関連する話題
神社仏閣珍道中・改

神社仏閣巡り珍道中・改

レス500 HIT数 21567 あ+ あ-

旅人さん
21/07/02 03:51(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。



No.2982625 20/01/08 07:18(スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿制限
スレ作成ユーザーのみ投稿可
投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

No.351 21/02/19 14:15
旅人さん0 

こちらは、ずっと群馬県前橋市にあるものと思っていたのですが、前橋市にある交差点を曲がってまもなく伊勢崎市に入り、そこからまもなくのところにあるので、実は伊勢崎市であったという。

この石山観音堂さんは昔から馬の信仰で名を知られたところであったようです。かつては近郷近在から馬を飼う人々が馬とともに参詣し、この大きな大きな鰐口を鳴らし、その鰐口の下をくぐらせて馬の無病息災を祈ったのだと言います。
うーん、馬、この鰐口の下をくぐるのは難しくないかなぁ。
鰐口自体が直径百九十二・五センチあるとのことで、その下は┉二メートルくらい、かなぁ、もう少しあるでしょうか。
馬の身長はわからない私でありますが、たしか見上げるくらいのところに顔があったような┉。まあ種類にもよるのでしょうが。
それにしても┉。ここ、石山観音堂さんまでぽっくりぽっくりと馬とその飼い主さんが歩いてくるさまや、この大きな鰐口の下をくぐるさまを想像しただけでも心がほっこりいたします。
今はもうそんな心なごむ光景は見られはしないことでしょうが、そんな名残を残したお祭りがあったりした┉らすごいのですが、ね。そんな話を聞いたこともないので、それは私の希望であり夢でしかありません。

私も鰐口の下をくぐらせていただき、┉みぎてには大きな赤い鐘楼が見えます。ですが、おそらくは第二次世界対戦の際供出されたまま、戻ることも再建されることもなかったのでしょう、主なき鐘楼は風か吹き抜けてどこか淋しそうにもみえます。

そして正面には、赤い御堂が建っております。どこも赤いお寺さんでありますが、なにかいわれでもあるのかどうか。
向拜に彫られた龍や獅子の彫り物はそれはそれは細やかで細かなところまで丁寧に彫られ、そしてなおかつ迫力あるもの。なのですが、これまた赤く塗られています。さすがに赤一色にだけ塗られているのではなく目ですとか牙ですとか鱗とかはきちんと違った色で彩飾されているのですが┉。
御本堂┉なのかなあ、観音堂の中もベースは赤のようであります。

御本尊は馬頭観音さま。御厨子におさめられておられるようです。その向かって右に聖観音さまが、ひだりてに千手観音さまがおまつりされています。誰もがお唱えできるよう御真言が掲示されています。

No.352 21/02/20 09:57
旅人さん0 

御堂の裏手になにやら大きな岩がいくつも重なって立っているようです。
そのなんともいえない神秘的な有りようといったら。

ここから先ほど来た国道を突っ切ってまっすぐ行ったあたりにある(だろう)神社、前橋市の【産泰神社】さんも大きな岩が祀られています。
それから、だいぶここからは離れますが大きな岩を御神体とした神社さんがやはり前橋市にあります。┉【石山観音堂】さんは伊勢崎市でありますが。
そのどれもが、度々その名を述べております【上毛カルタ】に 【〖す〗 裾野は長し赤城山】と読まれている【赤城山】の噴火によるものと言われているようです。

しかし、よくまあ。ここ石山観音堂さんの岩は大きさもさまざまで、それがおそらくは絶妙なバランスをもってして立っているのだと思います。これが自然にできたのだとしたら、神憑り的な気がしてなりません。
また、その岩の頂きに石で象った剣にも思われるような尖った石が立っています。そして出羽三山の名を彫った大きな石碑がやはりこの大岩の上に立っているのです。うーん絶妙なバランス。頭のよい方が計算し尽くしてそれをまたバランスを考えた石工がそこに設置したのでしょうが、そういった方面のことも(┉他のことも、ですが) 頭を捻っても捻ってもわからない私には、やはりこれすらも神業と思えてしまいます。
登っていけなくはない┉のてしょうが、ここは神の宿るところな気がして、私は登ることができませんでした。

そしてその岩のすそには様々な石像が。
初めて見る、半立体に彫りおこしてあるのですが、素朴な、四角く彫られた上半身だけの石仏がおられるのですが、その可愛らしい様といったら。




No.353 21/02/21 15:34
旅人さん0 

私は岩、岩と書いておりますが、そもそもはここは石山観音堂さん。大きな石、なのかもしれません。その区分はあまりないようなので、とりあえず、前に書いたものはそのまま残させていただいて。
大小さまざまな大きさの石やら岩が、自然にあったもの、人力で積み上げ、組み立てたものなど等々いろいろなのではあろうかと思いますが、。
こちらの御本堂の真後ろにその大小の石を積み上げた山があるのですが、あまりに近く。
岩を御神体とした神社さんがその建物に岩を組み込んで建てているところがありますが、まさにそんな感じにすらみえます。

御本堂の後ろ┉穴が開けられて岩が組み込まれていました。
巨石群にのぼらないように気をつけながら、御本堂の後ろを拝すると、まあるく石が入るように孔を開けてその繋ぎ目をなにかでコーティングしてありました。
うーん。
巨石信仰という言葉があるのかどうか、このお寺さんも、まず小高い山があって、その上に岩が?石が神仏が組み上げたかのごとく山となっていて。
その神秘性に信仰がおこったのか、それともそこに導かれた僧がここに寺を興したのか。
まあ、由緒書きにはいろいろ書かれたものがあったのですが、なにぶんにもその由緒書きが一市民の寄贈したもののようで。
こちらは今はもうご住職さんのおられない、親族がまもるお寺さんとなっているようで、そのご親族さんにお会いでもできれば正しいものなのかどうか確認もできようかと思うのですが。
大鰐口と、今は鐘のない鐘楼には伊勢崎市のつくったいわれが看板となっていましたので、これはお寺に伝承されたものかとは思われます。
いつの頃から無住となっているのかもわかりません。

それでも┉ご親族さんにまもられ、檀家さんにまもられて、境内は明るい気が充ちたものとなっておりました。
御本尊であります馬頭観音さまと千手観音さま、聖観音さま、もう馬を連れて詣でる者もなくなりはしたかとは思いますが、どうぞこの地をいつまでも御守りください。

やますそにはいろいろな色の梅の咲く、山門のそばの手水舎のすぐ脇には垂れ桜が咲くであろう、石山観音堂さんは、気持ちのよい山の上にあります。

No.354 21/02/24 18:59
旅人さん0 

栃木県足利市で大規模な山林火災が発生してすでに四日目をむかえています。
ここ数日、毎朝、五時半を過ぎるとヘリコプターが足利に向かって飛んで行く音が聞こえてきます。この時間にどこからきてくださるヘリコプターなのかもわかりませんが、わが家の上空を飛ぶにはさらに早い時間から始動してくださっておられるということです。その音を聞きながら思わず感謝の手を合わせてしまいます。北関東はここ二日風が大変強くて、ヘリコプターで飛ぶには危険な条件なのだと思います。
栃木県や自衛隊の他にも群馬県や茨城県からもヘリコプターがむかっていただいているようです。ありがたいことです。

テレビのニュースでは山林のあちこちから立ち上る白い煙が映し出されています。
この二日間の強風で何ヵ所にも飛び火をしてしまったようです。
両崖山付近の住宅街にまで煙はおろか火の手も迫りつつあるようです。
現時点で足利市ではおよそ百八十世帯に避難を勧告したようです。なんという多くの世帯が対照とされる火災でありましょう。
ご自宅のことを心配し不安なまますでに四日。
ましてやコロナ禍。その不安はいかばかりでありましょう。

この山林火災で、すでに東京ドーム10個分以上に相当する50haほどが焼失。いまだに鎮火のめどは立っていないようです。

外もすっかり暗くなりましたがいまだにヘリコプターの飛ぶ音が聞こえています。


私どもは歴史好きの夫とともによく足利市の神社仏閣を参拝させていただいており、年に一度の足利市の文化財一斉公開では神社仏閣の関係者の方々だけでなく、市民のボランティアの方々にも大変お世話になっております。素朴で温かな方々ばかりで、大変居心地のよい思いをさせていただいておりました。


どうか一刻も早く鎮火されますように、お祈りいたします。
お身体にお気をつけてお過ごしくださいますよう。

No.355 21/02/25 16:33
旅人さん0 

栃木県足利市の山林火災の消火に向かうヘリコプターの飛ぶ音が今日は一昨日昨日よりも多いように感じます。風の穏やかな今日は消火のため散布している水も風で流れることなくより効果的に撒かれていることかと思います。ヘリコプターの操縦も強風下でのものよりは大変ではないでしょうか。
ヘリコプターの音を本当に頼もしく思うのはこんなときであります。聞けばこのような山林火災では地上からの消火が難しく、どうしてもヘリコプターに頼るものとなるのだとか。消火に当たられてくださっている方々におかれましては、どうか安全にお気をつけて消火活動にあたって下さい。
昨日所用で群馬県高崎市、前橋市方面に出向いておりましたが、そこでも同様にヘリコプターの音が鳴り響いておりました。
近隣の県からのご協力の音と頼もしくそしてありがたく聞かせていただいております。

足利市は神社仏閣の多い土地であり、火災現場近くにあたるところに参拝させていただきました神社仏閣がいくつもあり、長きに渡りまもり続けてきた御神体や御本尊さまをいかに守ろうかとご努力ご尽力されておられることかと胸を痛めておりました。
そんな中、今朝ほどのニュースで足利市の文化財を避難させているというテロップと一瞬映った画像をみました。
その一瞬しか扱われなかった映像が(私が見逃してしまったのかもしれませんが┉)私には大岩毘沙門天さまのお堂をまもって立つ仁王さまのように思えてなりませんでした。


栃木県足利市の大岩山毘沙門天さまは、山のなかに立つお堂であります。
すれ違うことができない地点がいくつもあるような、細いくねくねした山道をのぼって行くところにあります。
一昨年は台風で道が崩れて、直るまで相当な日数がかかったようです。
そんな中であっても、御山の麓にある本坊であります最勝寺さんから毎日毎日遠回りの道を使って御山にのぼり、御護摩修行をなさっておられたご住職さまは私の尊敬する方であります。
現在の山林火災の現場から離れていると、言い切れない地点にあるのが現実であります。
万が一の事態が起これば、御本尊さまをはじめ数多くの大切にまもられ伝えられてきたすべてが守ることができないような立地であります。

ご住職さまはそれを危惧され、栃木県の建設業協会に依頼されて緊急搬出をされたようでした。


No.356 21/02/25 17:25
旅人さん0 

このコロナ禍というときとなり、私どもは自粛させていただいておりましたが、毎月一日には欠かさず御護摩修行をなされておられた大岩毘沙門天さま。
ですが、最新の更新されたホームページを拝見したところ、参拝を控えるようコメントされておられ、さらには心配して見に来ることも消火や避難の妨げになるためご遠慮いただきますようと綴られていました。
行事カレンダーも書き加えられており、山火事のため終日閉堂とされ、ご縁日の御開帳日で御護摩修行となっている一日も中止とお書きになられていました。

御本尊さまをはじめ数多くの大切な御堂にありました寺宝等も、門にお立ちになられていた金剛力士さまも避難されおられなくなっている御堂で、ご住職さまはどのように御過ごしになられておられることか┉。
今は心配ですが足利市の皆様及び消火に当たられてくださっている方々のご無事をお祈りするしか私にできることはありません。


私は大岩毘沙門天さまの本坊にあたる最勝寺さんのご住職さまにいただいた経本を使わせていただき、毎日つたないお経をお唱えしております。
そして、今、毎日行っている写経は 為 足利市山林火災鎮火としております。
どうか一刻も早く鎮火いたしますように。


と綴っておりましたところ、群馬県の桐生市でも山火事が発生しているとのニュースが飛び込んでまいりました。
こちらも延焼が拡大しているとのことであります。
自衛隊や山梨県からの防災ヘリが消火に当たられてくださっているようです。
どちらの山林火災も一刻も早く鎮火いたしますように、お祈りいたします。

No.357 21/03/02 05:36
旅人さん0 

群馬県桐生市で起きた山林火災は、二十八日、午前11時10分に鎮火したと発表されたようです。
栃木県足利市の両崖山一帯の山林火災は、鎮圧を宣言され、三百八世帯に出されていた避難勧告も、昨日解除された模様であります。

桐生市では四日間で鎮火、足利市では発生九日目で鎮圧されましたこと。起きてしまったこと、失われてしまったものを思えば、簡単によかったと言う言葉は使えませんが、それでもこの火災で失われた命のなかったことには、よかったと言えること。ことに足利市では、民家に数メートルまで迫った火も懸命な消火活動により食い止められ、一件、山中にあった無人の神社さんが全焼した以外は建物火災は起こらなかったようで、┉失われてしまったものがあるので、よかったと言う言葉を使うのは憚られますが、それでも安堵いたしました。
避難されておられた方々は、これから徐々にもとの生活に戻していかれることかと思います。不安で、そして慣れない避難所生活で眠れない日々が続き、それでも気が張っていたから気づかなかったかもしれない疲れがどっと来る頃かと思われます。体調をくずしやすい状態かとも思われますので、どうかくれぐれもご自愛いただきますように。
また消火活動にあたってくださった多くの方々におかれましては、疲れを抱えたまま、またそれぞれの現場、それぞれのお仕事に戻られておられることと存じます。どうぞくれぐれも体調を見きわめ、ご無理のなきようお勤めください。本当にありがとうございました。本当に本当にお疲れさまであります。

群馬県では一日、桐生市で何軒かが全焼し何軒かが類焼する火災が発生し一人の行方がわからなくなっているような火災が発生したようです。
玉村町では太い黒煙の噴き上げる火災が発生したようです。

何らかの理由が、原因が、火災には必ずあります。
私もその原因となりうるような、ほんの些細なことからでも火災は起きてしまいます。気をつけよう。


そして。
大切に受け継がれてきたお寺の寺宝を守れるものだけはと避難させてくださった最勝寺のご住職さま。毘沙門天さまのおられる御堂と、本坊の最勝寺は二十キロも離れたところにありながら、今回、その両方、そしてご自身のお住まいまでが延焼の危険にありました。
さぞ、心身とも疲労疲弊されておられることと存じます。どうかご自身のお身体の声を聞きつつ、無理のなきよう┉。

No.358 21/03/08 00:42
旅人さん0 

【山火事で避難した仏像を救ってください】  
            

栃木県足利市【大岩山毘沙門天】のホームページのトップに大きく貼り付けられた文字であります。

なにか私にできることはないかと、今現在の大岩毘沙門天さんの様子を知りたくて、時々開いていた最新のホームページです。
御本尊をはじめ、いらっしゃる御仏の像、運び出せるすべての寺宝等を避難させた様子を写真を交えて刻々とお書きになりアップされておられます。

山火事が拡大し、最勝寺本坊から火の手が確認できた23日時点で避難を開始されたようで、まず、本坊の御本尊不動明王像をはじめとした仏像を梱包し搬出するところから取り掛かられたそうです。その時点で近隣のご住職が駆けつけて下さり、作業をお手伝い下さったそうです。

さらに近隣住民の皆様にご協力を仰ぎ、約45名の方が毘沙門天本堂へお集まり下さったのだそうです。また地元の建設会社の方に依頼され2トントラックで、御本尊をはじめとした避難を始められます。
避難の際はご住職が優先順位をつけ、高い順から次々と運び出し、作業は翌24日の午前3時頃まで継続なされたのだそうです。

御本尊毘沙門天像が出堂されるのは、かつてご本堂が雷火によって焼失し、江戸時代宝暦12(1762)年に再建された際運び込まれた後は、初めてのことであろうとされています。
本来であれば専門の業者に依頼し、1ヶ月などの長期に渡る調査、計画の後に運び出すところを、山火事による避難ということで急遽数時間という短期間の中、そもそもが御本尊におかれましても長期の経年劣化が見られる中でこうした搬出を行ったため、損傷してしまった箇所もあったのだそうです。 



さらに24日に山門に安置された阿吽(あうん)の金剛力士像(仁王像)の避難にとりかかられたのだそうです。

今上天皇の御大典記念として修復事業を進めていた金剛力士像は、阿形、吽行ともに3メートル近くの像であります。全体を運び出すには専門の業者に依頼して3ヶ月ほどかかる見通しとなっていたといいます。
なんとか部分的に、せめて頭部だけでも避難出来ないかと、修復を依頼することになっていた仏像修理師の方に連絡され、急遽鹿沼からお越し頂いたのだそうです。




No.359 21/03/08 01:01
旅人さん0 

栃木県足利市の【大岩毘沙門天】の、修理修復のために撮った〖金剛力士〗様のX線調査の結果では、首周りには多数の釘や鎹(かすがい)が使われていることが明らかになっていたのだそうです。もし首の部材が釘などで固定されている場合には短時間での取り外しは困難になってしまうということが意味されています。
そこでまた急遽地元の大工さんにお願いし簡易的な足場を組んでもらい、頭部の確認を行うと、金剛力士様におかれては釘は1本も使われておらず、胴体に差し込む形で組み上げられていたことがわかりました。
こうした苦労あって金剛力士様は頭部と片腕を避難することができたのだと書かれています。

頭部を取り外した胴体部分には大きな穴が開いているままとなっており、このままでは、雨が降り注いだり、動物や虫が侵入しお像を傷つけてしまう可能性が考えられることから、応急処置としてビニールにて穴を塞いであるのだそうです。
今後梅雨など湿度の高い時期になる前に本格的な処置を施す予定であるということですが、専門家の方にうかがったところこうした状態でお像を保存したという前例がほぼないらしく、新たな手法を生み出して対応していく必要があるようです。



今、大岩山毘沙門天本堂、山門、社務所、本坊などの諸堂から御本尊毘沙門天像をはじめとした仏像、仏具、絵馬などの文化財、絵巻物や過去帳といった歴史資料など、多くの物品が避難しており、鎮圧宣言が出されたところで避難した物品を徐々に運び戻す作業を開始されておられるようです。
経年劣化や搬出の際の損傷のために、すぐに搬入することができないものもあり、御本尊毘沙門天様に関しては、260年間に渡る経年劣化と運び出した際の損傷により、本堂にお戻り頂く前にまず、損傷状態の調査や修復が求められているとのことでございました。






修復が必要な御仏像、文化財一覧
大岩山毘沙門天 本堂
仏像
御本尊 毘沙門天像
脇侍  吉祥天女像
脇侍  善膩師童子像
裏仏  氷掲羅天童子像
絵馬
本堂再建記念絵馬 七福神図
竜宮珠取り図
俳額 (小林一茶の句)
神功皇后図絵
とのこと。


┉こうした調査や修復にかかる費用は莫大なものであるとのことで、現在大岩毘沙門天さんでは寄付金を募っておられました。
毘沙門天さんのホームページをご覧いただければと思います。

No.360 21/03/17 14:28
旅人さん0 


栃木県足利市は15日、両崖山一帯で起きた山林火災が鎮火したと発表しました。
2月21日に出火し、発生後実に23日目のことであります。焼失面積は約106ヘクタールで、一時305世帯に避難勧告が出たという大きな火災。
3月1日にほぼ消し止めたとして鎮圧が宣言されたものの、その後もヘリが飛ぶ様子がみられ、消防などが残火処理を続けていたようでした。
先日まとまった雨が降ったことでようやく鎮火できたということでしょう、そういった意味でも先日の雨はありがたい恵みの雨となりました。


大岩毘沙門天の最勝寺さんでは、多くの御仏像や仏具、奉納絵馬などの文化財や歴史的資料を数多く避難なさったことを存じ上げておりましたので、三月初旬に私のような者でも何かお手伝いできることがあればと、御見舞いを兼ねて最勝寺さんにお電話を差し上げました。
2~3コールほどですぐに御住職様自ら電話にお出になられ、疲れはてたご様子の声でありましたが、気丈にも、
「今は一つ一つ元に戻す努力をしておりますが、なにぶんにも急な避難で破損してしまったものもあり、元の通りになるにはいつになるか見当もつかない状態でして。
四月一日の御護摩修行はなんとかできるよう努力をしておりますので、お越しになれるようでしたらぜひお越しください」
とのことでありました。


御仏にお仕えになられる方であろうと、このたびのことではいろいろ考えてしまうこともおありかとは思います。
 
それでも、かつて火災等の被害で失われた幾多の寺社や御仏像のことを思い、今回の大切な御仏の御像を御守りくださる英断を、皆が感謝しております。
どうかお身体にお気をつけて。




No.361 21/03/21 02:21
旅人さん0 

昨日、栃木県足利市の最勝寺さんへ参拝させていただきました。
山林火災収束宣言された三月一日から二十日、お彼岸のお中日。避難させてくださった御仏の御像や仏具をお戻しになられながら迎えたお彼岸、御住職の忙しさはさらに増しておられましょう。

お寺に参拝させていただけば、御住職の体調等のご様子もわかるかといった思いもあり御本堂ではなく本坊であります最勝寺さんへと向かいました。
毘沙門天さまのおられる御本堂ではなくとも、こちらはこちらで檀家さんの法要等を営まれる立派なお堂でございます。ただ私どものような檀家ではない一般の者の参拝する場ではないのかも知れません。
ですが四月一日の御護摩修行を執り行うために、運び出された御仏像や仏具をお戻しになる大がかりな作業をされておられるであろう御本堂への参拝は控えた方がよかろうと思いこちらへと参拝させていただいた次第でありました。

お彼岸のお中日で、たくさんの檀家さんが墓参に訪れておられます。
が、こちらのお寺の本堂の扉は閉められていました。
やはりあくまでも真の御本堂は、二十キロ離れたお山の中にある毘沙門天さまの御堂ということなのでしょうか。
あるいは今年は山火事での大避難という特殊な状況で通常通りとはいかなかったのか┉。
そんなことを考えながら向拝へと向かうため階段のある方へ歩いていきました。

と。

扉が開いて。

中から御住職がちょうどお出になられました。
ええっ?!
こんな風にお会いできるなど思ってもいなかった私どもは、びっくりして立ち尽くしてしまいました。

「お参りされますか?」
いつも通りの御住職さま。
「よろしいんですか?」思わずついて出た言葉にも
「どうぞどうぞ」┉いつも通りの御住職さまでありました。

避難なされた御仏像や仏具はすっかり戻り┉とはいえ何か少し違っていて、┉それは御住職の、見えない動線が一旦クリアされてしまったせい?
なんだか少し印象は変わっている気がいたしました。
長年毎日のお勤めをされておられた、身体に馴染んだ仏具の配置が微妙にずれていたりということはどうしてもありましょう。
いつも通りお不動さまのお立ちになられた御内陣であります。

No.362 21/03/21 10:44
旅人さん0 

一年半くらいぶりにお会いできた不動明王さまに、私は自然と両手を胸の前に組み、ときめく思いでそのお姿を見上げておりました。
その熱い視線は、乙女のそれにも匹敵するようなものであったはず┉なのでありますが、御住職はそんな私を見て
「┉避難をしていただくのに光背をはずしたら填まらなくなってしまって、そこに置いてあるんだけどね」
と、申し訳なさそうに、淋しそうにおっしゃいました。

そう聞いてあらためて見直すとなるほど大きな赤い火炎光背が、壊れないようにそっと、置かれておりました。
┉御住職さま?
こいつはそんなことに気づきもしないで、ただただお不動さまをうっとりとみつめていただけなのでありました。
御住職のお嘆きに寄り添うにはまだまだたくさんの修業が必要なようであります。

御住職はぽつりぽつりと避難のこと、これからの心の持ちようなどをお話しになりながらも、御内陣の両のろうそくに灯を点して、さらに御焼香用のろうそくにも灯を点してくださいました。
ありがたい。
最勝寺の御住職は、いつも、参拝に参ったすべての者に対して、御仏に正しく参拝できるよう場を整えてくださるのです。
ありがたくも申し訳ない思いで、夫に続いてお線香をあげさせていただこうとしていると┉。
御住職はまたいつものように私どものためにお経をお唱えしてくださろうとされています。
本当にありがたく、申し訳ない。  

あ、私、┉あの山林火災の鎮火を願ってしていた写経を持ってきたのだった。
どうせなら読経をいただく前に御住職にお渡ししよう。

御住職はそれを両の手で恭しく受け取ってくださり、そこに書かれた願い文を見て、
「これは┉ありがたい。火災の鎮火をお祈りくださいましたか┉。」
┉私にできましたことはこのくらいしかありませんでしたので。

御住職は般若心経をおとなえくださり、不動明王さまの真言を三回おとなえくださいました。

さらには「午後からは御本堂である毘沙門堂にあがるのでどうぞ、よろしければ」とおっしゃってくださいましたが、これ以上お邪魔してしまうことは避けたく、次の御護摩修行の時に、と申し上げてお寺をあとにいたしました。


No.363 21/03/21 16:44
旅人さん0 

あとほんの少しタイミングがずれていたら、御住職は最勝寺の御本堂を後にされて、お会いすることもなく、元気なお姿を確認することはできませんでした。

奇跡の一瞬。

一、二分ずれていたらお姿すら拝見することもできなかったというのに、御本堂に上がらせていただき、御住職の読経を拝聴することができたということは、まさに御仏のお導きであったとしか思えません。


【山火事で避難した仏像を救ってください】

足利市の大岩毘沙門天のホームページをひらくと飛びこんでくる黄色地に白字の文字。
私にもうひとつできることがあるとしたら、少しでもその情報を発信することでありましょう。

No.364 21/03/21 17:42
旅人さん0 

前橋市元総社町を歩いていると、道からすぐの御堂にお顔に化粧をなさった仏さまの石像がお祀りされているのが見えました。
特に扉とかもないため、普通に歩いているとすぐに目につく石仏さまです。
お寺さんとかではなく、前橋の町でけっこう見られる、町のなかにぽつんとある墓所のように、まちなかの道の端にぽつんとお祀りされていました。


【化粧薬師 〖縁切り薬師〗】さまと、立派な石碑に書かれています。


今から四~五百年位前に、この元総社一帯に栄えていた【蒼海(おうみ)城】は、薬師様の北を東に流れる牛池川を外堀とし、土塁を築いて満々と水をたたえておりました。

この蒼海城は、上野国守護代も務めた総社〖長尾氏〗の本拠地として、
室町時代の永享元年(1429年)に築かれた城であり、広大な城郭だったと云われています。
この場所は平安時代における上野国の国府跡であり、北西1.5kmには上野国国分寺跡があります。

天正十八(1590)年に徳川家康が関東に入ると、蒼海城には諏訪頼水(すわ よりみず)が入り、その後、諏訪氏が先祖の地である信濃高島城へ移封となると、
替わって秋元長朝(あきもと ながとも)が入封するのですが、蒼海城には入らずその北に〖総社城〗を築いて移ったことから蒼海城は廃城となったということです。

廃城となった城の外堀のあととなる〖風呂沼〗といわれる沼に、いつの頃か大蛇が住み、困った事に嫁入り前の若い生娘を人身御供にと要求し、従わないと台風が通り過ぎたの如く田畑を荒らしたと云います。
地元の民は、泣く泣く自分たちの娘たちを大蛇に差し出していたといいます。

犠牲になった娘を憐れんで、石仏の薬師様をつくり、白粉と口紅をつけてお祀りしたのだそうです。その後、大蛇も死に、沼もなくなりましたが、薬師様はこの場所に残り「化粧薬師」と呼ばれ信仰されてきたのだそうです。


このお薬師様は、嫁入り前の若い生娘が人身御供となったため、とのことで、嫉妬深い性格とされ、この薬師様の前の道を嫁入りで通ると縁談が壊れると云われ、地元ではこの道は嫁入りで通ってはならないとされています。これが別名、「縁切り薬師」と言われる所以であります。

そうして、いつしか嫁に行く娘はここを避けて通り拝まないようということとなり、その一方で、離縁を願う女はその望みが叶えられたということです。

 


No.365 21/03/21 22:08
旅人さん0 

こちらの化粧薬師さまは、お化粧を施されておられたり、縁を切るご利益があると言われていますが、本来、薬師様という御仏は、心身の病を治してくださるといわれています。
特に目の病気に霊験があるとのことで、太平洋戦争の前までは、「やん眼」を治してもらおうと多くの人がお参りされたお薬師さまでありましたようです。
こちらの地域ではこのお薬師さまをあらたにお堂を建て、お礼に奉納されたものなのか、たくさんの同じ型の小さな石仏さまもお堂のなかに納める棚を造ってお祀りされています。
そして毎年八月八日の晩を祭日として末長くお薬師さまを大切にしていこうとなさっておられるようです。

私の住む辺りは地域のつながりの薄いところで、また、こういった道端に祠や御堂、石仏さまがおられることもありません。
前橋の街を歩き、そこここにこういった御堂や祠や石仏さまに出会うたび〖いいなぁ〗と心から思うのでありました。
やはり前橋というところは国分寺のあった古くから栄えた地ということなのでありましょうか。

No.366 21/03/25 22:55
旅人さん0 

┉秩父巡礼は〖不急〗であるかもしれません。けれど決して〖不要〗ではない、のであります。
天変地異のとき、悪病流行のとき、長い長い歴史のなか、人は神に御仏に祈りすがって、乗り越えてきました。

非常事態宣言が解除されたいま、感染対策をきちんとして、人が多ければその場でそこはスパッとあきらめる覚悟で。
それならば┉行ける?

マスクのほかフェイスシールドにグローブまで付けて、アルコールも持参して巡礼する、少し異様?
afterコロナ、Withコロナの時代、こうした形の巡礼であってもいいんじゃない?


とつぶやいてみる。

No.367 21/03/28 16:31
旅人さん0 

もう一つ、並行して書かせていただいております東北路で、西行戻しの松の辺りを書き、そういえば全国のいろいろなところに、西行戻しの○○があると書かれていたのを読んだ記憶が甦りました。

相手がいかなる立場の者であろうと、すなおに自らの負けを認めるということ┉ それは実はそんなに簡単なことではなく、ましてやはるばる遠路まで出向いての道を引き返すなどという大きな選択をいとも容易くしていることに、私は西行の大きさを感じ、ますます好感をいだいたのでありました。
そして┉〖西行戻しの〗というキーワードで検索をかけたところ、いくつかの候補があがり、なんと。
秩父に行く途中の埼玉県寄居町というところにも西行戻り橋というものがあることを知りました。そして私のパワースポットでもあります栃木県日光市にも。


うーん。
西行さんの足跡が私を呼んでいる。


春だなあ。
えっ?私の頭が?┉たしかに。



              

No.369 21/04/04 05:22
旅人さん0 

秩父はすっかりあたたかな春を迎えていました。

前回訪れたのは十月。彼岸花のころでありました。

今は桜が咲き、そして桃、梅。
ミツマタの黄色、山吹の黄色。
木蓮が咲き、コブシが咲き。
福寿草、水仙、菜の花の黄色。
カタクリの紫、ホトケノザの紫。
心はずむ春。

秩父三十四か所観音霊場巡りに行ってまいりました。




巡礼の方だけでなく、春の花を愛でに秩父を訪れる方もおられるかもしれない。┉うーん。
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、決して密になってはいけないと思います。┉うーん。
行く前には夫婦二人で悩みました。

でも、
駐車場の混み具合で、ある程度の予測はつきます。
もしそこが混んでいると判断できたならすぱっと諦めること。

混んではいなくても車があれば、それは人と出合いすれ違うことを意味していますので、フェイスシールド。

何よりも御朱印をお受けしております身としては、相手方のことを考えたならグローブもした方がよい?
十月に巡礼した際も、すでに行く先々のお寺さんで消毒用のアルコールをご用意されてはおりましたものの、一応、手指消毒用のアルコールも常備して。



今回の巡礼は二十八番札所の橋立堂からとなります。
┉こちら、冬の間は閉じられているという鍾乳洞があるのだよなあ。
鍾乳洞も奥の院があるとのことで、やはりまわらせていただくからにはできうるなら奥の院までお参りしたい。
梯子や階段をのぼっていくとのことで、今回はもしかしたら奥の院は無理かもしれない。
巡礼の順番を飛ばしてまわろうか。
「いやいや、奥の院はあとに回すことにしてもお参りしておこうよ」とは夫。
意見が別れます。

とりあえず。
花寺としても有名だという、二十九番の長泉院さんが混雑しないうちにお参りさせていただこう。そのように考え、朝の早い時刻から家を出たのでありました。
┉私の運転であります。
希代の方向音痴の私は、家を出るところからすでにどちらの方角に向かうかをすら忘れておりましたけど(;`・ω・)。

運転しなくともナビゲーターを務めなくてはならないくらいなら、運転してた方がよほど楽かもしれません。
まあ、そこは長いことやってる夫婦です、阿吽の呼吸で、ね。
┉夫よいつもすまないねぇ。(≡人≡;)

No.370 21/04/04 06:12
旅人さん0 

スタートこそ私の運転だったものの、埼玉県に入る直前のコンビニに寄った時点で、それこそ長年つれそった阿吽の呼吸、というかいつもの習慣で夫が運転席、私は助手席へと自然に座ってしまいまして。
あっ、と気づいたものの、「いいじゃん」と当たり前な顔をして運転をする夫。
私の修業でもあるんだけどなぁ。ま、いいか。

群馬県と埼玉県の境が橋の途中にあるという橋の両岸は、菜の花の花畑のようでありました。
一面菜の花。
まるで菜の花の公園のようです。
菜の花が大好きな私は運転するはずだったことなど瞬時に忘れて、「うわぁぁ♥すごぉい!」と一人大騒ぎではしゃいでおりました。
┉もしかしたら夫はこれを知っていて、菜の花が好きな私のためにここで運転を替わってくれたのかなぁ。


こんな菜の花の光景を見ると、自然にうかんでくるのが山村暮鳥の詩であります。


いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな


詩の一部、この風景に合うだろう好きなところを抜粋していますが、こんなにも言葉の力で一面の菜の花の光景を思い浮かべることのできるということは本当にすごいなぁと思います。

運転しながら夫が口ずさんでいます。
この詩のすごいところは〖いちめんのなのはな〗といういくつも繰り返されるフレーズを数えるまでもなくちゃんと暗唱できること。
心にちょうどよいフレーズなのかもしれません。
一面の菜の花を見るとちょうど人の心がそう歌うのかもしれないくらいに自然に口をついてでてきます。

┉夫も菜の花好きなのだよな。
帰りは私が運転しよう。
┉すっかり忘れて帰りも夫に運転させて助手席に座る私でありました。

No.371 21/04/04 07:37
旅人さん0 

最初に訪れたのは第二十九番札所の【長泉院】さんであります。
こちらは【東国花の寺百か寺の札所】にもなっており、まさにその花、桜の季節!花を愛でにお越しになる方もおられるかもしれないとの思いから朝一番をめざして向かったものの、┉どうかなぁ。


おおっ!駐車場に停められている車は二台。
大丈夫だぁ。よかった。
駐車場から歩いて向かうと見えてきましたのは、その枝を道路まで広げた大きな垂れ桜と赤い帽子をかぶられた石仏さまでありました。さらにはそこから見える山々に咲く遠くの桜も見え、薄曇りの天気ではありましたが、胸いっぱいに春がひろがってきました。

垂れ桜の古木と苔むした石仏さま。
もうそれだけでありがたい。

思えば昨年の春は、コロナの時代に突入し、緊迫したなか全国に緊急事態宣言が発令されて、食料品以外の店は休業し、すべての国民が外出を自粛して、春の花たちはいつも通りに咲くもののそこに花を愛でる人の姿はないといった異例の春でありました。
そんななか、秩父三十四か所観音霊場におかれましても霊場始まって以来の閉鎖をしています。
感慨もひとしおであります。
何を拝むでなく、この春を生きていることに自然と感謝し手を合わせていた私でありました。┉ただの道路で、というところがちょっとな、┉まぁ私らしいかな。

境内はまさに花の寺、でありました。
さまざまな花が咲いています。
桜。
木蓮。
ミツバツツジ。
┉花にくわしくない私でごめんなさい。
私が名前を知らない花もたくさん、咲いております。

枯山水は見事でありながら、それがまた自然に溶け込んでいる、ここにいるだけで心が穏やかになる、そんな空間であります。

夫はもうその花を愛で境内を歩きだしています。
┉おーい、まずは参拝ですよぉ。

境内を掃き清める若いお坊さまがおられます。


手水舎が見えてきました。
最近は手水舎自体のクローズもされているところも多くみられます。もしくは柄杓をなくして手で受けるような工夫をされておられたり。

実はそんなコロナの時代に合わせて、私、実は巡礼の道具の中にひとつ、あらたなグッズを増やしました。
百円均一のキャンプ道具のコーナーでみつけた、取っ手がおれる金属製のカップが、柄杓の役割を果たせそうだということに気づき、リュックのサイドに巾着袋にいれて持参してみたのであります。
┉どうかなぁ。


No.372 21/04/05 05:51
旅人さん0 

【長泉院】さんの御本堂は、境内の至るところに咲く、身の丈さまざまな花々の間に、突然あらわれます。
┉まあ本当は、ついつい花に目がいっていて、のことなのでしょうが。

大きな建物で、〖どっしりとした〗という言葉が似合う御本堂はどこか昔の学校にあった講堂を思わせ、そして一面ガラス戸のはめられている、お寺さんとしてはあまり見たことのない建物であります。

ガラス戸の上は白い漆喰で、その部分が背の高い建物なので普通よりも丈があり、そこが一面、千社札!しかも一見、書写した半紙が貼られている学校の教室の壁を思わせるように。
千社札の大きさの違いこそはあるものの、隣とのバランスを考えて、一人、また一人と誰もそのきまりを破らず貼り、お行儀よく貼られています。
そこもまたなにか新鮮な御本堂であります。

一面ガラス戸で、そしてその上に一面の千社札。
そんな御本堂の正面だけガラス戸が開けられていて御本堂のなかを拝することができます。大きな広い御本堂ですがガラス張りのおかげで大変明るい御本堂であります。
と。
御本堂の鴨居や柱にまで千社札!
今は拝観の際は御本堂の中には入れませんが、昔は自由に入ることができたのでしょうか。
うーん。なんと人を信じる心の強くて深いお寺さんでありましょう。

襖絵は直接板に描かれた┉今でこそ色褪せてしまってはいますが大きな龍が描かれていますし。
その上に掲げられた額は葛飾北斎の物なのです。

┉というか昔の人はみな信心深く、お寺の本堂の絵に悪戯するような罰当たりはいなかったか。
そのわりには千社札は結構なところにまで貼られているのではありますが、ね。

そんな御本堂のなか。
厨子の前には性空上人が秩父霊場開創のおりに納めたという石の札が安置されているのだとか。
もちろん、おばさんは懸命に目を凝らしたのですが、見ることはできませんでした。
その石札ゆえ、こちらは〖石札堂〗〖石札道場〗とも呼ばれるのだとか。

葛飾北斎の絵は遠目ですが┉綺麗でした。
満開の桜のひとかたまりが描かれているのですが、やわらかな色合いの花の桜でありますのに、どこか力強さを感じさせる┉そんな見事な絵であります。

┉もちろん、御本堂を覗いていただけでなくきちんと読経してお参りをしてからです、はい。

No.373 21/04/06 05:41
旅人さん0 

御本堂の前に小さな小さな祠がありまして。
そこには、なんともユーモラスな、などと申しあげては失礼なのでしょうが、私の語彙力ではその言葉しか思い浮かばず、こんな表現をいたしますが、木造のお婆さんの像が鎮座しているのです。
そのお婆さんの像、┉もしかしたら後から目を強調して黒く塗ってあるのかも知れないのですが┉、真正面を見ておらず左方向に視線を向けており、そのお口は、〖にへらっ〗という表現で伝わりますでしょうか、〖にまぁ〗というのかなぁ┉ニッっと口を開けて歯を出して照れ臭そうにも見える笑みを浮かべているのです。
好き。可愛い。┉まぁ、人それぞれ好みでありましょうが。

白髪としか思えない髪を前髪からすべてを後ろでゆるく縛り、左足は片膝を立ててその膝に手を乗せている、そんな木像であります。
┉┉だ、奪衣婆?
ここに?
でもこちらの寺宝に天国地獄絵図があるようです。
それから考えると奪衣婆さまでもおかしくはないのかもしれません。
┉奪衣婆さまににへらっと笑う、だの、好き、可愛いだの申していたのでしょうか。バチが当たったらどうしましょう。
三途の川で叱られますかね。

お婆さんの祠をあとに┉いやいや御本堂を後にして、御本堂むかってひだりてにありますお堂に向かいます。
【秋葉大権現】さまがお祀りされていました。
秋葉の神さまといえば火防の神さま。
こちらのご本尊さまをお護りくださっておられます。

かつて。
こちらのご本尊さまはここ長泉院さんから五百メートルほど離れた山の頂上におられたのだそうです。
そこはたいそう険しい山で、里人誰一人そこにはいけないほどの山なのだそうです。そこに毎晩灯りが灯り、山麓の淵から龍女が奉献しているようだと、それはあの山に仏菩薩さまが現れたということなのだろうと話していたのだという。
あるとき何やらただ人とは思われない僧侶十数名がこの地を訪れ、里人は誰ものぼらない山を道なき道を登っていったのだそうです。
十数名。┉それは秩父霊場を開創した十三権者といわれているようです。
一行が頂上に至ると岩屋があってその岩屋は笹が生い茂って扉のようになっていたのだとか。その笹を押し開くと洞窟のなかに聖観音さまの像が立っておられたのだそうです。




No.374 21/04/06 11:14
旅人さん0 

山頂の祠に安置されていたのは慈恵僧正が刻んだとされる現在こちらのご本尊であります聖観音さまでありました。
一行は一宇を建立して観音像を祀ったのだそうです。笹を扉として奉られておられたことから【笹戸観音】さまと呼ばれるそうで、こちらも【笹戸山】と号しています。
山頂にお祀りされていた笹戸観音さまは、その後火災に遭って岩屋が崩落したため山腹に移るのですが、その観音堂の前にお祀りされていたのが長泉院さんの奥に祀られている秋葉大権現さまでありました。
しかしそこでもお堂が焼失し、江戸時代後期に別当寺でありましたこちらに移転して、それ以降こちらのご本尊さまとしてお祀りされており、秋葉大権現さまもこちらに移られたようであります。


こちらで御朱印をいただこうと納経所にお邪魔いたしますと、先ほど境内を掃き清めておられた若いお坊さまが私に気づいて、なのでしょう、まさにそんなタイミングでお越しになりました。
こんなコロナ禍でなければ、いろいろなお話をお聞きするのでありますが、できうる限りのディスタンスをとり、最小限の会話にとどめているので、お喋りなおばさんは少し寂しいのでありますが、これはもう仕方ありません。巡礼させていただき、御朱印をお受けできるだけでも感謝であります。

そんなコロナ禍の納経所に、これほど相応しく、ありがたく思えたものが置かれておりました。ご存じの方も多くおられるかもしれません、あの【シトラスリボン】であります。
┉今はどうなのか┉、コロナが流行り出した昨年、コロナの患者さんやそのご家族、医療従事者とそのご家族が、いわれなき差別を受け苦しんだ時期がありました。
その苦しみを共感しなくしていこうという運動の一環として始められ全国に拡がった、コロナによる差別をなくそうというメッセージを込めたリボンであります。
〖ご自由におとりください。〗と書かれています。
賛同する方が多くおられるようで、シトラスカラーのクラフトバンドやリボンが売り切れていたことを覚えております。
ここ秩父でも同じだったのでしょう、シトラスカラーのものではありませんが、一つ一つに思いを込めた優しい色合いのさまざまな色の、三つ葉の形のリボンがビニール袋に詰められ置かれていました。

No.375 21/04/06 13:23
旅人さん0 

シトラスリボンをいただき、その小さなビニール袋を胸に抱きながら境内を歩き、そして参道入り口の枝垂れ桜のところへと戻りました。

こちらの枝垂れ桜、樹齢は百三十年とのことで、一時期は咲かなくなるほどに勢いが衰えたのだそうです。それが道路工事で陽当たりが良くなったところ樹勢が復活したとのことで、ちょうど私どもが参拝させていただきました頃七分咲きくらいでありました。
参道入り口の御案内をされておられるかのようなお仏像を抱くように立つ姿は、神々しくもありました。そんな桜は〖よみがえりの一本桜〗と呼ばれるのだそう。
このような世の中となった今に、その桜咲く頃に秩父に訪れることができた幸せをしかと感じ、一日一日を意味あるものとして生きねばそれこそばちが当たるなぁと、思ったり。
┉そんな思いをずっと抱いて生きられたなら、それで私のめざす生き方そのものとなるのだろうに、なかなか┉。

日々感謝して生きる。
感謝する対象は山ほどあり、幸せを感じる瞬間は山ほどあるのだけれど。雑念と煩悩、私欲のかたまりのような私には、なかなかそのように生きるのも修行のようで。

それでも千里の道も一歩から、です。
がんばろうっと!


No.376 21/04/07 08:43
旅人さん0 

長泉院さんの山門を出ると、夫がいつものように、
「次は┉」と言います。
いつもと違っていたのは、
「札所ではないお寺なんだけど、このすぐ近くに枝垂れ桜で有名なお寺があるみたいなんだけど、どうする?」と。
ん?
「ええっ?そうしたらそこは混んでるってことじゃない?やめておけば?」と即答する私。
「┉。」
車に乗ると夫はもう一度、
「すぐ近くみたいなんだけどねぇ」┉行きたいんだ。

いつもいつも、いろいろルートを検索して、私が喜びそうな神社仏閣はないかも調べて、ほとんどの行程を運転して連れてきてくれている夫が、行きたいって、私を連れていきたいって思った所なんだろうなぁ。
┉。


「そっか。なら、行くだけ行ってみて、混雑具合を見て決めようか。
近くに行けばわかるだろうし。密になるほどに混んでるってなれば、そもそも駐車場に車が置けないから。
フェイスシールドつけて手袋もつけて。
とりあえず行こう!」
┉こうして文章にすると、いかに私がいばってるかってことがよくわかるなぁ。
うーん。
何故に私に決定権があるかのように語ってるんだ?

┉こうして文章化することで認知症進行防止のほかに、夫と今後も続く二人三脚の寄り添い方を反省していこう。
少~しづつ、ね。少~しづつでも、ね。


駐車場には四台しか停まっていませんでした。
仮に電車や徒歩でお越しになっている方がおられたとしても、さほど混んではいないのでは?

よし、行こう!




No.377 21/04/07 21:12
旅人さん0 

枝垂れ桜で有名というお寺さんは、【清雲寺】さん。
その開山は応永二十七(1420)年とのこと。
開山した僧侶が植えたとする説もあるようですが、一説には開山の以前からすでに枝垂れ桜は世に知られていたものだとも伝えられているようです。

寺標のあるところより前からすでに枝垂れ桜。

そしてまもなく目の前に広がる一面の枝垂れ桜!
しかもみな樹齢のいった大きなものばかり、まるで一面をいくつもの桜のヴェールが包んでいるかのようです。
語彙力のない私が発した言葉は「うわぁぁ、┉これは┉。」
まるで桃源郷に来たかのよう!
すごい。
これはすごいです。

いやいや、まずは参拝、参拝。

何段かの階段をのぼるかたちの御本堂であります。
中には入ることはできませんが、なんとも居心地のよさそうな気が御本堂から漂ってくるかのようです。

いったん戻る形となります、授与所には、世話人さんが二人詰めておられました。
秩父の観音霊場は無住のお寺さんが多く、あまり違和感を感じてはいなかったのですが、こちらも無住となって久しいようです。
気さくな、仲よさげなおじさま二人。コロナ禍で、今年は御朱印は御朱印紙でと決まったようで、どこか所在なげ。
「すごい枝垂れ桜だろう?この時期しか御朱印はしてないんだよ」
「ポスターいる?」
いろいろ話しかけてくださいます。
「ここんとこ(授与所の軒)にキズがあるだろ?これが清雲寺事件のときの刀傷なんだ。ここの寺に都からえらい人が来てたときに突然乗り込んで来た輩がいて、本堂には火縄銃の痕もあるんだ、見てみな」
ほ、ほおぉ。
歴史は物騒なことが多いです。

ふ?
弾痕┉。弾痕?
わからない。
もう一度、おじさまたちにお聞きすると、
「本堂の階段とこから左っ側を覗いてみ?」
左┉。左。┉。
「わかんねぇか、こっちこっち、来てみ」
な、なんと御本堂の戸を開けてくださり、中に上げてくださいました。

「ここだよ、ここ。なんも書いてないし、わかりづらいか」
┉なんとありがたい。

たしかに弾痕が。┉といっても弾痕を見たことがないので、(これが弾痕かぁ)と思ったというのが実際のところなのですが。

御本堂内陣の真横です。
なんとばちあたりな!

No.378 21/04/08 05:02
旅人さん0 

┉世話人をお勤めくださっている方々がこちらを大切にされているのがよくわかる、おそらくこまめにお掃除をされておられきれいに、そしてよく整った御本堂です。
それでも┉。

外から参拝したときには気づきもしなかった、がらんとした空虚感が漂っています。

ああ、無住となって久しいって、こういうことなんだな。


観音霊場にあたっているやはり無住のお寺さんは、それでも、毎日世話人の方々が詰めて、香を炊き、灯明をかかげ、お供物やお花をお供えしています。
もちろんこちらも、この拝観できる期間の今はそうなさっておられます。

修行なされたお坊さまが毎日のお勤めをなさっているのとは異なるのかも知れませんが、でも、同じ無住のお寺さんをまわっていてもこんな空虚な感じを受けたことはありません。

大きな御本堂、広い境内のお寺さんで、世話人をお勤めくださっている方々や訪れる人々にこんなにも愛されている清雲寺さん。
つくづく無住であることがもったいなく、哀しく思われてなりません。


そう、まるで桜の花のよう。
一年のほんのひとときに多くの人々が集って、あとの季節はほとんど訪れる人もない、穏やかな時が流れる清雲寺さん。そんな儚さにも似たところが、境内に数多く咲く桜と重なって感じられます。


それでもいくつものお寺さんが、かつては無住の時もあった、などと聞くことは多々あります。
こちらのお寺さんにおかれましても、どうか毎日灯りのともる日が再びおとずれますよう、願ってやみません。


境内はまさに花の盛りをむかえておりました。
さまざまなピンクの枝垂れが枝を広げており、桃源郷に迷いこんだかのようです。


ありがたい。

ここを管理してくださっている方々がおられ、主なき寺を守る御仏と桜があって。

そしてなによりもずっとこの清雲寺さんのことを心にかけて、連れてきてくれた夫に、感謝、ですよね。
┉稀代のあまのじゃくは、いまだにそれをおくびにも出さず毎日を送っています。うーん、ありがとって、言ってみるか。
┉夫におでこに手をあてられそう。

No.379 21/04/11 06:21
旅人さん0 

清雲寺さんの地続きに神社さんがあります。
「どうする?お参りさせていただく?」と、夫。
┉うーん、この夫婦間の関係図、長年のものだからな。
決定権は我にあり!
とかは決して思ってはいないのですよ、本当に。ただの会話です、会話。


群馬県、【上州】という地は、【かかあ天下】で有名な土地柄でありまして。
ああ、なるほど、ってうなずかれた方、おられません?

ですが┉。
一般に思われているかかあ天下というのは、女性が威張っている女性上位の社会であったり家であったりのようですが、
本来は〖夫が出かけている間の家を守る強い妻〗というもので〖うちのかかあは(働き者で)天下一〗という誉め言葉であるのです。

【からっ風】と並んで、上州名物と言われています、かかあ天下。
かつて上州と呼ばれた地域(群馬県)は養蚕が盛んであり、女性は〖養蚕〗・〖製糸〗・〖織物〗といった〖絹産業〗の担い手であり、男性よりも高い経済力があったことがあげられます。
雷や空っ風といった上州の厳しい気象環境や、気性の荒い上州人気質に対する印象から、活発で働き者の上州女性を表す言葉として用いられたものであります。


今は「夫を尻に敷く強い妻」という意味で使われることがほとんどですよね。

まあ、わが家の場合は、上州関係なく今風。┉よい言い方をして今風。
それでも結婚当初は上州女のかかあ天下だったんだけどなぁ。
そうかぁ、どこかで私が勘違いをしたんか。うーん、これは痛いなぁ。
まあ、今は扶養家族で、子供たちも育った専業主婦の私。
間違った勘違いを、かかあ天下のはき違えを、正していく絶好のタイミングです。

がんばれ、私!

┉でも、もって生まれた気性もあるからな。これは大変な矯正になりそうだ。┉少しづつ、少しづつ。うーん。




閑話休題。

お隣に鎮座されておりましたのは【若獅子神社】さん。
もちろん、お参りさせていただきました。

お寺さんと神社さんをつなぐ広場には平日にも関わらず焼きまんじゅう屋さんと、花屋さんの屋台が出ておりました。
焼きまんじゅうって、群馬県の名物じゃないんだっけ?





No.380 21/04/11 07:31
旅人さん0 

珍道中、お詫びと訂正。


前スレにおきまして〖若獅子神社〗と書いておりますが、大変な誤りが発覚いたしました!【若御子神社】さんでありました。
【若御子】!若御子神社さんであります。

何故こんなことに┉。

それは出先で、老眼の初老の男が、スマホの小さな画面で検索し小さな文字を読み間違えた悲劇から始まっています。
向拝に掲げられた扁額を見ても、夫婦揃ってそのあやまちに気づくことなく、しかもかなしいことに、若獅子神社という検索であっても秩父の若御子神社さんの記事が検索できてしまうものがあるという悲劇。
そうなんです、老眼の方は多いということ。┉。

この駄文をお読みくださっておられます皆さまに一刻も早い訂正をさせていただき、お詫びを申し上げます。

老眼の夫はこの時間、いまだに寝ておりますので、まだその誤りを知ることなく惰眠を貪っておるようです。
あ、いやいや、日頃の疲れでまだ目覚めずにおるようです、ですよね。




若獅子神社❎ 若御子神社💮、であります。



m(_ _(--;m

No.381 21/04/12 05:29
旅人さん0 

【若御子神社】の境内にも見事な桜が咲いていました。

ん?
おおっ!
私好みの┉などと申し上げるのは不謹慎かとは思うのではありますが┉、それはそれはかわいらしい、狛犬さんが石段をのぼってくるものを見張っておられます。
その可愛らしさに思わず小さな声をあげたほど、であります。
通常、神社さんでよくみかけられる、あのたてがみふさふさの狛犬さんとは異なり、シュっとしたお顔と細身の御体で、〖日本犬〗といった面持ちであります。

あとで調べたときにわかったのですが、こちらの神社の狛犬さんはオオカミさんなのだそう。
この見ため、そうか、そうでしたか。

まだ私どもは参拝にうかがっていないのですが、秩父で有名な神社さんであります【三峯神社】さんもオオカミを御眷属として奉っておられるように、秩父では【オオカミ信仰】があることで有名な土地。
こちらもオオカミにお護りいただく神社さんでありました。


離れがたい思いを断ちきって、石段を上がって本殿へと向かいます。
言い換えると、しばらくその狛犬さんのところをうろうろとしていたということであります。
狛犬さんを愛する方は多いようで、狛犬さんの写真をアップされておられるブログもあるくらい。┉ええ、決して私だけではありません。

石段を登ると手水舎に水はなく、その場で、
(申し訳ない、このままの身でお参りさせていただきます)と、心のなかで手を合わせます。

神楽殿があり、社務所があって。
社務所にはコロナのため御朱印は中止している旨書かれた貼り紙がしてあります。


若御子神社の御祭神は、【神武天皇】。
本殿には神武天皇の絵が掲げられていました。

〖軍神〗とも呼ばれる神武天皇がご祭神であられるこちらには多くの武将が戦勝祈願に訪れたといわれています。
【藤原秀郷】が【平将門の乱】の平定を祈願したと伝えられ、また、【源頼朝】や【足利将軍義晴】がお参りされたと伝えられているようです。

戦勝祈願のほか、国家安泰、延命長寿、開運、招福、病気治癒などのご利益を授けていただけるようでありますので、コロナの終息と国家安泰を祈願させていただきました。




No.382 21/04/12 06:08
旅人さん0 

【若御子神社】は、天平年間(730)頃に【若御子山】の頂に神武天皇が祀斎されたことが始まりと伝えられています。

【若御子】の名の由来は、神武天皇の別呼称である「若御毛沼命」からきているのではと言われているようであります。┉ええ、若御子山です、若獅子山ではありません。(ーー;


この社殿のあります境内からの景色は、ちょうど桜の時期だったこともあり、またお隣の清雲寺さんの枝垂れ桜も見えるまさに絶景!
ありがたいことでございます。

ひとしきり社殿のあります一番高い境内からの景色を楽しませていただき、境内全体に目を移すと、小さなお社が目に入りました。
近づいてお参りさせていただ┉いただこうとすると、熊の出没を知らせる立て看板があります。
それもまた、手書きなところがいかにも緊迫した状況を思わせます。
(((((゜゜;)


手を合わせたのち、早足で石段をおりたことは言うまでもありません。
そ、そうですよね。オオカミさんがお守りになるくらいの土地であります。熊さんも住んでいて当たり前ですよね。

私の参拝の支度には、いつもは鳴らない工夫をして、いざというときはすぐに鳴らせる状態にした熊避けの鈴が仕込まれています。
観音霊場巡りで、いまだにどう使うのかわかっていない鈴もあります。

でもですね、愚かな私も熊といきなり遭遇したら、それから鈴を出しても意味がない┉むしろ危険なことはわかっています。至近距離でいきなり遭遇したら、鈴を出す余裕もないでしょうし。
気のたった時期の熊であれば、もはや熊避けの効果など皆無なこともわかってはいます。


ええ、熊出没注意と書かれた看板を見かけたり、いかにも!といった土地を訪れたときは、逃げる!
┉ではないか、早めにそこを立ち去る、ということですよね。


おかげさまで神武天皇の御加護があり、オオカミさんも御守りくださったので、花咲く宮の中、くまさんに出会うことなく清雲寺さんと若御子神社さんの間にある広場まで下山(?!)することができました。


No.384 21/04/13 13:46
旅人さん0 

私どもはまだ参拝をしてはいないのでありますが、秩父にはパワースポットとして全国区でも有名な神社さんがあります。
そう、【三峯神社】さんであります。 
行きたい行きたいとかなり前から熱望していたにも関わらず、そうこうするうちにあまりにもその人気がヒートアップしてしまい、いつかゆっくりと時間をかけた参拝をさせていただこうと、心のなかであたためております神社さんであります。
そのヒートアップした理由は今は幻となってしまった御守りにあります。
もともと有名であった神社さんで、もともと有名であった御守りであったのですが、〖浅田真央〗さんがそれを手に臨んだ試合で好成績をのばしたという報道から拍車がかかり、たしかその御守りは授与を中止してしまったように記憶しております。

【氣守】と呼ばれる御守りは何色かのラインアップがあるようなのですが(参拝していないのであくまでも情報ですが┉)、
かつて毎月一日限定で、しかも数も限られ授与されていた〖白い〗〖氣守〗は、三峯さんとしても特別な扱いをされておられ、その特別、その限定というところもあって、毎月一日には道路に白の御守りを求める参拝客の大渋滞ができていた、といったものでありました。

私もその〖白い氣守〗がお授けいただきたかった一人でありました。
カレンダーをみてはこの一日ならどうだろう、とあれこれ思案していたものでありました。

そこへ浅田真央さんが┉という報道によりさらにさらに拍車がかかり、大渋滞が大大大大大渋滞となってしまったようで。
白の〖氣守〗の授与をやめられたのか、いつでも授与できるものとされた
のかは、行ってからのお楽しみとしたいので調べてはいないのですが┉。


そんな憧れてやまない三峯神社さん。
その三峯さんこそがオオカミ信仰で有名な神社さんのひとつであります。

No.385 21/04/13 14:41
旅人さん0 

秩父では、すでに絶滅して久しいニホンオオカミを、お犬さまと呼び、神の使いとして今も崇敬しているのでありました。

かつて。
農家にとってオオカミは田畑を荒らす猪や鹿を退治してくれる大切な動物でありました。
そうしたことからいつしか、オオカミは災難を除く霊力をもった神の使いとされ、御眷属と呼ばれるようになり崇められるようになりました。今も御眷属信仰、オオカミ信仰は根強く残るものであり、三峯神社をはじめ、秩父の多くの神社にはオオカミ像があるのだそうです。
御眷属拝借やオオカミのお札と呼ばれる護符。
┉ああぁぁ、早く三峯さんに参拝したいぃ。


猫が好きとか以前書いておりますが、オオカミも好きなんです。┉ニホンオオカミは絶滅してしまいましたけれど。
まあ、動物が好きなのかと。
そして狛犬さんが好き。
それがオオカミさんの狛犬、うーん♥



┉実に昨日、声に出して「ああぁっ!秩父に行きたいっっ!!」と独り言を言っていたくらい、秩父に心惹かれております私。

三十四観音霊場のうち三十番札所まで巡らせていただきました巡礼。
まだ参拝させていただいていない神社仏閣。
ナビで見かけたけれど場所がわからなかった摩利支天さま。
春の一日に執り行われる廻り念仏、御開帳。春祭り。御縁日。
┉今、春の秩父は行事が目白押しであります。


人混みは避けて密にならぬようにいたします。
できうる限りの感染予防対策をとります。

どうか、神さま仏さま、私を秩父に行かせてください。



No.386 21/04/14 02:57
旅人さん0 

【清雲寺】さん、【若御子神社】さんの次に向かうのは第三十番札所【法雲寺】さん。
┉。┉向かっておりましたのはたしかな事実です。

ですが。
秩父という土地は、いたるところ石仏があり、祠があり、ここが昔から信仰深い土地柄でありましたことを物語るものであります。
そしてその石仏や祠は、かつてその移動手段が徒歩でしかなかった時代の巡礼者たちの、身を休め、心を和ます存在でありました。

私どもは車で移動して巡礼をしている者ではありますが、やはりそのような祠や石仏さまに心癒され和ませていただいております。
法雲寺さんに向かう道の途中に、駐車するスペースこそない、境内こそ狭いのですが、小さなお寺さんレベルの大きさのお堂が見えてまいりました。
「どうする?寄らせていただく?」と夫。┉夫よ、この妻は寄りたいと思えば必ずや騒ぎたてるヤツでありますから。そんなことはイヤというほど味わわされてきたでしょう?
もう、寄りたいと思ったなら私の意見など求めず、寄ってくださいませ。
ただ、こちらには駐車するスペースがないので、片方が車に残って停車している状態での参拝となりますか。

車の中から境内を見ると、お堂の前が何やら少し土が盛られております。何か特別な法要でも営まれたあと、でしょうか。
ん?┉あ。これは!
土俵かも。┉土俵、でしょう。

無住の、お堂とその土俵のみのスペースのものではありますが、地元の方々がこちらをずっと大切にされてきておられるかが一目みてわかるものでありました。
その土俵はすぐにでも使えるように整備されておりましたし、境内も草ひとつなく手入れされております。
┉いいなあ。
いいよなあ。

ほおぉう。どうやらこちらは千手観音さまがお祀りされているようであります。



No.387 21/04/14 15:20
旅人さん0 

秩父荒川の千手観音堂さん。
車で通りすがりに拝見したときに感じたよりも大きく、立派な彫刻の施されたお堂でありました。

お堂に寄りそうかのように植えられた枝垂れ桜は今まさに満開。
そばに枝垂れ桜で有名な清雲寺さんがあるせいか、訪れる方はおられませんでした。向拝にも半浮き彫りの、像をも名のれそうな見事な彫刻が施されています。┉ん?

こちらの観音堂さんは四面すべてをめぐる回廊となっているのですが、お堂の正面にあたる回廊の天井、さまざまな相撲の取り組みの絵がはめ込まれているではないですか。
ええっ!?
まあ、こちらの観音堂さん、お堂の真ん前に土俵があつらえてあるくらいですから、相撲の絵が飾られているのもなんの不思議もないといえばないのでしょうが。
相撲についてまるで知識のない私でありますが、おそらくこれは一枚一枚が相撲の手?型?を描いてあるのだと思われます。
夫いわく四十八手。
四十八種類の板絵が、おそらくこういった形で奉納されたのでありましょう。


肝心のお堂は無人ということもあり、かたく戸が閉ざされており中の様子もわかりませんでした。

案内板をしっかり見るのは夫。 

なんでも、こちらには千手観音さまの座像が安置されているのだとか。
ええっ!? お座りになられている千手観音さまですか?!
これは是非直接拝観させていただきたいものでありますが。
さらには十六善神像と四天王像が安置されているのだといいます。

┉御開帳はないのだろうか。
うーん。


ん?
これだけ立派な土俵があつらえてあり、手入れもされているということは、相撲をとることがあり、そうしたらきっと相撲大会とかも開催されるのでは?
その時とかはどうなのだろう。┉。┉私よ、それを欲といい、煩悩というのだよ。いけない、いけない!

でも、さすが千の手で人々をお救いくださる千手観音さまのお堂でありました。
こんな私をさっそく救ってくださいます。
毎年八月十六日に信願相撲という行事があるのだと、案内板に書かれていました。
身体健全と無病息災を祈願した相撲の奉納があるのだそうです。
その時に御開帳されるかどうかまでは書かれてはいないのでありますが。┉うーん、八月十六日かぁ。

おいおい、その時にはさらに駐車する場所に困るということでしょう。

No.388 21/04/16 05:44
旅人さん0 

今度こそ【法雲寺】さんに。

緩やかな細い坂道をのぼって行きます。ちょうどよい距離感の間隔でお家が建ち並んでいます。┉住宅地?そんな景色がしばらく続き┉えっとぉ、法雲寺さんは┉。
この日の車は私の愛車。そう、ボケ防止とかのたまわりナビを付けなかった車であります。
人間というのは勝手で、ナビがあれば頼り過ぎを憂い、そうかといってナビのある暮らしに慣れてしまうとナビがあればなぁと思う。┉えっ?、私だけ?

ドラえもんの道具みたいに、困ったときだけ見られるようになればいいなあ。
┉ドラえもんの道具はもっともっとずっと便利だから!どこでもドアとかで瞬時に行きたい場所に行けるから!空も飛べるし。
過去も未来も行けちゃうから!
それはどうかなあ。
やっぱりそれは漫画の世界でいいのかもなあ。


閑話休題。
結論から言えば、まあそんなくだらないことを脳内で考えているくらいの間に着く、細い坂道をのぼったところに法雲寺さんはありました。
さんざ人里を通って来ているくせに、ふと、人里離れた┉などという言葉が脳内に浮かぶほど、静けさにつつまれています。
駐車場には車はなく。どう停めたらいいのか区画のない駐車場で迷うことしばし(そういうことに細かい夫が、笑)
古びた石柱に秩父三十番と書かれています。
参道を行くと。
これは┉浄土庭園。
緩やかな山の斜面を極力生かして、整備された庭でありながら、自然と一体化をコンセプトしているかのような、造られた庭でありますのに、あえて造った感を消して整えておられるような境内でありました。
好き。
石仏さまにお供えされていたのも梅の枝。白とピンクの梅の枝が優しいお顔だちの石仏さまにこれほどはないというくらい似合っています。
石段をのぼって、見えてくるのは経年して落ちついた色となった朱塗りのお堂。屋根が淡いみどり色のこともあって囲まれた木々によく映えるお堂であります。
古びた千社札がたくさん貼られておりますが、朱に白という本来ならば目立つはずの色も長年かけてお互いが同調しています。
保護のためには復元修理が必要なのかもしれませんが、私にとってはちょうどよい色合いであります。





No.389 21/04/17 05:53
旅人さん0 

こちらのお寺、臨済宗建長寺派に属するとのこと。┉清雲寺さんと同じであります。
あのトライフォース、ではなくて三つ鱗の御印が境内にひとつ、あるのが目につきました。
観音堂で御本堂にあがる前に香炉にお線香を立てます。
この香炉の灰がこれほどはないというくらいに整えてあります。┉そんな香炉に、嬉しくなってお線香を立てるのが私、どこに立てていいものか躊躇い悩んで立てるのが夫であります。
御本堂へと何段かしつらえられたきざはしをあがると、御本堂の引き戸に開けてよいと書かれています。
┉御本堂の中は薄暗くて、かすかに御前立ちの如意輪観音さまが見えたような見えないような。うーん。


こちらの御本尊の如意輪観音さまは、【楊貴妃観音】とも呼ばれ、像高約40㎝の木の座像なのだとか。
その御姿は片ひざを立てた金色燦欄たるもので、ふくよかな手や頬の流れ、華やかな冠や瓔珞など美しく尊厳に満ちたものなのだそうで、寺伝によれば、昔、唐朝の玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃の冥福の為、自ら彫刻し、不空三蔵が開眼したものであると伝えられています。
鎌倉時代後期の元応元年(1319年)道隠禅師が唐より奉持したと伝えられ、秘仏となっておりその厨子の扉は閉められているとのこと。┉まあ、御前立ちの如意輪観音さまが見えなかったくらいなので厨子すらまるで見えないのですが┉。
そんな秘仏の御本尊さまが四月十八日の縁日と午歳の歳にご開帳となられるとのこと。
四月十八日!?
うーん。うーん。うーん。┉。この繰り返す言葉は私の煩悩の漏れ出たものにございます。

御本尊が納まっている厨子のそばには、道隠禅師が中国からもたらしたという〖楊貴妃の鏡〗をはじめ、〖天狗の爪〗、〖龍の骨〗等があるとのこと。
さらにこちらには木の板に陰刻された全国的にも珍しい古い納札が寺宝としてやはり御本堂にあるのだといいます。
なんでもそれは古いだけではなく、室町時代に秩父観音霊場が三十四カ所と改められたという証であり、秩父札所ならびに日本百番観音霊場の成立にかかわる資料としても大切なものであるのだといいます。

┉それらは御開帳の時には拝することができるのであろうか、うーん。












No.390 21/04/17 06:15
旅人さん0 

こちらの【法雲寺】さん、江戸時代初期には本堂・観音堂・仁王門などの堂宇が建っていたが、江戸時代後期の嘉永年間(1848-1855)の火災により観音堂のみを残し焼失したと書かれております。

┉┉前言撤回してもいいですか?タイムマシーン、使いたい!
いやいやどうせならタイム風呂敷を。
私、ドラえもんの連載が始まったころの子どもでありまして。ファンでなくとも記憶しているくらい、子どもの頃の記憶はしかと残っているものであります。
┉それにくらべて今ときたら┉(T^T)。


閑話休題。

観音堂は元和元年(1615年)の建立とされています。
三方を山で囲まれた中の傾斜地にあり、斜面を段状に切開いた場所に建てられた法雲寺さん。
出火元はどこであったか、本来上へといくであろう炎をなんとか防ごうと必死な消火活動が目に浮かぶようです。
燃えゆく堂宇に涙しながら、寺宝を持ち出し、観音堂を守ったのでありましょう。

┉やはり┉過去は過去。起きてしまったことは起きてしまったことでしかない。
そんな簡単に戻ったり、戻せたりしたら、それはもう人の世ではない、そんな気がいたします。 





取り戻したい過去がこの世にはたくさんあります。
それはもう星の数すらを超えたかもしれない。 

無情としかいいようのない出来事のなんと多いことか。
胸のつまる思いであります。


















No.391 21/04/17 12:08
旅人さん0 

法雲寺さんの回廊を左回りでまわりますと、壁に、まさに〖龍〗!としか見えない木の枝┉幹が飾られていました。
近くを川が流れてるようですので、流木だったのかもしれませんし、とにかく龍とみてとれるその枝振りをありがたく思った方がどこかから持ち込み奉納されたのかもしれません。
観音堂の向かって右側には驚くほどの絵馬がところ狭しと奉納されています。通常の絵馬のようにぶる下げられたものもあれば、軒下の庇にきちんと束ねられたように幾重にも重ねて置いてあるのです。
すごい┉。圧巻であります。

こちらの絵馬は、そうまさに楊貴妃の描かれた図案のものであります。

ただ┉、私は秩父に住まうものでなく、ましてや秩父まで一人で来られない運転下手の方向音痴。
絵馬に願いを書いてその願いを叶えていただいてもお礼のお参りも一人で来られるわけではありません。  
絵馬を奉納したところで御礼のお参りに来られる訳でもありません。

(また来させていただきます)と心のなかでつぶやいて。
法雲寺さんを後にしようと、境内の段々を下りてまいりましたところ┉!

由緒書きの案内板に手書きで『まむし注意』と書かれているではないですか‼
┉ご住職さま、まむしにはどのような注意をすればよろしいのでしょう?

あと、このようにお参りに重きをおいて、案内板も見ずに御本堂┉観音堂まで直に参るものも(なかには)あります。
どうか、下の方に目立たぬように貼るのではなくて、もう少し目立つようにお書き添えいただきますようお願い申し上げます。
┉まあ、見たところでまむしに遭遇したときの逃げ方などわかりもしないのですが。
今度来られる日があれば、まむしに遭遇したときの逃げ方、Google先生にお聞きしてまいります。

境内の花は木々に、足元に春を告げておりました。
あと少しすれば見事な藤の咲くことでしょう。


┉明日┉の御開帳には、まだかな。うーん。

No.392 21/04/17 20:56
旅人さん0 

ここで。
今来た道を戻って、第二十八番札所橋立堂に向かいます。

ここを後回しさせていただいたのは他でもない、コロナ対策でありました。ちょうど桜の見頃のお寺さんをまわります今回の観音霊場巡り、人の少ないうちに桜の名所とも言われているお寺さんを先にまわろうという、私なりの人の密を避けるための対応策です。
その後の混雑具合はわかりませんが、少なくとも私どもがまわらせていただいていた時刻には訪れる人は疎らな状態でありました。┉これがまた平日ということもあったかとは思いますが。

橋立堂を後に回したバチが当たった、ということはないかとは思うのですが、道に迷いました。
正確にいうと、曲がるタイミングを逃して、もう一度同じ道をぐるぐるといたしました。まあそのおかげで橋立堂のある山をよく観ることができたと思ってもよいのかな。
細い道をくるんとまわるように橋立堂に向かいます。
ここでも駐車場には車が二台のみ。
春の巡礼を二十番台の、しかも後半をまわられる方は少ないということなのでしょうか。

実はこちらへは今回、いずれ再拝させていただく心積もりで参っております。
といいますのも、こちらは鍾乳洞のなかを梯子でのぼっていくような奥の院があるのだそうで、鍾乳洞を行くにはもう少し季節を選んでベストな状態で参拝させていただこうという、夫の意見によりますものであります。

橋立堂が見えてまいりました。
うーん。
参拝の方が居なすぎる?
納経所も扉や窓が閉められています。┉おかしい。
ここはたしかに冬の間は鍾乳洞は閉ざされているように書かれています。その間は御朱印も第二十七番の大渕寺でお受けするようだと書かれていました。まだ冬の扱いなのでしょうか。
┉。
まあ、実はこのあと前回行けなかった第二十六番札所の円融寺さんの観音堂に向かうことになっているので、そのすぐそばである大渕寺さんに寄らせていただくのもわけのないことではあるのですが。

とりあえず、お参りをさせていただきましょう。

No.393 21/04/18 23:55
旅人さん0 

橋立堂さんは駐車場から歩いてきて真ん前に見える納経所のひだりてにある石段をのぼったところにあります。
が。
その石段を見上げて、思わずあとずさりするくらいの巨大な断崖絶壁の巨大な岩山がまず目に飛び込んできます。
その高さはなんと六十五メートル!そんな巨大な岩山が垂直に切り立っているのです。┉く、崩れたりしないよな┉。
ひびりの私は岩山を見上げて、いつもならさっさとのぼっていく石段もすぐにはのぼり出せなかったほどであります。

そんな私を、かわいらしい赤いお堂が呼んでいるような気がいたしました。
そもそも、ここにこんな状態の岩山があった状況でここに観音堂を建てて以来、ずっと何事もなく観音堂が建っているのです、これだけでこの岩山が安全であることは立証されております。
のぼり出せば早足でしゃかしゃかとのぼっていく私。なんとげんきんなことでしょう。

朱塗りのお堂は年月を経て色は薄れておりますが、建立当時は岩山を背に真っ赤なお堂がさぞ目立つものであったことでしょう。
こちらの御本尊さまは馬頭観音さま。
お堂の格子のすき間から御前立ちの馬頭観音さまがおられるのが見えます。
馬頭観音さまは忿怒の形相をなされて一見恐くも見えるお顔だちであります。馬頭を頭に頂いておられます。
衆生の煩悩を食いつくし、諸悪を粉砕するお力をお持ちであるいっぽう、畜生類を救済なさる観音菩薩さま。
近世において、馬は農耕や運搬にかかせない動物であったことから、馬頭観音さまは豊穣や交通安全の信仰を集めました。

馬頭観音さま、どうか私のこんこんとわき出でる煩悩を食いつくしてやってください。┉。
馬頭観音さまが消化不良でお腹をこわされたらどうしましょう。


お堂には馬の絵の額が奉納されています。まあ、そうですよね。
境内には馬の銅像があり、お堂の前左側には馬堂がありその中には二頭の馬の木像が安置されています。

観音堂向かってひだりてに、岩の小山があります。その小山の中央部分にどなたのものか胸像が!
だれ?


No.394 21/04/19 17:17
旅人さん0 

御朱印をお授けいただいた際、その観音堂の横の岩に彫られた胸像┉というより頭だけなので頭像?についてお聞きしてみたところ、
「ああ、あの顔?」と、笑いながらお教えくださった、そのお顔の主は、
な、なんと秩父の宮さまだという。
「以前方丈さまがおられたときに何を思ったのか彫られたんです。どんな意味があったのかはわからないんですけどね」とのこと。
秩父の宮さま、ですか┉。
うーん。
宮さまのお顔だけが岩の上にぽつん。
それこそせめて胸像にされればよかったのではないだろうか。
御朱印の書き手の方の笑いは┉。
宮さまもびっくりされておられるのでは。
私は秩父の宮さまのお顔を存じ上げないので似ておられるかどうかはわからないのですが、どうなのでしょう?
そもそも日本国民ではありますが、秩父の宮さまが天皇家とどのような関係にあるのかすらわからない。
一つだけ、存じ上げていることといえば、秩父神社の御祭神であられるということだけであります。これも夫に知られるとさぞ落胆するのだろうなぁ、秘密、秘密。


「あ、鍾乳洞の方は今入れませんので」と世話人の方。
もともと今日は奥の院である橋立鍾乳洞へは行くつもりでなかったので、「あ、はい」とお応えしましたところ、
「鍾乳洞のなかの橋が墜ちてしまっていて入れないんですよ」と。
えっ。橋が墜ちた!?
「それは大変ですね。いつ頃直る予定なのですか?」
「まだまだ、業者さんすら入っていないのでいつになることか┉。なるべく早くとは思うのですが、こればかりは┉」と、先ほどの顔像のお話の時とはうって変わって沈んだ語り口であります。
そ、そうかぁ。
こちらの鍾乳洞のなかはあくまでも奥の院であることであり、撮影禁止のため、鍾乳洞内の写真は秩父巡りのガイドブックにたった一枚写真があるのみなのですが┉。そのたった一枚の写真、白装束に菅笠を付け頭陀袋を斜めがけした一人の巡礼者が急な梯子をのぼっていく姿でありまして。
いかにも修行を思わせるその写真をみていたからこそ、今日はあえてやめておく予定でまいったわけでありました。
うーん。
冬場の閉鎖中に墜ちていたということでしょうか。
一日も早く墜ちたという橋が直って、世話人さんの笑顔が戻りますように。


No.395 21/04/20 14:01
旅人さん0 

橋立堂追記。

方丈さまが彫られたという秩父の宮さまの像は、よくよく見ると首から下の部分も肩の上の部分まで彫られていたようです。
方丈さま、ごめんなさい。
その背後にがっつりと張り巡らしたネットに気をとられ、そのあとはもう方丈さまの彫られた像を見ることなく早々に石段をおりてしまったのです。
本当にごめんなさい。
そしてせっかくお読みくださっているミクルの皆さまにおかれましても誤情報を書いてしまってごめんなさい。


方丈さまのご名誉のために。
以下が方丈さまの彫られた【胸像】であります。

No.396 21/04/20 14:34
旅人さん0 

橋立堂のあとに向かったのは前回行けずにいました、【円融寺】さんの【岩井堂】であります。
といいますのも、円融寺さんから徒歩二十五分ほどのところと離れたところに登り口があるという山中にあるとのことで、十分な時間と体力があり、熱中症の危険のないような日を選んででないと到底無理だと判断したせいでもありました。

円融寺さんに再拝し御本尊さまにご挨拶申し上げて、念のためお寺の方に岩井堂への道をお聞きして。
向かうのは昭和電工さんという会社。
めじるし、ではないんです。
昭和電工さんに行くんです。

まあ、そうは言っても、会社の駐車場とかを突っ切る程度なのかと軽く考えておりました。
お寺さんも、
会社の中を通るけどそれは全然大丈夫なので。けっこうな山道なのでくれぐれもお気をつけてと、山道とか長い階段のこととかを強調しておられたくらいでしたし。┉。

┉!
┉受付あるやん。
┉守衛さん、おるやん!
普通に操業中の工場の敷地やないか!!

何棟もあるような工場の敷地のまん真ん中。
作業のため移動されておられる方。
移動される作業車。
普通のワンボックスがヘラヘラと通る恥ずかしさったら!


工場の敷地ど真ん中を突っ切る!?


そんな奥の院、あり~っ?

No.397 21/04/21 13:46
旅人さん0 

そんな皆さんお仕事中の工場の建屋と建屋の間の、車の通る通路を通らせていただくという身も細るような道を通って、たどり着いた駐車スペース。少しほっとした気分です。

ここからは山中にある三百段という石段をのぼるのみであります。
┉┉。

立派な山中です。
ここで野性動物に遭遇したら、人間がその生息エリアに踏み込んでる世界です。「お邪魔してごめんなさいね」なんて言葉が通じればいいんですけど、まずそれはあり得ない。

えっと、熊、猪、サル、鹿。
ヘビもいるだろうな。ええ、毒を持つヤツも。
あの昨今話題のマダニもいるだろうな。

虫除けして。
鈴ならして!!
本当に熊、猪、サル、鹿とかに遭遇したら、どうするんだっけ。

┉夫は。┉逃げるな、私を置いて。
相手(動物)に提供して逃げるんじゃないか?

私「熊とか出ても普通におかしくないよね」
夫「鈴鳴らすしかないよな」
私「出たらどうするんだっけ?」
夫「置いて逃げる 笑」

┉やっぱりそうか。
┉どこまでがジョークでどこまでが本気だ?

今度こんな山道を歩くような巡礼地を歩くときは武器としての意味で杖を持つとしましょう。殴るのは夫を、ではないですよ。本当。

鈴をこれでもかと鳴らしながら。
坂道だの段段になっている道だのをのぼっていきます。
三百段って、ここら辺の坂だのは含めず三百段なんだよな、きっと。

マスクをしていると息が苦しい。
私たち二人しかいないので、マスクを外してさらに上を目指します。


出たぁ。┉三百段と言われる石段が、であります。
石段で野性動物に遭遇したら坂道より不利だよな。
┉もう、脳内は〖野性動物に遭遇したら〗、しかないかもしれない。

緊迫した時が流れます。


そんなにもビビるなら奥の院参拝は諦めればいいのに?
本当に。
でも行きたいんです、はい。








No.398 21/04/22 04:40
旅人さん0 

うっ。
出たぁ!

┉石段ですよ、あの噂の三百段の。
ようやくスタート地点に立つことができました。

たしかに、ここは間違いなく野性動物の住み処であるとは思います。それは間違いなく。
ですが、おそらくかなり頻繁に、ここを点検管理されておられるのでしょう、奥の院までの道は倒木があるでなく、草が生い茂っているようなこともなく、スムーズに登ることができました。道は、ですよ、あくまで。
結論から言えばさほど高くもないし、きちんと整備されておりますので大騒ぎするほどのことは何もなかったかと。運動不足の身にはマスクをしていると息があがるかな、程度でありました。
┉野性動物等に遭遇しない運を持って登るのみであります。


あ、みえてきました。
うわあぁ。
┉感動です。

山の中のお堂でありますので、大きなものではありませんが、あの京都清水寺のような懸崖造?舞台造?の赤いお堂が、新緑の樹林のなかに建っている、そのすばらしさといったら!

さらに続く石段はそのお堂まで続いています。
大きな、お堂と同じくらいの岩が石段を隔ててそびえ立っています。

その石段を登ると岩洞があって、ちょうど、大人が何人もすわって雨やどりができそうなくらいの空間で、そこには石仏さまがたくさんおられました。
ひときわ目立つのが閻魔大王さま。
秩父札所を開創なされたとされる十三権者さまのお一人ということを考えますと、ここをお守りいただくためにお祀りさせていただいたのかもしれません。
ここ岩洞前からさらに上へと道は続いていて。
第二十七番札所の大渕寺さんの護国観音さまの足元まで登れる道となっているようです。

┉私どもは行かないですけどね。

その石段を回るように下るとお堂の回廊に行けました。


す、すごおぉい!
朱塗りに黒を使いなんともおしゃれなお堂であります。正面の扉には細やかにして大胆な彫刻が施されています。
すてき♥

No.399 21/04/22 19:36
旅人さん0 

こちらの観音堂、岩井堂にはもう観音さまはおられません。
観音堂にそのように書かれた貼り紙がありました。
江戸時代に円融寺さんが別当寺(管理寺院)となり、盗難や損傷を防ぐため、岩井堂の札所本尊の聖観音さまは現在は円融寺さんに移されています。

でも来てみたかったんです。
ガイドブックにある写真よりももっと山、でしたし、もっと草深く、木々も生い茂る感じでありましたが。
まさかまさかの昭和電工さんの敷地も敷地!操業中の工場の敷地の中を通るというミッションがありましたけれど。

おられないとはいえ、こちらの岩井堂の岩洞こそがこちらの御本尊の聖観音さまの彫られた縁起の由来の地。


弘法大師空海さまがここの岩洞で秘法を行じていたところ、観音さまが現れて
「ここは必ず霊場となろう。のちに大徳がここを訪れわが姿を刻むであろう」と告げ、雲に乗って去ったといい、空海さまは加持を行って岩洞を封印したのだといいます。
その後高僧がこの地を訪れたところ、かの洞窟から光が射し出で観音さまが現れたのです。
観音さまがおっしゃいますことに「大徳が来るのを長く待っていた。わが姿を写してこの地に安置せよ」と。
高僧は拝し奉って、そのお姿を正確に刻み、里人に堂宇を建立するよう話したのがはじめだといいます。

その後ここにいた豪族秩父重弘がここに堂舎を再興したといい、今ここに建っている岩井堂は江戸中期のものだといいます。



ここにおられたかつて聖観音さまを思い、
先程寄って再拝いたしました円融寺さんにおられる聖観音さま思い、
他の札所を訪れたときと同じに読経をさせていただきました。

そして。
振り向いたとき見える景色のすばらしさ!
円融寺さんや昭和電工さんの土地自体が少し高いところにあり、秩父鉄道の線路が下を走っているようなところであります。
さらにそこから山を登ってのここは、秩父の山々を見渡せる、素晴らしい眺めでありました。

うーん、来てよかった!


帰り道は、┉野性動物に遭遇しないことをのみ願いつつ、高らかに鈴を鳴らし、ひたすら足早に昭和電工さんをめざし歩いたのでありました。



No.400 21/04/22 20:15
旅人さん0 

お昼すぎくらいからヘリコプターの飛ぶ音がやけに多く聞こえます。
栃木県足利市と群馬県桐生市に同時発生した山火事の記憶もまだ新しくて、
(なんだろう?いやだなぁ)
と思っておりましたが、先程のニュースで群馬県みどり市で山火事が発生しており、避難勧告が出ていると告げています。

あの時と同じに、空気が大変乾燥しております。


どうか一刻も速く消火されますように。


投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

前スレ・次スレ

関連する話題

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧