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神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編

レス23 HIT数 377 あ+ あ-

旅人さん
20/12/03 02:02(更新日時)

 [神社仏閣巡り珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神さまや仏さまにお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神さま、仏さま、どうかお導きください。

No.3185734 20/11/22 05:12(スレ作成日時)

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No.1 20/11/22 06:16
旅人さん0 

いつも私のような者の書いた、拙い駄文にお目を通してくださっておられる方々、本当にありがとうございます。

秩父編も途中なまま、実はこの度かねてからの切なる願いが叶いまして、東北を訪ねることができました。


あの未曾有の震災のとき、何か私のような者でもできることがあればと、日々悶々と思って過ごしてはみたものの行動力もなく、家庭や仕事もと考え、二の足を踏んでおりました。
そんな時、当時大学生だった息子は大学のご友人たちと共に東北に向かったのです。夜の道をひた走りに車を走らせ、何度も何度も。
┉私は、自分を恥じ、我が子ながらその行動に感謝いたしました。
大したことなどできなかったかもしれません。それでもマンパワーを必要としていた時の東北に向かってくれた息子たちに、私は感謝しておりました。

東北で、心身を込めたボランティアをし一泊、なおかつ東北路を往復運転する息子に、せめて少しでも休んでもらいたい一心で、かける言葉は厳選して「くれぐれも気をつけて行ってらっしゃい」「どうかよろしくお願いします」そして「おかえりなさい」、それだけ。
息子も何も語らない。
社会人になってもそれはしばらく続いておりました。
そんな彼は今、有給休暇すらとれない職場、週に一度の休みもとれないことすらある職場で┉頑張っているようで┉。




あれから九年。まもなく十年になろうとしている今。
今度はコロナという未知の病に全世界が脅かされています。いまだに復興も追いつかぬままの東北、そして全国の被災地も、コロナは容赦なく襲いかかり。

Go Toトラベルという政策が打ち出された折、私には関係のないことと思っていた時、夫が「実は俺、SL休暇のとれる年なんだ」
えっ?
「こんなコロナの時だから無理、かねぇ」 
うーん。無理、かもしれない。
無理だなぁ。
できないよ。
見えないウイルスはいまだにその全貌は解明されず、慢性の呼吸器疾患を持病とする夫は、万が一にも罹患させてはならない。┉それでもその防ぎようはわからないのだけれど┉。



そのころ、私たちの住まう地域ではほとんど罹患者の発生がなく、さらにさらに東北地方もまた発生の少ない地でありました。


東北┉。
東北?
もしかしたら┉東北なら可能?
車、かぁ。┉私の運転ではほとんど戦力にならない。
無理だ┉。




No.2 20/11/22 12:29
旅人さん0 

またまた悶々と悩む私。
いままでずっと贅沢もせず、黙々と仕事をし、どちらかというと石橋をたたいてなお考えて考えて考えて渡るタイプ。高いところが苦手で食べ物の好き嫌いの多い、海外出張がもっとも向かないのではないかと思うくらいの彼が何ヵ国もの海外出張に出向いて頑張ってきたご褒美であります、SL休暇。
なおかつ私のようなじゃじゃ馬に振り回されてきた彼の人生でのご褒美。
┉どうだろう。

だけど┉。
私もパートとはいえ仕事がある。
休めるのかどうか。
万が一コロナに罹患したら、仕事先にも、同居の息子にも、あってはならない迷惑をかけることになる。
┉ダメだろう。


行く先は私の一存で東北と定めました。
東北が安全だから、ではなく。
東北に行き、せめて東北の経済をまわす一役を買うことで、九年後の東北の役に立つことができればと思ったからであります。
そして、鎮魂のために。
東北の神さま仏さまに、東北の方々の無事をお願いするために。
ずっとそうしたかった。
そんなことしかできないけれど。
そんなの自己満足でしかないけれど。


┉だけどなぁ。
ダメもとで、仕事先の上司に軽く相談をしてみたところ、
「いいじゃないですか。せっかくのお休みじゃないですか。東北なら大丈夫そうだし。┉二週間はちょっと無理だけど、ぜひ行ってきてください」と。
たしかに有給休暇が前年度の残りも未消化で残っている私。
いいの?


そうとなったら早速同僚にも相談し、課長にも相談して、夫の勤務先との兼ね合いで調整した日程を決め。


第三波がくるまえに。

アルコール消毒液のほか、フェイスシールドとN95のマスク、使い捨てのゴム手袋を用意して。
コロナ禍の旅行で考えられる準備という準備をして。

帰宅後、仕事先にも息子にも濃厚接触しない手段を考えて。



┉いま、第三波が確実に到来してしまいました。
あのとき、行かなければもしかしたら一生、旅行というものに行けないまま過ごしたかもしれません。


No.3 20/11/23 03:14
旅人さん0 

本来ならば夫の永続勤務記念的な旅。
良き妻ならば夫の行きたいところを旅先とするでしょう。
ですがこの旅、前日キャンセルをも視野に入れた、コロナ禍におけるもの。できれば夫を落胆させたくはありません。
いくつもの候補地をあげ、そのプランも立ててもらい、コロナの発生状況で決めていくことも条件でした。
移動は公共機関を使わない自家用車によるもの。自ずから国内の、夫が一人で運転可能なところが候補地となっていきます。
その候補地に東北を挙げたのがたまたま私であった。
コロナ禍において、発生状況から考えても第一候補地となった。
┉それでもせっかくとったホテルを直前に変更したり。
石橋が壊れていても突き進むタイプだった私は、結婚三十年で夫より保守的な人間になっていました。
直前にホテルを変更する際も、直前に行かない選択肢を提案したときも、大喧嘩。
どこにいても知らない間にうつることもある、地元に居たってかかるかもしれないコロナを怖れて及び腰になっていたのは私でありました。
本来ならば東北はいま、紅葉真っ盛り、観光シーズンまっただ中でありました。 


周りが後押ししてくれました。
「東北なら平気、私なら行くよ?」職場の方たちであり、子供たちであり、姉でありました。


それでも不安感のほうが大きな私。┉何かのときには東北から私が運転して帰って来ることも視野に入れねばなりません。┉私、こんなビビりだったんだなぁ。
いよいよ出立。荷物も詰めこみいざ出発というとき夫から放たれた言葉は、
「最初は運転してもらうから」



┉そ、そうですよね。

No.4 20/11/23 05:46
旅人さん0 

「○○から高速に乗るからまずはそこを目指して」


┉高速に、そ、そうですよね。

おそらく、それを前から私に伝えるとそれだけで眠れなくなることを想定しての当日発表だったのでしょう。えー、でも何年ぶりの高速走行?しかも今回の旅行は私の車でなくて。o(;д;o)

┉手に汗握る運転はな、なんと隣町まで。
しかもそれは最初からの予定だったそう。全行程運転させたらそれはそれで私の重荷になるだろうと、なんちゃって運転をさせただけで、教習所の高速練習より短いかもしれません。
結婚三十年ともなると、夫が抱えてくれてるものはこんなにも大きなものとなっていました。

運転を代わって、夫は本当に濡れているハンドルにびっくりしつつ、実質の旅立ちはここ、○○サービスエリアからでありました。
ごめんね(≡人≡;)


流れる景色は県を跨ぐと確実にその雰囲気が変わっていきます。
流れる景色さえありがたい。
日本という国の美しさ。
山紫水明。
そして紅葉は走るにつれてどんどんと鮮やかな赤や黄色となっていきました。

こんなにも鮮やかな紅葉は私の住まう辺りではもう見られない光景となっていました。温暖化は確実に確実に地球を変えています。
それは今ありがたくもあり、もはや当たり前となってしまった便利な生活を築いてきた人類のあまりにも大きな代償であるのですが、それはその当時には知るはずもなくて┉。そしてその生活なしでは生きられない私たち。

旅はいろいろなことを学ばせてくれます。

No.5 20/11/23 07:02
旅人さん0 

神社仏閣珍道中、今回は道中が長いためになかなか神社さんやお寺さんが出てこずすみません。



最初の参拝は仙台の【大崎八幡宮】さん。

わが家の、メーカー純正ながらじゃじゃ馬でなかなかキチンとした案内をしないカーナビも今回はスムーズに案内をしてくれ(案内の看板もあったこともあり)、なんなく駐車場に到着いたしました。
あの、鳩が寄り添う八の字の扁額のある鳥居をくぐると、大変穏やかで清んだ気に満ちています。地元の方々がいつもの参拝に、何人も何人も訪れておられ、愛され大切にされている神社さんであることがわかります。鮮やかに紅葉した木々の美しい参道を歩いて行くと┉
ん?
これって┉脇から入ってる?わずかに曲がって行く道の先には、だいぶ下っていく道が見えます。
ま、まあ、行ってみますか。
うーん、末社、摂社が緩やかな下りの道に連なっています。そして中央に明らかに参道があり、さらに下には鳥居が見えます。┉脇というよりは裏。つくづく裏の好きなナビであります。まあ、今回は到達しただけマシであります。

摂社さんの前を頭を下げながら下っていくと、!。長い石段とそれはそれは立派な大きな鳥居が見えます。┉ここだなぁ。仕方ない、すでに境内に入っておりますし、長いこと運転してきてくれた夫にこの長い石段を下ってまた登らせるのはしのびない。ここはお許し願おう、裏の鳥居にも手水舎もありましたし。
と、いうわけで、一つ目の神社さんからすでに珍道中の私どもでありました。

No.6 20/11/23 09:11
旅人さん0 

ここ、【大崎八幡宮】さんは平安の昔、東夷征伐に際し【坂上田村麻呂】が、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀したのが始まりであるようです。
その後、室町時代に【奥州管領大崎氏】が自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬したため、世に大崎八幡宮と呼ばれたのだそうです。

大崎氏の滅亡後、【伊達政宗公】が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、その後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えており、安土桃山時代の我が国唯一の遺構として国宝建造物に指定されております。

大崎八幡宮の御社殿は、入母屋造りの本殿と拝殿とを相の間で繋いだ石の間造りであり、後に権現造りと言われる建築様式は、外観は長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物(斗きょう)や彫刻物を施し、下は総黒漆塗りと落ち着いた風格を現し、拝殿正面には大きな千鳥破風、向拝には軒唐破風を付け、屋根は柿葺と意匠が凝らされております。

拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間の格天井には五十三種の草花が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる花鳥動植物や説話風の人物など多彩な彫刻が組み込まれ、全体的に美しい調和をなし、安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物であり、その貴重さから昭和二十七年に国宝に指定されています。

御社殿前の長床と呼ばれる建造物はは創建年月不明ながら御社殿とほぼ同時期の建築として国より重要文化財の指定を受けており、簡素な素木造りは端麗にして瀟洒な佇まいを示しています。
 

と、いうことであります。
総黒漆塗りに金の飾りは青空に映えていかにも荘厳でありました。


うーん、私、ここの神社さんのこと、テレビで拝したことがあるかも┉。

No.7 20/11/23 14:27
旅人さん0 

参拝を済ませて。長床と呼ばれる門を出たところで夫が手招きをしています。うん?
「そこ」ん?
「そこそこ!」「なあに?」
 ! 「えー?なんで?」

┉黒い鶏が一羽、木の根元にたたずんでいます。囲いなどありません。ただたまたまたたずんでいるだけで、自由に動き回れる状況です。近づいたところで特に逃げようともせずに、優雅にその空間を楽しんでいるかのようです。

鳩がいるのはわかるような気がします。鶏?
飼ってるってこと、ですよね。
よく見るとあと一羽、白い鶏が木の奥に隠れるようにたたずんでいました。

Google先生にお聞きしたところ、神社と鶏の関係は実は深いようで、
【天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)】が天の岩戸に御隠れになられて世の中が真っ暗闇となった時、人々は困り果て夜明けを告げる「長鳴き鳥」(にわとり)を集めて鳴かせ、天照大御神様が姿をあらわす事となったという古事記の一説がありました。
また、【鳥居(とりい)】は神社の入り口に建つ門でありますが、鳥(にわとり)の止まり木が「とりい」の語源という説 もあります。かくして鶏は日本人にとって由緒深い鳥でもあり、神社にとって神聖な場所の神様のお使いの鳥(にわとり)でもあったようです。

さらに、大崎八幡宮境内の西側に「鶏橋」と呼ばれる橋があるそうで。
これは
『毎夜一羽の金色の鶏が橋の欄干で鳴くので、人々が不思議に思い、八幡様へお参りしたところ、
八幡宮に奉納された「鶏の絵馬」から抜け出して橋の方角へ飛んでいき鳴いていたことが分かりました。絵馬に金網を張ると鶏は鳴かなくなりましたが、その夜から雨が降り続き間もなく大洪水が起こってしまいました。人々は毎夜鳴いていたのは洪水を知らせるためであったのだと知り、橋の名前を「鶏橋」と名付けました』という話があるそうです。

こちらの八幡宮とはいろいろご縁がある鶏ですが、境内に居るのは実は鶏ではなく少し小型の鑑賞用として飼育されてきた矮鶏(チャボ)なのだそうです。

思いもよらない鶏┉チャボとの出会いにテンションがあがった私どもでありました。

No.8 20/11/24 23:43
旅人さん0 

次に向かったのは【瑞鳳寺】さん。
【二代藩主忠宗】が政宗の追善のため、寛永十四(1637)年【霊廟瑞鳳殿】の香華所として創建したというお寺さんであります。江戸時代には多くの塔頭・傍院を有しましたが、度重なる火災と明治の廃仏毀釈に伴って廃寺同然となったのだそうです。
たいそう立派なお寺さんでありながら、たまたま時を同じくしてその参道を歩いておられた方の大半が、観光名所【瑞鳳殿】を目指してここに来て、通り道にあるお寺さんに気づいて寄ってみた、というように感じられました。
こちらの山門は立派なもので、敬虔な思いでくぐらせていただいたところ┉賑やかな、はしゃぐ子供たちの声が聞こえてきました。┉遠足? それともGo Toトラベルで学校を休んで来ている親子連れ? いやいや境内に建てられた幼稚園のようです。
お寺さんに保育園や幼稚園はつきもののようで┉。
賑やかな声も一時のこと。境内を進むとまもなくその声も気にならないくらいに穏やかな落ちついた空気に一変いたします。
さほどは広くはない境内であります。落ちついた雰囲気の御本堂で、派手ではないもののどっしりとした造りのものであります。
御本堂は開放されており、自由にその中に入ることができます。
特記すべきはその御本堂正面、内陣のみぎてに、なんとマネキン、というのでしょうか、観光地などで見られる等身大のリアルな人形が飾られておりました。伊達騒動の一場面をあらわしたもののようです。

私、ここ、東北の地に来て、いかに私が歴史に疎い者かをイヤというほど知らされることとなるのですが、その第一歩となったのがこの【伊達騒動】。耳にしたことはあるものの、はて、その内容はさっぱり思い出せず。



こちら瑞鳳寺さんは、大正四(1915)年、【京都妙心寺】貫主がその荒廃を嘆き、復興に当たらせたものだとのこと。大正十五(1926)年に瑞鳳寺の本堂が落成。
その折、【平泉毛越寺】から遷座した釈迦牟尼を本尊、文殊・普賢菩薩を脇仏とし、その後、逐次復興したのだそうです。
境内には、忠宗公寄進の瑞鳳殿梵鐘(銅鐘)や、綱宗公手作りの雪薄紋が配される側室椙原品の邸門(高尾門)が残されています。
お寺さんをあとにする頃、ちょうど幼稚園の下校時間と重なったようで、なんと幼稚園バスが山門の内側に待機しておりました。

風情もなにもがいっきに色褪せる一瞬でありました。

No.9 20/11/26 20:45
旅人さん0 

次に参拝させていただいたのは【瑞鳳殿】です。伊達政宗公の墓所であります。


伊達政宗公は、仙台の経ヶ峯にというところにある【瑞鳳殿】で眠っておられます。地元の人は「瑞鳳殿」とは呼ばず【御霊屋=おたまや】と言います。

こちらは古くは名取郡根岸村黒沼〖萩ヶ崎(はぎがさき)〗と呼ばれ、中世末期に出羽三山で修業した〖満海上人〗が、この地の東峯に経文を納めたことから〖経ヶ峯(きょうがみね)〗と呼ばれるようになったと言います。
政宗公がホトトギスの初音を聴きに訪れ、自らの墓所に決めたと言われる経ヶ峯の頂きに建つ瑞鳳殿は老杉に囲まれ、まさに幽玄の一言でありました。

藩政時代以後〖伊達家の墓所〗が置かれる霊域となり、限られた者だけが入ることのできた場所で、正式には【経ヶ峯伊達家墓所】といいます。
経ヶ峯は標高が73.6mあり、伊達家の霊域として長いこと禁断の地であったため、当時のままの自然環境が残っているといわれています。
瑞鳳殿造営時に植林されたという樹齢350年以上の杉もあり、またそこを緩やかに登ってゆく当時の石段があります。
伊達政宗公が六十二万石だったのでこの石段も六十二段、なのだそうです。
天を仰ぐように見上げる杉の生い茂る参道も、さすが伊達男という言葉の語源となったくらいの粋で雅なことが好きであった政宗公の墓所であります、森林浴気分を味わえるそれはそれは居心地のよい空間でありました。

ですが。 



実はこちらの瑞鳳殿、昭和五十年~六十年代に建てられたもの。
第二次大戦の昭和二十年七月の空襲で残念ながらすべてを焼失、再建されたものなのだそうで。

歴オタの夫はそれがたいそう無念だったようで、何度も何度も「でも昭和に造られたものなんだよな」とくりかえし、あまりにもくりかえし言われるので、耳にタコのイヤリングでもつけてやろうかと思ったくらいでありました。
それでも夫は出立前、絶対に外せないコースの一つとしてここ、瑞鳳殿を挙げていたくらいでありました。それくらいの入れ込んでいたところであります。

自然ゆたかで、大変空気の清んだ緩やかな登り坂を登っていくと、墓所への入口が見えて参ります。

No.10 20/11/27 03:59
旅人さん0 

【瑞鳳殿】の入場受付で入場料を支払って。
まもなく見えてくる涅槃門で、伊達家がどれだけ仙台の方々に愛され
誇りに思われてきたかを、一目見るだけで胸が熱くなるほど知ることとなりました。
黒の漆塗りに金の装飾。伊達政宗公が与えられたという菊の御紋も配されています。その美しさに思わず立ち止まります。
涅槃門といえば煩悩を捨て去り涅槃へと向かう門、百八どころか無限にある私の煩悩をぜひ捨てさせていただきたいという思いは叶わず、涅槃門は伊達家藩主、藩が無くなってからは”伊達当主”しかくぐれません。脇にある朱色の門から入ります。これがなんともバリアフリーでない造りでありまして、下には何段かの階段があり、背の高い方にとっては身を縮めてくぐるような高さの門、なので、前回の参拝時頭をぶつけた経験をいかして上に注意してくぐったという夫は今回は階段につまづくという、なんとも身の引き締まらないかに思われるような参拝となったようです。
燈籠にかこまれた階段を登ると瑞鳳殿本殿前の唐門を兼ねた「拝殿」があります。
拝殿前の空間のみぎてに焼失してしまった瑞鳳殿の屋根に飾られていたという金属製の龍の飾りが祀られているのですが、その火災の激しさからなのか、訪れる人々が触るからかのか鼻の部分の色が剥げ地色が出ているのがなんとも可愛らしいものでありました。もちろん、私は撫でさせていただきました。すべすべでたいそう気持ちのよいもので、私がしばしそこにとどまっていたことはご想像通りであります。

そして、さらに歩を進めると、瑞鳳殿と呼ばれる政宗公の墓所となります。
その黒塗りを基調とした、私のように語彙力のない者には〖豪華絢爛〗という言葉しか出てこないようなきらびやかな御陵が建っておりました。さながら神社のような、日光東照宮にあってもおかしくないような、建物にございました。
さすが伊達政宗、伊達男の墓所であります。
政宗公は、七十歳で江戸で亡くなると遺言通り、ホトトギスの声が聞ける経ヶ峯に葬られ、この【瑞鳳殿】地下で眠りについておられます。
まわりには政宗公の葬儀に先立って殉死した家臣15名と陪臣5名の墓(宝篋印塔)が、政宗公を守るかのように整列しています。
瑞鳳殿の中には木彫りの伊達政宗像が安置されているようで、一月一日~二日、五月二十四日の政宗公の命日のみ「御開帳」となっているようです。








No.11

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No.12 20/11/28 03:11
旅人さん0 

瑞鳳殿を参拝いたしましたあと続いている順路に沿って歩いていきますと見上げるほど大きな【弔魂碑(ちょうこんひ)】がありました。戊辰戦争の犠牲となられた御霊を弔うもののようです。

そういえば伊達家の菩提寺である瑞鳳寺には、官軍側の犠牲者の墓がございました。いずれも薩摩藩士で、引き取り手がなかった方のものだといいます。

動乱の明治維新、日本を分けた戦い【戊辰戦争】で、東北、北越諸藩は、〖奥羽越列藩同盟〗を結んで、西国諸藩と戦ったのだそうです。
この戦いで同盟軍1260名、及び幕府軍を合わせると8000余名が亡くなったといいます。
弔魂碑はその御霊を弔う為、明治十年に十四代当主である「伊達宗基」が、瑞鳳殿鐘楼跡に建てたものとありました。伊達藩はなくなったのちも伊達家は仙台の地で当主でありました。
さらに歩を進めると見えてくる二代目藩主ならびに三代目藩主の墓所へと続く階段であります。


二代藩主・忠宗公の墓所は【感仙殿(かんせんでん)】と呼ばれていました。
忠宗公は政宗公ご正室愛姫(めごひめ)の第二子で、三十八歳で藩主となると仙台城二の丸、東照宮の造営、藩の基盤固めに尽力し、父伊達政宗の菩提を弔う為に「瑞鳳殿」「瑞鳳寺」を寄進されました。
感仙殿は、万冶元(1658)年六十歳で亡くなった忠宗公の御霊を弔う為、寛文四(1664)年、伊達家四代藩主綱村時代に創建、昭和六十年に再建されています。
やはり黒塗りの建物に金の飾り、色鮮やかできらびやかな建物であります。細かく美しい装飾で扉のデザインが可愛らしく、家紋などつけた他二つとは少し異なっていました。
政宗公の眠る「瑞鳳殿」同様、まわりに「忠宗公」への十六人の殉死者の供養塔が並んでいます。

感仙殿のひだりてにありますのが三代藩主・綱宗公を祀る【善応殿(ぜんおうでん)】であります。
二代藩主、忠宗の第六子で、十九歳で三代藩主となった綱宗公が眠られています。ゆえあってわずか二年で隠居を命じられた綱宗は、江戸の品川で七十一歳で亡くなるまで過ごし、和歌や書画、茶道や能などの芸術的分野で活躍したと言います。
瑞鳳殿や感仙殿よりは簡素ながらも、規模も形式も同じく作られた「善応殿」も昭和六十年再建です。

No.13 20/11/28 03:58
旅人さん0 

感仙殿のみぎてには趣を異にした石塔石碑の並ぶ、いかにも墓所、といった空間がひろがっています。【妙雲界廟(みょううんかいびょう)】とあります。

四代藩主綱村公は「前例にならい、御霊屋を建てたならば子孫は大変である。自分が死んだら墓石を建て瓦屋根で覆えばよい」と言う遺命をお残しになり、以後御霊屋は建てられなくなったのだそうであります。
綱村公のお墓はこちらにはなく、綱村公が自ら鍬(くわ)を持って開いたという〖大年寺山(太白区)〗に、四代以後歴代の藩主のお墓が残っているのだとか。
たしかにみまわしたところ(失礼なやつであります)四代も五代もなく、何代かのお墓がありませんでした。

【妙雲界廟】は九代藩主周宗(ちかむね)、十一代藩主斉義(なりよし)と芝姫(あつひめ)の墓が置かれる墓所でありました。
戦国の世においても、江戸幕府の支配下にあっても、名のとおる御家の後継ぎ問題等は大変そうであります。
こちら伊達家にあっても歴代の藩主の歴史を追うと、切なくも御家の為の苦労が偲ばれます。

妙雲界廟の参拝をさせていただき順路にしたがってすすむと階段があります。階段の途中、ひだりてに御子様御廟という案内板がありました。こちら御子様御廟(おこさまごびょう)へは現在立ち入りが禁じられておりました。
こちらは、幼くして亡くなった伊達家の公子公女のお墓であるそう側室や老女のお墓もあるそうで、藩主の華やかな霊廟とはあまりに違って物悲しさをかもし出しています。

No.14 20/11/29 16:52
旅人さん0 

「つぎはね。」
ん?次に向かうのは青葉城じゃないの?
「青葉城はライトアップしているみたいだから、もう少しあとでいいかなと思って」
えっ?
仙台に入ってから何度も青葉城の方角をもとに話してたくらいじゃない。青葉城はあちらの方角だ、とか。
歴オタで、お城の遺構をみても感動して写真を撮りまくってるような夫が、そう言い出したのは三時を少しまわった頃。
もはや気を使う必要など何一つない、車に積まれた荷物となんら変わらないくらいお荷物でしかない私に気を使っている?もうこちらについてすでに神社さんもお寺さんも参拝させていただいています。
「えっ?だってお城好きじゃない。明るいうちから見たほうがいいんじゃないの?」
「今回はいいや」
あ、そういえば夫は職員旅行で仙台に来ているんだっけ。でも職員旅行じゃあ自分の見たいところがゆっくり見られてないんじゃないかな。

と、いうことで彼が向かったのは、【陸奥国分寺跡】。正確にはかつて国分寺があったそこにあるという【陸奥国分寺薬師堂】さんであります。
国分寺といえば聖武天皇の命により全国に建立されたもの。
長野県も群馬県も栃木県もその跡地を示すものは遺されているものの、現存するものはなく、こちらもやはり跡地、であります。
あ、歴オタには跡地もロマンなのかなぁ。
でもそのどこも(私と一緒には)立ち寄ったことがなかったのだけど。


┉まあ、そういうわけで、お荷物でしかない妻はありがたく夫の行きたいというところに連れていっていただくのでありました。


ここに向かうまでの道、ナビに映りこむお寺さんの数の凄いこと、凄いこと。確実にコンビニより多い。いやいやコンビニなど比較にならないくらいに多い。あとでこのナビの画面を写真に録っておかなかったことを後悔したくらいに、一画面にぎゅっとお寺さんが詰めこまれていました。


すごいなぁ。


東北、すごい。

┉たぶん私、これから今回の珍道中東北編、いくどとなくこのフレーズをつぶやくこととなります。










No.15 20/11/29 23:42
旅人さん0 

国分寺についてGoogle先生に聞きましたところ。

奈良時代の中頃の国内は、日照り、台風、地震の発生といった自然災害のせいで飢饉が起き、さらには大陸から恐ろしい伝染病である天然痘が伝わり、多くの人々が亡くなりました。
また、新羅国との関係の悪化、天皇の親戚や家来たちによる反乱が起き、激しい戦いがありました。

聖武天皇は、そんな乱れてしまった国を安定させるため、仏教の力を借りることとし、741年、都には東大寺(とうだいじ)を、全国およそ60か所には「国分僧寺(こくぶんそうじ)」と「国分尼寺(こくぶんにじ)」をそれぞれ造るように命じます。
その際どの国分寺にも、七重塔とお釈迦様の像を造るように命じ、また、国分寺を建てる場所はその国の最も良い場所を選ぶように命じました。それは交通の便がよいところ、災害が少ないところ、人があまり住んでいないところといった土地であります。

陸奥国において当時の国府があった多賀城からやや離れた場所で、上記の条件を充たしたのがここ、仙台の陸奥国分寺跡でありました。


平安時代まで陸奥国の財政的支持を受けて大伽藍を維持していたようですが、室町時代には「草堂一つのほか何もなし」と言われるほどに衰退してしまったようです。
それを十七世紀初めに伊達政宗公が再興し、1607年に建てられた薬師堂を中心に二十五坊を擁する大寺院として栄えたのだといいます。
ところが明治時代にはいり仙台藩の保護を失い、廃仏の風潮もあってふたたび急激に衰退し、その際二十五坊のうち二十四が廃絶してしまったのだそうです。唯一残った別当坊が、薬師堂の管理と陸奥国分寺の名を単独で引き受けたとのことでありました。


うーん、歴史の流れとは壮大で、人の織りなすものであるもののその流れにはなんとも抗えないものがあるようであります。そんなところが、歴オタを魅了するロマン、なのかなぁ。





No.16 20/12/01 03:22
旅人さん0 

ナビの上で【国分寺薬師堂】が現れほっとしたとまもなく、例の「目的地周辺です。音声ガイドを終了します」という言葉。
おっ!あった!
すごいすごい!再建された平安絵巻のような、ほんの少しではあるものの、回廊?のような建築物もあり、その先に茅葺きの、おもむきのある門が見えています。
まぁ❤ じゃじゃ馬とか言っていますが、さすがナビ。
以前なら、地図を見て(夫の)頭にたたき込み、さらにわからなくなれば地図を広げて確認して走る、それが当たり前、というかそれしかなかった時代を思えば、ありがたいものであります。
┉って、ここ、たしかに正面の仁王門が見えてるけど、一方通行じゃないかぁー!
周辺には車が置けそうな(おそらくは駐車場)が見えてはいるものの、いま来た道を戻るようであります。
やっぱり?┐('~`;)┌

と、いうわけで、大変感動した仁王門を一旦あとにしてふたたびいま来た道を戻る私たち(運転はあくまでも夫)。さすが、じゃじゃ馬ナビ、、、。
そんないつもの私とナビにふりまわされながらの夫の珍道中。ありがと。感謝しています。


いったん退去してようやくそばで見ることのできた茅葺きの仁王門に、感動もひとしおです。




No.17 20/12/01 05:39
旅人さん0 

仁王門をくぐると、小学生くらいの子どもの小さなグループがいくつか、自転車でだったり、秘密を隠しきれないで思わず笑ってしまって軽く小走りしている子たちだったり、ここは自然に子どもたちが集うお堂のようです。うーん、子どもたちが集うお堂ってすっごく好き❤
しかも大声で騒いだりしない子たちばかりです。お薬師さまのお足元で遊ばせていただいているという気持ちがしっかりと根づいているのでしょうか。

そしてその境内に漂う空気の清んでいてそしてやわらかいことといったら。なんて居心地のよいところなんでしょう。
ずっといたいような、何度でも、毎日でも来たいところです。
┉まあ、引っ越して来る以外、それは叶わないことですがね。
だから子どもたちが集うんだ。
見るからに優しそうな若いお母さんが、子どもの手を引きベビーカーを押してお参りに来ておられました。

政宗公はなんと素敵な空間をよみがえらせてくださったことか。


【陸奥国分寺薬師堂】さんは、御堂というには大きな建物でありました。大きな瓦屋根のどっしりとした御堂です。その御堂の扉が障子貼り、なんです。もう、どれだけ私を魅了するんだろう。狛犬さんも可愛らしいし。
そうそう、手水舎はなんとカエル!
カエルの水を使う手水舎は初めてかもしれない。
しかも暗くなってからでもお参りできるようにか、やわらかい灯りで小さくライトアップしています。

そして、御朱印をお受けしようと詰所にうかがうと、若くきびきびと動く、しかも控えめなお坊さまが対応してくださっていました。
かねがね数珠入れを欲しいと思っていた私が数珠入れを見せて欲しいと申しますと、お数珠の扱い方をお教えくださいながら、「こちらのお数珠には(こちらの数珠入れは)少し小さいけれど使えないほどではないですかね」と。
きれいに使いやすく整理された詰め所でありました。
そして子どもたちもお坊さまに話しかけていたりしていて、ここに集う子たちともよい関係を築いておられるようでした。


うーん、すっごく好き。いいなあ。

No.18 20/12/01 08:57
旅人さん0 

通路を隔てたところにもうひとつの御堂が見えます。
仙台【准胝観音堂】のようです。

その手前にまさに紅葉の見頃の、形のよい、大きな大きないちょうの樹があります。
その樹の下、外国人の親子がきれいに敷かれたいちょうの絨毯の上で戯れていました。すごーい。映画の1シーンのようであります。
見頃のいちょうにも、そのかわいらしい親子にも見とれてたたずむことしばし。
はっと我にかえって御堂に目を向ける私。夫はすでにお参りをさせていただいています。

こちらは仙台藩五代藩主伊達吉村夫人・長松院により准胝観音さまが寄進されたことを受け、六代藩主伊達宗村により延享2(1745)年に建立されたもののようです。朱塗りのかわいらしい御堂です。

准胝観音さまは延命、厄除けなどを司るといわれています。私の記憶にあります限り、准胝観音さま単体でお祀りしておられる御堂はこここぐらいだったように思い出せません。

准胝観音さまは准胝仏母(じゅんていぶつも)さま、七倶胝仏母(しちくていぶつも)さまともいいます。
もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介します。



仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏さまを誕生させた仏の母という意味です。
そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益といわれているのは修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。


こちらもまた、やわらかい気の満ちた境内でありました。

No.19 20/12/01 13:51
旅人さん0 

そしてさらに准胝観音堂の裏手には、なんと、塔が見えているではないですか!おそらくは新しいものであるかとは思われます。創建当初のものは落雷で平安時代にすでに焼失しているようです。
「行く?」
もちろん!

早足が駆け足になって、夫から
「そんなに慌てなくても」と声がかかります。まるで子ども。

バックにジャーン!なんて効果音が聞こえそうなほど、威風堂々と立つ多宝塔がありました。大きな大きな多宝塔は昭和五七(1982)年1に落成されたものだということです。正式には「六大法身塔」であり、略称「大塔」と呼ばれていて、 大日如来さまをお祀りしているのだとか。お寺さんはもっと新しいものでしょうか。ロビーとかフロワーとかいう言葉が似合うお寺の庫裏でありました。
なんでもこちらの御住職は女性の方なのだとか。おしゃれな感じは御住職のセンスなのでしょうか。
日が落ちてきています。

青葉城に行かなければ!
また走り出す私に、もはや夫はかける言葉もないようです。


No.20 20/12/01 14:21
旅人さん0 

うっ。


なんという道?!

いやいや国道なんとかとかいう道路の呼び名ではなくて、その道幅にびっくりします。
すごーい!片道四車線!
私には走れないな。
すっごいなぁ、仙台!
東京とも千葉とも神奈川ともちがう、大都会がそこにありました。
ぐ、群馬県、ですか?群馬県には片道四車線なんてないと思いますよ、はい。
ましてや群馬県の片田舎の町に住む私たち。走行している夫も走りづらいようであります。ごめんなさい、絶対走れない。
そんな四車線をすいすいと車線変更して追い越しをしていく車の多いこと、多いこと!こわいよぉ。
まるで町のネズミと田舎のネズミのおはなしのようですね。

そして、実はもっと怖かったのが、実は青葉城の大きな大きな石垣。

ライトアップされているのですが、ね ┉蒼、なんですよ。蒼。
青葉城だから、ではなくて、おそらくは医療従事者さんへの感謝とエールの青。
でも、いきなり暗くなりかけた道に蒼い大きな石垣って立派なホラーでしたよ。怖い、怖い。
これはもっと穏やかな暖色のほうが石垣にも合っているし、医療従事者さんも喜ぶんじゃないかと┉。

怖かった。


そして、青葉城。
売店はかろうじてまだ開いていたのですが、辺りはすでに暗い。
伊達政宗公の騎馬像があるはずなのですが┉どこだろう。
うわぁ、青い。

青くて蒼い、青葉城。
あとは暗くて見えなかったです。
仙台の夜景はすばらしかったです。


ちなみに、青いライトアップはしばらくは続くもようであります。


私たちはもうおそらく二度とは見ることはないので┉ここにちょっと恐怖体験を書いておこう。(*`艸´)





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