しあわせいろ
私の前には広がる風景があります
目には見えないけどそれは沢山の線となり形となり私のまぶたの裏で形になります
それが私にとって当たり前の風景だった
ずっとこのまま
この当たり前の風景の中で生きていくのだと思っていたよ
あなたと会うまでは
花の色も
海の色も
空の高さも
みんな知らなかった
音が香りが全てが指先を通って私に世界を
光を見せてくれた
目に見える光はどんな色ですか?
私の心の中にはいつも暖かい色があります
ねぇ
幸せってどんな色で描けばいいのかな…
新しいレスの受付は終了しました
『あの日望くんが私のうちへヘルパーとしてきてくれて私本当はとても嬉しかった』
『誰も私の気持ちなんてわかってくれないってわたしの気も知らないくせにって思う一方で』
『本当は誰か一人でもいいからわたしの本当の気持ちをわかってほしかった』
『かわいくない言い方もたくさんしたけど望くんは私に目の前の現実も、たくさんの未来の夢もそして…』
『そして恋も教えてくれました』
『わたしの心の中に映る望くんは優しくて強い素敵な人』
『いつも誰かをはげまし勇気づけてくれる…』
『望くんいってらっしゃい』
『世界中にいる誰かの笑顔を引き出せる素敵なヘルパーさんでいてください』
『私も絶対あきらめない』
最後まで画用紙をめくりきるとことりは目をつむり深呼吸をした
そして次の瞬間
『あ…り…が……と』
初めて聞くことりの声だった
カメラの向こうのことりははずかしそうに小さく手をふっていた
そこで画面は終わりさっきまでの企業のCMが始まっていた
見上げといた俺に側で見ていたカップルがパチパチと拍手をしてくれた
目頭を熱くしながら周りを見渡すと
周りからも小さな拍手があちこちから起こっていた
それは
誰かに何かを伝えたいと思うことりのひたむきさが伝えた事実だと思う
椅子に座っていた先生がきて『最高の見送りだな』と背中をたたいた
俺はその場にいた一人一人にお礼を言い
最後に斎藤と抱き合った
斎藤は小さな声で『絶対負けんなよ』と聞こえないように言った
2009年3月15日
午前10時45分
俺は目指すべき北欧へと進む旅客機で旅立った
この空のした
繋がった糸は必ずまた巡り会うと
そう信じながら…
その日
望くんが日本を旅立ったその時間
私はまさに開眼手術の真っ最中だった
目の手術はご存知の方も見えるだろうが目を閉じる事ができない
目を見開いたまま角膜の手術を行う
麻酔は勿論かけるが感覚はおとろえず激痛が走る
およそ三時間弱の手術が終わり
目の回りには包帯が大量にまかれて私は一日半もの間眠り続けた
目が覚めるとやはり激痛とかすかなかゆみで目に手を当てるがこするわけにもいかずにただただ我慢だ
『ことり?』
お母さんの声だ
『…うん…
大丈夫よ…』
ベッドの脇からお母さんが手を滑り込ませる
暖かさに安心する…
『あのね…今望くんからメールがあってね
『無事に学校に着きました』って
ことりのこと
とても心配していたわ
だから『手術は成功しました』って伝えたらとても喜んでいたわ』
『そう…良かった…
無事についたんだね』
ベッドの中で重なった羽のペンダントをもう片方の手で握った
お守りが効いたね
小さな声でそう呟いた
意識が戻ってどれくらいの時間がたったのか
食事と点滴以外の時間はずっとベッドの上だった
季節は春に移りつつあるようで
冷たい風から暖かさを感じるように気候も変化していった
寝たきりで汗ばむ肌も看護婦さんやボランティアの女性ヘルパーさんが清拭にきてくれる
清拭とは寝たきりのひとなどお風呂に入れない人の体を拭いたりパジャマを変えてくれたりする行為だ
そのときにベッドに寝たまま洗髪などのケアもしてくれる
寝たきりの身には本当にありがたい
今日も久しぶりに清拭をしてもらい洗髪もすませたので
風が入る度に髪からいい香りがして本当に気持ちがいい
『早く包帯とれないかなぁ…』
いつの間にか目の回りに感じていた痛みも和らぎかゆみも徐々に感じなくなっていた
この目に少しでもいい…
光が戻ってきてくれていたら…
そう思うと不安と期待で胸がはりさけそうだった
見えない不安
見えることへの期待
交差する気持ちに答えは出ずまた更に数日が経った
『中村さん調子はどうかね?』
年配の紳士の声がした
『渡辺先生…?ですか?』
『ご名答!さすがことりちゃんだね
さ~て
今日はちょっと目の周りを確認してみようかね』
そういうと側にあった椅子を近づけて包帯をくるくると外した
『お母さん呼んできて』
看護婦さんにそう言うと目の回りに当てていたガ-ゼをピンセットでとっていくようだった
目の回りがすっかり軽くなり目頭がムズムズする
呼ばれてきたお母さんが顔の近くにきた
『ことり…』
心配気なお母さんの声に遅れてお父さんも慌てて部屋に入ってきた
今日はいよいよ包帯をとる日だ
この日が来るのをどんなにか待っただろう
お母さんからカレンダーの日がもうじき5月になると昨日聞いて驚いたばかりだ
約一ヶ月半
夢にまでみた
胸に手を当ててはやる気持ちを押さえようとする
先生が軽く瞼をめくったり目頭を見たりする
『…じゃあね、ことりちゃん
ゆっくり…ゆっくり目を開けてみてくれる?
そっとでいいからね』
ごくんと喉を唾が通過していく
産まれてきて動かしたことのない瞼はなかなか固くて動かない…
まぶたの先がピクピクと動きまつ毛が少し揺れる
痛みはないが見えないかも知れない視界をなかなか受け止める事ができない…
『ことり…頑張って…』
『ことり…』
心配そうに手を握るお母さんとお父さんの声が聞こえる
息を飲んで深呼吸を大きくしてみる
まぶたを開けたその先には
白く濁った世界と真っ赤な世界が混濁していた
しばらく目をパチパチと上下していると
白いモヤが薄まってきて、赤い世界がやがてオレンジから薄い黄色へと変化していった
『…もう少し
もう少し…』
しばらく時間が過ぎると左右にあった黒い固まりが一つの焦点に合わさった
何か上着をきた年配の眼鏡をかけた男性
『先生…?』
思わず声がもれた
男性はにっこり笑って『はじめまして、渡辺です』と手を差し出してきた
私はびっくりして手を口元にあてて首を左右に振った
『ことり』
右側から涙声のお母さんの声がする
声のするほうに顔をやると年配の女性が髪を束ねてシャツを着て立っている
『お母さん…?
お母さんなの…?』
よく見ると女性の襟元には細工の施したピンが刺さっていた
おそらく私が昔作ったガラスのピンブロ-チだ
丸い形に綺麗な青色を混ぜた作品だった
『このブローチ…
こんなに綺麗な色だったんだね
お母さんによく似合ってて良かった…』
お母さんは思わずその場に泣き崩れてしまい男性と看護婦さんが立ち上がらせるのに手を貸していた
隣にいて涙をにじませるかっぷくのいい男性がお父さんかな
優しそうな人だ
想像通りのお父さんだ
私は自分の手のひらをまじまじと見つめた
左手の薬指にはくすんだ色のリングが優しく光っていた
『望くんのくれた指輪…
こんなに綺麗な色だったんだね…』
見渡す全てが綺麗で全部が美しかった
壁にもベッドにも人にも色があって凹凸があって
窓の外に見える綺麗な『空』に『雲』は音もたてずに私の前を静かに通過していった
『この空の向こうに望くんがいるんだね…』
そう呟くとお母さんがなき張らした目で優しく笑っていた
『さぁ…急にあんまり使わないて少し休もうか
また明日からリハビリが始まるからね』
目の前に座る渡辺先生が優しく笑ってこちらを見た
手術から一ヶ月近くがたった
すっかり眼筋力が衰えた私は毎日少しずつ眼を動かすリハビリをこなしていた
最初はうまく視点を保てなかったが日を追って中心が定まるようになりひとつのものを捉える時間も長くなっていった
手術の成功はその日のうちにお母さんから望くんに知らされた
しばらく経ち私は望くんと話すことができた
『やったなことり!おめでとう!よく頑張ったな』
とお母さんの携帯電話でしばらくしてから受話器越しに話をした
『ありがとう…』
包帯をはずした私の目の前に移るまどの向こうに広がる空の向こうの望くんを思って胸が熱くなった
おかしいかな
まだ一度も見たことのない彼氏
でも、一番大切なもの
何もないと思っていた私に恋も
家族も
友達も
未来も
たくさんの景色をみせてくれたね
受話器の向こうで涙ぐむあなたに早く
早く会いたいです…
病院での日々は楽しかったけどやっぱり早く家に帰りたかった
覚えることもたくさんあって今はひらがなや色の勉強をしている
視力が戻ったとはいえ裸眼で0.2ほどで万全とは言えない
度を合わせた眼鏡を必要な時だけかける生活を送っている
あまりにも眼鏡に頼ると眼鏡に視力が合ってきてますます視力が下がるからだ
そうするとまた眼筋力が下がる
渡部先生にも釘をさされている
とはいえリハビリも楽ではない
でもこの眼は大切に使いたい…
失った視力があると言うことは
新しい角膜があるということは
誰かの命を私はもらって生きている
そういうことだよね
人間だとか動物だとか関係なく
それまでのまだ見ぬその人の生きてきた大切な時間を引き継ぐと言う重みを私はちゃんと受け止めなくちゃいけない
私は生きながらにして二度生かしてもらっている
大切にしなくちゃいけない
まぶたを閉じるたびそんな気持ちでいっぱいだった
『ことり?入るわよ』
半袖の白いブラウスに細身のデニム姿のお母さんがニコニコ笑いながらやってきた
季節はいつの間にか望くんと出会った夏へと姿を変えていた
望くんとはメールや手紙でやりとりしている
メールは毎日のようにくるし
手紙も出来る限り書いている
私たちは距離こそあれ順調そのものだった
短かった私の髪もいつの間にか肩につくほどに伸びていた
『暑いわね~窓開けたら?
…っとハイ!王子様からの手紙
おまちどうさま』
お母さんがわざとぴらぴらと手で振ってみせる水色の便箋を慌ててひったくる
『もう~はずかしいからそう言うこと言わないでよ』
お母さんにわざと頬を膨らませて怒ってみせる
水色の便箋には
『中村ことり様』
いつもの斜めの文字
嬉しくて胸があったかくなるのがわかる
お母さんが開けてくれた窓から夏のじわっとした
でも気持ちのいい風が窓の外の音と一緒に入ってきた
『いよいよ明日ね
退院
体調は大丈夫?』
『うん、平気
目も調子いいし体調も万全!
昨日ガラス工房のスタッフもお見舞いにきてくれてね、入院中に書いていたデザインスケッチ渡してみたの
その中からいくつか実案してみようかって
だから早く仕事しに行きたいばっかり』
『そう、良かったわ
明日はことりの好きなものいっぱい作るからね
お父さんなんか明日は会社お休みしてことりをお祝いするんだって今からソワソワしてるのよ
あんなお父さんことりが生まれる前以来みたことないわ』
お母さんが懐かしそうに眼を細めていた
『…お母さん
私が生まれるときってどんな風だったの?』
お母さんは少し驚いた顔をしたあと優しい顔をするとゆっくり話始めた
『ことりがお腹にできた…ってわかった時ね…
お母さんはお父さんと結婚してもう10年以上経ってたわ…
お母さん
なかなか子供ができなくてね
何度もそのことで悩んだりしてたの』
『大好きな人とせっかく結婚したのにね
子供が大好きなお父さんなのに
抱かせてあげられないのがくやしくてね
そのせいで何度も自分を責めたし
お父さんとも喧嘩したりしたわ…
お父さんは『子供がほしくて君と結婚したんじゃない。僕は君と生きていきたいから結婚したんだ』ってね
何度も何度もいってくれたわ
でもね
時々街中で見せる子供への優しい顔を見るたびに本当はこの人は父親になりたいはずなのに…ってね
一時期は離婚まで考えたこともあったのよ』
さらりというお母さんに慌ててベッドから飛び起きた
『りっ、離婚?』
『そう、離婚。
バカみたいだけど真剣に考えてたわ
この人の本当の幸せは私は与えてあげられないんじゃないかってね…
普通の女性なら当たり前のように与えてあげられる幸せを私はこれからもあげられない…ってね
何でなんだろう
何で私たちなんだろう…って
当時はそんなことばかりを考えていたわ』
今もそうだけど不妊治療には当時もお金もかかるしね
検査には屈辱的なこともあったしね
私達はあえてその道を選ぶことはなかったの
色んな意見もあるし
色んな見方もあるからね、一概に何が正しくて何が倫理に反するかはお母さんにはわからないけど…
でもそのなかでお母さん達はあえて自然体を貫こう…って決めたのよ
今みたいな何でもオープンな時代じゃなかったしね』
そういうとお母さんは私の頭をポンポンと撫でて側に座った
『忘れもしないわ
今から20年前の2月
病院であなたがお腹にいるってわかって
お母さん
この世に神様っているのかも知れないって
本当にそう思ったのよ
お父さんなんか仕事場から病院まで直行しちゃってね
あぶないあぶないって
あなたが無事に生まれるまでお母さん台所にたたせてもらえなかったのよ』
思い出したかのようにお母さんは肩を揺らせて笑いだした
『ことりがお腹にきてしばらくしてね
大量出血を起こした事があったの
2ヶ月の終わりくらいかな
お母さん家で掃除をしててね
感じた事のないくらいの痛みだった
トイレに行ったらものすごい痛みで力んだ瞬間に大量の血があふれてきたわ
もう内心あのときみたいにダメかも知れないって思った…』
私は顔を上げてお母さんをみた
『…あのとき…って』
お母さんはカバンの中から安産祈願のお守りをとりだし中から一枚のモノクロの写真を取り出した
『…これは?』
モノクロの写真には小さな白い丸いものがぽつんと映っていた
『…これはね
あなたのお兄さんかお姉さんになる予定だった赤ちゃんよ』
驚いた
今までずっと一人っきりで兄妹がいる家庭を羨ましくも思った時代もあった私に兄か姉がいたなんて
お母さんの顔を次に見た時は大粒の涙がいくつもいくつも頬を伝っていた
『お父さんと結婚する前に…ね
できた子供なのよ
私達はまだ社会人で付き合ってこそいたけど結婚を考えてなんてまだまだいなかった』
『お母さん達正直迷っていたの
こんな自分達が果たして結婚間もなくお腹にいる子供の親になんてホントになれるのかって
結婚もまだしていない自分達でこれからどうしようかって…
でもね
お父さん、このお守りを持ってきてくれてね『絶対に幸せになろう』って励ましてくれたの
その矢先だった…
三回目の検診の日
お医者様がね…
何度も何度も画像を見てね
暗いお顔でね
『お母さん
残念だけど赤ちゃん…
だめみたいです』って
目の前が真っ白になってね
お医者様が肩を叩いてくださるまで動く事ができなかった…
せっかく来てくれたのに…
お母さん
赤ちゃんに何もしてあげられなかった…
だからことりの時は何としても助けたいって
絶対に何があっても守りたいって
そう思ったのよ』
お母さんは大事そうに写真をお守りにしまうとまたカバンの中へと静かに戻した
いつも元気なお母さんにこんな悲しい過去があったなんて…
そのあとに産まれた私を両親がどんな気持ちで大切に育ててくれたのか…
今思うと胸がしめつけられる
『お母さんね
急いで病院に電話してお隣のおじさんに病院へ運んでもらったの
切迫流産っていってねとても危険な状況だったけどことりは頑張って持ちこたえてくれたわ
ひょっとしたらお空の赤ちゃんが力を貸してくれたのかしらって
お母さん涙が止まらなかったわ
それから約半年案定期に入るまで入院生活を続けて
12月31日朝8時45分
元気な
まっかな顔のあなたが私達の家族に生まれてきてくれた
小さな体をたくさん震わせてね
いっぱい息を吸ってね
大きな声で泣いていたのよ』
お母さんは鼻をすすりながら嬉しそうに話してくれた
『その時のお父さんたらね
ソワソワソワソワしちゃってね
こっちが落ち着かなくなっちゃうくらいにうろうろしてね
産まれた時なんかビデオ回しながら声しか入ってなくてね
泣きながら抱きついてきたのよ
『ありがとう
ありがとう…』ってね
大事をとってことりは帝王切開で産まれたんだけど2800近くあって大きな女の子だったのよ
性別は当日の楽しみでとっておいたから女の子ってわかってからお父さんが名付け辞典を片っ端から見てね
考えて考えて
やっと決まったのは役所に行く当日の朝よ
それまでは中村の『なかちゃん』って呼ばれてて可哀想だったけど…
『ことり』
お父さんがもってきてくれた名前を見てお母さんもこれならと思ったの
のびのびと自分らしく生きている鳥のようにおおらかに生きてほしい
でも女の子だから『ことり』
なんかお父さんらしいでしょ?
そうやってことりは私達の娘になってくれたのよ
そして20年があっというまに経ちまして…
今年の暮れには21歳か…』
>> 270
『成人式はバタバタして写真しか取れなかったから退院したら一度お参りしようね』
私は小さく頷くと小さい頃からいつも私の側にいてくれた母の姿を思い出していた
けしてオシャレなどしない母の姿からはいつも石鹸の香りがして
抱きつくと優しく抱き締めてくれる
気取った格好やネックレスなどは私の記憶にはまずない
目の見えない私を考えて身に付けるものは肌触りのいい木綿にエプロン
いつもそれだけだ
華奢な体でかさかさの手でいつも全力で私を支えてくれた
目の前にいる母はもう50代も半ばになっていた
あっという間の人生だっただろう
それでもいつも母は暗闇から私を光の世界へと導いてくれた
時には優しく
時には厳しく…
でもけして手だけは離さないでいてくれた
お母さんありがとう
繋いだ手のひらから小さなあの日の記憶を思い返していた
私はなんてなんて幸せ者だったんだろう…
静かに微笑むお母さんの肩に久しぶりに顔を埋めて泣いてしまった
生きているとたまに理不尽で辛くて
自分じゃどうしようもない『うねり』みたいなものがあったりする
もがいてももがいても行きたい岸には着けない
だんだんそのうち泳ぎ疲れて『もう…』と手を落としたくなる
でも私は言いたい
『あきらめないで』
と。
苦しくても苦しくても頑張った分は見えなくても確実に前に進んでいるから
溺れそうになった時に
必ず
必ず
苦しいときに側にいてくれるひとはきっといるから
だからあきらめないでと
病院の中ですれ違う沢山の人達
彼らは体力こそ弱いけど誰よりも人に優しい
強い心をもっている
それは
『諦めない強い力』だ
私はこれまでの人生を振り替えるのに20年もの時間が必要でした
でもそれはけして無駄な時間じゃなかったはず
大切なのは
『これから』
望くん
私頑張るね
今から何ができるかわからないけれど
貰った世界と
繋がった命をたくさん活かして
私らしい生き方をみつけたいと思う
お母さんとひとしきり話をして一人になったあとに
自分の気持ちを正直に便箋の上に綴った
いつか
またあなたにあえた時に
私はどんな女性になっているかな…
そんな期待を膨らませていた夏
窓の景色は木の葉の色を緑から赤に染め上げ
更に日の長くなった空が冷たい空気を運び
カレンダーはめくるたびに薄くなっていった
12月24日
クリスマス前日
私は望くんに宛てた手紙を入れてプレゼントを送った帰り道だった
最近少しずつメールが減っている
手紙も月に一度も怪しいくらいだ
『忙しいのかな…』
そう思いながら母に頼まれたケーキを買いに駅前にできた新しい店に立ち寄った
『ママズカフェ
ここね』
ナチュラルな木製の外観に沢山の観葉植物が配されて落ち着いた店内に沢山のお客様があふれている
ドアをあけると小さなベルがチリチリとなり暖かい空気と焼きたての甘い香りが鼻いっぱいに広がる
『いい香り!』
そのまま人混みをかき分け『御予約専用』のカウンターへ進んだ
『あの、すいません予約をしていた中村ですが…』
そう言うと中から白い長帽をかぶったパティシエらしき男の子人が出てきた
店内の女の子達が一斉にざわめく
確かにカッコいい
長身にこのルックスなら女の子のお客様も多いんだろうな
そう思いながら引換券を渡した
『中村様ですね
お待ちしておりました!X'masケーキ7号サイズですね
少々お待ち下さい』
カウンターの中では箱をもったアルバイト達が右往左往していて中のパティシエ達もそれを手伝っている
『お待たせいたしました…』
中から高校生くらいの女の子がX'masケーキを運んできてくれた
次の瞬間
『キャッ…!』
足が絡まったのか彼女はケーキごとカウンターの中に消えてしまった
心配になり声をかける
『あの、大丈夫…?』
カウンターの中から声がない
『森さん?』
さっきのパティシエが慌ててかけよる
『あ…あの…』
小さな声がおずおずとしたと思うと涙声の女の子が申し訳なさそうにへこんだ箱を取り出した
カウンターの中がざわめく
『本当に…申し訳ありません!』
泣き出す高校生と帽子を脱いだパティシエが頭を下げてきた
どうやら我が家のX'masケーキがだめになったらしい
少し覗いてみるといちごがずれて斜めになっている
パティシエが申し訳なさそうに『中村様…大変申し訳ありませんが本日は7号サイズのこちらと同じケーキが現在ございません
時間を少し頂けますか?改めて焼き直させて頂きます』
丁寧に頭を下げるパティシエと女の子が謝る
『いいですよ
少しいちごが崩れただけだもの
おいしく頂きますから気にしないで下さい
家族もきっと気にしませんから』
私はそう言うと崩れたケーキをパティシエの手から受け取った
『あの…でも…』
女の子が慌てて手を出したがそれをそっと押さえた
『私もねよく仕事場でミスするのよ
でも手を加えればちゃんと生き返るから大丈夫よ』
そう話した
>> 275
『私もね物を作る仕事をしているからわかるの
少しぐらい形がいびつだって中身は変わらないもの大丈夫おいしく頂きますから』
私はもう一度彼女にそういうとパティシエに向かって
『いいですよね?』
と再確認した
パティシエの彼は申し訳なさそうな顔をしながらも頭を深々と下げて『ありがとうございます』と言った
私は何人かの厨房にいたスタッフから頭を下げられ店をあとにした
こちらが申し訳なくなるくらい丁寧な対応だった
店を出てまだ明るい日差しを頭上に受けて歩き出すと店の中から慌てて初老の老人が後をかけてきた
『お客様…中村様…!』
息を切らせて走る初老の彼は先程のパティシエと同じ白衣に長帽をかぶっていた
『あの…中村様…これをどうかお持ちください』
彼の手には母の好きなチョコレートクッキーが握られていた
『先日…お母様がご注文のさいにお好きだと買われていかれたものです良かったらお詫びにこちらをお持ち帰り下さい』
慌てて詰め込んできたのか透明のセロファンに店のシールがつけてあるだけというものだったが年配のパティシエの心使いが嬉しかった
- << 278 お母さんはお土産のチョコレートクッキーを幸せそうにつまみ父は横で安い赤ワインを飲んでいる 幸せな風景だ 目が見えるとこんなに幸せが飛び込んでくるんだなと改めて感じる 赤いトマトに緑の野菜 白いクリームシチューに黄色いかぼちゃ 食卓には笑顔の両親 そしてソファーの上には望くんからの1日早いX'masプレゼントが届いていた 私なんて今日送ったのに… 食事のあと小包を二階に運んであけることにした 中からはいつもの手紙と可愛らしい白い陶器の子馬のオルゴールが入っていた 背中に花籠を背負いネジを巻くとクルクル回る 聞いたことのない外国のタイトルが書いてある 『可愛らしい曲…』 私はパジャマに着替えると便箋をハサミで綺麗に開き中からは二通の便箋を取り出した
『こちらこそ返ってすみません
母はチョコレートに目がなくて
きっと喜びます
わざわざこれを私にきてくださったのですか?お忙しいのにありがとうございます』
私がそう言うと年配のパティシエさんは
『ここのオーナー兼パティシエをしております伊藤です
もしよれしければまたお母様とお寄りくださいませ
ご迷惑をおかけしたお詫びにサービスさせて頂きたい』
『そんな
これ以上は申し訳ありませんよ
でも、きっとまた母とお邪魔します』
私は一礼をするとその場を失礼した
伊藤さんは帽子をとり深々と頭を下げてしばらく私を見送ってくれた
美味しいだけでなく心遣いもあんなにあるなら間違いなくはやるわね
家に帰って崩れたケーキをつまみながら『美味しい~』を連発しながらお母さんと話していた
真っ白い生クリームが甘すぎずなめらかで柔らかいスポンジに甘酸っぱいイチゴがなんとも言えない
崩れたってこんなにおいしいんだから見た目なんて関係ない
>> 276
『私もね物を作る仕事をしているからわかるの
少しぐらい形がいびつだって中身は変わらないもの大丈夫おいしく頂きますから』
私はもう一度…
お母さんはお土産のチョコレートクッキーを幸せそうにつまみ父は横で安い赤ワインを飲んでいる
幸せな風景だ
目が見えるとこんなに幸せが飛び込んでくるんだなと改めて感じる
赤いトマトに緑の野菜
白いクリームシチューに黄色いかぼちゃ
食卓には笑顔の両親
そしてソファーの上には望くんからの1日早いX'masプレゼントが届いていた
私なんて今日送ったのに…
食事のあと小包を二階に運んであけることにした
中からはいつもの手紙と可愛らしい白い陶器の子馬のオルゴールが入っていた
背中に花籠を背負いネジを巻くとクルクル回る
聞いたことのない外国のタイトルが書いてある
『可愛らしい曲…』
私はパジャマに着替えると便箋をハサミで綺麗に開き中からは二通の便箋を取り出した
『ことりへ
メリーX'mas
こちらは凄く寒いです
もう銀世界だよ
そっちは雪はまだですか?
雪を見ていたらなんだか凄くことりに会いたくなってきたよ
大好きなことりへ
望より
PS・子馬の背中覗いてみな』
私は手紙をもう一度綺麗にしまうとオルゴールを手にとった
『子馬の背中って…』
よく見ると背中の部分に小さな割れ目があり爪でひっかけて開ける事ができた
背中の中からは指輪とお揃いの石を使った一粒石のペンダントが出てきた
『可愛い…
望くん、ありがとう…』
望くんからの思いがけないプレゼントにその夜は嬉しくてなかなか寝付けなかった
一年前
望くんが倒れて中止になったデート
これを着けてきっと楽しく続きができるよね…
でも私の想いとはうらはらにこの日を境に望くんからの連絡は絶たれてしまうことになる
大晦日
X'masのテンションは続かずもやもやした気持ちの朝が続いていた
『…また来てない』
これで連続7日、望くんからメールが来ない
1日や2日なら学校が忙しいのかな…とか思うけどさすがに一週間ともなると心配から怒りに変わる
『~もう!せっかくのカウントダウンの日なのに』
ふてくされてリビングに降りると『誕生日なのに』の間違いだろ?とお父さんにからかわれた
実際望くんは私の誕生日を知らない
私もまだ望くんの誕生日を知らない
私たちは今思うとあまりお互いについて細かい話しはしていなかった
聞けばすむ話
そう思うとついついきっかけがないまま当日になってしまった
わざわざ自分から『今日わたし誕生日なんだよ』って言うのも催促してるみたいで気が引けるし…
お母さんの作ってくれた朝食を食べながら工房へ行く支度をしていた
工房自体はもう年末からの休みに入っていたが今日はみんなで大掃除をすることになっていた
『今日は遅くなるのか?お父さんたち夕方から初詣に行く準備をするけど、ことりはどうする?』
『ごめんね、今日は掃除のあとに忘年会があってそのあとの帰宅になるからお母さんと二人で先に行ってきて?終わったら一度電話するから』
そういうと去年お父さん達にX'masプレゼントで買ってもらった白いコートをはおり胸元にはムーンストーンのネックレスを身につけた
今年は二人から新しい茶色のフレームの眼鏡をもらった
いざと言うときの私の相棒だ
軽いチタンの素材でフレームの先はオーダーで白と緑のラインストーンでことりのモティーフがあしらわれている
『行ってきます』
出掛ける前にもう一度携帯を開くが望くんからの転送メールはまだない
もう一度頬を膨らまし靴に足をかけると
『21歳の女の子のする顔じゃないわね』
腕組をしたお母さんが吹き出すように笑った
元気よく家を出ると道なりにせわしなく行き交う人
歩きなれた黄色の点字ブロックがでこぼこしながら足先に懐かしい感覚を蘇らせる
目が見えるようになってから驚いたのは人と車の数
それに建物の多さだ
ゆっくり一定の速度で歩くのが身に付いている私には街のスピードはやはり早く感じる
ゆっくり
確かめるように歩き出す
ついつい手すりや慣れた点字ブロックの上を歩くのが私の日課だ
もちろん身障者には優先するけどね
駅前まできてあの日の『ママズカフェ』の前にも今日はさすがに『クローズ』の札がかかっていた
年末だものね
そう思い駅に向けて足を進めると勢いよく店のドアが開いた
『中村様!』
あの日の初老のパティシエさんだ
今日は白いシャツにチノパンだ
となりにはあの日の若い彼も並んで立っていた
『おはようございます、今日はお休みなんですよね』
近くに寄って少し話をはじめた
『ええ、今日は孫と大掃除に』
若い彼はどうやらオーナーのお孫さんらしい
『私も今から会社で大掃除なんですよ』笑っていうとオーナーさんが
『ゆう、お前もういいから中村様をお送りしたらどうだ?』
驚いて両手を小さくふった
『あの、いえ、いいんですいいんです
電車に乗ってもすぐですし
時間もかかりませんから』
そう言うと若いパティシエが『どこの会社ですか?』と聞いてきた
工房の場所と駅名を言うと『帰り道だから』と結局ことわりきれず同乗することになった
お土産にとどっさりチョコレートクッキーまでもらってしまった
何度も何度もおじいさんに頭を下げて歩き出すと
『ごめんなさいね
じいちゃん一度言うと聞かないもんだから…迷惑じゃなかったかな』
若いパティシエさんが申し訳なさそうに車のドアを開けてくれた
車中で若いパティシエさんから名刺をもらった
『伊藤有道』
(いとうありみち)
少し考えてから質問してみた
『あの…お名前
ありみちさん、ですよね?
さっきおじいさま『ゆう』って呼んでいませんでしたか?』
伊藤さんは笑いながら少しこちらを見ると『気づきましたか?じいちゃん昔から(ありみちって)呼びにくいからって僕のコトを『ゆう』って呼ぶんですよ
せっかくじいさんから一字もらって付けた名前なのにってお袋も苦笑してます』
『おじいまさから名前を?なんだか素敵ですね』
『うちのじいさんああ見えて腕は良くてね
留学したドイツやフランスの製菓の学校を首席で卒業してね
日本に戻ってからは有名なホテルのパティシエに就任していたんだけどこの度いよいよ定年退職しましてね…
このままじゃもったいないからって僕と共同であの店を始めたんです』
『そうなんですね
おじいさま実はすごい方だったんですね』
伊藤さんは長い前髪を手でかき分けると照れくさそうに笑った
『実は自慢の祖父だったりします』
年のころはさほど自分とかわらないだろう彼が自分の祖父を誉める姿は素直で新鮮だった
最近は親離れだったり核家族と言われる世の中なのにこんな風に親が親を
孫が祖父を思いやれるなんて素敵だなと嬉しく感じた
『中村様は…ガラス職人さんなんですか?』
伊藤さんが不意に聞いてきた
『いいえ、私は成形にはまだまだ…
デザインや企画をしながらの事務仕事です
でもガラスは大好きなんですよ』
『僕もガラス好きなんです
お袋が看護婦なんですけど今はボランティアでたまに趣味のステンドグラスなんか教えてましてね
小さい頃からよく一緒に見て回りました』
車の中での会話は楽しくガラスの話をひとしきりした頃あっと言う間に工房についてしまった
『すみません
わざわざ送って頂いて有難うございました
またお店にもお邪魔しますね
おじいさまに宜しくお伝え下さい』
車を降りて一礼すると伊藤さんは『こちらこそ楽しかったです』と丁寧に挨拶をして車を走らせた
>> 285
振り向くと何人かの工房スタッフが驚いた顔で『浮気現場発見!望くんにお知らせせねば~』と泣き真似をしている
『浮気なんかしません~!もう!
近所のケーキ屋さんです!
帰り道に送ってくれただけです~』
『あやしい…あのBMWにあのイケメン…
しかもケーキ屋!
こりゃさすがのことりちゃんも惚れてまうわな』
『だから!惚れてませんってば!』
顔を赤くして怒ると益々からかわれるだけだが、いつもこんな調子で私はみんなに可愛がって頂いてる
工房には七人のスタッフがいる
オーナーの尾関さん
お嫁さんのまおみさん
製造スタッフが四人に
事務とレジは私がやっている
昔はまおみさんがやっていた仕事を私が引き継がせてもらったのだ
まおみさんはすらりとしたスタイル抜群の女性だがいつもTシャツにデニム
それにエプロンに三角巾だ
みんな工房のスタッフは夏でも長袖を身に付けているが
そのスタイルのよさはエプロン姿からもわかるほどだ
まおみさんは目の見えない私に親身になって細かい仕事からわかりやすく教えてくれた
残念ながらお子さんは見えないが夫婦二人仲良くこの工房をきりもりしている
昔は籍を入れないスタイルだったらしいがけじめだと今年からめでたく同じ籍に入ったのだと聞かされた
『まおみさ~ん
みんなが意地悪いうんですよ~』
笑いながら店の椅子に座りながらタバコを吸っていたまおみさんが『イケメンやったね~』とにやっと笑った
『もう!まおみさんまで!』
頬を膨らませながらいつものエプロンに袖を通す
今日は比較的あたたかいので釜に火は入っていなかった
午前中に掃き掃除や拭き掃除を済ませて製作したガラスの小物に丁寧にビニール袋を被せていった
すべての作業が終わったのは午後も大きくまわり四時過ぎだった
『それでは今年もお疲れさん~みんな来年も宜しくなぁ!』
尾関さんが音頭をとり忘年会はエアコンの効いた工房の中で机を寄せて始まった
昼御飯はまおみさんが作ってくれたサンドイッチを食べたが体力勝負のおっちゃん達にと夜は特別に焼き肉忘年会となっていた
すべての片づけが終わったのは夜も8時を過ぎていた
『酔っぱらいは寝かしときな
いつもの事だから』
とまおみさんがお皿を拭きながら笑った
だいたい飲んだあとはこうやってみんな酔いつぶれて目が覚めたら初詣
というのがこの会社の流れだと話してくれた
最後のお皿を拭き終わると休憩しようかと裏庭の椅子に腰かけた
工房の中では私達以外の五人がテーブルにふせって高いびきをかいている
まおみさんは奥から毛布を取り出すと一人ずつ肩からかけて回った
『ん、ことり』
『有難うございます』
手渡された暖かいコーヒーに息をかける
まおみさんは首を左右に揺らしながらコキコキ鳴らしている
まおみさんはまだ35歳でオーナーの尾関さんより10歳位若い
だから私には『奥さん』というより『お姉さん』みたいな人だった
朗らかで気のきく明るいその性格に私は今まで何度も助けられてきた
尾関さんはホントにいい人を奥さんにしたなぁと感心する
『まったくさぁ…
年末年始とみんなは休めていいけど嫁は休む暇なんかないっつぅの
ね~』
『ホントですよね
特にまおみさんはよくやってますよ
尊敬しちゃいます』
『まじで?ことりはいい子だよね~
誉めても何にも出ないけどとりあえずお菓子でも食べな
あんたさっきほとんど食べてないでしょ?
おにぎり作っといたから食べなさい
ね?』
いつの間にやらつくってくれた一口だいのおにぎりを台の上に置くとまおみさんは大きく伸びをした
昔は飲み屋のママさんをしていたという彼女はホントによく気がつく
見ていないようで色んな事に目が行き届いている
しかもさりげない
私もこんな風になれたらいいのにな…
鞄にしのばせた携帯をちらっと見るが着信もメールもなかった
入れてもらったコーヒーを貰うとまおみさんが口を開いた
『まだ望くんから連絡ないの?』
まおみさんには望くんから連絡がないことを工房に来てから話していた
『はい…
こんなに来ないの初めてだからちょっと心配です』
『だね、でもさ
あの子の事だから心配いらないよ。なんてったってことりしか見えてないからね~』
まおみさんはからかうような声で言った
少し話した後『遅くなると危ないから』と最寄りの駅まで車で送ってくれた
『じゃあまた来年ね
望のことあんまり心配しないようにね』
そう言うとまおみさんは『誕生日プレゼント』と言い尾関さんが作ったガラスの花瓶をくれた
丸い形できれいなオレンジ色だ
その場でまおみさんにお礼をいい落とさないように紙袋を胸に抱えて電車に乗り込んだ
ここから自宅まで乗り換えをして30分
年末だからかいつもより人が多い
私は空いていた角の席に座るともう一度携帯を確認した
お父さんからのメールが一通だけ
『今からでかけるからな』
ため息をつきながら携帯とまぶたを閉じた
目が見えるようになってから私は少し欲張りになったんだろうか
目が見えない頃は不安や不便も多かったが人をもっと信じられた気がする
想像したり確認したりもっと自分を持っていた
でも今は
携帯にメールがなかったら連絡がないだけで心配だし焦ったりする
目の前の文字にこんなに踊らされている自分がいる
今も電車の中では半分以上の人が下を向いて携帯を打っている
心のつぶやきを文字にしてしか表せないのかな…
時々思う
せっかく目も口も耳も手も足もついているのに
なんでそんなに見えるものに頼ってしまうんだろうか…
私はだんだん当たり前のように見えるものしか信じられなくなってきている自分が悲しくていやしい人間に思えてきていた
望くんだって遊びでいっているんじゃない
テストだって
ボランティアだって
バイトだってあるかも知れない…
『好きだから』って当たり前みたいに毎日連絡できないことくらい私だって想像できる
私は携帯に『勉強お疲れ様、日本はもうすぐ年越しだよ
クリスマスプレゼント気に入ってくれたかな?
学生だからカバンなんて安易だったかな?気に入ってもらえたら嬉しいです
ハッピーニューイヤー
ことりより』
そして相変わらず望くんから連絡がないまま新年が無事に開けた
年末に両親とお寺で合流した後、自宅に戻りゆっくり過ごした
お土産にともらったチョコレートクッキーはあっと言う間になくなり
お餅も底をつきはじめた頃久しぶりにお母さんと買い物に出かけることにした
まだそれほど人混みに慣れていない私を気遣って年明けのデパートに日にちをずらして出かけてくれた
福袋は諦めたけどバーゲンは今からよ
と私なんかそっちのけで婦人服のタイムセールに飛び込んでいった
私はちょうどそのデパートで行われていた外国のガラス作家の展示会が八階で催されていたのでそちらで時間を割くことにした
作品会場は海外の作家のコラボレーションで色々な作品が飾られていた
とうていガラスとは思えないほどの細かい細工を施した美しい作品
個人的にはガレの作品のようなアンティークなものが好きだが色んな作家の作品を見るのは目にも心にもいい
しばらく会場を歩いていると見覚えのある顔が近づいてきた
『こんにちわ』
驚いたように声をかけてきた
伊藤さんだ
『こんにちわ
奇遇ですね、こんな所で!
今日はおじいさまはご一緒じゃないんですか?』
『オーナーは材料もって仕込みに行っていますよ
今日はお袋と買い物です、中村様は?』
『あの…中村さんでいいですよ
『様』は慣れなくて…』
伊藤さんはくすりと笑いながら『じゃあ…中村さんは?』と言い直してくれた
『私も母と買い物なんです。って言っても恥ずかしながら母はバーゲンでして
私は人混みが 苦手なでこちらに避難してきました』
『僕んちも同じですよ
今頃お袋同士奪いあってたりして』
二人して少し笑うとせっかくだからと一緒にまわることにした
長身で見映えのいい彼は会場にいた奥様方にも注目されていた
横にいても視線が痛い
少し見上げると整った顔にくるくる動く瞳が印象的だ
しばらく話をすると伊藤さんが私より6つ年上の27歳という事がわかった
大学を出たものの好きだったお菓子作りを極めるため海外に留学して日本に帰ったのは去年
おじいさまと開いたお店があの店なんだという
洋菓子界のサラブレッドとも言おうか
どことなく品のある彼はどうしても目を引いてしまう
青と白のストライプのシャツにブルーのデニム
髪の毛は後ろでひとつに短く結ばれて
足元にはお洒落な茶色のブーツ
さながらどこかのモデルさんみたいだ
店にいた若い女の子の数にも頷ける
『中村さん?』
『え?』
『そんなに乗り出して見られると恥ずかしいんだけど…』
気がつくと私は伊藤さんの前に回り込んで見上げていた
『ごっ、ごめんなさい
すいませんでした』
2、3歩その場を下がるとぺこりと頭を下げた
伊藤さんは笑いながら側によると『中村さんて…しっかりしてるのかそうじゃないかわかりませんね
おもしろいや』
そう言うとすっと私の右手をとった
『!?』
すかさずその場で伊藤さんを見上げると
『周りの人の目が気になるでしょ?
僕もこの身長だから目立っちゃって
少しデートのふりしててもらえますか?』
そう言うと私の鞄を持って前を歩きだした
振りほどこうと思えばいつだってふりぼどけたはずなのに
私は繋がれた手をそのままに出口まで彼に同行した
出口を出る頃には
『中村さん』から
『ことりちゃん』に呼び方が変わっていた
少し驚いたがその後はお礼を言ってその場を離れた
望くんとは違う長い指
望くんはもっとごつごつしてふにゃっとしてた
何ていうか大人の男の人の手だった
その日は戦利品の説明を鼻高々にするお母さんの話は右から左に流れて
ただ右手の感覚だけ思い出して自己嫌悪に陥っていた
『望以外の男と手ぇ繋いだ!?』
驚いたようにまおみさんが振り返った
仕事初めの工房には活気が戻っていた
まおみさんは裏庭にゴミを片付けながら汗を拭いた
『しかも、あのイケメンとか』
黙って小さく頷くと笑いながら『キスまでならいいんじゃない?』とウインクしてみせたが私は今にも泣き出しそうだった
『望くんにいった方がいいのかな…』
『ばっかね~アホかあんたは
望に『あなた以外のイケメンと手を繋いじゃったの~ごめんなさい~』って言うの?
アホか
辞めときなさい』
『でも…』
『でも、じゃないよ
結婚してるわけでめないし浮気してるつもりもないみたいだし、そんなん言う必要全くナシ!反ってややこしいよ
望だって心配すんでしょ?
余計な心配かけないの、わかった?』
まおみさんはあたしの頭を後ろからグシャグシャっとすると笑顔で中へと入っていった
右手をじっと見た後首を左右に振り工房の中に入った
伝票や資料を整理しながら新しいアイデアをスケッチブックに書いていく
昼になり一端まおみさん達は自宅に帰りあたしと数人の職人さん達は工房でお昼をとる
お茶の用意をしていると仲間の一人に呼ばれた
『ことちゃん
お客様』
入れていたお茶をテーブルに運ぶとカウンターに向かった
『あの…中村ことりさんですよね』
入り口にトレーナーにデニムとカジュアルな装いの若い男の人が立っていた
その声には聞き覚えがある
『初めまして
俺、斎藤といいます』
言われた瞬間に側に駆け寄った
『望くんの大学の!』
一昨年大学でのデートの時に出会った斎藤くんだった
目が開いてから初めて望くんの友達に会った
『うわぁ、どうしたんですか?よくここがわかりましたね』
斎藤くんは真面目な顔で切り出した
『ことりちゃん
少し時間いいかな』
私はあの時に胸に走った緊張感を今でも忘れることができない
工房の裏庭に回り椅子に腰をかけた
斎藤くんはつくやいなや一枚の手紙を見せてくれた
斉藤くんにあてた望くんからの手紙だった
消印はX'mas前
望くんと連絡がとれなくなる少し前だ
『読んでも…いいんですか?』
斉藤くんはその場で頷いた
『斎藤へ
久しぶりだな、みんな元気にしてるかな
俺は相変わらずだよ
ことりは元気かな
ことりにもみんなにも会いたいな
メリーX'mas
加藤 望』
読み終わった後葉書を斉藤くんに戻した
『このあとにさ、望に連絡が取れなくなってさ
望の実家にも聞いてみたんだけど親父さんにもわからないらしい
そんで思いきって留学先に連絡してみたんだけど
望、いなくなったらしいんだ
大学にも寮にも…
ことりちゃんには何か連絡ないかなと思って』
突然の望くんの失踪
その場から足がすくんで動かなくなってしまった
望くんの失踪
思いがけない斎藤さんとの再会がとんでもない方向に話が進んだ
望くん
どこへ行ったの…?
その日の夜
『もしも望から連絡があったらすぐに知らせて』と斎藤さんからもらったメルアドを見ながらベッドにふせっていた
話によると荷物も部屋もそのまま
居なくなったのはX'masイブの当日
携帯電話と財布がなくなっていたらしい
私の送ったプレゼントはまだ手付かずで管理人さんが預かっているという
当初はほんの少しの外出かと思われたが
無断外泊が一週間以上続いた上に連絡も取れなくなった為みんな心配しているらしい
望くんがまわりの人に何も言わずにいなくなるなんて…
何があったのか…
そんな気持ちを抱えたまま日々が過ぎたある日公衆電話の通知で携帯に電話がかかってきた
『…もしもし?』
『……』
『…望くん…?
望くんなの…?』
『…ことり…
…ごめんな…』
『望くん?どうしたの!?
どこにいるの?
私いまからそこにいくから場所を言って?』
『…ことり
会いたいな…
何か俺…疲れちゃったよ…』
受話器の向こうから生気のない声を出す望くんに思わず涙が出る
『…なんで…こうなんだろうな
やっぱり俺…だめみたいだ…』
声の向こうで微かに波の音がする
海…
いつか望くんが連れていってくれた海かもしれない
私は携帯で話ながらメモをとりお母さんに斎藤さんに望くんから電話がきたこと
昔小さな男の子と会った『海』の場所を知らないか聞いてもらった
場所はすぐにわかり私は望くんと携帯で話ながら両親とその場所へ向かった
ひょっとしたら望くんはそこにいるかも知れない
焦る胸を押さえながらその場所へと急いだ
日付が夜明けを追い越した頃
道なりにきらめく水平線が漆黒の闇に美しく浮かんでいた
望くんはほとんど会話をしなくなりもう波の音しか聞こえなくなっている
私はできるかぎり声をかけて望くんを励まし続けた
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