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離婚の申し出、無視出来る?
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レス166 HIT数 28458 あ+ あ-

てん( zEsN )
15/03/02 18:54(更新日時)

俺が17歳

彼女は20歳

俺は高校生

彼女は大学生

たったそれだけの差が

遠かった

14/12/14 20:58 追記
「ため息はつかない!」に登場した黒田さんと白井さんの出会いからのお話です。
よろしかったら「ため息はつかない!」もご一読ください
http://mikle.jp/threadres/2143875/

14/12/23 15:17 追記
【感想スレ】
http://mikle.jp/threadres/2169945/
よろしくお願いします

No.2167443 14/12/14 20:50(スレ作成日時)

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No.101 15/01/26 10:55
てん ( zEsN )

「離婚は、したくないなぁ」

涼は窓の外をぼんやりと見ながら、ぽつりと言った。

「なんだよ、そんな簡単に離婚なんてなるもんじゃないだろ」

俺はなるべく軽い調子になるように、そう言った。

「そうだよね。ダンナのことが好きで結婚して、子どもに恵まれて、家族として暮らしてきたから。だから、なんとか修復したいなぁ………」

「こんなこと聞いていいか分からないんだけど、ダンナ、浮気でもしてんの?」

俺が遠慮がちに聞くと、涼は寂しそうに笑った。

「浮気なら、まだいいかも。浮気って、隠れてやるものでしょ?隠すのは、家庭を壊したくないからでしょ?家庭を壊したくないのは、私や子どもたちが大事だからでしょ?………私ひとりが頑張っても、家庭は、作れないから………」

「………うん」

「私が、もうちょっと頑張れば、なんとかなるかなぁ。だけど………」

「………」

「だけど、ひとりで頑張るのは、辛いね」

「………」

「ごめん、こんな曖昧な話しても、謙ちゃん困るよね」

涼は笑ってそう言った。

「俺は、別にいいよ。話聞くくらいしかできないし」

「………ありがとう。こんな話、友達にも、実家の親にも、なかなか言えなくて。どうして謙ちゃんには話したくなっちゃうんだろう。ごめんね」

「いいよ」

「さて、帰ろうかな」

涼はスイッチが切り替わったように、明るい表情でそう言って軽く伸びをした。

「そうだな、帰ったほうがいいよ」

「うん。気が済んだ」

「なら良かったな」

No.102 15/01/26 12:59
てん ( zEsN )

俺は「じゃあな」と言って助手席のドアを開け、車の外に出た。

涼は停止していたエンジンをかけた。

俺が運転席側に回ると、涼は窓を開けた。

「謙ちゃん、ありがとう。ホント、ゴメンね」

「もういいってばよ。早く帰れよ」

「うん。またね」

車のライトが点き、ギアの変わる音がして、涼の乗ったステップワゴンはゆっくりと動き出した。

深夜なので、車道を走る車もなく、左にウィンカーを出した涼の車は、駐車場から滑るように走り出て、ゆっくりしたスピードで俺の視界から消えていった。

涼。

涼。

こんなのは、困るんだ。

俺は、涼が幸せでいてくれないと、困るんだ。

涼が手の届かないところにいてくれないと、困るんだ。

離婚などという単語を、俺に聞かせないでくれ。

俺を卑怯な男にしないでくれ。

いま涼が幸せでないなら。

俺が遠くから見ていた涼の幸せが壊れるなら。

俺は、ずっと触れることができないと思っていた涼に、触れてしまいたくなる。

涼の幸せではなく、涼の幸せが壊れてしまうことを祈ってしまう。

涼の不幸を願うような男が、涼に触れていいはずがない。

涼を幸せになんて、できるはずがない。

だから涼。

お願いだ。

不幸にはならないでくれ。

こんな俺には、涼を幸せにできるような力も資格もないんだから。

No.103 15/01/26 15:13
てん ( zEsN )

あれ以来、なんとなく涼に気軽に連絡を取ることができなくなった。

もの欲しそうな自分が嫌だったこともある。

そんな矢先、2011年3月11日14時46分。
かの大震災が起こった。

年度末で忙しい時期だった。

俺は客先の会社で打ち合わせ中だった。

打ち合わせコーナーの近くにあった軽い什器が倒れ、書類棚からファイルがバサバサと落ちた。
女子社員の悲鳴が響き、オフィスにいた部長が「落ち着け」と危険回避の指示を出していた。

俺がいたエリアで震度5弱。

たまたま俺はこの日、A商事から電車で3駅のエリアにいた。
都内ではあるが、都心からは離れていた。
JRも私鉄も全てストップ。
幹線道路はどこもかしこも大渋滞が始まり、タクシーを拾える状況でもなかった。

大した距離ではないので、俺は歩いてA商事に戻った。

オフィスに入ってみると、俺が打合せをしていた会社と同じく、軽いものや安定が悪いものは倒れ、書類やカタログといったものが落ちたりと、惨憺たる状況だった。

オフィスの隅にあるテレビでは、ずっと地震情報が流れていた。

時間が経つにつれ、東北方面で大変な事態になっていることが分かってきた。

社内には東北出身の者も、東北に親戚や知人がいるものもいる。

片づけがひと段落したころには、みんなテレビの映像に釘付けとなった。

遠方から通勤している女子社員はいなかったので、本社からの指示で、帰宅できる人間は徒歩で帰宅、帰宅困難な者は、会社に泊まっても良いということになった。

俺はその日仲のいい後輩を1人マンションに泊めた。
そいつは埼玉のかなり北の方の実家住まいで、電車が動かないと帰れない状況だった。

後輩と一緒に会社からマンションまで4駅ほどの距離を歩いた。
部屋に入ると、幸いにもゆり子のケージは少し位置がずれただけで、落ちたりしていなかった。
築浅で5階建ての2階だったからなのか、部屋の中もほとんど荒れていなかった。

後輩に風呂を使わせてやっている間に、自分のプライベート用のスマホを手にした。

実家の親や兄貴からの着信やメールに混じって、涼からのメールがあった。

>>大丈夫?こちらは大したことありません

メールの向こうに涼の心配そうな顔が見えるようだった。

No.104 15/01/26 18:04
てん ( zEsN )

【まとめスレ】
http://mikle.jp/threadres/2180691/

いままで書いたお話をまとめました。
ご興味あったら覗いてください
よろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ

No.105 15/01/27 12:20
てん ( zEsN )

俺の周囲に関しては、それほど地震の被害はなかった。

もちろん関東でも、ガソリンが手に入りにくくなったり、スーパーやドラッグストアで食べ物や日用品が品薄になったりしたし、原発の関係で輪番停電もあったりということはあった。

それでも、即日常生活が送れないというほどのことはなく、毎日のニュースを見ては被災地を心配することしかできない状態だった。

被災地にはインターネットで知り合ったバイク仲間が何人かいた。
津波の被害があった地域に住む奴もいたが、震災3日後までに、掲示板を通じて全員が無事だということは確認ができた。

掲示板で情報交換をしたり、安否確認をしたりという状況が続き、良くも悪くも震災直後のパニック状態が落ち着くと、今度は避難生活の不自由さが見えてきた。

未曾有の災害で、まだ個人が被災地へ行けるような状態ではなかった。

仲間が困っていると聞けば、少しでも物資を送ってやりたいと思うが、交通網がズタズタになった中、仕事をしながら現地へ入るのは難しかった。

しばらくは、道路を走る自衛隊のトラックや、東北へ向かって飛んでいくヘリコプターを見て、もどかしい思いを託すような気持ちだった。

それでも、どうにか民間のボランティアの現地受け入れ態勢ができ始めたころ、青木が呼びかけて計画し、関東から中部関西圏までの有志で現地へ向かった。

バイクだから大量には無理だが、それでも掲示板で聞いた仲間の話から役に立ちそうな物資をそれぞれ積んで現地入りした。

仲間に会うことはできた。
被災見舞いのつもりだったが、被災地の仲間はみな、自分のバイクを使ってボランティア活動をしていた。

車が通れない道でもバイクなら行ける場所がけっこうあった。
物資の小口輸送、人の輸送、役所や避難所間の連絡。
バイクの機動力を生かした仕事がたくさんあった。

その後、青木を筆頭に、俺や他のバイク仲間も、震災から1年近く、連休や会社のボランティア休暇を利用して、被災地でボランティア活動を続けることになった。

No.106 15/01/27 16:48
てん ( zEsN )

ボランティアは大変なこともたくさんあったが、被災地に住む仲間や、避難所などで出会う被災者や、現地の人との関わりの中で、感謝されたり、逆にこちらが励まされるようなことが数え切れないほどあった。

その期間、涼との連絡は疎遠気味だった。

涼からたまにメールがくることはあったが、家庭の悩みではなく、俺がどうしてるかとか、子どものこととか、そんなことばかりだった。

俺から涼になにかを尋ねるつもりはなかった。

かなり間が空いたが、昔から変わらない調子で飲みに誘われ、久し振りに涼に会った。
最初にダンナとの悩みを聞いてから、1年以上経っていた。
俺は36歳、涼は39歳になっていた。

「元気そうじゃん」

嘘ではなかった。
久し振りに会った涼は、俺に弱音を吐いた夜とは違い、表情は明るかった。

「うん。謙ちゃんも元気だった?」

涼が被災地でのボランティアの話を聞きたがったので、いろいろ話すと涼は感心しながら聞いていた。

「なんか、ダンナとはもう大丈夫そうだな」

話がひと段落したところで、俺は涼に話を振った。

「うん。なにもなかったころみたいにはできないけど、なんとかやっていけそうだなって、最近思えるようになった」

「安心したよ。子どもだっているんだから、仲良くやってくのが一番いいんじゃないの?」

「仲良く、とまではね。謙ちゃんに愚痴ったころは、正直言って顔を見るのも嫌どころか、同じ空気を吸うのも辛い感じだったんだ。だけど、最近やっと、普通に話せるようになってきた」

「あん時、そんなしんどかったの?」

「うん。だけど少しずつ気持ちが整理できたっていうか。多分ダンナを昔みたいに好きだとは思うことはないと思うけど、家族としてならやっていけそうな気がする」

「………なんだよ。仲直りしたんじゃないのかよ」

「喧嘩してたわけじゃないもん。ダンナは変わらないけどね。なら、私が変わればいいかなって、考え方を変えたの」

No.107 15/01/28 11:30
てん ( zEsN )

「涼さんだけが努力してるってこと?」

俺は涼の言葉に引っかかってそう言った。

「それは分からないよ。私は彼じゃないから、彼がなにを考えてるのか全部は解らない」

「聞けばいいじゃないか」

「………前にも言ったけど、返ってこないから」

「なんでだよ。涼さんは努力してるんだろ。よく分かんないけど頑張ってるんだろ。そのくらい他人の俺にでも分かるよ。じゃあダンナはなにやってんだ?涼さんが頑張ってんの知ってて、なにもしないのか?」

「………どうなんだろうね」

「涼さんはそれでいいのかよ」

「謙ちゃん。私はね、どっちかっていうと、物事にすぐ白黒つけたいって思うほうなんだ。昔からそう。だけど、結婚生活って、けっこうグレーな面が多いって、最近分かってきた気がする。曖昧なままで済ませないとやっていけないことがあるみたいだなって」

これ以上、俺はなにも言えなかった。

結局そのあとは普段のようにくだらない話をして、あまり遅くならないように切り上げて涼と別れた。

だけど俺は、なんとなくモヤモヤした気分を抱えていた。

全然、幸せそうじゃないじゃないか。

ダンナはなにをやってるんだ。

涼が具体的になにに悩んでいるのかは分からない。

だけど、ダンナは分かってやったっていいじゃないか。

涼のことが大事じゃないのか。

涼は無理矢理グレーなことも飲み込んで、この先もひとりで頑張るのか。

どうしてダンナは、涼にあんなことを言わせるんだ。

それが夫婦なのか。家族なのか。

長年連れ添っていたら、そんな曖昧な関係になるしかないのか。

No.108 15/01/29 12:27
てん ( zEsN )

もどかしかった。

俺は涼になにもしてやれない。

涼の話を聞いてやるだけ。

結婚をしたことがない俺には、アドバイスすらできない。

それどころか、「あれからどうなった?」とこちらから連絡して聞いてやることすらできない。

俺は涼が幸せでいて欲しいと思いながら、心のどこかでこのまま涼がダンナと上手くいかなくなることを願っていることに気付いてしまったからだ。

思い返せば、昔からそうだった。

涼に彼氏がいて、上手くいっているときに俺は、無意識に寂しいような気持ちになっていた。
涼が彼氏と別れたら、涼の心の痛みを感じながらも、ホッとしたような気分になっていた。

いままで涼は、俺の手の届くところにいなかったから、そんな複雑な想いがあっても、俺はあまり意識しないでいられた。

だけどこの歳になって、もし涼が離婚するようなことになったら。

俺は、いままでと同じような態度ではいられないかもしれない。

言ってはいけないことを、涼に告げてしまうのではないか。

それが恐ろしかった。

涼が離婚したとしても、俺の手の中にきてくれる保証なんて、どこにもないんだ。

17歳のときから、姉弟のように付き合ってきた涼。
バイト仲間として、異性としての感情など絡まない付き合いを続けてきた。

俺の気持ちに歯止めがかからなくなったら、そんな大事な関係を、俺が自分の手でぶち壊してしまうことになるかもしれない。

だから涼は、幸せでいてくれないと困るんだ。

俺はどんな形でもいい。

涼の近くにいられれば、それでいいんだ。

これ以上、俺を欲張らせないでくれ。

涼が好きだ。

もう誤魔化せないところまでいってしまいそうだ。

No.109 15/01/29 17:30
てん ( zEsN )

>>離婚することになった

その1文だけのメールがきたのは、10月の下旬だった。

涼と最後に飲みにいってから、半年以上経っていた。

その間、俺は自分から涼に連絡することもできず、涼からも連絡はなかった。

俺は昔忍と別れたときのように、わざと仕事が忙しくなるように動いた。
忙しく過ごしていれば、余計なことは考えずに済んだ。

俺は、涼からのメールを見て、しばらく返信できずにスマホを眺めていたが、やっと

>>そうか。大変だな。

とだけ返信した。

涼から返信はなかった。

本当は何度も何度も、電話をかけようとした。

だけど、できなかった。

いま涼の声を聞いたら、言ってはいけないことを言ってしまいそうだった。

涼に会ったりしたら、ずっと自分で禁じていたことをしてしまいそうだった。

なるべく涼のことは考えないようにしていたかった。

そんな中、俺は青木に誘われて、週末飲みに行った。

相変わらず青木はいいヤツで、落ち込んでいるときでも無理に取り繕う必要がない友達だった。

「参ったよ」

青木は酒を飲みながら、珍しくため息をついた。

「どうしたんだよ」

「実はさ、ウチの支店の事務員さんが辞めることになったんだよ」

「事務は1人だったよな」

「そうなんだよ。なんかダンナさんが転勤になるみたいで、引っ越すらしいんだ。これからが忙しいのに、参ったよ」

「募集かけてんの?」

「ああ。大阪の本社がこっちの支店の現地採用ってことで、ハローワークとか求人誌で募集かけてくれることになってるんだけどね。即戦力じゃないと厳しいよなぁ」

青木の話を聞いて、俺はつい涼のことを話しそうになった。

No.110 15/01/30 14:12
てん ( zEsN )

涼は離婚すると知らせてきた。

涼は子どもが小学校に入ったころから、パートに出ていると言っていた。
だけど、離婚したら、パートより安定した正社員になりたいのではないかと思った。

X機材は業界でも大手の方だ。
上場企業ではないが、安定した会社だ。

涼はもう40歳になる。

その歳から就職するのが大変なのは想像がつく。

だったら、俺が青木を通じて涼を紹介すれば、少しは就職し易いのではないかと思ったのだ。
いわゆるコネだ。

だけど、あのメールがきて以来、俺は涼と話していない。

もしかしたら、涼がダンナと話し合って、離婚話が消えている可能性だってあるんだ。

俺1人が先走って、涼の就職の世話をするのは、筋違いなのかもしれないと思った。

「いい人いたら紹介してよ」

俺の考えを見透かしたように、青木がそう言った。

「やっぱ若い女の子がいいのか」

「いや、いままでいた人が40代で落ち着いた人だったんだよな。だから歳よりも、やっぱ人柄と、経験かな」

「ふーん」

「クロちゃん、心当たりある?」

「そういうわけでもないけど、まぁいたら紹介するよ」

「頼むよ」

No.111 15/01/30 16:05
てん ( zEsN )

俺はしばらくの間迷って、結局12月近くになって涼にメールをした。

いま涼は仕事を探しているのか、という内容だ。

すると夜、涼から電話がかかってきた。

『謙ちゃんメールありがとう。久し振り。元気?』

思ったより明るい声色だった。

俺は涼にX機材で求人があることを話した。
涼が興味を持っていろいろ聞きたがったので、X機材の業務内容や業界のことを説明してやった。

『私、事務職だったことはないんだけど、SEだったときに事務も兼任したことがあるの。だから応募してみたい』

「じゃあ友達に紹介してやるよ」

『それはいい。自分で応募する。いまパソコンで会社案内見てるんだけど、ネットに応募フォームが載ってるから、そこから応募してみる』

「俺の友達、けっこう人事にも顔が利くんだよ。紹介のほうが採用されやすいんじゃないかな」

『私、この先自分の力で生きて、子どもたちも育てていかなくちゃいけないの。だから自分でできることは、自分でやる。本当に困ったときは、謙ちゃんに相談するかもしれないから、そのときはよろしくね』

「それでいいの?」

『うん。まだこの家を出るまで時間があるから。ウチの子達、中3と小6なの。2人とも進学だから、それまではここにいる予定だし。家を出るまでに就職は決めたいけどね』

つまり、子どもたちの卒業と同時に家を出る、ということらしい。
離婚することは、もう本当に決定しているようだった。

『ありがとう、謙ちゃん。謙ちゃんの話だと、X機材の求人、若くなくても可能性ありそうだし、頑張ってみるね』

電話を切ったあと、俺は複雑な気分で苦笑いした。

涼は相変わらずだ。

真っ直ぐで、前向きで、落ち込んでいても歩き続ける。

俺を頼らないのもいかにも涼らしかった。

そしてやっぱり俺は、涼が離婚に向けて準備を進めていることが分かって、喜んでいるような気分に少し腹が立った。

No.112 15/01/30 20:51
てん ( zEsN )

1月になって、涼からX機材に採用されたとメールがきた。

12月に面接をして、正月を挟んで採用通知がきたらしい。

涼は俺に言った通り、自力で就職を決めてしまった。

さすがというか、やっぱりというか、涼らしい。

結局退職予定の事務員は2月の下旬までいるらしく、引き継ぎのために涼は2月1日付で入社することになった。

中3の娘は、私立高校への進学が決まったそうだ。

涼は迷わないんだろうか。

本当にこのまま離婚してしまうんだろうか。

辛くはないんだろうか。

忙しさに、心や体が疲れたりはしないんだろうか。

涼は、俺にはなにも言ってこない。

言ってくれたとしても、俺にはなにもしてやれることなどないんだが。

それでも、本当は涼に頼られたかった。

就職の手助けをしてやりたかった。
愚痴を聞くのでもいい。

だけど、実際には俺の知らないところで、涼は1人で着々と進んでいる。

こんなことになっても、やっぱり俺の手は、涼には届かないんだろうか。

高校生だった俺から見たら、大学生だった涼が遠くにいるように感じたように、俺はいつまでたっても涼に追いつくことはできないんだろうか。

俺は、いつまでも涼に触れることは許されないのかもしれない。

No.113 15/01/31 08:47
てん ( zEsN )

2月になり、涼はX機材に籍を置く人間になった。

半月もすると、涼からの電話を会社で受けるようになった。

涼が入社する直前に、涼からメールがあった。

>>これからは謙ちゃんはお客様だね

俺の手を借りず、自分で就職を決めた涼。

つまり、会社では個人的な付き合いは伏せてくれ、そういうことを言っているんだろうと俺は理解した。

だから、朝や夕方、出先での携帯電話に時々涼から仕事に関する電話が入るようになってからも、俺は涼に「X機材の白井さん」として対応した。
涼も、俺を完全に取引先の人間として扱った。

そう。
「白井さん」だった。
子どもたちの卒業式を前に、涼が自分の籍だけ抜いたことだけは聞いていた。
涼は子どもたちの卒業をまって、春休みに家を出る。
そこで初めて晴れて独身だ、涼はそう言っていた。

俺からは、なにも言えない。

ただ、溝蓋の寸法の確認だとか、資材の納入日時だとか事務的なことを、入ったばかりの事務員とは思えない、滑らかな口調で尋ねてくる涼の声色から、涼がとりあえず元気で働いていることを確かめることしかできなかった。

初めての会社、慣れない仕事。
離婚の準備。
子どもたちの卒業と入学の準備。

想像するだけで、涼が多忙だろうということは分かった。

それでも、会社携帯から聞こえてくる涼の声は、涼やかだった。

涼は、「シルバースプーン」で初めて会ったころと変わっていないんだ。

そう思った。

No.114 15/01/31 12:42
てん ( zEsN )

3月も終わりだった。

関東地方では桜が満開だった。

土曜の夜、俺はバイク仲間と新宿で飲み会があり、終電近い電車に乗っていた。

尻ポケットに入れたスマホが振動し、見ると涼からメールが届いていた。


>>おわったよ


それだけだった。

俺は自分の最寄駅で電車を降り、駅前のベンチでペットボトルのお茶を飲みながら、涼に返信した。

冷え込みがちな3月の夜にしては、暖かい夜だった。

>>お疲れ様。大変だったな

そう返信すると、少し経って今度は電話の着信があった。

「涼さん」

『謙ちゃん?久し振り。って言っても昨日会社に電話したね』

涼の声がスマホから流れてきた。

「会社では知らないフリしてるからな。………どうしたんだよ。こんな時間に珍しいな」

『うん。だいたいのことが終わったから、取り敢えず報告しようと思って』

涼の声は、なんだか元気がないように感じられた。

「元気ないじゃん」

『そうかな。………あれ?謙ちゃん外?』

俺の近くでタクシーが小さくクラクションを鳴らしたのが聞こえたらしい。

「青木たちと飲んでたんだよ。いまK駅に着いたとこ」

『ああ、青木さん。ふふふ、まだ私と謙ちゃんが知り合いって知らないのよね』

「言いそびれたまんまだよ」

『………謙ちゃん、そこに行っていい?』

「こんな時間に?」

『娘たち、従姉妹たちと一泊でディズニーランドに行ったのよ』

「それで寂しくなったのかよ」

『うん』

からかったつもりだったのに、「うん」と返ってきて、俺はなんて返したらいいのか分からなくなった。

No.115 15/01/31 19:08
てん ( zEsN )

俺は涼と会ってもいいんだろうか。

俺は涼と会っても卑怯な男にならずにいられるんだろうか。

いまの涼に

俺の気持ちを押し付けるような真似をしないで済むんだろうか。

結婚という足枷がなくなった涼を目の前にして、俺はいままで通りの俺でいられるんだろうか。

『K駅なら西口だよね。待ってて』

俺が迷っている間に、涼はそれだけ言って電話を切ってしまった。

涼が引っ越したという新しい住まいからここまで、この時間なら車で10分もかからない。

気持ちの整理などつく間もなく、以前見た涼の車が駅前に入ってきた。

「謙ちゃん」

運転席の窓が開いて、涼の顔が俺を見た。

「俺、酒臭いかも」

なんて言ったらいいか分からず、挨拶もせずに、そんなどうでもいいことを言った。

「いいよ」

涼は笑って助手席を指差した。

「夜桜が綺麗な場所があるの」

俺が助手席に座ると、涼はそう言った。

「へぇ、どこ?」

「○○川のとこ。近いから一緒に見に行かない?」

「いいよ」

涼は俺の返事を聞くと、ウィンカーを出してアクセルを踏んだ。

「涼さん、やっぱ痩せたな」

「分かる?忙しかったし、いろいろあったから、あんまり食べられてなかったかも」

「倒れちゃうよ」

「大丈夫」

涼はそう言ったが、電話の声を聞いたときに感じたように、やっぱり涼は普段より元気がないように見えた。

No.116 15/01/31 21:45
てん ( zEsN )

涼は慣れた感じで夜の道を走り、橋を渡ったところから、土手沿いの道に入った。

「この時間だから、もうお花見の人もいないよね」

涼が駐車スペースに車を入れて外に出たので、俺も車から降りた。

「………すごいな」

あまり大きくない川の両側いっぱいに桜の木が数え切れないほど並んでいた。

遊歩道にところどころある灯に照らされた桜は、何色と表現したらいいのか分からない、幻想的としか言いようのない色に染まって川の両側の空間を埋め尽くしていた。

「去年も、その前も、毎年この時期になると、このくらいの時間に、何度かここに来てた」

涼は薄明かりの中で、透き通るような微かな笑いを浮かべていた。

「ああ、綺麗だなぁって。桜は毎年こんなに綺麗に花を咲かせるのに、私はどんどん変わっていっちゃうんだなって。次に桜が咲くときに、私はどうなってるんだろう。ドロドロとしたものを抱えて、どんどん醜くなっていくような気がしてた」

「涼さんは、醜くなんかないよ。昔からちっとも変わらない」

「そう、かな。私は、汚い。汚いの」

「どうして」

「彼とやり直すことを投げ出した。子どもたちにも、両方の身内にも、迷惑かけて、悲しませて、自分が楽になるために、離婚することを選んじゃった」

「それは涼さんだけの責任じゃないだろう?」

No.117 15/02/01 08:52
てん ( zEsN )

「私は、彼の悪いところを並べて、離婚を決めたの。だけど、私もなにかを間違えたんだと思う。私が間違えたから、やり直せなかったのかもしれない。それでも周りには彼のせいにして、私は間違ってないって言われたいのよ」

「向こうは向こうで、きっと涼さんのせいだと思ってるよ。おあいこでいいじゃないか」

「………怖いの。私は取り返しのつかない失敗をしたんじゃないかって。自分でもう無理だ、限界だって離婚を決めたのに、私は大きな間違いをしてるんじゃないかって」

「もう、終わったんだろ。いつもの涼さんなら、失敗も後悔も全部呑み込んで、前に進むんじゃないか?」

「………謙ちゃん」

「………」

「私は、そんなに強くない」

気がついたら、涼の頬に桜の花びらが1枚貼り付いていた。

涼は、去年もここで泣いたんだろうか。

それとも自分の力が及ばない運命に抗おうとしていたんだろうか。

涼は何度ひとりで泣いたんだろう。

この何年間、どんな気持ちで、見えない何かと闘ってきたんだろう。

俺が知っている涼は、いつも凛としていた。

どんな時も、顔を上げて、涙は呑み込んで、ブレない歩調で歩いていた。

俺は、そんな涼を

追いかけて
追いかけて

ここまできてしまった。

No.118 15/02/01 11:22
てん ( zEsN )

「初めて涼さんに会ったとき、綺麗なおねえさんだなって思ったよ」

「ホントに?」

「うん。涼さん大学生だっただろ?高校生のガキから見たら、大人っぽく見えた」

「この歳になると、大学生も高校生もあんまり変わらなく見えるのにね」

「涼さんは、みんなにも、俺にとっても、姉さんだったよ。仕事はできるし、みんなに優しいし、頼り甲斐のある姉さんだった」

「そうかな。よく失敗もしたけどね」

「涼さんはあのころからちっとも変わってない。大人になって、いろんなことがあっても、根っこのところは昔の涼さんのまんまだ」

「謙ちゃんは?」

「俺はホントにガキだったから、あのころは早く大人になりたかった。俺の前を歩いてたのが、涼さんだよ」

「3つ年上だもんね」

「俺はさ、ずっと涼さんに追いつきたかった。だけど、涼さんはいつも俺の何歩も先を歩いてて、追いつけなかったんだ」

「そんなことないよ。いまなら謙ちゃんはもう立派な大人だよ」

「社会人としてなら、少しは成長できたかもな。だけど、俺は結婚もしてないし子どももいない。そこんとこはどうにもならないよな」

「……失敗するくらいなら、家庭なんて持たないほうがいいかもしれないよ」

「失敗したら、やり直せばいいじゃないか。涼さんは昔からそう言ってたよ」

No.119 15/02/01 12:05
てん ( zEsN )

「そうだよね………。うん。もう踏み出しちゃったから、そうするしかないんだよね」

「涼さん」

「ん?」

「俺は涼さんの味方だ」

「味方?」

「涼さんは頑張ったよ。悪いのはダンナだ。涼さんが頑張ったのに、それに応えられなかったのはダンナじゃないか。涼さんは自分でできることはやった筈だ。やるだけやって力尽きた涼さんを、俺は責めたりなんかしない」

「………」

「俺は涼さんが悩んでいても、なんにも助けてやれなかった。本当はもっとなにかしたかったんだ。だけど涼さんは俺を頼ったりしなかったから、見ていることしかできなかった」

「愚痴、聞いてくれたじゃない………」

「涼さん。涼さんが汚いなら、俺は卑怯なんだ」

「謙ちゃんのどこが卑怯なの」

「涼さんを応援するようなことを言いながら、本心は違ったんだ。早く離婚してしまえばいいくらいに思ってたんだ」

「謙ちゃん………」

「涼さんが苦しんでるのに、それをどうにもできないダンナに腹が立ってた。どうして涼さんを大事にしてくれないんだ、守ってやらないんだ、そう思ってた。俺なら」

「………」

「涼さんにそんな思いはさせないのに」

「………」

「俺は、涼さんが好きなんだ」

No.120 15/02/01 16:27
てん ( zEsN )

涼は俺を見て目を見開いた。

涼の目に俺が映っていた。

「ごめん、涼さん。こんなときに言うことじゃないのは分かってるんだ」

「謝らなくていいのに」

「俺、多分ずっと涼さんのことが好きだったんだ。だけど、涼さんにとって俺は弟みたいなもんだって分かってたし、俺も涼さんとはずっと付き合っていたかったから、俺はずっと気持ちを誤魔化してきたんだ。他に好きな女もいたときもある。それでも涼さんは特別だった」

俺は涼の目の中にいる自分を見ながら続けた。

「涼さんにはずっと幸せでいて欲しかった。涼さんが幸せなら、俺はそれで良かった。だけど、ダンナが涼さんを大事にしてくれないなら、俺が涼さんを守って、ずっと大事にしたいって思った」

「謙ちゃんは、いつも助けてくれたよ」

涼は俺を見ながらゆっくり瞬きをした。

「『シルバースプーン』にいたころ、私が忙しかったり失敗したりすると、すぐ助けに来てくれたよね。私が彼氏と別れて酔っ払ったときは、おんぶして送ってくれたよね。私がダンナとのことで悩んでたら、黙って話を聞いてくれたよね」

「涼さんが大事だったからだよ」

「私、いつもいつも、謙ちゃんのほうが年下なのに、なにかあると甘えてた………」

「俺は嬉しかったよ」

No.121 15/02/02 17:32
てん ( zEsN )

「私、この数年、ずっと悩んでた。どうすれば上手くいくんだろう、どうすれば彼と付き合っていけるんだろうって。5年前、彼に絶望したの。あんなに好きだった人を、一瞬で嫌いになった。それまで、私は彼が好きだったし、信頼してたし、尊敬してた。それが全部消えたの。それでも、離婚なんてできないと思ったから、どうにかしてやっていけないかって必死で考えた」

「それって、結局涼さんが我慢するってことだったじゃないか」

「そうかもしれない。結局私も彼も、誤魔化したのよね。誤魔化して、なんとなく現状維持を続けて………。不思議なもので、だんだんその状態に慣れていくの。顔も見たくなくて、会話も苦痛だったのに、だんだんそれが和らいでいって………。彼に愛情は戻らなかったけど、あのまま、子どもたちが大人になるころまでなら、家族として暮らしていけるんじゃないかと思ってた」

「夫婦って、そんなもんなのか」

「どうなんだろう。少なくとも私は、子どもたちが大きくなってあの家を出たあと、彼と2人で暮らす自分は想像できなかった」

「それでも離婚はしないようにって頑張ってたじゃないか」

「そうなんだけどね………。なんとかやっていけそうだって思ったところで、前と同じことがあって、もう無理だって思った。何年かかけて、やっと持ち直してきたのに、またイチからやり直しかと思ったら、気が遠くなった」

「相談してくれたらよかったのに」

「………謙ちゃんには、相談したらいけないって、思ってた」

どういう意味なんだろう。

涼は、俺の気持ちに気付いていたんだろうか。

「………帰ろうか」

涼は優しい目で俺を見て言った。

「ああ」

「………ごめんね」

『ごめんね』

これはどういう意味の『ごめんね』なんだろう。

だけど、聞くことができないまま、俺は涼に促されるまま、涼の車に戻り、家まで送ってもらった。

俺が言ったことも

涼の『ごめんね』の意味も

結局うやむやになったままだった。

No.122 15/02/03 13:04
てん ( zEsN )

そのあと、涼から連絡はなかった。

やはり、俺の気持ちなど伝えてはいけなかったんだろうか。

涼は俺の言ったことを迷惑に思っているんだろうか。

それで『ごめんね』だったんだろうか。

「どうしたの?」

夜、仕事から帰った俺に、ゆり子がそう言った。

「どうもしないよ」

俺は思わず笑いながら、ゆり子をケージから出し、軽く握るようにしながらゆり子の首周りを掻いてやった。

満足した様子のゆり子は俺の肩に飛び移り、また「どうしたの?」と言った。

「ゆり子には誤魔化せないか。あのな、涼さんに会いたいんだよ」

ゆり子は黙って首を傾げると、プイっという感じでケージへ戻ってしまった。

「おい、ゆり子。なに不貞腐れてるんだよ」

「おやすみ。ゆり子。また明日ね」

「寝たいのか」

俺は苦笑いしながらケージのカバーをかけてやった。

どうしたの?

ゆり子のお喋りが、昔の涼と重なる。

俺は無意識に、ここにはいない涼に話しかけていた。



涼さん。どうしたんだよ。

全て片がついて、俺に会いに来てくれたんだろう?

俺は、少しは期待してもいいのかと思ったんだ。

涼さんが離婚したいまなら、俺は涼さんに気持ちを伝えても、なんにも悪いことはないだろう?

応えてくれるかもしれないと期待したのは、俺の自惚れなのか。

俺はいつまで経っても、涼さんの弟でしかいられないのか。

俺はやっぱり、涼さんに触れることは許されないのか。

涼さんに会いたい。

会って、涼さんの本心が知りたい。

No.123 15/02/03 17:17
てん ( zEsN )

>>涼さんと話がしたい

俺はそうメールを送った。

俺から言い出さなければ、もう二度と涼とは会えないような気がした。

離婚したばかりの涼。
ただでさえ傷付いたこともあるだろう。
離婚の手続きや慣れない仕事で疲れてもいるだろう。
人目も気になるだろう。

だけど、いま涼に会わなければ、涼に近づけないのではないか。

俺はずっと涼を追いかけてきたんだ。

17歳のとき、初めて涼と会ってから、涼には手が届かないところにいると思っていた。

いま、俺が涼に会わなかったら。

このまま永遠に涼を失ってしまうような気がした。

そんなのは嫌だ。

俺は涼が好きだ。

すぐ手が届くところにいても、涼に触れることは許されないと思っていた。

涼。

涼。

俺を拒絶しないでくれ。

俺はずっと涼を追いかけてきたんだ。

やっと追いつけそうになった俺を、突き放さないでくれ。

俺は涼を困らせるつもりはない。

俺が涼に追いつけたなら。

十代のガキのころより俺が大人になれているなら。

俺は

全身全霊をかけて

涼を守りたい。

No.124 15/02/04 13:13
てん ( zEsN )

>>○○日会えますか

涼から返信がきたのは、俺がメールを送った2日後だった。
涼が指定したのは次の土曜日だった。

涼からのメールを待つ間、会社でも涼と話す機会はなかった。

3月から新しく派遣の女の子がくるようになって、仕事を覚えてもらうために、電話応対はベテランの緑さんが横について、ほとんどそこで終わるようになっていたから、俺は涼の声を聞くこともできなかった。

X機材から送られてきたFAXに「白井」というシャチハタ印が押されているのを見て、涼は今日も頑張って働いているんだと思っていた。

涼からの用件だけのメールに、俺は

>>○○日11時。K駅で。

とだけ返信した。

涼からの返信はなかったが、俺は了解という意味で受け取った。

約束の日、俺が時間通りにこの間涼の車が停まっていた場所へいくと、あの日は俺が立っていた場所に、今日は涼が佇んでいた。

涼も俺に気付いたので、俺はやはりこの間の涼と同じように助手席を指差した。

「おはよう。って、もう11時か」

涼は助手席に座ってシートベルトを引きながらそう言って笑った。

「涼さん、飯は?」

「朝ご飯、食べ損ねた」

「子どもたちは?」

「春休みだから、おじいちゃんちに泊まってる」

「涼さんに食べさせようと思って、飯を用意してある」

「えっ。謙ちゃんが作ったの?」

「そう。筍と鶏肉の炊き込みご飯」

「食べる?」

「食べてみたい」

「俺んちだけど」

「………謙ちゃんち」

「涼さんと人目を気にしないで話すんなら、一番いいだろ」

「そう、か」

No.125 15/02/04 15:53
てん ( zEsN )

俺はそのまま車を出し、そのまま自宅へ向かった。

もちろん、涼がくるのは初めてだった。

俺がマンションの駐車場に車を停めると、涼は一瞬迷ったような目を俺に向けたが、そのまま車から降りてきた。

部屋は2階なので、俺はいつものように階段へ回り、涼は俺の後ろを付いてきた。

「どうぞ」

俺がドアを開けると、涼は「お邪魔します」と軽く首をすくめて玄関で靴を脱いだ。

「あっ。あの子が『ゆり子』」

リビングの角にあるケージが真っ先に目に入ったらしく、涼は緊張が消えた目で俺を見て笑い、ゆり子に近付いた。

「ゆり子ちゃん、こんにちは」

涼がゆり子に話しかけると、ゆり子はチラっという感じで涼を見て、ケージの中の止まり木を移り一番高い場所に上ると、そのまま涼に背を向けてしまった。

「謙ちゃん、この子可愛くない」

涼は振り向いて俺に文句を言った。

「あぁ、ゆり子は賢いからな。こいつ、俺のこと大好きなんだ。俺はおとーさんのつもりなんだけど、どうやらゆり子にとっては恋人らしいんだよな。ちゃんと今朝、俺の一番好きな人を連れてくるから、ゆり子もちゃんと挨拶するんだよ、って教えておいたんだけど、ヤキモチ妬いちゃったみたいだな。涼さんのこと、ライバルだって分かってるんだ」

「………」

涼は口を開いてなにか言おうとしたが、言葉に詰まり、微かに目の下が朱くなった。

「涼さん、飯にしよう」

俺はくっくっと笑いながら、涼を呼んだ。

No.126 15/02/04 16:46
てん ( zEsN )

「すごい。本当に全部謙ちゃんが作ったの?」

俺がテーブルに料理を並べると、涼はそう言った。

「このマンションに越してきてからたまに料理するようになったんだ。前のアパートよりキッチンがマシになったからな」

俺は土鍋から炊き込みご飯を茶碗によそって涼に渡した。

「炊き込みご飯に若竹煮?筍の姫皮のかき玉汁。………もしかして、筍の下ごしらえからやったの?」

「ああ。八百屋にいい筍が売ってたから」

「………奥さんなんかいらないじゃない」

「けん制のつもり?」

俺がそう言うと涼は「いただきます」と言ってお椀を手に取った。

「美味しい」

「だろ?ちゃんと昆布とカツオで出汁とった」

「そういえば『シルバースプーン』にいたころ、謙ちゃんはときどきキッチンの手伝いもしてたね」

「ああ。千切りとか上手いよ」

「懐かしいね」

「ああ」

涼は「美味しい」を繰り返し、炊き込みご飯をお代わりした。

手伝うと言う涼を制して、食事の後片付けをしてから、俺がコーヒーメーカーをセットすると、涼は持ってきた紙袋から箱を取り出した。

「いただきものだけど、チョコレート。お茶請けに」

涼はそう言ってテーブルの上で箱を開けた。

俺がコーヒーを出すと、涼はカップに口をつけた。

「涼さん、俺の話、聞いてくれるんだろ」

俺がそう言うと、涼は「うん」と言った。

No.127 15/02/05 12:51
てん ( zEsN )

涼さん

俺の気持ちは、この間言った通りだ。

涼さんが好きだ。

俺は涼さんがとっとと離婚しちまえばいいと思ってた。

ずっと涼さんの後姿を追いかけてた。
だけど、ずっと涼さんに近付くことができなかった。

それだけじゃない。

俺は怖かったんだ。

涼さんに好きだと言ったら、涼さんが俺から離れていってしまうんじゃないかと思っていた。
だから好きだという気持ちを認めることすらできなかったんだ。

涼さん、俺はこんな男なんだ。

弟みたいな顔をした裏で、邪な気持ちを何度も持ったのが俺なんだ。

今日だって、話がしたいって言っておきながら、俺は涼さんに触れてみたくて仕方がない。

涼さんがここへくるのを拒んだら、俺はもう諦めようと思った。
一生涼さんの弟でいようと思っていた。

だけど、涼さんが来てくれたなら、俺は

俺は少しは期待してもいいのかと思った。

涼さん。
俺はガキだったころの俺じゃない。

邪な気持ちは持ってるけど、昔よりは大人になった。

俺はもう38歳になる。

涼さんを守る力も知恵も心も、ちゃんと持ってる。

俺を頼ってくれ。
俺にもっと甘えてくれ。

もう、終わったんだろう?
辛かったんだろう?
さんざん頑張ってきたんだろう?

お願いだ。
俺に涼さんの全部を預けてくれ。

No.128 15/02/05 19:05
てん ( zEsN )

俺が一息に語り終えると、涼は俺の手に自分の手を乗せた。

「謙ちゃんに初めて別れたダンナのことを相談したころから、もしかしたら謙ちゃんは私のことを好きなのかもしれないって思ってた。自惚れだって思って、そんなこと考える自分が嫌だった。彼に気持ちがなくなったからって、優しくしてくれる謙ちゃんに、そんな気持ちを持つ自分が嫌だった」

涼は一瞬俺を見て、目を伏せた。

「謙ちゃんが私を好きなのかもしれないじゃなくて、本当は私が謙ちゃんを好きになってきてるんだって、認めたくなかった」

「………ダンナがいたからだろう?」

「ううん。結婚生活が上手くいかなかったのは、私にも責任があるのに、謙ちゃんに逃げようとしてた自分が嫌だった」

「だから、あんまり俺には相談してくれなかったのか」

「………そうかもしれない。謙ちゃんは優しかったから………ダンナとやり直す努力もしないで、謙ちゃんに甘えちゃいそうだったのかもしれない。だから、必死に謙ちゃんのことを考えないようにしてた」

「俺は、待ってたよ」

「謙ちゃんは、昔から頼りになったから。謙ちゃんにはなんでも話せたし、一緒にいると他の誰より安心できた」

「………ごめんな。本当はそんな出来た弟じゃなくて」

「昔はホントに謙ちゃんのこと、弟みたいに思ってた」

No.129 15/02/06 17:44
てん ( zEsN )

「だろうな」

「いつの間にこんなに大人になっちゃったんだろう」

「もうオッサンだよ」

「謙ちゃんがオッサンなら、私はもっとオバサンだね」

「そんなことないよ。いまの涼さんは、俺にとっては守ってやりたくて、大事にしたい人だ。俺にもっと甘えてくれよ。もっと頼ってくれよ。1人で泣いてないで、俺のところにきてくれよ」

「私は、結婚に失敗したのよ。謙ちゃんより年上だし、大きな子どもが2人もいるし、私は謙ちゃんに相応しくない。謙ちゃんはまだこれから、もっと若くて可愛いお嬢さんと恋をして、子どもを産んで………そんな普通で幸せな人生を送ることができるんだよ」

「くだらねーな」

「くだらなくないよ、大事なことじゃない」

「俺は、涼さんがいいんだ」

「どうして」

「そんなこと知るかよ。17歳のときに涼さんに会って、いままで姉弟みたいに付き合ってきて、俺はずっと涼さんを追いかけてきたんだ。いまやっと涼さんに追いついた。いや、やっと俺は涼さんを守れるくらいの大人になったんだ」

「私じゃ謙ちゃんを幸せにしてあげられない」

「誰かに幸せにしてもらおうなんて思ってねーよ。俺は涼さんと幸せになりたいんだ」

「でも」

「『でも』も『だって』も言わないでくれよ。俺が聞きたいのは、涼さん。俺のこと好きなのか。好きじゃないのか。それを聞きたいんだ」

「言ってもいいの?」

「言ってくれよ」

「………ホントにいいの」

「しつこいな。いいんだよ。嫌いなら嫌いだって言えばいいだろう」

「私」

「私?」

「謙ちゃんが、好き」

No.130 15/02/07 07:48
てん ( zEsN )





その言葉を、俺は20年近く待っていたのかもしれない

どうしていまなんだろうな

この言葉を聞くまで、俺はきっとここまで待たなくてはいけなかったんだろう

他に想ったひとがいたときもある

それでも俺は、やっぱり涼のこの言葉を聞くまで、待っていた

離婚という不幸を喜ぶ俺に、天罰というものは下るんだろうか

それでもいい

俺はどんな罰でも甘んじて受けよう

大丈夫だ

涼のことは俺が守る

そのために俺は待ったんだ

俺がこんなに気が長い人間だなんて、自分でも分からなかった

世間はおれを笑うかもしれない

いまになって涼を手に入れようとする俺は馬鹿にされ、非難を浴びるかもしれない

だけど、それでもいいんだ

この言葉を聞けたなら

この先も聞かせてくれるなら

残りの人生をすべて捧げてもいい





もっと言ってくれ

涼が好きだ



何度でも俺を好きだと言ってくれ

No.131 15/02/09 17:38
てん ( zEsN )

「涼」

涼が俺の言葉に少し驚いたように目を上げた。

「って、呼んでみたかった」

俺が続けてそう言うと、涼はクスッと笑った。

「好きなように呼べばいいよ」

「この先ずっとそう呼ぶよ」

「………そんなこと、言っていいの?」

「いまさら『好きだけど謙ちゃんとは付き合えない』とは言わないだろ」

「………でも、この先ずっとなんて」

「別にいますぐ俺と再婚してくれなんて言わないよ。第一涼は離婚したばっかだし、子どものこともあるだろ」

「うん。私は別に気にしないけど、娘たちや周りはそうはいかないでしょ。私は謙ちゃんのことを好きだけど、しばらくの間、謙ちゃんのこと、あまり公にはできないのが現実なのよ」

「それでいいじゃねーか。別に俺は構わないよ」

「もし、私と付き合ってるってバレたら、謙ちゃんはいろいろ言われるかもしれないよ。邪推する人なら、私の離婚原因が謙ちゃんだと言いかねないよ」

「知るかよ。言いたいやつには言わせておけばいいだろ」

「………私みたいなめんどくさいバツイチなんて、やめておけばいいのに………」

「うるせーな。まだグダグダ言うわけ?」

「だって、それが現実なのよ」

「あのさ、俺をみくびるなよ。そんくらい俺だって分かってるさ。だけど、俺が何年涼を追っかけてきたと思ってんだよ。20年近くだぞ。そんな小さいこと気にするくらいなら、とっくの昔に涼のことなんて忘れてるよ」

「嫌な思い、させることもあるかもしれないよ?」

「いいよ」

「ひとから笑われるかもしれないよ?」

「………もう、黙りなよ」

俺が涼を引き寄せてキスをすると

やっと涼は静かになった。

No.132 15/02/10 15:29
てん ( zEsN )

長いキスをして、そのまま涼を抱き締めた。

どのくらいの時間、そのままでいただろう。

「ごはんだよ」

突然の声に俺と涼はビクッとして声の方向へ顔を向けた。

「あぁ、驚いた」

「ゆり子、まだゴハンの時間じゃないだろう」

ゆり子は涼がこの部屋に入ってきたときと同じ場所で背中を向けていた。

「アイツ、ヤキモチ妬いてるんだ」

「生意気」

涼がそう言って口を尖らせたので、俺は笑ってその口にまたキスをした。

「ゆり子がヤキモチ妬くから、これ以上はできないな」

「謙ちゃんたら」

「本当はさ、涼とこんな風に2人きりになったら、我慢なんてできないだろうと思ってたんだよな」

「我慢してるの?」

「してるっていえば、してる。だけど、勿体無いんだよな」

「なにが?」

「昔っから涼は俺のこと、男だと思ってなかっただろ。ヤリたい盛りの小僧の前で、さんざん隙だらけなことしてくれたよな」

「酔って寝ちゃったりね」

「手を出そうにも出せなかった俺の恨み言、涼にはちゃんと聞いてもらわないとな。ずっと待ってたのに、あっさり涼を抱いたら勿体無い」

「なんか、怖い」

涼は笑った。

「………嘘だよ。だけど、涼がここへ来るのをさんざん迷ったことも知ってる。俺、待つから。涼がなんのわだかまりもなく、俺に抱かれようって思うまで待つよ」

「うん。………そんなに長くかからない………」

涼はそう言って、自分から俺にキスしてきた。

俺が涼の背中に手を回すと

「どうしたの?」

という声がして、俺と涼は吹き出した。

ゆり子は相変わらず俺たちに背を向けて、知らん顔をしている。

「今度、ゆり子が寝たあとに来てくれよ」

「うん………」

今度はゆり子も邪魔をしなかった。

No.133 15/02/10 20:20
てん ( zEsN )

「黒田さん、X機材さんから今日の発注分の問い合わせなんですけど」

午後4時過ぎ。
外回りから戻り、留守中の見積り依頼FAXやら発注書やら片付けていると、8ヶ月前から派遣で来ている営業アシスタントの女の子が俺に声をかけた。

「はい、電話代わりました、黒田です」

『X機材の白井です』

相変わらず無駄がないのに柔らかく、涼やかな声が電話の向こうから聞こえてきた。

「あぁ、白井さんか」

『お世話になっております。本日もご発注ありがとうございます。で、FAX拝見したんですが、マンホールカバーの荷重条件が型番と違うのでご確認いただきたいのと、防臭タイプは簡易防臭で大丈夫かの確認です』

淀みない、というのがピッタリな話ぶりだ。

涼がX機材で働くようになって9ヶ月。

俺が驚くほど、涼は仕事の知識が深くなっている。
最近では、俺が曖昧なオーダーをしても、即答に近いタイミングで答えが返ってくることも多い。

そんな涼だから、俺のいるA商事の営業部でも、涼がまだ入社9ヶ月の中途入社の事務員だと思っていない人間も多い。

もちろん、周囲は誰も涼が俺の恋人だということなど知らない。

「最近どうよ?元気?」

必要な話が済んで俺がそう言うと

『元気ですよ。ここのところ忙しくてヘトヘトですけど』

と、いかにも仕事の関係者同士だが、それなりに親しい、という雰囲気の言葉が返ってきた。

No.134 15/02/12 17:00
てん ( zEsN )

仕事中の涼は取引先の人間だ。
涼はその姿勢を崩さない。

もちろん俺も、そうしている。

「赤城さん、ごめん、発注書訂正ね」

俺は発注書の訂正箇所を指示したメモを書くと、アシスタントに渡した。

この赤城さんというアシスタントは涼より1ヶ月遅れでA商事に入ったが、涼が彼女を褒めていた。

書類の作り方が几帳面で、電話での応対も手馴れているので安心感があるそうだ。
派遣社員ということで、あまり突っ込んだ内容の仕事はしていないが、営業部のベテランの緑さんも赤城さんを買っているらしい。

「黒田さん、いまのX機材の白井さんですか?」

俺の隣で仕事をしている後輩の島根がそう聞いてきた。

「そうだよ」

「なんか、電話の声聞いてると、美人を想像するんですよね」

島根はデレっとした感じでそう言った。

島根はあまりX機材からの仕入れはやらないので、X機材にも行ったことはない。
俺はバイク仲間でもある青木が相変わらずA商事の担当で、青木には現場に同行してもらったり、お互いの会社で打合せをしたりすることも多い。
涼は青木のメインアシスタントなので、自然と仕事上でも顔を合わせる機会が多くなっている。

青木には涼が入社して少し経ってから、俺の昔馴染みだということを教えた。

入社早々は大人しくしていた涼だったが、周囲と打ち解けるにつれて地が出てきたようで、青木とも掛け合い漫才をしているような親しさだった。

本当は青木には俺が涼と付き合っていることを教えてもいいと思った。
青木はいいヤツで、無責任な他人のように邪推したりしない男だ。

だけど、俺も涼も会社でプライベートなことを話すのはあまり好きではないし、いくら青木でも、俺と涼が恋人同士と聞くと仕事がやり辛くなるかもしれないと思う部分もあり、結局言いそびれたままになっている。

ただ、青木が涼に惚れたら困るな、と思わなくもなかった。

だけど、俺も青木も38歳とはいえ、一般的には子持ちのバツイチ40代に惚れるような男は、俺くらいだろうと思って、そんな嫉妬みたいな考えは捨てた。

No.135 15/02/14 09:47
てん ( zEsN )

島根に「割と綺麗な人だよ」と言うと、島根は

「やっぱり!俺も会ってみたいなー」

と素直な反応をしてくれた。

島根に限らず、A商事の人間に涼は評判がいい。
涼に会ったことがある人間も、電話のやり取りだけの人間も、涼を褒める。

俺はなんとなく鼻が高かった。

涼と付き合っていることを公言するつもりはないが、自分の恋人の評判が良いのを聞いて悪い気分のはずがない。

その日、7時過ぎに仕事を終えて駅へ向かって歩いていると、途中にあるコンビニから人が飛び出してきた。

「黒田さーん!」

顔を見なくても分かる。
営業部にいる藍沢という女の子だ。

いつの間にか営業部で働くようになっていた契約社員だ。

かなり中途半端な時期に唐突に入社してきた女の子なのだが、緑さんが経緯を教えてくれた。

藍沢はX機材の関連会社X運送で働いていたのだが、そこで既婚者の社員と不倫騒動を起こし、X運送の取締役と個人的に親しいA商事の総務部長が藍沢を引き受けた、という事情らしい。

どんな裏事情があろうと、誰が入社しようと俺は構わないのだが、どうやら俺は藍沢に気に入られたらしく、ここ1ヶ月くらい藍沢はことあるごとに話しかけてくる。

「お疲れ様」

俺がそう言うと、藍沢は俺に並んで歩き出した。

意識してかなり早足で歩いているのだが、藍沢はさして大変な風でもなく、すんなり俺の歩調に合わせて付いてくる。

どちらかといえば小柄なのに、どうしてこんな大股で歩く俺に付いてこられるのか、いつも不思議だ。
面白がってわざと早足にしている俺も俺だが。

「黒田さん、今日はもうお帰りですかぁ?」

早足でも息一つ乱さないのも面白い。

「ああ、帰るよ」

「晩御飯とかぁ、どうするんですかぁ」

「まぁ適当に」

「黒田さんてぇ、彼女いないんですかぁ」

「彼女ならいっぱいいるよ」

「ええぇぇぇ~」

藍沢は鬱陶しい部類に入る女なのだろう。
うるさいだけならともかく、仕事もまるでダメだ。
あの緑さんも最初の1週間で見切りをつけたほどだ。

書類のコピーすらまともにできないと、緑さんが嘆いていた。

ただ俺のメインアシスタントは赤城さんなので、それほど俺には影響はない。

見ている分には面白い。

No.136 15/02/14 10:55
てん ( zEsN )

早足で歩いたので、すぐに駅に着いた。

藍沢は自動改札を通ったが、俺は手前で立ち止まった。

気付いた藍沢が「黒田さん?」と振り返った。

「忘れ物しちゃったよ。先に行って。お疲れさん」

俺は笑って改札から離れた。

「えーーーー」

藍沢の声が背後から聞こえたが、聞こえないフリをした。

この駅は私鉄とJRの乗換え駅になっている。
俺は藍沢を振り切った私鉄の駅からJRへ向かい、電車に乗った。

今日は涼と会う約束をしている。

涼に連絡をして、JR沿線の駅で落ち合った。

涼はX機材の支店まで車で通勤している。
俺が待ち合わせた駅で降りると、駅前で涼が待っていてくれた。

「謙ちゃん、お疲れ様」

涼は相変わらず元気だ。

「お疲れ様。涼ちゃん、今日も可愛いね」

俺が助手席に乗ってそう言うと

「もう、謙ちゃん、それやめてって」

涼は顔を赤くし、車のギアを入れて車を走らせた。

『涼ちゃん』『可愛いね』

この2つの単語を俺が言うと、涼は照れる。
40歳を過ぎたというのにそんなことを言われるのは恥ずかしいのだそうだ。

だけど俺は照れる涼が見たくて、わざとそう言う。
会う度には言わない。
涼が油断したころを狙って言う。

仕事中に電話で話すことはよくあるが、澄まして「黒田さんでいらっしゃいますか?」なんて言っていた涼が、こうしてふたりきりになるとまったく違うのが、俺は可愛くて仕方がない。

No.137 15/02/14 15:47
てん ( zEsN )

涼が前から行きたいと言っていたウドン屋で夕食をとり、そのまま俺のマンションへ帰った。

涼の車は駅に近いパーキングに置き、そこから歩いた。

涼と2人で歩くときは、手を繋ぐ。
涼が俺の腕を取ることもある。

最初照れていたのは涼の方だ。
この歳で恥ずかしいと言っていた。

「知らない人がいたら、仲のいい夫婦だな、って思ってくれるよ」

俺はそのときそう言って笑った。

マンションに着き、部屋に入ると、涼はいつも真っ先にゆり子のケージに向かう。

「ゆり子、涼だよ。こんばんは」

涼はそう声をかけるのだが、ゆり子は決まって背中を向け、知らん顔をする。

「やっぱりコイツ可愛くない!」

涼は毎回そう言って怒る。

俺が近付くとゆり子が「ゆり子、おやすみ、また明日ね」と言うので、俺も「ゆり子、おやすみ。また明日ね」と同じ言葉を繰り返してからケージにカバーをかけてやる。

実家の母親に頼んで作ってもらったカバーは、遮光率の高いカーテンを縫ったもので、かけるとケージの中はほぼ真っ暗になる。
暗くなるとゆり子は静かになる。

「憎たらしい!」

涼は半ば本気で怒っている。

「でも、涼がくるとすぐにああやって寝かせてくれって言うだろ?あれは気を利かせてるんだよ」

「そうなのかな。いや、やっぱり私にケンカ売ってるのよ」

俺は本気でゆり子とケンカする涼がおかしくて仕方ない。

「涼ちゃん、こっちきなよ」

俺がローソファーに座ってそう言うと、涼は黙って俺の横へきた。

涼の2人の娘は、別れたダンナ方の従姉妹の家に泊まりにいっている。

俺は涼を引き寄せて、膝の上で抱え込んだ。

No.138 15/02/16 18:01
てん ( zEsN )

涼を初めて抱いたのは、涼も俺を好きだと言ってくれた日から半月後に会った日だった。

あれから半年以上経った。

俺が涼と会えるのは、涼の娘たちがいない日だけだ。

涼の娘たちが父親や祖父母の家に泊まりに行ったりした日は、日中ゆっくり過ごすことができる。

休日に娘たちが遊びに行くというときは、夕方までなら一緒にいることができる。

涼は母親だから、若い恋人同士のように頻繁に会うことはできないが、幼児を育てている母親よりは時間の自由がきく。

涼は俺と付き合い始めたときに、はっきりと宣言した。

『子ども達が最優先』

俺はそれでいいと言った。

いまは1ヶ月に2、3回のペースで涼に会っている。
普段はLINEで朝晩やり取りしている。

「ホント、意外」

俺に体を預けたまま、涼はクスクス笑った。

「なにが」

「謙ちゃんがこんなにマメで、いちゃいちゃするのが好きなタイプだなんて、想像もつかなかった」

「別にいいだろ」

「仕事してるときとか、クールなのにね」

「お互い様だろ」

「私は社内ではもっとくだけてるけど?青木さんから聞いてるでしょ?でも謙ちゃんは社内でもクールぶってるんでしょ?」

「うるさいな、俺はクールな男なんだよ」

「ホントはこんななのに」

「涼だって甘ったれだろ」

「謙ちゃんだけにね」

涼とこうして過ごす時間が好きだ。

一緒に食事をして、他の人間がいない空間で好きなだけ涼に触れることができる。

No.139 15/02/17 12:14
てん ( zEsN )

涼はやっぱりいつも凛としている。

だけど、俺と付き合うようになってから、ふたりきりでいるときの涼は、俺がいままで知らなかった顔を見せてくれる。

涼と知り合って20年以上経つのに、そういう一面が見られることが嬉しい。

「今度、青木たちとバーベキューするんだ。青木が涼を呼ぼうって言ってる」

「聞いたよ。謙ちゃんとこの赤城さんもくるんでしょ?」

「ああ。俺が呼んだ」

最近になって、大ベテランの緑さんの退職予定が明らかになった。

緑さんは会社の生き字引、営業部の大黒柱のような存在だったから、その抜ける穴は大きい。

そこで緑さんが、派遣社員である赤城さんを正社員にスカウトしたらいいのではないかと言い出した。

緑さんから相談されて、俺も賛成した。

新たに求人するよりも、3月から8ヶ月働いている赤城さんに残ってもらうほうがいいに決まっている。

年齢は30歳前後らしいが、いままでずっと事務職で働いてきた経験もあるし、いまも営業部の仕事はソツなくこなしてくれている。
性格も穏やかで、緑さんや他の社員とも上手く付き合えている。

本来なら藍沢に話がいくところだ。
藍沢は契約社員だし、年齢も若い。

ただ、A商事にきた経緯が経緯だし、それ以前に仕事の能力に疑問符がたくさんついてしまう子だ。

そういうわけで緑さんも上司たちも、赤城さんを正社員登用する方向で話が進み、彼女とコンビを組むことが多い俺も、このことで赤城さんの相談に乗ってやって欲しいと言われていた。

それでこの間は赤城さんを昼飯に誘った。

なにかあったら相談するようにとプライベートのメアドも教えたのだが、そのことも涼には話してあった。

涼が過剰にヤキモチを妬くタイプではないのは分かっていたが、一応、だ。

No.140 15/02/17 19:08
てん ( zEsN )

「一度赤城さんに会ってみたかったのよ」

「俺のアシスタントがどんな子なのか気になる?」

「そうじゃないよ。だってとても感じのいい人だから、会ってお話ししてみたいって思ってたの」

思った通りだ。

多少ヤキモチでも妬いてくれればいいのに、涼はそういうことは言わない。

「割と落ち着いた感じの子だけど、結構可愛いよ」

「わー楽しみ!」

他の女の子を褒めてもこの調子だ。
内心苦笑するが、涼は嫉妬みたいな粘着質なものとは無縁なのは、昔から変わらない。

「涼ちゃーん」

「なーに?」

「少しはヤキモチとか妬いてくれない?」

「妬いて欲しいの?」

「ほどほどには」

「………妬いてるよ」

「嘘ばっか」

「A商事には若い女の子もいっぱいいるんだろうな。謙ちゃんはカッコいいから、謙ちゃんのこと好きな女の子もいるんだろな。謙ちゃんが他の女の子と仲良くしてると嫌だな。………本当はそう思ってるよ」

「俺だって、そう思ってるよ」

「でも、謙ちゃんのことが好きだから、考えないようにしてるの」

「ゴメン。俺、女々しいな。涼にそんなこと言わせ違って」

「お互い様」

「俺は涼だけだ」

「嬉しい」

「ずっと一緒にいて欲しい」

「ずっと一緒にいて」

No.141 15/02/18 16:37
てん ( zEsN )

俺は涼がいれば、他にはなにもいらない。

すぐに結婚などできなくてもいい。

いままで遠回りしたことを思えば、いま涼が俺の腕の中にいるだけで満足だった。

「黒田さん、ちょっと」

12月に入ったころ、夜の7時近くに帰り支度をしていると、後輩の島根が声をかけてきた。

「なんだ?」

「黒田さん、もう帰りですよね。俺も一緒に出ます」

営業部は事務の女性達はみんな退社していて、残っているのは俺や島根以外いなかった。

「久し振りに飲みに行くか」

俺は島根と一緒に会社を出て、駅近くの焼き鳥屋へ行った。

「どうした?」

本当はなんの話なのか分かっていたが、中ジョッキに口をつけながらそう尋ねた。

「噂、聞いてますか?」

やっぱりその話か。

「聞いてるよ。白井さんのことだろう」

「知ってたんですか」

島根は少しホッとしたような顔で俺にならってビールを飲んだ。

緑さんから、俺と涼が付き合っていることが社内とX機材周辺で噂になっていることを数日前に聞かされた。

仕事帰りに銀座で涼と待ち合わせたときに例の藍沢に出くわしたのは、更にその数日前だった。

藍沢は最近大きなミスを仕出かして、営業部から総務へ異動になっていた。
ミスは俺の案件の発注ミスで、事態を収拾するのにけっこう骨が折れたが、緑さんや赤城さんが頑張ってくれたお陰で、どうにか最小限の損失で済ませることができた。

当の本人はそのことを大して気に病んでいる様子でもなく、異動になってからも俺によく声をかけてくる。

そのこと自体は俺もそれほど腹を立ててはいなかったのだが、銀座で藍沢に声をかけられたときは少々驚いた。

涼が俺の腕を取り、歩き始めたときに「あー、黒田さんじゃないですかぁ」という素っ頓狂な声が背後から聞こえた。

まぁいつかはそういうこともあるだろうと思っていたので、俺は藍沢に「X機材の白井さんだよ。白井さんとは昔馴染みなんだ」と涼を紹介した。

No.142 15/02/18 17:07
てん ( zEsN )

よりにもよって、涼と一緒のところに出くわしたのが藍沢だったのは苦笑するしかなかったが、涼も俺もあまりそのことを気にはしなかった。

涼が付き合い始めのころ心配していたように、俺が涼と付き合っていると周囲に知られたら、悪く言う人間がいても仕方ないと思っていた。

でも、うしろめたいことはなにもない。
だから、自分たちから公表するつもりはないが、必死に隠すようなことでもない。

だけど、緑さんから聞かされた話だと、想定していた中でも最悪のパターンで俺と涼が付き合っているという噂が流れているらしい。

もちろん、元凶は藍沢のようだ。

緑さんは詳しい噂の内容までは言わなかったが、聞かなくても想像はつく。

その話が俺の耳に入ったころから、たまに赤城さんがなにか言いたそうな風情で俺を見ることがあった。

赤城さんとは最近社外での付き合いもある。

先月は俺や青木のバイク仲間とのバーベキューに来てもらった。

そこで赤城さんは青木や涼と親しくなり、後日4人で飲みにも行った。

涼はもともと赤城さんに好感を持っていたが、赤城さんも同じだったらしく、最近では俺を置いてけぼりにして2人で仲良くなっているようなところもある。

俺は密かに独り者の青木と赤城さんがくっつけばいいと思っていたのだが。

その赤城さんは、きっと涼や俺のことを心配しているんだろう。
赤城さんは緑さんと同様に、俺と涼の悪い噂を直接耳にする機会が多いはずだ。

そして今日俺に声をかけてきた島根も、噂を耳にして俺を心配してくれたのだろう。

「大丈夫だよ。陰口言われることを気にするくらいなら、初めからバツイチの昔馴染みと付き合ったりなんかしないさ」

俺は店員が運んできた焼き鳥の串をつまんで笑った。

「すみません。俺、余計なこと言ったみたいで」

島根はおっちょこちょいだが、気のいい男だ。
俺を慕ってくれているようなので、島根なりに俺を気遣っているんだろう。

「そんなことないさ。悪いな、プライベートなことで心配かけて」

「俺、白井さんのファンなんで」

お調子者らしく、島根は頭をかいた。

「そういえば、この間X機材に同行したな。島根担当の新宿の案件、X機材のFRPで取れそうだもんな」

「白井さんがコーヒー出してくれました」

No.143 15/02/19 13:05
てん ( zEsN )

「島根は初対面だったな」

「はい、想像より綺麗なひとでした」

「お世辞か?」

「違いますよ。噂では年上だのバツイチだのってことばっかり言われてますけど、黒田さんより年上には見えませんでしたよ。ウチの赤城さんと同い年くらいかと思いました」

「白井さんが聞いたら喜ぶよ」

俺がそう言うと島根は笑った。

本当は陰でどんな酷い噂をされているのか、大体想像はついていた。
緑さんや島根の話、涼と親しくなった赤城さんの俺を見る目。

分かってくれている人間はちゃんといる。

噂の元凶である藍沢を、本当は何度か殴ってやりたくなった。

俺はこのくらい覚悟の上で涼と付き合ったからいいが、離婚で傷付き、葛藤した上で俺と付き合うようになった涼を、なにもしらない人間に侮辱されることは我慢ならなかった。

だけど、噂が流れ始めたころに言った涼の言葉が俺を抑えた。

「なにがあっても私は謙ちゃんの味方だから」

俺の部屋で、俺の腕の中で、涼はそう言った。

それは俺が言う台詞だ。

人生が80年で終わるなら、俺と涼はちょうどいまその半分のところにいる。

俺は残り半分の人生を、涼と生きると決めたんだ。

涼も同じ気持ちでいてくれたからこそ、中傷も非難も覚悟の上で、俺のところへきてくれたんだろう。

俺や涼の気持ちなど、他人には分からないだろう。

20年近く遠回りして、この歳になってやっと想う人と一緒の時を過ごせるようになった俺の気持ちは誰にも分からないだろう。

言いたい人間には言わせておけばいい。

俺はなにがあっても、涼を守る。

涼が俺への気持ちがなくならない限り、俺は涼から離れていったりはしない。

だから無責任な噂をする周囲も、元凶である藍沢も、眼中にない。

俺にとって大切なのは、涼の存在そのものなんだから。

No.144 15/02/19 17:41
てん ( zEsN )

噂はしばらく続いた。

涼からは会ったときに「謙ちゃんも騒がないでね」とクギを刺された。

涼は強い。
妙な噂があっても、涼自身が汚されることはないんだろう。

涼も俺と同じ気持ちでいてくれることが嬉しかった。

だから社内で俺を元からよく思っていなかっただろう人間が、聞こえよがしに嫌味を言おうが、嘲笑されようが、俺は流すことができた。

だけど、12月のある日、藍沢が騒ぎを起こした。

俺は外回りから帰ったときに、緑さんからそのことを聞かされた。

藍沢はここ最近、日中用事にかこつけては営業部にやってきて、涼の悪口を盛大に言っていたらしい。

それにキレたのが、意外にも赤城さんだった。

赤城さんが藍沢を窘めたが素直に聞くわけもなく、ついに赤城さんが藍沢を引っ叩こうとしたそうだ。

だけど、赤城さんより先に緑さんが藍沢を引っ叩いた。

藍沢は社内の問題児だが、さすがに暴力沙汰を起こしたら、手を出した赤城さんは無傷ではいられないかもしれない。

緑さんは赤城さんの身代わりになった。

「私はもう退職するしね。それに私、藍沢さんの弱みも握ってるの。『訴えてやる』なんて言ってたけど、私の兄は現役の弁護士だし。藍沢さんも最後に喧嘩売った相手が私だったのはまずかったわね」

緑さんは俺にそう言いながら、楽しそうに笑った。

「おっかねぇなあ。俺、緑さんを敵に回さなくて良かったよ」

「黒田さんの味方は、私や赤城さんだけじゃないわよ」

「?」

「X機材の青木さん」

「青木?どうして青木の名前が出てくるんですか?」

「X機材でも噂が酷いことになってたでしょ?こっちの状況も知ってるみたいで、黒田さんのフォローをしてやって、って頼まれたの」

青木。
やっぱりイイヤツだな。

「青木さん、赤城さんとも仲良しなのね。『赤城さんがそろそろキレそうだから、フォローしてやって』ですって」

「青木のヤツ、そんなこと言ってたんですか」

「詳しくは聞かなかったけど、赤城さん、かなり怒ってたみたいよ。青木さんにも相談したみたい。『さっちゃん怒ってるんですよ』ですって。黒田さんより赤城さんのほうが心配だったのかしら」

緑さんは面白がっているようだった。

No.145 15/02/20 15:06
てん ( zEsN )

赤城さんは俺と涼が付き合っていることをかなり以前から知っていたらしい。

5月ごろ涼と俺が電車で出かけたときに、偶然乗り合わせたことがあると涼に打ち明けたそうだ。

だけど赤城さんはそのことを俺にはもちろん、社内でも一言も口にしなかった。

そのことひとつ取っても、赤城さんの人柄の良さが分かる。

その赤城さんと青木が俺の知らないところでずいぶんと親しくなっていたのは、なんとなく嬉しいことだった。

「青木さん、ずいぶん黒田さんと白井さんのことを心配してたわ。X機材でもかなりあることないこと噂になってたみたいだから」

「青木のヤツ、俺にはなんにも言ってこなかったな」

「白井さんのこと、それとなく庇ってくれてたんじゃないかな。本当は無責任な噂にかなり怒ってたみたいだけど、騒ぎを大きくしないように気を配ってたんでしょうね。青木さんてそういうところが男らしい人だから」

「そうですね」

「面白いわね。赤城さんも青木さんも、当の本人たちより怒ったり心配したり。黒田さんも白井さんも同僚に恵まれてるわよ」

「緑さんもでしょ」

「私は引退間近のお局様よ。なにもできないわ」

緑さんはそう言って笑うと俺から離れていった。

緑さんと話していて、俺はあることを思いついてしまった。

もしかしたら、青木も俺と涼が付き合っていることにとっくに気付いていたんじゃないか。

そして、青木は涼のことが好きだったんじゃないだろうか。

親友の青木を邪推するのが嫌で、そんなことは考えたことがなかったが、もしそうだったとしたら、俺は青木になんと言えばいいんだろう。

………馬鹿だな、俺も。

もしそうだったとしても、俺がなにも言えるはずがない。

それに青木は赤城さんと親しくなっている。

涼は涼で、青木のことは信頼できる親しい同僚としか見ていない。

赤城さんがいい子だから、青木みたいないいヤツにはピッタリだと勝手に思っていた。
あの2人ならお似合いだろうと。

俺は長年の想いを遂げたことに舞い上がって、いろんなものが見えていなかったのかもしれないと思うと、少々自己嫌悪する気分だった。

No.146 15/02/20 15:52
てん ( zEsN )

12月に入り、緑さんは送別会のあと、会社を去った。

そして仕事納めの日、涼が言い出して青木と3人で忘年会をすることになった。

緑さんが言っていたように、涼は噂の件で青木から庇ってもらったことにずいぶん感謝しているようだ。

俺は青木に対して申し訳ないような感謝したいような気持ちがあったが、微妙な気分を涼に相談するわけにもいかず、忘年会をすることを了承した。

仕事納めの日は外回りもなく、社員全員で部署の大掃除や身の回りの片づけをしてから、部長の奢りで軽く飲んで終わりになった。

涼が予約した新宿の串揚げ屋へ向かう途中、涼からLINEがきた。

>>いま青木さんと一緒に出ました
>>赤城さんも誘おうって青木さんと言ってたの
>>謙ちゃん誘ってきて

もう少し早く連絡をくれれば社内で言えたのにと苦笑しながら「了解」と返事をし、電車に乗ってから赤城さんへ誘いのメールを送った。

>>行きます♪

赤城さんからすぐに返信がきた。

涼にそれをLINEで伝えると

>>やったー♪
>>青木さんが喜んでるよ

と返ってきた。

新宿に着き、涼に言われた串揚げ屋に入ると、涼と青木は一足先に到着していた。

「赤城さんはー?」

俺の顔を見るなり、涼が不満そうに言った。

「LINEがきたのが会社出たあとだったんだよ。ちゃんとメールしたから、もう少ししたらくるよ」

「どっかで待っててあげればよかったのに」

涼はブツブツと文句を言った。
よほど赤城さんのことが好きらしい。

「黒ちゃん、お疲れ。座れよ」

青木は俺と涼のやり取りに笑いながら、涼の隣の席を指差した。

そうか。
涼と俺が付き合っていると明らかになったから、青木ももう知らないフリはしないんだな。

まぁ赤城さんがくれば青木の隣に座ることになるのだから、気にせず涼の隣に座った。

とりあえず飲み物と軽いつまみを頼み、少しすると赤城さんが店に入ってきた。

「赤城さん!」

涼が飛び上がるように立ち上がり、赤城さんを呼んだ。

「お疲れ様です。来ちゃいました」

赤城さんが照れたように言いながら青木の隣に座ったとき、店の入り口から客が入ってくるのが見えた。

あれは、藍沢だ。
どうしてここに?

No.147 15/02/21 23:19
てん ( zEsN )

「どうしたんですか?」

俺の表情に気づいた赤城さんが怪訝な顔をした。
赤城さんと青木からは入り口が見えない。

「わぁぁ、偶然~。黒田さんじゃないですかぁ」

赤城さんはまるでゴキブリを発見したような顔になり、後ろを振り返った。

赤城さんのすぐ後ろに、ニコニコと笑う藍沢がいる。

「………なんで藍沢さんがここにいるの?」

苦虫を噛み潰した、というのは赤城さんのこういう顔を言うんだろう。

「あ。赤城さんもいたんだ。お疲れ様」

藍沢は意に介さないようだ。

「謙ちゃん、この間銀座で会った方よね。藍沢さん、って仰ったかしら。こんばんは」

涼が満面の笑みで言った。
これは作り笑いではない。
本当に面白がっているようだ。

「こんばんは。私もお友達とここに来ようと思っててぇ、偶然ですねぇ」

「ちょっと、藍沢さん!こっち来て!」

藍沢の言葉を奪い取るような勢いで立ち上がった赤城さんは、そのまま藍沢を引きずるようにして店から出て行ってしまった。

「………なんだ、ありゃ」

青木があっけにとられた様子で2人が出て行った入り口に目を向けた。

「青木さん、あの子がX運送にいた藍沢さんよ」

涼はおかしくてたまらない様子で言った。

「あぁ、彼女が。偶然だな」

「違うわよ。きっと謙ちゃん、後をつけられたのよ」

涼の推理は間違っていないような気がした。
藍沢ならやりかねない。

No.148 15/02/22 10:10
てん ( zEsN )

「リョウちゃんは随分寛大なんだなぁ」

青木が感心したように言った。

「あんな若い子相手に本気で怒れませんよ。まぁ確かに噂の元は彼女らしいから困った子だとは思うけど。今日も謙ちゃんに付いてここまで来ちゃったんだろうなーって想像すると、腹が立つより可愛いような気がして」

「まあそうなんだろうけど、赤城さんは大変だよ。藍沢は赤城さんに迷惑ばっかりかけてるからな。赤城さんも優しいからよく相手してやってると思うよ」

俺がそう言うと、青木が

「そうなんだよなぁ。さっちゃんは本当いい子だよ。リョウちゃん、さっちゃんは噂のことでずいぶんリョウちゃんと黒ちゃんのこと心配して怒ってたよ」

と言った。

青木だって、緑さんにこっそりフォローを頼んでいたくせに、そんなことは匂わせたりしない。

なんというか、青木も赤城さんも似た者同士だ。

もしかしたら、青木は涼のことを好きなのかもしれないと思ったが、そうだとしても青木は絶対に認めたりしないだろう。

これからもこうやって、俺の親友として、涼の同僚として、力になってくれるのだろう。

「お疲れ様」

涼の声に顔を上げると、いかにもゲンナリした感じで赤城さんが戻ってきていた。
赤城さんが藍沢を追い返したらしい。
なんだかんだ言って、赤城さんは藍沢の扱いに慣れているようでおかしかった。

涼が「お疲れ様」と笑いながら赤城さんをねぎらい、そのあとは和やかに飲んだ。

No.149 15/02/22 11:27
てん ( zEsN )

10時くらいに店を出て、駅で青木と赤城さんとは別れた。

もう涼と一緒に帰ることを隠さなくてもいいのが面映ゆい。

涼の娘たちは冬休みで、父親の家に行っているので、涼は俺のマンションに一緒に帰った。

例によって涼はゆり子と軽くバトルをし、その後交代で風呂に入り、買ってきた酒で軽く飲み直した。

「謙ちゃんに謝らなくちゃいけないんだ」

青木たちと別れてから、少し涼の元気がないと思っていたが、なにかあったらしい。

「なんかあった?」

「ヒナに謙ちゃんのことバレちゃった」

涼の娘は高校生の長女が風花、中学生の次女が日向子という。

涼は俺と付き合っていることを、まだ娘たちに伝えてはいなかったが、俺とは若い頃からの友達で、たまに会っていることは隠していなかった。

涼の話では、長女の方は割とフランクで細かいことは気にしない性格で、次女はどちらかというと繊細で、下の子らしく甘えん坊だということだった。

「ヒナ、勘のいい子でさ。ズバリ『黒田さんと付き合ってるんでしょ』って聞かれて嘘ついても仕方ないから『そうだよ』って言った。『再婚なんてしないよね』って言うから『少なくともあなたがもっと大人になるまではしない』って言っておいた」

涼が言うには、離婚した涼に恋人がいるのは構わないが、再婚したり、俺と会ったりするのは絶対に嫌だ、ということらしい。

No.150 15/02/22 19:11
てん ( zEsN )

「そうか」

「ゴメンね」

「謝るようなことじゃないだろ」

「………でも」

こういうとき、涼の頭の中には自分がバツイチで子持ちだから、俺に申し訳ないというような考えが広がっているんだろう。

「いいんだって。涼がそれで俺と別れたいとか言うんなら困るけど」

「そんなこと言わない」

「ヒナちゃんに嫌われても、涼に嫌われなければそれでいいよ」

「うん」

「何年でも待つよ」

「うん」

涼の腕が俺の首に絡みついた。

「謙ちゃん、大好き」

「涼」

こうして涼を抱きしめることができるだけでいい。

一緒になれるまで、何年でも待つ。

なにがあっても、俺は残りの人生を涼と過ごすと決めたんだ。

他にはなにもいらない。

俺は涼がいいんだ。

涼を抱くと、涼はうわ言のように俺を呼ぶ。

何度も何度も好きだと言う。

恥じらう顔も

俺に巻き付く腕も

囁く声も

なにもかもが愛しい。

涼を抱くときの俺は、多分高校生だったころのまま、涼を求めているんだろう。

近くにいても触れることができなかった涼を

肌で感じることができることが、いまでも夢のようだ。

そうやって俺と涼は、遠回りした20年を、最初からやり直しているように思えた。

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