神社仏閣巡り珍道中・改

レス500 HIT数 24784 あ+ あ-


2022/05/01 05:31(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。




21/07/02 14:43 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。






21/07/02 15:02 追記
そんな方のためにも、もう少し上手く書けないものかとあれこれ考えたりもしたのですが、なかなかそれはそれで難しく。
結局自分らしく、ありのままに書くのでいいのだと、なかば開き直りにも近い境地に至って、飾らない、思ったまま書くスタイルをつらぬいております。
今後も今まで通りの誤字脱字、おかしな文章表現かと存じますが、おつきあいいただければありがたいと思っております。┉ずうずうしくてすみません。



No.3321842 (スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿制限
参加者締め切り
投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

No.251

…と、思いきや!
見上げ見ると紅い色が褪せてはいるものの、御本堂の上の方には赤い色が残っております。
かつては赤い御本堂だったのです。
屋根は銅板葺、…ですがもしかしたらかつては茅葺きのものだったと思われる形状をしています。もしかしたら茅葺きを覆ったのかもしれません。
やはりこちらの扁額も色褪せて文字を読むのが難しいものとなっております。

御本堂正面は紫の幕で上と下を覆っております。その幕がなければ扉も壁もない直接外陣に入れる造りとなっています。右側面のビニールシートをまくって、中に入ることとなっています。
外陣には欄間部分に細やかな彫刻がほどこされています。…少し新しい?

実はこの御本堂、やはり室町時代の建造、なのですが、江戸時代初期の火災で焼損しているのだそうです。
焼損した部分、外陣から前面にかけてを元禄十五(1702)年に再興したのだといいます。
なるほど、どおりで彫刻や残っている彩色が新しく思えたはずです。
とはいえ、扉も壁もない造り。
やはりその影響は壁で覆われた建物よりも傷んだり風化は進んでいるよう思われます。
天井絵はおそらくは龍、龍を墨で描いたもの…なのだと思われもするのですが、確かにそうだといえないくらい劣化してしまっていました。

御内陣へと向かいます。
外陣との境には簡易的な扉がつけられています。


…。
ほのかな灯りの中に、たくさんの御仏の像がおられます。
はあぁ…。
今までいた空間と異空間のようです。
そのほとんどの御仏の像が等身大のものです。
その大半が赤茶色に塗られ、大きな部分部分で色落ちして黒くひきしまった木肌が見えています。光背や台座等に金が残っているのはおそらく修復の際塗られたものがまた少し剥げ落ちたもののように思えます。
軽やかな動きとしなやかな肢体の毘沙門天さまは頭部と両の腕が失われてしまっていました。(;_;)


そんな御仏たちが護るように前に立つのは、壁に建てつけられているように見える、大きな大きな御厨子であります。漆黒の、ずっしりとした、厨子の屋根も反りのある凝った造りで大変品のあるものであります。
そして。
御簾越しに見えるのは本来は秘仏であります十一面観音さまでございます。

No.252

ご本尊であります十一面観音さまは、本来ならば閉ざされた御厨子の中。
コロナウイルス退散を願い、午年の御開帳のものを、今年、丑年結縁事業として特別に御開帳されています。知らずに参拝いたしましたので、本当に本当に嬉しく、ありがたいことでした。

御簾越し…というのか、私が下々過ぎて〝御簾〟と呼ばれるものなのかどうかすらがわからないのですが、オーガンジーのような薄い布に刺繍のほどこされた美しい布越しの拝観であります。
その布が厨子の上部に取り付けられ、それが頭から上を隠すような掛け方をされており、お姿の一部が見えないようなかたちであります。
少し…身体を傾けてお立ちになられておられますでしょうか。
白い、といった表現が一番近い、白木のままのお姿のようです。
いたってシンプルなお姿であられるのに、その存在感はまさに圧倒されるものです。

御仏像大好き人間としますと、秘仏という扱いがいまいち理解できないのが本当のところ。
それでもこうやって、御開帳の折にお会いできる機会を得ますと、そのパワー、お力に圧倒されます。

秘仏であるという、その意味は、人間の穢れた念に、煩悩に、触れることなく御開帳の時までお力をためておられる…ということになるのでしょうか。
なんにせよ、お美しくて…。


こちら西明寺さんにはかねがね参拝いたしたいと思っておりましたのですが、夫に、仕事の休みの日に一人で行こうと思うのだけれど、と、かつて相談したことがあったくらい。
夫はその時、鼻で笑ったのち、
「絶対無理だから」と即座に断言いたしました。
今日、たしかに高速を使ってすら一時間以上かかるこちらへ、私一人で来ることなど、絶対、絶対、絶っ対無理だったと思った次第でありましたが…。
あの時、意地をはってこちらへ一人で向かうこともなく、
さらには夫が私を憐れんですぐにこちらへの参拝を決めることなく今に至ったのも、すべてが御仏のお導きであったのでしょうか。
自分に都合よく考えたいのが人の常でありましょうが、そう思いたくなるのも少しわかる気がしません?
本来ならば午年の御開帳。
コロナの緊急事態宣言がようやく解除され、さらにはそのまま新規感染者数が減少している今、当日こちらへと向かうことと決め、今年いっぱいの御開帳のタイミングに間に合ったという奇跡。

なんにせよ、本当にありがたいことです。

No.253

…。


私がわくわくしながら御本堂御内陣で御仏の像を拝観しているとき、一人の女性が読経する声が外から聞こえてまいりました。
はっ!
般若心経を御唱えされ、さらに十句観音経を御唱えされておられます。

…ここが信心深い方と無宗教者との大きな違いなのだ。
多少経を覚え、いくつも神社仏閣をまわろうと、〝珍道中〟に過ぎない理由は、自分がおバカなせいだと思っておりましたが、そうではなくて。…それも多分にはありますが…。
どのお寺さんを訪れても、この方のように読経され御仏を敬い、信仰する気持ちがないこと、それに尽きるのだと。

こちらは坂東三十三観音霊場の一寺ということを、その度胸の声を聞いてはっ!と思い出しました。
あの、秩父でしたように、納め札と写経したものを手に訪れるべきところでありました。
持ってきたのはお線香のセットのみ。
いくら急に決めたこととはいえ、書き溜めた写経はたくさんあって、いつもいつでも納経できるよう、参拝用のリュックに納めてあったというのに…。


そんな奢った、観光気分の私を戒めるために、御仏が遣わしてくださった巡礼の方だったのかもしれません。
真摯な気持ちが足りないから、いつまで経っても〝珍道中〟でしかなかったのです。

お寺さんをいくら参拝しても、どこか門外漢な気がしていたのは無宗派だから、ひいては檀家でないから当然だと思っておりましたが、そうではなく、〝信心〟というものが足りないのです。

そうかぁ。
そこかぁ…。

これは気のせいではなくて、本当に御仏が気付きのために遣わしてくださったのだと思います。
宗教と向き合うことというより、純粋に御仏を信心して敬愛することこそが大切なのだと。



…でも。
気づいてしまったもう一つの気持ち、仏像大好きという気持ちはもう抑えられない。
それはお許しいただこう。
と、またまた自己中な私。
…これがいけない?
まぁ、少しづつ少しづつ、正しい方へと向かえればよい、か。…よいかな。

No.254

七十二節で今の時期を【橘始黄】(たちばなはじめてきばむ)というそうです。

ああ、橘。あのお雛様の右近の橘!
…そうなんだぁ。

他の柑橘類よりも少し遅い?
そんなことをぼぉっと考えていたら、まるで痛いところに手が届くようなニュースの記事がありました。

橘ってみかんの元となったものなのですね。
でもそのお味はとても食べられないほどの苦くて酸っぱいものなのだとか。でも、ジャム、マーマレードにすると美味しいというもの。


…美しい日本の四季を表した七十二節を、よりにもよって切り取るのは食する的な部分とは…(^^;;

あ、元となるニュースはあくまでも花の頃からその花の香り等、さまざまな橘を語ったものでありました。
切り取った私があくまでもここに注目しただけ、です。

やれやれ。

No.255

今Twitterでちょっとした話題となっている神社さんがあるようです。

それは一枚の手水舎に貼られた貼り紙で、
『ご注意.
利口なカラスが ひからびた小魚を水につけてもどすことをおぼえ、
手水鉢の水をとりかえても 
一日で水が濁ってしまいます。
小魚の骨や肉片がたまって
不衛生ですので
この手水は使用しないで形だけの
所作にして下さい。』

大変可愛らしく読みやすいまる文字で書かれています。

へえぇ。
カラスは賢いとはよく聞いていたものの、もはやここまでとは。

私はこのニュースを夫から聞いただけなので、〝手水舎〟〝カラス〟と入力して検索をかけたのですが、
どうやらこの手の賢いカラスは今に始まった事だはないようで、最初にヒットしたものをフンフンと読んでいると日付がかなり古い。
…?

実は〝干からびたものを戻す〟、とまではいかないものの、そもそもが汚れを落とすようなことはしていたみたいで、かなり大きなステーキの肉が浸かっていたりした神社さんの呟きがあったり、
フィンガーボールを用意したり、テグスでカラス除けをしたりと、工夫し苦労するさまざまな神社さんの姿がありました。


…こう申し上げてはなんですが、そもそも手水鉢、何百年という年季ものもザラで、そこに流水でもない溜めた水で手を洗い口を漱ぐよう言われても抵抗がある方がむしろ当たり前といえば当たり前ではないでしょうか。しかも共用の柄杓。
元々がいろいろ不衛生といえば不衛生でして。

とはいうものの、今このコロナ禍となって、手水舎をクローズされた神社仏閣さんが増えると、今まではそうしないと不敬のよう言われていましたのにと、それはそれで不安なわけで…。


ただ、このコロナ禍で、手水が流水のところもだいぶ増えまして、これは大変ありがたかったことでした。
私はこのコロナ禍で、持ち手が折りたためるキャンプ用品のステンレス製のコップを持ち歩くようにいたしましたが、これもコロナ禍という状況でなければ思いつきもしなかったし、もし思いついて実行していたとしても周囲から白い目で見られそうな気がいたします。

カラスの害、ですか。
神社さんやお寺さんも大変なことで…。

No.256

西明寺さんの御本堂で、衝撃に近いほどな形で自分が今いる立ち位置に気づくことができましたものの、さりとていきなりそう改心して御仏の教えにそうよう歩きはじめられるわけもなく。
焦らず騒がす一歩ずつ、自分なりの今後の人生を模索していくしかありません。
とりあえず、生きたいように生きてみようかと。
変わりたい自分、こうしてみたい自分。
みんな自分です。
今までの自分が嫌いであることに気づいたとしても、そこから変われれば、死ぬときに、そこからの自分を少しであっても誇れるかもしれない。
人生などあっという間。

今から始める一歩は、どんな未来もある!
そう思って生きよう。

…まぁ、やっぱり急には変われないのでアリの一歩よりも短く、ナマケモノ🦥のようにスローではあるだろうけれど。


No.257

西明寺さんの御本堂をあとに、まず向かったのは弘法大師堂。
ここは弘法大師さまの石像を奉納するお堂のようです。古いもの、新しいものと年代もいろいろなので石工もさまざまなようです。
なかには何体ものお大師さまの像を奉納されているご夫婦がおられるようです。
…こうした石像の奉納にも憧れます。それこそ墓よりもそちらの方がいいなとひそかに思っているのでありますが…。

と、こちらの大師堂、どうやら八十八体の弘法大師像を寄進することを目標として建てられており、それにはまだ五十七体必要なようです。
…。…できれば自分でお参りできるところがいいです。
すみません。


そしてその前を通らせていただき、御本堂の裏手をぐるりとまわって。
ああ、坂東三十三カ所のそれぞれの観音さまの石像がこちらにもおられます。


よく晴れた日です。
日の光を浴びて、観音さまのお顔も笑っておられるように見えます。
イチョウの葉の絨毯がきらきらと光るようにすら見えます。


鐘楼が見えてまいりました。
茅葺きの、決して大きくはない鐘楼と梵鐘です。
梵鐘はなんと寛文十一(1671)年の作だといいます。
あの第二次世界大戦でよく残されていたものであります。
こちらの梵鐘が残された理由はわかりませんが、こんな山奥のお寺さんからまで供出させたの?ということも、今までの珍道中で見てまいりました。
そのまま鐘のない鐘楼もいくつも見てきました。
そんなことまでしなくてはならなかった時代は、そう遠い過去ではないのですよね。
戦争を知る世代の方もだいぶお亡くなりになられた時代とはなりましたが、この世界から戦争のなくなる、そんな時代が来ても良い頃なのではないでしょうか。


そして鐘楼向かいにあります閻魔堂。
こちらに〝笑い閻魔〟、と呼ばれる御像が安置されているはずです。格子戸がはめられ、その格子越しにしか拝することができません。
薄暗くてよく中は見えないです。
スマホのカメラ越しに見るとよく見えます。…なるほど。
かなりダイナミックに笑っておられます。
その横におふたり。
善童子と悪童子さん。手に巻物をお持ちの方と…なんだろう?かつてあったジャンボ鉛筆そっくりのものを胸より高い位置にお持ちになられている方と。
格子越しなので見えなかったのですが、奪衣婆さんもおられるようです。


No.258

こちらの閻魔堂には、閻魔大王さまと、悪童子さんと善童子さんと呼ばれるお二人、そして画像で見るしかなかった奪衣婆さま、それを見守ってお地蔵さまが向かって右端におられます。

閻魔さまの御像は、なんと申しましょうか、大笑いされておられ、なんとも斬新なお姿をされております。
左右におられるニ童子さんのいかにも〝事務次官〟といった感じの様子とは明らかに違う、…あまりに異なる作風なので、もしかしたら作者も違うのかもしれませんが…、まさに大爆笑されております。

もしかして、閻魔大王さまの前ですら、あれこれ嘘八百を並べる死者がいて、そのあまりに上手な嘘っぷり、演技にお笑いになられる姿を描いてみたのでしょうか。
あまりに斬新な造りですので、新しい時代のものと思いきや、なんと思いのほかに古いもので江戸時代の作とのこと。
でも江戸文化ならば充分あるかもしれません。

あとで画像で見たところ、ジャンボ鉛筆そっくりのものを持っていると記述しておりました方は、もう一つの手に紙のようなものもお待ちになっていまして、書記官、といったところなのでしょうか。
そして…見えなかった奪衣婆さまの迫力といったらなかった!
怖いです!

かつて子供は「嘘つくと閻魔さまに舌を抜かれるよ!」と言われて育ったものですが、こちらの閻魔さまはどうもそういった怖さを感じさせるような感じまではなくて、ただただ奪衣婆さまが左の端に控えているお姿が怖かった。本当に地獄の使いそのもの、であります。
いやほんとに。
『西明寺閻魔堂 画像』で検索できますので、ご興味を持たれたら是非検索してみてください。

そうしてその審判のようすを全てを見守っておられるお地蔵さま。
こちらのお地蔵さまは私どもがよく目にする伏し目がちに静かにお立ちになられる金色に輝くお姿です。
閻魔大王さまと事務次官二人がはっきりとした色調で彩られているのに対し、奪衣婆さまはモノトーンというか白木の経年したもの?(それがまた怖さを際立たせています)。
その色調や像の造作の違いすらが、人々に地獄の裁きの怖さを伝える効果、役割を担っている一つのように感じたくらいです。




No.259

そして三重塔。
さほど大きなものではありませんが、見れば見るほど立派なものです。
彩色を施されたあとはないように見え、それが当初からのものなのか、経年変化でそう見えるだけなのか、それすらわからないですが、塗装されていない白木のままにしては、傷みもなく、これは新しいものなのでしょうか。
…いいえ。
天文七(1538)年、建立とあります。室町時代のもののようです。

当時の西明寺城城主、益子(一説では宇都宮、ともにこの西明寺さんの資料によります。…?)家宗公が建立したと、説明の立看板に記載されています。
すでに〝西明寺〟が地名となっています!…すごいなぁ。

この塔、屋根がなんとも独特な感じに、結構なウェーブで反り返っています。
それがとても美しくて、何よりその技術力の高さに感動します。
板屋根といわれるもので、塔としては日本唯一のものなのだそうです。

説明によると、初層は和様、二層は折衷、三層は唐様の三様式、三間三層となっていると書かれています。
水煙と呼ばれるてっぺんの部分も独特なものだそうです。
関東以北では最も古いものの一つ、とあります。

いやいや、そんな古いものには到底思えないです。
木部の傷みがないことや歪みなどは全くない(…私の目には)、昭和の初めの作と言われても、平成の初めのものと言われても、ふーん、とうなづくほどのものです。

外に建てられているものですよ。
日は当たり、風雨にさらされ、鳥や獣のほうが生息密度が高そうな、そんな山あいにありながら、奇跡としか思えない。…。
しかも囲いとか一切なくて、そばに寄ることも可能です。というか触る気なら触れます。
私などは畏れ多くて、息さえかかるのをためらうくらいでしたが、よくよく考えてみれば、マスクをしていたのでそれはさほど心配しなくてもよかったことかとあとで思ったのですが、それくらい、尊いオーラがあふれるものでありました。
しずかに、まるで御仏の像のように佇んでいました。


そうして、山門を出て…。
ふたたび受付のある建物=休憩所の前に。
その建物の真ん前に、これもまた新しい建物があります。庫裏、とありますが、受付で拝観料をお渡しした際に、
「そちらに聖観音さまがおまつりされていますので是非お参りしてください」と言われています。

ジャーン!
扉を開けるとすぐに、聖観音さまが。




No.260

こちらの庫裏の玄関先におまつりされておられます聖観音さま、な、なんと、あの御本堂から移しているのだといいます。
さらにはもう一体は、お寺の運営する施設に移されて拝観できないのだとか!
びっくり仰天で。

こちらに着く前、道に迷ったんじゃないかと車を停めたのが、まさにこちらが運営しているという診療所でありました。
〝診療所〟というにはあまりに大きなものでありましたが、さもありなん。
見た目通り、十九床の入院施設を持つようです。 
さらにこちらのお寺さん、介護老人保健施設、…自立復帰を図るものから、認知症高齢者の介護付き住居、居宅介護支援事業所までを、この山のあちらこちらに建てられているのだそうです。
それぞれ、〝院〟であるとか〝坊〟であるとかの名称であるようで、その紹介がお寺のホームページ日本載っているくらいでありました。


…たしかに、出開帳、とか、展覧会、とかに御仏の像が出向くこともあるくらいですので、施設に移してその入居者さんやスタッフさんを癒し見守る役割を担う御仏の像があってもいいのかもしれませんが…。
私には斬新過ぎて、ただただびっくりした次第です。
時代とともにお寺さんは変化し進化しているのだなぁ。

No.261

さて。
このあと私どもは宇都宮の二荒山神社さんと大谷町の大谷寺へと向かうのですが。

昨日参拝いたしましたお寺さんで、お忙しいところ突然伺ったのにもかかわらず、大変丁寧に由緒などご説明くださったご住職さまのお寺さんを先に記させていただこうと思います。
メモ等を一切とらなかったので、ただでさえ〇〇な脳みそからどんどん溢れ出てしまうお話を少しでも早く記しておかないと、せっかくのご住職さまのご厚意が無になってしまいます。


と、いうわけで、群馬県前橋市の参拝録となります。

まず向かいましたのは前橋市山王町というところの【日枝神社】さんです。
こちらの歴史は古く貞観二(858)年、嵯峨天皇の皇子、二品親王が上野国大守に任じられたのを祝して、社殿を造り近江国に鎮座の日吉山王大権現さまを遷祀して産土の神と仰いだのがこちらの興りといわれます。
源頼朝が参拝し、三百余町を寄進し、国家安全の祈祷をしたといわれる由緒ある神社さんのようです。
その後応仁の乱によって、この辺り一帯も戦場と化し、兵火により社殿僧房旧記のほとんどを焼失してしまいます。
永禄年間に社殿を再造、僅かに旧態を保ったという、まさにその際の本殿こそが現存するものだといいます。
明治の神仏分離令で社僧、別当は廃止され、神田は国に返還、今に至るのだといいます。

かつてあった特殊神事は陰暦四月中の申の日におこなっていた就農神事及び、九月九日を中心におこった勇壮な儀式は、ともに昭和初期に絶えたといいます。

うーん、…すごくないですか?
頼朝公が参拝された神社さん。

今は明治に村社となって、縮小されたという境内となってはおり、神職の方も常駐しない神社さんとなっていますが、地元の方に大切にされ、お祭りの際にはソーシャルディスタンスをとるのが大変なくらい賑わうようです。

大きくはない社殿ではありますが立派に塗装修復された大変きれいな神社さんです。
結構大きな神楽殿と、その向かいには主=梵鐘のない鐘楼があります。

社殿の赤と、イチョウの黄色が日の光を浴びて大変美しく、やわらかな気の、大変居心地のよい神社さんでありました。

No.262

…ん?
珍道中おばさん、たしかお寺さんのご住職さまのお話を忘れないうちにって言ってだと思うんだが…。
と思われた方、ごめんなさい。

こちらの日枝神社さんのことは存じあげていたのですが、到着した日枝神社さんの駐車場から、すぐそばに大きな、いかにもお寺さん、といった屋根がみえたのです。

おっ♡
おばさんはそう思いました。
そして、ふらふらと夫と車を置き去りにして、そのお寺さんと思しき建物に向かって歩き出したのでして。

う〜ん、お寺さんだぁ♡

天台宗【禅養寺】さんと書かれています。厳密にいうと禅ようのようの字は今の漢字ではない字で刻字されていましたが。
検索しても出せないのと、他のところはすべて禅(禪)養寺とされていましたので、これでよいのだと思います。
その二つの門柱をくぐると、左右にたくさんの石仏さまが並んでおられます。
パァァ…♡
おばさんの顔が嬉しくてほころびます。

お!十王さまの石像だぁ!
向かって右側に、十王さまがずら〜っと並んでおられます。
うわぁぁ♡
おおっ、十王さまの十番目のお方の隣には奪衣婆さんの石像も並んでいるではないですか。…。…大丈夫です、こちらの奪衣婆さんは怖くはありません。そしてそのお隣には…。
二つのお顔が一つの石碑に彫られたものが並んでおられます。
ん?うーん?
も、もしかして、なんですけど…、人頭杖?
…これはあくまでも私の私見です。

あ、いけないいけない!
まずは御本堂におまいりして。
いやいや、その前に神社さんに置いてきぼりの夫を迎えに行かなくては!
と、門柱を出るとそこに夫の運転する車が来ているではないですか。
ぷっ、さすがです。
夫遠誘導して。

今度こそ御本堂へと向かいましょう。
この日は大勢の庭師の方が作業をされていましたので、境内、駐車場には人も車も多くおられました。

手水舎は…見つかりません。
おそらくこの作業されている車両や道具などて目につかないのだろうとは思ったのですが、そこをウロウロしても作業の邪魔なだけでなく、なんだか不審者のようかなぁと。

大丈夫、日枝神社さんの手水舎で浄めてあるある。

外に置かれている大きな香炉にお線香をあげ、御本堂の階段をのぼって手を合わせました。








No.263

そうなんです。

ありていに言えば、日枝神社さんへの参拝に伺って、そこにお寺さんがあることに気づいた、というわけでありまして。


それにしても…。
工事レベルの庭師の方々の数です。

えっとぉ〜、庫裏はどちら?
とにかく車も多いので、通り道が通せんぼされていたりもして境内の様子がよくわからない。
小屋のような建物をとりあえずまわってみると、犬が二頭いるではないですか♡
一頭の若いほうの子は、作業の音やあまりに多い人が多いことを恐れて小屋(?)のかげに隠れて小さくなっています。
もう一頭の、だいぶお年を召しているであろう犬は、「お前は何者?」という顔をしてこちらを見ています。思わず座って話しかける私。
あ、人目が…。
いつもならしばらく座り込んで話しかけているところを我慢して、庫裏探しを再開しました。
あ、ありました。
御本堂のすぐ横なのにまるで見えなかった。

呼び鈴を押し、応答してくださったお声に向かって「御朱印をお授けいただけますでしょうか」と。
…こんな時って、なんと申し上げたらよいのでしょうね。
口下手というか、語彙力がないというか、コミュ力がないというか…おそらくその全てが当てはまる私は呼び鈴を押すことも修行の一つなくらいです。

「はい、どうぞ」
うーん素敵なお声です。
しどろもどろながらも再び「御朱印をお授けいただけますでしょうか」と申し上げると、「ああ、大丈夫ですよ。少しお待ちください」
と快諾くださり、奥へと向かわれるご住職さま。

うーん。このコロナ禍、玄関の内でお待ちするのは申し訳ないといった意味で殊に抵抗があります。
戸を開けて再び外へ出ました。
…ここでも、あまり玄関から離れるのはどうかと思い、ただおろおろするおばさんが一人。
おじさん…夫はそんな時、私を探していることもあれば、境内のあちこちを拝見させていただいていることもあり、とにかく庫裏に来ることはないのだけはたしかで。
以前、「ご住職さまとお話しさせていただける絶好の機会なんだよ」と伝えてはみたのでありますが…。
まぁ、結婚してすでに三十何年か(実は本当に何年経つのかわかっていないのですがね)。
少しもお互いが理解できていない夫婦であります。




No.264

そうこうしているうちに、ご住職さまが御朱印帳を手にお戻りになられたようです。張りのあるよく通るお声がいたします。

「あのぁ、正面を入ってすぐのところに…」と言いかけると、
「あ、御本堂?どうぞお入りください」
いやいやいや、…うれしい。
「あ、ありがとうございます、よろしいんですか?急な参拝ですのに…」
「ああ是非お参りください」
「あ、それとは別に、あの正面を入ってすぐの石像さまなんですけど…」
と石像さまについて伺って。

いそいそと御本堂へと向かいます。

網戸は閉められているものの、戸は開けられています。
素直に嬉しい私であります。
お寺さんのほとんどが御本堂の扉を閉ざし、なかなか御本堂の中へとはおっしゃってくださらないもの。
ありがたい。

…とはいえ、本当は御本堂に入れようが入れまいが、御仏のお像を拝することができようができまいが、御仏がそこにおられ、参拝させていただいていることになんら変わりはないのですがね。

ともあれ、ワクワクする気持ちを抑えて扉を開けます。
いつどこで合流したのか夫もおります。


うわぁぁぁ♡
すごい欄間の飾りです。
立体的に季節の花と鳥が浮き出しています。色も艶やかで、一般的な物よりも大きな彫り物となっています。
うーん、綺麗。

雉や孔雀、白鷺…。なんて美しいことでしょう。

あ、てんてんいけない、いけない!
おまいり、おまいり!

几に鐘と香炉とがありますが、万が一にも火災などとなってはいけないので、鐘を打ち手を合わせるだけといたします。

そのままそこに座って、ぼおぉっと内陣におられる仏さまを見つめていると、
「あっ」と声がいたしました。
「あ、お邪魔しております」
お?
ご住職さまではないですか。

うーん。
そんなに長く居たのか…。すぐ時を忘れるからなぁ…ん?でも入って、手を合わせて拝んで、そんなに経っては居ないんじゃないかなぁ。
ん?
そうか、そうだ、夫がいたのをご存知なかったんだ。

「よろしければ少しお話させていただきましょう」

ええっ?♡


…今回一体何度ハートマーク♡を使っているのだろうか。


No.265

「こちらは西暦八百六十年くらい、平安時代に慈覚大師さまによって開かれたお寺です」
何度か衰退し、ことに室町時代の天文年間に北条上杉の戦いの戦火によって、山王宮社堂伽藍藍宝物記録等一切を焼失してしまった…のは先程の山王日枝神社さんと同じ時のこと。
その後、やはり室町時代の永禄年間に現在の山王宮社とこちらが再建され中興となったといいます。

さらに江戸時代となって家光公に御朱印を賜り景観が復興されます。
ところが。
天明、天保と二度の火災があり、共に本堂、庫裏を焼失したといいます。

「実は、国定忠治が赤城山から逃れてきた際、この本堂の天井裏に隠れたんですよ」
ほおぉ〜。
真剣に天井を見上げる私。
しばらく間を置いて…。
「ここから逃げる際、忠治は寺に火を放って逃げたんで、この本堂の天井ではないんですよ。
国定忠治に焼かれたお寺ってなんともありがたくもないことで名前が知られることとなったなんとも不名誉なことで…」

お、おぉ、なんという不義理な…。

ま、国定忠治がどういう人物かは実はよく知らないんですが、ね。
なんでも博打うちとかヤクザとかじゃなかったかな。…その辺はまた後で調べてみます。

で、ようやく再建されたのは、二十年かかったと言い、それが今の御本堂、なのだそうです。
綺麗な色彩豊かな欄間の飾りは明治に入ってからのものだそうで、少しづつ足して今の荘厳な御本堂となったのだそうです。

「こちらは日枝神社さんの別当寺で、明治までは神社までが境内で、
私のおじいさんまでは日枝神社さんにある鐘楼まで鐘を突きに行っていたんですよ。その鐘も戦争で供出して今は鐘楼しかないんですけど、ね。」

…はい、それ見てまいりました。
言えなかったですけど。

「天台宗は寺の隣に神社があるのがほとんどなんですよ。
長い歴史の中で宗派が変わることもあるので、別の宗派になっていることもあるんですがね。」


「ではどうぞごゆっくり中をご覧になってください。」

No.266

こちらのご本尊さまは釈迦如来さまになります。釈迦三尊像、ということで文殊菩薩さまと普賢菩薩さまがお隣におられます。
ご本尊のおられるところは一段高くなっていて、いわゆるあちらの世界、悟りを開かれた方がおられるところ、なので、欄間にも天女や龍が配されています。
内陣といいます。
こちら側はまだ修行をしている者のいる世界、なので、羅漢さんたちが修行している姿が彫られています。

それから、この内陣右側には中央にお不動さま、不動明王さまがいて、それから慈覚大師さま、天神さまがおまつりされています。

そんなことを思いながらどうぞゆっくりご覧になってみてください」

「それと。
元三大師さまの一月三日には護摩を焚いて厄除けをするので多くの人で賑わいます。よろしければ是非お出かけください」


こんなにも至れり尽くせりの対応をしていただき、本当にありがたいことです。

うん、ここまでなら私一人でも来られるぞ。
なにせこの日の運転は私だったくらいです。


大好きなお寺さんと大好きなご住職さまに出会えた、大変嬉しい一日となりました。

No.267

で。

国定忠治。
名前はよく聞いていたんです。
でも、どんな方だったのか、今更ながらまるで知らないことに気づきました。
そもそも、多分、歴史の授業とかに出てきてはいないんじゃないかなぁ。…そこすらも確かではないのですがね。

そう言っているくせに国定忠治のお墓のあるお寺さんに参拝した折、お墓にもおまいりしているという…。その時調べたんじゃ?
そこんとこは…封印いたしましょう。



国定忠治

生年: 文化七(1810)
没年: 嘉永三年十二月二十二日(1851.1.22)

 江戸後期の侠客。
 本名は長岡忠次郎。
 上野国(群馬県)佐位郡国定村の裕福な農家に生まれる。
 十七歳のとき人を殺し、博徒の許に身を寄せ、博徒の親分として売り出す。
 博奕を業とするが縄張りのためには武闘を辞せず、子分を集めて私闘を繰り返した。
 天保五(1834)年敵対する博徒を謀殺したことから関東取締出役に追われる身となり、以降一貫して長脇差、鉄砲などで武装し、赤城山を根城としてお上と戦い、関東通り者の典型となった。
 逃亡、潜伏を繰り返すうち、同七年、信州の義弟を殺した相手を討つため大戸(群馬県)の関所を破ったり、同十三年には博奕場を急襲した八州廻りの手先で二足の草鞋の者を、子分を使って殺すなど幕府のお膝元関八州の治安を脅かす不遜な存在となった。
 逃亡、潜伏を支えたのは一家の子分の力もあるが、忠治をかくまった地域民衆の支持もあった。
 伝承によれば、同七年の飢饉(天保の大飢饉)に私財を投じて窮民に施したり、上州田部井村の名主と語らい、博奕のあがりで農業用水の磯沼をさらったりし、地域の者にとってはヒーローのような存在であった。
 もっとも、私財、といわれる金も桐生の商家数軒に押し入り金を奪ったもので、しかもその際何人もの女性に性的暴行を加えている。
 
  嘉永三(1850)年夏、潜伏先の国定村で中気となり隣村(田部井村)の知人宅で療養中捕らえられ、江戸に送られ勘定奉行の取り調べの上、罪状が多すぎるため最も重い関所破りを適用され、磔と決まった。
 磔に当たっては、刑場大戸まで威風堂々と道中行列を演技し十四度まで槍を受けて衆目を驚かせたという。

 死後の忠治は、時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦った。


No.268

以上は群馬県伊勢崎市国定町にある神社さんが、コラムで取り上げたものを参考…というかほぼ引用したものです。



…んー。
国定忠治。
映画も芝居も観たことないし、でも何度もその名前を聞いた覚えがあるのです。なんだろう。

…。

ああぁ!
わかったぁ!

…わかりました。群馬県の一部地域で歌い踊られる〝八木節〟です!
八木節の一節、それもなんだか耳に残る一節に国定忠治と歌われていたはず!
で、調べたところ、な、なんと!

群馬県桐生市役所のホームページで、十五番まである歌その全てを掲載していました。…。
忠治の地元でもないのに?
八木節の発祥も栃木県と言われています。
…ああ、そういえば桐生市の一大イベントがその名も〝桐生八木節まつり〟というんでした。それで?
うーん。
なにやら地元伊勢崎市ではかつて行っていた国定忠治のイベントを、博徒で何より殺人まで行った人物を公的機関が税金を使ってイベント開催するのはいかがなものかということで中止されて以降途絶えていると、今回調べていて読んだばかりなんですけど、ね。
まぁただ単純に歌の全曲を掲載しているだけなのでどうでもいいのかなあ。
でも…。天保の被害者の子孫が住んでいる可能性の高い桐生市で?
まぁそこのところは私の感覚なので流すとしましょう。
そもそも忠治の子孫や親類縁者の末裔の方もおられることでしょうし。
強いて言えば市のホームページに、全曲歌詞を掲載するって必要なのかなぁ?
いやいや流す、流す!


そして…。
赤城山。
「赤城の山も今宵限り…」というセリフ、聞いたことがありました。
芝居を観たとかではなくて、それを真似するテレビとか?なにでそれを聞いたかすらわからないのですが。
それから、祖父の世代?が歌う歌に「男ごころぉ〜に 男が惚れぇて」という歌!
そこしか覚えていないんですけど、それも忠治のことを歌った歌謡曲(?)だったようです。
昭和十四年に発表されているうたのようです。

なるほど。

国定忠治は全国区で著名人だったようです。群馬県に住む者として、このくらい知らないとダメ…だった?

No.269

【二荒山神社】さん。

栃木県一之宮である二荒山神社さんです。

世界遺産ともなっている日光二荒山神社さんがあり、宇都宮市にもまた宇都宮二荒山神社さんがあります。
ともに一之宮。
…?
一って、一つではなくて?
とはいえ同じく二荒山神社さんです、そういうこともあるのかなぁと思いながら、なんだかんだとちょくちょく参拝させていただいている日光の方の二荒山神社さんだけではどうも片手落ちな気がして、ずっと気になっていた、【宇都宮二荒山神社】さんにようやくの参拝ができました。

はじめての参拝、例の珍道中を巻き起こす一因のナビに夫が入力いたしました。
すでに宇都宮にいるにもかかわらず、ものすごい距離が示されます。
「これ…日光だよな」
「宇都宮って入れないとダメなんじゃない?」

『二荒山』。
宇都宮の二荒山神社さんは
『ふたあらやま』、
一方日光は『ふたらさん』。

『ふたあらやま』と入力しないと検索されないようです。
…妙なところで頭のかたいナビであります。
【二荒山神社】さん。

栃木県一之宮である二荒山神社さんです。

世界遺産ともなっている日光二荒山神社さんがあり、宇都宮市にもまた宇都宮二荒山神社さんがあります。
ともに一之宮。
…?
一って、一つではなくて?
とはいえ同じく二荒山神社さんです、そういうこともあるのかなぁと思いながら、なんだかんだとちょくちょく参拝させていただいている日光の方の二荒山神社さんだけではどうも片手落ちな気がして、ずっと気になっていた、【宇都宮二荒山神社】さんにようやくの参拝ができました。

はじめての参拝、例の珍道中を巻き起こす一因のナビに夫が入力いたしました。
すでに宇都宮にいるにもかかわらず、ものすごい距離が示されます。
「これ…日光だよな」
「宇都宮って入れないとダメなんじゃない?」

『二荒山』。
宇都宮の二荒山神社さんは
『ふたあらやま』、
一方日光は『ふたらさん』。

『ふたあらやま』と入力しないと検索されないようです。
…妙なところで頭のかたいナビであります。
で。案の定、駐車場へは誘導せず。
本当に夫にとって、このナビと妻との珍道中は修行でしかないようです。

No.270

宇都宮二荒山神社さんの駐車場、ナビもだけれど、有料な割には不案内で…どちらに行くのがよいのか、いちいち停まって確認するようでありました。
ことに平日で混んでいなかったこともあって案内の人も先導車とかもなく、なんとも分かりづらかったです。
駐車場から境内に近いと言われた小さな案内に従って駐車したものの、そこは実に裏手で、古いお札をかたす場所を通って、拝殿の横に出る道でした。うーん、鳥居すら通らない入り口であります。

おぉ。
明るい境内です。
拝殿で神さまが参拝者を見守ってくださっておられるようなあたたかな気が溢れ出ています。
拝殿前に出てしまったものの、手水舎が門のすぐそばにあるのが見えます。
どうせなら門をくぐって手水舎に向かおう。
と、いったん門の外に出て。

うわぁ、高い。高い所にある神社さんなんだぁ。
何段あるのか結構な石段が続いていて、大きな鳥居が見えます。
鳥居の向こうは、大きな商店街。
ドンキ・ホーテが見えます。そこから流れてくる賑やかな音楽。…。
ああ、こちらはこうして常に宇都宮の街を見守ってくださっておられる神さまのおられるお社なんだ。

少し石段を下った所には八つのお社が祀られています。
が、まずは御本殿。いやいやその前に手水舎へ。

そうして、ようやっと拝殿前へと進みました。
あぁ、やっぱり優しい神さまが見守ってくださっておられる。
拝殿前に立つだけで柔らかくて優しい気が包んでくださるかのようです。
絶えず人が参拝に訪れています。
それも町の方々が。
お仕事の合間に手を合わせに訪れていると言った感じの方がたくさんおられます。それも若い方が多いように思えます。
拝殿から末社をゆっくりまわられ手を合わせる、お仕事着の若い女性。
拝殿に手を合わせキビキビと末社をまわられる、やはり仕事着の若い男の人。
年配の男の方は井戸の周りを何か決まり事があるようで、ゆっくり井戸の方を向いて手探りでまわられてから稲荷社へと参拝されていました。

いいなぁ。こういう神社さん。
人が絶えず参拝される神社さん。
ふっと時間ができた時、さっと参拝に向かえる神社さん。
そしてなによりも、人々にそう思わせる神さまのおられる神社さん。

すごいなぁ。



No.271

こちらの主祭神さま。

かつて東国を鎮められた【豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)】さまを主祭神とされています。
第十代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされ、毛野国(のちの下野国・上野国)の開祖とされるお方であります。

江戸期には〝日光山大明神〟と称されたこともあり、その時代時代においておまつりされている神さまが異なることもあったようですが、
社伝では、仁徳天皇の御代に〝毛野国〟が〝下野国〟と〝上野国〟に分けられた際、〝下野国国造〟に任じられた〝奈良別王(ならわけのきみ)〟が〝曽祖父・豊城入彦命〟をこの地域の氏神として祀ったのに始まると伝えられているようです。
ただし、それ以前に豊城入彦命によって三輪山から勧請された【大物主命】が祀られていたとも伝えられているようです。

地元では、こちらに参拝すれば下野国にある全ての神社の御利益を受けられるとされ、古くから人々の信仰を集めたようです。

〝豊城入彦命〟さまは武徳にも優れ、〝藤原秀郷公〟〝源頼義公〟〝源義家公〟〝源頼朝公〟〝徳川家康公〟など著名な武将らも戦勝祈願し、こちらの宇都宮二荒山神社さんに種々の寄進や社殿の改築をしたと伝えられているようです。
〝平将門の乱〟にあっては、〝藤原秀郷公〟がこの神社で授かった霊剣をもって将門公を討ったと言われるているといいます。

【平家物語】によると、〝屋島の戦い〟にあって〝那須与一〟は平家船上の扇の的を射る際に、
「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったといわれています。

No.272

【二荒山神社】を名乗る神社は関東地方を中心に数多くあるようです。こちらの神社さんと日光の二荒山神社さんのニ社が古社として知られていらといいます。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として、
「下野国河内郡 二荒山神社」の記載があるようですが、その帰属を巡って日光社との間で議論があるようです。
宇都宮二荒山神社さんはその後神階は正一位まで進み、下野國一之宮となったとされますが、日光社もまた一之宮を称するということで…。

…私どもの住まう群馬県も〝上野國の二之宮〟である【赤城神社】さんも三社が二之宮を名乗っていて、どこが二之宮かということについては…私などは全てと思っているのですが…。
まさにそういったことなのですね。

御祭神についても、日光社とこちらは異なりますし、どちらかが一之宮ではなく、異なる、古くから土地を守ってくださっておられる神社さん、ということなのでしょう。


また、【宇都宮】という地名はこちらの二荒山神社さんに由来するものとされます。
一宮(いちのみや)の訛りという説、遷座したことから「移しの宮」の転という説。
「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説、豊城入彦命が東国の総監として此処に住し、国がよく治まったことから「宇津くしき宮」と呼ばれ、それが「うつのみや」に転じたという説など諸説あるようです。


お隣の県であり、かつては同じ毛の国ではありましたものの、私の住まう町からは日光も宇都宮も遠く、宇都宮にはあまり訪れたことがありませんでした。

これを機に宇都宮の街を知りたいと思った私であります。
そ、名物として有名な餃子も食していないことですし、動物園もあるようです。
…また、訪れたいと思う、のですけどね…私の運転で来られるかどうかは…。
うーん、高速使わなければどのくらいかかるのかなぁ。

No.273

その後向かったのは栃木県宇都宮市にあります【大谷寺】さん。
大谷観音とも呼ばれ、坂東三十三観音霊場の一寺であります。
大谷石と呼ばれる石の産出される地区で、宇都宮二荒山神社さんの辺りとはだいぶ町並みの異なる風景が、車窓に流れます。
宇都宮二荒山神社さんは県庁のすぐそばの宇都宮市の中心部にあり、大谷町はそこから直線距離で六キロは離れた(私の私見で、です。 笑)
ところとなります。
まぁ、全国的にも有名な石の産出地、街中と風景が違って当たり前です。


そして。
明らかに景色が異なる場所が、大谷寺さんの一帯に近づいた付近であります。

おおぉぉ〜!
なんだかもう物々しいくらい。巨大な岩山に囲まれたところであります。しかも風化して所々さまざまな形に穴が開いている、奇岩?であります。

おおぉだとかうわぁぁだとか、そんな言葉ばかり連発しながら、大谷寺さんの駐車場に車を停め、そしてそのままのテンションで大谷寺さんへと向かいました。
なんだか別の惑星にワープでもしたかのような空間です。

こちらの駐車場は参拝料に駐車場料金が含まれているということなので、そのまま山門に向かいます。
真っ赤な仁王さまと係の方がお出迎えしてくださいます。
この係の方はアルコール消毒を手に噴霧する担当の方で、受付は山門をくぐってすぐのところにあります。

こちら朱印所でもありますが、現在はコロナ禍ということでお書き置き対応をされていますが、坂東三十三観音霊場の御朱印帳にのみ直書きをされるそうです。
受付を済ませて御本堂に目を向けると…。
!。
うわぁぁ〜!



埼玉県の秩父でも橋立堂さんや観音院さんといった、やはり岩山を背にたつお寺さんはありました。
群馬県の榛名神社さんなどは岩山自体が御神体であるため、お社の一部はその御神体である岩に組み込まれ建てられています。
そこでもやはり、「うわぁぁ!」とか言っておりました。

そのどれとも規模が違うかもしれません。
そもそもがこちらのご本尊さま、その大きな岩山に直接彫られた〝千手観音〟さま、なのです。



はあぁぁ。

No.274

まるでその穴に深い意味があるかのように、不規則に大きな穴が無数に開いた大きな大きな岩山。
その岩山に文字通り守られている御本堂。
日本最古の石仏と言われる【大谷観音】さまは、平安時代、弘法大師さまの作と伝えられている千手観音さまであります。


その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれていたといいます。…まぁ今も大谷と呼ばれてはいるのですが。
岩下から水が湧き出して川となり、まるで自然が作った城のようであったといいます。
この中に毒蛇が住んでいて、時々毒水を流し出したといいます。鳥獣虫魚がこれに触れると、たちまち死んでしまったため、ここを地獄谷と呼んでいたのだそうです。
もちろん人間も、この水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、ここに住まう人々は苦しみ、この地を捨てようとしていました。


大同、弘仁(810年)の頃、といいます。
弘法大師さまが東国巡錫の折にこの話を聞き、里人の憂いを除こうと、単身毒蛇の谷に入って行ったのだといいます。
十余日の後、谷から大師さまが出てきて、「毒蛇は退治した」と告げ、立ち去って行ったのだそうです。

人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、岩山に光り輝く千手観音が彫ってあったのだそうです。
観音さまの光明は山谷を一面金色に変えたといい伝えられています。
人々は弘法大師さまの不思議な力に感謝し、大師さまの偉業を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。これが大谷寺の始まりと言われています。


その千手観音さま、高さ約四メートルといいます。
今まで拝してまいりました石仏さまのどなたにも似ていない、唯一無二の石仏さまであります。

ちなみに…。
この御本堂にはいると、センサーがその気配を察知し、自動で案内を始めてくれます。
落ちついた、穏やかなお声であります。

No.275

こちらは古くから【大谷観音】と称され、鎌倉時代には坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきました。

調査した結果、最初はこの千手観音さま、表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表には金箔が押されていたということがわかったようです。

「…最新の研究では、バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロ―ドと考えられています。」
とは自動音声で流れる説明によるもの。

うーん。
そう言われるとたしかにそんなイメージかもしれません。
お顔立ちがまさにそういった感じにも思えます。

シルクロードに浪漫を感じるか、弘法大師さま伝説に心癒されるか…。
その人その人の自由でいいのかもしれません。

ご本尊さまのおられる間を名残惜しく思いながらも、道順通りに進むと…。

おおっ!
こちらにも壁面に彫られた御仏の像があるではないですか!
それもこちらは一体ではありません。
釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊と、ほどよい間をあけて並んで立っておられるではないですか。
こちらの御仏たちはよく見慣れたお顔立ちで、蓮の台座に座られた、これまたよく見るお姿でございます。
こちらは脇堂と称するようです。

正直、お寺さんを訪れている感覚が薄れてまいります。
古くからあるお寺さんでありながら既成概念を根底から覆す造りであります。

さらには…この先向かうのは、宝物館なのですが、そこには一万一千年前の人骨が展示されているのです。

…ええ、本物の人骨です。
すごく立派な頭蓋骨です。
横を向いて寝ている姿勢のままで展示されています。
…怖いんですけど…。

な、なんでぇぇ?

なんでも、昭和四十年にここ大谷磨崖仏の防災工事を行なった際、お堂の下約百五十センチくらいの土中に埋まっていたのだといいます。

いやいや、展示しなくていいですから。

しかも支払った拝観料に、ここの拝観券が付いている!
見たくないんですけど


そんないろいろ衝撃的なことの多いお寺さん、大谷寺さんでありました。


No.276

その宝物館。
夫はこうしたものが好きなので、とりあえずは入りましたものの、やはりその縄文時代の人骨には近づけず。うーん、この浪漫は理解できないなぁ。

宝物館の裏手にまわると、落ちついた秋の景色によく合う日本的な風景が広がっていました。
赤い橋のかかった大きな池の真ん中に、赤い弁天堂がありました。
あの弘法大師さまの退治した蛇が、改心し白蛇となってここを守っているという伝説に基づき、弁天様をおまつりし、白蛇はここで弁天様のお使いをしているということで、遠くから見てもわかるくらい大きな白蛇の像が置かれています。
…これ、なくてもいいのに…。
その向こうにはあの大谷石の岩山がそびえています。
見事な景観です。
所々に古い石仏さまがおられます。
ああ、幸せ♡

さらに奥にはまた池があります。
ん?
おとめ山?
おとめ山と書かれた案内の立看板があります。
…おとめ山?
⁈ あのお止山でしょうか!
そうみたいです。感動‼︎感動です。

こんな大騒ぎしているお止山は、実は私の大好きな漫画家さんの漫画に出てきたという、ただそれだけなんですけどね。
松茸が取れるということで幕府が立ち入りを禁じ、入山した者はお手討ちになったくらいのお山だと描かれていました。内容はそんな厳しいものではなくて、その山をめぐっての愛ある心温まるお話だったんですけれど、ね。
そんな個人的な感動でしかないんです。お騒がせしてすみません。(^^;

【御止山】
御止山は標高184m、大谷石(緑色凝灰岩)で構成され、約2400万年前の海底火山の噴火活動により堆積、生成された比較的に軟らかい性質を持っているため、姿川によって削られ300mに亘って奇岩が重なるような景観を作り出しているものといいます。
往時は周辺が田園地帯で御止山の岩肌だけが海に浮かぶような島のような姿だった事から「陸の松島」との異名があり文芸の題材になるなど広く知られていたといいます。

大谷石は加工し易かった事から古墳の石室や建築資材など古くから利用され、国内でも馴染みの深い石材を産出していました。
そうそう、そういえば先日、群馬県桐生市を訪れた折に、大谷石のノコギリ屋根をみました。

御止山の名称の由来は江戸時代に松茸が取れた事から入山が禁止されていたことからと言われ現在では大谷寺が管理しています。


松茸…今もとれるのかなぁ。

No.277

先日ちょっと時間ができたから…と立ち寄ってくれた息子に、何気にその話をしながらスマホの写真を見せたところ、
「ん?あれ?…ここ、ついこの間行ってきたよ」
えっ?
新婚ほやほやの息子たちがぁ?
なんで?
なんかの間違いじゃない?

いやいや確かにここに行ってきたみたいです。メインは大谷石資料館だったと言いますが…。
なんでまた、こんな渋いとこに?
奥さまの希望だったといいます。
…ふ、ふーん。

渋い好みなんだなぁ。

そういえば娘も何年か前、JR上越線の土合駅に行ってきたと言っていたなぁ。
土合駅は一日の平均利用者二十名足らずの無人駅で通称モグラ駅。四百六十二段プラス二十四段の地下にあるといいます。エレベーターやエスカレーターなどない、ひたすら階段を使うしかない、無人駅で…。
最近は何かこの駅、駅自体、この辺り自体を楽しむ施設が造られたようですが、娘が行ったのはその何年も前のことで…。
言葉には出さなかったものの、なんでまた?と思ったものでした。


若者たちはわたしたち世代…というか私ども夫婦とは違った感性、感覚なんだなぁ。


いろいろな若い感覚、そして…何よりいろんなお嫁さんの生き方感じ方を知っていく楽しみもできました♡

No.278


新型コロナウイルスの新種〝オミクロン株〟の拡がりに不安はあるものの、日本中で今新規感染者数はとりあえずの落ちつきを見せ、ほっとひと息というところで、そんな中、群馬県は東京都を上回りもはや全国一位の新規感染者数となっています。
とはいえその数字はとりあえず二桁どまりといえばそうなのですが…。

限られた地域でいくつかのクラスターが発生しているようです。



それなのに、もはやマスクの着用すらせず、大きな声で談笑する老若男女の多いこと…。
人の集まる公園内等でも、最近本当によく見かけます。
公園のいたるところに「マスクを着用してご利用ください」と掲示してあるにもかかわらず、です。
歩きながら結構な声量で歌う若いの女性も複数名見かけたりもします。

「ワクチン接種された方も店内ではマスクの着用をお願いいたします」と大きく書かれて掲示物のあるお店でも、マスクをせずに買い物したり、あげく大声で話すお客がみられます。


…これでは当たり前といえましょう。
コロナにかかってもかまわないという、強い意志での行動であったとしても、その人たちが感染していて無症状であれば、他者にうつすということを理解していないのか。
さまざまな理由でワクチン接種のできない方がおられることも自覚していただきたいのです。

せめて感染拡大している状況はふまえて行動をしていただきたいです。

マスク警察などという言葉もありますが、マスクをしない権利を主張されるならば、貼り紙という形で
【ここではマスクの着用をしてください】
という決まり事を提示しているところでは、その公園や店側、およびそこを利用している他の利用客の権利を踏みにじっている行為でしかないと考えます。

もちろんマスクが万能でないことは理解しておりますが、さりとてマスク非着用とは明らかにその差は大きなもの。


私の一意見です。
…私の頭は固いのかもしれません。
でも新型コロナウイルス感染症は決して終息はしていませんし、せめて決まり事として提示されていることは守っていただきたいのです。

マスクもワクチン接種もできない弱者を守る義務、責任についても考えていただきたいのです。



No.279

本日十五日。
神社さんへお参りする日で、舅と実父の月命日であります。

今日はよく晴れた、風も弱いたいへん気持ちの良い日です。
…これはお財布にも環境にも優しい、自転車で行けるぞ。
ということで、颯爽と愛車=愛自転車にまたがって出かけました。

うーん、本当にあたたかくて気持ちのよい日です。

決してあっという間にはつかないのですが、文字にするにはなかなか文才もなくて。とりあえずあっという間につかないことは、神社さんまで七キロほどという距離がそれを物語りましょう。

へいこらへいこら自転車を漕いで、…ダウンベストとニット帽は結構早めに脱いで前かごに押し込んで。
ようやく見えてきた石の鳥居をめざします。

そばまで来ると結構大きな石の鳥居です。すぐそばに自転車を停めて、鳥居をくぐりました。
一の鳥居、二の鳥居。
太鼓橋の神橋を渡って三の鳥居です。
そのそばに手水舎があるのですが、大きな金属製の蓋がされています。

境内一面にあたたかで明るい日の光が差し込んでいます。


今年一年のお礼を申し上げました。


そうして、次に向かったのは父のお墓のあるお寺さんであります。ここは二キロほど。
ただし登り坂であります。
うー、きつい、きつい!



No.280

車で来る時は駐車場から、なので、標柱のある正式な入口(?)を通ることはありませんが、今日は自転車、標柱の間をくぐってまいりましょう。
思えば子供の頃、祖母とお墓参りに来るときにもここを通った記憶がありません。

石段を登って。

…なんと新鮮な景色でしょう。

あ。真正面。
当然といえば当然。分かりきっていた位置関係なのに、真正面にそびえる御本堂に感動いたしました。
…あれ?御本堂が開いてる?
お彼岸とかお盆とか、そうそうお正月とか、限られた時しか開いていることがない御本堂が開いているではありませんか。
うーん?ご本尊さまの御縁日ではないし。
ま、いいや。
嬉しいなぁ。今年最後のお参りにご本尊さまに直接お会いできるなんて。
石段をはずむような足取りでのぼっていると…あ、ご住職さまです♡
大好きなご住職さま。
今日は黒い衣をお召しです。やはり何か行事があるようです。

えっ?
ご住職さま、戸を閉め出しました。
うーん、行事が終わられたところでしょうか、残念!
そんなことを考えながらも石段をのぼっていると、私に気づいたご住職さまが手を止めました。

いつもの、とびっきりの笑顔です。
ですがすぐに、戸を閉め始めたご自分の行為に少し躊躇われたような表情が浮かびました。
「大丈夫です。私にかまわずお閉めください」とお声がけしました。
石段はまだ続いています。
「そうですか、すみません。これから法事なものですから」

…そうかぁ。法事ですか。
ん?
法事中ならむしろこの戸は開いていた気がするんだけど…。

最後の一締めの手を止めて、ご住職さまがふたたび私に笑顔をお向けになられています。?

「どうぞ、せっかくですので中でお参りください。ここは閉めさせていただきますが、ここではない出口から出られますので、どうぞごゆっくりお参りください」

ああ。このご配慮。
お忙しい法事の直前というのに、さすがです。
申し訳なさと、何より嬉しさでいっぱいで、ご住職さまに向け思わず自らの膝が見えるくらい深々とお辞儀をしておりました。



No.281

ご住職さまのご配慮で、今年最後のお参りに直接ご本尊さまに今年のお礼を申し上げることができました私は、あまりの達成感で、お墓参りに来ていたことを一瞬忘れたようないないような…。

お墓の前でもご先祖さまと、祖父母、父、叔父に、今年一年のお礼を申し上げました。
相変わらずゴミひとつない、掃き清められた墓地内でありました。
通常のお墓参りに来て、お線香を手向けるところにも灰が残っていることもありません。
ありがたいことです。

檀那寺のない私たち夫婦ですが、「こちらのお寺さんはいつ来ても気持ちがいいよね」と二人の意見は合致しています。

檀那寺さん…かぁ。「そろそろ考えなければね」と言いながら、なかなかその一歩が踏み出せないでいます。それは後継者問題であるのですが、ね。
今、墓じまいをされる話はあちこちで聞かれ、実際こちらの墓所も、これから向かう夫の実家のお寺さんも、墓じまいをして空いた土地が目立つようになってまいりました。
こんなに頼りになる心の拠り所はないんだけれどなぁ。


さて。
今度は夫の実家のお墓参りです。
…実はこれ、はじめてのパターン。

いつもは嫁ぎ先からまわっておりました。
そうすることが正しいであろうと、神社さんから向かうようになってからはかなりの遠回りなのにも関わらず、ずっとそうしてまいりました。
時には時間がなくなって、
「じいちゃん、ばぁちゃん、パパ、ごめん!この次は必ず来るから、今日はごめんね」
と心の中で詫びつつ、心の手を合わせて済ませたりしたこともあったくらい。

でも…。
ふと、どちらが先でも二つのお墓をお参りできる方が良いではないか、と、自転車を漕ぎつつ思い直し、今回の順路となった次第であります。

おじいさん(舅)、怒ってるかな?
…舅はなにかとこだわりが強い人で、嫁にもよくそれを強いていました。
離婚した父方とは縁が切れているのだから、喪に服す必要はないだの、墓参りなど必要ないだの。
次男(である)のおまえんちは、お前たちの墓じゃないんだから、いくらお参りしたってしょうがないだの。

…なんなんだかなぁ。
まぁ、夫の実家のお寺のことは長男が少しづつ継ぎ出しています。実際長男が承継者になったあかつきには…やっぱり私、同じようにお墓参りに来るな。



No.282

この何スレ目かになる珍道中録、今回【夏越の大祓】から書き始めておりました。
早いものであと少しで【年越の大祓】の時を迎えようという時となっております。

…で。

あの例の茅の輪くぐり。

なんだかどうしてもこだわっている私がおります。それはひとえに穢れが多いことを自覚しているから、なのでありますが…。
裏を返すと茅の輪くぐりにこだわって悶々としていることがすでに煩悩というわけでありまして、そんな事実に気づいてはまた悶々とする私でありました。


思えば榛名神社さんは茅の輪を設けておられなかった気がいたします。(そうだったような…。苦笑。)

だからこだわる必要など何一つなく、いつも(とはいえごく最近、ここ近年ようやく始めた、初詣初心者でありますが…)初詣をさせていただいている神社さんに伺えばいいだけのこと、なんです。

そもそも初詣で茅の輪くぐりは間違っているのだし。…何故ならば年越の大祓、だから。

うーん。
ちょこちょこ参拝させていただいている神社さん、今年夏越の茅の輪は設置されなかったんだよなぁ。だとしたら年越の大祓でも設置されないだろうなぁ。

悶々と時は過ぎます。


いやいや!
それより、そんなことよりまずは大掃除!悶々としている場合ではありません。
歳の神さまに感謝して新しい歳の神さまを迎える準備は、何より自宅の大掃除から!


それが一番の難関である私でありました。(´;ω;`)



No.283

大好きな日光東照宮・輪王寺。
今年は一度も参拝することができませんでした。

姉はなにやらテレビ番組で話題となったという破魔矢を求め一人日光に行ったと言っていました。
緊急事態宣言解除後の秋の日光は、平日九時前に到着しても駐車場がすでに満車で、それでも一時間待ちでなんとか駐車できたと言っていました。
しかもその破魔矢、どうやらそのテレビ番組の影響もあってなのか品切れ状態で、一ヶ月以上待ちとのことで、宅配をお願いしてきたと申しておりました。

うーん。
来年こそは行けるかな?と、思っていたのだけれど、今、何より群馬県が全国的にも新規感染者数の多い地区となっています。

〝遥拝〟などという、なんだか都合の良い考えは人が作ったものに過ぎないけれど、この新型コロナウイルス感染症の感染対策としては、これほどありがたいものはありません。

昨年末から今年の立春、節分までの間、日光行きは無理であろうと、遥拝どころか、一年間をお護りいただく御守を宅配していただいております。
さすがにそれが二年続くのは心苦しくあるのではありますが…。
輪王寺さんから送られてまいりました授与品の申込書を枕元に置いて、
時々手に取ってはうーんと唸る私なのでありました。

うーん。

新年明けてから考えよう。


そ、大掃除、大掃除!

No.284


師走に次々と飛び込んでくる痛ましいニュース。
私にできることはご冥福をお祈りすることしかできないけれど…。

これもコロナで人の心が荒んだこともあるのだろう。コロナで大きな孤独を抱え、そこから救われない方が多いのだろう。


生きることは修行というが、それにしても…。
つらいな。

No.285

…古事記を読んでいます。

と、言っても原文でないことはもちろん、ビギナーズ・クラシックという、わかりやすく通釈されたもので、何より全文、ではありません。
私にちょうど良い長さでちょうど良いレベルにまでかみ砕いて下さっている良書といえましょう。

今までも興味を持ち、何度かトライしたものの、それこそ古文の教科書だか参考書だかを見ているようで、まるで頭に入ってこず、つまりは心に響かない。そんな書物は結局すぐに飽きてしまい、お蔵入り…。
とはいえこの本とて今買った本ではなくて、もしかしたら娘が置いていった本?平成十四年発行となっています。
まぁ私の学生のころの本と比べたらまだまだ新しいものの部類。なにせ字が大きい!行間が開いている!

昭和の終わりくらいか平成の初めかに、本は大変読みやすいものに改良されたのであります。
何より軽くなった。
この厚さ、この装丁で、この重さ?とびっくりするくらいなのです。

さらにいえば、電子化されているので、本という形ですらなくなっている時代で、もっと小さくもっと手軽になってはいるのですが、本人がレトロなもので、本の香り、本の重さ、本をめくる感覚が好きなもので、なかなかそこは電子化されないのであります。
何よりも目に優しい。
このブルーライト、殊にスマホの小さな画面で、この半年で老眼の進んだこと進んだこと!
とはいえ、電子書籍も〝無料〟という言葉に弱いおばさんは読んではいるのですがね。


で、話を戻すと…。
【古事記】。
神さま方が大変わかりやすく紹介されています。
…小学生の頃、低学年向けのものも高学年向けのものも読んだんだけどなぁ。
ほとんどが抜け出てしまっていたので、たいそう新鮮で、神社さんに行っては、ただもうこんがらがってわからないまま拝ませていただいていた神さま方が、おひと柱おひと柱、わかって大変楽しいのであります。
親しみを込めて…などと申しましたら不敬そのものでありますが、今後神社さんに参拝した際には、少なくともこの古事記に出てこられた神さま方に関してはどういった神さまであられるか分かった上でのご挨拶することができそうです。

…。…たぶん…。


No.286

大変面白くためになる本…とかいうと、なんだか子どもの時分に読んだ(与えられた?)本の帯にあった文言のようですが…。
まさにそんな本を見つけました。
【眠れなくなるほど面白い神社の話】というタイトルの本です。

神社さんのあれこれを書いてあり、今まで疑問だったことはもちろんのこと、今まで疑問にすら思わなかったこと、鳥居の部位と名称と種類とか今までどう表現したらお伝えできるか悩んでいたものとかが、まるで〝痒い所に手が届く〟といった感じにあれこれ書かれている本です。

これに古事記を加えれば、かなりのこと神社さんについて詳しくなれそうであります。

ただ…。

以前から思っておりました神さまの長い長いお名前。これが覚えられるかどうか、問題はまさにそこではないかと思っております。

これで神社さんで失礼なことをせずに済む…する確率がグンと減る…少しは減るのではないかと、今から神社さんへお参りに伺うのが楽しみな私なのであります。

No.288

明日は【冬至】。

冬至には、【かぼちゃ】を食べる風習がありますが、私の実家…祖父母とも暮らしていた両親が離婚する前の家も、離婚してからの家でも、とりたててかぼちゃを食べるような習慣はありませんでした。

ことに母は、かぼちゃ等の穀類が嫌いな人間で、あの戦争中においてもそれを拒否して、困った母親(祖母)がなんとか調達してきた米飯を食べていたという強者だったらしく、当然自分の嫌いな食べ物を料理などすることもなくて。

だから〝冬至にはかぼちゃを食べると風邪をひかない〟という言い伝えがあるという知識を得ても、特に冬至にかぼちゃを食べるようなこともなく大人になったのであります。

〝 かぼちゃを食べると風邪をひかない〟かどうかはさておいて、かぼちゃは黄色ということで、なんでも『陰陽道』で『黄色』は
〝邪気を祓う色〟であり、なおかつ〝太陽の色〟でもある大変縁起の良い食べ物でもあるようです。

また冬至には、【ゆず湯】に入る風習があります。
これもまた、そんな洒落たお風呂に入ることもなく育った私。知識として知っても、今でこそスーパーで売っている柚子がどうにも入手できない。
ご近所さんとかでも柚子の実るお宅があったかどうか…。
高校時代ようやく同級生のおばあさんから柚子をいただき、ワクワクした思いで帰宅したものの、変わったことを嫌う母に柚子をお風呂に浮かべることを止められてしまったという…。
私にとっての冬至の思い出は、およそ冬至らしくない過ごし方をした、というものでありました。

大人になって。
柚子をいただく機会が増え、冬至でなくとも柚子湯を楽しむ時を過ごすことができるという、なんとも贅沢なお風呂タイムをすることも増えました。
柚子湯は身体が大変温まるし、よい香りがして、今では大好きな入用法であります。

そして、なんでも、柚子湯は運を呼び込む前に厄払いをする禊(みそぎ)になるのだといいます。

〝端午の節句〟に〝菖蒲湯〟に入るのと同じ意味なのだといいます。

香りの強いものは、邪気を祓う力が強いのだといいます。
…とはいえ、菖蒲湯は未だに入ったことがありませんが。


柚子もまた、黄色く丸いということで陰陽道で縁起が良いといい、
さらに柚子は実るまでに時間がかかるのだそうで、『長い苦労が実りますように』という意味合いもあるとのことですよ。

No.289

昨日、寒い中をご近所の方がわざわざ届けてくださった柚子を入れて、冬至に柚子湯をたてることができました。
スーパーで一つ99円の柚子を三つ買ってきてはいたのですが、ご近所の方の心のこもった柚子には、もっと温かくなる力があるような気がいたします。

それにしても三つしか買わないって…。
我ながらケチだなぁ、これでは効果もないんじゃない?と思ったのですが、お風呂に入れて終わりだと思うと三つが最大の贅沢!と思ってしまう根っからのケチなヤツでありました。
いただいた柚子のおかげでとても立派な柚子湯になりました。

かぼちゃも煮ました。
かぼちゃを〝南京〟とも呼ぶようで、冬至の日に【ん】のつく食べ物を食べると運を呼び込むという言い伝えもあるようです。


よい冬至となりました。

No.290

本日は上皇さまのお誕生日。
日本中の神社さんでそのお祝いをされるのでしょう。

この神社仏閣巡りを始めて、あらためて天皇家が神代の代から代々受け継がれてきたものなのだなぁと思うことにであうことでありました。
それはひとえに私が神社仏閣に詣でることがなかったからに過ぎないのですが…。

そう、まさに上皇さまが生前退位され、令和の時代を迎えたとき、どこの神社さんをお参りしても新たな天皇陛下の御代をお祝いされていたことで、あらためてそれを実感したというわけです。

今、上皇さまが美智子さまと毎日、お住まいの仙洞仮御所のお庭をお散歩され、さらに今なお〝ハゼ〟のご研究にお励みになられておられるとのことを、大変嬉しく思っております。

お誕生日をお祝い申し上げらと同時に、日々穏やかにお過ごしいただけますよう、お祈り申し上げます。



米寿をお迎えになられた天皇は初めてとのこと。

…そ、そうか、そうでしたか。
昭和天皇は八十七歳で崩御されたのでしたか。




No.291

明日は納め地蔵。

群馬県桐生市の日限地蔵さんで有名な観音院さんで縁日が開かれます。

父たちの月命日に今年のお礼を伝えるお墓参りができたものの…このところずっと体調がすぐれず、いつもの年のようには大掃除も進まずにおります。

うーん。、

なんだかとっても行きたい私。
ただ…駐車場、参拝者が多くてほとんど置けないし、その場で空き待ちもできないんです。
電車に乗って…と言ってもそれはそれでなかなか歩くようだし。

うーん。

No.292

なかなか行けずにいた群馬県桐生市の日限地蔵さん=観音院さんに、どうしてもどうしても行きたい気持ちが強くて、午後になってから車で行ってまいりました。

納め地蔵だから、いつも以上に人出も、そして屋台も出ているのだろうなぁ。
そんなことを考えながら、歩行者天国となっている参道に到着いたしました。

⁉︎

うわぁ…。
なんて閑散としているのだ。

コロナ禍となってからも、何度かは参拝していたのですが、これほど人も出店も少なかったことなどなかったと思うのですが…。

とはいえ、コロナ禍の参拝には最適です。まずは御本堂へと向かいました。
いつも通りにお焼香ができるようにしてくださっています。
お焼香をさせていただき、ご本尊さまに目をむけ手を合わせ、今年一年のお礼を申し上げました。
…?
どなたかの御遺影が片隅に飾られています。ん?
⁉︎
ご、御住職⁉︎
御住職さまではないですか。

えっ?ここにこうして飾られているということは、間違いなく御遺影、ですよね。
うそ…。

御本堂の中に御朱印をお書きいただくコーナーがあるので急ぎそちらに向かいました。
…五月に亡くなられたのだとおっしゃいます。
そんな前に…。

ん?いや、私、夏にも参拝させていただいています。
ぁ、そうか。まだ警戒レベルも高く、レベル4だったんだ。だから御本堂へはあがらずの参拝とさせていただいたんだ。
そしてそうこうしているうちに緊急事態宣言が、…たしか八月に発令されたんだった。


そうかぁ。

もしかしたら御住職さまにご焼香するためもあって、お導きいただいたのかもしれません。

よく通るお声の、いろいろな心配りのできる御住職さまでありました。自ら動く方でありました。
子供好きな御住職さまでした。
ご冥福をお祈りいたします。

…まぁ、私などが祈らずとも、たくさん修行をされたし、御子息で僧侶という、これ以上ないご供養をされてはおられましょうが。


寂しくなりました。


No.294

>> 293 観音院さんの風雅御朱印は、今年もクオリティの高い、素敵な季節の花の絵が描かれていました。
お書き置きのものはバックナンバーがあるようです。
うーん、うーん、我慢、我慢!

御本堂での参拝のあとは、日限地蔵堂へと向かいます。
人が少ない…とは言ったものの、御本堂前にも、地蔵堂の前にも、賓頭盧尊者さまのお像の前にも、十人を超える列ができています。
地蔵堂の前にある大きな香炉は、炎が上がるほどお線香が立てられています。
そうそう、この煙を浴びると悪いところがよくなると言われており、この煙を手に受けるようにしていろいろなところに擦り付ける方がたくさんおられます。
えっ?私ですか?
もちろん、頭と心に浴びてまいりました。

日限地蔵さまは秘仏であります。
御前立ちのお地蔵さまがお立ちになっていますが、御前立ちのお姿も、大きな灯明立てでお堂の正面に立っても拝することができません。
ご祈祷をお願いすると地蔵堂の中に入ることができるので、そこではお地蔵さまの尊顔を拝することができるのでしょうが、私はまだご祈祷をお願いしたことがなく。
今日はなぜかご祈祷を受付されておられないようでした。
…御住職を亡くされ、まだいろいろな立て直しができていないということなのかなぁ。


観音院さんの境内には所狭しとさまざまな御仏が祀られています。
水かけ不動さま、賓頭盧尊者さま。
大黒天さまは建物の入り口におまつりされています。
眼病に霊験あらたかとされる禰宜師大明神さまと金精大明神さまは、一つのお堂に背中合わせにお祭りされています。
舎利仏さまの前には御足参道と称される石の埋められた小さな参道が作られていて、裸足でそこを歩いてお参りするようになっています。
弘法大師さまのお像の周りには四国霊場のお砂が埋められていて、ここを回ると四国巡りをした功徳が得られるとされています。お大師様の足元に五鈷杵が置かれていて、お大師様とつながれるような気持ちがいたします。
そんな境内のあちこちに古い石像、石仏がひっそりお立ちになられています。

かつて…それも三、四十年前ほど前には、本当に御本堂だけだったと聞きます。
その、頃賓頭盧尊者さまがまずおまつりされたといいます。

これは亡くなられた御住職さまので代になってのことでしょうか。
参拝者の、声に出せない悩みに寄り添うような思いから、だったのでしょうか。

No.295

悩みに寄り添うと会う意味合いからは、たしかに観音院さまの意向と同じベクトルなのでしょうが…。
今回のお縁日では、境内、それも大黒天さまがおまつりされているところに占いが出店していました。
一度見て、もう二度見直したくらい、びっくりいたしました。

占いというのは、宗教と紙一重のようですが、なにぶんにも宗教と縁なく生きてまいりました私は、それと同じ意味合いからなのか、お金を払って占いをしていただいたことがありません。
おみくじすらが、この神社仏閣の珍道中を始めてから、それもだいぶ経ってからのデビューだったくらいです。

大黒天さまだけを拝んでそこを去ることも可能なのでしょうが、たまたまどなたも占っていただいておられる方がおられないタイミングでもあり、なんだか立ち寄りづらく、大黒天さまを心の内で拝むのみでその場を立ち去りました。

占いデビューもいいかもしれない…などという思いも脳裏をかすめはしたのですが、なにぶんにも貧乏性で貧乏な私といたしましてはお値段のわからないことに近寄ることができず。
そう、今流行りの占いの番組を見ていると、占い師さんには自分のあれもこれも見えてしまうようで…善人とは程遠い私には怖い存在だったりもして…。



No.296

日限地蔵さま=観音院さまにほど近いところに、カトリックの教会があります。

納め地蔵の日はクリスマスイヴとも重なるため、実は一昨年この教会にも立ち寄らせていただきました。
本来、クリスマスはイエスキリストの生誕を祝う日。
ケーキを食べて祝っているからには、と、お声がけをいただいたこともあり、無宗教の強みでチャペルの中まで入らせていただき、拝ませていただきました。

今年はどなたもおられず、ただ『どなたもご自由にお入りいただけます』との貼り紙のみ。
お祝いのミサも中止のようです。
小学生の時分に数年教会に通っていたこともありますので、教会にもさほど抵抗なく…。

祭壇の前に生誕の時を祝うベツレヘムの馬小屋を再現した何分の一かのフィギュアが小屋とともに飾られています。

こちらの教会の祭壇の正面には、まさに骨と皮だけに痩せこけたイエスさまが十字架にかけられている像のある、十字架が掲げられています。
うーん、これは…。
胸に突き刺さるような辛さを感じます。


キリスト教。
もしかしたら人生で一番深く関わっていただいた宗教なのかもしれませんが、どこか異国な感じが拭えず、引っ越しを機に日曜学校にも通わなくなって…。
仏教も異国から入ってきた宗教なのですがね。

今、この無宗教の状態をどうしていくか、残りの人生どう宗教と関わって生きていくか、それこそが今私が珍道中している道なのですがね。


No.297

【クリスマスツリー】にはいろいろな意味があります。

ツリーに使う木は【モミ】の木ですが、これはモミの木が『常緑樹』で、冬でも枯れないことから、〝永遠の生命〟を象徴しています。そして、また、モミの木のように枝分かれしたものには、神霊が宿るとか邪気を祓う力があると言われているのだそうです。
それはキリスト教だけではなくて、神社でお祓いの時に使う幣(ぬさ)もまたそういった形状ですし、箒(ほうき)のように、複雑に広がっている形のものには、広がっている方に邪気が祓えたり、魔法がかかる効果があるといわれているそうです。
玉串を捧げる時に、枝の方を神前に向けるのも同じ意味であるといいます。
枝分かれしたものには神霊が寄ることで、人間関係が豊かになったり、
末広がりになる力があるようです。

ツリーの飾りにもそれぞれ意味があるといいます。

頂上のトツプスターはキリストが生まれたときに、空に輝いていた〝シュピッシェ〟と呼ばれる星です

ベルは神霊を呼び出すことが出来る
といわれるアイテムで、これもまた日本の神道でも仏教でも同じ意味あいを持ったものであります。
ただ、ツリーに飾るのは、キリストの誕生を知らせる喜びの音を鳴らすベルという意味のようです。

天使は誕生を知らせる役目。

オーナメントボールは、今はキラキラしたいろいろな色のものを飾ることが多いですが、昔はリンゴを飾っていました。
リンゴは、智恵の実であり、〝実り〟のシンボルだからだといいます。

赤と白の杖の形のものはキャンディ。
羊飼いが羊を導く杖を表していて、
キリストが人を導いてくれることを
意味しています。赤と白のストライプは、キリストの白い心と血と愛を
象意しているといいます。



【リース】が〝円〟であるのは、始まりも終わりもない永遠の形ということを意味しているといいます。
そこに飾られる〝リボン〟は永遠の絆で結ばれることを、〝松ぼっくり〟は、豊作を表すといいます。



そして。
【イルミネーション】はイエスキリスト自身だといいます。世の中を明るく照らし、人々を幸せにする光、だといいます。



No.298

文科省に怒っている!怒り心頭だ!

新型コロナウィルスオミクロン株の濃厚接触者は大学受験不可って、なんだ?
陰性であっても、なのだそうだ。

自分の今後の人生をかけて、何年も前からコツコツと頑張ってきた人間の大きな大きなチャンスを、だ。
濃厚接触者というだけで奪ってどうする。
何度もいうが濃厚接触者、というだけだ。コロナ陰性を確認し、何ら症状がなくとも、だ。
しかもこんな超直前に、そんな政府の発表を受けて、どれだけ動揺すると思う!

これは明らかに異常であろう。

だとしたら医療従事者の家族はどうなる?当然その危険を通常より多く持つであろう。
かけがえない子供の将来がかかったら、大多数の医療従事者である親は、その自らの尊い仕事に疑問を抱く。辞めるという選択をする方もおられると思う。

ウィルスは必ずその形、型を変える。
もう新型コロナウィルスがこの世に出でてどれだけの時が経つ?
今後収まるという予想は未だにない。Withコロナとして生きていく時代ととらえるしかない。

たしかに、高校野球の全国大会が春夏中止され、感染者の有無もなく長年の夢破れた若者もいた。
発熱者がいたということでチーム自体が試合に出られないこととなり、号泣した若者もあった。これもコロナ感染の有無なく発熱した者がいたというだけではあった。

濃厚接触者。
…ここへきてその枠が少し広げられている。飛行機で同乗していた者全てが濃厚接触者に指定される。

だがすでに市中感染が起きている。
普通に学校に通う小学生が、家族からでもなく感染しているようだ。

隔離するなら隔離してもいい。
受験の形を考えてあげようよ。
…今までの過去は覆せやしない。
それは悲しいことだがすでに取り返しもつかない過去となってしまった。


だからこそ、これからのこと、未来のことにおいては、それを考えそれを糧に、変えていかなければならないでしょう。

そもそもこれだけコロナ禍の時を過ごして、こういうタイミングで、こうしたことが起こることなど想定できたことではないのか?


これからの日本を創る、これからの日本を支える若者の未来を大切にしてほしい。

がんばれ受験生!
がんばれ日本!


政治を司っている方!もっと日本を動かす自覚を持って、政治をおこなってください。

No.299

群馬県みどり市を走行していると、ナビの画面に【桐原大日堂】という名称が映し出される道があります。
気になってはいるものの、なにぶんにも細い道のようだし、どこかに行ったついで…ということはほぼほぼない道であります。そして何より!私の車にはナビがありません。

このままずっと気になったまま過ごすのか?
(というより、むしろ記憶から記憶から消滅してしまう確率の方が断然高いのだが。)
とはいえナビ上にその大日堂が映る道を走ることは滅多にありません。
うーん。
ん?もしかしたらここ、光榮寺さんのそばではないか?
…うん、そうだ!
光榮寺さんの近くだ!

先日も薬師如来さまのお縁日に参拝させていただいて、写経したものを納めさせていただきました。
光榮寺さん参拝の際に併せて参拝させていただこう!

初薬師の法要の中止が発表された光榮寺さんの参拝をさせていただきました。
お護摩にくべる護摩木にご祈願を書いて来ようと思ったのです。 

うーん。
うーん。
桐原大日堂さん。

光榮寺さんの参拝を済ませて、ずっと気になっている大日堂さんへとむかいました。

No.300

【桐原大日堂】さんをめざし、恐る恐る進んでいきます。
そもそも道自体が合っているのかどうか。

「大丈夫、もう少し歩くとみぎてに見えてくるはず」とは夫です。
…スマホの地図で確認すればいいんでしたね。
常識、ですよね。
スマホデビューからまもなく六か月というのに、まだこの程度しか使っておらず…
というよりこれはガラケーでも出来たこと、なんですが、ね。
まぁ、追々(^^;。

その道を進んで行くと…みぎての高台にお墓が見えてきました。
ここかな?
歩幅の小さな石段があります。ここからはまだ御堂は見えません。

あ、ひだりてにお地蔵さまがおひとり、ぽつんと立っておられます。
お顔もお姿も見えきらない内から、「かわいいっ♡」とつぶやく私。
…ええ、たぶん、ではなく絶対不敬なな発言、なのですが、これ、もう止められないんです。

どうやら後ろ姿のようです。
どんどんお地蔵さまに近づいて…まぁ、それもたしかなのですが、本来は御堂が、なんですけれど。
お地蔵さまの方に意識がいっているので、私の感覚からはそういった感じでありました。


ん?おおぉ〜っ!
すばらしく見事な枝垂れ桜です!
太い太い幹です。
そして、その幹から空を包み込んで大地を撫でるかのような太く立派な枝が何本も何本も伸びています。
これは…。
この桜に花が咲いたら、どれだけ見事なものでありましょう。

桜の名所はいくつもありますが、ここ、この桜も立派にそこに名を連ねられるだろうと思います。


まもなく御堂が見えました。
御堂といっても、詰めて入ればだいぶ人が入れそうなほどの広さです。八畳、より広いでしょうか。
窓越し正面に、大日如来さまが拝することができます。

御堂の右裏手の高台に、石造の覆屋のようなものが塔のようになった、あまり見ることのない塔(?)がお祀りされています。
窓のように穴が開いていて、その覆屋のような石造のものはよく見受けられるもの、なのですが…。
中になにかお祀りされているのですが、赤っぽいもの?文字が彫られているように見えます。


どなたがお祀りされておられるのだろう。

お墓もだいぶあることから、どちらかのお寺さんの境外堂であることは間違いないと思います。
お寺さんがわかれば、その覆屋のような石塔にどなたがお祀りされているかもわかると思うのですが…。


投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

前スレ・次スレ

関連する話題

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧