なみだくんさよなら
いつまでも沈んだままでは居られないので今までの悲しかった事、苦しかった事、嫌な思いをした事など少しずつ吐き出していきます。
気持ちが切り替えられますように…
子供の頃はストレス発散や趣味で弾いていたピアノが、今度は逆にストレスになっていった。
でも嬉しい事もある。
小さい時、高校生や大学生のお姉さん達が弾いてた憧れの曲を自分で弾けるようになった。
相変わらず感情を込めて弾くのは下手だけど。
3年生になっても、忙しい毎日が続いていた。
そんなある日、Tさんから家庭教師の話が出た。
娘さんの家庭教師をしていた人に(英検を受けるために)英語を見てもらったらどうかと言われた。
その先生は帰国子女。
ご両親はお医者さんらしい。
母が見てもらえるよう頼んでくれた。
習い事がまた増えた…
習い事が2つ重なる日は週3回。
ピアノの先生の家は近いから、事情を話すと夜8時とか8時半からでもレッスンをしてもらえた。
家庭教師の先生は2ヶ月程経った頃に留学する事になって、あっと言う間に居なくなってしまった。
休む暇がほとんど無いと、たまに体調が悪くなる事もあった。
でも学校の友達と居る時間が楽しくて楽しくて熱があっても学校に行っていた。
お陰で高校は3ヵ年皆勤(笑)
入試の日。
入試も夏期講習や冬期講習とほとんど変わらない。
2年の時の夏期講習からもう5回目という事で結構慣れていた。
日程表を見ると、私は自分が受けるコースの中で1番にピアノを弾く事になっていた
ピアノの試験の部屋に入ると教授や学長が7人ズラッと座っている。
焦った💦
夏期講習や冬期講習では1人の教授が居るだけだったのに…
私は課題曲とピアノの先生が選んだ12分くらいのモーツァルトの曲(自由曲)を弾く事になっていた。
課題曲は緊張のあまり音がパラパラしてしまった💧
続いて自由曲。
ちょっと落ち着いてから弾き始めた。
イイ感じ👍
最後のテーマ(長調)に入る瞬間、何を思ったのか短調になってしまった😱
パニックで頭真っ白。
ヤバい💦
でも短調になった数秒後に「はい、良いですよ」と言われ、終わった。
ホッ💨
私がお辞儀をして部屋を出ると、何故か3人の教授も出てきた。
他の人は4人の教授に見られながらピアノを弾いている。
えっ💧何で私だけ7人…❓
その後も英語、国語、小論文。
それから聴音やコールユーブンゲン、歌と次々こなしていった。
最後に面接。
私は音楽教育コースと宗教音楽コースの両方を受けるから、両方の事を話さないといけない。
面接をする教授は学長や主任など合わせて7人。
ピアノの時もそうだったけど、こんなに人が多いと緊張する。
面接では、音楽教育の方はうまく自分の思いを話す事ができた。
でも宗教音楽の方は…関わった事が無いから実は何も分からない💧
前に何度かミサ曲を聞いた事があったからその歌が凄く良かった事と、見学に来た時にパイプオルガンに触れてみた時の感動を話した。
教授達は終始笑顔。
無事に終わった。
レッスン日じゃなかったけど、ピアノの先生に試験が終わった事を伝えに行った。
先生は「どうだった~❓緊張した❓」と聞いてきた。
続けて「○○ちゃん(私)は全然音大に行くようなレベルではなかったけど、それを承知で全力でやってきたもんね。もし受からなくてもそれはそれで仕方ないよ」と言われた。
私もそれはよく解っていた。
受験までの2年弱で小学生レベルから一気に高校生レベルに進んだ。
子供の時から音大を目指したり、コンクールに出てるような子とは全然違う。
合格発表の日。
なんと両方とも受かっていた。
私は第一志望の音楽教育コースの方に進む事にした。
ピアノの先生に報告すると泣いて喜んでくれた。
そして「合格して終わりじゃないんよ。ここからがスタートだからね。燃え尽きて終わってしまわないように頑張るんよ❗」と言われた。
一緒に受験したピアノコースの子も受かっていて、春から駅で待ち合わせして一緒に通うことになった。
高校の時の親友達も同じ市内の大学に合格していて、同じ電車で通うことになった。
クラスのほとんどの子が推薦入試を受けていたから早くに結果が判っていて、3年生最後の方は車の免許を取りに行ったり遊んで暮らしたり。
私は推薦枠が無い学校を選んだから、最後まで忙しくて遊ぶ暇も車の免許を取る時間も全く無かった。
教育コースは入学するとすぐに副楽器を決めないといけない。
弦楽器、管楽器、打楽器…色々ある。
私は息が続かないから、管楽器はまず無理だと思った。
打楽器…リズム感が悪いからチョット…
そうすると弦楽器しかない。
チェロの音が好きだからチェロが良いと思ったけど、意外と大きいから手が小さい私には難しいかも…
ヴァイオリンはキーキー高い音が苦手。
という事で、私はヴィオラを選んだ。
楽器屋さんへ行ってヴィオラを見せてもらった。
全くの初心者だから、自分に合った物をお店の人に探してもらった。
選んだのは20万円のヴィオラ。
深い音がして気に入った。
母が鼻の穴を広げながら「20万⁉大事に使ってよ😒」と言ってきた。
お店の人が使い方を教えてくれて軽く弾いてみる。
全然ウマく弾けない(笑)
ドラえもんのしずかちゃんがヴァイオリンを弾くのと同じような感じ(笑)
帰って嬉しくて弾きまくった。
父にうるさいからやめてくれと言われた😭
コース別に部屋に集められてコース主任の先生から、これからについての話しがあった。
音楽教育コースは18人。
当たり前だけど知ってる子は1人も居なかった。
周りを見るとみんなピアノが上手そう…
私と違って勉強や歌もよく出来るんだろうな…
そんな事を思いながら主任の話しに耳を傾ける。
資格やどういった仕事に就けるかという話しをし始めた。
在学中に教員免許を取ったら中学・高校の音楽教員になれる事が分かった。
教員免許を取らなくても、卒業して子供達に自宅でピアノを教えるピアノ講師になる事もできる。
カワイやヤマハなどの音楽教室で講師として働く事もできる。
最近は2年生辺りからパソコンの資格を取ったりして音楽とは全く関係ない所に就職する人も増えてきている。
仕事についての話しはそれで終わった。
あれ……❓
幼児関係の就職は❓
もしかして幼稚園や保育園の先生にはなれないの…❓
その時初めて気付いた。
幼稚園や保育園の先生という選択肢がない事に。
そして高校の時の進学指導の先生とちゃんと話が通じていなかった事に…
でも進んでしまったものは仕方ない。
もう後戻りはできない。
気付くと周りはみんな楽しそうに話したりしている。
学校のすぐそばに女子寮があって、他県から来てる子のほとんどがその寮に入っていた。だから寮の子は寮の子同士仲が良い。
他の子達もそれぞれ同じ高校出身だったりで、楽しそうに話してる。
私は1人ポツンとしてた。
教育コースでは仲の良い友達っていうのがすぐにはできなかった。
私はいつもピアノコースの友達と一緒に居て、その友達の友達、またその友達と一緒に行動していた。
ピアノコースの友達には声楽コースの子も居た。
私はその子と仲良くなって同じサークルに入った。
ドイツリートっていう、ドイツの歌を歌うサークル。
十数人中、4年生の男の先輩と私以外はみんな声楽コースの人達だった。
先生は声楽の先生で、旦那さんがドイツ人でドイツ語ペラペラ。
新入生歓迎会があった。
ピアノ、副楽器、サークルの計3回。
未成年だけど少しだけならと3回ともアルコールを注文した。
私は中学生の時に夜中に試験勉強をしていて、ちょっと休憩ってリビングに行った。
父と母がコタツで寝ていて、コタツの上にはワインと梅酒が置いてあった。
ちょっとだけ…と思って50mlくらいずつ飲んだ。
少しして、吐きそうになってトイレにこもった。顔色は青白い。
頭痛はするし最悪。勉強どころじゃない。
悪酔いというやつを経験した。
それ以来、アルコールは飲まないようにしていた。
また悪酔いしたら嫌だから…
サークルの新歓は声楽の友達と一緒に座った。
その子はアルコールを飲むのが初めてだと言う。
割と飲みやすいカシスオレンジを2人で注文する事にした。
友達は「おいし~🎵」って2杯、3杯と次々飲んでいく。笑い上戸なのか、ずっとヘラヘラ笑ってる。
先輩達も「大丈夫❓💧」と聞いてるし、私も「そろそろ止めといたら❓」と言っても「大丈夫大丈夫❗」と。
でも呂律が回ってない。
私は1杯目で顔が真っ赤になったからそれ以上は飲まなかった。
帰る時間になった。
9時近くになってたから駅まで路面電車で帰る事にした。
友達はフラフラしてる💧
路面電車の中で「お酒っておいしいね🎵」とヘラヘラ笑いながら言ってくる。
「そうだね」とか適当に相槌を打ちながら駅に向かった。
駅に着いてホームに向かった。
階段を降りてると電車がもう来てる事に気付いた。人もいっぱい居る。
「もう電車来てるよ」と言いながら私が先に乗った。
続いて友達が…
電車の段差につまずいて電車にドタァと倒れ込んだ💧
みんな「えっ❓💦」って感じで見てる。
友達はなかなか起きあがらずそのまま倒れたまま…
「大丈夫…❓」と引っ張り起こすと「大丈夫。何が起きたんか分からんかった。でも顔がひんやりして気持ちいいなぁって思って(笑)」と笑いながら答える。
………
「そうなん💧あんまり飲み過ぎるとそういう事になるから気を付けてね」
「うん」
アルコールで赤くなっていた私の顔は、恥ずかしさで更に赤くなっていたと思う。
友達は途中の駅で降りて帰って行った。
お父さんに迎えに来てもらうよう、電車に乗る前に言っておいて良かった。
私はその頃、人生で一番太っていた。
高校生の時からの不規則な食生活から抜け出せていなかった。
身長(m)×身長(m)×22=平均体重っていう計算式に当てはめると、平均体重より14kg重い。
6月頃にはしょっちゅう心臓付近が痛くなっていて「このままじゃ死ぬ❗本気でヤバい」と思い始めていて、夏休みに入ってすぐダイエットをスタートさせた。
朝起きてすぐ、ベッドの上で腹筋30回。
足上げ(足を30゜~60゜の往復)30回。
逆自転車こぎ30回。
腕立て伏せ30回
背筋10回。
歯磨き中は階段で踏み段昇降30回。
かかと上げ30回。
朝ご飯はヨーグルト、果物、野菜ジュースそしてビタミン剤。
朝食後はダンベル体操3種類、それぞれ30回。
お昼ご飯はゆで卵2個、野菜ジュース、ビタミン剤。
バレエを習ってる子がやってるような基礎練習❓(足を上げたりするやつ)を30回。
ラジオ体操。
昼ドラを見ながらダンベル体操3種類×30回。
首回し3種類3セット。
夕方。
起きてすぐのメニュー+ダンベル体操。
散歩1時間。
晩御飯は野菜多めで普通の量の食事。
お風呂に入る前にダンベル体操。
っていうのを1ヶ月続けたら9kg減った。
身体も締まって今まで着てた服がダボダボに。近所の人や親戚にも痩せたねと言われて嬉しくなった。
更にそこから半月程ダイエットを続けて3kg落として随分スッキリした。
結構髪も伸びてたから美容院に行って肩の上辺りまで切ってもらった。
「カラーリングします❓」と聞かれ、人生初めて髪を染める事にした。
美容師さんに「なるべく目立たない色でお願いします」と言うとダークブラウンを選んでくれた。
出来上がるとちょっと別人みたいでワクワクした。
帰って母に「見て❗染めてもらった❗」と言ったら「良いんじゃない❓あんまり目立たない色だし」と言ってくれた。
嬉しくて祖母にも見せに行くと「染めたんね⤵染めたら不良みたいでおばあちゃんは嫌だわ。○○ちゃんは黒い方が似合うよ」ガッカリした。
でも染めてしまったもんは仕方ない。
しばらくはこのままで居るよ。
夏休みが終わると、コースのみんなも髪型が変わったりカラーリングしたりと随分オシャレになっていた。
でもやっぱりコースの中で一番変わったのは私だった。
コースのほとんどの子に「痩せたね❗」「どうやって痩せたん⁉」「変わったね❗」などと言われた。
それから少しずつコースの子とも仲良くなっていった。
後期からはコースの子達と一緒に居る事が多くなった。
飲み会とかもよく誘われたけど、私は家が遠いから断ったり途中で抜ける事が多かった。
寮の門限は夜9時で、8時半までに寮に連絡を入れたら延長できる。
最終門限は夜10時。
寮生は10時までに帰れば良い。
他の子は家が割と近かったり1人暮らししてたから、深夜まで遊ぶ子も居た。
私はというと…
地元の駅に着く最終電車の発車時間は10時頃。
学校の近くに居る場合は9時過ぎには帰らないと間に合わない。
私はそれが不満だった。
学校の近くで1人暮らしがしたいと両親に話したら「自分の事もまともにできんのに1人暮らしなんてできるわけない」と言われた。
「どうしても1人暮らしがしたかったら寮に入りなさい」とも…
例え友達が居ても寮は嫌だった。
理由はルールや当番があるから。
掃除当番や食事当番、ミーティング、テレビを見る時間、門限など。
面倒くさい…
お昼は寮で給食があるから寮に帰らないといけないし、食事当番の人は配膳などしないといけないらしい。
部屋は6畳でベッドと机があるだけ。
こんな生活、私には無理だと思った。
だから1人暮らしがどうしてもしたくて仕方なかった。
前期は寮に居た子も、寮のルールなどが面倒くさくて後期からは1人暮らしにしたっていう子が5人居た。
でも両親は断固ダメだと言う。
その事で時々喧嘩になっていた。
大学生になってからの私の小遣いは月1万円だった。
その中からケータイ代を出すように言われてた。
当時は今みたいに割引プランはほとんどなく、基本料4千円前後+通話料で毎月7~8千円はケータイ代で無くなっていた。
実質、私の小遣いは2~3千円だった(笑)
母と喧嘩をした。
「自分の事もまともにできんくせに❗自分で稼げるようになって好きな事やんなさいよ❗」
私はその言葉にイラっとして、前から気になっていたアルバイト募集してるお店の前でお店の電話番号を控えた。
そして高校の時の友達に付き添ってもらってお店から数十メートルくらい離れた場所から電話した。
忙しくなさそうな時間に
「お忙しい時間にすみません。アルバイト募集の貼り紙を見たんですが…」と連絡した。
翌日面接を受けることになった。
履歴書を持って来て欲しいって言われたから、履歴書の用紙を買って写真を撮って着々と準備をした。
面接を受けたら、来週から来るように言われた。
私が選んだお店は駅に入ってるカフェだった。
帰って母に「私、アルバイトする事にしたから。面接も受かって来週から来るように言われた」と話した。
母「ふ~ん。水商売ね⁉」
私「違う❗カフェ。喫茶店」
母「あっそう。好きにすれば。でも本業は学業だからね❗」
12月からアルバイトを始めた。
社員さんは3人で、1人が店長、残り2人は副店長。
制服を着てお店に入ると、アルバイトの人はキッチンに2人、ホールに2人居た。
3歳上の人が私の教育係になった。
すごくよく気が付く人で、優しくて真面目で色々と教えてくれる人だった。
みんなからは『姉さん』と呼ばれていた。
姉さんは5人姉弟の一番上らしくて、面倒見も良い。
私は姉さんと私と1日違いで入った子と一緒になる事が多かった。
私と同い年の子は8人。
アルバイトが終わった後、更衣室で話したりするのが楽しくて、毎日でもアルバイトがしたかった。
その内、私も慣れてきて色んな時間帯に入るようになった。
一番苦手だったのは朝8時からのシフト。
6時半の電車に乗って行かないと間に合わない。
6時半からのシフトもあったけど、始発で行っても間に合わないから私は6時半のシフトには出た事が無かった。
8時からのシフトに入ると、30代後半の苦手なオバサンが居た。
口ばっかりで全く動かない💧
お客さんが来たら
「はい、おひや2つ出して❗」
お客さんが帰ったら
「はい、下げてテーブル拭いてきて❗」
料理ができたら
「はい、これあそこの席に持って行って」
ずっとこんな調子。
いつもお客さんが少なくなってきたら、姉さんや社員さん達に拭き掃除をするように言われてたから拭き掃除を始めると、私の横についてベラベラ喋ってきて邪魔をしてくる。
姉さんや社員さんには私語は禁止って言われてたけど、このオバサンの方が先輩だしずっと無視するわけにもいかず、軽く返事したりしていた。
社員さんが私の方を見て「○○(名字)ちゃん、口は良いから手を動かす❗」と言ってきた。
すぐ社員さんに「えっ❓私ですか❓💧だって○○さんが…」って言いかけたらまた社員さんが「はい、手を動かして」と言ってきた。
何だか腑に落ちなかったけど「はい」と返事をして掃除を始めた。
オバサンが帰る時間になった。
時間になったと同時に社員さんがすぐ「○○さんお疲れ様でした~」と言った。
オバサンはまたベラベラ喋り始めた💧
社員さんは苦笑いしながら「はい、お疲れ様です~」と言ってサッサと帰らせようとする(笑)
オバサンが帰った後「あの人いつもあんな感じなんよ。困っとんよね」と社員さんが私に言ってきた。
「さっき、私が掃除してたら横につかれてベラベラ喋ってきたんでどうしたら良いのか分からなくて合わせてたんです💦」と言うと「分かっとるよ。そんなん見てたら分かるし。あの人が喋ってきたら無視していいよ」と言われた。
キッチンに居るアルバイトの人達もこのオバサンを嫌ってるみたいで、結構冷たくあしらっていた。
姉さん以外の人はみんなこのオバサンを嫌ってるらしい。
私はそんなオバサンに好かれてるらしい💧
一緒のシフトになると必ず私に話しかけてくる。
そして持ってきたおやつやジュースをくれる。根は良い人なんだろうけど…
オバサンがベラベラ喋り始めると社員さんが助けてくれた。
社員さんが私に用事を頼んでオバサンから離す。
そんなオバサンが辞める事になった。
母親の介護で忙しいらしい。
最後の日に「これ、有名なお店のシュークリームなんよ」とみんなに持ってきてくれた。
私にも「後で食べてね」と言ってくれたけど、実は甘い物が苦手な私。
シュークリームは苦手を超えて嫌いな方だった。
笑顔で「有難うございます😃後で頂きますね」と言ったけど、結局食べられず他の人にあげた…
アルバイトを始めて3ヶ月くらい経った頃に、社員さんからキッチンでの仕事もしてみないかと言われた。
キッチンの人数が足りないらしい。
キッチンは6人+社員さん3人が入れ替わりでやってる。
それに対してホールの方は20人近く居たから溢れてる状態。
私は不器用だから不安だったけど、キッチンのアルバイトの人達が丁寧に教えてくれて作り方を覚えていった。
忙しかったり手の込んだ事は社員さん達がフォローしてくれる。
私はキッチンとホール、両方をするようになった。
普段は学校帰りの夕方5時~9時半までアルバイトしていた。
土日は朝8時からだったりお昼12時からだったり。
時々、朝8時~夕方6時やお昼12時~夜9時半までっていう2つのシフトが重なってる時もあってクタクタになっていた。
その分、給料の貰える額も上がる。
時給は700円。
学校が忙しい時期は月4万円くらいで長期休暇に入ると交通費込みで10万円くらい貰えた。
私はアルバイトを始めてからお小遣いを貰うのをやめた。
ケータイ代、化粧品、服、バッグ、靴、外食代は全部自分の給料から出すようになった。時々、定期券代も自分で払っていた。
春休みに入る頃、思いっきりアルバイトしようと思ってシフトの変更届けを出さなかった。
出来上がったシフト表を見ると、朝8時~夕方6時やお昼12時~夜9時半までのシフトが多かった。
よし❗頑張ろ❗って思っていた矢先、母が入院する事になった。
子宮筋腫の手術をするからしばらく家の事をして欲しいと頼まれた。
えっ…💧もうシフト表出来てるから今から変更は厳しいし…どうしよう😥
社員さんに母が入院する事を話しラストまでのシフトは他の人に代わってもらった。
夕方6時までのシフトには入る事になった
学校帰りに夕食の買い物をして帰宅。
すぐに掃除して夕食の準備。
食べ終わったら妹と洗い物。
それが終わったら洗濯。
母に頼まれてた町内会に配る封筒の準備。
1人で配りに行こうと思ったけど、父が着いてきてくれた。
夜12時、封筒配り(玄関ポストに入れるだけ)
翌朝、朝食準備。
学校➡帰宅
掃除、夕食準備。
妹と洗い物。
洗濯。
春休み。
父に朝食のみんなのパンを託して朝6時過ぎに家を出てアルバイトへ。
夕方7時半帰宅。
夕食準備
妹と洗い物
洗濯
⬆を1週間程続けていたら母が退院した。
母のお見舞いには1回行っただけだった。
私は母に対してイライラしていた。
もっと早く入院するって分かっていればシフトの調整だってできたのに。
春休みに入ってから入院したら良いのに何でまだ学校がある時に入院するかなぁ…
母は「ありがとう。助かったよ」と言ったけど私は素直になれなくて「ふん😠」っていう感じだった。
母が「アルバイトを休んで頑張ってくれたから、その分のお金渡しとくね」と言ってきた。
私はまだ素直になれなくて「要らない😠」と言った。
母は困った顔をしていた。
休日に父が珍しく私に買い物行こうと言ってきた。
デパートに連れて行ってくれて「何でも好きな物を買いなさい。この前、家の事を頑張ってくれたからご褒美」と言われた。
私はまた素直になれなくて「要らない」と言った。
父は「まぁ、そんな事言わんと。靴でも買ったら❓」と言ってきた。
私は「うん…」と言って適当に靴を見た。
でも欲しい物がない。
父は普段、買い物に来る人ではない。
そんな父がわざわざ来てくれてるし選ばないのも何だか悪い気がして、履きやすそうな安い靴を選んだ。
父「それで良いん❓」
私「うん」
私は親不孝物。
その靴は1回履いただけで後はずっと下駄箱の中で眠っていた。
私は大学1年の6月に初めて自分のケータイを持った。
ケータイ自体は高3の時から持っていたけど、そのケータイは家族の物でみんなが交代で使っていた。
家にあるケータイは2台。
同じ機種の色違い。
私は習い事で夜遅かったり遠くに行く事が多かったから、1台はほとんど私が使っていた。
その頃のケータイっていうのはまだインターネットは出来なかったし、画面もモノクロ。
でもショートメールの機能はあった。
私がケータイを持つのと同時に母も契約して、家にあった2台のケータイはそれぞれ妹と弟が使う事になった。
私は請求書に同封されてある広告に載っていた友達広場のような音声掲示板をよく利用するようになった。
色んな人と話すのが楽しくて、どんどんハマっていく。
利用する度に通話料がかかるから、請求額が一気に上がって1万を超えることが増えた。
利用を少し控えようと思って、相手の人達と番号交換をしてショートメールをするようになった。
ショートメールの送信料1回10円。
通話料よりは安い。
でも毎日何通もメールのやり取りをしていたらやはり結構な額になってしまう。
小遣い1万円から出すのはキツかった。
それでもメル友と話すのは楽しくて、常に3~5人のメル友が居る状態。
私は会ったりするのが嫌で、わざと県外の人とメールをするようにしていた。
そんな中、1ヶ月以上毎日メールしてた人が実は同じ県内の人だという事が判った。
やってしまった…orz
地域ネタで盛り上がる内に、突然会おうと言われた。
何とか誤魔化して逃げようとしたけど、結局会うことになった。
憂鬱…💧
相手は私より5歳上の23歳。無職。
20歳の時に国立大学を中退して、しばらくフリーターをやってたけどそのアルバイトも辞めて今は遊んで暮らしてると聞いた。
住んでる場所は私が通ってる大学のもう1つの校舎(普段通ってる学校とは違う地域にあって、週1回そこで授業を受ける)の近くに住んでると言う。
人通りが多い所が良いと思い、普段通ってる方の学校がある大きな駅で待ち合わせする事になった。
親にもメル友に会ってくると言って出掛けた。
お昼1時待ち合わせ。
時間になっても来ない…
毎日寝るのが朝方4時頃の彼。
まさか寝てるんじゃ…と思い、電話してみた。
出ない…💧
少し経ってまた電話してみたら今度は出てくれた。
でも寝ぼけた感じで「ごめん、今起きた」の声。
前日、寝坊せんといてよって言って「分かってるって」と言っていたのに(笑)
「じゃあ、今日は会うのやめよ。また今度ね」と言ったけど、彼は今からすぐ行くから待っててと言ってきた。
急いで来ても30分はかかる。
私は駅ビルで時間を潰すことにした。
30分経った辺りで待ち合わせ場所に行ってみたけどまだ来てないっぽい。
更に10分待っても来ない。
渋滞に巻き込まれてんのかなと思って電話してみた。
私「後どれくらいで着きそう❓」
彼「20分くらいかな❓」
私「えっ💧車混んでる❓」
彼「ううん。お風呂入ってたから遅くなった」
私「お風呂⁉そっかぁ…💧じゃあ、気を付けてきてね…」
彼「うん」
待ち合わせに遅れてんのにお風呂に入る余裕があるのか…💧
3時頃になってやっと来た。
今のケータイみたいに写メの機能が無い時代。
お互い、服装を教え合ったり車のナンバーを聞いていたからすぐに判った。
「遅れてごめん。二度寝してもうて。まさか寝坊するとは思わんかった。ハハっ💦」
まぁ、誰にでも失敗はある。
「気にしなくて良いよ👍」
彼が行きたい所あるんだけど…と言ってきた。
良いよ~と言って歩いて着いていく。
着いた場所は駅のすぐ近くにある場外競馬場だった。
初めて行く場所。
私は場違いな感じでかなり戸惑った。
彼「好きな番号言って」
私「3❓」
当たらなかったらしい(笑)
その後、また行きたい場所があると言われ車で移動する事になった。
着いた場所はデパートだった。
「サイズ直し頼んでて取りに来るの忘れてたんよね」
少しデパートの中をウロウロして食事をしようという事になった。
地下に友達と行った事がある海鮮丼屋さんがある。
しかもリーズナブルなお値段。
相手が無職だという事を考慮して、そこに行こうと提案した。
いつもはメガネをかけていない私。
授業で後ろの方に座る時くらいしかかけなかった。
視力は右が0.2で左が0.1。
曇ってる日や夜は見えにくいからバッグの中には常にメガネを入れていた。
当日は曇りだった。
車のナンバーが見えにくかったから、駅に着いてからずっとメガネをかけていた。
彼と一緒に食事をしてる時「メガネかけてたらAV女優みたいだね」って言われた。
ポカーン(゚Д゚)
そんな事初めて言われたわ💧
「そうなん❓💧」
私はAVなんて見たこと無いし、そんな事言われても反応に困る💧
彼「うん。教師ものとかそんなメガネかけてるから」
私「へぇ…💧」
彼「ねぇ、俺の第一印象どう❓」
私「う~ん。普通かな。想像してた通りと言うか、楽しいお兄さんって感じかな(笑)いつものメールでの雰囲気そのままだからね(笑)」
彼「そうなんじゃ~ハハっ(笑)」
時刻は夕方5時半過ぎ。
母から電話がかかってきた。
母「今どこに居るん⁉」
私「○○の地下のお店でご飯食べてる」
母「早く帰ってきなさいよ⁉」
私「うん。もう少ししたら帰るよ」
彼に、母から早く帰るように電話があったと話した。
彼「お母さん、心配性なんじゃね」
私「そうなんかなぁ」
彼「女の子だし、そうじゃろ❓俺なんか、親父に早く出ていけって言われてるからなぁ。親父は俺の事嫌ってるから」
私「そうなん…💧○○君は23歳だし、親はそろそろ定職に就いて欲しいって思ってるんじゃないの❓」
彼「そうなんよ。それは解っとんだけど今の生活から抜けるのがなかなかね(笑)」
私「ハハっ(笑)まぁ、頑張ってよ。まずは早寝早起きから始めないとね(笑)」
そんな感じでずっと話していた。
何でも話せるお兄ちゃんって感じがして、私はこの人とのメールが一番楽しくて毎日毎日メールし続けた。
相手は無職。時間はたっぷりある。
彼が車で家まで送ってくれる事になった。
駅までで良いって言ったけど、雨が降り始めて私は傘を持ってなかったから送ると言ってくれた。
6時頃、また母から電話があった。
母「今どこ⁉」
私「車で帰ってるところ。家まで送ってくれるんだって」
母「駅で降ろしてもらいなさい」
私「雨が降ってるから送るって言ってるけど…💧」
母「何を言っとんね⁉傘くらいコンビニででも買えるでしょ‼駅で降ろしてもらいなさい」
私「はい…」
私「ごめん、やっぱり駅で降ろしてもらえる❓お母さん、怒ってるっぽいから💧」
彼「もう暗いし1人で帰る方が危ないわ。厳しいお母さんじゃね(笑)ちゃんと家まで送り届けますって(笑)」
私「ハハっ(笑)ありがとう」
また10分程して母から電話があった。
母「ちゃんと駅で降ろしてもらった❓」
私「ううん、暗いから家まで送ってくれるって言ってて、まだ乗せてもらってる」
母「アンタはバカね‼駅で降ろしてもらいなさいって言ったでしょ‼」
私「あーはいはい❗分かった分かった❗」
私「ごめん、次の駅で降ろしてもらえる❓お母さんウルサくて💧」
彼「ホント厳しいね(笑)俺信用されてないなぁ(笑)じゃあ、家の近くの駅まで送るから、駅に着いたらお母さんに迎えに来てもらい❓」
私「うん。ありがとう」
その後も2~3分置きに何度も何度も母から電話があったけど無視した。
もうあまりにしつこいからケータイの電源を切った。
それから少しして家の近くの駅で降ろしてもらって彼にお礼を言って別れた。
すぐに駅の公衆電話から家に電話をする。
時刻は夕方7時前。
私「もしもしお母さん❓」
母「アンタは何を考えとんよ‼」
私「えっ…別に。ちゃんと言われた通り、次の駅で降ろしてもらって今駅に着いたところなんだけど。ケータイいつの間にか電池切れになったみたい」
母「サッサと帰ってきなさい」
私「うん。電車の時間がギリギリで傘が買えんかったんだけど…迎えに来てくれる❓」
母「自分で歩いて帰りなさい‼」
ガチャン🔥
私「はぁ…」
ずぶ濡れになって帰った上に、男の子と2人きりになるような事はするなと延々と説教された。
最悪…
その事を彼に話すと笑っていた。
じゃあ、どうやって恋人を作るんだ❓
厳し過ぎるって。
私は家に居るのが窮屈でたまらなかった。
他の子は大学生になったからと門限が0時になったり、泊まりOKだったり、あちこち遊びに行ったりしてる。
私は学校が休みの日は門限6時。
ゆっくりできない。
こんな家、早く出て行ってやるという思いが強くなった。
またメル友と会う事になった。
前は寝坊したし、自分の行きたい所ばかり行ったから、今度はちゃんと遊びに行こうと言われた。
一応、母にもまたメル友と会う事を話しておいた。
行き先を言わずに家を出ることは出来なかったから。
やはり母は良い顔をしなかった。
「明るい内に帰ってきなさいよ」と一言。
私「はい…」
待ち合わせ場所は前回と同じ。
今度は晴れてたからメガネをかけていなかった。
彼発見。
彼「今日はなんか雰囲気違うね」
私「今日はメガネかけてないからでしょ」
ゲーセンに行く事になった。
私は子供の頃からかなりのゲーセン好きで母にお小遣いを貰うと一気に全額使ってしまう子だった(笑)
対戦ゲームをしたりクレーンゲームをしたり…気付けば3千円くらい使っていた💧
ゲーセンを出てドライブする事にした。
ちょっと遠いけど、飛行場の近くの公園へ行って飛行機の離発着を見る事になった。
高速を使って1時間半程で到着。
彼は前の彼女とよく来ていたらしい。
私は飛行機を見るのは高校の修学旅行以来だった。
間近で見る飛行機は迫力がある。
夕方5時頃に母から電話があった。
母「今どこに居るん❓」
私「飛行場」
母「何でそんな所に⁉」
私「飛行機の離発着を見ようって連れてきてもらったんよ。スゴいよ‼」
母「あっそう。そろそろ帰りなさいよ」
私「うん」
私「お母さんから帰れコール(笑)」
彼「また⁉ホント心配性(笑)そろそろ帰ろっか」
私「うん」
彼「今日は家まで送り届けるからね」
私「うん、ありがとう」
母からの電話はその日はその1本だけだった。
家に帰って飛行機の素晴らしさを母に話した(笑)
そんな感じでこのメル友とは月2回くらいのペースで会うようになった。
12月になって私はケータイを変えた。
なんとインターネットができるケータイが出た。
その時はインターネットができるケータイは私が使ってるケータイ会社では3機種しかなかった。
しかもパケットじゃなくて繋げてる時間=通話料の時代。
もしネットに繋げたまま寝てしまったらビックリな請求額になる(笑)
確か始めの1分が3円でそれ以降は1分10円だったかな。
だから何度も1分ギリギリで接続を切って繋げ直すという作業をしていた。
そしてメル友の幅も広がった。
ネットで探すようになった。
ショートメールのメル友だけじゃなくてEメールのメル友を作っていった。
私が利用してたサイトでよく話が合う人が居た。
ケータイを変えた日も私と1日違いで年は1歳違い。
メル友は6人になった。
毎日メールをする人は時々遊ぶ人とこの人の2人。
他の人は週3~4日メールする程度だった
この人(Hくん)は私より1つ上で浪人生だった。
都内の某有名私立大学を受けるらしい。
私より知識が豊富で、雑学もよく知っている。色んな事を教えてくれた。
受験の結果は第一志望の大学はダメだったけど第二志望の大学は受かっていた。
第二志望の大学へ通うことになって、彼は上京した。
入学式の日。
サボったらしい。
私「何でサボるんよ😥大事な日でしょ💧」
H「何か面倒くさくなって💧」
私「それでも初日くらいは行った方が良かったんじゃない❓」
H「行かなくたって何とかなるでしょ」
Hはそれからすぐに、夜のアルバイトを始めた。
キャバクラのボーイ。
寝坊したりで学校をサボる事も多くなり、1ヶ月程すると学校へは全く行かなくなった。
学校から保護者に連絡が行って、お母さんとお姉さんに激怒されたと聞いた。
Hにはお姉さんが3人居て、みんな一回り以上歳が離れてる。
結局、Hは大学を退学する事になった。
何のために浪人してまで受験したんだか…
それから少しして、Hは歌舞伎町のホストになった。
時々ホストの苦労話を聞かされる。
グラスを割ったら店に5千円払わなきゃいけない。
客の指名が入らなかったらまたマイナスされる。
手取りが少ない。
普通に働いた方が絶対沢山もらえてる。
でも辞められない。
そしてナンバーワンホストがいかにスゴいかを延々と語ってくる。
俺はナンバー2に気に入られてるだのなんだの。
正直、そういう話を聞くのは面倒くさかった。
私には分からない世界。
きっと一生関わらないであろう世界。
「へぇ」「ふ~ん」「そうなん」「すごいね」を繰り返すばかりだった。
Hにとって、そういう話を聞いてくれる人は私しかいなかったらしい。
好きなだけ喋りまくってスッキリ。
私はストレス発散に使われていた(笑)
私が普段メールで話す内容はその日あった事や世間話ばかり。下ネタ禁止。
下心があると感じる人やチャラい人とは絶対メル友にはならなかった。
それには理由がある。
音声掲示板にハマっていた頃、私は最悪な人に引っかかってしまった。
相手は私より16歳上の34歳。
毎日電話で話すようになると、下ネタばかり話してくる。
私は元々下ネタは苦手だったから反応に困った。
「早く会って抱きしめたい」「いっぱい愛してあげる」など、更にもっと具体的な事も色々と言ってくる。
私は気持ち悪くて仕方なかった。
話を切り替えてもすぐに元に戻そうとしてくる。正直キツい…
そこで私はいつも「あっ、母が来たんで❗」と言って電話を切っていた。
この人と話すと疲れる…
始めは私から電話してたけど、下ネタばかりなのが嫌で私からは電話しなくなった。
すると相手の方からかけてくるようになった。
毎日決まった時間になると着メロが鳴り始める。
その度に私は動悸がして手に汗をかくようになった。
時々出ないようにすると、その後も何度か着信がある。
着信アリって文字を見るのも嫌だった。
そんな事が2ヶ月続いて、私はノイローゼのようになった。
耐えきれなくなってメル友に相談すると「もう電話かけてくんな❗私はテレクラじゃない❗ってハッキリ言え」とアドバイスされた。
勇気を出して「もう電話して来ないで下さい。そういう話ばかりで嫌なんで。いつも気持ち悪いと思ってました」と言った。
電話の向こうからずっと怒鳴り声が聞こえてくる。
怖くて手が震える私。
「もうかけて来ないで❗」と言って電話を切った。
その後も何度も着信があったけど無視し続けた。
5日程経つと彼から電話はかかってこなくなった。
私はこの事がトラウマになって、下ネタを言う人とは距離を置くようになった。
私のファーストキスは小学校1年生の時だった。
入学して少ししてから、休憩時間に同じクラスになった男子にいきなり抱きつかれてキスされた。
えっ💦誰この子❓
まだ名前も知らない子。
周りに居た数人の男子が「△△くんが○○ちゃん(私)の事好きなんだってー。だからキスしてあげて❗」と言ってる。
えっ…❓💧
「やだ❗」
そう言って私は校庭に走って逃げた。
その子と他の男子が追いかけてくる。
捕まってまたキスされてしまった…💧
それが毎日続いた💧
母に「△△くんが毎日追いかけてきてキスしてくる😥どうしたら良い❓」と聞いてみた。
母は「あら~○○ちゃんの事が好きなんよねぇ(笑)キスくらい良いじゃない(笑)」と言ってきた。
でも私は嫌で、参観日の時にその子のお母さんに「△△くんが毎日キスしてきて嫌だ」と話した。
お母さんは「ごめんね~注意しとくね。もしまたやってきたら言ってね」と言ってくれた。
回数は減ったけどやめてくれない。
時々、私はその子のお母さんに密告していた。
2年生になるとその子はキスして来なくなった。
代わりに同じ班になった子が毎日私の太ももを撫でてくるようになった。
家では時々父が私と妹のお尻を撫でてきてたから(性的にではなくて、父は子供のプリプリした可愛いお尻を触るのが好きだったらしい(笑))その感覚と同じだと思っていた。
「お父さんエッチ~」って言うと父はやめてくれる(笑)
私は授業中にしょっちゅう撫でられるのが嫌で「くすぐったいからやめてよ」と何度も言っていた。
相手は「触るくらい良いじゃん❗触らせろ」と言ってくる。
私は手でずっと阻止しながら「もうやめて」って言ったらビンタされてしまった。
これが前に書いた初ビンタの真相。
私はこの頃から、男の子(男の人)は女の子の身体を触るのが好きなんだという事に気付いていた。
もう1つ2年生の時。
帰る方向が一緒の男の子とほぼ毎日学校から一緒に帰っていた。
その子とは習い事も1つだけ同じ。
学校帰りに、廃墟の横にある(軽が1台しか入らないような)小さな駐車場で遊ぼって言われてついて行った。
その駐車場は周りからは死角になってて中に入って来ないと見えない。
「ここ座ろ」って言われて座った。
そして突然「目つむって」と言われた。
「うん」と言って目を瞑る私。
キスされた。
ビックリして目を開けるとこっちを見てて「まだ目つむってて❗」と言われた。
言われた通り目を瞑ると今度はキスしながら口の中に舌が入ってくるのが分かった。
ビックリして目を開けると真面目な顔をしてこっちを見てる。
「誰にも言わんといてね」と言われて、私は「うん」と頷いた。
その日はそれだけで帰った。
ほぼ毎日、学校帰りや習い事の帰りにその駐車場に寄るようになった。
もう、ディープキスは当たり前。
今思えば、その子は一体どこで覚えたんだって思う(笑)親の姿を見たのかな…💧
次第にエスカレートして、その子は私の制服のスカートの中やブラウスの中にも手を入れてくるようになった。
2年生なんてペチャパイなのに(笑)
さすがに毎日こんな事をされるのは嫌で、先に帰ったり、他の子と帰ったり、捕まりそうになって走って逃げ帰る事もあった。
3年生になったら違うクラスになった。
やっと解放されると思ったけど、習い事の帰りに無理矢理引っ張って連れて行かれる事も多かった。
大人に話してしまえば解放されるんだろうけど、2年生の時からずっとこんな事を続けてたなんて恥ずかしくて言えない。
私は習い事を辞める事にした。
辞める理由は、習い事が多くてしんどいという事にした。
しばらく自由だー‼と思っていた私(笑)
5年生の後半から新たに塾に通い始めた。
母が「今日から塾行くから準備して」と言ってきた。
私「え~今から~❓」
時刻は夜7時前で外はもう暗い。
母「近くだから歩いて行ける距離よ」
母と一緒に歩いて行く。
家から徒歩5分の所にある個人塾だった。
母「ごめんください。今日からお願いしてる○○ですが…」
先生に軽く挨拶をして部屋に入る。
先生は50代後半くらいの男の先生。
15畳くらいの部屋でそろばん教室と塾をやってるらしい。
部屋の前半分がそろばん教室で、後ろ半分には塾で使うコンピューターが3台置いてあった。
塾は、ヘッドホンを装着してコンピューターを操作して画面に出てきた問題を解いていく形だった。
先生は問題の入ってるカセットテープ❓を選んで交換するだけ。
解答を間違えると画面に説明文と答えが出てくるから先生に教えてもらう事は何もない。そんな塾だった。
部屋にはまだ塾で勉強をしてる人が居た。
中学生だった。
この塾は、来る時間は個人個人で分けられていて、○年生が○時と決まっていない。
だから時間帯が遅い私の横には、いつも中学生の男子2人が座っていた。
この塾を紹介したのは幼なじみ達のお母さんだった。
幼なじみは2人居て、2人ともここのそろばん教室に通っているらしい。
(そろばん教室は夕方からだから、やってるところを見た事がない)
幼なじみ2人のそれぞれの兄弟達もここの塾に通ってると聞いた。
勉強時間は1時間半。
週2回通うことになった。
2回目に行った日、中学生の男子が5人居た。
塾が終わって騒いで遊んでる人3人と勉強中の人2人。
その中には幼なじみのお兄ちゃんも居た。
なんか…嫌だなぁ…💧
先生に挨拶してコンピューターの前に座った。
先生が「今日は国語にしようか」とカセットテープを出してくる。
ヘッドホンを装着して国語を始めた。
7時半になったら、先生が「ちょっとご飯食べてくるわ。(塾が終わった3人に)アンタら早よ帰りんさいよ。それから○○さん(私)にちょっかい出さんように」と言って隣の自宅へ行ってしまった…
すぐに3人が私の周りに来て色々話しかけてきた。
他の2人も話に交じってくる。
嫌だなぁ…💧
幼なじみのお兄ちゃんと普通に話してたら「知り合いなん❓」って聞かれた。
お兄ちゃんが「○○(弟)の幼なじみよ」って答えてくれた。
それが分かると更に次から次へと話しかけてくる。
勉強が進まない…
15分程して、外から先生が帰ってくる足音が聞こえた。
みんな一斉に散らばって何事も無かったかのようになった(笑)
それがおかしくて私は笑いが止まらない。
先生が「アンタら○○さんに何もせんかったじゃろうねぇ」と中学生達の顔を見た。
「しとらんよ。さっ帰ろ」と言って3人は帰って行った。
8時になって残りの中学生2人も帰って行った。
残ってるのは私だけ…
しかもあまり進んでない。
本当は8時半で終わりなのに、その日は9時近くまで勉強をして帰った💧
毎回そんな感じで塾に通っていた。
6年生になる頃には私も随分慣れてきて、先生が居ない間に中学生達と話すのが楽しくなっていた。
そんなある日、変な空気になった。
突然「○○ちゃんって胸大きいよね」と言われた。
私はおデブちゃんだったから、6年生の頃にはBカップあっていつもスポーツブラをつけていた。
私「そう…かな…❓💧」
中学生「うん。ちょっと触らせて」
私はその言葉に固まってしまった。
「えっ……💧嫌……」
中学生「ちょっとだけだから(笑)」
私「無理…」
幼なじみのお兄ちゃんの方をチラッと見たけど何も言ってくれない。
どうしよう…先生早く帰ってきて‼
私の後ろに居た中学生が急に服の上から胸を触り始めた。
「あっ、結構あるわ(笑)」
私「やめてよ❗」
先生の帰ってくる足音が聞こえて中学生達がサッと散らばった。
いつものように、何事も無かったようにしてる。
私は今あった事を先生に言うべきか迷っていた。
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