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神社仏閣巡り珍道中

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旅人( pu5bob )
22/11/06 23:09(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く、本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間です。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことのない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。

22/05/09 22:30 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。

No.3536620 22/05/08 22:26(スレ作成日時)

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No.15 22/05/14 14:14
旅人 ( pu5bob )

睡蓮の花が咲く季節となりました。
睡蓮を見ると、【芥川龍之介】の【蜘蛛の糸】を思います。


ある日のことでございます。
御釈迦様は極楽の蓮池のふちを一人でぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。
池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、なんとも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。

…。


蓮の花と、睡蓮の花。
実は私、この二つは同じものだと思っておりました。
ところがですね、あるお寺さんの庫裏のすぐそばにある池の縁で、ご住職さまと何気ない会話の中で、
「蓮の花がきれいに咲きましたね」
と申しましたところ、
「これは睡蓮です」
と言われました。

へっ?

家に帰って調べたところ、
蓮の花は『ハス科ハス属』
睡蓮は『スイレン科スイレン属』

まるで異なる植物であったのです。
両方とも水の中に根を張り、水面に葉と花をひろげ、咲く頃も初夏から夏。
その花も歯も極めて似ており、その違いは水面に葉と花を浮かべるように咲くものと、
水面から茎を伸ばしそこから葉をひろげ、花を咲かせるもの。
そういった違いこそあれ、まあどちらも『蓮』なのだろうと、ずっと思い込んでいたのです。

ふーん。

ご住職さまにご指摘されなければ、すーっと蓮も睡蓮も同じものだと思いこんだままであったことでしょう。

えっ?
じゃあ、あの『蜘蛛の糸』で御釈迦様が地獄の様子を覗いておられた池に咲いていたのは〝ハス〟?〝スイレン〟?
スイレンを植えておられるお寺さんもあれば、蓮を植えておられるお寺さんもあります。
『蓮』、なんだろうなぁ。

【蓮華の五徳】、という言葉があるようです。
・淤聹不染の徳
・一茎一花の徳
・花果同時の徳
・一花多果の徳
・中虚外直の徳

この五つの徳が、仏の街を歩むうえで正しい姿とされているのだそう。

イメージは睡蓮だったのだけれどなぁ。
だって結構蓮の背丈って結構高いものですから。その隙間を覗いてご覧になられるのより、水面に咲く睡蓮の方が覗きやすいし。

蜘蛛の糸の美しい文章は、読むだけでそのイメージが湧いてでるくらいのものです。
でもそのイメージする人物の知識が間違っていると、違う映像化がされてしまうということでありました。

でもなぁ。
イメージはもう睡蓮なんだよなぁ。

No.41 22/05/29 15:59
旅人 ( pu5bob )

「明日、善光寺に行こうか」
…ただし、これ、息子が仕事の休憩時間に、夫へと電話をかけて二人で決めた話。
私が聞いた時はすでに夜の八時をまわっていました。

へっ?
あ、明日ぁ?

予定などは特になく、お天気も良いと天気予報士がこぞって太鼓判を捺しています。

…そもそも、がですね、長男と夫は普段ほとんど口をきくことなどなく、ましてや長男から夫への電話など、生まれて初めてだったのではないかと思われるくらい、でして。
ただただ、夫の体調を確認し行けるかどうかを相談しないと、また当日突然中止とかなると、私がまたどんなに落胆するかと思ってくれてのことだったのではないか…と、勝手に思い込んで、そんな長男の思いやりを密かに喜ぶ母でありました。

えっ、それにしても、明日?
平日って言っておいたんだけどなぁ。有給取るのが難しかったかな。
それでもまだ一ヶ月はゆうにあるのだけれど…。
ま、いいか。

夫と長男に引かれて善光寺参り、です。


余談。

牛に引かれて善光寺参りという言葉は、私たちくらいの歳ごろまでの人間は、…特に群馬県と長野県という隣接した県同士であることも関係しているかどうか、誰もが知っているお話であります。
若い人はどうであろう?
ましてや全国的にはどうだろう。
とりあえず、そこから触れていこうと思います。



  (花:カザグルマ)

No.49 22/06/02 16:54
旅人 ( pu5bob )

混んでいるところが嫌いな私ども夫婦とはいえ、並ぶのも好きではない私どもとはいえ、子どもたちのためには、あのディズニーランドに何度か行ったこともあります。







が!

こんなにも混んでいたことなど一度としてなかったですが!?


…どうしよう。

一応善光寺さんには来たには来たのだから、これでもうよしとしようか。
…一瞬本気でそう思ったくらいです。

拝観券を売っているところを探して境内を進んで行くにつれますますその人数は増え、行列は厚さを増します。

ぁ、あのいくらか控えめな列がきっと拝観券売り場に違いない。
足取りも重くノロノロとその列を目指します。

拝観券は何種類かあるようです。
拝観券の必要な全てのところへ入ることのできる券、フリーパスポートのようなものもあるようです。が。
…これを買ったところで、一体何か所拝観できるというのだろうか。

もはやどこを拝観したいとかいう考えすらもかき消されてしまった私です。

全てを拝観したいという強い思いではなく、これを持っていれば、もう一度こういった拝観券売り場の列に並ばずに済むといった極めて消極的な考えからです。

とりあえず、せめて、御開帳されている前立ち御本尊さまにだけはお会いしたい。


1か所として拝観していないというのに、もはや気分はあしたのジョーの最終回のジョーのように、真っ白になってしまっている私でありました。

No.57 22/06/05 02:58
旅人 ( pu5bob )

御本堂の最奥部は【内々陣(ないないじん)】は、僧侶がお経をお唱えする場で、金色の経机・経箱がいくつも並べられており、法華経や阿弥陀経などの経本が収められていらといいます。

そこは絶対秘仏であられます、御本尊【一光三尊阿弥陀如来像】のお祀りされている【瑠璃壇】と呼ばれるところであったり、現在では御開帳されているお前立ちの御本尊さまがお祀りされているところであります。
当然そこまでは入ることなく、その手前にお焼香台が置かれていて、そこでご焼香させていただきます。
正直、これだけの人数の人間が訪れている今であっても、大切なこと、御仏に焼香し手を合わせる場をきちんと残して置いてくださることに私は深く感謝したのでありました。

が。

な、なんと!

法要の際には供養・祈願をされる方のみ特別にそこまで入ることができるようです。
うーん、そうか、そうだったか。

片手では叩けないほど大きな木魚や大鐘見えますが、それらは毎朝のお朝事などの法要の際に用いられており、その音色は堂内に止まらず境内にまで響き渡るものだといいます。


…よし!
お朝事だ!お朝事に参列させていただき、供養・祈願遠申し込むのだ!
そのために宿坊に泊まるのだ!

…これを、煩悩と言わずして、何を煩悩と言うのだろうか。

そ、そうか、その煩悩を取り除いていただきたい旨御祈願申し上げれはいいのだ!

…煩悩の連鎖か止まりません。



さて。
御本堂最奥部の左側に【瑠璃壇(るりだん)】が位置しています。現在この瑠璃壇は戸帳【とちょう】が掛けられ、外から見ることができません。戸帳は鳳凰が描かれたものと、龍が描かれたものの二枚で構成されているようです。
絶対秘仏の御本尊さま【一光三尊阿弥陀如来像】さまは【内厨子(うちずし)】に納められ、安置されています。
ちなみにこの内厨子は徳川五代将軍綱吉光公の母【桂昌院】さまによってご奉納されたものといいます。


そして。今、瑠璃壇の前にはお焼香台は置かれておりません。
と、いいますのも、お前立ち本尊さまがお祀りされている【御開帳】期間だから。
御本尊さまが二か所におられるという不思議な状況を避けるため、御開帳の期間には瑠璃壇はひっそりとお祀りされているのだそうです。

…それはそれで不思議なんだけど。
本来の、本当の御本尊さまに失礼に当たりはしないのか?






No.67 22/06/06 16:15
旅人 ( pu5bob )

ん?

おっ!
壁にあきらかに異質な物を感じました。それでも真っ暗闇なため、ゆっくりとその形状を確かめました。
おおっ。
何やら上下する金具のようです。たぶん、錠前。
やったぁ!

で?
この錠前を触って…どうするんだ?
何か決まり事とかあったっけ?
触るだけでよかった?
うーん。

とりあえず、
(ここまで参ることができました。ありがとうございます)と心の中でお礼を申し上げました。
錠前から手を離し難い気持ちを振り払い、先へと進みます。

あとどのくらい?

錠前を手離し再び壁を伝って歩き出すとまもなく壁はカーブする感じです。当然歩いていく回廊も。

あれっ?
何やら少し明るい?
あれれ階段?
錠前からはまもなく階段。
お戒壇巡りだけに階段から始まって階段で終わりますか。

やっぱり細くて急な階段です。

真っ暗闇の中を歩いて明るいところへ出たのだからさぞかし眩しいものだろうと思いきや、そんなこともなく、目もしっかりと見え、足元もしっかりして歩けます。
さすが阿弥陀如来さまとのご縁が結ばれる回廊、お戒壇だけあるなぁ、などと思いつつ。

ここを上がったところで、御開帳限定の回向柱守を取り扱っておられたのを、お戒壇巡りに入る直前にしかと見ておりましたおばさん。
一目散にそこへと向かい、お授けいただきました。
こちらは他の授与所と異なり、この回向柱守のみを取り扱っているようで、しかも僧侶の方がお授けになられています。
御本堂の中で、僧侶の方から手渡していただく御守は御利益がさらにありそうな…。…はい、これが煩悩、これこそが欲。
あくまでも強欲なおばさんでありました。

お戒壇巡りは一説によると、胎内巡りでもあって、ここを巡ることで新たな、新しい自分に生まれ変われる、…はずなんですが。

それすらも効果がないほどの人物ということでしょうか(;ω;)

No.85 22/06/15 17:52
旅人 ( pu5bob )

お線香あげにお寺さんへ行ってまいりました。
ご住職ご自慢の【沙羅双樹】、『沙羅』の花が咲いていました。


『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
『平家物語』冒頭より』

今から約二千五百年前、お釈迦さまはインドのクシナガラの沙羅の林の中で入滅されました。
その時、枕辺の四本(双樹)の沙羅は時ならぬ花を咲かせ、足辺の四本(双樹)の沙羅は白変して枯れたといわれます。
それなので『沙羅』は、お釈迦さまの入滅を表し、諸行無常を説く仏の花として知られています。
お釈迦さまの入滅を描く【涅槃図】に描かれているのはまさにその沙羅双樹であります。


日本では沙羅のことを【夏椿(ナツツバキ)】といいますが、朝に咲き夕べには散る、たった一日だけの花なのだそうです。
『平家物語』の冒頭でうたわれるように、平安末期、我が世の天下の如く権勢を振るった平家ですらすぐに源氏に取って替わられました。

どんな者にも必ず終焉の時がやって来ることを、釈尊入滅時に時ならぬ花を咲かせ、または白変させて 「諸行無常」を示した沙羅を以て、この世の無常を説き示しています。

たった一日だけ咲く純白の花は、まさにこの世の無常をたとえるのにこれほどふさわしい花はないといえるかもしれません。
淡く、そして薄いその花びらは、胸打たれるほど美しいものでありました。

No.151 22/07/10 07:44
旅人 ( pu5bob )

オオムラサキの舞い立つ石段をしばらく登っていくと、目の前にコンクリート製の…不敬をおそれず書くならば、あの運動会の入場門のような門が現れます。
いやぁ、ほんとに、あの運動会の入場門に何一つ飾りつけのないものそのものにすら見えます。扁額とかもない(あると鳥居っぽくなるからか?)そんなコンクリート製のものです。

そこを抜けると、あぁ、境内に着いたのだと思いました。
ひだりての岩肌に、お地蔵さまを真ん中に向かって右側に着物姿の剃髪された男の方の像、左側にやはり着物姿で羽織を召された上品そうな老女の像が祀られています。

その岩に沿って前に進むと葛折のようになった道を進むようになっており、そこにはズラーっと並んで建物があります。
一番手前にある建物の前に〝御朱印はお参りの前にお預けください〟的なことの書かれたものが貼られています、が、鍵がかけられてそこには呼び鈴もありません。
諦め先に向かう私に夫が声をかけます。
「こっち、こっち!」
…その建物をぐるっと横に回ると、側面に御守や御札、絵馬等の授与品が平台に置かれた授与所になっていました。
そこには呼び鈴がついております。
やはり夫のフォローなくしては本当にただの珍道中でしかない私でありますようで。

御朱印帳をお預けし、先に(再び)進みます。
横にズラーっと並んだ建物のいくつか先に御本堂があります。
ありますが…。
そのゆく道のひだりてにある建物群から見渡すような景観と、くだんの布引観音さまのおられる観音堂が見えるではないですか!

絶景かな、絶景かな!

…などと思っている私を見透かした夫から声がかかります。
「ここが御本堂のようだよ」
…はい。

御本堂の前にはそこから入ることはできぬよう柵がつけられています。
ほのかな灯りにご本尊さまが浮かび出されています。
お参りをして。

今度こそその絶景を堪能しましょう。
石の柵で囲われた下には今歩いてきた参道があります。
見上げながら歩いてきた岩山が見えます。
それを大きな大きな枝垂れ桜の木越しに見る景色といったら…。
この枝垂れ桜が咲いている頃には一体どれだけ素晴らしい景色となるのでしょう。

No.161 22/07/12 11:50
旅人 ( pu5bob )

布引観音堂さんの横に布引岩というのがあるそうです。
おそらくは白く見える岩肌のことを指すのだと思います。

布も岩になりましたか…。


さて、こちらで御朱印をいただきました際、いただきました〝縁起〟が以下となります。

読んでかみ砕くのに時間がかかる私でありました。
白い紙に赤い字で、牛と老婆の姿を交え書かれたものでありました。

 [布引山釈尊寺縁起]

牛に引かれて布引の 山々布引く釈尊寺 御寺を詣る人々は 山の縁起をたづね見よ
  
寺は聖武の御時に 僧の行基が開基より 西行法師も三年へて 晒らす御歌を残しけり
  
それその昔なつかしく 千曲川辺の赤岩や 信心浅き夫婦等が 世にも稀なる言ひ傳ひ
  
或日媼は留守居して 川に布をば晒せしが 一匹の牛現れて 布をば角にかけり行く
  
媼驚き後追いて 北へ走れば善光寺 思はず詣る御仏の 光り仰ぎてひざまづく
  
戻りて仰ぐ布引や 山風時にあれいでて それかと見れば岩上に 晒せし布を吹きつけぬ
  
今布岩の名もそれよ 取るにすべなき岩壁を 見る見る媼は日を過し いつか化石となりにけり
  
翁媼を探しきて 化石となれる悲しみに 岩にまばゆき布見つつ 烟と遂に消へ失せぬ
  
後人それを憐れんで 祠を立ててまつれるか 牛と化せしもありがたや 聖徳太子の観世音
 
霊験日々に新たにて 光りかがやく布引の 山の真清水くむ人は 心すまさぬものぞなき

No.163 22/07/13 09:05
旅人 ( pu5bob )

この【海應院】さんは、夫が事前に調べて行きたいと思っていたところということで向かい…向かうのですが、そう、あの珍道中の隠れた立役者、メーカー純正ナビさんが、またまたとんでもない案内をしてくれたのと、この小諸というところは、古くからの土地柄ということなのでしょう、駐車場がほぼない状態で、海應院さんの周りをぐるぐると走ることになります。
それでも私どもも…夫は、ですね、…夫はナビの癖を学習してその先をさらに読むようにしてはいるのです。
ナビ上に示される地図を見て、正面と思しきところ、駐車場と思しきところ、そこへの道を見て、それでナビに指示を出すようにしているのですが、今回はその正面がどちらにあたるか、駐車場と思しきものはどこかが、一切読めなかったのです。

で。
最悪銀行さんの駐車場に、と思ったところでお寺さんの駐車場を発見したという次第で。
これはナビに分かろうはずがない。

ということでようやく到着した海應院さん。なぜか裏口から入りました。通用門が開けられていたので、もしやここから入るのか?と思って入ってみました。どうやらその通用門、この辺りを散策される方々のために開放してあるようで、御本堂の真横に出る門でありました。

ん!?

うわぁぁ。まず目に入ってきたのは大きな松の木。そしてお寺の境内を横切るように建てられた渡り廊下であります。庫裏と、鐘楼と、それから…檀家会館のような建物になるのでしょうか。雨が降っても傘をささずに移動できる瓦の葺かれた風情あふれる渡り廊下です。
私はその渡り廊下に目がいったのですが、下調べしてあった夫は松を見ていたようです。
私はこの時もう松の方はまるで眼中になかったので、それは後々書くとして。
まずは御本堂前で合掌参拝させていただき、私たちは正式な入り口を目指して歩きだしました。…そう、二度も前を通った細い山道です。
山門の横にこちらの御由緒書きが二種類、立看板となって設置されていました。こちらもきちんと屋根のある例えるなら大きな伝言板のようなものとなっています。

曹洞宗 福聚山無量寺海應禅院というのが正式な名称のようです。
天文五(1536)年の開山のようです。
本寺は群馬県松井田にあります補陀寺だとされています。


No.167 22/07/14 02:31
旅人 ( pu5bob )

かつては酒屋さんを営まれていたという、お花好きのご夫婦のお庭は、元はお店の駐車場であったものも含まれてかなりの広さにもかかわらず、所狭しとお花が置かれています。

「あなた〝レンゲショウマ〟をご存知かしら?」
存じ上げないとお答えすると、
「とても清楚で可憐なお花なの。ぜひ見に来て」

クルマで十五分くらいのところにあるそのご夫婦のお宅です。

さて、どうしよう。

コロナ禍、また大きな第七波が訪れてしまいました。

No.169 22/07/14 06:54
旅人 ( pu5bob )

今日七月十四日は、栃木県日光市の【慈雲寺】さんの法楽の日だと、輪王寺さんでいただいたカレンダーに書かれています。
ほおぅ。

慈雲寺さんは今は無住の、『憾満が淵』にあるお寺さんで、【並び地蔵】別名【化け地蔵】とも呼ばれるお地蔵さまで有名なところです。

うーん。
夫が仕事に出たあとに出発しても間に合うんじゃない?(おいおい、単独かよ!というお声がかかりそうですが。笑)

そこでちょいと輪王寺さんのホームページを確認いたしましたところ、
『毎年お盆中の7月14日にこの慈雲寺にて当地に眠る万霊の回向をしています。
期間:7月14日 午前8時20分 』


…。

今すぐ出れば余裕で間に合うけど、それはちょっと。さすがにご主人さまのお食事のお支度をしないと…。

そうかぁ。
お寺さんの朝は早いよなぁ。…私の朝も早いのだけれど、なぁ。

せめて家から祈ろう。また大きな波がきてしまった新型コロナウイルス感染症の収束を。
若者たちが希望が持てる未来になりますように。
再び人々が、愛しい人と心身を寄り添わせ生きられる世となりますように。


…慈雲寺さんの法楽、〝当地に眠る万霊の回向〟だってば。


No.181 22/07/19 17:45
旅人 ( pu5bob )

まぁ、私、群馬県人ですからね。熊野神社さんからおまいりしました。

しかしあくまでも社殿は一つ、(しつこい!)なので、社殿の前に置かれたお賽銭箱 、それ自体は一つなんですが、群馬県側には熊野神社さんの、長野県県側には熊野皇大神社さんのお賽銭が納められるようになっているんです。

私は真ん中に立って、熊野神社さんの方にお納めしたのですが、夫はきちんと(?)二つの神社さんにお納めしたのだとか。
うーん。

そうして熊野神社さんの社務所に向かうのですが、な、なんと不在。

一方の長野県側の熊野皇大神社さんの社務所には三人ほどの方が詰めておられます。
(ま、先に熊野神社さんの社務所に行ったのは確かだし)と、皇大神社さんの社務所に入りました。
…。
…真新しくて、売店とかをついついイメージしてしまう、そんな雰囲気の社務所兼授与所でありました。いや、それが嫌いとかイヤとかでなく、むしろ胸がときめいてしまう私。
(おーい、こちらはあくまでも長野県側だぞぉ〜)と自分に言い聞かせたのは最初だけ。ええ、暴走の始まりです。

なにしろ。
こちらの御朱印、日本初の御朱印で有名でありまして、テレビでも何度もとりあげられた神社さん。
飛び出す御朱印、とでも申し上げれば伝わりますでしょうか。
ポップアップする、立体的な御朱印を全国初で授与した神社さんなのです。
…まぁ、『普通の』御朱印にこだわり続けていた私。
でも、そんなの関係ない!
ずっと欲しかったんですってば♡

それが…。
なかなか参拝できずにいた間に、な、なんと! ポップアップ御朱印が二種類になってしまっていたのです。
お、おぉ〜っ!
一体千円するのです。(値段ではありませんって?いやいや値段も大事な、大切な、…最重要着眼ポイントですって)
あまり悩むのも縁起が悪いような気がいたしますので、新作(?)のデザイン(?)の方の御朱印を授与していただくことといたしました。

こちら、ねぇ。
御守りも大変多くて。
しかも種類と言いますか、形も、なんですよ。
種類にいたっては、例を挙げれば『ロードスター守』とか。
ええ、あのマツダの名車、あのロードスターに特化した御守りです。
(ロードスター絵馬もありました。)
これは未だかつて見たことのない御守りです。ちなみにロードスターのみ、であります。まさにロードスターに特化しております、はい。

No.186 22/07/20 16:08
旅人 ( pu5bob )

…この、下にある写真のカラス、可愛くないですか?

この子、実は、熊野皇大神社さんの御神籤なんです。

長いこと御神籤というものに縁なく暮らしていたこと、さらにはメンタルが絹ごし豆腐でありますため、御神籤を引くというのも実は一大決心が必要な私。
可愛い♡連れて帰りたい。
でも御神籤かぁ…。
そんな葛藤をしながらこの、八咫烏のたっくさん並んでいる箱を覗いていますと、一体一体、顔の造作が違うことに気づきました。
(どの子が「一緒に連れていって」と言っているだろう)
もはや御神籤とは異なる選び方にはいっています。
(この子だ♡)
手のひらにそっと包むように乗せて会計に…授与所の受付に連れて行きました。

うーん可愛い♡

えっ?け、結果ですか?

…御神籤って、さあひくぞぉ!って意欲満々でひいた時って、必ず結果が良かったりするじゃないですか。
少しでも引く前に躊躇うと、あまり結果がよくなかったりする。…そんなこと、ないですか?

…まぁ、そんな感じの結果です。
家に着いたから結果をみたものだから、ひき直すこともできなくて、ちょっとショボンとしたり。

でもね、可愛いんですよ。
玄関で、何か私の心を読み取って話を聞いてくれそうな、つぶらな瞳で見上げてるお顔が♡

とはいえ御神籤って神社でひいたものは、神さまのお言葉なわけで…。

『玉ちはう かみの めぐみの
 風うけて もえ出にでにけり
 のべの若草』

だそうです。

あとは…落ち込み具合から推測してください。



No.201 22/07/29 06:29
旅人 ( pu5bob )

【不動明王】さまは『現世利益』が得られる仏として知られています。現世利益というのは、生きている間に得られる利益のこと。なんともありがたいことにございます。


どのような利益が得られるかといいますと、その一つが、実に『煩悩退散』!
まさに私を導き救おうとしてくださる御仏、ということになりましょうか。
煩悩は、人の心を悪の道へと誘うもの。その数は百八もあるとされ、仏道の邪魔をします。
不動明王さまに祈願することで、煩悩を断ち切ることができ、悪しき部分を燃き尽くしてくださるということでございます。

また、不動明王の剣『倶利伽羅剣』は、あらゆる邪悪なものを打ち砕くことができることから、『厄除け』に効果があるとされています。

不動明王さまの『明』という文字は、サンスクリット語で〝知識〟や〝学問〟を意味します。勉強や仕事に対する技術を高めたいと願う時に祈願すると、ご利益を得ることができるということです。

自身の身の安全を祈願することで、そのご利益を得ることができます。『身上安全』

仕事で成果を出したい時や、世間で認められたいという時にもご利益があるとされています。

さらに不動明王さまは商売に対してもご利益が多いとされています。『商売繁盛』

不動明王は仏道を修行する者を常に守護し、障害となるものを滅ぼすとされています。『修験者守護』

戦国時代に武将のなかでは、不動明王に祈願し勝利をおさめたという者がいたことから、戦勝のご利益があるとされています。

鎌倉時代に元寇が攻め入ってきた時に、不動明王に外敵を退散してくれるようにと祈願されました。元寇は見事退散し、それからかっこ『国家安泰』のご利益があるとされています。


No.202 22/07/31 03:49
旅人 ( pu5bob )

昨年、一昨年と、コロナのために軒並み祭りが中止となっていました。
国の行動制限や都道府県の警戒度によるものでありました。

祭りは神事であることが多く、また貴重な文化の伝承ともなっています。

昨年の群馬県みどり市の大間々祇園まつりの中止は、私の心に残る痛ましいものでありました。
昨年、縮小開催を予定していた大間々祇園まつりについて、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、開催の判断基準としていた群馬県の警戒度が2日から「3」に引き上げとなることが決まったため、開催二日前の午後、中止が決定されたのでした。一昨年の中止を受けて、なんとか開催したいと思い願っていたわずか二日前なことでした。

もうすでに二日前、準備はすべて整っていました。
街中にはすでに屋台店も居並び、飾りつけどころか祭りの山車まで出ており、あとはその日をその時を待つばかりとなっていました。
仕事の関係でその準備された街並みを通りもしましたし、知人の旦那さんが祭りの重要な役をおおせつかっていたため、いろいろな話も聞いており、ことさら心に残ったものとなったのもありましょう。

祇園祭りですので疫病退散を願う祭りでありますのに皮肉としか言いようがありません。

この祭りを愛する町民たちは、実に、祭りの最終日には来年の祭りについて話し合いを始めているくらいで、それを楽しみに生きているような方も実際多く、男泣きに泣き、町から活気が消えるくらいの哀しみようであったと聞きます。

そんな大間々祇園まつりも、今年はようやく開催されます。
すでにかなり遠くの地点から、開催中の交通規制の案内の看板か建てられています。


皮肉にも世界一の感染拡大状況下とはなってしまいましたが、人々の三年分の祈りが、コロナを沈静させてくれることを願ってやみません。

No.221 22/08/11 06:46
旅人 ( pu5bob )

東北地方では大雨による河川の決壊、冠水・浸水の被害。
そして北海道では深夜の地震。

体温を超える気温。

そんな状況下であってもなお、情け容赦ないコロナ感染症。


災害に被災された方々に心からお見舞い申し上げます。



本日が皆さまにとって少しでもよい一日でありますようにお祈り申し上げます。


No.247 22/08/18 19:25
旅人 ( pu5bob )

私には文字すら読めなかった、
禅語の扁額は、こちらです。

あ、夫も読めなかったです。

子供のときに授業でしか習字を習わなかった二人であります。

No.248 22/08/19 03:16
旅人 ( pu5bob )

ちなみに。

こんな、一生涯忘れられないような立看板が、大田原市のそこここに見られました。
実に雲巌寺さんの駐車場にもありました。
これは通りすがりに目にしても読める、┉けれど自分の読み間違いであったろうと思うレベルではあります。


このインパクト最大級、┉過ぎてもはやこの方の何が危ないのかすらわからない立看板。
┉でも交通安全協会のもの、なんですよ。

決してバンクシーのものではない。

なんのため?
誰が書いた?



じ、実はこれ、雲巌寺第五十八代住職の九十六歳の時の書なのだそうです。



うーん、深すぎる。




No.254 22/08/20 16:30
旅人 ( pu5bob )

このあと、那須神社さんに伺っておりますが。


お知らせを一つ。


栃木県の『足利市立美術館』で、
十月十日(月・祝日)まで、
【あしかがの歴史と文化 再発見!】
という特別展が開かれております。

その展示品の一つに、
もともとは足利市の『菅田山光得寺』さん所有の、
現在は東京国立博物館にございます、
【大日如来坐像】が展示されております。

作風からおそらくは【運慶】作と言われ、かつて東京国立博物館において開かれた特別展【運慶】において、展示されたものであります。


本来は御厨子の中におられる大日如来さまが、御厨子から出た状態で、間近で拝観することができます。

その御厨子も美しいもので、御厨子におられるお姿も必見ではございますが、
この、
御厨子からお出になられた、なかなか拝見することのできない貴重なお姿もお薦めです。

他にも、┉土偶とか、┉歴史的に価値あるものがたくさん展示されていました(何が?と聞かれると、うーん、なんだったろうか?)
そ、そうそう、土器とか、勾玉とか、青銅鏡とか。

小さな、全長4、5センチくらいの銅造の御仏の立像とかもありました。


ちなみに。
この大日如来坐像。
いま話題の『鎌倉殿』、頼朝公の義弟にまつわるものと言われております。
源姓足利氏(、┉っていうそうです)第二代足利義兼公が拝んでいた
『三尺七寸御厨子内、俗号負、金剛界大日并三十七尊形像』にあたると考えられると言われています。(『鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第』より)

ちなみに。
足利義兼公にまつわる悲話がございます。
私はこの珍道中を始めて、初めて知ったものでありますが、義兼公のことも、この悲話のことも、結構有名なお話のようですので、ご存じの方もおられるかもしれません。

とはいえ。
なかなか足利市、もしくは東京国立博物館まで足を運ばれるのが難しい方も多いことかと思います。
この大日如来坐像もネットで検索して簡単に観られることかと思います。

まずは義兼公の悲話をお読みいただき、あらためて『大日如来坐像』の画像(あるいは実物)をご覧いただければ、義兼公の深い哀しみが伝わってくるかと、┉思う、おばさんでありました。

No.265 22/08/22 18:19
旅人 ( pu5bob )

歩く煩悩おばさん、出不精なくせに行きたくても我慢しているところは、┉もしかしたら煩悩の数よりも多いかもしれません。


そう。
たとえば、ここ。

No.289 22/08/29 06:20
旅人 ( pu5bob )


┉なんの花だろう。

そんな風に思う花を見かけるようになりました。
秋の花が咲きだしたようです。

花もよく知りません。
今はスマホのアプリを使って簡単に検索することができますが、走行中の、しかも駐停車不可能な道ですとそれはさすがに使えない。

なんと、秋の七草でした。

葛の花。
それから藤袴。

これで七つ全部覚えられた、┉かなぁ。


  (藤袴)

No.303 22/08/31 13:33
旅人 ( pu5bob )

実は今、BS日テレが桐生市で『神業スタンプラリー』なるものを開催しています。
あまりテレビを観る習慣がなく、ここ近年に至ってはほとんどテレビを観ることなく過ごしているわが家は、BS放送を受信するような工事すらしていないため、本当に偶然知ったのでありますが。

そもそも知ったのが桐生天満宮でありますし、やってみようかと思ったのも鳳仙寺さんがそのスタンプを捺す場所にふくまれていたから。
あくまでも神社仏閣巡りの一環でありました。
┉とはいってもこう見えて私懲り症でありまして。
やるならばコンプリートを!と張り切って、それでも一か月かけてようやく全ての箇所をまわることができました。

そのスタンプラリー、五カ所以上で一回、十カ所以上で二回、十五カ所以上だと三回の抽選ができるということで、コンプリートしておりますので三回抽選ができました。

「うわぁ、赤だ!これ一番いいやつですよ」
と、当たりのときの鐘を鳴らされました。
おおっ!すごいじゃん、私。暑い中頑張った甲斐があったよ。

┉まぁあとはハズレの、シール一枚か、桐生市の写真を葉書にしたもの二枚のどちらかを選ぶというものでありましたが。

当たりは桐生織のぐんまちゃんの図柄の御朱印帳でありました。



┉このぐんまちゃんの御朱印帳を持って、群馬県のPRができるような日が来ることを願って、祈りましょう。

色は何通りかあったのですが、私はこれを選びました。



刺繍や織物の盛んな桐生市の御朱印帳は、一部では有名、┉なんだそうです。初耳でありましたが。

No.311 22/09/02 13:25
旅人 ( pu5bob )

そして。

あちこち見ては立ち止まるおばさんがようやく御本堂の方へと目を向けますと、真っ先に目に入ってくるのは、大きな岩とそのそばにあります池と、池の中におられる観音さま、そして大きな大きなかやの木であります。


その池の中にあります岩の上に小さな舟があり、その舟の中に観音様が座っておられます。
なんともお美しい、そして穏やかなお優しいお顔の観音さまでございます。
一葉観音、と申されるそうです。

曹洞宗の開祖【道元禅師】さまが、中国へ渡海した時に嵐に会い、道元さまが観音教を唱えると一葉に乗った観音様が現れ、海が穏やかになったという話に基づいているといわれます。
この一葉観音さまを初めて拝した時の感動といったら!
もうほかも見ずに、ただただこの池のほとりにずっと佇んでおりました。

家に帰って、┉この感動を絵に残すことはできないかと、懸命に鉛筆を走らせてみましたが。
┉絵の才能も無いことをすっかり忘れておりました。

今、さまざまな画法、さまざまなタッチで御仏の姿をお描きになる方がおられ、いつか私も!と思っていたのではありますが、これほどに画才がないとは┉。

実は息子や娘が鉛筆画を描くことがあり、それがいかにも繊細で、うまくぼかしたり陰影などつけたりしてある、私から見るとなかなかの絵でありまして。

幼少期、決して絵の上手い子たちではなかったので、これはもしや私にも?などとひそかに思っていたのですが、┉そんな甘い物では決して、ええ決して!ありませんでした。

とにかくバタくさい、にへら〜っとほくそ笑む顔をした、観音さまのコスプレをした人を描いたかのような絵でありました。
愕然とし、そのスケッチブックをほとんど家人が触れることのない本と本の間に隠しこんだものです。

とはいえ。
いまだに仏画への夢は潰えてはいませんが、とりあえずは鉛筆を動かしすという初歩から始める必要があります。


あ、また、いつもの脱線であります。


脱線ついでに。
庭のムラサキシキブが、その実を少しずつ紫色に変え出しました。
ネズミの額ほどのわが家の庭にも秋が訪れ出していました。


(ムラサキシキブ)

No.336 22/09/08 09:48
旅人 ( pu5bob )

大きな葉、そして何よりも大きな大きな背丈に、少し不気味な色合いの花を咲かせるこの花の名が、あの『葛』であることを知りました。

葛であることを知った途端、不気味さが私の中から消し飛んでいる現金さ。
川の側の草むらに生えているのをよく見かけるものです。秋の七草でもありました。

この葛、『葛湯』というものの素であるようであり、あの浅草名物【くず餅】の素でもあり、また、【葛根湯】という風邪の初期に飲む漢方薬の元でもあります。 

へぇぇ、良い植物なんだぁ。
初めて意識した時、『不気味』などと思ったことなど棚にあげております現金な私。
秋の七草だし、万葉集にも読まれるほどだし。

何よりもとても有用な植物。

有用なので海外にも移入されました。┉何かイヤな予感がいたします。



そう、定番の話ですが。

アメリカなどでは強い繁殖力がアダとなり『最悪の外来植物』として君臨しているといいます。

はじめはグリーンカーテンとか森林がけ崩れ防止とかで移入したようなのですが、増えすぎて手がつけられなくなってしまったようで┉、
それは「南部を飲み込んだ蔓」の異名がつくほど、であります。

そのヤバさ、なにやら有名なカードゲームでカード化されてるくらいだそうで。

そう聞くとまた私の心中には、うずうずと〝不気味なもの〟という感覚が戻ります。


過ぎたるは及ばざるがごとし、ですかね。

渡良瀬川という川の河原から、かかった橋までに至る道路にまで顔を出している生命力あふれる葛。
何やらその花、フルーティな香りがするようなのですが、やっぱりその不気味さに、近寄ることはできませんでした。


ちなみに私、葛湯というのが苦手であります。苦手なものを知らずに感じていたってことで、┉はないのでしょうがね。



No.352 22/09/13 13:57
旅人 ( pu5bob )

上野総社神社さん、彫り物が本当に細やかで、日暮らしの門ならぬ日暮らしの神社さん、なのです。

木目をしっかり活かした繊細な花、そして草。
やはり木目を活かしそういった柄であるかのような虎。今にも動き出しそうな足先の指、爪、関節。
玉眼が埋めてあるわけではないのに、鋭い眼光。
軒下にまで彫られた彫り物も、決して気を抜かず手を抜かず彫られています。
魚が彫られていれば、どう見ても〝鱗〟でしかないんです。尾びれだってあの薄くて繊細なひれそのもの、なんです。
木目がうまく活かされて魚の模様となっています。
人物にいたっては豊かな表情が彫り起こされています。バランスの取れた今にも動き出しそうな身体。

それは皆、白木のまま。
彩色などは施されていません。

本当に、本当にすごいのです。
大好きな神社さんであります。


緑ゆたかでありながら、青空の広がる明るい境内も大変気持ちが良いのです。
いくつか大変大きな木があります。
樹齢の伝承も五百年を超えるものがいくつもあり、中には樹齢伝承八百年のものも。
この樹齢八百年ともいわれる木にいたっては根が浮いていたり、うろがトンネルとなっており、そのうろの間は人が何人かその中で休めるくらいのものとなっており、そのうろの中の高さも4、5メートルはあろうかというもの。
その木のそばが落ち着くんですよ。

本殿の裏手をひだりに少し歩くとあるのですがね。

そうそう本殿の裏手にはたくさんの道祖神さまがおられます。

稲荷社もあって、そこにお狐さまの小さな像をお授けいただいて、お狐さまに願い事を書いてその稲荷社の隣に納めるのです。

御本殿は拝殿とは異なり彫刻に彩色が施されています。

あー、もう書いているだけでまた参拝に参りたくなります。


そうそう、こちらの花手水は度々ネットや新聞で取り上げられるくらいであります。
花屋さんがお作りになっているそうですが、もう手水鉢が大きな大きなブーケのよう♡
大小いろいろな、種類もいろいろな色とりどりの花が、ため息が出るほど美しく活けられています。

御朱印も充実しており、それもまたネットによくアップされています。


いろいろな世代の人がさまざまな思いを抱いて訪れる、訪れたい、神社さんであります。


 (総社神社さんの花手水)

No.375 22/09/20 08:13
旅人 ( pu5bob )

今現在の血圧72/42。
ここまで低いと手先が痺れて、立つとふらつき、目の前が暗くなります。
年を重ねると血圧って上がるものだと思っていました。


雨も降っていることでお彼岸のお墓参りは今日は無理、だなぁ。

No.385 22/09/25 04:35
旅人 ( pu5bob )

この青蓮寺さんの御開帳は毎年秋のお彼岸のお中日、秋分の日に開催されます。

まるでその時に合わせたように、┉青い蓮┉正確にいうと青い睡蓮が咲くのです。
もともと他の睡蓮の花よりも開花時期が遅い品種なのか、あえてこの時期に咲くように開花時期がずらせるものなのか┉、毎年毎年この日に青蓮寺さんにうかがうときまって咲いているのです。


いつ行っても絶えず何かしらのお花が咲いているお寺さんです。

いつだったかは、ご住職さまとお話ししたときに、
「もう少しするとネジバナがたくさん咲くから、もし時間があったらまた来て、見てごらん」
ご住職さまと奥さま、いつもお寺の境内を見て歩かれては、花以外にもいろいろな手入れをされておられる、そんなお寺さんであります。


正直、時宗さんのお寺というのはあまり多くはなく、時宗のお教え自体はよくはわかっていないのですが、この青蓮寺さんに限っては大変好感がもてるお寺さんであります。


時宗というと、歴史の教科書にきまって載っている一遍上人さまの痩せて疲れはてたように行脚される大変インパクトの強いお姿と、さらっと触れるだけ、という感じで授業で学んだ踊り念仏のことしか頭に浮かびません。
正直なところ、軽い衝撃ですらあった時宗との出会い(いや、それは出会ってもいない、ただの授業だから。笑)、その時自分が時宗のお寺さんを訪ねる日が来ることなどないと思ったものでありました。

実際神社仏閣を巡るようにならなければ、時宗のお寺さんを訪ねることなどなかったでしょうし、正直にいえば、珍道中といえども時宗のお寺さんの敷居は高かったのも事実でした。

この青蓮寺さんがその私の中にできていた壁を見事に壊してくださったのです。
とはいえ時宗のお寺さんを参拝させていただいたのはまだ両手にも満たないほど、なのですがね。

かつては大きな伽藍をかまえていたという岩松青蓮寺さんなどは
無住のお寺さんとなっていましたし。

相変わらず時宗とは何かとかはさっぱりわからないまま、ではありますが、桐生市の青蓮寺さんへはもう何度となく足を運んでいる私、でありました。

No.387 22/09/26 06:46
旅人 ( pu5bob )

この見上げるほどに大きな大きな鳥居、何やら白さが増しているような┉。
それもそのはずです。令和三年の十一月に新しいものに立て替えられておりました。
綺麗に研磨しきることなく、ところどころに枝だった場所なのでしょうか、ぼこっと軽く盛り上がったところが残っていて、素朴な感じがあるものとなっていました。
┉それを今まで知らなかったということは、一年近くこちらへお参りしていなかったということ、結構なショックを受け、お詣りの際にお詫び申し上げました。

その一年前まで建てられていた鳥居を小さく切って、社務所の前に箱に入れられて、セルフでお受けできるようになっていたことで気づいたのですが、┉それを拝受いたしましたことは言うまでもありません。

その前に。
手水舎で身を清めたことは言うまでもありませんが、かつてのように柄杓の置かれてはおりませんでした。

こちらの手水舎は参道の右手にあるのですが、手水舎が池の中に建っているのです。
横から見ると手水舎と池が一体化しているのがよくわかります。
池には大きな鯉が泳いでいて、池をめぐる木々の緑が映ってそれはそれは息をのむほどに美しい手水舎なのであります。

その手水舎から参道を隔てた斜め反対側に社務所があります。

参道からは拝殿のお姿が見えております。
さほどの段数のない石段の先に拝殿のある神域が広がっています。
その神域の下を流れる地下水を集めて、豊かな水を絶えず受けている大きな石の鉢があり、そこからの御神水はいつでも誰でも無料でお受けできるようになっております。
日によっては台車にたくさんの大きなボトルを積んだ方々が列をなしていることもあります。

No.388 22/09/26 17:34
旅人 ( pu5bob )

普段から語彙力もなく、表現力もない私、正直、三夜沢赤城神社さんのことを書くのには抵抗があります。
あまりにも素晴らしい、清らかで、凛とした気が満ちたこちらの空間を、私には表現できる気がしないのです。

それでも、最初に訪れたころの感動はやはりそれなりの表現をしているのではないかと、以前、┉2017年に三夜沢赤城神社さんを訪れた際の珍道中録を紐といてみました。




┉だめだ、やっぱりだめでした。



『それはもう、幻想的な、圧倒される神々しさ。
聖域とはこういうものだと。
言葉を失なう美しさです。

見上げて空から光が射し込む木々の間に間にある、石段の先に拝殿が見えております。
境内全体が、落ちついたまさに聖域。

ありがたいと、一目見て思うほど、溢れて流れ出る御神水。

やはり、私の拙い文章力ではあらわすことは叶わない』とのみ、でありました。

だよなぁ。



こちら、森の中、と言っても過言ではありません。しかしながらやわらかな日が差し、決して鬱蒼とした感じはないのです。
ことに拝殿、そして神楽殿の辺りは、天気の悪い日であっても明るく、まさに神々しく、光が差しているのです。

決して大きな拝殿ではありません。
白木のままの木が、ゆっくりと歳を重ねて、穏やかな木肌をしています。
優しい色合いです。

そして。
拝殿の正面入り口は、ガラス張りになっているのですが、そのガラス越しの拝殿内のやわらかな穏やかな明るさといったら!

全てが優しいのです。
全てが穏やかで、
しかしながら凛とした澄んだ気に満ちた空間なのです。

はあぁぁ┉♡

ここの神社さんの空間は、体ごと、心ごと、全てを優しくくるんで、包んでくださるのです。

No.396 22/09/28 05:58
旅人 ( pu5bob )

延命猿のいわれは何も書かれてはいませんでした。
おそらくはこのお猿さんの手からちょろちょろと流れ出ているお水が延命水と呼ばれていて、その水の周辺を加工したのだと思われるのですが。
特に延命とか長生きとかには興味がないうえ、お猿さんの手が苔むしてるいて、可愛らしいけれど飲む気にはなれないかなぁ。

でもここまでずっとずっと、歩いてくるしかなかった時代においては、ちょうどここ、この辺りで冷たいお水が飲めるというのは、まさに命が伸びたかと思われるくらいありがたく美味しいものであったことは間違いありません。

お猿さんを設置されたのは可愛らしさでは癒しになっておりますが、何しろ手からこぼれ出る水、取水口が低すぎて飲みづらいのではないかなぁ。
柄のとれた柄杓が置いてありますが┉。

さあて、まだまだ先です。
とは言いつつ直線距離は何百メートルらしいのですがね。

途中、大きな岩が出張っていたり、その岩が何かあったら崩落しそうな絶妙なバランスで止まっているところがあったり。
おそらくは岩、もしくは土砂が大量に流れてそう昔ではない頃にできたのでは?、と思われる斜面とかがありますが、何故か恐いとかではなく、それはそれで自然の偉大さと美しさを実感します。

実際、ニ、三年前に崩れて通行止めになっていた場所であろうところなどはまだ完全に修理修復はなされておらず、注意を促すテープがこれでもかというくらいに張り巡らされていました。
小さな橋が二つあるのですが、その橋の一つがまさにその現場と思われる場所。

そうそう、この不動堂に向かうまさにこの道を使って、この辺りに潜伏していたとされる人物がいるのです。

私より上の世代でないとその人物の名すら知らない方が増えているのでしょうが、ね。
地元群馬県でも知らない若者は多くなっていると思います。
そもそも私自身がこの珍道中を始めて、調べて詳しいことを知ったくらい、ですので。

その人物は┉後半に続く。
(ちびまる子ちゃんのアニメのマネ、ですね)

No.402 22/09/29 16:21
旅人 ( pu5bob )

神社仏閣珍道中をくり広げる私、ついついお堂を覗いてみるのがやめられない。

この滝沢不動堂でもやっぱり覗いてみたと告白しておりますが┉今回はお堂の中だけでなく、他にも覗いてみたところがありました。


こちらのお堂、私のようにぼーっと生きている人間は見逃しがちなのですが、すっぽりと、そして違和感なく岩屋の中に建てられているのですよ。
ほんと、真正面に立ったくらいでは私のような人間にはごくごく普通に建っているお堂にしか見えないんです。裏山がある、くらいにしか思えない。

それが、ですね。
お堂の向かって左側に、たくさんの石仏さま、┉観音さまが立っているのが見えたのです。
石仏さま大好きな私、すかさずそこに向かいます。
お堂と壁の隙間にまで、石仏さまが奉納され安置されています。その間の狭いことといったら。
┉うん?

この壁はいつまで続いていくのか?




No.405 22/09/30 14:19
旅人 ( pu5bob )

私より上の世代の方にはたいそう懐かしい、『玉梓が怨霊』さまにお会いしてまいりました ♪

現在群馬県桐生市で行われているBS日テレの『ニッポンの神業』の展示イベントの一環で、玉梓さまにお会いできると聞きつけ、血圧がまたまた結構低いにも関わらず、すっ飛んでまいりました。

彼女の決めゼリフは、
「われこそは玉梓が怨霊」
うーん、好き♡
素敵♡

かつて、NHKが、南総里見八犬伝を辻村ジュサブローさんのお作りになった人形を使って【新八犬伝】という人形劇を放映していたのが、いつのことだったか┉、まだ小学生の頃だったのはたしかなのですが、もうそのストーリーなどさっぱり覚えてもいないのですが、この玉梓が怨霊さまが好きでして。

いや、ほんっと、ストーリーまるっきり覚えてないんですが、彼女が登場すると、きゃー♡と思うくらい、好きだったことだけ覚えているのです。



えっ?
この下におられるお方に間違いありませんが。

ええ、小さい頃から変なやつだったんです、私。

でも、┉少し印象が異なるんです、私の記憶と。
なんかもっと素敵だったような┉。

髪の色が違う気がするのですよね。
すっごい前のお人形だから、髪が傷んで少し直されたのでしょうか。

スタッフさんがおっしゃるに、夕方一人で電気を消しに行くのが怖いのだそうです。
なんでも夕方の照明はまた色が違うとのことで、赤い照明に浮かび上がるお姿がなんとも、何度見ても怖いそうで。

ぜひ一度夕方の玉梓さまにお会いしたいなぁ。

十月十六日までのご滞在だそうです。
あと何回かお会いできるといいのだけれど。


ちなみに『新八犬伝』のメンバーで、玉梓さまだけがお越しになられているほど、スターなんですよ、彼女こそが。


No.408 22/09/30 17:13
旅人 ( pu5bob )

先日、群馬県前橋市の前橋東照宮さんへ、実に久しぶりの参拝をさせていただきました。

私、こちらの東照宮さんが好きでして。
えっ?┉それなのに久しぶりの参拝?

ええ、そうなんです。好きだから、参拝出来ずにいたのです。

何故ならば、こちらの東照宮さん、老朽化を理由に建て替えることとなり。
私はその社殿もまた好きだったのですよ。


ただその理由として、老朽化をしたこの神社の建物を補修修理する方が、建て替えるよりもずっとずっとお金が掛かるということで、宮司さまが悩みに悩んで出された苦渋の選択だったようでありまして。

私、大変真面目でお優しいこちらの宮司さまも好きでありまして、その方の出された結論であればいたしかたないのであろう、┉とも思ったのでありました。

ただ。
その社殿の壊れゆくさまを見るのは絶対に嫌で。
新しくなった社殿も、建物が境内に馴染んでから訪れたいと、ずっと、ずっと、そばを通ってもそちらを見ないで手を合わせるくらいに、参拝を避けていたのです。

神さまには大変失礼なことではありましたが、どうしてもどうしてもそのくらいこだわりがあったのです。


と、言いますのも、提示されたこちらの新しい社殿の完成予想図が大変近代的なものでありまして。


歴史ある社殿に誇りを持っておられる地元の方々も猛反対されたようでありました。
何度も何度も話し合いがもたれ、神社さんからの譲歩案も突き放され、決裂したまま、工事に突入したような経緯だったようです。




┉素敵でしたよ。
たしかに近代的ではありましたが。

ありがたいことに御本殿がそのまま残されて、新しい覆屋に入られた形でありました。


思えば宮司さまにとってこそ、大切な大切な社殿であったはずでした。

前橋東照宮さんの境内には以前と同じ優しいあたたかな気が満ちていました。
新しい社殿から優しい気が流れてきていました。


No.437 22/10/14 16:45
旅人 ( pu5bob )

今読んでいる梓澤要さんの【荒仏師 運慶】。

この珍道中録に書いた、先日栃木県足利市立美術館で拝観してまいりました、あの、今は廃寺となってしまいました【樺崎寺】の【大日如来】さまのことも書かれていました。
こちらの展示、今度の日曜日、十六日までとなっており、今後はまた東京国立博物館へとお戻りになられます。

明日またお会いしに行こうかな。

そしてこの小説には、私が思い描いておりました【足利義兼】公と、ほぼ同じ人物が描かれていて、それがまたなんとも嬉しく思われました。


今、NHKの大河ドラマで大ブレイクしている【鎌倉殿の13人】と時代が被ることもあり、今、鎌倉時代が私の中でのブームとなっております。

また、この小説に描かれた御仏の御像を、手元の本にある写真と合わせて見たり、ネットで検索してそのお寺について調べたり。
豊かな時を過ごしております。


No.450 22/10/20 13:54
旅人 ( pu5bob )

今日は十一面観音さまのお縁日。

そして、今日から秋の土用に入るといいます。
土用は季節と季節の変わり目で、土の神さま土公神(どくしん・どくじん)さまが活動される期間とのこと。年に四回土用の期間があります。
もともと陰陽道でお祀りされる神さまで、春は竈に、夏は門に、秋は井戸に、冬は庭にいらっしゃるとされます。

土用なら丑の日に鰻かぁ、とちょっと前まで思っていた私。
実はこの期間はその土公神さまのお力が活発になられるため、土を動かしたりしてはいけない期間、なのだと遅ればせながらも知りました。

…でもねぇ。
庭に出ればついつい目についた雑草などを抜いてしまって、「ああ、しまった!」などと思って過ごすのが、このうっかり者のおばさんです。


秋の七草の桔梗は花まで虫に喰われてしまい、あと少しで花開きそうな菊を待つばかりの、ネズミの額のようなわが家の庭。
土用に入る前にもう少し片付けておけばよかったかなぁ。



 (日光竜頭の滝の紅葉)

No.460 22/10/23 06:58
旅人 ( pu5bob )

まず畠山重保が由比ガ浜におびき寄せられ、三浦義村の軍勢に討たれます。

三浦一族は族長・三浦義明を死に追いやった重忠への遺恨を忘れておらず、畠山父子の討伐に積極的だったということでありました。

重忠は、北条時政と通じていた稲毛重成(重忠の従兄弟で、時政の娘婿)から「鎌倉で軍の蜂起がある」との偽りの連絡を受け、一族百三十四騎を率いて鎌倉に向かったところ、二俣川(神奈川県横浜市旭区)の付近で北条義時ら幕府軍の大軍と遭遇することとなります。
そこではじめて重忠は、重保が殺害されたこと、謀反人として自分に討伐軍が向けられていることを知ったのであります。

いったん本拠地に戻り、態勢を立て直すという意見も出たといいますが、重忠は「引き返して軍備を整えたら、謀反を認めたことになる」と退け、奮戦の末に壮烈な最期を遂げることとなります。


重忠の率いていた軍勢の少なさが、重忠に謀反の意思などなかったことを物語っています。
が。
しぬどんどんなので。
やだなぁもう。
史実なのですがね。



畠山氏のゆかりの寺【満福寺】さんにも参拝いたしました。
ご住職がご不在で、御本堂前の参拝ではありましたが、奥さまが御位牌の写真を見せてくださいました。
別棟の観音堂には重忠の守り本尊『千手観音』さまが安置されておられるとのことでありました。一年に一度だけ御開帳されるようであります(来年は一月十五日の予定であると奥さまがおっしゃっておられました)。

 

なお、室町幕府の管領職を細川氏・斯波氏とともに歴任した畠山氏は、再婚した重忠夫人の子孫にあたると、夫がなおも語っておりましたが、その辺はもう私のキャパオーバーなので 笑。



(畠山重忠公史跡公園の重忠像)

No.484 22/11/01 06:11
旅人 ( pu5bob )

月を眺めるのが好きです。
月の光に照らされているとなんだか心を浄化してくれているような気がいたします。
心が穏やかになり、それでいて少しワクワクするような高揚感も湧いてきます。

昔から、それこそ世界中の人々が、月を見上げて月を大切なものと思い、あがめて、あるいは憧れておりました。
日本では月にウサギの姿を思い浮かべ、竹取物語では姫は月に帰っていきます。
アポロやソユーズが月面を目指したのも、そんな思いの行き着いた地点、なのかもしれません。

「涅槃図」には上空には満月が描かれています。
自分の生命の終焉を悟っていたお釈迦さまは、自ら満月の日に沙羅双樹の下で眠りにつくことを選んだと言われているともいいます。

私は涅槃会にあたる日の生まれですので、人よりも少し月を恋う気持ちが強いのかもしれません。(とはいえ私の誕生日は新暦なので旧暦のように満月であったかどうか…)


月の誕生は地球の誕生(約46億年前)から少し後のことと言われています。
現在有力な説として、地球創世記以降に衝突した巨大隕石等が宇宙空間に散乱し、地球の周回軌道上で集まった塊が月となり重力が発生。
周回軌道から飛び出そうとする遠心力と、新たに天体となった月の重力と地球の重力が引き合った結果として、約45億五千万年にはほぼ現在の配置となり、地球と着かず離れずの距離で周回している、というものです。

月の重力は地球への影響も強く、潮の満ち引きだけでなく、天候や農業や人体へも影響があります。
新月や満月のときは太陽・地球・月が一直線上に並び、重力バランスの変化が地球にも大きな影響を与えます。
植物は満月の前に芽が出ると順調に育つといわれ、昆虫は満月の日に一斉に羽化するといわれています。
出産が妙に多い日、となることが多いと産婦人科の先生や助産師さんが口を揃えておっしゃいます。

そんな『月』。

月の大きさが違っていたら、
もう少し月が遠くや近くにいたら、
現在の〝ちょうどいいバランス〟は成り立ちません。
地球の軌道も変わってしまい、地表の温度は極端な寒暖を繰り返します。月がないと地球は生命活動が出来る環境ではなくなるのです。

太陽-地球-月という絶妙なバランス。お互いが支え合ってまわっている〝輪〟の中で私たちの生命もまわっています。
たくさんの奇跡を乗り越えて生かせていただきまわっているのです。


No.500 22/11/06 23:09
旅人 ( pu5bob )

【禅】では仏陀の教え(仏法)を、『坐禅』や修行を通して追体験をし、学び、受け継いでいます。
師匠から弟子、禅僧から修行者へ心と心を通して仏法が受け継がれます。その教えを伝える過程でできたの【禅語】というわけです。

『禅語』とは、短い言葉の中で『禅の教え』を説いたものです。
『禅』、特に『臨済宗』では、【禅問答】という、師弟が禅の理解度を問うやり取りがあります。

禅宗では修行者に対して、優れた禅僧などの先人と同じことを体験させ、その悟りのきっかけと同じ心境を体感させようとします。この禅の悟りを確認するためのものが『禅問答』であり、この禅の悟りとなるきっかけである問題は『公案』と呼ばれているものなのだそうです。

『禅語』は、この公案から引用された言葉をはじめ、禅僧の言葉やエピソードなどを表したもので、禅の世界が凝縮されているもの、といえるようです。

つまり禅語とは、禅宗の教えを伝える言葉で、禅の教義や禅問答の公案、禅僧の残した著述から引用されています。

禅宗の歴史として、

・紀元前 釈迦がインドで悟って仏陀となり、法を説く。

・5世紀ごろ 釈迦から数えて28代目の弟子・菩提達磨が中国に渡り、禅を伝える。

・7世紀ごろ 中国が北宗と南宗に分かれる。禅宗は中国全土に広まり、大流行する。

・13世紀ごろ(鎌倉時代) 南宋に渡った栄西が帰国して臨済禅(臨済宗)、道元も中国に渡って帰国し曹洞禅(曹洞宗)を伝える。

以降、各地に禅寺が建立され、武士から庶民まで、禅宗は広く日本全国に広まり、日本文化や芸術の分野にまで染み込んでいきます。
江戸時代ごろに臨済宗から黄檗宗が独立します。

…。



…というわけで、このスレもこの回をもって五百を迎えました。
このような駄文をお読みくださっておられる方、本当に本当にありがとうございます。

ボケ防止、ならば良いのですが、すでにボケは生まれつきで、ですのでボケ進行予防のため、私のさまざまな珍道中は続きます。

エッセイというのも烏滸がましい、ただの駄文でありますが、よろしければまたお付き合いいただければ大変嬉しいです。



 (秩父八番西善寺さん)

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