神社仏閣巡り珍道中・改
[神社仏閣珍道中] 御朱印帳を胸に抱きしめ
人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。
ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!
┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。
そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。
神様、仏様、どうかお導きください。
21/07/02 14:43 追記
脳のCTとかMRIとかを撮ったりしたら、デーンと大きく認知症と刻まれた朱印を捺されそうなおばさんが、国語力もないくせにせっせこ書き綴ったこの駄文スレッドを、寄り添うようにお読みくださる方がいてくださいます。
誤字があろうと、表現がおかしかろうと、花丸をつけてくださるように共感を捺してくださる方がおられます。
本当に、本当にありがとうございます。
気づくとうれしくて本当に胸が熱くなります。
21/07/02 15:02 追記
そんな方のためにも、もう少し上手く書けないものかとあれこれ考えたりもしたのですが、なかなかそれはそれで難しく。
結局自分らしく、ありのままに書くのでいいのだと、なかば開き直りにも近い境地に至って、飾らない、思ったまま書くスタイルをつらぬいております。
今後も今まで通りの誤字脱字、おかしな文章表現かと存じますが、おつきあいいただければありがたいと思っております。┉ずうずうしくてすみません。
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【化け地蔵】の対岸、少し上流には『弘法の投筆』と呼ばれる巨岩があり、その絶壁には、弘法大師が筆を投げ「かんまん」の梵字を刻んだ、と言われているのだそうです。
それを見ようとしていたところそんな災難に見舞われた夫はあきらめきれなかったようで、そののち化け地蔵…並び地蔵さまたち全てにお会いしたのち、いま一度霊庇閣跡に立って目をこらしていました。
かつてはこの岩の上に二メートル余りの不動明王の石像があったと言われています。
この霊庇閣跡に四阿風の建物を再建されたという輪王寺さん、このお不動さまも再建されませんか?…是非。
まぁ、そんな修行の後…(夫はためらいとあきらめと許し、私は怒りと許し…などと言ったら、叱られるか笑われますよね、すみません。)少し進むと、そこはもう並び地蔵さまがおられるところとなります。
圧巻! です。
すぐに怒りなど消えます(まだ怒っていたんじゃない、笑)。
見事に緩やかなカーブを描いて、美しく並んでおられるお地蔵さま。
柔らかな春の陽射しをうけ、苔のみどりも、帽子とお掛けの赤い色も、なんともいえない幻想的な空間を創り出しています。
その数、七十、ともいわれています。
そして、そのお一方、お一方がみな、大きさもお顔も異なっているのであります。
石仏さま好きの私にはたまらない空間でありました。
まるで苔が寒い中おすわりになられているお地蔵さまのひざ掛けのようにすら見えます。なかには衣となられているお地蔵さまもおられましたが。
ただ。
惜しいかなこの日、雪解け水でほぼほぼ水溜りとなっている足元にかなり気をつけながら歩く必要がありまして、お地蔵さまのおそばまで近寄れないところもありました。
大きさは異なるものの、元あった台座は流されなかったようで。
下流のお地蔵さまはもしかしたら流されずに残れた方もおられるのかもしれません。ほぼ原形のまま祀られたお地蔵さまも何体もおられます。
なかにはお顔のないお地蔵さまもおられるのではありますが…。
上流に向かうほどその被害が大きかったからなのか、おしまいの方の台座には石が積まれそれにお掛けと帽子とをつけただけの台座もいくつかありました。
途中、お地蔵さまではなく歴代住職さまのお墓であろうと思われる石柱も含まれていました。
…この辺りのカウントで数がかわるのではないでしょうか?
〝霊庇閣〟に一番近いところに、やや大きめのお地蔵さまがおられ、このお地蔵さまには香炉が設けられています。
…入り口を護るお地蔵さまだから?
実は私、あの若者たちから自らソーシャルディスタンスを取るべく、最初の方に並んでおられるお地蔵さまの前を軽く拝して、あえて先に進んで先におられるお地蔵さまから拝するようにしておりました。
実際、想像通りその若者たちはその第一地蔵さまを取り囲み、まさに写真撮影会!
芸人さん…とお呼びしていいのかわかりませんが、とあるお方の言葉を借りれば、まさに「どんだけ〜っ」、というくらい、長い時間をかけてスマホを向けておりました。
…もしかしたら大学か何かの歴史研究サークルかなにかでしょうか?
驚くべきは、その若者たち、私が他のお地蔵さまに夢中になっている間に忽然と消えておりましたこと。
ええ、第一地蔵さまの写真撮影のみで、見事なまで並んでおられる並び地蔵さま=化け地蔵さまには目もくれず、立ち去って行ったのです。
ついでに(これはこれで失礼ではありますか)見ようとすることなど一切考えることなく、さっさと撤収!
???? ?!
…なんなんだぁぁ?
結局、その後も同じ年頃の女子二人がヒールにフワフワのスカートで訪れ、やはり関心なげに訪れたことから推察するに、もしやその年頃の人物が通うスクール(大学とか専門学校とか)のオリエンテーリングだったのでしょうか。
まあ私とて、そんな時分には神社仏閣やその美術性や歴史には興味はあったものの、宗教的には一切関係なく生きてきた人間ですし、学校のオリエンテーリングならさまありましょう。
彼らがこの数十年後に、石仏研究家になるやもしれませんし、それこそ出家されるかもしれません。
若者の未来は果てしなく広がる可能性を持っているのです。
こういったその可能性への糸口作りは先人、先を歩く者として大切なものであるのだと思うのです。
…まぁ、他人との関わり方は早急に学ぶべきものではありましょうが。ね。
閑話休題。
その、第一地蔵さま。
実はあの対岸におられたという不動明王さまが立っていたという大岩に刻まれた梵字『かんまん』の元となる字を書いたという、能書家の山順僧正が納めたお地蔵さまであるといいます。
弘法大師の投げ筆とは呼ばれてあるようですが、実際にはこちらを創建した晃海大僧正が能書家の山順僧正の字を彫らせたと伝えられているようです。
その山順僧正が納めたというお地蔵さまには胸の部分に文字が彫られています。
この胸の文字を刻んだのは石工でしょうし、文字も私がすぐに読み取れるほど明確に残っているわけではありません。
また、他にも胸の部分に文字の刻まれたお地蔵さまはおられましたしたし。かの若者たちにどんな課題が課せられていたのか…少し知りたい私であります。
並び地蔵さまは、【慈眼大師天海】さまの弟子約百名が、『過去万霊、自己菩提』のために寄進されたもの。
上流の列座には親地蔵と呼ばれる大きな地蔵さまがおられたといいます。
その台座が空いていてそこに代わりの石が置かれていたのか、それともその台座とは別に親地蔵さまがおられたのかは定かではありません。
なにせ、百名とも言われる僧侶がそれぞれお地蔵さまを納めたとされているので、現在数が約七十ということですので。
えっ?、数えてみなかったのか?、ですか。
もちろん。
ありがたいお地蔵さまを数えるなんて畏れ多い。
…どうせ数えているうちにわからなくなるだろうことは明白だったことですし、ね。
行きも帰りも数えていたら、せっかくの石地蔵さまを鑑賞させていただくこともできなくなってしまいます。
そんなわけで…まぁ、化けるかどうかは確認はしなかったという。…断じて怖かったからではありません。強いていうなら数すらまともに数えられない自分と向き合うのは怖かったですが、ね。
親地蔵とかって呼ばれた、一際大きなお地蔵さまはこちらにはおられないのが現状であります。
ちなみに…。若者たちがいなくなった後にまじまじと対岸の大岩を眺めてみましたが、『かんまん』と書かれているという梵字は二人とも見つけることができませんでした。
この【慈雲寺】さん。
御本堂があるのですが、足元のぬかるみに気を取られている間に通り過ぎてしまうくらいに、小さな、そしてあまり御本堂らしさのない、建物であります。
参道の脇にひっそりと建っています。
1654(承応三)年に天海僧正の四人の弟子の一人、『晃海僧正』によって建立されました。1徳川家綱公の時代であります。
当時の建物は1902(明治35)年の大洪水で流されてしまい、現在の本堂は1973(昭和48)年に輪王寺さんにより再建されたものであります。
ご本尊さまは阿弥陀如来さま。
毎年七月に輪王寺さんにより、『盂蘭盆会』が営まれるようです。
いつかは行きたいと思っておりましたものの、今回は朝思い立って、急遽日光を参拝することとなり、さらには並び地蔵さまをお参りすることになったのも現地でのこと。
かなり前に調べておいたことなので、すっかり抜け落ちておりました。
並び地蔵さまを参拝して…。
何か違う?
何かが足りない。
大きなお地蔵さまは、頭だけとなってしまった記憶が私の中にはあるのです。
オリエンテーリング…かどうかはわからないものの、学生と思しき人たちがピンポイントでまわっていた、〝少し大きな第一地蔵〟さまは、お首がとれてしまったような様子は一切ありません。
勘違い?記憶ちがい?
…いやいや、そのどちらでもないと言い切れるほど記憶しております。
大谷川の憾満が淵にあるお寺さんであること、お寺ごと、数多くの石仏が流されたこと、みんな一致しています。
うーん…。
頭だけになられた大きなお地蔵さまという記憶は、そしてその頭だけとなってしまわれたお地蔵さまは?
もやもやしながらナビに自宅を入力して、夫の運転で帰路に着きました。
その帰り道となった細い道沿いに、お寺さんがありました。
なんとなく心引かれて、寄ってほしいなあ、と思いながら、
「お寺さんがあるみたい」「お寺さんがあるよ」とだけ。
細い道で急に言われ、しかも本来の妻ならあり得ないほど控えめな物言いでは、よもや寄りたいのだとは思いもせず、
ふーん、とだけ応えた夫。
そうなんです。
はっきり述べても通じないことがあるくらい、そういった微妙な心の動きや控えめに願いを述べるとかいう行動に、たいそう鈍感なのが、我が夫、なのであります。
そんなことより夫は田母沢の御用邸の真横に通じていたことの方が大きなことであったようで、田母沢の御用邸のことをやたらと熱く語っておりました。
自宅に戻って…。
どうしてもどうしても気になっていた大きな、頭だけになってしまったお地蔵さまについて調べてみました。
〝化け地蔵〟〝慈雲寺〟などと検索してもhitしてきません。
うーん。
ところが!
親地蔵というキーワードがいきなり出てまいりました。
親地蔵さま?
そして、そのキーワードで検索すると【憾満親地蔵御首】というものが出てきたのです。
その憾満親地蔵さんこそが、
『明治三十五年(1902)の暴風雨でおきた大谷川の氾濫で、【浄光寺】さんの対岸にある憾満ヶ淵で並び地蔵や不動明王像、茶屋などが流出した。その折、並び地蔵の列座の奥に置かれていた親地蔵二体も流された。
そのうちの一体の御首が川床に埋没していたのを地元の人が見つけ、浄光寺に安置した』
とあるではないですか!
やはり私の記憶も、ごく稀にはあっていることもあるんだ♡
添えられた写真も、頭だけおまつりされています。
そして。その【浄光寺】さんこそが、私が心引かれた、帰り道に通りかかったお寺さんであったのです。
やっぱり女の感は当たるんだってば!
もう一体は、今市の小倉町、例幣使・御成両街道の分岐点に、追分地蔵として安置されていると書かれています。
よしっ!
日光だ!♡
二年も行けずに我慢していたおばさんの日光愛に再び灯が灯りました。
問題は、日光までの道。
道は覚えているんです。
運転技術がいまいち、なんです。
日光だけに、〝今市〟。
ああ、おばさんはもうノリノリです。
お付き合いをしていただいている方の宗教についてなどはあまり知る機会はないかと思います。
それを知る機会が葬儀ということも多々ありましょう。
私は神式のお宅を二軒しか知らず、その内の一軒が姉の嫁ぎ先でありました。
姉は離婚しておりますので、その元、となります嫁ぎ先で不幸があろうとも、もはや私が参列することもないのではありますが
…実はこの一月に姉の元夫が急逝いたしまして、神式の葬儀のあとの儀式等について、姉より聴く機会がありましたので記しておこうと思います。
神式(神道)にも仏教の法要に当たる儀式があります。しかし今日本では神式が少ないため、経験のない方も多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうなのですが…。
神式の法要とは?
そもそも法要という言葉は仏教用語であり、神式(神道)では本来使われないそうです。
神式で法要に当たる儀式は、
【霊祭(れいさい)】と【式年祭(しきねんさい)】です。
いずれも、故人の魂を祭るために執り行われます。神式の儀式は、自宅または墓前、葬祭会場などで行うのが一般的です。この点が寺院で法要を行う仏式との大きな違いでしょう。
神式では〝故人が氏神となって子孫を守る〟という死生観があるため、家主体で儀式を行います。加えて、死を〝忌むべきもの〟とする考え方もあって、神社で行うことは基本的にありません。
神式の儀式は、かつては墓前で執り行われていましたが、現在は自宅や葬祭会場で行うのが一般的になっているようです。
【霊祭】は、狭義の意味では命日から一年未満に執り行われる儀式の総称だといいます。
霊祭は、御霊祭(みたままつり)、墓前祭、祖霊祭とも呼ばれるといいます。
『墓前祭』と呼ばれているのは、神式では火葬後すぐに遺骨を墓地に埋葬するのが一般的であるから、なのだそうです。
亡くなった次の日に行われる【翌日祭(よくじつさい)】仏式の初七日法要に当たる【十日祭】、四十九日法要に当たる【五十日祭】などがあるといいます。
その後、命日から一年以上経過したのち、執り行われる儀式は【式年祭】といわれるのだそうです。
広義の意味で〝式年祭〟は、霊祭に含まれる儀式のひとつなのだそうです。
また、神社で一定の周期で実施される祭祀のことも式年祭と呼ばれています。
『翌日祭』
葬式を無事に執り行ったことを報告する儀式。
『十日祭』
仏式の初七日に相当。神職を招いて儀式を行う。
『二十日祭』『三十日祭』『四十日祭』
家族のみで行うか、省略することが一般的。
『五十日祭』
仏式の四十九日に相当し、忌明けになる重要な儀式。
神職を招き、〝神棚〟・〝祖霊舎〟の白い紙をはがす【清祓いの儀】という儀式を執り行う。さらには【合祀祭】という故人を祖霊舎に移す儀
式をあわせて執り行う。
これ以降は家の神々として祖霊と合祀される。
【百日祭(ひゃくにちさい)
家族のみで行うか、省略されることが一般的。
『一年祭』
仏式の年忌法要に相当。
神官を招いて祭詞を奏上してもらう
親族や友人・知人を招くことが多い。
『三年祭』
神官を招いて祭詞を奏上してもらう
親族や友人・知人を招くことが多い
『五年祭』
神官を招いて祭詞を奏上してもらう。身内だけで行うことが多い。
『十年祭』
身内だけで行うことが一般的である。
これ以降十年ごとに百年祭まであるが『五十年祭』で弔い上げとして終了することが多い。
身内だけで行うことが一般的。
ところで…仏式では一周忌は命日から一年後、三回忌は二年後に執り行われますよね。神式では三年後が三年祭。
まぁ、仏式の方が特殊なわけですが、身についてしまっているのでそこは注意が必要なようです。
さて。実はここまでは案内通りに参列すればよいことで。
神道、神式ならではの作法や儀式があり、神式でのNG用語も存在するいたします。
これこそが、神式の葬儀等に参列する際のドキドキのもとであります。
神式には、他の宗教にはない死生観や故人に対する考え方があります。【他界】という言葉は、故人がこの世で神となる考え方を持つ神式では使わないものとなるようです。
また、【冥福】【成仏】【供養】【往生】なども仏教に関する言葉のためNG。
…そもそも、葬儀に参列した際、仏式であってもどうお言葉をお掛けしたものかしどろもどろになりがちだというのに…さすがにもういい歳をしております私、ついつい口にしてしまわないように気を付けなくてはなりません。
◎NG用語 言い換えの例
『他界』=ご逝去
『ご冥福をお祈りします』
例)
御霊のご平安をお祈りいたします。
安らかにご永眠されますことをお祈りいたします。
葬儀につきものとも思われる数珠も神式の儀式には持参しません。ご自身が仏教徒であったとしても、神式の儀式に持っていくのは避けたほうがよいようです。
香典は仏教の言葉で、神式の香典にあたるものは、【御玉串料(おたまぐしりょう)】と呼ぶのが一般的です。【御榊料】などともいいます。
さらに注意しておきたい違いもあります。
【不祝儀袋】『無地』
蓮の花が書かれているものは、仏式なので使えない。
【水引】『白黒、双銀の水引(銀結び切り)』
仏式と基本的に同じ。
【表書き】〝御玉串料〟〝御神前〟〝御霊前〟〝御榊料〟〝御弔料〟などと書き、氏名は仏式同様記入する。
神式の仏壇にあたるものを【祖霊舎】というようです。
私は一度だけその祖霊舎に手を合わさせていただいたことがありますが、一見ごくごく普通のお仏壇に見え、なので手を合わせるまでそのお宅が神道=神式であることに気づかなかったくらいです。
実際にはお祀りの仕方が異なっているようですが、しげしげと拝見するものではないのでよくはわからなかったのですが、お線香ではなく、お米を捧げるのだと言われ、いろいろとびっくりいたしました。
神道では亡くなられた方はその家の守護神となり家を守るのだといいます。
その祖霊舎に祀られた方は優しく可愛らしい奥さまでありました。生前馴れ初めなどもお話しくださいました。
毎日毎日奥さまの病床を訪ねる旦那さまでありました。
ある日偶然お会いして、是非にとお声をかけていただき、初めてのお宅に上がり込んでのことでした。
「なんかさあ、寂しくって、まだここにいるんだよ」と、私が合掌の手を解いたあと、その祖霊舎があるお部屋と別のお部屋の方を見ながら、ふうっとため息をつくようにおっしゃいました。
「あっちで一緒に寝てるんだ」と。
そんなにまで結びつきの強かったご夫婦には、その家に守護神となって亡くなった方の霊がいる、という考え方の神道はぴったりだなぁと思いました。
いまはどうしておられるか。
その祖霊舎に祀られるのが【霊璽(れいじ)】という、仏教でいうところの位牌に近い神具です。
神道式の葬儀を行う際に、亡くなった人の御霊の宿る依り代なのだといいます。
霊璽以外に「御霊代(みたましろ)」「霊代(たましろ)」などの呼び方もあるといいます。
神道と仏教とでは亡くなった人に対する考え方が異なるため、正確なたとえではありませんが、イメージとしては仏教でいうところの位牌に当たり、形状も位牌とよく似ているといいます。
仏教の位牌には、黒檀や紫檀の色味・質感をそのまま活かした唐木位牌もありますが、一般的なのは漆(または漆調の塗料)で塗られた「塗り位牌」。
一方、霊璽は上から何も塗らない白木製です。桧(ヒノキ)がもっともよく使われ、そのほか檜葉(ヒバ)、栓(セン)なども一般的なようです。
位牌は仏壇にそのまま安置しますが、霊璽には本体と同じ白木で作られた「鞘」と呼ばれるカバーか、金襴で作られた「錦覆(にしきおおい)」をかぶせます。
神聖な存在である祖霊は、目に触れないようにすべきと考えられているためだといいます。
この覆いは、仏教の法要に当たる例祭や、お盆に当たる中元祭(盆祭)で外されることもありますが、基本的には常にかぶせたままとするのだそうです。
また、霊璽の前側には鏡が必要です。自らの心を省みる、心眼をもって神様に向き合う、悪霊をはね返すなどの理由からといわれています。
錦覆には前面に鏡がつけられているものも多くあるようです。白木製の鞘のように鏡がつけられていないタイプの覆いであれば、別途用意した鏡を霊璽の前に置くようにすることとなります。
故人の御霊を霊璽へと移す儀式として【遷霊祭】があるといいます。
遷霊祭は、仏教の通夜に当たる「通夜祭」の中で行われるのが通例とのことで、霊璽はこの遷霊祭のタイミングに必要となるとのことで、つまり、かなり早い段階で準備しなくてはなりません。
神葬祭(神式の葬儀)を執り行う神職が用意します。
仏教では一旦、白木製の仮位牌が用意され、四十九日の法要にて本位牌へと切り替えますが、霊璽は遷霊祭で御霊を移したものをそのまま祀るのが一般的なのだそうです。
霊璽へ書き入れられるのを【霊号】、【諡(おくりな)】または【諡号(しごう)】とも呼ばれます。
霊号は、諡(おくりな)または諡号(しごう)とも呼ばれ、霊璽に書き入れられます。
仏教の戒名に当たりますが、成仏するために仏弟子となる故人にふさわしい名前を寺院にお願いしてつけてもらう戒名とは異なり、生前の名前(フルネーム)をそのまま使います。
名前に続けて、成人男性なら『大人(うし)』成人女性なら『刀自(とじ)』といった年齢・性別に応じた『称名(たたえな)』をつけ、それに『命(みこと)』などの尊称を続けるのだといいます。
霊璽の裏面には帰幽日(亡くなった日)を書き入れ、それに加え、故人の生誕日や享年を書き入れる場合もあるようです。
その霊璽、最初は二体用意されるのだといいます。そのうち一つは納骨の際一緒に墓に納めるのだといいます。
…納骨するところって、位牌…ではなく霊璽を納められるほど広いものだったかどうか…。
神道のお墓を建立する際はそういったことも考慮した造りなのでしょうか。
ちなみに、神社には基本お墓は存在しませんので、共同墓地などの宗教を問わない墓地になるそうです。
姉の元夫さんのお墓は、本家の地所内にあるといいます。
うーん、勉強になりましたぁ。
問題は…私の記憶力です。
その他、神式ならではの儀式等。
【神棚封じ】
神棚や祖霊舎を閉じて、白い紙を貼る儀式。
【祝詞奏上(のりとそうじょう)】 神職が神さまに対する言葉を申し上げること。
【玉串奉奠(たまぐしほうてん)】 仏式の焼香に当たる行為。
榊(さかき)の木の枝に紙を付けた『玉串』を神さまに捧げる。
【清祓いの儀(きよはらいのぎ)】 神棚封じで貼った白い紙を、五十日祭当時または翌日にはがすこと。
【直来(なおらい)】
儀式の後に、神棚から供え物をおろし、出席者で会食すること。
【献饌(けんせん)】
故人のためにお供え物をお供えすること。
ところで。
私の嫁ぎ先では、亡くなった方が出ると神棚、そして扉を閉じた仏壇に、白い半紙を貼っていました。
そこでしかそんな状況を見たことがなく、他の仏式がどうなのか…。
近しい方の葬儀、ご自宅までお邪魔するような仲の方の葬儀でなければ、なかなか知ることのないことではあります。
…どうなのか、なぁ。
嫁ぎ先の宗派は曹洞宗。
前スレで述べたように、義祖母、義父が亡くなったとき、神棚には白い半紙を貼り付けて、仏壇の扉を閉ざしていました。
好奇心の強い私は「どうして?」と問うたのですが、「そういうもんなんだよ」で片付けられていました。
神さまに穢れが行かぬようというのは、なんとはなしに肌で感じたものなのですが、仏壇がどうにもわからない。
この機に疑問を解くべく、またまたGoogle先生にお聞きしました。
神道以外の宗教を信仰していても、自宅に神棚があるお宅は、ご自宅に神棚がある方のご家族にご不幸があると、神棚に半紙を貼り、封印します。
これを「神棚封じ」と言います。
神道では、古来より「死」は穢れととらえており、神様は穢れがあると力を失ってしまうと考えられています。このため、死という穢れで神様が力を失わないようにするために神棚封じが行われるのです。
ちなみに「穢れ」というと汚いとか不浄という悪いイメージを抱く人が多いと思います。
神道でいう穢れというのは、「気枯れ」とも書き、不浄というわけではなく「気が枯れて」いる状態のことを言います。
人間は悲しいことや辛いことがあると、活力や気力が失われます。特に、大切な方がお亡くなりになったということであれば、深い悲しみで気が沈み込むことになるでしょう。このように、気力が失われている状態を「気枯れ」ている=「穢れ」ていると呼ぶようになったとされています。
神棚封じを行うその時期は、ご家族が亡くなった時点で、そして、神棚封じを行う人はご遺族ではなく、死の穢れが及んでいない第三者が行うのだといいます。
一、 神棚の神様に挨拶をしてから、誰が亡くなったのかを伝えます。
ニ、神棚にお供えしてある御神酒や米や塩などのお供え物や榊を下げます。
三、神棚の扉をきちんと閉めてから、白い半紙などを使用して神棚が隠れるようにします。しめ縄がある場合は、しめ縄の上から半紙を貼ります。
神道を信仰していなくても、神棚が自宅にある場合、このような手順で神棚封じを行うということでありました。
そして、神棚を開く時期としては、神道においては、50日間が忌中の期間となります。
それに従い、50日間神棚を封印しておく必要があるということであります。
神棚封じの期間を終えた後は、塩で身を清めた上で礼拝をした後に半紙を取り、以前と同じように榊やお米、塩や水、お酒等をお供えします。
貼られていた半紙は、一般の不用物と同じ処分でいいとのこと。
これはお札やお守りなどと違い、神社からお授けいただいたものでなく、一時的な目隠しの紙なので封じが終わったらただの紙と考えていいのだそうです。
…たしかに、舅が無造作に丸めてゴミ箱に捨てていた記憶があります。それが正しいと知っていたかどうかはわかりませんが。笑。
なお、神棚封じは地域によっては祖父母の場合は30日間、父母の場合は50日間というように神棚封じの期間が異なる場合があるといいます。それはその地域の慣習に従ってよいとのことでした。
仏教を信仰されている場合でも自宅に神棚がある際の神棚封じに関しては、あくまでも神道の考えにのっとることになります。
普段、榊やお米、塩やお水など神棚に供えていても、神棚封じの期間はそれらを供えてはいけないそうです。お供えをしない失礼よりも「気が枯れている(穢れている)」時に神棚に触れることのほうがよくないことだといいます。
ところで、神棚封じの半紙がはがれてしまったら?
再び貼り直すだけで問題ないようですが、貼り直す際は、やはりご遺族と無関係の第三者が行うのが望ましいそうです。ただし、難しいようであればご遺族が行っても構わないといいます。
半紙を貼り直す際も、塩で身を清めてから行うとのことであります。
そして。
仏壇はどうするのが正しいか。
神棚を扱う神道と、仏壇を扱う仏教では「死」に対する考え方が全く異なります。
死を穢れとしてとらえる神道とは異なり、仏教では死を穢れと捉えないので、仏壇を封じる必要はないのだといいます。いつも通りお参りをしていただいて問題ないとのことでありました。
うーん。
いくつかのサイトを見てみましたが、皆そのように書かれてはいました。
書かれてはいたのですが…、例えばその家だけのしきたりだとしても、ずっとそう受け継がれてきたものであれば、あくまでも家長、祭祀承継者が判断して決めるもの。
わが家は嫁ぎ先において、次男でありますので、それに従っての今後とはなります。
間違いは必ず正すものではないと、
その家独自のしきたりがあってもいいと思うのであります。
追記)
忌中に仏壇を閉じておくかどうか、宗派による考え方の違いがあるという記事を見つけましたので、記しておきます。
「手を合わせる対象がご本尊」という意識が強い宗派では「開けておく」という答えが100%であったといいます。
これは、【浄土真宗】【浄土宗】【日蓮宗】【日蓮正宗】などで、理由として、
故人は本尊の導きによって成仏される。葬儀も法要も本尊の前で執り行われる。
という考え方にもとづくもの。
同じ宗派にありながら、ご住職によって意見が分かれたのは、【真言宗】【曹洞宗】【臨済宗】であったそうです。
「閉じる」の理由として、
・参拝のとき誰もが故人に対して手を合わせるが、その時に本尊やご先祖にお尻を向けてしまう事があり失礼にあたる。
・葬儀の準備は騒々しく仏壇の前を横切ったりもする。本尊や先祖に失礼の無いように。
・葬儀は故人対して回向するため。
・日本では葬式は仏式で行うが、神棚をはじめ七五三や厄払い、初詣など神道も信仰している人が多く、仏教の作法だけを行うというのは難しい。
・地域の風習に倣うという考えから。
…実は臨終後の仏壇の開け閉めに関して、葬儀屋さんのホームページで、「閉じる」「閉じてください」と案内している方が圧倒的に多いのだそうです。当然、現場でもそう伝えられることでしょう。
葬儀に慣れているのは僧侶くらいですので、葬儀屋さんにそう言われたら、遺族は専門家である葬儀屋さんに従うでしょう。
で、結局どっちなの?と言われそうですが、
仏教の作法としては「仏壇は開けておく」が正解でいいようです。
特に、浄土真宗は迷信の類を一切認めていませんので、どの寺院に聞いても「開けてください」と仰るはずだと書かれていました。
でも、地域や親族の間で、仏壇の扉を『閉じる』風習がある場合、開けておくと『常識がない』と思われてしまう恐れもありますよね。
多くの葬儀屋さんが「閉じる」と教えていますので、それがすでに常識化してしまってもいることもあります。
やはりそこは最終的には、その家の家長、祭祀承継者が中心となり、その家の作法、ということになるのでしょうね。
えっ?
こんがらがる追記は要らない?
失礼しましたぁ。ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
今日はお地蔵さまのお縁日。
群馬県桐生市にある【日限地蔵】さん、観音院さんへ参拝させていただきました。
観音院さんはここ近年、御朱印で有名となっておりますが、実はこちら、法要さえなければ御本堂にあがらせていただいて、心ゆくまで過ごさせていただける、数少ないお寺さんなのであります。
御朱印で名を馳せるようになってかなり経ちますが、ひと頃ほどは混雑していないように思われます。
かつてはこの二十四日のお縁日限定でお書きになっていた月替わりの、花の水彩画の描かれた御朱印を、あまりの混雑から限定枠をはずすようになられたからなのでしょう。
リピーターが多いのも頷けるクオリティーの高さです。
限定御朱印には基本こだわらないこと、それをポリシーとしたいと、最初に思った自分。その初心が揺らいで結局何度もお受けしてしまったのが、唯一、こちらの観音院さまでありました。
その限りなく私の物欲を誘惑する『風雅御朱印』を封印をし卒業してもう一年以上が経つ…かなぁ。
本日も御本堂にあがらせていただき、ご本尊さまである聖観音さまに向かい、読経し、手を合わせました。
なんと心の落ち着くことでしょう。
今はもう、コロナ以前のようには御本堂のなかにまで上がっての参拝をされる方はあまりおられないようでした。
ですが、いつでも誰でもお焼香ができるように香炉の用意をしてくださっています。ありがたいことです。
読経の際は、焼香台の前ですとちょうど後ろが、外からの参拝の方の拝まれるところにあたりますので、少しずらした位置で。かつてちょうどこの辺りに、心の間…だったか、御仏にお話させていただく小さな空間を設けてくださっていました。
こちらのお寺さんは、参拝者が如何様に向き合おうと、それに応じられるようなセッティングをしてくださっているよう思います。
いつものお縁日の賑やかな境内で、それぞれが自分なりに考えたルーティンでまわりながら祈りを捧げられる方たち。
そう…、この日限地蔵さまのお縁日に詣でて、そのあと、御朱印を求めるのも目的の一つであったり、お縁日に出ている露天商の買い物を楽しみにされて来られている方もおられることでしょう。
お友達と連れ立ってお越しになるのが何よりの楽しみな方もおられるでしょう。
私のように御本堂で御仏と静かに向き合わせていただけるのをありがたく思って訪れる方もおられます。
毎月毎月縁日が開かれるお寺さんというのも、こちら桐生市ではこちらだけのようです。私の住まう辺りのお寺さんは大祭が年一〜二回開かれるか、施餓鬼会法要が営まれるくらいです。
お地蔵のお縁日の日には、観音院さんのある通りを一区画分まるまる車両通行止めとしてくださっていますので、露天商のお店をゆっくり覗いたり、土日や夏休みなどには、子どもたちが楽しそうに踊るように歩く姿も見られます。
こちらは昔からそうしたことで有名なお寺さんだったようですが、時代に合わせて進化し、進歩して、いつの世も開かれたお寺さんであり続ける、そんな努力をされているように思いました。
私はよくこちらで、自分は無宗教であると述べています。
檀那寺がないということも大きいです。親から引き継ぐ祭祀がない、ということは、自由でもあり、なんとも宙ぶらりんで不安でもあります。
仏壇もなければ、神棚もない。
聖書もなければ、クロスもない。
これはどこからどう見ても、正真正銘の無宗教でありましょう。
ただ…。
人はいつなんどき、寿命が訪れるかわからない。
檀那寺のある方は、どなたかお身内が亡くなられた際には、とりあえず檀那寺に連絡なさるでしょうし、神道の家の方は神社へ、キリスト教徒の方は教会へご連絡されるでしょう。
無宗教というのは、そんな時、宗教を突然選ぶことになることもある、ということなんです。
私が無宗教のまま死んだりとかすると、困るのは遺された家族。
とはいえ無宗教の葬儀というのも、宗教を問わない霊園というのもあるにはあります。
それはそれでいいような気もするのですよ。
自分が何一つしてこなかった檀家としての役割というものを、誰か…身内の誰かに負わせるのはどうにも気が重いことですし、ね。
ただ、世間一般から言えば極めて異色なことではあるでしょう。
ある程度は、ね。
そんな指針を立てておけたらいいなぁと思ってはいるんです。
それは終活のなかに確実に含まれることなのでしょうね。
仏教?
神道?
キリスト教?
うーん、そもそも日本って…神道?仏教?
日本の寺院数は約七万七千と言われています。これは文化庁の宗教年鑑によるものです。(令和元年のデータです)
あの、至る所にあるとも思われる、コンビニが五万六千前後(…令和二年のデータですみません)といい、実は圧倒的にお寺さんの方が多いという、衝撃の事実であります。
神社さんは約八万六千六百社。数的には神社さんの方がさらに多いのですが、その中には小さな祠までも含まれるとも言われます。
一方、お寺の僧侶の数は約三十四万人であるのに対し、神社の神職の数は、二万二千人ほどなのだといい、圧倒的に僧侶の方が多いようです。
葬儀などに参列しても、そのほとんどが仏式のものであることを考えると、仏教の国と言っても過言ではないのでしょうか。
でも…でも、ですね。
仏教と一言で言っても、宗派がいろいろあるではないですか。
…ただ正直、そうは言っても珍道中レベルのお寺さんとの関わりでは宗派によっての違いをそうは実感することはありません。
まして私などは宗教とほぼ関わることなく生きてきたのでことさらにその違いを感じられないのかもしれませんが…。
『一隅を照らす』という石碑があったら【天台宗】、
『不許葷酒入山』という石碑、石塔があったら【曹洞宗】、
弘法大師さまの像があったら【真言宗】、
などなどの特徴的な違いはわかるようにはなっていますが、ね。
そうそう、その宗派について、実は中学校の歴史の授業で習っているんです。
高校ではさらに倫理社会の授業でも習ったはずなのです。
それを記憶しているかどうか、という個人差は生じるものではありますが。
……全部言えるか、と問われれば、夫のスパルタ教育で叩き込まれたので、たぶん…大丈夫、かな?
・真言宗(空海)
・天台宗(最澄)
・浄土宗(法然)
・曹洞宗(道元)
・臨済宗(栄西)
・日蓮宗(日蓮)
・浄土真宗(親鸞)
…ああ、日蓮宗の覚えやすいことといったら。
ちなみにその宗派別にみるお寺さんの数は、
1 浄土真宗系 21067寺
2 曹洞宗 14604寺
3 真言宗系 12613寺
4 浄土宗系 9141寺
5 日蓮宗系 6660寺
6 臨済宗系 5576寺
7 天台宗系 4005寺
となるのだそうです。
ただ、曹洞宗は○○派と細かくはわかれていませんので、1団体としては非常に大きな規模となっているといい、○○派というくくりではなく、大まかな系統でみてみると浄土真宗系統の寺院が圧倒的な数をしめているようであります。
そう、そしてこれだけではない、…たとえば真言宗には〝豊山派〟とか〝智山派〟とか、実に十八の宗派があるのだといいます。
また、創価学会や霊友会、立正佼成会などの大きな新宗教もあります。
うーん。
おばかな私などはもうすでについていけていません。
なお、さらに日本の仏教には、十三の宗派があるとも言われます。
・華厳宗
・法相宗
・律宗
・真言宗
・天台宗
・日蓮宗
・浄土宗
・浄土真宗
・融通念仏宗
・時宗
・曹洞宗
・臨済宗
・黄檗(おうばく)宗
以上をまとめて『十三宗』と呼ぶのだそうです。
…「さっきのお寺さんの数で言っていた宗派と数が違うだろう」、とか、「そうだよ、さっきはなかったけど○○宗ってあったはずだもの、おかしいと思った」とか、思われた方もおられることでしょう。
そもそもここに挙げられている〝十三宗〟以外にもまだ他にも宗派がありますし。
ちなみに〝律宗〟〝華厳宗〟〝法相宗(ほつそうしゅう)〟は【奈良仏教】という括りになりますし、その他に、一ヶ寺で独立した宗派のお寺さんもあります。
あの海外からの観光客の方にも有名な東京浅草の〝浅草寺〟さんは『聖観音宗』ですし、奈良の〝法隆寺〟さんは『聖徳宗』、京都〝清水寺〟さんは『北法相宗』であります。
そして。
前レスで少しふれました、各宗さらにいくつかの宗派に分かれているものがあり、
前述した真言宗はなんと十八の宗派に分かれるのだそう!
臨済宗は十五派、浄土真宗は十派、天台宗は三派に大きく分かれているようですし、日蓮宗は法華宗など数派の分派があるといいます。
大きな新宗教の一つ、創価学会も日蓮正宗の講社という位置づけとなりますし、日本にはひと口で仏教と言っても実にさまざまな宗派があることがわかります。
さらに細かく分けられるという宗派。
じゃあ…もっと細かく分けられたとき、一番お寺数の多い宗派はどこなんだろう。
…ありました。
Google先生にお聞きして出ない答えはないようです。
1 曹洞宗 14604
2 浄土真宗本願寺派 10473
3 真宗大谷派 8860
4 浄土宗 7125
5 日蓮宗 5011
6 高野山真言宗 3734
7 臨済宗妙心寺派 3388
8 天台宗 3093
9 真言宗智山派 2920
10 真言宗豊山派 2655
11 真言宗醍醐派 1098
12 真言宗御室派 794
13 真宗高田派 638
14 西山浄土宗 606
15 日蓮正宗 522
16 真宗興正派 514
17 法華宗本門流 449
18 黄檗宗 443
19 臨済宗南禅寺派 428
20 天台真盛宗 422
21 時宗 411
22 臨済宗建長寺派 407
23 真言宗大覚寺派 384
24 真宗仏光寺派 365
・
・
・
ほおぉぉ。
ん?、そ、そうなの?
そうなんだ?
…私は、できれば宗教に深く関わって生きたいとの思いから珍道中を繰り広げておりますし…もとい、さまざまな神社仏閣を廻らさせていただいておりますので、宗派等問うことなく、お参りさせていただいております。
だから、当然たくさんの宗派のお寺さんに参拝させていただくこととなるじゃないですか。
でも…。
でも、ですね。
感覚的に…というよりは過去の私が廻らせていただいたお寺さんを振り返ったときのお寺さん数とはだいぶズレがあるような…。
一時期参拝するお寺、参拝するお寺がみな、ある宗派のもので、単純な私はその宗派にご縁があるのかな?などと思ったくらいでありました。
それこそ市町村どころか県まで異なるのにも関わらず、同じ宗派さんだった時期があったので。
その宗派さんも決して低いランクではないのですが、逆に今まであまり参拝したことのない宗派さんがそれよりも上の順位だったりしたものですから、つい…。
…日蓮宗さんって〝御朱印〟ではなくて〝御主題〟なんですよね。
でも、御主題をお受けしたことは数少ないですし。
まぁ、御朱印や御主題をお授けしていないお寺さんも多くありますのでそれだけからでは決してないのですがね。
知ろうとすればするほど、理解出来なくなる仏教。宗派の違いなど調べ出してみたものの、数字的なものしかわからない。
どこがどう違うというのだろう。
どうしてこんなに細分化されているのか。
もとは一つ。
インドのお釈迦さまが創始したものであります。ブッダとも呼ばれます。
北インドのシャーキャ族の王子として生まれた、【ゴータマ・シッダールタ】であります。
いろいろな修行の末に悟り(覚り)を開き、それを布教し、シャーキャ族の聖者という意味で『釈迦牟尼』『釈尊』と呼ばれるようになります。
ブッダというのは〝悟りを開いた人〟という意味で、これが中国で漢字に直され【仏陀】となります。それを略して【仏】といいます。
仏教というのは本来、『仏陀になる』こと、つまりは『成仏』を目指す教えなのだといい、『成仏陀教』が略され【仏教】なのだといいます。
その歴史はあのイエスキリストよりも五百年も古い時代の話となります。
ブッダ亡き後、教団はさらに大きくなるものの、指導者を失った中、戒律や修行の基準を巡っての対立が起きやがて大きく二つのグループに分かれてしまったのです。
さらに長い年月をかけて、仏陀が亡くなってから数百年後には二十ほどの部派に分裂してしまいます。
…とは言ってもそれはまだ今から二千年以上も前のことに過ぎないのですが。
そのそれぞれが、仏陀の言葉を記録に残そうと経典が作られ出すので、元は一つの教えであった仏陀の言葉、仏陀の教えが、それぞれの解釈で編纂されてどんどん違う経典ができていったのだといいます。
…そんなにも前からすでに細分化の傾向がみられていたというので、今の日本の仏教で見られる現象などむしろ当たり前とすら思われます。
やがて、戒律や修行の厳しさを重視する〝上座部〟と、厳格さよりも人々の救済に重きを置く〝大乗〟系のグループに大きく分かれていくのです。
日本に伝わるの中国から伝わる大乗仏教となるのは小学校の歴史の授業ですでに学びますよね。
仏教は538年に日本へ伝来しますが、その時代、その時代の人々の心を反映し多くの宗派に分かれます。
〝奈良時代〟には学問的な仏教が盛んになり、〝平安時代〟には唐から帰国した『最澄』が【天台宗】を、『空海』が【真言宗】を開きました。
〝平安末期〟から〝鎌倉時代〟にかけては飢餓や疫病が流行し、不安な民衆の心を救うため、【阿弥陀仏】を信仰する【浄土宗】、【浄土真宗】が開かれます。
【浄土真宗】は浄土宗から派生した宗派です。
どちらも本尊が阿弥陀如来、経典を浄土三部経とするなどは同様であるようです。【浄土真宗】は『浄土真宗本願寺派』と『真宗大谷派』は、双方とも浄土真宗の一派で、元はひとつの宗派でしたが、戦国時代に二つに分かれます。
〝鎌倉時代〟には禅から派生し、【曹洞宗】、【臨済宗】が開かれます。
修行を重視する禅系の宗派は武士の間で好まれ、水墨画や茶道といった文化にも影響を与えています。
また、同時期に『法華経』を中心とするかっ【日蓮宗】も生まれています。
【臨済宗】【曹洞宗】は禅の思想から発展した、禅系の宗派です。
【真言宗】と【天台宗】は教えを外に出さず厳しい修行をする、密教に分類されます。
【天台宗】は多面的な宗派で、天台宗を学んだ人が他の宗派の宗祖となるなど、他宗派と広い関わりを持っているのだといいます。
と、ここまでは歴史の授業であるとか倫社の授業で習ったことかと思います。
もう少しだけ詳しく知りたいと思って調べてみました。
釈迦如来は悟りを開いて以来、たくさんの教えを人々に説いてきました。
その膨大な教えを記したどの経典を重視するか、本尊はどの仏にするかによって、宗派の違いが生まれているようです。
【天台宗】
天台宗を開いた宗祖は『最澄』です。多くの仏教宗派を学んだ最澄の教えに従い、奈良時代に流行した「顕教」と、平安時代に流行した「密教」のふたつの要素をあわせ持つといいます。
「全ての人に悟りの世界を」という『妙法蓮華経(法華経)』の考えをもとに、全ての人は仏の子供で、一人ひとりが輝き合う世界にしたい、という教えを伝え、経典は『法華経 、大日経、阿弥陀経』で、本山は【比叡山延暦寺(滋賀県)】。
天台宗では御本尊は定められていないということです。
【真言宗】
宗祖は『空海(弘法大師)』で、お大師さまと呼ばれることもあります。
すべての生命は大日如来の化身であり、仏のような心と言葉でものごとをおこなえば、誰もが仏になれるという教えを説いています。
宇宙を象徴的に表した曼荼羅(まんだら)思想を持ち、基本的には『大日如来』さまを本尊とします。
経典は『大日経、金剛頂経、般若心経』。
本山は『高野山金剛峯寺(和歌山県)』です。
分派が多いのが特徴です。
【浄土宗】
宗祖は『法然』です。
従来の仏教は、出家者が修行することによって成仏できると考えられていましたが、浄土宗では修行によって成仏するのではなく、『念仏』をひたすら唱えることで極楽浄土へ行けると説きます。
念仏を唱えれば誰でも救われるという教えは、当時の仏教としては斬新で、身分を問わず幅広い層の民衆に信仰されました。
御本尊は『阿弥陀如来』さまで、
経典は『浄土三部経(観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経)』とされます。
本山は『知恩院(京都府)』。
【浄土真宗本願寺派】
宗祖は『親鸞』で、親鸞は浄土宗の宗祖である法然の弟子にあたります。
浄土宗から派生して浄土真宗となり、戦国時代に浄土真宗本願寺派と真宗大谷派に分かれました。
本尊は『阿弥陀如来』で、
経典は『浄土三部経(観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経)』です。本山は『龍谷山本願寺(京都府)で、“西本願寺”、“お西さん”とも呼ばれるといいます。
『浄土宗』との違いは、浄土宗は念仏を“唱えること”を重視しますが、『浄土真宗』は“念仏を唱えようとする気持ち“を大事にします。
また浄土宗は戒律が厳しいのが特徴ですが、浄土真宗は僧侶が結婚したり肉を食べたりしても問題ないとされます。
【真宗大谷派】
宗祖は浄土真宗本願寺派と同じく『親鸞』で、浄土真宗の一派であり御本尊は『阿弥陀如来』さま。
経典は『浄土三部経(観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経)』です。
本山は『真宗本廟東本願寺』で、浄土真宗本願寺派に対しこちらは“お東さん”とも呼ばれるのだといいます。
【曹洞宗】
宗祖は『道元』ですが、第四祖の『瑩山(けいざん)』が曹洞宗を広く普及させたため、道元と共に瑩山も崇めます。
修行を重視し“悟りを求めない修行”により悟りを得られると説きます。
臨済宗と同じ禅系の宗派ですが、こちらは禅問答はせず、ただひたすら座禅をします。面壁(めんぺき)といって、壁に向かって座禅する修行もあります。
御本尊は『釈迦如来』さまです。特定の経典はありませんが、『般若心経』などを唱えることもあります。本山は『永平寺(福井県)、總持寺(神奈川県)』です。単一宗派で分派がないのが特徴です。
【臨済宗】
宗祖は『栄西』で、座禅などの修行を重視する禅宗のひとつ。
経典に依存せず、問いかけに対して答えを考える禅問答など、人間の心を見つめる修行をおこないます。
すべてのものに仏性を見るという教えから、特に経典や本尊は定められていませんが、基本は『釈迦如来』を本尊とします。
経典に頼らない教えですが、『般若心経』を唱えることもあります。
さまざまな派に分かれ、臨済宗妙心寺派の本山は『妙心寺(京都府)』というように、派ごとに本山が異なるのが特徴です。
【日蓮宗】
宗祖は『日蓮』で、御本尊さまは『釈迦如来、大曼荼羅』です。
かつては法華宗、日蓮法華宗と呼ばれていました。
他の宗派は複数の経典を読むことが多いのですが、日蓮宗は『法華経』のみを重視します。法華経は全てのお経の中で最も優れたもので、釈迦如来の心が映し出されているとされ、非常に尊ばれているそうです。
特に、『お題目』といわれる【南無妙法蓮華経】の七文字には、法華経の功徳が集まっていると説きます。本山は『身延山久遠寺(山梨県)』です。
そうそう、子供の頃、「お経って『南無阿弥陀仏』?『南無妙法蓮華経』?」
と言って大人を困らせた記憶が蘇りました。…宗派によってお経も異なるもの、と言っても子供には伝わらないし「両方お経だ」、と言うしかなかったでしょうね。
【律宗】
日本における宗祖は『鑑真』。
律宗は中国で始まった大乗仏教の宗派のひとつで、四分律という戒律を持ちます。
受戒することで成仏するとしていて、戒律を守り実行することが教義になっています。
南都六宗のひとつで、中国では中国仏教十三宗のひとつでもあります。
他の宗旨が経や論を重んじるのと違い、律宗の教義は律が中心になっていています。止悪、作善、回向衆生をあらわす三聚浄戒という三つの戒は、摂津義戒、摂善法戒、摂衆生戒から成ります。
本山は『唐招提寺(奈良県)』です。
【華厳宗】
律宗と同じく大乗仏教の宗派のひとつです。
華厳宗が日本に伝わったのは、736年で、唐僧〝道璿〟が伝え、法蔵の弟子である新羅僧『審祥』が東大寺で初めて華厳経を講じて、日本華厳宗の第一祖になっています。
『華厳経』根本聖典にし、独自の教学体系を立てています。華厳教学は、天台教学に並ぶ仏教の代表的な思想なのだといいます。(このあたりについては全く調べてもおらず、おそらくは調べてももう私ごときには理解できないと思っております)
華厳宗では『四法界』と言う世界感があるといいます。
人間の考える〝実法界〟、自我を捨てた虚無の〝理法界〟、この二つが共存している〝理事無礙法界〟、そして虚無であることすらも消えて、ただものごとだけが共存する〝事々無礙法界〟というものだそうです。
この世は個別の事象が無限に重なり合ってできていて、その中で自分本位に考えずに自我や偏見を捨て、ものごとをありのままに見つめることが必要であるという教えなのだといいます。
本山は『東大寺(奈良県)』。
【法相宗(ほっそうしゅう)】
【玄奘三蔵】がインドで学んだ〝唯識教学〟を元に開いたもの。
日本に伝えたのは唐で法相宗を学んだ【道昭】。行基もこの教示を学んでいるといいます。
法相宗はことに学問や経典の研究を中心とする宗派とされています。
本山は『薬師寺(奈良県)』と『興福寺(奈良県)』。
かつては法隆寺も総本山の一つであったが、第二次世界大戦後に脱退したのだといいます。
以上の宗派は仏教の教示の追求に重きを置いたものであるとされています。
【時宗】
時宗とは、浄土教の一宗派で、鎌倉時代に『一遍』を祖師としておこった宗派です。
一日に六回、決まった時間に念仏をとなえる集団を六時念仏衆と言い、一遍は弟子と自分を「時衆」と称していました。「宗」の文字を使うようになったのは、江戸時代以降とされています。
『阿弥陀経』を根本経典とし、『南無阿弥陀仏』を唱えれば、現世において浄土往生が約束されるとしました。
ご本尊は『阿弥陀如来』さま。
地方を遊行して、『賦算』と呼ばれる札を配りました。『踊念仏』といって、踊りながら念仏を唱え歩いたのが特徴的でありました。
総本山は『清浄光寺(遊行寺)(神奈川県)』。
【黄檗宗】
黄檗宗は江戸時代の1654年に、国福建省福州府福清県の『黄檗山萬福寺』の僧、『隠元禅師』が日本へ招かれ、宗祖となりました。
ご本尊は『釈迦如来』さま。
禅宗のため所依の経典はないが通常は般若心経、観音経、三帰依文等を読誦するとされます。
梵唄と呼ばれる読経が存在するようで、四拍子のリズムを刻みながら、歌うように読経することからその名がついたといわれているようです。
黄檗宗は、曹洞宗、臨済宗とともに『日本三禅宗』の一つで、一度臨済宗と合併し、2年後に独立しているようです。本山は『黄檗山萬福寺(京都府)』です。
教義は、臨済禅の一派とされますが、日本における臨済宗とは異なる中国式なため、臨済宗とは分離した独立一派となったようです。
以上、まるで仏教が何たるかを知らぬ者がさまざまな宗派を調べて書き起こしたものに過ぎませんので、多々間違い等があるかとは思うのですが、私個人の覚書として流してご覧いただければ幸いです。
などと一生懸命調べてはみたものの、正直、あまり身にもなっておらず、頭にも入っていないのが正直なところであります。
実際にお寺さんでお話をお聞きすることがあっても、それを肌で感じることはあまりないような…。
お護摩をされる宗派、されない宗派。
…そんな大雑把に分けたらこれだけ調べて何をやってるの?というレベルではあるかと思うのです。
思うのはありますが…。
このコロナ禍、アフターコロナの時代において、今までは開かれていたお寺さんの門戸が多少はやはり閉ざされ気味となっておりまして。
宗派による違いなど伝わるほどにはお寺さんと繋がれないのです。
檀那寺を定めようと考えてみても、宗派を定めるのか、お寺さんで決めるのか…そこから躓くのが現状です。
うーん。
みんなどうやってお寺を選ぶんだろうなぁ。
檀家料で決めたと、話してくれた年配の方もおられましたし、通いやすいお寺さんに変えたという話もお聞きしました。
檀家料って、大事なことになるけれど、一体どうやってそれを聞くのだろう…。
お年寄りいわく、それは人から人への直接人から聞く情報が多いようです。
…でも私は教えてはもらえませんでした。信頼関係が築けていないから?
まぁ、こんなことで悩んでいるうちは幸せで平和ってことですがね。
他にも悩みはあるんですよ。
悩みも煩悩もたくさん。
四月八日は花まつり。お釈迦さまのお生まれになられた日であります。
お釈迦さまの誕生を祝う仏事を『花まつり』と称するのは、お釈迦さまは、インド・ルンビニーの花園、お花畑で沢山の花に囲まれて誕生したと伝えられていることから『花まつり』と呼ぶようになったそうです。
他に
『灌仏会(かんぶつえ)』『降誕会(ごうたんえ)』『仏生会(ぶっしょうえ)』『龍華会(りゅうげえ)』、など、様々な名称があるようです。
ちなみに。
今日四月六日は城の日、なのだとそうです。これは言うまでもなく語呂合わせですが。
私が尊敬いたしております僧侶のお一人がご住職をお勤めになられる、栃木県足利市にあります【大岩山毘沙門天】さん。
正式名称は【大岩山多聞院最勝寺】さんであります。
その大岩山毘沙門天さんがあります栃木県足利市では、2021年2月21日に山火事が発生し、その山火事は冬の空気が乾燥した状態の中、強風に煽られ一気に延焼が拡大し、実に九日間燃え続けました。
避難勧告は305世帯に出され、山林は全体で約106ヘクタール、東京ドーム約20個分が焼けてしまう火災でありました。
その際、大岩山毘沙門天さんのあります大岩町にも火の手が上り、ご住職さまはご本尊さまや寺宝を避難することとし、ニ日後の23日に避難を開始されました。
ご本尊さまの毘沙門天像が出堂されるのは、実に江戸時代の落雷による火災の際以来、260年ぶりということで、その傷み具合等も不明のままでの延焼を考えての緊急出堂・搬出となり、経年劣化もあり損傷してしまった箇所が出てしまったのです。
木製で、しかも細やかな彫りの施された毘沙門天さまは、それでもお召し物のひだの部分等は無事でありましたが、左右の足が欠けてしまわれました。後頭部にも損傷があるようです。
右手にお持ちの多宝塔、そして長さもあり、薄くて細く彫りの施された左手の持物である三叉戟は細かに壊れてしまっていました。
毘沙門天さまのお子様であります善膩師童子さまはおいたわしいことにお手が取れてしまわれ、お召し物の膝あたりにも大きな穴があいてしまったようであります。
その修復にご本尊の毘沙門天像及び両脇侍だけで1,000〜2,000万円、トータルで実に8,000万円がかかると算出されたようです。
今、大岩山多聞院最勝寺さんでは勧進を『クラウドファンディング』という形でお願いされておられます。
詳しくは大岩山毘沙門天さんのホームページでご案内されておりますが、美しい動画でご住職さま、副住職さまが切々と訴えておられました。
返礼品の一例は、あの漫画家のちばてつやさんのお書きになった二種類の絵のポストカードであったり、その絵の絵馬が金額によって異なるようですがいただけるようです。
まだわが家には届いておりませんが、ちばてつやさんの漫画は、私ども夫婦はもちろん、子供たちも読んでいて、実はひそかに楽しみにしております。
本来は勧進、なんですけど、ね。
【大岩山毘沙門天】は、天平17(745)年に【行基上人】によって開かれ、『聖徳太子御作の毘沙門天(多聞天)』を祀ったのが始まりといいます。
【聖武天皇】の御宇、行基上人は大和国、菅原寺に滞在していた際、聖徳太子作の閻浮檀金(えんぶだごん)で出来た毘沙門天像を常に所持し、関東地方へ行き霊地を開き、この毘沙門天像を安置して衆生を救済したいと誓っていたといいます。
その後ここ足利の大岩山をその場と定め、庵を結び祠を建て毘沙門天像を安置されました。
その旨聖武天皇にご報告申し上げたところたいそう喜ばれ、本堂、経堂、山門、鐘楼、三重塔、十二坊の諸堂を賜るとともに、【大岩山多聞院最勝寺】という山号を賜り、行基上人は大僧正となられます。
その後、大岩山は鎮護国家御祈祷の一大霊場、さらには修験道の修行場として一大霊山となります。
毘沙門天さまは、北方を守護する四天王の一天であるとともに、財宝・福徳の神とされ、七福神の一神でもあります。
さらに毘沙門天は数々の武将たちが信仰し、戦勝を祈願してきた神さまで、大岩山毘沙門天も源義家、鎌倉景政、足利義助、足利尊氏、足利泰氏などの武将が帰依していたとされ、奉納された宝物も現存するものがあります。
最勝寺は開山以来、落雷等による火災で焼失、再建を繰り返してきたようで、文安四(1447)年、雷火により、山門以外の諸堂全てが焼失しその後再建されました。
また宝暦七(1757)年に本堂は再び焼失し、同十二(1762)年に再建され現在に至ります。
大岩山毘沙門天の毘沙門天像は、木造寄木造、像高180.0cm 肩幅34.0cmの木造寄木造で鎌倉時代の作と言われています。
右手に多宝塔を、左手に三つ叉の鉾を備えており、足元では邪鬼を2体踏み付けています。
玉眼は遥かを見据え、悪を打ち据えんと眉間に力を込め、睨みつけております。
背後に見える宝輪は平安時代の作風が見られるものの、全体としては、その写実性やたくましさから、鎌倉時代の特徴を備えていると言われております。
(大岩山毘沙門天ホームページ参照)
たくましくて、お優しい、私の大好きな御像であります。
四月八日は【花まつり】。
珍道中を始めて何年か経ちますが、今までずっと花まつりに参列することが出来ずにおりました。
この日、群馬県では入学式・始業式が執り行われることが多く、学齢期の子供のいない私は休みを希望することを避けておりました。
コロナに起因し仕事を辞めてからは、非常事態宣言や蔓延等防止措置のため行事自体が中止されたり、また私自身も参列することを断念していたため、実に生まれてこの方一度も花まつりというものに参列したことなく過ごしておりました。
今年はどうしよう。
今、すでに第七波の到来が口にされてはいるものの、とりあえず非常事態宣言も蔓防も出ておらず、花まつりを執り行うというお寺さんがあるようで…。
どうしよう。
あ、そうだ。
前回お縁日でうかがった、群馬県桐生市の観音院さんにポスターが貼られていたんだ。
うーん、時刻までは見てこなかったなぁ。
今どきのお寺さんなので、ホームページはあるものの、今はFacebookかInstagramが中心で、詳しい情報はそこを見ないと得られないようです。
がスマホデビュー10ヶ月な私、どちらも始めておらず…。
はて…。
…ありがたいことに、観音院さんのFacebookにあった花まつりのポスターは、Facebookを始めなくとも観られるところにありました。
『降誕会 十一時より』
よぉーし。
花まつりデビューです♫
…張り切り過ぎて三十分以上前に到着してしまい、境内には私以外はどなたもおらず。
ではまずご本尊さまに参拝を…。あ、あれ?御本堂の前に花まつりの祭壇が設けられていて、入っていいものかいけないものなのか…。
で、御朱印の受付でお声がけして大丈夫なことを確認して、いつものようにご本尊さまの聖観音さまへご挨拶申し上げ、日限地蔵さまへお線香を手向け。
…まだあと二十分。
所在なげに花まつりのために設けられた席に腰かけておりますと、ご住職さまが甘茶をお授けくださいました。
降誕会の前ですのに…お釈迦さまにもご住職さまにも申し訳ない気持ちになりましたが…ひと口くちに含んだ甘茶の甘いこと!
上品なまろやかな甘みで後味もすっきりとしております。同じ甘いお茶であります〝甜茶〟ともまた違った甘みです。
「おいしい」
よほど嬉しそうな表情だったのでしょう、ご住職さまも笑って
「よかったです」とおっしゃってくださいました。
ご住職さまはゆっくりと御本堂の前の降誕会のための祭壇へ身体を向け最終点検をして、再び日限地蔵さまの地蔵堂へと戻って行かれました。
雲ひとつない青い空です。
風に乗って桜の花びらが舞っています。
そんな様をのんびりと眺めておりますと、御本堂前にお一人、年配の女の方がお参りされました。
いつも参拝されておられる方のご様子です。参拝を済まされたあと、私のそばにお越しになられ、
「何かあるんですか?」とお聞きになりました。
…なるほど、いつもの参拝にお越しになられただけだからこそ、降誕会のあることをご存知なかったのでありましょう。
私がポスターを指さしながら簡単にお話しさせていただくと、
「そう、ありがとう。じゃあ私も参列させていただきましょう」とおっしゃって隣の席に座られました。
晴れた日には毎日こちらに参拝されておられるとのことでありました。
一キロほど離れた所にお住まいのようでした。
十一時近くなると人が集まってまいりました。あっという間に設けられた席はいっぱいになりました。
やがて。
後ろから鐘を鳴らして近づいてくる衣擦れの音、草履の音が。
お二方の僧侶が一列に並んで歩いて来られました。
「これからお釈迦さまのお誕生を祝う法要をいたします」と、誰にでもわかるような優しい噛み砕いた言葉で花まつりについて説明下さった後
、お席につかれました。
花まつりの法要の始まりです。
御本堂前に設けられているのは、お釈迦さまが生まれたルンビニの花園を表した花御堂(はなみどう)というものだそうです。
御堂の上に飾られた桜は、今年はすでに散ってしまったからでしょう、造花でありましたが、色とりどりの春の花々が小さな御堂を華やかなものにしています。
その中央にお釈迦さまのがお立ちになっておられ、お釈迦さまのお足元は水鉢になっていて、甘茶がそこに注がれていました。
その花御堂におられるお釈迦さまの御像を、【誕生仏】と呼ぶのだそうです。
誕生仏は、お釈迦さまが右手で天を指し、左手は地上を指した姿をされたもの。
これは、お釈迦さまが産まれてからすぐに立ち上がり、七歩歩いて、右手で天を左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と話したというエピソードが基になっているのだといいます。
お釈迦さまのエピソードは多々ありますが、産まれてすぐ立って、しかも七歩歩くという、普通ではないこと、普通ではない、ありがたいお方の誕生であったということから生まれたお話であろうとおっしゃっておられました。
また、お釈迦様がお話になられた【天上天下唯我独尊】。
「このお言葉は『この世に生を享(う)けたひとりひとりの命は、他の誰とも代わることのできない尊いものである』という意味をもっています」とおっしゃられました。
また、法要の途中、参列者も花御堂に祀られておられる誕生仏に甘茶かけることをお話になり、「柄杓で三度頭から甘茶をお掛けください」とのことでありました。
これは、かつてお釈迦さまがお生まれになられた刹那、天に九頭の龍が現れ、甘い水を吐き、それをお釈迦様の産湯(生まれた赤ちゃんが初めてつかるお湯のこと)に使ったという説話に由来するものだとお話しくださいました。
「花まつり」は甘茶を潅(そそ)ぐ行事でもあるので、「潅仏会(かんぶつえ)」とも呼ばれる由縁でもあるのだといい、お釈迦さまの頭上に注がれる甘茶のように清らかでありがたいものが私たちの頭上にも注ぎますようにとの思いも込められているとおっしゃられました。
甘いものは美味しいもの、ありがたいもの、喜びにつながるものであるともおっしゃいました。
「花まつり」はいのちの尊さを感じる感謝する日ですといい、御本堂の前の花御堂に向き、法要を始められたのでした。
『この世に生を享(う)けたひとりひとりの命は、他の誰とも代わることのできない尊いものである』
ロシアの戦争に携わっている全ての人に聞かせたい。
戦争によって行われた殺戮や破壊は、大きな大きな悲しみと絶望と、憎しみを生んだだけで、愚かな凡人の私には今後も戦争を継続してロシアが得られるものなど何もないとしか思えないのに…。
ロシア軍の兵士とてその尊い命を失っております。
何故…。
この戦争で何かを得た者は、いつの世も同じ兵器をつくる会社と、兵器を開発する会社。
その会社がある国。
どうすればこの戦争は終わることができるのか。
…その答えが人としての心に基づくものであって欲しいと、切に切に願うのです。
わが家の子どもたちが小学一年生の時の国語の教科書に載っていた【大きなかぶ】。
おじいさんが かぶを うえました。
「あまい あまい かぶになれ。
おおきな おおきな かぶになれ」
・
・
甘くて大きなかぶができました。
・
・
おじいさんはかぶをぬこうとしました。
うんとこしょ どっこいしょ
ところが かぶはぬけません。
・
・
ネズミがねこを引っ張って、
ねこがイヌを引っ張って、
イヌが孫を引っ張って、
孫がおばあさんを引っ張って、
おばあさんはおじいさんを引っ張って。
うんとこしょ どっこいしょ
とうとうかぶはぬけました。
おしまい。
…というお話。
「うんとこしょ どっこいしょ」のフレーズは、その教科書で学んだ多くの子供たちの記憶に残っていることでしょう。
これは実はロシアの昔話、A・トルストイの作品です。
こんなにも読み継がれ、愛されている物語を生んだ国が何故…。
そして同じく子どもたちに愛される絵本に【てぶくろ】という作品があります。
雪が降りしきる薄暗い森で、おじいさんが手袋を片方落としてしまいます。
その手袋を見つけたネズミがその中で暮らすことにします。
その後、カエルやウサギ、キツネなど、次々と動物がやってきて手袋の中に入り込みます。
手袋の中に入る動物が、ウサギというところあたりから、ん?と思うところはあるにはありますが、それは物語の世界ということで…。
このお話はウクライナの民話です。
このてぶくろという絵本(福音館書店)、絵が実にきれいなのです。
えぇ、いまだに手放せず家にあるおばさんが言うのです、間違いありません。
この絵を描いたのはロシアの絵本作家、エウゲーニ・M・ラチョフさん。
ウクライナという国とロシアという国はそれほどに近しい国であったはずなのです。
両親のどちらかがロシア人、どちらかがウクライナ人だという方も多くおられるというくらい近しい国であったふたつの国。
ロシアは
人の命を奪い、
幸せを奪い、
街を破壊し、
自然環境を破壊し、
どんな未来を望んでいるというのだろうか。
観音院さんの花まつりでは、お経ではなく、お釈迦さまの誕生を祝い感謝するという讃がお唱えされました。
当然…というのも情けない気もいたしますが、仏教徒でもなくましてや僧侶でもない私にわからないことがあることの方がむしろ当たり前です。
聞き覚えのある言葉もあまり出て来なかったように感じた、というのが正しい表現、でしょうか。
きれいな、それはきれいな蓮の花の花びらを型だった色とりどりの散華が空高くまかれました。それが青い空から舞い落ちてくる桜の花びらに重なります。
なんと美しい光景でしょう。
煩悩と雑念のかたまりの私はついついその様に心奪われてしまいました。
やがて風で足元を舞う散華の花びら。
それもまた私の気を散らします。
…やれやれ。
花まつりを終え、参加された方がそれぞれ散っていく中、始まる前に一言二言お言葉を交わした年配の女性の方が、私に向かい手をあげて、
「またお会いしましょう」
と笑顔でおっしゃってくださいました。
…ああ、来てよかった。
本当に来てよかった。
一期一会の出会いをこんなにも大切になさっておられる方にお会いできました。
おそらくはもう会える確率はほとんどない。仮にお会いできたとしても、その時までその方のお顔を覚えていられるほどの記憶力を持ち得てはいない私です。
でも、だからこそ嬉しいではありませんか。
もしかしたら、自惚れて考えれば、私にもう一度会いたいと思ってくださってのお言葉だったかもしれないではないか。
去り際に相手の心に残る言葉を残すことができるって、素晴らしいことではないですか?
きっと普段からそう生きておられるから、スッとその言葉が口から出るのだと思うのです。
そんな生き方をしていきたい。
そんな生き方を教えてくださった方に出会えたことは、まさに仏さまのお導きでありましたでしょう。
ネットの情報で落ち込んだりするのも愚かなことだとは思うのですが、愚かな人間であるのは確かで自覚しておりますので、まぁ、そんなこともあろうかとも。
お経って、…まぁここで述べているのは『般若心経』、なのですが、いまだに聞いても、見ても、読み上げてみても、まるで理解できていないのです。
まぁ、書いてある内容の意訳もありますので、言葉としてはわかる…ような気のするところもあるにはあるのですが…。
檀那寺のある者でもない人間ですので、僧侶の方のお話を伺う機会もほぼなく、ただただひたすらに読みあげているだけでは何かを学ぶことは難しいこと。ましてや僧侶の方のように修行することもないので、お経の真髄、境地に達することなどなく生涯を終えるのだとは思うのです。
でも読経を繰り返すことで何かを得ることができるかもしれない。
そう思って毎日お唱えしてはいるのですが、やはりなんとも理解もできずいる文言を繰り返していることに、なんだか空しさ、というか上っ面だけ読経していることに申し訳なさを感じることも多々あり、ありがたいお経を唱えため息をついていたら、ダメじゃん!という状態で。
そんな迷いと悩みの中、ネットである僧侶の方が述べておられるのを拝読したのです。
『お経を唱える。
唱えればいい。
唱えて満足。
唱えることで何か功徳にあやかる。
唱えることで救われる。
そもそもがそういう行為自体が冷静に考えてみておかしなことをしていると思いませんか。
なぜお釈迦様の言われたことを文字言語化したものを意味も分からず繰り返し唱えてばかりいるのだろうか。
お釈迦さまはそもそも仏法を説かれたのは何の為であったでしょうか。
本道を見失ってはいけないのではないでしょうか。
お経というものはただ読んで終わりというものではありません。読んでその内容を学び、実践することです。
お経の中に書かれていることを良く学んで真意を会得してはじめてお経が生きてくるのではないでしょうか 』
うー、痛いところをズキューンと…。
たしかに。
短いお経だからといってついつい般若心経をお唱えしておりましたが、お釈迦さまは聞く者のレベルに応じた教えを説いたとされ、その中でも般若心経は難しいとされるレベルのお経であるというのです。
これでは難しいに決まっています。
そんな私にも、もしかしたら仏教、お釈迦さまのことがわかりやすく書かれているかもしれない本があることを思い出しました。
あの偉大なる漫画家【手塚治虫】氏の描かれた【ブッダ】です。
次男が小学生の時分に繰り返し繰り返し図書館で借りてきては読んでおりました本でありました。…だからといって彼がそういった道に進んだかというと、そのようなことはなく、仏教とはまるで関係のない仕事についております。
ただ、その本の影響があってのかとかどうかは定かではありませんが、
彼はあの東日本大震災の後、何度となくボランティア活動で東北を訪れ、それは社会人になってからもしばらくは続けられていました。
今も図書館とかで借りる事は可能なのかどうか。お釈迦さまの生涯を知るにはとりあえずとっつきは良いのではないかと思うのでありますが…。
次男があまり夢中になって読んでいるので、その何巻かは読んでみたのですが、さっぱり記憶していないのであります。
ということは…もしかしたらやっぱり、ザルの網目よりから漏れる何かよりもいとも容易く漏れ出てしまうのではないのかなぁ。
あるお寺のご住職さまはそのお釈迦さまの足跡を辿るべく訪れたインドの虜になって、何度も何度もインドへと足を運んでおられると聞きました。
お坊さんだから当たり前、と言われたらそれまでですが、お釈迦さまの生涯をスラスラと語るご様子、なおかつその生涯を熱く語るだけの存在を知っておられる幸せなのだろうなと、思わずにはいられません。
昨日、珍道中ではない用事で出かけた帰りに、桐生市の新里という地区を通り、「ああ、そろそろもしかしたら牡丹の咲く時期が来るのかもなぁ」と思いました。
そばを通ったわけではなかったのですが、新里に『花の寺』の霊場、龍真寺さんがあるということがふと頭に浮かび、と同時に、何年か前に、温暖化の影響で牡丹まつりと花の時期がズレてしまっていたことがあったことも思い出したのです。
牡丹は遣唐使により、薬草として伝えられたとされている花。一説には弘法大師空海上人が伝えたとも言われているようです。
薬草として伝えられたこともあり、薬師如来さまをお祀りするお寺さんに多く植えられているということもあるようです。
お寺さんの彫刻にも多く彫られています。
仏教と共に伝来し、百花の王とされる華やかな花であることも、仏堂の装飾によく使われる理由でもあるのかもしれません。
牡丹、石楠花、藤…。
お寺さんにはお花が多く植えられています。
野に咲く花も美しい季節。
それでも…今年もまた人混みを避け花を愛でるコロナ禍の春となりますかね。
日光では弥生祭例大祭が始まっているというのになぁ。
善光寺の御開帳の年なのになぁ。
かつて〝甜茶〟というお茶がブームになった時がありました。
なんでも花粉症に効くということでありましたものですから、アレルギー体質の子供たちや花粉症の夫のため、毎日家族でそのお茶を飲んでおりました。
世間的にブームが去った後もしばらくはその習慣が続いていたものの、ブームが去ると入手が難しくなることもあり、何よりも私がその味に飽きて家族で飲む習慣は廃れていきました。
…家族では。
夫は未だに甜茶を愛飲しておりまして、その入手がなかなか大変だったりするのではあります。
甜茶は、バラ科の植物一般から作られたものの総称であるとか、果ては甘味のあるお茶全般を呼ぶとかいう説もあるくらいで、そのような広い定義のものの商品化ですので、会社によって味が異なること、異なること!
このメーカーの甜茶が美味しいと思って定めていても、メーカー自体がその商品を取り扱うことを辞めてしまったりと、ブームが去った後というのはこのようなものでしょうかねぇ。
そんな広義から言えば、花まつりでお釈迦さまにお掛けし、振る舞っていただく甘茶も甘いお茶ですので、甜茶に含まれることとなるのでしょうが…。
『甘茶』はユキノシタ科のヤマアジサイの変種アマチャというものから作られるもののようです。
アマチャの若い葉を蒸して揉み、乾燥させたものをさすようです。
天然の甘味料や生薬、化粧品や入浴剤にまでなっているようです。
この甘茶、私は先日の花まつりで生まれて初めていただいたのですが、かなり、かなり甘いものでありました。それもそのはず、一説に砂糖の四百倍甘いとも、一千倍甘いともいわれているようです。
しかしながらカロリーはゼロということで、糖尿病の方の食事にも用いられているそうです。
ただしあまり濃い甘茶を飲むと中毒を起こすので、厚生労働省は2〜3グラムの甘茶葉につき1リットルの水で煮出すことを推奨しているということです。
甘茶のこぼれ話)
このお茶をつけて赤ちゃんの頭を撫でると丈夫に育つと信じられている。
また、このお茶で墨をすって習字をすると字が上達するほか、白い紙に「千早振る卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書き、逆向けにして柱に貼ると、害虫除けになるとも信じられている。
とのことでした。
わが家には仏壇も神棚もありません。
思うところはいろいろあるのではありますが、自分たちが何一つ祭祀をしてこなかったにも関わらず、ここへ来て突然お祀りするということは子供たちの誰かがそれを継ぐということとなり、その後のことを考えるとなかなか積極的になれずにおります。
そして…祭祀承継のこともさながら、仏教はその宗派によって仏壇からして異なるということを知り、檀那寺さんのない私どもにとってはまずそこからのスタートとなっておるからであります。
とはいえ、今は好みで仏壇を選んでも差し支えがなくなってきてはいるようではありますが…。
とはいえ、自らの勝手な思いで設た〝仏壇もどき〟は存在しております。
仏壇に近しい扱いとして、花供え、毎日水を供え灯明し、お線香をあげて、ご飯を炊いたら仏飯器でご飯をお供えしております。
そんな仏壇にお供えするものでも宗派により異なる決まり事があるのが、お線香。
宗派によっては香炉も異なるようです。
〝浄土真宗〟は、一本を折って二本にし、寝かせて供えるのが基本だと書かれたものがありました。これは線香が発明される前、「常香盤」と呼ばれる香炉を使っていた名残とされるものとされます。
仏具屋さんでは横に寝せて供える香炉が売られておりました。
〝浄土宗〟は一本をそのまま立てるか、二本に折って立てる。
〝真言宗〟と〝天台宗〟は三本の線香を立てる。三は「仏・法・僧」の三宝にちなんでおり、仏教にとって大切な数字であるとされます。
また、あるお坊さんは「過去、現在、未来」であるとお話くださいました。
宗派によって…なのか、お寺の香炉にあげるお線香の本数をお聞きしたところ、「何本でも」とお答えになられたお坊さんもおられました。「普通一本か三本、奇数をあげるのですけど、まぁお好きに」とのことでありました。
またさらには、線香の本数は地域の風習によっても違いがあるようで、他の家庭のお仏壇に線香を供える際は、そのお宅のやり方をお聞きすると良いようです。
追記)
仏教では死者は喉が渇くとされるので浄水を供えるが、〝浄土真宗〟の教義では、すべての死者は、苦しみの一切ない極楽浄土へ往生するので、水を供えないそうです。
極楽浄土には「八功徳水」と呼ばれる、においがなくてやわらかく、冷たくて口当たりの良い、おいしい水が充満しているのだとされます。
かつて、テレビで話題になった、般若心経を歌う僧、『薬師寺寛邦』さんが、最近また話題になっておられるようで、今日たまたま観ていたテレビで薬師寺さんが取り上げられていました。
薬師寺さんのことを初めて知ったのもテレビでありました。もう何年も前のことであります。
薬師寺さんの般若心経ミュージックは心に流れるように入ってくる、自然で、耳に心地よいお声であります。
音楽、と言われてはおりますが、基本的にはお唱えされておられるものと私は感じておるのですが…。
YouTubeなどの動画サイトで【般若心経ミュージック】なるものを配信しており、特にアジアを中心とする海外で高い人気を得ておられるとのことで、ギターに合わせ歌うようにお唱えする般若心経に心惹かれたものでありました。
とはいえ私はその後何回かYouTubeを拝見しただけで終わってしまったいたのですが、コロナ禍ということでお家時間を過ごす方が増えたことで更に新しいファン層が増えられていたようでありました。
今日テレビで「事務作業がはかどるので仕事用BGMに最適!」
「寝る前に3分聴くだけで寝付きや寝起きがよくなった!」というコメントをされておられる方がおられると報じられていました。
コロナ禍以降、英語圏、スペイン語圏、中国語圏の方のアクセスが急増しているということで、宗教や国境を越えて、薬師寺寛邦さんの般若心経は人の心に癒しを与え続けているようです。
現在、彼のYouTubeは23万人の登録者がおり、そのうち40%は台湾、香港をはじめとする中国以外のアジア圏。60%は日本のみならず、アメリカやスペイン語圏の方が登録されているのだとか。総再生回数は7,500万回を記録したようです。
中国では、動画サイトBiliBiliというアプリを通して47万人以上の方が登録・視聴されているのだとか。
四月十日には書籍を出版され、ゴールデンウィークにはコンサートが再開されるようです。
仕事用のBGM…ですかぁ。
たしかに、耳に心地よく、不遜な言い方をすれば邪魔にならず。
…ですが、お経。
ずっとお経の流れる空間が、自宅の仕事場であったり、お風呂場であったら…。すこぉし違和感を感じてしまうのは…私だけ?
うーん修業がたりないかぁ。
新型コロナウイルスの流行は、私たちの生活を大きく変化させました。
しかし、疫病の流行が社会に大きな影響を与えるのはこれが初めてではなく、むしろ人類の歴史は、疫病との闘いの歴史と言っても過言ではないのです。
日本最古の書物である『日本書紀』にも、疫病の流行が何度も記録されています。
古代日本において、崇仏派の蘇我氏と敬神派の物部氏の対立は、歴史の教科書でもよく知られています。
物部氏と守屋は仏像を焼いたり、難波の堀江に捨てたりするなど、仏教の敵のように描かれていますが、実はこの過激な行動には理由がありました。
仏教と共に日本へ入ってきたものの中に、恐ろしい疫病、天然痘があったからであります。
免疫を持たない日本人の中で、天然痘はあっという間に広がり、多くの者が苦しみながら死んでいきました。
物部氏と守屋が外国からの異教である仏教のせいで元々おられる神の怒りが下ったのだと考え主張したのも、当時の神頼りの医療では無理はありません。
しかし当然ながら仏像の廃棄は功を奏さず、天然痘の流行は収まることはなく、何度かの流行の波を繰り返しながら、
種痘が広く行われ、1980年の撲滅宣言まで、人類の長い歴史と共に存在し続けたのでありました。
コロナ禍となって一昨年、昨年と中止されていた、京都の夏の風物詩、【祇園祭】も疫病除けのお祭りであるといいます。
このお祭りは八坂神社の主催するもので、牛頭天王をお祭りしたことから始まったとされているようです。
【牛頭天王】は陰陽道の疫病神で、日本神話の『スサノオノミコト』や『武塔神』と同一視されています。
武塔神という神さまはあの蘇民将来に一族に茅の輪をつけるようにと申された神さまであります。
薬の神様、少彦名命さまを祭る神社も疫病除けの神社。大阪には【少彦名神社】が鎮座し、病気除けの信仰を集めています。
疫病除けの信仰を集める【薬師如来』を本尊とする寺院も、疫病除けの信仰を集めております。
古来、人々はさまざまな方法で疫病から逃れようとしてきました。
それは医学であり、民間療法であり、信仰もまた大きな役割を果たしてまいりました。
新型コロナウイルスは今後いったいどう収束してゆくのでしょう。
このところずっと、神社仏閣巡り珍道中というタイトルを掲げているくせに、ちっともそういう話がなく、申し訳なく思っております。
実は先週、本来なら昨年が御開帳であったものを今年に延期した、長野県善光寺へ行く予定をたてておったのです。
「せっかくな御開帳なのに、行けずに終わってしまうんだろうなぁ」という、母の嘆きを受け息子が、
「明日朝早起きして、善光寺に行くよ」
と言ってくれたのです。
狂喜乱舞…まではしませんでしたが、それこそいそいそ、いそいそと前日から、そして当日の朝まであれを持とう、これを持とうと準備万端整えておりました。
朝の五時半。夫がダイニングキッチンの戸を開けました。
「ごめん、頭が痛くてすぐには出られそうもない」
…。
そ、そうですか…。
夫は偏頭痛持ちであります。
私はともかく、息子も楽しみにしていたのになぁ。案の定、ほどなく息子も起きて動き出したようです。
「ごめんなさい。父、頭痛で今すぐはダメみたいって。
なんなら一人でドライブにでも出かけて」
「あ、そう。じゃあまたってことで」と息子は笑顔で自室に戻っていきました。夫の偏頭痛でアレコレの行事のドタキャンや、家では静かに過ごさなければならない日というのは子供の頃からの慣れっことなってしまっていました。
そんなわけで中止となった善光寺行き、息子が昨日、
「善光寺の御開帳っていつまでだって言ってたっけ?」と。
ああ、まだ連れて行ってくれる気でいてくれたんだ…ありがたい。
今年の御開帳珍道中録が書けるといいなぁと、コロナの感染状況を見つつ、思う日々でございます。
…でもなぁ。
すごくすごく混むのだろうなぁ。
善光寺は御開帳でなくともすごい参拝の方で溢れている寺院でありました。御開帳ともなると通行止めや一方通行等、善光寺の周辺自体が交通整備されるようです。
うーん。
七年に一回、次は六年後。
私さえボケずに健康でいれば、その時でもいいんじゃない?
えっ?それがあやしい?
う、うーム。
東国花の寺霊場となっております群馬県桐生市の【龍真寺】さんへ参拝させていただきました。
こちらは牡丹のお寺。
まさに今が牡丹の花の頃。
コロナ前には牡丹祭りといったイベント期間もあったようですが、今はネットで調べてもそういった情報はなく、私どもなどはむしろイベントを避けたいタイプ。
平日はかえってデイサービス等の団体さんが訪れることが多いという、かつての情報のもと、本日、日曜日を選んで参拝といたしました。
石標も色とりどりの牡丹に彩られていました。
実は私、何度もこちらを参拝させていただいているのですが、まず最初の参拝は牡丹の季節でなく。
その際に、ご住職さまの御母堂におすすめいただいた牡丹の花の時期に訪れては見たものの、牡丹まつりの前日に来ても牡丹の花の盛りがすぎてしまっていたりと、ちょうどいい時の参拝となったことがなくて、それが今回はまさに今が真っ盛り。
何年か前のネット情報ではまさに今日の日付で、ほとんど咲いていなかったとのことであったのですが、どんどん花の頃が早くなるようです。
こちらは江戸時代初期の元(1616)年の開山であります。
中門前、右手にある鶏亀地蔵(けいきじぞう)とよばれるお地蔵さまはこちらが建立されたとき、悪疫が退散し、付近の鶏が大声で鳴き、亀が像の側へきた、という言い伝えがあるようです。
また、乳飲み子をもつ母親が乳が出ないで困ったとき、この地蔵に願いをかけると乳が出る、といわれ信仰されています。
天明元年(1781年)の鏡水園裏(きょうすいえんり=第十一世住職)謹造立(つつしんでぞうりゅう)の刻銘があります。
こちらは、主に牡丹が植えられてはおりますが、訪れた全ての方に「花浄土の世界」を楽しんでもらうことを願って境内全域にシダレザクラ、ウコン(鬱金)などのサクラと、ヤシオツツジなどの花木や山野草を植栽、花が絶えないように努力している寺院です。
牡丹は回遊式庭園となっております。
鐘楼のそばには、まるで龍が爪をむき出したような形で立つ、樹齢四百年以上の「龍の手松」があります。
今、鐘楼のそばにはたくさんのシャガの花が咲いておりました。
主な花ごよみとして、
ヤシオツツジ3月下旬~4月上旬、ボタン4月下旬~5月上旬、
シュウカイドウ9月上旬~下旬、
ツワブキ10月下旬~11月上旬、などとなっているようです。
訂正)
誤 元(1616年)
正 元和2年(1616年)
であります。お詫びして訂正いたします。
間違い探しにはうってつけのスレで、添削していただいたら、ほとんど真っ赤な文章となるようなもので、本当に申し訳なく思っております。
さて、龍真寺さんの山門を…山門、なぜか通行止めのようになっておりまして…。
これはもうずっとなことなのですが、何か意味があるのかもしれないと、いつも横の通行口から入ってまいります。
おおっ!
色とりどりの牡丹が満開です。
はあぁ…、まさに花浄土でありましょう。
すごい、すごい!
思わず触れてみたくなるほど、薄い儚げな花びらが幾重にも幾重にも重なって大輪の一つの花となっている牡丹。とはいえ、あまりに儚げなその花びらに触れてみたことはないのですが…。
そんな牡丹の誘惑にどうしても逆らえず、なかなか御本堂へ到達できずにおりました。
ようやく御本堂へ。
お賽銭箱のすぐ上にも品よく牡丹が活けられています。
御厨子は開かれており、聖観音さまが拝することができます。
お賽銭箱の置かれた右横にはお優しいお顔立ちのお地蔵さまがおられます。
こちらの御本堂はいつ建てられたものなのか、なかなかお聞きする機会がなく、存じあげないのでありますが、優しい、心おちつく佇まいの建物であります。
『春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて
すずしかりけり』
境内に曹洞宗の開祖道元禅師の言葉が、彫られた石碑があるのですが、まさにそんなお寺さんなのだろうなあ、と思わせる境内であります。
シャガ、石楠花、白雪ゲシ…そのほかにも、私の知らない名の花がたくさん咲いておりました。
さて。
花を楽しませていただいたあとは、大好きな石仏さまに会いに行こう。
…あれ?
……あれ?
いらっしゃらない?
記憶ちがい?
いやいや、絶対にこの辺りにひっそりとおられたはず。何度も何度も、同じ辺りをうろつくのですが、小さな小さなお地蔵さまがおられない。
葉の影に埋もれそうになりながらも、優しく微笑む小さな小さなお地蔵。
移動した?
古い石仏さまを集めた辺りも見に行ってみたのですが、おられない。
牡丹園の整備に邪魔になったのでしょうか。
場所もそこにおられるのがなんともいい感じでおられたのに…。
なんとも寂しい思いになった春の一日でありました。
今日から五月。
【正 五 九 参り」 (しょうごくまいり)】という言葉があるということを昨年知りました。
正月と五月と九月にお参りする、ということだそうです。
それをなにで知ったか、そこまでメモする習慣が相変わらずついていない私。
…あれ?、これって神社さん?お寺さん?
困ったときのGoogle先生のご登場です。
するとhitした情報の中、『正五九参り 成田山』というものが目に入りました。
『昔から成田山へのお参りは、正五九参りといって正月、五月、九月と年に三回お詣りするのが良いとされてきました。
これは正五九の月が「三斎月」(さんさいがつ)といわれる月に相当するからです。
仏教発祥の地インドの在家信者は、正月·五月.九月に八つの戒めを守って功徳を積む実践行を行なっていました。この風習が中国を経て日本に伝わり、現在正五九参りとして受け継がれたのであります。
「正月・五月・九月」 の三つの月は他の月とわけて「三斎月」又は「三長月」·「善月」とも言い、
この三つの月の間は八斎戒を守って殺生をやめ、非行を謹んで過ごすことが昔から行われていました。
『四分律行勢』という書物によると、
正月・五月・九月には、冥界にある人間の善悪の行為を映し出す「業鏡」(ごうきょう)が私たちの住んでいるこの南間浮堤のありさまを照らし出して、
そこに行われている良い事と悪い事の全ての行為をこの「業鏡」に映し出してみるのです。
したがって、この「業鏡」が私たちの方に向けられる正月·五月·九月には少しでも悪い事はしないように、
またどんなに小さい事でも良い行いをして、「あの世(冥界)」に行った時に苦しまなくてすむようにしようというわけです。…』
これを見ると、どうやら神仏習合時代に仏教から伝わった形が有力のように思えます。
しかしながら、神社においてもこの正五九参りを三年以上続けるのが正しい参拝の作法としているところがあり、『正五九参り』と称する祈願を設けておられるところもあるようです。
また、これは、陰暦の暦で
「正月=物事の“始まり”」 種まき
「五月=物事が最も“盛ん”になる時」 田植え
「九月=物事が“実を結ぶ”時」 収穫
だからだと言う説もあるようです。
ちなみに、毘沙門天さまのお縁日は、一月・五月・九月の最初の虎の日とされています。
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