神社仏閣巡り珍道中・改

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2022/05/01 05:31(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。




21/07/02 14:43 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。






21/07/02 15:02 追記
そんな方のためにも、もう少し上手く書けないものかとあれこれ考えたりもしたのですが、なかなかそれはそれで難しく。
結局自分らしく、ありのままに書くのでいいのだと、なかば開き直りにも近い境地に至って、飾らない、思ったまま書くスタイルをつらぬいております。
今後も今まで通りの誤字脱字、おかしな文章表現かと存じますが、おつきあいいただければありがたいと思っております。┉ずうずうしくてすみません。



No.3321842 (スレ作成日時)

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No.301

姉から先日電話がありました。
「来年、私、方位除の歳に当たるらしいんだけど、どこか良いところ知ってる?」

お読みくださる皆さまはご存知のことですが、私ども夫婦はそういった習慣なくこの歳まで生きてきた人間であります。
神社仏閣巡りをしていることを知っている姉は、てっきり〝信心深い妹〟と勘違いしていたようです。

信心深く生きることに憧れてはいるものの、その生き方そのものを模索している存在なだけで、しかも煩悩の塊ゆえになかなかそのスタート地点にすら到達できずにいる者であります。

話の流れから、私は
「もし方位除けをした上で、お願いしたいことがあってそれがどんなことか明確ならば、その御祭神さまであるとかご本尊さまのご利益を知った上でいくと良いんじゃないの?」と申しました。
「何か解決したいことがあるなら、…知恵の神さまの、思兼命さまとか、天神さまとか。文殊菩薩さまとか虚空蔵菩薩さまとかをご本尊にされているところとか?
なにか病気で悩んでいるなら少彦名命さまとか、薬師如来さまとか、なんじゃないかな」


姉はしばらく絶句して「…。…。えぇっ?そんな細かいんだぁ?」

「いや、だってご利益を得たくてなのかなぁと思ったから。…ちなみに私、この歳まで生きてきて、一度としてそういったお祓いを受けたことないから」

「ええっ⁉︎」
「だってうち(離婚した両親父方のいえと、離婚後の母のいえ)って、そういうこと何にもしない家だったじゃない。うちの人(夫)もそういう人だったから、ずっと今までそういう機会を持たなかったんだけど」
「…お寺とか神社とかいろいろいっているみたいだから、そういうことも大切にしてるのかと思った」

…。
ああ耳が、胸が痛い。
「知らないからいろいろまわらせていただいているんだよ」
「そうなんだ。私は厄除はいつも〇〇というお寺に行ったんだけど、神社とかなの?」
(°_°)
…いやいや、いつも行ってるところがあるなら相談しないでください。
「…そこで良いと思う」


たしか…お寺さんでしていただけるのが【厄除け】で、神社さんでは【厄祓い】、だったんじゃないかな。それも厳密ではないとも言われているし。


…私の悪いとこを幣(ぬさ)で払っていただくのも良いなぁ。
炎で焼き尽くしていただくのもありがたいことだなぁ。

また新たな煩悩が一つ生じた私でありました。

No.302

何度でも行きたいと思った神社仏閣はいくつもありますが、そのうちの一社【大洗磯前神社】さん。
初日の出スポット人気ランキング、堂々の第一位とのこと、フジテレビの朝の番組で放送されていました。
…ちなみに、これはこのスレで普段からよくある入力ミスではなくて、〝初日の出の人気スポット〟で間違いありません。

うーん、ですよね(´;ω;`)。


…また来年も二月、かな?
でも来年の二月は一日も十五日も〝平日〟なんだよなぁ。
うーん(-_-)

No.303

〝今年〟という年もさまざまなことがありましたが、それでも今日一日で〝今年〟も幕を閉じます。
私の稚拙な駄文をこりもせずにお読みくださっておられる方、今年も一年も本当にありがとうございました。



年頭、人の人数分だけ、それぞれの過ごし方があろうかと思います。
お休みもなく働かれる方もおられるでしょう。

コロナによって、誰もがみな大きく生活を変えられることとなり、今まで過ごしてきた当たり前が当たり前でなく、ありがたいかけがえないものだったのだと気づかされることとなりました。

お正月の過ごし方も然り。

家族が離れ離れになったままに、会えずに過ごすこととなったコロナ禍、今年こそはと帰省できることとなった方も、帰省されるご家族を迎えることができた方もおられましょう。


どうぞ…。
コロナ禍という限られた中ではありましょうが、良いお年をお迎えください。
良いお正月をお過ごしください。





No.304

…台風張りの風が吹いています。
ときどき、遠くから風に乗ってきた雪が舞っています。
群馬県ではそんな雪を【風花】、といいます。
怖いくらいの風が吹いています。風の音が凄いです。

明けましておめでとうございます。

旧年中は私の駄文をお読みくださり、大変ありがとうございました。
今年がみなさまにとって良い一年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。


今朝は日の出の少し前に、一人で氏神さまに参拝させていただき、ちょうど神社の境内鳥居越しに御来光を仰ぐことができました。

いつもは無人の拝殿の扉のすべてが開け放たれ、やわらかな気が流れています。
ああ、優しい神さまがここにはおられたのだなぁ。そう感じられるほどに、今までになく神さまに近い距離での参拝をさせていただけました。

いつもですとこの時刻にはもう誰もいない元旦の朝、なのですが、今年はおそらくコロナ禍ということで密を作らないためにそのように工夫されたのかもしれません。
確かに、そのためにこの時刻にしては人出がありましたが、おかげでゆっくりゆったりと参拝することができました。
氏神さまの祭典委員さんの方々に感謝しかありません。

ひとつ、御守りをお受けいたしました。トラの可愛らしいものであります。

No.305

『お正月』と言ってすぐに連想されるものはなんですか?

お年玉?
お年始?
年賀状?(…も日本郵便が後世に残したいという言葉を使うようになったほど、廃れつつあるようでありますが)
初詣?
初夢?
おせち料理?
書き初め?

…長い年末年始のお休みを利用しての〝旅行〟であった方も、今はコロナのせいで帰省すらむずかしい事態となってしまっておりますが、〝旅行〟や〝帰省〟が再び、楽しみとなれる[時]がまいりますよう祈らずにいられません。


文字通りの童謡【お正月】には
♪ お正月には凧揚げて、独楽をまわして ♪ 遊んだり、♪ 鞠ついて、追羽根ついて ♪ 遊んだりする光景が描かれていますが、これはもういつごろの事かもさだかではなくなった過去のこと、ですよね。私どもの住む辺りにおいては私のものごころ付く前から廃れてしまった行事だったくらいです。

凧も〝カイト〟🪁であったり、〝鞠〟もゴム製のボールでしかなかったし。〝ベイゴマ〟をする男子などはおりましたが、あのお正月の絵などに描かれている〝独楽〟や〝羽子板〟で遊ぶことなどを見かけたことも皆無でありました。それでも商品としては店頭にはあったものではありますが。

〝ベイゴマ〟はいまでも見かけることがありますが、〝ベイブレード〟という新たなコマも産み出されているので(とはいえこの商品も私の息子の子どもの頃からの玩具で、すでにけっこうな歴史を持つ商品ですが…)今現在の子どもはやはり、するならベイブレードということになるのでしょうか。

私の子ども時代から、追羽根に近い遊びとしてバドミントンをすることはありましたが、羽子板は手にしたこともなく、どうしても経験してみたくて、大人になって自分の子どもたちに買って一緒にやってはみたのですが、これがまた難しい。
もしあのサザエさんなどに描かれていた、『羽根をはずしたら顔に墨を塗る』ようなことをしていたら、私などすぐに顔一面真っ黒になったに違いありません。


私は子供の時分、お年玉が大変楽しみでありました。
普段はお会いする機会もない大人の方とひと言二言お話しする機会も楽しみでありましたし、さまざまな絵柄のお年玉袋が嬉しくて、何年ぶんも箱に入れてとっておいたくらいであります。
私の家は『中身』は全額親に預ける決まりとなっていましたので、こちらは正直楽しみなどとは言えませんでしたが。

No.306

大人となった今、私がお正月といえば、と思い浮かぶのは、まずは【お年始】の品選びと発送、それから【おせち料理】、でしょうか。

まぁ、どちらも私には苦痛でしかなく、こんな時にも〝日常〟という〝時〟のありがたみを実感していたりするのですが…。

おせち料理の準備も、お取寄せなり注文して済ませればもう少し楽だろうし楽しみともなるのかもしれませんが、なにぶんにも貧乏症な貧乏人、なので、息子がプレゼントしてくれていた何年かしかそんな贅沢をしたことがなくて。
おせち料理は、あれこれ買い求め、作り、傷まないよう気をつけて、家族が飽きれば片づけ係となって。
正直あまり好きと思えるものではなく、有体に言えば、苦痛、であります。
とはいえ。
おせち料理の食べ物はみな【縁起物】で意味が込められていますから、やはりそこのところはなかなか廃止できない弱み、となっております。


おせち料理は元々は、季節の変わり目である〝節句(一月一日、三月三日、五月五日、九月九日などの式日)〟に歳神様に供える料理であったようです。
今は、世間一般では家族の繁栄を願うお正月料理になっています。

『煮しめ』『酢の物』『焼き物』を
祝い肴三種と呼び、
関東では、
黒豆、数の子、田作り(ごまめ)、
関西では、
黒豆、数の子、たたきごぼう、
など、地方によっても異なるようではありますが。

また、おせち料理は「福が重なる」とか、
「めでたさが重なる」という意味で、【重箱】に入れられます。

【一の重】には、口取り
(かまぼこ、きんとん、伊達巻きなど)
【二の重】には、焼き物
(海老、鰤の照り焼き、イカの松風焼きなど)、
【三の重】には、煮物
(レンコン、里芋、人参など)、
【四の重】には、酢の物キラキラ
(紅白なます、酢レンコンなど)を
入れる風習となっているのが正式なようです。
重箱も、五重が正式で、
【五の重】は、歳神様が授けて下さる福をいれるために空にしておくのだそうです。

わが家の重箱は三段、です。
…福を入れるために空にして置く?
三段目が空でよければ、これは楽?
…いやいや細々と足していく手間がもっと増えるだけ、ですよね(^^;


縁起物なので、おせち料理はお料理それぞれに、語呂合わせを介在させて、呪術性をもたせています。



No.307

豆料理は『まめまめしく動けるように』と言われます。ことに【黒豆】。
『黒』は邪除けの色で、気学・易学では新しいことの始まりを表わすのだそうです。
また調理の際、豆を水につけて置くのは、乾物を戻していることとなりますが、そこにはさらに『水の霊力を取り入れる』意味もあるのだそうです。

【数の子】は卵。卵にも邪気を祓う力がある考えられたもののようです。
また卵は生命力のシンボルですし、
卵が多い数の子は、子孫繁栄に通じるという縁起物であります。

小形の片口鰯(かたくちいわし)の【ごまめ】は、「五万米」に通じ、
お米の豊作を願った縁起物だといいます。

【ごぼう】は、黒が邪を祓い、また地中深く根を張ることから、「開きごぼう」と呼ばれ、開運の象徴とされています。

【紅白】のかまぼこ。

【伊達巻き】は、巻き物を連想させるので、学問に秀でることを意味するといいます。

【栗きんとん】は、「勝栗(かちぐり)」に通じらといいます。
〝勝ち栗〟は栗の実を殻のまま干して、臼(うす)で搗(か)ち(臼でつくこと)、殻と渋皮を取り除いたものだといいます。
「搗」が「勝」に通じることから、
勝利の祈願になるのだといいます。

【鰤】は出世魚。

【海老】は腰が曲がっても元気でいられるようにと、健康長寿を。

【レンコン】は、「極楽に生える植物」という縁起物であり、穴の開いた形状から先が見通せる、といった験担ぎもあるようです。

【昆布巻き】は、「喜ぶ」に通じるとされます。

【里芋のやつがしら】は、
「頭(かしら}=「長」になること、つまり立身出世。
【タケノコ】はすくすくと伸びることを。
【梅の花の形に切った梅花(ばいか)人参】は、
吉兆とされた梅を表したものであります。



とはいえ、人間、好き嫌いもあります。
なかなか個人的にこれすべてを揃えるのも大変なことで、家族的に残ってしまうお料理は決まっています。
横着者で貧乏人、さらには残飯処理担当者としては、このすべてを揃えることはなく。
縁起を読むと、ヤバっ!とか思ったりしなくもありませんし、何よりも歳神さまへのお供え物という意味合いからははずしていいとも思えなくはなるのですが…。


息子がプレゼントしてくれたおせち料理、美味しくてみんな揃っていたよなぁ。楽ちんで…。
こんなヤツだから、大切なのは豆料理かな?

No.308

初夢をご覧になられましたか?

私はほとんど夢というものを見ない者で、『初夢を見る日』というのが定められたものですと、殊更それが難しいものとなります。

Wikipediaによりますと【初夢(はつゆめ)】とは、新年のある夜に見る夢。この夢の内容で、1年の吉凶を占う風習がある。
字義どおりに新年最初に見る夢ではあるが、「大晦日の夜から元日の朝」「元日の夜から2日朝」「2日夜から3日朝」の三つの説が混在している。

とあります。

これですと私などは今までの人生でほぼ初夢を見ずに過ごしたことになるのかと思われます。
その年に最初に見た夢、とするのは?
まぁそういった説をとることもなくはないようですが。


初夢に見ると縁起が良いものとして昔から言われているものに『一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)』があります。
その意味にもまた諸説あるようです。

夢すらをほとんど見ない私などは今までの人生で一度としてこのような夢を見たことがありません。
なかなか難易度が高いものであります。


そんな私ではありますが、実は私、今年初夢を見たのであります。元旦の夜から二日にかけて。

それがなんとも不思議な夢で、思わず夢占いをしたほどなのでありますが、一言で言うとお葬式の夢、になるかと思われます。
…イヤでしょう?新年早々。
ネットの夢占いに引っかかるほど単純な葬儀の形ではなく、あまり気分は良くありませんでした。

それが!
あの一富士二鷹三茄子の後に続く四以降について、〝地域・文献などからいくつか存在しており、それについても諸説ある〟という、この中に私の初夢を良いものとしてくれる〝もの〟があったのです。

四以降の諸説。
①四扇(しおうぎ、しせん、よんせん)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)
一富士二鷹三茄子と四扇五煙草六座頭はそれぞれ対応しており、富士と扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、
鷹と煙草の煙は上昇するので運気上昇を、
茄子と座頭は毛が無く、「毛がない=怪我ない」との連想から家内安全を意味しているというものがある。

②四(または五)を「葬式・葬礼」としたもの。
四そうろう(葬礼)に五せっちん(雪隠、便所) もしくは四雪隠、五葬式。
又は四葬式、五火事。

とあったのです。

これだと私、良い初夢を見たことになりますよ。
よし!









No.309

大好きな…という表現は不敬に当たるのかもしれませんが、私どもにとって心洗われ心引き締まる、神社さんのひとつが、群馬県桐生市にあります、式内社【賀茂神社】さんであります。

こちらはいつ参拝に伺っても、広い境内でありますのに、常に掃き清められ、凛とした空気の漂う境内であります。
いつも拝殿の扉は大きく開け放たれて、神さまに直接向き合わせていただける神社さんであります。

本日、一月も五日を過ぎておりますというのに、拝殿前には一枝一枝綺麗な紙垂の結び付けられたものが用意されていました。

…なんとありがたいことでしょう。


そうなのです。
こちらの宮司さまは、参拝する者のためなど一切なく、日々の祭祀として、境内を清め、拝殿の扉を開け、灯りを灯し、神饌を捧げておられるだけ、なのです。

さすがに初詣とされる期間は過ぎているから、なのもありましょうが、こちらは神職の方が常駐される神社さんでありますにも関わらず、御守りなどをお授けくださるような社務所がありません。
ご自宅は境内にありますので、お声がけすれば、御札や御守りなどをお授けいただけるのかもしれませんが。


ただ…こちらの神社さんは、御札をお受けしたり御守りをすることよりも、直接参拝させていただくことが何より大切なことなのだろうと思わせ気づかせてくださる、そんな神社さんであります。



節分の夜に、神事【御篝神事】が執り行われます。
境内において、火のついた浄薪を、二手に分かれ対峙した氏子同士が一斉に高く投げ合う、といったものであります。
一昨年、昨年と、執り行われているいないに関わらず、参列することを自粛すると決めていたため、もう何年か前の記憶になりますが、回転しながら飛び交う浄薪から火の粉が舞い散る、勇壮な神事でありました。


今年は…。

群馬県はここ数日の新型コロナウイルスの、人口あたりの新規感染者数が全国三位という状況であるのが現状で。

神事に参列する、そんな当たり前のことが、いつになったら当たり前にできる時が戻るのでしょうか。





No.310

以前の珍道中録の冒頭を飾った、群馬県みどり市の【光栄寺】さんの初薬師護摩修行の日がまもなくまいります。
その年の初めの薬師如来さまのお縁日、一月八日に毎年行われているものであります。昨年はお問合せをしたところ規模を縮小して、御護摩には一般の方は参加せずおふだをお渡しするだけということでありましたので、当日はあえてお邪魔せず、後日初詣という形をとりました。

今年も、やはり例年通りとはいかず、御本堂へは入らず、御護摩の様子を境内から拝するだけ、と伺いました。
昨年同様おふだを希望される方にお渡しし、御守り等を授与するだけとして、荷物加持も中止するとされていました。

ですが本日参拝に伺ったところ、もう山門の外には出店屋台の準備もされ、境内にはテントが用意されております。

…そうだよなぁ。
檀家でもない私が二度参列しただけで、そのありがたさに、この規模縮小を残念に思ったくらいです。檀家の方々におかれましては、秋季大祭の柿薬師大祭の二年連続中止もあって、初薬師護摩修行もせめてこのくらいにはされたいことでありましょう。
なにせ、平日で、冬休みも終わった学校に行く前の小中学生が、朝六時からの護摩修行に参列し、神妙に本堂で座ってお経を聞いていたくらい、子供たちにもこの行事に参列する大切さが浸透しているくらいの檀家さんたちです。


来年こそ、檀家さんたちが笑顔で初薬師護摩に参加できますよう、祈らずにはいられません。


納経しに事務所に向かうと…。
おおっ!?
机という机に椅子を置けるだけ置いて、檀家さんたちが熱心におふだを作成しています。
おふだにつける紙に、名前と、祈願の内容を記入しているようです。

すごい、すごいなぁ。

大きくはないお寺さんですので、お寺の職員さん等はおられないと思われます。
そうか、こういったことも檀家さんたちがしていたんだなぁ。
檀家さんって、大変なんだなぁ。
これも修行というのだろうな、もしくは徳を積む?

なるほど…。

No.311

光榮寺さんで御守りをひとつお受けして…。

次に向かったのは、やはり群馬県みどり市にあります、【貴船神社】さんであります。
こちらはこの辺りでは初詣客の方の多い神社さんとしても有名なところであります。
もともとが初詣の習慣のない私などは、コロナ前から正月三が日に参拝するようなことはせず、とりあえず松の内にお参りするような初詣であり、今回もそんな初詣に伺ったのでありました。

子どもたちの方がよほど、キチンと大晦日から元旦にかけての参拝であったり、少なくとも毎年元旦に参拝しているようでありました。

うーん、いつの間に…。

いつの間にかぐうたらで不信心な親を追い越して生きていてくれました。


とはいえ貴船神社さんに一人で参拝するのは初めてのこと。
ええ!ナビのない愛車と、ナビがあろうと迷うときは平気で道に迷うおばさんのドライブであります。

No.312

ドキドキしながら車を進めます。

曲がるところひとつ間違えなければ、あとは一本道、…だったはず。
その、誰でも間違わないような曲がり道を間違う特技を持つ、類まれな人間なのだよなぁ、私って。(^^;。

お、『貴船神社へは橋を直進』
と書かれた看板が出ています。
さすが大きな神社さん♡
これでドキドキものだった曲がり道の間違いはおこらない!

橋を渡って左折。
ほとんどの車が左折していきます。
この道は刺繍御朱印で有名となった【松源寺】さんへ向かう道でもあるんだよな。
あ、一台松源寺さんへと向かう道に曲がった。

最近は絵の描かれた御朱印はもう当たり前とすらなり、刺繍御朱印ですとか切り絵御朱印ですとか、飛び出す絵本のように飛び出す御朱印もある時代を迎えました。
御朱印を求める方と、それに寄り添いさまざまな工夫をされる神社仏閣さん。
それはそれで開かれた神社仏閣となって、神さまや、御仏の教えを広めるためにも良いこと、なのかもしれませんし。
ただ…、それでその神社さんやお寺さんの本来あった良さが失われてしまわないことを祈るばかりであります。

新年早々に、いつもの脱線をすみません。

気持ちのよい一本道を進みます。
ああ、この道って、運転するとこんなに気持ちのよい道だったんだ。
のどかな風景が続きます。
あ、蝋梅が咲き始めたようです。


貴船神社さんが近づくにつれて、対向車が増えます。先ほどまでは対向車一台、前を走る車すらいなかったというのに。
おお、車が連なって走ってきます。
うーん、これはほぼ間違いなく貴船神社さんの参拝を終えた方々の車なんだろうな。
ん?、だとすると駐車場が少し空いた、ってことかな。だといいんだけれど…。

No.313

駐車場の誘導係の方が三〜四名出ております。一見満車に見えましたが良い位置に一台分の空きがあり、そこに誘導していただくことができました。
車を降りて…。

こちらの神社さんは石段の横に一か所、石段を登り終えた左端にひとつ、手水舎があります。私は下の手水舎で、持参したマイ柄杓…かわりの取手のたためる、キャンプ用品のステンレス製のカップで手や口をきよめます。

いくつかの鳥居をくぐりながら石段を登っていきます。
清々しい空気が私を包みます。明るい気です。

拝殿が見えました。
大きな絵馬が拝殿の右横に置かれています。今年の干支の寅。なんともいい顔の引き締まった身体の寅です。
拝殿の正面、向拝には天狗さまのお顔が祀られています。
ガラス越しに拝殿の中がみえます。
明るく広い拝殿です。

分散参拝ということもあるのでしょうが、平日の十一時、まさにゆったりゆっくり参拝できるくらいの人の数でありました。
ありがたいことです。

参拝を終え。
すぐに向かったのは絵馬の前。
寅の絵馬を写真撮影いたしました。

そして、御守り等の授与所に向かいます。

うわぁぁ。
なんと豊富な種類の縁起物でしょう。
破魔矢、鏑矢もいくつかの種類が用意されています。
熊手に干支の福鈴。
そして…。

一体何種類の?!
…何種類の御守りがあるというのでしょう。
すごい!





No.314

貴船神社さんの御守りの種類は、到底簡単に数えられるものではありません。…そもそも数えること自体が不敬にあたりますが。

厄除の御守りも、〝厄除開運〟というもの、〝前厄〟〝本厄〟〝後厄〟というそれぞれのものが用意されていました。
その他に厄除のものでは割り札になっている御守りもありました。
割り札の御守りは〝厄除〟と〝方位除〟のものがあり、左右に手で割ることができるようになったもので、真ん中にそれぞれ厄除、であったり方位除であったりの文字がちょうど札を割ると半分に割れるように印字されています。
右側にあたる札に名前や住所、生年月日を記入して、これを厄除や方位除けの祈願の念を込めながら割るのだといいます。
割るとちょうどその左右一つ一つに、絵馬のように紐が付けられていて、その名前を書いた札の方を絵馬掛けにかけ、左側の木札を持ち帰り家の清浄な場所に掛けて一年間御守りいただくもののようです。
このようなお札?御守り?は初めてお目にかかりました。

当然、昇殿してご祈祷いただくことが一番なのでしょうが、我が家のような神棚の無い家ですと、おふだをお受けすることに畏れ多さがありなかなかお受けすることができずにおります。
これならば、厄年といわれ気に病みつつも三年過ごすことなく受けることができるおふだな気がいたします。
ありがたい。

いろいろな個々の諸事情に合わせて、その方なりのご祈願やお札、御守りを用意してくださっているのだなぁ。

御神籤もいくつか。
水で文字の現れる龍神さまの御神籤をひかせていただくことにいたしました。人生二度目。
結果は…大安。
良いことばかりが書かれています。
願望…願いのままに叶う
ほおぉぉぉ!

旅行…どこへ行っても良い
…うーん、それはお気持ちだけ。
ここへ来てまたコロナの新たな変異株が異常なスピードで広がりつつあるようで、新たな株なものなのか新規感染者数が激増しております。


帰ってから夫に見せますと、
「二人で仲良くすすめ、だって」
いや、それ〝恋愛〟、だから。

「あれ⁉︎健康に注意だって!」
…あのぉ、そこ、〝出産〟だから。

やれやれ。

御神籤一つでも珍道中な二人。
今年の運勢、というか神社仏閣めぐりの行方を暗示するような一コマで…。

大丈夫!
大吉、大吉!
『こいつは春から縁起がいいわいぃっ』と、見得でもきってみましょうか。


No.315

八日は【薬師如来】さまのお縁日。
一月八日は【初薬師】ということでお薬師様に縁をいただくお寺さんで法要が営まれましたことでしょう。

いくつか前の珍道中録の冒頭となった、柿薬師さんで有名な群馬県みどり市の【光栄寺】さんの【厄除大護摩】に参列してまいりました。
以前のように御本堂の中でのものでは無いことは承知しておりましたし、人混みが多ければ、山門の外からでもいいと思ってのことです。

十時からの御護摩に間に合えばと家を出たのですが、うわぁ!
駐車場、ガラガラですか…。

それはそれで寂しいですが、少なくともコロナ禍、ましてやここへ来て急激に感染拡大が進んでいることを考えると、まさに薬師如来さまのお導きな気がしてなりません。

もちろん中も、ゆったりゆっくりと参拝できるだけの人出であります。
まずは御本堂前で、お灯明をお願いして参拝いたしました。

それから再び、境内の一つのテントへと向かいました。

御守りはお受けしてあるのですが、少し気になっている縁起物がありまして特設の御守り授与所となっているテントを覗きました。
あっ、あった!♡

干支の福鈴がなかなか手に入ることが叶わず、密かに探し求めておりましたが、ここ、光榮寺さんにあったではないですか!
ただ、いつものものとは大きさが異なっていて、しかもいつもですと神社さんでお受けしていたのですが、…かわいい♡
小ささだけでなく、なんとも可愛らしいお顔立ちなのです。寅くん自体は眉尻を上げ「がおぉ〜」と吠えているのですが、それすら可愛らしいもので。
ええぃ、縁起物がいくつあっても縁起がいいじゃないか!と、いうことで、探し求めていた寅の福鈴(土鈴)、ゲットすることができました。

それを手に再び御本堂前に進むと、そろそろ十時からの御護摩が始まる頃。
一年玄関を御守りいただく福鈴さんと、先日お受けした御守りを胸に、御本堂外からではありますが御護摩に参列することができました。

もともと、広い御本堂にもかかわらず、多くの方が訪れるため、御護摩に入りきれなかった方は外で参列することでありましたし、そんな方のためにマイクを使っての法要ですので、読経などのお声は外までしっかり聴こえてまいります。
さまざまな願意にご祈祷をなさってくださっておられました。

No.316

【光榮寺】さんは、
『京都東山にある智積院を総本山とする真言宗智山派に属しているお寺さんです。
正式には『瑠璃光山醫王院光榮寺』と称し、【薬師如来】さまをご本尊としてお祀りし、慶長八(1603)年にこの地に良瑜上人と大間々六人衆と呼ばれる豪商によって創建されました。
開山の良瑜上人が携えてきたご本尊の薬師如来さまは柿の木で造られている為、別名【柿薬師】の寺といわれております。

毎年十一月の第一日曜日には【柿薬師大祭】が行われ、御本尊薬師如来の功徳にあずかろうと多くの善男善女で賑わいます。
渋柿が太陽の光を浴びると、渋みが取れ、甘柿になることから、人間を柿に見立てて御本尊の光を浴びることで、知らず知らずに犯してい悪(アク)を取り除き、きれいな心と身体になって、来る寒い冬を乗り超えるという信仰で三百年程続いているお祭りです。
ここ近年にはこの日人形供養も行っています。
また一月八日には【初薬師厄除け大護摩供法要】を行っています。
厄除、家内安全、方位除、交通安全、商売繁盛などの祈願を行っており、近在の方々がその年の無事を祈ってお参りをされます。(後略)』

初薬師の日のみ御護摩が焚かれ、他の日は護摩祈祷は行われ無いとのことです。

さほど広いとは言えない境内ではありますが、いつも掃き清められた美しい境内であります。
いつ建てられたものかは分かりませんが、御本堂も山門も庫裏も、檀家さんの集会所も、みな新しいものです。
六地蔵さまも昨年建てられたものです。
御本堂の左横には墓所が広がっていますが、境外墓所があちらこちらにいくつもあるような檀家さんの多いお寺さんです。

山門には木彫の仁王さまがおられるのですが、これはなんと!仏師でない檀家の方が彫られ寄贈されたというものなのであります。
素人の方の彫られたものとは、そう知るまで…そう知っても思えないくらいの見事な造りであります。
慎ましい方なのでしょう、人から見えるところに彫られた方=寄贈された方のご芳名は一切見当たらないのです。

No.317

さて。

つつがなく光榮寺さんの初薬師厄除大護摩への参列を終え、無事帰宅いたしました私。

ええ、ここで終わらないのが珍道中をひたすら続ける人物で…。

帰宅してすぐ、あの、抱きしめんばかりにお受けしてまいりました干支の寅の福鈴を玄関におまつりしようと、小さな箱の蓋を開けました。
開けましたところ、中から出てきたのは…、中には小さなザラ紙をくしゃくしゃっと丸めたもの、のみ!

え?

思わず振ってみる私。
もちろん、小さな箱…五、六センチ四方の小さな箱の中、小寅の隠れる余地はありません。
えっとぉ〜、空ってこと?
空箱ってことですか?


:(;゙゚'ω゚'):
せ、せっかくの縁起物なのに?
嘘でしょ?


で、電話する?
いやいやあの大変な行事の中、そんな電話は迷惑なだけです。
後日にでも?
万が一今日この福鈴が売り切れてしまったら、干支の福鈴、当然、売り切れ終了です。
何よりこの人相、後日では信用されないかもしれません(やれやれ…(^^; )

…もう一回、行くか…。
行くしかないか…。

くうぅぅぅ。
縁起が良いと思えないんですけど(T^T)


ええ、多少の悪態(…おいっ!笑)をつきながら、今きた道を再び光榮寺さんへと向かいました。

あのぉ、空箱だったんですけど…。
善人の信徒さんはすぐにそれは信じてくださり、ただ「すみませんねえ。いやぁ、こんなことあるんだぁ」とのみ。すぐに交換してくださいました。
展示した〝寅くん〟の空箱を普通に販売するものに混ぜておいてしまっていたようです。
もぉぉぉ(T^T)。

あんまりない珍事、でも縁起物にはありがたくない珍事です。
ちょうど行われていた十一時の護摩の炎に加持していただくことができました。


今年も珍道中は続きそう、です。

No.318

初薬師に寄せて。

昨年あるお寺さんの御本堂に大きく掲げられていた【薬師如来さまの十二の御誓願】を拝見する機会があり、初めて薬師如来さまの御誓願を知りました。ご住職さまにお願いして、その御誓願だけ写真を撮らせていただきました。
今回、初薬師ということでもありここに記させていただきます。


薬師如来さまの十二の御誓願

お薬師さまは如来になられる際に衆生を救うために次の十二の願いを叶えるようお誓いになられました。

1、すべての人々をほとけにする。
 第一願 光明普照
自身から発する光明で世界を普く照らす。
自らの光明は極めて盛んに無量無辺の世界を照らし、一切の衆生も自分と同じように悟らせるという願い。

2、すべての人々を明るく照らし、人々が善い行いをできるようにする。
 第二願 随意成弁
威徳と人徳により人々を悟りの境地に導く。
瑠璃のように清浄で傷や汚れがなく暗闇を照らし、衆生の意の赴く所にしたがって諸々の事業を成就させるという願い。

3、すべての人々が必要なものを手に入れることができるようにする。
 第三願 施無尽仏
人々の願いを叶え、満ち足りた環境に導く。無量無辺の智恵をもって衆生に無尽の施しをして豊かにするという願い。

4、すべての人々を大乗仏教の正しい教えに導く。
 第四願 安立大乗
人々の悟りを確立させ、永遠のものにする。異端の道を行ずる者を菩薩道に導くという願い。

5、すべての人々に戒律を保たせる。
 第五願 具戒清浄
人々の日々精進させるとともに善行を促す。

6、すべての人々の身体上の障害を無くす。
 第六願 諸根具足
迷いを生ずる原因をことごとく消滅させる。


7、すべての人々の病を除き窮乏から救う。
 第七願 除病安楽
人々の病気を完治し、心身に安楽を与える。病苦を取り除き心身ともに安楽にするという願い。

8、女であることによって起こる修行上の不利な点を取り除く。
 第八願 転女得仏
女性的な優しさだけでなく力と勇気を得られるよう。

9、すべての人々をさとりの妨げをなす魔から救い、菩薩の修行を修習させて完全なさとりに到達させる。
 第九願 安立正見
心中の邪悪な感情を除き健全な精神を得ることができるよう。

10、災いなどの災難や苦痛から解放する。
 第十願 苦悩解脱
人々の苦悩や災難をことごとく消滅させる。

No.319


11、すべての人々が飢えや渇きに苦しむことがないようにする。
 第十一願 飲食安楽
食事に関する苦悩を除き健全な食を与える。

12、すべての人々に衣服を与え、心慰めるものを与えて満足させる。
第十二願 美衣満足
満足する衣類を得て健全な精神を宿らせる。


というものであります。
そして、薬師如来さまの周りを守護する十二神将は、この御誓願を護るため十二の方角を守っているのだといいます。

悟りを開き如来となられるために、さらにこの御誓願をたてられた、薬師如来さま。
ありがたいことでございます。


No.320

昨日、群馬県高崎市の【榛名神社】さんに参拝してまいりました。いつものように運転したのは夫と息子。いつものように、乗せていってもらっての参拝です。


やはり凍結した路面でありました。
:(;゙゚'ω゚'):。

とはいえ、今年は路面自体は昨年よりもずっと凍結した部分は少なく、むしろそれ以外、湖や滝、川などが昨年見られなかった凍結が多く見られました。

波のまま凍る湖面。
草に打ちつけた波がそのままに草ごと凍っています。
すごいなぁ…。

でも一番すごいと思ったのは、その凍った湖にいくつも、『危険!凍った湖面立ち入り禁止』という大きな立て看板が設置してあるにも関わらず、しかもすぐそばが凍っていない場所で、中学生くらいの男の子とその母親が湖面を歩いて遊んでいたこと。
父親は止めもせず静観。
そんな親と、そんな親に育てられている息子さん。

万が一凍った湖面が割れて落ちたとしたら、命にも関わることであり、そうしたら、してはいけないという行動をして起きた事故で救助の手を煩わすことになるというのに…。
ここまで車で上がるのにどれだけ時間がかかるかは登ってきた自分たちにもわかっていることでしょうに。
その間、救急車の一、二台を塞ぎ、救急隊の手を塞ぐというのに!
最悪、冷たい湖に入っての救助になることだってあるかもしれない。
そうしたら、その救助にあたる方の命を脅かすことだってあるのです。

馬っ鹿じゃないっ!!!!
イライラを通り越し、かなり怒った私が近づくころには、そこから立ち去って行きましたが、やって良いことと悪いことを教えるのが親でありましょう。

それを!…。


はあぁぁ。


でも、そんな怒りも、「何事もなかったから良かったか」
…おばさん(と私ほど激しく怒ってはいないものの夫も)の激しい怒りがすぐに沈静化いたしましたのは、湖の精やら山の神さまのおかげ、なのかもしれません。

ちなみに正義感の強い息子は顔にも声にも出しはしませんが、内心では私同様に怒りで煮えたぎっていたかもしれません。


ふぅぅぅ。

No.321

先ほどの常識のない親(子)への怒りも不思議なくらいスッと引き。
榛名神社へとさらに登ってまいりました。


我慢に我慢をし、今年は正月三が日の参拝を避けました。

といいますのも…実は榛名神社さん、昨年の十一月より工事に入っているのであります。
このところ工事続きの榛名神社さんでありましたが、今回は特に本社・幣殿・拝殿保存修理工事。
昨年十一月の工事着工まもなくの頃には参拝自体が中止となっていたくらいでありました。

ということで…社殿周辺の状況が例年とはかなり異なっているとのことで、前々回保存修理工事を行い終了した国祖社においてのお参りとなるようです。


うーん。そ、そうかぁ。

参拝路はもともと一方通行なのですが、国祖社の前というのが実はかなり狭いものなのです。

ホームページによりますと、賽銭箱前も非常に狭くなっているとのことで、ただでさえ参拝者が多く、七百メートルともいわれる参道が満員電車の車内のようになる榛名神社さん。それどころかその前からぎゅうぎゅうの長蛇の列となるというこちらの初詣、なのであります。
さらにコロナ禍で、どれほどの人出になるのか予想ができません。

ということで、榛名神社さんとしても初詣の行列は例年にも増して長くなることを予想されており、ホームページでも、
『ご参拝に際しては、駐車に伴う渋滞、社殿前行列等でかなりの所用時間が想定されますのでご留意ください』
と記されていたくらいです。
また、ここへきて、コロナの新規感染者数が激増している状況であります。
ただでさえ混雑が嫌いな珍道中コンビとしては今年は三が日を避けての初詣とすることといたしました。

ただ。
今年は御守り等を例年に比べ少なめに用意されたとも書かれており、例年お受けになられている御守り等がないこともあるかと思いますがご了承くださいとも。

こちらの干支の福鈴を玄関に飾るのがここ何年かの定例となっていたのですが…。


さて。
榛名神社さんへの、遅めの初詣。
どうなりますか…。

No.322

青銅の鳥居をくぐって、一つ、赤い橋を渡ります。
そして見上げるだけで心穏やかになる随神門。
神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門を護る神さまをまつる門です。今年も門松がたてられています。
こちらの門は
ん?
ん、ん、んん⁉︎
…随神さまがおられない!
ええぇっ?

随神さまがおまつりされたのって、確か明治のあの神仏分離令以降だったはず。
まだそんなに経っていない…こともないのか。こちらの随神さまは明治三十九(1906)年におまつりされたものと聞きます。百十余年は経過しているんですね。
彩色の剥落はたしかにありましたが、金網越しにはわからないお傷みがあったということでしょうか。
昨年十月頃には搬出され、現在は東京で修理修復をされているとのことで、完了は令和五年三月を予定とのことであります。

「…私、通ります。
とくだん、以前より悪くはなってはいないと、本人は思っておりますので、神域に入ることお許しください。」

小心者は心の中で、そうつぶやいて随神さま不在の随神門をくぐったのでありました。


さて、ここから五百五十メートルといわれる参道を登ってまいります。

参道のわきとなる、眼下の川は凍っています。昨年は普通に流れていました。
神橋を渡ってすぐの滝は、落ちつつあった流れのままに凍っております。まるで時を止めてから凍らせたかのようです。

そんなことも影響しているのか、いつもの榛名神社さんの参道と、少し気が変わっているような気が…。

No.323

さらに登るとまず見えてくるのが石段の上の三重塔。
そして石段を登り切ったところで狛犬さんのお出迎えをうけます。

それにしても…。
狭い参道の途中、いったい何故ここに三重塔を?
どうやらこちら古いものではなく、明治二年に完成したもののようです。
しかしその当時といえば、明治政府により神仏分離令が発令された頃真っ只中が建立工事中であったかと思われます。
このとき、地元の方々の強い訴えでなんとか残されたという経緯があったようで。

榛名神社さんもまさに神仏が混在しおまつりされてきたところであり、実際、こちらにおまつりされていた多くの仏具・仏像はその際うしなわれています。
現在随身門となっているところにも仁王さまがおまつりされていたといいます。仁王さまもどこかに移送するいとまも与えられず、なくなっています。

そんな状況下にあっても、三重塔を残すということはどれだけの苦労があったことか…。

…そんな歴史的経緯のある三重塔のようです。


その三重塔を通るとまた鳥居かあります。

さらに進みます。

【萬年泉】というのがひだりてに見えてまいります。木の覆屋の中、しめ縄が張られています。こちらは
干天が続くと榛名神社に参拝し、雨乞祈願後に萬年泉から汲んだ御神水を竹筒に入れて帰村すると雨が降ると伝えられています。
さらに石段をのぼります。

御水屋(おみずや)手水舎が見えてまいります。榛名山麓の天然水。
今年はこの手水舎は一部しか凍っていませんでした。

御水屋のみぎてに【瓶子の滝(みすずのたき)】が見えます。落差二十メートルの見事な滝です。

滝の流れている両脇の岩を神に捧げる神酒を入れる器の瓶子(みすず)に見立てて、そこから落ちる滝ということで、この名が付いたそうですが…。
今年はなんと!この滝さえもが凍っています。ひえぇぇ、今年の寒さって、どんな?


真っ直ぐに天を突く姿で、参詣者を出迎える【矢立杉】の横を通って石段をのぼります。この杉は武田信玄が箕輪城攻略の際、矢を立て戦捷祈願をした杉であり、名前の由来もここからなものと言われています

矢立杉から石段を登った左側にあるのが【神幸殿】。
毎年春の大祭には、御神体が本殿から神輿に移され神幸殿に遷座されるそう、なのですが…。この石段、急だし狭いし。
何より石段の途中って…。
どうしてよりによってここに?



No.324

石段を登るとさらなる門があります。
こちらは扉が閉まる門です。

そこをくぐると…。
見上げてもその先が見えないくらいの(この位置から、という意味、です)の大きくそびえ立つ岩山があります。そしてその岩を全て見渡せる位置へと移動すると。
石段の途中に白木の彩色されていない門があります。
こちらも扉が締められる門です。
こちらの門は昨年修理修復工事を済ませたばかりの、双龍門という名の門であります。

この双龍門の彫りの見事なことといったら!

ですが、今回はそれなりの人出であるため立ち止まっての鑑賞は難しいので、くぐるだけで先に進みます。

石段がカーブして神楽殿と天狗さまのブロンズ像が見えてまいります。

見慣れないスロープと、見慣れた拝殿が…、見慣れた拝殿の写真を印刷した覆い布がみえてまいりました。
おおぉぉ、こういうことか。

スロープは国祖社の前まで続いています。
思っていたよりは広めに参拝することも、待つ間を過ごすこともできそうです。誘導の方が一人ついておられます。

国祖社の中でご祈祷が始められるようです。

ご神前では昨年のお礼を申し上げました。

No.325

参拝を終えて。
…やっぱり何か違うなぁと。

拝殿の背後、本殿の上にそびえる御姿岩があって、その御姿岩こそが御神体である、それが榛名神社さん。
その拝殿に向かわない参拝は、どうしても何かが違うという感覚が否めないのです。

もちろんこちら全てが神域であって、神様のおそばで参拝していることはなんら違わないのですが、ね。

そして、そんな参拝者の思いを考慮して、拝殿の写真を印刷した覆い布も背後の景色とほぼずれることないように同じ大きさの写真を使い、御姿岩とズレなく張られているのですが…。
それはそれでとてもすごいことなのでしょうし、そのご努力には感謝しておるのでありますが。


足場の組まれた拝殿、本殿の横を通って、見上げると御姿岩が拝することができました。
そこで手を合わせて、はじめてこちらの神さまに参拝できた気がいたしました。

この工事が完了するのは令和七年十二月の予定ということで、それまでの間は国祖社での参拝となることとなります。

神さまの居心地こそがあまり良くはないこととは思いますが、広い神域のなか、落ち着いてお過ごしになれるところもございましょう。


この修理修復工事は神楽殿の工事で全てが終了となるようです。
完成したころには、コロナも落ち着きをみせていると信じたいものです。

No.326

そして…長男が何年か前にこちらの【鏑矢】と〝干支の福鈴〟をお授けいただいてきましたのを機に、それ以来ずっとこちらの鏑矢と福鈴をおまつりするのが恒例となっておりました。
が…やはり今年は福鈴はもう残っておらず。
先だって光榮寺さんでお受けした小寅くんをいつものところにおまつりすることとなりました。

ところで。
この〝鏑矢〟というもの、私はつい最近まで〝破魔矢〟だと信じて疑いませんでした。
みどり市の貴船神社さんで頒布しているものに〝破魔矢〟〝鏑矢〟とそれぞれに名称が書かれていて、見ればたしかに形が異なり、うちに毎年飾られていたのは〝鏑矢〟であったことを、そこで初めて知ったのでした。
【鏑矢】という名称である以上、〝破魔矢〟とは違うのだろうと、調べたところ、
鏑矢というのは射ると音が出るといい、戦国時代に戦闘の合図として用いたもの、なのだそうです。
互いの大将が名乗りをあげた後、空に向かって戦闘の合図として放ったのが鏑矢だったといいます。このため『戦闘で一番最初に放たれる矢』ということで、鏑矢は『一番矢』という意味があり、その年新たなスタートを踏み出すときなどに最適な縁起物、ということでありました。
〝破魔矢〟はその名の通り『魔を破り、厄を祓う』という意味を持つ縁起物とのことであります。
【破魔】はもともと、『悪魔や煩悩を打ち破る』意味の仏教語で、丸太を輪切りにしたものか、藁を丸く編んだ的のことを指していたのだそうで、その〝破魔〟を宙に投げて弓矢で射落とし、その結果で一年を占う『破魔打ち』という正月の行事があり、この競技が形式化されて正月の縁起物となり、男の子の成長を祈願して弓矢を組み合わせたものを贈る風習が江戸時代に生まれました。
そこからさらに発展したものがこの、お正月に頒布される〝破魔矢〟となっているようです。

私同様、鏑矢を大きな破魔矢と勘違いされておられる方は多いのだと書かれてはいたのですが…。
実はうちには車のお祓いを受けた際授与された〝破魔矢〟もありまして。その形の違いを見て私は小さなものだから簡素化しているのだろうと思い込んでしまっていたのです。

この形の違う矢は、形だけでなく、その持つ意味もまた違っていたということをようやく学んだのでありました。
やれやれ、でありますね。

No.327

十三日は虚空蔵菩薩さまの御縁日。

何年か前に栃木県足利市の【徳正寺】さんの「まゆ玉市」が開かれるという初縁日に参列させていただきましたが、初めての参拝でもあり、その人出と賑やかなまゆ玉市に圧倒されたものでした。
御本堂で手を合わせ、さらに石段を登って虚空蔵堂に向かうのですが、みなさん毎年訪れておられるようで、見慣れない私どもにいろいろお声がけくださり、決して押し付けがましくない控えめな優しい口調で作法や流れをお教えくださいました。
そんなこともあって、すっかりこちらの、初虚空蔵菩薩さまの御縁日の大ファンとなってしまいました。

徳正寺さんのこの御縁日の大祭は約二百八十年前から、虚空蔵菩薩の新年最初の縁日に合わせて一月十三日に開かれているものであります。
参道には、〝まゆ玉飾り〟と呼ばれる白やピンクなどのプラスチック製の丸い玉の下がるお飾りやだるまなどの縁起物の出店に、じゃがバターや人形焼き、お好み焼きといった食べ物の屋台が居並び、心はずむお祭りでありました。


…行きたいなぁ。

今年は平日ですので、行くにしても私一人ですが、ナビがなくとも行けるお寺さんです。
今年、感染対策を施して開催されることもわかってはいます。


うーん。

しかしながら、ここへきて新型コロナウイルス感染症の新規感染者数が爆発的に増えています。
人混みであることは間違いありません。
あきらめよう。

御縁日は開かれていなくとも、虚空蔵菩薩さまのおまつりされているお寺さんにお参りすることと致しましょう。
そうだ、群馬県桐生市の円満寺さんの御本尊さまが虚空蔵菩薩さまであります。

No.328

朝ミクルを開けて、飛び込んできた津波の文字。
えっ!?

大急ぎでNHKをつける。
こんな時にはNHKにはしる。


岩手で津波警報が出ているようだ。
その他の太平洋側の海岸でも広い地域で津波注意報が。
避難指示も多くの場所で出されているようだ。

この異常寒波と、異常なまでの積雪の中、しかも真夜中の津波警報、津波注意報、避難指示とは…。

こんな時、神や仏はいるのだろうかという思いが襲う。


おかけする言葉がない。


どうか御身をお守り下さい。
祈るしかできませんが、祈ります。


…そう、そうして祈るのもまた、神や仏である私。
なんという身勝手であろう。
なんと愚かな存在であろう。


でも祈ろう。
祈っています。
祈ります。

No.329

一月十五日。
定例の、義父と父親の月命日のお墓参りの日であります。
お掃除して花をたむけ、お線香をあげる、ただそれだけのいつものお墓参りです。
違っていたのは夫がいたこと。

そう、今回土曜日ということで、夫の仕事が休みだったのです。

普段は好き勝手に(?)お参りをするけれど、いつも珍道中で常に一緒に仏閣を参拝して歩いている夫なのだけれど、何故か手順がくるうのです。
お掃除の途中…というか、始めたばかりの段階ですでにお線香に火をつけ出す夫。
はあぁ?
夫の父親や祖父母の眠るお墓の前だというのに、つい一言。
「お掃除がまだだからもう少し待って」
聞こえないらしく、なかなかつかないお線香と格闘すら夫。
「お掃除がおわってからにして、お花もまだ生けていないし…」
もう人の声など耳にも入らないほど熱中しているらしい。…やれやれ。

たまに一緒に主人の実家とお墓参りに来らようなことがあった時、いつもそうだったことを思い出した。
いやいや、あれは大人数で来ていて、あっという間に狭い墓所のお掃除も終わるし、大人数分のお線香を用意することが結構大変な作業となるから、だから。
二人だから、ね。
掃除も私一人だし…?…いやいや、自分の身内の眠るお墓、率先して掃除しようよ。

ああ、少ない人数分のお線香もあっという間に用意できてしまったようです。
鳥フン、落とせてもいないんだけど!

「お掃除終わってないし、お花もまだなんだけど」
夫「ああ、そうだったんだ。お線香の入った袋渡されたから用意しろってことかと思った」
…お義父さん、それからこの人のおじいさん、おばあさん、なんとかしてください。T^T。
思わず墓前で訴えた一コマでありました。
お掃除もまだな、お花もたむけていないお墓に早々にお線香をあげるハメとなり、鳥フンと格闘している妻に
「もういいんじゃない?」とかのたまう夫。
何回も何回も二人でお墓参りしてるはずなんだけどなぁ。
…まさかボケた?

お義父さん、おじいさん、おばあさん、まだボケられては私も子供たちも困ります。こんな早くから両親がボケて介護が始まったらあまりにも悲惨です。せめて夫がボケることだけは防いでください、死守してください!
あ、亡くなっておられるから、死守は無理か…。
ほんとお願いします。

…と、長々とお願い申し上げる新年のお墓参りとなりました。

No.330

…そんな相変わらない珍道中を、夫の実家のお墓参りでも繰り広げるという私たち。
困ったものです。
うーん、…私のボケの進行も抑えてもらえるようにお願いしてくればよかったかなぁ。


そして、私の…離婚した父親の眠るお墓へ。
父親と祖父母、叔父の眠るお墓では、いつも賑やかにお参りします。

こちらは叔父の息子さんが守ってくれていると、以前ご住職さまに伺いました。
「お参りしていてもいいのでしょうかね」
と、ご住職さまに伺ったところ、
「大丈夫ですよ、どうぞお参りして差し上げてください。遠方でなかなか来られないことを気になさっているくらいだから、喜んでくれますよ」
伯父まで入ったお墓をしっかりと守って下さっている、一度もお会いしたことない従兄弟さん、本当にありがとうございます。
嫁いでいて、ましてや父と母が離婚しているとはいえ、実の親のお墓を会ったことすらない従兄弟さんに守っていただいている負目を、何よりも深い感謝を持ってお参りさせていただいております。
そのわりに声に出して祖父母や父に話しかけてるんですけどね。(^^;。

「いいお孫さんに恵まれて本当に良かったね。
(亡くなったことも知らなかった叔父に)いい息子さんに育ててくれて本当にありがとう」

あらためてそう語りかけたお墓参りでありました。

No.331

一日と十五日には神社さんへ詣でるものだということを知り、行ける限りは出来るだけ参拝するよう心がけております。 

今回は認知症の始まりを疑われた夫と、認知症の進行が心配な私が是非参拝すべきであろう、学問の神さまのおまつりされる群馬県桐生市の【桐生天満宮】さんへと初詣をいたしました。

おおぉっ!
茅の輪くぐりがあるではないですか!
やったぁ!
念願の茅の輪くぐりであります。これで溜まりに溜まった穢れをお祓いいただけます。…これって本来なら年の暮れ大晦日にすべきものなのでしょうが…ま、穢れを祓って神さまに参拝することができるという意味ではなによりでありましょう。

「…あれ?これって…もう一回左を回るんだっけ?」とは夫。
「えっ?…覚えてない」(ーー;)

…そうなんです。
こちらでは茅の輪くぐりのくぐり方の案内など一切書かれておらず、まさかこちらに茅の輪があるとは思いもせず。
どうせ茅の輪のくぐり方の説明があるだろう的な軽いノリで覚えていたので、夫婦揃って茅の輪のくぐり方を覚えていなかったという…。
結果的には夫の記憶が正しかったのですが、ね。


新年早々あちらこちらの神社仏閣さまでくりひろげる珍道中。
認知症の進行予防に知恵授けも必要かもしれません。

参道にはソーシャルディスタンスをとっての参拝を促す白線がたくさん貼られていました。
うわぁ、さすが桐生市の総鎮守さんであります。
でも…通常の年にしたらかなりのソーシャルディスタンスかもしれないけれど、この白線ではせいぜい『前へならえ』くらいの間隔なのでは?
などとさっそく穢れを抱いたかのような思いをふりはらって、参拝を。

やはりこちらも手水舎の水は張られていませんでした。
心の中で手を洗い口を漱いで…。

こちらは、拝殿の二十メートルくらいの位置に門があります。

昨年一年間のお礼と今年の無事を祈願させていただきました。

認知症の進行予防はまさに必須。
努力するにもこのコロナ禍で人と接する機会もほとんどなく、無職の私としては並々ならぬ努力をしなければなりません。…それがなかなかに難しくて。

こちらでの珍道中録も認知症対策の一環でもあるのではありますが、対策になっていないような駄文珍文で…。
お目汚しをしており申し訳ありません。

No.332

夫がスマホ片手に私のもとに寄ってきて、珍しくその画面を見せてきました。
「あの岩穴観音さんがYahooニュースのトップになってるぞ!」

えっ?あの岩穴観音さま?

…悲しいかな認知症の私は『あの』岩穴観音さまが『どこの』岩穴観音さまのことかすらピンときていませんでした。

「どこ?」
「あのみどり市の小平の奥の岩穴観音さんだよ」
ほう。…行った覚えがないのだが。
「俺たちはあの辺に行って看板とか見て知ってはいたけど、よもやあそこがYahooニュースになるとは」
…行ったのか?悶々と自問自答をしつつスマホの小さな画面を見る。行った記憶がないんだけど…。

まぁ、若いときデートと称していいのか二人で出かけた神社仏閣をことごとく記憶していなかったくらいの私ですので、そんなこともあるのかも。
若いときはいざ知らず(?)、神社仏閣巡りを始めてからのことだとしたら、それはあまりに情けないことだし、何より連れて行ってくれた夫に大変申し訳ない。
必死に記憶の糸を辿ってみていると、
「行ってみようか」とのたまう夫。
「ええっ?Yahooニュースのトップになったんでしょ?いろんなとこから人がわんさか訪れるんじゃないの?」
「いやいや、それはないだろう。ニュースの写真を見てもわんさか人が訪れるとことは正直失礼だけれど思えないし、御朱印とかもない無住のお堂のようだし」

!。

答えが導かれました!
まだ行ってはいないところだったんだ。よかったぁ、記憶も正しかったし、夫にも申し訳ないことをしてはいなかった(…このことに関しては…)。



ということで、Yahooニュースのトップを飾ってか五日後、話題の岩穴観音さまに初参拝いたしました。


みどり市には【小平の里】という水遊びのできる公園があって、子供たちの小さな頃にはよくそこに行ったものです。
が…結構車を走らせようやく到着するイメージがありました。
大人二人の今、わざわざそこに出向くことはないのですが、こちらのすぐそばに正福寺さんというお寺さんがあり、さらには個円空佛のあるという個人宅があったりと、ちょこちょこ再びこの辺りを訪れるようになっておりました。


やはり結構車を走らせてそこに到達する場所であります。

そこからさらに奥へ。
未踏の地であります。



No.333

群馬県みどり市の【小平の里】からさらに山の方へ。
これ以上進んで行き止まりとかはないよなとドキドキするような山道のところもありまして。とはいえ基本、ずっと一本道を来ているので間違いはないと思われます。

うーん。
間違えてはないよな。
そう思い始めた頃、まるで御仏の救いかと思うタイミングで、『岩穴観音➡︎』という看板が!…みどり市の職員さんの立てたものです、はい。

さらに林道、とも思われる道を進んで。
川沿いの道に唐突に『岩穴観音』という看板が現れました。

えっ?、えっとぉ、駐車場とかはないか。駐車してよさそうなスペースはあります。
その一番端っこにそろりそろりと駐車して。到着、であります。

おおっ、赤い建物が見えています。
御堂というには大きなもののように見受けられます。
裏側の右端が見えているようです。


…えっ?、えっとぉ、これは?。
どう見ても大きな演芸舞台のようにしか見えません。
ええっ?
ですが扁額と思しきものや奉納画等も飾られています。
かつてはそんな演芸等も楽しまれていた人々の集まる御堂であったのだなぁ。

そこから視点を変えると、昔懐かしい、パラソルを少し開いたような回転する遊具があり、その横に石段があるではありませんか。
苔むした、22.5センチの足の私の靴すら乗りきらないくらいの細い幅の石段があります。
その先には山門があるではないですか!


その石段に登る前に。
とてもとても綺麗な、お優しいお顔立ちの石造りの如意輪観音さまがおられるではないですか!
調和のとれた端正なお顔立ちであります。

パァ〜っというかぽぉぉとしばしその如意輪観音さまにまとわりつく私でありました。

No.334

こちらは先ほど通り過ぎてまいりました正福寺さんを本山とする末寺で馬の神さまが祀られているといいます。
建立年などの創建は不明。鎌倉幕府討伐で活躍したた楠正成が愛馬を供養するために建立したという伝説がありますが定かではないと書かれていました。
岩穴観音は馬の神様として崇められていたため、最盛時には一日に何百等もの馬が参拝に訪れたのだそう。
旧暦二月の初牛と新暦十月十日に縁日があり、露天商も出てたいへん賑わいを見せていたといいます。
きっと私の推測による演芸舞台でも催し物が行われたのではないでしょうか。
演芸舞台…かどうかはさだかではありませんが、だとするとたいへん大きな立派なものであります。

枯れ葉も積もりかなり昇りづらい石段を横歩きでのぼって、山門に到着いたしました。山門には新しそうな観音さまの絵と、かつての境内図が掲げられていました。
山門には鰐口がかけられています。
このコロナ禍、どちらの神社仏閣でもこぞって鰐口や鈴の紐ははずされたり、まとめられて撞けないようになっておりますが、こちらは撞くことができます。

山門をくぐるとお地蔵さまや馬頭観音さまの石仏や馬の供養塔などの石像、石塔が入り口に立ち並びます。
みぎてには小さいけれどかなり立派な太鼓橋がかかっております。
が…その先には。
その先には潰れて瓦屋根の部分だけがしっかり残っている小さな建物の跡形が残っています。
また、その太鼓橋とお堂の脇には緩やかな林道があり、奥に進めるようになっています。なにかその奥にもおまつりされているようだと夫は申しますが、林道は…なぁ。
おまつりされておられるかどうかも不確定で、どちらかというと思わぬ野生動物との遭遇の可能性の方が大きく、遥拝とすることいたしましょう。

石段をさらにのぼっていくと。
新しそうな囲い屋があってその奥にそれなりに大きい岩山があります。
その囲い屋!
岩山の上の木が倒れて囲い屋の一部を潰しているではないですか!

あれあれ…。

とはいえ岩穴におまつりされておられる観音さまにはなんの被害もありません。

囲い屋の隙間から覗かせていただきます。

…。


えっとぉ…?。

No.335

岩穴である御堂は、奥行き約30尺(9.1メートル)・高さ約10尺(3メートル)の自然洞窟。
その奥に石仏さまが二体安置してあるのが拝見できました。
当然、『岩穴観音』さま、ですので観音さまの石像がおまつりされている、そう思って覗かせていただいたのですが…(このおばさん、覗くのがどうにもやめられない、不敬なやつであります)。
私の今まで拝してまいりました観音さまの石像とはどう拝見しても異なります。
えっとぉ…?

石に浮き彫りされた坐像の御仏であります。

夫も首を傾げます。
「こちら…観音さま?なのかなぁ。なんだか観音さまではないように思えるのだけれど」

みどり市のホームページで確認したところ、
『この本尊は観音様と呼ばれているが、実際に安置されているものは室町期の地蔵菩薩座像(凝灰岩)と、戦国期の阿弥陀如来座像(砂岩質)であり、それぞれ像種は異なったものとなっている。』

おっ?
やっぱり?

…ではどうして?

説明の書かれた板に、ご本尊さまは准胝観音さまだという説があります。
この准胝の〝胝〟の字を読みたがえて、〝眼〟と読み、そこから眼病にご利益のある観音さまということで、馬の関係者の他にも眼病に悩む患者さんやそのご家族が参拝に訪れるようになっていった経緯があったといいます。

薄暗い岩山の洞の中に准胝観音さまもおまつりされておられるのかもしれません。


静かな、穏やかな空気が流れる、自然豊かな心地よいところにあるこちら。
かつて、一日に何百頭もの(…前レスで何百等と誤記しておりました。すみません。)飾り馬が引かれて訪れていたという時代を偲ぶことはなかなか難しいのが正直な感想です。
強いて言えば、あの演芸舞台の大きさからは、大変多くの人々が集まったであろうことを偲ぶことはできるかと。

それでも、私どもとすれ違い、すれ違いで二組の参拝者の方々がおられました。
ことに最初におられた方は慣れた様子で奥の方の参拝まで済ませて来られたようにも思えました。
あとからみえた方々は、栃木ナンバーということもあり、話の様子からも初めての参拝のようであり、それこそYahooニュースのおかげ(?)、影響のように思われました。

帰りに。
小さな御堂を見かけ立ち寄った際に、二十メートルくらいの位置に鹿がいてびっくりいたしました。
野生動物との遭遇は多々あるようで…。

No.336

群馬県みどり市の大間々地区に観光案内のための大きな地図の看板があります。



みどり市というのは、かの平成の大合併で三つの町村が合併し新設されたもので、そのもととなったのが、旧山田郡大間々町、旧新田郡笠懸町、旧勢多郡東村であります。

それぞれの地がそれぞれの歴史を持った町村の合併であるため、合併から二十年以上経つ今も、行政以外はほとんど別個のものといった感じのままであるのが現実です。
その行政とて、もともとあった大間々町役場、笠懸町役場、東村役場が合併したものですので、分庁方式を取り、今なお模索しているのが現状のようですが…。

このもととなった三つの町村は、それぞれ郷土愛の強い土地でもあり、合併こそすれ、今なお独自の活動、催事をそれぞれの地区で行い、維持、発展させているのであります。


そんな大間々地区にある観光案内の地図は、実はふた種類存在しています。かつての山田郡大間々町であった頃のものと、みどり市大間々町となってからのもの、であります。

今回はかねてより気になっていた古い方の観光地図上にあります、『虚空蔵菩薩』と書かれたところと、その先にある『桂禅寺』さんへ参拝に伺いました。

その古い観光案内地図、
実に大間々駅にあり、しかもみどり市の市の観光案内所のすぐそばにあるのであります。
ですが、観光案内所でいただいたみどり市になって作成されたパンフレットにはことごとくその記載がなく、観光案内所で伺っても市の職員さんたちもさっぱりわからない様子で…。

「行ってみればわかるであろう」
そう考えて向かったのでありますが…。
当然(⁉︎)私どもの愛車に搭載されたメーカー純正ナビにはそのどちらも表れず、Google先生にご案内いただくこととなったのですが、直近になったところで小さく小さく表示された『⬅︎虚空蔵菩薩』の案内標示を発見した後すらGoogle先生に頼らなければたどり着けないありさまでありました。
予想はしては来たのですが当然ながら駐車スペースなどなく、なんとか停められそうなスペースに駐車してはみたものの、先ほど見かけた小さな『⬅︎虚空蔵菩薩』の案内標示以降一切その案内は途絶えます。
右?
左?

No.337

そこに通りかかった救いの人影。
男の方がいかにも近所をウォーキングされている、といった感じです。

「あのぉ〜、この辺りに虚空蔵菩薩さまがおまつりされているという案内板を見て来てみたのですが、車はこちらに停めて大丈夫でしょうか。それと…どちらになりますか?」
…エックスキューズミーおばさんの登場です。

このコロナ禍でありますのでマスク越し、三メートルくらい離れた所からお声がけいたしましたが、快くお応えくださりました。
「車はそこなら全然大丈夫だけど…。虚空蔵さんは、正直、行ってもしょうがないと思うんだけどなぁ。木は倒れている所はあるは、藪んなか歩いて行くようなとこだよ?なんもないし」

!?。

…なんもない?


いやいや、大間々駅のそばで車の中から気さくに話しかけてきたおじさんも、数ある観光名所を
「なぁ〜んもないよ。今なんか花も咲いてないから、ほ〜んとな〜んもないから」
とおっしゃっていました。

きっと慎しみ深い住民の方々が謙遜してそうおっしゃっておられるのに違いない。

倒木は先日うかがった『岩穴観音』さまも倒木が囲い屋を直撃して囲い屋の一部が大きく損壊していたではないですか。
大丈夫、大丈夫!

「行くんなら、そっから右に行くんだよ」とおっしゃって、深々と頭を下げるおばさんを後にお散歩…ウォーキングの続きに向かわれました。

えっとぉ〜。右…。
前述いたしましたが案内標示はありません。
先ほどの方がおっしゃっていました中に〝藪んなか〟というワードがありました。
藪んなか、藪んなか。
?!
こ、これは道だ!
藪の中に一部、身をかがめて歩くようではありますが、自然を活かした緩やかな段を造ったようなところがあります。
まるでトトロの世界…というよりはかつての参道?山道の名残りのようなケモノの世界にあるかつて人が遺した細い登り道、で…。
さっさとそこを登り始める私に、
「ええ?行くの?やめておいた方が良くない?」と夫が声をかけたくらいの道(かつての)であります。
登るのを躊躇う夫を置いてさっさとそこを登るのは偵察するつもりでなのですが、そこはやっぱり心配して追ってくるのが夫。

片手にスマホを握りしめ、Google先生にご意見をうかがいながら歩く夫から、
「なんか離れていってるみたいなんだけど…間違えてるかもよ」
と。

はっ?


No.338

いやいや、(かつての)道じゃん!
行ってみる価値はあるだろう。
偵察、偵察!

…とはいえ、そんな話を聞くと、左右、前方から(後ろは夫がおりますので)突然、野生動物たちが現れる不安が途端に大きくなります。
立ち止まって辺りを見回して…。
再び、止める夫を無視して(!…やれやれ)前へと進みます。
かつて段を造り横木で堤防をした歩道は崩れて形跡を残すのみとなっている所が続きます。
枯葉だらけでそこに何かが潜んでいそうな気すらしてまいりました。

すっかり探検隊の気分です。
携帯は…圏外ではなさそうです。
…ちなみに前回訪れた『岩穴観音』さまの辺りはかなりの範囲で圏外でしたし、みどり市の奥の方にあたる地域ではまだまだ境内の電波が圏外のところがあるようです。

携帯電話が使えれば、
とりあえずは単独ではないので、何か事があっても、連絡する手段と連絡できる可能性は残されています。
大丈夫!

そもそも虚空蔵菩薩さまがお護りくださるにちがいありません。

脳内にあえて音楽を流します。
♪歩こぉ〜、歩こぉ〜、
わたしは元気〜っ♪

そんなわたしの目の前の道が、突然ふさがれます。
倒木って…こんな根こそぎ倒れた大きな木でしたか!
そして道をふさいでいたんですね。
…お勧めされなかったわけです。

へいき!

道なき時は作ればいい!
…というかその倒木の横の藪の中に入り込んで、先にある道に向かいます。
すっかり探検気分になっています。
(いやいや、虚空蔵菩薩さまの参拝に訪れてるんだよ、おまえは)
と心のなかで自分にツッコミをいれました。

そこで
「あ、合ってるみたい」と夫から声がかかりました。
えっ?まだ疑ってたんだ。…というかこんな凄い道をスマホ見ながら登って来てたんだ。凄っ!
(歩きスマホは危険ですよぉ〜)

辺りはすっかり藪の中、林の中、森の中、です。


見えた!
屋根だ!、屋根が見える!


茅葺きでもなく、瓦葺きでもない、プレハブを思わせる屋根が見えます。

「…やっぱり間違ってたのかなぁ」
と夫。
いや、むしろ合ってるでしょ?
こんな山ん中、小さなプレハブって、他に何の目的がある?
…まあ、林業の作業の道具の物置とかトイレとか、いっぱい考えられるけれど…。

No.339

なんとか到着した、そのプレハブ(?)の建つところは少し広い平坦な土地になっていました。

緑の屋根と破風、白い壁と両開きの引き戸。戸にはちょうど目の高さほどのところに五センチ×十五〜二十センチ程度ののぞき窓がそれぞれの戸にひとつずつ。
またまたその窓から覗くおばさん。
トンボ柄の暖簾を掛けて、日の光やすきま風から保護してあるようです。
その布で覆われたものは何なのか、どのくらいの大きさなのか、何一つわかりません。
そう…そこに虚空蔵菩薩さまがおられるのかどうかすらわからないのが実情です。
ただ、このプレハブ(?)の左横に燭台等を載せた台が置かれています。
こちらに虚空蔵菩薩さまがおまつりされておられるのに間違いないでしょう。
大間々町の時代の木製の標柱に【木造虚空蔵菩薩】と書かれ、管理者の方のお名前まで入っています。
平成に入っての大合併も十年以上前のことであります。

燭台を最近使用した感じはまるで感じられません…おそらくはここ何年か。
御開帳はされているのでしょうか?

南北朝時代の木像虚空蔵菩薩さま。

できれば虚空蔵菩薩さまにお会いしたかった。

あとで調べたことによると…こちらは現在は群馬県の重要文化財になっているようで、御開帳も特に法要もされていないとのことでした。


このままこちらでずっと収めたままですと、虫などの害で傷んでしまうのではないのだろうか。
あまり保存状態が良いとは思えない建物とその内部。

私どもが御開帳に立ち会えなくてもそれは仕方ないこと、せめて一年に一度くらいは日に当て虫干しなどをしないといけないのではないだろうか。
誰かそのご様子の確認や、法要などはされているのだろうか。

うーむ。

みどり市のホームページにある重要文化財の紹介にあるお写真でそのお姿を拝見する事ができました。
ほっそりとした美しいお姿でありました。

秘仏であるならそれはそれで良いのです。
でもそれでしたらそれで法要をしていて欲しいし…。


群馬県さん、お願いです。
このお美しいお姿をお守りくださるか、こちらの法要を営む僧をお遣わしください。

No.340

群馬県の重要文化財指定の、【虚空蔵菩薩木像】さまは、その後調べた群馬県の重要文化財一覧に、個人の方が所有されている旨記載されていました。

一族の方が長い長い年月守り続けておられる…そんな素晴らしい歴史をもった虚空蔵菩薩さまであるようです。

すごいなぁ。

そして、なんだかとっても羨ましかったりする私がいます。
維持保存は想像以上のものなのでしょうが、ね。


ずっといつまでもこの一族の方をお護りください。

No.341

そして…。
次に向かったのは【桂禅寺】さん。こちらも大間々駅にある、かつての山田郡大間々町であった頃作成され、そのままに掲示されている古い方の観光案内地図上にあった、【虚空蔵菩薩木像】さまのそばにあるとされるお寺さんであります。

…それが、ですね。
ナビに入力すると『禅桂寺』という違うお寺を示してしまいます。それがまた、車で行こうとするならば、それなりに遠くはないところにあるお寺さんなのです。
そちらには何年か前に伺ったことがあるため、そのナビのまやかしには引っかかることなく済んだのですが、おぼろげに記憶した、くだんの大間々駅にある観光案内の地図による案内が、夫と私の記憶が異なっておりまして…。
さらにはこちらのお寺さん、Googleマップですらhitしないという、秘湯ならぬ秘寺のようでありまして。

私は、たって、この虚空蔵菩薩さまのまつられている場所までの道の、さらなる延長線上にあるはずだと言うのですが、…類い稀なる方向感覚の持ち主で、かつ、認知症をかなり疑う妻の言うことなど鼻にもかけず。
私の言うのとは二本も異なる道を走り出したのであります。
それが、冒険の始まりとなろうこととはつゆしらずに…。

ええ、まさにクエスト。
お寺クエストとでも言いましょうか。

よく晴れた、ここ最近ではかなり暖かい、風もない日だというのに、あの、最初にお会いした男性以人っ子一人歩いておらず。
猫も歩いておりません。

当然、人に道をお尋ねすることもできず。洗濯物を干したお宅は何軒もあるにはあるのですが、このコロナ禍、わざわざ人さまのお宅を突然訪ねるわけにもいかず。

自らの信じる道をひた走る夫。

ですが…。

さすがにこれだけ走ったら、もはや違う地区に、下手すれば違う市に出てしまう、…そんな気配を感じるところまで走って、
「違ったかなぁ」と夫。
「もういいじゃん。幻のお寺さんってことで。
駅のすぐそばにあるみどり市職員さんの詰めている観光案内所に伺っても、パソコンを確認してすら〝虚空蔵菩薩〟さまも〝桂禅寺〟さんもわからない、ってことだったじゃない。
戻ろ、ガソリンも高騰してることだし」
と私。


…なぜか清々しいくらいの気持ちで今来た道を戻ります。
それは、車だから、でしょうね、ええ。



No.342

元来た道を戻って、戻って。

ん!? 人が!
人がおられる!

エックスキューズミーおばさんが出撃いたします。
「あの、恐れ入ります。この辺りに桂禅寺さんというお寺さんがあると観光案内板を見て訪ねて参ったのですが、虚空蔵菩薩さまをさらに奥に行ったあたりにあるようなのですが、ご存知ではないですか?」
「ああ、それなら、この道をま〜っすぐのぼって行けば、突き当たりに寺があるよ」


私が言っていた道じゃないですか!

「桂禅寺さんというお寺さんですか?」
「う〜ん、寺の名前?寺の名前はなんだったかなぁ。
ウチの寺なんだけど、名前、わかんねえや、でもここ行くと寺があるんは間違いないよ。だ〜れもいない寺だけどね」

…ご自分のお寺さんの名前を覚えていない?
いやいや、そんなこともあるもんです。この先にお寺さんがあるなら行こうではないですか。
なにせ今回のミッションはお寺クエストです。(うそです)

…まぁ賢い私は「だっから私がこっちだって言ったじゃない!」などとは口にせず、とはいえ内心勝ち誇って助手席へ。



ほどなく、お寺さんが見えてまいりました。
石段の先、青い空に…シュロの木?椰子の木?南洋のを思わせる木が高くそびえています。
そのそばに決して大きくはないお寺さんが建っています。

さあて、車を停めましょう。(運転しているのは、いつも通りに夫でありますが…)
ん?
えっとぉ〜?
大きな、そしてやたらと頑丈そうな檻があります。…なにか飼っています?
あ、でもおばあさんが無住だとおっしゃっていました。
かつて何か飼っていた?
いやぁほんとに結構大きめな檻なんで。

何かいる?
なにもいません。
どうやらこれほどに大きなものではありますが、これ、猿の捕獲用の罠、らしいです。
いやぁ、よかった、よかった。
野生生物が罠にかかっているのは正直恐いです。

お寺さんは当然ながら鍵がかかっており、中は見えません。
今回は覗こうとはしないで、早々に御本堂を後にした私。

入り口付近のお地蔵さまを拝しておりました。


No.343

石段を登ってすぐのところにぽつんとおひとり、御本堂の方を少し顔を上げて…そう、中におられるご本尊さまを見守るかのようにお立ちになるお地蔵さま。
台座の下に『法性地蔵…大(?)』と読み取れます。
少し大きめなお地蔵さまです。

ふと、となりに目をやると、『陀羅尼地蔵』とまで読み取れる台のみがあり、さらに法性地蔵さまの台座の下にはめ込まれている楕円の薄い台が二つあります。
そしてその横には御首から上を失われたお地蔵さまが地べたに立っておられました。何度見ても胸の詰まるような、心痛むお姿です。
手を合わせはするものの、人間の罪深さ愚かさに、申し訳なさしかなく、あまりお姿をよく見ることはできません。


…そういえば夫は?
夫はどこにいる?
相も変わらず単独行動の珍道中ペアであります。

時々、よもや神隠し?とまで不安にさせるくらい、行方不明になる夫で…などと言っている私も相方からみれば同じくらいの時間行方がわからない存在なのでしょう、がね。
σ(^_^;)

あ、いました、いました。
「結構大きなご本尊さまだった」

…覗き癖のある夫婦ってところは似たもの夫婦?、そんなとこ似てたらやばいですよね、すみませんね、はい。
それにしてもピッタリと閉ざされた戸でありますが…「どこから拝見させていただいたの?」
「戸と戸の隙間から覗かせていただいた、失礼だけど」と夫。
「ええっ?だってほとんど隙間なんてなかったでしょう?」
「うん、その隙間から」
そんな隙間からまで覗こうとは。…などと言いつつ足早に御本堂の方へ向かう私。目的はもちろん、隙間からの覗き。…やれやれな夫婦です。

靴を脱いで。
おおっ、たしかに覗けます(ほんとにやれやれな夫婦)。
少し施された金箔がおちてはおられるものの、大きく立派なご本尊さまです。…お地蔵さま?

薄暗い御本堂の中、わずかな隙間から覗かせていただいているので、よくは見えませんが、凛としたお美しいお顔立ちの御仏の御像であります。
脇侍であられるのか左右におふたり。こちらは見るのもやっとです。

「ほんとだ、三人おられるね」
「えっ?三人?おひとりしか見えなかった」…覗きの腕は私の方が上、ということでしょうか。
もちろん、そう言われて再び覗く夫。

これだから珍道中の域を越えられないんだよな。(^^;

No.344

この後向かったのは…。
近年有名になっている桐生市の氷柱。

ただ…なにぶんにも本人がただでさえ山道の運転が苦手で不安なうえ、氷柱ができるほどの寒さとあれば、寒さもさながら、当然凍結した路面が考えられて、私から行きたいとは言えず、密かに憧れあたためていた妄想にも似た計画、だったのですが…。
「ここまで来たんだから、梨木まで行ってみようか」
と夫がぽつんとのたまうではありませんか!

棚からぼたもち、天にも昇る心地とはこういうことかと。


ん?…今回行ったのって、みどり市って言ってなかった?
とお思いになられる方もおられましょう。
実は桐生市って、みどり市を挟んで飛び地となっている市なんです。
この辺りはまさに入り組んでいて、みどり市を走行して桐生市に入ったかと思うとまたみどり市になるという複雑な地域となっているのです。
そもそも、桐生市だ、みどり市だと言ったところで、あくまでも行政の上のこと。
住んでいる方たちにとっては大間々町は大間々町だし、さらにはその中であっても小平であったり、高津戸であったりと、その地区その地区独自の文化があり習慣がある、それぞれの地区であるのが現実です。
中には隣の地区ではあるものの、長きに渡り二つで一つのような仲の良い地域が、平成の大合併により二つの市に分けられてしまったような地域すらあるように感じます。
お寺さんの境外舎が異なる地区になったようなこともあるようです。


…いつものお話の脱線はこの辺にして。
要は梨木というところは桐生市になるのではありますが、車という移動手段からいえば、まさにこの辺、というわけで…。

おっかなびっくりの氷柱見物へと向かう珍道中夫婦でありました。


やっぱり想像通りの山道です。
…というか、この辺りって、免許取った頃結構友だちとよく来ていたところで…。
あの頃私、山道運転できてたんじゃん。
今は?
運転する視線で見てみると…凍ってたら無理かな。

…私、もしかして、甘えてる?

いや!子供たちも高速と山道はやめときなと、異口同音に言うはずです。夫は…下品な笑みを浮かべながら、「運転してみる?」とは言いますが…。

努力してもダメなものはダメと認め、己を知ることも大切です。こと、運転に関しては…。

No.345

前回【氷柱】氷柱、氷柱と書いていて、なんの疑問もなかったのですが、ふとこの字が『つらら』とも読めることに気付きました。
そう、私は『ひょうちゅう』と打ち込んでこの字を使っていたため、その言葉の表わす意味が、通常では『つらら』と読むことが多いため、今、このスレを読んでくださっておられる方にはうまく伝わっていない可能性があることに気づいたのです。
【氷柱(ひょうちゅう)】は、岩肌から湧き出る湧水によりつくりあげられる、大規模な氷のオブジェのことを指すことがあります。

私ども夫婦が一時期観音霊場巡りのため足繁く(?)通っていた、埼玉県秩父市に、この氷柱(ひょうちゅう)で有名なところが三もしくは四ヶ所あります。
天然のものと人工的なものがあるようですが、こちらはライトアップなどもされるようで冬の観光名所ともなっているようです。
毎年この秩父市の氷柱まつりに行きたいねぇと言いながら、なかなか足の向かないまま、こんなコロナ禍をむかえてしまったのですが、写真で見る限り、それはそれは素晴らしい幻想的で美しいものでありました。

その氷柱(ひょうちゅう)が群馬県桐生市でも見られることを知ったのは昨年冬。
冬…に知ったにも関わらず、運転技術に難ありの私が知った情報のため、行こうと発案はできず、そのまま伝えるだけ伝えてあたためるだけで終わった情報であったのですが、それを認知症状を疑われることすら出てきた夫はちゃんと覚えていてくれ、今回連れてきてくれたのでありました。


その目的地に着かずとも、すでに途中の道すがらに氷柱は見られておりました。
おおっ!
あまりに感動している私のため、優しい夫は(本人を前にしては決して言わないセリフですが)そこに車を停めてくれました。
車から降りはせずにその氷柱を見上げていると、それまで後続車などミラーに映らなかったのに、続々とその姿をあらわして、なんとこの地点で四台もの車に抜かれてしまうこととなりました。
(駐車場、大丈夫かなぁ?)
正式に発表されている地点は梨木温泉という宿泊施設に至る道すがらにあるようです。宿泊のお客さまのお車等とのトラブル回避を考えたなら、あまり梨木温泉の駐車場がお借りできる状況は考えづらく…。
抜いていかれた車の方々も一本道でしかないこの先、目的地は梨木、温泉か氷柱見学か、そのどちらかです。

うーん、しまった、…かなぁ。

No.346

そんなドキドキをひそかに胸に進むと…。

ああ、ここだな!
氷柱見学のための人が停める駐車スペースがキチンと確保されていました。が、いっぱい。
前に私どもを抜いていかれた車の方も停められず、待機しておられます。

ん?空いてるじゃない?
ひと区画、車幅の広い三ナンバーの車やワンボックスカーでなければ停められる区画が空いています。
今回夫の車で来ていたため、その区画にスッと停めることができました。
おおっ♡!


さて、氷柱(ひょうちゅう)、氷柱!
ん?目の前に連なる山肌には、先ほど来る途中で見られた氷柱はない。
…ない?
でも、この先には一本道、そして駐車スペースの反対側には川を隔てて梨木温泉館があるだけです。
この先の一本道上に?
ここにないのに?

すぐ出現するエックスキューズミーおばさん。
「ちょうど車に戻られた方に氷柱ってどちらにありますか?」とお声がけ。
「あちらに進むとありますよ」
丁寧にお教えくださいました。

あちら…、やはり一本道を進んでいくようです。

駐車スペースから徒歩で二、三分ほどのところに。
先ほどの駐車スペースの前の山肌とは全くおもむきの異なる、氷柱が現れたではないですか!

おおぉっ!うわぁぁ!

岩肌からの湧き水、さらには浸み出す水の全てが凍っている!
それも流れ出たままの形で、それぞれの水流が凍っています。
氷の織りなすオブジェです!


雪国の軒先の太いつららもすごいもので、目を見張るような天然のオブジェではあります。
が、これは凄い!

榛名でも滝が凍るくらいの寒さです。
滝のように絶えずあの水量水流が凍ってしまうのだから、確かにゆるやかに流れる湧き水が凍るのも当たり前って言えば確かですが…。

うーん、私のような日本語すらうまく使えない人間にはとうてい言葉にできない、表現できないそのさまであります。
もし氷柱(ひょうちゅう)をご存じなくて関心をお持ちになられた方がおられたら、ぜひ氷柱(ひょうちゅう)で検索してみてください。


毎年こちらを訪れているという方が、「今年は寒いから、見事ですよ」とおっしゃっておられました。


…そうかぁ。

ありがたい。

この、今年の見事な時に来られたことも、何よりいつもいろいろなところに連れて行ってくれる夫に、感謝しかありません。

No.347

この桐生市の氷柱は自然が織りなすもので、桐生市も別に観光として案内などしていないものですので、口コミで広まったものに過ぎません。
今年見た方から直接お聞きするか、さもなくばネットでアップされた情報を見なければ、氷柱が出来ているかどうかはわからないのです。

うーん、良いものを見られた♡。


…とはいえ氷柱を何時間も見るような美的な感覚を持ち合わせてもいない私は、ひとしきり感激し感動したものの、うーん、もういいかな。
三十分もしないうちに…有り体に言えば飽きてきました。
飽きていないフリをしながら氷柱を見上げて、夫から声がかかるのを待ちます。
ほんと、連れてくる甲斐のない妻で申し訳ない。

文章にもできず、さりとて写真の腕も…それどころかカメラもないし、あの才能もない私は、「綺麗だったね。すごかったね」とかありきたりな感想を述べるだけの人間で…。
せめて夫がその美しさを堪能するまで、飽きてきている内心を悟られないよう見物をしている、そんなことしかできません。

思ったより早く撤収の声がかかりました。
長い付き合いです、すでに妻の内心などもバレバレなのかもしれませんが、ね。
出会って四十数年以上経つ二人です。結婚してからも昨年三十五年目をむかえていたらしいし。


ところで…。
ここへ向かう道中、実はひとつお寺さんへの小さな案内表示がありました。
そのような表示を見かけると、行きたいとかもなくとりあえず言葉にに出している私。
今回、そのお寺さんの名前に食いついていた夫。…行きたいところだったのかなぁ。

「さっき通りながら見かけたお寺さん、行きたかったところなの?」
「うーん、あることは知っていた程度なんだけど」
「寄らせていただく?」
「御朱印とかをされているかどうかも、一切情報がないけど、それでよければ…」


今日も無住のお寺さんに行っていますし、何より今日御朱印帳など携えてきてはおりません。
前回の緊急事態宣言下よりも緊迫した新規感染者数を次々と記録し、蔓延防止措置のとられている現在ですので、あまり御朱印は求めないようにしておりますし。

「ぜひ♡! あっ!行くならこの道を曲がるんだよ!」



No.348

それは【正圓寺】さんというお寺さん。
坂を登って行くとひだりてに見えてきたのは、あの雪国とかで見られる雪の重みから枝を守るために行うという〝雪吊り”のしてある木。
その手前には墓所があります。
そして…何やら高い突出した小部屋のようなもののある建物が見えます。
なんだろう?

それよりも車を停める場所はどこなのだろう。舗装されていない土のままの土地に一台車が停まっています。こちらでいいのだろうか?
恐る恐るそこに車を置いて、お寺の名と宗派の書かれた石標をくぐりました。

ちょうど庫裏に入ろうとなさっている男の方がおられます。遠くからご挨拶をして、御本堂へと向かいます。

御本堂の窓には元三大師さまのお姿のポスターが貼られています。
そう、こちらは天台宗のお寺さんであります。
合掌ののち…。
御本堂前にほんの数段のきざはしがあって、靴を脱いでそこに上がらせていただきました。窓からいつもの〝覗き〟をして御仏のお姿を覗こうとしていると…。

「どうぞお入りください」と、男の方の声がいたします。

先ほどの男の方です。


バレた!
いい歳をしながら覗きをしているのが!。
なんと恥ずかしい。
…やれやれ、です。
とは言いながら、「よろしいんですか?」とか言う私。
厚顔無恥とはこういう人物をいうのでしょう。

ただ、その方は特に御本堂に向かうことなくそのまま庫裏へと入っていかれました。
「失礼します」そろりそろりと戸を開けます。
「どうぞ」女のかたのお声がかかります。

御本堂は横に長く、そのままおそらく庫裏へとつながっているのでしょうが、その中間地点のお部屋でなにか作業をされておられるようです。

正座をしてご本尊さまに向かい手を合わせておりますと、ススっとこちらにお越しくださりろうそくに灯を灯してくださいました。

「ありがとうございます」

No.349

ろうそく消しが置かれていますので、消すものなのか、それともこのままにしておいていいものなのか、火を灯してくださった女の方は席を外されておられます。消そうか。
…それがなかなか、太いろうそくが溶けて形が変わっておるため、うまく消すことができません。
すると、
「太いろうそくなので、なかなかうまく消せないんですよ」
と。
お声がけくださったのは、先ほど御本堂へ入ることをお許しくださった男の方です。衣を着ておられなかったけれど、作務衣(?)をお召しで、よく見ると髪を剃られておられました。ご住職さまであったようです。

ところで。
こちらのお寺さんの御本堂は、ご本尊さまさまのおられます内陣左右にも同じくらいの広さの間があります。
その左の方の間には大きめの御仏の御像がおまつりされており、さらにその左右にも少し小さな御仏の御像がおまつりされてており、脇侍をおつとめになられている御仏と思われます。

「すみません、あちらにおられる仏さまにも…」と申し上げ、隣の間におまつりされておられる御仏にも手を合わさせていただきました。
三尊像のさらにひだりてには、御厨司に祀られた御仏もおられます。
御厨司…というよりお社に見える立派なものにおまつりされておられます。

その、隣の間の御仏三尊像に手を合わせ、お礼を申し上げ退出しようといたしますと…
「どちらから来られました?」
「〇〇〇です」

すると、ご住職さまはこちらのお寺の御由緒をお話しくださり始めたのです。

こんなコロナ禍、連絡も無く突然訪れた参拝客、申し訳ないほどの対応です。

「(合併してこちらも桐生市となりましたが、もとからの桐生市は戦争で焼けることがなかったこともあって、古くからのお寺がそのまま残されていますから、素晴らしいお寺さんがたくさんあるのですがね。
こちらは火災で一切を消失してしまった経緯があって、古いものはほとんど残されていないのですよ。
建物自体は以前からあって使われなくなっていたお寺をここに移動して組み立て直しているのですが、いつ建てられたものかもわからないもので、建て方や木部の感じから江戸時代に建てられたものだろうことはわかっているのですが…」

No.350

「実は…。こちらはお城の跡に建っているのです。
かつてこの辺りを治めていた阿久沢氏という殿様が治めていたのですが戦があって落城し、その後はここで帰農し、この辺りの世話役のような役割をしていたのです。
そのうちに子孫にあたるほとんどの人は宮城村の方に移られて、今はこの辺りには一軒も阿久沢家は残っていないのですがね。
この寺に阿久沢氏のお墓はあるのですが、今はこちらの檀家さんではなくなっていて、ただ…子孫の方が何かの折にはお墓参りに訪れておられるにはおられるのですがね。

火災で全て焼失してしまったとき、阿久沢氏の菩提寺ということで、寄進をお願いしたようなのですが、断られてしまったのです。
なかなか寄進をお願いする先もなく、廃寺となって使われていなかった寺を移築することとなったのです。
古いとはいえ、文化財になるようなほど古いものでなかったため、いわゆるリフォームもできたので、あちらこちら直すこともいじることも可能でしたので、結構直して使っているのですがね」

「そちらにおまつりしてある仏さまは実は隠すように埋められていたものが掘り出されたもので…。
おそらく元々のご本尊さまであったと思われるのです。
この仏さまの大きさから考えると元の御本堂が大きなものだったことがわかります。
今のご本尊さまは本堂に入って来て、立ったままの目の高さでちょうど目が合うのです。
こちらの仏さまは座って向き合うと目が合うのです。」

はあぁ…。
火災から守るために埋めたのでしょうか。
で、御本堂の再建のために思いのほかかかってしまった月日によって、仏さまの埋められていたことが伝わらなかった?
なんだか、あまりにいろいろなことをいちどきにお聞きして、私の頭はすでにキャパオーバーしてしまっています。

「この辺りは銅を日光まで運ぶ赤銅街道ということで、徳川家に手厚い扱いをされた土地柄でありまして。
徳川家康から三代家光まで仕えたという天海上人がこの辺りを通って日光へと向かったということで、実際に立ち寄ったお寺などもあるようです」


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