💀ビリケン昭和の短編小説📓
前スレ
🎈手軽に読める短編小説~に引き続き、ビリケン昭和💀の短編小説始まります🎊
笑いあり涙ありシリアスありのテンコ盛り‼貴方も是非📓短編小説の虜になって下さいね💕お便り感想もどしどしお待ちしています💦
さぁて…最初のお話は…👂✨
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『いい店だろここッ…昔からよく来るんだ…さっきのマスターが俺の高校ん時の…』
『……』
『フゥ~…んな話どうでもいいよなッ、ハハハ…』
愛里の心痛な面持ちを悟り浩輝は一度咳ばらいし座り直した…
『で、どうして辞めたいんだ?この仕事…あんなに頑張ってんじゃないか…』
『……』
マスターの三郎が浩輝達のテーブルにウィンクしてさりげなくピスタチオのおつまみを置いた…サービスしとくよ!という視線だ…愛里は周りに人がいなくなった事を確認するとゆっくり浩輝だけに唇を開いた…
『《ドリー》ト《ナナ》ガ愛里ノ言ウ事聞カナクナッタ…』
『言う事を聞かなくなったぁ?それどういう事?』
『訓練中愛里ノ言ッテル言葉ガ判ラナクナッテキテル…愛里ノ指示スル通リニ動イテクレナイノ…』
『…言葉が判らない…つまり…』
浩輝はビールを飲み干した…
『トレーナーの発する言葉の発声や発音が定まらずイルカ達が演技に集中出来ず混乱している…って事?』
イルカの調教師にとりイルカに的確な指示が送れないという事はつまりイルカの調教師として華やかなショーには立てない事を意味する…
『愛里覚悟シテタノ…イツカコンナ日ガ来ル事…』
浩輝はピスタチオの殻を指で割った…
>> 201
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浩輝は何年か前に愛里の障害の事で相談に訪れた本土にある沖縄県立海洋生物研究センターの海洋生物学博士でイルカの事に詳しい石井教授の話を思い出していた…
【周知の通りイルカという動物はとても繊細で賢い哺乳類です…よって訓練を受けて仲良くなった人間の話す言葉の意味を瞬時に理解し行動に移す事が可能です…そこからイルカと調教した人間の間に絶大な信頼関係が生まれる訳です…しかし重度の先天性中枢性難聴を持病に持つ愛里ちゃんの場合一定の声を発声出来る健常者のトレーナーとは異なり、どうしても彼女の発声する声の質や大きさに微妙な違いが現れる…繊細なイルカは水中でそれを感知出来ないかもしれません…結論から言うと今はいいかもしれませんが病状が進行してくるとイルカと言葉で対話して指示するこのイルカの調教師という仕事は愛里ちゃんには向いていないかもしれません…諦めさせるなら早い方がいいでしょう…本人が傷付かないうちに何か別の道を探してあげてはどうでしょうか?…】
教授の言ったあの時の言葉が今浩輝の脳裏をかすめた…
(そ、それってイルカの調教師にとって致命的な事じゃないかッ…!)
>> 202
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『愛里お前少しうまくいかなかったからって…子供の頃からの夢そんな簡単に諦めんのかよッ!』
『浩輝…世ノ中イクラ努力シテモ叶ワナイ事ダッテアルヨ…』
愛里は俯きがちでまだ口をつけていないカクテルグラスの淵をそっと撫でた…
『今日五十嵐館長…いや、愛里のお祖父さんから聞いたよ…以前ステージで野次られたんだって?』
『……』
『そ…、ん~な事位で落ち込むなよッ、』
浩輝は苦笑いしながら愛里の肩を叩いた…
『…ソンナ事クライ…』
『…え?…』
愛里が浩輝をやりきれない顔で見つめた…
『ソンナ事クライッテ…ハァ~ダヨネ…何モカモ元気ナ身体ノ浩輝ニハソンナ事クライニシカ思ワナイヨネ…』
愛里は少し声をあらげた…近くにいた白人の客が愛里のその低い男性のような声に一瞬呆気に取られたような顔をした…
『い、いや俺はそんなつもりで言ったんじゃ…』
『イイヨッッ!言イ訳シナクテモッッ!浩輝ダッテドウセ愛里ヲソウイウ目デシカ見テナインダッッ!哀レナ耳ノ悪イ聾唖ノ障害者トシテシカッッ!』
愛里は立ち上がった拍子に椅子が倒れた!鞄を持ち帰ろうとする愛里を浩輝は慌てて引き止めた…
『落ち着けよ愛里ッッ、』
『イヤッ、触ンナイデッッ』
>> 203
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『愛里ダッテ…愛里ダッテ浩輝ヤ野本先輩ミタイニ何不自由ナク生マレテキタカッタヨッッ!コンナ牛カエルガ潰サレタヨウナ酷イ声ミンナ気味悪ガッテ誰モ近付イテモクレナイジャナイッッ!浩輝ニハコンナ身体ニ生マレタ愛里ノ気持チナンテ解ラナイッッッ、死ンデモ理解出来ナイヨッッッ!』
『あ、あのな愛里ッ、俺はお前の事一度だって気持ち悪いなんて思った事なんて…』
愛里は離してッッ!と浩輝が掴む腕を必死に振りほどこうとした!
グァギィィィッッッ!
愛里のやり場のない苛立ちと悲痛な叫びはその可憐な容姿からはとても想像出来ない鳴咽にも似たまるで猫が発情期に発するあの物凄い叫び声のようだった…
『落ち着けッ、とにかく落ち着けって愛里ッッ!』
『コンナ障害抱エテテ、イルカノ調教師ナンカニナレル訳ナイジャナイッッ!ミンナ気休メバッカ言ワナイデヨッ、ウワァァァァァッッッッッ!』
カウンターのグラスが割れて破片が飛び散った!慌ててマスターである三郎も愛里の身体を押さえて必死に落ち着かせようとした…
『ハァッ、ハァッ、ハァッ…お、落ち着いたか愛里ッッ、三郎先輩お騒がせしてすみませんでしたッ…』
>> 204
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『…そうか…愛里の奴取り乱しよったか…』
『すみません館長、任せておいて下さいと言っておきながらこのザマで…』
大型連休も過ぎ、マリンワールド内も翌日から少し客足が落ち着いた…浩輝は水族館入口の巨大水槽の前で昨日愛里にあった事を館長でもあり愛里の祖父でもある五十嵐諭吉に話した…
『…やはり急遽応援を呼び寄せた方がいいかのぅ…』
『トレーナーの代役の件ですか…そうですね…』
諭吉はカタカタと入れ歯を鳴らしながら虚ろな目で水槽のジンベイザメの泳ぎを眺めていた…浩輝は小学生からの幼なじみとしてどうしても愛里の力になってやりたかった…しかし健常者として障害者に真正面から向かい合う事に何処か言い知れぬ動揺も隠しきれなかった…
『…愛里を何とかしてやらねば…鳥羽君お前そう思っとるな?』
『あ…え、…はい…』
諭吉は今度は水槽の下にいるマンタの子供に視線を移すと苦笑いした…
『夢を諦めさせた方が…それもこれ以上傷を広げさせない選択肢なのかも知れんな…フフフ…』
諭吉はため息をつくとこれから来客があるからと事務所に帰っていった…浩輝は大きな深呼吸をすると目を閉じた…
(別の生きる道カァ…)
>> 205
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数日経っても産休後の野本の後のイルカショーのステージに立つ調教師は見つからなかった…マリンワールドには何人かの調教師はいたが皆アシカやセイウチの調教経験があるだけで野本並みにイルカの調教をこなせる者はサブトレーナーの愛里の他には居なかった…浩輝は他の雑務もこなしながら頭の隅にはいつもイルカショーの事が抜けなかった…
『……ん?』
来週から始まるペンギンパレードの企画会議を終え館内を見回っている時、浩輝の目に飛び込んできたのは清掃員用の作業服を着て館内のゴミ箱のゴミ袋を入れ替える作業をしているあの愛里だった…
(ッと待てよッ…アイツ…ッ!)
浩輝は慌てて愛里に近付いた…
『お、おい愛里ッ、お前こんな所で何してんだッ、何で清掃員の仕事してるッッ?《ドリー》と《ナナ》の調教はしないのかッッ?』
愛里は青の作業帽子を目深に被り、まるで誰も私なんかに話しかけてくれるなッッ!という雰囲気を醸し出し黙ってゴミ袋を交換して回っていた…
『何とか言えよ愛里ッッ!』
『…調教ツケテモ一緒ダヨ…アノコ達愛里ノ言ウ事判ラナイ…聞イテクレナインダカラッッ!』
愛里はぶっきらぼうに返した…
>> 206
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『…愛里、お前それで本当に満足なのか?』
『…満足ダヨッ!…清掃員ハイイヨネ…人ト話サナクテ済ムシ誰モ愛里ノ事ナンテ関心ナイ…空気ミタイナ存在…』
ハァ~頼むヨォ~といった態度で浩輝は天を仰いだ…次の瞬間浩輝はもう限界だといった顔付きで愛里の手に持っていた箒と雑巾を愛里の手から奪い取ると愛里の肩を押した…
『ちょっと付き合えッッ、ほら行くぞッッ!』
『ア…チ、チョットマダ仕事ガッ、浩輝ッッ!』
『いいから来いってッッ!』
浩輝は愛里の肩を押しそのまま水族館の玄関を出た…
『ダ、駄目ダヨッ、仕事中ダヨッッ、マダ東フロアモゴミ集ニ回ラナイト…』
『バカ、んなのどうだっていいからほらッッ、館の統括責任者の俺がいいって言ってんだからい~、い~、のッッ!』
『デ、何処ニイクノヨッッ!』
浩輝は愛里の質問には何も答えずただ愛里の肩をグイグイ押しながら南部椰子の連なった海沿いの道を歩いて行った…
『浩輝仕事ハッ?統括責任者ガ仕事サボッチャ部下達ニ示シガツカナイヨッッ!?』
『俺の心配する前に自分の心配しろッッ!』
『エ?…何カ言ッタ?』
『あ~んや、何でもない何でもないッ…』
>> 207
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南錦マリンワールドから歩いて10分程行った場所に青の砂浜としてこの島の観光名所にもなっている《ちゅら錦ケ浜海水浴場》がある…マリンワールドと並んで南錦島の人気観光スポットで夏本番ともなるとその太陽の微妙な反射で青く光る砂と透き通るようなコバルトブルーの遠浅の海目当てに沖縄本土からも多くの海水浴客が訪れる…今はまだ海水浴シーズンではないが真っ黒に日焼けした地元の子供達が服のまま飛び込んで無邪気に遊んでいた…
『カァ~、此処はいつ来ても気ぃ~ん持ちイイナァ~ッッ!』
浩輝は思い切り背伸びをして首筋のネクタイを緩めた…
『…ドウシテ海ナンカニ来タノ、浩輝?』
隣でまだ不機嫌そうに愛里が眩しそうに額に手を翳して遠く地平線を見ていた…
『どしてってまぁあれだッッ、息抜きだッ…愛里お前最近全然仕事休み取ってなかったろ?だからたまにはこうしてさッ、ハハハ…』
『浩輝ダッテ丸3カ月間休ンデナイジャナイ!』
愛里は靴を脱ぐとその場に置き一人トコトコと砂浜に入って行った…
『!ッ、お、おぃ…俺を置いてくなよッッ!』
慌てて浩輝も靴を脱ぎ愛里の後を走って行った…
>> 208
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愛里は白い砂浜を全力疾走すると波打ち際で思い切りバタンと仰向けになった…
『ハァッ、ハァッ…な、何だよいきなり青春の一ページみてぇな事すんなよッ、グハッ…てか愛里お前足速ぇなッ、ハァッ、ハァッ…』
後から来た浩輝が縺れるように倒れ込むと愛里は初めて笑顔を見せた…
『ハァッ、ハァッ…久しぶりに、ハァッ、ハァッ…笑ったなお前ッ…』
愛里は弱みを見つけられたかのように思わず直ぐさま笑顔を封印した…
『ハァッ、ハァッけどさ…俺ホントこの島に生まれて良かったと思ってる…』
浩輝がボソリと呟いた…
『何にもない水色の絵の具零しただけのような島だけどさ…海に囲まれ手付かずの自然に旨い魚料理…霊長類に生まれて良かっタァ~ッッ!』
愛里は冗談を言って拳を突き上げる浩輝を頬杖ついて見ていた…
『…仕事シテイル浩輝トハ全然違ウヨネ…何カ今ノ浩輝ハ子供ミタイ…伸ビ伸ビシテル…』
『そっかぁ?アハハハ…本当の事言うとストレス溜まりまくりでさッ、管理職なる前みたいにドリー達とショーで暴れてる方が本当は性に合ってんのかもなッッ…』
『…ソッカ…浩輝ダッテ…辛インダヨネ…』
愛里はサラサラの砂浜の砂を掬い上げた…
>> 209
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浩輝は沖合遠くでおそらく今から実地訓練をするであろうスキューバの集団が乗る船を見つめ汗ビッショリの長いパーマの髪をかきあげた…
『何カ…ジャック・スパロウミタイナ髪ニナッチャッタネ…浩輝ハ短イ方ガ似合ウヨ…』
『ハハハ…そぅいやぁ愛里と見に行ったっけ、その映画…あれ二年位前だったかな…わざわざ那覇の映画館までッ…あれ愛里がどうしても観たいから一緒について来てって…俺は全然興味なかったんだけど…ナハハハ!』
南部椰子の葉が潮風に揺れて一斉に音を奏でた…
『浩輝ダケハ…イツモ愛里ノ側ニ居テクレタヨネ…ドンナ時モ…コンナ意地ッパリデ我ガ儘ナ愛里ノ側ニ文句モ言ワズニズット…』
『な、何だよ急にッ…気持ち悪りいなッッ…だって愛里は愛里だろ?別に障害者だからどうとか関係ないよッ…んな偏見で見る奴らの方がおかしいんだよッッ!』
愛里は俯きがちに何度も指の間から砂を滑らせていた…
『なぁ愛里、お前が初めてこの島の小学校に転校して来た時の事覚えてるか?』
『エッ?……』
浩輝は膝についた砂をパンとはらうと三角座りをしてじっと真っ青な空を眺めた…子供達はいつの間にか波打ち際で山崩しをして遊んでいた…
>> 210
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『あん時お前の障害の事何も知らないクラスのみんな、お前の声聞いて笑ったよな…《ちゃんと声出せよッッ!》《はっきり喋れよッッ!》って…』
『ケド浩輝ダケハ愛里ヲカバッテクレタヨネ…《水野ダッテ同ジクラスノ仲間ジャナイカヨッッ、》…テ』
そんな事言った覚えないなぁと浩輝は照れながらソッポを向いた…
『けど今思うとクラスの男子…本当はあんな酷い事言いながらも転校生の愛里と仲良くなりたかったんじゃないのかなって…』
『………』
『ほら今時の小学生ってヤツはいい意味でも悪い意味でも正直だろ?ズケズケ飾らないで何でも思った事口に出すっていうか…だからアイツら仲良くしよって気持ちを真正面にストレートに出せないからあぁいう表現しか出来なかったんじゃないのかな…っなんてさッッ!』
愛里は浩輝の話を黙って聞いていた…
『愛里モ今マデ障害者ッテ事ダケデ馬鹿ニサレタ事沢山アッタ…ケド誰カヲ恨モウナンテ気持チハコレポッチモナカッタンダ…タダ人トハ違ウッテ事実ハ物凄ク悲シカッタ…ダカラソレニ負ケタクナイカラ何デモ必死ニヤッテ来タ…』
浩輝は愛里の気持ちが痛い程分かっていた…
>> 211
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『愛里お前勉強だって運動だって何だって1番だったもんな…人間努力すれば何だって乗り切れるんだって俺お前に教えて貰ったような気がする…』
愛里は一瞬微笑んだがすぐまた口角を下げた…
『フフ…皮肉ダヨネ…他ノ事何ダッテ出来テモ…自分ノ夢ダケハドンダケ努力シテモ叶エラレナインダモンネ…』
『…そうかな…俺やっぱりそうは思わない…』
浩輝は側にある巻貝をいくつか拾って足元に並べた…
『お前が勝手に出来ない自分に線引いてるだけで…もしかして《ドリー》や《ナナ》はお前が自分達を信頼してくれるの待ってんじゃないのかな?』
『…待ッテル?…愛里ヲ?』
『確かに野本はドルフィントレーナーとしては何もかも一流だ…けど身体的ハンデのある愛里が彼女のそれを何もかも吸収しようとするから悩んじまうんだよ…俺は愛里にしか出来ない、聴覚障害者のドルフィントレーナー水野愛里にしか出来ないお前らしいショーの方法を見出だせばいいと思うんだ…片意地張らないお前だけのショーの形を作り出せば自ずと結果はついてくるんじゃないのかな…』
『愛里…ダケノ…ヤリカタ…』
その時二人の髪が潮風にハラリと舞った…
>> 212
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翌日浩輝は館長である五十嵐諭吉のもとを訪ね昨日あった事を報告した…
『そうか…それで愛里のヤツやる気になってくれればよいが…』
諭吉は来月広島で開催される世界マリンExpoの会議書類に目を通しながら浩輝の話に相槌を打った…
『しかしいくら愛里がやる気になってくれたとしても前途は多難だぞ…イルカショーは健常者の熟練トレーナーとて訓練を積んでやっとの事でイルカ達とのコミュニケーションが保たれる繊細かつ過酷な仕事だ…ましてや身体的ハンデを持つ愛里がそれを全てこなすには並大抵の事ではない…果たしてあの子にそれが出来るか…』
『愛里は何年も前からずっと《ドリー》と《ナナ》を調教して来ました…愛里ならイルカ達の性格や癖を知り尽くしています…野本の後継者は愛里しか考えられませんッ!』
『鳥羽君がそこまで言うならワシは君に全て任せるよ…後はあの子のやる気次第だな…』
諭吉は眼鏡を取ると一度あくびをし浩輝に言葉をかけた…
『あ、ところで昨日仕事サボッた分、給料からきちんと引いておくから…』
『…え…あ、アハハハ…そ、そりゃそうですよネェ~エヘヘヘ!』
冗談だよ!と諭吉は苦笑いした…
>> 213
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(私らしい…誰の真似でもない水野愛里にしか出来ないショー…)
その日の公演の後、特設ステージのプールサイドをブラシで掃除しながら愛里は浩輝に言われた言葉を思い起こしていた…
(そんなショー…私に出来るのかな…こんな身体にハンデを背負ったトレーナーのイルカショーなんてお客さんちゃんと見てくれるのかな…だって私言葉だってまともに話せないんだよッ…やっぱり無理よッ!)
考えれば考える程不安と恐怖が愛里の頭をもたげた…過去にショーの代役で罵声を浴びせられた悲しい思い出が愛里の頭に少なからずトラウマになっているのは事実だった…
『何考え込んでんのッッ!愛里ッッ!』
肩を叩かれ振り向くとそこにはあの野本が立っていた…野本は華麗な手話で愛里に話しかけた…
『私も…手伝う…!』
野本麻里はブラシを手に取るとプールサイドをブラシングし始めた…
『ア…イイデスヨ野本先輩ッッ、オ腹ノ中ニイル赤チャンニ障リマスカラッ!』
『大~丈夫よッッ、もう…安定期…だし少し位は…運動しないとねッッ!』
野本麻里は軽くウィンクすると長靴を履きバケツの中の水をプールサイドにぶちまけた…
『野本…先輩…』
『ホラ早く…済まそッ、ね?』
>> 214
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『クゥ~やっぱパパイヤは果物の王様だね~ッッ!』
掃除の後野本麻里と愛里は誰もいない広い観客席の椅子に座り野本が自販機で買って来たパパイヤアイスを頬張っていた…
『で…ショーの…構成…決まった?』
野本は聾唖者の愛里にも解り易いような的確ではっきりとした手話で愛里に尋ねた…愛里にとって野本麻里はこの世界に飛び込んでからずっと憧れのトレーナーでもあり愛里の良きお姉さん的存在でもあった…
『構成…ッテ…何ノ話デスカ?』
『構成は構成よッ…私の去った後、水野がするイルカショーの構成じゃないッッ!』
野本は私の後は当然貴方がショーを仕切るのよといった顔付きで淡々と愛里に言った…
『ショー…ッテ私…マダ無理デスッッ!野本先輩ミタイニ出来ッコアリマセン…』
『それは自分がハンデ背負ってるから?聴覚障害者だから?』
『エ……?』
最後のアイスを口に入れると野本はご馳走様と手を合わせた…
『はっきり言うね水野、貴方にはトレーナー野本麻里は絶対に越えらんないッッ!』
『…ハイ、ソレハ解ッテ…』
『だけど…新しいトレーナー水野愛里は作り出せるのッ、この意味解る?』
愛里は野本の手話を見ながら真っ直ぐに自分を見つめる野本を見た…
>> 215
🐬24🐬
『私に肩を並べたいだとか…私の後しっかりショーの質を守らなきゃとか…んな事どうだっていいのよッッ!要は水野がどうしたいかって事ッッ!イルカショーを見に来てくれた観客をどうやって感動させてあげられるか、それだけを考えられるかって事ッッ!』
野本は脚を組み替えると愛里を見た…
『水野が此処で働きたいって私の所に来た日の事今でもはっきり覚えてるよ…いきなりステージの袖に現れたかと思うと嵐のような手話攻撃…《どうしても私イルカの調教師になりたいんですッッ、こんな私でもなれますかッッ!?》てね…フフフ…初めはこの子には無理かなって少し思ったけど就職して私のサブの仕事完璧にこなしてくれてこの子ならきっと凄いトレーナーになれんじゃないかナァ~なんてその時から本気でそう思った…』
愛里は少しでも自分とのコミュニケーションを取ろうと手話まで覚えてくれた野本の優しさを今思い返していた…そうだ、今の自分があるのは浩輝や野本先輩、そしてこのマリンワールドで働く仲間達みんなのお陰なんだと今しみじみと感じていた…
『先輩私…私ニ出来ルデショウカ…』
『…夢だったんだろ?ステージで輝くのがッッ!』
野本は愛里の肩を叩いて微笑んだ…
>> 216
🐬25🐬
『…フフフ…』
『ん?、何が可笑しいの?』
『野本先輩モ、浩輝…ア、イヤ鳥羽チーフト同ジ事言ウナァ~テ…』
野本はアイスの棒をゴミ箱に入れるとゆっくり立ち上がった…
『…チーフか、格好イイよね彼…私尊敬するよ…私が此処に来てトレーナーの事一から教えてくれたのも鳥羽チーフだったから…けど幼なじみの水野が此処に来た時からチーフはずっと水野の事ばかり気にかけてたから…あん時チョッピリ鳥羽チーフを水野に取られた気がした…大人げないヤキモチなんか焼いちゃったりした事もあったな…』
すみませんと愛里は頭を下げた…水野が謝る事じゃないよッッ!と野本は笑った…
『いつかこんな日が来ると思ってた…水野が私から離れて自分の道を歩く日が来るってね!今正にその時なんだよ…《自分に厳しく自分らしく》…それが私の座右の銘ッッ!私の後は水野、アンタしか居ないんだよッッ!』
野本はそう言うと少し重たそうなお腹を抱えるように愛里の元から去っていった…
(先輩…私…本当に出来るでしょうか…)
愛里はいつまでも野本の後ろ姿を眺めていた…
>> 217
🐬26🐬
《と、鳥羽チーフッ、水野先輩がイルカの調教用プールに入ってるんですけど大丈夫でしょうか…》
数日後館内を巡回中の浩輝に後輩トレーナーから連絡が入った…無線でその報告を聞いた浩輝は急いでイルカ調教用プールに走った…
『お、おぃ愛里ッッ、どういうつもりだッッ!あれほど水の中に入っちゃ駄目だって耳鼻科の先生に言われただろがッッ!』
浩輝が駆け付けた時、愛里はウェットスーツを着た状態で肩まで水に浸かっていた…
『わ、私止めたんですッ、だけど水野先輩大丈夫だからって、アァ…どうしよッ、すみませんッッ…』
愛里を引き止められなかった責任を感じているのかセイウチ担当調教師の水野の二年後輩の与田が泣きそうな顔で浩輝を見た…
『頭は水の中に沈めてはいないよな?』
浩輝は与田に確認した…
『はい、でも耳の中に水が入ったら大変な事になるんですよねッ、だ、だから私…』
『心配すんな与田…んな事も計算に入れていない程愛里は馬鹿じゃないよッ…』
浩輝は不安げな与田の肩を叩いた…
『愛里のヤツ多分耳栓してる…さっきの俺の言葉に見向きもしなかったからな…』
『そ…そうなんですかぁ…よかったァ~』
与田は力を抜いた…
>> 218
🐬27🐬
『…しかし水の中に入ってアイツ何してんだ?《ドリー》達の調教ならプールサイドからでも出来るだろ…』
『さぁ?…私にはさっぱり…ハハハ』
与田は突然の愛里の行動が理解出来ないようでただ頭を掻いて困惑していた…浩輝は暫く愛里の様子を見ていた…愛里はゴンドウイルカの《ドリー》と《ナナ》を交互に自分の所に呼び寄せると何か小声でブツブツ会話しながらイルカの身体に指をトントンと当てているようだった…
『…な、何してるんでしょうか、水野先輩…』
首を傾げ与田が浩輝に言った…
『…イルカに何か指示を送ってるみたいにも見えるが…いや、暗号かな?』
いずれにせよ浩輝が解りうるものではない事は確かだった…
『さぁ与田…仕事につけッッ!』
『あッ、で、でも水野せ…』
『いいからッ、放っておけッッ、愛里なら大丈夫だから…』
浩輝は与田の肩を押すと残りの仕事を済ませろと指示した…
(フフフ…何か解らないけどやる気になってくれたのだけは確かだな、愛里…)
浩輝は苦笑いすると愛里の後ろ姿を眺めながら自分も元の職場の配置につくために踵を返した…
(頑張れよ…水野愛里…ッッ!)
>> 219
🐬28🐬
愛里の奇妙な調教が始まって二週間が経過したある晩、マリンワールド事務所の奥の館長室のドアをノックする者がいた…
『はいどうぞ…』
その人物はゆっくり中に入ると五十嵐諭吉の前に立った…
『!ッッ、おぉ、愛里か…どうしたんじゃこんな時間に…』
『館長…私…ヤッテミマス…モウ一度…』
眼鏡越しに愛里を見た諭吉は椅子から立ち上がり腕を後ろに組み、ゆっくり窓の外の真っ暗な空を見た…
『ハハハ、二人きりで館長はないだろ…おじいちゃんでいいよッ、おじいちゃんで…』
諭吉は照れ臭そうに顎髭を指で撫でた…
『オジイチャン愛里…不安ダラケダケド…ヤッパリコノ仕事ガ好キッッ、大好キナノ…ダカラ…ヤッテミルッ!挑戦シタイノッ!』
『そうか…決心がついたか…お前がそう言ってくれるのをずっと待っておったんじゃ…』
諭吉はウンウンと何度も頷きながら笑顔で愛里を見た…
『じゃが…やるからには今度は何があっても観客を放って逃げ帰るような真似はあってはならないぞッ、それは覚悟出来てるんだな?』
愛里は凛とした顔で頷いた…それは諭吉が今まで目にした事のない愛里の真剣なやる気に充ちた顔付きだった…
>> 220
🐬29🐬
『ほ、本当ですかッッ!愛里が自分からやりたいって?』
『あぁ…あんな真剣な顔の孫娘今まで見た事ないわ…どうやら本気で挑むみたいじゃな、イルカショーに…』
諭吉は浩輝を部屋に呼ぶと昨夜の愛里の訪問を浩輝に報告した…
『愛里のデビューは来週の日曜日、くしくもその日は南錦マリンワールド創立10周年の記念イベント日だ…』
『…なるほど…お客さんに愛里を知ってもらうにはまたとない機会ですねッッ、』
『それが逆にプレッシャーとなり緊張せねば良いがな…』
諭吉の不安げな顔付きに浩輝は少し間を置くと大丈夫ですッ、本番まで自分も愛里を出来る限りサポートしますからッッ!と胸を叩いた…
『ホホ…本当に鳥羽君はコト愛里の話になると真剣そのものだなッッ…ウチの孫娘の事好きなのか?正直に言ってみろッッ!』
『あ…い、いぇな、ななな何言うんですか館長ッッ、お、俺はただ…幼なじみとしてですねッッ…』
顔を真っ赤にして慌てる浩輝を見て諭吉が鳥羽君をからかうと面白いわ!とケタケタと笑った…
『ならば…ワシもボチボチ準備に入らんとな…』
『準備?何の準備です館長…?』
それは秘密じゃ!と諭吉はまた苦笑いした…
>> 221
🐬30🐬
運命の日曜日がやって来た…南錦マリンワールド創立10周年記念日の朝の空は抜けるような快晴で早朝から入場ゲート前は本土からやって来た大勢の家族連れやアベック等が今か今かと開演時間を待っていた…浩輝は警備スタッフにくれぐれも客に怪我のないように場内はゆっくり移動するように指示するよう促した…
(いよいよだな…愛里…)
浩輝は警備の仕事をこなしながら心はもう今日行われる愛里のイルカショーの事でいっぱいだった…昨日も夜遅くまで愛里はプールの中でイルカ達と奇妙な会話を交わしていた…それが調教の一部なのかまた別の何かなのかは浩輝には解らなかったが全ては今日それが解明するんだと思うと居ても立ってもいられない気持ちになっていた…
《有難イケド浩輝ノ手助ケハ要ラナイカラ…自分デ頑張ッテヤリ遂ゲタイカラ…》
そう言って愛里は浩輝のショーでの補助を拒否した…少し淋しい気にもなったが浩輝は愛里のその言葉を信じる事にした…
(愛里とイルカ達一体どんな演技をするんだろ…まぁ結果はどうであれ最後までやり遂げるんだぞ、愛里ッッ…)
浩輝は心で愛里にエールを送った…
>> 222
🐬31🐬
イルカショーが開催されるアクアドーム特設ステージ玄関入場券売場前は早くも長蛇の列で埋まっていた…
『うっわ~、やっぱりイルカショー人気は凄いですね~ッ!』
観客の入りを確認しに来た諭吉に背後から身重の野本麻里が話しかけた…
『おぉ、来てたのか野本君…さてはこの長蛇の列を見て今すぐにでもまたステージに立ちたいとムズムズしてるんじゃないかね?』
『まさか館長ッッ、もうあのステージは水野の物ですから…』
諭吉は微笑むと野本はタオルで額の汗を拭った…
『!ッッ…ん?変じゃな…どうしたんじゃ?』
『…ですよね…何故だろ…お客さんがみんな帰っていく…』
諭吉は入場券売場から入場券も買わずに次々に帰って行くお客を見て慌てて野本と一緒に売場事務所の裏口に向かった…
『おいおい、何があったんじゃッッ!?どうしてお客さんが入場券も買わずに…』
『あ…館長ッ、実はですね…』
売場で入場客に応対していたスタッフの一人が困り顔で諭吉に話し掛けた…
『実は本日のショーのトレーナーは野本さんではないとお断りしましたら…じゃやめる!と…私は野本さんのいるショーを見に来たんだから意味ないって皆さん怒って…』
諭吉は予定外の事態に驚いた…
>> 223
🐬32🐬
『…何と…こりゃ始まる前から予想外の事態じゃな…』
諭吉は頭を抱えた…野本もどうしていいのか解らずただ諭吉の顔を見た…
《何だよッッ、俺達は野本さんが出演すると思ってわざわざ鹿児島から夜中船で来たんだぜッ、そりゃないよ~》
《私達家族だって野本さんのあの軽快で面白いお喋りとイルカ達の掛け合いを楽しみに来たんですッッ!なのに今日からトレーナー交代ってそんな事困りますッッ!》
そうだそうだ!とあちこちから客の怒りと諦めの声が飛び交った…売場のスタッフは何とか思い留まるように説得に当たっていたがなかなか収拾がつかない…
『ハァ~…どうしたもんかのぅ…』
『仕方ないですよ…私も当時鳥羽チーフと交代した時もこんな事日常茶飯事でしたから…鳥羽チーフも凄い人気のあるトレーナーだったし…』
このお客の声は野本にとり本来なら凄く嬉しい事ではあるのだが今は全てを後輩の水野愛里に委ね応援する立場にある…よって絶大な野本コールは何とも複雑な心境だった…
《ねぇ私ちょっと聞いちゃったんだけど…》
次の瞬間諭吉と野本はその売場に並ぶお客の一人から衝撃の言葉を聞かされた…
《今日ショーするトレーナーの女の子何でも障害者らしいわよッッ!》
>> 224
🐬33🐬
《障害者って…それ本当なのッッ?》
《半年前このショーに来てた知り合いからたまたま聞いたのッッ…そん時も野本さんのショーの代役で何か何にも喋れずに泣いて帰ってショーをぶち壊しにした子がいるって…噂では今日はその子がショーを仕切るみたいッッ!》
《マジかよッ…つぅかそんなヤツがイルカを言う事聞かせれんのかよッッ!》
諭吉と野本にとって思わず耳を塞ぎたくなるような罵声だった…
《てゆっかさ、この施設随一の人気ステージをそんな障害者の子に仕切らせるなんてさッ、天下のマリンワールドも地に落ちたんじゃないのッッ!?ギャハハハ…》
『も、もう我慢ならんッッ、ワシの事は何を言われてもいいが孫の事だけはッッ…客だからとて許される言葉ではないッッ!』
諭吉は思わず身を乗り出しお客達の前に出ようとしたその時、野本が諭吉の腕を取りそのまま自身がヌッと客の前に姿を現した!
《!ッッ、ち、ちょっと見てッ、野本さんよッッ!》
《ホントだッッ、野本さんいるんじゃないッッ!》
《ねぇお願い野本さんッッ、今日のステージ貴方がしてよッ、私楽しみに…》
『…いい加減にしなよアンタらッッ!』
野本の声に客達が怯んだ…
>> 225
🐬34🐬
《おぃお前ッッ、お前此処の従業員だろ?その言葉よ、大事なお客に対して言う言葉なのかぁ?》
暫くの沈黙の中、野本の素性を何も知らない体格のゴツイ客が野本を睨み付けた…
『…障害者だから何にも出来ない、ショーなんて仕切れる訳がない…見てもいないうちからよくそんな偉そうな事言えるわよねッッ!』
《んだとぉコラァッッッ!》
野本は負けじとその客を睨み返した!
『こ、こらやめないかッッ、野本君ッッ!』
諭吉が二人の間に割って入った…
『アンタ達五体満足に生まれて来た人間には解んないんだよッッ、肉体的ハンデを背負って健常者と同じだけ一つん事必死になって頑張る事がどれほど大変かって事がよッッ!』
《……ッッ!》
諭吉は客にすみませんと頭を下げた…
『そんなさッ…そ、そんな身体に障害を持った子が今日待ちに待った夢の晴れ舞台踏むんだよッッ、少し位見てってやってくれてもいいじゃないのさッッ!』
興奮する野本を売場スタッフが後ろから制止させた…入場売場の客は一斉に黙り込んだ…
『…ワシからもお願いします…今日のトレーナーは一生懸命頑張ると思います…皆さんどうか見てってやって下さらんか?』
諭吉が客の前で丁重に頭を下げた…
>> 226
🐬35🐬
《よしいいだろ…見てってやるッ、そのかわり箸にも棒にもかからねぇステージだったら全額返してもらうからなッッ!》
タンクトップの若者の集団が売場窓口で無造作にお金を置くとその後から連なるように次々と客がステージの入場券を買い始めた…
『フゥ~…ひとまず何とかやれそうたな…』
『すみません館長ッ、取り乱しました…』
野本は頭をタオルで拭く諭吉に大人げなかったと謝った…
『いやぁなに…野本君があぁ言ってくれて嬉しかったよ…野本君が言わなきゃワシがプツリと切れとったわい…』
諭吉は軽くウィンクをするとドーム内には入らず事務所に戻ろうとした…
『館長ッ、見ないんですか?水野のステージ…』
『あぁ、ちと来客があってな…終わって時間があったら覗くよッ…』
諭吉は微笑みながらドームとは真反対のマリンワールド事務所に歩いて行った…
(フフフ…やっぱり落ち着いて見てらんないか…孫娘の一世一代の晴れ舞台…)
野本は諭吉の気持ちにほくそ笑むと大きくなりだした自分のお腹を摩った…
『貴方はママとイッチョに愛里おネェチャンを見届けまチョ~ねッッ!』
お腹の赤ちゃんに話しかけると野本も入場券を購入した…
>> 227
🐬36🐬
ドーム内の客席はマリンワールド創設10周年記念日にも重なったとはいえ、これまでに見た事のない予想以上の超満員に膨れ上がっていた…ステージを中心に観客席で円形状に丸く囲まれた特設ステージでは午前11:00から始まるイルカショーの準備が着々と進められていた…
『すっげ…立ち見かよ…野本ん時でもここまでは無かったな…』
トランシーバー片手に観客席を歩き回りながら浩輝は余りの観客の多さに驚いていた…
(愛里のヤツ大丈夫かな…こんだけの観客前にしてアガラなきゃいいけど…)
浩輝は心配になりそれとなくトレーナーが待機する裏口の控室を覗きに行った…愛里はロッカー室の一番端の壁に頭をついて目を閉じていた…
『愛里ッッ!大丈夫かッッ?愛里!』
浩輝はゆっくり近付くと既に真っ赤なステージ衣裳に着替えた愛里に話し掛けた…
『浩輝…ドウシヨ…喉カラ心臓ガ飛ビ出シソウナクライ目茶苦茶緊張シテル…』
『…落ち着いてやればいいんだよッ、上手に出来なくったっていいんだから…』
浩輝はガチガチに震える愛里の身体をそっと抱きしめた…
『コ…浩輝ッ、ア…ッッ!』
『黙って…そう、ゆっくり深呼吸して…』
>> 228
🐬37🐬
(浩輝に…抱きしめられたの…初めてだ…暖かい…)
『どうだ愛里…少しは落ち着いたか?』
浩輝の胸は分厚くて広かった…愛里はゆっくり浩輝の身体を離すとありがとう!と微笑んだ…
『そうだッ、その笑顔が水野愛里だッッ!』
愛里はマッチ棒一本くらいしかない浩輝との顔の距離に少し照れ臭そうに視線を外した…
『俺は愛里が今日まで二頭のイルカ達にどんな調教をつけてきたのかは知らない…けどお前はきっとお前のやり方でステージを成功させるだろう…俺はそう信じてる…』
浩輝はそれだけ告げるとロッカー室から出て行こうとした…去り際浩輝はもう一度振り返り愛里に言葉をかけた…
『あ、そだ…ショーが無事終わったら俺愛里に話す事がある…じゃな!GOODRACKッッ!』
『私…ニ?…ナ…』
愛里が聞き返そうとしたがもう浩輝の姿は消えていた…愛里は気を取り直すようにまた目を閉じ瞑想に入った…
(神様…どうか愛里の晴れの舞台が成功しますようにッッ、お願いしますッッ!)
愛里は胸の中のお守りを握り締めると一度深呼吸をしてステージに繋がる長い廊下をコツコツと歩いて行った…
>> 229
🐬38🐬
♪皆様本日は太陽と常夏の海洋テーマパーク、ここ南錦マリンワールドへお越し下さいまして誠に有難うございます…本日午前11時よりアクアドーム内特設ステージにて可愛い二頭のゴンドウイルカ《ドリー》と《ナナ》のダイナミックなエンタテイメントショーが開催されます…♪
熱気ムンムンのステージ場内は今か今かとショーの開始を待ち侘びる子供連れの家族やアベック達がウチワを仰ぎながら座っていた…
『よっ!元カリスマ調教師、やっぱり後輩のステージが心配になって駆け付けたな…』
座席の最後尾に座る野本麻里に警備担当の浩輝が声を掛けた…
『ち、鳥羽チーフッッ!こんな所にいていいんですかッッ!?水野の側で見守ってあげなきゃ…』
『俺が側で見てるってだけで緊張すっだろ愛里のヤツ…こういう時は影からじっと見てる方がいいんだよ…』
『とか何とか言っちゃって~本当は死ぬ程心配なクセにッッ!チーフから水野に愛の告白とかしてあげれば逆に落ち着くんじゃないですか?キャハハ!』
馬鹿ッッ、先輩を冷やかすなッッ!と浩輝は後輩野本の頭を軽くこついた…
『愛里なら大丈夫さ…』
『フフフ…ですよね、何たってこの野本麻里の後継者なんだから!』
>> 230
🐬39🐬
愛里の後輩の調教師である与田律子ら数人はステージ上部に位置する音響室にいた…
『ねぇ律子…本当にこれだけで大丈夫なの?何か私心配になって来た~』
与田の同期の別府が不安げに与田に話し掛けた…
『だって水野先輩からは合図を送った時音楽を流せとしか指示されてないもんッッ、そりゃ私だって不安だよ?言葉が不自由な先輩の横でMCしますって言ったら先輩それは要らないからって断るんだもんッッ!他には何一つ一切聞かされてないッッ!』
与田は不満げにヘッドホンを指でクルクル回した…
『…どうすんだろね、水野先輩…』
『さぁ…何か考えがあるみたい…言葉さえきちんと発する事出来たら長年一緒に連れ添った先輩とイルカ達、息ピッタリなんだろけどね…』
同僚の別府はそんな事今更言ってもという顔をして流す音楽の最終調整に入った…
『とにかく先輩がステージ上で真っ直ぐ右手を挙げたらこの曲順で音楽流すからねッッ、しっかり頼んだわよ、ベッキー!』
別府はアンタこそしっかりやってよね!という顔付きで満員の観客席を見下ろしていた…
『あと5分だよッッ…』
知らない間に与田と別府の掌にはびっしょり汗が滲んでいた…
>> 231
🐬40🐬
♪御来場の皆様大変長らくお待たせ致しました…只今より《ドリー》&《ナナ》のアクアファンタジー開演です!♪
プシュッッッッ!
何本もの水柱が舞い上がり場内は真っ暗になった…次にミラーボールの鮮やかな光が交錯した…
♪まずは本日の主役、ゴンドウイルカの《ドリー》と《ナナ》の登場ですッッ!♪
ユーロビートの軽快な音楽に乗せて二頭のイルカが現れ観客の目の前で大きくジャンプした!
『ウオォォォォォォォ凄いッッ!』
思わず観客から感嘆の声が漏れた!
『ドリーッッ、ナナァッッ!』
このイルカショーの常連客らしい家族からイルカに割れんばかりの声援が贈られた…
♪さぁて続きまして本日の二頭のイルカを華麗に操るドルフィントレーナーをご紹介致しましょう!♪
(!ッッ、き、来たッッッ!)
舞台の袖で待機していた愛里がアナウンスの声に反応した…愛里は一度深い深呼吸をすると意を決したかのようにゆっくりとステージに歩を進めた…緊張で唾が飲み込めない、脚が震えて前に出ない、落ち着いて!落ち着いて!自分に言い聞かせながら愛里は超満員の観客が見つめるステージ上に今立った!!
>> 232
🐬41🐬
(笑顔ッ、そう…笑顔笑顔ッッ!)
愛里は割れんばかりの歓声と拍手に包まれて手を振りながら緊張した面持ちでステージ上に現れた…
『うわぁ…ガッチガチじゃんあの子ッッ!』
観客席の野本が思わず身を乗り出した…
♪本日進行役を勤めてくれますのは若干22歳、今まさに乗りに乗っている水野愛里トレーナーですッッ!♪
『ち、ちょっと明日香のヤツそんな先輩を逆に緊張させるようなナレーション要らないっつぅの!』
音響室から与田がナレーション役で同期のアシカトレーナー三鷹明日香に身振りで駄目を出した…
♪水野愛里トレーナーは先日までこのショーの進行役でありました先輩トレーナー野本麻里さんの後を受けましてこの開演10周年という記念すべき本日トレーナーデビューを迎える事となりました…今日ここで演技するイルカの《ドリー》達は水野愛里トレーナーから訓練を受けてもう四年来の付き合いとなります…きっと息のあった見事な演技を披露してくれるはず…皆様応援の程よろしくお願い致しますッッ!♪
ナレーションが終わり場内は拍手の渦に包まれた…
『いよいよか…』
浩輝と野本は唾を飲み込んだ…
>> 233
🐬42🐬
拍手の後場内は水を打ったように静まり返った…場内の全ての観客の視線が愛里に注がれていた…
(落ち着いて…落ち着い…ハアッ、ハアッ…)
何千何百もの痛い程の視線を浴び直立不動の愛里は緊張の余り極度の呼吸困難に陥りそうだった…
『まずいな…愛里のヤツ肩で息をし出した…極度の緊張状態に陥ると癖であぁなるんだ…』
浩輝は思わず愛里のサポートする為に裏口の控室に走り出した…愛里のただならぬ様子にさっきまで静まり返っていた観客が次第にザワザワと騒ぎ立て始めた…
(水野ッッ、頑張れッッ!)
野本は両手を胸で組み祈るような気持ちで後輩水野愛里にエールを送った…いつまで経っても何も始まらないステージに客が段々苛立ち始めた…
《ちょっとまだなのッッ!?早く始めてよッッ!》
《あの子さっきから何で何も言わずつっ立ったままなの?何かトラブル?》
観客は口々にいつになっても開始されないステージの愛里に向けて不満の声を上げた…
(わ…私…ど、どうしよ…身体が…動かな…いッ!)
『やだ先輩大丈夫かなッッ…落ち着いて下さいッッ!』
音響室の与田律子ら後輩達も心配そうに愛里からの合図を待っていた…
>> 234
🐬43🐬
(どうしよ…どうしよう…落ち着かなくっちゃ…ハアッ、ハアッ…)
『愛里ッ、大丈夫かッッ!?』
ステージ舞台の袖から浩輝が硬直するガチガチの愛里に小声で言葉をかけた…
『コ…浩輝…ワ、私…ヤッパリ出来ナイ…無理…無理ッッ!』
『大丈夫だッッ、すぐ後ろで俺がサポートしてやっからやってみろッッ!失敗して当たり前なんだッッ、失敗したからってスタッフは誰もお前を責めたりしないッ、だから信じてやるんだッ、愛里ッッッ!』
『デモ私…私…ッッ!』
愛里は恐る恐る満員の観客席を見渡した…観客は皆口々に首を傾げたり叫んだりしている…私が…私が怖がって動けないからお客さんはいつになっても始まらないショーに苛立ち始めてるんだ…愛里は思わず唇を噛んだ…愛里はふと観客席の後方に目がいった…
(!ッッ、の、野本先輩ッッ…)
そこには真っ直ぐに仁王立ちして愛里を見ているあの先輩トレーナー野本麻里がいた…野本は観客席遠くからステージ上の愛里にも解るはっきりとした手話で愛里に言葉を贈った…
《ダイジョウブ…ドリートナナヲシンジロッッ!水野愛里ッッ!》
(野本先輩ッッ…)
その瞬間愛里の肩の力がフッと抜けた…
>> 235
🐬44🐬
その時愛里の脳裏に初めてイルカに触ったあの夏の日がフラッシュバックで蘇った!
《触ってみなよ、怖くないからさッッ…》
《デ…デモ…怖イヨ鳥羽クン…》
《大丈夫じゃよ愛里…おじいちゃんもついているぞッッ!》
《そうだ…そぉっ~と優しく…うまいうまいッッ!》
《アハハ、可愛イッッ…イルカサンテ可愛ネオジイチャン…》
《可愛いだけじゃないんだぞ…イルカさんはな、何でも言う事聞いてくれるとぉ~っても賢い動物なんじゃよ!》
《ホント?ジャア愛里ノ話ス事モ解ル?》
《あぁ、水野がイルカの事をもっともっと好きになればイルカの方もそれに答えてくれるぜッッ!》
《愛里…モットイルカサント友達ニナリタイナ…》
《愛里がイルカの事を信じてあげたら…イルカさんも愛里の事信じてくれる…きっとかけがえのない最高の友達になってくれるぞッッ!》
(そうだ…私はあの日からずっとイルカ達と歩んで来た…イルカ達を信じないで私は何を信じるの?…大丈夫、愛里落ち着いて…目で見ようとしちゃ駄目…身体で…身体で感じてッッ!)
愛里の中で何かがパチンと弾けた…愛里は一度深呼吸をするとイルカ達が泳ぐプールサイドまで歩み寄った…
>> 236
🐬45🐬
《ほぉ~ら俺の言った通りだ見てみろよッッ!やっぱりあの子何にも出来ないじゃないかよッッ!金返せッッ!》
先程入場券売場で野本と言い合っていたタンクトップのあの若者が観客席の最前列に来てステージ上の愛里に叫んだ…
『!ッッ、あ、あんの客ッッ、今から集中しようって時にッッ!』
それを見た野本麻里が思わず立ち上がった次の瞬間だった…
(行くよ、ドリーッッ、ナナッッ!)
愛里の右手が高々と上がった!
『!ッッ、り、律子ッッ、音楽音楽ッッ!』
『っしゃぁァァッッッッ!』
音響室の与田らが音響スイッチをオンにした!
シュバッッッッ!
軽快なロックのリズムに合わせるかのように二頭のゴンドウイルカ《ドリー》と《ナナ》が高らかにまるで一本の矢を弾いたかのように水中から華麗に跳び上がった!
『うわぁァァァァァァッッッッ!』
その瞬間場内から一斉に感嘆の声が響き渡った!
(あッ、愛里ッッッ!)
『カモンッッ、ドリーッッ、ナナッッッ!』
愛里が両手を交差させると今度は二頭のイルカが回転しながら愛里の頭上をまるで空に虹をかけたように跳び上がった!
『うぉぉッッッ、すッ、すげぇッッッッ!』
>> 237
🐬46🐬
(フフフ…どうやら何とか始まったようじゃな…)
地響きのように沸き上がるアクアドームを遠目に眺めながら愛里の祖父、五十嵐諭吉は水族館脇にあるベンチに座っていた…
『おぉ朋子さん来てくれたか…御呼び立てして申し訳なかったな…まぁ座って下さい…さぁ!』
諭吉の傍に朋子という一人の女性が近付いた…朋子という女性は諭吉に軽く一礼すると諭吉の隣に腰掛けた…
『ご無沙汰ばかりで…本当に申し訳ありません…』
朋子は伏し目がちに諭吉に頭を下げた…
『おぃおぃ朋子さん、今日はそんな事をしてもらう為にわざわざ沖縄まで呼び立てた訳じゃありません…』
『……』
朋子は黙って俯いた…諭吉は目の前のアクアドームを眩しそうに指差した…
『今…あそこで初めての夢と試練の狭間で闘っとるんです愛里のヤツ…』
『……』
『朋子さんを御呼び立てしたのは他でもない…愛里の晴れ姿を…貴方の娘の最高の晴れ姿を見て頂きたいと思いましてな…』
諭吉はフゥ~と息を吐いた…朋子は暫くドームを見つめた後視線を膝に落とした…
『お義父様…やっぱり私愛里には会えません…会わす顔がありません…』
『一度捨てた子…だからか?』
椰子の葉がサラサラと鳴った…
>> 238
🐬47🐬
『朋子さん、アンタは愛里と血を分けた親子だ…その事実には変わりなかろうて…』
時折ドームの中が観客の声でどよめいている…
『お義父さん私…母親失格なんです…理由はどうであれ我が子を捨てたという事実には変わりありません…私があの子に、今更愛里に逢う資格なんてあるとお思いですか?…』
『…じゃがアンタはこうしてワシとの電話の約束を守ってはるばる沖縄まで足を運んでくれた…それはほんの少しでも心の中に愛里に会ってみたいという気持ちがあったからじゃないのかね…?』
諭吉はポケットから昆布飴を取り出すと食べないか?と朋子に勧めた…朋子はただじっと俯き黙っていた…
『愛里を産んで親子三人幸せな生活が訪れると信じていました…だけど突然の正喜さんの失踪で私、どうしていいか解らず動揺して…』
『……』
諭吉は飴を舐めながら宙をぼんやり眺めていた…
『主人を失い失意のどん底に輪をかけるように今度は…まさか愛里が聴覚に障害のある子供だなんて定期検診で聞かされるまでは私夢にも…』
朋子は顔をハンカチで拭った…諭吉は熱そうに首筋をかくとベンチから立ち上がった…
>> 239
🐬48🐬
『朋子さんが障害者の愛里を連れてワシに預かって欲しいと南錦に訪ねて来た時は母親のクセに我が子の責任も取れんのかッッ!…と腹ワタが煮え繰り返るような思いじゃった…じゃがな、うちの正喜も朋子さんに相当酷い仕打ちをしてしもうた…だからワシはその罪滅ぼしの意味もあって幼い愛里をあの時引き取ったんじゃ…』
諭吉はまるでその時の光景を思い出すかのように腕組みしながら目を閉じていた…
『私が弱いから…人間として子を持つ母親として…すみませんでした…』
『いぃか朋子さん、強くて完璧な人間なんてこの世には存在せん…人は皆弱いから間違うんじゃ…間違う事でまた新たな一歩を踏み出せる、そう思わんか?』
朋子の瞳からポロポロと涙が零れた…
『誰が正しいだとか間違いだとか…そんな事今更どうでもいいんじゃよ…大切なのは今からどんな悔いのない足跡を互いが残せるかどうか…それが1番大事だとワシは思う…』
諭吉は泣き崩れる朋子の前に座り優しく肩を叩いた…
『愛里はな…今まで泣き言一つ言わんと頑張って来たんじゃよ?何度アンタに助けて欲しいと思った事があってもな…それだけは解ってやっとくれ…』
諭吉は朋子に優しく微笑んだ…
>> 240
🐬49🐬
ウワァァァァァァァァァッッッッッッッ!
ドリーの華麗なボールタッチが成功するとまたもや場内が地響きのような大歓声に包まれた!
《すッ、凄い凄い凄いッ、何か凄いよッッ、こんなイルカショー今まで見た事ないよッッックゥ~!》
アクアドーム特設ステージのボルテージは最高潮に達していた…観客殆どが総立ちになり誰もが今目の前で繰り広げられているイルカと愛里のダイナミックでファンタスティックなステージに魅了されているようだった!
『ハイッッ、…』
ビシュュュッッッッッッ!
愛里がプールサイドを指でコンコンと叩くとイルカ達はまるで操り人形の如く華麗に次々と難易度の高い大技を成功させていった!
《ウヒョ~マジ凄いよッッ!たまんないよッッッ!》
《な、何て素敵なショーなのッッ!?イルカも人もまるで一つの宇宙みたいッッ!》
観客の歓声と拍手はなりやむ事はなかった…
『あ…愛里お前…アァ…』
愛里の前代未聞の華麗なステージに驚きを隠せないのは何も観客だけではなかった…舞台の袖で愛里の一部始終を見つめていた鳥羽浩輝も例外ではない…
『お前…いつの間に…』
浩輝はただ口を開いているしかなかった…
>> 241
🐬50🐬
『すッ…凄い…ッッ!』
『な、何か凄い…言葉になんないッ、水野先輩凄いですッッ!』
与田達のいる音響効果担当室も愛里の後輩全員が身を乗り出すようにしてステージを見ていた…
『お…音楽だけで…トレーナーのMCもなく…ここまで…ホンット凄いッッ!』
与田は感極まって瞼を押さえた…愛里は音楽に合わせながら広いステージを縦横無尽に走り回りまるでドリー達と会話でもしているように笑顔で軽やかに力いっぱいステージをこなしていた…
『…水野アンタ…こんな凄い事…アァ…』
観客席後方の野本麻里にもその感動は確かに届いていた…野本の隣の席の観客が跳び上がって感動していた…
《でもどうしてだろ…何でこんなに感動すんだろッッ!?》
《きっと余計なお喋りがないせいだわッッ!》
《そ、そっか…逆にトレーナーのMCが無いから俺達はイルカ達の演技を純粋に楽しめているのかッッ!》
(MCが…ないから…そっかッッ!…フフフやったね水野ッッ、アンタやっぱり私の後継者、いや…誰の真似でもない新星トレーナー水野愛里の誕生だよッッ!キャハハッッ!)
野本は思わずお腹の前で嬉しさのあまりガッツポーズをした…
>> 242
🐬51🐬
愛里の取った結論は正に誰もが目から鱗が落ちるような衝撃的なものだった…愛里は聴覚障害で言葉がうまく話せない事を負と解釈せず、逆にミュージカルのように自分の身体をダイナミックに動かし表現する事でイルカと自分の動きだけを観客に見せる事に成功したのだった…観客に対して《話術》という武器を駆使した先輩野本麻里とは全く逆の発想、つまり《言葉のない静寂の中の美しさ》を愛里とイルカ達は見事に表現しきったのだ…
(そ、それで愛里お前あの時調教プールの中でイルカ達に…あれはドリーとナナに振動による暗号を覚えさせていたのかッッ!イルカが水の中を音と振動で泳ぎ回る習性を利用して…な、何て機転だ…愛里のヤツ、…チキショ何てヤツだよッたく!)
浩輝は小躍りして喜んだ!
『アイッッッッ!』
ビシュュュュッ、ビシュュッッ!
ステージ終盤の華麗な連続ジャンプが決まると観客は全員スタンディングオベーションで愛里とイルカ達に拍手喝采を贈った…余りの感動に涙ぐむ観客さえもいた…全ての演技が終わると愛里はイルカ達と一緒に満面の笑顔で手を振って答えた…それは全てをやり遂げた満足感でいっぱいの笑顔だった…
>> 243
🐬52🐬
《良かったヨォ~最高ッッ!》
《感動したよッ、有難うッッ!》
いつまでも愛里とイルカ達に拍手と歓声の音が納まる事はなかった…愛里はやり遂げた満足感で汗だくになりながら観客席最前列で手を振る幼稚園児達の団体に手を振りステージから降りようとした…
♪皆様本日はアクアファンタジー最後まで見て下さって有難うございました…あ、少しお時間頂けますでしょうか?♪
その場内アナウンスの声はあの浩輝だった…帰り支度を始めた観客達は何事かと突然始まった浩輝のアナウンスに立ち止まった…
『ち、ちょっと鳥羽チーフッッ、何してんのッッ!』
せっかくの感動に水を差さないでと与田達は音響室から身を乗り出した…
『チーフ…な、何を話すつもりかしら…』
観客席の野本麻里も浩輝の行動に不思議そうに首を傾げた…
♪皆様にどうしてもお伝えしたい事がありましてマイクを取らせて頂きました…私このマリンワールドの統括責任者であります鳥羽浩輝という者です…♪
観客席が静まり返った…愛里はどうしていいか解らずただじっとステージの端に立っていた…
♪実は本日このステージを見事果たしたトレーナー水野愛里は重度の聴覚障害を持っています…♪
>> 244
🐬53🐬
《え…う、嘘でしょ?》
《…ま、マジかよ…し、障害…持ってたのかよ…》
《聴覚って…あの子聾唖者?》
場内が俄かにざわめき始めた…
『!ッッて、何考えてんのチーフったらッッ!いちいちそんな事この場で言わなくたってッッ!』
腹を立てた与田が音響室から降りて鳥羽の行為を止めさせようとしたが別府達同僚らに待ちなさいと押さえこまれた!
『ち、ちょっと離してよッッ!酷いじゃないッッ、あれじゃぁ水野先輩観客の晒し者じゃないッッ!』
『ま、待ちなさいってばッッ、チーフだってきっと考えてやってるんだからッッ、任せときなってッッ!律子が出る幕じゃないってばッッ!』
♪彼女、水野愛里は生まれながらにして耳介の鼓道が狭く、外界の音が聞き取る事が極めて困難な《先天性中枢性難聴》という特殊な病気です…♪
観客は足を止めて浩輝のアナウンスを聴いていた…
(浩輝ッッ…私はどうしたら…あぁ…)
愛里は前に出るでもなく舞台裏に下がるでもない中途半端な位置でただじっと浩輝のアナウンスが終了するのを待っていた…
『あッ、愛里ッッ!』
観客席の最後尾に諭吉と諭吉がようやく説得に成功した愛里の母、水野朋子が並んで座り愛里をじっと見ていた…
>> 245
🐬54🐬
♪水野愛里は初めて触ったイルカの感触が忘れられず子供の頃からずっとこの仕事に憧れ夢見て来ました…しかし言葉のコミュニケーションを必要とするイルカのトレーナーという職業は聴覚に障害を持つ彼女にとり致命的な弱点でもあり彼女は何度も諦めようと挫折しました…♪
《………》
観客は固唾を飲んで浩輝の話を聞いた…
♪今日の彼女のステージを見て私自身大変驚いています…正直ここまで出来るなんて想像すら出来ずにいた卑しい気持ちの自分を今恥じています…水野愛里は言葉のコミュニケーションを逆手に取り、余計なMCも説明も無いこの舞台で軽快な音楽に乗せ身体いっぱいで表現する事であれだけの華麗かつ見事な演技をイルカ達にも植え付けさせたのです…彼女は障害を持ちながら、ここまで観客の、いや全ての人の心を掴んだんですッッ!♪
(浩輝……)
観客の目が愛里に一心に注がれた…
♪…最後になりましたが…ステージを最後までご覧下さいました今日お越しの観客席の皆様に水野愛里本人から御礼のご挨拶をさせて頂きますッッ!♪
(!ッッ、え、う…嘘ッッ!?)
(えぇッッ、ま…マジでッッ!?愛里本人にぃ?)
野本や諭吉らは浩輝の言葉に絶句した!
>> 246
🐬55🐬
『そ…そりゃあんまりだよチーフ…ッッ』
野本が思わず声をあらげた…多分客席の殆どの客がそう感じたに違いない…言葉もちゃんと発する事の出来ない聾唖者に何て酷い仕打ちをするのだろうかと…浩輝はマイクを持ちゆっくりステージに立つ愛里の傍まで来るとそっと愛里の手の中にマイクを持たせた…
『浩輝…無理ダヨ…愛里声ッ、コンナ沢山ノ観客ノ前デ…挨拶ナンテ…出来ッコナイヨッッ!』
『いいか愛里…お前は誰もが無理だと思っていたこのショーのステージに立ち見事ショーを成功させたんだ…今のお前は勇気さえ出せば何だって出来るッッ!地球だってひっくり返せるんだよッッ、な?ほら…だから観客の皆様にちゃんと自分の言葉で御礼を言うんだ…』
浩輝は愛里のマイクを握る手を上から優しく握り締めた…
『浩輝…愛里…』
『愛里に出来ない事なんてないんだよッッ、それを今さっき自らで証明したじゃないかッッ!?そうだろ?』
浩輝はそれだけ言うと目立たぬよう三歩程後ろに下がった…愛里はゆっくりマイクを持ち上げ満員で静まり返った観客席を見た…
(…よしッッ…)
愛里は口元までマイクをかざすと真っ直ぐ前だけを見た…
>> 247
🐬56🐬
『朋子さん、どうやら愛里のヤツ、お客さんに御礼の挨拶するみたいです…』
『アァ…あ、愛里ッッ!』
客席で愛里の事が心配でならない朋子は思わず顔を隠した…
『目を覆わずにちゃんと見なさいッッ!成長して巣立つアンタの娘の事をッッ!』
諭吉は朋子に叱咤した…
『は…はい…アァ…』
朋子は諭吉に促されグシャグシャに化粧ハゲした顔で愛娘愛里を見つめた…場内は水を打ったように静まり、咳ばらい一つ聞こえなかった…
(水野ッッ、ゆっくり…ゆっくりだぞッッ…)
客席の野本は祈るような気持ちで三年間苦楽を共にした大好きな後輩の最初の言葉を待った…愛里は震える唇をそっと開いた…
♪ア…アァ……ア…キッ、キョウ…アァ…♪
《愛里ちゃんゆっくりッ、ゆっくりでいいんだからねッッ!》
観客の一人が目を潤ませながら叫んだ…
《そうだッ!ゆっくり焦るなッッ!》
《ここにいるみんながついてるわッッ!頑張って、愛里ちゃん!》
客席のあちこちから愛里に対して暖かな声援が飛び交った…
『愛里…ゆっくりだ…』
浩輝の声に愛里は深呼吸した…
♪キョウハ…タク、タクサンノ…ヒ、ヒトニ…ア…キテイタ、ダイテ…アリ、アリガトウ…ゴザゴザイッ…マシタ♪
>> 248
🐬57🐬
それは決して綺麗な声ではなかった…むしろラジオの雑音のようなちゃんと聞き取る事すら困難な普通の健康な若い女の子が発する事のない汚れた声だった…しかし観客の誰一人として愛里のその声を嘲笑ったり蔑んだりする者はいなかった…
♪ギ…ギグ…アリ、アイリハ…イバトデモ…シアバセデス…ダイズギナイルカタチト…ア…キョウエンズルゴドガ…デギ…ギ…アダダガイ…セイエンモ…ア…ア…♪
愛里の頬を幾粒もの涙が溢れ出した…
《もういいよ愛里ちゃんッッ、もう充分伝わったからッッ、だから泣かないで、愛里ちゃんッッ!》
《水野愛里最高ッッ~!な、な、そだろみんなッッ!?》
《あぁ…最高のトレーナーだよアンタはッッ!感動有難う…グスッ…さぁみんな、せ~の、愛里ッッ!愛里ッッ!》
観客から涙の愛里コールがコダマした…
『あ…愛里…良かったな…本当に…』
『水野アンタやっぱり最高の後輩だよッッ!』
『水野先輩最高ですッ、私、私水野先輩みたくなりたいですッッ!』
場内に紙吹雪が舞い愛里の周りに沢山の人だかりができた…
(有難う…みんな…本当に有難う…)
涙の愛里コールはいつまでも止む事はなかった…
- << 251 🐬58🐬 ~二年後~ 〔拝啓、水野愛里様…早いもので愛里が豪州に旅立ってからもう丸二年が過ぎようとしています…来月そちらでの研修を終え日本に帰国すると聞いてお手紙書きました…二年前愛里が突然豪州シドニー市内にあるイルカの調教師の殿堂《DSナショナルドルフィントレーナー養成所》に留学したいと言い出した時、俺も館長もただただびっくりしました…何故ならそれまでの消極的で引っ込み思案だった愛里からは単身海外で暮らすなんて誰も想像もつかなかったからです…きっとあの日のステージでの感動が愛里の中でかけがえのない宝物になったからだろうね…〕 『ハァ~だからッ、何度言ったら解るんだ…きちんと指示しなきゃイルカ達は言う事聞いてくれないぞッッ!』 『あ~ん、だってぇ~鳥羽チーフ、私イルカの調教師に転向してまだ半年ですよッ、うまくいきっこないです~ッ!』 『泣き言言うな与田ッ、野本も水野も泣き言なんて言わなかったぞッ、ほらもう一回ッッ!』 〔こっちのみんなは相変わらず元気だ…館長は毎日会議で飛び回ってるしお前の後継者?…与田も文句言いながらもイルカの調教師として頑張ってくれてる…〕
🐯です。光の愛里、まさかまさかの復活で、🐯思わず涙ナミダです😭確か、去年のいつ頃だったか、更新stopしてた…有難うございます、また書いて下さって。これで、女子高生と車椅子の少年の初恋話さえ完結したら、最高なんですが…ビリケンさん…あれ完結出来ませんか?
壁|~ ̄)ジィ
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