続・ブルームーンストーン

レス290 HIT数 17876 あ+ あ-


2021/03/27 13:58(更新日時)

ブルームーンストーンの続編です。

内容は4人で遊んでいた頃の話のブルームーンストーンとは違い、
職場中心の話になってしまいますが、
これも懐かしい思い出日記の様に書いていけたらなと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

タグ

No.2726135 (スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿制限
スレ作成ユーザーのみ投稿可
投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

No.105

「ほら!ミューさんも手伝って下さいよ!
やりながら話を聞かせて下さい。」

加瀬君が私に気を使わせない様に私にも仕事を割り振ってくれた。

これじゃどっちが歳上の社員かわからないな。

苦笑しながらもせっかくの好意に甘え先程の事をザックリ話す。

話の途中から牧田君は少し小馬鹿にした様にニヤニヤ笑い出し、対照的に加瀬君は厳しい表情になっていった。

「まっ、つまらない事でイライラしちゃったけど話したからスッキリしたよ。ごめんねありがとう。」

加瀬君の怖い表情が気になったが、仕事も片付け終わり、そう言ってその場を離れようとした私に、

「スッキリしたなら良かった。」

笑顔で応えてくれた牧田君とは反対に、

「俺は店長の気持ちわかりますよ。」

と加瀬君が冷たい表情でそう言った。

「えっ?!あの…」

私は加瀬君のその予想外の言葉と態度に戸惑った。

加瀬君は以前私が彼を叱り飛ばした一件以来、何故かとても懐いてくれて私に対する態度はいつも優しく好意的だった。

だから加瀬君は私の味方で私に同情してくれるに違いない。
心の中にあったそんな甘い期待は一瞬で砕けた。

その加瀬君も私に対してイライラするのか…

これには流石の私もショックを受け、

「あの…加瀬君も私を見てるとそんなにイライラするんだ…」

かなりへこみ気味にそう聞いた。

「えっ?!違いますよ。
俺がイライラしたのは松木さんです。」

えっ?!

「あの?どういうこと?」

「そりゃイライラするでしょ?
松木さんはミューさんのことを…」

「大吾!」

いきなり牧田君が穏やかに、でもキッパリした声で割って入ってきた。

「ああ、ごめん…」

加瀬君は牧田君に謝ると急に黙り込んでしまった。

「え?なに?私がどうしたの?
加瀬君?!」

加瀬君に詰め寄る私をチラチラ見ながらも加瀬君は返事をしない。

「加瀬君?」

私の声に加瀬君は今度は牧田君の方にチラチラと視線を送った。

「ユーヤ…」

加瀬君の助けを求める様な声に
「仕方ないな…」と
牧田君が小さく頷いた。

No.106

「ねえ牧田君、 松木さんが私の事をってなに?あまり良い話じゃなさそうだけど逆に聞いておきたいよ。」

気まずそうに下を向いてしまった加瀬君に聞くのも躊躇われた私は代わりに牧田君にそう問うた。

「ん、まあたまたま俺と加瀬が作業している横で聞こえてきた会話なんですけど…」

牧田くんがそう話してくれた内容をまとめると、
松木さんが他のパートさんに私と休みを合わせて出かけた事を言いふらしていた際、

「松木さんそれってズルくない?
私達だってたまにはパート仲間同士で遊びに行きたいって思うのを我慢してるのに…」

と気分を害したパートさんに突っ込まれ、

「うん、でも誘ってくれたのは田村さんからだし。
私もダメなんじゃないかな?と思ってたのに、田村さんが大丈夫だからって…
店長には上手く言っておくからって…
出かけた時も、店長が私の事をすごく心配してくれてるから2人で休みを取らせてくれたんだよって言ってた。
私、ちょっと家の事かで色々あって辛くて仕方なかったから…」

「そ、そうなんだ,」

相手のパートさんはそれっきり黙ってしまったらしい。

「ざっとまあこんな感じです。」

牧田君は
「大した話でもないでしょ?」
と言いたげな顔で横にいる加瀬君の背中をドン!と叩いた。

「あ、ああ、そう…なんだ…
まあ…確かにその通りと言えばそうだね…」

松木さんの言っている事は確かにそうと言えばそうだ。

でも心の中に生じたモヤモヤを吹っ切れずに私はしどろもどろな返事をした。

「でもおかしくないか?!
そうだとしたら尚更ミューさんのためにも内緒にしとくっていうのが…」

「加~瀬~」

牧田君がグーで加瀬君の背中をこずいた。

「加瀬君、松木さんはあの日すごく喜んでくれてたんだ。
だからきっと嬉しくてついみんなに話してしまったんじゃないかと…」

牧田君の背中への一撃でむせ込む加瀬君の背中をさすりながらそう言う私に、

「姉さん。世の中姉さんみたいに単純な人ばかりじゃないんですよ。」

と真顔に戻った牧田君が冷めた声でそう言った。

No.107

「仕事入ります。」

店内で作業中の私に、休憩が終わった大ちゃんがそう声をかけてきた。

あれ?
もう怒ってないのかな?

いつもなら一旦拗ねると凄まじい顔つきとドスの効いた低い声での挨拶になるのだが、その時はあまりにも普通の表情と声に私は戸惑った。

「田村さん、この前指示した売り場展開の下図は書けた?」

そんな私の思いに構わず大ちゃんは「ごくごく普通に」話しかけてくる。

ちょっと不気味だけど…
まっいっか。

「あ、はい。
ちょっと待ってて下さい!」

慌てて事務所にある自分専用の書類入れから下図を引っ張り出し大ちゃんの元へと急いだ。

「ぷっ!なにこれ。」

「えっ…下図ですけど?」

「汚い図だなあ!そりゃラフに描けとは言ったけど…寝ながら描いた?」

グサーッ

「す、すみませんね汚くて。」

「しかもなにこの配置!これじゃ何をメインに売りたいのかわからない。」

「す、すみません…
全面的に描き直してきます…」

ドンッ!

大ちゃんの手から半ばひったくるようにして下図を取り返した私は、いつの間にか近くに立っていた松木さんに気づかずにぶつかってしまった。

「あっごめんなさい!」

慌てて謝る私の手から下図が落ちた。

「綺麗に描けてる方だと思いますけど。」

松木さんは微笑みながら下図を拾うと大ちゃんに渡そうとしたが、

「描き直してもらいますから田村さんに渡して下さい。」

と大ちゃんに淡々と言われ、

「私は良いと思うけどな~」

とわざと大きめな声で私に向かって微笑みながら私に下図を返してきた。

「店長は美優ちゃんにいつも厳しすぎますよね?でも私は美優ちゃんを応援してるから頑張って!」

続いた松木さんの言葉に、

「そ、そうだよね!応援嬉しいなあ!
持つべきものは友達だ!ありがとう!」

とわざと笑って返すも、チラッと見た大ちゃんの顔は異様に引きつっており
モゴモゴと何かを言いかけては止めての繰り返しが続いたかと思うと、

「松木さん、今日はレジが混みがちですから残りの時間はレジフォロー中心でお願いします。」

それだけを口にして事務所の方に歩いて行ってしまった。

え…
なんなの一体…

モヤモヤとした気持ちのまま、仕事を上がる時間になり休憩室に向かうと、
たまたま同じ時間に上がる牧田君と遭遇した。

No.108

「あ!姉さんも上がり?お疲れ様で~す!こういう偶然滅多に無いし今からデートでもします?」

相変わらずノリがライト感覚の牧田君だが、その誘いにふと思い立ち、

「ねえ、ご飯奢るからちょっと付き合ってくれない?」

と逆に誘い返した私に、

「んっ?うん。いいっすよ。」

一瞬意外そうな顔はしたものの、牧田君はすぐに真面目な表情になり頷いた。

「牧田君は原付バイクだよね?
私もそうなんだ。すごく遠出は出来ないけどどこに行く?」

「マクドナルド!!」

えっ、マジか?

高校生カップルかよ。

あ、高校生だったわ。

「わかった。じゃあ先に行って待ってて。」

「は~い!」

相変わらず妙なテンションではしゃぐ牧田君を見送り、急いで着替えを済ませた私は駐輪場に向かったが、
ふと隣接する駐車場に目をやると、
買い物客らしい女性が車を降りてこちらに歩いて来るのが目に付いた。

「あれ?松木さん?お買い物?」

私が思わず声をかけた女性は少し俯き加減に歩いていたが、私の声に驚いた様に顔を上げ、

「あぁ。もうお帰りですか?
はい、買い忘れがあったので…
店長ってまだ…いるんですよね…」

と元気のない声を出した。

「え?!うん。
今日は店長は遅番…でしょ?
松木さんも今日出勤して知ってたじゃない?」

おかしな事を言い出す松木さんに私はどう対処していいか分からず恐る恐る返事をした。

松木さんは私に少し近づくと下を向いたまま、

「私ね、店長と仲良しだったんですよ。店長も私の事気に入ってくれてたと思います…」

と、ポツンと呟いた。

「え?」

思わず聞き返した私の声に松木さんは今度は顔を上げ、

「こっちの店に来てから店長がだんだん冷たくなっちゃった。」

と私の顔をしっかり見据えてそう言うと軽く会釈をし、そのままサッと店の入口の方に歩いて行った。

No.109

えっ…
それって…

流石に察しの悪い私も何かがわかりかけてきた。

「姉さん…マクドナルド行こう?」

不意に肩を叩かれ振り向くと、いつの間に近くに来たのか牧田君が「行こ?」という風に停めてあるバイクの方に顎をしゃくってみせた。




「姉さん、席取りしてきてよ。
俺が買っておくから。」

「じゃあレモンティーで」

マクドナルドの店内に入るや否や段取りの良い牧田君らしくテキパキと私に指図をしてくる。

しかしその言い方は高圧的な所が微塵もなく、無邪気で物怖じしない彼の性格がよく表れていた。

「お待たせ!今日は俺の奢りだよっ!」

窓際のソファー席に腰を下ろしぼんやり窓の外を眺めていた私の向かい側の席に座ると、驚かす様にレモンティーを私の鼻先に突き出しながらイタズラっぽく牧田君が笑う。

それはいかにも人懐っこく互いの距離を急速に縮める雰囲気があり、
私は10歳以上も歳下の牧田君に何だか甘えたい気分になった。

「姉さん俺に話があるんでしょ?
どした?」

そんな私の心の動きを察したのか?
牧田君が少し大人びた表情で優しく私の顔を覗き込む様に聞いてくる。

「あ、いや、つまらない事なんだけどね…
なんというか、ずっとモヤモヤしてたからちょっと第三者の立場から見た意見を聞きたいと…」

不意に顔を近づけられドキマギしてしまった私は窓の外を見るふりをして顔を背けた。

「恥ずかしいの?
純情ぶっても似合わないよ。」

そう言いながらも牧田君は私から離れるとソファーの背もたれにもたれかかって大きく伸びをした。

「ふぁ~あ、まっ、言わなくてもわかってるけど。
駐車場でもガッチリ嫌味言われてたね?」

「えっ?!あれって…嫌味だったの?」

「嫌味っていうか、何だろ、
あんたさえいなければ店長と私が1番仲が良かったのに!キイッ!嫉妬の炎が~!って感じ?」

えっ。

「で、でも、私達友達だよ?
私は綾ちゃんの力になってあげたいとそれだけで…
だからそんなの聞いたらショックというか…
それに綾ちゃんはそんな事を思う子じゃないよ!」

引きつりながらもなんとか反論した私に、牧田君は少し小馬鹿にした様な笑顔を向けると、

「あのね、姉さん、
俺さ、姉さんのそういうとこハッキリ言って嫌い。
それは松木さんも同じじゃないかな?」

とサラリと事も無げに言ってのけた。

No.110

牧田君の言葉は予想外のものだったが、何故かさほどショックは受けず、
むしろ、「ああ、それであの態度を…」
と妙に納得した気持ちの方が強かった。

「じゃあ、私と出かけたことを言いふらしたのも私を嫌いで陥れたかったから?」

「う~ん、それはちょっと違うと思う。
単純に『私は店長や副店長に気にかけてもらっているのよ!私は特別なんだから!』アピールしたかっただけじゃないかな?」

なんで…すって?

「え?でも私の事嫌いなんだ…よね?」

嫌いな人に気にかけられている事を周りにアピールする心理が理解出来ず恐る恐る再確認した私に、

「嫌いだろうね。」

牧田君は何の躊躇もなく答えた。

グサッ。
流石にちょっと今のは刺さったわ。

「ああ、でも俺は違うよ?
俺が嫌いなのは姉さんのイイ人ぶる割には常に外してるっていう一部分だけで他は好きだから。」

ドスッ。
ガッカリしている私の表情を見て取り慰めようとしたのか、フォローつもりが逆にトドメをさす言葉を吐く牧田。

「うっ…なんで…松木さんに…嫌われてるん…だろ…う…
それに…そんな嫌いな私に特別扱いされて…嬉しい…?」

トドメをさされグッタリ気味にそう聞く私に、

「ちょっと俺の言い方も悪かったけど、松木さんは店長以外の人の事は好きじゃないと思うよ?
姉さんみたいなタイプは特にね。
いい人ぶって必死でやってる割にはどこかズレてるし人の気持ちをまるでわかってないしね。
見ててイライラするんじゃない?」

ちょっと俺の言い方も…
と反省する素振りを見せつつ更に追い打ちをかける牧田。

…あんた絶対私に恨みあるよね?

「でも…」

引きつりまくり言葉を失った私に構わず牧田君は言葉を続けた。

「松木さんが姉さんみたいに悪気なくズカズカ自分の中に踏み込んで来る人を敬遠するのは、迂闊にそれに気を許した後に捨てられるのが怖いからだろうね…」

No.111

「えっ?!何言ってるの?
私は松木さんを捨てたりは…」

「姉さん!」

私の話が牧田君の少し強めの声によって遮られた。

「もうやめましょ?姉さん。
松木さんの闇は姉さんが思ってるより深いですよ。」

なに言ってるの?

全く意味がわからなかった。

「納得できないって顔してますね。
じゃあハッキリ言います。
姉さんのやってる事は捨て犬に気まぐれに餌をやったり撫で回したりしているのと同じです。
最後まで責任持って飼えないのにその時の気分で可愛がって、捨て犬に構ってあげてる私優しい!とか。
そういうの無責任な優しさですよ。
とことん向き合えないなら下手に構わないのが犬のためです。」

「牧田君どういうこと?
その言い方だと松木さんの事をよく知ってるみたいだけど….
そんなに松木さんと関わる事あったっけ?」

「えっ…あ、ああ…」

私の疑問の声にそれまで饒舌だった牧田君が急にきまり悪そうに口ごもる。

その顔を見ているうちに私は今更ながらおかしな点に幾つか気づいた。

あれ?

確か倉庫で加瀬君が松木さんの事を何か言いかけた時に話を止めようとしたのは牧田君だよね?
その後、仕方なしに牧田君自身が話してくれたけどその話を適当な所で終わらせたいからって感じがしてた。

私と松木さんのゴタゴタは自分達には訳がわからないからという雰囲気を出していたのに、何故今はこんなに詳しく松木さんの事を語るんだろう?

そういえば…

先にマクドナルドに行っててと牧田君を行かせたのに、私が駐車場に行った時には何故かまだいたよね。

私が駐車場に出るまで15分以上はかかったのに…

一体何をしてたのか?

あ、まさか…

「牧田君、いかにも店長なら言いそうな事を言うんだね?」

サラッとわかりやすくカマをかけた私に、

「店長と少し話していましたからね、
それにしても遅っっ!!
や~っと気づきました?
帰りの挨拶時に今から姉さんとマクドナルドに行くと店長に言ったら、あいつに上手く話してやってくれ。と頼まれた事を話したんですよ。
俺は松木さんの事なんてまるでわからないし。」

と、やれやれ鈍いんだからとでも言いたげに牧田君が呆れ顔で答えた。

No.112

「松木さん今月いっぱいで辞める事になったらしいですよ。」

早番の大川君からそう聞かされたのはその翌日の事だった。

あの時…

昨日の夕方駐車場で会った時、松木さんは買い物に来たと言っていた。

でも本当は大ちゃんに辞める事を言いに来たのだろうか。

それとも話をしていて何かがあり急に辞める決意を固めたのだろうか。

「誰から聞いたの?」

「店長ですよ。報連相ノートに書いてありました。」

大川君がノートを差し出す。

報連相ノートは、店舗の全スタッフ用の物とは別に社員専用のノートもあり、店長から社員への指示や社員から店長への報告等に使われていたそれには本日は公休の大ちゃんの字で、
「松木さんが一身上の都合で今月いっぱいでお辞めになります。」
とだけ書かれていて、その下に大川君の確認の印が押されていた。

「あ、私もハンコ押さなきゃ、先にちょっと着替えてくるね。」

大川君にノートを返し着替えに向かう途中、言い知れぬ寂しさが襲ってきた。

松木さん、私には何も言ってくれないんだ…


やはり、昨日牧田君が言っていた松木さんが私を嫌っているというのは本当だったのかな…

今日は松木さんは確かお休みだな。

もしかして電話をくれているのかも!
と思い慌てて携帯を取り出すも着信履歴は1件も表示されなかった。

更に寂しさが加速する。

結局、何の解決もないまま昨日はあれでお開きになっちゃったしな…

松木さんにどういう接し方をするのが理想的か牧田君に聞いてみたい気もしていたが、牧田君が私に言った言葉はほとんどが大ちゃんの言葉であり、いつも小憎らしいくらい私にタメ口な牧田君が後半は微妙な敬語を使っていた辺り彼もどうして良いのか戸惑っているのが分かった気がして、私はもう何も聞くことが出来ず、互いに氷が溶け味の薄まった飲み物を飲み干した後はそのまま自然に解散の流れとなったのだった。



着替えが終わり事務所に入ると机の上に置かれていたノートを開き自分の確認印を押す。

この瞬間、松木さんが辞める事に対して自分も認めた様な気分になり、積もっていた寂しさの上に奇妙な罪悪感がプラスされた。

No.113

松木さんが辞めると聞いた時のスタッフ達の反応は驚く程に冷静だった。

みんな「仕方ないよね。」といった表情で特に何のコメントもない。
陰口を言うわけでもなければ惜しむわけでもない。
あまりにもアッサリとした態度に、
送別会をしようかとパートさん方を中心に呼びかけてはみたが、おそらくもうここの店舗には来たくないのであろう、そんな松木さんが送別会など望まないのではないかという沖さんの言葉の中に、
「空気を読みなさい」という気持ちを感じ取った私は自分を恥じつつ引き下がった。

案の定、松木さんは残りの出勤予定日を全部有給休暇で消化して店にはもう来ない事になったが、

「〇日までに辞める方に退職関連の書類を書いてもらって本社に送って下さい。」

本社からそう指示を受けた私は電話をかける口実が出来たことを少し嬉しく思い松木さんに電話をかけた。

「もしもしお疲れ様です。
急な事でご迷惑お掛けしてすみません。」

電話に出た松木さんは拍子抜けするほど普通に明るく、内心心配していた私はほっとした。

「あのね、書いてもらいたい書類があるんだけど、都合の良い時に店に来れるかな?」

「ちょっと…それは…
郵送してもらってはダメですか?
書いたら送り返しますので。」

「目の前で書いてもらう方が間違いなど何かとその場で直せるから都合が良いのだけど…
そうだ!ファミレスででも待ち合わせしない?
明後日休みなんだけどランチでもしない?
ご飯食べてその後に書いてくれれば。」

「ああ、それでも良いですよ。
平日の昼なら子供を保育園に連れていった後に出かけられます。」

松木さんの明るい声に嬉しくなった私は、

「じゃあ明後日12時に〇〇のファミレスでね。」

と約束を取り付け電話を切った。


No.114

「おはようございます。」

電話を切った私の後ろから遠慮がちな声がかかり、振り向くと加瀬君が大きな体に似合わない小さな声で、

「松木さんと電話してたんですか?」

と聞いてきた。

「ああ、うん、そうだよ。
書いてもらいたい書類があるからランチしがてら書いてもらいに行こうと思って…
今日は出勤?」

「はい。家に帰らず学校から直で来たんでちょっと早く着きすぎてしまったんですけど。」

言われてみるとなるほど、加瀬君は制服を着ている。

「いつも私服を見慣れているから少し違和感あるけど制服姿もなかなか似合うね。」

笑いながらそう言う私に、

「ミューさん、松木さんには…もう関わらない方が良いです。」

対照的に渋い表情をした加瀬君が少し言いにくそうに返してきた。

「えっ?!
もしかして店長や牧田君にそう言えと言われたの?
そういえば加瀬君もこの前倉庫で何かを言いかけてたよね?」

「はい。あ、いえ、ユーヤや店長に言われたわけじゃなく…
あの…気を悪くさせるかもしれませんが…倉庫でユーヤがミューさんに話した事は実は全部じゃなくて…」

加瀬君は大きな身体をモジモジさせて言おうかどうか悩む様子を見せたが、

「なに?途中で止められたら気になるよ。言わなきゃ逆に失礼だよ?」

と、私に促され、

「はい、あの…松木さんがミューさんの事を内心では何を考えているかわからないとか信用してないから実は苦手なんだとか…
結構大きな声で他のパートさんに話してて相手のパートさんも嫌な顔をしてたんですけど全然気にしてないみたいで…
あ、でもこれはミューさんだからというわけじゃなくて…きっと松木さんは誰の事も信用してないっていうか…」

とポソボソ話し出した。

そう…
なんだ…

きっと本当はもっと色々な事を他にも色んな人に愚痴っていたんだろうな…

本当の事を言っていると見せかけている加瀬君だけど、実は彼もかなり私に気を使ってなるべく当たり障りなく言葉を選んで、話してくれているのだろう。
加瀬君の表情や話し方でそれは容易にわかった。

と同時に大ちゃんが何故私に何も語らず、
「何もわかっていない奴」
と怒りながらも牧田君に自分の言葉を代弁させたのか、牧田君が何故私に本当の事を言わず誤魔化そうとしたのか少しわかった様な気がした。

No.115

私が傷つくと思って本当の事を言えなかったんだろうか…

どことなく共通している点がある大ちゃんと牧田君の事を思いながらそう自分を納得させた。

「あの、俺は、ミューさん好きですから!俺だけじゃなくて、えと、ユーヤも、少なくともバイト達は全員ミューさんを好きですから!」

私が何も言葉を発せず考え込む表情を見せたためか落ち込んでいると思ったのであろう。

加瀬君が必死でフォローをするように私にそう言ってくれた。

優しい子だな。

「加瀬君は見た目は少し怖いのに優しくていい子だよね。
ありがとう。」

加瀬君の気遣いが嬉しくてそうお礼を言う私に、

「いい子とか…止めて下さい。
子供じゃないんだし。
それに…俺がミューさんを好きなのは本気ですから。」

加瀬君が少しムキになって返してきた。

「えっ?!え~と…」

何と返して良いのか言葉に詰まり、え~との続きが出てこない。

好きって、え~と、好きって…意味?

いやあ~!まさかね~!
11歳も下だし~
ないない!

「あ、え~、好きって姉的な?
あ、11歳も上のお姉さんて変かな?
お、叔母さん的な?」

もうしどろもどろになり松木さんのショックがかなり薄らぎかけていた。
もしかして私の気を逸らそうとわざと言ってくれているのだろうか?

「18なんてミューさんにとってはガキですか?俺だって一応何人かと恋愛してきて尽くしてもらう方ばかりだったけど…ミューさんになら尽くしてもいい…です!!!」

そんな私の困惑をよそに
何をとち狂ったのか加瀬君がとんでも無いことを力強く言い出した。

「えっ?あっ?へ、へええ、す、すごいんだね。そ、そうは見えないね。」

全く、何がすごいんだか何がそうは見えないんだかよくわからないセリフを吐きつつ私は完全に舞い上がっていた。

「ミューさん!!」

加瀬君が更に何かを言おうと私に近寄りかけた瞬間、

「大悟!!来てるのか?
来てるんだったらちょっと手伝ってくれ!」

私達のいた事務所の外から大ちゃんの大きな声がした。

「は、はいっ!!」

加瀬君が弾かれた様に事務所の外に飛び出す。

「とりあえず着替えてこい。」

加瀬君への指示らしい大ちゃんの声が聞こえたかと思うとそのまま事務所に入って来た大ちゃんは、
少ししかめっ面で私のおでこを人差し指で軽くツン!と押した。

No.116

「わっ!な、何なんですか?!」

「な~に若い男に手を出してんの?」

ちいっ、やっぱり聞こえてたのか

てか自分だって23歳の若い男のくせに。

「なに?」

「い~え何でもないです。」

「大吾と付き合うの?」

「まさか。彼氏いますし。それに
5歳以上年下なんて弟みたいで有り得ませんよ。」

大ちゃんの眉がピクリと動いた様な気がして、私は瞬時に自分の失言を後悔した。

しまった。
元彼のこやつは6歳下だった…

「あっそうだな!女は歳上の男がいいっていうしね。」

私が失言だと思ったのは気のせいだったのか?
大ちゃんが何故かニヤニヤしながら言う。
あ…
自分の彼女が歳下だからきっとそれを思ってるんだな。
そんなに彼女の事を好きなのか…
少し寂しくなったが、この気持ちを表に出す訳にはいかない。

「店長の彼女さんも歳下じゃなかったでしたっけ?理想的ですね。」

と気持ちを押し隠して少しサービス気味に話をふると、

「えっ?!あ~あいつは何歳だったかな?忘れた~」

と大ちゃんは少し焦った様にそう言った。

照れてるのかな?
本当に好きなんだな。

「店長って彼女さんのこと本当に…」

「あ!!!そうだ!!!
明後日の休み悪いけど出勤してくれないかな?
急に本社に行かないといけなくなって大川1人になってしまうから。」

大ちゃんが急に大きな声を出したので驚きつつ思わず頷いてしまった。

「悪いね助かる。それで申し訳ないけど明日を休みにしてくれるかな?」

あ…
松木さんに明日に変更可か電話をしなきゃ…

「ん?大丈夫?」

「あ、は、はい大丈夫です!」

「そう?じゃあ悪いけど頼むね。」

大ちゃんが出ていった後、私は慌ててまた松木さんに電話をかけた。




No.117

「もしもし。」

「あ、田村です。
さっき電話したランチの件なんだけど…」

私は手短に事情を話した。

話しながら休みの日のランチの話なのだから綾ちゃんと呼んで良かったんじゃないかな?等と細かいことが何故か気になり出す。

「ダメになりましたか。」

私の予想とは裏腹にアッサリと何の感情もなく即答され、私は自分が悪いことをしている様な感覚に陥り少し焦りながら、

「あの、ごめんね、明日はダメかな?
何か予定ある?」

相手には見えないのに何度もペコペコ頭を下げた。

「そんなに謝らなくて大丈夫です。
明日か~、ごめんなさい。
ちょっと用事入ってますね。」

私のそんな姿が見えでもした様に笑いながらそう言ってくれた松木さんの声に少し安心したものの、何故かモヤモヤとしたものがあり、もう無理に合わせてランチに行かなくても良いのでは?という思いが私の中に芽生え出した。

そうだ。

明日の休みの次は当分土曜日や日曜日にしか休みがない。
松木さんは土日祝日は子供さんや旦那さんが家にいるから遊びに行けないと前に言っていた。

それらの次の休みを待つと書類提出の期限が過ぎてしまう。

そうだ。
無理だ。

うん。
これは仕方のないことなんだ。

「松木さん、ごめんね、ちょっと無理そうだね。
書類を送るから書いて送り返してくれる?」

期限に間に合わないからということを言い訳がましく説明する私に、

「そうですね、じゃあお手数ですがよろしくお願いしますね。」

と松木さんは答えてくれたが、
それはいつもの私が知っている松木さんの雰囲気だった。

「ごめんね。
またあらためて落ち着いたら行こう。」

「はい。また行きましょう。」


それが、

松木さんと交わした最後の言葉だった。

その後、私は忙しさを言い訳に松木さんに連絡することをしなかった。

松木さんからも連絡はなかった。

松木さんは陰で私を信用していないと言っていた。

おそらくは嫌っているとも。

だからきっとこうなる事は決まっていたのだ。

でも…

「はい。また行きましょう。」

その言葉の前に松木さんはクスッと笑った。

その笑いは何だったのだろう。

「あなたも綺麗事を並べるだけ…
結局は私から離れて行くのね。」

そう嘲った笑いだったのではないか、

20年経った今でも心の底にその思いはへばりついている。

No.118

結局、松木さんの本当の気持ちは最後まで分からなかった。

でも振り返ってみて思う。

松木さんは自分を受け入れてくれる人を欲しかっただけじゃないか。
でも裏切られるのが怖くて拒否されるのが怖くて壁作って、精一杯強がっていたのではないか。

そんな彼女を私は結果的に裏切って離れてしまった。
「離れないよ。」
そう言ったのに。
「友達だよ。」
そう言ったのに。

私は松木さんに連絡するのが怖くて忙しさを口実に連絡をしなかった。

モヤモヤを心の奥底に沈めたまま、かなりの年月が過ぎたある日、あるコミュニティーサイトで1人の男の子と知り合った。

まだかなり若いその男の子は何人かの仲間内で何故か私に1番懐いてきた。

中性的で女の子の様な綺麗な顔立ちをしており、
寂しがり屋のくせに神経質でどこか人を信用しないいわゆる難しいタイプのその子は大ちゃんにもだが、どことなく松木さんにも似ていて私は彼を放っておけず何くれとなく構った。

なかなか心を開かなかった彼が私には甘える様になり「大好きだよ!」と可愛い事も言うようになった。

そのうち、彼の束縛が始まり出した。
嫉妬と束縛が酷く拗ねると、私の事を信用できない、していないとかつて松木さんが私の事をそう言っていた同じ事を私に言った。

結局、私は疲れきり、彼と縁を切った。

散々、私を信用できない実は嫌いだとまで言っていた彼が途端に何度も謝ってすがってきた。

好きだから、大好きだから、いつか捨てられてしまうかもしれないのが怖いから、先に予防線を張るのだと。

裏切られたら悲しいから立ち直れないから、信じようとしないのだと。

彼のそんな言葉の数々に私は松木さんを重ねた。

松木さんもそうだったのだろうか。

今となってはわからない。

ただ、
その男の子が泣きながら私に言った言葉、

「ミユはずっと俺と居てくれるって言ったじゃない?!
なのに離れて行くの?
俺が本気で望むといつもこうだ。
俺の本当に欲しいものはいつだって手に入らないんだ。」

その言葉は松木さんの心の声でもあったのかもしれないと何故かそう思う。

そうして私はそれから自己満足の中途半端な愛情を人に注ぐのをやめた。

中途半端な優しさほど残酷なものはないと私はあの時から今現在までずっとずっと思っている。

そしてこの思いはおそらくもう変わることは無い。


No.119

先日ふと視たテレビのドラマに、ある女優さんが出ていた。

久しぶりに見るな、
この方。

それにしてもさすが女優さんだけあって20年以上経ってもあの頃の面影をしっかりとどめていらっしゃる。

それに比べて私はしっかり歳をとり、もう貴女とは似ても似つかぬ容貌になってしまいました…

私は苦笑しながらも懐かしい思いでテレビ画面に映るその女優さんを眺めた。

20年以上も前のあの頃、
おこがましくも私は貴女に似ている似ているとよく言われていたんですよ?

私は心の中でそっとその女優さんに語りかけ、そしてまたあの頃の事を懐かしく思い出した。






「美優ちゃん髪切ったの?
似合うよ~!可愛い!」

話は少し遡って1993年頃。
私達がまだ新入社員だった頃、


背中まであったウェーブロングヘアを肩につく長さまで切りストレートヘアにした私をパートさん達が口々に褒めそやしてくれた。

思い切ってイメチェンして良かった~

容姿やファッション等を褒められるのはやはり同性からが嬉しい。

かなり気を良くしていた私に、

「ねえ美優ちゃん、女優の〇〇さんに似てない?」

と1人のパートさんが言い出し、

「あっ!!似てる~!!」

と他のパートさん達も口々に同意し、
その話はあっという間に店舗スタッフの間に広まり、皆が口を揃えて似ている似ていると言ってくれた。

店舗スタッフだけではなく、お客様何人にも似ていると言われたので、私史上最も似ている有名人だったのであろうと思う。

当時、その女優の〇〇さんは気さくで飾らない笑顔と演技で好感度の高い女優さんとして人気が出てきており、後に月9ドラマにも出演した有名な方で、
「謙遜」という言葉に全く無縁な私はすぐに有頂天になり、鼻高々で大ちゃんに自慢した。

「は?自分で自分のことそこまで言える人滅多にいないと思うけど?」

案の定、大ちゃんの反応は冷ややかだったが

「え~っ?!でも私あの女優さん好きなんだよ!好きな芸能人に似てるって言われたら嬉しくない?」

今思えば我ながら相当恥ずかしい奴だが、大真面目にそう言い返す私に大ちゃんは可笑しそうに笑うだけで、もうそれ以上は何も言ってこようとしなかった。

No.120

さて、それから3年後。

話はまた1996年頃、大ちゃんが店長で私が副店長の時代の話にまた戻る。

松木さんが辞めた後、
私と共に化粧品販売をしてくれるスタッフが居なくなったため、かなり困った事になった。

「〇〇店の化粧品の売り上げがこの2ヵ月前年度割れしているけど大丈夫?
いつものパーティーももうすぐあるし。副店長の仕事がある田村さん1人では手が回らないのでは?」

各店舗の店長とビューティースタッフが出席するビューティー部門販促会議に出席した私と大ちゃんに向かってブロック長がやや難しい顔をしながら問いかけてくる。

ブロック長がここで言う「パーティー」とは、
某大手化粧品メーカー2社が合同で催した、毎年8月31日までのうちの会社の各店舗ごとの1年間の売上に対して目標値に対する進捗率のトップ10の表彰、及び9月からの次期への決起大会を兼ねた立食パーティーの事である。

バブルが弾けた後とはいえ、まだまだ当時の大手化粧品メーカーの羽振りは良く、
大きなホテルの会場を貸切っての立食パーティーには各店舗の店長とビューティースタッフの2名ずつが参加する事になっており、新米店長&ビューティースタッフである大ちゃんと私は初参加になるので全くその様子はわからなかったが、ビューティー部門に力を入れだしていた会社の雰囲気からいくと、そこで表彰される事はその店舗の地区のブロック長にとっても名誉な事らしく、ブロック長が必死になるのも無理からぬ事ではあった。

「最近雇ったビューティースタッフはまだ研修中ですし、田村さんには他の仕事がありますからね、まっ化粧品なんかに構ってる暇はないですね。」

ブロック長の気持ちが分かっているくせに、「ビューティー部門販促会議」の場所なのに、そういうセリフをしらっと言う大ちゃんに、ブロック長は一瞬何かを言いかけたが、

「田上君、君の所はなかなか好調の様だね?このペースでいくとトップ10入りは確実じゃないか?」

大ちゃんの様子をニヤニヤしながら眺めていた田上洋介店長の方に向かって話を振った。

No.121

「僕の所ですか?伊野さんがガッチリと化粧品コーナーを守ってくれてますから。6位入賞狙えたらと思いますね。」

声をかけられた田上店長は瞬時にニヤニヤを引っ込めると、隣に座っているビューティースタッフの 伊野さんに目配せをして、控えめに笑ってみせた。

最初の方にも書いたが、この田上店長は〇〇店の元副店長で、今は〇〇店の倍も大きさも売上もある大型店舗✖✖店の店長。
大ちゃんより少し歳上なのだが、何故か大ちゃんを尊敬し好いていると公言している一風変わった人物である。

「店長はいつもそんな事ばかり言うんだから。」


伊野さんはそんな田上店長を軽く睨んだが、その顔には自信に満ちた表情が浮かんでいた。

伊野妃美子
38歳

他のビューティースタッフ達からヒミコ姉さんと呼ばれている彼女は、元大手化粧品メーカーのBCで
結婚を機に今年度に入った頃から✖✖店にパート勤務している。

とてもアラフォーとは思えない抜群のスタイル、全身から溢れ出る大人の女性の色気、接客技術も優れており、面倒見が良く、サバサバした中に細やかな気使いもある姉御肌タイプ。
かなり高めのプライドを除けば完璧とも言える女性であった。

「うん、確かに。
伊野さんがいてくれる✖✖店は今期は安泰だな。その調子でよろしく頼むよ。」

ブロック長が少々デレっとした様子でニヤける。

「ブロック長!ヒミコ姉さんにばかりデレデレしてないで私たちの店も応援して下さいよ!色気はないですけど食い気とやる気はありますから!」

△△店のビューティースタッフの上尾さんの一言にみんながドッと笑い、
和やかに会議は終わったが、唯一大ちゃんだけがニコリともせず難しい表情で何かを考えこんでいた。

「店長?店に戻りましょうか?」

他の店長達がミーティングルームを出て行く中、1人まだ椅子に座っている大ちゃんにそっと声をかけると、

ガタンっ!!

いきなり大ちゃんが立ち上がりその拍子に腰掛けていたパイプ椅子が派手な音を立てて倒れた。

「わっ!ビックリしたっ、何なんですか?!」

「おい、今日残業できるか?」

「え?!は、はい大丈夫ですけど。」

「じゃあ早速対策会議をやる。」

「え?!なんの対策ですか?」

私の言葉に大ちゃんは少し呆れた様に、でもごく当たり前の様な表情でサラリと言った。

「トップ3に入るためのだよ。」

No.122

「じゃあ早速やることわかるな?」

大ちゃんが唐突に話を振ってくる。

「えっ?!え~と、えっ?」

「アーッ!!!使えねえ奴!!!」

ええええええっ??!!

大ちゃんのいきなりの「使えねえ奴」発言で呆然と立ち尽くす私に、

「そこどいて!」

と、大ちゃんはまるでそれがスタートの合図かの様に、言葉と同時に駐車場に向かって猛ダッシュした。

え?え?え?

呆然としたままその場に取り残された私の中に遅ればせながら怒りの感情がフツフツとこみ上げてきた。

何なんだよ?

説明なしに何いきなりキレて全力疾走してんだよ。

コケろ~コケろ~コケて膝がズルムケな~れ~!!!

心の中で必死で呪いをかけたが、敵はそんなヘボい呪いなぞどこ吹く風。悠々と駐車場から帰還した。

「あれ?ユッキー?」

「ふふっ、これから会議やるんだって?」

敵が得意げに連れ帰った「戦利品」はビューティー部門のアドバイザーとして本社から派遣されているユッキーであり、ユッキーも立場上、この販促会議に参加してくれていた。そのユッキーのその言葉を聞いた途端、流石に察しの悪い私もピンときた。

「あ、ユッキーも会議に付き合ってくれるの?」

「もちろん!こういう時に役に立たなきゃ私がいる意味ないしね。」

ユッキーが優しげにゆったり笑う。

ユッキーの笑顔を見ているうちに大ちゃんへの怒りの感情は薄らぎ、むしろいち早くユッキーの協力を仰ぐ事を決めた大ちゃんの頭の回転の速さに感心すらした。

おそらくこの地区のうち以外の店舗のビューティースタッフ達は先ずはヒミコ姉さんに販売ノウハウ等を学びに行くだろう。

確かにそれは最初のうちは確実で売上も上がる。

だがしかし、それでは✖✖店には勝てない。

いや、同地区の小さな範囲ばかり気にしている場合ではない。

トップ3に入るためには150店舗以上の全店舗を相手に戦うことになる。

ユッキーが何のために本社から派遣されて来ているのか。

遅かれ早かれ他の店舗のビューティースタッフもその事に目を向けるだろう。

そうなるとユッキーは多忙になり、なかなかうちの店舗のみに割く時間が無くなるのは目に見えている。

「何でも早い者勝ち。
あいつらがユッキーの取り合いをする前にうちが極力独占させてもらう。」

私の心を読み取ったのか大ちゃんがニヤリと笑ってそう言った。


No.123

「さてと、おい大川!お前は書記をやってくれ!重要事項を自分なりに判断してまとめとけ。」

大ちゃんの言葉に社員の大川君が慌てて筆記用具を用意する。

閉店後の休憩室。

私達社員3人とユッキー、
そして会議をすると聞きつけた牧田君、加瀬君含むその日出勤していたバイトの子達全員が会議に出たいと申し出てくれた。

「長引いて遅くなりそうなら途中でも帰らせるからな?それでもいいなら。」

と大ちゃんは口ではぶっきらぼうに言いながらも目は優しく嬉しそうに笑っていた。

会議が始まり、先ず大ちゃんとユッキーの共通の提案として出されたのは、
今まで普通の化粧品店の様に接客重視だったものを、徹底した売り場作りでセルフ方式メインにするものだった。

「POPに接客させる、機会ロスはゼロにする、売り場にボリュームを出し…」
大ちゃんが挙げた数々の細かい提案は意外にも特に目新しいものでもなく、ごくごく当たり前の事ばかりだったが、

「この当たり前の事こそちゃんと出来ていないから売り上げが伸び悩む!」

と大ちゃんは強く言い切り、
ユッキーに売り場の厳しいチェックと本社を通じて各化粧品メーカーに売り場作りのための販促物を貰う手配等を頼んでいた。

「他にも本社に頼みたいことはない?
本社と現場を繋ぐために私が派遣されているんだから。
遠慮なくどんどん言ってね?」

「じゃあ、化粧品の売り上げが高い他企業店舗の売り場偵察はやってるよな?
そのレイアウト図を書いてきて欲しい。」

ユッキーの言葉に大ちゃんは遠慮なく更に頼み事を追加する。

本社と現場を繋ぐこのアドバイザー制度はまだ出来たばかりで、アドバイザーとは名ばかりの「連絡係」「人員不足の時の応援役」としての便利屋にやや成りつつあったユッキーにとっては、こんなに現場に重要な頼み事をされて頼りにされるのは嬉しかったのであろう。

「うんうんわかった。」

少し頬を紅潮させたユッキーがメモを取り終わるのを待って、

「悪いけど、今月中に頼む。それ以降はそろそろ目ざとい✖✖店あたりが俺と似たような事を考えだすだろうから、ユッキーが一気に忙しくなるし。」

大ちゃんはそうつけ加え、少し笑うとタバコに火をつけ、

「牧田!加瀬!女の子達を送ってお前らもそのまま帰れ。」

と、まだ話を聞いていたそうにしていたバイトの子達を全員帰宅させた。

No.124

あの頃のドラッグストアは現在の様に乱立しておらず、比較的珍しかった上に品数の多さと値段の安さから来店客数は多かった。

〇〇店の様な150坪程の小型店ですら月の売上が3000万は下らなかったが、大ちゃんが店長になってから売上は更に上がり傾向にあった。

しかし肝心の化粧品、特に高額化粧品はカウンセリングをしないとなかなか売れないため、私はそれをいかにセルフでも売れる様にするかを考えて考えて毎日考えて、寝ても醒めても化粧品の事ばかり考えていた。

手配りチラシを作って配布し、ラッピングの工夫をし、機会ロスを無くすために在庫管理には細心の注意を払う。

商品特徴や使用方法等のわかりやすい説明、見やすい文字配列、それらを各商品ごとに下書きして、POPを書くのが上手いバイトの子に仕上げてもらい、接客の上手いバイトの女の子には、新米ビューティースタッフのパートさんと共に化粧品の基礎知識を叩き込み最低限の接客が出来るように仕込む。

大ちゃんは牧田君や加瀬君を使い化粧品コーナーの売り場の改装を行い、大川君は私が極力化粧品の事に専念出来るようにその他の事をフォローしてくれた。

ユッキーは案の定、他の店舗からフォローやアドバイスを頼まれる様になり、こちらが想像していた以上に多忙になっていたが、どことなくよそ者扱いされていた以前よりずっと楽しそうにその表情もイキイキとしていた。

最後の追い込みとなるお盆の頃、

「すごいね!12位だよ!頑張ったね~」

ユッキーが出力したばかりのデータ表を大ちゃんに手渡しながら感心したように微笑んだ。

「12位じゃ表彰されないけど?」

大ちゃんは鼻で笑いながらデータ表を丸めユッキーの横にいた私の頭をポコンと叩いた。

「あたっ!何で私?!もうっ、わかってますよ!何としてでも10位以内に入れるよう頑張りますから。」

「3位だろ?」

ゲッ。

引きつる私の顔色を読んだユッキーが、

「〇〇店の過去最高記録は90位だよね、それを12位まで引き上げたんだもん、きっと目標は達成出来ると信じてるよ!」

と自信に満ちた笑顔を向けてくれた。

No.125

本社から急遽8月末頃の数日間に化粧品のポイント5倍企画をやるとの通知を受け、嬉しさ半分焦り半分の私はかなりテンパっていた。

今でこそポイント〇倍とかはさして珍しくもないものになっているが、当時はまだまだそこまで浸透していなかったのである。

この年は会社にとっても「〇〇周年」という記念すべき年だったためとリベートの関係で、いつもの年よりもかなり化粧品の売上を伸ばしたいという会社の強い意向があり、土壇場になってこの「テコ入れ」が決まった。

うわっっ、急いで告知ポスター作成して貼りまくって、DM出して、手配りビラまいて、あ、近隣にポスティング行こう。

売上大幅アップの機会、1人でも多くのお客様に知って頂いて来店して頂きたい。

とにかく必死だった。

肝心のポイント5倍期間はビューティースタッフのパートさんとバイトの女の子との3人体制でいつでも誰かしら化粧品の接客が出来るようにし、ユッキーも各店舗に半日ずつ応援に入ってくれたため、接客して接客して接客して、売って売って売った。





「終わったね。長丁場お疲れ様でした!」

8月31日、最終日。
閉店後にユッキーが店に寄ってくれた。

「どうだった?」

そうユッキーに聞かれて、

「う~ん、強気で押して売ればもっと売れたと思うけど、お客さんに押し売りまでして売上取りたくなかったんだ…」

と私は正直に答えた。

「そっか。私はそれで正解だったと思うよ?」

ユッキーは私の肩を優しく叩き、

「大ちゃんは?」

と少し伺う様に聞いてきた。

「事務所。今日の売上とにらめっこしてる。」

「そっか~、明日にならないとハッキリした順位がわからないから落ち着かないよね。」

「そうなんだよ。とりあえずお陰様で10位以内は確定かな?思うんだけど…」

私達は話しながら事務所に向かい、パソコンのモニターをじっと眺めている大ちゃんの背中越しにモニターに映し出された全店売上進捗率データを覗き込んだ。

No.126

「7位か…」

ユッキーと同時に声を出す。

データは集計のため、3日前までの売上分しか反映されていない。

一昨日、昨日、今日の分を含めた最終のデータ結果が分かるのは明日。

明日は例のパーティーの日。

パーティーが始まるのは午後6時から。

遅くても店を4時30分には出ないといけない。

データ更新がされるのは午後5時。

間に合わないな。

行く途中で店に電話をかけて結果を聞いてもいいけどな…
でもとりあえずは10位以内に入ってる。
良かったぁ。

「本当にそう思うか?」

いきなり大ちゃんが振り向いてそう言い放ち、私は腰を抜かしそうなほど驚いた。

「な、な、な、なんで思ってることわかったんですかっ??!!」

「お前の事だからどうせそんなこと考えているんだろうと思って。」

大ちゃんが淡々と答える。

超能力者かよ…

「今の時点で7位だと…もしかしたら5位くらいになるかもしれないし…あの…」

ユッキーが私の横で何か言いにくそうに口ごもる。

「ユッキー?」

意味が分からずそう問いかけた私に、

「暫定7位程度ではひっくり返されて10位圏外に落とされる可能性が十分あるってこと。」

と代わりに大ちゃんが先程と同じく淡々と答える。

あ…

そうだった。

ラストスパートかけて頑張ったのはうちの店舗だけじゃない。

「このポイントセール期間でかなり頑張ってくれてはいるから、進捗率は相当アップしているけど…他がどこまで伸ばしているか…だな。」

「そうだね。うちの地区も皆かなり頑張ってくれてたみたいだし、それはそれで嬉しいのだけど…」

ユッキーは少し身を乗り出して指でモニターをなぞる様にしながら呟いた。

「いつも上位6位までは強豪店揃いのA地区とB地区の店舗がしめてて、後もC地区、D地区の強豪店が争ってるからね…
毎年表彰される店舗は決まってきていてそこにどれだけ食い込めるのか…」

ユッキーの呟きを聞いた私は愕然とした。

えっ?!
そんなに大変なの?!
ダメじゃん…

もう3位がどうとか言ってられないじゃない。
せめて、せめて10位に、何とか10位に…

私は心の中で必死に願った。

No.127

先日の会議で、
「お前らはもう帰れ。」
と大ちゃんがバイトの子達を先に帰らせる事にしたので、私は出入口の鍵を開け閉めするために一緒について行った。

「今日はみんなありがとうね。
一緒に残ってくれた気持ちが嬉しかったよ。」

そうお礼を言った私に、

「姉さん、お礼を言うのは早いよ。
まだ何もしてないでしょ?
これからこれから。
俺達も出来る限り手伝いをさせてもらうし、それで目標達成した時にまたちゃんとお礼を言ってよ。」

牧田君が笑いながら手を振ってきた。

周りの子達もニコニコしながら頷いていた。

あの子達の気持ち嬉しかったな。

あの子達の気持ちに答えるためにも何とか10位以内に入って賞状をみんなに見せて、ありがとうって伝えたい。

どうか…

どうか…

「おい、あまり思いつめるな。
3位取るとかは冗談だから。
90位から暫定とはいえ7位まで上げた努力は皆に誇っていいと俺は思うから、な?」

思いがけない大ちゃんの優しい声に涙が出そうになり、私は慌てて誤魔化す様に笑ったが不安な気持ちは消えることがなく、案の定その晩はあまりよく眠れなかったが、その翌日、朝番出勤のため、私は朝早くからボーッとした頭を抱えつつ、パーティー用の着替え等を携え店に出勤した。

No.128

「そろそろ支度しないと遅れますよ?」

ギリギリまで仕事をしていた私に大川君が気を使って声をかけてくれた。

「そうだね、じゃあ悪いけど支度させてもらうね。」

慌てて休憩室の奥のロッカールームであたふたと着替える。

そんなにかしこまった服装はしなくても良いとは言われていたが、今年は例年より豪華になるとの事で会場もいつもよりランクの高いホテル。
男性はスーツ、女性は少し華やかなスーツやワンピースが良いだろうという事になった。

白衣とスニーカーを脱ぎ、
膝丈のフワッとした女らしいワンピースを着てサマーニットのカーディガンを羽織る。

普段履くことの無い華奢なミュールを履き、わざとカッチリ編み込みをしていた髪をほどいてウェーブのついた髪をルーズにまとめ上げ、夏らしく淡いブルーのストーンの飾りの付いたヘアコームを差し込んだ。

耳にはピアス。

ヘアコームと合わせて、
いや…
本当はヘアコームの方をわざわざ合わせて買ったのだけど、
耳には大ちゃんからもらったブルームーンストーンのピアスを付けた。

このピアスを付けていると不安な気持ちがスーッとおさまっていく様な気がする。

「よしっ!行くか!!」

気合を入れて時計を見ると、予定の時間をかなりオーバーしていた。

ヤバイ!!!

今日は公休だった大ちゃんと最寄り駅で待ち合わせしていたんだ。

慌ててタクシーを呼び駅へと向かう。

駅に着いた時には待ち合わせの時間がまた更にオーバーしていた。

はおっ…
終わったな…

心臓が口から出そうなほど緊張し、憂鬱な気分で改札前の人混みの中に大ちゃんを探す。

ふっと人の切れ目に大ちゃんの姿が見えた瞬間、私は大ちゃんに向かって猛ダッシュを開始した。

「す、すみませ~ん!遅くなりました~!」

声をかけながら駆け寄る私に、

「遅いっ!!!」

と大ちゃんが言いかけ、私を見た瞬間大ちゃんの動きが一瞬止まった。

…えっ?

「あ、あの、すみません…」

「あ、ああ、あ、何か雰囲気違うな?」

「あ、へ、変ですか?」

「いや、うん、似合ってる…」

「良かった…」

シーン…

「あっ!電車来ます!早く行きましょう!」

何となく気恥しい沈黙を破る私の声に大ちゃんも頷き電車に乗り込み、私達は決戦会場のホテルへといざ出陣した。

No.129

「遅かったね。もう始まってるよ。」

会場の受付係をしていたユッキーが、私達に参加者名簿を差し出しながら微笑んだ。

「なに?ユッキー受付やらされてるの?」

大ちゃんが笑いながら名簿の自分の名前の横に〇を付ける。

「私の所属は本社だからね、こういう行事は裏方だよ。」

ユッキーも笑いながら名簿とペンを私の方にそっと寄せてくれた。

裏方というだけあって、ユッキーのスタイルはシンプルな黒のパンツスーツにかっちりとしたまとめ髪、全体に地味めにまとめた中で胸に付けたコサージュが唯一華やかさを出している。

しかしそんなシンプルなスタイルであってもユッキーは完璧に着こなし、上品な雰囲気さえ漂わせていた。

美人は何を着ても似合うのね…

「おい、行くぞ?」

ぼーっとユッキーを眺めていた私に大ちゃんが声をかけてきた。

「あ、私も行くよ。来場者は大ちゃん達で最後だし。」

ユッキーが急いで名簿を片付け、私たちは一緒に会場の中に入った。

「と、言うわけで、集計が遅れておりまして申し訳ありませんが…予定のスケジュール通りに表彰式までには何とか間に合いそうですので…」

広い会場の中心には白い布がかけられた大きなテーブルが幾つか置かれ、沢山のグラスやお皿が置かれている。

その前で丁度本社の商品部のスタッフが集計が遅れた事について説明をしている最中だった。

あ…集計は5時に発表されてなかったんだ…
かなり時間が押しており、店に電話をかけて集計結果を聞く余裕がなくて
そのままここに来てしまい、気にはなっていたのだが…

「何だ、どちらにしてもまだ分からなかったのか。」

大ちゃんが少し鼻で笑う。

「では、先ず来期の全体予算について、運営部部長、〇〇化粧品様、△△化粧品様にそれぞれお話し頂きたいと思います。
その後に表彰式、その後に立食パーティーの運びとさせて頂きます。」

私達がそんな話をしている間にも会はどんどん進み、来期予算について御三方の話が済んだ頃、本社のスタッフが司会者の商品部スタッフに何やら資料らしきものを手渡した。
その直後、

「お待たせ致しました。
では今期の売り上げ進捗率上位10店舗の発表をしたいと思います。」

受け取った司会者の高らかな声が会場内に響き渡った。

No.130

ザワザワ…

会場内が一瞬ざわめいたかと思うと直ぐに静まり返った。

「では10位から発表していきます。
呼ばれた店舗の店長とビューティスタッフの方は前に起こし下さい。」

にこやかに告げる司会者の表情とは対照的に、周囲はピーンと張り詰めた様な緊張の面持ちで司会者を見守っている。

ドキドキドキドキ

どうかお願いします…

頑張ったんです…

どうか10位に…

お願いします…

「10位、B地区※※店!!」

ワッと歓声が上がり、※※店の店長とビューティースタッフの2人が周りに拍手をされながら司会者の元に歩いて行った。

ダメ…だった…

それからも更に順位が発表され、呼ばれた店舗の店長とビューティースタッフ達が嬉しそうに進み出ているのを、どこか夢の中の様な気持ちで呆然と眺めていた私の耳に、

「.次は3位です。E地区…」

という司会者の声がいきなりハッキリと飛び込んできた。

え?!

E地区はうちの地区だ。

まさか、まさか…

胸が高鳴る。
心臓の動悸が激しくなり立っているのが辛くなった私は、

ギュッ!

思わず大ちゃんの腕をギュッと掴んでいた。

「.E地区、✕✕店!」

………えっ?………

「わ~!おめでとう!」

目の前が暗くなり一瞬頭の中が真っ白になったが、私の後ろに立っていたユッキーのその歓声でハッと我にかえった。

「おめでとう!!」

大ちゃんが心底嬉しそうに田上店長に声をかけている。

ヒミコ姉さんがハンカチで目元を押さえながらこちらに向かって小さく手を振った。

手を…振り返さなきゃ…

おめでとう言わなきゃ…

何とか無理矢理に笑顔を取り繕いヒミコ姉さんに向かって拍手を送った後、
視界がみるみるうちにボヤけてくる。

「泣くな。泣くことじゃない。泣くな。」

大ちゃんが私の手をそっと握り、前を向いたまま呟く様に言った。

と、同時に、

「第2位は、E地区〇〇店です!!」

唐突に司会者の声が辺りに響き渡った。

ワーッ!!

E地区のビューティースタッフや店長達が歓声を上げる。

「やった!!!美優ちゃん!!
やった!!!」

ユッキーが半泣きになりながら私の背中をドンドン叩く。

え?
呼ばれた?
え?

「ほら行くぞ!!」

呆然としている私に大ちゃんは優しくそう言うと、私の手を握ったまましっかりした足取りで歩き出した。

No.131

「おっと!〇〇店さん手を繋いで登場です!仲が良いんですねぇ。」

司会者のスタッフにからかわれ、慌てて手を振りほどく私に対して、

「うちのビューティースタッフはもういいお年なんで、転ばないように手を引いてあげないとね。」

と大ちゃんがしれっとした顔で会場の笑いを誘う。

ひ、ひどい。

ムスッとした顔で✕✕店の横に並ぶと田上店長が、

「本当に仲が良いですね。羨ましいです。」

とそっと囁いてきた。

え?
そう見えます?
一方的に貶されてばかりなんですけど?

心の中で田上店長にツッコミを入れているうちに1位の店舗の発表が終わり
、あらためて順位と店名を紹介されるとそれぞれに賞状と副賞の目録が渡されて、私達はまた盛大な拍手を受けながら深々と頭を下げた。

私達が元の場所に戻ったのを見届けた司会者のスタッフが 近くにいたスタッフに合図をすると、あらたにまたメモの様な物が司会者の手に渡され、

「いつもはこれで表彰式は終わりなんですが、今年は特別な年ということで
特別に地区ごとの団体戦として上位3位を表彰させて頂く事にしました。
では3位から。」

渡されたメモを見ながら
間髪入れず司会者のスタッフが引き続き団体戦の表彰式を開始した。

「第3位 B地区!ブロック長と地区の皆さん全員こちらにお願いします!」

司会者の呼ぶ声にB地区のブロック長始め、スタッフ達が笑い合いながら前に出て行く。

B地区のブロック長がコメントを求められはにかみながら話すのを、B地区のスタッフ達は嬉しそうに頷きながら眺めていた。

仲の良い地区だな…
見ていて微笑ましくなった私は精一杯の拍手を送った。

「続いて第2位は、A地区!!」

朗らかだったB地区に比べA地区のスタッフ達は少し残念そうに控えめな笑顔を浮かべているのみだった。

「あそこの地区は強豪店揃いだから。
1位を取ったのもA地区の店舗だったでしょ?
でも2位でも十分凄いと思うんだけどな。」

ユッキーが私にそっと囁いた。

No.132

「でもそのA地区を抑えて1位になった地区があるんでしょ?凄いよね。」

「それはうちだよ!!
なんてねっ、そうだったらいいよね。」

私達の会話にブロック長がいきなり乱入してきた。

「ブロック長、それは望み過ぎですよっ」

私の言葉にブロック長が照れ臭そうに笑う。

そんな会話をボソボソしている間にA地区の表彰が終わり、

慌ててした拍手が終わる頃、

「では第1位。
E地区です!!!おめでとうございます!!!」

司会者が高らかに声をあげ、
ブロック長の方を見て拍手をした。

「ええええっ??!!」

ブロック長が白目をむく勢いで驚いた。

「ほらっブロック長、行きますよ?」

誰よりも1番驚いたブロック長を大ちゃんと田上店長が優しく促し、私達はまた司会者の待つ場所に向かった。

「おめでとうございます!
ではブロック長、何かコメントをお願い致します。」

そう言われ司会者にマイクを渡されるも、ブロック長は泣いてしまいなかなかまともに声が発せない状態になっていた。

余程嬉しかったのだろう。

普段は男らしくしっかりしたイメージだけにそんなブロック長がとても可愛いらしく、もっともっと頑張ってブロック長に喜んでもらいたい気分になった。

「ブロック長が感極まって下さっているので、代わりに〇〇店の神谷店長!一言お願い出来ますか?」

ブロック長の泣きに根負けした司会者が大ちゃんに代役を頼む。

大ちゃんは静かにマイクを受け取り、

「このE地区がこんな好成績をあげられたのはそれぞれの店舗の頑張りがあったのはもちろんですが…」

と言いかけて言葉を切った。

「もちろんですが?」

司会者が続きを促す様に問いかけた途端、

「ユッキー!!!ユッキーが表彰されなきゃダメだろ!!!」

と、大ちゃんが後ろの方で微笑みながらこちらを見ていたユッキーを大声で呼んだ。

「ええっ?!いえいえいえ、私は…」

完全に逃げ腰のユッキーに、

「ユッキーがいなかったらこの地区はこんなに頑張れてなかった。
ユッキー!ありがとう!」

大ちゃんがそう言いながら更に手招きをする。

「ユッキーさん!どうぞこちらへ。」

同じ本社勤務でユッキーの事を知っている司会者も笑いながらユッキーを呼ぶ。

ユッキーが恥ずかしそうにそろそろと前に向かって歩き出した途端、周りから盛大な拍手が起こった。

No.133

「何か食べにでも行くか?」

日が落ちて明かりがきらめき華やかな雰囲気の夜の街を歩きながら、大ちゃんがそう問いかけてきた。

表彰式の後の立食パーティーでは、普段なかなか関わることのない他地区との交流、本社の方への挨拶などでほとんど飲み食いする事も出来ないままにパーティーが終了してしまった。

「そうだね、じゃあ行ってみたいお店があるんだけどいい?」

「いいよ。それよりもそんな高いヒール履いてて大丈夫か?
今日は結構歩いたし。」

大ちゃんが優しく気遣いをみせてくれる。


ずっとそうだよね。

何を食べるとか何処に行きたいとか、いつも私の意見を優先だよね。

それはつきあっている時も別れてしまった今も変わらない。

変わらないと言えば、
みんなの前や仕事関係の関わりの時には、私を貶したりぞんざいな扱いをするのに、プライベートで2人きりの時はこうやって、同じ人間か?と思うくらい優しいよね。

いつも変わらない私からしたら理解出来ないんだけど…
でもこの優しさがとても心地よい。

「うん、ここから歩いて10分くらいのビルにあるから何とか頑張れる。
ただ…ちょっと足が痛くて…
少しゆっくり歩いてくれるとありがたいかな。」

「そうか。」

私の言葉に大ちゃんは私に合わせ歩くペースをぐっと落としてくれた。

「これくらいでいい?」

「うん、あの、軽く腕につかまっていい?少しグラグラするから。」

「好きなだけどうぞ。」

「うん…」

腕につかまっていい?と聞いてはみたものの、恥ずかしさが急に出てきた私はそっと大ちゃんの服の袖をつまんだ。

「んっ?それでいいの?大丈夫?」

大ちゃんが優しく笑う。

「あ、うん…」

「そっか。」

ちょっと恥ずかしくて下を向いていた私の頭を大ちゃんは軽くポンポンとして、

「ミューズの行きたい店ってどんな店?」

と、優しく聞いてきた。

「インドネシア料理のお店なんだ。
バリをイメージした内装がかなりオシャレらしくて、もちろんお料理も美味しいらしい。」

「誰に聞いたの?」

「えっ?えと…グルメ…本…」

「へえ。なら期待出来そう楽しみ。」

大ちゃんが本当に嬉しそうに笑う。

「インドネシア料理って大丈夫?
私も初めてだけど…」

「ミューズが行きたい店だろ?
俺は何でも大丈夫だから。」

大ちゃんは力強くそう言うと笑った。

No.134

ビルの5階。
エレベーターのドアが開いた向こうはいきなり南国の世界だった。

バリ島をイメージしたムードのある内装、広いテラスには本物の火が燃えているたいまつが数箇所に配置され、リゾートホテルのレストランを思わせるかなり洒落た作りになっていた。

「うわっ何か凄いな。」

大ちゃんが感心した様に言う。

「ご予約のお客様ですか?」

インドネシアの民族衣装の様な衣装に身を包んだ綺麗なお姉さんに笑顔を向けられ、

「あっ、いえ、違うんですけど…
席は空いてますか?」

ドギマギしながらお姉さんに尋ねると、

「それがあいにくと満席でございまして、30分ほどお待ち頂ければお席をご用意出来ると思うのですが…」

お姉さんが申し訳なさそうに言うのを聞き私は大ちゃんの顔を見て「どうする?」と目で合図を送った。

「大丈夫です。
ただ椅子を1つ貸してもらえませんか?
彼女が足を少し傷めてまして…」

私への返事の代わりに大ちゃんはお姉さんに椅子の貸出を頼んでくれた。

「あ!それでしたら宜しければですが、テラスに装飾品を兼ねたベンチソファがございますので、そちらにおかけ頂いても…」

言いながらお姉さんが私達を外のテラスに案内してくれた。

南国の庭園を模したテラスには先だって見たたいまつの他に噴水、本物の草木も配置よく植えられており、その奥に設えられた南国ムード溢れるスタンドバーの横にそのベンチソファが置かれていて、お姉さんはそれに薄いクッションを敷いてくれた。

「お!待ってる間に何か飲んでようか?いいですか?」

大ちゃんがにこやかにそう聞くと、

「かしこまりました。
ではまた席のご案内に参りますのでもうしばらくお待ちください。」

と、お姉さんがバーカウンターの中に何やら声をかけ、中にいたスタッフが、

「装飾品で申し訳ありませんが、テーブルの代わりにでも…」

と大きなビア樽を横半分に切ったものをベンチソファの前に置いてくれた。

私の足を気遣い座って飲める様にしてくれたのだろう。
スタッフさん達の心遣いに心が暖かくなり気持ちも浮き立つ。

「わあっ何を頼もうかな?」

ウキウキとドリンクメニューを広げて心惹かれる名前のドリンクをそれぞれ注文する。

スポットライトに照らされた噴水や草木が幻想的な雰囲気で浮かび上がり、夏の終わりの夜風が心地よく私の頬に当たった。

No.135

「お待たせしております。ロフトタイプのお席なら空きましたが、ハシゴを上がらないといけないので…どうされますか?」

お姉さんが私の足の具合を伺う様に聞いてくれる。

「あ!はい!大丈夫です。」

私の返事にお姉さんはニッコリ頷くと私達を案内してくれたが、
その「ロフトタイプの席」は、店の端にある吹き抜けスペースに設けられており、ハシゴを上がると中二階の様になっていて周りからは見えない隠れ部屋の様なスペースだった。

「わあ、すごいね!」

2~4人用のスペースには何故かクッションが沢山置かれていて、私達は真ん中のテーブルを挟んで思い思いにくつろぎ、美味しい料理とお酒の酔いも手伝い好い心持ちになって今日の表彰式の話を楽しんだ。

話しながら私は、大ちゃんが化粧品メーカーの担当者さんに質問された時の事を思い出していた。

「今回、〇〇店さんはS化粧品様の売り上げに関しまして全店1位です!
そこでS化粧品様からも特別賞を授与して頂く事になりました!」

表彰式の最後、メーカー特別賞として、決起大会を催してくれた某大手化粧品メーカー2社のうちの1社から賞を授与される事になり、大ちゃんは満面の笑みで賞状等を受け取ったが、

「弊社のCMモデルの女優の△△〇美さんはご存知ですか?
ちなみに、神谷店長はお好きな女優さんは誰ですか?」

の質問に、

「〇〇✕子さんですね!」
と堂々と答えた。

………

………えっ?

「あらま、そこは社交辞令で△△〇美さんと言って頂きたかったのですが、神谷店長はなかなか正直でいらっしゃいますね。」

S化粧品さんが軽快な切り返しで場内をどっと沸かせ、大ちゃんも照れくさそうに笑っていたが、

「〇〇✕子さんという女優さんの事は昔からのファンなんですか?」

の質問に、

「そうですね。もう3年くらい前からずっと大好きです。」

と妙に真面目な顔つきで答えた。

〇〇✕子さんって…

そんな大ちゃんを見つめながら、私は何度も心の中でその名前を繰り返した。

なんで?
好きだなんて初めて聞いたよ?
胸がドキドキして締め付けられるような気分になる。

〇〇✕子。
その女優さんこそ、
私が3年前によく似ていると周りに言われていた女優さんその人であった。

No.136

「どうしたの?」

大ちゃんの声で我に返った私は曖昧な笑顔で誤魔化し、まだ口をつけていなかったトロピカルカクテルを1口飲んだ。

大きめのグラスにたっぷり入っているこのカクテル、夕陽の色を思わせる綺麗なオレンジ色で、グラスの縁には本物のトロピカルフラワーやフルーツが飾り付けられ、向き合うようにストローが2本さしてあった。

「これ、なんでストロー2本?」

不思議そうにストローを弄る大ちゃん。

「さあ?恋人同士が一緒に飲むためじゃない?」

「ふ~ん。」

大ちゃんはそう言うと、おもむろに片方のストローを口にしカクテルを飲む姿勢を取った。

「んっ。」

そのままの体制で上目遣いに何かを訴えてくる。

「えっ?!んっ?」

「んんっ!!」

「えっ?!なに?!」

「ううううんっっ!!!」

「えっ?!飲んでいいよ?」

「違あうっっ!!飲めようっっ!!」

察しの悪い私に業を煮やしたのか、大ちゃんは私にもう1本のストローを押し付けた。

お子様かよおい…

「わかったよ、ちょっとだけだよ、恥ずかしいから。」

私はそっと顔を近づけてストローを口に…
と、いきなり、

「ミューズ…」

「ん?」

不意にストローから口を離し呼びかけてきた大ちゃんの声に少し顔を上げた瞬間、唇に柔らかい物が押し当てられた。

えっ?
キス…された?…

「え??!!え??!!
あ??!!え??!!」


カーッと顔が熱くなり汗が噴き出す。

「ちょっ、ちょっ、もしかして酔ってる?酔ってる?」

「えっ?!いや酔ってはない…」

「い~や!!酔ってるよね?ねっ?!」

「あっ、はい。
酔って…ます…」

私の意味不明の剣幕に気圧された大ちゃんがオズオズと頷くのを尻目に、

「と、とりあえずトイレ行ってくるぜ!」

と何故かオッサン口調になりながらハシゴを降りようとした私は、このままハシゴを上がって良いものかどうなのか悩んで途中で待機していたウエイターのお兄さんとガッチリ目が合った。

もしかして見られた?!
聞こえてた?!

カーーーーーーッ

恥ずかしさでクラクラと目眩がしている私に、

「あの…こちら当店からのサービスのデザートでございます。
本日はご来店頂きありがとうございます。」

と、お兄さんは少し顔を赤らめながらニッコリと優しく微笑んだ。

No.137

2019年7月7日

早朝にふと目覚め、時計を見る。

「まだ5時過ぎか…」

昨日寝たのが深夜の1時を回ってからだ。

もう一眠りしよう。

即座に目を閉じ、再び眠りにつく…



「ミューズ、応援に来たけど、これはどこに置くの?」

不意に声をかけられ目を上げると、いつの間にか私は今勤めている職場におり、周囲では何人もの見知らぬ人達がまるで引越しか何かの作業の様に、机や棚を移動したり、床にワックスがけをしたり色々と忙しそうに動き回っていた。

…あれ?
何が起きているのかよく把握も出来ないままに声をかけてくれた相手の顔を見る。

「大ちゃん?」

「これどこ置くの?」

ぼーっとしている私に少しイラついた様な声を出し大ちゃんがロッカーを指さす。

「え、えと…」

頭の中のボヤーっとした霧の様な物が晴れてだんだん状況把握がしっかりと出来てきた。

そうだ。
今日は大掃除と改装の日だったんだ。
それで多くの人に応援に来てもらってたんだっけ…

「あ、じゃあ隣の部屋に…」

そう私が言いかけた途端、

「これは私達が運んでおきますので、応援者の方は上がってもらって良いですよ。」

大ちゃんの後ろから見知らぬ女性達数名が声をかけてくれ、

「すみません、じゃあお願いします。」

その言葉に何故か妙に安堵した私はそう返事をし、残りの作業を他の人達にお任せして、帰る大ちゃんを見送ろうと一緒に会社の外に出た。

「夕飯食べて帰るかな。
付き合える?興奮すると色々マズイからイチャつく事はしないけど。」

大ちゃんが冗談とも本気とも分からない中途半端な真顔でそう言う。

「何言ってんのよ。」

苦笑しながらそう返す私の手を大ちゃんは黙って握り、私達はそのまま手を繋いで歩き出した。

外は既に夕方になっており、
真っ赤な夕焼け空が一面に広がっていて、夕陽に照らされた外の景色は全く見たことのない風景だったが、私達は迷うことなく歩き続け、古い大きな教会の様な建物の前にたどり着いた。

「入ってみようか」

大ちゃんが教会を少し見あげながら言う。

「ん。」

大きな扉を開け中に入るとすぐに大きな礼拝堂の様な部屋になっており、
幾つも並べられた長椅子の後ろの方に何組かの親子連れやカップル達が座っていたが前の方には全く人がおらず、私達は1番前の長椅子にゆったりと腰を下ろした。

No.138

私達はそこに並んで座って少し何か会話をしていたはずなのだが、何故かその言葉がかき消され、会話は成り立たせているものの何の会話なのかまるで理解出来なかった。

そのうち霧の中の様な会話が途切れ、
大ちゃんが少し私にもたれかかってきので、

「疲れた?」

と横を向こうとした瞬間、大ちゃんが優しく私の頬に何度もキスをしてきた。

大ちゃん?

大ちゃんの顔が至近距離にある。

私もそっと大ちゃんの頬にキスをすると、

「少し寝かせて…」

と大ちゃんが私のひざを枕にして寝転がった。

「子供みたいだよ。」

と照れ臭さをはぐらかすために茶化そうと顔を覗き込むと、大ちゃんの顔は出会った当初の18歳の頃の顔になっていた。

気がつくと私の服装なども20代の頃の様な雰囲気になっている。

不意にあの頃の情景が蘇る。

大ちゃんが愛おしい…

キス…しようかな…

色々な違和感がある状態の中でそんな事を思う。

「興奮すると色々マズイから…」

不意にさっき聞いた言葉が蘇ってきた。

ダメだ。
キスしちゃダメだ…

私はせめて大ちゃんの温もりだけでも感じようとそっと髪を撫でた。

途端、辺りは白くボヤーっと霧がかかったかの様な光景が広がり出した。

ダメだという思いが強すぎて意識が覚醒しだしたのだろう。

辺りが完全に真っ白になり、私は静かに目覚めた。




もっと長い夢を見ていたはずだった。

でも目覚めと同時に、少しずつその夢の記憶が欠落していき、これを書いている今現在でも相当抜け落ちてしまっているのが朧気ながらわかる。

教会での会話も本当は内容がわかっていたのだろうと思う。
再び思い出すことはないであろうが…

鮮明だったあの手の温もり、頬に当たった唇の柔らかい感触も次第に薄れていっている。

会いたいな…
ふと思う。

あの人は今でも、
「会いたい来て欲しい」
と連絡すればたとえ10分しか会えなくても遠い地から来てくれる。

そう。

どうしたんだと心配のあまりブツブツ怒りながら車を飛ばして来てくれる。
あの人はそんな人だ。
それが分かっているから私はあの人に連絡をしない。

1年ぶりに会ったね。
夢の中だけど嬉しいよ。

7月7日に見た不思議にリアルな夢。

勝手に七夕の奇跡としておこう。

どうかこの夏も元気で体調に気をつけて。

遠い地からそっと祈ります。

No.139

化粧品部門の販売コンクール表彰式の帰りに立ち寄ったダイニングカフェにて、

大ちゃんに突然キスをされ、ウエイターのお兄さんにそれを見られ?1人慌てふためいた私は、

「酔ってるからね、酔った勢いってやつだよね、
これは無かった事にしとくから。」

と、つい口走り、

「え?」

と、何かを言いかけた大ちゃんを、

「大丈夫!忘れるから。」

と強制的に制して話を終わらせてしまった。

私達はその後は本当に何も無かったかの様に普通に会話をしてそれぞれ帰宅したが、もっと踏み込むべきだったのか、それともキッチリ話をすべきだったのか、モヤモヤとした気持ちが拭えず、私は一晩中ベッドの上をゴロゴロと転がり回りあまり眠ることが出来なかった。

明け方近くになり、転がり回るのにもいい加減疲れてきた頃、
でも…
と、部屋の天井を見つめながら考えた。

酔った勢いでって事で忘れてしまうのが1番良いんだよね。

そう、何も無かった。
何も無かった。

私は掛け布団を頭の上まですっぽり掛け無理矢理目を閉じた。

周りに迷惑かけて無理に一緒になっても、どうせまた上手くいかなくなるだけ。
手に入らないとわかっているから恋しいだけ…

どこかで聞いたようなセリフ…
何かのドラマだったかな?…

薄れゆく意識の中で私は交互にその言葉を繰り返し、いつしか眠りに落ちていった。

翌日、
幸い遅番出勤だったため、ある程度の睡眠時間を取れた私は、比較的スッキリした頭で店に向かった。

「おはようございます。」

朝番の大川君と挨拶を交わした後、昨日の表彰式の話をした。

「へえ、あのブロック長が男泣きですか。」

「そうなんだよ。ビックリしちゃった。でも感動したよ。もらい泣きしそうになったもの。あ!それから大ちゃんが大声でユッキーを呼んでね…」

「そんなあらたまった場所であだ名で呼ぶなんて…いかにも店長らしいですね。」

「そうそう!ほんとだよね。」

2人で笑い合いながら改めて、頑張って良かったなとしみじみ思った。

「そうそう!店長といえば今日の夕方、本社帰りに店に寄るって電話がありましたよ。」

ドキン!

大川君の何気ない一言に胸がドキッとした。

「そ、そうなんだ。」

平静を装おうとしつつも動揺が隠せそうになかった私は、店内の様子を見に行く振りをしてその場を離れた。

No.140

「お疲れっす!」

夕方、スーツ姿の大ちゃんが暑そうにネクタイを緩めながら事務所に入って来た。

「あ、お疲れ様です。」

昨日の事を思うとドギマギして少し素っ気なく返す私をあまり気にする様子もなく、

「本社でユッキーに会ったよ。
後でうちの店に来るってさ。」

と手近な椅子に座りフゥと大きく息をついた。

「疲れてますね。
今日も本当は休みなのに本社行きだったし。
早く帰ってゆっくりされたらどうですか?」

少し呆れ気味の私の言葉に、

「大丈夫!それより気遣ってくれるんだったらコーヒーでも奢ってよ。」

と何故か大ちゃんは嬉しそうな顔をして答えながら、早く行け!と言うように事務所の出入口に向かって軽く手を振る。

ったく…
奢らされ+買ってくるんかいっ。

半ば呆れながらも無言で財布を握り、事務所の扉を開けかけた途端、

「あ!ちょっと待って!ついでに郵便局も!」

大ちゃんは急いで金庫からお金を出し、

「DM用のハガキ100枚くらいもあればいいか?」

と言いながら私にお札を握らせた。

郵便局まではさほど遠い距離でもなかったが、窓口が閉まる時間まであまり余裕が無く、慌てて原付バイクで駐車場に乗り付けた時には終了10分前になっていた。

ふう、何とか間に合ったな。

バイクを停め、中に入ろうとした私はふと前の道路で信号待ち中の1台の車に目が止まった。

運転席に20代後半くらいの男性が座っている。

その男性は私の視線に気づいたのかチラリとこちらを一瞥したかと思うと急に驚いた様に私の顔を凝視しながら車の窓を開けた。

「ミューズ?」

「ユータン!!!」

遠くの空に入道雲が浮かぶ9月の夕暮れ時、
ユータンが私にかけた声と私が叫ぶ声がほぼ同時に響き渡った。

No.141

ププッ

信号がいつの間にか青に変わっていた。
ユータンの後ろの車が催促する様に軽くクラクションを鳴らす。

ユータンは少し慌てた様に一旦前を向いたが、再び目線をこちらに向けると軽く前方を指差し、また直ぐに前を向いて車を発進させた。

んっ?
なに?

歩道からユータンの車の向かう先に目をやると車は少し先にあるコンビニの駐車場に入って行き、それで察した私は急いでバイクに乗ると同じ様にコンビニの駐車場に入った。

駐車場では丁度ユータンが車を停め降りた所だったが、

「ユータン!!!」

私の再び叫ぶ声に少しバツの悪そうなはにかんだ笑顔を浮かべながら頭をかいた。

「ユータン!!今までどうしてたの?」

ユータンに掴みかからんばかりの勢いで問う私に少し圧倒されながらもユータンは飄々としたあの懐かしい笑顔を浮かべ、

「やっ!あんな所で何してたの?」

と笑いを噛み殺した声で返してきた。

「連絡取れないしまさかまた会えるなんて…えっ?郵便局にハガキを買いに…」

「DM用?」

「そうそう、いつもギリギリに買いに行くから今回は早めに…って、ああっ!!!」

ここまで一気に興奮して話した私ははたと気づいた。

しまった!
ハガキをまだ買ってない。

慌てて時計を見た。

窓口の受付終了まで5分を切っている。

「ユータン!携帯持ってる?!
ちょっと番号教えて!
とりあえず郵便局行ってくる!!」

何かを言いかけたユータンをそのまま振り切り私はまたバイクに乗ると急いで郵便局に戻り何とかギリギリ滑り込んだが、窓口では前に並んでいたお客さんに手間取ったため、
私がやっとハガキを買って外に出た時には予想以上に時間がかかってしまっていた。

ユータン待っててくれてるかな?

焦りながら急いでバイクに乗ろうとした時、
足を置くステップ部分に小石をおもしにして小さな白い物が置かれているのが目に入った。


No.142

それは手帳を無造作に破り取ったらしき紙片で、
「ごめん急ぐからまた連絡して。」

とやや乱暴に殴り書きされたその文の下に、

山田勇人

090-✖✖✖✖-〇〇〇〇

と記してあった。


山田…勇人?

……あ

そういえばユータンの名前って
山田勇人だったっけ。

今更ながらユータンの名前を思い出す。

「ユート君🎵久しぶりだね。」

紙片に向かって小声で呟くと何だか妙に笑いが込み上げてくる。

あっダメだ、ダメだ。
周りから見たら1人呟いたりニヤニヤしたり、私完全に怪しい人だ。

慌てて笑いを引っ込めると
バイクに乗り店に戻った。

「お疲れ様!そしてお帰りなさい!」

事務所のドアを開けるとそこに立っていた大ちゃんとユッキーが一斉に振り向き、ユッキーがニコニコしながらそう声をかけてくれた。

ユッキー…

今さっきユータンに会ったんだよ。

携帯の番号も教えてもらったよ。

ユッキーにそう言って良いものか一瞬悩む。

ユッキーとユータンはかつて恋人同士だったが別れてしまった。

互いに冷めてや嫌いになってというよりもユータンのお母さんの事など色々と複雑な事情が原因ではあるらしかったが、逆に余計な気を使ってしまう。

ユータンと別れた後、ユッキーは取り引き先の営業の人と電撃結婚をしたが、程なくして電撃離婚をした。

敢えて理由は書かないがユッキーもかなり苦悩した末の事で、その事については気の毒としか言い様がない。

その頃、ユッキーから少しタイミングが遅れてユータンの結婚離婚の話を共通の知人から聞いた時、単なる偶然なのか?それとも…
と私は密かにある勝手な推測を立てたが、あくまでもそれは推測であり、人を傷つけかねない内容でもあるため、誰にも話さず1人そのまま胸の奥にしまった。

ユータンは離婚した後、稀にだが唯一連絡を取っていた知人とも音信不通になり消息が全く掴めなくなっていて心配していたので、今日の偶然の再会は私にとってはとても喜ぶべき事ではあったのだけれど…

「どうしたの?」

ずっと押し黙っている私を心配してかユッキーが少し伺う様に聞いてくる。

「………」

私はメモをギュッと握りしめたままユッキーの顔を見つめた。

No.143

沈黙を破ったのは大ちゃんだった。

「ハガキは?」

「あ、はい!」

いきなりぶっきらぼうに短く鋭い声をかけられた私は慌ててハガキを事務所の机の上に置いた。

「私ちょっと売り場の様子を見てくるね。」

少し気まずい空気が流れたのを素早く感じ取ったユッキーが気を利かせて事務所を出ていく。

あ~…

ホッとした様な心細い様な…

微妙に複雑な思いでユッキーが出ていくのを見送った私に、

「で?」

と大ちゃんは容赦なく鋭い視線を向けた。

「えっ?!あ、あのっいえ、その、あの言った方がいいのかどうなのか…」

「領収書は?もらってないの?」

へ?

あ、ああ領収書か。

慌ててハガキの領収書を出す。

大ちゃんは不機嫌そうに領収書を受け取ると私の左手を見つめた。

私の左手にはまだユータンからのメモが握られたままになっている。

「何かいちいちコソコソしてる態度が…」

「えっ?!何の事ですか?」

「別に。そっちが何をしようと何を思おうと俺には関係ないし!!!」

…………

…………


は?

「あの…え~と?あの?」

相変わらず意味不明な大ちゃんの言動に私はまた振り回されかけていた。

「あの…ごめん…なさい…」

わけも分からず謝る私に大ちゃんは更に苛立ったように、

「ミューズは彼氏いるんでしょ?!
なのに他の男からヘラヘラと連絡先もらってるって軽くない??!!」

と吐き捨てるように言った。

うおっ、何で男からの連絡先のメモだとわかった?!
いつの間に読心術にプラスして透視能力まで身につけたんだおい。

つ~か、ならその彼氏持ちの女にキスしたおめえは軽さの最高峰じゃんか!
ヘリウムガスかよお前は。

私は恐怖と怒りと呆れが渾然一体となりしばらく呆然としていたがこれではラチがあかないと思い直し、メモを広げると大ちゃんにそっと渡した。

No.144

「えっ?!」

まさかメモを渡されるとは思ってなかったであろう大ちゃんは一瞬あからさまに驚いた表情を見せたが、

「なに?何で俺に渡すの?意味わかんね。」

とつまらなそうにメモを私に返そうとした。

「いいからちょっと見てよ。」

「何で男の携帯番号を見なきゃなんだよ。興味ねえわ。」

うおっ、ちょっとお前…
まだメモ見てないだろ?!
なのに何で携帯番号って事までわかる?
(当時はまだまだ携帯は完全普及しておらず家電を教えてくれる人も多かった)
もうドラッグストア勤務なんか辞めて
すぐにビックリ人間大会にでもエントリーしてこい。
世界大会優勝も目じゃないぞ!
あれば…の話だけど…

心の中で色々ツッコミながらも

「見て欲しいんだよ。見て?お願い!」

と半ば押し付けるように大ちゃんの手にメモを握らせた。

「お?おお…」

大ちゃんは何故か急に大人しくなりいそいそとメモを開きかけたが、フッと私の方に目をやると急に思い直したように手を止めて、
あんた主演男優賞でも狙ってんの?ばりの巧みな演技でまるで何も興味が無い風にゆっくりとメモを開いた。

「んっ?ん?山田?勇人?」

あんぐりと口を開けるとは正にこういうことなのだろう。

大ちゃんは数秒間口をぽかんと開けていたが、

「ええええっ?!山田さん??!!」

と素っ頓狂な声をあげた。

「うん。ユータンだよ。
郵便局の前で偶然会って…」

「そうなんだ!山田さん!何やってんだよ一体!」

私の話を遮るようにして大ちゃんは半ば叫ぶ様にそう言うと顔中をクシャクシャにして笑った。

大ちゃん…

大ちゃんも嬉しいんだな。
無邪気に喜ぶ大ちゃんを見ているとまた私の中にも嬉しい気持ちが沸き起こってきた。

「ね?ビックリでしょ?
それで…ちょっと相談なんだけどユッキーにはどうしようかと?…」

ガタン

途端に後ろのドアが開く音が聞こえそれと同時に、

「ごめんなさい、ちょっと売り場の件なんだけど…」
と言いながら当のユッキーが入って来た。

No.145

「ええっ?!ああっ?!ユッキー?!」

突然のユッキーの登場に私は狼狽えた。

「ん?まだ何か…お取り込み中…だった?」

少し遠慮したようなユッキーの言葉に、

「ユッキー!ミューズが山田さんの携帯番号ゲットしたってよ!」

と大ちゃんがメモをひらつかせ大声でそう言った。

げっ。

なにいきなり直球ど真ん中投げてんのよっ!

ひきつる私に構わず大ちゃんはメモを泳がせる様に振りながら

「はい」

とユッキーの鼻先に突きつける。

「コラコラ大ちゃん!」

ユッキーが笑いながらメモを取り、

「へええ、ユータンも携帯持つようになったんだ。」

とクスクス笑いながらそれでもどこか懐かしそうな目をしてメモをじっと眺めた。

ユッキー?

心なしかユッキーの目が潤んでいる様に見え、

「あ、ね?ね?大ちゃん凄いんだよ!
このメモを見る前に男性の携帯電話の番号が書いてあるって当てたんだから!エスパーかっつーの!」

慌てた私はわざとらしいくらいの笑い声をあげ必要以上に明るくユッキーに話しかけた。

「えっ?そうなの?すごいね大ちゃん。」

感心して驚くユッキーに、

「なわけないでしょ!ミューズが俺にメモを渡そうとした時に一瞬広げてさ、その時にちらっと見えただけ。」

ユッキーに対してもわりかし容赦のない大ちゃんが馬鹿にした様に鼻で笑う。

「なんだ~もお!手品みたいって思ったのに。あ、でも手品ってこんな感じかもね。」

「そうそう。種を明かせば単純!」

2人が可笑しそうに笑う横で、

え?
でも…メモを握ったままの状態の時に既に「男からの連絡先」って言い当ててたよね?
あの時は絶対に見えない状態だったよ?
何故わかったの?

1人モヤモヤとした思いが拭えず、

「あの…それならさ…」

と言いかけた私に、

「ね?今日は私もラストまでこの店にいるから閉店後にでもユータンに電話してみない?」

と、ユッキーがイタズラっぽい目をしながら話しかけてきた。

No.146

「え~と090…」

閉店後の店の休憩室、

大ちゃんとユッキーが見守る中で私は緊張しながら電話番号を入力した。

「プルルルル…プルルルル…」

「ふう…出ないね…まだ仕事中かな?」

何コールか鳴らしたが出る気配を感じられず諦めて電話を切った私は独り言の様に呟いた。

「ちょっと貸してみ?」

大ちゃんは私の手から携帯を受け取ると何の躊躇もなくリダイヤルボタンを押した。

「…………」

「…………」

やっぱり出ないな…

そう思った瞬間に、

「この電話番号は現在使われておりません。」

いきなり大ちゃんが真顔でそう言った。

えっ?!

えっ?!

驚く私の方をちらっと見た大ちゃんはニヤリと笑うと、

「嘘で~す!俺ですよ、山田さん!神谷です!」

と嬉しそうな声を出し、直後に携帯の向こうから嬉しそうに大笑いするユータンの声が漏れ聞こえて来た。

「久しぶりっすね~生きてました?」

大ちゃんは相変わらず失礼な口をききながらも嬉しそうな笑顔を浮かべ、

「これミューズの携帯なんで代わりますね。」

と有無を言わさず私に携帯を返してきたので慌てた私は、

「あのっ、ユータン、また4人で遊びに行こうよ?だから電話したっていうか…」

と適当な事を言ってしまい、
しまった…ユータンとユッキーの気持ちを確かめもせずに勝手な事を言ってしまった!と瞬時に後悔した。

どうしよう…

「ユッキーは?いるの?」

焦る私の耳にユータンの声が飛び込んでくる。

「え?!あ、ああ、うん、いるよ…」

返答に詰まりながらちらっとユッキーと大ちゃんの方に交互に目をやると
大ちゃんは軽く頷き、私の手から携帯を取るとそのままごく自然な態度でユッキーに手渡した。

No.147

「もしもし…あ、うん…有希だけど…えっ?えっ?…」

少し緊張した面持ちで電話に出たユッキーが少し相手の話を聞く素振りを見せた後いきなり笑いだした。

「あはははは!やだユータン!電話をかけた側がこの電話番号は現在使われておりません…になるはずないじゃないの!バッカじゃない?!」

どうやらユータンはさっきの大ちゃんのイタズラに本気で騙されていたようだ。

「あはははは!ちょっと聞いてよ大ちゃん!ユータンったら…」

ユッキーが可笑しそうに携帯を握りしめたまま笑い転げる。

「あはははは!」

電話の向こうでユータンも楽しそうに笑う声が聞こえてくる。

「ごめんごめん、勝手に盛り上がっちゃった。代わるね。」

予想外の2人の気さくなやり取りに対して少し驚き気味だった私に、ユッキーがニコニコしながら携帯を返してきた。

「えっ?まだ話してていいよ?」

「いいのいいの、あまり長々話すと通話料金がとんでもなく高くなるから。」

ユッキーが早く話してと言わんばかりに私に携帯を押し付ける。

詳しい金額は忘れてしまったが、当時携帯電話の通話料金はかなり高く、おいそれと気軽に長電話などできない時代だった。

通話料金がかかるのは嫌だからと相手にワン切りしてかけ直してもらうのを狙うという強者もいたほどだ。

「あっもしもし!また代わったんだけど…」

ユッキーの気づかいを受け、私は慌ててまた電話に出た。

「ミューズ!で、いつ集まるの?」

そんな私にユータンが待ちかねた様にいきなり切り出してくる。

「えっ?えっ?あの、ユータン…いいの?」

「んっ?大ちゃんとユッキーが良ければ俺はいいよ。っていうか皆の声を聴いたらむしろ会いたくて仕方なくなった。」

ユータンが懐かしそうな声を出す。

「大ちゃん、ユッキー、あの…ユータンが皆に会いたいって…言ってる…んだけど…」

送話口をギュッと押さえながらそう2人に問いかけると、

「いいよ!久しぶりにまた皆で会おうよ!」

戸惑いでオドオドしている私の不安を打ち消すようにそう真っ先に即答してくれたのはユッキーだった。

No.148

「ご飯食べに連れて行って下さいよ!」

土曜日の休憩室、
一緒に休憩を取っていた加瀬君が少し甘えた声を出してねだってきた。

「え?!なぜ?!」

「なぜって…ミューさんまた連れて行ってくれるって言ったじゃないですか。」

あ、そうだった。

「ごめんごめんそうだったね。
いつにしようかな?」

「今日でもいいっすよ!」

「早っ?!まあ私も今日は朝番だからいいけど…」

トントンと話が進み、じゃあ今日、焼肉でも食べに行きましょうかとあらかた話が決まりかけた時、

「俺も行きま~す!」

と、いきなり牧田君が休憩室に乱入し私達は死ぬほど驚いた。

「わわっ牧田くん?!び、びっくりした!」

「な、な、な、ユーヤ!ユーヤ!ユーヤ!」

「なんだよ~そんなに何回も呼ばなくても聞こえてるって!」

牧田君は驚き過ぎて目を白黒させながら必要以上にユーヤ連呼を続けている加瀬君の肩を抱くようにして耳元に顔を近づけると、

「俺も焼肉好きなんだよね。」
とニヤリと笑った。

こいつも来るのか…
休憩室の中での話を一体どこで聞いていたのか…

やれやれと思いつつも、加瀬君と2人きりというのも何だか気まずかった私は内心少しほっとした。

でも高校生男子2人と3人でとか…

う~ん。

「お疲れ様~ちょっと寄ってみたんだけど。」

思案しかけた私の耳にノックの音が聞こえたかと思うと、ユッキーがニコニコしながら休憩室に入ってきた。

ナイスタイミ~ング!ユッキー!!

「ね、今日ここに何時までいるつもりなの?」

目をキラキラさせてやや詰め寄り気味に問いかける私の言葉に、

「えっ?!え、えと、ここには顔だけ出してすぐに✕✕店に行こうと思ってたんだけど…」

と、これまたユッキーもやや引き気味にオドオドと答える。

「じゃあさ、✕✕店に行った帰りにまたここに来てよ。
焼肉食べに行こうよ!」

私の言葉に、

「焼肉?!行きたい!行きたい!」

とユッキーが嬉しそうに頷き、とりあえずの焼肉メンバーが決まった。

「じゃあ美優ちゃんが仕事上がる頃に来るよ。」

ユッキーが嬉しそうに手を振って出ていくのを見送り仕事に入る。

数時間後。

「そろそろ上がります。」

遅番の大川君に声をかけ、帰り支度をしていた所に、

「お疲れ様~!」

とユッキーが戻ってきた。

No.149

>> 148 ユッキーが戻ってきた。

ユッキーが…

「お疲れ様。」

えええっ?!

ユッキーの後ろにはこの日何故か休みだったはずの大ちゃんが立っている。

「え?!あの?あれ?お疲れ様です。
どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも。
お前ブロック長に提出する書類の期日を間違えてたぞ?
いちいち連絡するのも面倒くさかったから俺が仕上げてブロック長が立ち寄ってた✕✕店に届けに行った。
でそこでユッキーに会ったから一緒に帰ってきた。」

ぐはーっ…

「す、すみません。」

「おかげで昼も食わずにブロック長の話に付き合わされて…」

「す、すみません。」

「あ~腹減った。」

「す、すみません…この埋め合わせは…どうしたものか…」

「じゃあ大ちゃんも焼肉食べに行こうよ!」

気まずさ最高潮の雰囲気をぶち破る様に、突然ユッキーが横からニコニコしながら口を出した。

「焼肉?ユッキーとミューズと?」

「あ、いや、加瀬君と牧田くんもなんだけど、人数が増えてきてるからいっその事仕事上がった他の人も誘おうか?あ、でも早上がりした人達はもう帰っちゃった…」

私はここまで一気に話しかけた時、
ようやくユッキーの少し困った視線と大ちゃんの少し呆れた視線が微妙に絡み合っていることに気がついた。

後ろ…
後ろ…

ユッキーから私の脳内に謎のテレパシーが送られてくる。

クルン。

「お疲れ様!なあに?みんなでどこかに行くの?いいわね~。」

振り向いた私の視線の先にはとっくに仕事を上がったはずの沖さんが立っていた。

お、お、沖さんっ

「あ、あれ?どうしたんですか?!」

「忘れ物しちゃって、取りに戻ってきたのよ。今日は旦那もいないから急いで帰る必要もないしね。」

「あ、あ、そ、そうなんですね!
あ、あの、良かったら皆で焼肉で行きません?」

「え?でもお邪魔じゃない?」

「いえいえとんでもない!人数多い方が絶対にいいですし!」

「そう?じゃあご一緒しようかな。」

「はい!勿論です!行きましょう!」

ふう…

まあ沖さんも悪い人ではないしね。

寂しがり屋で可愛い所もある人だしね。

ね?

「じゃ、じゃあ加瀬君と牧田君を呼んでくるね。」

加瀬君と牧田君を呼びに行こうと歩き出した私の脳内に

「この八方美人め。」

と大ちゃんの声が響き渡った。

…気がした。

No.150

焼肉店に着いた。

大人数での時は私はいつもサッと座るのが苦手で、皆を座らせてから何となく空いた所に座る。

「私、奥取った~!」

ユッキーが嬉しそうにサッと座敷の奥側にチョコンと座った。
座敷席の奥側は後ろの壁だけでなく、横の壁にも両方もたれられる事からひそかな人気場所だ。

「俺も~!」

大ちゃんも嬉しそうにそそくさとユッキーの向かい側の奥の席に座る。

この2人、本当に変な所で似ている…

後はそれぞれ2人ずつ座るわけだけど…

「姉さん!ボーッとしてないでサッサと座ってよ!俺達が座れないでしょ!」

皆の座り待ちをしていた私を、牧田君が何やってんだよと言わんばかりに大ちゃんの隣の方に押しやった。

え、え、え、なんでそこ?!
普通は同性のユッキーの隣でしょ?!

一瞬戸惑ったが、そこでうだうだと拒むといかにも大ちゃんの隣を嫌がっている様にしか見えない。

お、お邪魔します…
とチョコンと大ちゃんの隣に座ったが、
この時からその後20年にも渡り
大ちゃんや牧田君達との飲み会の時には、大ちゃんの隣の席は必ず私の指定席になる事をこの時の私は知る由もなかった。



「じゃあ私はユキちゃんの隣で。」

沖さんがユッキーの隣に座ったために私と沖さんがテーブルを挟んで向き合う形になってしまった。

うっ…
何となく気まずい…

なるべくツッコミどころが無いように静かにしていよう…

そんな私の気持ちをフル無視って大ちゃんがちょっかいをかけてくる。

「ほら~幹事!サッサとまとめてオーダーしてよ!」

「あ、あ、あ、え、えと、メニューメニュー…あれ?メニューはどこにいった???」

あたふたとメニューを探す私に、

「早くしろよな~幹事失格だぞ?」

と大ちゃんが笑いながら催促する。

「え、えと、何故かメニューが…あれ?あれ?」

「美優ちゃん、後ろを振り返ってみてよ。」

モタモタと焦る私を見かねたユッキーに笑いながらそう言われ後ろを見ると、私の真後ろにメニューが一式置かれている。

あれ?
なんでこんなとこに?

「ユッキー!教えちゃダメじゃん!」

大ちゃんが少し残念そうに笑いながら言う。

お前が置いたんかいっっ!!

ホッと気が抜けて大ちゃんを横目で睨みつけた途端に右斜め前方向から猛烈に注がれていた視線にやっと気づいた。

投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧