地獄に咲く花 ~The road to OMEGA~
30XX年。地球。
そこは荒れ果てた星。
温暖化によって蝕まれた大地、海、空気。
そして20年前。生物学者ルチアによって解き放たれてしまった人喰いの悪魔…『人造生物』。世界に跳梁跋扈する彼等によって、今滅びの時が刻一刻と近づいている。
しかし。
その運命に抗う少年達がいた。
人造生物を討伐するべく、ルチアに生み出された3人の強化人間。ジュエル、ロイ、グロウ。
グループ名『KK』。
少年達は、戦う。
生きるために。
…失った記憶を、取り戻すために。
その向こうに待ち受ける答。
そして、運命とは?
※このスレッドは続編となっております。初めて御覧になる方はこちらの前編を読むことをお勧めします。
地獄に咲く花
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「1つ目は、ただの同姓同名。2つ目はリタ・アルティマを名乗る偽物の存在。そして3つ目は実は死んでいるというのは嘘で、彼は今もどこかで生き『SALVER』の指揮をとっている。…さて、ジュエルはどれが正解だと思います?」
グロウは3本指を立て、それを弄ぶように揺らして見せた。
「それは何とも言えない。情報が少ないからな。」
「そうですか。では他にあの男から聞いたことはありませんか?あるいは手に入ったものでも構いません。」
ジュエルは少し考え込む素振りを見せると、程なくしてふっと顔を上げた。
「そういえばお前、俺の服に入ってたものは見たか?」
「服に?…あ!あのメモリーチップのことですか?言われてみれば、あれの報告はまだ受けてませんね。」
「それが少しでも手掛かりになればいいがな。」
「あの男から貰ったものなら間違いなく『SALVER』のものでしょうから大丈夫ですよ。その内分析が終わると思うので、期待しましょう。」
ジュエルはこくりと頷く。
「取り敢えずリタに関してはまだ追求できない。話を先に進めてくれないか。」
「了解しました。」
「えーっと、何話してたんでしたっけ?」
「…オメガが本当に人造生物を生み出すのか、だ。」
「ああそうでした。あんまり脱線するんで忘れかけてましたよ。」
グロウは少し困ったように頭を掻く。
「そうですね、先程僕が言った3人は元々研究の方向がバラバラだったらしいです。同じ大学の教授だったらしいですが、ルチアは遺伝子工学。マルコーは薬理。リタに至っては地球の天然物科学等を専攻していたようですね。しかし、『国』が方向性の違うこの3人を集めたのです。
事の始まりは表の記録にも残っているルチアの研究。即ち遺伝子組み替えによる人体改造研究の開始です。
表の記録では、人体改造研究はルチア自身で始めたこととなっていますが、実際は『国』の命令。言い換えると国連から要請があったらしいです。
…悪化する地球環境に対応出来る人体を作り出せ、とね。ですが、遺伝子工学だけではやはり限界があったそうで。
そして研究が行き詰まっている横で起こった事柄が、リタによるオメガの発見です。何でも地層の調査時に偶然見つかったとか。」
――どくん。
その時、不意にジュエルは自分の中の音を聞いたような気がした。
(…?)
「リタは独自の研究を進めました。彼はオメガを発見したことを世間に公開しないと決意していたようですが、このことはやがてマルコーによって『国』に漏らされてしまいます。
マルコーの真意は明らかではありませんでしたが、とにかく『国』は彼から得た情報の詳細を聞き……ルチアの研究に目をつけたのです。」
どくん。
大きな鼓動は再びジュエルの中に響き、それはやがて繰り返しを始める。
段々速く、そして強く。
「こうして、人体改造にオメガを使うという発想が浮かび上がったわけです。ルチアの人体改造の技術に、リタのオメガの知識を組み合わせる。そしてオメガを人間に作用させる知識としては薬理専門のマルコーの力が役に立つと予測したのでしょう。
『国』は3人を1つの場所に集め、後は実験の繰り返しです。それはもう大規模に、かなりの量の人間が使われたようですね。ルノワール地下の囚人や、あのゴーストタウンの住人…
それでも実験台は足りなくなることが殆どだったそうです。オメガのあまりの生命エネルギーに肉体が耐えきれず、死亡する者が続出した結果ですね。」
どくん、どくん。
(……五月蝿い……)
ジュエルは、顔をしかめた。
「でもその死は決して無駄ではありませんでした。3人は出来上がった死体から人工的にオメガを作り出し、天然のオメガ無しに研究が続けられたのですから。それに…その試行錯誤によって『国』の求めるものは段々と形を成していきました。
だから全てはうまく行っていたんです。計画通り、速やかに。彼らは目的の肉体のレシピを完成させました。そして一般人に活用するというところまで乗り出した…。で、ここからはもう知ってますよね?」
「……」
「ね?」
「…人造生物。」
ぼそりと一言だけ。それだけでも、グロウは満足そうな顔を見せた。ジュエルはそれとはとても対照的な表情をしていたが、グロウがそれを気にすることはなかった。
「裏の記録上でも、原因は不明となってます。…そりゃあそうですよね。何度も何度も試験を繰り返して、その度犠牲を出して。やっとオメガと肉体を安定に掛け合わせる方法が見つかったと思ったら、これです。その事件が起こるまでは人造生物のような生命体が生まれるケースはなかったようですし…」
「けど『不明となってる原因』はオメガだって言いたいんだろ?お前は。」
「…まぁ先程からそう言ってますしね。」
「今まで話した中で残っている謎は、全てオメガと関連しているんです。それ自体もまだ半分未知の物質ですし。
隠蔽されていたオメガ発見の事実を漏出させたマルコーの目的や、リタの死。そして、今オメガを使って半人造生物やソルジャーを生み出しているリタという名の人物。
それぞれが何を示すのかはまだ分かりませんが、僕はとにかくオメガがある種の『核』であると思っています。それは20年前に人造生物を作り、現在も何らかの目的で何者かに動かされている…と。」
「……」
「こうやって話してみてもホントに分からないことだらけなんですよ。だから取り敢えず、今はこれから『SALVER』を叩くことで新事実が期待できるかなぁと僕は思っているんですが。どうですかね?」
「……」
「おや。何だか口数が少なくなってきましたが大丈夫ですか?」
「…ああ」
「考えてみればジュエルは目が覚めたばかりで、僕も少々喋りすぎてしまったかもしれませんね。」
そう言うと、グロウはいつの間にか座っていたパイプ椅子からガタリと立ち上がった。
「今日は、もうゆっくり休んで下さい。気付いたら何だか具合悪そうになってますし。今日はこの辺でおいとまさせて頂きますよ。」
そのまま、彼は病室を立ち去ろうとするが――
「ちょっと、待て。」
「?」
グロウは振り向く。するとジュエルがやけに青ざめた表情を浮かべていた。
「1つ、聞きたい。お前、ロイの居場所は知ってるか?」
「いえ。やはり携帯が切られているようなので、所在は分かっていません。ジュエルは知っているのですか?」
「ああ、知ってる。」
ジュエルはロイの姿をまざまざと思い出した。荒い呼吸で左腕を抱え、汗びっしょりになっているあの姿。それを思うと、胸の中からじわじわとした焦燥がこみ上げてくるようだった。
グロウは冷静な面持ちで、ジュエルにまた問いかけた。
「無事なんですか?今、どちらに?」
「草原だ。街中にある大きな草原…」
「街中に草原?」
「俺とグロウは知らない場所だ。」
その内、ジュエルの手は震えてきた。彼はあの草原を去る時に言った自分の言葉を思い出していた。
即ち「ここには誰も来させない」と。結論としては、彼はロイを守る役を買っていたのだ。
「俺は何日間寝ていたんだ…?ロイが危ない。もう手遅れかもしれない!」
「ジュエル、落ち着いて下さい。取り敢えずその場所を捜索させます。何かあったら、それからのことを考えることにしましょう。」
「それに、あいつは『左腕』を抱えている。あのまま放っておいたら良くて暴走、悪くて細胞に喰い殺されるかだ。そんな状態でまた奴らに襲われたら…っ!」
ガタガタッ
突然点滴台が大きく揺れる。見れば、ジュエルが勢いよく起きあがり、ベッドから降りようとしていた。
「…ジュエル!」
だが、
ズキッ!
「っ?!」
ジュエルは、目を丸くした。体全体に痛みが駆け抜けたらしい。足に力を入れて立ち上がろうとした瞬間であった。ジュエルの体はそのままバランスを崩し、前に倒れ込もうとする――
バッ
それをグロウが支えた。両手で肩の部分をしっかりと持った後、ゆっくりと中腰状態にとどめる。結果ジュエルは何とか床に投げ出されずにすんだようだった。
「全く。具合悪くなったり元気になったり忙しい方です。」
と、呆れたようにグロウは呟いた。
「…」
「らしくないですよ、取り乱すなんて。まあその仲間想いな所と心配性はいつも通りだとは思いますがね。…取り敢えず怪我人はじっとしていてください。ふらふらと歩き回られたら逆に迷惑なので。」
「……くっ」
それからジュエルはベッドに戻され、程なくして夜を迎えた。
係員が「夕食です」と言って持ってきたお世辞にも美味しそうとは言えない食事を少し取り、また別の係員がそのトレーを下げていった後
彼はベッドに背を預ける。そして天井を見つめながら溜息をついた。「一体何に溜息をついたのか」と彼が心中で自問すると、「事柄が多すぎる」と彼はまた心中で自答した。
オメガの事。話の最中高鳴った不自然な鼓動。グロウの赤い瞳。――ロイの事。
彼は感じていた。その様々な事実がぐるぐると渦を巻き、ぐちゃぐちゃに混じり合い、可笑しな模様を作っているのを。
全てを考えれば考えるほど疑問が広がり、真実が遠ざかる。考えた後に残る言いようのない不安は、頭部に鈍痛を生む。
しかしそれでも考えずにはいられず、彼はずっと無言で天井を見ていた。
そんなもやもやとした時間を過ごしている間にも電灯が消え、夜の闇は更に深く濃くなっていく。彼はまどろみ、眠りにつく直前――最後に、今日目が覚める前に見た『夢』を思い出した。
(――ロイ――)
心の中で名を呼ぶ。
それが、彼のこの日最後にしたことだった。
次の日から数日は曇天が続いただろうか。しばらくの間ジュエルは治療のためとベッドから出ることを禁じられていた。しかし強化人間であるジュエルの体は回復が早く、絶対安静の日々は短く済んだようだった。
そして、ある日の晴れた朝。同じ病室でのこと。
ジュエルは病院着姿でなく、普段のジーンズと白いパーカーの格好だった。ベッドで寝ているのではなく、何となく窓から外のビルだらけの風景を眺めていた。
すると、
プシュッ!
勢いよく空気が抜ける音が後ろの方から飛んできた。それは病室の扉が開く音であった。
「どうも、おはようございますー。」
同時に飛んできたのは、いつも通りの脳天気な声だ。
「ああ。」
ジュエルは振り向きもせずに短く挨拶を返す。
「…出来れば挨拶する時は顔を見せて、笑顔でして下さると嬉しいのですが?」
「いつもこうだろ。」
「はぁ。見た感じ、随分元気になりましたね。ジュエル。」
そこまで言われて、やっとジュエルはゆっくりと振り返り、グロウに顔を見せる。逆光の影に染まったその表情は、少しだけ穏やかなようにも見えた。
「ああ…そうだな。」
「大分落ち着いたようで何よりです。えっとですね…今日はいいニュースと悪いニュースを持ってきたんですよ。どちらを先に話しましょう?」
「どっちでもいい。大体のことを聞く覚悟はもう出来てる。」
「そうですか?じゃあ悪いニュースから行きましょうか。」
その後に続く言葉を、グロウは何の躊躇もなくさらりと言って見せた。
「あれから貴方の言う草原を捜索してみましたが、ロイの姿はどこにもありませんでした。」
「……」
ジュエルは微かに頬を張り詰める。しかしあの時のように感情的になることはなかった。
そして、
「…血痕は?」
低い声でぽつりと呟いた。
「残ってましたけど、微量ですよ。しかも鑑識によると、その血痕はロイのものではありませんでした。」
それを聞くと、ジュエルの肩の力はゆっくりと抜けていった。取り敢えず、彼がまだ敵によって殺されたわけではないという確認が取れたからだ。
「ロイはあの草原を自分で離れたんでしょうか?」
「…いや。あいつは動ける状態じゃなかった。暴走寸前の左腕を抱えて動けたとは考えにくい。」
「では仮に左腕が暴走していなかったとして。自分で動けないなら、誰かによって『動かされる』しかありませんよね?つまり…」
「拉致された。そう考えるのが自然だろうな。」
2人は暫く互いの目を見つめた。
「だとすれば、残っていた血痕は犯人のものと見てもいいかも知れませんね。抵抗されたのかもしれません。体がああでもやっぱり相手はロイですから、犯人も中々の強者だったのでしょう。」
「『SALVER』か。」
「今の所疑わしいのはそこだけ、ということでしょうけど。それならば、奴らは何の目的があってロイをさらったりするんです?」
「…」
ジュエルは少し無言で思案を巡らせた。
「1つだけ、心当たりがある。」
「ほぉ?」
「ここ最近『SALVER』とロイを結びつけるものは何か、ずっと考えてた。その答えを見つけるためにロイと話したことも思い出していたんだ。」
「…にして、その中にあった答えとは?」
「『オメガ遺伝子』だ。」
「オメガ遺伝子…?記録の中にはありませんでした。」
「ロイがマルコーから聞いたキーワードだ。人体をオメガに同化させるものらしい。」
「でも、奴らは既に人体から人工的にオメガを製造し、人造生物を作っているんですよ?」
「半、人造生物だろ。」
「…」
「グロウは確か言ってたな。あのボンベに入っていたオメガは、純粋なものではなかったと。」
「言ってたかもしれませんけど、それがどういうことになるんですか?」
「つまり今のところ、『SALVER』の技術では人工オメガは不完全なものしか出来ないということだ。だから中途半端な人造生物しか作れていない。…あいつらのボンベは、大体調べたんだろ?」
「ええ。見つかったものは全てこちらで回収しました。確かに、その中からはジュエルが持ってきた石のように100%純粋なものは1つも見つかっていません。しかし、それだけで奴らが高純度のオメガを作り出せないと決めるのは早急ではないのですか?」
「…ソルジャーにしたっておかしいと思う。ジャックから見つかった100%オメガはあれだけだ。『SALVER』に技術があったとして、本気で殺しにかかってくるとしたらオメガから得られるエネルギーをもっと活用してもいいんじゃないか?
これはあくまで予想だが…オメガ遺伝子は『完全な』オメガを作る材料なんじゃないかと思う。」
「そのオメガを手に入れて…その後は?人造生物の量産でしょうか?奴らの目的は、一体何なんでしょうね。」
「さあ。ただ予感としては、この世界にとって、とても厄介なことになるんじゃないかと思う。」
「厄介なこと…ですか。今でも十分厄介な状況なのに、嫌ですねえ。」
グロウは困ったように苦笑いする。しかし、その後突然声のトーンが高くなった。
「と、そこでいいニュースです。何と、『SALVER』の拠点が特定できました!」
「…それはもしかして、」
「そう。ジュエルが持ってきたメモリーチップを分析した結果ですよ。場所から内部構造の詳細まで、事細かに。あのソルジャーはよっぽど優しかったようです。」
「……。」
すると、ジュエルはちらりと部屋の隅の方に目配せした。そこにあったものは、鎖でつながれた2本の剣だ。ベッドの横の方の壁に立て掛けてあり、鋭く光る銀は静かに戦いのその時を待っているかのようだ。
「…行くんですね?」
「ああ。」
「見たところ『SALVER』の内部はとても複雑そうです。そこで、僕が外部からナビゲートしながら進むのが適当なところだと思うのですが、如何でしょう?」
「何でも構わない。とにかく、俺は今ロイを助けることだけ考える。」
「その気持ちだけが突っ走って敵の軍勢に返り討ちにあわないようにだけ気をつけて下さいね。まぁ出て来るとしたらあの雑魚か、残る1人のソルジャーくらいかと思いますので、大丈夫だとは思いますけど。」
「残るソルジャー、か。」
ジュエルはぼんやりと思い出した。それはずっと前のようで最近のこと。1人の少女と刀を交えた。
目の前で膝をつく少女。
彼女の呟き。
『何で…こんな所に…っ!』
(あっちも訳有りか…)
そう思うとジュエルは何か憂鬱な気持ちになったようで、軽く溜め息をつく。
「あ、でもまだデータの分析が十分とは言えませんので今日出発はちょっと無理ですね。それにジュエルもまだ治りきってないでしょう。」
「傷も痛みも全部消えた。こうしてる間にもロイは…!!」
「それは分かりますが、辛抱して下さい。知識不足で行ったらますます時間を浪費して、終いには返り討ちにあうだけということも有り得ます。」
「…くそっ無事でいてくれるといいんだが…!」
ジュエルはそう言いながらぎゅっと拳を握った。そこから今何も出来ない悔しさと、焦りの感情が滲み出ているようにも見える。けれど、対するグロウは至って平和そうだった。
「…ジュエル。きっと大丈夫です。もし奴らの手に落ちているとすれば、今はロイだけですからね。」
グロウが相手を安心させるようにやんわりと言ったが、ジュエルにはよく意味が伝わらなかったようだ。
「どういう意味だ?」
「つい先程思い出したのですが。そう言えば前にも貴方はこれと同じ話をしていましたね?――オメガ、オメガ遺伝子。そしてそれを持っているというロイのこと。
その時は話が漠然としすぎていて証拠もなかったので、ただの面白そうな話として受け取っていたのですが。1人で国の記録を調べているうちに、僕も少しずつ確信が持ててきたんですよ。」
「…?」
グロウは一息着くと、こう言った。
「結論から言いますと。
『鍵』は、まだ無事なんです。」
グロウの話を最後まで聴き、ジュエルは少し考えた後――何かに気付いたようにはっと目を開く。そして、
「ジルフィールか?」
彼の名を口にした。
「そうです。貴方の言うところの、ロイの血縁者です。僕の方で手を回して、彼は今この施設のとある場所に保護されています。
確か貴方の話によると、兄弟関係であるロイと『鍵』には同じオメガ遺伝子が宿っている可能性が高いと言うことでしたね。」
「…それが?」
「そう焦らずに聞いて下さい。実は、ある目撃情報があるんですよ。前まで『鍵』を預かって貰っていた教会のシスターから貰った情報なんですがね。……あの教会、奴らに荒らされたらしいんです。」
「?!」
「幸いシスターマリアは異変に早く気付き、教会の外に出てやり過ごしたそうです。…その目撃情報での犯人の特徴から、間違いなく複数の『SALVER』の兵の仕業であることが分かりましたよ。
後から見たら、それはもうこっぴどく荒らされていたらしいですね。椅子は壊され祭壇は薙ぎ倒され。」
「…何かを探していた?」
「その確率が高いですが、あんなに古くて何もなさそうな教会をわざわざ荒らすなんて、普通ではあまり考えられません。恐らく奴らは相当特別なものを探していたのでしょう。
で、ここからなんです。奴らが教会を荒らし尽くした後。そこで出てきた会話をシスターマリアは一部聞いていたらしいんですよ。
それで…その中に、結構同じ言葉が出て来ていたみたいなんです
即ち――鍵の『片割れ』と。」
ジルフィールが『鍵』であることは、2人とも知っている。だから、グロウは言葉の後半を心なしか強調して言った。
「鍵の、片割れ?」
ジュエルも同じ様に、言葉を繰り返す。
「…シスターマリアから聞いても、教会には鍵と呼ばれるものは何も無かったことは事実です。
ただ1つ、前の時点で『鍵』が居たこと以外は。
まぁ奴らの目的がロイであったのかジルフィールであったのかは定かではありませんが……重要なのは、『鍵』というのは2つ片割れがそろって初めてその意味を成す、という所なんですよ。」
「そして奴らはまだその片方しか手に入れてない、というわけですよ。」
グロウは肩をすくめる。
「つまり、お前は『鍵』はオメガ遺伝子のことだと言いたいのか。ロイとジルフィールのそれぞれが片割れになっていて…そうすると、ジルフィールもロイと同じオメガ遺伝子を持っていて、今も奴らに狙われている?」
「そういうことですね。前貴方に聞かせて貰ったお話を参考にしてみたのですが、如何でしょう。」
「だがジルフィールを地上に運び出して、教会に預けたことは俺たちしか知らないことだぞ?時計塔の地下の冷凍カプセルで眠っていたことすら、誰にも知られてはいないはず。…奴らはどうやってジルフィールの存在を知ったと言うんだ。」
「ん―」とあまり意味のない声を出し、グロウは何かを考える様子を見せる。そうして少量の時間がたつと、彼は再び口を開いた。
「1つ考えられるとすれば…マルコーですかね。」
「マルコー?」
突然出てきた名前に、ジュエルは少し息を呑む。
「ロイとジルフィールの父親でその妻がルチア、いうことでしたね?確か。」
「…ああ。」
「ならば、ルチアが用意したという冷凍カプセルのことは容易く知ることが出来たと思いますよ。そもそもマルコーがオメガ遺伝子などと言い出しているのですから、多分自分の息子がオメガ遺伝子を持っていたことは知っていたんじゃないですか?
そして彼に発信機なり埋め込んでおけば…自分がその場を離れ、彼が冷凍状態から目を覚ましたとしても。彼の居場所が分かり、重要な実験材料を失わずにすむというわけです。
その情報が『SALVER』に伝わっていたと考えれば、辻褄が合うと思いませんか?」
「マルコーと『SALVER』の繋がり…やっぱり、両者は同じ目的を持っているという事なのか。」
「今話したことが、全て本当であればの話です。全ては『SALVER』の本拠に乗り込んでみれば分かることでしょう。」
グロウはにこりと笑うと、おもむろに病室の出口の方へ歩き出す。そして扉の前でピタリと止まると、少しだけ振り返った。
「さて、これから僕の方は作業に戻ります。取り敢えず明日までにはメモリーチップの解析を終了させる予定でいますが、なるべく急ぐつもりです。『鍵』がまだ片割れだけだとしても、ロイが絶対安全とも限りませんからね。…そして、貴方は最後まで体を休めていて下さいよ。」
「さっき全部治ったと言っただろ。」
ジュエルはそう突き放したが、それによりグロウが心なしかいつもより寂しそうな表情をしたような気がして、その瞬間に少しだけ後悔したようだった。
思わず床の方に視線を落とす。すると、グロウの声だけが聞こえてきた。
「ロイがいなくなって。もしジュエルまでいなくなったら、私はどこへ行けばいいんでしょうかね?」
とだけ。
それは悲しいとも軽く困っているともつかない、曖昧な声色だった。
プシュー!
そのすぐ後に病室の扉がスライドする音が鳴った。
「それでは。明日の健闘をお祈りしていますよ。」
グロウがそう言い残し、また扉が同じ音を立てて閉まる。ジュエルはその空虚な空間に1人残された。
「……。」
ジュエルは、その日自分に出来ることが武器の手入れくらいしかないことに酷くもどかしさを感じていた。特に彼にとってその夜はとても深く、長く、居心地の悪いものだった。
ただただロイの安否のこととグロウの寂しげな笑顔が胸の内で疼く。1人で挑む戦いが近づいてくる緊張感もあったかもしれない。とにかくベッドに入っても目が冴え、全くと言っていいほど眠れはしなかった。
だから。
辺りが白ずんで来た頃に、突然グロウがデータの解析終了を報告しにきたのにもすぐに対応できた。グロウは「大して寝てないだろうとは思ってましたが、もしや徹夜だったんですか?」と苦笑していた。
「…今なら、行けます。ヘリも通信機も用意しています。あとは貴方の準備だけと言ったところでしょうか。」
「そうか。」
ジュエルはその言葉に、ゆっくりと足に力を入れて立ち上がった。同時に脇に置いてある双剣を手に取る。ようやく来たその時を告げるように、剣の鎖の音がしゃらりと静かに鳴った。
「準備なら、とっくに済んでいるさ。」
――早朝5時。
病室には、誰もいなくなった。
どれだけ『国』からヘリで飛んだのだろうか、ジュエルには良く分からない。それは長いような短いような時間だった。
『国』を離れてみると、空から見えるのはうっすらとした朝日に照らされた一面の砂漠ばかり。目的地は、その広大さに隠れるようにしてぽつんと存在していた。
「…あれが?」
「どうやらそのようですね。この座標に間違いはありませんから。」
遠くからではあったが、2人は見た。それは廃れた小さな町のようだった。悪化する環境に耐えられず住めなくなり、人に捨てられた町――今となっては、そんなに珍しい光景でもなくなっていた。
「本当にあんな所に『SALVER』の中枢があるのか?人がいるとは思えないが。」
「カモフラージュですよ。どうせまた、どこからか地下に通じているみたいなことだと思います。今は本当に防空壕が流行ってますからねぇ。…あ、もうここでいいです。これ以上近づくと見つかる恐れがあります。」
グロウが運転手に告げると、ヘリは下降していく。そして大分地面に近付くとジュエルは素早くそこから飛び降りた。
シュタッ
着地すると同時に、微かに砂が擦れる音が鳴った。
ジュエルは先程パーカーの襟に取り付けた小型の機械の電源を入れた。
「グロウ、聞こえるか?」
『感度良好です、どうぞー。』
どうやらそれは通信機らしかった。見れば、ヘリの出口からグロウがこちらに手を振っている。ジュエルはふっと息を吐くと、砂漠の向こう側を見据えた。
「…これから目的地に向かう。道案内は頼んだぞ。」
『了解。僕は『国』から情報を得ながら指示するんで、取り敢えず帰ってますね。…と、その前に。』
「?」
「最初の応援くらいしてから帰ります。ジュエルはそのまま進んでて下さいね。貴方があそこに着くまでには終わらせておきますから。」
そう言いながらヘリの荷台からグロウが取り出したのは――1挺の、比較的長身のライフルだった。そして、再び運転手に指示する。
「ええと、なるべく低空飛行でお願いしますね。でも今はほんのちょっぴり上昇してくれると助かります。…あ!プロペラ音のサイレント処理はそのままで。」
グロウは他にもいろいろな注文を軽く言ってのけると、やがてライフルを構え、そこについている円筒型のスコープを覗き込んだ。
「あはは、やっぱり居ますね~うようよ。」
スコープの中に映し出された遠い町を見ながら、彼は笑った。
ッギュン!
引き金が引かれた。それはビームライフルだった。鮮やかな光を湛えた矢のような弾は、その勢いを衰えさせることなく一直線に町の方へ飛んでいく。
グロウは平均して大体5秒の間隔で、微妙に位置をずらしては次々と発砲していく。そのまま何分かが経った時点では、既に町には数十発の弾が撃ち込まれていた。
「と、これで最後ですかね。」
チャキ
重たそうな銃身を構え、スコープ越しに的を見据える。最後だけは、グロウは慎重に体勢の調整をしているようだった。
そして、
ッギュン!
撃った。サイレンサーに制御されたくぐもった銃声が空間を揺るがす。その後弾が見えなくなると、しばらく沈黙が辺りを支配していた。
「―――…ふぅ。」
沈黙の中で身を固めていたグロウは、少しして何かに解放されたように息をつく。その時、通信機から声が発せられた。
『グロウ?うまく行ったか?』
「ええ何とか。元々銃器を扱うのは苦手だったので不安でしたけど。敵に気付かれないよう、外のイカレた見張りを34体程処理しました。多分全員だと思います。」
『…相変わらずお前は天才だよ。』
「いえいえ。ジュエルにも出来る簡単な仕事ですから。」
ジュエルは上空のヘリを見上げると、少し溜息をついた。
「…見張りがいたってことは、やっぱりあそこがそうなんだな?」
『だから、座標はあっていると言ってるでしょう。そんなわけで、僕は『国』に戻ってます。この通信はつけっぱなしにしておくので、用があったらいつでも言ってください。』
「ああ…」
『では。是非生きて帰ってくださいね。』
ヘリは低い振動音を立てながら、ぐるりと右回りに旋回した。そしてジュエルの背を通り越していくと、遙か彼方に見えなくなった。
ジュエルはそれを確認すると、改めて前に向き直る。すると丁度その方角に、ギラギラと狂ったように輝く太陽が地平線から顔を覗かせていた。
「誰も死なないさ。」
ジュエルはぽつりと呟く。それは通信機の向こうのグロウに言ったわけでもなく、太陽に言ったわけでもなく――自分に言った一言だった。
それと殆ど同時に、1つ砂を踏む音が鳴った。
彼が歩き始めてから30分程経っただろうか。
それでもまだ、彼は行くべき道の半分くらいの所にいた。この砂漠は見た目よりもずっと広いようだ。目的の場所は目の前に見えているのに、歩いても歩いても中々近づかない。そんな苛立ちを感じながらも、彼は確実に1歩1歩を踏みしめていた。
そうして生温い風と砂に巻かれながらも、ジュエルはやっと町の入り口に辿り着いた。近くに来てみると、よりその場所の寂しさが伺えた。
町(というよりも、面積が小さいため何かの村の様に見える)の周りを囲う壁は風に浸食され、どこもかしこも崩れかかっている。コンクリートの建造物もいくつか伺えたが、壁が壊れていたり、地盤がおかしくなったのか土に埋もれて斜めになっているものもあった。
ジュエルはその打ち捨てられた地に足を踏み入れようとする――が、その瞬間。
「……ぅ、」
彼は片手で鼻の辺りを抑えた。
何故なら、町が形容しがたい臭いで溢れかえっていたからだ。肉が腐った臭いとシンナーの様な臭いが混じり合った、とても不快な臭い。しかしそれは最近嗅いだことがあった。
思わず辺りを見回してみると、臭いの源はすぐに分かった。
それはあちらこちらに転がっている『SALVER』の兵士の死体だった。死体はついさっき出来たばかりのようで、鮮やかな赤い液体が地面に広がっていた。
加えておくと、やはりどの死体も大きなボンベを背負っていて、中には穴の空いたボンベから濁った緑色の気体を発生させて倒れているものもあった。
「……グロウ、か。」
ジュエルは犯人の名前を呟いた。
『呼びました?』
「!」
突然すぐ傍から聞こえた当人の声に、ジュエルは少し息を呑む。通信機をつけていたことを半分忘れていた事もあったかもしれない。
「…グロウ、こっちは取り敢えず目的地に潜入できた。見たところ、廃墟とお前が作った大量の死体しか見当たらないが。」
『……他に何か気配はないでしょうね?見張りは一応全部始末したと思いますが。もし残っていたのなら、貴方は既に敵に見つかっているという事になりますから、充分に注意してくださいね。』
「分かってる。それで、本拠への入口はどこなんだ?お前もう『国』には着いたのか?」
『はい、とっくです。メモリーチップの解析情報もスタンバイ出来てます…で、入口ですけども。どうも空間移動ゲートなるものがあるみたいですね。』
「空間移動ゲート?」
『まあ要するに言葉通りですが。普段何もない扉や門が、ある種の条件を満たすことで、別の場所へ通じる様になるというわけです。これはあながち地下に通じるというわけでもないかも知れませんね。』
「それがどこにあって、何が条件なのかは分かるか?」
最後の質問で、グロウは返事の前に間をおく。細かなデータを確認している事が容易に想像出来た。
――実際グロウはそうしていた。
彼は今『国』本部のとある部屋で、大きなコントロールパネルやキーボード、ノートパソコン等を前にして椅子に座っている。パネル上には地図のようなものと、その中に点滅する小さな赤い印が映っていた。
「ええとですね。今ジュエルがいるところを道なりに進んでいくと1番大きな建物が見えると思います。まずはそこを目指してもらえますか?」
『道なりと言っても、そこらじゅう瓦礫が散らばっていて良く分からないが…それらしきものはここからも確認できる。』
「今の貴方の視点から見ますと、丁度2時の方向にありますね。」
『…分かった。あの建物を調べてみる。』
すると、パネル上の赤い印が右斜めに動き出した。その間にも、グロウは脇に置いてあるノートパソコンのデータを開き、またのんびりと確認を始めるのだった。
やがて、ジュエルは立ち止まった。
「――着いたぞ。」
彼が前にしたのは、用途が良く分からない建造物だった。やけに周りのものより装飾が凝っていて、扉もない入口がぽっかりと口を開けている。そのすぐ奥に、同じ様に出口がぽっかりと開いていて外の景色を見せていた。それは、ただの通り道のようにも見えた。
『データによると、そこが空間移動ゲートです。それで移動条件のほうですが、どうやらカードキーが必要みたいです。』
「死体でも漁ってみるか。」
『それが妥当でしょうね。』
ジュエルはふいと周りを見回す。すると1体、兵士の体が俯せになって転がっているのが見えた。右の方の、崩れたコンクリートの家と瓦礫の陰だった。この兵士もまた背中の大きなボンベに穴を空け、シュウシュウという音を立てて濁った緑色の気体を漏出させていた。
ジュエルはそこに何の躊躇もなく近づき、しゃがみ込む。双剣を腰のベルトに挟み、兵士の持ち物を探るため、そのぴくりとも動かない体にすっと手を伸ばした。まずは俯せになっている体を仰向けに直すつもりであった
が、
ガシッ!
「?」
それは突然のことだった。ジュエルの伸ばした手が、強い力で止められたのだ。
見れば――死体の左手がジュエルの手首を掴んでいた。
「…なっ!」
ジュエルはそれを振り払おうとするが、死体はギリギリと物凄い力で手首を締め付けてきて離さない。さらに、死体はぐん!と顔を上げた。
「シャアアアァ…!」
壊れたガスマスクからギョロリと血走った目と、涎だらけの裂けた口を覗かせている。ぞくりとした悪寒がジュエルを駆け抜けた。
その瞬間、ジュエルは考えるよりも早く左手で剣を腰から引き抜き――
ザッ!
纏わりつく兵士の腕を斬り飛ばす。その勢いのまま剣を振りかざして、
ガシャン!
マスクの奥のものを深々と突き刺した。壊れていたマスクはさらに壊れ、辺りには少し大きな音が響き渡った。
それから訪れたのは静寂のみ。
それでもジュエルは息を止めて、顔面を突き刺したままの体勢を保っていた。その後しばらくして何も起こらないことを確認すると、ゆっくりと息を吐きながら剣を引き抜いた。
ぬちゃり…
濡れた音とともに血塗れの剣が引きずり出される。ジュエルは小さく肩を上下させながら、そのまま後ろを振り返った。
ここの周辺に死体は今の1体しか転がっていない。即ちジュエルが振り返っても、起きあがって襲ってくる死体は見当たらない。寂しい瓦礫の町に乾いた風が吹きすさんでいるだけだ。
しかし、ジュエルは逆にそれに不気味な感じを覚えた。
もしかしたら、この他にも生きている死体があったかもしれない。そうでなくても、まだ死んでいない他の見張りがいるかもしれないという考えが浮かんだが――それにしては静かすぎた。
単純に、今の1体だけ偶然まだ生きていただけと考えれば良いのであるが、ジュエルとしてはどうも拭いきれないらしい。
(…誘われて、いるのか?)
一言、そう思った。
しかし、たとえこの先に罠が待っていたとしても、今は前に進まなければならないことをジュエルは知っていた。
『…ジュエル。今のはもしかして生き残りですか?』
「問題ない。黙らせた。」
低く言いながらジュエルは死体を足で軽く蹴る。
ドサッ
すると今度こそ死体は力なく仰向けになった。その拍子に、戦闘服の胸ポケットからするりと何かが滑り落ちる。見てみるとそれが紛れもなくカードの形をしていたので、ジュエルは拾い上げてよく観察してみた。
(これは、前にも見たことがある。『SALVER』の団員証か…?)
名前と細々としたID。持ち主とは殆ど別人のような顔が写っている写真。そして何よりも、大きくプリントされた『SALVER』の文字。それらを見て、間違いないと彼は感じた。
「グロウ。さっきカードキーと言っていよな?それってこの団員証のことじゃないか?」
『うーん?そうですね。他にめぼしいものがないなら可能性は高いでしょう。…そうそう、今みたいな怪物が本当にカードキーなんて扱えるのかとかお思いでしょうが、空間移動ゲートは自動感知型のようですからあまり機械操作は要らないみたいですね。』
「…どういうことだ?」
『つまりカードキーを持っているだけでゲートは開く、ということです。さ、見つけたのならそれを持って先程の場所に戻ってみてください。きっと面白いことがおきますよ。』
グロウに言われたとおり、ジュエルはカードを持って再びあの建造物に近付いた。確かに建造物の周りをよく見ても、機械らしきものは見当たらない。何か大がかりなものはおろか、カードを通すだけのような小さなものまで。半信半疑のまま、ジュエルは建造物の中に1歩入る。すると――
ヴン…!!
「ぁ――」
中の景色が一瞬見えたが、それが完全な形を保っていたのはほんの一瞬だけだった。突然の低い振動音とともに、空間があっという間に崩れ、混ざり、別のものへと変化していく。その間、あまりのことにジュエルはまともに声も出せずにいた。
そして気が付くと、ジュエルはさっきまでの場所とは明らかに違うところに立っていた。
(…ここは…)
まず、そこはかなり広い場所のようだった。上を見上げてみれば、巨大なドーム状の天井がこの部屋を覆っている。いや、部屋というのは不適切なほど、そこは大きな空間だ。金属のドームに日の光を遮られているため、全体は暗闇に包まれている。しかし中に在った『それ』によって、部屋は照らされていた。
『ザザ!……ジュエルー、応答願います。無事着きましたかー?』
「……これが」
『はい?』
「これが、『SALVER』の本部か。」
ジュエルは少しだけ感嘆の息をこぼした。
ジュエルの前に広がっていた光景。それは都市だった。今彼のいるところは崖であり、その景色が広く見渡せた。
円筒状のビルがいくつも林立し、そこの何万枚もの窓から漏れ出る光が暗闇を照らしていたのだ。それに、ビルの横に網の目状に通る道路にはホバーカーがいくつも飛び交っていて、歩道の所にはこれまた沢山の――
(人間?)
ヒトの姿があった。ジュエルは驚いたように目を丸くする。何故なら今までに見てきた兵士等の類ではなく、スーツや白衣等を着込んだ、本当にただの人間だったからである。見れば、楽しそうに談笑する姿も伺える。
「『SALVER』にもまだ人間が残っていたんだな。てっきり団員全員が人造生物にされたのかと思ってた。」
『結局、着いたんですね?…えー、はい。ここは中枢ですからね。半人造生物を作り出し、それを操る人間がいるのは普通でしょう。』
「…それもそうか。」
『あ、でも今近くにあるエリアは中枢と言っても、どうやら下層部の方々が働いている所のようですね。言い換えると、上からの指示をただ受けてこなすだけの使いっぱしりの集まる所です。何でも、ここでは以前『SALVER』が目標にしていた人造生物を人間に戻す研究も行われているとか。』
「それは?」
『色々裏方の目的は考えられますが、もしかしたらまだ裏を知らないで働いてる連中もいるのかもしれませんね。』
「……。なら、俺はあの中心の方を目指せばいいのか?」
ジュエルは複雑そうな表情をしていたが、すっと都市の中心部を見据えた。そこには一際大きなビルが群れて立っていて見るからに大黒柱のような存在感を醸し出していた。
『そうですね――と言いたいところですけど。取り敢えず、そこから降りてみてください。』
「…ああ。」
結構な高さがある崖からは緩やかな坂が伸びており、都市へと降りていけそうだ。しかし、ジュエルはそちらには見向きもしなかった。ただ躊躇いもせず前に1歩踏み出すと、
たんっ!
夜の都市へ、飛び込んでいった。
風がぶち当たると同時に、視界一杯に無数の電灯が煌めく。ジュエルはそれを睨みながら、宙に自身を任せた。
――都市には、身を隠しながら移動できる場所が僅かしか無かった。
ビル陰から覗いても辺りに蔓延るのは人ばかり。ジュエルが軽く舌打ちをしたときだった。
「君、そんなところで何してるんだ?」
後ろから突然かかった声。勿論あからさまには驚いたりしないように気を付ける。ジュエルは息を止めながらゆっくりとそちらに振り向いた。
相手は20代くらいの細身の男性だった。眼鏡をかけていて、ピシッとした白衣を身に纏っている。そこまで見ると真面目な研究員らしく見えるが、雰囲気はどことなく頼りなさげだった。ちょっぴり寝癖のついた髪と、眼鏡の奥で落ち着き無く動く、大きな灰色の瞳が印象的だった。
「…。」
ジュエルは位を見定めるようにその風体をしばらく無言で見つめた。すると忽ち目の前の男性は「あ、ええと…。」としどろもどろに空いた間を埋め始める。そして、そこから彼はたたらを踏むようにして1人で喋り出した。
「き、君はここのブロックの社員じゃないんだろう?だって、うちには派遣の届け出も新採用の届け出も来てないはずだし……そもそも、こんな子供を雇ってるところなんてあったっけ…??」
終いには独り言になっていた。どうやら、見つかってすぐに大事には至らない男だったようだ。そう分かってジュエルは心の中で胸を撫で下ろすが、警戒心は解かなかった。これからの対応によっては事態はどんどん悪くなってしまうからだ。
だが、ジュエルは少し疑問に思った。それは彼がすぐに自分を侵入者だと疑わなかったことだ。彼や周りの人間とは間違いなく場が違う服装をしているし、何よりも腰に差した双剣は一番目立っている。
そう思ったとき、
「あれ、しかもその腰にあるのってもしかして……武器?」
今更のように、彼は大きな目を更に丸くした。
「っということは――ああ、分かったぞ!」
彼はぽんっと手のひらに拳を軽く載せる。そしてジュエルに口を挟む余裕を与えることなく、こう言った。
「君は最近Dブロックの連中に頼まれてきたっていう用心棒か!何だかイメージとはちょっと違うけど……きっとそうなんだろう?!」
「………。」
何とも一方的で、訳の分からない方向に話が進んでいることにジュエルはいい加減溜め息をこぼした。けれど彼の話にうまくそっていけば、本部の中心に入り込むのが容易になるかもしれないと直感する。だからジュエルも口を開くことにした。
「お前、誰なんだ?」
丁寧に応じてみようかとも思ったが、ストレートに疑問をぶつけてみた。かなり打ち捨てるような口調になってしまったが、彼が気を悪くした様子は全くなかった。
「あ、ああ、これは失礼。僕はAブロック事務のヒカル・サクラダという者だよ。」
ヒカルと名乗った彼は首から下げた例の団員証を指でつまんで見せると、ニッコリと微笑んだ。そこからは微塵の悪意も感じられない。
「人事とかの管理が僕の主な仕事だからね。君、僕と偶然ここで会って幸運だったよ?」
「それとそっちからの自己紹介は必要ないよ。確かウィルって言ったかな?実験ではドジな僕でも、書類くらいはまともに見れるからね。…しかし顔写真がなかったからだけど、まさか用心棒がこんな子供だとは思わなかったなぁ…。」
「……。」
「ここの構造よく分からないだろ?でも大丈夫!僕が今から君の勤め先のDブロックまで案内するから。――こっちだよ。」
正直、ジュエルにとってヒカルの性格はかなり苦手な部類だった。一方的で、しかも妙に子供扱いするのが少し癪にさわる。けれど彼の笑顔からは、まるで親切心しか感じられない。ジュエルはもやもやとした苛立ちをぐっと心の奥で押さえつつ、ヒカルの後に続いた。
2人はビル陰からすっと明るみに出る。周りには沢山人がいて、ちらりとこちらを見て通り過ぎる者や、完全に無視していく者など様々だったが、不思議と侵入者騒ぎになることはなかった。
「……用心棒って、誰の?」
勿論ジュエルはDブロックでの仕事とやらを引き受けるつもりはさらさらなかったが、興味本位で聞いてみる。するとヒカルは軽く振り返って「あれ、Dの連中から聞いてないかい?」と首を傾げた。
「うーん…何て説明すればいいかな。用心棒って言うより警備って言った方が適当かと思うけど。」
「?」
「いや、まあ。…ここ最近、『SALVER』では失踪する団員が増えているんだよ。地上に派遣されたまま帰ってこないっていうのはよくあることだったけど……とうとうこの空中都市内部にまで行方不明者が出始めたんだ。」
「…空中都市?」
さらりと彼の口から出た言葉を、ジュエルは繰り返した。
「そう!君は空間移動ゲートを潜ってきたから気付かなかったかもしれないけど…ここは空に浮かんだ街なのさ!
ここには唯一の入口である空間移動ゲートを通れる『SALVER』の団員しか存在しないんだ。ゲートは団員以外の不審者が入らないよう、中枢のコンピューターがちゃんと管理しているしね!」
「…だとしたら、随分管理の甘いコンピューターだ。俺みたいな部外者が、カード1つで入れたんだから。」
ジュエルは誇らしげに語るヒカルに、じとっとした視線を送る。
「ふふふ。ところがその点は大丈夫なんだよ。僕らみたいな下の人間にまで全ての情報は回ってこないけど、団員とか君みたいに頼まれくる人のデータは、1人1人きっちりコンピューターに叩き込んであるんだ。
君も、ちゃんとした君自身のデータをこっちに送れって言われたろ?全体写真やら指紋やら大変なんだよなぁ…あれはこのためだったんだよ。」
「…?…それってつまり、」
「つまり、この空中都市には『SALVER』のカードだけじゃ入れないって事!中枢が許可した人間しか空間移動ゲートを潜ることは出来ないのさ。」
(………何だって?)
激しい違和感が、ジュエルを突き抜けた。
しかし、ヒカルは急に肩を落とす。後ろからついて行ってるのでジュエルには分かりづらかったが、その時には今の今まであった彼の笑顔は嘘のように消え失せていた。
「なのに、どうして…どうしてこの中の人間まで消えるんだ?消える理由なんてどこにもない。ここには僕達『SALVER』しかいないんだから。…僕達は人造生物となった人間を救う。皆それを望んでここにいる。」
「……。」
「僕達は、1つの筈だ。」
ジュエルはまた沈黙した。何故なら、ヒカルの言葉とは全く反対の現実を知っていたからだ。
半人造生物になった団員のことも、『SALVER』の目的が人造生物を人間に戻すということなどではないということも、ヒカルは知らない。今彼に本当の事を話すべきか、ジュエルには分かりかねていた。
「…おっと、余計にしゃべっちゃったかな。てなわけで、君に警備の仕事が回ってきたってわけだよ。何か不審なものがあったら調べて…まあ細かいことははDブロックで聞いてくれよ。」
その内ヒカルはぴたりと足を止める。気付けば、目の前には周りのビルとは違う、比較的大きな建物がどんと佇んでいた。
そこにいくつか並んでいる大きな出入り口には常に大勢の人間が出入りしているようで、内部からは時々何かの放送が聞こえてきたりしている。そして、ジュエルが少し上の方を見てみると、建物には大きく『STATION』という文字が彫り込まれていた。
「ここからブロック間を行き来するのか?」
と、ジュエルが一言。すると、ヒカルは純粋にそれに驚いた様子を見せた。
「察しがいいね~まだブロックのことも、ここのことも教えてないのに。」
「別に…。」
「そうそう。駅はこれからよく使うから今覚えておいた方がいいと思うよ。この空中都市は上から見ると丸い形をしているだろ?それを4等分して、それぞれA、B、C、Dブロックに分けられているのさ。
まあ中心にある所はそれらとは別なんだけど。…とにかく君が言うとおり、ここの駅から定期的に出る電車でブロック間を移動することができるんだ。」
「中心に行く電車はないのか?」
ジュエルは実に単刀直入に聞いた。通信機の向こうから、微かにグロウが吹き出す音が聞こえた気がした。
「え?あるっちゃあるけど…特別な許可がないと乗れないよ。もちろんチェックも厳しいし!そもそも中心、中枢は僕達みたいのが近づける場所じゃないんだ。
……だから、余計に怪しいんだけどね。」
「!」
ヒカルは最後の一言だけ小さく。しかし、ジュエルが聞き逃すのは有り得ない程はっきりとした発音で言った。
「それは人が消える原因、という意味でか。」
そうジュエルが静かに聞くと、ヒカルは乾き気味に微笑んだ。
「…簡単な消去法で考えてるだけだよ。空間移動ゲートの使用記録とかは一応こっちにも回ってくるから。この空中都市内だけで失踪が起こっているとしたら、一部の人間しか入れない中心が一番怪しいかなって。
その上、さっきから言ってるとおり中心には下層の人間だけでは入ることが出来ないから、中心の誰かがそこに連れてくるしかないんだ。」
「……。」
「あはは、でもこんな話は有り得ないよ。大体上司が忠実な部下を拉致するなんて、一体何のメリットがあるっていうんだか……」
「――末路――」
「え?」
その時、ヒカルは思わず可笑しな声を出した。何故なら自分の会話とは全く繋がらないその一言で、話の流れがどこへ行ったのか一瞬で分からなくなったからだ。
しかし、理由はもう1つあった。
「今……何か言ったかな?」
恐る恐るヒカルは聞き直す。彼が何を恐れていたのかというと――ジュエルの『声』だ。
普段のジュエルの声は決して明るいものではない。しかしヒカルが先程聞いた声は、それとは比べものにならなかった。この世のものとは思えない程のどす黒い闇を湛えているようにさえ思える、『声』。
そして
彼の表情は虚無だった。
「お前は、失踪した人間の末路を知っているか?」
「ウィル君…?」
ヒカルは、次第に目の前で起こった豹変に戸惑いを隠せなくなってくる。その時を狙って、ジュエルは隙だらけのヒカルの手をぐいと引いた。
「ぅわっ!ちょっ?!」
そのまま無言で、ジュエルはヒカルを人気のないビル陰までずるずると引きずっていく。予想外の物凄い力にヒカルは抵抗することも出来ず。その内完全に2人だけになったところで、ジュエルはそこにあった壁に乱暴にヒカルを放り出した。ヒカルは背中を壁に打ちつけ、軽く呻き声を上げる。
そして、ジュエルは再びあの『声』で話し始めた。
「お前は知らないだろうな。でも俺は知ってる。何度もこの目で見たんだ。失踪した人間の、末路。」
「っ…それは、どういう意味なんだ?」
「そのままの意味だ。そいつらは自我を失い、ただの殺人兵器として動く人形になる。体だって原型を留めちゃいないぜ。まず目蓋と唇がなくなって、目玉と歯茎が剥き出しになってるんだ。」
「?!…」
「それに筋肉の一部や爪が極端に肥大化してる。そのせいで体はかなり不自然な形になるから、少し残ってる人間の骨なんかは変に曲がったり砕けたりもしているのもあるのかもしれないな。」
「君は…な、何を言ってるんだ…?!?!」
ジュエルは半人造生物となった『SALVER』の兵を思いだしながら、ただそこで覚えている事や分かる事を克明な言葉にしてヒカルに伝える。
言ってしまえば、この行動はジュエルにとっての賭だった。
混乱状態になりかかっているヒカルに構わず、ジュエルは短い言葉で問った。
「知ってるだろ?この特徴。お前が『SALVER』の団員であるなら。」
「はぁっ?!そ、そんなの分かるわけが無い!僕には君がさっきから何を言ってるのかさっぱり――」
と、何故か急にヒカルは静かになる。ジュエルの冷え切った視線によってそこに体を縫い止められたまま、
「ま、さか。」
どうやら何かに気付いた様子だった。
「…知っているだろう、お前は。あの、人間であることをやめた化け物を。」
「そんな、まさか。嘘だろ…?失踪した団員が人造生物になってるなんて。そんなことあるはずがない!僕の知ってる人間が次々に消えてるってのに?!…ぁ、」
ドッ!
ジュエルは更に片手でヒカルの胸ぐらを掴み、激しく壁に押し付けて黙らせた。
「残念ながらこれが真実だ。そして、俺はこの手でそいつらを何人も、何人も殺してきた。」
そう言いながらもう片方の手でポケットから何かを取り出し、地面に放り投げる。
「…っ!!」
ヒカルはそれを見ると、声にならない声を上げた。ジュエルが投げたのは、血で汚れた団員証だったのだ。それは空間移動ゲートを使う際に兵士の死体から奪ったものだ。
「本気で言ってるのか?…ウィル君。」
「今更だが。俺はウィルなんていう用心棒は知らない。」
「なんだって…っ」
「お前は最初から勘違いしている。俺はある『国』に雇われている、ただの人造生物排除係。別の理由もあるが、ここに来たのは『国』に命じられたからだ。――人造生物の根城を叩け、とな。」
「ということは……やっぱり。この失踪事件の原因は中心にあるってことなのか?人類に救いの手を差し伸べるはずの『SALVER』が、人造生物を作ってたって言うのかよ…?!」
ヒカルの声はわなわなと震えていた。悔しそうに下唇を噛むその姿を見ると、ジュエルはゆっくりと胸ぐらから手を離し、苦々しく呟いた。
「『SALVER』は、1つなんかじゃなかった。ということだ。」
そして、ジュエルは彼にありのままの真実を伝えた。『SALVER』の現状、行動。そこから見えてくる彼等の本当の目的。ヒカルはその全てを聞くと愕然とし、眉根を寄せてうなだれた。
「くそっ、それなら…僕達は今まで何のために…。」
絞るように呟くとぎゅっと両拳を握る。
それと同時だっただろうか。
「?!」
ヒカルは息を飲んだ。それはまるで何か見てはいけないものを見てしまったように――彼はあるものを凝視しながら身を固めていた。
彼の視線の先にあったものは、地面に落ちている先程のカードだった。やがて、彼はよろよろとおぼつかない足取りでそれに近づき始める。ジュエルはその様子をただ見つめた。
ヒカルはカードを拾い、
それを目でよく確認する。
そして確認を終えると、小さくこう言った。
「――アルフレッド…」
その一言の後、長い沈黙がそこに流れた。ヒカルはジュエルに背を向けたまま動かず、ジュエルも今立っている場所から動かない。いや、空気が凍ってしまったせいで2人とも動けなくなってしまったのかもしれない。その中で重い口を最初に開いたのはヒカルの方だった。
「君が、殺したのかい?」
何故か、彼は酷く落ち着いていた。そこからは怒りも悲しみも感じられなかった。それが救いとなったのかもしれない、ジュエルは包み隠さずきっぱりと告げた。
「さっきも言ったとおり俺がやった。そいつも――手遅れだった。」
「………」
それがヒカルにとって心に大きな傷を背負うことになりうるということは、ジュエルには十分に分かっていた。けれど、ジュエルは告げた。それ以上傷を浅くする方法など無かったのだから。
「俺は人造生物を討伐するだけの人形でしかない。これからも人造生物が俺の視界に入り続けるなら、俺は迷わずそいつらを殺すだろう。例え、元々人間だったとしても。
だから俺はここに来た。犠牲者をこれ以上増やさないためにも、お前達の言う中心とやらを――倒す。」
ジャキ…
ジュエルが双剣の片方を握ると、重い金属音が鳴った。ヒカルはやはり嘆きもうろたえもせずに、ただ黙ってジュエルの目を見ていた。
「お前が今の俺の話を信じるかどうかは自由だ。今ここで敵討ちという名目で俺を殺しにかかってくるつもりなら容赦をするつもりはないが…もし、話を理解してくれたのであれば、俺があそこに行けるよう手を貸して欲しい。それが嫌だったら俺を放って仕事に戻ったって構わない。
…さあ、お前はどうする?」
ジュエルはいつでも剣を引き抜けるように柄を握ったまま聞いた。緊迫した空気が2人の間に流れ込んだ――のも束の間。
「分かった。君を、信じよう。」
「……。」
答えは、呆気なく返ってきた。
「僕も協力するよ。君が中心へ行けるように。」
「随分、無警戒なんだな。」
「だって。今の話が本当なら、今すぐ中心を止めなきゃ駄目じゃないか。」
「…本当じゃないかもしれないだろ。」
すると、ヒカルは困ったように笑った。
「何て言うのかな…僕にもよく分からないんだよ。ただ――君が僕の事をすごく真っ直ぐ見て言葉を言うもんだからね。」
「僕は君を信じる。その代わり、やると言ったからには必ずそれを成し遂げてほしい。…僕達を、解放してほしいんだ。」
「解放?」
「今の『SALVER』では、人造生物となった被害者を救うなんて無理――ここにいる全員がそう思ってる。皆口には出さないけど、上と僕らの関係が拗れてきているのは薄々気づいていると思うよ。
けれど、研究することしか能がない僕らには上に逆らう力なんてない。だから今の『SALVER』を変えることが出来ないでいるんだ。僕等は今も上の指示通り動いて、ひたすらあてのない研究をしているだけだ。」
「…つまり、現在のシステムを保っている上を黙らせるために、外部の力が欲しいということか。」
「君に今の僕等の生活を変える力があるというのならば、僕はそれに賭けたいと思う。…『SALVER』は生まれ変わる必要があるんだ。」
ヒカルの言葉の他力本願な部分にジュエルは少し呆れたようではあったが、それを口にすることはなかった。
「頼むよ。君が殺した僕の大切な友人のためにも…ね。」
ジュエルはゆっくりと頷く。
「…分かった。」
そうジュエルが言い終えると、ヒカルは場を切り替えるようにぱんっ!と両手を前で合わせた。
「そうと決まったら早速作戦だ!」
それから数十分程後のことだろうか。2人は再び駅の前まで来た。初めて来たときと同じように、ヒカルが後ろにジュエルを連れる形だ。2人は周りにいる大勢の人間の目など気にすることなく、そのまま駅へと入っていった。
そしてヒカルは駅の中にあった客人専用の小さな切符販売機で1枚切符を買い、ジュエルに手渡す。切符には『A→C』という文字と、購入した日と時刻が印刷されていた。
「しかし、本当にこの方法で大丈夫なのかい?かなり危険だろうけど…。」
ヒカルはぼそりと、低めの声で聞く。ジュエルは沈黙したままだったが、目で答えを言っていた。その答えがあまりにあからさまだったので、ヒカルは少し苦笑する。
「…分かったよ、行こう。あ、そういえば、君の名前をまだ聞いてなかったね?」
「聞いてどうする?」
「まぁ、特に理由はないけれど一応こっちは名乗ったわけだしね。こういうのは礼儀ってもんだと思うから。」
「………。ジュエル。」
「ジュエル君、か。これからの幸運を祈っているよ。」
前にも増してジュエルはぶっきらぼうになっていたが、これまたヒカルはあまり気にせず柔らかい笑みを見せた。まるで、先程のビル陰での話など全部無かったことになったかのように。
「……ああ。」
ジュエルは少し複雑な表情を浮かべながら駅の窓の向こうを見る。するとそこから、空中で何本か綺麗な曲線を描いている線路の上を、細長い電車が走っているのが見えた。そのスピードはとても速く、思わず「これは実は絶叫マシンではないのですか?」と聞いてしまいそうな程だ。
「じゃあ、行くよ。」
ヒカルは一言だけ言うと、改札ゲートへと足を進めた。勿論、ジュエルは躊躇うことなくその後に続く。そして風変わりな改札ゲートを潜ると、すぐ大きな道があった。そこからそれぞれの行き先に対応したホームへの下り階段が3つ目に入る。
2人はCブロック行きのホームへ行くようだった。
「中心行きの電車のホームは、ここの分岐からでは通じないんだ。さっきも言ったけど、そこには上から認められている人間しか絶対入れないからね。」
ヒカルの短い解説が終わって少しすると、もうそこは階段を下り終えたところ――ホームだった。狭い空間にかなり丈夫そうな装甲に包まれている長い電車が、シューーという高い空気音を立てながらそこに止まっている。しかもどうぞ入ってくださいと言わんばかりに等間隔にある扉がどれも開いている。しかしヒカルはそこに入ろうとはせずに、こう言った。
「この時刻は違うな。多分次の電車だから、もう少し待つよ。」
ヒカルは壁に軽く背中を預ける。そのすぐ後に、ホームにポーンという高い音が鳴り響いた。
『間もなく3番線のCブロック行きが発車いたします。ドアが閉まります。お乗りにならない方は、危ないですので白線の内側までお下がりください。』
脳天気な女性のアナウンスがそう告げると、急にいくつもの分厚い自動ドアが同時にスライドして入り口を閉ざした。そして、
プシューーーー!
電車は勢いよく音を鳴らす。すると重そうな巨体がゆっくりと動き出した。しかし、そのゆっくりとした速度は、次で砕け散ることになる。
ヴンッ!
この時、ジュエルは空気が大きく振動したように感じた。何故そのように感じたのかは、よく分からない。今目の前で起こったことが速すぎて、眼に止まらなかったからだ。
そして気がつくと――
電車は、そこから消え失せていた。
ホームからどんどん上に上がっていき、空中へと伸びている線路を見ても、何もない。電車は完全に2人の視界から消えていた。
だがジュエルは、一瞬だけ線路を物凄い勢いで駆け抜ける電車を見ていた。だから、辛うじて分かった。今電車が発車しCブロックへと向かった、という事が。
「……もう一回聞いとくけど。本当にやるつもりなのかい?」
ヒカルが短く聞く。
ジュエルも短く答えた。
「やる。」
2人はそれから、10分に1度くらい来る電車を4本ほど見送った。電車が後ろの方から来てここに止まり、ドアが一斉に開く度に次々とやってきた客がそこに乗り込んでいく。そして時間になるとまた電車が有り得ない速さで発車していく。そんな様子を退屈そうにヒカルは眺めていたが、4本目の電車が出てしばらくした後、急に言った。
「次だよ。」
ジュエルはその言葉にピクリと反応し、視線だけそちらに向けた。ヒカルもそれに視線を合わせる。
「これを逃したら、またしばらくチャンスを待たなければならない。中心行きは他と比べて本当にあまり通ってないからね。
そろそろ君はどこかに隠れて電車を待った方がいいよ。流石に、その…電車の上に乗ってるのが他の人に見つかると不審者扱いされるだろうから…というか、下ろされるだろうから。」
「分かってる。」
ジュエルは少しも憶する様子なく頷いた。見れば、周りには既に他の客が増え始めていた。
「さて、なら僕とはここでお別れだね。短い間だったけど、僕は君に会えて良かった。君から話を聞いて、今『SALVER』で起こっていることがよく分かったからね。」
「その人を信じやすい性格は、直しておいた方がいい。でもおかげで中心へ行く手だてが見つかったから――それは感謝したいと思う。」
「あはは、最近の子は一言簡単に『ありがとう』って言えないのかなぁ…。時代も変わってるもんだね。」
――そして。
『間もなく、Cブロック行きの電車が到着します。危ないですので、白線の内側までお下がりください。』
ゴーーーーッ!
後ろから勢いよく電車が来る。電車は瞬く間に減速して停止すると、そのドアが一斉に開いた。
2人は、そこで別れる。
互いに背を向けて、前に歩く。すると互いに電車へとなだれ込む客の渦に飲まれ、忽ち存在が分からなくなった。しかし、ヒカルはふっと振り向いて姿の見えなくなった存在に向かって一言
「頼んだよ、ジュエル君。」
と残す。その後、彼も客の一部になった。
プシューーーー!
高い、空気の音が響き渡る。例によってまたアナウンスが放送されると、ジュエルは電車が低い唸りを上げるのを感じた。
ジュエルは確かに電車の上で膝をつき、誰かに気付かれないよう背を低めにしていた。その表情は少しだけ固いだろうか、彼は静かに前を見ていた。
ガクンッ!
電車が大きく揺れて前進する。発車するようだ。少しずつ風を切っていくのを肌で感じ、ジュエルは奥歯を噛む。
瞬間。
ゴォオッ!!!
「!!」
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171レス 2104HIT 小説好きさん (10代 ♀) -
神社仏閣珍道中・改
(続き) 死後の裁きといえばたいていの人が思い浮かべる方がおられ…(旅人さん0)
222レス 7572HIT 旅人さん -
猫さんタヌキさんさくら祭り
そこで、タヌキさんの太鼓よくたたけるよう、太鼓和尚さんのお住まいのお寺…(なかお)
1レス 54HIT なかお (60代 ♂) -
ゲゲゲの謎 二次創作
「幸せに暮らしてましたか」 彩羽の言葉に、わしは何も言い返せなか…(小説好きさん0)
12レス 123HIT 小説好きさん
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🌊鯨の唄🌊②4レス 112HIT 小説好きさん
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人間合格👤🙆,,,?11レス 124HIT 永遠の3歳
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酉肉威張ってマスク禁止令1レス 126HIT 小説家さん
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今を生きる意味78レス 511HIT 旅人さん
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黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 950HIT 匿名さん
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🌊鯨の唄🌊②
母鯨とともに… 北から南に旅をつづけながら… …(小説好きさん0)
4レス 112HIT 小説好きさん -
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人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 124HIT 永遠の3歳 -
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酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 126HIT 小説家さん -
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おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1392HIT 檄❗王道劇場です -
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今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 511HIT 旅人さん
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コンビニ店員、怖い
それは昨日の話 自分は小腹空いたなぁとコンビニに行っておにぎりを選んだ、選んだ具材はツナ おにぎ…
31レス 821HIT 張俊 (10代 男性 ) -
ディズニーの写真見せたら
この前女友達とディズニーに行って来ました。 気になる男友達にこんなLINEをしました。ランドで撮っ…
55レス 1704HIT 片思い中さん (30代 女性 ) -
ピアノが弾けるは天才
楽譜貰っても読めない、それに音色は美しい 自分はドレミファソラシドの鍵盤も分からん なぜ弾けるの
20レス 506HIT おしゃべり好きさん -
既読ついてもう10日返事なし
彼から返事がこなくなって10日になりました。 最後に会った日に送って、1週間後に電話と返事欲しい旨…
24レス 816HIT 一途な恋心さん (20代 女性 ) -
娘がビスコ坊やに似てると言われました
5歳の娘が四代目のビスコ坊やそっくりだと言われてショックです。 これと似てるって言った方も悪意…
19レス 642HIT 匿名さん -
一人ぼっちになったシングル母
シングルマザーです。 昨年の春、上の子が就職で家を出て独り立ちし、この春下の子も就職で家を出ました…
12レス 307HIT 匿名さん - もっと見る