なみだくんさよなら
いつまでも沈んだままでは居られないので今までの悲しかった事、苦しかった事、嫌な思いをした事など少しずつ吐き出していきます。
気持ちが切り替えられますように…
長男が小学生になると、私が子供の時とあまりに同じ行動をするから、もしかして私は…❓と思い始めた。
発達障害や、精神科にかかるような病気や障害は体質(性質)が遺伝するというのを何かで読んだことがあったから、遺伝する事は知っていた。
私はずっと旦那を疑っていた。
子供の頃、活発だったと聞いていたから。
もしかしたら私かもしれない…
チェックシートが付いてる本を買ってきてドキドキしながらチェックしていった。
やっぱり…長男と同じ傾向だった。
私だったのか…
旦那を疑っていた事を反省した。
ADDかな…
それともADHD…どっちだろう…
ゴソゴソウロウロしてたら母に怒られるから大人しくしてただけなのかな…
中学生の頃、母によく「あんたは努力が足りない」と言われた。
言い合いになると「体だけ大人で中身は子供。幼稚すぎて話しにならんわ」と言われた。
「お母さんが中学生の時はねぇ…」と母がいかに色々やってたかを話される。
「私は私なりに努力してる❗幼稚って言わんといて❗私とお母さんは違う❗お母さんの考える努力と私が考える努力は違う❗」と泣きながら言い返していた。
母はよく幼稚と言ってくるけど、どんなところが幼稚なのか私には分からなかった。
私は物覚えが悪かった。
というより、自分の興味のあるもの以外はほとんど頭に入らなかった。
中学生の頃は
家庭教師週2回。
塾A週2回。
塾B週3回。
英会話週2回。
ピアノ週2回。
硬筆週1回。
これだけ習い事してたけど、成績は中の下か下の上辺りだった。
私は子供の頃、集中というのがあまりできなかった。
例えば、妹たちと宿題をし始めると、妹たちがちゃんと解っているのか気になって気になって仕方なかった(笑)
教えてと言われてもいないのに、少し考えてる様子を見せるとすぐに「ここはこうやるんよ」と得意げに教えていた。
妹たちは「解ってる❗一々話しかけてこんといて」と言っていたけど、何度も気になってつい答えを言ってしまう。
そんな感じでよく喧嘩になっていた。
そして、妹たちが宿題を終える頃、私はまだ半分も終わっていなかった。
1人で宿題を始めると、妹たちが何をしてるのか気になって部屋を覗きに行ったり、テレビを見たりしょっちゅうトイレに行ったり…と全く落ち着かない。
そんな姿の私を見て、母は「集中してやんなさい‼」とよく言っていた。
学校でもそれは同じだった。
体育をしてる子達がいると、気になって仕方ない(笑)
ずっとそっちを向いていたり、音楽をやってるクラスから歌が聞こえてくると頭の中でずっと歌っていたり。
虫が入ってくると気になって気になって全く授業に集中できない。
他の子同士が話してると何話してるんだろう…って気になったり。
その頃の私は空想の世界に居る事も多く、黒板の方を向いていても授業は聞いていなかった。
一番多かった空想は、自分は水の中に入っていて、水の中からボヤケた世界を見るというもの。
凄く深いプールのような、水が沢山ある場所で目を開けて周りを見てる状態。
空想だから息もできる。
すごくゆったりした世界。
時々、担任やクラスの子達の声が聞こえてきてハッと我に返る事がある(笑)
私はその水の中で過ごすのが好きだった。
長男が3年生くらいの時に母と喧嘩になった。
「あんたの部屋はいつ来てもメチャクチャ❗子供3人の母親なんだから、もっとしっかりせなあかんやろ❗子供ら可哀相やで」と。
「私は私なりにキレイにしてるつもり。お母さんの言うキレイと私のキレイは違う❗お母さんは几帳面で徹底的にやるからそう言うけど、私はそこまでできない❗お母さんと私は違う❗」と言い返した。
母は「どこがよ。ちっともキレイと思えるところなんて無いじゃない❗あんたは昔からそうだった❗掃除も片付けもロクにできんくせに口だけ一人前。ちょっとは成長しなさいよ❗」と言ってきた。
私はあまりに腹が立ってつい言い返した。
「じゃあ何で普通に産んでくれんかったんよ❗何で成長段階で気付いてくれんかったんよ❗ちゃんと療育受けてたら、私の人生変わってたかもしれんのに❗」
母は「はっ❓何言ってんの❓」と言ってきた。
私はチェックシートをチェックしていったら長男と同じ傾向だった事と遺伝する事を話した。
母はかなりショックを受けていた。
「まさか自分の子がそんな事になってるとは思わないでしょ…❓ちょっと変わった子だとは思ってたけど…」と言ってきた。
「私は○○(長男)が小さい時から他の子と何か違うって気付いたし、○○が変われるなら…と療育にも行ってる。私を変わった子だと思ったんだったら相談に行けば良かったじゃん…」
「お母さんは知らないかもしれないけど、私は大学に入ってから人とコミュニケーションを取る事ができなくなってきて、目を合わせる事もできなくていつも1人だったんよ。お昼ご飯はトイレで食べてたし。すごく悩んでた」
それを言ってからは母が私にガミガミ言う事は無くなった。
でも「こうしたら❓」と色々提案してくるようになった。
口で言うのは簡単。
やるのは私…
3年生で思い出した。
私は小学3年生の時、本気で死のうと思ったことがある。
多分、また姉弟喧嘩か何かで私は怒られてベランダに放り出された。
確か夜7時頃だったと思う。
その時「あんたみたいな子は要らんわ❗」のような事を言われ、母は食事作りに戻っていった。
妹や弟が先に私をバカにしてきても、私が手を出したからと、いつも私ばかりが怒られていた。
妹達は口が達者なのに対して、私は言い返すのが苦手。
口の前に手や足が出ることが多かった。
母の言葉を聞いて、だったら本当に死んでやろうと思った。
ただ死ぬのは悔しいから、母の目の前で死んでやろうと思って、ベランダのふち(20センチ程の広さ)に座って母が来るのを待っていた。3Fだから結構高い。
母が来るまで色んな事を考えた。
『お母さんは私なんか居なくても平気なんだわ。おばあちゃん、おじいちゃん、お父さんは悲しんでくれるかな…友達や担任の先生はお葬式に来てくれるかな…』
そんな事を考えていると母が来た。
母に「そんな所で何してんの❓いっつもいっつも…何で怒られてるか解ってる❓」と聞かれた。
私は「解らん。○○ちゃん(妹)達が悪くてもいっつも私ばかり怒られる。お母さんは私の事が嫌いなんでしょ❓もう私のこと要らんのんでしょ❓私、こっから飛び降りて死ぬわ」と泣きながら言った。
母が「やれるものならやってみなさい」と言ってきた。
私にはもう覚悟ができていた。
ベランダの壁の反対側に体を出し、ぶら下がった状態になった。
両手を離すと下へ落ちる。
母はすぐに私の腕をパッとつかんだ。
私を引き上げながら「バカやねぇ、お母さんは○○ちゃん(私)が憎いから怒ってるんじゃないんよ。○○ちゃんが可愛いから良くなってもらおうと思って怒ってるんよ」と言ってきた。
私は今まで人の言葉をすぐ真に受けて信じてきたけど、母の言葉は信じる事ができなかった。
母は私を怒る時は、いつも頭や頬を平手打ちしてくる。ハンガーや掃除機で叩かれることもあった。
母に怒られている時はいつも憎しみしか無かった。
私が大きくなったら絶対やり返してやる❗と常に思っていた。
そんな私でも、唯一私を褒めてくれる人が居る。同居している父方の祖母だった。
私は幼稚園に通っている頃から、患者さんや近所の人、知ってる人には必ず挨拶をするように言われていた。
それから、私が知らない人でも家族が挨拶をしていたり話をしていたら、その人にも挨拶するように、とも。
私は結婚するまでそれをずっと守った。
私の祖母は昔、小学校の教師をしていたから連日のように教え子や教師仲間だった人が訪ねてきていた。
他に趣味で絵を描いたり彫刻刀で彫り物をしていたから、その生徒さん達もよく訪ねてきていた。
私は外で祖母の知り合いに会ったら必ず挨拶をしていたから、祖母の知り合いが家を訪ねてきた時は私の話題を出して褒めてくれる。
お客さんが帰った後、祖母は私に「△△さんに、○○ちゃん(私)はいつも元気に挨拶してくれて、本当に良いお孫さんですねって褒められたよ。みんなにそう言われるんよ。おばあちゃん、嬉しいわ」と言ってくれた。
私はその言葉が嬉しくて、あっちこっちで挨拶しまくった(笑)
その日の出来事は母ではなく、祖母に話すことが多かった。
「ただいま」と、まず2Fの祖母の所へ向かって15分程話す。
その後3Fで母に「ただいま」と言ってランドセルを置いたりしていた。
祖母は足が悪く、移動する時は常に杖をついていた。
だから外出する事も滅多にない。
朝から晩までずっと定位置に座ってテレビに話しかけていた。
時々祖父と話すけど、話すとよく喧嘩になる。
祖父がゴチャゴチャ言ってる時は祖母はいつも黙って聞いてるだけだった。
母も同じ事をする。
私が「言い返したら良いのに」って言うと2人とも「倍になって返ってくるから黙ってるのが一番」と言っていた。
子供の頃は「嫌な事を言われたらすぐに言い返せば良い」と思っていたけど、大人になるにつれて「黙ってた方が良い時もある」って事を学んでいった。
私は2年生あたりから太り始めた。
6年生の時は、いつも一緒に居るグループの子に「白ブタ」なんて言われた(笑)
グループの中にもう1人体格のいい子が居て、その子は色が黒いから「黒ブタ」(笑)
私が太り始めたのは多分、ストレスからだったと思う。
母は沢山料理を作るけど、私は結構好き嫌いが多く、今まではそんなに食べていなかった。
「どうしても食べられないんだったら後3口だけ食べて御馳走様して良いよ」とよく言われていた。
元々そんなに大きくない私。
2年生頃になると母が「しっかり食べなさい」と残すのを許さなくなった。
私は人参・じゃがいも・玉ねぎ・ねぎ・しいたけ・白菜、ごぼう、れんこん、大根が大嫌いだった。
それらが入ってるカレーやシチュー、水炊きは吐きそうになりながら食べていた。
特にホワイトシチューは大嫌いで、食べてて本気で吐いた事もある。
母が怒るから、仕方なく息を止めて丸飲みをしたり、水で一気に流し込んだりした。
母は子供の頃、体が弱くて好き嫌いも物凄く多かったらしい。
小学校も高学年になるまでは1年の半分くらい熱で休んでたと聞いた。
そして驚きだったのは、母は高学年の時に好き嫌いが激しすぎて夜盲症(鳥目)になったということ(笑)
それがあるから、私達にはしっかり食べてもらわないと❗と思って、嫌いな物でもちゃんと食べるように言ってた、と後から聞かされた。
あまりに母が食べろと言うから、私は丸飲みするクセがついた上に、ヤケになって嫌いな物もガツガツ食べるようになった。
それが原因で私はどんどん太っていった。
その頃、学校でも嫌な事が多く、それも併せてストレス発散のようにガツガツ食べていた。
担任の先生は40代後半(❓)で、割とひいきする先生だった。
多分、先生は私の事を嫌っていた…
担任の先生は気に入ってる子が周りに居ると楽しそうに話す。
でもあまり好きじゃない子が来ると急に冷たくなる。
私は冷たくされる側だった。
私の事が嫌いなんだろうなと思った瞬間は結構ある。
休憩時間が終わる頃、私は教室の前の手洗い場で手を洗ってハンカチで拭いていた。
そこに上の学年の子が八つ当たりみたいな感じで、急に私のお腹を殴ってきた。
相手はすぐに階段を上がっていった。
私はうずくまって泣いていた。
友達が「大丈夫❓」とお腹をさすってくれて、すぐに先生に言いに行ってくれた。
少しして先生が来たけど、先生は私が泣いてる姿を一瞬見て何もなかったように授業を始めた。
何も聞いてくれないの…❓
私は先生の事が嫌いになった。
別の日。
算数の授業中に隣の男子がちょっかいを出してきた。
私はずっと「やめてよ」と言い続けた。
その男子は、思い通りにならない私を思いっきりビンタしてきた。
この頃はまだ、母に怒られても頭をパーで叩かれる程度だった。
ビンタされたのは初めてでビックリしたのと痛さで泣いてしまった。
私はしばらくシクシク泣いていたけど、先生は私を無視。
何も無かったかのように授業を淡々と進めていく。
授業が終わっても何も言ってこない。
何で先生は私に何も言ってくれないんだろう…先生、私の事嫌いなのかな…
一番嫌だったのは
先生が昼休憩の間にみんなの机の中をチェックしていって、終わりの会の時に机の中が汚かった子はみんな、先生に机をなぎ倒されていく(笑)
私を含め、毎回6~7人の机が倒される。
みんなの前でキレイにしていかないといけない…すごく恥ずかしかった。
片付けが苦手な私は1年の間に6回くらい倒された。
宿題を忘れたりすると、朝、みんなの前に出されてコンと叩き棒で頭を叩かれる。
私も何度か叩かれたけど結構痛い…
そんな中、毎日宿題をやって来ない男子が居た。
今思えばその子は多分、LD(学習障害)だったんだと思う。
その子は中学生になっても平仮名しか書けなかったし、「っ」が抜けてる事が多く、文章が読み辛い。
漢字の読み書きが全くできなかった。
ある日、先生は叩き棒を置いてその子に前に出てくるように言った。
「○○、出てこいや‼サッサと来い‼」
私も周りの子達もシーンとして、怖くてドキドキしていた。
その子が前に出て行くと、いきなり胸倉を掴んで「○○‼お前、いい加減にしろや‼毎日毎日宿題せずにどういうつもりじゃあ‼」と言いながら思いっきりビンタした。
倒れて泣いてるのに、更に「立てや‼」と言って、立ったらまたビンタされ、その子は教室の端っこに吹っ飛んだ。
もう怖くて怖くてたまらなかった。
誰かが何か悪い事をすると毎日そんな事が繰り返される。
私は家で過食嘔吐を繰り返していた。
親に言っても、先生がそんな事をするはずないと、あまり信じてもらえない。
他の親も同様だったらしい。
時代は昭和と平成の境。
先生からの体罰はまだ少し残ってる時代だったのかな…
みんな先生の顔色をうかがっていた。
運動会の練習が始まった。
私の隣はちょっと乱暴でよくちょっかいを出してくる男子だった。
私の腕を叩いて「痛い❓」と聞いてくる。
「そんなに痛くない」と言うと思いっきり叩いてきて「痛い❓」と聞いてくる。
「痛い…😥」と答えると満足そうな顔をする。
そんな感じでいつも叩かれたりつねられたりしていた。
その内、つねられた所が(爪を立てるから)皮が剥けて青アザができるようになった。
右腕いっぱいの青アザと皮が剥けてるのを母が見て「どうしたんコレ⁉誰がこんな事するん⁉」と聞いてきた。
「体育の時に○○君がやってくる」と言うと、母は担任に言うように言ってきた。
私は担任と話すのは嫌だったから「いや、いい…」と答えた。
母は「じゃあ、お母さんが先生に言ってあげるわ。コレはちょっと酷いから言わないと」と。
私は「いい。自分で言う」と言った。
翌日の夜、母に先生に言ったか聞かれた。
「まだ言ってない。先生忙しそうだったから今日は言う時間が無かった」
嘘だった。
言いたくない。
もし私が言って、その子がみんなの前で怒られるのを見るのは(怖いから)嫌だし、仕返しされるのも嫌だった。
4年生になっても同じ担任だった。
相変わらず、LDだと思われる○○君はメチャクチャ叩かれていた。
私は他のクラスが羨ましかった。
他の先生はそんな叩いたりしないし、この先生以外は優しい女の先生ばかりだった。
4年生になってすぐ、クラスの男子が右手を骨折して入院した。
しばらく休んでたから、その子からクラス宛てに手紙が届いた。
左手で書いてるから結構読みにくい。
後ろに貼りだしてあったから、みんな休憩時間に読みに行った。
その時、1人の女子が「きったない字(笑)もっとうまく書けよ~(笑)」と言った。
その子は骨折した子と幼なじみで、小さい頃からずっと一緒に居る。
私はその女子と幼稚園から一緒で、結構仲が良かった。
終わりの会の時に『悲しかった事』のコーナーで誰かが「△△ちゃんが○○君の字を見て汚いって言ってました」と言った。
突然、先生が「△△‼ちょっと前に出てこいやー‼」と怒鳴った。
急にシーンとして、これはヤバいと思った
恐る恐る出て行く友達…
パッと胸倉を掴まれて「うまく書けん方の手で頑張って書いたのにその言い方は何じゃ‼」と言って思いっきりビンタされた。
「二度と言うな‼」と言われ、涙声で「はい…」と返事した。
席に戻る時、叩かれた方の顔は真っ赤になっていた。
△△ちゃん…私は胸が苦しくなった😢
その日の事を母に話した。
母はビックリしていた。
「△△ちゃん、叩かれたの⁉女の子なのに可哀相に。そんな叩く程の事じゃないのにね」と言った。
その後も、担任が生徒5人を居残りさせてたのを忘れていて、夜7時頃に学校へ問い合わせの電話があったり、担任からの体罰の話がチラホラ出ていた。
母親達は少しずつ私達の話を信じ始めた。
ある日。
先生は「出張で居なくなるから後頼む。喋っとるヤツが居ったら外で正座させても良いから」と日直に終わりの会を任せて出て行った。
その日の日直は先生に気に入られようと、先生の言いつけはしっかり(絶対)守る人達だった(笑)
隣の子に「ふぅ、先生居なくなったね」と言った瞬間に日直に注意され、椅子の上に正座させられた(笑)
授業中に喋ってるのが担任に見付かったら
1回目、椅子の上に正座
2回目、床に正座
3回目、教卓の横で正座
4回目、教室の外で正座
5回目、校庭で正座
という具合に、レベルが上がっていく。
でも先生が怖いから、2回目より先に進む子は居なかった。
隣の子に「正座になってしもうてごめん💦」と言った瞬間にまた日直に注意されて今度は床に(笑)
あぁ~もう日直~❗このくらい勘弁してよね😩
その後、私達以外に4人、床に座らされていた(笑)
学校に1人は居る、何でもかんでも先生に言いつける子。
そんな感じの子がうちのクラスにも居た。
その子がいつも終わりの会を長引かせる。
『嬉しかった事』のコーナーでは、友達がハンカチを貸してくれただの、○○さんがトイレのスリッパを揃えてただのと1人で3~4個言っていた。
そして『悲しかった事』のコーナーでも大活躍(笑)
ささいな事を1時間近く引っ張る。
○○君にバカって言われたとか何とか。
終わりの会で相手が「ごめんなさい」って言うのに「許しません。私は傷つきました」って(笑)
それが延々と繰り返される。
床で正座してる私達にはたまったもんじゃない。
後々、何言われるか分からないから、みんなこの子を避けるようになった。
何かあるとすぐに「終わりの会で言っちゃる‼」って脅してきてたし。
先生も怖かったけど、この子の発言も怖かった。
終わらない終わりの会(笑)
1時間近く経っても帰れない…
友達に「早く終わらんかねぇ…足痛い😣」と言った瞬間にまた日直に注意された(笑)
今度は教卓の横に正座(笑)
もぉ~日直~😭
他の子達も終わらない終わりの会に退屈して結構喋っていた。
それを注意して正座させる日直。
気付くとほとんどの子が正座していた(笑)
教卓の横には、私を含めて8人がズラっと正座(笑)
私の隣に正座していた男子が「もう帰ろうや~」と言った。
私もつられて日直に「もう終わりにした方が良いんじゃない❓」と。
注意されて教室の外に出された(笑)
融通が利かない日直(笑)
他の子達も「もういい加減にして帰ろ」と騒ぎ出した。
でも日直と終わりの会を長引かせる子がそれを許さない。
最終的に、私を含む6人が校庭に連れて行かれた(笑)
砂で足が汚れるからと、大きな鉄の柵を横にしたようなもの(溝の蓋みたいなやつ)の上に座らされた。
それを見ていた他の先生がこんな所に座ってどうしたのか聞いてきた。
担任に指示されたと日直が答えた。
その先生に「今日はもう遅いから帰りなさい」と教室に戻された。
時刻は5時前。
いつも終わりの会が終わるのは下校時間を過ぎたあたり。
「みんな帰って良いそうです」と日直が言って帰ることになった。
翌日、担任が前日の日直を怒っていた。
「誰が鉄板の上で正座させろって言ったんだよ⁉💢外でさせても良いって言っただけだ‼お前ら勝手な事するなよ‼💢」
校長からお叱りを受けたのかな…😁
学校へはよく4年○組は帰るのが遅いから早く帰して欲しいと連絡があったらしい。
私も終わりの会のせいで習い事に遅刻したり休んだりする事があった。
その後、担任もこの子が長引かせるって解っていたから「時間ないから後1人」っていう時にこの子が手を挙げても絶対当てる事は無かった(笑)
『生徒を鉄板の上に正座させた教師』
学校で有名な話になった。
私が5年生になった時、今度はその先生は妹のクラスの担任になった。
やはり妹達のクラスでも体罰があったらしく、みんながみんな口を揃えて先生がヒドく叩くと言った。
私の母も、私だけじゃなくて妹も私と同じ事を言うから、やっと今までの事を信じてくれた。
この先生は元々中学校で教師をしていたらしい。
中学校は不良だらけで体罰&厳しくするのが当たり前のようになっていた。
そんな中、この担任が何もやってない子(濡れ衣だった)を間違えてボッコボコにする事件を起こしたらしい。
ボコボコにされたのは、私の親友のお兄ちゃんだった。
それで少しは落ち着けという事で小学校で教師をする事になったらしい。
だから、変わらず暴力をしてる可能性はあるよ。
と親友のお母さんが私の母に教えてくれた
それを聞いて母は校長を交えて、担任に暴力は辞めてほしいと話しに行った。
担任は鼻で笑って「私がそんな事するわけないでしょ。私と子供どっちを信じるんですか❓」と言われた。
その後も暴力は治まらず、ついに他のお母さん達が教育委員会に言いに行った。
結果、その担任は県内の他の小学校へ異動になった。
教育委員会へ行くメンバーの中には母も居た。ただ着いてきてと言われて着いていっただけ。
なのに母が代表で言った事にされていた。
保護者の中にはこの担任を気に入ってる人も居た。
この担任は結構ひいきもしていたから、自分の言うことを聞く子は成績も良い。
そんな保護者から「○○先生を追い出してしまって‼あんな良い先生居ないのに💢」などと、弟が卒業するまで色々と酷いことを言われたらしい。
ずっと誤解されたまま…
私は細かい作業が大嫌い。
もつれた紐を解く事ができず、いつも祖母か父に「やって❗できん💢」と言って渡していた。
未だにそれは変わらず、今は旦那にやってもらっている(笑)
裁縫も大嫌いで、制服のスカートの裾がほつれていても平気だった。
母に女の子なんだから自分で縫うように言われたからやってみたけど、まっすぐ縫えない。
何度やり直しても同じ。
見兼ねた母が呆れながら縫ってくれた。
みじん切りも大嫌い。
いつまで経ってもできないし、物凄く時間がかかる。
だからいつも料理の手伝いは、妹が切る係で私は炒めたりする係。
小学生の時から何度も挑戦したけど、うまくできなくて母に「私にはできん❗」と言った。
母は「すぐに諦めずにやんなさい。そのくらいできないでどうすんの❗」と言ってきた。
私は泣きながら自棄になってやった。
みんなには簡単にこなせるような事が、私には結構難しかった。
髪の毛をくくるのも、高学年になっても母にしてもらっていた。
朝ご飯を食べてる間にいつも母がくくってくれる。
でもある日、「もう大きくなったんだから自分でくくりなさい」って言われた。
どうやってくくれば良いのか分からない。
鏡の前に行って母に教えてもらいながら何度も練習をした。
でもウマくできない。
妹は少し練習したらできるようになったのに…
私は何度やってもウマくいかない。
腕はダルいし髪は沢山抜け落ちてるし…でもできなくて悲しくて涙が出始めた。
母に「もうできん❗💢」と怒って言った。
母は「○○ちゃん(妹)はできてどうしてアンタはできんの❓くくれんのんだったらもう髪切りなさい」と言われた。
それから何度も練習したけど、その日はできなかった。
母に「本っ当に不器用やねぇ…」と呆れられた。
次の日も何度も練習をした。
やっとくくれた。
母に「やればできるじゃん」と言われて嬉しかった。
でもくくるのに凄く時間がかかってしまうから、朝は変わらず母にくくってもらっていた。
私は自分が不器用なのはよく分かっていた
このままだといけないと思って、4年生の時に手芸クラブに入った。
始めは縫い方から教えてもらった。
直線の上を波縫いしていくんだけど、まっすぐ縫えてない💧
ほどいてやり直してる私はどんどん遅れていく…
他の子達は玉止めを教わっていたけど、私はまだ波縫いが終わってない💧
そんな感じで毎回、私はみんなより少し遅れていた。
1学期の終わり頃にぬいぐるみを作る事になった。
不器用な私は何やら分からない物が出来てしまった(笑)
みんなは猫だったり羊だったりウマく作ってるのに…
私は紫色の『まっくろくろすけ』のような『ぷよぷよ』のような何だろう…貰っても全然嬉しくないような物になった💧
取り敢えず出来た物を持って帰って母に「クラブで作ったからあげる」と渡した。
母は苦笑いしながら「何これ…❓」って。
う~ん…
布でボールを作った事にした。
母は「自分で使ったら❓」と言ってきた。
えっ💧私が使うの…❓
仕方ないから祖母に「手の運動に使って」と渡した(笑)
祖母は「ありがとう」と言って受け取ってくれた(笑)
手芸クラブを1年間やってみたけど、やっぱり私には向いてないなと思って、5年生の時は科学クラブを選んだ。
初クラブの日に行ってみると、女子は私しか居なかった💧
うわぁ…やった…やってしまった…orz
でも科学クラブは凄く楽しかった。
アルコールランプでべっこう飴を作ったりスライムを作ったり。
私がうまくできなくても同じ班の6年生が手伝ってくれる。
もう1年やろうかと思ったけど、やっぱり女子が居ないのが寂しくて6年生の時はバドミントンクラブを選んだ。
私が4年生くらいの時に母がママさんバドミントンのサークルを作った。
母は高校生の時にバドミントンをやっていたらしく結構うまい。
母の友達や近所の人、バドミントン経験者の人が結構集まって、毎週日曜日に学校の体育館で練習をしていた。
私はそれについて行って母のラケットを借りて友達とやっていた。
だから私はバドミントンが結構好きだった
バドミントンクラブは女子ばかり。
友達は1人しかいない⤵
ママさんバドミントンで一緒の子が居ると思ってたのに居なかった。
他のクラブに入ったらしい…
クラブでは楽しみながら、母に追いつけるよう頑張ろうと思った。
その隣ではバトンクラブが練習をしてる。
バトンクラブには3~4年生の時に親友だった子が居る。
休憩中はよくその子と話してた。
バトンを貸してもらって回し方を教えてもらったり、ダンスを見せてもらったり。
6年生になると5月の連休にある大きなイベントのパレードに出してもらえるらしくて親友は頑張って練習をしていた。
5月。
祖母と一緒にテレビでパレードの中継を見てる時に親友を発見した。
「見て❗○○ちゃん出てる❗」
興奮しながら言った。
チアガールみたいな衣装にベレー帽をかぶってバトンをクルクル回してる親友。
スゴいなぁと思った。
5年生になるとまた男の先生だった。
でも3~4年の時の担任とは全然違い、優しそうな『お父さん』という感じの担任だった。
実際、その先生には奥さんと子供も居る。
奥さんが体の弱い人で入院してるとか言ってたような…
そのせいか、研修や出張以外でも休む事があって自習になる事が多い担任だった。
自習は月3~5日はあったと思う。
3~4年の時に比べれば落ち着いたけど、終わりの会を長引かせる子ともまた同じクラスになった。
私は5~6年生の時は5年生になって仲良くなった子達といつも4人で居る事が多かった。
1人は三姉妹の末っ子で、少し口が悪くて思った事をバンバン言ってくる。
2人目は、その子の親友で4人兄弟の2番目。しっかりしていて親友が言った事のフォローをする事が多い。
3人目は2人姉弟の長女。
普段は大人しいけど、男子に「ブス❗」ってよく言われてギャーギャー怒ってた💧
あだ名は『黒ブタ』(笑)
そして私は『白ブタ』(笑)
名付けたのは三姉妹の末っ子。
夏祭りにそのメンバーで行った。
母に夜9時に帰ってくるように言われていたけど、友達がまだ居たから私も残りたかった。
時間を過ぎてるのは分かっていたけど、結局10時過ぎまでコンビニの前で友達と話し込んでいた。
帰ると母が鬼の形相で玄関に居た💧
「早く帰んなさいって言ったでしょ💢おじいちゃんも心配して家の周りをウロウロしてるよ❗おじいちゃんに帰った事言っておいで❗」
「分かった💦」
祖父母に「ただいま」と言った。
祖父がもっと早く帰るようにとブツブツ言っていた。
はいはい、と聞いてサッサと3Fに上がった。
母に「アンタが帰るの遅かったら、お母さんがおじいちゃんから色々言われるんだからね❗分かってるでしょ⁉」
「うん…」
「明日はこんな事ないように❗」
「は~い」
朝起きるとメチャクチャ頭が痛い。
吐き気もする。
私「おはよう…頭痛い…」
母「昨日、帰るの遅かったらバチが当たったんよねぇ(笑)」
私「熱計ってみる」
37.8℃。
私「そんなに熱高くなかった。37.8℃」
母「今日は大人しく寝ときなさい。お祭りも今日は無しね」
私「うん…」
翌日になっても頭痛は酷いし熱もあったから病院へ連れて行ってもらった。
検査結果は髄膜炎だった。
検査をするのに腰に針を刺されて骨髄液を抜かれる。
何度も失敗されて涙が出てきた。
その頃は何故かうつらないとされている髄膜炎が流行っていて、病室が満室だと言われた。
入院できないから1ヶ月自宅療養をする事になった。
夏休み中の行事
学校からのキャンプ
母の実家への帰省
少年少女船の旅(種子島へ行く予定)
は全部キャンセル。
1ヶ月間ほぼ寝たきりの状態で過ごす事になってしまった…
6年生も同じ担任。
相変わらず自習が多い。
自習の時はみんな好き勝手な事をしていた
6月になると修学旅行があった。
行き先は京都と奈良と滋賀。
京都は平等院や金閣寺、清水寺に行った。清水寺では賢くなる水を飲んできた😁
全然効かなかったけどね(笑)
逆に効いててコレだったらヤバいわ~😱
奈良は東大寺へ。
東大寺は家族旅行でも来た事があった。
ここでも賢くなる穴を通り抜けたんだけどなぁ…おかしいなぁ…(笑)
ここの鹿はおじぎをしてくれる。
私が住んでる県にも鹿が居るけど、バッグを漁ってきたり鹿煎餅を全部持って行かれたりと結構荒い。
この差は何…💧
滋賀県は琵琶湖のすぐそばのホテルに泊まった。
あれ❓旅館だったかな💦
近くに遊園地跡🎡みたいなのがあった気がする。
そこの部屋の電気の紐がおかしくて、引っ張っても何かが引っかかってる感じで電気が消えなかった💧
先生に来てもらって何とか消してもらったけど、豆球にしたくて点けたらまた消えない💧
また先生に来てもらうことになった。
その後、宿泊メンバーの誰かがタオルを無くし、電気を点けるとまた消えない⤵
また先生を呼んだ。
最後はちょっと困ったけど、結構楽しい修学旅行だった。
秋。
終わりの会を長引かせる子と一緒にトイレから帰ってきていた。
私はその子に対して苦手意識はあったけど仲が悪いというわけではなかった。
逆にその子は私の事を気に入ってるらしくベタベタとひっついてくる💧
家も割と近かった事もあり、一緒に帰ったり遊んだりする事もあった。
その子と廊下を歩いていると、明らかにその子に向かって男子が「クサっ」と言ってきた。
確かにその子はよく臭っていた💧
猫を沢山飼ってたし、お風呂が付いてないアパートに住んでたし。
でもそれは禁句…
言ってしまったね😒
絶対終わりの会で言われるよ⤵
はぁ…また長引くのか…
などと思っているとその子が急に走ってどこかへ行ってしまった。
授業時間になっても帰ってこない。
どこ行ったんだろう…
担任にその子の行方を聞かれたけど「分かりません」と答えた。
しばらくして担任とその子(名前はS)が戻ってきた。
お母さんは帰ったらしい。
終わりの会が始まった。
そしてやはり、悲しかった事のコーナーで男子が「クサっ」と言った話が出た。
「今日、○○くんが私に『クサい』って言ってきました」で始まった。
男子「言ってません」
S「言いました」
男子「言ってません」
S「証人もいるんです。言ったよねぇ❓△△さん」
えっ💦私⁉😱
みんな言ってないって言えみたいな顔で見てるし💦
うわぁ~どうしよ😨
私「う~ん…言ったのかなぁ…ちゃんと聞いてなかったから…ごめん💦」
S「言ったじゃん💢○○くん、謝ってください」
男子「言ってないから嫌です」
S「私には聞こえました」
男子「……ごめんなさい」
S「許しません。私は傷つきました」
男子「ごめんなさい」
S「許しません。心から謝ってるようには見えません」
男子「ごめんなさい」
S「いいよ。もう二度と言わないで下さい」
男子「はい」
その後、男子とSと私は職員室に連れて行かれて担任と話し合いをした。
男子には、思った事を何でも口に出してはいけないと言っていた。
Sには勝手に学校を抜け出さないように注意していた。
私には何も無し。ただ呼ばれただけだった
2月。
卒業式まで後少しっていう時だった。
突然Sのお母さんが亡くなった。
アルコール依存症か何かで内蔵がメチャクチャになってたと大人の人から聞いた。
私はお通夜の時もお葬式の時もSにずっと付き添っていた。
Sは終わりの会でいつもこんな感じだったから嫌ってる人が多く、友達という友達がほとんど居ない。
Sはずっと泣いていた。
私もその横で泣いていた。
Sは4人姉妹の末っ子。
それぞれ父親が違うからか、みんなバラバラに引き取られていった。
Sは県外に居る叔父さんに引き取られる事になって卒業してから引っ越していった。
ホッとした人も結構居たけど、私はこんな事になるならもっと優しくしておけば良かったと後悔した。
今どうしてるかなS…
私の実家がある町には小学校と中学校はそれぞれ1軒ずつしかない。
卒業式でみんな泣いても、中学校へ上がればまた同じメンバー(笑)
お別れするのは先生達や引っ越す人だけだった。
中学校には不良が居ると聞いていた。
「目を付けられんように気を付けるんよ」と三姉妹の末っ子にも言われていた。
中学校に上がると本当に不良と呼ばれる人達が居た。
3年生だった。
目立つのは一部の男子だけで、女子はいかにも不良って感じの人は居ない。
でも女子の中では『呼び出し』が健在でトイレに呼び出される人も居たらしい。
目立つのは6~7人の3年生の男子。
多分、不良最後の生き残り(笑)
上は短ランや長ランを着ていて、下はボンタン。赤や紫の靴下を履いている。
髪の毛は赤色だったり金色だったり茶色だったり。
彼らはよく授業をサボって校舎裏でタバコを吸っていた。
それを巡回してる先生が見つけて走って注意しに行ってる姿を授業中に眺めるのがちょっと面白かった。
中1の時の担任は30代の男の先生で、美術の先生だった。
ちょっと変わり者だけど真面目な先生。
その先生は不運な事に(笑)クラブの顧問でもあった。
5~6年生の時に同じクラスだった子と気が合い、中学生の間はその子が1番の親友になった。
中学3年間、一度も同じクラスにはなれなかったけど…
名前はKさん(名字)
結構美人。
でも髪が凄く短くてボーイッシュな子だったから、私はKくんと呼んでいた。
そして私のあだ名は『(パーマン4号の)ぶーやん』(笑)
時々『ツンパ』って呼ばれる事もあった。
これはメチャクチャ嫌だった💧
当時の週刊ジャンプの『変態仮面』が面白くてよく話題に出してたから
変態仮面➡パンツ仮面➡ツンパ仮面➡ツンパになったらしい。
(私が)小3~4年の時の担任にボコボコにされたっていうのがこの子のお兄ちゃん。
Kが一緒のクラブに入ろうと誘ってきた。
私は背が高くなりたくて、バスケやバレーを選ぼうと思っていたけど、Kは「料理部にしよ」と言ってきた。
すぐOKした。
中学生だし、料理もウマくならないとね👍
クラブ決めの紙を提出する日。
直前になってKが「やっぱり卓球部にしない❓」と言ってきた。
卓球かぁ…人がやってるのを見てたら楽しそうだしね👍
私はまた即OKして『卓球部』と書いて紙を提出した。
クラブの掲示板に初クラブの日程が書き出されていた。
当日、Kと体育館へ行ってみると3~4年生の時の親友も居た。
他の子達も仲が良い子ばかり。
めっちゃテンションが上がった✌
1年生は私を含めて9人。
その中に1人だけ私の苦手な子が居た。
4年生の時、すぐ注意して正座をさせ、最後に鉄板に座らせたあの日直(笑)
1年生の男子は6人居た。
普段、女子と男子は別れて練習をする。
部活中は私語禁止で、男子と話す事なんて滅多になかった。
顧問の先生が少し遅れてきた。
担任だった。
いきなり「やる気の無いヤツはサッサと辞めて他の部へ行けよ」と言ってきた。
ヒョエ~厳しい😱
私にとって卓球は、旅館とかでやってる楽しいイメージしかなかった。
3年生が練習してる姿を見せてもらうと、無言でピン球から目を離さずラリーを続けている。
何度も往復する球を見て、こんなに続くもんなんだぁと感心した。
でも………なんか陰気くさい(笑)
本当にやっていけるんだろうか…と心配になってきた。
Kを見ると、そんな先輩達を尊敬の眼差しで見てる。
Kはやる気満々って感じ。
1週間は仮入部だから嫌だったら辞められる。
取り敢えず、1週間、どんな感じなのかやってみる事になった。
女子の方の3年生は真面目な人ばかりで、ラケットの持ち方や素振りの仕方を熱心に教えてくれた。
私は左利き。
先輩の中に左利きの人が居なくて「えぇーどうやって教えれば良いんだろう…反対だから難しい💦」と言われてしまった💧
他の子達は素振りを始めたけど、私は2人の先輩に「こうかなぁ」とか言われながら持ち方を教わってる。
先輩の1人が顧問の先生に「このフォームで良いと思いますか❓」って聞いた。
顧問は「良いじゃろう」と一言。
みんなから随分遅れてやっと素振りを始める事ができた。
始めはちょっと…と思っていた卓球部だけど、実際にピン球を打ち始めてからは少しずつ楽しくなってきた。
Kは先輩の言う事を熱心に聞いてどんどん上手くなっていく。
その相手をする私も、そこそこ上手くはなった。
2年生には知ってる人が結構居た。
私は小さい頃から習い事が多くて、そこで学年男女問わず友達になる人が結構居る。
Kは真面目な3年生に可愛がられてたけど私はちょっといい加減な(笑)2年生に可愛がられていた。
Kは2年生のいい加減なところが嫌だったみたいで「先輩とは思えん。尊敬なんてできん」と言っていた。
2年生の男子の方に同じそろばん教室で仲良くなって、よく喋る人、Nくんが居た。
部活が終わってNくんと話してるとKが来て「誰❓誰❓ぶーやんの彼氏❓😁紹介して😁」と冗談交じりに言ってきた。
「違うよ(笑)同じ習い事で仲良くなったNくん。こっちは親友のK」と紹介した。
Kは「いつもぶーやんがお世話になってます」と母親のように挨拶した💧
それから私達は部活の休憩時間は3人で居る事が多くなっていった。
2年生の男子で知ってる人がもう1人居た
ピアノ教室が同じY。
この人………なんか変。
ピアノ教室では、生徒や先生の子供、合わせて30人くらいで毎年クリスマス会が開かれる。
Yの存在は前のクリスマス会や発表会で知っていたけど話したことは無かった。
6年生の時、クリスマス会の時間ギリギリになっていたから急いで先生の家に向かった。
先生の家までは走って30秒(笑)
もの凄く近い。
先生の家に着くと靴だらけで部屋に入るのも一苦労。
やっと靴を置けそうな場所を見付けてみんなの靴を飛び越えてその場所に着地。
靴を脱いで部屋に入ろうとした瞬間、手を引っ張られた。
後ろを振り返るとYが私の手を引っ張ってる。
「えっ❓💧」って思っていると「引っ張って。部屋に入れんから」と言われた。
そのままではバランスを崩すから、1度手を離して私は部屋に入った。
そこから手を出してYを引っ張り上げた。
小説・エッセイ掲示板のスレ一覧
ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
あがっしー だぜ0レス 76HIT ひびん
-
ゲゲゲの謎 二次創作12レス 111HIT 小説好きさん
-
私の煌めきに魅せられて24レス 205HIT 瑠璃姫
-
✴️子供革命記!✴️13レス 90HIT 読者さん
-
猫さんタヌキさんさくら祭り1レス 52HIT なかお (60代 ♂)
-
私の煌めきに魅せられて
「僕には,世界一可愛い彼女が居て。でも三年前、そのせいで,,,!コロナ…(瑠璃姫)
24レス 205HIT 瑠璃姫 -
あがっしー だぜ0レス 76HIT ひびん
-
わたしとアノコ
??? ちょっと何言ってるかわからないにゃん(・・)(小説好きさん0)
171レス 2046HIT 小説好きさん (10代 ♀) -
神社仏閣珍道中・改
(続き) 死後の裁きといえばたいていの人が思い浮かべる方がおられ…(旅人さん0)
222レス 7542HIT 旅人さん -
猫さんタヌキさんさくら祭り
そこで、タヌキさんの太鼓よくたたけるよう、太鼓和尚さんのお住まいのお寺…(なかお)
1レス 52HIT なかお (60代 ♂)
-
-
-
閲覧専用
🌊鯨の唄🌊②4レス 111HIT 小説好きさん
-
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?11レス 124HIT 永遠の3歳
-
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令1レス 125HIT 小説家さん
-
閲覧専用
今を生きる意味78レス 510HIT 旅人さん
-
閲覧専用
黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 949HIT 匿名さん
-
閲覧専用
🌊鯨の唄🌊②
母鯨とともに… 北から南に旅をつづけながら… …(小説好きさん0)
4レス 111HIT 小説好きさん -
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 124HIT 永遠の3歳 -
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 125HIT 小説家さん -
閲覧専用
おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1391HIT 檄❗王道劇場です -
閲覧専用
今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 510HIT 旅人さん
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
コンビニ店員、怖い
それは昨日の話 自分は小腹空いたなぁとコンビニに行っておにぎりを選んだ、選んだ具材はツナ おにぎ…
29レス 611HIT 張俊 (10代 男性 ) -
ディズニーの写真見せたら
この前女友達とディズニーに行って来ました。 気になる男友達にこんなLINEをしました。ランドで撮っ…
42レス 1214HIT 片思い中さん (30代 女性 ) -
ピアノが弾けるは天才
楽譜貰っても読めない、それに音色は美しい 自分はドレミファソラシドの鍵盤も分からん なぜ弾けるの
19レス 424HIT おしゃべり好きさん -
既読ついてもう10日返事なし
彼から返事がこなくなって10日になりました。 最後に会った日に送って、1週間後に電話と返事欲しい旨…
22レス 556HIT 一途な恋心さん (20代 女性 ) -
娘がビスコ坊やに似てると言われました
5歳の娘が四代目のビスコ坊やそっくりだと言われてショックです。 これと似てるって言った方も悪意…
18レス 432HIT 匿名さん -
一人ぼっちになったシングル母
シングルマザーです。 昨年の春、上の子が就職で家を出て独り立ちし、この春下の子も就職で家を出ました…
12レス 273HIT 匿名さん - もっと見る