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千尋( 40代 ♀ BO8Jh )
10/02/04 07:09(更新日時)

(父遍:単略)
父は知能障害を持って生まれました。昔の典型的な長男が1番という家に次男として生まれ親に疎まれ若い時はよく家出をしたそうです。それでも父の稼ぐお金は妹達の学費や生活費に無くてはならないもので家出する度に連れ戻されたようです。

No.1220293 10/01/12 15:01(スレ作成日時)

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No.51 10/01/12 21:44
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

予想は的中で2人とも合格だった。ここからが私の人生の分かれ道となる。元々好きではない教科を専門にした学校は次第に私を苦痛に感じさせるようになった。それと仲良しで一緒に合格した子とは学校の方針なのか別々のクラスに分けられた。元々、人の顔色を見る小心者で他校から来た子のように元中学の友人とかが居ない私は酷く孤独を感じた。どうやって友達の輪に入っていいか解らなかった。

No.52 10/01/12 21:54
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

家に帰ると相変わらずテレビの番人よろしく絞まりのない顔をした母が居る。祖父母が亡くなって家の事情に関心を示さなくなった親戚や近所を良い事に母の横着振りは益々増していった。家事放棄は元より布団さえ敷かなくなった。夏は雑魚寝して冬はコタツで寝る低落。挙句の果ては、田舎の造りでトイレが外にあった我が家。「外に出るのは寒い」と家の中にバケツを置きそこで小用を済ませるようになった。その頃の私は学校が面白くないのと母に対する嫌悪感で一杯で一日でも早く家を出たいと願っていた。もう母の顔を見るのが嫌で嫌で仕方がなかった。生理的に受け付けないところまできていた。

No.53 10/01/12 22:03
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

それでも仲の良かった中学の友達と一緒に居られれば私は思いとどまれていたかも知れない。彼女はその位大切で重要な存在だった。その彼女とも結果的に引き裂かれたと感じた私は淋しさの余り他の友達を探し出した。一進一退しながら見つけた子は私の住む町より大きな町から通う比較的お金持ちの子だった。私の大切な友達の横にチャッカリ居座って居るその子に興味を持ったのかも知れない。私はその子がとても新鮮に見えてその子に陶酔していった。気に入られようと努力した。

No.54 10/01/12 22:10
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

ある日、その子が「男を紹介するよ」と言った。私の田舎は1学年に20人位しか居ないので幼稚園から中学までずっと同じメンバーで兄弟姉妹よろしく猫がじゃれるように育ってきた。その中で起きる恋愛事なぞ所詮幼稚園の延長で仲間内でキスなどした者など一人もいないだろう。…ってか絶対居ない。突然の「男」発言に驚いたもののその子に怖じ気付いたと馬鹿にされたくないのと興味も手伝って彼に会いに行く事になった。

No.55 10/01/15 01:35
匿名 ( Nc7Bh )

読んでます。頑張って

No.56 10/01/15 12:25
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

>> 55 匿名さん、ありがとうございます。励みになります。

No.57 10/01/15 12:55
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

彼は隣り町でお兄さんと2人で家を借りて住んで居た。身長も私と同じ位で正直言って素敵な人だとか尊敬できそうな人だとかいうタイプでは無かった。ただ俗に言う3枚目?おしゃべりが上手な人だった。出会ったその日に彼は当たり前のように私を布団に引き入れた。私は魔法にかかったように言う通りにした。なんだかどうでも良かった。

No.58 10/01/15 13:07
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

愛情とは程遠い、ただの征服欲を満たすだけの行為。私は友達もこんな風に女になったのかなぁ。と漠然と考えていた。出血が酷くて怖くなった。その日は彼に家まで送ってもらい母の生理用品を使った。私は小学生5年生で初潮を迎えたが母は何か月もそれを知らなかった。私も言わなかった。生理用品が減っているのに気付いた母が「千尋もしかして生理始まった?」「うん」「そう」で会話は終わった。セックスしてしまった…

No.59 10/01/15 13:15
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

行きずりと言ってもいい位、何も知らない人。友達の知り合いっていうだけの人。翌日、友達が「昨日どうやった?マサは手が早いから気をつけなよ」って…知っててそんな人を紹介したんかぃ💢 でも、私も訳が解らないまま許してしまったんだし、友達を責めてもしょうがない。嫌なら嫌と言えない事も無かったんだし。とにかく事実は私が処女を失った事によりマサの彼女になった。

No.60 10/01/15 13:23
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

その頃、世の中はワルが持てはやされていた。横浜銀蝿という歌手がオールバックでギターをかき鳴らし、ナメ猫がワルの格好をしたのが大ブレークした。テレビでは(不良少女と呼ばれて)なんて番組やワルを題材にしたドラマが毎日のように流れていた。私のスカートも長くなった。生活指導の先生が物差しを持って廊下を追いかけて来るのを楽しむ余裕すらあった。友達もかわった。悪仲間が出来て学校が楽しくなってきた。

No.61 10/01/15 13:35
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私は4人グループの内の一人になった。3人とも親が水商売をしていて夜は親が家に居なかった。昼間も眠っているので顔を合わす事はなかった。それぞれに男がいた。その頃の男の価値は乗っている車によって決められた。マサはセリカという車に乗っていた。車の事なんて何も知らない田舎者の私に友達が通学の途中「あの車の名前は?」とカッコいい車の名前を教えてくれた。悪友達の輪はどんどん広がっていった。溜り場になった友達のマンションはいつも7人位の男女がたむろしていてよく警察官が見回りに来た。そのマンションは友達の親が賃借りしていたものだがその親が若い男とその男の間に出来た子供だけを連れて飛んでしまい友達は一人残されてしまったのだ。

No.62 10/01/15 13:45
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

その子はチサという子だったが当然マンションは出て行かなければならずアルバイトでは生計も立たず結局マサの紹介で年齢を詐称して温泉場のスナックで住み込みで働いた。チサはその店で芸者の紐だった男と深い仲になり子供を身籠もって芸者に殺すと脅され急遽その男と九州まで逃げて行ってしまった。連絡が取れなくなり後に男の子を出産した事を知るのはずっとずっと後の事である。

No.63 10/01/15 21:58
ガチャピン ( pwZvnb )

途中ですみません。応援していますので完結まで頑張って下さい🙇

No.64 10/01/16 07:15
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

>> 63 ガチャピンさん、応援ありがとうございます。躁鬱持ちなので書ける日と書けない日が極端になるかも知れませんが頑張って書き上げたいです。

No.65 10/01/16 07:25
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

マサは私の下校時間に毎日、私を迎えに来て私を助手席に乗せたまま他の町の女子高へ車を走らせ大音響で音楽を鳴しタイヤが煙りを出す程チェンジを入れたりブレーキを踏んだりして女の子達をからかった。私自身はこんな事して何が楽しいんだろう?と思ってはいたが口には出さなかった。この人もしかしてバカ?と気付いてももう取り返しがつかない…毎日電話をしないと顔色を変えて怒り狂った。学校の前で大声で怒鳴られるのが嫌で渋々言う事を聞いていた。

No.66 10/01/16 07:33
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

男と言えば温厚な父しか知らないし同級生とかも野蛮な感じの人は居なかったので、男の人に怒鳴られるのは生まれて初めての経験だった。恐ろしかった。しかし田舎の古い考え方しか知らない私は初めての男性とは結婚しなければいけない。という思いがあった。今、思い返すとこの堅い考え方が人生の軌道を変えてしまったんだと思う。家にもなかなか帰してくれなかった。そしてマサには私の他にも付き合っている女が沢山いる事に気付いた。

No.67 10/01/16 07:44
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

時には女の家に電話をかける事を強要された。男からの電話だと家の人が繋いでくれないからという理由で…年上の女も居た。その人は看護士をしていた。最悪な自体⤵マサはその看護士の女と私を二人並べて交互にセックスをした。私は最初、何が起こっているのか理解出来なかった。私は隙を見つけてはマサの元から逃げるようになった。母親から逃げたくて付いて行った男からまた逃げる生活。逃げる対象が替わっただけだった。

No.68 10/01/16 07:52
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

高校2年の夏休み。マサは私と私の悪ダチのカヨとその彼氏を車に乗せて見知らぬ隣りの県まで連れて行った。「もう家には帰さない」と言われた。そこはマサのおじさんが経営しているオカマバーだった。そこでカヨと私は働くように言われた。元々内向的な私が知らない男性と正面に口をきける訳もなくいつも緊張していた。おじさんは「千尋は、おぼこい娘やな」と言って叱ったりはしなかった。でも居心地は決して良いものではなかった。母に無視されても家に居る方が良かったと思い始めた。

No.69 10/01/16 08:02
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

カヨの母親が捜索願いを出したお陰で私達は連れ戻された。地元では私の母親と大伯母さんが待ち構えていた。最も母は来たくて来たのでは無いけれど…大伯母さんにお目玉を食らっている途中でカヨの母親が飛び込んで来てカヨの頬を平手打ちした。その後カヨを抱き締めて怒っているのか泣いているのかわからない状態になりカヨは家に帰って行った。私はカヨの母親にえらく感動した。あぁアレが母親の姿なんだな。と思った。それに比べて私の母は…「義務教育が終わったらもう大人やし自分で考えるやろ」と言い放っただけだった。虚しくなった。

No.70 10/01/16 08:11
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

母は私が荒れている事を隠していた。面倒だったのだろう。夏休みの家出騒ぎで親戚一同に私の素行が知れ渡った。そこからの母の行動は早かった。母が家の事をしないとか子供に関心が無い事は誰も知らなかった。私も母の事は大伯母さんにどれだけ問い詰められても喋らなかった。私の中での母はまだ「死んでやる」と言う弱い人だった。私が荒れた原因を喋れば母は責められて何をするかわからないと思っていた。私は貝になろうと決めた。

No.71 10/01/16 08:25
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

そんな私の健気な思いを知ろうともせず母はアチコチに電話をかけまくった。「私は体が弱くても子供第一で一生懸命に育てて来たのに千尋は男に狂ってグレてしまった」と言い続けた。家庭の状況を知らない親戚の人達は一方的な母の言い分を信じて母の味方になった。私はそれは別に気にもしなかった。しかし2学期に入るとすぐ生活指導の先生に呼び出された。「千尋クンは夏休みに色々とあったようですね。この学校が合ってなかったのかな?先生は自主退学を薦めるよ」と言われて「なぜ?」と問い返した。母が学校に電話して「私は体が弱いのに……千尋は家出して帰って来ない。どうしてグレてしまったのか?先生、どうしたらいいでしょうか?」とバカな相談をしていたせいだった。腐ったミカンは捨てる。そんな言葉が頭をよぎった。それまで学校を止めるのは嫌だと頑張っていたが母の態度を聞いて気力が失せた。

No.72 10/01/16 08:37
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私の退学が決まった。大伯母さんにマサとの付き合いは学校を卒業してから。と約束させられていて、これで別れられると思っていたのに退学したのがマサにバレてしまった。それなら付き合いを待つ必要は無くなっただろう。と付きまとわれ、脅され、私の安住の地は無くなってしまった。マサの家に泊って夜中にコッソリ抜け出して家に帰った。自転車で家まで1時間半…その間、私は色々な事を考えていた。もしかしたら帰らない私を心配して母が寝ずに待っているかもしれない…もうマサには会いたくない。家で大人しくしていてその内アルバイトでも何でも仕事をしよう。そんな事を考えながら私は自転車をこいだ。深夜でも何台かの車とすれ違う。私は家に帰るんだ。何度も呟き呟き自転車をこいだ。

No.73 10/01/16 08:53
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

やっと家まで辿り着いた。本当に辿り着いたという感じだった。彷徨っていた魂がくたびれ果てて帰って来た感じだった。しかし、そこには私が抱いていた淡い期待は待っていなかった。明かりは消され静まり返った夜の帳の中、母の大きなイビキが聞こえて来た。(猫を飼っていたのでいつも戸を少し開けていた)私は金縛りに合ったようにその場からピクリとも動けなくなった… どの位そうしていただろう?結局、家に入る事が出来ずに元の道を引き返す事になる。途中で白い小さな犬を拾った。こんな夜中にお前も一人なんだ。と感傷的になった。一人と一匹は夜の海を眺めていた。昼間の海とは違って真っ黒で波はノタリノタリとまるで怪物のように見える。(死んでしまおうか…)フッと何かに取り付かれた。

No.74 10/01/16 09:05
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私は静かに海に入った…よくドラマとかで自殺する人は靴を揃えてというシーンを見るが私は靴を履いたまま海に入った。自分でも「つまんない事考えてるな」と少しおかしくなった。死ぬ時は今までの経験が走馬燈のように甦るとか言うのも嘘だな。とか…よく母が海に飛び込んでやるとか言って探しに出た海は大概、夜の海で気味悪いと感じていたが、今はその海に抱かれるといった感じだった。多分、脳のどこかが麻痺してたんだろうな。波が頭の上で揺れた。海水が口の中に入って来た。苦しい。でもすぐに終わる…… と、その時「キャンキャン」という子犬の鳴き声が聞こえた。ハッと我に返った。

No.75 10/01/16 09:11
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

子犬が海っぷちをウロウロしながら鳴き続けていた。私は砂浜に這いつくばって海水を吐いた。ドッと涙が出た。何をしているんだ私は!……暫くすると落ち着いて来た。これからどうしよう?家には帰れない。悲しいかな私はマサの家に引き返すしか無かった。全身ずぶ濡れの状態で自転車をこぐ私の後ろから妙な車が付いて来る

No.76 10/01/16 09:22
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

さっきまで死のうと思っていたのに今は付けて来る車が怖い。勝手なもんだ。一本道で横道もない。とにかく進むしかない。暫く様子を見ていたのだろう。車が私の横にピッタリ付いた。2人の男の人が乗っていた。「こんな夜中に何してるの?中学生?高校生?」と声を掛けて来た。前を塞がれ止まるしかなかった。そこで初めてその車が覆面パトカーだと気付いた。巡回している警官に職務質問されたのだ。「20才」とか最初はデタラメを言っていたが私がグッショリ濡れているのに気付いた警官の口調が変わった。これでは嘘は突き通せない。私は住所と電話番号を警官に教えた。警官はすぐに家に電話をした。「お宅の娘さんを保護したので今から家まで送って行きます」

No.77 10/01/16 09:31
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私は子犬を抱いて覆面パトカーに乗った。シートが汚れてしまうな。と思った。父母は家の近くまで出て来ていた。父は黙って警官の言葉を聞いていた。母は明らかに不機嫌だった。「娘さん海に入られたようなのでお風呂に入れてやってください」と聞くや否や「海で泳ぎよったんと違う?私ら真面目に生きて来たのに千尋のせいで警察のブラックリストに大泉家の名前が載ってしまったわ💢」と言った。これには警官も呆気に取られていたが私を遠ざけ何事か話していた。内容は今でもわからない。その頃には水道もガスも使えるようになっていたので自分でお風呂の準備をして入った。家に帰ると母はサッサと寝てしまった。

No.78 10/01/16 09:43
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

翌日、休みだった父は子犬をじゃらしていた。父は犬が好きなのに母が猫命の人で犬は飼っていなかった。午後になって一回り年の離れた母方のイトコが家に来た。母のどんな話を聞いて来たのかは大体予想の出来る言葉を投げ付けられた。「そりゃ犬でも口実にせんと帰って来れんよな」と…私はこの言葉は一生忘れる事はないな。と思った。母は大袈裟に私の事を吹聴して回った。そんなに自分の保身が大事なのか?悲しいを通り越してバカバカしくなった。その頃、伯父が市会議員選挙を控えていて親戚内はピリピリしていた。伯母から「千尋はもう地元を離れてくれ。2度と顔を見たくない」と言われた。勘当だ。子犬はその日の内に何処かに捨てられた。それも犬好きの父に捨てさせに行かせた。お父ちゃん嫌な思いさせてごめん。

No.79 10/01/16 10:02
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

家に居場所が無い。父の事は好きだったがとにかく口数が少なくて会話が成り立たなかったので私はどんどん孤独に陥った。
遂に私は家を捨てる決心をした。マサとマサの母親にこの一件を話すと母親は喜んだ。「もう千尋には親は死んだと思え。千尋の母は私だけだと思って尽くしたらいい」と言われた。義母は安いアパートを探して来てそこでマサと結婚して一緒に住むようにと言われた。一人で生活する術を知らない私は義母の言う事に従った。私は家から出してもらえなかった。私のストッキングさえマサが買いに行った。

No.80 10/01/16 10:11
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

一緒に暮らし始めて私は小さなミシン工場に勤めるようになった。自転車で隣り町まで毎日仕事に通った。マサはお酒が大好きな人だった。胃腸が弱いのに沢山お酒を飲んでは吐いたりして機嫌を悪くした。そして布団に潜り込んで仕事を休んだ。その休みの電話をかけさせられるのが嫌だった。会社の人が電話の向こうで「またですか。」と溜め息をつくのがわかった。申し訳ない思いが込み上げる。

No.81 10/01/16 10:17
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

マサは私が友達と会うのを極端に嫌った。それが女の子でも許してはくれなかった。ある日幼稚園からの同級生が事故にあって亡くなった事を知らされた。兄弟のように育った仲間だ。でも彼の葬儀に行く事すら許してはくれなかった。マサはお酒の飲み過ぎで胃潰瘍になり私の勤め先とは反対の町の病院に入院した。マサは仕事が終わったら真直ぐに病院にくるように私に命令した。私は3っの町を自転車で走った。私は疲れていた。中学の時の大切な友達に会いたかった。会って色々な話がしたかった。

No.82 10/01/16 10:23
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私はマサの入院している病院に電話をかけ熱が出たから今日は病院には行けないと伝えた。それでも来いと言われたが私は電話を切った。友達に電話をして「会いたい」と言った。彼女は久し振りの私の声に喜んで会いに来てくれた。私の生活振りは彼女は知らない。知らなくて良いと思っていた。彼女にはまだ恋愛や結婚に対する夢とか憧れがある筈だから、それを壊したくないと思っていた。たわいもないお喋りをして久し振りに笑った気がした。

No.83 10/01/16 10:32
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

そこへ突然、怒り狂ったマサが帰って来た。マサが怒ると手が付けられない。頭に血が上ってしまうようだ。お願いだから友達の前では止めて!と願ったが「お前は亭主が入院しているのに見舞いにも来んと遊びよんか💢」と真っ青な顔をして怒鳴ったと思ったら鍵の調子が悪くてつい置きっ放しにしていたドライバーを私の顔の横スレスレに突き立てた。板の壁がバリッ!という音をたてて穴が開いた。友達は飛び上がる程驚いていた。私はそれ以上怖い思いをさせたくなかったのでわざと冷静に彼女に「今日は嬉しかった。ありがとう。気をつけて帰ってね」と言って彼女を送り出した。そしてもう2度と友達を呼ぶような事はすまい!と心に誓った。

No.84 10/01/16 10:39
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

翌日からは7時半に家を出て仕事に行き5時に仕事を終えると病院に行くのは必須になった。ある日、同部屋の男性が私の顔を見て「おっ!今度は奥さんやな。気をつけなよ。色んな女の人が見舞いに来ては何処かへ行ってるよ」と告げ口した。しかし、その程度の事はすっかり麻痺しまって聞いても、あぁそうなんだ。そうだろうね。位にしか感じなくなっていた。退院してもマサの仕事は続かなかった。気紛れのように仕事をされても会社だって迷惑だろう。

No.85 10/01/16 10:48
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

ある日、私は体調の変化に気付いた。もしかすると…恐ろしい事を考えた。マサは女百人斬りを豪語していて実際に何人もの女性を相手にしていたが不思議な事に妊娠した女性が居なかった。本人は子種が無いと信じ込んでいた。私もマサの言葉を信じていた。しかし私は妊娠していた。私は焦った。予期していなかった。マサの女達の何人かは顔見知りだし皆、口を揃えてマサは種無しだ。と言っていた。そんな会話が出る自体が既に異常ですけど当時は当たり前な会話だった。

No.86 10/01/16 10:59
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

マサは私を病院に連れて行った。妊娠を告げられた事を伝えると「それで?何と答えた?」と聞かれたので「すぐに返事はできません。主人と相談します。考えさせてください」と答えたと言うと私を窓口まで引っ張って行って「産ませますんで」と言い義母に報告に行った。「俺はずっと子種が無いと思ってたけどあったんやなぁ」と感慨深げな様子。義母も喜んでそんな事ならアパートを引き払って兄貴と一緒に住め。と話をつけられた。兄さんはスナックに勤める女の人と同棲していた。ミシンの振動は良くないと言われて仕事は辞めた。

No.87 10/01/16 11:07
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

でも以前、夏休みに連れて行かれたオカマバーのおじさんが地元に帰って来て店をやるからそこを兄さんの同棲している女の人とお前が手伝うんだよ。と言われた。私はまだ17才だったがまた年齢を詐称して勤める事になった。マサは相変わらず仕事に行ったり行かなかったりで、どうしても私が働かなくてはいけなかった。不安だったし。正直言って流産してくれればと願って密かに兎飛びとかやってみりした。それでも生まれる運命の子は生まれて来るもので私は18才の初夏2950gの女の子を出産した。

No.88 10/01/16 11:39
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

私は母から出産は命懸けでその痛みは青竹を折り曲げる程だ。と聞かされていたので、その瞬間が怖くて仕方がなかった。兄さんと一緒に住んでいてもよく喧嘩をするカップルで女の人がぶたれている音や声がして気が休まる事はなかった。お腹が目立つようになると仕事ができなくなる。マサも仕事をしないから当然兄さんに生活費を入れる事が出来ずに結果追い出されてしまった。義母は一回り年下の男性と同棲していた(義母と兄さんの名前で市営住宅に入居していた)のでそこに転がり込む事も出来ずに「死んだと思え」と言われていた私の親と義母との話し合いでマサとお腹の大きな私が私の家に転がり込む事になった。どんな話をしたんだろう?父は会話の出来ない人だし母はマサと仲良くしようなんて少しも考えてない人だから私は母とマサの板挟みになって辛かった。

No.89 10/01/16 11:52
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

狭い田舎の事なので私達の事はすぐ噂になった。マサの評判も悪い。「千尋ちゃん賢い子だったのに何であんな人とくっついたんやろうねぇ?」と人の口に戸は立てられない。私とマサは私が使っていた2階の部屋で生活をしていた。マサは起きると床をドンドン!と鳴らす。必要以外降りて来ようとはせず用がある時はドンドン!と呼ばれた。呼ばれて行くと大抵不機嫌だった。おかずが少ないのなんのと難癖をつけては私を苛めた。まともに生活費も入れないのに副食の文句が言える立場ではないと思うのだが…料理をしない母の元で育って食育というものが成されていない私は普通の家の食事がどのようなものか解らなかった。よく食べ物の事で揉めた。出産間際になってマサと母は大喧嘩をしてしまい、また追い出される事になった。暫くだけという約束で兄さんの家に厄介になった。

No.90 10/01/16 11:59
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

出産は母に脅されていたより軽かった。怯えに怯えていてもっともっと苦しいだろうと覚悟していたので4時間ちょっとの陣痛はなんて事なかった。その病院は私が産まれた病院で私の子を取り上げてくれた婦長さんは母の出産にも立ち会っている事が解った。「千尋さん。良かったね。お母さんが安産だったから貴女も安産だったね」って言われて「へっ?」と思った。母からは「難産で死ぬとこやった」と聞いていたから。ここで初めの嘘が露見した。

No.91 10/01/16 12:10
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

義母は女の子を欲しがっていたので女児出産を手放しで喜んだ。その日仕事が入っていた義母は兄さんの彼女に(チヌ)という魚を煮付けて持たせてくれた。義母が言うには(チヌ)は悪い血を降ろすとの事だった。安産とは言え大仕事をやってのけた私は義母の心遣いが本当に嬉しかった。私の母は義母から報告を受け「娘が産んだ初孫の顔を見に来ないのか」と言われて出産の3日後に買い物ついでにちょっと寄ったという感じで子供の顔もろくろく見ないで引き上げてしまった。淋しかったがもうそんな事に思いを寄せている場合ではない。

No.92 10/01/16 12:18
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

ミルクの作り方も知らないような18才の新米ママの奮闘が始まった。妊娠中はお腹が重くて私は酷い腰痛に悩まされた。子供が出て来たら体も軽くなって楽になるだろうなんて甘く考えていた私は少し眠っては泣く、この得体の知れない生き物は何なんだ?と思った。乳房を揉みほぐすお婆さんが来て私の固い乳房を形が変わる程揉む。余りの痛さに泣いてしまった。母親って凄い。とこの時ばかりは母を尊敬した。嫌々ながらも2人も子供を産んだんだから。

No.93 10/01/16 12:26
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

おっぱいを飲ませてゲップをさせてオシメを替えて…の繰り返し。何をしても泣く時は泣くのを止めない。コイツ(ドラえもん)みたいに尻尾を引っ張ったら機能停止しないかな?とか想像したりした。義母が張り切って名前を決めた。「美久」これがこの子の名前になった。私の口の挟む隙間など1mmも無かった。まぁ可愛い名前だし姓名判断で見てもらったと言うし有り難く頂戴しました。

No.94 10/01/16 12:36
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

母乳は良く出た。おっぱいを与えている時はいっちょ前に母親気分だった。無心で吸い付く赤ちゃんが可愛いと思えた。マサも機嫌がいいと美久をあやしたりした。お風呂に入れてくれたりもした。でも基本的には美久の世話をしようとはしなかった。義母に母乳を早く止めてミルクに切り替えるようにと言われた。私はなぜ?と思ったが、それはそうだ。私が仕事をしなければ美久のミルクも買えない。義母は同棲していた男性と正式に結婚して男性の故郷に行く事になり義母の住んでいた市営住宅にマサと私と美久の3人で住めるようになった。

No.95 10/01/16 12:44
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

まだ母乳が溢れる程出ているのに仕事に復帰した。おじさんのオカマバーはボッタクリ上等、閉店時間関係無しだった。気がつけば朝の5時で空が白んでいた事もある。私が店に出ている間はマサが美久の面倒をみている。だから私が帰ると勤めは果たしたとばかりに寝てしまう。私は慢性の睡眠不足で激ヤセした。目眩に悩まされるようになりたまに帰って来た義母に千尋は薬でもやってんのかぃ?と聞かれる程だった。マサが寝ている時に美久が泣き出すとマサが怒るので美久を抱いてドアの外であやした。私の帰りが遅い!とおじさんと喧嘩になってマサに店を辞めさせられた。

No.96 10/01/16 12:50
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

おじさんと相当やり合ったらしくマサは何を思ったのか「俺も千尋と同じ店で働く」と言い出した。私は素直に働いてくれる気になったのを喜んだ。店はマサが見つけて来た。昔からの知り合いで気心が知れているママだと紹介された。美久は夜専門で預かってくれるお婆さんの処に預けた。人見知りするようになった美久が泣くと後ろ髪を引かれた。それでもこれでやっと夫婦揃ってスタートがきれたと感じた。

No.97 10/01/16 13:02
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

小さなオカマバーとは違ってそのお店はナイトラウンジと書かれてあった。広いお店でカウンターが2枚、人数にして10人位座れる。それにゆったりしたボックス席が2席。カラオケを歌うステージもあった。私達は1番に店に入り店内と表を掃除しておつまみの用意とかの開店準備をした。女の子は私を含めて5人。それとママ。相変わらずトークが出来ない私は客が入ると緊張した。他店のママが遊びに来た時に「貴女それでお給料貰うん?」とグサリと痛い事を言われたりした。事実だから仕方がない。気の効いた会話もできないただ若いだけの女の子。本当に給料泥棒だ。

No.98 10/01/16 13:09
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

源氏名は「ひかる」ちっとも光ってないけどね。でもそんな私にもそろそろとお客さんがついた。「ひかるは全然スレてない」「お水に染まらない」と殆ど対人恐怖症に近かった私が少しずつ可愛がって贔屓にしてくれるお客さんとトークらしきものができるようになった。私は学生時代に沢山の本を読んでいたので慣れてきたお客さんとは文学や歴史の話をしてお客さんが驚き喜んでくれた。

No.99 10/01/16 13:17
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

お客さんの質も良かった。皆一様におっとりした大人の人ばかりで会員制だったせいか妙な一見さんも来なかった。ママに「ひかるちゃんもそろそろ電話営業してね」と言われて「今日ヒマなの~来てくれたら嬉しいな~」なんてセリフも覚えた。段々と私の前でお客さんが長居をするようになった。海外出張のお土産だと可愛い髪飾りをプレゼントしてくれた人も居た。私は必ずママに受け取ってもいいか?と了解を取った。店の子として認められ出した頃、マサの行動がおかしくなった。

No.100 10/01/16 13:30
千尋 ( 40代 ♀ BO8Jh )

柱の影から私の一挙一動を凝視し楽しそうにお喋りをしていたらマサに突然「ひかるさん、ちょっと」と呼ばれたり、いきなり腕をとられる事などが目立ってきた。私はマサが嫉妬深い男である事を十分知っていたのでかなり気を使っていた。カラオケでデュェットする時に酔ってふざけて肩に手を回すお客さんにハラハラしながら出来るだけ接触しないように気をつけていた。でも1度沸き起こった嫉妬心はなかなか消えなかった。ママの再三の忠告にも耳をかさず家に帰ると覚えもない事で叱られたり叩かれたりした。私の我慢にも限界がやってきた。美久と2人だけなら何とか食べて行ける。

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