窓辺のカトレア
絵里の母は、女優として仕事の合間に演技者として生活している。絵里は、母の代わりに料理を担当して、自分の将来を考える。
やがて、それぞれの生活の節目を迎え、二人の人生プランは変わっていく。
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私の母は、女優だった。
正確には、売れない女優で、いろいろな仕事をパートでやっていた。
私が物心ついた頃には、いつもパートで家をあけていた。たまには念入りにお化粧して撮影に出かけ、テレビドラマに数秒間映っていた時もあった。
若い頃は、いろいろな役をこなしていたのだと思う。しかし、ビデオも写真も残っていないので、どこまで信用していいのかはわからない。
娘の私としては、もう少し家にいて、時々遊んだり、勉強を教えたりしてほしかったのだが、機嫌が悪い時に話しかけても「自分で考えなさい」と怒るので、仕方なく、いつも一人で机に向かっていた。
おかげで私は、すっかり勉強が得意な女の子になってしまった。
休みの日に仕事が入らない時には、たまに母と二人で遠くに出かける。
小さい頃は、公園で遊ぶこともあった。
「それに、公園で遊ぶ時は、もっと楽しそうに遊びなさい!」
かなり理不尽な話だ。公園にいた他の子供たちは、一緒に遊ぶ友達や兄弟がいる。
私はといえば、たまに母の気が向いた時に連れてこられるだけだ。しかしここでそれを言い返すだけの心の余裕もなく、口ゲンカで母に負けるというのは本能的にわかっていたので、ぐっとこらえ、母に手をひかれるまま、立ち上がった。
その後は、二人で手をつないで帰ったが、家につくまで、二人とも無言だった。
母は、今でいうシングルマザーだったようだ。
若い頃に、とある劇団に入っていて、父と知り合い、そして私が生まれたらしいが、詳しいいきさつになると、親戚も皆、話してくれないので、よくわからない。
「とにかく、売れてなかったからね」
伯母(おば)は、お茶を飲みながら、お土産のおかきをつまんでいた。
「最初に、きちんと籍を入れなかったのがいけなかったのよねぇ。まあ、おかげで、戸籍のほうはきれいだったんだけどね。
その後にお見合いした人と一時(いっとき)結婚生活は送ってたけど、あの子もああいう性格でしょ、一年持たなかったわ」
「うん。それで?」
「知らない。和子も話さないでしょ?女優業にこだわりたかったんじゃないの?きちんと話し合ってれば、それなりの報酬じゃなくて、慰謝料も出たんだろうけど、、 でも、家庭をおろそかにした和子も落ち度があるから、払う側かしら?よくわかんないけどさ」
濃いほうじ茶の香りが、テーブルのまわりに漂(ただよ)う。
湯呑みの中をのぞいても、茶柱は浮かんでこない。
「それで?私と血のつながったお父さんと別れた原因って、何?浮気?」
「そんな甲斐性ないわよ」伯母は、眉をしかめ、顔の前で手を大きく左右に振った。
「真面目過ぎたんじゃないの」
「真面目過ぎた?」
「私は、演劇のなんたらとかわからないけど、二人とものめり込みすぎたんじゃないの?、、、、昔、学生運動とか、流行(はや)ったんだけどね、そういうのと、似てると思うのよ。聞いた話だと、ああいうのも、良し悪しなのよね。自分が、ヒーローとかヒロインみたいに、勘違いしちゃうのよ。
おばさんも、一度、和子が出てる舞台を見に行ったけど、結局どういう筋書きの話なのか、わからなかったし、、、
芸の世界で身を立てられる人なんて、一握りなのにね」
私は、しばらく黙って壁の時計を見つめ、バックの中から携帯のスマホを取り出して、表示を確認した。
「おばさん、私そろそろ帰るね」
「あら、そうね、もう、タイムセールの時間よね。今日は、私も後で買い出しに行かなきゃ、、、 ねぇ、絵里ちゃん」
「何?」
「まだ、彼氏とかいないの?」
「うん」私は、再び壁の時計を見つめる。
「そんな余裕ないよ」
「あら、でも絵里ちゃんも、もうすぐ成人式でしょ?彼氏の1人や2人作ってもいい頃じゃない?」
「2人もいらないって」
「そーお?おばさんが絵里ちゃんくらいの頃は、青春をエンジョイしてたわよぉ。日替わりで男の子と映画見に行ったりねぇ。いい時代だったわぁ」
「今時そんな事してたら、まわりから何て言われるかわかんないし」
「今の子たちって、、 遊んでる子は遊んでるように見えるけどねえ。絵里ちゃんも、変な所、お母さんに似てるわよね。わりと美人で通る顔立ちしてるのに、なかなかいい男の人にめぐり会わないっていうかさ。
和子も、どうせなら、美人女優って肩書きで、もっといい仕事が入ってくる所に行けばよかったのよね。そしたら、ほら、玉の輿とか、なれるんじゃないかな?」
「おばさん、私、ほんとに時間ないから、、、 もう行くね。今度は、なんか作って持ってくるから」
「あら、今日、アルバイト?」
「うん。遅い時間なんだけど、早めに入って準備しとけば、終わった時に早く帰れるから」
「そう。変な男には、気をつけるのよ。今頃の男の子は、チャラチャラしてるわりに無表情だから、何考えてるかわからないからね。街で声かけられて、のこのこついて行ったらダメよ」
話が、矛盾してるよなぁ、、、と思いつつ、私は、肩掛けバックを下げて、伯母の家を後にした。
小学生低学年の頃、たまに、母の劇団仲間が、家にやって来る事があった。
その頃は、小さなマンション住まいだった。ささやかなキッチンと、それに続く正方形のリビング。クリーム色のソファー。
「今日は、お客さん達が来るから」と言って、母が、私の前にホットケーキの皿を置く。
熱々(あつあつ)のホットケーキを食べているあいだに、1人、また1人と、見知らぬ大人の人たちが、ビニールの袋を下げて、家の中に入ってくる。
--こんにちは。えりちゃん、覚えてる?
陽気な顔で、口々に私に声をかける大人たちに、こんにちは、と返事を返していく私。はっきり言って、誰の顔も、覚えてなかった。
--覚えてないよねぇ。まだ、ほんの小さい赤ちゃんの頃だったもんね。
--私は、ほら、1年生に上がる前に、街で会ったよね。
だんだん、私は返事をするのが面倒になっていき、大人たちは大人の会話に戻っていく。
ビニール袋からお酒の缶やおつまみが取り出され、母が、なべの中からいろんな皿に取り分ける野菜の煮付けの匂いが、ただよってくる。
私は、楽しそうに語らう大人たちの近くで、ソファーに座り、子供雑誌を読みふけっていた。
やがて、お酒の缶が空っぽになっていく。
大人たちの話は、なんだかよくわからなかったけど、おもしろそうな表情で、不思議なしゃべり方をする人が何人かいて、その人たちがしゃべるたびに、みんな、楽しそうに笑っている。
みんなと一緒に食べたり飲んだりしている母は、時々私のそばを通ってキッチンに行くけど、すっかり私のことを忘れたみたいに、大人たちの中にまぎれている。
サラサラしているようで、クセのある髪が、母の肩で揺れている。
いつものお母さんじゃないみたいだな、と思って母の顔を見ていると、そこにいる人たちの中で、一人、キラキラしていて、きれいな女の人に見える。
ゆらゆら、ふわふわした空気の中で、だんだん私のまぶたは重くなっていき、体が、ソファーの中に沈み込んでいく。
--あれ、えりちゃん、眠くなったかな?
いつのまにか、私の体には、二つ折りのタオルケットが、かけられている。
とろとろとした意識の中で、母の笑い声が、ゆっくりと遠くなっていった。
「でもさ、親がテレビに出てるって、すごいよな」
「そう?有名な人だったらいいけど、中途半端に顔が知られてても、かえって面倒だよ」
友達と歩きながら、私は、レストランのウィンドウに飾られたメニューを目で追った。
「そんなもんかな」
薄い茶色のシャツを着た彼は、しばらく立ち止まって、「中に入る?」と、レストランの入り口を見る。
「ううん。メモだけ取っていい?」
「いいよ」
私は、ショルダーバックからメモ帳を取り出し、メニューのカロリーと値段を走り書きした。
「お母さんがいない時って、絵里がごはん作ってるんだろ」
「撮影の時はね、、、、 ほとんどエキストラみたいな感じだから、パートが休みの時に、1日かかる時もあるし」
「へー、すごいな」
「長年そんな事やってるから、一応ファンとかもいて、年配の人から煮付けとかみかんとか、差し入れもらってくる事もあるし、、、」
「そういうのが、いいよね。普通、親戚とかじゃないと、煮付けとかくれないよ」
「まあね。おいしかったけどさ、、、」
私が、メモ帳と店の看板を見比べているうちに、彼は腕時計をチラッと見て、「じゃあ、そろそろ帰る時間だから」と言う。
「うん。明日は授業に出る日?」
「わかんない。レポート書き上げたら、そのまま二人で学校に行くと思う」
「ふーん。彼女とは、順調なの?」
「まあ、今のところはね」
私と彼は、高校を卒業する頃から、専門学校に入学するまで、しばらくつきあっていたけど、そのうち私のほうが忙しくなったり、彼に好きな人ができたりで、自然につきあいも消滅してしまった。
お互いの学校が近くにあるので、時々街で顔を合わせたら話はするけど、男友達になった彼は、もう、以前の地元の頃の話とかは、しなくなってしまった。
「じゃあ、私も試験勉強しないといけないから、帰るね」
「資格取るの?」
「うん。いつかはね。調理師になったら、どこかの店で修行するの」
「そうか。その時には、その店に食べに行くから」
そう言って、彼は立ち止まり、お惣菜店の店先で、「ここで、弁当買っていくから」と、笑って片手を上げた。
私も笑って、「夏休みには、みんなで集まろうね」と言い、もう、彼と一緒に、食材の買い出しに行けない事を、さみしく思った。
その頃から、母は、よく電話で誰かと話し込んでいた。
どうやらお金の事らしく、「いくらなら準備できるの」とか「私も今月はきついのよ」とか言っているのを小耳にはさんだので、てっきり母がお金を借りる相談をしているんだろうと思っていたが、どうやらそうではなさそうな感じだった。
「昔、お世話になった知り合いがね、事業を起こそうとして失敗したらしいのよ」
赤いエプロンを着けた母は、おもしろくもなさそうな表情で、状況を説明してくれた。
「この間、温泉旅行に行った時の交通費と、お土産代で、赤字だからね」
「でも、旅館の宿泊費は、町内会のくじ引きで当たった券だったから、タダじゃない。あれ、パート先の人が行けなくって、ゆずってもらったのよね」
「まあ、あれは、めったにないたまの贅沢だから」
「私は、運が強い時は強いから。あれこれ心配しなくても大丈夫よ」
「それでも、やっぱり節約したほうがいいよ。お母さんだって、いつまでも若くはないんだから」
「わかってるわよ」
「いいかげんに、タバコとかやめたら?それで、だいぶ出費が減るよ」
「うるさいわね。やめる時は、自分で決めるわよ」
テーブルの上の食器を片付けながら、私は、ため息をついた。
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