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神社仏閣巡り珍道中・改

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旅人さん
22/05/01 05:31(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。




21/07/02 14:43 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。






21/07/02 15:02 追記
そんな方のためにも、もう少し上手く書けないものかとあれこれ考えたりもしたのですが、なかなかそれはそれで難しく。
結局自分らしく、ありのままに書くのでいいのだと、なかば開き直りにも近い境地に至って、飾らない、思ったまま書くスタイルをつらぬいております。
今後も今まで通りの誤字脱字、おかしな文章表現かと存じますが、おつきあいいただければありがたいと思っております。┉ずうずうしくてすみません。



No.3321842 21/06/30 15:45(スレ作成日時)

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No.151 21/10/12 18:08
旅人さん10 

昨日十月十一日は群馬県みどり市の【自音寺】さんの大縁日。毎月十一日がお縁日でありますこちらは真言宗のお寺さんでご本尊は【十一面観世音菩薩】さま。
…十一面観音さまだから、十一日?私の知っていた十一面観音さまのお縁日は、〝二十日〟となっていたはずなのですが…。
気になって十一面観音さまをご本尊とされるお寺さんのお縁日を調べてみると、実に千差万別。
十八日であるのは、観世音菩薩さまのお縁日であるからでありましょう。
変化(へんげ)観音の初めが十一面観音さまといわれているくらいです。観音経にあります【普門】というのがあらゆる方向を向く顔の意味で、十一面はそれを具象化した菩薩さま、なのであります。
二十一日というところもございました。
二十一日は弘法大師さまのお縁日であります。こちらは真言宗のお寺さんですのでそういったこともあるのでしょうか。
なにぶんにもこの日は大祭でありますので、お寺のあちらこちらを行ったり来たりされておられるお忙しいご住職さまにうかがうこともはばかられ。
真相はのちほどご住職さまに伺ってあらためてご報告させていただくといたしましょう。


自音寺さんに私が到着したとき、御本堂の真正面に護摩壇が設けられていました。まだお護摩には火をくべられてはいない状態で。

まずは御本堂におまいりに。

檀家の方々がさまざまな場所で大祭の担当をされておられます。御本堂の前では消毒液を手に持つ方、お線香をすすめる方…。
「ご真言をどうぞ」とその中のお一人が申されます。
ええぇっ?!

普段なら御本堂の前にご真言が大きな字で書いてあるのですが、それが大祭のため掛けられた五色の垂れ幕で見えないんです。
…。

「まあ、ご真言は無理にとは言わないので。」

さては意地悪をされました?

No.152 21/10/12 22:10
旅人さん10 

お護摩を焚き始めた副住職さまが、一人の女性と何か話をされておられます。どうやらお護摩についての説明をされている様子です。すかさずそばに行って聞き耳を立てるおばさんが一人…と思ったらもう御一方。そのうちさらに御二方が集まって、いつの間にやら副住職さまのお話を聴く輪となっておりました。
最初のお話は聞き逃したものの、お護摩での木の組み方、重ねる段数の決まり事などなどをつらつらとお話くださいました。


本日のお護摩はお不動さまの不動護摩で五本の木を組んで置くのだとか。本数とか組み方にそれぞれ決まりがあって、これがお正月には本尊護摩、つまりは観音護摩となるのだそうで、組み方とかいろいろな決まり事が変わってくるのだそうで。

コロナ禍でなければ護摩木に参列者の祈願等を書いたものをお焚き上げするのだけれど、この二年は木のみを組んでお焚き上げされているとのことでありました。
お焚き上げの炎にくべる木の葉は樒(しきみ)。お寺には必ずある木なのだそうです。

知らなかった…。

樒という名こそ聞いたことはあったものの、お護摩は一つのお寺さんの護摩修行に参列したことがあったものの、そこで樒をくべておられた記憶はなく…まるで異なった木の枝であったと記憶しています。葉の形がまるで異なっていたので記憶違いということもないかと思うのです。たぶんそちらでは杉の葉をくべておられたはず。

樒という葉はまさに葉っぱの代表といった形をし、濃い緑色の…椿とか榊とかの葉によく似たものであります。
また一つ学んだ私でありました。

この樒という葉、火にくべると良い香りが漂うものでありました。

実はこの樒という葉は、真言宗の修行に欠かせないものなのだといい、お山での修行では十四枚の樒を炎にかざしそれを一日三回する修行があるのだそうで、その時の樒は今でも持っておられるのだとか。それはご自分がお亡くなりになられた時にお使いになるものとなるのだとのことで、御本堂の内陣の下にしまってあるのだとおっしゃっていました。

深いなぁ。


そして、今、樒について調べたところ、私この木この樒の花を見たことがあったことを知りました。どこかのお寺さんの境内で、変わった花の咲く木だと見上げたものです。
スマホで検索をかけたものの名前がわからず、ずっとそのままになっていたのがこの樒の花でありました。


No.153 21/10/13 13:35
旅人さん10 

ところで。
【樒】という葉、枝は、私のように植物に(も!)詳しくない人間には、あの【榊】との違いがさっぱりわからない。
護摩壇のそばに置かれた樒の枝を見て、榊?と思ったくらいです。
強いて言えば、枝として置かれていたら、榊は左右対称に葉が生えているのに対して樒は違うかなぁ、と。それゆえ〝榊ではなさそうだ〟とその場で気づいたくらいであります。
しかし葉だけにちぎったらもうその違いはさっぱりわからない。そのくらい似ているんじゃないかと思ったのでありました。少し樒の方が柔らかいかな?

そんな樒。
実は毒のある植物なのだそう。



2.香りによって獣を退けることができたり供物にできたりすると考えられたから

昔は今に比べるとご遺体を守ることが非常に難しいものでありました。
遺体の安置も密閉された空間でもないため、野生動物からも守らなければならず、また、ご遺体の傷みを防ぐためのドライアイスなどもありませんから当たり前で。

そこで用いられたのが、樒なのだそうです。
樒(しきみ)は毒性が強く、香りを放ちます。このため、この香りによって獣を遠ざけることができると考えられたわけです。
また、ご遺体が腐敗していくときに生じる臭いをわかりにくくさせるという役目も担っていたのだといいます。

樒(しきみ)は、また、非常に長持ちをする花・植物でもあります。水を張った花瓶にさしておくだけで花瓶の水を腐りにくくする効果もあるとされています。季節の花と一緒にさしておくと、花の管理もしやすいとされています。

とはいえ、私の住まうあたりではスーパーの生花コーナーにも榊は置かれていますが、樒は見かけたことがありません。
葬儀の際にも特に希望しなければ、樒が使用された生花の祭壇に使われることはないのだといいます。
宗派によっては樒はかなり重要視されたもののようなのですが…。


これが関西に行くと、お店には榊も樒も、常に置かれているのだとか。
関西と関東圏は宗教でも異なった点が多々あるようです。

No.154 21/10/13 14:17
旅人さん10 

仏様のいらっしゃる世界には、【青蓮華(しょうれんげ)】という花が咲いているといわれているといいます。
これはハスの一種であり、非常に美しい青~青白色を持っている花なのだそうです。優美なラインを描くこの花は、細く長い葉っぱを持っているのだそうです。
この青蓮華、昔から「仏様の瞳(の様子)」を例える表現として用いられてきたのだといいます。

【樒(しきみ)】は、この「青蓮華」の葉っぱとよく似た形をしていると当時の人達は考えていました。

また、樒も青蓮華も、仏様のいらっしゃる天竺(てんじく。現在のインド)に生えている花・植物なのだそうです。故郷を同じくする植物であること、また樒(しきみ)を日本にもたらしたのはあの【鑑真】さまであったことから、樒が〝仏教の花・植物〟となってあったのではないかと言われているそうです。


江戸時代の書物に【樒の形は、天竺の池の青蓮華に似ている。そのため、これを仏様に供す]という文章があるのだそうです。

花・植物の香りがそれほど多様化していなかった昔は、樒の持つ個性的な香りが、仏様や故人に捧げる香に相応しいと考えられ、さらには一年を通して美しい緑色の葉っぱをつけていらことからも冬場でも雪山のなかでも美しい緑色を放つ樒は、仏さまや故人の心を慰めるのにふさわしいものだと考えられたのではないかと言われているようです。

現在はさまざまな花が一年を通して手に入りますが、かつて花は「季節物」でした。こと冬場などは美しい花を手に入れるのが大変難しかった。
「季節を問わず、亡くなった人に美しい花・植物を捧げたい」という気持ちから、樒(しきみ)は仏事に使われる花になったという解釈もあるようです。

なるほど…樒かあ。

とはいえ猫の額どころかネズミの額ほどしかないわが家の庭にはもう、樹木を植えるスペースはないかぁ。

No.155 21/10/13 14:46
旅人さん10 

群馬県みどり市の【自音寺】さんの境内には十四年ほど前に造られた、【自音寺四国遍路】があります。
先代と現住職が四国遍路に出、その際それぞれが、八十八カ所各霊場のお砂をいただいて来られたのだそうです。
そのお砂を、踏み石の下と、八十八カ所各霊場のご本尊さまを写仏した石仏の下にそれぞれ敷いてあるのだといいます。

境内の狭い空間の一角に造られたもので、本当の四国八十八カ所のお遍路とはくらべることすら烏滸がましいものではありましょうが、それでも八十八の御仏の像一体一体に手を合わせて歩くと小一時間は掛かるもの。
祈りを捧げながらにしても、無心に手をあわせるにしても、八十八の御仏の前を進むうち、心のモヤモヤしたものが晴れていくのを感じます。
また、季節の花がここそこに咲いていて、今はホトトギスの花が咲いておりました。
そして…。今回、遍路のコースを終えて空を見上げると、な、なんとご褒美のように満開の秋の桜が咲いておりました。
青い空に満開の秋の桜。
…なんて幸せなのだろう。

短い、…本来ならお遍路というのも烏滸がましいものでしかありませんが、毎回心が洗われる思いがいたします。

こちらのお寺さんの檀家さんは四国遍路に行かれた方が多いようです。
いつか…いつか歩いてみたいのだけれど。
車で回るのでもいいから、いつか八十八カ所をまわりたい。

「とりあえず言えるのはなんだかんだ四国遍路にはお金と時間が必要だよ」とは自音寺さんの檀家の方で四国遍路の体験者の方。
うーん。やはりそうか…。
そうだよな。

No.156 21/10/13 17:54
旅人さん10 


群馬県知事、心底恥ずかしい。
都道府県魅力度ランキングに対し法的措置を検討って…。


このランキングって民間の調査会社が毎年年一回おこなっているものに過ぎないじゃないですか。
ゆるキャラグランプリと同レベルなものだと思っていたくらいです。
これに対して臨時会見まで開いて「なぜ群馬県の順位が下がったのか、判然としていません。根拠の不明確なランキングによって、魅力がないと誤った認識が広がることは、県民の誇りを低下させるのみならず、経済的な損失にも繋がる由々しき問題」とか述べてるし。
この発言、この行動こそ県民の誇りを低下させてますけど。

しかも毎年行われていたのに、何故突然今年に限って…。


昨年最下位となった県知事さんは不本意としながらも努力しアピールされておりました。
弁護士に相談して法的措置って…。

魅力あるならアピールすればいいじゃないですか。
解散総選挙の際縁起を担いで使われるダルマはそのほとんどが群馬県で作られてるものだとか、関東一の温泉地だとか。
ヤマダ電機もビッグカメラも、JINSもみんな群馬発祥ですよ、とか。
サッポロ一番のメーカーも蒟蒻畑のメーカーも群馬県発祥のもの。

マスコミに向けて語るなら、どうせなら良いとこをアピールすればいい。
日本に旧石器時代があったという遺跡が発掘されたのも群馬県だったとか。吉永小百合さんがCMで訪れたほど古墳がたくさんある県なのだとか。

うーん、語るほどではないか…。


そもそも昨年最下位となった県などは私に言わせれば、
「どうして?」
「あんなに素晴らしい歴史ある観光地がたくさんあって、美味しい食べ物もいっぱいあるのに」と思ったくらいで。

…ほんと恥ずかしいんですけど。

そんなことで臨時会見開くほど、群馬県って平和だってこと?


嗚呼、恥ずかしい。

やれやれ、です。

No.157 21/10/14 22:08
旅人さん10 

たぶんあと二日三日もすれば、とりあえず一輪は咲くであろう庭の菊。例年になくたくさんのつぼみをつけた菊たちですが、例年通りに父の祥月命日のお墓には供えられない。笑っちゃうくらいに咲かない。
で。
あと少しで咲こうという菊たち、ちょうど一ヶ月後の義父の祥月命日には間違いなく全てが花を終えている。
ほんっとに育ててる私そっくりの頑固で融通が利かなくてあまのじゃくな菊たちです。

そんなことで、明日は神社さんへ参拝し、父と義父のお墓参りに行きます。

そうそう、神社さんもお寺さんも、軒並み手水舎がコロナのせいで閉鎖されてしまったいるんだ。
こんなとき、ペットボトルの水で浄めるのでは…だめなんだろうな。
神社の中の清らかな水で身を清めるのが正しい作法のようだから。
かといって、今までは手と口を清めてからお参りするものだとされていたのに、そのままお参りするのもひどく失礼にあたりそうで。

…小心者はそんなことでもドキドキそわそわすることであります。





No.158 21/10/16 05:12
旅人さん10 

昨日行った神社さん。
やたら貼り紙が増えていました。主に撮影についてのことで、あちらこちらに貼り紙がしてあります。
うーむ、何かあったのかな。
たしかにこちらの彫刻は目を見張るほど細やかで美しいものであります。

ただ、その貼り紙のせいでなにやら心にさざなみが立ったことも事実であります。なにぶんにも拝殿のすぐそばのものばかり。
そんな貼り紙をするくらいなら、拝殿のすぐそばにある社務所?お守りや御札の授与所にどなたが一人立つだけで、十分抑止されるでしょうに…。
一日だろうが十五日だろうが、この授与所に人がいたことはここ何年もありません。立派な授与所なんですけどね。ここが使われるのはお正月くらいなんでしょうか。
境内の中の宮司様宅で授与されるようになって久しいようです。

いろんなお考えがあってのことでしょう。


ただ…。
私を含めてファンの多い狛犬さんに、大きな立て看板を立て掛けたのはどうかと思うのであります。
七五三の御祈祷の受付について、だったかな?
もっと他にも立て掛ける場所はあると思うのです。門の入り口とか橋の手前とか…。

狛犬さんには本来の大切なお役目がございましょう。立て看板を立て掛けるとことかではありません。神職の方が一番それをご存知なのではないでしょうか。
狛犬ファンはここ近年増加しております。ちなみに私はその一人ですが、そもそもこちらはもともと門の中は撮影禁止とうたわれていて、なのでこちらの狛犬さんの写真は持っていないくらいです。


思えばこちらはコロナ禍となるかなり前から、大きくて立派な手水鉢に頑丈そうな蓋がされてしまっている神社さんでありました。
手水舎も立派なものなのに、なぜだろうといつも思っていたものです。
まあ、ちょっと見方を変えれば、コロナ禍でなくとも衛生面では好ましくはないかもしれません。
そういったことに神経質な方であれば、手水舎での一連の行動はかなり抵抗のあることでしょうし、ましてやそれを管理される方がそういった行為に抵抗がある方であれば、そう考え行動されても仕方ないのかも…。






No.159 21/10/16 05:14
旅人さん10 

ただ…こちらはそれなりの規模の神社さんであり、ひきりなく参拝の方が訪れるようなところであります。
神さまとの正しい関わり方をお教えいただける機関でもあって欲しいかな。
写真を撮る時のマナーについては、神さまに不敬にあたることをお教えくださってはおられるのですが、何枚もの貼り紙は少し…。

えらそうに述べてはおりますが、そも、私本人が雑念が多いから、そういったことが気になる、ということなのでしょうね。

こちらに限らず、結構狛犬さんに副業をさせている神社さんは結構ありますので、狛犬ファンとしてのセンサーがただ単に発動しただけかもしれません。^_^;


No.160 21/10/16 17:40
旅人さん10 

ふと…。
神無月であることに気づきました。
神社さんをお参りしても神さまは出雲にお出かけになられている?
なんだかすごいショックです。
いやいやこういったことは大概旧暦、なのでまだ神さまはそれぞれの神社におられるはず。

そんなことを考えながら…。
神無月について調べてみました。

日本中の神さまが出雲の国に集まり会議を開くため、他の国には神様が居なくなってしまうことからこの会議の開催中を神無月と呼び、神さまの集まる出雲の国では反対に十月は神在月(かみありづき)と呼ばれます。
この会議は旧暦の10月11日から17日までの間出雲大社で開かれ、その後、佐太神社に移動し26日まで会議の続きを行うのだといいます。
その期間、出雲大社と佐太神社では神在祭が行われるのだといいます。

おお、私の読み通り、旧暦で、ということなので、今回のお参りには神さまは御在宅されていたということでありました。よかったよかった。


No.161 21/10/17 07:29
旅人さん10 

そんなわけで神無月について調べてみました。
和風月名で十月を神無月(かんなづき・かみなづき)といいます。全国から日本の神様が出雲に集まるからという理由が一般的ですが、他にも、「雷が鳴らない月=雷無月(かみなしづき)」や「新穀でお酒を醸す月=醸成月(かみなしづき)」からきているのでは、という説もあるようです。


出雲に神様が集まるとの言い伝えが世間で広く信じられるようになり、出雲では、神在月と呼ばれるようになりました。

ただ、出雲に神様が集まるとされていますが、すべての神様が集まるわけではないのだそうです。
一説によると、出雲に集まるのは国津神(くにつかみ)のみで、天津神(あまつかみ)は特に集まることはないともされているようです。

国津神・天津神とは、古事記・日本書紀など日本神話において、
地上に住む神様を国津神、天の高天原に住む神様を天津神といいます。
伊勢神宮におまつりされておわれる天照大神さまや豊受大神さまは天津神さまであらせられるので出雲へ出向かれることはないとされています。


出雲大社におまつりされておられるのは大国主神さま。かつて天照大神さまの孫の瓊瓊杵命さまに出雲国をお譲りになられた際、自分が住むところとしてお建てになられたのが出雲大社と言われています。
もともと大国主神さまは全国各地をお子さまに治めさせておられ、国譲り以前より、お子さまたちが一堂に集まった際その報告と会議を行っておられたようであります。


全国の神さまはまず、旧暦十月十日に出雲大社から約1km西方にある稲佐の浜に上陸されるのだそうです。
稲佐の浜というのは国譲りや国引きの神話で有名なところのようです。
その後、出雲大社へ向かい、旧暦十月十一日から十七日の間に、自らが鎮座する土地に関しての縁結びや翌年の収穫などについて会議を行うのだとされています。
その会議は、正式には神議り(かむはかり・かみはかり)と呼ばれ、出雲大社の境外摂社である上の宮で執り行われるとされます。

会議の期間中、神さまは出雲大社の本殿の東西にある十九社(じゅうくしゃ)に宿泊なさり、上の宮と十九社を行き来しておられるとされています。

会議がすべて終わる十七日には、神さまは出雲大社を出発しますが、すぐに元の場所に戻るわけではなく、出雲に数日滞在し二十六日に出雲から各地へ還られるとされてます。



No.162 21/10/17 07:39
旅人さん10 

この間、神さま方が集まられておられる【出雲大社】では【神在祭】を開催するといいます。

神迎神事・神迎祭|
日時:旧暦十月十日
場所:稲佐の浜、出雲大社神楽殿
19時頃に稲佐の浜で御神火が焚かれ、神籬(ひもろぎ)と龍蛇神が配置されます。神事が終わると、豊漁・家門繁栄などの信仰を持つ龍蛇神を先頭に、参拝者とともに神迎の道を通って浜から出雲大社へ向かいます。

神在祭|
日時:旧暦:十月十一・十五・十七日
場所:出雲大社上の宮
人生諸般のことや男女の結びなどについて、神議りにかけて決められるといわれています。この期間は神様の会議に粗相があってはならないということで、土地の人はひたすら静粛を保つことから御忌祭(おいみさい)ともいわれます。


縁結大祭|
日時:旧暦:十月十五・十七日
場所:出雲大社御本殿
縁結びの神議りが行われる神在祭に併せて、行われます。集まった神様に対し、世の人々の縁結びを祈る祝詞が奏上されます。


神等去出祭|
日時:旧暦:十月十七・二十六日
場所:出雲大社御本殿
出雲大社の他に、日御碕神社や佐太神社などで神在祭が行われ、それが終わると、万九千神社から神様はそれぞれの国に還られます。
十七日は出雲大社から神様がお発ちになる日、二十六日は出雲の国を去る日として、ニ回に分けて執り行われるのだといいます。


伊勢神宮も出雲大社も参拝していない私。いつか行ける日が来るでしょうか。
ちなみに夫はその二社とも参拝しております。
そういえば、若かりし頃に出雲大社の御守りをもらったような…。

私にはなんだかんだ良い縁だったかなぁと、思ったりもする今日この頃ですが、出雲大社でお参りをして御守りを受けた夫にとっては…どうだったのかなあ。
本心は決して明かさないヤツだからなぁ。
まあ、私の今後にかかっているか…。頑張ろっ。



No.163 21/10/17 22:45
旅人さん10 

神無月という、なにやら不安にもなりそうな名前でありますが、そんなことに不安を覚えるくらいには神仏に関与している生活をするようになったのかもしれません。

そんな神無月、実はやっぱり留守をお護りくださる神さまがおられるという、ありがたい情報を得ることができました。

出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説は前回述べさせていただきました。
実はところが天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もありました。ですが、〝出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する〟と言う伝承もあるようです。

また、諏訪大社の祭神の諏訪明神が龍(蛇)の姿を取り出雲へとお出向きになられたのですが、あまりにも巨大であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、諏訪大社にも神が有ることから諏訪地方でも神在月とされているということでありました。


能登でも、神さま方が出雲に集っている間、宝達志水町の志乎神社の神さまだけはこの地にとどまり能登を守護するということとされているようです。そのためこの神社は「鍵取明神」と呼ばれるのだそうです。ちなみに志乎神社は素盞嗚尊さま・大国主命さま・建御名方神さまを祭神とするが、能登にとどまるのは建御名方神さまとのことであります。

家に祀られている竈の神さまである荒神さまも出雲に旅立つとする地域がある一方で、荒神さまは出雲には出向かないという地域もあり、【留守神】と呼ばれている神さまは、〝荒神さま〟や〝恵比須神〟さまが宛てられることが多く、10月に恵比須を祀る恵比須講を行う地方もあるようです。

群馬県大泉町や大胡町では荒神と恵比須神を留守神としており、伝承では荒神は子が多く連れていけないため留守番をしているといわれているようです。

福島県石城地域では荒神には眷族(けんぞく)が多いため遠慮して出かけないという伝承がありやはり留守神となっているようです。

【鹿島神宮】では〝安政の大地震〟が十月に起きたことから、〝要石〟で大鯰を押さえつけていたご祭神の【鹿島大明神】が不在であったためと伝えられているようです。

いずれにしても小心者には朗報であります。

No.164 21/10/18 21:03
旅人さん10 

昨日、書店に立ち寄り、NHKのテキストコーナーの前に何気なく立つと…。雷神さまが私を見下ろすではないですか。
『趣味どきっ!』という番組で
、昨年も秋に『仏像の世界』というシリーズをやっておりました。それが今年もあるようでした。
…御仏が仏像好きな私を導いてくださったのでしょうか。
それはそれは美しい写真ばかりです。
うわぁぁぁ。
はあぁぁぁぁ。
ため息しかない。

しかも再放送となりはしましたが、第一回の放送はなんと今日!
さらには本放送も今夜九時半から!
うーん、幸せだぁぁ♡



No.166 21/10/19 02:45
旅人さん10 

今日は十三夜。十五夜のときは何度時間を変えて外に出てもずっと白い雲が広がっていてお月さまのお姿を拝することはできませんでした。

夫が「今日は十三夜なんだろ?一緒に散歩に行こうよ」と言いました。七時頃外に出て確認したところ、全天に白い雲がかかっていたので、「えぇぇ、七時ごろ見てみたけど一面雲だったよ」
と申しますと、「十三夜に曇りなしって言うじゃん」と強気な発言をして、外に出たかと思うとすぐに、「来てごらん、出てるよ」と申します。
えっ?
信じられないと思いながら外に出ると天頂にすこぉし欠けたお月さまが出ています。

うわぁ、ほんとだ♡
しばし空を見上げました。


ところで。
仏教では月待ちという言葉があるようで、『十五夜』や『十三夜』などにそれぞれ仏さまが当てられ、十三夜の本尊は『虚空蔵菩薩』さま、なのだそうです。

虚空蔵菩薩さまは、十三という数字に縁があり、毎月の縁日は13日、十三夜の月待ちの本尊、十三参りの本尊、十三仏信仰では十三番目にあたる三十三回忌の本尊となり、まさに十三づくしの仏さま、なのだそうです。
ちなみに十五夜は『勢至菩薩さま』なのだとか。

虚空蔵菩薩さまは宝剣と宝珠を持つお姿で、五仏の智恵をそなえることから『智恵の仏さま』と言われています。


また、虚空蔵菩薩の司る虚空はそのまま宇宙に繋がり、宇宙に煌めく星とも関係が深く、明星(金星)を神格化した『明星天子』を虚空蔵菩薩の化身とする説があるのだそうです。

No.167 21/10/19 17:34
旅人さん10 

ちなみに。
昨夜、夫は一人で散歩に行き、私は一人庭でしばし月を見上げておりました。
だって、散歩に行ってしまったら、『趣味どきっ! 仏像の世界』を見逃してしまいますから。

おかげで一人心ゆくまで番組を堪能させていただくことができました。
でも、ここだけの話、番組よりこのテキストの方が好き。
写真を撮られた方の腕の良さったら♡
テキストを見るとこの写真を撮られたのは女性の方のようです。



ああ、京都奈良に行きたいっ!
一ヶ月くらい居座って心ゆくまでお寺さんや神社さんをまわりたい!
「そうだ!京都へ行こう」
…なんてJR東海のCMのように、気軽に身軽に行ってしまいたい。


一ヶ月で済むのか?
うーむ、むずかしいかも。

No.168 21/10/19 23:13
旅人さん10 

寒さが来ると、天気予報士の方々が異口同音に告げていたのに。
もう十月も半ば過ぎ、寒さが来て当たり前だというのに、今年の私はなぜかのんびりと衣替えもせずにおりました。
と言いますのも、もともと急に寒くなったり暑くなったりする時を考えて一〜二着はシーズンオフの衣類も出しておく習慣でありますし、何より、今までは仕事の合間をぬってやっていたことを、仕事を辞めた今はいつでもできるからと慢心していたのでしょう。
来ました。しかも十一月中旬くらいの寒さがいきなり!です。
…いやいや正確に言えば、天気予報士さんたちはきちんとそう予報して、衣替え衣替えとおっしゃっておられたのです。
もう少し大がかりな、部屋の模様替えに熱中していて、気づいたら寒さが訪れていたのです。

テレワークの夫は、基本動かない仕事のためよけいに寒いらしく、足元サイズのホットカーペットをすでに使っておりました。
それでもまだ寒いとのことで、小型のファンヒーターを持っていってあげました。


亡き母は、そのシーズン初めて暖房器具を使うときは『戌の日の大安』に!とたいそうな騒ぎをしておりました。九月の中旬くらいからカレンダーとにらめっこをし、まだ寒くもないうちからとりあえずと暖房器具に火を通しておくのでした。
ですからそれを幼少期からそんな母の様子を見聞きしていた私は、妊娠して腹帯を巻くのに『戌の日の大安』を選ぶのを、(ふーん、暖房と一緒なんだ)と普通の人とは違った反対の感覚でとらえたくらいでした。

それを昨日はすっかり忘れて暖房を使い始めてしまったものだから、なんとなく後ろめたいような、気持ち悪いような思いがしてしまいました。
でも、何故戌の日の大安?
夫に聞くと「うちは酉の日はダメだというだけだったけど、なんで戌の日?」と。
彼のおばあさんはたいそう信心深い方で縁起を担ぐ方でしたのに、酉の日以外って…。
もしかして、我が家だけに伝わってた何かがあったり?
…などということは考えづらく…。

まさかの間違い?

さあ、Googleさんの出番です。

すると!


No.169 21/10/20 06:05
旅人さん10 

Google先生に書かれていたのは驚きの結果でありました。
『こたつを出す日は「亥(い)の日」です。』
とまで断言されているものすらあるではないですか!
ひとつだけではありません。
火入れに良い日で検索すると[亥の月亥の日]がずら〜っと羅列しております。

なんでも江戸時代には亥の月亥の日を「炬燵(こたつ)開き」と呼んで、この日にこたつを使い始めたと言われているのだというではないですか!
こ、これは…。

しかも、
『なぜ勘違いしたのか定かではありませんが、「こたつを出すのは戌(いぬ)の日」と思っている方も多くいらっしゃるようですが、正しくは「亥の日」です。』とまで。
こ、これは…由々しき事?

まあ、ゲンを担ぐとかを気にしなければ、いいわけで…、ってずっと間違えたゲンを担いでたってことなわけで、もう…(TT)
夫の家では酉の日以外の吉日なら良いとしていたという事だし。

…えっ?
じゃあ十月十八日は一体何の日だったの?
…まさかの酉の日だったりしない?

結果、ありがたいことに亥の日でありました。ありがたやありがたや、です。


以下、Google先生からの引用です。
【武家では、「最初の亥の月亥の日」に暖房器具を出したといわれ、「二番目の亥の月亥の日」は庶民が出したそうです。
「亥の月」とは旧暦の10月のことで、新暦が採用されて以降は、一ヶ月遅らせた11月の最初の亥の日になります。

「亥(い)」はイノシシのことです。

イノシシは摩利支天(まりしてん・仏教の守護神、炎の神)の神使といわれ、火を免れる(火災が起こらない)と考えられていました。

また、「亥」は[陰陽思想(いんようしそう・この世のすべてのものを陰と陽に分類する思想)]では「陰」に当てはまることから、火を弱める(火を制御する)と考えます。
さらに[五行思想(ごぎょうしそう・万物は木、火、土、金、水の五種類の元素からなるという自然哲学の思想)]では「水」に当てはまります。五行思想では、「水は火を消す」と考えます。
これらのことから、亥の日に暖房器具を使い始めることで家の防火を祈ったのです。』


…非の打ちようがない。


ま、今年に関してはもうすでに使用開始してしまっているし。
夫思いの妻ということで…よかったよかった。

…こだわるくせに楽天家な、いいかげんなヤツですこと。

No.170 21/10/21 01:08
旅人さん10 

眞子さまのご結婚の日が近づいています。

結婚に関する一切の儀を行わないとお決めになったということで、眞子さまお一人で淡々と眞子さまなりの皇室を去る儀を行っておられるご様子がテレビで報じられます。

眞子さまの心には今どんな思いが去来するのか…。
眞子さまが成年となられてから、天皇陛下の即位があり、皇室ならではの儀式に皇族として参列されておられます。
その際におすべらかしに十二単といった正装をされ参列されておられる眞子さま。

ご自身のご結婚は異例な形でのものとなり、皇室にお生まれになられてからずっと、それが当たり前であった皇室の生活を去られることとなる。


本来であれば古式ゆかしい装束姿で宮中三殿に拝礼するものを白いドレス姿で外からの参拝でありました。これも眞子さまのご希望であったのかどうか…。

あくまでも一人の女性として、愛する男性の元へと嫁ぐ姿勢を貫いての今ではありますが、賢所皇霊殿神殿謁するの儀は皇室の先祖や神々に結婚の報告をすべく拝礼するものであるようですので、これはこのような形でなく、正式な形での儀式を行われてもよかったのではないかと、個人的に思った次第でありまして。

一切の儀を執り行わないと決めたのはどういった経緯でのものか何もかも存じ上げない一おばちゃんです。
ですが、皇室にお生まれになられ皇族としてお育ちになられ、省いてもいい儀とそうでないものとがあったのではないかと思ったりもするわけで。
眞子さまのご意志であったにしろ、秋篠宮の決定したことであったにしろ、長い皇室の歴史、ひいては神事をも曲げてしまうのはどうかと…。

正す存在はおられなかったのでしょうか。
たしかに、かつて、宗教色の濃い儀式を公費で行うのはいかがなものかというような内容の発言をされた宮様ではあったようですが…。
こうして何気ないように流れていく時の中、皇室の歴史を大きく変えておられる。それは良いことなのか…。



天皇陛下の即位を祝って国中の神社が、そして仏閣も幡を立て祝ったものでありました。
今上陛下のそれを見て、皇室がそういった存在であった事をあらためて知ったくらいのペーペーの独り言です。


眞子さまがお生まれになられた時から、テレビでではありますが見守ってきたおばちゃんは。
お祝いしたい。
皇室を去られる最後に良い思い出を持って嫁いでいただきたかったのです。

No.171 21/10/25 04:49
旅人さん10 

昨日二十四日はお地蔵さまのお縁日。
これは珍道中を始めるずっと以前から頭に入っているもので、ああお地蔵さまの日だとすぐに思うものとなっております。
でも、これを教えてくれたのは祖父母でもなければ親でもなくて、
中学の同級生。
「明日、お地蔵さまに行かない?」
そんな誘いに当時の私は目が点になったものであります。
お地蔵さまといえばお寺さんの六地蔵さまの、雨風にさらされた石像しか頭に浮かばない。それを(失礼な言い方ではありますが当時のままの感覚で書いていきます)、花も恥じらう乙女が友だちとお参りに行く?せっかくの日曜日、…当時はあたりまえのことながら土曜日も半日授業、半日部活という日常で、唯一の休みである日、お地蔵さまに行く…?歩行者天国とかでなく?
…まあ、それでも小学生の時分には教会の日曜学校に通っていたくらいですから、お地蔵さまの何かがあるのかと思い、ふたつ返事で約束しました。
自転車でへいこらへいこら向かううち、何やら鐘の音が聞こえるような気がすると思うと、そこには人人人!道路いっぱいに人。
ああ、たしかにこれは歩行者天国!人しか見えない、今でいう密。
お祭り?お地蔵さまにと言われたけれど…?
当時の私はお縁日というのが神仏によるありがたい日という知識がまったくなくて、お地蔵さまに行くと言われたのにこれはまるでお祭りじゃない?
そんな人混みを進むうち、美味しそうな甘い匂いやソースの焦げる香ばしい匂いがしてきます。…お祭りじゃない!
狭い道の両サイドにさまざまな露店が並んでいる、並んでいる。
わたあめ、たい焼き、お好み焼きにたこ焼き。セルロイドのおままごとに、干物や刃物まで売っています。
露店をあれこれ覗いては食べ歩き、思いもかけず楽しい時を過ごした思い出であります。

地元民でなくとも桐生まつりや桐生のえびす講は知っていて桐生まで来たこともありましたが、これは知らなかったなぁ。
そんなことを思いながら、「そういえばお地蔵さまに来たんじゃないの?」と友だちに聞くと、
「そうだよ、お地蔵さまじゃん」
…?
いやいやお祭りでしょ?

あ、でも絶えることなく鐘をつくような音が聞こえています。でも私の頭にはあのひっそりと立つ六地蔵さまの石仏しか浮かんでこないので、鐘の音を聞いてもお地蔵さまに結びつかないし。

No.172 21/10/25 05:09
旅人さん10 

そここそが群馬県桐生市にあります観音院さん、通称【日限地蔵】さまでありました。
お地蔵さまと言われてさっぱり通じていなかった私を察して、友だちはお寺の境内へと連れて行きました。
さらにさらに密な空間で、鐘の音はさらに大きく響き渡りボウボウと煙が上がっているではないですか。
いつもしていたことなのか、慣れた様子で友だちはお寺に向かって手を合わせたのち、お線香を買い求め大きな大きな香炉に束になったままのお線香に火をつけてそのまま香炉に立てました。
友だちいわく「このお線香の煙を浴びると風邪をひかなかったり悪いとこが治るんだよ」
こんなおじいちゃんおばあちゃんや両親に教えてもらうようなことを友だちがひとつひとつ丁寧に教えてくれました。

興奮して家に帰って母に伝えてもふーんというばかりで。隣に住んでいた祖父母にも報告に行ったところようやく「いいところへ連れて行ってもらえたね。良い友だちを持ったね。よかったよかった」と言ってくれました。

今となってはそれが誰だったかも思い出せないバチ当たりなヤツで…。
でもそれからずっと〝二十四日はお地蔵さまの日〟とインプットされている私なのでありました。
大人になってから子供たちを連れてこちらの日限地蔵さまのお縁日にお参りに来たこともあるくらい、思い出に残っていることなのに…いったい誰だったのかなぁ。
ありがたいと思い申し訳なく思う友だちと初めて行った桐生日限地蔵さまのお縁日の思い出であります。

No.173 21/10/25 08:33
旅人さん10 

この日限地蔵で有名な群馬県桐生市の観音院さん。正確には【諏訪山観音院能満寺】さんとなります。開基は岩崎彦右衛という大きな機屋さんであったといい、開創は正保元(1644)年であります。

もっとも、【日限地蔵さま】【お地蔵さん】と呼ばれることがほとんどで、お寺さんの名前を知らない方がたくさんおられるよう。
観音院までは知っていても能満寺とまで知っている人はほとんどいないようです。

その、日限地蔵さま、観音院の由来は桐生の民話としても語られています。



『昔大きな機屋があって、大勢の奉公人は夜も遅くまで夜なべ仕事をしていた。
この機屋の窓辺に毎晩大入道が出るので、気味悪がって家中の騒ぎとなった。
ある晩鉄砲で撃った。確かな手ごたえがあったので、さっそく行ってみると影も形もなかった。
すっかり肝をひやした家人はろくろく寝ずに夜明けを待って調べてみると、土に点々と血の流れた跡があり、その跡をつけて行くと観音院の庭で消えてしまった。

ある夜この家の主人の夢まくらにお地蔵様が現れ「わたしが毎夜そなたの家の外に立っているのは、そなたの家を守護するためだ。わたしは野天に立っているため衆人の信仰もない。
大勢の人々を守護するためお堂を建ててほしい。
その時は何日なりと日を限って願かけをすれば必ず願望をかなえよう。」とお告げがあった。

主人はさっそく村人にこの話をして、大勢の人の浄財により今のところへお堂を移して盛んな法要と祈願をした。
不思議にもお地蔵様の肩には鉄砲玉の跡が残っているという。
日限地蔵尊のご利益は真摯な信仰によってだれでも得られる』

といったものであります。

観音院さんの御本堂は江戸時代末期の嘉永年間の造営で、名工と言われた〝弥勒寺音八〟の手による向拝の龍、欄間や、格子天井画の見事な御堂です。
その御本堂、ありがたいことにいつ参拝しても開放されていて、中での参拝ができるのです。

今はまた季節の花の描かれた御朱印で有名になっており、たえず参拝者が境内にいらお寺となっています。この花の画が大変上品で見事なもので…。
ついついリピーターになりそうな欲を抑えるのが大変でありました。

今時々参拝させていただいては、昔と変わらず頭にやたらとお線香の煙をあおぎかける私なのでありました。

No.174 21/10/25 14:04
旅人さん10 

NHKのEテレで現在週一回(再放送含めれば二回)放映されている、〝趣味どきっ!〟の『仏像の世界』。
第二回目は奈良県【長谷寺】さん。

長谷寺さんは真言宗豊山派の総本山であります。
敬愛するご住職のおられる栃木県足利市の大岩山最勝寺さんも、前述いたしました群馬県桐生市の観音院さんも、真言宗豊山派のお寺さんであります。
一時、精力的に神社仏閣をめぐっておりました時期に、まわるお寺さんお寺さんがみな、偶然にしてはあまりに続くなぁと思うくらい真言宗豊山派のお寺さんということがあり、これは仏縁なのでは…とまで思ったほどであったくらい。
…ちなみに鎌倉の長谷寺さんは同じ長谷寺でご本尊も同じ十一面観音さまですが、こちらは浄土宗系の単立寺院のようです。

そんな真言宗豊山派の総本山の長谷寺さんのご本尊の十一面観音さまは、なんと、あの有名な昔話『わらしべ長者』の観音さまであられます。
テレビでも最初に紹介されたくらい有名なお話であるようですが、私はこの事実を、豊山派のお寺さんで配られている小冊子で知ったくらいです。
そんな有名な十一面観音は日本で一番大きな木造の御仏像。像高な、なんと1018.0センチメートルということです。室町時代の作ながら、実は八代目なのだといいます。
そんな大きな御仏像でありながら、しっかりと目が合う造りとなっているのだとか。しかも、春秋の特別拝観時にはさらに御本堂内部に入って、その御足に触れることができるという。

行きたい行きたい。
そう願っていく年月。

テレビでは若いアイドルの女性がそれはそれは光栄なことと、鳥肌が立って止まらないと、喜びに頬を紅潮させています。
御御足からは大きなパワーというか力強いものが伝わってくると、心から漏れ出た言葉をつぶやきます。
それが、なんとも初々しくて可愛らしい。
羨ましいなんて雑念もわかない可愛らしさ。

ああ、出来うるならその御御足に触れることのできる時期に私も参拝したいです。

奈良京都、かぁ。
一ヶ月、では見切れないなぁ。うんうん。

No.175 21/10/25 20:40
旅人さん10 

奈良の長谷寺さんはテレビや写真で見ているだけですので、語ることなど何もない、語ることなどできない者であります。
これから書かれているものはいつか行く長谷寺さんへの憧れとでも思ってやってください。


長谷寺は仁王門から本堂まで緩やかなきざはしを登っていくのだそうで、その数三百九十九段といいます。
その階段をのぼりきると、その頭上に梵鐘が見えるのだそうです。
その梵鐘は、【尾上の鐘】と呼ばれているのだそう。
そして毎日正午、巳の刻に法螺貝が吹かれているのだといいます。

そういえば…栃木県足利市の最勝寺さんでも、お護摩修行の際ご住職が法螺貝を吹かれます。
同じく足利市の鑁阿寺の節分のお祭りでも武者行列で法螺貝が吹かれます。鑁阿寺さんは真言宗大日派。豊山派から分かれたものであります。
法螺貝は難しいものだと聞きます。長谷寺での修行の一つなのでしょうか。

その尾上の鐘と呼ばれる鐘のある鐘楼はひだりてに、そして十一面観音さまのおられる御本堂はみぎてにあるのだといいます。
懸造となっている礼堂と呼ばれる空間。テレビで見ても本を見ても、イメージできない長谷寺さん。
いつか行けるのかな。
いつか行ける。
いつか必ず行ける。
いつか必ず行くぞぉ!


ちなみに今夜の〝趣味どきっ! 仏像の世界〟は【薬師寺】さんであります。
…たしか、高校の修学旅行で行ったんだよなぁ…。



No.176 21/10/26 08:34
旅人さん10 

実は…。
私、大変夜に弱い。
今どき小学生はおろか保育園児だって起きている子は起きている、八時九時に睡魔がくるのです。もちろんその魔の時間帯を乗り切れば、なんということはないのですが。
この生活、いつからかと振り返るに、大変素直であった中学生のころに「受験はまず生活を朝型に変えることが望ましい」という話を聞き、まず自分で出来ることから始めようでないかと、八時くらいから寝る習慣を付けました。
その後高校生となりその生活はそのまま続き、バイト以外の日は八時というゴールデンタイムに友人からの電話で起こされるという変な女子高生でありました。
バイトの日はバイトが八時まででしたので、もちろん自転車で帰りながら寝るようなことはなく、ただただ暇だと寝るというぐうたらな生活であったのではないかと思われます。

その後進んだ進学先はハードで勉学で徹夜まですることすらあり、
無事社会人となれば、いろいろなお付き合いもあり、八時九時に寝るような習慣はすっかりなくなっていた…影を潜めていたのです。
それが復活したのは、〝添い寝〟。
子どもたちを寝かしつけるために添い寝をする…これがまたたいそう心地よいもので。
大きくなって添い寝の必要がなくなってもその時間がくるとなんだか眠い。
最初は仕事や家事で疲れているんだろうと見守ってくれていた家族も、ああこういう睡眠パターンなんだとあきれ、あきらめ、今に至る…のかと。

つまりはこのゴールデンタイム、やれ月9だのロードショーだの話題のテレビ番組が盛りだくさんなこの時間帯、〝起きていられないおばちゃん〟、なのです。

そう。
…あの楽しみにしているEテレの『趣味どきっ!』も私の睡眠のゴールデンタイムに当たっているのであります。
夕べ。
夫と二人で観始めたのです。
夫はごろごろと寝た姿勢で、私は正座をして。いかにも観る気満々で。



…寝ました。正座をしたままで。
薬師寺の薬師如来さまがアップで映され、脇侍の日光月光菩薩さまが映されたところまでの記憶で途切れています。
ハッとした時にはまだ何か解説をしているぞ、よしよし。…そう思ったのです。
ん?この人、だれ?
徐ろに夫が起きあがってテレビを消しました。
…そう、番組は終了しておりました。。゚(゚´ω`゚)゚。


薬師如来さまの薬壺に安眠できるお薬が入っていたのかなぁ?

No.177 21/10/27 16:23
旅人さん10 

ドンキで猛省セールなるものを開催しているようです。私も今日猛省したところなので、親近感を抱きました。
ドンキは仕入れをしくじって在庫を抱えてしまったことに対しての〝猛省〟。私の場合、(今回に関しては)しくじったわけではなく、夫がせっかく連れて行ってくれ、無事結願を果たすことが三十四カ所観音霊場のお寺の名前が出てこなかったというもの。
夫に対してもでありますが、ご縁をいただいた観音さまにも、お手を煩わし御朱印を書いてくださったご住職や地域の書き手の方に対しても本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

うーん、単語帳でも作る?

夫曰く「なんならすごろくにでもすれば?」す、すごろくですかぁ?
誰が?…私か。
どんな?
どうせ出来上がっても笑うだけで興じることなどないくせに…。

まあとりあえず、復習いたしましょう。

第一番札所…。これは大丈夫。


それはそうと…二年近く行っていないドンキに行ってみたいなあ。

No.178 21/10/27 17:17
旅人さん10 

わが家ではお蔵入りしている〝アベノマスク〟。
それがなんと国でもお蔵入りしていたとは…。
開いた口がふさがらない。
8,200万枚、115億円相当という。

休業を余儀なくされ、しかもその休業手当として支払われるはずのお金が支払われないとか、仕事を失い生活に苦しむ方とか、アフターコロナで多くの方が経済的にも苦しんでいるこの国で、よくもこれだけの金額をドブに捨てるようなことを。

いや、どうやらそれだけにとどまらないようだ。そのマスクの保管料が年間六億円かかるのだという。

配れば?
配ればいい!
確かにそれだけの物を動かすにもまたお金がかかることであろう。
でも少なくとも年間六億円の保管料は今後かからなくなる。そもそも寝かせて置けば置くだけ不衛生なだけだ。

オリンピックでもしでかしたよな。あれはマスクやアルコール消毒剤等を廃棄したのだったな。


この国の未来はどうなるのだろう。
この国に生きる方全てのために、この国は大きく変わらなければならないとあらためて強く思った、今日のこのニュースでありました。

No.179 21/10/28 03:55
旅人さん10 

【相田みつを】さんが、〝現代版禅問答〟として書いておられるものがあります。



「ほとけさまの教えとはなんですか?」
郵便屋さんが困らないようにね
手紙のあて名を
わかりやすく
正確に書くことだよ
「なんだ、そんなあたりまえのことですか」
そうだよ
そのあたりまえのことを
こころをこめて
実行してゆくことだよ




相田みつをさんは、今でこそ有名な方となり、カレンダーは毎年発売され、相田みつを美術館もあるくらいな方ですが、長く不遇の時を過ごされたようです。
作品に対して妥協を許さず、〝逢〟という一文字をかくために何百枚何千枚という紙を使用したり、自分の作品を買ってくれたお客様のところへ出向いて「もっとよいものが出来たから」とお客様の意向なども聞き入れず新たなものに無料で交換して、お客様が気に入っていたとしてもその作品は持ち帰り焼却処分してしまうほどのこだわりだったようです。

相田みつをさんについて書こうとすれば、それこそ何レスも費やすほどになりますし、お好きな方は私などよりもっともっとご存知かと思うのですが、私の相田みつをさんの作品との出逢いは和菓子屋さんの包装紙でありました。
これは実は相田氏が生活のために栃木県足利市の商店に出向いては売り込みに歩いていた結果、その和菓子屋さんが注文してくれたのがはじまりであったようで、今なおその包装紙はそのお店の顔として使われています。

亡き母が最中が好物のひとつであったため、高校生の頃のバイト代で最中バラ売りとかを購入したりしておりましたが、その最中こそが相田みつをさんの文字を個別包装に使い、最中にまでその文字を使ったものでありました。それを知ったのは十年ほど経っていよいよ誰もが相田みつをさんを知るほどの時代が訪れてからのことでありました。

そんな相田みつをさんはご自分のことを「自分は書家ではない。在野の坊主だ」とおっしゃっておられたようです。
そんなことから生まれた〝現代版禅問答〟だったのでしょうか。

寺社仏閣をまわらせていただくなか、相田みつを氏のお墓のあるお寺さんへお参りしたこともありました。
足利市の【法玄寺】さんであります。
よく日の当たる、いつ訪れてもきれいに清められた心地よいお寺さんです。
お参りさせていただいた〝相田家之墓〟という文字は相田氏の文字をもとに彫られたものでありました。

No.180 21/10/28 04:05
旅人さん10 

あたりまえのことを
こころをこめて
実行してゆくこと


最近、毎日仏壇もどきに向かい般若心経を唱えながらふと思ったことと重なり、ハッとした次第でありました。
一つのことを、たとえそれが自宅の掃除ひとつにしても、心を込めてすることに実は大きな意味があるのだなあとしみじみ思ったことでありました。


…たしかに相田氏は、在野の僧、であったのかもしれません。

No.181 21/10/28 17:42
旅人さん10 

本日は、群馬県みどり市の【光栄寺】さんの境外堂にあたる【はね瀧道了尊】の大祭日。
毎月二十八日がお縁日ということで祈願法要をなさっています。ですがこれもコロナ禍ということ、ましてや群馬県は緊急事態宣言が発令されていたため、ようやく先月から再開したようです。


実は本日十月二十八日は群馬県の県民の日にあたっています。学校は休みになり、県内の施設が無料開放されたり、格安で利用できたりという、ちょっとお得な気分のする日であります。
さすがに仕事しておりました時は
いくら群馬県民とはいえ休みとはならないのではありますが、子供たちは休み。夫婦で有給休暇を取って、ディズニーランドや群馬サファリパークなどなどに行ったものでありました。

…話が逸れてしまいました。(^-^;

はね瀧道了尊の大祭には今年で三年連続して参列させていただきました。
コロナ以前は小さなお堂でのお祭りでありますのに、出店も並び、老若男女子供たちも多く参列する賑やかなものでありました。そうそう、マジックショーまであったくらい。
それが昨年は本当に関係者の方くらいしか参列者がおられないさびしいものでありました。
今年は用意された椅子がすべて埋まり、立っている人もいるほどのものとなりました。
檀家の方、ご近所やお友だち同士、仲良く談笑されていて、音声だけ聞いているとまるでコロナ前に戻ったかのようでしたが、以前とは違っていたのは皆さんがマスクをつけておられること。
コロナは新規感染者数こそ激減してきてはおりますが、決して終息したわけではなく、今後はマスク着用が当たり前な世の中のままなのかな。

今回は副住職さんのみでおこなわれました。以前は三名の僧侶が法要をなさっておられたものですが。…。

鮮やかな緑の衣を纏われた副住職さんのお手により、流れるように法要が執りおこなわれます。

こちらの副住職さま、本当によく周りに目が行き届き、よく気のつく出来たお方で、なにか思うと同時に行動なさる方。
尊敬するお坊さんの一人であります。

道了尊とお不動さまの祀られたこちら。それぞれのお縁日ということで二か所とも法要なさいます。

No.182 21/10/28 22:52
旅人さん10 

一年ぶりの副住職さんの読経。ふだん話される声とはまるで別人のような、太くて遠くまでよく通る法要の時の声。
お経をお唱えすると声が美しくなっていくものだと何かで読みました。おなかの底から声を出されるからでしょうか。
いつお聞きしてもまったく変わらないお声です。

私などは自分でもわかるくらいに日によって声が変わるものです。
それゆえ、(あ、今日はなんだかしわがれ声だぞ。心が乱れてるのが出るのだなぁ)とか思ったり。
そしてたいがいがしわがれ声だったり、つかえたり。いつも心が乱れている、煩悩のかたまりであります。

本日は法話もしてくださいました。
なんでも講習会があったのだそうて、そこで見聞きし、副住職さんの心に響いたお話のおすそ分けでありました。
ちなみにその講習会もリモートであったのだそうで、お寺さんも今はパソコンが使えないとだめなんだなぁ。

その講習会の講師はなんと、あの北京五輪のフェンシングの銀メダリスト、太田雄貴氏だったのだそう。

学生時代、フェンシングの全日本の大会が観客席がガラガラであることをさびしく思い、フェンシング連盟の方にそのわけを問うと、「メダリストがいないからだよ」と言われ、一念奮起し、努力してオリンピック選手となり、日本が唯一メダル獲得していない競技であったフェンシングで初となるメダルを獲得。
勇んで全日本の大会へと足を運ぶと再びガラガラ。信じられない思いで再び連盟の方に問うと「個人のメダルではなく団体でのメダルが必要なんだ」
と言われたのだそう。またまた努力してオリンピックで銀メダルを取ったのだそう。
それからまたまた全日本選手権があり、出場し観客席に目をやると…三度ガラガラ。
三度目に聞いた答えは 
… 。
「銀ではなく金をとらないと」と言ったのだそうです。

そこで太田氏は気づいたのだそうです。これは連盟自体を根本から変えなければ、と。
そして太田氏は連盟の理事となり、改革を試みたのだそうです。そして…。
今やフェンシングの大会のチケットは入手が難しいというものにまでなったのだといいます。

太田氏は、努力してもなかなか報われないこともあるけれど、無駄なことはひとつもないと結ばれたのだそうです。

副住職さんはその話から、努力していてもなかなか収束しないコロナを思い、それでもその努力から学ぶものはあったはずだと結ばれました。


No.183 21/10/29 22:11
旅人さん10 

群馬県みどり市の光栄寺さんでは十一月の第一日曜日にご本尊さまの薬師如来さまの大祭、【柿薬師大祭】を開催ます。ですが…、昨年は新型コロナウイルス感染症のためやむなく中止。

「今年はどうされるのですか?」
昨日のはね瀧道了尊さまの大祭の日に副住職さんにお聞きしました。
「中止です。
みなさんが楽しみにして下さっているので、できれば開催したかったのですけれど…こればかりはねぇ。」
とのこと。
一昨年のお札をお受けしたままになっていることもお話ししたところ、な、なんと。
「お持ちくだされば新しいものと交換いたしますので」とのこと。
ありがたいことにございます。

No.184 21/10/30 03:08
旅人さん10 

はね瀧道了尊さまの境内には、小さく古そうなお不動さまの石仏がおまつりされています。
お堂にではなく、いくつもの自然の石をコンクリートで組み上げた、人工の岩穴のようなところに鎮座されておられます。
先日の道了尊さまの大祭の時、檀家さんの代表を務める方のお一人に、お不動さまの前でお聞きしたことがあるのでここに書いておきます。

こちらのお不動さまは江戸時代かそれ以前のものなのだそうです。もともとここに御鎮座されておられたものではなく、ここから距離的には近いのですが、すぐ下を流れる川の川岸の急な崖の途中におられたもののようです。
熱心な信者さんの多いお不動さまであったようです。
崖の途中というなんとも危なげなところにあるため、そこに行く事にかなりの危険を伴うようになってしまったこともあり、移動されたというお話でありました。
「…これ、御堂ではないんですよ。少しでも元おられたところに近づけたものにしようとしたものなのですよ」

そうですか。
崖の途中におられましたか。
「私は行ったことはないのですが、熱心に通われる地元の方が多かったです」
そう言われると俄然ありがたみが増すような…いやいや、もともとお不動さま好きの私のハートをしっかりとつかまれておられたお不動さまであります。

かねの薄い板を切って作った剣の奉納もおさめられています、お堂…ではなくて洞穴のなか、お不動さまは今も川の方を見守っておられます。

No.185 21/10/31 02:51
旅人さん10 

今日はハロウィン。
ハロウィンはキリスト教から発生したイベントでもないようで。
三大宗教でもないこのイベントが、よくまあ世界に拡がったものであります。
まあ、仮装もお菓子も嫌いでないので、別に否定的な発言をするつもりなどでは決してありません。

ただ…。
ハロウィンの夜(正確にはハロウィン・イヴの夜?)のこんな時刻に目が覚めちゃって眠れない哀しさを一つつぶやこうと、思った次第であります。

No.186 21/10/31 07:09
旅人さん10 

どのくらい前からだったことか、かるく十年以上は経つ気がいたしますが、以前からずっとお参りしたいと願っておりました三峰さんへお参りすることができました。
行く気になれば行く機会などいくつもあったのですが、あまりにも有名な神社さんにありがちないろいろな都市伝説などに惑わされたり、あまりの人気に休止されたままになっている白い〝気守〟をお授けいただきたく思い、その月一度だけという授与日の〝一日〟にお参りすることにこだわったりしていたりして、なかなかお参りに至らなかっただけなのです。

いろいろなしがらみが少しずつ解け。白い〝気守〟にこだわる気持ちも無くなるほどとなって、…それは休止されているからということも通り越したという意味で。
三峰さんにお参りできる身となったのではと勝手に思って、いろいろな感謝の思いを胸にお参りするため出立いたしました。
…私は群馬県と埼玉県の境まで運転、後の長い長い道のりは全て夫に頼ってでありますが…。
埼玉県の【三峰神社】さんに参拝してまいりました。


それにしても…ネットで見聞きした以上に凄い道のりでありました。

たしかに。
白い〝気守〟の月一回の限定授与日は、戻ることもできない一本道でずっと延々と待つことだとか、早朝四時には駐車場に着いていないとお受けできないとか、駐車場が少ないため駐車場待ちでずっと車の行列のなか、車で待ち続けることになるとか、凄まじい情報がアップされていました。
…それでも、その白い〝気守〟をお受けしに行こうと思っていた時期もあったのではあるにはあったのですが…ある時これは欲でしかないよなと悟り、一つの欲、白い気守をお授けするという欲を満たして願いを叶えてしまったら、本来の強く願っています願いを叶えていただくのは図々しいかと思うことがあり、その内白い気守も休止となって、たしかにそれで一つ気持ちが軽くなるにはなったのですが…。

一つ乗り越え、また一つ乗り越えて、強く願うものがどんどん一つにしぼられてまいりました。
いろいろな節目もあって、今回、三峰さんにお参りすることをお許しいただこうと思ってのものとなっての道。


三峰さんへの道のりは思っていた以上の難所が待っていたのです。

No.187 21/10/31 07:44
旅人さん10 

悪路、という意味ではもっと凄い所もありましたし、崖スレスレとかもありました。すれ違い困難な道とかも多々ありました。
しいて言えばそれは全て夫に頼りきって私は助手席の荷物に過ぎなかったし、今回もそうでありましたけれど。

ただ…三峰神社さんといえば全国区でも有名な神社さんで、参拝者も多く、ましてやネットの上でそんな記述もなかったし、よもやと油断するところがあったのだと思います。

[この先すれ違い困難な道です]とか[トンネル内すれ違えません]とかやたらと続く立て看板。
うーん。
とはいえ別に悪路というわけではなく、ただ細い。細い林道という感じ?
細い林道、悪路ではないのですが長い!。ひたすら続く細い道です。まあ思い出せばそんな道を登ったところにある神社さんへとお参りしたこともありましたが。
今回通った道はすれ違い困難な道がやたらと長く続くわりに道を譲るスペースがほぼ無い!のでありました。まあ、私は運転が下手なヤツですので、多少オーバーにお取りいただいてもいいかなとは思うのですが、夫もヒヤヒヤしながら走行していたことだけは記しておきましょう。待機所がほぼ無いすれ違えない道がやたらと長く続く…という難所が一つ。
そこを這々の態で抜け、その後は切り拓かれた道となるかというと、それがまた細い。対面通行の道ではあるのですが、やたらとダンプが多く上から出動していくのであります。ダンプは確実にセンターラインギリギリで、中にはオーバーして下りてくる車両もあるのです。
たぶんダンプとすれ違うことがなければその辺にある普通の対面通行できる生活道路なのですが。なんだかんだ二十台くらいのダンプとすれ違いました。ダンプの起点となる建設会社さんがあるのでしょう。
さらに進むと。
ダムの中を通って行くような道。
ダム内の通路です。決してすれ違えない道を通ります。
信号すらなくて一体こんな道をどうやり過ごしあえばよいというのか…。
ちなみに本当に絶対一台しか通れません。両サイドは子供の背丈くらいまでの壁でおおわれた道です。
そんな道を抜けたとき、ダンプが一台待っていてくれました。さすがだ!
…帰りにそこでダンプが待っていた意味は解き明かされるのですが、ね。
その時には、神対応のこの道に長けたダンプの運転手さんだと何度も何度も頭を下げてお礼をして先へと進んだものであります。

No.188 21/11/01 09:58
旅人さん10 

そのニ瀬ダムと呼ばれるものだとのちに知ったダムに至るまで、荒川に沿った道をひた走ります。その途中の景色たるや!
近く遠く見える山々の色とりどりに紅葉し始めていること、川の流れもまた、近くを流れていたかと思えば、かなり低い位置に流れるものとなったりといろいろな景観が楽しめます。

途中、これまた有名な【三十搥の氷柱(みそつちのつらら)】と呼ばれる奥秩父の冬の名所となる場所を通ります。が…駐車場等すらがさっぱりわからない。そもそもが秋の三峰さんへの道で大騒ぎしている私には到底たどり着くことはできない、真冬の風物詩でありますが。なんでも岩肌にしみでる湧き水が凍って創り出す、高さ約八メートル、幅三十メートルにも及ぶもののようです。それがライトアップされるようですが、…つまりは夜!
いやいやいやいや…。

さらに追記すれば、三峰神社までの最後のトイレだのいう立て看板まであるくらいでありました。
そんないろいろスリリングな想像をかき立てる道でありました。


閑話休題。横道にそれてばかりですみません。ちなみに、珍道中の運転手は夫なので、道中徒歩以外は横道にはそれませんのでご安心ください。


そのニ瀬ダムと呼ばれるダムを通り過ぎるとトンネルがあり、そのトンネルを過ぎてしばらく行くと、観光地とされる有名な山々でよく見られるような道路になります。まあ、それもヘアピンカーブが続く…葛折りといった方が神社仏閣の道中には似合う言葉でしょうか…そんな道をひたすら登るのでありますが、もうここまで来れば、普通のドライバーさんには普通の道なのだと思います。
夫いわく以前は有料道路だったくらいの道らしいですし。道には[県道秩父多摩国立公園三峰線]という名称まであるようです。
そこを五キロ以上走ってようやく駐車場が見えてまいります。

ちなみに…かつて聞いていた駐車場待ち渋滞とかも一切なく、駐車区画も選べるくらいでありました。もしやこれは…神無月であるが故?
いやいや三峰神社さんの御祭神はイザナギノ命さまとイザナミノ命さま。そして大口真神さまと呼ばれる神さまのおつかいが常におられるお山です。
おそらくは平日であり、月例祭の日でもないからなのでしょう。
…この都市伝説は平日に限っては大丈夫なようです。


No.189 21/11/02 05:21
旅人さん10 

私どもが参拝させていただいた日、駐車場は空きスペースが結構ありましたが、緊急事態宣言が明けての紅葉シーズン、次から次から車が入ってきます。コロナ以前はもっともっと参拝者が多かったのでありましょうか。到着したのは十時くらい、早くもなく遅くもない時間帯でありました。

あまりに有名になり希望者が殺到し休止したという〝白の気守〟が授与されていた頃は、前日の夕方から先ほどの葛折りの道が渋滞の車でうめつくされたようですし。
写真で見ましたが本当に只事ではない渋滞で、あのUターンなど絶対できない道で、しかも前日の夕方から⁉︎
標高千メートル超える山への道の途中で車中泊をする⁉︎
…ネットの情報で、たしかに四時には駐車場にいるくらいでないと限定何体と言われる〝白の気守〟を授与するための整理券をすら手に入れることはできないと書かれていたのは十年以上前のこと。「だったら真夜中の一時二時に出て行けばいいかね?」などと話していて実現には至らなかった珍道中コンビは、そんな時間に苦労して出かけたところで、前日の夕方からあんな長い距離渋滞して停車したまま夜を明かす人たちがいたなら、いつ三峰神社さんにたどり着けるかわからないほど、車の中で待機することとなったでしょう。
あの写真の渋滞では、体調を崩しても緊急車両がたどり着けるのかどうか。お山を守る山犬たち…大口真神さまたちはさぞお忙しかったことでしょう。

駐車スペースに停めて、ようやく落ち着いて辺りをみわたすと、駐車場も広く、何よりも美しい山々が見渡せる絶景です。広い駐車場には大きなバス待ちのステーションがあり、かなり大きな公衆トイレと思われる建物も見えます。
ん?神社は…?
どうやら階段を登っていくようです。

階段を登り始めると…何やらやたらと人の声がいたします。人の声くらいするだろう、…いやいやそれがどうも仕事の電話対応をしているよう。それが一人ではなく三人くらい。
平日、だからなぁ。
…ご苦労さまです。どうかお参りはゆっくりできますようにと祈らずにいられませんでした。

さらに登っていくと参道に立派なお食事どころが並んでいます。美味しそうな匂い。
運転で心身疲れた夫は小腹が空いたと申しておりますが、「まずは参拝でしょ」
助手席のお荷物が、どの口で言うのか!やれやれ…。



No.190 21/11/02 14:00
旅人さん10 

お土産店とかが乱立するようなゴミゴミした感じのしない仲見世を通り過ぎると、鳥居が見えてまいりました。
白い横長の、大きな鳥居の左右に小さめな鳥居がついた、『三ツ鳥居』と呼ばれるものなようです。
そして。
その前には対のオオカミ(山犬)さまの狛犬が鳥居をお護りになられています。二体ともそれはそれは誇らしげなお顔で、入り口となるここをお護りであります。
狛犬さんも好きな私でありますが、オオカミさんはシュッとしたお顔立ちと引き締まったお体に、有事あらばすぐに走り出しそうな感じなのです。
普段景色しか撮らない私が、夫の構えたスマホのカメラに向かって写真を撮ってもらうくらい、大好き。本殿の入口をお護りになられていた二体以外の全てのオオカミさんを撮してきています。しかも角度を変え、向きを変えて何枚も何枚もの写真を撮ってまいりました。
そんな私の撮影会を終えてようやく鳥居をくぐらせていただきましたところ。さあぁとひんやりとした空気が私をつつみました。
風が吹いたとかではありません。
「わぁっ」思わず小さな声をあげました。
「鳥居をくぐった途端に空気がひきしまったね。さすが三峰さんだね。」と夫。

そう、寒いとかではないんです。三ツ鳥居を境に一瞬でぴりっとひきしまった場に変わったのです。
すごい!
身の引き締まる思いで一歩一歩進んでいきます。

すると古い、立派な造りであるのでそれがまたいい味わいの駐在所があり、そこを交差点の角として、三叉路となっています。
登りの鳥居と、下りの随身門と、
階段を登っていく上り坂と。

どちらへ先にいけばいいのだ?
…うーん、随身門、かな?

三ツ鳥居からひだりてに艶やかな…とかいうと不敬になるかもしれませんが煌びやかな装飾の施された随身門が真正面に見えます。
あの、例の神仏分離令以前は仁王門であったようで、約二百二十年前に建てられたものといいます。
大きな門守の神さまがどっしりお座りになり門を通る者を見下ろしておられます。
うーん、ワクワクしてきた私です。

No.191 21/11/02 17:49
旅人さん10 

随身門の前におられるオオカミさまは、赤いさし色のあるヤンチャな感じのする二体。またまた門をくぐるまでしばらく時間のかかる私。
…あ、安心してください、その間夫をずっと待たせているわけではないので。夫は夫で何やら自分の興味あるものを見て歩いていたり、写真を撮っていたりしております。夫のタイミングを待つこともあるくらいですので。

門をくぐってしばらく歩くと、立派な青銅の鳥居が見えてきました。何段かの石段を登っていくと徐々に境内の様子が見えてまいります。
大きな杉の木と、密にならぬよう少し戸惑いながら並ぶ人たちの後ろ姿と。
白い四本の太い柱に立派な屋根と、これまた見事な彫刻と装飾のほどこされた手水舎が見えてきました。
石段の上の方にはやはり左右にオオカミさまがおられます。
こちらのオオカミさまはシュッと引き締まったお顔で、銅像か黒い石像でシンプルな彫りのお像です。うーん素敵。
ですがここではとどまることはできません。後ろ髪引かれる思いで石段を登りました。

まずは身を清めましょう。こちらでは手水舎での清めが可能です。ありがたい。
それにしても豪華な手水舎であります。華麗な装飾、今にも動き出しそうな龍などなどの見事な見事な彫刻、ここに足を踏み入れることが畏れ多い気すらする手水舎です。
手を清め口を清めて。
さあ参拝の列に加わりましょう。


おおぉっ!

極彩色の華麗な装飾の拝殿です。
ずっしりとした重さを感じます。
標高1,102メートルに位置する拝殿となります。建立は1800年、2004年に塗替えがされたといいますが、つい最近なのではと思うくらいに美しいものです。
一体何色の色が使われているというのでしょう。そんな中でも金で塗られたものが多いように思えます。色の組み合わせも絶妙で、匠の技を感じます。
そしてどれだけの彫刻があるというのか…。

拝殿のなかから太鼓の音が鳴り響いています。
誰もが静かに並んでいます。
みな、三峰さまのお力に圧倒されているかのようです。


No.192 21/11/03 04:36
旅人さん10 

拝殿にある装飾は全てに意味のあるもの。全て観ることは到底叶わないものの、そう考えただけでこの社殿を造った人々全ての三峰さまへの信仰と畏敬と誇りを感じます。
そして何よりその絶大な信仰をお生みになられた三峰さまのお力に、大きな大きなお力を感じ、圧倒されます。

なんでも社殿に彫られている龍のような生き物は、蜃気楼を出して人々に幻を見せるという蜃(しん、伝説の生き物)という存在で、ここが神界と現実世界が交わる場所であることを表しているのだそうです。
もちろんなかには龍神さまもおられるのでありましょう。

私はご存知のようにさまざまなことに知識のない人間なので、どれだけ見上げて観ていても、おそらくたぶんとしか語れませんが、鳳凰や麒麟なのかなぁと思われる彫り物もありましたし、美しい花鳥風月もまた彫られていました。
故事にまつわる彫り物もたくさんありました。その故事にも無知な私。まさに〝猫に小判〟だと、見上げながら思ったものです。
少し勉強しようかな。
ちなみに夫は少しその方面にも知識があるようで、今までもそういった彫刻の解説をしてもらってきました。同じ時を生きて、この差はやはり勤勉であったか否かなのだろうな。
時々そういう夫の一面をみては尊敬するのでありますが、本人に伝えたことはない、天邪鬼であります。そういった感謝や尊敬の念を素直に伝えたら、夫婦間はもっともっと良いものになるのでしょうにね。ま、それは追い追い、ということで。

拝殿前で参拝する順番がきて…拝殿に進むと中からすごい高貴な気が流れてくるのを感じ、思わずハッと姿勢を正しました。もともと神前ですので静々と進んでおりましたし、姿勢も凛としていたつもりではあったのですが、胸に直接お力を感じるような強い流れを感じました。
手を合わせ、こちらに来させていただいたお礼を申し上げました。



参拝を終えて。
拝殿前のひだりての手桶の前に、不自然に木の枠で被われたところがあります。
なんでもそこの石畳に水をかけると、龍神が浮き出てくるのだといいます。
この龍神、辰年の2012年に突如として浮き上がったというものであります。三峰さまの拝殿前にあってはさもあらんと納得するものでありました。…水を掛ける人はなかなか居はしないのではありましょうが、ね。
ちなみに一番興味深そうに覗きこんでいたのは夫でありました。

No.193 21/11/03 06:28
旅人さん10 

参拝を終えてひだりてに抜けた夫とみぎてに抜けた私。
みぎてには境内社が並んでいます。つぎに向かうのはこっちじゃないかな?
夫に手招きし、夫が来るまでと見上げた社殿を、また立ち尽くし拝する私。
繊細にして色鮮やかなこの彫刻は一体いくつあるのだというのか。
夫が来たことにすら気づくことなくただただ見上げておりました。

はあぁぁ。…。


本殿に向かって脇から参拝させていただきました。拝殿と本殿は繋がっておらず、本殿正面が拝することができます。本殿の脇には柵がありお側によることはできません。…それが当たり前、当然こととと思う三峰さまであります。
それでも、その本殿の前にもオオカミさんのお像がお護りに立っています。

気づいた限りのオオカミさんの写真を撮ってまいった私ではありますが、ここにおられるオオカミさんだけはご本殿前で失礼に当たるかと控えました。
ちなみに可愛らしいオオカミさんでありました。


拝殿のみぎてには境内社、そして多数の摂末社が並んでいますことは前述いたしました。
本殿の脇には祖霊社。その隣には日本神話の根源神・国常立尊(くにとこたちのみこと)さまを祀る国常立神社。
どちらも立派な社殿です。

『国常立尊さまは(スピリチュアル的に)長い間の隠遁から近年復活したと言われ、現在進行中のアセンション(地球の次元上昇)で重要な役割を担う「地球の主宰神」とされる』とネットに書かれておりました。
日本語すらおぼつかない私にはさっぱりわからないのですがね。
スピリチュアルといわれる分野は神さまの世界に近いものなのか、よく目にすることがあるのですが、そもそもが日本神話すらについていけていない人間なので、到底理解不能なのでありましょう。

さらに続くは日本武神社、そして伊勢神宮。
伊勢神宮の前は車祓所となっていてちょうどお祓いを受けている車がありました。全ての戸を開け放ち、さらにはボンネット部分まで開けてのお祓いに感動した私でありました。

お祓い中であったので、摂末社を先にお参りさせていただきました。
伊勢神宮のおとなりは月讀社で。いくつ並んでいたのか…。摂末社の並びに少し大きな御宮があり、そちらは東照宮でありました。こちらの前におられる狛オオカミさんの可愛らしいことといったら。


No.195 21/11/04 10:09
旅人さん10 

たった今テレビのニュースを見て、一応お詫びして訂正しておこうと思いました。
三峰さんへと続く県道三峰線、祝日の昨日は渋滞がひどくて、待機所となる路肩に路上駐車している車が多く警察までが出動したようです。

インタビューで、「待機所に駐車して神社まで歩いた方が早いから」と申しておられました。
テレビで見る限り待機所も満車状態でした。
渋滞で待つ方はUターンして帰る選択をしようにもできなかったわけで。緊急車両をやり過ごすこともあるはずです。
しかも下山方向に向かって停めてある。
まったく自分たちのことしか考えていないのだなあ。こちらは神社さんなのになぁ。



私どもはたまたま良い日に参拝することができたようでした。

そ、そうですよね。
前日の夕方から並ぶ車があったほどの神社さんです。



ちなみにこの祝日に日光に行ったという姉はすごかったよぉ〜と愚痴電話をかけてきたくらい、凄かったようです。渋滞もさながら駐車場の空きがなかったと。九時ちょっとには着いていたようですが、十時過ぎても駐車できなかったそうで…。
いやぁそれって日光では当たり前なんだけどな、まして休日ではなぁ…。
取材と思われるヘリが何機も飛んでいたようです。

姉のお目当ては【輪王寺】さんでお授けいただける【破魔矢】。
なんでも占いの人気番組で紹介されたのだと言います。
それが欲しいがためにオンボロ軽自動車で一人日光へとひた走ったようです。
その報告は…。なんと三ヶ月待ちとのことで、宅配の受付をしていたそうです。
その宅配の受付がまたすごい列だったのだとか。
なるほど…。マスコミの力は大きいものです。


私はといえば…久しぶりに会った孫を手おんぶして二キロ近くの距離をお散歩をして過ごしていました。
初めての手おんぶが気に入ってしまい歩かない歩かない(~_~;)
まぁ、それも幸せ。生涯に一度しかない大切なとき、であります。

No.196 21/11/04 14:22
旅人さん10 

打ち明け話)

いつもお読みいただきます方、本当にありがとうございます。

実は一レス削除しています。
すでにその削除前のレスをお読みになられた方、申し訳ありません。
慌てて訂正して削除した理由にお気づきになられておられる方もおられるかもしれませんが、
…そう、よりにもよってお寺さんの名前を間違えて記載してあったのです。

中断しては思い出したように(実際思い出しながらひいこらひいこら書いているのですが…)書いている、『珍道中東北路編』を書かねばなぁとか思っては写真を見たり、買ってきた資料を見たりしているんですよ。
そんな中、テレビのニュースを見て、あっなんかこれでは、万が一これをお読みいただいて、そうか今は三峰さんは結構空いているもんなんだと思われ、行ったところ、違うじゃん!!となったら申し訳ないと思って書き出し、そういえば姉の日光混雑状況も書いておこうと思って書き出し…。
…そう。
当たりです。輪王寺と書くべきところをよりにもよって中尊寺と書いてあったんですよ。
Σ(×□×;)



…いつもいつもそんなヤツで本当にすみません。

やれやれ( ; ; )です。
ヤダヤダ。

No.197 21/11/04 14:57
旅人さん10 

【三峰神社】さんは【秩父神社】さん【宝登山神社】さんとともに【秩父三社】とよばれる一社であります。

東征中、この地を通ったヤマトタケルノミコトさまが、三峯の山々の素晴らしい風景に感動し、イザナギノミコトさま・イザナミノミコトさまの国造りを偲んで祀ったのが起源とされます。
ご眷属の狼(山犬)信仰と三峯講、三ツ鳥居、熊野修験との関わりなど、修験霊場の三峰山を中心に、独特の信仰を形成しています。
修験道の祖・役小角が修業をし、弘法大師空海が観音像を安置したとされています。


『三峰山(妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の3つの峰)は、「進龍」という綺麗に連なる高い山々の形勢を持ち、富士山から東京へと流れる強い龍脈上にあります。』
と書かれたものがあります。
…この辺はちょっときちんと理解してはおらず、すみません、書き写しです。
でも本当に美しい山並みでありますことは一見しただけで私にもわかります。
さらに『三峯神社は三峰山中、標高1102mの高海抜地帯にあり、その山々の強い気が流れ込む龍穴スポット(大地の気がみなぎる場所)です。』と続いています。
…ようはスピリチュアルと言われるもの?

スピリチュアルというのもだいぶ関心を持たれているジャンルのようですが、おバカな私には横文字が加わるだけでもう難解と思ううえ、実際に難解というか理解ができない分野のようでして…。
まぁ、勉強一般、かもしれません。情けないことです。

そのスピリチュアルな説で。

三峰さまの強く厳しい気は心身が弱っている・迷っているときは、ここの厳しい気は合わないので、優しい気の他の神社へといろんなところで異口同音に書かれているんです。

そんなことをいわれると、自分、心身弱っているかもなあと、だから今行ってはいけないんだなあと、思っちゃったんですね、十年前くらいに。
でも優柔不断であれこれ悩み、不安や不満の塊だったりする私、じゃあいつ行けるんだ?と思いまして。
行きたいと願っていることこそ、三峰さまを求めているんだと勝手な理論を導き出しまして。

で、今回の初の参拝となったのでありました。

No.198 21/11/04 21:45
旅人さん10 

摂末社の参拝を終えて、伊勢神宮の前へと戻りました。いつのまに走り去ったのか、先ほどの車は影も形もありませんでした。

伊勢神宮。
…その名を名乗るだけの建物です。
そもそも覆屋があります。
私は伊勢神宮を参拝をしていないのでイメージするしかなく、だからこそそう思ったのかもしれませんが、伊勢神宮のミニチュア版といった感じであります、…たぶん。

そこまで参拝して。


どちらに行こう。まずは拝殿の向こう側に行こう。
石段を登った分、高台にあるここ、この場所から下に神楽殿が見えます。
神楽殿をみよう!そうしてそこから拝殿の向こう側へと行こう。


神楽殿は他の建物と違い(伊勢神宮は別ですが)、白木のままのものでありました。明治四十一(1908)年に奉献されたものということ。およそ110年前の建物ということになりますが、やはりこちらもそうはみえない、もっと新しか感じるものでありました。

そのすぐ横に、大きな大きな杉の御神木。
あたたかな気が降り注ぐような優しい木であります。その木の下はそれはそれは気持ちのよい、居心地のよい場所でありました。

この御神木は樹齢800年と言われており、鎌倉時代の武将・畠山重忠公が奉献したと伝えられ、別名「重忠杉」とも呼ばれているようです。重忠公は頼朝公の御家人で秩父地方を治めていた方であります。三十四カ寺をまわっているとよくその名を見かけたものであります。

御神木の前の立て札には以下のように書かれていました。
『神木より発する「氣」は活力そのものです。
神前にお参りの後、神木に向かい三度深呼吸をし 手を合わせて祈ってください』
とのこと、でした。
御神木のそばにどなたもおられなかったのをよいことに、両手を広げ御神木の頂に向かって、思いっきり手を掲げ、思う存分氣を浴びた私でありました。


くぐってきた青銅鳥居のみぎてに大きな大きな紅いなにかがあります。
「八棟灯籠」とあります。

この燈篭、高さ六メートルの木製で、なんと安政四(1857年)に建立されたものだそう。細やかで精巧な彫刻がこれでもかというくらいに施された、見事な見事なものでありました。

目前の豪華絢爛な拝殿に目を奪われあまり記憶に残っていなかった鳥居も、やはり見事なものでありました。弘化ニ(1845)年に建立されたものだそうですが、まったく古さを感じないものでありました。

No.199 21/11/05 08:12
旅人さん10 

三峰さんの社殿や鳥居、手水舎、燈篭。全てがまったく古さを感じない、美しいものであります。
それは修理、修復をしているからだろう?
いやぁ、ですがね。
その修復からもけっこう経っているんですよ。それが傷みも見当たらず、塗りも剥げていない、つい最近の修復のように思えるくらいに綺麗なのです。

やっぱりこれは…清らかな気がその傷みを止めている?
お使いを務める山神さまが清めている?

それはずっと不思議に思って過ごしておりました。

よく、こちらで龍を見た方とか、山神さま=オオカミさまに導かれたとかおっしゃられる方がいらっしゃいます。家で寝ていた時、オオカミさまが枕元に立ったとか、霧が出たら歓迎されている合図だとか…。いろんなことが言われている神社さんで、お山であります。


私の参拝時、霧も発生しませんでしたし、龍に至っては誰もが必ず見ることができる手水舎の天井にいたという龍の彫り物も見逃しましたし、拝殿の前に突如として見られるようになったという石の龍も見てこなかったくらいです。

でも…不思議な力が働いているのではと思うのであります。

それは…女の勘?





No.200 21/11/05 18:55
旅人さん10 

その後、道なりに進むと社務所にたどり着きました。
御朱印の受付と、御守や御札の受付は別の窓口となっておりましたので、まずは御朱印をお授けいただきにあがりました。
今は直書きのお取り扱いがないところがほとんどなので、こちらもそうされておられましたが、三種類あるとなっております御朱印も一種類に絞られておりました。

そして…御守を拝見しようともう一つの受付に参りますと…?
御守もお札も何一つ置かれておらず、いたってシンプルな窓口となっており。えっ?
…とオロオロと周りを見渡すと、何やらアンケートでも書くような簡易なテーブルがありまして、そこにはなんと!
御守や御札の申込書が置いてあるではないですか!
御守や御札の見本はその後ろ、反対側に壁…ではないのですがあたかも壁に飾ってあるかのようにしてあります。なんとも斬新な感がいたしました。
あれやこれや悩み、黒の〝氣守〟を子供たちの分お受けいたしました。
うーん、さすが全国的に有名な神社さんでありました。
受付に申込書を提出するとほどなく名前が呼ばれて、レジ袋に入った御守が手渡されました。
お、おう。

…レジ袋代はここではかかりませんでした。

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