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神社仏閣巡り珍道中・改

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旅人さん
21/07/02 03:51(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。



No.2982625 20/01/08 07:18(スレ作成日時)

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No.251 20/10/28 16:04
旅人さん0 

今日十月二十八日は群馬県みどり市大間々の【はねたき道了】大祭の日。こちらは、同じみどり市大間々の光栄寺さんの分堂です。
光栄寺さんのの本尊薬師如来さま、通称【柿薬師】の大祭が、コロナの影響下今年は中止したという新聞広告を読んだばかり、今年ははねたき道了大祭も中止かなと思ってはみたものの、なんとも気になりますので光栄寺さんにお電話を差し上げてみました。
すると「大祭は中止ですが、例祭は通常の例祭同様にやっておりますのでよろしければどうぞ」という副住職さまのお声。
よし、行こう。
昨年お受けした御札を持って、A4サイズの御姿を持って。
A4サイズの御姿は参拝すると朱印を捺していただけるのです。

はねたき広場の横の道了堂は明るい雰囲気の御堂です。
今年は大祭中止ということで、法要を営まれますのは御住職と副住職さまだけでありました。子どもたちの姿もなく、参拝の方も十人程度です。
昨年の大祭では御姿に願い事を書いてお渡しし道了像に掲げていただきご祈祷をお受けしたものをまたお受けしたものですが、今年はセルフスタイル。自分の参拝の順番が来たら、三方の上に御姿を置いて御焼香するシステムのようです。
昨年お受けした御札┉御守りと称する、御札ををねじり棒に差し込んだものも、今年は御札の交換もできるのかどうか。
とりあえず、三方の横にそのねじり棒の御守りを立てて台に置き、御焼香いたしました。
その後、ねじり棒に参拝し、不動明王さまにお参りして。最後に檀家の代表のかたがねじり棒でボケ封じをしてくださいました。うーん、私のボケは並み半かなボケではないので、おそらくは封じられないですよーと心のなかで思っちゃうところが、未熟な初心者であります。

やがて法要を終えた御住職と副住職さまがねじり棒でコロナを封じ┉予防してくださいました。
本当に、全世界のコロナウイルス感染症を封じられたならいいのですが┉。

No.253 20/10/29 05:55
旅人さん0 

秩父巡礼、第三巡目は、第十八番札所神門(ごうど)寺さんからのスタートであります。
この第三巡目、実は途中まで私の運転でまいりました。ええ、できないわけではないんです、ええ。通勤も自動車で通勤しておりますし、これだけ間をあけずに行けば道もなんとなーくはわかろうというものでして。
すれ違いの難しい道に近づく前に、夫から運転交代の声がかかりました。┉これは腕もありますが、センスというか勘というか、ようは私に欠けている何かが必要なのだと思います。いつものように夫の運転で、秩父を走ります。(秩父の方のほっとしたため息が聞こえそうです(*T^T))

四回目の秩父。ここまでの巡礼地は秩父市内近辺にあるものですから、通ったことのある道でありまして、私のような者でも見慣れた景色と思うものであります。今回のスタート地点は秩父鉄道と並行している国道140号線沿いにあるとのことであります。
そんな夫、ある地点でその神門寺さんをナビに入力しようと試みます。道自体はわかるもののこまかな駐車場情報とかが知りたいのだそうで。
「あれぇ?おかしいなぁ。」
何やら騒いでいますが、このナビのお茶目な案内っぷりに夫がしばしばキレているのを知っている私は、あいみょんの曲を聴いていて聞こえないふりをしておりました。
「ん?なんでだぁ?どうして出てこないんだぁ?」
へえぇ、出てこないんだぁ。と、まったく他人事のようにさらにさらに聞き流していた私、┉ごめんなさいね。
「なんでなんだぁ?おっかしいなぁ」 
うーん、そろそろ聞こえないふりもヤバイかも。
「どうしたぁ?」と私。どうした?じゃないだろ、入力ができないとおっしゃっておられるんでしょ!
「どう入力しても出てこないんだ」
私「ええっ?こんな近くなってて、しかも秩父の札所のお寺が?」
「うん。なんて入れても出てこないんだ」
読み方?
えっとぉ、┉どこに行くんだっけ、ああ、十八番の神門寺だ。
ピコン、ペタン、ポトン、ピン┉などと音はしませんが、私の入力はあまりにつたないのでそんな効果音が似合いそう。
こ┉‥ ┉うぅぅ┉とぉ┉ ‥ し ‥ っと。
「ええっ?ごうどじって読むの?」
うん。
「ほんとだぁ。出てきた」┉おいっ!(-""-;)
┉どっちもどっちな夫婦ですみません。

で、案内する場所を無事入力されたナビは颯爽と案内を始めるのでありました。

No.254 20/10/30 06:12
旅人さん0 

神門寺さんの駐車場に、私たちはしばしためらうのでありました。
┉民家と民家の間、どこにでもあるような共有スペースのような、どこにでもある一軒家を取り壊した跡地のような、そんなくらいのスペースなうえに、そこからお寺が見えないのであります。
ええぇっ( ̄□||||!!

ナビがそこに〖神門寺〗と示してくれていなければ、絶対に見逃し、絶対にさ迷うパターンでありました。
ちいさく神門寺駐車場と書かれた案内を見つけてなおためらう夫には、さすがに
「ここでいいんでしょ」と突っ込みをいれましたが。
駐車場に停めてなお、見えてこない神門寺さんに正直途方にくれておりました私に、珍しく積極的に先に進んだ夫から明るいはずんだ声がかかります。
「お、ここでよかったみたい」
えっ? お寺があったの?
┉民家にかこまれ、まさに住宅街の一画に、神門寺さんはありました。しかも駐車場から入ってみてもなお、まるで昔懐かしいお店のような雰囲気の漂う納経所が見えるだけなのであります。おそるおそる足を踏み入れ、歩を進めると┉

うーん♥
そこには、ずっしりとした歴史を感じさせる御本堂が。駐車場からは側面から入るようになっておりました。┉ええ、私の足取りが軽く足早になったことはいうまでもありません。
長い長い秩父巡礼の歴史のなかで、このような立地となってしまったのでありましょう。
実はここ、神門寺さんの建つ地はその昔は神社であったという言い伝えがあるのだそうです。その神社さんにあった榊の木が枝分かれしてさながら楼門のようであったのだそうです。そこからこの地を神門(ごうど)と号したのだそうです。
その神社さんは跡形もなくなってしまうのですが、里人たちが再びこの地に神さまをお祀りしようということになったとき、「この地に寺院を建てよ」という御神託があり、観音さまをお祀りした経緯があるのだそうです。
神さまがおられ、やがて観音さまがおられるようになったこの地は、そばに国道が走り住宅街にありながらも、静かで清らかな清んだ空気に満ちています。

No.255 20/10/31 18:14
旅人さん0 

前回のレスにも書いたのですが、こうして神門寺さんの巡礼録を書きおこしていて、なんとも不思議な感覚を思い出すのです。
たしかに参拝中私ども夫婦二人しか境内にいなかったのですが、音がない、といいますか┉。
音がないというと語弊があるのもたしかで、読経をすれば私の声があり、鰐口を鳴らせばその音は鳴り、納経の紙の擦れる音、会話をすれば私たちの声がきちんと聞こえるのであります。
それはたしかなのですが、それ以外の音がないような┉。
別に不思議な現象だとか、不思議な体験をしたとか言うつもりではなくて、ただただ、静寂な空間だったということなのですが。大きな道路に程近いお寺さんなのにも関わらず、車の音も聞こえない、鳥のなく声も虫の鳴く音もない静かな静かな境内で、何に違和感を感じているのかもわからず、空を見上げたのを思い出しました。
ただ、静かな境内で、日頃抱えているモヤモヤとした思いや、仕事の悩み、自分の生きざまに感じているコンプレックスなどが、一切削ぎ落とされたような、空(くう)を感じたのは確かでした。
思わず涙が出そうになるくらいに、抱えていた辛いもの、哀しみが、すうっと消えている感じでありました。

夫は「静かだね」とは申しておりましたけれど、普段通りにあちこちを見て廻り、写真を撮って過ごしていました。こちらにおられる神さまや御仏が、穢れきった私を浄めて境内に置いた、のかなぁ。
日常に戻ってすぐ、その日のうちにいろいろなしがらみがその空いた空間にどどっと押し寄せ入り込んで、すっかり元の私に戻ってしまっておりますが。

そんな空間にあります御本堂の裏側には、ご本尊さまと繋がっている綱がさがっておりました。それがまたありがたくて。
そんなすがるような気持ちで綱を持ち拝する私の姿を夫は写真におさめておりました。肖像権を訴えたくなる私は、やはり元のうるさい、雑念だらけのおばさんに戻っているかなしくも確実な証拠です。(*´;ェ;`*)

あ。でも門の近くにイケメンなお地蔵さまがおられたとか思い出す時点で、神門寺さんの境内においてもやっぱりいつもの私だったのかもしれないな。

小さな、住宅街の一画にあるお寺さんです。でも、神門寺さんは私には何度も何度でも行きたいお寺さんであります。



No.256 20/10/31 18:49
旅人さん0 

神門寺さんをあとにして。
次なるお寺さんに向かおうとする夫に、
「お願いがあります」┉夫は普段あまり耳にしない言葉を聞きました。 

巡礼は本来歩いてまわるもの。ですので、秩父巡礼地の道々には祠や石仏が、巡礼者たちを見守るようにたくさんあります。そのすべてにお会いしお参りするには本当にすべての道を徒歩または自転車でまわるしかないのですが。
どうしても参拝したい御堂がナビに映りこみました。【呑龍堂】であります。 

あの、たびたびこのスレに登場する、群馬県民の心、【上毛かるた】に名のある、呑龍さまが祀られている!行かなければ!参拝しなければ群馬県民として申し訳がたたない。
┉などと申してみましたが、群馬県太田市にあります〖子育て呑龍〗で有名なお寺さん【大光院】さんに参拝いたしましたのは、この神社仏閣をまわりだした、五十の齢を過ぎてからのことなのですが。(^-^;

言い出したら聞かない、退かない妻に逆らうことはせずに、怪しいナビに翻弄されながら、我が夫は呑龍堂を目指すことになるのでありました。┉神門寺さんの空(くう)の空間でいろんなものが削ぎ落とされたひとはどこに行ってしまったのやら。(((^_^;)
 いやいや、ここはわかりにくい!しかも狭くて民家に接していること!住宅街の、家々が建ち並ぶ、消防団の土地に並んで呑龍堂はありました。
 
呑龍さまは長野出身のお坊さま。群馬県で、長野県で今なお愛され慕われる上人さまでありますが、埼玉秩父の地でも大切にお祀りされておられました。
小さな御堂ながら、きちんと管理されており、お縁日には人が集まる秩父呑龍堂でありました。
 






No.257 20/11/01 05:24
旅人さん0 

次なる巡礼は第十九番札所【龍石寺】さん。
これまたアパートのすぐそばにあるような立地でありました。今なお巡礼者が絶えない秩父、とはいえ、やはり住む人あっての街であります。住みやすいように町並みは変化して、そこに巡礼地が遺されている┉それは秩父に限ったことではありません。京都であっても外観を古都京都にふさわしいものにという努力はされるようですが、近代的な建物がいならぶ都会にお寺さんが存在しています。

閑話休題。いりくんだ、ちょっとした高台にあります龍石寺さん。駐車場がわからないで、ここと思って停めたらアパートの駐車場でありました。
これから秩父をまわろうと思われておられる方、龍石寺さんはそのアパートのところの細い坂をのぼった境内に三台くらいは停められる駐車スペースがありますよー。そこがいっぱいなときも第二駐車場がありますよー。┉ただし第二駐車場も建物を取り壊したんだろうな┉と一見して思われる砂利敷きの、区画すらない小さなスペースですけれど、ね。
ここ龍石寺さんは来たかったお寺さん。一枚岩の上に建つという御本堂。私の秩父観音霊場巡りのバイブル【秩父三十四ヵ所めぐり】という本で、息をのむようなそれはそれは美しい写真が掲載されており、憧れのお寺さんでありました。春の日の黄昏時に撮られたものです。
┉私どもがこちらに伺いましたのは秋の午前中。どうかな。
うわあ┉。

たしかに。たしかに、岩の上に建っているようです。
足場のよいところを歩けばいいのに、最短距離をいこうとする私。すると、石仏さまがおられるではないですか♥しかも一体のお地蔵さまは、まるで御本堂を見守るように、身体ごと、お顔も傾けてお立ちなられております。ぱあぁぁ♥なんといとおしい!
立ったり、座ったり、そのお地蔵さまのそばをなかなか離れない自分に、はたと気づき、いやいやまだ御本堂のお参りがまだではないかと、本末転倒な自分を叱咤し、あらためて御本堂の前にむかいます。

私のバイブルの書ではその全貌がまるで撮されていないので、正面に立ち、初めてその御本堂のお姿を拝見いたしました。思っていたものよりずっとずっと大きくずっしりとした建物でありました。



No.258 20/11/01 06:26
旅人さん0 

こちらは大きい一面の岩盤上に建てられているということ、ならばこの建物の固定はどうなっているのだろう。岩の上に石が組まれての建物ですが、いったい?
参拝を終えて御本堂前にしゃがみこんで覗いてみたりした、怪しい女は私です。結論、┉わからない。すみません。建築だとか建設だとかの知識皆無な私では、岩の上に建っていることの確認しかできませんでした。

観音堂は七間半四面表流れの向拝をふした宝形造り(ほうぎょうづくり)┉と書いてあります。屋根の四方がかっこよくぴんと上にはねるようになっています。かつて屋根が傷み、雨もりがひどかった時期があったようでそれを愁いた地元の方々、地元観光協会の青年部が中心となり、諸仏を他の寺に預け、浄財を募り、昭和47年解体復元されたものなのだそうです。よけいにありがたみの増すお話であります。

御本尊は千手観世音菩薩で寄木造り坐像で室町時代の作といわれているようです。弘法大師作とのこと。
弘法大師が観音さまを彫りおこしたところ、「我は救わねばならぬところがある」と告げて東の空に飛び去っていったのだそうです。
その後この地を巡錫した際、まさにその自らの造った観音さまがお祀りされていたのを見て、観音堂の小僧に尋ねたところ、
「村人達がこの地を荒らす悪龍を退治したいと観音様に念じたところ、観音さまが現れて龍を退治してくれた。それから、村人達はお堂を建て、千手観世音菩薩を安置したのだ」と言われたようで、これがこの寺の始まりといわれているのだそうです。
その弘法大師作とされる千手観音さまはすべての厄を祓う厄よけ観音さまとして、多くの参拝客がおとずれているそうです。

巨大な水成岩の岩盤の上に建つこちらと、荒川を挟んで対岸にある札所二十番【岩之上堂】もやはり同じで岩の上に建っているということであります。その昔、渡し舟で往来していたのだそうです。その後は秩父橋という橋がかかり、今でも徒歩の巡礼のかたはその橋を渡って二十番札所に向かわれています。

観音堂は岩盤上に石を積み上げて建ててため草木も少なく、岩の隙間に植えられた桜やサツキが貴重な季節の彩りとなるとされていましたが、その美しさといったらありません。

No.259 20/11/01 14:19
旅人さん0 

こちら【龍石寺】さんの境内には、奪衣婆をお祀りする【三途婆堂】があります。当然【奪衣婆】さまがお祀りされていましたが、なぜか脇侍(?)のように【閻魔大王】さまがお祀りされ、さらにはお釈迦さまのお弟子の十六羅漢のお一人、【賓頭盧】さまがお祀りされておられるのでありました。
うーん、自分は絶対奪衣婆さまにお会いし、閻魔大王さまのお裁きも受ける身でありますが、このお三方を一緒にお祀りする理由とかがよくわからない。中央に奪衣婆さまで、閻魔大王が脇におられる関係も。三途と呼ばれる御堂にお賓頭盧さまがおられる理由もわからないし。しかしながら、理由、理由というほど、仏教のこともしらない私です。
愚者の私は奪衣婆さまと閻魔大王さまの御前で居心地のわるさを感じつつ手を合わせたのでした。
観音堂の裏手には不動明王をお祀りしています。裏手は本当に岩場、といった感じで、歩きづらいこと歩きづらいこと。

そして、納経所へ。
このお仕事に誇りをお持ちになっておられる年配の方がさらさらと筆をはしらせて御朱印をお授けくださいました。
ご親切にこのあとまわろうとしております第二十番、二十一番の道をお教えくださり、かつての秩父についても語ってくださいました。

こちらもまた世話人と呼ばれる地域の方が管理されている札所であります。こちらの詰所に人がおられないこともあるようで、その際は少し離れた┉龍石寺さんの第二駐車場のさらに奥へと向かった先にある【宗福寺】さんで御朱印をお受けすることになるようであります。


ムズムズムズ┉そんなに近くにあるお寺さん。こちらに世話人の方がおられなかった方は参拝されるお寺さん。
行きたいんですけど。これ以上予定変更はダメかしら。うーん。

No.260 20/11/01 21:05
旅人さん0 

【宗福寺】さんは大きな大きな境内のお寺さんでありました。高台にあるお寺さんです。
宗福寺さんにもまた奪衣婆さまがお祀りされる御堂があり、その前を頭を下げながら通らせていただくと、目の前に御本堂が見えてまいります。と┉、ん?
みぎてに大きな高下駄が二人分、まるで丁寧に脱ぎ揃えたかのように飾られています。意味はどんななんだろう。
そしてそばには大きな大きなかえるの石像。
ふーん、かえるかぁ。
するとやはりみぎてに見えてきたのは、え?ええぇ?
か、かえるの石像、菅笠をかぶって袈裟を着ている石像であります。
ふーん。御住職さまがかえるがお好きなのかなあ。

お、六地蔵さまが見えてきました。
え?ええぇ?┉かえるのお地蔵さまであります。う、うそでしょ?
御本堂の前にも左手に杖、右手で拝んでいる如来様のかえる、が立っている┉おられます。お賽銭箱にもかえる。
睡蓮の鉢にはなんとなんと、しょうべん小僧を模したかえる。
┉そう、そうであります、こちら宗福寺さんは、知る人は知る【かえる寺】なのでありました。

六地蔵さまはお茶目でかわいい【かえる地蔵】。そっぽを向いて立つものもあれば、ニコッと笑うものもおり、神妙な顔で合掌するかえるの顔をしたお地蔵さまであります。
もぉぉ、私、辛うじて記憶に【ケロヨン】の残る世代なんですけど♥
こういった石像を好まない方もおられましょうが、私は┉好き、かも。御仏を愚弄している、とおっしゃる方もおられましょうが、そもそも御仏は実像がない存在でありますゆえ、そこはまあ好みという言葉でお許しいただいて┉。

御朱印をお受けするために庫裏へ。
御住職の奥さまが対応してくださいました。
しかし奥さまの口をついて出たのは開口一番「ウチじゃないのよ」と、意味不明な一言。?「ここじゃないのよ」ん??
「元来た道を戻ってね、信号を左に曲がればすぐなんたけどな。少しわかりづらいかしら」
あ。私たちが、輪袈裟をつけているからだ!
「あ、違います。龍石寺さんはもう参拝しております。こちらのお寺さんに参拝にまいりました」と私。

┉残念なことにこちらは御朱印をなされていないとのこと。
私がよほど残念そうな顔をしたのでしょう。
「これをどうぞ」と差し出してくださったのは、可愛らしいかえるのストラップでした。もぉぉ、可愛すぎ♥

No.261 20/11/03 08:04
旅人さん0 

【宗福寺】さんの御本堂の横にまわって、ここが高台にあることをあらためて気づきます。
眼下には、墓所。そして大きな蓮池が!
そしてその蓮池を見下ろす白い大きな仏像がおられます。
さすがに蓮の花こそ咲いておりませんでしたが、その神々しい光景といったらありません。かなり遠めではありますが、こちらの御仏はかえる顔ではないようで。笑。
すごいなぁ。どれだけ私のハートを掴んじゃうんだ。

さすがに墓所、でありますので、そこに縁者の御霊が眠ってはいない私がそこにわざわざ行くのは静かに眠られている御霊に失礼かと、そこへは足を運びませんでした。
帰宅後Google先生にお教えを乞うと、やはり蓮の花の時期には蓮祭りが開かれるようでしたが。(^-^;
この日は御住職がおられなかったのか、御本堂へ上がることはかないませんでしたが、こちらのお寺さんは檀家の方以外にも開放しておられるようで、なんとかえるの顔の木魚まであるようで。

┉枯山水の庭の、あの白い砂利に模様をつける体験も自由にできる一画もあります。もちろん、体験いたしました。
夫は打ち寄せる白波┉なのかと思えば、「どう描けばいいわかんないもんだよね」とのこと。でも素直に綺麗な模様でありました。
私は受けを狙ってハート模様に。そんな邪念だけで描いた模様はやはり少しもきれいではありませんでした(。´Д⊂)
もちろん、夫へのメッセージなどというかわいらしい感情はかけらもない、ただの受け狙いでありましたことはいうまでもありません。

No.262 20/11/03 17:22
旅人さん0 

宗福寺さんの帰り道、さっそくスマホにいただいたかえるのストラップを取りつけたのは夫。よほど嬉しかったのか揺らしてみてニコニコしています。私は? 御朱印帳や数珠を入れる巡礼用のバックの中に、なくなったりしないようにしっかりとしまいこみました。お揃いになっちゃいますからね、取りつけない、取りつけない。
ああ、可愛いげのないこと。

ご許可をいただきました龍石寺さんの第二駐車場に車を置いたまま、さらに少し歩いて、秩父橋まで歩いてみました。
「二十番の岩之上堂まで歩いて行ってもいいよ。歩いて二十分くらいだからね。その先も十分くらいで着くんだけど、そんなに歩いて行くとここに戻るのが大変になるから、車で行った方がいいと思うよ」
龍石寺さんの世話人さんは駐車場をお貸しくださっただけでなく、そんな風にこのあとの巡り方をそれは丁寧にお教えくださいました。
「○○屋さんのとこを曲がって 」とか、初めて巡礼する者に目印になるところを織り込んでの、的確なアドバイスでありました。
その案内はなんと、二十五番くらいまで。
┉すごいなあ。
昔の巡礼についても造詣が深くていらして、いろいろお教えくださいました。
秩父夜祭りのときにも感じたのですが、秩父の方は本当に地元、秩父を愛しておられます。労を惜しまない。地域の方々の結びつきも強い。
いいですよね。そんなところに住むことができるのって。

秩父橋の下を流れる荒川は四万ブルーを思わせる青い色に乳白色を混ぜたようなやさしい色。
橋の上さえ居心地のよい、秩父はよいところです。



No.263 20/11/07 03:55
旅人さん0 

二十番札所であります【岩之上堂】に着いたとき、ちょうどお昼どきでありました。青い空、暑くもなく寒くもない、┉子どもたちがまだ小さな頃に外でシートを敷いて楽しく食事をした、あの頃を思わせるような心地よい陽気の日でありました。
コロナのせいで外食を避けており、今回は家からパンとスープを持って来ておりました。スタバのコーヒーも用意して、車中で食事をしようと思っておりましたが。あんまり気持ちのよい陽気に、夫に車のリアゲートを開けてそこで座って食べることを提案してみました。
人目を気にして渋っていた夫でしたが、ちょうどよいシチュエーションの場所をみつけ、持参した折り畳みチェアを一つだけ出して、心地よい秩父の空気と初秋の景色を楽しみながら外で食事をいたしました。なんと美味しくいただけることか。


そんな軽食を済ませば、ちょうど札所の方のお食事時間も終え、御朱印もお書きいただける時刻となりました。
その名のとおり高台にある岩之上堂は、駐車場から下がっていくようなところにあります。
まるで庭園のような小道を歩いていくと、まず見えてきたのは納経所。
そこをさらに少しだけ下ると見えてまいります、ご本堂。
せせらぎの音も聞こえます。
秩父らしい御堂であります。ここは土間になっている御堂で中に入ることができます。
その天井から、それはそれは綺麗な【さるぼぼ】の飾りが吊るされています。大きな傘状のものからいくつものさるぼぼの飾りが吊るされているのです。これは圧巻です。
一つ一つのパーツのおたがいの大きさや色合いが絶妙なバランスで組まれています。うわあぁぁ!( 。゚Д゚。)

さるぼぼはこぎれに綿を入れて猿の形に縫い上げたもの、『猿』が『去る』に通じることから、厄除けや病気などの災いを避けたいとの祈願を込めて奉納されたものです。奉納された方のお名前が書かれています。ふと見渡せばいくつものさるぼぼ。
縫い物もあまり得意ではない私などは一つ作るのにどれだけ時間がかかることか。
中には十年かけて一人の方が作られたというものもあるようです。
うーん。ちょっと┉絶対無理だな。

No.264 20/11/07 22:32
旅人さん0 

さるぼぼに見とれている自分に気付いて、またまた慌てて納め札を納めて読経いたしました。こちらの御本尊さまは聖観音さまということで、御真言が書かれた木札が掲げられておりましたので御真言を三回お唱えして。
今回の巡礼ではぽつりぽつりと他の巡礼者とすれ違う程度で、ここ山之上堂でも夫と二人だけ。ゆっくりと堂内の参拝をさせていただきます。
ただ、少しだけ居心地が悪いのは┉実はここ、山之上堂は個人所有の御堂。納経所にお邪魔させていただきますとお声がけして参拝をさせていただいたものの、あらためて御朱印をお受けしながらご挨拶をしたい。
とはいえ、こちら、個人の所有という感は一切ありません。知らなければ、気づかず、ごく普通の御堂として参拝を終えるはずです。
手入れもきちんとなされており、個人宅の生活感もない、本当に心なごむ御堂であります。だからこそご挨拶してから、あらためてゆっくり参拝をさせていただきたい。そう思ったのであります。

納経所では、女性がお一人で対応されておられました。 
「素敵なところですね」と申し上げると 
「ありがとうございます。四季折々いろいろな花が咲きますので、よろしければ是非またお越しください」とおっしゃってくださいました。
ここ、山之上堂は江戸時代初期に、この辺りの実力者であった内田某氏が私財を投じ、さらには関東各地から浄財を募って、実に二十五年の年月をかけて建立したものであります。
もともとはさかのぼること平安の頃から、この地で祀られていた観音さまがおられたのですが、戦国時代の戦乱によって里人たちが離散し、無住の寺となり荒れ果て、さらには粗末な御堂に御本尊のみが祀られているような状態となっていたようです。これを内田某氏が観音堂建立を発願し造立したのがいまの岩之上堂と呼ばれているこの観音堂で、以来僧侶を置かず個人の持寺として守られ続けてきたものであります。
個人が所有されている、というレベルにしてはあまりにも大きく、しかも江戸時代初期の建物とあれば維持管理も並大抵なものではないと思います。
ご先祖さまが私財を投じ寄付を募る旅に出掛け、二十五年の年月をかけて建立したこの観音堂を誇りに、奢りたかぶることもなく代々守り続けてきた方々がおられ今があります。なんともありがたいことであります。

No.265 20/11/07 23:14
旅人さん0 

思えば秩父観音霊場で何ヵ所も、地域の方々が守っておられるところがありました。そこに訪れる巡礼者や観光客のために、出過ぎず、居心地のよい霊場であることのみを心がけておられる方々ばかりでありました。
秩父の方々の地域性なのでしょうか。
地域を盛り立てるとかもさほど考えておられないようにも思えます。
例えばここ、十九番札所と二十番札所をはさんだ荒川に、以前あったという渡し舟を復活させたなら、かなり観光的にも財源となりうるように思えるのです。あくまでもそれは素人の域を出ない、私の個人的な意見であり希望だったりもあるのですが。でもそんなことをあえてはしない。秩父橋が架かったことで廃止となった渡し舟、歩いての巡礼者の激減。きちんとそんな時代の流れをみつめ、わざわざとってつけたようなことはしない。だからこそ変わらない巡礼をさせていただけているのかもしれません。

澄んだ空気と美しい景観の居心地のよい山之上堂さん。是非また訪れたいところであります。


次なる巡礼地は第二十一番札所【観音寺】さん。龍石寺さんの世話人さんのお話によると、山之上堂さんから九百メートルほどのところにあるようです。
道路沿いにあまりにも自然に建つ観音寺さんをついつい通りすぎてしまいUターンいたしましたのはやはり珍道中、だからでしょうか。

そして、観音寺さん、┉こんなことを申し上げると罰当たりなようですが、なにやら芝居舞台のある建物を彷彿させるような看板が掲げられているのです。

No.266 20/11/10 05:51
旅人さん0 

比較的大きな通りに面している【観音寺】さん。どの案内にもわかりやすいと書かれているにも関わらず、なぜか夫は見落として通りすぎてしまいます。見落とした理由がわからないほどわかりやすいのですが、(実際私は見落とすことなく当然停まるものだと思って声もかけなかった)車を運転しながらお寺を目指していた人にとってはお寺らしく見えなかった?
お寺の入口にあたる場所に公衆トイレが設置されていて、これはお寺さんの管理下でなく、秩父市の管理のトイレであります。そんなところも、流れる景色のなかではお寺さんらしくない外観となっていたのかなあ┉そういうことにしていただいて。Uターンして戻った私たちはそこで身を清めてから境内に入ったのであります。

一歩足を踏み入れ┉なくても、目の前にひろがる御本堂。
そうその御本堂の向拝に、芝居をする建物を彷彿させる一枚板の看板が二枚掲げられているのです。
まあ、それは道路を車で走行中に見えるものではないので、それを見ての通りすぎ事件ではないのですが。 

御本堂と境内にある八幡さまのお社以外は新しく、詰所┉納経所の新築の際に境内の整備もされたのでしょう。明るい境内であります。
こちらは大正12年(1923年)隣接した小学校の火災により類焼してしまい、御本尊さまの聖観音さまと阿弥陀如来さまのみが残ったという大火災であったようでした。このため、こちらの聖観音さまは火除けの観音とも呼ばれ、火難に霊験があるといわれているようです。
その後廃寺を移築したのが現在の本堂であります。当初はそれも仮堂であったようなのですが、そのままとなったようであります。

向拝にある看板の一つが【矢之堂】と書かれているもの。
ご詠歌にも詠われるように、こちらは矢之堂ともいわれているようです。
行基菩薩がこの地をおとずれ八幡宮の社地に聖観音像をまつろうとしたところ、悪鬼たちがこれを邪魔をした。この時、八幡神が現れ神矢を放って悪鬼たちを追い払ったという縁起や、古くはこの堂は矢納の地にあったものをこの地に移したものとする説(矢納村の村名は日本武尊が東征のとき矢を納め社を建てた場所)、あるいは平将門が矢を納めた場所とする説など諸説がある。ようです。


No.267 20/11/10 19:06
旅人さん0 

【観音寺】さんの駐車場の一角に【地芝居】役者の座長、中村十九十郎という方のの供養碑がありました。地芝居?
観音寺さんの芝居舞台の建物を彷彿させるような板の看板はその地芝居の影響?┉その真偽のほどはわかりませんが、少なくとも私にはこの板の看板があることがなんともお寺さんらしさを損なっていて残念なことに思えたのです。
ですがまあ、〖お寺さんらしさ〗というのもその人間の主観であります。

観音寺さんは大正時代の火災以降、地元の人たちによって守られてきた札所であります。


次なる札所は秩父札所をあらわす時の代表的存在の写真として扱われることもある、ユーモラスな仁王像のある第二十二番札所【童子堂】です。ユーモラスな、などという言葉を仁王さまに使うのはなんとも失礼に思えるのですが、うーん、なんとも。
茅葺きの仁王門に住んでおられるといった風情であります。【阿吽】と書かれた額が掲げられておりますが、こちらの仁王さまの口元はあの志村けんさんの有名な〖あい~ん〗の『あ』と『ん』にも似ているかな。





No.268 20/11/12 17:25
旅人さん0 

ユーモラス、だの、あい~ん、だのと申しておりますと、なんだかばかにしているようにとらえられるかもしれませんが、ここもまた行きたいと思っていたお寺さんの一つなのであります。茅葺き屋根の仁王門、いかにも私の好きそうなものでありましょう。

その【童子堂】さんの仁王門の前に立って。写真で見るより少し恐そうなお二人の仁王さまが茅葺き屋根の門に住んでおられるといった、そんな雰囲気でありました。いつもの珍道中通り、門をくぐるまで時間のかかる二人でありました。そんな二人組を五人、三組の参拝の方々が追い越して行かれました。
ようやく門をくぐって、みぎてに観音堂がありました。ここ童子堂さんを紹介する文に添えられている写真はそのほとんどが仁王さま。
観音霊場でありますのに、観音堂の写真の少ないこと。私の持っている本にも観音堂の写真も観音さまの写真もありません。
なので実にこちらへ来て、初めて観音堂の建物を拝見した次第であります。
こちらの建物は、江戸初期の建物とのこと。細やかな彫り物は、その建立当時はさぞ美しい彩飾であったと思われます。
心洗われる、清らかな気が、その扉から溢れてくるようです。
そしてまた、観音堂の周りをウロウロとする怪しい二人組。先ほど私たちを追い越していかれたお二人は御朱印をお受けして仁王門へと向かって行きました。
こちらの建物。なんと個人が施主となり建立されたものだと知り、びっくりいたしました。その美しい彫刻もさながら、観音堂も今まで参拝してまいりました御堂の大きさと決してひけをとるものではありません。うーん、どんだけ~っd(゚ロ゚;)

バイクで一人まわられている方が御朱印をお受けして観音堂に戻って来られました。い、行こうかな。
それでもまだ納経所には向かわず、仁王門ひだりてにあります、なにやら不思議な大きな石に向かうのであります。
大きな大きな石なのですが、やはり石を柱としてあり、その下となっている空間はさらに掘られているのです。
なんだろう。

No.269 20/11/12 21:55
旅人さん0 

大きな石を組上げた舞台のような塚。塚の中は少し掘られてくぼんでいて、薄暗いのですが。(なんだかよく見えないや)と思ってそこを離れようとした瞬間、夫が息をのむのが聞こえました。
「┉手や足や首の取れたお地蔵さまがお祀りされている」
「えっ⁉」
夫の覗きこんだ辺りから見やると!たしかに。
うーん、一体いつ造られたものなんだろう。
地蔵塚と呼ばれているそうです。

地蔵塚以外にもお地蔵さまはおられました。
とげぬき地蔵さま。身代り地蔵さま。

身代り地蔵尊は「身代り」となって助けてくれるといいつたえられています。
戦時中、こちらに祀られていた金佛のみたま抜きをして供出しました。この地区からもたくさんの人が出征いたしましたが、全員無事に復員しました。これはこの金佛が身代りになってくれたのだといい、いまなおそこに訪れるのです。
そしてとげぬき地蔵さまは、あの有名な巣鴨においてその御利益をいただいた方がこちらにもと奉納したのがこちらのお地蔵さま、なのだそうです。

No.270 20/11/13 06:05
旅人さん0 

こちら【童子堂】さんの歴史は長く、寺伝もたくさんあります。

その創建は遡ること、【淳和天皇(823-833)】の弟にあたられる【伊予親王の菩提を弔う】ために、平安時代初期の大同二(807)年に遍照僧正がこの地の領主に命じて旧蒔田村・清水谷の山奥に堂字を建立させ本尊を安置したのがこの寺の草創であるといいます。

その後、延喜十五(915)年に、幼子の間に天然痘が蔓延した際、観音さまのお告げにより、山奥の華臺山より観世音さまを府坂の地に移すとその霊験により疫病は退散したという。このことから、幼児の病気平癒にも御利益があるとされ、子どもを病魔から救う観音さまとして童子堂と呼ばれるようになったといいます。


また、縁起として残されているのは、
その昔、讃岐に情け心のない怪貪な長者がおり、そこへ旅の僧が訪れて長者に僅かばかりでも食物の施しをと願い出たものの、施しを与えるどころか口汚く罵ったという。僧は米を買い、器に入れて、犬を呼びました。するとなんとこの家の倅が犬の姿となり器の中の米を食べていたのです。長者は驚き悲しみ、自分の行為を反省し僧にすがって詫びましたが、僧は因果応報を説いて姿を消してしまいます。
長者はこの日より犬となったわが子を連れて百観音巡礼に旅立ち、諸国の霊場を廻り童子堂にたどり着いて祈願しているとわが子がようやく元の人間になった、というものであります。

うーん、人が改心するということは並大抵なことではできないことかとは思うのだけれど。とはいえその家の息子さんにはなんの罪もなかったのではないのかなあ。
だとするとこれは因果応報とするにはあまりにきつい。
それだけ人が改心するには重い罰が必要であるということか。

いくら経を唱え、納経しながら観音霊場をまわろうとも、自らの強い意志を持って、御仏の教えを守ろうとしなければ、観光客でしかない、ということなんだろうな。
┉クエストの旅はつづきます。
いつまで経っても珍道中、だなあ。( ´-`)
 


 

No.271 20/11/14 08:29
旅人さん0 

次なる目的地はその名も【音楽寺】。なんとも変わった名前に思えます。どんなところだろう。
童子堂さんで類を見ない仁王さまにお会いして、私のなかではなにやらあやしい妄想がむくむくと浮かんできそうになり、あわてて車の外の景色に目をやりました。?
きれいに整備された、観光地めいた緩やかな山道をのぼっていくではありませんか。? 音楽寺は野外音楽堂でも持つようなお寺さんなの?
あ、また勝手な想像をしてしまった。(^^;

気持ちのよい、いかにも家族連れやカップルが訪れそうな広い整備された山道をのぼって、広い整備された駐車場へと向かって行きます。? 途中下車的なところなのでしょうか。
「あれぇ?お寺、どこなんだろう」と、夫が申しております。は?
あ、でも案内板がきちんと〖音楽寺〗を矢印で表示しています。
まるまる山一つを公園としたようなところで、少し戸惑いながらも歩いて行きますと、なるほど案内だけは増えていきます。あ、いかにもお寺に続く石段です。
よかったぁ。ようやくお寺さんらしさがみえてきました。
石段を登ると、真正面にあったのは納経所。お参りの前に納経所ですか。納経所のフロアには他には何もありません。この先がまた公園のなかのような道のようなイメージの道なのですが┉。
これはもう、どうせならこの景色を楽しんで歩こう!本人はいたって真面目に巡礼しているつもりだから戸惑ってしまうのだけれど、まだまだ修行という域にすら達していない珍道中。導かれるままに、その景色を愛でようではないか。
そう頭を切り替えて歩き出すとまたまた石段がありました。ここを登るとお寺になるのかな。

┉なりました。
手水舎があり、鐘楼があって、観音堂がありました。
めざしてきたお寺さんがあって、やはりどこかほっとした私でありました。
ただ、境内にはまるで我が庭のように自由に大声で話す御一行がおられ、観音堂の正面に座り込みなにやら飲みだす人までおり、むっとする私。なかにはアルコールでも入っておられるのではないかと思うくらいに他の参拝の方にやたらと話しかける男性もいるのですが、御一行、誰もそれをとめることなく、やはり大声でこれから何か食べに行く話をしております。(; ・`ω・´)
うーん、これはここの観音さまが私に与えた試練の一つ、なのでしょうか?

No.272 20/11/14 14:21
旅人さん0 

心無罣礙(しんむけいげ)。
般若心経にでてくる一節です。
「こころにけいげなし」、すなわち、”こだわり””とらわれないこころ”という意味、なのだそうです。
毎日お唱えし、今回の巡礼でも訪れた先々で読経させていただいている般若心経。ただお唱えしているだけのことがほとんどで、その意味まで感じながらというところまでは到達していないのが現状です。
心無罣礙(しんむけいげ)。
不景気も病気も、失敗も死も、何もかもにとらわれず。
憎いけしからんと思ったものも、敵と思っていたものも味方になるのがとらわれないということ。
愚かな私にはなかなかそこに到達しない教えであります。

ところが。
先ほどの方々はまだ境内におられ、大声で話しているのは変わらないのですが、観音堂の前に立った途端、その声が気にならなくなったのです。それに気づいたのはその直後ではなく、しばらくしてからのことなのですが、数珠を手に経本を持ち、般若心経をお唱えするときには、状況は変わらないのにもかかわらず、聞こえてくるその方々の話し声が一切気にならなくなっていました。
こちらの御堂は扉が閉ざされておりますので、御堂のなかに入ったから、ということもなくて。
雑念にとらわれやすい私から、観音さまが雑念となるものを取り除いてくださったのでしょうか。



こちらの御堂はすごい数の千社札が貼られておりました。
御堂に、ではありませんが、ポスターまで貼られています。音楽寺ということでヒット祈願に訪れる歌手の方もたくさんおられるようです。夫は興味深かったようで、SKBの誰だれの絵馬が奉納されていたよと教えてくれました。AKBグループの五人までくらいしか名前の言えない夫が知っているくらい有名な人だったと思います。


音楽寺の名の由来は、秩父札所を開創した十三人権者がこの山の松風の音をきいた時、菩薩の奏でる音楽と感じたからと言われています。御堂のみぎてにその十三権者の石像が、この御堂のさらに上にあるという案内板がありました。当然行くものと思っていますと、珍しく行かない予定だったという夫。いやぁ、行くでしょ!



No.273 20/11/15 08:16
旅人さん0 

音楽寺さんの御本堂、観音堂のみぎてにある道を登っていくと、先ほどとは少し異なり、さほどは手をいれてはいない普通のハイキングコースの道のようになります。それでも道幅は広いです。
自然を楽しみながら、┉やや大きめに鈴を鳴らしながら、歩いていきました。野生の動物さんに会わないとも限らないような道であります。
少し歩くと、開けた感じがあるところの高台に、お地蔵さまが並んでおられました。
六、いやいや六地蔵さまより多くおられます。十四体のお地蔵さまが高台のさらに高いところへお立ちになられていました。
真ん中にお立ちになられているお地蔵さまだけが大きくて、その頭の上には申しわけ程度の、屋根がついておりました。
(お地蔵さまが十三権者さまをお守りになっておられるのか)と思っていたところ、夫から
「思っていたより近くにあったね」と。?
「こちらが十三権者さまの石像のようだよ」??
「いやいや、十四体おられるし、みんなお地蔵さまじゃない」と私が申しますと、
「書いてあるから」
えっ?
あわてて高台へと登っていく私。┉たしかに立て看板があって説明が書かれていました。うーん、どうしてこんなに大きな看板を見落とせるのか┉我ながら感心してしまいます。
でも、十四体。
十三権者さまとは秩父の巡礼地を定めたといわれておられます【性空上人】、【徳道上人】【花山法皇】、【白河法皇】【良忠僧都】、【通観法印】【閻魔大王】、【倶生神】、【医王上人】【善光寺如来】、【妙見大菩薩】【蔵王権現】、【熊野権現】さまというそうそうたるメンバー。
神さまであったり、如来さまや閻魔大王もみんなみんなお地蔵さま?

う、うん、そうだよね、そうなんだね。

ここからは武甲山をはじめ秩父の山々や町が一望できます。十四┉十三権者さまとお地蔵さまが見守ってくださっておられる。
そういうことであります。

No.274 20/11/15 10:46
旅人さん0 

第二十三番札所【音楽寺】は、小鹿坂峠の中腹に位置し、境内には桜の木が多く春は桜・つつじに新緑、秋は紅葉と月、冬は雪と、それぞれの季節の風景が楽しめ、秩父地方屈指の景観であり、近くには【文化の森】、【音楽の森】、【秩父ミューズパーク】などがある行楽地でもあります。観音堂の前庭からは荒川をはさんで秩父市街地や武甲山をはじめ秩父連山が一望できます。

縁起によると、平安時代初期の天長年間に慈覚大師が関東各地を巡錫した折、当地に霊異を感じて、堂宇を建立し、聖観世音像を刻んで安置したのだそうです。その時、多くの小男鹿が現れて、大師の先に立ち山上のこの地まで案内した、ということから、【小鹿坂】と呼ばれるようになったということであります。
ご本尊の聖観世音は一木造り檜材で、像高81cm、室町時代の作といわれているそうです。

この観音堂右手前の【鐘楼の銅鐘】は、江戸時代中期に鋳造されたもので、高さ120cm、直径69.7cm、乳が108ついている。聖観音、不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の順に六観音像が鐘下部の周囲に鋳出されております。その鐘の音は高く美しいものなのだそうですが、残念ながら自由に撞くことができるものではなく、その音を聴くことはかないませんでした。

ここ音楽寺もまた秩父事件の舞台となったようで、秩父事件勃発の二日目に小鹿坂峠を越えて音楽寺境内に集結、梵鐘を乱打しそれを合図に大宮郷(現 秩父市内)へ乱入したといいます。
そんな歴史を知るとなんとも胸が苦しくなります。
ちょうど今ごろの寒さのなか、起こった事件でありました。

いまは穏やかなここ、音楽寺の境内。
そんなに遠くはない時代に、苦しみと怒りにたぎる思いでたくさんの人が集結し、御仏の浮き彫りされた梵鐘をうち鳴らし山を駆け降りた日があり、結果多くの人の命が失われたという悲しい事件の舞台であったという┉。


今、コロナ禍において、未知の病に怯え、あるいはその病に苦しむ人がいて。命を落とされた方がおられ。
その未知の病によって職を失われた方、日々の生活が苦しい方がおられます。

御仏、十三権者さま、どうか世界をお救いください。お守りください。

No.275 20/11/15 17:39
旅人さん0 

十三権者さまをお詣りし、いま来た道を戻って、納経所へ。

┉えっ? 

納経所と思っていた建物のなかにも御仏がお祀りされ、仏具もあります。入口を入って真正面。そのひだりてに、いかにも事務所、といった部屋が設けられていて、ガラスを開けて中に声をかける、いかにも受付、といった感じの御朱印をお受けするところでありました。

そちらの、納経所にお祀りされておられる御仏にも参拝して、┉参拝して┉うーん、もしかしたら┉
もしかしてここ、音楽寺さんの御本堂だったり┉するの?

外から見た感じはお寺さんぽくはないし、中に入っても、玄関を入ってすぐに仏さまをお祀りしている真ん前になりますし、新しい形の御本堂、なのかも。
さすがの私も、「もしかしてこちらが御本堂でしたか?」などとは聞けず。今までで一番失礼な参拝をしてしまったかもしれません。
もしここが御本堂であるならば、御本堂の前を通りすぎ、観音堂を先に参拝し、御朱印を受け付けてから御本堂、御本尊さまを参拝した、ということになります。
ああ、珍道中。やらかしてしまったかもしれません。( ;∀;)


No.276 20/12/05 15:24
旅人さん0 

【ミューズパーク】という名の、山ひとつ楽しむような素敵な公園その一角を為す【音楽寺】さんをあとにして、せっかくなので少し登って展望台に向かうことにした私たち。ここで私たちが真っ向から対立したのは┉普通にはあり得ない展望台に向かう道。
目指そうとする方向がなんと正反対!
私は音楽寺さんを通り越した更なる上を目指すのだといい、夫はいま来た道を戻るのだという。
結果どちらに向かったかといえば┉言い出したらきかない、退かない私の意見を採用することに。
運転もしないくせに。
いやあ、目の前に展望台右➡という案内板があったから、なんで。
夫は頭にたたき込んだ記憶に頼っているぶんエビデンスに欠け、夫自身は納得いかないまま、山道を登ることに。案内板すら信じない夫の頑固さに少し不安をおぼえつつ、走行すると、あったぁ!
いやいや、案内板があるのだからあって当たり前、なかったら困ってしまうのですが。f(^ー^;

駐車場に車を停めると見上げるような展望台。螺旋階段を登っていきます。
うわぁ!秩父の町並み、武甲山が一望できます。え?当たり前?
そ、そうなんですが、語彙力のない私なので、そこはお許しをいただいて。
うーん♥
その景色と澄んだ空気を満喫していると。うーん┉。
ずっとずっと、エンドレスに一曲の合唱が聴こえています。
音楽寺のあるミューズパークというわりに、ずっと一曲の合唱だけ?
【旅立ちの日に】という私の子どもたちの小学校卒業式の定番曲であります。いつまでも続くとさすがにイラっ。なんで?

実はこの歌、ある一つの中学校で生まれた楽曲だったようで、その中学校こそが秩父のものであったようで。┉なるほど。
そのいきさつが書かれた大きな案内板がありました。
あとから来た若いカップルの女の子の方が歌に合わせて歌い出しました。
そうね、そういうピュアでかわいらしいところがないと人間だめですよね。

展望台からは落ち葉舞う並木道が見えます。絶好のデートコース♥
私も歩きたい。
そんな思いは一切夫には届かず、言い換えると夫は一切そんな気分にはならなかったようで、秋の紅葉真っ盛りの並木道を歩くことは叶いませんでした。




No.277 20/12/06 05:53
旅人さん0 

〖ミューズパーク〗を突き抜けて行くこともできたといえばできたのですが、来た道を戻っていった方が圧倒的に早いと夫が申します。
どちらでもいいよ、景色を楽しみながらこのままミューズパーク内を行くもよし、時短をとるもよし。助手席のお荷物がなにを申せましょう。
結果、いま来た道を戻ることに。夫が申しておりました通りに先ほどの音楽寺さんにもっとも近い駐車場を、右に出ても左に出ても展望台があったようでありました。┉まさか、それが確認したくてこっちの道?
あくまでも時短だと申してはおりました。(¬Å¬)

ということでいま来た道を戻って向かうは第二十四番札所【法泉寺】さん。法泉寺さんは走行してきた道の右側に、駐車場は道を隔てた左側にあるのですが、とりあえず駐車場はさほど分かりづらいわけではありません。きちんと看板が出ているのですが、┉通り過ぎる。
私にすれば、なぜ、何故?あまりにも分かりやすかったために当然気づくものと何一つ声もかけず、「あのぉ通りすぎちゃったけど┉」というしかなく。
「えっ?わかんなかったよ」┉そ、そうか。
機械のナビは目的地付近だとかいって案内を中止するし、助手席のお荷物時々ナビは通りすぎてから通り過ぎたことを報告するし、夫にはまさに私との神社仏閣巡りは受難、修行の道であります。



駐車場は停めてみると何やら作業現場か作業現場で使う大型機材置場なのかわからないけれど、そこに隣接していて、ともすれば合体して見えなくもなく。それで夫は見逃したの、かなぁ。そういうことにしておこう。
さてさて目的の法泉寺さんはいずこ?探すことしばし。駐車場の反対側斜めに何やら小さな看板が見えます。駐車場のお向かいにはそのまま花束にしたいくらいのきれいな花々が咲き乱れる民家さん。うーん見逃すかも。

ようやく見つけた法泉寺さん。┉。
┉とりあえず狭くて急な石段しかみえない。
石段はすり減り、長きにわたり巡礼者が息を切らしながら上がった階でありました。

私どもは┉とりあえずのぼる前からため息をつくのでありました。

No.279 20/12/06 16:05
旅人さん0 

この石段、上りながら数えるのはムリでありました。
平気、平気とか軽い足どりでのぼりだしたのに、最後の方はゼイハーゼイハー、日頃の運動不足がここに顕著にあらわれます。
実は夫は毎晩一時間弱歩いておりまして、対する私はといえば、仕事がら多少歩いているのをいいことに、歩くのなんてイヤだ、まして二人で歩くのなんて絶対にイヤだと、食後に甘いものを食べてゴロゴロと過ごすことこそがが至福のときとばかりに過ごしております。
〖イソップ〗の〖ありときりぎりす〗のお話のようです。
すずしい顔でさっさと先に境内に到着した夫は、ゼイハーゼイハーのぼってくる私をパシャっとスマホで撮影!く、くやしい!
デリカシーのないヤツ!

のぼり終えればすぐに呼吸は整いますので、すずしい顔を装おってとりあえず辺りを見回してみます。┉ 休憩所がある。
もちろんそこへ向かうことなく、真正面にあります御本堂、観音堂へと向かいます。こちらは左右対に竹を細かく縦に筋をいれて、┉まるで七夕飾りの折り紙の提灯ようにしたものが提げられています。もちろん竹ですので折り紙の提灯ほどには広がっているものではありません。

うーん、こちらの御本堂、なんだか変わった作りであります。

コの字に奥まったところにお賽銭箱があり、まるで受付のようにもみえます。コの字の左右には小さな囲いが造られていて、中に仁王さまがおられます。仁王門ならぬ御本堂そのものに仁王さまがおられる形でありました。

専門的な書き方をすると、
〖向欄を付けた回廊をめぐらした三間四面のお堂で江戸時代中期の建築といわれる。唐様を随所に配し、 変化のある意匠をこらして妙味あるお堂で、三間の表一間を吹放しにし、左右の袖に小さな仁王像が厨子に納められている。これはがんを設けて仁王尊をまつり込む形態となっていて、仁王門と観音堂を一宇とした造りは、堂の柱が全部八角柱であると共に、他に例を見ない特徴と言える。〗
となるようです。

あまり大きくはない御本堂がそのような造りなので、コロナ禍でなくても納経や読経がむずかしい、ソーシャルディスタンスの取りづらい御本堂であります。


参拝を終えて納経所に向かいます。
こちらの観音堂ではその縁起にあやかっての楊枝が売っているのが特徴であります。歯の痛みが治まるとか。
┉そうだった、歯医者さんの予約を入れなければ(-_-;)

 

No.280 20/12/08 17:05
旅人さん0 

こちら、法泉寺さんに伝わる縁起。

昔、信仰深い女性が、口中の腫物で困っていました。秩父から来た僧が「この柳の枝で口を洗え」と教えられ、そうしてみたところすぐ治ったといいます。高じてお口のトラブルに効くということになっているようです。
和菓子を食べるのにちょうどよさそうな楊枝┉こんなると縁起もなにもあったものではありません。こんなことを考えるのは私くらいか。(^_^;) ┉そんなことを考えているとはかけらも思っておられない、御朱印の墨書きをしてくださっていた方から、その、ありがたい縁起をお聞きしたのでありました。


こちらでは、縁日にあたる四月十八日に、集落の男女が各戸一人ずつ出て【廻り念仏】という行事を行うのだといいます。境内いちめんに咲いた桜の下で、人々は輪になって子供のにぎりこぶしほどの木の玉を連ねた長い数珠を南無阿弥陀仏の称名を繰り返しながら順次わきに座る人に廻すのだとか。うーん、いいなぁ。住みたくなってしまう。


石段をのぼりつめたところにある休憩所(?)には、小僧さんが木魚にもたれかかって幸せそうに休んでいる石像がありました。日の光を浴びて本当に幸せそうです。
そして。
そこから見えるのは。武甲山!
なんといい姿でしょう。


名残惜しい休憩所┉法泉寺さんをあとにすることにして、さきほど数えられなかった石段の数を数えます。
いち、に、さん┉。
百十六っと。

「ねえねえ、数えてきた。百十六段だった」と私。
「えっ?百十七だったよ」
「ええっ?数え間違いじゃない?私、ちゃんと数えたもん」
「いや。百十七だったよ」
「これだけの石段、いろんな人が数えてるから、ネットで見ればどっちが正しいかすぐわかるんじゃない?」
と、言いながらなにげに見上げたところにちょうど小さな案内板があり、そこにまさにその答えが!
【石段百十六段】
ほら!(o≧▽≦)ノ

「ええっ?じゃあ最後のちょっとした一段は数に数えないってこと?」
「いやいや、ちょうど百十六段だったよ」

┉正解は夫。
まさに最後の一段、境内にあたる最後の一段は観音さまのおられる聖域なので数えないのだそうで。
一見正解と思われた私こそが数え間違いでありました。

やだやだo(><;)

No.281 20/12/09 14:54
旅人さん0 

次に向かいますお寺さん。
携えていれば閻魔の庁も無事に通れると言われている【御手判】の版刷りしたものをお授けいただけるという、それはそれはありがたいお寺さんなのであります。
┉そんな姑息な、と、自らを恥じはするのではありますが、でも、やっぱり、でき得ればそんな手形、【御手判】、欲しいなぁと、思ってしまう私でありました。
それが札所二十五番 【久昌寺】さんであります。

駐車場に車を停めると野菜の無人販売があり、非常に心惹かれたものの、まずはお参り。さっそく物欲との戦いをする辺り、やはり御手判がないとダメだな┉ではなくて!もう┉。

そんな、野菜の無人販売があり、学校帰りの小学生の遊ぶ姿ありののどかな駐車場から少し離れたところにポツンと、本当に唐突にポツンと、紅い┉ともすれば場違いな気すらする立派な山門が、山門だけがポツンと建っています。
【御手判寺】、えっ?
御手判寺と刻まれた大きく立派な石柱が、その山門のそばに建てられています。┉いやいやそんなお寺の名前ではない、なかったはずです。┉間違えた?
思わずスマホで確認したくらいであります。

それに山門しかないって┉??
山門のくぐってみると、はるか遠く┉というほどではありませんが、三~四百メートルはゆうに離れたところの高台に着いたお寺さんがあるではないですか。ああ、よかったぁぁ。

またまた走るようにお寺さんめがけて向かう私。どんだけ御手判が欲しいんだ。( ;-`д´-)

その高台にあるお寺さん。
┉まさかの無人。無人です。
こちらが久昌寺さんであることは間違いありません。なぜならばここ、秩父観音霊場のシンボルと言ったら大袈裟かとは思いますが、必ずその観音霊場に一つ、掲げられている縁起絵が飾られておりますから。
ど、どうして?┉
無人のときは○○へ、という案内のある観音堂もありましたが、こちらはそんな風には書かれていなかったはずです。

私の御手判は┉?


納経の際に希望すれば、『御手判』の刷り物を頂戴することができると、
あの世へ無事にいける通行手形という御手判はどちらでお受けできるというのでしょう。
   


No.282 20/12/11 06:32
旅人さん0 

十月にある一通の封書が届きました。日光輪王寺さんから、来年の鬼門除け札の郵送申し込みの御案内でした。
こちらは遠方からの方もおられるため、コロナ禍だから、というのではなく以前からそのような御案内をなさるのが慣習のようであります。

「輪王寺さんからこんな御案内が届いたんだけど┉行けないかね、やっぱり┉」と申しました頃は、まだまだ第三波も起きていない頃。
「大丈夫じゃない? お正月過ぎて平日に密にならないように行けば」とは夫。
そう、日光までの道筋は頭には入っているのですが、世の方々にかけるご迷惑を考えると運転を躊躇してしまう私、なので、日光に行くには夫の協力なくしては行けないと思っておりまして。


┉無理だな。 行けない。
行ってはならない。
コロナは確実に医療を逼迫している。

私のパワースポットである日光輪王寺さん(┉までの通路にあたる境内)。
こうした手段があるのだから、送っていただこう。

No.283 20/12/13 05:32
旅人さん0 

さても大事な【御手判】やいずこ。


【鬼門除札】ですとか、【御手判】ですとか、ほんの数年前の私でしたらその存在すら知らず、知ったところでそれを自らお受けしようなどと思ってもみなかったものでありました。とはいえ、その当時にも〖買う〗ではなくて〖お受けする〗といった感覚ではおりました。ただ、その提示された価格は当時の私には高いと感じるものではありましたが┉。
まるで不信心だった頃を反省するかの勢いで、お札や御守りが増えているわが家なのであります。

閑話休題。



第二十五番札所であります久昌寺さんの境内で、納経所を見つけられず途方にくれておりましたところ、小さな案内を発見いたしました。〖久昌寺➡〗

ん?えっ?
じゃあここはどこなので?
第二十五番札所の証しの演技絵が掲げられているではないですか。

だまされたと思ってその矢印の方角に目をやると、┉ ただの里山にあるのどかな風景と小さな水門があってその上の土手に上っていく細い土の道があるだけじゃないですかぁ( ω-、)
普通に里山の一風景に過ぎない光景がひろがるばかりです。

それでも┉藁をもすがる思いでその土手に上がると、眼前にひろがる広い沼。うわあぁー。
その美しい桃源郷のような景色といったら┉。
秩父の美しさをここに凝縮したかのような美しい光景がひろがっています。
そんな美しい沼のほとりを歩かないでいられるわけがありません。
でもそこに、ここには立てないで欲しいあの、赤い幟旗が、はるか遠くではありますが、いくつもはたはたと はためいています。
景観を損なうからやめた方がいい。いつも思うのですが┉。
でもこれも神社さんやお寺さんに信心深い老若男女が奉納しているものなんだよなぁ。うん?奉納した旗?
ここも境内ってこと?( *゚A゚)




No.284 20/12/13 06:01
旅人さん0 

いつもの私でしたなら走ってその先を確かめるところでありますが、あまりにも心地よい、あまりにも美しいその光景を走って過ぎることなど考えつくことすらなく、その光景を存分に味わいつつ歩をすすめたのでありました。

ありました。
┉【水上弁天堂】。
ここに向かう道であったということ?
この御堂にも隣接した納経所等は見当たりません。

あ、御本堂だ。
目前にあります弁天堂から90度視線を動かすと、なるほど御本堂がここにございます。
┉あの仁王門からどれだけの距離離れているのでしょう。山の麓一面すべてが境内のようです。

はっとわれにかえって、御本堂で再び読経して┉。
納経所へと向かいます。
納経し、御朱印をお願い致しました頃には、な、なんとすっかり御手判のことが頭から消え去っておりまして。危険、危険!
┉大丈夫です。納経所に御手判のこと御案内くださる貼り紙がしてありました。それを見てすっかり脳裏から消え失せていた自分にびっくりしただけでして。

私の御手判!ゲットです!

No.285 20/12/14 08:51
旅人さん0 

【御手判】にまつわる伝説。

秩父巡礼開創の折、播磨国書写山(はりまのくにしょしゃざん)の【性空上人(しょうくうしょうにん)】が冥府(めいふ)に招かれました。そして、その際一万部の経典を誦(しょう)し、【閻魔大王】から〖証文〗と〖石の手判〗を授けられたといわれています。
性空上人は、〖証文〗を【西国第二十四番中山寺】に納め、〖手判〗をこちらに納めました。この時のものとされる手判が現在なお伝わっており、和紙に刷った物が授与されており、それが私がうるさいほどに騒いでおりました【御手判】であります。
いまは、こちらの御手判をお受けすることで観音霊場の巡礼の旅路の無事がお守りいただけるというお守りとする説もあるようであります。
いいんです。┉罪深きわが身、穢れた心を自覚はしております。
この御札をお受けしたところで、すべてが赦されるものではないことくらいは重々承知しておりますつもりです。この御手判、今後の生き方を改めるための御札といたそうと思っております。

そうそう、♪┉そんなに甘いところやおへんでぇ。もっと、真面目にやれぇ。と。かすかな記憶に残る歌の台詞にもありました。
ん?、あれは┉天国のこと、だったかな?


そして、こちらに伝わります縁起。

あるとき、旅の僧が山に分け人って岩洞まで行くと、ひとりの少女が老婆の遺体のかたわらで泣いておりました。少女の話を聞くと、この老婆は性格が荒々しかったことから人に嫌われ、十五年前にお腹に子を宿したの身で里を追い出されてしまいます。さらにはその後、里人に川に落とされて殺されるところを逃れ、この岩洞で娘を産んだのだといいます。
以後、老婆は人から危害を受けることを避けるために、心ならずも鬼のように振る舞ってきたのだというのであります。
その老婆=母親が亡くなり、その娘である少女が嘆き悲しんでいたところ観音菩薩さまが現れ、『母の供養のために堂字を建立せよ』とのお告げがあったのだといいます。
少女の話を聞き終わった旅の僧は、娘を連れて里に行き、人々に一部始終を話しました。すると、里人たちは娘を哀れんで、力を合わせて観音堂を建立しました。
その観音堂にその僧が持っていた行基菩薩作といわれる聖観音を本尊として安置したとされています。

なんとも切ない、そして人の世によく聞く話であります。

No.286 20/12/14 09:02
旅人さん0 

現在は二十五番札所であります久昌寺さん。
現在の観音堂の脇には、崩れた岩屋の跡があり、当初この岩屋に祀られていたため、かつて〖第十一番札所〗であった当時は【岩屋堂】と称されていたのだそうです。


それにしても本当にのどかな、心が洗われるような光景であります。

春には春の、夏には夏の。
秋には秋の風情があって、冬には冬の趣のあるでありましょう久昌寺さん。
何度でも来たいお寺さんであります。


No.287 20/12/15 08:51
旅人さん0 

次に向かったのは、第二十七番札所であります【大淵寺】さん。

とうとう数字すらまちがうようになってしまったとお思いになられた方は、ご安心ください、今回初めての順番たがえでの参拝をしたのであります。
なぜならば納め札が残り三枚になってしまったから。

納め札は取扱いをされている札所が大変に少なく、先に向かうこととした大淵寺さんでは、秩父全体の神社さんやお寺さんで賛同して取り扱われている秩父【願い石】の取扱いをされているので、もしかしたらそういった巡礼に必要なものも取り扱われているかもしれないと思ってのことでありました。

時刻は十五時をまわっています。
小心者の私は順番たがえが気になっておりまして、せめて今日中に二十六番さんへも参拝してまいりたい。┉そう思っているものだから、どうしても足早に、回りも見ずに御本堂を目指して歩いておりました。
「ああ、観音さまが見える」
あとから歩いてくる夫が感嘆の声をあげております。┉?
見える?
あたりをみまわしたところで観音さまの石仏や観音堂があるようにはみえません。
「ほら、あそこ」
ん?やっぱり見あたりません。
「もっと上だよ。ほら、あの木と木の間、山のほう。」

┉観音さまだ。  

そう、まさに木と木の間に白い観音さまのお顔が見えていました。
高さ16.5mの鉄筋コンクリートでできた、高崎、大船にあるような大きな観音さまでありました。
1935年11月に建立されたものなのだそうで、時はまさに戦争の足音がひしひしと迫ってきた時代のこと、本来左手に蓮華を持つ筈なのに代わりに剣を持つ像に仕立てられているのだそうで、護国観音さまと呼ばれているのだそうです。
とはいえ、私たちが見上げたあたりからではお顔しか見えないのでありましたが┉。

秩父札所27番の旧観音堂は、山上の護国観音の付近にあったといいます。それを麓の寺の境内に移したのですが、1919年4月、開通したばかりの秩父鉄道の蒸気機関車から吐き出された煤煙で寺もろとも焼失してしまったのだそうです。

すごい!
小学校低学年のときの国語の教科書にあった【機関車やえもん】のようだ。
蒸気機関車が走るころは、そんなことが絵本の世界ではなく現実に起きていたことだったんだ。

No.288 20/12/15 10:17
旅人さん0 

大淵寺さんは蒸気機関車の煤煙で全焼してのち建てられたお寺さん。なるほどいかにも大正時代に建てられたといった風情の、あの薄い硝子戸のある御本堂でありました。
できうるならば納め札を購入して、順番を飛ばしてしまった【圓融寺】さんにも参拝したいという焦りから、いつもとは異なり(?)慌ただしく動く私。
ようやく納経所へ向かうと┉。

呼べど叫べど(┉もちろん叫んではおりませんが)どなたもお出ましにならず。しかもどう見ても、納め札をお取り扱いになっているようにはみえない、シンプルな受付です。
待つこと数分。諦めて外に出ようとすると郵便屋さんが配達にみえました。
誰もおられませんよと思ったものの、もはや青菜に塩といった有り様で声にもならない私。
これでは順番たがえまでしたというのに、こちらの御朱印すらも受けられないということになります。

落ちつけ!
あくまでも霊場巡り、参拝が目的であって、御朱印は納経した証、でしかないのだろ?納め札を納めて読経して、写経してきたものを納めればそれでよかったはずだろう。

No.289 20/12/15 16:58
旅人さん0 

御朱印も、納め札も祈り石もあきらめて外に出ようとした、まさにそのとき、女の方が一人入ってこられました。
いらっしゃらないみたいって教えて差し上げた方がいいよな┉。

「あら。お待たせしてしまったでしょ?ごめんなさい。もう誰もお見えにならないかと思ってしまって。」

┉お寺の方でありました。
もう少し早くにあきらめてしまえばお会いできなかったところでありました。後光が射してみえたっていう表現は、こんなときにつかわずしていつ使うのかといったタイミングであります。
あきらめかけた御朱印も、祈り石もお受けして、納め札のことを申し上げたところ、
「あら、うちのお寺では扱っていないの。というか、もうここって二十七番で終わりの方でしょ?この辺の番号まで来るとどこのお寺さんも扱っていないんじゃないかしら。ごめんなさいね。」

それは言われてみればごもっともなことでありました。たまたま私どもは納め札を夫婦で使うものだからこんなタイミングで終わってしまったけれど、用意周到な方であれば、購入した時点で三十四ヶ所まわるのにあたって、何枚あるのか数えるでしょうし、その時点で納め札をいくつ購入すればよいか気づくのであります。
どんぶり勘定の私と、そんな私を信用してしまう夫の珍道中。

写経してまいりました紙と納め札はセットのようなもの。写経用紙は地元でも手に入りますが、納め札はこういった巡礼地でしか取り扱いはありません。
もっとも、もしかしたらパソコンで出してプリントするようなこともできるのかもしれませんし、とにかく枚数を数えて足りなければコピーしてもよかったのでしょう。なんと考えの足りない人間でありましょう。

そんな思いでとほとぼと境内を歩いていると、延命水という湧き水がありました。飲用可能なお水のようです。
延命かあ。
このコロナ禍、明日の運命が誰もわからないようなそんな世の中となってしまっております。そう言いつつもそんな覚悟など露ほどもできておらず、どこかまだまだ生きられるような気がしている危機感のないのんきなやつであります。
けれど┉やっぱりある程度の年になった人たちが口を揃えていうように、子供に世話はかけたくはない。

結局、いつも延命の願掛けはせずにお参りをすすめる私たちで。
口には出さないけれどきっと同じことを考えているのかなぁ。

No.290 20/12/18 01:54
旅人さん0 

以前、外出自粛期間には感じていなかった恐怖を、今ひしひしと感じています。
それはコロナが地元でも拡大し、全国各地で、身近なそこここの街角にみえないながら潜んでいるような恐怖なのかもしれません。
当初まるで未知の、罹患すると死にいたることすらある、感染力すらも計り知れない病だったものは、同じ国内でありながらも、まだまだどこか身近でなかった。けれど今は、市中にあふれでて、クラスターすらがナビすら要らない場所のあちこちで起きているのが現実です。

┉なにより〖自分はコロナではない〗という、断固たる自信のようなものを持った方が、症状がありながらも市中を普通に歩きまわっており、しかもコロナの検査を受けるように指示されてもなお、検査費用が自己負担で高額であることから拒否して、通常の外出、通常の受診を繰り返しているという実例を目の当たりにすることが増えたこと。
熱があるのにそれを隠し受診し、受診前後には駐車場では知り合いのかたと距離すら持たずに三十分以上談笑し、一週間以上熱が続き咳が続くまま通常生活をし、三度目の受診で強制的に紹介状を書かれた先でコロナの診断を受けたとか、いく例もいく例も間近で見聞きし、結果の拡大。

何かひとつでも症状があって、自分はコロナではないかという不安と、その不安から逆に自分はコロナではないと思いこもうとする心理は、どこかわからなくはないような気もするのですが、少なくとも当たり前のソーシャルディスタンスや、病院で提起している受診のきまりは守るべきものだと思います。
コロナに罹患された方を悪く言っている気は毛頭ありません。
それは悲しいけれど誰しもに起こりうることで、誰もが望んで罹患したかったわけではないので。
ましてや無症状の方もおられる病であります。



ただ┉距離を一定に保ちたくともスーパーの提示しているとまれの位置すら保たず真横に並ぶ人、マスクもせず話しかける見ず知らずの人。
コロナを疑う症状を隠して距離もとらずに受診する人。コロナの検査を受けるように指示されても拒否する人。

やめましょう。
やめてください。


コロナウイルスはたしかに市中にあふれてはいます。
けれどそれを国民一人一人が止めようと努力して生きなければ、医療も経済も逼迫した状況になります。なりつつあります。




No.291 20/12/18 08:31
旅人さん0 

以前の外出自粛期間においては、生活圏内の、人も訪れない、もしくはほとんど人の訪れていないときに神社仏閣に参拝し、コロナの終息を祈願しておりました。

でも今は┉そうした外出さえも自粛してしまっている私がおります。生活必需品の買い物には行かなければならないので、その他の外出は自然に心が身体がそれをひかえるようになってしまっています。
心の余裕が当時よりもなくなっているのかもしれません。

中断している秩父巡礼。
中断してしまって久しい鎌倉観音霊場と十三仏巡り。
行きたいと思っていた、東京葛飾柴又の帝釈天さん。
道筋をシミュレーションまでして、あとはもう行動にうつすだけだった東国三社参り。
いつ行けるのだろう。
いつか行けるのだろうか。

いつか必ず行こう!
いつか必ず行く!


緊急事態宣言を希望する声が世間でも強くあがっているようです。
それがないと自粛したくても自粛できない人がおり、まるで流行していなかった頃に自粛のため学校に行けずに過ごした子供たちも、今度は感染の危険を冒しながらの登校をしています。

コロナはもうすでにあるものとしてとらえるWithコロナの時代に突入してはいます。発生してまもない病であるがゆえ、いまだにその寄り添いかたは模索するしかないものではあります。ありますが、危機感を全国民が共有して、一丸とならなければこの追い詰められた局面を乗りこえられないのだと思います。

春先とは違うもう1ランク上の感染対策を、外出自粛をしなければいけない、感染の連鎖をたちきらねばならないのです。

医療現場の方々は家族とすら会えず、労働基準法に確実にひっかかる連勤をされておられます。その心身の悲痛な状況を知って、当たり前の感染予防を遵守していきましょう。


再びあの明るい日の当たる道を歩くために。


今まで行かせていただいた、神社さん、お寺さんでお受けした御札や御守り、御影とよばれる御仏のお姿を写したもの。
┉ご縁を結んでいただけたかどうかは私の日頃の行いに寄るものとなるので、なんとも自信はありませんが、毎日祈願して、いつの日かその祈りを叶えてくださったことへのお礼の参拝に行けるように。




No.292 20/12/18 09:35
旅人さん0 

前回の秩父巡礼は第二十六番円融寺さんまで。

秩父巡礼地において、思わず目を疑うくらい新しいお寺さんで、アスファルトの敷かれた駐車場、苔すらないすべすべの新しい石段。
石垣の上に建てられた塀には瓦が葺かれています。
そのお寺さんの駐車場にたくさんの建築業者さんの車両とたくさんの木材。
横に広い立派な御本堂は┉壁も床もない状態でありました。
仮本堂とされているのは二畳あるかないかのプレハブで、戸をカラカラと開けるとすぐそばに御前立ちの御本尊さまがおられました。
まあ!♥
御本堂の工事中なのはなんとも残念なことではありましたが、こんなにお側で御本尊さまにお会いできる機会など滅多にはありません。
お優しいお顔立ちの、金色のまばゆい、たいそうおきれいな聖観音さまでありました。
そこで納経し読経して、庫裏に向かいました。
庫裏もまた新しい建物でありました。
そこでは瓦の奉納のご案内があり、┉あり?あれ?
な、なんと納め札がございます。

えっ?順番たがえまでして探し求めた納め札は、まさかの順番通りの円融寺さんにあったのでありました。


人生なんてこんなものさ。


なんとも珍道中らしい出来事でありました。


No.293 20/12/19 06:55
旅人さん0 

【円融寺】さん。
実は観音堂はこちらの境内にはないのです。
それは存じ上げていたのですが、結構な山道の石段を三百段のぼっていくのだということで、秋の夕刻、野性動物との遭遇する可能性を考えてあえて今回はやめて帰路につきました。
その岩井堂とよばれる観音堂。
大渕寺さんの護国観音さま。
必ず行こうと思っています。

秩父三十四観音霊場巡りは、このあと一つ一つの霊場が離れた場所にある立地となります。
さらには鍾乳洞を梯子でのぼったり、本格的な岩場をよじ登っていく奥の院など、車でなんとかなっていた┉なんとかしてしまっていた巡礼もいよいよ修行色を帯びてまいります。
体調を管理し、コロナ感染対策をしたうえで、しっかりと体力維持┉では足りませんので体力増強をしていかねば!


寒い季節を乗りこえて、明るいあたたかな季節を迎えて、笑顔で楽しめるときを迎えましょう。
人々が春を愛で。
新入生たちが皆に祝われ入学式に参列し。
進級した子らが胸膨らませて新しいクラスのお友だちと顔をあわせ進級した学習を学び。
新社会人たちが縦横の人間に出会い自らを成長させ。
医療従事者の方々が、普通に家族の待つ家に帰宅し普通に家族で食事をし、普通に自宅で眠ることのできるときを迎えたい。


全世界のコロナ禍がどうか一刻もはやく落ちつきますように。


No.294 20/12/21 05:52
旅人さん0 

さきほどテレビで、真夜中、東北で大きな地震があったことを知りました。真夜中のことで、詳細はなに一つ報道されず。

大雪で大変なときなのに┉。
雪降ろし、雪掻きで疲れはててお休みになられておられる真夜中に┉。

どの方もどの方も地震への恐怖はいまなお鮮烈に残っている地であるのに┉。




東北にお住まいの方々のご無事を祈り、ありきたりな言葉しか言えず歯がゆいことではありますが、お見舞いを申し上げます。


No.295 20/12/27 09:15
旅人さん0 

コロナ禍、子育て中、ましてや乳飲み子を抱えたお母さんたちの奮闘にただただ頭がさがります。
コロナというわけの分からない病気のせいで、孤立するお母さんも多いのではないのかと思うのです。
ましてやそれが慣れない土地で、頼れる身内もそばにいないといった状況下にあっては、その孤独感はいかばかりかと胸が痛みます。

娘も慣れない土地で初めての子育てを、仕事至上主義の旦那さんとの生活のなか、まさに孤軍奮闘しています。どれだけ仕事至上主義かといえば、妊娠中出血した妻を置いて仕事に行き、入院から退院まで娘がすべて一人で対処したという、親としては怒り心頭な男性であります。


歩き始めた目の離せない子供と二人。
コロナのせいで、遊びに行くことも買い物すらもままならぬとなれば、いくらかわいいわが子であってもストレスが生じないということはないと、思うのであります。

テレワークも不可能で、ましてや人と接するのが仕事である私は、コロナに罹患しているやも知れぬ身であると考えると、そんな娘の手助けもできず、孫にも会えない生活をしておりました。

今しかできないことをせずに、仕事、仕事と言って時を過ごして、私は後悔しないのか?
仕事はいくらでも代わりがいます。
辞めよう。
三カ月前から直属の上司には伝えてありまして、パート従業員に過ぎない私は特に退職願の用意も要らないようです。十一月いっぱいで仕事を辞めました。



仕事上でコロナに罹患していたなら、と考えてとりあえず二週間、あいだを開けて、ようやく娘と孫のところへ行くことができました。

大きくなって、重くなった孫をおんぶしてのお散歩。
どれだけ憧れた行為だったことか。


お散歩した道すがら、一般のお宅の裏手に大きな石碑が建っていて、【百】という文字が目につきました。ん?
【観音霊場百ヶ所巡礼記念の碑】と彫られています。
おお、百ヶ所の巡礼を果たされた先人がここにおられたのか。

巡礼はストッブしてしまいました。 このあといつまた巡礼に出られることか。
それでも私は新たなスタートをきりました。

コロナ禍。
生きざまと死にざまを考える機会ともなりました。
まだまだ死にざまを考えることはできずにおりますが、一歩一歩歩みながら考えていきたいと思っております。



No.296 20/12/28 09:09
旅人さん0 

東京都にあります、【愛宕神社】さん。

『┉愛宕の山にいりのこる月を旅路の友として』と歌われる鉄道唱歌を思い出すのは、それなりの世代、ということでしょうか。

その愛宕神社さんが先ほどテレビのニュースに出ておりました。コロナ禍における初詣の一対策方法の紹介でありました。
ウォッシュミストと呼ばれる装置を境内の二ヵ所に設置したといったものであります。その装置は小さなシャワールームくらいのガラス張りの空間に入るとミスト状の除菌液が吹き付けられるといったもののようです。少しでも安心してお参りいただければという配慮からのもののようで車両洗浄機の会社からレンタルしたとのことでした。

なるほど、さすが、地方の片田舎に住む私がその名を知り、参拝に訪れたことのあるくらいの神社さんであります。

その愛宕神社さんのホームページを拝見したところ、
〖令和三年の旧元日は2/12です。三が日にこだわらずお参り頂ければと思います。
日本車輛洗滌機(株)様のご協力により、12/28~2/2まで境内にウォッシュミスト(全身除菌装置)を設置致しますが、必ず通ってお参り…ではありませんので、手水等含めてご自身でご判断下さい。
※なさらなくても、不敬には当たりませんので安心してお参り下さい┉ 〗とありました。


令和三年の初詣は地元の神社さんであっても、あくまで密を避けて、場合によっては節分までに参拝にうかがえばいいと思っていましたところ、旧暦の元旦は二月十二日なのでそれまででもいいんだよ、と神社関係者さんから肩の荷をおろしていただき背中をおしてもらった思いです。
とはいえ、私はここ何年か前からようやく初詣をするようになった不敬にして不遜な人間なので、その頃のことを思えばなんということもないように思うのでありますが┉。

うーん、ウォッシュミストかぁ。
なんの除菌液なんだろう。
コロナ禍にありがちな素人の疑問です。
氷点下に冷え込むような日ではミストは作動するのかなぁ、それを吹き付けて凍ったりはしないのかなぁ。
くだらない疑問ばかりが頭に浮かびます。


せっかく愛宕神社さんの出世の階段をのぼっての参拝をしたというのに、辞職してしまった私はなんとももったいないことをしたものであります。
後悔はないですが┉不敬にあたるかしら( ;´・ω・`)

No.297 20/12/28 09:31
旅人さん0 

今日は不動明王さまのお縁日。

群馬県渋川市の【宮田不動尊】さまの年に一度の御開帳の際の灯明に使った蝋燭は持ちかえることになっていました。
宮田不動尊さまはお優しいお顔をなされた大きな石像さま。
年に一度、一月二十八日の初不動の日にだけ御開帳され、それ以外の日は訪れる人も少ない┉のかなと思うくらいの、山の上のお堂の奥におられます。
ちょうど土日にあたらないとなかなか参拝することができず、まだ一度しかその尊顔を拝したことはないのですが、本当に本当にお優しいお顔をされておられるのであります。

今日のお縁日。宮田におられるお不動さまを、そして様々なところで参拝させていただきました不動明王さまに感謝を込めて、自宅ではありますが灯明し、真言をお唱えいたしたいと思います。



No.298 21/01/03 05:54
旅人さん0 

令和三年。

昨年とはまるで異なる年明け。
そう、令和二年、こんな年になろうとは誰ひとり思っていなかった。それでも時は流れる。
そのなかでどう生きるか。

死というものがいままでの私の人生とは異なり、
┉本当はいつ訪れるかわからないといった点はなにも変わっていないのかもしれないのですが、少なくとも私は、このコロナ禍となるまではさほど身近には感じてはいなかったのでありました。それでもそれを本当に我が物としてとらえているかといえば、甚だ覚悟も準備もないのが現実です。

神仏を崇めて、すべてに感謝し、『自分は生かしていただいている』『生きている間は自分で出来る限りの働きをして、いつお迎えが来てもいいように生きる』と常に考えておられるような方々の生き方に憧れてはいるものの、そういった心の境地にはなかなかいたらずいまに至っています。

煩悩と欲の塊のようにすら感じてしまう自分でありますが、日々感謝の念を忘れず、誤った考えや行動を反省して生きるといった、まあ当たり前と言えば当たり前過ぎることではありますが、そこから今年一年がんばって生きていこうと思います。
生かしていただいている間にすべきこと、できること。どこかで考えながら生きていこうと思います。

これが小さいようで私には大切な、令和三年の私の所信表明であります。



No.299 21/01/03 06:35
旅人さん0 

もう何年も前から、新年にお墓参りに行っております。

舅には「それは家長の役割だ」とか、次男の家なのだからここはお前の家の墓ではないとか。だから次男の嫁のやることではないとか、いろいろ言われてはいたので、そっと、行きたいと思う子どもがいれば連れて行き強制もしないので時にはひとりで行っていたものです。

舅が亡くなって、親、そして祖父の墓参となり、夫も共に行くようになりました。姑は墓参まではしないのですが、それでも真新しい卒塔婆の立てられたお墓でのお墓参りはどこか新年を感じるものでありました。
それも┉姑が施設に入居するまでは、のこととなり、今は古びてしまった卒塔婆が寂しげに立つ嫁ぎ先のお墓となってしまいました。
「卒塔婆は供養のために誰が立ててもいいんだよ」
そうはいってはみたものの、墓守である人を差し置いてはなかなかそうもできないのがこの辺の土地柄であるようですし、夫は少なくともそう育ててきた父親のお墓に出過ぎたことはしたくない人柄であります。


私の父方のお墓は、これまた舅が「離婚した親の家の墓参りなんて」と申し、父の亡くなった年の喪中はがきも難色を示したくらいだったのですが、小さいころ可愛がってくれた祖父母と父の眠るそこは私の心のよりどころでありました。
その墓参も、昨年父親の後妻の方の戒名が刻まれて以来、行っていいものかどうかすら一時期悩むようになってしまいました。
姑方母方のお墓は墓じまいをしています。

そして┉昨年春に亡くなった母親のお墓はいまだ建てられることなくいまに至り、ご本堂にお骨を預かっていただいたままの状態です。それも墓守となった者の考えひとつ。
生前から墓所まで買っておいた母は御本堂の片隅で何を思うことか。


お墓。
お墓問題。
お墓を持つ以上墓守となる人間が存在することとなり、今は大変多様化し複雑化しているものとなっているようです。

私ども夫婦の考える墓の在り方も、毎年少しづつ変化しています。
私の姉は子どももいない一人身であります自覚から、すでに葬儀からお墓まで決めております。
うーん。


難しい。


そんなちっぽけなことで悩んでいる私を草葉の陰から舅が笑いながら見ているような気がする、ことしも青い青い空の広がる穏やかな墓参でありました。

No.300 21/01/03 17:23
旅人さん0 

令和二年から三年にかけての年末年始は、あの【緊急事態宣言】の発令されていた令和二年春の頃よりも、外出するのを自らの判断で自粛しているような、きわめて危機感を感じる重大な局面であるよう思っています。
年末年始の神仏への参拝は正月三が日にこだわらず、かつて神仏を崇めることなく過ごしていた頃のように、神社に詣でることもなく、お寺に参拝することもなく過ごすのがよいのだろう。
┉常日頃、お願い事ばかりをしております神仏に、新年のご挨拶もしない?
いやいや、今は人類が迎えているいくつかの大きな局面、未曾有の事態なのだから、そこは神さまも御仏も御理解くださっておられる?
うーん。


そんなもやもやした思いを抱えて新年を迎えました。


日の出の頃、地元の山頂に鎮座される稲荷社にひとり参拝いたしました。そこを参拝されていた方はその時間帯で二十人にも満たない人数でありました。
係の方や誘導の人もいないにもかかわらず、暗黙の了解で片道通行となっており、密を避けて参拝を終えるとスッスッと流れるように次の方に席を譲っていきます。
はからずも最後の参拝者であった私は、神社の清々しい気を、明けたばかりの初日を、独り占めする役得までありました。


高さ191mほどの小さな小さな山ではありますが、その山をまっすぐストレートにのぼっていくけっこうな傾斜の石段とスロープの参道は、足にもそれなりの負荷がかかり、呼吸も乱れるものであります。
ですが不思議と参拝を終えての下りの道は、毎回、まるで遠足のときのあの心はずむような感覚でおりることとなります。
ここのお山のお稲荷さんが下まで送って来てくださっているかのようで、私の好きな神社さんであります。

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