コイアイのテーマ †main story†
誰にでも、たった一人、
忘れられない人が居るハズ
※この作品はフィクションです。
プロローグとして書き綴った『コイアイのテーマ』の続編になります。
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>> 100
加世子は窓の外を見ながら、空にポッカリと浮かぶ満月を見つけた。
月を見上げる度に思ってしまう…
敦史も今、どこかでこの月を見ているかもしれないーーと。
「今、なに考えてるの」
陽介が優しい声で聞いてきた。
「……」
「俺ね、どんな話しでも聞いてやるスタンスに戻るから」
「…きっと、陽介さんには、面白くない話しばかりですよ」
「どんな話しでも聞くよ。いつか言ったろ?
俺は加世子の都合のいい男になるって」
「ーー」
「ここまで加世子の心を捕えて離さない、アイツの話しを聞いてみたい、ってのもあるけどね」
終始、穏やかな口調の陽介に、
月を見上げ敦史と電話で話した思い出を、加世子は話した。
>> 102
「いい傾向だね」
陽介もニッコリと笑みを浮かべた。
「じゃーあ、都合のいい男といたしましては、
これからもジャーンジャン、デートにお誘いしますんで」
「フフフ。
――今日みたいな一日は、大歓迎です」
「ほとんど実家だったろー」
陽介は出鼻を挫かれたように苦笑した。
「でも、陽介さんのご家族が本当に素敵で・・・。
私は一人っ子だから、大勢の家族ってこんなに楽しいんだって、
うらやましかったです」
「加世子の気持ち次第で、何の障害もないんだけどな」
「え?」
車は加世子のマンションの前に到着し、
陽介はエンジンを切って、加世子の方を見た。
「俺と結婚したら、家族になれるよ」
「!」
陽介は車を降り、助手席に回ってドアを開けた。
ポカンとして驚いたままの加世子に、手を添えて降ろすと、
陽介は、微笑み、ソッとほっぺにキスをした。
「ま、た、な」
ニヤリと笑んで、加世子の頬をつまむと、
車に戻って、去っていった。
>> 103
数日後、都内のスタジオで、JNKのCM撮影が行われた。
初めての現場で、美咲は緊張した気持ちを抱え、
合間に入る休憩時には、出入口ばかりを見ていた。
そして、その想いが通じたように、
美咲の見つめるドアから、陽介が現れた。
破顔一笑といった美咲より先に、
内田が陽介の元に行き、笑顔で話しながらやってきた。
「お疲れ」
その笑顔に美咲の緊張は解け、
同時に胸が踊った。
「遅い」
「だって、ホラ――並びましたから」
そう言って、陽介は人気のシュークリーム店の箱を見せ、
やってきた代理店のスタッフに渡した。
「内田さん褒めてたぞ、
原石見つけたってさ」
「フフフ」
そこに、山本がお辞儀をしながらやってきた。
「課長、部長からお電話です」
「後でかけなおす」
「はい」
山本はスタジオの隅へ向かった。
美咲は、シュークリームの件も含めて、
陽介の一挙一道にときめいていた。
「種元さん、お願いします」
「はい」
「見てるから、頑張れよ」
美咲は陽介に小さく頷き、
呼ばれた先へと向かった。
>> 104
撮影中、美咲は場所の移動やメイクが入るとき、
つい、陽介を目で追ってしまった。
「はい、じゃ、休憩でーす」
その言葉に、美咲が戻っていくと、
陽介の元にさっきと同じように山本がやってきた。
「課長、携帯に真中さんからです」
「おう」
陽介は、山本から携帯を受け取り、
スタジオを出て行った。
美咲はぼんやりとその背中を見つめ、
「真中――って、真中加世子?」
と、残った山本に聞いた。
「はい。種元さん、ご存知ですか?」
「――同級生です」
「そうですか!真中さんは、課長とも親しくされてるんですよ」
「・・・・・」
山本が言った『親しく』という言葉が引っかかり、
美咲の胸に疑念に似た感情がおこった。
>> 105
暫くして戻ってきた陽介の元へ、
美咲はさりげなく近づいていった。
「電話、加世からだってね?」
「そう。俺、取材する店教えるって言っといて、忘れててさ。
明後日までなんて、もっと早くに催促してくれりゃいいのに・・・」
「お店って?」
「雑誌で特集する店だよ。
そうだ美咲も『個室でくつろげるレストラン』でオススメ無い?」
美咲は、菅村にバックを持ってきてもらい、
財布から、店の名刺をだした。
「ここ、オープンしたてだけど、
すごくオシャレで、美味しくて人気なの」
「へぇ・・・サンキュ。
加世子に渡しておくわ」
「加世子?って・・・呼び捨てにしてるんだ」
陽介は、一瞬真顔で美咲の顔を見て、
すぐに、笑みを浮かべた。
「寂しい一人もんを相手してもらってるんだよ」
その時、スタッフが美咲を呼んだ。
「俺もう行くけど、頑張れな」
去っていく陽介に美咲は思わず声をかけた。
「陽ちゃん!そのお店、今日は休み。
明日なら開いてるから」
「了解。じゃ」
陽介は笑顔で手をかざし去っていった。
>> 107
翌日の晩、加世子は、昨日陽介に渡された店の名刺を辿って、
夜8時にやってきた。
そこは、オシャレな洋風居酒屋で、
モザイクに張られたガラス壁から中を見ると、
開いた席が見当たらない程、賑わっている様子だった。
「お待たせ」
そこへ陽介が駆けるようにやってきた。
「私も今きたところです」
「そう。入ろうか」
加世子は陽介の後について行った。
中へ入ると、区切られた席はどこも
お客で埋まっているようだった。
定員が気付いてやってきた。
「予約のお客様でしょうか?」
「あれ、予約が必要なんだ」
陽介が言うと、定員は申し訳なさそうに頷いた。
「そっかぁ・・・仕方ないね」
陽介が加世子と顔を見合わせた時だった――
「陽ちゃん!」
「美咲・・・」
驚いている加世子の前に、
奥の個室から出てきた美咲がやってきた。
>> 108
「ごめんね、予約が必要とまでは教えなかったね」
加世子は陽介の顔を見た。
「このお店、美咲の紹介なんだ」
「話してないんだぁ。いい加減ね」
美咲は加世子に向かって、
ちょっと顔をしかめて言った。
「せっかくだし、良かったら合席しない?」
陽介と加世子が顔を見合わせていると、
「私たちの席で一緒します」
と、既に美咲は定員に伝えていた。
「美咲、誰かと一緒じゃないの?」
「うん、彼とね。今向かってるって」
「じゃあ悪いよ」
「平気よ。これも何かの縁でしょ」
加世子は、陽介も居るのに、
今の美咲の彼が合席するなんて――と気が重かった。
「いいんじゃない。一緒しようよ」
陽介はそう言って笑むと、
美咲の後について行った。
>> 109
部屋に入って戸を閉めると、
他のスペースとは遮断される個室のスペースになった。
奥の席に座る美咲の隣に加世子が座り、
加世子の前に陽介が座った。
「いい雰囲気だね」
陽介は、部屋の中を見回しながら、
加世子に手を差し出し、加世子のバックを受け取って空いた席に置いた。
「ありがとうございます」
その自然な二人のやり取りを横目に見ていた美咲は、
苛立ちにも似た感情を覚えたが、
それを表立たせないために、メニュー表に目線を落とした。
加世子は美咲に陽介と一緒に現れた経緯などを話したいと思ったが、
これからやって来るという、今の美咲の彼氏と陽介が対面することが
気がかりでならなかった。
「今から来る彼とは、長いの?」
加世子の気持ちも知らずに、
陽介は他人事のように美咲に聞いた。
「もう4年かな。陽ちゃんと別れた直後に出会ったから」
「へぇ。一緒に住んでるの?」
「うん、そう」
そうか、あのマンションに住んでいるのは、
今の彼なんだ・・・。
加世子はそう思いながらも、何とも落ち着かない気分だった。
その時、美咲の携帯が鳴った――
>> 110
「着いた?――じゃあ、中入って、真っすぐの右手だから」
美咲は電話を切り、
「来たって」
と言って、戸を開けて顔をだした。
加世子は気にならないかと陽介の顔を見たが、
陽介は、そんな心配した加世子を面白がって見ていた。
美咲が顔を引いて、席に戻りながら、
加世子の顔を見た。
加世子は小さくため息をついて、
諦めたように、やってきた人影に目を向けた――
「!!」
そこに現れた敦史を、
加世子は愕然と見つめた。
敦史もまた、驚いたように立ち止まって
加世子を見つめた。
陽介は異様な加世子の視線の先に振り向き、
敦史を確認すると、真顔の視線を美咲に向けた。
こんな状況を作り出した美咲は一人、
平静な顔をしていた。
>> 111
「座ったら?」
美咲は、入口に立ったままの敦史に向かって、
声をかけた。
敦史は、空いた席に移動しながら、加世子の前――
自分の席の隣の陽介を見て、また顔をこわばらせた。
「偶然ね、加世たちに会ったの。
席も満席で帰ろうとしてたところを声かけたんだぁ。
一緒にいいよね?」
誰も、何も返事をしなかった。
中でも、加世子は、まだ呆然としたまま、
席についた敦史に視線を向けたままだった。
美咲の彼が、敦史・・・
一緒に暮らしている・・・
4年・・・
「・・・4年?」
加世子の口から、小さく言葉がもれた。
隣の美咲が、ゆっくりと加世子の方を向き、
「そう。加世と別れてからね」
と、何の感情も込めていない言葉で返した。
大学時代、洋史君が敦史は「女の所にいる」と教えてくれた。
美咲も、電話で新しい彼が出来たと言った。
それはお互いのことをいい・・・
その関係が4年もの間ずっと続いてきたんだ・・・。
>> 113
重苦しい異様な空気の中、
敦史はぼんやりと席に座り、タバコを吸っていた。
陽介はメニュー表を眺め、
加世子は視線を落とし、突きつけられた現実に
打ちのめされてしまいそうな気持ちで、ただ座っていた。
美咲はそんな3人を眺めて見ていた。
そこに、飲み物が運ばれてきて、
手の空いた定員に陽介が他のメニューを頼んだ。
戸が閉められ、4人だけの空間になった。
「じゃあ、乾杯?」
美咲がグラスを持って言ったが、
誰もグラスを合わせることなく、
敦史にいたっては、ずっとタバコを口に運んでいた。
「なぁ、吸うの止めない?」
陽介の言葉に、加世子も顔を上げた。
「いいじゃない、禁煙じゃないんだから。
私にもちょうだい」
美咲は敦史に向かって手を差し出した。
「個室で、吸わない子が居るんだよ」
陽介の言葉に、敦史はチラリと加世子を一瞥し、
二人は目が合った。
ドキッとする加世子から目線を外し、
敦史はタバコを灰皿に押し付けて消し、
目の前に置かれた、ビールを煽るように口にした。
>> 114
「ねぇ、二人は付き合ってるの?」
美咲が、笑顔で体を乗り出しながら、
加世子と陽介の顔を交互に見て聞いた。
陽介はフッと笑んで、ソーダー水を飲みながら、
加世子の顔を伺うようにして見た。
「さぁ・・・」
加世子は戸惑ったまま、目線を落としていた。
「何よソレ?答えになってないじゃん」
その時、敦史がタバコをクシャっと握りしめ、
そのまま席を立った。
「どこ?」
すかさず美咲が声を掛ける。
「吸ってくる」
敦史は顔を合わせずに答えると、
そのまま部屋を出て行った。
加世子は固まったまま、目だけで敦史の姿を追った。
そんな加世子を見て、陽介は自嘲的に笑み、
更に美咲は、そんな陽介を見て胸の奥で苛ついた。
「そういえば加世――」
美咲が、加世子の方に姿勢を変えたとき、
テーブルのカシスオレンジを倒し、加世子の服にかかった。
「ごめん加世!
あーん、すぐに水で洗った方がいいかもぉ」
美咲がオシボリで拭いたが、落ちなかった。
「ありがと・・・トイレ、行ってくるね」
加世子は席を立ち、部屋を出て行った。
>> 115
加世子の後姿を気にしながら見送った陽介は、
美咲に顔を向けた。
「えげつないな、こんなシチュエーションを作るなんて」
「加世にちゃんと理解して欲しかったの。
今、敦史と付き合ってるのは私なんだって」
陽介は、汚れたオシボリを重ねた。
「なら、2人になるように仕向けるなよ・・・」
「フフ、心配?」
微苦笑した陽介を、美咲は真っすぐに見つめた。
「私も陽ちゃんと2人きりで話したかったんだもん」
トイレに向かう途中、タバコを吸っている敦史を見つけた加世子は
ドキリと足を止めた。
壁に寄りかかり、タバコの煙をフゥーと吐き出した敦史は、
フイに顔を向け、同じように動きを止めた。
2人は重苦しい表情で、
しばらくの間見つめ合っていた。
>> 116
美咲は、少し切ない表情で陽介を見た。
「子どもは?――前の奥さんが育ててるの?」
「居ないよ」
「え?・・・だって」
「式を挙げる前に、流産でね・・・」
「・・・・・」
美咲は『子どもが出来た』という決定的な一言で、
別れを受け入れるしか無かった過去を思い出していた。
子どもが居ないと知っていたなら、
自分は決して、身を引いたりしなかったのに・・・。
「――それで今は、加世がお気に入りなんだ。
でも、どうして加世?って感じ」
「お互いの辛いときに、側に居合わせてね」
「フフ、私達と一緒じゃん」
「じゃあ、俺も加世子もキューピットって訳か」
美咲が嫌味で言ったのを、陽介は笑んで答えた。
美咲は作り笑いを浮かべながら、新しい飲み物を注文した。
>> 117
加世子は知ってしまった現実に押し潰されそうになりながらも、
それとは別に、敦史の姿を見て、胸が締め付けられるようだった。
加世子は、トイレへ向かうためゆっくりと歩き出し、
俯きながら、敦史の前を通り過ぎた。
「――何でアイツなの?」
敦史の言葉に加世子は歩みを止めた。
「アイツだけは止めとけよ」
「どうして?」
加世子は振り向いて敦史を見た。
涙がこみあげてきた。
「どうして、そんな事言うの?」
敦史は答えず、またタバコを口に運んだ。
「敦史は美咲と・・・」
加世子の目から涙がこぼれ落ちた。
「この4年間、敦史の側には美咲が居たんだね」
「・・・・・」
「4年前・・・敦史は私のこと、
すぐに忘れてたんだね」
その時、敦史は強い眼差しで加世子を見つめた。
でも、すぐに目線を外し、タバコを消すと、
その場を離れていった。
加世子は敦史の背中を見送りながら、
涙が溢れ、壁に寄りかかって、
声を押し殺して泣いた――。
>> 118
陽介は、何度も振り向き、入口の外を気にしていた。
「気が気じゃない?」
美咲に言われ、陽介は含み笑った。
「どこまで本気か分からないけど、
加世をもてあそばないでね」
「美咲が言うんだ?
加世子の前の男と付き合ってて」
「陽ちゃんだって、自分が良かれと思ってやっていても、
それが人を傷つけることもあるって、知った方がいいよ」
「美咲がそうだったってこと?」
美咲は答えられず、ただ陽介を見つめた。
「そうかもしれないな・・・。
でも、加世子のことは、傷つけちゃダメだって思ってるよ」
「・・・・・」
「加世子は可哀想な位、傷ついたんだ――」
その時、陽介の言葉を耳にした敦史が
戸の外で立ち止まった。
陽介は、怒りを含んだ真剣な顔つきで、
4年前のあの日を思い出していた。
「アイツにだけは加世子は渡せない」
>> 119
陽介を見つめる美咲の心に、
憎しみに似た感情が浮かんだ。
自分も傷ついた、
アナタに傷つけられた、
――なのに、何で加世?
何で、加世の心配をするの?
加世は何故、陽介にこんなに想われているの?
美咲の憎しみは、陽介ではなく
加世子への嫉妬に変わっていた。
部屋に沈黙が続く中、敦史が入ってきた。
そして、座ることなく荷物を手にした。
「俺、もう帰るから」
「待って、私も行く」
美咲も荷物を手にして、席を立った。
「俺ね――」
座ったまま発した陽介の言葉に、
2人は歩みを止めた。
「この間、加世子にプロポーズした」
「!」
敦史は、部屋を出て行った。
美咲は驚いた表情で陽介を見ながら、
敦史の後を追って、出て行った。
>> 120
服の汚れは全ては落ちず、
加世子は、鏡の前で泣いた顔をティッシュで拭って、トイレを出た。
すると、廊下の壁に寄りかかり、陽介が待っていた。
「大丈夫か?」
加世子はただ黙って頷いた。
「2人共もう帰ったよ。――俺たちはどうする?」
「・・・取材の、申し入れをしなきゃ・・・」
「了解。
じゃあ、まずは戻って落ち着こう」
陽介は優しく笑んで、
加世子の頭をポンポンと叩き、部屋に戻っていった。
「腹減ったー。食おうぜぇー」
向かい合って座る陽介の無邪気な声に、
加世子は思わず微笑んだが、訳もなく涙が頬を伝った。
「その涙は、どっちなの?
美咲の男だって知って悲しいの?
それとも、アイツに会えて嬉しいの?」
陽介は料理に目線を落としたまま、
お皿に取り分けながら聞いた。
「会っちゃうと、ダメですね・・・」
陽介はゆっくりと顔を上げ、加世子を見つめた。
だが、何も言わずに黙っていた。
>> 121
加世子の涙は止まらなかった。
クスン、クスンと声が漏れ、拭う手の平は涙で濡れ続けた。
加世子を見つめていた陽介は静かに席を立ち、
部屋を出て行った。
加世子はテーブルに両肘をつき、
両手で顔を覆うようにして泣き続けた。
頭では理解した――
でも、心がついていかない。
暫くして、陽介が部屋に戻ってきた。
「取材の許可貰ってきたから、帰ろう」
そう言って、加世子に取材日時を記したメモを渡すと、
ソッと加世子の肩を抱き、席から立たせた。
陽介は、店の前でタクシーを停めると、
加世子を支える様にして、後部座席に一緒に乗り込んだ。
加世子は陽介に寄りかかったまま、
止まらない涙を隠せないでいた。
>> 123
美咲は、リビングのソファーに座って、
缶ビールをそのまま口につけて飲んでいた。
テーブルには空になった缶が2本転がり、
美咲は、3本目も空にすると、新しい缶に手を伸ばした。
が、その缶をやってきた敦史が取り上げた。
「やめとけ」
「いいじゃない、さっき飲めなかったんだから」
そう言って、違う缶に手を伸ばそうとしたが、
その缶も敦史に取り上げられた。
美咲は、トロンとした眼を上げて敦史を見た。
「久しぶりに、抱いて」
「――気分じゃないよ」
敦史は缶ビールを戻しにキッチンへ消えた。
美咲は敦史を目で追った。
「加世に会ったから?」
「――」
「フフ、まだ、加世のことが好きなんだもんね」
キッチンから出てきた敦史は、
少し怖い位の顔で、美咲を見つめた。
「勝手に言ってろ」
目の前を通り過ぎ、隣の部屋へ向かった敦史と入れ違いに、
美咲は立って、敦史の部屋へ行くと、
あの小箱を持って戻ってきた。
そして、ベットの上に投げつけた。
「根拠もなく言ってるとでも思った?!」
敦史は転がった、キーホルダーとストラップを見つめ、
ゆっくりと美咲の方に顔を向けた。
>> 124
美咲は、怒りとも悲しみとも言えぬ表情で立っていた。
「そのストラップ、高一のクリスマスプレゼントだよね?
気づくと加世、嬉しそうに、大切そうに、いつも眺めてた。
キーホルダーだって、どうせ加世との思い出の物なんでしょ?」
敦史は黙って、ストラップとキーホルダーを拾った。
「気持ちが無いっていうなら、そんなの隠し持ってないでよ!」
敦史は美咲に近づくと、
傍らにあったゴミ箱に、ストラップとキーホルダーを捨てた。
美咲は泣きそうな表情で敦史を見つめた。
雨風が強く吹きつけ、ベランダの物干しが音を立てていた。
美咲は泣きそうな顔のまま、小さく声を出して笑った。
「――あの日と似てるね」
顔を上げ、美咲を見た敦史も、思い出していた。
美咲の頬を涙が伝い、敦史に凭れるように抱きついた。
「・・・陽ちゃん、結婚するかもしれないって」
「――」
「結婚しちゃうんだよ、加世と」
耳元で囁かれた言葉に、
敦史は俯き、両目をギューと閉じた。
そして、求めるように顔を離した美咲の唇を
奪うように唇を合わせると、
そのまま、なだれ込むようにベットに沈んだ。
>> 125
その日、東京は春の嵐にみまわれていた。
まだ日中の空は、青黒い厚い雲で覆われ、
18歳の美咲は、傘もささずに、
大粒の雨の一粒一粒に打たれながら、声を上げ泣きながら歩いていた。
陽介の側に居たくて、東京へやってきた。
お互いの仕事が忙しく、2週間、1ヶ月に1度会えるのでも
嬉しくて、その為に仕事も頑張っていられた。
なのに――
数時間前に、久しぶりに会った陽介から
結婚すると――告げられた。
「子どもができた」の一言に、
陽介を引き止める言葉も出なかった・・・。
びしょ濡れで、思考もおぼつかないままに歩いていたら、
履いたヒールが片方折れて、ふらついた。
このまま、地面に倒れてしまいたいと思った時、
雨を避けるように駆けてきた男に腕を掴まれた。
「大丈夫?」
雨がバシャバシャと激しさを増す中、
美咲はまつ毛から落ちる雨粒に遮られながらも、
その知った顔――
敦史の顔を見あげ、笑った。
笑いながら、また顔を崩して泣きだした。
敦史は美咲の腕を掴んだまま、
何も聞かずに、
近くの自分のアパートへと連れて行った。
>> 126
2人ともビショビショに濡れていた。
敦史は、部屋から乾いたバスタオルを持ってきて、
玄関に立つ美咲に渡した。
「入んなよ」
「濡れちゃうよ」
「いいよ」
美咲は、玄関で靴とストッキングを脱ぎ、
部屋の中へと入った。
「コレに着替えたら。
シャワーも使っていいし」
敦史はTシャツと、スウェットのズボンを渡し、
ユニットバスの扉を開けた。
美咲は、無言で敦史の言葉に従い、シャワーを借りた。
出ると、敦史も着替えていて、
小さなキッチンで、小さな鍋でお湯を沸かしていた。
美咲に気づくと、小さなソファーに目をやり、
美咲はそこに座った。
目の前に温かいココアが置かれた。
美咲は、フフと笑った。
ずっと無言の敦史が、色々と世話をやき、
甘いココアを出してくれたのが、可笑しくて、
嬉しくて――でも、笑ったら涙が出てきた。
「・・・加世、電話でなかったよ」
涙声で明るく言ったけど、敦史は無言のまま、
自分のココアをテーブルに置いて座った。
「加世、元気?」
「――別れたから」
「うそ?・・・」
>> 127
「別れ」という言葉に、美咲はさっきまでのように、
涙が溢れ、声を出して泣きだした。
「私も別れたの・・・
陽ちゃん・・・結婚するんだって・・・。
結婚しちゃうんだって・・・アア――」
美咲は顔を伏せ、体をひくつかせながら泣いた。
その時、敦史が美咲の頬に手を伸ばし、涙を拭った。
ビクンと反応して、美咲は顔を上げ敦史を見た。
無表情な敦史の目から、一筋の涙が頬を伝っていった。
無言で、表情を無くしたままの敦史が、
苦しみ、悲しんでいると、その時の美咲には痛い程に分かった。
美咲は敦史の頬に手を伸ばし、その涙を拭った。
「私たち、似てるね」
敦史が、美咲のその手を掴むと、どちらからとなく唇を合わせ、
失った大切なものを補い合うように抱き合った――。
美咲は隣で眠る敦史の顔を見つめながら、4年前の出会いを思い出していた。
あの日、お互いのこと、身内とのトラウマことも全て話し、
似すぎた2人は、慰め合う分身のように一緒に暮らしてきた。
だが、敦史と一緒に居た4年間、加世子の影が消えたことはない。
美咲は、敦史が、加世子に惹かれ、愛した気持ちが、悲しい程に理解できたのだ。
>> 128
3.結婚
タクシーを降り、マンションに入る数メートル、
激しい雨のせいで、加世子と陽介は服を濡らした。
「風邪ひくから、風呂入んな」
部屋に入って陽介は、加世子にタオルを渡し、
お風呂のお湯を溜め始めると、
奥の部屋の押入れから、箱を抱えて戻ってきた。
「これ、使っていないバスローブだから、着替えなよ」
その真新しく肌触りの良いバスローブを渡され、
涙の後を残したままの加世子は、小さく笑んだ。
「フフ・・・ホテルみたい」
「あっれぇ?加世子さんも、
ホテルに行ったことがあるんだぁ~?」
冗談交じりの意地悪な口調に、
加世子は困ったように俯いた。
「ゆっくり浸かって、あったまりな」
陽介は優しく言うと、
加世子の頭をポンポンと叩いた。
湯船に浸かりながら、加世子はまた、
自分の元彼と親友が付き合っている現実に
押しつぶされそうになったが、泣きつくしたのか、
涙は出なかった。
だが、ドッと疲れが押し寄せ、
長い時間、湯船に浸かっていた。
>> 129
陽介から渡されたバスローブを身につけ、
加世子はバスルームから出てリビングへ向かった。
「俺も入ってきていい?」
「はい。――長くて済みません」
「いいさ。
紅茶入れておいたから、飲みな」
リビングのテーブルに温かいレモンティーが置かれてあった。
陽介がバスルームへ入った音を聞きながら、
加世子は、ソファーに座って、レモンティーを一口飲んだ。
相変わらず、激しい雨の音がしている。
加世子はソファーの上に膝を抱えて座り、
疲れたように首を背もたれに傾げて、
ぼんやりと窓の外を眺めた。
そうしていると、また、さっきの情景が浮かんだ。
『・・・4年』
『そう。加世と別れてからね』
加世子は膝に頭を埋め、小さく丸まった。
ずっと、
ずっと、
2人は一緒に居たんだ・・・。
4年という月日――
その2人の歴史を想像するほどに、
加世子は自分の敦史への想いがはかなく、
意味のないものに思えた。
>> 130
「こんな所じゃなく、ベットで寝な」
やってきた陽介は、小さく丸まった加世子を、
そのまま抱きかかえ、奥のベットルームへ運んだ。
そして、ベットの上にソッと置いた。
加世子はゆらりと陽介を見上げた。
「泊まっていきなよ。
服も洗濯して、朝まで乾かしておくから」
「私が――」
体を起こそうとした加世子を、
陽介は優しく笑って制した。
「そんな格好で動かれたら、
たまったもんじゃない」
そう言って、指で加世子の髪にサラリと触れると、
部屋を出て行った。
加世子はベットの上から、ぼんやりと部屋の中を見渡し、
出窓の棚に並べられた、数冊の本に目をとめると、
「イタリア」と書かれた一冊に手を伸ばした。
それは、イタリア各所の美しい写真集だった。
加世子はその一枚一枚をゆっくりと捲り眺めた。
ある寺院の石像が美しく、
加世子が惹かれるように眺めていると、
「それ、加世子も好き?」
と、肩越しに陽介が顔を出して言った。
「はい」
そう答えた加世子の顔を見て、
陽介は微笑むと、ベットの上に腰を下ろした。
>> 131
「俺も好きでね。仕事でも何でも、ローマに行ったときは
必ず訪れて、時間のある限り眺めてるよ。
――いつでも観光客で混雑してるんだけどね」
加世子は、その石像の写真を更に見つめた。
若い女性が、負傷した男性を抱いている――
「十字架にかけられたキリストを抱く、
聖母マリアの表情が好きでね。
悲嘆に暮れ、それでもやっぱり母の強さも感じられて、
こうなることも、魂は生きているとも知りながら、
肉体として目の前の存在を失った悲しみも――」
陽介は、加世子の膝の上の写真集に目を向けていた。
「聖母はキリストの母親なのにずっと若いだろ?
たとえ、しわ一杯のおばあちゃんだとしても、
その人を思い浮かべると、この聖母のように見える。
どんなに年を重ねても、心が体を現すような、
そんな女性に、少なくとも俺は憧れを抱くよ」
加世子は陽介の顔を見た。
「嘘じゃなく――いつだったか、
この像を見た時、加世子が思い浮かんだ時があったよ」
陽介は目線を写真集から上げて、
加世子を優しく見つめ返した。
>> 132
加世子は今聞いた陽介の話しに、恐れ入る気分で目線を落とした。
そして、写真の聖母を目に入ると、
更に恥ずかしさが増して、陽介に背中を向けた。
「聖母なんて・・・程遠いです」
陽介はフッと笑むと、後ろから腕を回し、
加世子の肩に顔を埋めた。
「知ってるよ。処女じゃないもんな」
そして、そのまま加世子の首筋に舌を這わせた。
「・・・ハッ、ア」
驚きと、ゾクゾクとした感覚に、
加世子の口から思わず声が出た。
「たまらない声だね」
陽介は舌での愛撫を首からうなじへと続けた。
加世子はたまらず、ベットにうつ伏せに倒れた。
陽介は、加世子のバスローブを肌蹴させながら、
加世子の感じる、背中を愛撫し始めた。
「・・・陽介さん、ハァ・・・ダメです」
小刻みに震えながら言った加世子の言葉に、
陽介はその肌から顔を離した。
「嫌なら止めるよ。
俺は無理に襲ったりできないから」
その意味することを十分理解しながら、
加世子は仰向けになり陽介を見つめた。
>> 133
陽介を見つめながら、加世子の目からは涙が溢れた。
「苦しい……」
「ーー」
「……どうすれば、楽になれますか?」
陽介は、加世子をギューと抱きしめてから、慰めるように優しくキスをした。
そして、唇を離しただけの距離で見つめた。
「俺が側に居てやるよ。
アイツを思い出せない程にずっとーー」
囁く様に言った陽介を
加世子は真っ直ぐに見つめた。
陽介も加世子から視線をそらさず、
「体も、アイツ一人しか知らないから、忘れられないんだーー」
と、加世子の肩から体の線をなぞり、腰で結ばれた紐を解いた。
「忘れさせてやるよ」
優しい眼差しのまま陽介はまた、加世子の首元に顔を埋めた。
加世子は静かに目を閉じた。
絡み合う二人の足元の下に、真新しいバスローブが落ちた。
>> 134
翌朝、ベッドの上で陽介が目覚めた時、
隣に加世子の姿は無く、
縁に、バスローブがキレイに畳まれて置いてあった。
陽介は、服を身に着け、
コーヒーの香りに誘われるようにキッチンへ向かうと、
ダイニングテーブルの上にはハムエッグの朝食が用意されていた。
カウンター越しに背中を向け、コーヒーを入れている
私服姿の加世子が見え、陽介は近づいていった。
「目覚めて、コーヒーの香りに包まれるのっていいね」
チラリと振り向いた加世子の背後に、
寄り添うように立って、手に手を添えた。
「昨日は、済みませんでした」
「謝ることないだろ?」
「・・・・・」
陽介は、加世子の肩に顎をのせ、
コーヒーメーカーの中に落ちていくコーヒーを見つめた。
「こういう朝って、クセになるよ」
「――」
「なぁ、――家族になること、考えてみてよ」
加世子が陽介の顔の方を向く。
「結婚をさ」
少し笑って加世子を見た陽介を、
加世子はただ、見つめ返すしかできなかった。
>> 136
敦史は、仕事に没頭していた。
朝一番に来て、店の掃除から始め、
夜も自ら掃除をして、一番遅くに帰った。
自分より下の者の仕事も、教えるという名目で、
手取り足取り、一緒になってやっていた。
あの日、加世子らと会った後から、
敦史は自ら、余計な事を考える時間を極力少なくしていたのだ。
そんなある日、滝田から敦史一人が飲みに誘われた。
滝田が連れて行ってくれたのは、昔ながらの焼き鳥屋だった。
カウンター席に並んで座ると、滝田は熱燗と焼き鳥をオススメで頼んだ。
「最近どうよ?」
滝田は敦史の徳利に酒を注ぎながら聞いた。
「何も・・・」
敦史は代わりに滝田の徳利に酒を注いだ。
「最近のお前は、鍛錬って言えば聞こえはいいけど、
なんだか殺気立ってるな」
「・・・・」
「22?だっけ・・・。俺はそん時遊びまくってたなぁ・・・」
敦史は黙って日本酒を口に運んだ。
>> 137
「ところで、本題。
――ニコロ・セッラって名前知ってるだろ?」
「はい」
イタリアでも名の知れた料理人の名前だった。
「ニコロは、イタリア修行時代の仲間で、今では家族ぐるみの付き合いなんだけどね。
今秋出来るベイサイドプレイスに目玉出店することになったんだよ。
――薄井、そこで働いてみない?」
「え?」
「ニコロからも、人材を探して欲しいって頼まれててね。
お前には機を見て、イタリア修行を薦めたかったし、
向こうから大物がくるなら、日本で修行するのもいいじゃない。
俺の店としては痛手で、少しの間貸してあげますぅって感じなんだけど」
敦史は黙って話を聞きながら、心の中で気持ちが固まっていった。
「オッ!同級生」
滝田の声に、斜め上に置かれたTVに目を向けると、
美咲――JNK旅行のCMが映っていた。
美しい都市を背景に美咲が振り向く――
『いっしょに行こうよ、JNKで」
風に髪が揺れ、太陽の光に照らされ微笑む美咲は、とても美しかった。
「かっわいいなぁー!絶対紹介しろよー!
ってか、もう有名になり過ぎかぁ」
滝田の言葉に、敦史は黙って焼き鳥を口に運んだ。
>> 138
JNKのCMが全国で流れるやいなや、
美咲の事務所には問い合わせが殺到し、仕事の量も一気に増えた。
毎日、家事に専念していた日々とは一変し、
睡眠時間が削られる、不規則な生活の中でも、
美咲は様々な仕事が楽しく感じられ、充足感を味わっていた。
仕事で家を空けることが多くなり、
帰れた時間に敦史は寝ていることが多く、
起きた時には既に外出していて、2人はすれ違いの生活を続けていた。
その朝も、敦史が仕事に向かうとき、美咲はベッドの上で熟睡していた。
敦史は、静かに玄関の鍵を閉め、エレベーターに向かうと、
美咲の専属マネージャーとなった菅村と対面した。
「おはようございます」
何度か面識のあった敦史は、小さく頭を下げ、
エレベーター前へ向かった。
「あの、少しお話し出来ませんか?」
菅村の言葉に敦史は振り向き、
やってきたエレベーターをやり過ごした。
>> 139
数日後。その日、美咲は一つの仕事を終え、
その楽しかった仕事の余韻を引きずりながら、
夜の11時前にマンションに帰ってきた。
敦史の部屋のドアを開けると、
椅子に座って雑誌を見ていた敦史の背中に抱きついた。
「敦史ー!ワーイ、起きてる時に会えたぁ!」
「ご機嫌だね」
敦史も微笑んで、美咲を見た。
「仕事が一つ片付いてね。大変だったけど、最後には満足できたんだぁ。
それに、敦史に会えて嬉しいんだもん!」
「フフ」
「ベッドに連れて行ってちょうだい」
美咲が敦史の顔を覗き込んで言うと、
敦史は立って、美咲を軽々と抱き上げ部屋を出た。
「また軽くなった?」
「スタイル良くなった?って言って」
無邪気に会話をしながら、
敦史は美咲をベッドルームへ運んでいった。
>> 140
ベッドの上に置かれた美咲は、敦史の目を見上げた。
「Hしちゃう?」
敦史は優しく微笑んだ。
「疲れてるんだろ?寝ろよ」
「敦史を感じてからじゃなきゃ、眠れないもん」
少しすねた様に言った美咲に、
敦史は微笑んだまま、ベッドに横たわった。
「じゃあ、子守唄歌ってやる。――おいで」
そう、手を差し伸べられ、美咲の胸がキュンとなった。
そして、その腕の中へ滑り込む様に体を移動した。
敦史は、美咲の髪を撫でながら、
好きな曲を小さく口ずさみ始めた。
「今日は優しいんだね」
敦史の歌も撫でる手も続いた。
「今まで、何度もこうやって一緒に眠ってくれたよね」
美咲は満たされる表情で、ソッと目を閉じた。
「眠っちゃいそう・・・」
「美咲」
「うん?」
>> 142
「――まさか、そのまま別れようって言うんじゃ・・・」
「・・・・・」
美咲は、体を離して敦史の顔を凝視した。
敦史も、目を逸らさないでいた。
「お互い、その方がいいと思う」
「何がいいのよっ?!」
声を荒げた美咲の目に涙が浮かんだ。
「美咲も自分で分かってるだろ?
仕事が充実して楽しくなってきたって。
俺も、新しい場所で仕事に打ち込みたい」
「そんな事言って、加世のところに行きたいだけでしょ?!」
敦史は美咲をキツク見つめた。
美咲は涙をこぼしながら、同じように見つめ返した。
敦史は、考えるように下を向いた。
「――もしかしたら、少しは影響してるかもしれない。
仕事に集中したいっていう気持ちに・・・。
でも、もう関わりないことは分かってるだろ?」
「気持ちの問題だよ!」
「――」
「4年間、私と一緒に居て、
加世以上に好きになってくれた事ある?」
「――」
「心から・・・好きになってくれたことある?」
美咲の顔は涙で崩れた。
>> 143
敦史は強い眼差しのまま、美咲を抱き寄せた。
でも、その時言葉が出てこなかった。
美咲の涙は止まらなかった。
「私は、別れるなんて絶対に嫌だから」
「・・・・」
「絶対に認めないから」
美咲はそう言い切ると、敦史の胸を押し離し、
涙を隠すように、部屋を出て行った。
残された敦史は自分に苛立つ様に顔を歪め、
ベッドから降りて、美咲の後を追った。
洗面所に入ろうとしている美咲の腕を掴むと、
キツク抱きしめ、顔を埋めた。
「美咲を、大切に思ってるよ」
美咲は体をひくつかせて泣いていた。
「今まで言葉にしなくて――ごめん」
美咲は声を出して泣き続け、
敦史は包み込むように抱きしめた。
>> 144
陽介は、加世子へプロポーズをした日以降、
宣言した通りに、仕事以外のプライベートな時間は、
加世子に会うのを優先した。
2人はお互いの家を行き来し、
休日には陽介の車で色んな場所へと出かけ、
鎌倉の陽介の実家へも何度か足を運んでいた。
はたから見れば、付き合いの順調な2人だが、
2ヶ月近く経った今も、
加世子は、陽介に返事をしていなかった。
休日のその日も、日中から陽介は加世子の部屋へ来て、
料理を作ると言って、キッチンに立って、材料を並べていた。
「アレ?加世子、ニンニク無い?」
「あっ、忘れました」
「そうかぁ・・・メニュー変更するかな」
「私、買ってきます」
加世子は、腰に巻いたエプロンを外した。
「俺も行くよ」
「すぐですもん、陽介さんは、TVでも見て待っていて下さい。
他に何か足りないものはありますか?」
「イヤ、大丈夫そう」
「はい。じゃあ、行ってきます」
「気をつけてな」
加世子は微笑んで、家を出て行った。
陽介も微笑んで見送ると、リビングへと向かった。
>> 145
陽介は、加世子の部屋を見渡した。
女の部屋にしては色調も家具もシンプルで、
男の自分でも、居心地良く居られた。
部屋の中をゆっくりと歩きながら、
自分一人では入ったことのない隣の寝室へと入った。
本棚に並んだ小説を何気なく手にした時、
―ポロン―
その背後からの物音に、陽介は、小説を戻してベッドの前に立った。
辺りを見回し、ベッド上の棚に目を止めると、
大きな引き出しを開けてみた。
これか・・・。
陽介はオルゴールを手にし、ネジを巻いてみた。
流れるTSUNAMIのメロディーに、昔の・・・と思った瞬間、
一つの疑念が胸におこった。
陽介は、オルゴールが入っていた引き出しの中に目を移した。
映画のモチーフとなった海の写真集――陽介はこの映画を知っていた。
手に取ると、深海の写真のページに手紙が挟まっていた。
陽介は「かよこ様」と表書きを見つめた。
小さな迷いが生じる中、
引き出しに残ったストラップを見つけ、
疑念が確信に変わった陽介は、
苛立ち始めた心のままに、手紙の中を開けて読んだ。
>> 146
加世子が買い物から帰ると、部屋に陽介の姿は無かった。
不思議に思い、加世子は携帯から陽介に電話をかけた。
すると、陽介が明るい声で出た。
『今、DVD借りに来てたんだ、
飯食ったら一緒に見ようと思ってさ。今から帰るよ』
「はい」
加世子は買ってきたニンニクと、生野菜をキッチンに並べ、
エプロンを身につけて、サラダを作り始めた。
そうしている内に、インターフォンが鳴り、
DVDの袋を持った陽介が笑顔で戻ってきた。
「何か作ってた?」
「サラダを」
「いいね」
そう言って陽介もキッチンへ入り、
2人は並んで、会話を交わしながら料理を作った。
その後、陽介が作ったパスタとチーズを使ったオードブル、
加世子が作ったサラダをテーブルに並べ、
陽介は持ってきた白ワインとシャンパンの封をあけて、
2人で食事をした。
加世子は明日も仕事だったので、控えめに飲むつもりだったが、
その日の陽介は、いつも以上に加世子に酒をすすめ、
自分も結構な量を飲んでいた。
「陽介さん、飲みすぎに気をつけないと」
加世子は、陽介が入院して以来、
体を心配する癖がついてしまっていた。
>> 147
「大丈夫。今日は泊まっていくから」
その言葉にドキッとして、
加世子は頷く様にして下を向いた。
加世子が食べ終えた食器を下げている間、
陽介は、TVの前にソファーを配置し、テーブルにオードブルの残りと
シャンパングラスを2つ置き、DVDをセットしていた。
「何を借りてきたんですか?」
加世子はキッチンから覗きながら聞いた。
「夕飯前に見ても良かったかも。
これ見ると、美味しいパスタが必ず食いたくなるの」
陽介は首を後ろに傾げて話し、
「へぇ」
加世子は微笑んで、部屋の電気を消し、
ソファーの陽介の隣に座った。
「古い洋画だけど・・・加世子知ってるかな?」
陽介はDVDの再生ボタンを押した。
TV画面に映し出される映像――
最初の数分で、加世子はこの映画のタイトルもストーリーも
全てを把握した。
その映画の中に何度も現れる、海のシーン。
『この映画、古いけど、凄く好きなんだ』
そう聞いてから、何度も観た映画だった。
加世子の心は、たった一人への思いに支配されていった。
>> 148
映画の後半、主人公と女性の濃密なベッドシーンが映し出された。
その時陽介は、加世子の肩に腕を回し、
抱き寄せてキスをした。
唇を離した陽介は、加世子の頬に手を当てていた。
「泣いてるんだ・・・なんで?」
と冷静な表情で聞く陽介に、
加世子は答えることができなかった。
映画を見始めてからずっと、
敦史の存在に支配された加世子の目から、
新しい涙が溢れ出た。
「――帰るわ」
「・・・・・」
「このまま居たら、強引に押し倒しそうだから」
陽介は小さく笑むと、ソファーから立ち上がって、玄関へと向かった。
加世子は、涙を拭って、陽介の後を追った。
「来週末から、CM撮影に同行する関係で、5日間日本を離れるよ。
――美咲も一緒にね」
靴を履いて振り向いた陽介は加世子を見た。
「待つ、って言ったけど、それまでに答えがほしい」
「・・・・」
「じゃあ、おやすみ」
陽介はそのまま玄関を出て行った。
穏やかな口調だったが、最後まで、厳しい眼差しを向けられ、
加世子は、ただ、その場に立ち尽くしていた。
>> 149
苛立ちと、苦々しさと、言い知れぬ気持ちに包まれながら、
陽介は、自分のマンションへと歩いて帰った。
ずっと側に居てやったのに、
加世子は、簡単にあの男を思い出す。
近くに居れば居るほど、それを感じずにはいられなかった。
勝手にやってろ!
――そう、切り捨てるように一人ごちた後、
反動で襲ってくる苛立ちや切なさに、
加世子を欲している自分を見て更にげんなりした。
「はぁ・・・なにやってんだ、俺は・・・」
ソファーに座った陽介は、頭を抱えるようにして、うなだれた。
気分を変えたくて、部屋のTVをつけたら、
化粧品のCMに出ている美咲が画面に映った。
陽介は、壁のカレンダーを見て、
考えるように、画面の美咲に目をやった。
- << 151 数日後、CMの最終打ち合わせの為に、 美咲は菅沼と一緒にJNK本社を訪れた。 会議室には、広告代理店の内田がスタッフと共に来ていて、 そこに、いつもはJNKの部長が現れるのだが、 今回は陽介が部下と一緒に現れた。 内田の進行で話しが進む中、 美咲は、あの夜4人で会った日以来の再会となる陽介を 何度も確認していた。 「――それで、今回の撮影には、JNKから鳴海さんと山本さんが 同行して下さいます」 その言葉の後、美咲は顔を上げて陽介を見ると、 陽介も美咲を見て、小さく頭を下げた。 打ち合わせが終わり、美咲は菅沼と共に会議室を出た。 「種元さん」 1階ロビーで美咲が振り向くと、陽介が後を追ってきた。 「少し、お話し宜しいでしょうか」 陽介は、菅沼に向かって頭を下げて言った。
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