バラバラな家族
私は三人兄弟の末っ子として産まれてきました。
4つ上の姉
2つ上の兄‥と男女両方居たから特に期待されてもいなかったと思います。
でも両親は‥祖父母は‥願ってくれたでしょうか?健康に産まれてくる事を‥‥。
私の小さい頃からの思いを綴っていきたいと思います。
読んで下さる方、下手な文章ですみません。
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当時、③年生に兄がいました 兄はそこそこ人気があったので、その妹という事で私も可愛がられました‥‥‥
③年生の先輩には‥‥
それが②年生の先輩には気に入らなかったのでしょう‥‥‥‥
特に手出しはされませんでしたが、明らかに無視されたり‥‥と辛い毎日でした‥‥‥
だからせめてG先生だけでも‥‥‥みんなと同じに名字で呼んで欲しいとお願いしました
もちろん告げ口にならないよう適当な理由をつけて‥‥‥‥‥‥
G先生は不審に思いながらも、その日から私を名字で呼んでくれました
でも‥‥たった②週間の間だけ‥‥
またある日突然名前で呼び始め、私が頼んだ事など忘れているかのようでした‥‥
でもその頃には他の①年生も何人かあだ名で呼ばれ始めたので、私が浮くような事はなくなりました
私が在籍した吹奏楽部は学校で一番遅くまで練習していました
なので必然的にG先生が戸締まりをする事になっていました
ある夜、私はいつもみたいに母によって部屋の物を全て外にぶちまけられ居場所がなくなっていました‥‥‥‥
時間は20時位だったでしょうか‥‥母の目につかない所に逃げる為、私はあてもなく歩きはじめました
父のところや祖父母の家には行けなかった‥母が追いかけてきても、誰も助けてくれないからです
兄でさえ‥‥‥
助けてくれない‥‥‥いえ、助けられなかったんだと思います
それほど怒りに満ちた母は凄まじいものでした‥‥‥‥‥
「先生‥‥」
「おっ!どうした
こんな時間に」
「忘れ物しちゃって‥‥」とっさに出た言葉でした
「とってこい‥一人で行けるか?」
「ハイ‥」
夜の校舎は不気味でしたが、電気を点けながら③階の音楽室へ行きました
先生に言った手前、何か持たなくちゃ‥‥と適当なファィルを手にし職員室へ戻りました
「こんな時間に一人で来たんか‥‥親御さんは?」
「知らないから‥‥私がどこにいるかなんて‥‥」
「どういう事だ?」
私は少しずつG先生に話していました‥‥‥
ずっと誰かに聞いて欲しかったんだと思います
『こんなに辛いんだよ』‥‥‥と
G先生はずっと話を聞いてくれて、話が終わると冷蔵庫から給食で余ったスライスチーズを⑤枚出してきてくれました
「なんでスライスチーズ‥?」
「とりあえず食べろ」
夜の校舎で二人で何故かスライスチーズを食べました
「どこまで踏み込んでいいか分からない‥でも相談というかお前の話は聞いてやれるから‥‥」
この日から時々私は、夜の学校へ行きました
時には他の先生方が残っていて、そのまま引き返す事もありました
G先生は本当に話を聞くだけ‥‥何もしてくれなかったけど、私の心を助けてくれました
話を聞き終わると、G先生は必ず給食で余った物をくれました
みかんだったりチーズだったりパンだったり‥‥‥何もないときは自分で常備していたカップ麺を食べさせてくれたりしました
私は別にお腹が空いてるわけじゃないし、家でご飯は用意されたりされなかったりだけど、食べられないわけじゃないし‥‥‥
G先生はこれ位の事しかしてやれない‥‥‥そう考えていてくれたのかもしれないですね
中学②年のある日‥‥
それは期末テスト期間中の事でした…
いつもは一夜漬けで勉強していましたが、その日はどうしても眠く、朝早く起きて勉強しようと④時頃に目を覚ましました
さあ勉強しよう!と机に向かうと、「カタン」と音が‥‥‥
祖母はもう起きて台所に立っていました
私は今見た事を祖母にそのまま話しました
すると祖母は「ハァ~」と溜め息を一つ‥‥
「やっぱり‥‥」と。
朝方にMさんが玄関から出てくるのを、何度か見掛けたそうです
でも母に直接聞くとキレるので怖くて黙っていた‥‥と祖母は言いました
そして祖母は私に‥‥「今見た事は誰にも言っちゃいけない!特に兄には‥‥難しい年頃だし、これ以上ややこしくするな!」と言いました
私は頭がパニックだったので、祖母の言っている事は正しいのだ‥‥‥と祖母と私の秘密にして約束しました
それから何年間も苦しい気持ちになることを知らずに‥‥‥‥
その日から私と母は一切口を聞かなくなりました
‥‥というより、私が無視する事を貫きました
母はあの事について一言の言い訳もしませんでしたが、私に媚びるようになりました
誰にも言わないように‥‥‥?
そんな私を可哀相におもったのか、祖母が私の分までご飯を用意してくれるようになりました
でも祖母の口からあの出来事が語られる事は今もありません‥‥‥
母、祖母‥‥、全てはなかった事にしようとしていました
読ませてもらいました。
なんといっていいのか・・・。
簡単に「頑張って」なんていえない。
でもこんなにひどい状況の中、あなたの文章を読んでると
あなたは苦しい中、まっすぐに生きている人なのだと思うのです。
親子のことはどんなにひどい親だろうとなかなかきりすてることもできず
愛情を求めてしまうものだと思います。
私は、貴女が将来素敵な人と結婚して幸せな家庭をつくることを
祈ります。
月並みなことしか言えずごめんね。
祖母の家で過ごす時間が増えるようになって、祖母と姉の関係がハッキリと分かるようになりました
以前にも少し書きましたが、改めると‥‥
冬の日はストーブの前に洋服を畳んでおいておく
姉がご飯を食べ終わる頃に祖母が歯ブラシを持ってくる
姉がこたつで歯を磨いてる間に髪の毛をしばってあげる
姉はこの時高校生です
本当に何もしない人なんだなと思いました
あの出来事から約①ヶ月‥‥‥
母と口を聞かない事に限界がきていました
学校からの連絡事は母ではないとスムーズにいかず、頼れない父・「あたしには分からないよ」という祖母ではどうしてもダメでした
また祖母は食事の支度も面倒になったのか、姉には用意しても私には朝からポテチなど作ってはくれなくなりました‥‥‥‥‥
前に戻っただけ‥‥‥
そうに思いましたが、とてつもない悲しみが私を襲いました‥‥‥
結局祖母の家にも行かなくなり、私は自分の部屋‥‥‥母の部屋の隣でまた生活しました
そして母は何事もなかった様に私に話し掛け、私もまた何事もなかった様に母と話していました‥‥‥‥
変わったのは、Mさんが家に来なくなった事
その代わりに母が夜10時頃出かけるようになりました‥‥‥‥‥
外でMさんと会っているんだ‥と私には分かっていましたが、母はそんな私の気持ちを知ってか知らずか普通にいつも出かけていきました‥‥‥‥
家族なのに誰も家族じゃない‥‥‥
私の心はそんな毎日にもういっぱいいっぱいでした
G先生に助けを求めたくても、こんな事言えやしない
自分の母が不倫してるなんて‥‥‥ましてや隣の部屋でHしてたなんて‥‥‥‥
でもダメでした‥‥‥いつもの夜の学校で私はG先生に全てを話していました
G先生は聞き終わると、カップ麺を作ってくれて②人でそれを食べました
私はいつもは家族の話をする時、「すごいでしょ、うちの家族‥‥」と割り切って時には笑いながら話していましたが、この時ばかりは涙が溢れて泣きながらカップ麺を食べました‥‥‥‥
「そろそろ帰ります」と私が立ち上がると、G先生はそっと抱き締めてくれました
「頑張れよ」‥‥‥と
また涙が溢れました
この日から私は夜の学校に行かなくなりました
それは母の弱みを私が握った事で、家から追い出されなくなったから‥‥?
それともG先生に大変な事を話してしまったと思ったから‥‥?
G先生に恋愛感情を持ってしまったから‥?
でもやっぱりG先生には世間一般の父親を重ねていたんだと思います
あの日からG先生とは 親密に話す事もなくなったけれど、何かと気に掛けてくれていました
吹奏楽部の顧問と部員‥‥‥ただのそういう関係になりました
母との関係も少しずつ良くなっていきました
相変わらずご飯も作らないし、Mさんとも会ってるみたいだったけれど、私もどこか割り切れて母に対する気持ちが落ち着いていました
家族も変わらずバラバラに過ごしていたけれど、みんなそれに慣れていました‥‥‥‥
そして姉の高校卒業‥姉は就職の道を選びました
祖母と母が「大変だから‥」と大反対するなか姉は地方銀行の採用試験を受けました
そして合格‥‥
姉は車の免許を持っていましたが、「まだとりたてで危ないから」と祖母の説得に合い、片道30分程かけて自転車で通勤していました
しばらくは何事もなく姉は仕事に行っていました
ところが‥‥銀行から朝度々電話が入るようになりました
「来ていない」と‥‥
姉はどうやら朝は普通に家を出て行くものの無断欠勤をしていました‥‥‥
祖母と母は口を揃えて「だからあんなに大反対したんだ」と怒っていましたが、姉は泣いていました‥‥‥‥
そしてどういう話し合いがされたのかは分かりませんが、祖母と母が毎朝交代で姉を送って行く事になりました
祖母と母は免許を持っていないので、送って行くといっても自転車で付いて行くといった感じでした
私は姉を小中学生じゃあるまいし‥と軽蔑するのと同時に少しうらやましくも思っていました‥‥‥‥
その頃私は中学③年生になっていて、受験を控えながらも部活に明け暮れていました
姉が仕事で帰宅が遅い為、私は祖母の家に出入りする事が多くなりました
祖母はこの頃60歳位だったと思います
祖母には往復①時間の自転車はキツかったのでしょう
私に色々と愚痴を言うようになりました‥
姉の事を「なんであんな子になっちゃったのかねぇ」「自分じゃ何もしやしない」‥‥‥
おばあちゃんのせいだよ‥‥と言いそうになりましたが、背中がまるまってきた祖母の姿を見ると憐れに思いました
そして祖母は気付くと布団に居る事が多くなりました
それでも姉の世話はしていて、私には‥‥‥
「洗濯を干すのが大変」「じいさんのご飯を運ぶのが大変」「洗い物や風呂掃除が大変」と顔をあわす度に言ってきました
これまでも私は手伝ってきましたが、そんなに大変ならともっと手伝う事にしました
朝⑥時前に起きて洗濯機を回す‥‥その頃は二槽式洗濯機だったので脱水の時には移さないといけなく、とても手間の掛かるものでした
さらに洗濯機は外に置いていたので冬場は寒くて寒くて凍えそうでした
7人分あったので③回は回さないと終わらず、いつも遅刻ギリギリ
でも祖母は毎日これをやっていたんだ‥‥と私も祖母に甘えていたんだ‥‥と思いました
祖父の食事の支度は祖母が用意していたので、私はお盆に並べて熱いお茶を注ぎ祖父の部屋まで運びました
ただ、祖父の夕食の時間は⑥時‥‥‥‥
部活動の最中でした
なので私は中抜けという形で一度家まで帰り、食事を出してまた学校へ戻っていました
その頃の吹奏楽部は夏のコンクールに向けて猛練習中
私はトランペットのパートリーダーで1stを吹いていました
なので私が抜けるとみんなに迷惑が掛かる‥
そうに分かっていても祖母の事は放っておけませんでした
とりあえずG先生に中抜けの承諾をもらいに行きました‥‥‥
G先生は話を聞いた後「事情は分かるけど、それとこれとは別だから。お前のレベルが落ちたら2ndに落とすからな」‥‥‥と言いました
「ハイ‥分かりました」
もうあの頃みたいなG先生の言葉はもらえませんでした
もちろん特別扱いをして欲しい訳じゃない
ただ前みたいな温かい言葉が欲しかった
「頑張ってるな」って‥‥‥‥‥‥‥‥
これが当り前の関係‥‥と自分に言い聞かせ、学校と家を往復する生活が始まりました
そして夏のコンクール
なんとか1stから外されずに済みました
私は2年生の時から1stを吹いてきましたが、その年のコンクールに大失敗をしていました
曲の難易度も高く、本番を迎えても全体の完成度は低いものでしたが、私自身も唇を痛めてしまい思うように吹けなかったからです
なので去年の分まで‥‥‥と意気込んでいました
しかし、いざ本番を控え舞台袖に待機していると極度の緊張で押しつぶされそうでした
しかも曲の出だしはトランペットのファンファーレみたいなもので始まります
私は座り込んでしまいました‥‥‥‥‥
すると、G先生が側に来て私を立たせてくれました
そして‥‥出番がくるまでの間、私の手を握っていてくれました
落ち着きを取り戻し
いざ本番!
G先生は私の肩をポンと叩き「よし、行こう」‥‥と
私にとって最後のコンクールが始まりました
部活を引退すれば残るのは受験だけ
なのに私は心にポッカリと穴が空いてしまったように、気の抜けた毎日を送っていました
それでも毎日の洗濯・祖母の家の家事はきちんとこなしていました
そして進路に悩んでいた頃、G先生に呼び出されました
G先生は「勉強してるか?」と話だし、「ある高校がお前を推薦で取りたいと言ってきてる」と言いました
その高校は私立高で吹奏楽部の顧問はトランペットの教室を自分でもひらいている先生でした
「行きたい‥‥‥」とすぐに思いました
とりあえず一度、会って話をしたいというので、その高校に見学に行く事になりました
その高校は隣の市にあったのでG先生が車で送迎をしてくれました
車中では私はこれからの事を考え緊張していて、何をG先生と話したのか全く覚えていません‥‥‥‥
そして高校に着き、一通り部活を見学させてもらいました
そして面談‥‥‥‥
「君はまだまだ伸びる。この高校に入学したら私が責任持って面倒見ますよ。待ってます」‥‥‥‥と本当にありがたい言葉を頂きました
帰りの車中‥‥‥
「今日の事は家族に話してあるのか?」と
G先生に聞かれました
「いえ‥‥‥私立高なのでお金が掛かるから反対されるだろうし」
この高校には特待生制度がありませんでした
「行けるといいな。お前の頑張りを見てれば、家族だったら後押ししてくれるだろう」
(G先生、家族は一度だってコンクールや演奏会を観にきてくれた事はないから分かってくれないよ‥‥)と心の中でそうに思っていました‥‥‥‥
G先生は「俺からも話してあげようか?」と言ってくれたけど、母を会わせたくなくて断わりました
その夜、母に話しました そして母は‥‥
「無理。そんな金がどこにある」…………と
分かってはいたけど、ショックでした
でも確かにあの父の給料では無理だよね‥‥
次の日の朝、G先生に「やっぱりダメでした」と伝えに行きました
G先生は「そうか‥‥」と頭をグリグリ撫でて「頑張れよ」と言ってくれました
もうそれだけで充分でした。私を必要としてくれた高校の先生がいた事・G先生が、私の心配をまだしていてくれた事
大袈裟かもしれないけど、私はまだ頑張れる!と本当に思いました
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