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黒と白のグラデーション

レス166 HIT数 28462 あ+ あ-

てん( zEsN )
15/03/02 18:54(更新日時)

俺が17歳

彼女は20歳

俺は高校生

彼女は大学生

たったそれだけの差が

遠かった

14/12/14 20:58 追記
「ため息はつかない!」に登場した黒田さんと白井さんの出会いからのお話です。
よろしかったら「ため息はつかない!」もご一読ください
http://mikle.jp/threadres/2143875/

14/12/23 15:17 追記
【感想スレ】
http://mikle.jp/threadres/2169945/
よろしくお願いします

No.2167443 14/12/14 20:50(スレ作成日時)

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No.166 15/03/02 18:54
てん ( zEsN )

次のお話を始めました。
「ともだち」というタイトルです。
今度は純愛路線ではないお話で、あまり綺麗な人間関係ではなく、いままでのお話とは雰囲気が違うのでお好みでない方もいるかもです。
一応テーマは「男女の友情」です。
よろしかったらお付き合いください。
http://mikle.jp/threadres/2192583/

No.165 15/02/28 15:12
てん ( zEsN )

「まとめスレ」を閉鎖して「まとめスレ改」で立て直しました。

以前書いたお話にご興味おありの方がいたら、お暇つぶしにのぞいてみてください。

http://mikle.jp/threadres/2191908/

No.164 15/02/27 16:33
てん ( zEsN )

完結いたしました。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
よろしかったらご感想をお願いします
( ´ ▽ ` )ノ
【感想スレ】
http://mikle.jp/threadres/2169945/

No.163 15/02/27 16:31
てん ( zEsN )

「やっぱり怖いな」

「ふふふ。でもね、ヒナはそれなりに謙ちゃんのこと信用してくれてるみたい」

「嫌われてたのに?」

「嫌ってるから点が辛いのよ。『お母さんは年上でバツイチで、しかも気の強い人なのに、しかも子どもに嫌われても別れないって、黒田さんって根性あるのかな』とか言ってた」

「ヒナちゃん、俺のことよく分かってるな」

「ヒナは体育会系だから、根性のない男の子は嫌いなのよ」

「いいよ、食事、行こう。ヒナちゃんと風花ちゃんになにが食べたいか聞いておいて」

「謙ちゃん」

「ん」

「もう少し待っててくれる?」

「馬鹿だな。20年以上待ったんだから、あと4、5年くらい軽く待てるさ」

「いつか謙ちゃんと一緒に暮らしたい」

「一緒に暮らすんだろう?」

「ずっと一緒にいたい」

「ずっと一緒にいてくれよ」

「おじいさんとおばあさんになっても?」

「涼のシワシワになった手を引いて歩いてやるよ」

「シワシワ、もうそろそろ危ないかも」

「涼は綺麗だよ」

「お世辞?」

「昔から涼は綺麗だよ」

「バカ」

「どんなになっても、俺は涼が好きだ」

「私も」

「死ぬまで一緒だ」




☆☆☆了☆☆☆

No.162 15/02/27 16:07
てん ( zEsN )

抜けるような青空の日だった。

花が舞う。

祝いの声が飛び交う。

その中を新郎新婦が恥ずかしそうに腕を組んで歩いてくる。

俺は涼と一緒に花びらを撒きながら、目を合わせて笑った。




「赤城さん、綺麗だったね」

「青木のヤツ、デレデレだったな」

「だって、付き合い始めてまだ2年よ。やっと想いが通じた赤城さんと結婚できるんだもの。デレデレにもなるでしょ」

「子どもでもできたら、もっとデレデレだろうな」

「そうだね。ちょっと羨ましい」

「俺は涼がいれば、それでいいよ」

「………あのね、謙ちゃん」

「なに?」

「ヒナがね」

「ヒナちゃん?」

「うん。この間謙ちゃんがツーリングのお土産で、ご当地キャラのイヤホンジャック買ってきてくれたでしょ。お礼がしたいんだって」

「ヒナちゃんが?」

「うん。だから一緒に食事でもできないかな、って。ヒナと風花と、4人で」

「………でも、ヒナちゃん、あれだけ俺のこと嫌ってたのに平気なのか」

「まだ複雑な気持ちはあるらしいんだけど。最近ヒナも彼氏ができて、ちょっと考えが変わったみたい。ヒナは高校を卒業したら、看護学校の寮に入るつもりみたいだし、風花も学生寮に入ったでしょ。なんか、私が1人になるのが心配になったみたい」

「俺にとっては、ヒナちゃんが恋人の父親並に怖い存在なんだよな」

「そう?ヒナは謙ちゃんに会って、見極めるつもりらしいよ」

No.161 15/02/27 15:40
てん ( zEsN )

「青木もその場に居合わせたらしいんだけど、怒ってたよ」

「ちょっと可哀想だけど、藍沢さんは青木さんのタイプじゃないわよね」

「普通の男には荷が重いだろう。俺も無理だな」

「そう?」

涼がそう言ったときに、店員が注文したお好み焼きを運んできて、涼は嬉しそうに箸を取った。

「そう、って、俺は藍沢みたいな子は苦手だよ」

涼の言った言葉が気になって、俺はお好み焼きには手を付けずに言った。

「だって謙ちゃん、わざわざ私みたいなのと付き合ってる」

涼は笑いながら俺の皿にお好み焼きを取り分けた。

「いい加減そういうこと言うのやめろよな。涼は涼なんだから」

俺は少し腹を立ててそう返した。

いつまで涼は自分が年上のバツイチであることに拘るんだ。

「あ、ゴメン。そういうことじゃないのよ」

涼は俺の感情を読んだように、顔の前で手を振った。

「でも、第三者から見たら、やっぱり年上でバツイチで子持ちなんて、普通の男の人には荷が重いと思うの。私だって、離婚してすぐに謙ちゃんと付き合うなんて、やっぱり世間からは悪く言われて当たり前なのよね」

「まぁ、普通はそう、なのかもな」

「うん。だから青木さんなんて、前に好きな人がいようが、そんなに気にする必要ないのに、って思うのよ。私や謙ちゃんなんか、言われ放題でも平気でいるのにね。青木さんも赤城さんも、お互い遠慮ばっかりしてないで、少しは私の図太さとか、藍沢さんの素直さを見習えばいいのよ」

「藍沢のあれを素直っていうのは納得いかないな」

俺はつい笑ってしまい、やっとお好み焼きに箸をつけた。

そのとき、涼が脇に置いていたスマホが鳴った。

涼はチラッと見て、すぐにスマホを手に取ると、満面の笑みを浮かべた。

「なに?」

「赤城さんからLINE。連休に青木さんとお出かけだって」

「へぇ」

連休に出かける、つまりデートというわけか。

どこへ行くのかは知らないが、青木はさぞ喜んでいるだろう。

No.160 15/02/26 17:15
てん ( zEsN )

「青木さんて好きな人がいたのね」

涼にそう言われて俺はギョッとした。

展示会に行った翌週の日曜日、涼の子ども達はめいめい遊びに出かけているということで、涼と待ち合わせて池袋で会った。

涼がお好み焼きを食べたいと言うので、デパートのレストラン街にあるお好み焼き屋に入ったところだった。

涼は金曜の夜に赤城さんと飲みに行っていた。
赤城さんは以前不動産屋で働いていたことがあるそうで、涼は妹が借りている賃貸物件のことで相談しようと会ったらしい。

涼は赤城さんを最初から気に入っているし、赤城さんのほうも年上の涼を慕っているという風で、2人はずいぶん仲良く付き合っているようだった。

「そりゃ、青木にだって、好きな人くらいいるだろう」

涼の口調から、青木が好きだったのは涼自身だということは知らないのは分かった。
赤城さんもそんなことは涼に言わないだろう。

「青木さんは赤城さんのことを好きなんだと思うんだけど、青木さんたら前に好きな人のことを赤城さんに相談してたみたいなのよ。あの2人、いい雰囲気だと思ってたのに、なかなか進展しないと思ったら、青木さん、そのせいであと一歩が踏み込めないみたいね」

涼はウーロン茶のグラスをストローでかき混ぜながら愚痴のように言った。

内心、涼も俺が考えたのと似たようなことを考えているんだなとおかしくなった。

青木のためにも、赤城さんのためにも、そして俺のためにも、青木が涼を想っていたことは知らせないほうがいい。

「赤城さんはどうなんだろうな。この間一緒にビッグサイトに行ったときに少し話したんだけど、彼女もそんなガツガツいくタイプじゃなさそうだしな」

「そうそう、青木さんに聞いたんだけど、藍沢さん、またやらかしたんだって?」

展示会の日、俺がクレーム対応で赤城さんと青木を置いて帰ったあと、青木は赤城さんを会社へ送るついでにウチの課長に挨拶に寄ったそうだ。

そのとき、例によって藍沢が現れて、赤城さんにイチャモンをつけた挙句、コーヒーをぶっかけるという暴挙に及んだらしい。

俺は帰社したあとに緑さんからその話を聞いた。

No.159 15/02/26 13:24
てん ( zEsN )

首都高を走り、車は東京ビッグサイトに着いた。

車を駐車場に入れ、展示会の会場に入り、赤城さんを案内しながら、取引先のブースに立寄ったりしていたら、やっぱり青木に出くわした。

「えっ、さっちゃん?来てたの?」

人の流れの中だったので、離れた所から女性の赤城さんは青木には見えなかったらしく、青木は面白いくらい驚いていた。

「青木さん、こんにちは」

赤城さんは特に驚いた様子もなく、青木に笑いかけた。

せっかく青木に会ったので、X機材のブースは青木に案内してもらうことにした。

X機材と、X機材の仕入先のブースで青木の説明を聞き、赤城さんは目を輝かせていた。

入社したころは派遣社員としてただソツなく仕事をこなしている印象だったが、最近の赤城さんは本当に仕事熱心だ。
緑さんが見込んだ通り、きっと赤城さんは優秀な事務員になるんだろう。

青木も赤城さんの熱心さにつられるように、いろいろと細かく説明している。

なんというか、2人とも真面目だ。
仕事で会っているのだから、もちろん浮ついた雰囲気などないのが当たり前なんだろうが、それにしたって柔らかい空気がもう少しあってもいいんじゃないかと、俺は勝手に思った。

青木と赤城さんと3人で昼食でもとるかと思っていたら、会社から緊急連絡が入った。

俺が担当している現場で、トラブルがあったようだ。

「クレームだ。現場に行かないと詳細が分からない。ゴメン、赤城さん、電車で帰ってもらえる?」

「分かりました。私は大丈夫なんで、早く行ってください」

さすが赤城さんは冷静な口調でそう言ってくれた。

「ゴメン。青木、またな」

俺は青木に挨拶して、駐車場へ向かった。

現場へ向かって車を走らせながら、きっと青木も営業車で来ているだろうから、このあと赤城さんを会社まで送ってくれるだろうと思った。
青木のいる支店へ戻る途中にA商事はあるのだ。

時間を考えたら、昼食も一緒にとれるだろう。

青木、クレームに感謝しろ。

そう言ってやりたくなって、俺は1人でニヤニヤした。

そこでまた携帯電話が鳴り、俺はハンズフリーで応答して頭の中を切り替えた。

No.158 15/02/25 16:58
てん ( zEsN )

「青木はさ、前の彼女と別れてから、女の子の話なんてしたことなかったんだ。それが、赤城さんと仲良くなってからは、よく赤城さんの話をしてる」

俺がそう言うと、赤城さんが不満そうな雰囲気になったような気がした。

青木推しが過ぎたか。
俺が青木に頼まれてお節介をしていると思われたら困るが、赤城さんに青木のことを知ってもらういい機会じゃないだろうか。

「誤解しないでよ。別に青木が俺になんか言ってるわけじゃないんだ。ただ、こないだ赤城さんが元彼に会ったらしい、って心配してた」

「青木さんたら、そんなこと黒田さんに言って」

「赤城さんから連絡きて会った、ってテンション上がってたから、ちょっとクチ滑った感じだったんだ。許してやってよ」

「別に、怒りはしませんけど。青木さんにもちゃんと経緯話したのにな」

言葉通り、赤城さんはそれほど気分を害しているわけではないようだった。

「うん。だから、あいつ不器用なんだ。感情隠すの下手だし。でも、ホントいい奴だから、あいつには幸せになってもらいたんだよな」

不器用だから、青木が涼を好きだったんじゃないかと、俺にも分かった。

そしていまは赤城さんを好きになることを葛藤しているんじゃないかと。

俺もお節介だな。

だけど、そのあと窓の外を眺めながらなにかを考えている赤城さんを見て、もしかしたら俺のお節介は青木の助けになったかもしれないと思った。

赤城さんも、涼も、分かっていない。

男は女性陣が思ってるより、ずっとガキで単純で、だけど変なところで繊細なんだ。

それでいて、惚れた女を手に入れて、自分の手で守ってやりたいと思っているんだ。

そんな馬鹿な男共を、涼も赤城さんも、笑って受け入れてくれるんだろうか。

No.157 15/02/25 15:39
てん ( zEsN )

赤城さんはしばらく窓の外を見ながらなにか考えているようだった。

「黒田さんはいいなぁ」

ぽつ、と赤城さんが口を開いた。

「?」

「だって昔から好きだった白井さんと付き合ってるんですもんね」

俺に矛先が向いてしまった。
青木のことをペラペラ喋った罰だろうか。

でも、この話の流れで俺と涼のことが出るのは、やっぱり赤城さんも青木に好意があるのかもしれない。

照れ隠しに俺は、涼の次女から嫌われていることを話した。

赤城さんは同性ということもあって、なんとなく次女の気持ちが分かるようだった。

「彼女の父親に嫌われた彼氏みたい」

上手いことを言うと思った。

「気分的には極めてそれに近いね」

そう。
なにもかも順風満帆な恋愛など滅多にない。

忍とは順風満帆に見えて、家の事情で別れを選ぶという結末が待っていた。

涼とは回り道だらけで、紆余曲折の末、やっと想いが通じたと思ったら、ちゃんと障害が用意されている。

それでも俺は涼が好きなんだ。

青木だって同じなんじゃないだろうか。

過去の失恋、涼への想い、そしていま赤城さんとの微妙な関係。

青木みたいないいヤツにはこれから順風満帆な恋愛が待っているんじゃないだろうか。

No.156 15/02/25 15:28
てん ( zEsN )

これは本当だ。
青木はいいヤツだ。
だけど、恋愛に関しては不器用な男だ。

同棲していた彼女のことを青木がどれほど好きだったか、俺は知っている。

そうだ。
俺だってかつては忍のことが好きだった。
あのまま忍と別れることがなかったら、きっと俺はいま涼とは付き合っていないだろう。

本気だったから、俺も青木もそのあとの恋愛が上手くいかなかったんだと思う。

だけど、昔の話だ。

俺がいま大事なのは涼だし、青木はその涼に心を寄せた時期があり、いまはきっと赤城さんのことが好きなのだろう。

その青木は、不器用ゆえに、悩んでいるに違いない。
誠実な男だから、切り替えが上手くできないんだ。

俺は赤城さんのことを同僚としてしか見ていなかったが、最近になってプライベートでの付き合いも増え、いい子だと思うようになった。

青木だってそう思うから、俺の知らないところで親しくなっていったんだろう。

青木も赤城さんも立派な大人で、しかも独身だ。もちろん2人とも未婚だ。

涼が俺の想いを受け入れるのに葛藤したような足枷はなにもないのに、青木はなにを迷っているんだろう。

「青木さんは元カノのこと、そんなに好きだったんですか?」

ほら。
赤城さんも青木のことを気にしているじゃないか。

「結婚するつもりでいたからな。傷ついたと思うよ。俺も信じられなかった。青木の元カノ、別れた3ヶ月後には違う男と婚約したらしいから。メタフレのメガネが似合う、クールな感じの、いかにも仕事ができそうな子でさ。青木が言うにはツンデレ気味だったみたいだけど、それが金持ちと結婚して、あっさり専業主婦になっちゃうんだもんな」

そういえば青木は俺にこの話はしていない。
緑さんから聞いた話だ。
だけど、赤城さんはホイホイと青木本人や周囲に話したりはしないだろう。

赤城さんなら、青木の誠実なところを汲んでくれそうな気がした。

No.155 15/02/25 15:07
てん ( zEsN )

翌日、俺は朝出社すると制服姿の赤城さんを連れてビッグサイトへ向かった。

会社を出るときに藍沢に見つかり、赤城さんが例によって苦虫を噛み潰したような顔をしていたのがおかしかった。

「彼女も相変わらずだね」

車を出して俺がそう言うと、助手席に座った赤城さんは小さくため息をついた。

「藍沢さんですか?」

「うん。青木からなにか聞いてる?」

俺のほうから水を向けてみた。

「藍沢さん本人からも聞いてます」

赤城さんはゲンナリした口調で言った。

「青木が首傾げてたよ。『なんで毎日メールがくるんだろう』って」

「藍沢さん、積極的だから」

「赤城さん、青木に携帯変えたの知らせてなかったんだって?」

俺がそう言うと、赤城さんは「しまった」とでも言いたげな顔をした。

「ウッカリ忘れてたんですよ」

澄ました顔でそう言いながらも、赤城さんはなぜか頭をドアにぶつけた。

会社では割と落ち着いた雰囲気なのに、青木の話を振られて動揺している赤城さんは可愛かった。
だけど赤城さんに悪いので、笑うのは我慢した。

「あいつも不器用だよな。心配でしょうがないなら、俺とか涼ちゃんに聞くとかすればいいのに」

「私がウッカリしてたのが悪いんですよ」

「こないだ久しぶりに会ったんだって?青木から電話がかかってきてさ。『さっちゃんから連絡きたんだよ』って、嬉しそうに」

思い出すとつい笑ってしまう。
あのときの青木は本当に嬉しそうだった。

「はぁ」

赤城さんはなんとなく不満そうな声を出した。

「青木、女の子の扱い、苦手だからな」

「そうなんですか?」

「それでもあいつ、それなりにモテるんだよ。だけど、手酷い失恋してから、ちょっと慎重になってるみたいだな」

No.154 15/02/24 13:04
てん ( zEsN )

4月になり、A商事にも新卒の社員が何人か入社した。
俺も営業担当になった新入社員を指導することになった。

それなりにバタついたが、仕事の絶対量は繁忙期よりは減り、一息ついた感じだ。

「明日、赤城さんとビッグサイトに行ってきてよ」

ある日、少し用事が長引いて出先から戻り、帰り支度をしていると、課長に呼ばれてそう言われた。

「ああ、展示会ですか」

俺のところにも建材の展示会の案内がきていた。

「赤城さんは現場に行く機会もないしね。展示会にいけば建材の現物も施工サンプルも見られて勉強になるから」

赤城さんは上の人間からも期待されているんだろう。
緑さんが退職し、そのあとを引き継げるのは赤城さんしかいないのだ。

俺も時間があったら展示会へは行くつもりだった。

確かX商事のブースもあるはずだ。
青木は展示会の担当ではないが、顔を出すことはあるだろう。

『さっちゃんから連絡きたよ』

嬉しそうな青木から電話がきたのは、先週のことだ。

「へえ、よかったじゃないか」

俺はそう言ったが、内心青木の嬉しそうな声を冷やかしてやりたい気分だった。

赤城さんから連絡がきて2人で飲んだらしい。
どうやら藍沢絡みで赤城さんにもとばっちりがいき、赤城さんが怒って電話してきたようなのだが、例によって藍沢はひとりよがりな動きをしていたらしく、赤城さんが音信不通だった件もなんとなく有耶無耶になり、仲直りというか、まぁ楽しく飲んだということだった。

『だけどさ、さっちゃんが元彼と会ったって聞いてさ』

そこで青木のテンションは一気に下がった。

「そりゃあ赤城さんにも元彼くらいいるだろう。ヨリ戻すとかって話?」

『いや、そいつ結婚して離婚したみたいなんだけど、まぁ要はさっちゃんとヨリ戻したかったんだろうな。さっちゃんは相手にしなかったみたいだけど』

「ならいいじゃないか」

『あ、そう、だな。うん』

電話の向こうで青木が焦っているのが分かった。
多分元彼の話まではするつもりじゃなかったのに、口が滑ったんだろう。

どうやら青木は本気で赤城さんを好きらしい。
だから赤城さんから連絡がきて俺に報告してくるし、元彼と会ったと聞いて明らかに落ち込んでいる。

本当ならからかってやりたいところだが、青木を応援してやりたい俺としては、そうもいかなかった。

No.153 15/02/23 15:57
てん ( zEsN )

「赤城さんみたいな子が理由もなく付き合いぶった切ったりしないだろ。なんか心当たりないのかよ」

俺がそう言うと、青木は飲みかけのサワーに口をつけて少し考え込んだ。

「………俺、好きな人がいたんだよ」

青木の言葉に俺は思わず涼の顔を思い浮かべた。

「へぇ。初耳だな」

「まぁいろいろあって、その人のことは諦めたんだけど、さっちゃんにその話はしてるんだよ。昔の、同棲してた彼女のことも話したけど。それなのにさっちゃんのこと誘ったりしたから、軽い男だと思われたのかもしれないな」

青木が軽いなら、世の中の男は空気よりも軽い男ばかりだろう。
38歳にもなって、なにも恋愛経験がない男のほうがおかしいということくらい、赤城さんだって分かってるはずだ。

そして俺は、やっぱり青木は涼を好きだったんだと確信した。

青木はそんなことは絶対に認めないだろうが。

でも、青木が涼を好きだったと赤城さんが知っていたら、青木がこんな風に考えるのも自然なような気がした。

たぶんいま青木は赤城さんを好きになっているんだろう。

俺から見ても、赤城さんはいい子だ。
一緒に仕事をし、そして涼や青木と絡んで仕事以外でも親しくする機会が増えて、やっぱりいい子だと思う。
涼などはべた褒めだ。

だけど俺が余計なお節介をするわけにもいかないだろう。

俺が考えた通り、青木が本当に涼を好きだった時期があり、そしていまは赤城さんを好きになっているのなら、俺が出しゃばるのはなんとなく青木に失礼なような気がした。

「そのうち涼が赤城さんと飲みたい、って言い出すよ。そのときなら青木も来やすいだろう?ゴールデンウィーク前までには、仕事もひと段落するだろうし」

「まぁ、そうだな」

もっと上手く青木を元気付けてやりたかったが、こんなことを言うのが精一杯だった。

No.152 15/02/23 15:30
てん ( zEsN )

「じゃあ赤城さんに相談すればいいじゃないか。俺は藍沢とは親しいわけじゃないぞ」

「さっちゃんと連絡取れないんだよ」

青木は少し情けない顔をした。

「なんでだよ。2人で飲みに言ったりしてたんだろ」

「リョウちゃんが言ってたけど、さっちゃん機種変して携電もメアドも変わったらしいんだ。俺んとこには連絡きてないんだよ」

青木に言われて俺も思い出した。
そう言えば先日赤城さんから携電とメアドの変更のメールが来ていた。
そんなことはあまり気にしていなかったが、青木に連絡がいっていないとは思わなかった。

「青木、赤城さんに嫌われるようなことでもしたのか」

この男に限ってまずそんなことはないだろうと思いながらもそう聞いた。

「するわけないだろ。正月にも新年会っていって2人で飲んだんだ。そのあとは忙しくてあんまり連絡もしてなかったけど、飲んだときは普通だったし、彼女を怒らせるようなことは言ってないと思うんだけどなぁ」

ほぅ。
俺の知らないところで仲良くやっていたんだな、と一瞬ニヤけそうになったが、青木が落ち込んでいるようなので笑うわけにもいかない。

「藍沢が青木の追っかけを始めたから、赤城さんは関わりたくなくて、とかか?」

「なんでだよ。俺、藍沢なんてどうでもいいよ。そもそも藍沢は黒ちゃんのことが好きなんだろう?俺に連絡してくるのは、俺をダシにして黒ちゃんに近付きたいんだろうと思ってたよ」

「ここんとこ俺の周りでは藍沢は大人しいぞ。緑さんにクギ刺されたのもあってか、噂も落ち着いたしな。俺には涼がいるし、だったらフリーの青木にしよう、ってとこじゃないのか?」

「俺は黒ちゃんみたいに若い女の子からモテるタイプじゃないんだよ」

青木はそう言ったが、青木は決して女の子にモテないわけじゃない。
誰にでも優しいし、顔はいかついが不細工ではないし、背も高くて男らしいタイプが好きな女の子には人気があるだろう。
仕事でも有能なほうだし、同世代の男の中では収入だって悪くないはずだ。

藍沢が目をつけても不思議ではない。

「赤城さんの連絡先、教えようか。ただ単に忘れてるだけかもしれないぞ」

「リョウちゃんにも黒ちゃんにも教えてるのに、俺だけ忘れるか?女の子の連絡先を他人から聞くもんじゃないだろ」

No.151 15/02/23 13:18
てん ( zEsN )

年明けから3月にかけて建設業界は繁忙期で、俺は土曜も出勤することが多かった。
涼とは時間を作ってときどき会っていたが、青木や赤城さんとは忘年会以来飲みに行ったりする機会はなかった。

青木も忙しいようだったが、3月の下旬の土曜、メールがきて飲みに誘われた。
その日も土曜出勤だったが、夕方に仕事は片付き、俺もいい加減飲みに行きたい気分だったので、よくいく池袋の焼き鳥屋で青木と会った。

「悪いな、リョウちゃんと会う約束とかなかったのか」

相変わらず青木はそんな気遣いをしてくれる。

「子ども達と実家のお母さんと出かけてるよ」

「それならよかった」

「忘年会以来だもんな」

俺がそう言うと、青木は少し顔をしかめた。

「どうしたんだよ」

「その忘年会のときだけどさ、例の藍沢って子がいただろ」

「ああ。赤城さんが追っ払ったよな」

「また会ったんだよ」

「藍沢と?」

「X運送に俺の指導者だった先輩が出向してるんだけど、その人と飲んでるときになぜか彼女が現れてさ。よく分からないんだけど、俺と飲んでるって聞いて勝手にきちゃったらしいんだ」

「へぇ」

「藍沢がX運送でトラブル起こしたときは先輩のアシスタントだったんだけど、久し振りに連絡がきたと思ったら、なぜかそんなことになったらしくてさ。なし崩しに俺まで連絡先聞かれて、それから毎日メールがくるんだよ」

ここ最近A商事でも涼の噂は沈静化していたし、忙しかったせいか、藍沢と接触する機会もなかった。

でもなるほど。
藍沢は青木に目をつけたということなのか。

「モテて良かったじゃないか」

俺がそう言うと青木は俺の頭を平手で引っ叩いた。

「勘弁してくれよ。俺、ああいうタイプは苦手なんだよ」

「女の子全般の扱いが苦手なんだろ」

「そんなことないよ。さっちゃんとは気軽に話せる」

そう、青木は赤城さんとは気が合うようなのだ。

No.150 15/02/22 19:11
てん ( zEsN )

「そうか」

「ゴメンね」

「謝るようなことじゃないだろ」

「………でも」

こういうとき、涼の頭の中には自分がバツイチで子持ちだから、俺に申し訳ないというような考えが広がっているんだろう。

「いいんだって。涼がそれで俺と別れたいとか言うんなら困るけど」

「そんなこと言わない」

「ヒナちゃんに嫌われても、涼に嫌われなければそれでいいよ」

「うん」

「何年でも待つよ」

「うん」

涼の腕が俺の首に絡みついた。

「謙ちゃん、大好き」

「涼」

こうして涼を抱きしめることができるだけでいい。

一緒になれるまで、何年でも待つ。

なにがあっても、俺は残りの人生を涼と過ごすと決めたんだ。

他にはなにもいらない。

俺は涼がいいんだ。

涼を抱くと、涼はうわ言のように俺を呼ぶ。

何度も何度も好きだと言う。

恥じらう顔も

俺に巻き付く腕も

囁く声も

なにもかもが愛しい。

涼を抱くときの俺は、多分高校生だったころのまま、涼を求めているんだろう。

近くにいても触れることができなかった涼を

肌で感じることができることが、いまでも夢のようだ。

そうやって俺と涼は、遠回りした20年を、最初からやり直しているように思えた。

No.149 15/02/22 11:27
てん ( zEsN )

10時くらいに店を出て、駅で青木と赤城さんとは別れた。

もう涼と一緒に帰ることを隠さなくてもいいのが面映ゆい。

涼の娘たちは冬休みで、父親の家に行っているので、涼は俺のマンションに一緒に帰った。

例によって涼はゆり子と軽くバトルをし、その後交代で風呂に入り、買ってきた酒で軽く飲み直した。

「謙ちゃんに謝らなくちゃいけないんだ」

青木たちと別れてから、少し涼の元気がないと思っていたが、なにかあったらしい。

「なんかあった?」

「ヒナに謙ちゃんのことバレちゃった」

涼の娘は高校生の長女が風花、中学生の次女が日向子という。

涼は俺と付き合っていることを、まだ娘たちに伝えてはいなかったが、俺とは若い頃からの友達で、たまに会っていることは隠していなかった。

涼の話では、長女の方は割とフランクで細かいことは気にしない性格で、次女はどちらかというと繊細で、下の子らしく甘えん坊だということだった。

「ヒナ、勘のいい子でさ。ズバリ『黒田さんと付き合ってるんでしょ』って聞かれて嘘ついても仕方ないから『そうだよ』って言った。『再婚なんてしないよね』って言うから『少なくともあなたがもっと大人になるまではしない』って言っておいた」

涼が言うには、離婚した涼に恋人がいるのは構わないが、再婚したり、俺と会ったりするのは絶対に嫌だ、ということらしい。

No.148 15/02/22 10:10
てん ( zEsN )

「リョウちゃんは随分寛大なんだなぁ」

青木が感心したように言った。

「あんな若い子相手に本気で怒れませんよ。まぁ確かに噂の元は彼女らしいから困った子だとは思うけど。今日も謙ちゃんに付いてここまで来ちゃったんだろうなーって想像すると、腹が立つより可愛いような気がして」

「まあそうなんだろうけど、赤城さんは大変だよ。藍沢は赤城さんに迷惑ばっかりかけてるからな。赤城さんも優しいからよく相手してやってると思うよ」

俺がそう言うと、青木が

「そうなんだよなぁ。さっちゃんは本当いい子だよ。リョウちゃん、さっちゃんは噂のことでずいぶんリョウちゃんと黒ちゃんのこと心配して怒ってたよ」

と言った。

青木だって、緑さんにこっそりフォローを頼んでいたくせに、そんなことは匂わせたりしない。

なんというか、青木も赤城さんも似た者同士だ。

もしかしたら、青木は涼のことを好きなのかもしれないと思ったが、そうだとしても青木は絶対に認めたりしないだろう。

これからもこうやって、俺の親友として、涼の同僚として、力になってくれるのだろう。

「お疲れ様」

涼の声に顔を上げると、いかにもゲンナリした感じで赤城さんが戻ってきていた。
赤城さんが藍沢を追い返したらしい。
なんだかんだ言って、赤城さんは藍沢の扱いに慣れているようでおかしかった。

涼が「お疲れ様」と笑いながら赤城さんをねぎらい、そのあとは和やかに飲んだ。

No.147 15/02/21 23:19
てん ( zEsN )

「どうしたんですか?」

俺の表情に気づいた赤城さんが怪訝な顔をした。
赤城さんと青木からは入り口が見えない。

「わぁぁ、偶然~。黒田さんじゃないですかぁ」

赤城さんはまるでゴキブリを発見したような顔になり、後ろを振り返った。

赤城さんのすぐ後ろに、ニコニコと笑う藍沢がいる。

「………なんで藍沢さんがここにいるの?」

苦虫を噛み潰した、というのは赤城さんのこういう顔を言うんだろう。

「あ。赤城さんもいたんだ。お疲れ様」

藍沢は意に介さないようだ。

「謙ちゃん、この間銀座で会った方よね。藍沢さん、って仰ったかしら。こんばんは」

涼が満面の笑みで言った。
これは作り笑いではない。
本当に面白がっているようだ。

「こんばんは。私もお友達とここに来ようと思っててぇ、偶然ですねぇ」

「ちょっと、藍沢さん!こっち来て!」

藍沢の言葉を奪い取るような勢いで立ち上がった赤城さんは、そのまま藍沢を引きずるようにして店から出て行ってしまった。

「………なんだ、ありゃ」

青木があっけにとられた様子で2人が出て行った入り口に目を向けた。

「青木さん、あの子がX運送にいた藍沢さんよ」

涼はおかしくてたまらない様子で言った。

「あぁ、彼女が。偶然だな」

「違うわよ。きっと謙ちゃん、後をつけられたのよ」

涼の推理は間違っていないような気がした。
藍沢ならやりかねない。

No.146 15/02/20 15:52
てん ( zEsN )

12月に入り、緑さんは送別会のあと、会社を去った。

そして仕事納めの日、涼が言い出して青木と3人で忘年会をすることになった。

緑さんが言っていたように、涼は噂の件で青木から庇ってもらったことにずいぶん感謝しているようだ。

俺は青木に対して申し訳ないような感謝したいような気持ちがあったが、微妙な気分を涼に相談するわけにもいかず、忘年会をすることを了承した。

仕事納めの日は外回りもなく、社員全員で部署の大掃除や身の回りの片づけをしてから、部長の奢りで軽く飲んで終わりになった。

涼が予約した新宿の串揚げ屋へ向かう途中、涼からLINEがきた。

>>いま青木さんと一緒に出ました
>>赤城さんも誘おうって青木さんと言ってたの
>>謙ちゃん誘ってきて

もう少し早く連絡をくれれば社内で言えたのにと苦笑しながら「了解」と返事をし、電車に乗ってから赤城さんへ誘いのメールを送った。

>>行きます♪

赤城さんからすぐに返信がきた。

涼にそれをLINEで伝えると

>>やったー♪
>>青木さんが喜んでるよ

と返ってきた。

新宿に着き、涼に言われた串揚げ屋に入ると、涼と青木は一足先に到着していた。

「赤城さんはー?」

俺の顔を見るなり、涼が不満そうに言った。

「LINEがきたのが会社出たあとだったんだよ。ちゃんとメールしたから、もう少ししたらくるよ」

「どっかで待っててあげればよかったのに」

涼はブツブツと文句を言った。
よほど赤城さんのことが好きらしい。

「黒ちゃん、お疲れ。座れよ」

青木は俺と涼のやり取りに笑いながら、涼の隣の席を指差した。

そうか。
涼と俺が付き合っていると明らかになったから、青木ももう知らないフリはしないんだな。

まぁ赤城さんがくれば青木の隣に座ることになるのだから、気にせず涼の隣に座った。

とりあえず飲み物と軽いつまみを頼み、少しすると赤城さんが店に入ってきた。

「赤城さん!」

涼が飛び上がるように立ち上がり、赤城さんを呼んだ。

「お疲れ様です。来ちゃいました」

赤城さんが照れたように言いながら青木の隣に座ったとき、店の入り口から客が入ってくるのが見えた。

あれは、藍沢だ。
どうしてここに?

No.145 15/02/20 15:06
てん ( zEsN )

赤城さんは俺と涼が付き合っていることをかなり以前から知っていたらしい。

5月ごろ涼と俺が電車で出かけたときに、偶然乗り合わせたことがあると涼に打ち明けたそうだ。

だけど赤城さんはそのことを俺にはもちろん、社内でも一言も口にしなかった。

そのことひとつ取っても、赤城さんの人柄の良さが分かる。

その赤城さんと青木が俺の知らないところでずいぶんと親しくなっていたのは、なんとなく嬉しいことだった。

「青木さん、ずいぶん黒田さんと白井さんのことを心配してたわ。X機材でもかなりあることないこと噂になってたみたいだから」

「青木のヤツ、俺にはなんにも言ってこなかったな」

「白井さんのこと、それとなく庇ってくれてたんじゃないかな。本当は無責任な噂にかなり怒ってたみたいだけど、騒ぎを大きくしないように気を配ってたんでしょうね。青木さんてそういうところが男らしい人だから」

「そうですね」

「面白いわね。赤城さんも青木さんも、当の本人たちより怒ったり心配したり。黒田さんも白井さんも同僚に恵まれてるわよ」

「緑さんもでしょ」

「私は引退間近のお局様よ。なにもできないわ」

緑さんはそう言って笑うと俺から離れていった。

緑さんと話していて、俺はあることを思いついてしまった。

もしかしたら、青木も俺と涼が付き合っていることにとっくに気付いていたんじゃないか。

そして、青木は涼のことが好きだったんじゃないだろうか。

親友の青木を邪推するのが嫌で、そんなことは考えたことがなかったが、もしそうだったとしたら、俺は青木になんと言えばいいんだろう。

………馬鹿だな、俺も。

もしそうだったとしても、俺がなにも言えるはずがない。

それに青木は赤城さんと親しくなっている。

涼は涼で、青木のことは信頼できる親しい同僚としか見ていない。

赤城さんがいい子だから、青木みたいないいヤツにはピッタリだと勝手に思っていた。
あの2人ならお似合いだろうと。

俺は長年の想いを遂げたことに舞い上がって、いろんなものが見えていなかったのかもしれないと思うと、少々自己嫌悪する気分だった。

No.144 15/02/19 17:41
てん ( zEsN )

噂はしばらく続いた。

涼からは会ったときに「謙ちゃんも騒がないでね」とクギを刺された。

涼は強い。
妙な噂があっても、涼自身が汚されることはないんだろう。

涼も俺と同じ気持ちでいてくれることが嬉しかった。

だから社内で俺を元からよく思っていなかっただろう人間が、聞こえよがしに嫌味を言おうが、嘲笑されようが、俺は流すことができた。

だけど、12月のある日、藍沢が騒ぎを起こした。

俺は外回りから帰ったときに、緑さんからそのことを聞かされた。

藍沢はここ最近、日中用事にかこつけては営業部にやってきて、涼の悪口を盛大に言っていたらしい。

それにキレたのが、意外にも赤城さんだった。

赤城さんが藍沢を窘めたが素直に聞くわけもなく、ついに赤城さんが藍沢を引っ叩こうとしたそうだ。

だけど、赤城さんより先に緑さんが藍沢を引っ叩いた。

藍沢は社内の問題児だが、さすがに暴力沙汰を起こしたら、手を出した赤城さんは無傷ではいられないかもしれない。

緑さんは赤城さんの身代わりになった。

「私はもう退職するしね。それに私、藍沢さんの弱みも握ってるの。『訴えてやる』なんて言ってたけど、私の兄は現役の弁護士だし。藍沢さんも最後に喧嘩売った相手が私だったのはまずかったわね」

緑さんは俺にそう言いながら、楽しそうに笑った。

「おっかねぇなあ。俺、緑さんを敵に回さなくて良かったよ」

「黒田さんの味方は、私や赤城さんだけじゃないわよ」

「?」

「X機材の青木さん」

「青木?どうして青木の名前が出てくるんですか?」

「X機材でも噂が酷いことになってたでしょ?こっちの状況も知ってるみたいで、黒田さんのフォローをしてやって、って頼まれたの」

青木。
やっぱりイイヤツだな。

「青木さん、赤城さんとも仲良しなのね。『赤城さんがそろそろキレそうだから、フォローしてやって』ですって」

「青木のヤツ、そんなこと言ってたんですか」

「詳しくは聞かなかったけど、赤城さん、かなり怒ってたみたいよ。青木さんにも相談したみたい。『さっちゃん怒ってるんですよ』ですって。黒田さんより赤城さんのほうが心配だったのかしら」

緑さんは面白がっているようだった。

No.143 15/02/19 13:05
てん ( zEsN )

「島根は初対面だったな」

「はい、想像より綺麗なひとでした」

「お世辞か?」

「違いますよ。噂では年上だのバツイチだのってことばっかり言われてますけど、黒田さんより年上には見えませんでしたよ。ウチの赤城さんと同い年くらいかと思いました」

「白井さんが聞いたら喜ぶよ」

俺がそう言うと島根は笑った。

本当は陰でどんな酷い噂をされているのか、大体想像はついていた。
緑さんや島根の話、涼と親しくなった赤城さんの俺を見る目。

分かってくれている人間はちゃんといる。

噂の元凶である藍沢を、本当は何度か殴ってやりたくなった。

俺はこのくらい覚悟の上で涼と付き合ったからいいが、離婚で傷付き、葛藤した上で俺と付き合うようになった涼を、なにもしらない人間に侮辱されることは我慢ならなかった。

だけど、噂が流れ始めたころに言った涼の言葉が俺を抑えた。

「なにがあっても私は謙ちゃんの味方だから」

俺の部屋で、俺の腕の中で、涼はそう言った。

それは俺が言う台詞だ。

人生が80年で終わるなら、俺と涼はちょうどいまその半分のところにいる。

俺は残り半分の人生を、涼と生きると決めたんだ。

涼も同じ気持ちでいてくれたからこそ、中傷も非難も覚悟の上で、俺のところへきてくれたんだろう。

俺や涼の気持ちなど、他人には分からないだろう。

20年近く遠回りして、この歳になってやっと想う人と一緒の時を過ごせるようになった俺の気持ちは誰にも分からないだろう。

言いたい人間には言わせておけばいい。

俺はなにがあっても、涼を守る。

涼が俺への気持ちがなくならない限り、俺は涼から離れていったりはしない。

だから無責任な噂をする周囲も、元凶である藍沢も、眼中にない。

俺にとって大切なのは、涼の存在そのものなんだから。

No.142 15/02/18 17:07
てん ( zEsN )

よりにもよって、涼と一緒のところに出くわしたのが藍沢だったのは苦笑するしかなかったが、涼も俺もあまりそのことを気にはしなかった。

涼が付き合い始めのころ心配していたように、俺が涼と付き合っていると周囲に知られたら、悪く言う人間がいても仕方ないと思っていた。

でも、うしろめたいことはなにもない。
だから、自分たちから公表するつもりはないが、必死に隠すようなことでもない。

だけど、緑さんから聞かされた話だと、想定していた中でも最悪のパターンで俺と涼が付き合っているという噂が流れているらしい。

もちろん、元凶は藍沢のようだ。

緑さんは詳しい噂の内容までは言わなかったが、聞かなくても想像はつく。

その話が俺の耳に入ったころから、たまに赤城さんがなにか言いたそうな風情で俺を見ることがあった。

赤城さんとは最近社外での付き合いもある。

先月は俺や青木のバイク仲間とのバーベキューに来てもらった。

そこで赤城さんは青木や涼と親しくなり、後日4人で飲みにも行った。

涼はもともと赤城さんに好感を持っていたが、赤城さんも同じだったらしく、最近では俺を置いてけぼりにして2人で仲良くなっているようなところもある。

俺は密かに独り者の青木と赤城さんがくっつけばいいと思っていたのだが。

その赤城さんは、きっと涼や俺のことを心配しているんだろう。
赤城さんは緑さんと同様に、俺と涼の悪い噂を直接耳にする機会が多いはずだ。

そして今日俺に声をかけてきた島根も、噂を耳にして俺を心配してくれたのだろう。

「大丈夫だよ。陰口言われることを気にするくらいなら、初めからバツイチの昔馴染みと付き合ったりなんかしないさ」

俺は店員が運んできた焼き鳥の串をつまんで笑った。

「すみません。俺、余計なこと言ったみたいで」

島根はおっちょこちょいだが、気のいい男だ。
俺を慕ってくれているようなので、島根なりに俺を気遣っているんだろう。

「そんなことないさ。悪いな、プライベートなことで心配かけて」

「俺、白井さんのファンなんで」

お調子者らしく、島根は頭をかいた。

「そういえば、この間X機材に同行したな。島根担当の新宿の案件、X機材のFRPで取れそうだもんな」

「白井さんがコーヒー出してくれました」

No.141 15/02/18 16:37
てん ( zEsN )

俺は涼がいれば、他にはなにもいらない。

すぐに結婚などできなくてもいい。

いままで遠回りしたことを思えば、いま涼が俺の腕の中にいるだけで満足だった。

「黒田さん、ちょっと」

12月に入ったころ、夜の7時近くに帰り支度をしていると、後輩の島根が声をかけてきた。

「なんだ?」

「黒田さん、もう帰りですよね。俺も一緒に出ます」

営業部は事務の女性達はみんな退社していて、残っているのは俺や島根以外いなかった。

「久し振りに飲みに行くか」

俺は島根と一緒に会社を出て、駅近くの焼き鳥屋へ行った。

「どうした?」

本当はなんの話なのか分かっていたが、中ジョッキに口をつけながらそう尋ねた。

「噂、聞いてますか?」

やっぱりその話か。

「聞いてるよ。白井さんのことだろう」

「知ってたんですか」

島根は少しホッとしたような顔で俺にならってビールを飲んだ。

緑さんから、俺と涼が付き合っていることが社内とX機材周辺で噂になっていることを数日前に聞かされた。

仕事帰りに銀座で涼と待ち合わせたときに例の藍沢に出くわしたのは、更にその数日前だった。

藍沢は最近大きなミスを仕出かして、営業部から総務へ異動になっていた。
ミスは俺の案件の発注ミスで、事態を収拾するのにけっこう骨が折れたが、緑さんや赤城さんが頑張ってくれたお陰で、どうにか最小限の損失で済ませることができた。

当の本人はそのことを大して気に病んでいる様子でもなく、異動になってからも俺によく声をかけてくる。

そのこと自体は俺もそれほど腹を立ててはいなかったのだが、銀座で藍沢に声をかけられたときは少々驚いた。

涼が俺の腕を取り、歩き始めたときに「あー、黒田さんじゃないですかぁ」という素っ頓狂な声が背後から聞こえた。

まぁいつかはそういうこともあるだろうと思っていたので、俺は藍沢に「X機材の白井さんだよ。白井さんとは昔馴染みなんだ」と涼を紹介した。

No.140 15/02/17 19:08
てん ( zEsN )

「一度赤城さんに会ってみたかったのよ」

「俺のアシスタントがどんな子なのか気になる?」

「そうじゃないよ。だってとても感じのいい人だから、会ってお話ししてみたいって思ってたの」

思った通りだ。

多少ヤキモチでも妬いてくれればいいのに、涼はそういうことは言わない。

「割と落ち着いた感じの子だけど、結構可愛いよ」

「わー楽しみ!」

他の女の子を褒めてもこの調子だ。
内心苦笑するが、涼は嫉妬みたいな粘着質なものとは無縁なのは、昔から変わらない。

「涼ちゃーん」

「なーに?」

「少しはヤキモチとか妬いてくれない?」

「妬いて欲しいの?」

「ほどほどには」

「………妬いてるよ」

「嘘ばっか」

「A商事には若い女の子もいっぱいいるんだろうな。謙ちゃんはカッコいいから、謙ちゃんのこと好きな女の子もいるんだろな。謙ちゃんが他の女の子と仲良くしてると嫌だな。………本当はそう思ってるよ」

「俺だって、そう思ってるよ」

「でも、謙ちゃんのことが好きだから、考えないようにしてるの」

「ゴメン。俺、女々しいな。涼にそんなこと言わせ違って」

「お互い様」

「俺は涼だけだ」

「嬉しい」

「ずっと一緒にいて欲しい」

「ずっと一緒にいて」

No.139 15/02/17 12:14
てん ( zEsN )

涼はやっぱりいつも凛としている。

だけど、俺と付き合うようになってから、ふたりきりでいるときの涼は、俺がいままで知らなかった顔を見せてくれる。

涼と知り合って20年以上経つのに、そういう一面が見られることが嬉しい。

「今度、青木たちとバーベキューするんだ。青木が涼を呼ぼうって言ってる」

「聞いたよ。謙ちゃんとこの赤城さんもくるんでしょ?」

「ああ。俺が呼んだ」

最近になって、大ベテランの緑さんの退職予定が明らかになった。

緑さんは会社の生き字引、営業部の大黒柱のような存在だったから、その抜ける穴は大きい。

そこで緑さんが、派遣社員である赤城さんを正社員にスカウトしたらいいのではないかと言い出した。

緑さんから相談されて、俺も賛成した。

新たに求人するよりも、3月から8ヶ月働いている赤城さんに残ってもらうほうがいいに決まっている。

年齢は30歳前後らしいが、いままでずっと事務職で働いてきた経験もあるし、いまも営業部の仕事はソツなくこなしてくれている。
性格も穏やかで、緑さんや他の社員とも上手く付き合えている。

本来なら藍沢に話がいくところだ。
藍沢は契約社員だし、年齢も若い。

ただ、A商事にきた経緯が経緯だし、それ以前に仕事の能力に疑問符がたくさんついてしまう子だ。

そういうわけで緑さんも上司たちも、赤城さんを正社員登用する方向で話が進み、彼女とコンビを組むことが多い俺も、このことで赤城さんの相談に乗ってやって欲しいと言われていた。

それでこの間は赤城さんを昼飯に誘った。

なにかあったら相談するようにとプライベートのメアドも教えたのだが、そのことも涼には話してあった。

涼が過剰にヤキモチを妬くタイプではないのは分かっていたが、一応、だ。

No.138 15/02/16 18:01
てん ( zEsN )

涼を初めて抱いたのは、涼も俺を好きだと言ってくれた日から半月後に会った日だった。

あれから半年以上経った。

俺が涼と会えるのは、涼の娘たちがいない日だけだ。

涼の娘たちが父親や祖父母の家に泊まりに行ったりした日は、日中ゆっくり過ごすことができる。

休日に娘たちが遊びに行くというときは、夕方までなら一緒にいることができる。

涼は母親だから、若い恋人同士のように頻繁に会うことはできないが、幼児を育てている母親よりは時間の自由がきく。

涼は俺と付き合い始めたときに、はっきりと宣言した。

『子ども達が最優先』

俺はそれでいいと言った。

いまは1ヶ月に2、3回のペースで涼に会っている。
普段はLINEで朝晩やり取りしている。

「ホント、意外」

俺に体を預けたまま、涼はクスクス笑った。

「なにが」

「謙ちゃんがこんなにマメで、いちゃいちゃするのが好きなタイプだなんて、想像もつかなかった」

「別にいいだろ」

「仕事してるときとか、クールなのにね」

「お互い様だろ」

「私は社内ではもっとくだけてるけど?青木さんから聞いてるでしょ?でも謙ちゃんは社内でもクールぶってるんでしょ?」

「うるさいな、俺はクールな男なんだよ」

「ホントはこんななのに」

「涼だって甘ったれだろ」

「謙ちゃんだけにね」

涼とこうして過ごす時間が好きだ。

一緒に食事をして、他の人間がいない空間で好きなだけ涼に触れることができる。

No.137 15/02/14 15:47
てん ( zEsN )

涼が前から行きたいと言っていたウドン屋で夕食をとり、そのまま俺のマンションへ帰った。

涼の車は駅に近いパーキングに置き、そこから歩いた。

涼と2人で歩くときは、手を繋ぐ。
涼が俺の腕を取ることもある。

最初照れていたのは涼の方だ。
この歳で恥ずかしいと言っていた。

「知らない人がいたら、仲のいい夫婦だな、って思ってくれるよ」

俺はそのときそう言って笑った。

マンションに着き、部屋に入ると、涼はいつも真っ先にゆり子のケージに向かう。

「ゆり子、涼だよ。こんばんは」

涼はそう声をかけるのだが、ゆり子は決まって背中を向け、知らん顔をする。

「やっぱりコイツ可愛くない!」

涼は毎回そう言って怒る。

俺が近付くとゆり子が「ゆり子、おやすみ、また明日ね」と言うので、俺も「ゆり子、おやすみ。また明日ね」と同じ言葉を繰り返してからケージにカバーをかけてやる。

実家の母親に頼んで作ってもらったカバーは、遮光率の高いカーテンを縫ったもので、かけるとケージの中はほぼ真っ暗になる。
暗くなるとゆり子は静かになる。

「憎たらしい!」

涼は半ば本気で怒っている。

「でも、涼がくるとすぐにああやって寝かせてくれって言うだろ?あれは気を利かせてるんだよ」

「そうなのかな。いや、やっぱり私にケンカ売ってるのよ」

俺は本気でゆり子とケンカする涼がおかしくて仕方ない。

「涼ちゃん、こっちきなよ」

俺がローソファーに座ってそう言うと、涼は黙って俺の横へきた。

涼の2人の娘は、別れたダンナ方の従姉妹の家に泊まりにいっている。

俺は涼を引き寄せて、膝の上で抱え込んだ。

No.136 15/02/14 10:55
てん ( zEsN )

早足で歩いたので、すぐに駅に着いた。

藍沢は自動改札を通ったが、俺は手前で立ち止まった。

気付いた藍沢が「黒田さん?」と振り返った。

「忘れ物しちゃったよ。先に行って。お疲れさん」

俺は笑って改札から離れた。

「えーーーー」

藍沢の声が背後から聞こえたが、聞こえないフリをした。

この駅は私鉄とJRの乗換え駅になっている。
俺は藍沢を振り切った私鉄の駅からJRへ向かい、電車に乗った。

今日は涼と会う約束をしている。

涼に連絡をして、JR沿線の駅で落ち合った。

涼はX機材の支店まで車で通勤している。
俺が待ち合わせた駅で降りると、駅前で涼が待っていてくれた。

「謙ちゃん、お疲れ様」

涼は相変わらず元気だ。

「お疲れ様。涼ちゃん、今日も可愛いね」

俺が助手席に乗ってそう言うと

「もう、謙ちゃん、それやめてって」

涼は顔を赤くし、車のギアを入れて車を走らせた。

『涼ちゃん』『可愛いね』

この2つの単語を俺が言うと、涼は照れる。
40歳を過ぎたというのにそんなことを言われるのは恥ずかしいのだそうだ。

だけど俺は照れる涼が見たくて、わざとそう言う。
会う度には言わない。
涼が油断したころを狙って言う。

仕事中に電話で話すことはよくあるが、澄まして「黒田さんでいらっしゃいますか?」なんて言っていた涼が、こうしてふたりきりになるとまったく違うのが、俺は可愛くて仕方がない。

No.135 15/02/14 09:47
てん ( zEsN )

島根に「割と綺麗な人だよ」と言うと、島根は

「やっぱり!俺も会ってみたいなー」

と素直な反応をしてくれた。

島根に限らず、A商事の人間に涼は評判がいい。
涼に会ったことがある人間も、電話のやり取りだけの人間も、涼を褒める。

俺はなんとなく鼻が高かった。

涼と付き合っていることを公言するつもりはないが、自分の恋人の評判が良いのを聞いて悪い気分のはずがない。

その日、7時過ぎに仕事を終えて駅へ向かって歩いていると、途中にあるコンビニから人が飛び出してきた。

「黒田さーん!」

顔を見なくても分かる。
営業部にいる藍沢という女の子だ。

いつの間にか営業部で働くようになっていた契約社員だ。

かなり中途半端な時期に唐突に入社してきた女の子なのだが、緑さんが経緯を教えてくれた。

藍沢はX機材の関連会社X運送で働いていたのだが、そこで既婚者の社員と不倫騒動を起こし、X運送の取締役と個人的に親しいA商事の総務部長が藍沢を引き受けた、という事情らしい。

どんな裏事情があろうと、誰が入社しようと俺は構わないのだが、どうやら俺は藍沢に気に入られたらしく、ここ1ヶ月くらい藍沢はことあるごとに話しかけてくる。

「お疲れ様」

俺がそう言うと、藍沢は俺に並んで歩き出した。

意識してかなり早足で歩いているのだが、藍沢はさして大変な風でもなく、すんなり俺の歩調に合わせて付いてくる。

どちらかといえば小柄なのに、どうしてこんな大股で歩く俺に付いてこられるのか、いつも不思議だ。
面白がってわざと早足にしている俺も俺だが。

「黒田さん、今日はもうお帰りですかぁ?」

早足でも息一つ乱さないのも面白い。

「ああ、帰るよ」

「晩御飯とかぁ、どうするんですかぁ」

「まぁ適当に」

「黒田さんてぇ、彼女いないんですかぁ」

「彼女ならいっぱいいるよ」

「ええぇぇぇ~」

藍沢は鬱陶しい部類に入る女なのだろう。
うるさいだけならともかく、仕事もまるでダメだ。
あの緑さんも最初の1週間で見切りをつけたほどだ。

書類のコピーすらまともにできないと、緑さんが嘆いていた。

ただ俺のメインアシスタントは赤城さんなので、それほど俺には影響はない。

見ている分には面白い。

No.134 15/02/12 17:00
てん ( zEsN )

仕事中の涼は取引先の人間だ。
涼はその姿勢を崩さない。

もちろん俺も、そうしている。

「赤城さん、ごめん、発注書訂正ね」

俺は発注書の訂正箇所を指示したメモを書くと、アシスタントに渡した。

この赤城さんというアシスタントは涼より1ヶ月遅れでA商事に入ったが、涼が彼女を褒めていた。

書類の作り方が几帳面で、電話での応対も手馴れているので安心感があるそうだ。
派遣社員ということで、あまり突っ込んだ内容の仕事はしていないが、営業部のベテランの緑さんも赤城さんを買っているらしい。

「黒田さん、いまのX機材の白井さんですか?」

俺の隣で仕事をしている後輩の島根がそう聞いてきた。

「そうだよ」

「なんか、電話の声聞いてると、美人を想像するんですよね」

島根はデレっとした感じでそう言った。

島根はあまりX機材からの仕入れはやらないので、X機材にも行ったことはない。
俺はバイク仲間でもある青木が相変わらずA商事の担当で、青木には現場に同行してもらったり、お互いの会社で打合せをしたりすることも多い。
涼は青木のメインアシスタントなので、自然と仕事上でも顔を合わせる機会が多くなっている。

青木には涼が入社して少し経ってから、俺の昔馴染みだということを教えた。

入社早々は大人しくしていた涼だったが、周囲と打ち解けるにつれて地が出てきたようで、青木とも掛け合い漫才をしているような親しさだった。

本当は青木には俺が涼と付き合っていることを教えてもいいと思った。
青木はいいヤツで、無責任な他人のように邪推したりしない男だ。

だけど、俺も涼も会社でプライベートなことを話すのはあまり好きではないし、いくら青木でも、俺と涼が恋人同士と聞くと仕事がやり辛くなるかもしれないと思う部分もあり、結局言いそびれたままになっている。

ただ、青木が涼に惚れたら困るな、と思わなくもなかった。

だけど、俺も青木も38歳とはいえ、一般的には子持ちのバツイチ40代に惚れるような男は、俺くらいだろうと思って、そんな嫉妬みたいな考えは捨てた。

No.133 15/02/10 20:20
てん ( zEsN )

「黒田さん、X機材さんから今日の発注分の問い合わせなんですけど」

午後4時過ぎ。
外回りから戻り、留守中の見積り依頼FAXやら発注書やら片付けていると、8ヶ月前から派遣で来ている営業アシスタントの女の子が俺に声をかけた。

「はい、電話代わりました、黒田です」

『X機材の白井です』

相変わらず無駄がないのに柔らかく、涼やかな声が電話の向こうから聞こえてきた。

「あぁ、白井さんか」

『お世話になっております。本日もご発注ありがとうございます。で、FAX拝見したんですが、マンホールカバーの荷重条件が型番と違うのでご確認いただきたいのと、防臭タイプは簡易防臭で大丈夫かの確認です』

淀みない、というのがピッタリな話ぶりだ。

涼がX機材で働くようになって9ヶ月。

俺が驚くほど、涼は仕事の知識が深くなっている。
最近では、俺が曖昧なオーダーをしても、即答に近いタイミングで答えが返ってくることも多い。

そんな涼だから、俺のいるA商事の営業部でも、涼がまだ入社9ヶ月の中途入社の事務員だと思っていない人間も多い。

もちろん、周囲は誰も涼が俺の恋人だということなど知らない。

「最近どうよ?元気?」

必要な話が済んで俺がそう言うと

『元気ですよ。ここのところ忙しくてヘトヘトですけど』

と、いかにも仕事の関係者同士だが、それなりに親しい、という雰囲気の言葉が返ってきた。

No.132 15/02/10 15:29
てん ( zEsN )

長いキスをして、そのまま涼を抱き締めた。

どのくらいの時間、そのままでいただろう。

「ごはんだよ」

突然の声に俺と涼はビクッとして声の方向へ顔を向けた。

「あぁ、驚いた」

「ゆり子、まだゴハンの時間じゃないだろう」

ゆり子は涼がこの部屋に入ってきたときと同じ場所で背中を向けていた。

「アイツ、ヤキモチ妬いてるんだ」

「生意気」

涼がそう言って口を尖らせたので、俺は笑ってその口にまたキスをした。

「ゆり子がヤキモチ妬くから、これ以上はできないな」

「謙ちゃんたら」

「本当はさ、涼とこんな風に2人きりになったら、我慢なんてできないだろうと思ってたんだよな」

「我慢してるの?」

「してるっていえば、してる。だけど、勿体無いんだよな」

「なにが?」

「昔っから涼は俺のこと、男だと思ってなかっただろ。ヤリたい盛りの小僧の前で、さんざん隙だらけなことしてくれたよな」

「酔って寝ちゃったりね」

「手を出そうにも出せなかった俺の恨み言、涼にはちゃんと聞いてもらわないとな。ずっと待ってたのに、あっさり涼を抱いたら勿体無い」

「なんか、怖い」

涼は笑った。

「………嘘だよ。だけど、涼がここへ来るのをさんざん迷ったことも知ってる。俺、待つから。涼がなんのわだかまりもなく、俺に抱かれようって思うまで待つよ」

「うん。………そんなに長くかからない………」

涼はそう言って、自分から俺にキスしてきた。

俺が涼の背中に手を回すと

「どうしたの?」

という声がして、俺と涼は吹き出した。

ゆり子は相変わらず俺たちに背を向けて、知らん顔をしている。

「今度、ゆり子が寝たあとに来てくれよ」

「うん………」

今度はゆり子も邪魔をしなかった。

No.131 15/02/09 17:38
てん ( zEsN )

「涼」

涼が俺の言葉に少し驚いたように目を上げた。

「って、呼んでみたかった」

俺が続けてそう言うと、涼はクスッと笑った。

「好きなように呼べばいいよ」

「この先ずっとそう呼ぶよ」

「………そんなこと、言っていいの?」

「いまさら『好きだけど謙ちゃんとは付き合えない』とは言わないだろ」

「………でも、この先ずっとなんて」

「別にいますぐ俺と再婚してくれなんて言わないよ。第一涼は離婚したばっかだし、子どものこともあるだろ」

「うん。私は別に気にしないけど、娘たちや周りはそうはいかないでしょ。私は謙ちゃんのことを好きだけど、しばらくの間、謙ちゃんのこと、あまり公にはできないのが現実なのよ」

「それでいいじゃねーか。別に俺は構わないよ」

「もし、私と付き合ってるってバレたら、謙ちゃんはいろいろ言われるかもしれないよ。邪推する人なら、私の離婚原因が謙ちゃんだと言いかねないよ」

「知るかよ。言いたいやつには言わせておけばいいだろ」

「………私みたいなめんどくさいバツイチなんて、やめておけばいいのに………」

「うるせーな。まだグダグダ言うわけ?」

「だって、それが現実なのよ」

「あのさ、俺をみくびるなよ。そんくらい俺だって分かってるさ。だけど、俺が何年涼を追っかけてきたと思ってんだよ。20年近くだぞ。そんな小さいこと気にするくらいなら、とっくの昔に涼のことなんて忘れてるよ」

「嫌な思い、させることもあるかもしれないよ?」

「いいよ」

「ひとから笑われるかもしれないよ?」

「………もう、黙りなよ」

俺が涼を引き寄せてキスをすると

やっと涼は静かになった。

No.130 15/02/07 07:48
てん ( zEsN )





その言葉を、俺は20年近く待っていたのかもしれない

どうしていまなんだろうな

この言葉を聞くまで、俺はきっとここまで待たなくてはいけなかったんだろう

他に想ったひとがいたときもある

それでも俺は、やっぱり涼のこの言葉を聞くまで、待っていた

離婚という不幸を喜ぶ俺に、天罰というものは下るんだろうか

それでもいい

俺はどんな罰でも甘んじて受けよう

大丈夫だ

涼のことは俺が守る

そのために俺は待ったんだ

俺がこんなに気が長い人間だなんて、自分でも分からなかった

世間はおれを笑うかもしれない

いまになって涼を手に入れようとする俺は馬鹿にされ、非難を浴びるかもしれない

だけど、それでもいいんだ

この言葉を聞けたなら

この先も聞かせてくれるなら

残りの人生をすべて捧げてもいい





もっと言ってくれ

涼が好きだ



何度でも俺を好きだと言ってくれ

No.129 15/02/06 17:44
てん ( zEsN )

「だろうな」

「いつの間にこんなに大人になっちゃったんだろう」

「もうオッサンだよ」

「謙ちゃんがオッサンなら、私はもっとオバサンだね」

「そんなことないよ。いまの涼さんは、俺にとっては守ってやりたくて、大事にしたい人だ。俺にもっと甘えてくれよ。もっと頼ってくれよ。1人で泣いてないで、俺のところにきてくれよ」

「私は、結婚に失敗したのよ。謙ちゃんより年上だし、大きな子どもが2人もいるし、私は謙ちゃんに相応しくない。謙ちゃんはまだこれから、もっと若くて可愛いお嬢さんと恋をして、子どもを産んで………そんな普通で幸せな人生を送ることができるんだよ」

「くだらねーな」

「くだらなくないよ、大事なことじゃない」

「俺は、涼さんがいいんだ」

「どうして」

「そんなこと知るかよ。17歳のときに涼さんに会って、いままで姉弟みたいに付き合ってきて、俺はずっと涼さんを追いかけてきたんだ。いまやっと涼さんに追いついた。いや、やっと俺は涼さんを守れるくらいの大人になったんだ」

「私じゃ謙ちゃんを幸せにしてあげられない」

「誰かに幸せにしてもらおうなんて思ってねーよ。俺は涼さんと幸せになりたいんだ」

「でも」

「『でも』も『だって』も言わないでくれよ。俺が聞きたいのは、涼さん。俺のこと好きなのか。好きじゃないのか。それを聞きたいんだ」

「言ってもいいの?」

「言ってくれよ」

「………ホントにいいの」

「しつこいな。いいんだよ。嫌いなら嫌いだって言えばいいだろう」

「私」

「私?」

「謙ちゃんが、好き」

No.128 15/02/05 19:05
てん ( zEsN )

俺が一息に語り終えると、涼は俺の手に自分の手を乗せた。

「謙ちゃんに初めて別れたダンナのことを相談したころから、もしかしたら謙ちゃんは私のことを好きなのかもしれないって思ってた。自惚れだって思って、そんなこと考える自分が嫌だった。彼に気持ちがなくなったからって、優しくしてくれる謙ちゃんに、そんな気持ちを持つ自分が嫌だった」

涼は一瞬俺を見て、目を伏せた。

「謙ちゃんが私を好きなのかもしれないじゃなくて、本当は私が謙ちゃんを好きになってきてるんだって、認めたくなかった」

「………ダンナがいたからだろう?」

「ううん。結婚生活が上手くいかなかったのは、私にも責任があるのに、謙ちゃんに逃げようとしてた自分が嫌だった」

「だから、あんまり俺には相談してくれなかったのか」

「………そうかもしれない。謙ちゃんは優しかったから………ダンナとやり直す努力もしないで、謙ちゃんに甘えちゃいそうだったのかもしれない。だから、必死に謙ちゃんのことを考えないようにしてた」

「俺は、待ってたよ」

「謙ちゃんは、昔から頼りになったから。謙ちゃんにはなんでも話せたし、一緒にいると他の誰より安心できた」

「………ごめんな。本当はそんな出来た弟じゃなくて」

「昔はホントに謙ちゃんのこと、弟みたいに思ってた」

No.127 15/02/05 12:51
てん ( zEsN )

涼さん

俺の気持ちは、この間言った通りだ。

涼さんが好きだ。

俺は涼さんがとっとと離婚しちまえばいいと思ってた。

ずっと涼さんの後姿を追いかけてた。
だけど、ずっと涼さんに近付くことができなかった。

それだけじゃない。

俺は怖かったんだ。

涼さんに好きだと言ったら、涼さんが俺から離れていってしまうんじゃないかと思っていた。
だから好きだという気持ちを認めることすらできなかったんだ。

涼さん、俺はこんな男なんだ。

弟みたいな顔をした裏で、邪な気持ちを何度も持ったのが俺なんだ。

今日だって、話がしたいって言っておきながら、俺は涼さんに触れてみたくて仕方がない。

涼さんがここへくるのを拒んだら、俺はもう諦めようと思った。
一生涼さんの弟でいようと思っていた。

だけど、涼さんが来てくれたなら、俺は

俺は少しは期待してもいいのかと思った。

涼さん。
俺はガキだったころの俺じゃない。

邪な気持ちは持ってるけど、昔よりは大人になった。

俺はもう38歳になる。

涼さんを守る力も知恵も心も、ちゃんと持ってる。

俺を頼ってくれ。
俺にもっと甘えてくれ。

もう、終わったんだろう?
辛かったんだろう?
さんざん頑張ってきたんだろう?

お願いだ。
俺に涼さんの全部を預けてくれ。

No.126 15/02/04 16:46
てん ( zEsN )

「すごい。本当に全部謙ちゃんが作ったの?」

俺がテーブルに料理を並べると、涼はそう言った。

「このマンションに越してきてからたまに料理するようになったんだ。前のアパートよりキッチンがマシになったからな」

俺は土鍋から炊き込みご飯を茶碗によそって涼に渡した。

「炊き込みご飯に若竹煮?筍の姫皮のかき玉汁。………もしかして、筍の下ごしらえからやったの?」

「ああ。八百屋にいい筍が売ってたから」

「………奥さんなんかいらないじゃない」

「けん制のつもり?」

俺がそう言うと涼は「いただきます」と言ってお椀を手に取った。

「美味しい」

「だろ?ちゃんと昆布とカツオで出汁とった」

「そういえば『シルバースプーン』にいたころ、謙ちゃんはときどきキッチンの手伝いもしてたね」

「ああ。千切りとか上手いよ」

「懐かしいね」

「ああ」

涼は「美味しい」を繰り返し、炊き込みご飯をお代わりした。

手伝うと言う涼を制して、食事の後片付けをしてから、俺がコーヒーメーカーをセットすると、涼は持ってきた紙袋から箱を取り出した。

「いただきものだけど、チョコレート。お茶請けに」

涼はそう言ってテーブルの上で箱を開けた。

俺がコーヒーを出すと、涼はカップに口をつけた。

「涼さん、俺の話、聞いてくれるんだろ」

俺がそう言うと、涼は「うん」と言った。

No.125 15/02/04 15:53
てん ( zEsN )

俺はそのまま車を出し、そのまま自宅へ向かった。

もちろん、涼がくるのは初めてだった。

俺がマンションの駐車場に車を停めると、涼は一瞬迷ったような目を俺に向けたが、そのまま車から降りてきた。

部屋は2階なので、俺はいつものように階段へ回り、涼は俺の後ろを付いてきた。

「どうぞ」

俺がドアを開けると、涼は「お邪魔します」と軽く首をすくめて玄関で靴を脱いだ。

「あっ。あの子が『ゆり子』」

リビングの角にあるケージが真っ先に目に入ったらしく、涼は緊張が消えた目で俺を見て笑い、ゆり子に近付いた。

「ゆり子ちゃん、こんにちは」

涼がゆり子に話しかけると、ゆり子はチラっという感じで涼を見て、ケージの中の止まり木を移り一番高い場所に上ると、そのまま涼に背を向けてしまった。

「謙ちゃん、この子可愛くない」

涼は振り向いて俺に文句を言った。

「あぁ、ゆり子は賢いからな。こいつ、俺のこと大好きなんだ。俺はおとーさんのつもりなんだけど、どうやらゆり子にとっては恋人らしいんだよな。ちゃんと今朝、俺の一番好きな人を連れてくるから、ゆり子もちゃんと挨拶するんだよ、って教えておいたんだけど、ヤキモチ妬いちゃったみたいだな。涼さんのこと、ライバルだって分かってるんだ」

「………」

涼は口を開いてなにか言おうとしたが、言葉に詰まり、微かに目の下が朱くなった。

「涼さん、飯にしよう」

俺はくっくっと笑いながら、涼を呼んだ。

No.124 15/02/04 13:13
てん ( zEsN )

>>○○日会えますか

涼から返信がきたのは、俺がメールを送った2日後だった。
涼が指定したのは次の土曜日だった。

涼からのメールを待つ間、会社でも涼と話す機会はなかった。

3月から新しく派遣の女の子がくるようになって、仕事を覚えてもらうために、電話応対はベテランの緑さんが横について、ほとんどそこで終わるようになっていたから、俺は涼の声を聞くこともできなかった。

X機材から送られてきたFAXに「白井」というシャチハタ印が押されているのを見て、涼は今日も頑張って働いているんだと思っていた。

涼からの用件だけのメールに、俺は

>>○○日11時。K駅で。

とだけ返信した。

涼からの返信はなかったが、俺は了解という意味で受け取った。

約束の日、俺が時間通りにこの間涼の車が停まっていた場所へいくと、あの日は俺が立っていた場所に、今日は涼が佇んでいた。

涼も俺に気付いたので、俺はやはりこの間の涼と同じように助手席を指差した。

「おはよう。って、もう11時か」

涼は助手席に座ってシートベルトを引きながらそう言って笑った。

「涼さん、飯は?」

「朝ご飯、食べ損ねた」

「子どもたちは?」

「春休みだから、おじいちゃんちに泊まってる」

「涼さんに食べさせようと思って、飯を用意してある」

「えっ。謙ちゃんが作ったの?」

「そう。筍と鶏肉の炊き込みご飯」

「食べる?」

「食べてみたい」

「俺んちだけど」

「………謙ちゃんち」

「涼さんと人目を気にしないで話すんなら、一番いいだろ」

「そう、か」

No.123 15/02/03 17:17
てん ( zEsN )

>>涼さんと話がしたい

俺はそうメールを送った。

俺から言い出さなければ、もう二度と涼とは会えないような気がした。

離婚したばかりの涼。
ただでさえ傷付いたこともあるだろう。
離婚の手続きや慣れない仕事で疲れてもいるだろう。
人目も気になるだろう。

だけど、いま涼に会わなければ、涼に近づけないのではないか。

俺はずっと涼を追いかけてきたんだ。

17歳のとき、初めて涼と会ってから、涼には手が届かないところにいると思っていた。

いま、俺が涼に会わなかったら。

このまま永遠に涼を失ってしまうような気がした。

そんなのは嫌だ。

俺は涼が好きだ。

すぐ手が届くところにいても、涼に触れることは許されないと思っていた。

涼。

涼。

俺を拒絶しないでくれ。

俺はずっと涼を追いかけてきたんだ。

やっと追いつけそうになった俺を、突き放さないでくれ。

俺は涼を困らせるつもりはない。

俺が涼に追いつけたなら。

十代のガキのころより俺が大人になれているなら。

俺は

全身全霊をかけて

涼を守りたい。

No.122 15/02/03 13:04
てん ( zEsN )

そのあと、涼から連絡はなかった。

やはり、俺の気持ちなど伝えてはいけなかったんだろうか。

涼は俺の言ったことを迷惑に思っているんだろうか。

それで『ごめんね』だったんだろうか。

「どうしたの?」

夜、仕事から帰った俺に、ゆり子がそう言った。

「どうもしないよ」

俺は思わず笑いながら、ゆり子をケージから出し、軽く握るようにしながらゆり子の首周りを掻いてやった。

満足した様子のゆり子は俺の肩に飛び移り、また「どうしたの?」と言った。

「ゆり子には誤魔化せないか。あのな、涼さんに会いたいんだよ」

ゆり子は黙って首を傾げると、プイっという感じでケージへ戻ってしまった。

「おい、ゆり子。なに不貞腐れてるんだよ」

「おやすみ。ゆり子。また明日ね」

「寝たいのか」

俺は苦笑いしながらケージのカバーをかけてやった。

どうしたの?

ゆり子のお喋りが、昔の涼と重なる。

俺は無意識に、ここにはいない涼に話しかけていた。



涼さん。どうしたんだよ。

全て片がついて、俺に会いに来てくれたんだろう?

俺は、少しは期待してもいいのかと思ったんだ。

涼さんが離婚したいまなら、俺は涼さんに気持ちを伝えても、なんにも悪いことはないだろう?

応えてくれるかもしれないと期待したのは、俺の自惚れなのか。

俺はいつまで経っても、涼さんの弟でしかいられないのか。

俺はやっぱり、涼さんに触れることは許されないのか。

涼さんに会いたい。

会って、涼さんの本心が知りたい。

No.121 15/02/02 17:32
てん ( zEsN )

「私、この数年、ずっと悩んでた。どうすれば上手くいくんだろう、どうすれば彼と付き合っていけるんだろうって。5年前、彼に絶望したの。あんなに好きだった人を、一瞬で嫌いになった。それまで、私は彼が好きだったし、信頼してたし、尊敬してた。それが全部消えたの。それでも、離婚なんてできないと思ったから、どうにかしてやっていけないかって必死で考えた」

「それって、結局涼さんが我慢するってことだったじゃないか」

「そうかもしれない。結局私も彼も、誤魔化したのよね。誤魔化して、なんとなく現状維持を続けて………。不思議なもので、だんだんその状態に慣れていくの。顔も見たくなくて、会話も苦痛だったのに、だんだんそれが和らいでいって………。彼に愛情は戻らなかったけど、あのまま、子どもたちが大人になるころまでなら、家族として暮らしていけるんじゃないかと思ってた」

「夫婦って、そんなもんなのか」

「どうなんだろう。少なくとも私は、子どもたちが大きくなってあの家を出たあと、彼と2人で暮らす自分は想像できなかった」

「それでも離婚はしないようにって頑張ってたじゃないか」

「そうなんだけどね………。なんとかやっていけそうだって思ったところで、前と同じことがあって、もう無理だって思った。何年かかけて、やっと持ち直してきたのに、またイチからやり直しかと思ったら、気が遠くなった」

「相談してくれたらよかったのに」

「………謙ちゃんには、相談したらいけないって、思ってた」

どういう意味なんだろう。

涼は、俺の気持ちに気付いていたんだろうか。

「………帰ろうか」

涼は優しい目で俺を見て言った。

「ああ」

「………ごめんね」

『ごめんね』

これはどういう意味の『ごめんね』なんだろう。

だけど、聞くことができないまま、俺は涼に促されるまま、涼の車に戻り、家まで送ってもらった。

俺が言ったことも

涼の『ごめんね』の意味も

結局うやむやになったままだった。

No.120 15/02/01 16:27
てん ( zEsN )

涼は俺を見て目を見開いた。

涼の目に俺が映っていた。

「ごめん、涼さん。こんなときに言うことじゃないのは分かってるんだ」

「謝らなくていいのに」

「俺、多分ずっと涼さんのことが好きだったんだ。だけど、涼さんにとって俺は弟みたいなもんだって分かってたし、俺も涼さんとはずっと付き合っていたかったから、俺はずっと気持ちを誤魔化してきたんだ。他に好きな女もいたときもある。それでも涼さんは特別だった」

俺は涼の目の中にいる自分を見ながら続けた。

「涼さんにはずっと幸せでいて欲しかった。涼さんが幸せなら、俺はそれで良かった。だけど、ダンナが涼さんを大事にしてくれないなら、俺が涼さんを守って、ずっと大事にしたいって思った」

「謙ちゃんは、いつも助けてくれたよ」

涼は俺を見ながらゆっくり瞬きをした。

「『シルバースプーン』にいたころ、私が忙しかったり失敗したりすると、すぐ助けに来てくれたよね。私が彼氏と別れて酔っ払ったときは、おんぶして送ってくれたよね。私がダンナとのことで悩んでたら、黙って話を聞いてくれたよね」

「涼さんが大事だったからだよ」

「私、いつもいつも、謙ちゃんのほうが年下なのに、なにかあると甘えてた………」

「俺は嬉しかったよ」

No.119 15/02/01 12:05
てん ( zEsN )

「そうだよね………。うん。もう踏み出しちゃったから、そうするしかないんだよね」

「涼さん」

「ん?」

「俺は涼さんの味方だ」

「味方?」

「涼さんは頑張ったよ。悪いのはダンナだ。涼さんが頑張ったのに、それに応えられなかったのはダンナじゃないか。涼さんは自分でできることはやった筈だ。やるだけやって力尽きた涼さんを、俺は責めたりなんかしない」

「………」

「俺は涼さんが悩んでいても、なんにも助けてやれなかった。本当はもっとなにかしたかったんだ。だけど涼さんは俺を頼ったりしなかったから、見ていることしかできなかった」

「愚痴、聞いてくれたじゃない………」

「涼さん。涼さんが汚いなら、俺は卑怯なんだ」

「謙ちゃんのどこが卑怯なの」

「涼さんを応援するようなことを言いながら、本心は違ったんだ。早く離婚してしまえばいいくらいに思ってたんだ」

「謙ちゃん………」

「涼さんが苦しんでるのに、それをどうにもできないダンナに腹が立ってた。どうして涼さんを大事にしてくれないんだ、守ってやらないんだ、そう思ってた。俺なら」

「………」

「涼さんにそんな思いはさせないのに」

「………」

「俺は、涼さんが好きなんだ」

No.118 15/02/01 11:22
てん ( zEsN )

「初めて涼さんに会ったとき、綺麗なおねえさんだなって思ったよ」

「ホントに?」

「うん。涼さん大学生だっただろ?高校生のガキから見たら、大人っぽく見えた」

「この歳になると、大学生も高校生もあんまり変わらなく見えるのにね」

「涼さんは、みんなにも、俺にとっても、姉さんだったよ。仕事はできるし、みんなに優しいし、頼り甲斐のある姉さんだった」

「そうかな。よく失敗もしたけどね」

「涼さんはあのころからちっとも変わってない。大人になって、いろんなことがあっても、根っこのところは昔の涼さんのまんまだ」

「謙ちゃんは?」

「俺はホントにガキだったから、あのころは早く大人になりたかった。俺の前を歩いてたのが、涼さんだよ」

「3つ年上だもんね」

「俺はさ、ずっと涼さんに追いつきたかった。だけど、涼さんはいつも俺の何歩も先を歩いてて、追いつけなかったんだ」

「そんなことないよ。いまなら謙ちゃんはもう立派な大人だよ」

「社会人としてなら、少しは成長できたかもな。だけど、俺は結婚もしてないし子どももいない。そこんとこはどうにもならないよな」

「……失敗するくらいなら、家庭なんて持たないほうがいいかもしれないよ」

「失敗したら、やり直せばいいじゃないか。涼さんは昔からそう言ってたよ」

No.117 15/02/01 08:52
てん ( zEsN )

「私は、彼の悪いところを並べて、離婚を決めたの。だけど、私もなにかを間違えたんだと思う。私が間違えたから、やり直せなかったのかもしれない。それでも周りには彼のせいにして、私は間違ってないって言われたいのよ」

「向こうは向こうで、きっと涼さんのせいだと思ってるよ。おあいこでいいじゃないか」

「………怖いの。私は取り返しのつかない失敗をしたんじゃないかって。自分でもう無理だ、限界だって離婚を決めたのに、私は大きな間違いをしてるんじゃないかって」

「もう、終わったんだろ。いつもの涼さんなら、失敗も後悔も全部呑み込んで、前に進むんじゃないか?」

「………謙ちゃん」

「………」

「私は、そんなに強くない」

気がついたら、涼の頬に桜の花びらが1枚貼り付いていた。

涼は、去年もここで泣いたんだろうか。

それとも自分の力が及ばない運命に抗おうとしていたんだろうか。

涼は何度ひとりで泣いたんだろう。

この何年間、どんな気持ちで、見えない何かと闘ってきたんだろう。

俺が知っている涼は、いつも凛としていた。

どんな時も、顔を上げて、涙は呑み込んで、ブレない歩調で歩いていた。

俺は、そんな涼を

追いかけて
追いかけて

ここまできてしまった。

No.116 15/01/31 21:45
てん ( zEsN )

涼は慣れた感じで夜の道を走り、橋を渡ったところから、土手沿いの道に入った。

「この時間だから、もうお花見の人もいないよね」

涼が駐車スペースに車を入れて外に出たので、俺も車から降りた。

「………すごいな」

あまり大きくない川の両側いっぱいに桜の木が数え切れないほど並んでいた。

遊歩道にところどころある灯に照らされた桜は、何色と表現したらいいのか分からない、幻想的としか言いようのない色に染まって川の両側の空間を埋め尽くしていた。

「去年も、その前も、毎年この時期になると、このくらいの時間に、何度かここに来てた」

涼は薄明かりの中で、透き通るような微かな笑いを浮かべていた。

「ああ、綺麗だなぁって。桜は毎年こんなに綺麗に花を咲かせるのに、私はどんどん変わっていっちゃうんだなって。次に桜が咲くときに、私はどうなってるんだろう。ドロドロとしたものを抱えて、どんどん醜くなっていくような気がしてた」

「涼さんは、醜くなんかないよ。昔からちっとも変わらない」

「そう、かな。私は、汚い。汚いの」

「どうして」

「彼とやり直すことを投げ出した。子どもたちにも、両方の身内にも、迷惑かけて、悲しませて、自分が楽になるために、離婚することを選んじゃった」

「それは涼さんだけの責任じゃないだろう?」

No.115 15/01/31 19:08
てん ( zEsN )

俺は涼と会ってもいいんだろうか。

俺は涼と会っても卑怯な男にならずにいられるんだろうか。

いまの涼に

俺の気持ちを押し付けるような真似をしないで済むんだろうか。

結婚という足枷がなくなった涼を目の前にして、俺はいままで通りの俺でいられるんだろうか。

『K駅なら西口だよね。待ってて』

俺が迷っている間に、涼はそれだけ言って電話を切ってしまった。

涼が引っ越したという新しい住まいからここまで、この時間なら車で10分もかからない。

気持ちの整理などつく間もなく、以前見た涼の車が駅前に入ってきた。

「謙ちゃん」

運転席の窓が開いて、涼の顔が俺を見た。

「俺、酒臭いかも」

なんて言ったらいいか分からず、挨拶もせずに、そんなどうでもいいことを言った。

「いいよ」

涼は笑って助手席を指差した。

「夜桜が綺麗な場所があるの」

俺が助手席に座ると、涼はそう言った。

「へぇ、どこ?」

「○○川のとこ。近いから一緒に見に行かない?」

「いいよ」

涼は俺の返事を聞くと、ウィンカーを出してアクセルを踏んだ。

「涼さん、やっぱ痩せたな」

「分かる?忙しかったし、いろいろあったから、あんまり食べられてなかったかも」

「倒れちゃうよ」

「大丈夫」

涼はそう言ったが、電話の声を聞いたときに感じたように、やっぱり涼は普段より元気がないように見えた。

No.114 15/01/31 12:42
てん ( zEsN )

3月も終わりだった。

関東地方では桜が満開だった。

土曜の夜、俺はバイク仲間と新宿で飲み会があり、終電近い電車に乗っていた。

尻ポケットに入れたスマホが振動し、見ると涼からメールが届いていた。


>>おわったよ


それだけだった。

俺は自分の最寄駅で電車を降り、駅前のベンチでペットボトルのお茶を飲みながら、涼に返信した。

冷え込みがちな3月の夜にしては、暖かい夜だった。

>>お疲れ様。大変だったな

そう返信すると、少し経って今度は電話の着信があった。

「涼さん」

『謙ちゃん?久し振り。って言っても昨日会社に電話したね』

涼の声がスマホから流れてきた。

「会社では知らないフリしてるからな。………どうしたんだよ。こんな時間に珍しいな」

『うん。だいたいのことが終わったから、取り敢えず報告しようと思って』

涼の声は、なんだか元気がないように感じられた。

「元気ないじゃん」

『そうかな。………あれ?謙ちゃん外?』

俺の近くでタクシーが小さくクラクションを鳴らしたのが聞こえたらしい。

「青木たちと飲んでたんだよ。いまK駅に着いたとこ」

『ああ、青木さん。ふふふ、まだ私と謙ちゃんが知り合いって知らないのよね』

「言いそびれたまんまだよ」

『………謙ちゃん、そこに行っていい?』

「こんな時間に?」

『娘たち、従姉妹たちと一泊でディズニーランドに行ったのよ』

「それで寂しくなったのかよ」

『うん』

からかったつもりだったのに、「うん」と返ってきて、俺はなんて返したらいいのか分からなくなった。

No.113 15/01/31 08:47
てん ( zEsN )

2月になり、涼はX機材に籍を置く人間になった。

半月もすると、涼からの電話を会社で受けるようになった。

涼が入社する直前に、涼からメールがあった。

>>これからは謙ちゃんはお客様だね

俺の手を借りず、自分で就職を決めた涼。

つまり、会社では個人的な付き合いは伏せてくれ、そういうことを言っているんだろうと俺は理解した。

だから、朝や夕方、出先での携帯電話に時々涼から仕事に関する電話が入るようになってからも、俺は涼に「X機材の白井さん」として対応した。
涼も、俺を完全に取引先の人間として扱った。

そう。
「白井さん」だった。
子どもたちの卒業式を前に、涼が自分の籍だけ抜いたことだけは聞いていた。
涼は子どもたちの卒業をまって、春休みに家を出る。
そこで初めて晴れて独身だ、涼はそう言っていた。

俺からは、なにも言えない。

ただ、溝蓋の寸法の確認だとか、資材の納入日時だとか事務的なことを、入ったばかりの事務員とは思えない、滑らかな口調で尋ねてくる涼の声色から、涼がとりあえず元気で働いていることを確かめることしかできなかった。

初めての会社、慣れない仕事。
離婚の準備。
子どもたちの卒業と入学の準備。

想像するだけで、涼が多忙だろうということは分かった。

それでも、会社携帯から聞こえてくる涼の声は、涼やかだった。

涼は、「シルバースプーン」で初めて会ったころと変わっていないんだ。

そう思った。

No.112 15/01/30 20:51
てん ( zEsN )

1月になって、涼からX機材に採用されたとメールがきた。

12月に面接をして、正月を挟んで採用通知がきたらしい。

涼は俺に言った通り、自力で就職を決めてしまった。

さすがというか、やっぱりというか、涼らしい。

結局退職予定の事務員は2月の下旬までいるらしく、引き継ぎのために涼は2月1日付で入社することになった。

中3の娘は、私立高校への進学が決まったそうだ。

涼は迷わないんだろうか。

本当にこのまま離婚してしまうんだろうか。

辛くはないんだろうか。

忙しさに、心や体が疲れたりはしないんだろうか。

涼は、俺にはなにも言ってこない。

言ってくれたとしても、俺にはなにもしてやれることなどないんだが。

それでも、本当は涼に頼られたかった。

就職の手助けをしてやりたかった。
愚痴を聞くのでもいい。

だけど、実際には俺の知らないところで、涼は1人で着々と進んでいる。

こんなことになっても、やっぱり俺の手は、涼には届かないんだろうか。

高校生だった俺から見たら、大学生だった涼が遠くにいるように感じたように、俺はいつまでたっても涼に追いつくことはできないんだろうか。

俺は、いつまでも涼に触れることは許されないのかもしれない。

No.111 15/01/30 16:05
てん ( zEsN )

俺はしばらくの間迷って、結局12月近くになって涼にメールをした。

いま涼は仕事を探しているのか、という内容だ。

すると夜、涼から電話がかかってきた。

『謙ちゃんメールありがとう。久し振り。元気?』

思ったより明るい声色だった。

俺は涼にX機材で求人があることを話した。
涼が興味を持っていろいろ聞きたがったので、X機材の業務内容や業界のことを説明してやった。

『私、事務職だったことはないんだけど、SEだったときに事務も兼任したことがあるの。だから応募してみたい』

「じゃあ友達に紹介してやるよ」

『それはいい。自分で応募する。いまパソコンで会社案内見てるんだけど、ネットに応募フォームが載ってるから、そこから応募してみる』

「俺の友達、けっこう人事にも顔が利くんだよ。紹介のほうが採用されやすいんじゃないかな」

『私、この先自分の力で生きて、子どもたちも育てていかなくちゃいけないの。だから自分でできることは、自分でやる。本当に困ったときは、謙ちゃんに相談するかもしれないから、そのときはよろしくね』

「それでいいの?」

『うん。まだこの家を出るまで時間があるから。ウチの子達、中3と小6なの。2人とも進学だから、それまではここにいる予定だし。家を出るまでに就職は決めたいけどね』

つまり、子どもたちの卒業と同時に家を出る、ということらしい。
離婚することは、もう本当に決定しているようだった。

『ありがとう、謙ちゃん。謙ちゃんの話だと、X機材の求人、若くなくても可能性ありそうだし、頑張ってみるね』

電話を切ったあと、俺は複雑な気分で苦笑いした。

涼は相変わらずだ。

真っ直ぐで、前向きで、落ち込んでいても歩き続ける。

俺を頼らないのもいかにも涼らしかった。

そしてやっぱり俺は、涼が離婚に向けて準備を進めていることが分かって、喜んでいるような気分に少し腹が立った。

No.110 15/01/30 14:12
てん ( zEsN )

涼は離婚すると知らせてきた。

涼は子どもが小学校に入ったころから、パートに出ていると言っていた。
だけど、離婚したら、パートより安定した正社員になりたいのではないかと思った。

X機材は業界でも大手の方だ。
上場企業ではないが、安定した会社だ。

涼はもう40歳になる。

その歳から就職するのが大変なのは想像がつく。

だったら、俺が青木を通じて涼を紹介すれば、少しは就職し易いのではないかと思ったのだ。
いわゆるコネだ。

だけど、あのメールがきて以来、俺は涼と話していない。

もしかしたら、涼がダンナと話し合って、離婚話が消えている可能性だってあるんだ。

俺1人が先走って、涼の就職の世話をするのは、筋違いなのかもしれないと思った。

「いい人いたら紹介してよ」

俺の考えを見透かしたように、青木がそう言った。

「やっぱ若い女の子がいいのか」

「いや、いままでいた人が40代で落ち着いた人だったんだよな。だから歳よりも、やっぱ人柄と、経験かな」

「ふーん」

「クロちゃん、心当たりある?」

「そういうわけでもないけど、まぁいたら紹介するよ」

「頼むよ」

No.109 15/01/29 17:30
てん ( zEsN )

>>離婚することになった

その1文だけのメールがきたのは、10月の下旬だった。

涼と最後に飲みにいってから、半年以上経っていた。

その間、俺は自分から涼に連絡することもできず、涼からも連絡はなかった。

俺は昔忍と別れたときのように、わざと仕事が忙しくなるように動いた。
忙しく過ごしていれば、余計なことは考えずに済んだ。

俺は、涼からのメールを見て、しばらく返信できずにスマホを眺めていたが、やっと

>>そうか。大変だな。

とだけ返信した。

涼から返信はなかった。

本当は何度も何度も、電話をかけようとした。

だけど、できなかった。

いま涼の声を聞いたら、言ってはいけないことを言ってしまいそうだった。

涼に会ったりしたら、ずっと自分で禁じていたことをしてしまいそうだった。

なるべく涼のことは考えないようにしていたかった。

そんな中、俺は青木に誘われて、週末飲みに行った。

相変わらず青木はいいヤツで、落ち込んでいるときでも無理に取り繕う必要がない友達だった。

「参ったよ」

青木は酒を飲みながら、珍しくため息をついた。

「どうしたんだよ」

「実はさ、ウチの支店の事務員さんが辞めることになったんだよ」

「事務は1人だったよな」

「そうなんだよ。なんかダンナさんが転勤になるみたいで、引っ越すらしいんだ。これからが忙しいのに、参ったよ」

「募集かけてんの?」

「ああ。大阪の本社がこっちの支店の現地採用ってことで、ハローワークとか求人誌で募集かけてくれることになってるんだけどね。即戦力じゃないと厳しいよなぁ」

青木の話を聞いて、俺はつい涼のことを話しそうになった。

No.108 15/01/29 12:27
てん ( zEsN )

もどかしかった。

俺は涼になにもしてやれない。

涼の話を聞いてやるだけ。

結婚をしたことがない俺には、アドバイスすらできない。

それどころか、「あれからどうなった?」とこちらから連絡して聞いてやることすらできない。

俺は涼が幸せでいて欲しいと思いながら、心のどこかでこのまま涼がダンナと上手くいかなくなることを願っていることに気付いてしまったからだ。

思い返せば、昔からそうだった。

涼に彼氏がいて、上手くいっているときに俺は、無意識に寂しいような気持ちになっていた。
涼が彼氏と別れたら、涼の心の痛みを感じながらも、ホッとしたような気分になっていた。

いままで涼は、俺の手の届くところにいなかったから、そんな複雑な想いがあっても、俺はあまり意識しないでいられた。

だけどこの歳になって、もし涼が離婚するようなことになったら。

俺は、いままでと同じような態度ではいられないかもしれない。

言ってはいけないことを、涼に告げてしまうのではないか。

それが恐ろしかった。

涼が離婚したとしても、俺の手の中にきてくれる保証なんて、どこにもないんだ。

17歳のときから、姉弟のように付き合ってきた涼。
バイト仲間として、異性としての感情など絡まない付き合いを続けてきた。

俺の気持ちに歯止めがかからなくなったら、そんな大事な関係を、俺が自分の手でぶち壊してしまうことになるかもしれない。

だから涼は、幸せでいてくれないと困るんだ。

俺はどんな形でもいい。

涼の近くにいられれば、それでいいんだ。

これ以上、俺を欲張らせないでくれ。

涼が好きだ。

もう誤魔化せないところまでいってしまいそうだ。

No.107 15/01/28 11:30
てん ( zEsN )

「涼さんだけが努力してるってこと?」

俺は涼の言葉に引っかかってそう言った。

「それは分からないよ。私は彼じゃないから、彼がなにを考えてるのか全部は解らない」

「聞けばいいじゃないか」

「………前にも言ったけど、返ってこないから」

「なんでだよ。涼さんは努力してるんだろ。よく分かんないけど頑張ってるんだろ。そのくらい他人の俺にでも分かるよ。じゃあダンナはなにやってんだ?涼さんが頑張ってんの知ってて、なにもしないのか?」

「………どうなんだろうね」

「涼さんはそれでいいのかよ」

「謙ちゃん。私はね、どっちかっていうと、物事にすぐ白黒つけたいって思うほうなんだ。昔からそう。だけど、結婚生活って、けっこうグレーな面が多いって、最近分かってきた気がする。曖昧なままで済ませないとやっていけないことがあるみたいだなって」

これ以上、俺はなにも言えなかった。

結局そのあとは普段のようにくだらない話をして、あまり遅くならないように切り上げて涼と別れた。

だけど俺は、なんとなくモヤモヤした気分を抱えていた。

全然、幸せそうじゃないじゃないか。

ダンナはなにをやってるんだ。

涼が具体的になにに悩んでいるのかは分からない。

だけど、ダンナは分かってやったっていいじゃないか。

涼のことが大事じゃないのか。

涼は無理矢理グレーなことも飲み込んで、この先もひとりで頑張るのか。

どうしてダンナは、涼にあんなことを言わせるんだ。

それが夫婦なのか。家族なのか。

長年連れ添っていたら、そんな曖昧な関係になるしかないのか。

No.106 15/01/27 16:48
てん ( zEsN )

ボランティアは大変なこともたくさんあったが、被災地に住む仲間や、避難所などで出会う被災者や、現地の人との関わりの中で、感謝されたり、逆にこちらが励まされるようなことが数え切れないほどあった。

その期間、涼との連絡は疎遠気味だった。

涼からたまにメールがくることはあったが、家庭の悩みではなく、俺がどうしてるかとか、子どものこととか、そんなことばかりだった。

俺から涼になにかを尋ねるつもりはなかった。

かなり間が空いたが、昔から変わらない調子で飲みに誘われ、久し振りに涼に会った。
最初にダンナとの悩みを聞いてから、1年以上経っていた。
俺は36歳、涼は39歳になっていた。

「元気そうじゃん」

嘘ではなかった。
久し振りに会った涼は、俺に弱音を吐いた夜とは違い、表情は明るかった。

「うん。謙ちゃんも元気だった?」

涼が被災地でのボランティアの話を聞きたがったので、いろいろ話すと涼は感心しながら聞いていた。

「なんか、ダンナとはもう大丈夫そうだな」

話がひと段落したところで、俺は涼に話を振った。

「うん。なにもなかったころみたいにはできないけど、なんとかやっていけそうだなって、最近思えるようになった」

「安心したよ。子どもだっているんだから、仲良くやってくのが一番いいんじゃないの?」

「仲良く、とまではね。謙ちゃんに愚痴ったころは、正直言って顔を見るのも嫌どころか、同じ空気を吸うのも辛い感じだったんだ。だけど、最近やっと、普通に話せるようになってきた」

「あん時、そんなしんどかったの?」

「うん。だけど少しずつ気持ちが整理できたっていうか。多分ダンナを昔みたいに好きだとは思うことはないと思うけど、家族としてならやっていけそうな気がする」

「………なんだよ。仲直りしたんじゃないのかよ」

「喧嘩してたわけじゃないもん。ダンナは変わらないけどね。なら、私が変わればいいかなって、考え方を変えたの」

No.105 15/01/27 12:20
てん ( zEsN )

俺の周囲に関しては、それほど地震の被害はなかった。

もちろん関東でも、ガソリンが手に入りにくくなったり、スーパーやドラッグストアで食べ物や日用品が品薄になったりしたし、原発の関係で輪番停電もあったりということはあった。

それでも、即日常生活が送れないというほどのことはなく、毎日のニュースを見ては被災地を心配することしかできない状態だった。

被災地にはインターネットで知り合ったバイク仲間が何人かいた。
津波の被害があった地域に住む奴もいたが、震災3日後までに、掲示板を通じて全員が無事だということは確認ができた。

掲示板で情報交換をしたり、安否確認をしたりという状況が続き、良くも悪くも震災直後のパニック状態が落ち着くと、今度は避難生活の不自由さが見えてきた。

未曾有の災害で、まだ個人が被災地へ行けるような状態ではなかった。

仲間が困っていると聞けば、少しでも物資を送ってやりたいと思うが、交通網がズタズタになった中、仕事をしながら現地へ入るのは難しかった。

しばらくは、道路を走る自衛隊のトラックや、東北へ向かって飛んでいくヘリコプターを見て、もどかしい思いを託すような気持ちだった。

それでも、どうにか民間のボランティアの現地受け入れ態勢ができ始めたころ、青木が呼びかけて計画し、関東から中部関西圏までの有志で現地へ向かった。

バイクだから大量には無理だが、それでも掲示板で聞いた仲間の話から役に立ちそうな物資をそれぞれ積んで現地入りした。

仲間に会うことはできた。
被災見舞いのつもりだったが、被災地の仲間はみな、自分のバイクを使ってボランティア活動をしていた。

車が通れない道でもバイクなら行ける場所がけっこうあった。
物資の小口輸送、人の輸送、役所や避難所間の連絡。
バイクの機動力を生かした仕事がたくさんあった。

その後、青木を筆頭に、俺や他のバイク仲間も、震災から1年近く、連休や会社のボランティア休暇を利用して、被災地でボランティア活動を続けることになった。

No.104 15/01/26 18:04
てん ( zEsN )

【まとめスレ】
http://mikle.jp/threadres/2180691/

いままで書いたお話をまとめました。
ご興味あったら覗いてください
よろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ

No.103 15/01/26 15:13
てん ( zEsN )

あれ以来、なんとなく涼に気軽に連絡を取ることができなくなった。

もの欲しそうな自分が嫌だったこともある。

そんな矢先、2011年3月11日14時46分。
かの大震災が起こった。

年度末で忙しい時期だった。

俺は客先の会社で打ち合わせ中だった。

打ち合わせコーナーの近くにあった軽い什器が倒れ、書類棚からファイルがバサバサと落ちた。
女子社員の悲鳴が響き、オフィスにいた部長が「落ち着け」と危険回避の指示を出していた。

俺がいたエリアで震度5弱。

たまたま俺はこの日、A商事から電車で3駅のエリアにいた。
都内ではあるが、都心からは離れていた。
JRも私鉄も全てストップ。
幹線道路はどこもかしこも大渋滞が始まり、タクシーを拾える状況でもなかった。

大した距離ではないので、俺は歩いてA商事に戻った。

オフィスに入ってみると、俺が打合せをしていた会社と同じく、軽いものや安定が悪いものは倒れ、書類やカタログといったものが落ちたりと、惨憺たる状況だった。

オフィスの隅にあるテレビでは、ずっと地震情報が流れていた。

時間が経つにつれ、東北方面で大変な事態になっていることが分かってきた。

社内には東北出身の者も、東北に親戚や知人がいるものもいる。

片づけがひと段落したころには、みんなテレビの映像に釘付けとなった。

遠方から通勤している女子社員はいなかったので、本社からの指示で、帰宅できる人間は徒歩で帰宅、帰宅困難な者は、会社に泊まっても良いということになった。

俺はその日仲のいい後輩を1人マンションに泊めた。
そいつは埼玉のかなり北の方の実家住まいで、電車が動かないと帰れない状況だった。

後輩と一緒に会社からマンションまで4駅ほどの距離を歩いた。
部屋に入ると、幸いにもゆり子のケージは少し位置がずれただけで、落ちたりしていなかった。
築浅で5階建ての2階だったからなのか、部屋の中もほとんど荒れていなかった。

後輩に風呂を使わせてやっている間に、自分のプライベート用のスマホを手にした。

実家の親や兄貴からの着信やメールに混じって、涼からのメールがあった。

>>大丈夫?こちらは大したことありません

メールの向こうに涼の心配そうな顔が見えるようだった。

No.102 15/01/26 12:59
てん ( zEsN )

俺は「じゃあな」と言って助手席のドアを開け、車の外に出た。

涼は停止していたエンジンをかけた。

俺が運転席側に回ると、涼は窓を開けた。

「謙ちゃん、ありがとう。ホント、ゴメンね」

「もういいってばよ。早く帰れよ」

「うん。またね」

車のライトが点き、ギアの変わる音がして、涼の乗ったステップワゴンはゆっくりと動き出した。

深夜なので、車道を走る車もなく、左にウィンカーを出した涼の車は、駐車場から滑るように走り出て、ゆっくりしたスピードで俺の視界から消えていった。

涼。

涼。

こんなのは、困るんだ。

俺は、涼が幸せでいてくれないと、困るんだ。

涼が手の届かないところにいてくれないと、困るんだ。

離婚などという単語を、俺に聞かせないでくれ。

俺を卑怯な男にしないでくれ。

いま涼が幸せでないなら。

俺が遠くから見ていた涼の幸せが壊れるなら。

俺は、ずっと触れることができないと思っていた涼に、触れてしまいたくなる。

涼の幸せではなく、涼の幸せが壊れてしまうことを祈ってしまう。

涼の不幸を願うような男が、涼に触れていいはずがない。

涼を幸せになんて、できるはずがない。

だから涼。

お願いだ。

不幸にはならないでくれ。

こんな俺には、涼を幸せにできるような力も資格もないんだから。

No.101 15/01/26 10:55
てん ( zEsN )

「離婚は、したくないなぁ」

涼は窓の外をぼんやりと見ながら、ぽつりと言った。

「なんだよ、そんな簡単に離婚なんてなるもんじゃないだろ」

俺はなるべく軽い調子になるように、そう言った。

「そうだよね。ダンナのことが好きで結婚して、子どもに恵まれて、家族として暮らしてきたから。だから、なんとか修復したいなぁ………」

「こんなこと聞いていいか分からないんだけど、ダンナ、浮気でもしてんの?」

俺が遠慮がちに聞くと、涼は寂しそうに笑った。

「浮気なら、まだいいかも。浮気って、隠れてやるものでしょ?隠すのは、家庭を壊したくないからでしょ?家庭を壊したくないのは、私や子どもたちが大事だからでしょ?………私ひとりが頑張っても、家庭は、作れないから………」

「………うん」

「私が、もうちょっと頑張れば、なんとかなるかなぁ。だけど………」

「………」

「だけど、ひとりで頑張るのは、辛いね」

「………」

「ごめん、こんな曖昧な話しても、謙ちゃん困るよね」

涼は笑ってそう言った。

「俺は、別にいいよ。話聞くくらいしかできないし」

「………ありがとう。こんな話、友達にも、実家の親にも、なかなか言えなくて。どうして謙ちゃんには話したくなっちゃうんだろう。ごめんね」

「いいよ」

「さて、帰ろうかな」

涼はスイッチが切り替わったように、明るい表情でそう言って軽く伸びをした。

「そうだな、帰ったほうがいいよ」

「うん。気が済んだ」

「なら良かったな」

No.100 15/01/25 07:30
てん ( zEsN )

「大丈夫なのかよ」

俺は、こんな月並みな言葉しか言えない。

「うん」

涼だってこう答えるしかないだろう。

「俺は独り者だから、上手いこと言えないんだよ」

「ううん。なんか、ゴメン。ちょっと今日は限界で、どうにもならなくて………。つい、謙ちゃんに甘えちゃった」

「別にいいよ」

「いい歳して、こんなんじゃダメだよね」

「そういうときもあるだろ。涼さんはいつも元気で前向きだけど、落ち込むことがあっても当たり前だよ」

「………ありがとう。昔から、なにかあると謙ちゃんに甘えてるね」

「弟みたいなもんだからな」

「そうだね。『シルバースプーン』にいたころ、よくそう言われたね。あのころは楽しかったな。一番楽しかった」

「そうだな。バイトして酒飲んで遊んで、なんも考えてなかったような気がするよ」

「謙ちゃん、何歳になったっけ」

「35」

「そうかぁ。謙ちゃん、変わらないね」

「涼さんだって、変わってないよ」

「そうかな。もうオバサンだよ」

「俺だってオジサンだよ」

「30代だもんね。私はもうアラフォーだ」

「アラフォーでも、涼さんは涼さんだよ」

「うん」

何歳になっても
結婚してても
弱音を吐いても

涼は涼だ。

涼の内の一番奥にいるのは、出会ったころと変わらない涼なんだ。

No.99 15/01/24 16:36
てん ( zEsN )

涼に言った場所は、複合店舗の駐車場だった。
ファミレス、本屋、コンビニ、ドラッグストアがあり、この時間も営業しているのはコンビニとファミレスだけだった。

駐車場に入り、涼に着いたとメールをすると、閉店した本屋の近くにいると返信がきた。

車を降り、本屋の前まで行くと、白いステップワゴンが停まっていた。

窓から涼が俺を見た。

涼が降りてこないので、運転席の窓を軽く叩くと、涼は助手席を指差した。

「どうしたんだよ」

俺が助手席に座りながら言うと、涼は「ごめん」と、いつになく覇気のない口調で言った。

「家出、って、本気じゃないんだろ」

涼の子どもは2人とも小学生だろうか。
もちろん、車の中に子どもの姿はなかった。

「うん。気分が落ち着いたら、帰る」

涼がそう言ったので、俺はホッとした。

涼に「ちょっと待ってな」と言って車から降り、俺は本屋の2軒隣にあるコンビニへ行き、缶コーヒーを買ってきた。

車に戻り、涼に缶コーヒーを渡すと、涼は「ありがと」と言って口をつけた。

「ダンナと喧嘩でもしたの?」

俺も缶のプルタブを引いてコーヒーを飲みながら言った。

「喧嘩、ってわけじゃないけど。ちょっと色々あって………」

はっきりとしたことを言わないので、涼は細かい事情を話すつもりはないんだろうと思った。

「色々、っていつから?ずっと上手くいってるみたいだったのに」

「1年くらい前かな。ホントは結婚したときからあったことなんだろうけど、ここにきて見て見ぬ振りができなくなっちゃった、って感じかな」

「ダンナにちゃんと話せばいいだろ」

「通じないの。どんなに話しても、答えてくれない………。ちょっと、疲れちゃった」

「それで家出してきたわけ?」

「ダンナの顔見ていられなくなっちゃって。家にいると泣いちゃいそうだから、とりあえず出てきちゃった」

「だよな。子ども置いて本気の家出はしないよな」

「2人とも寝てたから」

そこでやっと涼の表情が和んだ。
母親の顔なんだろう。

No.98 15/01/24 14:36
てん ( zEsN )

>>もうやだ

突然、そんなメールが涼からきた。

金曜の夜、俺は自宅のテレビで映画を観ていた。
もう終わりに近かったから、夜の11時に近い時間だった。

>>どうしたんだよ

そう返したが、すぐに返信は来なかった。

少し心配になった。
テレビの画面は映画のラストシーンになっていた。

映画が終わり、違う番組が始まったころ、やっと涼から返信がきた。

>>ごめん。ちょっとあって

これだけではなにも分からない。

>>大丈夫なのか?どこにいんの?

>>外

>>なにやってんだよ

>>家出中

>>家出って、なにがあったんだよ

返信が止まった。

>>女1人でこんな時間にうろつくなよ。どこにいんの?愚痴くらい聞いてやるよ

そう送ると、しばらく経ってやっと携帯が鳴った。

>>車で出てきた。○○の近く

涼が言った場所は、涼の住む場所からは車で10分くらい、俺のマンションからだと深夜なら車で20分くらいの場所だった。

>>話くらい聞いてやるから、××の駐車場にいなよ。いまから行くよ

俺は、涼のメールの文面から、なにか不穏なものを感じていた。

そういえばここのところ仕事が忙しくて、涼とはしばらく会う機会もなく、メールも途絶えていた。

何かあったんだろう。
そう思って、俺は車の鍵を持って家を出て、涼に伝えた場所へ向かった。

No.97 15/01/24 12:51
てん ( zEsN )

青木と俺は、お互いの勤め先の会社さえ知らないくらいだったから、会ってもあまりプライベートな話はしない。

男同士の付き合いなんて、そんなものだろうと思う。

緑さんが言うには、青木が彼女と別れたのは去年のことらしい。

思い返してみても、その時期に青木が落ち込んでいたとか、そういうことは思い出せなかった。
たまに会って、酒を飲んでバカ話をしたり、みんなでバイクで走ったりしていただけだ。

緑さんも再婚していたとは知らなかった。
あんなに聡明な人が、どうして結婚に失敗したのか想像もつかない。

緑さんにしても青木にしても、俺を含め、彼らを悪く言う人間は周囲にいないだろう。

わかんないもんだな。

青木の彼女は、長年付き合っていた青木ではなく、他の男と結婚した。
聡明で人柄もいい緑さんは離婚を経験していた。

そして俺は。
一番大切な人も、一番好きだった人も、手が届かないところへいってしまって、独りでいるほうが気楽になってしまった。

世の中の人間は、みんなどうやって幸せになっているんだろうか。

いや。
なにが幸せなのか、俺には分からない。

俺は涼が幸せに暮らしていれば、自分も幸せなような気がする。

想う人を手に入れれば幸せとは限らない。

もしかしたら俺は、昔もいまも手に入らない存在だから、涼への想いを振り切ることができないんじゃないだろうか。

自分の感情や想いを、都合よくコントロールできたら、俺はもっと簡単に幸せになれるのかもしれない。

だけど。

そんなことができないだろうということも、俺自身が一番よく分かっていた。

No.96 15/01/24 10:54
てん ( zEsN )

青木が帰ったあと、珍しく日中会社にいるので、俺は昼食に緑さんを誘った。

緑さんと一緒に会社の近くの喫茶店へ行った。

俺が青木と知り合いだと言うと、緑さんは驚いたようだった。

「偶然ね。この業界って広いようで狭いけど、いままで知らなかったなんて楽しいわね」

「青木が緑さんには頭が上がらない、って言ってました」

「そんなことないわよ。私も青木さんには借りがあるのよね」

「青木は緑さんには世話になってばかりだって言ってたけどな。アイツが緑さんの助けになったことがあるんですか」

「………私のダンナ、青木さんの同級生なのよ」

「………えっ?!」

初耳だ。

俺と青木は同い年。
緑さんより一回り年下だ。

「私、再婚なのよ。最初の夫と離婚したのはずいぶん昔だけど。青木さんが就職活動をしていたころには、子どもを育てながら、もうA商事で働いていたの。青木さんの就職活動で知り合って、そこから付き合いが始まったんだけど、彼は優しくてね。私の子どもがまだ小さかったから、友達とバーベキューとかするときによく私と子どもを誘ってくれたの。そこでいまのダンナと知り合ったのよね」

「青木らしいですね」

「そうなの。いまのダンナが私と付き合いたいって言ってきたときに、私は断ったのよ。一回り年上で、子どもがいて、とてもじゃないけど彼を幸せにしてあげることはできないと思ってたから。ずっと迷ってたけど、最後は青木さんが私の背中を押してくれたのよ」

「それが借りですか」

「そう。いまはとても幸せだから。青木さんはひとのことばっかり。自分の幸せより、ひとの幸せばかり考えてるみたい」

「でも青木には長い付き合いの彼女がいるから」

俺がそう言うと、緑さんは食事の手を止めて、困ったような顔をした。

「………彼女とは、終わったのよ」

「えっ。だってずいぶん長く同棲してましたよね」

「………彼女、他の人と結婚したのよ」

「知りませんでした」

「知らなかったままにしておいて」

「………はい」

No.95 15/01/24 09:39
てん ( zEsN )

「クロちゃん?」

「ウチの新担当って、青木だったのか」

A商事の会議室で俺と青木はお互い驚いた顔で向かい合っていた。

俺も青木も35歳。知り合ってから3年近く経っていた。

普段はインターネット掲示板のバイク板で雑談する仲間。
ツーリングや飲み会があれば、関東組で一緒に行動。
お互いサラリーマンだということくらいしか知らないまま付き合っていた。
なぜかあまり仕事の話をする機会がなかったからだ。

この日俺は、総合建材メーカーのX機材という会社から、ウチの担当者が変わったので挨拶したいという伝言を聞き、約束の時間に会社で待っていた。

受付から連絡を受けて、X機材の新担当が待っている会議室へ行ってみたら、スーツ姿の青木がいた、というわけだ。

「なんだよ、青木。いままでどこの支店にいたんだよ」

「Y営業所。こんどこっちの支店に異動になったんだよ。クロちゃんがA商事さんにいるとは思ってなかったよ。ウチの一番の得意先じゃないか」

「前任の奈良さんにはよくしてもらったからな。奈良さんが『後任は責任もっていい人間つけますから』って最後に言ってたからどんな優秀な人がくるかと思ってたよ」

「なんだよ、クロちゃん。俺がどんなに優秀か知らないだろ」

俺と青木が名刺の交換もせずにたったまま笑い合っているところに、営業部の女の子がコーヒーを運んできて、不思議そうな顔をしていた。

「あぁ、そうそう、クロちゃんとこに主みたいな人がいるだろ」

「主?もしかして緑さんのことか?」

「そうそう、緑さん。俺の大学の先輩なんだ」

「えっ、そうなんだ」

「代がずいぶん違うけど、俺がいたゼミのOGでさ。就職活動のときに世話になった。X機材のリクルーター紹介してくれたの、緑さんなんだ」

「へぇ。知らなかったよ」

「そういう余計なこと言うひとじゃないからな」

「じゃあこれからX機材さんに価格交渉するときは、緑さんに頼もう。青木から特値が出てきそうだ」

「やめてくれよ~。俺、緑さんには頭が上がらないんだよ」

「俺も同じだよ」

2人でそう言って笑った。

No.94 15/01/23 17:34
てん ( zEsN )

俺はきっと、初めて会った時から涼のことが好きだったんだろう。

だけど、涼に追いつくことができないのが分かっていたから、自覚しないようにしてきたんだ。

忍のことは好きだった。
あのころは、誰よりも忍が好きで、大事だった。

忍を失うことがなければ、涼への想いは、自覚しないで済むまま、俺の内でゆっくりと消化されていったんだろう。

涼という存在に勝てるのは、忍だけだった。

他の女の子では、ダメなんだろう。

そして涼は、いまでもやっぱり俺より先を歩いていて、永遠に追いつくことができない。

涼には幸せでいてもらいたい。

俺がどんなに涼を想っても、俺では涼を幸せにすることはできない。

いまのままで、いいんだろう。

姉弟のようだと周囲から言われるほど仲がよかった。
「シルバースプーン」のバイト仲間という枠がなくなっても切れない付き合い。
異性を感じないで会える昔馴染み。

多くは望まない。

俺は、独り者でも、けっこう楽しくやっている。

涼への想いは、誰にも気付かれないまま、しまい込んでおけばいい。

学生だったころも
社会人になってからも
結婚しても母親になっても

涼は涼だ。

俺はそんな涼の昔馴染みのひとりとして

涼の近くにいられればいい。

昔、酔った涼が俺の前で眠ってしまっても、触れることができなかった。

相変わらず、俺は涼に触れることなどできないが

この先ずっと、そのままでもいいと、思った。

No.93 15/01/23 14:05
てん ( zEsN )

ケージを開けてやると、ゆり子は喜んでぴょんぴょんと出てきて俺が差し出した手に乗り、仰向けになった。

あたたかい。

掌の小さな温もりに、いつも心が和む。

ゆり子を撫でてやると、いつものように幸せそうにじっとしていた。

「緑さんには参ったよな」

旗から見たら、30男がソファーで俯きながら独り言を言っているように見えるかなと思いながら、俺はゆり子に話しかけた。

「涼さんは結婚してるんだから、いまさら好きだとか思ったって、どうにもならないのにな」

お喋り上手とはいえ、インコのゆり子が相槌を打つはずもなく、俺は満足した顔のゆり子をケージに戻すと、「おやすみ」と言ってカバーを掛けた。

冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。

涼と知り合って、もう12年。

バイト時代の仲間の中で、涼が一番大事な存在なのは、自分でもよく分かる。

だけど、涼を1人の女として、好きだとか考えたことはなかった。

涼は3歳年上の分、いつも俺より一歩先の場所にいて、俺はそれを追いかけている。

俺が高校生のときには涼は大学生だった。
俺が大学生になると、涼は社会人になった。
俺が社会人になると、涼は結婚した。
俺がやっと一人前になったころに、涼はもう母親になっていた。

忍と別れることがなくて、結婚していたら、俺は涼と同じように親になって、涼と同じ場所に立てていたんだろうか。

バイト仲間だったころ、仕事をする上でなら俺は涼と対等だった。
それで俺は満足だった。

それと同じように、大人になった俺も涼と同じ場所にいければ、それで良かったんだろうか。

そうじゃない。

俺は、そんなことにはとっくに気付いていた。

No.92 15/01/22 16:45
てん ( zEsN )

「緑さん、なんかやらしーなぁ。なんていうか、そういうんじゃ、ないんですよ。そりゃ、彼女には憧れてたっていうか………俺、仕事ができる女がいいんだなぁ、とは思ったけど………」

なんだか、歯切れが悪くなってしまった。

「やだなぁ。そういうの、好きだっていうんじゃないの?」

「いや、でも俺、他にホントに好きな彼女いたことあるんですよ。彼女の家の事情で別れちゃったけど、その彼女と別れなかったら、絶対結婚してたと思うし」

「それはバイト仲間の彼女とは関係ないでしょ。その彼女は彼女で好きだったけど、だからってバイト仲間の彼女を嫌いになったわけじゃないんだもの。年上だからとか、結婚してるからとか、そういう理由がいつも黒田くんの前にあるから、無理矢理恋愛対象から外してるだけなんじゃないの?」

緑さんは楽しそうに、遠慮のないことをずけずけと言った。

「緑さん、けっこう意地悪なんだなぁ。でもまぁ、もしそうだったとしても、彼女は結婚してて幸せなんだから、俺の出番はないですよ。それに、そういう感情がないから、10年以上友達でいられるんだと思うし」

「まぁ、そういうことにしときましょう」

緑さんがそこでその話を終えてくれたので、俺はホッとした。

緑さんと別れたあと、電車の中でも、最寄り駅から自宅まで歩く間も、緑さんが話したことをなんとなく考えた。

自宅に着き部屋に入った。
真っ暗だった部屋が急に明るくなってもゆり子は動じず、俺が帰って来たことに喜んで、ケージに張り付いて「どうしたの?」と言った。

ずっと考え事をしていたから、ゆり子の言葉がタイムリーで、つい笑ってしまった。

本当はこのままケージにカバーをかけて寝かせてやらなくてはいけないのだが、俺は扉を開けてゆり子を呼んだ。

No.91 15/01/22 13:20
てん ( zEsN )

「緑さんみたいな人がいるんですよ」

俺がそう言うと緑さんは興味をもった目で俺を見た。

「あら。こんなオバサンみたいな人?」

「緑さんをそんな風に言える人間は会社にはいませんよ。まぁ、その人は緑さんよりは若いですけどね」

「どんな人?」

「緑さんと違って、口が悪いんですよ。だけど、スイッチが付いてるみたいに、オンとオフの切り替えが上手くて、よく仕事ができる人でした。なんにでも一生懸命な人だったな。だけどがちがちに真面目じゃなくて融通がきいて、姉御肌で気が強いのに、ちょっと抜けてて、みんなに慕われてました」

「学校の先輩?」

「バイト仲間でした」

「付き合ってた人なの?」

「そういうんじゃなかったですね。初めて会ったとき、俺は高校生で、向こうは大学生だったから、最初っからお互いそういう対象じゃなかったんですよ」

「ああ。そうね。そのくらいの年の差、大人になればないのも同じだけど、学生のころだと大きな差なのよね」

「よく姉弟みたいだって言われました」

「いまなら対等に付き合えるんじゃないの」

「彼女はもう結婚して子どももいるんですよ」

「なんだ、残念」

「別に残念って訳じゃ」

「だって、好きなんでしょ」

緑さんは酔った様子でもなく、さらりと言った。

「そんな風に考えたこと、なかったですよ」

俺がそう言うと、緑さんは「ふーん」と意味ありげに笑った。

No.90 15/01/22 11:37
てん ( zEsN )

「黒田くんだって、いままで彼女いたことあるんでしょ」

酒を飲んでいるとき、緑さんはおかしそうに笑いながら言った。

「そりゃ、いましたよ」

「いまはいないんでしょ。若い子から『黒田さん、独身なんですよね。彼女いないんですか』ってよく聞かれるの」

「へぇ」

「興味ないのね」

「面倒です」

「みんな可哀想に。うちの会社には黒田くんの好みの女の子はいないのね」

「そんなことないですよ。そうだな。社内なら緑さんが一番かな」

「黒田くんでもお世辞を言うのね」

「お世辞でもないんですけどね」

俺が真顔で言うと、緑さんは笑った。

実際、社内の女性陣なら、緑さんより上をいく子はいないだろう。

緑さんはもう50歳になっただろうか。
特別整った容姿というわけではないのに、老けた感じはしないし、パッと見の年齢は若々しい。

なにより、彼女は仕事ができる。
営業の人間が不在のときは、客先との打合せから面倒な見積もりまで彼女1人でこなしてしまう。
とにかく、仕事に関する知識は半端なく広いし深い。
俺の知らない会社や商品も知っているから、教わることが多い。

世間一般で言うところの「お局様」なんだろうが、緑さんは最強の「お局様」だ。

下の人間に辛く当たることはまずないし、若い女の子からも慕われている。
役職者や役員からの信頼も厚い。
取引先の人間は、営業マンを飛び越して、まず緑さんに価格交渉してくることもある。

緑さんを見ていると、「シルバースプーン」で一緒に働いていた涼を思い出した。

No.89 15/01/21 21:45
てん ( zEsN )

32、33歳辺りまでだったろうか。

両親は、たまに実家に顔を出した俺に、「結婚したいようなひとはいないの?」などと聞いてきた。

「いない」
とそのたびにシンプルな答えしか出てこない俺に呆れたのか、次第に言われなくなった。

兄貴はとっくに結婚していて、女の子と男の子が1人ずつ生まれていた。

嫁さんも孫も、兄貴のところで間に合わせてくれ、そう思っていた。

会社には女の子もいたが、個人的な付き合いは避けた。

ときどき、食事にいきたいとか、飲みにいかないか、などとそれとなく言われることもあったが、笑顔で流した。

「黒田さんも意地が悪いわね」

営業部の、というより、社内の女性陣の中で最古参の緑さんが、そう言って俺をよくからかった。

緑さんとは、よく飲みにいった。
緑さんくらい年上だと、安心して愚痴もこぼせた。

俺は緑さんには頭が上がらない。

何度か、俺がやらかしたミスを上手く処理してもらったことがある。

緑さんはそれを恩に着せるようなことは決して言わない。

それでも、感謝のつもりで飲みに誘うと、酒が好きな緑さんは喜んで飲みにきた。

緑さんに頭が上がらないのは俺だけではない。

課長や部長もだし、それどころか常務や専務といった役員まで、緑さんには一目置いているようだ。

きっとみんな若い頃、いまの俺のように緑さんにフォローしてもらったんだろう。

No.88 15/01/21 15:43
てん ( zEsN )

ますます、女に縁遠くなってしまった。

休みにはバイク。
バイク仲間とツーリングや飲み会。

平日は仕事。
家に帰れば最愛の恋人のような「ゆり子」が待っている。

ゆり子は思った以上に賢かった。
言葉は次から次へと覚えた。
そして、俺を全力で好いてくれる(ように思える)。
ケージから出せば、常に俺の肩や足に乗っている。
掌に載せれば、ショップで見たときのように仰向けになり、至福の顔だ。

俺はゆり子のために、いろいろと準備をした。

まず病院。
ネットで調べたら、小鳥を犬猫の獣医には診せてはいけないと知った。
そこで俺はあちこち調べて、家から行ける範囲の距離にある、鳥専門の獣医を何件か確保した。
もちろん、怖いと言われている伝染病の検査も大枚払って済ませた。

そして俺が出張やツーリングにいくときのために、小鳥専門のホテルを探した。
大事なゆり子を預けるのだから、金は惜しまないが、急な泊まりにも対応できて、信頼できるホテルを探した。

餌も、ネットや専門店で、健康にいいといわれるものを探した。
日中1人で留守番しているゆり子が退屈しないように、おもちゃも何種類か用意した。

「謙ちゃん、もう彼女いらないね」

2人目の子どもも少し大きくなり、たまにならバイト時代の飲み会に顔を出すようになった涼にそう言われた。
涼に携帯電話で撮ったゆり子の写真を見せて、ゆり子のことを喋っていたら、次第に呆れたような顔になった。

「かもな」

俺は怒るでもなく、そう返した。

実際、仕事は忙しくても順調で、趣味のバイクは仲間もいて、昔からの仲間とも付き合いがあって、家に帰れば小さいけれど家族と呼べるゆり子が待っている。

誰かと付き合っても、上手くいくかどうかも分からない。
1人で暮らしていても、寂しくもなければ空しくもない。

今更いちから彼女を作ることを考えると、正直言って面倒でしかなかった。

No.87 15/01/21 12:59
てん ( zEsN )

俺はそのあとまた2回、あのダルマインコに会いにいった。

無性にあのインコが気になった。

2回目にいったとき、最初にインコの種類を教えてくれたスタッフと顔を合わせた。
ケージの前にいる俺をみて、彼女はすぐに俺を思い出した。

「触ってみますか?」

そう勧められて、俺はダルマインコを手に載せてもらった。

インコは大人しく、前に見たときと同じように、俺の掌の上でもくつろいだ顔をしていた。

「お客様のこと、気に入ったみたいです」

スタッフにそう言われ、俺はちょっと気分がよかった。

子どもの頃、親がどこからか文鳥をもらってきて飼っていたことがある。
よく慣れていて、可愛かったことを覚えている。

一昨年、前よりも便利な場所に引越をして、いま住んでいる賃貸マンションはペットOKだ。
隣の部屋では小型犬、反対側の部屋では猫を飼っているらしい。
インコの1羽くらい飼ったところで、苦情はこないし、小動物なら管理会社に届ける必要もない。

結婚する予定もなければ、彼女もいない。

独身の30男がインコを飼う。
若干侘しい感じがしないでもないが、小鳥の1羽くらい飼ってもいいかもしれない。
そんな気になっていた。

俺は自宅にあるパソコンでインコのことを調べた。
ダルマインコは小型~中型のインコ。
飼うのに必要なもの、餌の種類。飼育方法。

ペット売り場のスタッフは、もう幼鳥ではないから、世話はそれほど手がかからないと言っていた。

結局俺はマンションのリビングの一角にインコを飼うためのスペースを作り、飼育用具も揃え、仕事が休みの土曜日、ダルマインコを家に迎えた。

すっかり顔見知りになったスタッフが、引渡しのときに

「名前はなんてつけます?」

と聞いてきた。

考えていなかった。

メスだと聞いていたので、とっさに「ゆり子」と答えた。
幼稚園のころ、好きだった担任の先生の名前だった。

No.86 15/01/20 22:44
てん ( zEsN )

「良く喋るんですね」

「もう1歳になるんですけどね。人懐こくて賢い子なんですよ」

「インコは賢いんですよね」

「はい。しょっちゅうこの子に会いにきてくださるお客様がいるんですけど、お見えになるたびに『どうしたの?』ってお声をかけてくださるので、この子も気に入って言うようになったんですよ」

「可愛いですね」

「手乗りなんですよ。すごく人好きなコで。ほら」

スタッフはそう言ってダルマインコのケージを開けると、インコを掌に乗せた。
インコはなぜか仰向けになって、至福の顔で転がっている。
スタッフが首や腹を撫でると、弛緩したようになるのが、人間の子どものようで、なんともおかしい。

俺がそんなインコを見て笑っていると「お待たせ」と言って青木が戻ってきたので、スタッフに礼を言って青木とそこを離れた。

家に帰ってからも、なんとなく「どうしたの?」というダルマインコの声が耳に残っていた。

あの喋り方が誰かに似ているような気がして仕方ないと思ったら、シルバースプーンにいたころの涼に似ていることに気がついた。

涼はインコと同列にされたと聞いたら、怒るだろうか。

「なんで私がトリなのよー」

そんなことを言いながら膨れっ面をする涼が目に浮かび、俺は一人でくっくっくっと笑った。

No.85 15/01/20 16:27
てん ( zEsN )

「青木は早く結婚しちゃえよ」

俺が青木に酒を注ぎながらそう言うと、

「なんかアイツ、仕事がのってるみたいなんだよな。いまのままが楽でいい、みたいなこと言ってるし」

青木は明るく笑った。

見た目のいかつい感じとは違い、気配りのできる優しい男だった。
青木の彼女にも会ったことがある。
見た目は青木が言うとおり、仕事ができるイメージそのものだったが、話をしてみると、女の子らしいところがあった。

きっと青木なら、結婚したら理想的な夫になるんだろうと思った。

その日青木と飲んでいたのは池袋だった。

日曜日で競馬に行った帰りだったので、まだ夕方も明るいうちから飲んでいた。
お互い次の日仕事だということで、早めに切り上げ店を出た。

「ちょっと買い物あるんだよ」

駅までくると、青木はそう言ってデパートに入った。

まだ時間も早いし、俺も青木についていったが、途中のフロアにペットショップが入っていたので、青木に「ここで待ってるわ」と言って、犬猫のショーケースの前に立った。

特に犬や猫が好きなわけではないが、単純に子犬や子猫を見れば可愛いと思う。

「どうしたの?」

子犬を眺めていたら、後ろから声がした。

デパートは昼間よりも客が少なく、俺の周囲に人はいなかった。

おかしいな、と思っていたら、また「どうしたの?」と声がした。

そこでやっと俺は、後ろの棚に置いてある小鳥のケージに気付いた。

俺の真後ろのケージの中に、全体が緑色で綺麗な小鳥がいた。
ケージの中からその鳥は俺を見ながら首を傾げ、また「どうしたの?」と言った。
綺麗な鳥だが、顔に黒い筋の模様が入っていて、ちょっと面白い顔をしている。

「ダルマインコっていうんですよ」

そばでなにか作業をしていた店員が教えてくれた。

なるほど、黒い筋が髭というわけだ。

No.84 15/01/20 12:12
てん ( zEsN )

1人は短期でA商事にきていた派遣社員の女の子
もう1人は大学時代の友達に紹介された女の子だった。

2人とも、長くは続かなかった。
1人は半年、もう1人は8ヶ月くらい。

別に俺だって普通の男だから、彼女が欲しくないわけじゃない。

だから、きっかけがあって知り合い、感じがいいと思ったから付き合った。

だけど、上手くいかなかった。

別に2人とも特に悪い子だったわけじゃない。
最初は本気で好きになれそうだと思っていたし、向こうも俺に好意をもってくれていたと思う。

それが付き合い始めると、なんとなく気になることが出てくる。
ものの言い方、ちょっとした行動、考え方の違い。

腹を立てるとか、気分が悪くなるとか、そういうレベルの話じゃない。

どうも、しっくりこない。

馴染まない、としか言いようがなかった。

付き合って3ヶ月もすると、そんな曖昧な気分が大きくなって、俺から相手に連絡する回数が減っていく。

向こうも最初は怒ったり拗ねたりするのだが、俺はそんなことを言われるたびに、喧嘩をするのも面倒になり、その場しのぎに謝り、仕事を言い訳にして、逃げた。

自分でも、どうしてそうなるのか、いまひとつ解らなかった。

だけど、2回そんなことが続き、また1人になったとき、俺はなんとなく理解した。

いまの俺に彼女は必要ないんだ。

忍のように、最初から馴染むような恋人ができたことのほうが、不思議だっただけのことなんだ。

別に彼女がいなくても、それほど不自由などない。

そう思うと、気楽になった。

No.83 15/01/19 13:30
てん ( zEsN )

忍と別れて以来、仕事仕事で楽しみもあまりなく過ごしてきた。

もちろん、涼ともバイト時代の仲間とも、高校大学の友達とも付き合いは続いていたが、久し振りの新しい人間関係は新鮮だった。

転職したA商事での仕事は上手くいっていた。
前の会社のときのように、意地になったようにガツガツしないで仕事ができるようになった。

お陰で、土日や連休は趣味に当てる気持ちの余裕もできていた。

バイク乗りの仲間ができて、俺はときどきツーリングに参加したり、飲み会に参加したりするようになった。

インターネット上の付き合いから始まっているから、仲間は全国にいる。
ツーリングで地方へ足を延ばせば、その地方に住んでいる連中に会えた。

地方にいる連中が関東方面へくれば、やっぱり一緒に走ったり、飲み会をしたりした。

その連中の中でも、俺は『樹海』こと青木と気が合った。

青木は俺と同い年で、やはり同じサラリーマンのようだったが、ときどき2人で飲んでも、バイクの話やバカ話ばかりした。

青木には彼女がいた。
同棲して3年になるという。

「黒ちゃん、結婚する気ないの?」

一緒に飲んでいるとき、青木にそう聞かれた。

「今はいいかな」

女関係の話を振られると、嫌でも数年前に別れた忍のことを思い出した。

大学の友達からの噂で、最近忍が地元で結婚したことを聞いた。
結婚相手は、忍の父親が経営する会社の社員ということだ。
忍にとって、一番良い選択なんだと、素直に思った。

忍は、妥協して幸せになるような女じゃない。

自分の置かれた環境の中で、ちゃんと自分の意思と力で幸せになれる女だ。

だから、俺は忍を幸せにはしてやれなかったけど、それでいいんだと思った。

俺はと言えば、女関係がまったくなかったわけでもない。

だけど、仕事中心の生活で女の子と出会う機会など限られていた。
俺は社内恋愛ができるタイプでもないので、社内の女の子とは一定の距離を置いていた。

それでも、忍と別れたあと、2人ほど付き合った女の子がいた。

No.82 15/01/18 17:40
てん ( zEsN )

バイク板の中の関東在住の人間が集まってオフ会をやるというので、俺も初参加することになった。

ネットではしょっちゅう絡んでいたが、顔を合わせるのは初めてだ。

俺に最初に声をかけてくれた『樹海』は、ネットでは勝手に優男をイメージしていたのだが、俺と同じくらいの身長で、顔も雰囲気もいかつい感じが意外だった。

とりあえずみんなで乾杯してから、改めて自己紹介をした。

俺は掲示板では『クロ』と芸のないハンドルネームを使っていたが、みんな自己紹介で本名とハンドルネームの由来を教えてくれた。

『コピー屋』は本名が長野。そのまんま、コピー機会社のサービスマン。
『ハマ』は岡山。横浜ハマっ子ではなくて、浜松出身だそうだ。
『仙台』は福井。『仙台』は出身地ではなくて、初めて掲示板に参加したのが、宮城県への単独ツーリング実況だったので、そのまま『仙台』がハンドルネームになった。

「で、俺は青木。青木ヶ原で『樹海』」

『樹海』こと青木は笑いながらそう言った。

みんな歳が近くて、全員まだ独身だった。

次の連休にツーリングにいこうかという計画があって、その話で盛り上がった。

俺はみんなと顔を合わせるのは初めてだったが、さんざんバイク板で雑談絡みで付き合っていたので、初対面とは思えないくらい打ち解けることができた。

気持ちのいい連中だった。

No.81 15/01/18 10:56
てん ( zEsN )

熊本さんは、俺にその気があるなら、A商事に引っ張ってやる、と言ってくれた。

熊本さんと別れたあと、俺は転職するかどうか考えた。

正直言って、心が動いた。

営業という仕事は嫌いじゃない。
仕事はやり甲斐があるが、どうにもこうにも会社が俺に応えてくれなくなったということが、やりきれない。

守るべき家族もいないのは身軽だし、まだ転職してやり直すには遅くない年齢だ。

結局俺は、一週間考えて転職を決めた。

直属の上司たちは引き止めてくれたが、支店長のこともあり、退職願は受理された。

コンビを組むことが多かった後輩に引き継ぎを終え、俺はほとんど使っていない有給休暇を遠慮なく消化することにした。
A商事も有休明けから出勤するということにしてくれたので、久しぶりにまとまった自由な時間が持てることになった。

忍と別れて以来、金は貯まるばかりで、車を買った以外に遣う機会がなかった。

そこで俺は、バイクの中免を取ることにした。
高校生のころから、いつかバイクに乗りたいと思っていたからだ。
普通自動車免許があれば、中免を取るのは簡単だった。

バイクも買い、転職してからも休みになると練習がてら1人であちこちバイクで出かけてみた。

ツーリングに行ってみようか。
そう思って何気なく見たインターネット掲示板のバイク板があった。

そこで知り合ったのが、
『樹海』『コピー屋』『ハマ』『仙台』
を始めとする、全国のバイク乗りだった。

No.80 15/01/18 09:33
てん ( zEsN )

「ウチに来ないか?」

新橋の小料理屋で待ち合わせ、久しぶりに会った挨拶が済むと、熊本さんがそう切り出した。

熊本さんはいま建材商社のA商事にいる。
俺がいまいるのは建材メーカーだが、建材商社は文字通り多種多様な建材を仕入れて、メーカーから建設会社や金物屋などへ売るのが商売だ。

A商事は都下や関東全域で手広くやっている建材商社だ。
熊本さんは閑職に回されたときに、個人的に付き合いがあったA商事の社長に誘われて転職した。

この業界では案外そういうことが珍しくない。

同じ業種や、関連した業種の他社から誘われる機会が多い。

「やりにくいだろう」

「まぁ、新社長になってから、ちょっと息苦しいところはありますね」

「まぁ××もそう簡単に潰れはしないだろうが、先行きは明るくないだろう。ただでさトップメーカーが強い世界であんなゴタゴタしてたら、置いてけぼりだ」

熊本さんのところにも、いろんな話が聞こえているようだった。

広そうに見えて、狭い業界ではある。

「黒田なら、ウチで十分やっていけるだろう。トップメーカーにも小さいとこにもパイプ持ってるしな。自社製品以外の仕入れもけっこうやってただろう。扱う種類が増えるだけだ」

「まぁ、それやりすぎて支店長から睨まれてますけどね」

「アイツはなにやってもイチャモンつけるからな。それが偉いと勘違いしてる」

No.79 15/01/17 14:28
てん ( zEsN )

どうやら、新支店長は俺が気に入らなかったらしい。

俺の営業内容が細かくチェックされるようになった。

客先回りの効率が悪い。
必要のない値引きをしている。
××系の客とは付き合うな。
直行や直帰が多い。

客先での打ち合わせ中に「大至急」と呼び戻され、支店長の所へ戻ってみたら、そんなイチャモンのような説教を1時間もされた。

まぁよくあることなのかもしれない、そう思って聞き流した。

支店長もイチャモンはつけてきたが、俺は社内規定に違反したわけでもなく、営業成績も良かったから、それ以上はなにも言えないようだった。

1年くらいはそのままあまり変化もなかったのだが、会社の業績は少しずつ悪化した。

会社は建材メーカーだったが、材料の高騰や、売掛金の回収不能などが続いた。

前社長のときには、番頭役の役員や、支店長クラスがその辺も見越してうまく会社を回していたのに、新社長になって人材を入れ替えたのがうまく機能しておらず、対応は後手後手になった。

いますぐ会社が傾く、というほどではなかったが、会社は採算の悪い支店と営業所をいくつか閉鎖した。

俺のいた支店は業績が良かったので普通に存続したが、営業目標がいきなり1.5倍近くに上げられたりした。

なんというか、お家騒動や上層部の不手際ばかり見ているうちに、俺の中で会社への忠誠心が薄れてきた。

そんなときに、新社長就任のしわ寄せで閑職に回され、転職した部長職だった熊本さんという人から連絡があった。

No.78 15/01/17 12:40
てん ( zEsN )

「あのー、『クロ』です」

新宿にある、安い居酒屋チェーン。

店員に案内された席には、俺と同じ年頃の男どもが4人。

「お、『クロ』ちゃんか。俺、『樹海』」

一番端に座っていたヤツが、そう言って立ち上がり、隣の席を勧めてくれた。

「『樹海』さんか。初めまして」

「『初めまして』なんて誰も思ってねーよ」

『樹海』はそう言って俺の肩を叩いた。

『樹海』『コピー屋』『ハマ』『仙台』

この男たちは、インターネットの掲示板で知り合ったヤツらだ。
顔を合わせるのは今日が初めてだが、ここ3ヶ月くらい、掲示板での付き合いが続いている。

俺は30歳になっていた。

忍と別れてから、あまり張り合いもないのに、仕事に没頭する毎日が続いていた。
俺は常に関東エリアで業績上位で、給料も賞与もペーペーだったころとは比較にならないくらい良くなった。

それが2年ほど続いたころ、創業社長が急死した。

そこそこ業界でも大きい会社だったが、非上場で、役員だった息子が跡を継いだ。
まぁ、同族会社なら当然だ。

新社長になって、社内の勢力が変わった。
俺がいた支社も、支店長が変わった。
新社長寄りの人間が厚遇されたということだ。

まぁ、俺には関係のないことだと思っていたら、そうでもなかった。

俺は業績が良いこともあって、前支店長からずいぶん可愛がられていたが、新支店長はそうではなかったらしい。

No.77 15/01/17 09:14
てん ( zEsN )

【設定ミス】
感想スレNo.143をご覧ください
http://mikle.jp/thread/2169945/143

No.76 15/01/17 09:00
てん ( zEsN )

「謙ちゃん」

涼の横に立ったままの俺を見上げて、涼が言った。

「なに?」

「………ううん、やっぱ、なんでもないや」

「………俺は、大丈夫だからさ、涼さんは身体、大事にしてくれよな」

「うん」

「俺、冬のボーナス、たくさん貰えそうだし、豪華な出産祝い、送ってやるよ」

「まだ先の話だよ。夏頃かな」

「じゃあ、夏も社長賞獲るかな」

「………うん」

俺が乗る電車がくると、スピーカーからアナウンスが流れた。

「涼さん、気をつけてな」

俺がそう言うと、涼は立ち上がった。

駅のホームの先の暗闇に、近づいてくる電車の灯が見えた。

「また、連絡してよ」

「謙ちゃんも、面倒がらずにメールちょうだいよ」

「うん」

ガラガラの電車がホームに滑り込んできて、俺と涼の前でドアが開いた。

「じゃあなー」

「謙ちゃん」

「んー?」

「私は、ずっと変わらないから」

「………かもな」

俺と涼の間で、ドアが閉まった。

涼は両手を顔の辺りで振った。

俺と軽く手を振り返すと、電車は滑るように動き出した。

涼の姿は、すぐに見えなくなった。

涼は変わらない。
ずっと、変わらない。

涼なら、幸せなときも辛いときも、笑うんだろう。

だったら、涼には幸せでいて欲しい。

「シルバースプーン」で初めて出会ったころのまま、涼は涼らしくいて欲しい。

涼がそうしていてくれれば、俺もどうにか意地を張れそうな気がした。

No.75 15/01/16 23:56
てん ( zEsN )

涼は学生時代から付き合い始めた彼氏と結婚して、子どもが生まれて。

本当なら俺も、忍と………

やめよう。

考えるだけ、辛くなる。

俺は忍の辛さを受け止めたんだから。

「そういえば涼さん、なんでウーロン茶ばっか飲んでんの?」

飲むピッチがいつもと違うから、涼が飲んでいるものがウーロン茶だと気付いた。

「あ。バレた」

「そういや、タバコも止めたんだね。こないだは吸ってたのに」

「うーん。まだ医者にいってないんだけど、2人目できたような気がするんだ」

涼は照れ臭そうにそう言った。

そうか。
涼はまた1人、新しい命を生み出すんだな。

結婚しても、母親になっても、涼はちっとも変わっていないように見える。

だけど、やっぱり、なにかが違うんだ。

誰かと家庭を作っているという、優しい空気。

守るべき命があるという、使命。

涼は、やっぱりいつも俺より先に走っていってるんだな。

それは昔から変わらない。

会った時間が早かったので、9時には店を出た。

涼の勘が当たっていれば妊婦なんだと思うと、1人で電車に乗って帰らせることはできず、俺は涼と同じ方向の電車に乗った。

家の近くまで送るつもりで、涼の最寄駅で一緒に降りると、ホームで涼は「タクシーに乗るから、謙ちゃんはここから引き返して」と言った。

「じゃあな、体大事にしてよ」

俺がそう言うと

「電車が来るまでいるよ」

涼はそう言って椅子に腰かけた。

No.74 15/01/16 16:08
てん ( zEsN )

まだ、誰にも忍と別れたことは話していなかった。

忍を引き合わせた友達もいるが、誰にも言いたくなかった。

突然大切な存在が消えてしまったことを、うまく言葉にする自信がなかったからだ。

もう、忍の姿を見ることも、腕に抱くこともないという現実が、不思議だった。

自棄酒をするのもバカらしく、仕方ないから仕事に没頭した。

食事どころか、座る時間も惜しむように営業先を回り、毎日最後に会社を出るような生活をしていたら、自分でも驚くような営業成績になった。

関東エリアで3ヶ月連続業績トップとなり、この先もトップに近い成績が取れそうだった。

なにも知らない支店長は喜び、この分なら年末の関東エリア忘年会で、俺が社長賞を獲るだろうと言っていた。

「別れるしか、なかったのかな………」

俺の話を聞き終わると、涼は寂しそうに言った。

「わかんね」

俺はウィスキーの水割りを飲みながら言った。

「結婚してたら、また違ったかもね」

涼は既婚者らしい感想を言った。

なるほど、もし俺と忍がもう結婚していて、そこで同じ事態が起きたとしたら、それが原因で離婚するという話にはならなかっただろう。

だけど、俺と忍はこれから正式に婚約しようかと考えていた段階だったから、別れるという選択肢しかなかったのかもしれない。

「俺のことはもういいよ。涼さんは元気そうだけど、ダンナさんと上手くいってるんだね。なんつうか、涼さんが母親してる姿って想像つかないんだよな」

「一応、ちゃんと母親してるけどなぁ。んー、でもちょっと当たってるかも。娘がさ、もう口が達者なわけ。悪いことしたら叱るじゃない?そうすると『おかーしゃんのばか!』とか言い返してくるの。こっちも腹が立つから、3歳児相手につい本気で口喧嘩。ダンナは子どもが2人いるとか言うし」

涼はそう言うが、本当は涼はいい母親なんだと思う。

No.73 15/01/16 15:53
てん ( zEsN )

「嘘」

俺の前に座った涼の顔色が変わった。

忍と別れて、3ヶ月。

半年振りに涼と会った。

話が前後するが、涼は俺が大学3年のころに24歳で結婚していた。
結婚後も仕事を続けていたが、翌年に妊娠し、仕事は辞めていた。

涼とはバイト仲間で関東にいる人間中心に付き合いが続いていた。
涼が結婚したときは、仲間みんなで結婚式の2次会に呼ばれた。

その子どもは今は3歳で、この日は1人でダンナの実家に泊まりにいき、ダンナは出張で不在。
それで涼は久し振りに俺に連絡してきたようだ。

といっても、涼は俺と会うことをダンナに隠したりはしない。
俺がダンナに会ったのは結婚式の2次会のときだけだが、涼は家で俺の話をよくするらしく、俺と2人で会ったところでヘンに勘繰ることもないらしい。

そういえば結婚話も、涼から誘われて2人で飲んでいるときに聞かされた。

会うたびに忍のことを聞かれていたから、涼は俺が大学1年からずっと忍と付き合っていることを知っていて、会うと「で?いつ結婚するの?」とか聞かれていた。

涼が結婚したときには、微妙に寂しい気持ちがした。
ついに涼も誰かの奥さんと呼ばれるようになるんだな、と。

だけど、俺はずっと忍と上手くいっていて、バイト時代、涼に対して抱いていた憧れのような気持ちは、昔の思い出のようになっていた。

だから涼は長い付き合いの仲間で、その中でも信用できて頼りになる存在だった。

「だって、この間電話したときには、そろそろ彼女の実家に挨拶にいくって………」

「仕方ないんだよ」

俺は努めて感情が乱れないようにしながら、忍と別れることになった経緯を話した。

No.72 15/01/16 13:05
てん ( zEsN )

「謙の」

忍は搾り出すように声を出していた。

「謙の、奥さんに、なりたかった………」

本当はいろんなことを、言いたかった。

長野と東京くらいなら、遠距離というほどではない。

だけど、忍はもう東京に戻れない。
戻れるとしたら、それは、忍が母親と別れることを意味する。
その意味は、重い。

結婚しようと思ったら、俺が長野へ行くしかない。

「お母さんの側にいたいの。後悔したくないの。そうなると、もうこっちには、いられない。謙に長野に来てとは、言えない。お母さんの世話をしながら、長野と東京で離れて付き合い続けるのは、やっぱり無理だと思う」

「俺が、会いに行けば………」

「お母さんの世話と、家のことと………。どのくらい、自由な時間があるか、全然分からない」

この状況で、遠く離れて暮らしたまま、いつ会えるか分からない
それがいつまで続くか分からない
それが終わるのを望むのは、大切な母親の最期を望むのと同じことになる

忍には辛いだろう。

俺は、忍がそう言い出すんじゃないかと、ぼんやりと予想していた。

「謙、ごめんね。謙が好き。大好き。一生一緒だって約束したのにね。私が、私が、約束を破っ………」

忍の声が乱れた。

俺は黙って忍を抱きしめた。

しばらくそのままでいた。

「今日は、いつもと同じように、謙と一緒にいたい」

忍は俺の顔を見上げてそう言って、俺の背中に手を滑らせた。

当たり前になっていた動作。
忍が俺に抱いて欲しいときにする動作。

俺は忍を抱いた。

最後なんて、思いたくなかった。

だけど、忍の全てを忘れないように、俺の中に刻みつけようと思った。



「忍が好きだ」



俺と忍は、この日を最後に

もう会うことはなかった。

No.71 15/01/15 14:45
てん ( zEsN )

俺がソファーに座ると、忍はキッチンでコーヒーをいれてくれた。

忍は俺の横に座ると、「謙」と呼んだ。

「なんだ?」

「………私。長野に、帰ることにした」

「………忍」

予想していた言葉だった。

忍は裕福な家庭で育った娘だ。

だけど、親の経済力に甘えるタイプではなかった。
もちろん、このマンションは学生時代には贅沢な住まいだったが、今は実家から仕送りなどもらっていないし、育ちが良いだけに、服や持ち物はそれなりに良い物を持ってはいたが、必要以上に物を欲しがることもなく、普段は出会ったころと変わらず、Tシャツにジーンズという格好が多かった。

料理も上手だったし、部屋は相変わらずシンプルだけど、いつもそこそこ綺麗にしていた。

忍を見ていると、両親に大切に育てられたんだということがよく分かる。

おとうさんがね、おかあさんがね、兄貴がね

時折、家族の話題を口にする忍は、いつも楽しそうだった。

そんな忍だから。

実家で起きたことを、放っておけるわけもない。

「来週、実家に帰る」

「仕事は?」

「もう、退職願、出してきた」

「引越は」

「業者さんに任せる」

忍は、もういろんなことを、決めていた。

じゃあ?

「俺とは」

俺の放った言葉で、忍の目に涙が浮かんだ。

No.70 15/01/15 12:39
てん ( zEsN )

ずっと、忍と一緒だと信じていた。

だけど、それは思ってもないところから、突然崩れた。

俺が社会人になって3年目の夏。

忍からメールがきた。



>>おかあさんがたおれた



7月上旬の月曜日だった。

仕事中だった俺は、移動時間の合間に忍に電話をかけたが、繋がらなかった。

とりあえず、心配しているという内容でメールを送り、忍からの連絡を待った。

2日後、やっと忍から電話がきた。

忍の母親の病気はくも膜下出血だった。

幸い、一命は取り留めたが、軽くない後遺症が残った。

忍は発病の報せを受けた日に実家に帰り、病院に詰めた。
有給休暇を使いきるころに、容態は多少安定し、忍は一旦戻ってきた。

だけど忍は、急な休職の後始末に忙しく、連絡もままならず、それでもときどき経過報告のメールがきた。
週末は長野へ帰り、また日曜の夜に戻ってくる生活が続いていた。

そしてお盆休みの直前の土曜日、俺はやっと忍と会うことができた。

忍は俺のアパートにくると言ったが、疲れているだろう忍のことを考え、俺のほうから忍のマンションへ行った。

「謙」

ドアを開けてくれた忍は、やはり少しやつれていた。

それでもいつもと同じように、俺の顔を見て顔を輝かせ、そっと抱きついてきた。

「お袋さん、どうだ?」

忍を抱きしめてそう聞くと、忍は小さく首を横に振った。

「あんまり、良くない。後遺症があって、介助する人がいないと生活できない。いろんな検査もしたけど、再発の可能性も高いし」

「………心配、だな」

No.69 15/01/14 23:26
てん ( zEsN )

忍が大事だった。

俺と忍の始まりはいい加減だった。

だけど、忍とは遠い昔から一緒にいたように、安心できた。

普段の中性的な顔も、2人きりのときの甘えた顔も、ときどき言うちょっとした我儘も、喧嘩したときでさえ、忍の全てが俺に馴染んだ。

一緒にいるのが当たり前だったんじゃない。

いつも一緒にいたかった。

そう思えるのが忍だった。

「もう2〜3年、経ったら」

俺は忍の顔を撫でながら言った。

「謙は26?27?」

「忍は27か28」

「だね」

「今より稼ぎも増えてると思うんだ」

「私もー」

「金も、ちょっとずつ貯めてる」

「バイクの免許でも取る?」

「それより欲しいものがあるんだ」

「なに?そんなに高いもの?」

「高いかもな。ものって言ったけど、物じゃないから」

「?」

「忍」

「なに?」

「そうじゃない。俺は忍と結婚したい」

「………謙」

「忍と、この先ずっと一緒にいたい」

「一生?」

「一生」

「どっちかが死ぬまで?」

「死ぬまで」

「………どうしよう」

「………別にいま答えなくてもいいよ」

「違う。嬉しくて、どうしよう」

「どうしようか」

「………一緒にいさせて」

「一緒にいよう」

細い忍の体を抱きしめると、忍は俺の肩に顔を埋めた。

忍を、一生幸せにしてやりたいと、俺は狂おしいほど、思った。

No.68 15/01/14 13:06
てん ( zEsN )

このころの俺は、テンションが高かった。

はしゃぐとかそういうことではなくて、忍という彼女がいて、なぜかやっとという気分で社会人になり、仕事は面白い。

要は充実した毎日だった。

忍とは年に1、2回旅行に行った。
大抵は温泉や近場のテーマパークのあるような場所に1泊だったが、俺が最初の冬の賞与をもらったあとは、ちょっと贅沢をした。

下田温泉まで足を延ばし、各部屋に専用露天風呂のある高級旅館に泊まった。

もうけっこう長く付き合っているのに、忍と一緒の旅行は楽しかった。

専用露天と部屋での食事という贅沢な環境をいいことに、チェックインから翌朝のチェックアウトまで、俺と忍はずっと部屋にいた。

好きなときに持ち込んだ酒や食べ物を楽しみ、風呂に入り、何度か忍を抱いた。

「………帰りたくなくなった」

俺の腕の中で忍はそう言って笑った。

「毎日こんな生活してたら、ダメ人間になりそうだ」

「豪華なゴハン食べて、お酒飲んで、お菓子食べて、謙と露天風呂はいって」

「セックスして」

「ホント、堕落するね」

「忍には似合わないな」

「謙にも似合わないよ」

「たまにだからいいんだろうな」

「じゃあ、これからも年に1回はこんな贅沢しよう」

「年に1回だけ、堕落しようか」

「うん」

ふかふかの掛け布団にもぐりこんでいた忍が、目まで顔を出して笑っていた。

No.67 15/01/13 22:29
てん ( zEsN )

俺は内定をもらっていた建材メーカーに就職した。

1ヶ月研修を受けて、俺は支店の営業になった。

研修が済んでから、俺は実家を出て、通勤しやすいエリアにアパートを借りた。
忍のマンションからは遠くなったが、行き来できないほどの距離ではない。
大学を出たての新入社員が借りれる部屋だから、駅からは歩いて20分のワンルームだ。

だけど、忍は俺のアパートを気に入った。

広い自分のマンションよりも居心地がいいと言って、週末になるとよく泊まりにきた。

忍は一口しかないコンロのミニキッチンで料理をするために、電磁調理器を持ち込んだ。

忍は煮物が得意だった。
実家で黙って食べていた煮物に「筑前煮」とか名前があるのも、忍に教えられて初めて知った。

就職して半年も経つと、俺もだいぶ社会人としての生活に慣れ、仕事も覚えてきた。

まだ1年目で、売上目標などはなかったが、客から注文を受け、品物が売れると、それが売上金額となって見えるのが面白くなった。

売上を上げるためには何をすればいいのか。
それをよく考えた。

俺の指導者だった主任は、優秀な営業マンだったから、俺はその人のやることを見て、自分はどんな風に営業をすればいいのか考えたりもした。

人との付き合い方は、忍からも教わった。

忍の広報という仕事は人に会う機会の多い仕事だから、忍の話を聞くのも役に立つことが多かった。

No.66 15/01/12 17:48
てん ( zEsN )

そして春が来て、俺はいつかの涼と同じように大学を卒業し、アルバイトも卒業した。

涼と出会った「シルバースプーン」で、高2の初夏から大学卒業までの6年近くを過ごしたことになる。

ずっと見送る立場だった俺が、店のスタッフに見送られる。

当たり前だけど、俺は最古参のスタッフだった。
店長にもキッチンからも、店の母体の会社からも信用され、ここ数年はずっとバイトのリーダーだった。

大学と両立しながらそこまで頑張れたのは、俺の前を走っていた涼がいたからだ。

就職してからも繋がりの切れない涼に、無様な姿は見せたくなかったところがある。

もちろん、忍と付き合っているのに、貧乏なだけの学生でいたくなかったこともある。
最後は学生アルバイトにしては、破格の時給だった。

俺もやっと社会人だ。

就職と同時に、家から独立することになっていた。

一人前になりたい。

そんな気持ちが強かった。

もちろん、忍との将来も考えてのことだ。

このまま忍と付き合いが続けば、忍と結婚することが現実的になってくる。

誰から見ても恥ずかしくない男になりたかった。

そんなことを考えること自体、ガキ臭いと思わなくもないが、それでも俺は、1日でも早く、真の大人になりたかった。

No.65 15/01/12 12:35
てん ( zEsN )

涼とは会う頻度こそ減ったが、付き合いが続いていた。

涼が自分で言った通り、友達や家族を連れて、「シルバースプーン」に食事にくることもあったし、就職した会社のリズムが落ち着いてからは、バイト仲間の飲み会にも顔を出し、俺に個人的に連絡が来ることもあった。

その頃には携帯電話という便利なものもあったので、メールでのやり取りもけっこうあった。

忍は俺が涼と親しいことを知っていた。

隠すことじゃないし、お互いに異性の友達がいるのは当たり前だと、俺も忍も思っていた。

一度だけ、池袋で忍と待ち合わせたときに、仕事帰りの涼とばったり出くわしたことがあった。

お互い、大した予定もなかったので、3人でコーヒーショップで小一時間お茶を飲んだ。

涼は一度もあったことがない忍に会えて喜んでいたし、忍も俺の話にちょくちょく出てくる涼に興味があったらしい。

開けっぴろげな涼と、少年みたいな忍は、妙に気があったようで、お互いの仕事の話をしたり、俺の悪口を言ったりして盛り上がっていた。

涼と別れたあと、忍は

「謙が言ってた通りの人だった。謙の憧れの人だったんでしょ」

と笑いながら図星をついてきた。

涼からはメールで

『邪魔してゴメンねー。私も忍ちゃんみたいな子はタイプだわ。彼女なら長続きしてるのも納得』

と言われた。

No.64 15/01/12 09:04
てん ( zEsN )

俺は大学4年になった。

就職活動をしながら、「シルバースプーン」でのアルバイトも続けている。

単位は順調に消化し、成績もそこそこ悪くなかった。

そのお陰で、何社か内定ももらえた。

俺は大手の建材メーカーに就職するつもりだった。

俺より1年早く卒業した忍は、酒造メーカーに就職した。
広報部に配属され、忙しく走り回っている。

忍は出張や残業、接待まであるようだったし、俺が就職活動で忙しかった期間もあったが、週に1度は会い、俺との付き合いが変わることはなかった。

「謙!」

会うと忍は必ず俺の名前を呼んで、駆け寄ってくる。
それが忍のマンションだと、飛びついてくる。

付き合い始めたころから、それは変わらなかった。

相変わらず忍は、男の子みたいだった。

ちゃんとスーツを着てスカートをはいていても、女っぽくない。

会社では「しのぶくん」と呼ばれているんだと笑っていた。

休日に一緒に出かけるときは、出会った頃と変わらず、やっぱりTシャツにジーンズという格好だ。

だけど、2人きりでいるときの忍は、俺にしか見せない甘えた様子や、女らしい仕草があって、料理もけっこう上手かった。

俺はそんな忍をますます大切に思うようになっていた。

No.63 15/01/11 23:35
てん ( zEsN )

「謙ちゃん」

「ん」

「私はずっと変わらないよ」

「………涼さんは、ずっと涼さんのまんまなんだろうな」

「謙ちゃんにとっての『涼さん』だよ。………なんだろな。謙ちゃんは年下なのに、あんまりそう感じなかった。私、けっこう謙ちゃんには甘えてたかも」

「気安い存在なんだよ」

「謙ちゃんとは、この先ずっと、いまみたいに付き合えそうだって、勝手に思ってるんだ」

「………俺も、そんな気がする」

「私が40歳くらいになってさ、そのとき独り者だったら、謙ちゃんにお嫁に貰ってもらおうかな」

「涼さんはモテるから、そんなことはないだろ」

「そうかなぁ。あ、謙ちゃんが独り者でいる確率の方が低いか」

「そんなの、わかんねぇよ」

「確かに先のことはわからないね。でも、私が売れ残ったら、謙ちゃんよろしくね」

「はいはい」

「またそうやって適当にあしらう!けっこう本気だったのに」

「分かったよ。まったく、いまの彼氏に殴られるぞ」

「殴られないよ、愛されてるから」

「なんだよ、結局ノロケかよ」

「へへへ」

涼はいつも涼らしく。

俺はそんな涼の残像を追いかける。

涼が冗談のように言ったことが、遥か遠い未来に本当になるなんて、このときの俺は。

やっぱり欠片も想像できていなかった。

No.62 15/01/10 15:02
てん ( zEsN )

『寂しくなんかねーよ』

そう言おうとしたけど、言えなかった。

だって俺は、やっぱり寂しかったんだ。

もちろん、俺には忍がいる。
忍が好きだし、一番俺にとって大事な女の子だ。

だけど、やっぱり涼も特別な存在なんだ。

「シルバースプーン」のオープニングスタッフとして、同じスタート地点から一緒に働いてきた。

涼に憧れた時期もあった。

年上の涼に追いつけない悔しさを感じたこともあった。

こっそり一緒に悪さをしたり、バイトの後に遊びにいったり、姉弟のようだと周囲から言われるほど、俺と涼は近くにいた。

いままで俺と涼の差は、涼が年上というだけで、同じ学生、同じアルバイト仲間という土俵の上で付き合うことができたのに、4月になれば涼は社会人として働き始める。

やっと俺が大学生になって涼に追いついたのに、また涼は先へ進んでいってしまうんだ。

「やっぱ、涼さんがいなくなると、寂しいよな」

俺がひっくり返したビールケースに座ってタバコを吸いながらそう言うと、涼は目を丸くした。

「謙ちゃんが憎まれ口を叩かないなんて、珍しい」

「俺は本来、素直な男の子なんだよ」

「知ってるよ」

涼はそう言ってにっこり笑った。

もしかしたら、涼には全てお見通しなんだろうか。

俺が涼に憧れていたことも。
涼を特別だと思っていることも。

「謙ちゃん。私、ゴハン食べにくるからね。飲み会にも呼んでね。悩み事があったら、相談してね」

「うん」

No.61 15/01/10 11:24
てん ( zEsN )

年が変わった3月、涼は大学を卒業した。
春休みいっぱいでアルバイトもやめる。

涼は家電メーカー系列のコンピュータシステムの会社に就職する。
システムエンジニアになるそうだ。

例の彼氏とは順調に付き合いが続いているらしい。

涼は2年半、間違いなく「シルバースプーン」の顔だった。
常連客からは「涼ちゃん」と名前で呼ばれていた。
ときどき、客から電話番号や名刺を渡されたりすることもあった。

会社からの信頼も厚く、アルバイトスタッフからは慕われる存在だった。

涼に想いを寄せていた男が何人かいたことも俺は知っている。

だけど涼は、その誰とも気まずくなることもなく、いつも楽しそうに働いていた。

その涼が、いなくなる。

恒例の送別会が、例年通り店の宴会場であった。

今年は涼以外にも、3人が就職でアルバイトを辞めるという。

これも例年通り、辞めるスタッフの好きなメニューが宴会場のテーブルに並び、店長は酒を出してくれた。

みんな好きなように食べたり飲んだりしながら、歓談していた。

俺はトイレに立ったとき、宴会場のパントリーに入った。

2年前の送別会の日、彼氏と別れて飲みすぎた涼と床に座り込んだことを思い出した。

あのときの涼は、珍しく弱ってた。
無防備で、隙だらけだった。

「謙ちゃん、見っけ」

後ろから声をかけられ振り返ると、当の涼がパントリーの入り口から顔を覗かせていた。

「いきなり声かけるなよ。驚くだろ」

「なに黄昏てんの?」

「黄昏てなんかねーよ」

「なんだー、寂しそうだから慰めてあげようと思ったのに」

No.60 15/01/09 17:29
てん ( zEsN )

なんだろう。

涼が幸せそうだと、俺は嬉しい。

涼はいつも変わらない。

涼が涼らしくいてくれると、俺もなんだか頑張れそうな気がしてくる。

俺はいま忍と付き合っている。
忍のことが好きだ。

だけどやっぱり、涼は大事だ。

涼に彼氏がいても、俺に彼女がいても、俺と涼の関係は変わらない。

相変わらずバイトの後には飲みに行ったり、パチンコやカラオケにに行ったりしている。
真面目な話をしたり、思い切りバカな話をして笑ったり。

これからもずっと、そのままでいたいと思う。

あと何年か経ったら、涼は大学を卒業して就職するんだろう。
就職して何年か経ったら、涼は誰かと結婚するんだろう。

俺はその数年遅れで、大学を卒業し、就職する。

涼はいつも俺の一歩先を歩いている。

俺は走ってもあがいても、涼に追いつくことはできない。

それが分かっているから。

涼とはずっといまのままの関係でいたいと思うんだろう。

No.59 15/01/09 16:01
てん ( zEsN )

忍と付き合うようになって割りとすぐに、俺は涼にそのことを話した。

なんとなく、そうしたほうがいいように思ったからだ。

皐月と上手くいかなかった理由のひとつが、俺が涼に特別な気持ちがあったことだった気づいた以上、俺の中でケジメみたいなものが必要だった。

涼とはいまのまま、姉弟のような、「シルバースプーン」での大事な仲間でいたかった。

忍のことを聞いた涼は、なぜかはしゃいだ。

どんな女の子なのか、なにがきっかけで付き合うようになったのか、聞きたがった。

まぁ、知り合ってすぐにセックスしてしまったことは端折って、教習所で知り合って仲良くなったとだけ教えた。

涼は「誰かに聞かれたら、話してもいいの?」と言った。
涼が言うには、俺に彼女がいるかどうかを聞かれることがあるらしい。

忍を店に連れてくる気はなかったが、別に隠したいことでもなかったので、俺は「別にいいよ」と答えた。

涼は涼で、例の「大学OB25歳社会人」とは上手くいっているらしい。

涼は忍の話を聞きたがったりする割には、普段は根掘り葉掘り聞いてきたりはしないし、逆に自分から彼氏のことを話したがるタイプでもなかった。
誰かが話せば聞くし、誰かに聞かれれば話す、という感じだ。

「涼さんは最近彼氏とどうなんだよ」

「んー?仲良しだよ」

「バイトばっかしてると会う暇ないんじゃないの?」

「彼も仕事が忙しいしね。でもちゃんと会ってるよ。謙ちゃんこそ、彼女と会ってる時間あるの?謙ちゃんのタイムカード、真っ黒なんだけど」

つまり、俺のタイムカードは出勤の刻印だらけで、休みがあまりない、ということだ。

「涼さんのタイムカードだって真っ黒じゃねーか」

「お金、好きだもん」

「涼さんはそんなに稼ぐ必要もないだろ。俺は親にたかれないから仕方なく働いてんだよ。車かバイクも買いたいしな」

「彼女にも貢ぎたいしね」

「少年みたいな女子大生は、あんまり物を欲しがらないんだよ」

「そういうとこが好きなんでしょ」

涼はそう言って笑った。

No.58 15/01/08 17:20
てん ( zEsN )

「謙ちゃん、ミエちゃんに泣かれちゃったよぅ」

パントリーで俺と並んでシルバー磨きをしていた涼が、手に持ったクロスの中のフォークをかちゃかちゃと鳴らしながら言った。

「ミエちゃんて、この間入った高校生?」

俺は磨き終わったフォークをケースに並べながら言った。

「そう。ミエちゃん、謙ちゃんのファンだって初日から言ってたんだけど」

「涼さん、なに言って泣かせたんだよ」

「『黒田さんて彼女いるんですか?』って聞かれたから、『最近、少年みたいな女子大生と付き合ってるみたい』って答えたら、泣いちゃったの」

「『少年みたいな女子大生』って、なんだそりゃ」

「だって、謙ちゃんが彼女をお店に連れてきてくれないから、実物見たことないんだもん。謙ちゃんから聞いたまんま答えるしかないじゃない」

「仕事してるとこ見られるの、イヤなんだよ」

「なんでー。デシャップやってるとことか、カッコイイのに。あ、じゃあさ、オフの日にゴハン食べにくればいいじゃない。社割つかえるし、きっとチーフもサービスしてくれるよ」

「ぜってーイヤだ」

「なんでー」

「涼さんが興味津々でお冷持ってきて、他のスタッフが何度もお冷入れに来て、何度も中間バッシングしにきて、頼んでもないパフェとかケーキとか持ってくるんだろ?見世物になるのはゴメンだよ」

店のスタッフの誰かが彼氏や彼女を連れてくると、たいていはそうなる。

下手をすると店長や社員までそんなことをしてくれる。

まぁ、みんな仲がいいからなんだけど、俺が忍を連れてきてそんな風な待遇を受けるのは、なんとも背中がむずがゆくなるような気分で、想像しただけで勘弁して欲しかった。

No.57 15/01/08 16:21
てん ( zEsN )

俺は免許センターに行った日から、忍と付き合うようになった。

あんな風に始まった関係だけど、事実にある軽さなど吹き飛ぶくらい、俺と忍は何年も前から恋人同士だったように、お互いの存在が自然に感じられていた。

忍を初めて抱いた日から半月後、忍の誕生日があった。

忍のマンションで、2人でケーキを食べ、俺は忍にネックレスをプレゼントした。

忍は俺がプレゼントした箱を開けて顔を輝かせてくれた。

「謙がつけて」

忍は俺にそう言ってあの細いうなじを向けた。

女物のアクセサリーなんて触ったこともない俺が四苦八苦してネックレスを付けてやると、忍は俺を振り返り、抱きついてキスしてくれた。

「ありがとう。謙。好き」

忍はそう言った。

俺と2人きりでいるときの忍は、普段からは想像もつかないくらい、しなやかで女らしい。

俺にはそれが嬉しかった。

俺しか知らない忍。

俺だけの忍。

「忍、これからもずっと一緒にいよう」

俺がそう言うと、忍は「うん」と言ってくれた。

俺は忍を見るたび、安心する。

忍を好きになって、気付いたことがある。

どうして皐月とうまくいかなかったのか。

俺が、皐月に涼を無理矢理重ねていたからだ。

そう。
俺は涼に憧れみたいなものを感じている。
自分でも分かっている。

俺はその気持ちを皐月に向けた。

だから、皐月の気持ちに沿ってやることができなかったんじゃないか。
そう思う。

だけど、忍は最初からいままで見たことがないようなタイプの女の子だった。

涼と重ねることなんかない。

だから、俺は安心して忍を好きになれた。

普段は男の子みたいで、色気もなくて、俺を笑わせるようなことばかりしているくせに、2人きりになると俺に甘えてくれて、可愛いことも言ってくれる。

そのギャップが、俺には嬉しかった。

涼は大事な仲間。

忍は大切な女。

俺の気持ちはスッキリと整理され、なにも考えずに安心して忍を好きでいることができた。

No.56 15/01/08 12:34
てん ( zEsN )

忍が軽く首を動かすと、うなじが見えた。

細い。

服を着ていない忍は、どこもかしこも華奢だった。

普段の忍とはまったく違う忍がいた。

すぐに壊れてしまいそうな忍を抱き締めると、忍は俺の耳元で

「寂しかった」

と囁いた。

たまたま会った俺に、忍はなにかを感じてくれたんだろうか。

俺も寂しいんだろうか。

少年のように中性的で明るい忍。

だけど、いま俺の腕の中にいる忍は、俺の欲情を掻き立て、なのに守ってやりたいと思わせる。

忍といると、余計なことは考えずにいられそうだ。

皐月を抱いたときに感じたような微かな罪悪感はなかった。

目の前にいる忍だけを。

俺は好きだと思った。

きっと、もっと好きになると思った。

No.55 15/01/07 16:12
てん ( zEsN )

「ホントに泊まっていっていいわけ?」

「いいって言ったじゃん」

「だってさ、忍はいいヤツだと思うけど、知り合ったばっかなのに」

「知り合ったばっかの男を泊めるなんて、軽いヤツだって?」

「まぁ、そういうことか。意外だなと思って」

「そういう風に見えない?」

「見えない」

「誰でもいいわけじゃないよ」

「俺ならいいわけ?」

「いいのかもしれないって思ったんだけど」

「まだ好きも嫌いもないだろ」

「好きになれそうだと思った、っていうんじゃ、ダメ?」

「適当だな」

「適当だね」

「そんなんでいいのかよ」

「私はいいよ。謙は、私のこと好きになれそうもない?」

「まだ、分かんねぇよ」

「謙となら、一緒にいたら楽しそう」

「それは俺も思った」

「じゃあ、好きか好きじゃないか分かるまででも、一緒にいようよ」

「お試し期間」

「うん」

「すぐ分かりそうだ」

「………そんなに見込みない?」

「多分、逆」

No.54 15/01/07 14:38
てん ( zEsN )

居酒屋を出て、忍と一緒に駅から電車に乗った。

忍は少し酔ってはいるが、昼間と変わらない様子だ。

忍の最寄駅で電車を降りると、忍は「夜食と朝ご飯買って帰ろう」と言った。
本気で俺を泊めるつもりらしい。

駅前のコンビニで買い物をしてから、忍の住むアパートに向かった。
忍が言うには歩いて5分くらいの所らしい。

「アパートじゃないじゃん」

忍が「ここ、ここ」と言って指差したのは、小奇麗な賃貸マンションだった。
入り口にはオートロックもついている。

「なんでもいいじゃん」

忍は笑いながらロックを開けて、マンションに入っていった。

部屋は広めの1LDKだった。
駅から近くてこの広さだと、家賃はけっこう高いはずだ。

「忍は金持ちなんだな」

俺は忍に勧められるままリビングのソファーに座った。

「私はお金持ちじゃないよ。親が稼いでるだけ。女の子のひとり暮らしだと危ないから、駅から近くてオートロックのマンションじゃないとダメだって言われちゃってさ」

忍は冷蔵庫からペットボトルのお茶を出すと、俺に渡した。

部屋の中は、シンプルだった。
シンプルというより、殺風景と言ってもいい。

テレビ、ソファー、小さいテーブル。
カーテンは無地。
女の子が好きそうな飾りは見当たらなかった。

ただ、大き目のスチール製本棚があって、そこにはマンガが大量に並べてあった。

「男のひとり暮らしみたいな部屋だな」

俺はペットボトルのお茶を飲みながらそう言った。
実際、大学の友達が住むアパートと似た雰囲気だった。

立ち上がって本棚を見ると、半分以上は少女マンガだった。
でも、残りの半分は少年マンガと青年マンガで、ジャンルもいろいろみたいだった。

「読みたいのあったら貸してあげるよ」

忍が俺の横にきてそう言った。

「うん」

俺は忍の体温を近くに感じた。

No.53 15/01/07 10:37
てん ( zEsN )

忍と酒を飲みながら、大学やアルバイトの話で盛り上がった。

「ホントに香川さんは面白いな」

「あー、『香川さん』はやめない?『しのぶ』でいいよ。みんなそう呼ぶし。私も呼び捨てさせてもらうよ」

「俺のほうが年下なのに、いいわけ?」

「いっこくらい、年上も年下もないでしょ。部活でもないんだし」

「そうかな」

実際、忍にはそういう親しみやすい雰囲気があって、俺も忍とは気が合うと思っていた。

そこから更に打ち解けて、調子に乗って2人で飲んでいたら、いつのまにか俺が乗る上り電車の終電の時間を過ぎていた。

「やべぇ、終電いっちゃったよ。下りもそろそろ危ないんじゃねーの。帰ろうぜ」

「謙はどうするの?」

「2駅くらいだから、歩いてチャリンコ取りにいってから帰る」

「ウチに泊まればいいのに」

忍がサラっと言った言葉に、俺は持っていたタバコをテーブルに落とした。

「なに驚いてんの?」

忍はキョトンとした顔でグラスに口をつけながら言った。

「あのさぁ、そんな簡単にそういうこと言っていいわけ?」

「ダメ?だっていま彼女いないんでしょ?私もいま彼氏いないし。誰に文句言われることもないよ?」

「そういう問題じゃなくてさ」

「謙がイヤならいいよ」

「イヤってわけじゃ」

俺が落としたタバコを拾ってくわえようとしたら、忍がそれを掠め取って自分の口にくわえた。

「くる?」

忍はそう言って、やっぱり男の子みたいに笑った。

No.52 15/01/05 17:05
てん ( zEsN )

俺は無事に学科試験に合格し、免許を交付された。

忍は退屈した様子もなく、俺の手続きが終わるのを待ち、一緒に免許センターを出た。

「黒田くん、合格祝いに行こう」

駅から電車に乗ると、忍がそう言った。

「いいよ。どこで飲む?」

「○○駅の辺りにしようよ」

忍は教習所の最寄駅を言った。
そこなら、俺の家と忍のアパートの中間だった。

教習所での待ち時間や帰りの電車の中で、お互いの大体のことは話した。

忍の実家は裕福なようだ。
父親が地元で会社を経営しており、忍は適当に学校へ行き、ときどき大学のサークルでテニスをし、適当にアルバイトをしている。

バイクを借りていたという兄は5歳上で、忍と同じように東京の大学を出て、今は財閥系の商社で働いている。
留学経験もあるようで、さすが実家が裕福なだけのことはある。

電車を乗り継いで教習所の最寄駅に着くと、忍はチェーンの居酒屋へ行きたいと言った。
そこの堅焼きそばが食べたいのだそうだ。

ニアミスした日、卒検の日、そして今日。

大して長い時間を一緒に過ごしたわけでもないのに、居酒屋に入った頃、俺はもう忍と昔からの友達のように打ち解けていた。

本当に忍は面白いというか、不思議な雰囲気の女の子だった。

No.51 15/01/04 09:07
てん ( zEsN )

「意外だなぁ」

俺は忍の話を聞きながら笑ってばかりだった。

忍は俺の1歳上だった。

話を聞くと、驚いたことに、忍は同じ大学だった。
通っていた教習所は、俺の大学の学生が多いから、不思議ではないのだが。

お互い顔を知らないのは当然だ。
そもそも学部が違うし、教養課程には何百人と学生がいる。

お互いの自己紹介みたいにいろんな話をしてるうちに免許センターに着いた。

忍は俺が終わるまで待つと言う。

学科試験と結果発表、免許の交付まで、かなり時間がかかるから、待ってなくてもいいのに、忍は

「どうせ暇だから」

と言った。

ロビーでポータブルのゲーム機で遊んでいるから、と言う忍と別れ、俺は学科試験を受けに行った。

試験が終わり、ロビーへ行くと、忍はゲームをやっている態勢のまま、居眠りしていた。

なんていうか、無防備だ。

ゲーム機やらバッグやら、その気になれば簡単に置き引きできてしまいそうだ。

「おーいー!」

俺は忍の頭を軽くはたいた。

「ん、がっ。………ん?黒田くん?」

寝ぼけ眼で忍は俺を見た。

その顔がなんとも言えず面白くて、俺は笑った。

「こんなとこで女が寝てんじゃねーよ」

「……んー、だってさぁ、眠かったんだよー。怒んないでよー」

忍は首をコキコキならしながら寝ぼけ眼が抜けない顔で言った。

なんていうか、面白すぎる。

No.50 15/01/02 08:40
てん ( zEsN )

次の日の早朝、免許センターへのルートにある乗換駅で忍と待ち合わせた。

「香川さん、おはよう」

俺が待ち合わせ場所の改札口に行くと、忍は先に来ていた。

「おはよう、黒田くん」

忍は今日もTシャツとジーンズという格好で、スポーツブランドの派手なリュックを背負っていた。
やっぱり男の子みたいに見える。

忍と一緒に電車に乗った。

「香川さんならバイクで行けば楽だったんじゃないか?」

都心へ向かうのとは違う方向の路線なので、それほど車内は混んでおらず、俺と忍は並んで吊り革を持って立っていた。

忍は小柄に見えるけど、意外と身長はあり、あとで聞いたら163cmだった。
そこそこ身長があって痩せているから、最初は棒みたいだと思ったし、男の子みたいに見えるようだ。

髪もショートカットにしていて中性的な雰囲気だから、俺も話し易いのかもしれない。

「あのバイク、お兄ちゃんのなんだ」

「へー、お兄さんいるんだ」

「そう。もう社会人で忙しいみたいだから、バイク乗る時間もないみたいで。だから借りてたんだけど、怪我したときに取り上げられちゃった」

「なんで?だって怪我は階段でやったんだろ?」

「うん。あのさ、実は私、どんくさいんだよね。運動神経ないし、よく転んだりするし。だからお兄ちゃんも親も、私がバイクに乗るの、反対してんの。それでこないだまた階段でコケたでしょ?もーこいつはダメだ、って言われちゃって」

「なんか身軽そうに見えるのにな」

「見掛け倒しなんだって。駆けっこなんかいつもビリなんだよね。友達からは『足が速そう』とか思われて、50m走のタイム言うと爆笑される」

No.49 15/01/01 20:33
てん ( zEsN )

>> 48 卒検は上手くいった。
検定の教官から合格を告げられた。

「合格?」

ニコニコと笑いながら、忍が声をかけてきた。

「うん。香川さんもだろ」

「うん」

そのままなんとなく一緒に教習所を出た。

「黒田くん、いつ免許センターに行くの?」

「明日」

一発で合格する自信があったので、最初から明日もバイトは休みを取っていた。

「一緒に行こうかな」

「香川さんは交付だけだろ?」

二輪の免許があれば、免許センターで学科試験を受ける必要はない。
免許のない俺はセンターで学科試験を受けて合格しないと、晴れて免許はもらえない。

「どうせ暇だし。私、地元で中免取ったから、こっちのセンターに行ったことないのよ。一緒に行く人がいると安心なんだけど」

「地元ってどこ?」

「長野」

「へー。じゃあスキーとか上手いの?」

「ううん。私が生まれた辺りは雪はそんなに多くないから、スケートやってた」

「へー。クルクル回ったりすんの?」

「違うよ。スピードスケートの方」

「なんだ」

今日忍はバイクではなく歩きだった。
俺は自転車を押して忍と並んで駅に向かった。

歩きながら、明日一緒に免許センターへいく話になった。

まともに話したのは今日が初めてなのに、前からずっと友達だったように感じられる気安さが忍にはあった。

No.48 15/01/01 13:59
てん ( zEsN )

「時間じゃない?」

学科が始まる時間だった。

「あ。ホント、すいませんでした」

「こちらこそゴメンね。頑張ってね」

俺は彼女と別れて教室へ急いだ。

そのときはメット越しの目しか知らなかった彼女と再会したのは、卒業検定のときだった。

「あ、久し振り」

卒検の待合室で声をかけてきた女の子に、俺はまったく見覚えがなかった。

「ゴメン、誰だっけ?」

「あー、そうか。あのとき私、メット被ってたんだ」

その言葉で思い出した。
ニアミスしたバイクの彼女だ。

メットを被っていない彼女は、ビックリするくらい幼い顔をしていた。
中学生みたいだ。
顔が小さくて、普通にしていても目がまん丸だった。
Tシャツに細身のジーンズ。
うっかりすると、中学生の男の子に見えるくらいだった。

「あのときの人か。もうとっくに卒業したのかと思ってたよ」

「あはは。あのあと怪我しちゃって、少し間が空いちゃった」

「バイクで?」

「ううん。学校で階段踏み外して捻挫」

「そりゃ大変だったね」

そのとき「香川 忍さん」と教官に呼ばれて、彼女が「はーい」と返事した。続いて俺も呼ばれて返事すると、彼女は「黒田くんていうんだ」と、人懐こく笑った。

No.47 15/01/01 09:57
てん ( zEsN )

俺は春休みから自動車教習所に通い始めた。
そのための資金は、バイト代の貯金で十分足りた。

合宿で一気にとってしまう手もあったが、春休みはバイトも稼ぎどきなので、最初のうち午前中に学科を集中してこなし、バイトをしながら、なるべく早く免許を取ってしまう計画だった。

その日も俺は朝イチから学科を受けるために教習所に行った。
俺の最寄り駅からは2駅なので、自転車を使っていた。

教習所の敷地内に入るとき、バイクと接触しそうになった。
俺が余所見をしていたのが悪い。

バイクは徐行していたので、俺もバイクも転倒することもなく停まった。

「すみませんでした」

俺は自転車を停めて、バイクの主に頭を下げた。

「ううん、こっちこそゴメンね」

女の声だった。
フルフェイスのメットを被っていて、体型も棒のように細いから、パッと見は男だと思った。

「CBR」

思わずバイクに目がいった。

俺もバイクは好きだ。
だけど、学校で免許の取得すら禁止されていたし、指定校推薦を目指していた俺には、隠れて免許を取るのはリスクが高くて諦めていた。

「バイクの免許、取りに来てるの?」

メットの下から聞こえる声は、タメ口なのに馴れ馴れしく感じない雰囲気だった。

「いや、クルマ」

「私もクルマ。先にバイク取ったからね」

「じゃあ学科ないんだ。いいなぁ」

No.46 15/01/01 09:18
てん ( zEsN )

上履きを履いて階段へ向かった。

「謙ちゃん!」

階段の途中で振り返ると、靴下のままの皐月が下から俺を見上げていた。

「皐月」

皐月につられて俺もそう呼んだ。

「謙ちゃん、ゴメンね!」

あのとき言えなかった「ゴメンね」

皐月はずっとそう言いたかったんだろう。

俺は階段を下りて、皐月の前まで行った。

「俺も、ゴメンな」

「ううん。私が………」

「もういいよ」

俺だって、皐月に言えないことを抱えたまま、皐月と付き合っていたんだ。

おあいこだ。

「謙ちゃん、また、会える?」

「………無理だろ」

「そう、だよね」

「皐月」

「………」

「ありがとう。俺、皐月のこと、好きだった」

「………うん。私も、いまでも」

「元気でな」

「うん」

自然と、お互い手を差し出して、軽く握り合った。

「じゃあな」

俺は皐月の手を離すと、今度は一気に階段を上った。

皐月が動いていないのは分かっていたけど、もう振り返らなかった。

手を握ったときの皐月の目が潤んでいたから

修学旅行のときのようには、もう涙を拭ってやることはできないから。

だけど、涙をこらえていた皐月の顔は。

やっぱり少し、涼に似ていた。

No.45 14/12/31 20:33
てん ( zEsN )

3月になった。

卒業式の日、式の後に校庭に出た俺は、友達と写真を撮り合ったりしていた。

少し離れたところに、皐月の姿があった。

皐月は第一志望は不合格だったが、ちゃんと第二志望の大学に合格したと噂で聞いていた。

別れて以来、校内ですれ違うことはあっても、話をすることはなかった。

声をかけようか迷ったが、やっぱり気不味くて、そのまま帰るつもりで荷物を取りに校内に入った。

「黒田くん」

皐月が俺の後ろから走ってきていた。

「さ………千葉」

「皐月」と言いそうになって言い淀み、久し振りに皐月の苗字を呼んだ。

「M大に決まったんだってな。良かったじゃん」

「ありがと」

「………元気で、な」

「うん。黒田くんも、元気で」

皐月は俺と付き合っていた頃には肩の下まであった髪が、肩の上辺りまで短くなっていた。

皐月はやっぱり可愛かった。

だけど、付き合っていた頃に感じたような気持ちはすでになく、ただ懐かしいような気分だった。

立ち去りにくいような雰囲気で、少しの間、黙ったまま皐月と向かい合っていた。

「………じゃあな」

なにかを振り切るように俺がそう言うと、皐月は小さく「うん」と言った。

No.44 14/12/31 11:45
てん ( zEsN )

「謙ちゃん、なに怒ってんの?」

涼がのほほんと言った。

「怒ってねぇし」

俺はなるべくいつもと変わらない調子で返した。

どうかしてる。

涼はバイトの仲間じゃねぇか。
俺が「シルバースプーン」の学生スタッフの中で一番スゴいと思う人間で、大事な仲間じゃねぇか。

それは涼が男だったとしても、関係ない。

俺は、涼という人間そのものが、好きなんだ。

恋愛なんかじゃない。

そうだ、涼と恋愛なんて真っ平だ。

俺が妙な感情を持てば、いまの関係は変わってしまう。

開けっぴろげで、いつも明るくて、いつも一本芯が通った涼みたいな人間とは、この先もずっと仲間でいたいんだ。

涼だって俺のことを男だなんてこれっぽっちも思ってないじゃないか。

俺も、涼は特別なんだ。

なんだろう。
初めて涼と会ったときに、俺は涼になにかを感じたんだ。

上手く言えないけど、なんか、涼は他の人間とは違うんだ。

どんな形でもいい。

俺は涼の近くにいたいんだ。

恋愛感情なんか持ち込んで、いまの関係が壊れるなんて、真っ平だ。

「涼さん、今度の彼氏はヤキモチ妬かないの?俺だって一応男だよ」

俺がそう言うと、涼はまじまじと俺を見てから、声を上げて笑った。

「そうだね、謙ちゃんも男だね。ヤキモチ妬かせてみようかな」

「ほらな」

俺が苦笑いすると、涼は「なにが?」と不思議そうな顔をした。

いいんだ、これで。

俺は涼に気付かれないように、小さく「ばーか」と言った。

No.43 14/12/31 08:22
てん ( zEsN )

あのとき皐月の顔に重なって見えたのは、涼だった。

そもそも俺がなぜ皐月を気にしたのか。

皐月の中に涼に似たところを見たからだった。

本当は皐月は涼とは似ていない。
外見も性格もまるで違う。

それなのに俺は、皐月のちょっとした表情や仕草に、涼と似た部分を探した。

別れる原因になったケンカのとき。

どうして俺が皐月を引き止められなかったのか。

涼ならこんなことは言わない。
涼ならこんな態度は取らない。
涼なら、こんな風に言ってくれる。

俺は無意識にそんなことを考えていたんじゃないか。

上手くいかなくなって、当たり前だ。

皐月は皐月だったのに。
俺だって、可愛くて、俺に全てを許してくれた皐月のことを好きだったのに。

それなのに、俺は。

皐月にずっと、違う女を重ねていたんだ。

俺は、涼のことが好きなのか?

………。

違うような気がする。

初めて涼とオープニングスタッフとして出会ったとき。

確かに俺は、涼に憧れたんだ。

だけど、年上の涼は、恋愛対象にならなかった。
高校生の俺が相手にされると思わなかったからだ。

その代わり、俺はバイト仲間としての繋がりを手に入れた。

仕事のできる涼から認められる男でいたかった。

涼と付き合いたいなんて、一度も思ったことはない。

俺は、涼の身代わりみたいに皐月を手に入れることで

姉弟みたいだと周りに言われるほど、涼と親しくなることで

自分を満足させていたんじゃないだろうか。

No.42 14/12/30 21:28
てん ( zEsN )

「でも頑張ってもダメなときはダメなんだろうけどね」

涼はそう言って頭をかいた。

「まあな。なんていうか、呆気なかったし」

「謙ちゃんはどんな女の子がいいんだろね?」

「そりゃ、好みのタイプで俺のこと好きになってくれる子がいいよ」

「だからどんな子が好みのタイプかって」

「好みのタイプねぇ?」

学校の友達やバイト仲間と、悪く言えば女の子の品定め、みたいなことはよくやる。

何組の誰が可愛いとか、スタイルがいいとか、カップルできた客に点数を付けてみたり。

俺にも好みがちゃんとある。

体型はぽっちゃりより細身
髪型はショートカットよりロング
顔は派手な感じより、すっきり整った感じ
おっとりした子より、チャキチャキした子
甘えん坊タイプより、姐御タイプ

………。

ちょっと待てよ?

それって、まるで。

涼のことじゃないか。

「どうしたの、謙ちゃん?」

急に黙り込んだ俺を、涼が怪訝な顔で見つめていた。

「なっ、なんでもない」

俺は誤魔化すようにタバコを出して火を点けた。

なんだよ、それ。

俺、年上好きだったのか?

違う、年上好きとかじゃない。
皐月は同い年だったじゃないか。

そのとき、初めて皐月を抱いた日のことを思い出した。

No.41 14/12/30 18:14
てん ( zEsN )

「なんつうかさ、彼女とダメになったのは、ダメになる理由があったんだと思うんだ」

「どんな?」

「そんなの、俺には分かんねえよ。だけどさ、俺、彼女のこと………本気だったし、別れる少し前には、大人になってもあいつと一緒にいるんだろうなー、なんて思ってたんだ」

「まぁ上手くいってるときは、そう思うよね」

「うん。それがさ、あんな簡単に別れることになるってことはさ、元々あいつと俺は、上手くいかなくなる予定だったんかな、って思ったんだ」

俺がそう言うと、涼は割り箸でグラスの中に残った青リンゴサワーをくるくるとかき混ぜながら考える顔になった。

「………そういう運命だった、って言いたいわけ?」

「そんな大袈裟なもんじゃないけどさ」

「うーん。もしそういうのがあるならさ、負けた、ってことだよね」

「負けた?」

「そう。運命に立ち向かって負けたの。勝つための努力が足りなかったり、大きな失敗をするから、負けちゃったの。私はそう思うな」

「………俺は、なんか失敗したのかな」

「かもね。逆に言えば、努力して、大きな失敗をしなければ勝てるんじゃない?」

なんて、涼は涼らしいことを言うんだろう。

運命なんてもんがあるなら、勝つ。
ダメだったときは、自分の失敗で負けたと認める。

涼はどんなときでも、そうやって運命という名の「自分」と戦っているんだろう。

それが涼の強さで。

涼の魅力なのかもしれない。

No.40 14/12/30 17:50
てん ( zEsN )

雑談スレを立てました^ - ^
http://mikle.jp/threadres/2171928/
アホ雑談なので、どなたでもお気軽にどうぞ♪
主の人となりを知りたい方は是非おいでください(笑)
小説のご感想は今まで通り感想スレへお願いします( ´ ▽ ` )ノ
http://mikle.jp/threadres/2169945/

No.39 14/12/30 08:17
てん ( zEsN )

「もー!私の話はいいじゃない!今日は謙ちゃんを慰める会なのに!」

「涼さん、さっきと違う会になってるけど」

「うるさーい。男のくせに細かいこと言うなー」

「そういや、涼さんの元彼も細かそうな男だったよな」

「また私に話を振る?やめてやめて、もう忘れたんだから」

涼がそう言いながら手を振ると、火の点いたタバコの灰が落ちそうになって、涼は灰皿にタバコを押し付けた。

「同じ大学だと会うこともあるだろ?」

「そりゃ、会うよ。いまは友達だし」

「普通に?」

「まあね。向こうも新しく彼女いるし」

「そんな話するんだ。平気なわけ?」

「私はね。彼女のこと相談されたりしたし」

「元彼も平気なの」

「ダメみたいよ。私が彼氏できた、って言ったら、新しい彼女の悪口言い出した」

「なんだ、それ」

「んー、なんかね、『涼ちゃんのほうが可愛い』とか、『いまの彼女はおとなしすぎてつまらない』とか。サイテーだよね。大体、私が生意気で言うこときかないからしょっちゅうケンカしてたのにさ。いまの彼女の悪口言って、私のこと褒めてるつもりなのかもしれないけど、そんなんで喜ぶほどバカじゃないっての」

一刀両断だ。
元彼も気の毒に。

「謙ちゃんは別れた彼女の悪口なんか言わないね。いいぞ、なかなか男らしい」

「別に、そんな嫌いで別れた訳じゃねぇし」

「じゃあ、彼女の受験が終わったら、もう一回やり直したら?」

「………それは、ないかな」

「なんで?彼女だって、謙ちゃんと似たような感じなんじゃない?」

No.38 14/12/29 14:38
てん ( zEsN )

「ないならないでもいいよ〜。飲みにいこ」

「涼さん、自分が飲みたいだけなんじゃねーの?」

「そんなことないよー」

結局俺はバイトを上がったあと、涼と居酒屋へ行った。

「で、涼さんは最近どうなんだよ」

俺がつまみにとった揚げ物を食べながら言うと、涼は口を尖らせた。

「なんで私の話?今日は謙ちゃんの愚痴を聞く会なんだけど」

「なんの会だよ。俺の話はさっきしたので終わり」

「だからってなんで私が彼氏の話なんかしなくちゃいけないのよ」

「彼氏?ふーん、やっぱできたんだ」

俺がそう言うと、涼は「しまった」という顔で俺を見ないように青リンゴハイを飲んだ。

「ほらほら、白状しちゃえよ」

「謙ちゃん、生意気〜」

「涼さんがボロ出すからいけないんだろ」

「そうだけどさ」

「で?どこの人?」

「………大学の、ゼミのOBの人」

「何歳?」

「25歳」

「すげー。大人。きっかけは?」

「謙ちゃん、芸能レポーターみたい。………もうすぐ就職活動始まるから、面識あった先輩に連絡取ってて、それで」

「へー。カッコいい?」

「………私は、好き」

照れ隠しなのか、涼は怒ったようにそう言った。

25歳か。
社会人なんだな。

涼はどっちかっていうと年上にモテるのかもしれない。

店の常連客に、近所の会社の人がけっこういるが、涼は若いサラリーマンから人気があった。

No.37 14/12/29 11:20
てん ( zEsN )

「そういや、最近彼女とどう?」

土曜の夜、大きな宴会があって、俺と涼でその片付けをしているとき、テーブルクロスを剥がしながら涼が俺に言った。

「別れた、みたいな感じ」

俺は料理の保温器を片付けながら平坦な調子になるように気をつけながら答えた。

「上手くいってたんじゃないの?」

「向こうが受験でイラついててさ。そんで喧嘩してから話してない。もうダメなんじゃないかな」

「そっか」

涼は手際よくクロスを片付けると、「はい」と言ってビールの入ったグラスを差し出した。

店長や社員の目が届かない宴会場で作業をしているとき、バイト連中はよく悪さをした。

こんな風に伝票に計上したけど客が手を付けずに帰った酒や、ビュッフェの料理やデザートが残っているとき、バレない程度に失敬してしまうのだ。

俺も涼もその程度の悪さはする。
売り物に手を付ける訳じゃないから、ご愛嬌だ。

「ふん」

俺はコップに入ったビールを空けると、お冷で口の中を綺麗にし、ポケットに入っていたミントの飴を臭い消しで口に入れた。
「ご相伴」と言って一緒に飲んだ涼にも飴を投げてやった。

「終わったら飲みにいこうか」

「いいよ。だけど涼さん、明日オープンから入ってんじゃねぇの?」

「謙ちゃんだってそうでしょ。私が荒れたときには謙ちゃんに世話になったからね、今度は私が愚痴聞いてあげる番」

「愚痴なんかねーよ」

No.36 14/12/29 09:38
てん ( zEsN )

石川の言葉は皐月のザラついていた神経を引っ掻き回した。

女同士の奇妙な遠慮で、石川には言いたいことを言い返せなかった不満が、同じ推薦組の俺に向けられた。

皐月だって、俺がどうして指定校推薦を目指しているのかは知っている。
バイトをしている理由も理解している。
バイトをしながら成績を落とさないために、俺が努力してきたことも、皐月が一番近くで見ていた。

それでも、このときの皐月は、自分のことでいっぱいいっぱいだった。

そして俺も、そんな皐月を宥めてやれるほど、大人らしい包容力など持っていなかった。

子どもだった。

俺も皐月も。

「俺に当たるなよ。皐月の成績が上がらねぇのは俺のせいじゃねぇよ!」

言ってはいけない言葉だったんだろう。

俺のこの一言も、皐月が言った一言も。

お互いに怒りを隠さないまま、俺は皐月をその場に置いてバイトへ向かい、皐月も俺を追わなかった。

呆気なかった。

この先もずっと隣にいると思っていたのに、こんなことであっさりと終わってしまった。

自然消滅、ってヤツだ。

お互い「ゴメン」の一言を伝えることができず、俺と皐月の間にできたでっかい溝が埋められることはなかった。

18歳だった俺と皐月には、目の前の進路が一番重要で、それ以外のことを冷静に考えることができなくなっていたんだろう。

幼いような、大人に近いような、中途半端だったけど真剣だった俺の恋は、呆気なく終わった。

No.35 14/12/28 21:03
てん ( zEsN )

俺はずっと大学の指定校推薦を狙っていて、基準の成績はキープしていたし、進路指導でも一貫して希望校を先生に伝えていたから、高3の秋までにはほぼ推薦が決まっていた。

皐月も進学希望だった。
皐月は指定校推薦のある大学ではないところを受験するつもりだった。

だけど、模試の点数が思うように伸びないことに悩んでいた。

伸びないといっても、まるで合格安全圏に届かないわけではなく、あと一息という状態が続いていた。

皐月はだんだんナーバスになっていった。

俺と一緒にいても元気がない日が多くなり、ちょっとしたことで苛立ちを隠せないことも多くなった。

俺は図書館で皐月と一緒に勉強したり、黙って愚痴を聞いてやったりして、なるべく皐月の力になってやりたいと思っていた。

ある日、一緒に下校していたときのことだった。

「謙ちゃん、今日もバイト?」

「ああ、5時から。それまでどっかで勉強するか?」

「………3年の秋でもバイトしてるって………、推薦組は余裕でいいよね」

皐月の言葉には棘があった。

俺は皐月がこの日いつもより苛立っている理由を知っていた。

皐月と同じクラスの石川という成績上位の女子が、指定校推薦の中でもトップクラスの大学の推薦をもらっている。

皐月は石川とは仲が良い方だ。
だけど、石川は少し無神経なところがあって、「皐月は受験組だから大変だよね。指定校推薦取れば楽なのに」と皐月に言ったらしい。

No.34 14/12/28 12:56
てん ( zEsN )

初めてだった。

俺と皐月の間で、今はまだ遥か遠くに感じられる、大人になった俺と皐月の、近い将来の話。

結婚したら。
子どもがいたら。

俺と皐月は18歳だった。

このまま皐月と付き合っていけば、俺も皐月もいつかは社会に出て、結婚できる歳になれば、本当に結婚するのかもしれない。

皐月となら、そうなってもいいと思った。

いや。
そのときは俺の未来にもずっと皐月がいると信じていた。

横にいる皐月を見たら、皐月の目が潤んでいた。

「どうしたんだよ」

「なんか、最後にイッツ・ア・スモールワールドにくると、いっつもウルウルするの。あーもう帰るんだなー、って」

「いつでもこられるだろ。またこようぜ」

「うん。また一緒にこよう」

「いいよ」

舞浜は近い。
金さえあれば、いつでもこられる。

関東に住む人間にとって、手軽だけど、何度でもきたい夢の国がディズニーランドだ。

この先もずっとディズニーランドに来るときは、皐月と一緒だ。

皐月が言ったように、そんなに遠くない未来に、俺と皐月と、子どもと。

本当にここへくる日が待っているのかもしれない。

だけど。




俺と皐月が2人でディズニーランドへ行ったのは、この日が最初で最後になった。

No.33 14/12/28 11:53
てん ( zEsN )

皐月とディズニーランドへ行ったのは、9月にあった学校の代休だった。

もちろんおれも皐月も子どもの頃から何度も行ったことはあるが、2人で行ったのはその時が初めてだった。

平日でもそこそこ混雑しているのがディズニーランドだ。

それでも皐月と2人でなら、長い待ち時間も苦にならなかった。

アリスのティーパーティーで皐月が調子に乗ってカップを激しく回すので、俺も負けじと回したら、2人で酔ってダウンした。

その頃はシンデレラ城ミステリーツアーがあって、俺は冗談のつもりで最後に勇者で手を上げたら指名してもらえた。

記念のメダルをもらい、それを皐月にプレゼントしたら、皐月は初めてもらったと言って喜んだ。

2人で並んでパレードを観た。

ホーンテッドマンションでは、他の客の目を盗んでキスをした。

「締めはイッツ・ア・スモールワールドって決めてるの」

散々遊んで、夜のパレードも観たあと、皐月は俺にそう言った。

皐月と一緒にイッツ・ア・スモールワールドのボートに乗った。

俺はイッツ・ア・スモールワールドに入るのは、小学校低学年以来だった。

皐月は楽しそうに歌い踊る人形を眺めていた。

「なんかね、ここに入ると、『あーディズニーランドだなぁ』って思うんだ」

「俺はスプラッシュマウンテンとか、そういうのばっか乗りたがるからなぁ」

「うん、ああいうのも大好きなんだけど、ここは本当に子どもに戻った気分になれるんだ」

「そうだな」

「結婚して、子どもがいたら、毎回外せないよね」

No.32 14/12/28 09:16
てん ( zEsN )

皐月と一線を越えた俺は、皐月を前よりもっと大事に思うようになった。

初めて抱いた女の子。
初めて抱かれることを俺に許してくれた女の子。

大事に思わないわけがない。

ヤりたい盛りの男だって、誰でもいいわけじゃない。

ましてや相手が好きな女の子だったら、それが一番いいに決まっている。

皐月と身体が繋がって、心も深く繋がったように感じた。

だけど、俺も皐月も普通の高校生だから、そう頻繁にセックスなんてする機会はなかった。
金もなければ場所も時間もないのが現実だった。

お互いの家に絶対に親や家族がいない時間など、そうそうない。
学校もあるし、俺はバイトもある。
それに俺も皐月も高3で受験生だ。

でも、俺はそれでも満足だった。

皐月を抱いて、完全に俺のものになったように思えた。

皐月にあんなことをできるのは、俺だけなんだ。

そう思うことは俺を満足させたし、安心感をもたらした。

学校でも、俺と皐月は「別れなそうなカップル」と言われるようになっていた。
もって半年、早ければ1ヶ月くらいで別れるようなカップルもいる年代だ。

「修学旅行カップルはすぐ別れる」
そんなジンクスめいた話を打ち破るのは俺と皐月だとよく言われたし、俺もそうだと思っていた。

No.31 14/12/27 11:51
てん ( zEsN )

とりあえず気を取り直して、買ってきたものを食べたり、ゲームをしたりしたが、もう無理だった。

そんな俺の空気が皐月にも伝わったのか、会話が途切れたとき、皐月は黙って下を向いた。

皐月を抱き寄せて、初めてキスをした。

そのまま床に倒れ込んだとき、思わず目を閉じた皐月を見て、俺の中の何もかもがぶっ飛んだ。

この日の皐月は、いままで見たことがないほど、可愛かった。

お互い経験がなかったから最初はぎこちなくて、俺は無我夢中という言葉そのものだったが、皐月を大事に思いながら抱いた。

皐月のことが好きだった。

俺に全てを任せてくれた皐月が愛しかった。

だけど、俺はひとつ、自分に嘘をついた。

絶対に皐月には言えない嘘だ。

目を閉じた皐月の顔を見たとき、一瞬だけど。

俺は涼を思い出したんだ。

シルバースプーンの送別会の夜。
酔っ払った涼が俺の膝で眠った顔と、このときの皐月の顔が、ダブったんだ。

俺が触れることができなかった涼。

俺はすぐに頭の中から涼の残像を振り払った。

俺が好きなのは涼じゃない、皐月だ。

だけど、気付いてしまったんだ。

どうして俺は皐月のことが気になったのか。

普段はそれほど感じないのに、皐月のふとした仕草や、一瞬の表情が涼に似ていることがあると、俺は気付いてしまった。

でも、このときの俺は、目の前の皐月に夢中だった。

だから、そんなことには気付かなかったことにした。

皐月のことを好きなのは嘘じゃない。

皐月に何度も「好きだ」と言うことで、自分でも戸惑うようなことは、遠くに追い払ってしまいたかった。

囁くような声で俺に「私も好き」と答えてくれる皐月のことだけを考えようと思った。

No.30 14/12/27 09:33
てん ( zEsN )

俺は高校3年生になった。

進級して皐月とはクラスが分かれたが、付き合いは変わらなかった。

皐月とは常に一緒にいるというわけではなかったが、去年から仲のいい連中と一緒に遊んだり、時間が合えば一緒に帰ったり、たまに休みには近場へ遊びにいったりした。

お互いの家にも遊びにいったから、両方の親も公認だった。

特に俺の母親は、俺と兄貴という男の子どもばかりだったから、皐月のことを気に入って可愛がっていた。

5月の連休のことだった。

俺の両親は親戚の法事があり、2泊の予定で出かけていた。
兄貴は大学のほうの用事でどこかへいっていて、連休中ずっと留守だった。

俺は連休中1日だけバイトの休みをもらい、皐月と遊びにいった。
池袋にいって映画を観て、やることがなくなった。

「そういやウチ誰もいないんだ。ウチくる?」

何の気なしに言った言葉だった。

皐月も初めて呼ばれたわけじゃないし、特になにも考えていないように「うん」と言った。

コンビニでお菓子とジュースを買って、俺の家に行った。

いつものように俺の部屋に皐月を通したとき、なんとなくいつもと違う空気を感じた。

俺と皐月以外、誰もいないんだ。

コップを取りにいった台所の静けさが、初めてその意味を俺に気付かせた。

皐月と付き合って半年。
まだキスもしたことがなかった。
出かけたときにせいぜい手を軽く繋いだくらいだ。

俺の周りにいるヤツで、経験豊富なヤツもいないわけじゃない。

だけど、その頃の俺の周囲では、そんなに気軽に女の子と深い関係になるような雰囲気はなかった。
皐月だってごく普通の女の子だったから、似たようなもんだった。

もちろん俺だって普通の男だ。
好きな女の子としたいことなんて、決まっている。
知識としてならなんでも知っている。

皐月に対して、なにも欲望がなかったわけじゃない。
内心は欲望だらけだったのに、普通の高校生だった俺には、経験も機会もないから、行動しなかっただけだ。

No.29 14/12/26 18:35
てん ( zEsN )

「バレたか」

涼は俺の背中からするりと下りると、両手を上げて大きく伸びをした。

「まったくよー、高校生に甘えてんなよなぁ」

俺は急に軽くなった体をほぐすように、肩を回した。

「ゴメンゴメン。謙ちゃん優しいからね、つい甘えた」

「まぁいいけど」

「さんざん飲んで愚痴って、謙ちゃんの人肌までもらって、うん、元気出た」

「人肌とか、やらしーこと言うなよな」

「やらしかった?ゴメン」

「もう大丈夫なんだろ?」

「うん、大丈夫。男振ったくらいで、凹んでたらダメだよね」

「涼さんでも凹むんだな」

「凹むよー。けっこう寂しんぼうだもん」

「へぇ」

「ホントだって。だから謙ちゃんがずっと一緒にいてくれて、助かっちゃった」

「そか」

「彼女に怒られる?」

「酔っ払いおんぶして送ったなんて言わないから大丈夫だよ」

「へへ、ゴメンね。ありがとう」

そう言った涼は、やっぱりいつもより頼りなくて可愛かった。

「じゃあな」

「バイバイ」

涼はそう言ってマンションのエントランスに入っていった。

「あー、チャリンコ、店の前か」

俺はいまきた道を戻りながら、ブツブツ呟いた。

さっきまで俺の背中に涼がいた。

さっきまで俺の膝の上で涼が眠っていた。

「………だから、なんなんだよ」

俺は誰に対してでもなく、文句を言いながら、街灯に照らされた歩道をシルバースプーンがある駅前へ走った。

No.28 14/12/26 17:18
てん ( zEsN )

「プシュッ」

そんなチワワみたいなクシャミをして、涼が目を開けた。

「わっ」

俺の頭の中を見られたような気分で、俺はつい声を上げた。

「へへへ」

涼は鼻を軽く擦ると、また目を閉じてしまった。

「もう、だから寝るなって!帰ろうぜ」

俺はそこでやっと涼の頭の下から足を抜き、涼の頭を床に下ろした。

「ん~~、なんか固くて冷たいよぅ」

「起きろよ」

「おんぶ」

「うるせーな」

それでも涼が動かないので、俺は結局涼をおぶって送る羽目になった。

「酔っ払い連れて帰ります」

涼をおぶったまま宴会場のドアを開けて、中にいた人間に声をかけた。

「黒田、なんか背後霊ついてるぞ」

そう言って俺をからかったのは、キッチンのサブチーフだ。

「そうなんスよ。岡山さん、お祓いしてくださいよ」

「黒田に任せるよ。ホントお前ら、姉弟みたいだな」

「イヤですよ、こんなねーちゃん」

「ウチの看板娘だからな。ちゃんと家まで送ってやれ」

「へーい」

俺は涼をおぶって、従業員用の出口から外に出た。

涼の家は知っていた。

店のある駅前から歩いて10分もかからないマンションだ。
隣にあるコンビニまで一緒に行ったことがある。

涼は軽かった。

店で働いているとき、背筋を伸ばした涼はけっこう背が高く見えるのに、実際は俺よりもずいぶん背が低いし、体重も子どもみたいに軽く感じた。

だから、涼の家までの道のりも、それほど苦にはならなかった。

涼の手が俺の胸元でときどき動いた。

俺は涼の自宅マンションの隣のコンビニの看板が見えた辺りで立ち止まった。

「涼さん、起きてんだろ」

俺がそう言うと、今日何度目かの「へへへ」が聞こえた。

No.27 14/12/26 15:38
てん ( zEsN )

こんなときに限って、誰も来やしねぇ。

誰かの気配がすれば、俺だって「やべぇ」って涼をどかすことができるのに、宴会場のドアが開く音も、階下から誰かが上がってくる足音もしない。

でも、さすがにこの状況は、マズいだろう。

そのときやっと、頭の隅で皐月のことを思い出した。

そうだ、俺には彼女がいるんだ。

こんなハタから見たら女とイチャイチャしてるような態勢でいたらいけないんだ。

普段の俺と涼の関係を知っている店の人間が見ても、酔っ払った涼と困っている俺、という構図は分かってくれるかもしれないけど。

それでもなんにも知らない誰かがこの状況を見たら、やっぱりイチャイチャしてるようにしか見えないはずだ。

それなのに俺は、動けなかった。

動いたら涼が起きる。

触ったら………?

どこにも

触れない。

触れないんだ。

涼の体を揺すって起こすことも、ほっぺたを叩いて起こすことも。

俺にはできないんだ。

この酔っ払って、俺を男とも思わずに安心しきって眠ってる、普段は俺より大人びて見える涼が、子どもみたいに見えるから、守ってやりたいような気分になるんだ。

それと同時に、この柔らかそうな頬とか唇とかに、少しでも触れたら、もう歯止めが効かなくなる程度に、俺も下心がある男なんだ。

本当はそんなもの、簡単に解決できる。

トイレに行くんだと言って、立ってしまえばいい。
足が痺れたと言って、足を動かせばいい。

どうしてそんな簡単なことが、いつまでたってもできないんだ。

No.26 14/12/26 14:56
てん ( zEsN )

俺はそのとき、涼の隣にいたかったんだ。

酔っ払った涼が俺にワガママ言ったり、愚痴を言ったり、バカ話をしたりするのに、俺が付き合いたかった。

慰めてやりたかったわけじゃない。

この日の涼は、いつもの涼より、可愛かったんだ。

11時を過ぎると、主婦パートさんや高校生の女の子たちが帰り始めた。

パントリーの中に気付いたパートさんに「仲がいいわね。お先に」とか言われながら、やっぱり俺と涼はパントリーに座り込んでいた。

人数の減った宴会場はさっきより少し静かになったようだった。
ときどき宴会場から数人の笑い声が聞こえた。

「ちょっと、涼さん。こんなとこで寝るなよな」

気が付くと、いい加減飲みすぎだった涼が半目になりかけてぼんやりしていた。

「だから謙ちゃんがおんぶして送ってくれるんでしょー」

そう言った涼がいきなり俺の首に横から抱きついた。

「ちょっ、涼さん!この、酔っ払い!」

「へへへ」

涼はそのまま俺の胡坐の膝まで滑り落ちた。

「おい、涼さんてば!なんでそこで寝ようとするんだよ!」

「へへへ」

涼は笑いながら寝てしまった。

俺が男だって、忘れてんのかよ!

いくら年下だって、男の膝でそんな安心した顔で寝てんじゃねぇ!

No.25 14/12/25 18:51
てん ( zEsN )

「スッキリした、って割には、凹んでるじゃん」

俺がそう言うと、涼は不貞腐れた顔で俺を見た。

「だって好きだったから付き合ってたんだもん。一時はあんなに好きだったのに別れることになるのは、やっぱり悲しいよ。私って冷たい女なのかなー、とか考えちゃうよ」

涼はそう言ってビールの小瓶を空にすると、「謙ちゃん、モスコミュール作ってきて」と言った。

俺は「ヘイヘイ」と言いながら宴会場に戻り、モスコミュールを作って涼のいるパントリーに戻った。

「ウォッカ減らしといたからな」

俺がそう言ってグラスを渡すと、涼は「なんでー」とむくれた。

「飲み過ぎだって。ぶっ倒れるよ」

「大丈夫だよー。潰れたら謙ちゃんがおんぶして送ってくれるもんねー」

「やだよ」

「またまたー。謙ちゃんは優しいから、私を見捨てたりしないよねー」

涼はそう言ってウォッカ薄めのモスコミュールを半分空けてしまった。

涼はその後もパントリーから動かなかった。

ときどき誰かがパントリーを覗いて「お前らなにやってんの?」と笑ったが、涼は「謙ちゃんと愛と人生について語ってんのー」と涼しい顔で言い返した。

俺はトイレと、酒を調達するとき以外はパントリーから出してもらえなかった。

別に、本当は涼を放っておいても、多分今度は違う誰かが捕まって、涼の相手をさせられるだけなんだとは思った。

No.24 14/12/25 14:47
てん ( zEsN )

「でもさ、それでも付き合ってたんだろ。やっぱ嫌いになったってことなんじゃないの?」

「まぁそうなのかもね。好き好き言ってたときは我慢できたことが、だんだん我慢できなくなってきたんだから、好きな気持ちが嫌な気持ちに負けた、ってことなのかな」

「すんなり別れられたの?」

「大変だった。別れ話するつもりで昨日の2時に彼のアパートにいったんだけど、彼は別れたくないって言うし、話進まなくて、夜までいた」

「けっこう彼氏、しつこいね」

「そうだね。私のことどのくらい好きだったのかは分からないけど、多分、フラれることがイヤだったんじゃないかな。考え直してくれ、ってさんざん言われた。挙句の果てに泣くし」

「泣くんだ。やっぱ涼さんのこと好きだったんだね」

「私も一瞬そう思った。だけど、そのあと襲われそうになった。『1回してから考えてみて』って言われて、サーって冷めた。『ヤリたいだけかよ!』ってね。『死んでもヤラない』って言って突き飛ばしたらまた泣いたの。どう思う?」

「それは最低だ」

「でしょ?もうそこで悲しくなっちゃって」

「?なんでそこで涼さんが悲しくなんの?」

「だって、真面目に別れ話してる彼女にそういうこと、言う?そんなヤツと別れようかどうしようか悩んでた自分も可哀想だし、私が好きだったのはこんなヤツだったのかと思ったら悲しいし」

「そんでどうしたの?襲われちゃった?」

「そんなわけないでしょ。最後の最後で愛想が尽きちゃって、それまで割りと穏やかに話してたんだけど、そこから正座して事務的に別れ話再開。彼のアパートの合鍵と、借りてた本とかCD全部並べて、『もう気持ちが変わることはない』って宣言したら、やっと納得してくれた」

「ふーん。大変だったね」

「そう。ホント疲れた。でもスッキリした」

No.23 14/12/25 13:21
てん ( zEsN )

「どうしたんだよ」

俺はパントリーの冷蔵庫から瓶ビールの小瓶を出して、涼の隣に腰を下ろした。

涼はけっこう飲んでいるようだった。

「謙ちゃん、私にもそれ取って」

「飲みすぎなんじゃねぇの?」

俺はそう言いながらも同じものを涼に渡した。

涼は瓶ビールの蓋を開けて口をつけると、「あーあ」と言った。

「どうしたんだよ」

俺がさっきと同じ言葉を言うと、涼の眉が下がった。

「別れちゃったよ」

「別れちゃった、って、彼氏?」

「そう。ここんとこ喧嘩ばっかりしてて、ちょっともう無理かなって思ってたんだけど、やっぱダメだった」

「そういや、昨日涼さん休んでたけど」

「別れ話してた」

「ふーん。涼さんが振ったの?」

「うん。彼はさ、私に彼が理想とする女でいて欲しかったんだよね。無理な話だよね。控え目で、口答えなんかしなくて、いつもニコニコ彼のいうことを聞いてる女になんか、なれないよ」

「そりゃ、涼さんじゃ無理だろうね」

「でしょでしょ?タバコ吸うなだとか、飲み会で他の男と喋るなだとか、バイトの日数減らせだとか、無茶ばっかり言うんだもん」

「どんくらい、付き合ってたの?」

「大学に入学した夏からだったから………1年9ヶ月くらい?まぁ、もったほうかな」

「でも、好きだったんだろ?嫌いになったの?」

「嫌いになったっていうより、疲れた」

『疲れた』
涼の口からそんな言葉が出たのが、俺には少し意外だった。

涼はいつも弾けるように元気だ。
仕事中は流れるように動き、休憩室や店の外ではよく喋りよく笑う。

仕事が忙しくても苛立ちは見せないし、大学のレポートや試験があるときに「間に合わない~」と騒ぐことがあっても、疲れた顔などはしないのが涼だった。

No.22 14/12/24 15:52
てん ( zEsN )

年が変わり、3月になった。

7月のオープンから一緒に働いてきた学生スタッフの中の2人が辞めることになった。
高校を卒業して看護学校の寮に入る女の子と、高校を卒業して就職する俺の1つ年上の人だ。

店長は店の宴会場で送別会をすると言った。
3月の中旬からは、近隣の企業の送別会や学校の卒業パーティーの予約が入るが、3月のアタマならまだ宴会場は空いていた。
3月最初の土曜日のディナータイムが落ち着く夜9時からとなった。

ディナータイムメインのスタッフ、昼のパートタイムのスタッフはほとんど参加し、ディナーから深夜帯メインのスタッフはまだ店が開いているので、シフトに入っているスタッフが宴会場にちょこちょこ顔を出してくれた。

送別会といっても、特にかしこまったことはしない。

ただ飲んで食べている感じだ。

店長は案外話が分かるところもあって、俺や他の未成年のアルバイトが酒やタバコをやっても何も言わない。
ただ、泥酔して警察に補導されるほどは飲むな、とだけクギを刺された。

キッチンのチーフが辞める2人が好きだったメニューを中心に、いろいろと料理を用意してくれた。
店長はテーブルの上に酒と一緒にメジャーカップなんかのカクテル用の道具を並べ、飲みたいヤツは勝手に作って飲め、と言った。

送別会が始まって一時間もすると、みんな椅子やら床やらに座り込んで、適当に歓談しているような雰囲気になった。

俺が廊下に出てトイレへいこうと思ったら、パントリーから「謙ちゃーん」と呼ばれた。

「涼さん、なにやってんの?」

パントリーに入ると、グラスを持った涼が床に座り込んでいた。

「滋賀ちゃん相手に語ってたんだけど、逃げられちゃったぁ」

滋賀さんは大学生の男の人だ。
スタッフの中では大人しいほうだけど、優しい人だ。

「滋賀さんが逃げたくなるなんて、涼さんどんな絡み方したんだよ」

「まぁいいから、謙ちゃん、こっち!ここきて、まぁ座んなさいって!」

涼は自分の横の床をぺちぺちと叩いた。

仕方ないので、トイレに行ってからパントリーに戻り、涼の隣に腰を下ろした。

No.21 14/12/24 14:38
てん ( zEsN )

「彼女、店にこないの?」

涼はおもしろそうにそう言った。

「こさせねぇよ」

俺はムスッとして言い返した。

皐月は俺が働いているところを見たいと言った。

冗談じゃない。

皐月にバイトの制服姿を見られるのはイヤだったし、畏まって料理をサーブしているところを見られるのもイヤだった。
だから「絶対にくるな」と皐月にはキツく言っておいた。

「なんだぁ。謙ちゃんの彼女、近くで見てみたかったのに」

「ホント、涼さんババァみたいなこと言うよな」

「ババァでもいいもーん。だって私、謙ちゃんより3つも年上だもーん」

涼はけらけらと笑いながらパントリーから出ていった。

俺はひっくり返した瓶ビールのケースに腰を下ろすと、ため息をついた。

どうして涼に皐月のことを知られて、妙な気分になるんだろう。

俺が皐月と付き合うようになったのは、皐月が俺に好意を持ってくれて、俺もそんな皐月を好きになったからだ。

修学旅行が終わってから、皐月とは1回遊びにいった。
渋谷で映画を観て、買い物をした。
学校がある日は一緒に帰り、バイトまで一緒に過ごしたり、マック辺りでなにかを食べたりした。

俺は電話が苦手だったから、あまり電話はしなかった。
そもそもバイトが終わった時間では、もう女の子の家に気軽に電話はできなかった。
まだ高校生が普通に携帯やスマホを持っている時代ではなかった。

皐月はちょっとしたワガママは言うけど、俺を困らせるようなことは言わなかった。

どうして俺がアルバイトをしているのかも分かっていたし、指定校推薦を狙っていることも分かってくれていた。

皐月は少しの時間でも俺と一緒にいれば楽しそうだったし、俺も同じだった。

彼女ができたばかりで、浮かれて楽しい気分だったのに、なぜか涼のことが心のどこかに引っかかっていた。

でも俺は、単に照れくさいだけなんだと、自分を納得させた。

No.20 14/12/23 21:38
てん ( zEsN )

修学旅行が終わり、高校は冬休みに入った。

年末は店の書き入れ時だった。

ここは都心からは遠いが、ターミナル駅ということもあって、都市銀行の支店や、そこそこ大きな会社も多かった。

「シルバースプーン」を経営している会社が、割安な年末年始宴会プランを売り出したこともあって、毎週金曜と土曜は宴会の予約でいっぱいだった。

企業の宴会は壁を全部ぶち抜いた30〜40人規模の宴会だと、ビュッフェスタイルが多かった。

ビュッフェスタイルだと最初に料理とドリンクの提供が済むと、あとは追加が出るだけだったので、逆に宴会の間は楽だった。

カクテルのオーダーが立て込んだときに、涼がヘルプにきてくれた。

ひと段落してパントリーに戻ると、涼はまた下のフロアーに戻りかけたのに、立ち止まって俺を振り返った。

「謙ちゃん、彼女できたんだって?」

涼の言葉に俺はなぜかギクッと反応した。

別に、皐月のことは隠したりしていない。

学校が早く終わった日には皐月とバイトの直前まで一緒にいて、店の最寄駅で別れたりしていたから、出勤前のスタッフに会ったこともある。

同じ学校の制服だし、そんな場面を数回誰かに見られれば、噂にもなるだろう。

だけど、なぜか涼に知られたことは、俺を動揺させた。

頭の上がらない姉に、内緒事を見つかった弟みたいな気分に少し似ていた。

No.19 14/12/23 15:20
てん ( zEsN )

>> 18 ごめんなさい
2回もお知らせレスしてしまいました

No.18 14/12/23 15:16
てん ( zEsN )

【感想スレ】
http://mikle.jp/threadres/2169945/
よろしくお願いします

No.17 14/12/23 15:14
てん ( zEsN )

感想スレを立てさせていただきました
お暇なときにお立ち寄りください( ´ ▽ ` )ノ
http://mikle.jp/threadres/2169945/

No.16 14/12/23 14:48
てん ( zEsN )

修学旅行の最後の夜の自由時間、俺は部屋でみんなとトランプをしていた。飲み物を買いに行くと言ったら、皐月が付いてきた。

俺はロビーからホテルの庭へ皐月と出た。

12月の長崎の夜は寒かった。

当たり障りない話をしていて、会話が途切れた。

「俺と付き合ってくれる?」

俺が皐月の方も見ずにそういうと、小さな声で「うん」と聞こえた。

そのまま皐月は黙ってしまったので、少しして見ると、皐月は声も出さずに泣いていた。

「なんで泣くんだよ」

俺は慌ててそう言った。
涙を拭いてやろうにも、ハンカチもタオルも持っていない。
仕方ないから、着ていたパーカーの袖で皐月の顔を拭った。

「痛い」

皐月は涙の残る顔で笑った。

「泣くことないだろ」

「だって、1年のときから、私、黒田くんのことが、好きだったの」

1年のとき、俺は皐月の顔も知らなかった。

「だから、2年で同じクラスになって、すごく嬉しかった………」

俺は単純に嬉しかった。
いいな、と思っていた女の子が、俺が知らないうちから想ってくれていたと聞いて、嬉しくない男もいないだろう。

俺は少し辺りを見回して、一瞬だけ皐月の手を握った。

「俺も皐月のことが好きだ」

「信じられない」

「本当だよ」

「嬉しい………」

皐月はそう言ってまた泣いた。

思わず皐月を抱きしめたくなったが、仮にも修学旅行中だ。
さすがにそんなことはできない。

ぐっと堪えて、もう一度袖で皐月の顔を拭った。

No.15 14/12/23 09:03
てん ( zEsN )

皐月との距離が縮まったのは、ありきたりなことに、12月の修学旅行だった。

行き先は九州だった。

俺と皐月は同じグループだった。

あとから聞いた話だが、周りがお膳立てしたらしい。

俺が皐月のことが気になっていたからなのか、皐月も俺に好意があったようだ。

皐月は普通の女の子だった。
派手なわけでもなく、地味なわけでもなく、そこそこ真面目で、そこそこ羽目を外す、俺の高校では平均的なタイプだった。

みんなで遊んでいるときの皐月は、よく俺の隣にいた。
それも周りがそういう雰囲気にしていたんだろう。

その流れの先にあった修学旅行だった。

ハウステンボスでの自由行動では、やっぱりいつも俺の隣は皐月だった。

ただでさえなんとなく気になっていたところに、修学旅行のころには、俺から見ても皐月は明らかに俺に好意があると分かるようになっていた。

俺が悪い気がするわけもない。
嫌いなタイプなら鬱陶しいだろうが、そうじゃないから俺も皐月のことが気になっていた。

まわりは俺と皐月をくっつけようとしている。

そんな流れを嫌がるほど、俺は女の子が嫌いだったわけでもない。

修学旅行が終わる頃には、俺もすっかりその気になっていた。

No.14 14/12/22 19:59
てん ( zEsN )

その後もあまり変化のない毎日だった。

涼は俺に気がある女の子がいるようなことを言っていたが、俺の言ったことが伝わったのか、特にそんな気配は感じられなかった。

俺の毎日は忙しかった。
生活の基本は学校とバイトで、もちろん学校では中間やら期末やらもある。

俺は指定校推薦が欲しかったから、学校の成績も落とすことはできなかった。
予備校に通わずに大学へ進学するなら、それが一番簡単だからだ。

自分で言うのもなんだけど、俺は勉強は苦手ではない。
高校受験のとき、自転車で通える高校が第一条件で、自分のレベルより少しランクを落としていたのもあって、そこそこ上位にいるのはそれほど難しいことではなかった。

だけど、毎日ガチガチに机に向かうような勉強好きでもない。
成績を落とさないポイントだけは押さえて、バイトもしながら、友達とも遊んだ。

俺がいたクラスは割と男女仲が良くて、バイトがない日には俺もカラオケとかボーリングに誘われた。

その中に1人、気になる女の子がいた。

千葉 皐月という女の子だった。

どうして気になったのか、そのころの俺にははっきり理由が分からなかった。

理由が分かったのは、ずいぶん後になってからだった。

皐月の笑い声とか
不貞腐れた顔とか

俺をふざけて「謙ちゃん」と呼ぶところが

なんとなく。

涼に似ていたんだ。

No.13 14/12/22 06:39
てん ( zEsN )

逆にバイトの女の子たちが仕事中に無駄口を叩いていたり、仕事を手抜きするところなどを見てしまうと、なんとなくガッカリする。

しょせん学生アルバイトなんだからその程度なんだと思うんだけど、やっぱり俺は仕事のできる人間が好きだった。

厳しいけど行き届いた気遣いのできる店長だとか、普段は怖いけど素晴らしく腕のいいキッチンのチーフだとか、ランチタイムでリーダー的な存在の主婦パートさんの接客態度の丁寧さだとか、俺はそんなところばかり見てしまう。

その最たる存在が涼だった。

他のバイトの女の子たちも、みんなそれなりに可愛いし良い子だとは思うが、やっぱり俺が勝手にライバルだと認めている涼が、1番気になる存在ではあった。

「謙ちゃんに彼女がいるかどうか知りたがってる女の子が何人かいるよ。教えちゃってもいい?」

「いいけど、俺、『シルバースプーン』では彼女なんか作らないよ」

「なんで?勿体無い」

「前の彼女で懲りたし、そこまで興味もてる女の子、悪いけどいないんだよ」

「ふーん。案外真面目なんだね」

言い方によっては馬鹿にされたと思ってしまいそうな言葉が、涼の口から出ると、褒め言葉に聞こえた。

涼の彼氏という男は、涼のこういうところが好きなんだろうか。

その頃の俺は、涼が俺とは違う世界に属することに嫉妬のような気持ちを持っても、彼氏という存在に対して嫉妬することは、なぜかなかった。

No.12 14/12/22 06:34
てん ( zEsN )

「それじゃどんな人なのか全然わかんねー」

「だから普通だって。顔も普通だし、背の高さも普通だし、優しいときも意地悪なときもあるし」

「どこが好きで付き合ってんの?」

「わかんない」

「わかんないのに好きなの?」

「だって気がついたらお互い好きになってたんだもん。どこが好きかなんてわかんないよ」

涼はそう言って笑った。

そういうもんなんだろうか。

俺にはよく分からない。

小学校や中学校で気になる女の子がいなかったとは言わない。

だけど、俺は告白なんかしたことはないし、俺に告白してきた何人かの女の子もいたが、あまり本気には見えなかった。

本気で誰かを好きになるのが、大人なんだろうか。

俺より大人に見える涼は、どんな気持ちで彼氏と付き合っているんだろう。

「まぁ、私のことはいいじゃない。謙ちゃんは『シルバースプーン』で気になる女の子はいないの?」

涼はカラオケの曲を選びながら言った。

「いない」

「お年頃の女の子がいっぱいなのに」

「ババアかよ」

「だって、みんな私に恋愛相談してくるんだもん。謙ちゃん、けっこう人気者だよ」

涼に言われて、俺はバイトの女の子たちの顔を思い浮かべてみた。

バイトの仲間はみんな仲がいいし、俺も誰とでもよく喋る。

多分、涼以外の女の子に誘われても、こうやって遊びにくることはあるだろうけど、だからといって特別誰かが気になっていることもない。

No.11 14/12/21 21:16
てん ( zEsN )

「よかったらおねーさんに話してご覧?聞いてあげよう!」

涼は美味そうにタバコを吸いながらそう言った。

あまりカッコいい話じゃないけど、涼になら話してもいいような気がした。

涼は人の悪口を言わない。

もちろん、理不尽なクレームをつける客に遭えば愚痴も言うし、ちょっと神経質な社員がキレ気味にバイトに当たり散らしたときには文句も言うが、悪口や悪意ある噂話は聞いたことがなかった。

主婦のパートを除く女子アルバイトの中では最年長だったこともあり、涼はみんなの姉的存在だった。

俺がかい摘んで前のバイト先でのことを話すと、聞き終わった涼は「ふーん」と言った。

「ふーん、が感想かよ」

「いや、その子も幼いなぁ、って思ってさ」

「向こうはA大経済学部だし。親に買ってもらったクルマ乗って、サークルの合間にバイトにきてるようなヤツだったけど、やっぱ年上で金持ってる男のほうがいいんだろ」

「それだけ聞くとロクデナシだよねぇ」

「涼さんだって、そういうヤツのほうがいいんじゃないの?」

涼はさっき店員が持ってきたモスコミュールに口をつけて首を少し傾げた。

「どうかなぁ?あんまりそういうことで男の人、好きになったことないから」

「ふーん。じゃあ涼さんの彼氏ってどんな人なんだよ」

「んー?そうだなぁ、普通だよ、普通。実家は静岡で、汚いアパートに下宿してて、バイトして学校にきてる人」

No.10 14/12/21 19:25
てん ( zEsN )

結局仕事を上がったのは10時過ぎで、パチンコ屋の閉店時間が近いので、カラオケにいくことになった。

「あ、謙ちゃん不良〜。タバコなんか吸って。補導されちゃうよ」

カラオケボックスの部屋に入り、俺がタバコを取り出すと、涼がそう言った。

「うるせぇな、そんなドジ踏まねぇよ」

「まぁね、謙ちゃん大人っぽいもんね」

「そ。だから酒も飲む」

実際俺は身長は高かったし、顔も童顔には遠かったのか、制服を着ていないときに高校生に見られることはほとんどなかった。

どちらかといえば涼の方が服装によっては高校生くらいに見えることもあった。

涼はバイト中のほうが大人っぽく見えた。

「ライター貸して」

「涼さん、タバコ吸うの?」

「うん、たまに」

「彼氏に嫌われるんじゃないの」

「そういうこと言うヤツに限って、自分は吸ってるんだよね」

涼は自分のバッグから取り出したメンソールに火を点けて笑った。

………。
これは、彼氏がいると言ってるのか、一般論なのか。

俺が突っ込んで聞ける話でもなく、俺はドリンクメニューを黙って見た。

「謙ちゃんは彼女いないの?」

俺が黙ったら涼に突っ込まれた。

「いまはいない」

「いつまでいたの?」

「………『シルバースプーン』にくる少し前」

「なるほど。前のバイト先に彼女がいたのか」

涼はふんふんと納得している。

俺は、また黙った。
涼の言う通りだったからだ。

前にバイトしていたファミレスで、違う高校の同い年の女の子と付き合っていた。

その子は後から入ってきた大学生が近付いてきたと思ったら、あっさりそっちへ乗り換えてしまった。

最初は向こうが積極的で、まぁ可愛い子だったから俺もその気になって付き合ったんだけど、名の通った大学に通う、ちょっと大人っぽい男のほうが、彼女には魅力的だったらしい。

俺はフラれた形になり、おまけにその大学生から妙に絡まれることも多く、色んなことがめんどくさくなってバイトを変えることにした。

タイミングよく募集があったのが、いまの『シルバースプーン』というわけだ。

No.9 14/12/21 16:09
てん ( zEsN )

8月が終わり、俺は涼より先に夏休みが終わった。

当然朝は夏休みにバイトをしていた時より早く起き、8時には自転車で家を出て8時半までに登校する。

部活をしていなかった俺は、たいてい夕方の5時か6時からアルバイトにいった。

学校の授業の関係で、平日の出勤は3〜4日、土日は用事のある日だけ休みという感じでアルバイトを続けた。

涼は結局9月の2週目の平日で4連休を取り、大学の友達と草津温泉にいってきたらしい。
旅行から帰ってきた涼は、お土産の温泉饅頭を休憩室に置いていた。

秋になると、俺はときどき宴会を担当するようになっていた。

店の2階にある個室宴会フロアーは、予約すれば誰でも利用できた。
近くにある会社の宴会や、家族連れの祝い事などで利用されることが多かった。

基本的にコースメニューを提供することが多く、客単価が高いこともあって、オープンからしばらくは店長や社員が担当していた。
だけど、秋から年末年始にかけて、宴会が増えることが予想され、アルバイトスタッフも宴会を担当することになり、まず俺が指名された。

俺が2回ほど店長と一緒に宴会を担当したら、今度は涼が同じように宴会を担当した。

しばらくの間、宴会は俺か涼が1人で切り回すようになった。

俺が少し規模の大きい宴会を担当した日は、ときどき涼が上がってきて手伝ってくれた。

「ねー、今日土曜だよ。バイト終わったら遊びにいこ」

宴会フロアーのパントリーで料理待ちをしているときに、涼が言った。

「いいけど、どこいく?」

「給料でたじゃん。パチンコいこう、パチンコ。謙ちゃんがときどきやってんの知ってんだから」

なんのこだわりもない口調。
きっと涼は大学でもこんな風に、男女関係なく友達を誘うんだろうと思った。

No.8 14/12/21 15:58
てん ( zEsN )

アルバイトを始めて1ヶ月。

俺はいつの間にか涼に対して特別な感情を抱いていた。

恋とか憧れとは、少し違う。

どちらかというと、家族や姉弟のような感覚に近かったように思う。

新規開店の店舗で、同じスタート地点に立ち、同じような立場で働いてきた。

涼も俺も、夏休みの間は毎日開店1時間前に出勤し、開店準備をし、ランチタイムで走り回り、休憩時間もよく重なり、少し余裕のある喫茶の時間帯になれば一緒にディナータイムの準備をし、夜の9時か10時に一緒に仕事を上がった。

この期間、俺は家族よりも友達よりも、涼と過ごす時間が多かった。

だから俺は、錯覚していたんだ。

俺は涼と同じ場所にたっているんだと。

だけど、現実を見てみれば俺は高校2年生で、涼は大学2年生。

いくら俺がバイトを頑張っても、店の制服を脱いだら、その辺を歩いている高校生の集団の1人となにも変わらない。

俺から見れば大学生は大人だった。
大学という教育の場で、就職するまでの束の間の自由を、勉強やアルバイト、友達付き合いで埋める。

涼もその大人の集団のひとりなんだと思うことが、なんだか悔しかった。

涼は友達と旅行にいくと言っていたが、男女が混ざったグループのようだった。
その中にいる涼は、俺の知らない大人の顔をした涼なんだろうか。

高校生の俺がどんなに足掻いても、いますぐ涼と同じ大学生になることはできない。
それは解っているのに、なぜか俺は納得することができない。

そこら辺がガキなんだということが、俺には分かっていなかった。

だけど、その自分でもハッキリと説明できない感情が、少しずつ姿を変えながら、この先20年近く俺に付いて回ることになるなんて、そのときの俺に予想できるはずもなかった。

No.7 14/12/16 14:12
てん ( zEsN )

「シルバースプーン」がオープンして1ヶ月過ぎた。

店のスタッフはみんな仕事に慣れ、伸び伸びとした明るい雰囲気の職場になっていた。

俺も涼も学生だから、夏休みが終わったら、そうそう毎日アルバイトに来られなくなる。

固定されていたデシャップとホールガイドも、徐々に他のスタッフがローテーションで回るようになり、俺や涼もフロア担当や、パーラー担当に回るようになった。

俺は店長から、学校が始まったら無理のない程度で構わないので、できるだけディナーと休日には出勤して欲しいと言われた。

ある日、バックヤードにある休憩室で俺が学校の課題をやっていると、休憩に入った涼が声をかけてきた。

「謙ちゃん、学校の宿題?」

最初は俺を「黒田くん」と呼んでいた涼は、気が付いたら俺を下の名前の「謙ちゃん」と呼ぶようになっていた。

「そうだよ。もうすぐ夏休み終わりだから。いいよな、大学生は夏休み長くて。涼さん、バイトばっかしてるけど、どっか遊びにいかないの?」

「店長が、9月に入ったら少しまとめて休んでもいいって言ってるから、大学の友達と旅行にいってくる」

「いいなぁ。どこいくの?」

「温泉だってさ。1人温泉マニアみたいな男の子がいてさ、旅行いくってなるとその子が仕切って温泉。まぁ楽しくていいんだけどさ」

涼は楽しそうに笑った。

俺は。
少し複雑だった。

「シルバースプーン」にいるとき、俺は涼の仕事仲間だ。
店長は俺と涼を買ってくれているようだし、自惚れではなく、俺と涼はスタッフの中では優秀なほうだと思う。

だけど、「シルバースプーン」から離れた普段の俺は、ただの高校生だ。

制服を着て、毎日チャリンコを漕いで学校へ行く、ただの高校生だ。

涼は同じくらいの年の同級生に囲まれ、自由な雰囲気のキャンパスを歩く大学生だ。

括りは同じ「学生」なのに、その差は天と地ほどと感じられるような気がした。

No.6 14/12/16 10:47
てん ( zEsN )

俺は普段パントリーに詰めていた。
パントリーは壁に囲まれているわけではなく、カウンターで仕切られた形で、客席からキッチンも見えるようになっていた。

俺は手の空いた時間にシルバー、つまりフォークやスプーン類を磨きながら、フロアーを眺めた。

店の入り口の正面にレジがあり、その前にホールガイドの涼が客待ちで立っている。

涼はメニューを胸に抱え、背筋を伸ばして立っている。

凛とした、そんな言葉がよく似合う。

肩より下まで伸びた髪は女子高生みたいに二つに結われ、エプロンのリボンもキッチリ結ばれている。

客が来るとスイッチが入ったように笑みを浮かべ、そのときの忙しさに合わせて適したフロアーへ客を案内する。

どんなに忙しくても、涼のお辞儀は優雅だった。

接客するときの言葉遣いも完璧だ。

すげぇなぁ。

俺は素直に感心した。

やっぱり仕事がデキるオンナはカッコいい。

涼が店の顔なら、俺は要だ。

負けてらんないな。

涼は俺の目の前にいるライバルだった。

No.5 14/12/16 10:05
てん ( zEsN )

店の名前は「シルバースプーン」と言った。

オープンの日から3日間は、毎日先着20名に本物の銀のスプーンをプレゼントするという太っ腹なサービスをした。

夏休みだったこともあって、俺は開店から夜まで働いた。

客の入りと売り上げは会社の予想より多く、俺も他のスタッフもいきなりフル回転する忙しさだった。

最初の数日は任されたデシャップの仕事を覚えるのに必死だった。
店長や社員に助けられたこともあって、1週間もするとだいぶスムーズに仕事をこなせるようになってきた。

他のスタッフの仕事ぶりに目を向ける余裕も出てきた。

フロアーはA、B、Cの3エリアに分けてあり、それぞれ1人ずつ担当がつく。
フリーの人間は、手の足りないところを手伝う。
パーラー担当というのもいて、カウンター席の中のドリンクコーナーで飲み物やデザートを用意する。
レジはアルバイトの人間がやってもいいことになっていたが、オープンからしばらくは忙しかったので、主に店長や社員がやっていた。

出勤すると、アルバイトはその日のシフト表をチェックする。
時間帯とポジションとスタッフの名前が書いてあって、ポジションは略語で書いてある。
A、B、Cはフロアーの名前。Fはフリー。Pがパーラー。Rがレジ。
俺はいつもD、つまりデシャップだった。
同じように涼はいつもH、ホールガイドだった。

アルバイトの制服は、男は白いシャツに小さな蝶ネクタイ、黒いズボン。
蝶ネクタイが漫才師みたいでイヤだった。

昼のパートさんは年齢が30代中心だったから、ストライプのベストに黒いタイトスカートに腰はエプロン。

ディナーは若い女の子ばかりだったから、白い半袖ブラウスに紺のジャンパースカートに白いエプロン。
スカートは長いフレアスカートになっていた。
スケベな男が喜ぶような色っぽい制服ではなかったが、お客からは可愛いとおおむね好評だった。

No.4 14/12/15 14:38
てん ( zEsN )

年長者を差し置いて俺がデシャップに選任されたのは、多分この間までファミリーレストランでアルバイトをしていたからだろう。

涼は女性アルバイトの中で、一番仕事の飲み込みが早かった。
レストランは初めてらしいが、ファーストフード店でアルバイトをしていたと言っていた。
そして、略語のテストの結果でも分かるように、傍目にも真剣に仕事に取り組んでいた。

他のアルバイトのみんなも、店長の決定に不服はないようだった。

俺はともかく、涼が同性からも妬まれないのは、その開けっぴろげで爽やかな資質が誰からも好かれるからなんだろう。

そうして俺のアルバイト生活が始まった。

俺がアルバイトをしていたのは、ただ単に金が欲しかったからだ。

俺の家は貧乏ではないが裕福でもない。
親父はそこそこの会社に勤めているが、まぁ中の中からいいとこ中の上という家庭なんだろうと思う。

俺の4歳上に兄貴がいるが、この兄貴が優秀で理系の私大に進学し、卒業後は修士課程に進むことが決まっていた。

俺はそんな兄貴を尊敬していたし、もともと仲のいい兄弟だったから、俺より遥かにデキのいい兄貴を妬むことはなかった。

だけど、兄貴の学費がかかっていることは分かっていたから、俺は両親からなにも言われなくても、高校は自転車で通える公立高校を選んだ。

兄貴も週に2回くらい家庭教師のアルバイトをしたりしていたが、大学が忙しくてそれ以上はなかなかできないようだった。
俺が中学生の頃には専業主婦だったお袋が、兄貴の大学進学に合わせてスーパーでレジ打ちのパートを始めたりしている姿を見ていれば、当然の選択だった。

俺は奨学金を借りるか、アルバイトでもしないと大学には行けないと思っていたが、両親は俺の学資保険だけはきちんと続けているから、行きたければどこの大学でも専門学校でも行けと言ってくれた。

だったら、車の教習所の費用だとか、俺の小遣いくらいは、親に甘えないで自分で稼ぎたい。

そう思っていた。

No.3 14/12/15 14:12
てん ( zEsN )

研修の最終日に略語のテストがあった。

みんなほとんど覚えていたが、全問正解だったのは、俺と涼だけだった。

研修も一通り終わり、もう後はオープンしてから実践していくしかないという感じだった。

店長が研修の締めくくりで少し話をした。

「フロアーの要になるのは、デシャップとホールガイドなんだが、最初は担当を絞りたいと思う」

デシャップは店によって多少内容は違うが、要はフロアー全般の要のポジションだ。
この店では基本的にパントリーにいて、キッチンへ正確にオーダーを伝える。出てきた料理を素早く、かつ間違いのないように配膳し、料理とセットになるライスやパンを用意したり、作り置きのサラダが切れないように管理したり、飲み物やデザートを出すタイミングも管理する。

デシャップが使えない人間だと、料理は冷め、オーダーミスも増え、キッチンの苛立ちを招き、客からのクレームが増える。

この店のホールガイドは、基本的には客の案内係だ。
混雑してウェイティングがかかったときには、ホールガイドの対応によって、客の苛立ちを左右し、中間バッシングや空いたテーブルのセッティングまで気を配り、時にはオーダーを受けたり、クレームを最初に引き受けて店長や社員に引き継ぐこともある。
デシャップが全体の要なら、ホールガイドは店の顔のようなポジションだった。

ホールガイドが優秀なら、店が繁盛するといっても過言ではない。

「デシャップはしばらく黒田くん専任で頼む。黒田くんがいない日は社員が付いて他の人にも徐々に覚えてもらうから。あと同じような感じで、ホールガイドは白井さんで頼む。みんな慣れてきたら徐々にローテーション制でいこうと思う」

No.2 14/12/15 10:50
てん ( zEsN )

オープニングスタッフとして採用されたアルバイトやパートは、事前に新宿店や渋谷店で研修があった。

俺は渋谷店で、涼は新宿店だったから、涼に会ったのは新規店の顔合わせの日が初めてだった。

新規開店前の店舗で、本社の指導員や店長以下社員のもと、研修が始まった。

サービス業の基本として、接客用語のロールプレイングから始まって、トレーの持ち方、テーブルセッティングや料理の出し方、ドリンクやデザートの作り方、バッシング、つまり食器の下げ方、客の案内の仕方、ウェイティングが発生したときの対応など、マニュアルに沿って細かく教えられた。

伝票は手書き、レジも手打ちだった。

指導員と店長からは、1週間の研修最終日までに、メニュー全部と伝票に書く略語を暗記するように命じられた。

パスタだけでも10種類以上、肉料理、オーブン料理、サイドメニューなど全て略語が決められていた。

全員が新人なので、みんな渡された略語表を見ながら、休憩時間や帰宅後に暗記に励んでいた。

「ねぇ、全部覚えられた?」

まだオープン前だったので、休憩時間は客席で飲み物を自由に飲んでいいことになっていた。
ボックス席の隣にいた涼が俺に話しかけてきた。

「8割がた覚えた」

「私もそのくらい。だけどパスタでたまに混乱する」

「涼さん、アタマ固くなってんじゃないの?」

「ムカつく~、まだ高校生には負けないよ」

涼はそう言って俺の頭を叩いた。

涼はアルバイトの仲間から研修が始まってすぐに「涼さん」とか「涼ちゃん」と呼ばれるようになっていた。

アルバイトはほとんどが高校生と大学生で、下は16歳から一番上でも大学院生の24歳。

採用担当だった店長の好みなのか、男も女も明るくてよく喋るヤツが多かった。
みんな初めての職場ということもあって、打ち解けるのも早かった。

その中でも涼は目立つ存在だった。

No.1 14/12/14 22:52
てん ( zEsN )

「白井 涼です。大学2年です。よろしくお願いします」

俺の隣に立っていた大学生が挨拶した。

見た目も声も涼し気な女の子だな、と思った。

あとで聞いたら、名前が「涼」一文字だと聞いて、名前の通りだと感心した。

真新しい内装に真新しいテーブルや椅子。

オープン1週間前のレストランのフロアーに、店長と副店長、社員3人、厨房のチーフ以下5人。

社員連中と向かい合うように男女アルバイトが15人、ランチ中心のパート主婦が5人。厨房で働くパート主婦が3人。

初めて全員揃っての顔合わせだった。

ここは都心から少し離れているが、JRと私鉄の乗り換え駅で、駅周辺はそこそこ賑やかで、駅から少し離れると住宅街が広がっているようなエリアだ。

CMで馴染みの食品メーカーが数年前から外食産業に参入し、新宿と渋谷に食事に力を入れたダイニングバーを出店した。

このレストランは初の郊外店で、新宿店と渋谷店とは少し趣向を変えて、家族連れでもカップルでも気軽に入れるカジュアルレストランというコンセプトだった。

営業時間は午前11時から深夜2時まで。
昼はランチ、午後は喫茶、夜から深夜は食事もアルコールも楽しめる、そんな少し洒落た店だった。

店は駅に近いファッションビルにあって、1階は普通の客席、2階は可動式の壁で区切って少人数から少し規模の大きいパーティーまで対応できる、個室宴会フロアになっていた。

彼女、涼と俺は、アルバイトの求人雑誌を見て応募して採用された、オープニングスタッフだった。

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