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神社仏閣珍道中・改

神社仏閣巡り珍道中・改

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旅人さん
21/07/02 03:51(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。



No.2982625 20/01/08 07:18(スレ作成日時)

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No.401 21/04/23 06:16
旅人さん0 

今日も、まだ五時前という時刻から何機ものヘリコプターが飛ぶ音が聞こえます。
群馬県みどり市で起きている山林火災は、たった今観たテレビのニュース画像ではかなり広範囲のものとなっており、近隣二十四軒に避難指示が出たようでした。
わたらせ渓谷鉄道という第三セクターの路線が走る、のどかで渓谷沿いの美しい景観の広がるみどり市東町での火災は、民家二軒を全焼する火事が延焼したようで、テレビ画像を観ると国道122号線は消火活動のため一部不通か片道通行のようにみうけられました。

【わたらせ渓谷鉄道】は上皇陛下御夫妻も何度かお乗りになられた、近年〖乗ってみたいローカル線〗で常に上位に食い込む人気の路線のひとつなのだそうですが、そもそも国鉄時代には沿線乗客の減少から廃線の危機に見舞われたくらいのもので、会社の努力はそれは大きなものであったと推察されます。
美しい景観を生かしてのトロッコ列車や、駅のホームに温泉施設が直結する温泉のある駅などであります┉乗ったことはないのですが。
温泉のある駅ということで話題になりテレビでも何度かあつかわれています。

このわたらせ渓谷鉄道に桐生市から乗車し、いくつかの駅を通過する間、実は、桐生市、みどり市、桐生市、みどり市と、まるでミルフィーユのようになっているのです。もちろん、乗客はあまり気づくことはないかと思われますが、国道122号線も同様のことが起きています。
ただ、道路を走る上では道路標識に、桐生市○○だの、みどり市△△だのと表記されているので、そこに目をやると目まぐるしいくらいに市をまたぐのがわかります。
地図を見ると桐生市がみどり市をはさんでまるでハンバーガーのように見えます。
平成の大合併で、昔からの飛び地問題が解消された自治体も多かったなか、桐生市は合併により飛び地となってしまった特異なケースとなったようです。

美しい、のどかな景観の、わたらせ渓谷線沿いの、国道122号線沿いのこの辺り一帯。自然や、線路や道路はあくまでもつながり、あくまでもひとつなのですが、ね。


草木ダムというダム湖を越えたあたりでの火災のようです。
一刻も早い鎮火がなされますように。

No.402 21/04/24 06:09
旅人さん0 

四月十八日。

お読みくださっている方は、
この欲のかたまり、歩く煩悩のおばさんが、四月十八日に秩父に行きたいと騒いでいたことをあるいはご記憶くださっているかもしれません。

その日。
普段、日曜日といえば九時近くまで寝ている夫が六時に起きてきて、
「行きたいんでしょ?」
とのたまう。キャー♥♥
いそいそと朝食の用意をし、もともと早起きの私はすでに洗濯も終えた状態。
私が運転いたしましょう!
「ほぉぉ、じゃあお願いするか」え、そ、即答ですか。┉頑張ります。


というわけで、四月十八日、秩父へと、念願かない行ってまいりました。

偉そうに宣言した私が、全行程を運転したかというと、もう本当にほんの一部で、せいぜい五分の一程度。相変わらずおんぶに抱っこでありました。
┉ほっとされた方、おられますかね。大丈夫、そこはきちんと管理する者がおりますので。
さすがに何度も通って秩父に向かう道は覚えてきたし。┉本当に?



四月十八日は日曜日。
秩父夜祭り以外、すべて平日に巡礼してきた私たち。
①混んでいたらスパッとあきらめる。
②できうる限りの感染対策をする。

どうかなあ。日曜日の秩父観音霊場┉。




No.403 21/04/24 08:21
旅人さん0 

今まで秩父に向かうのは平日であったので、出勤される方やお仕事の車がないせいかどちらかというと空いているイメージです。
頑張った私は、秩父直前まで走行して、コンビニに寄って運転手交代。
チェーンジ!

まず向かったのは第二十四番札所の【法泉寺】さん。
【大数珠廻し】を執り行うという縁日であります。毎年この日の縁日に行われているようです。
前回の参拝のときとは駐車場がかわりきれいに整備されていました。┉前回はこの駐車場を見のがして通り越したので、逆にその変化に戸惑うことになったのですが。
駐車場には一台も車はなく。バイクもなく。
あの狭くて急な百十六段の石段にも人影はなく。
境内も静か。┉お、お休み?
ま、まあ何はさておいて参拝をいたしましょう。
納経して。読経して。
納経所に向かいました。┉あ、どなたかおられそうです。

今回の御朱印は重ね印をお願いしました。
前回お書きいただいた墨書きの上に、一度捺された朱印と少しずらして印を捺していただくものです。

「今日は御数珠廻しのある日かと思ったのですが」
 
「ああ、そうなんだけど。こんなご時世なので感染を考えるとちょっと無理かなということで今年も中止したんですよ」
とのこと。┉そうですよね。
となり同士に輪になって、少しずつ大きな念珠を順繰りで廻していくもの。
「いつもだと近所のお年寄りが集まってそこ(本堂の前)に座って御念珠を廻しているんだけどね」
ここまでで、私たち以外どなたの参拝もありません。
加えて私のお願いしたのが印を捺すのみの御朱印であります。
そんな御縁日となったのがさびしかったのか、いろいろお教えくださいました。
さびしい┉ですよね。
この日、いつもの年なら巡礼者もこの日に合わせて数多く参拝に訪れていたのだといいます。

アフターコロナの時代は┉変異株の拡がりもあり、いまだそのあり方を模索する段階であります。
せめて少しだけでも先さえ見えれば┉。

No.404 21/04/24 20:48
旅人さん0 

本日、昇殿させていただいてお祓いを受けました。
車のお祓いならびに交通安全祈願、人生初の経験であります。


大洗磯前神社さんで昇殿させていただきましたことはありましたが、あくまでも月例祭の儀に参加させていただいたので、自分のためにお祓い、御祈祷いただくのは、記憶にあるかぎり人生初の経験であります。 
昨日電話で予約させていただき、一時半からと言われて。 
もう、遠足の前日の幼稚園児か小学生のようになかなか寝つかれず。

お納めするお金をいれ袋は普通の封筒でいい?
┉えっ?熨斗袋なんだ!
水引の結びは?
┉げ、結び切りじゃないみたい。明日午前中に買ってこないとだな。
表書きはなんて書けばいいの?
┉初穂料?玉串料?榊料?わかんないしぃ!

No.405 21/04/25 05:01
旅人さん0 

┉お見苦しいさまをあえて再現してみました。


織田信長が舞った敦盛の一節、人生五十年、五十年を過ぎての人生で初の憧れの、神社さんでのお祓い。
それはそれは私にとって大きなものであったのであります。

たしかに自分が理由をみつけ希望さえすれば、神社さんはいつでもお祓いなり祈願なりをしてくださるので、自分で希望すればよかっただけのこと、┉なのですがね。なのですが、五十年もしたことがなかった新たなこと、なのですよ。
不敬があってはならない、大切な大切な儀でありますことがわかればわかるほど、敷居が高くなって、なかなか今までしてこなかったことをするのには多大な勇気を必要としたのであります。

何度も車を購入してきても一度として受けたことがなかったお祓いを、ある時を境に、あるいはある一台だけ受けるというのもなかなか敷居が高い┉というか、今までしてこなかったので神さまに後ろめたい思いがあったり、何となく今までの愛車に申し訳ないような思いがあったりと、複雑なものがあって、そんな気になれなかった、というよりももう考えもつかなかったのであります。
厄除けも方位除けも受けたことがなかったし、さかのぼれば自分の七五三も成人式も、神社さんに詣でることはあってもきちんと昇殿して祈願させていただいたことがなかった私。
そんな人間が結婚して子供を授かっても、習慣がないので当然そんな昇殿して祈願させていただくことなど頭にも浮かばず。
跡継ぎでない夫にはそういったことは一切してこなかった夫の実家は、次男の家がそういったことに疎かろうがおかまいなしですので当然意見されることもお咎めもなく。
神社さんともお寺さんとも教会とも、おそろしいくらいに縁のない人生を送ってきてしまったのであります。

そんな私が、やりたいことはなにかと問うたとき、神社仏閣に行きたいという内なる自分の声を聞き、始めた神社仏閣巡りであります。
道案内人もいない、夫との珍道中であります。

五十年もずっと不敬があっての神社仏閣。
まわればまわるほど、こと神社さんの敷居は高くなっていました。
┉と申しますのも、お寺さんは法事で御本堂に上がらせていただくこともお経を聴くことも無くはない、のであります。
神社さんにおいては、自身で希望し祈願なりお祓いを受けなければ、なかなか我がこととして神事に接する機会がないのです。

No.406 21/04/25 10:20
旅人さん0 

はたと気づいた最大の問題。
┉私、最近太ったんだ!


ちゃんとした服、ちゃんとした服?
妊婦時期以外、ずうっと中学くらいから体型に変化のなかった私。
結婚前の、今では考えられもしないくらい高額なスーツが、運動きらいなくせに二年前まで奇跡的に着られていたという、超経済的な身体であったのですが、今、イヤというほど自覚するくらいに太ったのです。

恐る恐る手にした一張羅のスーツ。
┉ダメだあぁぁぁぁ。(*T^T)
ファスナーは上まであがったものの、ホックがとまらない。

こんな落とし穴があるなんて┉。
スーツじゃなくても┉。
とはいえ太った事実は他の“ちゃんとした服“にも影響があるにちがいない。

「買ってくれば?」

女心に疎すぎるほど疎い夫は簡単に言う。


いや、こんな大切な節目で“ちゃんとした服“を用意をするのは縁起もいいらしいんですよ。ですけどねぇ┉。
くぅぅぅ┉。


ええ、結論から言えば“ちゃんとした風の服“で神社さんに向かいました。


ご祝儀袋の表書きも筆ペンで練習して、練習して、どちらかというと形のとりやすいお玉串料を選び、ご祝儀袋に書いたものは二度と見ないという封印の技で挑みました。


私って┉本当にどんな時にも珍道中しかできないんだな。(T^T)


No.407 21/04/26 13:41
旅人さん0 

到着いたしました神社さんには、記憶どおり自動車の祓い所はありません。

その自動車祓い所なるものを日本で初めて設置したのは群馬県の前橋東照宮さんだと、そのホームページに書かれていました。まわらせていただいた神社さんのなかにも自動車祓い所なる場所があるところのあるところがいくつもありました。
中にはかなりの距離離れたところに設置されていた神社さんもあり、そこでは昇殿することなく、祓い所に宮司さまが出向いて車に直接お祓いをされて、その場で儀式が執り行われ、その場で終わりにされていたところもありました。
考えてみれば、地鎮祭などは、まさに神職のかたがその場所まで出向いてそこで儀式を執り行い、特に拝殿のなかに昇殿される様子は見受けられなかったよう記憶しております。

うーん、生まれて初めての個人的な神事は、昇殿してのお祓いとはならないのかも┉。
宮司さまのお宅にお邪魔すると、奥さまがお出になられ、「拝殿で受け付けておりますのでどうぞお進みください」と。
車の置く場所を再確認して、車を指定された場所に置いて。
いざ神さまの御前に。 

一足先に私だけが拝殿の前に着くと、ちょうど宮司さまが拝殿のなかからお顔を出され、
「車のお祓いでおみえになられた△△さんですか?」
とおっしゃられ、そうですと申し上げるとうなずかれて、またそのまま拝殿の奥の方、ちょうど死角になるところに戻っていかれました。
まもなく夫が到着し、いつものように二人、二礼二拍手一礼のご挨拶を申し上げて、再び宮司さまからお声がかかるものと思い、しばし拝殿の前に。
うーん?おみえにならない┉。
参拝の方がみえたのでさらに脇に逸れたところ、拝殿の奥の角のところのしっかりと感染対策をなされた受付でお待ちになられている宮司さまと目が合いました。おっ?
「どうぞお上がりください。」

┉もしかしたらそのまま拝殿の奥の受付にすぐに直接うかがってよかった?
というより受付にうかがうべきだった?

ごめんなさい、宮司さま。
私たち、こちらの神社さんのみならず、神社さん自体に不慣れな、ある意味罰当たりともいえる珍道中夫婦なもので、畏れ多くも神社の拝殿に昇殿するのが人生で二回目という二人、さような場所にお声もかからぬ状態で上がっていいものとは思いもしなかったのでありました。


No.408 21/04/27 05:31
旅人さん0 

江戸時代に建てられたというこちらの神社さん。
┉私にだけでなく、本当に敷居が高かったです。キチンと足を挙げまたがなければ入れない、太くて高い敷居でありました。

入るとすぐの位置には、拝殿の中には似つかわしくはないこときわまりない、とはいえこのコロナ禍の必需品、アルコール消毒が設置されていました。
┉先に入ったのが夫だったから、夫が当たり前のように消毒をしたから、そこに消毒があることに気づいたんですけど、ね。
足踏みすると噴射される、どちらかというとやや大きめなアルコール消毒の台なんですけれど、なにぶんにも初めてのお祓いで緊張┉というより舞い上がっている私。
落ち着いて、失礼のないよう、失敗のないよう、と自らに魔法でもかけるかのようにしておりまして。頭の中は(まずは受付、まずは受付、)と、入力されたプログラム通りに動こうとせいいっぱいな状態で。
おっ、消毒、消毒。
全然落ちついていないありさまで。
夫も初めてなはずなのに、しっかりと落ちついて宮司さまの待っておられる受付へとススッと進んでまいります。┉普通のおとなならさもありなん、私って┉(T^T)。

さほど遅れることなく宮司さまの文机の前に。夫より少しだけ斜め後ろの位置にちょこんと座りました。
「それではお車のナンバーや車種をお教えください。」と宮司さま。

予約の電話をいれさせていただいた際に、
「お車のナンバーや車種をひかえて来てください」とあらかじめ伝えられておりましたので、便箋に書き封筒におさめたものを取り出して、中身を宮司さまにお渡ししようとすると、ん?
宮司さまの手には車の絵の描かれた絵馬。
その絵馬の車、ナンバープレートの部分に何も書かれていない物となっていて、そこにナンバーを書き入れるようにおっしゃられて、裏に住所と名前を書くようにおっしゃいました。
絵馬かあ。
いきなり思ってもいなかったアイテムの登場でありました。
もし書くとしてもまさかこの、こんな早いタイミングとは。
手渡された夫は夫で、字を書くことに苦手意識のあるものでありまして、やはり動揺しております。
┉珍道中夫婦のゆくえやいかに?!


To be continued であります。

No.409 21/04/29 06:46
旅人さん0 

絵馬を受け取られた宮司さまは、神さまのおられる本殿の前の間の幣殿と呼ばれるところのむかってひだりてにある隠れたお部屋に入って行かれました。【幣殿】は、神様へのお供え物が置かれている建物、とのことです。
幣殿に移動しながら「こちらへ。この一番前でお待ちになってください」と宮司さま。
指示された一番前の席のあるところへといそいそと移動した二人組。
座って待つ夫。
座っていいものか否か、面接を受ける試験のマニュアルが脳裡に浮かんで、とりあえず立って待つ私。┉たぶん正解は夫。
落ちついて神さまに失礼のないようお待ちするのが正しい。
立って待つことを選んだ私は、もともと好奇心が強いタイプなので、まるで子どものように上を見たり壁にある画を見たりとキョロキョロ。
はっと気づいて前を向けば、それはそれで弊殿、本殿に安置されたさまざまなものへ目がいくこととなり、(あ、これは失礼に当たるかも!) と、結局拝殿のなかをゆるゆると見やることにいたしました。ヤレヤレ。

宮司さまが絵馬と御札をお持ちになって弊殿へとお戻りになられました。
絵馬と御札を本殿前に置かれた三方の上に置かれ、
私どもにこれから執り行う儀式を宣言されて、本殿のひだりてへと向かわれました。
二礼二拍手一礼をされ、祓詞を奏上されて。幣をおごそかにお振りになったのち、私どもの車の車種やらナンバーやらをおり込んだお祓いの詞をお述べになりました。その後幾つもの鈴がつらなるようについた鈴を鳴らされたり。
その所作をついつい見ることに気がいっている自分を戒めて、あえて下を向き神さまにお願いの思いを申し上げていると、
宮司さまが私どもの前におこしになられ、
玉串をふたつお持ちになられました。
順番で捧げようと手にした玉串を持っていると夫が小声で「ご一緒にとおっしゃっているから」と。
ヤレヤレ。

┉今どきの神社さん┉玉串の榊、造花なんですね。ええ、そんな雑念がご一緒にの言葉を聞き流した一因でありました。
もう、ほんっとぉに!、コイツは昇殿させない方がよかったよ。
それ、誰でもない自分だし。ヤダヤダ。┉





No.410 21/04/30 04:07
旅人さん0 

玉串を弊殿入口に置かれた几の上に、持ち手を神さまに向けて置きました。
宮司さまは神さまの御前に御供えしてあった絵馬と御札を、うやうやしく捧げもち、そのふたつを、向かって右側にある机で紙袋に収め私たちに手渡されました。
「絵馬は、車のお払いが済みましたら神楽殿の横にある絵馬掛けにお掛けになってからおかえりください」と。
そして御札。

「あのぉ、すみません。ウチには神棚がないのですが┉」そう、大切な御札です。失礼があってはなりません。

「ああ。そうすれば┉」
「できれば目の高さより高い位置で、あまりごちゃごちゃしていないところへ┉タンスの上とかでもいいので、できれば東向きか南に向けて、白い紙などを敷いておまつりください。」

ほっ。
やっぱりわが家だけではないんだな。
神棚のないおうち。
宮司さまはいかにも慣れたご様子で対応してくださいました。

宮司さまから紙袋を受けとり、拝殿の高い敷居をつまずかないように気をつけて乗りこえて、転けないように気をつけて靴を履き、宮司さまに続いてわが家の車のところへと向かいました。
まずは前面にお立ちになって弊をうやうやしくお振りになりました。
その後、運転席のドアを開けるようおっしゃられ、夫がドアを開けると運転席にからだを少しだけいれて。
それから運転席側の側面、後部、もう片方の側面へ向かって、幣をお振りになりました。

「┉これでお祓いの儀は終了です。お祓いをしたからといって安心なのではなく、交通事故を起こさないよう気をつけて運転することが大切です。どうぞお気をつけて運転をなさってください」
そうおっしゃって、┉私たち夫婦の人生初のお祓いの儀式は終了いたしました。
宮司さまは社殿に向かわれ、私どもは絵馬を掛けるために絵馬掛けへと向かいました。

「どこがいい?」
絵馬掛けは信心深き方々がたくさんおられることを物語るよう、すでに満杯状態。
┉まあ、一枚も掛かっていなかろうが、夫は必ずそう聞くのですがね。
上州の夫婦、ですから。

絵馬を掛け終え、摂社末社の神様たちにご挨拶をして。

見上げた藤棚には咲き始めたばかりの花たちが風に揺れていました。
名残惜しそうにいく枝かが残る八重桜に見送られながら、神社の敷地をあとにしました。
お見守りくださる神さまは┉苦笑されておられる、かな。 


No.411 21/04/30 11:23
旅人さん0 

お授けいただいた御札を、なにかの上に置いて風や振動で墜ちてしまうのは嫌ですし、長押に挟み込むのも失礼に当たりそうです。
次の日、ホームセンターで御札置きなる商品を購入し、さっそく取り付けてお納めいたしました。

┉本当は┉。義父から止められて神棚を家にお祀りすることができなかった過去があり今に至っておりますが、ずっと神棚のある家でありたかったのです。
義父もすでに亡く念願だった神棚を前に、ついつい目は神棚へ。
┉ですが、です。
私ども亡きあと、神さまに失礼なくお祀りできるのかとか、子どもたちがこの(実際には夢で終わらせた)神棚を、誰か引き継いでお祀りしていけるのか┉そんなことを考えたなら、購入することはできなかった。
私たち夫婦にしたって、それこそ子どもたちが大人になって巣立ってからの神社仏閣巡りを始めて、初めて知ることばかりなくらいです。
私たちこそ失礼に当たることをしてしまいそうです。

いまだに御札置きには御供えはしなくていいのかどうかとかで、毎日頭を悩ませていますくらいです。┉真実はいかに。


夫の実家は今、義母が施設に入居してまもなく二年。ずっと無人で神棚の神様に何ら御供えも掃除もせずに二年以上が経過しています。
これはこれで跡取りの長男である兄がおりますことですし、どうにも手出しはできません。御札もずっと何年も同じものが奉られていますが、これはよくはないことなのでしょうか。

何もわからない、何年経っても神社仏閣初心者の私であります。

 

御札とともに神社さんからお授けいただきました物は、破魔矢、車の御守り、車に貼るタイプの御守り、御神酒、撤饌という熨斗紙の貼られた包みが二つ。
御神酒を見て嬉しそうに口角を緩めた夫に「これは神さまの!」とすかさず申し。


初めて神社さんの御札をお受けして、右往左往の珍道中夫婦でありました。


No.412 21/05/02 04:45
旅人さん0 

さて。
人生初のお祓いの儀。まるで子どものように興奮してつらつらと書き連ねましたが、お気づきのように秩父の珍道中録が途中中断しておりました。
いま一度、舞台は秩父へと戻ります。

年に一度の縁日の大数珠廻しが二年連続で中止となった【法泉寺】さん。
このあたりから見える武甲山の眺めは格別です。
さらに、かなりの急な百十六段の石段を上った境内から見渡せる景色の素晴らしさといったら!
実はこちら、観音堂のさらに上に白山神社さんがあるのであります。
前回はよくわからず、お参りできなかったそちらへ今回はお詣りさせていただきました。
納経所の正面みぎてから納経所をまわるように上をめざすと、なるほど神社さんが見えてまいります。

実は、こちらの法泉寺さん、法泉寺と呼ばれるようになったのは明治時代から。江戸時代には白山と呼ばれていたのだそう。
といいますのもこちらは元々霊亀二年、716年に越の大徳と称される修験僧が観音菩薩さまのお告げにしたがい秩父へおとずれ、ちょうどこの法泉寺のある辺りで岩の上に観音菩薩さまが現れたのだといいます。
修験僧はその観音像を祀り、山の名を白山と改めたのだそうです。
白山観音堂の別当寺は、石段下にあった別当明星院という修験道のお寺さんだったのだそうですが、明治の修験道廃止令により廃寺となってしまいます。
そこで白山観音堂は法泉寺と名を改めて、以降地元の方々でお守りしてきたのだといいます。

白山神社さんはたいそう見晴らしのよいところでありました。
新しそうな社殿には明るい陽射しがさして、たいそう居心地のよい気のみちた所でありました。
御祭神さまは菊理媛神さま、伊邪那岐命さま、伊邪那美命さま。
あたたかでやさしくやわらかな気が満ちているのは、二柱が女神さまなこともあるのでしょうか。
白山神社さんからは真正面に武甲山が見えます。

コロナのせいで、せっかくの、ましてやちょうど日曜日となったお縁日、とうとう私たちがいる間は参拝者は私たちだけという寂しい日となってしまいました。
もはや終息は無理かとは思いますが、せめて収束と、先行きさえ見えてくればと、あらためて切に願うのでありました。

No.413 21/05/02 14:52
旅人さん0 

次に向かいましたのは、桜の頃に参拝したばかりの【法雲寺】さん。
秘仏のご本尊さまが年に一回御開帳される御縁日に当たっています。
到着したときには、先日参拝させていただいたときとはすっかりと様子が変わって、観音堂の前面のみならず左右の戸が広く開けひろげられておりました。
うわぁぁ┉、御開帳って、こんなにも開放してくださるんだぁ。

御縁日でありますので、観音堂には檀家代表の方々が詰めておられ、御札を受けに来られた檀家の方にお渡しされたりなさっていました。

いつもの巡礼と同じようにお線香をあげて読経をし、観音堂の中を外から見させていただいて┉。
ええ、ずうずうしいおばさんは、何人もおられる御堂の中の方に
「恐れ入ります。こちらへはあがらせていただいてもよろしいのでしょうか?」
壁に寄りかかって胡座をかいていた方は突然の問いかけにたいそうびっくりされたようで、
「えっ?ええっとぉ┉聞いてみます。」

おや?

だめだったのかな?
そもそもが巡礼でまわってこられている様子の方はあまり見受けられません。うーん、でもお寺の方にご挨拶したときは、
「どうぞご参拝ください」と普通に対応されただけだったのだけれどな┉。
ちょうどタイミングよく副住職さまがおこしになられ、
「法要が始まるまえの時間であれば大丈夫ですよ」と、まさに鶴の一声を。
┉結果的には、本当に2分くらい。
秘仏であらせられるご本尊さまの御前で手を合わせることができました。
手を合わせ合掌を解いたか解かないかで、副住職さまの二声目が掛かりました。
「それでは退座してください」
ははぁ。m(_ _)m
 

ご住職さまもおこしになられ、さっそく法要の運びとなりました。
副住職さまが般若心経をお唱えになられますときはご一緒にお唱えし、法要の間、ずっと参列させていただいておりました。
皆さんが御焼香される際、檀家代表の方がお気遣いくださって
「どうぞ中に入って御焼香してください」
とおっしゃってくださいました。
「えっ、よろしいのですか?」
「どうぞどうぞ」

帰りにはジュースまでくださって、
「昔は縁日といえば舞台まで出るお祭りだったんですよ」と、昔話までもお話しくださいました。





No.414 21/05/03 05:31
旅人さん0 

この日は御本堂も開いていました。
前回の参拝の際御本堂に気づかず、参拝できなかったことをお詫び申し上げると
御朱印帳に重ね印をしてくださった副住職さまの奥さまいわく、
「こちらの本堂は檀家の方の御位牌をお納めしたりとか、法事をしたりとか、檀家さんがお使いになられるものなのでお気になさらなくて大丈夫ですよ」
と。
観音堂よりも大きな御本堂に気づかないところが、いかにも珍道中夫婦であります。うーん、なんとなさけない。

そして、そんなお話をして。なにげなく見上げた観音堂は┉!?
いつのまにか左右の戸が閉められて、正面の戸だけがちょうどご本尊さまが拝観できるくらいにだけ開けられた状態になっているではありませんか!!

いままで三方の戸が開け放たれていたのは、御開帳に伴う法要が営まれるためだったんだ!

偶然、その法要の直前におじゃまして、まだ寛がれているような状態のときからいたから、法要に参列させていただける流れになれただけで、それ以前ならば戸の隙間からの参拝で終わって次にまわって行ってしまったかもしれませんし、法要中ならそっと手を合わせて遠くから見守るくらいだったかもしれません。
法要が終わった後は、すぐさま戸をお閉めになられた様子なので、このタイミングで到着したなら、前回と同じよう、堂内のご本尊さまを参拝拝観できるだけの隙間からの参拝拝観で終わっていたかと思われます。
これは┉あまりにも絶妙なタイミングが生んだ奇跡だったかもしれません。
なんともありがたいことでございました。

檀家さんにおかれましても、昨年はコロナによる緊急事態制限措置下で年に一回のお縁日もなく過ごされたくらいで。
なんでも昨年は一軒一軒お寺さんがまわって御札をお渡しするような法要であったのだとお聞きしました。

ははあぁ┉。



この日、境内の花は、前回訪れたとき咲いていた梅やカタクリの花はすっかり散って。
マムシグサという花が咲いていました。
三尺藤という藤のつぼみは、まだまだ固い感じでありました。

そうそう、こちら法雲寺さんの寺宝の数々は今回も私は拝観できず。
でもそれでも、それを上回る貴重な体験をさせていただくことができ、ただただ感謝しかありません。



No.415 21/05/03 16:31
旅人さん0 

法雲寺さんの寺宝は、以前書いた〖古い木製の納札〗のほかに、〖楊貴妃の鏡〗〖龍の骨〗〖天狗の爪〗などがあるのだそうです。
ことに木製の納札は、御本尊のおられる厨子のそばに安置されているとの説が書かれたネット情報もあり、今回の御開帳で少し注意深く見てみたのですが、それっぽいものは見当たらず。

さらには、〖楊貴妃の鏡〗〖龍の骨〗〖天狗の爪〗に関しては、前回の参拝の折りには見つけることができなかったため、今回かなり注意深く見てみたのですがこれもまた見つけることができませんでした。〖楊貴妃の鏡〗とかの三点の寺宝、ガイドブックにはな、なんと回廊にあると書かれているのですよ、回廊に!

見つけられなかった私は、
(これだけ見てないのだから、さすがに寺宝だし、回廊でないところに移したのだろう。よもや盗まれたとかではないだろうし。
ガイドブックは最近発売された最新版とかではないし。うん、これだけ見て、ないのだから回廊にはないのだ。うんうん)

それでも┉。やはり気になった私、家に帰ってから
「ねえ?このガイドブックには楊貴妃の鏡とかが回廊に飾ってあるって書いてあるんだけど、なかったよねぇ?」と夫にガイドブック片手に聞いてみました。

「えっ?あったけど?見なかったの?」
それに対しての夫の返答は驚きのもの!
う、嘘でしょ?!

私「回廊に?普通に?私、ずいぶん見て歩ったつもりなんだけど、どこにあったの?」
夫「回廊、じゃなくて観音堂の中、なんだけど、回廊からしか見えないんだよ。そうかぁ、見なかったんだ」
┉見てないよ!しかもなんだ?、その謎かけみたいな返答は!?

夫「┉写真撮ってきてないかな? うーん撮ってないや。」

夫「┉ここの、ね。この、観音堂さんの正面の、むかって左側の窓から見えるんだよ。だからね観音堂の中にあるんだけど中にいては見えないとこにあるんだ。そっかぁ、見てなかったんだ」
見てねえよ!ああ、すっかりやさぐれています。

いいんだ、いいんだ!御開帳に御本堂に入って間近で参拝できたんだ。
┉夫も、だけど。
ふんっ!((( ̄へ ̄井)


No.416 21/05/03 19:24
旅人さん0 

>> 415 ここで。

今回も、バタバタとした珍道中を、ただただ稚拙な文章で綴らせていただくこのスレも、四百を超えました。

お読みくださる方がおられるだけでもありがたく思っております。

そんな中、さらにこの駄文のスレにいつも共感をしてくださる方がおられ、おそらくは同じ方かと思っておりますが、本当に本当にありがとうございます。
駄文であります上に、内容も薄く間違いも多く、表現もどこかおかしく文章までも珍道中で、お読みいただきますだけでも申し訳なく、共感をいただくのがもったいないものでありますのに┉。

大変嬉しくはげみとなっております。


珍道中も、生き方も、
焦らず一歩づつ、前へと進めたらと思っております。
どうかよろしければ今後ともおつきあいいただければさいわいです。


お読みいただいてくださった方すべての方に。
本当にありがとうございます。



No.417 21/05/07 01:26
旅人さん0 

このあと向かったのは、猪狩神社さんという、集落の方々の鎮守さま。

前回三月に秩父を訪れ、清雲寺さんを参拝いたしました際に、いただいた荒川地区を紹介する地図のなかに、たいそうおおざっぱではありましたが猪狩神社さんの場所と春祭りの日の案内があったのです。
ちょうどこの日が年一回の春祭りとのこと。
┉ですが、いざ向かおうとこちらをナビに入力したところ、まるでヒットせず、「あきらめるから┉」と申したくらいでありました。
しかし夫は、こんなとき伝家の宝刀、Googleマップで検索し
「大丈夫、行けそうだよ」と!
ありがたや、ありがたや。

ありがた┉や┉。

うーん、かなり道、細そうです。しかもどんどん狭くなっている┉。
と、トンネルが見えました。
┉?、黄色い立て看板が入り口にあります。
〖この先トンネル内すれ違い出来ません〗┉。

ええぇぇえっ!?

そんなぁぁ。

じゃあ対向車が来たら、どちらかがバックするようですかぁ?

いやいや、そもそもがそんなこと書かれなくとも、どこをどう見ても一台がやっとのトンネルですよぉぉ。

あ、でも短いんだ!

じゃんけんで負けたほうがバックする、なんてことはせずにすみそうです。

クルマはそれなりに往来しています。

『ここを曲がるんかな』と、曲がった先は、違ぁぁぁうぅぅ!

どうしても、どうあっても珍道中にしないと先に進めないのでしょうか。

No.418 21/05/07 05:26
旅人さん0 

なんとか間違えて入り込んだ道をUターンして。
再び【猪狩神社】さんへと向かいます。「ここ┉だな。うん、ここだ!」
立派なお蕎麦屋さんの真横の道を入るよう、Google先生は指示されておられます。
「帰りにお蕎麦を食べようか」と、夫。
「うーん、ダメみたい。お休みらしいよ」
「そ、そっかぁ┉」夫はたいそう残念そう。

それにしても。
そのお休みされているお蕎麦屋さんより先は、さらに細い道。
「駐車場、┉あるのかなあ。あったとしても、空いているのかなあ」
うーん。!?、ちょっと待って!
「そこ(みぎて)を入っていったとこの建物の戸に、猪狩神社うんぬん┉って書いてあった!」もしかしたらお庭を臨時駐車場に開放してくださってるとかはないかなぁ。┉心の声は駄々もれしていました。

入っていくと┉。┉、〖猪狩神社大祭のため臨時休業〗だそうです。
(>_<)┉残念。
ここから先、駐車場はあるのだろうか。あったとしても空いていたりはするのだろうか。
夫「だいじょぶじゃね?行ってみよ。なんとかなるよ」
なんとかなる、というか、なんとかせねばならないのは貴方、なんですけど┉?

少し行くと、なぜだか道の端に鳥居があります。
おっ?駐車場┉駐車できるスペースです。ですが。
みんな思い思いに停めているため、きちんと停めさえしていればあと二台
くらい停められそうなのに、でーん、と横向けて停まる軽トラック。
く○ー。
でも、ここから神社さんは見えません。
もう少し行ったら、行ったら、第一駐車場とかあるんじゃないかな。┉ないよな、たぶん。
あ、二の鳥居が見えました。
駐車できるようなスペースは┉このはじっこに無理やり停めるくらいしかないかなあぁ。
かなり無理やり、なんだけど、でもほかの車の妨げにはなりません。踏み外したらはまって大変なことになりそうな深い溝があるだけで。(T^T)
「あれ?奥に置けそうだよ?」と夫。
ええっ!?
さらに奥に行こうとしたとき、このホリの深い道をどうやり過ごすの?
ここでいいじゃない。そも、ここだって区画もないスペースにすぎないんだよ?「私、降りてみてくる!」
脱輪とかしたら、お祭りが台無しになっちゃいます。

No.419 21/05/08 01:07
旅人さん0 

【猪狩神社】さんは、三峰山にほど近い山里、贄川にひっそりと鎮座する村社です。
ナビに出ないこともあり、迷い迷ってたどり着いたときには、すでにお祭りは終わりのよう。
しょぼぉん。
┉いやいや、法雲寺さんの法要に参加させていただけただけでもすごいことでございました。欲張ってはいけません。
┉┉迷わなければ、駐車するのにまごまごしなければ、あるいは┉┉。
未練がましいおばさんの真の心のなかはこんなでしたけれど。


猪狩神社さんは、日本武尊が東征のおり、この地を荒らす猪の群れを退治した故事にちなんで建立されたとのことです。
境内には狼の狛犬さんが鎮座され、狼信仰の神社であることが分かります。神社の裏手には険しい岩山、猪狩山がそびえており、山頂には猪狩神社の奥宮が鎮座しているのだそうです。
えっ?奥宮ですか?
いやいやこちら、猪の群れの伝説の地であり、狼なきあとのお山でございますよ。
せっかくの春祭りの日に、集落とは無関係の二人組のせいで、救助だとか猪狩りだとかにかり出されるようになったら申し訳ないです。(*-ω-)
高くはなさそうですがかなり険しそうなのも、奥宮に向かわなかった理由であります。

さらには地名の「贄川」、人身御供の伝説が伝わっていた可能性があるのだそうで。┉。
ちょっと、二人でお山にのぼるのは怖いかな。

狼犬による害獣駆除を行い人身御供をやめさせたという伝説が、日本武尊の伝説が混交したのかもという説もあるようです。


御祭神は伊邪那岐命さま、伊邪那美命さま、そして日本武尊命さま。
三柱の神さまと、眷属のおいぬさま。


こちらでは年一回の春祭りのこの日、江戸時代より使われている版木を使って一枚一枚手刷りしたおいぬさま=おおかみの護符をお授けになっているのです。
長年使われて、「版木は摩りきれてぼろぼろなんですけど、ずっと伝わっているものなので┉」とは、毎年毎年一人で護符を手刷りされている方。

お祭りは終わってしまっていたものの、その見返り姿のおおかみの護符をお分かちいただくことはできました。
今、私の枕元の壁で、日々御守り下さっています。

No.420 21/05/08 06:06
旅人さん0 

【猪狩神社】さんは、集落のうち十一軒の方々に守られ信仰される神社さん。

そう書いてしまうと、小さな社殿を思い浮かべられる方も多いかと思われますが、規模こそ大きくはありませんが、拝殿、本殿があり、幣殿もある立派なお社で、たいそう見事な彫刻もあります。
社務所もありますし、末社、摂社もある由緒ある神社さんであります。
境内から下の駐車場にいたるまできれいに除草されて、手入れの行き届いた、本当に大切にされている神社さんであります。

向拜には龍の彫り物があり、本殿のむかって左側の外に中国の故事に倣ったという大きな彫刻が奉られています。
本殿横に奉られている彫刻は【韓信股くぐり】という題材のもののようで、夫は感嘆しておりました。

┉私はといえば、おそらく初めて耳にした言葉であります。
おそらくは、なんですけどね。
韓信さんがなに人かもわからないし、何をもって股くぐりなどしているのか、それがどうして故事となり美談となって神社さんに奉られているのか、さっぱり理解できないありさまでございました。
もしかしたら漢文とか国語とか、あるいは世界史なり、道徳とかで習っているのかもしれないのですが、ね。
心に響かなかったのか、右から入って左に抜けたのか、耳にすら入らなかったのか、もし習っていたのだとしたら、┉先生ごめんなさい、さっぱりきれいに記憶から脱落しております。
先生の指の隙間から一番最初にこぼれた砂の粒が私なのかもしれません。学習意欲はあったんですけど、脳みそにだいぶ欠陥があったみたいで┉。
┉みんな知ってる有名な故事なのかなぁ。( ω-、)

閑話休題。

猪狩神社さん、奥宮もあると書かせていただきましたが、秋には奥宮まで詣でてのお祭りがあるようです。(もしかしたら元日祭や、この日の春祭りのあともあるのかもしれませんが。)
神職の方何名かと参列者たちが、列をなして奥宮のある山頂目指して、┉途中休憩を入れるほどの急斜面らしいのですが┉登っていき、赤飯やサンマなどお供えして、その後サンマはここで焼いて食するようです。
( ̄¬ ̄)
ここで、日本武尊がかつて猪を払ったのちあげた雄叫びの故事に倣い、皆で〖ときのこえ〗をあげる神事があるといいます。
┉秋、かあ。
ちなみに風が強い時はサンマは焼かないらしいです。┉うーん、秋、ねえ。


No.421 21/05/09 06:22
旅人さん0 

猪狩神社さんをあとにして、休業しているお蕎麦屋さんをうらめしそうな横目で見て。いま来た道を戻って┉向かったのはコンビニ。

わらじカツ丼で有名なお店は、コロナ禍であることを忘れさせてくれそうなくらいに行列ができていていました。
やはり有名な豚みそ丼のお店もやはり外で待っている方が何名もおられます。
┉秩父コロッケも、みそポテトも、ちちぶ餅すらも、一度として食べたことがないのです。
たしかに、コロナ禍、ですからね、密を避け、会食ではないにしても混雑したお店での飲食を避ければ当然、名物といわれる食べ物にはありつけません。( ω-、)
加えて、特に夫は行列に並ぶのが大嫌いなタチ。

┉もうね、場所まで覚えちゃったくらい、各名物店の前を通っているんですよ。
そして、テレビでも何度も取材され放送されているから、どんなものかすらわかっている。

わらじカツ丼は、わらじを想像させるような色、形というずっしりとくるボリュームの、揚げたてサクサクジューシーなカツが秘伝のタレで味付けされているという、書くだけで今すぐカツが食べたくなるくらいのもので。
豚みそ丼なんて、外まで臭いがただよってくる反則技で。炭火で焼いた豚の味噌漬け!炭火焼き、ですよ炭火焼き。お味噌の香ばしい匂いと炭火で焼いた焦げ目のあるお肉!
しかも、わらじカツ丼にしても豚みそ丼にしても、丼からはみ出すほどのボリュームらしいです。

ああ、わらじカツ丼。豚みそ丼。

みそポテトとちちぶ餅なんて道の駅に売ってるんですよ、ええ、道の駅に。


ああバカだ、バカだ!
よりにもよって食事前にこんなレスを書き出すなんて(*T^T)。
せめて豚の味噌漬けを仕込んで、今夜は豚みそ焼きにすることとしましょう。

コンビニで買ったのは、カレーと焼き鳥とサラダでありました。夫はおにぎり三個。┉そうなんです。夫は行列に並ぶのが大嫌いなだけでなく、食が細いんです。好き嫌いも多いのです。( ノД`)┉ 
コロナ禍でない世のなかとなったとしても、私がこれらのお店で食する可能性は限りなく低いのでありました。


で、というわけでここで私はいったんスレを閉じて、豚肉の味噌漬けを仕込みたいと思います。┐(´~`;)┌やれやれ。

No.422 21/05/10 17:15
旅人さん0 

コンビニのカレーでお腹を満たして、次に向かったのは【瑞岩寺】さん。
瑞岩寺さんは常々夫が詣でたいと申しておりましたお寺さんであります。
こちらは【秩父十三仏霊場】の第八番霊場となっているようです。
十三仏まいりもしたいというのだろうか┉。
そこを聞いたりしないのが、この夫婦。
あの松島の【瑞巌寺】とは一文字異なるようであります。


鎌倉で十三仏まいりという霊場めぐりがあることを知り、鎌倉三十三観音霊場めぐりと並行して札所をまわっておりました私ども。
このコロナ禍で中断したままになっております。

十三仏とは、初七日から三十三回忌まで十三回の追善供養仏事に配当した仏・菩薩の事であります。
十三仏それぞれが奉られたお寺さんを参拝することで、先祖のさらなる追善供養となり、さらには家門の繁栄や福徳円満をお守りくださるというもの。「十三仏まいり」、「とみまいり」ということもあるようです。

秩父十三仏霊場は武甲山・三峰連峰・両神山などの秩父連山に囲まれ、荒川・赤平川・浦山川等の清流をのぞむ自然の風光に恵まれた秩父路に点在する霊場のようで、一巡が約百八kmの巡礼となるようです。


駐車場には車が一台。
秩父十三仏霊場めぐりをなさる方も多いのでしょうか。
ちょうど参拝を終えられたようで、石段のところですれ違いました。
「岩ツツジが見事だったわよ」
┉?。岩ツツジ?
こちらは岩ツツジが多いお寺さんなのでしょうか。
石段をのぼって。
┉岩ツツジ? 
ツツジが咲いてはおりますが、どちらかというとそろそろ終わり、かと。
ま、まあ、お花を見にまいったわけではありませんので、観音霊場同様にお線香をあげ、読経をいたしました。
御朱印をお受けしようと庫裏に向かいます。ソーシャルディスタンスをと考え、朱印帳をお渡しし外で待たせていただいておりましたところ、境内に一台車が乗りつけました。ご住職をお迎えになったようです。
御朱印をお書きくださったのは奥さまでありました。

こちらの御由緒の書かれたパンフレットとかはないようで、十三仏霊場めぐり専用の御朱印帳に少し書かれているだけだとおっしゃられました。 
ほ、ほう。やはり専用の御朱印帳があるようです。
おーい、夫よ、秩父十三仏霊場めぐりもするのですかぁ?
夫に専用の御朱印帳があることを伝えたところ、┉どうやらそういうわけでもないようです。

No.423 21/05/11 06:38
旅人さん0 

秩父十三仏霊場めぐりをしようとしたわけでもない夫は、かといってツツジの名所であったことも知らなかったようで。
うーん。

御朱印帳を受け取りながら、ツツジについてうかがうと
「今年はもうほとんど終わりなんですよ。咲き始めが例年よりもかなり早かったので┉。赤が少し残っているかな。くれぐれもお気をつけておのぼりくださいね」

くれぐれも?気をつけて??

どうやらツツジは境内ではないようです。たしかにそう言われて見ると、先ほどご住職をのせた車が向かった先に、下へ下りる道と、上に向かった道があり、さほど遠くないところに御堂が見えます。
? 気をつけるほど急な道ではないように見えます。
やはり急な坂道でもない参道をのぼると、あったのは不動堂。
ただ、不動堂のすぐ脇は切り立った崖。剥き出しの岩山がネットで被われています。
こ、これは┉気をつけようもないんじゃないかなぁ。しかもツツジのツの字もありません。木自体がないのです。岩山の途中になにやら小さな祠?石碑?がいくつか連なっているかに見える場所がありますが、そこへ向かう道はありません。
昔はそこへ向かう道もあったのでしょうが、今は全く道などない急な岩山の壁面にかろうじて建つようなものであります。
そもそもが岩ばかりで木などはないので、ここがツツジの名所ということはないはずです。
不動堂はかわいらしい狛犬さんに護られていました。


「ねえ?ツツジってどこなんかねぇ?」と夫に聞きますと、
「ここを登っていくってことなんじゃないの?」
ここ? ┉ここぉ?
そこにはちょっとハードなハイキング道が。

えっ?
これは、お寺さんの土地なんだよねぇ?
あの、けものみちとまで言わせていただいた、第二十六番札所の円融寺さんの岩井堂への参道とはまた違った、細くて急なハイキング道にしかみえません。
ここを行くと奥の院とかがあったりするのかなぁ。

よし。行こう!
カレーを食べ、焼き鳥を食べた私はエネルギー満タンです。
おにぎり三個の夫は「えっ?行くの?」
行くぞぉ。

No.424 21/05/11 20:21
旅人さん0 

「ほんとは、さ。ネットで岩ツツジが見事だって知ってたんだ。
岩ツツジが終わっちゃってるとは思わなかったなぁ。
今年は暖かいを通り越して暑かったからな。」
と、残念そうな夫。
ふーん。そうなんだ。
ま、登って行けば少しは咲いているってことだし、行ってみればいいじゃない?
と、軽いのりで登りだしたものの┉。


┉。
な、なんだぁ?この道は。修行の道?
ハイキング? ┉いやいや山道でしょう?
まるで植え木鉢の支柱のような柵、としか言いようがない細い柵を手すりがわりにしてようやく登っていきます。
木々の生い茂る道は昼間だというのにほの暗い。
でも不思議と、この道を歩いていて、野性動物との遭遇は少しも頭に浮かびません。足場が変化に富んでいるため、ただただ、『右足を出したあとは左足』といったように、歩くことしか頭にないのです。
こんな苦労をしてたどり着くのは、さぞ桃源郷のような場所でありましょう。
うんしょ、うんしょ。

お、なにやら明るくなってきました。
と、いうことはそろそろ山頂?
おおっ!
なんて眺めのよい!

秩父の街並みを一望できます。

よいしょ、よいしょ。

え、えっ?えっとぉ┉。
山頂、です。山頂。

山頂ですら足場もあまりよくない急な斜面です。

┉岩ツツジは?
少しは咲いている、という赤い花は?
祠もなにもありません。


ネットで知ったという夫は、ここがこんなやたら悪路であることを知っていた、ということ?



No.425 21/05/12 03:53
旅人さん0 

ツツジはすでに終わり。
奥の院があるでなく。
秩父の街並みを見下ろすなら、車で登れる展望台がある。
┉こうまで悪し様に書いてはもともこもありません。
この山道は、プチ修行と、ちょっとした登山気分の味わえるトレッキングをすることで運動嫌いな私に適度な運動をさせてくれたもの、でありました。

帰宅後、瑞岩寺さんをGoogleさんに尋ねたところ、岩ツツジの満開の頃には、駐車場から見上げると山が薄紅色に染まるようです。
そう、あの修行のお山全体が。
しかも、ちょうどあの「岩ツツジが見事だったわよ」と、話しかけてきたご婦人と会話した辺りに、赤い瑞岩と青のそれがまるで狛犬のように参道を挟んで対となってたっていたのだそうです。
キーっ、どこをどう見ても、少なくとも見事だってツツジは咲いてなかったですけど。
┉ぶっぶー!
せっかく修行の道を登ったというのに、これでは台無しです。

いつまでたっても修行ができていない自分と向き合うための瑞岩寺さん参拝、だったのかなぁ。



Google先生にお聞きして┉。

融興山瑞岩寺は、享禄元年(一五二八年)端山守的を勧請、開山として創立した曹洞宗の寺である。
歴史的には、鉢形城主上杉越後守顯実の家老長尾四郎左衛門昭国が開基となっている。以来、長く栄えていたが、昭和三十三年の火災によって全堂宇灰燼に帰し、現在の本堂は、昭和三十八年に竣工されたものである。
本尊は、十一面観音で、除病、滅罪、求福の菩薩像である。なお、境内仏として岩山の中腹に不動堂があり、毎年四月には、縁日が催され、多くの信者で賑わう。
昭和五十五年三月一日、秩父十三仏霊場巡りが開創され、ここ瑞岩寺は、観音菩薩の寺となっている。
本堂裏の岩山に自生する松林は、樹齢二百五十年を数え、その樹下や岩肌のあちこちに群生するムラサキヤシオツツジ、ヒカゲツツジ、トウゴクミツバツツツジは、桜の終わる四月中旬ごと岩山一面に美しい花を咲かせ、名所となっている。
かつては山すそには長尾四郎左衛門昭国の墓があったが、享保三(一七一八)年の山崩れで土砂に埋もれてしまったと伝えられている。

┉だそうであります。

No.426 21/05/13 20:26
旅人さん0 

さて。
いつも混乱をきわめます私の文章。
今回はあまりに壮大過ぎる内容となるため、自分でも不安なくらいであります。

まずは┉とりあえず、遡るのは昨年十月といたしましょう。
十月。
第十八番札所神門寺さんから始めたこの日の巡礼は、珍道中をしなければいられない┉わけではないのです。
わけではないはずなのですが、なぜか珍道中としてしまう私が、この日はパワー全開で、ナビの画面が拾うところへと寄りたがった日でありました。
神門寺さんのそばにありました、太田呑龍上人宮地分身の御堂に始まり、帰り道には、やはりナビに映った【廣見寺】さんへと寄っていきたいと駄々をこね┉たりまではしなかったけれど、寄ってもらった日でありました。

秩父三十四カ所観音霊場のお寺さんは、この廣見寺さんの末寺であります。ちなみに
札所第一番妙音寺(現 四萬部寺)さん、
第十番大慈寺さん、
第十三番慈眼寺さん、
第十五番蔵福寺(現 少林寺)さん、
第十九番龍石寺さん、
第二十五番久昌寺さん
であります。
秩父観音霊場をまわるたび、おりにふれ出てくる廣見寺さんの名前。
これは是非お参りしなければいけないだろうと、もっともらしくうったえたのでありました。

が。
こちらへと入る道が妙に入りくんでいて、むずかしいのです。
「うーん、ここら辺を目標にしてみるか」
自動車会社さんの土地と入り組んでいるため、違う方向からアタックすることにしたようです。

え、えっとぉ。停めるとこは┉。ここ、停めてもいいのかなぁ。
大きなお寺さんのようなのですが、なんだか車を停めるところがわからないのです。
ですが、すぐそこに御堂は見えています。
ここでいいんだよなぁ。

古い、しっかりとした御堂です。
御堂の前を過ぎると橋がかかっています。

御堂の前に立って。御堂の扁額を見てどきっ。
びっくり┉というより、まさにどきっといたしました。

【妙見大菩薩】とあるではないですか。

No.427 21/05/14 11:49
旅人さん0 

【妙見菩薩】さまとの出会いは、群馬県高崎市の【妙見寺】さんに偶然たどり着いたことが始めでありました。

夫は妙見さまを存じていたようで、しきりと感嘆しております。
「妙見さまをお祀りしているところがあるのは知っていたんだけど┉。
この辺ってよく来てたとこなんだけどなぁ」

ほう。
すかさず私は「妙見さまって?」

境内で聞くのも大変失礼なことかとは思ったのですが、存じ上げもせずおざなりな参拝はしたくなかったので、夫に問うたところ、驚きの発言、だったように記憶しているのですが、「うーん、俺もよくはわからないんだよな」と、かすかな記憶のなか、彼はそう言ったような┉。
そうは言っても、なんだかんだつらつらと語ることに、
「妙見さまって、もとは北斗星・北極星の信仰みたいなんだ。
神さまとしてお祀りされていたり、仏教は妙見大菩薩さまとしてお祀りされていたりなんだよね。武士が守護神としていたり、護り佛としていたりしていたことでも有名な神さま?仏さま?ではあるんだけどね」

ほう。
その日はなにやらお祭りが近いようで忙しそうでありました。ご住職もご不在のようで、詳しいお話をお聞きすることはできず、お参りだけして妙見寺さんをあとにし。その後再拝することなくいまに至っております。


その後息子に連れて行ってもらった長野のお寺さんが偶然にも【妙見寺】さんでありました。やはり妙見さまをお祀りしているお寺さん。
長野は妙見さまをお祀りしているお寺さんが群馬県よりも多かったように記憶しています。


そして。
実は秩父のこの妙見大菩薩さま、前述いたしました群馬県高崎市の秩父寺さんと深い関係があるようなのです。

No.428 21/05/14 21:33
旅人さん0 

少し話を変えますが。


秩父観音霊場巡りをするずっとずっと前から、それこそ二十代にはいって間もない頃から、仕事の同僚から薦められた【秩父夜祭り】に憧れ続けておりました。
でも、秩父夜祭りはあくまでも【秩父神社】の神事であるため、十二月二日が宵祭り、三日が本祭と決まっています。
なんだかんだ二時間はかかる道のりで、しかもお祭りということで混雑もありましょうし、何よりも夜祭りなので夜、なんですよね。
平日では行けないし、子供たちが小さな時分にはそれこそ泊まりを考えなければいけなかったし。
本祭が土曜日となる巡り合わせはなかなかないもので。
ようやくそのチャンスが訪れたとき、三男が誘ってくれたのです。
それはそれはしつこいくらいに、十二月になろうかというと騒ぐ母の憧れの秩父夜祭りに♥
さっすがだぁぁ♥♥♥


そ、それはさておいて。
秩父夜祭りは先述の通り、秩父神社さんの大祭であります。
当時は【神事】としてのお祭りとしてではなく、純粋に┉というとむしろおかしなことなのですが、まあ、いわゆる表面的な、意味など考えていないお祭りとして楽しみにしておりましたし、楽しませていただいたものです。
ですが、ね。
秩父の方々にとってはあくまでも秩父神社さんの大祭、秩父夜祭り、なんですよ。それこそ子供の頃からずうっと身近に、秩父神社さんとともに育ってきているわけで、秩父神社さんの神事でしかないんです。
だからこそ、ユネスコ文化遺産に登録されるに至ったお祭りなんですよ。
単純にお祭りを楽しみにきた外部の者ものみ込むように秩父全体が秩父神社さんを中心にお祭りをしているので┉当然これは位置関係としての中心ではなく。気づくんですよ、自然と。秩父神社さんの神事であると。

それでも、秩父神社さん自体がすごい人出でありますので、やっぱりぼおーっとしている私などはお祀りされておられる神さまがどなたなのかとか、わからないままだったんですけれど、ね。夫は気づくんですよ。
秩父神社さんの女神さまが武甲山の男神さまと年に一度お会いになるお祭りだということに。
そしてその女神さまこそが妙見さまだと。



No.429 21/05/15 05:26
旅人さん0 

【秩父夜祭り】の興奮冷めやらぬ帰りの車中で、夫がなにやら熱く語っているのは気づいたのですが、なにしろ長年の夢であった秩父夜祭りは、想像をはるかに超え素晴らしかったので、夫が何を言っているのかさっぱり耳に入らない。
秩父の方々にとっても、この年まさにわずか二日前に、ユネスコ無形文化遺産に登録されたばかりとあって、いつも以上にお祭りを盛り上げていた┉のかは最初にしてまだ一度しか行っていないので、そこはわからないのでありますが┉。
とにかく素晴らしかった!

それでも単語でポツンと入ってきたのが『妙見さま』でありました。


ただ┉。
あまりに壮大であまりに素晴らしかった秩父夜祭りの余韻にいつまでも浸っていたこのおば(か)さんは、秩父神社さんの神事であるというところに到達するまでにたいそう時間がかかり、なかなか秩父神社さんの神事としての秩父夜祭りを調べようとしなかったのであります。

重い腰をあげ、ようやく開いた秩父神社さんのホームページには、

【八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)】さま、
【知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)】さま、
【天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)】さま、
【秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)】さま

の四柱の神さまが主祭神であると、筆頭に書かれておりました。

ただ┉このおばさん、天之御中主神さまが妙見さまであろうとはまだこの時気づかない!
なぜならば。
このばちあたりなとんちんかんおばさん、ありがたいこの神さま方の長い御名前にたいそう苦手意識がございまして┉まあ、有り体に言えばおバカゆえに覚えられない。
だから、失礼がありそうで神さまのおられる神社さんになかなか参拝できないほどであります。

ちなみに秩父神社さんの名誉のために書きますが、普通の人は一度読めば理解できるようにわかりやすく書いてあるんです。
ただ┉。
このとき、このおばさんは、御祭神をさらに詳しく調べようと八意思兼命さまのページへと飛んでしまい、┉おつむの空きスペースにあわせた量だけ入れることとしているおばさんは、そこでいっぱいとなった容量で、いったん調べを終了したのであります。
再開までの期間の長いこと、長いこと。┐(´д`)┌






No.430 21/05/15 06:00
旅人さん0 

【秩父神社さんのホームページ】には、
〖【秩父神社】のご創建は、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされていて、中世以降。関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる【妙見信仰】と習合し、長く【秩父妙見宮】として隆盛を極めた 〗 とあります。
つまり明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復すまで、秩父妙見宮であったくらいだったということで。


〖「秩父夜祭」の名で知られる秩父神社の例祭は、ご祭神である妙見様にちなんだ祭礼であり、かつては旧暦11月3日に行われていたものが、明治の改暦によって12月3日となり、現在に至っています〗、と書かれています。
ここでようやく、このおば(か)さん、秩父夜祭りが妙見さまのお祭りであったことを知るんです。

さらに続けて、

〖【妙見信仰】とは、古代バビロニアにはじまり、インドと中国を経て、仏教と共に我が国に伝来したものが、平安時代に献灯をもってする北辰祭として都に流行し、時を経て上野(今の群馬県)の国衙に近い【花園妙見寺】から秩父平氏が招来したもので、北辰(北極星)・北斗(七星)を神座とする星辰の信仰として伝えられました。〗
と書かれています。

【上野(こうづけ)の花園妙見寺】!
そう、かつて偶然たどり着いた群馬県高崎市にあります妙見寺さんから、秩父の妙見さまは召致されておられたのです!


その妙見さまが、秩父神社さんではない、お寺さんで、妙見菩薩さまとしてお祀りされておられたのです。そしてまた、私どもは、妙見菩薩さまのもとへ偶然たどり着いたのでありました。



┉えっ?
さして壮大ってほどではない?
いやいや、このおばさんにとって、妙見菩薩さまと群馬県の妙見寺さんと。秩父夜祭りからの秩父神社さんと妙見さま=天之御中神さま。そしてこの妙見大菩薩堂さんとを、ひとつにまとめるなど、これほど壮大なことはないのです。本当に。
壮大ではないけれど、分かりづらかったことだけはたしかですかね。
まあ、それもいつものことでありましたね。(;ω;)



No.431 21/05/18 09:43
旅人さん0 

秩父で偶然たどり着いた妙見菩薩さまの御堂。
御堂のそばに妙見菩薩さまについて記された案内板がありました。

そこには、
〖【妙見菩薩】  北辰妙見菩薩、妙見尊星王ともいわれる。北斗七星の主星である北極星を諸星の最勝として神格化したもので、災厄除去、国土擁護の菩薩とされています。
秩父神社の神札にみられる妙見神は女神。
不動の天帝(北極星)を補佐する亀の背中に乗って出現されます。北斗七星の第七星を「破軍星」とする、武神信仰の象徴たる剣を持っています。〗
と書かれていました。
┉国語の語学力すら危うい私は書くことはもちろん、読解力もいまいちで、剣を持っておられることと亀の背にお乗りになられておられることのみ、理解できたに過ぎないのでありました。
┉妙見さま、ごめんなさい。

お参りさせていただき、御堂の左側にある石の太鼓橋を渡りました。太鼓橋を渡るとすぐに、僧形の石の座像があり、その横には〖馬頭尊〗や〖地蔵菩薩〗と彫られた石碑が建てられていました。
そのさらに先には石のお地蔵さまの立像があり、その横には〖満願観音〗と銘された同じく石の半跏像がお祀りされていました。
薄暗い、あまり使われなさそうな古びた車置き場の裏にあるのでありますが、なんとも優しい、穏やかな気分になれる空間であります。
そこでしばし心癒されておりますと、その場所に隣接する畑と一般のお家の先に、なにやら黒い門が見えます。
┉ん?

あっ、そ、そうだ、そうだった!
私、【廣見寺】さんに来たんだった!

廣見寺さんのことをすっかり忘れていたことを、夫に気づかれないように、足早にその黒い門に向かいます。

黒い門。重厚であります。その黒い門に合うよう濃茶に塗られた透かしの塀がお寺の全容を隠しています。
その門をぬけると。
うわぁ!
立派な門がそびえ立っています。
そして、その門までの距離がけっこうあって、そこには花が。
こ、これは大きなお寺さんでありましょう。
その大きな門は楼門、まさに豪華な建物のような門で、二階建て、のようではありますが、大きな仁王像がおられる一階部分、その上にはガラス越しでよくは見えないのですが、御仏がおられるよう。
その門を覆う屋根がまた大きく立派なため、まるで三階から四階建てくらいにみえる門であります。

No.432 21/05/18 19:07
旅人さん0 

黒い門からその大きな楼門まで、石板が敷き詰められて、立派な参道となっています。その参道脇には季節の花が咲いています。
おそるおそる立派な参道を歩いていくと、立派な、曼陀羅の彫られた石板が埋め込まれています。
そしてそのそばには延命観音遙拝所と書かれたものが立てられていました。
ガラス越しのため光の加減でよくは見えない御仏は、延命観音さまであられるようです。私ども二人しか参拝者がいないのをいいことに、なんとか観音さまを拝することはできないものかと、私が背伸びをしたりと悪あがきしたのは言うまでもありません。
なんとか観音さまの人影ならぬ御仏影が見えたので、それでよしとして、楼門へと向かいます。
曼陀羅の石板から先は白い玉石が敷き詰められて、ところどころに大きな岩があります。枯山水、というほどではないのですが、これがまた、その楼門を引き立てています。

楼門を護られておられる仁王さま。この楼門も仁王さまも新しいもののようで、仁王さまは引き締まった、まるでボディービルダーのようなリアルなお身体とお顔であります。

その仁王さまの裏手にはびっくりするほど立派な御仏がお祀りされておりました。文殊・普賢二尊であります。御本堂の内陣におられて当然であろうというほどきらびやかな、大きな御仏の御像であります。
後に知ることに、やはり、もともとは御本堂の須弥壇上、御本尊の両側に安置されておられたようです。何故?
た、たしかに、御本堂にはなかなか入ることは叶わぬこと。
ですので、こういった形で御仏にお会いできることはまことにありがたいことではあります。ありますが┉。何故?
延命観音さま同様の透明なガラス?越しとはなっているのではありますが、両脇侍であられる文殊・普賢二尊さまを?


なんでも三門が完成した際、多くの方々に親しくご尊顔を拝してお参りしていただこうと、本堂から遷座させたもの、なのだそう。
この両尊、寛政2年に納められたものだそうで、おそらくはその時からずっと御本尊の両脇侍であられたでしょうに。┉。

御住職が変わられ、訪れやすい寺をめざし、それがまた人々の信仰のきっかけとなれば┉という考えのもと、就任以来改革を続けておられるようです。仏教も長い歴史のなか変遷をし、新たな教えとして宗派が生まれてきた宗教でありますし、かようなこともあるのでありましょう。┉。





No.433 21/05/19 14:48
旅人さん0 

御本堂の前には二体の石仏がまるで御本堂を護られておられるかのようにお座りになられておられます。
なんでも、境内の至るところに十三仏がお祀りされているのだといいます。先ほどの文殊・普賢両菩薩さまも、その十三仏の二体のうちなのだということであります。

御灯明とお線香をあげました。┉この日は風が強くて、なかなか御灯明の炎が続きません。
風の強い日はむしろその方が火災等につながる可能性がなくてよいかといつも思うようにしております。
こちらの廣見寺さんはかつて火災で全焼されたり、あの黒い門以外を火事で失われた過去をお持ちなだけに、そばには延焼しやすいものが一切ないくらいに、灯明及び香炉は離れて置かれていました。
御本堂の前に立ち、読経して┉。
振り返ってみると、やはり広い。
そして、みな、新しいお寺さんであります。

御本堂むかって左側にまわりますと、なにやら御堂が見えてきます。
西国・坂東観音堂でありました。
戸を開けると。!
左に西国三十三観音霊場の観音さまがそれぞれ、六段の雛壇に、右側には坂東三十三観音さまが同様にお祀りされていました。
一体一体に奉納された方のお住まいとお名前が記されております。
そして、その中央には、これまた、御本堂の御本尊さまではないかと思うくらい大きく、細部まで細かな細工の施された千手観音さまが鎮座なされておられます。
そのきらびやかなことといったら。
手振るることはありませんが、そうしようと思えば触れるほどの近さで、何の被いもなくお座りになられておられるのであります。
はあぁぁぁ。
鍵など掛かっておらず、誰でも自由に参拝することができるのであります。
さすが、開かれたお寺をめざしておられるだけのことはあります。

そして。
御本堂の左よこには、戸口が設けられていて、中に烏枢沙摩明王さまがお祀りされておられます。しかも!
三段の雛壇、一番上中央に勢いある動きの色彩鮮やかな烏枢沙摩明王さまの像が祀られ、三段目には!
むかぁしむかしの、かなり昔の┉あ、古いわけではなくて、使われていた時期がかなり昔の、という意味の和式便器がお祀りされていて。
それも男性用、女性用と左右に設置され、そこが賽銭箱となっている!┉のであります。
はあぁ。
下の世話にならないようにということでありましょう。┉うーん。
まあ、下の世話になりたくはないですが、ね。はい┉。

No.434 21/05/19 16:05
旅人さん0 

こちらにお祀りされていました〖烏枢沙摩明王〗さまの像は、百歳を過ぎて長寿を全うされた方のご遺族が寄進されたもののようでありました。
ありがたい御寄進にたいして、お寺さんで、より一般の方々が気軽にありがたく参拝できる形を考えてのことだとは思います。
でも、でもですよ?
いくら新品であるとはいえ、便器にお金を入れるというのはいかがなものかと┉。運がつく?
まあ、いかようにもものは考えようなのでありましょうが┉。
素直でないおばさんは、ここでお賽銭をおあげすることにためらいを抱いた、というわけでありました。



もともとはもっともっと広かったという廣見寺さん。
戦争中は東京から百人もの疎開の子供さんをあずかられ、戦争末期には仏像から鐘まで供出されたようであります。
なんでも、大正時代に火災で焼失してしまった本堂や鐘楼をようやく再建した矢先、第二次世界大戦が勃発となったようで、わずか何年かでみな、供出の憂き目にあっているようでした。

さらには戦後、┉全国の大きな寺院がみなそうだったようですが、農地解放という改革で、土地を国に納めることとなったようです。
廣見寺は、その際7町8反を解放したという事ですが、┉私にはその広さがまるでわからないのですが、ね。


今でも広い。

その広い境内には楼門のなかにおられます二体を含めた、十三仏の仏さまがお祀りされていて。┉文殊・普賢菩薩さま以外はみな、石像でありました。

〖妙見山=武甲山の遙拝所〗があり、妙見さまゆかりの亀の石像がそこにあったり。

庫裏の裏手には広い〖遍照苑〗と称される、四国八十八カ所巡礼道が設けられているようです。これはなんでも、かつてこちらの観音講で四国八十八ヶ所巡拝が行なわれ、その満願の記念事業として作られたようです。
遍照苑のなかは、発心門(徳島県)、修行門(高知県)、菩提門(愛知県)、涅槃門(香川県)の四つに分けられ、巡礼道(約800メートル)で結んでいるのだそうで、八十八体の観音さまの石仏があるようです。

ちなみに、遍照苑をまわると受けられるという御朱印があるようです。

夫は行きたかったのかどうなのか。
この日、けっこう距離を歩き、寺院をまわっておりまして┉。このあと帰ってごはんをつくる余力を残したかった私。

遍照苑、また、今度かな。┉ごめんねわがままな妻で。(´。・д人)゙

No.435 21/05/20 10:22
旅人さん0 

この日も運転手は私でスタート。
途中で夫に変わってもらうのですがね。

いつも秩父へと向かうときに、必ず通る道を走って。いつもそこで曲がる事業所の横の道を曲がって、畑の真ん中にある曲がり角を曲がりました。

いつもと違っていたのは┉、気まぐれなおばさんが、ナビに入力した目的地までの道案内を無視して、小さな細い道を曲がったこと。
ナビが示す現在地情報に映し出されるのは諏訪神社さん。
そう、今時の人であります【渋澤栄一】氏が建てたという【血洗島諏訪神社】さんであります。

が。すぐに軽く後悔いたします。

細っ!
狭っ!
これは┉この道は確実に完ぺきに生活道路といわれるものでしょう。
対向車が来たら、ムリ!
ええっ?だ、だって渋澤栄一が地元に戻ると必ず来ていた、獅子舞で有名な神社さんって┉。
うーん、祈ろう。どうか諏訪神社さんまで一台も車がきませんように。


祈りは叶いました。
諏訪神社さんの駐車場まで一台の車ともすれ違うことなく到着いたしました。きっと夫も心のなかで祈っていたにちがいない。とにかくどうにもすれ違えない、そんな道でありました。┉これは私だけではないでしょう、本当に。

たどり着いた諏訪神社さんはきれいに整備された神社さんでありました。
ここまでたどり着くまでの道から、密かに小さな神社さんを想像してしまっていたのですが、境内は広く、拝殿本殿まである立派な神社さんでありました。
扁額の文字は渋澤栄一のもの。渋澤栄一って字も上手だったんだぁ。
大きなご神木がありますが、基本木々や花などはあまりない、シンプルな境内であります。
渋澤栄一が奉納したという拝殿前にある狛犬は金属製で、凛々しいなかにどこか優しさのあるお顔だちで。こういった像にありがちな、人に撫でられ一部が剥げているみたいなこともなく、非常に私好みの狛犬さんでありました。 
そのそばに。その木自体から清浄な気があふれているような、爽やかで優しい雰囲気の木が一本、植えられていたしました。大きなクマンバチがブンブンと羽音をたてていますが、少しも恐くなく、まるでその木が守ってくれている、みたいな気がするくらいです。
その木は橘、でしょうか。
花には詳しくない夫と、花にも詳しくない私。
あとでGoogle先生にたずねてみてはいるのですが┉ほとんど花の終わりの時期となっており┉なんとも┉。たぶん┉。

No.436 21/05/21 06:12
旅人さん0 

血洗島諏訪神社さんの拝殿が渋澤栄一が〖喜寿〗の際の寄進によるものとのこと。
なんでもここ諏訪神社さんから歩いて数分のところに渋澤栄一の生家があるようで、幼少時にはこちらの御祭の際の獅子舞を舞ったといいます。

こちらの拝殿は、神社さんにはよく見られる彫刻などはなく、茶色の大きく重厚な木の戸の、どちらかと言えばお寺さんを思わせるような建物であります。注連縄があり、鈴がかけられているので神社さんであるとを思うくらいに、シンプルな拝殿であります。扁額もありません。
屋根は┉。

┉屋根というか┉少し話は遠回りするのですが。
神社さんにおける特有な建築形態があるようで、夫などはもともとそういったものも好きだったので、よく「見事な○○造りだね」とか「△△造りとは珍しい」とかブツブツ言うのですが、私にはさっぱりわからない。最近は「屋根がこうなって△△がこうなっている、○○神社さんの造りだよ」と言って教えてくれるのでありますが┉わからない、というよりは興味がない。なのでまるで覚えない。もったいないことにございます、はい。
ですが、こちらの拝殿の屋根の立派さに心ひかれて、こちらに書くにあたってこそこそと調べたことによると、┉日吉造り?
私が見ている本の画で一番近いのは日吉造りに思えるのですが、┉もともとの基礎知識がない上に、日吉造りの神社さんは大変少ないとも書いてある!┉他の方の書かれたブログも見てはみたのですが、本殿については○○造り、とか書かれているのですが、拝殿についてはなぜか書かれたものがない?
まあ、迂闊なおばさんが見逃していることは充分すぎるほど考えられるので、どこかに答えがあるのかもしれないのですが。
せっかく調べたのであえていったん書いておきます。
正しい答えがわかったらのちほど訂正いたしましょう。

そして、┉本殿に。
こちらの神社さん、拝殿と本殿が独立しているのであります。 
拝殿と本殿の間には畏れ多くも通路があります。
これこそこの通路の真ん中を通ることはダメであろう。
神さまの通り道というか、神さまのお住まいそのものでありましょう。
どこに立てば罰当たりとならないか、┉恐る恐る参拝いたしました。

No.437 21/05/23 06:10
旅人さん0 

前述いたしました、血洗島諏訪神社さん拝殿の建築様式。私の見解においては日吉造りではなかろうかと述べましたが、やはり不正解でありました。
正しくは入母屋造り、だそうです。
お詫びして訂正いたします。ごめんなさい。
いやぁ、間違いないと思ったんですがね、建築様式とかは奥深いもので┉。
「そんなに難しいものではなくて、屋根の形態のいくつかなんだけど┉」とは夫。
「じゃあ今度覚えようと思うから行く先々で教えてちょうだい」┉いや、もうすでに教えてくれてましたね、申し訳ない。
ちなみに日吉造りというのは入母屋造りが考えられる途上にあると言われているそうで、入母屋造りと似ているそうです。┉覚えられる気がしない。
まあ、神社さんで大切なのは神さまを敬い感謝する心。それすら雑念とお願いごとという私にはなかなか道ははるか遠いもののようで┉。

そして前述いたしましたとおり、こちらの神社さん、拝殿と本殿がそれぞれ独立しておりまして、幣殿と呼ばれる部分はなく、その間をつっきることも可能な、通路、になっております。でもこここそ、神さまのお住まいのなかにあるところで、参道のまんなかは神さまの通路だから歩かないなどという話とはもう次元が違って、すべて神さまのお住まいであります。┉まあ、神社さんの境内すべてが神さまのお住まいでありましょうがね。
とにかく、その空間が畏れ多くて、なかなか近寄れない私。┉なんですけど、ね、こちらの本殿に掲げられているんですよ、渋澤栄一謹書の扁額が。近眼で老眼の私は、遠くからでは見えないんですね、はい。┉恐る恐る近づいて、参拝及び拝見してまいりました次第です、はい。

こちらの本殿がまず先に再建されたようで、本殿は近隣住人と渋澤栄一が折半して建てたということであります。その以前がどうあったかはわからないのでありますが、渋澤栄一の喜寿の祝いまでの間、本殿のみで、本殿に直接お参りする形だったのではないかと、私は推察いたしました。
だからこちらに扁額があって。
拝殿と本殿が独立しているのは、もしかしたら渋澤栄一が、みんなで建てた社殿の前に拝殿を設けることに謙遜してこのような形にしたのかなぁと。だから装飾的一切ないシンプルな形にした?
なにも資料がなく、入母屋造りと日吉造りの違いもわからないおば(か)さんのかってな見解であります、ここは流してお読みください。m(_ _)m


No.438 21/05/24 08:35
旅人さん0 

大正五(1916)年、栄一翁が喜寿を記念して寄進した拝殿の造営からさかのぼること九年前の明治四十九(1907)年に造立された本殿は入母屋造瓦葺妻入りとみられます。
本殿は立派な向拝を備えています。
この本殿の建築様式について詳しく書いておられる方がおられましたので引用させていただきます。


〖入母屋造銅板葺流れ向拝、水引虹梁端部の木鼻は正面獅子、側面貘でともに立体感あふれる仕上がり。
向拝柱上部に端正な斗栱、水引虹梁に鳥を彫り込んだ彫刻、中備えの龍の彫刻はこれも見応えがあります。

海老虹梁と立体感ある手挟。垂木は三軒(みのき)では?。
向拝正面の桟唐戸(閉扉)上段にお諏訪様の梶の葉紋。見上げの社号扁額は栄一翁の揮毫です。
脇障子の彫刻もなかなか見事なものです。〗



うーん、これは┉。
さっぱりわからない。
そもそも読めない字まである。
これを読みながら実際に社殿を見てみれば、なるほど、ここの部分はこう呼ばれるのかと、学びとなるのでありましょうが、悲しいかな、たぶんそのような機会に恵まれても、このおばさんの縮んで固くなった脳ミソは受け入れることは到底無理、でありましょう。
夫に教えを乞いながら、屋根の形態でも学習いたしましょう。


とはいえ、こちらの本殿は、本当に素晴らしいものでありました。
拝殿と同様にシンプルな茶色の建物でありますが、そこに施された彫り物が実に見事でありまして。単色であることもまたその魅力をひきだしています。
本殿の四枚ある扉には、紋なのでしょうか、大きく丸に葉が浮き彫りされています。
本殿の建物の両サイドにある衝立のような板の彫り物は、向かって右側は唐獅子と牡丹、だと、私なりの推察で。
本殿と拝殿との間を通ることに不敬を感じて、左側の彫り物を拝するために、拝殿をぐるっとまわって、本殿の左側にまわったのですが、┉竹?、┉なのかなぁと思われる細い植物を思わせるものでありそうには見えたのですが、┉あとは一輪芍薬のようにも見える花?結局はなんの彫刻であったかはわからないままでありました。
ずいぶんと注視してみたのですけれどね。写真に撮ってアップにしてもみたのですがね。┉まあ、近眼で老眼のおばさんなのでおゆるしください。


No.439 21/05/24 09:31
旅人さん0 

そうそう、話が前後することになりますが、二の鳥居は瓦屋根を配した木造の両部鳥居(というようです)で、見上げ破風屋根の下に、これまた渋澤栄一翁揮毫の社号の扁額が掲げられています。
この屋根付きの鳥居の彫刻がまた見事なものであります。
細かな彫りがほどこされたこの鳥居、大きくはないですが、一の鳥居をつとめるにも充分でもある大きさであります。

境内社もいくつかありますが、広い境内なので、すべて明るくのびのびとお祀りされており、高い木もさほどない境内は本当に居心地のよい、優しいけれどきりっとした気が漂う場所でありました。

ここから数分のところに渋澤栄一の生誕地があるようですが、あくまでも神社仏閣珍道中のふたりは、そこへは立ち寄ることなく、秩父へと向かうのでありました。
ちなみに、旧渋沢邸は「中の家(なかんち)」と呼ばれるようで、主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物だということです。
渋澤栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所になるそうです。
渋澤家の住宅として長きにわたり使われていましたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学んだのだとか。平成12年、同法人解散に伴い深谷市に帰属したとのことで、なんでもこの中の家には渋澤栄一のアンドロイドがいるのだとか。
うーん。アンドロイドは┉こわいかな。








No.440 21/05/24 17:49
旅人さん0 

この日の秩父観音霊場巡りは三十一番札所から。 
お、あと四つか、と思われた方もおられるでしょう。┉が!
実はここからがロングコース。

三十番札所であります【法雲寺】さんから、じつに十八キロ!〖十八キロメートル〗離れているくらいでありまして。
まあ、私どもは今回自宅からではありますが、今回の【観音院】さんは広い秩父において、ポツンと離れた西の方にありまして。
三十二番札所の【法性寺】さんまでも〖十キロメートル〗離れているというのです。まあ、歩きではないのでさほど大騒ぎするものではない、┉と思いたいんですけれど、ね。┉観音院さん、山奥という表現がふさわしいとか、ガイドブックに書いてありまして、加えて、標高差五十三メートル、急勾配の石段だとか、ガイドブックがやたらとおどしてくるんですよ。
さらにはその上奥の院があるとのことで、車で行っても大変そうな┉。
(;`・ω・)
でも、でもですね、こちらへの参拝、実は私、大変楽しみにしておりまして。

┉石仏さまがたくさんおられるようなんです。
摩崖仏さまもおられるようなのです。

だから、こちらについてあまり下調べをしないようにしておりました。
実際にこの目で見て味わいたいではないですか。



No.441 21/05/25 14:27
旅人さん0 

道路を走っていて(運転しておりますのはいつも通り夫、でありますが、ね)、観音院への案内の標識はこと欠きません。そのうち、〖たらちね観音〗、であるとかの文字があらわれ、それは観音院さんのなかにあるものなのか、違うお寺さんがあるものなのかわからない標識となり、そのうち〖地蔵寺〗さんという標識もあらわれて、この道を進むのでよいのか不安になってしまった私。
ただ、道を進むと、たらちね観音さんというのも、地蔵寺さんというのも、観音院さんとは別のものであることがわかります。
道は細いです。そうは言ってもすれ違いは可能な道路であります。
山へと向かう一本道。
すれ違う車も、後続の車もありません。山奥のお寺だという情報を得ていなければ、たいそう不安を抱いたことでしょう。
って、┉夫はなぜナビを使っていなかった?

奥へ奥へ。 
まだ奥へ?と思った頃に【観音院】さんの山門が見えてきました。

駐車場は思いの外、広かったです。バスを停める区画まであります。さすが秩父観音霊場であります。
その駐車場、岩盤の削落、落石などがあることがあるので注意して┉的な注意が書かれた看板があります。
「だろうね、この感じじゃあ」と夫。
なら、もっと山際から離して停めてよぉぉぉ。一台も停まっていない駐車場、どこにでも停められるでしょう?!
「だいじょぶ、だいじょぶ♪」
その根拠はいったいどこからきてるのぉぉ。

山門前に小さな橋があります。
川岸の道路標識に、なにやらあとづけでまたまた注意書が延々と書かれています。〖観音院をお参りの際に、岩盤の削落、落石等での負傷、乗用車の破損、貴重品の盗難などありましても一切責任を終えませんので、
頭上、足元、乗用車、貴重品の管理には十分ご注意下さい。〗
ど、どんだけ~っ?!
夫に無言でその注意書を示したところ、おもしろい!と言って、わざわざその標識にあとづけされた注意書を写真に撮しておりました。
なので、この文面は、一字一句、┉私に書き間違えさえなければ┉そのままの文章であります。

No.442 21/05/25 15:10
旅人さん0 

なにやら【注文の多い料理店】のように、やたらと注意をしているお寺さんのようで。
まあ、橋を渡りましょう。
仁王門のそばには、渋澤栄一の伯父さんの謹書という石碑が建っています。うーん、さすが秩父観音霊場!そして渋澤家。
こちらの仁王尊さまは、〖一本石造り〗なのだそうです。
仁王門にそう書かれています。
〖一本石造り 日本一の仁王尊 明治元年〗とあります。この仁王門を建てるにあたり、大勢の方の寄進があり、そのなかには渋澤栄一の父も寄進されているようです。そんなご縁から、この仁王門に掲げられた額も渋澤家ゆかりの人物が書いておられるとか。

さらに。仁王門の、┉ちょうど六十センチくらい?のところには
〖よくごらん下さい。日本一の石仁王です〗という貼り紙までがあります。
み、見ました。(((((゜゜;) ┉貼り紙を。
言うまでもなく、夫はこの貼り紙の写真も撮ってきております。
┐(´~`;)┌

その門をくぐる前にもまた、注意書の立看板がありまして。
〖平成十三年八月に近くの観光地で岩盤の削落事故がありました。観音院も落石、削石のおそれがありますので┉(以下略)〗
┉了解しました。御丁寧にありがとうございます。
┉これだけ書かれると、なんだか先ほどまでの緊迫した緊張感はどこかへいってしまいました。
まあ、それだけ、山、でありますことはたしかであります。

いやあ、本当に、夫ではないけれど、他には見落とした注意書はないものかと、ちがった楽しみ方になりつつあって、これは仁王さまに戒めていただかなくては!と見上げた仁王さま、三メートルもある石造りの仁王さまで一番目に飛び込んでくるのは、やたらと大きなおへそ、┉だったり。
仁王さま、ほんとのほんとに戒めてくださいな。┉やさしく、でお願いいたします。


気を取り直して。
門をくぐりました。錫杖があり、立てられるようにと、さらに太い金属製の筒がさしてあり、そこに錫杖がさされています。
こ、これは、持ってもいいやつだ。
おばさんの直感がそう言っています。
まあ、持ちたいと。持ち上げてみるとお、重い!
いやいや、重い方がありがたみがあります。
この錫杖、┉もしかしたらここで気持ちを整えるために置かれているのではなかろうか。
珍道中二人組、巡礼モードに戻れました!


No.443 21/05/25 23:28
旅人さん0 

秩父札所の中でもっとも険しい難所であり修験の地だった、峻崖の地に建つ寺と言われる【観音院】さん。
樹木の生い茂る谷間の二百九十六段の長い石段を登ります。
この石段の数は秩父巡礼者は知らぬ者はないほどに有名なものかと思われます。
それは、まずそれなりにきつい石段であること。
そして何よりこの石段の数は、般若心経二百七十六字と、普回向二十字の合計のも数になるよう奉納された方がおられ、故に二百九十六段、ということなのだそうで。
そして、ですね。
そう、あの例の看板がありまして。 
一段づつお経を唱えながら登っていくとご利益があるというのです。
想像していたよりはいくぶんは楽な、きちんとした石段ではあったものの、見上げた瞬間から、般若心経をお唱えしながら登ることはあきらめました。 
そもそも、一段登るごとに「は」・「ん」・「にゃ」・「は」・「ら」・「み」┉とか、絶対ムリです。頭がこんがらがるし、息が続かないでしょ。
でも┉、やっぱり真面目な巡礼者はお唱えしながら登られるのかしら。
途中には巡礼者や吟行会の句碑が数多くあり、石仏さまも多く見られます。
そうは言っても二百九十六段って、そうたいしたことはないんじゃないかと、数字に弱いおばさんは思っていたのですが、やっぱり私はバカだった。
山門から境内まで、距離にして二百三十二メートル、ですが標高差が五十三メートルあるというのが、そこに負荷をかけてくる。
ひいひい言うほどではなかったものの、思わず「ええぇっまだ着かないの?」と言ったくらいではありました。
ともあれ、わざわざその段数に深い意味まで持たせた、登りやすい石段を寄贈してくださった方に感謝、感謝であります。
ちなみにこの方、江戸の時代の本堂の、再建寄進者の筆頭に名前のある方だそうで、境内の椅子に腰かけられた弘法大師さまの像もこの方の寄進されたものなのだとか。
長野の善光寺にも大きな灯篭を寄進されておられる熱心な仏教の信者さんのようです。

泣き言を言い出す頃に、標高約七百メートルの観音山の中腹、標高約四百六十メートルの地に、三方を巨大な岩壁に囲まれた、というよりは抱かれるかのような観音堂が見えてまいります。
 
 

No.444 21/05/26 05:15
旅人さん0 

ふと。
読み返して、やっぱりおバカな私。般若心経二百七十六字と普回向二十字にあやかって、ですので「般(はん)」「若(にゃ)」「波(は)」「羅(ら)」「密(みつ)」┉ですよね。「は」「ん」「にゃ」┉などとお唱えしながら登って行った日には、ただでさえ多い石段が足らない騒ぎになってしまう!
現地では正しく認識していたんですが、いずれにしても、到底正しくお唱えできる自信はかけらもありません。かなりゆっくり登って行ったとしても絶対足がもつれるか、頭がこんがらがって、尊いお経がなんだかわからないものになってしまうことになるにちがいありません。
かくなるうえは、石段の上に一文字づつ書いておけば┉ 踏んだらどうするんだ!って話ですよね、すみません。

ちなみに。
普回向。実は宗派によって文言が異なるようであります。

天台宗と真言宗で唱える回向文は
「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道」

浄土宗・浄土真宗の回向文は
「願似此功德 平等施一切 同發菩提心 往生安樂國」

浄土真宗では下記の回向文もあって
「世尊我一心 歸命盡十方 無碍光如來 願生安樂國」
と、いずれも二十字。

曹洞宗・臨済宗の回向文は前半は真言宗や天台宗と同じですが、そのあとに略三宝(りゃくさんぽう)を唱えるのだとか。まあ、略三宝というものをお唱えしなければ、二十字でありましょう。

ところが、日蓮宗ではさらに多くの回向文があります。他の宗派に比べてとても長く、回向文だけでも読み上げるのに数分かかることがあるのだとか。そして文中で、亡き人の戒名や法要を執り行う家名を読み上げることもあるそうで┉。

ちなみに、この観音院さん、実は明治二十六年より無住のお寺さんとなっておりまして、兼務されておられるご住職のお寺さんの宗派が曹洞宗ということでありますので、曹洞宗の回向文をお唱えすればよいのかな。

まあ、再拝させていただく機会を得ても、お唱えは多分に難しいと思うのですが、ね。あまり先のことだと、登ることも、難しくなりそうですが┉。





No.445 21/05/27 10:11
旅人さん0 

深山路を
かき分け尋ね
行きみれば
鷲の岩谷に ひびく滝つ瀬

これは私が詠んだものなどではもちろんない、観音院さんの御詠歌とよばれる歌であります。全国各地にある(おそらく)すべてのお寺さんにそれぞれにある歌でありますが、これほど共感する御詠歌もなかなかないかと、思う私であります。
私どもなどはここ観音院さんの駐車場まで、車できておりますので、そこからのスタートでありますが、三十番札所から十八キロメートルの道のりを歩いて来られる巡礼の方におかれましては、最低でもその十八キロの距離を、小渓に沿ったのぼりの道を歩いてきて、約三百段の石段を登って来られるのです。
深山路。┉本当に。

石段を登って、登って。標高差のある山道にある石段は、つづら折りになっており、普通に二百九十六段の石段をのぼるのとはだいぶわけが違います。
一歩一歩、一段一段。
登って、登って。
ようやく境内の御堂の一部や、鐘楼の屋根などが見えてまいります。
あともうちょっと。

そうして登っていった石段がふと途切れて、ようやく境内に着いたのだと気づきます。┉まず目に飛び込んでくるのは、そそりたつ山の壁面。
その切り立つような山の壁面にある小さな洞窟にい並ぶ多くの石仏。┉遠いためよくは見えず、おそらく、でしかないのではありますが、いいかえるとそれほどに高いところにあるということで。
その信仰心の深さに、言葉がないほどの衝撃を受けた私でありました。
それはしばらくそこに立ち尽くしたほど、であります。┉決して長い石段を制覇した達成感でもなく、ましてや疲労感などでもなく、ただただ圧倒されて。


┉やや多めの、これでもかというような注意書に少しウケていた気持ちは、そこですこんと、 ┉悪いものが落ちるってこういうことを言うんだなと、あとで思ったくらいに、一瞬で失われました。
本来ならば一歩一歩一段一段登るごとに浄められて来るはずだった二百九十六段の石段を歩いても消えなかった(らしい)私の雑念やら煩悩を、まずはお清めしなくては。┉そうしてようやくお参りができるであろう信仰の場所であります。
まずは手水舎へ。


今はコロナ禍ということで柄杓を撤去されておられる神社仏閣が多いなか、キャンプ用品をマイ柄杓代わりに持つようになった私。
┉これはなかなか便利です。


No.446 21/05/27 15:53
旅人さん0 

手水舎のそばには、大きな大きなほうきょういんとうがあり、その向こうには、目を丸くしてため息が漏れるほど高い絶壁の岩がそびえています。
あとで、あとで。
まずはお参り!

まず鐘を撞くために鐘楼へと向かいました。
そう、ここは鐘を撞いてよいお寺さんでありました。┉そして、ここにも例に漏れず、注意事項の貼り紙が。

〖鐘のつき方  ┉心をこめて静かに撞き、合掌します。けして帰り際には撞かないようにします。〗

はい、⚠けして⚠!であります。

そうなのです。
鐘を撞いてよいお寺さんであることに気づかず、お参りを済ませたあとに気づいた場合は、涙を飲んで撞くことをあきらめます。ちなみに、ここ秩父巡礼では第十七番札所の定林寺さんで、有名な梵鐘を通りすぎて参拝を済ませてしまい、後日その鐘を撞くために再拝をしているくらいでして。

なぜなんだろう。と以前調べたことによると、
鐘を突いて良いタイミングは 「必ず参拝前」というのは、かなり有名なことのようで、せっかく結んでいただいた仏さまとの縁を切ることになるとか、なんともおそろしいことをおっしゃる方もおられます。

もし参拝準備・読経後に鐘を突いてしまった時は、その後でもう一度参拝準備・読経を行えば問題ありません┉という裏技の伝授もありました。

寺院を出る際に突く鐘は "出鐘" と言って、これは葬儀で出棺を行う際に鳴らすもの。なのだそうで、現在で言えば葬儀場から火葬場に出発する際に自動車のクラクションを鳴らすのと同じ意味にあたるのだそうです。
また 「出るかね」かねに掛けて、お金を失うことに繋がるとも言われ、いずれもにしろ、縁起の良い物ではないのだとかいうことでありました。

で、この貼り紙で再びスイッチが入りかけ、鐘を撞くことでその雑念を払うことができた、という次第でありました。


そうして、数々の雑念と戦いながら、ようやく観音堂の前にたどり着いた私。香炉にお線香をたむけ、階段を登っていつものように読経をいたします。

札所巡りのガイドブックによると、本当はどうやらこのタイミングで御詠歌も詠唱するらしいんです。┉らしいんですけど、ね。
以前あるお寺さんで御詠歌の会の方々の詠唱を聞いたことがあるのですが、たいそう独特な節回しでして。到底覚えられません。
というか、御詠歌まで詠唱される方にお会いしたことはありません。

No.447 21/05/27 23:09
旅人さん0 

参拝を済ませ、続いて向かうのは納経所。

御本堂のむかって右隣には大師堂がありました。大師さまをお参りしてふと上を見上げると、!。
そこから本堂を覆うようにある巨大な岩の屋根の、壁面の地層がよく見えるではないですか。
本堂を覆うように┉と書きはしましたが、実際にはその岩の大きな大きな窪みに合わせて御本堂を建てているだけで。よくもまあ、こんなふうに!
昔の人がここを訪れて、どれだけ驚き、ここを崇めるようになったかが手に取るようにわかります。
この岩肌は、およそ二千八百万年前の新生代第三紀に海底に小石や砂が積もってできた砂岩であるとのことで、ここの大きな大きな岩窟はちょうどうねった地層がみられるのであります。
その感動の自然がおりなした模様といったら!!
それをみるだけで拝みたくなりますから。
しかも、御本堂がすっぽりと収まるほどの大きな岩窟です。
自然というのは本当に大きな大きな力であります。

その岩窟のわずかな平らな面にも、石仏さまが祀られていることにも感動して、いつになっても納経所にたどり着かない私であります。
夫はといえば、完璧に別行動で、境内のどこにいるのやら。
秩父巡礼を始めてからはだいぶ一緒に歩くようになったのですがね┉。
┐(゚~゚)┌

大師堂の横には慈母観音さまが祀られていました。この方があの、来る途中見かけた大きな看板にあった、たらちね観音さま?
第四番札所の金昌寺さんの子育て観音さまとは全然違いますが、やはり上半身をお出しになり抱いた子供がお乳で戯れているお姿を舟形の石に彫りおこした石像であります。
その隣には菊の御紋の彫られた石塔がたっていました。

ようやく、納経所に。
引き戸が閉じられており、いつも私はこうした戸を開けるのに少し緊張いたします。
がらがらがら。

作務衣をお召しの男の方がこちらを見ることもなく座られています。
ドキドキドキ。
写経したものをぎこちなくお渡しして、あと少しとなった御朱印帳を差し出しました。
納経所のなかはかなり広くて、こちらを管理されておられます奉賛会の方が何人かは集まれそうです。
さまざまな季節の観音院さんの、モノクロの写真が飾られています。

No.448 21/05/28 04:58
旅人さん0 

御朱印の書き手の方は、まず受け取った写経紙を丁寧に丁寧に大きな封筒に入れ戸棚に納めました。その丁寧な所作に感動いたします。
大半のところでは御本堂のお賽銭箱のそばにあるお盆の上に、前の方の上に重ねて置いておくような形であります。
御仏の御前に捧げ置く。
これはこれで緊張いたします。
たまたまこちらはそういった写経置きが見当たらなかったのでこちらでお渡ししたのですが、こんなに丁寧に扱っていただくと本当に嬉しくなります。
もちろん、他の手渡しますお寺さんでも恭しくお受取りくださり、その足で御本堂の御仏の御前に奉納くださったり、と、みなさん丁寧に丁重に扱ってくださいますよ、念のため。
封筒に納めてまで、なのはこちらくらいだったかと。

「こちらは無住なもので」と、書き手の方が申し訳なさそうにおっしゃいました。
いやいや、無住となられている観音霊場はかなりの数あったよう記憶しております。┉たしかにもったいないとは思わずにいられませんけれど、ね。
それでも、無住となられたのち、地元の方々が熱心におそうじくださり、御朱印の対応をしてくださっておられることには感謝しかありませんです。
雨の日も、風の強い日も、雪の日も、みなさんがお寺にお越しくださって、対応してくださっておられるから、今なお、長い観音霊場の巡礼の歴史は続けられているのであります。

まして、こちらはあの急な二百九十六段の石段を登って、です。

私はこちらの方が語られた、雪の日のご苦労を読ませていただいておりましたので、「いやいや、雨の日も風の日も、雪の日ですらこちらに上がって来てくださって、おそうじをされたり、お堂を開けてくださる方がおられるから、こうして巡礼が続けられるのです。写経したものも丁寧に扱っていただき、感謝しかありませんです」と申し上げました。

雪の日は石段の積雪を手作業で除雪されて参拝者をむかえてくださって。ある年の豪雪の折には参拝者の安全を考えて麓に参拝の場を移されたこともあったとか。
雪の中、石段をいったん登って。観音さまを背負われ御朱印の道具を持って、雪の、あの石段を下られたといいます。
終わられればまた、雪の積もった石段を登って観音さまをお戻しして、また石段を下りたということですよね。

感動と感謝しかありません。


No.449 21/05/28 18:51
旅人さん0 

御朱印をお受けし、次に向かったのは【東奥の院】。

こちらには東西それぞれに奥の院があるのですが、現在西側は崖崩れや落石などで立ち入りが禁止されており、西奥の院には参拝することができません。
┉現在は、と言うものの、平成にはいって立ち入り禁止とされてからすでにだいぶ経つようでありまして。
山深いところの参拝するための道しかないようなところでのことであり、なかなか修復し再開することは難しいのではないのかな。

境内から目に見えるところにある石仏さまが居並ぶのはみな、西側でありまして。
実は境内に滝があるのですが、その滝の上にも以前は鎖を伝って登って行けたのだそうで。そこにも石仏さま四十九体がおられるのだそうです。

く、鎖を伝って登っていく┉かぁ、今も仮にその道を行けたとして、はたして私に行くことができたかなぁ。うーん。(;`・ω・)
で、でも、今でももし行けるならば行きたいとは思うのでありまして。
滑落等の危険度が高そうと判断するような道でなければ、やっぱりそこを目指すと思うのであります。┉見てみて、ですね。


【西奥の院】に向かう参道には、境内から見えている石仏さまがおられるだけでなくて、【胎内くぐり岩】と呼ばれるところがあるようなのです。
なんでも、山の中腹の道を迂回するとトンネル様の穴があるとかで。梯子をのぼり、その穴を通り抜けることを胎内くぐりと言っているのだそうです。

【胎内くぐり】というのは、山岳や、霊地の行場で、狭い洞窟や割れ目を通り抜ける場所に付けられた名称とのこと。
修験者や行者、ないしはそれに率いられた信者たちが、山岳や霊地を他界または胎内にみたて、その中を巡歴して修行することで、それは、いったん死んで生まれ変わる擬死再生の行、なのだそう。
胎内くぐりによって、一切の罪穢を捨て,肉体と魂を浄化し,新たに生まれ変わるという考え方をこうした具体的な行動で示したもののようであります。
この考えの背景には,洞窟が一方では他界への入口とみなされ,他方では霊魂のこもる活力を復活する場として,神聖視されたことが関連しているのだとか。

┉うーん、一切の罪穢を捨て,肉体と魂を浄化し,新たに生まれ変わる、かぁ。
そうできるならばそうしたいところですが┉。


うーん。

No.450 21/05/28 23:00
旅人さん0 

東奥の院は十五分ほどのハイキングコースとなっているとのこと。
はあぁ、十五分ですかぁ?
仁王門から境内まで、┉十五分はかかっていないですよ?
そう、あの二百九十六段の石段登りで!
ここからさらに上でしょう?
どんな過酷な道が待っているのかなぁ(;´Д⊂)


┉。
┉着きました。たぶん五分とかかっていません。
よかった┉というよりは、も、もうですか?
上りだしてすぐ、です。
ま、まあ、過酷な場所でなくて、よかったです。

こちらにも宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
それにしてもこんなところまで、よくこんな大きな、石でできた塔を!立派なお堂を!

道は確実に狭いですし、なによりもやはり急な坂道です。
やはり信仰心というものはどんな困難もやり遂げてしまうようです。
┉お堂の中におられる御仏が、ですね。これがまた大きくて、金色に光り耀いておられる!
ここで製作されたなどということはないので、あの二百九十六段を登って、さらにここまで登って来られたということで。

┉、はあ。なんと言っていいか、言葉もありません。


奥の院での参拝は、あっという間に。
いつまでも感動に浸っていたいけれど、やはり先に進むことといたしましょう。茂みの急な坂道を下りると、松尾芭蕉の句碑が。
これもまた素晴らしい!
そしてどう考えても重いな。

松尾芭蕉さんがこんなところにまで来ていたことにもびっくりいたしました。
この句碑に書かれた歌がまた素晴らしい。



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