霊感ドライバー大沢宗一郎
とりあえず、頑張ります💦
最後まで書けたら👏👏👏拍手して下さい💦
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>> 50
圭一に…親父と似てると言われた事…
遊園地で偶然見かけた事…
岡島との関係…いや、これはまずいか…
幸之助は、そんな事をわざわざ前もって考えている自分が、普通じゃないなと思い…苦笑した。
ママはスルメを焼いたりカラオケをセットしたりと忙しくしている。
必然的に幸之助は放ったらかしにされていた。
おかげで最初に来た時は岡島と話し込んだりしていて見えなかった店の景色が今日はよく見えた。
幸之助が驚いたのは、数はそれ程多くはないが、客のキープしている洋酒に高級品が多い事だった。それに、いくつかのボトルタグには一流企業の社名が書かれている。
よく見ると美雪が接客している客の背広にも見覚えのある一流企業のバッジが刺されている。
さびれたスナックに明け透けなママ…
そこに美人ホステスと一流企業の客達…
何か…違和感を感じずにはいられなかった。
鳴門で長居し過ぎた事もあって、ウイスキーの水割りを三杯飲んだ頃には午前0時半を少し過ぎていた。
ママはときおり話しかけてはくれたが、結局美雪が自分の元へ来る事はなかった。
>> 51
美雪が…たった一度しか会っていない自分を待ってくれているとでも思っていたのか…
美雪の弟である圭一の親方だから…どの客よりも大事にしてもらえると思っていたのか…
幸之助は美雪に抱いていた感情が、ただの憧れだった事に気付いた…いや、そう思うようにした。
もう…ここへ来るのは最後にしよう…
お会計を済ませ、ビルの外へ出た。ママが背中で手を振っていた。さすがにこの時間は肌寒い…大通り迄出てからタクシーを捕まえようと思っていたが、ここから乗ろう。
幸之助が手を挙げようとした時、自分に急いで駆け寄ってくる足音に気付いた。
振り向くと美雪だった。
「大沢さん…少し時間頂けませんか?私…もうすぐ終わるんで、ここで待ってくれてたら嬉しいです。」
そう言ってメモを手渡した。
美雪は幸之助の返事を聞くともなく店へと帰って行った。
メモにはショットバーの住所と電話番号が書かれていた。
>> 52
すぐそばで、たこ焼きを焼いていた露店商にメモを見せると、バーの場所はすぐにわかった。
もう…二度とここへは来ない…
ついさっき…そう決心した自分とは正反対の自分が…ここにいる。
幸之助はバーに向かって歩き出した。
そのバーはマスターらしき初老のバーテンダーが一人の…いかにも格式の高そうな店だ。店にはマスターの趣味なのか、ジャズが流れていた。
幸之助はジントニックをオーダーしてカウンターの中ほどに腰を落ち着けて美雪を待った。
幸之助は…静かな店の雰囲気とは逆の…高鳴る胸の鼓動を感じずにはいられなかった。
しばらく待つと美雪はやって来た。
「今日はごめんなさい…全然お相手出来なくて…」
そう言って、頭を下げてから幸之助の隣りに腰をおろした。
「何か、僕に話しでもあったのかな?」
冷静さを装って聞いた。
「明日のお仕事に差し支えますよね…ごめんなさい…ただ大沢さんをこのまま帰しては駄目なような気がして…」
美雪の…プロのホステスとしての勘なのか…
実際…二度と来ない…と思っていたのは事実だ。
>> 53
特別、何か話しがあって自分を誘った訳ではない事がわかった。
それに、自分が圭一の親方だからなのか、一度しか会っていない客だからなのかはわからないが、美雪も少しは緊張している事もわかった。
「圭一は迷惑かけてませんか?何かあったら、私にいつでも言って下さい」
よほど、姉弟の仲がいいのだろう…
「岡ジ…いや、岡島君の教え方が良かったのか、思ってた以上に仕事が出来たからビックリしてるんですよ」
お世辞ではなく、思ってた事をそのまま言った。
美雪はわかり過ぎるほど、嬉しそうな笑顔で「本当ですかー?…圭一も大沢さんの下なら…今まで以上に頑張ると思いますー」
幸之助は美雪の子供のような笑顔を見て、さっきまでの緊張がお互いに少し和らいだような気がした。
ただ…自分の下なら…と言う美雪の言葉が気になったので
「僕の下なら…って?」
美雪は少し真顔になると
「大沢さん…似てるんです…私と圭一のお父さんに…」
質問をぶつけた時に、何となくわかっていた。この答えが返って来る事は…
しかし…私と圭一?…弟はもう一人いた筈…
>> 54
少し考えた風の幸之助を見て察したのか、美雪は話し出した…
美幸と圭一は実の姉弟で、二人が子供の時に父親は家族を捨てて出て行った。
母親とは仲の悪い父親だったが、美雪はその父親が大好きで慕っていた。
その後母親が再婚したのだが、その母親が再婚を境に美雪と圭一に辛くあたるようになった。
美雪は再婚相手の男や男の連れ子にも酷い扱いをされ、家出同然のように大阪へ出て来た。
その時、圭一も一緒に連れて行きたかったが、圭一は幼い子供だったし自分自身の生活さえ先が見えない状況では、それも出来なかった。
美雪は淡々と話した…
ただ…膝の上でギュッと握られたこぶしに、美雪の押さえきれない感情が読み取れた。
幸之助は黙って聞いていた。そして、呟くように一言…
「いっぱい、苦労したんやな…」
美雪の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
美雪は自分の右手の人差し指でその涙を軽く拭うと
「私ね…初めて大沢さんを見た時…本当にビックリしたんよ…でも…水商売の習性やね…どんなに偉い人をみても…どんなに有名な人を見ても…他のお客さんと同じように接しないと…でも…本当に似てる…」
気がつけば…息がかかる程の距離で美雪はそう言った。
>> 55
そして、美雪はニコッと微笑むと
「まだ小学生くらいの時かな…その頃はお父さんとお母さんもうまくいってて、三人で遊園地に行ってね…ソフトクリームを買いに行ったお父さんを、お母さんとベンチで待ってて…」
幸之助は…はっ、とした。
「えへっ、実はこの前遊園地で大沢さん見かけたんですよ…私…大沢さんの背中に、お父さーんて叫んじゃいました」
そう言って…まるでいたずらを見つかった子供のようにペロッと舌をだして笑うのだった。
幸之助は、美雪の泣いた顔…笑った顔…話す声…全てが、可愛いと思えた。それは、憧れという感情とは別のものだった。
時刻は午前2時になろうとしていた。
時計に目をやった幸之助に、気付いた美雪が帰りをきり出した。
幸之助は美雪が同じ方角へ帰る事を知ってタクシーで送る事にした。
車の中で美雪は聞いた
「岡島さん、元気にしてますか?」
美雪が岡島の近況を知らないと言う事は少し意外だった。
「うん、元気やで…でも…岡島君の事は僕より美雪ちゃんの方が詳しいと思ってたなあ」
言ってすぐに後悔した…どうしてこんな嫉妬じみた嫌味を言ってしまったのだろうと…
>> 56
美雪はさほど怒った様子もなく
「岡島さんには…本当…色々お世話になって…でも、良い友人って感じかな」
幸之助はこれ以上の詮索は止めようと思った。
ただの…友人…この答えで充分だった。
そう言えば…オーシャンのカウンターで一人淋しく飲んでいた時…考えていた…
美雪と一対一のシチュエーションで何を話せばいいのだろう?と…
その時考えていた全ての事に答えを出してくれた…美雪自らが…
美雪とは…他人同士には無い、気持ちの繋がりがあるのではないかと、その時幸之助は思った。
「運転手さん、ここでお願いします」
美雪の声にタクシーが停まる。
停められた場所に幸之助は驚いた。
その場所は智江がパンを買いに来るフランス料理店の前だったのだ。
「大沢さん…今日は楽しい時間をありがとうございました…無理でなければ時々でいいから顔見せて下さい…駄目ですか…?」
ドアが開けられた。
幸之助は動揺した心を抑えて
「僕も楽しかった…顔見に行くよ…美雪ちゃんの顔」
少し嬉しそうな笑みを浮かべ、美雪は車を降りた。
そして、美幸は道路を横切ってマンションへと消えた。
それは…青い壁のマンションだった。
>> 57
それから4日が過ぎた。
あれから美雪とは会っていない。
幸之助にとって、あの夜の出来事が…現実ではない夢のような…そんな錯覚を感じさせる一夜だったのかもしれなかった。
居酒屋ばかり行っていた自分が、ミナミと言う歓楽街の美人ホステスと、深夜まで二人きりで何時間かの時を共有したと言う事が、まるで他人事のようにしか思えなかった。
勿論、美雪と特別何かあったと言う訳ではない。
しかし…あの日初めて嘘をついた。
智江に初めて嘘をついた。
和也と圭一との三人で飲んでいたと…嘘をついた。
家族を守る為の嘘はあっても自分を守る為の嘘はなかった。
智江に嘘をついたと言う後ろめたさが、美雪に会う事をためらわせていたのかもしれない。
それとは別に…すぐに会いに行く事で自分の気持ちを美雪に見透かされそうな気がして、足が遠ざかっていたのかもしれない。
でも…会いたい気持ちを抑えつければ、抑えつけるほど会いたかった。
また嘘をつくかもしれない…
智江にまた嘘をつくかもしれない…
自分を守る為に…
>> 58
ただ…自分を守る為の嘘が、結果的に家族を守る為の嘘になるならば…それは仕方の無い事なのかもしれない…
智江や宗一郎を悲しますような事は絶対にあってはいけない…
ある筈がない…
だが一方で…美雪の事を少しづつ愛し始めている自分の気持ちは否定できない。
幸之助はタクシーの中にいた。
タクシーはミナミへと車を走らせていた。
あの日…和也と圭一との三人で飲んでいた…と言ったら智江は何の疑いもなく
「お疲れ様、幸ちゃん」
そう言った。
美雪と特別何かあった訳ではない…
なのに何故正直に言えなかったのだろう…
言わなかったのだろう…
まるで…これから美雪と何かある事を予感しているのか…?
それとも…望んでいるのか…?
「お客様、ここでよろしいですか?」
今まで家庭と仕事にしか興味のなかった男が、知らなくてよかった遊びを知ってしまうと…皆こんな気持ちになるのだろうか…?
「ああ、ここでええよ…ありがとう」
幸之助は車を降りた。
午後の7時だ。
オーシャンはまだ開いてないだろう。
>> 59
あの日美雪と待ち合わせたバーで時間を潰す事にした。
客はまだ一人もいない。
マスターが慌ただしく動いているところを見ると開店したばかりなのだろう。
その動きとは対照的に店には静かで落ち着いた音楽が流れている。
オーシャンに行ったなら…今日の美雪はどんな顔で迎えてくれるのだろうか?
まるで何事もなかったかのように迎えるのだろうか?
それとも満面の笑みを浮かべて迎えてくれるのだろうか?
マスターが聞いた
「今日はお一人ですか?」
マスターもようやく落ち着いたようだ。
幸之助は黙って頷くとバーボンのロックをオーダーした。
それからしばらく飲んでいたが、それ以上マスターが幸之助に話しかける事はなかった。
この前の美雪の泣き顔を見て、どう思っているのかは判らないが…こんな商売をして、毎日のように男と女の様々なあり方を見てると、いちいち気にはしていられないのだろうと思った。
三杯目のグラスを空にして、そろそろ席を立とうとした時に一人の客が入って来た。
幸之助はその男のオーダーが済むまで待とうと、上げかけた腰を再び降ろした。
>> 60
「今日も例のお店ですか?」
マスターがその男に尋ねた。
その会話から察するに…男は常連客なのだろう。
男も幸之助と同じで、どこかへ飲みに行く前にここへ立ち寄ったのだろう。
男は答えた
「あんな店、二度といかんよ!」
マスターは思いもよらぬ答えに、これ以上の会話は危険と感じ取ったのか、そそくさと男の前から離れてその男がオーダーした酒を黙って作りだした。
男はお構い無しに続けた
「あいつら、絶対に許さん!家族ぐるみで騙された!」
幸之助はマスターが丁度自分の前に来たので、少し小さな声でお会計を頼んだ。
幸之助は男の殺気立った口調に、目を合わすまいとしていたのだが…やはり気になったのでチラッと男を見た。
何となくその男に見覚えがあった。
誰だっけ…?どこで見たっけ…?
幸之助はマスターに
「マスター、やっぱりもう一杯頼むよ…軽いやつ」
そうオーダーすると、みたび腰を下ろした。
マスターがフルーツ系のカクテルを作り終えるまでには、思い出していた。
男の名は確か…遠藤だった筈…
遊園地でママはそう呼んでいた。
間違いない…
その男を思い出した途端に…幸之助は何とも言いようのない不安にかられた。
あんな店とは…オーシャンの事なのか…?
家族ぐるみとは…あの日の遊園地と関係あるのか…?
遠藤は更に吐き捨てるように言った…
「畜生!僕だけならまだしも僕の息子達まで騙しやがって!」
息子達…?
あの日は確か…息子らしき子供はいなかった…ただ、あの場にいなかっただけなのか…?
幸之助はまるでもやがかかったような心に様々な思いを巡らせていた。
遠藤はグラスのウォッカを一気に飲み干すと、涙の入り雑じった声にならない声で
「僕は…僕は…比奈子を…絶対に許さんよ…絶対に…」
そう言ったのだ。
比奈子…?
幸之助はさっきまで身体中に張りつめていた何かがフウッと抜けて行くのを感じた。
この男が遠藤である事には間違いない。
そしてこの遠藤を騙した女がいるのだろう。
だがそれは…
美雪ではなかった。
おそらくオーシャンとも無関係だろう。
夜の盛り場には珍しい話ではないのだろう。
ただ、これ以上この遠藤と言う男の醜態を見ている必要はなかった。
幸之助はバーを出た。
>> 62
扉を開けると、美雪は少し驚いた表情で
「あっ…大沢さん…いらっしゃいませ」
何を驚いたのだろう…?
幸之助が小首を傾げると、美雪はそれに気付いたのか
「私ね…今カウンターを拭きながら別れたお父さんの事を思い出してたの…そしたら扉がバンと開いて…大沢さんが…まるでお父さんに見えちゃって」
それを聞いた幸之助は冗談ぽく
「なーんや、僕の事考えてたんと違うんか…それに美雪ちゃんのお父さんて言われる程、美雪ちゃんと歳は離れてないと思うんやけどなあ」
美雪はその言葉を真に受けたのか
「気に障ったなら…ごめんなさい…私と圭一の記憶は出て行った時のお父さんのまま時間が止まっちゃってるから…」
申し訳なさそうに言ったまま、うなだれてしまった。
幸之助は慌てて
「ごめん、美雪ちゃん冗談やで…ほんまにごめん」
と言って美雪をよく見ると、美雪の肩が小刻みに震えている…泣いている…のではなく、笑いを堪えている事に幸之助は気付いた。
美雪は頭を上げ、幸之助を見ると舌をペロッと出し
「私も冗談、大沢さん意地悪ばかり言うんだもの」
一本取られた。
>> 63
他の客はまだ誰も来ていない。
店には幸之助と美雪の二人だけだった。
美雪を初めて見た時や遊園地で見た時には、何か近寄りがたい、落ち着き過ぎた大人のオーラや美人特有のオーラを感じたのだが、今はそんなものはあまり感じなくなっていた。
幸之助と二人きりの時に見せる姿が本来の美雪の姿なのだろうと思った。そして、そんな姿の美雪の方が幸之助は好きだった。
美雪はウイスキーの水割りを作りながら
「私、本当は今日休みだったの…ママが急に来れなくなって…臨時出勤なんですよ」
そう言った。
美雪の休みを考えてはなかった…もしこの状況でママと二人きりだったら…
幸之助は急に休んでくれたママに心の中で感謝した。
幸之助は先ほどのバーでの遠藤の事を少し話した。
勿論、遠藤と言う名前は伏せて…
話を聞き終わると美幸は少し間をおいて
「その時の大沢さんは…きっとビックリしたんですね…でも私は夜が長いから…騙したとか騙されたとか聞き飽きちゃって…慣れって怖いですね」
やはり夜の世界で生きてる者達にとって、こんな話は日常茶飯事なのだろう。
ただ…美雪の言葉には、夜の世界で生きている自分をも否定しているような響きを感じた。
>> 64
時間が早いとは言え、この客足の遅さは常連客が美雪の休みを知ってて来ないのかも知れない。
美雪も幸之助の隣に座り、しばらく二人きりの時間が続いた。
話題がたまたま、幸之助の仕事の話しになった時
「実は私…大沢さんと何度も会ってる事…圭一にはまだ言ってないんです…言っちゃうと大沢さんがここへ来にくくなるような気がして…」
幸之助も圭一には言ってなかった。自分が圭一に言わなかった理由を自分自身よくわからなかったが、美雪とよく似た気持ちだったのかもしれないと思った。
二時間ほど経とうかという頃に客は来た。
その客の二人は、いない筈の美雪がいる事に大喜びしている。
幸之助は帰る事にした。
お会計を美雪に告げると、少し驚いた顔をしたが黙って計算をしてくれた。
幸之助がラストまでいるものだと思っていたのかもしれない。
美雪はビルの下まで送ってくれた。
下へと降りるエレベーターの中で美雪は言った…
>> 65
「大沢さん…一つだけお願いがあるんです…」
「どうしたん?」
「二人きりの時だけ…今日みたいに二人きりの時だけでいいんです…」
「うん、どうしたん?」
「大沢さんを…パパって呼んでいいですか…?」
幸之助は言葉を失った。
また美雪の冗談かと思い顔を見たが、今度は冗談ではなさそうだ。
美雪は…大好きだった実の父親が、美雪に自分をパパと呼ばせたかったらしい…美幸も父親をパパと呼びたかったが照れ臭くて呼べなかったと言った。
「幼稚園まではパパって呼んでたのに…小学校に上がると周りの友達に冷やかされちゃって…」
何だか少し恥ずかしいが、今日みたいに二人きりになる事はそんなにはないだろう…それにそう呼ぶ事で美雪との距離が今以上に縮まるならいいとも思った。
「うん、美雪ちゃんがそれで幸せやったら、いいよ…二人きりの時は俺をパパやと思って普通に喋ったらええ」
と言いながら…気持ちは少し複雑だった。
自分に男としての魅力を感じてくれてるのではなく、父親の面影を重ねているのだと思えたからだ。
「嬉しーいパパ!じゃあ、ご褒美」
そう言って美雪は幸之助に自分の名刺を差し出した。
>> 67
それからの幸之助は毎日仕事が終わると美雪に電話をする事が習慣になった。
美雪の出勤が早かったり、幸之助の仕事が遅くて電話が繋がらない事も時々あった。
話す内容はいつもたわいもない事ばかりで、オーシャンの客の事や圭一の事等が主だった。
美雪の幼少時代やキタ新地で勤めていた頃の話は、美雪が話したがらないのであまり話題にはならなかった。
幸之助もしつこく聞くような事はしなかった。
もう10日も会っていないが、電話で声を聞く事で、それをあまり感じなかった。
それにオーシャンへは、度々来なくていいと美雪に言われていた。スタッフがママと美雪しかいない店では、またパパを放ったらかしにしてしまうかもしれないし、店で会うよりもプライベートでゆっくり会いたいのが理由だと言った。
その言葉は幸之助も素直に嬉しかったが、仕事中の大人の色気を漂わす美雪や落ち着いた雰囲気の美雪も好きだった。
一度その気持ちを美雪に話すと、美雪は言った。
「パパだけに見せる美雪が本当の美雪で、仕事している時の美雪は本当の美雪じゃないの…前に勤めていたお店が厳しいお店だったから…」
確か…キタ新地のクラブと言っていた…
>> 68
今日は美雪の出勤が早かったのか、電話をかけたが繋がらなかった
。
電話ボックスのガラスに映った…少し項垂れる自分をみて、俺もまだまだ若いなと思った。
現場で仕事をしている時に、…今日は何を話そう…等と考えてて思わぬミスをしてしまった事もあった。
今日もハンマーで釘を打つつもりが、自分の親指を打ってしまった。
以前、和也がこのミスをした時に幸之助は、そんなミスは大工を始めて三日以内にやるミスだと叱った事があった。
昔…智江の事を考えてて仕事が手に付かず、親方に怒鳴られた頃を思い出す。
現場の前を通る智江はいつも顔を真っ赤かにしていた。今でも恥ずかしい時には顔が真っ赤かになる。
そんな智江が今でも好きだ。
美雪のように特別美人ではないが、智江には智江にしかない魅力があった。
子供のような無邪気さを失わず…疑う事を知らない…
今の俺は…智江を裏切っているのだろうか…?
俺は…卑怯者なのか…?
いくら考えても答えは見つからない…
ただ…胸を締め付けられる思いだけが…そこに残った。
幸之助は自宅の扉を開けた。
中から
「お帰りー幸ちゃん!」
智江の声が聞こえた。
>> 69
「父ちゃん、お帰りー!」
いつものように宗一郎を受け止めると、台所から智江の声がした。
「幸ちゃん、ご飯の準備してるから先に宗ちゃんとお風呂入って」
幸之助は抱っこしたまま宗一郎に言った
「宗、風呂まだやったんか?よし、一緒に入ろう」
「やったー!父ちゃんと入るの久しぶりや!」
岡島と決まった曜日に鳴門に行ってた頃とは違い、最近は幸之助の帰りが不規則に遅かったりするので、宗一郎が先に一人で風呂を済ませている時の方が多かった。
言われてみれば確かに久しぶりだ。
以前は…仕事の事か家族の事しか考えてなかったのに…
二人とも、頭を洗い身体を洗い終えると一緒に湯船に浸かった。
宗一郎が幸之助の手を見て言った
「父ちゃん、その親指どうしたん?」
まさか、美雪の事を考えてて怪我したなんて言えない
「おう、これか?父ちゃんドン臭いから釘打たんと、指打ってしまったんや」
宗一郎は自分の両手で幸之助の怪我した手を包み込むように握るとおまじないをかけた。
「痛いの飛んでけ…痛いの飛んでけ…」
「あっ!宗のおかげで痛いの無くなった!」
「本当?」
「本当やで、今度は父ちゃんがお返ししたろ」
>> 70
「お返しって何?」
宗一郎が幸之助の手を握ったまま聞いた。
「宗は将来、何になりたいんや?」
宗一郎はほんの少し考えると
「僕はな…バスの運転手さんになりたいねん…大きいバス運転したいねん」
幸之助はニコニコ頷いた。
「死んだおじいちゃんは父ちゃんに、偉い人と同じ名前を付けたんや幸之助って…だから父ちゃんも宗に偉い人と同じ名前を付けたんやで宗一郎って…その人は車の仕事で偉くなった人やから、宗も…なれるよ、バスの運転手に…絶対」
宗一郎は目を輝かせて聞いた
「本当?」
幸之助は握られた手に少し力を込めると
「よし、今から父ちゃんが宗にパワーを送ったる…宗も目を閉じてそのパワーを受け止めるんや…ええか?」
宗一郎は力強く頷くとそっと目を閉じた。
「ええか宗…人間には眉毛と眉毛の間位に、もう一つ目があるんや…それが心の目って言うやつや…そこに気持ちを集中させるんやで」
宗一郎が目を閉じたまま返事をする
「うん、わかった…」
そして、幸之助も目を閉じると…己れの全身全霊のパワーを宗一郎に送った…と、言っても幸之助にそんな能力はない。
>> 71
だから幸之助はイメージした。
将来…大人になった宗一郎が満員の乗客を乗せて大きなバスを運転する姿を…
伝わったかな…?
幸之助そう思った時…宗一郎が突然、ふりほどくように手を離した。
幸之助も驚いて
「ど、どうした、宗…?」
「…」
「父ちゃんが手を強く握り過ぎたんか?痛かったんか?」
宗一郎は荒くなっていた呼吸をととのえると
「う、うん…何でもない…」
本当に大丈夫か…?もう一度聞こうと思った時に風呂場の扉が開いた。
「こら、そこの仲良しふたり組!いつまで入ってんの?ご飯出来たよ」
智江に即されるように二人は風呂をでた。
しかし、さっきの宗一郎の様子はいったい…
幸之助はわからなかった…
その時…宗一郎は幸之助のイメージしていたものとは全く違うものを見ていた…いや、見てしまった…
それは…自分の愛すべき父親が不幸のドン底に喘ぐ姿だった…
どうして…そんなものを見てしまったのか…勿論宗一郎にもわからなかった。
>> 72
どうしたんだろう…?
幸之助は布団の中で考えていた。
暗く静かな部屋に智江と宗一郎の寝息だけが微かに聞こえる。
幸之助は眠れなかった。
親指の痛みもあったが、そんな事より宗一郎が心配だった。
風呂を出てからの宗一郎の様子が明らかにおかしい。
いつもは美味しそうに食べるご飯も、今日はほとんど食べてなかった。
好きなテレビも視ず、幸之助や智江が話しかけてもどこか上の空だった。
明日の朝には、元気を取り戻してくれてればいいのだが…
幸之助の家は、六畳と四畳半の二部屋があって、幸之助は四畳半の部屋に一人で寝ている。もう一つの六畳の部屋に智江と宗一郎が布団を並べて寝ていた。
幸之助がそろそろ眠りにつこうかという時に、枕元の辺りに人の気配を感じた。
そこには宗一郎が立っていた。
そこは六畳と四畳半の部屋の間で、丁度幸之助の頭の上だ。
びっくりした幸之助は智江を起こさないように小声で言った
「どうした宗…眠れないんか?」
すると突然、宗一郎は泣き出した。そして泣きながら
「父ちゃん青い壁のおばちゃんとこに行かんといてー行かんといてー」
そう言ったのだ。
>> 73
幸之助は驚いて言葉を失った。
青い壁のおばちゃんとは、美雪の事に違いない。
でも…どうして…?
さすがに宗一郎の大きな泣き声には智江も起きてきた。
「宗ちゃん、どうしたん?怖い夢でも見たんか?」
宗一郎は更に
「おばちゃん怖いからー青い壁のおばちゃんとこに行かんといてー」
美雪をタクシーで送った事はあったが、家になど行った事はない…
それとも美雪の勤める店に行かないでと言っているのか…?
いずれにしても宗一郎が外を出歩くような時間の話ではない…
智江は宗一郎を抱き抱えると
「よしよし…宗ちゃん怖かったなあ…母ちゃんの布団で一緒に寝ような」
そう言って自分の布団に寝かし、宗一郎の頭をなだめるように何度も撫でた。
でも…確かに美雪の事だ…
宗一郎は何かを見たのか…?
それとも誰かに何かを聞いたのか…?
いや、そんなはずはない…
じゃあ…宗一郎は何かを予感しているのか…?
智江のおかげで宗一郎も、だいぶ落ち着いたようだ。
智江が小声で聞いた
「幸ちゃん…青い壁のおばちゃんて誰…?心当たりあるの…?」
幸之助は動揺した心を悟られぬように、落ち着いた口調で
「知らんよ…」
そう答えた。
>> 74
幸之助は駅に向かって歩いていた。
結局昨日は一睡も出来なかった。
幸之助が家を出る時に、宗一郎はまだ寝ていた。
いつもの元気な宗一郎に戻ってくれてればいいのだが…
青い壁のおばちゃん…
どうして…?
いや、今は頭を切り替えなくてはいけない…仕事なのだから…
駅に着くと、和也はすでに来ていた。
ただ圭一の姿が見当たらない。
幸之助は和也に聞いた。
「昨日も一緒やったんか?」
和也が答えた
「はい、一緒でした…でも、次の日の事も考えて早めに別れました…」
和也と車の中で30分ほど待ったが、圭一は来なかった。
圭一が時々ずる休みをすると言っていた、岡島の言葉を思いだす。
これ以上は待てない…限界だ。
「和也、これ以上待っても現場に迷惑かけるし、もう出よう」
幸之助と和也は現場に向けて出発した。
>> 75
幸之助が大好きだった自分の父親に似ている…だから今まで以上に頑張る…
圭一はそう言っていた…
美雪も同じような事を言っていた…
あれは嘘だったのか…
それとも何かあったのか…?
和也も…昨日の様子なら病気は考えられない、何か事故でもあったのでは…と言う。
心配事がある時には心配事が重なるものだ…幸之助はそう思った。
現場の昼休みに幸之助は自宅に電話をした。宗一郎に元気がないので学校は休ませたと智江が言った。
幸之助もその考えには賛成だと答えた。
そして今日の仕事が終われば寄り道せずに真っ直ぐ帰るからと伝えた。
それから、圭一の家にも電話をかけたが誰も出なかった。
昼休みも終わり、現場が再開されて二時間ほど経った頃だった。
すぐ近くでノコを引いていた和也が遠くを指差した。
幸之助がその指の方向を見ると、こちらへ近付いてくる赤いスクーターが見えた。
圭一だった。
はっきり圭一だと確認出来た時に、幸之助は圭一の異変に気がついた。
顔には絆創膏が貼られ、頭と左手の指には包帯が巻かれていた。
やはり、事故だったのか…?
>> 76
圭一はスクーターを降りると恐縮した面持ちで
「親っさん、すみません…遅刻してしまって…」
幸之助がそれに答える前に和也が言った
「圭一どうしたんや、あれから何があったんや?」
二人は昨夜ミナミのゲームセンターで遊んでいたが、スクーターで帰る圭一と電車で帰る和也は午後10時頃には難波駅の辺りで別れたと聞いていた。
「実はあれから…まだ時間も早かったし…久しぶりにお姉ちゃんの顔見に行こうと思って…お姉ちゃんの働く店に行ったんです」
お姉ちゃんとは美雪の事だろう…
「おう、それからどうしたんや?」
和也が待ちきれない調子で聞いた。
「店に着くと…店の入り口のとこでお姉ちゃんがからまれてたんです…チンピラ風の男三人に…」
これには幸之助も驚いた。
オーシャンという店は客こそ少ないが、客筋は決して悪くない。
そんなチンピラが寄り付くような店とは思えなかったからだ。
和也は更に
「おう、それで?」
「それで…訳もわからんと割って入ったら、いきなり殴られて…ちょっとは殴り返したんですけど…後はあまり覚えてないんです…気絶してしまって…」
幸之助もその場に居合わせたら…圭一と同じ行動を取ったかもしれない…
>> 77
和也は自分のおでこに手を当てると
「あちゃー情けない…それでどうしたんや?」
「気がついたら…お姉ちゃんの家でした…それが…寝過ごしてしまって…お姉ちゃんは休めって言ったんですけど…バイク取りに行ってたらこんな時間になってしまいました…本当にすみません」
しかし3対1の喧嘩なら…それも仕方ないだろう…そう思った。それに…休まず仕事に来てくれた事は、鳴門での話が本物の決意だと思えて素直に嬉しかった。
そして今度は幸之助が聞いた
「ところで…そのお姉ちゃんに怪我はなかったんか?」
「はい…家出る時に見た感じでは、大丈夫そうでした」
幸之助それを聞いて安心した。
和也が幸之助に言った
「どうせ、タチの悪い客ですよね…ねえ親っさん」
それには幸之助が答えるよりも早く圭一が答えた。
「客ではないと思います…お姉ちゃんの本名を…比奈子と呼んでたんで…」
比奈子…?
幸之助は心臓が止まるかと思った…それほど驚いた…驚愕とはまさしくこんな時の事を言うのだろう。
比奈子…あのバーで遠藤が口にしていた名前だ…
うかつだった…美雪を本名だと思い込んでいた…
>> 78
昨夜のからんでいたチンピラ風の男達は遠藤と関係があるのか…?ないのか…?
あるとしたなら…それが遠藤の仕返しなのか…?
おそらくママも関わっているのではないのか…?
幸之助は確かに聞かなかった…だが何故本名を自分から明かさなかったのか…?
バレないと思っていたのか…それとも美雪にすれば、そんな事は大した事ではないのか…?
本名など明かす必要はないと思っていたなら…自分も所詮…単なる客の一人でしかないのか…?
わからない事だらけだ…
何だか自分の知らない美雪が別にいるようで…言葉には出来ない不安が幸之助を襲った。
そんな不安を振り払うように、仕事に集中しようとしたが、やはり手につかなかった。
しばらくすると現場は3時の休憩時間になった。
幸之助は現場から少し離れた公衆電話から美雪に電話をかけた。
美雪が電話口の向こうで
「あっ、パパ…どうしたのこんな時間に…ひょっとして圭一の怪我の事…?」
いつもの美雪だった。
「昨日の事はだいたい聞いたよ…大変やったな」
美雪はほんの一瞬間を取ると
「うん、大変やった…初めて来たお客さんが、料金が高いって言いがかりをつけて…」
嘘だ…
>> 79
「圭一に怪我をさせるような事になっちゃってごめんなさい…」
この気持ちは本当だろう…
ただ…幸之助の聞きたい事はそんな事じゃない。
「圭一に聞いたよ…美雪の本当の名前は比奈子って言うんやろ?」
美雪…いや比奈子は悪びれる様子もなく、すぐに答えた
「圭一から聞いたのね…ごめんなさいパパ…もう何年も美雪って名前使ってるから…比奈子って感じがしなくて…いやな思いさせたなら本当にごめんなさい…」
嘘だ…
「でも…遠藤と言う男には比奈子って名乗ったんやろ?それに昨日の男達も比奈子って呼んでたんやろ?」
「…」
「俺が前に話したバーの男は遠藤って名前やった…美雪…いや比奈子ちゃんが俺を遊園地で見かけた時…実は俺も比奈子ちゃんを見つけてたんやで…その時ママがその男を遠藤さんって呼んでるのを聞いたんや…」
しばらく沈黙が続き…
比奈子が口を開いた…消え入りそうな声で
「最近のパパは美雪って呼び捨てにしてくれてたのに…今はまた…ちゃんが付いた…パパは比奈子と距離を感じてるんやね…比奈子を悪い女と思ってるんやね…」
あきらめと悲しみが入り交じったような声だった。
>> 80
比奈子は更に
「比奈子ね…パパの事は大好き…パパにだけは嫌われたくない…」
幸之助は胸が痛かった…
「比奈子を悪い女と思いたくないから…遠藤の事…昨日の事…全部話してくれへんか?」
また、しばらく沈黙が続いた…
「パパ…わかった…全部話す…でも…パパに軽蔑されるかもね…嫌われるかもね…でも比奈子はパパに叱ってほしいの…昔のように…」
昔のように…?
幸之助に父親の面影を重ね…幾つもの疑惑を幸之助にかけられ…頭の中で混同しているのだろう…過去と現在が…
あとは比奈子の家で詳しく聞く事になった。
青い壁の803号室だと比奈子は言った。
青い壁のおばちゃん…
昨日の宗一郎の言った言葉が思い出された…
ごめん…宗一郎
幸之助は和也に残りの仕事を指示すると、一人現場を後にした。
現場から少し歩いたところでタクシーを拾った。
比奈子のマンションまでは40分位だろう。
幸之助はタクシーの窓に流れる景色を眺めながら考えていた。
智江には寄り道せずに帰ると言った…現場を早退した分、その約束は守れるだろう。
美雪…いや、比奈子の家にこんな形で招かれるとは…
重苦しさだけが幸之助の心を支配していた。
>> 81
「早かったね…パパ」
比奈子がコーヒーを入れる間、少し待ってほしいと言ったので、幸之助は上着を脱ぐとリビングにある食卓の椅子へ腰掛けた。
キッチンに立つ比奈子の後ろ姿を眺めながら考えていた。
コーヒーを入れながら比奈子は…何から話せば…どう話せば…そんな事を考えているのだろうか…?
軽蔑されるかも…嫌われるかも…比奈子はそう言っていた…
そんな話なら…本当は幸之助だって聞きたくない…でも比奈子の事を知りたい…もっと知りたい。
覚悟を持って話されるなら…覚悟を持って聞かなければならない…どれほどの聞くに耐えない話であっても最後まで聞き届けよう…そう心に誓った。
比奈子の部屋に男の匂いを感じさせる物は一つもなかった。幸之助が見る所全てに整理整頓がなされ、冷蔵庫の扉には料理のレシピが貼られている。
比奈子の綺麗好きと几帳面な性格が垣間見える。
幸之助が隣の部屋を見ると、そこには化粧台が置かれていた。その化粧台に飾られた写真を見て驚いた。
その写真に写る人物が、幸之助と瓜二つだったからだ。いや、幸之助本人だと言っても過言ではない。年齢的にも今の幸之助と同じ位だろう。
>> 82
他人のそら似とはよく言ったものだ…背格好も同じ位だろう。
幼い女の子と手をつなぎ、もう一方の手で赤ちゃんを抱いている。
女の子が比奈子で赤ちゃんは圭一だろう。
そして、幸之助に瓜二つの男こそが比奈子や圭一が今でも慕っている父親なのだろう。
それにしても…本当に似ている…
「パパの写真…似てるでしょう…」
そう言いながらコーヒーをテーブルに置くと、幸之助の向かいの椅子に腰掛けた。
少し考えた様子で
「ねえ…パパ…どこから話せばいい…?」
比奈子が尋ねた。
幸之助は答えた
「順序なんてどうでもいい…比奈子が話せる事は全部話してほしい…」
比奈子は溜め息を一つつくと
「パパ…途中で逃げ出すかもね…比奈子に二度と会いたくないって思うかもね…」
今から聞こうという覚悟が少し揺らいだ。
自分の疑問を晴らす事がそんなに大事なのか…?
もし…それが比奈子にとって辛い話なら…聞かない事が思いやりではないのか…?
妻子のある自分が比奈子の全てを知りたい…単なる男のエゴじゃないのか…?
頭の中を整理出来ないまま言った
「逃げ出しはせん…嫌いにもならん…全てを受け止めるつもりで…ここへ来たから…」
>> 83
比奈子の瞳は、今にもこぼれんばかりの涙で覆われた。
「チンピラ風の男達は…遠藤さんが比奈子に仕返ししたの…比奈子は遠藤さんを騙したの…」
当たってほしくなかった予感だった…
「いつか仕返しされる事はわかってたの…だからパパには店に来ないでって言ったの…パパには悪い比奈子を見られたくなかったから…」
幸之助は今までバラバラだった点が一つの線になっていくような気がした。
「比奈子のパパが出て行って…お母さんが再婚して…その再婚相手の男が…」
比奈子の瞳から我慢しきれない涙が幾つもこぼれた。
「その日はたまたま…その男と家で二人きりになって…その男が比奈子に酷い事をして…」
酷い事…幸之助にもその意味はすぐにわかった。
「それが18の時だった…怖くて家を飛び出して…怖くて家に帰れずに…」
気がつけば幸之助の目も涙で濡れていた。
「お母さんが持っていた書類でパパの住所はだいたい知ってたから…パパに会いに行ったの…」
比奈子はどこからかハンカチを持って来ると涙を拭い…自分を落ち着かすように大きな息を一つすると再び話し出した。
>> 84
「パパは何も言わず…ただ抱きしめてくれた…そして一言…苦労ば、沢山しよっとか…?って…」
あのバーで幸之助が比奈子にかけた言葉と同じだった。
「でも…パパにはすでに新しい家族がいて…」
両親を早くに亡くし親方夫妻に面倒を見てもらっていた幸之助からすれば、比奈子の話は決して他人事ではなかった。
「そして、お母さんの所へ帰るくらいなら一人暮らしをすればいい…そう言って幾らかのお金を持たせてくれたの…」
幸之助は口を挟まず、時おり頷きながらも黙って聞いていた。
比奈子の涙も今は止まっていた。
「比奈子はそのお金で大阪に出て来たの…
それから…好きな人が出来て…その人がボーイをしてた新地のクラブで働くようになったの…」
新地のクラブに勤めていた事は知っていたが、経緯までは知らなかった。
「いつしかそのお店でナンバーワンになって…お給料も沢山もらえて…比奈子はその人と結婚したくて頑張って貯金も沢山して…」
比奈子ならナンバーワンになれるだろう。
岡島と知り合ったのも確かその頃の筈だ。
「何年か一緒に暮らしてたある日…その人は比奈子の貯金とお客さんから預かっていたお金と一緒に消えてしまったの…」
その男は端から比奈子を利用するつもりだったのではないか…根拠はないが何となくそう思えた。
幸之助は初めて口を開いた
「ひどい男やな…警察には届けなかったんか?」
比奈子は首を横に振った
「比奈子の貯金だけならまだ…お客さんに預かってたお金は公に出来ないお金だったから…警察には相談出来なかったの…」
男はきっとそれも知っていたのだろう。
そして比奈子は消え入るような声で
「今度はそのお客さんが比奈子を許してくれなくて…」
その後、その客が比奈子をどうしたかは幸之助にも想像できた。
おそらく…男として最低の行為だろう。
比奈子は化粧台の写真を見ながら幸之助に問いかけた
「パパ…もう聞きたくない…?逃げ出したい…?比奈子は汚れてるから…」
今度は幸之助が首を横に振った
「逃げ出したりはせんよ…汚れてるのはその男共やろ!比奈子は汚れてなんかないよ!」
比奈子の頬を再び涙が伝った。そしてポツリと言った
「強いね…パパは…」
遠藤を騙した事が事実なら…男に騙され利用され続けた女の…男への復讐だったのではないか…ふと、そう思えた。
>> 86
「その頃に明美さんと出会ったの…明美さんがスナックを始めるから一緒にやらないかって…」
ここからが遠藤を騙す事になった話ではないか…そう思った…何故ならママの明美も無関係ではないと思っていたからだ。
「その時には色々ありすぎて…クラブで働く事にも疲れてて…それで明美さんの話に乗ったの…それに、明美さんはお客さんへの残りの借金も全部立て替えて払ってくれたの…」
明美は比奈子と一緒に店を始めたいだけで、借金を立て替えたのだろうか…?
「でも、お店始めると…明美ママは新地のお客さんを引っ張れって…明美ママには恩があったから比奈子は新地の上客を沢山オーシャンへ連れて来たの…」
そう言えば…オーシャンのボトル棚には高級酒が並び、そこには一流企業のボトルタグが掛けられていた。
「だけど明美ママはオーシャンの売り上げの為ではなくて…そのお客さん達と仲良くなって…株の裏情報を聞いたり…弱味を握って脅かしたりしてたの…」
だんだん話が見えてきた…
「比奈子がそれに気付いたときには遅くて…明美ママには何度も忠告したんだけど…遠藤さんの一件が片付けば二度としないって言ったから…」
>> 87
幸之助が聞いた
「それで比奈子はママに協力したんか?」
比奈子は大きく頷くと
「遊園地に行って…遠藤さんと遠藤さんの子供の前で…遠藤さんとは結婚してもいい…そう言ってほしいって明美ママに頼まれたの…」
おそらくママは比奈子を利用して、裏情報か弱味を仕入れたに違いない。
「でもパパ安心して…遠藤さんとはちゃんと話して、許して貰えたから…」
遠藤が比奈子を恨んだ理由はわかった。遠藤も事の真相を聞いて…比奈子を許す気になったのだろう。
そして比奈子はハッと何かを思い出したように言った
「それと…名前の事はごめんなさい…本当に悪気はなかったの…信じてもらえないかもわからないけど…」
全てを話してくれた…
辛い事も悲しい過去も全て…
もう何も疑う必要はない…
「いや、俺は比奈子を信じるよ…だから二度と他人を騙すような事はせんといてほしい…それに…ママと縁を切れるなら切ってほしい…辛い過去まで話させて悪かった…けど嬉しかった…」
比奈子は立ち上がると、幸之助の飲み終えたコーヒーカップを片付けようと手に取り
「約束する…比奈子は…二度とパパを裏切るような事はしないよ…」
>> 88
幸之助は思わず立ち上がり、コーヒーカップを取ろうとした比奈子の手首を掴み、自分の方へと引き寄せた。
そして何も言わず抱き締めた。
比奈子は抵抗しなかった。
幸之助は比奈子の顎を少し指で持ち上げると、唇を重ねようと更に自分の方へと強く引き寄せた。
二人の唇が…重なろうかという瞬間…比奈子は顔をそむけた。
幸之助は咄嗟に謝った
「ごめん…」
比奈子も謝った
「パパ…ごめん…パパは比奈子にとっては…パパだから…」
比奈子は幸之助に…父親を求めているのだ…男を求めているのではない…
今…はっきりとわかった。
だが…不思議とそこには苛立ちも腹立たしさもなかった…
比奈子に憧れていた以前の自分なら…がっかりしただろう…でも今は違った…比奈子を何とか自分の手で救い出してやりたい…そんな気持ちの方が強かった…
それは…男として救えなくても…父親として救えるなら…それでもいいと思った。
他人の幸せを純粋に考えると、誰しもこんな気持ちになるのではないかと幸之助は思った。
「はは…じゃあパパも比奈子を本当の娘と思って…これからはビシビシいくから」
幸之助がそう言うと…比奈子は笑顔で頷いた。
>> 89
幸之助は一階へと降りるエレベーターの中にいた。
帰り際に比奈子は言った
「今日はいっぱい泣いちゃったから、お店は休むね…」
幸之助もそれには賛成だ。むしろ…ずっと休んでほしいくらいだ。あのママとは一分一秒も一緒にいてほしくないと思った。
時計を見た…
この時間なら寄り道せずに帰ったと智江は信じてくれるだろう。
エレベーターが一階に着いて扉が開いた。
まだ外は以外と明るいようだ。
マンションを出て歩道を歩いた。少し歩いた所で比奈子の家に上着を忘れた事に気付いた。
幸之助がUターンしようと思った時、頭の上の方から声がした
「パパー!上着ー!」ベランダから顔を覗かせた比奈子だった。
幸之助は比奈子を見上げるようにして、それに答えた
「今ー!取りに戻るー!」
それを聞くと比奈子は顔を引っ込めた。
幸之助が再びマンションへ戻ろうと、少し歩いた時…何故だか自分の背中を刺すように見つめる視線を感じた。
その視線は道路を隔てた反対側のフランス料理店の前にいる女から放たれていた。
幸之助はそれが智江だと、すぐにわかった。
智江の顔色を見て、一部始終見られていた事もすぐにわかった。
>> 90
二人の間に流れていた時間が一瞬止まった。
智江はただ…幸之助を見ていた。
幸之助も智江を見ていた。
二人の間を音もなく、車だけが流れた。
幸之助は動かなかった…いや、動けなかった。
智江は悲しげな笑みを一瞬滲ませると、そっと視線を外した。
そして、自転車に乗ると静かに走り出した。
幸之助の真っ白だった頭の中に…追わなければ…と言う文字だけが浮かんだ。
幸之助は走った。
二人の間には相変わらず車が流れている。
幸之助は叫んだ
「智恵ー!待ってくれー!頼むー!」
叫びながら思い出した…昔にも似たような場面があった…梅田の阪急前だった…
でも…今度はあの時とは違う…智江が止まらない…
幸之助は車の切れ目を見つけ道路を渡った。
全力で走った。
そして…何とか追いついた。
智江の腕をつかまえた
「智江!待ってくれ!聞いてくれ!」
幸之助を振り返る事なく、今度は智江が叫んだ
「放してー!その手を放してー!」
「放さん!聞いてくれ!」
智江は幸之助の方をゆっくり振り返ると…悲しみと刹那さを滲ませたような表情で…今度は小さな声で
「お願い…幸ちゃん…放して…お願いやから…」
>> 92
時刻はもう午後の9時を過ぎていた。
家に帰れずにいた幸之助は鳴門で飲んでいた。
宗一郎の元気は戻っただろうか…?
智江はまだ怒ってるだろうか…?
智江や宗一郎が眠った頃に帰ろうか…
いや、やはり智江にはちゃんと説明するべきか…
しかし…説明するなら…どう説明すればいいのか…
頭の中で一つの思いが浮かんでは消え…また別の思いが浮かんでは消える。
比奈子に自分をパパと呼ばせていた事を後悔した。
パパと呼ばれる関係…どう考えても普通の関係とは思えないだろう…
比奈子とはやましい関係ではない…
しかし…それは比奈子が拒んだからであって…拒んでなければ…どうなっていたかはわからない…
それなのに…何もなかったと自信を持って言えるのか…?
過ぎて行く時間に比例して、ビールの空瓶だけが増えていく。
自信を持って言える事があるとすれば…
何よりも…誰よりも…家族を愛している…智江や宗一郎を愛している…
その気持ちに嘘はない…
帰ろう…
帰って謝ろう…
どんなに怒られても…謝ろう…謝って…謝って…それしかない…
幸之助は席を立った。
>> 93
家の扉の前まで来て、幸之助は一つ大きな深呼吸をするとドアノブに手を掛けた。
鍵が閉まってる…
鍵を開けて中に入ると…室内は真っ暗だった。
電気をつけて、すぐにわかった…さほど広くない家だ…智江と宗一郎がいない事はすぐにわかった。
こんな時間に二人でちょっと出掛けるなんて事は考えられない…
だからと言って…智江がどこへ行ったかなんて見当もつかない…
幸之助は食卓のテーブルの上に置かれた置き手紙を見つけた。
智江からだった。
『幸ちゃんへ
宗一郎が言ってた青い壁のおばちゃんて、あの人でしょう
きっと宗一郎も智江と同じ光景を見たんやね
あの夜、宗一郎の言葉…胸が痛くなかった?
それでも幸ちゃんがあの人の所へ行ったなら…幸ちゃんにとって、あの人はよっぽど大事な人なんやね
智江は、しばらく実家へ帰ります
宗一郎の学校の事は、こちらで何とかします』
幸之助の目から涙が溢れた。
智江と宗一郎がいなくなった…
幸之助の手の届かない所へ…
幸之助の顔は涙でぐちゃぐちゃになった。
声を出して泣いた…そして叫んだ…
「智江ー!宗一郎ー!」
何度も叫んだ…
>> 94
翌日、和也に連絡して仕事は休んだ。
事情は話さなかった。とても仕事が出来る気分ではなかった。
何の物音もない静かな部屋で幸之助は考えていた。
智江と宗一郎を迎えに行こうか…
しかし…それは出来ないし、迎えに行ったところで相手にされないだろう。
兵庫県の芦屋に智江の実家はある。
父親は貿易会社の社長で、いわゆる智江はお嬢様だった。
幸之助は智江の両親から嫌われていた。
両親のいない男なんかに娘はやれないと言われ、結婚も大反対された。
結局…結婚式はお互いの両親が不在の友達ばかりのパーティーのようなものだった。
生まれたばかりの宗一郎を、孫とは認めないと言われて、智江が怒り…実家へは二度と帰らないと言った事もあった。
そういった経緯もあって、幸之助は一度も智江の実家に行った事はなかった。
きっと智江も宗一郎も実家では肩身が狭いだろう…
それを覚悟の上で実家へ帰ったのだから…
そこに智江の決意がうかがい知れた。
宗一郎と風呂に入る…それを智江が台所でニコニコ眺める…
何でもない日常が…今さらながら幸せだったと思えた。
>> 95
一歩も家を出なかった。
智江が電話をかけてくるのではないか…宗一郎がこっそり電話をくれないか…
そう思うと家を空ける事が出来なかった。
だが、もう時刻は午後9時半になる。
朝から何も食べてない…
今日はもう…電話はないだろう…
幸之助は見てもいないテレビを消すと家を出た。
昨日の今日だ…何かが解決した訳でもなければ進展した訳でもない…電話などあるはずがない…わかっていた…でも…今の自分に出来る事と言えば待つという事だけ…
そんな事を考えながら幸之助は鳴門へと歩いていた。
鳴門は混んでいた。
晩ご飯を食べる家族連れ…カップル…残業を終えたサラリーマン…
いつもの幸之助はこの鳴門の騒がしさが好きだったが、今夜はそれがうっとおしい。
宗一郎は晩ご飯食べたかな…?
宗一郎は風呂に入ったかな…?
おじいちゃんやおばあちゃんには優しくしてもらってるかな…?
お腹が空いてここへ来たのに…いざ、ここへ来ると食欲が湧かない…
幸之助はたいしたツマミを注文する事もなく…飲んだ…
ひたすら飲んだ…淋しさをまぎらわすように…
浴びるほど…
>> 96
「…さん…」
「…お客さん…閉店ですよ…」
カウンターで飲んでいた筈が…つい、眠ってしまった…
時計の針は午前0時半を指していた。
幸之助以外に客はもういなかった。
「すまんな…今帰るよ…」
店員にそう言うと店を出た。
外は真っ暗で人影もなく、春の冷たい夜風が容赦なく幸之助に吹きつけた。
多少…頭はズキズキ痛むが、少し眠ったせいか…以外と意識ははっきりしている。
幸之助は家へと歩きだした。
しかし…誰も待っていない家に帰るのは辛かった…だからと言ってどこかへ飲みに行くほどの元気もなければ気力もない。
比奈子は今頃…オーシャンか…
昨日…初めて比奈子に電話をしなかった。
上着もあのまま…取りには行かなかった。
ぼろぼろな今の自分を見れば…元気づけてくれるだろうか…?
比奈子は悪くない…
幸之助に男を求めている訳ではなかったのだから…
幸之助も今は…比奈子に対して下心はない…きっぱり言える…でも…初めからなかったと言えば…嘘になる。
悪いのは全部自分だ…
罰が当たったんだ…
幸之助は公衆電話の前で立ち止まった。
>> 97
まだ…起きてるかな…?
幸之助は百円玉を何枚か入れると電話をかけた。
「もし…もし…」
寝ていたのか、少し不機嫌そうだが間違いなく岡島の声だ。
「すまん…夜分遅くに…」
こんな時間だ…不機嫌も無理はない。
「こ、幸ちゃんか?幸ちゃんやろ?どないしたんや、こんな時間に?」
低い不機嫌そうな声が、何オクターブも上がった明るい声に変わった。
幸之助は正直に答えた
「うん…ちょっと親友の声が聞きたくなってな…」
「幸ちゃんがわざわざ電話してくるって事は…さては、何かあったな…?」
岡島はすぐに察した。
昔からそうだった…
岡島からの電話は、何か物事が上手くいった時や成功した時ばかりだった。
幸之助からの電話はその逆で、上手くいかない時や失敗した時ばかりだった。
幸之助が言うか言うまいか迷っていると、岡島は言った
「幸ちゃん…水くさいな…何でも話せよ…親友やないか…」
「うん…」
幸之助は心の奥底から、込み上げてくるものを感じた。
その込み上げてくるものは、涙という形になって溢れ出た。
この辛い胸の内を誰かに聞いてほしかった…いや、岡島に聞いてほしかった。
全て話そう…
>> 98
幸之助は岡島に話した。
比奈子を好きだった事…
でも比奈子は幸之助を父親としか見ていない事…
幸之助も今は父親と同じような気持ちでいる事…
比奈子との関係を智江に誤解されている事…宗一郎に誤解されている事…
そして…智江が宗一郎を連れて実家に帰った事…
岡島は黙って聞いてくれた。
最後まで聞くと、岡島は言った
「宗にまで誤解されてんのか…幸ちゃんもショックやけど…宗もショックやろな…智江ちゃんを迎えに行けん事情は知ってるよ…でも智江ちゃんは幸ちゃんが迎えに来るのを待ってるんと違うか…?今すぐ迎えに行ったらなあかんよ…」
幸之助が答えた
「それは…わかってる…わかってるけど…比奈子も放っておかれへん…俺を必要としとる…そんな気がするんや…そんな中途半端な気持ちで迎えには行けん…」
岡島は怒った
「何を言ってるんや!どっちが大事か考えろ!お人好しにもほどがある!幸ちゃんは、あの女の何を…」
幸之助が遮った
「何を知ってるんや…って言いたいんか?…全部知ってるよ…全部知ったからこそ…不幸のどん底から救い出してあげたいんや…俺も早くに親を亡くしたから…」
>> 99
岡島は呟くように言った
「不幸のどん底って何や…?いったい救うって何から救うんや…?あほ見るのは幸ちゃんやで…父親やないんやで…似てるだけやで…」
幸之助が
「ありがとう…岡ジ…明日…」
そこまで言って…電話が切れた。
もう、十円玉も百円玉も持っていない。
両替するにも開いてる店はなかった。
結局…岡島を怒らせてしまった…
岡島には…こう言いたかった
明日…比奈子に会うよ…
どうすれば…救えるか…
俺にもわからんけど…
ママと縁を切らす為にもオーシャンを辞めるように説得するよ…
もしもまだ…ママに借金が残ってるなら…俺が全部立て替える。
父親なら…きっとそう考えると思うんや…
それできっぱり比奈子とはケジメをつける。
幸之助はポケットに手を突っ込むと、家へと歩きだした。
比奈子の事は、明日…全て解決させよう。
智江や宗一郎と会えるとしたら…
その日は…あさってか…
会ってくれるかな…?
俺の言葉を信じてくれるかな…?
家に着いた幸之助は…もう一度岡島に電話をかけるか…迷ったが…また怒らせそうな気がして…結局かけなかった。
- << 101 翌日は現場に出た。 自分が現場に出ている間に智江や宗一郎から連絡があるのでは…そう思うと気が気ではなかったが、親方である以上和也や圭一に迷惑をかける訳にもいかない。それに施主や工務店にも申し訳がたたない。 明日には智江や宗一郎に会える…会える保証などどこにもなかったが、そう信じ自分の気力を奮い立たせて現場に出た。 比奈子をオーシャンのママから救う事が、比奈子そのものを救う事になるのか…それはわからない。 ただ…幸之助にはその考えしか思いつかないし、その考えを実行するしかないと思った。それに智江や宗一郎が出て行った現状を考えると、あまり考えてる時間もなかった。 自分と比奈子の関係にケジメをつける…自分と比奈子の間にケジメをつけなければならないような、やましい事は一つもない…かもしれない。 では、何にケジメをつけるのか…? それは…比奈子に対して自分が抱いてしまった恋心…たとえそれがたった一度だけだったとしても… 今まで自分が一度も嘘などついた事がなかった智江に対してへの罪悪感… そう考えると…自分自身へのケジメなのかもしれない…そう思った。
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