orz……
俺って……
☆☆お知らせ☆☆
ハンネが違いますが、同じタイトルの閉鎖スレと同じ主です。
ハンネが変わったので、新規スレにて更新再開したいと思います。
リアルの都合で更新は不定期になるかもしれません。できるだけ毎日更新したいと思います。
思うところあって、このスレでミクル小説は最後になると思いますが、よろしくお願いします。
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俺は水曜日が嫌いだ。
週の真ん中、週末が遠い。
毎朝満員の通勤電車に乗って都心へ向かい、ビルの中のオフィスで仕事をし、疲れて帰宅する。
それがサラリーマンという生き物だと、この半年で学習した。
俺は今年就職したばかりの社会人1年生だ。
東京都内にあるコンピュータの会社でシステムエンジニアをしている。
まだ半人前の俺は、先輩社員の手伝いをしながら仕事を覚えている。
この日も先輩の手伝いをしていて残業になった。
西新宿にある会社を出たのは夜の7時すぎ。
俺はJRと地下鉄と私鉄を利用して、東京都境にある街から通勤している。
本当は実家を出て独立したいが、そんな気力も金もない。
毎日疲れきって都合50分ほど電車に揺られている。
この日も郊外へ向かう私鉄車内は混み合っていた。
普通電車に乗れば少しは空いていたかもしれないのだが、空腹に負けて1分でも早く帰宅しようと急行電車に乗ったのが間違いだった。
ぼけーっとしていた俺は、1時間ほど前に人身事故があり、電車が遅延していたことにも気付かず、まさにスシ詰めぎゅうぎゅうの電車に惰性で乗り込んでしまった。
辛い。
10月になったというのに、今日の関東地方は夏日だった。
夕方になっても湿度が高く、混んだ車内は不快指数がハネ上がっていた。
車内にいるのは、殆どが勤め人のようだ。
その中にちらほら学生風の乗客が混ざる。
時間が早いので、酔った客はいないようだ。
乗客は皆一様に疲れきった顔をしている。
きっとみんな俺と同じく水曜日が嫌いで、早く週末にならないかと考えているに違いない。
電車はJRの乗換駅に着き、結構な人数の乗客がホームに吐き出され、俺の周囲に空間ができてホッとしたのも束の間、今度は降りた乗客の倍くらいはいるんじゃないかと思う数の乗客がなだれ込んできた。
勘弁してくれぇ
そう心の中で叫んだとき、俺の前にブレザー姿の女子高生が俺と同じように流されてきた。
おっ
俺はその女子高生の顔を見て、少し気分が良くなった。
自分でもカスい男だと思う。
でも仕方ないだろう。
その子はいままで俺が見た女の中でも最高レベルにランクできる美少女だった。
ラッキー!
素直が取り柄の俺は、美少女と密着せざるを得ないこの状況に感謝した。
でも、待て待て俺。
喜ぶのはいいが、ニヤけていたらこの美少女からも、周囲の乗客からも、痴漢野郎と勘違いされてしまうかもしれない。
ここはグッと気持ちを引き締めて、疲れ切った若いサラリーマンの顔を継続するべきだ。
間違っても美少女の体に触れてしまう位置に手があってはいけない。
そうだ、さりげなく体は美少女からずらして、両手は背後の連結ドアに当てていれば、ラッシュに耐える健気な青年に見えるはずだ。
俺は細心の注意を払い、電車の揺れを利用しながら、理想の冤罪防止態勢まで動くことに成功した。
よし、美少女に不審なニーチャンと思われた気配はない!
大嫌いな水曜日に神様がくれたささやかな幸運を、痴漢冤罪などに変えてしまったら大変だ。
公明正大にこんな美少女と密着できるのだから、それで満足しなくてはいけない。
美少女ちゃんの顔は俺の顔の近くにあった。
俺の身長が174cmだから、美少女ちゃんの身長は165cmくらいだろうか。
髪はショートカットだった。
誤魔化しのきかないショートカットでこんなに可愛く見えるのだから、正真正銘の美少女だ。
睫毛なげぇ〜。
アーモンドみたいな形の綺麗な目は、くっきりとした二重だ。
黒目は茶色っぽい。
どちらかというと色白だ。
右目の下に小さなホクロがある。
あんまりジロジロ見るわけにはいかないが、こんなに綺麗な子なら、男に限らず女だって振り返ってしまうに違いない。
美少女ちゃんもすし詰めの車内が不快なんだろう、綺麗な眉をひそめている。
見るからにおとなしそうな子だ。
JKかぁ〜
若いよなぁ
学校ではさぞかしモテるんだろう。
いや、そんなレベルではない。
もしかしたら、モデルとか女優とか、そんな華やかな仕事をしていてもおかしくない。
原宿渋谷辺りを歩いていたら、芸能事務所のスカウトがすぐに声をかけるだろう。
この制服はこの沿線でよく見るような気がするが、最近の女子高生が着ている制服はどれも同じように見える。
そんなことを思う時点で、俺は高校生から見たら既にオッサンなのかもしれない。
こんな美少女からしたら、俺なんか鼻にもかけてもらえないだろうな。
それこそお小遣いでもあげないと……。
そんな風にいろいろ考えていたら、美少女ちゃんが俺に肩を押し付けてきた。
美少女ちゃんが動いたのはほんの少しだった。
スシ詰めの中だから俺に分かっただけで。
その後美少女ちゃんはもう動かずに俯いていた。
ちぇっ
美少女ちゃんの顔が見えなくなってしまった。
また顔上げてくれねーかなー
電車は急行なので、間を2駅ほど飛ばして走る。
次の停車駅は乗換駅ではない。
次の停車駅で乗客が減ったら、また顔が見られるかもしれない。
いや待て。
美少女ちゃんは次で降りてしまうかもしれないし、降りなかったとしてもスシ詰めでもないのに、俺にここまで密着してはくれないだろう。
くっ
残念だ
あと5分くらいで次の停車駅だ。
この至福の時間も終わるのか………
そう思った時に、声が聞こえた。
「なにやってんだよ」
ドスの利いた低い声。
思わず「エッ?」と言ってしまいそうになった。
その声は小声で、多分俺にしか聞こえていない。
っていうか、いまの、誰の声なんだ?
少しの間が空いて今度は「ウウッ」という呻きが聞こえた。
どうやらさっきとは違う声だ。
その呻き声と同時に、美少女ちゃんが明らかに不自然な動きをした。
イテイテイテ
美少女ちゃんの肘が俺の腕に食い込んでくる。
「どこ触ってんだよ」
さっきより更にドスの利いた声が、俺の頭の下から聞こえた。
おっ、俺?
さっ、触ってないっス!
いまの声は、まさかこの美少女ちゃん?
ドスが利いていて低い声だったが、女の声だったと思う。
もしかしたら女のような男の声、ということもないとはいえないが。
俺はこの美少女ちゃんに痴漢と間違われたのかと思い焦ったが、美少女ちゃんは俺の方ではなく横にいる男を見ているらしいことが分かった。
こいつ、痴漢なのか?
美少女ちゃんが見ているサラリーマン風のその男、30歳前後だろうか。
身長は美少女ちゃんと同じくらいで、メガネをかけた青白い顔はやつれ気味に見える。
テレビで見る「キモキャラ」のお笑い芸人に少し似ている。
周囲を軽く見回しても、明らかに様子が変に見えるのはそのキモ芸人だけだ。
さっきから聞こえる声は、低い上に小声だったので、すぐそばの人間にしか聞こえないかもしれない。
キモ芸人は明らかに挙動不審だ。
「えっ……ぼ、僕は……」
「あー? なんだよ、ハッキリ言えよ」
今度はハッキリと美少女ちゃんが言ったのだと分かった。
美少女ちゃんは顔を上げ、まっすぐにそのキモ芸人を睨みつけながらそう言ったのだ。
えええええええええ!
やっぱりさっきから聞こえてくるドスの利いた声は、この美少女ちゃんだったんだ。
儚げな美少女に見えたのに。
強い。
「ぼっ、ぼっ、僕は、な、なにも」
キモ芸人は噛みまくりだ。
『間もなくX駅に到着します。この電車は急行××行きです。X駅より先の○駅、×駅をご利用のお客様は、次のX駅でホーム反対側に停車中の普通電車、○×行きへお乗換えください』
車内にアナウンスが流れた。
停車駅が近付いて電車が減速した。
「おにーさん!」
突然美少女ちゃんは俺の方を向いてそう言った。
「えっ、俺?」
「見てたんでしょ、助けてくれない?」
なんともぞんざいな口調のお願いだ。
窓の外に停車駅のホームが見えてきた。
電車は停止し、ドアが開くと、乗客が動き出した。
「ほら、おにーさん! ボヘってしてないでこいつのそっちの腕よろしく」
「は、はい」
情けないことに、俺は女子高生の指示に素直に従い、キモ芸人の左腕を掴んだ。
電車から降りると、俺は美少女ちゃんに「駅員室に連れてくの?」とお伺いをたてた。
「ここでいいよ」
美少女ちゃんは降りたホームにある椅子を指差した。
俺は美少女ちゃんの意思に従い、キモ芸人をその椅子に座らせた。
「おにーさん、そっち座って、こいつの腕押さえといて」
逃がすな、ということらしい。
キモ芸人といえば、電車の中からこのベンチに連行されてくるまで、ずっと怯えた小動物状態だった。
小刻みに震えていて、目が泳ぎっぱなしだ。
美少女ちゃんは涼しい顔で腕を組み、キモ芸人の前に仁王立ちしている。
急行の反対側に停まっていた普通電車が発車し、降りた乗客のほとんどがエスカレーターと階段に吸い込まれると、ホームにいる乗客の姿はまばらになった。
それを待っていたかのように、美少女ちゃんが口を開いた。
「おい」
キモ芸人を見下ろすように美少女ちゃんはそう言った。
「……」
「おいっつってんだろ。返事は!」
音量は抑え気味な分、やっぱりドスの利いた声。
「はっ、はい」
消え入りそうな声でキモ芸人は返事をした
どうでもいいが、キモ芸人確保要因として並んで座っている俺は、自動的にキモ芸人と一緒に美少女ちゃんから見下ろされている。
俺が悪いことをしたわけでもないのに、なんとなく恐ろしい気分になるのは、やっぱり俺もキモ芸人と同じ男で、美少女ちゃんにほんの少しでもヨコシマな気持ちを抱いたからなのだろうか。
「てめー、私のこと触っただろ? ちゃんと見てたんだよ、こっちは」
なんともまぁ、腹の据わった態度の女子高生だ。
「いや、ぼ、僕は」
「言い訳してんじゃねーよ。てめー、その手の甲、よく見てみろよ」
美少女ちゃんの言葉で、俺はキモ芸人の右手を見た。
赤い点々が四つほど見える。
「私に爪立てられて『うぅ』とか呻いてただろ」
なるほど。
美少女ちゃんはこの白くて綺麗な手で反撃していたわけだ。
「あ、いや、こっ、これは」
「あー? 『これは』? なんだよ、言ってみろよ」
「……」
「スカートの中に手まで入れやがって。見せパンに阻まれてたけどな」
見せパン?
一瞬食パンあんパンの「パン」を連想した俺も馬鹿だが。
「ここまできて誤魔化してんじゃねーよ。触ったのか触ってないのか聞いてんだよ」
「さ……触りました」
まさに虫けらが鳴くような声でキモ芸人はやっと痴漢行為を認めた。
「じゃあどーすんだよ。てめーこのまま駅員室に連れて行かれたいのか? ケーサツ来るからな」
「そっ、それは」
「嫌なら謝れ!」
「……すみませんでした」
「聞こえねーよ!」
「申し訳ありませんでした!」
……俺は
どうしたらいいんだ。
なんというか、この美少女ちゃん、役者が違う。
「……ったく。謝るくらいなら最初からやんなよバーカ。てめーみたいのはビョーキだ、ビョ・ウ・キ! 社会的に抹殺されたくなかったら、痴漢なんてやんな! てめーもオトナならか弱い女子高生の股なんか狙ってねーで、痴漢ごっこに付き合ってくれる彼女なりフーゾクなり探せ! 分かったかこの腐れ【ピーーーーー】! 私の前に二度とツラ見せんなこのカス!」
小気味いいくらいの罵詈雑言。
小ぶりで形のいい美少女ちゃんの唇は正確に動き、一度も噛むことなく、キモ芸人への罵倒の言葉が吐き出された。
その間の表情といえば、怒りや憎悪はあまり感じられなくて、どちらかというと無表情。
ここ数年ネット動画でよく目にするボーカロイドを連想させた。
俺はキモ芸人と一緒に美少女ちゃんをぽかんと見ているだけだった。
美少女ちゃんは口を閉じると、小さく顎をしゃくった。
俺が「?」という目で見ると、美少女ちゃんはもう一度顎をしゃくった。
「開放しろ」ということらしい。
俺が手を離すと、キモ芸人は肉食獣に睨まれた小動物のように縮こまって軽く震えると、なぜか左右をきょろきょろと見渡してから立ち上がり、もう一度「申し訳ありませんでした!」と美少女ちゃんに最敬礼すると、まさに脱兎のごとくそこから逃げ出し、あっというまに改札へ向かう階段へと消えていった。
「ふん」
美少女ちゃんはキモ芸人が行った方向を軽く一瞥すると、仁王立ちのまま俺に視線を移した。
「ハイッ」
つい俺はなにも言われていないのに返事をしてしまった。
気分的には鬼コーチに睨まれた教え子とか、上官に怯える平兵士とか。
23歳の俺のほうが間違いなく大人のはずなのだが、どうにもこうにもこの美少女ちゃんには威圧感があるというか。
平たく言えば、怖い。
「は?」
美少女ちゃんは目を細めて不審な顔をした。
「あ、いや、あの、警察には言わなくてよかったの?」
俺は情けないことに若干おどおどしながら言った。
「警察は面倒くさいんだ」
美少女ちゃんは少しだけ表情を和らげると、俺の隣に座った。
シャンプーなのか柔軟剤なのか、ふわりといい香りがした。
「面倒くさいの? あんな風に痴漢を捕まえることができるくらいだから、その後も徹底的にやるのかと思ったんだけど」
「時間かかって大変なんだよ。駅員呼んで、警察呼んで、被害届だ事情聴取だってされて、親にも連絡いって。最初はいいけどさ、3回もそんなこと繰り返したらいい加減やんなるよ」
なるほど。
今回が初めてというわけではないから、痴漢相手でも堂々たる対応だったわけだ。
「今日のあいつは弱っちそうだったし。あんなんならちょっと脅してやればしばらくはおとなしくしてるんじゃないの?」
幾分さっきまでよりは口調が柔らかい。
だけどそれでも十分見た目とのギャップが大きい。
「君、強いんだね。感心したよ」
俺がそう言うと、美少女ちゃんは「ケッ」とでも言いたそうな顔をした。
「どうせおにーさんも私のこと気が弱くておとなしそう、って思ってたんだろ。迷惑なんだよな。見た目で判断されるのって」
そりゃ誰だって黙っていればおとなしいけども。
美人美少女っていっても、キツそうなタイプとか、華やかなタイプとか、日本的な美人とか、そりゃいろいろタイプが違うんだけど、この美少女ちゃんは透明感があって、清潔で静かなイメージなんだ。
もちろん、黙っていればの話なんだけど。
誰が見たってそう感じると思うんだけどな。
俺が返答に困って視線を泳がせていると、美少女ちゃんはまた「ふん」と言った。
「まーいーや。おにーさんが手伝ってくれて助かったよ。私も痴漢野郎にキッチリ謝らせて気が済んだし」
役に立てたなら嬉しいが、俺は下僕のごとく、美少女ちゃんに言われるままキモ芸人を捕まえておいただけなんだけど。
この美少女ちゃんなら、俺がなんもしなくても、きっちり落し前つけたんじゃないだろうか。
「別に俺はなにもしてないし」
俺がそう言うと同時にアナウンスが流れ、ホームに電車が入ってきた。
「私も力じゃ男には敵わないからね。ま、機会があったらお礼するよ。じゃーね」
美少女ちゃんはスッと立ち上がり、身を翻すと電車に乗り込んだ。
美少女ちゃんを乗せた電車は、滑るように発車し、走り去ってしまった。
…………。
名前くらい、聞けばよかった。
そう思ったのは美少女ちゃんが立ち去って30秒ほど経ったころだった。
同じ沿線なら、また会えるかもしれない。
でも高校生とサラリーマンじゃ、電車に乗る時間も違うだろうな。
「あ」
俺は馬鹿みたいに口を開いた。
……いまの電車に俺も乗ればよかった
美少女ちゃんは途中下車だったようだが、俺の降りる駅も4駅先だった。
腹減ったなぁ
「圭~。飯いこうぜ」
俺が会社のパソコンの前で伸びをしていると、カズさんが声をかけてきた。
時計を見ると昼の12時になっていた。
「へい」
俺は適当にデスクの上を片付けて立ち上がった。
俺が働く会社は東京の八重洲にある。
法人向けのコンピュータシステム開発をしている会社で、俺は一応SEだ。まだ半人前なんだけど。
名前は小林圭という。
東京郊外のベッドタウンで生まれ育ち、いまも実家に住み着いている。
地元では中の上くらいと言われている公立高校から、MARCHの下くらいのレベルの私立大学を卒業して、今年の春に新卒で入社した。
ウチの会社は零細企業ではないが、一流大企業でもない。
大手のシステム会社やコンピュータ会社から仕事をもらっている中くらいの企業だ。
こうやって俺のプロフィールを並べると、なんとも中くらいな雰囲気がぷんぷん漂うのだが、実際俺自身、中くらいのレベルで生きてる人間なんだと思う。
俺を飯に誘ってくれた人は戸山一臣さんといい、俺の4コ上の先輩になる。
新入社員の仕事をイチから教えてくれたのがこの先輩だ。
SEとしては普通に優秀なんだと思う。
俺は彼を「カズさん」と呼び慕っているわけだが、カズさんのプライベートには感心しない。
いや、会社の先輩としては上等な部類に入るんだろう。
人当たりが良くて、誰からも憎まれない得な性分だ。
俺のような後輩に対して、仕事はきっちり教えてくれるし、ときどきメシや酒も奢ってくれる。
ただ、カズさんは、チャラい。
見た目もノリも、やたら軽い。
まぁそれが似合うだけの男前ではあるのだが、本人もそれを自覚していて、女癖が悪いのはいただけない。
3回ほどカズさんに連れられて合コンにもいった。
カズさんには大学時代から付き合っている彼女がいるのに、カズさんはすぐに他の女の子に手を出しては彼女にバレ、そのたびに騒動になっている。
「蕎麦食いたい」と言うカズさんの要望に従って、八重洲地下街にある蕎麦屋に入った。
「こないだの合コンだけどさ」
カズさんは出された蕎麦茶を啜りながら楽しそうに言った。
「あぁ、どうでした?」
先週末にカズさんからその合コンに誘われたのだが、給料日前で金欠気味だった俺は断った。
「けっこう可愛い子がいたんだよ。○○不動産、なかなか粒揃いだぞ」
カズさんはそう言いながら俺にスマホを渡し、合コンで撮った写真を見せてくれた。
「この子。××りんに似てると思わないか?」
カズさんは写真を指差して、テレビでよく見るアイドルの名前を挙げた。
なるほど、なかなか可愛い子だ。
だけど、昨日の夜に会った美少女ちゃんの方が、段違いに綺麗だと思う。
「なんだよ。反応鈍いな。圭の好みだと思ったのに」
カズさんは不満そうに言った。
「あー、いやぁ、可愛いんですけどね」
「けど、ってなんだよ」
さすが女癖の悪いカズさん、俺の態度からなにかを感じ取ったのだろうか。
いやに絡んでくる。
「えーっと、昨日、ものすごい美少女に会ったんで」
俺が圧迫に耐えられず簡単に白状すると、カズさんの目が輝いた。
「なんだよなんだよ。ものすごい美少女? 圭みたいなタイプがどうやってそんな美少女とお近づきになれるんだよ」
「お近づきになったわけじゃないですよ」
仕方なく俺は夕べの痴漢騒動の顛末をカズさんに話した。
「へえぇ。JKかぁ」
「カズさんから見たら一回りも下じゃないですか」
「いいだろ、別に。おにーさんと合コンしてくれないかなぁ」
「手ぇ出したら淫行条例に引っかかりますよ」
「なんだよ。俺は純粋に可愛いJKとお友達になりたいだけだ」
カズさんの口から「純粋」なんて言葉が出ても、まったく説得力がない。
「JKから見たらこっちはオジサンかもしれませんよ」
「そんなの分からないじゃないか。なぁ圭、その美少女ちゃんに合コンしようって頼んでみてくれよ」
「連絡先なんて聞いてませんよ」
そう、名前すら聞いていないのだ。
「同じ沿線なら、また会うかもしれないだろ。そんな美少女なら目立つだろうし」
まぁ確かにカズさんの言う通りなのだが。
偶然美少女ちゃんと再会し、カズさんの要望通りに話している俺を想像してみた。
『はぁ??? 合コン? バッカじゃないの? ウザいキモいキエロ』
美少女ちゃんが小気味よく俺を罵倒する姿が見えるようだった。
「圭。腹でも痛いのか?」
「あ、いや、そんなことないです」
俺は想像の中の美少女ちゃんに怯えて、奇妙な顔をしていたらしい。
「まぁとにかく会ったら逃がすなよ」
カズさんは運ばれてきた天ざるを店員から受け取ると、嬉しそうに箸をとった。
呑気なもんだ。
でも、俺は昨日の出来事を話しただけで、美少女ちゃんがどんな言動をしたかまでは再現していない。
カズさんにしてみれば、ただの勇敢な美少女の武勇伝にしか聞こえないかもしれない。
あの罵詈雑言、あの有無を言わせぬ迫力。
体験したものにしか、分からない。
俺はあの日以来、朝も夕も電車に乗るたびに辺りを見回して、あの美少女ちゃんを探した。
だけどそうそう会えるわけもない。
あの痴漢を捕まえた駅は美少女ちゃんも自分の最寄り駅ではなかったようだし、サラリーマンと高校生では日常電車を利用する時間帯が違う。
せめて最寄り駅でも分かっていれば、高校生が利用しそうな時間に改札口あたりで張り込めばよさそうなものなんだけど。
そこまでしたら、まるで俺はストーカーだ。
良識ある社会人1年生に相応しい行動ではないだろう。
だけど俺は、あれからずっとあの美少女ちゃんのことばかり考えていた。
本当にいままで見たことがないくらい、綺麗な女の子だったから、当然といえば当然なんだけど。
なにしろインパクトが強すぎた。
ものすごく興味がある。
なんとかしてもう一度会えないだろうか。
俺はそう願いながらも、なすすべなどあるわけもなく、結局は電車に乗るたびに辺りを見渡すことしかできずにいた。
だけど、神様は俺のことを見捨ててはいなかった。
痴漢騒ぎからちょうど1週間経った水曜日、仕事を終えた俺は、あの日と同じような時間に電車に乗っていた。
ただ、あの日と違い、電車は遅延しておらず、車内の混み具合は普段の夜と変わらなかった。
俺はぶら下がるように吊り革に捕まり、あの日美少女ちゃんと痴漢を捕まえた駅のホームが見えてきたのをぼんやりと眺めていた。
すると、あの日痴漢が座っていたベンチの前に、あの美少女ちゃんが立っている姿が目に飛び込んできた。
間違いない。
美少女ちゃんはあの日のように腕組みをし、電車を睨みつけるように仁王立ちしていた。
うぉっ
俺は背中がゾクゾクっとして、思わず叫びそうになった。
どうして美少女ちゃんはあそこに立っているんだろう。
もしかして
もしかして
もしかすると
俺を待っていてくれているんだろうか。
しかし、ちらっと、でも見間違えようもないくらい綺麗なあの顔は、待ち人を探す風ではなく、どちらかというとあの夜のように犯罪者を探すような顔だった。
俺は美少女ちゃんに声をかけてもいいのだろうか。
葛藤しながらも、俺の足はドアの方へ向かっていた。
ホームに下りると、急行停車駅ということもあって、普通電車に乗り換える乗客と、この駅で降りる乗客でホームには結構たくさんの人がいた。
俺が降りた場所から美少女ちゃんがいた場所までは20メートルくらい離れているだろうか。
降りた乗客の一部は出口への階段に向かい、俺が乗っていた急行電車の反対側に普通電車が来るとホームにいた乗り換えの乗客も電車に吸い込まれた。
人影がなくなったホームの先には、やっぱり美少女ちゃんが立っていた。
俺は恐る恐る歩き出し、美少女ちゃんに近付いていった。
美少女ちゃんは俺の姿に気が付くと、腕組みして仁王立ちしたまま、真っ直ぐ俺のほうを向いた。
やっぱり俺を待ってくれていたようだ。
俺はゆっくりめに歩いて美少女ちゃんの側まできた。
「あ、えっと、その、こんばんは」
なにを言っていいか分からず、取りあえずそう言ってみた。
「こんばんは」
美少女ちゃんは厳しい表情を変えないままそう返してきた。
美少女ちゃんは腕組みを解くと、
「先日はありがとうございました」
そう言って、45度の礼をした。
正直、驚いた。
先週のインパクトが強すぎて、こんな風にちゃんとした挨拶をするところは想像できなかったからだ。
「あぁ、いや、その、俺は別になにもしてないし」
「……謙遜しなくてもいいのに」
美少女ちゃんは状態を起こすと、そう言って俺を睨んだ。
あぁ、別人のようだと思ったけど、やっぱり同じ人間だ。
「わざわざここで待っててくれたの?」
「同じ曜日なら会えるかと思って」
「気にしなくてもいいのに」
「……ほのかに叱られたから」
急に美少女ちゃんの表情が変わった。
「ほのか?」
「友達。この間のこと話したら、『お礼も言わずに失礼だ』って叱られた」
「叱られた」って、この美少女ちゃんを叱ることができる友達がいるということが、俺にはまったく想像できない。
「いい友達だね」
俺がそう言うと、これまた意外なことに、美少女ちゃんの目元が少し和らいだ。
「ほのかに言われるまで、おにーさんにお礼言うの忘れてたって気付かなかったから。先週はあんなだったし。ごめんなさい」
おおぉっ
「ありがとう」の次は「ごめんなさい」がきた。
まぁ普通の人間なら当たり前に口にする言葉なんだけど、この美少女ちゃんから言われると、なんというか、ものすごく稀なものを見たような気分になる。
「俺、小林といいます」
俺はチャンスとばかりに名乗ってみた。
「私は薫子。緑川薫子」
みどりかわかおるこ。
なんとまぁ、この美少女ちゃんのような女の子に似合う、長々とした重厚な名前なんだ。
「家は遠いの?」
「○○駅」
次の駅だった。
「こんな時間まで帰らないと、お家の人が心配してるんじゃないの?」
「家、誰もいないから」
「あっ、そう、そうなんだ」
何か家庭の事情でもあるんだろうか。
あぁ、せっかく美少女ちゃん、もとい、薫子ちゃんとお近づきになれるかもしれないチャンスに、失言をしてしまったのかもしれない。
おにーさん。別にそんなにうろたえなくてもいいのに」
薫子ちゃんは少し呆れたように言ったが、意外にもクスッと笑った。
か
わ
い
い
!
俺は思わず薫子ちゃんに見惚れてしまった。
「お父さんは仕事が忙しいから帰るのが遅いだけ。ご飯を作るはずのお母さんは、私が中学のときに癌で死んだの。私にはきょうだいもいないし、家で私を心配して待ってる人はいないから安心して」
……俺はやっぱり聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。
「ごっ、ご飯!」
「帰って作るけど」
「いやいや、あの、良かったらご馳走させて」
「……はぁ?」
思い切り、睨まれた。
「いや、いや、別に下心があるわけじゃなくて、俺、今日は帰ってもメシないし、一人で食って帰るつもりだったから、誰か一緒に食ってくれたら嬉しいって思っただけで」
俺は必死に弁解した。
実際今日は母親が外出していて、帰っても食事の用意はないのだ。
「私に奢らせてよ」
想像もしていなかった言葉が薫子ちゃんの綺麗な唇から聞こえてきた。
「えっ」
「こないだのお礼」
「いや、一応俺、社会人だし、高校生にご馳走になるわけにはいかないよ」
「でも私が奢られたらお礼にならないじゃん」
奢る奢らない、と、ファミレスのレジ前で遠慮しあう客同士みたいなやり取りをしながら、俺は頭の片隅で名案を思いついていた。
奢る奢らないの結論は曖昧にしたまま、俺はどうにか薫子ちゃんと食事をするために駅の外に出た。
「えーっと、何が食べたいかな?」
相手は高校生だ。
まさか飲み屋へ連れて行くわけにもいかない。
「ファミレスでいいよ。なんでもあるし」
俺の懐事情を考えても、ファミレスにしてもらえると非常に助かる。
この駅は急行停車駅ということもあって、駅前にはいろんな店がある。
駅前のロータリーのすぐ向かいのビルに、どこにでもあるファミレスがあったので、俺は薫子ちゃんと向かった。
いやぁ。
なんともかんとも。
ハンパない美少女の薫子ちゃんと並んで歩いていると、擦れ違う男の10人中9人は振り返った。女でさえ、半数以上は確実に薫子ちゃんを見ている。
それに引き換え、俺はといえば。
メンズファッションのナニナニ、とかの店で、今なら1着買うともう1着、というランクのスーツ姿の、ごくごくフツーのサラリーマン。
身長はチビとは言われない程度、特別に顔がいいわけでもない。
そんな俺でも、人並み程度には彼女もいたし、モテ期も経験してはいるが、あくまでも俺が存在する階級での話で。
こんな極上の美少女ちゃんのお相手が務まるような人間ではない。
多分誰が見ても、この美少女の彼氏とは思ってくれないだろう。
薫子ちゃんの兄貴とでも思ってもらえればまだ良い方で、下手をすればマネージャー的人間か、もっと酷ければただの下僕、なのかもしれない。
薫子ちゃんは人から見られることなど慣れているのか、それともそんなことは一切意に介さないタイプなのか(多分後者なのだろう)、すいすいと人の流れを縫って歩いている。
ファミレスに入り、席に案内されると、薫子ちゃんはメニューを開き、まずは一番後ろにあるデザートのページを熱心に見始めた。
――甘いものが好きなのか
なんとなく薫子ちゃんも普通の女子高生なのだと思えて、俺はつい笑いそうになったが、薫子ちゃんに睨まれそうなのが怖くて我慢した。
俺がミックスグリルのセットに決めた頃には、薫子ちゃんもメニューを選び終わったようで、「決まった?」と俺が言うと、「うん」と首を縦に振った。
店員が来ると、薫子ちゃんはトマトソースのパスタと、小さなチョコレートのパフェとドリンクバーを注文した。
薫子ちゃんはアイスティーを取ってきたが、シロップをかき混ぜ、ストローに口をつける仕草でさえ絵になった。
テーブルを挟んでいるとはいえ、こんな美少女と向かい合って座れることに、俺は舞い上がり、ぼけーっと薫子ちゃんに見惚れていた。
「……なの?」
いかんいかん、薫子ちゃんが俺に何か言っているというのに、俺はよく聞いていなかった。
「ああ、ごめんね、仕事のことでちょっと。なんて言ったの?」
「だから、おにーさんはサラリーマンなの?」
俺の下手な言い訳は薫子ちゃんの気には障らなかったようで、もう一度質問を繰り返してくれた。
「そうだよ。システムエンジニア。って言ってもまだ1年目だから半人前なんだけど」
「へえ」
「えーっと、君は高校生だよね。どこの高校か聞いてもいい?」
「別に隠すことじゃないし。Y大付属の2年生」
東京都下にある名門校だ。
「すごいね。頭いいんだ」
「……別に」
素っ気無い返事に一瞬俺はびびったが、薫子ちゃんは怒っているのではなさそうだった。
そうこうしている間に、さすがファミレス、あっという間に料理が運ばれてきた。
「いただきます」
薫子ちゃんは両手を合わせてからフォークを取った。
口は悪いけど、こういうところはキチンとしているんだな。
あまり話すこともなく、黙々と食べたので、俺の皿はあっという間に空になり、少し遅れて薫子ちゃんも食べ終わった。
薫子ちゃんが頼んだミニパフェが運ばれてきたところで、俺は恐る恐る口を開いた。
「あのさ」
「なに」
言葉はこんなだが、やはり薫子ちゃんは甘いもの好きらしく、それほど無愛想な雰囲気でもない。
怒鳴られるのは覚悟の上だ。
「合コン、しない?」
覚悟の上、とは言いながら、少々俺も計算していた。
さっきお礼をしたい、と薫子ちゃんは言っていた。
薫子ちゃんが義理堅い性格なら、もしかしたらカズさんお望みの「JKとお近づきになる合コン」がセッティングできるかもしれないと考えたのだ。
小ズルい、卑怯な男だと言われてもいいんだ。
カズさんに恩を売れる上に、俺が薫子ちゃんとお近づきになれるかもしれないこのチャンス、生かさない馬鹿がどこにいる!
「はあ?」
予想通り、薫子ちゃんの顔が険悪になった。
「ごめんよ、こんなこと言って。実は俺の会社の先輩が合コンをセッティングしろってうるさくて。でも俺、合コンに応じてくれるような女の子に心当たりなくて、困ってたんだ」
俺はさっきから用意しておいた言い訳を一息に言った。
「合コンて……。私だと学校の友達くらいしか呼べないけど」
薫子ちゃんの顔から険しさが消えて、考える顔になった。
一応、「恩人」である俺が「困っている」と聞いて、心が動いたのかもしれない。
いいぞ、俺。
「高校生にお酒飲ますようなことはしないし、人数もそんなに多くなくてもいいんだ。合コンさえできれば俺の顔も立つし」
カズさんは女癖が悪いことは確かだが、鬼畜な人間ではない。お調子者だから、JKとお近づきになれるだけで、きっと満足してくれるだろう。
何しろカズさんは俺の4期上ということは、年齢でいえば26歳か27歳。
高校2年生の薫子ちゃんとは10歳は違うのだ。
女癖が悪いだけあって、といったらおかしいが、カズさんの女好きアンテナの精度の良さを考えれば、現役JKに10歳も歳上のサラリーマン、つまりJKたちから見れば単なる「サラリーマンのおじさん」が最初からまともに相手にされることがないことくらい、ちゃんと理解しているはずだ。
イイトシしたオジサンが、JKと仲良くなるなら、「大人の余裕があって、美味しいものをご馳走してくれる、優しいおにーさん」を目指すのが近道だろう。
「あ、俺、怪しい人間じゃないから」
俺は畳み掛けるようにそう言った。
ここはなんとしても薫子ちゃんの信用を勝ち取らなくてはいけない。
俺はビジネスバッグの中から会社の名刺と車の運転免許証を取り出して、薫子ちゃんの目の前に置いた。
「ふうん」
薫子ちゃんは珍しそうに俺の名刺を手に取った。
高校生だから、会社員が持つ名刺なんて珍しいのかもしれない。
「……なんの仕事?」
名刺には所属部署と俺の名前が書いてあるだけだ。会社は弱小企業ではないが、誰もが知るような大企業でもない。
これでは高校生の薫子ちゃんには、俺がどんな仕事をしているかは分からないだろう。
「さっきも言ったけど、俺はSE、システムエンジニアだよ。分かりやすく言うなら、お客さんの会社で使う社内システムを作ったり変えたりする、コンピューターの専門家」
「ゲームとか作るの?」
高校生に馴染み深いのはやっぱりゲームとかインターネットなんだろう。
「ゲーム関係のSEもいるけど、ウチの会社は普通の会社が仕事で必要な、そうだな、経理とか在庫管理とか、あとはチェーン店のネットワークとか、そういうシステムを扱ってるんだ」
「ふうん。じゃあパソコンにも詳しいんだ」
「まあ、普通の人に比べればね。でもまだぺーぺーだから、大して詳しくないんだけど」
薫子ちゃんは少し考える顔をした。
「あのね、学校でノーパソ使ってるんだけど、変な表示が消えなくて困ってるの」
「どんな表示なんだろう」
「いま持ってる」
薫子ちゃんは通学バッグの中から、インナーバッグに入ったノートパソコンを取り出した。
「これ」
薫子ちゃんはパソコンを立ち上げて、スマホでデザリングしてインターネットに繋いだようだった。操作を終えると、俺の方にディスプレイを向けた。
「ああ、これか。アップデートの通知だから、更新しちゃえば出なくなるよ」
「私、こんなソフト入れてないのに」
「他のソフトをダウンロードするときにくっついてくるんだよ」
俺は薫子ちゃんの話を聞きながら、インストールされたソフトの中から、不要なものを削除してやった。
このくらいなら、新米SEの俺にでもなんとかなる。
「やっぱ詳しいんだね。凄い」
薫子ちゃんから思わぬお褒めの言葉を頂戴して、俺は恐縮した。
こんなことくらいなら、少しパソコンをいじる人間なら、誰にでもできることなのだ。
でも、薫子ちゃんの俺への好感度はそれなりに上がったようだ。
よしよし。
俺にしてはいい感じの流れだ。
「あのさ、さっきの合コンの話なんだけど」
「何人くらい呼べばいいの?」
薫子ちゃんはあっさりとそう言ってくれた。
上手く行き過ぎて怖いくらいだ。
逆に何か裏があるのかと思ってしまう。
「え、ホントにいいの?」
「いいよ、別にそのくらい。小林さんにはお礼しなくちゃいけないし」
俺の読み通り、薫子ちゃんは俺に恩を感じてくれていて、多少のお願いなら聞いてやろう、という感じのようだ。
「助かるよ。うん、ホント、2、3人でもいいんだ」
正直なところ、俺は薫子ちゃんだけでいいのだが。
「そう? だったらほのかと……」
薫子ちゃんはさっきも口にした名前を出した。
「そのほのかちゃん、ってさっきも言ってたね。仲のいい友達?」
「うん。ほのかは親友なんだ。ほのかだけは私を特別扱いしないし、悪いことしたら叱ってくれるし、私になんかあると一緒に怒ってくれる」
本当にその「ほのか」という子のことが好きなのだろうと思えるような雰囲気だった。
「その子は頼めば合コンに来てくれそう?」
「来てくれそう、っていうより、私のことが心配だって付いてきてくれると思う」
なるほど、こんな美少女の親友だと、そういう行動パターンになるのか。
「えーと、じゃあ連絡先とか、聞いても、いい?」
恐る恐る俺がそう言うと、薫子ちゃんは「LINEでいい?」と至極あっさりLINEのIDを交換してくれた。
「合コンやるとして、薫子ちゃんは何が食べたい?」
「焼肉」
薫子ちゃんは即答した。
……焼肉。
俺のイメージだとお洒落でカジュアルなレストランかどこかだったのだが。
「お肉食べたい」
俺の戸惑いにはお構いなしに薫子ちゃんは畳み掛けてきた。
「やっぱ若い子はお肉が好きなのかな。はは」
「小林さんだって若いじゃない」
「いやあ、高校生から見たら俺くらいの男なんてもうオジサンだろ」
「まあね」
あっさり肯定されてしまった。
「そろそろ帰る」
薫子ちゃんはそう言って財布を出した。
「いいよ、このくらい」
そう、酒でも飲みに行けば、俺一人分でも今日の食事代と同じような金額がかかるのだ。
「でもこないだ助けてもらったし」
やはり薫子ちゃんは「お礼」にこだわっているようだ。
「お礼なら、合コンに付き合ってくれるだけで十分だよ。今日は俺が誘ったんだし、一応社会人で年上の人間が、高校生に奢ってもらうわけにはいかないよ」
俺がそう言うと、薫子ちゃんは少々不服そうではあったが、「じゃあ、ご馳走になる」と言ってくれた。
会計を済ませて、俺は薫子ちゃんと一緒に駅へ向かった。
方向が同じなので、同じ電車に乗った。
「家まで送ろうか?」
時計を見たら午後9時過ぎだったので、そう言ったが、「ウチのマンション駅前だから」とそれは一蹴されてしまった。
一駅なので、薫子ちゃんの降りる駅にはすぐ着いてしまった。
車内アナウンスが聞こえると、薫子ちゃんは「じゃあまたね」と言った。
「連絡するよ。気をつけてね」
「うん。今日はありがとう」
薫子ちゃんは俺に向かってニコっと笑い、開いたドアから降りた。
そのまま行ってしまうと思って見ていたら、薫子ちゃんは振り返って、やっぱり笑顔で俺に手を振ってくれた。
俺は中途半端に手を振り、電車が動き出しても窓から見える薫子ちゃんの姿を目で追った。
――いかん!
薫子ちゃんの笑顔は、俺の心臓を直撃した。
ぐわっ
とでも声が出そうな気分だ。
俺はどうやら、あの清楚でおとなしそうな美少女の外見と、気が強くて口が悪くて、でも案外義理堅くて素直なところのある薫子ちゃんに
惚れてしまったらしい。
俺の中の常識思考は、「圭、やめておけ!」と叫んでいる。
分かってる。分かってるよ。
俺なんて、JKで、しかもあんな飛び抜けて綺麗で、気の強い女の子から相手にされることなんてあるわけがないんだ。
中くらいの人生を歩んできて、この先も中くらいの人生を歩く予定の俺に、あんな美少女は釣り合わない。
分かってる。分かってるんだけど!
偶然にも、俺は薫子ちゃんの手助けをすることになった。
薫子ちゃんは、礼を言うために俺を待っててくれた。
袖触れ合う以上のきっかけが、向こうから飛び込んできたんだ!
誰に笑われたっていい。
俺みたいな中くらいの人生しか歩けないような男にも、神様は一生の間にこんなチャンスをプレゼントしてくれることもあるんだ!……と、思いたい。
あんな女の子、滅多に巡り合えないんだ!
「圭、でかした!」
翌日、会社で俺がカズさんに薫子ちゃんのことを報告すると、喜んだカズさんは俺の肩をばしばし叩いた。
「はい」
「メンツはどうするかな」
「彼女には2、3人でいいって言っておいたんですけど」
「男は俺と圭だけでいいだろ。JKとお近づきになるチャンスを、わざわざ他のヤツに分けてやる必要ないもんな」
「カズさん、信用してないわけじゃないんですけど、ホントに女子高生に手を出すつもり、ないですよね?」
薫子ちゃんは俺に恩を感じて話に乗ってくれたんだけど、それ以外に一応俺を怪しい男じゃないとそれなりに信用してくれたんだと思う。薫子ちゃんの信頼を裏切るようなことはできない。
そこだけはガッチリとカズさんに釘を刺しておく必要がある。
「いくらなんでもJKに手は出さねえって。これが女子大生だったらわかんないけどな」
おいおい。やっぱりカズさんは危ない。
でもまぁ、ここまでハッキリ断言してるところを見ると、一応カズさんといえども弁えてくれてはいるんだろう。
「そしたら薫子ちゃん含めて2、3人でいいって言っておきますよ」
「そうしてくれ。俺、JKとオトモダチになって、LINEのグループに入れてもらったり、フェイスブックとかツイッターでやり取りするんだ。あ、合コンの日、時間あったら一緒にプリクラ撮ってもらおう」
……いい大人がそんなことを。
でもまぁ、カズさんのことだから、本当にそんな程度にJKと友達気分を味わえれば満足なんだろうな。
そんなわけで俺は早速合コンの段取りを開始した。
高校生相手だから、というわけではないが、最初から高級な焼肉屋に連れて行くのも張り切り過ぎなような気がして、チェーン店ではないけれど、池袋にある割とカジュアルな店を選んだ。
夜の8時頃、薫子ちゃんにLINEで連絡してみた。
>>こんばんは。小林です。
すると20分くらいで返事が来た。
こんばんは!というスタンプだ。猫のキャラクターのスタンプで、女の子らしい可愛いヤツだ。
薫子ちゃんの外見のイメージ通りだが、中身のイメージとは真逆だ。
>>焼肉がいいって言ってたから、この店にしようかと思うんだけど
そう送信してからネットのグルメ情報で拾ったリンクを貼り付けた。
2〜3分で返事が来た。
今度はオッケー♪というスタンプだ。今度は違うキャラクターでクマが踊っている。
>>こっちは俺と、戸山さんって先輩の2人だよ
>>そしたら女子も2人がいい?
やっと文字が返ってきた。
>>2〜3人か、4人くらいまででいいよ
>>分かったー。多分3人くらいになると思う
>>悪いね、こんなこと頼んで
>>いいよ別に。いくらくらいかかる?
おっと、そんなことを気にしてくれるのか。
薫子ちゃんはあんなに綺麗なのに、男から食事を奢られたこともないのか?
いやいや、高校生ならそんなものかもしれない。というより、薫子ちゃんは美少女だけど、スレてないのかな。
死ぬほどモテそうだけど、同級生の男どもなら軽々しく合コンなんて誘いにくいかもしれない。
なにしろあの性格だし。
薫子ちゃんにはお金はそんなに払わなくていいよ、と返し、日程に関しては金曜の夜か土曜日の夕方以降という俺とカズさんの希望を伝えた。
酒はあまり飲むつもりはないけれど、やっぱり楽しいことは週末に持っていきたい。
>>わかったー
用件を伝えると、薫子ちゃんから返事が返ってきた。
薫子ちゃんとはまだ友達というわけでもないし、あまりやり取りを引っ張るのもどうかと思い、俺は
>>じゃあまたね
と会話を切り上げた。
すると薫子ちゃんからは「まったねー」というひよこが回りながら手を振っているスタンプが返ってきた。
なんというか、薫子ちゃんは、本当はどんな女の子なのか、ものすごく興味が湧いてくる。
そりゃ、薫子ちゃんは美少女だ。誰だってあんだけ綺麗な女の子を見たら、一度くらいお付き合いしてもらいたいと思う。
でも、もし俺が高校生で、薫子ちゃんが同級生だったら、高嶺の花としか思えないんじゃないだろうか。
俺が社会人で、偶然薫子ちゃんが痴漢に遭ってる場面にいて、成り行き上、恩人(って威張れるほどのことはしてないけど)になって、そして合コンできるところまで漕ぎ着けた。
こんな流れにならなかったら、あの綺麗な外見の内側に、えらく口が悪いのに素直な所もあって、サバサバしてるように見えて、可愛いLINEスタンプが好きらしい一面があったり。
なんてクルクル変わるんだろう。
俺は、そんな薫子ちゃんのことをもっと知りたい。
身の程知らずと笑われようと、好きになってしまったら仕方ないんだよな。
薫子ちゃんと何度かやりとりをして、翌週の土曜日、めでたく合コン開催となった。
俺とカズさんは夕方池袋で待ち合わせ、薫子ちゃんたちと約束した6時15分前には予約した店に入った。
「圭、本当にそんなに可愛いのか?」
「何度も言ったじゃないですか」
「圭の基準は甘そうだからな」
「そんなことないですよ。もうすぐ来るから、カズさんが自分で確かめればいいでしょ」
「圭の言うこと信用して、違っててもガッカリした顔できないじゃないか」
そんなことを言いつつ、カズさんは合コンがきまってからというもの、会社でもずっとウキウキしている。いい大人のくせして、はしゃぎ過ぎだ。
でもまぁ、俺から見てもカズさんはカッコいいとは思う。
着ているシャツもパンツもオッサン臭さはまるでなくてセンスがいい。
「お、来たかな?」
入口の方ばかり見ていたカズさんが嬉しそうにそう言った。俺も一緒に振り返ると、確かに薫子ちゃんとその後ろに女の子が2人いるのが見えた。
「ここだよ」
俺が手を上げると、薫子ちゃんはもう気付いていたようで、「よう」とでも言うように手を上げてくれた。
「こんばんは。来たよ」
そう言った薫子ちゃんの後ろから、薫子ちゃんより頭半分くらい小さい感じの女の子が顔を出した。
俺はその子ともう1人の子にも挨拶しようとしたが、最初に顔を見せた子が目を丸くしていることに気付いた。
「カズくんだ!」
その子はそう言って俺の横にいるカズさんを指差した。
「えっ? 俺?」
カズさんは自分の鼻を指差して、結構なアホ面をしていた。
とりあえず薫子ちゃんたちには俺とカズさんの向かい側に座ってもらい、オーダーを取りに来た店員にはドリンクだけオーダーして、火を入れるのは待ってもらった。
「えっと、状況がよく分からないんだけど、話もしづらいからまず自己紹介しよう。俺は小林圭。去年までS大の学生で、今年から社会人でシステムエンジニアの新米。この人は俺の会社の先輩で戸山一臣さん。カズさん、29歳でしたっけ?」
「……28」
カズさんはまだアホ面が抜け切らないまま訂正した。
「そうそう、カズさんは28歳。こう見えて優秀なSEなんだよ。じゃあ今度は薫子ちゃんたち頼むよ」
俺は意味もなく掌に汗をかきながら薫子ちゃんに言った。
「緑川薫子。Y大付属2年。ボランティア部」
「えっ、薫子ちゃん、ボランティアなんてやってるんだ」
優雅にテニスでもやっていそうなイメージだったので、俺はつい思った通りを口にした。
「……いまはそんなことどうでもいいでしょ。次、芽衣いく?」
薫子ちゃんは俺の言葉は素通りし、隣にいる女の子に声をかけた。
「田原芽衣です。陸上部で短距離やってます」
芽衣ちゃんは薫子ちゃんのように華やかさはないけど、普通に可愛くておとなしそうで、見るからに性格が良さそうなニコニコと笑う感じの良い女の子だった。
「小室ほのか。……これでカズくん、分かったかな」
最後に自己紹介したほのかちゃんは、薫子ちゃんの話に何度か出てきた親友らしい。黒いストレートのロングヘアー、切れ長の目と形の整った唇をした外見は、そのまんま日本人形みたいだった。
でもほのかちゃんは、いかにも面白そうな目でカズさんを見てはニヤニヤ笑っている。薫子ちゃんの親友だけあって、外見と中身のギャップが激しいタイプなのかもしれない。
「小室……。もしかして、みずきの?」
カズさんは怯えたような、驚愕したような目でほのかちゃんを見ながら言った。
「ピンポーン。妹でーす」
俺がほのかちゃんの方を見て「もしかしてカズさんの?」と言うと、ほのかちゃんは「イヒヒ」と笑い、
「カズくんの彼女のみずきの妹ちゃんでーす」
と言った。
話の交通整理が必要だった。
痴漢にあった薫子ちゃんの恩人になったのが俺。
俺の会社の先輩がカズさん。
カズさんの彼女さんがみずきさんで、みずきさんの妹がほのかちゃん。
ほのかちゃんと芽衣ちゃんは薫子ちゃんの同級生。
ほのかちゃんはお姉さんのみずきさんからカズさんの写真を何度も見せてもらったことがあったので、初対面のカズさんの顔も一発で分かってしまった。
ということらしい。
「今日は大学の友達と飲みにいくんじゃなかったの? カズくん」
ほのかちゃんは極めて楽しそうにカズさんを追及する。
「うぅぅ」
カズさんは大好きなJK相手に顔面蒼白だ。
「うふふ、どうしようかなぁ」
「ほのかちゃん、俺、今日は圭に無理矢理誘われて仕方なく」
「ええぇっ! カズさん、そりゃないでしょ。JKと合コン合コンってしつこく俺に言ったのはカズさんじゃないですか」
カズさんは苦し紛れに俺へ罪を着せようとしてきた。
冗談じゃない。
そりゃ俺もカズさんをダシにして薫子ちゃんとお近づきになろうとしたのは確かだけど、ここでカズさんの言い分を認めてしまったら、俺が薫子ちゃんに軽蔑されてしまう。
せっかく薫子ちゃんと仲良くなる取っ掛かりができたというのに!
「カズくん、下手な言い逃れしたらダメだよ。今までだって散々あちこちで浮気やらつまみ食いやらしてきて、そのたんびにお姉ちゃんからフラれそうになってたの、私知ってるんだから」
ほのかちゃんは重々しく頷きながらそう言った。
「ほのかちゃん……頼む。みずきには内緒にしてくれ」
観念したカズさんは哀れっぽい目でほのかちゃんを見て手を合わせた。
「どうしようかなぁ」
「なんでも好きなもの食べてください」
「カラオケも行きたいなぁ」
「お連れしますので」
情けないことにカズさんはこの場ではほのかちゃんの下僕と成り果てることにしたようだ。
「わあい、カオ、芽衣、肉食べよう、肉」
そこからは恐ろしいことになった。
俺もカズさんも、たかがJK、店は割りとカジュアルな焼肉店、未成年は酒が飲めるわけでもなし、大した飲食金額にはならないと高をくくっていた。
日本人形のような顔をしたほのかちゃんを中心に、華やかな美少女の薫子ちゃん、普通のJKの見本のような芽衣ちゃんが、サクサクとオーダーを入れていく。
肉はすべて「上」か「特上」のつくもの。1人何皿食べるつもりなのかという勢いで、運ばれた皿は空になっていく。
キムチの盛り合わせは1人1皿でも足りないのか?
ビビンバやらクッパやら頼んだからこれで多少は食うペース落ちるかと思いきや、肉が消えるペースは変わらない。
ちゃりーん
ちゃりーん
ちゃりーん
ゼニが飛んでいく音が聞こえるようだ。
「カズさん。支払い頼みますよ。俺、あんまり余裕ないです」
「分かってるよ!」
カズさんはムクれてもっぱら酒を飲んでいた。
「焼けてますよ、どうぞ」
そう言って俺とカズさんに焼けた肉を取ってくれたのは、芽衣ちゃんだった。
芽衣ちゃんもよく食べてはいるが、ちゃんと俺やカズさんにも気を配ってくれているらしい。
「芽衣ちゃん、いい子だなぁ」
俺と同じように思ったのか、カズさんは芽衣ちゃんから皿を受け取りながら目をウルウルさせた。
女の子たちは何皿かカウントできないほどの肉とサイドオーダー、酒に負けない量のソフトドリンク、ついでにデザートまで平らげて、やっと満足してくれたようだ。
カズさんは店員に会計を締めてもらって受け取ったレシートを見た瞬間、小さく「ぐはっ」と言って、顔が青白くなった。
「……圭」
「1万円くらいでいいってカズさん言ってましたよね」
俺は非情にもカズさんの顔色は無視して、合コンをセッティングしたときに聞いていた通り、小さく畳んだ福沢諭吉を1枚カズさんに渡した。
「カズくん、カラオケカラオケ」
薫子ちゃんまでほのかちゃんに合わせて「カズくん」と呼ぶようになっていた。ちょっと妬けるような気がするのだが、そのお陰でか、女の子たちは俺のことも「圭くん」と呼んでくれるようになっていた。
いい大人のカズさんが「くん」呼ばわりされるのは、明らかにほのかちゃんとの力関係の表れだけど、カズさんより年下の俺の場合は親しみの表れと思いたい。
「ほら、圭くん行こう」
なんとなんと、薫子ちゃんは俺の腕を引っ張ってくれた。
「特上」の力、恐るべし。JKは美味いものをたらふく食べるとこんなにご機嫌になるのか。罪人みたいな顔をしているカズさんには悪いが、俺にとってはなかなか楽しいシチュエーションになりつつあるようだ。
店の近くのカラオケボックスに移動すると、女の子たちのテンションはまた上がった。
部屋に入って5分も経たないうちに、カラオケの予約は10曲を超えた。
そしてあれほど肉を大量に食べた後だというのに、「やっぱから揚げとポテトは頼まないと」などと言いながら、食べ物もオーダーした。
「……トイレ、行ってくる」
心なしか肩を落としたようなカズさんが部屋から出て行くと、ほのかちゃんが「ありゃ、カズくん落ち込んでる?」と笑うと、
「あはは。私もトイレ行ってこよう」
芽衣ちゃんがそう言って席を立った。
「あのさ」
俺は隣にいた薫子ちゃんに話しかけた。
ほのかちゃんはご機嫌で熱唱中だ。音楽とほのかちゃんの声で聞こえ辛いのか、薫子ちゃんは「なに?」と言って俺に顔を寄せてきた。
おおお。
薫子ちゃんは遠くから見ても、間近で見ても、やっぱり美少女だ。
必然的に薫子ちゃんは心持ち首を傾げながら俺に耳を寄せるような態勢になっている。
化粧なんか必要ない、透き通るような肌。
……ここでエロいことのひとつふたつ考えない男がどこにいる!
頭の中を見られたら、恐らく俺は薫子ちゃんからメッタ切り状態で罵倒されるんだろうと思う。
「なんかごめんね。まさかカズさんの彼女が薫子ちゃんの友達のお姉さんだなんて思わなかったからさ」
「圭くんは悪くないじゃん」
うおっ。薫子ちゃんの息が、息が、俺の耳に!
「ほのかちゃんに悪いことしたよな」
「どこが」
ビブラートを利かせながら自分の世界に浸っているほのかちゃんの方を見て薫子ちゃんは笑った。
「ほのか、楽しそうじゃん」
「でも、今日のことでお姉さんに悪いことした、ってならないかな」
「ならないならない。ほのか、お姉さんと仲悪いもん」
「えっ、そうなの?」
「みずきちゃんて結構粘着タイプなんだよね。しかも男の前で態度が変わるから、ほのかはみずきちゃんのこと嫌いなんだって」
「そうなんだ」
「嫌いなお姉さんへの切り札ができて、美味しいもの食べてカラオケだもん、ほのかご機嫌だよ」
……JK、恐るべし。
「まぁカズさんにはいい薬かな」
俺はサワーを飲みながら一人言みたいにそう言ったが、薫子ちゃんにも聞こえていたらしい。
まだ顔を寄せ合って話しているからなのだが、やっぱりなんとも言えない気分ではある。
「女癖悪いんだってね。みずきちゃんも悪いけど、カズくんも結構なロクデナシだよね」
「辛辣だね。会社の先輩としてはいい人なんだけどな」
「ふーん。圭くんも仲間なの?」
げ。ここでカズさんと同類にされてはたまらない。
「いやいやいや、カズさんは見た目もノリもいいから、女の子の知り合い多いけど、俺なんて女の子の扱い下手だし」
「だろうね」
薫子ちゃんがニコニコしながら頷いたので一瞬喜んでしまったが、よく考えると褒められたとはいえない。
「薫子ちゃんはほのかちゃんと芽衣ちゃんが一番仲のいい友達なの?」
これ以上減点がつく前に話題を変えた。
「ほのかとは気が合うんだよね。ほのかは一番の親友なの。ハッキリしてて、言いたいことなんでも言ってくれるし」
そういえば痴漢事件のあと、薫子ちゃんはほのかちゃんに言われてわざわざ俺にお礼を言いに来たんだった。
「芽衣は私とほのかの保護者みたいな感じ。私もほのかも気が強いから、芽衣がトラブルになる前にフォローしてくれる」
なるほど、気の強い薫子ちゃんとほのかちゃんが暴走しないように芽衣ちゃんが頑張ってるのか。
それはそれでかなり大変な役割のようなきがする。
「ほのかちゃん、カズさんのこと、お姉さんに黙ってるのかな?」
「さーてね」
薫子ちゃんは相変わらず熱唱中のほのかちゃんを見てから俺の方を見ると、にっと笑った。
可愛い。
可愛いけど、なにかを企んでいそうなその目が、俺には恐ろしく思えた。
薫子ちゃんたちは高校生ということもあって、カラオケは9時でお開きにした。
薫子ちゃんとほのかちゃんが「えー、延長するー」と抗議したが、芽衣ちゃんが「帰ろうよ」と言うと、不思議なほど2人は大人しく引き下がった。
猛獣使い。
俺は芽衣ちゃんを見てそう思った。
完璧な美少女の薫子ちゃん、日本人形みたいなほのかちゃん。その中で特に地味ではないけど、一番フツーに見える芽衣ちゃんのポジションが猛獣使いとは、女の子の世界はよく分からないものだ。
店を出て池袋の駅に向かった。
ほのかちゃんは田端なので山手線、カズさんと芽衣ちゃんは埼京線だった。1人になるほのかちゃんが心配だったが、田端は近いし、お母さんが駅まで迎えに来る約束らしい。
俺と薫子ちゃんは当然同じ私鉄の沿線なので、カズさんたちとはJRの改札前で別れた。
「じゃーなー、圭」
別れ際、カズさんは妙に機嫌が良かった。
焼肉屋にいる間は、ほのかちゃんの存在に顔を青くしていたはずなのに、そういえばカラオケ屋では結構楽しそうにしていたような気がする。
「変だよなぁ」
私鉄のホームでつい声に出してつぶやくと、薫子ちゃんが「何が」と聞いてきた。
「カズさん、ほのかちゃんに弱み握られたのに、最後はご機嫌だったからさ」
「あぁ、きっと芽衣がフォローしたんだよ」
「芽衣ちゃんが?」
「カズくんがトイレに行った時、芽衣もトイレって言ってたじゃない」
「そうだったかな」
俺はもっぱら薫子ちゃんばかり気にしていたから、正直言って芽衣ちゃんの動きまで気が回らなかった。
俺って正直者だ。
その時ホームに電車が入って来たので薫子ちゃんと一緒に乗り込んだ。
時間が少し遅いこともあって、車内はそれほど混んではいない。そのせいか、周囲の乗客は薫子ちゃんを振り返った。
薫子ちゃんは綺麗なだけじゃなくて、こうやって自然に他人の目を引いてしまうようなオーラがあるんだと思う。
だけど当の薫子ちゃんにしてみれば、いつもそんな感じなのだろう、周囲の視線などまったく気にしていないようだった。
「芽衣ちゃん、カズさんのこと慰めてやったのかな」
「違うと思うよ。多分今日のほのかは悪魔みたいだったけど、本当は優しいとこもあっていい子なんだよ、って言ったんじゃないかな。芽衣ってそういう子だから」
「3人仲がいいんだね」
「私、中学まで女の子の友達ってあんまりいなかったんだよね。いてもよく分からないうちに嫌われたりしてさ。でもほのかと芽衣はずっと私と仲良くしてくれるから」
なるほど。
片思いの相手だの彼氏だのが薫子ちゃんのことを好きになっちゃって妬まれるパターンとか、一緒にいると薫子ちゃんばっかり注目されるとか、女同士だとそんなことがあるんだろうな。
その点ほのかちゃんは薫子ちゃんとはタイプは違うけど美人だから、そういうことはないのかもしれない。
だけど、芽衣ちゃんはどっからどう見ても平均的女子高生、って感じなのに、薫子ちゃんたちとは気が合うんだろうか。
さっきの様子を見ても、薫子ちゃんもほのかちゃんも芽衣ちゃんの意見を尊重してたみたいだし。
薫子ちゃんとほのかちゃんは、外見に反して気が強いから、芽衣ちゃんがフォロー役なんだろうか。義理堅い薫子ちゃんは、そんな芽衣ちゃんを大事にしてる、っていう構図か。
「芽衣ちゃん、いい子みたいだもんな」
「って思うでしょ?」
薫子ちゃんは笑いを堪えるような顔をした。
「え?」
ここは美しい友情で結ばれた女の子3人っていう、いい話で終わるんじゃないのか?
「ウチら3人の中で一番モテるのは芽衣だよ」
「えぇ?」
と言ったら芽衣ちゃんに失礼かもしれないが、思わず言ってしまった。
普通に考えたらタイプは違えど、誰が見ても綺麗だと思う薫子ちゃんとほのかちゃんがモテまくりということになるはずだ。
「私やほのかはさ、自分ではよく分かんないけど、知らない人から声かけられたり、渋谷とか原宿行くと必ず芸能事務所とかのスカウトにあうくらいだから、多分他の女の子と比べて綺麗なんだろうね」
その通りだ。
ちょっと可愛いレベルの女の子がいまの薫子ちゃんの台詞を言ったら、勘違いもいいところかもしれないが、薫子ちゃんとほのかちゃんなら文句なくそういう環境にいるんだと誰でも思う。
「だけどさ、所詮は見た目だけなんだよ。私もほのかも男の子にモテたって別に嬉しくないし、将来芸能界なんて目指してないし」
もったいないような気もするが、薫子ちゃんとほのかちゃんにしてみれば、人より目立つ容姿は煩わしいことも多いのだろう。
「こっちは何も考えてないから、仲良くなれるなら男でも女でもいいんだけどさ。男はちょっと仲良くなると『実は好きだった』とか『見た目しか可愛くない』とか言い出すし、女は『○○くんを盗られた』とか『自分が綺麗だからって私を馬鹿にしてる』とか言い出すし」
まぁそうなるだろうな。
「でもね、芽衣は違うんだ。高校に入った時から同じクラスなんだけどさ、芽衣は他の女の子みたいなこと言わないもん」
「いい子だから?」
「圭くんもいい年して単純だね」
ばっさり切り返されて、俺はつい「はい、すみません」となぜか謝ってしまった。
「言ったじゃん。一番モテるのは芽衣だって」
「あー、うん」
なんとなく、曖昧な返事になるのは仕方ない。
だってここでガッツリ返事をしたら、どうしたってそれが意外だ、って意味になってしまう。
芽衣ちゃんはフツーに可愛いが、どっからどう見ても美少女の薫子ちゃんやほのかちゃんと比べたら、うん、まぁ、フツーの女の子としか言えないし。
「私は見た目と中身にギャップがあるって言われるけどさ、ほのかもなかなかキョーレツなわけ。私とほのかと芽衣でつるんでると、見た目に釣られた男が寄ってくるでしょ」
そりゃ、寄ってくるだろうな。
「だけど、向こうは勝手に私やほのかを大人しそうだとか清楚そうだとか思い込むらしいんだけど、私もほのかも気が強いのはすぐ分かっちゃうんだよね。そうすると、向こうはこれまた勝手にガッカリしたりするわけ」
そうか。
このギャップに強烈に惹かれてる俺は、レアケースなのか。
「で、芽衣は最初目立たないわけ。でも、芽衣は優しくて、雰囲気も柔らかくて、気遣いもできるでしょ。私とほのかのギャップが激しい分、芽衣のフツーな感じに男は『いい子だなぁ』って感動するわけよ。タカビーな女より、フツーに優しくて可愛い女の子の方がいいな、ってわけ」
「……なるほど」
確かに薫子ちゃんのキョーレツさの後で芽衣ちゃんを見たら、和むよなぁ。
「芽衣はその辺、よく分かってんの」
「え?」
「一番キョーレツなのは芽衣なんだってば。芽衣はそんな男の中から自分の得になりそうなのを選んで付き合うの。言ってみれば私やほのかを餌にして、美味しい魚釣ってるわけ」
「…………」
なんか。
怖いぞ。
今時のJKはみんなそんなに腹黒いのか?
「薫子ちゃんもほのかちゃんも、それ分かってて芽衣ちゃんと付き合ってんの?」
純朴な俺は素直に気持ちを言ってみた。
「当然でしょ?」
俺の純朴な気持ちはテニスのスマッシュのように打ち返された。
「当然でしょ、って。薫子ちゃんの話を聞いてると、芽衣ちゃんに利用されてるようなもんじゃないか」
「それがどうしたの?」
心なしか、というより、はっきりと俺は馬鹿にされてるのだろう。
「ギブアンドテイクなんだって。私とほのかはアホな男には興味ないから、芽衣のお陰でなんにもしなくても近づいてきた男が勝手に離れてくれる。芽衣は自分に都合のいい男をよりどりみどり」
「それでも友達なの?」
そんな利害で結ばれた関係なんて、友達といえるのか。
大きなお世話かもしれないが、まだ高校生の薫子ちゃんたちがそんな友人関係だなんて、なんだか大人として一言言いたい気分だった。
「ふん」
まさに鼻で笑われてしまった。
「ニコニコ笑いながら友達面して近づいてくる女より、芽衣の方がよっぽど信用できる。じゃあなに? 圭くんは休み時間のたんびに腕組んでトイレに行ったり、お互いお世辞で『その髪型カワイイ~』とか言い合うようなのが本当の友達だって言いたいわけ?」
「……」
なにも言い返せない俺。
確かに俺の中での女の子同士の付き合い方に対するイメージはそんな感じだった。
言葉にすると薄っぺらく感じるもんだ。
「ほのかも私と似たようなもん。高校で初めて会って、お互いやっと理解し合える女の子に会えたと思ったよ。そのほのかと私が芽衣のこと信用してるんだから、なんも知らないくせに適当なこと言うんじゃねーよ」
「すっ、すみません」
痴漢を捕まえたときよりはマシとはいえ、まっすぐ睨まれながら、淀みなく続く薫子ちゃんのお言葉を拝聴していると、即座に謝らなくてはいけない気分になるみたいだ。
「……なんで圭くんここで降りてんの?」
薫子ちゃんが降りる駅に電車が着き、俺は薫子ちゃんが何か言う前にさっさとホームに降り立っていた。
「いや、あの」
俺がしどろもどろにそう言っている間に、乗っていた電車のドアは閉まり、発車してしまった。
「圭くん、××駅って言ってたじゃん」
「きょ、今日は遅くなったから、送ってあげないと、と思って」
「……だからぁ、ウチ駅前だってこないだ言ったじゃん」
「そ、そうだったね」
なんとなく、薫子ちゃんとあのまま別れるのが嫌だったというか、もう少し話してみたかったというか。
「なんか文句あんの?」
剣呑な光を含んだ目で見られ、俺は即座に「滅相もない!」と答えた。
「じゃあなに? 私帰ってお風呂入ってテレビ観たいんだけど」
「また会える?」
「あ?」
あぁ。完全に会話の流れを無視した俺の言葉に、薫子ちゃんの目はますます厳しくなった。
「なんで?」
「へ?」
俺は薫子ちゃんの言った「なんで?」の意味が分からず間抜けな返事をした。
「なんで私にまた会いたいわけ?」
ぐほっ
なんというストレートな問いなんだ。
「サラリーマンと女子高生がお友達? 本気でそう言ってるなら、笑うけど」
ぐふっ
……言えるわけない。サラリーマンの俺が、女子高生に一目惚れしました、なんて。
「圭くんは私がパグみたいな顔してても会いたいわけ?」
「……」
「単に私の顔が気に入っただけなんじゃないの?」
俺は。
俺は。
なんて答えればいいんだ?
薫子ちゃんに建前や綺麗ごとは通用しない。
それはなんとなく分かっていた。
だからといって、まだ会って3回目の女の子に、しかも年下の女子高生に、ペラペラと本音を垂れ流していいものなんだろうか。
だけど。
俺が取り繕った言葉を並べても、きっと薫子ちゃんは鼻で笑うか、もしくは気に入らなければ例の小気味良い口調で罵詈雑言を浴びせるだけなんだろう。
誰が見ても美少女だと思う薫子ちゃん。
今日話した内容からすると、薫子ちゃんは自分の容姿が他人より上等なことを自慢には思っていない。
美少女だということで今までの人生、得をしたとも思っていない。
それどころか、人間関係で面倒なことばかりあったという雰囲気だ。
その薫子ちゃんが信用する、日本人形みたいなほのかちゃんと、フツーに可愛い芽衣ちゃん。
男で、年上で、サラリーマンで、しかも薫子ちゃんに一目惚れした俺。
その俺はほのかちゃんや芽衣ちゃんと同じポジションには立てない。
見た目の綺麗さと反比例するような性格の薫子ちゃんから否定されない男は、どんな男なんだ!
小林圭。
何もかも中くらいのレベルで生きてきた男だ。
神様のプレゼントなのかイタズラなのか、こうやって極上の美少女とお近づきになれる機会を得た。
どうせ高嶺の花じゃないか。
最初からまともに相手にしてもらえるなんて思ってなかったじゃないか。
よし、圭。
気合だ。
ダメでもともとなのは、最初から分かっていたことだ!
「薫子ちゃんだって、自分のこと綺麗だって思ってるんだろ」
よし、噛まずに言えた!
「思ってるよ。だけど好きでこんな顔してるわけじゃない」
「不細工より綺麗な方がいいに決まってるじゃないか」
「得したことよりめんどくさいことの方が多いよ」
「俺は薫子ちゃんの顔、好きだ」
「若くて顔さえ良ければいいんだ」
「いいに決まってるだろ!」
「顔で判断されるのはムカつくんだよ」
「痴漢とっ捕まえてメッタギリにするようなとこもいいと思う」
「へぇ、物好き」
「その顔でその性格なのが薫子ちゃんなんだろ。俺はいいと思う」
「……圭くん、って、マゾ?」
「かもしれない、って自分でも思うさ」
……ん?
なんか変だ。
「言っとくけど、私、彼氏とかいらないから」
「それでもいいさ」
「いいんだ?」
「いいさ」
「ふぅん」
……さっきから、どうも変だと思った。
俺の方が身長は高いのに、なぜか薫子ちゃんを見上げてる気分なんだ。
ずっと腕組みをして、足は肩幅に開いた姿勢の薫子ちゃん。
俺って。
例えて言うなら、女王様に仕える下僕なのかもしれない。
「まあ、いっか」
薫子ちゃんは腕組みを解いて頭をかいた。
「下手に口説いてくるような男より、圭くんはまだマシだね」
「あ、そう?」
誉められたとはとても思えないが、拒絶されたわけでもないらしい。
「さっきは『お友達』なんて、って言ったけど、まあ友達にしかなりようがないよね」
「いいの?」
あ、いかん。
この俺の食いつきようは、飼い主に尻尾を振るワンコみたいだ。
「でももう合コンとか付き合わないからね」
「そんなのはもういいよ。今日だってカズさんに頼まれただけだし」
そもそも合コンやりたいとうるさかったのはカズさんで、そのカズさんはほのかちゃんにメンタルをフルボッコされたようなものだ。
しばらくは大人しいだろう。
「ああ、カズくん」
薫子ちゃんは思い出したように笑った。
「きっと面白いことになるよ」
「なにが?」
「まぁ、そのうちね」
薫子ちゃんは含んだ言い方をした。
「あ、そうだ、圭くん」
「は、はい」
俺は思わず姿勢を正した。
「私、用もないのにLINEとかダラダラやんの嫌いだから」
「あ、うん」
つまり「用がないなら連絡してくるな」ということだけど、用があればLINEしてもいい、ということでもある。
「じゃあね」
薫子ちゃんはそう言うと、ホームから改札へ向かうエスカレーターにさっさと乗ってしまった。
……。
俺は、薫子ちゃんの友達になれたのか?
なんだか、自分でもよく分からないけど、少しは薫子ちゃんとの距離が縮まった、と思う。
いや。
思いたい!
合コンの後、しばらくの間、薫子ちゃんと連絡は取れなかった。
本人が言っていたように、頻繁に友達とLINEをやり取りするようなタイプではないんだろう。
薫子ちゃんのLINEのタイムラインは見られるが、半年前にホームの画像を変更したっきりだった。
用がなければ連絡してくるな、と釘を刺された以上、俺からはLINEを送ることもできない。
『最近どうしてる?』なんて送っても、既読無視されるか、未読無視されるか、反応があっても『何の用?』とか冷たくあしらわれるか、『ウザい!』と叱られるかしそうで、小心者の俺からは何もできなかった。
一方、JKと合コンのつもりが、彼女の妹に遭遇してしまったカズさんは、合コンの後、思いのほか上機嫌だった。
俺は合コンのあった後の月曜日、カズさんからの八つ当たりか愚痴を覚悟していたのだけど、オフィスで顔を合わせたカズさんは「おー、圭、おはよう」と笑顔だった。
お調子者でお喋りなカズさんが、合コンのことに全く触れてこない。
「カズさん、そういえば彼女の方は大丈夫なんですか?」
俺の方から話を振ってみたが、カズさんは「んー、まぁな」と言っただけで、その後が続かない。
それどころか、昼飯に誘っても、「仕事がケリつかないから」とか言って、昼休みもオフィスに残っている。
怪しい。
なんとなく想像はついていたが、合コンから2週間ほど過ぎたころに事態は明らかになった。
「よっ」
仕事帰りに乗り換え駅の通路を歩いていたら、後ろから背中を叩かれて振り返ると、薫子ちゃんがいた。
「か、薫子ちゃん」
「今日は早いじゃん」
「薫子ちゃんはいま学校帰り?」
「まあね。ちょうど良かった。圭くんちょっと付き合わない?」
「えっ」
俺が薫子ちゃんの誘いを断るわけもなく、俺は薫子ちゃんと一緒に駅の中にあるコーヒーショップに入った。
「最近カズくんどんな感じ?」
飲み物を買って向かい合った2人用の席に座ると、薫子ちゃんは楽しそうにそう言った。
「付き合い悪くなったけど、機嫌は良いよ。でも俺が彼女のこと聞いてもはぐらかすけど」
「へぇ」
薫子ちゃんは満足そうな顔でカフェオレに口をつけた。
「カズさん、なんかあったの?」
「カズくん、芽衣と付き合うかもよ」
「マジで?」
なんとなく想像してはいたけど、カズさんは合コンで会ったJKの芽衣ちゃんに転んでしまったらしい。
「芽衣の手にかかれば、簡単だよね」
「芽衣ちゃん、カズさんのこと気に入ったんだ」
「みたいだね」
薫子ちゃんは涼しい顔でそう言ったが、普通に考えれば泥沼だ。
カズさんの彼女のみずきさん。
みずきさんの妹のほのかちゃん。
みずきさんとほのかちゃんは仲が悪いらしい。
そのほのかちゃんの友達の芽衣ちゃんと付き合うかもしれないカズさん。
「そのこと、ほのかちゃんは知ってるの?」
「知ってる、っていうより、大歓迎だよね。大嫌いなみずきちゃんが女子高生に負けて彼氏盗られちゃうんだもん。ざまーみろじゃない?」
「薫子ちゃんは、友達がそんなことするのを止めないの?」
「なんで? 面白いじゃん」
……どうして。
どうして薫子ちゃんは、こんな妖精みたいな容貌で、こんなことを言うんだ。
「……そりゃカズさんは女癖悪くて、いままでもみずきさんと何回も揉めてるけど、わざわざちょっかい出さなくてもいいじゃないか」
「そんなこと、圭くんには関係ないでしょ」
「関係あるよ。カズさんは俺の先輩なんだ。黙ってられるわけないだろ」
「なんで圭くんが怒るの? 女子高生と合コンしたいって言ったのはカズくんでしょ? 若くて可愛い女の子がいたら、彼女がいても浮気したいんでしょ?」
「だからってそんな風に人の気持ちを利用するなんて」
「じゃあ圭くんはどうして私に近づいたの?」
「えっ」
「圭くんは私の顔が気に入ったから近づいたんでしょ? 私の見た目と中身にギャップがあるから興味があったんでしょ? でも私が不細工だったら、興味なんか持たなかったでしょ?」
「それは……」
何も言い返せない俺。
妖精のように可愛くて綺麗な女子高生。
見た目と中身にギャップがある女子高生。
一目惚れに理由なんかないんだ!
と言いたいが。
もし薫子ちゃんが大福を踏み潰したような顔立ちだったら、俺はきっと薫子ちゃんを好きになってはいないだろう。
薫子ちゃんに面と向かって問われれば、なにも言い訳できない。
「ねー? だから圭くんも偉そうなことは言えないでしょ」
「そうかもしれないけど、でも俺は」
それでも薫子ちゃんが好きなんだ、と言おうとしたら、薫子ちゃんに睨まれた。
「それでも好きだとか言いたいわけ? バッカじゃないの?」
バッサリ斬られた感じだ。
「こないだは友達とか言ったけど、やっぱ無理なんじゃない?」
「えっ、そんな」
「そういうの、めんどくさいや」
薫子ちゃんはカップに残っていたカフェオレを飲み干すと、立ち上がった。
「借りは返したし、もういいよね」
つまり。
俺は。
もうフラれてしまうのか?
しょせん俺みたいな中くらいのレベルでしか生きられない男が、薫子ちゃんみたいな美少女とお近づきになれるなんて、夢か幻だったのか。
薫子ちゃんは、恋愛に興味なんてないのかな。
これだけ綺麗だったら、モテるんだろうに。
今は高校生だけど、大学生になって、その後社会人になったら、今よりもっと周囲は薫子ちゃんを放っておかないよな。
薫子ちゃんは男からチヤホヤされても、相手にしないんだろうな。
容姿のせいで好かれたり疎まれたりすることに、ウンザリしてるのか。
だから、ほのかちゃんと芽衣ちゃんみたいな友達しか信用しないのか。
いずれにせよ、俺の出番はない、と宣告されたみたいだ。
短い夢だったなぁ……。
かすりもしなかったみたいだけど。
「じゃ」
薫子ちゃんは短くそう言って、店から出て行った。
俺はそのまましばらくぼんやりと座っていた。
なんとなくスマホを取り出して画面を見ると、日時が表示されていた。
今日は水曜日だった。
初めて薫子ちゃんと会ったのも水曜日だったな。
……チクショー!
水曜日なんて、やっぱり大嫌いだ!
当然その後、薫子ちゃんから連絡が来ることはなかった。
「圭……」
どことなく憔悴したように見えるカズさんから飲みに誘われたのは、あれから2ヶ月経った頃だった。
あの合コンの後しばらくの間、カズさんは会社でも明らかにご機嫌だった。
でも俺にはなにも言ってこない。
俺は俺で、なんとなく薫子ちゃんのことで、ショックというか、振り回された感の後遺症というかで、カズさんのことまで気にしていられなかった。
金曜日の夜、仕事を終えて俺と一緒に安い居酒屋に入ったカズさんは、「女は怖い」とポツリと言い、話し始めた。
要は彼女のみずきさんと、芽衣ちゃんとの間で、ド修羅場になったらしい。
合コンの後、カズさんは芽衣ちゃんに本気になってしまった。
本気になったくせに、カズさんはいつものように、彼女のみずきさんに隠れて芽衣ちゃんと付き合っていたのだけど、ほのかちゃんがあっさりみずきさんに芽衣ちゃんの存在をバラしてしまった。
ただでさえカズさんの女癖に何度も悩まされていたみずきさんだったけど、今度はカズさんも本気で、しかも相手がごく普通の女子高生だった、ということに激怒した。
いつもなら本命はみずきさんで、他の女の子はつまみ食いなんだけど、今回は違った。
カズさんはみずきさんに別れを切り出した。
なんだかんだ言ってもカズさんは自分から離れないと思っていたみずきさんは、ブチ切れた。
カズさんとみずきさんは、カズさんが住んでいるマンションで話し合いをしたのだけど、別れたいカズさんと、別れたくないみずきさんで、話は平行線のまま。
さすがにみずきさんは暴れたりはしないけど、怒り泣き喚き、鬼気迫る様子だったそうだ。
業を煮やしたみずきさんは、そこに芽衣ちゃんを呼び出せと言い出した。
当然カズさんが断ると、みずきさんはほのかちゃんに芽衣ちゃんを連れて来い、と連絡した。
しばらくして、ほのかちゃんは躊躇することなく、芽衣ちゃんを連れて現れた。
「お付き合いしてるつもりじゃなかったんですけど」
芽衣ちゃんはカズさんとみずきさんの前で、不思議そうな顔をしながら言ったそうだ。
これにはカズさんも大打撃だったらしい。
カズさんは芽衣ちゃんには手を出していなかったらしい(本人の談なのでキスすらもしていないかどうかは定かではない)。
ただ、カズさんはもう芽衣ちゃんと付き合っているつもりでいたのに、よくよく考えてみれば、芽衣ちゃんから確定的な言葉はなにもなかったらしい。
カズさんが「好きだ」と言えば芽衣ちゃんは「嬉しい」と笑い
カズさんがデートに誘えば芽衣ちゃんは「○○へ行きたいな」と答え
街を歩くときや車の中では、カズさんは芽衣ちゃんの手を握っていた。
それでも、芽衣ちゃんの方からのアクションは何一つとしてなかったらしい。
カズさんはモテる。
女癖が悪いからなのだが、カズさん自身、相手の女の子を陥落させるためのテクニックには長けている。
そのカズさんが、ごくごくフツーの女子高生に散々振り回された結果になってしまった。
というより、今までみずきさんに怒られながらしてきた浮気は、あくまでも遊びだったのに、年下の女子高生相手に本気になってしまったカズさんにとって、芽衣ちゃんは勝手が違った、という感じだったのか。
「カズくんみたいなおにいちゃんが欲しかっただけだったんだけどなぁ」
罪のない顔で芽衣ちゃんはそう言い、
「大の大人が2人してなにやってんの? バカみたい」
日本人形のように整った無表情のほのかちゃんが、冷たくそう言い放った。
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