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神社仏閣珍道中・改

神社仏閣巡り珍道中・改

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旅人さん
21/07/02 03:51(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。



No.2982625 20/01/08 07:18(スレ作成日時)

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No.1 20/01/08 07:31
旅人さん0 

本日は一月八日。令和初の初薬師さまであります。
仕事を休むことができなかったため、朝一番、六時からの群馬県みどり市【光栄寺】さんの御護摩法要に参列してまいりました。

本堂のなかはすでに満員状態。少しくじけそうになった自分を叱咤して、参列してよかった。
学校前の小学生さんも参列していました。信心深いご家庭におかれ、素直に育っておられるのだなぁと思わず感心して笑みがこぼれた私でありました。





年齢、性別の表示を義務化されるとのご案内を受け、もうすでにバレバレでありながらも、わずかに残った女心で、義務化の前にスレを建ててみました。  (〃 ̄ー ̄〃)
新スレッドもよろしければおつきあい下さい。

No.9 20/03/14 07:57
旅人さん0 

【虚空蔵菩薩】さまは菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、知恵の菩薩とも評され、人々に知恵を授けてくれるともいわれています。明星天子、大明星天王とも呼ばれるようです。

【虚空蔵菩薩】とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味で、そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰され、その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるといわれています。
空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られており、日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったといいます。
また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く【十三詣り】という行事が行われています。


像容は『右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ』ものと、『右手は掌を見せて下げる与願印(よがんいん)の印相とし、左手に如意宝珠を持つ』ものとがあるようです。


また、【虚空蔵菩薩】さまは、丑寅年の守り本尊さまとされていますので、丑寅年生まれの方は十三日の金曜日はありがたい日、と思っていただいてよいのかもしれません。

No.16 20/03/18 03:51
旅人さん0 

『ハナモモまつり』というのが毎年開催されているようですが、今年はコロナの影響で中止になったとうかがいました。それが本来なら四月の上旬。つまり、その頃にハナモモ真っ盛りとなるのでしょう。下見をするなら、このくらいの時期がいいのかと出かけたのでありますが┉。
素晴らしい!
映画の1シーンのような駅舎です。
小さな、古い駅舎。山と、咲き始めのハナモモ、まさにあと少しで咲かんとしてまんまるなつぼみとなったハナモモが艶やかな桃色で辺りを色づけています。
これはすごい!
電車に乗ったらどんなだろう!
あ、わたらせ渓谷鉄道さん、電車じゃないんだ。ディーゼルなんだ。
電車通らないかなぁ?しばらく駅、及び駅周辺におりましたが、列車を見ることはできませんでした。
なんでもトロッコ列車とかお座敷列車とかもあるようです。
これはおすすめ!
かもしれません。私は列車を利用してはおりませんので、列車の感想はお書きできないのですが┉。


      令和二年三月十六日

No.30 20/03/28 22:20
旅人さん0 

今日はお不動さまのお縁日。お不動さまはその御容姿から、仏教とは(神道とも)無縁に生きてきてしまった私のようなものでも、一目でお不動さま、不動明王さまであられることがわかっていた仏さまであります。
大日如来の化身であるといわれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)とも言われるようです。不動尊、無動明王、無動尊などとも呼ばれています。
不動明王は大日如来の教令輪身とされています。仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、積極的な介入を行うお姿であります。
煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしていると、尊敬するご住職に教えていただきました。

その起源はヒンドゥー教のシヴァ神とする説もあるようです。

不動明王さまは【降魔の三鈷剣】(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と【羂索(けんさく/けんじゃく)】(悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としています。
お恐いお顔をされておられますお不動さまですが、右牙を上に出し左牙を外側に出され、ウィンクともとれる片目を瞑られたお姿は、私にはどうにもお優しいお姿に思えてなりません。

No.35 20/04/03 06:12
旅人さん0 

今、世界はひとつの願い、ひとつの祈りで、誠に皮肉なことながらも心はひとつとなっていると言えるのかもしれません。
どうか、それぞれの国の神さま、仏さまが、それぞれの民の祈りを願いを受けとめて、一日も早くこの世界をお救いくださいますように。


先ほどテレビで坂本龍一さんの無観客ライブの映像を拝見いたしました。そのなかで坂本さんが話しておられた言葉に胸を打たれました。

「今もウイルス禍と戦っている全ての医療従事者の方々、本当に心から敬意を表します。この新型コロナウイルス感染が収束していった先、ポストパンデミックの世界、この世界がどのようになるか、やはりパンデミック前と後では、僕たちの考え方や経済のあり方、文化のあり方が大きく変わるような気が僕はしています。願わくば、行き過ぎたグローバリゼーションとか金融資本主義が少しずつスローダウンして、もっとゆとりのある、自分たちも自然の一部だということを感じられるような緩やかな世界になることを願っています」。

「最後にもう1度しつこく繰り返しますけれども、皆さん基本である、手洗い、うがい、マスク、ぜひお願いします。
いちばん大事なことは外に出ない、人と接触しない、ソーシャルディスタンスを保つということ。
世界では今この時間もたくさんの人が亡くなっています。家にいられるというだけでとても言ってみればぜいたくなことなんだと思って、ぜひ貴重な機会を無駄にしないで、自分を豊かにするために使っていただきたいと思います」

自分を豊かにするための時間。


私は仕事が休みになることなく、お仕事をさせていただけております。突然仕事を失い、住むところすら失う方がおられるなか、感謝すべきことと、あらためて思います。
私が毎日仕事に向かうことが有意義であるかどうかは、私の心ひとつ、であります。
頑張ろう、自分。
今日も仕事に、行ってまいります。

No.41 20/04/12 03:19
旅人さん0 

他県の方々は、私の小学二年の時に感じた衝撃をもって、群馬県においての【上毛かるた】の存在の大きさを少しは感じていただくことができたかと思うのですが、今でも、その読み札をすべて暗唱できるくらい、血となり肉となっている大きな存在なのであります。

その上毛かるたの【え】【縁起だるまの少林山】。
絵札の絵は赤い達磨と、星座の描かれた、派手で不思議な絵柄のものであります。その絵札の実に深い意味をもつものであったこと!
それを知るのは、珍道中で高崎市【少林山達磨寺】を訪れて、初めて知ることとなります。と、群馬県民の上毛かるたへの熱い思いはいったんここで置いておき┉。
【少林山達磨寺】さんに参拝いたしました珍道中録を書きたいと思います。

縁起だるまの少林山なので、ついつい少林寺と勘違いしてナビに「少林寺」と入れると少林寺拳法の道場しかヒットいたしません。
達磨寺さんはその名の通り、達磨大師に深い縁を持つお寺さんです。

あの赤いダルマの張り子、選挙の際などによく用意され、当選の暁には両の目となる、あのダルマはこの達磨寺の和尚が作ったとされるもののようです。(ちなみに、高崎市のマークはダルマで、高崎市に入るといたるところにダルマがおり、『あ、高崎市に入ったな』とわかるくらいであります)



【達磨大師】は、禅宗で初祖達磨大師と仰ぎますが、七転八起、面壁九年の不撓不屈ふとうふくつの精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われ、信仰されておられる存在であります。そんな達磨大師をお祀りしているお寺さん【達磨寺】さん。



昔は、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂であったそうです。
ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、あるとき一了居士という行者が霊夢によって訪れ、その霊木を信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。

この噂は近隣に広まり、その頃の前橋領主・酒井雅楽頭忠挙公は厩橋城(前橋城)のちょうど裏鬼門にあたるこの地を護る寺としたいと考えます。
水戸光圀公の帰依された中国僧・東皐心越禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫和尚を水戸から請じて、元禄十年(1697)少林山達磨寺(曹洞宗寿昌派)を開創したのが、この達磨寺さんの起源であります。

No.46 20/04/15 23:53
旅人さん0 

以前書いた仏さまのごはんの食器、仏飯器を購入することができました。
いつも書くように、子どもたちが後々困ってしまうようなものとして残るのは嫌なので本格的なものではない仏壇もどきではありますが、仏飯器は仏さまに差し上げるのに失礼がないように、脚がついて高さがあるのだと知って以来、ずっと気になっておりました。これでようやく仏さまに失礼なくごはんをあげることができます。ただ、金額的には失礼この上ない、110円。そう、百円ショップで買い求めたものです。
百円ショップ、本当に何でもあるんですね。

No.49 20/04/19 00:20
旅人さん0 

筍の美味しい季節です。
ですが、竹やぶを持つような知人もおらず、スーパーに並ぶ筍はたいそうな値段がいたします。
そのあまりの高さに、何度もためらいながらも、やはり我慢できずに、清水の舞台から飛び降りるような心持ちで、カートに収めてレジに並ぶ、相も変わらず欲深い未熟な私であります。

ところで、筍が土中から伸びた姿は、お釈迦さまが生まれたときのお姿(誕生仏)に似ていることから『仏影蔬(ぶつえそ)』と呼ばれることがあるのだそうです。初めて知りました。

四月八日、お釈迦様の生誕の日、毎年、お寺さんでお祝い申し上げたいと思いつつも、勤務先の新入生のいるママさんのためにも、休むことはできず、いまだに花まつりに参列したことがありません。
いつか、土日にあたるであろうときまで、筍をいただきながら、お釈迦様の生誕をお祝い申し上げたいと思います。


No.56 20/05/03 18:55
旅人さん0 

そんなわけで┉ゴールデンウィークをむかえて、はじめて、緊急事態宣言発令による不要不急の外出を控える生活をおくることとなりました、私。
今までも、あくまでも仕事での外出と、日々の食事の買い物に出かけていたので、不要不急の外出はしてはいないのてすが、はて、どんな?散歩等の運動は大丈夫?うーん、では神社仏閣の参拝は?

そもそもが、先日書いたように、神社仏閣のさまざまな行事、大祭なども中止されたり、神職の方のみや僧侶の方のみで執り行われているようであります。御朱印も中止されていたり、書き置きのみの対応をされておられたり。
なれば、ソーシャルディスタンスをとって、地元の神社仏閣を参拝するのはよいのではないか?人混みでもなく、室内でもない、参拝という行為。不安な心を救ってくださる場である神社仏閣の参拝。
その神社さんやお寺さんが参拝をお断りするような対策をなさっていなければ、御朱印を求めたり、神職の方や僧侶に話しかけたりしなければ、それは禁じられる行為ではないのではないだろうか。
人それぞれの考え方があり、感じ方も多種多様な時代ではありますが、昔、医学もいまのように進歩していなかった時代、人々が救いをもとめ訪れたのは、神社仏閣であり、道ばたのお地蔵さまであったのです。


ストレスやネガティブな感情に意識を向けないように、小さな幸せや感謝を見つけてみることが、自粛生活をできるだけ苦にせず過ごす大切な鍵となるのかもしれません。



まあ、私の場合、そもそもが運転技術と地図をみて新たなところへ行く能力が乏しく、県外どころか県内でも遠くへ行くことは難しいため、問題視される外出にはつながらないのではないかと思われ、周りの人たちにも異口同音で言われていること、であります。

あとは、この緊急事態を乗りこえたときに、参拝に行きたい神社仏閣をピックアップしたり。
庭の草むしり、不用品の廃棄。
┉あっという間に終わってしまいそうなゴールデンウィークであります。

No.59 20/05/04 15:22
旅人さん0 

【桐生天満宮】さんは桐生近郊の方々にとって、今も大切な鎮守さまであり、子どもが産まれたときの名付けの相談や、お宮参り、七五三、成人式などの節目節目に必ずお参りする神社さんであるようです。
天満宮でありますが、御祭神は、【天穂日命(アメノホヒノミコト)】【菅原道真公】【祓戸四柱(ハラエドヨハシラノオオカミ)】であります。 
【天穂日命(アメノホヒノミコト)】さまは、古来、産業開発の守護神として崇敬されております。
桐生で有力な土師部の遠祖にして、菅原道真公の御祖先にも当たる御祭神なのだそうで、桐生天満宮の起源となる磯部明神の主祭神として奉斎されていましたが、後に天満宮遷座の折に菅原道真公とともに、天満宮の御祭神となったのだそうであります。

【菅原道真公】
承和十二(845)年、代々学者として朝廷にお仕えした菅原家にお生まれになり、幼少より学才に秀で、わずか五歳にして和歌を詠まれ、十一歳にして漢詩を作られ、その才能は人々を驚かせました。さらに、幼少より学問に励まれ、十八歳で文章生となり、はやくも三十三歳で学者として最高の文章博士となられた御徳を敬慕して『菅公』と称え、【学問の神】として敬仰されました。
また、【厄除け・災難よけの神】として、さらに、道真公が京都から大宰府までの長い道程を無事に旅されたことから【交通安全・旅行安全の神】としても広く崇敬されております、歴史上実在の人であった神であります。

【祓戸四柱(ハラエドヨハシラノオオカミ)】
あらゆる災いや罪・穢れを祓い清める神々で、【瀬織津姫神】・【速開都姫神】・【気吹戸主神】・【速佐須良姫神】を祓戸四柱大神と称え奉り、厄除・災難除・病気平癒・悪運退散などの御神徳をはじめ、すべての神事に先立つ清祓を司る神さまがた、なのだそうです。


桐生天満宮さんの御本殿内陣は、風水に基づいて御神体の四方を守護する霊獣、すなわち【東の青龍】・【西の白虎】・【南の朱雀】・【北の玄武】の四神を配しておられるとのことで、それぞれ東(職業・学業) 西(商業・金運) 南(家運・良縁) 北(健康・厄除)の広大無辺な御神徳により、こちらを参拝され、祈願される全ての人が、この理想的な風水によって護られ、大地のエネルギーである「気」を受けるようにと日々ご祈祷なされている神社さんであるということでありました。藤画像

No.77 20/05/17 07:24
旅人さん0 

私の住まうまちも、群馬県の例にもれず大変雷が多く、また落雷もよくある地域であります。雷が鳴り出すと、家中の抜くことができる限りのプラグをコンセントから引き抜いて歩くほど、大人げなく雷が恐くて怖くて仕方がない私は、雷除けの御守りをお受けすると決めてこちらを参拝いたしました。夫にも持ってもらった方がより効果的なのではないかとか、御札もお受けした方がよいかとか、あれこれと悩んでしまいました。それどころか、子供の人数分欲しかったくらいであります。
ですが、押しつけはよくないと言い聞かせて、私の御守りで私の大切な家族をもお守りくださいと、御守りを胸に拝殿であらためてお願い申し上げてまいりました。図々しさには雷神さまに覚えがめでたいかと┉(^^;


この雷電神社さまのむかって左側にはたいそう広々とした公園が広がっていました。たいへん気持ちよさそうな公園でした。

そして、初めて見る、真っ白な花の咲く樹が雷電神社境内や周辺のそこここに見られました。帰宅後に調べたところ【ヒトツバタゴ】という、天然記念物にして絶滅危惧種の植物、なのだそうです。
それは美しい、幻想的な花でありました。
ちょうど今ごろに咲いていたものだと思われます。
今年はゴールデンウイークに予定されていた大祭が、こちらも例にもれず中止とされていたようです。
外出自粛が解除され、県内ということもあり、今日あたり再拝させていただいては┉ どうなのかな?外出自粛解除って┉うーん(-_-;)

No.84 20/05/26 01:33
旅人さん0 

空を見上げると、いつも日光に向かうときに通る国道122号線が見えます。道路を走行している時にはまるで目に入らないのに、ここからは通る車が見えています。

なんとも言えない、畏れ多く、ありがたい気分です。
この道はお不動さまが下から護ってくださっておられたのだなぁ。
夫も、息子も、そしてライダーや車の同好の方々も、みなこの道を好んで走られます。┉もちろん夫と息子は普通のドライバーにすぎませんが┉。

さらに石段を昇ると滝のそばにお不動さまの石像がお立ちになっておられます。
天然の大きな石盤なのに、まるでお不動さまがお立ちになるために作られたような削れた部分があり、そこにお不動さまがすっぽり納まっておられます。
そのひだりてに滝があります。さほど大きくはない滝ではありますが、水量は豊富で勢いよく音をたて、川となって流れていきます。
覗きこむと、コの字形の楔が打たれております。
滝行をされる方がおられるのでしょうか。

高台には小さな石のお社があって、そちらにもお不動さまがお祀りされておられます。

なんでも、石段の手すりにくくりつける形で奉納された足や手の形のブリキは、願掛けのために奉納されているようです。
体の部位を奉納し、良くなったら剣を奉納するのだそうてす。
また、体の事以外のお願いの時にも剣を奉納しするのだそうです。

御由緒書きなどは存在しないので、いつからの風習なのかはわかりませんが、遠く県外からも参拝に訪れるようです。  

空気の清んだ、穏やかで静かな、ここだけ時間がゆっくりゆったり流れているように感じます。


┉私の運転で来られるかしら。
それとも、わたらせ渓谷鉄道に乗って花輪駅で降りて、ここまで歩いてくる?

ぜひまた再拝させていただきたいところであります。 



No.100 20/06/11 18:06
旅人さん0 

沼田まで足をのばしたので、群馬県利根郡川場村にあります【吉祥寺】さんも参拝したいと、さらなるわがままを申す妻に想定の範囲内と二つ返事で吉祥寺に向かってくれる夫。大切にしないとバチがあたるかもなぁと思ったりもするのですが、┉大切にするってどうするんだ?具体策のわからない悪妻であります。

そんな悪妻を乗せて、到着いたしました吉祥寺さんは、花の寺として有名であります。
池がいくつもあり、境内のなかは細い小川が流れています。そのさらさらとした音。そして心洗われるような清々しい空気。
夫と私の大好きなお寺さんであります。

急遽向かうことになったため、ネットで調べているとスマホで吉祥寺さんのホームページをお見せすると拝観料が割引きされるというありがたい情報もありました。さらには拝観受付で、カラーのパンフレットと一緒に涼やかな林檎ジュレのふたつ入った袋もくださいました。
なんともあたたかなお出迎えであります。

立派な山門の上、楼上には文殊菩薩さまを中心に十六羅漢さまが安置されているのですが、そこにも自由にあがることができるところもまたありがたいことであります。
そして、このお寺さん、石仏がそこここにお祀りされているのです♡

こちらの石仏さまに手を合わせ、あちらの石仏さまに語りかけ、さらにはそこに咲く季節の花にみとれてと遅々としてなかなか釈迦堂にたどり着きません。
この日咲いておりましたのはカキツバタ、そしてタイツリソウ、クリンソウ、変わり種のオダマキは濃いレモン色をしたもので、一目で好きになりました。
そしてようやくみぎてに鐘楼が見えてまいります。
こちらもまた、自由に鐘を衝くことができます。

ひだりてに見えてくるのが、茅葺きの釈迦堂であります。こちらも自由に入ることができ、心ゆくまでそこにおられます御仏の御像に向き合うことができるというありがたいお寺さんであるのです。
釈迦堂は1790(安政二)年の建築であります。そこに安置されておられます釈迦三尊像は鎌倉時代のものとされています。
以前来たときよりもシンプルな内部となっており、私はいまの方が好きであります。

No.103 20/06/13 05:52
旅人さん0 

秩父巡礼への思いを決定的にした本が一冊、それはそれは美しい、御仏のお姿であったり、青空にそびえる寺院であったり、名工による彫り物であったり、季節の花々であったりと、カラーの写真がそのほとんどを占めているガイドブックでありながら、写真集としか思えない本があります。
何気なく手にし、一目惚れして購入した、その名も【秩父三十四ヵ所めぐり】であります。
この本は、間違いなく、文章を書かれた方も、写真を撮られた方も、秩父三十四ヵ所をこよなく愛する方々であります。
三十四ヵ所のお寺さんをすみずみまでめぐり、その一つ一つを細かく調べてどうしたら読み手にその魅力を伝えられるか言葉を吟味して、書いておられます。
また、外での写真は季節ごとにその姿を変えますし、時間帯で光の加減も変わってしまいます。それを三十四ヵ所の寺院のすべてを、それはそれはため息が出るほど美しく、是非そこへ行きたいと切望するほどの力をもった素晴らしい写真の数々。それが本当に写真集かと思うくらいのふんだんな枚数が使われております。

当然バイブルともいうべきこの本、【秩父三十四ヵ所】、をまさに胸にいだいてのお参りです。


                   

No.106 20/06/14 16:21
旅人さん0 

秩父巡礼に向かうにあたって、【経本】【御数珠】【線香】【塗香】【納経すべく写経した用紙】、そして念のため【納経帳】も持参してまいりました。
通常、霊場めぐりには専用の納経帳が用意されていることがほとんどで、秩父も当然専用の納経帳があることは存じておりました。
しかし、いまだに結願できずにいる鎌倉三十三観音霊場、鎌倉十三佛めぐりを思うと、あえて専用の納経帳にしなくてもいいのではないかと思ったりもいたしましたものですから。自分の運転で来られもしないような者が持つようなものではないであろうと思ったのであります。
┉が、第一番札所納経所、ここで巡礼の支度ができるようにと巡礼に必要な物が揃えてある納経所にいくつも置かれた納経帳のなか、一目で心惹かれた納経帳があり、入って五分もしないうちにもろくもその考えは打ち消しておりました。
白地に梅の花咲く枝をバックに、観音さまの横顔が描かれた、それは美しい納経帳であります。
┉こ、これはずるい。
いやいや、ただただ意志薄弱な私が悪いのであります。
ちなみにここに一目惚れいたしました納経帳の画像を貼付しておきます。

そして、【納札】。

で。
正式に巡礼の支度をするとすると、【菅笠】【輪袈裟】【笈摺】【数珠】【手甲】を身につけ、【金剛杖】を手に【頭陀袋】を提げて、となります。
が、実際にその姿で御参りされている方は、その日その時には皆無。
かなり目立つこととなります。うーん。(´_`。)
やはりそこでまた意志薄弱な私。そもそも菅笠だけはイヤだったりする。
もっと若いときであったり、あと数年した私であれば、その正装で歩けるのかもしれない。
でも、周りにおられる巡礼の方々も、隣を歩く夫も普通の私服で、私だけ菅笠を被り笈摺を着て歩く勇気がなかった。

家を出たときとは全く違う私。( ω-、)

結局、身につける物で用意したのは輪袈裟のみ。金剛杖すら用意する勇気がでなかった。
対する夫は「ずっと金剛杖を持って歩くのが夢だったんだよ♥」と杖を選んでご満悦。┉二人で杖を持って歩く勇気がないんだなぁ。なにせ微妙なお年頃でありまして。
「えっ?買わないの?」┉うん。

代わりに私が購入したのは「鐘」。ハンドベルと言えばわかりやすいでしょうか。いつまでも余韻の残る清んだ音のする、持ち手は五鈷杵(ごこしょ)のようになっております。

No.120 20/06/27 04:11
旅人さん0 

奥の院は洞でありました。
洞のなかには弘法大師さまの石像がお祀りされており、大師さまがすぐに布教に旅立てるようになのでしょう、履き物の石像が添えられているというのですが、あとから供えられた同形の量産品の小さな仏像がたくさん並んでいて、私からは確認できませんでした。

弘法大師さまの周りにはまた、古くからの石仏がたくさんおられましたが、なにぶんにも洞の中でもありよく尊顔までは拝することはできませんでした。
奥の院の洞の上には樹がそびえているのですが、祠の入口をまるで守ろうかとでもするように、幹が大きく『し』の字を描くように一旦垂れ下がってのち、また、上にむかって伸びています。そのさまが、なんとも神秘的であります。

奥の院参拝のご利益も加わって、私のおなかの悪いもの、不要なものを体外に出そうとする力がさらに強まったものの、それでも御仏の御像を拝しつつ、下に下ります。

奥の院前から、異なる道で下りていく別のルートの道の石仏はほとんどお首を切られた石仏はおられませんでした。

なんとか無事に山門まで戻ることができました。山門を石段の上から見ると、ここにもまた、びっしりと石仏が並んでおられます。さすがに遠くてそのお姿をよく拝見することはできませんでした。

山門を抜けて。


御朱印所にむかいます。なかには二人の女性が詰めておられ、御朱印はそのうちのお一人がお書きくださいました。

No.131 20/07/04 06:28
旅人さん0 

第八番札所西善寺さんは、そんな樹齢推定500年とも600年とも言われる、幹の周囲3.75m、高さ10m、枝張り東西17.5m、南北17.5mの樹勢旺盛な巨木であるコミネカエデをも、あくまでも境内の景観のひとつであることを、ここを訪れたすべての人が気づく、素晴らしいお寺さんでありました。

こちらにおられます阿弥陀如来さまと十一面観音菩薩さまのお力にございましょう。
さらにはコミネカエデもまた、自らの立場をわきまえた立派な霊木だからこそなのでしょう。


何度でも来たいと思う、お寺さんであります。

No.152 20/07/22 03:52
旅人さん0 

┉聞くことと、少しでも記憶して帰ろうということだけに重きをおいてお話をうかがっておりました私。ここでふと、この館林城と関わりのあったお寺さんの御本尊さまが長野に、それこそ移動先も知らせられることなく移動することとなったのかな?という疑問が┉。
そうするとあり得ないような御本尊さまを他のお寺さんへ移すということになんとなくさもありなん、と思えなくないことになるのですが┉。(;゜゜)

その後、江戸の地に廃寺となったお寺さんが再建され、こちらに移された什宝や梵鐘を返還して欲しいという話になったこともあったり、
さきの第二次世界大戦で、多くのお寺さんから梵鐘が供出されていったなか、こちらの梵鐘はこのお寺さんにのこされて、今にいたっているようです。
見る目のない私のような者には、いかにもどこのお寺さんにもあるごく普通の梵鐘にしかみえないのでありますが┉こちらの梵鐘、【千代田町の文化財】というパンフレットによると、【国の重要美術品】なのだそうで !(゜ロ゜ノ)ノ
┉本当に見る目がないのだなぁ、と落ち込むくらい、普通の梵鐘にしかみえない私でありました。
そんな名鐘を自身の寺に持つ御住職ですが、梵鐘については一切語らず、いかにも奥ゆかしいことでありました。


こちらの宗派、黄檗宗。黄檗とは実は樹、なのだそうで。

「黄柏」とも書く、キハダの別名。
キハダの幹の皮をはぐと、あざやかな黄色が現れます。この黄色は、ベルベリンという色素によるものです。樹皮からコルク層を除き、乾燥させたものは「黄柏(オウバク)」と呼ばれ、古くから生薬として用いられました。
 「良薬は口に苦し」の言葉通り、強い苦味と健胃整腸作用があり、民間薬では正露丸などの苦味整腸薬や止瀉薬の原料とされ、過去には外用薬として、内皮の粉末に酢を加えて練ったものを打撲に用い、煎じ液を眼病の際の洗眼に用いたようです。
 
 黄柏は染料としての長い歴史があり、絹でも木綿でも媒染剤なしで黄色に染めることができます。古代中国の楚(そ)では公式文書の用紙に黄柏で染めた「黄紙」を用いました。日本でも、東大寺正倉院の遺物に同様の紙が見られ、美しく黄色に染まった紙は防虫作用もあるため、経文用紙としても重宝されたようです。
着物の間に挟んだ黄色の紙に覚えがあれば、それも黄柏染めで防虫用であったようです。

No.155 20/07/24 10:20
旅人さん0 

【こぼれ話】
その五
館林城主であった綱吉公の子息は、身体が弱く夭逝しておりますが、武家社会で初めて病気平癒のご祈祷を受けておられたようです。御年三歳と五歳。
そこから子どもが健やかに育つようにと、そしてその年まで健やかに育ったことを感謝して神社(仏閣)にご祈祷をお願いする行事、【七五三】に発展した、と言われているのだそうです。


まだまだたくさんお話を賜ったのに、メモをとることを憚ったので、記憶してきたことをなんとか絞り出したものの、ここまでで限界、であります。

お寺をあとにして何気なく見た時計に思わず、二度見して、さらに夫に確認をしたほどの時が経過しておりました。┉その時間、実に二時間。
御住職、本当にありがとうございました。

No.161 20/08/04 09:46
旅人さん0 

そんな【観音寺】さんのお不動さまの左隣には、あまり御本堂の内陣の脇間とかではみられることのない石仏さまの座像が安置されておられます。こちらは┉
こちらは、かつて地域で信仰の厚かった薬師堂が区画整備などで移動しなければならなかったということがあり、こちらのお寺さんが頼まれお預かりしたという経緯があった【薬師如来】さま、なのだそうです。
「撫でてご利益をいただいていたお薬師さまなので、よく撫でられていたところが色が変わってしまっているんですよ」と御住職さま。
右隣には御椅子に座られた導師さま。
疫病退散に神通力をお持ちであった元三大師さまの御像のようです。
「今このコロナの時期に本堂にお越しの皆様にぜひ御祈願いただいて、大師さまにお声をお届けしたいと思っているので、是非。」とのこと。
あの一種異様な鬼になられた元三大師さまのお姿こそが疫病を退散させて下さったのだとおっしゃいました。
そうでした。元三大師さまは天台宗の高僧でありました。
それでも御住職さまは少し照れるように
「なんでもあるんですよ」と。
┉むしろありがたいことであります。

そして内陣の向かって左側。
中央にひときわ背のお高い御仏がおられ、左右に少し小さな御仏が安置されています。
「真ん中と向かって右がお地蔵さまで、こちらのもともとのお地蔵さまは左隣におられます」
「真ん中のお地蔵さまは、八幡宮の裏手にある墓所にある地蔵堂から、あちらが無住になってしまったことからこちらにお越しになったんですよ。」
┉お薬師さまとお地蔵さま。よいところにおこしになることができました、よね。

そして脇間のむかってひだりにはば、十一面観音さま。
水瓶?をお持ちです。
「こちらは聖観音さまで、お顔は十一面観音さまのようです」
お!!(゜ロ゜ノ)ノ

作者が一緒で大きさが一緒だったりすると、そんなカスタマイズができちゃうのでしょうか。違和感は何一つありませんでした。
あれ?
御住職さま、この間観音さまがおられない観音寺とおっしゃっておられたような気がしたのですが┉どうやら私の記憶違いか聞き間違いであったようです。すみません(。´Д⊂)




お寺の鐘も好きに好きなだけ撞いていいとのこと。
┉そもそもそんなことを聞く人はあまりいないのだろうなぁ。




No.179 20/08/16 03:18
旅人さん0 

重厚であるのに明るい、やわらかく心にすーっと入り込んでくるような音色。さすが平和祈願の鐘であります。
【黒瀧山不動寺】さんの梵鐘。
羅針盤というところがいかにも平和への道を示してくれる感じがいたします。

夫が撞いて、息子が撞いて。私が撞いて、三回。
私が鐘を撞くにあたって祈ったことは新型コロナウイルス感染症の終息、という形での世界平和ではありましたが┉。願わくば私の内から溢れんばかりの煩悩が三つ消えていますように。せめて自分で撞いた一回分、一つだけでも。┉ そう思うところがあるのなら、鐘を撞かせていただいたことに感謝して自分で自分の煩悩を戒めるんですよね。


さあ、いよいよ参拝、であります。
┉なにやら変わった入口で。
建物横の通路のような入口、というよりまさに建物横の通路を活用した[授与所]なのですが、奇抜な感じがして、のっけから珍しくためらいがちな私。建物は宿坊のようで、先程坂を登りながら、お寺さんの建物ではあまり見ないような建物と思った建物、さながら民宿、合宿所のような外観です。黄檗宗は中国の文化が色濃く残るもの、らしくて、そんなことも関係しているのでしょうか。おみやげ屋さんの二階に泊まれる海の家ならぬ山の家のようなイメージを受け、そこにしっかり[黄檗宗 不動寺]の看板がさげてあるのです。

その通路を抜けると大きな杉の木が一本枝を広げています。

そして、山門。
山門を見たとき、思わずホッとした私。建築様式にも疎い私でありますがごく普通のお寺さんの、立派な山門、であります。(不動寺さん、すみません💦)
山門の扁額は潮音さまの書なのだそう。
山門の中、左手に木製の大きな魚が下げてあります。魚梆(かいぱん)と呼ばれる、木でできた魚で、禅宗の儀式や行事の折に時刻を知らせる目的を主にしている法具であります。元禄時代のものとのことで、さながら鰹節のように乾燥しており、叩かれ続けておなかの部分が痛々しいくらいえぐれてしまっています。魚の下方に太い丸太を綺麗に加工した叩く棒がおいてあり打たせていただくことができました。┉もちろん叩きます。笑。


No.190 20/08/28 03:24
旅人さん0 

そんな161年も生きて┉というより、少なくとも161年も茂林寺にいた守鶴和尚。後世、守鶴和尚は狸の化身だったのでは、ということとなり、ついにはあの、たぶん全国区の昔話となっていったということのようであります。

そもそもの茂林寺と守鶴和尚との出会いは、開山の和尚さまが榛名山のふもとの伊香保あたりで出会ったということに端を発しています。
そんな守鶴和尚、実は群馬県内各地で『守鶴』という和尚がいたというお寺さんがいくつもあるようです。で、そんななか、茶釜と関連した和尚の伝説があり、もしかしたらこの和尚も守鶴和尚であり、ここで登場する茶釜こそが分福茶釜であったのでは?という説があり、ぜひこれはここに掲げておきたいと思ったのであります。

そして、また茂林寺さんに行きたい気持ちがうずうず、沸々。まるで茶釜のなかのお湯のように沸き立っているのであります。

No.193 20/09/03 08:33
旅人さん0 

夫と二人三脚の┉いやいや、夫にまさに背負われるかのごとき神社仏閣珍道中。普段は一日の会話が原稿用紙一枚を埋めるのも難しいのではないかというくらいほとんど会話がない夫婦で、夫は食事が終わるとそそくさと自室に戻っていくようなそんな二人であります。
だから二人が共に神社仏閣を巡ることに喜びを感じるような道を歩み出すことになったことはまさに奇跡のように感じ、それこそ神仏のお導きであったのではないかと思えるくらいであります。

そんな夫。半年くらい前だったか、ある時急に、
「あのさぁ、お不動さまのように怒ったようなお顔をされていて、手が何本かあって剣とか持っていらっしゃる仏さま┉なのかなぁ、時々見かけることがあるんだけど、どなただかわかるかなぁ」と聞いてまいりました。
いやいや私とて神仏に詳しいわけではなく、それこそお不動さまとお地蔵さまのように特徴のある仏さまがわかる程度で、『どなたなんだろう』と思って、家に帰ってから調べてみてもわからないことがあるくらいです。
それでも普段の恩に少しでも報いることができればとない頭をしぼり、
「もしかしたらでしかないんだけど、青面金剛さまかもしれないけど?あの鎌倉の五所神社さんにたくさんおられた、三猿が足下にいたりいなかったりした石仏さまのことじゃなくて?」
「え?五所神社に?覚えがないなぁ。たまに道ばたとかにおられてすごく気になってるんだけどわからなくて。写真でも撮ればよかったんだけど」
┉そうだなあ、五所神社さんに参拝させていただいたあと、あちらにたくさんおられた石仏さまがどなたであるかを一生懸命調べては熱く語ったし。だとしたら青面金剛さまではないか。
そうは思ったものの念のため夫にその時撮らせていただいた五所神社さんの青面金剛さまの写真を見せたところ、
「そう、こちらの仏さまだよ。ええっ?五所神社におられた?」

そのあと、ひと(私)の話をまるで聞いていなかったという恨み言を一通り述べ、(┉そんな余分なことを述べなくなれれば少しは修行したことになるのだろうに)その時調べた青面金剛さまについて再び夫に語ったのでありました。


そんな青面金剛さまのお話をさせていただきます。

No.199 20/09/14 18:54
旅人さん0 

土曜日、時々行く本屋さんの平台に、なんとも魅惑的なタイトルの雑誌がありました。【趣味どきっ 仏像の世界】❤
当然のことながら、さっそく手に取りいとおしそうに胸に抱き、いそいそとレジに向かいました。

これはNHKのEテレのテキストで。そう、雑誌で楽しめ、テレビでも楽しめる二度おいしいものであります。
一回目は惜しいことにすでに放送終了。ですが今日の午前中にな、なんと再放送がある! やったぁ❤


正座して、テレビに向かう私。ん? ん?
なんだかたどたどしい女性が┉。しかもなんだかアイドルがどうのとかいうタイトルで┉。
間違えたかなぁ?
いやいや、ちゃんと新薬師寺に向かうといいます。

ほほ、ほぅ。雑誌には小さく小さく書かれていて私には目に入らなかったけれど、アイドルと巡るって書いてありました。最近のEテレは本当にかつてのNHK教育テレビとは百八十度異なるものでありますが、こうきましたか。
でも、仏教初心者、仏像初心者にはちょうどいいかもしれません。



でも┉こんなにも小さく記載する?(・・;)



No.201 20/09/20 07:39
旅人さん0 

施餓鬼会が執り行われる御本堂はいつもと異なり、たくさんの椅子が並べられており、さらには内陣の御本尊さまに相対するところに、お盆の時のように棚が設けられていて三界とか水子とか書かれた御位牌が三つお祀りされています。
そして内陣とその棚の間に四つ、仏壇の前に置かれるような几があり、それぞれに御経やら散華の紙が入った盆やら、鐘やらが置かれ、場所によってはシンバルのような仏具や、太くて短く太さが一定しない、ちょうど手に持つ長さの縄のような物が盆に置かれて側に置かれている几があったり。
さらにはそこから少し離れた席に木魚が側に置かれた几も設けられていて、最低でも六人の僧が執り行う法要であるように思われます。

何より目を引くのが大きな仏画の掛軸が掲げられていることでありました。┉涅槃図?ゆるゆると歩を進めてそこに描かれた絵を見ますと、( ̄□ ̄;)!!?
十王図の閻魔さまの裁きの様子の描かれた画でありました。

自分の生きてきた生きざまに自信がない私は結構な衝撃を受けました。お彼岸のこのときに地獄画ですか┉。
あ、施餓鬼会!
そ、そう、そうですか。死後の裁きであります十王さまの裁きでその者の進む道、六道に別けられてそれぞれ天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道に進む┉ということでいい?のでしょうか。
その餓鬼道に落ちた御霊に向けての法要であるからこの画が掲げられているということなのでしょうか。

そうだ、お彼岸はご先祖さまに感謝し供養するとともに、自分自身の生き方を見つめなおすときと書かれたものを読んだことがありました。うーん、のほほんとお墓参りをして過ごしていたいままでのほんわかとしたお彼岸が一気に身の引き締まるものとなりました瞬間でありました。
しかも座席はまさにその閻魔さまの画の真横。吸いつけられるようにその画をながめておりました。

奪衣婆が着物を剥ぐ様子。
血の池に腰まで浸かり泣きながら歩く亡者。
閻魔さまの御前で裁きを受けている者はスクリーンのような物の前で後ろ手で縛られ髪を引っ張られそのスクリーンに映されるものを見せられています。
火のついた車、舌を抜かれる者、針の山。

うーん。地獄とはどういうところかを脅して楽しむような叔父がおりましたが、まさに叔父から聞かされていた地獄そのものの画であります。

No.204 20/09/22 12:41
旅人さん0 

煩悩の塊の私。

私の目の前に一枚、床に置いた私のバッグの真横に二枚の散華がひらひらと舞って落ちました。その散華三枚の誘惑に打ち克つのにすら、未熟な私にはしばしの時間が必要でありました。その位置に落ちた散華をわざわざ拾おうとする方などめったにおられないはずです。仮にそこまで踏み込んで散華を拾おうとする方がおられたとしても、これはあくまでも施しであります。もっと突き詰めて言ってしまえば”紙„であります。
日曜学校のしまいに天使の絵などが描かれた小さなカードがいただけたのですが、机の引き出しに大切に持っていたもののいつのまにやら無くなってしまっていました。
散華は御守りになるとお聞きしたことがあります。
うーん。欲張らない、欲張らない!
散華三枚は私のものとなりました。

それでも┉夫の目の前に落ちた散華は、綺麗にお化粧しおしゃれした女の人がささっとやって来てスッと持って、後ろも見ずに速足で本堂から逃げるように去っていきました。(゜〇゜;)
いやいやわが家は三枚あるから。


二年ほどまえに群馬県太田市のお寺さんでいただきました散華は、今も不思議と綺麗なままでお財布に入っています。
この散華はどのように携えたものか┉。

とりあえずいつものバッグの内ポケットに入れて持ち帰りました。


浅ましい行為をすると餓鬼道に落ちる。
うーん、┉私はもっと下かもしれない。



No.207 20/09/26 02:46
旅人さん0 

知る人ぞ知る青蓮寺さん。
昨今の御朱印ブームを憂いてはいるものの、それを逆手にとって何種類もの御朱印をご用意されておられます。御朱印をお授けになるにあたって、御本堂へあがって御焼香をするようにとおっしゃいます。
「本来納経した証としてお受けする御朱印を、あたかもスタンプラリーのように集めることだけを目的にお寺をまわるのは間違っている。
うちでは御仏に手を合わせるという最低限のことだけはするものだということを覚えてもらいたいので御本堂へ上がってもらって御焼香をしてからお書きすることとしています。」
とおっしゃいます。
最近は写経をしたうえでお授けになるという御朱印があり、御本堂で写経するのもオッケー、ご自宅で何日かに分けて書くのもオッケーというもので、さらにはそれをインドに納経していただけ、後日インドから納経証明が届くという本格的なものであります。インドの日本寺を維持することも目的としているため、設定された金額は三千円と破格なものでありますが、もう何人もこの企画に賛同され納経をして特別な御朱印をお受けになっているのだとか。
┉私はその三千円納めて写経し納経しての御朱印をお受けになる方が多いのはご住職のお人柄によるものだと思っております。
ユーモアがあって、よくも悪くも人間くさいお方で、奥様との夫婦漫才のような掛け合いも楽しい、そんなご住職さまでありますので。
奥様もまた人を大切になさる、よくお話しくださる方で、庭で咲いた紫陽花を切って訪れた方にお渡しになるような方であります。
時々、ご住職がそんな奥様をいさめることがありますが、ある時
「でも私、奥様のお話もまた私にとって癒しです。」
と申し上げたことがありました。そのあと私にだけ小冊子をくださいましたのは、やっぱり奥様をほめられて嬉しかったということのでしょうか。

お庭には愛犬が寝そべり、御本堂や境内を自由に歩く猫たちがいて。
居心地のよい、ことあると行きたくなるお寺さんであります、群馬県桐生市の青蓮寺さんであります。



No.209 20/10/01 05:14
旅人さん0 

世の中は【withコロナ】、【Go toトラベル】という言葉のもと、個々の価値観の大きな相違の中で、afterコロナの時代を歩みだしています。

実は私、前回のシルバーウイークとも呼ばれた四連休と一週間遅れのmy四連休がありました。ちょうど一週間遅れの週末から週の初めの、まさに今週。夫がそれに合わせて計画休をとり、秩父巡礼を計画いたしました。
運転技術は赤点ギリギリレベルの自覚を持つ私。突拍子のない行動をとることが多々あるくせに保守的でよくわからない性格の私。今回の秩父行きもどちらかというと及び腰でありました。
「行くよ」
そんな夫の言葉にどちらかというと重い腰を上げていざ秩父巡礼へ。

今回の秩父巡礼の札所は街中の、山道を走るようなコースではないため、┉そもそもが秩父へと向かう道自体が一般道。平坦にしてうねうねのカーブ等もない道であり、一応は免許歴三十年超え、毎日運転して通勤し、一応はゴールド免許の私でも運転できる、はずの道なため、何度か運転を申し出たのですが軽く却下されて、今回も安全策┉いやいや運転好きな夫の運転で全行程をまわることとなりました。


今回の秩父巡礼回りだしは第十番札所、【大慈寺】さんであります。大きな通りを少し入っただけのところにあるのですが、一転のどかな里の風景となり、里の初秋の風情を満喫しながら歩くこと三~五分くらいのところに、上へと向かう石段があらわれます。大きな、それはそれは穏やかな笑みを浮かべたお地蔵さまの座像がかたわらで見守っておられます。
石段を登ると仁王門がありました。ガラス越しでそのお姿はよくは見えないのでありますが。
門の前に立つとすぐに御本堂の正面となります。ひさしぶりの巡礼にやや緊張して、軒をお借りし御数珠と経本、納札とお線香を取り出しました。納札を納め、灯明をあげお線香をあげ、お賽銭をお入れして般若心経をお唱えしました。

納経と、御朱印をいただくために納経所にお邪魔すると┉。
納経所をカラフルに彩るイラストの絵馬をはじめとするグッズの数々!そうだ、ここは別の意味での聖地であり、巡礼地でありました。【心が叫びたかっているんだ】という、秩父を舞台としたアニメの舞台なのだそうです。

No.210 20/10/01 06:19
旅人さん0 

大慈寺さんの境内からは青空によく映えて武甲山がみえます。
空気も澄んで心地のよい境内。決して広い境内ではありませんが、秩父を舞台としたアニメで、ここ、このお寺さんを選ばれる理由がわかる気がいたしました。私どもが、ゆったりと境内で過ごすうちにも、参拝の方がひきりなく訪れておられました。
もちろん札所でありますので巡礼の方も訪れておられますが、通りかかった地元の方、毎日の日課とされておられる地元の方のほうか圧倒的に多いのであります。

本当にどこにでもあるお寺さん、といったたたずまいの大慈寺さん。建物自体は年代不詳とのことですが、江戸時代の建立であることは間違いないようであります。それを驕ることなく、あくまでも地元のお寺であることをコンセプトとされておられるのだと思います。

花がいろいろ植えられているわけでもなく、狭い境内でありますため木々も多いわけでもありません。石仏さまとかも普通よりも少なく、お世辞にもどこがみどころだなどというお寺さんではありません。
納経所の方も事務的な方が対応されておられ、説話などをお授けくださるようなところでもないようです。
ですが、このお寺さんの癒しの空気、居心地のよい境内は、御本堂におられる御仏のお力、であるのでしょうか。


No.214 20/10/04 09:13
旅人さん0 

┉たしかに細い道に直角に入って行く道でありますが、大きく角度をつけて、しかもその対向車が現れるまで一台も車がなかったので、私も多少(?)遊んではみましたが、なにもそんなに騒ぐことはないのにと、さすがに駐車場に停めてもまだ怒りがおさまらず。
私、「ああいうところでごたごた言われるとかえって危ないから!」
夫、「だってあんなに大回りして、角度つけるから┉」
私、「角度つけたらしっかり曲がれるでしょ?あんな道でごたごた騒がれるとイライラしてかえって危ないから!」
夫「┉」

ちっ、一言ぐらい謝ったらどうよ。とか思っちゃう未熟者も、さすがにここが御仏のお足元でありますことを自覚して、自らの心を鎮めようといたしました。
ですが、ソーシャルディスタンスもとれず、まるで我が庭のように振る舞うご家族さま御一行さまにもイラッ!
落ちつけ、落ちつけ。

ソーシャルディスタンス、ではなく気持ちを落ち着かせるため、人の居なそうな端に向かう私。

おおっ!見事な鐘楼、見事な鐘であります。
衝いてはいけないとも衝いてくださいとも書かれていませんが┉普通に鐘楼に立ち入れます。
┉どうぞ私の心の苛立ちを鎮めてください。ごーん。
うーん、なんとよい鐘の音でありましょう。
御本堂前で参拝して、庫裏に向かうころにはすっかり平常心。
┉さすがお寺さんです。

庫裏で御朱印をお願いして、受付の方に「お待ちになる間、是非彼岸花をご覧になってください。ちょうど花の時期を迎えたところですので」と言われて、そんなに彼岸花の咲いてるとこなかったけど?と思いながらも外に出ました。
見ると人がみな、御本堂の横を通って何やら奥に向かっています。


おおっ!一面、というと大袈裟になるかもしれませんが、彼岸花が群生して一面紅くみえるではないですか!
なるほど。たしかにこれは彼岸花のお寺を名乗るにふさわしいお寺さんでありましょう。石仏さまが大好きな私とすれば、一体の石仏さまが顔半分まで彼岸花の群生する中にすっぽり埋もれてしまっているのがなんとも残念ではありましたが。

訪れた方々はスマホや本格的なカメラで、墓所に背を向けてパシャパシャとシャッターをきり続けておりました。うーん。(-_-;)
ま、人がいなければ亡き人たちも彼岸花を愛でておられるでしょうから、まあよしとしましょう。

No.217 20/10/07 03:05
旅人さん0 

┉そんな、『ごはんよー』の撮影現場の向こうに見えていた【野坂寺】さんの山門がようやく目の前に。重厚な、歴史を感じさせる山門であります。山門の左右には窓があり、それを必ず覗かずにはいられない私。┉十王さま方がお並びになっています。
いきなり十王さま方が一同に居並ぶ御前でありますか!

と、緊張したのも一瞬のことで、その真後ろの白い壁に貼りまくられた千社札に興醒めいたします。┉そこまで入り込んだんだ。
千社札がびっしり貼り付けられた神社仏閣の建造物に私欲を感じてしまうのは私だけでありましょうか。欲を捨てるべく訪れるはずの場所で、自分の訪れた証を貼りつける┉どこかに自己満足がある気がしてなりません。願掛けであった時代であったとしても、それがあるのとないのではその建造物の趣すらが変わってしまいます。
一方夫は「誰それの札がここにもあった」、「誰それと並べていつも一緒に貼られている人の札が単独で貼ってある」と、千社札を楽しんでいます。
とはいえ以前はむしろ私の方が千社札を携え寺社仏閣を訪ねることに憧れていたのでありました。訪れた先々で御朱印をいただくのもまた、欲、であることも自覚しておるのではありますが┉(〃 ̄ー ̄〃)

十王さま方の横を通っていざ山門をくぐって┉くぐって┉?!
山門のなかに大きな木彫りの像がたくさん飾られております!軽くミュージアム、であります。どの像もおそらくは同じ方の彫られたものでありましょう。牛に乗った観音さまや、三面の観音さま。山神さまや風神さま。このような山門は初めてであります。
山門をくぐって。

花や木の多い境内で辺りを見回すと、手水舎が❤
そう、楽しみの一つでありました、観音さまのお手にお持ちになられた水瓶から注がれる水を受けての手水であります。
写真通り、であります。お美しいお姿であります。誰もいないことをいいことにしばし手水舎に居座る私に興醒めしている夫。いつもなら好きなところに先に行くくせに。あ、そうか。身を清めてお参りを済ませなければ。

No.219 20/10/09 05:05
旅人さん0 

野坂寺さんは広い境内にいろいろみどころがあります。
なかでも私がたいそう感動いたしましたのは、群馬県民なら誰もが知っている、と言っても過言ではないであろう、呑龍さまがお祀りされていたことであります。
おそらくは呑龍上人が生きておられたころか、その名が近隣に響きわたった江戸のころからずっと祀られたものであると思われます。
苔むした石像は子供がまとわりついたもので、【子育て呑龍】として名高い上人を石工があらわしたものでありましょう、子供たちが嬉しそうにまとわりついている笑顔までが表現された、当時としては珍しい石像であったのではないかと思うのであります。

さらには。花の寺としても有名だという野坂寺さんでありますが、ちょうどいろいろな花が、花の盛りを終えたころであり、さほど花が咲いてはおりませんでしたが、いくつかの、色とりどりの睡蓮が、まだまだ頑張って咲いていてくれ、その健気さにも心打たれた私であります。

山門内にいくつも納められた木像を造ったのと同じ作者の手による仏像が納められているという十三仏堂もありました。

No.238 20/10/21 03:23
旅人さん0 

西光寺さんの境内には、まるでジブリの世界に出てくるような┉といっても、私、ジブリに詳しくないのですが┉いかにも奇抜な御堂があります。「招福・酒樽大黒」という立て札があります、茅葺き屋根をのせた大きな酒樽に大黒天さまがお祀りされている御堂です。一日三合で、三十年分の酒が入るという大きな酒樽で、中に小振りの大黒天さまがちょこんとたたずんでおられます。
なんだか小さな紙がやたらと貼り付けられておりましたが、サッとお参りして後で知ったのですが、小さな紙はすべて名刺だったようです。ここに名刺を貼るとお金が入ってくる、お金に困らないとか言われているようです。うーん、残念な┉(>_<)
あ、そもそもが私名刺がないんだ。子どもたちが名刺を持つような世代になったけれど、私は生涯名刺とは縁がない人生となりそうであります。

そしてそのそばには、秩父夜祭で使われていた山車の車輪が一つ置かれていました。ただ置かれているだけなのに、大変趣のあるもので、大変まわりと調和していました。まるでみんなに愛された山車の魂が役割を終えてくつろいでいるかのような、やわらかであたたかな気を感じます。

そんな西光寺さんをあとにして歩き出した道の彼岸花はさらに傾いた陽の光でやわらかに光り輝いていました。

No.241 20/10/21 13:44
旅人さん0 

鐘楼に登って、その梵鐘の表面の鋳られ彫られたものの数と、さらにはその見事さに、絶句いたします。

か、観音さまが。
┉何体の観音さまなのでしょう!一体一体が何観音さまなのかが私のような者でもわかるような精巧さで鋳られています。

あ、こ、これは!
百観音さまだ┉。西国何番、と見てとれます。秩父何番とあります。
うわあぁ、感動です。
そしてたまたまそばにあった観音さまを拝すると、まさにここ、定林寺さまの観音さまでございました。
その、定林寺さまの部分に刻まれたものは〖同十七番 定林寺 あらましを 思ひさだめし 林寺 かねききあへづ ゆめぞさめける〗と彫られており、中央には御本尊十一面観音さまであります。
一つ一つ、です。それぞれのお寺さんの御本尊さまと御詠歌が彫られているのです。うーん。これはすごい。

いつまでも鐘にまとわりつく初老の二人に、本堂の扉を締めにまわられに来た詰め番の方が気づかれて、石段の上からお声がけくださいました。
「本当は参拝の前に撞くものだけれど、撞いてもいいですよ。そのあとちょっとまた本堂に手を合わせに来てもらえば。参拝のあと鐘を撞くとせっかく結んだ観音さまとのご縁を切っちゃうって言われてるんだけど」
えっ?いやいや、それは困ります。
「あ、すみません。あまりに見事な鐘なので見とれておりましただけです。またの参拝の時に撞かせていただきますので」


┉夫君、というわけで、お願い、定林寺さんにぜひぜひ再拝させてくださいませ。なんなら鐘を撞くだけでもよいであります。
どうやら、鐘の音もまたすばらしいものらしい。

秩父までなら、頑張れば来れる、かなぁ。でも天才的方向音痴で、なおかつ地図を読めない私。ナビのない、八人乗りのマイカーでここには来られない自信、百パーセントであります。


No.246 20/10/27 04:58
旅人さん0 

なんとも開かれたお寺さん大信寺さん。結構長いことここで過ごし車で移動を始めると。┉‼。お寺の境内とは少し離れたところに伊賀守氏のお墓がある!ええっ!?
何度かその場所を目指してリトライするのですが、駐車スペースがない。しかたなく車中から手を合わせて、次なる(夫の!)目的地へ。すると、【蛭沼薬師堂】という案内の看板があるではないですか。
私的にはこの日、彼岸花のお寺さんということで邑楽の恩林寺さんを訪ねてきただけのつもりでおりますので、あくまでも次なる目的地はないもの、なので、その蛭沼薬師堂というところへ是非寄りたいと、いつものように騒ぐわけでありました。
ということで訪れた蛭沼薬師堂さん。どうやらこちらは天明の大飢饉の折に、飢えと病とに苦しむ村人たちがその切なる祈りを込めて建てたもののようでありました。

公民館が併設されたこちらの薬師堂さんはその地内に鳥居のある小さなお社もございます。さほど広くはないこの敷地内、夫に「お社に排ガスが直接かかるように駐車しないでね」という指示(!)を出して
おりたちました。
うわあ、感動!うれしーい!






(大信寺さんの手水舎写真。さすが、ぶっ飛び寺さんであります)

No.260 20/11/01 21:05
旅人さん0 

【宗福寺】さんは大きな大きな境内のお寺さんでありました。高台にあるお寺さんです。
宗福寺さんにもまた奪衣婆さまがお祀りされる御堂があり、その前を頭を下げながら通らせていただくと、目の前に御本堂が見えてまいります。と┉、ん?
みぎてに大きな高下駄が二人分、まるで丁寧に脱ぎ揃えたかのように飾られています。意味はどんななんだろう。
そしてそばには大きな大きなかえるの石像。
ふーん、かえるかぁ。
するとやはりみぎてに見えてきたのは、え?ええぇ?
か、かえるの石像、菅笠をかぶって袈裟を着ている石像であります。
ふーん。御住職さまがかえるがお好きなのかなあ。

お、六地蔵さまが見えてきました。
え?ええぇ?┉かえるのお地蔵さまであります。う、うそでしょ?
御本堂の前にも左手に杖、右手で拝んでいる如来様のかえる、が立っている┉おられます。お賽銭箱にもかえる。
睡蓮の鉢にはなんとなんと、しょうべん小僧を模したかえる。
┉そう、そうであります、こちら宗福寺さんは、知る人は知る【かえる寺】なのでありました。

六地蔵さまはお茶目でかわいい【かえる地蔵】。そっぽを向いて立つものもあれば、ニコッと笑うものもおり、神妙な顔で合掌するかえるの顔をしたお地蔵さまであります。
もぉぉ、私、辛うじて記憶に【ケロヨン】の残る世代なんですけど♥
こういった石像を好まない方もおられましょうが、私は┉好き、かも。御仏を愚弄している、とおっしゃる方もおられましょうが、そもそも御仏は実像がない存在でありますゆえ、そこはまあ好みという言葉でお許しいただいて┉。

御朱印をお受けするために庫裏へ。
御住職の奥さまが対応してくださいました。
しかし奥さまの口をついて出たのは開口一番「ウチじゃないのよ」と、意味不明な一言。?「ここじゃないのよ」ん??
「元来た道を戻ってね、信号を左に曲がればすぐなんたけどな。少しわかりづらいかしら」
あ。私たちが、輪袈裟をつけているからだ!
「あ、違います。龍石寺さんはもう参拝しております。こちらのお寺さんに参拝にまいりました」と私。

┉残念なことにこちらは御朱印をなされていないとのこと。
私がよほど残念そうな顔をしたのでしょう。
「これをどうぞ」と差し出してくださったのは、可愛らしいかえるのストラップでした。もぉぉ、可愛すぎ♥

No.267 20/11/10 19:06
旅人さん0 

【観音寺】さんの駐車場の一角に【地芝居】役者の座長、中村十九十郎という方のの供養碑がありました。地芝居?
観音寺さんの芝居舞台の建物を彷彿させるような板の看板はその地芝居の影響?┉その真偽のほどはわかりませんが、少なくとも私にはこの板の看板があることがなんともお寺さんらしさを損なっていて残念なことに思えたのです。
ですがまあ、〖お寺さんらしさ〗というのもその人間の主観であります。

観音寺さんは大正時代の火災以降、地元の人たちによって守られてきた札所であります。


次なる札所は秩父札所をあらわす時の代表的存在の写真として扱われることもある、ユーモラスな仁王像のある第二十二番札所【童子堂】です。ユーモラスな、などという言葉を仁王さまに使うのはなんとも失礼に思えるのですが、うーん、なんとも。
茅葺きの仁王門に住んでおられるといった風情であります。【阿吽】と書かれた額が掲げられておりますが、こちらの仁王さまの口元はあの志村けんさんの有名な〖あい~ん〗の『あ』と『ん』にも似ているかな。





No.269 20/11/12 21:55
旅人さん0 

大きな石を組上げた舞台のような塚。塚の中は少し掘られてくぼんでいて、薄暗いのですが。(なんだかよく見えないや)と思ってそこを離れようとした瞬間、夫が息をのむのが聞こえました。
「┉手や足や首の取れたお地蔵さまがお祀りされている」
「えっ⁉」
夫の覗きこんだ辺りから見やると!たしかに。
うーん、一体いつ造られたものなんだろう。
地蔵塚と呼ばれているそうです。

地蔵塚以外にもお地蔵さまはおられました。
とげぬき地蔵さま。身代り地蔵さま。

身代り地蔵尊は「身代り」となって助けてくれるといいつたえられています。
戦時中、こちらに祀られていた金佛のみたま抜きをして供出しました。この地区からもたくさんの人が出征いたしましたが、全員無事に復員しました。これはこの金佛が身代りになってくれたのだといい、いまなおそこに訪れるのです。
そしてとげぬき地蔵さまは、あの有名な巣鴨においてその御利益をいただいた方がこちらにもと奉納したのがこちらのお地蔵さま、なのだそうです。

No.273 20/11/15 08:16
旅人さん0 

音楽寺さんの御本堂、観音堂のみぎてにある道を登っていくと、先ほどとは少し異なり、さほどは手をいれてはいない普通のハイキングコースの道のようになります。それでも道幅は広いです。
自然を楽しみながら、┉やや大きめに鈴を鳴らしながら、歩いていきました。野生の動物さんに会わないとも限らないような道であります。
少し歩くと、開けた感じがあるところの高台に、お地蔵さまが並んでおられました。
六、いやいや六地蔵さまより多くおられます。十四体のお地蔵さまが高台のさらに高いところへお立ちになられていました。
真ん中にお立ちになられているお地蔵さまだけが大きくて、その頭の上には申しわけ程度の、屋根がついておりました。
(お地蔵さまが十三権者さまをお守りになっておられるのか)と思っていたところ、夫から
「思っていたより近くにあったね」と。?
「こちらが十三権者さまの石像のようだよ」??
「いやいや、十四体おられるし、みんなお地蔵さまじゃない」と私が申しますと、
「書いてあるから」
えっ?
あわてて高台へと登っていく私。┉たしかに立て看板があって説明が書かれていました。うーん、どうしてこんなに大きな看板を見落とせるのか┉我ながら感心してしまいます。
でも、十四体。
十三権者さまとは秩父の巡礼地を定めたといわれておられます【性空上人】、【徳道上人】【花山法皇】、【白河法皇】【良忠僧都】、【通観法印】【閻魔大王】、【倶生神】、【医王上人】【善光寺如来】、【妙見大菩薩】【蔵王権現】、【熊野権現】さまというそうそうたるメンバー。
神さまであったり、如来さまや閻魔大王もみんなみんなお地蔵さま?

う、うん、そうだよね、そうなんだね。

ここからは武甲山をはじめ秩父の山々や町が一望できます。十四┉十三権者さまとお地蔵さまが見守ってくださっておられる。
そういうことであります。

No.280 20/12/08 17:05
旅人さん0 

こちら、法泉寺さんに伝わる縁起。

昔、信仰深い女性が、口中の腫物で困っていました。秩父から来た僧が「この柳の枝で口を洗え」と教えられ、そうしてみたところすぐ治ったといいます。高じてお口のトラブルに効くということになっているようです。
和菓子を食べるのにちょうどよさそうな楊枝┉こんなると縁起もなにもあったものではありません。こんなことを考えるのは私くらいか。(^_^;) ┉そんなことを考えているとはかけらも思っておられない、御朱印の墨書きをしてくださっていた方から、その、ありがたい縁起をお聞きしたのでありました。


こちらでは、縁日にあたる四月十八日に、集落の男女が各戸一人ずつ出て【廻り念仏】という行事を行うのだといいます。境内いちめんに咲いた桜の下で、人々は輪になって子供のにぎりこぶしほどの木の玉を連ねた長い数珠を南無阿弥陀仏の称名を繰り返しながら順次わきに座る人に廻すのだとか。うーん、いいなぁ。住みたくなってしまう。


石段をのぼりつめたところにある休憩所(?)には、小僧さんが木魚にもたれかかって幸せそうに休んでいる石像がありました。日の光を浴びて本当に幸せそうです。
そして。
そこから見えるのは。武甲山!
なんといい姿でしょう。


名残惜しい休憩所┉法泉寺さんをあとにすることにして、さきほど数えられなかった石段の数を数えます。
いち、に、さん┉。
百十六っと。

「ねえねえ、数えてきた。百十六段だった」と私。
「えっ?百十七だったよ」
「ええっ?数え間違いじゃない?私、ちゃんと数えたもん」
「いや。百十七だったよ」
「これだけの石段、いろんな人が数えてるから、ネットで見ればどっちが正しいかすぐわかるんじゃない?」
と、言いながらなにげに見上げたところにちょうど小さな案内板があり、そこにまさにその答えが!
【石段百十六段】
ほら!(o≧▽≦)ノ

「ええっ?じゃあ最後のちょっとした一段は数に数えないってこと?」
「いやいや、ちょうど百十六段だったよ」

┉正解は夫。
まさに最後の一段、境内にあたる最後の一段は観音さまのおられる聖域なので数えないのだそうで。
一見正解と思われた私こそが数え間違いでありました。

やだやだo(><;)

No.283 20/12/13 05:32
旅人さん0 

さても大事な【御手判】やいずこ。


【鬼門除札】ですとか、【御手判】ですとか、ほんの数年前の私でしたらその存在すら知らず、知ったところでそれを自らお受けしようなどと思ってもみなかったものでありました。とはいえ、その当時にも〖買う〗ではなくて〖お受けする〗といった感覚ではおりました。ただ、その提示された価格は当時の私には高いと感じるものではありましたが┉。
まるで不信心だった頃を反省するかの勢いで、お札や御守りが増えているわが家なのであります。

閑話休題。



第二十五番札所であります久昌寺さんの境内で、納経所を見つけられず途方にくれておりましたところ、小さな案内を発見いたしました。〖久昌寺➡〗

ん?えっ?
じゃあここはどこなので?
第二十五番札所の証しの演技絵が掲げられているではないですか。

だまされたと思ってその矢印の方角に目をやると、┉ ただの里山にあるのどかな風景と小さな水門があってその上の土手に上っていく細い土の道があるだけじゃないですかぁ( ω-、)
普通に里山の一風景に過ぎない光景がひろがるばかりです。

それでも┉藁をもすがる思いでその土手に上がると、眼前にひろがる広い沼。うわあぁー。
その美しい桃源郷のような景色といったら┉。
秩父の美しさをここに凝縮したかのような美しい光景がひろがっています。
そんな美しい沼のほとりを歩かないでいられるわけがありません。
でもそこに、ここには立てないで欲しいあの、赤い幟旗が、はるか遠くではありますが、いくつもはたはたと はためいています。
景観を損なうからやめた方がいい。いつも思うのですが┉。
でもこれも神社さんやお寺さんに信心深い老若男女が奉納しているものなんだよなぁ。うん?奉納した旗?
ここも境内ってこと?( *゚A゚)




No.284 20/12/13 06:01
旅人さん0 

いつもの私でしたなら走ってその先を確かめるところでありますが、あまりにも心地よい、あまりにも美しいその光景を走って過ぎることなど考えつくことすらなく、その光景を存分に味わいつつ歩をすすめたのでありました。

ありました。
┉【水上弁天堂】。
ここに向かう道であったということ?
この御堂にも隣接した納経所等は見当たりません。

あ、御本堂だ。
目前にあります弁天堂から90度視線を動かすと、なるほど御本堂がここにございます。
┉あの仁王門からどれだけの距離離れているのでしょう。山の麓一面すべてが境内のようです。

はっとわれにかえって、御本堂で再び読経して┉。
納経所へと向かいます。
納経し、御朱印をお願い致しました頃には、な、なんとすっかり御手判のことが頭から消え去っておりまして。危険、危険!
┉大丈夫です。納経所に御手判のこと御案内くださる貼り紙がしてありました。それを見てすっかり脳裏から消え失せていた自分にびっくりしただけでして。

私の御手判!ゲットです!

No.286 20/12/14 09:02
旅人さん0 

現在は二十五番札所であります久昌寺さん。
現在の観音堂の脇には、崩れた岩屋の跡があり、当初この岩屋に祀られていたため、かつて〖第十一番札所〗であった当時は【岩屋堂】と称されていたのだそうです。


それにしても本当にのどかな、心が洗われるような光景であります。

春には春の、夏には夏の。
秋には秋の風情があって、冬には冬の趣のあるでありましょう久昌寺さん。
何度でも来たいお寺さんであります。


No.297 20/12/28 09:31
旅人さん0 

今日は不動明王さまのお縁日。

群馬県渋川市の【宮田不動尊】さまの年に一度の御開帳の際の灯明に使った蝋燭は持ちかえることになっていました。
宮田不動尊さまはお優しいお顔をなされた大きな石像さま。
年に一度、一月二十八日の初不動の日にだけ御開帳され、それ以外の日は訪れる人も少ない┉のかなと思うくらいの、山の上のお堂の奥におられます。
ちょうど土日にあたらないとなかなか参拝することができず、まだ一度しかその尊顔を拝したことはないのですが、本当に本当にお優しいお顔をされておられるのであります。

今日のお縁日。宮田におられるお不動さまを、そして様々なところで参拝させていただきました不動明王さまに感謝を込めて、自宅ではありますが灯明し、真言をお唱えいたしたいと思います。



No.298 21/01/03 05:54
旅人さん0 

令和三年。

昨年とはまるで異なる年明け。
そう、令和二年、こんな年になろうとは誰ひとり思っていなかった。それでも時は流れる。
そのなかでどう生きるか。

死というものがいままでの私の人生とは異なり、
┉本当はいつ訪れるかわからないといった点はなにも変わっていないのかもしれないのですが、少なくとも私は、このコロナ禍となるまではさほど身近には感じてはいなかったのでありました。それでもそれを本当に我が物としてとらえているかといえば、甚だ覚悟も準備もないのが現実です。

神仏を崇めて、すべてに感謝し、『自分は生かしていただいている』『生きている間は自分で出来る限りの働きをして、いつお迎えが来てもいいように生きる』と常に考えておられるような方々の生き方に憧れてはいるものの、そういった心の境地にはなかなかいたらずいまに至っています。

煩悩と欲の塊のようにすら感じてしまう自分でありますが、日々感謝の念を忘れず、誤った考えや行動を反省して生きるといった、まあ当たり前と言えば当たり前過ぎることではありますが、そこから今年一年がんばって生きていこうと思います。
生かしていただいている間にすべきこと、できること。どこかで考えながら生きていこうと思います。

これが小さいようで私には大切な、令和三年の私の所信表明であります。



No.305 21/01/05 08:49
旅人さん0 

榛名神社さんの双龍門、現在修復工事中。
実物大の写真をプリントしたシートで覆われてしまっており、その工事はまだしばらくは続くよう記憶しております。( ω-、)

白いシートで覆われた門をくぐり、さらに細く、軽くカーブした石段をのぼっていくと、!
天狗さまがお出迎えくださっております。初めての参拝のときは目の前にいきなり現れた天狗さまにけっこうびっくりしたことを覚えています。天狗さまのうしろには神楽殿の側面が見え、その神楽殿を前から見ようと進行方向に目をやると、突然、拝殿が目の前に現れるのです。双龍門をくぐったあとはサプライズの連続です。

拝殿を見上げると、その背後には大きな大きな岩がまるで拝殿を護るかのようにそびえ立っています。その大きさといったら┉。

拝殿は何段かの石段を昇っての参拝となります。参拝を済ませるとその拝殿の見事な装飾に思わず息をのみます。
龍が巻きついた柱。一枚一枚丁寧に丁寧に彫られた花弁や葉。まるで舞っているかのような鳥。
私のような者にその素晴らしさは書き表すことは到底できません。

参拝を終えた私は、いつも、許されている限り拝殿の横を通って御本殿の脇、さらには御本殿の裏側までまわって裏側からの参拝もさせていただいております。
初めて榛名神社さんを訪れたとき、本殿脇に向かう方があまりに多くてびっくりしたのであります。
そしてもっともっとびっくりしたのは拝殿の横の見事な彫刻┉も、たしかに感動したのですが、御本殿、であります。
岩にめり込んでいる!
あの背後にそびえ立っている岩と見事なまでに一体化しているのであります。
うわぁぁ。┉。

その岩こそが御神体であるから、なのですが、その御本殿を造られた職人さんの技に心から感嘆いたしました。

そして御姿岩と呼ばれる御神体であります大きな大きな岩。
見上げるとさらにびっくり!あまりにも不安定な岩が乗っている?かのようにみえるのです。そしてそのかなり高くて不安定な岩が乗っているかのように見える細くなった部分に大麻がお祀りされているのです。
いったいどうやって?

参拝のたびにその御姿岩の大麻に、どうやって?誰が?と思うのであります。見れば見るほど神業、としか思えないのです。



No.306 21/01/07 14:59
旅人さん0 

明日は初薬師さま。
いろいろなお寺さんで法要が営まれることと思います。

ですが┉。 
毎年参列させていただいていた群馬県みどり市の【光栄寺】さんの御護摩法要、例年とは異なるかたちで営まれるとのこと。
昨年までのようにたくさんの信徒の方々が集まって、読経し御真言を唱えて、参列者が順番に護摩の煙を浴びるようなスタイルはどうしても密になってしまうため、今年は御本堂には信徒の方々はどなたも上がることなく、御護摩にかざされた御札をお受けする様式になさったのだそうです。
ありがたくて、そして大好きなひとときだったのですが、これはもういたしかたないことで┉。
薬師如来さまが懸命におまもりくださって今があることに感謝して、自宅で御真言を御唱えすることといたしましょう。



No.307 21/01/09 03:33
旅人さん0 

以前どこかへ行った帰りの道、偶然前を通りその山門の見事さに息を飲んだ┉そんなお寺さんがありました。
群馬県前橋市の【日輪寺】さん。しかもその通っている道、町の名前すら日輪寺。
「これは参拝にいらっしゃいってお呼びくださったんじゃない?」
胸の前で手を組みきゃーきゃーと騒ぐ妻に、もはや呆れることすらなくすっかり慣らされた夫は「そうだね」と一言。
家に帰り、すぐにGoogle先生に日輪寺さんのことをうかがうと、な、なんと!一年に一度、一月十一日に御開帳されている仏さまがおられるとのこと。こ、これはその日に参拝しご縁を結ばせていただこう。
それ以来、何かの用でそばを通りかかっても一月十一日まで我慢、我慢と、声にこそ出しはしませんが心のなかで自らに言い聞かせて、ようやく、ようやくの一月を迎えました。そんな待ちに待った一月でしたのに┉。

コロナ感染の大きな大きな第三波。
群馬県は十二月からすでにlevel4の扱いをするとのことで不要不急の外出の自粛をと知事より宣言されていました。
再び発令された緊急事態宣言。そのときが遅かったことを物語る、異様なまでの罹患者数。
┉一昨日の群馬県の患者数は一気にその数を三桁の百名となり、神奈川県の患者数も八百三十八名。緊急事態宣言の発令された一都三県だけで全国の患者数の過半数を超えるとも報じられています。

これは┉だめだ。
御参拝は決して不要ではないです。不要ではないですが、不急、でありましょう。健康で生きてさえおれば来年も再来年も一月十一日はやってきます。
本音を言えば不要ではないどころか必要、なこと、ではあります。

ですが、ここは我慢。我慢するしかない。


┉日輪寺さんには通年通り御開帳されることも確認済みでありました。御護摩法要も八時から執り行われることもお教えいただいておりました。でもそれは、この爆発的に患者数が増える前のこと。

我慢も修行。
医療現場は疲労し疲弊して、逼迫の危機にある。

以前は何十年に一度しか御開帳されていなかったという秘仏でありました。それが一年に一度という機会を与えられたのです。
御仏が本当にお呼びくださったのであれば、必ずその機会はまたあるはずです。


修行、だなぁ。(*T^T)

No.314 21/01/11 20:13
旅人さん0 

いつのことだったか┉それはそれは可愛らしい狛犬さんの写真を見ました。神社仏閣巡りの好きな私にと、上司が職場にわざわざ持ってきて見せてくれた新聞記事だったように記憶しています。
それは群馬県前橋市の粕川と呼ばれる地にある【月田近戸神社】さんの狛犬さん。

行列をなすような初詣の時期は過ぎたのでないかと、地図を頼りに出かけてみました。そう、地図、であります。ナビにその名をいれても、電話番号を入力しても出てこないので、仕方なく地図を使ったものであります。
車で向かうと、道路端に一の鳥居がありました。なんとも控えめな┉もしかしたらこの神社さんが創設された頃にはこの鳥居の幅の参道、道でしかなかったのかもしれません。時代とともにアスファルトの道路ができ、鳥居が道路端にあるようになっただけなのかも。
高台にありますその神社さん。駐車場は┉?
石段のわきにスペースがあり、特段白線などの区切りはありませんが駐車場とされているようです。

その駐車場の少し上のところにたくさん積もった枯葉を掃き集めている小柄な老人がおられました。ご挨拶をし拝殿前に向かいました。

うーん!ここの神社さんやわらかくてあたたかな気に満ちています。
拝殿の戸は開けはなたれて本当に気持ちのよい神社さんであります。
ん?こ、狛犬さん、ごく普通の狛犬さんだったような?

記憶違い?

No.319 21/01/13 13:57
旅人さん0 

【近戸神社】さんの虚空蔵菩薩さま。
あの神仏分離令で、どこぞのお寺さんに移動されたところ、ちょうどそのころ悪疫が流行し、再び近戸神社さんに安置することにしたのだそうで、その後ピタリと悪疫がおさまったため、ずっとここに安置されることになったようでした。
御開帳とかもないようでその後ずっとそこにおられる虚空蔵菩薩さま。
御開帳申しあげたら┉このコロナがおさまったりは┉しないかな。
( ω-、)


そして┉。
昨年は苦渋の決断をされ、中止したという近戸神社さんの令大祭。
【月田のささら】と呼ばれており約600年の歴史がある伝統芸能です。(「ささら」は神社に奉納される獅子舞に由来)
九月一日に行われていたものであったようですが、今は八月の最終土曜、日曜に開催されることとなったと宮司さまがお教えくださいました。

〖群馬県重要無形民俗文化財〗に指定されている獅子舞は、
土曜日の〖宵祭り〗では自治会までの獅子舞い道中のようですが、
日曜日の〖本祭り〗では天下泰平・五穀豊穣を祈念して社頭での奉納後、神輿(市重要文化財)の渡御に従がって粕川対岸の【外宮】まで道中を連ねるのだといいます。

【外宮】は〖獅子山〗とも呼ばれ、獅子舞が奉納されたのち、神官により粕川への濁酒(糟酒)流しが行われるのだそうです。これら一連の神事は「御川降り(おかおり)」神事と呼ばれ、【粕川】という地名のの名の由来といわれているそうです。

獅子舞奉納の始まりは室町時代との記録も残されていて、口伝により舞いの所作が連綿と受け継がれてきたもの。
獅子舞は獅子掛り少年三人、笛掛り青年六人、歌掛り壮年四人の獅子連によるもので、数種類の舞や舞曲(笛)はすべて口伝で、昨年までは一度も絶えることなく奉納されてきたものだったようです。
伝承者たちは子供の頃から生涯をかけて伝承しているものなのだといいます。

┉こ、これは┉。


宮司さまの絞り出すようにおっしゃった
「中止はできない」という言葉。


これだけの重い重い、長きにわたって絶えることなく受け継がれてきた〖伝統〗を担う方の重い重い言葉であります。


神官さまたちだけでは成り立たない神事。


どうか、この神事が、
なんとかこのコロナ禍にあっても今年以降はまた絶えることなく開催できますことを心より、心より祈念いたします。

No.322 21/01/15 08:00
旅人さん0 

また、信綱にはカッコよすぎる逸話はいくつもあり。
武田信玄にその腕を買われて、信玄のもとに来てほしいと言われたのを断ったこともその一つなのかもしれません。

そのなかの一つ。

┉あるとき、信綱は旅の途中でなにやら騒ぎに遭遇します。
村人に話を聞くと、通りすがりの不届き者が村の子供を人質に取って小屋に立て篭もるという、困った状況とのこと。
腕の立つ者が村にはおらず、説得しようにも犯人は聞く耳持たずで難儀していたそうです。
信綱は一策講じ、居合わせた僧侶から袈裟を借り、さらに村人に「子供を助けるために、ちょっと握り飯を作ってくれ」と頼んだのです。
信綱は袈裟に着替え、立て篭もり中の小屋に向かって「いつからそうしてるのか知らぬが、お前もその子も腹減ってきてるんじゃないか?ここに握り飯があるから、とりあえず食べるとよい」と穏やかに話しかけました。
犯人はあっさりそのおにぎりを受け取りに小屋を出てきて、そこを信綱ががっちり取り押さえ、誰にもケガをさせることなく子供の救出に成功した、というもの。



映画【七人の侍】の1シーンの元ネタになったと言われている出来事なのだとか。まあ、七人の侍は有名な映画ではありますが、さすがに世代が異なりますので、私は観たことはありませんけれど。




私は知らないことばかりでありましたが、
あの【スラムダンク】で有名な漫画家【井上雄彦】さんの【バガボンド】でも紹介されているようで!
そのなかで信綱の言葉として紹介されているのが
〖我が剣は天地と一つ〗
┉有名な方、だったんですね。( ω-、)
また一つ勉強になりました。

ちなみに、バガボンドはかつて三巻ほど読ませていただいただいただけです。はい。
あくまでもネットの情報を横流ししただけですので、念のため。m(_ _)m


No.326 21/01/18 10:00
旅人さん0 

右に向かう道を選んで正解でありました。
神さまがおばあさんに化けて道を案内して下さったのでないことは、私が車を停めたあと、ゆっくりと手押し車を押しながら歩いて来たことでいとも容易く証明されましたが。

ただ、ようやくたどり着いた神社さんには駐車場はなく、一~二台分車を停められるスペースがある、というところで。そこに停めていいものかどうか、躊躇われたものではあったのですが、一応鳥居の外でもあり、隣には小学校の駐車場、さらにその隣には楽しそうな遊具がたくさんあるかなり広めの児童公園が見えます。もし、私どものあと近戸神社さんにお越しのかたがおられても、そこに停めることも可能┉なのかなぁと、身勝手な考えのもと、近戸神社さんの隣にあるスペースに駐車いたしました。ごめんなさい m(_ _)m。

車を停めて降り立つと、神楽殿がありました。さほど広くはなさそうな境内でありますが、それにしては大きな、古くはありますが、掃除をいつもされているようで塵一つ、枯れ葉一つない神楽殿であります。
神官の方が常在しない社でありますが、きちんと管理をされている、清々しい気の神社さんでありました。

拝殿奥には立派な本殿があり、またお祀りされている末社摂社さんも多い、なるほど地元の方々がホームページまで作成して大切にお祀りしている神社さんであります。


今年初めての梅の花。
そしてその香りは、神さまがくださった参拝のごほうび┉ではないかと思ってしまうところが、私のずうずうしい、アラタメナケレバならないところであります。

No.350 21/02/18 17:41
旅人さん0 

黒と白の長毛種の猫は、なんと本当に山門への石段の下までついてきて、そしてまた、┉まるで次に来る参拝者を迎えるため、かのように鳥居のある方へ、六地蔵さまの並ぶ辺りへとゆっくりと歩いて行きました。

猫が参拝者を案内するのは、秩父のお寺さんでもありました。実際、そのお寺の方も、その猫はいつも参拝者を納経所に案内するのだとおっしゃっておられました。たまたま私たちの思い込みで、というかそうだったらいいという希望的観測ではないようでありました。
テレビでも、神社さんだったりお寺さんだったりで、ある地点まで案内をするかのように参拝者の傍らを歩く猫を観たことがあります。
猫好きでなくとも嬉しいお出迎えであります。ましてや猫好きともなれば、ことさらです。

去っていく猫に少し寂しさを感じながら、山門に向かうと、赤く塗られた山門の両サイドには、さらに真っ赤な仁王さまがお立ちになられていました。真っ赤なだけでなく、まるで歌舞伎役者さんのような、うーん違うかな、いままで拝してきた仁王さまとは少し趣が異なる仁王さまであります。
ちょっと度肝を抜かれたものの、いつものように一礼し門をくぐると、仁王さまがおられる対になる空間には、また、猫。先ほどの猫とよく似た黒と白の長毛の猫です。そこには猫の寝床と餌のはいったお皿が置かれていて、┉この猫は一心不乱に餌をひたすら食べています。参拝に来た人間になどかけらも関心は無さそうです。
実はこれで三匹。あ、お札やお守りなどを授与する建物のところにももう一匹。
┉猫のところに来たのではないってば。

視線をしっかりと山門のまっすぐ前の御堂のある方へと向けると、おおっ!


なんと大きな鰐口でしょう! 



No.351 21/02/19 14:15
旅人さん0 

こちらは、ずっと群馬県前橋市にあるものと思っていたのですが、前橋市にある交差点を曲がってまもなく伊勢崎市に入り、そこからまもなくのところにあるので、実は伊勢崎市であったという。

この石山観音堂さんは昔から馬の信仰で名を知られたところであったようです。かつては近郷近在から馬を飼う人々が馬とともに参詣し、この大きな大きな鰐口を鳴らし、その鰐口の下をくぐらせて馬の無病息災を祈ったのだと言います。
うーん、馬、この鰐口の下をくぐるのは難しくないかなぁ。
鰐口自体が直径百九十二・五センチあるとのことで、その下は┉二メートルくらい、かなぁ、もう少しあるでしょうか。
馬の身長はわからない私でありますが、たしか見上げるくらいのところに顔があったような┉。まあ種類にもよるのでしょうが。
それにしても┉。ここ、石山観音堂さんまでぽっくりぽっくりと馬とその飼い主さんが歩いてくるさまや、この大きな鰐口の下をくぐるさまを想像しただけでも心がほっこりいたします。
今はもうそんな心なごむ光景は見られはしないことでしょうが、そんな名残を残したお祭りがあったりした┉らすごいのですが、ね。そんな話を聞いたこともないので、それは私の希望であり夢でしかありません。

私も鰐口の下をくぐらせていただき、┉みぎてには大きな赤い鐘楼が見えます。ですが、おそらくは第二次世界対戦の際供出されたまま、戻ることも再建されることもなかったのでしょう、主なき鐘楼は風か吹き抜けてどこか淋しそうにもみえます。

そして正面には、赤い御堂が建っております。どこも赤いお寺さんでありますが、なにかいわれでもあるのかどうか。
向拜に彫られた龍や獅子の彫り物はそれはそれは細やかで細かなところまで丁寧に彫られ、そしてなおかつ迫力あるもの。なのですが、これまた赤く塗られています。さすがに赤一色にだけ塗られているのではなく目ですとか牙ですとか鱗とかはきちんと違った色で彩飾されているのですが┉。
御本堂┉なのかなあ、観音堂の中もベースは赤のようであります。

御本尊は馬頭観音さま。御厨子におさめられておられるようです。その向かって右に聖観音さまが、ひだりてに千手観音さまがおまつりされています。誰もがお唱えできるよう御真言が掲示されています。

No.358 21/03/08 00:42
旅人さん0 

【山火事で避難した仏像を救ってください】  
            

栃木県足利市【大岩山毘沙門天】のホームページのトップに大きく貼り付けられた文字であります。

なにか私にできることはないかと、今現在の大岩毘沙門天さんの様子を知りたくて、時々開いていた最新のホームページです。
御本尊をはじめ、いらっしゃる御仏の像、運び出せるすべての寺宝等を避難させた様子を写真を交えて刻々とお書きになりアップされておられます。

山火事が拡大し、最勝寺本坊から火の手が確認できた23日時点で避難を開始されたようで、まず、本坊の御本尊不動明王像をはじめとした仏像を梱包し搬出するところから取り掛かられたそうです。その時点で近隣のご住職が駆けつけて下さり、作業をお手伝い下さったそうです。

さらに近隣住民の皆様にご協力を仰ぎ、約45名の方が毘沙門天本堂へお集まり下さったのだそうです。また地元の建設会社の方に依頼され2トントラックで、御本尊をはじめとした避難を始められます。
避難の際はご住職が優先順位をつけ、高い順から次々と運び出し、作業は翌24日の午前3時頃まで継続なされたのだそうです。

御本尊毘沙門天像が出堂されるのは、かつてご本堂が雷火によって焼失し、江戸時代宝暦12(1762)年に再建された際運び込まれた後は、初めてのことであろうとされています。
本来であれば専門の業者に依頼し、1ヶ月などの長期に渡る調査、計画の後に運び出すところを、山火事による避難ということで急遽数時間という短期間の中、そもそもが御本尊におかれましても長期の経年劣化が見られる中でこうした搬出を行ったため、損傷してしまった箇所もあったのだそうです。 



さらに24日に山門に安置された阿吽(あうん)の金剛力士像(仁王像)の避難にとりかかられたのだそうです。

今上天皇の御大典記念として修復事業を進めていた金剛力士像は、阿形、吽行ともに3メートル近くの像であります。全体を運び出すには専門の業者に依頼して3ヶ月ほどかかる見通しとなっていたといいます。
なんとか部分的に、せめて頭部だけでも避難出来ないかと、修復を依頼することになっていた仏像修理師の方に連絡され、急遽鹿沼からお越し頂いたのだそうです。




No.359 21/03/08 01:01
旅人さん0 

栃木県足利市の【大岩毘沙門天】の、修理修復のために撮った〖金剛力士〗様のX線調査の結果では、首周りには多数の釘や鎹(かすがい)が使われていることが明らかになっていたのだそうです。もし首の部材が釘などで固定されている場合には短時間での取り外しは困難になってしまうということが意味されています。
そこでまた急遽地元の大工さんにお願いし簡易的な足場を組んでもらい、頭部の確認を行うと、金剛力士様におかれては釘は1本も使われておらず、胴体に差し込む形で組み上げられていたことがわかりました。
こうした苦労あって金剛力士様は頭部と片腕を避難することができたのだと書かれています。

頭部を取り外した胴体部分には大きな穴が開いているままとなっており、このままでは、雨が降り注いだり、動物や虫が侵入しお像を傷つけてしまう可能性が考えられることから、応急処置としてビニールにて穴を塞いであるのだそうです。
今後梅雨など湿度の高い時期になる前に本格的な処置を施す予定であるということですが、専門家の方にうかがったところこうした状態でお像を保存したという前例がほぼないらしく、新たな手法を生み出して対応していく必要があるようです。



今、大岩山毘沙門天本堂、山門、社務所、本坊などの諸堂から御本尊毘沙門天像をはじめとした仏像、仏具、絵馬などの文化財、絵巻物や過去帳といった歴史資料など、多くの物品が避難しており、鎮圧宣言が出されたところで避難した物品を徐々に運び戻す作業を開始されておられるようです。
経年劣化や搬出の際の損傷のために、すぐに搬入することができないものもあり、御本尊毘沙門天様に関しては、260年間に渡る経年劣化と運び出した際の損傷により、本堂にお戻り頂く前にまず、損傷状態の調査や修復が求められているとのことでございました。






修復が必要な御仏像、文化財一覧
大岩山毘沙門天 本堂
仏像
御本尊 毘沙門天像
脇侍  吉祥天女像
脇侍  善膩師童子像
裏仏  氷掲羅天童子像
絵馬
本堂再建記念絵馬 七福神図
竜宮珠取り図
俳額 (小林一茶の句)
神功皇后図絵
とのこと。


┉こうした調査や修復にかかる費用は莫大なものであるとのことで、現在大岩毘沙門天さんでは寄付金を募っておられました。
毘沙門天さんのホームページをご覧いただければと思います。

No.375 21/04/06 13:23
旅人さん0 

シトラスリボンをいただき、その小さなビニール袋を胸に抱きながら境内を歩き、そして参道入り口の枝垂れ桜のところへと戻りました。

こちらの枝垂れ桜、樹齢は百三十年とのことで、一時期は咲かなくなるほどに勢いが衰えたのだそうです。それが道路工事で陽当たりが良くなったところ樹勢が復活したとのことで、ちょうど私どもが参拝させていただきました頃七分咲きくらいでありました。
参道入り口の御案内をされておられるかのようなお仏像を抱くように立つ姿は、神々しくもありました。そんな桜は〖よみがえりの一本桜〗と呼ばれるのだそう。
このような世の中となった今に、その桜咲く頃に秩父に訪れることができた幸せをしかと感じ、一日一日を意味あるものとして生きねばそれこそばちが当たるなぁと、思ったり。
┉そんな思いをずっと抱いて生きられたなら、それで私のめざす生き方そのものとなるのだろうに、なかなか┉。

日々感謝して生きる。
感謝する対象は山ほどあり、幸せを感じる瞬間は山ほどあるのだけれど。雑念と煩悩、私欲のかたまりのような私には、なかなかそのように生きるのも修行のようで。

それでも千里の道も一歩から、です。
がんばろうっと!


No.378 21/04/08 05:02
旅人さん0 

┉世話人をお勤めくださっている方々がこちらを大切にされているのがよくわかる、おそらくこまめにお掃除をされておられきれいに、そしてよく整った御本堂です。
それでも┉。

外から参拝したときには気づきもしなかった、がらんとした空虚感が漂っています。

ああ、無住となって久しいって、こういうことなんだな。


観音霊場にあたっているやはり無住のお寺さんは、それでも、毎日世話人の方々が詰めて、香を炊き、灯明をかかげ、お供物やお花をお供えしています。
もちろんこちらも、この拝観できる期間の今はそうなさっておられます。

修行なされたお坊さまが毎日のお勤めをなさっているのとは異なるのかも知れませんが、でも、同じ無住のお寺さんをまわっていてもこんな空虚な感じを受けたことはありません。

大きな御本堂、広い境内のお寺さんで、世話人をお勤めくださっている方々や訪れる人々にこんなにも愛されている清雲寺さん。
つくづく無住であることがもったいなく、哀しく思われてなりません。


そう、まるで桜の花のよう。
一年のほんのひとときに多くの人々が集って、あとの季節はほとんど訪れる人もない、穏やかな時が流れる清雲寺さん。そんな儚さにも似たところが、境内に数多く咲く桜と重なって感じられます。


それでもいくつものお寺さんが、かつては無住の時もあった、などと聞くことは多々あります。
こちらのお寺さんにおかれましても、どうか毎日灯りのともる日が再びおとずれますよう、願ってやみません。


境内はまさに花の盛りをむかえておりました。
さまざまなピンクの枝垂れが枝を広げており、桃源郷に迷いこんだかのようです。


ありがたい。

ここを管理してくださっている方々がおられ、主なき寺を守る御仏と桜があって。

そしてなによりもずっとこの清雲寺さんのことを心にかけて、連れてきてくれた夫に、感謝、ですよね。
┉稀代のあまのじゃくは、いまだにそれをおくびにも出さず毎日を送っています。うーん、ありがとって、言ってみるか。
┉夫におでこに手をあてられそう。

No.381 21/04/12 05:29
旅人さん0 

【若御子神社】の境内にも見事な桜が咲いていました。

ん?
おおっ!
私好みの┉などと申し上げるのは不謹慎かとは思うのではありますが┉、それはそれはかわいらしい、狛犬さんが石段をのぼってくるものを見張っておられます。
その可愛らしさに思わず小さな声をあげたほど、であります。
通常、神社さんでよくみかけられる、あのたてがみふさふさの狛犬さんとは異なり、シュっとしたお顔と細身の御体で、〖日本犬〗といった面持ちであります。

あとで調べたときにわかったのですが、こちらの神社の狛犬さんはオオカミさんなのだそう。
この見ため、そうか、そうでしたか。

まだ私どもは参拝にうかがっていないのですが、秩父で有名な神社さんであります【三峯神社】さんもオオカミを御眷属として奉っておられるように、秩父では【オオカミ信仰】があることで有名な土地。
こちらもオオカミにお護りいただく神社さんでありました。


離れがたい思いを断ちきって、石段を上がって本殿へと向かいます。
言い換えると、しばらくその狛犬さんのところをうろうろとしていたということであります。
狛犬さんを愛する方は多いようで、狛犬さんの写真をアップされておられるブログもあるくらい。┉ええ、決して私だけではありません。

石段を登ると手水舎に水はなく、その場で、
(申し訳ない、このままの身でお参りさせていただきます)と、心のなかで手を合わせます。

神楽殿があり、社務所があって。
社務所にはコロナのため御朱印は中止している旨書かれた貼り紙がしてあります。


若御子神社の御祭神は、【神武天皇】。
本殿には神武天皇の絵が掲げられていました。

〖軍神〗とも呼ばれる神武天皇がご祭神であられるこちらには多くの武将が戦勝祈願に訪れたといわれています。
【藤原秀郷】が【平将門の乱】の平定を祈願したと伝えられ、また、【源頼朝】や【足利将軍義晴】がお参りされたと伝えられているようです。

戦勝祈願のほか、国家安泰、延命長寿、開運、招福、病気治癒などのご利益を授けていただけるようでありますので、コロナの終息と国家安泰を祈願させていただきました。




No.394 21/04/19 17:17
旅人さん0 

御朱印をお授けいただいた際、その観音堂の横の岩に彫られた胸像┉というより頭だけなので頭像?についてお聞きしてみたところ、
「ああ、あの顔?」と、笑いながらお教えくださった、そのお顔の主は、
な、なんと秩父の宮さまだという。
「以前方丈さまがおられたときに何を思ったのか彫られたんです。どんな意味があったのかはわからないんですけどね」とのこと。
秩父の宮さま、ですか┉。
うーん。
宮さまのお顔だけが岩の上にぽつん。
それこそせめて胸像にされればよかったのではないだろうか。
御朱印の書き手の方の笑いは┉。
宮さまもびっくりされておられるのでは。
私は秩父の宮さまのお顔を存じ上げないので似ておられるかどうかはわからないのですが、どうなのでしょう?
そもそも日本国民ではありますが、秩父の宮さまが天皇家とどのような関係にあるのかすらわからない。
一つだけ、存じ上げていることといえば、秩父神社の御祭神であられるということだけであります。これも夫に知られるとさぞ落胆するのだろうなぁ、秘密、秘密。


「あ、鍾乳洞の方は今入れませんので」と世話人の方。
もともと今日は奥の院である橋立鍾乳洞へは行くつもりでなかったので、「あ、はい」とお応えしましたところ、
「鍾乳洞のなかの橋が墜ちてしまっていて入れないんですよ」と。
えっ。橋が墜ちた!?
「それは大変ですね。いつ頃直る予定なのですか?」
「まだまだ、業者さんすら入っていないのでいつになることか┉。なるべく早くとは思うのですが、こればかりは┉」と、先ほどの顔像のお話の時とはうって変わって沈んだ語り口であります。
そ、そうかぁ。
こちらの鍾乳洞のなかはあくまでも奥の院であることであり、撮影禁止のため、鍾乳洞内の写真は秩父巡りのガイドブックにたった一枚写真があるのみなのですが┉。そのたった一枚の写真、白装束に菅笠を付け頭陀袋を斜めがけした一人の巡礼者が急な梯子をのぼっていく姿でありまして。
いかにも修行を思わせるその写真をみていたからこそ、今日はあえてやめておく予定でまいったわけでありました。
うーん。
冬場の閉鎖中に墜ちていたということでしょうか。
一日も早く墜ちたという橋が直って、世話人さんの笑顔が戻りますように。


No.395 21/04/20 14:01
旅人さん0 

橋立堂追記。

方丈さまが彫られたという秩父の宮さまの像は、よくよく見ると首から下の部分も肩の上の部分まで彫られていたようです。
方丈さま、ごめんなさい。
その背後にがっつりと張り巡らしたネットに気をとられ、そのあとはもう方丈さまの彫られた像を見ることなく早々に石段をおりてしまったのです。
本当にごめんなさい。
そしてせっかくお読みくださっているミクルの皆さまにおかれましても誤情報を書いてしまってごめんなさい。


方丈さまのご名誉のために。
以下が方丈さまの彫られた【胸像】であります。

No.398 21/04/22 04:40
旅人さん0 

うっ。
出たぁ!

┉石段ですよ、あの噂の三百段の。
ようやくスタート地点に立つことができました。

たしかに、ここは間違いなく野性動物の住み処であるとは思います。それは間違いなく。
ですが、おそらくかなり頻繁に、ここを点検管理されておられるのでしょう、奥の院までの道は倒木があるでなく、草が生い茂っているようなこともなく、スムーズに登ることができました。道は、ですよ、あくまで。
結論から言えばさほど高くもないし、きちんと整備されておりますので大騒ぎするほどのことは何もなかったかと。運動不足の身にはマスクをしていると息があがるかな、程度でありました。
┉野性動物等に遭遇しない運を持って登るのみであります。


あ、みえてきました。
うわあぁ。
┉感動です。

山の中のお堂でありますので、大きなものではありませんが、あの京都清水寺のような懸崖造?舞台造?の赤いお堂が、新緑の樹林のなかに建っている、そのすばらしさといったら!

さらに続く石段はそのお堂まで続いています。
大きな、お堂と同じくらいの岩が石段を隔ててそびえ立っています。

その石段を登ると岩洞があって、ちょうど、大人が何人もすわって雨やどりができそうなくらいの空間で、そこには石仏さまがたくさんおられました。
ひときわ目立つのが閻魔大王さま。
秩父札所を開創なされたとされる十三権者さまのお一人ということを考えますと、ここをお守りいただくためにお祀りさせていただいたのかもしれません。
ここ岩洞前からさらに上へと道は続いていて。
第二十七番札所の大渕寺さんの護国観音さまの足元まで登れる道となっているようです。

┉私どもは行かないですけどね。

その石段を回るように下るとお堂の回廊に行けました。


す、すごおぉい!
朱塗りに黒を使いなんともおしゃれなお堂であります。正面の扉には細やかにして大胆な彫刻が施されています。
すてき♥

No.415 21/05/03 16:31
旅人さん0 

法雲寺さんの寺宝は、以前書いた〖古い木製の納札〗のほかに、〖楊貴妃の鏡〗〖龍の骨〗〖天狗の爪〗などがあるのだそうです。
ことに木製の納札は、御本尊のおられる厨子のそばに安置されているとの説が書かれたネット情報もあり、今回の御開帳で少し注意深く見てみたのですが、それっぽいものは見当たらず。

さらには、〖楊貴妃の鏡〗〖龍の骨〗〖天狗の爪〗に関しては、前回の参拝の折りには見つけることができなかったため、今回かなり注意深く見てみたのですがこれもまた見つけることができませんでした。〖楊貴妃の鏡〗とかの三点の寺宝、ガイドブックにはな、なんと回廊にあると書かれているのですよ、回廊に!

見つけられなかった私は、
(これだけ見てないのだから、さすがに寺宝だし、回廊でないところに移したのだろう。よもや盗まれたとかではないだろうし。
ガイドブックは最近発売された最新版とかではないし。うん、これだけ見て、ないのだから回廊にはないのだ。うんうん)

それでも┉。やはり気になった私、家に帰ってから
「ねえ?このガイドブックには楊貴妃の鏡とかが回廊に飾ってあるって書いてあるんだけど、なかったよねぇ?」と夫にガイドブック片手に聞いてみました。

「えっ?あったけど?見なかったの?」
それに対しての夫の返答は驚きのもの!
う、嘘でしょ?!

私「回廊に?普通に?私、ずいぶん見て歩ったつもりなんだけど、どこにあったの?」
夫「回廊、じゃなくて観音堂の中、なんだけど、回廊からしか見えないんだよ。そうかぁ、見なかったんだ」
┉見てないよ!しかもなんだ?、その謎かけみたいな返答は!?

夫「┉写真撮ってきてないかな? うーん撮ってないや。」

夫「┉ここの、ね。この、観音堂さんの正面の、むかって左側の窓から見えるんだよ。だからね観音堂の中にあるんだけど中にいては見えないとこにあるんだ。そっかぁ、見てなかったんだ」
見てねえよ!ああ、すっかりやさぐれています。

いいんだ、いいんだ!御開帳に御本堂に入って間近で参拝できたんだ。
┉夫も、だけど。
ふんっ!((( ̄へ ̄井)


No.420 21/05/08 06:06
旅人さん0 

【猪狩神社】さんは、集落のうち十一軒の方々に守られ信仰される神社さん。

そう書いてしまうと、小さな社殿を思い浮かべられる方も多いかと思われますが、規模こそ大きくはありませんが、拝殿、本殿があり、幣殿もある立派なお社で、たいそう見事な彫刻もあります。
社務所もありますし、末社、摂社もある由緒ある神社さんであります。
境内から下の駐車場にいたるまできれいに除草されて、手入れの行き届いた、本当に大切にされている神社さんであります。

向拜には龍の彫り物があり、本殿のむかって左側の外に中国の故事に倣ったという大きな彫刻が奉られています。
本殿横に奉られている彫刻は【韓信股くぐり】という題材のもののようで、夫は感嘆しておりました。

┉私はといえば、おそらく初めて耳にした言葉であります。
おそらくは、なんですけどね。
韓信さんがなに人かもわからないし、何をもって股くぐりなどしているのか、それがどうして故事となり美談となって神社さんに奉られているのか、さっぱり理解できないありさまでございました。
もしかしたら漢文とか国語とか、あるいは世界史なり、道徳とかで習っているのかもしれないのですが、ね。
心に響かなかったのか、右から入って左に抜けたのか、耳にすら入らなかったのか、もし習っていたのだとしたら、┉先生ごめんなさい、さっぱりきれいに記憶から脱落しております。
先生の指の隙間から一番最初にこぼれた砂の粒が私なのかもしれません。学習意欲はあったんですけど、脳みそにだいぶ欠陥があったみたいで┉。
┉みんな知ってる有名な故事なのかなぁ。( ω-、)

閑話休題。

猪狩神社さん、奥宮もあると書かせていただきましたが、秋には奥宮まで詣でてのお祭りがあるようです。(もしかしたら元日祭や、この日の春祭りのあともあるのかもしれませんが。)
神職の方何名かと参列者たちが、列をなして奥宮のある山頂目指して、┉途中休憩を入れるほどの急斜面らしいのですが┉登っていき、赤飯やサンマなどお供えして、その後サンマはここで焼いて食するようです。
( ̄¬ ̄)
ここで、日本武尊がかつて猪を払ったのちあげた雄叫びの故事に倣い、皆で〖ときのこえ〗をあげる神事があるといいます。
┉秋、かあ。
ちなみに風が強い時はサンマは焼かないらしいです。┉うーん、秋、ねえ。


No.428 21/05/14 21:33
旅人さん0 

少し話を変えますが。


秩父観音霊場巡りをするずっとずっと前から、それこそ二十代にはいって間もない頃から、仕事の同僚から薦められた【秩父夜祭り】に憧れ続けておりました。
でも、秩父夜祭りはあくまでも【秩父神社】の神事であるため、十二月二日が宵祭り、三日が本祭と決まっています。
なんだかんだ二時間はかかる道のりで、しかもお祭りということで混雑もありましょうし、何よりも夜祭りなので夜、なんですよね。
平日では行けないし、子供たちが小さな時分にはそれこそ泊まりを考えなければいけなかったし。
本祭が土曜日となる巡り合わせはなかなかないもので。
ようやくそのチャンスが訪れたとき、三男が誘ってくれたのです。
それはそれはしつこいくらいに、十二月になろうかというと騒ぐ母の憧れの秩父夜祭りに♥
さっすがだぁぁ♥♥♥


そ、それはさておいて。
秩父夜祭りは先述の通り、秩父神社さんの大祭であります。
当時は【神事】としてのお祭りとしてではなく、純粋に┉というとむしろおかしなことなのですが、まあ、いわゆる表面的な、意味など考えていないお祭りとして楽しみにしておりましたし、楽しませていただいたものです。
ですが、ね。
秩父の方々にとってはあくまでも秩父神社さんの大祭、秩父夜祭り、なんですよ。それこそ子供の頃からずうっと身近に、秩父神社さんとともに育ってきているわけで、秩父神社さんの神事でしかないんです。
だからこそ、ユネスコ文化遺産に登録されるに至ったお祭りなんですよ。
単純にお祭りを楽しみにきた外部の者ものみ込むように秩父全体が秩父神社さんを中心にお祭りをしているので┉当然これは位置関係としての中心ではなく。気づくんですよ、自然と。秩父神社さんの神事であると。

それでも、秩父神社さん自体がすごい人出でありますので、やっぱりぼおーっとしている私などはお祀りされておられる神さまがどなたなのかとか、わからないままだったんですけれど、ね。夫は気づくんですよ。
秩父神社さんの女神さまが武甲山の男神さまと年に一度お会いになるお祭りだということに。
そしてその女神さまこそが妙見さまだと。



No.435 21/05/20 10:22
旅人さん0 

この日も運転手は私でスタート。
途中で夫に変わってもらうのですがね。

いつも秩父へと向かうときに、必ず通る道を走って。いつもそこで曲がる事業所の横の道を曲がって、畑の真ん中にある曲がり角を曲がりました。

いつもと違っていたのは┉、気まぐれなおばさんが、ナビに入力した目的地までの道案内を無視して、小さな細い道を曲がったこと。
ナビが示す現在地情報に映し出されるのは諏訪神社さん。
そう、今時の人であります【渋澤栄一】氏が建てたという【血洗島諏訪神社】さんであります。

が。すぐに軽く後悔いたします。

細っ!
狭っ!
これは┉この道は確実に完ぺきに生活道路といわれるものでしょう。
対向車が来たら、ムリ!
ええっ?だ、だって渋澤栄一が地元に戻ると必ず来ていた、獅子舞で有名な神社さんって┉。
うーん、祈ろう。どうか諏訪神社さんまで一台も車がきませんように。


祈りは叶いました。
諏訪神社さんの駐車場まで一台の車ともすれ違うことなく到着いたしました。きっと夫も心のなかで祈っていたにちがいない。とにかくどうにもすれ違えない、そんな道でありました。┉これは私だけではないでしょう、本当に。

たどり着いた諏訪神社さんはきれいに整備された神社さんでありました。
ここまでたどり着くまでの道から、密かに小さな神社さんを想像してしまっていたのですが、境内は広く、拝殿本殿まである立派な神社さんでありました。
扁額の文字は渋澤栄一のもの。渋澤栄一って字も上手だったんだぁ。
大きなご神木がありますが、基本木々や花などはあまりない、シンプルな境内であります。
渋澤栄一が奉納したという拝殿前にある狛犬は金属製で、凛々しいなかにどこか優しさのあるお顔だちで。こういった像にありがちな、人に撫でられ一部が剥げているみたいなこともなく、非常に私好みの狛犬さんでありました。 
そのそばに。その木自体から清浄な気があふれているような、爽やかで優しい雰囲気の木が一本、植えられていたしました。大きなクマンバチがブンブンと羽音をたてていますが、少しも恐くなく、まるでその木が守ってくれている、みたいな気がするくらいです。
その木は橘、でしょうか。
花には詳しくない夫と、花にも詳しくない私。
あとでGoogle先生にたずねてみてはいるのですが┉ほとんど花の終わりの時期となっており┉なんとも┉。たぶん┉。

No.457 21/05/31 22:24
旅人さん0 

最後に。

こちらの石造りの不動明王さまは、力強く鋭い眼光の感じや、凛々しい体躯が見事に表現されています。
身にまとう衣類のひらひらとひだまでが流れるように表現されていたり、羂索と呼ばれる縄もきちんと綯われているかのようであり。
右手に持つ剣は石造りとは思えないほど!
この御不動さんは本堂の左横の岩壁に安置されています、大きな像であります。
また、不動明王像の背後の光背は迦楼羅炎と呼ばれ、炎の形をしていますが、これがまた、石造とは思えないくらい繊細で。
ようするに、素敵♥

こちらの不動明王さまは、栄螺堂の完成記念を記念して建てられたものの一つであったといわれます。

大きなものなのにかなり均整のとれ、バランスのよいお姿の、まさに見事な御不動さまであります。


No.461 21/06/02 06:11
旅人さん0 

鐘を撞いてすっかりご機嫌な私。
花浄土という小さな看板があります。うん、そうそう!花が好きなご住職があれこれと手入れをされているというお寺さんだったな。┉。┉?
花は┉?
えっと┉。今はまだ花の時期じゃないのかな。┉いやいや春じゃない!
花、花。な、ない┉かな?
花浄土というには花木もなければ地植えの花も無さそうな┉。
そ、そうか。先週が花まつりだったから、花という花がみんな使われてちょうど花のないときに来てしまったのかもな。┉ま、そう思おう。

石段をのぼります。見事な石垣が組まれています。ほおぅ。
石段を登りきると庫裏がありました。
たいそう趣のあるすてきなお宅であります。お、花がある!
テッセン=クレマチスが二輪。大きな花です。
そこから地続きにかなり高めの位置にある濡れ縁が続きます。って、┉御本堂なんじゃない!感覚的には濡れ縁とつながって御本堂へとなっている、そんな風に思えました。ああ、この濡れ縁!この濡れ縁に花まつりの花笊がいっぱいに並ぶんだ。

その反対側には無人のグッズショップがあります。そう、グッズ、なんです。秩父三十四カ所めぐりに大変便利な地図とか他のお寺さんでも取り扱っておられる物もありますが、こちらのオリジナルキャラクターの描かれたTシャツやエコバック等々。

御朱印をお願いいたします。呼鈴を鳴らすとご住職の奥さまが。
書き終わった御朱印を受けとる際にお聞きしたかったこと、こちらのお寺に憧れ、なおかつあまりの過酷さに秩父巡礼すら諦めかけたという奥の院におられる、【お船観音】と呼ばれる観音さまが遥拝できるという地点、〖奥の院遥拝所〗を忘れずにうかがいました。
「そこを少し戻るとすぐそこにありますので、どうぞ遥拝なさってください」とのこと。少し戻る┉ありました。高めの濡れ縁に目をやりがちな上、あまり目立たない位置に足形の彫られた石が置かれています。



┉!

こ、これは!
┉これは┉無理だ。



そびえる山の上に、かすかに見える、不敬をお許しいただいて例えるなら、黒い楊枝よりも小さなお姿。
ここからこんなにも遠くて高いんだ┉。





No.465 21/06/03 17:55
旅人さん0 

法性寺さんのHPでは、奥ノ院への所要時間は1時間〜1時間30分、大変危険ですので、十分な装備をして時間には余裕をもって登って下さい、と、書かれています。
私どもにはとうてい無理だと判断いたしましたのは、境内にある遥拝所からはるか彼方に、爪楊枝よりも小さく見える観音さまのお姿を拝見して、であります。
思った以上に本格的なものであることを知るにはそれだけで充分でありました。鎖づたいに登って行くことも、細い細い道の脇は崖、というところがあることも、実はネット情報で知っていたのではありますが、あれだけ遠い所にあるということは、その鎖場もかなり本格的なものでありましょう。
初心者クラスの登山すら経験がなく、運動神経といえば運痴、という言葉がありますが、まさにそれだと言えましょう。運痴な上に普段からたいした運動もしていない私どもが、ここを二人きりで登るのは、社会的な迷惑であると判断したのでありました。
私どもがどうしてもここを登ろうとしたならば、訓練した上に、先達さんと呼ばれている霊場巡りの案内人の方か、この日お逢いした、ここを登る企画に参加するような、きちんとした計画のもとで、御指導いただきながら登るのがよいと、強く、強く思った私でありました。

というわけで、いつか登る日がくるのかこのままで終わるのか┉、HPにはひとこと、【観音堂の前の岩の間を抜け急峻な山道を登ると、眼前が開け、『お船岩』の巨岩にたどりつきます】とだけ書かれています。
┉もうちょっと詳細に触れて書いてもいいんじゃないかなぁ。
鎖場とか、直角に近い崖を登るとか┉。
でも、江戸時代に滑落事故があったという記録があるものの、それ以降は事故はないようでありますし、結構なご年配の方も登られているようなんですがね。

憧れの奥の院に立つ、お船観音像(聖観音菩薩)は、「お船岩」と呼ばれる舟の舳先にあたる所にお祀りされておられます。
【江戸時代の境内図には、舳先が尖った舟のように描かれていますが、江戸末期に舳先が折れて現在の形になりました。
境内図には坐像が描かれていますが、戦時中に供出したために、現在の観音様は、戦後に再建された立像です】
えっ!?
ええっ!?
ちょっと待ってください!戦時中に供出したぁ?!
戦後再建したぁ?!
登ることにこんなに大騒ぎしている二人って、もしかして┉大袈裟?



No.470 21/06/08 11:58
旅人さん0 

読経を終え、御朱印帳を手にした私が、ご住職のおられるところへと進んでも、ご住職は、私がその存在に気づいたときからまるで変わらぬ姿勢でなおもお座りになられておられました。
お声をかけてようやくその手を差し伸べ「はい」とおっしゃられた、それだけの所作であります。
お書きくださったその墨書きの書は、墨のかすれ具合までが美しいものでありました。

あらためて御本堂のなかを拝観させていただきます。
こちらは御本尊のお祀りされている正面のほか、ご住職がお座りになられるちょうど真ん前にも、金屏風でおおった空間に御仏像をお祀りされておられます。
天井には一面、千社札。
欄間部分には透かし彫りではない彫刻が壁の上部にはめ込まれています。大変味わいのある彫り物であるのですが、ほの暗い上、私どもしか参拝に訪れている者がなく、┉こういうとき小心者でびびりの私はそわそわしてしまい、なかなかゆっくりと拝見することができないという損な性分でありまして、しかもそれをさとられないよう、内心そわそわしながらも平静を装おうというたいそうめんどくさいやつでありまして。
かつて頻繁に行われていた間引きを戒める【子がゑし之絵図】と、親孝行を勧める【孝行和讚】の絵図を見るのがやっと、という有り様で。
ご住職はただただひたすら何をするでもなく座られておられたというのに┉そこが修行された方とそうでない愚者との差なのでありましょうね。
夫はゆっくりと絵図を眺めておりました。それでも私が御本堂をあとにするとやはりそそくさと出てまいりますところは、彼もやっぱり小心者という┉、お似合いの夫婦といったところなのでしょうか、珍道中二人組であります。
境内はさほど広くはなく、それでも御本堂ひだりて奥には大きめの稲荷社があったようです。
コロナの影響なのか、こちらのお寺さんを語るブログなどで必ずといっていいほど掲載されている、白い菊花をあしらえた手水の石の水盤も、いまは水を抜かれて、なんとももの悲しく。
気づくと四時ちょうど、であったのかどうかすでに御本堂の扉は閉ざされておりました。┉いつの間に?


境内には藤が咲いており、八重桜の参道を出ると芍薬が咲いておりました。
夫はポピーの花畑が気になるようで、しばし各々が花の写真を撮影して、菊水寺さんの駐車場をあとにしたのでした。




No.495 21/06/30 08:20
旅人さん0 

しかし明治の神仏分離令で一応は分離の形式をとったものの、寺は従来どおり存在し、ここであらたまった点といえば、

一、寺持山林の内から神社の社殿周辺を分筆して神社境内を設定したこと。
一、新たに神職が常勤することになり、住職の常住を廃し兼務するようにしたこと。
一、神社は寺から寳登山大権現の講社、講中をひきついだこと。
などが主な点であるのだそうです。

【玉泉寺】さんは真言宗智山派の末寺で、檀家もおられ、その多くは長瀞地内に暮らしておられる方々で二百五十戸を数えるといいます。
お寺の建造物や境内地の維持管理は神社側に任されているようであります。
講社講中は寺時代から受けつぎ、その信仰の内容は変貌したようですが、大小約800講があり、これら崇敬者の接遇には玉泉寺本堂、護摩堂、参集殿など寺との伝統に基づく黙約により利用し、また社寺双方ともにその祭典法要などに際してはお互いに補完しあう関係なっているようです。
境内に見えておりました建物は護摩堂のようであります。他に十王堂も存在するようです。

本来はこうあった神仏のあり方を、政治的なもので無理矢理分離したことにより生じた数々の悲劇を嘆く者として、このような神社さんとお寺さんのあり方をみられ、それもありがたいものでありました。


┉いつか必ず再拝させていただき、その際は必ずや奥宮へ参拝させていただこうと思う次第であります。


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