神社仏閣珍道中・改
【神社仏閣珍道中】 …御朱印帳を胸に抱きしめ
人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開であります。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。
ふと、思いました。
神さまや仏さまにお会いしにいこう!
┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。
そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねいたしております。
相も変わらず、作法のなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。
神さま仏さま、どうかお導きください。
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※すみません。大きなミスを見つけました。
〝法華経〟と書かねばならないところを〝観音経〟と書いてしまってありました。
あまりにも大きなミスで、話すら繋がらないので削除させていただき、差し替えます。
申し訳ありませんでした。
(以下、前レスの観音経と書かれた部分を法華経と直しただけの文章です)
(続き)
観音経、観音経と申しておりますが、正確には『妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五』。
『妙法蓮華経』というのは『法華経』のことです。
『法華経』には全部で二十八の章があり、ひとつの章のを「品(ほん)」と呼ぶようです。
なので『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』とは、『妙法蓮華経(法華経)』のなかの「観世音菩薩普門」という品(章)で二十五品、つまり二十五章となります。
ただ。
法華経のなかの、というところに、異議を唱える説もあるといいます。
鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』には『観世音菩薩普門品第二十五』の偈頌(げじゅ)はなかったといいます。
闍那崛多(じゃなくった)と笈多(ぐぷた)の二人が中心になって訳したものがあって、
こちらに『観世音菩薩普門品第二十五】の偈頌から加えられています。
そして、この二人のものが世に出てからは鳩摩羅什訳のものにもこの二十五が加えられたとのことで、つまりは、現存するほとんど全ての〝法華経〟にこの部分がある、ということになるようです。
(続き)
世尊妙相具(せーそんみょうそうぐー)
我今重問彼(がーこんじゅうもんぴー)
仏子何因縁(ぶっしーがーいんねん)
名為観世音(みょういーかんぜーおん)
『観世音菩薩普門品第二十五』はこのような文言から始まっています。
『世尊妙相具』という言葉をみてもさっぱりピンとはこないし、
「せーそんみょーそんぐー」と言われたらさらに何一つ伝わってはきません。
『尊い人間性がその姿に表れているブッダに、私は問いかけた。
「仏の道を歩む菩薩のような人々のことを、どうして観音様と呼ばれるのでしょうか』
現代語訳をすると、このような意味になるといいます。
さらに続けて…。
『ブッダは偈によってその問いに答えた。
「観音菩薩のごとくに生きようとうさぎ志す者達が、様々な場所で人々の願いに応じている姿をよく見聞しなさい。
菩薩として生きようとする誓いは海のように深いもので、とても想像の及ぶところではない。
数え切れないほどの時間を優れた人物の傍について学び、
影響を受け、
そうして菩薩として生きようとする願いを起こしたのだろう。
その尊い生き方を讃え、そのような人々を観音様と呼んでいるのである。
私はあなたのためにもう一度、菩薩としての生き方を説く。
菩薩として生きる人々の名を聞きなさい。
その姿をよく見なさい。
心に想っていつも忘れないようにしなさい。
そうすれば、もろもろの苦悩は消滅するだろう。
たとえ人に害意を持たれて、奈落の底に落とされるようなひどい目に遭っても、菩薩として生きることを忘れなければ、怒りの炎は燃え盛ることなく心は穏やかでいられる。
欲の心が出て欲の海に漂流してしまい、様々な誘惑に負けそうになっても、菩薩として生きることを忘れなければ、欲にも溺れずにすむ。
人の裏切りなどに遭い、山から落とされるようなショックを受けることがあっても、菩薩として生きることを忘れなければ、太陽が空に浮かんでいるがごとくに悠々としていられる。
悪い心が湧き起こって道を踏み外すことがあっても、菩薩として生きることを忘れなければ、怪我をすることなく仏の道に戻ってくることができる。
敵意をもたれ、嫉みや恨みを買って危害を加えられるようなことがあったとしても、菩薩として生きることを忘れなければ、やがて相手の心にも慈しみの想いが生じてくる。
…続きます。
(観音経・現代語訳 続き)
…
暴走した権力によって不当な処罰を受けることがあっても、菩薩として生きることを忘れなければ、そうした権力はやがて滅びていく。
制限を受けて自由に生きることができないときもある。
それでも菩薩として生きることを忘れなければ、心は束縛されずに自由でいられる。
誹謗中傷、世の中には悪い言葉を使う人もおり、そうした言葉が自分の身にふりかかるときもある。
それでも菩薩として生きることを忘れなければ、言葉を発した本人たちのもとへと悪言は還っていき、やがて過ちに気付くだろう。
生きていればいろいろな人と出会う。もちろん心優しい人ばかりではない。
どのような時も菩薩として生きることを忘れなければ、あなたを害しようと思う人はいない。
自分を害するのは外側からだけではない。
自らの内側、自分自身の煩悩によって自分が苦しむということも往々にしてある。
そのような時も菩薩として生きることを忘れなければ、煩悩はどこかへと走り去っていってしまうだろう。
身を滅ぼすもの、毒となるもの、そうしたものが近づくときもある。
けれども菩薩として生きることを忘れなければ、そのようなものは自ずと去っていく。
人生には雨の日もある。雷の日もある。雹が降るような日もある。
心が折れてしまいそうな日々であっても、ただ自分が菩薩として生きることを忘れなければ、苦悩はやがて消えていく。
生きていくには多くの困難がともなう。苦悩がある。思いどおりにならないことばかりである。
それでも勇気をもって菩薩として生きることさえ忘れなければ、その生き方は人々を苦悩から救い、自分をも救ってくれるだろう。
まだまだ続くのですが、いったんここで。
…なんだかとても胸に響くことばかりです。
今生きているこの世の中においても、このお経に書かれていることって、誰にも心当たりがあることだと思うのです。
観音経は【念彼観音力】と繰り返し繰り返して織り込まれています。
そこが『菩薩として生きることを忘れなければ…』
と訳されています。
そう。
決して観音さまのお名前を念じれば、観音菩薩の力により様々な災いが去ると書かれているわけではないのです。
あくまでも『観音さまのしめした道を歩もうと生きていれば』、なのです。
具体的にこうある時、どうすれば良いかを説いているお経なのです。
(続き)
この観音経、実は結構どきっとするような文言が含まれています。
たとえば、
毒龍諸鬼等
若悪獣圍繞
蚖蛇及蝮蠍
気毒煙火燃
雲雷鼓掣電
降雹澍大雨
地獄鬼畜生
生老病死苦
…などなど、です。
九条錫杖経にもそれは同じように出てまいります。
魍魎鬼神
毒獣毒龍
毒虫之類
地獄餓鬼畜生とか。
…字面を見ているだけでゾワゾワしてきません?
あ、ちなみに他に知っているのは般若心経だけですので、他のお経にもこういった恐い文言がでてきているかもしれません。
これはもしかしたら私のような穢れ多い人間が、ただ「ありがたや、ありがたや」などと手を合わせて終わらせるようなことの無きように、(おっ!? なになに?!!)
と背筋を伸ばすような効果を狙ったものであったりしましょうか?
(続き)
【阿耨多羅三藐三菩提】って、一文、これは毎日お唱えしている般若心経にも出てくるのですが、実は観音経にも出てまいります。
夫に、
「これってどういう意味?」
と聞かれました。
「サンスクリット語に漢字を当てたもの」
…これでは半分も答えていません。
まぁ、即答できるのがそこまでであったのが隠しようのない現実です。
独学なので合っている自信が無かったりもします。
般若心経は漢字を見ても全く意味がわからないところがあって、たとえば最後にある
【羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
(ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい はらそうぎゃーてい】
というところもサンスクリット語をそのまま音訳した言葉であって、この部分は特に御真言なのだといいます。
なので、そのまま唱えることに意味があり、意義があるため、漢字か当てられているというものであります。
このあとに『菩提薩婆訶』と続いて、『般若心経』と唱えて終わります。
無理に訳せば訳せるようですが、こういう言い方がされたら、私はまず覚えない。
だから『阿耨多羅三藐三菩提』の現代語訳も「覚えなくていいところ」と覚えているのです。
なんといい加減なおばさんでしょう。
ただここは御真言ではないので、ちゃんと訳されるもので、
『苦のない理想の世界に達した』となるようで、
この前の部分から
『依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提』
で
〝般若波羅蜜多の実践に依り、(すべての仏さまは智慧を身につけて)ついに苦しみのない理想の世界に到達することができた(得られた)〟
となるらしいです。
一方、観音経は
【阿耨多羅三藐三菩提心】
で締め括られています。
で、(前文を、「そこにいた人たちはみな」と訳して)これ以上ない理想の心を得られたと訳したものがありました。
まぁ、夫は般若心経にも観音経にも出てきたこの【阿耨多羅三藐三菩提】って何?
という疑問をいだいたわけで。
…ただ聞く相手が間違っている。
独学で学んでいるだけの、学もなければ徳もない、あるのは煩悩というおばさんです。
…ネットで調べた方が早いし、ずっとずっと良い答えを得られるのでは?
「うん」
そう答える夫にイラッとしたことも書いておこう。
すべては煩悩のなせるもの。
【お経】
以前にも一度書いておりますが、お経は全てお釈迦さまの教えであります。
お釈迦さまは三十五歳で仏のさとりを開かれて、八十歳でお亡くなりになるまでの45年間、教えを説かれました。
その間、お釈迦さまご自身は何一つ書き残されず、その時その時の相手に応じて話をされたのでした。
つまりお経の全ては、お釈迦さまの死後に弟子たちによって編まれたものです。
お釈迦さまがお亡くなりになった後、
五百人のすぐれたお弟子が集まって、
お釈迦さまの説かれた教えを確認し、まとめました。
これを【仏典結集(ぶってんけつじゅう)」と言うのだそうです。
仏典結集は、どのように行われたかというと。
まず、お釈迦さまのおそばに二十年以上仕えた、『多聞第一』といわれ極めて記憶力のいい【阿難】というお弟子が、
「私はこのようにお聞きしました」と語ります。
それについて他のお弟子達が検討して、
五百人全員間違いないと認めたものが、お経となったといわれます。
他にも、すでに弟子たちは分裂していたり、あるいは広いインドで、かつてお釈迦さまの教えを受けた者たちがいたり、その者たちが自分たちの受けた教えをそれぞれに書き残し、それもまたお経になったとも。
つまりはお経とは、お釈迦さまが、
生きている人たちに説かれたご説法を書き残されたもので、決して死者に対してのものではないのです。
ところが、私たちが普通に生活していてお経を聴く機会というと、大抵が葬儀・告別式であり、そうでなければその後の法要であって、熱心な檀家さんであるとか、仏教徒であるとか、…まぁ、私のような門外漢もごくごく一部存在していますが、…以外はまさに、そうした時以外はお経にふれることは無いと言っても過言ではないと思います。
「それは死者の冥福を祈るのであろう」
「亡くなった方が迷わず成仏できるようにであろう」
…それが、ですね。
「そうではない」と。
はっきりと断言された方がおられるのです。
それは誰あろう『お釈迦さま』ご本人なのでありました。
(八重咲きのドクダミ)
(続き)
それは【中阿含経(ちゅうあごんきょう )】等ではっきりと説かれていることだといいます。
約二千六百年前、お釈迦さまがご存命の時代にも、この疑問を持った人がおり、お釈迦さまに直接質問したのだといいます。
「お釈迦さま、お経をあげると、
死んだ人が浮かばれるという人たちがいるのですが、
本当でしょうか?」
その質問を聞かれたお釈迦さまは、
静かに足もとの石を拾われると、近くの池に放り込まれました。
「この池の周りで、石よ浮かび上がれと言って祈れば、
あの石は浮かんでくると思うか」
「いえいえお釈迦さま、そんなことで石が浮かび上がるはずがありません」
「その通りだ。
石は自らの重さで沈んでいったのだ。
どんなに周りで浮かび上がれといっても、浮かび上がることはない。
それと同じように、死後、苦しんでいる人は、その人自身が死ぬまでに造った悪業によって決まったものだ。
周りでお経をあげたからといって、どうにかなるものではないのだ」
(出典:『中阿含経』)
このお経の中で、お釈迦さまははっきりと読経は死者のためにならないと教えられているのです。
はて。
そもそもがお経って、お釈迦さまの死後、弟子たちが生前の教えをまとめたもの、なのでは?
だとしたらこの発言自体がおかしなことでは?
たしかにいま、お経として伝わるものの全ては〝お釈迦さまの教えを弟子たちがまとめた〟ものですが、お釈迦さまが出家される以前から僧侶は存在しておりましたし、当然その根本となる教えがあって、そこにお経があっても不思議ではないのです。
つまりお経というものは全て『生きている者がどう生きるべきか』をお釈迦さまが説かれたもの、ということになります。
ところが。
お経というと、難しい漢字ばかり書いてあって、
難しいことを「お経のように難しい」といわれるように、何が書いてあるかなかなか分かりません。
そもそもお経はインドで説かれたのになぜ漢文なのかといいますと、
お釈迦さまは、インドの方でインドの各地をまわってインドの言葉で仏教の教えを説かれたのですが、その教えのありがたさに深く感銘した者たちによって中国の言葉に翻訳されたからです。
これを翻訳したのが、有名な【三蔵法師】たちであります。
(続き)
お経はアジアの他の言語にも翻訳されていますが、大きく分けると、
サンスクリット経典、
パーリ経典、
漢訳経典、
チベット経典があるといいます。
インドの言葉では口伝で伝えられていて、サンスクリットが書き残されたのはかなり後だったといいます。
また、パーリ経典と呼ばれるものは一つの宗派が伝えていたもので、五世紀頃に編集されているといいます。
日本でも読まれている『漢訳経典』が、最も古くて色々な宗派の多くの経典が残されているといい、パーリ経典の10倍あるといいます。
その漢和経典の経を全部まとめて一切経というといいます。
では。
その一切経はいったい何巻くらいあるのでしょうか。
お釈迦さまが四十五年間さまざまな相手に説かれた教えを記録したものですので、その数は、『一切経七千余巻』、といわれるほど、たくさんのお経となります。
唐の時代の730年に、智昇という僧が作った『開元釈教録』というお経の目録に、お経を分類しています。
目録だけで二十巻あるとます。
話はとんでしまいますが、
その前半十巻には、時代別、翻訳者別で分類し、
そこに記録されたお経の数は全部で七千四十六巻あるといいます。
一切経七千余巻といわれるのも、そのためかもしれません。
(続き)
そのたくさんのお経、一切経には、八万四千の法門が説かれているといわれ、
お経は七千余巻、文字数でいうと、約四千万字といわれます。
仏教に何が教えられているのかは、一切経を読まなければ分からない。
…そう言われます。
しかしながら七千余巻となるとあまりに多くのお経です。
僧侶でもない、ましてや仏教徒でもない1おばさんがチャレンジするにはハードルが高すぎます。
法華経のたった一部にすぎない観音経ですらこの有り様です。
とりあえず。
一切経にはどんな種類のお経があるのでしょうか?
実は一切経七千余巻は『小乗経典』と『大乗経典』に分けられる、といいます。
『小乗経典』というのは、『阿含経』と呼ばれるお経やそれに関連するお経と、
お釈迦さまに関連する68のお経であるといいます。
『大乗経典』は、
【般若心経】を含む【般若経】に関連する42のお経、
【法華経】に関連する16のお経、
【華厳経】に関連する32のお経、
『勝鬘経』『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』などを含む、【宝積経】に関連する64のお経、
『涅槃経』に関連する23のお経、
『大集経』に関連する28のお経、
『盂蘭盆経』『維摩経』『薬師経』『正法念処経』…などなど、
それ以外の密教ではない423のお経、
密教の573のお経があるといいます。
もはや名前すら聞いたことがないお経まであり、そしてその数の多いこと、多いこと。
しかもまた、これはある一つの代表的な分類で、ここに入っていないお経もあるといいます。
…修行も厳しそうですが、
そうですか…、お経だけでもこんなにありますか…。
僧侶になるのって思っていた以上に大変なことだと、あらためて思いました。
で。
…こんなにお経について掘り下げて考え出したのは…なんででしたっけ?
尊くてありがたい教えを〝掘り下げて〟などと申してはいけませんが。
そうそう、そうでしたそうでした。
元はといえば、観音経があまりに読経しづらくて、まずは意味を知ってみようと思って、現代語訳を知ったら、その今、現代にも通ずる内容の素晴らしさに驚き、感動して、調べていたら、またいつものように風呂敷を広げすぎてわからなくなったんでした。
やれやれです。
(続き)
お釈迦さまは、最初から最後まで決まった相手に、順番に教えを説かれたわけではありません。
その時その時によって聞いている相手が違います。
お釈迦さまは、相手に応じて、教えを説かれたのです。
これを【対機説法(たいきせっぽう)】というのだといいます。
それがちょうど、病に応じて薬を与えるようなものなので、【応病与薬(おうびょうよやく)】ともいわれます。
それゆえにたくさんのお経の中には、矛盾したようなことも説かれているといいます。
それがまさにその病に例えるとわかりやすく、例えば症状としては「お腹が痛い」という人があったとして、
それが寝冷えであれば、「温めなさい」となりますし、
盲腸のような炎症であれば「冷やしなさい」となる。
これはそこだけを切り取って聞くと相対すること、矛盾していることともとらえられますが、立派なエビデンスがあるもの。
お釈迦さまは、人々を幸せに導く教えを説かれたのであり、死んだ人のために教えを説かれたことはありません。
生きている人のために、生きている時に本当の幸せになれる道を教えられたのです。
ですから、その教えが書き残されたお経というものは死んだ人のためではなく、生きている人のためのものなのです。
でも。
お経に触れる機会などほとんど…いやほぼないのが現実です。
…もったいないことなんですね。
そうは言ってもこんなにあるというお経に対峙するのは、難しい、というか無理です。
だから。
…お坊さんのお話はありがたいんですね。
でも悲しいかな、私たちって普通に生きていたら、なかなかお坊さんのお話など聞けない。
…というかお会いする機会など無い。
聴いてもわからないといえばわからないお経も、まさに葬儀や法事のとかくらいしか聞けない。
曹洞宗のあるお寺さんのお坊さんいわく、そのお坊さんが葬儀にお読みになるお経は【遺教経】、お釈迦さまが亡くなる床で、言い遺した言葉をお経にしたものだと。
まさにそのお経、お釈迦さまの亡き後どう生きていけばよいかを説いておられるお経であります。
私など初めてお聴きしたとき感動して、のちに調べて取り寄せて購入したくらいです。
(続き)
これがキリスト教の教会などですと、日曜日には必ずミサをやっていて、誰でも無料で参列できます。
聖書もその場でお借りできるし、その日選ばれた聖書の一節を読み上げたのち、解説もしてくれます。
ありがたいことですよね。
そこに信仰心を抱くかどうか、〝お試し〟することができる、これ以上ないくらいのチャンスですし、教会というのはそんなことすら考えておらず、ただただ門戸を開いている、ただそれだけなので。
求めよ、さらば与えられん、です。
これがなかなかお寺さんは、無い。
神道の神社さんなどは土俵すらが違う。
最近のお寺さんは門戸を開いてくださっているところが増えていますが、法話や読経という形もあるにはあるのですが、どちらかというと
『まずお寺に親しんでもらいましょう』という趣旨でのイベントが多いのが現状ではないでしょうかね。
私などは檀那寺のない、いわゆる檀家ではない人物ですので、檀家さん向けのもっと宗教色の強い法要などには参列できないことが多いですし。
写経の会などに参加しても、お経を書写、あるいはなぞり書きするだけで、お坊さんの読経も無く、法話もなく、ただ場所の提供、みたいなところもありますしね。
コンサートだったり、
マジックショーだったり、
撮影会だったり…。
…ええ、お寺の本堂でモデルさん呼んでの撮影会、などというのにも、たまたまなにも知らずに遭遇したこともありました。
もはやお寺という舞台の提供でしかないところ、お寺もあるのが事実ですし。
商業目的で作られた御朱印を、かげで聞こえないであろうと文句たらたら言いながら書いて、それを渡すようなお寺さんすらあったのも事実です。
御朱印三枚(三種類)千円という価格設定であったり。
…まぁ、お寺さんも慈善事業ではないですし。
お坊さんも人なので、人によってはそういったお坊さんもいるのも、…しかたないですよね。
でも、でもですよ?
お寺さんでお坊さんからお話を聞いて、
お経ってありがたいものなんだ、とかを知ったり、
法話を聞いて心にささったりとか、
そういった人たちも結構いるものなんですが…。
そういったことを求めてお寺に向かう人もいるのですが。
(続き)
…また大風呂敷を広げすぎて、何を言いたかったのか、わからなくなってきていますが。
とりあえず。
ただ、最後に、
いつうかがっても、檀家、檀家でないに一切こだわることなく、
ご自分の知る限りの学んだ知識をわかりやすく伝えてくださったり、
道を伝えてくださるお坊さんがおられるのも書いておきたい。
それもお一人ではなく、何人も。
別にね、それを〝ただ(無料)でして下さい〟って言ってるわけではありません。
せっかくイベントをひらかれるなら、そうした機会も持っていただけたらな、と。
あれ?
そういうことが言いたくて書いてたのでしたっけ?
…って、本人がわからなくてはもはや誰にもわかりませんよね。
それではもう風呂敷をたたみましょ。
…ご清聴ありがとうございました。
江戸時代の寺請け制度以降、先祖代々の墓が菩提寺に置かれることとなり、身内が亡くなると、お坊さんに戒名をつけてもらい、お経をあげてもらうのが当然のこととなり浸透してまいります。
そういった時代背景から今の葬儀のあり方が確立していったのでしょう。
ところが。
実は、仏教の開祖であるお釈迦さまは、出家信者=僧侶が葬儀の導師になることを禁じていたというのです。
平たく言うと葬儀を執行をすることを禁じていた、ということで、それは出家信者に修行に専念させるためであったといいます。
それなのでお釈迦さまの葬儀も在家信者が執り行い、弟子たちはそれに参列していたといいます。
日本で仏式葬儀が広まったのは鎌倉時代以降のことで、禅宗や真言律宗などの僧が積極的に庶民の葬式を執り行ったからだといいます。
しかし、出家者が葬儀の導師になることは、お釈迦さまが禁じていることは日本にも伝わっていました。
そして当時在家信者の葬送儀礼といったものはありませんでした。
そこで僧たちは出家者同士で弔う儀礼を応用し、故人をまず出家させて=僧にしてから葬儀を行うようにしたのだといいます。
戒名をつけるのも、僧になったことを示すものでありました。
僧=仏弟子という図式から、それを引き継いで、今、『仏弟子』となった証として戒名を授けられるような形となっています。
その戒名、戒名代というのがあって、戒名の格によって値段が異なります。
これが、遺族にとっては悩みどころの一つ。
格を示したいとなると『〇〇院』から始まる長い長い戒名となります。
それをつけてもらいたいと思う遺族の方もおられましょう。
ところが。
現代では跡継ぎの人=祭祀承継者となった方も特にその宗教の教義を学び理解し信仰しているわけではないという方が増えています。
戒名代が高いと感じる方も多くおられる。
実際、〇〇〇〇居士・大姉とかの方が〇〇〇〇信士・信女より少し格が高いとされ高額となるようですし、〇〇〇〇大居士・清大姉の方がさらに格も値段も上がるとか。
戒名にもランクがあって、それで値段が変わってきます。
安くあげたいと思っても、代々継承してきた戒名のランクがあれば、なかなかそこを下げるのも悩みどころでありましょうし、そもそも夫婦の片方が先に亡くなっておれば、そこは合わせるのが普通となってきましょう。
(続き)
そんな社会背景は実はお坊さんを悩ますところでもあり、戒名を値切られたり、「戒名なんかいらない」と言われることもあるといい、上手く受け入れてもらえるよう、お坊さんから戒名について、そしてひいては戒名代について長いお話をされることもしばしばあるようです。
義母のそれは先に亡くなった義父に合わせて一文字同じくし、正妻の証として〝室〟の字を付けるというその宗派の戒名の決まりごとにならい、さらに生前の名前から一文字を付けることとしたため、お坊さんが決めるのは一文字のみとなり、義兄などは
「おふくろの戒名は一文字ウン十万円だ」などと公言しておりました。
また、私の祖母のそれは、何人もの子を病で失い、さらには、若くして夫を亡くし女手一つで四人の子を育てた事に感謝した叔父貴が、〇〇院から始まり清大姉で終わるものを授けていただいたため、先に亡くなっていた夫である祖父と並べた時、かなり長さの違うものとなってしまっておりました。
戒名のこと、ではなく、お釈迦さまが出家者が葬儀を執行することを禁じていたということに驚いて筆をとりましたのに、またまた脱線しているおばさんでありました。
六月に入り、紫陽花の美しい時期となってきました。
紫陽花は、日本古来の伝統的な花で、その七変化する色味は虹にたとえられます。
そんな紫陽花を使ったおまじないがあります。
あるいは昨年も紹介したかと思われます。
それは。
六月の六がつく日、六日・十六日・二十六日に、紫陽花の花を一輪摘み、半紙でくるみ、可能なら〝水引〟でしばって、軒下や玄関に逆さに吊るすと『厄除け・開運』になるというものです。
また穢れの多いとされるトイレの浄化にもこれを飾ると『浄化』になるといいます。
諸説あるようで、六月ならばよいとするものもあるようですし、『六月十八日』とする説もあります。
十八日は密教系の占いで『健康祈願の日』とされていることに由来するようです。
一年経ってカリッカリに乾燥した花は、砕いて粉々にしてお塩をまぜ、それを川や海に流すと良いとされる説もありますが、いずれにしても感謝の意を込めて処分します。
関西によく知られるおまじないのようです。
このおまじないをされている方を一人知っていて、この方は群馬県生まれでありますが、大阪で長く暮らされ、それでももう群馬に戻られてかれこれ二十年ほど経つのですが、いまだに大阪弁バリバリで、性格もさっぱりとし、芯の強い方なので、てっきり大阪人かと思っていたのですが、実は群馬生まれ、群馬育ち出会ったという方であります。
この方は玄関に吊るされておられます。
お庭にあるのは鉢植えの小さな紫陽花なので、あるいはこのおまじないのためにこの鉢植えがあるのかもしれません。
紫陽花の切り花も最近は売られていたりもしますが、ごくごくわずかなものでしょうか、家に紫陽花がないとなかなかできるおまじないではありませんよね。
話は変わりますが、あの【花まつり】でお釈迦さまの誕生仏と呼ばれる御像にかけることで知られる【甘茶】も、紫陽花の仲間ですので、今まさに花の時期であります。
甘茶として使われるのは葉の部分ですが、せっかくなので写真を。
(〝甘茶〟の花)
猫どころかネズミの額くらいと称するわが家の庭には、いま六種類の花が咲き、もう一種類があと少し、日に日にその蕾を大きく、そして青い色合いを滲ませながらふくらんでいるところであります。
地植えのものは四本で、今年娘から贈られたもの、昨年やはり娘からもらったもの、四種類が鉢植えとして玄関の門扉を開けたところに所狭しと並べられています。
紫陽花が好きなのかと思われるかと思いますが、実はそれはここ数年のこと。
むしろ夫が紫陽花が好きだと申しておりました。
最初は七色に次々花の色を変えるという緑色の紫陽花に魅せられ購入したことから始まりました。
物珍しいこと、そうした花を愛で癒されたかった時期とが重なってのことでした。
毎日毎日残業して、次ぐ朝寝不足な顔で出かける夫に、せめて朝仕事に向かうとき、玄関に咲く紫陽花の花を見て癒されて欲しいと思ったのです。
が。
夫は紫陽花の花を愛でる余裕すら無かったようで。
というか花を見て綺麗だとは思うものの、その時だけでよいタイプであったような。
花に水やり、とかは義務化でもされなければ、思いすら抱かないタイプの人で、さまざまな花の時期をうたうニュースを観てはあちこちに行きたいと言う、育てるとかいう気はさらさらありません。
今、狭い玄関前に、これでもかというくらい紫陽花の鉢植えが並んで、ちょっとした紫陽花の小道…道ではないですね、数歩の通路となっていますので、さすがの夫の目にも入っていますが。
娘からの鉢植えもあることですし、ね。
この時期が来ると、鎌倉に行きたくなります。
とはいえ、紫陽花で有名なお寺さんは、…たとえば明月院などは行列で歩くほどだと言われ、そうした時期をあえて外して参拝するくらいです。
それは東慶寺さんの〝イワカガミ〟という花の時期だから、なのでありました。
とはいえイワカガミもアジサイ科の花なのですが…。
コロナ禍以来、そして鎌倉殿の大ブームもあってすっかり鎌倉から遠ざかっており、さらには今、コロナ禍が過ぎ去ってオーバーツーリズムが叫ばれ、人混み嫌いな珍道中ペア、近くて遠い、遠くて遠い鎌倉に、今なお行けずにいるのでありました。
(イワカガミ)
【大岩山毘沙門天】
この六月、スタートは土曜日。
夫が休みの朔日で。
「予定がないなら私は神社さんにお参りに行くので」
「そう、じゃあ行ってくれば?」
?
…聞き間違いだろうか?
「いってらっしゃい」と夫。
お、おう。
「どこの神社さん?」
…これは神社仏閣珍道中史上初の出来事。
金魚のフンのように
「儂も行く」
と言っていた夫に何があった?
…まぁ、あったにはあったのだ。
「いつもいつも一緒に行くって言われると、遠慮したり、我慢することだってある。
いつも一緒に行動しなくてもいいと思うんだけど」
とのたまわった私。
「おついたちなので、いつも行く神社さんだけれど?」
「そうか。いってらっしゃい」
…。
「あのさぁ?本気ならいいんだけれど、鎮守さまに行くってことなんだけれど?行かなくていいと考えてるの?」
…私はどの宗教にも属してはいない。
だからと言って無宗教かといえば、そうではなくて、日々の暮らしのなか、神さまや仏さまがおられることに感謝して崇める、そうしたことを常に頭におき、…そう昔のひとのように、暮らしの中に常に神さまや仏さまがおられ、お護りくださることに感謝して。
そんな生き方に憧れておりますので、毎日は無理でも鎮守さまであるとか、守り本尊さまがおられるおてらさんに、よほどの用が無ければ、朔日まいりとか、十五日のお詣りであるとかを大切にしたいんです。
(こ、これは…。思っていた以上に我慢して付き合わせていたんだろうか)
(いやいや、私とて土日に何かそうした日があたれば、諦めたり、朝六時前から家を出て、いつものお詣りを済ませたりもしたのだし…。
これはもう、神社仏閣珍道中自体が終わるのかもしれない。
あ、いやいや、元々珍道中であるのはひとえに私の存在によるものだし、別に珍道中は一人でも続けいくので、決して終わりはしないのだが。
ともに巡るのは終わりなのかもしれない。
逆にいえば、朔日が土日にでも当たらなければ、それこそ初詣まで鎮守さまにへお詣りしないのが夫。
今まで行ったことのない神社仏閣へなら行きたい夫。
これからは二人揃ってのものは、そういった形での珍道中に変わるのかもしれません。
まあ、氏神さまへの初詣なども一緒に行ったことがないですしね。
(続き)
「あのさぁ?本気ならいいんだけれど、鎮守さまに行くってことなんだけれど?行かなくていいと考えてるの?」
…威(おどし)とも取れる私の言葉。
私としては決して威などではなく、むしろそうやって生きてきた期間が長い分、そうした生き方、考え方があることを知っていて、今後、彼とこうした神社・仏閣を参拝する際、私側からの配慮を学習するため、どうしても聞いておきたかったのだ。
実際、彼は初詣よりも年越しでお酒を飲むことを選んで過ごしているし、私はそれはそれでずっと尊重している。
というか、私自身が初詣を始めたのなんて、ここ十年ほどの初心者だ。
そもそもが夫と私は長いこと神さま仏さまと縁を持たず過ごしてきたことをもったいないと思い、あれこれを学び始めた私とは違う。
彼には信心深くて、あちこちの神さまや仏さまの(特に仏さまだったらしい)参拝に熱心だった同居のお祖母さまがおられたし、連れられて一緒にお詣りにも行っていた。
土壌が違う。
そこから、彼なりに構築してきたものがある。
…まぁ、彼の親の世代となると、ことに義母はお世辞にも信心深いどころか、(えっ?それでいいんかい?)と、私が思うくらい、関心がなかった。
なにせ夫の初七日に旅行に行ってしまう強者だ。
大晦日から元旦にかけて家族で酒盛りをして過ごすのが彼の実家であったようだし。
でも、義父はきちんと歳神さまをお迎えする儀式はきちんとされていたが。
そこを継承した子供はいないようだ。
ということから、私は一人で初詣に行くし、今回、今後こうした夫の休みの土日等、初詣のように一人で出かけるかどうかを判断したかったのだ。
…どうやら朔日参りにはあまり積極的ではないらしい。
ただし、行ったことのない神社さんであるとか、参拝はしたことがあっても朔日参りをしたことのない神社さんであれば行きたい、ということらしい。
言葉では言わなかったが、彼の今までの言動を振り返りまとめるとそうなるようだ。
なるほど、と思い一人で出かける準備をしていた私、
「ああ、一日は大岩毘沙門天さまのお縁日でもあるよね」
と頭に閃いた通りに声にした。
なんの考えもない。
なぜならば大岩毘沙門天さまへは何度も参拝しているし、一日の護摩供にも何度も参列していたからだ。
…おそらく行かない。
(大岩山毘沙門天)
「ああ、毘沙門さまかぁ。しばらく行ってないな。行こうか」
そう夫は明るく答えました。
文字にするとキツい私の言葉も、(…聞いたところでキツい?)ウン十年ともなる付き合いの夫には、屁のようなもの、さらりと流して、言いたいことだけを答える技も修得しています。
「でも忌明けで、今回初めての朔日参りだから、いつも参拝している神社さんへは絶対行きたいんだけど」
「ああもちろん」
なにがもちろんかはわからないけれど、まずは鎮守さまの朔日詣を済ませ。
お隣の県、栃木県足利市へと向かったのです。…もちろん夫の運転で。
久しぶり、と言うだけあって、ともすれば道に迷い気味。
実は足利のごくごく一部であれば、私の方が詳しいくらいです。
でも山道は絶対無理なので、「運転します」とは言えない私。
その実際の山道を走行する車窓から、自分で運転することをイメージすると、やはり絶対無理だと思った私。
そんな道で対向車が!
…ちょうど広めなところでよかった。
麓は五百羅漢さまを山内に安置することを計画して、女坂の入口すぐそばには五百羅漢さまがもうすでに何体か設置され、小さな羅漢公園のような広場までが造られていましたが、山道は以前とはまるで変わらない。
でもこの山道を毎朝四時半には登って、お護摩をなさるのがこちらのご住職さまです。
数キロ登クネクネした山道を雨の日も雪の日も登って、毎日お護摩修行をなさっています。
そして下山されて、再び午後にはまた上の毘沙門堂へ。
何年も何十年も続くご住職さまの日課です。
いつも穏やかな優しい笑みを浮かべ、「遠いところをよくお越しくださいました」と、お迎えくださいます。
あ、駐車場が見えてきました。
四台がやっとの小さな駐車場は満車。
新しくなったという『天空のなんちゃら公園』駐車場へ向かうことになります。
…と。
その山門すぐ前にある駐車場からすぐのところに、『大岩毘沙門天駐車場』という案内の看板があり、のぼり旗があるではないですか!
以前はそんなところに駐車場はありませんでした。
ここに置けなければ、上の『西公園駐車場』に停め、歩いてくるしかなかったのです。
その西公園に向かうのとは反対の、左へ向かう細い整備されていない道を恐る恐る走って行きました。
(続き)
…おおっ!
広い空間が広がっていました。
十台以上余裕で置ける、未舗装の駐車場です。
周りは森や林といった山中の駐車場ですのに、ほとんど草のない、手入れの行き届いたところでした。
…たぶん、なんですがね。
これ、ご住職さまがお護摩修行を終え、十時頃までの間に草むしりなどをして過ごされているんですよ、きっと。
時々ご住職様との草むしりというワードが出てきます。
してみると、またご住職さまの草むしりの範囲がひろがった、ということでしょうか。
そしてそのあと下山して、本坊である最勝寺の御本堂でお勤めをされるのです。
涼しくて、日陰で。
とても過ごしやすい空間です。
ここでコンビニで買ったお弁当を食べてから、お堂へと向かいます。
うーん、久しぶり♡
その久しぶりとなる空白の時間に、参道である石段には、その道を照らすためだけにはあまりに立派なライトが細かに設置されていました。
そう、最近は上の天空の西公園とやらと連動するかのように、ここ毘沙門堂もライトアップされているとかいないとか。
(ライトアップ、必要なのかなぁ)
古き良きものが、何やら方向性を変えて変化することに、抵抗感を抱く夫と私。
まぁ、それを良しとお寺さんが思うならば…です。
年若い、息子さんである副住職さまの考えることに、さして意見することも無く、やりたいようにやらせて、少しづつその職をスライドさせているかのよう感じるご住職さま。
…私はとても淋しいし、新しい風が吹き荒ぶこのお寺さんに違和感しかないのですが。
…だから正直、歩いてまで来ようとは思わなくなっていたのです。
それでも。
石段を登って、途中にある手水舎とかは特に変わりなく。
以前はここに造花による花手水がなされていましたが、それはちょっとどうかと思っておりましたが、そうそう、それも副住職がお寺に入った頃でありましたね。
花の好きな住職ご夫妻が育てる花がたくさんあるはずなので、どうしてもだったらやはり、他のお寺さん、神社さんのように生花を使って欲しい、かなぁ。
まぁ、花一輪も生きとし生けるものですので、花の盛りに花だけを落として水に浮かべるというのも、綺麗だけれどどうかなぁとも思う私なので。
(続き)
鐘を撞いて。
こちらの鐘の音は澄んでいてとても好きです。
さあいよいよ御本堂です。
もう少しだけ石段を登ります。
おお。
よかったぁ。
御本堂は何も、何一つ変わらない、変わっていない。
とはいってもたとえば護摩木だけ奉納したい人のために、護摩木が御本堂の濡れ縁に置かれたテーブルの上に綺麗に、祈願内容ごとに整頓されてすぐにスッと選べるように置かれています。
たくさんの願意があらかじめ印刷してあるので、ここから自分の願いたい内容に近いものを選べば良いのでこれは実にありがたいです。
以前より願意の内容が増えたようにも思いました。
以前は漠然としてそれでいて含みのある『諸願成就』とか『心願成就』を選んでいましたが、最近は自分の望んでいるもの、願うものが何かがはっきりとしているのに気づいたので、そのままの願意を選んでいます。
それにしても。
平成の足利市における大火以降、いろいろこちらのシステムが変わり、そしていろいろと値上げがされています。
かつては二百円だった護摩木は五百円。
しかも護摩木を書けば参加できた護摩修行も、今は千五百円支払うようになっていました。
ちょっと前には護摩札を希望しないとお護摩に参列できなかったので、それは改善されたのかもしれません。
御札を受けても三千円。
護摩木だけで参列すると二千円。
御札と護摩木で三千五百円。
護摩札は一度お授けいただけばさすがにいくつもはいりません。
願意ごとに一枚とは言われますが、そんなに家に何枚も護摩札が祀られていたら、わが家に訪れるお客さまなど数少ないとはいえ、なにかこの家にはあるのだろうかと、気を病ませたり、気味悪がられたりしそうです。
毎回毎回お護摩を、と思ったら、一年で十二枚ものお札をいただくことになってしまいます。
ところで。
煩悩おばさんがこれと決めた願意は?
あれこれと望みが多そうです。
…まぁそれは秘密、ということで。
願い事は口に出さない方が叶うという説もありますし。
(鑁阿寺さんの手水鉢)
(続き)
御本堂の、障子を隔てた中に、護摩壇があり、大きなお厨子が祀られています。
障子の外側でお護摩供に参加しない人はお線香をあげ、手を合わせます。
その隣に設けられた席で。
先ほどから副住職が般若心経の最後の部分を唱えたり、御真言をお唱えしたりしています。
これは以前はなかったこと。
そのせいか御本堂の内部、ちょうど障子を開けると本来ご本尊のおられる真正面となる場所にいくつか置かれた椅子がいっぱいです。
あ、ご住職さまがお越しになられました。
ご住職さまもお線香と香炉の置かれた几の隣の席に座られて、読経や御真言をお唱えになり始めました。
お護摩に参加されない方のために、でしょうか、ありがたいことで…、ん?
何やら呼名しては、手に御朱印、もしくは御朱印帳をお持ちになって、呼ばれた方が席に着くと、同じ読経、同じ御真言をお唱えになられます。
えっ?
新システム?
たしかにせっせこと御朱印を書いているのはご住職でも副住職でもない、いつも山伏姿で護摩に参加される在家の方。
だから?
ご住職さまが書いておられない分、ひとりひとりご祈禱してくださるようになった?
いやいや、それはちょっとやり過ぎでは?
…結構長いんです。
そしてその御祈祷中、お線香を上げる席に座ってしまうため、お線香があげられないのです。
しかも、「御本堂に入る前には、前でお線香をあげてからお入りください」と。
…入れないですが。
夫などは要領も悪いため、とうとうお護摩の始まる合図がされてからようやく中に入ってきました。
なにぶんにもある意味廊下、狭いのでそこに人が座って、椅子にも人が座ると通れないのです。
一旦外に出ればいいのに、目配せ、や身振り手振りでは全くそれが通じないのがうちの夫です。
…なんだかなぁ。
改良したつもりがかえって悪くなっている?
でも御朱印に御祈祷いただければそれはそれは嬉しいでしょう。
こんなお寺さん、他には知りません。
…御本堂で拝んできてくださるお寺さんはありましたがね。
でも、ずっとそこがただただ通れず待つというのもちょっとした修行のようです。
しかも切り上げたりはしないのがご住職。
もちろん巻いたりもいたしません。
なので、副住職がはじまる前のちょっとした解説を始めても、まだまだ祈祷の声は響いていました。
…始められるのだろうか?
(続き)
なんにせよ、変化を受け入れられなくなっているのは、心の柔軟性がなくなっている証拠です。
いけない、いけない。
でもそんな穢れを焼き払ってくださるのが、お護摩のありがたい炎であります。
鐘を鳴らして、その鐘の音が少しづつ間隔を短くなって、
お護摩が始まりました。
副住職さまか進行していきます。
かつては住職さまと在家の山伏姿の方と、時にもう一人お坊さんがおられたりおられなかったりであったお護摩も、四人の方が携わるものとなりました。
法螺笛の音もぴったりと揃っています。
かつて渡されていた【九条錫杖経】の書かれた用紙はもう渡されることなく。
ここでお唱えになる独特の節の九条錫杖経、初めて聴いたときはびっくりもしましたが、それが心地よいものとなっていたため、少し淋しいおばさんで…。
般若心経と、毘沙門天さま、吉祥天さま、禅膩師童子さま、そして不動明王さまの御真言の書かれた用紙は前のままのものでありました。
それでも、始まってみると九条錫杖経は副住職さまとその弟さんの、…他のお寺で住職を務めるお坊さんと、在家の山伏姿の方とでお唱えになってくださいました。
お護摩というとこのお経はつきもの、欠かせないもののようです。
場を浄めるお経だといいます。
般若心経を三回。
その間にご住職さまがお護摩を進めておられます。
炎が焚べられ、お不動さまの御真言はもう何度お唱えしたかわからないくらいお唱えし、毘沙門天さまの御真言は…二十一回、でしたでしょうか。
炎は以前ほど大きくはなりません。
やはりあの山火事から以降は、お護摩の炎の高さにまで変化が生じたのでしょうか。
以前は天井につこうかというほどひ高く大きく燃え上がっていました。
順番でお厨子の前へと言われ、護摩の炎に焚べる木の棒を渡されます。
護摩加持のためにバッグを忘れない、ちゃっかり者のおばさん。
腕にした数珠も忘れずに。
…本当は全身くまなくお護摩の炎にかざしたいくらい煩悩のかたまりのおばさんです。
今、夫の寝室に用事があって行ったところ、新しい畳の匂いがする。
夫に話したところ、ゆうべ三時から四時くらいに出窓のところで紙がカサっと動いたような音がしたという。
お線香、それも善光寺で購入したお線香を燻らせた。
まぁ、とりあえずその部屋のことは私は関与しないので。
…なんだろ。
【大岩山多聞院最勝寺】(続き)
大岩山毘沙門天は、天平十七(745)年に行基上人によって開かれ、聖徳太子御作の毘沙門天(多聞天)を祀ったのが始まりと言われています。
【大岩山毘沙門天御由緒】
聖武天皇の御宇、行基上人が大和国、菅原寺(現 喜光寺 ・奈良県菅原町)に滞在していた際、聖徳太子作、閻浮檀金(えんぶだごん)で出来た毘沙門天像を常に所持し、関東地方へ行き霊地を開き、この毘沙門天像を安置して衆生を救済したいと誓っておりました。
ある夜の夢に老翁が出てきて告げます。「あなたの祈願は長い年月にわたるものだ。関東の足利に霊山があり、その山に登れば、所願を叶えることができる。私は山王権現である。」
夢から覚めた行基上人は三度礼拝し、この願いが成就した際には、必ず山王権現を一山の鎮守としよう、と心に堅く誓いました。
(現在も大岩山毘沙門天の境内に山王社がある由来になります)
上人は瑞夢を信じ、遠い下野の下にある足利郡に一夏、安居して、信じて修法することを怠ることがありませんでした。(今の足利行基山徳正寺がここにあたるとされています)
また、ある夜の夢では甲冑を纏った武人が現れ、こう告げてきます。「ここより北にある大岩山という山に登ると衆生済度の為になる。私はあなたが信じる所の多聞天王(毘沙門天)である。」と言って、光を放って消えていきました。
行基上人は三度礼拝し、御守りをご覧になると、口が少し開いて幽かに光っておりました。
行基上人はますます信じ、告げられた通り北にある嶺に分け入っていくと、忽ちに金色の光が強く輝き、山の中が明るくはっきり映し出されました。
行基上人は喜びに耐えられず、ずっと持っていた毘沙門天像を盤石の上に安置して乾いた茅で堂を作りました。
行基上人は都に行き、この大岩山開山にあたり、霊威があり、珍しくめでたい品々を奉納すると聖武天皇は大変お喜びになり、行基上人は天平十七年(745年)に大僧正になり、【大岩山多聞院最勝寺】と山号寺号を頂きました。
翌年、勅願により、
本堂・経堂・釈迦堂・三重塔・山門・開山堂・鐘楼堂・殿堂・十二坊(金剛・覚性・高松・大日・長元・正林・黒岩・当皈・大坊・大光・大林・醍醐)を建立され、堂の領地数カ所を賜りました。
(大岩山毘沙門天HPより)
(続き)
(引き続き、大岩山毘沙門天さんのHPより)
大岩山毘沙門天、多聞院最勝寺の建物は天平十七(745)年の開山以来、落雷等による火災で焼失、再建を繰り返してきております。
文安四(1447)、年五月の雷火により、山門以外の諸堂全てが焼失、その後再建されました。
そして宝暦七(1757)年本堂は再び焼失しましたが、同十二(1762)年に再建され現在に至ります。
つまり現在の御本堂は1762年に建てられたもの、であります。
以来ずっとお厨子に納められ安置されてまいりました毘沙門天さまと、そのご家族である吉祥天さまと禅膩師童子さまのご本尊三尊がお厨子から出、御本堂からすらも出たのは令和三(2021)年に起きた足利山林火災のときでありました。
今までの火災は雷火によるものでありましたが、今回は山林火災の飛び火の危険。
実際本坊である麓の最勝寺さんはその本堂すぐそばまで火の手がせまりました。
風が強い日もありました。
飛び火が飛び火し、かなりの範囲に広がった大きな大きな火災でありました。
そんな中、ご住職は御仏像の避難を英断します。
本来なら御仏像などの文化財、専門家に依頼し時間をかけて慎重に移送するものではありますが、迫り来る火の手にそのような猶予はありませんでした。
ご住職さまのお人柄もありました。
長年深く侵攻された毘沙門天さまでもあり、自宅の火災の心配もある最中でありながら、多くの近隣の方々がその避難をお手伝いされ、御仏像や文化財の避難をすることができたのでした。
が。
江戸時代の本堂再建以来、御厨子におられたご本尊さまは、長年の経年劣化があるなかでの緊急での出堂となったため、どうしても損傷を避けることができませんでした。
御厨子から 像高180.0cm 肩幅34.0cmもの大きな木造の御像を出し、そして搬送するためトラックに乗せて、ガタガタの山道を下って緊急避難先となった足利市の施設に置くという、一刻を争う移動でありました。
幸いなことに毘沙門天の御堂は火災を免れることができましたが、御仏像はじめ多くの文化財を戻したとき、その損傷の大きさにみな、あらためて言葉を失ったのです。
修理を依頼しなければ再び安置することができない、…そんな理由からの二百六十年ぶりの出開帳となりました。
(続き)
今、再び御本尊三尊は御堂からお出になられ、遠く京都の地に出向かれて〝入院・治療〟しておられます。
その御入院先は京都府京都市にあります『美術院国宝修理所』。
はて。
国宝修理所?
毘沙門天さまたちは国宝ではないはず。
…どうやら、その修理・修復のエキスパートにお願いし、なんとか依頼を引き受けていただけたようなのです。
〝御入院〟中の大岩山毘沙門天堂の御厨子の中には、大きな紙に黒々とした墨書きの梵字が貼られています。
それはそれでなかなか見栄えのする立派なものとなっています。
実は。
この六月に、毘沙門天さまたちの入院先へのお見舞いツアーが計画されています。
実際に入院先を訪れ、そこの方から解説もお聞きできるようですし、治療中の毘沙門天さまたちにもうお会いできます。
それだけではせっかくなのでと、二泊三日の行程で、京都の有名寺院をまわることにもなっています。
なんと、東大寺(…たしかそうおっしゃっていたかと思うのですが…、間違っていたらごめんなさい。)では執事長さまが直々にご案内してくださることとなっているとか。
日程は六月の23日近辺で、まだまだお席に余裕があるようです。
関心のある方はどうぞ、栃木県足利市の『大岩山多聞院最勝寺』さんにお電話等でご確認をなさってください。
私は大変乗り気になり、費用をみたところ…、貧乏人の悲しさです、決して高くはないのですが、…泣く泣く諦めました。
持病の症状がひどく出てしまうと、旅どころではなくなります。
一人で出向いて向こうでツアーでご一緒する方々にご迷惑をかけるのは心苦しい。
そして。
日程の決まったこうしたツアーではキャンセル料が発生します。
九万円のキャンセル料は痛すぎる。
…泣く泣く諦めるほかなかったのです。
そしてこの御本尊三尊の入院・治療費は勧進=クラウドファンディングによるもので。
現在もご協力を募っておられます。
境内、御本堂右側の御神木の前に、クラウドファンディングに賛同され御寄進した方々の名前が記された大きな立て看板が設置されています。
うちのわずかな寄進にも記名していただいてありました。
息子は無記名でありました。
でも。
現地で直接寄進させていただいたせいでしょうか、わが家に送れば息子にも届くと思ってくださったのでしょう、同じ返礼品をいただきました。
(続き)
この火災以前から、修理・修復を考えていた御仏像もおられました。
それは山門におられる金剛力士さまであります。
こちらはすでに修復前のチェックの済んだ状態で、見積もりも出ていたものでありました。
こちらは山門の中、とはいえ、あくまでも雨風にさらされる状況下に置かれた木像、見るからに痛々しいくらいに変色し、それはいわんや変質であり、見えるところでそうでしたから、虫食いや、朽ちているところもあるのではないかと容易に推測できるものでした。
クラウドファンディング、という言い方がまだ一般的ではなかった頃でしたので、〝寄付を募って〟おりました。
その矢先の山火事発生。
大きさ(三メートル)と傷み具合から、全てを避難させることは不可能で、緊急時においてこちらは上半身のみ避難いたしました。
こちらはそれでも搬送にどう注意して行けば良いかを検討して、修理工房へと搬送できました。
どんな修理修復をなさる工房なのか…。
少し不安がよぎります。
同じ足利市にある『黒地蔵』と呼ばれるお地蔵さまの像の修復で、な、なんと!
坐像で足のあったお地蔵さまから、修復後足が無くなってしまっていたのです。
足を紛失したという意味ではありません。
まぁ、実際無くしたかもしれませんが?
あぐらをかくと足の裏や足首が見えるではないですか。
その部分が着物の裾という形にされてしまっていたのです。
それだって足首や足部って見えますよね?
それが見えない着物など不自然極まりないのです。
こちらの仁王さまがそんな修復をされてしまったらどうしよう。
まぁ、見積もりがあって、そこで打ち合わせ。
ましてやこちらは、この金剛力士さんの〝お見舞い〟にも、たしか二度ほど行かれています。
綿密打ち合わせをしておられましょう。
途中経過もチェックしておられます。
だ、大丈夫だよなぁ…。
もはや大丈夫だと信じるしかない段階ですけれど。
だからほんとうに、毘沙門天さまたちが、国宝クラスの修理を取り扱う修理所に依頼することができて、心から、本当に本当によかったと思ったのでありました。
まだまだ壊れてしまったお仏像がおられます。
その尊像たちもどうか腕の良い修理の方に当たりますように…。
すみません。
何を寝とぼけたのか、とんでもない表現をしていて、びっくりして慌てて訂正して削除してしまいました。
削除された前の文章をお読みくださって、さらにまたほぼ同じ文章をお読みくださった方、たいへん、大変申し訳ありません。
まったくもって不敬罪もいいところでした。
(続き)
御本尊三尊が〝入院中〟。
それだけではなく、山門の金剛力士さまも〝治療中〟。
それでも開山以来千二百年、護られ、そして祈り続けてきた歴史は、
この本堂内の気を微動だに変えることなく。
そこに今なお毘沙門天さまがおられるようなピンとした空気です。
毎日、お護摩のために山へとのぼりお護摩修行をなされ、毎日毎日、堂内も、そして境内であるお山の美しさを保つために清掃や除草などの作業を怠ることなく続けられるご住職さまの御努力もありましょう。
しかしながら、新しい風もふく、大岩山。
インスタでの情報発信。
境内あちこちに作られた真新しい案内板。
コンサートなども開かれたようですし、夜のライトアップもされているようです。
大岩山の西公園は『天空』を冠し、夜空や雲海を楽しめるような空間へと整備されたようです。
ま、私はそうした方向に変わって欲しくはない方の人間なので、その辺は…。
その西公園の駐車場から歩いて毘沙門天さまの御堂を目指す途中、普通にカモシカを見かけるほど、豊かな自然の残る大岩山です。
境内の御神木にはムササビが住んでいます。
やっぱり、…あまり変わって欲しくはないなぁ。
あ、でも。
新しく設置された案内板のおかげで、今まで知らなかった『御神石』の存在を知ったよなぁ。
うーん。
毘沙門天さまは【天】と呼ばれる仏教の守護神とされるグループに属しておられます。
【天】とは古代インドで信仰されていた『バラモン教』や『ヒンドゥー教』の神々や精神神が仏教に取り込まれたもの。
経典では『神』とは呼ばず『天』と表し、さらに仏像を分類するときには【天部】と呼ばれます。
この【天】と呼ばれる神々は文字通り最後に『天』の文字が付いていますが、例外として金剛力士さまがおられます。
そう、金剛力士さま=仁王さまは分類すると『天』に属されるのですね。
…たしかにお釈迦さまの教えを守護し、御仏を御祀りするお寺を護っておられるお方です。
なんでもその起源をたどるとバラモン教の『インドラ神』にたどりつくのだといいます。
梵語で表すと『金剛杵(こんごうしょ)を持つ者』を意味するといいます。
その他の方々は私の知る限りほぼ『天』という文字を最後に付けられています。
『梵天』さま、『韋駄天』さま、『帝釈天』さま。
『四天』『四天王』と呼ばれる神々は世界の中心にそびえるという【須弥山】の四方、東西南北に配され、そこをお護りになられる神々で、
東を守る【持国天】さま、
南を守る【増長天】さま、
西を守る【広目天】さま、
そして北を守るのが【多聞天】さま=【毘沙門天】さまであります。
『天』はまた大きく分けて二つに分類され、お釈迦さまに教化され、守護するために集ったインドの神々、という、位置付けと、
『現世利益』を恵む神々という存在であります。
【毘沙門天】さまは北方の守護神であるとともに、財宝の神さまであると言われています。
それゆえ、四天王に属し、さらには七福神に属する形をとられます。
『仏説毘沙門天王功徳教』というお経には毘沙門天さまのお住まいになる『天敬城』では財宝や福が湧き出しており、1日に3度も焼き捨てるほどであり、毘沙門天さまに帰依をすればこの福を授かることができると説かれています。
まとめると北方を護られ、財宝神である、それが毘沙門天さまです。
(続き)
暦を見ると本日は『寅の日』で『毘沙門天』さまの縁日とされ、ご縁を結びやすく、願いが届きやすい日とされています。
その由来は、かつて聖徳太子さまが、毘沙門天さまを祈られたところ『寅年の寅の日の寅の刻』に毘沙門天さまが現れたとの言い伝えがあり、以降寅の日は、毘沙門天の縁日と言われるようになったそうです。
そういったことから大岩山毘沙門天さんでは、寅の日にもお護摩修行を執り行っておられます。
毘沙門天さまは、先にも書かせていただきました通り、『四天王』でありますので『八方天』・『十二天』・『十六善神』のうちのお一人です。
四天王としては『多聞天』と称し、単独尊としては『毘沙門天』といいます。
また、大般若経を守護する【十六善神】としては
【吠室羅摩拏善神(べいしらまだぜんしん)】とも称します。
…なるほど。
毘沙門天さまの御真言はまさにここからきておりましたか。
(私はこうしたところにむやみに御真言を書くことに畏れを感じますので、御真言をお知りになられたい方はどうぞネット等でお調べください。ビビりなものですみません)
須弥山中腹の水精埵の『天敬城』、
または北方倶廬州に住し、〝夜叉〟や〝羅刹〟を眷属とする北方守護の天部であらせられます。
(大岩山毘沙門天さんの御仏像のうちの一体・クーベラ像)
(続き)
煩悩のかたまりで図々しいおばさん、それが私。
しかしながら、ビビりでもあるという、なんともおかしな、そして本当にちっぽけな存在ですが…。
(不敬な表現で申し訳ないのですが、もともと少ない脳みそが耳からどんどん流出しているおばさんなので、それこそ少しビビりながら書いていますが)
御仏像が大好きで、石仏が大好きではあるものの、お側により過ぎては失礼だと、実はあまり側にはいけず、これより先に行ってよいかどうかと悩んだときは絶対行かない。
遠くて見づらくても、この距離で拝するのが適切なのだと思う。
それゆえ、だったのかどうか、前レスで挙げた金色の御仏像、何度も何度も参拝させていただいていながら、今回初めて気づいた御仏像でありました。
はて?
今まで見たことがなかったというのは、こちらで、という意味もありますが、過去を振り返っても、一度もこちらの御仏の尊像を拝したことがなかったということでとありました。
まぁ、ザルの目より荒くて、それはもうザルという例えを挙げることすら申し訳なく思うくらいに、抜けている、ぼーっとした人間でありますので、見ているのに目に入らなかったとか、記憶ができなかったとか、いろいろなものが加わってまいりますが、それでも、とりあえず、さまざまな意味で、見たこと、拝したことがなかった仏さま、仏像でありました。
どこかユーモラスなお顔立ち、前回の朝ドラで見たエノケンさんに似ているような、イケメンなのになぜかその顔を見ると自然と笑みが浮かぶような、そんなお顔です。
そして布袋さまや大国さまを思わせるような、豊かな肉付きのお腹。
なにやら高価そうな装飾品。
(外国の福の神さま?)
軽く頭を下げ手を合わせて、早々にその前を去った私。
…後々後悔することとなります。
実は半分くらい合っていた私の推察。
思った通りに、外国、古代インドの福の神さまの尊像で、その名は【クベーラ】さま。
インド神話に登場する『クベーラ』という財宝の神さまだといいます。
このインドの財宝神クベーラには、サンスクリット語で『ヴァイシュラヴァナ』という呼び名もあり、この『ヴァイシュラヴァナ』という〝音(おん)〟が中国語で訳されて『毘沙門』となったというのです。
はっ。
び、毘沙門天さまの前身?
(続き)
毘沙門天さまの前身となったという【クベーラ】さまもインド神話の『ローカパーラ(世界の守護者)』の一人で、北の方角を守っているのだといいます。
毘沙門天さまも北の方角を守る神さまであります。
毘沙門天さまは財宝の神様でもあると言われています。
毘沙門天さまの住む天敬城では財宝や福が湧き出しており、1日に3度も焼き捨てるほどであるとされ、毘沙門天さまに帰依をすればこの福を授かることができると説かれています。
その前身となったインドのクベーラも富と財宝の神であるといわれます。
宝石の束や、宝石を吐き出すといわれるマングースなどを手に持っています。
後にご住職さまからお聞きしたのですが、大岩山のクベーラ像、マングースを抱いておられるのだとか。
それを聞いて私は思わず声が大きくなりました。
「えっ?マングース、ですか?」
「そうそう」
実は私、好きな男性のタイプをあげるとしたら、スリムで背が高い、と述べるかもしれないくらいで。
このクベーラさんの、まるでうちの夫を彷彿させるお腹に、(…ああ、お腹から出てるんだ)と思ったのは事実です。
そしてそれがゆえに、サッと拝んで前を立ち去ったのでありました。
…初めてお会いした(であろう)神さまの尊像なのに。
ぽっこり出たお腹をみて、前述のように思い、ろくに拝するもことなく…。
貧乏人の悲しいさがで、まばゆく金色に輝く御像にも、少し抵抗があるのもありました。
…マングースを抱いている神さまの像ですよ?
そんな神さまなんて見たことも聞いたこともなかった私。
あー、なんということを…。
はあぁぁぁ。
クベーラさん、またいつか。
またいつかお会いできる日を楽しみにお待ち申し上げます
(続き)
毘沙門天さまのお縁日ということで、毘沙門天さまのお話が止まらないおばさんです。
毘沙門天さまの怒りの表情には私達の欲望に満ちた自己満足の願望を正して、他の幸せを思う願いに変えなさいという思いが込められているといいます。
おおっ!
なんと、これ以上ないくらい私に適したお教えであります。
こうして毘沙門天さまと出会えたのは、こうしたお導きがあったのでしょうか。
無理なお願いをしたらお叱りを受けそうな毘沙門天さま。
そんな毘沙門天さまはお妃であられる吉祥天さまと、その子善膩師童子さまを伴って家族の姿をお示しの神であられます。
大岩の毘沙門天さまもこのご家族で三尊として祀られています。
ところで。
この世には治らない病があるのもまた悲しい事実であります。
病気になった人とその家族は一刻も早く治って欲しいと願うもので、苦しんでいる人を見たら早くその苦しみを取り除いてあげたいと思うのが人間です。
しかしながら、
お医者さまの治療と良い薬、
手厚い看護に
心のこもった付き添い、そして神仏と先祖の加護があって初めて治るための材料が揃うのです。
世間では手に薬壺をちになられた持った【薬師如来】さまが最も病気平癒で有名な仏であり、私達の心と体の病気を治すことで仏の世界へ導く役割をされておられます。
しかしながらお薬師さまは『如来』という立場上悟りを説いておられ、瑠璃光浄土という高い場所からの救済ですから、私達の俗世間の願いを何でも持ち込む訳にはいきせん。
その点毘沙門天さまは私達人間世界のすぐ傍にある天の世界に居られ、なおかつご家族をお持ちになられています。
病に苦しむ者、そしてその家族が、なんとか助けて欲しいと願う、切実な願いも、理解してくださるとされる神さまであるとされます、
それゆえ、毘沙門天さまのお護摩祈願では、そうした【当病平癒】を祈願する方も多いといいます。
…そういえば、大岩山毘沙門天さんは護摩木に印刷された祈願内容が、どこよりも多かった。
今日は、ですね。
楽しみにしている月に一度のお護摩修行の日で。
それこそ昨日から、お経の持ち忘れがないように、とか、護摩加持をしていただきたいもの、とか、準備して、まるで小学生の遠足の前の日のような騒ぎをしていたくらいでありました。
先月初めて行った、とあるお寺さんのお護摩。
どうやらご住職さまがお一人だけでなさっておられるようなので、お護摩の前の御札の申請などもあるため、決して遅刻はできないと、一時間は前にでなければ、と思っておりました。
それでも今日は土曜日、学校も休みで、職場がお休みの企業さんもたくさんあることであろうから、道の混みようも平日ほどではないだろうと、少し気持ちにも余裕を持っておりました。
「そんなに早く出なくても…。平日と違って今日は道も空いているだろうし、検索すると今なら二十五分で着くってよ?」
と、パジャマ姿の夫。
…そうなんです。
夫はどうやらお護摩にはあまり興味がないようで…。
私一人でまいります。
自分の好きなことを、それぞれが決して我慢することなく、好きに過ごすことも長い夫婦生活の上で大切です。
同じ神社仏閣巡りであっても、夫は今まで行ったことがないところを訪れてゆっくりと時間をかけて参拝するのが好き。一方私は同じところに何度でも重ねて参拝するのが好き。
今まで、夫が休みの日のそうしたお寺さんや神社さんの行事はほぼほぼ諦めて過ごしてきましたし、逆にどうしてもう行きたいとなれば夫がある程度我慢して付き合っていたのです。
子どもたちが大きくなり手元を離れた今、別に休日くらい好きに過ごせばよいのに、子どもたちが小さな頃の習慣が残っていたのと…おそらくは…夫が贖罪の思いもあり…それこそ金魚のフンのようにともに過ごしていたところもあって。
その金魚のフン状態は時には足枷のように感じることもあり…。
歯に衣着せぬタイプの私は、何度も何度もそれを伝えてきたのですが、なかなか伝わらず今に至っておりました。
それこそ買い物すらついてくる…。
それでいて自分の欲しいものだけカートに入れにきて、あとは別行動。
…一緒に行っている意味はほとんど無し。
子どもたちの小さかった頃から、一人だけ別行動していた人なのでそうした習慣は抜けないし、荷物を待とうという気もないし。
今の子供も見ます、荷物も持ちますのイクメン息子とは大違い。
(続き)
…だいぶ話が逸れ、愚痴にまでなってしまい申し訳ありませんでした。
…というわけで一人で向かったお寺さん。
夫の調べたネット情報によると二十五分で着くという場所に、五十五分前には家を出ているのだから、当然遅刻などすることなく、無事に到着いたしました。
お堂の戸は閉められてはおりますが、そこは入って良いと、前回学習しております。
靴はお一人分。
そう、まだ定刻まで二十分以上はありますから。
!?
…えっ?!
始まっている?
…始まっている。
思わず狂うはずのないスマホの時計で時刻を確認します。
何度見ても定刻よりだいぶ早い。
…ぼけが進んで、始まる時刻を間違えていた?
いえいえ、早くに着いた余裕から目を通したお寺の掲示板に貼られた案内にも〝八日の九時から〟とはっきりと墨書きされておりましたって。
…なにが起きた?
ずっと悶々と過ごしておりました。
電動でカーテンが開けられたご本尊さまのお不動さまに、
(私が今悶々としていることは間違ってはいないですよね?これって私に課せられた修行でしょうか?
これを心から許せれば?…それでしたら少し、お力もお貸しください。
このお護摩が終わるころにはこの悶々とした思いが落ち着きますようお導きください)
お護摩が進むと、お名前が読み上げられ願意が読み上げられます。
当然私のものはありません。
お護摩の火をかざした私の御札もありません。
(続き)
なのに、です。
終わった後、
「御札はどれがご入用でしたか?」
…いや、私祈願してないし。
「今月の御札を希望して参りましたので、来年またまいります」
内心結構怒っているのに、にこやかに穏やかにそう答えた私。
…大人じゃないですか。
ところが、です。
次の瞬間、
「あ、ならありますよ。予備に御祈祷しておいたのでお持ちください、よかったよかった」
とご住職。
…良くない!
私は来年願意を申し上げてお護摩加持していただいたお札をお受けしたいです。
私の思いは一切伝わらず、袋に入った御札を渡されました…まぁ、言葉に出してはいませんからね。
こんなはずじゃなかったのに。
今日は孫のことを御祈願したかったのに。
定刻の二十五分も前に始まってしまうお護摩なんて、もう無理としか思えない。
…毎月来ようと思っていたのになぁ。
この〝修行〟を乗り越えるのが、とりあえずの私に課せられた課題でしょうか?
「よろしければまたお越し下さい」
はあ…。
しかも直後に鍵をかけられて。
それでもまた来る?
…たぶん来れない。
この今月の分の御札って、誰か来れなかった人の物なはずです。
来られていない人のお名前を読み上げ、願意を申し上げていましたから。
私は誰かの祈願を申し上げた御札を買わされ、その今月の御札を頼んでおられた方は祈願していない御札を受けることになるのですよね。
…まぁ、そんなものだよな。
仏さまの世界を無理やり人間社会に組み入れたものは。
はあぁ…。
今回は愚痴ばかりでごめんなさい。
(追記)
…お護摩ではよい思いができなかった、こちらではあったのですが…。
昨日伺ったとき、境内にしゃがみ込んで作業される女の方がおられたのです。
敷かれた砂利を少しづつどかして、そこに生えたほんの少し頭を出した雑草を丁寧に一本一本抜かれていたのです。
思わずその丁寧な作業に感動し、感謝の言葉が口をついて出ていました。
「ああ、そうやってお手入れされているからこんなに綺麗なのですね。ありがとうございます」
するとその女性は恥ずかしそうに
「全然行き届かず、恥ずかしいです。お参りくださりありがとうございます」
そうお答えになられました。
…きっとご住職の奥さまに違いありません。
そう。
そうした尊い方が陰で支えるお寺さんです。
実際、雑草が信じられないくらいに生えていないのです。
季節の花はたくさん咲いておりますのに。
そうそう、萩の花が咲いていたっけ。
濃いピンクのものと、白いもの。
帰りに写真を撮ろうとしていたのに、プンプン怒っていてすっかり忘れてしまったな。
…もう一度。
もう一度だけ行ってみよう。
たまたまこの日時刻を早める何かがあったのかもしれない。
…そうはおっしゃっていなかったけれど、少なくともそういう気持ちになる何かがご住職にあったのだろう。
最低でもあと一度は行こう。
…できたら、奥さまにもう一度お会いしたいな。
あの、心の清らかな、仕事の丁寧な方に。
仏さまにはそれぞれお縁日があって、御利益が顕著な日とされます。
八日はお薬師さまでありましたし、十八日は観音さま、二十四日はお地蔵さま、二十八日はお不動さま、…などが有名でしょうか。
ところで。
真言宗を開いた弘法大師空海さまにもお縁日というものもあります。
それは二十一日、高野山で入定された日に由来するのです。
弘法大師の姿を描いた絵や、御姿を彫った像を〝御影(みえい)〟といいますが、この御影に【日日影向文】という言葉が添えられているといい、なんでも『入定した大師は身体を高野山に置きながら心は兜率天(とそつてん)の弥勒菩薩さまのもとにあり、衆生を救うため日々この世に現れゆかりの深い地を訪ねておられる』という意味だといいます。
このお縁日には京都の東寺では弘法市が立つといい、そのほかの真言宗のお寺でも御影供(みえく)と呼ばれる法要も営まれるといい、また、この日に写経会を開かれるお寺さんもあります。
まぁ、衆生のために御入定されたとされた弘法大師さま。
そこからお縁日とされる心情はわかります。
わかりますが。
なんだか私にはいまいちしっくりきません。
…お誕生日ではいけなかったのだろうか。
亡くなられた日よりもお誕生日の方が明るくて〝開かれる〟ような、いかにもお縁日にふさわしい気がするのですが…。
弘法大師さまは宝亀五(774)年六月十五日、讃岐国の屏風ガ浦(香川県善通寺市)でお生れになったと伝えられます。
そう、まさにまもなく弘法大師さまのお誕生日、なのです。
讃岐の郡司の家系に生まれた弘法大師さまのお父さまは佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、お母さまは玉依御前(たまよりごぜん)といいました。
その家は信仰心の厚い家柄であったといいます。
ある日、お父さまとお母さまが、「天竺(インド)のお坊さんが紫色に輝く雲に乗って、お母さまのふところに入られる」という夢を同時にみられ、ほどなくして真魚さまがお生れになりました。
この真魚さまこそが、弘法大師さま、なのです。
真言宗では、このお生まれになった六月十五日を『青葉まつり』と称して、お大師さまのお誕生をお祝いしているといいます。
第2弾 ウクライナ難民支援活動
《平和への祈りと禅語に親しむ巡礼》
と称して群馬県内曹洞宗有志寺院で、令和五年十一月より六年五月まで、ウクライナ難民の方々への支援活動の一環として、禅語の書かれた御朱印を受けていただき、その浄財を寄付金としていくという取り組みをしてこられました。
今回で二回目。
前回はたまたま初めて参拝させていただいたお寺さんで、こういった御朱印をお授けしていたものが終了した報告と御礼を読ませていただき、こうした尊い活動をなさっていたお寺さんがあったことを知るかたちとなり、大変それをありがたく思い、そして参加できなかったことをかなしくそして悔しく思ったものでありました。
今回はネットで始まる前から知ることができ、大変嬉しく思ったものです。
この方向音痴で、しかもナビのない車に乗っているおばさんが、どこまでまわることができるか…。
多少の(…多くの)不安はありましたが、綿密に調べて、何ヶ寺かをまわることができました。
とは申しましても不得手とする山道をくねくねと登るような山あいにあるお寺さんはあきらめるしかなく、一人でまわれるところをのみ参拝させていただきました。
そんな中、町中の狭い道をくねくね行くようなお寺さんがあって、ここは電車とレンタル自転車を使って…と思い、その計画を夫にワクワクしながら話したところ、
「電車を使ったらかえって高くつくよ。車で行けばいいじゃん。ガソリン代なんかよりずっと高いよ」
…。
彼はなおも
「ガソリンが1リッター〇〇円で、そこまでの距離が何十キロ、往復でいくらいくら、その駅までだいたい〇〇円くらいとして、こんなに違うよ、車で行けばいい」
エビデンスまで…。
無職無収入のおばさん、黙りこむしかありませんでした。
彼はきっと車があるのだから、わざわざ電車などは使わず、遠慮しないで車を使え、という意図で言ったに違いないのです。
でも私のワクワクしていた気持ちはすっかり萎えてしまいました。
私は仕事を辞めて、この、エビデンスに支配されない自由をかみしめ、小さな幸せを感じていたくらいだったので、理づくめで来られると、気持ちが萎えるところがあって。
ましてや金銭面で言われると、どうしても卑屈になる。
結局、その計画は頓挫。
…車で。
人間、浪漫だって大切なんだぁ〜っ!
またまた愚痴になりました。
ええ、本来はこんなことを書くつもりではなかったのですが。
ただ、私にとって前橋のまちは、子どもの頃、父や母に手を引かれ歩いた思い出のいっぱいある町で、この駅の周辺は特に、電車に乗って下車してと、始まりの地点でもあったのです。
車で行ったら、かえって車が足枷となって、そうした思い出の町を歩いて(…計画は自転車でしたが)巡ることはできないのです。
車があるので電車に乗ることも少なくて、ましてやその路線に至っては高校時代が最後の利用であり、まさに久しぶり、思い出いっぱいの町を巡るというものを計画していたので…。
往復で千と…いくらか?
パートで働いていた時の時給より安いかもしれない。
たかだか県内の一部を走行するローカル線、乗れないなどとは思いもせず、料金すら調べていなかった私。
「エビデンスは?」
と仕事で聞かれた時のドキッとしたり、ザワザワっとした思いがよみがえります。
私は私で許可をもらおうとしたわけではなくて、ただただワクワクした思いを伝えたかった、ただそれだけだったのだけれど。
ああ、卑屈だな、自分。
ここに書いたことを伝えればよかったのになぁ。
でも言いかけたけれど、一刀両断されたんだった。
会話が成り立たないんだよなぁ。
寺めぐりを良いきっかけと思ったのに、もう今後、これを超えるチャンスなどないかも…。
…免許返納でもしない限りは…。
でもきっと私が免許返納したところで、夫が免許を返納しなければ、そのローカル線を使う機会は訪れない。
ちっぽけな会話が、こうも拗れること。
そこを黙って乗り越えること。
ちっぽけな器の人間は、ちっぽけなことすらも修行になるのだなぁ。
そんな鬱々としたことを考え、ご不浄の掃除にまいりますと、あるお寺さんでいただいた日めくりに
【和顔施】
とありました。
ハッとしました。
〝いつもやさしい顔でいよう〟
とも綴られています。
夫が定年前に仕事を辞めたいと言っていることをどうにも受け入れられず、鬱々としてあれこれを暗い方へ考えてしまいがちな自分です。
仕事の人間関係の悩み、子供のことでの悩みを同時に抱えて、どうにも苦しくて苦しくて、仕事を辞めたいと言った時、それをたって受け入れてくれずにいた夫。
子供のことを相談しても、
「俺は仕事があるから」と
お願いして時間を作っていただいた学校の先生との面談をドタキャンされたり。
そんな過去がどんどん私の中で膨らむのです。
理由を聞くと仕事を続けるモチベーションがたもてない、と。
今、ともすれば暗い顔ばかりで過ごしていると思います。
それでも少なくともよそ様や、子供たちの前では笑顔で過ごしているので、こうした内心を知る人は、ここミクルで私のスレをお読みくださっている方だけ、なのですが。
そんな私に喝をいれなさったのか、先ほど火傷をしました。
痛みがひどく、病院に行くか悩むところです。
はあぁ。
仕事辞めたいという夫に
「ああそう」
と笑顔で返せる妻に…なるべきなのか。
寝込むほどの病気もなければ、取り立てて人間関係で悩んでいるわけでもない。
おそらくは義母を亡くした喪失感?
仕事なんて、辞められたら辞めたい、ですよね。
でも、頑張るしかない自分を鼓舞して、ともすれば吐きそうなほどの思いを抱えても、仕事に向かうのですよね。
生活のため。
生活はどうするのだろう。
再就職は甘くない。
答えも出せない。
きっと彼は自分の思うように、思う通りに事を進めてしまう。
止めたい思いしかない。
何かやりたい事があってでもない。
やらなければならない事もない。
それははっきりと明言している。
私の言うことは聞かない。
受診を勧めてもダメだ。
笑顔、ねぇ。
和顔。
それで事が済むわけではない。
なにせ生活がかかっているのだ。
就活、するか。
身体の症状が辛いのと、不安なのとで仕事を辞めたのだけれど。
…私のためには働いてはくれないようだ。
そう、他人をあてにはしてはいけない。
今日は群馬県みどり市の光榮寺さんへ。
私がうだうだと愚痴などこぼしているバチでも当たったのか、昨夜ほんの数分前には普通に話していた夫が、寝室に戻ってから突然体幹の激痛を訴えて嘔吐し、救急搬送してそのまま入院いたしました。
反省の意をお伝えして、お薬師さまに病気平癒のお力をあやかろうと、こちらの御本尊さま、柿薬師さまへお参りにまいりました。
本当は病院に行く前にお参りしたかったのですが、あれを揃えこれを用意し、と、しかも午前十時に来るよう言われ、病院に行くのがやっとで。
今はコロナ禍。
荷物を届けるのも予約が必要で、予約枠がいっぱいだと荷物を届けることもできないというのです。
それはそれでおかしなことだと思うのですが。
病院によってさまざまな決まりをつくっていますが、義母の入院先などはやはり荷物の搬入も面会とカウントされ、一週間のうちに一入院者似二回までの面会、一回二人までという制限がかけられていました。
しかも土日は面会無し。
亡くなる前に…というか入院中面会すらできなかった身内はたくさんいました。
コロナは流行が収まったわけではないですからね、それは理解しています。
でも荷物すら届けられないって、おかしくないですか?
しかも夫は明日も面会に来て欲しいとか。
…まぁ、予約取れたので行くのですが、ね。
実はもう昨日夜のうちにほとんど搬入してあり、今日は書類があったから行ったようなもので。
もうタオルケットとか、時計とか、筆記用具やらなにやら、みんなババっとまとめて届けました。
だって面会の予約が取れなければ、どんなに必要なものでも受け付けない〝決まり〟なんだそうですから。
病棟も鍵がかかっていて、呼び出しのブザーを押して、スタッフさんが開錠するところで。
ここは閉鎖病棟か?って思ったくらいです。
なんだかいろいろ世知辛くもなっている気がいたしました。
〝決まり〟で守る、守られるのは安全だし、正直楽でもあります。
ちなみにごくごく普通の内科病棟です。
病院全体をこう造り変えたようです。
なんにせよ憎むべきはコロナです。
ただ本日は荷物を届けるだけで面会はダメだと言われて。
…昨夜は面会もオッケーだと言っていたのに。
あれ?また愚痴だな。
このところ愚痴ばかりで大変申し訳ありません。
他人の愚痴など聞きたくはないもの。
ましてやここミクルでお読みくださっている方々は、長い長い文章をまず読み出して、そのうちに愚痴をこぼしていることに気づくのです、そう思ったらとても申し訳ない気持ちになりました。
とは言え、なにせ歩く煩悩おばさんなので、反省したところで「もう二度と愚痴はこぼしません」などとは、それこそ嘘になりそうで、口が裂けても言えない、言ってはいけない気がいたします。
それでも。
今日光榮寺さんの副住職さまと何気ないお話をしたのち、昨晩夫が入院したとただそれだけを口にしただけなのに。
長く長く話したわけでもなく、それゆえ今度の仏像を彫る会をお休みするかもしれませんとしめくくっただけ、ただそれだけの会話でしたのに、とても心が軽くなったのを感じたのです。
今日は風通しの意味もあったのか、御本堂へとつながる通路が開け放たれていて、御本堂からの気がスッと流れてきていた、そんなこともあったかもしれません。
そして。
夕方いつものように九条錫杖経をお唱えしたとき、さらに心が軽くなった気がしたのです。
爽やかな気を胸いっぱい吸い込んだような…そんな晴れやかな気持ちになったのです。
そう。
九条錫杖には、煩悩や魔障を払い、衆生の心をふり起こす功徳があらといわれている、そんなお経であるのです。
…ですがね。
なにせ煩悩だらけな人間なものだから、このありがたいお経をお唱えしても、まさに音読しただけ。
煩悩ひとかけらも抜けない、そんな強硬な煩悩で。
こんな感覚になったのは今回がまさに初めて、なのです。
お坊さまとご一緒にお唱えしようが、そのあとお護摩が焚かれようが、そんなことは一度とてなかったのです。
…さすがにこんな愚痴ばかりでは周りの人にも良くないと御仏がお考えになられ、この経の功徳をお与えくださったのでしょうか。
…だと良いのですが。
この九条錫杖経の意味も、そうした功徳も知らない時から、なぜか惹かれて、経本を買ったくらいです、きっとそこにも御仏のお導きがあったのでしょう。
…ですがね。
この光榮寺さんの親しくなったお檀家さんに言われたんですよ。
「煩悩は少しぐらいあった方がいいんだ」って。
まぁ、…少しじゃないから困っているんですが、ね。
光榮寺さんの副住職さまに、仏像を彫るための木をお分けいただきたい旨お伝えしましたところ、
「これ、どうですか?イチイの木です」
…イチイ。
ああ、もしかしたら、縁起が良いとされるこの木をわざわざ選んでくださったのかもしれない。
お礼を申し上げ、他に何本かの木片をいただいて帰宅し、あらためてイチイの木を手にとって、その木目を見てみました。
綺麗な木目の面と、生育途中に何かあった跡なのか黒くなった場所、虫が巣くった跡なのか彫ったらポロポロと崩れそうなところ、なかなかクセがありそうです。
うーん。
今、あとはお顔を彫らせていただくだけ、といったところまでとなったお不動さまがおられます。
自分で彫った拙い像に、〝さま〟をつけるのもおこがましいのですが、それでもそのお姿を彫らせていただいた以上、やはりそれはお不動さま、なので、ちょっと自分の中では少し抵抗感を持ちながらもそう申し上げさせていただきます。
お顔を仕上げさせていただくより、新たなお像を今は彫りたい、そんな思いがふつふつと湧き上がります。
よし!
イチイの木さん、彫らせていただきます。
神社仏閣に縁をもたず生きてきて、さらには木の名を知るほど豊かな暮らしも送っては来ず、イチイの木というのを意識したのも、まさにこの神社仏閣を巡らせていただくようになってから。
聞いたことぐらいはあったのですが、ふーんと思うくらい。
強いて言えば、(変わった名前だけれど、どんな字を書くのかな?)と思ったくらい。しかも調べて見ることもありません。
そんなイチイの木。
名前の由来は、あの聖徳太子の肖像画とされる絵で、手に持っている笏(しゃく)にその由来があるといいます。
仁徳天皇が天皇即位の折にこの木で笏を作らせ、あまりの木目の美しさと見事な出来栄えに感激した事から、当時の最高位の官位を表す【正一位】を授けたと伝えられ、そこから、この木のことを【一位=イチイ】と呼ぶようになったと言われています。
狂いが少なく軽軟で安全性が高く加工も容易な【イチイ】が、かつては鉛筆の芯木に使われていたといいます。
たしかに。
この木片の一部の木目は見惚れるくらい美しいと思います。
私が彫っていいのか、怖気付くような思いもあります。
一刀目は、三角刀で、輪郭を。
いま、大まかな輪郭を彫り出しました。
(続き)
一位は地方によって呼び方が異なる木だといいます。
『一位一刀彫』で有名な飛騨高山では昔は『アララギ』と呼ばれていたといいます。
あの文学の『アララギ派』の由来だったのでしょうか?
そこは不勉強なのでわかりませんが。
また北海道では『オンコ』などと呼ばれているといい、他の地方で他の呼び方もあるかもしれないです。
そして。
漢字では【櫟】と書くのですが、これが面白いのですが、辞典で調べたときに『クヌギ』『イチイ』と両記載されるのだといいます。
『イチイ』は『イチイ科イチイの針葉樹』。
一方『クヌギ』はブナ科の落葉樹』。
まったく違う木なのに、ひと文字の漢字にすると【櫟】となる。
面白いというか、ややこしいというか、…適当というか。
このような事から、イチイは「一位」と表記される事が多くなっているといいます。
まぁ、当然といえば実に当然です。
表札の最高材として、木彫りの材にも人気の素材のイチイ。
神社などではご神木として伝わっている事も多い木です。
木片にはほとんど香りはなく、とにかく木目が綺麗なことがほとんど、なので、イチイの木片は見分けられるような気がしますが…。
木を見てイチイかどうかは見分ける自信がありません。
しかもやっぱり高価らしいし、なかなか手に入る素材でもないようで…。
私ごときが彫らせていただいて良いのでしょうか…彫っちゃったけど。
しかも三回目、かも。
今までは〝イチイ〟であることを知らずに彫ってしまっておりました。
ま、作りますが。
もとい、作らせていただきますが。
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