【黄昏の時】

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2013/06/16 21:27(更新日時)

「でさぁ、彼が慌ててメールでごめんって」

「アハハ、そんなにイジメちゃ可哀想ですよ」

給湯室のドアが開かれると、さっきまでの賑やかな話し声がピタリと止んだ

「あ、木ノ下先輩、お疲れ様です」

二人は、声をかけ終えた後に振り返って軽く頭を下げた

「お疲れ様、悪いけど先に帰らせてもらうわね」

『この子達..背中に目でもついてるのかしら』

木ノ下は、夕刻に突然、訪れた来客へ、お茶を出し終えたところだった

「はい、わかりました。お疲れ様です」

二人はもう一度言い、木ノ下の手からお盆を受け取った

木ノ下は踵を返すと、歩きながらに無意識に首筋を拳でトントンしていた

クスクスという含み笑いに気付き、「ハッ」として手を下ろしたがドアを締め終えると、給湯室から二人の大きな笑い声が廊下にまで響いた

「はぁ..」

木ノ下は笑い声を背に聞きながら溜息をついた。手は首筋を揉み始めている

「ねぇ、木ノ下先輩って何歳か知ってる?」

「さぁ..無理して若作りしてるようだけど..33くらいですか?」

「キャハハハ!あの人、それ聞いたら泣いて喜ぶわよ」

裕美は笑い過ぎて、涙まで浮かべていた

「何歳なんですか?」

由香が本気で知りたがっているようだ

「42歳」

「え!42歳って..」

裕美は由香の次の言葉が何であるか察しがついていたのだろう..ニヤリと唇を歪ませ、大きく頷いた

「由香もここの『暗黙の了解』を知ってると思うけど、普通は30までに結婚して寿退社していくんだよね..でも、あの人は居座っている」

毒づくように裕美は鼻を鳴らした

「でも..付き合ってる人や、彼氏とかいるんじゃないですか?」

「いない、いない」

裕美は『とんでもない』と言わんばかりに顔と手を大げさに振った

由香は、この職場に配属されて日が浅い。木ノ下とは、仕事以外に会話をする事はあまりないが、嫌悪感を持っているわけではなかった

しかし、裕美の木ノ下に持つ感情は、憎しみに近いような異質なものを由香は感じ取っていた

「それよりさぁ、上原君っていい男じゃない?」

裕美の眼差しが、しっとりとするように艶めかしさを帯び始めている

「先輩、彼氏いるんじゃないですか?」

「あら、あなた見た目に似合わず真面目なのね」

裕美は鼻白むように由香を見た

「は、はぁ..」

由香は裕美の視線から逃れるように、洗いかけのコップに手をかけた

No.1720858 (スレ作成日時)

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No.51

「うーん..」

ブルーのカーテンが日曜日のゆったりとした日差しを浴びて、淡い光を放っている。咲子はベッドの中で四肢を思い切りしならせ大きく伸びをした

総務課へ配属され、ひと月が経っていた。昔とった杵柄とでもいうのか、はじめの一週間は、周囲から疎まれながらも、分からないところは質問をしていたが、オロオロした様子を見せたのも、その一週間だけであった。それ以降は、購入先の業者等を洗い直し、微力ながらも経費削減に努めていた

経費削減と聞くと、経理部の常套句に聞こえるが、企業というものは、同じ船に乗る全ての社員一人々が、あらゆる面において、無駄に対する意識を持つ事が理想である。御河商事は創始者である初代社長からの、企業・経営理念が確固として継承されていた。三代目社長であった、晴代の実父である岡崎玄一郎は、独断で血縁による社長就任を廃止をした。その後、温厚で人望もある、半田辰蔵へ実権を譲ると、莫大な財産を武器に海外へ渡り、多角的な方面へ触手を伸ばしていった。辰蔵は傲ることなくしっかりと初代からの意志を引き継いだ

時計の針は午前十時を差している。咲子は何か思い立ったように、ベッドから起き上がると、勢いよくカーテンを開いた。小さなベランダに出てみると、手すりがほのかに温かさを孕んでいる

―久しぶりに散歩でもしてみるか..

シャワーを浴びると鏡に向かった。誰かと艶っぽい約束があるわけでもないが、お洒落をして街をぶらぶらするのが好きなのだ

咲子はゆっくりと歩いた。花屋の軒下に、色とりどりの花を咲かせた小鉢が並んでいた。その少し先にカフェバーがあり、小さなテーブルが歩道沿いに、いくつか置かれている。数人程がコーヒーやビールを飲みがら、時を過ごしていた

咲子は店内に入るとレジで、ベールエールとナッツを注文し、支払いを済ませた

「あぁ、生き返ったわ」

咲子は一口飲むと溜め息混じりに呟いた。昼間のビールは格別に美味しいのだ

ぼんやりと窓の外を見ていると、反対側の歩道を歩いている女に、咲子の視線が釘付けになった

「あっ!」

咲子は思わず声を上げていた。それは、娼婦のような服装をし、生気のない顔色をした広谷裕美であった

「...」

広谷裕美が、ふらふらとしながら、ヤクザ者の男に腕を掴まれ、引っ張られるようにして歩いている

「...」

咲子は飲みかけのビールを一気に煽ると、手の甲で口を拭いバッグを掴んで店を出た

No.52

咲子は店を飛び出し、左右を見ながら、反対側の歩道へ渡ろうとしたが、行き交う車が途切れなかった

「もぅッ!!」

広谷裕美は、気だるい様子で男に引っ張られながら歩いていく。咲子は見失わないように、裕美に眼を張り付けたまま、車道を横切る隙を窺っていた。そんな咲子の行動を、さっきから窺っている白のBMWがいた。車内は、濃いブルーのウィンドウで遮られてわからなかった。反対側を歩いている咲子の歩速に合わせ、歩道寄りにゆっくりと進んでいる

「あッ!」

咲子が声を上げた。裕美を連れた男が、路肩に停めていた、黒の軽自動車に乗り込んだ。咲子は忙しなく左右を見るが、車道は渡れそうにない

―こうなったら

咲子は車道へゆっくり飛び出して、両手を大きく振りながら渡りだした

「バカヤロー!死にてぇのか!」

咲子に気付かず、急ブレーキをかけたトラックドライバーが怒声を放った。咲子は見向きもせずに、渡り続けた

「あぁッ!」

咲子が丁度渡り終えたところで、広谷裕美を乗せた黒の軽自動車が走りはじめた

路肩で見送るかたちとなった咲子は、肩で息をしながら、額に滲んだ汗を拭った。化粧もなにも剥がれ落ちて、パンダのような形相になっていた。その上、この日はやけに陽気であった

先程から様子を窺っていた白のBMWが、エンジン音を轟かせながら加速してきた

キュルキュルキュルッ

咲子が振り返る。まるでスローモーションを見ているかのように、白のBMWが横すべりしながら、咲子めがけて突っ込んできた

咲子は恐怖で身体が動かなかった

―死ぬんだ

観念したように、両眼を閉じた咲子の五十センチ手前で白のBMWは停止した。車道にブレーキ痕が塗り付けられたように、黒々と尾をひいていた。ほんの数秒の出来事であった

ブルーのウィンドウが、ゆっくりと降りる。咲子は忘れていたように瞼を開いた

「あーら、木ノ下のお嬢様、お出かけですか」

岡崎晴代であった

「....」

咲子は、一息を溜めると、滝のように言葉が溢れ出しそうになったが、今はそれどころではない。渡りに舟とばかりに、助手席へ乗り込んだ。晴代に、訳は後で話すと言って、黒の軽自動車を追跡させた。二人の周りには野次馬や、好奇の目をした人だかりができていた

咲子は考えていた

―広谷裕美を追いかけてどうしようというのだろう

自分自身でもわからないが、何故か追わなければいけないような気がしていた

No.53

「で、これからどうするの」

咲子は晴代のBMWの餌食にされそうになったが、頼りになる晴代に偶然出くわして心強かった。車内で広谷裕美の様子を詳しく説明すると、平凡な日常に飽き飽きしていた晴代は、瞳を爛々と輝かせ、好奇心の旺盛さをみせつけた

「それは..」

咲子は沈黙した。広谷裕美を乗せた車は、六台先を走っている。追跡をして三十分程経っていた。徐々に前方の車が、左右に折れていき、咲子達の前を行く車は二台ばかりとなっていた

汗で化粧がドロドロになった咲子をチラチラと見る度に、晴代は吹き出しそうになった

「それはわからない..でも、ほっとけない」

「ふん..」

晴代は鼻を軽く鳴らすと、手探りで後部座席のハンドバッグを取り寄せ、咲子に渡した

「中にウェットティッシュがあるから顔を拭きなよ」

咲子は、ハッとしてバックミラーで自分の顔を覗き込んだ

「ハハ..凄い顔。いつからだろ?車に乗る前からかな」

他人の顔でも見るように、ひとしきり覗くと、晴代のバックからウェットティッシュを取り出した

「そ、そうね」

晴代はハンドルを握りながら、笑いを堪えていた

裕美を乗せた車は、速度を上げるでもなく、走っている。前方にいた車は、最後の一台が右折し、咲子達の車だけが後をつけている格好となった。晴代は若干、速度を下げると怪しまれないように、付かず離れずの距離を保った

「木ノ下..あんたさぁ、上原のことどう思ってる?」

唐突に訊ねられた声音が、晴代らしくない弱々しいものに、咲子は驚いた。ゴシゴシと化粧を落としていた手を休めると、意外なものでもみるように、晴代へ顔を向けた

「どう..って、別に」

実際、咲子は今、この状況で上原のことなど、脳裏に浮かんできさえしなかったのである

「別にって、あんたもしかして..」

―昔の彼氏のことが、まだ忘れられないんじゃ

晴代は、そう言葉が出そうになったが、途中で思い留まった。咲子と織田尚志の関係は、誰も知らないはずなのだ。晴代だけが知っているのは、当時の咲子の不信な融資を調べていた過程で、織田尚志の存在が浮かび上がったからなのだった

「もしかして何?」

「もしかして、あんた私のことが好きなんじゃない?」

嘘なんてすぐに見抜けるわよ。と言わないばかりの咲子の視線をあしらうように、晴代は悠然と言い放った

「はぁ!?」

咲子はバカバカしいとばかりに手を動かし始めた

No.54

天子町に在る、御河商事から数十キロ離れた郊外に、閉鎖された鉄工所がある。一年前に倒産し、緒川組が借金の形に取り立てたものであった。緒川組の竜一という組員が鍵を預かっているが、組には無断で奈々原や街のチンピラ達に使わせていた。その中には中高校生もいるという

「奈々原さん、まだ来ないんですか」

キツネ目の少年が訊いた

「慌てるな。それよりお前ら、金は用意できてんだろうな」

鉄工所の事務所であったのだろう。三人掛けのソファーがテーブルを挟んで、置かれている。ソファーには、茶髪にピアスをした、まだ高校生だという者達が数人、時間をもて余していた

部屋にはうっすらと埃が覆った事務机や、伝票等も散乱していた。奈々原は、ひと回り大きな椅子に座り、机に脚を投げ出して少年らを一瞥した

「は、はい」

キツネ目の少年が、ビクリと頷くと、他の者達も同じように頷いた

― 裕美もそろそろ潮時だな

奈々原は裕美が金持ちを相手に稼げなくなると、顔見知りの不良達に、中学生や高校生を紹介してもらい、客にしていた。一度に十人前後の纏まった人数になると、この閉鎖された工場に呼び出して、一人につき一万円を払わせ、裕美を抱かせていた。それが週に二度ほどの集まりとなり、一ヶ月でざっと八十万近くの稼ぎになっていた

金持ちの客は変質者が多く、要望に応えれば一回で七、八万くらいの稼ぎになっていたが、一ヶ月にすると、三十万ほどの稼ぎにしかならなかった。それに加え、薬物の影響だろうか、裕美に異常な行動が目立ちはじめ、次第に客も掴まらなくなった

― あと少しだ..

奈々原は竜一という緒川組の組員から、一千万で幹部候補の席が手に入ると、内々に話しを持ちかけられ、二つ返事で話しにのった。それから、月々にまとまった金を竜一に渡していた。その一千万の目処が立ちはじめた頃から、裕美の稼ぎが悪くなり、盃を受ける日取りが延びていたのである

― なにも、やりたがってる奴は大人だけじゃねぇ

中高校生にしてみれば一万円は大金だったが、金の出所は親の財布から盗んだり、カツアゲをしたもので、自分達の懐が痛むわけではなかった

「俺が最初にやるからな」

キツネ目の少年が、目を細めて、他の者に言った

「奈々原さん、来ました」

階下で見張り役をしている若い男が、大声で叫んだ

奈々原は机から足を降ろすと窓際に近づいた。黒の軽自動車から、男二人と裕美が降りてきた

No.55

咲子と晴代は、広谷裕美を乗せた車が工場に入って行くのを見届けると、工場の門から少し離れた場所に車を停めた。二人は車から降りると、工場の塀沿いに鬱蒼という程ではないが、身を隠すのに丁度よい竹林が茂っているのを見つけた。コンクリートブロックで工場を囲んでいる塀は、所々欠けていた。少し先には、大人が通り抜けられるくらいの崩落した部分もある。ここなら中の様子も窺えそうだと、二人は腰を屈め、辺りに目を配りながら竹林のある塀に近づいて行った

「やっぱり広谷さんだ」

咲子は壊れた塀の間から、ジッと目を凝らしながら今し方、車から降りてきた女を見て言った

「何するんだろう..」

晴代は興味津々に咲子の横顔に邪魔だと言わんばかりに、頭をねじ込むように覗き込んだ。陽が少し傾きはじめたせいか、竹林の陰に潜んでいると、ヒンヤリとした空気が足下から伝わってきた

「ここからじゃ見えないな」

工場の敷地内には、錆びた鉄骨が積み上げられていたり、廃材などが不規則に置かれている。プレハブ小屋もあり、中は流し台や食器棚も整えられ、以前は従業員達の休憩室にでも使われていたようだ。広谷裕美と男二人の姿がプレハブの陰に消えて見えなくなった

「見えないね、中に入ってみる?」

晴代は覗き込んでいた顔を咲子に向けた

「そうね、入ってみようか」

そう言って、二人が腰を上げかけたとき、正面の門からボロ車が一台慌ただしく入ってきた。咲子と晴代は再び腰を屈めて様子を窺った。足早に車から降りてきた男を見て、咲子と晴代は思わず、あっと声を上げて手の平で口を塞ぐと顔を見合わせた

「あれ、川見じゃない?」

年中、浅黒い肌をして、如何にも好色そうに、体中を脂ぎらせている男は御河商事の川見登であった

川見は数ヶ月前に、女癖の悪さが災いしてか、今期入社した平野景子という女子社員に、スキンシップのつもりで後ろから背中を軽く撫でたところ、問答無用にセクハラで訴えられた。御河商事としても、川見の評判の悪さは耳に入っていたので、川見を庇う素振りなど微塵も見せず、ここぞと言わんばかりに、平野景子へ協力的に証言や証拠集めに力を貸した。川見はあれよあれよという間に、懲戒処分となり一家は離散、貯蓄もなく今は、アルバイトをしながら安アパートで、しがない生活をしていた

「行くよ」

二人は立ち上がると、右手にある数メートル先の壊れた塀から、身体を捩らせながら中へと進んだ

No.56

車を降りると裕美は、俯いたまま歩きだした。黒く短いスカートから伸びる均整のとれた脚は透き通るように青白かった。二人の男達は、先に建物へ入ったのか、姿が見えなくなっている

「裕美、早く上がってこい!お客さん達がお待ちかねだ!」

二階の窓から奈々原哲也が叫んだ。裕美にはその声が届かないのか、何の反応も示さず、無表情に建物へと入っていった


裕美が事務所の扉を開けると、生唾を飲む音と狂気に似た視線が一斉に集まる気配が伝わった

「まずは俺だ」

キツネ目の少年は、うわずった声で近づくと、裕美の手を掴み、部屋の隅に置かれている薄汚れたベッドに連れていった


奈々原哲也は、その様子をみると、部屋を出て薄笑いを浮かべながら、となりの応接室に入った

「商売繁盛だな」

竜一は、テーブルの上へ無造作に置かれていた一万円札を寄せ集めた

「あの話しは間違いないんだろうな?あと百万で約束の額になるんだぜ」

竜一は、広域暴力団、大府会の末端組織、緒川組の組員である。組自体は小振りではあるが、表向きの看板である緒川興業のIT関連の業績が好調で、台所事情はすこぶる潤っていた。緒川組は、組長の佐伯薫を筆頭に、一本筋の通った幹部で堅められ、直系近い組からも一目置かれていた。竜一は、その緒川組の幹部候補のポストが一千万で手には入ると奈々原に持ちかけ、奈々原は話しにのった

奈々原の目が、集めた金を数えている竜一を鋭く刺した

器用に動いていた竜一の指先が、一瞬動揺した

「あ、あぁ..心配するなよ。幹部連中には話しはつけている。後は組長だけだ」

「...」

ここまで来たらコイツを信用するしかない。奈々原は、闇に覆われていくような気持ちを打ち消そうとした

「何だテメェ!?」

隣りの部屋から、怒声と喚き声が響き渡った。奈々原と竜一は顔を見合わせると急いで部屋を飛び出した

二人が事務所の扉を開けると、裕美を抱こうと順番待ちをしていた少年達が呻きながら床に倒れていた。奈々原は、呆然とその光景を見つめていると、部屋の隅のベッドに浅黒い肌をみせた男が裕美を激しく貪っている姿が映った

「川..見」

奈々原は呟くと、ベッドの下に転がっているキツネ目の少年と、歪な形に曲がっている鉄パイプをみた。少年の頭は、石榴のように裂け脳漿が飛び出している

「奈々原、お前の知り合いか?」

竜一は銃口を川見に向けて訊ねた

「あぁ..お客さんだ」

No.57

「栄吾、待て」

佐伯薫が六度目の待ったをかけると、若頭の立花栄吾は渋い顔をした

「組長、もう六度目ですぜ」

立花の、しわい声など気にも留めず、佐伯は摘んだ駒を将棋盤の上で泳がせている

「ここだな」

佐伯は、ひとり納得したようにパチリと駒を指した

今でこそ緒川組は、大府会の末端に席を置いているが、二十年ほど前に大府会と、苛烈な抗争を起こしていた

その頃大府会は、組織の拡大を図るため、全国に点在する脆弱な組織の吸収に力を入れていた。その傘下に入り、日の浅い美浜組が株を上げようと、緒川組に傘下に入るよう執拗に迫ったが、当時の組長であった相模登は断固拒否した

しびれを切らした美浜組は、ついに武力行使へと移り白昼堂々、緒川組の事務所へ手榴弾を投げ込んだり、路上で銃撃したりと一名を死亡させ、数名を負傷させた。組員はともかく、代々から親分さんと、何かと地元住民から慕われてきたこともあり、住民に危害が及ぶことを慮り、襲撃がはじまった三日目の夜に、武装した組員の総勢十三名で美浜組へ奇襲をかけたのだった。この奇襲で美浜組組長は即死、幹部を含め二十三名の死傷者を出した。一方、緒川組は三名の重傷者を出しただけである。その頃、佐伯は若頭で立花はかけ出しのヤクザであった。美浜組は一晩で壊滅、その後大府会との玉砕覚悟の全面抗争も厭わぬ気概をみせた。大府会は、その並みならぬ度胸に感服し、今後一切、緒川組には手は出さないと和解を申し入れた。それ以来、大府会とは懇意になり、先代組長が緒川組の将来を考えてと、自ら大府会の盃を受けたという経緯があった

「失礼します」

二人が将棋盤を睨んでいると、新入りの和雄という若い組員が廊下から障子越しに声をかけた

「何だ」

「竜一さんの居所がつかめました」

「入れ」

立花栄吾がドスの利いた声で言った

「失礼します」

和雄は、そろりと障子をあけ、緊張した面持ちで部屋に入った

「どこだ」

障子をしめると、和雄は正座して一礼をした

「棗町の廃工場にいます」

「廃工場..あの鉄工所か」

「はい」

栄吾は数ヶ月前から、竜一の羽振りのよさが気になっていた。大したシノギもない竜一が、高級車やマンションを購入したという。密かに竜一を探らせたところ、どこからかヤクを仕入れ、売りさばいている事実を突き止めた

「出張るぞ」

佐伯の声と同時に、立花は車をまわすように和雄へ指示し、後に続いた

No.58

咲子は、川見が慌ただしく扉をひらくのを見届けると、敷地内の物陰を縫うように扉へと近付いていったた。晴代は、急な仕事の打合せでも入ったのだろう、携帯を閉じると、少し遅れながら咲子に続いた

暫く扉の両際にヤモリのように張り付いて中の様子を探っていると、二階の方から断末魔のような悲鳴や怒声が二人の耳へ刺し込んできた

「な、なに..」

咲子と晴代はお互いに、恐怖に青ざめた顔を見つめあった

どうする?と、問うような晴代の表情がわかったのか、咲子は応えるように頷いた

「広谷さんが心配だから行くよ」

晴代は、チラッと白い歯をみせて、小さく頷いた

二人は中へ足を踏み入れ、さらに慎重に様子を窺いながら階段へと足をすすめた。階段を上りきり、首を突き出した恰好で左右の廊下を覗いた。仄暗い廊下に傾いた陽射しが、わずかに光を残している。五メートルほど先にある左手の部屋から、川見の常軌を逸した叫び声がきこえてきた

「....」

咲子と晴代の表情は暗くて読みとれなかったが、お互いの沈黙が顔色を映していた。部屋には川見と、二人の男がいるようだった。一方の男がなだめるように川見に話しかけている。川見は薬がどうの裕美がどうのと叫んでいるようだが、断片的にしかわからない。咲子と晴代は、腰を落としながら、猫のように足を運びかけたとき、川見の奇声とパンッと乾いた音が間をおかず、廊下まで突き抜けた。二人の足が反応して止まる

「木ノ下..ここはヤバいよ。たぶん..」

晴代は一歩先で、凍りついている咲子の肩にぼそりと呟いた

「誰だ、あんたら」

咲子は後ろの声にビクッと反射的に振り向いたが、晴代は背中に板を張られたように身動きがとれないでいた。銃を背中に突き付けられていた。男は車で裕美と同乗した二人組の一人であった

「お前ら、俺たちの後をつけていただろう?」

「....」

「何を探っている?サツの手合いじゃねぇな」

男は咲子と晴代の尾行に気付いていた。そして、工場につき建物に入ると、裏口から外に出て回り込み、二人の行動を監視していたのだ

「まぁいい。話しは中でゆっくりと聞かせてもらおう」

しわがれた声が闇の中へ重く響いた。二人は男の問いかけに沈黙していると、男は晴代の背中を銃口で促した。晴代がゆっくりと立ち上がると、咲子も引き摺るような足どりで、銃声のあった部屋と進んでいった。廊下に残されていた仄かな光は、闇に消えていた

No.59

「裕美!裕美!裕美」

裕美は半開きになった眼で川見を見つめるように死んでいた。それでも川見は、獣のように裕美の中に激しく突き入れた。しばらくすると川見は、裕美にまたがっていたベッドからゆっくりと降りた。そして、足下に転がっている鉄パイプを拾い上げた。固まりはじめた血のりが、吸い付くように川見の右手に握られた

川見は足下のキツネ目の少年を見下ろした。顔と頭の原形はとどめていない。叩き潰した肉の上に髪の毛をかぶせているだけのようだった

「川見、落ち着けよ。薬ならここにあるからよ」

奈々原はポケットに手を入れて白い粉の入った小さな袋を取り出した

「裕美はどこだ!?裕美!裕美!迎えにきたよ」

ろれつの回らない舌で、川見が喚きながら床にうずくまっている少年の金髪を掴み上げた

「お前、裕美だろ?」

と顔を覗き込み、違うと呟いては、少年達を鉄パイプでメッタ打ちにしていった

「ヤク中か」

竜一は、川見に向けた銃口を一度も外していない

「どうする」

呆然と川見の行動と、黒ずんだ床を見ている奈々原に竜一が訊いた

竜一の言葉に反応したように川見の振り上げられた鉄パイプが止まる

「お前だれだ?」

川見はフラフラと立ち上がり、引きずるような足どりで竜一と奈々原に近づいてきた

「裕美を..裕美をどこにかくした」

竜一は銃口を向けたまま奈々原と無言で川見をみている。二人の数歩手前まで近づくと、川見は鉄パイプを勢いよく振り上げた

ドスンと川見が、床にひっくり返った。足裏についた血のりで滑ったようだ。川見は倒れ込んで、二人の爪先に顔を転がす格好となった

竜一はしゃがみ込むと、川見の額に銃口を突きつけた

「その女と、あの世で死ぬまでヤってろ」

パンッと乾いた音が部屋に響き渡った。吹き飛んだ頭部の肉片が、うずくまっていた少年達に降りそそぐ

「う、うわぁッ」

少年達は、血のりで足をすくわれながら、我先にと逃げ出した

「お前ら、誰にも言うなよ!バレたらお前らもこうなるぜ」

竜一は笑いながら、逃げ出す少年達の背中に言った

「橋本、その女はなんだ?」

竜一は入り口に立っている咲子と晴代に気付くと後ろにいる男に言った

「その女を車に乗せたところから、つけてきたようで」

橋本と呼ばれた男が、しわがれた声で応える

「川見..広谷さん..」

咲子はベッドに顔を向けると、光を失った裕美の視線をみつけた

No.60

咲子と晴代が背中を銃で突かれて、竜一と奈々原の前にすすんだ

「座れ」

言葉が終わらないうちに、ガツンと銃の台尻で肩を叩かれた。二人は小さく呻くと肩を庇うように膝まずいた。床に固まった血が晴代の白い膝に絵の具のようにまとわりついた

さっきまでオレンジ色に包まれていた部屋には暗い電灯の光だけが残り、惨劇を浮かび上がらせた

「さてと、本題に入るか..」

竜一はそう言って、二人の前にしゃがみ込んだ。咲子は目の前の陰惨な光景と異臭に抗うように顔を背けている

「あんたら誰?」

おどけたように首を傾げると竜一は咲子と晴代を交互にみた

「そこにいる広谷さんの同僚よ」

晴代は哀れむように裕美をみていた眼を竜一に向けた

「同僚..そうか、その女を助けだそうってつもりだったんだな?なんて会社だ?」

竜一は、鼻で笑うと煙草を取り出した

「....」

「なんて会社だと聞いてんだよ!」

竜一は晴代の前髪を掴むと力まかせに左右に振った

「イタッ、御河商事よ!」

「サッサと言えってんだ」

晴代は掴まれた前髪を投げるように離されると、両手を床について俯いた

「おい、奈々原..御河商事だってよ。その女も同じ会社だったか?」

「あぁ..」

奈々原は椅子に腰掛けると、煙草を深く吸い込み天井に向かって白い輪を吐き出した

― 奈々原..

晴代の脳裡を、その名前が鋭い刃のように突き刺した

― 奈々原..哲也..まさか

晴代は、あの時の事件を思い出していた。咲子の恋人であった織田尚志の勤める金融業社、スマイル・キャッシングが、開店資金として三千万の融資を申し込んだ。晴代は書類をみて規模に見合わない融資だと判断した。ましてや、その担当者が木ノ下咲子であったため、当時、晴代の懐刀と称された、豊田明美に念入りに調査させ、また晴代自身も独自のルートで調査した。その線上に、奈々原哲也の名前が浮上した矢先、織田尚志がひき逃げされ、斎藤が何者かに殺害されたのだ

二つの事件は目撃者もなく、事件は迷宮入りとなったが事件から一年後、晴代のもとへ一本のテープレコーダが送られてきた。それには、斎藤が奈々原哲也と組んで保険金目当てに織田尚志を殺害し、奈々原が咲子をレイプしたはずだ。という内容のものだった。自白している者の声は斎藤であろうと思われた。もう一人の声は、くぐもった声で聞き取りにくかったが、どこかで聞いた懐かしい声であった

No.61

晴代は、わずかに顔を咲子に向けた。咲子は気分が悪くなったのか、床に座り込み俯いたまま片手で口を覆っている

―大丈夫..まだ気付いていない

殺されるかもしれないという状況のなかで、晴代は咲子をみると小さく安堵の嘆息をこぼした

―絶対に奈々原に咲子のことを思い出さてはいけない

奈々原が咲子に気付けば間違いなく笑い話でもするように、あの日のことを思い出させるだろう。激しい風雨のなか、暗闇で織田尚志を車で殺害し、咲子を犯したことを..

―咲子は自分を苦しめた男が奈々原哲也だと知っているのだろうか..

どちらからともなく咲子と晴代は二人で連れ歩くようになっていた。いや、晴代が意図的に近づいたのだ

心に誰にも言えない深い傷を負った咲子は、社内では気丈に振る舞っているが、晴代と飲んでいると時折、寂しげに微笑む咲子を晴代は知っている。そして、咲子の胸の中にはまだ織田尚志が生き続けていることも

晴代は奈々原をみると、身じろぐように両膝を閉じた。奈々原は視姦するように、晴代の白い脚をみていた

「哲夫」

竜一がドアの向こうに大声で叫んだ。遠くから足音が次第に近づいてくる

「ハイ」

息を弾ませながら、哲夫が部屋に入ってきた。橋本と一緒に裕美を連れてきたもう一人の男であった。哲夫は部屋の惨状に眉ひとつ動かさず、竜一の前に立つと軽く膝を折った

「後始末しとけよ。この前みたいにな」

「はい」

哲夫は、慣れた手つきで死体の後始末をはじめた。竜一は、咲子と晴代を隣の部屋に連れていくように橋本に促した


「ふぅ..」

哲夫は、三人の死体を窓際まで引きずり集めると額の汗を拭った。それから窓を開けると、生ゴミのように、階下へ無造作に投げ落とした。骨の砕ける音が三度続いた。陽は沈み、辺りは暗闇にかわっている

哲夫は、フォークリフトに乗ると、二本のツメで死体をすくい上げ、建物の裏へと運んでいく。黒い血が、点々とタイヤの後ろに続いた


「この女をどうするか..だな」

橋本は、咲子と晴代を床に座らせるとロープで二人を縛り上げた

「クッ..」

ロープが腕に食い込む。晴代が苦痛の呻きをもらした

「どのみち生かしておけねぇな」

竜一はソファーに腰をおろし、両腕を頭の後ろに組み目を閉じた

「...」

奈々原は何も応えず、部屋に入ると、ジッと咲子から視線を外さないでいた。うなだれている咲子に奈々原がゆっくりと近づいた

No.62

奈々原は咲子の前にしゃがみ込み、指先で顎を上向かせた。咲子の眼が憎悪の色に染まる

「おまえ..どっかで会ったな..。御河商事..そうか、織田..」

「ねぇ!」

晴代は奈々原の言葉を遮るように、大声で呼びかけた。奈々原が怪訝そうに晴代をみる

「ねぇ、抱いて」

「!?」

咲子は自分の耳を疑い、呆然と晴代を見つめた。奈々原は咲子の顎を放すと、晴代へにじりよった

「私..あんたみたいな、アブナイ男が好きなんだ..」

「フンッ。おもしれぇ女だな..そこにいた裕美も、おまえと同じこと言ってたんだぜ」

そう言って奈々原は、裕美のいたベッドを顎でさした

「ねぇ..はやくして」

晴代が、むき出しにした脚をくねらせる。膝についた血のりが、白く形のよい脚に映えていた

「男なしじゃ、いられねぇ女ってわけか」

苦笑しながら奈々原は、晴代の唇に舌を絡ませた

「ん..」

咲子は、その光景を無表情にみていた

「竜一、ご覧の通りだ。殺る前に遊ばせて貰うぜ」

「勝手にやれ。一階の仮眠室を使えよ」

竜一は、うとうとしながら言った。奈々原は縛られたままの晴代を立たせると、肩に手を回した

「岡崎ッ!!」

晴代は咲子の前で、正面を向いたまま立ち止まった

「岡崎..私はね、今まで口にこそ出さなかったけど、あんたを本当の友達だと思っていたよ」

「ねぇ、少しだけ時間をちょうだい。最後だから、このバカの話しを聞いていくわ」

晴代は、そう言うと奈々原に軽く口づけをした。奈々原が早くしろよと言って部屋を出ていった。竜一は眠ったようだ

「あんたは知らないだろうけど、私は..心が..心が消えてしまいそうな..哀しいことがあったんだよ。そんな時、専務さんの優しさや、あんたの憎まれ口にどんなに救われたか..あんたに出会ってなければ、とうの昔に死んでいた。そう思っていたんだよ!」

咲子は俯いて唇をふるわせた。晴代は無言で横顔をみせたままだ

「...」

晴代は何も言わず立ち去ろうとした

「岡崎!何とか言いな!」

「咲子!」

晴代が咲子との長い付き合いの中で、初めて名前で呼んだ。いや、心の中では姉妹のように、いつも咲子と呼んでいた

「何よッ!」

咲子は晴代の横顔を睨み付ける

「このバカ!」

「あんたこそ大バカよ!」

晴代は咲子の声を背中に聞きながら部屋を出た

―咲子のバカ..

晴代の頬に泪が伝っては落ちた

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