注目の話題
言い方とか、誹謗中傷等したりはやめて下さい。原因はなんだろね
私が悪いのですが、新入社員に腹が立ちます。
いじめなのか本当に息子が悪いのか

神社仏閣珍道中・改

レス500 HIT数 16870 あ+ あ-

旅人
20/03/09 08:54(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。







No.2796560 19/02/13 05:40(スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿制限
スレ作成ユーザーのみ投稿可
投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

No.9 19/02/17 19:39
旅人 

夫からの誕生日のプレゼントは【ピーターラビットの御朱印帳】でした。
「これ、秩父三十四観音巡礼用?」と聞くと、
「いや、秩父は専用の御朱印帳じゃないと」

 

いったい、いつこの御朱印帳を使うというのだろう?



 

No.53 19/03/25 00:49
旅人 

観音院さんは、かつてわが家の子供たちの手を引いて、参拝、というよりは屋台目的のお祭り気分で訪れた頃より、境内にいろいろな参拝するゾーンが増えておりました。

まずは立派な仁王門が建ち、その中心には大きな提灯が提げられています。
弘法大師さまの御像が建ち、その石像の周りには四国のお寺さんの砂が埋められているとのことでその周りを廻ることでお遍路ができるというところがあります。
仏舎利ということで、お釈迦様の石像があり、その石像のもとに仏手、仏足の彫られた石盤があって、そこを目指してあえて石の凹凸を残し裸足で歩く参道があるというゾーンがあったり。
回すとお地蔵さまの真言を唱えたのと同じ効果が得られるというものがあり。
水掛け不動尊の石像があり。
大黒天の御堂があり。
禰宜師大明神がまつられ、背中合わせに金精大明神がまつられた御堂があります。
記憶に間違いがなければ、地蔵堂もなかったような気がするのですが、それはもしかしたら、私が子供を連れてお祭り気分で訪れていたせいで、そんな風に記憶しているだけかもしれませんが(^^;


御本堂には【心の間】という、外陣が衝立で仕切られたゾーンがあり、そこでは自分の悩みや願いを、個別に御本尊さまと向き合うことができるようになされております。
まずは塗香で手を清めて、合掌したのち、心のなかで願ったり、紙に書いて納めることもできるようになっています。紙に書くのも一切書式などなくて、記名もしたければする、したくなければ無記名でと自分の思うようにお参りさせていただくことができます。
私がお参りさせていただく間にも何人か心の間にお入りになる方がおられました。

御住職をはじめ、スタッフのかたもいつも穏やかな笑顔で接してくださる、私の好きなお寺さんのひとつであります。

No.55 19/03/26 06:14
旅人 

歴史の教科書に出てくるような、有名な方のことすら名前を聞いたことがある┉程度の薄い知識、薄識?しかないような私は、当然のように、桐生氏さんも細川氏さんも存じ上げないので、「へー」と思うだけなのでありますが、私にすれば超歴史オタクの夫は満足そうでありました。
地元でもないところの、地方の歴史すらも、その当時の日本の歴史と絡めて記憶している人間は、どんなところへ行っても楽しいのだろうな。
知らないことばかりのところへ行けば、新たな知識として今までのものと繋ぎあわせて。知識として知っていた現地に行けば、いにしえのかつてあった歴史を偲んで。
同じくらいの年数生きてきて、私、無駄に過ごしてた時間が多かったのかな?(._.)
覆水盆に帰らず。


閑話休題。


文昌寺さんは、お地蔵さまがそれはそれはたくさんおられるお寺さんでありました。
〖子育て地蔵〗と道案内の看板に掲げられてはおりましたが、地蔵堂があり、そこにお祀りされたいろいろな時代のお地蔵さまが何体かおられて。┉そこには絵本やらお菓子やらが、まるで子供グッズのお店の平台のように綺麗に並べてお供えされておりました。その地蔵堂の前にもいく体かのお地蔵さまがおられ、参道の両サイドにもお地蔵さまが花道を作られておられるように並んでお立ちになっています。仁王さまのおられる入り口のすぐ脇にも、古くからの六地蔵さまが優しい笑みを浮かべておられます。

そして、見たことのない石塔があったり(鳥が二羽と猿かと思われるものが2匹彫られた古いもの)、〖薬師の水〗、という、整備されているわけでもない小さな池があり、境内からは見えないほど雑木林を分け行ったところにあるという百庚申塔やら、いわれをうかがうことができたら、御由緒をうかがうことができたらいいなと思ったお寺さんでありました。
お彼岸の日曜日でありましたので、御朱印をお受けできただけでもありがたいことで、再拝させていただけたらいいなと思ったお寺さんでありました。
ただ┉お寺さんに向かう道はナビを使えばなんとかなるとしても、入り口が狭くて、対向車が来たらアウト!といった難問題を、私が攻略できるかどうか┉(。-ω-)


陽当たりのよい、居心地のよい境内のお寺さんでありました。



    平成三十一年三月二十四日  参拝



           

No.61 19/04/01 19:35
旅人 

解説にあたられた先生の仏像愛の深いことといったら┉
まあ、それはそうですよね、それを学ぶべく大学にいき、それを教えとくことを生業とするくらいに大好きなことなのですから。

そして┉こういった仏像見学会などで出会う方のなか、仏像や仏教に詳しく、それこそなにも見ずに仏さまのお役目であるとか、仏像の造りであったり作者についてだったり、スラスラと語りながら見学されている方のなんと多いことか。
今回隣に座られた方もお若い方ですが、仏像がたいそうお好きなようで、奈良や京都などあちこち仏像にあいに出向いておられるようなお話を、お仲間に熱く語っておられます。
そして会が始まって、ご住職が般若心経をお唱えになられると、自らの経本をリュックから取りだし唱和されていらっしゃいました。

はあぁ、場違いなんじゃないかな、私。   

解説をききながら、しばし反省した次第であります。
また解説を聞くにあたっても、
メモを取るのにえんぴつやシャーペンを使って記入するものだとか、
小さな単眼鏡を持っているとよいとか、 
いろいろ学ぶことができました。


No.68 19/04/03 15:51
旅人 

ちなみに、「飯盛山には栄螺堂があるんだよ。いまはお寺ではなくなっているようだけど」 大学生のときにかの地を訪れた夫。
すばらしいところだよとかねてから語っておりました。



この墓守を代々受け継がれておられる女性は、すでに五代目ということで、【飯盛山参道】の記念に御朱印をお書きくださっておられます。
【飯盛分店での白虎隊御朱印の始まり】は、当時の藩主松平容保に頼まれた当時の白虎隊墓守が書いたのに始まり、白虎隊御朱印では一番古く、唯一、容保公の一言で始まったものであるとのことであります。
お店ではありますが、元々が茶屋を営まれていた女性が墓守を始め、徳川将軍家とも深く関わっておられた藩主松平容保に頼まれ始まった歴史ある由緒ある御朱印であります。
また、この御朱印も白虎隊墓守以外の方が記入はなさらないというこだわりもあるもの、お店が御朱印ブームにあやかって始めたものでもありません。
そして、代々収益は全額養護施設や福祉、震災等へ寄付しておられるということであります。

一部の心無い御朱印を求め、暴言を吐かれた方、┉どうやら何年も前からそういった方がおられたと、今回の件に関わることなくかつてネット上で嘆かれていた方もおられました┉あなたの暴言が、こんなに歴史ある御朱印を、心こもった素晴らしいお手の御朱印を、一時的とはいえ途絶えさせたのですよ。


一日でも早くこの貼り紙が取り外され、何よりもこのような暴言を口にする方がなくなりますように(。-人-。)

No.72 19/04/05 07:56
旅人 


小幡八幡宮の天井画はこんなにも迫力あるものでありました。
甘楽町指定重要文化財となっております。群馬県指定にはダメですか私は凄いと思いましたし、ひとめで好きになりました。これからもより良い状態で後世に残していっていただきたいと、強くおもうのであります。

No.78 19/04/09 16:33
旅人 

┉ご想像通り、ブツブツと文句を言いながら、ほんのわずか岩をよじ登ると、
パアァァっ❤ (┉私の心を表した表現です)
石仏さまがそれはそれはたくさん、小高いところにおられるのがみえました。たぶん、普通ならば、目の前に広がる足利市の展望に感嘆するところなのでしょうが、私は正直、それがまるで目に入らなかった。

たくさんのたくさんの仏さまたちがまさに
「不生不滅不垢不浄不増不減」という、般若心経でお説きになられている空間に、石仏像のお姿を借りて、私たちを見おろしてそこにおられるような気がいたしました。

江戸の元号の刻印された石仏さまがほとんどのようです。なかには長い年月の間に、その石の欠けてしまわれたもの、元の形をとどめておられないものもございます。倒れてしまわれた像もございます。その自然のなしたままに、一切石仏に手触るることなく、そこにあるがままに、石仏群は山の頂にございました。
私は、なんとそこに五十分!ただただたくさんの石仏と向き合っておりました。
それはたったいま、カメラで確認した驚愕の事実でありまして。
一言も私に声をかけることなく、夫と息子は、私の心のすむままに付き合ってくれていたのでありました。そして、二人の元に戻った私に、息子が無言で一粒の飴をくれました。

感謝、です。


それでも私はそこを立ち去る際、名残惜しんだことを記憶しております。


私の癒しの空間であります、栃木県足利市の浄因寺さん。
しかしながら、そこは自力だけで到達するには片道四時間の道のりを歩くしかない、近くて遠い遠いお寺さんであります。
これから先、歳を重ねて、努力するとしたら、運転技術をみがくなどと戯けたことは考えてはいけないので。片道四時間の道のりを五時間かけようと登ることなら┉まあ、努力するとしたならば間違いなくそれくらいであります、がね (;´・ω・`)

「いつかまた、私を浄因寺さんに連れていって」┉言えないな、五十分待たせたなんて┉ (;ω;`*)


     平成三十一年四月七日   参拝

No.90 19/04/21 01:05
旅人 

お釈迦様の誕生された日をなぜ「花まつり」というのかといいますと、お釈迦様がルンビニーという花園で誕生されたからなのだそうで、神々が誕生を祝って大量の花の雨を降らせたとも、竜王が祝福して甘い雨を注いだともいわれているようです。
そのような伝説に基づいて「花まつり」は、誕生仏と呼ばれる釈迦の仏像に花を飾り甘茶を注ぎかけて祝うということであります。


誕生仏と呼ばれる仏像は右手で天を、左手で大地を指さしている、像で、それはお釈迦様が生まれ落ちてすぐに、東に七歩歩んでそのようなポーズをなさり、
『天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
三界皆苦 吾当安此(さんがいかいく ごとうあんし)』
と話された、という伝説に基づいてのもの。
まあ、いかにお釈迦様でも、生まれてすぐに歩き話されるはずはないでしょうが、とは僧侶も話されてはおられることですが┉。

『天上天下唯我独尊』について、実は「唯だ私だけが尊い」という意味をあらわしているのではない、ということを口々に僧侶が語られます。
世間では「天下においても天下においてもただ一人私だけが尊い」と意訳されているが実は決してそうではないのだと。
「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味で、それは、天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いという意味で、我とは釈迦本人のことではなく、人として生まれたすべての者のことなのだということであります。

まあ、たしかにその後お釈迦様が歩まれた軌跡をたどれば、一般的に使われる「唯我独尊」と全く異なるということのほうがしっくりきます。
なに不自由ない一国の王子として生まれ、冬用、夏用、雨期用の三つの宮殿を与えられ、裕福で華美な生活をおくられ、17歳で結婚され正妃との間に一子もいた王子が、29歳でほとんど蒸発のように、地位も身分も財産も捨てて出家され、悟りをひらかれるまでに修行されて苦しむ人々に教えを説いて生きられた方ですから。「生まれつき一番偉いんだよ」なんてカリスマ宣言は決してなさらないと思うのであります。



No.106 19/04/25 08:32
旅人 

【暴悪大笑面】
なかなか御仏の尊像を細かな部分までも拝観できるような機会はなく、ましてや尊像の後ろ=背部は、到底あり得ないので私はまだ『暴悪大笑面』を拝観させていただいたことはありません。
仏像展などは、それこそ手が届くくらいお近くまでに寄らせていただくことができますが、それはそれで尊像は大きく、台の上に展示されておられる尊像の頭頂部は到底身長158cmの私には拝観することはかないません。

どんなだろう、どんなだろう?

一葉の写真が、手持ちの仏像の写真をふんだんに扱った本に、偶然おさめられておりまして、それはそれは可愛らしい、┉言葉を知らない私のあり得ない失礼な言葉をお許しいただき、思ったままを述べさせていただくなら、お茶目な表情、でありました。
慈悲、気高さやお美しさをたたえた観音さまのお顔の後ろに、このようなお顔がある。


ますます御仏の尊像が好きになりました❤

No.118 19/04/28 09:03
旅人 

また、夫が今日も「今日はどこに行きますか?」と聞いています。
ぷっ

この間私が一人で行った【珊瑚寺】さんに行きたいくせに。


    ※龍真寺さんの粋な生け花です。

No.147 19/05/07 19:48
旅人 

鎌倉はお寺さんが多くて、歴史もあると思うのですが、鎌倉の御仏像で国宝とされているのは、唯一、高徳院の御本尊、阿弥陀如来さまなのだそうです。そう、あの有名な大仏さまであります。国宝が露坐!雨にさらされ、風に吹かれ、あの近年の体温すら超える暑さにもさらされて(まあ、大仏さまには体温はありませんが┉)五百年以上。
歴史の授業で(?)習ったようにもとは露坐ではなく、大仏殿がありました。現在も大仏さまの周囲に大仏殿の礎石が残されております。

今回、長いお休みではありましたが、混雑したところの苦手な私ども夫婦、明らかに混雑しているだろう鎌倉に、┉行きたい気持ちはやまやまだったのですが┉無理!ぜーったい、絶対無理!
平日ですら、バスがギュウギュウ詰め、もう少しで整理の警備員が必要なのでは?ってくらいの人人、人の、有名寺院。行けません!
平日、有給休暇をとって鎌倉に行く日まで、鎌倉についての本を読んで予習しておこう!ということで、今回の【鎌倉の大仏さま】について、調べてみました。

鎌倉の大仏さまって、二代目、ヘタすると三代目だったらしいんですね。最初に作られた大仏さまは1244年に完成した木造のものだったということです。しかも高さ24メートル!現大仏さまの高さは11メートルほど、二倍以上の規模であります。すごいなぁ!クレーンとかもない、昔のこと。下から作っていって、最後を完成して、てっぺんから降りるとき、どうやって降りたんだろう。
ただこの大仏さまは、大きすぎたためか1248に大風で倒壊しております。
そこで1252年から新たな青銅製の大仏さまの建立となりました。これが現在の大仏さま┉┉だと思われてる。大仏さま二代目説はここにあります。記録ではこの大仏さまは『釈迦如来』となっているらしいのです。前述のとおりこちらは『阿弥陀如来』。
二代目または三代目の説はここからきているこです。ま、そうは言っても単なる記述まちがいかもしれないらしいです。いまとなっては確認のしようもないことであります。

No.156 19/05/16 03:50
旅人 

群馬県太田市の【冠稲荷神社】さんに参拝してまいりました。

冠稲荷神社は、平安時代の1125年、新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公創建と伝えられています。
伏見稲荷、豊川稲荷、信田、王子、妻恋、田沼(一瓶塚)とこちら冠稲荷で、日本七社といわれているとのことであります。
1174年、源義経公は奥州下向の折に、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠の中に勧請してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を奉斎。また、時を経て、新田義貞公は1333年、鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、こちらの神社の神前にて、兜の中に神霊の来臨を請い、戦勝を祈願されたと伝えられているようであります。この故事にちなみいつしか冠稲荷大明神と人々から呼ばれるようになったようです。

冠稲荷神社は境内へ入る鳥居がたくさんありますが、一際大きな赤い鳥居があります。本日はこちらからの参拝とさせていただきます。ちなみにそのたくさんある鳥居の一つは、ブラタモリという番組でタモリが扁額に漆を塗っていた鳥居があります。

この一番大きな鳥居の左側には猿田毘古社があります。猿田毘古神を祀る境内社の1つで、交通安全に御利益があります。車の交通安全祈願はこちらでして頂くようであります。
そのすぐ隣にはペット社殿があります。立派なお社であります。
参道を進んでいくと、桜の木の前に鳥居が設置されているのがみえます。こちらは縁結びの木と呼ばれている桜の木です。二手に分かれた木の幹が途中で再び結びついていることから、縁結びの御利益があると言われているようです。
そしてそのすぐそばには大きな大きな木瓜(ぼけ)の木があります。樹齢四百年を超えるといわれ、群馬県の指定天然記念物に指定されている木です。縁結びや子宝伝説があるようで、こちらのシンボルツリーとなっております。

No.177 19/05/27 15:04
旅人 

ま、そんなヤツでありますが、まあ、あながち間違いでもない参拝の順路であったはずだと、さっさと自分の失態は切り替えて、切り捨てて┉。(^_^;)


ただ、御堂に入った時点ですでにどちらのグループに対しても、ご案内の方の解説が始まってしまっておりました。私、┉高校時代の修学旅行でも、ガイドさんや案内の方の、一語一句も聞きのがしたくない(聞きのがしたら自己責任)タイプなので、どちらにしても途中からの解説になり、やや、テンションが低めなスタートをきることになりました。
解説は今年の年廻りについてというところまで進んでおります。
厄年ではなくて、九星気学という(らしい、占いの一つのようです)
二黒土星とか五黄土星とか八白土星とかで表現されるもので、
「次の節分までの星回りとなるので、悪い星回りとなってる方は覚えておいてください」と、おっしゃっております。
へぇー、悪いんだぁ。┉覚えておいてください?(((・・;)
何にかかってくるのでしょう。そこには御守りが展示されていますが、そちらについてのコメントは一切ありません。


ご案内いただくままについてまいりますと、御内陣です!
こちらに足を踏み入れられるのは、修復作業中だけだとうかがっておりましたのに!(pq゚∀゚*)
ありがたいことでございます。
改修工事中には自由に中を歩くようなものでありましたので、お側での参拝は可能でありましたが、簡単な説明とどちらかというと御内陣を監督していらっしゃるような僧の方がおられただけでしたので、今日はお側での参拝と解説をうかがうことができるようです。


大きな大きな仏さまでいらっしゃいます。台座から光背頂まで七メートル半ということであります。今回の修復期間にお色直しをなさったようで、今が一番綺麗なお色でおられるとのことです。次は五十年以上後にならないとこのお色の状態での参拝はないとのお話でありました。

向かって右てから、〖千手観音さま〗、〖阿弥陀如来さま〗、〖馬頭観音〗さまになります。
こちらは脇侍というご関係ではなく、日光山の山信仰とも結びついて、〖男体山〗、〖女峰山〗〖太郎山〗、お山を神さまと考え、そしてその神さまが仏さまにお姿を変えられたという形をおとりになられた、御家族であられるとのことでございます。

No.188 19/06/02 01:53
旅人 

持国天さまと広目天さま。
鍛えぬかれたしなやかで美しい肢体と、まとわれた御召し物の美しさ。躍動感あるお体の動きと御召し物の流れるようなさま、彫刻であることを確認してしまうほどの布の薄さとひるがえる布の動き。布の模様の美しさ。凛としたお顔。見るたびにため息が溢れます。

篇額の【大猷院】の文字は後水尾天皇の筆によるものであります。

門をくぐって振り返りますと、雷神さまと風神さまがお守りになられています。雷神さまは太鼓を背負われ両の手にはばちをお持ちです。そのお指は三本で現在過去未来をあらわしているのだということであります。風神さまは袋を背負われ、そのお指は四本。東西南北をあらわしているのだということです。私は知らなかったのですが、足のお指は二本なのだとか!二本であることは天と地をあらわしているのだということで、次に参拝の折にはしっかり拝見してこなくては!

知らなかったことといえば、仁王門をぬけて続く石畳は濡れると赤や青の色に変化する石が使われているのだとか。
雨の日の参拝も良いなあ。


こちら、大猷院はお祖父様であられる家康公を深く尊敬し、なくなる間際に「死んだあとも東照大権現にお仕えする」という言葉を遺されたことを受けて、四代将軍家綱公の命によってわずか一年二ヶ月という年月で造られたものであります。東照宮を見守る位置、見守る向きで建てられているのみならず、決して東照宮を超えることも模倣することもないようにとの工夫の凝らされたものとなっているようです。
いずれにしても、徳川家の威光をあらわした贅の限りを尽くしたものであることはまちがいありません。

大猷院のご案内のなさる僧が、「天にのぼっていく感じがする」という表現をされる上へ上へと上がっていく家光公の廟所でありますが、その美しさに夢中で歩く私は、そのような感覚になったことがありませんが、他の方はそうなのかなあ。(;´・ω・`)



No.199 19/06/07 00:34
旅人 

以前、【日本の奇祭】が書かれた本を読んだことがあり、そのなかに【悪口祭り(あくたいまつり)】というものがあったのですが、実にこの大岩山毘沙門天でとり行われている伝統行事だったのです。

一言でいえば大晦日の夜に大声で悪口をつきながら列をなして歩くというものであります。


【悪口祭り】は江戸末期、慶応年間より始まったもので、大晦日の夜11時より、ふもとから登山道を出発し、毘沙門天本堂まで歩いて参るといったもののようです。
山頂の毘沙門天本堂までの道中、参加者の皆様が「ばかやろう」等の悪口を言いながら登って行き、一年の厄を落とし、溜まったうっぷんを晴らして、清々しい新年を迎えるという行事なのだそうです。


厄落としの木札に一年間の厄(災いや苦しみ、災難)を書き込み、山頂の毘沙門天まで持ち歩き、お焚き上げで木札を焚き上げ、厄落とすのだそうです。


悪口祭りでは言ってはいけない悪口があって「びんぼう」や「どろぼう」などの「ぼう」のつく悪口は言ってはならないとされています。それ以外であれば何を言ってもかまわないとか。実際に参加したことがないため詳細はわかりませんが、ここに挙げられている「ぼう」がつかない暴言の方が、恐かったりしないかと思ったりするのですが┉。


「悪口祭り」の由来は諸説あるようですが、その一つに架空の動物「獏(ばく)」に関するものがあり、江戸末期、厄病で亡くなる人が多く、厄病退散を願っており、悪夢を食べる架空の動物「獏」にこの悪夢のような現実を食べてもらい、 厄病退散を願ったとされます。「獏」を「ばくさま」と祈っていたものが「ばくやろう」、「ばかやろう」と訛っていったという説。
この他に飢饉などで年貢を納められずに苦しむ農民に粋な計らいで悪口をつく御許しがあった説など、定かではないそうです。
この「獏」に災難や厄を食べて頂き、開運厄落とし祈願をする絵馬がせんだっての参拝の折も授与品としてご用意されておりました。


悪口を言いながら山道を登っていく際、暗い山道を提灯(ちょうちん)で照らして行列を作っていたことから、提灯行列とも呼ばれるそうです。暗くて細い真夜中の山道を提灯を持ってねり歩くだけでも充分に奇祭ですが┉。
希望すると提灯と毘沙門天のお面を授与していただけるようです。
うーん、参加してみたいような、無理なような┉ (・・;)








No.218 19/06/18 15:49
旅人 

ただ┉購入した【大新田氏展】(冊子)、これで本当に勉強するのは夫で┉、私は、写真撮影できないこの新田氏展でお会いさせていただきました御仏像の写真をみるにとどまりそうな気がしてなりません。


No.234 19/07/02 01:42
旅人 

新田義貞公に関するお勉強は少しも進んでいないのだけれど、本日七月二日は義貞公の亡くなられたとされる日であります。実際には、死没 延元三年/建武五年閏七月二日で、1338年8月17日にあたるようでありますが。

もちろん、偶然なのではありますが、六月最後の土曜日、二十九日に、義貞公ゆかりの神社仏閣に参拝させていただきました。
鎌倉への挙兵で必勝祈願をされたとされる【生品神社】さん。それも称して生品神社巡り、といえるような生品神社さんを三か所と、新田義貞公の館跡とされる【照明寺】さん、別名【反町薬師】さんと【正法寺】さんに参拝をいたしました。
挙兵し必勝祈願したとされる群馬県太田市新田市野井町の生品神社さんと、反町薬師さん、正法寺さんは再拝となります。

太平記という大河ドラマの頃は大にぎわいだったという生品神社さんも、いま普段は無人の神社さんでさびしい思いをしておりますが、宮司さんにたまたま今回お会いすることができ、なんと宮司さん、十か所の神社を兼務なされておられるとか。
そういえば以前読んだ本によると、全国に八万社あるといわれる神社さんに対し神職は二万人、ということが書かれておりました。その本が書かれてからかなりの年月が経っており、その数はだいぶ変動していることかとは思いますが。


わが家の歴史オタクがことあるごとに語ってくれるので、義貞公の最後についてはかなり記憶されているかもしれません。
かいまふと気づいたのですが、普段なら休みの今日、仕事だったことを思いだし、今日はこの辺で。



      令和元年七月二日   合掌

No.308 19/08/25 00:17
旅人 

【子安観音】信仰。
何年も子供に恵まれなかった方がこちらの子安観音さまをお参りされた後、すぐに子供を授かることができたということから、近隣の子供を授かりたい方がこぞってこちらの観音さまをお参りされるようになり、さらにその方々が子供を授かったことから、その名を知られることとなり、遠くからもこちらの子安観音さまをお詣りされる方が今なおおられるのだとか。
そして子供を授かったのちは、安産祈願として、こちらで おさご(神仏に捧げられたお米のことをいうようです)・腹帯・おわんを授けていただき、腹帯を身につけ、お米を炊いていただくのだそうです。ほかに授与品として御由来伝記をいただけるそうです。お縁日以外の日に授与を希望される方のために、世話人の方が授与できるよう電話番号を書いたものを境内に貼ってあるのだということです。
かつてはお灯明を上げ、そのろうそくをいただいて持ち帰り、
産気づいたときにお札とろうそくを並べて置き、ろうそくが燃え尽きる間にお産が長引くことなく無事に産まれることを願ったそうです。
安産のお礼として以前は[奉納 大願成就 元号何月何日]と筆書きした暖簾(┉さらしの端?腹帯として使っていたさらし?)を作って納めていたようですが、今は[奉納 矢島七観世音]の幟を納めるということです。腹帯として使っていたさらしは御焚きあげの際に御焚きあげするとのこと。
境内にたくさんはためいていた幟は、安産なさった方々の数ということだったのですね。

お寺でこそありませんが、人々の厚い信仰のもと、大切に大切に守られ続けている伝統の行事は、その信仰と伝統を守り抜こうとする人々の意志で立派なご利益が生まれるのだと思います。
いつまでも続けていっていただけたらいいと願ってやみません。



   令和元年八月十七日  参拝

No.316 19/08/31 16:07
旅人 

群馬県桐生市の【観音院】さんの、日限地蔵さまの御縁日二十四日が土曜日に重なったため、参拝してまいりました。
日限地蔵さまの御縁日には【風雅御朱印】と称された限定御朱印がございます。季節季節の花の絵をあしらわれた美しい御朱印であります。
限定御朱印にこだわるのはやめようと、御朱印をお受けし始めたときに自分で決めたのですが、どうしても心引かれて、休みがご縁日と重なったときだけ、お受けすることという自分ルールをもうけました。
今月はシュウカイドウの花の絵であります。


そんなこともあって、毎月は行かない私でありますのに、副住職さまとその奥さまは、私の顔を覚えてくださっておられ、いつもお越しくださりありがとうございますとお言葉をくださいます。
人との縁を大切になさるこのようなお仕事をされておられる方は、[人]を覚えることの能力も長けておられるのでありましょうか。
父方の┉というよりは父の眠るお寺さんの御住職さまにしろ、エピソードなり、そのとき交わした会話なり、人の特徴を大切に覚えてくださって、次の会話につなげてくださいます。


ありがたい、嬉しいと思う気持ちが、次の参拝につながり、そして、仏の教えをすこしづつ知ることにつながっていく。気の遠くなるような道程でありますが、布教するということは、そんなお坊さまの毎日の敬虔な生き方から始まっているのかもしれません。

No.322 19/09/10 08:38
旅人 

青い蓮。
群馬県桐生市の【青蓮寺】さんは、なんと、この時期その名の通りに青い蓮が花開きます。
初めて見た青い蓮の花。凛とした美しさです。
まもなく年に一度の御本尊様の御開帳の日です。
そのときに合わせるように、咲く青い蓮の花。
今年も御本尊さまにお目にかかりにうかがいたいものです。

No.353 19/10/20 18:10
旅人 

┉などと香炉の灰のなか燃え残った御線香について、やたら長きにわたって書いておりますが┉。

正直、お祀りするにはあまりに粗末であるため、どなたかのお怒りをかってのことではないかと、心穏やかではなかった時期がありましたのが本当のところである、無知でビビりなヤツでございます。


No.384 19/12/07 07:24
旅人 

「般若心経をご一緒にお唱えいただき、御本尊さまの毘沙門天さまの御真言をお唱えいただきます。」
┉ついていけるかな?(・・;

配布された書面二枚。錫杖経は、どうやら御住職様のみがお唱えする文言があって、御唱和させていただく部分とがあるよう、途中で気づきました。ついていくのがやっとで、フリガナがついているにも関わらず、ボロボロと途中が抜けたり、私個人のお経としては、成り立っていないものとなってしまいました。
般若心経は早いペースでありますが、今回はなんとかご一緒にお唱えすることができたように思えむした。如何せんそんなレベルでありますので、本格的に長い数珠と経本を持たれての参列者の方には足元にも及びません。それが修行であります。さらに続く御経は、配布されたものにはないものでありますが、ご一緒にお唱えできる方が何人もおられました。
不心得ものの私は、あの数珠はどうやって入手されるのだろう?とか、チラッと思っては反省をいたした次第であります。

さらに続けて、まるでパフォーマーのような達人技の太鼓さばきとともに、御住職さまは読経を続けられます。

そして┉堂内に灯りがともされ、御住職さまがご挨拶をなさって修行が終了いたしました。一時間強、でしょうか。
その後、山伏姿の副住職さまに御身のお祓いをお願いされる方が何人かおられました。私も最後に並ばせていただいておそるおそるお願いをしてみました。
副住職さまは笑みを浮かべて、
「覚えておりますよ。ようこそお参りくださいました」とおっしゃってくださいました。
お祓いをしてくださったあとも、「おつらいこともありましょうが、大丈夫、きっと毘沙門天さまの方からお訪ねくださいますよ。」
と優しい笑顔、優しいお声でおっしゃってくださいました。
来てよかった。
本当に来てよかった。

ありがたさに深くお辞儀をして、生まれ年の数珠と御札をお受けして本堂をあとにいたしました。


すると┉先に靴を履いた夫が、嬉しそうに「あ、猫だ」と声をあげています。かわいい猫が参拝のお見送りをするようにちょこんとすわっています。人に慣れた猫であります。よくみると本堂の下に市販の猫の寝床がおいてあります。【猛猫注意】の貼り紙もありました。猫を愛するお寺さん、猫好き夫婦はさらに足しげく通いそうであります。


       令和元年十二月一日

No.409 20/01/08 05:27
旅人 

大岩山毘沙門天さまの新春の御護摩修行は、月に一度の御開帳のときよりもさらに回数を増やしてくださっておられます。そのせいでなのか、いつものものとは少し異なっており、参列した者が一緒に錫杖経や般若心経を読経するべく経の書かれた紙が用意されてはおりませんでした。
当然ながら書かれたものをようやく読んで読経している私はただただ聞いているしかできない。最近はお寺さんを訪ねるときはほぼ携帯するようになっていた般若心経の書かれた小冊子も、今日はあえて置いてきてしまって┉。つたない読経ですが、本堂でご本尊さまに向けての読経はまた格別なものであり、少し残念に思いながら読経に耳を傾けていると┉(゜ロ゜)!
錫杖経をご一緒に御唱えになっておられる女性の声が聞こえます。錫杖経はそれなりに長いものでありますのに、信心されている信者さんは、そらで御唱えすることができるものなのだなぁ。
般若心経は何人かがそらで御唱えされておりました。仏教に帰依したというわけでないといえ、最近においては心の拠り所ともなってもおり、もう少しだけ、努力したいと思った私でありました。まぁ、読経ですら、いまだにつかえつかえなので、せめて般若心経の書かれた小冊子は必ず携帯しようと思ったのでありました。


御護摩を終えて、最近気に入って使っているこちらのお線香をお譲りいただき帰宅の途につくと間もなく功徳があり、娘が今から自宅に来るという朗報が飛び込んでまいりました。言い換えると相も変わらず子離れできない母、という未熟な私、という事実が浮き彫りになっただけでありますが┉娘に会えるのがうれしいのはどんな母も同じでしょう。
ありがたいご利益であります。
こちらの毘沙門天さまは、奥がたの吉祥天さまとご長男の善膩師童子さまとでお祀りされておられ、ご家族の絆を感じさせる三尊像であられます。どうか、私どもの家族が絆を深めたよい年でありますように。



        令和二年 一月三日

No.428 20/01/17 18:57
旅人 

本来の目的地、榛名湖畔に着いたのはすでに四時四十五分くらい。
ちょうど空が夕焼けに変わりつつある、山のきわは桜色に、見上げる空は空色に、見事なグラデーションをなしています。
山と湖の景色を、うつりゆく空の色とともに楽しむことができる、なんとも贅沢な時間帯に到着することができました。

家から持参した温かい飲み物と、息子がコンビニで買っておいてくれた生チョコクレープをいただきながら、少しづつ変わりゆく空を眺めておりました。
やがて空には月齢16日の大きな月が顔を出します。
なんとありがたい、幸せな時間でありましょう。
身体を取りまく空気は冷たいものなのに、幸せな気持ちが寒さすら感じさせません。

昨年末┉ほんの少し前まで、ここではイルミネーションが施されライトアップされた、まるで異なる景色がありました。ですが、私たち三人はこの、自然のままの景色がありがたかった。うれしかった。
そんな思いもまた共有できたひとときでありました。
よい新年であります。
この、すべてのものに感謝するような思いをいつまでも持ち続けていたいと、心から思いました。
これも榛名神社の神さまのおくりものでありましょうか。






              2020,01,11


No.432 20/01/19 10:14
旅人 

日光輪王寺さんのお見舞いの手紙の書き出しは、やはりここ、日光はこうあって良いと、以前書いた自分の文章を思い出させる一文で始まっておりました。
「貴家におかれましては当山の○○を受けていただき、『世界文化遺産護持の一助を担っていただいております』」


そう、歴史あるお寺さん・神社さんの維持には、たいそうなお金がかかるもの。求める者があってそれに応える形で御守りなり、御朱印、御朱印帳なり、お線香なり、御数珠なりを御用意され、納得した者がそれをお分かちいただく、あるいは購入する。
今回私は、鬼門除けの御札を受けたいと申し出た。それが例えあと半月足らずで買いかえる時期が来ることを知らなかったとしても、ネットで調べてやって来たと言われて、受付の方はそこを知っていてあえて授与したいと思われたのかもしれないのです。あと半月でこの御札の期限が来るかもと知り、悲しいと思ったのも、ひとえに私の未熟さであります。その御札をお受けできたときの喜びこそを大切に思えばよかったのであります。

御札も信心であります。それをお受けしたところで、台風などの被害をこうむることはある。でも、それをお受けした際、気持ちを引き締め、心新たになることができたらそれはそれでもう、御札の役割は発動しているのであります。
期限がある、あるいは期限はない。そんな御守りや御札。
それはそれで個々の心の有り様であるのだと思います。
御札をお受けしたから、このくらいの被害で済んだと思うか、御札をお受けしたのにこんな目に遭ってしまったと思うか┉それはすべて自分の心の有り様なのであります。
あいも変わらず未熟でありました、私であります。

No.465 20/02/16 20:23
旅人 

海の中の鳥居。私のつたない表現からでは、竜宮城をすら想像してしまう方がおられそうです。
裏技(?)で写真を載せておきます。

突然、唐突に私の思いつきだけで、参拝させていただくことになった【大洗磯前神社】さん、ここ、海の中の鳥居しか私の予備知識にはありません。社殿はなく、この側にある岩場が御神体であるのかと、正直思っておりました。
ナビで茨城県大洗に向かうこと一時間半、大洗に入ると交通標識の道案内に【大洗磯前神社】の文字がそこここにあります。もうナビはいらないくらいです。「さすが!」
最終段階は【大洗磯前神社大鳥居前】を左折。
ん?えっ?┉海に向かってないと思うけど?そう、斜めに坂を上がっていく道であります。

それでも明らかに神社さんの敷地に入ったような様相ではあるのですが┉「ねぇ?違うもうひとつの磯前神社さんに着ちゃったりしてない?」
「いや、そんなことはないよ」と夫。当然、半信半疑┉どころかほぼ信じてはいない私。まあ、行ってみるしかない。
駐車場に着きました。神社さんの拝殿どころか、鳥居ひとつ見えてきません。「はあぁ┉」連れてきていただいている立場、声に出さないため息をつきつつ車から降りました。海も見えません。ですが、先ほどまで私自身が道案内の道路標識で【大洗磯前神社】に向かう道である案内を見ております。うーん。

「とりあえず、私、先に行って様子を見てくる!」夫と息子の軽い制止などまるで聞く耳を持たず、走り出すおばさん(=私)。
うーん、なんだろう?立派な西洋風の待合所(?)があります。なんなんだろう。
さらに歩を進めると、大きな大きな一枚板の石碑があります。【軍艦那河忠魂碑】と書かれていました。追いついた夫が感嘆の声をあげています。出た出た!夫は軍艦だの戦闘機だの好きなんだよなぁ。┉そういえば、ここ、大洗ってガールズアンドパンツァーの聖地なんじゃなかったかな?( ;-`д´-)

そんな夫は無視して、さらに進むと!┉ありました。陸地の神社さん。うーん。神社の名前は間違いなく大洗磯前神社さんであります。



No.483 20/02/26 06:04
旅人 

仏教における究極の、決死の行は私のような者には縁なきことでありますが、現在、グローバル化した世の中で、まさに全世界が、全世界の人類が、命のかかった行を望まずして強いられております。

人々はいま、未知のウイルスに侵食されつつあり、いにしえの人々が苦しんだのと同じように、防ぐ術も持たず、翻弄され、その命さえ危機的状況におかれております。
それでも、かつて、いにしえの人々が何度も乗り越えたその苦しみよりは、栄養状態も、衛生面もよく、何よりも発達した科学の力はその頃とは格段に異なるスピードで収束し、終息することであると信じております。


それにしても┉この春の┉うららかな陽の頃に。
白や桃、紅の梅が満開をむかえようとし、桜の花も咲こうかという、私の一番好きなこの時季に。やわらかな黄色の菜の花。
その葉の形が仏様の台座(蓮座)のように見えるというのが名前の由来のホトケノザ。近年流行(?)しているネモフィラに似たオオイヌノフグリ。
花々が春がきたと告げているこの時季に┉(;ω;`*)


子年、だからというわけではありませんが、ねこの額(ひたい)よりも狭いという意味で、ねずみの額(ひたい)と呼んでいるわが家の庭にも春が訪れております。
春を愛でる思いは、コロナウイルスになどに負けません。
花粉症に苦しみながら毎日庭に立ち、花と語らう私であります。

No.486 20/02/29 14:02
旅人 

【堅香子(かたなご)】

あと少しすると、堅香子の季節がやってきます。堅香子とは、【カタクリ】の古語で、私はカタクリの少し群生しているところを毎日歩くことができるところに住んでいます。カタクリの花をご存じでしょうか。座りこんで花と語らって、はじめて良さが伝わるような、正直、少し地味な花とおもわれます。

カタクリは、「春の妖精」(スプリング・エフェメラル)と呼ばれる植物の一つで、エフェメラルとは、「はかない命」という意味だそうです。
カタクリが1年のうちで地上に出ている期間は、春先の2か月ほど。葉で光合成をして栄養分を鱗茎に蓄えて、夏には葉を枯らし、翌年の春まで土中の鱗茎のまま休眠状態で大半を過ごしているといった花のようです。光合成ができる期間が、1年のうちでわずか2か月ほどしかないため、種子から発芽して花を咲かせるまでに8、9年ほどの歳月を必要とするのだといいます。
個体が大きく成長した後は複数年に渡り開花が継続し、カタクリの平均寿命は40から50年ほどと推定されているのだといいます。



そのカタクリの群生する土地をお守りくださるように、稲荷神社があります。カタクリの群生するのは、稲荷神社のある小高い山の、神社とは反対側にあたるふもとになります。神社はそのほぼ頂きにありますが、不思議なくらい神社の境内には、カタクリは一輪も咲いていないのです。まるで、カタクリが自分の咲く場所をわきまえているかのようにさえ思えるくらいです。
稲荷神社さんは、一の鳥居からはそのお社が見えないくらいのところにあり、急な石段をそれなりに昇っていきます。私などは息がかなりあがるくらいです。お参りを済ませ昇ってきた方角をかえりみると、集落が一望でき、「ああ、お守りいただいている」と心からありがたいなぁと思える┉風景がひろがっています。

今、一の鳥居の前を毎日二往復している私でありますのに、なかなか鳥居をくぐって石段を昇ることをついつい躊躇し、鳥居の外からお参りしているくらいであります。
カタクリが咲く前に、是非必ずお詣りを済ませおかなくてはなりません。がんばる!(^-^;





投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧