―桃色―
世の中の男性が、全て同じだとは思って無い。
「私の付き合う人達」が特別だって、分かってる。
でも…
昔からことごとく浮気されて、今の彼に限って私は4番目の女…
そりゃ、男を信じられなくなるでしょ。
ただ、甘い恋がしたいだけなのに…
「おめでとう」の言葉も、プレゼントも無いまま、彼の腕の中で30歳の誕生日を迎えた―
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― 里沙と公園で別れた後、二人でホストクラブに行った事。
― そのホストクラブで、祐輔はバイトをしていた事。
― そこで、ミキさんとユカさんと話をした事。
― その後、公園で祐輔が私に告白をし、付き合う事になった事。
何一つ隠す事無く、祐輔は里沙と里田部長に全てを話した。
祐輔が話している間、里沙と里田部長は黙って頷きながら聞いてくれていた。
全て話し終わると、しばらく沈黙が続いた。
穏やかな顔で祐輔の事を見ていた里沙が、ゆっくりと口を開く。
「木村君、ホストやってたんだね。だから、女の人達と街で…」
「はい…黙ってて、すみませんでした…」
祐輔は少し頭を下げた。
「でも、なんですぐにリコに話さなかったの?話せばリコが、変に悩む必要無かったじゃない?」
「それは…」
祐輔は里田部長の顔をチラッと見た。
(祐輔、どうなっちゃうんだろう…)
私も不安げな顔で里田部長を見ていた。
3本目のタバコを吸っていた里田部長は、タバコの火を消して祐輔の顔を見た。
二人共、すごく真剣な顔。
「木村、会社の規則は分かってんだろうな?」
「はい…」
祐輔は、小さく返事をして俯いた。
里沙は訳の分からない顔をして里田部長を見ている。
「慎ちゃん、規則って?」
「お前、知らないのか?うちの会社は、バイト禁止なんだ。バレたらクビだ」
「えっ!?」
驚いた里沙が、心配そうな顔で私を見た。
私は何も言えなかった。
「それで木村は、それを承知でバイトしてたんだな?」
「はい…」
里田部長は、ソファーに寄り掛かって天井を見ながら、大きな溜め息をした。
「馬鹿正直な部下を持つと、本当に苦労するよ」
「すみません…」
どんどん小さくなっていく祐輔を見て、里田部長がフッと笑みを浮かべた。
「俺、お前がバイトしてんの知ってたんだよなぁ」
「えっっ!?」
思いもよらない里田部長の言葉に、私達3人は声を揃えて驚いた。
その様子を見た里田部長は、クスッと笑っていた。
「慎ちゃん!どうゆう事!?」
里沙がすごい剣幕で里田部長に詰め寄る。
「あの辺の店、よく会社の接待で使うんだよ。
半年ぐらい前に、店の前で客に挨拶する木村を、たまたま見たってワケ」
里田部長はシラッとした顔でタバコに火を着けた。
「なら、リコが木村君の事で悩んでる時に、どうして教えてくれなかったの!?私達にぐらい、教えてくれてもよかったじゃない!」
「里沙、落ち着いてっ」
怒り狂う里沙を私は必死で止めた。
そんな様子の里沙を見ても、里田部長は顔色一つ変えない。
むしろ、呆れていた。
「あのなぁ、社員のプライベートをベラベラ喋れる訳ないだろ?口の軽い上司をお前らは信用できるか?
例え彼女でも、言えない事はあるんだ」
祐輔は、放心状態だった。私も驚いていたけど、それよりも里田部長の事を尊敬した。
里沙も里田部長の言葉に納得したようで、下を向いてしまった。
「まぁ、木村にも何か事情があるのかなとは思ってたし、会社には真面目に来てたからな。特に会社側には報告もしてないんだ」
「祐輔…木村君はどうなるんでしょうか…?」
「なんだお前ら、もう名前で呼び合う仲なのか?」
「慎ちゃんふざけないで!」
私達を茶化す里田部長に、里沙は眉間にシワを寄せて怒った。
「怒るなよ。
バイトの件は、あくまで『会社にバレたら』の話だからな。俺達が黙ってりゃ問題にはならないだろ?」
里田部長はちょっと悪戯っ子のように笑ってみせた。
「それ…じゃあ…」
何も言えずにいた祐輔から、やっと出た声は震えていた。
里田部長は、祐輔に優しい笑顔を向けた。
「バイトの事は、ここだけの話。お前達、黙っとけよ?じゃなきゃ、俺の首まで危ないからな」
安心した私は、涙が出てきてしまった。
「里田…部長…ありがとうございます…」
「ありがとうございます!!」
私と祐輔は深々と頭を下げた。
「慎ちゃん、だいすきっ」
「うわっ、里沙やめろって!」
里沙が里田部長に飛び込み、ドタッと二人で倒れてしまった。
私と祐輔は安心し切ったのと、二人が仲良くイチャついてるのが微笑ましくて、顔を見て笑い合った。
(本当に、本当によかった…)
私は里田部長の事を男性として、そして上司として心から尊敬した。
「そうだ!晴れて二人が結ばれたんだし、ビールで乾杯しようよ!」
里沙は、立ち上がって満面の笑みで提案した。
「こんな真昼間から!?」
私と祐輔は、顔を見合わせて少し戸惑った。
「そうだな。なんだか、めでたいし。飲むかぁ」
そう言いながら、里田部長は台所に向かい、冷蔵庫の中を覗いた。
「あ、夕べ全部飲んじゃったな。木村!買いに行くぞー」
「え!ちょっ…あ、はいっ」
祐輔は戸惑いながら、車のキーを持ってスタスタ出掛ける里田部長を追い掛けて行った。
部屋に残された私と里沙は、コーヒーのカップを片付けに台所に向かった。
飲み終わったカップを洗う私を、里沙が気持ち悪いぐらいの笑顔で私を見つめていた。
「んふふふ」
「なぁにぃ?さっきから、里沙の顔気持ち悪いよ?」
「気持ち悪いって、極限に失礼じゃない!?」
「ははっ、ごめん、ごめん」
里沙は、怒りながらも嬉しそうな表情を浮かべた。
「リコ、今幸せ?」
「幸せだよ?」
私は自分でも驚くぐらい、素直に答えた。
「ま~、ノロケちゃって」
「里沙が聞いたんじゃん!」
「そうだけどさっ。リコ、いい顔してるね。恋愛してますって感じ」
「そう…かな」
私は照れてしまって、洗い物をする自分の手元から目線を上げられない。
「今日の服、木村君の反応は?」
「可愛いって…」
「んま~!聞いてるこっちが恥ずかしい!」
里沙は両手で顔を隠して、一人でクネクネ、バタバタ暴れていた。
「もうっ、からかわないでよ」
「だって、なんか二人見てると青春って感じでぇ~」
「はいはい、そうですか。
何か、おつまみ作らなくていいの?」
いつまでもクネクネしている里沙に、少し冷たい視線を送った。
「そんな目で見ないでよぉ。リコが幸せで私も嬉しいんだからぁ」
「はい、どーも。
何か材料ある?」
シラッと話す私に不満げな表情を浮かべながら、里沙は冷蔵庫から卵を1パック取り出した。
「卵料理?」
「え、おつまみって言ったら卵焼きじゃない?」
そう言いながら、里沙は次々に卵を割り出した。
「ちょっと、里沙!?何個使うの!?」
「何個って、1パック?」
「そんなに!?」
「普通でしょ?」
ア然とする私なんかは、お構いなしに里沙は黙々と卵焼きを作り続けた。
工程を見る限り、不安だらけの卵焼き…
(里田部長は、いつも『コレ』を食べてるの…?)
私は里沙に、もう何も言えなかった。
里沙が不安の塊でしかない卵焼きを作っていると、祐輔と里田部長が帰って来た。
「ただいま。おっ、里沙!作ってくれてたのか」
帰ってくるなり、嬉しそうな表情を浮かべながら、里田部長は台所に買ってきたお酒を冷やしに来た。
両手いっぱいのビニール袋の中に、お酒が沢山入っていた。
そして、卵も1パック入っていた。
(里田部長…やっぱり里沙に、この卵焼きを作ってもらおうと…)
私は、なんだか二人が通じ合っている感じが羨ましい半面…
やはり『コレ』をいつも食べている里田部長が、心配にもなった。
「さあ、出来たよぉ~」
祐輔と私で、テーブルの上をセッティングしていると、里沙が自信満々に卵焼きを運んで来た。
ドンッと置かれた卵焼きを見た祐輔が、目を真ん丸くして固まった。
『リコ…やけにこの卵焼き…デカくね…?』
『1パック分だもん…』
私と祐輔は、極力口を動かさないように小声で話した。
『1パック!?10個分!?多くない?
てか、よくここまで巻けたなぁ…』
『うん…あのフライパンを返すテクニックには脱帽だよ』
『ねぇ、なんでこんなに赤いの?』
『一味唐辛子を瓶の半分入れたからね…』
『うええっ!?ピリ辛どころじゃないじゃん!』
『そして、砂糖も大量に入っております』
「はあっっ!?」
予想もつかない味付けの内容を聞いた祐輔は、思わず大声を出した。
「なぁにぃ?また二人でコソコソと~。見せつけないでってばぁ」
ニヤニヤと漬け物を持ってくる里沙を、『俺達をどうしたいんだ…』という顔で祐輔が見ていた。
里田部長も嬉しそうにマヨネーズを持ってやって来た。
「里沙の卵焼きは、斬新で絶品なんだぞ?」
そう言いながら、里田部長はマヨネーズをお皿にウネウネと絞り出した。
私と祐輔は、
「オイシソ~」
と、棒読みで言うしかなかった。
「さあ!リコと木村君のラブラブを祝して…
かんぱーっい!!」
―――カチーンッ
里沙の号令のもと、みんなでグラスを鳴らした。
「さあ、遠慮せず食べて!」
差し出された卵焼きを箸でつまんだ祐輔は、私に助けを求める表情で見つめている。
私は小さく頷いた。『いけっ』と言うように…
祐輔は目をつぶって卵焼きを口に入れる―――
「ふぐぁっ…!」
祐輔の口から、なんとも言えない声が漏れた。
涙目で私の顔を見てきたが、私は目を逸らした。
(祐輔っ…ごめん!親友がせっかく作ってくれたから…
お願い、飲み込んで!)
祐輔は卵焼きを流すように、ビールをがぶ飲みしていた。
「木村ぁ、マヨネーズ付けるともっと美味いぞー?
うん、里沙の卵焼きは本当に美味い!」
卵焼きに大量のマヨネーズを付けながら、里田部長はニコニコと食べていた。その様子を里沙は、嬉しそうに見つめていた。
(この二人、絶対に味覚が壊れてる…)
私は心配で仕方なかった。
「里田部長…あの…」
「あ~、そうだ神谷。外で部長は止めてくんない?プライベートでまで、部長やってたくないしな。慎也でいいよ」
「あ、はい…じゃあ、慎也さん?」
「んー?」
「体壊しませんか…?」
「いや、むしろ元気になるだろ?」
「あ、そうですか…」
卵焼きを食べ続けながら、笑顔で里沙と見つめ合う慎也さんを見たら、これ以上何も言えなかった…
祐輔は、ひたすらお酒で口の中を洗うように飲み続けていた。
飲み始めて30分ぐらい経った頃、祐輔が突然泣き出した。
「里田部長~、俺ぇ、本当に嬉しいっす。里田部長がバイトの事を黙っててくれるなんてぇ」
「わかった、わかったから。お前、酒弱いなぁ」
「さとだぶちょぉー」
「お前も外では、慎也でいいから」
「慎也様ぁー!!」
祐輔は突然、慎也さんに飛びついた。
「うわっ、気持ち悪いからやめろっ!離れろ!」
「ありがどうございまずぅ~」
ワンワン泣きながら祐輔は、慎也さんにお礼を言い続けた。
里沙とその様子を見ながら、お腹を抱えて笑った。
慎也さんに抱き着いていた祐輔は、一通り泣き終わると、スクッと立ち上がり、席に戻った。そして、そのままテーブルにうずくまった。
「祐輔?大丈夫?」
私は、祐輔の肩を揺すった。
「あ、私お水持ってくる」
「お願い」
里沙から水の入ったコップを受け取って、私は祐輔の耳にコップを当てた。
「水だよ~?祐輔~?」
すると祐輔は、突然顔をガバッと上げて、次は私に飛びついてきた。
「ちょ、ちょっと祐輔!?どうしたの!?」
「リコ~」
祐輔は私の胸に顔をうずめて甘えている。
「ちょっと、やめてよ?こんなトコでぇ」
里沙がニヤニヤしながら茶化す。
「祐輔!ちょっとしっかりしてよ!」
「リコ~、チュウしてぇ?」
「はあっ!?」
祐輔は唇を突き出して私に迫ってくる。
どうしていいか分からず、パニックになった私は―――
――バシャッ
とっさに持っていた水を、祐輔の頭から掛けた。
「リコっ!?なにやって…木村君、大丈夫!?」
慌てて里沙がタオルを取りに走った時、私は自分がした事にハッとした。
「祐輔!?ごめん、大丈夫!?」
祐輔は、一瞬ビックリしたようだったけど、また私に抱き着いてきた。
「リコぉ…おやしゅみなしゃい…」
そう言って、祐輔は眠りについた。
「うそ!祐輔!?」
私は必死で祐輔の体を揺すった。それでも、起きる気配が無い。
すると、
「プッ…木村君、子供みたーい」
と、里沙が笑い出した。
「ほんと、よくこんな酒弱くてホストやってたな」
慎也さんも、呆れ顔で笑っていた。
「なんなのよ~」
私も体の力が抜けて、笑い出してしまった。
「色々考え事して、一気に気が抜けたんじゃない?」
里沙が毛布を持って来てくれて、優しく声をかけてくれた。
「そうだよね…ここに来るまでバイトの事、気にしてたから…」
私は、スヤスヤと眠る祐輔の頭をそっと撫でた。
その後は、祐輔を除く3人で楽しく飲んだ。
その間、祐輔はずっと眠ったままだった。
「あ、もう18時だね。明日も会社あるし、早めに帰ろっか」
そう言いながら、里沙が少しずつ片付けを始める。
「全員、家まで送ってやるよ。
…と、木村の家がわからないな。神谷、わかるか?」
「いえ…一駅向こうとしか…」
「まいったな…叩いても起きないぞ?」
慎也さんは、困った表情で頭を掻いている。
私は散乱している缶を集めて、台所に運んだ。
「リコの家に連れてけばぁ~?」
里沙が食器を洗いながら、ニヤニヤと私を見ている。
「そんな事できる訳ないでしょ!?
第一、明日は祐輔どうすんの?着替えも無いし…」
「そんなの、木村君が朝早めに出て、会社に行く途中に着替えて行けばいい話じゃーん」
「…」
あっとゆーまに里沙に問題を解決されてしまい、私は断る理由が無くなって黙り込んだ。
「いいっ!祐輔を起こして家を聞き出す!」
私は気合いを入れて、祐輔の元へズカズカ歩み寄った。
祐輔に掛かっている毛布を剥ぎ取り、思い切り体を揺すった。
「祐輔!?帰るよ、起きて!!家どこ!?」
「うーん…あと5分…」
「そうじゃなくて、家を詳しく教えて!!」
「こんな家に住みたいぃ…」
「もう!!ふざけてないで、ちゃんと答えてよ!」
私はイライラしながら祐輔をバシバシ叩いた。
「神谷…悪いけど、神谷の家に連れて行ってやって?木村だけ、ここに居てもいいんだけど…俺、明日は取引先に出張で、早朝会議だから朝4時には家を出るんだよ…今日中に色々準備もあってな」
慎也さんが、申し訳無さそうにしている。
「分かりました…」
「もしかしたら、送ってる途中で起きるかもしれないし。そしたら家に帰らせればいいしな」
「はい…」
「あ、ダメだ」
慎也さんが、車のキーを持って立ち止まった。
「俺、酒入ってるわ。運転できないな」
「あー、そっかぁ。なら、私電車で帰るぅ。リコはタクシーで帰ったら?」
「あ、うん…」
「悪いな…」
慎也さんがタクシーを呼んでくれて、里沙と私は先に乗り込んだ。
遅れて、慎也さんが祐輔を抱えてタクシーまで連れて来てくれた。
「じゃ、気をつけて。本当に悪いな」
「いえ、お邪魔しました」
「慎ちゃ~ん、バイバ~イ!」
私達が挨拶を済ませたのと同時にタクシーが走り出した。
里沙だけ駅で降りて、二人で私の家に向かった。
アルコールが入っていたせいか、私もウトウトしていたみたい。ハッと気付くと、タクシーは私の住むアパートの近くまで来ていた。
淡い期待は虚しく、祐輔は私の家に着くまで眠り続けていた。
「祐輔?
起きて、歩ける?」
「う~ん?」
祐輔は目を擦りながらフラフラと、かろうじて歩いた。
私はフラつく祐輔を必死で支えながら、なんとか自分の部屋まで辿り着いた。
玄関に座らせ、靴を脱がせて、またフラつきながら祐輔をベッドまで運んだ。
祐輔はドサッと倒れ込み、またすぐに眠ってしまった。
(さすがに疲れた…)
私は力を使い切り、その場に座り込んだ。
私自身疲れているはずなのに、祐輔の寝顔を眺めていたら自然と笑みがこぼれた。
(寝顔は子供みたいなんだなぁ。
会社もクビにならずに済んだし、ホッとしたんだろうな)
私は、そっと祐輔の髪を撫でて、起こさないよう静かにシャワーを浴びに行った。
自分より背の高い男性を抱えて歩いたのは初めてだった。
とにかく必死だったから、全身汗でベタベタ。それが気持ち悪くて、一刻も早くシャワーを浴びたかった。
(ふぅ…サッパリしたぁ)
髪をタオルで拭きながら部屋に戻った。
「リコ…?」
「わあっ!びっくりした!起きてたの?」
祐輔は暗闇の中、ベッドの上で正座をしていた。
「ここ、リコの部屋?」
「そうだよ~。運ぶの大変だったんだからぁ」
「俺、なんで…」
「覚えてないの?
祐輔、慎也さんの家で酔い潰れて寝ちゃって、起こしても起きなかったから、ここに連れて来たんだよ。祐輔の家もわからないし…」
「そうだったんだ…迷惑かけちゃったな…ごめん」
祐輔は、うなだれるように頭を下げた。
「別にいいよ。それより、もう大丈夫なの?」
「うん、目ぇ覚めた。
あっ、俺の自宅に電話してくれればよかったのに!母さんいるし」
「あ~!そういえば祐輔、まだ家出てないんじゃん!そうだ~…思い付かなかった…」
「ごめんね…」
余りにも申し訳なさそうな祐輔を見て、私はクスッと笑いながら部屋の電気を付けた。
「コーヒー飲む?」
「あ、いいよ!すぐ帰るから!」
祐輔は慌てて立ち上がったけど、まだ足元がフラついていた。
「遠慮しないで。
コーヒー飲んで、酔いを覚ましてからにしたら?」
「じゃあ、いただく…」
祐輔は小さくなって、テーブルの前に正座した。
「はい、どーぞ」
「ありがとう…」
コーヒーのいい香りが広がっている自分の部屋で、祐輔と二人で居るのが不思議な気分だった。
でも、なんだかとても落ち着く。
コーヒーを一口飲む度に溜め息をつく祐輔を見て、思わず笑ってしまった。
「リコ、どうしたの?」
「クスッ…ううん。いい加減、足崩したら?楽にしててよ」
「うん…」
祐輔は遠慮がちに、あぐらをかいた。
「それにしても、リコの部屋って綺麗だね」
「そうかな?物が少ないからじゃない?」
「片付け上手で、美味しいコーヒーが入れられる奥さんっていいな」
―――ドキッ
祐輔の口から出た『奥さん』って言葉に過剰に反応してしまった。
なんて答えていいか分からず、私はひたすらコーヒーを飲み続けた。
「リコ…」
「は、はいっ」
祐輔は真っ直ぐ私を見ている。
私は緊張して姿勢を正した。
「俺…」
ドキドキドキドキ――
(ま、まさか!プロポーズ!?いや、まだ付き合い始めたばかりだし!でも祐輔は真剣な顔だし…あ~!なになになに!?)
私は一瞬で色んな事を考えた。
「俺…お腹空いた」
「はあっ!?」
「だって、里沙さんの凶器みたいな卵焼きと、ビール少ししか飲んで無いんだも~んっ」
「もうっ!毎回、毎回なんなのよっ!」
私は持っていたマグカップをダンッとテーブルに叩き付けて、台所に向かった。
「なに怒ってるの?」
「怒ってなんかない!!」
(乙女心をなんだと思ってるの!)
私は終始無言で、炒飯を作り続けた。
祐輔はベランダでタバコを吸っている。
私の様子を気にしているようだったけど、私は気付かないフリをしていた。
「食べれば!!」
タバコを吸い終わって部屋に入って来た祐輔に、お皿にテンコ盛りになった炒飯を突き付けた。
「わあ~、いい匂い!美味しそう!あ、写メ撮ろう」
「な、なんで炒飯ごときを写メ撮るのよ!?」
「だって、リコが俺に初めて作ってくれた料理なんだよ?記念だよ~」
祐輔はニコニコしながら、写メを連写していた。
そんな可愛い祐輔を見ていたら、さっきまでの怒りが吹っ飛んでしまった。
「祐輔はズルイよ」
「はんへ?(何で?)」
祐輔は口いっぱいに炒飯をほうばっている。まるでハムスターだ。
「そーゆーところ!」
「????」
祐輔は首を傾げながらも、バクバク食べて、あっとゆう間に完食した。
「ご馳走様でした!はぁ~、美味かった!」
そう言いながら、祐輔は食べ終わった食器を片付けに台所へ向かった。
「へ~。祐輔、ちゃんと片付けるんだ?」
「なんで?普通でしょ?」
「お母様の育て方がよかったんだね」
「あ~、母さんにはうるさく言われてたかな」
祐輔は流し台に食器を片付け、洗面所に顔を洗いに行った。
私は、食後のコーヒーを入れに台所へ向かった。
「そういえばリコ、シャワー浴びたの?」
祐輔はサッパリとした顔で洗面所から出て来た。
「うん、汗でベタベタだったから」
「ふ~ん…」
横からすごく視線を感じる…
「なに?なんか変?」
「んーん。なんか、色っぽい」
「な、なに言ってんの?
ほら、コーヒー入ったよっ」
私は顔が真っ赤だった。
祐輔は私からマグカップを受け取ると、口を付けずにそのままダイニングテーブルに置いた。
「飲まないの?冷めちゃうよ?」
「う…ん…」
祐輔は真っ直ぐ私を見つめながら近付いてくる。そして、優しく私の髪に触れた。
私は、変に意識してしまって目を逸らした。
「リコ…」
「ん…?」
「好きだよ」
「うん…」
何度言われても、面と向かって『好き』って言われると、すごく照れる。
私はずっと下を向いたままだった。
「照れてるリコ、やっぱ可愛い…」
「照れてなんか…」
「すぐ否定する。素直じゃないなぁ」
祐輔は意地悪く笑いながら、私の顔を覗き込む。
「キスしてって言ってみて?」
「はっ!?な、なんで私がそんな事言わなきゃいけないの!?」
「いーから。言って?」
祐輔は少し命令口調だ。
さっきまで子供みたいに笑ってた子が、今では別人…
祐輔のこの表情が、いつも私をドキドキさせる。
祐輔のこの声が、いつも私を素直にさせる。
「キ…、キス…して…?」
私は自分で言って恥ずかしくなり、両手で顔を隠した。
祐輔は、そのまま私を抱きしめて、肩に顔をうずめた。
「ヤダ」
祐輔は小さな声で言った。
「ちょっ…!言わせておいて何それ!」
必死で祐輔を突き飛ばそうと思っても、まだアルコールの抜け切って無い私には、そんな力は残されて無かった。
祐輔は何も言わずに私を抱きしめ続ける。
「ゆう…すけ…?」
「失敗した…」
「何が?」
「あんな事言わせるんじゃなかった…」
「なんでよ!?」
また祐輔は黙り込んで、抱きしめている腕にギューッと力を入れてきた。
「祐輔、苦しいよ。どうしたの?」
「理性が…」
「またそんな事!!」
「あんな可愛く言われたら、キスだけで終わる自信無い…」
「祐輔…」
祐輔の鼓動が早くなっていくのが聞こえた。
私もドキドキし過ぎて倒れそう―――
「俺さ、リコの事大事にしたいんだ」
「どうゆう…事?」
「体目当てじゃない。本当にリコそのものを好きになったんだって、伝えたいんだ」
「充分、伝わってるよ?」
「そう?
でも、これからもっと俺の事を知ってもらって、俺もリコの事を知りたい。
今は酒も入ってるし…そんな状態でリコを抱きたくないんだ」
「祐輔…ありがとう…」
私は祐輔の気持ちが嬉しくて、目頭が熱くなった。
「でも…何も無しじゃ寂しいから、いっぱいキスしていい…?」
祐輔は子供がねだるような顔で、私の顔を覗き込んだ。
「うん…いっぱいキスして…?」
私は素直に答えた。
すると、祐輔にグッと手を引かれ、ソファーに連れて行かれた。
私をソファーに座らせると、祐輔は床に両膝をついて私を見つめた。
「リコ、大好きだよ…」
「私も…」
私達は、優しく唇を重ねた。
祐輔は優しく重ねた唇をゆっくり離した。
見つめ合う二人…
時が止まってるみたいだった。
「リコっ…」
祐輔は私に覆いかぶさりキスをする。
さっきとは違う、激しいキス…
深く、深く…
少し乱暴だった。
だけど、
すごく愛情が伝わってくる…
私も祐輔の気持ちに応えた。
どちらの吐息なのか…
どちらの鼓動なのか…
溶け合ってしまって分からない。
「ん…」
苦しくなってきて、思わず声が漏れた。
すると祐輔は、突然私を引き離した。
「ゆ…すけ…?」
私は、トロンとしてしまって体に力が入らない。
なんだか体が熱く、ほてっている。
祐輔は困った表情で、私を見ている。
「ダメでしょー…」
そう言って、コツンと額を合わせた。
「え…?」
「声、反則だよ…」
「あ…、ごめん…」
「リコ、ちょっと熱い?」
「うん、なんか熱い…」
祐輔は、私の髪止めを外した。
まだ乾ききってない髪が、パサッと肩に掛かる。
「リコ、綺麗…」
「そんなこと、初めて言われた」
祐輔はソファーに上り、私の後ろに回りこんだ。
後ろからギュッと抱きしめられて、手を絡めた。
「俺、変な約束した事後悔してる…」
「変な約束?」
「リコを大事にするって」
「あー…、なんで?」
「今すぐ俺のモノにしたい…」
「フフッ…残念だったね」
「リコ、意地悪だ」
「自分で言ったんでしょ?」
「そうでした…」
祐輔は、まるで犬が甘えてくるみたいに、私の肩にグリグリ顔をうずめていた。
それから私達は、しばらく何も話さなかった。
くっついているだけで落ち着くし、本当に幸せだった。
祐輔は、ずっと私の肩に顔をうずめたままだった。
すると、急に強く手を握られた。
「もう、今日はチュウしない」
「しないの?」
「ウソ。やっぱする…」
「ハハッ、なにそれ」
「んんん~」
また祐輔がグリグリと顔をうずめる。
そんな祐輔が可愛くて、愛おしくてたまらなかった。
こんなに甘えん坊な男性を見るのは初めて。
母性本能がくすぐられるって、こうゆう事か…
「帰る…」
「えっ!?帰るの?」
「帰りたくない…」
「どっちよっ」
いつまでもウジウジしてる祐輔。
でも、こんな祐輔を見られるのは私だけなんだって思うと、ちょっと優越感。
祐輔は、
ハァ~…
と溜め息をつくと、ソファーから降りた。
「顔洗ってくる」
洗面所に向かう祐輔の背中が、なんだかとても切なかった。
(ものすごい葛藤してるんだろうな)
ちょっと可哀相な気もしたけど、今更私から『いいよ』なんて、恥ずかしくて言えない…
それに、祐輔自身が私を大事にしたいと思ってくれてるのだから、その気持ちを無駄にしちゃいけないと思った。
まだ少し、さっきの余韻が残っていた私は、コーヒーでも飲んで落ち着こうと台所に向かった。
「ねぇ~、リコ~?」
甘えた声を出しながら、祐輔が私の腰に手を回してきた。
「なに?
まさか、また理性が…とか言うんじゃ無いでしょーね?」
「んーん。お願いがあるのぉ」
「何甘えた声出してんの?」
「俺ぇ、ここに住みたいなぁ~」
「ダメ!!」
「即答っ!?
え~、なんで?いいじゃんっ」
「ダメったらダメ!!」
頑なに拒み続ける私から離れて、祐輔はプクッと頬っぺたを膨らました。
「ちぇ~…」
祐輔は子供みたいに、いじけながらコーヒーを飲んだ。
2、3口飲んで、帰り支度を始める。
「帰る?」
「リコが意地悪するから帰る」
「なにそれー」
「フッ…ウソ、ウソ!」
祐輔は私の頭をポンポンと叩いて、靴を履く。
「そういえば!
俺、リコの携帯の番号とアドレス知らないや」
「あ、そういえばそうだね」
私達は連絡先を交換し、それぞれの携帯に登録した。
「これでいつでもリコの声が聞ける」
祐輔はニコッと笑って玄関のドアを開けた。
「あ!!」
「何?忘れ物?」
「うん」
「何?」
チュッ―――
軽くキスをされた。
「ね?忘れ物っ」
「もうっ…」
「ヘヘッ…おやすみ!!」
「おやすみ…」
祐輔は駅に向かいながら、何度も振り向きながら手を振り続けていた。
私は祐輔の姿が見えなくなるまで見送った。
さっきまで二人で過ごして居た部屋が、やけにシーンとしている。
寂しい…
さっき別れたばかりの祐輔に、もう会いたい…
(ダメだ…完全に祐輔にハマッてる…)
そんな自分がなんだか可笑しくて、一人で笑ってしまった。
すると、携帯が鳴った。
(メール…?)
メールを開くと、祐輔からだった。
――from 祐輔
リコ、会いたい。――
キュンッ…
すごく短い文章だったけど、私の胸を熱くさせるのには充分だった。
――to 祐輔
私も会いたい。
また、明日会社でね――
こういう時、恋人が同じ職場なのは、ありがたい。
次の日には、すぐ会えるんだ―
私はギュッと携帯を抱きしめる。
すぐに祐輔から返信がきた。
――from 祐輔
無理。待てない。――
ピンポーン―――
(えっ…?)
部屋の中に、インターホンが鳴り響いた。
鼓動が高鳴る…
私は玄関までの短い距離を走った。
ドアを開けると――
祐輔が立っていた。
「お待たせしましたぁ~。ご注文の品を…」
迷う事無く、私はガバッと祐輔に飛び付いた。
自分でもよく分からないけど、涙が出てくる。
「会いた…かった…」
嬉しくて、こんなに涙って出るものなんだ。
泣きじゃくる私の頭を祐輔は優しく撫でてくれた。
「さっき会ったばっかでしょー?
って言っても、俺も明日まで我慢出来ずに来ちゃったけどっ」
照れくさそうに笑いながら、私を抱きしめてくれた。
「リコ…何にもしないから、泊まっていい?朝、早く出るからさ…」
ちょっと遠慮がちに私の顔を覗き込む。
「うんっ…うんっ…」
私は泣きながら何度も頷いた。
――こんなに人を好きになったのは初めて…
私、祐輔に恋してるんだ…
祐輔は私の両腕を掴んで、そのまま私の体を玄関の壁に押さえつけた。
さっきよりも、お互いの愛情を確認するかのような、激しいキスをした。
このまま時が止まって欲しい―
きっと、二人共同じ気持ち…
重ね合う唇から、愛情が溢れ出す。
ゆっくりと唇を離した祐輔は、チュッと私の頬っぺにキスをした。
急に照れて、二人で笑った。
「リコ、シャワー借りていい?走って来たから、汗でベトベトっ」
「あ、うん。いいよ。タオル出すね」
「一緒に入る?」
「変態っ」
「俺、生まれて初めて『変態』って言われた…
母さん、俺…変態だって…」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと入りなっ!」
「は~い」
シャワーの音が聞こえてくると、何かしてないと落ち着かなくて、とりあえずお湯を沸かした。
「リコのシャンプー、いい匂~い」
「ちょっとリラックスできる香りのを選んでるからね」
「へえ~。あれ?何してんの?」
「あ、コーヒーでも入れようと…」
「プッ…どんだけコーヒー好きなの?」
「あ、いらない?」
「俺、ホットミルクがいいなっ」
「プッ、お子ちゃま~」
「なんとでも言ってくれ~」
祐輔は、ヘラヘラ笑いながらソファーに座った。
ズボンだけ穿いて、上半身は裸だ。
私は目のやり場に困りながら、ホットミルクを手渡した。
「何意識してんの?
リコのエッチ!」
「っ…!?」
私は、何故か言い返す事ができなかった。
少なからず祐輔の体を見て、変な妄想したのは確かだったから…
私もコーヒーは止めて、ホットミルクにした。
ソファーに二人で座って、フゥフゥしながらホットミルクを飲んだ。
体の芯から温まって、私はウトウトしてきた。
「リコ、眠い?」
「ん~…」
「そういえばさ、今ってリコ、スッピン?」
「うん…」
「あんま変わらないんだね」
「ほとんど薄く塗ってるだけだもん。化粧自体、あまり好きじゃない…」
「そうなんだ?
でも、スッピンの方がなんか可愛い」
「そう…?」
私は眠気がピークで、祐輔の話をほとんど聞いて無かった。
目を擦っていると、急に体がフワッと宙に浮いた。
「へ?」
祐輔がお姫様抱っこでベッドまで運んでくれていた。
普段の私なら必死で抵抗するけど、今の私は眠気との戦い。
素直に連れていってもらった。
そっと私をベッドに降ろして、毛布を掛けてくれた。
「…ありがと」
「そんな可愛いと、襲っちゃうよ?」
「う~…ん。バカじゃないの…」
「あ、眠くても『バカ』って言葉は出るのね…」
「…うん」
半分まぶたが落ちている私の目に、祐輔がキスをした。
「おやすみ、リコ」
「おやすみ…」
優しい祐輔の笑顔を見ながら眠りにつくのは、本当に幸せだった。
まぶたが完全に落ちた時、祐輔が唇にキスをしたのが分かった。
私は口元が緩んだまま、祐輔の温もりを感じながら、眠りについた――
さすがに徹夜明けでお酒を飲んでいたせいか、夢も見ない程熟睡した。
「ん~…ん?あれ?」
目覚めると、そこに祐輔の姿は無かった。
「帰っちゃったのかな…」
部屋中を探しても、祐輔は居ない。
昨日の事は、夢だったのかなと思うぐらい、シーンと静まり返っている。
もう一度、祐輔の温もりを感じたくて、ベッドに潜り込んだ。
少し祐輔の匂いが残ってる…
胸の奥が、ギューッと締め付けられた。
しばらく布団の上でゴロゴロしていると、携帯のアラームが鳴った。
ベッドの横に置いてある棚に手を伸ばして、携帯を開く。
(あれ?メールがきてる…)
メールを開くと、祐輔からだった。
――from 祐輔
おはよ、リコ!
黙って帰ってごめんね。よく寝てたからさ。
リコの寝顔、いただきましたっ!!――
「いただきました?あ、添付ファイルが…えっ!?」
メールと一緒に送られて来たのは…
それはそれは幸せそうに口元を緩ませながら眠る、私の寝顔の写メだった。
「いつのまにっ…!?」
私はすぐに祐輔に電話した。
『もっしも~し?おはよう、リコ~。どうしたの?』
「どうしたのじゃないわよ!何この写真!」
『よく撮れてるでしょ?あまりにも可愛いかったから撮ったんだ~』
「消してよっ!」
『やーだ。離れてる時、これ見て寂しさ紛らわすんだから』
「こんな写真やだぁ…お願いだから消して?」
『愛してるって言ってくれたら考える』
「愛してる!愛してるからっ!」
『気持ちがこもってないから却下。
俺着替えなきゃいけないから~。バイビー』
プーップーップーッ…
「ちょっ…
バイビーって…今時言うか…?」
私は、祐輔の変な挨拶に、ツッコミを入れずにはいられなかった。
(まぁいっか…
他人に見せびらかす訳じゃないだろうし)
とにかく私も仕度しなきゃ。
急いで顔を洗って、着替えた。髪を縛って、メイクをして、朝食を食べる。
コーヒーを入れようとした時、昨日祐輔とホットミルクを飲んだのを、ふと思い出した。
(また、一緒に飲みたいな…)
今日は、いつものコーヒーを止めて、ホットミルクを飲んだ。
少しでも祐輔を感じたかった。
この間までは、休み明けの出社は気が重かった。
でも、今日は違う。
少しでも早く会社に着きたくて、駅までちょっと走った。
いつもより、早い時間の電車に乗った。
本当なら、電車の中でも走っていたい気分。
意味無いけど…
会社の近くの駅から会社まで、始業時間までは充分時間はあったけど、また走った。
始業時間30分前――
いつもより15分早く着いた。
ロッカールームで制服に着替えて、オフィスに入る。
「おはよーございまーす…」
「おはよ…
あれ、神谷さん?今日は早いね」
「ええ、まぁ…」
見渡せば、3人ぐらいしかまだ来ていない。
(この人達は、いつもこんな早く来てるのかな?
仕事熱心だなー…)
とくに急いでやる仕事も無いし、今居る人達にお茶を入れた。
それも、すぐ終わってしまう。
暇になった私は、椅子に座ってクルクル回っていた。
(祐輔、早く来ないかな…)
祐輔からの、昨日のメールを読み返していた。
何度読んでも、胸がキュンッてなる。
たいした内容じゃないけど、祐輔の気持ちが詰まったメール…
携帯を眺めながら、一人でニヤニヤしていた。
すると…
「リコ…?」
ガターンッ!!―――
「きゃあっ!!」
いきなり耳元で名前を呼ばれて、あまりにも驚いて椅子ごとひっくり返った。
完全に気を抜いてた…
思わず悲鳴を上げてしまった。
私の悲鳴に驚いて、オフィスに居た人達が集まって来た。
「大丈夫!?神谷さん!!」
「あ、はい…すみません…」
尻もちをついている私を見て、祐輔が笑いをこらえていた。
「おい、木村~。お前何かしたのか~?」
先輩達が、祐輔の肩を小突いた。
「何もしてないですよぉ。声かけただけですって」
「すみません、私が勝手に驚いて転んだだけです…」
立ち上がろうとしたら、祐輔が手を差し延べた。
祐輔に引き上げられて、立ち上がる。
「本当に、すみません…」
「神谷さん、本当に大丈夫?
木村~、神谷さんにちょっかい出すなよ?お前なんか相手にされないんだから」
祐輔の肩をポンッと叩いて、笑いながら先輩達は仕事に戻った。
赤面する私の横で、祐輔は肩を震わせて笑っていた。
『もうっ、ビックリするじゃないっ』
『クククッ…だって、一人で携帯見ながらニヤニヤしてたからさ。何見てたの?』
私達は、周りに気付かれないように小さい声で会話した。
『な、なんでもないって。それより祐輔、早いじゃん?』
『え?いつも通りの時間だよ?』
『うそっ!?』
時計を見ると、始業10分前。
ゾロゾロと、みんな出社してくる。
(もう、そんなに時間経ってたんだ…)
時間も忘れて、祐輔からのメールを見ていた自分が恥ずかしい…
私は、ごまかすようにパソコンの電源を入れた。
『ねぇねぇ、リコ。俺、リコに相手にされないんだって』
『そう見えるんじゃない?祐輔、子供だし』
私はシラッとした目で祐輔を見た。
『あれ~?そんな事言っていいのかな~?コレ見せて、昨日は熱~い口づけ交わしましたって、言っちゃおうかな~?』
祐輔は私の前で携帯をヒラヒラ見せびらかした。
よく見ると、待受画面が私の寝顔の写真…
「なっ…!!」
思わず大声が出た。
周囲の人達が一斉に私を見る。
私は、また赤面して下を向いた。
「す、すみません…」
クスクスと笑い声が起こる…
祐輔は、ニヤニヤしながら自分の席に向かった。
『ちょっとっ!!』
私の制止を無視して、祐輔は椅子に座ってクルクル回りながら携帯を眺めていた。
(…もうっ!!)
唇を噛み締めて席につくと、里沙が近付いて来た。
「リコ、おっはよ~」
「おはよっっ!!」
私は少し強い口調で挨拶を返した。
「何、朝から怒ってんの?」
「弱みを握られたの!!」
「弱み?誰に?」
「あの、バカにっ!!」
「バカ?あ~、なるほど…
何かあったの?」
「後で話す!!」
私はパソコンのキーボードをバンバン叩きながら、発注書を作成した。
里沙は、首を傾げながら席に着いた。
―――この会社は、7階建てで広く、そして綺麗だ。
各階にそれぞれ部署があって、私達の所属する開発部は、6階にある。
各階に会議室、給湯室、喫煙ルーム、ロッカールーム、自販機、喫茶コーナーが備わっている。
だから、他の部署の人達と顔を合わせる事があまりない。
あるとすれば、2階にある食堂と、そこにある喫煙ルームぐらい。あとは、よっぽど他の部署に用事がある時ぐらいだ。
―――ここ、開発部の配置は、
机が横に5個ずつくっついて並んでいて、反対側も同じようにくっついている。
つまり、10個で一つの固まり。
私は端っこの席で、左側には席が無い。右隣に同期の女の子。
正面に祐輔と同期の男の子。その隣に祐輔。
私の真後ろに里沙。
窓際から、オフィス全体を見渡せる席に、慎也さん。
7対3の割合で、女の子が少ない。開発部だからってのも、あるのかもしれないけど。―――
パソコンのディスプレイから、ちょっと右斜め前を覗くと、祐輔が見える。
真剣に仕事をしている祐輔の顔が、すごく男らしい。
(昨日は、あんなに可愛い顔してたのに…)
真剣な顔の祐輔も、また格好良くて見惚れてしまう。
じっと見ていたら、祐輔がこちらに気付いた。
祐輔は私を見ながら口を尖らせて、指で唇をポンポンッと叩く。
私は意味が分からなくて、首を傾げた。
すると、祐輔は口だけ動かして何か言おうとしている。
――キ・ス・し・た・い
そして、また唇を指でポンポンッと叩いた。
私は祐輔に冷たい視線を送りながら、口だけ動かした。
――バ・カ
祐輔は、いじけた顔で口を尖らせながら、またキーボードを叩き始めた。
思わずフッと口元が緩む。
祐輔と、こんなドラマみたいな事が出来るのが嬉しかった。
歳なんか関係無い。
祐輔は、私を恋する乙女にしてくれる。
―大好きだよ
今すぐにでも、祐輔に伝えたい。
ずっと夢見ていた『甘い恋』は、想像以上に私を変えた。
――昼休み
お昼を知らせるチャイムが鳴ると、みんな一斉に席を立つ。
いつも通り、里沙が声を掛けてくる。
「リコー、食堂行こ?」
「うん、ちょっと待ってて。すぐキリつけるから」
「あーい」
里沙は、私の隣の席に座って携帯を開いた。
「あーあ、今日は慎ちゃん居ないから、つまんな~い」
「出張って言ってたね。でも、夕方には戻ってくるでしょ?」
「夕方まで会えないんだもん。いいよねー、リコはっ」
「何が?」
「すぐ近くにダーリンいるんだもん」
「ちょっと!まだ、みんなには言ってないんだからっ」
「隠す事ないじゃん。ね~、木村君っ」
里沙は、パソコンの隙間から覗き込むように祐輔を見た。
「へ?」
祐輔には、聞こえてなかったらしい。
「あ、木村君も一緒にお昼食べる?」
「えっ、いいんですか!?じゃあ俺、一服してから食堂行きます!」
カチカチッとマウスをクリックして、データの保存をした祐輔は、走ってオフィスを出た。
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