注目の話題
既読ついてもう10日返事なし
コンビニ店員、怖い
娘がビスコ坊やに似てると言われました

俺達の Love Parade In The Novel

レス211 HIT数 26404 あ+ あ-

I'key( 10代 ♂ GDnM )
10/07/24 17:16(更新日時)

I'keyと申します。
ミクルでの小説も第三作目になりました。
今回は初挑戦の『恋愛』がテーマです。自分でもいったいどうなるのかわかりませんが、頑張って少しでも楽しい作品にしたいと思っています。
応援や感想、アドバイスなどはもちろん大歓迎です。気になったことはどんどん教えて下さい。

それでは、開幕

No.1158245 08/07/08 22:31(スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.101 09/02/14 19:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖17📖



御厨の視線が俺の顔と自身の手元を往復し、彼の右手は迷い無く動く。早いパッセージを弾くピアニストの指のように。
充分に美しかったスケッチは数分でその精度を増し、もはやモノクロ写真に近い状態だ。
「よし、こんなもんだろ」
彼は軽く全体に目を走らせると、クロッキー帳を閉じて、無造作に後ろに放った。
「漫画って、どんなの描いてるんだ?」
俺は興味本意で尋ねてみる。すると彼は無言で背後の本の山をあさり、一冊の漫画雑誌を引き抜いた。
「これ、俺が描いたやつ」
パラパラとページを繰ると、御厨は真ん中を開いて俺の前に差し出す。
暫し、紙の擦れる音が響いた。
……確かに上手い。一見しただけでも絵は凄い。素人目線の俺から見れば、プロと比べても全然遜色無い。
「……あのくらい一瞬で描いて見せるんだから、やっぱ上手いな……って、これジャンプ!?」
表紙を見て気付く。ジャンプって……週刊少年ジャンプに掲載!?
「ああ……それ新人賞で入選取った時の読み切り。そん時の担当が連載持ってくれってうるせえんだよなぁ……」
御厨は虚ろな視線を天井の一点に当て、平然とそう言ってのけた。

No.102 09/02/16 01:00
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖18📖



「俺さ、他でも新人賞取ってるから。あっちもこっちも口を開けば連載連載……マジうぜえよ」
「他?」
「マガジンとかサンデーとか少年誌全般。入選二回、準入選四回、佳作は……忘れた」
何だこの才能の集結は!?
これが部活か!?
俺は心中で叫んだ。
「御厨は関係者の間では『新世代の導き手』と呼ばれているらしいですわ……まったくオタクらしいネーミングですこと」
楠木がやれやれという表情で言った。
「だから俺はオタクじゃねえ!!『エクストリーム漫画・アニメ愛好家』だっ!!」
「別に貴方本人がオタクだと言ったわけではなくってよ……人の話は最後まで聞かないといけませんわ、御厨?」
「だから俺を召使い風に呼ぶなっ!!」
まさか楠木も……?
俺にそんな思いが走る。
「楠木さんは……部活では何やってるの?」
俺は軽く身構えつつ訊いてみる。
楠木は少し首を傾げて「私ですか?……主に詩を書いてますけど」と答えた。
良かった。普通だ。健全な学生レベルの文芸活動だ。
「どんな詩?」
ああ……やっぱり。
彼女の手にはハードカバー。
出てしまった……ハードカバー。
「文藝春秋に出版して頂いている私の詩集ですわ」

No.103 09/02/20 00:26
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖19📖



「いつの間にか出版の話がついていまして……ああ、あと最近では歌手の方に歌詞を書かせて頂くこともありますわ」
そう言って楠木は、少し困ったような顔で笑った。
結局のところ、一ノ瀬は俺みたいな一般人とは次元の違う才能を持っていて、しかも彼女の所属する部活は次元の違う才能を持つ人間の集団であった。
つまりはそういうことらしい。
俺は少しだけ、何かを削がれたような気持ちになった。
何となく、ここで一ノ瀬を待っているのも不自然というか気まずいというか……とにかく何か違う気がしてきた。
俺が、今日は帰ろうと立ち上がったその時だ。
「……何だ?」
突然の困惑が俺の感覚を襲う。
低く混沌とした響きで、床や壁を滑るようにしてどこからか声が響いてくる。
それは段々と大きく明瞭になっていく。しかしまるで黒魔術の隠された呪文のようで、まるで意味が取れない。
「Люблю тебя,Петра творенье.
Люблю твой строгий,стройный вид,……」
意味不明の言葉の響き。それを発しているのは、ボサボサの黒髪と妖しく輝く瞳の魔女――そう、それはまさしく魔女であった。

No.104 09/02/21 02:22
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖20📖



さっきまで誰もいなかった……確かに誰もいなかった席に……
人が、いるよ?……
「でっ、出たあぁぁっ!!」
俺は反射的に狂声を上げた。暗い室内に眼光がギラリと輝く。
「出てやったぜえぇぃ!!橘柑奈参上っ!!」
そう叫ぶと、突如出現した闇の怪異は長髪を振り乱して机に飛び乗り、俺の目の前に現れる。
人の動きかコレ!?
「で、アンタぁ……誰ぇぇぇ?」
超至近距離で即死級のホラー声が耳を刺す。
「ひっ……」
俺は声もろくに出せず硬直不動。
何これ?夢?ドッキリ?
そんな有り得ない仮説が渦を巻く。
「やっぱり……免疫が無い人にはキツすぎましたわ」
「そりゃそうだわな……」
二人の声に俺はさらに困惑した。
何故だ!?何故落ち着きはらっている!?
俺の思考回路はショート寸前、意識すら失いかけた次の瞬間。
「柑奈部長、そろそろ悪ふざけはおやめになって下さる?」
楠木のたしなめるような声。
「もう終わり?つまんないの……こっからが戦慄のショータイムだったのにぃ」
ニャハハ、と猫みたいな笑い声が聞こえた。
「な……何?なんなのこれ?」
俺が辛うじて声を絞ると、楠木はまた困ったような笑みで答えた。
「文藝部の部長ですわ」

No.105 09/02/23 00:35
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖21📖



「部長……コレが?」
「そうよ、アタシが部長の橘柑奈様よ!文句ある?無い?ある?よしっ!どっちでもOK~、あっても受け付けないからね」
柑奈はボサボサの髪をヘアゴムで束ねながら、ネコ笑いで言った。
髪がある程度整ってみると……なるほど確かに人間だ。顔立ちは楠木のように万人受けするものではないだろう。しかし目は気持良くスッと切れ、面持ちはほっそりと整って、これはこれで悪くない。ある一つのコンセプトで統一されている……良く言えば芸術的な顔立ちだ。
「で、アンタ誰?誰なのサ?」
瞬間超ズーム。
顔近っ!?
唇が触れそうなほどの距離に柑奈の顔がある。
「うおっ!?」
驚いて俺は椅子ごと後ろに転がった。盛大なクラッシュ音。
「フフン、スットラ~イク」
机の上から見下ろす柑奈の顔には不敵な笑み。
俺は苦笑を禁じ得ない。どうやら初対面の女傑に手酷くからかわれているらしい。
「俺、夏目廉矢って言います。一ノ瀬さんに用があって来たんですけど……」
俺は最大限に冷静を装った。そんでもって悪戯心が究極的に強いらしい柑奈氏の奇襲に気を張り巡らせた。
「あっそう」
俺の予想に反して柑奈は気の抜けた台詞を発した。

No.106 09/02/25 16:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖22📖



「気張ってるヤツからかっても面白くないもんね」
そう言うと柑奈は本を一冊取り上げて、またさっきの呪文を唱え出した。
英語でないのは確かだが、いくら聞いても俺には分からなかった。
「あれ……何?」と俺は楠木に尋ねる。
「ロシア語ですわ。ロシア文学を原文で読みたいとおっしゃって、そのままマスターしてしまいましたの」
「そう、アタシ天才だから~」と柑奈の補足が聞こえた。
「全く同じ理由で英語とフランス語と中国語も……」
「ほら、アタシ超天才だから~」と柑奈の補足。
俺はもう、大して驚かなくなっていた。こんな部活のそんな部長、全く釣り合いが取れているというものだ。
「それで、橘部長はどんな活動をやってんですか?」
思わず口調が石のように堅くなってしまう。
「アタシは小説を読んでる、それだけ」
何?ここに来て一番普通な活動内容だと?俺は逆の驚愕を覚える。
「書くのも嫌いじゃないけどさ、飽きた。だから読んでんの、そんだけ」
柑奈はそう言って笑う。
そして、またピョンと跳ねて俺の目前にやって来る。
「ねえ、君はすごく面白くなりそうだよ?私が読むところによると、だけどさ?君はどう思う?」

No.107 09/02/27 01:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖23📖



俺には、柑奈が要求し意図する答えがよく分からなかった。
それ故に俺が黙っていると、柑奈は興味を失ったみたいに、不連続な挙動で視線をそらした。
「ま、いいや。そういうのはその内分かることなんだよ、どっちにしたってね」
そう言って椅子に戻ると、柑奈はロシア語の文学とやらを音読する。俺には意味無く、柑奈には意味のある言葉の羅列だ。
それは橘柑奈という人間そのものにも、なんとなく似た感覚があった。
何だろう、何も意味が無いように感じられて、でもそのくせ見えない所に何かを隠しているような気がして……
柑奈は捉えどころの無い、不思議な雰囲気を持っている気がする。
「帰るの?」
突然に柑奈の言葉がストロボのように響いた。それは単純で簡単で、全てを見透かしているようで俺を試す質問だ。
柑奈は、一ノ瀬が俺に告白したのだということを知ってるんじゃないか?
ふとそんな思いがよぎる。
「もう少し待ちます……いいですか?」
それはつまり、俺は一ノ瀬と向き合ってみるのだ、という宣言の隠喩だった。
「もちろん」
柑奈の返事が響いた瞬間にドアが開いた。光が四角に空間を切って、人影をおぼろ気に水面に浮かべた。

No.108 09/02/28 01:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter6はここまでです。キャラが増えたので長めの章になりました。
それにしても……
まあ私はキャラ作りが下手ですね。今回は自分の未熟さを痛感しました。
今まではあまりキャラを重視せずに書いてきたので大丈夫だったのですが、今回は決定的弱点を露呈することになってしまいました。
でも頑張って上手くなりますから、何とか読者の皆様には寛大なお心で読んで頂きたいなと思っております。


ちなみに、柑奈の読んでいるロシア語はプーシキンの叙事詩『青銅の騎士』の一節です。プーシキンは近代ロシア文学の原点とも言われる偉大なお方です。
ロシア語なんてさっぱりですが、適当は良くないだろうと思い引用してみました。


それと読者の皆様にお願いなのですが、感想や応援、アドバイスをぜひお寄せ下さい。
最近感想スレの過疎化が進み、非常に寂しい思いをしております。
あまり返事の文面には出ていないかもしれませんが、感想を頂けると私はかなり喜びます。とても喜びます。
読者の皆様のお言葉が更新の原動力となっております。
誠意を込めてお返事しますから、よろしくお願いします。


今日はここまで。


I'keyでした。

No.109 09/03/11 19:31
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter7



私の目の前には、清潔で明るい空間と清潔で明るい文章の羅列があった。
第二図書室の明るさは、小さな文字を目に負担をかけずに追うという一点に関して言えば利点であった。それは控え目な皮肉だ。
滑らかな机の上に静止した私の手の中には、大崎善生の『パイロットフィッシュ』がある。それが朝、私が選んだ今日の文庫本だった。
顔も知らない父が使っていた部屋で、私が選んだ今日の文庫本だった。
そこまでの思考を再トレースして、私は溜め息をついた。

無駄な物が多すぎる、私の中に。

倒置した。私の思考は無益に、そして自動的に倒置した。
本来、私の手にした本はもっと簡潔な印象を与えるはずだった。そして、美しく磨き上げられた比喩は優雅に泳ぐ――そう、アクアリウムの中に群れたカージナルテトラのように、私のシナプスからシナプスへと優雅に泳いでもよさそうなものだった。
でも、それはバラバラで、パズルみたいで、私に手間ばかりを掛けさせて溜め息をつかせるだけだった。
それは不思議な経験とも言えた。もちろん閉じた回路の中での話だ。

美しいものを美しいと分かっているのに、美しいと受け入れられない。

そんな矛盾だ。

No.110 09/03/14 00:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱1🌱



「ねぇ舞衣、どしたの?」
覗き込むような声がカウンターから響く。そこには葛城優菜が座っている。
大きな瞳が、無垢に、そして透かすように光っている。それは宝石のように輝いている。
彼女は、私が友達と呼べる人。

たぶん、恐らく。

「なんか変だなぁ……まあ、いっつも少なからず舞衣は変だけど……今日はいつになくって感じ」
私は少しだけ微笑んで「そう?」と訊いてみる。
「本、さっきから進んでないし」
「そうみたい」
優菜の顔が生き生きと光る。
「何かあったの?……何もないってのはナシね?」
優菜の瞳は、本当に私の心を透過してしまいそうな気がする。でもそんなことはない。私の作った壁は、ニュートリノも通しやしない。

彼女は私の友達。恐らく、たぶん。

だから、夏目君のことを話したりはしない。それが私、一ノ瀬舞衣。
理解出来ない物は自分の中にある。理解出来ない物は嫌い。言葉に出来ない物は嫌い。
私は優菜の質問に、少し間を置いてこう答えた。
「Nothing Special」
優菜は不味そうに口を歪めて、それから笑った。
「舞衣って、ホントにめんどくさいよね?」
「うん。私ってホントにめんどくさい」

No.111 09/03/18 00:55
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱2🌱



面倒な私。
私は考えるという過程をスキップできない。
だからそこで失敗すると、いつまでたっても先へ行けない。私は直列回路のようなものだ。
それを人に言えば、例えば一種の皮肉に聞こえるかもしれない。『何も考えていないあんたたちとは違って』という風に。
でも、これは今の私にとって、切実なディスアドバンテージなのかもしれない。
私は図書室を出て、その足を文藝部の部室へと向けた。今のところ、そこへ行くのが私にとって自然な選択に思えた。
だって、私は昨日も部室にいたんだから。
だって、私は文藝部の部員なんだから。
だって、そこには夏目君がいないんだから。
私は、夏目君を避けていた。
避ける?もともと接点なんてなかったじゃない?
そう私は自問する。
でも多分、それは違うのだ。そう私は自答してみる。
もう一人の私は、論理としての整合性を求めてくる。私は説明を試みる。そう、立証なんて確かな物はそこには無い。説明だ。
接点というのは生まれるものじゃない。最初からそこにある。重要なのはそれが可視か不可視か、ということだ。
私には夏目君との接点が今見えている。
つまりはそういうこと。

No.112 09/03/22 18:09
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱3🌱



何か……無駄なことを考えたな、と思う。
窓の外には、トラックを黙々と回る陸上部長距離チームの背中が影となって並んでいる。
彼らは走ることができるし、多分走りたいと思っているんだろう。
でも、私は今小説が書けない。本も読みづらい。
これは私にとっては大問題だ。根を掘り返されるくらいの大問題なのだ。
何かが私の中にするりと入り込んで、秘密裏に月の裏側で、深い所にある回路をいじくり回した。
それは夏目君という、たった一人の同級生なんだと思う。恐らくは。
彼は私に、今までに無い行動や思考を促しているような気がする。
外界に左右されることの無かった私の地下を揺すぶっているような、不思議な感じがする。

好きな人ができると、いろんな事が手につかなくなる。
そんな事を昔、優菜が言っていた覚えがあった。私は漫画の読みすぎだと思った。
じゃあそもそも、好きって何だろう?
とか、そんなことをいつの間にか考えてしまうくらいに頭がぼやけている。
多分、他人の頭の中はもっとシンプルに動いているんだと思って、私は陸上部の背中をもう一度眺める。
彼らの足は、美しく単調なステップを反復し続けていた。

No.113 09/03/28 21:56
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱4🌱



驚かなかった……と言えば嘘になる。しかもバレバレの嘘に。
何気無く部室の扉を開ける私の手。いつもと同じ光景を求める私の両目。
私は安心できる、いつもと変わらない『そこ』を当てにしていたのに。

どうして、どうしてここに君がいるの?

夏目君の姿を、部室の薄汚れた椅子の上に見た時、私は驚愕した。予想外に驚く自分そのものに驚いたくらいだった。
「……よう」
何と言っていいか分からなくて、一番最初に出てきた言葉なんだ。
そんな風に控え目に、夏目君は呟いた。
返す一言よりも、先に考えることがたくさんあって、結果的に私は彼に返事をしなかった。
「今日は帰ります……用事思い出しました」
やっと出てきた台詞はそんなお粗末なもので、私は心中で自嘲してしまう。その意味にも靄がかかったままなのに。
「ねぇ、そこのレン君は舞衣を待ってたんだけどさ、それでも用事思い出したの?」
不意に橘部長の声が響いて、私は足を止めた。
「それとも、『だから』用事を思い出した?」
「すいません、私帰ります」
私は、どうして自分がこんなにも頑なになるのか訳も分からずに、引っ張られるような早足で部室を飛び出した。

No.114 09/03/31 22:44
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱5🌱



私の足音、それを追い掛ける音、ピアノの連弾みたいな響きで重なって、崩れて、私は足を止めた。
「いきなり走んなよ……」
夏目君の声が響いて、私は廊下の真ん中で振り向いた。
切り取った陽光の橙が、彼の中にある影と入り混じって複雑なグラデーションを描いていた。
「ちょっと話す時間くらいはあるだろ?」
そう言って夏目君は少しだけ胸を張り、小さな息を吐いた。
「私は、別に話したいことなんかないもの」
石みたいに硬い言葉。
はっきり言えば、面倒臭かった。
彼のせいで頭の中はもやもやして、言葉はバラバラになって、大好きな小説は書けもしないし読めもしない。
それは、私にすれば病魔に蝕まれていると言ってもいい。

だってそんな事、一度だって無かったんだから。

「俺はその……あれだ、理由が聞きたいだけだから」
彼は僅かに怒気の含まれた声でそう言った。
理由……行動の因果。
「俺をからかった?冗談?誰かに頼まれたとか?」
「……違う、そうじゃないの」
夏目君の単語の羅列に、私は即答する。自信無さげに。
でもそれは確か。だって私の中にはそんな因果は無かったんだから。

No.115 09/04/02 23:49
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱6🌱



「じゃあ……何?」
一筋の言葉が、陽の照らす廊下を矢のように最短で突っ切った瞬間、突如として私はこう思った。

私に似てる。

そう思った。不思議に、そう思った。
そしてこうも考えた。

私は、夏目君のことが好きなのかもしれないって。

好きって何だかよく分からない。少なくとも私にはよく分からないけど、隣に座ってる同級生みたいに、好きかもなんて言えないけど。私はそんなにシンプルじゃないけど。
たぶん、夏目君のことが好きなんだと思う。
そんな思考の流れが刹那に駆けた。でもそれは、本当の意味で『流れ』と呼ぶべき一過性のもので、目の前を滑空したところでサッと身を翻して、再び深い水底へと沈降してしまっていた。
私はふと、先に延びる壁の小さな染みに目を止めた。私の発見は恐らくあんなもの。
突然目について、その時は覚えている。でも一度夜が明ければいくら探しても見付からない。そんなもの。
「そっか……分かった。もういい」
私は耳の奥にいきなり飛込んだ音で、一気に目を醒ました。
私は夏目君を無視してしまっていて、それは彼に何かしらの良くない影響を与えたみたいだった。
「それなら俺にも考えがある」

No.116 09/04/05 01:59
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱7🌱



大股で、何かを振り払ったかのように一心に歩く夏目君の姿を、私は考えることも放棄して見つめていた。
そして、夏目君の背中が文藝部の入口を形成する四角の闇とちょうど重なった時、私は夏目君の最後の言葉をプレイバックした。

考え?考えって何?

私は不明瞭で果てしない不安を突如として感じ取り、それが乗り移ったかの如き速度で部室へと引き返す。
私は久々に全力で走った。全力だって速くはないけど、とにかく全力で走る。
足は普段の二倍の数のタイルを一歩で飛び越えていく。タイルは普段より二割増しで埃っぽく見える。
夏目君の背中は口を開けた部室に吸い込まれてしまっていて、扉が閉じる音色は絶え間無い静寂を不吉に叩き割ってみせた。
私はその音を追い掛けた。あってはならないことが起きる気がして、理由も分からず走った。
でも、所詮私は脆弱な人間だった。しかも脆弱な中でも弱い方の人間だった。
音速になんか追い付けるはずなかった。
私が部室の扉を開け放った時、事態は核心へと迫っていた。
夏目君は橘部長に向かっている。強気な口調。
端的な言葉。
端的な意味。
「俺、文藝部に入部します」

No.117 09/04/05 22:28
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱8🌱



時間差で後悔することほど間抜けなことはない。
そう俺は思った。
つまり俺自身のことだが。
俺は愛車を押して、坂をとぼとぼと一人登りながら、自分の口から出てしまった言葉を軽く後悔していた。
ああ……何で入部するなんて言ってしまったのか……
あの場は、はっきりしない一ノ瀬に苛立って何となくノリで言ってしまったんだ。なんかそうなってしまったんだ。
心の中で自分から自分に弁解していると、夕焼け色の虚しさが込み上げてくる。
覆水盆に返らず……口は災いのもと……
先人はなんと有難い言葉を残してくれたことだろう。
もっとも、『後の祭り』だが。
無かったことにもできないし、顔を出さないわけにもいかない。
一ノ瀬に対して「俺にも考えがある」なんて馬鹿みたいな台詞を吐いてしまった以上、今更幽霊部員を決め込むわけにもいかないのだ。そんなのは俺の矜持が許さない。カッコ悪過ぎる。
そんなこんなで結局、俺は文藝部で頑張るしかないのだ。この手に打開策の無い今のところは。
でもまあ、あのメンバーなら少なくとも退屈はしないかもしれないし……
そんな気休めで自分を慰めながら、俺は長い坂道をゆっくりと登っていった。

No.118 09/04/09 00:11
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱9🌱



いつものように俺が遅刻寸前で教室のドアを開いた時、俺は軽やかな旋律……いや、戦慄を覚えた。
一ノ瀬が睨んでいる。
かなり強く睨んでいる。
おそらく俺を睨んでいる。
もしや俺ではなく、何か別なものを見てるかも……とたくましい想像力を働かせて、自分の背後を一応確認してみる。
コンセントの抜けた黒板消しクリーナーが棚に鎮座していた。
もし一ノ瀬が霊能者でないなら、俺を標的に冷視線を放っていることは明らかだった。
訂正、確実に俺を睨んでいる。
そして訂正終了後、俺は知覚した。
どうやら、嫌われてるっぽい……と。

なんだそれはっ!
と俺は心の中で叫ぶ。
嫌いなら告白なんかするなよ。意味が分からんよ。心理が複雑過ぎるだろ。告白されて、振られて、俺は何もしてないじゃないか。ノータッチじゃないか。これじゃ惨めなだけじゃないか。
一ノ瀬、お前はいったい俺に何を求めてるんだっ!?
「おらっ!さっさと席につけ、また奉仕活動に駆り出されてぇのか!」
超虚弱担任唐澤の代理としてまたも襲来した野人、遠藤教諭の名簿による一撃は、傍目にはノホホンとつっ立っていただけの俺の側頭を痛烈に打った。
殴られ損だ。

No.119 09/04/11 22:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱10🌱



とにかく、幽霊部員にフェードアウトすることはできない。一ノ瀬や柑奈に堂々と言い放ってしまった以上、即ゴースト化は俺のプライドが絶対完全無欠に許さないのだ。
という割と強固な決意を胸に、俺は文藝部部室の魔口の前に立っていた。
この異界に似た……異界がどんなだかは知らないが、たぶんそんな感じの混沌とした雰囲気にまたもや、俺はドアを開くことを躊躇した。
だがあの決意を思い出すと、俺は勇気を持ってノブに手を掛けた。
するとどうだろう、ご丁寧にも中から扉が開いたではないか。しかも親切極まるマッハスピードである。
無神経に開け放たれた扉が、アメリカ大統領就任演説ばりに立派かつ堂々たる殺戮鈍器に変貌するという事実は、凡庸な人間の想像を越えて遥か高みの真実である。
その事を昨日、俺は身をもって知ったというのに今日もこれだ。連チャンだ。
しかも今度は前からだ。幸か不幸か、ノブに手を掛けて下を向いていたために鼻の直撃は免れた。
いや、二日連続でドアにジャストミート&クラッシュしてる時点で激しく不運じゃないか、という至極まっとうな意見は隅に追いやる。そうでもしなければやってられない。

No.120 09/04/18 20:12
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱11🌱



鮮やかに扉を凶器に仕立て上げたのはやはりこの男だ。
嫌に鋭い眼光が、僅かに反動した隙間から光る。
「……またかよ。何?わざとやってんの?」
……御厨だ。
「わざとなわけ……あるか……」
俺は額を押さえつつ、そして怒りを抑えつつ声を捻り出す。一度味わえば、意図的にぶつかる気概などどこに生まれ得ようか?
「じゃあ単なるドジ?……男のドジっ子ってのは……ナシだな。うん、お前ナシだ」
真面目な顔して頷き、一転ケラケラと笑い出す御厨。いつか殺す。回転ドアで殺す。
「御厨っ!」
突然に鋭角の声が響いた。そして額に当てた俺の指の間に、新しい影が飛込んだ。
楠木だ。手にはハードカバー。
「……痛っ!?何だよ楠木!?」
楠木は本で御厨の後頭部を一撃。生易しくはない音が耳に届いた。
悪いが……良い気味だ。
「ドアを開ける時は静かになさいっ!毎度毎度バッタンバッタン……行儀が良くなくってよ」
「うっせえな!ってかマジで痛えよ!」
「じゃあ直しなさい」
「誰もドアの開け方なんか気にするかっ!……ったく、お前こそお嬢様気取るならもっとおしとやかにしたらどうだ?本の角でぶん殴る御令嬢なんぞ聞いたことねぇぞ?」

No.121 09/04/23 22:08
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱12🌱



「そんな御令嬢、ここにいますわよ?」
「恥を知れ」
御厨の言葉を楠木は完全無視して、俺に最上級の笑顔を向けた。
「こんな粗暴な凡愚は放っといて、中にどうぞ」
ボキャブラリーに過剰な悪意は感じられたものの、ドアの恨みもあるので俺は御厨を無視して部室に入った。背後から一度舌打ちが聞こえた。
「あいにくまだ橘部長が来ていないんですけども……」
そこで突然、ガサガサっと気味の悪い音が響いた。
「誰が来てないって?なぎさ~」
何となくそんなこともあるかも、という気はしていたし、それは楠木も同じだったらしく大したリアクションは無く、不発。
部長、橘柑奈は幾分不満そうな顔で、書物カオスの山から這い出して来た。見ようによっては『某ホラー映画のテレビから出てくる女性』みたいだった。
「もうちょい驚いてよ。驚いて欲しいんだから、驚いてやらないと、驚くべき驚きなのよ?」
楠木は意味不明の柑奈の言葉を無視して訊く。
「また本山の中に泊まったんですの?」
「結果的にそうなっちゃったみたい。私ってばホームレスの才能も抜群」
柑奈は猫に似た声で笑う。笑い事では無い。
「部長、そのパターンは累計四度目ですわ」

No.122 09/04/26 22:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱13🌱



「んで、君は正式にウチの部員になったわけだ。よって、君の活動内容を決めなきゃだよね?」
「……とりあえず、変な体勢で真面目なこと言うの止めてもらえますか?」
本から生えてきた根っこのような柑奈を見下ろして俺は言った。
柑奈は仕方ないな、と不満げな表情で全身を前進し立ち上がる。
「で、何やる?」
はて、言われて俺は気付いた。
何も考えてない。というかできることが無い。
文章なんて、学校で強制的に書かされたものしか経験が無い。日記すら書いたことが無い。
そんな俺に可能な、文藝部の活動内容にカテゴライズされるアクションとはいったい何だ?
「……読書とか?」
創作から離れられる分野はそれぐらいだ。もちろん、読むことすら継続できるか怪しいという事実はこの際黙殺するほかない。
「ダ~メ」
不意な柑奈の返答。いや、ダメって何だよ?
「部長も活動内容『読書』なんだから、俺だってそれでいいじゃないですか」
「アタシはいいのサ、でもレン君、君はダメだよ」
「だから何で?」
柑奈は俺の目の前で、チッチと人指し指を振る。
「自分に理由が見えないからって、それが理由の無い『理由』にはならないよ」

No.123 09/04/29 00:34
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱14🌱



「意味が分かんないんですけど……」
「意味が分かんないからって『無意味』とは限んないってことかな。言い換えれば」
そう言って今度は不敵な笑みを浮かべる柑奈から、俺は目を逸らした。
「そうだな……うん。やっぱし小説、レン君は小説だ」
「俺は小説じゃないです。人間です」
「君は小説を書けぃ!」
ニャハハと笑う柑奈を尻目に、俺は情けない自分の文筆歴を思った。
「無理です」と俺は露の迷いも見せずに即答する。
「何で?」
「書いたことないし、書ける気もしませんよ」
俺は投げやりな口調で言葉を転がす。
「アタシは、レン君には才能があると思うぜ!」
「突然のその口調変化はなんですか……」
俺のターンっ!とでも叫び出しそうな柑奈の口調を俺はたしなめる。
「俺が今まで書いた最長の文章って、どれぐらいだか分かりますか?」
「さあね。興味無いよ」
俺は柑奈にパーを見せた。堂々と見せた。デーンと効果音が付きそうな感じで見せた。
まあ……恥じる所なのかもしれないが。
「読書感想文、原稿用紙五枚ですよ?五枚で何が書けるんですか」
「君には何でも書けるよ」
柑奈は妙に自信満々で、俺を諭すようにそう言った。

No.124 09/05/01 00:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱15🌱



「何にも書けませんよ」
そう、面倒臭くて俺に書けるわけがない。100ページ読むのが面倒で耐えられないというのに、100ページ言葉を隙間無く並べることに一体どうして耐えられようか?
柑奈は、色の無い視線をじっとりと俺に向けている。そしてそのニュアンスは一瞬に改変される。
「じゃあ書いてみればいいよ。そしたら分かるから」
俺は嘆息する。
柑奈は俺という人間を全然理解していない。可能不可能の話ではない。俺はそもそも書く気が無いのだから。
「部長、そもそも俺はやる気が無いんですけど。無気力野郎ですから」
「ダメ、書け」
柑奈は命令口調でそう押し付ける。
「書けったって……」
柑奈は頷くと、A4の紙一枚と鉛筆を取り出した。
「それくらい私にだって分かってるさあ。『何でも良い』って言ったところで何にも始まらないことくらいはね。舐めてもらっちゃ困るよ。それくらいの段階とかは心得てるよ。十分にね」
柑奈は鉛筆をクルクルと器用に回しながら言う。
「まずこれから二時間かけて、その紙に、この部室を言葉だけで表現してみなよ。途中で止めちゃだめだよ?二時間一杯使って、この部屋を君の言葉で描くんだ」

No.125 09/05/03 20:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱16🌱



「嫌ですよ、面倒臭いし……」
二時間も一枚の紙とのにらめっこを演じるなど……考えただけで憂鬱になる。景色がワントーン暗く見える。
「だからダメだって、部長命令なんだからさぁ。君、文藝部の部員でしょ?死にたくなかったら、アタシに逆らわない方が良いかもよ?」
そう言う柑奈の笑いに、まさしく中世欧州に生きるウィッチの薄暗い恐ろしさを感じた俺は、取り合えず紙を持って席に座った。
まあ『死ぬ』は大袈裟過ぎるが、命令に逆らえば何かしらの不幸に遭遇するだろうことは想像できたからだ。
満足そうな柑奈の視線を受ける俺の手は、落ちていた分厚い本を取り上げて下敷にし、一応のやる気の見える態勢を繕った。
だがもちろんやる気など、俺の内部には欠片も微塵も存在しない。
要は、俺に物書きの才能が露ほども存在しないという決定的事実を知らしめてしまえば、柑奈は諦めるはずだった。考えてみるとかなり惨めな話だが。
とにかくそういうことで、元より本気を出しても仕方ないことなのだから、無論俺が本気を出すことなどないのだ。
「ホホゥ、書く気になった?」
俺は柑奈に曖昧な笑みを向けた。生憎そんな気は起きちゃいない。

No.126 09/05/06 21:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱17🌱



30分経過。
死ぬほどに退屈だ。
俺の手に納まっているA4は、もう気持良いほどに白紙だ。この暗い部室では心なしか眩しさを覚えるくらいだ。
御厨は漫画用の原稿用紙に何やらガリガリと、嫌な色の笑みを浮かべて没頭している。
楠木は楠木で、歌いながら走り書きを取っている。かわいい顔に似合わずヘビーな音痴だ。
柑奈はと言えば、やはり分厚く古めかしい装丁の本に顔を落とし、奇怪な呪文を低い声で唱えている。ロシア語と言っていたが、もはや暗黒魔導書にしか見えなかった。
しかし時々、眼光だけは鋭くこちらを射抜いてくる。あと一時間半は椅子の上で待機せざるをえない雰囲気だ。
俺はもう一度紙に視線を落とした。
……やはり何かしら書いた方がいいか?
そうだ。まっさらで出してはわざと手を抜いた風に見えるかもしれない。
俺は鉛筆を持ち直すと、緩い視線をスッと走らせてみた。
本の山。……右手に本の山、と書いてみる。
『コインロッカー・ベイビーズ』が上下巻仲良く折り重なっていた。ベイビーズと言うのだからそれは本望なのかもしれない。開いた本が重なる様は、手を取り合う人の姿に似ていないこともないんだから。

No.127 09/05/15 19:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱18🌱



俺はそんな事を書いて、馬鹿らしいと視線を上げた。
また別の山に視点が合う。
……なんとなく形が犬っぽいと思う。もしこんな犬がいたら、イジメられるかなとも思う。
ブックドック。
不細工な響き。
影の生む闇の中にあるものは全て、色が似通ってくる。逆に小さな窓から射し込む陽光に照らされたほんの一部の空間は、祝福されているかの如く鮮やかだ。
類似までも個性と呼ぶかのように、赤と朱を明確に区別するかのように、それはステージめいている。
青と黒がひっくるめられてしまうような闇に生きる存在は、果たして表舞台を憎むだろうか?
自分ならそんな事は無いな、と思う。皆一緒なら、俺だけ劣等感を感じずにすむ。
何よりあれは本だ。


そんな事を頭に走らせながら、俺は鉛筆を走らせていた。
紙に目を落とした時、はっきり言って俺は驚いた。こんなに言葉がスラスラ出てくるなんて経験が無かった。
それに、何だかしっくりくるというか……何というか。
とにかく俺は驚いた。戦慄したと表現してもいい。俺の自己分析の反道を行って埋まり続ける紙面にある種の恐怖的感覚すら覚える。
総括して俺はその日、生まれて初めて言葉を綴った。

No.128 09/05/22 22:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱19🌱



「……ほらね。思った通り」
柑奈は俺から紙を引ったくると満足げな視線で眺めた。
「やっぱり、君は書ける人間だよ」
「それぐらい誰でも書けるでしょ」
俺は気の抜けた返事をする。
「なぎさ、御厨、君らも見たまえよっと」
柑奈は二人を手招きして見せる。
「……荒くて、洗練された文には遠いですけど、非凡な着眼センスを感じますわね」
「ああ。絵にするには都合が良い感じだな。形以外のイメージが湧きやすい」
誉められていることが驚きだった。
少なくとも、二人は職業として通用するだけの芸術的素養を持った人間だ。それが、初めて書いた俺の創作を誉めているのだ。
「どう、分かった?君は小説を書ける人間なんだよ」
「でも、こんな紙切れ……俺が長い文章を書いたり良いストーリーを考えたりできるってことにはならないです」
そうだ。これは断片に過ぎない。欠片を作ることができるからといって、器が作れるということにはならないはずだ。
「全然分かってないなあ……」
柑奈はわざとらしい溜め息をついて見せた。
「何がですか」
「レン君の言ってることはね。なーんにも大したことじゃない。チリとかゴミレベルの話なんだよ?」

No.129 09/05/25 01:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱20🌱



「いいかな?君が今言ってるのは、『小説っぽい文章』のことだよ」
そう柑奈は説明を始める。
「緻密で魅力的なストーリー。感情豊かなキャラクター。美しく技巧的な描写……皆そういうのを見てスゴいって言うけどさ、実際そんなものは誰にだって簡単に書けるんだよ」
柑奈は人指し指を立てる。
「多くの人が小説を小説と感じる所以。それを成立させているのは、実はたった一つのテクニックなんだよ。それが、『小説っぽい文章』を作る技術ってやつ。分かる?」
何となく言わんとすることは分からないでもないが……
「小説っぽい文章を書くってのは、後天的に、しかも割と容易に習得できる技術だ。だから、レン君が心配してることは少しコツを覚えれば万事OKのスーパーウルトラ枝葉の問題ってことだよね?」
「そうですか?」
「そうなの。私が言うんだからそうなの。断じてそうなの。そんでもって本題に行くと、君は後から努力したってどうにもなんない物を、少なくとも一つは持ってる。最初から持ってる。私の見立てによるとね。それはつまり、君には本当の意味で、見せかけじゃない小説が書けるかもってことなんだな。つまり」

No.130 09/05/28 01:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱21🌱



柑奈はとりあえず、俺に小説を書けと言っている。
俺は小説を書けるか書けないか、つまり可能不可能で話をしていた。だがそもそも、できるかどうかは別問題だ。
「俺、すごい面倒臭がりなんで、最後までもちませんよ」
書くという多大な面倒加減に俺が圧殺されないはずがない。
「いいや、そんなことない」
柑奈はそう言った。
「君、書いてる時にさ、ちょっと楽しいって思ったでしょ?」
鋭い。でも、楽しいとは違う。
「まあ、初めてやることは、何かしらそんな感じがするもんだと思いますけど」
「君が感じたのはそんなことじゃない」
柑奈は言い切る。俺より俺を知っているかのように断言する。
奇妙な自信。
「レン君はさ、舞衣とおんなじ顔してたんだよ」
舞衣、一ノ瀬舞衣。
突然に予期しない名前が出てきて、俺は少しだけ動揺した。
「何ですかそれ」
「さあ、何でしょう?……けどまあ、今はいいよ。書きたくないならね。書かなくてもいいよ」
柑奈はさっきまでの主張を翻して、今度はそんなことを言った。
「でもさ、遅かれ早かれ君は小説を書き始めることになるって、私は知ってるんだよ。レン君もそれは覚えておいた方がいいと思うよ」

No.131 09/05/31 19:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱22🌱



結局、俺の部活デビューはそこでお開きとなった。
赤みをおびた空の中を、不自然な程に急速に流れていく筋雲を、俺は仰いだ。
自転車を押す右手をかざす……無風。
でも、俺の知らない遥かな空気のそのまた上では、きっとジェットコースターみたいなスリリングな気圧の関係があって、それがあんな風に雲を細く棚引かせて、どこか見えない場所へと運んでいくのだろう。
今の俺はあの雲に似ていると不意に思った。
停滞し澱んでいた空気が、一転して凄いスピードでかきまわされているような気分だった。
何もしなかった、いや……何もできなかった俺。それを包む環境は、ここ二、三日の間に、絵の具を滴下した真水の如く乗数的に色を変えている。
その中心は一ノ瀬舞衣だ。彼女がその指数であり変数だ。

一ノ瀬は、今日は部活に来なかった。
一ノ瀬はどんな気持ちで小説を書いているんだろう?
そんな疑問がふと湧いてきて、俺は突然に一ノ瀬に会いたいと思う。話したいと思う。一ノ瀬の書く言葉を、読んでみたいと思う。
そうして、俺は思う。何考えてんだろうって。
何だか少し笑えてきた。
俺は自転車に乗る。無心に、ただペダルを踏み続けた。

No.132 09/06/01 01:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter7終了です。
後半、普段でも遅い更新速度が更に鈍重になってしまい、読者の皆様申し訳ありませんでした。

やっとレンにも小説とのつながりができました。これでプロローグの述懐にも少しは近付いてきたかな、という感じです。


あまり書くことが無いので、最近読んだ本の話でも。
時期外れに三浦しをん『風が強く吹いている』を読みました。
簡単に言うと、素人軍団で箱根駅伝を目指すという話です。こういうと身も蓋もないですが……
読んでみると、やっぱり職業作家は違いますね。特にこの小説はキャラ使いが抜群に巧かったです。
箱根駅伝は全十区間、当然メインキャラも最低十人は使わなければいけません。
しかし強制的に使わされているはずの十人皆が、見事に無駄無く話を作っています。要らないキャラが一人もいない。きっちり十人使いきっています。
これはかなり難しい。
私が大勢のキャラを書くと、見ての通り出方がムラだらけになります。非常にマズイんですが、分かっててもなかなか上手くいかないんですよね💧

私もこんなキャラ使いをさらりとやってみたいものだなと、感心しながら読みました。



I'keyでした。

No.133 09/06/06 17:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter8



6月3日、午後8:50
場所、自宅二階自室

今日、橘柑奈から台本を受け取った。
レポート用紙の束に付された表紙を見る。統矢は五度目の読み返しを始めた。
実際、かなり悩ましいことだった。

統矢が柑奈に、学園祭演劇部二年生公演のシナリオを依頼したのは四月のことだった。
題目は『伊豆の踊子』、川端康成の代表作と言える短編小説だ。この作品をテーマにした舞台脚本も、当然無数に存在する。普通ならそれら既存の台本の内の一本を、部員数や上演時間、機材・舞台状況等までを加味してアレンジし上演するのだ。
しかし脚本は完全オリジナルでいきたい、というのが当初からの部員皆の共通意志だった。
何故そんな気が湧いているかと言えば、現二年にとって初めての大舞台であった去年の学園祭一年生公演を、オリジナルシナリオで成功させた経験があったからだと統矢は考えている。
そのシナリオを書いたのが統矢だった。ということで、今回もシナリオに関しては統矢が一任されていた。
脚本を依頼した柑奈は快諾してくれた。それもこれも楠木のお陰ではあったが。
それを今日学校で受け取って、今こうして読んでいるわけだった。

No.134 09/06/07 18:29
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓1📓



シナリオを柑奈に依頼した背景にはそれなりの事情があった。
去年の公演、実は統矢は主演も務めていたのだ。顧問の後押しと部員の賛成によって、統矢は裏から表までの活躍を見せることになった。部員が賛成したことにはもちろん、当時の彼らに主演に名乗りを挙げる度胸が無かったということもある。
一人だけ活躍すれば妬みが出る。それが統矢の懸念だった。
脚本担当の統矢には配役を決める権利もあるが、独断では不満が募る。そこで配役は部員の立候補・推薦を尊重、その後の本読みを見て多数決で決めることにしていた。
二年男子は女子と比べてタレント不足で、たぶん今回の主演も統矢に回ってくる。それは断れない。無理に立てた主演では失敗するだけだからだ。
するとまた「主演・脚本周防統矢」だ。
これでは「何で統矢ばかり……」という意識の発生は不可避。下手すれば端役の生徒が離反する可能性もある。実際一年生公演でも、統矢の優遇に不満を漏らして辞めた生徒が二人いた。その状況は避けたい。
配役に全員が完全納得というのは無理な話だが、少なくとも協調性を持って稽古が出来るレベルまでは我慢してもらわねばならないのだ。

No.135 09/06/20 00:47
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓2📓



そこで、言わばシナリオを外注するという形を統矢は採ったのだ。この方が脚本プラス主演よりは角が立たない。
楠木なぎさの紹介で橘柑奈に脚本を依頼したのはごく自然な流れだったと統矢は考えている。
柑奈の文章は一読すればその才能を推し量るに充分すぎるものだった。彼女以上の人材を見つけるには恐らくプロを候補に入れないかぎり無理だ。
だから柑奈さえ承諾してくれれば彼女の台本で行こうと統矢は考えていた。
橘柑奈は校内外の一部で『東桜の魔女』と呼ばれ、才能ある学生文筆家としてだけでなく単なる怪人物としても有名だった。それゆえ交渉はある程度難航、あるいは失敗もあると統矢は考えていた。
しかし楠木なぎさの『秘策』により交渉は存外簡単に運んだ。
「……伊豆の踊子」
統矢は台本の表紙に印字されたタイトルを何気無い口調で読んでみた。
思えば、簡単に運びすぎた交渉が問題だったのかもしれない。
後先考えずに柑奈の側が出した要求を二つ返事で受け入れ、さっさとシナリオを依頼してしまったことを統矢は少し後悔した。
でももちろん、台本が書き上がってしまった今となってはもう遅い。統矢は決断を迫られていた。

No.136 09/06/24 22:14
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓3📓



柑奈の出した条件は、自由に書くことを認め、書き直し・修正は一切しないこと。内容に関して質問等は一切受け付けないことの二つだった。代わりにそのシナリオを使うか使わないかはこちらの自由だ。
その内容が問題だった。伊豆の踊子とは名ばかりで、中身が全く別物なのだ。
伊豆の踊子は、簡単に言うと主人公で旧制高校の学生である「私」が、旅の途上で偶然出会った旅芸人の踊子に恋をするものの、身分の差や境遇から最後には別れるという話だ。
『自由に』という条件に、統矢も現代劇への転換くらいは予測していた。しかし柑奈の脚色はそんな生易しいものではなかった。
概略すればこうなる。主人公の『私』は『外』に出るために『上』から『下』へと旅をしている。その途中に歌姫と呼ばれる『下』の住人と出会う。私は歌姫に恋をする。しかし最後には歌姫を置いて、私は『外』へと消えていく。
とにかく話が抽象的で、具体的なイメージが湧かないのだ。どんな世界なのか?未来なのか現代なのか?そもそも異世界なのか現世界なのか?
こんなあやふやな台本から舞台美術を作れと言えば、大道具・美術チームの連中は頭を抱えてしまうだろう。

No.137 09/06/26 13:25
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓4📓



更に大きな問題は歌だ。歌姫が登場するシーンと、クライマックス、歌姫が主人公に歌う歌がある。
歌詞はあるが曲が無い。オリジナルで曲を作る必要があるのだ。

それ以外にも大小の問題が山積している。
だがそれ以上に統矢には、このシナリオが魅力的に見えていた。
確かに伊豆の踊子とは言えない、全く別物の話だ。それでも根底に流れる、最下層の思想とでも呼ぶべきものは確かに連結している。
「……でも」
意識せずに声が漏れた。統矢はもう一冊、台本を手に取る。
統矢が書いた『伊豆の踊子』だ。不測の事態を想定して統矢も一冊書いていた。
内容は原作に忠実な、いたってスタンダードなものだ。小説の持つ雰囲気をそれなりには写し取ることが出来ただろうと、自分では一定の評価をしていた。
しかし柑奈の脚本を読むと『違う』とどうしても感じてしまう。
違うのだ。全然違うのだ。
言葉の持つ生気や躍動感、表現力、ダイレクトに伝わる書き手の意志、そしてその裏側の密閉空間に隠された原作『伊豆の踊子』。
読むだけで、こんなにも心を動かす。ならばこれを人が演じたなら、声帯を震わせ、思いを乗せて真摯に演じたならばどうなるだろう?

No.138 09/06/27 22:15
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓5📓



自分の台本と柑奈の台本、両方を提示して多数決で決める手もある。
だがそれは避けるべきだ。不採用の方を支持した部員たちに不満が生まれかねない。柑奈の台本を採用し、準備が難航したのなら尚更だ。
そこまで考えて、統矢は気付いた。
俺は既に、柑奈の台本を採用するつもりで考えている。
そして理解する。
困難であることと、やりたいものを取り違えていただけだということは、分かってたことじゃないのか?
俺はきっと無意識に、確実に成功して尚且つ自分も満足できる、体の良い舞台を求めていたのだ。
でも本当は違う。
演りたいモノは誤魔化せない。柑奈の台本を見た時に感じたのはきっと、そういうことだった。
じゃあ答えは一つだ。
柑奈の台本を皆にぶつけてみればいい。
困難かもしれない。失敗するかもしれない。だから演らないのか?こんなに凄いシナリオがあるのに?
失敗に価値は無い。けど、挑戦しない成功にもきっと、価値なんてない。
だから俺たち演劇部は挑戦し、打ち勝って、最高の舞台を作る。
橘柑奈は、俺たちにそれができるのかって、そう言ってこの台本を託したんだろう。
なら見せてやる。俺たちの最高の舞台を。

No.139 09/07/07 21:54
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓6📓



演劇部部室の大黒板には既に「第五回班長ミーティング」の文字が白チョークで深く刻まれている。窓から射し込んだ白い光が文字だけ強く反射して、輝いて見える。
部室の中央をどっしりと制圧した長机には、班長と呼ばれる幹部部員たちが既に顔を揃えている。
演劇部員は役者だけでなく、裏方としての役割もそれぞれ持っている。その裏方のチームを班と呼んでいる。例えば大道具班、音響班、照明班、衣装班、小道具班……といった具合だ。
「じゃあ、第五回班長ミーティングを始めます」
統矢は立ち上がって宣言した。
「早速だけど、まず公演内容を決めてしまいたいと思う。今回の脚本……三年生の橘柑奈さんにお願いした。内容は先日渡した通りだ」
ざわめきが微かに響いた。今の三年生が一年だった時の公演……その脚本は小劇団とは言えプロの舞台に採用されたため、小さな伝説と化している。
書いたのはもちろん、柑奈だ。
「はっきり言って……かなり難しい内容だと思う。公演の難航は必至だろう。けれど、それでも俺は挑戦したいと思っている。もちろん方針を変えて出来合の脚本で公演することもできるけど……どうする?皆の意見を聞きたい」

No.140 09/07/10 21:56
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓7📓



「高木はどう思う?」
統矢はとりあえず照明班長の高木に話を振ってみる。
「ウチの班としては問題ない。ただ、大道具班、小道具班は大丈夫なのか?」
統矢は頷く。高木に話題を回したのは正解だ。問題を指摘し、議論を動かす。高木はそういう能力に長けている。分析力の高さは台詞の読みの深さにも逐一現れている。
「じゃあ原田、どうだ?」
今度は大道具班長の原田に展開する。
原田は大雑把で台本の扱いに難はあるが、その舞台における自分独自の演技観を素早く構築する天性の勘がある。野生派とでも言えるだろうか。
「まあ、掴み所はないよなあ……だが」
「だが?」
「俺の好きに舞台をプランして良いってんならビジョンはある」
統矢は頷く。
一つ目の問題解決。舞台の設計は原田に一任だ。
「佐々木さんは?」
小道具班長の佐々木は手先が器用で仕事が早い。台詞覚えも一番だ。
「ウチは原田君たちに合わせて作るから大丈夫だよ。小道具班は皆仕事早いからね」
こっちもOKだ。これで大問題の一つ、いかに舞台を作るか、は解決の目処が立った。あとは原田のクリエイティブ・センスに全てを託す。
次はもう一つの大問題、音楽だ。

No.141 09/07/18 14:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓8📓



「……白鳥さん」
「ハッ、ハイっ!」
音響班長の白鳥がビクッと小さな体を震わせた。気が弱い白鳥にはプレッシャーが重いだろうか、と統矢は不安になる。
「台本に歌詞が二つあるよね?」
「はい」
「……曲がないんだ」
「……はい」
白鳥の表情が険しさを増す。
「白鳥さんに曲を付けて欲しいんだけど……無理かな?」
白鳥は幼少からピアノを習っていて、コンクールでも優勝経験があるほどの腕前だ。その上作曲にも才があり、作曲コンクールでもいくつか賞を取っている。舞台でも手頃な曲が見付からないと、自分で作って弾いてしまうことも少なくない。演劇よりも音楽寄りに強いセンスを持っているのだ。
「……ピアノ曲と吹奏楽曲は作ったことがあるけど、歌は経験が無いから……」
統矢は頷く。
「経験の有無じゃなくて、出来るか出来ないかを聞かせて欲しいんだ」
白鳥が目を伏せて言葉に詰まる。
ちょっと焦り過ぎたか。
「白鳥さんが出来ないって言うんなら、それは凄く難しいことなんだと思う。もちろん俺たちの誰にも出来ないことだし、そういうことを君一人に押し付けようと俺はしている。だから、無理なら無理と言ってくれて構わない」

No.142 09/07/26 01:41
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓9📓



「その……私が出来なかったら、この台本は諦めるって……こと、ですか?」
白鳥が不安そうな声で尋ねる。
……その通りだ。柑奈からの条件で修正は出来ない。『歌』とされている以上は曲を付けなければならない。
「そういうことは、気にしなくていいから」
統矢は最大限に口調を和らげて言った。白鳥にプレッシャーを与えても仕方ない。
白鳥は数分考え込んだ。場の空気が重さを増すが、統矢は辛抱強く返事を待った。
「あの」と白鳥が、いつになく芯の通った声で口を開いた瞬間、全員の視線が集まった。
「できる……と思います」
たじろぎながらも、確かに、白鳥はそう答えた。
「ううん、やります」
と追加でもう一言。
充分だ。期待以上だ。
行ける、という確信が統矢の中に満ち始める。
「じゃあ、今回この台本で演ることに反対の者は挙手してくれ」
統矢は少し逸り気味の言葉を飛ばす。もちろん手は挙がらない。
統矢はいつになく高揚を覚える。
本当に大変なのはこれからだ。まだこの台本に、この舞台に、自分たちは挑んでもいない。
そんな事は重々承知している。
でも、皆の意志は今固まった。
大きな壁に今、最初の一手を掛けたのだ。

No.143 09/08/05 20:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓10📓



演目決定から二週間が過ぎた。順調だと統矢は考えていた。
配役はほとんど揉めることなく決まったし、大道具の原田も期待できそうな雰囲気だった。白鳥は多少不安だったが、今の所はまだ大丈夫そうだった。どっちにしても任せるしかない。
「またこのコンビだね」
そう稽古中に言ってきたのは東雲だった。
彼女の栗色のロングヘアは女子の羨望の的だ、とどこかで聞いたが、確かにちょっと無いくらいだと統矢は思う。
歌姫役は東雲と高嶺のレースだった。本読み投票の結果、僅差ながら勝ったのは東雲だった。
「俺には東雲と違って競争相手がいなかったからね。必然だ」
「必然って……私が役を取るって分かってた?」
「いや、歌は高嶺さんの方が断然上手い」
統矢に応じる東雲の笑い声には嫌味が無い。
「相変わらず酷いなあ……」
東雲が相手役で良かった。
正直統矢はそう思っていた。理由は良く分からないが、一番呼吸が合うのは東雲だった。相性としか表現出来ない物はある。
「私は統矢君で良かったよ。信頼できるって分かってるから」
東雲の笑顔は掛け値無しに綺麗だった。
東雲はいつも舞台に立っているようだと、統矢はよく考えた。

No.144 09/08/10 14:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓11📓



校舎の外に出ると、もう終わりかけの夕暮れ空が街を覆っていた。
燃えるように染まる全て。それを染め上げる一点。その中に立つ朱音を統矢は見た。
「朱音、今帰りか?」
「ああ……うん」
「……一人か?」
「……うん」
嫌に暗くて、朱音らしくない。
「たまには一緒に帰るか」

朱音は、下を向きながら酷くゆっくりと歩いた。何かが絡まっているようにさえ統矢には見えた。
その理由を統矢は訊けなくて、時間と距離だけが過ぎた。
「そう言えば、朱音と二人で帰るの初めてかもな」
統矢がやっと思い付いた第一声は、そんな台詞だった。
「そうだっけ?」
「いや、適当に言った」
「適当って……」
朱音が少し笑った。
しかし統矢はちゃんと覚えている。
朱音の隣にはいつも誰かがいた。いつもの三人がいて、友達がいて、同じソフトボール部の仲間がいて、そして誰もいない時、隣にはレンがいた。
統矢は三人の中の一人。それはいつだって変わらなかった。ちょうど、今沈んでいく太陽のように変わらない事だった。
また声が無くなった。自転車が立てる、カラカラと乾いた音だけが重なって響いて、次第に濃度を増す夜色に吸い込まれていった。

No.145 09/08/13 21:09
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓12📓



朱音が暗いと、酷く気分が塞がる思いがする。
統矢は自転車を押しながら、軽い焦りにも似た感情を隠して思案した。
……レンの事だろうかと、まず統矢は考える。文藝部に入った話は別として、一ノ瀬との一件を朱音が知っているはずは無いが。
「どうした?」と一言訊けばいいんだろう、だが妙に言いづらかった。
「部活の調子とか……どうだ?」
軽く探りを入れようと思ったが、何だか世間話みたいになって統矢は軽く嫌になる。
「今年は……一回戦負けしちゃった」
「……そうか」
失策。重さの増した空気が辛い。
逃げるように統矢は空を見上げる。白んだ月がいつの間にか顔を出していた。
ふと、朱音の足音が止まる。
振り向いた統矢と、朱音との間は自転車一台分の間隔。
広いだろうか?それとも狭いんだろうか?
不意に、横に立つ街灯が明かりをともす。
それで気付いた。
朱音は……泣いていた。
言葉が出ない。何かを言おうとする。何を?
俺は何を言えばいい。何て言えばいい?
統矢はただ、立ち尽くしていた。
時間が静止したようだった。古びた街灯の、不規則な明度の変化だけが時の流れだった。
笑い声が、遠く聞こえた。

No.146 09/08/17 20:42
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓13📓



「全部アタシのせいなんだ……負けたの」
朱音は消え入りそうな声で呟いた。
「試合前日の練習で、アタシ先輩に怪我させちゃったんだ……もちろんわざとじゃないけど、そんなの関係無いよね?最後の大会なんだから、さ……」
統矢には初耳だった。そして恐らく、今日が無ければ知ることは無かった。
多分誰にも、言うつもりは無かったのだろうと統矢は思う。
「監督は、先輩の代わりにアタシをレギュラーにしたの……先輩にどんな顔して会えばいいのか、分からなくってさ。皆にだって、合わせる顔無いし……」
朱音の声は震えている。
「でも、先輩はさ、笑ってくれたんだ。無理してるのは分かった。泣いてたし。でも、それでも、代わりに全国に連れてって、ってさ、笑ってアタシを送り出してくれた……絶対に行きますって、約束したのに……」
「朱音……」
「あの時、アタシがつまんないエラーしなきゃ……勝ってたんだよ?……ホント、バカだよね。タイミング悪すぎだよ……」
堰を切ったように、朱音の瞳から溢れる涙を、統矢は拭う術を持たない。
「アタシがぜーんぶ……ダメにしちゃったんだよ……」
不意に朱音の体が、フラリと揺らいだ。

No.147 09/08/21 22:36
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓14📓



金属音。
二台の自転車が連れだって倒れた。フレームが街灯に明暗のコントラストを描く。
ホイールの空回りする、乾いたリフレインが響く。
視線を下ろす統矢。
朱音は、統矢の中にあった。
無意識に、ただ抱き止めていた。
無言で空間だけが静止している。時間だけが動作している。
朱音の温もりを感じた。心臓の音が聞こえる気さえした。
俺の鼓動はいつも通り。こんな所ばかり俺らしくてな……と、統矢は自嘲する。
やがて止まるホイール。訪れる静寂、暗闇、月光の脆さ。
「ご……ゴメン」
朱音の、震えた声が内側から聞こえた。
何て答えればいいだろう?
そう統矢は考えようとした。それでも思い浮かぶのは、ここはレンのポジションだろ、とか、俺のキャラじゃない、とかつまらないことばかりで笑えた。
「……ゴメン」
繰り返す小さな声。
「……いいよ」
よくよく考えてみれば、朱音が何に謝っているのかも、自分が何を許しているのかも統矢には分からなかった。
ふと胸の辺りが冷たいような気がした。
涙かな。
「アタシ……泣いてもいいかな?」
「……いいよ」
もう泣いてるだろ、と言わなかっただけ上出来だと、統矢は思った。

No.148 09/08/23 19:38
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter8終了です。
相変わらずノロいのは筆者の仕様です💧
今回は三人称、実質統矢視点でお送りしました。
統矢のキャラが前半と全然違うのは気のせい……ではなく私の不手際ですので勘弁して下さい🙇


一応『恋愛モノ』という触れ込みで始めたのでね……三角関係チックな展開とかを入れたいなぁ、とか思ってます。
一口に『恋愛』と言ってもですね……私、ガッツリ書くのは正直恥ずかしいのですよ💧
ってことでかなり淡い感じの展開が予想されるので、そういうつもりであんまり深い方には期待しないで見て頂ければ幸いです🙇


これで、なんにも動いていないのは春彦だけですね。
彼には何か動きがあるんでしょうか?
……無いかもしれません😭


さて、次章からは一気に話を進める切札『夏休み』をお送りして行きたいと思います。
高校生はちょうど夏休みが終わる所ですかね。タイムリーかと思ったら一歩遅かった……
でも大学生は今夏休みだから気にしません✨


最後になりますが、本作10000hitを達成致しました🎉
読者の皆様に御礼申し上げます🙇

気が向いたら感想部屋でちょこっと祝ってやって下さい🙇

No.149 09/09/05 02:08
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

Chapter9



楽と苦とは、まさしくワンセットでやって来るのであった。
全ての結果が下された昼休み、苦渋の表情を浮かべる生徒――特に男子――も散見される。
夏休みという名のサンクチュアリへの入場を果たすためには、皆等しく、期末考査という試練を乗り越えなければならない。失敗すれば補習のイバラロードへと有無を言わさず突入することになる。
ビバ!デッド・オア・アライブ!
先生と二人三脚、めくるめく少人数授業、手取り足取りの休日返上スタディへようこそ!


順調に夏休みへのパスポートを入手した俺は(こう見えて勉強の要領は悪くない)教壇の上に立っていた。左手にはテスト用紙。
「さあ!レン、正々堂々勝負だ!」
そう声を張り上げたのは春彦。教卓を挟んで左に俺、右に春彦、向かい合う俺たちに与えられた八枚のカードが妖しく輝く。
「悪いが、勝つのは今回も俺だ」
俺が低い声で言い放つと、男子たちから「おおっ」と奇妙な熱を纏った声が上がる。
女子の白けた視線とは対照的に、男子の瞳はいよいよフェスタの光を帯び始めた。一瞬の祭りが号砲を待っている。
「いくぞ!」
時は満ちた。二人のデュエリストは同時に右手を振り挙げた。

No.150 09/09/07 19:21
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐1🎐



「馬鹿だよねぇ……テストの点数で賭けなんてさ」
朱音は異様に活気付く教室の前方を見ながら統矢に話し掛けた。他クラスの生徒まで集結して来ている。
「馬鹿は今に始まったことじゃない」
「でも、わざわざテスト公開するなんて」
「アタシの点数じゃ考えられない……って?」
「なっ!?……そんなに、悪くないもん……今回は……」
「そうか。俺は前回も今回も良かった」
「……言われなくても知ってるよ」
統矢の控え目な笑顔はいつもと同じだった。ちょっとした嫌味も、同じ。
統矢が普段通りでいてくれて、朱音は内心ほっとしていた。

抱き締められちゃったもんなあ……

一度ギクシャクし出したら、四人の関係にヒビが入りそうな気がして……だから朱音は統矢の平然とした笑顔に、言葉に、安心する。それなら自分も、いつも通りを演じられるから。

このまま、無かったことになるのかな。

レンと春彦に向いている統矢の横顔を、朱音はちらりと見た。
無かったことになった方が良い……と思うんだけど、そうなったら少しだけ後悔する……のかな?
……ウムム。
「なあ朱音、お前無理に頭使うと変な顔になるぞ」
「……うっさい」

投稿順
新着順
主のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧