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俺達の Love Parade In The Novel

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I'key( 10代 ♂ GDnM )
10/07/24 17:16(更新日時)

I'keyと申します。
ミクルでの小説も第三作目になりました。
今回は初挑戦の『恋愛』がテーマです。自分でもいったいどうなるのかわかりませんが、頑張って少しでも楽しい作品にしたいと思っています。
応援や感想、アドバイスなどはもちろん大歓迎です。気になったことはどんどん教えて下さい。

それでは、開幕

No.1158245 08/07/08 22:31(スレ作成日時)

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No.1 08/07/08 23:14
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Prologue――



俺が彼女に『出会った』その日――それは一面の蒼のキャンパスに痛いほど高く太陽が描かれた、どこにでも転がっている初夏の一日だった。
図書室の窓から見える木々の緑は無機質なほどに冴えかえって、まるで水彩画を見ているみたいに不思議に清々しい心地がしていた。
俺が図書室に来たのも、彼女が図書室にいたのも……偶然。
でも、たまたまっていうのはちょっとつまらない。
やっぱり、必然にしておこう。……訂正だ。
その瞬間の図書室を、例えば天才的な画家がパッと写し取ったなら、彼女はその中心で女神になったんだろうな……と思うのは多分俺のひいき目だ。
彼女は吹き込む風に髪をたなびかせながら本を読んでいる。
長い黒髪はそよ風に分かたれ、つながり、まるで影絵のように見える。
その空間は彼女を中心にして、確かに彼女を中心にして存在していた。
何もない俺は、ただその姿を見つめていた。
その時俺はただの高校生で、彼女は小説に夢を見ていた。
そして、夏から秋へ短い季節が何気無い速度で通過したとき。
俺は小説に何かを託していて、彼女は俺の大切な……少なくともすごく大切な人だった。

No.2 08/07/12 03:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter1――



突然だが、人間の睡眠への欲求――特に学生のそれは果ての無い地平線の如き、スペクタクルじみたところがある。
ガバッ、と俺は誇張ではない音を上げて目を覚ます。
時計を見た瞬間から戦いは始まるのだ。
8:10……
学校までチャリで20分、飛ばして15分……よってタイムリミットは10分だ。
ドドドドッ、とこれまた誇張でない盛大な音を立てて俺は階段を駆け下りる。
「レン、ご飯は?」
「いらない」
「知ってる~」
「じゃあ訊くなよ」
味噌汁をすする母とのこの会話もパターン通りで意味が有るのか無いのか……どっちにしろ俺の分は用意していないのだ。
洗面室に突入。電動歯ブラシを口に突っ込み同時にワックスを髪に馴染ませる。歯ブラシを手を使わずに舌で操る術は長年の苦心の作、友人一同も満場一致で認める神業だ。
髪は正真正銘の『無造作』ヘアーでまとめる。
残り5分……俺は不敵な笑みを浮かべた。
十分だ。
俺は疾風となって二階へ駆け上がる。
練達の学生は夏服を1分で着ることが可能だ。
俺は淡いグリーンのワイシャツと薄手のスラックスを着込む。
最後に鏡で確認。
今日が始まる。

No.3 08/07/12 04:15
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫1🏫



「じゃあ俺行くわ」
「行ってらっしゃ~い」
母の弛んだ声を背に俺は家を飛び出した。
雲一つ無い快晴が目にしみる。――今日は暑くなりそうだ。
俺は颯爽と愛車のチャリに飛び乗る。整備は万全。一秒を争うこの世界では整備不良は死を招く。
門を飛び出し左に切れる。下りで一気に加速。見通しのいい坂、下って登った先に俺の通う学校――東桜学院高校の時計塔が見えた。
底辺まで最高速度で到達、ここからが正念場というものだ。
下りで稼いだスピードは住宅街の登坂道にみるみる食われていく。
中盤で完全に失速した。いよいよ腕……もとい、脚の見せどころだ。

脚に力を込め、立ち漕ぎでグングン再加速。道中で苦戦する同志たちを抜き去る。
――仲間の屍を越えて走り抜け、俺!
これもまた一年の時分から遅刻寸前の死線をくぐり抜けてきたたまもの。二年になってダレた連中とは踏んだ場数が違うというものだ。
「おはよー、レン。ちょっとは余裕ある日って無いの?」
背後からの声に俺はスピードを緩めずに振り向いた。
綺麗に日焼けした小麦色の肌に、ショートヘアの女子生徒。そこには神埼朱音の姿があった。

No.4 08/07/12 19:46
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫2🏫



「お前だってギリギリだろうが。人の事言えるか」
俺は無視して加速する。もう少しだ。
「アタシは貧弱なレンと違って余裕なの。こんくらいの坂でヒーヒー言ってるあんたとは精神的余裕が違うの」
朱音は息も乱さず「じゃあね~」と笑って俺を追い越していく。いったいこの女にとって『坂』とはどの程度のレベルを指すのか。
女でありながらこの俺をやすやすと抜き去る脚力……まさしく化物だ。
と俺はひとしきり毎朝の朱音の怪物性について考察した。
「待てよっ!」
俺は渾身の力で朱音に追いすがる。
「無理すると体に悪いよ」と朱音はニヤニヤしている。
「この坂に生きる東桜生として、女に負けたままおめおめ引き下がれるか。散っていった仲間たちの魂を見せてやる」と俺は芝居がかった口調で無謀な決闘を挑む。
「ふーん、毎朝懲りないね」
「俺だって三回に一回は勝ってるぞ」
「違うでしょ、三回に二回アタシに負けてるの」朱音はケラケラ笑っている。
「今日から俺の華麗なる連勝街道が始まるんだよ」
「負けたらジュースおごりね」
「今日は朝から調子いいんだよ、この戦は俺が貰う」
「じゃあ競争っ!」

No.5 08/07/12 20:25
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫3🏫



残りは5分、いよいよ坂が殺気立ってきた。出遅れれば駐輪場が埋まってしまい……ジ・エンドなのだ。
よって全員が渾身の力を振り絞り頂上を目指す。その様子は言うなれば和製ツール・ド・フランス。この瞬間、俺たちはガリビエ峠を攻める歴戦のローディーと化す。
加速する朱音に追い付き、後ろに付いてチャンスを窺う。校門を通る瞬間に一気に追い越す作戦だ。
だが、それは朱音にしても百も承知。スピードに任せて俺をチギりにかかる。
「そう簡単には勝たせないぜ」
俺は更に加速して朱音を捕まえる。
「むっ……今日はけっこうやるじゃん」
校門が見えた。俺たちは並んでゴールを目指す。加速、加速、加速……ゴール!
ほぼ同時だった。
俺たちは一旦止まり、息を整えた。
「今日は……引き分けだな」
「そうだね……まあ、こんな日もあるよね」
今日は遅刻寸前車軍団の中ではトップなので、ここから駐輪場までの短い道程を急ぐ必要はない。
「今日は勝てると思ったんだけどなぁ……」
「残念だったね」
ゴゴゴゴ……
突然背後から戦車のような走行音が聞こえてきた。
「坂のヌシが……『赤い彗星』が来たか」

No.6 08/07/14 01:55
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫4🏫



「オース!レンー、アーカネー!」
ニコニコ顔の男子生徒が恐ろしいスピードで走ってくる。この坂のヌシ、風間春彦だ。
春彦は俺たちの目の前で車体を横に滑らせて映画のようにブレーキする。映画と違うのはそれがバイクではなく、赤いチャリンコだということだ。

毎朝登校時間と激坂の二重苦にもがく者の中で、風間春彦の名を知らない者はいない。
奴の脚力といったら半端ではない。俺や朱音など赤子同然だ。
毎朝赤いチャリで上り坂を下り坂の如く、まるで自然の摂理を無視した爆走を繰り広げるので、生徒たちからは『赤い彗星』、『通常の三倍』などと言われて恐れられている。天下無双、紛うことなき坂の王者だ。
「お前のその致命的なスピードはなんとかなんないのかよ」と俺は軽く嘆息しながら呟く。
「俺はみんなの夢なの。坂を登る生徒たちのドリームなのだ。俺が遅かったらみんな学校こなくなっちゃうよ?」
「なにそれ~ハルヒコ今日もバカみたいじゃん」
朱音はバカみたいにケラケラ笑っている。
「俺はバカじゃない!少し勉強ができないだけだ!」と春彦は真面目な顔で反論した。
「ん?なんか忘れて……」

No.7 08/07/15 01:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫5🏫



何かすごく大事な事を忘れているような……
「おい、ヤバい、遅刻するぞ!?」
俺は時計を見る、あと二分しかない。
「ハルヒコがバカなせいで……」
「だから俺は断じてバカじゃ……」
「いいから走れ!」


駐輪場は既に大方埋まっている。
「レン、チャリどうする?」
「そこらへんに止めとけ。朝のホームルーム終わったら動かすぞ」
とりあえず邪魔にならない所に三台ちょこんと並べて校舎に駆ける。もはや秒単位の勝負だ。
「もう無理じゃない?」
朱音が弱音を吐く。
「いや、まだ40秒あるぞ。俺のは電波時計だから証拠になる」
「そうそう!たしかレンは一年の時にその時計で残り10秒でセーフという偉業を……」
「春彦、黙って走れ」
俺たちは風となって廊下を疾走した。
階段を一段跳びで登ると、すぐに2年1組の教室が見えてくる。近くてよかった。
扉に手をかけて勢い良く開ける。
時計を確認。
8:34:54
最後まで諦めない者だけが勝利を手にするのだ。
「よっしゃ!唐澤先生、残り6秒でセーフです!」と俺は高らかに宣言した。
しかし、そこにいたのは担任の唐澤先生ではなかった。

No.8 08/07/16 16:53
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫6🏫



「ん?なんで遠藤先生が?」
そこにはヒョロヒョロの我らが唐澤担任とは似ても似つかぬ、屈強な肉体に黒人並に日焼けした肌が印象的な遠藤先生がいた。
「唐澤先生は今日は休みだぞ。高熱で動けないから休みます……だと」
ヒョロいのが災いしたらしい。だが、むしろ災厄はこっちだ。
「それはさておき、お前ら……こんなギリギリに来やがって、今年から朝の10分は読書の時間だと指導があったろうが」
代わりに遠藤に当たるとは……とばっちりだ。
「そんなの誰もやってませんって。そもそも10分で読書って無理でしょ?」
春彦が明らかに無駄な口を挟む。悪意の無い春彦の顔に、朱音ですら落胆している。
「お前ら放課後ちょっと来い。その駄目根性が直るように奉仕活動をさせてやる……遠慮するなよ?」
遠藤はむしろ楽しそうだ。忌むべきサディストめ。
今度は春彦の口がむずむずしている。まだ何か言うつもりか?
危険な兆候だ。
俺は春彦の首を引っ張り、黙って自席に引き揚げた。

遠藤は出席と連絡だけ確認して早々にホームルームを切り上げた。が、「ちゃんと来いよ」と俺たちに念を押すのは忘れなかった。

No.9 08/07/16 17:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫7🏫



「奉仕活動だってさ。よかったな」
10分でちゃんと本を読んでいた周防統矢が早速軽い嫌味で攻撃してきた。
「うらやましいだろ」と俺は返す。
「まったくだね」と統矢は得意の微笑状態で言った。
「じゃあ譲ってやろうか?」
「あいにく遠藤の下で働く趣味はないんだ」
と、俺と統矢の会話はいつもこんな感じだ。
統矢は俺の友人としてはもったいないくらいの優等生だ。「勉強?なんだそれは?」とか言いつつテストではちゃっかりトップ3。郷党の鬼才、同期の星だ。
「ハルヒコがバカなせいで無駄な罰が~」と朱音は春彦に文句をたれている。
「だから俺はバカじゃないって……てか俺のせい!?」
「あれを自分の責任と認識できないなら、お前は真のおバカさんだぜ?」
「トウヤの毒舌ってなんとかなんないかな~……てかやっぱ俺のせい!?」
「てかお前のせい!?だろ、確実に」
俺は春彦の口調を真似て言った。
「レン、地味にヘタだよ」
「言うな朱音。真実は時に残酷。聞くに堪えないモノマネも黙って笑うのが真の友情だ」
「そういうお前の嫌味が一番効くぞ」
「それはよかった」
いつもの四人が揃った。

No.10 08/07/19 15:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫8🏫



『いつもの』というのがいつから『いつもの』かと言うと(なんだかややこしい言い回しだが……)全員揃ったのは中学の時だった。
もともと俺と朱音は幼稚園も一緒の幼馴染み、朱音がボケで俺がツッコミ。園でも屈指の名コンビ……だったと当時の先生が言っていたが、素直に喜ぶべきなのかは一考に値する。
小学校に入ってから、すぐに春彦と友達になった。あいつはまあ、ああいう性格だから誰からも好かれていたが、俺たちが一番の仲良しだった。その理由を本人は『なんていうかな~フィーリング?みたいな?』と馬鹿丸出しに解説している。ボケが二人に倍加したのでツッコミの俺は多忙を極めた。

中学に入学して統矢と出会った。奴はクールで無口、いつも我関せずのスタイルだったので、入学当初は難しい思春期の女心に非常に好評だった。しかし誰彼構わず毒を吐き散らす口癖の悪さは当時から健在で、アタックするものは尽く玉砕。触るもの皆傷付ける統矢の姿勢はクラスから瞬時に浮いた、いや飛んだ。それでも前述の通り『我関せず』なので、彼は孤立無援も臨むところの唯我独尊。クラスと統矢の溝はますます深まっていった。

No.11 08/07/19 18:26
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫9🏫



まあ、統矢は最初はそんな感じで、近寄り難い存在だったことは俺にも同じだ。

話は変わるが、一年の時の俺たちの担任は新任の女性教師だった。酷く心配症なところがある人で、統矢の確執に随分頭を悩ませていたらしい。

そこで……何故か俺に白羽の矢が立ってしまったのだ。不本意な事に彼女には俺がクラスのまとめ役のように映っていたようだ。

「彼、ちょっと浮いちゃってるでしょう?……確かに一人が好きってコもいるけどね、でもやっぱりそういうのって良くないでしょ、学校って社会性を養うところでもあるからね、そうでしょ、夏目君?」
「はあ……まあ、そうかもしれないですね」と俺は職員室の、先生の机の横で曖昧に同意していた。
「自分ではこう……弱いところを見せられないっていうか、ほら、そんなコいるでしょ?やっぱり彼も本当はみんなと仲良くしたいんだと私は思うのね」
「はあ、なるほど」
何やら雲行きが怪しくなってきた。
「それでね、夏目君だから頼むんだけど……周防君と仲良くしてあげてくれないかな?ほら!キミと仲良くなればみんなとも打ち解けられそうだし!」
無理難題が登場した。

No.12 08/07/19 20:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫10🏫



俺に対する先生の評価は明らかに過大だった。
正直に言うと俺は人付き合いは苦手な方だ。友達だって多くはない。
クラスの中心は春彦に他ならなかった。それに俺がツッコむ、一同笑……その過程を俺が人気者だと勘違いしたらしい。
その俺に統矢の相手をしろ、と先生は言うのだ。

不毛、果てしなく不毛だ。

しかし、俺は「無理ッス」とは言いたくなかった。先生を悲しませたくなかったし、良いところも見せたかった。理由は……若かったからだ。それ以外に言いよう無し。

ということで、俺は何とかして統矢との友情を育み、しかるのちにクラス全体の融和を図ることになった。
とはいっても統矢の毒舌魔城は難攻不落、俺のような健全な感性を持った一般人が粉骨砕身の意気で臨んだところで、骨が粉と化し、身が砕けるのは明らかだ。
なにせこの頃が一番口が悪かった。今なんて大人になったというか……だいぶ丸くなった方だ。中一の頃は相手の気持ちなど無視の極みであったから、気に入らなければ本当に、容赦なく精神を攻撃してしまう。
そこで、俺は奇策を弄した。あえて正反対の春彦をぶつけてみることにしたのだ。

No.13 08/07/20 13:46
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🏫11🏫



それで適当に統矢と春彦を引き合わせてみたところ……存外にうまくいってしまった。
春彦と統矢の相性は奇跡的だった。というのも春彦は本物のバカなので統矢は毒を吐き放題、しかも春彦はバカの上に異常にポジティブという救いようの無い性質を有していたので、統矢の毒舌嫌味を一切気にしなかった。というかむしろ一種の愛情表現として受け取っていた感があるくらいだ。
統矢曰く「こういうタイプは初めて」だったらしい。今まで適当に喋ると全員逃げてしまったが、春彦は別だった。というわけだ。
そうしてめでたく春彦は、統矢からオモシロイ奴として認定された。
しかも都合の良いことに、統矢の春彦への嫌味は絶妙のツッコミっぽく見えた。実は当事者でなければ、統矢の嫌味は語彙が豊かでユーモアに溢れた、『聞いててけっこうオモシロイもの』だったのだ。
そこからなんだかんだの紆余曲折があり、結局統矢はクラスに完全に溶け込めた。先生の予測はあながち間違いでもなかった、ということか。
春彦つながりで俺たち三人ともだんだん仲が良くなり、中三の頭ごろには四人でつるむようになったとさ。

という感じだ。

No.14 08/07/21 14:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission   



こんにちは、作者のI'keyです。今回は章立てして話を進めます。そこで、章間にこういう形であらすじの紹介とか無駄話とかをやってみようと思っています。

第一回は過去作紹介と本作のテーマです。

本作は「誰も見ない月」、「百丁のコルト」に続く三作目となっております。
誰も見ない月はいじめがテーマで、死んでしまった親友をめぐる短編小説です。恐らく雑談の過去ログに眠っています。
百丁のコルトは殺人ゲームに参加させられる大学生の視点を通して、生と死を主軸に巨大な陰謀と謎解きを描いた中編小説になっています。まだ携帯小説スレにあると思います。


基本話が暗い……のです。これは陰気で良くない。


それで、明るい人の死なない話を書こう。と思ったのが本作になっています。テーマは「恋愛」ですね。
それに合わせて文体もライトノベル風にシフトしている……つもりなんですがうまくいってますか?
こういう軽い文章は嫌いだよ!という読者の方もなんとか読んで頂けたらな、と思っています。
感想等もお待ちしております。苦言歓迎です。

I'keyでした。

No.15 08/07/21 16:36
0311 ( ♂ 9L2Ch )

書き慣れてる感じですね…。表現が巧くて面白いです。ただ初めの方は、少し、凝りすぎてる気がしました…あっ、いや、気にしないでください……。更新楽しみにしてます。

No.16 08/07/21 18:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

>> 15 0311さんはじめまして。
御指摘ありがとうございます。
凝りすぎている、ですか……さっき読み返してみましたが、確かにうざったい感じがありますね。
スタートだからとちょっと力が入り過ぎたみたいです。

また何かお気付きでしたら、遠慮無く教えてください。凄く参考になります。
面白い小説が書けるよう精進しますので、今後ともよろしくお願いします。

I'keyでした。

No.17 08/08/01 00:24
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

更新遅れて申し訳ありません。
テストとレポートに追われていました。まだ軽く追い回されているんですが……
でもなんとか最大の山は越え、試験も一段落しましたので更新を再開したいと思います。

No.18 08/08/01 00:51
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter2――



ふっと、水面から顔を上げるような心地がして、私は目を覚ました。
そういうのは悪い気分じゃない。ただ未練が無いだけだ。
カーテンを開けて、その日の空を少し眺める。私の日課のようなものだ。
空には夏特有の、立体的な高さがあった。雲は一つも見当たらず、澄んだ青色だけが寝起きの瞳に眩しく映る。
ん?……青より蒼かな?……それとも水色?
私はこんな風に、その日の空を表す色を考える。……どうやら普通の色ではしっくりこない。
「うーん……浅葱?」
少し考えてみて、古典の色に候補を見つけた。
浅葱色……透き通っていて、淡く、水色に近いような、それでいて純粋でない濁りのある色だ。
うん、悪くない。
色合いも、「アサギ」という語感もなかなか今日の天気と相性がいい。
今日の空は浅葱色。決定。
よし、と一人で頷いてから、私はやっと時計を見た。
6:00
私は軽く溜め息をついた。目覚ましもかけず、毎朝きっちり六時というのも少し奇妙ではある。堕落した母の遺伝子を受け継いでいるのなら尚更だ。
私は無意識にパンクチャルだ。
とにかくいつも通り、ちゃんと朝は始まっているらしい。

No.19 08/08/01 01:15
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀1☀



私は部屋を出て、一階に降りた。
母はまだ起きていない。というかさっき寝たところだろう。
母は作家を生業としている。文学に生きる者として、それなりに健全な人格であって欲しいと私は常々思っているのだが、どうも母は堕落の星の下に生まれたらしい。
いたずらに締め切りに追われ、いざとなれば二晩三晩は平気で寝ずの強行執筆、原稿が上がれば丸一日寝っぱなしという不健康極まりない生活スタイルを常としている。
その上、現状を打開するために計画的に書こうとはしない。今を面倒臭がって、未来を余計に面倒臭くしてしまう、非建設的思考が母には染み付いているのだ。
しかし、そんな風にして書いた作品でも、母の小説は何故か面白い。独特の空気とか、あるいは見えない思想みたいなものがある。そういう抽象的な性質を付与するのはなかなか難しいことだと私は思っている。
だから母の作品のファンは多いし、恥ずかしながら私もその一人だ。
自堕落で良い作品が書けるならそれでいいし、下手に生活を矯正して、書けなくなったら私は悲しい。
だから私は母には何も言わない。今日は丸一日、ぐっすり寝ればいいのだ。

No.20 08/08/02 18:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀2☀



朝食は必ず取るようにしている。
トースト、スクランブルエッグ、それとサラダ。母の分を作っておこうかと思ったがやめた。どうせ夕方まで起きないだろう。

登校準備も早々に、私は『書庫』と呼んでいる部屋に入った。今日読む文庫を選ぶのだ。友達は皆、化粧やら髪型やらに随分時間をかけるらしいけれど、私にとってはこっちが大事だ。
書庫には、母と共用の巨大なラックが五台ある。そこに本がぎっちり詰まっている。入らない分は下積みになっていて、この分では近日六台目が入りそうだ。
いい作品を書くのに、いい本を読むことは欠かせない。一日最低一冊は読むように心掛けている。
私は背表紙を吟味する。リアルタイムで母が補強しているから、先月出版の本もある。
内容も大切だ。出来るだけ片寄りなく、いろんな本を読む。純文学、中間小説、エンタメ、恋愛、SF、ファンタジー、ジュブナイル、外国文学、古典……あまり得意ではないが、ライトノベルやケータイ小説にもそれなりに目は通している。
新しいのは勿論、一度読んだ本を選ぶこともある。
10分ほど悩んで、私は村上春木の『ノルウェイの森』を取った。

No.21 08/08/03 00:12
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀3☀



私は鞄を手に家を出た。陽光が白い手を伸ばして、私の髪を撫でた。
住宅街の緑は光を受けて、鏡面の輝きを湛えている。夏は暑くて苦手だけど、生命が一番輝く季節だ。
私は少し早足にバス停を目指した。別に急いでいるわけじゃない。なんか柄にもなく気持ちが弾んでいる。

今年の夏は、どうもいい作品が書けそうな気がする。

バス停で5分待って、定刻に来たバスに乗る。バスは姉妹都市を宣伝するカラーリングになっている。
乗り込むと、冷房に晒された空気が肌を打った。バスは、立ち客がいない程には空いている。
席に座って、おもむろに外を眺めると「発車します」という控え目なアナウンスと共に、ゆっくりと風景が動き出した。
私はただ、何をするでもなく流線の景色を見ていた。途中で少しずつ乗客が増え、少しずつ乗客が減った。
バスは退屈だ。
私はバスで本を読むことはしない。そういう行為は本が可哀想だし、自分のためにも良くない。本には読まれるべき時と場所があるし、読むべき時と場所がある。
少なくともここはそうじゃないはずだ。
だから私は、ただ静かに学校に到着するのを待つことにしている。

No.22 08/08/05 20:22
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀4☀



バスの窓から校舎が見えた。
東桜学院高校。
数多の名門大学に卒業生を輩出する、誰もが憧れるエリート私立高……
だったのは今はもう昔の話。少子化の波に揉まれ、生徒数は減少、学力は低下。現在では一介の中堅進学校に甘んじている。
でも、私は今の東桜の方が好きだ。
私は目前に広がった坂の頂点に鎮座する、その校舎を見た。
高い時計塔を頂く校舎。確か、70年くらい前に建て替えられたものだ。それを今でも使っている。
この町は、もともと大きくなだらかな山だった。その山頂に当たる場所に学校が立っている。時計塔はその中心で、天を貫く。その姿はまるで過去の栄光を誇るようで、それでいて一切衰えず、プライドを捨てず、まるで落日の王国を治める、最期の賢王のような……

……失言だ。口に出してはいないが。これではこの学校が廃校になってしまうようだ。落日の王国とは言い過ぎた。
とにかく、私はこの学校が好きだ。特に、坂を登るバスから見る時計塔が好きだ。この景色だけはバスに乗る利点だ。
雄々しく、誇り高い立ち姿。私は小説を書く時、登場する学校はここをモデルにすることにしている。

No.23 08/08/06 16:58
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀5☀



無人の教室が、私を出迎えた。
7:40
あと20分から30分くらいは私の貸し切りだ。
外からは運動部の活気ある声が響く。朝練だ。眺めると、グラウンドでは野球部とサッカー部が、テニスコートには男女テニス部が熱心に練習している。
こういう様子は、いい。文章にしたくなる。
……駄目だ。今はそういう時間じゃない。
私は視線を移した。
私の机は窓際だ。座ると、陽光が机上にくっきりとラインを引いた。
光と影、斜めに区切られた国境に、私は本を広げる。
『ノルウェイの森』
村上春樹の長編小説。読むのは二回目だ。

第一章
「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。……」

私は、村上春樹は一応凄い作家だと思っている。
別に、面白いからじゃない。作品の完成度から言うなら、私好みじゃない。不完全過ぎる。勿論、それは予定調和的な不完全なんだけど……
私が凄いと思うのは、真似出来ないからだ。習作を書けない。彼の作品を模倣しようとすると、酷いことになる。
絵画に例えるなら、どうしても同じ色を出せない赤……みたいな。
私は暫く、彼の空間に取り込まれる。

No.24 08/08/06 19:05
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀6☀



ん……今何時?
少しのめり込み過ぎたらしい。
ふと、私は振り向いてみる。案の定だ。
右斜め後ろに、一人の男子生徒が本を読んでいる。
周防統矢だ。私の次は、だいたいは彼だ。
私の視線に気付くと、彼は顔を上げた。
「おはよう、一ノ瀬さん。今日も早いね」
彼はちょうどいい微笑を浮かべてそう言った。
「……いつからいたの?」
「10分前くらいかな。一ノ瀬さんって、本読んでると全然回り見えないでしょ?いくら熱中するからって、人が入ってくるのに気付かないのはどうかな?もし俺が変態だったら、後ろから襲われてるかも」
「周防君は変態なの?」と私は訊いてみた。
「残念ながら俺は紳士だ」と彼は残念そうに言った。
「じゃあ、残念ながら問題ないんじゃない?」
「俺ならね。例えば公園で本を読んでたら、近くに誰がいるかわからない」
「私は読むべき場所でしか、本は読まないもの」
「公園やら何やら、そういう所は読むべき場所じゃないんだ?」
「そう。だから大丈夫……周防君が変態じゃなければね」
「さすがに、未来の作家先生には敵わないな」
「嫌味のつもり?」
「それは勿論、嫌味だ」

No.25 08/08/07 14:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀7☀



「周防君の言うところの作家にはならない。私は小説をお金にすることに興味が無いの」
「君のお母さんとは違って?」
「私の母とは違って」
周防はくすりと笑ってみせた。
「知ってるよ。だから嫌味なんだ」
「だから嫌味なの?」
「そう」
周防は立ち上がり、綺麗な姿勢で私の隣まで歩み寄った。
「何、読んでるの?」
「これ?『ノルウェイの森』……」
「うん、それは良かった」
「良かった?どうして?」
「俺も読んだことがある。共通の話題ができた」
「それがなんでいいの?」
「朝二人で、しかも無言じゃ気まずくないか?」
「……別に」
「俺は気まずいんだよ。だから良かった」
「……そう」
周防は、なんか高校生らしくない。だからって大人っぽいわけでも、多分ない。
私に……似ている?
少しばかり、興味深い。次の作品に出そうか?
「ところで、面白い?それ」
周防が私の手にした文庫を指さして言った。
「面白い……わけじゃない。けど勉強になる」と私は正直な感想を述べた。
「そう。俺は面白かったけどな」
「どうして?」
「不完全だから。完全なら、それは小説の域を出ないだろ?」

No.26 08/08/07 15:58
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀8☀



完全じゃ、小説の域を出ない。周防の言うことは正しいと思う。現実じゃ、全ての謎が鮮明に解かれ丸く収まる、なんてことはない。
完全……それは予定調和だ。作家の予定であると、作品はただの幻想だと示してしまう。
だけど、私はそれでいい。
小説は幻想。夢を見るだけ。現実になんかなれっこない。
ピノキオとは、違うんだから。
夢を見る、なんて言っておいて、私には欠片も夢が無い。

「周防君は何を読んでいるの?」
私がそう訊くと、彼は文庫の表紙を見せた。
『伊豆の踊子』
川端康成の作品だ。筋は単調だけれど、人物の心理、特に情景に反映されたそれが美しい作品だ。情緒ある日本文学の代表。
「今度の文化祭の二年生公演、これをオリジナルに脚本してやろうと思ってるんだ」
うちの演劇部はレベルが高い。部員も多いから、文化祭では一学年ずつ独自に上演する。
「一ノ瀬さんみたいな人に脚本してもらえると助かるんだけどね」
「私は小説しか書かない。シナリオはお門違いね」
「冷たいな」
「できないことはやらない主義なの」
「まあいいよ、別の人に頼んであるから」
「……誰?」
「君の上司」

No.27 08/08/07 19:16
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀9☀



私の上司……?
「まさか……橘部長?」
「正解。そのまさか」
あの橘部長に物を頼みに行くとは、しかも承諾させた?
いったいどんな手を使ったのか。
「よく、あの偏屈自称天才女にうんと言わせたわね」
「ああ。確かに東桜の魔女の噂に違わぬ怪人物だった。何か変な呪文唱えてたし」
「というか、まずどうやって会ったの?」
部長には一般人では会うことすら容易ではない。学校には来たり来なかったりだし、運良く学校にいても教室にはいたりいなかったりだし、部室も同様だし、面倒になるとすぐ逃げるし、いつのまにか消えるし、かと思ったらいるし……仙人みたいな人なのだ。
「楠木さんに手伝ってもらった」
それで納得がいった。楠木なぎさは私の同級生。同じ文藝部に所属する、自称橘柑奈研究家だ。彼女ならある程度は橘部長の動きを把握しているだろう。
「それで、どうやって脚本の話を通したの?」
「紆余曲折の末に」
「……そう」
別に追求する必要は無い。いる時に本人に訊けばいい。
「それにしても、文藝部は凄いな。変人だらけの魔の異次元みたいだった」
「それも嫌味?」
「いや、率直な感想だ」

No.28 08/08/10 03:01
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀10☀



生徒の登校する様子は、津波に似ている。
始めは穏やか。ぽつぽつ生徒はやって来る。静かなものだ。
しかしそれは5分前になると、突如として廊下に溢れだす。いきなり来る。それも大量に来る。
一般生徒の朝は、遅刻5分前に集約される。皆、競うように出来るだけ遅く来る。チキンレースだ。だから制限時間が迫るにつれ、ますます生徒の波は荒れ狂う。
そして、担任の登場とともに途端に凪に戻るのだ。
今日の朝もだいたいはそんな感じだった。いつも通り、日常。
間違い探しをするなら、熱を出した唐澤先生の代わりに遠藤先生が来た。その一点だけだ。
タイムリミット……直前。
遅刻寸前で三人組が滑り込んで来た。
これも、いつもではなくても発生頻度は高い事象だ。
風間廉矢は自分の時計を指さして、セーフであることを高らかに宣言している。
だが、相手は体育会系まっしぐらの遠藤だ。そんな言い分は通用しない。
その遠藤にいちゃもんをつけてるのは坂のヌシこと風間春彦だ。無駄、というより逆効果の努力だ。
神崎朱音はその隣で溜め息をついている。心中お察しする。
まあ、彼等三人組もいつも通り。日常。

No.29 08/08/10 23:25
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

>> 28 ☀10☀の訂正



すいません。キャラクターの名前を間違えました。
風間廉矢➡夏目廉矢
です。
読者の皆様。失礼致しました。訂正し、お詫びします。

No.30 08/08/10 23:56
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀11☀



生きた人間でなければ、生きたキャラクターにはならない。
職業作家の母の言い分。だが、もっともだ。
だから私は学校でも人間観察を欠かさない。それを小説に写す。そうすれば彼等が勝手に小説を成立させてくれる。書き手はそれを適切に文章に変換するだけでいい。
人間観察は小説を書き始めた中学生の頃からの癖だ。もう染み付いてしまって、体から抜けない。

私は周防を加えて四人になったグループを見やった。彼等は面白い。夏の新作、主要キャラ候補だ。
夏目廉矢。通称レン。自然と人が集まるタイプだ。私の見立てでは主人公向き。でも無気力でフラフラした側面があるから、主役は案外上手くいかないかもしれない。まだ『候補』だ。
風間春彦。東桜の坂のヌシとか呼ばれて、一部の男子から絶大な人気を誇る。彼は夏目とは逆に、自分で周囲を引っ張るタイプだ。ストーリー進行に彼のような人間は欠かせない。
神崎朱音。スポーツ万能で、男子からの人気も高い健康的美少女、と言ったところか。彼女を出すメリットは別の所にあると私は思っている。だけどまだそれは未確認だ。
最後が周防統矢だ。彼が一番ややこしい。

No.31 08/08/11 02:00
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀12☀



周防統矢。頭脳明晰で、クールで嫌味ったらしい。でも、嫌われてるわけじゃない。むしろ好かれている。しかし彼本人は周囲に透明な悪意を持っているように思える。
しかしその矛盾を本人は内包しているようで、扱いきれていないようで……多面的でアンバランス。
でも、傍目にはきっちり整っている。
言葉にしようとすると、こんがらがる。周防は上手く生かせば、一番魅力的なキャラクターになるかもしれない。
私は彼等四人を見て、そんな事を考えていた。
「舞衣。何見てんの?……周防君?」
葛城優菜が私の視線を盗み見ていたらしい。
「舞衣は周防君がタイプなの?私ちょっとわかるかも」
「何で?」
「何で……?うーん、何でだろうねぇ?なんとなく、人と違う感じがするからかな。あんまり話したことないからわかんないけど」
「そう」
「じゃあ、なんで舞衣は周防君がタイプなの?」
「不思議な人格だから」
優菜は溜め息をついた。
「もしかして小説の話?」
私は黙っている。
「そうやって小道具みたいに人を見るのは、舞衣の悪癖だよねぇ……高校生らしく恋でもしたら?少しは人の見方も変わるかもよ?」

No.32 08/08/12 21:04
澪 ( 20代 ♀ ZnPK )

☆ I' Keyさんへ☆

“集い”から、早速やって来ました😊


学園love💕story😻
それぞれの感情や恋愛感だけじゃなく、対人面での気持ちとかも伝わります。
(b^-゜)

続きを、楽しみにしてますね☆

No.33 08/08/12 22:51
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

>> 32 澪さんありがとうございます。
今回はわかりやすさ、面白さを重視して書いていこうと思ってます。
『百丁のコルト』のような複雑なストーリー展開は封印して、キャラクターで楽しませるような作品にできたらいいなと考えています。

でも、難しいですね……ストーリーにばっか凝っていたので、キャラの立て方がわからない💦
でも、なんとか頑張って、少しでもいい作品にしたいですね。

No.34 08/08/13 00:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀13☀



私はその日、優菜の言葉と新作の構想を天秤にかけていた。おかげで、あっという間に授業は終わり、内容はほとんど覚えていなかった。
昼食に何を食べたか、そもそも食べたかどうかすら怪しいほど記憶が不明瞭だ。
これも悪い癖だ。一つの事しか思考出来ない。私の脳はそれほど器用じゃない。

優菜の言うことはわかる。確かに私は、人をまず小説の材料として見てしまう。それは良くないことかもしれない。
でも第一、彼女の言う恋愛だって私には小説を飾る手段の一つに過ぎないのだ。自分がその当事者になるなんて、考えたこともないし考えるつもりもない。

私は……おかしいんだろうか?

ふと、暗い不安がよぎった。
私は恋をしないんじゃない。出来ないのかもしれない。それを知りたくないから、逃げているだけなのかもしれない。
本当は小説だって、無意識の内に逃げ込んだシェルターなのかもしれない。不確定な現実が怖いから、確定的な世界を自分独りで作って、その中だけを見て喜んでいるのかもしれない。

『かもしれない』ばかり……杞憂だ。
部室に行く気分じゃなかった。私はそういう時、図書室に向かう。

No.35 08/08/13 22:41
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

☀14☀



私は教室の掃除当番だった。いつもと同じ、怠惰な作業だ。
私はゴミ捨てに行く人を決めるジャンケンに一人負けした。

ゴミ捨てを終えて、私は図書室に向かう。図書室は第一と第二があって、私は旧校舎の第一図書室に行く。
第一図書室に来る人は少ない。新書は新校舎の第二図書室に入るし、設備も良い。本も、第二に入らなくなった古いものしか無い。昔の図書室だから造りが古い。何やら幽霊が出るとかいう物騒な噂まである。
おかげでその日も誰も居なかった。……一人を除いて。
「ん……?舞衣ちゃんかな?」とカウンターから彼は顔を上げた。
「日下部先生……あっちに居なくていいんですか?あと舞衣ちゃんって呼ぶの、いい加減にやめてください」
「つれないなぁ。第二図書室は委員のコに任せてきたからヘーキだよ。彼女ら、俺より優秀だもん」
司書教諭の日下部卓弥は平気でそんな事を言う。
「先生は何してるんですか?」
「俺?幽霊に会いに来たの」
先生はデロデローと言いながら幽霊の真似をしている。
「またサボりですか?」
「まあね。邪魔しないから、気にせずどうぞ」
私は椅子に座り、本を開いた。

No.36 08/08/13 23:26
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



はい。Chapter2はここでおしまいです。インターミッション第二回は物語の進めかたの話です。

お気付きかと思いますがChapter1では『俺』、Chapter2では『私』と視点がシフトしています。本作は二人の視点が章単位で交代して進んでいきます。
それで……過度に説明するのは良くないんですが、もし勘違いなさっていると読んでいて「ん?」となるので説明しておきます。
Chapter1とChapter2は同じ日を二人の視点で描いています。
Chapter1で俺(夏目廉矢)が遅刻ギリギリで来ます。あのシーンをChapter2で私(一ノ瀬舞衣)が見ている。ということです。
勘の良い方は次の展開が読めたかもしれませんね。

ついでに、ここまでの主な登場人物の名前の読み方も紹介しておきます。

夏目廉矢 (ナツメレンヤ)
神崎朱音 (カンザキアカネ)
風間春彦 (カザマハルヒコ)
周防統矢 (スオウトウヤ)
一ノ瀬舞衣(イチノセマイ)
橘柑奈  (タチバナカンナ)
楠木なぎさ(クスノキナギサ)
葛城優菜 (カツラギユウナ)
日下部卓弥(クサカベタクヤ)

No.37 08/08/17 01:01
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter3――



「あーあ。何で唐澤の代打が遠藤なんだよ……ついてねえなあ」
自転車を押しながら春彦が愚痴った。
俺、春彦、朱音の三人は朝留め損なった自転車の置き場を求めて、駐輪場を徘徊しているのだった。
「ついてないのはアタシたちでしょ!?……ハルヒコが変なこと言わなきゃ遠藤得意の奉仕活動は無かったかもしんないのにさ~」
朱音が春彦に冷たい視線を向けている。春彦はしゅんとして、うつ向いてしまった。
「朱音もあんまり春彦ばっか責めんなよ。起きたことは仕方ない」
朱音は思ったより怒っていたらしく、食い下がってくる。
「だってレン、ハルヒコがバカな事言わなきゃ……」
「罰は無かったか?」
「う、それは~……」
「春彦が言わなかったら罰が無かったとは限らない。それに遅刻ギリで来たのは事実だし、それは俺たち三人の責任だ」
「……」
「だからこの話は終わり。いいだろ、朱音?」
朱音はまだ少しむくれている。でも、ちゃんと言えばわかってくれる奴だ。
「レンは優しいな~、トウヤにも見習って欲しいよ。あと遠藤にもね」と春彦の声。
俺は素早く春彦の頭を小突いた。
「お前も調子乗んな」

No.38 08/08/19 01:21
アル『日 ( 30代 ♂ ycvN )

I'keyさん、こんばんは
(^O^)/

なかなか、チャプターごとに視点が違うのは面白い😚
同じ場面でも登場人物がこの時こんな考えをしていたんだとその人の考えが読者サイドに手に取るように分かる😊
「誰も見ない月」
「百丁のコルト」
とは、また違った物語を紡ぎ出すのは凄いことだと思います😲
強いて言うなら、今回の出だしは慣れない恋愛もののせいか、ちょっと固い感じがしましたが、そこはI'keyさんいつの間にか自分の味付けに戻ってグイグイと物語の世界に引き込まれました😚
これからの展開楽しみです。
大学のレポートに携帯小説と大変でしょうが頑張って下さい。応援しよるばい💪😤ムハッ💨
長文失礼🙇💦
では、集いにて…👋😁
アル🍺

No.39 08/08/19 10:50
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

>> 38 アルさん、感想ありがとうございます。

今回は短篇で、と考えていたんですが……早速長くなりそうな予感がしてます。

出だしは確かに……💧ちょっとやりすぎたかもしれません。気負い過ぎた感じですね。
というのも、今回は冒頭とラストしか決めてません。で、プロローグはラストの伏線になってて……あとはご想像にお任せします😊

『百丁のコルト』も冒頭が横断歩道のシーンで、ラストも横断歩道の似たようなシーンになってて……実は冒頭➡ラストの伏線エンディングになってる(アルさん気付いてました❓)んですけど、これは狙いじゃなくて思いつきだったんですね。どうせなら被せるか❗って感じのタダのノリなんです。
それで、今回は冒頭➡ラストを最初から狙ってみようかと。どうなるかはお楽しみ……です。

長文に長文で返答、これまた失礼しました。

P.S.
集いにも、またお邪魔させていただきます。

No.40 08/08/19 16:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠1♠



「よし。ここに留めんぞ」
俺たちは辺境地帯にやっとスペースを見つけた。
「レン、早く戻ろ~。授業始まっちゃうよ」
あと5分で一時間目の授業が始まる。校舎の影にあった太陽がいつの間にか顔を出し、白い光を俺たちに投げ掛けた。日に当たる旧校舎の窓がさっと色を変える。
「よし、行くか」
「ちょっと待った!」
突然、背後からすっとんきょうな春彦の声。
「何だよ、春彦」
「なあ、レン、アカネ……ジャンケンしねえ?」
「はあ?」
朱音は怪訝な目で春彦を見た。
「はい!最初はグー……」
「ちょっと待て!」
俺はたまらず口を挟む。
「どしたの、レン?」
「何でジャンケンだよ?」
「そりゃあ、遠藤のイケニエを決めるためだろ……わざわざ三人行かなくても、一人で充分っしょ」
「じゃあハルヒコが行ってよ。ハルヒコのせいで……」
春彦はビシっと待ったをかける。
「違う、俺のせいじゃないぞ!さっき三人の連帯責任ってことになったじゃないか!」
「俺はそういう意味で言ったんじゃ……」
「なんだよ?レンまで俺一人の責任にするのか。するのか!しちゃうのか!」
春彦は一向に退かない。

No.41 08/08/20 23:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠2♠



駄目だ。もう駄目だ。
春彦は意外な所で頑固だ。あまり自分から主張はしないが、いざ自分で言ったことはそうそう撤回しない。
こういう時、理詰めで春彦に言ったって無駄なのだ。
「しっかたねえなあ……やるか?ジャンケン」
「アタシはやんないもん!」
朱音は春彦の提案を断固として突っぱねる。
「アカネ逃げんの?……いいよいいよ~。俺とレンでやるから」
春彦が挑発する。朱音が『逃げる』という言葉に弱いことは、春彦でも知っている。
「逃げ……!?やるもん、やればいいんでしょ?どうせハルヒコが負けるんだから」
三人は円になって拳を握った。
「時間無いから一回勝負な?」
「オッケー」
「絶対負けないもん」
「じゃ……最初は……」
三人の手がシンクロして動作する。
「グー!」
声が混じりあって響く。
「ジャンケン……ポン!」
……三者三様、あいこだ。
「……あいこだね」
「……ああ、そうか。そうだな」
朱音と春彦がなぜか思い出したように薄気味悪く笑っている。
「何笑ってんだよお前ら……気持ち悪りーな」
「別に~、早くやろーよ、レン」
「じゃあ、あいこで……ショ!」

No.42 08/08/21 13:29
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠3♠



今度は全員グーを出した。またあいこだ。
「またあいこだな」
「そうだね」
春彦と朱音はまだクスクスと笑っている。
「なんだよ。なんかおかしいか?」
俺はじっと春彦を睨んだ。春彦はニヤニヤしながら、しかもそれを我慢しているから口元が奇妙にひん曲がっていた。
「なんでもないって!なー、アカネ?」
「そうそう、時間無いんだから早くしよーよ」
さっきまでやりたがらなかった朱音まで、なぜか乗り気になっている。
「なーんか、おっかしーな……まあ、いいか」
「あいこで……ショ!」
今度は勝負が決まった。
「……俺かよ」
「よっしゃー!勝った!俺は勝ったぞ!」
春彦の熱い叫びが聞こえた。
「勝った勝った~、じゃあレン、遠藤の相手ヨロシク~」
朱音もさっきまでの不満げな声は何処へやら、春彦と手を叩いて喜んでいる。
「ついてねえなあ」と俺は青い空を見上げて呟いた。
(なあ、気付いてねぇみたいだな)
(ホントだね。もう、トウヤ天才)
俺が嘆息する間に、二人は小声で何か話してまた笑っていた。
「そこ!何話してやがる」
「内緒」
二人は笑うだけで、何も教えてくれなかった。

No.43 08/08/24 18:44
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠4♠



「それは、レン。お前自業自得だ。負けたお前が悪い」
俺が昼飯のパンをかじりながら話した経緯を、統矢はあっさりこう切った。
「でも、何か変な感じだったんだよなあ……いきなりこいつらニヤニヤし出してさ、ジャンケンで笑うっておかしくないか?」
それを聞いたら統矢までクスクスと笑い出してしまった。
「なんでお前まで笑うんだよ」
「いや……お前も意外と単純な奴だなと思ってさ。春彦、朱音。本当だったろ?」
『単純』という言葉が癪に触った。
「単純とは聞き捨てならない」
「いや、お前単純なんだよ。ジャンケンに関しては春彦以上にな」
今度は『春彦』という言葉が癪に触った。
「俺のどこが春彦級だって言うんだ」
「おい!さっきから俺を単純の代名詞みたいに言うな!」と春彦が口からパンの欠片を飛ばしながら突っ込んでくる。
「何を寝惚けたことを。お前は単純の代名詞だ。春彦=単純だ。サル並みだ。あと口から何か飛ばすな」と統矢の強烈な毒舌。
「酷い!むごい!ショックだ!あんまりだ~」と春彦は泣き真似をする。
朱音は小さな弁当箱をつつきながら「それが単純なんだって」とこぼした。

No.44 08/08/26 22:51
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠5♠



俺は苦笑した。これじゃあ、まるで出来の悪いコントだ。しかも俺はその演者であり、観客でもある。だから俺は甚だ歪んで苦笑する。
「お前も笑ってんじゃん……気持ち悪」
そんな統矢の言葉に、俺の笑顔は更に湾曲する。
「レンの笑う顔って……笑える~!」
朱音が堪えきれずにゲラゲラと笑い転げた。屋上で食べていたので、周囲の生徒が何事かと視線を寄せた。バレーの練習をしていた女子生徒はレシーブを失敗した。
「人の笑顔で笑うな!」と一応反撃してみるが、朱音の笑いは一向に収まらない。それどころか春彦に伝染し、辺りは酷い有り様だ。
「ほら、そろそろ笑うの止めろよ。お前らの方がいい笑い者だぞ」
辺りは何だかよくわからないスマイルに包まれた。微笑ましい限りだ。
「それで、俺のどこが春彦並に単純なんだよ」
俺は一気に話を引き戻した。
「ああそうだ。お前のアメーバ並に単純な思考パターンの話をしてたんだっけ」
「なんか酷くなってるぞ」
「多細胞生物が単細胞生物になっただけだ。大したことじゃない」
「人がアメーバになるんだから一大事だろ」
「間違ってるぞ、春彦は人じゃなくサルだ」

No.45 08/08/28 15:11
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠6♠



「じゃあ、俺とジャンケンしてみるか」
俺は言われるままに統矢と10回ジャンケンをした。
俺が三回勝って、統矢が七回勝った。
「よし。わかったか?」
「いや?さっぱり」
統矢はあからさまに大きく溜め息をついて見せた。
「面倒だからって考えんのをやめるな。本当に春彦になっちゃうぞ」
今度は俺が溜め息をついて見せる。
「勿体ぶるなよ。答えがあるんだからお前が教えてくれればいいじゃないか。早いし楽だし建設的だ」
少しして、統矢は口を開いた。
「……お前が勝ったとき、共通点がある」
そう言われて、俺はさっきのジャンケンを反芻した。
「……そういえば、勝った時は最初の一回で決まってるな」
「つまり、最初の一回であいこにならなきゃ、俺は必ず勝てるってことだ」
「……何で?」
「俺の手、覚えてるか?」
「……あいこになると、グーばっかだな」
「レンは一旦あいこになると、無意識にパーを出さなくなるんだよ。だから、あいこになったらグーを出し続ければ絶対勝てる」
「なるほど」
「そんで、それをこの前春彦と朱音にも教えた。だからレンは負けたというわけだ……わかったか?」

No.46 08/08/29 21:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠7♠



俺は負けるべくして負けてしまったのだ。しかも春彦と朱音のコンビに謀られて。
屈辱、恥辱だ。
まさかジャンケンなどという単純なゲームで、自分があんな単純なミスをしているとは思いも寄らなかった。
しかし、何を言っても仕方がない。約束は約束だ。「やっぱり一緒に行こうよ」などとはとても言う気になれない。恥ずかしい。笑われる。明日統矢から確実になじられる。カッコ悪い。

俺は結局、一人遠藤の元へ馳せ参ずることになった。
一階の職員室の扉をノックして、「失礼します」と一声かけて中に入った。
左手にあるデスクに遠藤は座っていた。生意気にパソコンをいじっている。あんな野人みたいななりをして、精密機械を操作出来るのだろうか?
「夏目です。朝の件で出頭しました」
遠藤はクルッと椅子を回して俺を睨んだ。
「何が出頭だ。つまんねえこと言ってんなよ……で、あとの二人は?」
「数学の小テストの点が悪かったらしくて……呼び出し喰らってます」
ここは誤魔化してやる。一応正当に決めたスケープゴートだ。震える子羊にもそれくらいの分別はある。
「まあ、一人でもいいか。じゃ図書室行け」

No.47 08/09/01 00:53
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠8♠



「図書室ですか?」
「ああ。本の整理で男手が欲しいって日下部が言ってたからな、お前行ってこい」
日下部と聞いてすぐには顔が出てこなかった。少しばかり記憶の棚を引っくり返して、やっと思い出した。
確か司書の先生がそんな名前だった気がする。
「早く行け」
遠藤がしっしと追い払う仕草をした。願ってもない、俺は低頭してさっさと下がった。

思えば、俺は腰を据えて本を読んだことがない。読書感想文を書く時ぐらいしか読まなかったし、その本だって選ぶ基準は『薄さ』だった。上下巻などもっての外だ。
だけど、特に活字を嫌う性向が自分にあったという気も無い。読む時はそれなりに楽しんでいた記憶がある。
じゃあ、何で俺は本を読まなかったんだろう?
そんな事を考えている内に、足はしっかり俺を図書室前まで輸送していた。立派な足だ。
図書室の扉は高級感のある木製だった。何の木だろうか。
扉の右隣には新刊入荷リストが貼ってあり、左手にはカラーの十進分類表と、『絵本の世界』とかいうポスターが貼ってある。
ドアを押した所で、自分が本を読まなかった理由が分かった。

面倒だったからだ。

No.48 08/09/02 19:23
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠9♠



図書室は全体に明るさと暖かみのある場所だった。
入ってすぐの所に、新着図書と雑誌を並べた本棚がある。
部屋の中心部に椅子と机があって、それを取り囲むようにナチュラルな木製本棚が配置されていた。いくつか回転式のブックシェルフもあり、そこには主に文庫を納めているようだ。
左手の奥には辞書や古典、歴史書などの分厚い禁帯出の本が並んでいる。その通路は細く薄暗い。蛍光灯はあるが、消えている。人がいる時だけ点けるらしい。
俺は本棚に沿って歩いてみる。入口に近い棚は外国文学のようだ。最初の本棚は、俺にはハリー・ポッターと指輪物語くらいしか分からない。次の棚にはシャーロック・ホームズがあり、少しほっとする。戯曲は主にシェークスピアだ。
少し進むと日本文学になる。最初は漱石や芥川、太宰といった文豪たちの全集が続く。角を曲がった辺りから現代の作家になっている。ノルウェイの森、村上春樹……名前は聞いたことがある気がする。
宮本輝や村上龍なんてのも、やはり名前だけは知っている。
『夜のピクニック』……知ってるような、知らないような。
とまあ、本を見るのもたまには楽しい。

No.49 08/09/03 00:24
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠10♠



その奥には詩集や句集がある。更に奥には評論関係の本が並んでいた。
窓の先に揺らぐ葉を、何気無く俺は目で追った。それは不規則に、静かに音を立てた。
俺はカウンターに足を向けた。そこには見知った顔がある。
「あっ、夏目君。珍しいね、図書室来るなんて」と彼女は微笑んだ。同じクラスの葛城優菜だった。
「葛城って図書委員だっけ?」
「うん、で、何か用?」
俺はそれとなくカウンターの奥を覗いてみるが、葛城以外に人がいる気配はない。
「遠藤に言われて来たんだけど、日下部先生いるかな?」
それを聞くと、葛城は思い出したように笑い出した。
「そっか!朝の遅刻騒動の罰かぁ!」
思いきり言われて気付くが、かなり恥ずかしい。
「でも、あとの二人は?」
「一身上の都合で欠席。俺一人だけど」
彼女は少し考えてから、ぼそっとこう言った。
「……大丈夫かな?」
「俺じゃ頼りない?」
「いやいや、そんな事ないんだけど……」
「けど?」
「けど重いよ?」
そう言うと、葛城はカウンターの中に俺を招き入れた。段ボール三つ。中身は本だ。
「これを旧校舎の第一図書室に運んでほしいんだけど」

No.50 08/09/04 00:38
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠11♠



「第一図書室って、幽霊の?」
第一図書室の鍵が開いている時、中に幽霊がいるというのは最近学内で流行りの噂だった。
「夏目君ってそういうの気にするんだ……なんか意外」
「いや。いるならお目に掛りたいと思って」
俺がそう言うと葛城はくすくすと笑い「そんなのただの噂だから」と言った。
「さて。じゃあ持ってみるか」
段ボール三つ。多分いけるはず。俺だって男だ。自分の腕力を信じてみるだけだ。
三つ重ねて一番下に手を掛ける。腰に力を入れる。
お……重い。かなり重い。
待て。諦めちゃ駄目だ。ギリギリいけるはずだ。そう信じて力を入れると、どうにか持ち上がった。
俺は葛城に向かってニッコリ笑って見せたが、痩せ我慢だというのは火を見るより明らかだ。
「大丈夫?やっぱ私一つ持つよ」
「意外と平気だって。カウンター空けられないだろ?俺一人で大丈夫」
葛城の有り難い申し出を俺は丁重に断る。なぐさみ程度の意地と見栄で。
「そう?……じゃあお願いするね。キツかったら無理せず言ってね。手伝いに行くから」
「大丈夫大丈夫」と言って、俺は見るからに大丈夫でない足取りで図書室を出た。

No.51 08/09/05 21:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠12♠



重かった。ひたすらに重かった。いつになく重い物を持った。
春彦ならひょいひょい運ぶのだろうが、本格的に運動した経験の無い俺にはかなり辛い。
でも、途中で何処かに放り出して帰るわけにもいかない。引き受けたからには、ちゃんとやるのが俺の流儀だ。
階段も簡単には降りられなかった。
まず片足を一つ下に降ろす。箱の横から足元を確認。残った足を降ろした足の隣に移動。
そんなパズルのような手順、いや足順を反復してやっとのことで一階まで降りた。
「駄目だ……一旦休憩」
誰に言うでもなくそう呟くと、俺は箱を下ろして階段に座り込んだ。
少し興味が湧いて一番上の箱を開けてみた。
よく分からない分厚い装丁の本が何冊も入っている。試しに一冊開いてみると、そこには漢字の大海原が広がっていた。
……萎えた。
俺は本を戻して大きく息をつくと、荷物と一緒に出立した。
練習中の運動部の視線を適度に集めつつ校内を進む。
休み休み歩いて旧校舎に辿り着いた。尖塔が夕日に朱に染まり、俺の目もその色に染まる。
俺は校舎に入った。
降りる逆の順序で階段を上る。明日の腕は酷いこと間違い無しだ。

No.52 08/09/05 23:07
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠13♠



俺は図書室の前に立った。
『第一図書室』と書かれた薄汚れたプレートが扉の上にあった。
扉は、時間に取り残されたかのような雰囲気がある。
鍵穴なんて、今はどこでも見ないような古臭さで……
「……鍵?」
そうだ。鍵を借りてくるのをすっかり忘れていた。
一旦あっちの図書室に戻ろうか。そう思考したところで、俺にはそれがたまらなく面倒で馬鹿らしく思えた。
ああ、俺はどうしてこうも面倒臭がりなんだろう。幼少期の反動と言ってしまえばそれまでだが、何か違うと思いたい。そうじゃなきゃカッコ悪い。
今流行りのアイデンティティ?
『面倒臭がり』が自分の証明だなんてもっとカッコ悪い。
「もう、ここに置いて帰ろうかな」
そう思った瞬間、微かに中から物音がした。
体が反射的に縮こまる。
「もしかして……ユーレイ?」
噂は本当だったのか。いや有り得ん。ナンセンス、非科学的だ。
聞く所に拠ると幽霊が居る時は何故か扉の鍵が開いているという。
恐怖より好奇心が勝っていた。
俺は扉に手を掛ける。ゆっくりと横に引く。本当は途中で引っ掛かって欲しかった。でも、それは滑らかにスライドした。

No.53 08/09/07 01:46
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠14♠



本当に、幽霊かと思った。
図書室の中は、映画から切り取ったみたいにノスタルジックで、自分がどこか場違いな所に来てしまったような気分にさせた。
窓が開いていて、柔らかなそよ風が陽光と共に吹き込んで、その空間を満たしていた。
一人の髪の長い女子生徒が座って本を読んでいる。そこには彼女しか居ない。
彼女の髪は風と戯れて揺らぎ、繋がり、そよぐ。そこには心地よい、まるで揺りかごの中に居るかのような、そんな錯覚を呼び覚ますリズムがある。
彼女の視線はただ一点に向かっていて、動じることはない。彼女は彫像の如く不動であり、ただ髪だけが受動的に、あるいは双方向的に踊る。
俺は長いこと、ただ呆然と開け放った扉の前に突っ立って、彼女の動くことの無い精緻な姿を見つめていた。
その時俺の中には、何とも言い表し難い感覚があった。それは今までにない感覚で、それでいてどこか懐かしいものだった。
別に俺は彼女が幽霊でもよかった。でも、結果として彼女は幽霊ではなかった。
何故なら、彼女は俺のことを知っていたから。
彼女の顔がふと上向く。
視線の交差。
彼女の声。
「ん……夏目君?」

No.54 08/09/10 00:06
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠15♠



彼女は確かに『夏目』と発音した。彼女は俺を知っている。
それなのに、俺は彼女を知らない。
「ごめん、俺、君と会ったことあるかな?」と無礼を承知で訊いてみた。
彼女はくすくすと小さい声で笑い「毎日会ってるじゃない」と話す。
彼女は手元にあった眼鏡に手をすると「ほら、これで分かる?」と言って掛けてみせた。
驚いた。顔が全然違う。というか眼鏡を掛けてもすぐには思い出せなかった。それくらい俺と彼女には接点が無かった。俺の中で彼女は微小な存在だった。
彼女は同じクラスだったのだ。
「……もしかして、一ノ瀬さん?」
「そう。私は一ノ瀬舞衣」
「って、ええ!?顔が全然……違う」と俺は思わず声を大きくしてしまう。それくらい顔が違う。
眼鏡を掛けている時は目が小さく見えて、地味な印象が強い。しかし眼鏡を外した途端に彼女の目は大きく、明るく見える。二重まぶたの線が普段は眼鏡の縁に重なってしまっているらしい。顔全体も華やいでバランスが良くなり、長く綺麗な髪がよく似合う。
「そうなの。度が強すぎて顔の印象がだいぶ変わっちゃうみたいなんだけど」と一ノ瀬は眼鏡を取って拭く。

No.55 08/09/11 03:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠16♠



コンタクトにした方がいいよ。
そう言いかけて俺は口を噤んだ。なんだか言わない方が良い気がした。何故だかは分からないけど。
俺が黙っていると、一ノ瀬は眼鏡を掛け直して言った。
「でも、どうでもいいの。外見なんて」
「眼鏡の話?」
「概念の話。外見なんて何でも良いの。ヒトでもサルでもミトコンドリアでも……大事なのは中に何が書いてあるか、装丁が本質を象徴するわけじゃない。それはまた別の話。違う?」
俺は何も答えずに、一ノ瀬の不思議な色を浮かべた瞳を見ていた。その色は無言の時の中で刻々と変化する。
不意に、彼女が音を立てて文庫本を閉じた。
「ねえ、夏目君は本を読む?」
「時々は」と俺は軽い嘘をつく。
「好きな作品はある?」
失策だ。作品名なんて全然覚えてない。
諦めかけた所で、一つの光明が射した。奇跡的に一つだけ頭の隅に残っていたのだ。
「『夏の庭』とか……かな」と俺は恐る恐る口にした。間違ってないか不安だった。中学の時読書感想文に使ったやつだ。
「それって湯本香樹実の?」
「そう、それ!」
良かった。間違ってなかったらしい。俺はほっと胸をなで下ろした。

No.56 08/09/13 19:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♠17♠



「人の死が優しい作品は私も好き」
「人の死?」
そう言われて思い出した。『夏の庭』は老人の死を巡る作品だった。
「そう。死は悲しいの。絶対的に悲しい物なの。でもね、人の心は優しい死を創り出せる。人の心から人の心へ優しい死は届けられる。でもそれは空気に触れたら壊れてしまう、プラズマみたいな物質。儚くて強い。だから私は、文字の中に優しい死を閉じ込めたいの……『夏の庭』には、私から見れば優しい死が息づいている」
「……ふうん」
一ノ瀬の言う事の全ては俺には分からない。でもニュアンスは伝わる。つまり、本当は死は優しくないって事は。
一ノ瀬は大切な人を無くした事があるのだろうか。例えば家族とか、親友とか……
恋人とか。
俺は無い。多分無い。
でも、統矢や春彦や朱音が死んでしまったら俺は死という観念を恨むのだろう。
漠然とそんな事を考える。
俺と一ノ瀬の視線が真っ直ぐにぶつかっていた。でもそれは不思議と恥ずかしい感じはしない。
「ねえ、お願いがあるの」
ふと一ノ瀬は口を開いた。
「お願い?」
そして彼女は躊躇うことなくこう言った。
「夏目君、私と付き合って」

No.57 08/09/14 15:30
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter3はここまでです。やっと物語が動き出したという感じでしょうか。
いきなり告白で急展開です。ちょっと無理矢理に見えるかもしれませんが、何の狙いもなくやってるわけではないので是非見捨てずに読んでやって下さい。

今回は作品に登場した本の紹介をしてみようかと思います。
『ノルウェイの森』は言わずと知れた村上春樹の代表作ですね。作中で一ノ瀬と統矢が話すシーンは、だいたい私の感想そのままです。解決しないという作品姿勢が心地よくて、難しい。私なんかは書くとなったら全て解決しないと気が済まない。
『伊豆の踊子』は大学のゼミで扱った作品です。これは凄く綺麗です。人の心も風景も美しい。でも、川端康成は綺麗な中に毒を隠しているんですね。だから美しいだけでなく儚い、逆に言えば儚いからこその美しさがある作品だと思います。
『夏の庭』は小中学生、特に本を読まない人にオススメしたい作品ですね。湯本香樹実の作品です。作品自体は短くて読みやすい、でも携帯小説やライトノベルと違って『面白い』だけじゃない。何かを心に届けてくれる作品です。読書感想文にも最適ですよ。

No.58 08/09/20 17:49
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓1❓



視界の内は動かない。当たり前だ。天井しか見えていないんだから。
もう何十分こうしているか分からないが、俺は部屋のベットに寝っ転がり、ただ天井の一点を見つめていた。
遠い微かな車の音が閉めきった窓から漏れている。それははっきりと捉えられる。

俺はゆっくりと溜め息をついた。
いったい、どこがどうなったらこんな展開になるのか。どう因果を改変したら遠藤の罰から一ノ瀬の告白が生まれるのか。
いくら同級生とは言え俺には一ノ瀬との接点は殆んど存在しない。そんな人物に告白されることが普通あるだろうか?というか初対面に近い状態で告白なんてするだろうか?
でも一ノ瀬は確かに「付き合って」と言った。それは事実だ。
じゃあ何だ?冗談か?
いや、あんな真面目な顔して冗談でしたは有り得ない。
待て待て、こんな話もある。
クラスメイトに呼び出されて告白され、カッコつけて返事をした途端に周囲から他の生徒が出てきて笑いものにされたという……
それと同じ展開か!?
俺騙されてる?
いやいや、どう見ても一ノ瀬はそんな馬鹿な事に参加しそうには無い。
じゃあ……
「やっぱり……本気?」

No.59 08/09/24 02:55
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓2❓



どっちにしても無視するわけにもいかないだろう。何かしら返事はしなくちゃいけない。
となると、また問題が発生する。
そもそも俺は、一ノ瀬が好きなのか、それとも嫌いなのか?
自分の思考に俺は何だか恥ずかしくなった。女が好きか嫌いかを真剣に考えているなんて馬鹿らしいにも程がある。
だけど、それすらも分からないほど、俺と一ノ瀬とは『他人』だということも事実だ。
第一告白の返事って、どんな感じで言えばいいんだ?

中学の時、一年下の女の子と付き合ったことがある。でもその時は、なんか自然と付き合い出して、俺の中学卒業と共にこれまた自然と別れていた。
俺の恋愛経験といったらそれだけだ。だから俺には告白した経験も、告白された経験も無い。
俺は恋愛経験にすれば、ずぶの素人同然だ。
俺はまた大きく溜め息をついた。
明日学校に行ったら、一ノ瀬は俺に話し掛けてくるだろうか。そうしたら、俺はどんな顔で答えればいいんだろうか。俺と一ノ瀬が話すのを、クラスの皆は不審に思うだろうか。
結局俺は、一ノ瀬に何と答えればいいんだろうか。
俺は目を閉じた。とりあえず、寝ることにした。

No.60 08/10/01 01:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓3❓



一ノ瀬には、まるで変わったところが無かった。
その日――つまり『告白』と思しき言葉を一ノ瀬から告げられた翌日――俺と一ノ瀬は一言も言葉を交さなかった。
それは昨日までのスタンダードであり、今日もまたスタンダードで在り続けた事実だ。
俺は肩透かしを食ったような気分に落ちた。まるで昨日の出来事は、リアルもリアルに作った夢なんですよ、と誰かに囁かれたような感じだった。
きっと俺は、何かを聞き違ったんだ。彼女の態度はそう思わせた。
別に、それはそれで良いはずだった。俺はどうしていいか困っていたのだ。それがふたを開けてみれば、いつも通りの元通り。
悩みの種が無くなったのだ。喜んだって悪くない。
だけど、何かこう、どうも引っ掛かるような気もする。一ノ瀬に告白されて別段嬉しかったわけじゃないのに(もちろん、嫌なわけでもないけど)何か……何かが物足りないような気もする。
でも、今一ノ瀬に「返事聞かせて」と言われたら「付き合おう」と答えるかというと、やっぱり少し違う。
じゃあ、俺はいったい何に引っ掛かり、何が物足りなくて、何にこんなにももやもやとしているんだろう?

No.61 08/10/05 16:21
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓4❓



放課後、俺の足は自然と第一図書室に向かっていた。
帰るつもりが……なんなんだろうな。
もし今ここに一ノ瀬がいたら、俺は彼女の告白を断ろうと思っていた。
やっぱり、よく知らない相手と付き合うのは違うと思う。ちゃんと親しくなるステップがあると思う。
一夜でカップルが出来るこのご時世、そういうのって古い考え方かもしれない。別に、ただなんとなく付き合うでも良いのかもしれない。俺がヘタレで臆病なだけかもしれない。
でも、怖かった。たった一言で、赤の他人が統矢や朱音を飛び越して一番隣に来るのが怖かった。俺は俺の日々を信じたかった。
俺は友情を大切にしたい程に子供だったのかもしれない。でもそれでもいい。俺は子供で構わない。
だから、俺は彼女とは付き合わない。

この扉に鍵が掛っていたら、どんなにか気が楽だろうと思う。
俺は手を掛けて力を込める。扉はゆっくりと動き出した。止まることを知らずに。
それはつまり中に誰かがいるということで、多分一ノ瀬だろうと思う。
ゆっくりと視界が開けて俺の視線が定まる。水平にそれを動かしてパノラマに室内を視覚に納めた。
誰もいない。

No.62 08/10/11 18:47
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓5❓



誰もいないけれど、窓が開いていた。そこから吹き込む風は虚しく、一つの努力に熱心なように見えた。
俺は図書室の中を一通り見回してから、適当に席に座った。座ってからそこが一ノ瀬が本を読んでいた席だと気付く。
鍵が開いていたということは、たまたま少し外に出ている『誰か』がここに戻ってくるのかもしれない。
そして『誰か』は、もちろん一ノ瀬かもしれないと思う。

だけどその思考の曲線は結果的に全く無意味なものになってしまった。
そもそも、俺がこの部屋に入った時から人はいたんだから。
「誰かな?」
俺はビクッとして声のしたカウンターの方を振り向いた。
「フム、あまり見ない顔だね」と言うその顔は、俺には覚えの無いものだった。
「あの……勝手に入ってしまって」
「いや、君が謝る必要は無いよ。ここは図書室だ。そもそも生徒は勝手に入るべき場所だし、司書である俺はそう生徒が感じられるよう配慮するべきところだ。もし俺がいたことで君にそういうプレッシャーみたいなものを与えてしまったのなら、俺が謝らなくちゃいけない」
「そんなことは……ないです」と俺は恐る恐る口に出した。

No.63 08/10/12 16:52
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓6❓



「その声……君、昨日舞衣ちゃんに付き合ってって言われてた……」
「え……?なんで知ってるんですか?……」
怪訝な顔をする俺に、彼は多少の焦りを見せた。
「いや、別に盗み聞きしてたわけじゃないんだけど……たまたま、昨日ここにいたもんだからね……ほら」
そう言って彼はカウンターを指差した。
「えーと……」
俺は彼の名前を思い出せずにまごついた。なんとなく、知ってる気はするんだけど……顔と名前が合致しない。
「ああ、俺の名前?日下部卓弥。司書専門の教諭だからね。図書室に出入りする生徒じゃないと分からなくても無理は無い」
「……すいません」
「いや、構わない。俺も君の名前を知らないからね、お互い様だ」
「俺、夏目廉矢です」
「夏目廉矢君か……じゃあレン君だ。レン君はレン君でいいかい?」
「は、はあ……」
なんか調子の狂う人だ。
「ん?嫌だったかな?夏目君と呼んだほうがいいならそうするけど」
そう言うと日下部は少し悲しそうな顔をした。
「いや、別に大丈夫ですよ。皆、俺のことレンって呼んでるんで気になんないです」
「良かった。堅苦しい呼び方は苦手でね」

No.64 08/10/12 20:01
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓7❓



「ところで……日下部先生はいつもここにいるんですか?」
「なあ、レン君。その日下部先生ってのはなんとかならないかな?」
「はい?」
日下部は頭を掻きながら言った。
「堅苦しいのは苦手なんだよ、さっきも言った通り。もっと、こうフレンドリーな呼称にできないかな」
「例えば?」
日下部は少し悩んでから「そうだな~……クサカっち、とか」なんてことを言い出した。
「クサカっち……ですか?」
「そう。クサカっち」
これはちょっと酷い。
「出来れば勘弁願いたいですね」と俺はきっちり断っておく。
「何で?」
「恥ずかしいし、それにかなり古いですよ、それ」
「古い……か。なるほど」と日下部は納得しているようなしてないような微妙な表情を浮かべている。
「日下部さん、とかでどうですか?」と俺は提案した。
「うん。先生が取れるとだいぶ違うね」と日下部は頷いた。
「それで日下部さんはいつもここにいるんですか?」
「うん。ケッコーいるよ」
「ケッコー……ってどれくらい?」
「ケッコーはケッコーだよ……一週間いつもいる時もあるし、全く来ないこともある。でも均せばケッコーだよ」

No.65 08/10/14 21:36
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓8❓



気付いたことがある。
恐らく幽霊騒動の元凶は日下部さんだ。状況が全て一致している。
鍵が開いていたのは日下部さんが中にいたからだ。誰か生徒が入って来てもカウンターの死角の日下部さんには気付かないだろう。そして突然「誰かな?」と声がしたら……
当然生徒はビビって逃げる。
その生徒の話は雪だるまの如く膨れ上がり、図書室の怪談は完成。
俺は一人納得した。
「ニヤニヤして、どうしたの?」
日下部さんの顔が超接近していることに俺は気付かなかった。わっと声を上げて俺は後ずさる。
「日下部さん……近いです。恐いです」
「人の距離感って難しいよね」と日下部さんは笑っている。
「一ノ瀬さんはここに来ましたか?」と俺は尋ねた。
「いや。今日は来てないよ」
日下部さんはカウンターにもたれながら言った。
「彼女もよく来るんですか?」
「というか、ここは俺と舞衣ちゃんくらいしか来ないよ。まあ、来てもなんにも無いしね」
「ふーん、そうなんですか」
「ああ!そうだ!」
またもや日下部さんが急接近してきた。どうやら癖らしい。
「レン君。君が来たら言おうと思ってたことがあるんだ」

No.66 08/10/16 01:04
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓9❓



「レン君はさ、舞衣ちゃんと特別仲が良いわけじゃないでしょ?」
「というか、正直ほとんど話したことも無いですけど」
「やっぱりね」と日下部はウンウンと頷く。
まあ、昨日の会話を聞いていたならそれは察しのつく事だろう。
「舞衣ちゃんはね、言葉には厳密だよ。レン君が思ってるよりね」
「どういう意味ですか?」
「舞衣ちゃんは『付き合って』って言っただけで、レン君を好きだって言ったわけじゃないってことだよ」
さっぱり分からない。一ノ瀬が俺を好きでないとしたら、付き合う意味なんて無いじゃないか。援助交際でもあるまいし。
「じゃあ、なんで一ノ瀬は俺にそんなこと言ったんですか?ただ、誰でもいいから彼氏が欲しかったとか?」
日下部さんはそれにはきっぱりと首を振った。
「それは無いね。舞衣ちゃんはそういうコじゃない」
俺も同じ印象だ。ちょっと話しただけだけど、そういう軽い感じは全然ない。
「じゃあ、なんで好きでもない俺にあんなことを……」
「いや、好きじゃないかもってだけだよ。舞衣ちゃんはレン君が本当に好きなのかも」
「……どっちですか」
「分かんないよ、そんなの」

No.67 08/10/19 11:44
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓10❓



「要するにね」と言って日下部さんは立ち上がる。
「舞衣ちゃんは、まあ、なんというか……普通と違うところがある。俺たちが考えないようなことを考えてることもある。だからもし、舞衣ちゃんが突拍子も無いようなことをやったとしても、多分、それは彼女なりに理由とか、もっと大きく言えば意味のあるものとしてすることだと思うんだ……レン君分かる?」
「なんとなく」
「つまり、舞衣ちゃんのことに関しては、柔軟に考えて欲しいってことなんだよ」
「何で俺にそんなことを?」
少しの間沈黙が部屋を包みこんだ。俺はその無音の霧が晴れるのを、待った。
「初めてだから」
ふと、静かに声が広がる。
日下部さんは真剣な顔で俺を見た。その視線は強く真っ直ぐで、澄んでいて質の違う、例えば『内側』のようなものに思えた。
「初めて……ですか?」
「舞衣ちゃんがさ、男の子に告白するなんて……初めてだから」
つまり、俺が初告白の相手……ということ。ほとんど話したこともない俺が、人生最初の告白の相手。ファースト。
断固として断るつもりだった俺の心の水面に不意に風が吹いて、小さな波が立つのを感じた。

No.68 08/10/22 18:55
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓11❓



「優菜ちゃん、知ってる?」
優菜、葛城優菜だ。第二図書室にいた彼女の、俺と一ノ瀬に接点を作った彼女の顔を俺は思い出す。
「葛城ですか?図書委員の」
「そう。彼女、舞衣ちゃんと仲良いでしょ」
「そうですね」
日下部はゆっくりと言葉を繋いだ。
「中学時代、優菜ちゃんは舞衣ちゃんの……たった一人の友達だったんだって」
俺は黙っている。そうして、自然に日下部さんを促す。
「舞衣ちゃんさ、他人なんて必要ないって、よく言ってたんだって」
似ている……と思った。一ノ瀬は統矢に似ている。
ということは、一ノ瀬が唯一心を開いた葛城は、統矢における春彦にあたるということか。
「それってどう思う?レン君」
「悲しいと思います」
「なんで?」
「俺の親友が……統矢っていうんですけど、昔そんな感じだったんです。人から離れたって大丈夫な奴は大丈夫なんです。多分、一ノ瀬も統矢も他人なんていなくても平気なんですよ。
だけど……統矢は笑うようになったんです、俺たちとつるむようになってから。友達なんていらないかもしれないけど、誰かが近くにいれば、もっともっと笑えると俺は思うんです」

No.69 08/10/26 01:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓12❓



言ってから気付いた。今、俺真面目な顔してスゴい恥ずかしいこと言ったって。
俺は急に居心地が悪くなって、なんとなくうつ向いた。
視線外から、日下部さんの控え目な笑い声が聞こえた。
「レン君ってさ、なんかイイやつだよね」
イイやつ……か。
本当にそうなら良いのに、と俺は思う。そしてまた、日下部さんから視線をそらしてしまう。
「今、俺イイやつなんかじゃない、って思ったでしょ?そうゆうところがまたイイんだよね」と言って日下部さんは俺に背を向ける。
「なんかさ、安心したよ俺。レン君なら舞衣ちゃんと上手くやれそうだもん」
「俺、付き合うって決めたわけじゃ……」と俺は少し慌ててしまう。
「付き合うとかじゃなくてさ、舞衣ちゃんの『イイやつ』になって欲しいってことだよ」
日下部さんの手がドアに触れる。
「俺戻るけど、レン君はまだここにいる?」
「もう少しだけ」
「そう。じゃあこれ」
鈍い光を反射して放物線を描くそれを、俺は両手で受けた。
「第二図書室に返してね」
それきり俺は独りになった。
視線を落とす。
手の中の鍵は、今までに無いほどノスタルジックな色を見せた。

No.70 08/10/26 19:05
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓13❓



影がすうっと延びて、傾いて、そしていつの間にか消える。
時間は速くも遅くもなるって言った学者がいるけど、俺はそうは思わない。
時間は、漂っているようなものだと思う。だから速度なんてない。自分の感覚が捕まえた先に、時がある。
俺はふと、窓の外に手を出してみる。
風。空気の流れ。
常に触れていて、そして触れられないもの。
夜空を流れる風は澄みきっていて、少し冷たい。
空気というレンズを通して見た月は、手を伸ばせば届きそうで、絶対に触れられない。
月明かりに照らされた掌は白く、儚く見えた。一ノ瀬の事が俺の頭をよぎる。
風と月は似ていると俺は思う。一ノ瀬と統矢みたいに。
月光と街の光が交差して、空に微かな蒼を引いていた。それをなぞっていくと、途中で途切れてしまう。月は太陽のように強くはない。朧げで、繊細だ。
俺は、多分分かっていた。今日も必ず、一ノ瀬はここに来るって。
だから月を見ていた。
だから風に触れた。
だから、扉は開いたんだ。
無音の空間に、軋む音と長く延びる光、そして彼女の影。
俺は月に向けた視線をゆっくりと移した。
そこに立つ、一ノ瀬舞衣に。

No.71 08/10/29 18:06
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

❓14❓



一ノ瀬はゆっくりとこちらに歩いて来て、俺の隣に座る。本が読める明るさじゃないから、一ノ瀬はただ座っている。
音の無い空間で、一ノ瀬の横顔は月明かりに複雑な陰影を浮かべていた。それとなく横目で見ると、また話しづらくなってしまう。それゆえ無言。
一ノ瀬はこの状況に別段関心が無いように思えた。ただ、そこにいる、別に目的も無く。そんな風に見える。それが俺には余計に気まずい。
暗がりに二人並んで、単に座っている。言葉も交さずに。
身じろぎもせずに数分の時間が過ぎた頃。
「あのさ、一ノ瀬……昨日のことなんだけど」と俺はやっとの思いで声に出した。
首がスッと傾いて、一ノ瀬の視線の向きが変わる。
馬鹿な話だけど、俺はそこから何と話そうとしたか分からない。
だって一ノ瀬の言葉に遮られた瞬間に、この話題に完全にシャッターが降りてしまったんだから。
「ごめん。私、夏目君とは付き合えない」
……ん?
ちょっと待った!
え?なんでそうなる?
俺の記憶によれば、一ノ瀬が俺に付き合って欲しいって言ったんだよ。とすると……
俺は告白された相手から、なぜか振られてしまったらしい。

No.72 08/11/01 02:13
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter4はここまでです。いや、どんどん長くなっちゃって終わりが見えなくなってきてます。

私的な話なんですが、最近マジメに小説を書いてみようかと思いまして新人賞応募用にまとまった作品を書いています。
ミクルで書いている作品群は見切り発車的に書いたものですし、レスに字数制限もあるので表現も極限まで絞っています。ですからストーリーも文章表現も、満足なものは作れていないのが現状なんです。まあ、これは私の力不足ですから仕方ないんですが……
だから新人賞という目標に向けて私自身初めて『今自分にできる最高』に挑戦しています。制限が掛らないぶん、すごく楽しく書けています。
もちろん『Love Parade』も手を抜かずに頑張っていこうと思ってます。読者の皆様、応援よろしくお願いします。

あと、最近感想スレが増えてますね。私も立てようかな、なんて思ってるんですが、もし一つもレスが来なかったら……と思うと恐くて立てられなかったりしてます。良かったら応援レス下さいね。大歓迎ですから。

I'keyでした。(脈絡無くてすいません……)

No.73 08/11/12 23:30
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter5



「ゴメン」と言いながら、慌てて走り去る夏目君の背中に合わせた視線を私は長い間動かせずにいた。
別にこんなこと言うつもりはなかった、と自分では思う。けど私は今、確かに夏目君に付き合ってほしいと言った。
告白した。
生まれて初めて告白した。しかも無意識に。
どうして?
自問する。自答を求めてみる。
夏目君のことは嫌いじゃないし、むしろ好意を持っている。でも、それは別の意味でのこと。
人として好きなんて感情、そもそも持ったことない。
だから分からないのかもしれない。
自分でもどうして夏目君に告白したのか分からない。

夏目君驚いただろうな、と思う。
私と夏目君は実際には殆んど面識がない。同じクラスではあるけれど、話したことだって数えるくらいだし、彼にしたら意識外の存在だ。
そんな私から告白されるなんて、夏目君だって予想外だろう。
そして私自身も予想外。
窓の外に、赤いグラデーションを描く太陽を私は横目に見た。それはいつもより低く、暗く見える。
少し疲れているのかもしれない。
それとも、もしかしたら、私でも気付かない何かがそこにあったのかもしれない。

No.74 08/11/15 21:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦1♦



「おはよう」
突然背後から声がして、私は振り向いた。
「日下部先生……聞いてたんですか?」
体を起こした日下部先生は肩をすくめて「俺は嘘が不得手でね」と言った。
「別に『聞くつもりは無かった』というわけでもない。むしろ興味津々だし……ついでを言えば邪魔もしてないよ」
そう言って得意の、感じのいい微笑を浮かべる。
「そうですね」
「あれ?舞衣ちゃん怒んないの?」
「舞衣ちゃんっていうの、やめてください」
「さすがに嫌われちゃったかと思ったよ」
日下部先生はカウンターに座って機嫌よく言った。
「別に私は日下部先生が『好き』じゃありません。嫌いじゃないだけです」
「厳しいねえ」と日下部先生は余裕の表情で答える。

訊いてみたい。
その瞬間、なぜだかそう思ってしまった。不自然極まり無い。でも仕方ない。
「日下部先生、どう思いますか?」
「どうって……何が?」
「さっきの話です」
「舞衣ちゃんが……ええと」
「夏目君、です」
「その、夏目君に『付き合って』のところ?」
「はい」
「『俺が』どう思うかって?」
「そうです」
「なんで……俺に訊くのかな?」

No.75 08/11/18 23:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦2♦



「自分じゃ、よく分からないからです」
多分、というか絶対に、私が納得できる答えを日下部先生は提示できないだろう。
それでも訊いてみたい。それで何かが変わるかもしれないから。
「うん、そうだな……それはすごく難しい質問だ。俺にとってはなおのことね」
「それは分かります」
「どうして?」
「他人の気持ちは、完全には理解できないから」と私は即答する。
「その通り。でも、俺が言ってることは少し違う」
「どういうことですか?」
「自分を含めてね、人は人の気持ちを言葉では表現できないってことだよ」
私は日下部先生の言ったことについて、ひとしきり考えてみる。
人は言葉で思考する。だから人の感情だって全て言葉で表現できる……はずだ。そう、感情だって人の思考過程だ。意識的か無意識的かは別として考えた結果には変わりないんだから。
悩んでいる私に、日下部先生は笑みを見せた。
「分からない?舞衣ちゃんは言葉そのものをよく知ってるからね。他の人よりずっと深く、ずっと広く言葉っていう道具を使いこなせるんだと思うよ。でもだからこそ、言葉は万能だって勘違いしてるんじゃないの?」

No.76 08/11/22 21:27
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦3♦



少し、引っ掛かる言い方に聞こえた。
言葉は万能じゃない。そんなことは分かっている。でも、日下部先生は言葉を過小評価しているんだと思う。
「確かに言葉は万能じゃないけど……」
それを遮る質問。
「じゃあ、舞衣ちゃんは今の自分の気持ち言葉で表せる?」
そう言われた途端、私は言葉に詰まってしまう。
「……よく分かりません」
「そう。それが言葉の限界だ」
言葉の限界。硬質でつんつんした響きのその言葉を、私は自分の中に取り込む。
「言葉で対象にできるものって、実はごく限られた範囲内にしかない……人の気持ちはそこには含まれないと俺は思ってる」
「でも、嬉しいとか、悲しいとか、それは感情です。感情を表した言葉です」
日下部先生は少し間を置く。何かを考えるフリをするみたいに。
「俺は、感情ってそんなに単純じゃないと思うよ。そんな一言で表した感情なんて、リアルじゃない。自分の気持ちって、他人が作った言葉で伝えられるほど簡単じゃないよ」
日下部先生はゆっくりと歩を進め、ドアに手を掛けた。
「無理に考えるのやめたら?分かんなくたって、分かんないなりに物事は進むんだよ」

No.77 08/11/28 01:53
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦4♦



分からなくても物事は進む。
そんなのは嘘だった。
事実、私の『物事』は目の前でしっかりとその動作を停止していた。
私は30分前から一切進んでいないノートパソコンの液晶画面を睨みつけていた。液晶ってどんな仕組みなんだろうとか、そんな他愛もないことを頭の隅で考えながら。
「珍しいこともあるもんねえ……舞衣が詰まってるなんて」
マグカップを片手で二つ持った母が突然部屋に入ってきた。いつも母はノックをしない。
片方のカップを私の机に置くと、母はベッドに腰を下ろした。
「私だって、書けなくなることもあるよ」
そうは言ったものの、確かに珍しいことではあった。
良いアイデアが出ないことはよくある。でも、私は書き始めてしまえば一気に行けるタイプだ。ゴールを見た上でスタートするのだ。
この作品だって、書き出した瞬間に全てのレールを敷き終えていたはずだった。でも、現に線路はもうどこか遠くでひっそりと息を潜めていて、脱線した私は当てもなく森を彷徨っている。
熱いコーヒーに息を吹きかけると、複雑な波紋が生まれては消える。
何かが、少しだけ、シフトする。
そんな気がする。

No.78 08/12/02 23:06
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦5♦



「お母さんはいいよね、バーって書けて」と私は少し皮肉めいた口調で言った。
「何が?」
「いつも締め切り直前になると凄い勢いで仕上げるでしょ?」
そう言うと、母は笑い出した。
「違う違う!私はギリギリにならないと書けないの!追い詰められないとアイデア出ないのよ」
「本当?知らなかった……」
「言ったことなかったっけ?……ほら、私直前主義者だから」
直前主義ってなんだ?という疑問は置いておく。
「でも、舞衣が書けないのは違うでしょ?」
私は平静を装って「たまたまだよ」と答える。
「いや、何か特別な理由があるはずよ」
「別になんでもないから」
母には気になった事をとことん勘繰るたちの悪い癖があるのだ。前はこの癖が発動して、原稿の催促に来た出版社の編集を手ぶらで追い返してしまった。
「今日学校でなんかあったでしょ?」
「何もない、いつも通り」
「その、そっけない返答がまた怪しい」
「そっけないのも普段通りだし」
今度は部屋の中をグルグル回り出す母。何か考えている時、母は動いていないと気が済まないらしかった。
「おっかしいなー……なんか引っ掛かるなー……」

No.79 08/12/06 16:58
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦6♦



引っ掛かる……とぶつぶつ呟きながら母は室内を回り続けている。本人は気にならないのだろうが、回られる側は邪魔で仕方ない。
「そろそろ出てってよ……続き書くから」と私は少し冷たく言い放ってからパソコンの前に陣取った。そしてまた、不動の文面とのにらめっこに臨む。
「……おっ?」
突然横から顔が飛び出してきた。
「……!?ちょ、ちょっと何、お母さん」
いつの間にか母がぴったり後ろに立っていて、顔をにょきっと伸ばして画面を覗きこんでいる。
どうやら私の書いている文面を目で追っているらしい。
「……おおっ!?」
母がまた変な声を発した。
「だから何?」と私は幾分疲れを込めて言う。
「分かった!」
「だから何?」と私の苛立たしげな声。
「男だ!」
「はぁ!?」
「舞衣が書けない理由、男がらみでしょ!」
軽い戦慄と悪寒を覚えた。
男……とは、全く率直かつ乱暴な表現だとは思ったが、行き詰まった部分を見ただけでその理由を的中させるとは。
母、恐るべし。
「何言ってんの……」
と私は即座に反応した。
母には言いたくない。だって、そういうのは私には不適切な気がするから。

No.80 08/12/09 23:10
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦7♦



「あのね……別に理由はなんでもいいのよ。私だって、深く詮索するつもりはないし……でも、一つだけ言っておきたいの」
私は、形だけパソコンの画面に集中していた。そして母の言葉を待っていた。
すると合図のように母の顔が離れていった。
「いい?舞衣に好きな人がいるって仮定で話すわよ、仮定だからね」
「……なに?」と私は静かにそれに応える。
「そういう問題はね、きっちりけじめを付けないと駄目よ。そうしないと舞衣は駄目なの」
母はそこで躊躇うように言葉を切った。そして「だって、私の子だもの」と不意に呟いた。
フラッシュ。
その瞬間に、あの部屋――書庫のことが頭をよぎった。毎朝本を取りに何気無く開けるあの扉が想起された。
反射的に振り返った私の瞳には、すごく曖昧な笑顔を浮かべた母の姿が映っている。
「だから……だからあの部屋を書庫にしたの?」と私は恐る恐る尋ねた。その声の揺らぎを自分でも感じる。
母の頬の辺りがぴくりと動く。
ふうっと息をついて、それから母の口が開いた。
「そうね……それもあるけど……分かんないわ」
それだけを言い残して、母は部屋を出ていった。

No.81 08/12/10 20:44
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦8♦



物心がついた時にはもう、私の父はいなかった。
それがどうということはない。私にとってはそれが普通だったし、積極的に友達を作るようなこともしなかったから他の子と比べることもなかった。
私は母がいれば満足だった。
けれど……それは一種の逃避、もしくは防衛本能のようなものだったのかもしれない。
父の話をしてしまったら、何かが取り返しのつかない変化をしてしまう。
そんな気がしていた。
恐らく母もそう感じていたのだ。
だから私は生前の父を知らない。全く知らない。性格、職業、趣味……何も知らない。
だけれども、あの『書庫』がもとは父の部屋だったろうということには気付いていた。
あの部屋に入るようになってから何か違和感があった。でもそれは悪い気持ちじゃなくて、不思議な感覚だった。
見えない何かに包まれているような……そんな感じ。
それが遠く隔たった世界にいる顔も知らない父であるということに、私が気付くのには大した時間は必要なかった。
そして今、母と話した時に直感した。
父が死んでその時、母は小説が書けなくなった。
母は小説と父を天秤にかけて……小説を取った。

No.82 08/12/11 02:18
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

♦9♦



父を忘れた、というのは言い過ぎだとは思う。でも母は一つのけじめをつけた。
あの部屋を――父の部屋を書庫にすることで。
「……だめだ」
私はパソコンをスリープした。これ以上粘っても進む気がしない。
おもむろにカーテンを開けると、少し低い位置に半月が輝いている。それは私の意識を表しているようにも思えた。
自分……理解できる部分と、理解できない部分。
半分半分。フィフティ・フィフティ。
私はベットに飛び乗った。ボスンと音を立ててマットレスが沈む。
そしてそのまま横になった。天井に輝く蛍光灯の光は、まるで子供の太陽みたいに見える。
私は電気を消した。
瞬間に窓から月光が鋭く射し込んで、部屋を二分する。闇の軍勢と光の軍勢が、国境線で睨み合っているように。
それは一段と明るくし、同時に一段と暗くする行為だった。
私は朧げに感じていた。私は、母の子なんだということを。
不意に彼の――夏目君のことが想起された。それは微かなニュアンスがある。
僅かな陰影しか感じられない。例えるなら月の暗黒。
夏目君に言ったことは間違ったことだ。
そう認めなきゃ、私は前に進めない。

No.83 08/12/11 20:51
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



よし。Chapter5もなんとか終わりました。
イモムシのようにジリジリと、着実かつ鈍重に進んでおります。

小説ですが、次章から登場人物が増える予定です。かなりの大所帯になりますね。しかし……こんなにキャラがいたことがないので、私の乏しい文才で捌ききれるかどうか非常に怪しいところです。
なんとか知恵を総動員して頑張ってみようと思ってます。


話は変わるのですが、さっき私の感想スレを立ててきました。携帯小説板にあります。
やっぱり小説に直接感想を入れるのは気が引ける……という方もいらっしゃると思うので。私は全然気にしないんですけどね。
でも、もしこれでレスが全然来なかったら……
誰も読んでないってことになるんですかね?
それは寂しいです。かなりショックです。衝撃的です。
ですから心ある読者の皆様方、ぜひ感想スレの方に一言お願いしますね。
感想スレには『誰も見ない月』へのリンクも張っていますから、過去ログ探しても見付からないって方もどうぞご活用下さい。……処女作なのでけっこう恥ずかしいですが。

では、今日はここらで。

I'keyでした。

No.84 08/12/17 13:05
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter6



「なるほどね……」
そう統矢は頷いた。当然二人で話している。
春彦と朱音は口が軽いし、騒ぐばかりでなんら役に立たない。こんな時に頼りになるのは統矢だけだ。
確かに統矢は口は悪いが、真面目に話せば真面目に応えてくれる男だ。そこらへんがやっぱり違う。あいつらとは人格の完成度が違うのだ。
「なんか……あれだな」
「何が?」
「つまらない……もっと驚くと思ったのに」
そう言うと、統矢は少しだけ笑った。
「まあ、普通は驚くよな。自分で告白して自分で振るなんて……でも、一ノ瀬ならやりかねない」
「どうして?」
「彼女は変わってるからな」
「変わってるって……一ノ瀬もお前には言われたくないと思うぞ」
俺がそう皮肉げに言うと、統矢は真面目な顔をして言った。
「いや、一般的からどれだけ離れた位置にいるか、という観点から見れば一ノ瀬は俺とは比較にならないほどの『変わり者』だぜ?」
一ノ瀬が変わり者……
確かにそういう雰囲気は少なからずあったけれども、昔の統矢と比べればそれほどじゃない。
じゃあ、統矢はいったい何を意味して『俺とは比較にならない』と言っているんだ?

No.85 08/12/18 19:21
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖1📖



「どういう意味だよ」
「どこが変わり者なのかってことか?」
「ああ」
統矢はふうっと溜め息をついた。
「レン、お前何も知らないんだな」
少しカチンときた俺は「じゃあ、統矢は何か知ってんのかよ」と言い放った。すると「まあ、人並みにはな」という平坦な反応。
人並み?じゃあ俺は人並みにも一ノ瀬のことを知らないって言うのか?
「レン、一ノ瀬春夏って知ってるか?」
「いや、知らない」
統矢は知らなくて当然だ、という顔で「一ノ瀬の母親の名前、ペンネームだけどな」と言った。
「ペンネーム?」
「小説家だよ。しかもデビュー作で直木賞も受賞してる」
母親が小説家……
全然知らなかった。
統矢が知っている所を見ると隠しているわけではないのだろう。
本を読まない俺でも直木賞という名前くらいは知っている。
その直木賞作家。
俺は少しぽかんとして焦点の合わない視線を統矢の顔に向けていた。
「驚いたか?」
「……ああ」
すると統矢はあからさまに残念そうな表情を浮かべた。
「なんだよ?」
「この程度で驚嘆するとはふがいないな……まだ驚くとこじゃないぞ、本題はここからだ」

No.86 08/12/23 00:19
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖2📖



「本題?」
「今のは母親の話だ」
そう言うと、統矢は雑誌を一冊取り出して俺に見せた。
「なんだよ?……うわっ、字ばっかだな」
「有名な文芸誌だ……ほら、ここ見てみろよ」
統矢の指差した部分に俺は目を走らせた。
「作、一ノ瀬舞衣……って、これ……」
統矢は微笑んで見せ、「これが本題」と呟いた。
「ちょっ、じゃあ一ノ瀬もプロ作家ってことかよ!?」
統矢は少し気だるげな表情を浮かべた。
「それがそういうわけでもない。まあ、プロとはちょっと違うみたいだ」
「雑誌に載せて、金貰って書いてるってことだろ?」
統矢は首を振った。
「いや、原稿料は入ってないらしいな」
「どうして?」
統矢は気だるげな表情を変えずに話を続けた。
「簡単に言うと、小説を食い物にしたくないってことだ」
「よく分からない」と自然に声が出た。
「俺にも分からない」と統矢の声。
一時の沈黙が流れた。
一ノ瀬舞衣……
不思議な奴。
でも、何で統矢はこんなに詳しいんだ?と、俺はふと思う。
そこに「なあ、一つ訊いていいかな」と不意に統矢の声が通った。
俺は頷いた。
「お前、一ノ瀬が好きなのか?」

No.87 08/12/26 18:36
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖3📖



「好きかって……」と俺は苦笑した。
「俺は真面目に訊いてんだよ」
その声には少し、暗い焦燥が含まれている。統矢は俺の態度を、はぐらかしていると取ったらしかった。
そういうわけじゃない。
「分かんねえよ、そんなの。何も知らないんだからさ」
何も知らない。
そんな自分がやけにおかしく見えた、それだけだ。
「……俺が口を挟むことじゃないかもしれないけど、お前そういうのハッキリしろよ」
そんな統矢の言葉に、俺は少し苛立った。
分からないって言ってるのに、ハッキリしろって……
「なんだよ……それ」
俺は自分の感情を隠さずに、冷たく単語を並べた。
「レン……お前気付いてないかもしんないけど……」
言葉が途切れた。
統矢の表情が僅かに曇る。それは後悔の曇り方だった。
「……悪い。俺、変なこと言った。気にすんな」
統矢の顔の奥底に動揺の色があった。
「気にするなって無理だろ?」
「いや……何でもないんだ」
俺は追及するのをやめた。取り返しのつかない所へ行ってしまうような、そんな気がしたから。
「悪い、部活戻らないと」
逃げるような統矢の背中を、俺は追わなかった。

No.88 09/01/02 16:18
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖4📖



言い表し難い気分が渦巻いていた。
何て言うか、しっくりこない感じだ。統矢も一ノ瀬も、俺には理解が出来なくて、それなのに舞台に……台本も無く舞台に立たされている、みたいな。
家に帰る気にはならなくて、どこかで遊ぶ気にもならなくて、かと言って俺には青春を捧げるべき部活も無くて、つまりは行く所が無かった。
俺は舌打ちをした。
部活でもやっておけば無駄な事を考えなくても良かったのに、なんて意味も無く思う。
そして教育熱心な母を少しだけ恨んだ。
人のせいにするわけじゃないけど、俺が何にも打ち込めなくなったのは、やっぱり母の影響なんだと思う。
幼稚園の頃から小学校を卒業するまで、俺は強制的に興味も無い大量の習い事に通わされた。
ピアノや水泳、そろばん、英会話などはもちろんのこと、声楽、バイオリン、テニス、柔道に空手に少林寺、体操、フラッシュ暗算まで……きりが無い。思い出したくもない。
俺は中学に入学して間もない時に、思いっきりキレた。もう勘弁してくれって。やりたくもないことに毎日毎日……これ以上耐えられないって。
俺はある日、そんなことを母に言ったのだった。

No.89 09/01/05 02:24
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖5📖



母にしてみれば結局、それは些末な事だったのだと思う。
母はすぐに、全ての習い事から俺を解放してくれた。要は思い付きレベルの行為だったのだ。
しかしそれは俺の内面に、存外深い影響を残していた。
俺は能動的に、何かをしたいと思えなくなってしまった。全ての物事への興味が低い段階に止まって、そこから高まらなくなってしまった。
つまりは、無気力な今の俺になってしまった。
だから部活にも入らなければ、何か……例えばバンドみたいなことも一切せず、ただ時間を引きずるように過ごしてきた。

俺は自分の思考にシャッターを降ろした。こんなつまらない事はどうでもいい。
俺には行く場所が無かった、その原点に立ち帰る。
それで……
いくら考えてみても、足は勝手に進んでしまうのだ。
第一図書室。一ノ瀬と出会った、言わば俺の混乱の中心地。
その扉の前に来ることになるのだ。
その雰囲気は一瞬にして頭に焼き付いていた。この空間の残滓が、まるで懐かしい記憶を演出するかのようなニュアンスで海馬の片鱗を漂った。
俺は、また鍵を持っていなかった。
でも開いている。なぜかその事は予測できた。

No.90 09/01/11 02:04
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖6📖



「やあ、また来たんだね」
そこにいたのは日下部さんだった。彼はカウンターに腰かけて、ふわりとした風を俺に差し向けた。
「一ノ瀬は?」
俺がそう尋ねると、日下部さんは少し不満げとも言える表情を浮かべた。
「いや、いないよ」
俺はその返事に、心の中に安堵を浮かべた。
「残念かな?」と日下部さんは微笑みかける。
「いや、安心しました」と俺はカウンターに歩み寄って静かに答えた。
「ふーん、そっか……安心したか」
日下部さんは勘繰るように顔を寄せてきた。その悪癖に俺は苦笑で返答する。
「……近いです」
「うん、人の距離感というのは実に難しいよ」
日下部さんは滞り無い動作を持つ自身の癖に満足げな笑みを湛えた。
「じゃあ、レン君はどうしてここに来たのかな?太宰治が読みたくなったわけでもないんでしょ?」
「芥川を読みに」
俺が冗談でそう言うと「夕闇の文学と言うわけだ」と彼は笑った。
「人間は正直が一番だ。損得を考慮しなければの話だけど」
俺は一つ溜め息をついた。それはシグナルか、もしくはスイッチだというように大袈裟に響いた。
「ここしか思い付かなかっただけです」

No.91 09/01/12 01:35
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖7📖



「人にとって居心地の良い場所は、大概そんなふうに生まれるものだよ」
日下部さんは書架をゆっくりと眺めながらそう呟いた。
「俺はね、レン君。読み古された本ばかりが並ぶこの図書室の方が、清潔で明るい第二図書室より好きなんだ」
「そういう気持ち、なんとなく分かります」
俺は窓辺に立ち、恐らく無心で練習に没頭しているであろう野球部の外野の背中に視線を注いでいた。
「……気になるんだ?」
「あのレフト、同じクラスなんです」
シートノックの打球がレフトに一直線の軌跡を描く。際どい。
「舞衣ちゃんのことが」
飛び付いた。グラブに吸い込まれるようにしてボールが姿を消す。
「だからここに来たんでしょ?俺だってそれくらいのことは分かるんだからさ」
ボールがこぼれた。悔しそうにグラブで地面を叩いている。
「俺……一応フラれたんですよ?」
「レン君、一応告白されたんじゃないの?」
いつの間にか日下部さんは隣に立っていた。それは今までで一番、適切な距離と言えそうだった。
「俺……やっぱ帰ります」
そう言った俺の背中に、すかさず声が聞こえた。
「舞衣ちゃんは文藝部にいるよ」

No.92 09/01/17 15:18
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖8📖



「……」
別に来たかったわけじゃない。でも現に、俺は文藝部の部室前に立っている。
来ているのに、俺は扉をノックするのを躊躇っている。
俺はそういう奴だった。
それにしても、何やら嫌な雰囲気だ。
何と無く部室の奥から漂う……形容し難い、禍々しいオーラのようなものが、一層俺の足をすくませるのだ。
やっぱおとなしく帰ろう。そうだ、一ノ瀬なんかどうだって良いじゃないか。もともと赤の他人、同じクラスだった……それだけの関係で、これからもずっとその関係が続くはずだったんだから。
そう思って踵を返した瞬間、盛大な音を立てて超々高速で扉がブチ開けられた。それは本日、いや、近年において最大の物理的不幸だった。
バゴン!!
ドアの近くに立ちすぎていた俺の後頭部はその不幸を一瞬に、そして一手に引き受けざるを得なかった。
首から上だけが前にスライド。まさしく慣性の法則によって俺の体はその場に止まろうとしていて、インパクトした頭は達磨落としの要領で吹っ飛んだ……ように感じた。
「……!?」
俺は目玉が飛び出すかという衝撃に声も出せず、無惨にも頭を抱えて廊下にうずくまった。

No.93 09/01/23 00:22
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖9📖



「おお……扉に超近距離に立ち、絶妙のタイミングでの後頭部痛打を演出するとは……」
意味不明の感心を表すニュアンスが含まれているらしい声が、背に響く。
俺は痛みがまだ形を持って残っている頭をさすりながら、後ろを振り向いた。
目付きが嫌に鋭い男子生徒が立っていた。癖の強い茶髪はあちこちに跳ね回っていて、極度の猫背が忘れがたい印象を見る者に与える。
「……む?」
髪の奥の双眼に妖しげな光が宿るのを俺は見逃さなかった。
「……おお!?」
反応さえ許さない恐るべき速度で詰め寄る男子生徒の動きに、俺は硬直した。
「な……何だよ?」
彼は無遠慮な視線を俺の顔に放った。
悪寒が走る。男の熱視線の持つ精神破壊的側面を、俺は痛烈に実感した。
……気持ち悪い。
「良い!」
いきなり目の前で叫ぶ男子生徒。笑みを湛えているのだが、その背景に危険を感じるのは気のせいだろうか?
「良いぞその顔!……無二の才能を秘めていながら、それを見付けられずにただ日々を浪費しているような……いかにも今から日常が劇的に動き出しそうなその顔!」
そして驚愕の台詞を俺の耳は捉えた。
「好きだ!」

No.94 09/02/01 19:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖10📖



好きって……
俺は直感した。
危険だ。危険すぎる。駄目だ、早く逃げなくては。
俺が立ち上がり、後ろに向かって全速前進を図ろうとした瞬間。
「動くな!!」
いきなりの鋭い声に俺は思わず立ち止まってしまった。
「あ……あの、俺そういう趣味無いから」と俺は恐る恐る言う。
「……何言ってんだお前?いいから動くんじゃねえ」
そう言うと男子生徒はどこからかクロッキー帳と鉛筆を取り出し、何やらガリガリと筆を走らせた。
「質問に答えろ」
「……は?」
「だから、質問するからお前答えろ」
「あ、ああ」
「何か得意なスポーツは?」
「……特に無し」
「勉強は?」
「中の上かな」
「部活は?」
「生粋の帰宅部」
「趣味は?」
「特に無いなあ」
「何か凄い特技は?」
「凄いって……例えば?」
「瞬間記憶とか、サイコメトリーとか、忍術とか、錬金術とか、ハッキングの神だったりとか、人型ロボと互角に戦ったりとか、仙氣発勁とか、ギ〇スとか、ニュー〇イプとか、悪魔の実とか、イ〇センス発動!とか、デビ〇バットゴー〇ト!とか、クライムハザードとか、ギガスラッシュとか……」
「………」

No.95 09/02/04 01:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖11📖



俺はどう反応していいか決めかね、結局何も反応しないことを選択した。
すると、男子生徒の肩が次第に小刻みに震え始めた。
「お……おい」
仕方なく俺が声をかけた途端、男子生徒は持っていた鉛筆を地面に投げつけ、一喝。
「お前、ふざけるな!!」
……何?
一体俺が何をした?
「俺がいつ、ふざけたんだよ?」
「貴様の存在自体がとんだおふざけだ!」
まさか、こんな所で存在を否定されるとは。
そんな俺の心を完全無視の男子生徒は、熱の入り過ぎた口調をさらに加速し、怒涛の如く言葉を連ねる。
「それだけの主人公フェイスを有していながら、メインキャラらしさの欠片も無い見事なまでのアルティメットノーマルっぷり……何だそれは!何のつもりだ!まさか特徴が無いのが特徴です的な三流サブサブキャラに甘んじる自分に満足する自分っ!……とかか!!何様だ!百年早いぞ!死亡フラグ立たないからっていい気になってんじゃねえぞ!いつの間にか出番無くなるぞ!次出る時は死ぬ時だ!分かったか!分かったらさっさと悪魔の実食ってこい!!」
「……」
意味不明だ。意味不明だが、なんとなく怒られてるらしい。

No.96 09/02/06 21:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖12📖



あまりの気迫に、俺が理由も無く謝ろうとした時だった。
「御厨、お前の理想は彼ではなくってよ。他を当たりなさい」
暗い部室の奥から、今度は女子生徒が現れた。
女子生徒の持つ華やいだ雰囲気は、この世俗より数段トーンの低い風景には全く似合わないものだった。
腰まである栗色の髪は光を鏡のように照り返していて、俺は一瞬見とれてしまう。
「と言うよりも御厨、お前の求める人間は現実には存在し得ないものですわよ?」
お嬢様口調だ。現実に存在するとは……
俺は無意味に感心する。
「うるせえな、楠木……いるかもしんねぇだろ?この世に絶対は無えぞ!」
「いったい何処にゴム人間のエクソシストがいるっておっしゃるの?拝見したいものですわね、御厨」
楠木の高笑い。
「笑うなっ!!そして『みくりやぁ?』って鼻に掛けて俺を呼ぶな!!まるでお前の召し使いみたいじゃねえか!!」
「別に雇ってあげてもよろしくってよ?」
御厨が鼻で笑う。
「誰が雇うって?立派な中産階級のお姫様が雇ってくれんのか?」
「なっ!?私の完璧なキャラメイクに御家庭の事情をスローインするなんて……外道ですわ!」

No.97 09/02/09 00:42
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖13📖



「何が外道だ!?係長の娘がお嬢様気取ってる方がよっぽど道を踏み外してるだろうが!」
「失礼なっ!お父様は課長補佐ですわ!!」
「出世したんだ?おめでとう」
「こっ、これはご丁寧にどうも……」
……何という無茶苦茶な会話展開。
この世に無二のタイミングで場が落ち着いた。俺は機を逃さず口を挟む。
「あのさ……ここに一ノ瀬っているかな?」
俺の言葉に、楠木はキョトンとした顔で振り向いた。
「舞衣さん、ですか?」
「そうだけど……何か俺、変なこと言った?」
「いえ、舞衣さんってあんまりと他人と交わらない人ですから……訪ねてくる男子生徒がいる、というのが少し意外で」
「そっか……まあ、そうかもな」
確かに、自分が見ていた限りでは一ノ瀬が男子と親しくしていたシーンは皆無だった。一ノ瀬自体殆んど気に留めてなかったんだけど。
「少しすれば来ると思いますから、良かったら部室でお待ちになって下さい」
そう言って、楠木は入るよう促してくれた。
御厨も俺の背中を押す。
「遠慮すんな。俺ももう少しお前の顔を書いておきたいし……中身はド凡人だが、外見はイイ線いってるからな」

No.98 09/02/11 18:49
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖14📖



「お前、それ俺の顔書いてんのか!?」
俺は首をぐいと伸ばして御厨のクロッキー帳を覗きこんだ。
「へえ……」
俺は思わず感嘆の声を発した。そこには鉛筆一本で書かれたとは思えない、精緻な『俺』が存在していた。なんだか仕掛け鏡を見ているような感じだ。
「あっ!おい、完成前の物を見んじゃねえよ!」
御厨は鷹のような目で俺を睨むと、クロッキー帳をバタンと閉じてしまった。
「でも、何でお前文藝部なんだよ?絵なら美術部じゃないのか?」
その質問には楠木が答える。
「御厨は漫画を書くんですのよ」
「漫画……じゃあ漫画・アニメ部じゃないの?」
その言葉が発声された瞬間、敵の気配を察知した野生動物の如き反射速度で御厨の双眼が見開かれる。
「あんな野郎どもと……あんな野郎どもと俺を一緒にするなっ!!」
「あんな野郎って……別に二回言わなくても」
楠木は軽い溜め息を吐いた。
「御厨は自分がオタクであることを認められないんですわ」
「俺はオタクじゃねえ!『漫画及びアニメを究極的に愛好する者』だ!!」
「歪曲した解釈で自分すらも誤魔化して……不憫ですわ」
「うるせえ!!」

No.99 09/02/12 14:43
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖15📖



「漫画・アニメ部の雑魚どもが書くのは漫画じゃねえ、落書きだ!あんな物と俺を一緒にするな!俺に失礼だ!それ以上に漫画に失礼だぞ、漫画という単語に失礼だっ!!謝れ!!平謝れ!!そして部名をラクガキ部に訂正しろぉぉぉっ!!」
楠木は御厨の叫びを完全に無視し、俺に残念そうな微笑みを向けた。
「見苦しいものをお見せしてしまって……もろもろの二次元的な事情がありましてね、御厨は三次元世界では情緒不安定になってしまいますの」
「そ、そうなんだ……」
シャウトがフェイドアウトすると、御厨は糸の切れた操り人形のように、途端に静かになった。
「よしっ!じゃあ続きを書くとするか」
「……本当に不安定な情緒だな」
「まあ、実害はありませんから目をつぶってあげて下さい」
御厨はさっと部室に入っていった。
「お名前は?」
「俺、夏目廉矢……君は?」
「楠木なぎさです」
「そっか」
「では夏目さんもどうぞ。大したもてなしも出来ない、と言うか下手すると強烈な精神的洗礼が待ってるかもしれませんが……」
「洗礼?」
「はっ!?私何か言いましたかしら?」
楠木の乾いた笑いが響いた。

No.100 09/02/13 17:33
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖16📖



暗い……暗いぞ。
部室は異常に暗い。明度や彩度だけでなく、感覚的に暗い。
中央には大きな会議机みたいなのがデンと居座り、その上は『カオス』の体現だ。
左と右は一面本棚になっているが、棚としての役割を果たしていない。則ち『カオス』だ。
何かソファーやらレコードやら換気扇やら洗濯物やらが意味不明に配置され、さらなる立体的カオスを再合成する。
つまりはこの空間は、ジャンクでアンダーグラウンドなカオスの拡大再生産拠点、というような感じだった。
「すいません、蛍光灯が切れていますの」
「光が薄いほうが物の陰影が分かりやすい。だからこれで良いんだよ」
御厨は机の一端に座り、目の前のカオスを盛大に駆逐した。空いた空間にクロッキー帳をセットする。
「よし、そこに座れ」
御厨は机の対岸に椅子を投げるようにセットした。
俺は楠木の表情を窺った。すると彼女は困ったような微笑みを浮かべて答える。
「……悪気はありませんから、出来たら付き合ってあげて下さい」
頷いて俺が座ると、御厨はまた猛烈な勢いで鉛筆を運んだ。
筆を取る彼の目は、よく見るとまるで別人のように輝いていた。

No.101 09/02/14 19:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖17📖



御厨の視線が俺の顔と自身の手元を往復し、彼の右手は迷い無く動く。早いパッセージを弾くピアニストの指のように。
充分に美しかったスケッチは数分でその精度を増し、もはやモノクロ写真に近い状態だ。
「よし、こんなもんだろ」
彼は軽く全体に目を走らせると、クロッキー帳を閉じて、無造作に後ろに放った。
「漫画って、どんなの描いてるんだ?」
俺は興味本意で尋ねてみる。すると彼は無言で背後の本の山をあさり、一冊の漫画雑誌を引き抜いた。
「これ、俺が描いたやつ」
パラパラとページを繰ると、御厨は真ん中を開いて俺の前に差し出す。
暫し、紙の擦れる音が響いた。
……確かに上手い。一見しただけでも絵は凄い。素人目線の俺から見れば、プロと比べても全然遜色無い。
「……あのくらい一瞬で描いて見せるんだから、やっぱ上手いな……って、これジャンプ!?」
表紙を見て気付く。ジャンプって……週刊少年ジャンプに掲載!?
「ああ……それ新人賞で入選取った時の読み切り。そん時の担当が連載持ってくれってうるせえんだよなぁ……」
御厨は虚ろな視線を天井の一点に当て、平然とそう言ってのけた。

No.102 09/02/16 01:00
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖18📖



「俺さ、他でも新人賞取ってるから。あっちもこっちも口を開けば連載連載……マジうぜえよ」
「他?」
「マガジンとかサンデーとか少年誌全般。入選二回、準入選四回、佳作は……忘れた」
何だこの才能の集結は!?
これが部活か!?
俺は心中で叫んだ。
「御厨は関係者の間では『新世代の導き手』と呼ばれているらしいですわ……まったくオタクらしいネーミングですこと」
楠木がやれやれという表情で言った。
「だから俺はオタクじゃねえ!!『エクストリーム漫画・アニメ愛好家』だっ!!」
「別に貴方本人がオタクだと言ったわけではなくってよ……人の話は最後まで聞かないといけませんわ、御厨?」
「だから俺を召使い風に呼ぶなっ!!」
まさか楠木も……?
俺にそんな思いが走る。
「楠木さんは……部活では何やってるの?」
俺は軽く身構えつつ訊いてみる。
楠木は少し首を傾げて「私ですか?……主に詩を書いてますけど」と答えた。
良かった。普通だ。健全な学生レベルの文芸活動だ。
「どんな詩?」
ああ……やっぱり。
彼女の手にはハードカバー。
出てしまった……ハードカバー。
「文藝春秋に出版して頂いている私の詩集ですわ」

No.103 09/02/20 00:26
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖19📖



「いつの間にか出版の話がついていまして……ああ、あと最近では歌手の方に歌詞を書かせて頂くこともありますわ」
そう言って楠木は、少し困ったような顔で笑った。
結局のところ、一ノ瀬は俺みたいな一般人とは次元の違う才能を持っていて、しかも彼女の所属する部活は次元の違う才能を持つ人間の集団であった。
つまりはそういうことらしい。
俺は少しだけ、何かを削がれたような気持ちになった。
何となく、ここで一ノ瀬を待っているのも不自然というか気まずいというか……とにかく何か違う気がしてきた。
俺が、今日は帰ろうと立ち上がったその時だ。
「……何だ?」
突然の困惑が俺の感覚を襲う。
低く混沌とした響きで、床や壁を滑るようにしてどこからか声が響いてくる。
それは段々と大きく明瞭になっていく。しかしまるで黒魔術の隠された呪文のようで、まるで意味が取れない。
「Люблю тебя,Петра творенье.
Люблю твой строгий,стройный вид,……」
意味不明の言葉の響き。それを発しているのは、ボサボサの黒髪と妖しく輝く瞳の魔女――そう、それはまさしく魔女であった。

No.104 09/02/21 02:22
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖20📖



さっきまで誰もいなかった……確かに誰もいなかった席に……
人が、いるよ?……
「でっ、出たあぁぁっ!!」
俺は反射的に狂声を上げた。暗い室内に眼光がギラリと輝く。
「出てやったぜえぇぃ!!橘柑奈参上っ!!」
そう叫ぶと、突如出現した闇の怪異は長髪を振り乱して机に飛び乗り、俺の目の前に現れる。
人の動きかコレ!?
「で、アンタぁ……誰ぇぇぇ?」
超至近距離で即死級のホラー声が耳を刺す。
「ひっ……」
俺は声もろくに出せず硬直不動。
何これ?夢?ドッキリ?
そんな有り得ない仮説が渦を巻く。
「やっぱり……免疫が無い人にはキツすぎましたわ」
「そりゃそうだわな……」
二人の声に俺はさらに困惑した。
何故だ!?何故落ち着きはらっている!?
俺の思考回路はショート寸前、意識すら失いかけた次の瞬間。
「柑奈部長、そろそろ悪ふざけはおやめになって下さる?」
楠木のたしなめるような声。
「もう終わり?つまんないの……こっからが戦慄のショータイムだったのにぃ」
ニャハハ、と猫みたいな笑い声が聞こえた。
「な……何?なんなのこれ?」
俺が辛うじて声を絞ると、楠木はまた困ったような笑みで答えた。
「文藝部の部長ですわ」

No.105 09/02/23 00:35
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖21📖



「部長……コレが?」
「そうよ、アタシが部長の橘柑奈様よ!文句ある?無い?ある?よしっ!どっちでもOK~、あっても受け付けないからね」
柑奈はボサボサの髪をヘアゴムで束ねながら、ネコ笑いで言った。
髪がある程度整ってみると……なるほど確かに人間だ。顔立ちは楠木のように万人受けするものではないだろう。しかし目は気持良くスッと切れ、面持ちはほっそりと整って、これはこれで悪くない。ある一つのコンセプトで統一されている……良く言えば芸術的な顔立ちだ。
「で、アンタ誰?誰なのサ?」
瞬間超ズーム。
顔近っ!?
唇が触れそうなほどの距離に柑奈の顔がある。
「うおっ!?」
驚いて俺は椅子ごと後ろに転がった。盛大なクラッシュ音。
「フフン、スットラ~イク」
机の上から見下ろす柑奈の顔には不敵な笑み。
俺は苦笑を禁じ得ない。どうやら初対面の女傑に手酷くからかわれているらしい。
「俺、夏目廉矢って言います。一ノ瀬さんに用があって来たんですけど……」
俺は最大限に冷静を装った。そんでもって悪戯心が究極的に強いらしい柑奈氏の奇襲に気を張り巡らせた。
「あっそう」
俺の予想に反して柑奈は気の抜けた台詞を発した。

No.106 09/02/25 16:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖22📖



「気張ってるヤツからかっても面白くないもんね」
そう言うと柑奈は本を一冊取り上げて、またさっきの呪文を唱え出した。
英語でないのは確かだが、いくら聞いても俺には分からなかった。
「あれ……何?」と俺は楠木に尋ねる。
「ロシア語ですわ。ロシア文学を原文で読みたいとおっしゃって、そのままマスターしてしまいましたの」
「そう、アタシ天才だから~」と柑奈の補足が聞こえた。
「全く同じ理由で英語とフランス語と中国語も……」
「ほら、アタシ超天才だから~」と柑奈の補足。
俺はもう、大して驚かなくなっていた。こんな部活のそんな部長、全く釣り合いが取れているというものだ。
「それで、橘部長はどんな活動をやってんですか?」
思わず口調が石のように堅くなってしまう。
「アタシは小説を読んでる、それだけ」
何?ここに来て一番普通な活動内容だと?俺は逆の驚愕を覚える。
「書くのも嫌いじゃないけどさ、飽きた。だから読んでんの、そんだけ」
柑奈はそう言って笑う。
そして、またピョンと跳ねて俺の目前にやって来る。
「ねえ、君はすごく面白くなりそうだよ?私が読むところによると、だけどさ?君はどう思う?」

No.107 09/02/27 01:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📖23📖



俺には、柑奈が要求し意図する答えがよく分からなかった。
それ故に俺が黙っていると、柑奈は興味を失ったみたいに、不連続な挙動で視線をそらした。
「ま、いいや。そういうのはその内分かることなんだよ、どっちにしたってね」
そう言って椅子に戻ると、柑奈はロシア語の文学とやらを音読する。俺には意味無く、柑奈には意味のある言葉の羅列だ。
それは橘柑奈という人間そのものにも、なんとなく似た感覚があった。
何だろう、何も意味が無いように感じられて、でもそのくせ見えない所に何かを隠しているような気がして……
柑奈は捉えどころの無い、不思議な雰囲気を持っている気がする。
「帰るの?」
突然に柑奈の言葉がストロボのように響いた。それは単純で簡単で、全てを見透かしているようで俺を試す質問だ。
柑奈は、一ノ瀬が俺に告白したのだということを知ってるんじゃないか?
ふとそんな思いがよぎる。
「もう少し待ちます……いいですか?」
それはつまり、俺は一ノ瀬と向き合ってみるのだ、という宣言の隠喩だった。
「もちろん」
柑奈の返事が響いた瞬間にドアが開いた。光が四角に空間を切って、人影をおぼろ気に水面に浮かべた。

No.108 09/02/28 01:57
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter6はここまでです。キャラが増えたので長めの章になりました。
それにしても……
まあ私はキャラ作りが下手ですね。今回は自分の未熟さを痛感しました。
今まではあまりキャラを重視せずに書いてきたので大丈夫だったのですが、今回は決定的弱点を露呈することになってしまいました。
でも頑張って上手くなりますから、何とか読者の皆様には寛大なお心で読んで頂きたいなと思っております。


ちなみに、柑奈の読んでいるロシア語はプーシキンの叙事詩『青銅の騎士』の一節です。プーシキンは近代ロシア文学の原点とも言われる偉大なお方です。
ロシア語なんてさっぱりですが、適当は良くないだろうと思い引用してみました。


それと読者の皆様にお願いなのですが、感想や応援、アドバイスをぜひお寄せ下さい。
最近感想スレの過疎化が進み、非常に寂しい思いをしております。
あまり返事の文面には出ていないかもしれませんが、感想を頂けると私はかなり喜びます。とても喜びます。
読者の皆様のお言葉が更新の原動力となっております。
誠意を込めてお返事しますから、よろしくお願いします。


今日はここまで。


I'keyでした。

No.109 09/03/11 19:31
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter7



私の目の前には、清潔で明るい空間と清潔で明るい文章の羅列があった。
第二図書室の明るさは、小さな文字を目に負担をかけずに追うという一点に関して言えば利点であった。それは控え目な皮肉だ。
滑らかな机の上に静止した私の手の中には、大崎善生の『パイロットフィッシュ』がある。それが朝、私が選んだ今日の文庫本だった。
顔も知らない父が使っていた部屋で、私が選んだ今日の文庫本だった。
そこまでの思考を再トレースして、私は溜め息をついた。

無駄な物が多すぎる、私の中に。

倒置した。私の思考は無益に、そして自動的に倒置した。
本来、私の手にした本はもっと簡潔な印象を与えるはずだった。そして、美しく磨き上げられた比喩は優雅に泳ぐ――そう、アクアリウムの中に群れたカージナルテトラのように、私のシナプスからシナプスへと優雅に泳いでもよさそうなものだった。
でも、それはバラバラで、パズルみたいで、私に手間ばかりを掛けさせて溜め息をつかせるだけだった。
それは不思議な経験とも言えた。もちろん閉じた回路の中での話だ。

美しいものを美しいと分かっているのに、美しいと受け入れられない。

そんな矛盾だ。

No.110 09/03/14 00:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱1🌱



「ねぇ舞衣、どしたの?」
覗き込むような声がカウンターから響く。そこには葛城優菜が座っている。
大きな瞳が、無垢に、そして透かすように光っている。それは宝石のように輝いている。
彼女は、私が友達と呼べる人。

たぶん、恐らく。

「なんか変だなぁ……まあ、いっつも少なからず舞衣は変だけど……今日はいつになくって感じ」
私は少しだけ微笑んで「そう?」と訊いてみる。
「本、さっきから進んでないし」
「そうみたい」
優菜の顔が生き生きと光る。
「何かあったの?……何もないってのはナシね?」
優菜の瞳は、本当に私の心を透過してしまいそうな気がする。でもそんなことはない。私の作った壁は、ニュートリノも通しやしない。

彼女は私の友達。恐らく、たぶん。

だから、夏目君のことを話したりはしない。それが私、一ノ瀬舞衣。
理解出来ない物は自分の中にある。理解出来ない物は嫌い。言葉に出来ない物は嫌い。
私は優菜の質問に、少し間を置いてこう答えた。
「Nothing Special」
優菜は不味そうに口を歪めて、それから笑った。
「舞衣って、ホントにめんどくさいよね?」
「うん。私ってホントにめんどくさい」

No.111 09/03/18 00:55
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱2🌱



面倒な私。
私は考えるという過程をスキップできない。
だからそこで失敗すると、いつまでたっても先へ行けない。私は直列回路のようなものだ。
それを人に言えば、例えば一種の皮肉に聞こえるかもしれない。『何も考えていないあんたたちとは違って』という風に。
でも、これは今の私にとって、切実なディスアドバンテージなのかもしれない。
私は図書室を出て、その足を文藝部の部室へと向けた。今のところ、そこへ行くのが私にとって自然な選択に思えた。
だって、私は昨日も部室にいたんだから。
だって、私は文藝部の部員なんだから。
だって、そこには夏目君がいないんだから。
私は、夏目君を避けていた。
避ける?もともと接点なんてなかったじゃない?
そう私は自問する。
でも多分、それは違うのだ。そう私は自答してみる。
もう一人の私は、論理としての整合性を求めてくる。私は説明を試みる。そう、立証なんて確かな物はそこには無い。説明だ。
接点というのは生まれるものじゃない。最初からそこにある。重要なのはそれが可視か不可視か、ということだ。
私には夏目君との接点が今見えている。
つまりはそういうこと。

No.112 09/03/22 18:09
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱3🌱



何か……無駄なことを考えたな、と思う。
窓の外には、トラックを黙々と回る陸上部長距離チームの背中が影となって並んでいる。
彼らは走ることができるし、多分走りたいと思っているんだろう。
でも、私は今小説が書けない。本も読みづらい。
これは私にとっては大問題だ。根を掘り返されるくらいの大問題なのだ。
何かが私の中にするりと入り込んで、秘密裏に月の裏側で、深い所にある回路をいじくり回した。
それは夏目君という、たった一人の同級生なんだと思う。恐らくは。
彼は私に、今までに無い行動や思考を促しているような気がする。
外界に左右されることの無かった私の地下を揺すぶっているような、不思議な感じがする。

好きな人ができると、いろんな事が手につかなくなる。
そんな事を昔、優菜が言っていた覚えがあった。私は漫画の読みすぎだと思った。
じゃあそもそも、好きって何だろう?
とか、そんなことをいつの間にか考えてしまうくらいに頭がぼやけている。
多分、他人の頭の中はもっとシンプルに動いているんだと思って、私は陸上部の背中をもう一度眺める。
彼らの足は、美しく単調なステップを反復し続けていた。

No.113 09/03/28 21:56
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱4🌱



驚かなかった……と言えば嘘になる。しかもバレバレの嘘に。
何気無く部室の扉を開ける私の手。いつもと同じ光景を求める私の両目。
私は安心できる、いつもと変わらない『そこ』を当てにしていたのに。

どうして、どうしてここに君がいるの?

夏目君の姿を、部室の薄汚れた椅子の上に見た時、私は驚愕した。予想外に驚く自分そのものに驚いたくらいだった。
「……よう」
何と言っていいか分からなくて、一番最初に出てきた言葉なんだ。
そんな風に控え目に、夏目君は呟いた。
返す一言よりも、先に考えることがたくさんあって、結果的に私は彼に返事をしなかった。
「今日は帰ります……用事思い出しました」
やっと出てきた台詞はそんなお粗末なもので、私は心中で自嘲してしまう。その意味にも靄がかかったままなのに。
「ねぇ、そこのレン君は舞衣を待ってたんだけどさ、それでも用事思い出したの?」
不意に橘部長の声が響いて、私は足を止めた。
「それとも、『だから』用事を思い出した?」
「すいません、私帰ります」
私は、どうして自分がこんなにも頑なになるのか訳も分からずに、引っ張られるような早足で部室を飛び出した。

No.114 09/03/31 22:44
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱5🌱



私の足音、それを追い掛ける音、ピアノの連弾みたいな響きで重なって、崩れて、私は足を止めた。
「いきなり走んなよ……」
夏目君の声が響いて、私は廊下の真ん中で振り向いた。
切り取った陽光の橙が、彼の中にある影と入り混じって複雑なグラデーションを描いていた。
「ちょっと話す時間くらいはあるだろ?」
そう言って夏目君は少しだけ胸を張り、小さな息を吐いた。
「私は、別に話したいことなんかないもの」
石みたいに硬い言葉。
はっきり言えば、面倒臭かった。
彼のせいで頭の中はもやもやして、言葉はバラバラになって、大好きな小説は書けもしないし読めもしない。
それは、私にすれば病魔に蝕まれていると言ってもいい。

だってそんな事、一度だって無かったんだから。

「俺はその……あれだ、理由が聞きたいだけだから」
彼は僅かに怒気の含まれた声でそう言った。
理由……行動の因果。
「俺をからかった?冗談?誰かに頼まれたとか?」
「……違う、そうじゃないの」
夏目君の単語の羅列に、私は即答する。自信無さげに。
でもそれは確か。だって私の中にはそんな因果は無かったんだから。

No.115 09/04/02 23:49
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱6🌱



「じゃあ……何?」
一筋の言葉が、陽の照らす廊下を矢のように最短で突っ切った瞬間、突如として私はこう思った。

私に似てる。

そう思った。不思議に、そう思った。
そしてこうも考えた。

私は、夏目君のことが好きなのかもしれないって。

好きって何だかよく分からない。少なくとも私にはよく分からないけど、隣に座ってる同級生みたいに、好きかもなんて言えないけど。私はそんなにシンプルじゃないけど。
たぶん、夏目君のことが好きなんだと思う。
そんな思考の流れが刹那に駆けた。でもそれは、本当の意味で『流れ』と呼ぶべき一過性のもので、目の前を滑空したところでサッと身を翻して、再び深い水底へと沈降してしまっていた。
私はふと、先に延びる壁の小さな染みに目を止めた。私の発見は恐らくあんなもの。
突然目について、その時は覚えている。でも一度夜が明ければいくら探しても見付からない。そんなもの。
「そっか……分かった。もういい」
私は耳の奥にいきなり飛込んだ音で、一気に目を醒ました。
私は夏目君を無視してしまっていて、それは彼に何かしらの良くない影響を与えたみたいだった。
「それなら俺にも考えがある」

No.116 09/04/05 01:59
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱7🌱



大股で、何かを振り払ったかのように一心に歩く夏目君の姿を、私は考えることも放棄して見つめていた。
そして、夏目君の背中が文藝部の入口を形成する四角の闇とちょうど重なった時、私は夏目君の最後の言葉をプレイバックした。

考え?考えって何?

私は不明瞭で果てしない不安を突如として感じ取り、それが乗り移ったかの如き速度で部室へと引き返す。
私は久々に全力で走った。全力だって速くはないけど、とにかく全力で走る。
足は普段の二倍の数のタイルを一歩で飛び越えていく。タイルは普段より二割増しで埃っぽく見える。
夏目君の背中は口を開けた部室に吸い込まれてしまっていて、扉が閉じる音色は絶え間無い静寂を不吉に叩き割ってみせた。
私はその音を追い掛けた。あってはならないことが起きる気がして、理由も分からず走った。
でも、所詮私は脆弱な人間だった。しかも脆弱な中でも弱い方の人間だった。
音速になんか追い付けるはずなかった。
私が部室の扉を開け放った時、事態は核心へと迫っていた。
夏目君は橘部長に向かっている。強気な口調。
端的な言葉。
端的な意味。
「俺、文藝部に入部します」

No.117 09/04/05 22:28
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱8🌱



時間差で後悔することほど間抜けなことはない。
そう俺は思った。
つまり俺自身のことだが。
俺は愛車を押して、坂をとぼとぼと一人登りながら、自分の口から出てしまった言葉を軽く後悔していた。
ああ……何で入部するなんて言ってしまったのか……
あの場は、はっきりしない一ノ瀬に苛立って何となくノリで言ってしまったんだ。なんかそうなってしまったんだ。
心の中で自分から自分に弁解していると、夕焼け色の虚しさが込み上げてくる。
覆水盆に返らず……口は災いのもと……
先人はなんと有難い言葉を残してくれたことだろう。
もっとも、『後の祭り』だが。
無かったことにもできないし、顔を出さないわけにもいかない。
一ノ瀬に対して「俺にも考えがある」なんて馬鹿みたいな台詞を吐いてしまった以上、今更幽霊部員を決め込むわけにもいかないのだ。そんなのは俺の矜持が許さない。カッコ悪過ぎる。
そんなこんなで結局、俺は文藝部で頑張るしかないのだ。この手に打開策の無い今のところは。
でもまあ、あのメンバーなら少なくとも退屈はしないかもしれないし……
そんな気休めで自分を慰めながら、俺は長い坂道をゆっくりと登っていった。

No.118 09/04/09 00:11
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱9🌱



いつものように俺が遅刻寸前で教室のドアを開いた時、俺は軽やかな旋律……いや、戦慄を覚えた。
一ノ瀬が睨んでいる。
かなり強く睨んでいる。
おそらく俺を睨んでいる。
もしや俺ではなく、何か別なものを見てるかも……とたくましい想像力を働かせて、自分の背後を一応確認してみる。
コンセントの抜けた黒板消しクリーナーが棚に鎮座していた。
もし一ノ瀬が霊能者でないなら、俺を標的に冷視線を放っていることは明らかだった。
訂正、確実に俺を睨んでいる。
そして訂正終了後、俺は知覚した。
どうやら、嫌われてるっぽい……と。

なんだそれはっ!
と俺は心の中で叫ぶ。
嫌いなら告白なんかするなよ。意味が分からんよ。心理が複雑過ぎるだろ。告白されて、振られて、俺は何もしてないじゃないか。ノータッチじゃないか。これじゃ惨めなだけじゃないか。
一ノ瀬、お前はいったい俺に何を求めてるんだっ!?
「おらっ!さっさと席につけ、また奉仕活動に駆り出されてぇのか!」
超虚弱担任唐澤の代理としてまたも襲来した野人、遠藤教諭の名簿による一撃は、傍目にはノホホンとつっ立っていただけの俺の側頭を痛烈に打った。
殴られ損だ。

No.119 09/04/11 22:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱10🌱



とにかく、幽霊部員にフェードアウトすることはできない。一ノ瀬や柑奈に堂々と言い放ってしまった以上、即ゴースト化は俺のプライドが絶対完全無欠に許さないのだ。
という割と強固な決意を胸に、俺は文藝部部室の魔口の前に立っていた。
この異界に似た……異界がどんなだかは知らないが、たぶんそんな感じの混沌とした雰囲気にまたもや、俺はドアを開くことを躊躇した。
だがあの決意を思い出すと、俺は勇気を持ってノブに手を掛けた。
するとどうだろう、ご丁寧にも中から扉が開いたではないか。しかも親切極まるマッハスピードである。
無神経に開け放たれた扉が、アメリカ大統領就任演説ばりに立派かつ堂々たる殺戮鈍器に変貌するという事実は、凡庸な人間の想像を越えて遥か高みの真実である。
その事を昨日、俺は身をもって知ったというのに今日もこれだ。連チャンだ。
しかも今度は前からだ。幸か不幸か、ノブに手を掛けて下を向いていたために鼻の直撃は免れた。
いや、二日連続でドアにジャストミート&クラッシュしてる時点で激しく不運じゃないか、という至極まっとうな意見は隅に追いやる。そうでもしなければやってられない。

No.120 09/04/18 20:12
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱11🌱



鮮やかに扉を凶器に仕立て上げたのはやはりこの男だ。
嫌に鋭い眼光が、僅かに反動した隙間から光る。
「……またかよ。何?わざとやってんの?」
……御厨だ。
「わざとなわけ……あるか……」
俺は額を押さえつつ、そして怒りを抑えつつ声を捻り出す。一度味わえば、意図的にぶつかる気概などどこに生まれ得ようか?
「じゃあ単なるドジ?……男のドジっ子ってのは……ナシだな。うん、お前ナシだ」
真面目な顔して頷き、一転ケラケラと笑い出す御厨。いつか殺す。回転ドアで殺す。
「御厨っ!」
突然に鋭角の声が響いた。そして額に当てた俺の指の間に、新しい影が飛込んだ。
楠木だ。手にはハードカバー。
「……痛っ!?何だよ楠木!?」
楠木は本で御厨の後頭部を一撃。生易しくはない音が耳に届いた。
悪いが……良い気味だ。
「ドアを開ける時は静かになさいっ!毎度毎度バッタンバッタン……行儀が良くなくってよ」
「うっせえな!ってかマジで痛えよ!」
「じゃあ直しなさい」
「誰もドアの開け方なんか気にするかっ!……ったく、お前こそお嬢様気取るならもっとおしとやかにしたらどうだ?本の角でぶん殴る御令嬢なんぞ聞いたことねぇぞ?」

No.121 09/04/23 22:08
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱12🌱



「そんな御令嬢、ここにいますわよ?」
「恥を知れ」
御厨の言葉を楠木は完全無視して、俺に最上級の笑顔を向けた。
「こんな粗暴な凡愚は放っといて、中にどうぞ」
ボキャブラリーに過剰な悪意は感じられたものの、ドアの恨みもあるので俺は御厨を無視して部室に入った。背後から一度舌打ちが聞こえた。
「あいにくまだ橘部長が来ていないんですけども……」
そこで突然、ガサガサっと気味の悪い音が響いた。
「誰が来てないって?なぎさ~」
何となくそんなこともあるかも、という気はしていたし、それは楠木も同じだったらしく大したリアクションは無く、不発。
部長、橘柑奈は幾分不満そうな顔で、書物カオスの山から這い出して来た。見ようによっては『某ホラー映画のテレビから出てくる女性』みたいだった。
「もうちょい驚いてよ。驚いて欲しいんだから、驚いてやらないと、驚くべき驚きなのよ?」
楠木は意味不明の柑奈の言葉を無視して訊く。
「また本山の中に泊まったんですの?」
「結果的にそうなっちゃったみたい。私ってばホームレスの才能も抜群」
柑奈は猫に似た声で笑う。笑い事では無い。
「部長、そのパターンは累計四度目ですわ」

No.122 09/04/26 22:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱13🌱



「んで、君は正式にウチの部員になったわけだ。よって、君の活動内容を決めなきゃだよね?」
「……とりあえず、変な体勢で真面目なこと言うの止めてもらえますか?」
本から生えてきた根っこのような柑奈を見下ろして俺は言った。
柑奈は仕方ないな、と不満げな表情で全身を前進し立ち上がる。
「で、何やる?」
はて、言われて俺は気付いた。
何も考えてない。というかできることが無い。
文章なんて、学校で強制的に書かされたものしか経験が無い。日記すら書いたことが無い。
そんな俺に可能な、文藝部の活動内容にカテゴライズされるアクションとはいったい何だ?
「……読書とか?」
創作から離れられる分野はそれぐらいだ。もちろん、読むことすら継続できるか怪しいという事実はこの際黙殺するほかない。
「ダ~メ」
不意な柑奈の返答。いや、ダメって何だよ?
「部長も活動内容『読書』なんだから、俺だってそれでいいじゃないですか」
「アタシはいいのサ、でもレン君、君はダメだよ」
「だから何で?」
柑奈は俺の目の前で、チッチと人指し指を振る。
「自分に理由が見えないからって、それが理由の無い『理由』にはならないよ」

No.123 09/04/29 00:34
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱14🌱



「意味が分かんないんですけど……」
「意味が分かんないからって『無意味』とは限んないってことかな。言い換えれば」
そう言って今度は不敵な笑みを浮かべる柑奈から、俺は目を逸らした。
「そうだな……うん。やっぱし小説、レン君は小説だ」
「俺は小説じゃないです。人間です」
「君は小説を書けぃ!」
ニャハハと笑う柑奈を尻目に、俺は情けない自分の文筆歴を思った。
「無理です」と俺は露の迷いも見せずに即答する。
「何で?」
「書いたことないし、書ける気もしませんよ」
俺は投げやりな口調で言葉を転がす。
「アタシは、レン君には才能があると思うぜ!」
「突然のその口調変化はなんですか……」
俺のターンっ!とでも叫び出しそうな柑奈の口調を俺はたしなめる。
「俺が今まで書いた最長の文章って、どれぐらいだか分かりますか?」
「さあね。興味無いよ」
俺は柑奈にパーを見せた。堂々と見せた。デーンと効果音が付きそうな感じで見せた。
まあ……恥じる所なのかもしれないが。
「読書感想文、原稿用紙五枚ですよ?五枚で何が書けるんですか」
「君には何でも書けるよ」
柑奈は妙に自信満々で、俺を諭すようにそう言った。

No.124 09/05/01 00:03
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱15🌱



「何にも書けませんよ」
そう、面倒臭くて俺に書けるわけがない。100ページ読むのが面倒で耐えられないというのに、100ページ言葉を隙間無く並べることに一体どうして耐えられようか?
柑奈は、色の無い視線をじっとりと俺に向けている。そしてそのニュアンスは一瞬に改変される。
「じゃあ書いてみればいいよ。そしたら分かるから」
俺は嘆息する。
柑奈は俺という人間を全然理解していない。可能不可能の話ではない。俺はそもそも書く気が無いのだから。
「部長、そもそも俺はやる気が無いんですけど。無気力野郎ですから」
「ダメ、書け」
柑奈は命令口調でそう押し付ける。
「書けったって……」
柑奈は頷くと、A4の紙一枚と鉛筆を取り出した。
「それくらい私にだって分かってるさあ。『何でも良い』って言ったところで何にも始まらないことくらいはね。舐めてもらっちゃ困るよ。それくらいの段階とかは心得てるよ。十分にね」
柑奈は鉛筆をクルクルと器用に回しながら言う。
「まずこれから二時間かけて、その紙に、この部室を言葉だけで表現してみなよ。途中で止めちゃだめだよ?二時間一杯使って、この部屋を君の言葉で描くんだ」

No.125 09/05/03 20:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱16🌱



「嫌ですよ、面倒臭いし……」
二時間も一枚の紙とのにらめっこを演じるなど……考えただけで憂鬱になる。景色がワントーン暗く見える。
「だからダメだって、部長命令なんだからさぁ。君、文藝部の部員でしょ?死にたくなかったら、アタシに逆らわない方が良いかもよ?」
そう言う柑奈の笑いに、まさしく中世欧州に生きるウィッチの薄暗い恐ろしさを感じた俺は、取り合えず紙を持って席に座った。
まあ『死ぬ』は大袈裟過ぎるが、命令に逆らえば何かしらの不幸に遭遇するだろうことは想像できたからだ。
満足そうな柑奈の視線を受ける俺の手は、落ちていた分厚い本を取り上げて下敷にし、一応のやる気の見える態勢を繕った。
だがもちろんやる気など、俺の内部には欠片も微塵も存在しない。
要は、俺に物書きの才能が露ほども存在しないという決定的事実を知らしめてしまえば、柑奈は諦めるはずだった。考えてみるとかなり惨めな話だが。
とにかくそういうことで、元より本気を出しても仕方ないことなのだから、無論俺が本気を出すことなどないのだ。
「ホホゥ、書く気になった?」
俺は柑奈に曖昧な笑みを向けた。生憎そんな気は起きちゃいない。

No.126 09/05/06 21:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱17🌱



30分経過。
死ぬほどに退屈だ。
俺の手に納まっているA4は、もう気持良いほどに白紙だ。この暗い部室では心なしか眩しさを覚えるくらいだ。
御厨は漫画用の原稿用紙に何やらガリガリと、嫌な色の笑みを浮かべて没頭している。
楠木は楠木で、歌いながら走り書きを取っている。かわいい顔に似合わずヘビーな音痴だ。
柑奈はと言えば、やはり分厚く古めかしい装丁の本に顔を落とし、奇怪な呪文を低い声で唱えている。ロシア語と言っていたが、もはや暗黒魔導書にしか見えなかった。
しかし時々、眼光だけは鋭くこちらを射抜いてくる。あと一時間半は椅子の上で待機せざるをえない雰囲気だ。
俺はもう一度紙に視線を落とした。
……やはり何かしら書いた方がいいか?
そうだ。まっさらで出してはわざと手を抜いた風に見えるかもしれない。
俺は鉛筆を持ち直すと、緩い視線をスッと走らせてみた。
本の山。……右手に本の山、と書いてみる。
『コインロッカー・ベイビーズ』が上下巻仲良く折り重なっていた。ベイビーズと言うのだからそれは本望なのかもしれない。開いた本が重なる様は、手を取り合う人の姿に似ていないこともないんだから。

No.127 09/05/15 19:48
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱18🌱



俺はそんな事を書いて、馬鹿らしいと視線を上げた。
また別の山に視点が合う。
……なんとなく形が犬っぽいと思う。もしこんな犬がいたら、イジメられるかなとも思う。
ブックドック。
不細工な響き。
影の生む闇の中にあるものは全て、色が似通ってくる。逆に小さな窓から射し込む陽光に照らされたほんの一部の空間は、祝福されているかの如く鮮やかだ。
類似までも個性と呼ぶかのように、赤と朱を明確に区別するかのように、それはステージめいている。
青と黒がひっくるめられてしまうような闇に生きる存在は、果たして表舞台を憎むだろうか?
自分ならそんな事は無いな、と思う。皆一緒なら、俺だけ劣等感を感じずにすむ。
何よりあれは本だ。


そんな事を頭に走らせながら、俺は鉛筆を走らせていた。
紙に目を落とした時、はっきり言って俺は驚いた。こんなに言葉がスラスラ出てくるなんて経験が無かった。
それに、何だかしっくりくるというか……何というか。
とにかく俺は驚いた。戦慄したと表現してもいい。俺の自己分析の反道を行って埋まり続ける紙面にある種の恐怖的感覚すら覚える。
総括して俺はその日、生まれて初めて言葉を綴った。

No.128 09/05/22 22:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱19🌱



「……ほらね。思った通り」
柑奈は俺から紙を引ったくると満足げな視線で眺めた。
「やっぱり、君は書ける人間だよ」
「それぐらい誰でも書けるでしょ」
俺は気の抜けた返事をする。
「なぎさ、御厨、君らも見たまえよっと」
柑奈は二人を手招きして見せる。
「……荒くて、洗練された文には遠いですけど、非凡な着眼センスを感じますわね」
「ああ。絵にするには都合が良い感じだな。形以外のイメージが湧きやすい」
誉められていることが驚きだった。
少なくとも、二人は職業として通用するだけの芸術的素養を持った人間だ。それが、初めて書いた俺の創作を誉めているのだ。
「どう、分かった?君は小説を書ける人間なんだよ」
「でも、こんな紙切れ……俺が長い文章を書いたり良いストーリーを考えたりできるってことにはならないです」
そうだ。これは断片に過ぎない。欠片を作ることができるからといって、器が作れるということにはならないはずだ。
「全然分かってないなあ……」
柑奈はわざとらしい溜め息をついて見せた。
「何がですか」
「レン君の言ってることはね。なーんにも大したことじゃない。チリとかゴミレベルの話なんだよ?」

No.129 09/05/25 01:40
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱20🌱



「いいかな?君が今言ってるのは、『小説っぽい文章』のことだよ」
そう柑奈は説明を始める。
「緻密で魅力的なストーリー。感情豊かなキャラクター。美しく技巧的な描写……皆そういうのを見てスゴいって言うけどさ、実際そんなものは誰にだって簡単に書けるんだよ」
柑奈は人指し指を立てる。
「多くの人が小説を小説と感じる所以。それを成立させているのは、実はたった一つのテクニックなんだよ。それが、『小説っぽい文章』を作る技術ってやつ。分かる?」
何となく言わんとすることは分からないでもないが……
「小説っぽい文章を書くってのは、後天的に、しかも割と容易に習得できる技術だ。だから、レン君が心配してることは少しコツを覚えれば万事OKのスーパーウルトラ枝葉の問題ってことだよね?」
「そうですか?」
「そうなの。私が言うんだからそうなの。断じてそうなの。そんでもって本題に行くと、君は後から努力したってどうにもなんない物を、少なくとも一つは持ってる。最初から持ってる。私の見立てによるとね。それはつまり、君には本当の意味で、見せかけじゃない小説が書けるかもってことなんだな。つまり」

No.130 09/05/28 01:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱21🌱



柑奈はとりあえず、俺に小説を書けと言っている。
俺は小説を書けるか書けないか、つまり可能不可能で話をしていた。だがそもそも、できるかどうかは別問題だ。
「俺、すごい面倒臭がりなんで、最後までもちませんよ」
書くという多大な面倒加減に俺が圧殺されないはずがない。
「いいや、そんなことない」
柑奈はそう言った。
「君、書いてる時にさ、ちょっと楽しいって思ったでしょ?」
鋭い。でも、楽しいとは違う。
「まあ、初めてやることは、何かしらそんな感じがするもんだと思いますけど」
「君が感じたのはそんなことじゃない」
柑奈は言い切る。俺より俺を知っているかのように断言する。
奇妙な自信。
「レン君はさ、舞衣とおんなじ顔してたんだよ」
舞衣、一ノ瀬舞衣。
突然に予期しない名前が出てきて、俺は少しだけ動揺した。
「何ですかそれ」
「さあ、何でしょう?……けどまあ、今はいいよ。書きたくないならね。書かなくてもいいよ」
柑奈はさっきまでの主張を翻して、今度はそんなことを言った。
「でもさ、遅かれ早かれ君は小説を書き始めることになるって、私は知ってるんだよ。レン君もそれは覚えておいた方がいいと思うよ」

No.131 09/05/31 19:32
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

🌱22🌱



結局、俺の部活デビューはそこでお開きとなった。
赤みをおびた空の中を、不自然な程に急速に流れていく筋雲を、俺は仰いだ。
自転車を押す右手をかざす……無風。
でも、俺の知らない遥かな空気のそのまた上では、きっとジェットコースターみたいなスリリングな気圧の関係があって、それがあんな風に雲を細く棚引かせて、どこか見えない場所へと運んでいくのだろう。
今の俺はあの雲に似ていると不意に思った。
停滞し澱んでいた空気が、一転して凄いスピードでかきまわされているような気分だった。
何もしなかった、いや……何もできなかった俺。それを包む環境は、ここ二、三日の間に、絵の具を滴下した真水の如く乗数的に色を変えている。
その中心は一ノ瀬舞衣だ。彼女がその指数であり変数だ。

一ノ瀬は、今日は部活に来なかった。
一ノ瀬はどんな気持ちで小説を書いているんだろう?
そんな疑問がふと湧いてきて、俺は突然に一ノ瀬に会いたいと思う。話したいと思う。一ノ瀬の書く言葉を、読んでみたいと思う。
そうして、俺は思う。何考えてんだろうって。
何だか少し笑えてきた。
俺は自転車に乗る。無心に、ただペダルを踏み続けた。

No.132 09/06/01 01:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter7終了です。
後半、普段でも遅い更新速度が更に鈍重になってしまい、読者の皆様申し訳ありませんでした。

やっとレンにも小説とのつながりができました。これでプロローグの述懐にも少しは近付いてきたかな、という感じです。


あまり書くことが無いので、最近読んだ本の話でも。
時期外れに三浦しをん『風が強く吹いている』を読みました。
簡単に言うと、素人軍団で箱根駅伝を目指すという話です。こういうと身も蓋もないですが……
読んでみると、やっぱり職業作家は違いますね。特にこの小説はキャラ使いが抜群に巧かったです。
箱根駅伝は全十区間、当然メインキャラも最低十人は使わなければいけません。
しかし強制的に使わされているはずの十人皆が、見事に無駄無く話を作っています。要らないキャラが一人もいない。きっちり十人使いきっています。
これはかなり難しい。
私が大勢のキャラを書くと、見ての通り出方がムラだらけになります。非常にマズイんですが、分かっててもなかなか上手くいかないんですよね💧

私もこんなキャラ使いをさらりとやってみたいものだなと、感心しながら読みました。



I'keyでした。

No.133 09/06/06 17:17
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Chapter8



6月3日、午後8:50
場所、自宅二階自室

今日、橘柑奈から台本を受け取った。
レポート用紙の束に付された表紙を見る。統矢は五度目の読み返しを始めた。
実際、かなり悩ましいことだった。

統矢が柑奈に、学園祭演劇部二年生公演のシナリオを依頼したのは四月のことだった。
題目は『伊豆の踊子』、川端康成の代表作と言える短編小説だ。この作品をテーマにした舞台脚本も、当然無数に存在する。普通ならそれら既存の台本の内の一本を、部員数や上演時間、機材・舞台状況等までを加味してアレンジし上演するのだ。
しかし脚本は完全オリジナルでいきたい、というのが当初からの部員皆の共通意志だった。
何故そんな気が湧いているかと言えば、現二年にとって初めての大舞台であった去年の学園祭一年生公演を、オリジナルシナリオで成功させた経験があったからだと統矢は考えている。
そのシナリオを書いたのが統矢だった。ということで、今回もシナリオに関しては統矢が一任されていた。
脚本を依頼した柑奈は快諾してくれた。それもこれも楠木のお陰ではあったが。
それを今日学校で受け取って、今こうして読んでいるわけだった。

No.134 09/06/07 18:29
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓1📓



シナリオを柑奈に依頼した背景にはそれなりの事情があった。
去年の公演、実は統矢は主演も務めていたのだ。顧問の後押しと部員の賛成によって、統矢は裏から表までの活躍を見せることになった。部員が賛成したことにはもちろん、当時の彼らに主演に名乗りを挙げる度胸が無かったということもある。
一人だけ活躍すれば妬みが出る。それが統矢の懸念だった。
脚本担当の統矢には配役を決める権利もあるが、独断では不満が募る。そこで配役は部員の立候補・推薦を尊重、その後の本読みを見て多数決で決めることにしていた。
二年男子は女子と比べてタレント不足で、たぶん今回の主演も統矢に回ってくる。それは断れない。無理に立てた主演では失敗するだけだからだ。
するとまた「主演・脚本周防統矢」だ。
これでは「何で統矢ばかり……」という意識の発生は不可避。下手すれば端役の生徒が離反する可能性もある。実際一年生公演でも、統矢の優遇に不満を漏らして辞めた生徒が二人いた。その状況は避けたい。
配役に全員が完全納得というのは無理な話だが、少なくとも協調性を持って稽古が出来るレベルまでは我慢してもらわねばならないのだ。

No.135 09/06/20 00:47
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓2📓



そこで、言わばシナリオを外注するという形を統矢は採ったのだ。この方が脚本プラス主演よりは角が立たない。
楠木なぎさの紹介で橘柑奈に脚本を依頼したのはごく自然な流れだったと統矢は考えている。
柑奈の文章は一読すればその才能を推し量るに充分すぎるものだった。彼女以上の人材を見つけるには恐らくプロを候補に入れないかぎり無理だ。
だから柑奈さえ承諾してくれれば彼女の台本で行こうと統矢は考えていた。
橘柑奈は校内外の一部で『東桜の魔女』と呼ばれ、才能ある学生文筆家としてだけでなく単なる怪人物としても有名だった。それゆえ交渉はある程度難航、あるいは失敗もあると統矢は考えていた。
しかし楠木なぎさの『秘策』により交渉は存外簡単に運んだ。
「……伊豆の踊子」
統矢は台本の表紙に印字されたタイトルを何気無い口調で読んでみた。
思えば、簡単に運びすぎた交渉が問題だったのかもしれない。
後先考えずに柑奈の側が出した要求を二つ返事で受け入れ、さっさとシナリオを依頼してしまったことを統矢は少し後悔した。
でももちろん、台本が書き上がってしまった今となってはもう遅い。統矢は決断を迫られていた。

No.136 09/06/24 22:14
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓3📓



柑奈の出した条件は、自由に書くことを認め、書き直し・修正は一切しないこと。内容に関して質問等は一切受け付けないことの二つだった。代わりにそのシナリオを使うか使わないかはこちらの自由だ。
その内容が問題だった。伊豆の踊子とは名ばかりで、中身が全く別物なのだ。
伊豆の踊子は、簡単に言うと主人公で旧制高校の学生である「私」が、旅の途上で偶然出会った旅芸人の踊子に恋をするものの、身分の差や境遇から最後には別れるという話だ。
『自由に』という条件に、統矢も現代劇への転換くらいは予測していた。しかし柑奈の脚色はそんな生易しいものではなかった。
概略すればこうなる。主人公の『私』は『外』に出るために『上』から『下』へと旅をしている。その途中に歌姫と呼ばれる『下』の住人と出会う。私は歌姫に恋をする。しかし最後には歌姫を置いて、私は『外』へと消えていく。
とにかく話が抽象的で、具体的なイメージが湧かないのだ。どんな世界なのか?未来なのか現代なのか?そもそも異世界なのか現世界なのか?
こんなあやふやな台本から舞台美術を作れと言えば、大道具・美術チームの連中は頭を抱えてしまうだろう。

No.137 09/06/26 13:25
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓4📓



更に大きな問題は歌だ。歌姫が登場するシーンと、クライマックス、歌姫が主人公に歌う歌がある。
歌詞はあるが曲が無い。オリジナルで曲を作る必要があるのだ。

それ以外にも大小の問題が山積している。
だがそれ以上に統矢には、このシナリオが魅力的に見えていた。
確かに伊豆の踊子とは言えない、全く別物の話だ。それでも根底に流れる、最下層の思想とでも呼ぶべきものは確かに連結している。
「……でも」
意識せずに声が漏れた。統矢はもう一冊、台本を手に取る。
統矢が書いた『伊豆の踊子』だ。不測の事態を想定して統矢も一冊書いていた。
内容は原作に忠実な、いたってスタンダードなものだ。小説の持つ雰囲気をそれなりには写し取ることが出来ただろうと、自分では一定の評価をしていた。
しかし柑奈の脚本を読むと『違う』とどうしても感じてしまう。
違うのだ。全然違うのだ。
言葉の持つ生気や躍動感、表現力、ダイレクトに伝わる書き手の意志、そしてその裏側の密閉空間に隠された原作『伊豆の踊子』。
読むだけで、こんなにも心を動かす。ならばこれを人が演じたなら、声帯を震わせ、思いを乗せて真摯に演じたならばどうなるだろう?

No.138 09/06/27 22:15
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓5📓



自分の台本と柑奈の台本、両方を提示して多数決で決める手もある。
だがそれは避けるべきだ。不採用の方を支持した部員たちに不満が生まれかねない。柑奈の台本を採用し、準備が難航したのなら尚更だ。
そこまで考えて、統矢は気付いた。
俺は既に、柑奈の台本を採用するつもりで考えている。
そして理解する。
困難であることと、やりたいものを取り違えていただけだということは、分かってたことじゃないのか?
俺はきっと無意識に、確実に成功して尚且つ自分も満足できる、体の良い舞台を求めていたのだ。
でも本当は違う。
演りたいモノは誤魔化せない。柑奈の台本を見た時に感じたのはきっと、そういうことだった。
じゃあ答えは一つだ。
柑奈の台本を皆にぶつけてみればいい。
困難かもしれない。失敗するかもしれない。だから演らないのか?こんなに凄いシナリオがあるのに?
失敗に価値は無い。けど、挑戦しない成功にもきっと、価値なんてない。
だから俺たち演劇部は挑戦し、打ち勝って、最高の舞台を作る。
橘柑奈は、俺たちにそれができるのかって、そう言ってこの台本を託したんだろう。
なら見せてやる。俺たちの最高の舞台を。

No.139 09/07/07 21:54
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓6📓



演劇部部室の大黒板には既に「第五回班長ミーティング」の文字が白チョークで深く刻まれている。窓から射し込んだ白い光が文字だけ強く反射して、輝いて見える。
部室の中央をどっしりと制圧した長机には、班長と呼ばれる幹部部員たちが既に顔を揃えている。
演劇部員は役者だけでなく、裏方としての役割もそれぞれ持っている。その裏方のチームを班と呼んでいる。例えば大道具班、音響班、照明班、衣装班、小道具班……といった具合だ。
「じゃあ、第五回班長ミーティングを始めます」
統矢は立ち上がって宣言した。
「早速だけど、まず公演内容を決めてしまいたいと思う。今回の脚本……三年生の橘柑奈さんにお願いした。内容は先日渡した通りだ」
ざわめきが微かに響いた。今の三年生が一年だった時の公演……その脚本は小劇団とは言えプロの舞台に採用されたため、小さな伝説と化している。
書いたのはもちろん、柑奈だ。
「はっきり言って……かなり難しい内容だと思う。公演の難航は必至だろう。けれど、それでも俺は挑戦したいと思っている。もちろん方針を変えて出来合の脚本で公演することもできるけど……どうする?皆の意見を聞きたい」

No.140 09/07/10 21:56
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓7📓



「高木はどう思う?」
統矢はとりあえず照明班長の高木に話を振ってみる。
「ウチの班としては問題ない。ただ、大道具班、小道具班は大丈夫なのか?」
統矢は頷く。高木に話題を回したのは正解だ。問題を指摘し、議論を動かす。高木はそういう能力に長けている。分析力の高さは台詞の読みの深さにも逐一現れている。
「じゃあ原田、どうだ?」
今度は大道具班長の原田に展開する。
原田は大雑把で台本の扱いに難はあるが、その舞台における自分独自の演技観を素早く構築する天性の勘がある。野生派とでも言えるだろうか。
「まあ、掴み所はないよなあ……だが」
「だが?」
「俺の好きに舞台をプランして良いってんならビジョンはある」
統矢は頷く。
一つ目の問題解決。舞台の設計は原田に一任だ。
「佐々木さんは?」
小道具班長の佐々木は手先が器用で仕事が早い。台詞覚えも一番だ。
「ウチは原田君たちに合わせて作るから大丈夫だよ。小道具班は皆仕事早いからね」
こっちもOKだ。これで大問題の一つ、いかに舞台を作るか、は解決の目処が立った。あとは原田のクリエイティブ・センスに全てを託す。
次はもう一つの大問題、音楽だ。

No.141 09/07/18 14:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓8📓



「……白鳥さん」
「ハッ、ハイっ!」
音響班長の白鳥がビクッと小さな体を震わせた。気が弱い白鳥にはプレッシャーが重いだろうか、と統矢は不安になる。
「台本に歌詞が二つあるよね?」
「はい」
「……曲がないんだ」
「……はい」
白鳥の表情が険しさを増す。
「白鳥さんに曲を付けて欲しいんだけど……無理かな?」
白鳥は幼少からピアノを習っていて、コンクールでも優勝経験があるほどの腕前だ。その上作曲にも才があり、作曲コンクールでもいくつか賞を取っている。舞台でも手頃な曲が見付からないと、自分で作って弾いてしまうことも少なくない。演劇よりも音楽寄りに強いセンスを持っているのだ。
「……ピアノ曲と吹奏楽曲は作ったことがあるけど、歌は経験が無いから……」
統矢は頷く。
「経験の有無じゃなくて、出来るか出来ないかを聞かせて欲しいんだ」
白鳥が目を伏せて言葉に詰まる。
ちょっと焦り過ぎたか。
「白鳥さんが出来ないって言うんなら、それは凄く難しいことなんだと思う。もちろん俺たちの誰にも出来ないことだし、そういうことを君一人に押し付けようと俺はしている。だから、無理なら無理と言ってくれて構わない」

No.142 09/07/26 01:41
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓9📓



「その……私が出来なかったら、この台本は諦めるって……こと、ですか?」
白鳥が不安そうな声で尋ねる。
……その通りだ。柑奈からの条件で修正は出来ない。『歌』とされている以上は曲を付けなければならない。
「そういうことは、気にしなくていいから」
統矢は最大限に口調を和らげて言った。白鳥にプレッシャーを与えても仕方ない。
白鳥は数分考え込んだ。場の空気が重さを増すが、統矢は辛抱強く返事を待った。
「あの」と白鳥が、いつになく芯の通った声で口を開いた瞬間、全員の視線が集まった。
「できる……と思います」
たじろぎながらも、確かに、白鳥はそう答えた。
「ううん、やります」
と追加でもう一言。
充分だ。期待以上だ。
行ける、という確信が統矢の中に満ち始める。
「じゃあ、今回この台本で演ることに反対の者は挙手してくれ」
統矢は少し逸り気味の言葉を飛ばす。もちろん手は挙がらない。
統矢はいつになく高揚を覚える。
本当に大変なのはこれからだ。まだこの台本に、この舞台に、自分たちは挑んでもいない。
そんな事は重々承知している。
でも、皆の意志は今固まった。
大きな壁に今、最初の一手を掛けたのだ。

No.143 09/08/05 20:45
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓10📓



演目決定から二週間が過ぎた。順調だと統矢は考えていた。
配役はほとんど揉めることなく決まったし、大道具の原田も期待できそうな雰囲気だった。白鳥は多少不安だったが、今の所はまだ大丈夫そうだった。どっちにしても任せるしかない。
「またこのコンビだね」
そう稽古中に言ってきたのは東雲だった。
彼女の栗色のロングヘアは女子の羨望の的だ、とどこかで聞いたが、確かにちょっと無いくらいだと統矢は思う。
歌姫役は東雲と高嶺のレースだった。本読み投票の結果、僅差ながら勝ったのは東雲だった。
「俺には東雲と違って競争相手がいなかったからね。必然だ」
「必然って……私が役を取るって分かってた?」
「いや、歌は高嶺さんの方が断然上手い」
統矢に応じる東雲の笑い声には嫌味が無い。
「相変わらず酷いなあ……」
東雲が相手役で良かった。
正直統矢はそう思っていた。理由は良く分からないが、一番呼吸が合うのは東雲だった。相性としか表現出来ない物はある。
「私は統矢君で良かったよ。信頼できるって分かってるから」
東雲の笑顔は掛け値無しに綺麗だった。
東雲はいつも舞台に立っているようだと、統矢はよく考えた。

No.144 09/08/10 14:39
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓11📓



校舎の外に出ると、もう終わりかけの夕暮れ空が街を覆っていた。
燃えるように染まる全て。それを染め上げる一点。その中に立つ朱音を統矢は見た。
「朱音、今帰りか?」
「ああ……うん」
「……一人か?」
「……うん」
嫌に暗くて、朱音らしくない。
「たまには一緒に帰るか」

朱音は、下を向きながら酷くゆっくりと歩いた。何かが絡まっているようにさえ統矢には見えた。
その理由を統矢は訊けなくて、時間と距離だけが過ぎた。
「そう言えば、朱音と二人で帰るの初めてかもな」
統矢がやっと思い付いた第一声は、そんな台詞だった。
「そうだっけ?」
「いや、適当に言った」
「適当って……」
朱音が少し笑った。
しかし統矢はちゃんと覚えている。
朱音の隣にはいつも誰かがいた。いつもの三人がいて、友達がいて、同じソフトボール部の仲間がいて、そして誰もいない時、隣にはレンがいた。
統矢は三人の中の一人。それはいつだって変わらなかった。ちょうど、今沈んでいく太陽のように変わらない事だった。
また声が無くなった。自転車が立てる、カラカラと乾いた音だけが重なって響いて、次第に濃度を増す夜色に吸い込まれていった。

No.145 09/08/13 21:09
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓12📓



朱音が暗いと、酷く気分が塞がる思いがする。
統矢は自転車を押しながら、軽い焦りにも似た感情を隠して思案した。
……レンの事だろうかと、まず統矢は考える。文藝部に入った話は別として、一ノ瀬との一件を朱音が知っているはずは無いが。
「どうした?」と一言訊けばいいんだろう、だが妙に言いづらかった。
「部活の調子とか……どうだ?」
軽く探りを入れようと思ったが、何だか世間話みたいになって統矢は軽く嫌になる。
「今年は……一回戦負けしちゃった」
「……そうか」
失策。重さの増した空気が辛い。
逃げるように統矢は空を見上げる。白んだ月がいつの間にか顔を出していた。
ふと、朱音の足音が止まる。
振り向いた統矢と、朱音との間は自転車一台分の間隔。
広いだろうか?それとも狭いんだろうか?
不意に、横に立つ街灯が明かりをともす。
それで気付いた。
朱音は……泣いていた。
言葉が出ない。何かを言おうとする。何を?
俺は何を言えばいい。何て言えばいい?
統矢はただ、立ち尽くしていた。
時間が静止したようだった。古びた街灯の、不規則な明度の変化だけが時の流れだった。
笑い声が、遠く聞こえた。

No.146 09/08/17 20:42
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓13📓



「全部アタシのせいなんだ……負けたの」
朱音は消え入りそうな声で呟いた。
「試合前日の練習で、アタシ先輩に怪我させちゃったんだ……もちろんわざとじゃないけど、そんなの関係無いよね?最後の大会なんだから、さ……」
統矢には初耳だった。そして恐らく、今日が無ければ知ることは無かった。
多分誰にも、言うつもりは無かったのだろうと統矢は思う。
「監督は、先輩の代わりにアタシをレギュラーにしたの……先輩にどんな顔して会えばいいのか、分からなくってさ。皆にだって、合わせる顔無いし……」
朱音の声は震えている。
「でも、先輩はさ、笑ってくれたんだ。無理してるのは分かった。泣いてたし。でも、それでも、代わりに全国に連れてって、ってさ、笑ってアタシを送り出してくれた……絶対に行きますって、約束したのに……」
「朱音……」
「あの時、アタシがつまんないエラーしなきゃ……勝ってたんだよ?……ホント、バカだよね。タイミング悪すぎだよ……」
堰を切ったように、朱音の瞳から溢れる涙を、統矢は拭う術を持たない。
「アタシがぜーんぶ……ダメにしちゃったんだよ……」
不意に朱音の体が、フラリと揺らいだ。

No.147 09/08/21 22:36
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

📓14📓



金属音。
二台の自転車が連れだって倒れた。フレームが街灯に明暗のコントラストを描く。
ホイールの空回りする、乾いたリフレインが響く。
視線を下ろす統矢。
朱音は、統矢の中にあった。
無意識に、ただ抱き止めていた。
無言で空間だけが静止している。時間だけが動作している。
朱音の温もりを感じた。心臓の音が聞こえる気さえした。
俺の鼓動はいつも通り。こんな所ばかり俺らしくてな……と、統矢は自嘲する。
やがて止まるホイール。訪れる静寂、暗闇、月光の脆さ。
「ご……ゴメン」
朱音の、震えた声が内側から聞こえた。
何て答えればいいだろう?
そう統矢は考えようとした。それでも思い浮かぶのは、ここはレンのポジションだろ、とか、俺のキャラじゃない、とかつまらないことばかりで笑えた。
「……ゴメン」
繰り返す小さな声。
「……いいよ」
よくよく考えてみれば、朱音が何に謝っているのかも、自分が何を許しているのかも統矢には分からなかった。
ふと胸の辺りが冷たいような気がした。
涙かな。
「アタシ……泣いてもいいかな?」
「……いいよ」
もう泣いてるだろ、と言わなかっただけ上出来だと、統矢は思った。

No.148 09/08/23 19:38
I'key ( 10代 ♂ GDnM )

Intermission



Chapter8終了です。
相変わらずノロいのは筆者の仕様です💧
今回は三人称、実質統矢視点でお送りしました。
統矢のキャラが前半と全然違うのは気のせい……ではなく私の不手際ですので勘弁して下さい🙇


一応『恋愛モノ』という触れ込みで始めたのでね……三角関係チックな展開とかを入れたいなぁ、とか思ってます。
一口に『恋愛』と言ってもですね……私、ガッツリ書くのは正直恥ずかしいのですよ💧
ってことでかなり淡い感じの展開が予想されるので、そういうつもりであんまり深い方には期待しないで見て頂ければ幸いです🙇


これで、なんにも動いていないのは春彦だけですね。
彼には何か動きがあるんでしょうか?
……無いかもしれません😭


さて、次章からは一気に話を進める切札『夏休み』をお送りして行きたいと思います。
高校生はちょうど夏休みが終わる所ですかね。タイムリーかと思ったら一歩遅かった……
でも大学生は今夏休みだから気にしません✨


最後になりますが、本作10000hitを達成致しました🎉
読者の皆様に御礼申し上げます🙇

気が向いたら感想部屋でちょこっと祝ってやって下さい🙇

No.149 09/09/05 02:08
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

Chapter9



楽と苦とは、まさしくワンセットでやって来るのであった。
全ての結果が下された昼休み、苦渋の表情を浮かべる生徒――特に男子――も散見される。
夏休みという名のサンクチュアリへの入場を果たすためには、皆等しく、期末考査という試練を乗り越えなければならない。失敗すれば補習のイバラロードへと有無を言わさず突入することになる。
ビバ!デッド・オア・アライブ!
先生と二人三脚、めくるめく少人数授業、手取り足取りの休日返上スタディへようこそ!


順調に夏休みへのパスポートを入手した俺は(こう見えて勉強の要領は悪くない)教壇の上に立っていた。左手にはテスト用紙。
「さあ!レン、正々堂々勝負だ!」
そう声を張り上げたのは春彦。教卓を挟んで左に俺、右に春彦、向かい合う俺たちに与えられた八枚のカードが妖しく輝く。
「悪いが、勝つのは今回も俺だ」
俺が低い声で言い放つと、男子たちから「おおっ」と奇妙な熱を纏った声が上がる。
女子の白けた視線とは対照的に、男子の瞳はいよいよフェスタの光を帯び始めた。一瞬の祭りが号砲を待っている。
「いくぞ!」
時は満ちた。二人のデュエリストは同時に右手を振り挙げた。

No.150 09/09/07 19:21
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐1🎐



「馬鹿だよねぇ……テストの点数で賭けなんてさ」
朱音は異様に活気付く教室の前方を見ながら統矢に話し掛けた。他クラスの生徒まで集結して来ている。
「馬鹿は今に始まったことじゃない」
「でも、わざわざテスト公開するなんて」
「アタシの点数じゃ考えられない……って?」
「なっ!?……そんなに、悪くないもん……今回は……」
「そうか。俺は前回も今回も良かった」
「……言われなくても知ってるよ」
統矢の控え目な笑顔はいつもと同じだった。ちょっとした嫌味も、同じ。
統矢が普段通りでいてくれて、朱音は内心ほっとしていた。

抱き締められちゃったもんなあ……

一度ギクシャクし出したら、四人の関係にヒビが入りそうな気がして……だから朱音は統矢の平然とした笑顔に、言葉に、安心する。それなら自分も、いつも通りを演じられるから。

このまま、無かったことになるのかな。

レンと春彦に向いている統矢の横顔を、朱音はちらりと見た。
無かったことになった方が良い……と思うんだけど、そうなったら少しだけ後悔する……のかな?
……ウムム。
「なあ朱音、お前無理に頭使うと変な顔になるぞ」
「……うっさい」

No.151 09/09/10 23:53
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐2🎐



「まずは現代文!」
俺と春彦は同時に右手を振り上げ、机に叩き付ける。
「……レン、85点!春彦71点!」
オオオッ!と群衆がどよめく。
「やっぱり春彦じゃ無理か……」
「いや、最高で60台後半の春彦がいきなり70越え……これはひょっとするぞ!」
「頼む!春彦、一勝してくれっ!」
穴に賭けている連中は神頼みだ。
流石にガチンコでは勝負にならないので、一教科でも上回れば春彦の勝ちというルールだ。
「次だ!古典っ!」
ドオオン!
「レン、83点!春彦62点!」
「見ろ!前回赤点ギリギリだった古典すら60を越えたぞ!」
「春彦頑張れ!男を見せろ!」
「続いて数学Ⅱ!ドロー!」
ズバァ!
「レン81点!春彦……76点だあっ!」
群衆が俄然熱狂する。
「数Ⅱで五点差!来るぞ来るぞ!」
春彦がニヤリと笑みを浮かべた。
「今回は本気で勉強したんだ。俺だってやればできるんだよ」
「……まだ勝っちゃいないぜ」
「数学B!召喚!」
スゴオンッ!
「レン、79点!春彦57点!」
群衆から落胆の響き。だが同時に、冷静な分析の声。
「今回の数Bは難度が高かった。ここは捨て駒、まだまだこれからだ」

No.152 09/09/13 21:00
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐3🎐



「風間君……急に成績を伸ばしたのね」
異次元に視線を当てた一ノ瀬は、何気無い口調で隣の葛城優菜に呟いた。
「えっ?ああ……うん。そうだね」
「良かったね」
一ノ瀬はふう、と息をついてからそう言った。
「まあね」



「さあ後半戦だ!リーディングっ!」
仕切り屋も代わる代わる、にわかに春彦に勝機が見え、俄然盛り上がるコロッセオ。
「レン83点!春彦65点!」
「ライティング!……レン81点!春彦67点!」
むう……ヤバイか?
英語はいつも50台前半の春彦が60台……
春彦とはいえ、真面目にやったは伊達では無いということか。
「まだまだ今日の俺は……これからだあぁ!」
春彦の一声に観衆も歓声で応える。もうどっちに賭けているも関係無いテンションだ。
「日本史B……レン81点!春彦……79点だっ!」
「寄せたぞっ!2点差だっ!」
「次は春彦の一番得意な生物だ、これは本当に分からなくなってきたぞ!」
「さあ、いよいよラスト、生物Ⅰ!」
俺と春彦、最後の一枚を右手に掴む。
そして繰り出す。
「レン81点……」
点数の上に乗った春彦の指が、静かに動いた。
「……春彦82点!」

No.153 09/09/16 19:10
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐4🎐



「勝者!風間春彦!」
ウィナーコールと共に、春彦に賭けた勇気あるギャンブラー五人が歓喜の声を上げた。
約40人が参加して、一人500円。勝った側で頭割りだから……配当は4000円。
結構デカイ。
「春彦、お前は勇者だ!」
「いや、賢者だ!」
「俺春彦に負けたけど悔しくないぞ!」
春彦サイドの盛り上がりは凄い。
「あーあ……」
「レン、やってくれるなぁ……」
「一点差って……」
負けじとこっちの盛り下がりも凄い。
たった500円でグダグダ言うな!と35人の白い眼の前で叫ぶ勇気は俺には無い。
「どうだっ!見たかあ!」
「……負けました」
何故か拍手。

「堕ちたな」
後ろで傍観していた統矢がやってきて、一言。
「……春彦が上がったんだろ」
俺は統矢の見下した視線にそう応じた。
「お前が春彦を馬鹿呼ばわり出来る、素晴らしい青春時代は終わりを告げたってことだな」
……一教科負けている以上、反論出来ない。
……無念だ。
「そういうことだ!もう誰も俺を馬鹿とは言わせないぞ!」
「いや、俺はお前に一教科として負けていない。よって今後も馬鹿と呼び続ける。勘違いしちゃ駄目だな」
統矢はしれっと呟いた。

No.154 09/09/21 01:11
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐5🎐



今更ながら、である。
今更ながら俺は後悔をしていた。後悔しながらも歩いていた。
葉擦れの音が俺を笑っているように聞こえるのは多分気のせいで、足取りが重いのは多分気のせいじゃない。

正直、春彦如きに不覚を取るつもりは無かった。毛頭無かった。
だが言い訳も、最早見苦しいだけだろう。
俺は『汚い』という形容詞の象徴、とでも呼んだらいくらか綺麗に見えそうな、それくらい汚れたサッカー部の部室前に立っていた。
「よぉレン、春彦に負けたらしいな?」
早速知り合いのサッカー部員が先制パンチを浴びせてきた。
「気を使え」
俺がそう返すと、奴は少しだけ悩んでからこう言った。
「レン君、ドンマイッ☆」
「……際限無く気持ち悪いぞ、お前」
「レン、これ以上俺にどうしろって言うんだ?」
「どっか行ってくれ」

取り合えず、たった今見聞した冗談にしても気味の悪い裏声・笑顔・ポーズを脳内から葬ると、俺は部室に叫んだ。
「春彦いるかー?、いないなら帰るぞー、いないなー?よし、かえ……」
「いるっ!」
ビダンッ、と半裸の春彦が扉を開けた。
「服を着ろ」
「俺はここにいるっ!」
「……待っててやるから服を着ろ」

No.155 09/09/25 01:58
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐6🎐



「で……何だよ?先に言っとくと、全裸でナントカみたいなノリは無しだぞ」
チームジャージに着替えた春彦に、俺は不本意ながら逃げ腰な一手を打っていた。
「いや、そんなんじゃないんだけど」
春彦はそう言って真面目な顔で首を振った。
敗者は、勝者の命令を一つ、何でも聞かなきゃならない。
俺たちみたいな年頃には、有りがちなペナルティだ。
有りがちなだけに、その暗黙の了解部分が非常に恐い。
勝ってばかりの俺には『何でも』の範囲にちゃんとリミッターが掛っている。だが負けっぱなしの春彦の初勝利となれば、それこそ『何でも』盛大にふっかけてくる可能性がある。大いにある。
高校生の小さなプライドと世界を粉砕してしまうような、容赦無きオペレーションの遂行は避けたい。
もちろん「自分の時だけ逃げてずるい、空気読めない」みたいなのも断じて拒否だ。
「じゃあ半裸か?下はダメだぞ?上だぞ?」
「だから違うって」
春彦は苦笑いしながら答える。
俺はちょっと顔を引いて、春彦を眺めてみた。
……うーん。いつになく真剣。なんか気持ち悪い。
「……じゃあ何だよ?」
「優菜が好きな物とか、欲しい物を調べて欲しいんだ」

No.156 09/09/27 01:39
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐7🎐



……ユウナ?
……ああ、下の名前か。
突然出現した固有名詞の指示先を俺は探した。
「葛城のことか?」
「ああ、うん……そう」
出てきたシーンは、結構昔に思える図書室での心配げな表情だった。そういえば一ノ瀬や文藝部の面々との奇妙な関係の一端は、葛城が握っていたんだな、と今更ながら俺は思い返した。
葛城が俺に荷物を持たせなきゃ、一ノ瀬とあんなことにはならなかった訳だから。
遅刻ギリギリで来なきゃ……というifは受け付けない。
「葛城ねぇ……」
「実は、今回のテストが良かったのって、その、葛城に勉強教えて貰ってたからなんだ」
「別に『優菜』のまんまでいいって……それで?」
流石に俺でも、葛城より優菜の方が自然に口から出てきたことの意味が分からないではない。
「で、その優菜の誕生日が近いから、お礼も兼ねてなんか渡したいなぁ~と」
「ふうん……でも、それなら自分で訊けよ。俺別に葛城と接点無いし」
「レンは分かってないなぁ……」
「何が?」
春彦が落胆して溜め息をついたので、俺は反射的に反駁した。
「だっから、そこは……」
「……そこは?」
「そこは当然……サプライズじゃないかっ!」

No.157 09/10/03 17:41
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐8🎐



サプライズか……
ふむ。なんとなく一理ある気もする。
「で、やってくれんの?」
「約束だからな。是非もない」
俺は頷いた。
とは言え……どうするか。
俺と葛城には接点が乏しい。『欲しい物』を自然に訊けるシチュエーションが思い浮かばない。
「どしたの?」
「いや……お前の名前を出さない限り、自然に聞き出す方法が見付からん」
「それはダメだ」
春彦が首を振った。
「じゃあどうするよ?」
「レンが考えてよ」
「お前も考えろよ」
俺が落胆して返すと、春彦は憤慨したように怒鳴った。
「おい!やるって言ったろ?約束なんだから責任持ってくれよ!レンが上手くやんなきゃダメじゃないか!」
「むっ……」
なんか筋が通ってるような気もするのだが……酷く理不尽に感じるのは気のせいか?
俺は仕方なく思案に戻った。
そうだ……そもそも俺が直接訊く必要は無い。
うん。もっと親しい奴に話して、又聞きすればいいんだ。
いや待てよ?
……でも、そこでも春彦の名前は出せないわけで、結果「俺が葛城の好みを聞きたがってる」ということになってしまう。なんかそれも要らぬ誤解を招いて、ちょっと面倒臭い気がしてきた。

No.158 09/10/10 19:17
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐9🎐



その時だった。
まさしく光明と呼ぶべき発想が飛び出したのはその時だった。
なんで思いつかなかったのか、俺は葛城の親友と知り合いであることを、とんと忘れていた。
一ノ瀬がいるじゃないか。
「……ああ。よし、大丈夫……」
……なのか?
待て待て、よく考えると不安になってきたぞ。
理由は良く分からないが一ノ瀬は俺を嫌っているらしい。嫌いまでいかなくても、少なくとも好んじゃいない。
そんな俺の頼みを聞くだろうか?

「やりたければ、勝手に一人でどうぞ」

……冷たい響きが脳内リピートした。エコー付き。
駄目か。そうだな、多分そのまま頼んでも駄目だな。
……だがしかし。
一ノ瀬にも何かしらメリットがあるってことを説明出来れば乗ってくるか?
俺の頭は冴え始める。
一ノ瀬は小説が好きだ。それは言うまでも無い。そして、小説を書くための人間観察を大切にしている。
人間観察、それだ!
俺はキリキリ冴える。
一ノ瀬説得のカードだけでなく、どうやらついでに自分が楽しめるポイントまで発見してしまったらしい。
「いけるぞ!」
「おおっ!」
俺は拳を握る。
「よしっ!お前のサプライズ、俺が引き受けた!」

No.159 09/10/16 20:54
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐10🎐



「……ってわけで、一ノ瀬に協力して欲しい」
と主旨の説明を終えた俺に向けられた視線は、恐ろしい程予想通りの絶対冷度であった。
廊下の隅を爪先でコンコン叩きながら、一ノ瀬は息をついた。
「……何で私がそんな事しなきゃならないの?」
まあ、そうだろう。その反応で正解だ。
「じゃあ、逆に訊くけど何でやってくれないんだよ?」
「する価値が無い」
一ノ瀬は即答して俺に背を向ける。話は終わりのサインらしいが、こっちの本番はこれからだ。
「価値ならある」
俺は断言する。
一ノ瀬が足を止めて振り返る。眼鏡の先の冷えた視線が光る。
試している目だ。
乗ってやるぞ、何せ俺のプランは完璧だ。
「まず一つ目は、春彦は掛け値無しに良い奴だってことだ」
「……だから?」
「もし両想いなら、これが上手く行けば多分くっつくだろ?その先、お前の親友の幸せは俺が保証する」
幸せはちょっと大袈裟だったが、これは俺の本音だ。
「保証って……夏目君、優菜の事ちゃんと知ってる?」
俺は首を振った。
「いや、葛城の事は知らない。けど春彦なら俺はよく知ってる」
「……ふうん」
少し間を空けて一ノ瀬が呟いた。
「で、二つ目……」

No.160 09/10/17 23:25
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐11🎐



「二つ目?」
「……春彦の告白シーン観賞券付き」
「……はぁ?」
一ノ瀬は唖然、というより呆れ返って言葉も無いらしい。
だが、俺の鮮やかな説得劇はここから始まる。
「良い小説を書くためには、良いキャラクターが欠かせない」
と突然言ってみる。
「いきなり何?」
当然のレスポンス。
「そのためには人間観察……だよな?」
そこでこれだ。
「誰かが真面目にコクるシーンなんて、そうそう見れるもんじゃないぜ?」
「……当日、二人の後を付ける、そう言いたいの?」
一ノ瀬が嘆息と共に尋ねてくる。答えは勿論……
「大当たり」
「馬鹿馬鹿しい」
また一ノ瀬が背を向ける。
「馬鹿かな?……今を逃したらもう見れないかもよ?」
「そう……じゃあ」
むっ……ちょっと旗色が悪いか。
一ノ瀬が一歩踏み出す。それを止めようとした俺の口から出た台詞はこれだった。
「それとも、コクられた経験あった?」
「なっ……」
一ノ瀬がビクっと振り向いた。
「どうなんだよ?」
「なっ……無い……けど」
一ノ瀬は、うつ向いて馬鹿正直に答えている。馬鹿はお前だ。
……でも、ちょっとかわいい所もあるんだな、なんて思ったりして、俺は笑った。

No.161 09/10/21 01:35
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐12🎐



「なっ……何っ!?」
俺が笑っていることを咎めているつもりらしいが、言葉尻に覇気が無い。
「いや……そんなマジメに返事すると思わなかったから」
まだ収まりのつかない笑いを俺は堪えた。
一ノ瀬は非常に居心地悪そうな表情を浮かべたまま、俺を見ていた。
「で、どうする?」
「どうするも何も……第一優菜に悪いもの」
「そんなことない。お前が見るのは『春彦』だ。『葛城』じゃない」
「何?その酷い屁理屈は?」
一ノ瀬の冷たいツッコミを無視して、俺は続けた。
「春彦は告白する機会を得るし、葛城は告白される機会を得る。お前は貴重な人間観察の機会を得るし、俺は大切な友情を深める機会を得る。これは全員幸せ、全員納得の最高の選択だ」
俺は最後の一押しとばかりに無理矢理な論理を展開してみる。
「もういい……この議論が面倒臭い」
一ノ瀬は今度こそ背を向けて帰ってしまった。
……失敗か。
「だから待てって!」
俺の制止に、一ノ瀬は振り向いた。
「手伝ってあげる」
……あれ?
俺は予期しない答えに目を丸めた。
「断ったら、延々説得が続くんでしょ?……だったら面倒臭いからやってあげるって言ったの……それじゃ」

No.162 09/10/26 22:42
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐13🎐



「レンブラント」
「……ほう」
話してから二時間後という一ノ瀬の仕事の早さには全くもって脱帽するほか無いわけだが、俺にはそのアンサーの意味する所が分からずにいた。
「レンブラント・ファン・レイン」
……何だよ、長くなったぞ?
「……ホントに分かってる?」
俺はうやうやしく頷き、こう言った。
「いや、全然」
響く溜め息。
「少しは常識って無いのかな……レンブラントは画家。ほら、世界史の教科書の表紙」
世界史……ああ、ちょっと思い出した。
「あの、何かゾロゾロ変な服のおっさんとかが集まってるヤツ?」
「……優菜が聞いたら確実に怒るよ、今の」
「正直な感想だ」
「まあとにかく、あれが『夜警』っていうレンブラントの代表作……分かった?」
「ふうん」
「優菜は絵が好きなの。特にレンブラントがね」
「まさか、絵を買えってのか?」
「風間君が最低数千万程度出せるお金持ちなら、多分それが一番喜ぶと思うけど」
「無理言うなよ」
「だから画集。優菜が欲しがってるのがあるって」
「いくら?」
「絶版だから……四から五万ってところね」
ううむ……微妙なラインだな。
「まあ……それ位は春彦もなんとかするだろ」

No.163 09/11/04 22:44
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐14🎐



しかし予想以上に春彦はダメな奴だった。
「五万なんて出るわけないだろ?」
そう言う春彦の顔は根っから真面目で、俺は人間性を疑った。
「おい、感謝の気持ちなんだろ?そんぐらいなんとかしろよ」
「じゃあレン」
「何だよ?」
「貸して」
俺は脊髄反射で拳を放った。
「良いだろっ!?友達なんだから、貸すだけだろ、ケチッ!」
ここまで調べてやった俺をケチ呼ばわりとは、帰り道に雷でも落ちろと思ったが、それとこれとは話が別だ。
ここで話がお流れになっては面白くもなんともない。
「金貸せよぉ~」
酷い言い草だ。もはやカツアゲだ。
「……中学ん時の一万、あれどうなった?」
春彦の口が止まった。
「それ以外にもちっちゃいのはちょこちょこあるし……CDにゲームも借りパクだし……」
「明日辺り返すって」
「明日辺りって、どこの近所だ」
俺は嘆息した。
春彦に貸したら返ってこないというのは、過ちを犯してから気付く苦渋の事実だ。
中学to高校の過程で、一体いくつのアイテムが春彦の財産となったのか、今や本人すら把握出来ていないはずだ。絶対忘れてる。
ということで、金を掛けない方法を捻らなければならない。

No.164 09/11/11 01:00
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐15🎐



そんなこんなで日付は進み、いよいよ葛城の誕生日となった。おあつらえ向きに日曜、朝、快晴。
ずいぶんと早くから駅に立っている春彦は、Tシャツにジーンズという格好でさっきからしきりに時計を気にしている。Tシャツ+ジーンズは春彦の基本スタイルで、それは今日も変わらないらしかった。多分錯覚だとは思うが、春彦は冬でさえ同じ格好をしているような気がする。
それを少し離れて眺める俺はと言えば、ジーンズに黒のサマージャケットという装いだ。何となく変装的なこともやってみた。普段は特にいじらない髪をワックスで散らして、何故か母親が趣味で集めている伊達メガネを掛けてみた。
自分で言うのも何だが、割に知的に見える。
春彦が遅刻せずに、しかも相手より早く待ち合わせ場所に立っているという事実に、俺は驚愕せずにはいられなかった。俺も余裕を持って(今、待ち合わせ15分前)来たつもりだったが、様子を見るに春彦はもっと前から、そわそわしながら立っていたらしい。
それはいきなりの、大当たりの予感であった。つまり俺の苦労は間違いではなかったということだ。
今日の春彦は、かなり面白いことになるに違いない。

No.165 09/11/15 00:05
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐16🎐



それが一ノ瀬だと、目前に来るまで分からなかった。そう言えば俺は私服なんて見たことなかった。
コンバースのスニーカー、デニムのスカート、淡いブルーの薄手のパーカー。
……普段からは想像し難い格好だ。
眼鏡は無し。目深に被ったキャスケットだけが場違いな雰囲気に見えた。それは俺と同じ変装目的であるに違いなかった。
「な……何?」
一ノ瀬の警戒的視線に俺は反射的に答えた。
「いや、何でもない何でもない。似合ってるって」
俺の目は無意識に頭の上に向いてしまった。そして一ノ瀬もその動きを見逃さなかったみたいだった。
「……夏目君の眼鏡は、似合ってないけど」
嘲笑風味の言葉で俺の視線を一ノ瀬は迎撃する。
「お前の眼鏡だって似合ってないけどな」
と再反撃。
「別に好きで掛けてるんじゃない」
「今はしてないじゃんか」
「コンタクト」
一ノ瀬は目前に顔を寄せて、自分の瞳を指差した。
瞬間、心臓が強く打った気がした。
「なっ、なら普段からそうしろよ。眼鏡よりずっとマシだぞ」
何だこの展開は?と視線を反らした途端に、駅に入る葛城と春彦が見えた。
「いつの間にっ!?」
俺は無意識に一ノ瀬の手を引いて走っていた。

No.166 09/11/23 01:35
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐17🎐



ピークを過ぎた電車はまばらな混み具合だった。距離を取って、反対側に並んで座る二人が見える。
葛城の落ち着いた雰囲気は、春彦とくっつけると異様だ。
「……いきなり引っ張るのはどうかと思うんだけど」
隣の一ノ瀬が、ツンとした顔で言った。
「いや、見失ったらマズいから……」
「それを、く・ち・で……言えばいいのに」
子供に言って聞かせるように、一ノ瀬は「口で」を区切って見せた。そして溜め息。
可愛くないヤツだ。
不規則な振動音が、ループするように小さく響いていた。流れる車窓の風景は代わり映えのしない灰色の街並みだ。
俺は春彦と葛城に視線を移した。
とりあえず、笑っていた。良いことなんだろうが、少しむかつく。
「……で、どこに行くの?」と一ノ瀬が小さく訊いた。
俺は今日の春彦のデートコースを把握している。というか、俺が考えた。
「動物園行って、飯食って、美術館……その後は感じ次第」
葛城の動物好きは春彦談。美術館は上手い具合にオランダ展をやっていて、メインはフェルメールとレンブラントだ。プレゼントも用意出来ない春彦にとって活用しない手は無い。
「まあ、悪くないかな」
一ノ瀬はそう呟いた。

No.167 09/11/28 21:39
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐18🎐



夏の日曜日、動物園は家族連れにカップルに堂々の盛況振りである。
「へえ、案外積極的なんだな、葛城って」
園内に入った途端に葛城は子供みたいに活気付いて、春彦を笑顔で引っ張り回している。
春彦と言えば周囲を引っ張るの専門(もっとも、引っ張る先はろくなもんではないが……)という印象だから、俺には何となくおかしな様子に見えた。
でも、楽しそうだからいいか。
俺たちは二人に続いて、一つ遅れで動物を見ていった。一ノ瀬が異常な知識量で繰り出すアニマル雑学を聞き流しながら、俺は二人の様子に目を配った。
「ちょっと夏目君、聞いてる?」
「……おわっ!?」
春彦に向いていた俺の視線に、一ノ瀬が突然後ろから割り込んで来た。
「何だよ、びっくりするだろ」
「私の話聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
一ノ瀬が嫌な表情を浮かべた。
「じゃあ、さっき話してたこと繰り返してみてよ」
さっき?どれだ?
……って考えても分かるわけがない。聞いてないのだから。
「……あれだろ?ニホンザルの群れ社会は……あっ!?春彦たちが先行ったぞ」
「やっぱり聞いてないじゃない!」
あの二人に比べて、こっちは酷いデコボココンビだ。

No.168 09/12/05 22:20
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐19🎐



「おおっ、トラトラっ!」
虎の檻は上から見下ろすタイプで迫力がある。人気の檻の一つだ。
「俺、トラ好きなんだ」
春彦は子供みたいに手摺から身を乗り出して、ブラブラさせながら言った。
「虎かあ……何で好きなの?」
葛城がそう訊いた。
春彦はクルッと振り向いて口を動かそうとした。それから上手く言葉が出てこないことに気付いて、少し困った表情を浮かべた。
「いや、えっと……別になんとなくなんだけど……カッコいいじゃん、トラ」
葛城はクスクスと笑った。
「なんかさ……小学生みたいだよね、春彦君って」
春彦は何か言い返そうと思った。でも葛城の笑いが全然止まらないから、一緒になって笑ってしまった。
なんか俺、本当に小学生みたいだ。
春彦はそう思った。
「でも、カッコいいかあ」
葛城は檻に視線を移した。
不意に虎が身を反らせ、大きな唸り声を上げた。
「うん、カッコいいカッコいい」
そう言って葛城は、何だか満足そうに頷いている。虎はそれに応えるようにもう一度雄叫びを上げた。
葛城はバッグに手を突っ込むと、小振りのスケッチブックと一揃いの鉛筆を取り出した。
「よし、ちょっと描いてみる」

No.169 09/12/08 00:04
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐20🎐



「おっ?何か出したぞ」
俺と一ノ瀬はカップルの背中を盾に二人を観察していた。葛城がバッグから何やら取り出したところだった。
「デッサン取るんじゃない?」
一ノ瀬がそう言った。
「癖みたいなものなの。描きたくなると止まらないからって、優菜いっつも鉛筆とスケッチブック持ち歩いてる」
どうやらその通りらしかった。視線を忙しく上下に振る様子が後ろからも分かる。
……それにしても、ほぼ同じアクションを取っているにもかかわらず、御厨の戦慄性を全く感じないのは何故だろう?
「うん。絵描きが皆エキセントリックってワケないよな、やっぱり」
「当たり前でしょ?御厨君は病気だから」
「さらっと酷いこと言うな、お前」
一ノ瀬はクイッと首を傾けて、ちょっとだけ笑った。
「でもあれだな。お前の癖と違っていい癖だよな」
「私の?何?」
一ノ瀬が真面目な顔で訊き返すから、俺は驚いた。
「何って……お前しょっちゅう周りの奴ジロジロ見てるだろ」
「えっ!?」
「今更何うろたえてんだよ。全人間からバレバレだろ、あれじゃ」
一ノ瀬は何やら回想に入っている。俺は嘆息した。
「……気付いてなかった?」
「うっ……うるさい」

No.170 09/12/14 22:55
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐21🎐



葛城の瞳はその一頭の虎に真っ直ぐに注がれている。動きを追う。葛城は手を動かさない。何だか周囲が静かになった気がする。
春彦は声を出さずにじっとその様子を見ていた。周りの目も気にならない。何となく、その感じが分かると春彦は思った。サッカーをしている時、自分も似たような雰囲気を覚える。
例えばドリブルで仕掛ける時。無意味に動いたりはしない。大事なのは動き出す一瞬、やるべきその瞬間。
葛城はそれを待っているみたいだった。
葛城の視線が落ちた。
不意に右手が走る。迷いの無い軌跡が流れる。しなやかな背の曲線が黒く浮かび上がる。
葛城はもう殆んど虎を見ない。黒鉛がスピードを増して紙の上を駆ける。叩き付けるように切り出していく。跳ねる、吠える、躍動する虎の体躯。
そこには瞬間がある。
春彦は凄いモノを見ている気がした。絵なんて分からないけど、でも、こんなにも強くて、何だか見ているだけでも、こう、グッと握りたくなる。力を込めたくなる。
それは描くことが凄いんじゃない。春彦は思う。きっと、優菜が描くってことが凄いんだ。
知らなかった、知らなかったけど、優菜って凄い。

No.171 09/12/18 20:20
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐22🎐



「うん、まあまあかな?」
鉛筆だけで、しかもこんな短時間で描き上げられたとは思えない、浮き上がるような虎の一瞬があった。
「……凄い」
「えっ?」
「スゴいスゴいっ!」
春彦が興奮してそう叫んだ。周囲の数人は何事かと春彦を見ている。
「俺……なんか感動した」
春彦は周りの視線に気付いて、今度は小声で囁いた。葛城は堪えきれないように笑った。
「そんな大したことじゃないよ。見た通りに描いただけだもん。コツを掴めば春彦君だってすぐ出来るようになるよ、これぐらい」
春彦は首を振った。それから真面目な顔をしてこう言った。
「違う。多分」
葛城は面食らった。春彦がそんな顔をすることは滅多に無い。
「俺、ユウナには何か有るって気がした」
葛城はやはり堪えられなくて、笑った。
「そうかな?」
葛城はスケッチを切り取って春彦に手渡した。
「貰ってよ、それ」
「いいの?」
葛城は笑いながら頷いた。
「将来高くなるよ?」
「俺、額に入れて飾る」
「それはちょっと恥ずかしいけど」
二人は声を合わせて、それこそ周りの目も気にしないで笑った。
「私、春彦君のそういうトコ好きだよ」

No.172 09/12/27 01:06
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐23🎐



昼食も抜かりは無い。
価格は気取りの無いリーズナブル、知る人ぞ知るレベルの知名度、それでいて味はハズレ無し。
こういう情報には存外統矢が詳しい。
「ふうん、こんな店あったんだ。知らなかった」
一ノ瀬はクリームソースのパスタを口に運び、そう呟いた。味は合格、といった雰囲気で。
「まだオープンして一ヶ月ちょっとだからな。そんな有名じゃない」
俺はビーフシチューを食べている。何故かと言えば、統矢が一番旨いと言っていたのを思い出したからだ。高校生目線じゃ多少値は張るが、確かに間違い無いクオリティだ。
「優菜、結構楽しそう」
一ノ瀬は少しだけ笑ってそう言った。
「まあ春彦はもっと楽しそうだけど」
「確かに」
「あいつは考えてることが全部出ちゃうからなあ……」
肉にがっついてる春彦は、今は食しか眼中に無いという感じだ。葛城はその様子を笑いながら眺めている。
……恋人同士って言うよりは、母子みたいだ。
「今なんかメシのことしか見えてないな、確実に」
「でも、そういうトコが面白い」
「おい……葛城から取るつもりかよ?」
「キャラクターという観点で、っていう意味だからね」

No.173 10/01/14 21:12
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐24🎐



美術館のレンブラント・フェルメール展は好況を博していた。今回の特別展はかなり力が入っていて、はっきり言って地方美術館レベルでは借りられないような作品も多く展示されている。
「レンブラントはね、『光の画家』って呼ばれてるの」
葛城は一枚の風景画を指差してそう言った。
「強いハイライトを中心に据えて、明暗のコントラストが画面に緊張感を持たせている」
春彦がそう言うと、葛城はちょっと意地悪い顔で下から覗き込んだ。
「へぇ、どっかに書いてあったことを丸暗記したみたいなコメントだね」
春彦は笑いながら後ろ手に持っていたパンフレットを見せた。
「カンニングしちゃった」
葛城も笑った。
「ホントに春彦君って面白いよね」
「面白くあろうと常に努力してるんだ」
春彦がそう言うと、葛城はまたクスクスと笑った。
「レンブラントの絵もね、美しくあろうと努力してるんだよ」
葛城はそう言った。
「実際の景色はこんな風に見えるわけない。でもレンブラントは光を操って、本物より美しい瞬間を自分で創っちゃう」
「ちゃんと、自分の目で見て描いてるんだ」
「そう。だから好きなんだよね」

No.174 10/01/16 20:10
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐25🎐



絵を見るのも案外悪くない。
春彦たちがじっくりゆっくり見て回るから、俺たちもかれこれ二時間近く美術館に居る。
腰を据えて見ると、何だか違う。
「レンブラントってのは随分自分の顔が好きなんだな」
俺は自画像を見ながらそう呟いた。若い時から晩年まで五枚の自画像が展示されていて、今回の目玉だ。世界中の美術館から借りてきたらしい。
「レンブラントにとって『自分』は生涯のテーマだった。ここには傑作とされる物は無いけれど……年代の違う五作を見較べられる機会は中々無いと思う」
ふうん、と俺は頷いて視線を戻した。
「別に自分の顔が好きだから描いたんじゃないのかな、これって」
俺がそう言うと、一ノ瀬は不思議そうな顔をした。
「……どうしてそう思うの?」
「いや、全部描き方が全然違うからさ。何て言うかな……頑張って色々やってみたって感じだろ?」
一ノ瀬は少しだけ表情を弛めた。
「へえ、結構良い線をいってる」
「良い線って……」
俺は苦笑した。誉められているらしいが酷く上から目線だ。
「自分で自分を表現するのは難しいもの」
一ノ瀬はそう言って前の二人を見た。もう出口だった。

No.175 10/01/24 19:08
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐26🎐



赤と青が混じった空に、花に似た雲が千切れ浮かんでいる。
前を歩く春彦と葛城の距離は朝よりも少しだけ近付いているように見えた。
「何とか上手くいったみたいだな」
一ノ瀬がクスクスと笑いながら俺を見た。
「何だよ」
「夏目君、そんな顔するんだって思って」
帽子の下の瞳が、いつもより柔らかく見えた。
「そんなってどんな顔だよ」
そう言うと、一ノ瀬は一転真面目な顔で考え始めた。今度は俺が笑う番だった。
「……何?」
「いや、やっぱそういう顔するよなって思って……おっ?」
頬に冷たい感覚が走った。俺は上を見上げる。その瞬間、神様がバケツをひっくり返した。
「夕立かよっ!?」
俺は鞄で頭を覆って前を見た。誰もいない。二人を見失ってしまったみたいだ。
「おい、一ノ瀬!」
一ノ瀬は空を見上げてぼおっとしている。大方この景色を描写する言葉でも探しているんだろう。濡れるのも気にせずやってしまうんだろう。
全く変なヤツだ。変だけど、そういうヤツなんだから仕方ない。
俺は一ノ瀬の手を掴んだ。
「……きゃっ!?」
一ノ瀬が不思議そうな顔で俺を見返した。
「ほら走れよ。風邪引くだろ?」

No.176 10/01/28 23:26
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐27🎐



「おい、大丈夫か?」
「夏目君が引っ張らなかったらね」
俺は小さな屋根の下で溜め息をついた。俺が引かなきゃズブ濡れだろうが。
「雨の予報なんか無かったのになぁ……ゴメン」
「夕立だから仕方ないよ」
この声……何という事だ。
俺は恐る恐る首を左に旋回させた。どうやら隣も対照動作を行っているらしいことは、気配で容易に察知できた。
直角に曲がった所で視線がぶつかった。
「あ、ああーっ!?」
「よ、よう……奇遇だなあ」
「ここに来るの知ってるくせに、きっ、奇遇は無いだろっ!?」
笑うしかない。夢中で走った軒先に春彦たちが居たとは。
「あれ夏目君?……って隣にいるの、舞衣……だよね?」
一ノ瀬は帽子を深く被り直して返事をしない。追及するな、のサインだ。葛城は察したらしく苦笑いを俺に向けた。
「おいレンっ!」
春彦がグイっと顔を寄せてくる。
「な、何だよ?」
「……付けたろ?」
俺はフラフラと視線を逸らした。
「違うから、偶然だから、たまたまだから」
「そうだよ春彦君。ほら、夏目君たちもデートだよね?」
笑って葛城が一ノ瀬を指差した。
「ちっ、違う!」

No.177 10/02/08 23:10
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐28🎐



「誰がこんなのとデートするの!?」
一ノ瀬は俺をビシッと指差して言い放った。
「それは俺のセリフだ」
「二人とも仲いいねえ」
「よくない!」
一ノ瀬は必死な顔でそう言うと、途端にしゅんと頷垂れた。どうやら葛城が一枚上手のようだ。
「雨、上がったね」
葛城は空を見て呟いた。
空から幾条もの光が、雲を割って地上に降り注いでいた。
「あー、久しぶりに見たなこういう空」
「レンブラント光線だ」
春彦がそう言うと葛城も頷いて笑った。
「何だよそれ?」
「レンブラントは風景画の中に好んで光の柱を描き入れた。だからこういう光を俗にレンブラント光線って呼ぶことがある」
「説明かたじけない」
「……無知」
水溜まりが鏡となって夕焼けを照り返している。雨上がりの景色は光に溢れていた。
「今日、春彦君と一緒でよかった」
葛城が嬉しそうに笑っている。それを見る春彦はもっと嬉しそうだ。
俺は一ノ瀬に視線を移した。二人を見る表情は今までで一番柔らかい。
「なっ……何?私の顔ジロジロ見ないでよ」
一ノ瀬は俺の視線に気付いてムスッと言った。
「来てよかっただろ?」
俺はこう言い返してやった。

No.178 10/02/09 21:58
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🎐29🎐



駅を出て見えた空は、雲一つない茜色だった。
「じゃあね、今日は楽しかった」
そう言った葛城に、春彦は呑気に手を振っている。
……馬鹿が。
「おい」
「なんだよレン」
「葛城帰っちゃうぞ」
「俺も帰るけど、レン帰んないの?」
俺は春彦の頭を叩いた。
「お前、葛城に何も言わなくていいのかよ」
「へっ、何を?」
俺は嘆息し天を仰いだ。
「いいか。お前は確かにプレゼントの一つも用意できなかった凡愚だ」
「凡愚って……トウヤみたいなこと言うなよな」
「だからこそ、今ここで言わなきゃお前は終わりだぞ」
俺は春彦の背中を押した。
「ほら行け」
「だから何だよ!?」
「ああったく!好きなら好きって言ってこい!」
しまった。思わず大声になってしまった。笑う一ノ瀬に舌打ちし、俺は問答無用で春彦の背中を押した。
「夏目君……熱血」
「うるせ」
そんなこんなで告白シーン。
「ユウナ……あ、あのさ」
追い付いた春彦は葛城を呼び止める。
「えっ、なに?」
後ろ姿だけで春彦の緊張が分かる。
頑張れ、春彦。
春彦が口を開いた。
「ま、またっ!……誘ってもいいかな?」
俺はもう一度天を仰いだ。

No.179 10/02/10 22:56
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

Intermission



やっとChapter9が終了です。
……大失敗だった😭

本当は春彦の話はちょこっと書いて夏休みをやるつもりだったんですね。でも書き出したら引き返せなくなっちゃいました。
それが悲劇の元凶。
で、問題は視点変更です。この章の後半はほぼ交互に一人称と三人称が入れ替わる形になってるんですが……これがとにかく書きづらい💧
書きづらいってことは読みづらいってことで……読者の皆様にはご迷惑おかけしました🙇

視点変更すると手軽に物語を厚くできるんですが、代わりに酷く読みづらくなるし場合によっては書きづらくなるんですね。安易に手を出す方法じゃないということを今回は身を持って勉強しました😣
新人賞では、視点変更はそれだけで大減点らしいですが……納得ですね。
しかしこの小説は視点変更が前提なので避けては通れません。ということで何とか効果的な視点変更の使い方を見付けて行きたいですね😁
ご意見・ご指導等、よろしければ感想部屋の方にお寄せ頂けると勉強になります🙇


次章では今度こそ文藝部の夏休みをやろうと思います。

「いや、春休みだろ」というツッコミは無しでお願いします……

No.180 10/02/21 18:21
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

Chapter10



「ウジ虫共喜べ!貴様ら最下等のゴミ屑の為に合宿を敢行してやるぞ!」
出来れば俺は、机上を舞台に罵声の限りを尽す橘柑奈らしき人物を、疾風の如き神速で無視したかった。
「何だ軟体動物の糞が!その腐った顔の両側に付いた餃子は飾りか!もう一度言ってやる!ウジ虫ど……」
「聞いてる。聞いてます」
無視を決め込むと悪夢を見そうだと思った俺は仕方なく遮った。
「おい貴様、新兵の分際で口を挟むな!話しているのは私だ!世界最低のカスに発言権は無い!そうだな!?」
「……えっ?」
「訊いたのは私だ、貴様ではないぞ!返答の頭とケツにはサーを付けろ、綿ゴミ野郎にはそれすら難しいか!?」
「さ、サーすいませんサー」
……理不尽である。
「何だ、この醜悪なクオリティのエセ軍人は」
俺は柑奈が気分良く笑っている隙に小声で楠木に尋ねた。
「フルメタルなんとかという映画の軍曹さんがモデルらしいですわ」
「何っ!?」
「御厨、知っていますの?」
「当然だ!最高の戦争映画の最高の軍人だぞ!?放送禁止用語ばっかだけど」
「……最低ですわ」
「楠木テメエ、ハートマン舐めんなよ!」

No.181 10/02/24 23:46
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉1🍉



「……ってことでだ」
どういう事かは分からないが柑奈が突然トーンダウンした。
「あら、軍曹さんはもう終わりですの?」
「あー、やってみると案外疲れるわ。あのキャラを通すにはカツ丼三杯分のエネルギーが必要ね」
「おい、何かカツ丼が得体の知れんエネルギーソースになってるぞ。部長にとってのカツ丼って何なんだよ?」
「知るか。フランキーのコーラみたいなモンなんだろ、多分」
実は俺達、こんな会話をしている場合ではなかった。軍曹状態で口走っていた重要情報をきちんと聞いていたのは一ノ瀬だけだった。
「……部長、さっき合宿って言った?」
「さっすが舞衣、よくぞ拾った!」
柑奈は叫ぶとまた机に立ち上がる。
「ってことで、文藝部夏合宿を決行します!不参加は縛り首で火あぶりのオーバーキルだからしっかりきっかり全員参加ね?」
合宿……だと?
俺は絶句した。そして柑奈を除く皆が絶句した。
「運動部でもないのに合宿することに何の意味が……」
「決定事項です」
「私は家の用事が……」
「オーバーキルです」
「……いつから?」
俺と一ノ瀬は同時に訊いた。
「明日からだよん」
答えはコレだ。

No.182 10/02/27 00:12
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉2🍉



翌朝、校門前。
「夏目君、疲れてるみたい」
「主に精神面が」
「その調子じゃ帰る頃には廃人だな」
何が入っているのか正体不明の大型ザックを背負った御厨が言った。
「そうかもな」
俺は嘆息した。柑奈の挙動に付いていけるのかは正直不安だ。
「用心しなくてはなりませんね。あの橘部長企画の初合宿、何が起きても不思議ではありませんわ」
「まあ、俺が死ぬことはないな。この通り準備は万全だ」
御厨はザックを叩いた。
「お前は戦場にでも行くつもりか」
「舐めんなよ、たとえ弾幕の下でも漫画を描いてやる準備はあるぜ」
「少し戦争から離れたらいかが?昨日の軍曹の件から意味が分かりませんわ」
自分が言い出しのくせに柑奈は遅刻していた。
「全く、何で責任者が時間を守んないかな……」
「部長はそういう人だもの」
一ノ瀬は特に気にかける様子でもなく答えた。
「お前、来ないと思ってたんだけど」
「私は夏目君が来ないと思ってた」
「いや、無視してすっぽかすつもりだったんだけど、何となく来ちゃったんだよな」
「私も」
「まあ、出発前から来たのを軽く後悔してんだけどさ」
「……私も」

No.183 10/03/01 23:00
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉3🍉



しかし後悔する暇を与えるほど柑奈は甘くなかった。
突如、勢い良く校門に飛び込んできたゴツイ車。運転席からはまさかの登場、橘柑奈である。
「おーい皆集まってる?」
ターミネーターみたいなサングラスを外すと柑奈は陽気に言った。
「な、何だあれは」
「ハマーだな、あれは」
「あれを部長が運転して、俺たちを合宿先に誘うということか」
「ポジティブに考えようぜ……頑丈な車で良かったじゃねえか」
「出だしから予想の遥か上を行く衛星軌道ですわ……」
楠木が顔を覆ったその横で、一ノ瀬はクスクスと笑っている。
「何が面白いんだよ」
「いや、逆になんか楽しくなってきたみたい。まさか最初からこんなだとは思わなかったから」
「やっぱ変わってるな、お前」
そんな俺たちを尻目に柑奈はいたってマイペース。まさしく当然、予定通りという満足気な表情だ。
「よし。出発式を始めまーす、まずは部長から出発の挨拶!……ほら、拍手拍手」
パチパチパチと、やらされた感全開の控え目な拍手。柑奈は一転、真剣。
一拍の間。静寂。
刮目せよ。これが橘柑奈の挨拶である。
「だぁぁ~しゅっぱぁーつ!」

No.184 10/03/05 20:09
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉4🍉



……こんなこったろうとは思った。
「挨拶終了、出発式終了!」
挨拶しかプログラムが無いなら式にしなければいいのに。
そんな俺の思考は即時に意味を失い怒涛の合宿は幕を開けるのだった。
「荷物を積めい、乗り込めい!」
「朝から元気っすね、部長」
「御厨君、今すぐにその冷静すぎる表情をひっぺがしてやるから覚悟したまえよ」
「いやー、楽しみだなあ」
御厨は心にも無いと言わんばかりの棒読みで頷いている。
「さて、いよいよ出発ですわね。行き先も分からないなんて」
「全く、ワイドショーで話題になった激安ミステリーツアーみたいだな」
「行方不明でも出したらホントのミステリーね」
「だからお前はそういうこと言うなよ……って」
ツンツンと肩を叩く手に俺は振り返る。
「うおっ!」
突然ドデカサングラスだ。俺はのけ反る。
「相変わらずナイスリアクションだよレン君」
柑奈は鼻がぶつかりそうな距離で笑う。
「……その距離感やめてくれません?」
「つまんなくなったらやめるし。それよりレン君はこっち」
柑奈は助手席を指差す。
「何で俺が……」
「一番新人だから、文句はナシだよ」

No.185 10/03/06 22:57
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉5🍉



前に座っても後ろに座っても変わりはしない。
「……分かりましたよ。別に良いですよ、俺は助手席で」
そう言って俺が助手席に乗り込むと、柑奈は鼻唄を歌いながらエンジンを掛ける。
「よし、じゃあ出発進行!全速前進!」
ギアがローに入り車がゆっくりと動き始める。
「この車も車ですけど……それにしても部長が運転免許持ってたとは」
俺は純粋に、好奇心と感心で言ったつもりだった。
こんな返事が返ってくるなら言わなかったのに。
「はっ?何それ?」
……えっ?ちょ、えっ?
俺の延髄を悪夢が駆ける。
「今の『はっ?』ってどこへのリアクションですか……まさか、まさかね」
「はて、運転免許んとこですが何か?」
空気が一瞬で凍りついた。
ちょっと待て、真面目に待て。考えろ俺。言葉の真意を全力で考えろ俺。
俺は後部座席の面々と顔を見合わせた。皆同じ顔だ。俺と同じ顔だ。
「あの、アハハ……運転免許の、その、どこにどうリアクションを……」
俺はどこから来たのか分からない半笑いで、多分最後の希望を信じて訊いた。
柑奈は笑って、こっちを見て答えた。
「やだなあ、免許とか無いし」
……終わった。

No.186 10/03/11 19:58
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉6🍉



車内が一瞬にカオスの中心と化した。
「だぁっ!止めろ、今すぐ止めろ!」
「なんて言った?いやぁ、後ろもうっさいからよく聞こえないや」
柑奈はヘラヘラ笑ってこっちを見る。
「こっち見んな!前見ろ前!そんで止めろ!」
「止めるって何を?」
「車だよ車!」
「おい、部長だぞ?ちゃんと敬語で話さないとダメだぞ?」
「分かりました!分かりましたから車を止めて下さい!」
「へへん、ヤダよん」
柑奈は何を血迷ったか更に加速、恐ろしすぎるハンドリングで前の車をかわしていく。
「ひゃあ!楽しいなあ~」
「真面目に危ないです!」
キレた声で一ノ瀬が叫ぶが柑奈の聴覚はイッてしまってるらしい。
「あーあ、ホントに頑丈な車で良かったぜ」
「何達観してますの!?何とかなさいな御厨!」
「何とかって言われても、後ろからじゃ何もできねえじゃん」
「死にたくありませんわぁ……」
「ちょっとなぎさ、しっかりして!」
死出の旅はさらに不吉にエキサイティングに加速していく。
「待てよ……」
目の前にはあってはならないETCゲート。
「橘柑奈、高速乗りまーす!」
「まず人の話を聞け!」

No.187 10/03/21 12:53
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉7🍉



それから二時間の記憶を俺は忘れたい。
「いやあ、横からハンドル回すの上手いねぇレン君」
「そんな特技は一生気付かずに死にたかった……」
俺は座っていただけなのに何故か荒くなっている息で呟いた。
「わ、私生きてますの?ホントに生きてますの?」
楠木は一ノ瀬にすがりついてマジ泣きだ。いや、全く大袈裟じゃない。高速道路における柑奈のフラフラ走行とそれに伴う車内の振動はまさしく死を予感させるに充分な物だったからだ。
「さっさと降りようぜ。もうケツが痛い」
そんな中御厨だけはいたって平然としている。俺は不思議に思って訊いた。
「何でそんなに普通の顔してられんだよ?」
「俺の度胸は並じゃないぜ」
「いや、度胸とかそういうレベルじゃないし」
俺の言葉に御厨はやれやれという様子で言った。
「あの部長、ホントは免許持ってますよね?しかもかなりの運転テクで」
「ありゃ、バレた?」
柑奈の屈託無い笑い声に俺の思考は今日幾度目かのストップを見せた。
「……はっ?」
「ったく鈍いな。だから、部長はわざと免許無いふりして運転して俺らの反応を楽しんでたってことだよ。そうっすよね?」

No.188 10/03/31 22:08
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

🍉8🍉



「お見逸れするねぇ」
「いや、分かるっしょ?あのギア運びのスムーズさは素人じゃないっすよ」
納得している柑奈と御厨を見る俺たちの目は、それこそ宇宙人と会った時のような驚愕の色を帯びていたに違いない。
「はっ、はあああぁ!?」
初日から一生のトラウマ決定の楠木がもはやお嬢様でも何でもない声で叫ぶ。
「私はもう……もうマジ死ぬかと……ガチで気が気でなかったんですのよ!?」
「おい、マジとかガチとか変なの混じってるぞ。キャラ維持に危険信号だ」
「一人だけ気付いていながら……そこの腐れ御厨は黙りやがれですわ!」
「なぎさ、悪いのは御厨君じゃない。他でもない、この荒廃した現代社会なのよ!」
「一番悪いのは部長!貴様ですわ!」
「ひゃはは、冗談なんだからさ~」
柑奈と楠木の追い掛けっこは放っておいて、俺は目前に広がる光景を精査する。
海に面した草原に立つ瀟洒な邸宅。頻繁に庭師が入っているらしい手入れ完璧の花壇と庭。さりげな涼しさを演出する小噴水。
これはアレだ。平民には無縁のアレだ。皆揃って憧れるアレだ。
「俺の見識に間違いが無ければ、これはいわゆる金持ちの別荘ってヤツか?」

No.189 10/04/11 15:59
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 188 🍉9🍉



「ウチの親ってばわんちゃかうんちゃか会社作っちゃってさあ、起業マニア?別荘なんてあっても全然来ないのにねぇ」
「じゃあ部長って……社長令嬢?」
「ごめん遊ばせ♪」
「……見えん。どの角度から見ても金持ちに見えん」
「人は見掛けによらないものね」
「何て事だ!常軌を逸したキテレツ加減+実は家が大金持ちだった展開+『知らなかった!えぇ!?全然見えなーい!?』だと!?三次元キャラなのに戦闘力が高すぎる!?」
「お前の頭ん中スカウターで見たら確実壊れるな」
驚いていた。俺たち全員驚いていたのは確かだ。
しかし驚きを通り越して何故か心にダメージを負う者が一人。
「ま……負けましたわ。わたしまけましたわ」
「負けたって……いつの間に戦ってたんだ?それにさりげに回文?」
そんな俺の疑問を無視して楠木は柑奈を睨み付ける。
「酷いですわ!あんまりですわ!本当は中流を地で行く根っからの中流っ子である私が、無理に無理を重ねて繕ってきたこのお嬢様キャラを影で笑っていたなんて……」
「ドンマイなぎさ」
楠木は崩れ落ちた。
「これが……これが本物の余裕ですの?」
「……違うだろ」

No.190 10/04/11 21:23
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 189 🍉10🍉



その後、暫くの間現在の状況整理が行われた。その模様を描写するのもそれなりに面白いが、長いしグダグダだし何よりメンドクs……なので要点を整理する。

・柑奈はガチで金持ち。
・「ツマラン」の一言でエスカレーター式お嬢様中学からパンピー私立高校への華麗なる進学、まともな交友関係が皆無であるため富豪の事実を知る者無し。
・謎の心的外傷で楠木がなんか壊れた。

以上、三点を押さえれば以降の話を理解するに支障ない。
別荘に荷物を置き、いよいよ合宿が本格始動する。話はそこから再開する。

「よし!では初日午前のスケジュールを発表するぜ!」
リビングに皆を集めた柑奈はいつもの通りのテンションで叫ぶ。
「今更だけど、文藝部って合宿する意味あんの?」
「十分ある」
一ノ瀬は断言した。
「これだけ静穏で集中できる環境があれば、当然執筆速度、作品の質も違ってくる。それに……」
「海に行こう」
「……それに」
「海に行きますぜ」
「……それに」
「誰が何と言っても海に行くんだZE!」
一ノ瀬は口を止めた。
「何か……残念だったな」
呆れた顔で見る一ノ瀬に俺はそう呟いた。

No.191 10/04/12 23:57
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 190 🍉11🍉



「文藝部として合宿に来たのに、何で海なんですか?」
無駄だとは思うが、という中ば諦めた口調で一ノ瀬は訊いた。
「そこに海があるから!」
これは酷い。どこぞの登山家丸パクリだ。
「私、小説を書きたいんです。書かなきゃいけないんです。ただでさえ進んでないのに……遊んでる暇無いんです」
「無駄だよん」
柑奈は突然そう言った。
「舞衣が書けなくなってるのは、私も知ってるよ」
「だったら」
「書ける理由があるように、書けない理由もあるよ。自分が何で書けないのか、舞衣はちゃんと分かってんの?」
一ノ瀬は言葉に詰まる。なるほど、これは部長に理が有りそうだ。
「ダメダメだね。それじゃいくら書いても『ダアッ!?なんじゃこりゃ!』の繰り返しだよん……ってことで海に行こう!」
ああ……途中までまともだったのに。
「どういう論展開ですかそれ」
「それはだねレン君、母なる海に触れることで自らの根元を今一度見直そうという……言うなれば地球の神秘、中国4000年、俗に言う建国万歳ガイアパワーってヤツだよ!」
「いつどこで誰が俗に言ったんだ……」
やっぱりダメだ。頭蓋骨の内容物が素敵過ぎる。

No.192 10/04/24 22:33
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 191 🍉12🍉



「気にするな、夏目のレン君!海は何だって受け入れてくれるんだぜ!」
はあ……もういいや。夏だし。海なら海で俺はいいや。
「……ってそういや水着持ってきてねえなあ」
一ノ瀬と楠木も頷いた。
「俺はあるぜ」
御厨が突然立ち上がりバッグを開ける。
「うっ……何だそれは」
カスタネットを叩く超絶的に幸せそうな顔の美少女イラストがプリントされたトランクスは、もうまさに超絶的な御厨の魂の具現に違いなかった。
「けい○ん!だよ。かき○らいだよ。うんたんだよ。知らないのかよ?モグリかよ?死んじまえよ」
「うるせえよ。そういうのどこで買うんだよ。どんな顔して買うんだよ」
俺は後半無視して御厨を非難した。
「作った。アニメ第二期スタート記念で」
まさかのサプライズ。
「……あぁ、そっか。じゃ、仕方ないね……ごめん」
「分かればいいんだよ。ふん、俺は弾丸の下でもコイツで海水浴する覚悟があるぜ」
「まだ戦争のくだり生きてたのかよ……」
「よしっ!問題は全て解決したあ!」
部長がここぞとばかりに叫ぶ。
「……だから水着が無いって」
「そんな物は既に用意しているぜ。そら者共出航だぁ!」

No.193 10/04/25 22:21
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 192 🍉13🍉



オオッー!
と叫んだりはしないがそんなこんなで俺たちは別荘前の海に出た。
「プライベートビーチかよ……」
「いや、ウチの土地ってわけじゃないけどさ。まあ立地的に独占みたいなもんってわけさ」
そう言って笑う柑奈の顔……から下に視線が動いてしまうのは男として避けがたい。
「何だい何だい、アタシが欲しくなっちゃったのかい?」
「そういうこと言わなきゃ部長は凄いモテますよ」
俺の言ったのは皮肉でもお世辞でもなくて、思ったままのことだ。
胸は凄いしくびれも完璧。派手なビキニを着た柑奈は撮影に来たアイドルと言っても何もおかしくない。
顔だって個性派だけど綺麗(髪とメイクをちゃんとしてれば)だし、正直黙っていればホイホイ男が寄ってきそうだ。
「なあレン君、海に来たんだから野球拳しようぜ?」
「海関係無いし。あと水着でやったら最初からサドンデスですから」
そう。今までの褒め言葉は「変態じゃないのなら」という大前提があるわけだが。
「ふ……ふふ」
とそんな考察を打ち破る不気味な笑い声が背後から聞こえた。
「楠木!?何でそんな格好を……」
振り向いた俺の目に映ったのは……

No.194 10/04/28 00:46
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 193 🍉14🍉



「な……何でスクール水着?」
楠木が着ていたのは、もう中学夏のプールを地で行く王道紺のスクール水着だった。
「どうだ私のチョイスは?完璧じゃあるまいか、なあ御厨?」
「スク水……道理っすね」
感心納得という表情の御厨に「おいお前の道理はどんな歪み方をしているんだよ」などと突っ込む余裕は無かった。
「そうですわ、ええそうですわ……橘部長、お見事ですわ。この貧乳の私には……庶民級の私にはこれがお似合いと言うわけでしょう!?」
楠木の壊れっぷりがいよいよ限界らしい。
確かに貧……控え目な胸を押さえ、ヤケクソの勢いで叫ぶ楠木。
俺は何と声を掛ければいい?何が正解なんだ?
「何だよ、キレんなよ。ホントに似合ってるじゃんか」
御厨……迂濶な。
「そうでしょうとも!体も心も貧乏臭い私にはベストマッチでしょうとも!」
言わんこっちゃない。楠木のボルテージが更におかしくなってしまった。
どうすればいい?俺はどうすれば……
欠点は裏返せば長所……
無理矢理褒めるしかあるまい。
「楠木はカワイイより凄い綺麗ってタイプだからさ、スレンダーな方が男目線じゃバランス的にポイント高いって!」

No.195 10/04/29 22:30
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 194 🍉15🍉



「そ、そうですか?」
「そうだ!確実にそうだ!」
……行ったか?
「でも結局貧乳だってことに変わりありませんわ!て言うか夏目さんも貧乳だって思ったでしょう!?だからそんなひん曲がった褒め方するんですわ!」
……ダメだ。地雷だ。
楠木はもう泣き出しそうに見える。崖があったら飛び降りそうだ。
お陰で俺の頭もおかしくなってしまったのだろう。
「ひん曲がってない!」
俺は叫ぶ。
「楠木、確かにお前の胸は控え目かもしれない。けどな……男が皆巨乳好きなんてのは幻想だ。むしろ手の平サイズが好みって奴も少数派じゃない!」
……あれ、何言ってるんだ?俺のキャラ、どこ行ったんだ?
何かもう、どうでもいいや。
「そうだろ御厨っ!?」
俺はヒューズの飛んだ頭をブルンと御厨方向に回す。
「良いセンスだぜ。漫画、アニメ、ラノベ等においてメインヒロインのツンデレ貧乳は数え上げればきりが無い。それは今や定番……否、鉄板と化している」
「ほら聞いただろ!?オタクの御厨が言ってんだから確実だぞ。貧乳は人気、貧乳は魅力、貧乳は鉄板。だから楠木は大丈夫だ!」
もう一度問おう。
何言ってんの?俺。

No.196 10/05/04 13:50
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 195 🍉16🍉



「夏目さん」
楠木は少し黙り込んでから、何かを決心したような表情で俺に向き直った。
「何だ……楠木?」
この状況、真面目な訳もないのに何故か真剣な空気が流れる。
「私決めました。あるがままの自分を受け入れ、この世界に求められる私で生きますわ」
「ん?……お、おお。それでいいんじゃねえの?」
何だかよく分からないが振り切ったのか?解決したのか?
「御厨……ちょっとこっちにいらっしゃいな」
さっきまでとはうって変わって満面の笑みで楠木は御厨に手招きする。
「何だよ……ったく」
「……ふんっ!!」
「ぐげばぁ!?」
何を思ったか突然楠木は御厨の腹部に手刀を一閃。
「何してんだ楠木!?」
「おいテメエいきなり何を……」
「チェストぉ!!」
「ガハァ!!」
踵が完璧な弧を描き回し蹴りが飛ぶ。
「ツンデレってこれですわよね!?これですわよね!?確かこんな感じでOKですわよね!?」
「ツンツンじゃねえか!?……ってか威力がシャレにならね……ちょ!?……」
「ツンデレ最高ですわぁ……凄い快感ですわぁ……」
「おいっ!?バックドロップってマジくぉるぶへバアッ!!?」

No.197 10/05/06 23:14
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 196 🍉17🍉



「死んだな……あれは」
「酷い断末魔ね。言葉にできないというやつかしら」
最後に出てきた一ノ瀬がそう冷静にコメントした。
「まあ御厨がイケニエになって一件落着か」
「何が落着なのさ?事件はまだ終わっちゃいないぜ?」
「事件は最初から始まってないですけど」
「レン君さぁ、なぎさのことあんだけいじっといて自分はノータッチで行くつもりかい?」
「チッ……」
「そうだぜ。お前が着てるそのプラグスーツは何なんだよ」
御厨は無理矢理這い出し会話に参加してくる。
「お前は死んだはずだ、喋るんじゃない」
「勝手に殺すな!」
「あら?まだ話せる余力がありましたの?ならもうちょっとやっても大丈夫ですわねぇ」
「お前マジでいい加減にしろよ!?」
「あら、当然ですことよ。もちろん『いい加減』に調節しますわ~」
「いい加減って意味が……おい足首引っ張んな!広い場所に連れてこうとすんな!」
「広くないと威力のある技が出せないじゃありませんか。御厨ったら変ですわねぇ」
「マジでやめて、やめて下さい……」
「すぐに喜ぶ体質に改造してさしあげますわ」
「だ、誰か!?助けてくれぇぇー!」

No.198 10/05/08 16:32
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 197 🍉18🍉



「今度こそ……死んだな。よし、一件らくちゃ……」
「あー!?レン君の水着チョー変わってるぅ?何それぇ?」
柑奈が不自然すぎる口調で言う。俺は溜め息をつく。
「……そんなにこの水着をいじりたいんですか?」
「何言ってんのさ。入手困難なんだぞ!」
「じゃ無理して買うな!」
「競泳用よね、それ」
一ノ瀬に食い付かれてしまい、俺は仕方なく説明する。
「レーザーレーサー」
一ノ瀬はピンとこないという顔。
「スピードって言った方が分かりやすいか?ほら、世界記録をバンバン更新したヤツ」
「ああ、あれ……」
「ほら、楠木のスク水と違って大したリアクション取れないでしょ?」
俺は柑奈に向き直る。
「じゃあそこで泳いで世界記録を出してこい」
「無茶言わないで下さい」
「じゃあなぎさみたいに壊れろ」
「廃人二人抱えるつもりですか?」
「じゃあ脱げ。脱げば許す」
「何がしたいんだよ?」
俺は嘆息して一ノ瀬を見た。
「そういえば、お前は何着てんの?そのパーカーの下」
「えっ!?……わ、私?」
苦し紛れに振ったつもりがあからさまに動揺する一ノ瀬。
柑奈の事だ、一ノ瀬にまで何かしてるな?

No.199 10/05/11 23:33
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 198 🍉19🍉



一ノ瀬の体は白のロングパーカーですっぽり覆い隠されている。
「お前……何か恥ずかしいモン着せられてるだろ?」
言った途端に一ノ瀬の視線が泳ぐ。
「そんなわけないでしょ?仮に用意されてたって着るのは断固拒否するもの」
「でも、俺と楠木がコレでお前だけ普通ってさあ……逆におかしいだろ?」
「別に」
「そうかな~」
俺は一ノ瀬をじっと見た。
……今度は視線を逸らした!
動揺を隠そうとしているのはモロバレだ。俺は思わず笑みをこぼした。
「じゃあ隠す必要ないよな。別に恥ずかしくないんだからさ」
「これは日焼けしたくないから着てるの」
「苦しい言い訳だな」
「……どこが?」
「じゃあ着ててもいいから、前ちょっと開けてみろよ」
一ノ瀬が言葉に詰まった。
勝った……
そう思った矢先、飛び出してきた言葉に俺は戦慄することになる。
「……変態ね」
「……お前、今何て言ったよ?」
「だから、夏目君は変態ですねって」
一ノ瀬が残念そうに言う。
「はぁ!?何でそうなるんだよ!?」
俺は叫ぶ。
「女の子に向かって『服の前を開けろ』なんて言う奴、変態以外の何者でもないじゃない」

No.200 10/05/18 00:10
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 199 🍉20🍉



「前後の文脈をカットするな!」
とはいえ、確かに男の俺が手を出すのはかなりツラい。となれば。
「フフフ……これで振り切ったと思ってるなら甘いな。こっちには本物の変態がいるんだぜ?」
俺は振り向いた。
「部長」
「うむ」
「よろしくお願いします」
「君は下がっていたまえ」
話は刹那にまとまった。
柑奈が幹部クラスキャラのオーラでじりじりと一ノ瀬に歩み寄っていく。
「どうしてもこのパーカー、剥ぎ取りたいんですか?」
「無論だぜ。せっかく用意したのにお披露目しないなんて……もったいないもんね!」
柑奈が飛びかかる。伸びた魔の手を一ノ瀬は身をよじって避ける。
「待て待てぇい!ヒャッハッア!」
柑奈はまさしく野生のアクションで追い掛ける。半分四足歩行。これぞ本当の海猿。
「なぎさ!フォーメーションアサルトだ!」
柑奈が叫ぶ。瞬間、楠木は昔御厨だった物体を放り出して走り出した。
「舞衣さんにまで仕込んでいるとは見上げたチャレンジ精神ですわ、部長!」
「当然のことをしたまでさ。己の無念を晴らすがいいぜ!」
挟み撃ち。
……何て汚いコンビネーションなのか。

No.201 10/05/28 23:30
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 200 🍉21🍉



「ちょっ!?……離して下さい!」
「フヒヒ、よいではないかよいではないか」
「そうですわ。減るものじゃありませんもの♪」
酷い悪ノリだ。
俺は、中学時代に公衆の面前で下を全部略奪された同級生を思い出しぞっとした。
急に気分が冷める。
「部長、そんなに嫌がってるならもう勘弁しても……」
「もう遅いっ!」
止めようと駆け寄った俺の目前。取っ払われたパーカーの白が青空の中に鮮やかに舞った。俺の視線は反射的に吸い寄せられ、それから自然に一ノ瀬へと向いた。
何てことはない。普通のビキニの水着。一ノ瀬は下を向いたまま懸命に手で隠していた。
スタイルは良いと思ってたけど……予想以上に胸が……
「……見ないでよ」
一ノ瀬がちらりと挑戦的な目で見て言う。
「み、見てねえよ」
「そうね。どうせ私には似合わないから、こんなの」
「んなことねえよ……普通に、何て言うか、大丈夫だから気にすんな」
「……うるさい」
一ノ瀬は放心状態の楠木を押し退けてパーカーを拾った。
「そんな……着痩せ……ああ、無情ですわ……」
うわ言のように呟く楠木を見てニヤリと笑う部長。
こっちが狙いだったか。

No.202 10/06/06 23:09
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 201 🍉22🍉



「部長……規格外の鬼畜っぷりですね」
「何の話かね、レン君」
「一ノ瀬の体による楠木への追加攻撃、が狙いでしょう?そこまで先読みしてのパーカー仕込みとは……」
「想像は個人の自由だ。けど真実はいつも一つっ!」
俺は柑奈の存在が真実である不幸を、楠木の代わりに悔やんでやった。
「一ノ瀬先輩のっ!水着姿!?……この俺が遅れを取るとはっ!?」
御厨がコモドオオトカゲにも似た動きで、手足をビタビタ言わせて這って来た。
「爬虫類に身をやつしてまで生き延びるとは見上げた奴だ」
「俺は人間だ!腐ってもオタクでも人間じゃあ!」
御厨は叫ぶ。それから一ノ瀬に視線を移し、途端に世界の終焉を見るような表情を浮かべる。
「白いパーカー……連邦のモビルスーツは化け物か!?」
「いや、普通のパーカーだぞ」
御厨は笑顔で立ち上がる。
「先輩一緒に泳ぎましょう!」
「一人でどうぞ」
「暑くないですか?」
「別に」
「コートをお預りします」
「これパーカーだから」
一ノ瀬の対応は迅速で的確で一寸の隙も無かった。
御厨は崩れ落ちる。
「悲しいけど、これって……」
「戦争じゃないことは確かだ」

No.203 10/06/09 22:08
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 202 🍉23🍉



「いや、戦争だっ!」
御厨が叫ぶ。
「一ノ瀬先輩、勝負です!」
「……勝負?」
「俺『たち』が勝ったら水着拝ませて下さい!」
御厨は恥ずかしげもなく頭を下げる。お前には尊厳という物が無いのか?
「……って俺『たち』って何だよ?」
「お前、男だろ?」
「どんな理屈だ」
「それで、そっちが負けたら何してくれちゃうワケ?」
柑奈がイタズラっ気全開の笑みで参入してくる。
「部長が入ると話が面倒になるので来ないで下さい」
俺も一ノ瀬と同感だ。激しく嫌な予感が溢れてならない。
「この合宿中の全雑用、俺『たち』で全てこなします」
「だから俺を巻き込むなっ!」
御厨の耳は、俺の声だけ受信しないらしい。
「いいだろう、その勝負受けて立つぜ」
「部長、勝手に決めないで下さい!」
一ノ瀬の反駁をよそに、真剣な顔で見つめあう御厨と柑奈。
「……部長」
「何だ御厨?」
「……写真もいいですか?」
「……許可しよう」
「部長っ!」
「まーまー、舞衣はちょっと待っときんしゃいね」
もう駄目だ。完全に部長は面白がりモードに入っている。
「……動画もいいですか?」
「……特別に認める」

No.204 10/06/13 22:21
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 203 🍉24🍉



「部長!ホントにいい加減にして下さいっ!」
一ノ瀬が大声で叫ぶと、柑奈は「まぁまぁまぁ」という様子で肩を持って俺たちに背を向ける。
「要は勝ちゃあいい」とか言ってるのだろう。柑奈にすれば勝っても負けても楽しい訳だ。
「話はついたぜ。今の条件でオールライト!」
叫ぶ柑奈の満面スマイルと全く前を向こうとしない一ノ瀬の顔、並べればまさに天国と地獄の図。
「一ノ瀬の表情から察するに、話がついたとは到底思えねえ……」
「外野は黙りやがれっ!これは俺の聖戦だ!」
今度は御厨が俺の耳元でシャウトする。俺は反射で御厨の顔面を押し退けた。
「痛えな!?」
「痛いのは俺だ。罰ゲームにだけ巻き込んで外野扱いとは、お前予想外の黒さだな。耳も心も傷だらけだ。それに聖戦というより性せ……」
「俺の無垢の探求心を愚弄する気か!?」
いや、愚弄するまでもなく愚かで汚い。青春の手垢まみれ。
「対決種目はビーチバレー!それでいいかね勇気ある挑戦者よ!」
「臨むところだゴルァ!ギタギタにして先輩のお宝ショットは俺が頂くぜ!」
「あーあ、楠木に続いて御厨まで壊れたか」
俺は溜め息をついた。

No.205 10/06/20 16:11
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 204 🍉25🍉



「おい……一ノ瀬」
俺はそっと一ノ瀬に近寄った。
「何?」
「負けてやろうか?」
俺の言葉に一ノ瀬は意外そうな顔をした。
「何だよその顔……お前がそんなに嫌ならって思っただけだけど」
「負けたら分かってるの?雑用なんて言って部長は何させるか分からないわよ?」
「まあ、そんぐらいは耐えてやらんでもないし」
俺は頷いた。
「……いい」
一ノ瀬は首を振った。
「何で?」
「恩を売られたくない」
「はあ?何だよそれ。別に恩売るつもりとか無いし。俺はそこまでセコくない」
「私が嫌なの……とにかく、こうなった以上真っ向勝負で叩き潰すわ。悪く思わないでね」
そう言って一ノ瀬は女子グループに戻って行った。
……かわいくない奴。
「おい、お前一ノ瀬先輩と何話してやがった?」
御厨がギラギラした視線で話しかけてくる。
「負けてやろうか?と情けをかけた」
「何ぃ!?お前裏切りやがったのかよ?」
「裏切るも何もお前の味方になったつもりはない」
「殺すぞ?世界残虐処刑史からクジ引きで選らんで殺すぞ?」
俺は手で制す。
「ところが断られた。つーことで俺も本気でやることにする」

No.206 10/07/12 23:16
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 205 🍉26🍉



「めんどっちいから10点先取でデュース無しね」
柑奈がそう言ってボールを手に取る。流石にサーブ権は女子チームに譲った。
「雑用嫌なんで、本気でいきますよ」
「もちろんもちろん。少しは楽しませてくれよな、レン君」
柑奈はケラケラ笑う。
いくらなんでもこっちが有利なはずだ。確かに二対三ではあるが相手は全員女子。柑奈は別として一ノ瀬と楠木の運動能力はたかが知れている。それはこちらの御厨も同じだろうが、少なくとも俺の運動神経はかなりいい。「お前、部活〇〇だったのか?」と大抵の球技で体育教師に勘違いされてきた俺の巧緻性は伊達ではない。
「じゃっ、いっくよー!試合スタート!」
掛け声と共に柑奈が緩いカーブを描き走り出す。俺は驚愕する。
「文化部女子がジャンプサーブだと!?」
「そりゃ!」
反らせた力を頂点で解放する。唸りと共にボールが飛来する。
「くおっ!?」
俺は何とか飛び付いてレシーブ。逸れたボールの落下点に御厨が回り込む。
「おい、寝てんじゃねえよ!スパイク!」
御厨が高くオープントスを上げる。俺はすぐさま立ち上がり走る。
「まず一点……」
「何だって~?」

No.207 10/07/14 20:02
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 206 🍉27🍉



ブロックも飛んで来やがるのか!?
「ちっ!」
俺はタッチ狙いで柑奈の指先をかすめる。狙い通り。柑奈の左手に触れて僅かに軌道の変わったボールはコート後ろに飛んでいく。
「もらった!」
「まだまだですわ」
楠木が飛び込み手の甲で真上に上げる。それを一ノ瀬が拾う。
「じゃ、まずいって~ん!」
柑奈の強烈なスパイクが炸裂。自陣コートに突き刺さった。
まさしく流れるような三段攻撃。こいつら文化部じゃなかったのか?柑奈は別として楠木、一ノ瀬も人並み以上とは……誤算だ。
俺は御厨を引っ張った。
「……おい、あいつら普通に強いじゃねえか!特に部長!手に負えねえぞ!?」
「まあ、そうだろうな。だがまだこれからだ……次は俺が攻める」
「……お前が?」
オタクの攻撃……
不安過ぎる。
「まあ見てろって、俺はまだ変身を二回残している」
「意味分かんねえ」
御厨は不敵な笑みを浮かべポジションに付いた。
「じゃあ行くぜいっ!」
柑奈の強烈サーブが飛来する。
「νガンダムは伊達じゃねえ!」
御厨は事も無げにレシーブ。俺の直上にボールを上げる。
「トス上げろっ!」
「あ、ああっ!」

No.208 10/07/15 20:39
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 207 🍉28🍉



俺はネット際に高くトスを上げる。
「ウオオラアアッ!」
御厨が全速力から渾身の跳躍。
「た、高いっ!?」
「お前ならここまで来ると思ってたぜ御厨!」
柑奈もさっきより高く飛ぶ。即席ネットから上半身が丸々飛び出す規格外のジャンプ、だが高度は互角。
「お前のスパイク、しのいで見せるさ!」
「何の!今日の俺は阿修羅をも凌駕する存在だ!」
「空中であれだけの長文会話をこなす滞空時間……何という戦いだ。何か知らんがとりあえず凄いぞ!」
「夏目君、壊れたわね」
御厨の右手が唸りを上げる。大気が渦を巻く。空が鳴く。
「爆熱ゴッドフィンガー!!」
御厨入魂のスパイクが柑奈のブロックを撃ち抜いた。一ノ瀬も楠木も拾えない。
御厨着地。
相手コートに背を向け、高く拳を突き上げる。
何か気持ち悪いけどカッコいい。
「お前そんな力をどこに隠していた!?」
俺は御厨に嬉嬉として駆け寄る。
「能ある鷹は爪を隠す。強力ボスは変身を隠す。フリーザ然りオルゴデミーラ然り。そしてこの俺、ただの漫画の天才じゃないぜ。俺は人間として全体的に天才なのさ!」
「大幅に勘違いしてるがまあいい!この戦、勝てるぜ!」

No.209 10/07/19 16:34
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 208 🍉29🍉



壮絶な激闘はまさしく両雄二大決戦となった。柑奈が取れば御厨が取り返し、御厨がしのげば柑奈も守る。
そして最終局面、スコア9対9、サーブ御厨。
一瞬の静寂の後、御厨の声。
「いくぞっ!」
御厨が走り出す。ジャンプサーブだ。
「舞衣、なぎさ!気を抜くなよ!」
二人は頷き姿勢を低くする。女子チーム三人、未だサーブレシーブの失敗はゼロ。
「俺のポジトロンライフルが火を吹くぜえ!」
サーブ。瞬間俺は叫ぶ。
「遅いっ!?」
当たり損ねか?御厨らしからぬ弾速のサーブが楠木の元に飛ぶ。
「わざわざラストサーブで失敗なんて、さすが一般庶民の御厨ですわ!」
楠木が構える。
「甘いな!陽電子は地磁気の影響で曲がるんだぜ!」
ボールが瞬間、右に大きく落ちた。
ジャンプからの変化球。まさかそんな奥の手を残していたとは。
「やらせるかいっ!」
刹那、落下点に飛び込む柑奈の姿。
「ちっ!?この反応速度、やはりニュータイプか!?」
勝ちを確信していた御厨が慌ててコート前線に走り出す。
ギリギリのタイミングで柑奈の拳がボールに触れる。
ボールは緩やかに、ネットの真上に打ち上がった。

No.210 10/07/20 23:39
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 209 🍉30🍉



ネットの向こうに一ノ瀬が見えた。いつもと同じ、どこか冷たい瞳で俺を見ていた。
勝っていいのか?
一瞬、そう思った。けど違う。俺が自分に訊いた言葉はそうじゃない。
俺は勝ちたいのか?
時間が突然、速度を緩めた。
俺、一ノ瀬、その間のボール。ネット。波。風。柑奈。御厨。楠木。注目する視線。
一ノ瀬の視線。
「跳べっ!夏目っ!!」
「跳べっ!舞衣っ!!」
同時に御厨と柑奈の声が白い砂浜に響いた。
俺は跳んだ。タイミングを取り、加速を生かし、地面を蹴り、ネットに向かって跳ぶ。
一ノ瀬も跳んだ。けれど高さが足りない。俺の腕には届かない。
俺の視界の下に一ノ瀬の顔が見えた。
その目の色に、俺の心がぐわりと揺れた。
諦めているのか?それとも最初からこんなくだらない事、問題にしていなかったのか?
どうして、どうしていつもお前はそんな目をしている。退屈そうで、遠い瞳。隣にいてもお前はずっと離れているみたいだ。
ていうか何でこんな事考えてるんだ?ボールはどこだ?
目の前。もう打つだけだ。
もう一度聞こえた。
俺は勝ちたいのか?
知っていた。
多分、そんな気持ちは最初から無かった。

No.211 10/07/24 17:16
I'key ( 20代 ♂ GDnM )

>> 210 🍉31🍉



結局、俺は空振った。俺たちのコートにボールはすとんと落ちた。
9対10で負け。試合終了。
「わりい、ミスった」
俺は御厨に笑顔で言った。
「だあああっ!!一番肝心な所で、貴様殺す!!」
「仕方ねえだろ、ミスは誰にでも起こる。それを責めないのは部活の鉄則だ」
「ミスした本人が言うんじゃねえ!」
「御厨、私がキャメルクラッチで慰めてあげますわ♪」
「うわっ、お前来んな、あっちいけ!」
楠木が御厨を追い掛け回してくれたお陰で俺の失敗はうやむやになったらしい。
「夏目君、わざと失敗したでしょう?」
一ノ瀬が冷たい目でこっちを見た。
「んなことねえよ」
「何であんなことしたの?私が喜ぶと思った?」
俺は首を振った。
「ぜんぜん」
「……馬鹿みたい」
そう言って一ノ瀬は別荘の方へ戻っていった。
隠したつもりなんだろうけど、ちょっとだけ笑ってたな。
「疲れた~、よしっ海終わり!別荘に帰投する!」
柑奈はそう叫ぶと俺の方に近寄ってきた。
「……何ですか?」
「アタシを運べ」
柑奈は手を広げて笑った。
「自分で歩け」
「え~、雑用するって言ったじゃん」
俺は無視して歩き出した。

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