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神社仏閣巡り珍道中・改
[神社仏閣珍道中] 御朱印帳を胸に抱きしめ
人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。
ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!
┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。
そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。
神様、仏様、どうかお導きください。
21/07/02 14:43 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。
21/07/02 15:02 追記
そんな方のためにも、もう少し上手く書けないものかとあれこれ考えたりもしたのですが、なかなかそれはそれで難しく。
結局自分らしく、ありのままに書くのでいいのだと、なかば開き直りにも近い境地に至って、飾らない、思ったまま書くスタイルをつらぬいております。
今後も今まで通りの誤字脱字、おかしな文章表現かと存じますが、おつきあいいただければありがたいと思っております。┉ずうずうしくてすみません。
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…以前、御守をお受けしたのちに神前に参るのが良い、と読んだことがありまして。
…もう一度拝殿に向かい、この御守にて御守りいただきたい者をお伝えして、御神木のパワーをお受けしてまいりました。
少しでも子どもたちにこちらのパワーが届きますように。
そんな御守をお受けした後の我流の儀式を終えてのち、向かったのはお仮屋神社さん。境内社であります。三峰神社さんの御眷属であるオオカミさまをおまつりする神社さんであります。
向かう途中には売店あり喫茶店あり、三峰神社さんの宿坊…というとお寺さんの表現になってしまうのかな…宿泊施設があります。
元は神仏混淆のお山でありました三峰さんですからそれはそれで良いのかもしれませんが、ね。ただ、少しびっくりしたのはその宿泊施設にある〝三峰神の湯〟という温泉に、日帰り入浴もできること。
たしかに、かつてここ千メートルを超えるお山に登って来た方はみんな徒歩でしかなくて、今とは全く状況が違うし、身体を休めて清らかな神の湯に浸かって身も清めて下山するのは大変ありがたい施設であったことでしょう。
なんでも湯に一瞬手を浸しただけで肌がスベスベになるほどの質の良いお湯のようです。
そ、そうかぁ。身を清めるって意味では全身を清められるものだなあと思い、一瞬心が動いたものの、残念なことにコロナ禍。日帰り入浴は中止されておりました。
そんな建物のかげになるところに、『鐘楼』があったのだそうで。
帰りに立ち寄った秩父鉄道の『三峰口駅』で入手した三峰神社さんの案内書=パンフレットに書いてありました。
キィー。ここに寄らない者にも手に入る場所にも配置してください(TT)。
ちなみにこのパンフレットにある〝三峰神社案内絵図〟、スマホから見ることができるので、実際夫はそれを見ながら歩いていたのですが、いかんせん小さなスマホ画面は初老の身には見づら過ぎる!
是非ご一考をよろしくお願いいたします。
三峰神社さんのTwitterやFacebook等に今週、三峰神社さん境内での献血が行なわれる旨が書かれていました。
献血…ですか…。
歩きで来られた方にはちょっと難しいかな。
あ、これは完全予約制なようで、たまたま当日参拝なさった方が参加できるものではないようです。
なにやら献血に参加すると、特別な特製の御守がお受けできるよう書かれています。
うーむ…無理だなぁ
…また寄り道をしてしまいました。
実際にはきちんとお仮屋神社さんへと向かって歩いていましたのでご安心ください。…ほんとかな。
歩いてまいりますとほどなく小さな屋根が見えてまいります。
『えんむすびの木』と呼ばれる木の根元に建てられた、例えるなら屋根のあるバス停を想像していただければ、それなりに近いものに…なるかなぁ。
なんでもここで、縁を結びたい方の名前を書いて収める所、なようです。
ふーん縁結びかぁ。
そんな真剣な願いごととはすっかり縁遠くなった自分を少し寂しく思いながら、そこを通り過ぎました。
歩いて10分、そう書かれていたよりは早くに到着するお仮屋神社さんへと向かう参道は、結構急で所々足元に注意が必要なものでありました。
そしてほどなく到着したお仮屋神社さん。
パァァ〜♡、思わず破顔するような石造りがあるではないですか。
本来、狛犬、狛オオカミさまがお立ちになるところに、それはそれは可愛らしい狼たちが岩のまわりで思い思いに過ごしている…そんな石造のものが一対、建っているのです。
向かって右側には三頭の、左には二頭の狼が彫られています。
撫でたくなるような、ともすれば抱きつきたくなるような思いを必死に抑えて、こちらのお宮をいつも守ってくれていることに感謝して。この子たちは神さまを護る、御社を護る狛さんたちですからね、撫でるなどは不敬です。…よね。
おのれの心の葛藤を鎮め、あらためて神さまの御前に参拝いたしました。狛さんたちが護る空間そのままの大変居心地の良い神社さんでありました。
しばらくまた狛さんたちの周りにまとわりついていたものの、こちらの社殿のある土地は広くはないので、次の参拝の方がお見えになったので、その方に場を譲るべく身を寄せていると、?
お仮屋神社さんの真ん前にまっすぐにつながる階段があるではないですか!
ぷっ、さすが珍道中コンビです。
でもお仮屋神社さんに到達した時、右側狛さんたちの真横に出て、きっと来た道からの方が感動が大きかったはずです。これは神さまの粋な計らい、お導きでしょう。
ま、夫はブツブツ申しておりましたけどね。
こちらお仮屋神社さんへの参道は紅葉が真っ盛りでありました。
赤さや黄色がちょうど深まったばかりで、枯れ始めたもののない、本当に美しい時期でありました。
ありがたいことです。
その後向かったのは、結構急な登り坂でしかもヘヤピンカーブまである高台にある…広場?
…日本武尊の大きな銅像が、まるで遠くに連なる山や麓の町を見渡しているように建つ広場でありました。
ちなみに石碑が日本武尊蔵像から離れた所にいくつもありました。
どうやら歌碑のようです。
その歌碑を一つとして見ることなく早々に下へと向かった二人。
…実はかなりな空腹でありました。
それでも次に向かったのは、遥拝所。三峰神社の奥宮のある山(妙法ヶ岳)を拝するところであります。
そうです。あの、三叉路となっていてどこから巡るか悩んだ、もう一つの鳥居のところであります。
先ほどの広場に向かう登りは苦でしかなかったのに、こちらは最初の一段登るのにもうワクワクしている私がいました。
一段一段と登るごとに明るくなってまいります。
ひらいた。。。
明るいところ、清らかな場所に、来させていただけました。
気がただただ澄んでおります。
なんぴとが訪れようと、何人人が訪れようと穢されない、決して穢されることのないひたすらに澄んだ気。
そして。
なんという景観でしょう。
三峰が連なるさまの美しさ、素晴らしさと言ったら!
そしてこの三峰神社のあるところがどれだけ高いかを実感するところでもあります。
そういえば、ここではよく雲海が見られるようです。
この地に立って雲海を目にしたら、この世とも思えない気持ちになるのではないかと…。
とにかくずっとここにいたいと思うくらいに、清らかで心地よい空間であります。
でも、そうはいきません。
入れ替わり立ち替わり人が訪れています。
うーん、名残惜しいが降りることとしようか。
そう思って石段に向かうと。
鳥居の横、かなり高いところに狛オオカミさんがおられるではないですか!通常、石段を登って来たらその鳥居の石段側に向いて立つものが遥拝所にお顔を向けて立っています。
たしかに、狛オオカミさんが守るまでもない地、なのかもしれません。
奥宮のある妙法ヶ岳に向け建つ、壁のない遥拝殿に向かって立つでもなく、ただただ鳥居の横の上に立っています。
お顔の向いた方向から、向かって右側の狛オオカミさんは高い位置にあることと、木の影となっているためそのお顔がよくは見えません。
でもそのお姿は可愛らしいこと間違いない!
…またしばしの足止めとなる私でありました。
参道にありました一軒のお店でようやく昼食にありついたのは、十四時近い時刻となっておりました。
お客さんのはけ出したお店のテラス席のあるお店で、とりあえずコロナ対策をできうる限り努力して。で。
なんとこのテラスから、鹿が二頭餌を食むさまが見えるではないですか!
うーん、なんと贅沢なランチでありましょう。…とはいえ、食べたメニューは秩父名物〝わらじカツ〟定食なんですけどね。
一方夫はとろろうどんと味噌おでん。…?あんなにお腹が空いた騒ぎをしていたというのに?
な、なんと、私のわらじカツの上前をはねようとしていたと言うのです。はあぁぁ?
なんでもどんぶりからはみ出すほどの大きなわらじカツが運ばれて行くのを見て、これはどうせ食べきれないであろうと勝手に思っていたそう。
そう言われては助手席の荷物でしかない私としてはわらじカツを分けないわけにはいきません。
シェアして欲しければ、頼む前に申告して欲しいものです。(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)
「このあとどうする?できたら奥宮の鳥居くらいまで行ってみたいと思うんだけど…」
とか言いつつ、車に向かって歩く夫。…今来た道を戻っていただく身としては全ておまかせいたします。が、奥宮はもう山じまいを済ませています。
「どこまで行けるんだかわからないしね」とのこと。
仰せのままに。
その後向かったのは、橋立堂。
仰せのままにとか言いつつ、二十八番札所の【橋立堂】に参拝した際、鍾乳洞内の橋が落ちてしまったとのことで入洞できなかったものが今はもう直って入れるようになっているようだよと、何の気無しに私が話したものだから。
こちらの鍾乳洞への入洞は〝胎内潜り〟や〝穴禅定〟といわれる宗教体験なのだそうで、橋立堂への参拝のとき、絶対その奥の院とも言われる鍾乳洞には絶対入洞したいと勇んで行ったものだから、ダメだとわかって大変気落ちしたものでありました。
…まぁ、そんな経緯があった橋立堂の鍾乳洞の、橋が直ったようだよと言われれば、向かいたくもなるものであったでしょう。
誘導したようなものでしたよね。
ほんと、何の気無しに語っただけだったんですがね。
なんだかんだでアップダウンのある三峰さんのあとに【橋立堂】は結構ハードかもしれません。
私のような助手席の荷物のようなヤツはとにかく、スリリングな道を運転して、さらにはあちこち登っておりての三峰神社さんの境内を歩いております夫には。
実は夫、百八十センチ超える身長で、さらには膝だの腰だのに持病を抱えておりまして。
ずっと中腰、しかも首を屈めて歩く鍾乳洞内はまさに修行!
狭い狭い迷路のような鍾乳洞内、思わずヒエェ、グエェと奇声をあげそうなほど狭いところもあります。
全体の三分のニが竪穴なのです。
全長約百三十メートル、高低差三十三メートルという堂内だそうです。
急な梯子に近い階段を登って…この鉄製の錆びた梯子の安全性は大丈夫なのか?というスリリングさも加わりなかなかの冒険気分。
…なにしろ今年、橋が落ちてますからね。洒落にもならない。
しかも急階段を上がった先の出口がまた狭い狭い。
途中、〝弘法大師の後姿〟と名付けられた鍾乳石やら、石筍などがありました。
言われてみればたしかに修行。
いやいやいやいや…。
疲れたあぁぁ。
あとどのくらいあるんだ?
と、思うころ、突然日の光が差し込んできます。
秩父観音霊場二十八番札所の【橋立堂】さんは高さ六十五メートルの切り立った岩山を背にして建っています。正面から見てもその迫力はなかなかのものであったのですが、奥の院である橋立鍾乳洞から出て、横からその姿を見たときこそがその全体像が見え、あらためてその切り立つ岩山の凄さを実感いたします。
今へいこらと抜けてきた全長百三十メートル、高低差三十三メートルという鍾乳洞を中にする巨大な岩山なのですから。
たまたま堂内は私ども二人だけでしたのでゆっくりと好きなことを語り合いながら、その中を歩くことができました。
〝弘法大師の後ろ姿〟はなるほど、たしかに!と唸るほどのものでありました。
そのほかにも〝仁王の足〟〝下り龍〟などなどさまざまな尊像や神獣に譬え名がつけられています。
…うーん…これはちょっと無理があるのでは?と思うものも。
また所々に石仏もおられます。
実はこういうところが嫌いではない私でありまして、なおかつ秩父路の運転は全て夫任せであり、私は正直、疲れたというほどのことはなく、ただ運動不足で体力がないからヒーコラ言っているだけで、本来はさほど大変なものではないことを書いておきましょう。
これだけの立派な寺院が今は無住で、民間の方々か管理しているということに諸行無常を感じる私であります。
群馬県みどり市の【光榮寺】さんは、今年も秋の大祭の開催を中止することとされました。
これは英断であります。
こちらの大祭は、檀家の方々はもちろんのこと、ご近所の方々から、噂を聞いてお越しになった方々で大変賑わうものであります。御本堂では寺宝を飾ってお見せくださり、写経や写仏もできるのです。
柿の種をプッと吹いて飛ばしてその距離を競うというイベントでは一等賞はなんとディズニーランドペアチケット、なのだそう!
それでも昔ほどではないと寂しそうに語る檀家代表役員さんがおられるくらい、かつてはもっともっと賑わったもののようです。
このお祭りはその由来から【柿薬師】さまと呼ばれるご本尊さまにちなんで、その名も【柿薬師大祭】。
その日お参りに来た全ての人に、それはそれは見事な柿をひとつと、ご本尊さまの御札を一枚お授けくださるのであります。
そのお薬師さまの御札は一昨年からずっとこのコロナ禍をお守りくださっていました。
先日副住職さまにお会いした際に、「そろそろお戻し申し上げた方がよいでしょうか?」とお聞きしたところ、
「ああ、お待ちくだされば新しい御札と交換いたしますよ」と。
!。
…いやいや、ずっと二年、大切におまつりしておりました御札ではありますが、ただでお授けいただきましたもの。
お祭りが中止された今年、それはあまりに図々しすぎと、辞退いたしました。
すると、
「いや、そうおっしゃらずに。本来ならみなさんにお集まりいただいて、みなさんに無料でお渡しさせていただいているものですから、大変でなければ是非お越しください」とおっしゃってくださるのです。
で、本来なら大祭の開催された十一月の第一日曜日に光榮寺さんにうかがい、新しい御札をお授けいただきました。
お布施も受け取らずに、新しい御札と交換してくださるお寺さん。
…ただだから、ではなくてですね。
このお金にこだわらないで、御仏のお教えのまま、御札をお授けをなさるお寺さんの姿勢。
これこそ、人の心に響く教えとなりましょう。
ありがたいことであります。
来年こそはまたお祭ができますように。
さしあたっては初薬師大祭。
楽しみにしております。
瀬戸内寂聴さんが亡くなられたと、昼のテレビ番組の途中で速報が流れました。
いつもお元気でハツラツとされていたお姿だけが印象に残っており、それでもそのお歳は九十九歳となられていたことは存じあげておりました。といいますのも、彼女はインスタグラムをなさっておられ、今年のいつだかにその記事を読ませていただいておりましたので。
そこでは、ご自分の一生を振り返られられ、全てに悔いがないと綴られ、死に様は考えないとおっしゃっておられたよう記憶しております。
このコロナ禍、私は生き様と死に様を考え、愚かゆえにもがいておりましたので、その『死に様は考えない』という一文を読んだとき、それが胸に突き刺さるよう思えたものです。
私の中で、瀬戸内寂聴さんはあくまでも僧侶という位置におられる方であります。
とはいえ私は小説家瀬戸内晴美という名がサラッと出てくる世代ではあります。
ただ私は彼女の小説家としての作品は読んだことがないのです。
読ませていただいたのは仏教家として、あるいは僧侶として書かれたものばかりでありました。
私は彼女が出家されたときをテレビのニュースだったかが報じたのをおぼろげな記憶ではありますが覚えております。
その時は作品も読んでいない女流作家さんでしかなく、そんな方が出家するようなこともあるのだなと思っただけでありました。
ですが、ここ何年か神社仏閣を巡るようになり、僧侶としての寂聴さんの書かれたものを読ませていただくことも増えて、あらためて寂聴さんを知ることとなるのでありました。
彼女の説くお釈迦さまの御教えはわかりやすく、心にスッとしみいるものです。
それでもそんな彼女が出家された歳が五十を超えていたということが私に大きな力を与えてくれました。
彼女の生き様はまさに波瀾万丈であったかと思われます。
でもだからこそ彼女しか伝えられないものが多くあり、大きな力を持ったものとなっていたのだと思うのであります。
もうあの可愛らしい笑顔が見られないのは寂しいですが、彼女の説いた教えは人の心にずっとずっと残るもの。
いま、新たな御仏の道に向かわれ、微笑みながらゆっくりゆっくり歩いていかれる寂聴さんのお姿が目に浮かぶようです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
昨日からテレビでは寂聴さんの死を悼んだ特集が組まれています。
…それにしても。
彼女が以前、「百歳手前で死んだらかっこいいと思うんだけど」と、語っていた映像を観て、その通りになったことに驚いた。まるで西行法師のようではないかと。
「かっこいいでしょう?♡」
あの可愛らしいお茶目な笑顔で、ちょっと前までいたこちらの世界を見て、Vサインでもしていそうです。
このときを迎えてなお、彼女の過去をあれこれ言う方もいるようです。
でも、過去は過去で、彼女がその後どうか、なのだと思うのです。
…というより私の場合は思いたい?
過去は過去、やり直しはできない。けれど、取り返しはきくものなのかもしれない、それを身をもって、示そうと力むでもなく、ただただ自然にそう生きてくださった、私はそのように思っております。
こんなかたちでその仏の道、教えを伝えてくれる僧は彼女しかいないです。
そして、誰がなにを言おうと彼女にはまず愛があって。
だからこそ多くの人を言葉で救うことができたのだと思うのであります。
人の生き方なんて、一人一人人の数だけあって、本気で修正するときを迎えればよいのだと、
私には大きな心の支えとなる教えを伝えて遺してくださったと思っております。…まぁ、私に都合よく、思っているところも多分にあるのでしょうけれど、ね。
小学三年生の時からずっと小説家になりたいと思っていたという晴美さん。
小説を書くために出家したという寂聴さん。
今、彼女の小説を読んでみたいと心より思う私であります。
先日、群馬県高崎市に鎮座されている【小祝神社(おぼりじんじゃ)】さんへ参拝させていただきました。
何度か目の、久しぶりの参拝となります。
こちらの神社さん、閑静な住宅街の一画にあり、境内もさほど広くはない神社さんなのではありますが、なんともあたたかくて柔らかい気が満ちた、大好きな神社さんのひとつ、なのであります。
そう、それは神社さんの境内からも溢れ出ているかのようで、小祝神社さんの周辺も同じようにあたたかな気を感じます。
かつてはそこも小祝神社さんの境内地だったのかもしれません。…あくまでも私の推測ですがね。
小祝神社さんは上野国(こうづけのくに)『式内社の七之宮』とされる由緒ある神社であります。
上野国式内社は群馬県内に十二社あり、延長5(927)年に成立した格式「延喜式神名帳」に記載される神社です。旧社格は郷社、ご神紋は三つ巴となります。
正式な建立年度は不明ですが、これが成立した平安時代中期には存在していたということが分かっています。
現在の本殿は、江戸時代に高崎城主であった『間部詮房(まなべあきふさ)』公によって、享保2(1717)年に棟上げされたもので、高崎市の神社本殿としては最古のものとされています。
小祝神社の御祭神は、全国的にも希少とされる医薬の神【少彦名命(スクナヒコナノミコト)】さまであります。お姿がとても小さく一寸法師のモデルになった神様といわれています。
無病息災・病気平癒・厄除けなどの御利益があるといわれます。
小さなお身体をされているといわれる少彦名命さま。
かつて大国主命さまと国造りをされ、その後常世国にいったん戻られたものの、人々の難儀を救うために再びこの地、日本にお戻りくださった神さまであらせられます。
子供の時分に読んだその大国主命さまとの出会いや国造りの際のお二人の生き生きと楽しそうなさまを描いた本のおかげで、この物語は今も私の中で息づいており、境内の中を見えない少彦名命さまがお忙しくなされるさまなどをついつい想像しては自然と笑みが溢れてしまうのであります。
そんな国造りをなされた神さまは穀物の神さま、酒造りの神さま、温泉の神さまでもあるので、一年中が忙しい神さまであります。
ことにこの新型コロナウイルス感染が起こってからは、お休みを取られておられるのか心配になるくらいであります
小祝神社近くを流れる烏川には聖石橋という橋がかかり、烏川の川の中に「聖石」「赤石」「川越石」の三石があるといわれる石があるとのことでその石とかかわりの深い神社であるようです。
いわれはよくわからなかったのですが、少彦名命さまはいつも水に関わる地から御降臨されておられるので、その川、その石にまつわる何かがあったのかもしれません。
…ちなみに、見に行ってはみたものの、それなり大きな橋でありまして(貧困な発想しかできない私は、こちら小祝神社さんのそばを流れる小川を勝手に想像しておりました)、川の中洲にあると言われる石は発見することはできませんでした。
近世以降は安産の神としても信仰されており、戌の日の祈祷に訪れる人も多いようです。この日も初宮詣、七五三などのご祈祷に訪れた方々が短い間に三家族もおられましたくらいでした。
鳥居をくぐると右側に社務所がありその奥にみぎてに手水舎が、ひだりてに絵馬掛けがあります。
手水舎は蓋がされており、アルコール消毒液が置かれておりました。そしてなんとも風情ある季節の飾りを盛り付けたカゴが飾られ、そのそばに可愛らしい動物の人形がいくつも置かれています。
あの可愛らしくて優しい女性の神職の方がなさったのかなぁ。
そして鳥居から真正面に社殿があります。
装飾が綺麗で見事な拝殿であります。そして何よりも明るい気がここから溢れ出てきているかのような気持ちのよい拝殿正面。
この日は七歳の七五三と思われる女の子とそのお兄ちゃんが、拝殿の中から出たり入ったりしていました。
子どもにも居心地いい場所であるのでしょう。
現在の社殿は本殿と拝殿・幣殿が一体となっていますが、もともとは本殿のみが単独で建設されていたとの記録が残されており、拝殿・幣殿は後補とのことです。
本殿内部は外陣と内陣に分かれ、内陣には厨子が安置されているのだとか。
背面の彫刻は鮮やかで美しく、重要文化財に指定されているようですが、私はその本殿背部にある小さな鳥居が一目見た時からお気に入りです。
いかにも少彦名命さまの神社さんという感じです。
少彦名命さまがそこから出たり入ったりして、忙しくそのお役目を果たしてくださっておられるさまを想像してはニコニコとしている、怪しいおばさんなのでありました。
そして同じく群馬県高崎市にあります【山名八幡宮】さんへ参拝させていただきました。
こちらは初めての参拝となります。
何故か珍道中により珍道中っぷりを添えてくれるメーカー純正のナビの指示のもと向かったのは…。
ナビの地図上で神社さんとはかけ離れたところで「音声案内を終了します」と容赦ない言葉。
まぁ、ナビにはありがちな冷酷さであります。
「ええっ⁉︎」夫は嘆きました。
ええ、地図上ではほんと、かなりの距離があるのです。
しか〜し!
優秀な助手席の荷物は見逃さなかった!本当に小さな看板『山名八幡宮⇨』と書かれたものを。
「えっ?あっほんとだ。ありがとう」
いやいやいつもいつも運転していただきあちこち連れてきていただいております身としてはそのくらいは…、ねぇ。
そこを入って行くととりあえずは駐車場がありまして、無事到着いたしました。
ん?、えっ?
線路?
線路の下に通路が作られています。
ええっ?
思わず強度を心配する厚みの橋でしかないのですが…。
みんなその下を何事もないよう行き交っています。
その橋の向こうに提灯のさがった神門が見えています。
鉄橋でもなく鉄筋コンクリートの橋の上を、まるで公園の柵程度の柵の橋を、普通に電車が通過していきます。ほおぉぉ〜!
リアルプラレールのような、まさかまさかの通路です。
いやいやいやいや。
…マジかよ。
背が高い人ならきっと線路に手が届くから。
あ。
背の高い人と一緒に来ていた。
たしかに、神社さんやお寺さんの参道を線路が走っているような光景は、何度か見かけたことはあります。でもあくまでもそれはフラットな状態でのこと。
線路の下をくぐる参道なんて、私の貧困な想像力では思いつくことすら出来なかった。
この日訪れていた方々は、そんなことに驚いた様子の方は一人としておらず、子どもたちですら別に電車が通ろうが騒ぎもせず。私どもだけが驚き、騒いでおりました。
そうそう、この日は七五三シーズンということもあって、たくさんの子供たちたちが参拝に訪れていました。
七五三の子たちは綺麗な着物を着て、コロナ前と変わらないいかにも幸せでうれしくて仕方ないといったはじけるような笑顔で歩いています。
よかった。
子どもはこうでなくちゃだめです。
子どもがこうでなくちゃだめです。
お宮参りの赤ちゃんもいます。
…それにしても何組も何組も。
ここって高崎市とはいえ、市中からはだいぶ離れたところにある神社さんなのです。辺りに大きな建物も商店街もあるわけでありません。
すぐそばに駅はありますが、小さな無人駅のようで、住宅街といった感じでもありません。
実は創建当時は武神として崇敬されていた山名八幡宮さんですが、現在では安産と子育ての神社として大変有名なのだそうで。
そのきっかけは室町時代に遡り、後醍醐天皇の孫に当たる君長親王が妻の安産を祈願したことと言われています。
君長親王の妻とは当時の山名城主であった世良田政義の娘で、生まれた男の子は良王君と名付けらて健やかに成長したといいます。
それを機に、それにあやかろうということで、こちらの神社さんへは今も多くの家族が子どもに関わるお参りに訪れているようです。
それにしても…少子化と言われているのがまるで嘘のようです。
私が地元で見かける七五三の家族連れの何倍いるというのでしょう。
この日だけで何年分もの七五三姿の子供たちを見た気がいたします。
神門は、私が今まで参拝させていただいた神社さんは随身、武官姿の財産像像を左右に安置していることがほとんど。
こちらは、山名八幡宮さんは神馬が左右にお祀りされ、例の線路の下をくぐる参道を見据えています。そしてその裏というか横に随身さまがおられる形でありました。
そこをくぐり、みぎてに手水舎と古い石造のお社が二つ。そして大きな、今にも駆け出しそうな馬の銅像が建っています。
さらには二つの稲荷社がお祭りされていました。
正面には大きな鳥居。
その左には御神木がそびえ立っています。
まずは手水舎へ。
手水はセンサーで人を感知すると水が流れるようになっていました。でもそれに気づいたのは帰り。
絶えず人が浄めの水に向かうためずっと出っ放しとなっていたので、参拝前には気づきませんでした。手水鉢には榊の葉が浮かべられています。
その緑がなんとも美しくて。
最近流行りの花手水はコロナ禍で使用を控えるようにしたその鉢に花を浮かべたものですが、こちらはきちんと手水を浄めることとしていての榊です。
なんだかそれだけで心が弾みます。
赤い大きな鳥居をくぐると石段が続きます。石段の先には大きな屋根と絶えず人の行き交うのが見えます。
大きく立派な狛犬さんの奥にはやはり大きな狛犬さんの絵が飾られていました。あとで知るのですが、実はこの絵は山名八幡さまの裏神さまとして祀られている獅子頭さまの絵でありました。
はやる気持ちで少し速足で石段を登ります。
うわぁぁ!
なんと立派なお社でしょう。
実は山名八幡宮さん、石段の前はあまり広くなくて。
たぶんこれでは参拝者は石段で待つこととなるでしょう。そんな拝殿前は、それでも参拝は終えている方たちらしく、拝殿前へとすぐに行くことができ、参拝を…、参拝…。
拝殿内は人人、人。
ぎゅうぎゅうに座った人のお尻しか見えません。
うわぁぁぁ。
すごい!
と、とりあえずおまいり、おまいり!
「神さま、私は後方からではありますが、人のお尻ではなく神さまを拝しておりますので…」
思わずそんなことから神さまにお声がけしたくらい。…もちろん、声には出しませんがね。
それにしても…。
すごい!
未だかつて混み合って列をなすような参拝をしたことがない私はただただびっくりです。
それにしても…。
素晴らしい彫刻です。
ただ…あまりゆっくりは拝見してはいられません。後ろから七五三やお宮参りの親子さんが次から次から石段を登ってくるのが見えます。拝殿前の土地は狭いのです。見上げて建物が見きれないくらいです。
で。
なんとか参拝を終えた私は、神社さんの書かれた順路に従い、社務所の前を通って、社殿の横をまいります。
大きな社殿です。
そして横から見た社殿の大きなこと。そして彫刻の見事なこと!
極彩色に塗られた彫刻です。
そして他の神社さんより何やら神獣が多いような…。神獣のお顔がやたらとまつられた社殿です。
あとで知ったのですが、県最大級とも言われているようです。
そしてなぜか、石造の碁盤?将棋盤?が二つも配してあり、その横で写真を撮れるようなセッティングになっています。?。
この神獣たち、関口文治郎の作なのだとか。
そしてその神獣は六種。【蜃】【象鼻】【龍】【唐獅子】【獏】【鳳凰】。六体の神獣のそろうのは関東では山名八幡宮さんだけなのだそうです。
裏手にまわって行くと、先ほど狛犬さんと間違えた絵の元となる獅子頭さま。
大きい!
白木の大きな獅子頭さまが裏手を護っておられます。
古来より【疳の虫】【厄】を食い切る神獣とされているとのことでありまして、さらには神社さんの案内書によると正面をお参りして裏神さまをお参りするのは陰陽合わせの考えによりさらにご利益があると伝わえられているのだそう。
ちなみにこの獅子頭さまがそれはそれはかわいいんです。
さらに進むと弁財天さまのお社があります。錦鯉のいる池にかかる石橋を渡っての石造のあまり大きくはないお社です。
さらに進むと…?
なんだろう?待合所、となっています。七五三の親子さんが待っているようです。そこにも入りきれない親子連れが写真を撮って、ここもまた人人、人。
すごいなぁ。
でも本当に前にも述べましたが、ここって周りにはせいぜい無人の駅くらいな立地な神社さんなんですよ。
それだけ霊験あらたかな愛されている神社さん、ということですよね。
明るくてあたたかな気の満ちた気持ちの良い神社さんであります。
で…。待合所の向こうには実は神楽殿があるようなのです。ですが本当に親子連れであふれていて、近寄れない見られない。
なんでも縁起物が納められているとか書かれています。
【山名八幡宮】さんが創建されたのは平安時代後期の1175年から1177年と言われています。
【源義家】公の孫に当たる【新田義範】公が、豊前国の【宇佐八幡宮】を勧請して高崎の地に社殿を造営したという言い伝えがあります。
宇佐八幡宮は全国に44000社あまりもあると言われる八幡宮の総本社で、武運の神様として有名です。
新田義範もまた、山名八幡宮に武運を祈願したそうです。
新田義範公はその後、山名郷の地名にちなんで姓を山名に改め、山名氏の家祖となりました。
そして新田義範=山名義範公は山名城を築城し、鎌倉時代には【源頼朝】公の〝御家人〟として活躍します。
【山名氏】は山名郷の他にも、但馬国などいくつかの土地に広がり、現在も関西を中心に約一万人ほど存在しているのだそうです。
【応仁の乱】の際、西軍の指揮をとった【山名宗全】公が西国で勢力を誇った影響のようです。
こちらの山名八幡宮はそんな山名姓及び血縁関係のある末裔も含め、全ての山名一族の総氏社であるのだそうです。
【山名八幡宮】の御祭神は、【玉依比売命(たまよりひめのみこと)】さま、【品陀和気命(ほんだわけのみこと)】さま、【息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)】さまの三柱です。
山名八幡宮では春と秋の例大祭の他、節分や夏越祓に大祓といった祭祀が執り行われているようです。
春と秋の例大祭は虫きり(虫封じ)で有名なようです。
疳の虫、夜泣きを封じ、健やかな成長を祈る子育ての祈願が行われるようです。
戌の張り子や虫きり鎌の入った御守り、獅子頭の被り物などなど、この日だけの授与品があるようです。
また獅子舞の奉納やま神輿渡御等、大変大きなお祭りのようです。
これは…。
これは七五三の比ではない混みようなのだろうなぁ。
すごいなぁ、山名八幡宮さん。
ちなみに。
うちの孫、娘を悩ます夜泣きっ子なようなのですが…。うーん。
珍道中ペアはコロナ禍以前から人混みが苦手で嫌いな二人なんだよなぁ。
参拝を終えて。
拝殿の前の石段の右わきに、砲弾?
砲弾とかに思われるものがぽつんと立てられていました。本物なのか、造りものなものなのか、由来すらもわからない。神社の方にお聞きしましたが、お若い方で、もしかしたらアルバイトさんなのか、お二方にお聞きしましたが、わからないとのこと。
まぁ、それが本物なのか否かもわからない人物が聞いているので、謎は謎のまま。
そして、石段を降りてまずは石造の二つのお社を参拝しました。
そして…その横に立つ大きな馬の銅像にどうしても目がいきます。
説明の書かれたものが建てられていまして、それを読むに、全国におられる山名一族の方々が奉納されたものなのだと書かれています。
すごいです。
今なお山名一族の出であることを誇りに思い、何よりその血のつながりをいまだに大切にされていること。
こうやって祖先の建てた神社を今なお大切にし、全国に散らばる山名一族のみなでこのような奉納をする。
うーん、感動。
しかもこの馬の顔は西国に向けているとのこと。
すごい。
狛犬も向かって左側の狛さんはツノがあります。何度見てもツノに見えます。一角獣…と申し上げてよいのでしょうか、一本のツノが頭頂部少し前寄りに生えています。
その横で自動車のお祓いをされています。県外ナンバーの車です。わざわざここ山名八幡宮さんまでお祓いをしていただくために訪れているのです。
山名一族の出の方なのか、それともこちら山名の地の出の方なのか、はたまたこちらの山名八幡宮さんの熱心な信者さんなのか…。
いずれにしてもここまで片道一時間半以上かかる地名です。
うーん。
山名八幡宮さん、すごいです。
スマホデビューして四か月ちょっと。
削除してはならないものを削除してしまったようで、また新たなナンバーで入ることとなってしまいました。
相変わらずタブレットは調子が悪く、そちらを開くのに三十分以上かかりました。(T-T)
これもスレ主の記述となります。
すみません。
今日、外に出てしみじみ思ったこと。「ああ、えびす講の空気だなぁ」、と。
子供の時分、えびす講というのはどこでもあるお祭りなのだと思っておりました。が、実はそうではないということを結構大きくなってから知りました。
学生時代、小さな学校ながらそれこそ全国から集まった同級生たちと、たまたまえびす講の時期をむかえ話していて、まるでえびす講ということが通じない人がいることを知ったのです。私にとっては夏祭りよりも大きくて心はずむお祭りであったので、たいそうびっくりしたことを覚えています。そう、そもそもその学校のある市にもえびす講はありませんでした。
えびす講とは全国的には行われているもののどこの市町村でもあるというわけではないようです。
【えびす講】とは、神無月(かんなづき・旧暦10月)に【えびす】様を祀る行事で、「えびす祭り」や「えべっさん」ともいわれています。
えびす講(こう)の「講」は、宗教行事を行う結社のことで、行事や会合のことも「講」といいます。
【えびす】は七福神のえびす様のことです。
七福神とは、福徳(ふくどく・幸せや財産に恵まれること)の神様として古くから信仰されている七柱の神様のこと。
【仏教経典】の『七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)』から、七柱の神様になったと言われ、室町時代(1336年~1573年ごろ)のころから、〝幸運〟〝金運〟〝福〟を授けてくださる神様としてまとめて信仰されるようになったといわれます。
『七難即滅七福即生』とは、
【難が消滅すれば七福が生じる】という意味なのだそう。
「七難即滅七福即生」の「七難」は仏教で説く七種類の災難のことで、〝水難〟〝火難〟〝日照りのような天災〟。
〝侵略されたり、内乱が起こるような国政に関する災難〟〝牢獄に囚われる難〟〝悪霊や死霊の難〟などのことで経典によって異なるのだそうです。
『七難が消滅するよう努力したり祈ったりすることで、七つの福が生まれる、または七難が消滅する』ということなのだそうです。
【七つの福】とは、「寿命」や「幸運」「金運」「人望」など七福神が授けてくださる福のことを指しているようですが、
ほかに金や銀、瑠璃など七つの宝石のことだという考え方や、あらゆる災難を速やかに消し去ることだという考え方などもあるようです。
【七福神】は、えびす様のほかに、【大黒天(だいこくてん)】さま、【毘沙門天(びしゃもんてん)】さま、
【弁財天(弁才天・べんざいてん)】さま、
【福禄寿(ふくろくじゅ)】さま、【寿老人(じゅろうじん)】さま、【布袋(ほてい)】さま
がおられます。
よく宝船に乗って描かれるあの神さまたち、ですが、こちらの神さまたち、お寺さんでおまつりされていることが多く、仏教の神さまと考えてよいのかなあと思ってみると、えびす講を開かれるのはどこも神社さんのよう。
私にはなかなかこの謎は解けません。
ちなみに、宝船に乗っている絵が多いのは、七福神が海の向こうの世界からいらっしゃるという発想からきているそうです。
【えびす】様は『恵比寿』と書き、右手で釣竿を持ち、左手には大きな鯛をお持ちになっておられます。
えびす様は七福神の中で唯一、日本土着の神様で、日本神話のイザナミノミコトさまとイザナギノミコトさまの間に生まれたお子様とされ、大漁追福(たいりょうついふく)や商売繁盛、五穀豊穣をもたらす神様といわれています。
漁業、商業、農業の神様として信仰され、知恵を働かせて体に汗を流して働けば、えびす様が福を授けてくださると考えられています。
【神無月】には日本中の神さまが、島根県の【出雲大社】に集まるといわれていますが、日本中の神様が出雲大社へ集まると、その間、神様が不在の土地ばかりになってしまい、それでは困るということで、留守番をする神様がいて、その代表的な神さまが「えびす様」、なのです。
留守番をしているえびす様に感謝し、五穀豊穣、商売繁盛などを祈願するのが「えびす講」で、日本各地で行われます。
その時期がまさに十一月。
旧暦と新暦のズレを考慮し新暦の十一月二十日に執り行われているようです。
が、調べていると、なんとえびす講の日にちは実は地域によってさまざまなようなのです。
十一月二十日に行う地域が多いようですが、旧暦十月二十日をそのまま新暦の十月に行う地域。
さらには十月二十日や十一月二十日の前後の土日に行ったりする地域もあるようです。
ほかにも「歳の市(年の市)」と結びつけて新暦十二月二十日に行う地域、「十日えびす」として新暦一月十日や十五日に行う地域もあるようです。
【えびす講】では、家内安全や商売繁盛を願って、大判小判、鯛やだるまなど、たくさんの縁起物を飾った【熊手】や【福笹(ふくざさ)】が販売されます。
それはもうずらーっといくつもいくつもの出店が並びます。
大きな物から小さな物までいろいろです。
【熊手】は、農作業や掃除のときの道具で、ものを掃き集めることから「福や金運を掃き込む」「福や金運を集める」として招福の縁起物となったようです。熊手には縁起物の飾りがつけられています。
【福笹】は、プラスチックの笹・竹が使われており、これはえびす様が持っている釣り竿を見立てているといわれています。また、竹はまっすぐに伸びるので商売繁盛にご利益があるといわれています。
この笹にやはり招福の縁起物が色とりどりにつけられています。
熊手や福笹のほかに「福箕(ふくみ)」も販売されているようです。
箕(み)は、米など穀物を選別する際にゴミや殻を取り除くための農具で、「福箕」には「福をすくいとる」という意味があり、やはり箕の中にえびす様の顔や縁起物が入っているようです。
小さな頃、すれ違う人すれ違う人がこの縁起物を持って幸せそうに歩いているのが羨ましくて、私も欲しいとねだったものです。
もちろん子どものおもちゃではない、神事に伴う縁起物ですので、これを買ってもらえたことは一度もありません。
祖父母の家の神棚にはこの福笹が飾られていて、それをおもちゃにしたいともねだった記憶があります。
テレビでちょうどこのえびす講の頃、熊手の販売をする【酉の市(とりのいち)】の様子が放送されるため、私などは、
「えびす講を酉の市という地域もあるのだなぁ」などと思いこんでおりましたが、【酉の市】は【大鳥神社】の祭礼として行われるもので、えびす講とは無関係、まったくの別物なのだそうです。
今年もえびす講を神社関係者の方々のみで執り行うところが多い中、去年に引き続き、群馬県桐生市は本来十一月の十九、二十日におこなわれているものを、密にならないようという配慮から、十六日から二十日まで、時間を短縮して執り行うのだそうです。
うーむ、夜のお祭りは寒いんだよなぁ。そもそも車で駐車場を探すのが一苦労です。
子どもの頃はあんなに楽しみで大好きだったえびす講なのになぁ。
…珍道中おばさんはまだまだ信心深くなれていません。
今年はわが家の鼠のひたいほどの庭に菊がたくさん咲いています。
それも、どれも仏壇もどきに供えた切り花の菊から根が出たものを植えたもの。
たった一輪の菊だったものから五十を超える花が咲いているものもあります。
その大量の菊たちに(…なんという文才の無さ!)、毎日毎日小さな蜂やアブが訪れてくる。その愛おしさといったら。
ずっと止まったまま、小さなおしりを上下に振っている様子が、小さくともその生を精一杯生き働いていることを、その健気さを私に伝え、感動で胸がいっぱいになるくらい。
あたたかな日が続くためか、今年は舅の祥月命日の墓前に、初めてわが家の庭に咲いた菊をたくさん供えることができました。
花の盛りの花を手折ることほど、申し訳なくもの悲しく思うことはないのだなぁと、初めて知りました。
そんな菊の花が、ここ一週間くらいのあいだに紫が混じるように変化してまいりました。
白いものも黄色いものも。
それはそれで美しいのですが、なぜなんだろう。私の水やりしかしない手入れがいけないのだろうか。…まぁ良くはないだろうけど。
もちろんそれを初めてみたわけではないのですが、なにぶんにも今年は花の数が多いため、よけいそれが目につくのだと思うのではありますが…。
そう思っては見守っていたところ、その紫に変わるのがどんどん増えていく。
私の不安も少しずつ増えていく。
で、万能先生Googleさんの登場です。どんな疑問にもどこでもいつでも瞬時に答えてくれる、本当に本当にありがたい先生であります。
よき時代に生まれたものです。
で。
Google先生いわく。
それを【移菊(うつろいぎく)】というようです。
『移菊とは晩秋のころ白菊が花弁の端から紫がかって来たものを言う。 有体に言ってしまえば、花弁に霜が触れるなどして植物組織が損傷を受け色が変わったもので、園芸用語で言う「霜焼け」に過ぎない。 ... うちしおれていくほどに色の美しさが勝るのだから。』とありました。
有り体に〝霜焼け〟いわれ拍子抜けしたものの、それを忘れてしまうほどのその【移菊】という表現の美しさといったら。
日本の美しさを、日本人の細やかな美しい感性で表現した、美しい言葉に、思わぬことから触れる事ができました。
Google先生に投稿されたものに、この移菊について寄せられたものに、こんな文がありました。
『古今和歌集の中に
これさだのみこの家の歌合せのうた
色かはる 秋の菊をば ひととせに
ふたたび匂ふ 花とこそ見れ
詠み人知らず
と言う歌があります。
「寒くなるにつれ色が変わって行く秋の菊を、一年のうちに二度華やぐ花なのだと思う」という意味で、
この他にも古典文学の中で、菊の花の「移ろひ=変色」を描いている箇所がそこここに見られます。』
と。
〝敦盛〟の一文、〝人生五十年〟をそれなりに過ぎているのにも関わらず、誠に無知無教養な私でありますことをまたまた思い知るのでありますが…。
こうして移菊を知る機会を得ることができたのも、たった一輪の菊からでありましたこと。
一輪の、仏壇(もどき)に供えた菊から根が出て、たくさんの花を咲かせ、そこから一つの知識を得る…
なんだか〝わらしべ長者〟のようです。
やはり御仏のお導き、でありましょうか。
無知無教養なその上、ガサツな私が何気に手折ってしまった菊を差した物から、今、菊の清々しい香りが漂っています。
愚かな者にも平等に、ただただ菊は咲き香るものです。
おはようございます。
五時前から起きて、行ってまいりました、群馬県桐生市の【西宮大祭】、【えびす講】。
起きた頃には待宵月とも小望月とも言われるという満月一日前の月が西の空に大きく大きく輝いていました。思わず頭を下げて合掌するほどの神々しさでありました。
昨年に引き続き…とはいえ昨年はコロナの感染拡大を考慮した結果、まことに身勝手な考えではありますが、遥拝をさせていただきました。
今年は、今年は行きたいなぁ。
でも密になるのだろうな。
昨年に引き続き分散参拝という異例な開催でありますえびす講。
ネットで検索してはため息をついておりました。私一人で昼間参拝してこようか…。でも夫も行きたいだろうなぁ。うーん。
朝六時からの開催かぁ。
これは無理だろう。夫は朝に弱いので。
そうかといって、仕事からいったん帰宅してからの参拝は、駐車場のないこちらの神社への参拝は結構きびしい。駐車場探しからさらにはすごい人混みを見ることとなって参拝を諦めることになるかもしれないのです。
うーむ、今年も遥拝かな?
それとも許可を得て私だけで参拝してこようか。
昨夜おそるおそるそれを話したところ、
「えっ?六時からやってるの?じゃあ行こう」
えっ⁉︎
いやいやこちらの方が「ええっ⁉︎っ」て感じです。六時だよ?六時。
七時二十分には家を出る出勤でしょう?、しかも本当朝に弱いし。
まぁまだまだ若いからということにしておいてあげても、ずぅえったい無理でしょ?
まぁ、行けなかったら昼間混まなそうな時間に私一人で行かせてもらえばいい。
とりあえず夫が起きないことを前提にしつつも、一応洗濯機を回して、朝ごはんの支度をしておりました。
うーん、朝に弱い夫は、朝はほとんど食欲がないんだよなぁ。そう思いつつも三つ葉入りの卵焼きとお味噌汁を用意しておりました。
「遅くなっちゃった」
∑(゚Д゚ノ)ノ
お、起きたぁ!
おおっ。これはまさに神さまの思し召しでありましょう。
ようよう白くなりゆく山ぎわ少し明かりて…いる中を、
少しひんやりする空気の中を、
車で向かうは、群馬県桐生市の【西宮神社】さま。
【えびす講】です。
なんとあたたかなえびす講でしょう。
そんな幻想的な景色のなか、「うーん、どうしよっか…」とつぶやく夫。
「えっ?」能天気な私の声に、
「駐車場」…あっ、そうだった。
ええ、ほんとの本当に駐車場はないんです。一台分も。
それなりに離れたところのコインパーキングはあるにはあるのですが、コロナ前などもはやそこすらが通行止めとなりさまざまな屋台が並びます。
桐生八木節祭りというイベントはあちらこちら無料の臨時駐車場が用意されているのですが、このえびす講に関する限りは私が知る限りほんの少しあるのみで。
…うーん。
そもそもコロナ禍。
どれだけの縮小なのだろう。
いくつか候補を挙げ合うもののなかなかこれといったところが思い浮かばない。
「あっ、あそこは?」
「えっ?どこ?」
「〇〇!」
「うーん…」渋い顔で何やら不満そうな夫。でも結局は思い付かず、私の発案したところへ。
あとで西宮神社さんの広告チラシを手に入れて、思った以上に駐車場が用意されていたことを知るのですが、ね。
ともあれ無事に駐車場に停め、徒歩で西宮神社さんへと向かいます。
うわあぁ!
……。
まだ明けやらなぬ景色のなか、…こんな時間の参拝は初めてなのですが、提灯の灯りに照らし出された西宮神社さんとその参道は、なんと幻想的なものでしょう。
…何度も幻想的と表現しているのは、やはり非日常な雰囲気を表現するにはひとえに語彙力がないこともありますが、それだけではなくやっぱりそう、幻想的、なのです。
熊手などの縁起物の屋台が、コロナ前と変わらずずら〜っと並んでいます。
背の高い、電線に届こうかというくらいの高さの特殊な屋台です。白木だけのシンプルな屋台に、少しづつ熊手などを飾り出す様子がまた、なんともいえない心引き締まる感じです。
さあ、手水舎へ。
清らかな水が絶えず流れています。
清らかな水が絶えず流れる手水舎。
やはりこの手水鉢に水の満ちているさまは清らかで、身の引き締まる思いのする、それでいて心落ち着くものなのだなあとあらためて思います。
それでも感染対策のため柄杓は置かれず、チョロチョロと流れる水を直接手に受け、手を清め口をすすぎます。
さあ。と顔をあげ、さらに続く石段を見上げます。神聖な空気が辺りを包んでいます。
照らす灯りのせいもありあたたかな感もする石段の参道には、黄色く色づいたイチョウの葉が、まるで散華を巻いたかのように散りばめてあります。
その景色がまた美しく、思わず足を止めて見入るのでした。
通常の、コロナ禍以前のえびす講では考えられないことであります。
たしかに来た時刻自体が通常とは異なる早朝ということもあるのかもしれませんが、それでもこのように足を止めて景色を楽しむことができたのかどうか…。
とにかく人人、人の人の波で、自分の足元すら見えずにのぼる石段で、昼間きたところで、足元こそは見えるもののやはりその行列は、道路となる参道からずっとずっと続くものでありまして。
まさに至福の時です。
ゆっくりと石段をのぼり、二メートルも三メートルもソーシャルディスタンスを取り。しかも後ろは偶然人が途切れており、拝殿前ではゆっくりと参拝することができました。
…昨年参拝できなかったことをお詫びして、日ごろお護りくださっていることへ感謝を申し上げました。
こちらの神社境内はもともとは美和神社さんで、そのそこに勧進された西宮神社さんであります。
おとなりの美和神社さんへもお参りをいたしました。
えびす講なので西宮神社さんの参拝だけで帰られる方も多くおられます。コロナ前の自分の足元すら見えない人の波に流されるような参拝ですと、実際もうそのような流れになっているくらいで。
美和神社さんは大好きな神社さんの一つです。大好きな狛犬さんもおられます。
最近では平日の昼間から拝殿の扉が開け放たれていて、神さまと直接お会いできるような心はずむ思いをいたしました。
以前のえびす講ではやはりその扉が開けられておりましたので、もはやそれが当たり前なことと思い、はずむような足取りで…実際は膝を痛めていて、ひょっこらひょっこらと、なのですが…拝殿前に向かうと。
…扉は閉じておりました。
まだ早い時刻だからでしょうか。
閉じていた扉を前に、少し落胆したものの気を取り直して、参拝させていただきました。
本来どこの神社さんでも扉が閉じていることの方が圧倒的に多く、落胆すること自体、もう不敬なこと。
神さまのおられる境内に入らせていただいている時点でもう、神様の元に来ているのだから、扉一つで隔てられるものなどではないのでありますものを。
思い上がりと申すものでありましょう。
その思い上がった心をお詫び申し上げて、日ごろの感謝をお礼申し上げました。
境内には他にも沢山のお社があります。
まず目に入るのが八意思兼神社さま。
…それがちょうど灯りの加減で神社さんの額の名前が見えなくて。
「こちらは…どちらの神さまの御祀りされた神社さんだっけ?」とは夫。
「えっと…、あの秩父神社さんの御祭神さまなんだけど、…えっとぉ」
思い出せない妻。
〝ごめんなさい。こんな物覚えの悪くて、物忘れのひどい者であります。どうかせめて人様にご迷惑をおかけしない程度の知恵をお授けください〝とお詫びしてお願い申し上げました。
八意思兼命さまは、そう、知恵の神さま。「やごころおもいかねのみこと」さまとお読みいたします。
あの、天照大神さまが天岩戸の奥にお籠りになられた際に、天照大神さまを岩戸の外に再びお出ましいただくための策をお考えになられた神さまにございます。
やごころおもいかねのみことさま
やごころおもいかねのみことさま
やごころおもいかねのみことさま
…これだけ書いたら覚えていられる?
いやいやしばらくは毎日口に出して…。
それでも不安しかない、物覚えが悪いのか、物忘れがひどいのか、なんとも情けない私であります。
やれやれ 、でございます。
ƪ( T_T)ʃ
… …。
本日も横道珍道中。
十月二十日は【近代文化遺産の日】なのだそうです。十月から十一月にかけて全国各地で近代文化遺産を公開しているのだそう。
本日から九日間、群馬県桐生市で近代文化遺産の公開があるということで、二日続けての桐生市通いとなりました。
でもそれがどこにあるものなのかさっぱりわからない。なのでネットで検索して、そのうちのいくつかに行ってまいりました。
実は先日ご馳走になったフランス料理のお店もその〝近代文化遺産〟にあたるのだそうです。
それは大変上品な洋館で、しかもかなりの広さです。ご一緒した方のなかには県外からの方たちもおられましたが、
「ここが個人宅ですか?」とびっくりされておられました。その方たちのお住まいの街もこうした古い建物を使ったお洒落なお店が増えているのだそうですが、そのフランス料理店の規模と上品さに驚いておられました。
ちなみにお味も大変美味しいお店であります。
今なお続く名家の旧住宅なのだそうで、〝〇〇家住宅主屋〟というのが文化財におけるそのお店の呼名称となるそうです。
あ、今回はそちらは行ったばかりなのでパス。…フランス料理をそう何回も食べられはしません。(とか言ってその日は全てご馳走していただいた)
まず最初に向かったのは水道山記念館というところ。写真のお洒落な外観にひかれて、でありました。
ナビに入力…まぁ出ません。
そもそも水道山って…?まさかあの蛇口をひねるとさぁーっと水が出る水道から名付けられたものではないのでしょうが、なんとも変わった名前です。
まぁ行ってみれば解りましょう。
おぉ〜‼︎
けっこうな傾斜角度の上り坂です。
上って、平坦な、そして左側にはなにやら機械のような施設のあるところがあって、…その平坦なところを左に折れてもう一度上って。
ん?
ちゅ、駐車場がいっぱいです!
人気スポットらしいことは知っていたものの、こ、こんな?
これほどとはつゆほどにも思わなかった!
そ、そんなぁ…。
その駐車場で途方に暮れて斜め後ろに目をやると…。!。
ありました。お洒落な洋館が!
さほど大きくはないもののシックなブラウン系に白を刺し色とした素敵な建物であります。
屋根は赤茶色。
うーん、素敵です。
目標発見、されど駐車地点無し。
(T ^ T)
気短さではどっこいどっこいの、珍道中ペア、とりあえず、今回は夫が諦めて違う場所へと移動しようとした、…その時です。
前方から二人、男の方が歩いて来られ、一台の車に近づきそのまま乗り込まれたではありませんか。
いやいや車での休憩ということもあります。
そもそも夫は気づかずさらに移動しかけています。
「今の人、車に乗ったよ?少し待ってみたら?」
幸いなことに後続車はなし。
すぅぅー。
その方の車はすぐに移動を。やった〜。
車のサンバイザーで身支度を整えて、いざ出陣!
またまたいつものように夫を置いて先に向かう…といつもならそうする私、今回は膝を痛めて、そうすることができず、一見すると夫の後ろを三歩下がって歩く妻に…は、さすがに無理があるかとは思いますが、まぁちょうどそのくらいの距離で後を追う形で歩きました。
うーん♡素敵な洋館です。
…、…閉まってる?
いやいや、まさか!ちゃんとそこは確認してから来ております。
しかし人の気配は全くない。
こんなに駐車場はいっぱいなのに?
そんなに大きな建物ではありません。しかも平屋。
夫がこわごわドアノブに手をかけました。
…カチャ。
ほっ。開きました。
スリッパに履き替えるようです。
おおっ!
外見に恥じぬ立派な空間です。
ガラスケースが置かれ、何やら資料が展示してあります。
壁にも…、壁に…、写真が!
上皇さまのお若い時の御写真が飾られております!バックはここ、ここ水道山記念館であります!
ええっ⁉︎
上皇さまがこちらに来られた?
こんな何もなさそうな山の中腹に?
しかもご結婚されておられれば必ずお側におられるであろう美智子さまがおられず、妹さんと思しき方がご一緒です。
と。…ということは、ここって…上皇さまが皇太子時代にお越しになられたってこと?
とたんに私の中でこの水道山記念館という建物の格式が俄然上がります。
…帽子は被ってていい?
どこと勘違いをしているのやら。
私が上皇さまのお若い頃の御写真に釘づけとなっていたのを破ったのは、まぁ、当然ながらあと一人しかいない入場者の夫であります。
「うわぁ。この古い電話!これだけでもすごいよね」
…いや、上皇さまがお越しになられていた事実を超えるすごいものなど、何一つないはずだが?
でも一応そちらを見る。
ああ、画像でしかみたことない、交換手がつなぐようなアンティークな電話機があります。…ほぅ。
だがやはり上皇さまが皇太子の時分にお越しになられた事実以上のものではない。
「しかもこれ、今も使えるんだぁ!へえぇぇ、すごいなあ」
「はあぁ?嘘でしょ?」
「だって、緊急連絡先とかいろいろ貼られてるよ?使えるってことじゃない?」
…それはすごいかも。
私が近寄ると、夫が小さな声で
「あ、違うかも。アンティーク風にしてあるだけかも。…そうだよな、さすがに使えないか」
と一人つぶやいている。
…たしかに。
シルバーのプッシュ式のボタンが付いています。
…ですよねぇ。
まぁ、そこは何も語らず次の間にさっさと向かってあげました。なんとできた妻でしょう。d( ̄  ̄)
次の間は、ちょっと豪華な感じに古いテーブルや椅子の置かれたお部屋です。
まぁ一見、…食堂?
大きな窓で、天井も高く、明るくて大変気持ちの良いお部屋です。
今風なのは、椅子の背もたれにところどころ、黒いマジックで大きくバツ✖️と書かれた白い紙がセロテープで貼り付けてあることと、この十一月という季節にいくつかの窓が大きく開け放たれていること、でありました。
なんの部屋?
喫茶コーナーとかになっているのかなぁ?
そのわりにはまるで人の気配はしません。
次の間は…。
小さな洗面所があって、
…トイレです。
他は何もありません。
何やらあと一つか二つ、行けなくされている部屋はありそうですが…。人の気配はありません。
ただ一つ。
時々それなり大きな音がします。〝ドーン〟
…な、なに?
大きな音は決して遠いものではありません。この建物のすぐそば…少なくともテラスくらいに近い位置からのもの。
でも人影とかは一切なくて、そもそも人にしろ、鳥や動物にしろ、気配というものがまるでありません。
突然、規則性もなく、ドーンとか、ゴンとか。
窓は開いていますが、その窓も微動だにせず。
…そうなんです。しばらくは窓を疑ってずっと凝視していたので、それは間違いないのです。
で。
私の脳が気のせいにするよう、指令を出したようです。
山だから、何か私どもには想像もできないような何かがあって、そんな音がすることもあろうと。
そう結論づけたのも脳の指令に対して、後付けして考えたものに過ぎない、本当に本能的にそう思考を持っていったようです。…我がことながら、ですがね。
そう指令を出した脳のおかげで、なんの気配もなくいきなりする大きな音を怖いとも思うことなく、とはいえ、いくら豪華でもテーブルと椅子があるだけの部屋にそういつまでも居たいと思うものでもなく、
展示された水道山の風景の写真、新旧の比較ができるよう、同じ場所で撮られた写真パネルを見たあとは、テラスからの景色を楽しもうと、室内をあとにすることにしました。
でも…でもですね、実はあの大きな音、私が窓を注視して、なおかつこれは怖くない!と思ったときから、不思議なことにぱったり鳴らなくなるのです。
それこそ怖いんじゃ…。
でもそれに気づいたのは建物を出たあとなんです。しかもやっぱりこの現象を怖いと思うことはなくて。
で、テラスに出て、その謎はあまりにも簡単に解けるのであります。
…ちょうど死角となっていた窓が開いていた、ただそれだけのことでありました。
風はほとんどなかったものの、やはり時折は風が吹き、風の向きもあってちょうどテラスにいる時に、その音となる風が吹き、けっこうな音をたてたのでありました。
ええ、怖くもなんともない、ごくごく当たり前の現象でありました。
で、謎が解けたところで!
そうだ!
…上皇陛下(皇太子時代の)の御写真はおそらくこのテラスのどこかでお撮りになられているご様子でした。
かつての上皇さまと同じ場所で写真を撮りたいという思い上がった思いにかられ、私は夫に頼んだのであります。
「下に行って写真を撮るからちょっとここで待機してて」と。
「えっ?どうして?」
「上皇さまと同じところでの写真が欲しいだけだけど」
「ええっ?そんな写真あった?」
…ありました!
彼がイミテーションアンティーク電話で騒いでいたとき私が見ていた写真を、最後まで見もしなかったようです。
「だったら俺が下に降りて撮ってあげるよ」
えぇぇ?
ㆀ˘・з・˘)
元となる写真を見てもいないくせに?
しかもその写真のあるところを教えようとしている私を、「いいから、いいから」と制して、スタスタと坂の下に下りて行ってしまうのです。
…これだから年老いた男は。
同じところで同じアングルで、
陛下と同じようなポーズで撮りたいんです!
な〜んて思いは一切伝わらない、通じない!
で、出来上がった写真は…見せることすらなく。
こやつ…。今の若者の爪の垢を少し…だいぶ!、煎じてあげるから毎日飲むとよい。
写真の共有など一切しない私ども。
きっとそのままお蔵入りです。
素直に「見せて」と言えばよいものを、言えない、言わない、私もどうかと思うのですがね。
〝なんとか鍋になんとか蓋〟というやつでしょうね。やれやれ…。^^;
ところで。
水道山という一風変わった名称は、やはりこの山に配水池が造られ、配水事務所が置かれたことによって呼ばれるようになった通称のようです。
そして、そういった理由で、全国にもいくつかそう呼ばれる山があるようです。
しかも群馬県桐生市でそう呼ばれている山は『雷電山』・『小曾根山』・『金毘羅山』の三つの山をみなひっくるめての通称なのだそうで。
小曾根山の中腹に桐生市の高区及び低区配水池があり、雷電山は水道山公園として整備され、国の登録有形文化財に登録された旧配水事務所は昭和七年に建設されたもので、それが今、『水道山記念館』として保存され、会議や研修等で市民に利用されているのだということでありました。
ちなみに上皇陛下が皇太子時代にこちらに訪れた経緯は、那須の御用邸に向かわれる途中の休憩地点として群馬県から桐生市に急遽白羽の矢が立てられ、急遽決まったものだったようで、御用邸からのお帰りにもまたお寄りくださったようでした。
本日と明日、大阪府大阪市の同修町にあります、病気平癒・健康成就の社 【少彦名神社】さんの例大祭【神農祭】の日となっているようです。
地元では神農さんと呼ばれ大変親しまれている神社さんのようです。
大阪のお祭りは、今宮戎神社の「十日戎」で始まり、少彦名神社の「神農祭」で終わるため、神農祭は「止めまつり」あるいは「とめの祭り」と呼ばれているのだとか。
【神農祭】で授与される、【五葉笹】という笹に吊るされた「張子の虎」(神虎)が有名であるようです。
これは安政5(1822)年、大坂でコレラが流行した際、道修町の薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を調合し、少彦名神社の神前で祈祷して、罹患者(りかんしゃ)などに施したのだといいます。そのときに、合わせて「張子の虎」を配布したといいます。
その丸薬の効能が高かったため、「張子の虎」の御守がよく知られるようになったのだそうです。
この縁起物の五葉笹には、表面に「祈願 家内安全 無病息災」と記された赤い紙札、「薬」の文字印が腹に押された「張子の虎」、少彦名大神御靈と記された布製の神札、花詞(はなことば)の札が付けられているのだといいます。
そんな少彦名神社さん。
少彦名神社さんどころか、大阪にすら行ったことのない私が、実はネットの情報から少彦名神社さんを知ることとなって、その授与品の御守のひとつ【開運金虎】という置守に一目惚れいたしまして。
こちらは少彦名神社さんの前にあおられる虎の像をそのままに模したもののようですが、虎が低い姿勢からこちらに向かって威嚇するように吠えている姿をしているのです。
写真で見るだけでもなんとカッコいい!
「どうしてもお授けいただきたいんだけど。郵送もしてくださってるようなんで、いい?」
と夫に宣言して。
お送りいただいたのは実に九月!
いつこの虎さんを飾らせていただこう。そう考えたとき、神農祭であろうと思い込んだのであります。
早く開けさせていただきたい思いを抑えて抑えて、ようやく今日の日を迎えました。
カッコいい♡
目にしっかりとした光のある、本当に素敵な素敵な虎の像です。
さっそく玄関に祀らせていただきました。
うー、朝から幸せです♡
もう少しだけ、横道珍道中録を。
「お次はどちらへ?」
うーん、ん?何をカッコをつけてる?そもそもがこのイベントのことを告げたとき、大きなため息をついて「いいねぇ〜っ」とか言うから、なら行こうか、ってことになったんでしょうが。
ま、じゃあ、どうしても行きたかったとこ!
【四辻の斎嘉】とかいう名称になっている、織物会社のおうちと蔵のあとをできる限り当時のままで保ちつつ、お食事を提供しているというお店です。
私が知るところでは高級料亭的な…。この機会を逃したら一生入れないんじゃないかという、貧しい珍道中夫婦はこの機会を決して逃してはならない!
で、到着いたしました。
…おうち、でしたかぁぁ…。
そうですか…。
これは…。
高級なオーラがが道路を歩いていても感じられます。
あがっていいのか?
って…ここ縁側。ここから?
玄関ってどこでしょう。うーん。
あ、なにやら呼び鈴が置いてあります。これでお呼びする?
チン!
「はい」奥の方からお声がします。
「お待たせしました。どうぞお上がりください」
「…ここからでいいんですか?」
「沓脱石ですので」
いやいや、それは知ってるんですけど、ここから?っていう意味合いなんですけど…ま、いいか。そうおっしゃってるし。
あがってすぐに、やや早口の慣れた様子で、こちらの建物や家具などの説明をしてくださいます。おおっ!
ここって、いつもこんな感じってこと?
高級料亭って書いてあったのは間違い?
…間違いなようです。
「こちらのような高級料亭さんには一生縁がないだろうと、今日からの一斉公開にと参った者なのですが…」と申し上げたところ、
「今はこんなご時世なこともあって、喫茶のようなことをしているんですよ」
とのこと。おぉ、…喫茶くらいなら私たちでも大丈夫なんじゃない?
入ってすぐの間に。
「この電灯の笠、ノリタケのものなんですよ。隣の間にある物も。」
ノ、ノリタケの電灯の笠〜っ?
何やら天井も特殊なようです。しかもこの建物、築九十九年とのこと。なのにくすみなどなく美しい木なのです。
欄間も上品な明り採りと、その明かりを楽しむべく美しい組み木となっています。
「これ、こちらのオリジナルなんですよ」
んっ⁉︎オリジナルぅ?
この家を建てたときの主さんは、「金はいくらかかってもいいから、そのかわり納得いくものを造って欲しい」といい、宮大工を雇って造られたのだそうです。
なんともカッコいい。
そう言って造った家は築九十九年経った今も、軋み一つない。
ほおぉぉぉ〜。
はあぁぁぁ。
案内していただきながら、何度そうつぶやいたことでしょう。
古さを感じないのです。
先へ進むと、二階へと向かう階段があります。これはまた急なこと。
ん!
階段箪笥…ハコ階段だ!
黒光りする階段は移動可能でその側面には立派な戸棚と引き出しがいくつもあります。
この引き出しがなんとも軽く開くのです。造り自体は厚く重厚なのですが、建てつけがいいのです。中は桐が使われています。
このハコ階段、しっかりと木を乾燥させて造らせたものだからこその建てつけの良さなのだそう。
手摺には飾り彫りが施されています。これを鑑定してもらった結果、この階段だけでも一千万の値打ちがつけられているのだとか。
はあぁぁぁぁぁ…。
でもそうかも。こんなにしっかりとしたもの、なかなかない物だと思いますもの。ふー。
そして食器棚が並びます。
階段の向かいには蔵の壁があります。家の中に蔵、かぁ。
その蔵の扉の大きなこと!
扉には女扉と男扉というのがあるそうで。扉も漆喰。
その扉、なんと開け閉め体験もさせてくれます。おおっー。
その大きな扉、思ったより重くはなかったです。
蔵もすごい!と思いつつ、私は気になってしかたない、大きな大きな黒光りする金庫が!
思わずびっくりマークが多用されます。
その面には家紋が飾られています。
金庫も実にスムースに開きます。黒光りは漆。中には桐の戸棚が設えてあります。火事となっても中の物を守れる桐という素材が実に多用されているおうちです。
思わず合掌してしまっていました。
蔵の中は古い家具を綺麗に配置して、部屋のようになっています。
茶箪笥があり、中にはびいどろの
小鉢や、やはりノリタケのフルに揃ったままのティーセット。縁取りは、金。…。
おままごとセットのいくつかも残されてここにしまわれているのですが、小さな小さな…そう、リカちゃん人形に持たせる…には少し大きいくらいのサイズの羽子板があるのですが、一切の手抜きのない本物をそのまま小さくした物なんですよ。
こんなものまで職人に作らせているんですねえ、はあぁぁぁ。
蔵の二階へと続く階段は、狭くて急でちょっと怖いです。
で、そういった蔵特有(?)の階段の登り方っていうのがあるらしく、案内してくださってる方がレクチャーしてくださる。
そんな階段ですら素材も造りも一切手を抜くことはなかったようで、見た目も美しいし、やはりヘタリも歪みも軋みも何一つないのです。
登り終わった空間は、今は蔵としては使われていないこともあって、広い一つの部屋でした。
さすがに土蔵ではあるし、蔵として使われていた期間があるので、壁とかはやはり汚れがありますし、塗りも土蔵では回数を控えたのか、そもそもの色がくすんでもいますが…。
選んだ照明の色が、暖色系なこともあり、なんともあたたかな居心地の良い空間です。ええ、蔵、なんですけどね。
しかも澱んだような、カビ臭いような、古い建物にありがちな匂いは一切しないのです。ええ、一切!
上手に換気できるような工夫があちらこちらにされているのだといいます。
それがどこの蔵もなのか、ここの…「金はいくらかかってもいい」という建主の言葉によってそういった工夫がされているのかは一切不明です。そうそうお蔵に入ることなどない人生を送ってきていますので。
置かれていたのは立派な作りの箪笥が二棹。
それとこちらのお宅が商売で使われていた書類だったり書物だったり。五玉で厚い木で裏打ちされた算盤が二つ。
それと織物で使った何か。
なにより私の目を釘付けにしたのが、こちらのお宅のヒストリーであります写真が幾葉か壁に飾られたもの。
その写真一枚一枚、けっこうな大きさなんです。写真館とかで撮られる、大きな方のサイズのものです。
でもね…。明治から大正時代でしょう?今とは違ってそんなに気軽に写真が撮れる時代ではなかったのですよ。
それがしっかり残されている。
こちらを建てたご当主のお顔の写真と、こちらを建設中の様子のもの、それも二枚。どなたかの結婚式の際撮られた集合写真。この家のどなたかが出征される際の…見送る側を撮した写真。
そして…。この家を建てた方の葬儀の際の野辺の送りの様子を撮った遠景写真。
すごい、すごい、すごい!!
しかもこの家を手離すまでの間の保管がよかったのでしょう、まるで色褪せていないのです。
これもまたすごいことです。
はあぁぁぁぁ。
ここにずっと居たいくらい居心地がいいのです。蔵の二階、ですよ?
見上げた天井は太い梁。船底天井、というのだそうです。
なるほどまさに船底を逆さまにしたかのようです。中央の部分が周囲より高くなっております。
それもどちらかというとまるで大きな船の船底のように、傾斜が急で梁が太いのです。言い方を変えると天井に平らな板の部分がない。
まさに船の底です。
そのため大変空間が広く感じられます。これにもきっと深い意味があるのでしょうね。
太い梁には何年何月に造られた、大工は誰だれという墨書きが残されています。その脇に長い棒が沿うように置かれております。
蔵の二階の中央部分に、がっしりとした格子の柵がはめられています。
大きな荷物を出し入れするとき、この格子を外して荷物を移動するのだそうです。
いやぁそれにしても本当にここの蔵の二階、私にとって最高の居心地の空間です。
もう少し居たいのだけれど、なぁ。
無情にも手慣れた案内をされる案内人の方は、スッスッと慣れた様子で先ほどの急階段を降りていきます。
ちなみに、こちらのように室内となっている蔵の戸は通常開け放っておかのだそうです。金網の戸もあり、さらに有事の時だけ締める扉もついていて、大火の多かった時代、火災に対する対策は万全!でありました。
蔵をあとにして。
今度は二階へと案内されます。あのハコ階段を登っていくと、昔の…今で言う出窓がありました。
これって…風情があるとかないとかよりもやはり空調的な意味があるのかも。…わからないんですよ?ど素人ですから。
で。
階段を登りきり、廊下へと向かいます。大きな窓です。
吹きガラスの窓がこの廊下にあるものはみな、一部分磨りガラスで模様があります。
ずずっと同じに窓が続く廊下です。
ふぅー。
その廊下からの部屋は、まあ当然といえば当然ですが畳の間です。二間あります。十から十何畳かの部屋が二つ。
おお、素敵なお洒落な欄間です。
そして奥の間には床の間が壁一面。
畳の間を抜けるとまた廊下があって、またまた大きな大きな掃き出しの窓です。
「この廊下、実は普通じゃないんですよ」?
いや?
いたって普通の板敷の廊下ですが?
板が立派?…まぁそれも当然そうなんでしょうが。
いやぁ、…なに?
「立ってみるとわかります」
?
立ってみると?
…まさかの床暖房とか?いくらなんでもそれはないでしょう。
恐る恐る廊下に足をおろします。
…そう、私くらいの年の方ならご存知の、あの、回転するレコードプレーヤーの上で回るレコードに針をおろす時にも似た感覚で。
ンン⁉︎
何、何?
斜めだ、斜め!何?
なんで?
とりあえず、斜め、でした。
その理由は。
台風だとか雷雨の時に吹き込んだ雨を掃き出しやすいように、とのことであります。
…はあ。
しかも庭に面した廊下だけな理由は、「人の通る往来にはできないから」
…はあぁ。
実は感覚が鈍くわからなかったのですが、一階の庭側の廊下もそうなっているのだそう。
はあぁ…何から何まで、至れり尽くせりのおうちです。
で。
この床の間のある方のお部屋。
お客様が座られる位置にもとんでもない、計算された工夫がされていたのです。
それは…あの大きな大きな窓を開けると。
床の間に向かって右の窓には観音山と呼ばれる山が。
左の窓には吾妻山。
床の間の横に造られた窓からもやはり地元では有名な山の姿が見えるように造られたというのです。
そのため、蔵と母家の建つ位置すらずらして建てているのだそう。
はあぁぁ…。
追記すれば、あの、こちらに入るのに通ってきた庭の向こうには、テニスコートがあったのだそうで。今もその名残がありました。
どんだけ〜っ⁉︎
はあぁ。
四辻というのは、以前からの名称で、四つの町名がクロスする辻にあるから、そう呼ばれていたのだそうです。
はあ。
Eテレの【趣味どきっ!】の【仏像の世界】も残るところあと一回となりました。
前回は奈良県の【室生寺】さん。
この室生寺さんの回を観ていて、あらためて自分が仏像が好きなことを思い知るのでありました。
室生寺さんには修学旅行でも行っておらず、この趣味どきっ!を観て初めて知ることばかりでありました。
?。
あれっ?。
だったら何故私は(いつか室生寺さんへ行きたい)と思っているのだろう。
この番組は、駒澤大学の仏教美術史の教授、村松哲文氏と二人のアイドル…一人は毎回村松教授と案内人を務めるアイドルさんで、もう一人は毎回別のアイドルさんが、仏像にお会いする旅をする、というものであります。
アイドルさんにしろ、お笑いタレントさんにしろ、この手の番組に出演すると、『特別に』! という理不尽な理解できない言葉のもと、本来は拝観できない御仏の御像に間近でお会いでき、私どもはその度にテレビの前で一頻り憤慨するのでありますが。
そもそもがお仕事で、旅費もかからずに日本各地をまわられることすらが、貧しい私には羨ましい。
こんな風に羨ましく思う心こそが貧しいものであります。…などということは私のなかのどこかは微かに理解しているのではありますが、まだまだ未熟な私の本音はやはりそんなレベルにしか過ぎないのです。
とはいえ、隣の芝生は青いという言葉もあるように、そういったお仕事の大変さはみえないのでありますが、ね。
明るいスポットライトの光の作り出す影は、もしかしたら濃いのかもしれないし。
まぁ、そんな悲しい貧しいこころを秘め、テレビの画面を通じてアイドルさんたちと一緒に毎回お寺さんを知る旅をなぞるのでありました。
閑話休題。
で、室生寺さん。
建物を観ても、何一つピンとこず、御本堂のご本尊さまを拝しても、金堂のご本尊さまを拝しても、やはりピンとこず…。
何が私を呼ぶのであろう。
あっ!
おられた!
そうだ、十二神将さまたちだ!
うーん♡
こちらの十二神将さまたちの、生き生きとしたさまといったら!
一目で虜になってしまいます。
躍動感あふれる、そしてさまざまな表情をした素晴らしい素晴らしい御像です。
それにしても…。
今、その十二神将さまたちは一堂に会してはおられないのです。
本来はご本尊さまを中心にして、十二の方角を護っておられる方たちであります。
なんともそれが寂しくてなりません。
それでも私がこちら【室生寺】さんの十二神将さまを知った頃はまだ、たしか二体…二柱だけ国立博物館(だったと思うのですが…)に移られてはおられたものの、ご本尊さまを残りの十体…十柱の神様たちでお護りになられていたのですが、ここ何年かの間に宝物殿が建ち、そちらに六体移されて、残る六体がご本尊さまをお護りになるようになられたのです。
長い年月を経て、お力はますます強くなられ、六柱の神様たちでも充分お護りになれることかとは思いますが、神さまたちは今までずっと共に居られたのに、お寂しくはないだろうか。人間の勝手で持ち場を離れることに抵抗はなかったのだろうか。
…などと人間の視点で思わず考えてしまうのでありますが、神さまのお力はそんな小さなものではないので、きっとそれくらいの距離などなんということもないのでありましょうが、人間の感覚で言えばやはり十二神将さまはみなひと所におられ、それぞれのお役目を果たしておられるお姿が見たいと。
…そうかなぁ。
本当は私が思う通りにそこに居たかったのではないかなぁ。
それでも笑って人のするがままに身を任せてくださったのではないかなぁ。
いつか室生寺さんを訪れることが出来たなら、十二神将さまにそっとお尋ね申し上げてみようかしら。
もしそんな日がきたら、一寺一社、最低でも一日かかるとしか思えない。うーん。
…それこそが煩悩です。
そんな【室生寺】さんの宝物殿の設置の背景には、温暖化の影響によって虫害など仏像にとって有害なことが増加していることがあるのだそうなのです。地球環境の変化は文化財の保存にとっても脅威となって迫っているようです。
お寺としてはそれでもやはりそれぞれのお堂の本尊はやはりそのお堂でまつりたいという思いがあったようで、金堂の十一面観音像、地蔵菩薩像と十二神将像のうちの六体、そして弥勒堂の客仏の釈迦如来坐像、合わせて九体が宝物殿に移されるにとどまったようです。
十二神将像はこれまで金堂内に十体が一列に並んでおられたようでした。宝物殿ができたタイミングで博物館寄託の像を戻した上で、金堂と宝物殿に半分ずつ安置することになったのが今現在の在り方であるようです。
十二神将像は高さ各約1メートル、ヒノキの寄木造で、鎌倉中期ごろの作といわれています。
保存状態は全体に良好で、台座もすべて当初のもので、一部には戯画が描かれているものもあります。…かつて博物館で一度お会いしただけに過ぎませんが、それはたしかなことと思うのです。
私を一目で虜にいたしましたこちらの十二神将さまの御像の魅力は、引き締まった体躯、ぴしりときまったポーズ、それぞれが個性的な姿をしていてそれでいて全体としてよくまとまっているところにありましょう。
しぐさが大きく、また体のひねりがきいている像が多く、これがまたたまらなく魅力です。
表情もまたさまざまで、怒りをあらわにされた方、おどけたユーモラスな表情をされる方、さまざまで、それがまたお一人お一人のたまらない魅力であります。
十二神将さまは、十二の方角に基づく十二支の動物がそれぞれの頭部に標識となるよう動物の頭が記されております。
子神、辰神はその標識であります動物を失っているので、厳密にはどちらであるのか不明であるともいわれてはいますが、兜を着け、左手を高く上げる御像が子神とされています。
いま、丑、午、申、戌、亥の六体が金堂に安置され、宝物殿には寅、卯、辰、巳、未、酉の六神将が移されておられるようです。
実際、仏像に大して興味がなかった方ですらが、この室生寺さんの十二神将さまに一目で魅せられたと語られる方は数多くおられます。
異口同音に豊かな表情と、躍動感あるそのお姿に一瞬で心奪われたと語られます。
そして十二神将さまそれぞれの個性。自分の好みの…というと不敬ながら、でもやはりその一体一体の個性で、人はそれぞれお好きな神将さまがいるようです。
さらに不敬ながら、その好みの十二神将さまを聞けば人気ランキングなども出来るくらい、関心は高いようです。
人が生まれながら持つ、生まれた年の干支にまつわるそれぞれの神将さまが必ずおられることも興味を持つ一つのきっかけともなります。
私の干支は…秘密ですが (^^;)。
ちなみに。
若いころは長いものに巻かれないタイプだっただけあって、長いものに苦手意識があるのかどうか…、それぞれの神将さまのお名前がまるで覚えられない。
真達羅大将(亥神)
摩休羅大将(戌神)
波夷羅大将(酉神)
因達羅大将(申神)
珊底羅大将(未神)
末儞羅大将(午神)
招杜羅大将(子神)
毘伽羅大将(丑神)
宮毘羅大将(寅神)
伐折羅大将(卯神)
迷企羅大将(辰神)
安底羅大将(巳神)
…。
お読みすることすらが困難です。
覚えられないことのなんと多いヤツでしょう。
好きと言いながらもそのお一人すら覚えられない十二神将さましかり。
全てまわったと言いながら、認知症の進行予防に使われているくらいな秩父三十四箇寺さん。
…まったくもってやれやれ、でございます。
ずっと心であたためておりました、お寺さんと神社さんへ行ってまいりました。
栃木県の【西明寺】さん、【大谷寺】さん、そして【宇都宮二荒山神社】さんです。
都道府県魅力度ランキングというものが毎年発表されており、今年は群馬県知事がこれを不服として会見を開くなど、毎年その注目度も上がっているようです。
ちなみに群馬県民としては何よりこの県知事の行動および発言こそが一番恥ずかしく、意欲を削ぐものなのですが、大体の政治家は民の意見や考えを知ることもなく、その努力をしないという一例で。本当にご勘弁願いたいものです。
ランキングというからにはどうしても最下位という不名誉な立ち位置となる都道府県が生じますが、あくまでもそういった数字的なもの。
昨年最下位となってしまった栃木県にしろ、今年その立場となってしまった茨城県にしろ良いところを挙げたらキリがないくらいです。
その証拠に昨年の最下位を脱して栃木県は群馬県を上回っています。
少なくとも県知事がめくじらを立てることなどないことです。住んでいる者たちは自分の住む土地の良さを知っているものです。憧れと現実は違うものです。
閑話休題、すぐに脱線するのが私の悪い癖です。
とはいえ、栃木県、素敵なところがたくさんあります。語ればキリがないし、今回行かせていただいたところも本当に素晴らしかったです。
まず向かいましたのが芳賀郡益子町にあります西明寺さんです。
坂東三十三観音霊場の一寺となるお寺さんです。
こちらへ行きたかったのは、茅葺きの楼門や閻魔堂。そして三重の塔。
もう、このシチュエーション、胸がときめきます♡
で。今回は私の苦手分野の高速を使うということで、その運転は夫まかせ。本当におんぶしてばかりで心苦しくは思うのですが、運転だけは他者への迷惑や、ひいては事故にもつながるもの。可能な範囲での運転だけにとどめておきたいのでありまして。
栃木県芳賀郡益子町にあります【西明寺】さんは、のどかな田園風景の広がるところをさらにさらに奥へと向かう人里離れたところにありました。
ナビを信じきれない珍道中ペアは、途中で車を停めて見たほどであります。車を停めたところは病院のそばで、のちにこの病院が西明寺さんが地域のために建てた病院であったことを知るのですが…。
…そこから少し登っていくと西明寺さんの駐車場でありました。
ナビには目的地は映るものの、道もなく当然駐車場もない、点ですらないところにポツンと西明寺さんの名だけが表示されるものですから、なんとも不安だったのです。なにしろ平安の頃からここにあるというお寺さんに道すらないはずがなく。
おそるおそる車を走らせ、ようやくたどり着いたのはあまり広くはない駐車場でありました。
たどり着いたものの、その駐車場から見える建物はどう見てもお寺さんという建物ではなく、テラス席のある食堂?事務所?
不安ばかりがつのります。
ただ…。
ここが仮に西明寺さんでなかったとしても、高速を走らせてきた(走らせてきたのは夫ただ一人ではありますが)身としては、一定時間を過ぎるともよおす生理現象がかるくサインをおくります。
こちらでお借りしてお話を伺おう。
…って、事務所のように見えていた建物、窓の外が平台のようになっており御守等が置いてあるではないですか!
ここ、西明寺さんの…庫裏とかですか?
何やら入り口にはトイレのことすらも書かれています。至れりつくせりで…。
受付の方にお声がけして、まずは手水以外の身を清めましょうか。
ところで、あとで夫から聞かされるのですが、男性用トイレにはたいそうユーモアあふれる貼り紙があるそうな。
あとで紹介いたしましょう…忘れなければ、ですが。
さて身を清めたところで。
こちらの方にお礼を申し上げに受付へとまわりますと、何やら貼り紙がされています。かなりの長文です。
…なんでしょう?
その、受付のところにありました触れ書きには、
『…本来午年の御開帳ですが…コロナウイルス退散を願い丑年結縁事業…御開帳しております。本堂内陣にお入りになる場合は…受付で…』
…。
…午年の御開帳かあ。
…ん?ちがうぞ!御開帳してくださってるんだ!
御内陣まで入れるんだ♡!
う、受付!
受付でしどろもどろになるくらいに興奮している私に、〝どうどう〟と馬でも落ち着かせるかのように手慣れた感じで、自然な感じで話を進めてくださる受付の方。
「ではこちらにご記入ください」
…ってこの受付の紙、御朱印の受付書でもあるんじゃない!
「あっあの、御朱印もお願いしたいんでよろしいですか?」
「ああ、それでしたら…これだけ御朱印の種類があるのですが、どれをお書きしましょうか」
じゃーん!
…結構な種類です。ん?
あ、こ、これは!
何度となく本で見たことのある、閻魔さんの、それも大きな口をあけてお笑いになる閻魔さんの描かれた御朱印がその中の一枚として紹介されているではないですか!
うーん。うーん。
ひたすら悩む私。
そんな私をみて、受付の方は本来なら書いて出す書類を引っ込め、
「お名前だけ教えてもらっていいですか?」
名前を書いての受け付けとなる紙に、受付の人が名前を記入してくださっています。二人で来ているのにそんなことまでさせて、本当申し訳ございません。
御朱印は三種類お願いいたしました。あれもこれもお手数ばかりですみません。
悩んで、でもやはり閻魔さんのものもとお願いしたことは言うまでもありません。
思えば。
ここでお手洗いをお借りしなければ、そのまま石段を登ったに違いありません。
御朱印は参拝させていただいたあとに、ということが大抵の寺社で言われております。
その神社さんあるいはお寺さんの方針…ご好意で先に御朱印帳をお預かりくださっているところではそのご好意に甘えさせていただきますが、そのように明記されていないところでは基本的に参拝させていただき御朱印をお願いしておりますので。
それがここでお手洗いをお借りするような状況であって。
受付の方にお声かけしたからもう一度御礼のお声がけをしようと受付に立ち寄り…。
それではじめて今年御開帳されているという、結構長いお知らせを目にすることとなったのです。
そうでなければ御開帳されていることに気づくことなくお参りを済ませ、御朱印をお願いしたあとも下手すればそのお知らせを読むことなく、普通に参拝してこちらのお寺さんをあとにすることとなったに違いありません。
これはもしかして御仏のお計らい?
…すぐに自分に都合よくとらえるのはどうかとも思うのですが、そこから御仏にさらなる感謝の気持ちがうまれ、さらには受付の方への感謝と、良いことにつながっていれば、おあとよしということで。(これがまた自分に都合よく考えていることに気づくべきではありましょうが)
ともあれそんな晴れやかな思いで石段を登りはじめました。
現実は数段のぼっては石仏さまの元へ立ち寄り、なかなか進まないのですが…。
こちらの石段から始まって、境内のそこここに同じ作り手の石仏がお立ちになっております。光背にあたる部分に〝坂東○番○○寺〟と刻まれています。坂東三十三観音霊場のそれぞれの観音さまの像がお祀りされているようです。
なかなか全てのお寺をまわれない方のために、建てられたのかもしれません。
石段はそれなりに長いものであります。そして結構急な傾斜でありました。
立ち止まった際にそこでバランスを崩し転倒などすると、階段落ちを演じてしまいそうな危険を感じるものでありました。
この日あまり参拝の方がおられなかったこともあって、人がおられないタイミングで立ち止まって観音さまを拝してみて。石段の途中の坂東三十三の観音さまを一つ一つ拝むのは危険であると思いました。…えっ?そんなレポートはいらない?
…ですよね。(^^;)
石段を登っていくと、茅葺きの屋根が見えてまいります。
楼門です。
大きなどっしりとした門は、白木のまま…だったのか、それとも長い年月を経て塗りが落ちてしまったものなのか、塗装のあとは見当たりませんでした。扁額に塗られた塗装が色褪せてその文字が読めないくらいになっています。
しっかりとした造りで、大きな傷みなどは見当たりませんので、江戸時代末期くらいのものかと思いきや、室町時代に建てられたものなのだとか。
ほおぉぉ。
そのような古さを一切感じさせない見事なものです。とにかく傷みがない。
門に取り付けられた木の柵のかげから仁王さまが見えます。そのお顔はお二方ともよくはみえないのですが、側面の柵の間から見える脚や衣の流れるさまなどたいそう見事な造りです。
こちらもよくは見えないながらも傷みなどはあまりないように思われます。
茅葺きの屋根は…隅棟というのかどうか隅部が大きく反り返った造りとなっていて、それがこの楼門をさらに大きく豪華なものにみせています。
茅葺き屋根なんですよ。
すごくないですか。
そしてその楼門のひだりてに三重の塔がそびえ立っております。
うわぁぁ‥‥。
圧倒されるような感覚に感動が相まって、何やら自分でも自分の感覚をどうとらえていいのかすらわからない状態で。
三重の塔を見に行きたい思いをなんとか抑え、門をくぐります。
うわぁ。
正面にはさらに一段高いところとなって御本堂が。
みぎてにはやはり茅葺きの大きなお堂、ひだりてには鐘楼があります。
感動で自分だけ時が止まったかのようになりました。
ナビにもよく出てこないような、山の中腹にポツンとあるお寺さんなんです。
バスも通わず、ふもとにも参道の気配などなく、お土産屋さんなども一切ないお寺さんです。(とはいえ坂東三十三観音霊場の一寺ではありますが…)
すごい…。
こちらの歴史は古く、行基菩薩の草創とされます。紀貫之の祖先となる方の建立となります。
時は天平、737年のことだったといいます。
建立から五十年かけて一山十二坊という大きな寺院となったようです。
それが。
1127年、兵火によりお堂から塔から、十二坊全てが焼失してしまったのだそうです。
…うーん 。…>_<…。
みぎてにお堂、ひだりてには鐘楼。
どちらも茅葺きのものであります。
見ない、見ない!
…馬車馬の顔の横につけられる横が見えないようにするものが欲しいくらいです。
真っ直ぐ御本堂へと進みます。
石段の左脇に、手水舎ではないのですが清らかな水が絶えず流れている、ちょうど洗面台くらいの大きさのものがあります。湧き水でしょうか、大変綺麗な水が、水道の蛇口をスッと軽くひねった時に出るくらいの、結構な流量で竹で作られた水路から絶えず流れています。
そのさらに左には回向柱が数本立っています。
そんなところに目をやっている私に、
「これはなんだろう」
夫の声のする方に目をやると、結界のように囲われた舟形の石が、石段を登り切ったところに敷き込まれています。
…なんでしょう?三十センチ、位でしょうか、そんなに大きなものではありません。結界のように囲ってはありますが、そこに吊るされているのは、…五円玉?五円玉です。
なんでしょう?
とりあえず御本堂の真ん前に仕切られているもの、何かしらの意味があるものでしょう。合掌して横を通りました。
おおっ!
大きな。思ったより大きな御本堂でありました。
やはり白木のままの建物であります。
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