コイアイのテーマ †main story†
誰にでも、たった一人、
忘れられない人が居るハズ
※この作品はフィクションです。
プロローグとして書き綴った『コイアイのテーマ』の続編になります。
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>> 51
「好きな、女性のタイプは・・・」
その時、初めて敦史は顔を上げ、
加世子を見た。
質問表から目を離した加世子は、
敦史と目が合い、思わず目線を外した。
「・・・すみません。仕事なので――お願いします」
「・・・・・」
それでも、敦史は質問に答えなかった。
その時、中から滝田がやってきた。
「おい薄井、ちゃんと答えてやれよー」
「・・・・・」
「質問は何ですか?」
滝田は加世子の質問表を覗き込んで聞いた。
「好きな女性のタイプです。
・・・有名人とかで居れば」
「好きな女性有名人だってよ。お前って、女っけないもんなぁ・・・。
あ、でも、この間雑誌に出てた同級生のモデルの子――」
滝田の話しに加世子はハッとした。
「種元美咲?」
「そうそう、その子!同じ高校だったんですって。
だから、紹介しろって話してたんですよ」
加世子は質問表に『種元美咲(モデル)』と書き込んだ。
>> 53
その日、夕方から大衆居酒屋で盛り上がった。
課長の愚痴を呟く土田に、40近い女性の東が同調していた。
加世子はカメラマンのカメラで、今日撮った写真を――
敦史の写真を見せてもらったりして、
何だか幸せな気分に包まれながら、
土田達の話の聞き役に徹していた。
それが気に入られたのか、
「2次会行くぞ~!」と、
すっかり上機嫌に出来上がった土田と東に、
加世子は引っ張られるようにして、
東オススメの洋風居酒屋へとやってきた。
「済みません、今満席で、お待ちいただく事になります」
レジ前で、定員に告げられ、
3人は顔を見合わせつつ、店内に目をやった。
「あれ?JNKの鳴海さんじゃない?」
そう言った東の目線の先――賑わった店内の一角に、
会社の同僚たちと席を連ねて陽介がいた。
陽介はフイにこちらに目を向け、
笑顔で頭を下げた。
土田と東も小さく頭を下げ、
「やめるか」
と店を出ていった。
陽介の前には、空きそうなビールグラスがあった。
陽介と離れた末席で、心配そうな顔をしている山本に気づいたが、
加世子は、後ろ髪引かれる思いで、
土田たちの後について、店を出た。
>> 54
「今日は解散するか」
店を出た所で言った土田に、
「お疲れ様でした」
と皆で声を交え、加世子は方々に去っていく土田と東を
見えなくなるまで見送った。
そして、踵を返して、店の中へ戻っていった。
陽介の周りには、女子社員たちが陣取り、楽しげに盛り上がっていた。
新しいビールが陽介の手元に届く――
陽介が手を伸ばし受け取ろうとした時、
やってきた加世子がそのグラスを取り上げた。
そして、立ったまま、ゴクゴクと一気に飲み干し、
唖然と見ている陽介に向かって、
「いけません」
と言って微笑むと、空になったグラスをテーブルに置いた。
そして、やはり唖然と見ていた陽介の周りの社員たちに、
「まだ本調子じゃないので、飲ませないようにお願いします」
と小さく頭を下げ、最後に陽介にニッと微笑んで、
そのまま店を出て行った。
「えっ?だーれぇー?!」
「すごかったねぇ、一気に飲んだよ」
「キャハハ!おもしろーい!」
周りが面白がって話しだす中、
陽介は唖然とした表情のまま、空のグラスを見つめていた。
>> 55
「今の誰なんですかぁ?妹さんとか?」
「ねぇ、課長!」
「あ、ああ・・・」
我に返って微笑んだ陽介は、席を立ち、上着を手にした。
「ごめん、今日は先に失礼するね」
「えっ課長ー!」
「初の親睦会なのにぃー?!」
女子社員の不満の声にも振り返ることなく、
陽介は店を出て行った。
「あの!・・・」
立ち上がった山本に、皆が注目した。
「口止めされてたんですが、
鳴海課長、GW中倒れて、入院してたんです。
お酒も、本当は飲んじゃいけない筈で・・・」
不満げだった女子社員たちも一斉に黙ってしまった。
店を出た陽介は、左右の道を見渡し、
加世子の後姿を見つけると、全力で走った。
「加世子!」
その声に、加世子は立ち止まって振り向いた。
やってきた陽介は、膝に両手をついて前かがみになった。
「ヤバイ、酔いが回る、ハハ」
そう言いながら、笑顔で顔を上げた。
>> 56
「大丈夫ですか?」
心配げに見つめる加世子を、
陽介は体を起こして見つめた。
「大丈夫だよ――
フッ、自分の心配しろ。一気に飲んで、顔赤いぞ」
「へへ、ちょっと今、ほろ酔い気分で歩いてました」
無邪気に笑う加世子を、
陽介はジッと見つめた。
「休んでる間、自分のこと考えたよ――
課長だとか、バツイチの30男だとか、
フフ、ずっと体面気にして、気を張ってきてさ――」
加世子は黙って、陽介の話しを聞いた。
「でも、体だって、辛けりゃ、休めばいいし、
仕事だって、下を信頼して任せりゃいい。
頼ればいいんだ。甘えればいい、って――」
加世子は、その通りだと微笑んで頷いた。
「加世子が居るから、そう思えるんだよ」
「――」
真っすぐな陽介の眼差しに、
加世子の心は波打ち始めた。
>> 58
翌日から、加世子は鈴木課長や土田の指示で、
雑誌の編集作業をフル回転で行った。
パソコンに取り込んだ、イケメンオーナー達の写真を選ぶ時、
思わず敦史の写真を最大化して見た。
1年前に見た時より、更に男らしく、シャープな顔つきだった。
カメラに向けただけの視線なのに、自分が見つめられているようで、
加世子はパソコンの前で、一人ドキドキしていた。
「おっとイケメン」
背後の声にドキッとし、振り向くと、
花が、校正済み原稿を持って、隣に座った。
「――でも、鳴海様には負けるけど」
そう言って、淡々と仕事を始めた花を横目に、
加世子は、昨日の陽介の告白を思い出し、
更に、目の前の敦史の写真に、心はざわめき、落ち着かず、
誰かに胸の内を吐き出したい衝動にかられた。
その時、敦史のアンケート文章が目に入った。
『好きな女性のタイプ・・・種元美咲(モデル)』
その時加世子は、無性に美咲に会いたいと思った。
>> 59
そのまま製本、印刷、そして、販売日がやってきた。
加世子は本屋や売店などで見かけると嬉しくて、その度に購入していた。
自分の部屋に何冊もあったが、1冊は実家に送り、
あと2冊、それぞれ袋のまま開けずにとっておいて、残りは大切に保管した。
自分が初めて編集に加わった雑誌。
その本に、敦史が載っている――
それだけで、加世子にとって宝物だった。
開けない1冊は陽介に渡そうと思っていた。
だが、陽介はあの日以降、仕事で海外へ行っていた。
雑誌を見れば敦史のことを知る――
陽介がどんな反応をするのか、加世子は不安でもあったが、
その時はちゃんと正直に伝えようと考えていた。
そして、もう1冊は美咲に――
加世子は、携帯に入った美咲の番号へ
久しぶりに発信した。
もしかしたら繋がらない・・・と思ったが、
呼び出しのコールが鳴り、そして――
『もしもし・・・』
「美咲?加世」
『・・・加世?ああ、随分久しぶり』
「うん、久しぶり」
加世子は久しぶりに聞く親友の声に、
顔をほころばせた。
>> 60
「急にごめんね。今仕事じゃなかった?」
『ううん、家だよ。加世は?大学卒業したんでしょ?』
「うん。それで、今東京にいるんだよ」
『えー!ほんとうに?』
「フフ、本当。だからね、美咲に会いたいなぁって思って」
『うん、会おうよ』
「美咲のお母さんから、住んでるところの住所も
聞いててね、実は今、美咲の家の近くに来てるんだ」
加世子は周りを見渡した。
そこは、美咲の住む場所から一番近い駅の前だった。
『――そう・・・じゃあ、いいよ。おいでよ』
「うん。今から行くね」
加世子は明るく答えて電話を切った。
そして、駅前のデパートの地下で
美咲の好きだったチョコレートケーキを買い、
タクシーに乗って、運転手に美咲の住む住所を告げた。
タクシーは10分程で美咲の住むマンションの前に着いた。
玄関口で美咲の部屋のインターフォンを押す。
「はい」
「美咲?加世」
「どうぞ」
開いた自動ドアから、美咲の部屋へとエレベーターで向かった。
>> 61
玄関のインターフォンを押す。
暫くして、ドアが開き、
高校時代より数段美しく、スタイルのよくなった美咲が現れた。
「加世ー!髪切ったー!」
その一言で、ショートの自分を美咲に見せるのは
中学時代含めて初めてだと、加世子は思った。
「どうぞ、あがって」
「おじゃまします」
玄関を入ってすぐ、男性用のスニーカーが目に入った。
「他にお客さん?」
「ううん、誰もいないよ」
リビングに通されたが、
美咲の言うとおり、誰も居なかった。
「これ、お土産」
「ワーイ、トップスだ!覚えててくれたんだ」
「モチロン」
加世子と美咲は笑いあった。
美咲はキッチンへ入り、紅茶を入れ始めた。
「広いね」
「狭いよぉ」
加世子はソファーに座りながら、
周りを見渡した。
2LDKの間取りだろうが、今居るLDKの隣の部屋には
大きなダブルベットが置かれてるのが見えた。
「私なんて1DKでちょうどいい感じ」
美咲はトレーに紅茶とケーキを切り分けてのせてきた。
「ここは今、二人で住んでるから」
「そうなんだ・・・」
加世子はそれ以上、突っ込んだことは聞けなかった。
>> 62
ソファーに向かい合って、美咲も座った。
「それで、加世は今東京で何をしてるの?」
加世子は持ってきた袋をそのまま美咲に渡した。
美咲は袋を開け、その情報誌を出した。
「ああ、これ、よく買うよ」
そう言って、美咲はパラパラとめくり出した。
「今回、初めて出版に携わったの」
「え?ってことは、加世、編集者なの?」
「編集者なんて、まだ言えないけど、
――この雑誌を出している出版社に就職したの」
「へぇ、凄いじゃーん!」
美咲はパラパラとめくっていくと、敦史の写真が出てきて、
驚いたように手を止めた。
そして、ゆっくりと加世子の顔を見た。
「彼に会ったの?」
「うん」
「いつ?」
「連休明けの・・・」
「6日?」
「そう」
「――へぇ・・・。何年振り位?」
「1年ちょっとかな」
美咲は加世子の少し沈んだ顔を見つめた。
>> 63
「1年前の再会に、何か辛いことでもあったの?」
加世子は少し微笑んで、美咲を見た。
「私じゃなくて、敦史の方が・・・
お母さん亡くなられたから・・・」
「そう・・・。
6日の日に会って、彼どうだったの?」
「ううん――全然、普通に話してもくれなかったけど・・・」
加世子は会った時の敦史の姿を思いだしていた。
「ずっと、会いたかったから、嬉しかった」
美咲は加世子の顔を真剣に見つめた。
「加世――まだ、好きなんだ」
そう言われて、加世子は気持ちがドギマギとして、
顔が熱くなるのが分かった。
「美咲は?新しい彼とうまくいってる?」
「うん、まぁね」
「――陽介さんの事は?もう忘れた?」
美咲はケラケラと笑って、紅茶ポットを持って
席を立った。
「とっくに!結婚した人なんて、興味ないよ」
加世子は、美咲の顔を見つめた。
「――陽介さん、離婚したんだよ」
美咲はビクンと立ち止まった。
――その時、美咲の携帯が鳴った。
>> 64
美咲はそのまま携帯に出た。
「はい。――はい、――分かりました、
じゃあ、後ほど・・・」
そう言って電話を切ると、加世子の方を振り向いた。
「ごめん加世、これから事務所へ行かないといけなくて」
「ああ、うん!」
加世子は席を立ち、玄関に向かうと
笑顔で美咲と向かい合った。
「急にきてごめんね。
でも久しぶりに会えて良かった」
「私も。今度一緒にご飯食べよ」
「うん。連絡ちょうだい。
じゃ、おじゃましました」
美咲は玄関で加世子を見送った。
見送った後、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。
加世子もまた、ぼんやりと駅までの道を歩いていた。
『加世――まだ、好きなんだ』
美咲の言葉が、やけに胸に残っている。
――わたしは、まだ、敦史が好き――
そう、ハッキリと言葉にして残した途端、
切ない気持ちが込上げてきた。
その時、加世子の携帯が鳴った――
>> 65
『ただいま』
陽介だった。
『今、成田に着いたよ』
「おかえりなさい」
『加世子、今晩一緒に飯食おう』
「うん」
『早く会いたいよ』
久しぶりに聞く陽介の言葉に、加世子の心は、また、
苦しいくらいにざわつきはじめた・・・。
――ガチャ――
夜、リビングに居た美咲は、玄関の開く音に振り向いた。
「おかえり」
その言葉に返事はなく、玄関近くの部屋に入っていく音だけがした。
美咲は雑誌を手にリビングを出て向かった。
「今日家に誰が来たと思う?」
中から返事はない。
美咲はドアを開け、着替えをしている男の背中を見つめた。
「これ、持って来てくれたよ
――よく、写ってるじゃん」
そう言って、男の隣のテーブルに、
雑誌を開いて置いた。
男は、雑誌に載った
自分の写真を見ると動きを止めた。
「加世に会ったんだね――敦史」
その男――
敦史はゆっくりと振り向き、美咲を見つめた。
「どうして話してくれなかったの?」
美咲の問いに、敦史はまた背中を向け、
「話す必要もない・・・何もなかったんだから」
と言って、着替えを続けた。
「会ったのって、6日だってね。
――敦史、この部屋から一歩も出てこなかったよね」
敦史は無言で着替えを続けた。
「――1年前も、会ったんだね」
脱いだ服を持ち、ゆるりと振り向いた敦史は、
不安げな顔の美咲を見た。
「あの日帰ってきてからの敦史、変だったよね。
お母さん亡くなって、やっぱりショックなんだって思ってたけど、
そんな訳ないのにね――憎んでた相手なんだから」
敦史は、そのまま美咲の横を通り過ぎ、
脱衣所へ服を運んだ。
「加世に、会ったからだったんだね・・・」
戻ってきた敦史は、美咲の隣で立ち止まった。
「何て言えば気が済むの?」
自分の顔を見つめる敦史の顔を見上げながら、
美咲はその答えが見つからず、敦史に凭れかかった。
「不安になるよ。
――だって、加世はまだ・・・」
そう言って、美咲は口をつぐんだ。
そして、間を置いて敦史から離れると、
「今晩カレー作ったよ、食べよ」
と、笑顔で言った。
>> 67
その晩、加世子は美咲のマンションへ行った足で、
陽介に指定された渋谷の店へと向かった。
従業員に案内され、個室に通されると、
既に陽介が待っていた。
「久しぶり」
「お帰りなさい」
二人は微笑み合い、加世子は陽介の向かいに座った。
陽介は、加世子に飲み物を聞き、加世子は陽介と同じ、ソーダー水にして、
その他のオーダーは陽介がすべて済ませた。
「そういえば、お給料入ったんです。
ここは、私の奢りで」
「おお、そっか。じゃあ、ご馳走になります」
そして、二人は笑顔でソーダー水の入ったグラスを合わせた。
運ばれてきた料理を口に運びながら、
陽介はいつもより口数多く、楽しくたあいのない会話を続けた。
「加世子は、俺の居ない間何かあった?」
「ああ・・・」
聞かれた瞬間、敦史に会ったことが頭をよぎったが、
加世子は、陽介の顔を見つめ、別の話を先に口にした。
「今日、美咲に会ってきました」
>> 68
「おっ!元気だった?」
陽介は拍子抜けするほど、明るく聞き返してきた。
「はい。
――陽介さんが離婚したこと、知らなかったみたいです」
「ああ、ずっと会ってないし、そうかもな」
加世子は他人事のように話す陽介を
少し、寂しく見つめた。
「陽介さんは、美咲のこと、
もう何とも思ってないんですか?」
陽介はそんな加世子を黙って見つめ返した。
「時間が経つと、人の気持ちって、変わっちゃうんですね・・・」
「――加世子、何かあったの?」
加世子は一瞬陽介の目を見あげると、
すぐに足元に置いたバックの中から、袋を取り出し、陽介に渡した。
「雑誌、出ました」
「良かったじゃん、へぇ・・・」
雑誌を取り出し、開いて見始めた陽介を、
加世子はジッと見ていた。
そして、敦史のページを見た陽介の顔からは笑みが消えた。
>> 69
「――いつ会ったの?」
陽介は雑誌に目線を落としたまま聞いた。
「この間・・・
夜、陽介さんとお店で会った日の日中に・・・」
陽介は小さく笑った。
「フフ、だからか。
――加世子、違ったもんな」
目だけ上げて、加世子を見た陽介を、
加世子はただ黙って見つめ返した。
陽介は、そのまま雑誌をめくり、普通に本の内容について話をし、
その場で、敦史の話しが出ることはなかった。
その後、加世子が会計を済ませ、
駐車場に置いた陽介の車に乗り、自宅へと向かった。
その間も陽介が敦史の事を口にすることはなく、
加世子は、何だか落ち着かない気持ちを抱えていた。
加世子のマンションのすぐ近くで、陽介は車を停め、
自らも降りて、ドアの前に立った。
「今日はご馳走様」
「いいえ」
陽介は加世子を黙って見つめた。
何か言われるかもしれない――そう、感じる間だった。
2.仕事
陽介は、課の部下達と共に、
会議室で夏からのCM案について話し合っていた。
「――以上が代理店の企画案です。
決定事項のキャッチコピーは
『一緒に行こうよ、JNKで』
『一緒に遊ぼう、JNKで』
『一緒に過ごそう、JNKで』
若者ターゲットで、撮影都市は海外の3箇所。
そのほかは起用する有名人も含めて、企画案があれば出してほしい。
次回、代理店の案も合わせて検討します」
解散し会議室を出た陽介は、
そのまま廊下に出て、
喫煙所のスペースに行って、タバコに火をつけた。
全面窓ガラスの外には、オフィスビル内の内庭があり、
陽介は人工的に植えられた植物に目をやりながら、
加世子のことを思い出していた。
「――課長」
その声に振り向くと、山本が立っていた。
「タバコ、吸われて大丈夫ですか?」
「ああ・・・」
いつもの癖で、ここに来てタバコに火をつけたが、
考え事をしていて、それを吸わずにいた。
先端が灰に変わったタバコを灰皿に押付けた陽介に、
「お客様がいらしています」
と山本は伝えた。
>> 72
陽介がロビーまで降りると、田神が待っていた。
「おう、久しぶりだな!」
「近くまで、仕事で来たから少し寄ってみた」
二人は笑顔で挨拶を交わすと、
自販機前のフリースペースへ移動した。
陽介が田神の分もコーヒーを買って渡すと、
田神は、それを受け取り、ニヤリと横目で陽介を見た。
「最近、若い子に熱をあげてるらしいけど?」
「ハハ、何だソレ?」
「百合がそのせいで店にも来ないって、嘆いてたぞ」
「ハハハ・・・」
陽介は持ったコーヒーに目線を落として笑った。
「――若い子って、美咲じゃないだろ?」
「フフ、お前もめずらしい名前出すね」
「最近会ってないんだ?」
「全然。――健は仕事で会うだろ?」
「俺も最近会わなくてさ。
――っていうか、美咲の仕事が減ってんじゃねぇかな?
今まで一緒にやってた仕事も別の若い子が来るようになったし、
別の仕事なんかでもね」
「ふーん・・・」
「モデル業界も競争の激しい世界だかんね」
「・・・・・」
田神の言葉に、陽介は考えるように
コーヒーを口に運んだ。
>> 73
支度を終え、部屋から出てきた敦史は、
掃除機の音が鳴っているリビングへ向かった。
美咲は、敦史に気づいてスイッチを切った。
「今から?」
「うん。――仕事は?」
「休みなの。今日は掃除でもしてる」
「・・じゃあ、行くから」
「いってらっしゃい」
美咲は明るく言って、敦史が玄関を出て行く音を聞くと、ため息をついた。
22・・・もうすぐ23歳になる美咲にとって、
ティーンズ雑誌をメインとした等身大の仕事は、辛くなっていた。
美咲は焦りにも似た感情を、
料理や掃除など、家事に没頭することで紛らわしていた。
掃除機を抱え、敦史の部屋へと入った。
棚を、埃取り用のワイパーでなぞり、
背伸びをして、棚の上もワイパーでなぞったら、
小さな箱が落ちてきた。
美咲は中に入っていたであろう小物を手に取って見た。
一つは、キーホルダーだった。
そしてもう一つ・・・
――高校時代に親友が携帯に付けていた、
見慣れたストラップ。
『A to K with』
と刻まれた文字を、美咲はいつまでも見ていた。
- << 76 その頃、加世子は、会社のデスクに並んで座った花と共に 鈴木課長に声を掛けられていた。 「この間はご苦労さーん。 イケメン効果か、発行部数が伸び続けてるよー」 加世子は振り向いて上機嫌な鈴木の方を向いたが、 花はパソコンに向かったまま仕事を続けていた。 「それでね、次の企画が 『個室でくつろげる和洋中レストラン』なんだよー。 いい所知ってたら教えてねー」 鈴木はそう言うと、上機嫌のまま、席へと戻っていった。 「自分は何も仕事しないくせにね」 加世子の背後でそう言ったのは、東だった。 花は、今度はパソコンを打つ手を止め、東を見た。 加世子は、少しだけオフィス内の関係性が見えた気がした。 「ねぇ加世子ちゃん、これ、この間取材した所に持って行ってくれない?」 「はい」 渡された袋には、発行された雑誌と、 雑誌に載せた以外のスチール写真が入っていた。 その中に敦史の写真をあり、加世子はドキッとした。 「加世子ちゃん、このお店が気に入ってたみたいだしね」 東が意味深に笑むと、隣の花まで、ニヤリと笑んだ。 加世子は顔を赤くしながら、急ぐように外出準備をした。
>> 74
支度を終え、部屋から出てきた敦史は、
掃除機の音が鳴っているリビングへ向かった。
美咲は、敦史に気づいてスイッチを切った。
「今から?」
…
その頃、加世子は、会社のデスクに並んで座った花と共に
鈴木課長に声を掛けられていた。
「この間はご苦労さーん。
イケメン効果か、発行部数が伸び続けてるよー」
加世子は振り向いて上機嫌な鈴木の方を向いたが、
花はパソコンに向かったまま仕事を続けていた。
「それでね、次の企画が
『個室でくつろげる和洋中レストラン』なんだよー。
いい所知ってたら教えてねー」
鈴木はそう言うと、上機嫌のまま、席へと戻っていった。
「自分は何も仕事しないくせにね」
加世子の背後でそう言ったのは、東だった。
花は、今度はパソコンを打つ手を止め、東を見た。
加世子は、少しだけオフィス内の関係性が見えた気がした。
「ねぇ加世子ちゃん、これ、この間取材した所に持って行ってくれない?」
「はい」
渡された袋には、発行された雑誌と、
雑誌に載せた以外のスチール写真が入っていた。
その中に敦史の写真をあり、加世子はドキッとした。
「加世子ちゃん、このお店が気に入ってたみたいだしね」
東が意味深に笑むと、隣の花まで、ニヤリと笑んだ。
加世子は顔を赤くしながら、急ぐように外出準備をした。
>> 76
店はランチタイムが14時までで、
その後18時から夜の営業だった。
加世子は、溢れんばかりの緊張感を携え、
時間を見計らいながら15時過ぎ頃に店を訪れた。
「今、オーナーは不在なんです」
「そうですか」
店の前を掃除していた若い女性スタッフに言われ、
拍子抜けした気持ちで、その子に袋を渡そうとした時だったーー
店舗脇の細い道を、私服姿の敦史が出てきて、
加世子とバッタリと対面した。
二人は、この間と同じ様に動きを止め、
お互いの顔を見つめた。
「薄井さん、こちら、出版社の方で、
雑誌と写真を持ってきてくれたそうです」
加世子は慌てた感じになり、
「…この間は、あ、ありがとうございました。
これを…」
と上手く言葉に出来ず、
ただ、袋を差し出した。
その袋を敦史は無言で受け取った。
用件が済み、緊張に押し潰されそうな加世子は、
俯くように頭を下げた。
「…では、失礼します」
そして、そのまま敦史に背中を向け、歩き出した。
「薄井さん、タバコ買いに行くんですか?」
女性スタッフが言うのが耳に聞こえた。
>> 77
会ったら沢山話したい事があったハズなのに、
まるで他人の様に、敬語で話してしまった自分が不甲斐なくて、
加世子は悲しい気持ちに包まれ歩いていった。
「加世!」
加世子はドキリと立ち止まった。
記憶に残るその呼び方、その声に、
加世子は思わず泣きそうになった。
そして、ゆっくりと振り向くと、
後を追いかけてきた敦史が立っていた。
「…少し、話せない?」
敦史もまた、緊張しながら言葉を口にした。
そのまま二人は、何も発せずに近くの公園へとやってきた。
空いたベンチに、敦史は日陰を残すように座った。
その気遣いに、加世子はトキメキ、日陰になった敦史の隣に座った。
それぞれが緊張を抱えて、しばらく、何も言葉が出なかった。
>> 79
「あの時は、辛かったけど・・・
でも・・・
敦史に会えなくなった方が、ずっと辛かった・・・」
敦史はベンチに座って初めて加世子に顔を向けた。
加世子もまた、敦史を見つめた。
キラキラと輝く美しい瞳に見つめられ、
今、手を伸ばして敦史に触れたいと思った。
だけど、その願いを簡単に叶えられるほど、
二人の間には何の確証も、繋がりもないことを、
加世子は痛いほどに感じていた。
会わなかった時間は、
二人が付き合っていた時間を優に超えていたのだ。
「・・・敦史、今、彼女は」
加世子は、自分の気持ちの収め所を探していた。
「・・・うん」
敦史はまた前方を見つめて答えた。
「そうだよね・・・居ないわけ、ないよね」
加世子は沈んでいく心とは反対に
微笑みながら言った。
「加世は?」
「私は・・・」
陽介の姿が浮かんだ。
「聞かなくていいや」
敦史は加世子の話を拒絶するように立ち上がった。
加世子は一気に寂しく、辛くなった。
「――似合ってるよ」
歩いて行こうとした敦史は、躊躇いがちに振り向いた。
「その髪――加世に」
そう言うと、ゆっくりと去っていった。
>> 80
加世子は会社へ戻りながら、
さっき会った敦史のことを考えていた。
体つきや表情、どことなく落ち着いた雰囲気は、
付き合っていた時より、うんと大人に感じられた。
きっと、東京で生活してきた4年間、
敦史は確実に成長してきたのだ。
そして、その期間、側で敦史を支えた彼女も
今の敦史には欠かせない存在なのだろう。
加世子はその現実を、寂しいながらも
冷静に受け止めることができていた。
同じ頃、敦史は、仕事に戻る前に
喫煙所でタバコを吸いながら、加世子を思っていた。
1年前に見かけ、東京に戻ってきてから、
ずっと残像のように思い出していたが、
加世子が取材に訪れた日から、
その姿は鮮明に色を持ち、消すことが出来なくなっていた。
体つきも仕草も大人っぽくなったのに、フイに見せる
変わらない微笑みを、自分だけのものにしたかった。
短くした髪から臨む、色白の肌の全てを露にし、
抱いてみたいとさえ思った。
いま男がいるのか・・・考えるだけで、苦々しい気持ちになった。
だが、それらの感情は決して表立たせてはいけない――。
美咲の存在や加世子へした仕打ちが、重いくびきとなっていた。
>> 81
仕事の休みが続いていた美咲は、ある日突然事務所に呼び出された。
もしかすると契約解除の話しかもしれないーー、
憂鬱な気持ちを抱えながら、夕方の道を事務所へと向かっていた。
事務所に着くと、美咲の担当マネージャーの菅村が、慌てた様子でやってきた。
「皆さんもうお待ちだから」
と、美咲の腕を持つと、応接室の前へ連れて行き、ドアをノックした。
「種元です。失礼します」
中へ入ると、こちらを向いた社長の前に、
スーツ姿の男性が3人、背中を向けて座っていた。
美咲は菅村の後をついて、社長の傍らに立った。
一番端の、若い男が立ち上がって、美咲に向かって頭を下げると、
反対側に座った男も立ち、
最後に中央に座った男が、ゆっくりと立ち上がり、美咲を唖然とさせたーー。
「こちらは、JNK旅行の鳴海さんと、山本さん。
それから、広告代理店の内田さん。
うちのモデルの種元美咲です」
社長が紹介する間、
美咲はずっと、陽介を見つめていた。
>> 83
驚いている美咲の気持ちを代弁するように、
内田が話し始めた。
「今までJNKさんのCMには、有名なタレントさんを起用してきて、
高く評価もされてきました。
ただ、今回は、旅行都市の知られていない魅力、美しさを引き立てる、
そのシーンに合った、美しくてあまり知られていない人材を――
というJNKさんの意向が強くありましたので、
種元さんに是非ともお願いしたいと思ったんです」
その話を聞いている間、美咲は陽介に何度か目を向けたが、
陽介は余裕のある表情でただ座っていた。
その時、山本の携帯が鳴り、頭を下げ部屋の隅で話すと、
すぐに戻ってきて、陽介に耳打ちをした。
「申し訳ありませんが、私達は会社に戻ります。
CMの件は、内田さんに一任しておりますので、
どうぞ、お話しを続けてください」
そう言うと、陽介は内田と二,三言話し、
美咲らの方に向かって頭を下げ、山本と共に部屋を出て行った。
美咲は後を追いかけたい衝動を抑え、
陽介がオフィスを出て行くまでの些細な物音にも注意を払い、
陽介の気配が無くなったと分かると、ドッと切ない気持ちに包まれ、
内田の話しにもぼんやりと耳を傾けた。
>> 84
内田も帰り、応接室に残った社長は、
向かい合わせに座った美咲に、歓喜の表情を向けた。
「美咲、JNKさんのCMなんて凄いことよ!
こんな事、今までならありえない話!
ほんと、奇跡みたいなんだから」
横に立つ菅村も何度も頷き、
今にも泣きそうな顔をしていた。
自分は雑誌のモデルというだけで、
まだ、CMに起用されたことも無いし、
TVにも、ちょこっと顔がでるかの出演していない。
JNKの様な大手のCMの仕事が決まるなんて、
「奇跡」みたいだという事は、美咲にも十分理解ができた。
そして、その「奇跡」を仕掛けた人物も・・・。
美咲は社長他、オフィスのスタッフの激励から開放されると、
一人、オフィスを出たところで、
陽介の名刺を手に持った。
仕事用だろうが、携帯番号が載っていた――
美咲は、迷うことなくその番号に電話をかけた。
>> 85
数回コールで電話は繋がった。
『はい、鳴海です』
その電話の声に、美咲の胸は熱くなった。
「――陽ちゃん?」
『おう、美咲か――今日はお疲れさん』
背後に賑やかな声がして、
職場ではないように思われ、
美咲は気にせず、話しを切り出した。
「CMの仕事、陽ちゃんの紹介なんだね」
『ハハ、美咲の実力だよ。
会社の若手みんな、知ってたし、
部長も好みだって、即決。フフ』
美咲は思い出していた。
陽介と付き合っていた中で、幾度となく感じた、
守られ、満たされる感覚――
そして、追いつきたても追いつけない、一歩先を行く感覚を。
「――陽ちゃん、離婚したんだってね」
『ああ、もう2年も前の話だよ』
「・・・そうなんだ」
『美咲は、俺よりいい男見つけて、
うまくいってんだろ?』
「うん・・・まぁね」
『それ聞いて、安心したよ』
>> 86
その瞬間、4年前の、美咲にとっては
苦しみでしかなかった日々の思い出が蘇ったけれど、
美咲はそれを悟られないように、話を変えた。
「――陽ちゃんは、新しい誰か居ないの?」
『ハハ、俺かぁ。
気になってる子位かなぁ・・・。
そういや、これから都内の撮影時にお邪魔すると思うから』
「じゃあ、美味しい差し入れ持ってきてね」
『りょーかい』
「じゃ、その時にね」
『おう、おやすみ』
「おやすみ」
美咲は自ら電話を切った。
切ったまま、暫くその場から動けなかった。
陽介との会話にこんなに心が揺さぶられるなんて・・・。
そして、陽介が口にした、身も知らずの
『気になってる子』に嫉妬していた。
美咲との電話を切った陽介は、
クラブの廊下でタバコを吸いながら、
「加世子」のアドレスを開いて考えるように眺めた。
夜の9時40分――仕事は終わってるだろう。
陽介は思い切ったようにタバコを灰皿に押し付け、
発信ボタンを押した――
>> 87
呼び出しコールが鳴っている時に、
客を見送って店に帰ってきた百合絵が、
入口を挟んだ所にある灰皿の前にやってきて、タバコを吸い始めた。
だが、陽介も百合絵も意に関せずといった感じだった。
携帯が繋がるとすぐに、陽介が口火を切った。
「俺から連絡しないと、繋がっていられない感じだね」
電話口の向こうで、躊躇った表情の加世子が居るようだった。
『そんなことは・・・。新しい企画のお店探しで忙しくしてたんです。
それに、陽介さんもお仕事が忙しいのかと思ってて・・・』
「そんなこと気にしないで、連絡してこいよ。
こっちは待ってるんだから」
『はい』
「で?新しい企画ってどんなの?」
『《個室でくつろげる和洋中レストラン》です』
「へぇ・・・。何件か思い当たるよ」
『ほんとですか?教えてもらえると助かります』
「じゃあ、会う約束」
『フフ、いつでも』
「フッ、じゃあ、予定確認して後で連絡するよ」
『はい、待ってます』
「じゃ、おやすみ」
『おやすみなさい』
陽介は電話を切った。
>> 89
夜中、シャワーを浴びた百合絵はバスローブに身を包み、
冷蔵庫からベットボトルのミネラルウォーターを取り出し、
開けて、ゴクゴクと飲むと、それを持って部屋へと戻った。
ベットで裸のままうつ伏せ寝していた陽介は、
百合絵が来ると、顔だけむけて微笑んだ。
「凄かったね。彼女を思って抱いたの?」
そう言って、百合絵はベットに座って飲み欠けのペットボトルを差し出した。
受け取ろうと、体を起こした陽介の首元にペットボトルの縁をつけ、
割れた腹筋の線に沿って下へなぞった。
「陽介の体が好き。顔も、――ココも」
そう言って、毛布のかかった陽介の股間にペットボトルを置いた。
「それじゃ全部だろ?」
陽介は笑って、ペットボトルを取った。
>> 91
翌日、休みの陽介は午後に目を覚まし、
百合絵の用意した、昼食のサンドイッチを気だるく口に運んだ。
「私、美容院行って、同伴だから、もう行くけど。
ゆっくりしていっていいわよ。アナタの家だったんだし」
「うん」
百合絵が、少し笑ってこちらを見ていた。
陽介は「ん?」とボーとした眼をと少し上げた。
「一緒に生活していた時と変わらないな、って」
「フフ」
「鍵、掛けていってね。じゃあ、またね」
玄関のドアが閉まって、陽介はぼんやりと部屋の中を見渡した。
2年前まで、百合絵と一緒に生活していたマンション。
百合絵一人には広すぎるが、購入したのもあって、百合絵は出たがらなかった。
陽介にとって、今の百合絵との関係は、
言い方は悪いが『性の捌け口』になっていた。
長い付き合いだが、体の相性がよく、百合絵を抱くときは常に欲情した。
自ら誘うことはなくとも、誘われれば断らずに関係を続け、
他に面倒な関係を作らないで済んでいたのだ。
空腹も満たされ、何の束縛もない時間の中で、
今、側に加世子が居たら楽しいだろうと、陽介は思った。
そして、こんな場所で加世子を思っている自分を笑った。
>> 92
同じ頃、加世子は自分の部屋で、
手に持った携帯を見つめ考えていた。
土曜日の今日、陽介は仕事だろうか――
出来れば陽介から、お店の情報を早く教えてもらいたい。
でも、昨日の今日では、催促しているようで申し訳ない・・・。
あの晩――、陽介を拒絶するような態度をとってしまった晩以来
会っていなくて、ずっと胸につかえている小骨のようなものを、
取り去るためにも、陽介に会いたい・・・。
そんな気持ちが交錯する中、
加世子は「5回コール!」と決めて、陽介に発信した。
・・・1回・・・2回・・・3回
―カチャ―
加世子はドキッとした。
「もしもし・・・」
『フフ』
電話口から聞こえる笑い声に、
加世子は戸惑い、
「・・・陽介さん、ですか?」
と聞いた。
『だーよ。今、思いが通じたと思ってさ』
「えっ?」
『俺も、連絡しようとしてたとこだった』
「ハハ、そうでしたか」
加世子は思わず微笑んだ。
>> 94
1時間も経たずに、「着いたよ」と携帯が鳴った。
加世子が下へ降りていくと、
マンションの前に陽介が車を停めて待っていた。
「オス」
「こんにちは」
何だか、さっきの電話の余韻のままに
二人は笑いあって挨拶を交わし、
加世子は陽介に促されるままに助手席に乗った。
「どうしようかなぁ、って思ったんだけどさ、
鎌倉行かない?」
「鎌倉?」
「ちょっと早いけど、紫陽花が咲き始めたし、
今くらいだと、混んでないんだ」
「いいですね」
「じゃあ、決まりね」
陽介は笑んで、車を発信させた。
「ご実家寄りますか?」
「うーん、気分次第」
「じゃあ、ちょっと寄り道してください」
陽介は加世子の言う道を辿った。
>> 95
少し走った場所で、陽介は車を停めた。
加世子は老舗の和菓子店で、
最中を買って車に戻ってきた。
「いいのに」
陽介は少し笑って、車を発進させた。
「これ、うちの両親に買って帰ったら気に入って、
頼まれる位の好物なんです。
陽介さんのご両親にも、食べて貰いたいなぁと思って」
「フフ、考え方が素直だね」
「えー?」
「やっぱり加世子はいい子だよ」
「フフフ、陽介さんって先生みたい」
「はぁ?何の先生よ」
「うーん・・・」
「体育教師か家庭教師か、プールの教官以外は却下」
「ハハ、何ですかソレ?
うーん、その中だったら・・・家庭教師、かな」
「いいねぇ」
「フフ、どう、いいんですか?」
「色んなこと教えちゃうの。
モチロン勉強以外」
「アハハ」
車の中では、ずっと笑いと会話が絶えず
鎌倉までの道のりを楽しく過ごした。
>> 96
陽介は目当ての寺近くの駐車場に車を停め、
加世子と一緒に中を拝観した。
閉園時間30分前で、人もまばらだったが、
咲き始めの紫陽花も美しく、加世子は気持ち良く
眺め歩いた。
「やっぱダメだな。早朝くるべき」
寺を後にした陽介は、残念そうに言った。
加世子は微笑んで、
「凄く良かったですよ。また来たいです」
「フフ。俺としては不完全燃焼だけど、
加世子がそう言うなら、来て良かったよ」
陽介は車を挟んで、加世子を見た。
「うちの実家、ここから車で10分なんだけど、
行ってみる?」
「はい」
二人は車に乗り込み、
陽介は携帯で、実家へ電話を掛けた。
「――俺。今、北鎌倉の駅近くに居てさ。・・・うん。
・・・病院で会った彼女と一緒。・・・はいよ。じゃ、行きますんで」
電話を切った陽介はエンジンをかけた。
「まっ、気楽に」
そう加世子に向かってニッと笑んで、
アクセルを踏んだ。
>> 97
陽介の実家は、広い敷地の日本家屋で、
加世子は暫く唖然と眺めていた。
「先に言っておくけど、うちの親、あの会社の経営しているから。
・・・先々代の力。萎縮するなよ」
陽介は横目で加世子に叱るような目を向けた。
陽介が指差した先には、有名な食品メーカーの工場があった。
加世子は萎縮したまま、陽介の後をついて行った。
「真中さん、どうぞいらっしゃい」
玄関で、陽介の母の規子が笑顔で迎えてくれた。
その穏やかな笑顔に、加世子の緊張も和らぎ、
「お久しぶりです」
と笑顔で挨拶をし、促されるままに中へと入った。
リビングに通され、お茶を運んでくれた規子に、
「よろしければ、召し上がってください」
と、持ってきた最中を渡した。
「あら、どうもありがとう。
気を遣わせてしまって、ごめんなさいね」
規子がキッチンへ戻ると、両親と同居している陽介の実姉の祥子と、
その夫で、婿だという茂、7歳と5歳の二人の娘、そして父、誠司が、
次々と挨拶をにやってきて、
その場はあっという間に賑やかさを増した。
>> 98
「夕飯、食べていきなさいね」
規子が、陽介に言う。
陽介は壁の時計に目をやった。もう18時を過ぎていた。
陽介は加世子の顔を見た。無言で、気持ちを探るようだった。
そして、暫くの間の後、
「食ってくわ」
と規子に向けて返事をした。
加世子自身、陽介の二人の姪っ子に懐かれ、笑顔で話しを交わし、
久しぶりの家族の雰囲気を、楽しく味わっていたのだ。
「ヤッター!」
姪っ子が跳ねるように喜んだのが可愛くて、
その場の皆が笑った。
姪っ子を見つめる陽介は、叔父というより、
まるで父親の様なあたたかな表情で、
加世子は初めて見る陽介の顔を、安らいだ気持ちで見つめた。
フイに目を上げ、加世子と目が合った陽介は、
途端に男の眼差しに変わり、
そのギャップに、加世子はドキっとして思わず目線を外した。
>> 99
その後、規子の手作りの夕飯をご馳走になり、
談笑しながら、楽しい時間を過ごしていたら、
時間は夜の9時を過ぎてしまった。
「泊まっていったら?」
そう言った規子に、
「明日仕事だから」
と、陽介は加世子に帰る仕草をして、席を立ち、
加世子もその後をついて、席を立った。
玄関で家族皆が名残惜しそうに見送ってくれた。
加世子も少し寂しい気持ちになった。
車に乗り、陽介は早々にエンジンをかけ、家を離れた。
「明日仕事って嘘」
「え?」
「早く、加世子と二人きりになりたくて」
加世子は前を見据えて運転する陽介の横顔を見た。
すると、陽介はフイに笑んで、
「帰り、キレイだぞー」
と明るい声で言った。
陽介の言う通り、ベイブリッジを通り、
湾岸線を走る車から見る夜景は、
とてもキレイで、そして、ロマンチックだった。
- << 101 加世子は窓の外を見ながら、空にポッカリと浮かぶ満月を見つけた。 月を見上げる度に思ってしまう… 敦史も今、どこかでこの月を見ているかもしれないーーと。 「今、なに考えてるの」 陽介が優しい声で聞いてきた。 「……」 「俺ね、どんな話しでも聞いてやるスタンスに戻るから」 「…きっと、陽介さんには、面白くない話しばかりですよ」 「どんな話しでも聞くよ。いつか言ったろ? 俺は加世子の都合のいい男になるって」 「ーー」 「ここまで加世子の心を捕えて離さない、アイツの話しを聞いてみたい、ってのもあるけどね」 終始、穏やかな口調の陽介に、 月を見上げ敦史と電話で話した思い出を、加世子は話した。
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