わって、小さな御厨子に光が当たっています。
おおっ!もしやこれは?
後ろからついてきた案内の方が、
「それではこちらで足をお止めください」
「こちらが九年に一度だけ御開帳されております、鎮将夜叉尊さまであります。ここからの説明は前述させていただいた説明同様のもので、
『世の混乱や災いを、吉祥に転ずるご利益がある』である等々…。
…「慌てず、どうぞごゆっくりと拝観なさってください」

(おおっ!✨)

…小さな御厨子に入られた小さな小さな御仏像です。
しかしながら、こちらの小さな御仏は特にライトアップされていることもあり、燦然と光り輝いています。

前から3、4番目からの順番です。
しかも案内の方は繰り返し
「せっかくの機会ですのでどうぞごゆっくりお参りなさってください」とおっしゃってくださる。

おおっ!✨


しかぁし。やはり考えが甘かった。
すぐそばにある石の階を使って「鎮将夜叉尊さまの〝と・く・べ・つな〟御守を用意させていただいております。これは肌身離さず常に身につけていられるものとなっております」

これは…?
郵送で送られてまいりました案内にあった鎮将夜叉尊さまの御守りとはまるで違うデザインです。(ちなみにこちらでのものとはちがったデザインのものはすでに郵送で授与していただいております)

…やれやれ、また煩悩が。
それを物欲っていうんです!

No.8 22/05/12 16:50
旅人 ( pu5bob )

そんな物欲に打ち勝って、先へと進みました。
十二支の守り本尊さまが並んでおられます。
そこでは生まれ年の干支の守り本尊さまの梵字守のご案内です。

…こちらは、すでにもう何年も前にお授けいただいて、ほぼ毎日身につけております。
厚さ1ミリくらい、縦2センチ、横1.5センチほどの金属に金色のメッキがされ、それぞれの守り本尊さまの梵字が彫られ、そこに白い塗料で梵字を見やすくしたシンプルなものです。ほとんど毎日つけていたものだから、もうメッキが剥がれて地金が出てしまっています。ただ梵字の白はほぼそのままに残っています。
…こんなに使う人はあまりいないのだろうな。
もう紐は何度取り替えたことか。



ここまで来ると出口となります。
出口付近に御朱印の授与所があるのですが、ここはいつもごった返していて気づかず出てしまう方がおられるかと思います。

ここを出ると今までは、案内の方はおられなかったのですが、なんと今回は出口から出ても案内の方が配置されていました。
大改修工事を終えた三仏堂の、幾重にも塗られた漆塗りの素晴らしさを案内してくれました。
そこで終わりか、と思いきや、今度は隣の護摩堂の数珠のご案内。
なんだかここまで来ると、さすがに噂に聞く格安バスツアーに必ずセットされているという、商品の案内のような気がしてきました。



私は日光の澄んだ空気が大好きで、この二社一寺が大好きで、それがこのコロナ禍となってからずっと来られず、今回ようやく来られましたのです。それが、よりにもよってセールス力をパワーアップして迎えてくれようとは。

数多くの文化財を守るために、そうした…財源の確保をするために、人々の信仰心に訴えたさまざまな工夫をするのは、悪いことではないと、以前ここにも書きました。
ましてやこのコロナ禍で、参拝をストップしたこともありましたし、参拝の方は元のようには戻ってはいないことでしょう。
日本人と同じくらいおられるのでは?と思われるほどに多くおられた外国人の観光客も来られずにおります。

でも、ね。
でもですよ?
団体の観光で来たわけではないんです。それを勝手に一括りに団体客化して、あの商品この商品と商品の案内に重きを置かれては、あまりに悲しいです。

そんな気持ちを抱えてしまい、今の今までなかなか珍道中録を書く気にならなかった…ということかもしれません。



No.9 22/05/12 22:42
旅人 ( pu5bob )

ついに日光輪王寺商法にプッツンいたしました私は、始まったばかりの数珠の〝ご案内〟を振り切るように、大護摩堂へ入りました。

護摩堂は文字通り護摩焚きの修行を行うための御堂であります。参拝者も護摩焚きのご祈祷を申し込むことができるのですが、私はこちらの御護摩祈祷をお願い申し上げたことがなく、そういった一般の参拝者は入り口を入ってすぐのところで参拝して終わり、となるものでありました。…今までは。
それゆえ御護摩の様子は拝見したこともなく、ご本尊さまとされる【五大明王】さまを拝見したこともありませんでした。

コロナ禍となる三年ほど前に、一年をかけて期間を区切り、何月から何月までは〇〇明王さま、のいうように五大明王さまの御朱印を頒布したことがございまして、その際初めて、こちらのご本尊さまが五大明王であらせられることを知ったくらい。
御護摩焚きの申込みをされた方のみが五大明王さまの尊顔を拝することができたのでした…今までは。
今回、なんと、正面に五大明王さまのお姿があるではありませんか!

しかも、です。
今までは護摩堂入り口でお賽銭箱にお賽銭を納めるだけでUターンするしかなかった御堂の中が開放されていて、共に御護摩の様子を見学させていただけることとなっていました。

や、やったぁ♡!

No.10 22/05/13 06:19
旅人 ( pu5bob )

御護摩祈願は、以前は一日三回ということで、たくさん行列が出来るほどでありました。
よく、「○時からの御護摩祈願の申込みは締め切らせていただきます」と放送されておりましたのも覚えています。

それが、昨年の四月より一日五座となったようです。またコロナ禍ということもあり、以前よりずっと参拝の方が少なくなっていることもあるのでしょうが、こちらに列をなすようなことがないよう工夫してくださったようです。

私どものような御護摩の席に列席させていただいている者は、遠くから拝する五大明王さまをはじめとするたくさんの御仏の像を、
御護摩祈願を申し込まれた方は、ずっと間近に拝することが出来るようです。
五大明王さまは平安時代の作とのことで十二天、七福神もおられるようで、三十尊が安置されておられるとのこと。
この護摩堂の中にはその他に数百もの御仏像が安置されてされておられるようで、さらに二階には写経所があるようなのですが、二階には薬師如来さま、釈迦如来さま、阿弥陀如来さまの三尊像が安置されているとのことでありました。

こちらの天井画は金色に輝く龍の絵で、それはそれは見事なもので、思わず息が漏れるくらいであります。
こちらは人間国宝吉原北宰氏がおおよそ二年半かけて描いたものとのことで、【大昇竜】と称されます。


ちなみに、こちらの龍のお顔を使って作られた黒を基調にしたご朱印帳は大変気品のあるものであり、私がまさに今使わせていただいているものであります。


ほどなく始まった御護摩祈祷は非常に丁寧で上品な声と所作で、今まで他所で拝見させていただきました御護摩とはだいぶ雰囲気が異なるものでありました。
大きな太鼓の音が響きわたり、炎が大きく高く燃え、火の粉が舞い散るような、そういった御護摩ではなく、静寂な堂内に静かに響き渡る、高貴な雰囲気のする御護摩祈祷でありました。

鎌倉時代から皇族が住職を務め、江戸時代には天下人の祈祷をしていたという流れをくむものゆえでありましょうか。


三仏堂が国家安泰のご祈祷をされるところであるのに対し、護摩堂は御護摩を焚き修行を行う場であり、かつ、個人の願い事を祈願し祈祷するところ、となりましょうか。
こちらの建物は1998年に造られたもの。御護摩を焚き修行し祈祷することから耐火を考えて建てられたようです。

No.11 22/05/13 09:36
旅人 ( pu5bob )

大護摩堂(おおごまどう)の御本尊であられます【五大明王】さまは、
・不動明王さま、
・烏枢沙摩明王さま(天台宗における。真言宗では金剛夜叉明王)、
・軍茶利明王さま、
・大威徳明王さま、
・降三世明王さまであります。

不動明王さまを中心として方角を司る守護神でもあり、それぞれに方角の配置があります。
・北の方角:烏枢沙摩明王
・南の方角:軍茶利明王
・西の方角:大威徳明王
・東の方角:降三世明王
・中央:不動明王
ちなみに、この方角の論理は日本特有のものだそうです。


烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)さまは不浄除け、金運上昇のご利益があるとされており、トイレに御札が貼られていたり、トイレのそばに烏枢沙摩明王像が祀られる寺院も少なくありません。
人間界と仏の世界の間にある【火生三昧(かしょうざんまい)】という炎の世界に住み、人間の煩悩が仏の世界に広がらないよう焼き払い浄化しておられるということであります。

軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)さまは、煩悩除去、息災延命のご利益があるとされます。阿修羅や夜叉などの外敵から人々をまもり、さまざまな障害を取り除くとされます。
甘露軍茶利明王、または吉利吉利明王とも言われるそうです。

大威徳明王(だいいとくみょうおう)さまは、戦勝祈願、煩悩除去のご利益があるとされます。
阿弥陀如来さま、あるいは文殊菩薩さまの化身といわれ、名前の通り威厳と人徳が備わり悪しきものを打ち倒すとされています。
水牛の顔をした悪鬼を退治したとされ、水牛になったお姿をされているということです。

降三世明王(ごうざんぜみょうおう)さまは、煩悩除去、怒りを抑える、悪魔退散のご利益があるとされています。
阿閦如来さま、大日如来さまの化身ともいわれるとのこと。
降三世の語源は〝三つの世界を降伏するもの〟という意味で、過去・現在・未来の世界にはびこる欲棒、怒り、愚痴という三つの煩悩を退治するといわれています。

金剛夜叉明王さまのご利益は息災健康、怨敵退散。
金剛とはダイヤモンド。何ごとにも破壊されない仏の智慧遠あらわします。
不空成就如来さまの化身ともいわれ、過去・現在・未来の悪い欲を飲み尽くし、仏の智慧で心の汚れを取り除くとされています。

…ちなみに、ここに書いたものは調べてみただけで、疑問に思う点もあるのですが、とりあえず記しておきました。

No.12 22/05/13 10:31
旅人 ( pu5bob )

【不動明王】さまのご利益は、除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、国家安泰、現世利益のご利益があるとされます。
語源は動かない守護者。
インドのシヴァ神の別名です。
シヴァ神は暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす反面、雨によって植物を育てるという、破壊と恵みの相反するものをもちます。
それは不動明王にも受け継がれ、仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏堂に入った修行者に対しては常に守護して見守ってくださいます。

また、大日如来さまの化身として、どんな悪人でも仏道に導くという決意をあらわした姿だとされています。
不動明王の脇侍として、八大童子のうちの矜羯羅(こんがら)・制咜迦の二童子が配されることも多いようです。
不動明王の持っている龍が巻きつく炎の剣が単独で祀られることもあります。

不動明王の目は天地眼(てんちげん)といい、右目を天に、左目を地に向けています。
口は牙上下といって、右の牙を上に、左の牙を下にしています。
手には剣と羂索を持っています。剣は大日如来さまの智慧の鋭さを表現し、羂索は煩悩を縛り、悪の心を改心させる捕獲用の縄のことです。


うーむ、皆さま煩悩除去を掲げておられます。これは、まさに私にとってかけがえない存在なのでは?

これはこちらの大護摩堂でご祈祷していただくとよいのかもしれません。



大護摩堂を出ますと、見上げる高さのモニュメントのようなものがあります。実はこれ、天台宗特有の仏塔とのことで、【相輪塔】というのだそうです。この相輪塔、家光公の発願により建てられたといい、東照宮の鬼門に建てられた供養塔とのこと。青銅製で、これもまた私の来られなかった間に綺麗に修復されたようです。

高さは十三メートル強、礎石を入れると十七・五メートル。内部には経典がおさめられているとのことで、邪気を祓い、聖域を守護しているということです。
建てられた当初は奥の院にあったようです。

この相輪、五重塔や三重塔のてっぺん、最上階の屋根の上にある金具のことであります。

ちなみに。現在では日本にたった三基しか現存していないとのことで、こちらの他は、
・比叡山 延暦寺
・大慈寺(栃木県)
とのことでありました。

No.13 22/05/13 15:11
旅人 ( pu5bob )

【夢をかなえるゾウ】という小説をご存知の方は多いかと思います。
そのゾウ(象)の名は【ガネーシャ】。

ガネーシャは、困難や障害を取り除き福をもたらすとされる、豊穣や知識、商業の神様です。
その姿はとても特徴的で、4本の腕をもつ太鼓腹の人間の身体に、片方の牙が折れた象の頭をもっています。
インドではとてもポピュラーな神様なので、人形や絵などを飾る人も多いといいます。
インド料理屋さんなどで目にしたことがあるかもしれません。

でもなぜ象の頭をしているか。

頭が象であることについては複数の神話がありますが、一番有名なものをご紹介しましょう。

インドの三大最高神の一人である【シヴァ】、その妻のパールヴァティーは身体の汚れを集めて人形を作り、命を吹き込んで自分の息子、ガネーシャとしました。

ある日ガネーシャが、パールヴァティーの命令で、入浴の見張りをしていたところ、シヴァが帰還しました。
ガネーシャはそれを父、偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒みました。
するとシヴァは激怒し、ガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまったのです!!
後にそれが自分の子供だと知ったシヴァは、怒りくるう妻のため、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけます。
しかし見つけることはできず、旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け、復活させたといわれています。

日本の神話もそうですが、外国においても、神話というのはなんとも突飛な物語が多いようです。
それは、人智を超える存在、神ゆえのことなのでありましょうが。

そして。ガネーシャは力太郎と同じ方法でこの世に生を受けています。
こうした創造は万国共通ということなのでしょうか。
まぁ、この辺はとりあえず置いておき。


なにが言いたいかというと、『不動明王』さまはこの『シヴァ神』のことだといわれているということで、なおかつ、『不動明王』さまは『大日如来』さまの化身だという…。

そして、ということは、夢をかなえるゾウ『ガネーシャ』は、不動明王さまの息子、大日如来さまの息子ということになっちゃうんですよね。
しかも、です。
仏教の守護神といわれる『歓喜天さま(聖天さま)』は、ガネーシャがルーツになっているといわれているのです。
えっとぉ…。






No.14 22/05/13 16:03
旅人 ( pu5bob )

…えぇ。
そんな私の頭では到底理解できない、さまざまなことが絡んで絡んで絡みついて、ほどけてまた絡んでいるようなことが、神話であるとか、仏さまのことであるとかを調べれば調べるほど出てくることがあるんです。

…まぁ、私の文章もそんなところがあるかもしれませんが。
私の場合、文章がおかしいとか、どことどこが結びついた文章なのかわからないとか、言葉の使い方が間違っているとか、多々あるのだと思われます。
要はそんなおバカなんです。
そんなおバカには到底理解ができないことが結構あるのが、神話であり、御仏のお話であり。

で。
たどり着くのはいつも「ま、いいかぁ」。

…だって調べれば調べるほどわからなくなるんです。もっと賢こければ、少しは理解できるところがあるのかもしれないのですが、どんどんこんがらがって、何がなんだかさっぱりわからなくなっていく一方なんです。

みんなみんな別個に考えて、一説によるとそうなんだ、そういう説もあるんだ、と、そう考えることにしています。

だって、以前お話の流れでその辺にふれたお坊さんすらが、苦笑いして言葉を濁していたくらいなんです。

そこで私が真剣に
「お坊さま、私にはその辺りがちっともわからないんです。私の頭でわかるようにお教えいただけますか」などと聞いたところで、お坊さん、お答えになれるのでしょうか。

ふぅっ。
まぁ、そういったわけで、シヴァ神とお不動さまの件は、別個に考える。お不動さまと大日如来さまも別個の御仏。
そう考えることにいたしました。



私は不動明王さまが大好きなのです。

不動明王さまの恐ろしくも厳しいお顔は、私どもを常に見守り、煩悩にまみれもがく私を救おうとしてくださっているからだと私は解釈しております。
本来、慈悲深い不動明王さまは、その救済すらが難しいほどに煩悩にまみれた者を力づくでも救おうとしてくださっておられるから。
手に持つ倶利伽羅剣で邪悪な心や迷う心をたちきってくださり、羂索で悪しき心を縛り上げようとしてくださっておられるから。


群馬県渋川市におられる不動明王さまは可愛らしくウインクをしながら照れ臭そうなお顔で立っておられます。
出向いた先で思いがけずお不動さまにお会いできるとホッといたします。

私の仏教との関わりはまだまだそんなところです。


No.15 22/05/14 14:14
旅人 ( pu5bob )

睡蓮の花が咲く季節となりました。
睡蓮を見ると、【芥川龍之介】の【蜘蛛の糸】を思います。


ある日のことでございます。
御釈迦様は極楽の蓮池のふちを一人でぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。
池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、なんとも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。

…。


蓮の花と、睡蓮の花。
実は私、この二つは同じものだと思っておりました。
ところがですね、あるお寺さんの庫裏のすぐそばにある池の縁で、ご住職さまと何気ない会話の中で、
「蓮の花がきれいに咲きましたね」
と申しましたところ、
「これは睡蓮です」
と言われました。

へっ?

家に帰って調べたところ、
蓮の花は『ハス科ハス属』
睡蓮は『スイレン科スイレン属』

まるで異なる植物であったのです。
両方とも水の中に根を張り、水面に葉と花をひろげ、咲く頃も初夏から夏。
その花も歯も極めて似ており、その違いは水面に葉と花を浮かべるように咲くものと、
水面から茎を伸ばしそこから葉をひろげ、花を咲かせるもの。
そういった違いこそあれ、まあどちらも『蓮』なのだろうと、ずっと思い込んでいたのです。

ふーん。

ご住職さまにご指摘されなければ、すーっと蓮も睡蓮も同じものだと思いこんだままであったことでしょう。

えっ?
じゃあ、あの『蜘蛛の糸』で御釈迦様が地獄の様子を覗いておられた池に咲いていたのは〝ハス〟?〝スイレン〟?
スイレンを植えておられるお寺さんもあれば、蓮を植えておられるお寺さんもあります。
『蓮』、なんだろうなぁ。

【蓮華の五徳】、という言葉があるようです。
・淤聹不染の徳
・一茎一花の徳
・花果同時の徳
・一花多果の徳
・中虚外直の徳

この五つの徳が、仏の街を歩むうえで正しい姿とされているのだそう。

イメージは睡蓮だったのだけれどなぁ。
だって結構蓮の背丈って結構高いものですから。その隙間を覗いてご覧になられるのより、水面に咲く睡蓮の方が覗きやすいし。

蜘蛛の糸の美しい文章は、読むだけでそのイメージが湧いてでるくらいのものです。
でもそのイメージする人物の知識が間違っていると、違う映像化がされてしまうということでありました。

でもなぁ。
イメージはもう睡蓮なんだよなぁ。

No.16 22/05/15 06:48
旅人 ( pu5bob )

前回のスレで誤字がありました。
お詫びして訂正いたします。
誤▶︎仏の街
正▶︎仏の道

過去におきましても、気づきもせず放置してありますものもありますかと思われます。申し訳ありません。


さて。
その前回のスレで、『蓮華の五徳』という言葉が出てまいりました。
蓮と睡蓮の違いすらわからなかったおばさん、当然、この言葉も初めて知ったもの。
私の覚書として書いておきます。


【蓮華の五徳】
蓮には五つの徳が備わっていて、この五つの特徴を私達が持てば極楽に生まれることができると言われているとのこと。このことを「蓮華の五徳」というそうです。


一、淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
淤泥とは、淤も泥も泥田を意味するとのこと。
蓮の花は泥の中から芽を出します。決して泥に染まらず水面より上に柔らかなピンク色、白色、黄色などの優美な花を咲かせます。泥水が濃ければ濃いほど大輪の花を咲かせる、とされています。
人は生きていくために、多くの過ちを犯しています。これを当たり前のことと思っていると、泥は汚泥のまま。
迷惑をかけずに生きることができないのが人間であると気づき、全てのものに対して感謝の心を持って生きようという教え。

二、一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
蓮の花は、一つの茎に一つの花を咲かせることから、命は一人一人に固有のもので、私の代わりは私以外にはいない唯一無二の存在であるということ。
自分自身をしっかりと持つようにという教え。

三、花果同時の徳(かかどうじのとく)
蓮の花は咲くと同時に実ができるのだといいます。
人は生まれたと同時に誰にでも、仏様の心が備わっているということ。
仏心の原石は備わっているので、それを日々大切に磨いていくようにという教え。

四、一花多果の徳(いっかたかのとく)
蓮の花は、一つの花にたくさんの実をつけます。
自分が開花(真実に出会う)すると一気にたくさんの真実が見え、それがのちに多くの人々の幸せに繋がっていくのだという。

五、中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)
蓮の茎には栄養を運ぶために、管のような穴が開いています。空洞があることによって強度が増しているといいます。
弱そうに見えるものが、実際は穴が開いているからこそまっすぐに伸びる強さを持っている、ということ。
人はまっすぐ生きる資質を持っているという教え。

No.17 22/05/15 15:21
旅人 ( pu5bob )

日光山輪王寺はお堂や塔、十五の支院全体の総称であります。


日光山内という地名で称される、いわゆる二社一寺の『日光東照宮』『日光山輪王寺』『二荒山神社』『家光廟大猷院』のあるところだけにとどまらず、輪王寺三仏堂から直線距離にして五百メートルほど離れた『開山堂』や、同じく直線距離にして四百メートルほどの位置にある『四本龍寺』などなど、輪王寺全ての参拝は私どもはまだ成しえておりません。

No.18 22/05/15 18:58
旅人 ( pu5bob )

『東照宮』は近世からでありますが、『輪王寺』と『二荒山神社』(近代初期の神仏分離で分けられたが、それ以前は一体のものであった)は、奈良時代からの山岳信仰によって創建された寺社であります。

平安時代には、天台・真言の密教が本格的に流入するとともに本地垂迹説に基づく信仰も盛んになります。

平安時代前期に、【最澄】(伝教大師)の後継者のひとり、【円仁】(慈覚大師)が来山したという伝えがあります。
円仁は下野国出身であり、そのころすでに聖地日光は広く知られていたので、ありえないことではないとされていますが、実際に円仁が日光に来たかどうかは不詳であるとされます。
ただ、天台宗の影響がそのころより高まっていったことは確かなようで、比叡山にならい【常行堂】と【法華堂】が建てられます。
さらに鎌倉時代には幕府に厚く保護され、比叡山に次ぐ寺格を誇ったといいます。

常行堂は、十二世紀半ばの創建とも、円仁によって創建され十二世紀半ばに再建されたものとも伝えられていますが、いずれにしてもその後に場所を移して再建されています。
『法華堂』・『常行堂』の二堂が同サイズで並び立つ形式を守っていること、『常行堂』本来の本尊である【阿弥陀五尊像】をまつっているのは伝統を忠実に引き継いでいるものと考えられ、大変貴重な遺産といえるのだといいます。

この『常行堂』と『法華堂』は渡り廊下でつながり【二つ堂】とよばれます。
こうした造りは全国でも珍しく、比叡山と輪王寺でしか見られないものだといいます。
常行堂と法華堂は、法華堂がやや小ぶりなももの、一見するとまるで双子のような、そっくりの建物に見えます。
けれど実際は、常行堂は純和風のもで、一方の法華堂は総朱塗りの純唐風建築であります。

こちらには他の御堂のような拝観受付とかがなく、最初は中には上がることができないものだと思っておりましたが、実はこちらは拝観料とかのない御堂。しばらくは前を通り過ぎておりました。

あるとき、中に入ってこちらの御本尊さまを拝観できると知り、恐る恐る靴を脱いで、中に入りました。
こちらは拝観自由、つまりは心ゆくまで御仏に向き合うことのできる御堂であったのです。
以来、こちらには必ず寄らせていただいてゆっくり自分のペースで参拝させていただいております。

No.19 22/05/15 23:11
旅人 ( pu5bob )

靴を脱いで入ってすぐは、室内ながらも向拝のようなところとなります。
そこでまず参拝し、向かってひだりてに向かいますと、御朱印などを授与していただく受付があり、その手前から、さらに中に入ることができます。

…が。
この日はそこから入ることができませんでした。
まさかここ常行堂では徹底したコロナ対策で中にまでは入れないようにされている?
あきらめの悪い私は、受付でお聞きしました。
「本日まもなく始まる法要のため、お入りいただけないんです、申し訳ないですね」

法要かぁ。
…たしかに、このコロナ禍においては、今まで盛大に一般参拝者も参列させていただけた行事が、のきなみ皆、関係者のみでしめやかに執り行われるようなっております。


こちらの御本尊さまは前スレで少しふれましたが、『阿弥陀五尊像』さま。
中尊は平安時代までさかのぼれる【宝冠阿弥陀像】として貴重なだけでなく、五尊が揃ったきわめて珍しいもののようで、他に阿弥陀五尊像で今日まで伝来しているものとしては、岩手の毛越寺のみで、毛越寺さんは近世の作であることからも大変貴重な御仏像のようです。

中尊の阿弥陀如来像は、像高70センチ弱の坐像で、一般的な阿弥陀像の姿とは異なり、まげを結い、宝冠をかぶり、両肩を覆った衣がぴったり肌についているお召し物を召されたお姿であります。
尊顔はやや丸みをおび、穏やかでたいそうお美しくお優しいお顔立ちをなされています。腕はやや短くつくられ、膝の張りは控えめ、あまり襞(ひだ)も刻まず、そして何よりの特徴として、孔雀にお乗りになられておられるのであります。
ちなみに、こちらの中尊の説明として、
…平安後期らしい落ち着いた造形であり、十二世紀半ばの、常行堂の創建当初(あるいは再建時)からの像と思われる。像内に鎌倉から江戸にかけて4回修理を受けた記録が残っている。
とありました。

四体の脇侍菩薩は像高30センチ弱の小さな坐像で、やはり孔雀にお乗りになられています。
二体は中尊と同時代と考えられなくもないようですが、やや引き締まった印象からおそらく鎌倉時代のものではないかとされ、他の二体は室町時代の作と考えられているそうです。小さな御像ながら厚みのある体躯をもった堂々たる像であります。

ちなみに中尊、脇侍とも鳥獣座(孔雀)に乗っているのは、後補であるようです。

No.20 22/05/15 23:44
旅人 ( pu5bob )

ちなみに、脇侍菩薩さまはそれぞれ、法・利・因・語の四菩薩さま、ということです。


その昔、常行堂では、常行三昧(じょうぎょうざんまい)という仏様の周りを歩きながら念仏を唱える修業が行われていました。その為、内陣は本尊の周りをぐるりと回れる造りになっているのだそうです。
現在では、回向(えこう)の道場となっており、先祖供養・水子供養をされるところ、のようです。

以下、輪王寺のホームページより。

…回向とは、「自分の積んだ功徳を、他者に回し向けること」をいいます。現代の日本では、特に先祖や亡き人々の供養をする意味で使われます。そして、回し向けた功徳は、廻り廻って必ず自分のところへ戻ってくるのです。
常行堂は、回向(先祖供養・水子供養など)の道場です。皆様に代わって、毎日読経し供養いたします。
・先祖供養、水子供養で何をすればいいか分からない。
・お墓が遠くて、なかなか御参りに行けない。
・供養は大事だと思うが、大きな費用はかけられない。
・事情があって、近くのお寺で供養できない。
このようなお悩みをお持ちの方は、輪王寺常行堂での回向をお勧めいたします。
常行堂での先祖供養・水子供養は、檀家になっていただく必要はございません。宗門・宗派に関係なくどなたでもお申し込みいただけます。
御位牌をお作りしての永代供養や、引き取り手のない御位牌をお預かりすることもできます。
…。


列席しての法要も可能なようです。す。

ん?
この日の法要って…、まさにその回向の…?
…そうか、そうでしたか。


輪王寺さんって、案外身近なお寺さん、だったんだなぁ。


ちなみに。
二つ堂と称されるくらい、密な関係にあるのかと思われます『法華堂』は、中に入ることはできません。いつも固く戸が閉ざされています。
常行堂が常行三昧を行うのに対して、法華堂は法華三昧を行う道場、なのだとか。
御本尊は普賢菩薩さま、左右には鬼子母神さま、十羅刹女さまが御祀りされているようです。

No.21 22/05/16 09:52
旅人 ( pu5bob )

昨年の十月、わが家を訪ねてきた姉が玄関先で靴も脱がずに、
「うわぁ」とどこか嬉しそうな驚いたような声をあげました。
「なぁに?どうかしたの」
「これ、日光の龍神破魔矢じゃない?いつからあったの?」

ええっ?
…いつからあったって、もう何年も前からそこに変わらず置かれていましたが?その間、何度となく訪れていると思いますが?
私「いつからだか忘れちゃったけど、頻回に日光に行っていた頃、
『このたび破魔矢発祥となる烏摩勒伽さまがお持ちになられる矢をかたどった、昇り竜の彫刻された破魔矢をお作りいたしました。ついこの間からお授けいたしておりますが大変ご好評いただいております』
って言われて、たしかにその前の参拝の時にはなかったから、本当に出たての頃だと思うよ。
でもその時は我慢したんだけど、やっぱりどうしても家におまつりしたくて、一ヶ月後ぐらいにお受けしてきたんだから。
もうずっとここにおまつりしてあるんだけど」
姉「うわぁ、そうなんだ。いいなぁ」
私「えっ?行けばいいじゃない。大猷院でおうけできるよ」
「実はね、○○テレビの〔占ってもいいですか〕っていう番組で紹介されて欲しいなぁと思ってたんだ」

…出た。自称テレビっ子で占い大好きな姉。よくテレビの影響を受ける夢みるおばさんであります。
「一緒に行かない?」

ええっ?この時期にぃ?
秋の日光、いろは坂の紅葉で一年で最も混むとされる時期にですかぁ?
一笑しことわったところ、週が明けた月曜日、姉から電話が入りました。


姉「行ってきた」
私「えっどこに?」
姉「日光だよぉ」
私「ええっ!? この紅葉シーズンに?
○○さんと?(別れたご主人)」
姉「違うよぉ、一人で行ったんだよぉ。すっごい混んでて疲れたよぉ〜」
…だから混んでるって言ったじゃない。
姉「でもねぇ、売ってなかったん」
私「なにが?」
姉「龍神破魔矢だよぉ〜」
私「えっ?嘘でしょ?いつも山のようにあるよ?一緒にお住まいでないご家族などにも是非っていうくらいで、いくつも買ってる方がいたくらいだよ」

姉「テレビでやってからすごい人気であっという間に品切れになって、今申し込んでもニ、三ヶ月後になるんだって」
私「…(絶句)」
姉「でも申し込んできたから」
私「…よ、よかったねぇ」

No.22 22/05/16 10:00
旅人 ( pu5bob )

(つづき)
姉「平日に行ったんだけど、すごかったぁ。もう疲れちゃって、二日くらいほとんど寝て過ごしてた」
私「ええっ?大丈夫なの?」
姉はまだあまり元気、とはいえないような声ではありましたが、達成感と興奮を誰かに伝えたかったようで、一通り話すと一方的に電話を切りました。

うーむ。


常行堂のすぐお隣が大猷院の入場受付です。入場券はすでに入手してありますものの、その混雑を思うだけで気持ちが重くなりそうです。

恐る恐る受付の方に眼を向けると。受付自体はあまり混んではおりません。
受付で入場券をお渡しし、何気に貼られている貼り紙を見ると…。
な、なんと!この受付で龍神破魔矢をお授けいただけるようです。
と、いうことは、大猷院の外陣で破魔矢をお受けしない方もおられるのでは?

うわぁ♡
私、実はこの大猷院も大好きなところなのであります。
ゆっくりと、静かに拝観できるかも。


No.23 22/05/17 00:28
旅人 ( pu5bob )

【家光廟大猷院】は、徳川三代将軍である『徳川家光公の霊廟』として1653年に建立されました。
【四代将軍家綱】公の命によって造営が決まり、家光公の重臣であった老中の【酒井忠勝】が指揮を執って絢爛な拝殿や墓所をわずか一年で完成にこぎつけたという、家光公への忠誠心が詰まった廟と言えます。
ちなみに『大猷院』とは、家光公の法名、正確には後光明天皇より賜った法号であります。

大猷院は輪王寺の一堂でありますが、本堂である三仏堂から離れ、まるで東照宮を挟むかのような位置にあります。
そもそもが明治の初めの神仏分離令以前のものでありますので、元々は一つのものでありました。

【日光東照宮】と言えば【徳川家康公】を祀った神社。
家康公は子孫を見守るために自分を神として祀るように遺言し、その地に日光が選ばれました。
現在ある東照宮はそのほとんどが、家康公を敬愛する、孫家光公が【寛永の大造替】で建て替えたものであります。
日光東照宮と同じ輪王寺の境内に大猷院が造営されたのも「死んだのちも東照大権現(=家康公)にお仕えする」という家光公の遺言によるものでありました。
家光廟大猷院は家光公が東照宮を模倣すること、東照宮より立派なものを造ることをはばかったので、東照宮とは全く異なった趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされています。
また、建物も東照宮に向いて建てられ、これも家康公に対する家光公の深い思慕の念を示しています。

受付をすませるとまずあるのが【仁王門】。八つの脚があるのが特徴であります。
高さ3.2メートルの【密迹金剛】と【那羅延金剛】の二体の仁王像が門を守っています。
仁王門をぬけると石畳に出ます。
ここの石は、日本の名石として名高い神奈川県根布川のもので、雨に濡れると赤や青に変わるのだといいます。
また、家光公お手植えの槇の木が門をくぐり向かってひだりてにあります。

正面みぎてに手水舎=御水舎がみえます。四隅に各三本、十二本の御影石の柱に支えられた瓦葺きの建物で天井には狩野永真安信による竜の墨絵が描かれています。この竜が大きな御影石の水盤の水面に映ることから【水鏡の竜】と呼ばれてい…ました。残念ながら、今はもう、画は薄れ、さらにはカビが生えて、竜であることを確認することすら難しくなってしまっています。

No.24 22/05/17 06:53
旅人 ( pu5bob )

本来の徳川家の墓所は江戸の【増上寺】および【寛永寺】とされていましたが、家光公はその遺言を受け、法要は上野の寛永寺で執り行われ、その後日光東照宮の西側に造営された大猷院に埋葬されました、ということであります。

家康公への敬意を表すため、大猷院霊廟は東照宮よりも小さな規模で、東照宮の方角を向いて建てられました。そして、大猷院全体の装飾は東照宮よりも華美にならず、それでいて家光公の功績を称えるべく、荘厳な美しさの装飾が施されました。
東照宮は白と金色を基調とした華やかな建物、大猷院は黒と金色を基調とした落ち着いた雰囲気となっております。

前前回、私は大猷院が好きだと申しました。
その落ち着いた雰囲気が、日常を離れて心落ち着く空間を作り、心癒されるのだと思います。
…まぁ、こちら、墓所ですし、ね。


まず、ここ。ここの仁王門をぬけた、石畳の、御水舎(おみずや)と宝庫のあるだけのこの広い空間が大好きなのです。

澄んだ空気、ほどよい高さの木々、美しい水が絶えず注がれる御水舎。
いつまでもいたいと思えるくらいにゆったりとした時が流れています。
ここは澄んだ気が上から流れ込みとどまっているのではないだろうかと、そんなふうに感じるのであります。

この御水舎の大きな特徴のひとつが、その澄んだ湧水が手水舎に流れ込む仕掛けであります。
御水舎から少し離れた小高いところに銅造りの黒龍がいて、その小高い山の裾からわき出る水をこの御水舎に注ぎだします。
さらにはその水を見守るように石造の、さほど大きくはない不動明王さまがお立ちになっております。
しかしながら、その龍が居るところからの距離はなかなかのもので、その水を御水舎に運ぶため、徳川紋があしらわれた石樋が敷かれ、それを伝って手水鉢に水が注ぎ込んでいるというものとなっております。
その水の流れを見ているだけでも心が洗われるようであります。

まぁ、そこにいるだけでいいのか?ということもありますし、御水舎からひだりてを見上げると、大きく広い階段の先に、もはや建物といったていの大きく立派な門、【二天門】がそびえておりますし。
昔の人は「日光見ずしてけっこうと言うな」と言ったようですし。

その階段を登って日光輪王寺大猷院の二天門を目指します。

No.25 22/05/18 19:52
空 ( pu5bob )

御水舎の向かいにある門【二天門】。
世界遺産【日光社寺】の建物の中でもっとも大きな楼門であります。その大きさは実に高さ約11.6メートル、横幅約9.6メートル、陽明門よりも高さ約50センチ、横幅約2.5メートルほど大きいといいます。
その大きさの建物が、階段の上にそびえているのですから、それはもう圧倒されるほど雄大な姿であります。
普通のお寺さんなら本堂が軽く覆われてしまうくらいの大きさです。

その中央にはその大きな楼門に負けない、大きな大きな扁額が掲げられています。
黒地に金色の文字と金色の装飾。
その大きな楼門を見上げたとき、いの一番に目に入ってくるのがこの額、【大猷院】、と書かれています。
こちらの文字、後水尾天皇の筆によるもの。
東照宮の陽明門もまた後水尾天皇の宸筆(しんひつ=天皇本人が書いたもの)であります。
ちなみに、大猷院という法号は、家光公の死後、後光明天皇から賜ったものであります。

この門の表側に、四天王のうちの【持国天】と【広目天】の二天を祀っていることから、この名があります。
裏側は風神・雷神。

なぜ四天王の二天を?
お祀りするところは四ヶ所あるというのに?

No.26

削除されたレス (自レス削除)

No.27 22/05/19 04:53
旅人 ( pu5bob )

ん?
あれ?
実は…今、手元にある資料には広目天となっていましたが、輪王寺の公式ページでは増長天となっています。

えっ?どういうこと?

自分で写してきた写真を確認すると、ぞ、増長天です!

どの資料を見ても『広目天』となっています。

でも、それもまた正解、なようなんです。

実はこの二天門、平成二十四(2012)年から三十(2018)年にかけて、補修及び改修工事が行われていたのです。
ちなみに、その工事前も工事期間中も、そして工事が終了してまもなくにも、私ども、こちらに参拝させていただいております。
その際門だけではなく、二天もまた、その色を塗りなおすことも含めた修理を施されたのでした。
私などは塗る前の二天さまのほうが、落ち着いた色合いで好きであったくらい。

閑話休題。

その広目天さま。
手に持つものが本来であれば【筆】なのだそう。
にもかかわらず、こちらの〝広目天〟さま、刀を持っておられるのです。
それでこの修理期間中、秘密裏にこの広目天さまを調査したのだそうです。
結果、首の内部に『寛政九巳(1797)年〜廣目』の文字が見つかったというのです。

あらあら。

つまりは、江戸時代からすでに像の名称を間違えていた、ことになります。
この結果を受けて、平成三十一(2019)年七月十八日に、輪王寺は公式発表という形で
広目天の呼称を増長天へと変更していたということでありました。

…いやぁ、びっくりですね。

そして。
この修復(塗装)も、もはや色を変えて塗り直したんじゃないかっていうくらいに色が変化しておりまして、お召し物などはもう以前とは別物、というくらいに変わって(しまって)いたものです。
持国天さまなどはエメラルドグリーンのお顔から深緑に近い緑色へと変貌しておりまして。
私は修復前の方が好き、でありました。
ただ、きっとこの色の変化、私が好きだと思っていたお色は、経年の変化によるもので、当初はまさに今の色、だったのかもしれません。
…んー。お召し物も?
まぁ、そればかりは一般の参拝者の一人でしかない私には知るよしもありませんが。
(一部誤字があったため、手直しして再投稿しました)

No.28 22/05/19 14:47
旅人 ( pu5bob )

>> 27 …まぁ、広目天さまと思われていたものが増長天さまであったと訂正されようがされまいが、こちらの門を御護りになっておられるのが四天王のうちの二天であることには変わりないので、その名が二天門であることは変わりなく。
そしてその二天さまの勇ましいお姿と、流れるような薄い衣の裾のみごとさは何度見ても溜息がこぼれるほど。
…そもそもが最初から二天ではなく四天王を配してしまえば、このような過ちも起きなかったでありましょうに、ねぇ。

なぜ?
という疑問かまたふつふつと、湧き上がるのではありますが、これはGoogle先生にどれだけお聞きしても答えが出ず。
今度大猷院を参拝させていただきましたおりにお聞きして参ろうかと思います。…もう何年も前から疑問に思ってありますのに、そこに頭が回らないほど、大猷院は圧倒される素晴らしい建物の数々、素晴らしい彫刻、素晴らしい絵画、素晴らしい気に満ちているところであります。
(素晴らしさに圧倒されて、つい忘れてしまうという言い訳をしてはおりますが、本当は訪れる前から忘れている、からっからの脳みそなだけ、なのですが、ね)

ただ、この【大猷院】、建物として縁起を担ぐには、あり得ない建て方、不吉とされる【鬼門】に向けて建てられているのです。
それを覆すほどに祖父家康公への敬愛の念が強かったということになりましょう。
その不吉とされる鬼門に向けての廟所を、せめてこの天に御護りいただこうということで、東(左)を護る持国天さまと、西(右)を護る…、…まぁ、本来であればまさに広目天さまであったというわけですが…。
ま、まぁ二天のお一方、増長天さまが御護りになっておられるということのよう、です。

以下は私の推論でしかありませんので、読む価値はあまりありませんが、ない頭をひねって、せっかく考えたので書いておきます。

…そこに…、持国天さまと対をなして増長天さまが配されたのは、実は四天王さま全てがお揃いになられたときには、右から右回りに持国天さま▶︎増長天さま▶︎広目天さま▶︎多聞天さまと配置されることがほとんどだそうで、そのことからすぐ右に配される増長天さまが並んで御祀りされた、ということでしょうか。
でありながら、西(右)をお護りになられるのは広目天さまだから広目天さま、ということでそうお呼びしてしまっていた?

日光のお山に真の真実はあります。



No.29 22/05/20 15:42
旅人 ( pu5bob )

二天門を抜けると、正面は行き止まり。
みぎてに階段があってそれを登ります。その階段を登っていくと、先ほど見上げた大きな大きな【二天門】を斜め横から、そして斜め上から眺めることができます。
それがまた見事で、ため息がでるのです。
その階段を登る途中、踊り場というにはあまりに広い場所があって、また九十度体の向きを変えて階段を登ることになるのですが…。そこから、石灯籠がたくさん見え、さらにその奥に建物があるのが見えます。

そこは非公開となっております、【竜光院】と呼ばれる建物のようです。
なんでも、こちらは家光公の八歳年下の側近『梶定良』が、家光公没後、大猷院廟定番(たいゆういんびょうじょうばん)となって住んでいたという建物だといいます。
日光山を管轄し.山内の警護と大猷院(この場合は家光公の諡号)に霊膳を捧げるのを日課としていたとのことであります。梶定良没後に日光奉行が創設され、その後の管轄、警護は日光奉行が執り行なうこととなります。
梶定良の位牌が竜公院の仏間に祀られ、五月に『照光院殿御忌』が執り行われているとのことです。(梶定良の法名が照光院)

大猷院で四月下旬に行われる伝統の清掃作業である【栗石返し】の作業後、竜光院で沢庵と茶の接待がされているようですが、これは一般の者が参加できるものではないようです。

大変静かな佇まいで、その踊り場から竜光院の建物を見下ろしながら、主君亡き後廟所をただ一人守ったという側近を思うと、なんとも切ないような思いにかられるのでありました。

No.30 22/05/21 05:48
旅人 ( pu5bob )

日の当たる、広い踊り場で、竜光院とは反対側に目を向けるとまた、ややもすると圧倒されるような広くて長い階段があり、その先には、何やらそびえる屋根の一部と木々、そして大空が広がっています。
それを長い階段ととらえるか、天界へと昇っていくような感覚ととらえるか…。
そうなんです。
輪王寺のホームページには大猷院を『天上界に昇っていくような印象を受けます』と紹介されております。

天上界へ昇って行けるほどの徳は一切無い私は、さすがに天上界へ昇る感覚とはなりませんが、とはいえ、ここの踊り場に立ってその階段を見上げると(…輪王寺のホームページ上では『展望所』と紹介されていました)わくわくするような、それでいてどこか身の引き締まる感覚を覚えるのです。

その長い階段を登りきると、また、広い空間が広がっています。
そして左右にはまるで双子のような建物があります。これは鐘楼と、もう一方は鼓楼ということです。
さらにその周辺には『唐銅製(からがねせい)』の灯籠があります。
この灯籠は十万石以上の諸大名が奉納したもの。


そしてその先に二十段ほどの階段があって、大きさこそは二天門より小振ではありますが、これまた見事な彫刻と装飾、豪華絢爛な門がそびえます。

こちらは【夜叉門】。
牡丹や唐草模様の彫刻が沢山あることから、別名『牡丹門』とも呼ばれています。

豪華絢爛な夜叉門には、霊廟を護る四体の夜叉が安置されています。
夜叉は、門の表と裏に二体ずつ配置されています。
それぞれの方角の色を表した夜叉は四体それぞれに特徴があり、また目を奪われます。
四夜叉は【青面金剛】さまに従う四護法善神とされています。
仏法およひ仏教徒を守護する天部の神さまであられます。

表となる門を護られておられる二体は、毘陀羅さま、阿跋摩羅さま。

南の方角の【毘陀羅(びだら)】さまは、赤。四体の中で一番派手な服装をしています。両肩を被う金色の服をまとい、ナマズの膝当てと靴を履いているのが特徴の仏様です。手には長い錫杖(?…と思われる)をお持ちです。

東の方角の【阿跋摩羅(あばつまら)】さまは、みどり。白虎の毛皮を腰に巻いていて、素足の仏様です。手には短い棒を持ち、大きく口を開けて怒りを顔に表されておられるかに見える仏さまです。


No.31 22/05/21 07:44
旅人 ( pu5bob )

夜叉門を抜けて、内側におられるのが烏摩勤伽さまと烏摩勤伽さま。

北の方角を護られる【烏摩勤伽(うまろきゃ)】さまは、青。
左手に弓、右手には矢をお持ちです。片袖の白を基調にしたお召し物をお召しです。
この矢こそが破魔矢(はまや)の原点と言われる矢だといいます。
あの、正月の縁起物として神社やお寺で授与される矢です。

この烏摩勤伽さま、その御像をお祀りされているのはおそらくはここだけと説明を受けましたくらい全国でも珍しいものとなるようです。
像の膝当てをして素足でお立ちになられています。
この、象の膝当てもまた、『膝小僧』の語源となっているとのことで、大猷院の説明をなさる職員の方は、かなり以前より「全国的にも珍しく、その『はじまり』とされる破魔矢や膝の象をお持ちの烏摩勤伽さまを、お時間があれば是非ご覧になってお帰りください」とおっしゃっていました。烏摩勤伽さまは青い色をされています。
そして、この烏摩勤伽さまなお持ちの矢をモチーフに作られたのが、あの、テレビの影響で大きな注目をあび、品切れ状態とまでなった【龍神破魔矢】、でありました。

西の方角の方角を護られておられる【鍵陀羅(けんだら)】さまは、白。右手にこん棒(?)を肩に担ぐようにお持ちです。水玉模様のブーツのようなものを履き、お召し物は金色を基調としたエスニック調のような柄の布を巻きつけておられます。

こちらの四体の夜叉、背景となる金色の牡丹と緑色の唐草模様にとても映えます。

No.32 22/05/22 06:50
旅人 ( pu5bob )

…すみません。
前回のレスでまた誤りを発見いたしましたのでお詫びして訂正いたします。

誤▶︎ …夜叉門を抜けて、内側におられるのが烏摩勤伽さまと‘’烏摩勤伽さま‘’

正▶︎‘’犍陀羅さま‘’

でございます。いつもいつも申し訳ございません。

No.33 22/05/23 16:02
旅人 ( pu5bob )

そしてここから先、唐門があり、そして拝殿、本殿、となるのですが…。

私、ふと、気になってしまったことがありまして。
こちら、日光東照宮並びに日光山輪王寺大猷院は、それぞれ、徳川初代将軍家康公の祀られた神社であり、三代将軍家光公の廟所であります。

あれ?二代将軍の秀忠公は徳川家の菩提寺である増上寺、でよかったんだよなぁ。
そう、あの東京タワーを従えた大きなお寺さん。

ん?
だけど、家康公と家光公以外の歴代将軍のお墓全てが上野の増上寺になかったような記憶がふわぁと、もわぁと蘇ってきたのだけれど。
あれ?なんだっけ?
なんか言ってた気がするなぁ。

…そもそも秀忠公は増上寺で合ってる?
たしかに増上寺にあった記憶があるにはあるのですが、なにぶんにも自分ですら信用の薄い私の記憶。

何故私がそんな自分の記憶を疑うかというと…。
たしか、天海僧正(慈眼大師)さまって、家康公、秀忠公、家光公が帰依したはずで、だとしたら、秀忠公も天台宗のはず。
あれ?
だとしたら寛永寺?


…調べました。


仏教を信仰している場合、先祖代々のお墓があるお寺のことを【菩提寺】と呼びます。
◯◯宗を信仰していて、歴代どこそこのお寺さんにお世話になっているから、我が家の人間が亡くなったらこのお寺にお世話になるという考え方です。
改宗などをしないかぎりは基本的にこの菩提寺にお世話になります。

徳川家ほどの名家ですから、当然信仰している宗教があり、菩提寺があります。


ここで、まずはとりあえず、それぞれの将軍が埋葬された場所を列挙してまいります。

初代徳川家康公 日光東照宮
二代  秀忠公 増上寺
三代  家光公 日光山輪王寺
四代  家綱公 寛永寺
五代  綱吉公 寛永寺
六代  家宣公 増上寺
七代  家継公 増上寺
八代  吉宗公 寛永寺
九代  家重公 増上寺
十代  家治公 寛永寺
十一代 家斉公 寛永寺
十二代 家慶公 増上寺
十三代 家定公 寛永寺
十四代 家茂公 増上寺
十五代 慶喜公 谷中霊園

最後の将軍慶喜だけは東京都台東区にある谷中霊園に葬られています。
ちなみに谷中霊園は上野寛永寺のすぐ脇にあり、明治時代に政府によって作られた霊園です。


元々徳川家というのは浄土宗を信仰していました。菩提寺は【増上寺】であります。

(続きます)

No.34 22/05/23 16:42
旅人 ( pu5bob )

家康公は神格化の為、日光に祀られた。家光公は祖父である家康を慕い日光の輪王寺に埋葬された。
ではそれ以外の12人の将軍たちはなぜ寛永寺と増上寺に分かれて埋葬されているのでしょうか。

そもそも徳川家の菩提寺は浄土宗の増上寺です。

それを考えると増上寺に埋葬するのが普通で、二代将軍の秀忠は現に増上寺に埋葬されています。
ここに『天海上人』が深く関わってまいります。

南光坊天海は天台宗の僧で、家康の側近として幕府に深く関わった事で知られています。
そして家康、秀忠、家光はこの天海が所属する天台宗に帰依していたのですが、徳川家自体は浄土宗に所属しているという複雑な状況が生じています。

そしてこの天海上人が「江戸に天台宗の寺を作りたい」と希望し、それを受けて秀忠が現在の上野公園のあたりの土地を与えます。(もちろんその土地には大名さまが住んでいたんですが、それぐらいの圧倒的な権力であったというわけですね)

そして家光の時代の寛永2(1625)年、その土地に天台宗の寺を建立します。建てられた元号から取って【寛永寺】と名付けられたその寺は、徳川家の祈祷寺として機能していきます。

家光による寛永寺建立、天台宗への帰依の流れを受けて、四代家綱、五代綱吉は寛永寺に埋葬されます。これにより寛永寺は正式に徳川家の菩提寺となったわけです。
しかしこれに怒ったのが増上寺。そりゃそうですよね、徳川家の菩提寺としてこれまでやってきたのですし、実際二代将軍秀忠は増上寺に埋葬されています。

で。それならば今後は交代に埋葬しましょう、増上寺も寛永寺も、どちらも徳川の菩提寺ということとし、決着がついたようです。
それゆえ、その後の十四代家茂まで交互に両寺に埋葬されたということのようです。

ん?
最後の将軍である慶喜公は、その順番からいったら『寛永寺』となるはずなのですが、そのどちらでもない、明治政府の作った谷中霊園に埋葬されている?しかも谷中霊園って寛永寺のすぐ隣だというのです。
将軍でなくなったとはいえ徳川であることには変わりはないように思うのですが…。

明治という時代が関係していてのことでしょうか。…うーん。

No.35 22/05/23 17:05
旅人 ( pu5bob )

徳川第十五代の、最後の将軍【慶喜】公が、増上寺でもなく寛永寺でもない、谷中霊園に埋葬された理由は、実に、まさに明治という時代が関係しておりました。


慶喜公が江戸城を無血開城し、結果明治維新がおこり、天下の征夷大将軍は、幕府崩壊と共に一般人になった訳です。
ところが、その後明治天皇により、慶喜は『公爵』に叙せられます。
公爵というのは爵位における一番上の位であります。
そのような位を賜った事に感謝し、天皇家への忠誠を誓うため、慶喜は自ら仏教徒から神道への宗旨替えを希望したのだといいます。

それにより、慶喜は両菩提寺である増上寺、寛永寺のいずれにも埋葬されずに、明治政府が作った新しい墓所である谷中霊園に埋葬されたということだったようです。

もちろん、徳川家、そして公爵という地位にふさわしい、立派な、独立し門のついた墓所であるようです。そしてその墓所の周囲には子孫のお墓が点在しているとのことで、慶喜のお墓の向かいには一橋家のお墓があるということです。

No.36 22/05/26 06:01
旅人 ( pu5bob )

さて。大猷院へ話を戻すことといたしましょう。

夜叉門を抜けるともう目の前に唐門があります。
そのあまりの美しさ、豪華さに、引き寄せられるかのように門へと向かって歩いてしまいます。最初などは夜叉門の裏を見ることも、唐門を護るように置かれた大きく立派な青銅製の灯籠を見ることもなく、その門へと向かってしまっておりました。
ですが…。
拝殿での参拝を終えたのちは、実はこの唐門に戻ることなく、拝殿向かってみぎてに向かうこととなり、そのまま大猷院の建物を横から拝しつつ、その横までめぐらされた塀に設けられた小さな門をくぐり出ることとなるのです。
その小さなくぐり戸のような門をぬけた正面にそびえる白い門こそが皇嘉門(こうかもん)と呼ばれるもので、この門こそが大猷院奥の院、すなわち、家光公の永眠される廟所を守護する門であります。
順路としてはしごく当たり前の順路であります。

でも。
「え、ええっ?」となる。
何故ならば、普通の寺院であれば(ここは実際には、寺院の中の中にある廟所の拝殿および本殿ですので、いわゆる御本堂ではありませんので、この言い方をしている時点で、当時がいかに初心者かを物語っているのですがね)、参拝を終えればまたもと来た門を抜けて行くのが当然のことですので、私、家光公へ敬意と弔意を込めて、まずは先に参拝して、その後ゆっくりと唐門やら灯籠、夜叉門の裏を拝見させていただこうと思っていたものでしたから。

…まぁ、皇嘉門を拝した後もまた夜叉門へと戻れないわけではないのですが、ね。それすらわからない当時の私としてはかなり焦った、というわけで。

閑話休題。

唐門は今まで通ってまいりました門より小ぶりのもの、ではあります。
ありますが、とにかく夜叉門をくぐった時点で見えている姿だけで目を奪われるその美しさ!
近づけばさらにその美しさに心奪われます。

一言で言えば、金色に輝き、さらには「どんだけ〜」というほど細やかにして色とりどりの彫刻が施されているのです。

何も資料を読まないで参ります私などは、何度行こうと見逃しておりました、向拝部(門、なのでこの言い方もおかしなものですが)の彫刻。
これがまた大変見事なもののようです。
でも門全体があまりにも豪華すぎて圧倒されてしまって、見逃しがちかもしれません。

No.37 22/05/26 16:59
旅人 ( pu5bob )

唐門は東照宮にもありますが、東照宮の唐門は大きくそびえ立つ、あの、【陽明門】をくぐった正面にあります。
本社殿正門となりますが、その扉は固く閉ざされています。

江戸時代においては将軍に拝謁できる身分の幕臣や大名だけ通ることができたといい、今でもこの唐門が開けられるのは、お正月や大祭のときとのこと。
天皇陛下や国賓に相当する参拝者だけこの門をくぐることができるのだといいます。

一方の大猷院の唐門は、その扉は開け放たれ、誰もがそこをくぐることができます。
通ることができないせいなのかどうか、大猷院の唐門の方が大きく見え、その彫刻や細工などもこちらの方が煌びやかで豪華にも思えたりしてしまうのですが、実際には少しだけ東照宮の唐門の方が大きいようです。
東照宮の唐門は落ち着いた大変上品な、細やかな彫刻がほどこされています。私は実はこの東照宮の唐門が大好きなのであります。

ただ、本来家光公は家康公の眠る東照宮を超える廟所としてはならないとも言い残したとされていますが、美的センスがないせいなのか、骨董品の価値を見抜くセンスがゼロであるせいか、(某テレビのお宝の鑑定番組で、価値あるものを見抜けたことがなく、偽物を何やら価値のあるものと評価してしまうのであります)
唐門、なにやら豪華絢爛という言葉がいかにも似合う建築物に思えてならないのです。

No.38

削除されたレス (自レス削除)

No.39 22/05/27 08:06
旅人 ( pu5bob )

〝豪華絢爛〟という表現はまさに適切であると思われるものの、ただそれだけではこの唐門の見事さは表しきれてはいないと思われ、自分の語彙力の無さに嘆くばかりであります。

まずとりあえずは、その唐門をくぐる前に。
大猷院の唐門の前に、大きくて細やかな細工の施された青銅製の灯籠が並んでいます。
これがまた見事なもので…。左右のひときわ大きな灯籠は徳川御三家から奉納されたものでありました。

さて、やたらと話を引っ張っておりました唐門ですが、こちら一目見た印象は『金』、でしょうか。
目もくらむような金色がここから先がいかに大切な場所であるかを、ここに眠られる方がどれほど高貴な方であるかをものがたっています。

とにかく立派。
私のようにしもじもの者は、もう萎縮してしまうくらいで圧巻の建物。
一つ一つの装飾が、当時最高の財力をもって、当時最高の技術を施したのでありましょう。

「はあぁぁ」とため息をこぼし、上を見上げたその先にある天井には、これまた、豪華な、金箔の施された格天井が。
しかも一つ一つのマスに,艶やかな牡丹の花が描かれ、そのマスに描かれた四枚の絵をまとめるように中央にやはり牡丹の彫刻が飾られており、実にその一つ一つの彫刻が異なったもの、なのでありました。

その門に左右に連なる塀もまた、実にみごとなものであります。
羽目の彫刻もまたすごいのであります。
こちら無数の鳩と、秋の七草が施されております。無数の鳩が散らされていることから、のちに『百間百体の群鳩』とよばれるようになったいいます。

ちなみにここまででまだ門はとばっくち、…すごいということだけは伝わりましたでしょうか。

そう、そして前述しました通り、何度も参拝させていただいておりますのに、唐門の正面上部の彫刻は未だに拝しておりません。

No.40 22/05/29 09:08
旅人 ( pu5bob )

コロナ禍ということで、七年に一度御開帳されていた長野県【善光寺】さん、一年の延期をもって現在御開帳されています。
しかも密を避けるためにと、本来の五十七日間の予定を一ヶ月延長して。

この珍道中…神社仏閣の参拝を始めてからは、善光寺さんへの参拝をしておらず、行きたい、行きたいと言いながらなかなか叶わずにおりました。

「あれぇ、善光寺さん、今年が御開帳だったんだぁ。なんだかそんなタイミングばっかりだよね。
今度の御開帳は平成三十三年らしいよ。その時は必ず行こうね」
(珍道中を始めたタイミングにちょうどそういったさまざまな大きなイベントが終了していました。始めた当初からいかに心がけが悪いかを物語っておりました)
…そう語った時から七年経ったことを意味しています。

夫はその間も、何度となく「善光寺にお参りに行こう」と申しておりましたのに、秩父三十四ヶ所観音霊場のお参りが済んでから行きたいだのなんだの、ああじゃないこうじゃないと、うるさいおばさんに阻止されて、御開帳の時まで一度も参拝せずに過ごしてしまいました。

さすがに、御開帳には期間があります。おばさんは焦ります。
が、このコロナ禍。今年開催されることも昨年の事を考えれば奇跡にも近く、開催中とて、コロナの感染状況によってはどうなることかわかりません。
それは国とか、長野県とか、善光寺さんとかの感染対策以前に、何よりも個々の新型コロナウイルス感染症に対する感染対策があります。

夫は慢性呼吸器疾患で定期受診し、毎日の薬が欠かせない人ですので、わが家の感染対策はどちらかといえば厳しめなもの。
人混みと思われる買い物から帰宅するだけでも全て着替えて、手は当然最低でも顔を洗います。えっ?それくらい?…と言われるかもしれませんが、私も夫も元がズボラでめんどくさがり。まぁ、せいぜいショッピングセンター等に行かない、外食は極力しない、程度です。(^_^;))
どちらかというと厳しめ、というのもあくまでも自己評価ですからね。

行きたい。行ける?
行きたいよぉぉぉ。
行きたいんだよぉ〜。

ええ、あんまりに騒ぐものだから、息子が計画してくれたくらい。
が、それも夫の体調不良で当日中止となりました話は書かせていただいておりますが…。

「またね」と言ってくれた息子が〝また〟の声をかけてくれたのです。

No.41 22/05/29 15:59
旅人 ( pu5bob )

「明日、善光寺に行こうか」
…ただし、これ、息子が仕事の休憩時間に、夫へと電話をかけて二人で決めた話。
私が聞いた時はすでに夜の八時をまわっていました。

へっ?
あ、明日ぁ?

予定などは特になく、お天気も良いと天気予報士がこぞって太鼓判を捺しています。

…そもそも、がですね、長男と夫は普段ほとんど口をきくことなどなく、ましてや長男から夫への電話など、生まれて初めてだったのではないかと思われるくらい、でして。
ただただ、夫の体調を確認し行けるかどうかを相談しないと、また当日突然中止とかなると、私がまたどんなに落胆するかと思ってくれてのことだったのではないか…と、勝手に思い込んで、そんな長男の思いやりを密かに喜ぶ母でありました。

えっ、それにしても、明日?
平日って言っておいたんだけどなぁ。有給取るのが難しかったかな。
それでもまだ一ヶ月はゆうにあるのだけれど…。
ま、いいか。

夫と長男に引かれて善光寺参り、です。


余談。

牛に引かれて善光寺参りという言葉は、私たちくらいの歳ごろまでの人間は、…特に群馬県と長野県という隣接した県同士であることも関係しているかどうか、誰もが知っているお話であります。
若い人はどうであろう?
ましてや全国的にはどうだろう。
とりあえず、そこから触れていこうと思います。



  (花:カザグルマ)

No.42 22/05/29 18:55
旅人 ( pu5bob )

【牛に引かれて善光寺参り】
という言葉を知ってはいるものの、その意味をご存知ない方もおられるかもしれませんし、その〝言葉〟自体聞いたことのない方もおられるかもしれません。

そんな善光寺に伝わる昔話をご紹介します。



『昔、信濃の国小諸に、強欲でけちんぼで、無信心な一人のお婆さんがおりました。

ある時、
「ええお天気で」と隣のお爺さんと、お婆さんが声をかけながらやってきました。
「へえへえ、いい天気じゃ」と相槌を打ちながら強欲ばあさんは、忙しげにしておりました。
「なぁ、お婆さん。今度おらたちと一緒に善光寺さまへお参りに行かねえかね。
善光寺さまはありがてい仏さまだ。
どんなに遠くても、一生に一度は、お参りしなくちゃ と言われるほど、ありがたい仏さまだ」

お婆さんは返事もせずに布を籠に入れておりました。

隣のお爺さんお婆さんはさらに「死んで極楽に行けるよう、お参りして来ようじゃないか」
と口々に誘いましたが、
「遠い道のりを、てくてく歩いて、善光寺さまとやら出かけたところで、いったい何の得があるだ。
腹が減って、くたびれるだけでねえか。嫌なこった。おら、忙しいでな」そう言うと、籠に入れた白い布を持って川へ出かけてしまいました。

「こうして、水にさらせば、また真っ白になって、いい値段で売れるというものさ」
お尻を善光寺のほうに向けて、布をさらしていると、つんつんと、誰かがつつきます。

「だれや ! おらのお尻をつつくのは」
振り向くと、いつの間にやってきたのか、大きな黒い牛がぬうぅと顔をつき出した。
お婆さんはびっくりし、よろけて、ばしゃんと川の中に尻餅をついてしまいました。

川から身を起こし気が付くと、さらしておいた布がありません。
見ると、黒牛が白い布をつのに引っかけて、走り出していくではありませんか!
「こらぁ、待て、ぬすっと牛め ! 」

お婆さんはあわてて川の土手をはいのぼり、牛の後をを追いかけました。

白い布を風になびかせながら、牛は、とっとこ走っていきます。
せっかくさらした布を取られてはたまりません。

「待てぇぇっ!」

お婆さんは大声上げて、牛を追って何里も走っていきました。
牛は、ときどき振りかえりながら走っていきます。



(続きます)


No.43 22/05/29 19:15
旅人 ( pu5bob )

…どのくらい走ったか、ふと気がつくと家が立ち並ぶ町の中を走っていました。
行く手には立派なお寺があります。

すると、牛は、お寺の中にすいこまれるように入って行ったのです。

「これで、つかまえることができるぞ。」

お婆さんが牛を見つけたところ、黒牛は如来堂に入り、不思議なことに消えてしまったのです。


牛につられて如来堂の中に入っていったお婆さん。
中では燈明の灯りの下、大勢の人たちが一心にお祈りしていました。
お婆さんは人をかきわけ奥へとはいって行きますが、牛はいません。
いくら探しても見つかりませんでした。


お婆さんは急に力が抜けてしまい、その場にへなへなと座り込むと、隣に座っている人に聞きました。
「ここはどこだいね」
たずねられた婆さまは、
「何を言いなさる。ここは善光寺さまでねえか」
とあきれ顔で答えました。


思わぬことで遠くまで来てしまったお婆さんは、しかたなくその日は、如来堂で泊まることにしました。
一日中、牛を追って走ったので、お婆さんは、すぐに寝いってしまいます。
そんなお婆さんの夢の中に、今日追いかけてきた黒い牛が現れ、首に白い布を巻き、お堂の仏さまの方にすうと吸い込まれていくではありませんか。
お婆さんは、驚いて目を覚まし、牛の行った方を、目をこすりながら、よく見ました。
なんと、白い布は観世音菩薩さまの首にかかっておりました。

お婆さんは腰を抜かさんばかりに驚き、這いつくばるようにして、生まれてはじめて仏さまに手を合わせました。


…お婆さんは御仏が、善光寺へ導いてくれたことに気が付いたのでありました。
お婆さんは、それまで心の奥深く眠っておった仏心が目を開き、仏恩をいたく感じて、生涯その観音様にお仕えしたということです。』


日本の民話「善光寺」より。




何やらところどころ耳の痛いような、身に覚えがあるようなおばさんがここに一人…。

No.44 22/05/30 13:26
旅人 ( pu5bob )

顔出し、と言うのでしょうか、顔ハメと言うのでしょうか。
よく観光地にある、絵であるとか写真であるとかのパネルに穴があいていて、そこに顔を出す、あるいははめて写真を撮るなどするものがありますよね。


…善光寺さんにもあったんです。
まさにその、お婆さんが牛を追いかけている絵のパネルが。

普段なら「このコロナ禍にこのパネルに顔をはめて写真を撮る人もあんまりいないんだろうね」と、申しておりました私。
そもそもが私、写真に写るのが嫌いな人間でありまして、卒業アルバムも強制的なもの以外は採用を拒否したくらいですし、夫にも許可なく写真撮影を禁じているくらい、自分が写真に写るのがイヤなのです。


そんな私のハートを一目でとらえたのが、その牛を追いかけるお婆さんのパネル。
(顔出して写真を撮ってもらいたい!)
…この〝牛に引かれて善光寺参り〟をしたというお婆さんは、別に山姥とか鬼ババとかではない、ただ信心深くないお婆さんなだけ、なんですよ。
でも、でもですねぇ。
私がこのパネルに顔をはめたら、ちょっと、かつて『NHK教育テレビ』で放送されていた『人形劇』に出てくるような、子どもが怖くて固まるようなお婆さん、山姥を演出できるに違いない!と、そのパネルをみた瞬間に思ったわけでして。

「ねえ、これの写真撮って!」
と夫に。
さすがに息子に頼むのはしのびなく、実際、そばにいた息子も少し離れた位置に移動いたしましたが…。

少し横向きのお婆さんの顔にあけられた穴に、どう顔をはめれば、良い写真になるか考えて。
恥ずかしがっている夫のためにはシャッターチャンスは一回のみ!

…そのお婆さんの顔出しパネルに顔をはめて写真を撮る人は、私がちょっと見ていた間には、誰一人いませんでしたが、ね。


どんな写真が撮れたかどうか、楽しみにして、出来栄えによっては、家族のグループLINEにあげようとまで思っていたくらいなのに、待てど暮らせど、夫からはその写真を送られることはもちろん、話題にすらならない。
…どうやら旅の恥はかき捨ててきたようで、記憶からすらなくしていたようでした。

で。先ほど、テレワークのお昼休憩中にようやく見せてもらった写真は、私の思い描いた通りの、牛に引かれてというよりは、取って食おうとする山姥風に。
よしよし。

えっ?
ここにアップ?
しようかとも思ったんですけどね。笑。

No.45 22/05/31 05:57
旅人 ( pu5bob )

『牛に引かれて善光寺参り』のほか、『一生に一度は善光寺参り』、
『遠くとも一度は詣れ善光寺』など、昔からいわれている善光寺参りの〝キャッチフレーズ〟があります。

前述いたしましたように、これが全国的に通ずるものかどうかは、井の中の蛙な者ですから、正直わからない。
遠く沖縄や九州、北海道といったところでこの言葉を聞いたことのある人がどれだけおられるか、さっぱり見当もつきません。なにぶんにも、私の住まう群馬県は長野県のお隣ですし、長野県を観光目的で訪れようとして調べたら、それこそ必ずその名があがってくるのが『善光寺』さんでありますし。

それでも。
前回の御開帳時には累計七百万人を超える老若男女が善光寺さんをお参りしております。
…これ、二ヶ月の期間中のみの数字ですよ。
すごくないですか?

あの、ディズニーリゾートの年間入園者数が、コロナ前の数字で三千万人といいます。(それ、比較する?)
単純計算すれば二ヶ月で五百万人、ディズニーリゾートすらを超えているということになるんじゃないですか!(…ここに書き出してから調べたことがよーくわかる文面です。笑)

いやぁ、これ。
この御開帳期間に行こうとしたら、とんでもなく凄いことになるんじゃない?
今年はコロナ禍ということで、密になることを避けるために、その開催期間を一か月延長しているとはいえ、うーん、これは…。

行きたい行きたいと騒ぐわりに、コロナ禍関係なく、人混み嫌いで出不精の血が、そのテンションをダダ下げいたします。


ほ〜ら、これ。
どこかのでお婆さんに似通うものが…。

…安心してください!
夫はおうし座生まれ、運転するのは彼としましょう。
今回息子も同行してくれますが、実は夫、親父につきものの親父ギャグ、若い時から散々寒い思いをさせられてきたくらい、寒いダジャレを言っては悦にいるタイプの人なんです。
前回の善光寺行きの運転中も、何回そのフレーズを口にされたことか。

善光寺に行くには絶対、彼が運転するシチュエーションでなければならないのが、わが家、なんです。

彼のテンションが(前回自分の体調不良で当日朝の中止となっている罪悪感もあって)私のテンションなどお構いなしに空高く舞い上がっておりますから。

No.46 22/05/31 10:00
旅人 ( pu5bob )

おうし座生まれ夫の運転で。
前回の車には無かったナビのついた車で。
天気晴朗、風弱し!
絶好の善光寺日和です。

家を出たのは四時半。
さっそくナビに入力を…「ぜ、ん、こ、う、じ」
出過ぎ〜っ!ぜんこうじと入れると、その数1,000というヒット数!
もはや探し出すことの方が大変です。

ならば住所から検索しよう。
「えっ?!」
住所が出ない。善光寺のある地名自体が出てこないのです。嘘でしょ?
「じゃあ電話番号!」
…ようやくヒットいたしました。
善光寺第一駐車場から、第五駐車場まで、ずらーっと画面いっぱいに出てまいります。

それだけではなく、道路の混雑情報から境内のライブ映像まで、今はこういったお寺さんのお参りなどもネットで簡単に情報収集ができてしまうのですから、なんともありがたいことです。

「第二駐車場は宿坊に泊まっている方々、もしくはバス専用となっているから、そのお向かいの第五駐車場から道なりに空きを探すといいって、昨日見たネットの情報に書いてあったから、まずは第五から見ていけばいい」

ありがたいことです。

No.47 22/05/31 20:12
旅人 ( pu5bob )

長野へ向かう道は、それが高速であっても雄大さを感じさせ、広々とし、心までもが大きく広がる感がいたします。

うーん♡ 長野へ来たなぁ。
運転もしないおばさんはのんびり景色を眺めてはああだこうだ。

長野県に入ったと同時くらいから、白い小さな花を満開に咲かせた大きな木が、まるで歓迎してくれているかのようにたくさん見えてきます。
「なんの花だろう」
…高速を運転しながら、そんなことを言われても、ねぇ。
ほんとに困ったおばさんです。

高速を降りて。

なにやら走る車、走る車、ほとんどが同じ方向へ進んでいます。
うーん、まさかみんな善光寺さんへ?

「あれ?なんか思っていたよりずっと早く着くみたいだなぁ。昨日の夜Googleで見たら、三時間以上かかるってなってたんだけどなぁ」
…いやいや、それはどうでもいいことで、前を走る車がみんな善光寺さんを目指しているとしたら、むしろ早いどころではないでしょう。

で。
結論から言えば、予想は当たり。
みーんなみんな、善光寺さんに向かっていました。
ひえぇぇぇぇ。

八時には着いたというのに、第五駐車場、第四駐車場、そして第一駐車場、すでに満車です。
うえぇぇ、このまま駐車場を探してずっと彷徨うのだろうか。
すぐそこに善光寺さんを横目に見ながら…。

うーん。

No.48 22/06/02 15:29
旅人 ( pu5bob )

最後に残っている善光寺公式の駐車場、第三駐車場のそばに、他の駐車場のそばで見てきた渋滞が発生しています。…ですよねぇ。
夫はすでにナビで周辺駐車場を検索するよう指示しています。
私は指示通り、ナビ入力…、って、公式の駐車場しかあがってこないじゃない。
大丈夫!
昨日のうちにこの公式駐車場に停められなかったときのための周辺駐車場地図をスクショしてあります!

ん?
なんか…。

なんだか、車が流れているぞ。
整備していない、区画のない空き地のようなところですが、そこに次々と車が入ってきています。
おおっ✨!

もうね、公式でないとか草の生えた駐車場だとか、この際一切関係ないから!
ここ、善光寺の裏手で、御本堂の真裏にあたっていて、門こそはくぐれないものの、すぐに境内というスペシャル好立地の駐車場じゃあないですか!

…ま、結局、整備されてはいないものの、ここも善光寺さんの公式駐車場、第三駐車場から入っていく空き地的駐車場、だったんですけれど、ね。
普段は職員用とか、こういったイベントのときだけ使う臨時駐車場なのかもしれません。

やったぁ♡

…それにしても、かなり遠くの都道府県のナンバーの車が結構、というか、ほとんどです。
ひえぇっ!
みなさん何時にお家をお出になられたので?

これは…『一生に一度は善光寺参り』とか、『遠くとも一度は詣れ善光寺』って、全国区のキャッチコピーってことの証なんではないでしょうか。

しばしナンバーに目を奪われた私でありましたが、それどころではありません。
全国各地から善光寺参りに来ているということは、すごい混雑、ということじゃないですか!

…それでも、私どもは裏手から境内に入ったものだから、その時はまだ、そんな危機感はなく、朝の陽射しのなか、善光寺さんの、あたたかくおおらかな気に包まれて気持ちよく歩いておりました。

御本堂が見えてきました。

大きい!
こんなに大きなものだったっけ?

ん?
人が並んでいます。

えっ?
ここって御本堂の真裏なんですけれど。
しかも受付時刻の九時にはまだなっていないんですけど。


御本堂に入るには拝観券が必要です。
おおぉ〜い、拝観券売り場はどこですかぁぁ。

No.49 22/06/02 16:54
旅人 ( pu5bob )

混んでいるところが嫌いな私ども夫婦とはいえ、並ぶのも好きではない私どもとはいえ、子どもたちのためには、あのディズニーランドに何度か行ったこともあります。







が!

こんなにも混んでいたことなど一度としてなかったですが!?


…どうしよう。

一応善光寺さんには来たには来たのだから、これでもうよしとしようか。
…一瞬本気でそう思ったくらいです。

拝観券を売っているところを探して境内を進んで行くにつれますますその人数は増え、行列は厚さを増します。

ぁ、あのいくらか控えめな列がきっと拝観券売り場に違いない。
足取りも重くノロノロとその列を目指します。

拝観券は何種類かあるようです。
拝観券の必要な全てのところへ入ることのできる券、フリーパスポートのようなものもあるようです。が。
…これを買ったところで、一体何か所拝観できるというのだろうか。

もはやどこを拝観したいとかいう考えすらもかき消されてしまった私です。

全てを拝観したいという強い思いではなく、これを持っていれば、もう一度こういった拝観券売り場の列に並ばずに済むといった極めて消極的な考えからです。

とりあえず、せめて、御開帳されている前立ち御本尊さまにだけはお会いしたい。


1か所として拝観していないというのに、もはや気分はあしたのジョーの最終回のジョーのように、真っ白になってしまっている私でありました。

No.50 22/06/03 09:21
旅人 ( pu5bob )

善光寺縁起によると、その始まりは古く、皇極天皇3年(644)と伝わるといいます。
日本に仏教の宗派が生まれる以前に創建されたことから、宗派を問わずすべての人に開かれた寺として歴史を積み重ね、今でも全国各地から参拝者が訪れています…いましたよぉ〜。

その敷地面積はなんと約5万9000平方メートルといわれる広大な境内。
まぁ、私どもは裏口から入っているので、すぐに見えてくるのが国宝の御本堂なのですが…。

御本堂、とにかく大きい。
かつて子どもたちが小さな頃にも訪れて、御本堂にもあがらせていただいておりますのに、あらためて驚くその大きさ。
国宝建造物のなかでは、東大寺大仏殿、三十三間堂、知恩院に次いで4番目の大きさを誇るのだといいます。
ちなみに、その上記三つのうち、東大寺も三十三間堂も高校の修学旅行で訪れてはいるのですが、大きかったという記憶すら薄れているほど時が流れておりまして。やれやれ。


そんな 善光寺さんの現在の本堂が完成したのは、宝永四(1707)年といわれます。
元禄十三(1700)年の火災で焼失したため、七年の歳月を費やして建てられたのだといいます。
間口約24メートル、高さ約26メートル、奥行き約56メートル。仏堂の前に長大な礼堂を配した撞木造と呼ばれる独特の構造を持つ。
…とか書かれているんですけど、イメージできますか?
江戸時代中期仏教建築を代表する大伽藍ということです。

宝永の火災のみならず、善光寺は幾度となく火災に遭遇してきたといいます。
その数は記録に残っているだけでも十数回にものぼり、『平家物語』にも善光寺炎上は描かれているといいます。

…へっ?平家物語に!?
平家物語ねぇ。
わたし、自慢ではないけど国語やら古語の教科書にピックアップされた部分しか読んでいませんから。
ちなみに、夫は今、何やらアニメ化された作品がたいそう素晴らしかったとか言い、すっかり平家物語にハマっているようで、図書館で小学国語辞典よりも厚いような平家物語を借りて読んでいるようですが…。


そんな十数回とも言われる火災を経ても、そのたびに規模を縮小することなく再建されてきたことからも、信仰の厚さがうかがえます。

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