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続・ブルームーンストーン

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自由人
21/03/27 13:58(更新日時)

ブルームーンストーンの続編です。

内容は4人で遊んでいた頃の話のブルームーンストーンとは違い、
職場中心の話になってしまいますが、
これも懐かしい思い出日記の様に書いていけたらなと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

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No.2726135 18/10/14 16:28(スレ作成日時)

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No.216 20/07/26 00:01
自由人 

心が折れるキッカケは意外と簡単なものなんだ…

勿論ここに記していない事も多々ある。

きっとそれらも含めて私の中で消化しきれないものが長年に渡って溜まっていき、
たまたま竹井さんの言葉が引き金になったのであろう。

何も考えず数日休めば元に戻る。

だが、楽観的に考えていた私の考えとは裏腹に、元に戻るどころか私の症状は更に酷くなり、心配してくれた人からの電話に出ることも買い物に行くことさえも怖くなった。

心配してくれた人には事情を説明しなくてはいけない。
買い物に行って〇〇店のお客さんに出会ってしまったら休んでいる理由を聞かれるかもしれない。


人に何かを話すということは、一旦頭の中で話す事柄を思い浮かべそして言葉にする。

その「頭に事柄を思い浮かべる」という作業が怖かった。

〇〇店のお客さんは子育て世代の主婦層やご年配の方が多かったのでかち合わない深夜の時間帯を選んで深夜営業をしているスーパーで買い物をした。


そして有給休暇が半分程過ぎた頃、店長から連絡があり私の容態と今後の勤務時間帯をどうするか聞かれたが、仕事に行くと思うだけで動悸がして苦しい旨を伝えると、残りの有給休暇を分割利用して夜のみ数時間の短時間から慣らしていってはどうか?と提案してくれた。

その時の私は正直かなりそれも厳しいと思われたが、そんな状態で他の店に転勤などは到底不可能な上にせっかくのご厚意を無下にするのも申し訳なく、何とか頑張ってみようと店長の提案を受けることにして
沖さんや竹井さんのいない夜の数時間からの勤務を開始した。

No.217 20/07/26 16:37
自由人 

最初は夜の3時間程度から。

〇〇店の客層は先述した通り子育て世代の主婦層や年配の方が主だったため、午前中と夕方が忙しく閉店前は比較的ヒマだった。

仕事の内容もガンガン接客する昼間に対して夜は昼間に売れた商品の品出し補充がメインで体力はいるがあまり人に気を使わず黙々とやれる利点がある。

それでもまだ私にはその仕事は辛く、

「化粧品コーナーにいて下さいね。」
と、店長はわざと楽な仕事を与えてくれた。

〇〇店は夜の化粧品コーナーには全くと言っていいほどお客さんが来ない。

売り場の掃除をしたりPOPを書いたり
1人で黙々と作業をする。

それでも暫く経つと、立っているだけで動悸がしてきて座り込みたくなる。

辛い….

もしこのままずっと調子が戻らなかったら…

そう考えるとますます辛くなり息があがってくる。

ハッハッ…

ちょっと…
きついな…

「田村さん、僕はそろそろ上がりますけど、体調は大丈夫ですか?」

外に出て少し深呼吸しようと歩きかけた私は店長に呼び止められた。
店長の隣には遅番の三木君が少し心配そうな顔をして立っている。

「あ、はい、お陰様で!ありがとうございます。」

咄嗟についた私の嘘に、

「そうですか。ではしばらくはこのパターンで様子見しましょう。
ではお先に失礼します。」

店長は安心したように笑顔を見せるとそのまま帰って行き、後には私と三木君が残された。

「顔色…少し悪いですよ?無理してるんじゃないですか?」

「ううん、そんなこと…」

ドクンッ

また動悸が来る。

「田村さん?!」

「あ、大丈夫…大丈夫…少し息を整えれば…」

「座って下さい。」

三木君は化粧品カウンターの接客用の椅子をカウンター内に入れると私を座らせ、そっと背中に手を当ててくれた。

あ…

少しずつだが動悸と不安感が治まってくる。

「大丈夫ですか?」

「うん…ありがとう。少し楽になってきた。」

「そうですか、良かった。
事務所にいますから何かありましたらすぐに声をかけて下さい。」

と三木君は優しく微笑む。

事務所に戻っていく三木君の後ろ姿を見送りながら、三木君が手を当ててくれた時の心地良い暖かさを私はじんわりと感じていた。

No.219 20/07/31 10:27
自由人 

翌日、私は仕事だったが三木君は休みとの事で店の近くまで車で迎えに来てくれた。

そこから車で15分ほど走った川沿いに予約をしたレストランがある。
レストランといってもカジュアルなイタリアンレストランで、1人頭せいぜい2000~3000円といったところ、そこらの居酒屋に行くのと変わらないが、
料理はボリュームがあり美味しいと評判で、前日にたまたま予約を取れたのが奇跡な程の人気店であった。

「美味しいですね!さすが大人の女性は良いお店を知ってますね!」

「私も知り合いに連れて来てもらったくちなんだよ。」

三木君の絶賛に気恥ずかしくなりやんわり否定する。

大人の女性か…

こんな若い子にはかなり歳上の女はどう見えているのだろう。
何でもできて何でも知ってて人間的にも円熟している完璧なイメージを持つのだろうか?

無駄に歳ばかりとって中身があまり変わっていない自分が今更ながら恥ずかしい。

「田村さん?1つ聞いていいですか?」

「えっ?!は、はい、どうぞ!」

ぼーっと考えていた私の頭にいきなり三木君の声が響いてくる。

「田村さんの名前ってなんて読むんですか?ミユウ?ミユ?」

「え?……ミユ…だよ?」

「そうですか。加瀬さんが呼ぶとミュー姉さんって聞こえるから。」

「ああ、加瀬君は元々私をミュー姉さんと呼ぶんだ…」

あれ?!

このやり取り…
かなり前にも…

不意にあの時の光景が蘇る。

大ちゃんと2人で駅前のロータリーのベンチで話した月の夜。

三木君と同じ質問をされて、ミューって聞こえるって言われて、
そして、
私のあだ名をつけられたんだ。

ミューズ
ミューズ

懐かしい…

大ちゃん
元気にしてるかな?

せめて声だけでも聞きたいと思う気持ちもあったが、こんな状態の私を見せたくなかった。

だから牧田君に固く口止めをした。

それでもやっぱり…

「田村さん?」

三木君の声にハッとする。

「あ、ああ、ごめんね。飲み物もう無いね、何か また頼もう。」

「じゃあ僕はジンジャーエールで、田村さんは運転をしないのだから遠慮せずにお酒を呑んで下さい。
お酒お好きでしょ?」

三木君はイタズラっぽく笑うと私にはアルコールドリンクのリストを開いて渡してくれた。

No.220 20/08/01 17:24
自由人 

お酒が少し入ると気持ちも少しリラックスする。

三木君の促しもあり、私は今までにあったこと、不安な気持ちを一気に吐き出そうとしたが、話し出して幾らも経たないうちに、

「そろそろラストオーダーになりますが…」

長身で物腰の柔らかいウェイターさんのやんわりと静かな声かけで、

「えっ?!もう?!早いですね。」

「予約は2時間の時間制限だから…
せっかくなのに…ごめんね…」

モタモタしてさっさと聞いて欲しい話をしていない事に気まずくなる。

おかしな話だが愚痴をあまり聞いてもらえなかった事に妙な申し訳なさがあった。

「まだ話し足りないんじゃないですか?良かったら場所を移動して続きをゆっくり聞きますよ?」

そんな私の気持ちを察したかの様に三木君が提案してくれたが、さて何処に行こう?とりあえず車に乗って走りながら考えるかということになり、食事を済ませて車に乗り込んだ。

「田村さんすみません。ご馳走になっちゃって。」

「いえいえ、こちらこそわざわざ車まで出してもらっちゃって。」

「車の運転は好きだから大丈夫ですよ。よくドライブとかも行きますし。
そうだ、このまま少しドライブでもしましょうか?」

「うん、三木君が良ければ喜んで。」

車は走り続け、私はポツポツと自分の漠然とした不安な気持ちを話し出した。

三木君は私の言うことを否定も肯定もしない。
ただウンウンと相槌を打って聞いてくれるだけだ。

でもそんな三木君に話を聞いてもらううちに少し気持ちが楽になるような気がしてきた。

車が赤信号で停車した時に右横に右折の車が停まった。

窓を全開にしたその車からは何か音楽が聴こえてくる。

「あれ?これ…」

思わず声に出した私に、

「んっ?ミスチルですね。僕、ミスチル大好きなんですよ。」

ちょうど信号が青に変わり、車を発進させながら三木君が嬉しそうな声を出す。

「えっ?!三木君みたいな若い人でもミスチルを好きなの?」

「年齢なんて関係ないですよ。大学生の頃はカラオケでよくミスチル歌ってました。」

「へええ聴いてみたいな。」

「良いですよ。良かったら今からカラオケ行きます?」

「うん行こう行こう。」

何となくノリでカラオケ行きが決まり、かなりの年齢差のある凸凹コンビで若干不安はあったが、そんな予想に反してカラオケはとても盛り上がった。

No.221 20/08/01 23:20
自由人 

三木君の歌はプロ並みに上手かった。

「え~?!すごいね!」

驚く私に、

「ミスチルのキーがたまたま合ってるだけですよ。」

と三木君は謙遜したように言う。

「田村さんもミスチル好きなんですか?特に好きな曲ってあります?」

「好きな曲…」

三木君の何気ない質問に少し躊躇う。

「あ、ごめんなさい。特に無ければ別に…」

私を困らせたと勘違いし謝る三木君に、

「いやっ、ごめんごめんあるよ。えと、すごく古い曲なんだけど…抱きしめたいって初期の方の曲なんだ。」

と慌てて曲名を告げると、

「抱きしめたい…う~ん、うろ覚えだけど…歌ってみようかな。」

三木君はポンポンと選曲し、曲が始まるとうろ覚えとは到底思えない程の歌唱力で歌い出した。

うわ上手い…

三木君の圧倒的歌唱力に驚きつつも、聴きながらいつしか大ちゃんとの日々を思い出した。

本当に懐かしい曲だな…

「田村さん?大丈夫ですか?」

ふと顔を上げると三木君が途中で歌うのを止めて心配そうに私を見ている。

「え?ごめんごめん大丈夫そうに見えなかった?」

笑って誤魔化すも、

「田村さん、無理してませんか?
あの…僕にできることあったら言ってください。」

三木君は変わらず心配そうな目を私に向ける。

本当に優しい子なんだ…

三木君の優しさに不意に涙が出そうになる。

「田村さん、僕やバイトの子達は田村さんの味方ですから、田村さんは1人じゃないですから。」

三木君の更に優しい言葉に私はもう我慢が出来なくなった。

「三木君…じゃあ私のお願い聞いてくれる?」

「無理だったらごめんなさいしますけど…何ですか?」

笑いながらそう返してくる三木君。

そうだよね…
引かれちゃうかな…
でも…

「あのね…ギュッって…ギュッって…大丈夫だよって大丈夫だよって言って…抱きしめて…欲しい…」

私の言葉に三木君の顔から笑みが消えた。

三木君の手がそっと私の肩にかかる。

「いいですよ。」

三木君はそう言うと私を静かに抱きしめた。

フワッ

優しいシャボンの香りがし、
途端に身体の隅々まで言いようもない安堵感に包まれる。

「大丈夫、大丈夫、」

三木君がまるで子供をあやす様に私の背中をトントンとしてくれるのが更に安堵感を深めているようだった。

No.222 20/08/03 12:43
自由人 

「落ち着いた?」

私を抱きしめたままの優しい声に、

「うん…また…辛くなったらこうしてくれる?」

とつい甘えてしまったが、

「いいよ。」

と三木君は更に優しい声でそう言いながら頭を撫でてくれた。

その日をキッカケに私は気持ちが不安定になると三木君にハグをしてもらう様になる。

歳の離れた姉弟というのでさえあまりにも歳の差がありすぎの若い子に甘えるのは申し訳ないと思いつつも、三木君にハグをしてもらうと不思議に気持ちが落ち着いた。

ハグだけではなく、話も色々聞いてくれた三木君に何故そこまで親切にしてくれるのかと尋ねた事がある。

「昨日のことも直ぐに忘れる様な美優さんのことだからどうせ覚えてないだろうけど…」

おいこら、
3歩歩いて忘れる鳥頭みたいに言うな!
とツッコミを入れまくりたくなるような失礼極まりない言葉を最初に、三木君は私と出会った時のことを話し出した。

「何年か前に加瀬さんのいた店に応援に来てくれたこと覚えてる?」

勿論覚えている。

牧田君と同様、社員になった加瀬君が副店長として赴任した新店にオープン前からも含めて1ヶ月ほど応援に行ったことがある。

普通、自店のシフトの都合もあり長期応援に行くことは滅多にないのだが、
オープニングスタッフが自己都合で何名か辞めてしまった上に化粧品販売ができる人材を確保出来なかったということで、社員の数が多い〇〇店の私に応援依頼が来た。

応援と言っても勿論自店での仕事もあるため、半々くらいの割合で両店をかけ持ちする。

これがなかなかに大変なのだが、
応援が好きな私としては結構充実した1ヶ月であった。

No.223 20/08/06 12:59
自由人 

K化粧品のロングセラー商品で、
知る人ぞ知る某フェースパウダーがある。

フェースパウダーとは昔風に言うと、おしろいってことなのだが、
それはちょっと特別感のあるフェースパウダーで、夏から秋くらいにかけて予約を取り、K化粧品はその予約の数を受注生産してクリスマスの頃に予約客のみに限定販売をする。

これが夏は汗をかいても崩れにくく、冬は乾燥しにくいという両極端の性能を併せ持つ高機能なおしろい様なのであり、お値段も当然それなりで、
「諭吉様と涙のお別れ覚悟」価格なのである。

で、前フリが長くなったが、このセレブなおしろい様の予約を取れば取るほど当然売上に繋がるわけで…



「ミューさん、何個でもいいです!
予約を取って下さい!流石に0個はやばいです!」

応援先の店舗で、副店長の加瀬君が大きな体を折り曲げる様にして私に両手を合わせて頼み込んでくる。

「う~ん…だよね~…」

私も顔をしかめて考えこんだ。

会社の方針として年末の売上アップのため各店舗にこれの予約目標値を設定しており、新店はかなり低い設定になってはいたがそれでも0個は流石にまずい。

長く勤務している〇〇店で、高額商品を販売することは応援先よりも当然たやすかった。

理由は至極簡単で、私についてくれているお客様達がいらっしゃるからだ。

勿論、単に高額商品を売りつけてばかりではお客様は逃げる。
お客様も馬鹿ではない。
自分がその金額を出してでもそれに見合う満足度が商品や接客にあるか、
きちんと判断されて次回の来店に繋がり私への指名に繋がる。

当然こちらにしてみると、その「期待」を裏切らないように商品知識を頭に徹底的に叩き込み、自分も実際に購入して使用し、お客様にどの様にご紹介するか考える。

そうやってコツコツと地道に積み重ねてきた実績があるからこそ、お客様はこちらを信用してご紹介する商品を購入して下さる。

逆に言えば、新店にはその歴史がない。
まっさらスタートなのである。
売り逃げは簡単であるけれど、次回からもずっと来て頂かなくてはいけない。
これから「固定客」作りをしていかなければいけない+高額商品の予約をして頂く様な接客をする…

さてどうしたものかな。

しかし、何でも基本が大事であるな。
よしっ!やるか!
私はとりあえず基本に忠実に先ずはやってみることに決め自分に気合いを入れた。

No.224 20/08/27 13:13
自由人 

私の応援期間は1ヶ月だ。

1ヶ月、と言っても休みや自店への出勤もあるため、30日丸々あるわけではない。

シフトをチェックしてみると
公休8日、自店8日となっている。

うむむ応援は2週間か…

先述したが応援先の店舗は化粧品販売ができる人材をまだ確保できていない。
ということは私がなるべく頑張っておかないと…

勉強でもそうだが何でも頑張ろうと思ったら、とにかく基本、基礎をしっかりやる。

私が大ちゃんの下で働いていた時にガッツリ叩き込まれた教えだ。

その教えを忠実に守り、
パートさんやバイトの子達の協力を得て、目標値の倍以上の予約を取ることができた。

本来は忙しくてなかなかスタッフの長所を上手く見極め使いこなす余裕などないのが常であるが、応援スタッフという点が幸いし応援先の事務作業などを一切やらずに済んだ分、パート、バイト一人一人の長所を見極め、個々に合った作業を振り分けてお願いすることができた。

POP作成スタッフ、売り場作りのアシスタントスタッフ、見やすくわかりやすい手作りチラシ作成スタッフ、化粧品接客時に一言ご紹介してその手作りチラシをお渡しするスタッフ、
通常の業務にプラスONの作業になったが、みんな嫌な顔1つせずむしろ喜んで引き受けてくれてとても助かった。

適材適所、

それぞれ得意な仕事をやってもらうと時として期待以上の成果が得られるものだ。
「人」は財産なり。
あの応援先のスタッフさん達には本当にお世話になった…


「加瀬さんの店に応援に来てくれた時に僕もその店にいた事を覚えてる?」

その当時の事を思い出し、
懐かしさに浸っていた私に三木君が更に重ねて聞いてきた。
その顔は「どうせ忘れてるでしょ?」
とでも言いたげであったが、悲しいかな見透かされている通りどうしても三木君の事を思い出せない。

「ええっ?!そうだったっけ?!え~と、え~と?あれ?なんで思い出せないんだろう?!」

焦る私に、

「POP作成リーダーの海(うみ)君と言えば思い出してもらえるかな?」

と三木君は少し懐かしそうな目を私に向けて微笑んだ。


No.225 20/09/11 12:11
自由人 

「え?!ウミ君?!あのウミ君なの?!」

驚く私に、

「そうですよ。かなり変わったでしょ?」

三木君が少し照れ臭そうに返してくる。

三木君はPOP作成のウミ君だったのか…
変われば変わるものだね全然わからなかったよ…




加瀬君が副店長として配属されている店舗に1ヶ月ほど応援に行った私は、そこのパートさんやバイトの子達に色々と仕事を助けてもらったが、
特にバイトの子達はずっと年上の私に懐いてくれてとても可愛く、それぞれ関わる時間は少なかったものの私は彼らと仕事をしている時間が楽しくて仕方がなかった。


「ねえ、物作りが得意な子って誰かな?」

「それなら中田さんじゃないですかね。かなり器用だしセンスも良いかなと。」

私の問いかけに、バイトリーダー格の堀江君が即答する。

「じゃあ彼女に売り場作成を手伝ってもらうか…」

個々の得意分野を見極め仕事を割り振るのにこの堀江君の意見はかなり参考になった。

こうして堀江君の意見も聞きながらバイト一人一人に仕事を当てはめていくうちに1番仕事量の多いPOP作成のメンバーが足りないことに気がつき、

「POPをお願いしている2人の子達ってもっとシフト入れないの?」

と堀江君に聞いてみるも、

「無理じゃないですかね、2人とも理系だから授業の他にも実習が…」

そう言われてしまい私は唸りながらも諦めざるを得なかった。

当時、加瀬君の店のバイトの子達は全員大学生や専門学校生等の学生軍団であり、学部にもよるのだがまだ比較的余裕のあった文系チームに比べ、看護学部や薬学部等の理系チームはみっちり詰まった授業&実習などで忙殺されていたのだ。

現にこうして話している堀江君自身も
臨床検査技師を目指し学業と両立させて頑張ってくれていたが、最近入れる時間が少なくなってきている。

う~んどうしよう…

私がやっても良いんだけど、
壊滅的に絵が下手で美的センス0なんだよなあ…

「文系の子でシフトいっぱい入れてる子いない? 」

藁にもすがる思いで聞いた私に、

「う~ん、少し前に入ったバイトで僕らがウミ君って呼んでる奴が確か文系…その子に頼んでみましょうか?」

「うんお願い!打診してみて?」

喜んだ私の言葉に中田君は早速ウミ君に電話をかけて話をつけてくれ、ウミ君のPOP作成メンバー入りが決定した。








No.226 20/09/14 20:26
自由人 

【ウミ君へ
ポスター大のPOP2枚至急、それと店内POPを指示メモ通りに…】

「よしっ、じゃあ堀江君悪いけどお願いね。お疲れ様でした。」

私は堀江君にウミ君への指示を書いたメモを渡して店を出た。

応援者である私は朝から夕方までの時間帯に入る。
なので、夜の数時間程度しか入らないバイトの子達とはほとんど顔を合わせる事すらなく、加瀬君や堀江君などを通じて仕事をお願いしていた。

他とバイトを掛け持ちしているらしいウミ君も日数こそ多いものの夜の3時間程度のシフトが多くまだ顔すら見たことがない。でもウミ君はかなり要領の良い子で頼んだ仕事は必ず当日中に仕上げてくれる。
しかも頭も良いらしく、
いつの間にかPOP作成メンバーのリーダーになっていた。




「ミューさん、明日の応援の時間を遅番にしてもらえないかな?」

そんなある日、焦った様な加瀬君から電話があった。

「遅番?いいよ。」

快諾した私の返事に、

「良かった~明日の夜のバイトの子が3人中2人も体調不良で入れなくなって、残った1人の堀江には品出しを頼みたかったし…」

加瀬君はほっとしたような嬉しそうな声を出し、

「それなら私はずっとレジでいいよ。」

との私の申し出に、

「助かります。ラストまでぶっ通しでレジはきついだろうからウミに1~2時間だけでも入ってもらえないか?と連絡してるから。」

と更に弾んだ声を出した。




「おはようございます。
加瀬さんに言われたので…レジを代わります。」

翌日、初めて顔を合わせて初めてかけられた言葉。

レジの両替チェックをしていた私はその言葉に振り向くと、
はにかんだ笑顔を浮かべたぽっちゃりめの男の子が立っていた。

「え?あ!ウミ君?」

「え?!あ、はい、あの…レジを…」

「あ、ああ、あ!ちょっとこのままレジを見てて!」

私は初対面でいきなりウミ君と呼ばれ戸惑っている彼をレジに残し、加瀬君の元に急ぐと、ウミ君にはPOPの仕事をしてもらうという許可をもらった。

「ウミ君!お願いがあるんだけど、私がこのままラストまでレジにいるからウミ君はPOPを仕上げてくれない?」

急いで戻ってそう告げた私に、

「え?でも…僕なんかのPOPって田村さんにレジを代わってもらって仕上げるほどそんなに大したものでもないですし…」

とウミ君は自信なさげに呟いた。


No.227 20/09/21 22:48
自由人 

「なに言ってるの?ウミ君のPOPの才能に甘えてお願いばかりしているこちらこそ申しわけないんだけど…
迷惑…だった?」

「いえいえそんな!本当に僕のPOPなんかで良かったんですか?お役に立ってますか?」

「うん!ウミ君がいてくれて本当に助かってるありがとうねウミ君!」

「は、はい…あの…ありがとうございます…」

私の感謝の言葉にウミ君は少し顔を赤らめながら小さく頭を下げるとサービスカウンターの方に小走りで向かって行った。
そこでPOP作成の作業をするのだ。

150坪程の小型店の〇〇店とは違い、加瀬君のいる店は300坪は余裕で超えている大型店舗、大きなサービスカウンターでは色々な作業ができる。
〇〇店くらいの規模の広さ方が作業も商品管理も楽で良かったのだが、こういう設備面では大型店舗が羨ましい。



「そろそろ閉店作業するんでミューさんもレジ検してもらっていっていい?」

それから数時間後に加瀬君にそう声をかけられた私は自分の使っていたレジからドロアーを抜いて事務所に向かった。

事務所に向かう途中でサービスカウンターの中をさり気なく覗き見する。
カウンター内のテーブル上にきちんと揃えて置かれているPOP数枚。

頑張って全部仕上げてくれたんだ…

私がレジ検をする間の応援のレジを開けてくれているウミ君をチラリと見ると、ウミ君は直ぐに視線に気づき照れくさそうな笑顔を見せてくれた。
ふっくらした丸顔にはにかんだ愛らしい笑顔がとても可愛らしい。

可愛い子だな…

その笑顔に私は弟というより、親子に近い年齢差のウミ君に母性本能の様な暖かい感情を覚えた。


結局ウミ君と直接関わったのはその日くらいで後は伝言メモのやり取りくらいだったが、器用なウミ君はPOPの仕事が終わってからも私のいない間に売り場の作成なども上手に仕上げてくれ、私は本当にただただ彼に対して感謝しかなかった。

No.228 20/09/23 13:08
自由人 

「その時の恩返しですよ。」

三木君が少し照れくさそうな笑顔を見せた後、それを誤魔化すかの様に私の頭を軽くこついた。

「え?仕事を助けてもらってばかりで恩返ししなきゃいけないのはむしろ私の方じゃない?!本当に助かったし今でも感謝してるよ。」

「感謝か…今でも?本当に喜んでくれてます?」

「当たり前じゃない!!あの高額のフェースパウダーの予約があれだけ沢山取れたのは三木君を始めとするみんなのおかげだよ?」

「その感謝の言葉が人によっては救いになることもあるんですよ。
誰かに認めてもらえて誰かに喜んでもらう。自分も役に立つんだって自分の様な人間も必要としてくれる人がいるんだって、そんなことで存在意義を見いだせるっていうかね…」

よくわからない…

三木君が通っていた大学はそこそこ名が知れていて、勉強ができたんだろうなと想像ができる。
おうちも地元のそこそこ裕福な家庭で育ちの良さがちょっとした所作でわかる。
手先も器用で人付き合いにもソツがない。
笑うと少しエクボのできる笑顔が本当に可愛くてお客さんやバイトの女の子達の中で何人か三木君ファンもいるほどだ。

傍から見る分には順風満帆な人生に見える。
そんな人がPOPの仕事を喜ばれたからと存在意義云々を持ち出すなんて…

「僕の言ってることの意味わかんないでしょ?」

黙り込んだ私に三木君がいきなり図星攻撃を仕掛けてくる。

「えっ?!あ、ああ、えと、そ、そういえば、三木君、随分と痩せたよね?
だからあの時のウミ君だとはわからなかったんだよ。」

「ダイエット頑張ったからね、
何か今までの自分じゃいけない気がして。」

「そ、そうなんだ。何かダイエット前は愛くるしいって感じだったけど、
かっこよく…なったよね?本当に誰かわからないくらい雰囲気変わったね。」

実際、三木君は以前とは見た目が驚く程に変わっており、スッキリしたスタイルに服装や髪型もかなりオシャレに決めていた。

「そうでもないよ。
それに…もし僕が全く痩せていなくて変わっていなくても、美優さんは僕のことなんてどうせわからなかったでしょうね。」

三木君は私の言い訳と誤魔化しが混ざった言葉に少し皮肉を込めた口調でそう返してきた。

No.229 20/09/23 20:56
自由人 

うっわ
この嫌味な言い方、何かどこかで…

「ん?なに?」

少し首を傾げ若干の上から目線な態度の三木君を見てその「どこかで…」の正体がハッキリした。

昔の大ちゃんだ!

「…もしかして気を悪くしました?
……ごめんなさい…」

返事をしない私の様子に三木君が調子に乗り過ぎましたすみませんといった様子で急に謝ってくる。

人の顔色をすぐに読むこういう所もそっくり…
でも三木君の方が100倍素直だけどね…

「あの…」

三木君が心配そうな声を出す。

「あ、ああ、ごめんごめん。
気なんて悪くしてないよ。ただ仲の良かった人に三木君が似てるなって思って…あ!そうだ!三木君って誕生日いつ?キャラ占いやってあげる。
性格とか結構当たるんだよ?」

慌てて取りなす様に三木君から誕生日を聞いた私はキャラ占いをやってみると、
狙った様に三木君と大ちゃんのキャラが見事に一致した。

うわ…
マジか…偶然って怖い…

「どうでした?僕は何でした?」

三木君が私の手元を覗き込んでくる。

「あ…うん…さっき言ってた仲が良かったって人とキャラが一致しててビックリしてたとこ…性格似てるのかな?…って何言ってるんだろ…もう忘れなきゃいけないのに…」

「美優さん?」

不思議そうな三木君の声を聞いた途端、私の中で何か無性にモヤモヤした気持ちが沸き起こった。

「三木君、いつも優しくしてくれてありがとうね。こんなオバサンの相手なんて何の魅力もないでしょうに…」

「美優さん?何言ってるの?」

「三木君、もう十分恩返しはしてもらったよ本当に癒されて嬉しかった。
だから…もういいんだよ。」

「美優さん?どうしたの?急におかしいよ?」

少し大きめの三木君の声にハッとした私はようやく我に返った。

「ご、ごめんなさい…」

「いや、いいけど…大丈夫?」

「あ、うん…」

うなだれた私の頭に三木君の手が優しく触れた。

優しい手…

ふっと身体の力が抜ける。

三木君はそのまま私を優しく引き寄せると何も言わず静かに抱きしめてくれた。

あったかい…

気持ちがスーッと落ち着いていく。

何であんなに取り乱したんだろう…
恥ずかしいな…

でも私は確実に大ちゃんと重ね合わせた三木君を好きになりそうな気がして急に怖くなった。

No.230 20/09/24 12:26
自由人 

親子でもおかしくない年齢差なのにそれは絶対有り得ないでしょ…

自分がもし三木君を好きになってしまったらきっと三木君はそんな私を敬遠するだろう、嫌われたくない、この温かさを失いたくない、

私はただ友達としてこうしてもらっているだけだ。

恋愛感情など全くない。

迂闊に揉めて三木君を失いたくない。

私は必死で自分にそう言い聞かせた。

それでも正直な話、男女の関係になりかけた事はある。

互いに酔っていてそのまま成り行きでキスをした。

そして流れに任せて…
になりかけたのだが、やはりどうしても私には無理だった。
断ることでもしも三木君が離れていったら…と思うと怖くて怖くていっそのことせフレでも良いか…
という考えすらよぎったが、やはり私にはそういうのは性に合わない。

だが断ってしまったことで気まずくなるかと思いきや、意外にもその後何事も無かったかのように三木君が他店に移動するまでの数年間この奇妙な関係は続いた。

しかし三木君が忙しい他店で多忙な日々を送る様になった途端、
LINEを送っても素っ気ない返事になり、そのうち返事も来なくなり…のありふれたパターンであっさり終了する。

あれだけ失うことを恐れていたはずなのに何故か不思議と寂しいとかショックな感情は無かった。
まっこんなものかとすら思っていた。
若い男の子にずっと構ってもらってハグしてもらって得したじゃん。
いい思いしてラッキー!くらいに思っておこう…
自分を納得させようとそう言い聞かせる。

それでも心のどこかで虚しさが消えない。
何かを求めれば求めるほどすくおうとした手からこぼれ落ちるように、掴もうとすればするほど伸ばした手をすり抜けていく。
私は一体何をしたいのだろうか…

本当に欲しいものは手に入らない。

いつか大ちゃんがポツンと言った言葉が浮かぶ。

私が求めているもの
本当に欲しいものは一体なんなのだろう…

No.231 20/09/25 12:53
自由人 

三木君の移動から少し遡るが、
彼が移動する10日ほど前に、後釜になる若手男性社員が入り、仕事を引き継ぐことになった。

小島大樹 22歳

若い

もう私とは完全に親子である

モデル兼俳優の成田凌君似でスリムな長身の上にとても顔が小さい。

いかにも今どき風の若者で、

「うちの店に来る若い子はイケメンが多いねえ、本社も〇〇店に女性客を多く取り込もうとする作戦かな?」

と店長がジョークを飛ばし、当の小島君を含めみんなでドッと笑ったが、
小島君の正面に立っていた私は小島君の笑顔に妙な違和感を覚えた。

なんだろう…

「小島君は登録販売者の仮免君だから田村さんと遅番で入ってもらうのでよろしくお願いしますね。」

ぼーっとしていた私の耳に店長の言葉がいきなり飛び込んでくる。

「あ、はい、わかりました。」

慌てて返事をすると、
小島君はニッコリして軽く会釈をした。

あ…
やっぱり違和感が…
なんだろう?

何となくモヤモヤしつつ小島君との新しい仕事生活が始まる。

今から10年ほど前に登録販売者制度が制定され、この資格がないと市販薬を販売することができなくなった。
しかも何度か改正され、小島君がこの資格を取得した頃は、資格取得から2年間、薬剤師か登録販売者が店舗にいないと1人では薬を販売することが出来ないと定められていた。

正に仮免状態。

店長は主に早番で入るため三木君は中番で入り、小島君は出勤時から三木君が帰る夕方まで、三木君から仕事の引き継ぎ説明などを受けた。

先輩である三木君が冗談も混じえながら笑顔で説明するのを小島君も笑顔で頷きながら聞いている。

何となく2人の様子を見ていた私は、
今まで小島君に感じていた違和感の正体に不意に気づいた。

この子、目が笑ってない…

否、全く笑っていないわけではない。

むしろ、笑ってるか?と聞かれれば笑っている。

なんだろう。
説明しづらいのだが、
彼の目の奥が笑っていないというか
妙な違和感があるのである。

同じことを感じているスタッフがいるかさり気なく周りに聞いてみたが、

「ニコニコして愛想の良い子」

という印象しか皆は持っていなかった。

私の思い違いだろうか?
勘違いだな…

そう思い直し、
それから私は小島君のことをあまり気にしなくなり、

そして
遂に三木君の〇〇店勤務最終日が来た。

No.232 20/09/26 17:14
自由人 

その日は珍しく三木君が遅番で、私と小島君は中番だった。

「今日、仕事終わったら飲みにでも行こうか?最終日だし奢るよ?」

「いや奢りじゃなくていいよ。
行きましょ行きましょ。」

三木君が快諾してくれたので、残っている納品を手伝いながら待つことにする。

「納品多そうですね?僕も残ります。」

納品を黙々とこなしていると、
気を使った小島君がそう申し出てくれたので、

「実は三木君が今日で最終日だから終わるのを待ってて飲みにでも行こうかと、小島君も良かったら行かない?」

と誘ってみたが、

「すみません。残念ですが今日はちょっと用事があるんですよ。」

と、納品だけは手伝ってはくれたもののそれが終わるや否や、

「では時間が無いのですみませんがお先に失礼します。」

とサッと帰ってしまった。

物腰は柔らかで丁寧だけど、
どこか冷たい感じがする。

三木君と話している時は特に…

またふっとそんな思いに囚われる。



「小島君とは加瀬君の店で一緒だったんだよね?」

〇〇店の最寄り駅前に新しくできた居酒屋のカウンターで、乾杯もそこそこに私は冷たい生ビールをグイッと飲み隣の三木君に話しかけた。

「僕が就活でバイトを辞める少し前に新しくバイトで入ってきたから関わったのは短期間ですけどね。」

三木君はさほど興味も無さそうにメニューを見ながら答える。

あんまり仲良くなかったのかな?

「大人しいタイプだったから自分から僕や周りのバイトの子に話しかけることは無かったですけど、仕事ぶりは真面目で優秀だったと思いますよ。
だから社員にと誘われたんでしょうね。」

さして珍しくも無いだろうが、即戦力が欲しい会社としては、バイトの子の中で優秀な子を社員にと直々に誘い、店長とブロック長の推薦をもらって本社の人事部の面接が通ると内定を出していた。

牧田君、加瀬君、三木君などもこれに当たる。

そうなんだ。
冷たいと思われた雰囲気は人見知りから来てるのかな?

「心配しなくても彼は美優さんとは相性良いと思いますよ。
僕なんかよりずっと仲良くなれるんじゃないかな?」

「え?どういう意味?」

「お代わり下さい!」

聞き返した私の言葉がまるで何も聞こえていなかったかの様に私の方を全く見ようともせず、三木君はビールのお代わりを注文した。

No.233 20/09/26 23:41
自由人 

三木君が他店に移動して数ヶ月、

小島君は三木君の担当部所の一般化粧品などを引き継ぎ、カウンセリング化粧品担当の私と組んで協力をし合って仕事をするうちに少しずつ打ちとけ、
仕事終わりに談笑などもするようになっていたが、最初に感じたよそよそしい雰囲気は変わらず付きまとっていた。


「登録販売者研修は小島君は初めて参加になるんで田村さんと二人で行くように同じ日程にしておきました。」

そんなある日、店長に呼ばれた私達はそう告げられ、お互いにお願いしますという風に会釈しあった。

企業に勤める登録販売者は年に数回ネット研修をしたり研修会場に研修を受けに行ったりする。
市販薬とはいえ、人の身体に影響を及ぼす「薬」というものを販売する以上勉強は不可欠なのである。

「現地集合でいいですか?」

そう尋ねてきた小島くんに私は言おうか言うまいか悩んだが、結局恥ずかしいお願いをした。

「あの…もし良ければ…スタート地点から一緒に行ってもらえると…」

「え?でも田村さんと僕の最寄り駅は違いますよ?」

「いや、だから、その…小島君の最寄り駅まで…自転車で行くから…そこから一緒に…」

「え?でもそれじゃ田村さんは目的地より後戻りになりますよ?何でそんなややこしい事を?」

もう隠してはいられない。

「あの…私…有り得ない程の方向音痴で…慣れないとこだと電車も反対方向に乗ってしまうレベルで…」

ううっ恥ずかしい…

小島君は少しポカンとした顔をしていたが、

「わかりました。御一緒しましょう。なら僕が田村さんの最寄り駅で途中下車しますのでホームで待ち合わせしませんか?」

と、相も変わらず距離感のある笑顔でそう言った。

すれ違いがあるといけないので、念の為にLINEの交換をし連絡を取り合える様にしたが、
当日、駅の改札を抜けホームに上がるとホームに設置されている椅子に既に小島君が座っていた。
彼は手にしたスマホで何か音楽を聴いていたが、私が近づくと直ぐに気づきイヤホンを外すとスマホをポケットにしまった。

「ごめんねかなり待った?」

「僕は待ち合わせは早く来て待つタイプですので気になさらないで下さい。」

小島君は社交辞令的な笑みを浮かべ、さっ行きましょうかという風に私に目配せするとタイミング良く来た電車に乗り込んだ。

No.234 20/09/27 16:28
自由人 

ガッツリ詰め込み研修が終わり、窓もカーテンも閉め切った閉鎖された空間の研修室から外に出ると、一気に明るい夏の日差しと熱気に全身が包まれた。

「夕方なのにまだまだ暑いね。」

「まあ夏ですからね。」

「この後、予定ある?無いなら夕飯兼ねて飲みにでも行かない?」

「こんな明るいうちからですか?」

「うっ…じゃあ…やっぱりいい…帰ろう…」

「え?いや大丈夫ですよ。こんな機会も滅多に無いですし行きましょう。」

……どっちやねん?

「いや何となくノリが悪そうだし無理に付き合ってくれると悪いから…」

小島君の真意がわからずボソボソ言う私に小島君はサッと顔色を変えると、

「あ~すみません…僕ね言葉足らずで、気が緩むと失礼な言い方になってしまう時があるんです。
職場や目上の方と話す時はかなり気をつけてるつもりなんですけど…
お気を悪くさせてしまいましたか?
本当にすみません。」

そうやって心底申し訳なさそうに謝る小島君に逆にこちらが申し訳なく思う。

「いや別に気は悪くしてないよ。
じゃあミニ親睦会も兼ねて行きましょうか。」

「そうですね。」

さて何処に行こうかフラフラと駅前の商店街の中を歩く。

数十メートルほど歩いた所でそこはかとなく肉の焼けるかぐわしい匂いが漂ってきた。

「焼肉食べたい…」

思わず呟いた私に、

「焼肉ですか?ちょっと待ってて下さい。」
と小島君はスマホでササッと検索し、

「この商店街の中に安くて美味しい行列店があるみたいです。
まだ時間も早めですし空いてるかも、そこに行ってみますか?」

と聞いてきた。

さすが現代っ子、スマホをサクサク活用してるな…

当の現代っ子小島君は店の所在地をチラリと確認すると、

「そんなに遠くないと思います。」
とスマホをポケットに入れさっさと歩き出した。

「え?もうお店の場所がわかるの?」

「こういうの得意なんです。
それに…」

ここで小島君は言葉を切り、私の顔をちらっと見て、

「いつもこういうことで面倒を見ている相手がいるんで僕が何でもしっかりやる癖がつきましたし…」

と少しおかしそうに笑いながら歩き出した。

No.235 20/09/28 13:12
自由人 

面倒を見ている相手…?

……

……

ああっ!まさか!

「ねっ!ねっ!それってもしかして彼女?」

「わっビックリした!突然大声出さないで下さいよ!」

焼肉屋に入り、座って注文を済ませ、早々に来た生ビールで乾杯。
さてキンキンに冷えたやつをググッと…という所でいきなり私に大声を出された小島君は危うくこぼしそうになったビールのジョッキを横に置き、
周囲を気にするかの様に周りを素早く見回した。

「ご、ごめんごめん。さっきのほら面倒を見ている相手の話…」

「あ、ああ、あれですか。」

小島君は、まだその話を?とでも言いたげな笑顔を浮かべながら、

「もう3~4年ほど付き合ってる彼女ですよ。」

と少し照れながら答えた。

おおおおおっ!!!

これは、良い酒の肴ができた!

小島君の告白に私は密かに興奮した。

完璧にオバサンだねえ…と呆れられるかもしれないが、私は昔から他人の色恋沙汰話は大好きである。
他人の色恋の胸キュン話などを聞き、
まるで関係のない赤の他人の私は勝手に心躍らせ胸ときめかせるのである。

「で?で?どんな子?」

右手にビールジョッキ、左手に焼肉のトングを掴んだまま目を血走らせ鼻息を荒くして迫って来る仕事と人生の先輩に、

「ちょっと落ち着いて下さい…」

小島君は苦笑いをしながらさり気なく私の左手からトングを取ると、そっと自分の手前に置き、

「そうですね…」

とまた少し笑うと私の方をチラリと見て、

「失礼だったらすみません。キャラが田村さんとよく似ている…かなと思います。」

と少し気を使いながらそう答えた。

「え?私に?どういう所が?」

「そうですね、全体的に。
僕は彼女の考えることで今だに理解できない謎の部分が多々あるんですけど、田村さんなら理解できそうな…」

「謎?どういうとこが?」

私の質問に、

「そうですね、例えば人の言うことを無条件で直ぐに信じるとことか…たまに彼女を見てて馬鹿なんじゃないか?!ってイライラすることもあるくらい単純で…」

え…

ちょっと待て。

それって
私も…単純…馬鹿?!

いやまあ…
異論はない。

異論はないが…
人は図星を刺されると怒るというが、
無性に怒り狂いたい気分になったぜおい…

No.236 20/09/28 13:15
自由人 

そんな私の心情を知ってか知らずか小島君は彼女の言動の不思議な部分を更に幾つか話してか聞かせてくれたが、

あ、わかる。
彼女の気持ちめっちゃわかる!

手に取るように彼女のことがわかる。

私もきっと同じ言動をする。

あまりにも同じで親近感が急激に湧いてくる。

「ねね、それわかるよ!彼女の言動の理由を解説できるよ!」

「え?やっぱりわかりますか?」

「うんうんあのね…」

嬉嬉として小島君に説明する。

いつの間にか小島君からはずっと感じていた距離のある雰囲気は消え、
私達は心の底から笑いあって会話を楽しんだ。

「おっと僕の話ばかりしてすみません。とりあえずこの話はここで終わりにして食べることに専念しましょうか?」

小島君がほとんど手がつけられていない肉を慌てて網に乗せ、焼きながらそう促してくれた。

「そうだね、ところで最後に1つ聞いていい?彼女には何て呼ばれてるの?」

何となく聞いた私の質問に、

「大ちゃんです。」

と小島君は優しく答えた。

No.237 20/09/29 12:53
自由人 

焼肉屋の一件以来、小島君と少し距離が縮まった様で、小島君は以前の様なよそよそしさが無くなってきた。

小島君は自分より歳下のバイトの子達にも冗談を言ったり面倒をよく見たり、兄の様な存在になりつつあったが、それ以外の付き合いにおいては、とても礼儀正しく柔らかな物腰ながら相変わらず距離感のある態度で、笑顔もやはり目の奥が笑っていなかった。

「ねえ、何でいつも笑う時に目の奥が笑っていないの?」

ある日の遅番の帰り、店舗の施錠をし駐輪場に出た時に何となく尋ねた私に小島君は驚いた様に目を見開いた。

「えっ?!そう見えますか?」

「えっ…いや…何となく…」

「そうですか…やはり彼女と同じで謎ですね…僕は結構社交性はある方なんですけど…」

私の言葉を聞いた小島君が1人で何やらブツブツ言い出す。

「いや、社交性はあると思うけど…なんだろう…本当はちょっと違うかな?って…」

自信なさげにそう言う私の言葉は意外にも小島君の心を大きく揺さぶった様だった。

「失礼ですけど鈍感そう…あ、いや、あまり細かいことにこだわっていなさそうでいて、時々ズバッと深く切り込んで来ますね。まあ彼女でだいぶ慣れましたけど、それでも時々ドキッとします。
そうですね、僕は本当は人の好き嫌いがかなりありますし、根暗ですし、基本人のことは信用していないというかいつも疑うし、一言で言えばかなり腹黒なタイプです。」

「え、え~と、あの~、え~と…」

美優ちゃんは深く考えずにぱっと思いついたことを言う方が正解だよ…
昔から優衣によく言われてきた言葉。

正にその言葉が実証されたのか、
無意識に小島君の深淵に触れる発言をしてしまったらしき私は、小島君の思いがけないダークマター発言にただただ言葉を失うしか無かった。

No.238 20/10/13 12:46
自由人 

人を信用しない、人を疑うと言った言葉通り、小島君は一見人当たりが良く対人関係もそつなくこなしているものの、心を開く相手はかなり慎重に選んでいるようだった。

しかし、一旦心を開くと、今までの慎重な態度とは打って変わってその相手を全面的に信頼する姿勢を見せていた。

全てそうだというわけではないだろうがこういうタイプの人は、
心を開いた相手に献身的に尽くす傾向が強い様に見受けられる。

人を信じる気持ちが強く愛情深く献身的だからこそ、そんな自分をガードするために用心深い性格になってしまっているのだろうか?

人付き合いが広く浅くになりがちな私には絶対に知ることのない感情だ…

しかし
そんな何もかも違う年齢すらかなり違う私達は何故かよく気が合った。

いや
違うな…

気が合うというより、互いの話を聞くのが好きだった。

小島君は私の話で理解しづらかった彼女の言動の意味を悟り、
そして私は…

「本当に愛されてたんですね。」

仕事終わりの休憩室、
2人でコーヒーを飲みながらの雑談タイム。
私の思い出話を聞いた小島君が少しからかう様に、でもニコニコと優しい笑顔でそう言ってくれる。

「ええっ?!私の話のどこにそんな要素あるのよ?!」

本気でそう聞き返す私に、

「断定はできませんけど、もしも僕だったらそうだなと…」

「そうかな?そうだと…いいな…
あ、ごめんね、古い話なんかしちゃって…」

慌てて謝った私に、

「いえいえ僕もいつも彼女のことで相談に乗って頂いてますし、それに…」

ここで小島君は軽くふふっと笑うと、

「僕達下っ端社員からしたら、雲の上の存在のあの本社の神谷さんにもそんなお若い時期があったと思うと親近感が湧いてきますし。
それにすごくおこがましいことを言わせてもらいますと、僕は神谷さんの言動の理由が理解できる気がするんですよ。
あ、もちろんこの話は誰にも言いませんから。」

と、私の目を見ながら頷いた。


ああ、
そうか…

小島君のその表情を見た時に、
何となくわかった。

なぜ、この子には気を使わずに自然体でいられるのか…
なぜ、この子と話すのがとても楽しいのか…
なぜ、三木君の時の様にハグや優しい言葉をもらわなくても癒された気持ちになれるのか…

大ちゃんと気質が似てるんだ…


私は改めて小島君の顔をじっと見返した。

No.239 20/10/14 12:25
自由人 

大ちゃんに似ている…
いやいや何考えてるんだよ…
三木君の時にも同じことを思ったけど結局違ったじゃない。
ああ、
そうか…
私は…
私は…
いつも…誰かの中に
大ちゃんの面影を探そうとしている…んだ…



「え?何ですか?そんなに噛みつきそうな目で睨まないで下さい僕は美味しくないですよ。」

笑いながら冗談を言う小島君の言葉で我に返る。

「え?ああ、ごめんね。」

曖昧な笑顔で謝る私に、

「冗談ですよ。明日は早番でしたよね?そろそろ帰りましょうか。」

と小島君は笑いながらもテキパキと帰り支度を始め、それに促される様に私も慌てて荷物を持つと揃って店の外に出た。

「田村さんは明後日がお休みでしたよね?僕は明日は休みなんで、次にお会いするのは明後日の夜の飲み会の時ですね。」

「うん、前に行ったことのあるお店なんだけど、なかなか良かったから期待しててね?」

私は力強く答えた。

私は社内の男女4人ずつ計8人の飲み会の幹事を しており、この会のメンバーは仕事も遊びもできるタイプばかりで、向上心が強い小島君に何らかの良い影響になるのではないかと、彼をこの飲み会のメンバーにと少し前に誘ったが、
この「明後日の飲み会」は彼にとってもう既に3回目の会になっていた。

「楽しみにしてます。
行ったことのあるお店ならさすがの田村さんも迷わないでしょうし安心です。」

「大丈夫だよ失礼な!
あ、それともなに?友達だから心配してくれてるの?」

わざと茶化して「友達」という言葉を少し強調した私に、

「いやいや目上の方に友達は失礼過ぎます。強いて言うなら先輩…ですかね。」

「友達じゃダメなの?」

「いやいや、流石に大先輩にそれはちょっと…」

小島君はあくまでも真面目に誠実に返してくる。

そっか…

そういう返しは想定内の冗談のつもりだったのに、だったはずだったのに…

何故か少し距離を感じ不意に寂しい気持ちに襲われた私は心の中で苦笑した。

馬鹿だな…
これが当たり前の反応だよ…

いつまでも大ちゃんの幻影を追い求め、小島君の中に大ちゃんを見た気がして距離を詰めようとした自分が恥ずかしくなる。

「じゃあまた明後日に。
お疲れ様です!」

幸いそんな私の気持ちにはまるで気づかない様子で、小島君は軽く頭を下げるとバイクのエンジンをかけた。

No.240 20/10/15 12:36
自由人 

「ヤバイ…今日はダメな日だ…」

飲み会当日、
横になり目を閉じたまま思わず呟く。

竹井さん達との一件で長期休みを取って以来、身体の不調がいつもどこかしらあり、それは日に日に酷くなっていって日によっては目眩とふらつきで起き上がるのも困難になっていた。

耳鼻科、心療内科、婦人科などを受診したがハッキリとした原因はわからないものの、おそらくは元々ある貧血に加齢やストレスなどによる自律神経失調症の症状が合わさったものだろうという結論に達した。

お天気の良い日やゆったり過ごせた日は比較的楽なのだが、雨の降る前やストレスが少しでもあった日は、突然胸の動悸から始まり座ってさえもいられない程の目眩に襲われる。
横になっても込み上げる吐き気に悩まされる。

いきなり具合が悪くなっても逃げ場の無い電車やバスなどに乗るのが怖い。
しかし家にこもると気分転換出来ずにまた症状が出やすくなる。

座れないリスクのあるバスは避け、
タクシーや各駅に停車する電車などを利用して工夫しながら外出した。

しかし、いざ外出して色んなものを見て回ったり、友人たちと楽しくおしゃべりしたりすると、不思議なことに最初は辛くて仕方がない症状が次第に落ち着き、帰宅する頃には心身ともに憑き物が落ちたかの様にスッキリとしていた。

「田村さんに必要なのは気晴らしと休養ですからね~。
そりゃよく寝たり楽しいことをすれば楽になるでしょ。」

その話を聞いた心療内科の先生が笑いながらそう言う。

そんなことで楽になる病気?あるんだ…

不思議な気分だったが、たまたま婦人科でも同じことを言われたので辛くても無理して飲み会に顔を出し、みんなにはバレないように平気なふりをしながら動悸と目眩が治まるまで冷たいソフトドリンクを飲んで凌いだ。

冷たい物を摂取すると少し楽になってくる。
そうして不調が治まってくると楽しむ余裕ができて心の底から笑える様になる。
笑えるようになると一気にスーッと楽になってくる。


思いっきり楽しく笑うことは
心身の健康にとって本当に大切なことなんだなとつくづく思う。

しんどいのは最初だけ乗り切れるよ。
幹事だから行かなきゃ…

自分に言い聞かせ無理に電車に乗る。
静かにしていればそのうち少しは治まってくる…
幸い電車は空いており、座席の端に座った私は冷たいペットボトルを首に当て目を閉じた。

No.241 20/10/16 12:33
自由人 

目的の駅は終点の1つ手前、各駅停車の電車で30分足らず。
その間静かに目を閉じて気持ちを整えれば、着く頃にはある程度楽になっているはずだった。

ダメだ…

目眩が治まらない…

目的の駅まであと10分ほど、
私はかなり焦りを感じ出していた。

目をずっと閉じていてもグルグルフワフワと目眩がしているのがハッキリわかる。

この調子では目的の駅で降りるのは到底無理だ…

目的の駅は大きく人の数もかなり多い。
それでなくても人酔いしそうな混雑した広い駅の構内を歩き回る自信は無かった。
それに対しその次の終点駅は小さめでそこまで乗って行く人もあまりいない。

乗り越して次の終点駅で降りても飲み会の店には歩いて行けるな、
…まともに歩けたらの話だけど…

そんな不安な思いを抱えながら色々考えているうちに電車は目的の駅に到着してしまった。

ザワザワザワ……

目を閉じていても車内のほとんどの人が降車した様子が感じ取れる。

そのうちドアが閉まる気配がしたかと思うと電車が動き出す。

さっきまでとは違い、車内の空気がスッキリした様な気がしてそっと薄目を開けてみた。

あ、何とか立てそう…

人がいなくなったことで少し気分が楽になったのか、立ち上がってゆっくり歩くくらいはできる程に回復した。

何とかお店までたどり着いたら、
とりあえず顔出して挨拶だけして帰ろう…

まだフラフラする頭でぼーっと考えているうちに電車は終点駅に到着し、
私はそろそろと電車を降りて近くの改札口を出た。

あれ?

改札を出てから地下街を歩いて、飲み会をやるダイニングカフェのある方向に行こうとした私は、辺りの様子を見て少なからず狼狽えた。

地下街が改装中になってる…

元々酷い方向音痴の上にうろ覚えの地下街の雰囲気が、改装工事のために全く雰囲気が変わってしまいわけがわからない状態になってしまった。

どうしよう…
道がわからないよ…

途方に暮れながらチラリと時計を見ると既に集合時間を少し過ぎている。

「お疲れ様です。すみませんちょっと道に迷いまして少し遅れます。」

慌ててグループのLINEにメッセージを入れ、地下は諦め地上に出てみようと地上に出る階段を探し歩いた。

No.242 20/10/17 18:01
自由人 

やっと地上に出て、お店のある大通りの方向に検討をつけ歩き出す。

あれ?!
こっちで合ってたっけ?

普段出ない出口から地上に上がったために元々少ない方向感覚がまるで機能しなくなり、完全にお手上げ状態になってしまった。

どうしよう…

そうこうしている間にも時間は容赦なく過ぎていく。

焦りながら闇雲に歩いて行くうちに100m程先に大きな歩道橋が見えてきた。

ブルッ

と、マナーモードにしていた携帯が微かに震える。

「お疲れ様です!了解しました!」

「は~い、気をつけて来てね!」

さっきのメッセージを見たメンバー達からグループのLINEに返事が次々に入る。

「ごめんなさい。近くには来てるんだけどもう少しかかりそうなので先に始めてて下さい。」

更に慌てて送ったメッセージに、
「了解」や「OK」のスタンプがすぐに返ってきた。

さて…
あの歩道橋の上から周りを見渡せば何とか方向もわかるかな?

歩道橋に向かって歩きだそうと携帯をポケットに入れかけた私は、LINEにもう1件通知があるのに気がついた。

あれ?

小島君との個人トークの方だ…

通知に表示されている文が
「今どこにいるんですか…」
になっていて、慌てて画面を開いてみると、

「今どこにいるんですか?迎えに行きます。」

と有無を言わさない雰囲気のメッセージがあった。

No.243 20/10/18 09:27
自由人 

ええええ。

「いや、実はここがどこかもわからなくて説明のしようがないから…
何とか自力で行きますありがとう。」

と急いで送り返す。

ふう、やれやれ、
急がなきゃ…

ブーッブーッブーッ

再び携帯をポケットに入れようとした途端、今度は電話がかかってきた。

画面に表示された相手先は、
小島大樹

げっ

「あっもしもしっ?」

慌てて電話に出ると、

「今いる場所の周辺の何か目印になりそうな画像を撮って送って下さい。」

と間髪入れず小島君が言う。

「えっ?わかりました。」

小島君のテキパキとした指示に思わずそう返事をすると急いで歩道橋を含む辺りの景色を撮って送った。

ブーッブーッ

「はいもしもし」

「そこがわかりました。画像の歩道橋の所まで来られますか?」

「うん」

「良かった。じゃあそこで待ってて下さい。」

電話は慌ただしく切れ、

私が歩道橋に着いてから10分ほど経った頃、小島君が歩道橋の反対側からこちらに向かって走って来た。

「お待たせしてすみません。
これでも急いで来たんですけど…」

息を切らしながら小島君が言う。

「ご、ごめんね、 迷惑かけちゃったね…」

謝る私に、

「気になさらないで下さい。
それより…田村さんの家からかなり遠い上に迷うのに、どうしてわざわざここのお店にしたんですか?
幹事特権で田村さんの家から近い場所で良かったんじゃないですか?って皆さん不思議がってましたよ?」

小島君が不思議そうに言う。

そう…だよね…

店選びはいつも幹事の私の意見がほぼ通り、私の提案するお店に皆はいつも喜んで来てくれていた。
なのに、こんなに遠い場所に決めたのは何故か…

それには私なりの理由があった。

電車に乗るのも一苦労する私がわざわざここに決めた理由…

「さ、とにかく行きましょうか?」

「あのね…」

私は先に歩き出した小島君の後ろをついて歩きながらボソボソと話し出した。

No.244 20/10/19 12:12
自由人 

飲み会メンバーに私と同じ様に
原因は不明ながら電車などに乗るのに苦労している人がいた。

そのことは仲間の誰も知らない。

私がその人と2人で飲みに行った時に知った話だ。

電車に乗るのは短時間なら何とか凌げるから飲み会には是非とも参加したい、それをいつもとても楽しみにしているから…という話を聞いた時から私はその人に負担のかかりにくい場所で飲み会をしようと決めた。

今回の場所はそれも含め他の皆も来やすい場所ということで私なりに考え抜いて決めた場所、
の…はずだった…


「あのね…本当は道はわかってたはずだったんだけど…電車に乗ってて具合が悪くなったから…終点まで乗り越して…地下街の雰囲気が変わってしまってて…」

「そして迷子になったんですか?
そんなに無理して来て大丈夫なんですか?」

私の何とも間抜けな言い訳に、
小島君が少し心配そうに突っ込んで来る。

「あ、うん…最近は具合が悪くなる時の方が多いからこういうのも慣れたというか…幹事だし…でも行ってみて具合が良くならない様なら何か理由つけて早めに帰ろうかなって…」

ダメだ…
言えば言うほどダメな自分を露呈している様な…

案の定、私の言葉を聞いた小島君はやや呆れた顔をしていたが、

「そんなに…ここのお店に来たかったんですか?」

と静かな声を出した。

「いや…違う…来たかったわけじゃない…」

「え?なのにここに決めたんですか?」

「ここなら参加しやすい人が…だから…」

小島君にその人の事を言うわけにはいかない私は口ごもり曖昧な返答をしたが、小島君はすぐに何かを察したかの様に、

「 どなたかのためだったんですね。
不思議な行動の意味がわかりました。
でも皆さんには誤解されたままですよ?」

と言ったがその目は、この話はきっと内緒なんですよね?と語りかけていた。

「うん…誰か1人でも…小島君がわかってくれてるからそれでいいんだ…」

言いながらちょっと泣きたくなる。

人を気づかうつもりで逆に迷惑かけて気づかわれて…
私は何をやってるんだろう…

「ごめん…迷惑かけて…私のやることはいつも空回りばかりだから…」

情けなくてボソボソと謝る私に、

「迷惑?友達のために何かをするのは当たり前でしょ?姉さん!」

小島君はわざと、
「友達」と「姉さん」の言葉を強調し
少しイタズラっぽい笑顔を見せた。

No.245 20/10/21 12:29
自由人 

「じゃあまた!お疲れ様~」

ユッキーがにこやかに小さく手を振ると電車を降りていく。

「お疲れ様!またね!」
「お疲れ様です。またよろしくお願いします!」

私と小島君がそれぞれユッキーに声をかけると、閉まりかけた電車の扉の向こうでユッキーはまた笑って軽く手を挙げた。

「具合が良くなって良かったですね?
心配しましたよ。」

電車が動き出すと小島君は私の方を向き少し呆れた声を出した。

小島君に連れられて飲み会の店に行った私は、序盤こそ辛かったものの次第に楽になり、帰る頃にはすっかりいつもの調子を取り戻していた。

「お陰様で助かったよ。今日は本当にごめんね…」

「あ、いえ、怒ってるんじゃないですよ?本当に心配しただけです。
それにしても…こんな調子で僕までいなくなったら…」

ここで小島君は言葉を切り、言おうか言うまいか少し躊躇する様子を見せた。

「小島君?いなくなるって?」

「そういえば三木さんが他店に移動になった時、三木さんのおかげで色々と頑張れたと言ってましたよね?
三木さんがいなくなってからかなり経ちましたが僕も少しはお役に立っていましたか?」

私の問いかけに小島君が何やら思わせぶりな言葉を返してくる。

「え?小島君?まさか…移動?」

私の顔色が変わったのを見て小島君は
「しまった」とでも言うように少し顔をしかめたが、

「実は今日僕も初めて聞いたんです。移動と言っても同じブロックの店舗ですよ。それに飲み会には変わらず参加させてもらいたいですからまた是非誘って下さいね?」

と、働く店舗は変わっても今まで通りですからというニュアンスを強調した。

「うん、そうだね。
店が違う方が逆にシフトも合わせやすいから飲み会の都合合わせも楽かもね。」

わずかながらまた胸の動悸が始まってきていたが、小島君に合わせるように無理して気楽さを装う。

「姉さん…大丈夫ですか?
僕がいなくてもあの店で…頑張れますか?」

「ちょっと!どっちが歳上だと思ってるのよ!大丈夫!子供じゃないんだから!」

無理に笑ってそう言う私に、

「そうですね、つい彼女とダブらせてしまって…子供扱いしてしまってすみません。」

と、小島君は照れたように頭をかいた。

No.246 20/10/27 13:10
自由人 

「まだ、うちに来ても良いかな?って気持ちはある?」

小島君が移動になって1ヶ月経つか経たないかのうちにかかってきた1本の電話。

その電話の主はとあるIT関係の会社の役員さん。

IT関係というと聞こえは良いが、
元々、ある企業勤めだった社長が部下を何人か引き連れて独立して起業した小さな小さな極小株式会社なのである。

しかし、吹けば飛ぶような極小会社ながら優秀な頭脳やノウハウを持っている会社のため仕事は途切れることはなく、
大手企業からも仕事の依頼はよく受けている様だった。

ただいかんせん優秀過ぎて後継者がいない。

後継者になれるような優秀な人材は当然の様に大手に行くか自分で起業する。

それにこれはかなり致命的な問題なのだが、優秀な頭脳を持っているからといって、優秀な指導者になれるかというとそうでもないという残念な状態のため、
後継者がいないのではなく、
後継者を育てられない
と言った方が本当は正しいのかもしれない。

ある日、そんなちょっと「訳あり会社」を知り合いに紹介された。

役員さんとの雑談で聞かされたのは、
経理事務パートの年配の女性が家の事情で退職を考えている。
ただ収入が無くなることへの不安もあり、なかなか結論を出せない状態で宙ぶらりん。
もし退職が決まったらその時に声をかけるから、その時にその気があれば来てもらえないだろうか?ということだった。

パート女性の気持ち次第…のあまりアテにもならない話ではあったが、
後継者がいないその会社は社長の代で廃業にすると決めているらしく、将来のある若い世代は雇えない、社長とせいぜい10歳くらいしか変わらない私くらいの年代を雇うのが良いのだと言われ、なるほど…と納得し、
更に予想以上の好条件、高待遇にかなりの魅力を感じた私は、その時が来たら一応声をかけて下さいとお願いしてその会社を後にした。

そしてそれから何ヶ月も経った頃、
「その時」がなんの前フリもなくいきなり訪れたのである。

No.247 20/10/28 22:48
自由人 

ふぅ…

電話を切った私は小さくため息をついた。




「そちらも今の会社を退職するとなると色々事情もあるだろうから、
少し日にちに余裕を持って声をかけさせてもらったんだけど…」

役員さんは私の出方を少し伺うように言葉を途中で切る。

「あ、はい!大丈夫です!
ぜひよろしくお願いします!」

長年勤めて色々な想い出の詰まった会社を退職する事に繋がる大事な決断のはず…だったのだが、
自分でも驚くほどにアッサリと了承の言葉を口に出してしまった。

「え?!あ、ああ、あの…本当に良いの?」

早すぎる私の答えに相手も少し戸惑った様子だったが、

「いえ私なんかで良ければ頑張りますのでよろしくお願いします!」

との私の言葉を聞き、


「そうですか。ではこちらに来る準備として、資格は取らなくても良いので簿記の2級程度までをサラッと勉強しておいてもらえますか?
テキスト代などの費用はこちらに請求して頂いて良いので。」

「はいわかりました。
あの…未経験なのにすみません…」

「いえいえ、こちらも全く知らない人を入れるのはちょっと怖くなってまして…それに若い人より…あ、すみません…」

役員さんは慌てて謝ると、
「では詳しい話は直接しますので都合の良い日がわかり次第連絡をお願いします。」

と焦ったように電話を切った。




ふぅ…

若い人より…か。

まあこの歳ではね。

でも何の経験も無いのに通常なら不利になる年齢が逆に決め手になるとはね…
世の中本当に色々の事情があるのだなと思う。

詳しい事情は伏せさせて頂くが、
この会社は以前当時の経理担当とのトラブルがあったらしく 、それ以来素性の知れない人を入れたくないとのこと。
で、タイミング良く共通の知り合いの推薦をもらいほぼコネ入社的に私が雇って頂けることになった。

仕事は 簡単なパソコン操作とそこそこの簿記の知識があればできるとの事、

パソコンは今の仕事でも使っているから簡単な操作なら何とかなるだろう。

問題は簿記…なのだが…

そこそこ使えるくらいの知識を身につけておけば良いのか…
意外にも私は勉強はあまり嫌いではない。
確か…3級は簡単だよってよく聞くしとりあえず3級は楽勝かな?


翌日、早速TSUTAYAの資格本コーナーで簿記3級の本を手に取った私は、余裕綽々ご機嫌で本を開き目を通した。

No.248 20/10/29 23:08
自由人 

え~と…
3級は2週間くらい勉強して~
ちょっと難しいと言われてる2級を残りの期間でやって~
自分の頭の中で予定を立てながらページをめくる。

パラパラ…

過去問はどんなのが出てるのかな?

?!

??!!

???!!!

え…
3級は簡単だよぉって一体どこの天才が言ってるんだ?!

うっ…

もうね問題文がね何を言いたいのか全く意味がわからない…

ていうかそれ以前に漢字読めない…

売掛金て何て読むの?
ばい…ばいかけきん?
え…
じゃあ買掛金もばいかけきん?
あれ?
あれれ???


借方+貸方コンビの存在の意味もまるでわからない。

えっ?
借方はマイナスで貸方はプラスじゃないの?!


これはヤバイ…

さすがにちょっと焦りだしなるべくわかりやすそうなのを幾つか選んで購入。

要領の良い人は簡単にこなせるのだろうが、要領悪い上に悲しいかな歳と共にすっかり固くなってしまった脳は思うように働かない。
必死で覚えるそばからわすれてしまう。

勉強のコツは、
ある程度インプットの作業をした後に一気にアウトプット作業に取りかかることだ。

インプットのみでは脳の容量がいっぱいになってしまい結果データが消去(忘れる)してしまう。
アウトプットすることにより初めてデータのバックアップが取れ定着する。

これは知る人も多い一般的な勉強方で理論はわかる。
うん…
わかってる…
が…
インプットの作業時にどんどんデータが飛んでいくのはどう対処したら良いのだ?!

この調子では時間の余裕はあまり無い。
とにかく忘れる分余計にインプットしよう。

それから勉強して勉強して頭痛がするほど勉強した。

息も絶え絶えに3級を何とかマスターし、2級に突入。
範囲が一気に広がり工業簿記なる未知の物も加わった挙句、
連結精算、減価償却の面倒臭さに泣いた。

そして何とか2級もマスター。
やったぜ間に合ったぜ。

意気揚々と役員さんに報告。

「損益計算書作成も連結精算もバッチリできる様になりました!」

それを聞いた役員さん。

「あ~…うちは連結はいらない…んですよね…減価償却とか面倒くさいのも税理士さんがやってくれてるし、ただ簡単な仕訳ができれば…」

…泣いた…

ちなみに損益計算書も貸借対照表も財務ソフトが集計作成してくれてます。
便利だねぇ…


っておいっ!!

No.249 20/11/03 18:27
自由人 

転職することを即断し自分の物覚えの悪さを嘆きながら簿記と戦っていた私だが、同時に簿記の勉強よりも何倍も憂鬱で辛い「事」をやらなければいけない現実にも向き合っていた。

「店長、ちょっとお話したいことが…」

「え?…あの…じゃあ休憩室に行きましょうか?」

仕事上がりの挨拶もそこそこにそう切り出した私の顔色を瞬時に読み取った店長は、事務所の椅子から立ち上がると誘導でもするかの様に休憩室の方角を指さした。

この頃の〇〇店の店長は上岡という30代前半の若い店長で、若いながらもなかなかしっかりした賢い方だった。
私が長年この会社に勤めて一番最後の店長になった方である。

「何とか考え直してもらえませんか?」

私の言葉を聞いて上岡店長が真っ先に出した言葉がこれだった。

ドラマなどでよくある言葉、
会社を辞めますと言った相手に対し
テンプレの様に使われる言葉。

しかしこのテンプレはとても重い…

「最近、体調を崩すことも増えてきましたし体力仕事はきつくなってきまして…」

これも「理由の一つ」の筈なのに、
何故か嘘をついている様な後ろめたい気持ちになり自然と歯切れが悪くなる。

「田村さんの力を存分にふるってもらえないのは僕の力不足です。
本当にすみません。
もし良ければ✖✖店に移動…とかではどうですか?
ブロック長に話せばすぐに何とかなると思います。
このまま辞められるのはあまりにも残念ですよ…」

私の「言わない別の理由」を察したかの様に上岡店長は〇〇店より規模も売上も大きい✖✖店への移動を勧めてくれた。

が…

「いえ…体力的に〇〇店ですらやっていけない私が✖✖店などとても…」

✖✖店でやっていけるくらいならとっくに移動願いは出している。

「そうですよね。」

ついそう言わんばかりの返事をしてしまった私の言葉を、予め予想していたかのように上岡店長は直ぐにそう頷くと、


「あの、失礼なことをお聞きしますが、転職先は待遇は良いんですか?
もし田村さんが良ければまたちゃんとした正社員として本社とかへの移動とか…本社なら少なくとも体力仕事はありませんし。」

と少し遠慮しながら問いかけてきた。

仕方ない…

あまり言いたくはなかったが、
上岡店長が熱心に色々考えて下さるのが心苦しくなり、次の会社に提示された条件を全部説明した。

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