💀ビリケン昭和の短編小説📓
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🎈手軽に読める短編小説~に引き続き、ビリケン昭和💀の短編小説始まります🎊
笑いあり涙ありシリアスありのテンコ盛り‼貴方も是非📓短編小説の虜になって下さいね💕お便り感想もどしどしお待ちしています💦
さぁて…最初のお話は…👂✨
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宿敵からの思わぬ挑戦状だったが待てよ…考え方を変えればこれは《父親の威厳》を娘に見せつけるまたとない絶好のチャンスかも知れないッッ!真吉は一人ほくそ笑んだ…
『ウワ、キモ…何笑ってんの?つぅかマジでキモいから私が髪の毛解かしてる姿横からジロジロ見ないでっつぅのッッ!』
(親にそんな口を叩けるのも今のうち…千佳よッ、私が事を起こした次の瞬間お前は私を父親として心から尊敬し、この高橋家に産まれて来た事に感謝するであろう…フフフ)
真吉は薄ら笑いを浮かべながら棚の奥深くに虐げられていた自分愛用の歯ブラシを用意するとそれの横にそっと置いた…
(よし…戦闘開始ッ、ここからが本番だッッ!)
真吉はそれを手に取ると数㍉に細く伸ばされたチューブの腹を丹念に指で押し上げながら微妙に残った隆起をさらに出口へ、出口へと指を滑らせていった…
(よし…ここまでは順調だッッ、落ち着け真吉ッ、落ち着けば必ず勝てるッッ!)
『…ハァ?バッカじゃないの?何真剣になってんの?つぅか新しいの出せばいいじゃんッッ、ダサッ!』
(何とでも言えッッ!私は…私は勝つッッ、コイツに必ず勝つんだッッッ!クッ…)
>> 151
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(!ッッ、こ、この感触はッ!?よしッ、ヒットだッッ!ヒットしたぞッッ!やったぁ!)
真吉の指に確かに微妙ながら手応えのある隆起の塊が触知出来た!これは正に未だ取り出されずに残っていた歯磨き粉の塊に違いないッッ!真吉は思わず心の中でガッツポーズをした!
『よしよしよしッッ、出てこいッ、さ~ぁ出て来い私の未来ッッッ!』
真剣に歯磨き粉のチューブと格闘する我が父親を横目に見ながら娘の千佳はえもいわれぬ侮蔑と嫌悪感を感じずにはいられなかった…
『…あのさッ、そんな事に必死になる父親持つ私自身…本当マジ恥ずかしいんだけど…オタク聞いてる?』
『ちッ、ちょっと待てッ、もうすぐッ、もうちょっとで父さんは高橋家の主にッッ、尊敬される男にッ、クッ…男になれるんだッッ、フングゥガァッッ!』
真吉は全神経を集中させ全ての隆起を出口に集結させた、そして一気に両指の腹でそれを力の限り押し出したッッ!
『出んろォォォォォ!出てくれぇぇぇぇぇぇ歯磨き粉オォッッッ!フンガァァァァァァァァ!』
………プ…プリ…プププ…
(…へ?…う、嘘……)
オナラのような情けない空気音とともにチューブの出口からは歯磨き粉は一滴も出て来なかった…
>> 152
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(ま、まさか…そんな馬鹿な…確かにこの指頭に感触が…アァ…)
真吉は失意のどん底に叩き落とされた…指使いは完璧だった、隆起も見事触知する事が出来たのに…なのに何故出ないッッ、何故歯磨き粉はチューブの先から出てくれなかったのかッッ!
(家族のみならず…私はか、神にも見放されたというのか…アァ)
真吉はおもむろに娘千佳を見た…千佳は父真吉によくやった、残念だったね!等の労いの言葉をかける所か、黙々と鏡を見ながら何事もなかったように髪型を整えていた…
(つ…冷たい…そりゃあんまりにも冷たいんじゃないのか千佳ッッ!《キャハハハ、何やってんのさお父さんたら馬鹿ねッ、キャハハハ》…位のリアクションがあってもいいんじゃないのか?…無視はないだろ無視は…アァ…)
真吉はネクタイを緩めると不本意ながら棚の上から真新しい歯磨き粉のチューブを取り出した…
『ハァ…千佳、新しいの出しておくから…ハァ~…』
(負けた…完敗だ…確か前回のチューブの時もこの私が根気に負けて新しい歯磨き粉を棚から泣きながら出したんだ…クソッ、クソッ…)
次の瞬間真吉はとんでもない光景を目の当たりにした!
>> 153
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『ち、千佳お前ッッ…!』
その時娘の千佳はヨレヨレになったその汁一滴すら出ないであろう丸まった歯磨き粉のチューブの残骸を手に取ると二度三度キュッキュッと指で撫でただけで歯ブラシの先にそのチューブの焦点を合わせた…次の瞬間真吉は信じられない光景を目にした!
ニュゥ~ッッッ!
何処に隠れていたのか何と千佳の歯ブラシの上にまるで葉っぱに留まる尺取り虫のように大量のチューブが出てくるではないかッッ!
『アガッ!…な、何で…そんなッあ、ありえないッッ、何処にそんな大量の歯磨き粉がッッ!?』
真吉は余りの衝撃的なその真実に言葉を失った…あんなに苦労して努力してもなしえなかった難業を娘の千佳はいとも簡単にやってのけたのだ…信じられないッ、
『…つぅか何にも出来ないじゃんッ、父親の威厳っつぅ前にまず自分の身の回りん事出来るようになりなよッッ!』
千佳はシャカシャカと歯を磨くとこの赤いコップは絶対使わないでよッ!との捨て台詞を残し何事もなかったかのように洗面所を去って行った…
(アァ、威厳…父親としての威厳ガッ…アァ)
真吉は自分の情けなさに打ちのめされた…たかが歯磨き粉、されど歯磨き粉…
>> 154
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『ただいま~…』
その日真吉は気の乗らないまま仕事を終え家路に着いた…
『…ただい…ッ、まぁいいか!ハァ~…』
真吉の帰宅に気付いているのかいないのか、妻の和恵と娘の千佳は奥の居間で仲良くお笑い系の番組を観ながら高笑いしていた…主の真吉に家族からのお帰りなさい!の返事が返って来ないのはもはや高橋家の暗黙の習慣と化していた…
(これが我が家の悲しい現実…カァ…)
真吉は一人で冷蔵庫から晩酌の缶ビールを取り出した…
『あ、あれ?発泡酒に変えたの?』
『……キャハハハ、あの芸人バッカじゃないのッ、キャハハハ、キャハハハ!』
二人は夢中でテレビを観ていた…
『あの…ビー…ま、いいか…』
真吉がふと台所の流しを見るとプレミアムビールの空き缶が転がっていた…
(ハァ~…働いて疲れて帰って来た亭主には発泡酒で妻は高級麦芽か…フッ…)
真吉は椅子に腰掛けるとフゥ~と息を吐いた…
『ちょっとッ、さっきからハァハァため息ばかりつかないでよッ、ただでさえ幸薄い家なのにかろうじて残ってる幸せまで逃げちゃうじゃないのよッッ!』
和恵のキツイ一言が疲れた真吉の身体にさらに追い撃ちをかけた…
>> 155
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『なぁ千佳…今日は何の日か知ってるか?』
無造作に置かれた蛸の酢の物を口に入れると真吉はテレビを観て笑っている娘千佳に声をかけた…だが千佳から返事はなかった…
『母さん、ワシに何か言う事ないか?』
真吉は今度は妻の和恵に声をかけた…
『なぁ母さん、聞いてるのかッッ?』
『…トイレに行ったら便座くらい下ろしておいてくれない?それに便器の周りオシッコ飛ばさないでよッッ!誰が掃除すると思ってるの!』
『ウッソまじまだ立ってやってんのッッ、ヤダマジ最低ッ!前に座って小もしてって言ったじゃんッッ!超KYまじむかつくッッ!』
和恵と千佳は真吉の顔を見る事もなくそれだけ言うとまたテレビにかじりついた…
『す…スマン、以後気をつけるよ…』
今に始まった事ではないが真吉はその二人の言葉に何故か今日は無性に切なくなった…
(ハァ~…家庭崩壊、いや、そんな生易しいモンじゃない…これじゃまるでアカの他人と暮らしているみたいなもんだ…アァ、いつからこんなになってしまったのかナァ…ハァ~父親の威厳が…)
真吉はおかずのゲソの天ぷらを電子レンジでチンすると一人台所の机で遅い晩御飯を食べた…
>> 156
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『…で結局お前の誕生日は誰も思い出さず終いかッッ?…ハァ~しかし本格的に家族から虐げられてるな真吉…』
『な?聞くも哀れだろ?…自分達の誕生日をワシが忘れてた時は目の色変えて怒るくせにさッッ!』
真吉の友人神崎川敏夫が経営する割烹料理店は平日にもかかわらず今日も沢山の客で賑わっていた…
『トシ…お前はいいよな…こうやって好きな事して家族からも信頼されててさッ…父親としての《格》はワシとは月とスッポン、正に雲泥の差ッッ!』
皿のおでんの厚揚げを箸でつつくと真吉はため息をついた…
『オイオイ、そう落ち込むなって…』
茶碗蒸しのセイロの火の調節をすると敏夫は腕組みをした…
『でッッ!…ワシは考えたッッ!』
真吉はいきなり机をドン!と叩いた…
『!ッ、な、何を?』
『歯磨き粉を棚から出さないッッ!絶対に絶対にッッ!』
『………はぁ?』
敏夫は真吉の意味不明な言葉に耳を疑った…
『トシ、ワシはな?一つくらい和恵や千佳に勝てる事を見つけたいんだよッッ、父親としてこれだけは負けないッ!っていう確固たる物をなッッ!』
『はぁ…で、それが歯磨き粉を家族に棚から出させるという事なのか…』
敏夫は目が点になっていた…
>> 157
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『あ、ハハハ…あのな真吉ッッ、父親の威厳を取り戻したい!って気持ちはとても前向きで素晴らしい事だと思うが…だからっつって棚から新しい歯磨き粉を出さない事が果たして父親の威厳に繋がるのか…ナァ…ハハハ…』
敏夫は真吉が傷付かない程度に柔らかく忠告した…余りにも馬鹿馬鹿しくてどうでもいいと思ったが…
『いいかトシ…父親というのは一家の大黒柱として常に家族を守る立場にあるッッ!だから父親はどんな些細な事柄でも家族に勝る事でその威厳を維持し続ける事が出来ると最近気付いたんだッッ!ワシは失いつつあるその威厳を取り戻す為にまず一つずつ自分に出来る事から始めるんだッッ!歯磨き粉がそれだッッ!解るか?トシ…』
(ち…違うと思うなァ~それ違うと思う…ハハハ)
敏夫から見れば究極にくだらない事だがどうやら真吉は真剣らしい…敏夫は明らかに《父親の威厳》の意味を取り違えている友人真吉にこの場でいったい何を言ってあげればよいのか心底悩んだ…
『ワシは和恵と千佳に負けんッッ!アイツらがチューブから歯磨き粉を出す事の根気に負けて自ら棚から新しい歯磨き粉を出すまではなッッ…フフフ、長い闘いになりそうだ…』
(…頭打ったのか真吉…)
>> 158
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(高橋家の平均消費指数を計算したところ、次にこの歯磨きチューブの中身がなくなるのはあと約62日後…その時が正に最終決戦ッッ!)
次の夜、中身の詰まったまだ真新しい歯磨きチューブを見つめながら真吉はシャカシャカと就寝前の歯を磨き始めた…
(…しかし千佳は痩せ細ったヨレヨレガリガリのチューブからあれだけの量の残り歯磨き粉を絞り出した…どうしてだ!…残り粉を簡単に絞り出す何か究極の秘策でもあるのだろうかッ!?)
鏡の前で映る自分の姿を見つめながら真吉はよし!と固く拳を握った…
(勇気を出して聞いてみようッッ!己を見出だすにはまず敵からッッ!)
真吉は歯磨きを終えるとゆっくりと娘千佳の部屋に向かった…
『ち、ちょっとあなたッッ!何してるのッッ!?ま、まさか…ちッ、千佳の部屋をノックしようとしてるんじゃないでしょうねッッ!?』
千佳の部屋の前で偶然洗濯物を取り入れ帰って来た妻和恵がまるで悪魔の館にでも迷い込み恐怖におののく主人公のような顔で真吉を見た!
『な、何を言ってるッッ!娘の部屋を父親がノックして何が悪いッッ!』
『し…知らないわよッッ、私知らないからねッッ!』
>> 159
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部屋の前に立つと真吉の心臓の鼓動が瞬く間に速くなり手足がガタガタと震え始めた…娘千佳の部屋には丸三年は入った事はない、いやそれ所かノック等した事すらないッッ!果たしてどんな返答が返って来るのだろう…今まさにえもいわれぬ緊張と恐怖が真吉の脳裏を支配していた…何故に、実の娘の部屋をノックするだけなのにどうしてここまで天パってしてしまうのか真吉にも解らなかった…
(ゆ、勇気を出せ真吉…そうだッ、まだ可愛いかった幼稚園の頃の千佳を思い出すんだッッ!そうだ、お遊戯会で熊さんの格好でハーモニカを吹いていたあの頃の千佳をッッッッ!よしッ、よしッ!)
コンコンコンコン…
『……誰?お母さんッッ?』
面倒臭そうな低い声が返ってきた…
『!ッッ、…ア…あ、わわわわ、ワシだ…お父さんだ…』
…中から返事がない…父親を完全無視しているのか、はたまた3年振りのまさかの来客に千佳自身も驚愕して言葉が出ないのか!
『ははは、入って…アハハ、いい…カナ?』
ドスドスと床を歩く音が扉に近付いて来る…次の瞬間娘が放った言葉に真吉は愕然とした!
『……つぅか何でッッ!?誰に断ってノックなんかしてんのよッッ!』
(だ…誰にって…)
>> 160
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『娘の部屋をの、ノックする事がそんなにいけない事なのかッッ!?それにここはワシの家だぞッッ!』
決して発してはならないその真吉の禁断の言霊が千佳のアドレナリンを更に刺激した!
『!ッッ、つッ、半分はお母さんの名義だっつぅのッッ!オタク婿養子のクセにマジタルイってッッ!』
(た…確かに半分は和恵名義だ…)
『コラ千佳ッッ!お前いい加減お父さんに向かってその口の聞き方やめないかッッ!誰が私立高校に行くお金出してると思ってるッッ!』
穏やかに済まそうとの初心は何処かに飛び去り決して点火してはならない真吉の愚かな《父親スイッチ》がオンになってしまった!
『ハァ!?学費の殆どはお母さんのヘルパーの給料だっつぅのッッ!誰かさんの安月給じゃぁ修学旅行代も出ないんじゃないのッッ?キャハハハ』
『オイ千佳ッッお、お前父親を馬鹿にするのもたいがいにしなさいッッ!』
『馬鹿にされたくなきゃ一度位は私を唸らせる親らしい事して見ろっつぅの!出来ないクセに空威張りしないでっつのッ、あァ~マジうざっ!』
『ち、千佳ァッッッッ!開けなさいッ、ここ開けなさいッッ!フングッッッ、』
千佳の部屋の扉を隔てて父と娘のドアノブ争奪戦が繰り広げられていた…
>> 161
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『で、真吉お前千佳ちゃんにその歯磨き粉の秘策とやらを教えて貰う為にわざわざ3年振りに娘の部屋をノックしたという訳か…真吉にしちゃぁ一世一代の勇気だな…』
『まあ結果的にはまた溝を深くしたようなもんだったがな…その後は売り言葉に買い言葉の大喧嘩さッッ…』
敏夫の割烹居酒屋で真吉はやり切れない顔でビールを注いだ…
『なぁトシ、昨日の千佳との口喧嘩でワシふと思ったんだ…もう誰にも頼らないッッ!自分の道は自分で切り開くッッ!とな…』
『…例の歯磨き粉の件か?あのさ真吉、俺はもっと他に家族の信頼を取り戻す方法があると思うんだが…歯磨きチューブを使い切る事以外によぉ…』
『…忠告ありがとう、だがワシはもう決めたんだッ、家族の信頼される父親になるにはこれしかないんだとな…よしッ、見てろよッ和恵ッッ、千佳ッッ!』
(…ハァ~…もう何かコイツと話するの疲れた~)
敏夫は呆れ顔で客に出すお通しの大根オロシを擦り始めた…
『そうと決まれば完全勝利に向けて明日から地獄の特訓だぁッッ!やるぞッ、やるぞォォォォォ!』
真吉は立ち上がると力いっぱい拳を高く突き上げた…
(ハァ~…決意表明なら他の店でやってくれッ…)
>> 162
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次の日曜日、真吉はホームセンターの特売日に雀の涙のお小遣いから山ほどの歯磨き粉のチューブを買い集めるとまだ開店前の敏夫の居酒屋に直行した…
『お、おい何だその歯磨き粉ッッ!ま、まさか真吉お前、ウチの店で歯磨き粉出す練習するんじゃないだろなッッ!?店の中歯磨き粉の臭いさせんでくれッッ!』
『何言ってるッッ!ここでやらなきゃ何処でやんだよッッ!ウチで練習なんかしたらみすみす敵陣に塩を送るようなもんだッッ…』
(いや…それは全然違うと思う…)
真吉は店のカウンターの一番端に腰掛けると箱から何個もの歯磨きチューブを出し始めた…
『お、おい、で真吉お前…そのチューブから出した歯磨き粉はどうするつもりだッッ、かなりの量になるんじゃないのか?』
心配そうに敏夫が真吉を見た…
『心配するなッ、ちゃんとバケツを用意してあるッ、出した歯磨き粉はトシの家族で使えッッ!ラップして低温保存すりゃ品質一年は持つだろ…』
『!ッッい、要るかぁんなモンッッ!』
敏夫はどうして真吉がここまで歯磨きチューブにこだわるのかが全く理解出来なかった…
>> 163
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『ねぇ千佳ぁ…最近お父さん何か変じゃない?日曜日になると決まって朝からいなくなるのよッッ…』
『…別ぇぇ~っにぃ~…全く興味ナシッッ!』
それから何週間かして真吉の妻和恵は日曜日の真吉の行動に疑問を抱き始めた…
『あんまり私達に相手にされないからどっかでイジケてんじゃないッッ?ほら、試写室とかで…キャハハハ…』
クッキーをかじりソファーで雑誌を読む娘千佳はせっかくの休みに父親の話なんかしないでよ!とでもいいたげに母和恵に視線を投げ掛けた…
『…まさか浮気…ハハハ、ないないッッ、あのお父さんに限ってそれは皆無、有り得ないわッッ!』
和恵は笑いながら昼ご飯の用意を始めた…
『けど妙なのよね…』
『ん?何が?』
上の空で玉葱の皮を剥く母和恵に千佳が尋ねた…
『お父さん日曜日の夜帰ってくると必ずっていっていいほど全身から歯磨き粉の臭いがプンプンすんのよね~あれって何なんだろ…?』
『はぁ?…何それッッ!?あ、お母さん火噴いてるよッッ!』
和恵はコンロの鍋の火を止めた…
『んも~意味不明ぇ~んな事どうだっていいジャン!あ、お母さんまさかマジで心配してたりしてッ…ウ、ワ、キ!』
馬鹿ねぇと和恵は笑った…
>> 164
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(むッ…あともう少し…決戦の日は近いなッッ!)
洗面所の丸まった歯磨き粉を眺めながら真吉はそのまだ全体の5分の1程残っている歯磨き粉を歯ブラシに押し出した…
(あと5日がデッドラインってトコだな…)
真吉は大きな深呼吸をすると顔を洗い出した…
『なるほど…そういう事か…』
『ん?…な、何だ…千佳か、おどかすなッッ!』
突然背後から千佳の声がして真吉は振り向いた…
『日曜日コソコソ何かやってると思ったら…ハァ~、大のオトナがまだんな事真剣にやってんだッ、超マジ信じらんないんだけどッッ!』
千佳はまるで汚い物でも見るかのように腕組みをして上目使いに真吉を睨み付けた…
『いいか千佳ッ、だ、誰に何を言われ蔑まれようとワシはやるッッ!絶対お前らに勝ってみせるッッ!お前らに棚から真っさらの歯磨き粉を出させてみせるッッッ!』
『ハイハイ…ど~ぞご勝手にッッ…けどこれだけは言っとくッッ!…んな事で家族の絆が取り戻せるなら道明寺も母親といさかいなくうまくやってただろよッッ!』
それだけ言うと千佳は洗濯機に着替えをほうり込み部屋に帰って行った…
(ど、道明寺って誰?…だッ、…誰なんだぁ??)
>> 165
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『ハァ~…それ聞いてお母さん馬鹿馬鹿しくて言葉も出ないわ…ハァ~』
その夜千佳は真吉の歯磨き粉の臭いの理由を母和恵に話した…
『でしょ!私もあんまりにもくッッッ~だらないから言おうか迷った…つぅか、んな事位で父親の威厳取り戻せると思ってんだからギガめでたいってのッッ!』
風呂上がりの千佳は母愛用のマニュキュアを失敬し足の爪に塗りだした…
『昔はあんな人じゃなかったのにねぇ~…借金の保証人になったばっかりにマンマと騙されて…』
『自業自得ッッ、つぅか自分が騙されたの棚に上げて私の連れて来る彼氏には信用出来ないっつって駄目出しばっか!ホンットあったまくんのッッ!まず自分の姿見ろってのッッ!』
和恵はエプロンで手を拭くとゆっくり千佳の横に腰掛けた…
『ま、そんなだから今度はどんな小さい事だってお父さんなりに真剣になれる、いや…なりたいんじゃないの?端から見たらホンット馬鹿げた事でもねッ…低レベル過ぎるけどねッッ…』
和恵は頬杖をついて深いため息をついた…
『《お前らには負けんッッ!》目なんか血走っちゃってさッッ…マジ信じらんない…ッ、』
千佳はマニュキュアの爪にフッと息を吹きかけた…
>> 166
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昨夜の時点でもう歯磨き粉のチューブは押し出す指がつる程残り僅かとなっていた…
(とうとう来たッッ!決戦の時がッッ!)
真吉は布団から飛び起きると服に着替え大きな深呼吸をして洗面所に向かった…
(朝一番早く起きて歯を磨くのは妻の和恵…そして今日は娘千佳のクラブの朝練の日だ…つまり万を持して今からこのワシが最後にチューブから歯磨き粉を取り出すんだッッ!もしワシがチューブから歯磨き粉を押し出す事が出来れば…フフフ、もうチューブの中には鼻糞も残らないッッ…この日の為に敏夫の居酒屋で毎週血の滲むような練習をしてきたんだッッ、大丈夫…真吉、お前ならやれるッッ!お前が今日残りのチューブを全て跡形もなく絞り出し明日和恵か千佳が棚から真新しい歯磨き粉のチューブを出せばッッ…ワシは、ワシは完全勝利を納めるッッ!よしッッ!)
緊張した面持ちで真吉は洗面所の扉を開いた…
(!ッッ、……なッ、ど、どういう…一体これはどういう事だッッ!?)
洗面所の流し台で真吉が目の当たりにしたのはもう既に真っさらに変わっている歯磨きチューブだった!
『うッ、嘘だッッ、まだ…まだ残っていたはずッッ!誰だッッ!?』
>> 167
👄20👄
(な、何故新しい歯磨きチューブが…カハッ、…まだ、まだ中身は絞り出せたはずだ…アァ…)
余りのショックに真吉は流し台に蹲り頭を抱えた…
(し、信じられん…あの百戦錬磨の千佳や和恵ならいとも簡単にあれくらいの量は絞り出しているはずだ…ま、まさか本当に諦めたのかッ、諦めて負けを認めたとでも言うのかッッ!?だったら、だったらワシは一体…ワシの今までの努力は…カハッ、試合もせずに負けた…つまりそういう事なのかッッ!?)
頭の整理がつかないまま真吉は悲壮感漂う顔で鏡を見た…
『もうッ、さっきから何ブツブツ言ってるの?』
鏡の向こうから妻和恵が洗濯籠を抱えて現れた…
『どッ、何処だッッ!?どうしてお前達は勝負を投げたッッ!?ワシは…ワシは家族の為に命懸けだったんだぞッッ!分かるかッッ!?』
『はぁ?…何訳の分からない事言ってんの?早く会社行かないと遅れるわよッッ!』
和恵は洗濯機からパンパンと洗濯物を取り出し始めた…
(ワシ、ワシの…アァ…ワシの父親としての威厳ガァ…居場所ガァ…カハッ、)
真吉は真新しい歯磨きチューブをしばらく眺めて思い切り唇を噛み締めた…
>> 168
👄21👄
『おいコラ真吉ッッ…もうよせッッ!飲み過ぎだって…』
『う、うるへぇッッ、ワシは、ワシはなぁトシッ…ヒック…父親ろしれろなッ、ヒック…ウィ~い、い…グガァ~ッッ!』
その夜敏夫の居酒屋で真吉は泥酔していた…その日の朝の歯磨き事件を耳にタコが出来る程聞かされた敏夫は真吉の背中を摩ってため息をついた…
『仕方ないだろがッ…きっと奥さん達もお前の悲痛な叫びに共感して負けを認めたんじゃないのかッ?だったらそれでもういいだろ?』
『ちらうッ、それら違るのッッ…ヒック…アイツららワシを馬鹿りしれんのッッ!つまり父親を馬鹿りしれんろさッ、ヒック…』
余りの馬鹿馬鹿しい今回の一連の騒動に敏夫もどう対処していいものか解らなかった…ただ一つ言える事は真吉が家族から疎外され見放され父親としての居場所さえなく、何とかしなきゃと思い詰めていたという事だ…敏夫は酔った真吉を見て本当に家族思いの真吉を少し羨ましくも感じた…
『さッ、家帰ろうッ…立てるか?真吉…』
『かッ、帰ららいッ、ヒック…あんら家帰るろんかぁ~ッッ!どいつもこいつもみんなみ~んな馬鹿らろぅッッッッッ!』
>> 169
👄22👄
翌朝真吉は割れる程の頭痛で目覚めた…
『あれ?…ワシ敏夫の店で呑んで…ま、いっか…イテテ』
真吉はヨロヨロと台所に向かった…
『お早う、お父さんッッ!』
突然聞き慣れない言葉が真吉の耳に飛び込んで来た!
『お…おは…ようッて千佳…今お前…そぅ言った?』
『お早うお父さんッッ、さ、早く座って…ウフッ!』
そこには朝ご飯を待つ満面の笑顔の千佳と和恵が座っていた…
『な…何かしたか…ワシ?ハハハ…』
頭をかきながら恐る恐るテーブルに座ると真吉は再び二人を見た…
(わ、笑ってる…それも今まで見た事ないような笑顔で…こ、怖い…これは何の策略だぁ?)
『お父さん有難う…お父さんのあの努力は無駄じゃ無かったのよねッッ!』
ご飯をよそいながら和恵が笑った…
『お父さん…千佳、今まで散々酷い事言ってごめんね?』
(努力が無駄ではなかったぁ?…ま、まさかこの二人本当にワシの気持ち…解ってくれたのかッ、う、嘘みたい…奇跡だッッ!)
真吉は嬉しさの余り夢ではないかと頬をつねったが痛かった…どうやらこの有り得ない状況は現実らしい…
『で…いいよね?お父さんッッ!?ウフフ…』
千佳と和恵が真吉の顔を見た…
『?…な、何を?…だ?』
>> 170
👄最終章👄
『…で結局奥さんと千佳ちゃんで行く事になったのか、世界一周豪華客船ペアの旅…』
真吉は敏夫の居酒屋で酒を交わした…
『昨日なんて着て行く服どれにしようとかもうピーチクパーチク…ハァ~…おいトシッ、お前が余計な事すっからだぞッッ!』
『お、俺だってまさか冗談でさ、けど歯磨き粉の箱の応募券で世界一周が当選するとは夢にも…何せ空き箱100箱はあったからな…ま、どんな形であれお前の苦労が報われたんだから良かっただろ?』
『まぁ和恵と千佳の嬉しそうな顔見てるだけでそれはそれで…』
『けどさ、今はいいだろけど帰って来たらまた元の黙阿弥とか?二人に歯磨きチューブみたいにギュッと捻られっぞォ~!』
意地悪な敏夫の言葉に馬鹿野郎ッ!と真吉は笑った…
『けどワシ痛感した…父親ってのは威厳だけじゃなくただ黙って側で家族を見守る事も大事なんだなって…ま、結局あれだ!家族が健康であればどんな仕打ちにも耐えれるッ!例え自分のパンツを娘のと一緒に洗濯されなくてもなッ、アハハハ!』
敏夫は黙って微笑むと今日は臨時休業、飲むぞッッ!と言って表の暖簾を外した…
👄~チューブウォー~完
ビリケン様こんばんは!今回のも面白かったです😁いつも結末が意外なのがビックリ😲してます!また次回作楽しみにしてますね!夏なのでちょっと怖い話とかありましたらお願いしたいです😉厚かましくリクエストすみませんでした💦
>> 173
【④】~うしろのしょうめんだぁれ?~
🌙1🌙
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめがすっべった
うしろのしょうめんだぁれ?
『おい大輔ッ、よそうぜそんな事ッッ!もし本当だったらどうすんだよッッ!』
『何、びびってんだよ翔太ッ、だぁらそれをみんなで確かめに行くんだろッッ!お前男のくせに意気地がないなぁッ!』
『ホンット!私なんて女の子なのにほら、平気なんだよッ、ね~恵美ッ!』
小学5年生の安西翔太はクラスメートの江崎大輔ら数名と一緒に長い石段を息を切らせながら歩いていた…
『けど本当なのかな?あの祠(ほこら)の前でそれをしたらとんでもない事が起きるって…』
石段を昇りながらクラス一番のお喋り女子、勅使河原京子が興味深そうに大輔に尋ねた…
『さぁな…けど半年前隣街の中学生がそれを確かめる為にこの祠に昇って…』
『やだッ、それ以上言わないでッ!私オシッコちびるぅ~ッッ!』
草野恵美がおちゃらけながら怖がるフリをすると京子達は笑った…
『知らないぞ~興味本位だけでそんな事して…』
クラスメートの笑い声の中唯一翔太だけは一人不安にかられていた…
>> 174
🌙2🌙
『悪りい悪りいッッ、母ちゃんにお使い頼まれちゃってッッ!ハアッ、ハアッ…』
『遅いぞッ、弘の海ッッ!』
大輔ら四人が石段のてっぺんにようやく到着した頃、遅れて今夜の行事の最後の参加者でクラスメートの海川弘人が巨漢を震わせ汗だくで石段を駆け上がって来た…
『海川君まだ男子に相撲取りみたいなあだ名で呼ばれてんの?いつまでもそんな体で痩せないからよッッ!』
京子と恵美が眉間に皺を寄せながらケタケタと笑った…
『うるへぇ、ほっとけ!ハアッ、ハアッ…』
海川弘人のあだ名ははその巨漢から苗字の《海》を文字られて相撲取りの四股名のように《弘の海》と呼ばれていた…
『よし、これで全員揃ったッッ!後は夜明けの晩を待つだけだッッ!』
大輔は石段の最上段に腰掛けるとポケットの中にあったクシャクシャのメモ用紙を取り出した…それを見ていた後の四人が大輔の周りに集まった…
『何かドキドキすんねッッ!ククク…』
拳を口の前に当てながら京子がにやけ顔で笑った…
『お前ホンット好きだなぁ、こういう事ッッ…』
石段の頂上から見える真っ赤な太陽がもう間もなくビルの地平線沈み込もうとしていた…
>> 175
🌙3🌙
翔太、大輔、弘人、京子、恵美の5人は木々で生い茂る不気味な祠をじっと見つめた…
『何かやっぱ気味悪いよッッ、帰んない?』
『ね、ね、この祠は平安時代って時代に藤原家に仕えてた超偉いお坊さんが建てたんだって!私ネットで調べたんだッッ!』
草野恵美が翔太の言葉を無視するかのように眼鏡を指で押し上げ自慢げに言った…
『2組の藤原直也って男子いるじゃん、あの子も元を辿れば藤原家なんだって!』
すげぇ~じゃぁ子孫じゃん!輪の中に感嘆の声が上がった…
『んな事よりッッ、今から今晩の実行計画話すからお前らちゃんと聞けよッッ!』
大輔がメモをちらつかせ四人に俺に注目しろと言った…
『俺が極秘に入手した情報によると隣街の中学生が見たってのは服が真っ赤に血で染まった若い女のお化けだったらしい…この祠と石段のちょうどど真ん中、あの位置で《かごめかごめ》遊びをした時にそれは現れた…』
『血だらけの女のお化け…へぇ~』
『ちょっと大ちゃん、そんな稲川淳司みたいな声出さないでよッッ!』
怖がりの翔太が弘人の巨漢の影に隠れた…
『その中学生達も誰に聞いたのかこの祠の幽霊の噂を知って試したらしいんだ…したらッッ!だから俺達も…』
>> 176
🌙4🌙
『や…やっぱり僕帰るよッッ、』
余りの恐ろしさに翔太が鞄を担いで帰る支度を始めた…
『駄目だぞ翔太ッッ、この計画は5人でやらなきゃなんないのッッ!中学生が幽霊見た時も5人だった…だから俺達は時間も環境も全く同じ状況でやんなきゃ意味ないんだよッッ、今更止めるなんて言わせないぞッッ!』
そうだそうだ!と女子2人が追撃した…弘人が翔太の細い腕を掴んだ!
『や、やめろよッッ、は、離せよッ、弘の海ッッ!ヤダよ…僕こんなのやりたくないッッ!』
『何も起こらなきゃすぐに帰るからッッ、男でしょ安西ッッ!』
京子が鞄を翔太の背中から無理矢理外した…
『し、知らないぞ…ぼ、僕知らないからなッッ!』
帰る事を諦めた翔太はその場で不機嫌に胡座をかいた…
『やる事は簡単さッ…夜の11時50分になったら石段と祠のちょうど真ん中で俺達は《かごめかごめ》ごっこをする…あ、でだ…その時真ん中でしゃがんで目をつむる鬼は女子ッッ!だから勅使河原か草野のどちらかって事になる…』
『ハイハイ!私するッッ、真ん中で鬼になるぅ~ッッ!』
京子が勢いよく鬼に名乗り出た…
『後の四人は手を繋ぎ輪になって《かごめかごめ》を唄う…いい?』
弘人達は頷いた…
- << 179 🌙5🌙 太陽が完全に沈む頃、電灯のない祠の周りは言いようのない不気味な雰囲気に包まれていた… 『恵美ッ…親に何て言って出てきたの?』 『え?…京子んち泊まるって…』 『ヤダマジでッ!?どうしよう私も恵美ん家で朝迄勉強って言っちゃったよッッ?電話かけられたらマズイよねッッ!』 平気平気ッ、んなの何とでもならぁ!と晩御飯のアンパンをかじりながら江崎大輔は二人の女子に言った…秋も深まり虫の音色も淋しそうに5人の聴覚を揺らす… 『しっかしどしてこの場所で《かごめ》ごっこするだけでそんなお化けが現れるんだろな…あ、翔太、そのポテトいい?』 巨漢の海川弘人は家から持って来た翔太の顔ほどある握り飯を頬張りながら翔太の晩御飯に持ってきたフライドポテトを口に入れた… 『さぁな…聞いた話だと大昔この場所で誰かが殺されてその怨みの霊魂が現代にさ迷っているとかいないとか…』 シィ~ン… 一瞬5人の会話が止まった… パァァァァァァァン! 『!ッ、き、キャァァァァァァァッッ!』 『う、うわぁァァァァッッッ!』 『ハハハ、馬~鹿ッッ!俺が紙袋を破裂させただけだよッッ!お前らビビり過ぎ!』 海川弘人がケタケタと笑った…
>> 177
🌙4🌙
『や…やっぱり僕帰るよッッ、』
余りの恐ろしさに翔太が鞄を担いで帰る支度を始めた…
『駄目だぞ翔太ッッ、この計画は5人でやらな…
🌙5🌙
太陽が完全に沈む頃、電灯のない祠の周りは言いようのない不気味な雰囲気に包まれていた…
『恵美ッ…親に何て言って出てきたの?』
『え?…京子んち泊まるって…』
『ヤダマジでッ!?どうしよう私も恵美ん家で朝迄勉強って言っちゃったよッッ?電話かけられたらマズイよねッッ!』
平気平気ッ、んなの何とでもならぁ!と晩御飯のアンパンをかじりながら江崎大輔は二人の女子に言った…秋も深まり虫の音色も淋しそうに5人の聴覚を揺らす…
『しっかしどしてこの場所で《かごめ》ごっこするだけでそんなお化けが現れるんだろな…あ、翔太、そのポテトいい?』
巨漢の海川弘人は家から持って来た翔太の顔ほどある握り飯を頬張りながら翔太の晩御飯に持ってきたフライドポテトを口に入れた…
『さぁな…聞いた話だと大昔この場所で誰かが殺されてその怨みの霊魂が現代にさ迷っているとかいないとか…』
シィ~ン…
一瞬5人の会話が止まった…
パァァァァァァァン!
『!ッ、き、キャァァァァァァァッッ!』
『う、うわぁァァァァッッッ!』
『ハハハ、馬~鹿ッッ!俺が紙袋を破裂させただけだよッッ!お前らビビり過ぎ!』
海川弘人がケタケタと笑った…
>> 179
🌙6🌙
『なぁ大輔…本当にやるのか?…まだ間に合う、もうこんな事やめようよッッ!祟りがあるよッッ?』
コーラを飲みながら夜景を見る大輔に翔太が話しかけた…
『ハァ祟りぃ?翔太お前まさかそんな馬鹿みたいな事信じてんのかよッッ?いいか翔太、そもそもこの企画は臆病者でヘナチョコの安西翔太を男にすべく俺が色んな怪奇スポットを駆け回って仕入れて来た情報なんだぞッ!言わばこれはお前の臆病風を治す肝試しみたいなもんなんだぜッッ!俺に感謝しろよなッッ!』
『か、感謝って…取り返しつかない事になってからじゃ遅いんだよッッ、それに此処って完璧校区外だし親だってきっと心配してると思うし…』
大輔は翔太の頭をパシッと叩いた…
『あ、お前やっぱりんな事でビビってんのか?こらやはり一から鍛え直す必要があるな、うん…』
腕組みをし、ケタケタと笑いながら大輔は立ち小便をする為に暗い茂みの中に消えて行った…
(知らないぞ…マジでどうなっても僕、知らないからなッッ!)
翔太は振り向いてクラスメートを見た…弘人はまだ食べていた…恵美と京子は時間まで持って来た漫画を読んでいた…
(ハア~…このまま帰りたい…)
翔太は一人石段の最上段に腰掛けた…
>> 180
🌙7🌙
『ふぁ~…何か眠たくなってきた…』
『あ、寝ちゃ駄目だよ京子ッ、もうすぐだよッッほら起きといてッッ!』
虫の声しか届かない静寂の中5人の口数は次第に少なくなってきた…ザワザワと秋の夜風が楠の木の葉を揺らす…
『ねぇみんな…さっきから思ってたんだけどさ、誰も通らないね…ここ』
弘人がふと呟いた…長い石段を上がった大輔らがいる場所は祠しかない狭い広場だったが左右に普段なら人が通通過するであろう小道が続いている…
『そ、そりゃそうよッ、真っ昼間ならともかくこんな夜にこんな古びた祠にお参りする人なんている訳なくない?』
恵美が少し震えた声で自分に言い聞かすように答えた…
『江崎君、今何時?』
『え~と…11時15分…あともう少し…』
大輔はみんなに見せ付けるように少し大袈裟に最近弁護士の父親に買ってもらった最新型の防水仕様の腕時計を見た…
『何か寒い…恵美ッ、膝掛けある?』
用意周到な恵美が京子に膝掛けを渡した…夜が深まり次第に虫の音色も薄くなりつつあった…
『なぁ弘の海ッ…何か喋れよッ、退屈じゃん…』
『な、何かって…こんな淋しい場所で何話すのさ…』
不気味な程に綺麗に輝く三日月がゆっくり雲に隠れていった…
>> 181
🌙8🌙
時計の針が11時30分を指す頃だった…怖さの余りずっと神経を尖らせていた翔太が突然跳び起きた!
『!ッ、ち…ちょっとみんなッッ、だ、誰かッ、誰かこっちに来るッッ!』
普段こんな時間まで起きる事のない大輔達は知らない間に居眠りをしてしまっていたが翔太の鬼気迫る声に一同一斉に跳び起きた!
『んだよッ、デカい声出すなよ翔太ッッ!』
『ファ~…あ、寝ちゃってたんだ私…』
『誰か来るッ、左側の小道から誰かこっちにッッ!アワワ…』
起きた四人は眠い目を擦りながら翔太の言うその真っ暗闇の小道の方を凝視した
…シャリ…シャリ…
確かに乾いた落ち葉を踏み締める音が大輔達にもはっきり聞こえた…
シャリ…シャリ…ジャリ…
『も、もしかしてもう出たのか?ゆ、幽霊…』
『馬~鹿ッッ、地元の人か何かでしょ?健康作りに夜の散歩とか…よくある事だわッ…』
弘人に思わず腕をしがみつかれて京子はやめてよッッ!と不愉快そうに拒絶した…
シャリ…シャリ…
(ゴクリ……)
暗闇の黒い部分が脚の方から次第に全体を見せ始めた…
『何をしてる…こんな夜中に…』
大輔達の前に現れたのはごく普通の何処にでもいる老婆だった…
『見て…あ、脚…あるよちゃんと…ハハハ』
>> 182
🌙9🌙
『こんな場所で何をしとると聞いている…答えんかッッ!』
老婆はホリの深い整った顔つきで脚が悪いのか右手に樫の杖をつき服装は幽霊独特の着物等の和装ではなくごく普通の有り触れた洋装だった…幽霊ではない事が解ると大輔達は一同ゆっくりため息をついた…
『あ…そのぅ、実は…』
京子が此処に来た訳を話そうとした時リーダーの江崎大輔が口を挟んだ…
『じ、自由研究です…星座のッ!』
『自由研究…じゃとぉ?』
老婆は猜疑心いっぱいの眼差しで順番に品定めするかのように大輔達を見つめた…
『そう…秋の星座の観察ですッッ…』
『小学生が…』
『は、はい…』
『5人だけでか…?』
大輔は言葉に詰まった…
『…さぁ今すぐ帰れッッ!』
老婆はこの場所から追い払うように大輔達に執拗に帰れと忠告した…
『か、帰ろっか…ハハハ、ね?京子…』
恵美が急に弱気になり京子に促した…
『そ、そうだよッ、帰ろッッ!みんな帰ろうよッッ!』
その時翔太が待ってましたとばかりに全員の鞄を担いだ…弘人も京子も半ば緊張感に水を差されたようにため息をつくと帰り支度を始めたが江崎大輔だけは老婆に一歩も引かない様子でじっと睨み付けていた…
>> 183
🌙10🌙
『どうして意味もなくこの場所から帰らなきゃならないんですかッッ!?俺達がいちゃ何かまずい事でもあるんですかッッ!?』
『!ッッ、な…何ぃ?』
帰り支度をした翔太達四人は思わず足を止めた…
『ば、馬鹿やめろよ大輔ッッ、帰るぞほらッッ!』
『…こんな夜中に小学生だけでこんな淋しい場所にいる事自体非常識だと言っておるんじゃ…親切心で言ってやったつもりじゃが何か不満か?…』
老婆は不服そうに杖をつくとそばの大きな岩に腰掛けた…
『お婆さん…誰?』
弁護士を父に持つ江崎大輔は人一倍好奇心が旺盛で一つ気になるととことんまで追求しないといられない性格のようだ…
『誰でもない…ただの地域の自治会の見回りじゃ…最近物騒な輩が多いからな…こんな年寄りでも駆り出されるんじゃ…さ、分かったら帰れッ、親が心配しとる…』
翔太が大輔の服の袖を引っ張ったが大輔はそれをまた振りほどいた…
『地域の見回りなんて嘘でしょ?…』
『おい大輔ッッ、行こうよッッ!』
大輔は老婆の前に立つとじっと老婆を見た…
『…お婆さん…この祠の伝説何か知ってるんでしょッッ!?隠したって俺解るよッッ…ダテに弁護士の息子じゃない…』
老婆の顔色が豹変した!
>> 184
🌙11🌙
『えぇい、人が下手に出ておれば付け上がりよってッッ、つべこべ言わずさっさとこの場から立ち去れぃッッ!ここは神聖な祠じゃ、小学生の来る場所ではないッッ!』
さっきまで穏やかに話していた老婆が突然狂ったように怒鳴り出した…大輔は言い返す事はせずただ老婆を睨み付けると突然踵を返し翔太らが待つ石段に向かって歩き出した…
『そうだ、そうだよ大輔ッ…帰ろッッ?』
5人は諦めの後ろ姿でゆっくり石段を降りて行った…
『何か気味悪かったよな、あのお婆さん…ハハハ、まぁでもよかったよかった…』
極度の緊張感から解かれたのか急に翔太の口数が増え出した…
『…帰らないぞッッ…』
『!ッッ…え?』
大輔は石段の途中で突然足を止めた…
『か、帰らないってどういう事?』
京子と恵美が大輔を見た…
『お前らこんな中途半端なままでいいのか?真相を確かめたいとは思わないかッッ?』
『た…確かに何か中途半端…』
京子と恵美が呟いた…
『あぁ…何か消化不良の揚げ物みたくこの胃の辺りで…』
弘人が苦い顔をした…
『な?だろッッ!?此処まで来たんだ…みんな最後までやろうよッッ!』
再び四人の好奇心に火が着いた…翔太は一人肩を落とした…
>> 185
🌙12🌙
数十分待機した後大輔達は元の道を引き返した…
『おい弘の海…いるか?』
『い、いや…居ない、さっきのお婆さんはもう居ないぞ大輔ッッ!』
石段の下から恐る恐る祠を覗き込んだ弘人は大輔にそう伝えた…
『よし、行こうみんなッッ!』
5人の小学生は再び祠の広場に集結した…
『予定時間は少し過ぎたけどさっさとやっちまおうよッ、またお婆さんに邪魔されたくないからなッッ!』
『そだねッ…よしやろッッ!』
『いよいよカァ~…』
雲の中から真っ黄色の三日月が顔を出した…
『ねぇみんな…本当にやるの?』
『翔太…この期に及んでまだんな事言ってんのかよッッ、ほら手ッッ、手繋げよッッ!』
大輔の右手が翔太の左手に繋がれた…
『じゃぁ私は鬼だから真ん中ッッ!しゃがんで目をつむればいいのねッッ?』
勅使河原京子が跳ねるように円の真ん中にしゃがみ込んだ…弘人と恵美も互いに手を繋ぎ準備は全て完了した…
『フゥ~…じゃあみんな…覚悟はいいな?何が起きても気をしっかりなッッ!』
『うんッッ!オッケー!』
『旨いモン出してくれる幽霊だといいなぁ~』
(知らない~もう知らないからぁ~ッッ!)
一同はゆっくり深呼吸をした!
『さんはいッッッッッッ!』
>> 186
🌙13🌙
♪かごめかごめかごのなかのとりはいついつでやるよあけのばんにつるとかめがすべったうしろのしょうめんだぁれ?
『!ッッ……………』
『カハッ………ハァッ、ハァッ、ハァッ…』
『………ど、どうなった?誰か…誰か目を開けてよォ~ッッ!』
『あ…開けらんないよ~怖くてとても開けらんない~ッッ!ハァッ、ハァッ…』
大輔達5人の《かごめかごめ》が終わった…歌い終わった後でも5人は暫く恐怖の余り目を開く事が出来なかった…生暖かい風が5人の身体の隙間を通過した…
『なぁみんなでイッセ~ノ~で!で開けようよッッ、行くよッッ…イッセ~ノ~ッッッ!』
恵美の号令で大輔達はゆっくり目を開いて辺りを見回した!
『ッッ!………』
『………ゆ、幽霊は?』
『…い…居ない…みたい…ハァ~良かったァ~』
翔太は安堵の表情を浮かべ脱力してその場所にへたり込んだ…弘人や恵美もなぁ~んだ!という顔をして笑った…
『大輔…どうやら迷信だったみたいだねッッ!』
『ハァ~どうやらこの怪奇スポットもガセネタみたいだった…』
大輔はまだ俯いてしゃがむ京子の肩を叩いた…
『もういいぜ勅使河原ッッ、何にも起こらなかった…ハハハ…ハ…ッッッ!て、勅使河原ッッッ!?』
>> 187
🌙14🌙
『!ッッ、うッ、ウギャァァァァァァッッッッ!』
大輔の悲鳴に翔太らは振り向いた!
『てッ、てッ、勅使河原がぁッッッ!』
大輔は腰を抜かしたまま翔太達に京子を見ろと指差した!
『え…や…ヤァァァァァッッッッッ!』
『うッ、な、ななななッッ…!』
次の瞬間翔太達が見た物はとんでもない光景だった!
『いッ…いだい…お腹ッッ、お腹がァァッッッッ、だ、助げでえ、恵美ィィィィィッッッ!』
何と蹲る京子のお腹付近からおびただしい量の鮮血が流れ出しているではないかッッ!
『だ…誰ガァ…グブッ…だ…だず…』
『き、京子ォォォォッッッ!』
恵美は地面で血だらけになりのたうち回る親友を抱き抱える事も出来ずただ泣き叫ぶだけだった!
『なッ何でッッ!?と、とにかく血をッ、血を止めなきゃッッ!』
翔太は鞄のある方向に走ると中からタオルを取り出した!とその時翔太の手首を生暖かい感触が伝わった!《返シテ~ッッ!私ノ赤チャン…返セェェェェェェッッッッ!》
『うッ、ウワァァァァァッッッッ!』
その瞬間翔太が見た物は全身血だらけのお腹に子を身篭った眼球が飛び出た若い女性だった!
『あ…ハガッッッ、ギャァァァァァァッッッッ!』
>> 188
🌙15🌙
《私ガ一体何ヲシタ…返セェッ、私ノ赤チャンヲ返シナサイッッ、ウガァァァァァァァァッッッッ!》
血だらけの女は今度は弘人と恵美の方に真っ直ぐ向かって来た!
『くッ、くるッ、来るナァッッッ!』
『いッ、イヤァァァァァッッッ!』
次の瞬間はずみで恵美と弘人は脚を踏み外し石段から転がり落ちた!
『弘の海ッッ!草野ッッ!』
《オ前カァ…オ前ガコノ私ヲ…許サナイ…ガァァッッッッッッ!》
女はフワリと向きを変え更に大輔と翔太に襲い掛かった!
『!ッッ、う、うわァァッ、に、逃げろ翔太ッッ!』
『うわ、わわわ、く、来るなッ、こっちに来るナァァァァッッッッッ!』
大輔は無心で女を払い退けた!
『あッ、危ない大輔ッッッッ!』
崖から落ちそうになる大輔の身体を翔太は必死になって引き寄せた!
《オ前カァ~…返セェェェッッッ、赤チャンヲ返セェェッッッ!》
大輔の身体をかばった翔太は大輔を抱き抱えたままそのまま崖から転がり落ちた!
ズザザザザッッッッッ!
何本もの木の枝が二人に当たり続けた後身体は大きな大木に激突すると二人はそのまま意識を失った…
>> 189
🌙16🌙
…翔太ッッ!おい起きろ翔太ッ、翔太ッッ!
安西翔太がゆっくり瞼を開けるとそこは見慣れない病院の病室だった…
『気がついたかッ…翔太ッッ!』
翔太が頭を声のする方向に向けるとそこには頭から包帯をグルグル巻きにされた江崎大輔が笑顔で横たわっていた…
『あ…ぼ、僕…』
『俺達地元の消防隊に助けられたみたい…』
翔太は辺りを見回した…
『あ、後の3人はッッ!?』
翔太が弘人達の安否を確認しようとした時病室の扉が開き何とそこにはあの老婆が樫の杖をつき立っていた…
『残りの子達も骨折は酷かったけど何とか一命は取り留めたよッッ!あの京子って子も大事には至らなかった…フフフ』
『!ッッ、お、お婆さんッッ!何で此処に?』
『だから言っただろ!アタイはただの自治会の見回り婆さんだって!まさか幽霊の手下か何かにでも思ってたのかい!メデタイね~ホントにしょうがない馬鹿小学生だよッたく!』
老婆は入れ歯が落ちそうな位に高笑いすると大輔と翔太は目を丸くして互いに顔を見合わせた…
『ま…とにかく助かったんだよな俺達…』
『みたい…だね…アハハ…』
病室の窓から見える鰯雲が冬の訪れを告げる晩秋の肌寒い日だった…
>> 190
🌙17🌙
病室の外の廊下で大輔と翔太の両親が消防団の人に丁寧に頭を下げる光景を見ながら大輔と翔太は今回の事の重大さに改めて恐縮した…
『アンタ達…あの唄には哀しい真実があるのを知ってたかい?』
『あの唄って《かごめかごめ》の事?』
老婆が二人のベットを挟んで林檎の皮を剥いていた…翔太は老婆にどうしてその唄を歌った事を知っているのか問いただしたかったが寸での所で止めておいた…
『あの唄はね…平安時代の貴族の愛人がね、本妻の策略で無念の死を遂げ愛する子供を身篭りながら死んでいった哀しい哀しい女の復讐の念が入った悲哀に満ちた唄なんだよ…』
『復讐…そうなんだ…何か凄く楽しそうな唄だと子供ん時はよく遊んだけど…』
老婆は大輔の言葉を聞くや否や窓の外をじっと眺めた…
『アタイは毎日供養しにあの祠に行くのさ…産まれてくるはずだった赤ちゃんが履く布のオムツを供えにね…フフフ』
大輔と翔太は自分達のした事に心底後悔していた…
『ねぇお婆さんッッ、俺達退院したらあの祠にお線香あげに行ってもいいかな?』
『…そうかい有難うね…二人も喜ぶよ…フフフ』
老婆は爪楊枝に切った林檎を突き刺すと笑顔で二人に差し出した…
>> 192
【⑤】~光の愛里~
🐬1🐬
《私の夢:5年3組水野愛里…私の将来の夢はイルカさんのサーカスのお姉さんになる事です…なぜなら愛里はイルカさんがとぉっても大好きだからです…イルカさんはいつも愛里に話しかけてくれます……【愛里はもう一人なんかじゃないよ…】って…》
🐬🐬🐬
沖縄県本土から南西へ約3㌔程行った場所に与深那郡南錦島(みなみにしきじま)がある…その小さな島のほぼ中央に総合海洋生物水族館《南錦マリンワールド》が存在する…そこは温暖な気候と太平洋に生息する珍しい数々の海洋生物が見られるとあって沖縄本土のみならず日本全国から観光客が訪れる日本随一の水族館であった…
♪本日は南錦マリンワールドへお越し下さいまして有難うございます…間もなく水上特設ステージにて可愛い夫婦アシカの【太郎】と【花子】のショーが開催されます…♪
『…あぁ、今日はセイウチの順子が体調悪いからセイウチの餌付けショーは中止、そうさっき言っただろ?』
耳からかかったピンマイクに話しかけながら鳥羽浩輝はトランシーバー片手に場内の警備に当たっていた…
『ん?…館長が呼んでるって?分かった、すぐ行く…』
浩輝はマリンワールド事務所へ走った…
>> 193
🐬2🐬
『いやぁ~忙しいのにわざわざ悪いね~鳥羽君ッッ!』
『…いえ、でお話は何でしょうか?』
事務所の奥にある館長室でこの施設の責任者である五十嵐諭吉が浩輝を出迎えた…
『まぁ座りなさい…』
諭吉は不器用に麦茶を入れて浩輝の前に置いた…
『実はな…トレーナーの野本君が産休に入る事になってな…』
『さ、産休って…こないだ野本に聞いたらあと数カ月は大丈夫だって…』
浩輝は困り顔で頭をかいた…
『その予定だったんだがこの前の定期検診で急に母胎に異常が見られてな、来月から急遽休みを取りたいと…』
諭吉は机の上にあるこの水族館のマスコットキャラクターのゴンドウイルカの模型の頭を撫でた…
『そうですか…そりゃ身体の事だし大事を取らないといけませんね…』
『…となるとだッ、野本君に頼りきりだった来月からのアシカとイルカのステージショーの代役…という事になるのだが…』
諭吉は腕組みをして椅子にもたれかかった…
『数日なら私が代役を勤めれますが何カ月ともなると…』
『も、無論鳥羽君にはそんな事頼めん…何せ君はこのマリンワールドの統括責任者だからな…』
暫くの沈黙の後、浩輝は諭吉に話しかけた…
『代役…水野では無理でしょうか?』
>> 194
🐬3🐬
『…愛里かぁ…うむ…』
諭吉は下唇を噛んだ…浩輝には明らかに困った顔つきに見えた…
『水野なら野本のもとでもう3年もサブトレーナーとしてショーに携わって来ました、そろそろ…』
『確かにそれはワシも考えた…』
諭吉は一度目を閉じて意を決したようにゆっくり浩輝を見た…
『鳥羽君には隠しておったんだが実は前に一度だけ愛里にショーの代役を頼んだ事があってな』
『え?…それ本当ですかッッ!?』
浩輝は思わず身を乗り出した…
『…結果は最悪だった…』
『最悪…って…』
『君も知っての通りイルカショーはイルカの華麗なアクションを披露するのみならず調教師が観客に向かってリップサービスをする場でもある…ワシらは愛里がショーで言葉を出さんでいいように事前にテープでショーの時に喋る言葉を吹き込んで流すつもりだった…』
『つまり…水野は口パクでショーを進行…そういう事ですか?』
諭吉は頷いた…
『しかしショーの途中でテープのトラブルが起きテープはその場でプツリと途切れてしまった、突然の出来事に愛里は言葉も出せずただその場で立ち尽くしているしかなかった…』
浩輝は俯いて両手を組み静かに諭吉の話を聞いていた…
>> 195
🐬4🐬
『観客は当然愛里の障害の事など知らない…《何やってんだッ!早く再開しろよッッ!》《お金払ってんのよッッ、続けなさいよッ!》《おい何か喋れよネェちゃん!》《いきなりショーやめて謝罪の言葉とかないのかよッッ!》突然のショーのストップに観客は愛里に向かって一斉に物凄い非難や罵声を浴びせたんだ…たまりかねた愛里は余りのショックと動揺で涙を流しその場からショーを放棄するように控室に逃げ込んでしまい、とうとうそこから半日も出てこんかった…』
麦茶の水滴がコップの底に溜まっていた…
『…そうでしたか…そんな辛い事が…』
浩輝は言葉が出なかった…
『ワシがいけなかったんだ…人手が足りないという理由だけで重度の障害を持つ愛里にそんな小細工までしてショーの進行を任せよう等と…その事件が原因で愛里が前よりもっとふさぎ込むようになったのも全部ワシの、ワシの責任なんじゃて…』
『館長…そう自分を責めないで下さいッッ…』
浩輝はフッとため息をついた…
『大丈夫です館長、俺が何とかしますから…館長は心配なさらないで下さい…』
浩輝は一礼をすると事務所を後にした…
(愛里のバカヤロウ…どしてそんな事真っ先に俺に話さないんだッッ…)
>> 196
🐬5🐬
《はぁ~いお次は太郎君得意のボール乗せですッ、うまく鼻の上にボールが乗れば皆様拍手をお願いしまぁ~すッッ!》
楕円形のドーム型をしたイルカとアシカの特設ステージでは超満員の観客が見守る中、今まさにアシカのショーが進行されていた…アシカの太郎は器用にボールを回す姿に観客は一斉に拍手を送った…
《え?何だって太郎…今日のお客さんは美人が多いからいつもより余計に回してるだってッ!?あらら…そんな事言うからほら、花子が怒ってどっか行っちゃったじゃないッッ!》
観客がトレーナー野本の軽快なMCにドッと笑った…トレーナー野本のショーは大人気で最近では本土から何度も足を運ぶリピーターも出る程の盛況ぶりだった…その華やかな舞台の袖に水野愛里はいた…ショー開始の切符切りから観客の誘導、アシカが使用する輪投げの輪やボールの準備、スムーズにショーを進行させる言わば影の裏方的存在だ…
《ではそろそろ皆様とお別れの時間となりました!この後も太陽と常夏の楽園、ここ南錦マリンワールドでお楽しみ下さいませッッ!バイバイ!》
野本とアシカ夫婦が手を振ると場内一斉に割れんばかりの拍手喝采が起こった…
>> 197
🐬6🐬
沖縄特有の乾いた季節風と潮の香りが夕方のプールに漂っていた…仕事を終え、屋外に設置されたイルカ調教用のプールで浩輝は一人胡座をかいて揺れる水面を眺めていた…プールの中では今イルカショーで活躍している二頭のゴンドウイルカ、雄の《ドリー》と雌の《ナナ》が並んで気持ちよさそうに泳いでいる…浩輝は仲良さ気に泳ぐ二頭のイルカに声をかけた…
『…チッ、お前らもう俺の事忘れちまったのか?野本が来る前は俺と散々一緒にショーの舞台に立ってたのにさッッ!』
元は浩輝もイルカの調教師だったが管理職に昇進してからというもの、この二頭のイルカと触れ合う機会が無くなっていた…
『忘レテナイヨ…浩輝ノ事ハ…』
突然浩輝の背後から声がして振り向くとそこに両手に餌のバケツを持ったウェットスーツ姿の水野愛里が立っていた…
『あ、愛里…』
『浩輝ノ名前出スダケデ反応スルヨ…コノ子タチ…』
水野愛里はゆっくりプールサイドに近付くと餌の鰯をそっとプールに沈めた…ドリーとナナはそれを争うようにバシャバシャと食べ始めた…
『愛里お前またウェットスーツ着てる…入っちゃ駄目だぞッッ!水ん中…』
愛里は黙って水面を見ていた…
>> 198
🐬7🐬
『…どうだ、最近元気か?』
何を話し出せばいいのか躊躇した浩輝は意味のない質問をぶつけた…
『…野本先輩…トウトウ産休ニ入ッチャウンダヨネ…』
『知ってたのか…それ』
浩輝はチラッとイルカに餌をやる愛里の横顔を見た…
『ショーノ代役…誰カ捜サナイトネ…浩輝モ大変ダネ…』
愛里はまるで自分とは無関係なように素っ気なく浩輝に呟いた…さっき館長の五十嵐諭吉に愛里の代役の事件を聞かされたばかりの浩輝にはお前が代わりにやれ!とは到底言い出せるはずもなかった…
『愛里お前…今でもドリー達の調教してるんだろ?』
『……ダッタラ?』
『だったらって…つまりまだ夢、諦めちゃいないんだよな?イルカのサーカスのお姉さんになるって夢…だから愛里はこのマリンワールドに就職したんだよな?そうだよな?』
浩輝は愛里のやる気を奮起させようと必死に問い掛けた…
『ネェ浩輝…愛里ネ…』
『!…ん?何だ?』
愛里はイルカ達に餌をやり終えるとバケツを逆さに椅子に腰掛けた…
『愛里…コノ仕事辞メヨウカト思ウ…』
突然の言葉に浩輝は動揺した…
『や、やめるって愛里お前ッッ、う、嘘だろッッ!?』
>> 199
🐬8🐬
アメリカ米軍の訓練施設があるせいか島から南に少し離れた場所にある軽快なカリビアンのスチームドラムの生演奏が売りのカリビアンバー《VAHAMA》には今日も多くの在日米軍の人々が酒を酌み交わしに訪れていた…
『よぉ浩輝ッ、久しぶりだな…』
浩輝の高校の先輩で顔全体が猿のように髭もじゃで濠の深い顔立ちのここのバーのマスター、具志堅三郎がカウンターに座る浩輝に声をかけた…
『ん?…こちらは?』
浩輝の横に座る愛里を見て三郎はお前の彼女か?と問いただした…
『ち、違いますよッッ、幼ななじみっすよッッ!錦小からのッッ…』
照れんな照れんなと半分酔いのまわった三郎は泡盛のグラスを持ったまま奥の常連らしい黒人のグループの方に消えて行った…
『ッたくしょうがねぇなぁサブ兄は…』
浩輝はさっきから一口もグラスに口を付けない愛里を見た…
『き、嫌いだったかカクテル?…ビールとかの方がよかったか?…』
愛里はうぅん!と首を横に振った…
『しかしこうして愛里と酒飲みに来るのもいつ以来かな…ハハハ…』
『………』
愛里は浩輝の言葉に反応する事なくただじっとカシスオレンジのカクテルの泡を見ていた…
- << 201 🐬9🐬 『いい店だろここッ…昔からよく来るんだ…さっきのマスターが俺の高校ん時の…』 『……』 『フゥ~…んな話どうでもいいよなッ、ハハハ…』 愛里の心痛な面持ちを悟り浩輝は一度咳ばらいし座り直した… 『で、どうして辞めたいんだ?この仕事…あんなに頑張ってんじゃないか…』 『……』 マスターの三郎が浩輝達のテーブルにウィンクしてさりげなくピスタチオのおつまみを置いた…サービスしとくよ!という視線だ…愛里は周りに人がいなくなった事を確認するとゆっくり浩輝だけに唇を開いた… 『《ドリー》ト《ナナ》ガ愛里ノ言ウ事聞カナクナッタ…』 『言う事を聞かなくなったぁ?それどういう事?』 『訓練中愛里ノ言ッテル言葉ガ判ラナクナッテキテル…愛里ノ指示スル通リニ動イテクレナイノ…』 『…言葉が判らない…つまり…』 浩輝はビールを飲み干した… 『トレーナーの発する言葉の発声や発音が定まらずイルカ達が演技に集中出来ず混乱している…って事?』 イルカの調教師にとりイルカに的確な指示が送れないという事はつまりイルカの調教師として華やかなショーには立てない事を意味する… 『愛里覚悟シテタノ…イツカコンナ日ガ来ル事…』 浩輝はピスタチオの殻を指で割った…
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