雨が降っていた2
以前「雨が降っていた」を投稿していた者です。
こちらの都合で中途半端になってしまっていました。読んでくださっていた方がいたらごめんなさい。
新たにこちらで続きを書きます。
どうか引き続きよろしくお願い致します。
23/12/14 17:30 追記
感想スレあります ご意見頂けたら嬉しいです
その日から私達は一緒に暮らし始めた。新たな住まいを決めてからにしようと思っていたけれど、友香が『もう離れたくない』と言い出して家に帰ろうとしなかったし、私も友香を帰したくなかった。
二人で家を探して、家具や食器も買い足して、麻耶に手伝ってもらって引っ越しも済ませて、そのどれもが楽しかった。
お嬢様育ちの友香に家事が出来るのかと心配したものの(何せ家には通いの家政婦さんがいたらしい)それは杞憂に終わった。友香がその家政婦さんに家事を教わっていたからだ。留守がちの母親よりもずっと親切に教えてくれたと、友香は笑いながら言った。
新しいマンションで、友香とずっと一緒にいられて、唯一の不安材料の美咲も目の前から消えてくれて、最高の気分のまま季節は冬に移っていった。
意外にも美咲は約束を守って、二度と私達に関わって来なかった。引っ 越しに追われている最中に、光流から美咲が夫について上海に行ったと聞いた。その話を友香にすると、彼女は私を抱き締めて言った。
「もう何も心配要らないね。」
その時の友香の笑顔に、私は心の底からほっとした。
クリスマスを恋人と過ごすのが夢だった私は、小さな子供みたいにその日を楽しみに待った。帰るのが一緒の家でも、オシャレをして外で待ち合わせをして、気取った店で食事をして・・・
そんなクリスマスに憧れていると話したら、友香はそういうクリスマスにしようと言ってくれた。
ホテルのフレンチレストランは恋人達や夫婦に見えるカップルで溢れていた。女性二人組の私達は少し浮いている。
でも流石はクリスマスイブの夜だ。みんな二人だけの甘い世界に浸りきっていて、私達に視線を送る人なんていない。おかげで友香と素敵なディナーを楽しむ事が出来た。
普通の恋人達なら、この食事の後にホテルの部屋でロマンチックな夜の締めくくりが出来るのだろう。
もちろん、私達だってそうしたければそうしたって構わないのだ。
だけど明日の朝、チェックアウトの際に周りを意識せずにいられるだろうか?
『あの人達、夕べ二人でここに泊まったの?クリスマスイブに?』
そんな声が聞こえて来そうな空気に耐えられるだろうか?
それに大学の子がいるかもしれない。食事をしただけなら何とも思われなくても、クリスマスイブにホテルに二人で泊まったとなると噂の的にされかねない。
二人が穏やかに暮らして行く為には、どんな小さなリスクも冒せないのだ。
私はそれでも全然平気だ。今この場でプレゼントが渡せなくたって、ホテルの部屋に泊まれなくたって、友香とこうしてここにいる事が私にとってどれ程幸せな事だろうか。
しかも今は一緒に帰る家まである。プレゼントの交換も、ハグもキスもセックスも、二人のあの部屋で思う存分に堪能できる。
「友香、今日はありがとう。私の我がままに付き合ってくれて。」
帰り道で並んで歩きながら、私は友香に感謝を伝えた。
「いいの。私もこういうのに憧れてたから。クリスマスに好きな人と一緒にお出かけなんて、嬉しいじゃない。」
そう言う友香はニコニコしていて、確かに嬉しそうだった。
「え?だって・・・」
美咲とはどこかに行かなかったの?
なんて言えない。口ごもってしまった私に友香は微笑みかけた。
「あの人とは一緒に出かけたりしなかったもの。ごはんを食べに行ったり、お茶さえ飲んだこと無いのよ。だから私もこうしていられて嬉しいの。」
「そっか、ならいいんだ。」
何となく優しい気持ちになった。二人の目が合って微笑む。マンションに着くまで、口数は少なくなったけれどその分幸せな空気が増した気がした。
マンションに着くと、正直ほっとした。コートも脱がないうちに友香が手を繋いで指を絡ませてくる。
「二人で出掛けるのはいいけど、手も繋げないのは切ないよね。」
耳元で囁きかける友香の声が、香りが、私の思考を痺れさせていく。私は友香を抱きしめた。
「だから、こうしていられることがこんなに嬉しいんだよ。」
友香は抱き合ったまま何度もうなづいた。
しばらく抱き合った後で、着替えをしようと自分の寝室に入ると、ベッドの上に大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。背中を壁に押し当てて組んだ前脚の上にラッピングされた箱が置いてあった。
思わず笑顔になって、クマの持っていた箱を取り上げた。ぬいぐるみの頭を撫でる。それは友香が大事にしていて、実家からわざわざ持って来たものだった。
箱のラッピングを丁寧に解くと、箱の中には石(多分ダイヤ)の付いたピアスが入っていた。メッセージカードもついている。
「すごい・・・キレイ・・・」
思わず声とため息がもれた。友香のセンスは本当に良い。
メッセージカードを開く。何だかドキドキした。メッセージカードなんて、貰うのは初めてだ。
『 メリークリスマス 琴乃
あなたと一緒にいられて、私はとても幸せです。
愛しています。心が痛い程に愛しています。
友香 』
私はカードを胸に押し当てた。静かな感動にも似た感情が、身体の内側から湧き上がってくる。
クマのぬいぐるみを抱き上げて、友香の寝室をノックした。
友香は私のプレゼントを気に入ってくれたようだ。目をキラキラさせて、私を見た。
「ありがとう!欲しかったの、これ!」
「良かった。友香が先に自分で買っちゃわないかハラハラしたよ。」
友香がメッセージカードを開けた。裸を見られるよりも恥ずかしかった。もっとも、友香には何度も裸を見られているので少し慣れが生じたのかもしれなかった。
『 メリークリスマス
初めてのクリスマスですね。これからも、ずっと一緒にいたいです。
色んな記念日を、二人で過ごしていこうね。
琴乃 』
私のカードを読み終えた友香が、飛びつくように抱き付いてきた。
「もちろんよ。ずっと一緒よ。私、あなたともう離れられないんだから。」
「私もよ、友香。愛しているわ。」
友香の瞳が潤んでいる。見つめ合った私達は静かに唇を重ねた。触れるだけの、優しいキス。何度も味わったはずなのに、いつも蕩けるような快感をくれる、至福の時。
押し倒してしまいたいのを堪えて、一旦身体を離した。一緒に暮らすようになってから、性急なセックスは減っている。行為自体は濃密であることに変わりはないけれど、シャワーも浴びずに交わる事は無くなっていた。
「ね、早くお風呂入ろう。」
急かす友香が可愛くて、また押し倒してしまいたくなった。
お正月は実家には帰らない予定になっていた。成人式に合わせて帰るつもりだからだ。母はやっぱり文句を言ったが、帰らない訳ではないと言ったら納得してくれた。
「お正月、私とおばあちゃんの家に行かない?」
友香から誘いがあったのは、クリスマスの次の日だった。
「母方の祖母なの。伊豆の家におじいちゃんと住んでいたんだけど、おじいちゃんが亡くなって今は一人だから、お正月くらい一緒にいたいと思って。」
「友香のお母さんは行かないの?」
「母は行事とか関係なく行っているの。忙しい人だから、自分の体が空いた時じゃないと駄目なのよ。」
それもそうか。母親も一緒なら私を誘ったりしないだろう。
「私が行ったらお邪魔じゃない?家族水入らずなのに。」
「いいの。私とおばあちゃんだけだし、おばあちゃんはお客さん大好きだから。凄く優しい人よ。私の唯一の理解者でもあるの。」
友香の家族に会うのはやっぱり気が引ける。だけど、夏に約束していた旅行も引っ越しなどに追われて行けなかったし、クリスマスは私に合わせてくれたのだから、今回は友香に合わせるのもいいかもしれない。
「じゃあ、お邪魔じゃなかったら一緒に行きたいな。」
友香はホッとしたように、弾けるような笑顔になった。
伊豆にある友香の祖母の家は、小ぶりな洋館程の佇まいだった。
「凄っ!ホテルみたい。」
私は呆気に取られてその建物を眺め、その後でちらっと友香に目をやった。この子、どんだけお金持ちの家の子なの?
車で迎えに来てくれた執事の辻岡(つじおか)さんが荷物を出してくれていた。執事までいるなんて・・・私はもの凄く気遅れを感じ始めていた。
「どうぞ、入って。」
友香が先に建物の中に入って行く。
私は軽く深呼吸をして後に続いた。
居間に通されると友香の祖母が私達を温かく迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい。寒い中よく来てくれたわね。」
「初めまして。宗河琴乃といいます。友香さんと仲良くさせてもらっています。本日はお招きいただきありがとうございます。」
一息に言って頭を下げた。顔を上げると、柔らかな笑顔を浮かべる老婦人が私を見ていた。若い頃の美貌の残滓がいまだに残る顔、背筋の伸びたしなやかな立ち姿、優雅な物腰。
黒目がちの大きな目と、唇の形が友香に似ていた。
「お招きだなんて、そんなに身構えなくて良いのよ。今年は友香と琴乃さんが居てくれて、賑やかに新年が迎えられそうだわ。」
人懐こい笑顔も友香に似ている。
友香がこの人を大好きと言った理由が一目でわかった。
「まずは荷物を置いて来るといいわ。部屋は一つでいいと友香に聞いていたのだけど、琴乃さんはそれでいいの?」
何も聞いていなかった私は隣にいる友香に目をやった。友香は軽くうなづいた。
「あ、は、はい。私は構いません。ありがとうございます。」
「そう。じゃあそうして頂戴。金井さん、二人の部屋に案内してあげて。」
金井さんと呼ばれた中年の女性が、私達の鞄を持って二階に案内してくれた。この家にはさっきの辻岡さんと友香の祖母の世話をする金井さん、それから料理とガーデニング担当の長谷川さんがいた。長谷川さんは通いで、辻岡さんと金井さんは住み込みで働いていた。
荷物を置いて金井さんが去って行くと、私は気になっていた事を友香に聞いた。
「友香、二人一緒の部屋はマズくない?さっきはつい大丈夫とか言っちゃったけど・・・」
「大丈夫だよ。だっておばあちゃん知ってるもの。」
「???何を?」
「だから、私達の関係。」
「ええ⁈‼︎‼︎‼︎」
今年最後にこんなに驚く出来事があるなんて、想像すらしなかった。
「友香の一番の理解者ってこういう意味だったのね・・・。」
何も知らずに顔を合わせてしまった私は、今更ながらに恥ずかしさで顔が赤くなっていた。
「それなら言っておいてよ・・・。」
思わず手で顔を覆う。ベッドに座り込んでしまった。
「だって、言ったら琴乃、来ないでしょ。琴乃をおばあちゃんに会わせたかったの。私が世界で一番大好きな人を、見て欲しかったのよ。」
そうか・・・家族が理解してくれているなんて、嬉しいよね。だから、会って欲しいって思ったんだよね。
「そう・・・そうだよね。確かに私、それを聞いてたら来なかったよ。心の準備が必要だからね。」
「ごめんね。」
友香が私の隣りに腰かけて、そっと肩に手を置いた。
「いいよ、もう。来てしまったし、挨拶だって無事に終えたしね。それより、そんなに年配の方が私達を理解してくれている事の方が驚きだよ。」
家族が同性愛を理解してくれる。それは私の憧れであり、理想だ。
私は友香が羨ましくなった。そんな理想を容易く手に入れた友香を。
「お祖母様、私をどう思ったかな?友香に相応わしくないと思われたらどうしよう。」
「大丈夫だよ。おばあちゃんは気に入らない人にはあんなにフレンドリーに接したりしないもの。」
友香の祖母の笑顔を思い出した。とても柔和な表情、私は気に入って貰えたのか?
なんだろう。麻耶以外に事情を知る人なんて初めてだから、どんな風に接していいのか分からない。
しかも、それは友香の祖母なのだ。
「普通にしてて。」
友香が私の心を見透かしたように言った。
「難しいかもしれないけど、普通にしてくれないかな?みんなで楽しく、新年を祝いたい。琴乃が嫌なら部屋も別々にしてもらう。変にベタベタもしない。だから・・・」
友香は必死だ。可愛い。友香はきっと大事だから、おばあちゃんも私の事も、大事だからこんなに必死なのだ。
「分かった、分かったよ友香。私、器用じゃないから、ボロボロかもしれないけど、私だって楽しくしたいもん。友香のお祖母様と仲良くしたいもん。部屋だって、このままでいいよ。せっかく夜を二人で過ごすチャンスを、逃す手はないよ。」
にやっと笑いかけると、友香も笑顔になった。
「それにしても・・・この部屋もホントにホテルみたいだよねー。」
キョロキョロと部屋を見回してしまう。ベッドが二つ、テーブルにソファー、シャワー室にトイレまである。完全にツインの部屋だ。
「おばあちゃんがホテルみたいな家に住みたいって言ったら、おじいちゃんがこういう作りにしちゃったんだって。おばあちゃん、愛されてるよねー。」
愛していても、してあげられる事には限界がある。友香の祖母が自分と同じ待遇を私が友香に与えられると思っていたら、そんなのは無理だ。
友香の祖母が、そこまでを理解してくれているのならいいのだけれど・・・。
不安を払拭するように、友香を引き寄せてキスをした。
私の大胆な行為を、友香は戸惑いつつも受け入れた。
長いキスの後、見つめ合って笑う友香はいつものように美しかった。
ドアがノックされた。
「はい。」
友香が返事をして、ドアを開けに行く。私は急いで窓際に移動した。冬の早い日暮れが、窓の外の景色を茜色に染めていた。
ドアの前には金井さんが立っていた。バスタオルを二枚、手に持っている。
「奥様が夕食までにお風呂を使ってはいかがかとおっしゃっていますが、どう致しますか?」
金井さんは私達に丁寧に対応してくれる。言葉だけでは無くにこやかな態度もプロの客室係のようだった。
「ありがとう金井さん。すぐに仕度していきます。」
友香は金井さんからバスタオルを受け取った。
「夕食は六時半だそうですよ。楽しみにしていて下さいね。」
金井さんはドアを閉めて階下に降りて行った。
「お風呂は地下にあるの。大きいから二人で入れるよ。」
「二人一緒は・・・」
言いかけてやめた。普通にしてと言われたばかりだ。変に気を使うのは止めよう。
家の地下にあるお風呂は温泉が引かれていて、個人のお宅でこんなに大きな浴槽を私は見た事も無かった。
「ここに来てから『すごい』しか言ってない気がする。」
顎までお湯に浸かり、私は大きく息を吐いた。友香が笑って私の隣りに移動してきた。
「さっきの続き、しよっか?」
浴槽にへたり込んでしまった私を置いて、友香は自分だけさっさとシャワーで身体を流して
「私、先に出てるね。」
と出て行ってしまった。
私だけイかされて、その後特に絡みもされず、友香に触れる事も叶わず、初めて訪れた家の浴室に一人残され、私は急に不安を感じた。
まだふわふわする身体を熱いシャワーで流していると、今度は訳のわからない寂しさに襲われた。
(泣くもんか)
涙を流すのは堪えられたが、友香が何を考えているのかさっぱりわからない。その事も酷く寂しい気持ちにさせられるのだった。
愛のないセックスとはこれに近いものなのだろうか。どちらか一方だけが肉欲を満足させる為に、もう一方の気持ちなどお構い無しに性行為を行う。もちろん、私は友香の愛撫にもの凄く感じたし、容易く絶頂に達した。
だけど・・・私だって友香に触れたかった。友香の愛液を啜り、いつものように友香にも絶頂に達してほしかった。
脱衣所では友香が既に着替え終わって私を待っていた。
「友香、先に部屋で待っていて。」
裸を見られるのは多少慣れてしまっても、着替えを見られるのは未だに恥ずかしい。それに、今は友香の顔を見たくないと思った。
「うん、じゃあ先に行ってるね。」
友香が出て行った。いつもと何も変わらない様子。私の考え過ぎなのか。急いで着替えをして部屋に戻る。
「お風呂、どうだった?私はこの家でお風呂が一番のお気に入りなんだ。」
友香が無邪気な笑顔で聞いてきた。
「お風呂は良かったよ。けど友香、さっきのアレは何なの?」
友香はきょとんとした顔で私を見た。
「わからない?さっき友香がお風呂で私にした事よ。」
「え?嫌だったの?気持ち良く無かった?」
「・・・そういう意味じゃなくて。」
思い出して顔が赤くなる。
「自分だけ一方的に責めて、その後さっさと出て行っちゃって、私、友香が凄く身勝手に感じた。ああいうのは好きじゃない。」
友香は目に見えて狼狽えた。
「え?身勝手?違っ、ごめん。そんなつもりじゃ無かったの。ただあのままだったら私、琴乃にもっと色々したくなって、自分が押さえられなくなりそうで、だから急いで出たの。」
「そんなの、やっぱり勝手じゃない。私だって、友香に触れたいと思った、だけど友香は私のそんな気持ちなんか無視したんでしょう?此処は自分のホームだからって、何をしてもいいってものじゃ無いわ。」
私の言葉に、友香はもう泣きそうだ。
「ごめんなさい。キスした時から琴乃に触れたくて、琴乃の裸を見たら我を忘れてしまったの。自分勝手だったと思う。反省しています。ごめんなさい。」
真摯に謝る友香に、そういう事情だったのかと少し納得もしたが、私はすぐに『分かった』とは言わなかった。もう少し時間が必要だった。
「もうすぐ夕食よ。あなたのお祖母様を待たせたら悪いわ。仕度して行きましょ。」
友香は目を伏せてうなづいた。涙が一滴落ちたが、私はそれに気付かないふりをした。
友香に案内されてダイニングに入ると、大きなテーブルの上には既にたくさんの料理が並んでいた。
キッチンから大皿を運んで来た女性が、友香を見て目をまんまるに開いて笑顔になった。多分彼女が長谷川さんだろう。
「友香さん!お久しぶりでございます。まあまあお綺麗になられて!」
「お久しぶりです。長谷川さんも元気そうですね。」
友香が卒なく笑顔になっていたのが私を安心させる。さっきまでの顔が嘘のようににこやかだった。
こういう所が女のいい所であり、時として悪い所でもある。自分の感情を悟られないように、目に見えない仮面を被る。それを巧妙に、瞬時に出来るのが女なのだ。
女は噓が上手い生き物だ。
私も長谷川さんに挨拶をした。友香が誰かを此処に連れて来たのが初めてだったようで、いつもより大分気合いを入れて作ったと長谷川さんは言った。
「ああ、若い人達が増えると賑やかで良いわね。」
友香の祖母がテーブルについて、私達も辻岡さんに椅子を引かれて席に着いた。
「我が家では大晦日にご馳走を食べて、一年の労をねぎらうのよ。今年は特別なゲストもいるし、長谷川さんも張り切ったようね。」
友香の祖母はそう言って私に向かって片目を瞑ってみせた。私と友香の関係を知っていると思うと、やはり恥ずかしく思えて、私はきちんと目を合わせられなかった。
全員が席に着き、友香は私を改めてゲストとして紹介した。そして辻岡さん、金井さん、長谷川さんという順番に紹介された。
会食が始まり、みんなで賑やかに食事を楽しんだ。長谷川さんの料理の腕は一流で、それもそのはず長谷川さんは以前ホテルの厨房で働いていたらしい。
友香の祖母は私に自分の事は名前の『純』(すみ)で呼ぶようにと言い、私の事は『琴ちゃん』と呼んだ。今日初めて会った私はすぐに純さんが大好きになった。
この家は主人である純さんの他に三人の使用人という構成だが、純さんの三人に対する接し方は決して主人と使用人という感じではなかった。どちらかと言うと同居人のような、気の置けない仲間同士に見えた。
それでも三人の純さんへの言葉使いや態度は、明らかに尊敬と礼儀が感じられたし、それは友香や私に対しても同じだった。楽しくお喋りをしていても、自分達の立ち位置をわきまえて決して羽目を外さない。
「素敵な人達だね。」
小さな声で友香に言うと、友香は
「そうなの。この家の人達はみんな素敵なの。」
そう言ってにっこり笑った。
楽しい夕食の後、私と友香も片付けを手伝った。長谷川さんと金井さんは最初遠慮したが、是非にとお願いしてやらせてもらった。
女四人でお喋りしながら、賑やかに片付けは終わった。
長谷川さんはまた明日と言って、辻岡さんの運転する車で家に帰って行った。時間はまだ10時にもなっていなかったが、純さんははしゃぎ過ぎて疲れたと言って、金井さんと自室に戻ってしまった。
いざ二人になると、何だか気まずい空気が流れた。みんなのおかげで普通に振舞えていたのだが、間に入る人がいないととたんに無口な二人になった。
「部屋、行こうか?」
遠慮がちに友香に声をかけられ、私は素っ気なくするつもりなんて無いのに何故か素直になれず、黙ってうなづいた。
部屋に戻っても二人で話す訳でも無く、でも私はこんな雰囲気のままで新年を迎えたくなくて、何かきっかけを探して気ばかり焦っていた。
沈黙を破ったのは友香だった。
所在無くソファに座っていた私の前に立ち、頭を下げた。
「さっきは本当にごめんなさい。私が調子に乗りました。でも夕食ではみんなににこやかに接してくれてありがとう。」
顔を上げた友香はまた涙目になっていた。
「いいよ、もう気にしてない。だから友香も謝らないで。」
私は友香が口火を切ってくれてほっとしていた。自然と穏やかな声になっている。涙目の友香が泣き出さないように、自分でも分からないうちに宥めようとしたのかもしれない。
やっぱり恋人だから、友香に泣いて欲しくない。友香の涙はとても綺麗だけど、好きな人には笑っていて欲しい。今年最後の日なら尚更だ。
「許して・・・くれるの?」
友香の声が震えている。もう泣き出しそうだ。
「こっち、おいでよ。隣に来て。」
友香はおずおずと私の隣に座った。
「許すとか、そこまで怒ってないよ。私は怒っていたら明るく振る舞えたりしないもの。そんなに器用じゃないの、あなたも知ってるでしょう?」
私は友香の頭を撫でた。
友香が抱きついてきた。
「それでも、あなたの口から許すと言って欲しいの。その為なら何でもするわ。私を許すと言って。」
『許しているわよ、もう。』
喉まで出かかった言葉を、それでも言わなかったのは私を急に襲った、ある思いからだった。
それは、ひらめきのような、天啓とも言うような、私が今まで考えた事も無い思いつきだった。
「じゃあ、服を脱いで。」
友香が驚いたように私を見た。
私は立ち上がり、遮光カーテンを開けて部屋の電気を消した。
友香が立ち上がり、私に近づいてきた。
「待って、そこで止まって。」
友香が私を見ている。ここで引いたり照れたりしてはいけない。
「そこで服を脱いで。」
薄明かりが差し込む中、私の顔は逆光になっていて、友香に表情は見えない筈だ。
友香は何も言わず、私に背を向けてゆっくり着ている物を脱いでいった。私も黙ってそれを見ていた。友香の白い背中が、薄明かりの中露わになっていく。私は窓にもたれて、その冷たさで身体の熱を冷まそうとしていた。
服をすべて脱ぎ終えると、友香はこちらに身体を向けた。私は相変わらず何も言わず、その素晴らしいプロポーションを眺めていた。
「琴乃・・・私は何をすれば・・」
「いいから、黙って。もう少しそうしていて。」
自分でも驚くけれど、私は冷静だった。身体は熱く火照っているのに、頭の芯がどこか冷たく冷えていた。
私は黙ったまま、しばらく友香の裸身を眺めた。
友香が恥ずかしそうに俯いている。手も触れず、抱き締めもせず、キスもせず、私が何をしたいのか分からずに戸惑っているようだった。
しばらくそうした後、私は友香にベッドに上がるように言った。
「仰向けに寝て、脚を開いて。」
友香の目が大きく見開いた。
「え・・・」
「見せて、私に。あなたのそこが今どうなっているのか、じっくり見せてよ。」
自分がどんなに意地悪な事をしているか、私には分かっている。私が以前友香にされたより、もっと酷く私は友香を辱めている。
でも、私は別の事も分かっている。私は友香にああされて、凄く、凄く感じた。今でもあの夜が最高だったと思っている。
だけど今は、あの夜を越えられる予感がしている。私はその予感に身体がゾクゾクした。
友香はベッドに仰向けになり、膝を立てて脚を開いた。胸が大きく上下している。潤んだ瞳は相変わらずだ。
(分かるわ、友香。恥ずかしいんでしょう? でも・・・感じているのよね。)
友香のそこは予想通り濡れていた。
手を触れようとしてやっぱりやめた。まだだ。まだ触れてはいけない。
「友香・・・あなたの・・・凄く濡れてるわ。いつからこんなになっているの?」
「琴乃・・・お願い。私・・・我慢出来ない。琴乃も脱いで・・・」
友香が手を伸ばして私に触ろうとする。私は友香から少し離れた。
「ダメよ。さあ、自分でそこを広げて。私にもっと見せて。」
「えっ、そんなこと・・・出来ない・・・」
「そう・・・なら仕方ないわ。服を着て。もう寝ましょう。」
私は友香に背を向けた。
「・・・琴乃、そんな事言わないで。私、とても眠れそうにない。」
私は黙り続けた。友香に背を向けて、その時を待った。
「こっちを見て。」
少し経って、友香が私を呼んだ。思った通りだ。(やっぱり。)私はゆっくり振り向いた。
友香がこちらに脚を向けて、指で自分の亀裂を押し広げていた。濡れたその部分が弱い光を受けて光っている。背中がぞわぞわした。エロいなんてものじゃない。友香の顔は見えなかった。恥ずかしさにこちらを見られないのだろう。私はその部分に顔を近づけた。
「キレイよ、とても。さっきより、更に濡れているみたい。」
私が囁くと、友香は手を離して両手で顔を覆った。
「もう、許して。恥ずかしくて死にそう。」
そう言いつつも、脚を開いたままだ。触って欲しいのだ。
(ヤバい、すっごい楽しい、コレ。)
私は自分でも気が付かないうちに薄く笑っていた。乱暴とも言えるこんな衝動が、自分の中で眠っていたなんて考えもしなかった。
「じゃあそろそろシャワーを浴びましょうか。私も我慢出来なくなったから。友香、先に使って。」
友香はすぐにシャワー室に消えた。
私は完全に箍が外れていた。
今夜は普通のセックスをするつもりなどなかった。急いでスーツケースの中からパーカーを取り出し、フードの紐を外した。そしてその紐をベッドのマットレスの下に隠した。
(ああ、ヤバいくらいワクワクする。)
友香と入れ違いに入ったシャワー室で、私は興奮のあまり眩暈がしそうだった。身体を濡らす前に大事な部分に触れると、そこは友香のそれと同じように濡れていた。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、友香はベッドに入って待っていた。
私が裸になって隣に滑り込むと、待ちきれないとばかりに抱きついてきた。
友香が私の手を取って自分の亀裂に誘った。
「ねぇ、早く・・」
友香のそこは暖かく湿っている。私はすぐに指を離した。友香が明らかにがっかりした顔になった。
「友香、手を縛っていい?痛くしないから、それだけは約束する。」
友香は訳が分からないというように首を傾げて、『えっ⁈』と短く言った。
私は『大丈夫大丈夫』と言いながら隠していた紐を取り出し、友香を後ろ手に縛った。
私は友香の胸にむしゃぶりついた。両手の自由を奪われた友香はたまらなくセクシーだった。
「可愛いわ、大好きよ。」
身体中をさする。腰のくびれや太腿の白さを、ここぞとばかりに堪能する。友香の意思など関係なく、私の思うがままの行為がこんなに興奮するなんて。私の言いなりになっている友香にもいつも以上の愛しさを感じた。
「琴乃・・・もう許して・・・」
友香の声がかすれている。
「いいわ、どこをどうして欲しい?」
私の声は気味が悪い程優しい。なのにその言葉は全く優しくなかった。
「私の・・・アソコを指で弄って・・・舌でイかせて欲しい。」
友香の羞恥心も薄れてきたようだ。
私はにやにや笑いが止まらない。楽しくてたまらない。
「それと、手を解いて・・・琴乃を抱きしめたい。」
「それはだめよ。でもそれ以外ならしてあげるわ。」
私は足下から徐々に手を滑らせ、ついに友香のそこに触れた。そこはもう愛液でヌメっていて、私の指を難なく呑み込んだ。
静かに指を滑らせるだけで、友香は甘い吐息を洩らした。
「気持ちいいの?」
聞かなくてもいい事を敢えて聞く。友香がコクンとうなづいた。
「もう、イきそう・・・」
「じゃあ、イって。」
私は指の動きを早めた。友香の弱い部分を重点的に責めると、友香はいとも簡単に達した。声だけはかろうじて抑えた。
「友香のイく時の顔、凄くエロい。ますます好きになっちゃう。」
私は指を動かすのを止めなかった。イった後のそこがどんなに敏感になっているか知っていて、敢えて止めなかった。
友香は脚を閉じようとしたが、私はそれを許さなかった。
「こんな目に遭わされても、私を愛してる?」
友香の目を覗き込むように、私は囁いた。
「愛して・・いる・・・わ」
友香が切れぎれの声で答える。友香も私の目を見続けていた。
「嫌いに・・なれるの・・なら・・・なりた・・いのに・・・どうし・・ても・・・できない・・」
友香の目から遂に涙が溢れた。
私は指を離し、友香の手首の紐を解いた。もういい。私こそ、友香に謝らなくてはいけない。
友香が私にした行為より、遥かに酷い事を私はしてしまった。
手が自由になった友香は、私をきつく抱いた。
「友香・・・ごめんね。私は・・・友香を許していないふりをした。あなたを、私の思うがままに抱いてみたくて、それに夢中になりすぎた。もう二度としない。許して。」
友香は無言で私を押し倒した。
そして私にキスをして、唇を下に移していった。
私の熱く濡れた亀裂に友香の唇が吸い付いた。愛撫もされていないのに
、私のそこは太腿に伝う程濡れていた。
友香が舌の動きを速めると、私はいつも通り、短く声を洩らして絶頂に達した。
全身が痙攣するみたいにヒクヒクしている。友香はそんな私を再び抱き締めて、耳元で囁いた。
「琴乃は詰めが甘いわね。」
私は訳が分からないまま、友香の背に腕を回した。
「私が泣いたのはね、気持ち良かったからよ。あなたの表情も言葉も、
愛撫も全てが良すぎて、恥ずかしい筈なのに感じ過ぎて、涙が出たのよ。」
友香の囁きは止まらない。
「私を思うようにしたいなら、いつでもして良いのよ。だって私はあなたの虜なんだもの。使役するように、私を弄んでも構わないの。だって、私もそれに喜びを感じてしまったのだから。」
「そんな・・・」
そんな事は出来ないと言えなかった。
「琴乃だって、愛撫もされていないのに凄く濡れてた。私を縛って、恥ずかしい格好をさせて、エッチな言葉を言って、それが快感だったんでしょう?あなた、楽しくて仕方がないって顔してた。私の事、好きとか綺麗とか言ってくれた。だから、こういうプレイがしたくなったらいつでもしてくれて構わないのよ。」
私は友香をきつく抱いた。恥ずかしさで友香の顔が見られない。
「だから、私の弱みにつけ込んだなんて思わなくていいの。あなたは私に酷い事をした訳じゃない。私達は新しいセックスの形を試みただけ。そしてそれが思った以上に良かっただけ。私が泣いちゃうくらい。」
私達はゆっくり目を合わせた。そして二人同時に照れ笑いを浮かべた。
「良かった。友香を泣かせてしまったと思った。自分の欲求だけを優先して、友香を傷付けたと思った。」
「だから、琴乃は詰めが甘いって。優しいのよ、結局。私はもっと激しくされても平気だよ。痛く無ければね。」
友香は私のおでこにキスをした。
「でも、そんな優しいあなたが大好きよ。」
私達はもう一度抱き合った。
いつの間にか年が明けていた。新年を祝う花火が上がって、雲のない冬の夜空を明るく染めた。
抱き合ったまま、私達は花火を見た。そして時々見つめ合った。
好きな人と過ごす初めての新年を、私はこうして迎えた。
純さんの家で過ごすお正月はあっと言う間に過ぎて、いよいよ明日は帰るという夜、私と友香は純さんの書斎に呼ばれた。
書斎は古書に囲まれていて、重厚な造りの机や古くてかつ豪華な調度品がまるで古い洋画のセットのようだった。今にも部屋のドアが開いてパイプを咥えた探偵が入って来そうだ。
ゆったりとしたソファに友香と並んで座ると、その向かい側に純さんが座った。
「二人共お正月を一緒に過ごしてくれてありがとうね。今日呼び出したのはどうしても聞いて欲しい話があったからなの。」
聞いて欲しい話、という純さんの言葉に僅かに緊張が緩んだ。もしかしたら私と友香の付き合いについて何か聞かれるのではないかと思っていたからだ。
「この話は先代の辻岡しか知らない話よ。家族の誰にも話していないの。・・・いえ、出来ないの。だからこれは私達だけの秘密よ。」
私達は黙ってうなづいた。純さんは私達に一通のエアメールを渡した。受取人は純さん、そして差し出し人は『Shiori Kathuragi』となっている。日付は今から、20年前だ。
「葛城史織は私の親友。その手紙は私が最後に受け取ったものよ。」
「おばあちゃん、これ、読んでいいの?」
純さんは微笑んでうなづいた。優しい目をしていたけど、何か寂しげな眼差しだった。
「琴ちゃんも読んでちょうだい。」
私達は身体を寄せて手紙を読んだ。
『拝啓 純さん
お元気ですか?季節はすっかり夏ですね。純ちゃんは初めての孫が生まれるのを今から楽しみにしているでしょうね。あなたの嬉しそうな顔が目に浮かびます。
純ちゃん。突然ですが、これは私の別れの挨拶になります。
私は癌に侵されてしまいました。今は入院中です。抗がん剤治療をしてもらっていますが、あと二か月くらいだそうです。
あと二か月で、私は死にます。
その前にどうしても伝えたい事があって、ペンを取りました。あなたは驚くでしょうね。
純ちゃん。私は、あなたが好きです。
学生寮で同室だったあの頃から、ずっとずっと、一人の女性としてあなたを愛していました。
今まで黙っていたのは、あなたを失いたくなかったから。親友だったら、ずっと繋がりを持っていられるからです。
23年前に嫁ぎ、夫と一緒に海外に来てしまえばあなたを忘れられると思っていたけれど、私が甘かったわ。あなたを忘れた日なんて、一日たりともなかった。
あなたの好きなもの、嫌いなもの、少しでも目につくと、いつもあなたを思い出した。あなたが送ってくれる手紙や写真が、あなたの幸せな生活を物語っていたから、私はあなたが幸せならば、それでいいと自分に言い聞かせて毎日を過ごしていました。
だからといって、私が不幸だった訳ではないの。私の夫は、何一つ文句の付けようもない人でした。私は夫に愛されていたし、私も夫を信頼していました。この人と結婚して良かったと、感謝していると、何度も思いました。
だから、きっとこれで良かったと思うの。あなたの幸せを祈る時、あなたの幸せを確認できた時、私はとても嬉しかったから。
私はもういなくなってしまうけれど、これからも変わらずあなたの幸せを祈ります。
何も変わらない、ただ祈る場所が変わるだけです。
今まで仲良くしてくれて、本当にありがとうございます。
もし最後の最後に、あなたに不快な思いをさせたなら謝ります。この手紙はご家族の目につかないうちに、破り捨ててください。
今度生まれる時は、振られてもいいからあなたと違う性に生まれたい。だって私はきっと、来世でもあなたを愛してしまうだろうから。
それでは、さようなら。どうか、ご家族を大切になさってください。
敬具 』
「おばあちゃん、これは・・・?」
友香の声が震えていた。
「驚いたでしょう。私もそうだった。」
純さんは友香を労わるように言った。
「おばあちゃん、返事を書いたの?」
純さんは静かに首を振った。
「いいえ。」
「そんな・・・この人は死期を悟って勇気を出したのよ。もう二度と会えないなら、返事くらい・・・」
「待って、友香。」
私は純さんにくってかかる友香を止めた。
「今は純さんの話を最後まで聞きましょう。純さんは差し出し人が捨ててもいいと言った手紙を大切に取っていたのよ。何か理由があるのよ。」
純さんはありがとうというように私を見た。
「私はね、友香。この手紙を受け取ってすぐ、史織の所へ行ったの。・・・私も史織を、愛していたから。」
純さんは・・・この人を・・・?
「私も愛していると言いたくて、何より病気で苦しんでいる史織を何とかしてあげたくて、私は身重の娘も主人も放って史織のもとへ行った。主人は黙って行かせてくれた。英語の堪能な辻岡も付けてくれた。ありがたかったわ。」
「史織さんは喜んだでしょうね。」
黙ってしまった友香の代わりに私が聞いた。それはそうだろう。祖母に祖父より好きな人がいたのだ。複雑な気分になって当然だ。
「・・・間に合わなかった。史織は私が着くより早く、死んでしまったの。」
「「そんな・・・」」
私と友香は同時に声を発した。
「多分この手紙は時間をかけて書いたのでしょうね。それと人に託したのが遅かったのよ。私が着いたのは彼女の葬儀の翌日だった。
真っ先に病院に行って、そこで史織が亡くなったのを知った。でも史織に手紙を出すのを頼まれた看護士に会えたの。史織は容態が悪くなってからその看護士に手紙を渡したみたいだった。」
私には史織さんの気持ちが分かるような気がした。最後まで親友のままでいようかと、葛藤があったのだろう。この手紙は告白でありながら、純さんへの気遣いで溢れていた。純さんの気持ちを考えて、出すか出すまいか迷ったのだ。
「私は呆然と彼女の埋葬された墓地へ行った。辻岡がせめて墓参りをしてはどうかと言ってくれたから・・・私一人だったら頭が回らなかったでしょうね。」
「墓地へ行ってみると、そこには葛城さんが居たわ。連絡もしていない私が現れて、彼は驚いていたようだった。私が手紙を受け取った事を伝えると、彼はただ『そうですか』と言ったきり黙ってしまった。私、何だか妙な気持ちになってしまってね。史織について沢山聞きたい事があるのに、葛城さんにはどうしても聞けないの。打ちのめされた彼の姿が、史織をどんなに愛していたのかを明確に表していたからね。史織が伴侶として選んだ人と、どんな顔をして彼女の話をすればいいのかわからなくなって、花を手向けてお別れをして、すぐに立ち去った。だけど、その場を離れようとした時、葛城さんがぽつんと言った。『妻は、ずっと誰かを待っていたような気がしたけど、きっとあなたを待っていたんですね。』って。」
純さんは目尻を拭った。
「今でも涙が出るわ。ああ、この人はどこかで気づいていたのかと思った。だから、咄嗟に嘘をついてしまった。『私達、親友でしたから。』
そう言って、私はその場を離れた。
あれが優しさなのか、残酷なのか、あれからずいぶん経ったけれど、今でもわからない。」
純さんはまた涙を拭いて話を続けた。
「私はずっと、葛城さんが羨ましかった。史織を手に入れた彼に、ずっと嫉妬していた。だけど、彼の一言で彼を羨ましく思っていたのが間違いだったと気づいたの。彼は彼なりに苦しんだのかもしれないと。」
「私は帰る飛行機の中で、ずっと黙ってついていてくれた辻岡に全てを話した。話し終えると、辻岡は一言だけ言った。『皆さん、お優しいですね。本当に、お優しい。』私は辻岡だって相当優しいと思った。そして私は帰国して、史織の願い通りに家族を大切にしようと誓った。史織を失った悲しみを癒してくれたのが家族だった。特に友香、あなたの存在が、私には救いだったわ。」
純さんは友香を優しく見つめた。
「おばあちゃん・・・私は色々聞きたい。おばあちゃんがおじいちゃんとどんな風に結婚したとか、どんな生活をしていたのかとか、史織さんの事とかを聞きたい。」
友香は真っ直ぐ純さんを向いた。
「いいわ・・・どんな質問にも答える。私にはそうする義務があるもの。」
純さんも友香を真っ直ぐに見つめた。
「史織さんとは学生寮で一緒だったのね。」
「そうよ。私も史織も女子大の寮生だったの。史織は東北の裕福な医者の娘で、地方出身なのに訛りが全然ない子だった。控えめな性格で優しくて、いつもおろしたての石鹸みたいな匂いがしていた。」
純さんは机の引き出しの奥から一冊のアルバムを取り出した。
そのアルバムは予想通り、純さんと史織さんが写っていた。
純さんが華やかな美人なのに比べて、史織さんのイメージは一言で言うと清純だった。肩の上で切り揃えられた真っ直ぐな髪が真面目な印象を与えていた。ページをめくるたびに髪形が変わる純さんとは違い、彼女はいつも同じ。それが彼女をより若く見せていた。
「素敵な二人ですね。」
私は率直な感想を言った。写真の中の二人は笑顔が輝いていたし、何よりも二人共美しかった。
「ありがとう。あなたたちも素敵よ。」
「あっ・・ありがとうございます。」
私は思わずぺこりと頭を下げた。純さんがうふふと笑った。
友香が咳払いをした。
「あっ、ごめん。」
私は話が逸れてしまった事を謝り、純さんの話の続きを待った。
「史織さんを好きだって気付いたのはいつからなの?」
「史織と同室になって、仲良くなった私達は何でも話したけれど、不思議と男の子の話はしなかったの。ある時その事に気がついて考えてみたんだけど、二人で居るのが本当に楽しくて、どうせ年頃になったらお見合い結婚をするんだから、今恋をしたって仕方ないと思っていたの。きっと彼女もそうだろうと思っていたわ。」
「・・・あれは、入寮して半年経ったある秋の夜だった。大きな台風が来て、雷が酷くて・・・私は小さい頃から雷が苦手で、怖くて怖くて耳を塞いでガタガタ震えていた。そのうち停電もあって、あの頃は頻繁に停電していたの。・・・その時だった。史織が私を抱きしめて、『大丈夫、私がここにいるから』って言ってくれたの。二人で頬を寄せて、固く抱き合って、いつもよりずっと強く石鹸の香りがした。胸が圧迫されて、私の鼓動が史織に聞こえているかもしれないと思った。時々青白く光る稲妻が私達を照らして、その時だけ史織の顔が見えた。彼女は私をずっと見ていてくれたわ。とても優しい、美しい表情をしていた。大嫌いな雷が、永遠に鳴り止まなければいいとさえ思った。私は・・その時から史織を意識するようになったの。」
「おばあちゃん、雷が怖くてドキドキしていただけとは考えなかったの?」
「もちろん考えたわよ。何度も何度も。あれは史織の優しさであって、恋愛感情を抱く私がおかしいのだと。史織はああやって震えていたのが私じゃなくても、きっと同じようにするのだと自分に言い聞かせた。だけどね、何度考えても、あの夜の史織の肌の感触も、香りも、私が感じた胸の高鳴りも、全てが素敵に思えた。」
「あれはきっと恋だと、今でも言い切れる。私の生涯において、たった一度の真実の恋。」
純さんは淡々と語った。史織さんと離れたくなくて、四年間寮に住み続けた事、就職後も結婚後も、親友として交友関係を続けた事、史織さんがアメリカに行ってしまってからは、一度も会えないままだった事・・・
「亡くなった主人には、感謝しているわ。私に娘を・・・家族を与えてくれたし、なに不自由ない生活をさせてくれた。だから、私の生き方が不幸だったとは決して思わない。」
「世の中には愛し合って伴侶になった夫婦も、もちろんいると思うけれど、それはほんの一握りの人達なの。大抵は打算なり諦めなり、妥協なりが働いて結婚に到るものよ。愛さえあれば、なんてのは通用しない。こと結婚に関しては。」
純さんは5歳年上のご主人が、どうして自分を結婚相手に選んだのか、結局分からなかったと言った。聞いたことさえなかったという。自分が史織さんとの恋を諦めて結婚は条件のみで決めたのだから、ご主人がどんな理由で結婚しようが構わなかった、と純さんは言い切った。
ご主人との結婚生活は、純さんが史織さんを忘れることができなかったせいでどこか一線を引いたままだったという。いつまでも自分に心を開かない純さんに、ご主人は業を煮やしたらしい。浮気をするようになってしまった。
それでも純さんはご主人に嫉妬したりしなかった。娘も産まれ子育ても忙しかったし、なんなら夜の生活から開放されると不謹慎にも少しほっとしたらしい。
浮気をしていても、ご主人の態度は紳士だった。子供も可愛がっていた。常に家族と仕事を第一に考えていたから、浮気相手には割り切って付き合える女しか選ばなかった。
それだけでもありがたいと純さんは静かに笑った。自分のせいで浮気をさせてしまったのだから、家庭を壊さないだけでも立派だと妙な褒め方をした。
「・・・おばあちゃん・・・」
友香は何か言いかけて、でも結局それしか言わなかった。
「私は幸せに今までの人生を送って来られたと、大抵の人は思うのでしょうね。実際、幸せだったのだし。だけどね、心の中に澱のように何かが溜まっているの。・・・いいえ、何かじゃないわね、それを口に出すのは怖いから普段考えないようにしているのだもの。」
「・・・一旦考え出してしまうと、私にもっと勇気があったらなんて、思っても仕方のない後悔ばかりしてしまう。」
純さんは目を瞑った。瞼がひくひく震えている。涙を堪えているのが伝わって、私の目頭も熱くなった。
「ただ、史織に・・私も愛していると・・言いたか・・った。史織を抱き締めて・・・その・・頬に・・触れたかった・・・」
純さんの閉じた目から、涙がこぼれ落ちた。
私は純さんに掛ける言葉も無くて、でも純さんの哀しみややるせない悔しさも、何となく分かってしまった。史織さんに伝えたくて出来なかった言葉が、抱き締めたくて広げたその腕が、行き場を無くして純さんの心の中に澱として残っている。
友香が純さんの隣りに行き、純さんを抱いた。純さんは友香の肩に額をつけて、友香に背中をさすられるまま、身体中を震わせて泣いていた。
「おばあちゃん・・・誰かに話したかったんだね。おばあちゃんと史織さんの事を、今までずっと言えなかったんだね。おばあちゃん、辛かったよね。史織さんと気持ちが繫がっていたのに、史織さんに言えないまま、永遠に会えなくなってしまったんだもんね。」
友香の声の優しさに、私は胸が詰まった。そうだ。純さんはずっと誰かに言いたかったのだ。愛する史織さんを無くして哀しいと、愛していると打ち明けたら受け入れて貰えたのに、それを言えなかったのが悔しいと、ずっとずっと言いたかったのだ。
身体を震わせて、哀しみを吐き出すように号泣する純さんを私はただ黙って見ていた。
それは愛する人を亡くした者の、正しい慟哭に思えた。
「おばあちゃん、こんな風に泣いた事あった?」
友香の問いかけに、純さんは頭を横に振った。
「そっか・・・」
友香は純さんの背中をさすり続けた。
純さんはきっと、史織さんへの想いを終わらせる為にこんな風に泣く事が必要だったのだ。なのにそれをしないで、今日まで長い間いたずらに時を重ねてしまったのだろうと思った。
違う。そうじゃない。しなかったのではなくて出来なかったのだ。
純さんの涙を受け止める人間がいなかったのだから。今日までは。
「おばあちゃん、私達明日帰るのやめるね。おばあちゃんが落ち着いたら、また明日史織さんの話聞かせて欲しい。」
友香は私に顔を向けて、声を出さずに口だけ動かした。
『ごめんね。』
私は微笑んで首を左右に振った。
私もこのまま純さんを残して明日帰れないと思っていた。
「私も、聞きたいです。もっともっと、純さんと史織さんの話を、聞きたいです。」
声を出すと涙が出そうになる。
「ね、おばあちゃん、いいよね?」
純さんは何度も頷いた。
「あ・・りが・・と・うね。」
しゃくり上げながら、それでもお礼を口にする純さんを、私はやっぱり好きだと思った。
純さんが泣き止んで、私達が部屋に戻ったのは真夜中を過ぎていた。
書斎を出る時にはもう落ち着いた様子の純さんだったが、一人になったらまた何か考えてしまうのだろうと思った。
私は窓のカーテンを開け、真冬の澄んだ夜空を見上げた。綺麗だった。
こんな心中で眺めているのにも関わらず、雲のない月の明るい夜空はとても綺麗だった。
「何を見ているの?」
友香が隣りに立った。
「うん・・・月を見てた。」
「そう・・・」
友香はそれ以上何も言わなかった。
「純さんの話、切なかったね。」
「うん。」
「史織さん、素敵な人だったね。」
「うん。」
「純さん、私達をどんな思いで見てたんだろう。」
「・・・琴乃」
「・・何?」
「・・・泣いてもいい?」
「・・いいよ。」
友香のしゃくり上げる声が、徐々に大きくなっていった。私はあえてそちらを見ず、手探りで友香の手を掴んだ。友香は指を絡めて私の手をしっかり握った。
友香の泣きかたは純さんと似ていた。それに気付いて、私はより一層友香を愛しく思った。
純さんの一途な片想いの行方が哀しい結果に終わったからこそ、私は友香を出来るだけ笑顔にしたいと思った。それは決意のようなものになって、私の心に刻まれた。
見上げている月がいびつな形に滲んでいた。そっと目を閉じると、涙が一筋頬を伝っていった。
再び目を開けると、月はさっきよりはまともな輪郭に見え、私は友香の手を強く握り返した。
愛する人がこうして側にいるのが、奇跡みたいなんだと今夜改めて思った。そしてこうしていられる時間は、私が思うよりも短いのかもしれないとも。
今日はこうしていられても、明日のその保証はどこにもありはしない。私の心が何度も叫んでいた。
だから、今を大切にしなければ。
愛する人を、大切にしなければ。
友香を、大切にしなければ。
私は友香を抱き寄せた。
「私の肩で泣いて。胸に飛び込んでって言いたい所だけど、あなたの方が背が高いから、肩で我慢してね。」
優しく髪をなでると、友香の泣き声に笑いが混ざった。
「友香・・・私達、ずっと一緒にいましょう。・・・純さんと史織さんの分まで。」
友香の嗚咽が強くなった。そして何度も頷いた。
「愛しているわ。何度でも言う。あなたは私にとって最高のパートナーよ。」
私の言葉が友香のなぐさめになればいいのだけど、それは期待出来そうもなかった。だけど今夜それを言わずにいたら、私は友香の恋人失格だ。今の友香に寄り添えるのは、私しかいないのだから。
友香がぽつぽつと話し始めた。
「私が男の人を好きになれないとおばあちゃんに打ち明けたのは、13歳の時だった。おばあちゃんは最初びっくりした様子だったけど、少し困った顔をして
『それは大変だね』
って言っただけだった。」
「・・・正直拍子抜けした。私、てっきり怒られるか、たしなめられるか、呆れられるかだと思っていたから。私が相談相手におばあちゃんを選んだのは、どうせそのどれかの対応をされるなら、おばあちゃんなら我慢出来そうだったからなの。」
「その時は、おばあちゃんも私と同じ理由で悩んでいたなんて思いもしなかった。ただ、おばあちゃんが『そんなのは気のせいだ』とか、『もう少し年を取れば変わる』なんて月並みな事を言わなかったのが嬉しかった。」
「それでね、その時に言われたの。私が心から好きだと思った人が居たら、おばあちゃんの家に連れて来なさいって。もしその人が女の人でも、おばあちゃん気にしないからって。心のままに人を愛しなさいって言ってくれた。」
友香が私を見た。私も友香を見た。私は友香を抱き寄せて『ありがとう』と一言言った。
「おばあちゃん、嬉しかったと思う。史織さんとの事を聞いて私、はっきり分かった。おばあちゃんは私が心から愛する人に巡り会えた事を凄く喜んでくれてる。」
純さんはきっと、友香が自分と同じ辛い想いをするのを知っていた。でも全く同じっていう訳じゃない。時代も環境も、何より自分という相談相手がいる。純さんはそれに賭けた。だから、友香に心のままに生きるように言ったのだ。
>> 36
私は泣き疲れて眠った友香の深い息を確認すると、そっと部屋を出た。
どうしても純さんと二人で話をしたかった。純さんはあの部屋で一人で居るはずだという頼りない根拠にすがってここに来てしまったけれど、小さくノックした後に『どうぞ』という声が聞こえた時は心底ホッとした。
「眠れない?」
静かに部屋に入ったまま、ドアの前で立ち尽くした私に純さんが声を掛けてくれた。
「いえ・・・どうしても今日中に言いたい事があって、ここへ来ました。少しお時間を頂けないでしょうか?」
「いいわ。私も今夜は眠れそうもないし、さっきは随分と重い話をしてしまったんだもの、次はあなたの話を聞きましょう。」
純さんの柔らかな声が私を落ち着かせる。自分でも分からないうちに随分と緊張していたみたいだ。
私はさっき座った位置に腰を下ろした。
「純さん。率直に言ってください。私は友香さんの側にいる資格はありますか?私は友香さんのパートナーとして、純さんから及第点を頂けますか?」
純さんは不思議そうな顔で私を見た。
「何を言っているの?もし私がダメだと言ったら、あなたは友香を諦めるの?」
私は唇を噛んだ。
「無理・・・です。その場合、友香さんは私か家族か、どちらかを選んで貰わなければならなくなります。」
純さんは私を見つめた。
その瞳からは何の感情も読み取れない。
「友香から何か言われた?」
「・・・この家に連れて来てくれた意味を、友香さんから聞きました。」
純さんが納得したようにうなづいた。
「それは友香の意思であって、友香自身の心の在り方を私に示してくれたのよ。あなたが友香にとってどれ程大切な人なのかを私に教えてくれたの。私があなたをどう思おうが、関係ないと思うのだけど。」
「・・・関係なくありません。私にとっても友香さんは大切な人です。愛する人の大切な家族に気に入られたいと思うのは当然です。」
「・・・友香を愛しているのね。」
「愛しています。だから・・・私のせいで友香さんが家族と険悪になってしまうのは嫌なんです。特に・・・友香さんは純さんが大好きだし、そんな人に良く思われないのは嫌です。」
純さんは少しだけ驚いたようだった。でもその後すぐに可笑しそうに笑った。
「あなた・・・真面目な人なのね。私の事なんて気にせずに、もっと恋愛を楽しめばいいのに。せっかく両思いなんだから。」
「そんな訳にはいきません。将来を考えるなら、尚更です。それに・・・私だって純さんが大好きになったんです。私の事を、認めて欲しいんです。」
「ふふふ・・・。正直ね。それに欲張りだわ。反対されたら家族から奪ってでも一緒にいたい癖に、少しでも理解のある私には嫌われたくない。そうなんでしょう?」
悔しいけどその通りだった。理解者は多い方がいい。私は黙って深くうなづいた。
「・・・気に入ったわ。結論を言うなら、あなたは合格。可愛い孫娘が選んだ人なら、私はどんな人でも構わないと思っていたけれど、やっぱり気になるものね。あなたが友香をどれ程大事に思ってくれているか、良く分かったわ。友香だってあなたを見た目だけで選んだ訳ではないとはっきり分かったわ。あの子ったら、電話でもあなたの事ばかり話すのよ。べた惚れなのが丸わかり。」
純さんはさも可笑しそうに口に手を当てて笑った。
>> 38
「私もね、あなたに会うのは緊張したのよ。私の印象で友香が嫌われてしまわないか、とか、あなたが男性にも女性にもモテていて、何人かいるお相手の一人が友香なんじゃないか、とか随分余計な心配をしていたの。あなたみたいな人が友香のお相手で本当に良かったと思っているわ。友香のこと、これからもよろしくお願いします。」
純さんは立ち上がって私に深々と一礼した。
「そんな、こちらこそよろしくお願いします。」
私も立ち上がって頭を下げた。純さんの言葉が嬉しかった。
「友香には今日の話はきつかったでしょうね。。・・・ショックを受けていたようだった?」
「そうですね。平気には見えませんでした。亡くなったお祖父様が可哀想だとも言っていました。でも、純さん達を理解しているようでした。お二人がどんなに辛くて切ない思いをされたか、痛いほど分かっていると思います。今は眠っています。私は友香さんが目を醒ます前に部屋に戻って、それからずっと友香さんに寄り添っていたいと思います。」
「ありがとう。そうしてくれたら嬉しいわ。あの子は強いけれど繊細な部分もあるから。私にとって今はあの子が一番大切な存在なのよ。側にいて守ってあげたいけれど、それは無理なのは分かっているわ。だから、くれぐれもあの子の事、よろしくね。」
純さんはもう一度、私に向かって頭を下げた。
純さんの家を辞したのはそれから2日後になった。私達は執事の辻岡さんの運転する車で家まで送って貰い、辻岡さんは必ずまた来て欲しいと言い残して帰って行った。
思いがけない程長く休暇を取ってしまったけれど、こんなに素晴らしく意味のあるお休みは初めてだと思った。
冬季休暇はあっという間に終わる。とはいえ普段の生活に戻るのは苦ではなかった。大学は好きだし、何より私は今の生活に満足していた。
私達は家事をするのにこれといって当番などは決めていない。私も友香も、お互いの共同スペースを綺麗に保つのは当たり前の作業であって、それを苦に思う方が不自然だと思っていたし、ご飯は早く帰って来た方が作っていた。
私が食事の支度をしていると、帰って来た友香は必ず私を後ろから抱きしめる。柔らかく包むように私の腰に腕を回し、首すじに軽くキスをする。私は「危ない」などとたしなめつつ、友香のその仕草が嬉しくて堪らない。
家事が苦ではないのなら、日々の生活が楽しいのは当たり前だった。
「ねぇ、今日一年の子に告白されちゃった。」
ある日、私が帰って来た途端に友香がにやにやしながら言ってきた事があった。
「へぇ。」
私は動揺しつつも何とか平静を保とうとして素っ気ない返事をした。
「・・・つまんない、聞かないの?」
友香がちょっとだけ唇を尖らせた。
「聞く。その前に着替えてくる。」
私は自室に入ると部屋着に着替えた。友香の様子を見る限りでは、私の耳に入れても構わない話なのだろうけど、それでも心穏やかではいられなかった。
リビングに戻ると友香は紅茶を入れてくれていた。
「はい、どうぞ、話して。」
何気に急かしてしまう。
「うん、帰りがけに呼び止められて、それで告られた。もちろん断ったよ。」
「どんな子だったの?」
「どんな子って、可愛かったよ。真っ赤な顔して、涙目で。必死になってた。」
「・・・あなたって女の子にもモテるのね、今更だけど。」
友香と歩いているとナンパなんて当たり前にあるし、男の目線が友香に注がれるのも何度も見ているのに、いざ告白されたとなると憂鬱になる。
「琴乃、もしかしてヤキモチ焼いてる?」
「焼くよ、だって可愛かったんでしょ?友香の気持ちがグラついたらどうしようって思うよ。」
友香が複雑な表情をする。眉間に皺を寄せながら、それでも口角は上がっていて、にやにやを我慢しているのか。
「やだ嬉しい。琴乃がヤキモチ焼いてくれてる。」
友香が抱きついてきた。
「私はあなたのものだから、心配しないで。」
私の耳元で囁いて、頬にキスをした。
「信じてるけどさ、心配はするよ。あなたがあんまり綺麗だから。誰もがあなたを欲しがるんじゃないかって思うもの。」
友香が耳まで真っ赤になって顔を伏せた。
「琴乃って真面目な顔してたまに凄い事言うよね。」
「嫌だった?」
「ううん。・・・好き。」
友香が顔を上げた。私達は少しの間見つめあって、唇を重ねた。
「琴乃に話しておく事があるの。」
唇を離した後友香の胸元に入れようとした私の手を止めて、友香が言った。
「琴乃に渡して欲しいって預かった手紙、握り潰した事があるの。」
真面目な顔して凄い事言うのは友香の方だと思った。
「え?それはちょっと、・・・引くよ。」
「だよね。ごめんなさい。どうしても琴乃の目に入れたくなくて、勝手に断った。」
話を聞くと、友香の先輩の友達が私に興味がある素振りをしていて、ルームシェアしてる友香に手紙を託したらしいのだ。
同居を始めたばかりの頃で、どうしても私に他人を近づけたくなかったのだという。たとえそれが男の人でも、私の好みじゃなくても。
奇妙な気持ちだった。私にと託された手紙を私に断わりもなく処分するという友香の行動を少し怖いと思いながら、それが私への嫉妬ゆえだと思うと嬉しくもあった。
「今言うのはずるいよ、友香。可愛い子からの告白を断ってくれたってほっとした時にそうきますか。」
正直、そんな手紙を貰っても面倒だと思うばかりで嬉しくはないだろうと思った。どうやって断わろうかと悩むのだろうとも。
「どんな内容だった?」
一応聞いてみた。
友香はきょとんとした顔で私を見た。
「見てないよ、だからどんな内容かは分からない。琴乃は地元に彼がいるからって先輩に頼んで遠回しに断ってもらっただけ。」
「そう、なんだ。だけど、これからはやっぱり私に言って欲しいな。断わるにしても、私は自分のことを好きになってくれた人には誠実でいたい。」
さっき面倒だと思ってしまった自分を反省しながら言った。
「うん、ごめんね。もうしない。」
また俯いてしまった友香の顔を上げさせ、私は友香の目を見て微笑んだ。
その夜私はいつもより丁寧に友香を愛撫したのだった。友香もいつもよりたくさん『愛してる』と言ってくれた。
友香と一緒に住むようになって、私達はお互い二度づつ告白をされていた。
私達は必ずお互いに報告した。私も友香もその度に嫉妬心を掻き乱されたし、優越感なんて感じられる余裕もなかった。
それでも私は恋人には誠実でありたかった。大丈夫と言いながら不機嫌になる友香が可愛かった。
意外だったのは友香があまり告白される事に慣れていないという事実だった。
「中学からずっと女子校だったからかな?私あまりモテない子だよ。」
友香はそう言って笑った。嘘でしょと思いつつなんだか安心した。
私は初めて女の子から告白を受けた。
相手は友達の友達で、何人かで話したりする時にたまに一緒になるくらいの関係の人だった。要するにただの知り合い。自分もそうだったけれど、同性に告白するのは凄く勇気がいる。私は地元に彼がいるからと、ありきたりだけど丁寧に断った。
「私の事変だと思う?」
彼女は最後に私に聞いた。
「ううん。私はそんな風に思わないよ。強い人だなって思っただけ。」
私の答えに、彼女は涙目で笑顔になった。友香には言っていないけど、可愛い笑顔だと思った。
彼女は私を好きになって良かったと言ってくれた。彼と幸せになって欲しいと言ってくれた。私はチクリと胸が痛んだ。
(私もあなたと一緒だよ。女の子に恋してしまったの。)
そう言えたらどんなに楽だろうと思った。
友香は私が告白されると決まって不機嫌になった。口では大丈夫と言っていても、いつもより素っ気ない態度で私に接した。そのくせその夜は激しく私を求めた。
「眠れないの。」
友香はそう言って、私のベットに潜り込んだ。私が何か言う前に、唇が塞がれる。そんな時友香は挑発的な下着を身に
着けていて、私の体温はあっという間に上がった。
私は友香の下着をずらして胸に触れた。
友香が吐息を漏らし、うっとりした目で私を見た。私の体温は更に上る。
激しくキスをしながら友香が私を裸にしていく。そして自分も裸になった。私は友香の裸の胸に唇を付けた。友香の腕にしっかりと抱き寄せられ、更に優しく髪を撫でられた。愛おしくて眩暈がしそうだ。
口に含んだ乳首を舌先でゆっくり転がす。そのまま上体を起こすと唇が離れた。髪を撫でていた友香の手が肩先を掠めて私の胸で止まった。指先で乳首を挟まれ、私はくぐもった声が漏れた。
「素敵よ、可愛いわ。」
友香が耳元で囁く。指先をクリクリと動かして私の乳首をせめている。
「あ、友香・・・」
何か言いたいのにうまく言葉が出てくれない。
友香の唇が弱い光に濡れて光っていた。艶めかしく魅力に溢れている。思わず指でなぞった。
胸にあった友香の手が、徐々に下に移動していった。私が一番触れて欲しい部分に。
再びベットに横たわると、友香の指がためらいなく私の亀裂に滑り込んできた。快感に鳥肌が立った。
「あっ」
思わず高い声が出てしまう。
私も友香のそこに手を伸ばした。もう何度も触れて、唇を付けた部分。私達は見つめ合いながら、ひたすら指先を動かした。
私は友香の目を見た。
「あなたが好き。私にはあなただけなの。」
ありきたりな言葉で友香にすまないと思いつつ、それでも言わずにはいられなかった。私が友香だったら、こう言われたいと思ったのだ。友香の瞳に明らかに安堵の色が浮かぶ。
それを合図に私は友香を押し倒して、愛撫していた部分に唇を付けた。友香はほんの一瞬だけ抗うそぶりをして、それでも私の愛撫に身を任せてくれた。
「ああ・・琴乃・・気持ちいい・・・愛してるわ。」
友香の身体が仰け反った。顔を上げると友香は目を瞑って肩で息をしていた。
友香の隣に寝そべると友香は薄く目を開いて私を見た。腕を伸ばして肩を抱き寄せられた。
「琴乃、ありがとう。」
友香のありがとうが何に対してなのか、私ははっきりとは分かっていなかった。それでも私は小さく頷いた。それで良かったのだ。なんであれ、私が友香に感謝されているということだけで。
地元の写真館で撮った成人式の写真が送られてきた。自分一人のものと、母と一緒に撮ったもの。
「随分良く撮れてるから、お見合い写真にも使えるわねー。」
電話してきた母の冗談がチクリと胸を刺した。
「凄い綺麗に撮れてる!何時間でも見てられるよ。」
見せてとせがんだ友香がはしゃいだ声を上げた。
さすがプロと言うべきか、その写真の仕上がりは確かに素晴らしかった。自分でもかなり良い出来だと思った。
「そこはプロだからね。綺麗に撮るのが仕事だもん。」
友香に褒められて素直に嬉しかった。友香と一緒に暮らすようになってから、私は以前よりもスタイルが良くなっていた
。友香と一緒だとストレッチや筋トレも一人の時よりも楽しくできるし、ちょっと面倒くさくても誘われるのでサボれない。
スタイルについては実家に帰った時も母に褒められていた。
>> 48
母は帰る度に綺麗になったね、と私を褒めてくれた。
「美人の友達と一緒にいるとこっちも意識が高くなるの。」
そう言って友香と摩耶との写真を見せた。母には友香と一緒に暮らしている事は言っていたが、写真を見せるのは初めてだった。
(お母さん、この人が私の好きな人なの。)
写真を見て目を細める母を見て、私は心の中で言った。ごめんね、私、お母さんにウエディングドレスも、孫も見せてあげられない。その人と生きて行きたいの。
母は、「家族が一番大切!」を豪語する人だった。女は結婚をして、子供を産んで家族を作る。それこそが幸せだと信じていた。だから、娘である私にもそうであって欲しいと思っている事は、母から直接聞かなくても察しがついていた。
母への後ろめたい気持ちも手伝ってか、私の両親への態度はあからさまに良くなっていた。
家にいた頃もそれなりに手前のかからない、反抗期なんてのも無い子供だった筈なのだが、それは私の主観で両親が本当はどう思っていたのかはわからない。
母は私を家から通える大学に行かせたがっていたから、一人暮らしをさせて良かったと思って欲しくて、率先して家事を手伝った。
私が作った料理を『美味しいわねー』と言いながら食べる母と、『悪くはないな』と言いながら残さず食べてくれる父。
私は、自分が両親のようにはなれないけれど、それでもあなた達に育てて貰って、本当に感謝しているしすまないと思っていると、何らかの形で表したかった。
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