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神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編

No.12 20/11/28 03:11
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瑞鳳殿を参拝いたしましたあと続いている順路に沿って歩いていきますと見上げるほど大きな【弔魂碑(ちょうこんひ)】がありました。戊辰戦争の犠牲となられた御霊を弔うもののようです。

そういえば伊達家の菩提寺である瑞鳳寺には、官軍側の犠牲者の墓がございました。いずれも薩摩藩士で、引き取り手がなかった方のものだといいます。

動乱の明治維新、日本を分けた戦い【戊辰戦争】で、東北、北越諸藩は、〖奥羽越列藩同盟〗を結んで、西国諸藩と戦ったのだそうです。
この戦いで同盟軍1260名、及び幕府軍を合わせると8000余名が亡くなったといいます。
弔魂碑はその御霊を弔う為、明治十年に十四代当主である「伊達宗基」が、瑞鳳殿鐘楼跡に建てたものとありました。伊達藩はなくなったのちも伊達家は仙台の地で当主でありました。
さらに歩を進めると見えてくる二代目藩主ならびに三代目藩主の墓所へと続く階段であります。


二代藩主・忠宗公の墓所は【感仙殿(かんせんでん)】と呼ばれていました。
忠宗公は政宗公ご正室愛姫(めごひめ)の第二子で、三十八歳で藩主となると仙台城二の丸、東照宮の造営、藩の基盤固めに尽力し、父伊達政宗の菩提を弔う為に「瑞鳳殿」「瑞鳳寺」を寄進されました。
感仙殿は、万冶元(1658)年六十歳で亡くなった忠宗公の御霊を弔う為、寛文四(1664)年、伊達家四代藩主綱村時代に創建、昭和六十年に再建されています。
やはり黒塗りの建物に金の飾り、色鮮やかできらびやかな建物であります。細かく美しい装飾で扉のデザインが可愛らしく、家紋などつけた他二つとは少し異なっていました。
政宗公の眠る「瑞鳳殿」同様、まわりに「忠宗公」への十六人の殉死者の供養塔が並んでいます。

感仙殿のひだりてにありますのが三代藩主・綱宗公を祀る【善応殿(ぜんおうでん)】であります。
二代藩主、忠宗の第六子で、十九歳で三代藩主となった綱宗公が眠られています。ゆえあってわずか二年で隠居を命じられた綱宗は、江戸の品川で七十一歳で亡くなるまで過ごし、和歌や書画、茶道や能などの芸術的分野で活躍したと言います。
瑞鳳殿や感仙殿よりは簡素ながらも、規模も形式も同じく作られた「善応殿」も昭和六十年再建です。

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