バラバラな家族
私は三人兄弟の末っ子として産まれてきました。
4つ上の姉
2つ上の兄‥と男女両方居たから特に期待されてもいなかったと思います。
でも両親は‥祖父母は‥願ってくれたでしょうか?健康に産まれてくる事を‥‥。
私の小さい頃からの思いを綴っていきたいと思います。
読んで下さる方、下手な文章ですみません。
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私の家はとても複雑で、そこそこ広い土地に祖父母の家があり同じ敷地に貸し家が2軒ありました
もちろん大家は祖父です
そのうちの1軒に私の家族が住み、もう1軒は独身の女性の方が住んでいました
その貸し家は2部屋しかなく、狭い部屋によく家族5人住んでいたなと思います
ただ、姉がその家で寝て居た記憶は私にはありません
私が小さい頃からうちは共働きでした
祖母が家にいる事もあり、子供達の心配はあまりなかったのでしょう
私は兄の事が大好きでいつも後を追いかけていました
兄もとても面倒を見てくれ、ある時は父親代わりにもなってくれました
同じ家に本当の父親はいるのに‥‥‥‥
仕事から帰宅しご飯の準備をする母を父は殴りにきます
理由は今も分かりません
なのでいつも兄か私が台所で立っていました
母を守る為です
父は子供達には手を挙げませんでした
私は母が大好きだったんです‥‥‥‥‥
罵声を浴びせ、手を挙げる父が私は大嫌いでした
母も強い女で罵声に対して向かっていきました
でもやっぱり男と女‥‥掴み合うと父の方が有利です
祖父母は違う家という事もあり助けにくる事はありませんでした
実の娘がやられているのに‥‥‥
本当に怒鳴りあう声は届いていなかったのでしょうか‥‥
父と母は見合い結婚でした
歳を10歳も若く偽った父‥
国の難病指定になっている病気を患っている事を隠した母‥
この家族は初めから嘘だったんです‥‥‥
父と母は親の早く片付いて欲しいという思いから見合いをし、お互いに他に相手もいないから結婚した‥‥‥
そして母は長女だった為、四男だった父を婿養子にした‥‥‥‥
と母から聞きました
母も可哀相な人でした
小学生の時に祖母の不倫騒ぎがあり、相手は同級生の父親だったそうです
しかも運動会当日に駆け落ち騒ぎまで起こし、先生や同級生みんなに知られ辛い学校生活だった事‥‥
祖父も子供に関心なく一緒に遊んだ記憶がない事‥‥
話してくれました
でも‥‥でも
だからこそ
自分は温かい家庭を創ろうとは思わなかったのお母さん?
父から給料をもらうのも兄と私の役目でした
自営で大工をしていた父‥‥
月初めと15日に母に言われ貰いに行く‥‥
私はこの役目が嫌いでした‥‥
何回か言わないと出さない父‥‥でも毎回ちゃんと用意はしてあるんです
なぜすんなり渡してくれないのか‥
金額は1回6万五千円つまり月給13万円です
母は毎回文句をいいました‥父にではなく私に‥‥‥
その理由は単に少ないからではなかったんです
母には居場所がありませんでした
よく家の裏の庭に座っていたのを覚えています
実家なのに、庇ってくれない祖父母‥‥‥
どうして祖父母の家に逃げ込まなかったのか‥‥‥‥
祖父母は母を
最終的には自分が選んだ相手‥と突き放したそうです
そんな日々でも子作りはした父と母‥‥‥
こんな家族には産まれたくなかった‥‥‥
そんな私達に大きな転機が訪れました‥‥
独身の女性に貸していたもう1軒の貸し家を私達で使う事にしたのです
私が小学4年生の時でした
住む形もすんなり決まり
祖父母の家に姉‥‥
父と兄が一緒に住み‥
母と私が一緒に住みました
一人一部屋‥‥‥‥
同じ敷地に3軒の家‥
それぞれが別々に住み‥
家族はバラバラでした
ご飯は姉は祖父母の家で食べ‥‥父は一人‥‥母と兄と私‥‥
父と私達の家はたいして離れてはいなく、表に出れば顔を会わせる事も少なくありませんでした
現に父はトイレに入ると窓から母に向かって罵声を浴びせていました
距離があれば父が怖くないのか、応戦する母‥‥‥
だけど、父の家の台所に立たなくてはいけないときはやっぱり兄か私が必要でした
しかし兄は中学生になり部活で遅い為、その役回りは私が殆どでした
いつ離婚してくれるんだろう‥‥‥
何故離婚しないんだろう‥‥‥‥‥
友達の家族が本当にうらやましかった‥‥
夏休み明けにはみんなからおみやげを貰うのに、私には渡すものがない‥‥‥‥‥
母は車の免許を持っていなく、バスや乗り物に酔いやすい為遠出はいっさいした事がありませんでした‥‥‥
姉が高校生になる頃には姉は自分で何もしなくなりました
祖母がみんなやってあげるのです
姉が朝食を食べている間髪の毛をしばってあげ、必要なものは全て周りに用意しておく‥
歯磨き粉をつけた歯ブラシまで持ってきてあげる‥‥‥‥‥
その光景は異様でした
でも
でも‥でも‥‥
その頃の私にはうらやましかったんです
母は家事を放棄し始めました‥‥
私達が成長しお金も掛かる様になった為、残業をするようになったのです
飲食店で働いてた母は残業すると深夜1時を過ぎる事もありました
掃除も全くしなくなり食事を作るのもたまにしかなくなり、洗濯は祖母がしていました‥
父のご飯は祖母がいつも数品テーブルに用意していました
兄と私は自分達で作ったり、祖母が食べさせてくれたりしました
難病指定の病気を患い、いくら普通に生活出来るまでに回復したとはいえ大変だったと思います
だから文句は言えなかった‥‥‥‥‥‥
そんな母に罵声を浴びせる父を許せなかった
「お前なんか殺してやる 未成年だからすぐ出てこれるし」
何度、父に言ったんだろう‥‥‥‥‥
そんな日々の中‥‥
私と母の関係も変わってきました‥‥‥‥‥
その頃の私には母しかいなく、一人占めしたい気持ちでいっぱいでした
中学生の兄にはくっつく事も出来ず、寂しかった
私は母が定時で仕事が終わる時には時々迎えに行きました
自転車で10分‥‥‥
駐輪場で待つ間、母のビックリした顔を想像しながら‥‥‥
帰りは今日あった事を話ながら‥‥‥
とても大切な時間だったんです
そんなある日の夜、
その日は母から「22時頃まで仕事だから先に寝てるんだよ」と言われました
寝付けなかったのか、ずっと起きて待っていました
23時頃になっても帰って来ないので私は祖母に言いに行きました
祖母は「店に電話してみたら」の言葉だけ‥
私は思い切って電話を掛けたんです‥「母はいますか?」と‥‥‥
返事は‥‥‥‥‥‥
「20時頃帰りました
」
私は何かとても不安な気持ちになり、パジャマのまま母の店へ向かって走り出していました
時刻は深夜0時‥‥‥
今考えると恐ろしすぎます‥‥‥
だって当時は小学5年生位だったから‥‥‥
怖くて怖くて
心配で心配で‥‥‥‥夢中で走りました‥‥
100m位走り、大通りに出ましたが時間が時間なだけに車は走っていませんでした
そこへしばらくすると対向車線から1台の車が‥‥‥‥‥
通り過ぎました
すると突然Uターンして来たのです
私は怖くて怖くて
近くの民家の庭へ逃げ込みました
車は走り去りました‥
もう私には気力がありませんでした‥‥‥‥
また無我夢中で家まで走りました‥‥‥‥‥
家の3軒で電気が点いてるのは私の部屋だけ‥‥‥‥
みんなこんな私を知らないんだ‥‥‥
と思うと泣きながら布団に潜り込みました
起きると母はいました
私は何にも考えずに
母に
「昨日どうしたの?全然帰って来ないからお店に電話したんだよ」と話しました
すると母は父に対する時のような顔になり‥
「店に電話した?何時に?どうしてそんな事したの?」と捲し立てるように怒鳴ってきました
私は何か悪い事をしてしまったのか‥‥‥‥‥‥
分かりませんでした
そして
探しに出た事は最後まで言えませんでした‥‥‥‥‥
この時からです
私と母の関係が変わったのは‥‥‥‥‥‥
あの時母はどこに居たのか‥‥‥‥
知る術はありません‥
暇になって当初の時間より早く上がったのか‥‥‥そして同僚と食事に行ったのかもしれない‥‥‥
でも当時5年生だった私には推測出来る訳もなく‥‥‥‥
母のあの時の顔が‥‥
私に母との一線を引かせました‥‥‥
‥といっても傍目には私と母の関係はあまり変わらなかったのかもしれません
口を聞かなくなる訳でもなく普通でした‥‥
ただ変わった事といえば‥‥‥‥‥
お店に迎えに行かなくなった事‥‥‥
それだけでした‥‥
思春期を迎え、私は少しずつ母に対して反抗的になりました
どうして私が父と母の間に入らなくてはいけないのか‥‥‥‥‥
母から父に対しての用事を頼まれると、私は露骨に嫌な態度をし返事もしませんでした‥
でも頼まれた事はちゃんとやっていたんですよ‥‥‥‥
そんな私に対して
母は本来のキレやすい性格を出してきました
父との争いから捌け口をずっと探していたのかもしれません
仕事のストレス‥‥‥父に対しての憎悪‥‥祖父母に対しての思い‥‥
それが全部私に振り掛かってきたのです‥‥‥
以前から兆候はあったんです‥‥‥
私がまだ低学年の時、兄と一緒に遊びに行ってなかなか帰ってこないという事がありました‥‥‥
そして暗くなってから帰宅した私達を叱り飛ばしました‥‥‥
そして何故か私だけ‥
水を張った風呂に私の髪の毛を掴み顔を沈めたりしながら、誓わせたのです
「もうこんな事はしないと‥‥‥‥」
反抗的になった私に母がした事は‥‥‥‥
私の態度が気に入らない時、私の部屋の物全てを外にブチまけるという事でした‥‥‥‥
平屋なので外にブチまける事は簡単‥‥‥
さらに、私と母が住んでいる部屋の窓は父の家の前だったので、近所からは全く見えなかったので好都合だったんです
そして酷い時には、母は家中の鍵を閉めていました‥‥‥
片付けも出来ないように‥‥‥‥
また、その時母の視界に映ると母はすごい形相で追いかけてきました‥‥‥‥‥
一度だけ‥‥‥‥
母に捕まった事があります‥‥‥
その時は庭にある柿の木に頭を打ち付けられました‥‥‥
何故かその時は祖母が助けようとしてくれたのですが、祖母もいい歳‥‥‥
母に力で勝つはずもありません‥‥‥‥
私は母にされるがままでした‥‥‥‥‥
なので追い出された時私はいつも、通りに面した祖父母の家の玄関の外にいました‥‥
これらの事はいつも母が仕事から帰宅した時です‥‥‥‥‥
逃げられない祖父母の家には入らず、庇ってくれない父の家にも入らず‥‥‥‥
寒くても母の部屋の明かりが消えるのを外でジッと待っていました
母の部屋の明かりが消えると、私はいつも父の家へ入っていました鍵も掛かっていなく、何も言わない父のところで‥‥‥
私はいつも体育座りをして朝がくるのを待っていました
朝になると必ず鍵は開いていました‥‥‥‥夜中のうちに開けとくのか‥‥‥‥
それは分かりません‥
学校には行ってもらわないと困るんでしょうね‥‥‥‥荷物は全部外に出てるけど‥‥‥
学校に行く前に素早く片付ける‥‥‥‥‥
というのも分かってきました‥‥‥‥‥
母が私にストレスの捌け口を求め続けたのは私が中学2年生位まででした‥‥‥‥‥‥
中学2年生の秋頃、
立場を逆転する様な出来事があったからです
中学生になった私は
吹奏楽部に入部しました
小学生の頃から合奏部に入りトランペットを吹いていた私は、当り前のようにそれを続けていく事にしました
この学校の吹奏楽部は厳しくて有名で早朝からの朝練・夜7時頃までの練習‥‥‥‥‥‥上下関係もとても厳しいものでした‥‥‥‥
夜ご飯はというと
台所にいつもスーパーの惣菜が置いてあり、各自の部屋で食べる‥‥‥‥‥‥‥
姉には温かいご飯を祖母が用意する‥‥‥‥
私は別に祖母にいじめられていた訳ではありません‥‥‥‥‥
祖母は私がお願いすれば用意はしてくれました
お願いすれば‥‥‥‥
でも姉と私に対する時の温度差‥‥‥‥‥‥
こたつに入ろうとすると
「そこは〇〇ちゃん(姉)の場所」と言い、違う場所に入ろうとすると
「そこは〇〇ちゃんが横になる時、足を伸ばす場所だから」‥‥‥
なので私が祖母の家でご飯を食べる時は、姉が風呂に入っている時‥‥‥‥
その時でさえ祖母は姉のパジャマを用意していましたから、私は一人でモクモクと食べました‥‥‥‥‥‥
私は敬老の日が嫌いでした‥‥‥‥
何故か、いつも何か物をあげる‥‥‥‥‥
という風になっていたのです‥‥
ある年の敬老の日
私は近所のファンシーBOOKで二人に湯呑みを買いました
湯呑みに「おじいちゃん、おばあちゃん長生きしてね」と書いてある可愛らしい湯呑みです
それをまず先に祖母にあげた時、明らかに祖母は「こんなものいらない」‥‥‥‥‥‥
という顔をしていました‥‥‥‥
ありがとうの言葉もなく‥‥‥‥‥
そして祖父のところへ行こうとした私に祖母は‥‥‥‥‥‥‥
「じいさんはこんなもの絶対いらないよ」 ‥‥‥‥と言いました
こんなもの‥‥‥
祖父はありがとうと受取ってくれました
でも次の日‥‥‥‥‥祖父の部屋の縁側に捨ててありました‥‥‥
私はそれをそっと自分の部屋の机にしまいました‥‥‥‥‥‥
祖父と祖母も父母と同じようにとても仲が悪かったです‥‥‥‥
でも祖母と母の違いは
祖母は専業主婦で家事一切をやっていました
おかずも数品ちゃんと作り温かいお茶を入れ、お膳に乗せて祖父の部屋へ運ぶ‥‥‥‥
気付けば祖父母も自室で別々に食事を摂っていました‥‥‥‥
中学も2年生になり、母とは必要な会話しかしなくなりました
ところが‥‥‥‥
ある日突然‥‥‥
母が夜ご飯を作る様になったのです
母の部屋で時々は兄も交えて一緒に食べるようになりました‥‥
そうなると母との会話も増え、段々前みたいになっていきました‥
今までの事を許せるのか‥‥‥‥‥?
気持ちは簡単でした‥
だって私はずっと
温もりが欲しくて欲しくて寂しかったのだから‥‥‥‥‥‥‥‥
だけど‥‥‥‥‥‥
そこにある変化が‥‥
母の仕事先の同僚のMさんが時々、家にお茶を飲みにくるようになりました‥‥‥‥
Mさんは50代の男の人
私も以前から母の仕事先で見掛けた事はありました‥‥‥‥‥
時間は23時過ぎ‥‥‥でもいつもご飯やお茶を済ませると1時間位で帰って行きました‥
当然、私以外に知られる事はなく‥‥‥‥‥
私も特に2人の関係を怪しむ事もなく、別に歓迎はしないけど来たら「いらっしゃい」みたいな気持ちでした‥
そして私は気付くのです‥‥‥‥‥
Mさんが来る時に母がご飯を作る事を‥‥‥
私達の為じゃなかった‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ある日のいつもの社会科の時間‥‥‥‥‥
私はG先生に指され、教科書を読む事になりました
その時G先生に言われた言葉‥‥‥‥‥
「可愛い声だなぁ。しかも聞き取りやすいし。よし!これから教科書読む時は全部お前が読め。」
私の声はアニメ声でした‥‥‥それをコンプレックスに思う事もなく、私は小さい頃から朗読が好きだったので先生の言葉はとても嬉しいものでした‥‥‥
その日からクラスのみんなも暗黙の了解で、教科書は全て私が読んでいました‥‥‥‥
今考えると、ちょっと問題ですね‥‥‥‥
G先生は吹奏楽部の顧問だったので、何かと私に話掛けてくれました‥‥‥‥
ただ一つ嫌だった事‥
それはG先生が私を「〇~ちゃん」と呼ぶ事でした‥‥‥‥
なぜなら②年生の先輩に睨まれるからです‥‥
当時、③年生に兄がいました 兄はそこそこ人気があったので、その妹という事で私も可愛がられました‥‥‥
③年生の先輩には‥‥
それが②年生の先輩には気に入らなかったのでしょう‥‥‥‥
特に手出しはされませんでしたが、明らかに無視されたり‥‥と辛い毎日でした‥‥‥
だからせめてG先生だけでも‥‥‥みんなと同じに名字で呼んで欲しいとお願いしました
もちろん告げ口にならないよう適当な理由をつけて‥‥‥‥‥‥
G先生は不審に思いながらも、その日から私を名字で呼んでくれました
でも‥‥たった②週間の間だけ‥‥
またある日突然名前で呼び始め、私が頼んだ事など忘れているかのようでした‥‥
でもその頃には他の①年生も何人かあだ名で呼ばれ始めたので、私が浮くような事はなくなりました
私が在籍した吹奏楽部は学校で一番遅くまで練習していました
なので必然的にG先生が戸締まりをする事になっていました
ある夜、私はいつもみたいに母によって部屋の物を全て外にぶちまけられ居場所がなくなっていました‥‥‥‥
時間は20時位だったでしょうか‥‥母の目につかない所に逃げる為、私はあてもなく歩きはじめました
父のところや祖父母の家には行けなかった‥母が追いかけてきても、誰も助けてくれないからです
兄でさえ‥‥‥
助けてくれない‥‥‥いえ、助けられなかったんだと思います
それほど怒りに満ちた母は凄まじいものでした‥‥‥‥‥
「先生‥‥」
「おっ!どうした
こんな時間に」
「忘れ物しちゃって‥‥」とっさに出た言葉でした
「とってこい‥一人で行けるか?」
「ハイ‥」
夜の校舎は不気味でしたが、電気を点けながら③階の音楽室へ行きました
先生に言った手前、何か持たなくちゃ‥‥と適当なファィルを手にし職員室へ戻りました
「こんな時間に一人で来たんか‥‥親御さんは?」
「知らないから‥‥私がどこにいるかなんて‥‥」
「どういう事だ?」
私は少しずつG先生に話していました‥‥‥
ずっと誰かに聞いて欲しかったんだと思います
『こんなに辛いんだよ』‥‥‥と
G先生はずっと話を聞いてくれて、話が終わると冷蔵庫から給食で余ったスライスチーズを⑤枚出してきてくれました
「なんでスライスチーズ‥?」
「とりあえず食べろ」
夜の校舎で二人で何故かスライスチーズを食べました
「どこまで踏み込んでいいか分からない‥でも相談というかお前の話は聞いてやれるから‥‥」
この日から時々私は、夜の学校へ行きました
時には他の先生方が残っていて、そのまま引き返す事もありました
G先生は本当に話を聞くだけ‥‥何もしてくれなかったけど、私の心を助けてくれました
話を聞き終わると、G先生は必ず給食で余った物をくれました
みかんだったりチーズだったりパンだったり‥‥‥何もないときは自分で常備していたカップ麺を食べさせてくれたりしました
私は別にお腹が空いてるわけじゃないし、家でご飯は用意されたりされなかったりだけど、食べられないわけじゃないし‥‥‥
G先生はこれ位の事しかしてやれない‥‥‥そう考えていてくれたのかもしれないですね
中学②年のある日‥‥
それは期末テスト期間中の事でした…
いつもは一夜漬けで勉強していましたが、その日はどうしても眠く、朝早く起きて勉強しようと④時頃に目を覚ましました
さあ勉強しよう!と机に向かうと、「カタン」と音が‥‥‥
祖母はもう起きて台所に立っていました
私は今見た事を祖母にそのまま話しました
すると祖母は「ハァ~」と溜め息を一つ‥‥
「やっぱり‥‥」と。
朝方にMさんが玄関から出てくるのを、何度か見掛けたそうです
でも母に直接聞くとキレるので怖くて黙っていた‥‥と祖母は言いました
そして祖母は私に‥‥「今見た事は誰にも言っちゃいけない!特に兄には‥‥難しい年頃だし、これ以上ややこしくするな!」と言いました
私は頭がパニックだったので、祖母の言っている事は正しいのだ‥‥‥と祖母と私の秘密にして約束しました
それから何年間も苦しい気持ちになることを知らずに‥‥‥‥
その日から私と母は一切口を聞かなくなりました
‥‥というより、私が無視する事を貫きました
母はあの事について一言の言い訳もしませんでしたが、私に媚びるようになりました
誰にも言わないように‥‥‥?
そんな私を可哀相におもったのか、祖母が私の分までご飯を用意してくれるようになりました
でも祖母の口からあの出来事が語られる事は今もありません‥‥‥
母、祖母‥‥、全てはなかった事にしようとしていました
読ませてもらいました。
なんといっていいのか・・・。
簡単に「頑張って」なんていえない。
でもこんなにひどい状況の中、あなたの文章を読んでると
あなたは苦しい中、まっすぐに生きている人なのだと思うのです。
親子のことはどんなにひどい親だろうとなかなかきりすてることもできず
愛情を求めてしまうものだと思います。
私は、貴女が将来素敵な人と結婚して幸せな家庭をつくることを
祈ります。
月並みなことしか言えずごめんね。
祖母の家で過ごす時間が増えるようになって、祖母と姉の関係がハッキリと分かるようになりました
以前にも少し書きましたが、改めると‥‥
冬の日はストーブの前に洋服を畳んでおいておく
姉がご飯を食べ終わる頃に祖母が歯ブラシを持ってくる
姉がこたつで歯を磨いてる間に髪の毛をしばってあげる
姉はこの時高校生です
本当に何もしない人なんだなと思いました
あの出来事から約①ヶ月‥‥‥
母と口を聞かない事に限界がきていました
学校からの連絡事は母ではないとスムーズにいかず、頼れない父・「あたしには分からないよ」という祖母ではどうしてもダメでした
また祖母は食事の支度も面倒になったのか、姉には用意しても私には朝からポテチなど作ってはくれなくなりました‥‥‥‥‥
前に戻っただけ‥‥‥
そうに思いましたが、とてつもない悲しみが私を襲いました‥‥‥
結局祖母の家にも行かなくなり、私は自分の部屋‥‥‥母の部屋の隣でまた生活しました
そして母は何事もなかった様に私に話し掛け、私もまた何事もなかった様に母と話していました‥‥‥‥
変わったのは、Mさんが家に来なくなった事
その代わりに母が夜10時頃出かけるようになりました‥‥‥‥‥
外でMさんと会っているんだ‥と私には分かっていましたが、母はそんな私の気持ちを知ってか知らずか普通にいつも出かけていきました‥‥‥‥
家族なのに誰も家族じゃない‥‥‥
私の心はそんな毎日にもういっぱいいっぱいでした
G先生に助けを求めたくても、こんな事言えやしない
自分の母が不倫してるなんて‥‥‥ましてや隣の部屋でHしてたなんて‥‥‥‥
でもダメでした‥‥‥いつもの夜の学校で私はG先生に全てを話していました
G先生は聞き終わると、カップ麺を作ってくれて②人でそれを食べました
私はいつもは家族の話をする時、「すごいでしょ、うちの家族‥‥」と割り切って時には笑いながら話していましたが、この時ばかりは涙が溢れて泣きながらカップ麺を食べました‥‥‥‥
「そろそろ帰ります」と私が立ち上がると、G先生はそっと抱き締めてくれました
「頑張れよ」‥‥‥と
また涙が溢れました
この日から私は夜の学校に行かなくなりました
それは母の弱みを私が握った事で、家から追い出されなくなったから‥‥?
それともG先生に大変な事を話してしまったと思ったから‥‥?
G先生に恋愛感情を持ってしまったから‥?
でもやっぱりG先生には世間一般の父親を重ねていたんだと思います
あの日からG先生とは 親密に話す事もなくなったけれど、何かと気に掛けてくれていました
吹奏楽部の顧問と部員‥‥‥ただのそういう関係になりました
母との関係も少しずつ良くなっていきました
相変わらずご飯も作らないし、Mさんとも会ってるみたいだったけれど、私もどこか割り切れて母に対する気持ちが落ち着いていました
家族も変わらずバラバラに過ごしていたけれど、みんなそれに慣れていました‥‥‥‥
そして姉の高校卒業‥姉は就職の道を選びました
祖母と母が「大変だから‥」と大反対するなか姉は地方銀行の採用試験を受けました
そして合格‥‥
姉は車の免許を持っていましたが、「まだとりたてで危ないから」と祖母の説得に合い、片道30分程かけて自転車で通勤していました
しばらくは何事もなく姉は仕事に行っていました
ところが‥‥銀行から朝度々電話が入るようになりました
「来ていない」と‥‥
姉はどうやら朝は普通に家を出て行くものの無断欠勤をしていました‥‥‥
祖母と母は口を揃えて「だからあんなに大反対したんだ」と怒っていましたが、姉は泣いていました‥‥‥‥
そしてどういう話し合いがされたのかは分かりませんが、祖母と母が毎朝交代で姉を送って行く事になりました
祖母と母は免許を持っていないので、送って行くといっても自転車で付いて行くといった感じでした
私は姉を小中学生じゃあるまいし‥と軽蔑するのと同時に少しうらやましくも思っていました‥‥‥‥
その頃私は中学③年生になっていて、受験を控えながらも部活に明け暮れていました
姉が仕事で帰宅が遅い為、私は祖母の家に出入りする事が多くなりました
祖母はこの頃60歳位だったと思います
祖母には往復①時間の自転車はキツかったのでしょう
私に色々と愚痴を言うようになりました‥
姉の事を「なんであんな子になっちゃったのかねぇ」「自分じゃ何もしやしない」‥‥‥
おばあちゃんのせいだよ‥‥と言いそうになりましたが、背中がまるまってきた祖母の姿を見ると憐れに思いました
そして祖母は気付くと布団に居る事が多くなりました
それでも姉の世話はしていて、私には‥‥‥
「洗濯を干すのが大変」「じいさんのご飯を運ぶのが大変」「洗い物や風呂掃除が大変」と顔をあわす度に言ってきました
これまでも私は手伝ってきましたが、そんなに大変ならともっと手伝う事にしました
朝⑥時前に起きて洗濯機を回す‥‥その頃は二槽式洗濯機だったので脱水の時には移さないといけなく、とても手間の掛かるものでした
さらに洗濯機は外に置いていたので冬場は寒くて寒くて凍えそうでした
7人分あったので③回は回さないと終わらず、いつも遅刻ギリギリ
でも祖母は毎日これをやっていたんだ‥‥と私も祖母に甘えていたんだ‥‥と思いました
祖父の食事の支度は祖母が用意していたので、私はお盆に並べて熱いお茶を注ぎ祖父の部屋まで運びました
ただ、祖父の夕食の時間は⑥時‥‥‥‥
部活動の最中でした
なので私は中抜けという形で一度家まで帰り、食事を出してまた学校へ戻っていました
その頃の吹奏楽部は夏のコンクールに向けて猛練習中
私はトランペットのパートリーダーで1stを吹いていました
なので私が抜けるとみんなに迷惑が掛かる‥
そうに分かっていても祖母の事は放っておけませんでした
とりあえずG先生に中抜けの承諾をもらいに行きました‥‥‥
G先生は話を聞いた後「事情は分かるけど、それとこれとは別だから。お前のレベルが落ちたら2ndに落とすからな」‥‥‥と言いました
「ハイ‥分かりました」
もうあの頃みたいなG先生の言葉はもらえませんでした
もちろん特別扱いをして欲しい訳じゃない
ただ前みたいな温かい言葉が欲しかった
「頑張ってるな」って‥‥‥‥‥‥‥‥
これが当り前の関係‥‥と自分に言い聞かせ、学校と家を往復する生活が始まりました
そして夏のコンクール
なんとか1stから外されずに済みました
私は2年生の時から1stを吹いてきましたが、その年のコンクールに大失敗をしていました
曲の難易度も高く、本番を迎えても全体の完成度は低いものでしたが、私自身も唇を痛めてしまい思うように吹けなかったからです
なので去年の分まで‥‥‥と意気込んでいました
しかし、いざ本番を控え舞台袖に待機していると極度の緊張で押しつぶされそうでした
しかも曲の出だしはトランペットのファンファーレみたいなもので始まります
私は座り込んでしまいました‥‥‥‥‥
すると、G先生が側に来て私を立たせてくれました
そして‥‥出番がくるまでの間、私の手を握っていてくれました
落ち着きを取り戻し
いざ本番!
G先生は私の肩をポンと叩き「よし、行こう」‥‥と
私にとって最後のコンクールが始まりました
部活を引退すれば残るのは受験だけ
なのに私は心にポッカリと穴が空いてしまったように、気の抜けた毎日を送っていました
それでも毎日の洗濯・祖母の家の家事はきちんとこなしていました
そして進路に悩んでいた頃、G先生に呼び出されました
G先生は「勉強してるか?」と話だし、「ある高校がお前を推薦で取りたいと言ってきてる」と言いました
その高校は私立高で吹奏楽部の顧問はトランペットの教室を自分でもひらいている先生でした
「行きたい‥‥‥」とすぐに思いました
とりあえず一度、会って話をしたいというので、その高校に見学に行く事になりました
その高校は隣の市にあったのでG先生が車で送迎をしてくれました
車中では私はこれからの事を考え緊張していて、何をG先生と話したのか全く覚えていません‥‥‥‥
そして高校に着き、一通り部活を見学させてもらいました
そして面談‥‥‥‥
「君はまだまだ伸びる。この高校に入学したら私が責任持って面倒見ますよ。待ってます」‥‥‥‥と本当にありがたい言葉を頂きました
帰りの車中‥‥‥
「今日の事は家族に話してあるのか?」と
G先生に聞かれました
「いえ‥‥‥私立高なのでお金が掛かるから反対されるだろうし」
この高校には特待生制度がありませんでした
「行けるといいな。お前の頑張りを見てれば、家族だったら後押ししてくれるだろう」
(G先生、家族は一度だってコンクールや演奏会を観にきてくれた事はないから分かってくれないよ‥‥)と心の中でそうに思っていました‥‥‥‥
G先生は「俺からも話してあげようか?」と言ってくれたけど、母を会わせたくなくて断わりました
その夜、母に話しました そして母は‥‥
「無理。そんな金がどこにある」…………と
分かってはいたけど、ショックでした
でも確かにあの父の給料では無理だよね‥‥
次の日の朝、G先生に「やっぱりダメでした」と伝えに行きました
G先生は「そうか‥‥」と頭をグリグリ撫でて「頑張れよ」と言ってくれました
もうそれだけで充分でした。私を必要としてくれた高校の先生がいた事・G先生が、私の心配をまだしていてくれた事
大袈裟かもしれないけど、私はまだ頑張れる!と本当に思いました
そして中学卒業‥‥‥
G先生とお別れしました‥‥‥‥‥‥‥‥
卒業式の日、G先生は 「何かあったら来いよ!」と言ってくれたけど、その日から一度もG先生とは会っていません‥‥‥‥連絡すらしませんでした
私は公立高校に入学しました
そして同時にバイトを見つけ、週5日バーガーショップで働く事を決めました
その高校にも吹奏楽部はあったけれど、もうやる気は失せてしまっていました‥‥‥‥
そして、祖母の家の家事も辞めました
理由は‥‥‥‥‥‥
高校入学前の春休み、私は祖母に郵便局へお使いを頼まれました
その頃祖母は足が弱くなっていて、自転車に乗れなくなっていました
面倒臭いながらも私を頼りにしてくる祖母の為、「いいよ、どんな用?」と聞きました
祖母は姉の為に、毎月お金を積立てていました‥‥‥‥
「ごめんね、お前にもしてあげたいんだけどそんなにお金はないから‥‥。あんな子だけど、やっぱり一番可愛いんだよ」と祖母は言いました
「別に私の事はいいよ。じゃあ言ってくるね」と返すのが精一杯でした
お金がどうこうじゃなくて‥‥‥‥
私はあれだけ祖母の為にしてあげたのに、何にもしない姉の方が可愛いの?
しかもそんな話を私にするな!
だったら全部姉にしてもらえばいい‥‥‥
と言いたかったけど、言える筈もありませんでした
それ以来、私は気持ちがついていかなくて祖母の家の家事を手伝いませんでした
でも気にはなっていて、負担はかけないように、自分と母と兄と父の洗濯だけはするようにしていました
祖母は私の変化に気付きながらも何も言って来ず、自分でなんとかこなしていた様でした
姉もまたその頃、職を転々としながらもなんとか働いていました
私はバイトで、月約8万円程稼いでいました
それを朝昼晩の食費に充て、残りは貯金していました
早くこの家を出る為に‥‥‥
私は仕事ぶりが認められ、半年も経つと土・日の開店準備を任され、鍵も預かる立場になりました
そんな頃、2コ上のK君がバイトとして入ってきました
K君は決して派手ではないけれど、ちょっと目立つ感じの人でした
夜中、駅前でスケボーをやっていたりと私の周りには居ないタイプで、ちょっと苦手でした
なのであまり話す事もなかったけど、ある日上がりの時間が一緒になりました
話してみると、きちんと話を聞いてくれたりして、いつの間にかお互いの家の事まで話していました‥‥‥‥
その日からK君と仲良くなり、バイト帰りにも公園に寄ってよく話をしました
K君は私に、同情や頑張れなんて言葉を一言も言いませんでした
反対に「見返りを求めちゃダメだよ。こんなにしてあげたのにって傷付くのは自分なんだから」と言いました
更に「おばあちゃんは助けてあげなよ。今もしおばあちゃんに何かあったら後悔するんじゃない?」‥‥‥と
私は言葉に詰まりました
確かに祖母の事は気になっていました
衰えていく体で
姉に色々な事をしてあげても、何一つ手伝ってもらえない‥
相変わらず亭主関白な祖父‥‥‥
実の娘であるはずの母にさえ気を使う祖母‥
でも、私は見返りを求めないで傷付かないでやっていけるのだろうか‥‥‥‥‥‥‥‥
もうこれ以上、家族に振り回されるのはウンザリでした‥‥‥
「俺は分かってるよ。お前が色々頑張ってる事。誰も知らない訳じゃない、俺は分かってる‥‥」と、K君は言ってくれました
だから私は、相変わらず姉しか見えていない祖母の手伝いも出来る様になりました
母に対しても父に対しても、以前とはずっと違った気持ちになりました‥‥
祖母や母・父に対して憎しみはあったけれど、例えば突然事故にあって死んでしまうかもしれない
その時絶対後悔しないか‥‥こうしてあげれば良かったと思わない様に接すれば心は広くなるよ‥‥‥‥
彼は教えてくれました
私が高校②年生になると、兄は鍼灸師の国家資格を目指して、県外の専門学校へ進みました
もちろん家にお金はないので、新聞奨学生として新聞配達をしながらの生活でした
姉も突然一人暮らしをしたいと言い出し、実家から車で30分程離れた場所にアパートを借りてバイト暮らしをしていました
もともと、バラバラに住んでいたので特に寂しいとも思いませんでした‥‥‥‥
父は右半身に麻痺が残りました…
私は母に頼まれ洗濯物を届けたりしましたが、何も話す事がありません‥‥‥
なのでお見舞いはいつも⑤分位で終わってしまいました
自業自得‥‥‥‥‥
今まで私達にしてきた事を考えたら‥‥‥とさえ思っていました
こんなこといったら失礼だけど、
こんな家庭に生まれてよくグレませんでしたね…家出しませんでしたね…
正直驚きです…
お父さんの病気の事も、すいません、天罰がくだったんだと思いました。
自分の家族だったらやはり見捨てられないのだろうけど主さん優しすぎますよ
私なら親とも思えない、思いたくないと思います
なんてひどい親、家庭なんだろう
父にはお風呂に入る時も寝る時も、肌身離さず持っていたものがありました
車の鍵です
突然の病に倒れた為、その車の鍵は母の手に渡りました‥‥‥
そして、以前から父の車には何かあると考えていた母は、絶好のチャンスとばかりに車に近付きました‥‥‥
自営で大工をしていた父の車はバンで、後部座席からトランクにかけて仕事道具が積まれその上にブルーシートが掛けられていました
そのブルーシートをめくると‥‥‥‥
大量の札束‥‥‥
さらに農協の通帳が‥
札束は数えてみると2千万近くあり、通帳には3千万程ありました‥‥‥‥‥‥‥‥‥
月給13万円だった父にこんな大金が‥‥‥
母はなんとなくは知っていたようでしたが、この金額にはさすがにビックリしていました
そしてある日、父の兄たちつまり私にとっておじさんが母を訪ねてきました‥‥‥‥
おじさん達は、父のお見舞いに行き父から頼み事をされた‥と言いました
それはこの大金‥‥‥
車にあるから、それを持ってきてほしい
〇〇(母)に見つかると取られてしまうからと‥‥‥‥
さすがに病院には持って行かないけど‥とおじさん達は苦笑いし、ここに来た本当の目的を話し始めました‥‥
それは取引でした‥‥
おじさん達は退院後の父の介護の事を心配していました
以前から二人が不仲だという事を知っていたので、父の半身麻痺によって母に離婚される事を恐れていたようでした
要はおじさん達は父が自分達のところに来ないようにしたかったんですね‥‥‥‥‥
その取引の内容‥‥
おじさんは「1千万は残して後は全部〇〇(母)に渡すように必ず自分達が説得するから、退院後は面倒みて欲しい‥」と言いました
母は考える間もなく
「ちゃんと説得してくれたら‥」と話を呑みました
そして、母は
4千万円を手に入れたのです
どうして私がこんなに詳しく知っているのか‥‥‥‥‥‥‥
私はこの話し合いに同席させられていました
母によって‥‥‥‥
人数合わせなのか、向こうはおじさんが②人居たから①人で立向かうのが心細かったからなのか‥‥‥‥
私は大人の醜さをまざまざと感じました‥‥‥‥‥‥‥‥
母は約束通り、入院中もお見舞いに行くようになりました
そこにある変化が‥‥
父は母が来てもたいしてしゃべろうとはしないのに、母が帰る時には必ず涙するようになりました‥‥‥‥‥
そして母も、そんな父を見て、過去を恨みながらも気持ちを変えようと努力していたんだと思います
この時期に、母は夜出掛ける事がなくなったので‥‥Mさんと別れたんだなと思いました
入院中の父と母を見て、もしかしたら普通の家族になれるかもしれない‥‥‥と思っていました
お金で人は変わる‥‥
母はお金がある事で心に余裕が出来たようで、みんなに対しても話し方から変わっていきました
そして、手にしたお金の中から祖母(母の実母)にいくらかあげたようで、祖母もまた少しだけ優しくなりました‥‥
だけど今まで貧乏だったから、色々我慢していた事がハジケちゃったようで母は次から次へとお金を使っていました‥‥‥
兄は「お金があるなら、今の学校は合わないから別の学校に入り直したい」と新聞奨学生を辞めて別の県外で①人暮らしを始めました
もちろん、入学金から生活費まで全て母が用意しました
最初の学校の入学金百万近くは全てパーに‥‥‥
母と兄の考えが私には信じられませんでした
姉には何をしてあげたのか私は知りません‥
私には外食に連れて行ってくれるようになりました
もちろん車はないので近所のファミレスだったけど、私は母と②人だけの時間という事がとても嬉しかった‥‥
私はまだ母を求めていたんだと改めて思いました‥‥‥‥‥‥
そして③ヶ月後‥‥
父が退院しました
リハビリの成果で日常問題なく過ごせるまでに、麻痺は良くなっていました
母はおじさんとの約束通り、ご飯の用意をしてあげていました
さらに、夜ご飯の時は父の部屋に行き少し話をしてきたりと‥‥‥母は本当に努力していました‥‥‥‥
だけど‥‥‥
しばらくすると父は何か気に入らないのか、また母を怒鳴る様になってしまいました‥
母は食事の用意はしていましたが、父の元には一切行かなくなりました‥‥‥
やっぱりダメだった‥‥‥‥‥‥‥
そして私は高校卒業を控えていて、進路を考えなくてはいけない時期にきていました
その頃の私の夢はPAミキサー‥‥コンサートなどで音響を担当する人です
なので、専門学校に行きたかったけれどお金の事で母に借りは作りたくない‥‥それに家も出たい‥‥と卒業後すぐの進学は諦めました
今ある貯金で家をまず出よう‥‥と進路は決まりました
同じ頃、K君のおうちが引越す事になりました
車で約50分‥‥
会えない距離ではないけれど、どうせ私が家を出るならと一緒に暮らす事にしました
K君はその頃もう就職していたのでお金の心配もなく、みんなが進学先や就職先の試験を受けているなか、私は二人で暮らすところを探していました
もちろん父や母からも反対されず‥‥‥‥‥
そして高校卒業‥‥‥
住むところは決まりました
2DKの小さなアパート
実家から歩いて10分のところにありました
最初は決別の意味も込めて実家から遠い場所を考えていたけれど、どうしても祖母の事が心配でそこに決めました‥‥‥‥‥
後に大変な後悔をする事も知らずに‥‥‥‥
生活費はK君が大半を 出してくれていました
「専門学校へ行く為の貯金をしな」‥‥と
なので私はずっと続けていたバーガーショップの他にも掛け持ちで出来る仕事を探していました
すると、バーガーショップの先輩がいい仕事があると紹介してくれました
それは、結婚式場での音響や照明をやる仕事‥‥さらにその場で使う曲を編集したり録音したりと、私の夢を小さくしたような仕事でした‥‥‥‥‥
結婚式はたいてい土・日・祝日と決まっていたので、バーガーショップのバイトをずらし、その合間に在宅で出来る編集作業をしたりと、休みもなく仕事ばかりだったけれど毎日はとても充実していました
それはやっぱりK君の存在があるからで、彼にはあの頃感謝してもしきれない位です
なので、そんな充実していた毎日に落とし穴があったなんて、その時は知りませんでした
家族と離れて一定の距離を保つ事によって、うまくいってると思っていました
仕事も楽しくて、K君も居て、私はこれ以上望むものがあったなんて本当に信じられなかった‥‥‥‥
その頃、私は祖母からHELPの電話が入れば駆け付け、買い物や家事など手伝いをしていました
そしてついでにといったらおかしいけど、その時母の家にも寄り少ししゃべってくるという感じでした
ある日、母から‥‥‥「お前はばあさんの手伝いばかりして、私には何にもしてくれない」と言われました
「おばあちゃんは歳だから買い物も行けないし‥‥」と言うと、
「私だって体中痛いんだ!」と母‥‥‥
「何をして欲しいの?」と聞くと‥‥‥
「うるさい!!出て行け!!!」と追い出されました‥‥‥‥
だってその頃は、父の食事の用意は祖母がしていたし、洗濯だって父と②人分なんだから毎日やるものでもないし‥‥‥買い物は仕事帰りにしていたし‥‥私に何をして欲しいのだろう‥‥言ってくれなくちゃ分からないよと思いました‥‥‥
追い出されたけど、気になったので次の日母に電話をしました
‥‥‥だけど出ない
さらに気になったので家に行ってみると、
‥‥‥鍵が閉まっていて呼んでも出て来ない
電気も点いていて人影もあるのに‥‥‥
私はこの時から少し、おかしくなっていたのかもしれません‥‥‥
一緒に住んでいた頃は、母に追い出されれば必死に母から逃げようと外にいました‥‥
だけどこの時は、私は母の家の軒下に②時間以上もジッと立っていました
母が許してくれるまで‥‥‥‥
その時の気持ちは
「私が何か悪い事を言ってしまったのかもしれない。母に嫌われたくない」そう思っていました‥‥‥‥
離れた事によって私は、母への思いを複雑なものへと変えてしまっていました‥‥‥‥
それから何回も何回も電話をしてやっと母は出てくれました
でも一言「しつこい‥‥‥」
その一言で不安になり、家まで行く‥‥‥
でも出てきてくれない‥‥‥‥外で待つ‥‥‥‥‥
そんな事を③日間繰り返しました
その間中、「母に嫌われたくない」との気持ちで不安で不安で落ち着かず、夜も眠れない状態でした
そして④日目、母は何事もなかった様に、私にしゃべり掛けてきました
そうなると私も落ち着いてきて、いつもの日常に戻れるといった感じでした
そんな私をK君は‥‥
「お前ちょっと異常だよ」‥‥‥と言いました
私だって分かっていました‥‥‥‥
この行動は普通じゃないんだろうなって‥
でも母に無視されると、いてもたってもいられず落ち着かない‥‥
K君は言いました
「やっぱりお前の実家とは離れるべきだった。ちょっとやそっとじゃ行けない距離まで、お前を連れて行くべきだったんだ‥‥」と
祖母の事を考え、近くに住む事を決めた私達は早くも後悔していました‥‥‥‥
私は考えました‥‥‥母を無視する事がどうしても出来ないのなら、怒らせないようにしようと‥‥‥‥
まず祖母から電話がきても、先に母のところから顔を出すようにしました
そして「何かする事ある?」と声を掛けるようにしました
多分きっと「何か用ある?」では怒らせてしまうから‥‥‥‥
こっちが下手に出なくてはいけないと感じていました
離れても母の呪縛から離れられない私がそこにいました‥‥‥‥
それでもその後も母はちょっとした事でキレて、私は同じような事を繰り返していました‥‥‥
母は私の気持ちに気付いていて、逆に利用しているんではないのかとさえ思う位でした
それ位頻繁に私は母のところへ謝りに通っていたから‥‥‥
K君は、私の思う通りにすればいいと言ってくれました
諦めていたのかもしれません
何度も何度もK君は「行ったって何も変わらない。どんな事をしてもお前が来るから甘えているだけなんだよ」と言いました
それでも私は母の元へ行かないと気が済まなかったから‥‥‥‥
いくつになっても母との関係がうまくいかない‥‥‥
私はこんなに求めてるのに応えてくれない
それでも求め続ける私‥‥‥‥
その繰り返しの毎日
ある日、音響の方の仕事から「社員にならないか?」と声が掛かりました
私はその仕事に大きなやりがいを感じていました
結婚式という、幸せのお手伝いが出来て音楽にも携える‥‥‥‥
社員になる事を決めました
専門学校の夢は捨て、それから約②年間私はその仕事をしていました
最後の方は色んな現場を任され、県外まで出張したりと本当にやりがいのある仕事でした
その仕事を辞めようと思った訳‥‥‥
私は妊娠しました
もちろんK君との赤ちゃん‥‥‥‥
私達は結婚する事になりました‥‥‥
初めての彼氏が夫になりました‥‥‥
私達の結婚・妊娠はみんなに祝福されました
ずっと同棲していたから、当り前だと思っていたようです
祖父母や父母にとっては、初ひ孫・初孫になるので、みんなが赤ちゃんの誕生を心待ちにしていました
私達は温かい新しい家族を創ろうと、決して私の実家みたいにはならないと誓いました
だけど、またもその実家に私達は振り回され、苦しめられる事になりました‥‥‥
妊娠⑥ヶ月の時‥‥‥
お腹の赤ちゃんの腎臓に、イヤな影があると言われました‥‥‥
自然に消えるものなのか、それとも赤ちゃんに重大な病気が隠されているのか‥‥
経過観察するしかないと言われ、①ヶ月後に詳しく調べる事になりました
元気に産んであげられないかもしれない‥‥と私は不安な毎日を送る事になりました
そして、この事は母の耳にも入り‥‥私はある場所に連れて行かれました‥‥‥‥‥‥
その場所は‥‥‥‥
ある信仰宗教の道場でした
母は昔、そこの信者だったらしく、幹部の人に今は疎遠になってしまった事をお詫びして私の事を頼んでいたようでした
私は状況も分からないまま、お腹の赤ちゃんに手かざしというものを受けました
手かざしというものは、パワー?を得た手から目に見えない光が発せられていて、その光を受けると痛いところや悪いところが良くなるというものみたいでした
なので私はただ寝転んで、その手かざしを受けるだけでしたが、
正直、私は宗教にあまり良いイメージを持っていませんでした
そして私以上に宗教というものに嫌悪感を抱いていたのは彼でした
母は「毎日行けば赤ちゃんもきっと大丈夫」と仕事帰りに毎日誘いに来るようになりました
いつも時間は夜の⑦時位‥‥‥なのでK君に黙ってる訳にも行かず、正直に話しました
K君の実家はお母さん(私にとって義母)がある有名な宗教の信者で、K君が小学校③年生の時に家族全員入信したそうです
その時、K君は剣道をやっていたけれど、その宗教は武道はダメだという事で辞めさせられて、とても悲しい気持ちを味わった事、
更に、宗教活動の奉仕にのめり込む義母の姿がとてもイヤだった…と結婚前に話してくれていました
だけど、K君とお父さん(義父)は後に自らの意思で脱退したので勧誘はないからね‥‥‥と教えてくれていました
案の定、K君は大反対でした‥‥‥
私も毎晩神様に祈るような気持ちだったけれど、やっぱり宗教とは係わり合いたくない…それに一生懸命仕事をしてきてくれるK君に温かい夜ご飯を出してあげたい‥‥‥‥
私は母に「もう行きたくない‥」と理由と一緒に話しました
だけどやっぱり母は分かってくれなかった‥
「親になるんだから、自分達の子供の為ならなんだって出来る筈だ。赤ちゃんが可愛くないのか!」と激怒しました‥‥‥‥
私も「可愛くない訳がない。出来る事はしてあげたいけど宗教はイヤ!もし赤ちゃんに何かあったとしても私はそれを全部受け止められるから!」と言い返しました
だけど、母はいつものように「うるさい、出て行け。もういい!」と一切受け付けなくなりました‥‥‥‥
K君は「もういいだろ、お前は新しい家族を築けばいいし親になるんだから、いつまでもおふくろさんに固執するなよ」と言いました
母と離れてみよう‥
私もその言葉に納得しました‥‥‥‥
したつもりでした‥‥
でも私の体はついていけませんでした
夜中、ふとした時に
私は過呼吸になり、泣きじゃくり、「お母さん」と何度も呼んでいたそうです‥‥‥
私はいつも覚えていませんでした
分かっていたのは、なにかとても苦しい事だけ‥‥‥
K君は「俺がいてもダメなのか‥‥?」と
そんな事があった事も分からない私に聞きました‥‥‥‥‥
今だったら、精神科という門をくぐれたかもしれない‥‥
でも当時は、今みたいにうつ病とかパニック障害とかの知識は広まっておらず、自分で抱えこんでいた人も多かったと思います
まして私は妊婦だったので、マタニティブルーだと思っていました
だから、いつか落ち着くんじゃないかと私達は思っていました‥‥‥‥
だけど、その後も夜中に突然泣き出したりと一向に落ち着かず、私達は決断しました
母を受け入れよう‥と
K君は本当に母の気持ちをいい風に受け止めてくれて、「おふくろさんも、そもそも赤ちゃんの事を考えてしてくれている訳だから‥」とその道場に行く事を許してくれるというか認めてくれました
そんな風に言ってくれるK君の為にも、私も母に勇気を出してお願いしました
やっぱりそこでも私は下手に出て
「私達が悪かった。赤ちゃんの為にも道場へ行って手かざしを受けたい。だけど、今は妊婦だし産んだ後も育児があって活動もしばらく出来ないから、入信はまだ待ってほしい」と言葉を選びながら話しました‥‥‥
母は「私はお前達と赤ちゃんの為を考えてやっているんだから、文句言わないで言う事聞いてりゃいいんだよ!」と言いました‥‥
そして私のお願いの、入信しないという事も許してくれました
K君は私が道場に行ってる間、仕事から帰ってきて時にはご飯を作って待っていてくれました‥‥‥‥
そして‥‥‥‥‥
私は夜中に起きる事もなくなったのです
そして①ヶ月後‥‥‥
お腹の赤ちゃんの『気になる影』は消えていました
そして母が言った言葉は「ほら、私のおかげだよ」と‥‥‥‥‥
結局私は出産直前まで道場に通う事になりました‥‥‥
そして1999年、
長男が誕生しました
①ヶ月早い早産になってしまったけど、体のどこにも問題なく元気に産まれてきてくれました‥‥‥‥
本当に嬉しかった‥‥
母親になるってこういう気持ちになるんだと思いました‥‥‥
この子を守っていこう
強くならなくちゃ
‥と病院のベットで強く感じました
未熟児だったので一緒には退院出来ず、私は母乳を届けに日に③回病院へ通いました
でも全然苦痛なんて感じなくて、保育器越しに会える①回10分の面会が本当に嬉しくてたまりませんでした‥‥
母もまた、初孫誕生は本当に嬉しかったようで、両親以外は部屋の中にも入れないのに窓ガラス越しでも見たいと②日に①回は病院に一緒に行っていました
そして未熟児という事の後遺症もなく、私から遅れる事①ヶ月、長男も無事に退院しました‥‥‥‥
母は本当に長男が可愛いようで、毎日のように仕事帰りに家に寄ったり、祖父母も会いに行けば本当に可愛がってくれました
バラバラだった家族が長男によって一つになったようで、私はその温かさに本当に幸せを感じていました‥‥
だから幸せボケをしていたのかもしれません
妬みという憎悪に全く気付きませんでした‥‥‥‥‥‥‥
いつしか道場も行かなくなり、のんびりとした毎日を送っていたある日‥‥
母と姉がうちにやってきました
「赤ちゃんが出来たの‥‥③ヶ月に入ったところ」姉からビックリする事を聞かされました‥‥‥‥
姉に付き合っている人がいる事は知っていました
24歳にして初めて出来た彼氏‥‥
私は姉に彼氏がいると知った時でさえビックリしたのに、赤ちゃんと聞いて本当に驚きました
それ位姉は内気で友達も何故かいなくて、性格的に何か問題があるんじゃないかとさえ私は思っていました‥‥‥‥
母から「何かと教えてあげてね。まだまだこの子(姉)は頼りないから‥‥」と言われました
『おいおい‥‥親になるんだからそんな事言ってる場合じゃないんじゃないの』と内心思いましたが頼られるとほおっておけない私‥‥‥
必要とされてる‥‥‥と嬉しく思う自分がいました
時間が過ぎるのはあっという間で、姉は妊娠⑦ヶ月を迎えました…
「〇〇(姉)が出血したらしい」‥‥と母から電話があったのはそんな頃‥‥‥
おまけに「どうすればいいんだい?」と聞かれました
どうすればって‥‥‥
「病院に今すぐ電話するように言って!受診するしないは教えてくれるから」‥と言って私は電話を切りました
『切迫早産』姉はそのまま入院する事になりました‥‥‥
私自身も『切迫早産』で①ヶ月程入院していたので、あまり暗く受け止めず「やっぱり姉妹だから体質似てるんだね。ちゃんと安静にしていれば無事に産めるよ」と励ましました
姉はベット上安静となり、点滴をし続ける事になりました‥‥
だけど、私の時と違ってトイレまでは歩いて行ってもいいと許可が出ていました
私の時はベットの隣にポータブルトイレを置いていたから‥‥‥
だから、私よりはマシな方だったんだよ‥‥
それを知っていたのに、少しでも気持ちを上向きに出来ていたら‥‥こんな風にはならなかったんじゃないかと、思ってる‥‥‥‥
母は毎日姉の病院に通っていました
仕事帰りに行っていたようで、姉の旦那(義兄)と鉢合わせすると 気を利かせてすぐ帰るという事もあったようでした
病院までは自転車で仕事場から30分位、自宅からは20分位‥‥‥‥
私は何度か「体を壊すから毎日行かなくても‥」と言いましたが、母は「お姉ちゃんが毎日必ず来て」って言うんだよ‥‥と苦笑しながら言いました
そして姉が入院して①ヶ月がたった頃
病院から電話が‥‥‥
母は仕事で留守の為、緊急連絡先が義兄の次に私の家になっていました
「〇〇さん(姉)が勝手に点滴を外してしまったり、暴れているんです。お母さんをよんでいるので、連絡をとってすぐに来て頂けますか?」
これがまた新たな幕開けでした‥‥‥‥‥‥
私はすぐに母の仕事先へ電話をしました
母は「今日は人が居るから早退出来ると思う。様子が分かり次第連絡するから」‥と慌てて電話を切りました
私も病院へ向かおうかと考えましたが、①才になるかならないかの長男を連れてでは大変だと思い、K君が帰ってくるのを待ちました‥‥‥‥
結局‥‥この日は病院の面会時間に私は間に合いませんでした
長男を寝かし付け、K君に後の事をお願いすると私は実家へ向かいました‥‥‥
母からは一度病院から連絡をもらっていました
「とりあえず大丈夫だから。詳しい事は帰ってから話す」
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