―桃色―
世の中の男性が、全て同じだとは思って無い。
「私の付き合う人達」が特別だって、分かってる。
でも…
昔からことごとく浮気されて、今の彼に限って私は4番目の女…
そりゃ、男を信じられなくなるでしょ。
ただ、甘い恋がしたいだけなのに…
「おめでとう」の言葉も、プレゼントも無いまま、彼の腕の中で30歳の誕生日を迎えた―
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ハァ~…
朝から溜め息だらけで、パソコンに向かう。
昨日誕生日で、更に失恋で傷心していても、いつもと変わらず朝は来る。そして、容赦なく仕事を渡される。
ハァ~…
バシッ!!
「いったぁ~ぃ…」
本日30回目の溜め息をついた時、後ろから平手を喰らった。
「ちょっとぉ、その溜め息止めてくれない?こっちまでテンション下がるわっ」
「ご、ごめん…」
強い口調で一喝したのは、私の同期の田中里沙。中途採用で一緒に入社してきた。歳は私の2つ下。
年下だけど、しっかり者で頼れる私のお姉さん的存在。
「どうしたの?昨日はトモヤさんと会ったんでしょ?なのに、朝から30回も溜め息ついて…」
「ちょっ、数えてたの!?」
「だって、リコって顔に出るから分かりやすいんだもん。だから気になって見てたら、溜め息カウントしちゃってたわ、私っ」
心配しながらも、意地悪っぽく話す里沙に優しさを感じる。
"神谷律子(かみや りつこ)"
私の名前。全国の律子さんには申し訳ないけど、律子って名前は、昭和っぽくて古風なイメージがあって少し嫌だった…
そんな小さな事を気にする私を里沙は、"リコ"って呼んでくれる。すごく嬉しかった。
「それで?昨日何かあったのっ?」
興味津々に、里沙が詰め寄った。
「いやぁ~…ちょっと…ねぇ…」
ハァ~…
31回目の溜め息が出た。
―昨日の夜
仕事を定時に終えた私は、真っ先に携帯を見た。
(新着メール一件)
高ぶる気持ちを落ち着かせながら、メールを開いた。
―from トモヤ
19時に、いつもの 店で待ってる。―
今居る場所がオフィスだということも忘れて、最高のニヤけ顔でロッカールームへ走った。
今日の為に買った、ちょっとセクシーなワンピース。そして、苦手なヒールの高いミュール。キラキラ光るグロスを唇にたっぷり塗って…
準備完了!!
ヒールに苦戦しながら、カクカクとふらつきながら待ち合わせ場所まで急いだ。
お店の入り口の前で、乱れた呼吸を整えて扉を開けた。
見渡すと、金曜日の夜なだけあって、カップルが席を埋める。
いつも座る席に迷わず向かう。
―居たっ!
佐橋友也。同じ会社の営業部で、彼もまた同期。歳は同じだけど、精神年齢は私よりずっと上。新入社員歓迎会の時、トモヤから話しかけてきて、ちょっとオレ様で強引な所に惹かれて付き合い始めた。
ただ…私はトモヤの一番ではないんだ。
トモヤには他に3人の彼女がいる。
その事を知った時には、トモヤにどっぷりハマってた。
当時23歳だった私は、まだ結婚とか考えてなくて、ただトモヤと付き合えるなら、4番目の女でもいいと思ってた。
女にだらし無いけど、誕生日とか、記念日はちゃんと一緒に居てくれてたから。4番目でも、大事にされてる自信があったから。
でも、私ももぅ30歳…ダラダラと7年も付き合い続けちゃったよ…私以外の彼女は、何度かメンバーチェンジがあったみたいだけど。だからこそ、ここまで続いた私にはどこか自信があった。いつかきっと、私だけを見てくれる…
「リツコっ!おせーぞっ!」
トモヤ君が怒り口調で私を呼ぶ。
ちょっと、トモヤ君…まだ待ち合わせの30分前よ?とは言えないけど…
いつもこんな感じ。トモヤ君は待ち合わせ時間より、めちゃくちゃ早く来る。そして怒る…だから、いつも私は待ち合わせ時間より40分前には着くように向かう。
「ごめんね、走って来たんだけど慣れないヒールでさ…」
「なら、スニーカーで来いよ」
トモヤ君は吸ってたタバコを灰皿に押し付けながら言い放った。
「ごめんなさい…」
なんだか、重苦しい雰囲気のまま注文をした。
いつもと変わらないメニューを口に運ぶ。誕生日なのに、特別なメニューではない。
でも、これが普通。毎年、私の誕生日はこんな感じだけど、トモヤ君は食後にケーキを用意してくれている。
なのに、今年は無かった…
「うち来るだろ?」
トモヤ君が、タバコに火をつけながら、席を立つ。
「あ、うん」
私は、まだ少し残っているハンバーグを慌てて口に押し込んで席を立った。
自分の分の食事代をこっそりトモヤ君に渡して、店の外に出る。
食事はいつも割り勘。だけど、「女から金を受け取る姿はみっともない」と言うトモヤ君。だから、毎回こっそりお金を手渡して私は店の外に出る。そして会計を済ませるトモヤ君。周りから見れば、"彼女に食事を奢るイイ彼氏"の出来上がり。
「今日もごちそうさま」
会計を済ませてお店の外に出て来たトモヤ君にニッコリお礼を言う。
「おう」
さっきまでの険悪ムードも無くなり、イイ彼氏を周りに見せ付けたトモヤ君が、私の手を取り歩き出す。
私、病気かも…
―作者より―
まだ、書き始めたばかりですが、読んで下さっている方ありがとうございます🙇
全くのド素人で世間知らずの為、構成などがまとまらず、この先がちょっと不安ですが…
もし、気付いた事等ありましたら、ぜひご指摘ください💦
読みにくい物語かもしれませんが、ゆっくり更新していきたいので、宜しくお願いします🙇
*さくらんぼ*
トモヤ君の家に向かう途中、毎年用意されてたケーキが無い事が気になっていたけど、
(きっと買ってあって部屋で食べるんだ)
なんて期待を寄せてた私は、本当におめでたい…
家に着くと、トモヤ君は何も言わずにシャワーを浴びに行った。
そのあと、私がシャワーを浴びに行く。いつものパターン。
バスタオルだけを身に纏った私を後ろから抱きしめる。
「リツコ…」
いつもなら、この状況の中、耳元で名前を呼ばれるだけで、幸せに包まれた。
でも…
今日は違う。
トモヤ君。私、今日誕生日だよ…?毎年用意してくれてるケーキは?毎年安物だけどなって、手渡してくれるプレゼントは?
それよりも…
「オメデトウ」も言ってくれないの…?
訳の分からない不安で涙が出る。
いや…もしかしたらこの先に怒る悲劇を予想していたのかもしれない…
無言でただ涙を流し続ける私を気にするそぶりも無いまま、トモヤ君は私を抱いた…
ベッドの上で、トモヤ君がタバコに火を着ける。
「ね…トモヤ…?」
「あ?呼び捨てにすんじゃねーよ」
「ごめん…トモヤ…君…?」
「なに?」
「今日、私の誕生日…」
トモヤ君はフゥーっと煙を吐き出してから、
「知ってる、でも…」
「でも…?」
「なんも用意してねーよ。めでたくもないだろ?30にもなって」
「―え?」
確かに、30歳って女性にとっては、気になる年齢。だけど誕生日って、この世に産まれてきた喜びと、私を産んでくれた母に感謝する日…だから、私は年齢は関係なく誕生日はおめでたい日だって思ってた。
思いも寄らない言葉を浴びせられて唖然とする私に、トモヤ君は更に追い討ちをかけた。
「リツコ、別れよう」
予想もしてない言葉に驚いた私は、ベッドから飛び起きた。
「な…んで?」
「だってよぉ…」
タバコの火を消しながらトモヤ君は続けた。
「30歳の女が体だけの関係って有り得なくねぇ?お前もそろそろ結婚でもしたら?」
「っ!?」
今、なんて言った…?体だけ…?私、彼女じゃなかったの?4番目の彼女じゃなくて、4番目の都合のいい女…
聞きたい事がたくさんあるのに、言葉にならない。ただ、涙がとめどなく溢れる。涙が出過ぎて、右目のコンタクトが落ちた…
「は?何泣いてんの?もしかして彼女だと思ってた?まさかね~。俺、一度でもお前に好きだって言った事ねーしな~」
トモヤ君…いや、トモヤは笑いながら話し続ける。
「じゃあ、今までのプレゼントとか…ケーキとか…」
やっと言葉が出た。
「あ~、別に意味はねーよ。まぁ、俺って記念日とかはマメなんだよね。でも、お前に特別な気持ちは無いけどな」
「なら、なんで7年も…?」
「相性がよかったから?ハハッ、長かったなぁ~」
早く、ここから立ち去りたい…
私は無言でバスタオルを身に纏い、洗面所へ向かった。
今日の為に買ったワンピース…悔しいけど、これ着て帰らなきゃいけない…
服だけ着て、メイクもせず、髪の毛もボサボサのまま玄関に向かった。
「リツコ?帰るの?」
悪びれた様子もなく、トモヤは玄関まで顔を出した。
「トモヤ…」
「あ?だから呼び捨てに…」
バチーンッ!!
人生で初めて、男性を全力でビンタした。
「いってぇー…」
「トモヤ…」
「あっ!?」
「さよなら…」
苦手なヒールの高いミュールを握りしめて、私は裸足のまま玄関を飛び出した。
―30歳の誕生日。
私は涙が枯れるまで泣き続けた…
明日は、一日何もしたくない…
なんで、こんな時に限って土曜日出勤なの…
とことんツイてないや。
とにかく眠ろう―
眠らなきゃ―
6月4日、30歳の私の誕生日。
人生で初めて…
自分が産まれてきた日を喜べなかった…
ハァ~…
本日32回目の溜め息をついた時、里沙は私を抱きしめていた。
肩が震えてる…?
「ちょっと、なんで里沙が泣くの!?ここ、会社だよ!?」
「リコ…リコぉ~…」
里沙は、ただただ私の名前を呼んでいる。ヤバい。枯れたはずの涙が溢れてきそう…
もう限界って所で、私達の今の雰囲気を一転させる声が聞こえてきた。
「リツコさぁ~ん。僕の胸に飛び込んできていいっすよぉ~」
顔を上げると、満面の笑みで両手を広げている男の子が一人。
木村祐輔、25歳。新卒で入社して、今年で二年目。人懐っこい性格で、ちょっと頼りない感じが女子社員の母性本能をくすぐる。
当然モテる。
いつまでも目を輝かせて両手を広げている木村君に、里沙が真っ先にツッコミを入れた。
「ちょっと、アンタねぇ…空気読みなさいよ…てか、なんで人の話を盗み聞きしてんの!」
「盗み聞きなんて人聞き悪いな~。ちゃんと、座って横で聞いてましたよぉ?」
木村君は、頬っぺたをプクっと膨らませていた。
あ~、なんか木村君がモテるのが分かる気がするなぁ。男の子を可愛いって思った事無いけど、木村君みたいなタイプの子を可愛いって言うのかなぁ―
泣くのも忘れて、ボーっと余計な事を考えていた私に、木村君が椅子ごと近寄って来た。
「リツコさん、今日の分の代休は、いつにしました?」
ここの会社は、土曜日出勤の分の代休を翌週の好きな日に取る事ができる。
「え…?月曜日にしたけど…」
「あ、僕も!よしっ、月曜日はデートしましょ~。はい、決定~!」
「は!?え、ちょっ、デートっ!?」
"デート"と言う言葉に困惑する私に、里沙がフォローに入る。
「あのね、木村君?ちゃんと話聞いてた?リコは大失恋してんだよ。そんな傷心のリコを更に傷つけようっての?」
「傷つけるって、どーゆー意味っすか!?僕はただ、リツコさんを元気づけようと…」
「女垂らしのアンタに、リコを元気づける資格なし!」
「なんで僕が女垂らしなんですか!僕、彼女居ないっすよ!」
「どの口が言うかぁ~っ!この口か!」
里沙は木村君の口元を思い切りつねった。
「いひゃい、いひゃい!!」
木村君が声にならない声を出した瞬間…
バンバンッ
と、遠くから机を叩く音がオフィス中に響いた。
「そこの3人組~、仲良しなのは分かったから、そのチームワークを仕事にぶつけてくれ~」
里田部長が叫んでいた。
里田慎也、35歳。私達の居る開発部の部長。社員一人、一人を大切にしてくれて、皆が信頼を寄せる人。部長にしては若いけど、そもそも、うちの会社は全体的に社員が若い。50歳以上は居ないと言う噂…
里田部長は、実は里沙の彼氏。
って、言っても社内公認なんだけど。
うちの会社は社内恋愛は全然問題にならない。仕事さえしてくれればOKって感じらしい…
「神谷、田中、木村!お前ら3人、サボッた午前中の分残業なっ!!」
「え゛え゛ーっ」
3人声が揃った。
「慎ちゃ~ん、そしたら今晩のデートどうなるのぉ~」
「ちょっ、里沙っ、会社でそう呼ぶなって言ってんだろっ」
動揺する部長の元へクネクネと里沙が走って行く…
見てるだけで和むわ~…
部長と里沙のやり取りを見て癒されてると、ふいに耳元に木村君の息がかかる。
「リツコさん。月曜日の11時、『orange』で待ってます。昼飯奢りますから。」
「ま、まだ私行くとは…」
私の返事も最後まで聞かずに、木村君は仕事に戻った。
昨日、大失恋したばかりなのに…何ドキドキしてんの、私…
迷う事は無い。これ以上傷を増やすぐらいなら、行かない方がいいんだ。
そう自分に言い聞かせて、私もパソコンに向かった。
―日曜日―
昨日、里沙と会う約束をした。傷心の私に、ランチをご馳走してくれるみたい。
私は約束の40分前に、いつも里沙とランチをする『flower』に着いた。
カフェオレを頼み、来る途中に買った雑誌を鞄から取り出すと、里沙が目の前で息を切らせて立っていた。
「やっぱり…リコって、いつも約束の時間より早く来てたけど、昨日の話聞いたら納得したわ」
肩で息をしながら里沙が眉間にシワを寄せて話す。
「毎回10分前に着いたって言ってたけど、本当は嘘なんでしょ?」
里沙の問い掛けに、思わず俯いてしまった。トモヤと待ち合わせる時の癖がついてて、私は里沙と会う時にまで40分前行動をしていた。
何も答える事の出来ない私を見て、里沙は悟ってくれた。
「さ、お姉様?お好きな物を注文してくださいな!」
おどけながら、メニューを差し出す里沙。
里沙、あなたが居てくれるだけで幸せだよ…誰よりも私を理解してくれる。
いつも、身体の芯から癒してくれる。
ずっと、友達で居てね。
注文した料理が運ばれてきた。
『flower』特製のきのこパスタ。
お皿に顔を近付けると、醤油バターのいい香り。
「いっただっきま~す」
パスタを一口、口に入れた所で、里沙が真っ直ぐな目で私を見て話し始める。
「んで、明日は木村君とデートするの?」
「う、う~ん…行かない…よ…?」
曖昧な返事をする私に、里沙は続ける。
「木村君の事、分かってるでしょ?関わらない方がいいって!また、同じ事を繰り返すつもり!?」
「分かってるよ…大丈夫、行かないって…あ、パスタ冷めちゃうよ!」
必死で説得している里沙を落ち着かせようと、私はパスタをすすめる事しかできなかった。
木村君の事 ―
そう、今の私は一番木村君に関わっちゃいけない人間なんだ…
会社で女子社員達が、木村君の事を顔がカッコイイとか、性格が可愛いとか色々噂をしている。
でも、逆に悪い噂も聞く。
―木村君を街で見かけると、いつも違う女の人と腕を組んで歩いてる。―
私は、この噂に確信がある。
2回街で木村君を見かけた時、女の人と腕組んで歩いていた。1回目見た時と、2回目見た時は、違う女の人だった…。
私は、そんな木村君の『彼女達』の一人にはなりたくない。
もう、これ以上傷つきたくない。
でも…
昨日の木村君が笑顔で両手を広げている姿を見て、ちょっと飛び込みたかった…
彼氏と別れたばかりで、不謹慎なのは分かってる。
でも…
誰かに支えて欲しいと思った。その場の木村君の優しさに、甘えたいと思った…
パスタを食べ終わり、食後のコーヒーが運ばれてきた。
コーヒーに砂糖とミルクを入れて、静かに掻き混ぜながら、里沙が静かに話し始めた。
「リコってさ、なんか精神年齢が歳相応じゃないよね。悪い意味じゃないけど、ちょっと幼い感じ?」
「え?そうかなぁ?」
多分、私の精神年齢は、トモヤと付き合い始めた時から止まってる。
トモヤは、私を甘えさせてくれなかった。泣き言も、不満も言わせてもらえなかった。そして、いつも見下されてるような扱いだった。
(女が泣くとか、面倒臭い。リツコは、俺の前でただ笑ってればいいんだ。)
って、トモヤと初めて一緒に朝を迎えた時に言われた。
普通なら、そこで強く生きようと思うのかもしれない。
でも、私は違った。
トモヤの前では、強くいようと気をつけていたけど、本当の私は、すごく甘えん坊。弱くて、誰かに支えてもらわなきゃ一人で立っていられない。
だから、トモヤに甘えられない分、里沙とか会社の同僚には、目一杯甘えていた。
そのためか、周りは私を子供扱いする時がある。
私には、それが心地よかった。
「明日、木村君に会ってみようかな…ただ、私を元気づけようとしてくれてるだけみたいだし…さ」
「そうやって、割り切って木村君に会えるなら、い~んじゃない?」
ずっと反対されると思っていたから、思いがけないリコの答えに私は目を丸くした。
「よく考えれば、木村君も下心で誘った訳じゃなさそうだしさ。女垂らしなりに、木村君の優しさ見せてくれるんじゃな~い?」
里沙はケラケラと笑いながら、メニューを広げてデザートを選び出した。
木村君の[デート]って言葉に過剰に反応して、変に意識していた自分がちょっと恥ずかしい…
あんなに心配してくれた里沙も、きっと同じだったんだよね。
お互いに、心配するほどの事じゃないんだよねって、言い聞かせてたみたい。
その後は、たわいもない話で盛り上がって、結局18時まで[flower]に居た。
最後に、
「木村君に、惚れんなよっ」
って、意地悪な笑顔で里沙に釘を刺されて別れた。
―月曜日の朝
ザァァーッ
ものすごい雨の音で目が覚めた。
「うわぁ、土砂降りだぁ。駅までタクシーかな」
私は免許は持ってるけど、車が無い。土地柄、電車の方が便利だから。
多少、足元が雨に濡れても気にならないようにスカートを穿いた。靴は動きやすいように、裸足でぺったんこのミュールを履く。
手配しておいたタクシーへ乗り込み、近くの駅まで向かう。
待ち合わせ場所まで、電車で5駅。月曜日のこの時間は、目的地まで座れる程空いていた。
相変わらずな私は、10時15分に到着。
「雑誌でも買って行こうかな」
駅の近くにあるコンビニに向かおうと思った時…
「リツコさぁ~ん!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
道路の端に、ちょっと車高を低くした黒色の軽自動車が停まっていた。
その車の窓から、木村君が手を振っている。
普通に驚いた。
返事も出来ずにボーッと立ち尽くす私に、木村君は傘も差さずに駆け寄って来た。
「リツコさん、おはようございます!驚きました?」
木村君は少し照れ臭そうに、笑ってる。
「な…んで、こんな早くにいるの?」
「土曜日にリツコさんの話しを聞いてて、もしかしたら40分前には来ちゃうんじゃないかな~って思って。50分前から張り込んでました。そしたら、見事にビンゴ!!」
得意げに話す木村君の言葉が、私の心を熱くした。
「ごめんね、待たせちゃったね…」
「まぁ、でもリツコさんが5分早く駅に着いてくれたから、実際5分しか待ってないんですけどね~」
木村君は、待たされた事を責めなかった。
男の人の、こんな優しさに触れたのは、何年振りだろう…
ダメダメ、期待なんかしちゃ。今日は、ただの友達として会ってるんだから。
「う~ん、早くに会えたのは良いけど…昼飯の時間には早過ぎますねっ。お腹が空くまで、ちょっとお茶でもしましょーか」
そう言って木村君は、また傘が無いまま走って行って、車に乗り込んだ。
私もその後を追いかけた。
「はい、どーぞっ」
木村君が中から助手席のドアを開けてくれて、私を手招きしている。
「失礼しまーす」
「汚いですけど、気にしないで下さいね」
「ははっ、本当に汚いや」
私はクスクスと笑いながら、雨に濡れた足元をタオルで拭いた。
「…なんか、女の子っすね。ちょっとドキドキしちゃうじゃないですかっ」
木村君がニヤけながら私を茶化している。
『女の子…』
木村君より5歳も上で、しかも30歳になった私の事を女の子って…
私は急に恥ずかしくなって、俯いた。
そんな事は気にもせず、
「ではっ!しゅっぱ~つ、しんこ~う!」
はしゃぎながら、木村君は車を走らせた。
雨の日の駅前の交差点は、タクシーや送迎の車ですごく混む。
「やっぱ、混むなぁ。すぐそこに『orange』見えてんのに~」
木村君はハンドルを指でトントン叩きながら、落ち着かないでいる。
私は渋滞なんか全く気にもとめずに、俯いたままの顔を上げられずにいた。
「リツコさん?体調悪いんですか?」
「あ、ううん…」
「??」
木村君は顔を傾げて、私の顔を覗き込んでいる。
だけど、私は自分の足元の一点から、目が離せないでいた。
口紅 ――?
さっき、車を発進させた時に転がってきた。
あまりにも一点を見つめているのが気になったのか、木村君が私の足元に視線を落とした。
「あ、昨日アイツ…」
口紅に気付いた木村君が、明らかに動揺している。
昨日 ―?
アイツ ―?
あぁ、昨日は他の女の子がこの助手席に座ってたんだ。
分かっていた事。
そもそも、私は木村君の彼女でもなんでもない。
会社では、先輩と後輩で、今はただの友達。
口紅なんかを私が気にする必要はないんだ。
「これ、ここに入れておくね」
「あ、ども…」
口紅を助手席の前の小物入れに入れようとすると、
「それ、気にしないで下さい」
木村君がポツリとつぶやく。
私なんかにフォローする必要なんかないのに…
「な~にを気にする必要があるのよぉ~」
私は精一杯おどけて口紅を小物入れに放り込んだ。
まるで、自分に言い聞かせるように…
結局、渋滞のせいで歩けば5分で着く『orange』に、車で10分かかって着いた。
「歩いて来た方が早かったっすね~」
「びしょ濡れになるより、マシだよ。ありがとうね」
私の傘に二人で入って、駐車場から店の入口まで歩いた。
席に案内されて、木村君がメニューを差し出した。
「お腹空くまで、飲み物だけでいいですよね。リツコさん、何飲みます?」
「じゃあ、カフェオレ」
「温かいのでいいです?」
「うん」
「了解!すんませーんっ!」
木村君は、恥ずかしいぐらいの大声で店員さんを呼んだ。
「えっと、ホットのカフェオレと、クリームソーダ!」
「クリームソーダ!?」
満面の笑みで注文する木村君に、思わずツッコミを入れてしまった。
25歳の男の子が、お茶しましょ~って言って、ためらいもなくクリームソーダって…
必死で笑いをこらえていたけど、もうダメ。
口元が緩みだした。
「あ、リツコさん知らないんですか?ここのクリームソーダの美味しさを!」
「クリームソーダに違いなんかあるの?」
「わかってないなぁ~。ここのアイスは絶品なんですよ!それがメロンソーダと混ざり合った時のハーモニーが…」
ダメだ、もう限界。
「プッ…、あははははははっ」
店内だという事も忘れて、私はお腹を抱えて笑った。
クリームソーダを真顔で熱く語る木村君…可愛いなぁ。
「そんなに笑う事ないじゃないですかぁ。リツコさんも、ここのクリームソーダを一度飲めば、虜になりますよ?」
笑いの止まらない私を見て、ちょっと怒りながらも、木村君から笑みがこぼれた。
「よかった!」
「何が?はぁ~、お腹痛い。ちょっと涙出ちゃったじゃん」
「リツコさんが笑った!やっぱり、笑顔のリツコさんが一番!」
そういえば、腹の底から大笑いしたのは久しぶり。なんだか体が軽い。
「ありがとう、木村君」
「へ?」
「元気出たよ」
「まだまだ、ここのクリームソーダを飲めば、もっと元気になりますよ!」
まだクリームソーダを引っ張ってる…
でも、木村君との会話のテンポが私には心地よかった。
顔を見合わせて笑い合う私達の前に、カフェオレとクリームソーダが置かれた。
「う~ん、美味い!」
上に乗っているアイスを一口食べて、木村君はニコニコしていた。
そんな木村君の幸せそうな顔を見て、クスクスと笑いながらカフェオレに砂糖を入れた。
熱いカップを両手で支えてカフェオレを一口飲むと、
「はい、リツコさん」
一口分のアイスが乗ったスプーンを差し出された。
これ、木村君が使ってたスプーン…
変に意識して、食べるのを躊躇している私を木村君が急かす。
「早くっ、アイスが溶けちゃうっ」
私は、とっさに身を乗り出してアイスを口にした。
「あ、美味しい!」
「でしょ、でしょ!でも、メロンソーダと混ざり合ったトコは、またひと味違うんですよ!はいっ」
木村君は飲んでいたクリームソーダを私に渡した。
緊張しながらも、ストローに口を付けた。
「私、メロンソーダなんて初めて飲んだ」
「そうなの!?」
大袈裟なぐらい驚いた木村君は、思わずタメ口になっていた。
「あ、ごめんなさい。つい…」
「いいよ、会社じゃないし。普通に話して?」
「本当に?ハァァァ~、なんか一気に疲れた…敬語って疲れるわ~」
木村君は、体を大の字にしてソファーに寄り掛かった。
「じゃあさ、俺も里沙さんみたいに『リコ』って呼んでいい?」
「その方が嬉しいかも…」
「リコさん、名前の事気にしてたもんね。リツコでも、全然おかしくないのに~。まぁ、誰でも人には一つぐらいコンプレックスあるからね」
「木村君のコンプレックスは?」
「背が低い!!」
堂々と言い切った木村君に思わず吹いた。
「あと、『木村君』なんて止めてよ。外では、もうちょっと親しみ込めた呼び名がいいなぁ」
「なら、祐輔…君?」
「ん~、ギリギリ採用!」
「なに、そのギリギリって」
また二人で笑い合った。
本当に木村君…じゃないや、祐輔君と話してると楽しい。
「俺、アイスで体冷えてきちゃった。リコさんのカフェオレちょっとちょうだい?」
「え、あ、うん」
少しためらったけど、祐輔君に少し冷めたカフェオレを渡した。
それをためらいも無く飲む祐輔君。
女の子慣れしてんだな…
また少し俯いていると祐輔君が、んぐっと咳込んだ。
「なにこれ、甘っ!!リコさん、砂糖入れすぎ。体に悪いよ?」
「そう?でも、緑色の液体飲んでる祐輔君に、そんな事言われたくない!」
「緑色の液体って…リコさん面白い事言うね」
クックックッとテーブルに肘をついて、拳を口に当てて、下を向いて笑っている祐輔君の姿が…なんか…好き。
祐輔君の一つ一つの仕草が、私をドキッとさせる。
「なんか腹減った~。飯、注文しよっか」
ちょうど私もお腹が空いたタイミングで、祐輔君がメニューを開く。
ちょっと、タイミングが合っただけなのに…
なんで心拍数上がってきてんの、私っ!
それから、私達はランチを食べながら、昨日見たテレビの事や、会社の人達の話題で盛り上がった。
さすが祐輔君。男の子なんだなぁ。私のお皿にはまだ半分もハンバーグが残ってるのに、祐輔君は大盛りで注文したパスタセットをペロリと平らげた。
「ごちそうさまでしたー。はぁ、食った、食ったぁ」
そう言って、祐輔君は席を立った。
私は慌てて残りのハンバーグにかじりついた。
「あ、ゆっくり食べてて?俺、ちょっとトイレ~」
……。
フォークに突き刺さった、一口では食べられない大きさのハンバーグをお皿に戻した。
(ゆっくり、食べてて)
祐輔君の言葉が頭の中をグルグル駆け巡る。
トモヤと違う…
トモヤは自分が食べ終わると、さっさと帰ろうとしてた。私のペースなんか、おかまいなしに。
祐輔君のちょっとした気遣いと優しさが、私の心を支配し始めた。
トイレから戻って来た祐輔君の右手に、タバコが握られてた。
「俺、ちょっと外で吸ってくるね」
「あ、いいよココで吸って?私気にしないから」
「ほんと?なら遠慮なく」
祐輔君は、私に煙がかからないように横を向いて吸い始めた。
私は残りのハンバーグを小さく切り分けて、一つずつ口に運んだ。
先に食べ終わった祐輔君のお皿を店員さんが下げに来た。
「食後のお飲みもの、先にお持ちしましょうか?」
「いや、まだいいです。この人のと一緒にもらいますから」
かしこまりましたと、一礼して店員さんはお皿を片付けた。
「ごめんね、食べるの遅くて…祐輔君、先に持って来てもらっていいのに」
「いいの、いいの。リコさん、さっきから気にし過ぎ!」
祐輔君は、フフッと笑って、またタバコを吸った。
なんなの、なんなの!私の心拍数急上昇中!なに、ときめいてんだろ、私…
ダメダメダメ!
この人に惚れては、ダメなんだから…
やっと私も食べ終わり、二人で食後のカフェオレを飲み始めた時には、14時を回っていた。
「楽しいときって、時間が経つの早いっすねぇ~」
祐輔君も私と過ごした時間を楽しいと思ってくれたんだ。
「リコさん、そろそろ出よっか?」
「ごめん、私、お手洗い…」
「どーぞ、どーぞ」
私は急いでトイレに駆け込み、鏡の前でイーッと歯のチェック。よかった、何も着いてない。
また急いで席に戻ると、祐輔君の姿が無い。キョロキョロと周りを見渡すと、会計を済ませた祐輔君が、出口で手招きしてた。
「ごめんねっ、ご馳走様!!」
私はご馳走してくれた事に、素直にお礼を言った。
「いえ、いえ。さて、どこ行きたい?」
「へっ?」
「へっ?じゃなくて。今日はデートしましょって言ったでしょ?まだ飯食っただけじゃ~ん」
「えっ、いや、私、その…」
「もしかして、リコさん、この後用事ある?」
祐輔君の問い掛けに、私はブンブンッと首を横に振った。
もう少し…もう少しだけ…
祐輔君の優しさに触れていたい…
すると次の瞬間、私の右手に温もりを感じた。
祐輔君が私の手を握ってる。
血圧上がるんじゃないかってぐらい、心臓の動きが早くなってる。
「リコさん、車まで走るよ!」
小雨の中、祐輔君は私の手を引いて走った。
ただでさえドキドキし過ぎてるのに、更に走ったもんだから、助手席に座り込んだ時にはゼーゼー言ってた。
「リコさん大丈夫?息、切れすぎじゃない?」
プッと笑う祐輔君に、
「と、歳のせいよっ」
としか言えなかった。
「違うよ、歳は関係ないよ。リコさんが運動不足なだけ」
祐輔君は、意地悪な顔をしながら、車を走らせた。
そういえば祐輔君って、私の歳に触れてこない。
おばちゃん扱いもしない。
一人の女の子として、接してくれてる…
ふと、里沙の言葉が頭をよぎる。
(木村君に、惚れんなよっ)
里沙、大丈夫。
私、惚れないよ。
惚れちゃいけない人なんだよね…
「祐輔君、どこ行くの?」
「ん~、ボウリングとかもいいかなぁって思ったんだけど」
「いいね、ボウリング。私久しぶり!」
「ん~、でもやめたっ」
「え?」
「リコさんともっと話したいから、静かなトコ行く」
「…!」
素直に嬉しかった。私も、もっと祐輔君と話したい。もう少しだけ、祐輔君と心地いい時間を過ごしたい…今日だけだから…
一時間ぐらい走ったのかな。海が見えてきた。
海が見える駐車場に車を停めると、祐輔君が、んーっと伸びをした。
「お疲れ様」
「リコさんも疲れたでしょ?
晴れてると、すごく景色いいんだ、ココ。曇ってるから、ちょっとムードないけどね」
祐輔君は、ちょっと残念そうに、窓から空を見上げた。
「雨は上がってるし、外の空気吸おう」
二人で車の前に立って、海を眺めた。
今朝からの雨で、海は大荒れ。危ないから、海岸までは下りなかった。
「大迫力の波だね。見てるだけでも、ちょっと怖いね」
「だ~いじょうぶ。俺がついてるから」
「え~、頼りなーい」
「えぇ~?」
ささいな会話でも、自然と笑い声が起きる。
気が合うって、こうゆう事なんだろうな。祐輔君がモテるのも、なんだか変に納得した。
私は荒れる海を見つめながら、頭の中を冷静に整理していた。
「リコさんって、今彼氏いないからフリーなんだよね?」
「へ?」
祐輔君の顔を見上げた。でも、祐輔君は真っ直ぐ海を見ていた。
「そうだね。ハハッ、この歳でフリーになっちゃったぁ~」
ハァ~…
自分で言って、落ち込んでしまった。私はその場に座り込んだ。
「それなら…さ。俺、リコさんの彼氏に立候補していい?」
「…え?」
お互い見つめ合いながら、しばらく沈黙が続いた。
「ちょ、ヤダ。からかわないでよぉ。私、祐輔君より5歳も年上なんだよ?」
私はテンパって、あたふたとしていた。
「俺は本気だよ?歳なんか関係ない」
また、二人の間に沈黙が流れる。
祐輔君は、私から目線をそらさない。
さっきまでの可愛い表情とは違う、男の人の顔付き。
真っ直ぐな瞳に吸い込まれそう。
―ダメッ!
私の中で、もう一人の私が叫んだ。
「祐輔君が、立候補する資格なしっ!」
どうしたらいいか分からなくなって、とりあえず里沙の真似をしてみた。
「ずっと気になってたんだけどさ、里沙さんも言ってた俺に資格が無いってどうゆう事?女垂らしとかまで言われるし…俺、彼女居ないよ?」
「またまたぁ。祐輔君はモテモテじゃない」
「俺、女にはモテないんだよなぁ」
何、この子!自分がモテてる自覚無いの?
会社であんなに騒がれてるのに…
彼女が居ない?
それじゃあ、みんなが見た祐輔君と一緒に居た女の人達はなんなの?
言いたい事や聞きたい事があり過ぎて、ワケが分からなくなった。
それよりも、とぼけ続ける祐輔君に、少し苛立ち始めた。
「リコさん?」
「…」
私は眉間にシワを寄せたまま黙り込んでいた。
「リコさん?すごい顔してるけど…俺、なんか悪い事言った?」
祐輔君は、俯く私の顔を覗き込んだ。
「きょうだい…」
「え?」
「祐輔君…兄弟に女の子いる?」
「俺?二つ上の兄貴が一人…って、なんで?」
期待通りの答えは返ってこなかった。
その瞬間、私の中でスイッチが入った。
「なら、口紅…」
「口紅?」
「車にあった口紅は誰の?昨日アイツって、お姉さんとかが居ないなら誰なの?昨日、他の女の人に会ってたって事だよね!」
溜め込んでいた気持ちが一気に爆発した私は、強い口調で祐輔君に迫った。
「いや、だから…あれは気にしなくていいって…」
「気にしなくていい相手なら、教えてくれてもいいじゃない!この期に及んで、お母さんのとか言わないでよ!」
「母さんのでは無いけど…いや、本当に気にしないで」
「な…んで、なんで答えられないの!?」
曖昧な祐輔君の返事に苛立ってたのと、こんなに問い詰めてどうしたいのか分からず、涙が溢れだす…ハンカチで目を覆っても、拭いきれない。
「リコ…さん」
泣いている私を見て、祐輔君が困ってる。
どうせ祐輔君も同じ事言うんでしょ。
女が泣くとか面倒臭いって…
「リコさん…ごめん!」
そう言った瞬間、祐輔君は私の腕を掴んで思い切り引っ張った。
「痛ッ…」
気付くと、祐輔君にきつく抱きしめられていた。
「やだ!離して!」
「離さないっ!ごめん、泣かせてごめん!俺、最低だ!」
祐輔君は泣きそうな声で謝り続けてる。
私はもぅ、涙を止める事が出来ない。
それでも渾身の力を振り絞って、祐輔君を突き飛ばした。
「私見たんだから!祐輔君が、女の人と腕組んで歩いてるとこ!会社のみんなも見たって言ってる。いつも違う女の人だって!」
ここまできたら、黙っていられない。どうなってもいい。聞けずにいた事を全てぶちまけた。
怒鳴り続けた私は、息が上がっていた。
祐輔君は…
ただ、放心していた。
「リコさん、見たの…?会社の人達も…?」
あからさまに動揺している祐輔君は、拳をギュッと握って俯いた。
なんで何も言ってくれないの?言い訳ぐらいしてくれてもいいのに…
「俺っ、リコさんが1番好きだよ」
1番…?
なにそれ…
1番とか、2番とか、もうヤダ…
「帰りたい…」
大声を出し過ぎて疲れ切った私は、もうこれ以上祐輔君を問いただすだけの気力は無かった。
「リコさん、俺…。本当なんだ、リコさんが1番好きなんだ。信じて…?」
「帰る…」
ここには、駅も何も無くて、祐輔君に送ってもらうしかない。
私は黙って後部座席のドアの前に立った。
祐輔君も、下を向きながら車のカギを開けた。
「家まで送るよ」
「いい。『orange』の近くでいい」
終始無言のまま、車で走り続けた。
雨が止んでいたせいか、駅前の交差点は朝程混んでなかった。
祐輔君は道路の端に車を停めて、ルームミラー越しに私を見ている。
「木村君、今日はありがとう。ご馳走様」
『木村君』って言い換える事が、私にとって精一杯のイヤミだった。
木村君の顔も見ずに車を降りると、木村君も車から降りてきた。
「また明日、会社で」
後ろから木村君の視線を感じながら、返事もせずにホームへと走った。
元気づけてくれるはずじゃなかったの?―
どうして、こんなに傷付いてんの?―
帰宅ラッシュの電車に揺られながら、窓の外をボーッと眺めていた。
ずっと、木村君のクリームソーダを飲んでいる時の笑顔が、頭から離れない…
翌朝、私は本当にヒドい顔をしていた。
化粧も乗らない。
目が腫れすぎて、コンタクトが入らない。やっと入っても、すごくゴロゴロとしてて不快だ。
「眼鏡で行くしかないか…」
トモヤと別れた時と同じように、眼鏡をかけて出勤した。
「おはよ、リコ!昨日はどうだった?」
「おはよ…」
眩しいぐらいの笑顔で昨日の事を聞いてきた里沙に、私は挨拶だけしてパソコンの前に座った。
「おっはようございま~す」
昨日の事は、まるで無かったかのように、爽やかな挨拶で木村君がオフィスに入って来た。
その直後、
ダンッ
と、物凄い音がオフィスに響いた。
ビックリして振り向くと、里沙が木村君の胸倉を掴んで壁に叩きつけてた。
「いってぇ~…何すんだよっ!!」
さすがの木村君も、キレた目で里沙を睨む。
里沙は木村君を睨み付けたまま、
「ちょっと、表出な」
と、いつもの里沙からは想像出来ない程の低い声で言った。
里沙は木村君の胸倉を掴んだまま、外へ連れ出した。
オフィスがざわめく中、私は二人を追い掛けて外に出た。
二人が屋上のフェンスの前に着くと、里沙は、また木村君をフェンスに叩きつけた。
「だから、なんなんだよ!?」
完全に木村君もキレている。
「あんた、リコに何をした!?元気づける為にデートに誘ったんだろ?なのに、なに泣かせてんだよ!」
里沙も負けないぐらいの大声で怒鳴っている。
私は、二人の様子をただ怯えて見ていた。それよりも、里沙のあんな姿を見るのが初めてだった。
いつもキャピキャピしている女の子が、なんだかすごく男前…?
「なんもしてねーよ!」
「嘘つくな!なんもしてないなら、どうしてリコが泣いてんだよ!」
「それは…」
里沙が問い詰めると、木村君は黙って目線をそらす。
すると、離れた所で立ち尽くす私と目が合った。
少し様子が変わった木村君に気付いた里沙が、振り返った。
「リ…コ…」
里沙は、静かに木村君の胸倉から手を離した。
「リコ…?どうして泣いてるの?」
気付いたら、私の目から涙がこぼれていた。
「も…やめて?里沙、私は大丈夫だから…」
「でも…」
「泣いてたのは、木村君のせいじゃないよ。私が悪いんだ…里沙と約束したのに、私が木村君に期待したからいけなかったんだ…」
この状況の中、私は自分を責める事しか出来なかった。
でも、そうなんだよね。木村君に、ときめいてしまった私が悪いんだ。木村君は、何も悪くない…
歳も考えずに、しゃくり上げて泣いてしまった。
俯いていた木村君は、真っ直ぐ里沙を見た。
「里沙さん。俺、リコさんが好きです」
「は?何言ってんの?あんたにリコが好きって言う資格ないわ!」
「どうして俺にリコさんを好きになる資格が無いのか、全くわかりません。でも、俺の中でリコさんは1番です。本気で好きなんです」
「1番って、あんた…」
木村君の言葉で、私と同じ所に不快感を感じた里沙は、言葉が出なかった。
木村君が、私を見つめたまま近付いてくる。
「リコさん。俺、頑張るから。」
そう言い残して、木村君は屋上を後にした。
木村君の姿が見えなくなると、私と里沙は自然と手をつないでいた ―
私と里沙は手を繋いだまま、何も話さずにオフィスに戻った。
さっきまでザワめいていたオフィスが、シーンとなる。
みんなの冷たい視線が、里沙に向けられている。
「田中、ちょっと来い」
里田部長が里沙の手を引いて、会議室に入って行った。
私は追い掛ける事ができなかった。
里田部長に手を握られた時、里沙の目から、大粒の涙が流れているのを見てしまったから…
(ごめん、ごめんね里沙…私のせいだよね…)
心の中で謝りながら私は、しゃがみ込んで泣いてしまった。
「仕事に戻れ~。午前中、仕事にならなかった分、全員残業な~」
10分ぐらいして、里田部長だけオフィスに戻って来た。
女の子達が、里田部長の元に詰めかけた。
「部長、田中さんはどうしたんですか?」
「一体何があったんですか?」
みんな、口々に里田部長を問いただす。
「あ~、田中は今日は帰した。みんなを動揺させて、迷惑かけたからな。今日の分の給料も無し。以上、仕事に戻れ」
みんなは、1番聞きたい事を聞けずに、不満顔で仕事に戻った。
私も、涙を拭きながらパソコンの電源を付けた。
「神谷」
里田部長が私の所に来て、耳打ちをした。
「里沙に後で連絡してやって?少し興奮状態なんだ。神谷も帰してやりたいけど、ちょっとな。悪いな」
「大丈夫です、ありがとうございます。後で里沙に電話してみます」
「頼むな」
こんな時なのに、里沙がちょっぴり羨ましかった。
里沙の事を想ってくれてる人が、いつも近くに居てくれてるなんて…
キーン、コーン…―
大して仕事も進まないまま、昼休憩のチャイムが鳴った。
ロッカールームから、真っ先に里沙に電話を掛けた。
『留守番電話サービスに…』
何度掛けても留守電になる。
"里沙、大丈夫?落ち着いたら、連絡ちょうだい"
とりあえずメールだけ打って、里沙からの連絡を待つ事にした。
グゥ~…
「そういえば、昨日の夜から何も食べてないや…」
さすがにお腹が空いた私は、社員食堂に向かった。
その途中で、喫煙ルームでタバコを吸う里田部長と目が合った。
タバコを消して、里田部長が出て来た。
「あの、里沙に何度電話しても出ないんです。とりあえず、メールだけは送ったんですが…里沙、大丈夫でしょうか?」
「しょうがないな、アイツは。俺からも連絡しておくよ。まぁ、少し頭冷やせば大丈夫だろ」
里田部長は、呆れ顔だけど優しい表情だ。
―里沙の事は私なんかより、よく分かってるんだな。
「神谷、今日仕事終わったら時間あるか?」
「用事は無いですけど、残ってる仕事が何時まで掛かるか…」
「大丈夫、今日は全員定時には帰すつもりだから。」
「え、さっき残業だって…」
「あれは冗談。みんな少なからず動揺してんだ。そんなんで残業させても、効率上がらないだろ?」
「なるほど、さすが里田部長」
「だろ?」
里田部長は顔をクシャッとさせて笑った。いつも真面目な里田部長も、こんな表情するんだ。
「なら、終わったら『flower』で待っててくれないか?ちょっと話がしたい」
「あ、はい。わかりました」
「少し遅れるが、よろしくな」
そう言って、私の肩をポンッと叩いて里田部長は、またタバコを吸いに行った。
17時30分。みんなが定時に仕事を終えて、それぞれ帰宅した。
私は里田部長に目で挨拶をして、会社を後にした。
会社から『flower』までは、歩いて10分の所にある。
私は喫煙席に座り、カフェオレを注文した。
それから40分ぐらいして、里田部長が到着した。
「待たせてごめん、ちょっと上司に捕まって」
「いえ、先に飲み物頂いてました」
「神谷、タバコ吸わないのにこの席でいいのか?」
「あ、はい。里田部長も気にせず吸ってください」
「悪いな、ありがとう」
里田部長はホットコーヒーを注文して、タバコに火を着けた。
「アイツ…里沙のキレ方、半端なかっただろ?」
里田部長は笑いながら話した。
「はい…里沙のあんな姿初めて見ました。声質も変わってて、木村君の胸倉掴んでたのには驚きました…」
私は残りのカフェオレを一気に飲み干した。
「里沙の事、嫌いにならないでやって?」
「そんなっ、嫌いになるなんて!里沙は私の大切な友達です!」
里田部長の意外な一言に、私は思わず大声で反論した。
「ヨカッタ」
里田部長は、ニコッと笑ってタバコを吸った。
「アイツさぁ、神谷以外に友達居ないんだよね。俺が言うのもなんだけど、里沙ってめちゃくちゃカワイイだろ?」
里田部長は照れながらタバコの火を消した。
「女の私から見ても、羨ましいぐらいカワイイ子だと思います。モデルみたいだし。でも、それと友達となんの関係が…?」
「神谷が言った言葉だよ。『羨ましい』。
外見が可愛くて、何故か昔から男との方が気が合うみたいでなぁ。女から妬まれやすいんだよ」
そういえば、里沙が女性社員と一緒に居る所をほとんど見た事が無い。いつも私と一緒に居るか、一人で居る。あとは、男性社員が里沙に話し掛けてくるぐらい…
黙り込む私を見て、里田部長はカフェオレのおかわりを注文してくれた。
運ばれて来たカフェオレに、私は砂糖を入れた。
「ハハッ、里沙が言った通りだ」
「え?」
「『リコは、カフェオレに有り得ない量の砂糖を入れるんだ』って、喫茶店に入る度に言うんだよ」
里田部長は、肩を震わせながら笑っている。
(里沙…)
私は、有り得ない量の砂糖が入ったカフェオレを一口飲んだ。
「里沙は高校の時、イジメにあってたみたいなんだ。一人の男が里沙に惚れて、そいつの彼女が『彼氏を盗られた』って言い触らしたのが原因らしい。里沙には、そんなつもりは全く無かったみたいなんだけどな。」
里沙がイジメられてたなんて、初めて聞いた。あんなに優しい子なのに…
私は、里沙の事を想うと涙が溢れてきた。
そんな私に、里田部長は静かにおしぼりを渡してくれた。
「その事件以来、同じ学年のほぼ全員の女からイジメられて、居場所が無くなって、里沙は他校の不良とつるむようになったらしい。んで、ちょっとグレたって言ってたな」
フッと笑って、里田部長はタバコを吸い始めた。
「だから、里沙はあんな風にキレたんですか?」
「滅多な事ではキレないんだけどな。神谷、昨日は木村とデートしてたんだって?」
「デ、デートって言うか…」
「里沙、すごい心配してたんだぞ?日曜日に里沙からデートの事聞いてな。昨日は一日中ソワソワしてて、全然仕事に集中しねぇし」
(里沙、そんなに心配してくれてたんだ…)
「今朝、神谷が泣き腫らした顔で出勤して来たから。多分、その顔見て何か悟ったんじゃないか?」
そうだ…里沙はいつも私が言葉に出す前に、表情とかを見て気持ちを読みとってくれていた。
「会議室で、アイツは自分を責めてたよ。『行かせるんじゃなかった』って。自分が、神谷を止めなかった事を後悔してた。朝、神谷の顔を見たら、木村に悔しさをぶつけるしか無かったって」
「でも、私がトモヤ…佐橋さんと別れた時には里沙は何も…」
「それは、里沙が神谷と佐橋が別れるのを望んでいたからな。辛い思いをしながら佐橋と付き合ってて、それでも神谷が佐橋に惚れてる限りは何も言えない。口では応援するしか出来ないって。でも、神谷には幸せになってもらいたいから、佐橋とは別れてほしいんだって、いつも言ってたよ」
里沙が、そこまで私の事を考えてくれてたのも知らなかった。私は、里沙に何もしてあげれてないのに…
自分で自分が情けなくなった。
情けない自分が恥ずかしくて、テーブルに伏せて泣いた。
「まぁ~でも、いくら友達を想っての事だとしても、社会人としてやって良い事、悪い事があるからな。里沙には木村に謝らせるよ」
私は何も言えなかった。
「あとは友達同士、ゆっくり話せ。里沙!」
「…え?」
振り向くと、お店の出入り口に里沙が立っていた。
「長々と、悪かったな」
そう言って、里田部長は私の分の伝票も持って、レジに向かった。
会計を済ませると、里田部長は里沙の頭をポンッと叩いて店を出た。
「里沙…」
目が真っ赤に腫れあがった里沙に駆け寄り、二人で手を繋いで店を出た…
二人でゆっくりと歩きながら、駅前の公園に向かった。
「里沙、里田部長から連絡あったの?」
「ん…夕方、慎ちゃんが寮まで来たんだ」
里沙は、会社の近くの寮に住んでいる。
(あれ?里田部長、上司に捕まって遅くなったって…里沙の家に行ってたんだ…)
「『神谷の事を本当に友達として大切に想うなら、1時間後、[flower]に来い』って…ドア越しでそれだけ言って、帰っちゃったんだ」
(里田部長…本当に優しい人なんだな。里沙の事はもちろん、私まで気にかけてくれて…)
私達は、自販機で飲み物を買って、公園のベンチに座った。
「里沙、里田部長から話は聞いたよ?高校の時の事も、私とトモヤが付き合っていた時の事も…あと、月曜日は私の事を心配してくれてたんだね?ありがとう」
里沙はレモンティーの缶を見つめながら、涙を流した。
しばらく黙っていた里沙は、ゆっくりと口を開いた。
「私、最低だよね…トモヤさんとリコが別れたって聞いて、内心ホッとしちゃったんだよ。リコは本当にトモヤさんが好きだったのにね…」
私は里沙の腕に手を添えて、首を横に振った。
その様子を見て、里沙は少し微笑んで話しを続けた。
「木村君は女垂らしだけど、根は優しいヤツだから、きっとリコを元気づけてくれるんじゃないかなって思って…なのに…」
里沙は目をギュッと閉じて、辛そうな顔をしてる…
「里沙…もぅ私は大丈夫だから。ね…?」
「私悔しくてっ!たった一人の友達を守ってあげられなかった。リコの泣き顔見た後に、木村君の笑ってる顔見たら、自分をコントロールできなくなって…」
「里沙の顔見てちょっと驚いたし、怖かったけど…私、嬉しかったよ?私なんかの為に、熱くなってくれた。今も変わらず、里沙は私の親友だよ!」
歯を食いしばっていた里沙は、大声で泣きながら私に抱き着いた。
私は、子供を慰める母親のように、里沙の頭を撫でた。
里沙はしばらく泣き続けた後、そっと私から離れた。
「リコ、木村君と会った時の事、詳しく聞かせて?」
「うん…」
私は、木村君と駅で会った所から、一つずつ詳しく話した。
木村君が待ち合わせ時間よりも、50分も早く来てくれていた事。
クリームソーダで盛り上がった事。
木村君のクリームソーダを飲んだ事。
海を見ながら、木村君に告白をされた事。
あと…
木村君の一つ一つの仕草や優しさに、胸が熱くなった事…
口紅を見つけた事…
それと、木村君が女の人と腕を組んでいた事を問いただしても、何も答えてくれなかった事…
何一つ隠さず、全部話した。
話終わった時には、21時を回っていた。
里沙はその間ずっと、
「うん…うん…」
と頷きながら、私の話を静かに聞いてくれていた。
「リコ、木村君に惚れたの?」
「え…まぁ、多分…ハハッ、軽い女だよね!彼氏と別れた次の日に、もぅ他の子に心変わりするなんて。しかもたった一日話しただけで…」
「人を好きになるのに、時間なんか関係ないよ。」
「え…?」
里沙は、真剣な顔で私の顔を見ている。
「それよりリコは、ちゃんと木村君を好きになったの?」
「どうゆう事?」
「さっきからリコが木村君の話をする時、必ず『トモヤと違って』って言ってたよ」
「あ…」
無意識に木村君とトモヤを比べながら話していた。
里沙に言われるまで気付かなかった―
俯く私に、里沙は続ける。
「トモヤさんと別れて寂しい時に、優しくしてくれたからじゃないの?それが、たまたま木村君だったって事じゃないの?」
「…。」
言葉が出ない。
そうだったのかな…あの時、もし他の男の人が優しくしてくれていたら、その人を好きになっていたのかな…
それこそ、私って軽い女だ…
でも、違う。私が木村君を好きになった理由は――
「クリームソーダ…」
「クリームソーダ?」
「そう、クリームソーダを熱く語って、本当に幸せそうな顔で飲む木村君の顔が、すごく愛おしかったの!可愛いと思ったの!」
トモヤには無い優しさに惚れた訳じゃない、本当に木村君の事が好きになったんだって言いたくて、私はムキになっていた。
「プッ…あははははっ」
「な、なによぅ。なんで笑うの…」
「木村君に惚れた決定打が、そこぉ?ほーんと、リコって単純。てか、お子ちゃま?」
「お子ちゃまって…」
里沙は、ケラケラ笑い続けた。私も、釣られて笑った。
「木村よ、クリームソーダが好きでよかったなっ」
まるで遠くにいる木村君に言うように、里沙が呟いた。
「でも、まだ不安材料が…」
不安げな私の顔を見た里沙はフッと笑って、
「ちゃーんと、木村君と話しなよ?聞きたい事、全部聞いた方がいいって」
「うん、そうする…」
二人で空を見上げた。
木村君は今、誰の事を想っているんだろう―――
里沙は、駅まで見送りに来てくれた。
駅に向かう途中、私は里沙にちょっと気になっていた事を聞いてみた。
「里沙って、里田部長と結婚しないの?」
「あ~…結構前にプロポーズされて、今でもたまに言われるけど」
「え!?そうなの?結構前にって…なんで結婚しないの?」
「ん~…」
「まだ遊んでいたいとか?」
「ううん、それは無いけど」
「他に理由あるの?」
「…サトダ リサ」
「へ?」
「慎ちゃんと結婚したら、サトダ リサになるでしょ?」
「そうだね?」
「漢字で書くと、里田里沙…な~んか、漢字だけ見ると田舎っぽい名前にならない?」
「そうかなぁ?え、まさか、それが理由で結婚しないの!?」
「十分な理由じゃない?」
「お子ちゃまなのは、里沙じゃん!里田部長、か~わいそ~」
「ほんと。慎ちゃん、か~わいそ~」
二人で思い切り笑った。
「ずっと、友達でいてね…」
そう呟くと、里沙は寂しそうな顔で私を見た。
「な~に言ってんのっ。当たり前でしょ?」
里沙に笑顔が戻り、私達は大きく手を振って別れた。
※※※※※※※※※※※※※※
――水曜日の朝、田中里沙は会議室に居た――
(慎ちゃんに、『木村に謝れ』って言われたけど…私、面と向かって人に謝った事ないよ~)
ガチャッ
会議室のドアが開いた。
「なんの用っすか?もしかして俺、殴られちゃうっ?」
木村祐輔は、里沙をからかうように言った。
「昨日は…。…め…ん…」
「麺?」
「だからっ!昨日はゴメンって言ってんでしょっ!一回で聞き取りなさいよ!」
里沙は大声を張り上げた。
「謝りながら、何怒ってんすか?んもぅ~、里沙さん怖いぃ~」
木村は、真っ赤な顔の里沙をチャカした。
「ふざけないでよ…」
「里沙さん」
「なにっ?」
「悪いのは俺っす。リコさんを元気づけるとか言いながら、泣かせちゃったし…」
木村は、俯いた。
「あーあ、ホントあんた見てると苛つくっ。リコはこんな頼り無い男のドコがいいんだか」
「えっ?リコさん、俺の告白、OKしてくれたんですかっ?」
木村は目を輝かせている。
※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※
里沙は机に腰掛けて、木村を睨んだ。
「告白の返事は、直接リコに聞きな。でも、そんな事聞く前に、あんたがリコに話さなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
木村の顔から、さっきまでの笑顔が消えた。
「すみません」
「私に謝ってどうすんの?心を掻き乱されて傷ついてんのは、リコなんだよ!」
「でも本当に俺、リコさんが1番好きなんです」
「あんたさぁ、その『1番、1番』ってなんなの?2番とか3番がいる訳?」
「…」
「まじ?」
「や、あの、違うんです!なんていうか、その…」
木村の慌てて否定する表情を見て、里沙は何かを読み取った。
「なんか、ワケがありそうだね」
「…」
「でも、今私はそのワケは聞かない。あんたの口から、ちゃんとリコに説明して?多分、私達が心配してるような事は無いんでしょ?」
木村は自分の心が見透かされたようで、不思議な気持ちになった。
「そのかわり、次またリコを泣かしたら、ぶっ飛ばす」
里沙は本気か冗談か分からない表情で木村に拳を見せ、会議室を後にした。
頭を抱え、木村は一人残された会議室で考え事をしていた――
※※※※※※※※※※※※※※※
(里沙、遅いなぁ…)
私はパソコンの前に座りながら、会議室の方をずっと気にしていた。
(まさかっ、里沙…木村君の事殴っちゃってるとか!?)
頭の中でどんどん想像が膨らんで、両手で頭を抱えてブンブン振っていた。
ガチャ――
「里沙!!」
私が里沙の名前を呼ぶと、オフィス中の視線が一斉に里沙に向けられた。
ハラハラしながら周りを見ていると、里沙が私の方を見て微笑んだ。
「お騒がせして、すみませんでしたっ」
皆の前で、里沙は深々と頭を下げた。
そして、凛とした姿で里田部長に報告をしに行った。
(よかった…)
私はホッとして里沙の姿を目で追っていた。
バタンッ
会議室から木村君が出て来た。
目が合って、私はとっさにパソコンに向かい、仕事をしている振りをした。
真っ直ぐこっちに向かって歩いてくるっ――
私はキーボードを連打した。
「リコさん」
ドキッッ――
心臓が口から出そうだった。
「な、なに?」
パソコンから目を離さずに返事をすると、
「プッ…クックックックッ…」
木村君は笑いを必死に堪えていたけど、耐え切れずに吹き出した。
「リコさん、仕事サボっちゃ駄目ですよ?」
「え?」
画面をよく見ると、
あgおjあdmpwうjvx…………………
(な、何これっ!?)
必死にキーボードを叩いてたから、適当な文字列が並んでいた。
慌てて画面の文字を消していると、木村君は耳元まで顔を近付けて小声で話した。
「リコさん、話があるんですけど、今度の日曜日は空いてます?」
「う、うん」
「なら、11時にこの間の駅で。もう早く来すぎちゃ駄目ですよ?」
木村君のフッと笑った時の息が耳にかかった。
「は…い…」
木村君はクスッと笑って席に戻った。
ドキドキドキドキドキ…
耳まで真っ赤になった私は、パソコンの前でフリーズしていた…
―やっぱり木村君が好き。
―でも、木村君の話を聞くのが、ちょっと怖い…
昼休み、今日は天気がいいから、私と里沙はコンビニで買ったお弁当を会社の屋上で食べた。
「里沙、会議室で木村君と何か話してたの?」
「ん~…?」
里沙は目線だけ上に向けて、何かを思い出しているようだった。
「なに!?教えてよ!木村君、何か言ってたの?」
私が問い詰めると、里沙は意地悪な笑みを浮かべて、
「やだ。
っていうか、私は木村君からは何も聞いてないんだけどね」
「本当にぃ?」
「うん、本当に何も聞いてないよ。でもぉ…」
「なに、なに?」
「リコ、土曜日は空いてる?」
「え?空いてるけど…」
「なら、服買いに行こ?日曜日に着てくヤツ!」
「は!?なんでわざわざ買わなきゃいけないの!?」
「よくわからないけど…なんか日曜日はリコにとって、いい日になる予感がするからさ!」
里沙の顔は、自信に満ち溢れている。
里沙の言う『予感』は、ほぼ的中する。
だから、私にとって『いい日になる』という言葉に、少し期待感を持った。
「ま、まぁ…里沙がそう言うなら…」
少しニヤけ顔で答えた私を見た里沙は、とても優しい顔をしていた。
――だけど、今回ばかりは少しイヤな予感がした…
私の予感が当たるかどうかは、わからないけど…
―木曜日―
さすがに火曜日は、木村君とまともに話が出来なかったけど、水曜日に里沙と木村君が会議室で話をした後から、木村君はいつも通りに話し掛けてくるようになった。
「リコさん、これ、午後の会議で使う資料です。一部ずつ製本したいんですけど、手伝ってもらえませんか?」
木村君の手には、とても一人では午後までにやり切れない量の資料が抱えられていた。
「あ、分かった。いい…」
「木村くぅ~ん」
木村君から資料を受け取ろうとしたら、女の子二人がニコニコしながら近付いて来た。
「今手ぇ空いてるから、私達が手伝ってあげるぅ」
「え、いいよ。俺、リコさんに…」
「いいから、いいからぁ。あっちでやろ?」
女の子達は、木村君から奪うように資料を持って走って行った。
「え、ちょっと…まいったな…」
木村君は困惑しながら、少し残念そうな顔で私を見た。
「ちょうどよかった。私、今忙しかったんだよね。あの子達にお願いして?」
私もちょっと残念だったけど、ワザと少し冷たい態度をとった。
木村君の彼女なワケじゃないけど、ちょっとヤキモチ妬いちゃった…
ヤキモチ妬く歳でも無いのになぁ…やっぱり、私はお子ちゃまだ。
「はい…分かりました…」
木村君は下を向きながら、トボトボと女の子達の方へ歩いて行った。
「あの子ら、絶対木村君狙いだよね。まぁ~、モテる事」
ゴロゴロゴロ~と、椅子に乗ったまま里沙が私のデスクに来た。
「私みたいなおばちゃんより、若い子達の方が木村君もいいんじゃない?」
「心にも無い事言わないの!!」
本当に里沙には嘘つけない…
お茶でも入れようと、里沙と給湯室に向かった。
アハハハハ…
給湯室から、数人の女の子達の笑い声が聞こえてきた。
[てか、田中先輩って木村先輩と何かあったのかな?]
[ほんと、いきなり掴みかかるなんて酷いよね~]
里沙の噂してる…?
[でもさぁ、なぜか神谷先輩泣いてたよねぇ。まさか木村先輩とデキてんの?]
[まっさかぁ~。神谷先輩って、木村先輩と5歳も離れてんだよぉ。木村先輩が『おばさん』を相手にする訳ないってぇ]
[だよねぇ。うちらから見れば、30歳って『おばさん』だよね。あ~、歳取りたく無いなぁ]
[言えてる~]
[私、土曜日、木村先輩デートに誘ってみようかなぁ]
[え~、抜け駆けぇ?]
キャハハハハハ…
俯いて泣きそうな私を置いて、里沙は早足で給湯室に入って行った。
里沙が給湯室に入ると、さっきまでの笑い声が消えた。
「あんたら、いつまでサボってんの?」
(里沙!?またキレるっ!?)
慌てて私も給湯室に入った。
「あ、神谷さん…あの…」
みんな顔を見合わせて苦笑いをしている。
「喋ってる暇があったら、先輩達にお茶でも入れたら?あーそう言えば。木村君、美味しいお茶が入れれる女がタイプって言ってたようなぁ…」
そう言い残して、里沙は給湯室を出た。
私も里沙の後を追い掛けた。
「里沙?木村君、あんな事言ってたの?」
「言う訳ないじゃん」
「え!!デタラメ!?」
里沙はニヤッと笑った。
結局、私達は社内の自販機でお茶を買って、オフィスに戻った。
すると、製本を終えた木村君が、自分のデスクの前で難しい顔をして立っていた。
机の上には、熱々のお茶が5個並んでいた。
「罰ゲーム…?ロシアンルーレット…?」
木村君が呟いた。
「ブッ、クックククク…」
それを見た里沙が吹き出した。
「りぃ~さぁ~?」
私は里沙をジロリと見た。
「だってっ、ちょ…ウケるっ。お腹痛いっ…」
里沙はお腹を押さえながら、涙目で笑いをこらえている。
木村君は椅子に座ってからも、熱々のお茶と睨めっこしていた。
――あ~やっぱ、木村君はモテモテなんだ…
『30歳は、おばさん』…か…
―金曜日―
今日は、なんだか仕事がスムーズに終わった。
周りの社員も、特にトラブルも無く仕事が片付いたようだ。
だいたい金曜日のこんな日は、仲良しの人達同士で飲みに行っている。
私と里沙も誘われたけど、里沙が里田部長とデートで参加しないみたいだから、私も断った。
「木村せんぱ~い。今日、飲みに行きませんかぁ?」
数人の若い女の子達が、木村君を囲んでいた。
「あー、ごめん。用事あるから」
「え~っ。じゃあ、明日は空いてますかぁ?二人きりで会いたいなぁ~…」
給湯室で土曜日に木村君をデートに誘いたいって言ってた子が、木村君に上目使いで近付いた。
「ごめん、明日も用事あるから」
「じゃあ、日曜日は?」
「ごめん、無理」
そう言って、木村君は足早に帰った。
さっきまでクネクネしてた女の子達は、露骨に不満気な顔でゾロゾロ帰って行った。
その様子を見た里沙は、
「ふ~ん…ケジメでもつけるのか?」
頬杖をつきながら呟いた。
「ケジメ?どうゆう事?」
「さぁ~?」
里沙は意地悪そうな顔を見せて、後ろ向きで私に手を振りながら、里田部長の元へ歩いて行った。
(木村君が?ケジメ?何に?)
何かを知ってそうな里沙に詳しく聞きたかったけど、私以外誰も居ないオフィスで里田部長とイチャつく里沙を見てたら、近付けなかった。
そんな二人に癒されて、私は会社を出た。
土曜日は朝から小雨が降っていた。
里沙とは12時に『orange』の近くの駅前で待ち合わせ。
いつもは会社の近くの『flower』だけど、今日は里沙が、里田部長の家から直接来るって言ってたから、里田部長の家から近い方の駅になった。
今日はちゃんと、12時ちょうどに来た。
――明日は、ここで木村君と待ち合わせなんだ…
ちょっと色々妄想しながらボーッとしてたら、目の前に停まった車のドアが開いた。
「リコ、ごめーん。寝坊しちゃったぁ」
謝りながら、里沙が出てきた。
時計を見たら、12時20分。
(私ってば、妄想しながら20分もボーッと立ってたんだ…)
すると、運転席から里田部長が助手席に身を乗り出した。
「悪い、俺まで寝過ごして。待たせちゃったな」
「いえ、さっき来たトコなんで…」
「里沙、帰る時連絡して。迎えに来るから」
「慎ちゃん、ありがとぉ~」
そう言って、里沙は里田部長にキスをして助手席のドアを閉めた。
里田部長はクラクションを一回鳴らして、車を走らせた。
里田部長の車を見送り、私達は駅の近くにあるショッピングモールに向かった。
「今日も里田部長の家に泊まるの?」
「うん、休みの日はだいたい慎ちゃんの家に泊まってるよ」
「せめて、一緒に暮らせばいいのに?」
「あ~、なるほど!それは、思いつかなかった。リコ頭いいね」
「普通は、恋人同士なら考えない~?」
――本当、里沙と里田部長ってマイペースと言うか、なんというか…不思議な関係な気がする。結婚しないのも、里沙は名前が田舎っぽくなるから嫌って言ってたけど、何か他に理由がありそう…
時々、里沙の事がよく分からなくなる時がある。
私、里沙の友達失格だな…
15分ぐらい歩いて、ショッピングモールに着いた。
休日なのと、雨が降っている事もあって、とても混雑している。
お昼はハンバーガーを買って、ベンチで食べる事にした。
「リコさ、勝負服っていつもどんなの着てるの?」
里沙がポテトを次々と口に押し込みながら、話掛けてきた。
「ちょっと、セクシー系の服かなぁ…大人っぽく見せたいからさ」
「え~、リコは可愛い感じの方が絶対似合うってぇ。顔が歳相応じゃないんだしさ。童顔まではいかないけど」
自分の分が無くなった里沙は、私の分のポテトを食べ始めた。
里沙の言う通り、私の顔は歳の割に幼い。身長も、高校の時から155㌢で止まってる。
だから、昔から実年齢より下に見られる。
「だから大人っぽく見せたいんじゃん…」
私は残りのハンバーガーを口に頬張った。
「はぁ~お腹いっぱい!もぅ食べられないよ~」
里沙はベンチに寄り掛かって、お腹をポンポン叩いている。
「私の分まで食べれば、そりゃ満足でしょーよ」
「リコは食べるのが遅いの!ポテトは熱々のうちに食べなくちゃ、美味しくないよ!」
そう言って、里沙はゴミをまとめ始めた。
「さてっ、明日の勝負服でも選びに行きますかっ!」
「勝負服って…明日は、まだどうなるか…」
「も~、いいからっ!行こっ?」
里沙は近くのゴミ箱にゴミを押し込んで、私の手を引いて専門店街に向かって走り出した。
「リコ、これなんかどう?」
「え~、なんかフリフリ過ぎない?こっちのシンプルな方が…」
「却下!
うーん…この店は、なんかパッとしないや。次、あっち行こっ!」
こんな感じで私の選ぶ服は、ことごとく却下されて、里沙が納得いく服を見つけるまで、専門店を転々とした。
「リコ、ど~お?」
試着室のカーテンの向こう側から、里沙がワクワクした声で聞いてきた。
「う、うーん…ちょっとデザインが若すぎない?」
私は少し照れながらカーテンを開けた。
「リコ、めちゃくちゃ可愛いよっ!似合ってる!」
「え~、なんか恥ずかしいよ…」
「いーの!私が選んだ物に間違いは無い!それにしよ?」
「う、うん…」
里沙が選んだ服は、花柄の『マキシ丈ワンピース』で、胸の下のトコがゴムシャーリングだからバストが綺麗に見えるらしい。
ハッキリ言って、里沙が何言ってるのか全然わからない…マキシ丈…?
私から見れば、花柄の丈の長いワンピースだ。胸の下がゴムだから痒くなりそう…
そんなおばちゃんチックな事を考えていたら、里沙がワンピースの上に合わせる、ショート丈ボレロっていうのを選んできた。
マキシ丈の次は、ショート丈…
横文字ばっかで、ちんぷんかんぷん…
自分が着る服の名前もよく分からないまま、里沙に促されて会計を済ませた。
――少し、流行のファッションを勉強しよう…
そう心に誓った。
「それ着て、明日は頑張るんだよ!」
「はい…」
服を選び終わった時には、17時を回っていた。
里沙は、納得いく服を見つけてご機嫌だったけど、服選びにこんなに時間を掛けた事の無い私は、ちょっと疲れた…
「里田部長に連絡した?」
「まだ。駅に着いてからでいいよ」
「里沙、今日はありがとうね」
「いえいえ~」
昼間に降っていた雨も、今は止んでいる。明日は晴れるといね~なんて言いながら、駅まで歩いた。
駅に着いて、里沙が里田部長に電話をした。
「あ、慎ちゃん?今ねぇ~駅に…………」
「????」
里沙は携帯を耳に当てながら、そのまま黙り込んだ。
「里沙?どうしたの?」
私の問い掛けにも答えず、里沙は遠くを見ながら固まっている。
「慎ちゃん、ごめん。また連絡する」
そう言って里沙は電話を切った。
「里沙?ねぇ、どうしたの?」
里沙は黙って遠くを指差した。
「あっちに何が…あれ?」
二人の視線の先には、木村君が居た。
駅に向かって歩いてくる。
「ねぇ、リコ。なんか木村君の雰囲気、会社と違くない?前にデートした時も、あんな感じだった?」
「いや…もっとラフな服装だったよ?」
木村君は、少しお洒落なスーツを着て、会社には着けてこないようなネクタイをしていた。髪型も、なんだかすごくキメている。
前に会った時は、クシャクシャっとさせただけの髪型だった。
なんか、すごく話掛けにくい雰囲気…
木村君は、こっちには気付いてないみたい。でも、駅に向かってるみたいだから、私達は向かいのコンビニまで走った。
コンビニに入り、雑誌コーナーで立ち読みしてる振りをして、二人で駅の方を見ていた。
駅に着いた木村君は、改札口の前に立った。切符を買う様子も無い。
「誰かと待ち合わせしてんのかな?」
「そんな感じだね…」
私達は何故か小声で話していた。
でも、遠くから木村君を監視してるみたいで、なんだか悪い事をしてる気がした。
すると、木村君が改札口の向こう側に向けて、手を振った。
「誰か来た…?」
「誰か来たみたいだね…」
相手を確認する為に、二人は背伸びをして覗き込んだ。
「あ…れ…」
「え…」
改札口から出て来たのは、二人の女性だった。
木村君は、笑顔で二人に近付いていった。
「誰だろう?会社の子?」
「多分違うよ…でも、一人は見た事あるような…」
「リコの知り合い?」
「ううん。えーっとね…」
私は一生懸命思い出した。
「あっ!!――――」
「誰!?」
「この間、木村君と腕組んで歩いてた人…」
「まじ!?」
里沙は、眉間にシワを寄せながら、木村君の方を睨むように見ている。
私は、色んな事を考えながら、不安気に木村君を見ていた。
二人の女性と木村君は、しばらく立ち話をしていた。終始、木村君は笑顔のままだ。
「あ、歩き出した!」
里沙は雑誌を床に放り投げて、コンビニの外に出て行った。
私は、床に落ちた雑誌を棚に戻して、里沙を追った。
木村君が真ん中で、両脇に女性が並んで歩いて行く。
駅から少し離れた所で、突然両脇の女性が木村君の腕に抱き着いた。そのまま腕を組んで歩いて行く…
「アイツっ…!!」
そう言って、里沙が突然走り出した。
「里沙っ!?待って!里沙っ!!」
私は里沙の名前を連呼しながら追い掛けた。
里沙は、ものすごい早さで木村君に向かって走っている。
「里沙!!ダメッ、待って!里沙ってば!」
私は全力疾走する里沙に、なかなか追いつけない。ひたすら名前を呼び続けて、走った。
私があまりにも里沙の名前を叫んでいたから、木村君も気付いたんだろう。立ち止まって、キョロキョロし始めた。
「きむらぁぁぁ!!」
ドスの利いた声で、里沙が叫んだ。
その声に気付いた木村君が振り返った。
振り返った木村君に、里沙はそのまま掴み掛かった。
「里沙っ!!!ダメっ!!」
私は残りの力を振り絞って走り、里沙の体に飛び付いた。
「里沙さん?リコ…さ…ん?」
里沙に胸倉を掴まれたまま、木村君は驚いた顔をしていた。
「里沙…ハァ、ハァ…落ち着いて…ゴホッ…ね?ハァ、ハァ…」
里沙は木村君から、ゆっくり手を離した。
完全に息が上がっていた私達は、しばらく何も話せなかった。
「なんでここに…?」
木村君の質問にも、答えられなかった。
「ちょっと!なんなの、この人達!」
突然の状況に、女の人達は困惑しながらも怒っていた。
「あ、会社の先輩で…」
木村君は、動揺しながら答えた。
「会社の人ぉ?」
女の人達は、私達を睨んでいる。
少し呼吸が落ち着いた里沙が、口を開いた。
「その女、誰!?」
木村君は下を向いて、黙っている。
喧嘩越しの里沙に、女の人達も負けじと口を開いた。
「あんた達こそ、なんの用?いきなり掴み掛かるなんて、どうゆう神経してんの?」
「あんたらには聞いて無い!木村に聞いてんの!」
「な…、なんなのよ…」
里沙の剣幕に女の人は、たじろいだ。
私は、何も言えずにただ黙っていた。たまに、木村君と目が合う…その度に目をそらした。
「どうゆう関係か聞いてんの!」
里沙に問い詰められ、木村君が重い口を開く。
「ミキさんと、ユカさん…」
「名前じゃなくて、関係聞いてんの!」
木村君は二人の名前以外、何も言わなかった。
「なんで黙ってんの?言えない関係なの?まさか、彼女とか言わないでよ」
「や、まさか!そんなんじゃないっすよ!」
里沙の質問に、木村君は慌てて否定した。
すると、ミキって呼ばれる人が木村君の腕を掴んで、頬っぺたを膨らました。
「え~、なんでそんな事言うのぉ?私もユカも、ユースケの2番目の女じゃぁ~ん」
「ばっ…やめろって!」
木村君はミキの手を振りほどいた。
――2番目の女…
二人共…?どうゆう事…?
私はミキって人の言ってる意味が、よく分からなかった。
頭が真っ白で何も考えられない…
私の事が1番好きって――
やっぱり、2番目も居たんじゃない…
私は涙がボロボロ出てきた。
悲しかった訳じゃない。
トモヤに続いて二度目の屈辱に、悔し涙が止まらない…
「あんた、やっぱりっ…!!」
里沙がまた木村君に掴み掛かかろうとした瞬間、
バシッ――
私は木村君に、今日買った服が入った紙袋を投げつけた。
悔しい…悔しいっ!
私は泣き顔で、木村君を睨み続けた。
「リコさん…あのっ、違うんです!聞いてくださ…」
「ばかぁっ!!!!!」
自分でもビックリするぐらいの大声で叫んだ。
「なによ…結局私だけを見てくれる人なんか居ないんじゃない!
散々、私の心掻き乱して…ふざけないでよ…
馬鹿にするのも、いい加減にしてよっ!!!!」
「リコさんっ!!」
「リコっ!!」
私は、自分の言いたい事だけぶちまけて、里沙と木村君に呼ばれても、振り返る事もせず走り出した。
―――悔しい!
もう、木村君の顔なんか見たくない!
私は立ち止まる事もなく、ひたすら走り続けた。
「リコーっ!」
「リコさんっ!」
里沙と木村君が追い掛けてきた。
さすがに二度目の全力疾走はキツい…
駅から少し離れた公園に入った所で、あっという間に追い付かれて、木村君に強く腕を掴まれた。
「痛いっ!ヤダ!離して!」
必死に振り払おうと思っても、私には、もう力が残って無かった。
「リコさんっ!俺の話を聞いてくだ…」
「嫌!!何も聞きたくないっ!木村君の顔も見たくないっ!」
私は木村君の話も聞こうとせずに、泣きながら叫び続けた。
「お願いだから話を…」
「ヤダァ!もうっ、離し…」
「頼むから、聞いてくれっ!!!!!」
木村君は私を振り向かせ、両肩を強く掴んで大声を張り上げた。
突然の大声に驚いた私は、目を見開いて固まった。
「あ…ごめん…なさい。あの…」
少し震えている私を見て、木村君は困惑した表情をしている。
里沙は、私達の様子を少し離れた所から黙って見ていた。
一瞬ためらいを見せた木村君が、私の目を真っ直ぐ見て話し始めた。
「リコさん、泣かせてごめんなさい。でも、さっきの二人は本当に違うんです!なんか、誤解を招く言い方をされたけど…」
「なにが、違うって言うの…」
「お願いがあります。リコさん、俺と一緒に来て下さい」
「え?どこに…」
「とにかく一緒に来て下さい」
「えっ、ちょっと、待っ…」
木村君は、私の手を握って里沙の方に向かって歩き始めた。
木村君は、里沙の目の前で立ち止まった。
「里沙さん。俺をぶっ飛ばすのは、後にして頂けませんか?」
(は?里沙が木村君をぶっ飛ばすって、どうゆう事…?)
里沙は腕組みをして、黙って木村君を見ている。
「俺、リコさんに隠してた事、全部話します。だから、リコさんを連れてっていいですか?」
里沙は、一瞬私の方を見た。
「これ以上、リコを泣かせない?」
「悲しませるつもりはありません。ただ、リコさんが全て受け入れてくれればの話ですが…」
木村君が心配そうな顔で私を見た。
「分かった。でも、これ以上リコを傷つけたら承知しないよ?」
「分かりました」
木村君は里沙に少し頭を下げて、私の手を引いて歩きだした。
「里沙っ…」
私は不安気に里沙を見ると、里沙も心配そうな顔で私を見ていた。
木村君は何も言わずに私の手を引きながら、少し早足で歩き続けた。
(一体どこに連れて行かれるんだろぅ…)
不安な気持ちのまま、私は少し小走りになりながら着いて行った。
駅を通り過ぎ、少し人気の無い道に入った。そのまましばらく歩いて行くと、ネオン街に出た。
「ちょ、ちょっと!ここっ…?」
私の問い掛けにも何も答えず、木村君は黙って歩き続けた。
キラキラ光る電気で装飾された看板や、お店が立ち並んでいる。夜じゃないみたいに明るい。少し眩しいぐらいだ。
周りを見渡すと、綺麗なお姉さんがおじさんと腕を組んで歩いていたり、イケメンと呼ばれる男性が女性に声を掛けたりしていた。
(こうゆうトコ、初めて来た…でも、なんで木村君はこんなトコに私を…?)
私は不安になりながらも、キョロキョロと物珍しく辺りを見渡しながら歩いた。
「ここです」
木村君は、一軒の店の前で立ち止まった。
「えっ!?ここって…!?」
そこは、見るからに高級そうなホストクラブだった。
「行きましょう」
「えっ、うそ!待って…!」
私は少し抵抗したけど、木村君に強く手を引っ張られながら、店の中に連れて行かれた。
店内はとても明るくて、『ゴージャス』って言葉がピッタリな内装。シャンデリアがあちこちにあって、どこかの国のお城の中みたいだ。
客席では、お洒落な男性が女性を接客している。チャラチャラした感じでは無く、大人な雰囲気。
木村君は客席を見渡して、誰かを探しているようだった。
そしてその誰かを見つけたのか、私の手を引きながら、視線の先へ真っ直ぐと歩きだす。
木村君が立ち止まった席には、ミキとユカが座っていた。
木村君は私の手をギュッと握りしめたまま、
「ミキさん、ユカさん。失礼します」
と声を掛けた。
二人は数人のホスト達に囲まれて、お酒を飲んでいた。
ミキが木村君に気付いて振り向くと、少し表情が曇った。
「なぁ~にぃ?今頃ぉ。私達を置いてドコ行ってたのよぉ」
ミキは不満そうに、木村君を睨んだ。
「すみません」
木村君は、ただ頭を下げて謝っていた。
すると、ユカが私達の握られた手に気付いた。
「ねぇ、ミキ。もしかして…」
ユカがミキに耳打ちすると、ミキが私達の手元に視線を落とした。
「あ~、なるほどねぇ…」
ミキは何か悟ったように、ニヤリと笑う。
私は、不安気に木村君の顔を見た。でも、木村君の視線は目の前の二人に向けられたままだった。
「その人がユースケの1番?」
ミキはソファーにもたれ掛かり、足を組んだ。
(1番?どうゆう事?)
私はワケがわからず、ミキと木村君の顔を交互に見た。
「はい。俺が1番好きな女性です」
木村君がそう言うと、ミキはタバコを口にくわえた。すかさず、隣のホストがそのタバコに火を着けた。
そして、フフッと笑いながら煙を吐いた。
「ユースケ、その子の名前は?」
「リコさんです」
「そう、リコちゃんって言うの」
ミキが私を『ちゃん』付けにして呼ぶのに違和感を感じて、二人の顔をよく見てみた。
(あ…れ?二人共、私より年上…?)
さっき外で見た時はゴタゴタしてて気付かなかったけど、明らかに二人は私より年上。30代後半ぐらい…?
ミキさんはタバコをフゥーっと吐いて、私を見た。
「リコちゃん。私とユカは、ユースケの客なのよ。ユカは最近ここに通い始めたんだけど、私はユースケがこの店に入ってきた時から、ずっと指名してきたの」
私はミキさんの目が見れずに、ずっと下を向いたまま話を聞いた。
「でもね、ユースケったら酷いのよ?」
そう言うと、ミキさんとユカさんは顔を見合わせて、クスッと笑った。
ミキさんはタバコの火を消しながら、また話始めた。
「ユースケに『私の事、何番目に好き?』って聞くと、『2番目です』って即答するの」
「私の時もっ」
そう言って、ユカさんはミキさんに寄り掛かった。
「ホストって、たくさんの女性客がついてるでしょ?だから、私は指名したホストを独占したくって。
毎回指名をしたホストに、『私は何番目に好き?』って聞くの。でも、みんな『あなたが1番です』って言うんだけどね。顧客を離さない為に、お店側に言わされてるんだろうけど」
ミキさんはクスクス笑いながら話し続ける。
「なのに、ユースケに聞くと『2番目です』って。『なら、1番は誰?』って聞くと、『僕が心から愛する人です。嘘でも、ミキさんが1番だなんて言えません』なんて言うのよぉ。酷いでしょぉ?こっちは高いお金払ってんのにぃ」
そう言いながら、ミキさんは隣のホストに寄り掛かった。
「ミキに、面白いからユースケに同じ事聞いてみたら?って言われたから、聞いてみたの。そしたら私も同じ答えだったぁ。そこがまた、ユースケの魅力なんだけどねぇ」
ミキさんとユカさんだけじゃなく、周りのホストの人達も一緒になって笑っていた。
木村君は、下を向いて少し照れながら話を聞いていた。
「リコちゃん、安心して?今日はユースケとご飯食べて、一緒にここへ来る予定だったの。私とユースケの間に、ホストと客以上の関係は無いの」
ミキさんは、優しい表情で話してくれた。
私はミキさんの話を一通り聞いて、今まで気になっていた事への不安が一気に解消された。
もう、涙は出ない。
私は木村君と繋いでいる手をギュッと握った。そして、二人で顔を見合わせた。
「ユースケ?」
「はい」
「私達みたいな客と、大切な人を一緒にしてはいけないわ。客に対しての『好き』と、彼女に対しての『好き』は、全く違うでしょ?リコちゃんが『1番』、私達が『2番』って、リコちゃんに失礼だと思わない?」
「はい、すみません…」
「あなたみたいに割り切って仕事が出来ないホストは要らないわ。もう、あなたに用は無い。さっさと二人で、ここから居なくなってちょうだい?今、お楽しみの最中なんだから」
そう言って、ミキさんは私にウインクをした。ユカさんは、優しい顔をしていた。
木村君は申し訳なさそうな表情で二人を見ていた。
「ミキさん、ユカさん。すみませんでした」
「もー、いいからっ。早く行ってちょうだい」
「ありがとうございました。失礼します」
木村君は深々とお辞儀をした。
そして、私達は店の出口に向かった。
すると、一人の男性が出口付近の壁に寄り掛かって立っていた。
「オーナー…」
木村君は、また申し訳なさそうな顔をしている。
「オーナー、俺…」
「ったく…
お客様の酒の席を邪魔した揚げ句、気まで使わせやがって」
オーナーは呆れた顔で木村君を見ていた。
「すみません…」
「祐輔、お前クビな。お前にホストは向いてないわ」
「はい、すみませんでした…」
木村君は俯いた。
すると、オーナーは木村君の肩をポンッと叩き優しい声で囁いた。
「これからは、彼女だけを大事にしろよ?」
またポンポンッと木村君の肩を叩いて、オーナーは客席に向かって歩いて行った。
「お世話になりましたっ!!」
木村君は、オーナーに向かって深々とお辞儀をした。
オーナーは振り返らずに、後ろ向きで手を振った。
「リコさん、帰ろう」
「うん…」
私達は手を繋いだまま、店を後にした。
私達は何も話す事無く来た道を戻り、さっきの公園まで歩いた。
私の中に一つだけ、大きな疑問を残したまま―――
木村君は私をベンチで待たせて、自販機で飲み物を買ってきてくれた。
木村君も隣に座って、私の分の缶を開けて差し出した。
「ありがとう…」
私はコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
「リコさん、なんか…すみませんでした…」
「ううん、でも…」
「でも?」
「木村君に対する誤解は解けたけど…そもそも、なんでホストクラブなんかでバイトしてたの?」
そう、これだけが私の中で大きな疑問となって残っていた。
「それは…話すと長くなりますが…」
「この際だから、全部話してよ。うちの会社って、他の会社より初任給もいい方でしょ?どうしてバイトなんか?
しかもホストなんて…」
木村君はグイッとコーヒーを一口飲んで、ゆっくり話始めた。
「リコさん、1から全部話しますけど…怒りません?」
「もう、勿体振らないでっ!」
眉間にシワを寄せた私の顔を見て、木村君は小さく頷いた。
「俺、随分前から、佐橋さんがリコさんと本気で付き合って無かったのを知ってたんですよ」
「えっ…どうゆう事…?」
困惑する私の顔を見た木村君は、下を向いて話を続けた。
「2年前の今ぐらいの時期に、佐橋さん本人から聞きました」
「木村君は、トモヤと知り合いだったの!?」
「いえ、同期のヤツと喫煙ルームでタバコ吸ってたら、佐橋さんが話してるのを偶然聞きました…」
「そう…」
木村君は、その時の状況を詳しく話してくれた――――
※※※※※※※※※※※※※※
――あの日、俺は昼休みに同期の中山と二人で、喫煙ルームに行きました。――
喫煙ルームには、佐橋さんと営業部の人達数人が居た。
その時はまだ、俺は佐橋さんの名前は知ってたけど、顔は知らなかった。
「おい、トモヤ。そういえばお前、開発部の神谷さんだっけ?付き合ってんだろ?」
佐橋さんの同僚が、話し出した。
「え?まじ?お前ら付き合ってたの!?」
周りの人達は、佐橋さんとリコさんが付き合ってるのを知らなかったようだ。
「付き合ってる程のもんじゃねーよ」
佐橋さんは、苦笑いしながら答えた。
「は~?どうゆう意味だよ」
周りの人達は顔を見合わせていた。
佐橋さんは、タバコをふかしながら、
「本気じゃねーって事」
と、少し面倒臭そうに言った。
※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※
「本気じゃねーって、結構付き合い長いんだろ?」
「5年ぐらいかな~」
「そんなに付き合ってて、本気じゃないって。なら、なんで付き合ってんの?」
周りは、佐橋さんの言ってる事が理解出来ない様子だ。
「体の相性がいいからぁ。それだけぇ」
佐橋さんは、ふざけた言い方で答えた。
「はぁ~!?うわっ、お前ひどくねー?」
「神谷さんは知ってんのかよ?」
みんな口々に佐橋さんを責め立てた。
「リツコが知る訳ねーじゃん。俺、リツコに一度も好きだって言った事ないし。歓迎会の時、ちょっと顔が好みだったから声かけただけ~」
「鬼だな。いつか地獄に堕ちるぞ」
悪びれた様子も無い佐橋さんに、周りは呆れていた。
「でも、トモヤ。そんなんで、誕生日とかクリスマスとかのイベントはどうしてんの?」
「だよな、プレゼントとか一切無しだったら不信に思われない?」
※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※
「俺、イベントはマメだもん。一応プレゼントとかケーキは用意してるし。でもさぁ、それが4人分ってなると金がキツイんだよなー」
「え?お前、4人分ってなんだよ?」
サラリと言った佐橋さんの一言に、周りは首を傾げた。
「え、リツコの他に3人女が居るって事じゃん」
佐橋さんは、何がおかしいの?って顔で答えた。
「はぁーっ!?お前、どこまで最低なんだよ!」
一人が声を荒らげた。
「いや、リツコは知ってるよ?それでもいいって言われたし」
「神谷さん、こんなヤツのどこがいいんだか…なんか、神谷さんもおかしい気がするけど…」
周りは、あまりリコさんを同情する感じでは無かった。
「まぁ、もうすぐリツコも30歳だし。そろそろ潮時かな~」
「早く別れてやれよ」
「考えとく~」
佐橋さんは笑いながら、喫煙ルームを出て行った。残された人達は、呆れ顔で喫煙ルームを後にした。
※※※※※※※※※※※※※※
木村君は、怖い顔をして缶をギュッと握りしめた。
「俺、許せなくてっ…本当は佐橋さんをぶん殴って、リコさんにも教えてあげたかったっ…でも、中山には聞かなかった事にした方がいいって言われました。俺達が出る幕じゃないって…」
悔しそうに俯く木村君の横で、私はボーッと遠くを見ていた。終わった事だけど、やっぱりショックだった。
でも、不思議と涙は出なかった。
それよりも、他の人がトモヤが本気じゃない事を知っていて、自分は何も知らなかった事に呆れた。
「でも、どうして木村君がそこで、トモヤを殴りたいと思ったの?私に対する同情?」
「同情なんかじゃないですよ…」
木村君は少し顔を上げて呟いた。
「一目惚れだったんです…」
木村君は、照れた様子で目線だけ下に向けた。
「俺が入社して今の部署に配属された日、リコさんは新人の女の子達にお茶の入れ方を教えてあげてましたよね?」
「え、覚えてないや」
「リコさんは給湯室で教えてたんですよ。今は席替えしたけど、最初俺の席は給湯室の横だったんです。だから、中の様子が見えてて」
「そうだったんだ」
すると、木村君はクスッと思い出し笑いをした。
「なに?どうしたの?」
「あ、ごめんなさい…クククッ」
「私、その時何かしてたの!?」
「何かしてたって言うか…」
木村君は深呼吸をして、また話し始めた。
「リコさんは、やかんを火にかけて、何がドコに置いてあるのか説明しながら準備してたんです。それで、みんなのコップが閉まってある戸棚を開けたんですね」
「それが何かおかしいの?」
「おかしかったのは、その後ですよ。戸棚を開けたら、コップが一つも無かったんです。もぅ、リコさんは大騒ぎ!コップが無い無いって言いながら給湯室にある、ありとあらゆる扉を開けて探してました」
「あ!!もしかして…」
「思い出しました?」
「…」
私は自分の失態を思い出して、恥ずかしくなって俯いた。
「結局あの日、女の子達に教えてた時には、リコさん自身が朝一で全員分のお茶を入れて配った後だったんですよね?」
「…」
「大騒ぎしながらリコさんが給湯室から出て来たら、もうみんなの机には熱々のお茶が並んでるんですもん。それに気付いたリコさん、顔を真っ赤にして謝ってましたね」
「そんなんで、一目惚れ…?」
「真っ赤な顔したリコさんが、もうめちゃくちゃ可愛いくて!一瞬で心奪われました!全然先輩気取りもしてなかったですしね。でも、周りの先輩とかにリコさんには彼氏が居るって聞いてたから、片思いでしたね」
「そ、それで、トモヤの話と一目惚れの話が、ホストのバイトとどう繋がるのっ」
私は照れ隠しで、ちょっとキツめに問い詰めた。
「まだまだ、バイトの話までは長くなりますよ」
木村君は残りのコーヒーを一気に飲み干した。
「俺、ちょっと事情があって、給料の半分を家に入れてるんです」
「そうだったの!?」
「はい、だから俺、あまり金が無いんですよ」
木村君はハハハッと笑って見せた。
「リコさんが最近まで身につけてたアクセサリーって、全部佐橋さんからのプレゼントだったんですよね?貰う度に、里沙さんに嬉しそうに話してたの聞いてました」
「うん…」
私はトモヤから貰った物は、いつも身に付けていた。会社にも…
でも、別れた日に全部捨てた…
私は少しトモヤの事を思い出して、手元の缶を見つめていた。
「さっきも言ったけど、アクセサリーとかプレゼントできるだけの金が俺には無いから…やっぱり、男は多少は金持ってた方がいいのかなって。だから、ホストなら少しは稼げるかもって思って。土日だけバイト始めたんです。一年ぐらい前からかな~?」
「ちょっと待って!?なんかおかしくない!?」
私は木村君の話に疑問を抱いて、思わず立ち上がった。
「え?何がですか?」
木村君はキョトンとしている。
「だって…一年前なんて私っ、まだトモヤと付き合ってたじゃない!?」
「はい、それが何か?」
声を張り上げる私を木村君は不思議そうに見ていた。
「だからっ…他の男の人と付き合ってる私の為に、バイト始めたって事でしょ!?」
「そうですけど?」
「それがおかしいって言ってんの!まだその時は、トモヤと別れるつもりも無かったし、それにっ…別れたとしても、私が木村君を好きになる保証がドコにも無いじゃない!」
「うーん…」
私が問い詰めると、木村君は顔を上げて何か考えていた。
「佐橋さんが喫煙ルームで言った、『リツコももうすぐ30歳だし、潮時かな』って言葉がずっと気になってたんですよね。もしかしたら、30歳を境に別れるつもりなのかなって」
木村君は、淡々と話出した。
「それに、俺、なんか変な自信があったのかも。絶対リコさんを振り向かせるって。彼氏がいるからって、諦めるつもりも無かったですし。だから少し金貯めて、絶対告白しようと思ってたんです」
木村君の言葉に、私はア然としていた。
(なに、この子…言ってる事がメチャクチャじゃない。
でも…不思議と嬉しい気がする。そこまで私を想っててくれてたんだなって…)
木村君は両手を広げて、ベンチに寄り掛かった。
「あ~、でもなぁ。結果的に、俺が暴走したせいで変な誤解招いちゃったし…会社の人達にも見られてたなんてなぁ…
ホント、俺ってバカだなぁ~」
「大馬鹿だよ」
そう言うと、木村君はプクッと頬っぺたを膨らました。
「バイトもクビになったし…まぁ、もともと新人の俺には、あまり客がついて無かったから、給料も低かったしね。多少貯金は出来たけど…」
私は静かに木村君の横に座った。
「でも、私が木村君と女の人が腕を組んで歩いてるのを見たって言った時に、どうしてバイトの事を言わなかったの?そこで正直に言えば、それで済む話じゃない?」
「リコさん、知らないんですか?うちの会社ってバイト禁止なんですよ。もしバレたら、クビなんです~」
木村君は頭を抱えた。
「だけど、日曜日に全部私に話すつもりだったんでしょ?なら、どうして話す気になったの?」
木村君は優しい顔をして、私を見た。
「もう、これ以上リコさんを不安にさせて泣かせたく無かったんです。だから、もしリコさんにバイトの事話して会社にバレて、クビになっても…それでもいいと思いました」
「そうゆう事か…」
木村君の話に納得した私は、溜め息をつきながら空を見上げた。
「それなら…もうちょっと上手く隠れてバイトしなよ。あんなに堂々と女の人と腕組んで街歩いてさぁ。気ぃ抜き過ぎ!」
「反省してます…」
そう木村君は小声で呟いて、小さく丸まった。
二人で一通り話をしたら、次は何を話していいか分からなくなって、しばらく二人で空を眺めていた。
すると、私の携帯が鳴り響いた。
開いてみると、里沙からのメールだった。
――木村君と話は出来た?
今日買った洋服、さっきの公園のベンチの下に置いておいたんだけど、もう帰っちゃった?―
(あ、洋服の事すっかり忘れてた…)
慌てて今座ってるベンチの下を覗くと、紙袋が置かれていた。
(里沙…)
――ありがとう里沙。心配かけて、ごめんね。今、ちょうど公園で木村君と話してたとこ…―
私は里沙にメールを返信して、洋服の入った紙袋を見つめていた。
私の行動の一部始終を不思議そうに見ていた木村君が、ヒョイッと私から紙袋を取り上げた。
「これ、なーに?」
「やだっ…ちょっと返して!?」
木村君は、取り返そうとする私をかわすようにベンチから離れて、紙袋の中の洋服を引っ張り出した。
「うわっ超可愛い!!」
木村君は目を輝かせながら、ワンピースを広げて眺めていた。
「やだ、見ないでよっ!!」
何度取り返そうとしても、木村君にヒラリとかわされてしまう。
「ねぇ、リコさん。もしかしてこの洋服、明日着て来るつもりだった?」
木村君は口元を緩ませながら、私を横目で見た。
「か、勘違いしないでよ!それは里沙が無理矢理…いつもは、そんな洋服買わないんだから!」
私は、自分には似合うと思って無いワンピースを買った事を木村君にからかわれたくなくて、必死に言い訳した。
「絶対リコさん似合うよ。明日、コレ着て来て?」
「あ、明日って!?もう木村君の話は済んだじゃない」
「まだ済んでないよ」
急に木村君は真面目な表情になった。
そのまま木村君は何も言わずに洋服を紙袋に戻すと、私に手渡した。
「告白の返事」
「えっ…!?」
紙袋を受け取りながら、思わず木村君を見上げた。
「まだ、リコさんに返事もらって無いよ」
「あの…そのぉ…」
私は何て言っていいかわからずに、目が泳いだ。
すると、木村君は立ち尽くす私の目の前に一歩近付いて来た。
――とても真剣な顔をしてる…
私は見た事の無い木村君の表情に、見とれてしまっていた。
――すごく、胸がドキドキする…
「リコさん」
「…はい」
「俺は年下だから頼り無いかもしれないし、金も無いし、馬鹿だけど…
俺っ、リコさんの事が好きな気持ちは誰にも負けません。本気でリコさんが好きです。だからっ、俺と付き合って下さい!!」
――ドキドキし過ぎて、心臓が破裂しそう…
下を向いて黙り込む私の顔を木村君が覗き込んだ。
「リコさん?」
真剣な顔をしていた木村君は、ちょっと不安そうな表情に変わった。
「私…もう30歳だよ…?」
声が震える…
「歳なんか関係ないです。俺はリコさん自身を好きになったんだから」
「私、弱虫だし、泣き虫だし…」
「リコさんの弱虫なところも、泣き虫なところも、全部受け止めます。
不満や不安な事も、俺に全部ぶつけてください」
木村君の優しい声が、私の涙腺を緩ませる。
「私のこと…、何番目に好き…?」
この言葉を口にしたら、一気に涙が溢れだした。
次の瞬間、木村君に体をグッと強く引き寄せられて、ギュッと抱きしめられた。
「2番も3番もいないよ。俺が好きなのは、リコさんだけだっ…」
私は大声を出して泣きながら、木村君の胸に顔をうずめた。
――『私だけ』…
ずっと言われたかった言葉。
今まで私だけを見ていてくれた人がいなかった。
木村君だけが、私だけを見ていてくれた…
「……き」
「え?」
「わだじもっ、ぎむらぐんが、ずぎぃー」
「ちょっ、リコさん、ムード台なし!!」
木村君が、私の耳元で吹き出した。
「うぇ~んっ」
顔を涙と鼻水でグチャグチャにして、泣き叫ぶ私の頭を木村君は優しく撫でていてくれた。
私の泣き声が治まってくると、木村君はゆっくり私から体を離した。
「ごめん、リコさん。さっきの、取り消して?やっぱり2番目が…」
木村君は深刻そうな顔で下を向いた。
「え…?」
私は治まった涙が、また溢れてきそうになった。
「やっぱり忘れられないよ…」
「…誰なの?」
不安な顔をする私に、木村君は目線だけを向けた。
「クリームソーダ…」
「は!?」
予想もしない答えに、私は眉間にシワを寄せた。
「やっぱり忘れられないよぉ。ごめん、リコさん。リコさん1番、クリームソーダ2番!!」
ふざけた顔して笑う木村君に腹が立って、私はまた大声を張り上げた。
「ふざけないでよ!人の気持ちをなんだと思ってんの!?」
そう言って木村君を突き飛ばしたら、そのまま腕を掴まれて引っ張られた。
チュッ―――
私の額に、木村君の唇が触れた。
私は一瞬の事で、訳が分からずに固まってしまった。
何が起きたのか理解したら、急に恥ずかしくなって、木村君の顔を見たまま顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
すると、木村君はちょっと困った顔をした。
「ダメだよ、リコさん…そんな顔で俺を見ちゃ…」
「えっ?あ、ごめん…」
私は咄嗟に顔を横に向けた。
「そんな可愛い顔で見つめられたら、理性が吹っ飛ぶじゃん」
「はっ!?もうっ、ふざけるのもいい加減にっ…。……!?」
騒ぐ私の口を塞ぐように、木村君は私の唇にキスをした――
ただ、触れているだけの優しいキス…
ビックリした私は、ずっと目を見開いたまま固まっていた。
ゆっくり唇を離した木村君が、私を抱きしめる。
「あーあ。リコさんの唇は、明日のお楽しみにしようと思ってたのにっ」
「なにそれ…」
木村君の胸の鼓動が聞こえてくる。
――私と同じぐらい早い…?
木村君の心臓の音を聞いていると、なんだか落ち着く…。
木村君の胸に耳を当てて、目を閉じた。
「あんまり、心臓の音聞かないでくれる?」
「すごく早いよ。緊張してるの?」
「何がなんだか、わかんねぇ。俺、格好悪いね…」
「そんな木村君も好きだよ?」
「リコ…」
私の名前を優しく呼んで、木村君は、また優しいキスをしてくれた――
「眠れないっ!!」
時計を見れば夜中の3時。未だに私の目はパッチリだ。
「今日は早起きして、髪の毛とか巻いてみたいのに…」
昨日、木村君に駅まで送ってもらって、家に着いたのが23時。
木村君と過ごした時間の余韻に浸ってて、帰り道の記憶が無い。
ハッキリと残ってるのは、木村君の唇の感触…
思い出しただけでニヤけてきちゃう。
眠ろうとして目を閉じても、木村君の顔が浮かんじゃって眠れない…
「私達、恋人同士になったんだ…」
木村君が初めての彼氏な訳じゃないのに、『恋人同士』という言葉がやけに新鮮に思える。
「どうせ眠れないなら、今日の準備をしよう」
木村君と恋人同士になって、今日が初めてのデート。
寝る事を諦めた私は、髪の毛のトリートメントをしたり、美容液たっぷりのマスクしたり、外が明るくなるまで、やれる事は全てやった。
――7時
カーテンを開けると、部屋の中に朝日が差し込む。
徹夜明けの私には、こたえるぐらいの陽射しだ。
少し、頭がボーッとする…
「無理矢理でも寝ればヨカッタかな…」
眠気覚ましに顔を洗う。
私はいつも、胸の位置まである髪の毛を一つにまとめて、おだんごにしている。今の会社に入社してから、一日だってヘアスタイルを変えて行った事が無い。
だけど、今日は長年眠っていた『コテ』を引っ張り出し、ドレッサーに向かった。雑誌を何度も見ながら、髪の毛を少しずつ巻いていく。
慣れない『コテ』に悪戦苦闘しながら、一時間かけて巻き終えた。
「疲れたぁ…」
メイクをする前に一息入れようと、台所に向かうと携帯が鳴った。
「里沙からだ…」
「もしもし里沙?おはよ~」
『リコおはよー。起きてた?』
「うん。昨日はごめんね、連絡もしないで…」
『ううん。あの後すぐに、慎ちゃんに迎えに来てもらったんだ』
「そっか。何かあったの?」
『それは、こっちのセリフ!
昨日木村君とどうなったの?今日はどうするの?』
「どうなったって…
今日木村君と会うよ…」
私は、なんだか恥ずかしくて、木村君と付き合う事になったって里沙にハッキリ言えなかった。
『ほ~…
なら、お昼食べたら慎ちゃん家に来てよ。木村君も一緒に』
「えっ、なんで!?」
『なんでじゃないでしょ~?私も慎ちゃんも心配してたんだよ?ちゃんと二人で話に来てよっ』
「そっか、ごめんね心配かけて…木村君に聞いてみるよ」
『聞いてみるじゃなくて、連れて来るの!分かった?』
「あ、はい…」
『よし!じゃあ、待ってるね!』
そう言って、里沙は電話を切った。
(そうだよね、散々心配かけたんだもん。ちゃんと話すべきだよね)
私は野菜ジュースを飲んで、急いでメイクを始めた。
外に出ると、本当に眩しいぐらいの陽射しが、容赦無く寝不足の私を襲う。
電車に乗ると、心地良い揺れで一気に眠気が襲ってくる。
落ちてくる瞼と格闘しながら、待ち合わせの駅に着いた。
結局、早々に出掛ける仕度が終わって暇な時間を持て余していた私は、10時に着いてしまった…
(あと一時間、何して待っていよう…)
小さく溜め息をついて、近くのコンビニで時間を潰す事にした。
雑誌コーナーで立ち読みをしていると、
「いらっしゃいませ~。おはようございま~す」
お客さんが来る度に、店員さんの爽やかな挨拶が聞こえる。
私はファッション雑誌を食い入るように見ていた。
すると、
「あれ、リ…コ?」
ドキッ――
振り向くと木村君が立っていた。
「木村君!?」
「やっぱりリコだ~!いつもと雰囲気違ったから一瞬分からなかったよ。おはよ~」
「あ、おはよ…」
木村君の笑顔を見て、さっきまでの眠気が一気に吹っ飛んだ。
「天気いいし、昨日の公園でも行く?」
「あ…うん…」
初対面でも無いのに、私は緊張し過ぎて木村君の顔がまともに見れなかった。
木村君がコンビニでコーラとオレンジジュースを買って、二人で公園まで歩いた。
「木村君、早かったね…?」
「あ~、俺寝て無いんだ。リコの事考えてたら、全然眠くならなくてさぁ。
でも、リコだって早かったじゃん?」
「わ、私も…寝て無い…木村君と同じ理由で…」
「まじ!?うわ~、なんか嬉しい」
木村君は照れたのか、ニヤけ顔で周りをキョロキョロしていた。
公園に着いた私達は、昨日と同じベンチに座った。
木村君はオレンジジュースのフタを開けて、私に差し出した。
「あ、ありがとう…」
(ダメだっ、木村君の顔が見れないよぉ。だって、昨日の今日なんだもんっ)
私はずっと下を向いたまま、ちびちびとオレンジジュースを飲んでいた。
そんな私を変に思った木村君が、顔を覗き込んできた。
「リコ?もしかして、緊張してる?」
「やっ、そんな事は!うんっ、大丈夫っ」
「大丈夫って、何が?」
木村君は口に手を当てて、笑いをこらえている。
「し、仕方ないじゃない!!昨日の今日なんだから!」
「次は怒ってんの?」
木村君は口元を緩ませながら、私の顔を見てからかう。
「怒ってなんかない!」
そう言って、私はオレンジジュースをグイッと飲んだ。
「クックックックックッ…」
木村君は、丸まって笑い出した。
「何が可笑しいの!?」
「だってっ…笑ったり、緊張したり、怒ったり…コロコロ表情変わるんだもん。やっぱりリコ可愛い」
木村君は、サラッと『可愛い』って言ってくれる。それがすごく嬉しくて、私をニヤけさせる。
私は照れてるのを隠したくて、話題を変えた。
「そうだ、木村君。今日里沙がね…」
「…名前」
「え?」
「『木村君』は止めてよ」
「あ、そうだった!祐輔君?」
「…」
祐輔君は返事をせずに、とぼけた顔で遠くを見ている。
「ちょっと、祐輔君!?」
「返事しなーい。その呼び方もヤダー」
木村君は遠くを見たまま、子供みたいにふて腐れている。
「ゆう…すけ?」
「なぁにっ!?」
祐輔は満面の笑みでこっちを振り向いた。
「祐輔、子供みたーい」
私は横目でジロリと見た。
「あ~そうですよ。どうせ俺は子供ですよ~」
そう言って、祐輔はコーラをガブガブ飲み出した。
「プッ…祐輔も可愛いよ?」
「知ってる」
祐輔は、私の顔を見て得意げな顔で言い放った。
見つめ合って、二人で吹き出した。
「あ、ごめん。里沙さんがどうしたの?」
祐輔はいつもの優しい顔に戻った。私もすっかり緊張が解けた。
「そうそう。今日、お昼食べたら二人で里田部長の家に来てって」
「え!!なんで!?しかも、里田部長の家!?」
「なんか、昨日の事をちゃんと話してって」
「バイトの事も…?」
「あ~…」
二人は、そういえばって感じで黙り込んだ。
「里田部長なら大丈夫だよ!きっとバイトの事も、会社に黙っててくれるんじゃないかなっ?」
下を向いて考え事をしている祐輔に、私は必死でフォローした。
すると祐輔は、ニコッと笑顔を見せた。
「リコありがとう。まぁ、なんとかなるっしょ!今考えても仕方な~い」
祐輔は、私を変に心配させない為に、気を使って笑ってるんだろう。
だから私も、祐輔の前で気にするのを止めて、笑って見せた。
「じゃあ、昼飯食ったら里田部長の家だな。リコ、家分かる?駅からどのぐらい?」
「分かるよ。車で10分ぐらいかな?そういえば祐輔、今日車は?」
「朝時間あったから、歩いて来た。俺ん家、あそこの駅から一駅行ったトコの近くなんだ」
「一駅って結構歩かない?」
「リコの事考えながら歩いてたから、すぐだったよ」
祐輔は、ニッて笑って見せた。
(愛されてるって、こうゆう事なのかな…)
「リコ、そこに立って?」
「??」
私は祐輔に言われるままに、ベンチから少し離れて立った。
「その服、すっごく似合ってる。髪型もいつもと違うし。さっきコンビニで見た時、いい女がいるな~と思ったら、リコだった」
「祐輔、ナンパとかするの!?」
私は服装を褒められた事よりも、祐輔が外で見かけた女性を『いい女』って思う事に焦った。
「学生の頃は、友達とふざけてナンパした事あるけど…今はリコしか目に入らないよ。だからきっと、コンビニで俺がいい女って思えたのは、それがリコだったからだよ」
(ホント…
なんで祐輔は、そんな恥ずかしいフレーズを平気で言えるんだろう…)
赤面していると、祐輔が私に近付いて来た。
祐輔は、私の髪を優しく撫でた。
「そんなに髪の毛クルクル巻いて、シャンプーの匂いさせて…俺の事誘ってんの?」
「や、そんなワケじゃっ…」
私は顔が赤くなり過ぎて熱くなってきた。
祐輔は、私を優しく抱きしめて髪に顔をうずめた。
「祐輔っ!?昼間だし、誰かに見られたらっ…」
「リコ…」
「なにっ!?」
「俺、幸せだよ」
そう言って祐輔は、ギュッと強く抱きしめてきた。
「どうしたの…?」
「だって、ずっと片思いしてた人が、今は俺の彼女なんだもん…」
「ゆう…すけ…」
甘えたように耳元で囁く祐輔が、たまらなく愛おしく思えて、私も祐輔を強く抱きしめた。
「リコ…俺、幸せ過ぎて…腹減った」
「ブッ、なにそれ。雰囲気ぶち壊し!」
「えっ、このままチューして欲しかった?」
「バカっ!!」
私は祐輔を突き飛ばして、公園の出入り口までズンズン歩いた。
私の鞄を持って追い掛けてきた祐輔が、私の手をとった。
「あっ、やべぇ!!」
「えっ!?」
祐輔の突然の大声に驚いて振り向くと、
チュッ――
唇にキスされた。
「いただきっ!」
祐輔は、してやったりという顔で笑う。
「ばか…」
照れる私を見て、祐輔は満足そうにしていた。
時計を見ると、もう12時近かった。
祐輔と一緒に居ると、本当に時間が経つのが早い。
私達は、駅の近くのファーストフード店で、簡単に昼食を済ませた。
駅前でタクシーを拾い、里田部長の家へ向かう。
タクシーに乗ってる間、祐輔はずっと窓の外を見て、考え事をしているようだった。
(やっぱりバイトの事が気になるのかな…)
だけど私は、あえて何も言わなかった。
また、祐輔に気を使わせちゃうと思ったから…
程無くして、タクシーは里田部長のマンションの前に停まった。
タクシーから降りた祐輔は、マンションを見上げて口を開けている。
「すげー…高級マンション…」
「賃貸らしいよ。いつでも引っ越せるように、家は買わないんだってさ」
「ふ~ん…」
いつまでもボーッとする祐輔の手を引いて、マンションの中に入った。
オートロックの扉の前で、インターホンを押す。
ピンポーン ――
『はーい』
里沙が出た。
「こんにちはー」
『はいは~い、どうぞ~』
自動ドアをくぐり、10階にある里田部長の家を目指す。
「10階って、布団干すの怖いよね?」
祐輔が心配そうな顔で言う。
「プッ…普通、こうゆうマンションって、布団干すの禁止じゃない?」
「そうなの?あ~、でもよかったぁ。里田部長が布団叩きで、布団をパンパン叩いてる姿は、見たくないよね」
「確かに…」
二人でクスクス笑い合った。
たまに思う。
祐輔の頭の中って、どうなってるんだろう?
悪い意味じゃなくて、普通の人と発想が少し違うと思う。
エレベーターが10階に着くと、扉の向こう側に人影があった。
「いらっしゃ~い、お二人さんっ」
里沙がニヤけ顔で立っていた。
「あ、里沙さん…こんにちは…」
祐輔は顔が引きつっている。
「木村君、な~にビビッてんの!ほらっ、行こ!」
里沙の案内で里田部長の家に入った。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ、どうぞ!」
玄関から廊下を抜けると、24畳程のLDKが広がる。とても綺麗に片付けられていて、モデルルームみたい。
私は開いた口が塞がらない。
「広~い…」
「あれ?リコは里田部長の家の中は初めてなの?」
「うん、家の下までなら来た事あるんだ」
「そうなんだ?
俺もいつか、こんな広い家に住みたいなぁ。んで、子供達と優雅な一時を…」
祐輔は、うっとりと夢を語っていた。
(祐輔の夢の中に、私もいるのかなぁ…)
「そういえば里沙?里田部長は?」
「あ、慎ちゃんは今、ベランダで布団叩いてるよ?」
「えっっっ!!!」
私と祐輔は、声を揃えて驚いた。
「なに、二人でそんなに驚いてんの?天気がいいんだし、普通でしょ?」
里沙はコーヒーを入れながら、ベランダに視線を移した。
私と祐輔は、恐る恐るベランダを覗く――
バァンッバァンッ!!
と、里田部長が全力で布団を叩いていた。
「ブフーッ、クックックックッ…」
私達は、下を向いて必死で笑ってるのを隠した。
肩が震えて止まらない。
すると、こちらに気付いた里田部長が、布団を抱えて部屋に入ってきた。
「おー、来たか。悪いな、ちょっとこれだけ部屋に置いてくる」
「ブフッ、お邪、お邪魔して…ククッます…」
必死に笑いを堪えて挨拶をする私達を見て、里田部長は首を傾げながら布団を抱えて行った。
『ククッ…おいっリコ!話が違うぞ!!』
『フフッ…そんなっ…このマンションの規則なんか知らないもんっ。普通なら禁止って言ったでしょっ』
『でも、ブフッあんなに全力で叩かなくてもっ』
コソコソと小声で笑い合う私達の元に、里沙がコーヒーを持って来た。
「なぁに?二人してコソコソしてぇ。見せつけないでよねー。
早くコッチ座んなよ」
里沙はニヤニヤしながらテーブルにコーヒーを並べる。
豆から挽いたのだろうか。とてもいい香りがする。
布団を片付けた里田部長も戻って来た。
「お待たせ。そこに座って?地べたで悪いけど」
「あの、このマンションはベランダに布団干していいんですか…?」
とりあえず、気になった事を里田部長に聞いてみた。
「あ~、外から見えない位置なら大丈夫らしい。ベランダの中とかな。それがどうかしたか?」
「いえ…」
私達は、下を向いたままテーブルに向かった。
床に置かれたテーブルの前には、二人掛けのソファーが1つ。
私と祐輔は、ソファーが置かれて無い所に並んで座って、正面に里沙と里田部長が床に座って、ソファーに寄り掛かった。
「さて、昨日の事を詳しく聞きましょうか?」
里沙は、とても楽しそうだ。
「俺が話します」
祐輔は正座をして、背筋をピンと伸ばして拳を膝の上に置いた。
それを見て、私もきちんと座り直す。
里田部長はタバコに火を着けて、真剣な顔で祐輔を見ている。
「公園で、里沙さんと別れた後…」
祐輔はユックリと、そして詳しく話し始めた。
― 里沙と公園で別れた後、二人でホストクラブに行った事。
― そのホストクラブで、祐輔はバイトをしていた事。
― そこで、ミキさんとユカさんと話をした事。
― その後、公園で祐輔が私に告白をし、付き合う事になった事。
何一つ隠す事無く、祐輔は里沙と里田部長に全てを話した。
祐輔が話している間、里沙と里田部長は黙って頷きながら聞いてくれていた。
全て話し終わると、しばらく沈黙が続いた。
穏やかな顔で祐輔の事を見ていた里沙が、ゆっくりと口を開く。
「木村君、ホストやってたんだね。だから、女の人達と街で…」
「はい…黙ってて、すみませんでした…」
祐輔は少し頭を下げた。
「でも、なんですぐにリコに話さなかったの?話せばリコが、変に悩む必要無かったじゃない?」
「それは…」
祐輔は里田部長の顔をチラッと見た。
(祐輔、どうなっちゃうんだろう…)
私も不安げな顔で里田部長を見ていた。
3本目のタバコを吸っていた里田部長は、タバコの火を消して祐輔の顔を見た。
二人共、すごく真剣な顔。
「木村、会社の規則は分かってんだろうな?」
「はい…」
祐輔は、小さく返事をして俯いた。
里沙は訳の分からない顔をして里田部長を見ている。
「慎ちゃん、規則って?」
「お前、知らないのか?うちの会社は、バイト禁止なんだ。バレたらクビだ」
「えっ!?」
驚いた里沙が、心配そうな顔で私を見た。
私は何も言えなかった。
「それで木村は、それを承知でバイトしてたんだな?」
「はい…」
里田部長は、ソファーに寄り掛かって天井を見ながら、大きな溜め息をした。
「馬鹿正直な部下を持つと、本当に苦労するよ」
「すみません…」
どんどん小さくなっていく祐輔を見て、里田部長がフッと笑みを浮かべた。
「俺、お前がバイトしてんの知ってたんだよなぁ」
「えっっ!?」
思いもよらない里田部長の言葉に、私達3人は声を揃えて驚いた。
その様子を見た里田部長は、クスッと笑っていた。
「慎ちゃん!どうゆう事!?」
里沙がすごい剣幕で里田部長に詰め寄る。
「あの辺の店、よく会社の接待で使うんだよ。
半年ぐらい前に、店の前で客に挨拶する木村を、たまたま見たってワケ」
里田部長はシラッとした顔でタバコに火を着けた。
「なら、リコが木村君の事で悩んでる時に、どうして教えてくれなかったの!?私達にぐらい、教えてくれてもよかったじゃない!」
「里沙、落ち着いてっ」
怒り狂う里沙を私は必死で止めた。
そんな様子の里沙を見ても、里田部長は顔色一つ変えない。
むしろ、呆れていた。
「あのなぁ、社員のプライベートをベラベラ喋れる訳ないだろ?口の軽い上司をお前らは信用できるか?
例え彼女でも、言えない事はあるんだ」
祐輔は、放心状態だった。私も驚いていたけど、それよりも里田部長の事を尊敬した。
里沙も里田部長の言葉に納得したようで、下を向いてしまった。
「まぁ、木村にも何か事情があるのかなとは思ってたし、会社には真面目に来てたからな。特に会社側には報告もしてないんだ」
「祐輔…木村君はどうなるんでしょうか…?」
「なんだお前ら、もう名前で呼び合う仲なのか?」
「慎ちゃんふざけないで!」
私達を茶化す里田部長に、里沙は眉間にシワを寄せて怒った。
「怒るなよ。
バイトの件は、あくまで『会社にバレたら』の話だからな。俺達が黙ってりゃ問題にはならないだろ?」
里田部長はちょっと悪戯っ子のように笑ってみせた。
「それ…じゃあ…」
何も言えずにいた祐輔から、やっと出た声は震えていた。
里田部長は、祐輔に優しい笑顔を向けた。
「バイトの事は、ここだけの話。お前達、黙っとけよ?じゃなきゃ、俺の首まで危ないからな」
安心した私は、涙が出てきてしまった。
「里田…部長…ありがとうございます…」
「ありがとうございます!!」
私と祐輔は深々と頭を下げた。
「慎ちゃん、だいすきっ」
「うわっ、里沙やめろって!」
里沙が里田部長に飛び込み、ドタッと二人で倒れてしまった。
私と祐輔は安心し切ったのと、二人が仲良くイチャついてるのが微笑ましくて、顔を見て笑い合った。
(本当に、本当によかった…)
私は里田部長の事を男性として、そして上司として心から尊敬した。
「そうだ!晴れて二人が結ばれたんだし、ビールで乾杯しようよ!」
里沙は、立ち上がって満面の笑みで提案した。
「こんな真昼間から!?」
私と祐輔は、顔を見合わせて少し戸惑った。
「そうだな。なんだか、めでたいし。飲むかぁ」
そう言いながら、里田部長は台所に向かい、冷蔵庫の中を覗いた。
「あ、夕べ全部飲んじゃったな。木村!買いに行くぞー」
「え!ちょっ…あ、はいっ」
祐輔は戸惑いながら、車のキーを持ってスタスタ出掛ける里田部長を追い掛けて行った。
部屋に残された私と里沙は、コーヒーのカップを片付けに台所に向かった。
飲み終わったカップを洗う私を、里沙が気持ち悪いぐらいの笑顔で私を見つめていた。
「んふふふ」
「なぁにぃ?さっきから、里沙の顔気持ち悪いよ?」
「気持ち悪いって、極限に失礼じゃない!?」
「ははっ、ごめん、ごめん」
里沙は、怒りながらも嬉しそうな表情を浮かべた。
「リコ、今幸せ?」
「幸せだよ?」
私は自分でも驚くぐらい、素直に答えた。
「ま~、ノロケちゃって」
「里沙が聞いたんじゃん!」
「そうだけどさっ。リコ、いい顔してるね。恋愛してますって感じ」
「そう…かな」
私は照れてしまって、洗い物をする自分の手元から目線を上げられない。
「今日の服、木村君の反応は?」
「可愛いって…」
「んま~!聞いてるこっちが恥ずかしい!」
里沙は両手で顔を隠して、一人でクネクネ、バタバタ暴れていた。
「もうっ、からかわないでよ」
「だって、なんか二人見てると青春って感じでぇ~」
「はいはい、そうですか。
何か、おつまみ作らなくていいの?」
いつまでもクネクネしている里沙に、少し冷たい視線を送った。
「そんな目で見ないでよぉ。リコが幸せで私も嬉しいんだからぁ」
「はい、どーも。
何か材料ある?」
シラッと話す私に不満げな表情を浮かべながら、里沙は冷蔵庫から卵を1パック取り出した。
「卵料理?」
「え、おつまみって言ったら卵焼きじゃない?」
そう言いながら、里沙は次々に卵を割り出した。
「ちょっと、里沙!?何個使うの!?」
「何個って、1パック?」
「そんなに!?」
「普通でしょ?」
ア然とする私なんかは、お構いなしに里沙は黙々と卵焼きを作り続けた。
工程を見る限り、不安だらけの卵焼き…
(里田部長は、いつも『コレ』を食べてるの…?)
私は里沙に、もう何も言えなかった。
里沙が不安の塊でしかない卵焼きを作っていると、祐輔と里田部長が帰って来た。
「ただいま。おっ、里沙!作ってくれてたのか」
帰ってくるなり、嬉しそうな表情を浮かべながら、里田部長は台所に買ってきたお酒を冷やしに来た。
両手いっぱいのビニール袋の中に、お酒が沢山入っていた。
そして、卵も1パック入っていた。
(里田部長…やっぱり里沙に、この卵焼きを作ってもらおうと…)
私は、なんだか二人が通じ合っている感じが羨ましい半面…
やはり『コレ』をいつも食べている里田部長が、心配にもなった。
「さあ、出来たよぉ~」
祐輔と私で、テーブルの上をセッティングしていると、里沙が自信満々に卵焼きを運んで来た。
ドンッと置かれた卵焼きを見た祐輔が、目を真ん丸くして固まった。
『リコ…やけにこの卵焼き…デカくね…?』
『1パック分だもん…』
私と祐輔は、極力口を動かさないように小声で話した。
『1パック!?10個分!?多くない?
てか、よくここまで巻けたなぁ…』
『うん…あのフライパンを返すテクニックには脱帽だよ』
『ねぇ、なんでこんなに赤いの?』
『一味唐辛子を瓶の半分入れたからね…』
『うええっ!?ピリ辛どころじゃないじゃん!』
『そして、砂糖も大量に入っております』
「はあっっ!?」
予想もつかない味付けの内容を聞いた祐輔は、思わず大声を出した。
「なぁにぃ?また二人でコソコソと~。見せつけないでってばぁ」
ニヤニヤと漬け物を持ってくる里沙を、『俺達をどうしたいんだ…』という顔で祐輔が見ていた。
里田部長も嬉しそうにマヨネーズを持ってやって来た。
「里沙の卵焼きは、斬新で絶品なんだぞ?」
そう言いながら、里田部長はマヨネーズをお皿にウネウネと絞り出した。
私と祐輔は、
「オイシソ~」
と、棒読みで言うしかなかった。
「さあ!リコと木村君のラブラブを祝して…
かんぱーっい!!」
―――カチーンッ
里沙の号令のもと、みんなでグラスを鳴らした。
「さあ、遠慮せず食べて!」
差し出された卵焼きを箸でつまんだ祐輔は、私に助けを求める表情で見つめている。
私は小さく頷いた。『いけっ』と言うように…
祐輔は目をつぶって卵焼きを口に入れる―――
「ふぐぁっ…!」
祐輔の口から、なんとも言えない声が漏れた。
涙目で私の顔を見てきたが、私は目を逸らした。
(祐輔っ…ごめん!親友がせっかく作ってくれたから…
お願い、飲み込んで!)
祐輔は卵焼きを流すように、ビールをがぶ飲みしていた。
「木村ぁ、マヨネーズ付けるともっと美味いぞー?
うん、里沙の卵焼きは本当に美味い!」
卵焼きに大量のマヨネーズを付けながら、里田部長はニコニコと食べていた。その様子を里沙は、嬉しそうに見つめていた。
(この二人、絶対に味覚が壊れてる…)
私は心配で仕方なかった。
「里田部長…あの…」
「あ~、そうだ神谷。外で部長は止めてくんない?プライベートでまで、部長やってたくないしな。慎也でいいよ」
「あ、はい…じゃあ、慎也さん?」
「んー?」
「体壊しませんか…?」
「いや、むしろ元気になるだろ?」
「あ、そうですか…」
卵焼きを食べ続けながら、笑顔で里沙と見つめ合う慎也さんを見たら、これ以上何も言えなかった…
祐輔は、ひたすらお酒で口の中を洗うように飲み続けていた。
飲み始めて30分ぐらい経った頃、祐輔が突然泣き出した。
「里田部長~、俺ぇ、本当に嬉しいっす。里田部長がバイトの事を黙っててくれるなんてぇ」
「わかった、わかったから。お前、酒弱いなぁ」
「さとだぶちょぉー」
「お前も外では、慎也でいいから」
「慎也様ぁー!!」
祐輔は突然、慎也さんに飛びついた。
「うわっ、気持ち悪いからやめろっ!離れろ!」
「ありがどうございまずぅ~」
ワンワン泣きながら祐輔は、慎也さんにお礼を言い続けた。
里沙とその様子を見ながら、お腹を抱えて笑った。
慎也さんに抱き着いていた祐輔は、一通り泣き終わると、スクッと立ち上がり、席に戻った。そして、そのままテーブルにうずくまった。
「祐輔?大丈夫?」
私は、祐輔の肩を揺すった。
「あ、私お水持ってくる」
「お願い」
里沙から水の入ったコップを受け取って、私は祐輔の耳にコップを当てた。
「水だよ~?祐輔~?」
すると祐輔は、突然顔をガバッと上げて、次は私に飛びついてきた。
「ちょ、ちょっと祐輔!?どうしたの!?」
「リコ~」
祐輔は私の胸に顔をうずめて甘えている。
「ちょっと、やめてよ?こんなトコでぇ」
里沙がニヤニヤしながら茶化す。
「祐輔!ちょっとしっかりしてよ!」
「リコ~、チュウしてぇ?」
「はあっ!?」
祐輔は唇を突き出して私に迫ってくる。
どうしていいか分からず、パニックになった私は―――
――バシャッ
とっさに持っていた水を、祐輔の頭から掛けた。
「リコっ!?なにやって…木村君、大丈夫!?」
慌てて里沙がタオルを取りに走った時、私は自分がした事にハッとした。
「祐輔!?ごめん、大丈夫!?」
祐輔は、一瞬ビックリしたようだったけど、また私に抱き着いてきた。
「リコぉ…おやしゅみなしゃい…」
そう言って、祐輔は眠りについた。
「うそ!祐輔!?」
私は必死で祐輔の体を揺すった。それでも、起きる気配が無い。
すると、
「プッ…木村君、子供みたーい」
と、里沙が笑い出した。
「ほんと、よくこんな酒弱くてホストやってたな」
慎也さんも、呆れ顔で笑っていた。
「なんなのよ~」
私も体の力が抜けて、笑い出してしまった。
「色々考え事して、一気に気が抜けたんじゃない?」
里沙が毛布を持って来てくれて、優しく声をかけてくれた。
「そうだよね…ここに来るまでバイトの事、気にしてたから…」
私は、スヤスヤと眠る祐輔の頭をそっと撫でた。
その後は、祐輔を除く3人で楽しく飲んだ。
その間、祐輔はずっと眠ったままだった。
「あ、もう18時だね。明日も会社あるし、早めに帰ろっか」
そう言いながら、里沙が少しずつ片付けを始める。
「全員、家まで送ってやるよ。
…と、木村の家がわからないな。神谷、わかるか?」
「いえ…一駅向こうとしか…」
「まいったな…叩いても起きないぞ?」
慎也さんは、困った表情で頭を掻いている。
私は散乱している缶を集めて、台所に運んだ。
「リコの家に連れてけばぁ~?」
里沙が食器を洗いながら、ニヤニヤと私を見ている。
「そんな事できる訳ないでしょ!?
第一、明日は祐輔どうすんの?着替えも無いし…」
「そんなの、木村君が朝早めに出て、会社に行く途中に着替えて行けばいい話じゃーん」
「…」
あっとゆーまに里沙に問題を解決されてしまい、私は断る理由が無くなって黙り込んだ。
「いいっ!祐輔を起こして家を聞き出す!」
私は気合いを入れて、祐輔の元へズカズカ歩み寄った。
祐輔に掛かっている毛布を剥ぎ取り、思い切り体を揺すった。
「祐輔!?帰るよ、起きて!!家どこ!?」
「うーん…あと5分…」
「そうじゃなくて、家を詳しく教えて!!」
「こんな家に住みたいぃ…」
「もう!!ふざけてないで、ちゃんと答えてよ!」
私はイライラしながら祐輔をバシバシ叩いた。
「神谷…悪いけど、神谷の家に連れて行ってやって?木村だけ、ここに居てもいいんだけど…俺、明日は取引先に出張で、早朝会議だから朝4時には家を出るんだよ…今日中に色々準備もあってな」
慎也さんが、申し訳無さそうにしている。
「分かりました…」
「もしかしたら、送ってる途中で起きるかもしれないし。そしたら家に帰らせればいいしな」
「はい…」
「あ、ダメだ」
慎也さんが、車のキーを持って立ち止まった。
「俺、酒入ってるわ。運転できないな」
「あー、そっかぁ。なら、私電車で帰るぅ。リコはタクシーで帰ったら?」
「あ、うん…」
「悪いな…」
慎也さんがタクシーを呼んでくれて、里沙と私は先に乗り込んだ。
遅れて、慎也さんが祐輔を抱えてタクシーまで連れて来てくれた。
「じゃ、気をつけて。本当に悪いな」
「いえ、お邪魔しました」
「慎ちゃ~ん、バイバ~イ!」
私達が挨拶を済ませたのと同時にタクシーが走り出した。
里沙だけ駅で降りて、二人で私の家に向かった。
アルコールが入っていたせいか、私もウトウトしていたみたい。ハッと気付くと、タクシーは私の住むアパートの近くまで来ていた。
淡い期待は虚しく、祐輔は私の家に着くまで眠り続けていた。
「祐輔?
起きて、歩ける?」
「う~ん?」
祐輔は目を擦りながらフラフラと、かろうじて歩いた。
私はフラつく祐輔を必死で支えながら、なんとか自分の部屋まで辿り着いた。
玄関に座らせ、靴を脱がせて、またフラつきながら祐輔をベッドまで運んだ。
祐輔はドサッと倒れ込み、またすぐに眠ってしまった。
(さすがに疲れた…)
私は力を使い切り、その場に座り込んだ。
私自身疲れているはずなのに、祐輔の寝顔を眺めていたら自然と笑みがこぼれた。
(寝顔は子供みたいなんだなぁ。
会社もクビにならずに済んだし、ホッとしたんだろうな)
私は、そっと祐輔の髪を撫でて、起こさないよう静かにシャワーを浴びに行った。
自分より背の高い男性を抱えて歩いたのは初めてだった。
とにかく必死だったから、全身汗でベタベタ。それが気持ち悪くて、一刻も早くシャワーを浴びたかった。
(ふぅ…サッパリしたぁ)
髪をタオルで拭きながら部屋に戻った。
「リコ…?」
「わあっ!びっくりした!起きてたの?」
祐輔は暗闇の中、ベッドの上で正座をしていた。
「ここ、リコの部屋?」
「そうだよ~。運ぶの大変だったんだからぁ」
「俺、なんで…」
「覚えてないの?
祐輔、慎也さんの家で酔い潰れて寝ちゃって、起こしても起きなかったから、ここに連れて来たんだよ。祐輔の家もわからないし…」
「そうだったんだ…迷惑かけちゃったな…ごめん」
祐輔は、うなだれるように頭を下げた。
「別にいいよ。それより、もう大丈夫なの?」
「うん、目ぇ覚めた。
あっ、俺の自宅に電話してくれればよかったのに!母さんいるし」
「あ~!そういえば祐輔、まだ家出てないんじゃん!そうだ~…思い付かなかった…」
「ごめんね…」
余りにも申し訳なさそうな祐輔を見て、私はクスッと笑いながら部屋の電気を付けた。
「コーヒー飲む?」
「あ、いいよ!すぐ帰るから!」
祐輔は慌てて立ち上がったけど、まだ足元がフラついていた。
「遠慮しないで。
コーヒー飲んで、酔いを覚ましてからにしたら?」
「じゃあ、いただく…」
祐輔は小さくなって、テーブルの前に正座した。
「はい、どーぞ」
「ありがとう…」
コーヒーのいい香りが広がっている自分の部屋で、祐輔と二人で居るのが不思議な気分だった。
でも、なんだかとても落ち着く。
コーヒーを一口飲む度に溜め息をつく祐輔を見て、思わず笑ってしまった。
「リコ、どうしたの?」
「クスッ…ううん。いい加減、足崩したら?楽にしててよ」
「うん…」
祐輔は遠慮がちに、あぐらをかいた。
「それにしても、リコの部屋って綺麗だね」
「そうかな?物が少ないからじゃない?」
「片付け上手で、美味しいコーヒーが入れられる奥さんっていいな」
―――ドキッ
祐輔の口から出た『奥さん』って言葉に過剰に反応してしまった。
なんて答えていいか分からず、私はひたすらコーヒーを飲み続けた。
「リコ…」
「は、はいっ」
祐輔は真っ直ぐ私を見ている。
私は緊張して姿勢を正した。
「俺…」
ドキドキドキドキ――
(ま、まさか!プロポーズ!?いや、まだ付き合い始めたばかりだし!でも祐輔は真剣な顔だし…あ~!なになになに!?)
私は一瞬で色んな事を考えた。
「俺…お腹空いた」
「はあっ!?」
「だって、里沙さんの凶器みたいな卵焼きと、ビール少ししか飲んで無いんだも~んっ」
「もうっ!毎回、毎回なんなのよっ!」
私は持っていたマグカップをダンッとテーブルに叩き付けて、台所に向かった。
「なに怒ってるの?」
「怒ってなんかない!!」
(乙女心をなんだと思ってるの!)
私は終始無言で、炒飯を作り続けた。
祐輔はベランダでタバコを吸っている。
私の様子を気にしているようだったけど、私は気付かないフリをしていた。
「食べれば!!」
タバコを吸い終わって部屋に入って来た祐輔に、お皿にテンコ盛りになった炒飯を突き付けた。
「わあ~、いい匂い!美味しそう!あ、写メ撮ろう」
「な、なんで炒飯ごときを写メ撮るのよ!?」
「だって、リコが俺に初めて作ってくれた料理なんだよ?記念だよ~」
祐輔はニコニコしながら、写メを連写していた。
そんな可愛い祐輔を見ていたら、さっきまでの怒りが吹っ飛んでしまった。
「祐輔はズルイよ」
「はんへ?(何で?)」
祐輔は口いっぱいに炒飯をほうばっている。まるでハムスターだ。
「そーゆーところ!」
「????」
祐輔は首を傾げながらも、バクバク食べて、あっとゆう間に完食した。
「ご馳走様でした!はぁ~、美味かった!」
そう言いながら、祐輔は食べ終わった食器を片付けに台所へ向かった。
「へ~。祐輔、ちゃんと片付けるんだ?」
「なんで?普通でしょ?」
「お母様の育て方がよかったんだね」
「あ~、母さんにはうるさく言われてたかな」
祐輔は流し台に食器を片付け、洗面所に顔を洗いに行った。
私は、食後のコーヒーを入れに台所へ向かった。
「そういえばリコ、シャワー浴びたの?」
祐輔はサッパリとした顔で洗面所から出て来た。
「うん、汗でベタベタだったから」
「ふ~ん…」
横からすごく視線を感じる…
「なに?なんか変?」
「んーん。なんか、色っぽい」
「な、なに言ってんの?
ほら、コーヒー入ったよっ」
私は顔が真っ赤だった。
祐輔は私からマグカップを受け取ると、口を付けずにそのままダイニングテーブルに置いた。
「飲まないの?冷めちゃうよ?」
「う…ん…」
祐輔は真っ直ぐ私を見つめながら近付いてくる。そして、優しく私の髪に触れた。
私は、変に意識してしまって目を逸らした。
「リコ…」
「ん…?」
「好きだよ」
「うん…」
何度言われても、面と向かって『好き』って言われると、すごく照れる。
私はずっと下を向いたままだった。
「照れてるリコ、やっぱ可愛い…」
「照れてなんか…」
「すぐ否定する。素直じゃないなぁ」
祐輔は意地悪く笑いながら、私の顔を覗き込む。
「キスしてって言ってみて?」
「はっ!?な、なんで私がそんな事言わなきゃいけないの!?」
「いーから。言って?」
祐輔は少し命令口調だ。
さっきまで子供みたいに笑ってた子が、今では別人…
祐輔のこの表情が、いつも私をドキドキさせる。
祐輔のこの声が、いつも私を素直にさせる。
「キ…、キス…して…?」
私は自分で言って恥ずかしくなり、両手で顔を隠した。
祐輔は、そのまま私を抱きしめて、肩に顔をうずめた。
「ヤダ」
祐輔は小さな声で言った。
「ちょっ…!言わせておいて何それ!」
必死で祐輔を突き飛ばそうと思っても、まだアルコールの抜け切って無い私には、そんな力は残されて無かった。
祐輔は何も言わずに私を抱きしめ続ける。
「ゆう…すけ…?」
「失敗した…」
「何が?」
「あんな事言わせるんじゃなかった…」
「なんでよ!?」
また祐輔は黙り込んで、抱きしめている腕にギューッと力を入れてきた。
「祐輔、苦しいよ。どうしたの?」
「理性が…」
「またそんな事!!」
「あんな可愛く言われたら、キスだけで終わる自信無い…」
「祐輔…」
祐輔の鼓動が早くなっていくのが聞こえた。
私もドキドキし過ぎて倒れそう―――
「俺さ、リコの事大事にしたいんだ」
「どうゆう…事?」
「体目当てじゃない。本当にリコそのものを好きになったんだって、伝えたいんだ」
「充分、伝わってるよ?」
「そう?
でも、これからもっと俺の事を知ってもらって、俺もリコの事を知りたい。
今は酒も入ってるし…そんな状態でリコを抱きたくないんだ」
「祐輔…ありがとう…」
私は祐輔の気持ちが嬉しくて、目頭が熱くなった。
「でも…何も無しじゃ寂しいから、いっぱいキスしていい…?」
祐輔は子供がねだるような顔で、私の顔を覗き込んだ。
「うん…いっぱいキスして…?」
私は素直に答えた。
すると、祐輔にグッと手を引かれ、ソファーに連れて行かれた。
私をソファーに座らせると、祐輔は床に両膝をついて私を見つめた。
「リコ、大好きだよ…」
「私も…」
私達は、優しく唇を重ねた。
祐輔は優しく重ねた唇をゆっくり離した。
見つめ合う二人…
時が止まってるみたいだった。
「リコっ…」
祐輔は私に覆いかぶさりキスをする。
さっきとは違う、激しいキス…
深く、深く…
少し乱暴だった。
だけど、
すごく愛情が伝わってくる…
私も祐輔の気持ちに応えた。
どちらの吐息なのか…
どちらの鼓動なのか…
溶け合ってしまって分からない。
「ん…」
苦しくなってきて、思わず声が漏れた。
すると祐輔は、突然私を引き離した。
「ゆ…すけ…?」
私は、トロンとしてしまって体に力が入らない。
なんだか体が熱く、ほてっている。
祐輔は困った表情で、私を見ている。
「ダメでしょー…」
そう言って、コツンと額を合わせた。
「え…?」
「声、反則だよ…」
「あ…、ごめん…」
「リコ、ちょっと熱い?」
「うん、なんか熱い…」
祐輔は、私の髪止めを外した。
まだ乾ききってない髪が、パサッと肩に掛かる。
「リコ、綺麗…」
「そんなこと、初めて言われた」
祐輔はソファーに上り、私の後ろに回りこんだ。
後ろからギュッと抱きしめられて、手を絡めた。
「俺、変な約束した事後悔してる…」
「変な約束?」
「リコを大事にするって」
「あー…、なんで?」
「今すぐ俺のモノにしたい…」
「フフッ…残念だったね」
「リコ、意地悪だ」
「自分で言ったんでしょ?」
「そうでした…」
祐輔は、まるで犬が甘えてくるみたいに、私の肩にグリグリ顔をうずめていた。
それから私達は、しばらく何も話さなかった。
くっついているだけで落ち着くし、本当に幸せだった。
祐輔は、ずっと私の肩に顔をうずめたままだった。
すると、急に強く手を握られた。
「もう、今日はチュウしない」
「しないの?」
「ウソ。やっぱする…」
「ハハッ、なにそれ」
「んんん~」
また祐輔がグリグリと顔をうずめる。
そんな祐輔が可愛くて、愛おしくてたまらなかった。
こんなに甘えん坊な男性を見るのは初めて。
母性本能がくすぐられるって、こうゆう事か…
「帰る…」
「えっ!?帰るの?」
「帰りたくない…」
「どっちよっ」
いつまでもウジウジしてる祐輔。
でも、こんな祐輔を見られるのは私だけなんだって思うと、ちょっと優越感。
祐輔は、
ハァ~…
と溜め息をつくと、ソファーから降りた。
「顔洗ってくる」
洗面所に向かう祐輔の背中が、なんだかとても切なかった。
(ものすごい葛藤してるんだろうな)
ちょっと可哀相な気もしたけど、今更私から『いいよ』なんて、恥ずかしくて言えない…
それに、祐輔自身が私を大事にしたいと思ってくれてるのだから、その気持ちを無駄にしちゃいけないと思った。
まだ少し、さっきの余韻が残っていた私は、コーヒーでも飲んで落ち着こうと台所に向かった。
「ねぇ~、リコ~?」
甘えた声を出しながら、祐輔が私の腰に手を回してきた。
「なに?
まさか、また理性が…とか言うんじゃ無いでしょーね?」
「んーん。お願いがあるのぉ」
「何甘えた声出してんの?」
「俺ぇ、ここに住みたいなぁ~」
「ダメ!!」
「即答っ!?
え~、なんで?いいじゃんっ」
「ダメったらダメ!!」
頑なに拒み続ける私から離れて、祐輔はプクッと頬っぺたを膨らました。
「ちぇ~…」
祐輔は子供みたいに、いじけながらコーヒーを飲んだ。
2、3口飲んで、帰り支度を始める。
「帰る?」
「リコが意地悪するから帰る」
「なにそれー」
「フッ…ウソ、ウソ!」
祐輔は私の頭をポンポンと叩いて、靴を履く。
「そういえば!
俺、リコの携帯の番号とアドレス知らないや」
「あ、そういえばそうだね」
私達は連絡先を交換し、それぞれの携帯に登録した。
「これでいつでもリコの声が聞ける」
祐輔はニコッと笑って玄関のドアを開けた。
「あ!!」
「何?忘れ物?」
「うん」
「何?」
チュッ―――
軽くキスをされた。
「ね?忘れ物っ」
「もうっ…」
「ヘヘッ…おやすみ!!」
「おやすみ…」
祐輔は駅に向かいながら、何度も振り向きながら手を振り続けていた。
私は祐輔の姿が見えなくなるまで見送った。
さっきまで二人で過ごして居た部屋が、やけにシーンとしている。
寂しい…
さっき別れたばかりの祐輔に、もう会いたい…
(ダメだ…完全に祐輔にハマッてる…)
そんな自分がなんだか可笑しくて、一人で笑ってしまった。
すると、携帯が鳴った。
(メール…?)
メールを開くと、祐輔からだった。
――from 祐輔
リコ、会いたい。――
キュンッ…
すごく短い文章だったけど、私の胸を熱くさせるのには充分だった。
――to 祐輔
私も会いたい。
また、明日会社でね――
こういう時、恋人が同じ職場なのは、ありがたい。
次の日には、すぐ会えるんだ―
私はギュッと携帯を抱きしめる。
すぐに祐輔から返信がきた。
――from 祐輔
無理。待てない。――
ピンポーン―――
(えっ…?)
部屋の中に、インターホンが鳴り響いた。
鼓動が高鳴る…
私は玄関までの短い距離を走った。
ドアを開けると――
祐輔が立っていた。
「お待たせしましたぁ~。ご注文の品を…」
迷う事無く、私はガバッと祐輔に飛び付いた。
自分でもよく分からないけど、涙が出てくる。
「会いた…かった…」
嬉しくて、こんなに涙って出るものなんだ。
泣きじゃくる私の頭を祐輔は優しく撫でてくれた。
「さっき会ったばっかでしょー?
って言っても、俺も明日まで我慢出来ずに来ちゃったけどっ」
照れくさそうに笑いながら、私を抱きしめてくれた。
「リコ…何にもしないから、泊まっていい?朝、早く出るからさ…」
ちょっと遠慮がちに私の顔を覗き込む。
「うんっ…うんっ…」
私は泣きながら何度も頷いた。
――こんなに人を好きになったのは初めて…
私、祐輔に恋してるんだ…
祐輔は私の両腕を掴んで、そのまま私の体を玄関の壁に押さえつけた。
さっきよりも、お互いの愛情を確認するかのような、激しいキスをした。
このまま時が止まって欲しい―
きっと、二人共同じ気持ち…
重ね合う唇から、愛情が溢れ出す。
ゆっくりと唇を離した祐輔は、チュッと私の頬っぺにキスをした。
急に照れて、二人で笑った。
「リコ、シャワー借りていい?走って来たから、汗でベトベトっ」
「あ、うん。いいよ。タオル出すね」
「一緒に入る?」
「変態っ」
「俺、生まれて初めて『変態』って言われた…
母さん、俺…変態だって…」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと入りなっ!」
「は~い」
シャワーの音が聞こえてくると、何かしてないと落ち着かなくて、とりあえずお湯を沸かした。
「リコのシャンプー、いい匂~い」
「ちょっとリラックスできる香りのを選んでるからね」
「へえ~。あれ?何してんの?」
「あ、コーヒーでも入れようと…」
「プッ…どんだけコーヒー好きなの?」
「あ、いらない?」
「俺、ホットミルクがいいなっ」
「プッ、お子ちゃま~」
「なんとでも言ってくれ~」
祐輔は、ヘラヘラ笑いながらソファーに座った。
ズボンだけ穿いて、上半身は裸だ。
私は目のやり場に困りながら、ホットミルクを手渡した。
「何意識してんの?
リコのエッチ!」
「っ…!?」
私は、何故か言い返す事ができなかった。
少なからず祐輔の体を見て、変な妄想したのは確かだったから…
私もコーヒーは止めて、ホットミルクにした。
ソファーに二人で座って、フゥフゥしながらホットミルクを飲んだ。
体の芯から温まって、私はウトウトしてきた。
「リコ、眠い?」
「ん~…」
「そういえばさ、今ってリコ、スッピン?」
「うん…」
「あんま変わらないんだね」
「ほとんど薄く塗ってるだけだもん。化粧自体、あまり好きじゃない…」
「そうなんだ?
でも、スッピンの方がなんか可愛い」
「そう…?」
私は眠気がピークで、祐輔の話をほとんど聞いて無かった。
目を擦っていると、急に体がフワッと宙に浮いた。
「へ?」
祐輔がお姫様抱っこでベッドまで運んでくれていた。
普段の私なら必死で抵抗するけど、今の私は眠気との戦い。
素直に連れていってもらった。
そっと私をベッドに降ろして、毛布を掛けてくれた。
「…ありがと」
「そんな可愛いと、襲っちゃうよ?」
「う~…ん。バカじゃないの…」
「あ、眠くても『バカ』って言葉は出るのね…」
「…うん」
半分まぶたが落ちている私の目に、祐輔がキスをした。
「おやすみ、リコ」
「おやすみ…」
優しい祐輔の笑顔を見ながら眠りにつくのは、本当に幸せだった。
まぶたが完全に落ちた時、祐輔が唇にキスをしたのが分かった。
私は口元が緩んだまま、祐輔の温もりを感じながら、眠りについた――
さすがに徹夜明けでお酒を飲んでいたせいか、夢も見ない程熟睡した。
「ん~…ん?あれ?」
目覚めると、そこに祐輔の姿は無かった。
「帰っちゃったのかな…」
部屋中を探しても、祐輔は居ない。
昨日の事は、夢だったのかなと思うぐらい、シーンと静まり返っている。
もう一度、祐輔の温もりを感じたくて、ベッドに潜り込んだ。
少し祐輔の匂いが残ってる…
胸の奥が、ギューッと締め付けられた。
しばらく布団の上でゴロゴロしていると、携帯のアラームが鳴った。
ベッドの横に置いてある棚に手を伸ばして、携帯を開く。
(あれ?メールがきてる…)
メールを開くと、祐輔からだった。
――from 祐輔
おはよ、リコ!
黙って帰ってごめんね。よく寝てたからさ。
リコの寝顔、いただきましたっ!!――
「いただきました?あ、添付ファイルが…えっ!?」
メールと一緒に送られて来たのは…
それはそれは幸せそうに口元を緩ませながら眠る、私の寝顔の写メだった。
「いつのまにっ…!?」
私はすぐに祐輔に電話した。
『もっしも~し?おはよう、リコ~。どうしたの?』
「どうしたのじゃないわよ!何この写真!」
『よく撮れてるでしょ?あまりにも可愛いかったから撮ったんだ~』
「消してよっ!」
『やーだ。離れてる時、これ見て寂しさ紛らわすんだから』
「こんな写真やだぁ…お願いだから消して?」
『愛してるって言ってくれたら考える』
「愛してる!愛してるからっ!」
『気持ちがこもってないから却下。
俺着替えなきゃいけないから~。バイビー』
プーップーップーッ…
「ちょっ…
バイビーって…今時言うか…?」
私は、祐輔の変な挨拶に、ツッコミを入れずにはいられなかった。
(まぁいっか…
他人に見せびらかす訳じゃないだろうし)
とにかく私も仕度しなきゃ。
急いで顔を洗って、着替えた。髪を縛って、メイクをして、朝食を食べる。
コーヒーを入れようとした時、昨日祐輔とホットミルクを飲んだのを、ふと思い出した。
(また、一緒に飲みたいな…)
今日は、いつものコーヒーを止めて、ホットミルクを飲んだ。
少しでも祐輔を感じたかった。
この間までは、休み明けの出社は気が重かった。
でも、今日は違う。
少しでも早く会社に着きたくて、駅までちょっと走った。
いつもより、早い時間の電車に乗った。
本当なら、電車の中でも走っていたい気分。
意味無いけど…
会社の近くの駅から会社まで、始業時間までは充分時間はあったけど、また走った。
始業時間30分前――
いつもより15分早く着いた。
ロッカールームで制服に着替えて、オフィスに入る。
「おはよーございまーす…」
「おはよ…
あれ、神谷さん?今日は早いね」
「ええ、まぁ…」
見渡せば、3人ぐらいしかまだ来ていない。
(この人達は、いつもこんな早く来てるのかな?
仕事熱心だなー…)
とくに急いでやる仕事も無いし、今居る人達にお茶を入れた。
それも、すぐ終わってしまう。
暇になった私は、椅子に座ってクルクル回っていた。
(祐輔、早く来ないかな…)
祐輔からの、昨日のメールを読み返していた。
何度読んでも、胸がキュンッてなる。
たいした内容じゃないけど、祐輔の気持ちが詰まったメール…
携帯を眺めながら、一人でニヤニヤしていた。
すると…
「リコ…?」
ガターンッ!!―――
「きゃあっ!!」
いきなり耳元で名前を呼ばれて、あまりにも驚いて椅子ごとひっくり返った。
完全に気を抜いてた…
思わず悲鳴を上げてしまった。
私の悲鳴に驚いて、オフィスに居た人達が集まって来た。
「大丈夫!?神谷さん!!」
「あ、はい…すみません…」
尻もちをついている私を見て、祐輔が笑いをこらえていた。
「おい、木村~。お前何かしたのか~?」
先輩達が、祐輔の肩を小突いた。
「何もしてないですよぉ。声かけただけですって」
「すみません、私が勝手に驚いて転んだだけです…」
立ち上がろうとしたら、祐輔が手を差し延べた。
祐輔に引き上げられて、立ち上がる。
「本当に、すみません…」
「神谷さん、本当に大丈夫?
木村~、神谷さんにちょっかい出すなよ?お前なんか相手にされないんだから」
祐輔の肩をポンッと叩いて、笑いながら先輩達は仕事に戻った。
赤面する私の横で、祐輔は肩を震わせて笑っていた。
『もうっ、ビックリするじゃないっ』
『クククッ…だって、一人で携帯見ながらニヤニヤしてたからさ。何見てたの?』
私達は、周りに気付かれないように小さい声で会話した。
『な、なんでもないって。それより祐輔、早いじゃん?』
『え?いつも通りの時間だよ?』
『うそっ!?』
時計を見ると、始業10分前。
ゾロゾロと、みんな出社してくる。
(もう、そんなに時間経ってたんだ…)
時間も忘れて、祐輔からのメールを見ていた自分が恥ずかしい…
私は、ごまかすようにパソコンの電源を入れた。
『ねぇねぇ、リコ。俺、リコに相手にされないんだって』
『そう見えるんじゃない?祐輔、子供だし』
私はシラッとした目で祐輔を見た。
『あれ~?そんな事言っていいのかな~?コレ見せて、昨日は熱~い口づけ交わしましたって、言っちゃおうかな~?』
祐輔は私の前で携帯をヒラヒラ見せびらかした。
よく見ると、待受画面が私の寝顔の写真…
「なっ…!!」
思わず大声が出た。
周囲の人達が一斉に私を見る。
私は、また赤面して下を向いた。
「す、すみません…」
クスクスと笑い声が起こる…
祐輔は、ニヤニヤしながら自分の席に向かった。
『ちょっとっ!!』
私の制止を無視して、祐輔は椅子に座ってクルクル回りながら携帯を眺めていた。
(…もうっ!!)
唇を噛み締めて席につくと、里沙が近付いて来た。
「リコ、おっはよ~」
「おはよっっ!!」
私は少し強い口調で挨拶を返した。
「何、朝から怒ってんの?」
「弱みを握られたの!!」
「弱み?誰に?」
「あの、バカにっ!!」
「バカ?あ~、なるほど…
何かあったの?」
「後で話す!!」
私はパソコンのキーボードをバンバン叩きながら、発注書を作成した。
里沙は、首を傾げながら席に着いた。
―――この会社は、7階建てで広く、そして綺麗だ。
各階にそれぞれ部署があって、私達の所属する開発部は、6階にある。
各階に会議室、給湯室、喫煙ルーム、ロッカールーム、自販機、喫茶コーナーが備わっている。
だから、他の部署の人達と顔を合わせる事があまりない。
あるとすれば、2階にある食堂と、そこにある喫煙ルームぐらい。あとは、よっぽど他の部署に用事がある時ぐらいだ。
―――ここ、開発部の配置は、
机が横に5個ずつくっついて並んでいて、反対側も同じようにくっついている。
つまり、10個で一つの固まり。
私は端っこの席で、左側には席が無い。右隣に同期の女の子。
正面に祐輔と同期の男の子。その隣に祐輔。
私の真後ろに里沙。
窓際から、オフィス全体を見渡せる席に、慎也さん。
7対3の割合で、女の子が少ない。開発部だからってのも、あるのかもしれないけど。―――
パソコンのディスプレイから、ちょっと右斜め前を覗くと、祐輔が見える。
真剣に仕事をしている祐輔の顔が、すごく男らしい。
(昨日は、あんなに可愛い顔してたのに…)
真剣な顔の祐輔も、また格好良くて見惚れてしまう。
じっと見ていたら、祐輔がこちらに気付いた。
祐輔は私を見ながら口を尖らせて、指で唇をポンポンッと叩く。
私は意味が分からなくて、首を傾げた。
すると、祐輔は口だけ動かして何か言おうとしている。
――キ・ス・し・た・い
そして、また唇を指でポンポンッと叩いた。
私は祐輔に冷たい視線を送りながら、口だけ動かした。
――バ・カ
祐輔は、いじけた顔で口を尖らせながら、またキーボードを叩き始めた。
思わずフッと口元が緩む。
祐輔と、こんなドラマみたいな事が出来るのが嬉しかった。
歳なんか関係無い。
祐輔は、私を恋する乙女にしてくれる。
―大好きだよ
今すぐにでも、祐輔に伝えたい。
ずっと夢見ていた『甘い恋』は、想像以上に私を変えた。
――昼休み
お昼を知らせるチャイムが鳴ると、みんな一斉に席を立つ。
いつも通り、里沙が声を掛けてくる。
「リコー、食堂行こ?」
「うん、ちょっと待ってて。すぐキリつけるから」
「あーい」
里沙は、私の隣の席に座って携帯を開いた。
「あーあ、今日は慎ちゃん居ないから、つまんな~い」
「出張って言ってたね。でも、夕方には戻ってくるでしょ?」
「夕方まで会えないんだもん。いいよねー、リコはっ」
「何が?」
「すぐ近くにダーリンいるんだもん」
「ちょっと!まだ、みんなには言ってないんだからっ」
「隠す事ないじゃん。ね~、木村君っ」
里沙は、パソコンの隙間から覗き込むように祐輔を見た。
「へ?」
祐輔には、聞こえてなかったらしい。
「あ、木村君も一緒にお昼食べる?」
「えっ、いいんですか!?じゃあ俺、一服してから食堂行きます!」
カチカチッとマウスをクリックして、データの保存をした祐輔は、走ってオフィスを出た。
私も仕事にキリをつけて、里沙と食堂に向かった。
食堂内の喫煙ルームを覗くと、祐輔は他の部署の人と談笑している。
「リコっ。私達だけ先に注文しちゃおっか?」
「そうだね」
この会社の食堂は、2階のフロア全体に広がっている。
社員のほとんどが、ここで食べているから、すぐに席が埋まってしまう。
ちょうど4人掛けの席が一つ空いたから、小走りで席を取りに行った。
「リコ、先に注文しておいでよ。私、ここに居るから」
「うん、ありがとう」
私は、だいたい食堂でご飯を食べる時は、『日替わりランチ』を注文する。
今日は、鯖の味噌煮定食だ。
ちょっと待ってれば、すぐに出来上がる。
トレーを持って席に戻り、里沙と交代で席につく。
すると、私の携帯が鳴った。
祐輔からの着信。
『もしもし、リコ?今どこ?』
「先に食堂来ちゃった。返却口の近くの席に居るよ」
『OK~』
「あ、私達先に注文しちゃったからさ。祐輔も注文してから来て?」
『了解~』
電話を切ると同時に、里沙が戻って来た。
「木村君から?」
「うん、注文してから来るよ」
「そっか。なら、ちょっと待つかぁ」
「うんっ」
私は祐輔が来るのが待ち遠しくて、中腰になって辺りをキョロキョロしていた。
「あらあら。ダーリンが待ち遠しいのね~」
「や、そんなんじゃ…」
「いや、むしろそれ以外考えられない行動でしょっ」
里沙はテーブルに肘をつきながら、クスクス笑っていた。
からかわれたのが悔しくて、私は祐輔を探すのを止めて、椅子に座った。
「お!ダーリン来たよ?」
里沙の視線の先を見ると、祐輔が少し離れた所でキョロキョロしていた。
私が声を掛けようと立ち上がった瞬間――
「木村せんぱ~い」
同じ部署の後輩数人が、祐輔を囲んだ。
「木村先輩、一人ですかぁ~?よければ、私達と一緒に食べませんかぁ~?」
女の子達は、クネクネしながら満面の笑みだ。
「ごめん、リコさんと里沙さんと食べるから」
祐輔は笑顔を見せる事無く、私達を探しながら答えた。
「え~…よりによって、あの二人とですかぁ~…?」
女の子達は、明らかに不満げな顔をしている。
すると、祐輔が私達を発見したらしく、ニコニコしながら向かって来た。
後輩の子達が、私達をものすごい見ている…
むしろ、睨んでる…?
祐輔は、何事も無かったような顔で席についた。
「ま~、おモテになるのねっ。木村君!!」
里沙は割り箸を割りながら、祐輔をからかう。
祐輔は、首を傾げながら割り箸を割った。
「いや、俺、モテませんよ?」
「それ、本気で言ってんの!?」
里沙は呆れた顔で、日替わりランチを食べ始める。
私は、なんだかモヤモヤした気持ちになっていた。祐輔の顔を見ないようにしていた。
(ヤキモチ…なのかな…)
私の異変に気が付いた祐輔が、私を横目で見ながらラーメンをすすっている。
「リコ?どーしたの?」
「…別に。
そうだ、会社でリコって呼ぶの止めて?あと、祐輔…木村君は後輩なんだからさ…」
「急にどうしたの?
なんか、リコ変だよ?」
里沙は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
私は俯いていた。
――祐輔は、モテる。それは前から分かっていた事…何人かの若い女の子達が、祐輔を狙ってるのも知ってる。
だからこそ…
30歳の私が、堂々と祐輔の彼女ですなんて、言えない。
そう、あの子達から見れば、私は『おばさん』なんだから…
5歳も年下の祐輔と付き合ってるって知られたら、何言われるか…
私は一粒ずつ、お米を食べながら、一人でウジウジしていた。
そんな私を見て、祐輔が何か悟ったのか、フッと笑った。
「リコ…さん?安心して下さい。俺、イジメられてるんですっ」
「は!?誰に!?」
里沙は少し身を乗り出した。
祐輔は肩をすぼめて、箸でラーメンをグルグル掻き混ぜた。
「聞いてくださいよぉ。この前、俺が席を外してる間に、机の上に熱々のお茶が5個も置かれてたんですよぉ?
あれは、絶対イジメだっ。うんっ、絶対そうだ!」
その話を聞いて、私と里沙は顔を見合わせた。
(あれは、里沙が…)
「プッ…あはははは」
私と里沙は、お互いの肩に顔をうずめて笑った。
「何が可笑しいんですか!?
5個もあったんですよ?しかも、熱々のが!何かの罰ゲームですかね?」
真剣な顔で訴える祐輔が、可笑しくてたまらない。
「あ~、それは大変な事だねー」
里沙はケラケラ笑いながら、棒読みで言った。
私は、これ以上笑ったら失礼だと思って、必死で笑いをこらえた。
「鈍感にも程があるねっ…アハハ」
「確かにっ…フフフッ」
私は、笑い顔でランチをもぐもぐ食べ始めた。
祐輔も私の顔を見てニッと笑って、ラーメンを口いっぱい頬張った。
「でもさぁ、なんで木村君は自分がモテないって思ってるワケ?
現実、あんな風に女の子達に囲まれてるじゃん」
里沙の質問内容は、私も聞きたかった事…
私は目線だけ上げて、祐輔を見た。
祐輔は一瞬目を合わせて、すぐに逸らした。
「俺…何人かに告白された事があります…」
「うそっ!?ウチの部署の子!?」
里沙は目を真ん丸にして、また身を乗り出した。
私は鯖の味噌煮だけを、ただただ見つめていた。
「はい…新人の子達に」
「やっぱり、モテてるんじゃないっ」
里沙は、椅子にもたれ掛かって腕を組んだ。
「モテてるとは、思いません…」
「なんで?」
「俺、嫌いなんですよ。ああやって、グループ行動する女の子…」
「まさか、グループで告白しに来られたの?」
「それに近いですね。告白しに来たのは一人ですけど、付き添いみたいな子達が、離れたトコから見てたんですよね」
「あ~…なんか分かる。小学生みたいなヤツね」
「はい…。どうも、ああいうのが嫌いで…」
「なるほどね~…」
里沙は呆れた表情で祐輔の話を聞いている。
私は…
相変わらず、鯖の味噌煮を見つめたままだった。
「告白されて一人断ると、別の日には付き添いで見てたハズの子が、また数人引き連れて告白しに来るんですよ。
もう、うんざりで…」
「…」
里沙は、あまりにも呆れて言葉が出ないようだった。ただ、大きな溜め息をついていた。
「あんな告白の仕方、絶対本気じゃないと思いません?
誰かがOKされればラッキーみたいな…」
「確かに、その子らの本気の気持ちが見えない行動だね」
「そうなんですよ…
だから、あんなのモテるって言いませんよ」
「そう…だね。
木村君、なんかごめんっ」
祐輔は、ためらいも無く謝る里沙に驚いていた。
「なんで里沙さんが謝るんですか!?」
「いや、なんかさ…
そんな事があったのも知らずに、モテてるって軽く言っちゃって…」
「気にしてませんよ!
まぁ、本当に俺がモテてたとしても、俺はリコさん一筋ですからっ」
祐輔は、私の顔を見てニッコリ笑った。
私も、祐輔の笑顔を見て微笑んだ。
「ちょっと!!
私が居るの忘れてないっ!?」
里沙が冷めた目をしながらバンバンッと机を叩く。
「アハッ…
ごめん、里沙」
「ま、二人がラブラブなのは知ってるけどさっ。
そういえば、昨日何かあったの?」
「えっ!?」
私と祐輔は顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべた。
昨日と言えば、いっぱいキスをした…
そんな事、里沙には恥ずかしくて言えない…
「なに二人でニヤニヤしてんの?
今朝、リコ怒ってたじゃん。弱みがどうのって…」
「あっ!!もう、いいの!忘れて?」
(そっちの話だったかっ…!)
今朝の出来事はスッカリ忘れてた…
私は何か嫌な予感がして、今朝の事をはぐらかした。
「え~、気になるじゃん。木村君、リコのどんな弱みを握ったの?」
「リコさんの弱み…?今朝…?なんだろう?」
祐輔は、ん~っと上を見ながら考えていた。
「木村君?もういいからさっ」
思い出されたら大変と、必死で祐輔を説得したけど…
無駄だったみたい…
「あぁ~!もしかして、これの事?」
何かをひらめいた祐輔が、ポケットから携帯を取り出した。
「なに、なに!?」
里沙は興味津々の様子で、目が輝いていた。
「ちょっ、やだ!!」
私は祐輔の携帯を取り上げようとしたけど、手が届かなかった。
「ジャーンッ!
見てくださいよぉ。リコさん可愛いでしょー?」
祐輔は誇らしげに、携帯の待受画面を里沙に見せた。
私は咄嗟に俯いた。
「ま…あ、確かに可愛いけど…
これが弱み…?」
里沙はキョトンとしている。
「恥ずかしいから消してって言っても、消してくれないんだもんっ」
私は祐輔を睨みつけた。
「恥ずかしい?可愛いじゃ~んっ」
祐輔はニヤニヤしながら、待受画面を見た。
「んで?この写真が弱み?」
「…恥ずかしくない?」
「なぁんだっ!つまんないのー。
こんなの普通じゃん」
里沙はシラッとした目で私を見る。
「普通…なの?」
「普通だよ!
私だって、慎ちゃんに色んな写真撮られてるし。逆に私も撮ってるしね。もちろん寝顔も」
「そうゆうものなんだ…」
今までこんな風に彼に写メを撮られた事が無かった私には、里沙の言う『普通』が理解出来なかった。
「それより…
なんでリコの寝顔を木村君が撮れたの?
しかも、リコが着てた服、部屋着だよね?リコはシャワー浴びないと着替えないはず…」
里沙の観察力には、毎回頭が下がる。一枚の写真から、瞬時に情報を得る能力は、まさに探偵並みだ…
「そ、それは!話せば長くなるけど…」
何も無かったハズなのに、何故かテンパった。
「まさか、二人っ…
もう…?」
里沙は口を手で隠して、私達をキョロキョロ見た。
「里沙が考えてる事は、してないって!!」
里沙が何を想像したかなんて、一目瞭然だった。
「『考えてる事は』っ?
って、事は…?
ギリギリまで…?」
「ギリギリでもないっ!!」
私は、もう顔が真っ赤だ。自分でも分かる。
「ふうん、キス止まりか」
「…!?」
「はい、図星。
リコ、分かりやすっ」
里沙は、私を指差して笑った。
祐輔も、私のリアクションを見て面白がっていた。
「なによ、もうっ!!!二人して人をバカにしてっ!!」
私は残りの冷めた味噌汁を一気飲みした。
そして、二人を睨みつけた。
「そんな怒らないでよ?キスなんて、恋人なら誰でもするじゃん」
「そーゆー事じゃないもん…」
「も~、リコさん怒らないで?俺の写真あげるからっ」
「いらないっ!!」
二人は、クスクス笑いながら食べ始めた。
私は食べるのを止めて、二人が食べ終わるまで、無言のままそっぽを向いていた。
――恋人同士がキスしたりすのは自然…
でも…
私は、祐輔とキスをしたり抱きしめ合ったりした事を他の誰にも言いたくなかった…
もちろん、里沙にも…
キス一つとっても、私にとっては大事な愛情表現。体の奥底から沸き上がる、祐輔への愛情を伝える為のモノ…
それを誰かに言ってしまう事で、なんだか軽いモノになってしまいそうで嫌だった。
今までの彼氏との事は、そこまで深く考えた事無かったけど、祐輔との付き合いは、私にとって本当に特別なモノになっていた。
里沙に悪気があった訳じゃないのも分かってる…
顔に出やすい自分が、本当に嫌になっただけ。
それから二人は食べ終わっても、私に話掛ける事は無かった。
結局私は、いじけたまま午後の仕事に取り掛かった。
あまりにも、どんよりしていたからだろうか。隣の席の小林さんが、声を掛けてきてくれた。
「神谷さん、大丈夫?体調悪い?」
「あ、大丈夫…ありがとう…」
「あまりにも調子悪かったら言ってね?仕事、手伝うから」
「本当に大丈夫。小林さん、ありがとう」
私は小林さんに気付かれ無いように、小さく溜め息をついた。
(あからさまに、顔や態度に出ちゃうなんて…本当に情けない…)
私は顔をペチペチ叩いて、姿勢を正して仕事に打ち込んだ。
すると、里沙から社内メールが送られてきた。
――from 田中 里沙
さっきは、ごめん…
今日、リコの家に行っていい? ――
(最近里沙、素直に謝るな…慎也さんに、きつく言われたのかな?)
やけに素直なメールに、私はフッと口元が緩んだ。
――to 田中 里沙
私の方こそ、ごめん。大人げ無かった。
一緒に帰ろう。――
メールを送信して、里沙の方を振り返ると、里沙も私の方を振り返った。
そして、顔を見合わせて笑った。
定時になって、私と里沙は帰り支度をした。
祐輔は、まだ少し残って仕事をしていくみたい。
慎也さんは、結局定時になっても戻って来なかった。
里沙は、電車の中で慎也さんにメールをしていた。
「あ~あ。結局慎ちゃんの顔見れなかった」
「何時に帰ってくるの?」
「食事に誘われたって言ってたし、遅いんじゃない?」
「慎也さんも大変だね」
「しょうがないね、一応部長だしっ」
里沙は少し寂しげな表情で笑った。
私の家に着くと、里沙はすぐに化粧を落とす。
これが、私の家に来た時の日課。
二人でソファーに座って、ビールで乾杯した。
「リコ、今日は本当にごめんね?私が面白がって、色々聞き出したから…」
「もういいよ。私がもっと大人にならなきゃいけないんだ」
「でも、あんなに怒るとは思わなくて…
リコの胸の内を聞かせて?」
里沙は何かあると、私の胸の奥深くにしまい込んでいる本音に、耳を傾けてくれる。
私は、素直に全てを打ち明けた。
全てを話し終わると、里沙はビールをグイッと飲んだ。
そして、膝を抱えて座った。
「リコ、ごめんね。
そんな風に木村君との事を大事に思ってたなんて…
それにも気付かず、傷付けちゃったよね」
「本当に里沙が悪いんじゃないよ?
私が深く考え過ぎてただけなんだし…」
しばらく沈黙が続いた。
「ねぇ、リコ?」
「ん?」
「私も慎ちゃんとキスしたりする事、軽くなんか考えてないよ?」
「里沙…」
「そりゃあ、挨拶程度でしちゃう事もあるけどさ…
でも、私もリコと同じように、愛情を伝える為のモノだと思ってるよ?」
「うん…」
「だからと言って、誰かにそれを話したら、軽いモノになっちゃうとは思わないなぁ」
「どうして?」
「ん~、うまく説明できないけど…」
里沙は、頭を抱えて小さく丸まった。
私は小さくなった里沙の背中を撫でた。
「確かに、自分から周りにペラペラ話しまくったら、軽いモノになっちゃうよね?」
「うん…」
「でも、私はリコと木村君の話聞きたいな?ちゃんと向き合ってさ」
「うん…」
「って言っても、今日は私が無理矢理吐かせちゃったんだけど…」
「フフッ、もう気にしないで?里沙、ありがとう」
私は里沙の肩にもたれ掛かった。
「でも、それだけリコが木村君を好きって事だね」
「かなりね…ヤバイかも…」
里沙はフッと笑った。
「リコと木村君のラブラブ話、私に聞かせてよ?どれだけ二人が愛し合ってるのかさ。
もちろん、私達だけの秘密ね!」
「里沙…」
――祐輔との事は、誰にも言いたく無かったけど…
本当の本当は、ふざけないで、きちんと里沙に聞いて欲しかったのかもしれない。
祐輔と過ごした、大切な時間を、面白半分で話したくなかったんだ。
体がスーッと軽くなった。
里沙は、私のノロケ話を優しい笑顔で聞いてくれた。
>> 217
一時間以上かな。
私は一人でひたすら喋った。
祐輔は、私を大事にしてくれてるんだって、ちょっと自慢げに話した。
里沙は木村君にしては、ちょっと意外だって笑っていた。
すると、私の携帯にメールが届いた。
「噂のダーリンじゃないっ?」
「かな…?」
――from 祐輔
今会社出たんだけど、リコに会いたい。
今から家に行ってもいい?――
私は、メールを見てちょっと困っていた。
「リコ?どうしたの?」
「あ、いや…祐輔が今から来たいって…」
「よかったじゃん!」
「でも、里沙夕飯は?食べてくでしょ?」
「ううん、今日はいいよ。リコのラブラブ話しでお腹いっぱい!」
里沙はニコッと笑って、帰り支度をし始めた。
「ごめんね、里沙…」
「いいから、いいから!また明日ね!」
「うん、また明日…」
里沙は、笑顔でテキパキと帰って行った。
部屋に一人になった私は、祐輔にOKとメールを返した。
祐輔の為に、腕を振るうか!
きっと、疲れてるだろうと思って唐揚げを作る事にした。
お店で売ってる粉をまぶして、揚げるだけのヤツだけど…
20時過ぎ、インターホンが鳴った。
揚げ物の途中だったから、急いで玄関を開けた。
「いらっしゃい!入って?」
祐輔にそれだけ言って、私はまた走って台所に戻った。
「お邪魔しま~す。
お、いい匂い!唐揚げだぁ~!」
「適当に座ってて?」
「うん」
と、言いながらも祐輔は私の横で、ずっと唐揚げを眺めていた。
「すぐ出来るからね!」
「ごめんね、リコ。こんな時間に来て、夕飯まで作ってもらっちゃって…」
「いいよ。さっきまで里沙が来てて、私もまだ食べてなかったからさ」
「そっか」
祐輔はソファーに座って、んーっと伸びをした。
「はーい、出来たよ~」
「美味そう!!手伝うよ」
祐輔は食器をテーブルに並べたり、コップにお茶を入れたり、準備を手伝ってくれた。
「ありがとう、祐輔。さ、召し上がれ!」
「いただきまーすっ!」
祐輔はガツガツと唐揚げを頬張り、ご飯を口に押し込んだ。むせ返りながら、味噌汁を流し込む。
やっぱり、ハムスターに見えて仕方ない…
「そんな慌てて食べなくても…」
「だって美味いんだもん!リコ料理上手だね!」
「そ、そう?」
祐輔の笑顔を見ていたら、粉をまぶして揚げただけなんて、言えなかった…
私達は、とくに会話をする事なく食べていた。たまにお互いの顔を見ながら、微笑んでいた。
すごく穏やかな空気の中、幸せを噛み締めていた。
「ご馳走でしたっ!」
「はい、お粗末様でした」
後片付けも、祐輔は手伝ってくれた。
「あ~、幸せ…」
祐輔はソファーに寝転がって、お腹を撫でていた。
「祐輔、何飲む?」
「う~ん…じゃあ、クリームソーダ!」
「わかった、ホットミルクね」
「スルーかよっ」
私はクスクス笑いながら、ホットミルクとコーヒーを入れた。
「はい、クリームソーダ」
「もう、いいよ…」
祐輔は、いじけた顔でホットミルクを飲んだ。
その顔を見てフッと笑った私は、床に座った。
「残業して疲れてるのに、うち来て大丈夫だったの?」
祐輔は、上目使いで私を見ている。
「なに?」
「お昼食べた後から、リコの様子がおかしかったから…」
「あ~…」
私は里沙に気持ちをぶつけた後だったから、そんな事は、すっかり忘れていた。
「俺が里沙さんに、リコの写真を見せたから…?」
「そんなんじゃないよ。たいした事じゃないから、気にしないで?」
「ん~…」
祐輔は、まだ納得がいかないのか、上目使いで私を見たままだ。
「ねぇ、リコ?」
「ん?」
「里沙さんだけにじゃなくて、俺にも本音をぶつけてよ?」
祐輔の表情は、なんだか寂しそうだ。
私は笑ってごまかした。
「里沙さんには、何か話したんでしょ?
俺だって、リコの理解者になりたいよ…」
小さく膝を抱えた祐輔の表情が、とても切なかった。
私はマグカップをいじりながら、里沙に話した事と同じ事を祐輔に話した。
祐輔は、相槌だけして聞いていた。
全て話した後、私は自分が情けなくて、笑ってごまかした。
「私って考えが固いのかなぁ~。フフッ、キスした事がバレただけで、あんなに不機嫌になってさ。
笑って話しちゃえばいいのにね…
ただ、あんな形で話したく無かったんだ」
俯いていると、祐輔は私を後ろから抱きしめた。
「固くなんかないよ。俺は嬉しい…」
祐輔は私の肩に顔をうずめて、ギューッと抱きしめる。
「嬉しい?なんで?」
「だって…俺との事、そんな風に大事に思ってくれてるんでしょ?
俺だったら、逆にみんなに自慢げに言い触らしたいもん」
「それは、やだ…」
「でもリコの話聞いて、俺も考え方変わった。
リコとキスしたりした事、誰にも言いたくない。大事に心に閉まっておきたい」
「祐輔…」
私は祐輔の腕をギュッと握った。
「でも里沙さんとは、なんか共有したい」
「なんでよ!?」
「里沙さんなら、なんか微笑ましく聞いてくれそう…」
「祐輔も、里沙の事がよく分かってきたね」
二人でクククッと笑った。
「里沙が面白可笑しく、からかうハズなんかないのにさ。
それなのにムッとしちゃった自分が恥ずかしいよ…」
「あれでしょ?場所とか、雰囲気の問題もあるんじゃない?」
「あ~、そうかも。
あんなに人が沢山いる所で、キスとか軽く口に出されたのが嫌だったのかも」
自分自身、よくわからなくてモヤモヤしてた部分を、祐輔が解決してくれた。
頭がスッキリした。
「祐輔、ありがとう。こんな、私でごめんね…」
「リコの全てが好きだから」
私達は見つめ合った。
祐輔は年下だけど、年上の私を甘えさせてくれる。
無理に強がらなくていいから、祐輔の側がとても居心地よかった。
見つめ合った後、祐輔はずっと私を抱きしめていた。
「祐輔?どうしたの?」
「やっぱり、俺、リコと暮らしたいな…」
「ダメって言ったでしょー?」
祐輔は、口を尖らせてソファーに戻った。
「なんでそんなにダメなの?」
「だって、まだ付き合い始めたばっかだし…」
「まぁ、それが普通の考えかっ」
祐輔は口元だけ笑って、冷めたホットミルクを飲み干した。
私は、なんだか申し訳無い気持ちになって、俯いていた。
「リコ」
「なに?」
「キスして?」
「はっ!?」
私は眉間にシワを寄せて顔を上げた。
「早くっ」
祐輔は目をつぶって、ん~っと唇を突き出した。
「なんで私が…」
すると、祐輔が私の腕を掴んでグイッと引き寄せた。
私をソファーに座らせると、祐輔は私の肩に寄り掛かった。
「俺、今日仕事で失敗しちゃってさ…
だから残業してたんだ」
「そうだったの…
お疲れ様」
私が祐輔の頭を優しく撫でていると、祐輔はその手をギュッと握った。
「お願い、リコ。
元気ちょうだい?」
おねだりするように私を見上げている祐輔が、無性に愛おしくなった。
そして、そっと唇にキスをした。
唇を離した瞬間、祐輔に両腕を掴まれて、ソファーに押し倒された。
抵抗しようにも、男性の全力の力には勝てない。
そのまま、私の唇を奪うようにキスをする。
さっきまで、甘えん坊な顔をしていた祐輔は、完全に男の顔付きになっていた。
「リコ、好きって言って?」
「好っ…んっ…!?」
言いたくても、祐輔は言わせてくれない。
いつもは可愛い祐輔だけど、たまにすごく強引で意地悪になる。
そんな祐輔に、私は完全に心奪われていた。
祐輔は私にキスする以外、本当に何もしない。
私の髪を撫でたり、額や頬っぺ、目に口づけをするだけ。
私の体には触れない。
触れても、抱きしめるぐらい。
私は少し、もどかしい気持ちになる。
なんだか、逆に焦らされてるような…
だけど、すごく幸せだった。大切にされてる自信が持てた。
祐輔は長く激しいキスをし終わると、私を抱き起こしてくれた。
私はソファーに座ってるのがやっとだった。
体に力が入らない。
私の頬っぺにチュッとキスをして、祐輔はベランダにタバコを吸いに行った。
祐輔がタバコを吸ってる姿をボーッと見ながら、私は、パタンッとソファーに倒れ込んだ。
祐輔に酔ったのだろうか。なんだかウトウトしてきた…
「リコ、眠いの?俺、帰るね」
「えっ!?」
私は眠気も吹っ飛んで、ガバッと起き上がった。
「もう…帰るの?」
意外な言葉が私の口から出た。
祐輔を引き止めるような発言をして、自分でもビックリしてる。
なのに、祐輔は黙々と帰り支度をする。
「じゃあ、リコ。また明日ね」
「え?え?あ、うん…」
「バイビ~」
「いや、だから、バイビ~って今時…」
バタンッ――
呆気なく、祐輔は玄関から出て行ってしまった。
私のツッコミも最後まで聞かずに…
私はソファーの上で、固まったままだった。
「ちょっと、何コレ…
呆気なさ過ぎじゃない…?」
どうしてあんなにサッサと帰ってしまったのか…
祐輔の行動と気持ちが読めない…
とりあえず、シャワーでも浴びようと立ち上がると、携帯が鳴った。
(電話…祐輔…?)
「もしもし…?」
『俺…ダメだ…』
「どうしたの?急に。なにがダメなの…?」
『俺、リコと一緒に居るの、ツライ…』
「えっ…どうゆう意味?」
頭が真っ白になる。
――私と居るのが辛いって…
別れを予感させる祐輔の言葉に、心臓がバクバクしだす。
不安の波が押し寄せてくる…
「ゆ…すけ…?」
泣きそうで声が震える。
『俺…リコを本当に食べちゃいたくなるんだ…』
「はいっ!?」
また訳の分からない祐輔の言動…
『可愛いモノを見ると、「食べちゃいたいぐらい可愛い」って言うでしょ?』
「…で?」
『だからさ、リコと一緒に居ると、可愛いくてマジで食べたくなるんだよね。
あ、変な意味じゃなくて、食事感覚の意味ね?』
「だから?」
私は、半分キレ気味だった。
『もぅっ、分からない?それぐらいリコがカワイくて、俺を惚れさせてんのっ』
「だから何!?」
『だからぁ、リコと一緒に居ると、俺が俺じゃ無くなるの!!
キスした後、ヤケに色っぽいし…
さっきだって、軽く引き止めるし…
ダメでしょー?俺の決心を揺るがしちゃっ』
何故私が怒られてるのか…
でも、一人で悶えてる祐輔も可愛いとか思っちゃう私も、相当惚れてるんだな。
顔はニヤけちゃってるけど、ちょっと言葉だけ冷たくしてみた。
「そんなの知らないよ。祐輔が勝手に誓い立てて、勝手に我慢してんじゃないっ」
『うわぁ~んっ』
「勝手に泣いてれば?呆気なく私を置いてった罰よっ」
『リコのバカっ!!』
(プッ…子供か…?)
「祐輔?」
『ふんっ、何?』
「大好きだよっ」
『…』
「祐輔…?」
『おれもっ、リコがっ、だぁいすきだああああああああ』
耳がキーンッとする程の大声で、祐輔が電話の向こうで叫んでいる。
「ちょっ、今どこなの!?」
『え?リコん家の近くの駅まで来た』
「恥ずかしいから止めなよ!周りに迷惑でしょ!?」
『なら今度デートした時、リコからいっぱいチュウしてくれる?』
「なっ…」
『嫌なら、次はフルネームで叫ぶ』
「それだけはっ…
もうっ、すればいいんでしょ!?わかったわよ!!」
私は、もうヤケクソだった。
『今の、録音したからね?』
「ええっ!?」
『おやちゅみ~』
「おやちゅみって、ちょっとアンタ…」
プーップーップーッ…
グアーッと、私は頭を掻きむしった。
――その夜
寝る支度を終えた私は、ベッドの中で、『祐輔』という人間について考えた。
カッコよくて、
カワイくて、
優しくて、
頼りがいがあって、
強引で、
意地悪で、
訳の分からない思考回路してて、
私の心を時々振り回す。
まだ、あるのかもしれないけど…
祐輔の全てが好き。
こんなに人を好きになった事が、あるのだろうか。
(一緒に暮らしたいけど、やっぱりまだ早いよね…
会社の人達にも、まだ言って無いんだし。祐輔も、まだ誰にも話してる気配が無いもんな…)
会社の人達には言い出しにくいけど、他の女の子達に祐輔を取られたく無い。
いい歳して、独占欲湧いちゃってる…
もう、年下の君に夢中だよ…
祐輔の事しか考えずに、私は眠りについた。
――8月
季節も変わり、暑い夏の真っ只中。
私と祐輔の関係は、相変わらず社内では秘密。里沙と慎也さんしか知らない。
何度も祐輔には、隠す必要無いのにって言われたけど…
他の女の子達の目を気にしていた私は、公表する勇気が無かった。
祐輔も、渋々了解してくれた。
もちろん里沙と慎也さんも、私達が秘密にしてる以上は、誰にも言わないと言ってくれた。
だけど会社に居る時は、私と祐輔と里沙の3人で居る事が多かった。お昼を食べたり、休憩しながら3人でお茶したり…たまに慎也さんも加わった。
周りからは、少し怪しげな目で見られていたけど、とくに何を聞かれる事も無かった。
休日は祐輔とデートをしたり、私の家に祐輔が来たり、里沙と慎也さんも一緒に4人で出掛ける事もある。
もちろん、私と祐輔の関係は良好。
喧嘩をするネタも無く、言い合うとしても、くだらない内容ばかりだ。
祐輔と同じ時間を共有する程、どんどん好きになっていった。
『好き』という気持ちには、限界は無いようだ。
それから…
まだ祐輔と私は、一線を越える事は無かった。
祐輔が、いっその事、一緒に暮らすまで手を出さないと言い出したから。
しつこいぐらいに、一緒に暮らしたがる祐輔。
何故、祐輔がそこまで同棲にこだわっているのかは、私には分からなかった。
今月は、お盆休みがある。
祐輔と付き合ってから、初めての大型連休。
私は、今までに無いぐらいワクワクしていた。
「ねぇ、リコ?
今年の連休の予定は?」
社員食堂のランチを運びながら、里沙が私に問い掛ける。
「別に、予定という予定は立てて無いんだけどね…」
『初めて木村君と過ごすのに?』
里沙は、周りに聞こえ無いように言う。
「だって、先月まで連休の事なんか忘れてたんだもん」
「まぁ~、それだけ彼との普段の生活が充実してんだね~」
里沙は背伸びしながら、遠くをキョロキョロ見ている。
「あ、いた!リコ、あそこ!」
里沙の視線の先には、祐輔と慎也さん。先に注文して、席を取っておいてくれていた。
席に着いて、みんな揃って食べ始めた。
「里沙は、予定決めてあるの?」
私は今日のランチのカレーを掻き混ぜながら、里沙を見た。
「私と慎ちゃんは、毎年近場の海に行ってるんだ。
ね~、慎ちゃんっ?」
里沙がニコッと慎也さんに話しを振った。
「あぁ。俺の親戚が旅館を経営してんだ。だから毎年そこに安く泊まって、近くの海に入ってるんだよ」
「海かぁ、いいっすね~」
祐輔が、カレーのスプーンをくわえたまま、遠くを見ながらうっとりしている。
「ねぇ、慎ちゃん!
リコ達も、そこに泊まれないかな!?」
「え、いいよ!いいよ!せっかく、二人で行くのに邪魔でしょ?」
里沙の唐突な提案に、私は首をブンブン振って遠慮した。
「行きたい!俺、行きたいっす!」
「ちょっと、祐…
木村君!?」
祐輔は目を輝かせながら、慎也さんを見つめていた。
「あ~、後で電話して聞いてみてもいいけど、神谷は大丈夫か?」
「え、えっと…」
なんだか申し訳なくて、なかなか答えが出せない。
「みんなで行ったら楽しいって!ねっ、リコ達も行こうよぉ」
「リコさん、行きましょ~よ~」
里沙と祐輔が身を乗り出して、私を説得する。
「あ、じゃあ…里田部長達がご迷惑で無いのなら…お願いします」
「迷惑なワケないだろ?分かった、連絡してみるよ。最悪、俺達と相部屋でもいいしな」
「やったぁぁぁ!!」
里沙と祐輔は、スプーンを振り上げて喜んでいた。
その光景がなんだか微笑ましくて、私も素直に楽しみな気持ちが膨らんできた。
『今日、会社帰りに水着買ってこ?木村君好みのヤツ』
『う、うん…』
祐輔と慎也さんに聞こえ無いように、里沙と約束をした。
「神谷っ」
昼休み明け、給湯室でお茶を入れていると、慎也さんが声を掛けてきた。
「なんだ、神谷がお茶入れてんのか?
先輩なんだし、新人にやらせればいいのに」
「若い子達には教えてるんですけどね…たまに忘れちゃうみたいで」
「そっか…神谷も忙しいのに、ありがとな」
「いえ、私に何か用ですか?」
「そうそう。さっきの旅館なんだけど、ちょうどキャンセルがあったみたいでな。部屋、とれたぞっ」
慎也さんは、ピースしながら笑った。
「なんか、すみません…無理言っちゃったみたいで…」
「何謝ってんだよ。素直に喜べっ」
「はい、ありがとうございますっ」
私が笑顔で返すと、慎也さんは自分の分のお茶を持って、給湯室を出て行った。
(祐輔と旅行…
よっしゃあああっ!)
私は給湯室で一人、小さくガッツポーズをした。
お茶を配り終わって席に着き、パソコンの隙間から祐輔を見た。
私の視線に気付いた祐輔に、私は周りに気付かれないようにピースをした。
一瞬祐輔は意味が分からない様子だったけど、すぐに旅館の事だと気付き、満面の笑みでピースを返した。
お盆休みまで、あと2日。
仕事をしながらも、もう私の頭の中は海の事でいっぱいだった。
胸を踊らせながら仕事をしていると、時間が経つのが早い。
もう定時の時間だ。
里沙と早々に帰り支度をして、祐輔と目で挨拶を交わし、そそくさと会社を後にする。
『orange』の駅の近くにある、ショッピングモールに向かった。
「リコ~、これは?」
水着売り場の遠くの方から、里沙が何着か持って走ってきた。
「ちょっと、里沙!
なんか全部きわどくないっ!?」
「え~、そう?」
里沙は口を尖らせて、自分が選んだ水着を眺める。
里沙が選んだ物は、『胸の部分は、絆創膏で代わりがきくんじゃないか』と思える程きわどいデザインのビキニ…
「一応聞くけど、それは誰が着るの…?」
「リコに決まってんじゃん」
「却下っ!!!」
里沙はブツブツ言いながら、不満げに水着を返しに行った。
(あ、コレ可愛いっ)
私がパッと見て気に入ったのは、花柄のビキニ。
(ビキニなんか初めてだけど…挑戦してみようかな…)
私が商品とにらめっこしてたら、里沙が後ろからヒョイッと取り上げた。
「うんっ、リコにしては上出来っ」
「そうっ?」
「可愛いじゃん。しかもビキニなんて、珍しいね」
私は、ちょっと照れて下を向いた。
そんな私を見た里沙は、ニコッと笑った。
「木村君、喜ぶよっ」
「うん…」
買い物を終えて、ショッピングモール内にあるパスタ屋で、里沙と夕飯を食べた。
「そういえば、里沙。日にちとか聞いてなかったんだけど?」
「あ、そういうばそうだね。休み入った初日から、2泊3日だよっ」
「えっ!?もう、明後日じゃーん」
「慎ちゃんが乗せてってくれるから、また詳しい事は明日教えるね!」
「分かった。祐輔にも言っておくね」
「楽しみだね~」
「ね~」
その日は、里沙と海に行ってからの話題で盛り上がった。
ちなみに…
里沙が買った水着は、フリフリのピンクのビキニ。
人には、きわどいのを選んでおいて、自分はちゃっかり無難なのを買っていた…
帰宅後。
シャワーを浴びた後、コーヒーを飲みながら祐輔に電話をした。
『もっしも~し』
祐輔の声を聞くと、一日の仕事の疲れが全部飛んでいく。
「祐輔?今いい?」
『うん、リコからの電話待ってたんだよ』
「ごめんね、さっき帰って来たんだ」
『里沙さんと、ドコ行ってたの?』
「秘密~」
『気になるなぁ』
「フフッ…あ、そうそう!出発の日は明後日だって。2泊3日だけど、大丈夫?」
『おおっ!もう、すぐじゃん!全然OKだよ~』
「楽しみだねっ」
『うん、リコの水着姿がっ』
「おやすみ~」
『あ~、待って待って!冗談だってば!』
こんな風に、祐輔と話してる時間が至福の時。
会社帰りに会わなかった日は、毎回電話してる。
それから私達は、たわいのない話しをして、電話を切った。
翌日。
ハッキリ言って私達3人は、浮かれていた。仕事しながらも、ソワソワしていた。慎也さんだけが、いつもと変わらずにテキパキ仕事をこなしていた。
あっという間に定時になり、慎也さんが、部署内の社員を集めた。
連休に入る前の挨拶をする為だ。
「皆、お疲れ様。明日から連休だ。
俺から言う事は一つ。連休明けは、全員一人も欠ける事なく出社する事!!
以上!お疲れさんっ」
短い挨拶だけど、慎也さんの想いは、皆に充分過ぎる程伝わった。
今日は明日に備えて、会社からそのまま家に帰った。
夕飯はインスタントラーメンで済ませて、シャワーを浴びて、急いで荷造りをした。
新しく買った水着も忘れずに入れて…
祐輔の反応を想像しながら、ニヤニヤしていた。
明日は7時に家を出る為、22時前には布団に入った。
そして祐輔に、おやすみメールをして眠りについた。
翌朝、8時。
集合場所である慎也さん家のマンションの下に、私と祐輔は居た。
「俺、今朝目覚まし鳴る前に起きたんだ」
「私も~。修学旅行とか思い出すね」
「修学旅行よりも楽しみだったかもっ」
私と祐輔は、ニコニコが止まらない。
こんなにもテンションが上がっているのは、初めてかも。
「おはよー!」
「待たせたな」
昨日から慎也さんの家に泊まっていた里沙と、慎也さんがマンションから出て来た。
「宜しくお願いしまーすっ」
私と祐輔は、ペコッと頭を下げた。
「よし、じゃあ行くか!」
慎也さんの車は、3列シートのワゴン車。一番後ろのシートを折り畳んで、全員分の荷物を詰め込む。
里沙が助手席に、私と祐輔が後部座席に乗り込み、いよいよ出発!!
突き刺さる程の陽射しが降り注ぐ中、車は高速道路の入口を通過した。
さすが連休初日。
高速道路に入ると、交通量の多さに驚いた。
「初日だし、渋滞は仕方無いな」
慎也さんの、ちょっと嫌そうな顔がルームミラーに映った。
「俺、目的地に着くまでの過程って好きだなぁ。
渋滞も、いい思い出ですよねー」
そう言いながら祐輔は、スナック菓子の袋をバリッと破いた。
「臭っ!ちょっと木村君、何そのお菓子!?」
「え?ニンニクチップスですけど」
「うわっ!最悪!慎ちゃん臭いよー」
「木村っ!!その菓子しまえっ!!車に匂いがつく!!」
「そんなぁ~」
とても賑やかな車内の空気に、私も心踊らせて、持参したお菓子の封を開けた。
「臭っ!?木村、お前またっ…」
「違いますよぉ。リコですよー」
えっ!?という顔で、慎也さんはルームミラー越しに、一瞬私に視線を送った。
「リコ、もしかしてこの匂い…酢こんぶ…?」
里沙が、恐る恐る私を覗き込んできた。
「あ、うん…」
「アハハハッ!リコおばちゃん臭いー」
「お、おばちゃんっ!?」
里沙が車内に響き渡る程の大声で笑いだした。
(おばちゃん臭いって…ヒドイっ)
私は、旅行といえば酢こんぶ。子供の頃からの定番だった。
酢こんぶを握りしめて俯いていると、祐輔が私の手をギュッと握った。
すがるように祐輔を見ると、ニッコリ笑ってくれた。
「例え、リコがおばちゃんでも…
俺の愛は、変わらないよ」
「おばちゃんって言うなぁーっ!!」
私は、思い切り祐輔に酢こんぶを叩きつけた。
「うわっ、木村くせーっ!!降りろっ」
「木村君、最低ーっ」
「祐輔のバカーっ」
「なんで俺が、こんな目にぃ~」
渋滞に巻き込まれても、私達は終始楽しく(?)、車内での一時を過ごした。
8時30分に慎也さん家のマンションを出発して、もう14時を回っていた。
途中、何度かサービスエリアで休憩したり、昼食を食べたりして、ゆっくりと走った。
騒ぎ過ぎて疲れたのだろうか、里沙と祐輔は眠ってしまった。
「神谷、お前も寝てていいぞ?って言っても、もう着くけどな」
「私は大丈夫です。あ、コーヒー飲みますか?」
「お、サンキュー」
10分後、車はゆっくりと高速道路を降りた。
町を抜けると、旅館やホテルなどの宿泊施設が立ち並んでいた。
そして、真っ青でキラキラ輝く海も見えてきた。
「わぁ~…里沙!祐輔!海だよっ、海!」
私は急いで二人を起こした。
「ん~…?
あっ海だ!キャーッ早く泳ぎたい!木村君も起きて!!」
「ん、ん~…あっ!
やったー!!ビキニがたくさんー!!って…あれ?みなさん…?」
車内の冷たい視線は、全て祐輔に向けられていた。
(なんだかんだ言って、やっぱり他の女の子に目移りするんじゃないっ)
私は、祐輔がビーチに居る女の子達のビキニに反応した事が、面白くなかった。
「先に旅館に荷物置いてから、海に行こう」
「はーい」
ビーチから車で10分程走って、私達の泊まる旅館に着いた。
「慎ちゃん、お疲れ様~」
里沙が慎也さんの頬っぺにキスをした。
「ねぇ、リコっ!俺にも~」
祐輔は、自分の頬っぺを指でツンツンしながら、私に顔を突き出してきた。
「ビキニの女の子達にしてもらえばぁ?」
私は祐輔を睨み付けて、車を降りた。
「違うんだってぇ、さっきのはノリで…」
「あっそ」
私は祐輔を置いて、慎也さんと里沙と、自分の荷物を旅館に運んだ。
3階建ての旅館の建物自体は、とても綺麗だ。代々受け継がれてきた、長い歴史のある旅館だけど、3年前に思い切って改築したらしい。
この旅館の女将さんは、慎也さんの叔母さん。とても気さくで、明るい人だった。
私と祐輔は2階の部屋に案内された。
里沙と慎也さんは、3階の毎年決まった部屋に泊まるらしい。
私は部屋に入っても、祐輔と口をきかなかった。
いつまでもムスッとしている私を祐輔が後ろから抱きしめた。
「離してっ」
「やだ」
「やだじゃなくって…」
私は涙がこぼれた。
せっかく祐輔と旅行に来ているのに、くだらないヤキモチで、ムスッとしていた自分が嫌になったから。
「リコ…ごめんね…」
「ううん、謝るのは私の方…」
「リコを怒らせた俺が悪いのっ」
「祐輔…」
「じゃあっ、仲直りのチュウして?」
祐輔が目をつぶって口元を緩ませている。
私が軽くキスをすると、祐輔はそのまま私の頭と体をガッチリ掴んだ。
離れようにも、離れられない。
「祐…っ」
祐輔は激しくキスをし続ける。
その時…
――コンコンッ
「リコー、木村くーん。準備出来た?」
扉の向こう側で、里沙の声が聞こえる。
「ゆ…すけ、里沙…が…っ」
口を塞がれて上手く話せない。
「リーコー?開けるよー?」
「…っ!?」
キスを止めようとしない祐輔をなんとか振り払おうと、考え付いたのが…
――バシンッ!!
ビンタだった。
それと同時に、
――ガラッ
と、里沙が扉を開けた。
左の頬っぺを手で押さえながら、涙目で立ち尽くす祐輔。
ゼーハー言いながら、作り笑顔を見せる私。
そんな私達を不思議そうな顔で見る、里沙と慎也さん。
「何してたの?すごい音したけど…」
里沙の問い掛けに、私と祐輔は顔を見合わせてニッコリ笑って、
「仲直りしてたのっ」
と、声を揃えた。
「ビンタで…?」
ますます不思議そうな顔をする里沙と慎也さん。
苦笑いでごまかす私達…
果たして、ごまかし切れたのだろうか…
「それより準備は?」
「あっ!!」
私と祐輔は、慌てて海に行く支度をした。
「本当に、何やってたの…」
呆れ顔の里沙に、ペコペコと謝りながら、部屋を後にした。
部屋の鍵を女将さんに預けて、いざ海へっ!!
時間的に、海水浴場の駐車場はもう満杯だろうからと、旅館からタクシーで向かった。
海水浴場の近くにタクシーが止まり、慎也さんがお金を払ってくれてるのにも関わらず、私達3人は車から飛び出した。
ビーチは、観光客で埋め尽くされていて、辺り一面パラソルやシートが広がりカラフルだ。
家族連れや、カップル、恋人達が楽しそうに夏の海を満喫している。
「キャーッ!!早く行こっ」
「あ、里沙待って!!」
子供のように、はしゃぎながら走り出す里沙を追い掛けて、ビーチに入った。
もう、この雰囲気だけでテンションMAX!!
慎也さんと祐輔も駆け付けて、やっとの事で見つけたビーチの隙間に、ビニールシートを敷いて、荷物を置く。
すると祐輔は、おもむろに腰にタオルを巻き、ズボンを脱ぎだした。
「ゆ、祐輔っ!?」
「やだ木村君!あっち向いてよ!」
私と里沙は、目のやり場に困り、さっと後ろを向いた。
「着替え完了!!」
祐輔の声を聞き、振り返ると、得意げな顔でポーズを決めていた。
「お、木村。それいいな!俺もそうしよう」
祐輔を見た慎也さんも、タオルを巻いて着替え始めた。
「やんっ、慎ちゃんったら!」
里沙は嬉しそうに慎也さんの着替えを見ていたけど、私は咄嗟に顔を背けた。
「リ~コ?リコは、どうやって着替えるの?」
祐輔は、キラキラ目を輝かせながら私の前にしゃがみ込んだ。
上半身裸の祐輔…
実は祐輔の裸を一度も見た事が無い。
ウチでシャワーを貸す事はあっても、祐輔は必ず服を着て出てくる。
(細い体なのに、ちゃんと筋肉がついてるんだ…)
私はゴクリと唾を飲んだ。
「リコ?どうしたの?」
祐輔の声にハッと我に返った。
完全に変な妄想をしてた…
「リコっ、ちゃんと準備してきたっ?」
「もちろんっ」
顔を見合わせる私達を祐輔と慎也さんが首を傾げて見ている。
「せーのっ!!」
里沙の合図と同時に、二人で着て来たワンピースを脱ぎ捨てた。
「おおおっ!?」
祐輔と慎也さんが歓声をあげる。
そう、私達は家から水着を着て来たのだ。
でも、いざ服を脱ぎ捨てると、やっぱり恥ずかしい…
モジモジしている私を見て、祐輔が口を開けたまま固まっていた。
「祐輔…?なんか、変…かな…?」
すると、祐輔は顔がみるみる赤くなっていった。
「祐輔?」
「おーいっ、木村君?」
「どうした?木村っ」
私は、固まったままの祐輔に近づいた。
祐輔は、ハッ!!として、急にあたふたし始めた。
「あ、や、そのっ…
俺…ごめんなさーいっ!!!」
祐輔は、そう言い残して走り去って行った。
「えっ、ちょっと!祐輔っ!?」
祐輔の姿が、どんどん小さくなって行く。
「木村君も男の子なんだね~…」
「あぁ。アイツも立派な男なんだな…」
里沙と慎也さんは、遠い目で祐輔を見送っていた。
「何が男の子なの???」
この時、私は二人の言ってる意味が分からなかった。
「すぐ戻ってくるよ!!リコ、泳ごう!?」
「え、あ、うん…」
「俺、木村待ってるから行って来いよ」
慎也さんを残して、私は里沙に手を引かれながら海に向かった。
やっぱり、水に入る前には準備運動!!
二人で軽く体操して、ゆっくり海に向かって歩いた。
ザザーッと押し寄せる波が足に掛かって、気持ちイイっ!!
歳も忘れて、里沙と水を掛け合ってはしゃいだ。
ちょっと飛び込んでみたり、バタ足したり、とにかく子供みたいに騒いだ。
しばらくすると、慎也さんが祐輔を連れてやって来た。
「祐輔!どこ行ってたの?」
「ちょっと…ね」
照れ笑いを浮かべながら、祐輔はモジモジしていた。
「も~っ、いいじゃん!とにかく遊ぼっ!
慎ちゃんも~!」
里沙が慎也さんの腕に、抱き着いた。
「お、おぉ…」
慎也さんも里沙の水着姿に、なんだかニヤけ顔。
(慎也さんも、あんな風にニヤけるんだ…)
里沙と慎也さんは、あっとゆう間に、二人の世界に入ってしまった。
「リ~コッ?」
祐輔は、後ろから私の腰に手を回してきた。
「やだっ、里沙と慎也さん居るんだよっ?」
「あの二人、見てるコッチが恥ずかしいぐらい、イチャついてんじゃん」
二人を見てみると…
納得。
確かに、見ているコッチが恥ずかしい…
「慎也さんって、里沙さんの前だと、あんなに崩れるんだね…
ちょっと、意外…」
「私の前で、平気でキスするからね…」
「てか、今もしてるけどね…」
二人を見てると、腰に手を回してるだけの祐輔がカワイク見える。
ここは会社じゃないし、知り合いも里沙と慎也さんしかいないし!
そう思ったら、急に祐輔とイチャつきたくなった。
腰に回された祐輔の手を握って、私は祐輔の頬っぺにキスをした。
ちょっとビックリした祐輔は、すぐに笑顔になって、私の頬っぺにキスを返してくれた。
一時間ぐらい遊んで、私達4人は、自分達のシートに倒れ込んだ。
「疲れたぁ~…」
慎也さんは、特にグッタリしていた。
それもそうだ。
慎也さん家のマンションからここまで、移動時間の大半を渋滞の中で過ごしたから。
さすがに疲れが溜まっていた。
「明日一日あるし、今日は旅館に戻るかぁ…」
「賛成…」
慎也さんの提案に、誰も反対しなかった。
シャワーを浴びて、帰り支度をした。
帰りは、旅館の人に迎えに来てもらった。
旅館に着き、それぞれ部屋に戻って少し休む事にした。
荷物を片付けていると、里沙から電話が掛かってきた。
『リコ、あと15分したら露天風呂行こ?』
「うんっ!じゃあ、ロビーに下りてくねっ」
『OK!』
電話を切ると、祐輔が後ろから抱きしめてきた。
祐輔は、私の肩に顎を乗せて甘えている。
「ここ、混浴あるのかなぁ?」
「無いらしいよ?あっても入らないし。
てか祐輔、海では急に居なくなっちゃって。どこ行ってたの?」
「いやぁ…まぁ…」
「なによ?」
「リコの水着姿見たら、その…
男の生理現象が…」
「はあっ!?」
私は肩をすぼめて祐輔から離れた。
祐輔は顔を赤くして下を向いている。
「それで…?」
「それで…そのぉ…
離れたトコの海に浸かって、落ち着くのをひたすら祈ってた…」
「プッ…カッコ悪~」
私は引きつった顔で祐輔をからかった。
「だって、仕方無いじゃん!リコがあんなに肌を露出した姿なんか、見た事なかったんだもんっ」
祐輔はプイッと横を向いた。
(里沙と慎也さんが言ってた意味が、やっと分かった…)
私はクスクス笑いながら、片付けを続けた。
「ねぇ、リコ?一つ疑問に思ってる事があるんだけど」
「ん~?」
「俺達、まだチュウしかしてないの、里沙さん知ってるよね?」
「うん、知ってるよ」
「なのに、なんで俺達同じ部屋なの?」
「私の家に泊まっても、何もしないの知ってるからじゃない?」
「でもさぁ…」
祐輔は私の背中にコツンと額を当てた。
「どうしたの?」
「家の中と旅行先じゃあ、なんか違うじゃーん」
「何が違うの?」
「気分がハイになると言うか…」
「あんたは、中学生かっ」
私は背中を少し倒して、祐輔を跳ね退けた。
「ねぇリコ?」
祐輔は正座をして小さくなっていた。
「どうしたの?」
「俺が、もし…リコの事欲しいって言ったら、どうする?」
「どうするって…
祐輔は、一人ですごい我慢してるみたいだったけど、それはどうしてなの?
一緒に暮らすまではって言い出すし」
「俺…一度でもリコと一線越えたら、その後も、会う度に求めちゃうんじゃないかって思って…」
「それで?」
「そしたら、また体だけなんじゃないかって、リコを不安にさせたくなかったから…」
「祐輔…」
私は、祐輔がそこまで考えてくれてるなんて知らなかった。
それなら、一緒に暮らすまではって言い出したのにも納得できる。
今日まで2ヶ月弱付き合って、私には祐輔の愛情は充分過ぎる程伝わっていた。
だから、今更祐輔が思っているような不安を抱えるなんてことには、ならないと思う…
私も正座して祐輔と向き合った。
「祐輔、ありがとね。
私なら、大丈夫だよ?祐輔の本気の気持ち、充分受け取ったよ?」
祐輔は、目線だけを私に向けた。
「じゃあ…俺、もう我慢しなくていいの?一緒に暮らすまではって約束、破っちゃっていいの?」
「てか、最初から祐輔が勝手に決めてきた事だし…」
申し訳なさそうな雰囲気の祐輔を見て、思わず吹き出した。
すると、突然祐輔が私に飛び付いてきた。
「祐輔?」
「リコ…ごめんね…」
私はフッと溜め息をついて、耳元で小さく呟く祐輔の頭を撫でた。
「えっ!?祐輔!?何やって…」
祐輔は私に抱き着いたまま、ワンピースの肩紐を下ろし始めた。
「愛してる…リコ…」
「…っ!?」
祐輔の唇が、優しく首筋に触れる。
私は、どうしたらいいか分からず、目をギュッとつぶった。
(こ、心の準備がぁ~…!)
私の首筋と肩に、祐輔のキスが降り注いだ。
ゾクッとしながらも、なんだか落ち着く…
祐輔は首筋を唇でなぞりながら、私の唇まで到達した。
うっとりと、祐輔のキスに酔いしれていた時…
――ドンドンドンドンッ
と、部屋の扉が鳴り響いた。
私と祐輔はビックリして体を離した。
「リコ!!何してんの!!」
扉の向こう側からは、里沙の怒った声…
時計を見ると、約束の時間から15分も過ぎていた。
慌てて服を直して、扉を開けた。
「ご、ごめんね!ちょっと休もうと思って横になってたら、ウトウトしちゃって…ね!祐輔?」
私は話を合わせるように、祐輔に目で合図した。
『いいトコだったのに…』
祐輔が横を向いてボソッと呟いた。
―ドスッ
「いってぇ!!」
私は祐輔の足を思い切り踏み付けた。
「なんか、怪しい…」
里沙は、目を細めて私を見ている。
「ハハハハ…あ、ごめんね!露天風呂行こっ?祐輔、行ってくるね!」
「いってらっしゃ~い」
「やっぱり、なんか変だよぉ」
納得いかない顔をした里沙の手を引いて、部屋を出た。
脱衣所で服を脱いでる間も、里沙は私の方をじっと見ていた。
「な、なにっ?」
里沙は、体にタオルを巻いた私の首元を覗き込んだ。
「からかうつもりは、無いんだけどさぁ…」
里沙が上目使いで私を見る。
「なに?どうしたの?」
里沙は、自分の鎖骨の辺りを指でトントンッと叩いた。
「ん?」
「姉さん、キスマークついてまっせ?」
「ええっ!?」
慌てて鏡を見ると、鎖骨の辺りにくっきりと、赤い跡がついていた。
(祐輔のやつぅ~っ!!)
ワナワナと震える私の肩から里沙が顔を出し、鏡越しにニヤけながら私を見た。
「邪魔しちゃった?」
「里沙っ!!」
「キャハハハハッ、ごめんごめ~んっ」
里沙は全裸で浴室まで走って行った。
(もうっ!!!!)
私はフェイスタオルを首からかけて、赤い痕跡を隠して浴室に向かった。
本当に広くて、綺麗な浴室だった。
中には、いくつか種類の違うお風呂があって、大浴場から外に出た所に露天風呂があった。
―ジャーッ…
私はムッとしながら椅子に座って、シャワーでひたすら体にお湯をかけ続けた。
「まだ怒ってんのぉ?」
髪の毛を洗いながら、里沙が私の顔を覗き込む。
「別にっ」
私はムッとしたまま、シャンプーを手に取る。
「プッ…フフフフ…」
「何が可笑しいのっ!?」
「いや、リコ、変わったなって思って」
「何が?」
「だって、前はそんな風に感情をむき出しになんか、しなかったじゃん?」
「そう…だった?」
「うん。木村君と関わるようになってからじゃない?付き合い始めたら、尚更だよ」
「うーん…そうかも…」
二人でシャンプーを洗い流した。
体を隅々まで洗って、里沙と露天風呂の方に向かった。
露天風呂の周りには囲いがしてあって、景色は見えなかった。
「木村君が、本当のリコを引き出してくれてるんだねっ」
「うーん…
でも、私ってこんなに怒りっぽくて、ヤキモチ妬きだったなんて…なんか、みっともなくない?」
「そう?素直で可愛いじゃんっ!あ、リコ?湯舟にタオル入れちゃダメだよっ」
「あ、そっか…」
私は首にかけていたタオルを取った。
里沙は、私の首筋を見て微笑んだ。
「木村君ね、相当我慢してたんだよ?」
「里沙、祐輔から何か聞いたの?」
「少し前にね~。リコが一日風邪で休んだ日があったでしょ?その日、木村君とお昼食べた時に聞いたんだけど…」
里沙は、その時の事を話してくれた。
※※※※※※※※※※※※※※
―社員食堂
(今日はリコが休みだから、私と木村君は二人でお昼を食べた)
木村君はカツ丼を前にして、なかなか手を付けずにボーッとしていた。
「どうしたの?カツ丼冷めるよ」
「里沙さん…俺、ダメ男です…」
「はっ!?なんで?」
木村君の唐突な発言に、私は箸を置いて木村君を見た。
「俺、自分でリコを大事にするとか言いながら、会う度に変な事考えちゃって…」
木村君は小さく溜め息をついた。
「もう一ヶ月ちょっと付き合ってんでしょ?だったら、ちゃんとリコに話せばいいじゃん」
「でも…もしリコが、いいよって言ってくれたら…俺は、歯止めがきかなくなります」
「歯止め?」
「はい、多分会う度にリコを求めちゃいます…そしたら、リコは不安になりませんか?佐橋さんの事があるし…」
※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※
「でも…木村君は、ちゃんとリコに愛情伝えてんでしょ?」
「そうですけど…」
「なら、何ウジウジする必要があるのっ?あ、もしかして、リコと一緒に暮らしたい理由ってそれ?」
「いや、それだけじゃっ!」
木村君は身を乗り出して、また小さく肩をすぼめた。
「確かに、リコと一緒に暮らせば、体だけじゃない!愛情があるから、一緒に暮らしてるんだって伝えれるとも思ったんですけど…」
「けど?」
「1番の理由は、一日の最後にリコの顔を見たいんです。リコに顔見てオヤスミって言って、また、一日の始めにリコの顔見て、オハヨウって言いたいんですよ…」
木村君は、ちょっと照れ臭そうだった。
「相当、リコの事好きなんだ?」
「ヤバイぐらいに」
木村君を見てるだけでお腹いっぱいになった。
※※※※※※※※※※※※※※
「まぁ、結局木村君はウジウジしたまま、踏み出す決心はつかなかったみたいだけどっ」
里沙は、んーっと体を伸ばした。
「祐輔がそんな気持ちだったなんて、知らなかった…」
私は、湯舟に口まで顔を沈めて、ブクブクブク~っとした。
「だから、逆にリコから木村君にきっかけあげないと、木村君は行動に移せないんじゃない?」
「私からっ!?」
「って言っても、木村君からアクションあったみたいだけど」
里沙はフフッと笑った。
私は恥ずかしくて、ブクブクしたまま顔を出せなかった。
「貸し切り露天風呂でも一緒に入ったら?」
「ええ!?」
「だって、私が邪魔したせいで、また木村君が一歩踏み出す勇気無くしてたら、可哀相じゃん」
「…」
「私は、後で慎ちゃんと入るんだ~」
ニコッと笑って、里沙は脱衣所に向かった。
一人湯舟に残された私は、一点を見つめていた。
(私から…誘うの…?)
部屋に戻ると祐輔もお風呂上がりで、寝転がっていた。
「祐輔も入ってきたの?」
「うんっ、慎也さんと裸の付き合いしてきた」
「ハハッ、そっか…」
私は、まともに祐輔の顔が見られなかった。
頭の中は、貸し切り露天風呂の事でいっぱいだった。
「リコ、その浴衣可愛い~。似合ってる~」
祐輔は俯せになって、足をパタパタしている。
「でしょ?なんか、女性限定のサービスで貸してもらえたのっ」
浴衣姿を褒められて、上機嫌でクルッと回ってみた。
「…その浴衣、脱がしてぇな」
祐輔は床に顎を付けたまま、上目使いで私を見た。ちょっと、意地悪そうな笑みを浮かべている。
「ばっ、ばっかじゃないのっ!?」
私は顔を真っ赤にして、目を背けた。
「ハハッ、冗談!腹減った~。飯食いに行こっ?」
祐輔は、私の頭をポンッと叩いて部屋を出て行った。
さっき祐輔が私を見ていた目に、鼓動が早くなっていくのが分かった。
祐輔はいつもヘラヘラしているけど、たまにドキッとするほどの、『男性』の表情を見せる。
(もーっ!!鎮まれ、私の心臓!!)
襟元をギュッと掴んで目をつぶっていると、里沙が扉から顔を出した。
「リコ、大丈夫?具合悪い?」
「あ、ううん!ちょっとお風呂でのぼせちゃっただけ!」
「そう?ご飯行ける?」
「もちろんっ」
部屋の外で、慎也さんと里沙が待っていてくれたみたい。
私達は、旅館内にある食堂に向かった。
一人で食べ切れるのか!と、思う程豪華なお料理だった。
お刺身や、炊き込みご飯。すき焼きに天麩羅…
覚え切れない量の品数。
私達はビールで乾杯をして、最高の料理に舌鼓を打つ。
祐輔は、最初の一杯しかビールを飲まなくて、あとは、お茶やジュースを飲んでいた。
大満足に食事を終え、祐輔以外は少しほろ酔い気分だった。
ロビーの前で、里沙と慎也さんと別れた。
(今から、二人でお風呂に行くのかな…)
そんな事を考えながら、祐輔と部屋に戻った。
部屋に入るなり、私達が食事に行ってる間に敷かれた布団に、祐輔はダイブした。
「あ~、幸せ。
俺、このまま死んでもいい~…いやっ、死にたくないっ!!」
祐輔はガバッと起き上がった。
そんな祐輔を見て、私はクスクス笑った。
すると、何故か沈黙になった…
「アハハハッ、なんか喋ろうよ~」
祐輔の笑い声が、沈黙を破った。
「あ、そうだ!俺、せっかくだから、酒でも飲もうかな~。さっきは、さすがに飲めなかったからな~」
そう言いながら、祐輔は財布を持って立ち上がった。
「リコも飲む~?ロビーの自販機で買ってくるよ?」
祐輔は、お酒に弱い。飲んだら酔っ払って寝ちゃう…
(だめよリコ!勇気を出すのよーっ!)
私はギュッと拳を握って立ち上がった。
「祐輔っ!!!」
突然の私の大声に、祐輔は目を真ん丸にして立ち止まった。
「どうしたの?」
「あ、その…えっと…」
「ん?」
私は恥ずかしくて、目をキョロキョロ泳がせた。
「あのね!わ、私と一緒に…」
「一緒に?」
「ろ、露天…」
祐輔は首を傾げながら近付いて来た。
「どーしたのっ?」
祐輔は優しい表情で、俯く私の顔を覗き込んだ。
その顔を見たら、なんだか気持ちが落ち着いた。
「露天風呂に行かない…?」
「一緒に行っても、向こうでバラバラだよ?」
「違うの…貸し切り露天風呂…」
私は蚊が鳴くような声で言った。
祐輔は固まったまま、私を見ている。
「リコ、本気…?」
私は、小さく頷いた。
「い、嫌だったらいいの!そうだよねっ。さっきお風呂入ったもん…」
祐輔は、あたふたしている私をギューッと抱きしめた。
「リコ、お酒のせいじゃないよね?ちゃんと今の言葉、明日も覚えてる自信ある?」
私の肩に顔をうずめて、祐輔は不安げな声を出した。
「うん…私、そこまで酔ってないよ…?」
すると祐輔は私から離れて、ニッコリ笑った。
「行こっか?」
二人で手を繋いでロビーに向かった。
貸し切り露天風呂の事をロビーで聞いたら、たまたま前の人が上がったところで、ちょうど空いていた。
(前の人って、里沙達かな…)
ちょっと変な想像をした。
脱衣所に入ると、また沈黙した。
「えっと…じゃあ、俺先に入るね」
「うん…」
私は後ろを向いて、祐輔が先に入るのを待った。
―ガラガラッ
浴室の扉が閉まる音を確認して、私も服を脱いだ。体にタオルを巻いて、浴室の扉を少しだけ開けて、中を覗いた。祐輔は、先に湯舟に浸かってる。
「ゆ、祐輔っ、あっち向いてて?」
「え、なんで…」
「いいからっ!!」
祐輔は口を尖らせながら、後ろを向いた。
私は祐輔から目を離さないように浴室に入って、かけ湯をした。
体に巻いたタオルをとって、急いで湯舟に浸かって、祐輔に背を向けた。
「ねぇ、リコ。もういーい?」
「駄目っ!!こっち見たら怒るからっ!」
「一緒に入ってる意味ねぇ~」
「そ、そうだけどっ」
いざ一緒に入ったはいいけど…
恥ずかし過ぎて、すでにのぼせそう…
―パチャッ…
ゆっくり祐輔が近付いて来て、私の肩を後ろから抱きしめた。
「ちょ、ちょっと!!」
「大丈夫っ。後ろからじゃ、何も見えないよ」
私は体を小さくして丸まった。
「嬉しいなぁ。リコとお風呂入るの、夢だったから」
「そう…」
「でも、なんか生殺しじゃない?」
「だって…きゃっ!」
祐輔の唇が、私のうなじに触れた。
「やっ、祐輔!?」
「リコの体、綺麗…結構華奢なんだな…」
首筋、肩、背中と、祐輔が優しく唇でなぞる。
頭がボーッとしてきた…
「ゆ…すけ…」
「ん…?」
「キス…して?」
「フッ、前見えちゃうよ?」
「あ、そうだ…」
それは、流石に恥ずかしい。でも…
下を向いたまま迷ってる私を、祐輔がグッと体ごと振り向かせた。
「わっ!!」
私は咄嗟に体を隠して、小さく縮こまった。
祐輔は、お風呂の端っこに私を追い詰めた。
「祐輔…?」
「もう、理性保ってらんねぇよ…」
ドキッ―
また、『あの目』だ…
私の鼓動を早くする、祐輔の男の顔…
そっと祐輔の頬に触れた瞬間、祐輔は私の唇を奪うようにキスをした。
私の両腕を掴み、溶け合うように激しくキスをする。
耳、首筋、肩。
祐輔は私を抱き寄せて、軽く噛んだり、舌を這わせる。
胸元まで顔を下ろすと、祐輔は静かに私から離れた。
「部屋…戻ろう?」
「え…?」
祐輔は露天風呂に置かれた時計を指差した。
「時間…次の人が待ってる」
貸し切りの制限時間、15分が近付いていた。
「俺、先に着替えて、外で待ってるから」
祐輔は、私の額にキスをして浴室を後にした。
私は浴室で体を拭いて、祐輔が脱衣所を出たのを確認してから浴室を出た。
着替えて外に出ると、祐輔は壁にもたれ掛かって待っていてくれた。
祐輔は何も言わずに私の手を取って、部屋に戻った。
私が部屋の電気をつけたら、すぐに祐輔が消した。
「え…?」
訳がわからず、また部屋の電気をつけようとしたら、手を掴まれて布団に連れて行かれた。
布団に座って暗闇の中、祐輔と見つめ合った。
祐輔は、そっと私の髪止めを外して、頬っぺにキスをした。
「リコ、愛してる…」
いつもの『大好きだよ』よりも、言葉に重みがあった。
そっと口づけを交わした後、体中に祐輔のキスの嵐が降り注いだ。
キスの一つ一つから、祐輔の愛が伝わってくる。
幸せ…
快楽だけじゃない。
本当に幸せを感じた。
「リコ、ちょっと焼けたね」
「ん…?そう…?」
私はポーッとして、何も考えられなかった。
「あ、そうだ!」
祐輔は自分の鞄から何か取り出した。
「じゃーん!!『男のけじめ』っ」
何かを見せられたけど、暗くてよく見えない。
「けじめ?」
「そっ!まだ、赤ちゃん出来たらダメだもんね」
「あ~、なるほど…
てか、ちゃっかり用意してたのね…」
「リコの事、本当に大切に思ってるから…」
波の音が心地よく鳴り響く中…
祐輔と私は、一つに溶け合った…
気を失いそうなぐらい祐輔に愛された私は、目をつぶったまま動けなくなっていた。
祐輔の温もりと匂いに包まれて、眠りについた。
「んん~…あれ?」
目が覚めると、隣に居るはずの祐輔がいない。
起き上がりたくても、まだ体に力が入らなかった。
「リコ?起きちゃった?」
祐輔は、窓際でタバコを吸っていた。
「今、何時…?」
「まだ5時だよ~。
あ、コーヒー買ってきたけど飲む?」
「うん…」
祐輔はタバコの火を消して、私にコーヒーを持ってきてくれた。
「ありが…」
祐輔は私の前にしゃがみ込んで、コーヒーを渡さずに自分の頬っぺを指で突いた。
「リコ、おはようのチュウは?」
朝一番の優しい笑顔…
自分でもよく分からない感情に包まれて、私は祐輔の頭を引き寄せて唇にキスをした。
祐輔はゆっくり私から離れて、ニコッと笑った。
「おはよっ!」
「はよ…」
祐輔の笑顔を見ると、とても安心した。
と同時に、まぶたがまた重くなってきた。
「リコ、寝る?」
「祐輔は…?」
「俺は幸せ過ぎて、ちょっと寝たら元気いっぱい!」
私は眠くて微笑むのがやっとだった。
「隣に居るから、ちょっと寝な?海行くんでしょ?」
「ん…そうする…」
目を閉じると、かすかに耳元で祐輔の声が聞こえた。
『おやすみ、大好きだよ』
祐輔の低くて甘い声に安らぎを感じながら、私は眠った。
6時45分に祐輔に起こされて、朝食を食べに行く為に身支度をした。
7時半に食堂に行くと、里沙と慎也さんは先に来ていた。
「おはよーっ」
「おはようございまーすっ」
私達が挨拶すると、里沙達は明らかにテンションが低い。里沙はスッピンのままだ。
「はよ~…」
「お~…」
私達も席に着いて、朝食を食べ始めた。
「里沙、どうしたの?」
「リコごめん…私、海は無理だわ…」
「具合悪いの?」
「寝不足…」
「テレビか何か?」
「んーん。慎ちゃんが寝かせてくれなかったの…」
「えっ!?」
私と祐輔は目を真ん丸にして慎也さんを見た。
慎也さんは、ちょっと照れながら咳ばらいをした。
「あ~、ハハハハハ~…」
私と祐輔は顔を見合わせて、愛想笑いをするしかなかった。
里沙達が部屋で休んでるから、私達も海に行くのは止めた。
海の代わりに町で食べ歩きと、お土産巡りをする事にした。
炎天下の中、私達は手をつなぎ、汗だくになって歩き回った。
美味しい物を沢山食べて、お土産も里沙達の分まで両手いっぱい買った。
途中で、手作りのアクセサリーを作ってくれるお店で、二人お揃いのストラップを作ってもらう事にした。
出来上がったストラップは、後日配送してくれるみたい。
時間が経つのが早いような気がする…
あっとゆう間に夕方になり、旅館に戻った。
復活した里沙と露天風呂に入って、祐輔と結ばれた事を報告した。
「よかったね!」
里沙は、この一言しか言わなかった。でも、とても嬉しそう。
この日も美味しい夕食を頂いて、みんなで明日帰る事を惜しんだ。
満腹で部屋に戻り、明日帰る為の荷造りをした。
「来た時より、荷物多いね…」
私の、今にもはち切れそうな鞄を見て、祐輔がクスクス笑っている。
「お土産買い過ぎたね。こんなにも、誰に配ろう…」
「会社は?」
「だって、まだ私達の事、誰にも話してないし…」
「言えばいいじゃ~んっ」
祐輔は布団の上でゴロゴロ転がりながら、口を尖らせた。
「う~ん…」
「まぁ、リコが言いたくないなら仕方ないけどさぁ~」
「うーん…ごめんね、祐輔…」
俯く私に、祐輔は四つん這いで近付いて来た。
「リ~コっ?」
「ん…?きゃあっ!!」
祐輔にグイッと手を引っ張られて、布団に倒された。
そして、祐輔は私に覆いかぶさる。
「自信持てよ?周りの目なんか気にすんな」
祐輔は真剣な眼差しで私を見ていた。
そんな祐輔の頼もしい表情を見たら、少しだけ勇気が沸いた。
「もうちょっとしたら…言おうかな?」
私は祐輔の顔色を伺った。
自信なさ気の私を見て、フッと笑った祐輔が、額にキスをした。
「明日は、リコを寝不足にしてやるよ」
「プッ…何それっ」
「慎也さんに負けてられないっ」
「ハハハッ、祐輔には無理無理」
「笑った事、後悔すんなよ…?」
その夜、祐輔は昨日よりも少し乱暴に私を愛した。
何度も気が遠くなって、その度に祐輔は、首筋に痛いぐらいのキスをした。
外が明るくなるまで、溶け合った。
少し乱暴にされても、祐輔の優しさを感じる事ができた。
旅行から帰って来てから5日―
連休中、毎日のように祐輔と会っていた。
だけど今日は、久しぶりに里沙と二人で会っている。
「休みも明日一日で終わりだね~…」
「そうだね~…」
私達は『flower』でかき氷を食べながら、しみじみしていた。
「木村君はリコん家に泊まってんの?」
「ううん、昼間だけ会ってる」
「夜は?」
「夜会うと離れたくなくなるからって…」
「ブッ、木村君、相変わらずだね~。まぁ、木村君らしい気もするけどっ」
「でもなんか変でさ…
21時にはオヤスミってメール入るんだよね」
「寝るの早くないっ!?本当に寝てんの?」
「やっぱ、そう思う…?」
「うーん…」
私達は、無言でかき氷をサクサクしていた。
――旅行から帰って来た日の夜、祐輔から電話が掛かってきた。
『リコ、お疲れ~』
「お疲れ様。どうしたの?眠く無いの?」
『意外と平気。俺、あんま寝なくても元気なんだよねっ』
「フフッ、若いね」
『まあねっ。
あ!明日からのリコの予定は?』
「なんも無いよ?」
『なら、毎日会えるねっ!』
「なんなら…その…連休中は泊まりに来る…?」
『おやっ!リコからそんな事言うなんて、大胆~っ』
「嫌ならいいよっ!!」
『ごめんっ、怒らないでよ~。
でも、嬉しいけど止めとく』
「どうして…?」
『いや…えっと…』
「何かあるの?」
『ううんっ!
その…なんかガッツいちゃうのも嫌だしさっ!』
「プッ、何を今更…」
『それにほらっ、泊まり続けたりすると、帰りたく無くなっちゃうしさっ』
電話の祐輔は、なんか様子が変だった。でも、今日の昼間までは一緒に居た訳だし…
いざ旅行から帰って来て、夢から覚めた感じで、恥ずかしいのかなとも思った。
「ふぅん、なら別にいいけど…」
『あ、あとさ!残りの連休中だけは、昼間だけ会わない?』
「えっ、なんでっ!?」
『夜は男を狼にするから~』
「フフッ、昼間でも狼じゃんっ」
『まぁ、そうだけど…』
「なんか、祐輔…変だよ?」
『そ、そう!?
旅行ボケかなっ!?』
「そんな言葉、初めて聞いたよ…」
『ハハッ…あ、ごめん!母さんに飯呼ばれてるから』
「あ、うん…」
『じゃあ、また明日連絡するねっ』
「わかっ…」
プーップーップーッ…
(まだ、私喋ってんのに!!)
次の日から、祐輔とは昼間だけ会った。
でも特に変わった様子も無かったし、普通に喋って、体も重ねた。
ただ祐輔が帰る時だけは、そそくさと帰って行った。
そして、毎日21時頃におやすみメールが届く…
「怪しい…けど、旅行から帰って来たその日から変ってのが、気になるね」
里沙は、かき氷で冷えた体をミルクティーで温めていた。
「やっぱり、変だよね?何か隠してるのかな…」
私は今までの不安を里沙に話した事で、より一層不安な気持ちが膨れ上がった。
俯いていたら、後ろから聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「リコちゃん…?」
「あ、ミキさん…?」
「やっぱり、リコちゃんだぁ~!」
ミキさんは両手を細かく振って、つま先歩きで近付いて来た。
里沙もミキさんの顔は覚えていたらしく、少しだけ頭を下げた。
「こんなトコで会うなんて、すごい偶然ね。ユースケとは、上手くいってるの?」
「はい、お蔭様で…」
もう祐輔とは関係無いはずなのに、どんな顔してミキさんと話していいか分からなかった。
「昨日の夜はね、偶然ユースケに会ったのよ。
フフッ…あの子、普段着だと幼く見えるわね?」
(昨日の夜…!?)
「な、何時頃に何処でですか…?」
私は、探るようにミキさんに質問した。
「20時半ぐらいだったかしらぁ?
ほらっ、前に私とユカが、ユースケと待ち合わせしてた駅!
リコちゃん達と会った所よ。
昨日は、ユースケと会ってたんじゃないの?」
(20時半…?
昨日祐輔は19時には帰った…その後出掛けたって事…?でも21時には、おやすみメールがきた…)
頭の中で色々考えながら、私は黙り込んでいた。
「リコちゃん?どうしたの?」
「あ、すみません…」
「あの、ミキさん?でしたっけ?」
今まで黙って話しを聞いていた里沙が、口を開いた。
「ええ、あなたのお名前は?」
「里沙です。よければ、ここ座ってください」
「え?あ、じゃあ…」
ミキさんは、少しとまどいながら私の横に座った。
「木村君、昨日は誰かと一緒でしたか?」
何も言えない私の代わりに、里沙がミキさんに質問を始めた。
「ユースケ、木村って言うんだぁ。
なんか待ち合わせしてたみたいだけど…
なに!?ユースケと何かあったの?昨日、リコちゃんと待ち合わせてたんじゃないの?」
こちらの事情も言わずに、ミキさんに昨日の祐輔の事をあれこれ聞き出すのは失礼だと思って、最近の祐輔の事を話した。
私が一通り話し終わると、ミキさんはタバコに火をつけた。
溜め息混じりにフゥーと煙を吐き出して、真っ直ぐ私を見た。
「話しは分かったわ…。
あのね、リコちゃん…なんか、告げ口してるみたいで言いにくい話しなんだけど…」
「…言ってください」
少し俯き加減の私を見て、ミキさんはすごく言いにくそうに話してくれた。
「昨日の夜、私が駅から出たら、ユースケを見掛けたの。車で来てたみたい。それで、誰かと待ち合わせ?って聞いたら、『彼女』とって…
それ聞いて、てっきり私は、リコちゃんと待ち合わせてると思ってたのよ…」
ミキさんの話しで、この場の空気が一気に重たくなった。
(彼女……?)
涙なんか出ないぐらいショックだった。
それよりも、何がどうなっているのか分からない。
祐輔が、私だけだって告白してくれて…
付き合ってからは、すごく大事にしてくれて…
溢れんばかりの愛情を注がれて…
数日前に身も心も結ばれて…
そのすぐ後に、私では無い『彼女』と待ち合わせ…?
頭の中は、オーバーヒート状態…
考える事も出来ずに、真っ白になった。
「リコ…?」
里沙の頭の中も、私と同じ状態なんだと思う。私を見る表情で分かる。
「やっぱり私、何か余計な事を言っちゃったかしらね…」
ミキさんも、表情が暗くなった。
「でも、なんか不振な点が在りすぎるわよね…?」
ミキさんに話し掛けられても、私には返事を返す気力も無かった。
「リコ…。すぐに木村君に連絡して聞いた方がよくない…?ここで色々考えても、何も解決しないんだし…」
「そうよ!もしかしたら私の聞き間違えだったかもしれないわ!」
「…」
祐輔に何をどうやって聞いたらいいのか…本当は今すぐにでも連絡して、真実を聞き出したいのに…
頭が働かない…
黙り続ける私を見たミキさんが、少しでも場を和ませようと、明るく話し始めた。
「そういえばね、私も…きっと私だけじゃないわね。
私達、ユースケに騙されてたのよ~」
「え…どういう…」
やっと言葉が出た。
ミキさんは私に微笑んだ後、少し呆れ顔で話し続けた。
「まだユースケがホストやってる時、私達には、『外国製の大きな車に乗ってる』って言ってたのよ。それを信じてたのに、昨日見たら軽自動車だったんだもん。ほんと、ガッカリよ。騙されたわ~」
クスクス笑いながらミキさんは、2本目のタバコに火を着けた。
里沙もちょっと苦笑いしていた。
だけど…
私は笑えなかった…
終わったと思っていた不安と、祐輔に対する不信感が、荒波のように押し寄せた。
目からは、静かに涙が流れ落ちた。
その涙は止まる事無く、だんだん溢れるほどの量になった。
二人は何も言わずに私を見ていた。
するとミキさんの携帯が鳴り、メールを開いた。
「ごめんなさい。私、人と待ち合わせしてたのよ。もう行かなくちゃ…」
「あ…色々すみませんでした…ありがとうございました」
泣きじゃくる私の代わりに、里沙がお礼を言ってくれた。
「こちらこそ、余計な事言って申し訳なかったわ…
リコちゃん…?ちゃんとユースケと向き合った方がいいわよ?」
私は返事が出来なかった。
「じゃあ、またね…?」
ミキさんは、静かに店を出て行った。
里沙は心配そうな表情で、私の横に座って、背中を撫でてくれていた。
「リコ…?大丈夫…?」
「ッ…べに…」
「え?」
「…口紅っ」
「口紅…?なんの事?」
「ゆ…すけ…の、車にあっ…た、口紅っ…」
「あぁ、前に話してた…えっ!?もしかして…」
「あれはっ…誰のなの…っ?」
「…」
お店の中だという事も忘れて、私は声を出して泣いた。
初めて祐輔とデートをした日、祐輔の車の中で見つけた口紅―
祐輔にホストクラブでのバイトの事を打ち明けられた後、あの口紅は、お客さんの物だったんだって、思い込んでいた。
でも、お客さんは祐輔の車を見た事も無かった…
終わったと思っていたのに…
解決したと思っていたのに…
祐輔は、まだ私に隠し事をしている。
今は愛情よりも、不信感の方が大きかった。
里沙は、顔も上げられないぐらい泣きじゃくる私を置いて、会計をしに行った。戻ってくると、黙って私を引っ張って店を出た。
そして、人通りの少ない路地裏まで連れて行かれた。
道の端っこに座らされた私は、小さく丸まって泣き続けた。
しばらく立ち尽くして私を見ていた里沙が、私の鞄から携帯を取り出した。
「里…沙…?」
里沙は無言で私の携帯を操作している。
「里沙…?やめて!今は…っ」
里沙が何をしようとしているのか、すぐに分かった。
必死で携帯を奪い返そうとする私の手を振り払って、里沙は電話を掛け始めた。
「…もしもしっ?お前、何またリコを泣かせてんだよっ!!」
電話の相手は祐輔だ。
私は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「は!?何しらばっくれてんのっ!?
いいからっ!今リコと『flower』の裏の路地にいるから!今すぐ来いよっ!!」
里沙は一方的に電話を切り、私に携帯を差し出した。
私は受け取る事が出来ない。
小さく溜め息をついた里沙が、私の前にしゃがみ込んだ。
「リコ、ごめんね?
でも、ちゃんと木村君と向き合った方がいいよ。木村君が来たら、私帰るから」
「やだっ!里沙もここにっ…」
すがるように訴えると、里沙は小さく首を横に振った。
「リコは変わったんだよ?ちゃんと自分の気持ち、伝えられるようになったんだから。私なんか必要無いよ。
それに私…木村君と話しなんかしたら、多分殴っちゃうよ?」
それはダメ!と言うように、私は大きく首を横に振った。
そんな私を見て、里沙はフッと微笑んだ。
「木村君が来るまで、いっぱい泣いておきな?」
そう言って、私の背中を撫でてくれた。
私は泣き続けた。
何て聞こう…
どんな答えが返ってくるんだろう…
聞くのが怖い…
でも、真実を知りたい…
色んな感情が交錯する。
祐輔を待ちながら、涙が枯れるまで泣いた。
だんだん涙も出なくなってきて、放心状態になっていた。
「…リコっ!?」
――ドキッ
祐輔の声を聞いたら、体がビクッとなった。
汗だくで息を切らしながら、祐輔が私達の元に走って来た。
「ハァハァ…リコ…?なんで泣いて…」
祐輔は肩で息をしながら、前かがみで私の前に立った。
「リコ?大丈夫ね?」
里沙は私の背中をさすりながら、顔を覗き込む。
私は小さく頷いた。
ポンポンッと私の背中を叩いて、里沙は祐輔の顔を見ずに、この場を後にした。
残された私達は、しばらく無言のまま。
(ちゃんと…聞かなきゃ…)
黙って下を向いたまま座り込んでいる私の横に、祐輔が静かに座って、私の頭を撫でた。
私は祐輔のその手を振り払った。
「リコ…?」
「ゆ…すけ…」
「ん?」
心配そうな祐輔の顔を一瞬見て、私はすぐに目を逸らした。
「昨日の夜…どこに居た…?」
答えは分かっているのに、あえて質問する私は卑怯だ…
「昨日の夜…?い、家に居たよ?」
この期に及んで嘘をつく祐輔。
もう出ないと思っていた涙が、また溢れ出した。
「リコ、どうしたの?俺、何かした?」
自分がしてる事に罪悪感は無いのか…?
いつまでもとぼけ続ける祐輔に腹が立つ。
「何かしたって!?自分で分からないの!?」
私は涙を流しながら、祐輔を睨みつけた。
「一体、なんの話なのか…」
「嘘つきっ!!
それに祐輔は、隠し事ばかりだよ!!」
「リコ?お願いだから、ちゃんと話して?」
祐輔も、だんだんと苛立ち始めたようだった。
「昨日の夜、駅で誰かと待ち合わせてたんでしょ!?」
「…えっ!?」
祐輔は、かなり驚いている様子だった。
「なんで知って…」
「聞いたのっ!!」
「誰に…?」
明らかに祐輔は動揺している。
そんな祐輔の顔を見たら、私はもう、自分の感情を抑える事が出来なくなっていた。
「さっきミキさんに会って聞いたの!!昨日、駅で祐輔に会ったって…。
祐輔が彼女と待ち合わせしてるって言ってたって!」
「それはっ…」
「彼女って誰!?私には21時におやすみってメールしておいて…
他の女と会ってたの!?そもそも彼女ってなんなのよぉーっ…!!」
祐輔の言葉も遮り、私はヒステリーを起こして、感情をぶちまけた。
涙がボロボロ流れてくる。もう、顔もグチャグチャ…
「リコっ、聞いて?」
祐輔は、うずくまる私の上体を起こそうと、肩を掴んだ。
―ドンッ…
私は、祐輔を力の限り突き飛ばした。
「リコ…」
地面に尻もちをついた祐輔は、放心状態だ。
そんな祐輔を私は、冷ややかな目で見ていた。
「あの口紅も、その彼女のなの?」
「口紅…?」
「祐輔の車にあったやつっ!!」
「あ、あれは違う!!」
ムキになって否定する祐輔を見て、私の中で何かが切れた。
(違う…?お店のお客さんのでも無い、昨日の女のでも無い…
なら、一体誰のなの…?)
「祐輔…他にもまだ女がいるの…?」
「違う!俺の話を…っ」
「私だけって、言ったじゃないっ…
1番も2番も居ないって…」
「リコだけだ!信じてくれよ!昨日は…っ」
「信じられない…
もう、ヤダ…もう…」
意識が朦朧としてきた。
「リコ?」
「私…だけ…って…」
―ドサッ…
「リコっ!?」
私は意識を失って、その場に倒れた―――
祐輔の声が聞こえる――
私の、大好きな人の声――
「…コ!?リコっ!?」
目を覚ますと、祐輔が心配そうな顔で私の名前を呼んでいる。
「ゆう…すけ…?ここ…」
「病院だよ!リコ、倒れたんだよ!待ってて、先生呼んでくるっ」
(私…倒れたんだ…)
天井を見ながら、ボーッとしていると、祐輔が先生を連れて病室に入ってきた。
「神谷さん、気分はどうですか?」
「あ、はい…大丈夫です…」
「炎天下の中、興奮状態だったみたいだからね。検査の結果、脳の方に異常は見当たらないから、大丈夫ですよ」
「そう…ですか…」
「もうちょっと休んでいきます?」
「帰っても、いいですか…?」
「神谷さんが大丈夫なら。無理はしないでくださいね?お家でゆっくり休んでください」
「お世話になりました…」
祐輔に支えながら、二人で病院を出た。
タクシーに乗り込み、まだボーッとしたままの私は、祐輔の肩にもたれ掛かった。
「リコ…ちょっと一緒に来て欲しいんだけど…大丈夫かな?」
「うん…」
祐輔が運転手に行き先を告げて、タクシーが走り出す。
私は祐輔に寄り掛かったまま、また少し眠った。
「リコ?着いたよ」
「ん…」
祐輔に手を引かれて、タクシーを降りた。
「ここ…」
辺りを見渡すと、一軒家が立ち並ぶ住宅街。
「これが俺ん家。入って?」
足元がフラつきながら、祐輔に支えられて、家の中に入った。
「ただいまー」
「あ、おかえりー。
…あら?そちらの方は?」
玄関に入ると、奥から祐輔のお母さんが出て来た。
本当なら、初めて彼氏のお母さんに会う時は、緊張するんだろうけど、今の私は緊張する余裕も無かった。
「俺の彼女のリコさん」
「あら~っ!そうだったの!」
「こんにちは…初めまして…」
祐輔のお母さんは、ニッコリ笑ってくれた。
(笑顔が可愛いお母さんだな…)
すると、祐輔のお母さんは私の顔を覗き込んできた。
「リコさん大丈夫?顔色が悪いみたいだけど…」
「ちょっと体調崩してんだ。俺の部屋連れてくから、冷たいお茶出してくれる?」
「あらあら!まぁ~、早く上がって?」
「お邪魔します…」
「俺の部屋、2階の一番奥の部屋だから。先に行ってて?大丈夫?」
「うん…」
私は、ゆっくり階段に向かって歩いた。すると、祐輔とお母さんの会話が聞こえてきた。
「母さん、優希は?」
(優希って、お兄さんかな?)
「あ、さっき帰って来て、シャワー浴びてるわよ?」
「じゃあ風呂から上がったら、優希に俺の部屋に来てって言っといて?」
「え!?大丈夫なの?」
「いいから。このお茶、貰ってくよ?」
(なんでお兄さんを呼ぶの…?大丈夫って、なんだろう?)
私は二人の会話に疑問を抱きながら、やっと祐輔の部屋の前までたどり着いた。
「あれ?まだ入ってなかったの?」
祐輔がお茶を持って階段を上がってきた。
「どうぞ、入って?」
祐輔が部屋のドアを開けてくれた。
祐輔の部屋は、男の子の部屋とは思えない程、綺麗に片付けられていた。
家具は全て腰より低い高さの物だから、とても広く感じた。
「座って、お茶でも飲んでて?
優希が…あ、優希って兄貴ね!もうすぐここに来るから」
「なんでお兄さんが…?」
私は、部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に座った。
「リコに、ちゃんと全部話すから」
祐輔は、コップを持ってベッドに座った。
(お兄さんと、今回の事が関係あるの…?)
祐輔が何をしたいのか分からなくて、ただお兄さんを待つしかなかった。
しばらく沈黙が続いていたら、
―コンコンッ
と、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「入って」
中から祐輔がドアの向こう側に声を掛けると、ガチャッとドアが開いた。
ドアの方に視線を移した時、私は言葉を失った。
「えっ、あのっ…」
私は完全にテンパッていた。
言葉がうまく出せない。
頭の中で処理し切れない現実に直面した私は、祐輔に助けを求めるように目で訴えた。
困惑する私を見た祐輔は、クスッと笑った。
「ハハッ…リコ、超テンパッてる」
(当たり前じゃない…だって、この人…)
そう、私の目の前に立っているのは、どこからどう見ても『女の人』…
お兄さんが来ると言われて待っていたのに、何故か目の前に『女の人』が現れた。
思考回路が完全に停止した。
「あの…初めまして…」
『女の人』は、後ろで手を組み、俯き加減でモジモジしていた。
「初め…まして…」
私は硬直していた。
祐輔は立ち上がって、『女の人』に歩み寄った。
「リコ、紹介するね?俺の兄貴の優希。正確には、元兄貴?
今は姉ちゃんか」
祐輔は緊張する優希さんに、安心させるような優しい笑顔を見せた。
(ちょっと待って!?元兄貴?今は、姉ちゃん?じゃあ優希さんは、いわゆる…)
頭の中で目の前の現実を必死に整理した。
「優希、この人は俺の彼女のリコさん。可愛いだろ?」
祐輔は得意げに私を紹介した。
優希さんは、私の事をじっと見ている。
「あぁ、この人が…
もしかして、ずっと前に私の口紅で、不安にさせちゃった人?」
「そっ!今も俺、フラれそうな勢いで信用無くしてんだ…
悪いんだけど、優希から話してくんない?」
(私の口紅って…あれは優希さんのだったの!?)
目を見開いたままの私の前に、優希さんはゆっくり座った。
座る仕草一つとっても、元男性とは思えないぐらい、本当に綺麗…
「えっと…リコさん?」
「は、はいっ」
私は声が裏返っていた。
祐輔はベッドに座って、笑いをこらえている。
「リコさんの話は、祐ちゃんからよく聞いてます。いつも、弟がお世話になっております」
「あ、いえっ!こちらこそ…」
私は足を崩していたけど、優希さんの落ち着いた話し方に、自分より年下とは思えず、慌てて正座した。
「あの、リコさんが祐ちゃんの車で見つけた口紅…私のだったんです」
「そう…でしたか…」
「後から祐ちゃんに言われました。『せっかくデートに誘ったのに、お前の落とした口紅で信用無くした』って」
優希さんは、唇をキュッと噛んで控えめに笑った。
私は、自分がちょっと恥ずかしくなって下を向いた。
「祐ちゃんがリコさんをデートに誘った日の前日、私は祐ちゃんに職場まで送ってもらってたんです。その時、車の中で化粧してたから、落としちゃったみたいで…」
「そう…だったんですか…」
優希さんは女の私から見ても、綺麗としか言いようが無かった。
でも、やっぱり兄弟なんだな。祐輔と顔のパーツが似てる。
「ごめんね、リコ…
俺の口から優希の事言っても、信じてもらえないと思ったからさ…言えなかったんだ」
申し訳なさそうな表情を浮かべる祐輔を見て、私は軽く微笑んだ。
「あ、優希!あと、『小百合さん』の事も話して?
その事で、リコを泣かせちゃったんだ…」
「えっ?祐ちゃん言ってなかったの!?」
「言いにくくて、隠してた…」
優希さんは、呆れ顔で溜め息をついた。
(『小百合さん』…?)
二人の会話についていけず、キョトンとしている私を見た優希さんは、深々と頭を下げた。
「リコさん、ごめんなさい…」
「えっ?」
「馬鹿な弟が隠し事をした為に、リコさんに辛い思いを…」
「えっ、いや…
『小百合さん』って…?」
「話すとちょっと長くなるんですけど…」
私は、真っ直ぐ優希さんの顔を見て話を聞いた。
「私、スナックで働いてるんです。
そこで一緒に働いている女の子が居て、その子が『小百合』っていうんです」
「あの、小百合さんは…その…」
私の聞きたい事を悟った優希さんは、ニッコリ笑った。
「れっきとした、女の子ですよ」
「あ、そうなんですか…」
「スナックのママも、ちゃんとした女性です。
それで、本題なのですが…」
私はゴクリと唾を飲んだ。
「一ヶ月ぐらい前から、よくお店に来るようになったお客さんがいるんです。
その方が、小百合を異常に気に入ったみたいで…毎日お店に来ては、小百合を口説いてたんです」
優希さんの話しを、私は静かに頷いて聞いていた。
優希さんが言うには…
― 小百合さんは、あまりにもしつこいから、本当は居ないのに、「彼氏が居る」と嘘をついた。
そしたらその男に、「そいつに会わせろ。会ったら諦める。嘘なら許さない」と脅された。
怖くなり、昨日は仕方無く祐輔が彼氏のフリをして、その男に会って話しをしたという事らしい…
なんとなく理解したけど、疑問点がいくつもある…
スッキリしない顔で居ると、祐輔が顔を覗き込んできた。
「リコ?怒ってる…?」
「いや、怒ってるっていうか…スッキリしない…」
「何?
ちゃんと全部話すから、なんでも聞いて?」
優希さんも、心配そうな顔で私を見ていた。
「うん…なんで昨日ミキさんに会った時に、『彼女と待ち合わせ』って言ったの?わざわざミキさんにまで『彼女』って言う必要無かったんじゃない?」
「それはあの時、すでに男が駅前で待ってて、近くに居たんだよ。だから、怪しまれないように仕方無く…」
「どうして近くに居るって分かったの?祐輔は、その男の人の顔を知ってたの?」
祐輔は苦笑いして目線を逸らした。
「俺、旅行から帰ってきた次の日から、優希の居るスナックを手伝ってたんだ。
厨房だったから、表には顔出して無かったんだけど、その男の顔は見てたんだよね…」
「えっ、祐ちゃん。手伝ってた事も言って無かったの!?」
優希さんは、眉間にシワを寄せて呆れていた。
「リコさん、ごめんなさい…
祐ちゃんが旅行から帰って来た日に、急遽連休中だけって約束で、私が頼んだんです…
小さなお店だけど、この時期になると忙しくて、人手が足りなかったんです…」
「祐輔?どうして私に隠してたの…?」
「その…」
「会社がバイト禁止なのに、また規則破った後ろめたさ?」
「いや、バイトとしては働いてないよ。
スナックのママは俺達の親戚の叔母さんなんだ。
親戚の店の手伝いって名目で、ママのポケットマネーからこずかい貰っただけ」
「なら、なんで黙ってたの?」
私が問い詰めると、祐輔は棚から小さな紙袋を取り出し、黙って私に差し出した。
「これは…?」
祐輔に手渡された小さい紙袋の中には、細長い箱が入っていて、ピンクのリボンがかけられていた。
「プレゼント…開けてみて?」
祐輔は照れ臭そうに笑っている。
箱を開けると、小さなハート型に羽が付いた、ネックレスが入っていた。
「ど…して…?」
「俺、旅行で結構金使っちゃってさ。
店を手伝えば臨時収入が入るから、リコに内緒でそれをプレゼントしようと思って…
今年の誕生日は、何もあげて無かったから…」
私の目から、ポタッポタッと涙が零れ落ちた。
どうして泣いているのか、自分でもよく分からなかった。
「リコ…?どうしたの?」
なんとなく答えは分かっていたけど、私は祐輔に最後の質問をした。
「ど…して、毎晩…21時頃にっ…メールを…」
「それは…
もし店手伝ってる間にリコから連絡きても、すぐに返せないから、怪しまれちゃうかなって思って…
それなら、俺から先にオヤスミってメールしちゃえば、リコから連絡は来なくなるでしょ?」
祐輔の口からは、予想通りの答えが返ってきた。
「祐輔の…」
「何?」
「祐輔のバカァッ!!」
私は優希さんが居るのにも関わらず、大声を張り上げた。そして、ネックレスを握りしめてその場に泣き崩れた。
全て誤解が解けてホッとしたのと、
小百合さんに対するヤキモチと、
思わぬ祐輔からのプレゼントへの喜びと、
それと…
今回、祐輔を信じる事が出来なかった自分への悔しさが、涙となって一気に溢れ出した。
祐輔が優希さんに目で合図をすると、優希さんは小さく頷いて静かに部屋を出て行った。
「リコ、ごめんね?結局俺、リコを不安にさせちゃってたんだね…」
「バカ…バカァ…」
私は『バカ』しか言葉が出なかった。祐輔に対して言ったのと、勝手に妄想を膨らませて祐輔を疑ってしまった自分に対してと…
泣きじゃくる私の首に、祐輔はネックレスを着けてくれた。
私が落ち着くまで、祐輔は私を抱きしめながら、頭を撫でていてくれた。
しばらく泣き続けたら、だんだんと涙も出なくなってきた。
「大丈夫?」
祐輔は優しい表情で、私の顔を覗き込んだ。
目が真っ赤に腫れ上がった私は、顔を上げる事なく頷いた。
「俺の事、嫌いになっちゃった…?」
祐輔の言葉に、せっかく引いた涙が込み上げてくる。
「あぁっ!ごめんっ、リコ…泣かないで?」
「フリでも…嫌だよ…」
「フリ?」
「もう、他の子の彼氏のフリなんか…しないで…。祐輔は…私の彼氏なんだからっ!
うわぁーっん!」
まるで私は、自分のオモチャを取られた子供のように泣いた。
呆れられてもいい…
小さい人間だって思われてもいい…
私は、祐輔が他の女の子と歩くのが許せなかった。
そんな私を祐輔は、息が出来ない程きつく抱きしめた。
「分かった…もうしない。他には?何かある?」
「もう…隠し事しないで…不安になるから」
「うん、約束する。他には?」
「プレゼントなんか要らない。祐輔にお金が無くてもいい。だから、ずっと一緒に居て…?もっと祐輔と一緒に居たい…」
「俺もリコと一緒に居たい。
俺さ、店を手伝ってる時、すげぇリコに会いたかったよ。でも、昨日で手伝いも終わったから」
「もう、いいの?」
「うん。今日と明日はママが旅行に行くから、店は休みなんだ。俺の連休も明日で終わるし、ちょうど良かった」
「そう…」
気持ちも落ち着いてきて、急に甘えたくなった私は、祐輔の胸に顔をうずめた。
「姉さん、他に何かご要望はありますか?」
祐輔は、ちょっとおどけて私に問い掛けた。
「好きって言って?」
「…大好きだよ」
「愛してる?」
「愛してる」
「ネックレスありがとう…」
「どういたしましてっ」
「疑ってごめんね…」
「俺の方こそごめん…」
「一緒に暮らそう…?」
「うん…えっ!?」
祐輔はビックリして私を引きはがした。
「本当に…?いいのっ!?」
「もう祐輔が隠し事出来ないように、家に閉じ込めとく…」
「鎖でも着けとく?」
「いいかも…」
私達は、コツンと額を合わせて笑った。
「リコ、俺からもお願いしていい?」
「何?」
「キスさせて…?」
「いっぱいしてくれるなら…」
祐輔は私を愛おしむように笑って、キスをした。
お互いの気持ちを再確認するように…
『ごめんね』と伝え合うように…
深く深く、何度も唇を重ねた。
― バンッ
突然部屋のドアが開き、ビックリした私達は、唇を合わせたままビクッと跳ね上がった。
恐る恐るドアの方を見ると、祐輔のお母さんが目を丸くして立っていた。
「あら…ごめんなさいね。続けて?」
そう言い残してお母さんは、そそくさと立ち去ろうとした。
(続けてって…)
私は恥ずかしくなって俯いた。
「母さん!ノックぐらいしろよっ!」
祐輔は恥ずかしさを隠すように、大声を出した。
「何度もノックしたわよ~?なのに全然返事が無いから、何かあったんじゃないかって思って…」
(全然気付かなかった…)
私と祐輔は顔を見合わせて苦笑いした。
「あ、そうそう。もう時間も遅いし、リコさん夕飯食べて行かない?お父さんも会いたいって」
全然時間の事なんか気にして無かった私は、慌てて部屋の時計を探した。
もう20時過ぎ…
「そうだよ、リコ!
なんなら、泊まってけば?」
「あら、いいわね!
リコさん、ゆっくりしてって?」
「そんな…ご迷惑じゃ…」
思いもよらないお誘いに、私は困惑した。
「遠慮しなくていいのよ~?狭い家だけどっ」
「じゃあ、遠慮なく…」
「あ、母さん!リコと一緒に暮らしていい?」
この場で同棲する事をサラッと言う祐輔に、私は驚いた。
「若いっていいわね~。
一緒に暮らせば、誰にも『邪魔』されないもんねぇ~?」
お母さんは、ニヤニヤしている。
「母さん、何を考えてっ…!」
「んふふふっ。
早く下りていらっしゃいね~」
お母さんは意味深な笑みを浮かべながら、部屋を出て行った。
「ごめんね、リコ…あんな母さんで…」
「フフッ…面白いお母さんだね」
「普通、あの状況で『続けて?』なんて言うかぁ~?」
「アハハハッ…でも、ビックリしたぁ~」
祐輔はちょっと呆れ顔で、私はクスクス笑いながら部屋を出た。
とにかく、祐輔の御家族は明るい人達だ。
御両親は、女として生きている優希さんの事も理解して、心から応援していた。祐輔も、愛情たっぷりに育てられてきたんだなって、この御家族からすごく伝わってきた。
楽しい夕食の一時を終え、私は後片付けを手伝った。
そしてお風呂に入って、優希さんから新品の下着を貰った。
祐輔の服を借りたらダボダボで、『子供みたいで可愛い』って笑われた。
もう日付が変わろうとしていたから、御両親と優希さんに『おやすみなさい』を言って、祐輔と部屋に戻った。
「なんか、長い一日だったなぁ~」
祐輔は、ベッドに大の字になっている。
私は着て来た洋服を畳んでいた。
「そうだね…
色々あったけど、祐輔の御家族に癒されちゃった」
背中に祐輔の視線を感じる…
「なに?」
「リコ、こっち来て…?」
祐輔はタオルケットにくるまって、甘えた目をしていた。
私が立ち上がると、祐輔は起き上がって布団をポンポンッと叩いた。
ベッドに座ると、祐輔は後ろから私の髪をかきあげた。
「首の跡、消えちゃったね?」
「もうっ、あれから隠すの大変だったんだからっ」
「また付けなきゃね。俺のモノだって証…」
「バカ…」
祐輔は優しく私の首元にキスをした。
こういう雰囲気、もう祐輔とは何度か経験してきたけど…
やっぱり毎回ドキドキする…
私はギュッと目を閉じた。すると…
― コンコンッ
と、ノックの音がした。
祐輔は、ハァ~…と溜め息をついてドアを開けた。
「母さん…今度は何?」
「祐輔っ?分かってるんでしょうね?」
「何が?」
「嫁入り前の娘さんに何かあったら、あちらの親御さんに顔向けできないでしょ?だから、細心の注意を払って…」
「あ~もうっ!分かってるよ!はいはい、おやすみっ!」
「ちょ、ちょっと…」
祐輔はお母さんをグイグイ部屋から追い出して、バンッとドアを閉めた。
私は笑いをこらえるのに必死。だけど、もう限界…
「あははははっ!もうダメっ!お母さん最高っ」
「最高じゃねーよ…
絶対分かってて邪魔してるよ…」
なんだかドラマみたい。こんな時、『超ウケる』って言葉がピッタリだ。
「もぉ~、ムードぶち壊し…まじ泣きそう…」
祐輔はベッドに丸まっていじけた。
やっぱり祐輔は可愛い…
こんな祐輔が、私はたまらなく愛おしい。
私は祐輔に覆い被さって、首筋にキスをした。
「いっ…!?リコ?」
祐輔の首筋に、『私の存在』を強く刻んだ。
「私、初めて彼氏に『跡』付けた…」
「まじで!?写メ撮って?」
「やだよっ!」
「えぇ~」
二人でケラケラ笑いながら横になった。
「おやすみ、リコ」
「おやすみ」
軽くキスをして、祐輔の腕枕で眠った。
― 大好きだよ、祐輔…
― 翌日の昼頃
私と祐輔は玄関に居た。
「昨日は突然お邪魔しまして…」
私は見送りに出て来てくれた祐輔の御家族に挨拶をした。
「いいのよ~、また来てねっ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、行ってくるから」
祐輔が玄関に置いた大きな荷物を持ち上げると、お父さんが首を傾げた。
「祐輔、その荷物は?」
「今日からリコの家に住むから。あれ?母さん言ってなかったの?」
お父さんは、キョトンとしてお母さんを見ている。
「あら、私はてっきり祐輔からお父さんに言ったものだと…」
「なにっ!?母さん知ってたのか!?しかも、突然過ぎるじゃないか!!」
お父さんが声を荒らげると、その場の空気が一気に静まり返った。
「祐輔…」
「父さん、ダメ…?」
二人は真剣な顔で向き合う。
「父さんも連れてけっ!」
「はあっ!?」
「なんで父さんまで来るんだよっ!?」
「こんな可愛い子と一緒に暮らすだなんて…羨ましいじゃないか!」
お父さんは、子供みたいにダダをこねていた。
「お父さん、私がいるじゃない?」
お父さんを諭すように、優希さんが優しい笑顔を見せた。
「おぉ、そうだな!俺にはこんなに可愛い娘がいるんだ!
祐輔っ!さっさと出て行け!」
「はぁ~?意味わかんねーよ…」
私は玄関の壁に向かって肩を震わせながら笑った。
この家族、最高にツボにハマる…
「リコさん…祐輔を宜しくね?」
「はい。急な申し入れで、申し訳ありません…」
ニコッと笑って頭を下げるお母さんに、私も深々と頭を下げた。
「どうせ、まだ部屋の荷物取りに帰って来るから。リコの家も、そんなに遠くないし。
じゃあ、またね!」
祐輔は笑顔で手を振り、私はもう一度深くお辞儀をして、祐輔の家を後にした。
私の住むアパートには駐車場が無い。
だから、月極めの駐車場が決まるまで、祐輔の車は実家に置かせてもらう事にした。
一度祐輔の荷物をアパートに置いてから、昼食を食べるついでに、買い物に出掛けた。
一応余分に食器とかはウチにあるけど、せっかくだから、二人お揃いの食器を買って、あとは生活に必要な日用品と、祐輔の服を入れるクローゼット用の引き出しも買った。
祐輔との新生活に、私はテンションMAX!
あれもこれもと、次々にカートに詰め込んだ。
でも祐輔は、カートを押しながら元気が無い。
「祐輔、どうしたの?」
「すごく申し訳無いんだけど…」
「何?」
「俺…こんなに買うお金、持って無いよ…」
少し沈んだ雰囲気で俯く祐輔の背中を、私はポンッと叩いた。
「心配しないで!
ここは、お姉さんに任せなさいっ!」
「でも…」
「いいからっ!だけど、ちゃんと生活費は貰うからね?」
「それは、もちろんだよっ!!」
祐輔は、すごく悲しい表情だ。
「ほら、祐輔笑って?私一人浮かれてても、つまんないじゃん!」
「うん…」
「なら、出世払いという事で?」
「うんっ!俺、社長になる!」
「無理無理。」
「即答っ!?」
祐輔に笑顔が戻った。その顔を見て、私も一安心。
残りの生活用品と、夕食の材料を買って、荷物が多過ぎるからタクシーで帰った。
アパートに戻り、荷物を運び込んで、ドッと疲れた私達は大きな溜め息をついた。
「ゆっくり片付けていこうね?とりあえず、夕食の準備するねっ」
私は台所にあるエプロンを着て、買ってきた袋の中から材料を取り出した。
「リコさん!!」
急に大声を出した祐輔の方を見ると、床に正座していた。
「フフッ…どうしたの?」
「木村祐輔、本日からお世話になります!どうぞ、宜しくお願いしますっ」
祐輔は深々と頭を下げて、額を床に付けた。
私も祐輔の前に正座した。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
深々と頭を下げ、二人同時に顔を上げたら目が合って、可笑しくなって吹き出した。
「俺、少し片付けるね」
「お願いねっ」
こんな、たわいもない会話一つでも、私は胸が弾んだ。
今日は簡単にオムライスとスープとサラダを作った。
私が料理をしている間、祐輔は驚異的な早さで片付けを済ませた。
「まだ、実家に荷物あるけど入るかな?」
「玄関の隣の部屋、ほとんど使って無くてスペースあるから、大丈夫じゃない?」
「りょ~かいっ」
「さ、食べよ!」
テーブルに食事を並べると、祐輔は写メを一枚撮って、あっとゆう間に食べ切った。
(本当に作り甲斐があるなぁ)
後片付けを二人でして、交代でお風呂に入った。
さすがに二人共疲れて、すぐに布団で横になった。
寝転がりながら私を後ろから抱きしめて甘える祐輔に、どうしても聞きたい事がある…
「ねぇ…祐輔?」
「ん~?」
「あのね、言いたく無かったらいいんだけど…」
「何?」
「御実家にお給料の半分を入れてるって、前に言ってたじゃん…?」
「あぁ、その事…?」
祐輔は私から離れ、ゴロンと仰向けになった。
私は祐輔に背中を向けたままでいた。
「家に金入れてるっていうかぁ…優希に?」
「優希さんに?」
振り向いた私に、祐輔はフッと照れ臭そうに微笑んだ。
「優希が女になる為には、何かと金掛かるじゃん?手術とか、整形とか…」
「うん…」
「アイツ、前はニューハーフの人達が働く店に居たんだけど、どうもあの『ノリ』についていけなかったみたいでさ」
「ノリ…?」
祐輔は肘に頭を置いて、私の方に向き直った。
「ああゆう店って、元は男であるって事を全面的に売りにするでしょ?
客も変に色々聞いてきたりさ」
私は黙って祐輔の顔を見つめていた。
「優希が20歳の時に親にカミングアウトしてから、1年ぐらいはそうゆう店で働いていたけど、どうしても自分は『元男だった』って目で見られるのが嫌で、辞めたんだ。
それで、事情を知った今のスナックのママが『女』として、優希を雇ってくれたんだよ」
― 優希さんはスナックに勤め始めたけど、やはりお給料は前の店よりも少なく、手術や整形費用が思うように貯まらなかった。
それでも頑張っている優希さんの力になりたくて、祐輔が今の会社に入った時から、お給料の半分を優希さんに、お母さんから渡してもらっていた。
この話しを聞いたら、祐輔の家族に対する想いに感動したと同時に、ここまで想われている優希さんに、少しだけ嫉妬した…
祐輔の実のお姉さん(?)にまで嫉妬する私は、人として恥ずかしいと思った…
複雑な表情を見せた私の頬に、祐輔の手がそっと触れた。
「リコには、すごく申し訳無いんだけど…
今月の給料までは、半分優希に渡したいんだ…俺も突然出て来ちゃったし」
少し悲しげな表情を浮かべる祐輔に、私は少しだけ微笑んだ。
「リコには既に迷惑かけちゃってるけど…来月からは、ちゃんと生活費も渡すし、今日買った分も必ず返す。
それじゃあ、ダメかな…?」
私は小さく首を横に振った。
「別にお金の事をうるさく言いたかった訳じゃなくて…
ただ、興味本位で聞いただけなの。ごめんね…」
「なんでリコが謝るの?俺がちゃんと話して無かったのが悪かったんだ。ごめんね…」
「ううん、祐輔って…家族想いだね」
「そう?自分では普通だと思ってたけど…」
「私の事も…大事に想ってくれる…?」
私は、すぐに自分の言った事に後悔した。きっと私…最低な質問をしてる…
― 絶対嫌われた…
私が、分が悪い表情で祐輔から目を逸らすと、祐輔はクスッと笑った。
「リコぉ…もしかして、俺の家族にヤキモチ?」
― うっ…
心を見透かされた私の顔が強張った。
「ハハッ、本当にリコって、可愛いな」
(可愛い…?)
思いも寄らない事を言われた私は、祐輔を見上げた。
「家族はもちろん大事だけど…それは家族愛ってヤツ?
リコに対しては、LOVEだね」
「私、最低だよね…家族と比べさせるなんて…」
「それぐらい、俺に惚れてんだろ?」
「…病気じゃないかって思うぐらい」
枕に顔をうずめる私の頭に、祐輔の唇が触れた。
「祐輔…私、祐輔を独占したいと思っちゃう。自分で自分が怖い…」
「俺だって…リコが慎也さんと話すだけで、嫉妬してるよ?
あ、里沙さんにもっ」
枕から顔を上げると、祐輔はニッと笑った。
「祐輔…」
「こんなに嫉妬深い俺、嫌いになった?」
私はブンブンッと首を横に振った。
すると、祐輔は優しく微笑んだ。
「でも、俺はリコを束縛するつもりは無いから。
里沙さんとか、周りの人達と関わってるから、今のリコがいるんだし。でも、リコの心は俺のモノ」
「うん、私も同じ気持ちだよ…」
「リコ、愛してる…」
「私も…」
祐輔が私の首筋に優しいキスをした時…
「あ゛っ!!」
私の、すっとん狂な声に驚いた祐輔が、ガバッと起き上がった。
「どうした!?」
「実はさっき、月に一度のモノが…」
言いにくいそうに目線を外す私の様子に、祐輔が何かに気付いた。
「あ、あぁ~…女の子の…?」
私はコクンと頷く。
祐輔は一瞬何かを考えて…
「お、お大事に?」
ひねり出された祐輔の言葉に、私は真顔で固まった。
祐輔は困った表情で私を見ている。
「ブフッ…フフフフフ…」
こらえきれず、私は吹き出した。
「え?何か俺、変な事言った!?」
「フフフッ、ごめっ…ククッ…ありがと?」
女の子の日になって、初めて『お大事に』なんて言われた。
よく分からないなりに、一生懸命考えて言ってくれた祐輔の『お大事に』が、私のブルーな日を少しだけhappyにしてくれた。
「祐輔っ」
「ん?」
「だ~い好きっ!!」
― ドスンッ
「うわっ!!」
「きゃあっ!!」
たまらず祐輔に飛び付いたら、二人でそのままベッドから落ちた。
床に倒れ込んだまま、二人でいつまでも笑っていた。
― 祐輔の家族にまで嫉妬するなんて、完全に病気じゃん。
カッコ悪い…
もっと、大人になろう…
お盆休みが明けて、久しぶりに会社の人達と顔を合わせる。
日焼けしている人、遊び疲れてグッタリしてる人、恋人が出来て浮かれてる人…
みんな、思い思いで出社して来た。
私は、浮かれてる部類に入る人間だ。
鼻歌を歌いながら、給湯室でお茶を入れていると…
「リぃ~…コぉ~…?」
「ほわぁぁっ!?」
突然背後から里沙のホラーな声が聞こえてきて驚いた私は、なんとも情けない声を上げた。
「り、里沙!?はぁ~、びっくりしたぁ…おはよう?」
胸に手を当てて、大きく溜め息をつく私を里沙は、口を尖らせてジーッと見ている。
「ずっと…リコからの連絡、待ってたのに…」
「連絡…?あぁっ!!」
(しまったぁ~…
すっかり忘れてた…)
一昨日、祐輔と私を残し、里沙が去って行って…
あれから里沙に一度も連絡をしてなかった…
「ごめん…ごめんね!?あれからゴタゴタしてて、その…」
必死で弁解する私を見た里沙は、ニカッと笑った。
「う~そっ!多分、二人なら大丈夫だろうなぁって思ってたから、私からも連絡しなかったんだよねっ」
得意げにピースをする里沙の顔を、私はまともに見る事が出来なかった。
「リコ、何かあったの?」
「あ、いやぁ…
何かあったと言いますか…」
「何!?ちょっと気になるじゃん!」
険しい顔をして、悪い事を想像してるっぽい里沙を給湯室の壁に向かわせた。
身を寄せ合い、私は小さい声で里沙に話した。
「実は…祐輔と、ウチに住む事になって…」
一瞬固まった里沙は、バッと私から体を離した。
「えぇぇーーーーっ!?」
「里沙っ!声が大きい!」
「ごめ…、え?いつから?」
「いつからっていうか、もう昨日から住んでる…」
「えぇぇぇーーーっ!?
モゴッ…!?」
大声を出し続ける里沙の口を、私は両手で塞いだ。
― キーンコーン…
始業を知らせるチャイムが鳴った。
「また後で聞かせてよっ!?」
「うんっ」
私と里沙は、急いで席に戻った。
連休明けって、頭が働かない。部署内の空気もダラッダラ…
椅子の背もたれに寄り掛かって、チラッと祐輔の方を見る。祐輔も、私と同じ格好で私を見ていた。
祐輔がニッと笑って目線を外した。
とぼけた顔で遠くを見ながら、クイッとワイシャツの襟を指で下ろした。
チラリと見えた祐輔の首元には、
私が付けたキスマーク…
ガタガタンッと座り直した私は、誰かに見られていないかと周りをキョロキョロ。
そんな挙動不振な私を見た祐輔は、手の平を額に当てて顔を隠し、下を向いてクスクス笑っていた。
祐輔のバカバカ!
でもちょっと、優越感…
午前中は、祐輔とのやりとりで気分上昇だったのに…
午後になると、私の顔は常に引きつっていた。
「木村せんぱ~い。これぇ、お土産ですぅ」
「受け取ってくださいっ」
新人の女の子達が祐輔を囲んで、次々にお土産を手渡していく…
「あ…ありがとう…」
笑顔は見せないものの、祐輔は渡された物を全て受け取っていた。
女の子達が嵐のように散って行くと、祐輔は溜め息をついて私の方を見た。
私は咄嗟に目を逸らした。
そして私は、澄ました顔でパソコンに向かう。
(お土産ぐらいで何嫉妬してんの!
ダメよリコ!大人になれっ――)
休憩時間になると、祐輔は廊下で、他の部署の女の子達に囲まれていた。
祐輔って、他の部署の子達からもモテるんだ…
全然知らなかった。
そんな光景を見て、イライラッとしながらも、私は頑張って平静を装い続けた。
― その日の夜
「ギャハハハハハハッ」
会社帰りにウチに来た里沙の笑い声が、部屋中に響き渡った。
「里沙、笑い過ぎ…」
「だって、木村君のお兄さんが女になってたって…」
一昨日の出来事を私から聞かされて、いつまでもソファーで転げ回る里沙に、私はコーヒーのおかわりを差し出した。
「私も最初はビックリしたけど…優希さん、本当に綺麗で女性らしいんだよ?色々苦労もしてきたみたいだし…」
「へぇ~。会ってみた~い」
ソファーで寝転ぶ里沙に笑顔を見せて、私は夕食の支度を始めた。
「木村君は、今日は遅いの?」
「少し仕事が残ってたみたいだったけど、もう帰って来るんじゃない?」
― ピンポーン…
「あ、帰って来た!」
私は早足で玄関に向かい、笑顔で祐輔を迎えた。
「ただいま~…
あれ?里沙さん、来てたんですか?」
「お帰り~。お邪魔だったかしら?」
「いえいえ、そんな事は」
ニヤニヤしながらソファーで寝転ぶ里沙に、祐輔は笑顔で答えた。
「お疲れ様、ご飯すぐ出来るからね」
「も~、俺お腹ペコペコ~!」
「はいはい」
私達のやり取りを見た里沙は、満足げに微笑み、帰り支度を始めた。
「里沙さん、帰るんですか?」
部屋着に着替えた祐輔が、里沙の前で立ち止まった。
「里沙、ご飯は?」
「いらな~い。これ以上、こんな恥ずかしい空間に居られないもん」
「なんで恥ずかしいの?」
「二人でイチャイチャしちゃってさ。
見てるコッチが恥ずかしいわっ」
私と祐輔は顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべた。
「あ~あ、私も慎ちゃんと暮らそっかな~。
じゃ~ね、お邪魔しましたっ」
「気をつけてね」
「おやすみなさーい」
私と祐輔は、二人並んで里沙を玄関から見送った。
二人きりになった私達は、ニコニコとリビングに向かった。
台所で料理の続きを始めると、祐輔が後ろから腰に手を回してきた。
「今日は何作ってんの?」
「ハンバーグだよ」
「わ~いっ」
祐輔はグリグリと私の肩に顔をうずめて甘えている。
きっと、こんな祐輔は私しか知らない…
そう考えると、どんなに祐輔が会社でモテていても、気にならなくなってきた。
「そういえば、祐輔って他の部署の子からもモテるんだね?」
私は余裕の表情で祐輔に問い掛けた。
「見てたの…?」
「たまたまね」
「なんで来てくれなかったの?」
さっきまで甘えていた祐輔の声が、急に低くなった。
「なんでって…」
「俺達の事、みんなにいつ言うの?」
「…」
私は料理をする手を止めて、俯いてしまった。
私から離れた祐輔は、小さく溜め息をついて、ソファーに寝転がった。
(怒らせちゃったかな…)
腕を頭の後ろに組んで天井を見上げる祐輔を、ただ見つめていた。
何も話そうとしない祐輔が少し怖くて、声を掛けられずにいた私は、ゆっくりとハンバーグを焼き始めた。
「い~匂い…」
私は振り返り、ボソッと呟いた祐輔の方を見た。
「祐輔、私…」
「あのさ…」
言い訳をしようとする私の言葉を遮るように、祐輔が口を開いた。
「俺、いつまでもリコとコソコソ付き合ってたくないよ。最初はリコの言う通り黙ってたけど、なんか…もう嫌だ…」
言葉が出なかった。
私に勇気が無いばかりに、祐輔を苦しめていたなんて、思いもしなかった。
私は黙って、フライパンの上のハンバーグを見つめていた。
ソファーからゆっくりと立ち上がり、祐輔は私の方へと近付いてきた。
ハンバーグから目を離さず立ち尽くす私の前に割り込み、何も言わずに祐輔はハンバーグをひっくり返した。
「あ~あ、焦げちゃった?」
「あ…ごめ…」
慌てて祐輔からフライ返しを受け取り、再びハンバーグと睨めっこをした。
クスッと笑った祐輔が、また後ろから私の腰に手を回し、頬を寄せる。
「俺、会社でリコの事見てるだけで、気持ちが抑え切れない…」
「祐輔…?」
「真剣に仕事してるリコ見てると、後ろから抱きしめて、そのぷくっとした唇にキスをして、大好きだって言いたくなる…」
祐輔の言葉の一つ一つが、私の胸を熱くする。
私だって同じ気持ち。
真剣に仕事に打ち込む祐輔を見てると、触れたくなる…
「で、でも…みんなに言ったからって、会社でソコまでは…」
祐輔は顔を赤くして俯く私の後ろから手を伸ばし、コンロの火を消した。
「分かってるよ、でも…」
そう言いながら私の手を引き、ソファーに連れて行かれて座らされた。
床に膝をついた祐輔が、私の頬にそっと触れて見つめる。
「それぐらい、俺とリコは愛し合ってるんだって、会社のヤツらに見せ付けたい…
リコ以外の女に言い寄られるの、もう嫌だ…」
「私も、祐輔が他の女の子達に囲まれてるのを見るの、もう嫌…」
見つめ合った私達は、どちらからともなく唇を合わせた。
祐輔は、焦げたハンバーグを美味い美味いと残さず食べてくれた。
食べ終わった食器を洗っていると、ソファーでくつろぐ祐輔の視線を背中に感じる。
「…あのさ」
「何?」
「リコは俺の事ばかり言うけど、リコの事も狙ってるヤツがいるの知ってた?」
「えー?知らないよ」
私はエプロンを外しながらソファーに向かった。
「田代さん、リコが好きなんだって」
「田代さんがぁ!?」
田代さんは、私の2歳年上で先輩だ。
イケメンの部類に入る人で、私と同じぐらいの女性社員は、結構狙ってる人がいる。
私は、仕事絡みの会話しかした事が無い。
「誰から聞いたの?」
「今日、喫煙ルームで本人からリコの事を色々聞かれた」
「色々って?」
「彼氏いるのかとか、趣味はとか…。
最近、俺達が一緒に飯食ったりしてるのがかなり気になるらしい…」
祐輔はクッションを抱えて小さく丸まった。
「それで、祐輔は何て答えたの?」
「俺もリコに片思いしてますって…」
「田代さんは?」
「お前には負けないからって…」
祐輔はクッション越しに私を上目使いで見ている。
私はフッと笑って、祐輔の頭を撫でた。
「明日、田代さんに俺達の事言っていい?」
「ん…いいよ」
安心した表情を見せた祐輔が、私の膝に寝転んだ。
「他の男に想われて、嬉しい?」
「嬉しいって言ったら?」
私は少しイジワルっぽく聞き返した。
「ヤダ…」
祐輔は悲しい表情で私を見上げている。
「明日、きっかけがあったら、私もみんなに言うね?」
そう言うと、祐輔はニコッと笑って私の膝の上で甘えてた。
― よしっ!私、頑張る!!
― 翌日
今日の私はいつもと違う。朝から気合いが入っていた。
この気合いは、仕事に向けられたモノじゃないけど…
(さて、どのタイミングで言おう…)
そう、これが問題…いきなり女の子達に声を掛けて打ち明けるのも変だし、まして今ここで大声で公表する訳にもいかず…
そんな事を考えながらパソコンと向き合っていると、後ろから肩を叩かれた。
里沙だと思って振り向いたら、田代さんだった…
「神谷さん、これ…コピーお願い」
「あ、はい…」
昨日、祐輔にあんな事を聞いてしまった為か、変に意識して田代さんの顔が見れない…
差し出された書類を受け取り、祐輔の方に目線を移すと、祐輔は合図をするように小さく頷いた。
私もそれに答えるように頷いた。
「田代さんっ!ちょっと、タバコ吸いに行きません?」
祐輔が田代さんに声を掛け、二人はオフィスを出て行った。
― キーンコーン…
二人が出て行ったと同時に、昼休みを知らせるチャイムが鳴った。
(時間が経つのが早いな…)
祐輔がどうゆう風に田代さんに話すのかが気になったけど、とりあえず里沙と食堂に向かう事にした。
「ごめん、私トイレ行きたい」
「あ、なら私もっ」
私は足早にトイレに向かう里沙を追い掛けた。
― キャハハハ…
トイレの個室に入ると、若い女の子達の笑い声が近付いてきた。
どうやら、鏡の前で話しをしているらしい。
「そういえば、木村先輩と神谷先輩と田中先輩…変に仲良くない?」
話しの内容から、同じ部署の子達みたいだ。
出るに出れなくて、私は個室の中で息を潜めた。どうやら里沙も同じらしく、隣の個室から出る気配が無い。
私達は、彼女達の話しに聞き耳を立てた。
「仲良いって言っても、一緒にお昼ご飯食べてるだけじゃん?」
「でも、木村先輩って『リコさん』って呼んでない?あの二人が怪しい感じ?」
「私もそれ思ったぁ。本当なら最悪~」
「でも神谷先輩って営業部の人と別れてから、あまり間空いてないよね?」
「若い男に乗り換えたって事?」
「遊んでないで、さっさと結婚しろよって感じ~」
「言えてる~」
キャハハハ…
(言わせておけば、言いたい事いいやがって…)
ワナワナと怒りが込み上げてきた。
(ええいっ!今だ!!)
― バンッ
(あれ…?)
私がドアを開ける前に、隣の里沙の方のドアが勢いよく開いた。
「田中先輩っ!?」
女の子達の恐怖混じりの、驚いた声が聞こえる。
(出そびれたぁぁ…)
今更威勢よく出れるはずもなく、個室の中でドアに張り付いていると…
「リコ、出ておいでよ」
里沙が低い声で私を呼んだ…
私は、そろ~っとドアを開けて顔を出した。
「…っ!?」
私の姿を見た女の子達は、声を無くしている。
「アハハハ…」
私は苦笑いするしかなかった。
目の前に居る5人は、今年入ってきた新人の子達。
みんな俯き加減で顔を見合わせているけど、ただ1人だけ、私を睨み付けていた。
白石紗英、23歳。社内で結構人気のある女の子。
祐輔をデートに誘ったりと、かなり積極的な子だ。
里沙は、腕組みをして彼女達を睨んでいる。
「あの、えっと…」
言い訳しようにも言い逃れが出来ない彼女達は、お互いに助けを求めるように目をキョロキョロさせていた。
そんな周りの子達を差し置いて、紗英が鋭い眼差しで、一歩私の方に近付いてきた。
「神谷先輩」
「な、何かしら?」
すごい剣幕で睨み続ける紗英に、私は必死で平静を装った。
「木村先輩と、どういう関係なんですか?」
(ナイス質問!!)
私は祐輔との事を打ち明ける絶好のチャンスに、心の中で小さくガッツポーズをした。
「どういう関係って、私と祐輔は、つ…付き合ってるけど?」
精一杯気取って言ってみた。
「えっ…!?」
俯いてた子達は、一斉に私の顔を見る。
そして、身を寄せてコソコソと話しだした。
(やっと、やっと言えた…)
打ち明けた事への達成感と、この後どんな事言われるのかという不安で、体が少し震えた。
「最悪…」
「は…?」
紗英が驚く程の低い事で呟いた。
とまどう私に、紗英は冷たい視線を送り続ける。
「木村先輩の事、本気なんですか?
ただ、若い子と遊びたいだけなんじゃないですか?」
「は、はぁっ!?」
よくもまぁ、こんな事を先輩に向かって言えたもんだ。
さすがの私も、眉間にシワを寄せて不快感をあらわにした。
「本気に決まってんでしょ?祐輔とは、もう一緒に暮らしてんのよ?」
どうだっ!と、言わんばかりに紗英を睨みつけた。
そんな私をあざ笑うかのように、紗英は顎を突き出して腕組みをした。
「木村先輩に、いくら払ったんですか?」
「何を言って…」
「だってそうでしょ?お金でも払わなきゃ、木村先輩がおばさんなんかと付き合うはず、無いじゃないですかぁ?」
「紗英っ!ヤバイって!」
さすがにマズイと思った後ろに居る子達は、紗英の肩を後ろから揺さぶっている。
紗英はその手を振り払い、続けた。
「神谷先輩、前の彼氏と別れてから、どのぐらい経ちます?」
「2ヶ月ちょっとだけど…」
「木村先輩と付き合い始めてからは?」
「に…、2ヶ月ぐらい…」
たまらず俯く私を、紗英は呆れたように鼻で笑った。
「ますます最悪」
「あんた、いい加減にしなよ!!」
今まで黙ってた里沙が、さすがに我慢できなくなったのか、大声で紗英を怒鳴りつけた。
ものすごい剣幕で睨む里沙を、紗英は横目で見ながら微笑した。
「そうやって大声出せば、私がビビると思ってるんですか?
私、喧嘩には慣れてるんで。
田中先輩には関係無い事なので、黙っててもらえます?」
馬鹿にしたような言い回しの紗英に、さすがの里沙もア然として言葉を失った。
「…白石さんは、どうしても私と祐輔の事を認めたく無いみたいね?」
私は、必死で大人の対応をした。
「当たり前じゃないですかぁ。私だって木村先輩の事、本気で好きなんですから」
「でも、祐輔はあなたの気持ちには応えられないって言ってるけど?」
「私は、木村先輩を振り向かせる自信ありますから」
(何言ってんの?この子…)
呆れ返る私と里沙をよそに、紗英は自信満々の表情をしている。
「どんなにあなたが頑張っても、祐輔があなたを好きになるとは思えないんだけど…」
私は同情の目で紗英を見た。
「なら、試してみます?」
「は?」
「木村先輩が私を好きになるかどうか」
「一体何を…?」
「神谷先輩から、木村先輩を奪ってみせます」
「…っ!?」
私と里沙は、ポカンとしながら顔を見合わせた。
「あなたに祐輔は渡せ無いわ?
私も本気で祐輔の事が好きだから」
「私の方が、木村先輩を好きな気持ちが強いと思いますけど?」
この自信は一体どこから来るのか…
呆れて言葉も出ない…
「神谷先輩」
「ハァ…。なに?」
「宣戦布告します」
「…なにを?」
「木村先輩を神谷先輩から奪います」
「だからねぇ…」
「失礼します」
「えっ!?ちょっ…」
紗英はプイッと私達に背を向けて、スタスタとトイレを出て行った。
残りの子達も軽く私達に頭を下げて、紗英を追い掛けた。
残された私達は、しばらく立ち尽くした。
「リコさん…?」
「なんでしょう、里沙さん…」
「面倒な事になりましたね…」
「そうみたいですね…」
イライラが振り返してきて、グァ~ッと顔を掻きむしった。
― キーンコーン…
虚しく、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴り響く…
「うそ…?」
「ご飯抜きぃ…?」
私達はヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。
― 白石紗英…
面倒臭い子に絡まれたな…
午後は…
もう仕事どころでは無かった。
あまりの空腹と、紗英に対するイライラと…
祐輔が昼休みから帰って来た時は、満面の笑みでピースをされた。
多分、田代さんに上手く話せたんだろう。
でも、私は苦笑いする事しか出来なかった…
私の様子を不審に思った祐輔の視線が、パソコン越しに突き刺さっていたけど、気付かないフリをし続けた。
それと同時に、周囲からも冷たい視線を浴びていた。そして、コソコソと話す声も…
(紗英達が、私と祐輔の噂を広めているんだろうな…)
安易に想像がついた。
だけど苛立ちの方が大き過ぎて、周りの事なんか気にならなかった。
多少仕事が残っていたけど、今日は定時のチャイムと同時に、ロッカールームに走った。
制服から私服に着替え終わると、さっきまで身を寄せ合ってコソコソしてた女子社員が、私と里沙を囲んだ。
「噂で聞いたんですけど…」
(はいはい…)
この子達が聞きたい事は分かってる。
「私と木村君は、真剣にお付き合いしています。今まで隠しててごめんなさい」
私は棒読みでみんなに公表をした。
噂が真実だと分かって、少しザワついた。
(芸能人でもあるまいし…)
多少予想はしていた事だったけど、いざとなると面倒臭い…
私はイライラが増してきて、早くこの場を立ち去りたい。
里沙も私の様子を見て、何も言わずにドアに向かって後ずさりを始めた。
里沙がドアノブに手を掛けたと同時に、反対側からドアを開けられた。
「あ…」
昼休みに紗英と一緒に居た子達が入ってきて、私の顔を見て気まずそうにしている。
その中に、紗英の姿は無かった。
なんか、ロッカールームの中の空気が重い…
息苦しい…
「あのっ、神谷先輩…」
相当勇気を出したんだろう。紗英の取り巻きの一人が震えた声で私の名前を呼んだ。
「…何?」
「あの…昼休みの時は…。
すみませんでしたっ!!」
「すみませんでしたっ!!」
一人が頭を下げたら、他の3人も声を揃えて頭を下げた。
「別に気にしてないし…」
ちょっと気にしてたけど…
本音を見透かされないように、私は目線を下げた。
「リコ、帰ろ…?」
この空気に耐えられなくなった里沙に手を引かれて、ロッカールームを後にした。
「大丈夫…?」
「うんっ」
心配そうな顔の里沙に、精一杯笑顔を見せて、会社の前で別れた。
私は帰りの電車の中で、ボーッと窓の外を眺めながら考え事をしていた。
― 年下の男の子と付き合う事が、そんなにいけない事なのかな…
どうして私が、コソコソ噂されて、冷たい視線を浴びなきゃいけないの?
不思議で仕方無かった。
紗英には、『いくら払った』とまで言われるし…
精神的に疲れ切った私は、アパートに着いた時にはフラフラだった。
部屋の中に入ると、真っ暗で静まり返っている。
祐輔はまだ帰って無かった。
とりあえず夕食の支度をしようと思ったけど、何もやる気がしない…
化粧だけ落として、ベッドに潜り込んだ。
「ただいまぁ?リコ~?」
(あれ…?)
どうやら少し眠ってしまっていたみたい。
祐輔の声に返事をする気力も無く、ベッドの中で丸くなっていた。
「リコどうしたの!?
具合悪いのっ!?」
何も言わずに寝転がる私を、祐輔が心配そうに揺さぶった。
「…大丈夫。眠いだけ…」
「本当に?」
祐輔の顔を見ていたら、ずっと我慢していた涙が溢れ出した。
「リコ…?」
声を押し殺して泣く私の手を祐輔は強く握りしめてくれた。
「会社で何かあった?」
一通り泣いてスッキリした私に、祐輔がコーヒーを入れてくれた。
私はコーヒーを一口飲んで、今日みんなに打ち明けた事と、紗英に言われた言葉と、みんなから冷たい視線を受けていた事を祐輔に話した。
「あ~、それでか…」
祐輔は何かを思い出したように、小刻みに頷いていた。
「どうしたの?」
「いや、今日帰る時に、白石がやたらと絡んできたんだよ。
うっとおしいから、『彼女居るから』って言ったら、『知ってる』って。『でも、私には関係無い』とか言われて…」
紗英の行動の早さに呆れた。
紗英に対する苛立ちから、私の体が強張った。
「リ~コ?」
唇を噛み締める私の背中を、祐輔が優しく撫でてくれた。
「白石の事は俺もなんか腹立つけど、上手く流すし、リコは何も心配しなくていいからね?」
「…うん」
「それよりもさぁ、なんか変じゃない?」
祐輔は納得いかない表情で、ソファーに寄り掛かった。
「何が?」
「リコが白石達に話したのが昼休みで、午後には、もうみんなに広まってたんでしょ?」
「何か変?」
「それにしても、広まるのが早過ぎない?
しかも、なんでリコがそこまで冷たい視線で見られなきゃいけないワケ?」
「…」
私は『さぁ~?』というように、首を傾げる事しかできなかった。
確かに言われてみれば…
私は手に持ったマグカップをジィ~ッと見つめていた。
「なんか、裏がありそう…」
「えっ?」
不安げに顔を上げると、祐輔は私の頭をポンッと叩いて台所に向かった。
「腹減った~」
「あ、ごめん。夕飯作ってない…」
「いいよっ、今日は俺が作るから!」
「祐輔料理できるの?」
期待の眼差しで祐輔を見ていると、ワイシャツの袖を捲くりながら、流しの下を物色し始めた。
「これぞまさしく、3分クッキング!!」
威勢よく立ち上がった祐輔の手には、インスタントラーメンが2つ握られていた。
「プッ…なんか、ガッカリ~」
「料理は愛情!!」
「まぁ確かに?」
クスクス笑っていると、テーブルに熱々のインスタントラーメンが並んだ。
「ところで、田代さんには言ったの?」
私が問い掛けると、ラーメンを口いっぱいに頬張った祐輔が、モグモグしながらピースをした。
「田代さんの反応は、どうだった?」
「ちょっと…いや、かなりショック受けてたみたいだったけど、『二人仲良くな』って言ってくれたよ」
「大人だねぇ~。誰かさんと違って」
「本当ねぇ~。誰かさんと違って」
私の口調をマネする祐輔と、顔を見合わせてケラケラ笑った。
「そういえば、最近クリームソーダ飲んでねぇなぁ~」
「そうだね。次の休みの日に『orange』行こうか?」
「わ~い!愛しのクリームソーダちゃんに会える!」
「クリームソーダにも、ちゃんと私達が付き合ってる事言ってよ?」
ツンッとしながら横目で祐輔を見たら、キョトンとした後に吹き出した。
「リコ、最高!!」
いつまでも笑い続ける祐輔に釣られて、私も一緒になって笑った。
― 大丈夫。
祐輔が紗英なんかに心変わりするはずが無い。
私は自分に言い聞かせていた。
でも、他の女の子達と溝が出来てしまった事が、少し寂しかった…
翌日からの紗英は…
本当にスゴかった。
仕事中も、やたらと祐輔の仕事を手伝おうとしたり、何度もお茶を入れ直したり…
紗英もタバコを吸うらしく、祐輔が喫煙ルームに行くと、その度に追い掛けて行った。
昼休みの時も、しつこく祐輔を誘っていた。
紗英が祐輔に絡む度に、祐輔は思い切り迷惑そうな顔をして突き放していた。
それでも紗英は、祐輔に話し掛ける事を止めなかった。
私も、紗英と話す事が出来る時は、
「いい加減にしたら?祐輔も迷惑がってるし…」
と何度も言い聞かせたけど、紗英は…
「邪魔しないで下さい」
の一点張りだった。
休みの日が来るまで、こんな日が続いた…
「ハァ~…」
「祐輔、大丈夫…?」
やっと土曜日が来て、私達は約束通り『orange』に来ている。
祐輔は愛しのクリームソーダを前にしても、溜め息ばかりだった。
「俺…疲れたよ…」
「そうだろうね…」
私はカフェオレに砂糖を入れて、スプーンでクルクル掻き混ぜ続けていた。
「あぁ、そうだ。
クリームソーダちゃん、紹介します。
彼女のリコです…」
「もぅ、いいって…」
いつもなら笑えるはずの祐輔の冗談も、今日はキレが悪くて笑えない。
紗英のあまりにも目に余る行動に、痺れを切らした里沙が、
「私からガツンッと言ってやる!!」
と言ってくれたけど、今回は断った。
私達の力で、なんとか解決したかったから。
でも今は、里沙の申し出を断った事を、ちょっと後悔している…
「どうしたらいいかな…」
遠くを見つめながらクリームソーダを飲む祐輔の頭に、一本の白髪があった。
(私がもっと強ければ…)
カフェオレを飲みながら、何気なくお店の出入り口の方を見た時、私の表情が一瞬にして凍り付いた。
険しい表情で一点を見つめる私に気付いた祐輔が、ゆっくり視線の先の方に振り向いた。
「ゲッ…!」
思わず声を出した祐輔が、慌てて体を小さくしてソファーに身を隠した。
『リコも隠れてっ!!』
祐輔は小さい声で必死に訴えている。
でも、私は身を屈める事無く、視線の先の人物を睨み続けた。
(この際だから、ここで決着をつけるべきか…)
視線の先には『白石 紗英』…
私は、空いてる席を探してウロウロしている紗英を見ながら、色んな事を考えていた。
私達の近くの席が空いてる事に気付いた紗英が、こちらに近付いてくる。
席に着いた紗英が、不意にこちらの方を見て、私達の存在に気が付いた。
「あ~!木村先輩だぁ~っ」
紗英は満面の笑みで、鼻にかかった声を出しながら近付いて来た。
祐輔は大きな溜め息と同時に、テーブルにうなだれた。
「木村先輩と、こんなトコで会うなんてっ!やっぱり、私達は運命の相手なんですねっ」
(たまたま偶然会っただけだろーが…)
私は何も言わずに横目で紗英を見ていた。
「あれ、神谷先輩も居たんですかぁ?全然気付かなかったぁ~」
(そんな訳無いだろっ!私…やっぱり、この子嫌い!)
紗英は、うなだれる祐輔の隣にグイグイ座ってきた。
「なんで座ってくんだよ…」
祐輔は俯き加減で紗英を横目で見た。
見るからに不機嫌そう…
「紗英も、木村先輩とデートするぅ~」
甘ったるい声で、紗英は祐輔の腕に絡みついた。
祐輔は、思い切り紗英の腕を振り払った。
そんな祐輔の態度に、紗英はプクッと頬っぺたを膨らませる。
「ねぇ、白石さん。
何でココに居るの?ハッキリ言って迷惑なんだけど…」
私が冷めた目で見ていると、紗英はタバコに火を付けた。
「家に居ても暇だったから、暇潰しにココに来ただけですぅ。
そしたら、木村先輩が居るんだもん!運命感じるしか無いじゃないですかぁ」
紗英は、頬杖をついて祐輔を見つめていた。
祐輔はクリームソーダを飲みながら、窓の外をずっと見ていた。
紗英が弾丸トークを浴びせても、顔色一つ変える事無く、無視したままだった。
「白石さん?今、私達二人の時間なの。悪いけど、席外してくれる?」
私は平静を装うのに必死だった。
紗英は私の言葉も聞かずに、祐輔を連れ出そうとしている。
私は呆れて溜め息をつくしか無かった。
すると、今まで黙っていた祐輔が口を開いた。
「白石…」
「紗英って呼んでくださいよぅ?」
「嫌だ。
あのさ、ハッキリ言って迷惑なんだけど。お前に興味ないし」
祐輔の冷たい言葉を聞いた紗英は、意味深な笑みを浮かべた。
「そんな事言っても、結局みんな、紗英の事が好きになるんですよ?」
(は…?何言ってんのこの子…)
紗英の言ってる意味が、私も祐輔も理解出来なかった。
キョトンとする私達を鼻で笑って、紗英はタバコに火を着けた。
私に向かってフゥーっと煙を吐き、不気味に笑う紗英が、少し怖かった。
「俺はリコしか目に入らないし、どう転んでも白石を好きにはならない」
祐輔は真っ直ぐに紗英の顔を見て話し続けた。
「てか、一つ聞きたいんだけど」
「なんですかぁ~?」
「お前、みんなにどうやって俺達の噂流した?広まるのが、やけに早かったみたいだけど」
「なんだ、そんな事…」
祐輔の質問が気に食わないのか、紗英は急にふて腐れた表情を見せた。
「そんなの簡単ですよぉ?社内メールがあるじゃないですかぁ」
「社内メール?」
「っそ。
数人に送っちゃえば、噂なんてあっとゆう間に流れますよ?」
「白石さん…あなた、社内メールをそんな使い方していいと思ってるの!?」
私は紗英のした事に呆れて、思わず声を荒らげた。
紗英は、とぼけた顔をしてタバコを吹かしている。
「お前、どんな内容送ったんだ?」
「真実ですよぉ?」
「嘘だろ?じゃなきゃ、俺達が付き合ってるってだけで、あんなに変な目で見てくるはずないじゃん」
紗英は祐輔を横目で見ながら、小さく溜め息をついて、タバコの火を消した。
「面倒くさ…」
「は!?」
「そんな事よりぃ…
木村先輩、どこか二人きりになれる場所行きませんかぁ?」
「お前なぁ…」
紗英は祐輔の質問をはぐらかし、胸元を強調しながら祐輔にすり寄った。
ここまで来たら、私も黙っちゃいられない!
「あんた!いい加減に…っ」
「白石…ちょっと来い」
「えっ…!?」
突然祐輔が立ち上がり、紗英をソファーから追い出して外に連れ出そうとした。
私は困惑したまま固まっていた。
そんな私を、紗英は勝ち誇った顔で見ていた。
「リコも…」
祐輔は座ったままの私をチラッと見て、紗英を連れて会計をしに行った。
訳が分からないまま、私も急いで二人を追い掛けた。
祐輔は黙ってスタスタ歩いて行く。
紗英は祐輔の腕に絡みついていた。
私は一人で小走りになりながら二人の後ろを歩いていたけど、なんか惨めな気分…
そんな状態のまま、駅の近くのショッピングモールに入って行った。
(こんな所まで来て、祐輔はどうするつもり…?)
私が後ろから呼び掛けても、祐輔は黙って前を向いたまま歩き続けた。
祐輔の後を追って、人気の無い階段の踊り場に着いた。
小走り気味だった私は、少し息が上がっていた。
紗英は、これから何が起こるのかと、ワクワクしながら祐輔に絡みついたままだ。
「ハァ~…。
ゆ…すけ?一体何を…?」
私が壁に手をついて寄り掛かっていたら、突然祐輔は紗英の腕を振り払って、私を抱きしめた。
「えっ!?ちょっ…、祐輔!?」
『リコ、ごめんな…』
祐輔の理解不能な行動にテンパる私の耳元で、祐輔が小さな声で囁いた。
(一体なんなの…?)
紗英は、あからさまにムッとした表情で私を見ていた。
私を抱きしめたまま、祐輔は一瞬紗英に視線を送り、私の頬を両手で包み込んだ。
「リコ、怒らないでね…?」
「祐…んんっ!?」
祐輔は私を壁に押さえつけて、口を塞ぐようにキスをした。
私は訳が分からず、目を真ん丸にしていた。
引きはがそうにも、祐輔が足をガッチリ絡ませているから身動きが取れない…
「ちょっ…んっ…祐…」
喋る事さえも許さないように、祐輔は深く激しいキスを続ける。
見られているという恥ずかしさから、私は紗英の方を見る事が出来なかった。
紗英は、目の前で起きている状況を理解出来ないでいるようだ。眉間にシワを寄せて、固まっていた。
祐輔は唇を重ねたまま、私の背中を激しく撫で回し、髪をかき上げる。
だんだん祐輔のキスが心地よくなってきた。
トローンとしながら、祐輔の肩に両腕を回した瞬間…
「いい加減にしてくださいっ!!」
紗英が今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
祐輔はゆっくりと唇を離し、私を後ろから抱きしめて紗英を見た。
「一体、どうゆうつもりなんですか…」
紗英は顔を真っ赤にして唇を噛み締めている。
私は紗英の顔がまともに見れなかった。
「俺、リコが大好きなんだよね。もう、一緒に居るだけでムラムラしてくるんだわ」
祐輔は冷めた口調で話し出した。
「そんなおばさんのドコがいいんですか…
紗英の方が若いし、体にも自信がありますっ!!」
紗英の言葉に少し傷付いて俯く私の耳元で、祐輔は大きな溜め息をついた。
「白石…リコはおばさんなんかじゃないよ?可愛い俺の彼女なのっ。
体に自信あるって言われても…俺は今ココでお前が全裸になっても、全く反応しない自信あるけど?」
「ひどいっ…」
祐輔が淡々と冷たい言葉を口にするから、紗英はかなり傷付いたんだろう…
大粒の涙が目からこれ落ちた。
なんだか、可哀相な事をしてしまったような罪悪感から、私は掛ける言葉が見つからない。
紗英は、その場にしゃがみ込んで小さく丸まっていた。
祐輔の顔を見上げると、ちょっと申し訳無さそうな表情で紗英を見ていた。
「白石…さん?」
私が一歩足を踏み出すと、紗英はスクッと立ち上がり、私達をキッと睨みつけた。
「恥かかせやがって…
ふざけんなっ!!
こんな事して、ただで済むと思うなよっ!?会社に居られなくしてやるからなっ!!」
普段からは想像もつかない程の、どすの利いた声で怒鳴り散らし、紗英は走り去って行った。
私と祐輔はア然としていた。
紗英が走り去った方を見たまま、私は立ち尽くしていた。
「リコ…?」
祐輔が不安げな表情を浮かべながら、私の手を握る。
でも、私は返事すら出来ないでいた。
なんとも言えない気持ちが、私の胸を押し潰す。
「帰ろう?」
祐輔の言葉に私は小さく頷いて、二人で歩き出した。
帰り道、私は一言も喋らなかった。
祐輔も私の気持ちを察してくれて、何も喋らないでいた。
アパートに着いた頃には18時を回っていて、私はすぐにシャワーを浴びた。
シャワーを浴びれば、少しでも気持ちがスッキリしてくれるんじゃないかなって…
― きっと紗英に、何かヒドい事をされるんじゃないか…
― 会社のみんなに、デタラメな噂を流したりするのかな…
― もっと言葉で、ハッキリ紗英に言えてれば…
― ただ好きな人と一緒に居たいだけなのに、どうして邪魔されなきゃいけないの…
頭からシャワーを浴びながら、私は色んな事を考えた。
でも、今悩んでも仕方ないか…
悔やんでもどうしようもない…
気持ちが晴れないまま、私はタオルで髪を拭きながら部屋に戻った。
(あれ?祐輔が居ない…)
ベッドのある部屋を覗いても、祐輔の姿が無い。
(あっちの部屋…?)
いつもは出入りの少ない、玄関のすぐ横の部屋のドアの前に立つと、中から祐輔の話し声が聞こえてきた。
― コンコンッ
一応ノックをして、祐輔の返事を待たずにドアを開けた。
「あ、じゃあそうゆう事で…はい、すみません。宜しくお願いします。では…」
祐輔は私の顔を見て、慌てて電話を切った。
「祐輔?誰と話してたの?」
「ん、いや、別に!」
「なんで隠すの…?」
「会社に行ってからのお楽しみ!!
浮気なんかじゃないよ~?」
祐輔は、少しふざけながら話しているけど、私は笑えなかった。
「リコ…?大丈夫?」
「わかんない…」
「コーヒー入れてあげるっ!あっち行こ?」
祐輔に背中を押されて、リビングに向かった。
ソファーで縮こまる私に、祐輔は熱々のコーヒーを手渡して、隣に座った。
「ありがと…」
「リコ、怒ってる?」
「何に?」
「キスした事…」
「別に…」
「ごめんね…
でも、あれぐらいしないと白石みたいなタイプは、諦めてくれないかなって思って…」
「でも、最後にすごい捨て台詞吐いてったね…」
膝を抱えてコーヒーをちびちび飲む私の頭を、祐輔は優しく撫でてくれた。
「大丈夫だよ?リコは俺が守るから」
「…なんか頼りないわ」
「なんですとっ!?」
プクッと頬っぺたを膨らませた祐輔の顔を見て、プッと吹き出した。
そんな私を見て、祐輔は優しく微笑んでいた。
結局、次の日も気分が晴れないままだった。
せっかくの休みだったけど、私は部屋着のままソファーでゴロゴロしっぱなしだった。
祐輔は私に対して何も言わず、気分転換にDVDを借りて来てくれたり、ご飯を作ってくれたり…
一日中、祐輔に甘えっぱなしだった。
なんだか申し訳なくなって、さすがに夕飯は私が作った…
夜、ベッドの上で祐輔は、後ろから私を抱きしめていてくれた。
「…明日会社に行きたくない」
私は小学生のようにゴネた。
「大丈夫だよ、リコ…明日会社に行けば、なにもかも上手くいくよ?」
「どうして分かるの?」
「それは、俺だからだよ」
「プッ…意味分かんない」
「フッ…やっぱりリコは、そうやって笑った顔の方が可愛いよ?」
「今見えて無いじゃん?」
突然祐輔は私の肩を掴んで、グイッと振り向かせた。
「見えたっ」
「今、私笑って無いけど?」
一瞬考え事をした祐輔は、私にキスをした。
すると口移しで、私の口の中に何かを入れてきた。
「んっ!?なにこれっ!?」
「さっき食べてたスルメ。飲み込むタイミングが掴めなくて…」
「ずっと噛んでたのっ!?」
「うん。あ、そのスルメ返してくれる?」
「プッ…まだ噛むの?」
「ほら、リコ笑った!」
「あ…」
その後は、二人でケラケラ笑い続けた。
―― 祐輔の言葉を信じよう。
二人で乗り越えるんだ!!
ハァ~…
昨日意気込んで、会社に出勤して来たはいいけど…
やっぱり紗英に会い辛い…
始業のチャイムが鳴るまで、なんだか落ち着かなくて、給湯室でみんなのお茶を入れていた。
「神谷先輩?おはようございます」
― ドキッ
声がする方を振り向くと、紗英が不気味な笑みを浮かべながら立っていた。
「お、おはよう…」
私は挨拶だけして、すぐに視線を逸らした。
「なに、ビビってんですか?」
「え…?」
再度紗英に視線を合わせると、紗英はニヤッと笑って去って行った。
(やっぱり、何かする気なんだ…)
― キーンコーン…
ものすごい不安に押し潰されたまま、始業を知らせるチャイムが鳴り響いた…
休み明けだけは、朝礼をする事になっている。
私はお茶を入れるのを中断して、みんなが集まっている所に走った。
『おはよ、リコ』
『里沙、おはよう』
里沙と小声で挨拶を交わして、慎也さんの話しを聞いた。
一通り連絡事項などを聞いて、そろそろ朝礼も終わりかなと思った時…
「俺からの連絡は以上だが、今日は木村からみんなに話したい事があるそうだ」
(えっ…!?)
私と里沙は顔を見合わせた。
「木村、前に出ろ」
「はいっ」
慎也さんに呼ばれて、祐輔は背筋をピンと伸ばしてみんなの前に立った。
(祐輔、一体何をする気…?)
「えっと…あっ!!おはようございますっ」
突然の祐輔の登場にとまどい、部署内のみんなもそれぞれ顔を見合わせていた。
「今日は、俺…じゃないや…
僕から、皆さんにお伝えしたい事がありますっ」
私は里沙の腕にしがみつき、ハラハラしながら祐輔を見ていた。
「僕と神谷律子さんは…今、真剣にお付き合いをしています」
部署内がシーンとなる。
「皆さんは既にご存知だとは思います。ですが、多分変な噂が流れていて、皆さんが誤解してる部分があるのではと思い、今日はこの場をお借りして、きちんと僕の口からご報告したいと思いました」
祐輔は、イキイキとした表情で話し続けた。
「神谷さんと僕は確かに年の差はありますが、決して、僕がお金で買われた訳でも、遊ばれてる訳でもありません」
一瞬、部署内がザワッとなる。
「僕が入社した時に一目惚れをして、神谷さんが前の彼氏と別れたのを知ってから、アタックしました。そして、現在に至ります。今は二人で暮らしています」
更にみんながザワつく。
私はハラハラし過ぎて気持ち悪くなってきた…
私は里沙に隠れるようにして、不安げな顔で祐輔を見ていた。
すると祐輔が一瞬私の方を見て、『大丈夫だよ』と言うように、小さく頷いた。
「僕は、神谷さんを心から愛してます。神谷さんも、僕の気持ちに応えてくれています。
なので皆さん、これからは、温かい目で僕たちを見守ってください。
宜しくお願いします」
そう言って、祐輔は深々と頭を下げた。
どうしたらいいのか分からない様子で、シーンとしたまま、部署内の視線が頭を下げ続ける祐輔に向けられていた。
― パチパチパチパチ…
みんなの視線が、拍手の音がする方に向けられた。
視線の先には、笑顔で拍手をする慎也さん。
慎也さんの拍手に合わせるように、里沙が私に笑顔を送りながら、拍手を始めた。
そして、一人…また一人と拍手をし始め、いつしかその音がオフィス中に鳴り響いた。
祐輔は顔を上げて、照れ臭そうに笑っていた。
(みんなが認めてくれたんだ…)
安心した瞬間、急に涙がこぼれた。
里沙は私の肩を抱いてくれた。
みんなからの祝福の拍手は、いつまでも鳴り止まなかった。
ただ一人、腕組みをして俯いている子がいたけど…
祐輔がみんなに公言をした日から、私に冷たい視線を送ってくる人は居なくなった。
なぜか、ちょこちょこ私に謝ってくる子達がいたけど、何故謝られているのか、その時の私には理解できなかった。
後から分かった事は…
紗英に祐輔と付き合っている事を言った直後、紗英は数人の子達に社内メールを送っていたらしい。
そのメールの内容を聞いた時は愕然とした。
紗英が送ったメールの内容は…
『[title] この話しは、本人から聞いた本当の話しです。
神谷律子さんは、木村先輩が自分に気がある事を知り、本当は別れていない営業部の彼氏から乗り換えるつもりらしいです。
現在彼氏が居るのにも関わらず、付き合っても居ない木村先輩と付き合っていると言い触らしています。
先程本人から直接聞きました。
私は神谷先輩が許せません。
皆さん、神谷先輩の魔の手から木村先輩を守りましょう』
よくもまぁ、ここまで根も葉も無い嘘を作り上げたものだ…
でも、こんな幼稚なメールが送られた事よりも、このメールをみんなが信じていたという事がショックだった…
でも、謝ってくれたからいっか。
私は今回の件で、少しだけ強くなれたようだ。
私と祐輔は、お互いに会社での接し方が少し変わった。
公私の区別はつけているつもりだけど、少しだけ、恋人同士の私達を周りに見せる事があった。
会社にも、手を繋いで通勤している。
みんなは、「見せ付けるな」ってからかったりしてきた。
だけど、そんな風にからかわれる事も、私達には心地よかった。
一方、紗英はというと…
何かしてくるどころか、祐輔に絡む事も、私に喧嘩を売る事もしなくなった。
と、言うより…
そんな事も出来ない状況なのかも。
祐輔が公言した日以降、みんなが紗英に対して冷たい視線を送るようになっていた。
里沙と祐輔は、「自業自得だ」って言うけど、私には気掛かりだった。
お人よしって言われても、やはり見ていて気分のいいものでは無いから…
月も変わり、9月に入った。
昼休みの終わりがけ、会社の給湯室でお茶を入れている紗英を見つけた。
「白石さん…?」
久しぶりに紗英に話し掛けた。
「あ…お疲れ様です…」
紗英には、この間までの勢いは無くなり、すっかり大人しくなっていた。
「大丈夫?」
「あ…はい…」
あの一件以来、紗英に話し掛ける人が減ったように思える。
でも、私にはそれが納得いかなかった。
確かに紗英は嘘の噂を流したけど、真実を確かめずに、それを信じた周りも悪いと思っていた。
今更紗英を責めるつもりも無かった。
「神谷先輩…」
「ん?」
「あの、私…」
紗英は言葉を詰まらせ、泣き出した。
「どうしたのっ?」
「ごめ…なさい…」
「もぅいいから…」
私は紗英の背中を撫でた。
「私…本当に…本当に木村先輩が好きだった…んです…」
紗英の顔は、涙でグチャグチャになっていた。
私は何も言わずに紗英の言葉を聞いていた。
「私、人を好きになると、どうしても手に入れたくなって…
それで…っ」
「私は、もう大丈夫だから…ね?」
紗英は小さく頷き、私が差し出したハンカチで涙を拭いた。
(この子は不器用なんだろうな…
いい恋をしてほしいな…)
今の私には、紗英への恨みよりも、素直に先輩として後輩の未来を応援したい気持ちの方が大きかった。
その日の夜、私は祐輔の耳掃除をしながら、今日の紗英の話しをした。
「祐輔ぇ、色々あったけどさ、白石さんには幸せになってもらいたいねぇ」
「ほわぁ~…気持ちいいっ。次左の耳ねっ」
祐輔はゴロンと体勢を変え、私の膝の上でウトウトし始めた。
「ちょっと、私の話し聞いてるの?」
「聞いてる、聞いてる。
うまい事、白石の涙に騙されたねぇ~」
「どうゆう事?」
「今日帰り際に、『神谷先輩に飽きたら、いつでも言ってくださいね~』て、白石に言われたけど?」
「はぁっ!?」
「いってぇーっ!!」
祐輔の言葉を聞いて、思わず手に力が入り、祐輔の耳の奥に耳かきを突っ込んでしまった。
「あ、ごめん」
「ふぉぉ~…
あー、あー。よし、聞こえるっ」
左耳を押さえながら、祐輔はソファーの上で縮こまっていた。
「なんだ…白石さんの事、心配して損した…」
「まぁまぁ。もぅいいじゃんっ?
俺達も会社で堂々としてられるんだしさっ」
「まぁ…ね…」
「そんな事よりぃ…
今日こそ、一緒に風呂入ろうよぉ~」
私達が同棲を始めてから、まだ一度も一緒にお風呂に入った事が無い。
露天風呂には入ったけど、やっぱりなんか恥ずかしい。
狭いし明るいし…
でも今日は、耳かきで痛い思いさせちゃったしな。
「祐輔がお風呂洗ってくれるなら…」
いい返事を期待していなかった祐輔の表情が、みるみるうちに輝いた。
「まじでっ!?いいのっ!?」
「さ、さっさと洗ってきてよっ!!」
「なんで怒ってんの!?」
「いいから!!」
照れ隠しで大声を出す私を鼻で笑った後、祐輔はスキップしながら浴室に向かった。
はぁ~っと大きく溜め息をつくと、私の携帯が鳴った。
(電話…?お母さんからだっ)
久しぶりの実母からの電話だった。
「もしもしっ?」
『あ、りっちゃん?』
母は30になった娘を、未だに『ちゃん付け』で呼ぶ…
「ごめんね、なかなか連絡しなくて…」
『いいのよ、家は近いんだからぁ。それより元気?』
「うんっ」
私の実家は、とても近い。電車で一駅の所にある。
近いがゆえに、いつでも会える安心感から、ついつい連絡を忘れてしまう。
「お父さんも、ユメも元気?」
ユメは私の2歳下の妹。歳が同じなのもあって、里沙とも仲がいい。
『こっちもみんな元気よぉ。
それより、りっちゃん?トモヤ君とは上手くいってるの?そろそろ結婚も近いんじゃないの?』
「あ~…」
トモヤと付き合い始めの頃、まだ実家暮らしだった私は、トモヤを家に連れて行った事が何度かあった。
家を出てからも、母にトモヤの話しをしていた。もちろん、他に女が居た事は言って無いけど…
『あ~って、なによ?まさか別れたの!?』
「その、まさかです…」
『何やってるの~!!!あなたもいい歳なんだからっ。
てっきりトモヤ君と結婚するのかと…』
「色々ありまして…」
トモヤが私の事を本気じゃなかっただなんて、口が裂けても言えない…
携帯電話を耳に付け、気まずそうな表情を浮かべていると、祐輔が洗面所から顔を覗かせた。
私は祐輔を手招きして、自分の膝をポンポンっと叩いた。
祐輔はパッとした笑みを浮かべながら走って来て、私の膝に寝転がった。
私は母の小言を聞きながら、祐輔の髪を撫でていた。
『りっちゃん…
もう30歳なんだから、早くイイ人見つけなさいよ!?』
「イイ人ってゆーか、彼氏なら居るよ?」
『あら、そうなの!?』
「お母さんには言ってなかったんだけど…今、一緒に暮らしているの…」
『あら~っ!!
なら、結婚も近いわねっ』
「や、まだそこまでは…」
『近々彼をウチに連れてらっしゃいねっ。ちゃんと紹介しなさい!!』
「えっ、だからまだ…」
『お父さんも、早く孫の顔が見たいって言ってたから喜ぶわぁ~』
「だからねっ…」
『はぁ~。これで一安心。じゃ、またねっ』
「ちょっ…」
― プーップーッ…
一方的に電話を切られた…
祐輔は会話が聞こえていたのか、顔を手で隠しながらクックックッと笑っている。
「リコの母ちゃん、面白いね?」
「毎回、ちゃんと人の話しを聞かないんだからっ」
「クックックックックックッ…」
「祐輔、笑い過ぎ~」
「だってっ…」
いつまでも肩を震わせて笑う祐輔を横目に、私は大きく溜め息をついた。
(そういえば、祐輔は結婚の事とか話さないな…
やっぱりまだ、遊んでたいよね…)
「ねぇ、祐輔…?」
「ん~?」
下から私の顔を見上げる祐輔の真っ直ぐな目を見たら、聞きたい事が聞けなくなった。
「呼んだだけ~」
「なんじゃそらっ」
祐輔はクスッと笑って、私の顔を下から見続けていた。
「ねぇリコ?」
「ん~?」
「リコの鼻の穴って、いい形だね…」
「なに見てんのっ、バカッ!!!」
私は鼻を手で隠したまま祐輔を跳ね退け、洗面所に走った。
そして中から鍵をかけて服を脱ぎ、ピカピカに掃除された浴槽に一人で浸かった。
洗面所の向こう側では、祐輔が半ベソをかきながらドアを叩いていた。
あまりにもうるさいから仕方なく鍵を開けたら、祐輔が勢いよく飛び込んで来て、タオルで体を纏った私をギュッと抱きしめた。
「ん~…」
祐輔が私の耳元で甘えた声を出す。
私は祐輔のこの甘えた声が好き。
なんだか無性に愛おしくなる。
そっと祐輔の耳にキスをすると、祐輔は自分の服を脱ぎ捨てて、私を浴室に押し込んだ。
もう、私は恥ずかしい気持ちは無くなっていた。
熱く深いキスをしながら、お互いの体温を素肌で感じていた。
全身に祐輔のキスを浴びながら、幸せに浸った。
そして、また祐輔からの熱い口づけを受け入れて、二人で強く抱きしめ合った。
決して大きいとは言えない浴槽に、二人で小さくなって入った。
祐輔は私を後ろから抱きしめながら、肩に顔をうずめてゴロゴロ甘えている。
(祐輔は、結婚とか考えてるのかな…)
私は今まであまり気に留めてなかったけど、母に言われて、ちょっと祐輔との結婚を意識し始めた。
「祐輔は、今何考えてるの?」
「高校生の男子が、毎日考えるコト~」
「もうっ…」
「なんでまた怒るの!?」
「女心が分かってないっ!!」
「えぇ~??」
私は一人でいじけていた。
―― 女、30歳。
そりゃ、結婚を意識するのが普通っしょ。
そう自分に言い聞かせて、勝手に祐輔に対して不満を持った事を正当化しようとした。
―― 私、祐輔のお嫁さんになりたいな…
―― 月日は流れ、12月
街はクリスマスムード一色で、恋人達が更に愛を深め合う季節になった。
母から電話があってから、一度だけ一人で実家に行ったけど、祐輔を連れて来いとうるさく言われた。
祐輔に、親が私の結婚相手として会いたがってるから一緒に来てなんて、言えなかった。
まぁ、私と母のやり取りは電話越しに聞いてただろうけど…
二人で生活してる中で、一度も結婚の話しをした事も無いのに、言えないよ…
それに、自分から切り出したくなかった。
変なプライドなのかもしれないけど…
ひたすら祐輔から、結婚という話題が出るまで、待ち続けた。
でも…
結局一度もそんな話しをする機会も無かった…
最近の私には、もう一つ、気になっている事がある。
それは、里沙と慎也さんの関係。
なんだか、ぎくしゃくしてるような…
ってゆうより、里沙が慎也さんに対して、冷たい態度をとってる気がする。
あんなにラブラブだったのに…
それに、クリスマスを目前にして、こんな二人を見てるのも辛い。
あの二人には、一生寄り添い合っていてほしい。
これは、私と祐輔の勝手な願い。
私と祐輔は、今日も二人の話題で持ち切りだった。
「やっぱり最近の里沙、ちょっと変だよね?」
「リコは里沙さんに、何か聞いたの?」
今日は休日。
祐輔は大好きな『orange』特製のクリームソーダを頬張っている。
「聞いたけど、なんか話しを逸らそうとするんだよね…」
「他に好きな人できたとか?」
「里沙に限って、そんな事はっ…!」
私は思わず大声を張り上げた。
周りが一瞬シーンとした。
「クックックッ…」
祐輔は下を向いて笑いを堪えている。
「もうっ…こっちは真剣にっ…」
「わーかってるって!
ごめん、ごめん」
私はちょっとムッとしながら、カフェオレに砂糖を入れ続けた。
「リコがムッとした時の唇って、なんかそそるよねぇ~」
「また、ふざける…
今は里沙の話しでしょ?」
ありえない量の砂糖が入ったカフェオレを飲みながら、祐輔を細い目で見た。
すると祐輔は、唇を尖らせて不満顔だ。
「どうしたの?」
「そりゃ里沙さんと慎也さんの事は、俺も気になるよぉ?
でもさぁ最近、リコ、俺の事まともに相手してくれないじゃーん」
祐輔は、いじけながらクリームソーダをグリグリ掻き混ぜた。
そういえば…
最近は里沙の事も気になって、祐輔とはそんな話しばっかりだった。
それじゃあ、私達の結婚話なんか出る訳ないか…
ちょっと反省…
「ごめんね、祐輔…
祐輔は今、どんな話したいの?」
「話しってゆうかぁ~…」
「うんうん?」
「キスしたいっ」
「はい?」
祐輔はスプーンをくわえたまま、上目使いで私を見つめる。
「ば、ばっかじゃないの?こんな所で…」
「照れてるリコ、可愛い~」
「べ、別に照れてなんか…」
私は、ひたすらカフェオレを飲み続けた。
「いいもんっ。勝手に奪うからぁ」
祐輔はニヤッと笑って、クリームソーダを食べ始めた。
「てかさ、よくこんな寒いのに、アイスなんか食べれるね?
体冷えない?」
「後で、リコに温めてもらうから、いいのー」
私は顔を赤くして俯いた。
そんな私を、祐輔はニヤニヤしながら見ていた。
日も暮れてきたから、私達は家に帰る事にした。
街中、イルミネーションでキラキラ輝いている。
「綺麗…」
そんな中に居るだけで、ロマンチックな雰囲気になる。
「リーコ?」
イルミネーションにうっとりとしながら立ち止まる私に、祐輔が手を差し延べた。
私は小走りして、祐輔の手を掴もうとしたら、ヒョイッとかわされた。
祐輔は、手を掴み損なってヨロける私を、ギュッと抱きしめて支えた。
「捕まえたっ」
「もうっ、危ないじゃ…んっ!?」
歩道のド真ん中で、周りに通行人がいるのにも関わらず、祐輔に唇を奪われた。
咄嗟の事で、私は唇を塞がれたまま目を見開いて、周りを見渡した。
みんな見てる…
ゆっくり唇を離した祐輔は、まだ私を抱きしめ続ける。
「人が…見てるよ…」
「知ってる」
祐輔は私の肩に顔をうずめたまま、離れようとしない。
私は、ただただ固まっていた。
「リコ…俺と…」
「えっ?」
祐輔が耳元で何かを囁いたけど、聞き取れなかった。
「なに?なんて言ったの?」
「…」
黙ったまま祐輔は、私の額にキスをしてフッと笑った。
「ねぇ、なんて言ったの…?」
「大好きだよって言ったのー」
「嘘だぁ!『俺と』何なのっ?」
「そんな事言ったかなぁ~?」
祐輔は、ニヤけ顔でとぼけたまま歩き出した。
「ちょっ、待ってよっ」
――『俺と』…なんだろ…?
結局何度聞き返しても、祐輔はとぼけて教えてくれなかった。
楽しい休日は、あっとゆう間に終わる。
翌日の昼。
私は里沙を会社の屋上に誘って、二人でご飯を食べた。
私の前では、 いつもと変わらない里沙。
なのに、慎也さんの前になると一変する。
私は気になって仕方なかった。
「ねぇ、里沙?慎也さんとは…」
「まぁ~たその話しぃ?別に何もないってばぁ」
里沙は少し呆れたように、おにぎりを頬張った。
「最近、慎也さんの家に泊まりに行ってるの?」
「んーん」
「連絡は?」
「んーん」
「何も無い訳ないじゃない…」
「…何も、無いよ」
里沙は一瞬悲しそうな表情を見せたけど、すぐにふざけて笑った。
何も話してくれない里沙との間に、見えない壁がある気がする…
「里沙…
私達、友達でしょ?何か悩んでるなら、なんでも相談してよ…?」
ちょっと切ない表情で里沙を見つめると、里沙も悲しそうな表情を浮かべた。
「ありがとう、リコ…
でも、本当に何もないからさ。大丈夫だよっ」
「本当に…?」
「本当にっ!」
ニカッと笑って見せる里沙の顔を見て、全く気持ちがスッキリしなかったけど、仕方なく話しを終わらせた。
昼休みが終わってからも、私の気分は晴れなかったけど、里沙の前ではいつも通り振る舞った。
― キーンコーン…
年末で忙しい時期だけど、だいたいの人が定時で仕事を終えて帰って行く。
祐輔も仕事にキリがついたらしく、私の席に来て、私の仕事が終わるのを隣で待っていた。
すると、慎也さんがゆっくりと私の方に近付いてきた。
「神谷…この後、ちょっと時間あるか?」
「えっ…」
私が祐輔の方に視線を移すと、祐輔は悟ったように小さく頷いた。
「俺、先帰ってるねっ」
「木村、悪いな…
ちょっと神谷を借りるわ」
「どうぞ、どうぞ!
お疲れ様でした~」
祐輔は足早にオフィスを後にした。
祐輔の後ろ姿を見送り、ハッとして振り向くと、里沙が席から私達を見ていた。
「里沙…?」
「お疲れ様でしたぁ~」
「里沙っ!?」
私が引き止めても、里沙は歩きながら手をヒラヒラさせながら帰って行った。
そんな里沙を、慎也さんは無言で見ていた。
「あの、慎也さん…?」
「神谷、その仕事、もうすぐ終わるか?」
「あ、はい…」
「なら待ってるから、終わったら声かけて?」
「分かりました…」
慎也さんは小さく溜め息をつきながら、自分の席に戻って行った。
私は大急ぎで仕事にキリをつけた。
「慎也さん、終わりました…」
「よし、なら『flower』に行こう。
先に行ってるから、着替えたら来て?」
「はい」
慎也さんとその場で一度別れて、ロッカールームに走った。
慎也さんが何を話したいのか、だいたい予想は出来ている。
私も一度、慎也さんの気持ちを聞きたかったから、ちょうど良かった…
着替えを終えて、祐輔に『flowerに行く』とメールだけしておいた。
私は、少し小走りで『flower』に向かう。
店のドアを開けて店内を見渡すと、慎也さんが窓際の席で、外を眺めながらタバコを吸っていた。
なんだか、とても疲れた顔をしている…
私は、慎也さんの顔を見ながら、ゆっくり席に近付いた。
「お待たせしました」
「ん?あぁ、こっちこそ悪かったな」
「いえ…」
私が席に着くと、すぐに店員さんが温かいカフェオレを運んで来てくれた。
「先に注文しておいたんだ。それでよかったか?」
「はい、ありがとうございます」
私は早速砂糖を入れて、冷えた体をカフェオレで温めた。
「里沙の事なんだけど…」
慎也さんが話し始め、私は慌ててカフェオレをテーブルに置いて、姿勢を正した。
「神谷は、アイツから何か聞いてる?」
「いえ…何度聞いても、何も話してくれないんです…
里沙と何かあったんですか?」
「何も無いから、悩んでるんだ…」
慎也さんは額に手を当てて、俯いた。
俯く慎也さんを前に、掛ける言葉が見つからなかった。
慎也さんは、大きな溜め息をついてタバコに火をつける。
フゥー…と煙を吐き、窓の外を見つめる表情が悲しそうだ。
「あの…、どうして里沙は結婚を渋っているのでしょうか?」
「神谷は、知らないのか?」
「慎也さんと結婚したら、名前が田舎っぽくなるとしか…」
そう言うと、慎也さんは呆れたように鼻で笑った。
「アイツは、何がしたいのかねぇ~」
「えっ、どういう…」
私が首を傾げると、慎也さんはフィルターぎりぎりまでタバコを吸い切った。
「俺には、『まだ遊んでた~い』って言ってたな」
「私は、別に遊んでいたい訳じゃないと聞いてますが…」
「ははっ」
何故か慎也さんは笑い出した。
もう、何がなんだかわからなくて笑うしかないのだろう…
しばらく会話も無いまま、時間だけが過ぎていった。
私は、おかわりしたカフェオレを飲み終え、時計に目をやった。
その仕草に気付いた慎也さんが、残りのコーヒーをグイッと飲み干した。
「悪かったな、時間割いてもらって。
木村も待ってるだろ?帰ろうか」
「あ、いえ…こちらこそ力になれなくて…」
「いや、感謝してるよ」
慎也さんが会計を済ましてくれて、店を出た。
そして、私は慎也さんに車でアパートまで送ってもらった。
「今日は、ありがとうな。
また明日」
「おやすみなさい」
慎也さんの車を見送り、小走りで玄関の前まで走った。
玄関のドアノブに手を掛けようとした瞬間、ガチャッと中から扉が開かれた。
「お帰り~」
「すごいタイミング…ビックリしたぁ」
「なんとなく、リコが帰ってくる気がしてさっ!見事にビンゴ」
「フフッ、すごいね」
部屋の中に入ると、いい香りがする!
「祐輔、夕飯作ってくれたの?」
「カレーぐらいしか作れないんだけどね」
祐輔は、ちょっと照れたように、はにかんだ。
そんな祐輔の顔を見たら、さっきまでモヤモヤしていた気分が、一気に吹き飛んだ。
「ごめんね、待っててくれたんだね。お腹空いたでしょ?」
「ん~、味見しまくってたから、そんなに空いてないよっ」
祐輔は、話しながら家の中をあちこち歩き回る私の後に、ずっとくっついて来ていた。
なんだか、犬みたい…
一緒に暮らしてきた中で気付いたのは、祐輔って意外と寂しがり屋。
家の中でも、私の事をよく追い掛けている。
最初は、うっとうしいと思った事もあったけど、慣れてくると可愛いくて仕方ない。
部屋着に着替え、テーブルの前で座って待っていると、祐輔が澄ました顔でカレーを運んで来た。
「お客様、お待たせ致しました。当店自慢の自家製カレーでございますっ」
「ありがと」
私も澄ました顔で返した。
二人で顔を見合わせて、クスクス笑いながら、祐輔の作ったカレーを食べ始めた。
― ガリッ…
「んんっ!?」
私は眉間にシワを寄せたまま、口の中の物をティッシュに吐き出した。
「リコ、どうしたのっ!?」
「ジャガ芋が、生です…」
「ええっ、うそ!?」
「他は煮えてるのに、どうしてジャガ芋だけ固いの…いつのタイミングで入れた?」
「リコは、カレーとかの煮込み料理で、ジャガ芋がドロドロになってるのは嫌いって言ってたから、最後に入れたんだ…
できるだけ原形残そうと思って…」
祐輔はショボンと肩を落として落ち込んでいた。
私の為を思ってやってくれた事…
祐輔のその気持ちが、何より嬉しかった。
優しさが身に染みた。
― やっぱり、結婚するなら、思いやりのある人だよね。
祐輔は、どストライクなんだけどなぁ。
肩を落としたまま、カレーをグリグリ掻き混ぜる祐輔の顔を覗き込んだ。
「祐輔、料理長に伝えておいて?
美味しいですって」
すると、祐輔は上目使いで私を見た。
「ジャガ芋固いのに…?」
「カレー自体は、すごくいい味だよ?」
すると祐輔は、パッと顔を明るくさせて、ニッコリ笑った。
「伝えとくっ。料理長も喜ぶよ!」
二人、顔を見合わせて微笑んで、ジャガ芋を除けながらカレーを堪能した。
夕食を済ませ、私がお風呂に入っている間に祐輔が後片付けをしてくれて、コーヒーも入れてくれた。
入れ違いで祐輔もお風呂に入った。
ソファーでコーヒーを飲みながら、私は里沙の事を考えている。
(一体、里沙に何があったんだろう…
慎也さんにも心辺りが無いなんて…)
ソファーに大の字で寄り掛かって伸びていると、里沙から携帯に電話が掛かってきた。
ガバッと起き上がり、ワタワタと電話に出た。
「も、もしもし!?」
『あ、リコ?何慌ててんの?』
「ううん、大丈夫!!」
『プッ…何が大丈夫なの?』
「あ、いや…それより、どうしたのっ?」
『うん…』
「何かあった?」
電話の向こう側で、里沙が黙り込んだ。
「もしもーし?」
『私、慎ちゃんと別れようと思って』
「はっ!?」
『それだけリコに伝えておこうと思ってさ』
「ちょ、ちょっと待って!意味わからないよ!なんで?どうして?」
私が携帯を耳に当てたまま、ソファーの周りをグルグル歩き回っていると、祐輔が洗面所の前で不思議そうな顔をして立っていた。
祐輔に助けを求めるように、私は片手をバタバタさせながら合図を送った。
祐輔は首を傾げる。
『そうゆう事だから…じゃ、おやすみ』
「待って里沙!?りっ…」
― プープーッ…
電話が切れて、私はヘナヘナとその場に座り込んだ。
「電話、里沙さん?」
祐輔が、髪をタオルで拭きながら近付いて来る。
私は祐輔の顔を見ながら、ボー然としていた。
「リコ~?どうしたの?」
「里沙が…」
「里沙さんが?」
「慎也さんと…別れるって…」
「ええっ!?どうして!?」
「わからない…」
しばらく沈黙が続いた。
「ちょっと待って?」
祐輔が何かに気付き、目線だけ上げてハッとした。
「どうしたの?」
「別れるって、まだ別れて無いんだよね?」
「別れるからっとしか、言わなかったけど…」
「わざわざ予告してきたの?」
祐輔の問い掛けに、私も里沙の言葉に違和感を感じてきた。
すぐに里沙にかけ直したけど、留守電になる。
「だめ、里沙の携帯通じない…」
携帯を握りしめて不安げな表情を浮かべる私の頭を、祐輔がポンッと叩いた。
「もしかしたら、里沙さんからリコに対してのSOSかもよ?」
首を傾げながら祐輔の顔を見ると、祐輔はフッと笑った。
(SOS…?)
里沙が私に助けを求めてるって事…?
ますます里沙が心配になった。
「大丈夫、里沙さんはまだ慎也さんと別れないよ」
「なんで分かるの?」
「ん~…男の勘?」
「プッ、何それ。アテになるの?」
「さぁ…女の勘には負けるだろうね?」
祐輔は、優しい表情で私に安心感を与えてくれた。
「私、どうしたら…」
「里沙さんと慎也さん、最近まともに話してないんじゃない?」
「そうかも…」
「なら、話し合いの場を設けようっ」
「え?」
「二人には内緒にして、俺は慎也さんを。リコは里沙さんを飯に誘うんだよ。
んで、対面させちゃうワケ」
「やり方、古くない?」
「古くない!!!」
祐輔は、頬っぺたをプクッと膨らました。
「フフッ、祐輔ありがとう」
「何が?」
「私の親友の事を想ってくれて」
「リコの大切な人は、俺にとっても大切な人だよ」
「ありがとう、祐輔っ」
私は祐輔の頬っぺにキスをした。
それから私と祐輔は、里沙と慎也さんを会わせる為の計画を立てた。
会わせるまで、気付かれてはいけない…
一度きりのチャンスを無駄には出来ないから、念入りに作戦を立てた。
「よし、ならば次の土曜日に決行だ!」
「祐輔、本当にありがとう」
「お礼は、この作戦がうまくいってからにして?」
「フフッ、そうだね」
私は、里沙と慎也さんみたいなカップルが目標だった。
何も言わなくても、お互いの気持ちを理解できてるというか、心から信頼しあってるというか…
今は、少し関係が崩れてしまってるみたいだけど、二人にはまた前のように仲良しカップルに戻ってほしい。
この時の私は、自分勝手な思いしかなかった。
里沙の事を、全く分かってなかったと、後々後悔する事になるなんて…
ちっとも思ってもなかった。
― 金曜日の仕事終わり
「里~沙っ」
ロッカールームで着替える里沙に、声を掛けた。
「ん~?」
「明日の夜、予定ある?」
「何も無いけど?」
「なら、二人で飲みに行かない?
いい所見つけたんだっ」
「いいけど木村君は、いいの?」
「ゆ、祐輔も出掛けるみたいでさっ…」
里沙が私の顔をジーッと見る。
(やばい、気付かれた…?)
顔に出やすい私の性格を知り尽くす里沙に嘘をつくのは、ある意味私にとって挑戦だ。
「里沙…?」
「いいよ。何時にドコ行けばいい?」
全力でホッとした。
里沙に待ち合わせ場所と時間を伝えて、会社の前で別れた。
家に帰り、夕食の支度をしながら、残業をしている祐輔の帰りを待った。
すべてを作り終え、テーブルに料理を並べて、ソファーに座って伸びをした。
― ピンポーン
玄関に走り、扉を開けると、寒さで凍えきった祐輔が立っている。
「お帰り、お疲れ様っ」
「ただいま~っ。さみ~っ!!」
祐輔は手を大きく広げて、私に飛び込んで来た。
「祐輔、顔つめたっ!」
祐輔は私の頬っぺに、顔を寄せている。
「ん~、リコあったか~いっ」
祐輔が冷たい唇でキスをしてきた。
それでも、私の唇の熱で、すぐに温かくなる。
熱い口づけを交わして、二人でリビングに向かった。
「わぁ~、手作りコロッケだぁっ!」
テーブルに並べられた料理を見た祐輔が、子供のような歓声を上げる。
「早く着替えておいでよ」
「うんっ」
部屋着に着替えた祐輔が、テーブルの前に座る。
私は、温め直した味噌汁を祐輔の前に置いた。
「いただきま~す!」
祐輔は嬉しそうに、コロッケを口いっぱいに頬張った。
感想は聞かなくても、幸せそうに食べている祐輔の顔を見れば分かる。
「そういえば祐輔、慎也さんは誘えた?」
「うん、ばっちりだよっ!リコは?」
「ちょっと危なかったけど、なんとか…」
「よーっし!明日は気合い入れてくぞ!」
そう言って、祐輔は熱々の味噌汁をグイッと飲んだ。
「ぶはぁっ!!あちーっ」
祐輔は勢いよく味噌汁を吹き出した。
「あ~あ…」
呆れながらも、私は半笑いで台所から持ってきたフキンを祐輔に渡した。
本当なら、恋人同士の里沙と慎也さんを会わせる事なんて、そこまで気合いを入れる程の事でもないのに…
なんだか、とっても緊張する。
とにかく、話し合いだ!
頑張るぞっ!
― 翌日の夜
「リコ~っ!!」
待ち合わせ場所の駅前で待つ私に向かって、里沙が手を振りながら走ってくる。
「電車一本、乗り遅れちゃって…
ごめんね~、待った?」
「ううん、大丈夫だよ!」
今日の里沙の格好は、黒を基調としていて、いつもより少し大人っぽい。
私の案内で、祐輔と相談して決めた和食屋さんに向かった。
「里沙、慎也さんとは…?」
これだけは、先に確認しておかなければならない。
「まだ、別れてないよ…」
「そう」
一瞬暗い表情を見せる里沙とは裏腹に、私は安心して微笑んだ。
「ここだよっ。個室があるみたいで、ゆっくりできるかなって思って」
「へぇ~、初めて来たぁ」
「さ、入ろうっ?」
祐輔は、私達より先に慎也さんと待ち合わせをして、この店に来ている。
さっきメールで、『個室の席に入った』と連絡が来た。
私は店内に入る時、メールをするフリをして祐輔にワン切りをした。
今から中に入るよという、合図だ。
「いらっしゃいませ~」
店に入り、店員に席は個室がいいと伝えて、案内をしてもらう。
この時の私は、吐き気がする程心臓が早く動いていた。
店員の後について、里沙と二人で店の奥へ歩いて行くと、祐輔が一つの個室から出て来て、私達の前に姿を現した。
「あれぇ~、リコと里沙さんだぁ」
「あれぇ~、祐輔じゃなーい。偶然ねぇ~」
残念なぐらい、私達は演技がヘタだった…
白々しいにも程がある…
私は里沙の顔が見られないまま、祐輔とお芝居を続けた。
「俺、偶然にも慎也さんと一緒なんだよぉ」
「え~!ホント偶然!」
「よかったら、リコ達も一緒に飲もうよっ!」
「そうだね!」
私と祐輔は、引きつった笑顔のまま、里沙の顔をチラリと見た。
里沙は、無表情…いや、かなり冷たい表情だ。
私達は、今にも泣き出しそうになりながらも、必死で作り笑顔で固まっていた。
しばらく沈黙の後…
「ブッ…クククク…」
個室の中から、慎也さんが顔を出し、吹き出した。
「プッ…フフフフ…」
そんな慎也さんを見て、里沙も釣られて笑い出す。
私と祐輔は、キョトンとしながら顔を見合わせた。
笑いをこらえながら、慎也さんが話し出した。
「ほんっと、お前ら…
いいなぁ」
私達は、キョトンとしたまま慎也さんを見る。
「木村に誘われてココに来たけど、なんかおかしいと思ってたんだよな。
男二人で飯食いに来て、個室の中に入るなり、木村が俺の横に座ってんだもんな。
明らかに、前の席に誰か座りますって感じだったし」
慎也さんは、思い出したようにまた笑い出した。
里沙もクスクス笑い続けてる。
祐輔の顔を見ると、顔を赤くして下を向いていた。
「私も何かあるな、とは思ってたけど…」
里沙が私の顔を見て話し出した。
「リコも木村君も、演技力無さ過ぎっ!
見てて痛々しかったわぁ~」
私も急に恥ずかしくなって、下を向いた。
祐輔は黙って私の背中をポンポンッと叩いた。
「ありがとうな」
慎也さんの意外な言葉に驚き、私と祐輔は顔を上げた。
「俺達の事、心配してくれてたんだな。
俺も、ちゃんと里沙と話したかったから、いい機会だ。
…里沙?」
慎也さんが呼び掛けると、急に里沙の表情が緊張しだした。
「ちゃんと話し聞かせてくれないか?」
「…うん」
「せっかくだけど、場所変えよう。
飯食いながらじゃなくて、真剣に話しを聞きたい」
慎也さんの言葉を聞いて、咄嗟に私は口を開いた。
「なら、うちに来ませんか?
ここからなら、私の家が一番近いし…」
祐輔も隣で何度も頷いている。
「そしたら、お邪魔していいか?」
「はい、どうぞ!」
私も里沙の気持ちを聞きたかったから…
祐輔は店員さんに帰る事を告げ、先に注文してたビール代だけ支払いをした。
そして祐輔と慎也さん、私と里沙に別れてタクシーで私の家に向かった。
タクシーの中では、里沙は何も話さなかった。
ただ黙って、窓の外を見つめたままだった。
「お邪魔します」
「コーヒー入れますね」
私の家に着き、慎也さんと里沙をソファーの方に誘導した。
コーヒーを二人の前に置き、私と祐輔はダイニングテーブルの方に座った。
なんだか私まで緊張してきちゃった…
ソワソワと落ち着かない私とは違い、祐輔は真剣な眼差しで二人を見ていた。
慎也さんはコーヒーを一口飲むと、正座をしながら俯いている里沙に、話し掛けた。
「里沙、最近…」
「慎ちゃん…、別れよう?」
慎也さんの話しを遮るように、里沙が口を開く。
私と祐輔は里沙の言葉に衝撃を受けて、口を開けたまま顔を見合わせた。
だけど、慎也さんは何故か冷静だった。
顔を上げる事の無い里沙を、慎也さんは真正面から見つめていた。
心なしか、少し厳しい表情だ。
慎也さんは、小さく溜め息をついて口を開いた。
「俺と別れたい理由は?」
「…」
里沙は唇をキュッと噛み締めて、何も言わない。
「他に男でもできた?」
「違う!!そんなんじゃっ…!!」
「だよな?」
里沙の咄嗟に上げた顔を、慎也さんはジッと見つめる。
里沙は、また視線を逸らした。
「俺は、里沙の事はよく分かってるつもりだ。でも、今回だけは分からないんだ…
ちゃんと話してくれ…」
慎也さんの表情が、切なくなっていく。
しばらく沈黙が続いた。
私はこの沈黙に耐えられず、口を開いた。
「里沙…お願い。
ちゃんとワケを話して?」
悲しげな表情で私を見た里沙が、小さく頷いた。
「私は…慎ちゃんと結婚出来ない…」
慎也さんは里沙の言葉を聞いて、コーヒーを飲み干した。
「家の事情か?」
「ううん…」
「独身主義か?」
「ううん…」
里沙は、溜め息にも見える大きな深呼吸をした。
「私は…
子供が産めないの」
(え…?)
里沙の言葉を聞き、3人共が目を見開いた。
聞きたい事はたくさんあるハズなのに、言葉が出てこない。
そんな私達を見て、里沙は口元だけで笑い、急に様子が変わったように見える。
「…驚いた?」
自嘲するように笑う里沙を見た慎也さんは、拳をギュッと握った。
「…どうして今まで話さなかった?」
里沙は慎也さんを挑発するように、上目使いで睨んだ。
「話したって、どうにもならないでしょ?」
「大事な事だろっ!?」
淡々と話す里沙に苛立った慎也さんが、大声を張り上げた。
怒りをあらわにする慎也さんを、里沙は黙って睨み続ける。
「子供が産めないから、結婚出来ないのか?だから別れたいのか?」
「他に理由なんて無いじゃない?」
「俺は、里沙に子供を産ませる為に結婚したい訳じゃないっ!!」
「慎ちゃんに、私の気持ちなんか分からないよっ!!」
里沙も負けじと大声を張り上げた。
私と祐輔は、ただただ二人を見守る事しか出来ない…
「慎ちゃんはっ…
いつも子供が欲しいって言うじゃない!
女の子がいいだの、何人欲しいだの…
そんな話しを聞く度に、私は辛かったのっ!!」
「そんなの、結婚を考えたら誰だって思う事だろっ!?
そもそも、お前の体の事を知ってたら言うはずないじゃないかっ!!
お前が勝手に黙ってて、傷ついてただけだろうがっ!」
「私だって、慎ちゃんとの子供が欲しいのっ…!!」
里沙は吐き出すように大声を出し、目から大粒の涙が溢れ出した。
涙を流す里沙の顔を、慎也さんは唇を噛み締めて見ている。
里沙は震えた声で、ゆっくり話し始めた。
「病院で検査して分かった時は、やっぱりショックだった…
でも、落ち込んでも仕方無いから、前向きに生きてきた。
子供が産めなくても、結婚は出来るって…
でも、慎ちゃんと付き合い始めたら、『この人との子供が欲しい』って強く思うようになったの。
どうする事も出来ないのに、諦めがつかなくなって、どうしても慎ちゃんに話せなかった…」
里沙の話しを聞きながら、私も涙が止まらない…
慎也さんは目が赤くなりながらも、真っ直ぐに里沙を見ていた。
里沙も慎也さんの目を見て話し続ける。
「慎ちゃんが、結婚しようって言ってくれた時は、本当に嬉しかった。
でも、慎ちゃんの事を好きになればなる程、私は辛かった…
慎ちゃんが大好きだから、ちゃんと子供が産める人と結婚して、温かい家庭を築いてほしい。
だから別れようと決意したの。
でも、やっぱりなかなか別れも切り出せなくて…」
そう言うと、里沙は俯いた。
「お前だって、俺の気持ちなんか分かってないじゃないかっ…」
慎也さんが震えた声で話し始めると、異変に気付いた里沙が顔を上げた。
二人が見つめ合うと、慎也さんの目から、一筋の涙が零れ落ちた。
「慎…ちゃん…?
やだっ…どうして慎ちゃんが泣くの?」
慎也さんの泣き顔を見た里沙も、ボロボロと泣き始めた。
私の隣に座っている祐輔は、泣きじゃくる私の頭をグイッと引き寄せ、髪を撫でてくれている。
「好きな女が、辛い思いをしてるのも知らずに子供の話しをして、更に傷付けてた事にも気付かなかった俺の気持ちが分かるか…?」
慎也さんは絞りだすように声を発している…
里沙は悲しげな表情で目線を逸らした。
慎也さんは、里沙の手を握って話し続ける。
「俺が里沙と結婚したい理由は…
一生、俺の傍に居て欲しいから。
お前と、共に生きたいから…
ただそれだけだ…」
「…子供…は?」
「お前が居てくれればいい…」
「今は良くても、慎ちゃんだって、きっとこの先欲しくなっちゃうよ…」
「そうかもな…」
「だったらっ…!!」
里沙が顔を上げた瞬間、慎也さんは里沙をギュッと抱きしめた。
「それよりも、お前の気持ちはどうなんだよ?
俺と一緒になりたいのか、なりたくないのか…」
慎也さんが里沙の耳元で、優しく問い掛ける。
すると、里沙は慎也さんの背中の服をギュッと掴んだ。
「私はっ…
慎ちゃんのお嫁さんになりたいっ…
慎ちゃんと、死ぬまで一緒に居たいっ!」
里沙は、ずっと我慢していた気持ちを吐き出し、しゃくり上げて泣き始めた。
そんな里沙の背中を、慎也さんは優しく撫でている。
「辛かったな…苦しかったな…
ごめんな、里沙の苦しみに気付いてやれなくて…」
里沙は慎也さんの胸に顔をうずめ、首をブンブン横に振る。
「私の方こそっ…」
「お前は、何も悪くないよ」
慎也さんが里沙を想う言葉を聞き、私は号泣し続けた。
祐輔も、静かに涙を流している。
「里沙…」
「ん…?」
「俺と、結婚してくれるか?
ってゆーか…」
「…ん?」
「俺と結婚しろ。
里沙に拒否権は無いからな。
分かったか?」
慎也さんの強引なプロポーズに、里沙は言葉が出ないまま大きく何度も頷いた。
抱き合いながら泣き続ける二人を、私は涙ながらに見つめていた。
すると、祐輔が家の鍵をダイニングテーブルに置き、私の鞄と上着を持って、私の手を引いて玄関を出た。
祐輔が気を利かせてくれたんだ…
祐輔の優しさに胸が熱くなりながら、手を繋いで駅まで歩いた。
「腹減ったな」
祐輔が空を見上げて呟く。
「そういえば、そうだねぇ」
お互いの泣いて腫れた目を見合って、微笑んだ。
私達は一駅先の、パスタ屋さんでご飯を食べる事にした。
店に入り席に着いてから、里沙に私達の居場所だけメールしておいた。
二人でディナーセットを頼んで、少し遅めの夕食を食べ始めた。
私達は、里沙と慎也さんの話題は出さなかった。
口に出さなくても、なんとなくお互いの気持ちが通じ合っていた。
ホッとした気持ちはもちろんだけど、それよりも里沙の体の事を知ったショックが、少なからずあったから…
祐輔は、相変わらずパスタを口いっぱいに頬張っている。
「ほのはほ、ふひひへほひふ?」
「何言ってるか分からないよっ」
リスのような顔の祐輔を見て、私は呆れながら笑った。
祐輔は水でパスタを流し込み、胸をトントンッと叩いた。
「この後、海にでも行く?」
「里沙達は?」
「二人が来たら、みんなで行こう」
「この寒い中、なんで海?」
「…なんとなく?」
ニッと笑った祐輔の顔を、私は不思議そうに見つめていた。
しばらくすると、私の携帯が鳴った。
里沙からの着信だった。
「もしもし?」
『リコ…ごめんね?
本当にありがとう…』
電話越しの里沙の声は、泣き晴らして枯れていた。
「何も謝る事ないじゃない。
それより、こっち来れる?」
『今日は、このまま慎ちゃんの家に行く事にした…
鍵だけ渡しに行くね』
「鍵なら、もう一個私が持ってるから、今度返してくれればいいよっ」
『本当?それなら、そうさせてもらうね。
リコにも、今度ちゃんと話しするからね?』
「分かった!
気をつけてね、おやすみっ」
里沙の穏やかな声を聞いて、私は満足気に微笑んでいた。
祐輔も私の気持ちを察して、ニッと笑った。
二人でお腹いっぱい食べて、店を後にした。
祐輔の実家に車を取りに行き、高速道路を走らせて海に向かった。
「海って、私達が最初に行ったトコ?」
「そっ!!高速ならあっという間だからね~」
久しぶりに祐輔の運転する姿を見た。
ちょっと、ときめいた。
(あれ…?そういえば…)
「ねぇ、祐輔?」
「なぁに?」
「最初の時は高速使わなかったよね?」
「それは…」
祐輔がちょっと照れたように笑った。
「なによ?」
「あの時は、リコと少しでも長く居たかったのと、告白する為に心の準備をしていたからさっ。
時間稼ぎ?」
「プッ…なにそれぇ」
「結局、怒らせちゃったけどねぇ~」
「あんまり、いい思い出の場所じゃないね」
「これから、いい思い出に変えに行くよ~ん」
祐輔の言葉の意味が分からなかった。
私は、窓の外の流れる景色を見ながら、初めて祐輔に告白された時の事を思い出していた。
あの時は祐輔に不信感を抱いていた事もあって、告白された事を素直に喜べなかったけど…
今思い出すと、なんだか照れるな。
祐輔が真剣な顔で告白してくれた…
キャ~ッ!
恥ずかしいっ!
私は手で顔を隠して、足をバタバタしながら一人で盛り上がっていた。
そんな私を祐輔がチラリと横目で見て、首を傾げた。
やっぱり、高速道路を使うと着くのが早い。
あっとゆう間だった気がする。
駐車場に車を停めて外に出ると、真夜中の海なだけあって、凍りそうなぐらい寒かった。
「寒いってゆうか、風が冷たくていてぇーっ!!」
祐輔は、ピョンピョン跳びはねながら叫んでいた。
回りには民家も無いし、私達以外に人が居ないから、どんなに騒いでも迷惑にならない。
だから、私も遠慮なく叫んだ。
「祐輔の、バカヤローっ!!」
「なんでっ!?そして何故このタイミングでっ!?」
「なんとなくーっ!!」
寒さをごまかす為に、私達は大声を出し続けた。
冬の海…しかも夜中っていうのが、何故か私達のテンションを上げた。
祐輔と近くの自販機で温かい飲み物を買って、一度車の中に戻る事にした。
「俺、外で一服してくるね」
「外寒いよ?大丈夫?」
「それでも、吸いたくなるのが喫煙者の悲しいトコなんだなぁ~。
でも、いずれ止めなきゃなぁ~」
「なんで?」
私の問い掛けに、祐輔はフッと意味深な笑みを浮かべて、寒空の下へタバコを吸いに行った。
なんか変な祐輔。
ちょこちょこ、祐輔の言動が引っ掛かるな…。
なんとも言えない気持ちで私は一人、車の中でコーヒーを飲んでいた。
祐輔は車から少し離れた所でタバコを吸っている。
なんとなく助手席側の窓から空を見上げると、綺麗な満月が見えた。
私は月を見ながら、慎也さんが里沙にしたプロポーズを思い出した。
(里沙と慎也さん、ついに結婚するんだなぁ…)
ちょっと羨ましく思った。
小さく溜め息をついて、祐輔の方を見た。
(あ…れ?)
祐輔が居ない…?
私は慌てて周りを見渡した。
でも、車の中から見る限り、祐輔の姿はドコにも無かった。
(嘘っ…!?)
暗闇の中、一人で車内に居るのが急に怖くなり、私は外に飛び出した。
上着の胸元をギュッと握り締めて、キョロキョロと祐輔を探した。
すると…
「リぃぃ~コぉぉ~っ!!!」
遠くから祐輔の声が聞こえた。
声のする方を見ると、私に向かって、浜辺から祐輔が大きく手を振っていた。
祐輔は、大声を出さないと声が届かない距離に居た。
ホッとした私は、祐輔の所へ行こうと浜辺に続く階段に向かった。
「来ちゃだめぇぇぇっ!」
祐輔は一際大きな声で叫んだ。
私は階段の上で立ち止まった。
「祐輔ぇー?何してるのぉーっ!?」
「リコは、そこにいてぇぇっ!!」
私は訳が分からず、首を傾げながら遠くの祐輔を見ていた。
祐輔は、下を向いたまま動かなくなった。
ますます訳が分からなくて、私はちょっとイラつきながら祐輔を見ている。
しばらく下を向き続けていた祐輔は、突然空を見上げた。
「俺っ…!!」
大声を張り上げた祐輔が、言葉を詰まらせた。
そしてまた、下を向いてしまった。
祐輔は一体、何がしたいのか?
私を離れた所に立たせて、祐輔一人で訳の分からない行動をしてる事に、イライラが増してくる。
「何やってんのっ!?
寒いから、私戻るよっ!?」
そう言って、私は車の中に戻ろうと祐輔に背中を向け、車に向かって歩き始めた。
その時…
「―――――しようっ!!!」
(え…?)
祐輔の言葉が聞き取れず、歩みを止めて振り返った。
祐輔は立ち尽くしたまま、真っ直ぐに私を見ている。
私も、黙って遠くから祐輔を見ていた。
すると祐輔は、大きく深呼吸をした。
(…え?)
寒い中、かすれる程の大声を出した祐輔は、息を切らして肩で呼吸をしていた。
それでも、祐輔は叫び続ける。
「俺、年下で頼りないかもしれないけどっ…
リコの事を一生守るって約束するっ!!」
私は祐輔の言葉を聞きながら、ゆっくり歩き出した。
「幸せにするよなんて、カッコイイ事言えないけどっ…
リコと一緒に、幸せな家庭を築きたいっ!!」
私が近付いて行っても、祐輔は大声で叫び続けている。
「それからっ…!!
えっと…!
それから…」
私は、言いたい事が思い浮かばなくなった祐輔の目の前に立った。
「えっ…と…」
困った表情の祐輔を、私は何も言わずにただ見つめていた。
「リ…コ…」
何も言わない私を見た祐輔は、不安げな表情になった。
突然のプロポーズ…
全く予想していなかった。
だけど、一生懸命にプロポーズをしてくれた祐輔を想うと、なんだかたまらない…
胸の奥を、わしずかみにされたような…
上手く言い表せないけど、とにかく胸が熱くなった。
嬉しい。
夢にまで見た、祐輔からのプロポーズ。
なのに、いざとなると素直に首を縦に振る事ができなかった。
「どうして、急に…?」
私が問い掛けると、祐輔は目線を逸らした。
「今日、慎也さんと里沙さんを見てたら、俺も言わずには居られなくなって…」
「今まで一度も、
結婚の話しは出なかったじゃない…?」
どうしても聞きたかった。
毎日、『大好き』とか『愛してる』とかは言ってくれてたし、一緒に暮らす前はよく『一緒に暮らしたい』って言ってたのに、『結婚』という言葉だけは出てこなかった。
私は真っ直ぐに祐輔を見続けた。
すると祐輔は、私の右の頬に触れて話し始めた。
「俺は、毎日リコと結婚したいって思ってたよ…?
でも…」
「でも…?」
「なぜか、『結婚』って言葉が恥ずかしくて言えなかったんだ…」
「大好きとかは言えるのに?」
「大好きって言うのと結婚しようって言うのは、やっぱり違うよ…
それに、プロポーズだけは、ちゃんとしたかったしね」
「そうだったんだ…」
私の頬を包む祐輔の手に、そっと触れた。
「あとは…
リコのウェディングドレス姿を想像しただけで、鼻血出そうになっちゃってさぁ…」
「プッ…何それ…
バカみたい…」
私は思わず吹き出した。
すると…
祐輔はグッと私の頭を引き寄せた。
「そのリコの『バカ』って口癖も、俺は愛してるよ…」
祐輔は私の耳元で優しく呟いた。
「バカみた…っ!?
あ…」
私は言いかけた言葉を咄嗟に飲み込むと、祐輔はククッと笑った。
「祐輔…?」
「ん?」
「私でいいの…?」
「リコじゃなきゃ、嫌だよ…」
「私、年上だよ…?」
「それは聞き飽きたなぁ~」
「すぐ怒るし…」
「知ってる」
「泣き虫だし…」
「知ってる」
「それから…っ」
「知ってる」
「まだ何も言って…」
「リコの事は、全部知ってるよ…」
祐輔は私を抱きしめる腕に力を込めて、肩に顔をうずめた。
祐輔の優しい声と温もりを感じていると、だんだんプロポーズされた実感が湧いてきて、私の目から涙が零れ落ちた。
「あーあ…
もうリコを泣かせないよって言おうと思ってたのになぁ」
「うぅ~…
ゆうずげぇ…」
「ハハッ、泣き過ぎっ。
まぁ~た、ムード台なしじゃ~ん」
「うっ…うっ…
嬉…しく…て…」
私の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。
「リコ、返事は…?」
「え?」
「プロポーズの…」
すっかり舞い上がって、返事をするのを忘れていた。
でも、この状況でどうやって返事すれば…
頭の中で一生懸命言葉を選んでいると、祐輔はゆっくり体を離した。
そして、私の両肩を掴んだ。
「神谷律子さん…
俺と、結婚してください」
祐輔の真剣な瞳に、吸い込まれそうになる…
「は…い…」
私は聞こえるか、聞こえないか分からないぐらいの小さい声で返事をした。
面と向かって改めてプロポーズをされたら、私は急に恥ずかしくなって下を向いた。
祐輔も照れ笑いを浮かべながら、下を向いた。
「一番、リコが好きだよ…」
久しぶりに聞く、祐輔の『一番』という言葉…
「私も…祐輔が一番好き…」
そういうと、祐輔は優しいキスをしてくれた。
月明かりが、まるでスポットライトのように、私達を照らしていた。
帰りの車の中では、幸せの空気に包まれたまま、ずっと手を繋いでいた。
家に着いたのは明け方の4時過ぎ。
私と祐輔は、倒れ込むように布団に入り、そのまま眠りについた。
私は夢を見た。
祐輔と、バージンロードを歩く夢…
たくさんの人達に祝福されて、まさに幸せの絶頂の中にいた。
誓いのキスの時…
突然、祐輔が私を振り払って教会の出口に向かって走り出した。
私は訳が分からず、祐輔の名前を叫び続けた。
「…って…
待って!!祐輔ぇぇぇぇぇっ!!」
ガバッと起き上がると、祐輔が隣で眠っている。
(夢かぁ…)
ハァ~~…
安心して、大きな溜め息をついた。
時計を見ると、もう昼の12時。
今日は日曜日で休みだし!!
のんびりしようと、また布団を被った。
横になりながら祐輔の顔を眺める。
夕べの事を思い出すと、ニヤニヤが止まらない。
恥ずかしくなって、ニヤけた顔を両手で隠した時…
「あれ…?」
手に違和感を感じて、手の平を見てみる。
すると、左手の薬指に小さなダイヤのついた指輪がついていた。
(嘘…いつのまにっ!?)
夢か現実か分からないまま、祐輔の顔を見ると、祐輔が片目を開けて私を見ていた。
「祐輔…これ…」
私は祐輔に左手を見せた。
祐輔はニコッと笑って、私の左手を握り締めた。
「気に入った?」
祐輔はちょっと照れながら聞いた。
私は小さく頷いて、また泣いてしまった。
「また泣く~。
リコは本当に泣き虫だねぇ」
「だって…だって…」
私は喜びを伝えたくても、うまく言葉にならない。
「祐輔、これいつの間に…?」
「冬のボーナスが出てから、すぐに買いに行ったんだ。
本当はクリスマスにプロポーズするつもりだったんだけどねぇ」
祐輔は笑いながら話している。
私は涙を流したまま、キラキラ輝く指輪をいつまでも眺めていた。
そんな私を祐輔は、満足そうな笑顔で見つめている。
そして、祐輔はヨシッと言いながら起き上がった。
「『お父さん!娘さんを僕にください!』って、言いにいかなきゃね。
んで、『俺は君の父親じゃない!』って、怒鳴られるのっ」
「なんか祐輔古くない?
今時、そんな事言う人居ないよぉ」
そんな話しをしながら、二人でケラケラ笑い続けた。
――月曜日の朝
私は祐輔から貰った指輪を着けずに出社した。
まだ婚約の状態だし、なんだか恥ずかしい気持ちもあったから…
ロッカールームで制服に着替えていると、里沙も出社して来た。
「おはようリコ!
これ、鍵返すね。
土曜日は、ごめんね…」
「おはよ!
気にしないでっ。
あの後、慎也さんと今後の話し合いは出来た?」
「うんっ!
その事も報告したいから、今日仕事終わったらリコの家行っていい?」
「どうぞどうぞっ」
里沙の表情はなんだか穏やかで、幸せそうだった。
こんな明るい里沙を見るのは久しぶりだったから、余計に嬉しかった。
仕事を終え、祐輔と慎也さんは残業だったから、里沙と二人で私の家に向かった。
家に着き、早速ビールで乾杯をした。
「それで、籍はいつ入れるの?」
「実は昨日のうちに、お互いの両親に挨拶してきちゃったんだっ!
クリスマスイブの日に、有給取って役所に行くの」
「はやっ!!
里沙のご両親、驚いてたんじゃない?」
「驚いてたけど、私の体の事も全部承知の上で、慎ちゃんがプロポーズしてくれたからさ…
お母さんは泣きながら、祝福してくれたよ…」
里沙は、お母さんの事を思い出したのか、目をうるうるさせていた。
私も里沙の涙につられて、泣いてしまった。
「よかったね、里沙…」
「うん…
今までリコにも体の事黙っててごめんね…」
「ううん…
里沙が謝る事じゃないよ?
それより、慎也さんのご両親は…?」
私が問い掛けると、里沙は穏やかな表情を見せた。
「慎ちゃんのお母さんも、ずっと不妊で悩んでたみたい。
その中でやっと授かった子が慎ちゃんなんだって…」
「確か慎也さんって、一人っ子だったよね?」
「うん…
一度は子供を諦めた事もあるから、私とは全く状況が違うけど、他人事とは思えないって言ってくれて…」
「そうだったの…」
「お父さんも、二人が幸せなら、それでいいんじゃないかって。
私、本当に幸せだよ…」
「里沙…」
静かに涙を流して幸せを噛み締めている里沙の表情が、なんだかとても輝いて見えた。
― ピンポーン
「あ、帰って来た!」
私は涙を手で拭って、玄関のドアを開けた。
「ただいま~」
「お邪魔します」
祐輔は、慎也さんを連れて来た。
「お帰りなさい。
どうぞ、上がってください」
私は慎也さんを招き入れ、台所に向かった。
コーヒーを入れていると、慎也さんが満面の笑みで近付いて来た。
「神谷、よかったなっ!!」
「へ?」
慎也さんの言ってる意味が分からなくて、キョトンとした。
「慎ちゃん、何がよかったの?」
里沙も不思議そうな顔で台所に来た。
「なんだ神谷、まだ里沙に言って無かったのか?」
「リコ、何かあったの?」
「神谷と木村な…」
慎也さんが里沙に何か言おうとした時…
「俺達も、結婚しま~すっ」
祐輔がピースしながら発表した。
一瞬、場の空気がシーンとなった。
すると里沙は私にガバッと抱き着いて来た。
「おめでとうっ、リコ!!」
「えっ、あっ、ありがとうっ」
里沙は私に抱き着いたまま、ピョンピョン跳び跳ねている。
「り、里沙?落ち着いてっ」
「だって、嬉しいんだもんっ」
「ちょっ…
里沙、苦しいっ…」
私達の様子を、祐輔と慎也さんはケラケラ笑いながら見ていた。
祐輔がコーヒーを入れてくれて、4人でテーブルを囲んで座った。
「リコ達は、いつ籍を入れるの?」
里沙が身を乗り出して聞いてきた。
「両家に挨拶も行ってないし…
まだハッキリ決めてないよ」
「なら、まだ式の事とか考えて無いの?」
「全然、まだまだだよ~」
私達は、4人で理想の結婚式の話しで盛り上がった。
お互いの理想を話して、共感したり、バカにしてみたり…
すごく楽しかった。
夕飯はデリバリーを頼んで、みんなで食べた。
いつまでも、部屋の中には笑い声が響いていた。
里沙は、帰るのを惜しみながら、慎也さんに連れられて私の家を後にした。
夕飯の片付けをしていると、祐輔が後ろから抱き締めてきた。
「どうしたの?」
「結婚したら、毎日リコとご飯食べられるんだね」
「今までだってそうでしょ?
結婚しても、あまり生活は変わらないんじゃない?」
「全然違うよ!
リコは、俺の奥さんになるんだよ?
幸せ度が今までと違うもんっ」
祐輔はグリグリ私の肩に顔をうずめている。
(奥さんかぁ…)
改めて考えると、ちょっと照れる。
私、祐輔の奥さんになるんだな…
寝る前に、祐輔と寝転がりながら、これからの事を話した。
「クリスマスの日に、リコのご両親に挨拶に行こう?」
「祐輔の方は?」
「リコの家に行った後、そのまま行けばいいよ」
「この期に及んで、反対とかされたりして…」
「そしたら、俺泣いちゃうっ」
祐輔は毛布を顔まで被った。
「なんか、緊張するね…」
「俺がバシッと格好よく決めるさっ」
「頼りないわ~…」
「なんだとぅっ!?」
そう言って祐輔は、私の顔の横に両手をついて覆いかぶさった。
そして、真剣な眼差しで私を見下ろしている。
祐輔の目は、男の目だった。
― ドキドキドキドキ…
久しぶりに見せた祐輔の表情に、胸が高鳴った。
「リコ…」
「は…い…」
「何があっても、俺がリコを守るからな。
だから、一生俺についてこい」
祐輔から、こんな強引な言葉を聞いたのは初めて…
胸がキュンッとする。
「一生…離さないで…?」
祐輔の頬にそっと触れると、深いキスをしてくれた。
このまま、祐輔と溶け合って一つになってしまいたい…
結婚しても、私は祐輔に恋をし続けるんだろうな。
こんなに人を愛したのは、生まれて初めてだ。
― from 里沙
この度、田中里沙は『里田 里沙』になりました事を報告します。
って、やっぱり田舎っぽ~いっ(泣) ―
クリスマスイブの日の昼休み、携帯を開くと里沙から幸せのメールが届いていた。
その内容を祐輔と眺めながら、微笑んだ。
(ついに、夫婦になったんだぁ…)
まるで自分の娘をお嫁に出したように、しみじみしてしまった。
明日は、いよいよ私達が両家に挨拶に行く日!
実家には電話で、『彼氏を連れて行く』としか話してない。
果たして、年下の婚約者を連れていった時の反応はどうなるのか…
今から、あれこれ考えても仕方が無い!
とにかく明日だ!
― クリスマス当日
甘い、いい香りで目が覚めた。
隣を見ると、祐輔の姿が無い。
台所を覗くと、祐輔が鼻歌を歌いながら料理をしていた。
「祐輔?」
「あ、おはようリコ!!」
「何作ってるの?」
「ホットケーキだよっ!
コーヒーも入れたよん」
「美味しそ~」
祐輔は、エプロン姿で得意げに笑った。
祐輔の朝一番の最高の笑顔を見たら、昨日からの緊張が一気に吹き飛んだ。
「美味しい!!
フワフワで上手く焼けてるねぇ」
「でしょ~?
ちょっと高いホットケーキミックスだからねっ」
「ブッ…
粉の力だったの…」
「当たり前じゃん!
じゃなきゃ、こんなにフワフワに焼ける訳無いじゃんっ!」
「なんでムキになるのよ…」
私達は朝からケラケラ笑い合った。
美味しい朝食を食べ終え、祐輔はスーツに着替えた。
私はブラウスにタイトスカートを合わせて、髪を綺麗にまとめ上げた。
「おおっ!
なんか、リコいいっ!!」
「本当?」
「うんっ!!社長秘書みたいで、そそるよっ!!」
「バカな事言ってないで、行くよっ」
「は~い」
私が玄関のドアノブに手を掛けると、祐輔は私の手を握り締めた。
振り向いた瞬間、祐輔の唇がそっと私の額に触れた。
「唇にキスしたら、口紅取れちゃうから…」
そう言って、祐輔は照れ臭そうに微笑んだ。
私も微笑み返して、二人で駅まで手を繋いで向かった。
私の実家まで、アパートから5駅。
電車の中では、ずっと手を繋いでいた。
目的地の駅に近付くにつれて、繋いだ手がだんだん汗で濡れてきた。
祐輔は無言だった。
「祐輔、緊張してるの?」
「話し掛けないでっ。挨拶の言葉を頭で整理してるんだからっ」
祐輔は表情が固くなっている。
そんな祐輔を見ていたら、なんだか笑えてきて、不思議と私はリラックスしていた。
程なくして駅に着き、タクシーで実家に向かった。
「待って、リコ!!」
私が実家のインターホンを押そうとすると、祐輔が私の手を引っ張った。
「すぅ~…はぁ~…」
祐輔は深呼吸を何度もしている。
「もう、押しちゃうよ~?」
「あ、ちょっとっ…」
― ピンポーン…
祐輔の返事を待たずに、私はインターホンを押した。
『は~い』
「私~」
『はいは~い』
インターホン越しの母は、とっても上機嫌だった。
― ガチャッ…
玄関のドアが開いたと同時に、祐輔が背筋をピンッと伸ばした。
ドアを開けた母は、真っ先に祐輔を見た。
「あら、こんにちは」
「こ、ここ、こんちにはっ!!」
(…えっ!?)
あまりの緊張で、祐輔の第一声は、残念な結果になった。
「す、すみません…」
顔を真っ赤にして俯く祐輔を、母は満面の笑みで見つめた。
「面白い子ねぇ~。
寒いでしょ?どうぞ、入って~」
母に招かれ、私と祐輔は家の中に入った。
リビングに通されると、父の姿は無かった。
「ねぇ、お母さん。
お父さんは?」
「二階に居るの。
ユメは友達と遊びに行ってるわぁ。
ちょっと待ってて?
お茶入れたら、お父さん呼びに行って来るから」
「うん、お願い~」
母とのやり取りを終え、祐輔をリビングのソファに座らせて、私も隣に座った。
母が入れてくれたお茶を飲みながら、私と祐輔は静かに父を待った。
『リコの父ちゃんって、怖い…?』
祐輔が小さい声で私に問い掛けてきた。
『私と妹には甘いけど、祐輔にはどうかなぁ~』
ちょっと意地悪そうに言うと、祐輔の眉毛が、ハの字に垂れ下がった。
「ごめんなさいねぇ。
今、お父さん下りてくるからぁ~」
母がパタパタと階段を下りながら、私達に声を掛けた。
母の後ろから、父がゆっくりと階段を下りて来た。
父は私の顔を見るなり、満面の笑みを浮かべた。
「律子っ!!久しぶりだなぁ~。
元気か?」
「うんっ!お父さんも元気そうだねっ」
「最近、ウォーキングを始めてなっ!
体の調子がいいんだよ」
「いい事じゃない!」
私と父は久しぶりの再会で、祐輔を忘れて話し込んでしまっていた。
「ほらほらっ!
りっちゃんの彼を差し置いて話し込まないのっ」
母が台所からお菓子を持って出て来た。
「あ…祐輔、ごめんね?
つい…」
「いやいやっ!!」
祐輔は不自然なぐらい、引きつった笑顔で答えた。
私は祐輔の隣に立ち、父と向き合った。
「お父さん…
こちら、今お付き合いしている、木村祐輔さん」
「は、初めまして!」
祐輔は背筋をピンッと伸ばして父に挨拶をした。
ガチガチに緊張している祐輔を見た父は、ククッと笑い声を漏らした。
「木村君。
まぁ、そんなに緊張していないで、座って座って!」
「は、はい!失礼しますっ」
父に言われ、ソファに腰掛けた祐輔は、まだ背筋が伸びている。
私も祐輔の隣に座って、父も向かい側のソファに座り、母は父の足元で正座をしていた。
控えめに父の足元に座る母の姿を見て、なんだか尊敬した。
妻として、見習いたい振る舞いだと思う。
ぼ~っと母の姿にみとれていたら、父がゆっくり話し始めた。
「妻から話しは聞いたよ。
今は同棲をしているみたいだね?」
「はい。
ご挨拶が遅れて、申し訳ありませんでした」
祐輔は深々と頭を下げた。
「いやいや、謝る事じゃないよ。
ところで、見る限りずいぶん若く見えるけど…
木村君は、いくつなのかな?」
「あ、25歳です」
祐輔の答えを聞いて、父と母は少し驚いたように顔を見合わせた。
「りっちゃんの年齢知ってるの…?」
母が心配そうに祐輔に問い掛ける。
「もちろん知ってます!
でも、年齢なんか関係ありません!
僕は、律子さんの全てが好きなんですっ」
彼女の両親に、面と向かって『好き』だなんて…
よく言えるな…
何故か私の方が恥ずかしくなってしまって、俯いた。
母は安心したように微笑み、父は目を泳がせながらお茶をすすっていた。
祐輔もお茶を一口飲み、私に目で合図をした。
私も祐輔の合図に答え、小さく頷いた。
「お父さん、お母さんっ」
祐輔は姿勢を正し、少し声を張り上げた。
両親も祐輔の表情から何かを読み取り、真剣な表情で祐輔を見つめた。
私も真っ直ぐ前を見て、姿勢を正した。
「今日は、律子さんとの結婚を承諾して頂きたく、ご挨拶に伺いました。
初対面で失礼なのは承知の上です…
ですが、僕は本気で律子さんを愛しています!!」
そういうと、祐輔は突然立ち上がった。
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