続・ブルームーンストーン

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自由人( 匿名 )
19/06/25 21:55(更新日時)

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ブルームーンストーンの続編です。 内容は4人で遊んでい・・・

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No.2726135 18/10/14 16:28(スレ作成日時)

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No.1 18/10/14 16:34
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2018年初夏。

とあるダイニングカフェの個室スペース。

森崎有希(ユッキー)
山田勇人(ユータン)
神谷大輔(大ちゃん)

そして私、田村美優(ミューズ)
の4人は久しぶりの再会を喜び合っていた。




4人が初めて出会ったのは25年前、
1993年春。

私、24歳。
ユッキー、22歳。
ユータン、22歳。
そして、大ちゃん、18歳。
だった。

あの頃は楽しかった。
ただみんなと一緒にいられるだけで良かった。

他の3人もきっと同じ思いを持っていたくれたのだろうと思う。

でも私達は結局それぞれ違う道を歩むことになりバラバラになる。

1996年に放送された「白線流し」
というドラマがあった。

男女数人の友情ドラマだったのだが、
あのドラマをみると何となく4人で楽しく騒いでいた事を思い出し感情移入をしてしまっていた。

スピッツが歌う主題歌、
空も飛べるはず。

くじけそうになった時はいつもこの曲を聴き、他の3人もきっとこの空の下で頑張っているんだと思い頑張った。

今でもその思いは変わらない。





「久しぶりだね!乾杯しようか!」

私はグラスを手に持ち3人の顔を見回した。

「おうっ!」

ユータンの声に続き、ユッキーや大ちゃんもグラスを手に持っ。

「お久しぶりですっ!カンパ~イ!」

グラスが軽やかな音を立てる。

「ユータン、本当に久しぶりだね。
20年ぶり?」

「どうだったかな?
駅のホームで…以来?」

ユータンがその時の事を思い出したのかクスクスと思い出し笑いをした。

「あ~あれ以来か。」

恥ずかしい思いをした割には結局ご無沙汰しちゃってたか…

それでも、私の目の前にいるユータンは驚くほど当時のままのユータンで、
時の流れを全く感じさせない事が嬉しかった。

あれから色々あったよね…

あの当時の事を懐かしく思い出す。

そして、それに伴いこのお話も1990年代に戻っていく…

No.2 18/10/14 17:36
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1997年春。

本社勤務になってから約2年半。

大ちゃんの予想通り、
「会社の都合」で私達のプロジェクトチームは解散した。

「田村さん、来月から〇〇店の副店長としてまた戻ってもらえますか?」

運営部の課長にそう打診される。

「〇〇店ですか?」

〇〇店とは私が新入社員時に配属され、あの3人と出会った店舗の事である。

「はい。今度は副店長としてまたそこで頑張って欲しいです。」

課長がニコニコとしながら頷く。

私に拒否権など無い。

だが、本社に残っても特にやりたい事がもう無かった私には、また現場で頑張る方が良い選択にも思えた。

一応、出世だしね。

無理矢理に自分を納得させる。

「わかりました。
近いうちにそこの店長に挨拶に行ってきます。」

そう答える私に、

「あ、その事なんだけど…」

課長が何かを言いかけた途端、

コンッコンッ!!

2人のいた会議室のドアが大きなノックの音で揺れた。

うおっ、ビックリした。

驚いてドアの方を見つめると、

「どうぞ~!」

と、課長は少し呆れた様な声を出し、その訪問者に入室を促した。

「課長、話があると聞いて来たんですけど、あの話ならいい加減に諦めて下さいよ!
僕も今の店舗をやっと軌道に乗せたところ…」

少しふてぶてしい物の言い方をしながら入って来たその男性を見た私は一瞬その場に凍りついた。

大…ちゃん…?

「え?」

大ちゃんも私の方を向いたまま、驚いたのか動かない。

「こら!神谷!全くお前はいつもガサツだな。」

課長の声に私達の呪縛が一瞬にして解ける。

「あれ?話し中でした?」

先に口を開いたのは大ちゃんの方だった。

No.3 18/10/15 12:52
自由人 ( 匿名 )

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「いや、もう話は終わったんだけどね。」

課長は大ちゃんにも着席を促すかの様に先に会議室の椅子に座りながらそう答える。

「そうっすか。」

そう言いながらも大ちゃんは私から視線を外さない。

くっきりとした切れ長のキレイな二重。
彫りの深い顔立ち。
意思の強そうな口元。

整った顔立ちだが、触れると傷だらけになりそうなトゲトゲとした雰囲気が全体に漂っている。

まるで、出会ったばかりの頃の大ちゃんみたいだ。

怖い…

でも怖いのに、
目を逸らしたいのに何故か逸らせない。
吸い込まれそうな瞳、

大ちゃん…

「ああ、田村さんね、来月から〇〇店の副店長として行ってもらう事にした。」

大ちゃんの視線に気づいた課長が取りなすようにそう言うと、

「〇〇店?」

大ちゃんの眉が神経質そうにピクリと動いた。

「そう、あの〇〇店だよ。」

課長が何故か「あの」という所をわざと強調する。

〇〇店に何か問題でもあるのだろうか…

大ちゃんは強ばった表情のまま何かを考え込んでいる。

当の課長はというと、何か探る様な目で大ちゃんを見ていた。

「別に…俺には関係の無い話ですから。」

大ちゃんの吐き捨てる様な返事を聞き、ハア~っと大きくため息をついた課長は、

「とにかくそこに座って!
あ、田村さん!また何かあったら僕に声をかけて下さい。」

と私に向かって頷いた。

部屋を出ていけという事なんだろうな…

瞬時に察した私は、

「では失礼します。」

と頭を下げて会議室を後にした。

会議室を出て歩き出した途端、バッグの中から微かな着信音が鳴っている事に気づいた。

人気のないホールの端で電話をとる。

「もしもし。」

電話の相手は半年程前から付き合っている恋人の翔平だった。


No.4 18/10/15 18:22
自由人 ( 匿名 )

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私と同い歳の翔平は共通の友人を通じて知り合い…
というごく一般的な出会いをし、
お互い争いを好まない事なかれ主義という性格も一致してのんびり気楽な付き合いを続けていた。

「今日そっちに泊まりに行くけどいい?」

「いいよ。先に着いたら部屋に入ってて。」

そう答えると電話を切った。

翔ちゃん来るって事はもう週末か、
早いな。

最近、曜日の感覚すらないよ。

私は歩き出しながら苦笑した。

翔平と付き合い出した頃に私は引越しをして今のマンションに移った。

前の女性専用マンションに比べ、
セキュリティの問題や家賃の高さが少々気になったが、築浅で日当たりも良いその部屋は予想以上に住み心地が良く、私は気に入っていた。

翔平とは付き合って3ヶ月程で週末は私の部屋で過ごす仲になり、
合鍵も渡し、私達は今や半同棲の様な生活をしている。

さて、今夜は何作ろうかな…
それとも食べに行こうかな…

夕飯の事を考えようとするが頭の中がまとまらない。

大ちゃん。
2年数ヶ月ぶり?
今頃また会うなんて…

さっき見た大ちゃんの顔を思い出す。

出会った頃と同じ怖い顔だったな。

きっと何も連絡しなかった私の事を怒ってるんだろうな…

でも連絡して来なかったのは向こうだって同じで…

やめよう。

今さら、そんな事を蒸し返して思い出しても仕方ない。

もう多分会うことも無いだろうし…

自分で言い聞かせたその言葉に、
気持ちがゆっくり落ちて行くのがわかる。

ダメだ!

私は落ちかけた気持ちを切り替えるべく、降りる予定だった自分のマンションの最寄り駅を2つ乗り越した。

2つ乗り越して降りた駅。
そこは引っ越す前の「最寄り駅」だった。

さてと、歩くか。

〇〇店へは以前は自転車で通ってたんだよね。

歩くと20分くらいかな。

そこそこいい運動にはなりそうだけど、

時間かかりそうだな。

私は携帯電話を取り出すと翔平に電話をかけた。

「ごめん。今度配属される店舗に寄ってから帰るから少し遅くなる。」

そこまでして行くほどの理由は何も無かったのだが、電話を切った私は〇〇店の方に向かってひたすら歩き出した

No.5 18/10/16 12:38
自由人 ( 匿名 )

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スタスタとやや早歩きめで徒歩約15分。

前方左手に懐かしい〇〇店が見えてきた。

懐かしいな。

せっかく来たのだから店内の様子も見ておこう。

店内に入る。

「いらっしゃいませ。」

若い男性社員に挨拶をされる。

お客さんだと思われちゃった。

それは向こうにしたら当たり前の事なのだが、コソコソ何かをしている様な気分になり私は焦った。

今日は様子見のつもりだったけど、
やっぱりちゃんと挨拶して帰ろう。

意を決して、

「あの…すみません。
店長さんはいらっしゃいますか?」

おそるおそる声をかける私に、

「はい、あの、ご用件は何でしょうか?」

彼は少し戸惑った表情で返してくる。

「あ、すみません。
失礼しました、本社の田村と申します。
今度こちらに配属される事になりましたのでちょっとご挨拶に。」

途端に相手の表情が緩んだ。

「あ!そうなんですか。
ちょっとお待ち下さいね!」

彼はバックヤードに繋がるスイングドアを開け中を覗き込み、

「店長、お客様です。」

と声をかけてくれた。

「はいはい。」

と気の良さそうな声がしたかと思うと、30代半ばくらいのいかにも人の良さそうな顔つきの男性がバックヤードから店内に入ってきた。

優しそうな人だ~。

心の中でホッとする。

「あ、お疲れ様です!
本社の田村と申します。
来月からこちらに配属予定なのですがもうご存知ですか?」

「あ~すみません。
まだこちらの方には何も通達は無いですね。
でもうちの副店長が移動予定なので、後釜の方が来てくれるのはわかっていました。」

「そうですか。
本社からの通達って遅いですもんね。」

「そうなんですよね。
僕自身がこの店舗に移動の辞令が来たのは1週間前でしたし。」

「ええっ?1週間じゃ引き継ぎとか大変だったんじゃないですか?」

「いやいや、僕の同期なんか3日前に言われた奴もいましたし。」

「…めちゃくちゃですね。」

「ですね。でも田村さんが来て下さるのが早めにわかって良かったです。
どうぞよろしくお願いしますね。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

私は頭を下げると、

「また改めてちゃんとご挨拶に来ます。」

と、店を後にした。

No.6 18/10/16 22:28
自由人 ( 匿名 )

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「おっと!危ない。」

いつもの様に本社のある方面の電車に乗ろうとした私は危うく踏みとどまった。

今日から引き継ぎのため〇〇店に行くんだった。

逆だよ。逆。

苦笑しながら慌てて反対側のホームへと向かう。

〇〇店はパートの沖さん以外はすっかりスタッフが入れ替わっており、
社員の構成も店長、副店長の私の他には今年入社した新入社員が2人来る予定とのこと。

う~ん。
私もある意味新人みたいなものなのに大丈夫かな…

一抹の不安が頭をよぎるが、あの優しそうな店長の顔が頭に浮かぶ。

うん。
何とか店長を助けられる様に頑張っていかねば!

店舗への挨拶用の
「ちょっと奮発した高級菓子折の」袋を握りしめ、
いざ!

裏口からバックヤードに入ると、
事務所の中からボソボソと店長の声がした。

コンコン!

「おはようございます!
今日からよろしくお願いします!」

元気良く事務所のドアを開けた私の目に、

「あ!田村さん、おはようございます。」

「おはようございます。」

店長と、

店長と、

店長と、

ええええええええっ!?

大ちゃんの姿が飛び込んできた。

「えっ?えっ?えっ?な、なんでここにいるんですか!?」

呆気に取られる私に、

「あれ?本社から何も聞いてないんですか?」

と大ちゃんが少し呆れた様に言う。

「あ、はい…」

「あ~、数日前に本社からの急な決定事項で神谷さんが急遽うちの店に来られる事になったんですよ。
てっきり田村さんは本社の方から聞かされてると思い込んでまして…
あまりにも急な事だったので引き継ぎでこちらもバタバタしてて連絡を怠ってました。
いや、本当に申し訳ない。」

店長が気の毒そうに頭を下げて謝ってくれている。

「えっ?…新入社員の…1人と?して?」

「なんでじゃあっ!!」

大ちゃんがいきなり吠えた。

ちょっ、やめて吠えないで。
余計に焦るぢゃないか。

「えっ?あっ、ふ、副店長…だっけ?」

もう頭が完全にパニック状態。

「それは田村さんでしょ?
僕の後任の神谷店長ですよ。」

優しい声の店長の説明に大ちゃんが黙って軽く頭を下げる。

ボトッ。

突っ立ったままの私の手から、
「ちょっと奮発した高級菓子折」の袋が落下した。

No.7 18/10/18 13:57
自由人 ( 匿名 )

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「で、この書類はここにまとめてありますので…」

初日の引き継ぎは主に書類の置き場所や事務的な内容etc.....

私に引き継ぎをしてくれたのは、先日私が声をかけたあの若い男性社員だった。

この人がここの副店長だったのか。

もう1人いた社員の女の子も移動するらしいし、
本当に総入れ替えなんだな…

副店長になる前にはそのための研修を受ける。

大抵は候補達が一斉に揃って本社で受け、
しかも現場で働きながら数ヶ月かけて何回かに渡って受けるものだが、
大ちゃんの時と同じく必要に迫られた時には急遽「個別指導」の様な形で詰め込みで研修を受ける。

現場で働きながら少しずつ慣れていく他の副店長と違い、知識だけ身につけた新米副店長、しかも頼るべき店長はあの大ちゃん…

う~ん。
不安の1文字しかない…

気まずさもあるし、
とにかくこれもこの引き継ぎ期間中に何とか慣れる様にしていかねば。

それまでは…

うん、とりあえず二人きりになる事はなるべく避けよう、そうしよう。

私がそう心の中で決めた途端、

「田村さん、これからの事も話したいしちょっと外に出ようか。」

と「神谷店長」が誘いに来た。

げげっ。

「あ、いや、まだ取り込み中で…」

もごもご言う私に、

「大体の説明は終わりましたよ?」

副店長君が不思議そうに私を見る。

おいこら兄ちゃん空気読め。

困ってるだろ?
あからさまに。

その気持ちをありったけ目力に込めて副店長君に念を送る。

「あ~!」

副店長君が頷いた。

やった!
念が通じたっ!

「田村さんは引き継ぎ初日ですし、店には僕らも居ますので、遠慮しないでゆっくりミーティングしてきて下さい!」

違~う!
そうじゃな~い!!

「ふ~ん、じゃあ行こうか。」

大ちゃんが有無を言わさず先に立って歩き出す。

「あ、じゃあ後はよろしく…お願いします…」

ボソボソと声をかける私に、

「頑張って下さいね。」

と、副店長君が意味深な笑顔を浮かべてそう言った。

No.8 18/10/21 17:17
自由人 ( 匿名 )

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大ちゃんを追いかけて店内に入ると、
大ちゃんはスイングドアの近くに立ち、店内を見回していた。

その表情は硬い。

「これは1からやり直した方が早いな…」

彼は渋い表情を浮かべながら独り言を漏らす。

やり直し?

この店舗の事には違いないんだろうけど…

もしかすると今からやるミーティングってこれに関する事かな?

とりあえず声をかけなきゃ。


「神谷さん!」

私が呼びかけたのと同時に私の後ろから店長が大ちゃんを呼び止めた。

「神谷さんすみません、さっきの件ですが…」

大ちゃんは私のほうを向き、

「ごめん、もうちょっと待ってて。」

と、店長の方に足早に向かって行ってしまった。

どうしよう…

仕方がないので、またバックヤードに戻る。

「あれ?どうしたんですか?」

副店長君に声をかけられた。

簡単に事情を話すと、

「あの神谷店長も大変ですよね。
あっ大変なのは田村さんか。」

副店長君がまた意味深な笑いを浮かべる。

「さっきから気になってたんだけど、もしかして神谷店長の事を知ってるんですか?」

私の問いに、

「いや僕は直接は知りませんよ。
でもお噂はかなり…ね。」

お噂って…
これまた穏やかならぬ事を…

「どんな噂ですか?
本社には表面的な話題しか入って来なくて、なかなか現場の生の声が聞けてないっていうか…」

「ん?いや悪い噂じゃないですよ。
かなりのやり手で本社からの期待も厚い有望株の店長って事です。」

「それだけですか?
他にもあるんじゃないですか?」

「ん~後は大した事じゃないんですけど、好き嫌いがハッキリしててかなり厳しく、気に入らなければ誰彼構わず噛み付く所からついたあだ名が狂犬。

ついでに言うと、神谷店長に睨まれた人物が何人か病院送りになったとか…」

おいっ!!
こっちの方が十分「大した事」あるわっ!!
むしろメインだわっ!!

「びょ、びょ、病院送りってなんなんですか!?」

「さあ?噂ですからね~
真偽の方は何とも。」

副店長君はしれっとした顔で嘯いた。

No.9 18/10/22 20:41
自由人 ( 匿名 )

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この副店長君、大人しそうな顔をして実はなかなか食えない奴。

引きつる私の顔をニコニコしながら面白そうに眺める副店長君。

「まっ僕は神谷店長みたいなタイプ好きですけどね。
彼の下で働いてみたかったなあ。」

なら変わってくれよ!
今すぐ!
遠慮するな。
気持ち良く差し上げよう。

喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み込み努めて冷静な声を出そうと努力した。

「でも、その機会はこれからあるかもしれませんよ?」

「いや、残念ながら僕はこの度店長になる事に決定しましたので。」

「あ、おめでとうございます。
なら…無理ですね。」

「神谷店長が地区長になれば可能ですけどね。
案外そんな日も近いかも。」

副店長君は私をからかう様な目をしてフフっと笑っていたが、

「そろそろ戻って来られるんじゃないですか?
行ってらっしゃい。」

と言い残し、スっと倉庫の方に出ていった。

「田村さん!」

それから程なくして大ちゃんが私を探しにバックヤードに入ってきた。

「お待たせ!行こうか。」

「あ、は、はい!」

2人で駐車場に出ると、

「乗って。」

と大ちゃんは車の助手席を指さし、自分も運転席に乗り込んだ。

「昼ご飯まだでしょ。
食べながらミーティングも兼ねようか。
休憩室でやると他のスタッフが気を使ってゆっくり休憩できないだろうし。」

なるほど。

「ここでいい?」

車が入った先は、
かつてよく利用していた職場近くのファミレスだった。

「わあ懐かしい!
何年ぶりだろう。」

思わず声を上げた私に、

「でしょ?」
と大ちゃんも懐かしそうに微笑む。

席に案内され座った途端に、

「住所変わったんだ。」

といきなり大ちゃんが切り出してきた。

「あ、はい。」

「ふ~ん。なんで?
女性専用マンションじゃ彼氏と住めないから?」

「えっ!?
い、いや週末にちょっと泊まりに来るくらいで、住むとかは…」

「なんだ。やっぱり彼氏いるんだ。」

「え、え、大ちゃんも彼女いるよね?
お、お揃いだね…」

「お揃い?」
大ちゃんはフッと鼻で笑うと、

「まあそういうことになるかな。」

と私から視線を外し、メニューに手を伸ばした。

No.10 18/10/23 13:00
自由人 ( 匿名 )

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「さて、早速だけどちょっと質問していいかな?」

注文を済ませるのもそこそこに大ちゃんが切り出してくる。

「今日久しぶりに〇〇店に来たと思うけど、久しぶりに見た店の雰囲気どうだった?」

「え?え~と、どうって…」

「わからない?
じゃあミューズが前にいた時と比べて店の雰囲気どうだった?」

「あ~、何かシーンとしてるっていうか活気が無いというか…」

「他には?」

「え~と前に挨拶に行った時に買い物して帰ろうと思ったら品出し中のスタッフさんが必死で作業をやってて邪魔で…
でも声をかけるのも何だからそのまま帰った。」

「他には?」

大ちゃんはその調子で私に幾つか気になった点を挙げさせると、

「これ見てくれる?」

〇〇店の売り上げ、客数、客単価等が記載された資料を取り出した。

「ここんとこ、〇〇店の売り上げ、客数共に急激に減っている。」

「あ、でもこれは近くに何店か出来た競合店の影響も…」

私の言葉に大ちゃんはフンと鼻で笑う。

「そんな事を言い訳にしている副店長の店は遅かれ早かれ潰れるな。」

きっつう…

「す、すみません。」

「いいか?
競合店対策で1ヶ月後には車で15分程の距離にうちの会社の店舗ができる。
うちよりも更に大きな大型店舗だ。
このままだとうちの店舗は確実にそこに食われる。」

「え?同じ会社の店舗で食い合い?
そんなえげつないこと…」

「えげつない?
それがうちの会社だよ。」

そうなんだ…

「あのタヌキ課長、俺にそれを承知であの店の売り上げを何とかしろとしつこく言ってきた。
そんなもん面倒臭いからと断り続けてたのに…」

大ちゃんはここで言葉を切って、じっと私の顔を見た。

No.11 18/10/23 13:09
自由人 ( 匿名 )

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えっ?
なに?なに?なに?
怖いんですけど…

そんな怯える私の思いを知ってか知らずか大ちゃんは私の顔を見つめたまま更に続ける。

「あ~あ、おかげで前の店舗やこちらの店舗での引き継ぎが大変だよ。
軌道に乗せた前の店舗にいれば楽できてたのになあ。」

「す、すみません。」

何故か謝ってしまう。

「あの…本社から強制的に?」

「いや、前の店舗もまだまだ伸ばせるから本社としては強制してまで俺をそこから出すつもりは無かったよ。
ただ、こちらの地区に思い入れのある課長がしつこかったくらいで。」

「え?
じゃあ余裕で断れたんじゃないですか?
何でこんな損な役回り引き受けたんですか?」

「えっ…何でって…」

急に大ちゃんの気勢が殺がれる。

大ちゃんの迫力に押されっぱなしだった私はようやくここで我に返った。

あれ?
と、いうことは選択権があったにも関わらず〇〇店に自分から進んで来たって事だよね?

うっわ~
謝って損した~
って言うか何で謝ったのかよくわかんないけど。
私のごめんなさいを返して欲しいわ~

「なに?何か文句あるの?」

私の心を読んだのか、大ちゃんが少し子供っぽい口調で絡んでくる。

「あ、いえいえ。
わざわざ自ら苦難の道を選ぶなんてなんでかなと…」


「お待たせ致しました。ハンバーグセットでございます。」

ちょうど話しを割って入る様に注文の品が来た。

「おおっ、これも懐かしいな。
さっ、食べよ。」

大ちゃんはナイフとフォークを取り上げると、
その話はまるで何も無かったかの様に素知らぬ顔でハンバーグを食べ出した。

No.12 18/10/24 13:10
自由人 ( 匿名 )

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「行ってくる。
何かあったら携帯に電話して。」

大ちゃんが私に声をかけてきた。

引き継ぎ期間が終了する同日に新入社員の研修も終わり、研修最終日の午後に各店長が新人を迎えに行く。

「分かりました。」

返事をする私に、

「あ、先日新しい高校生のバイトを2人雇ったから。
今日の夕方来るし色々教えといて。」

軽い感じで大ちゃんが言う。

「え?聞いてませんよ~
そういう事はもっと早くに…」

文句を言いかけるも大ちゃんは手を軽く振ってさっさと出ていってしまった。

ったく…

これは、私がバイトの教育係決定って事だよね。

高校生か。
私にちゃんと指導とかできるかな。

私の頭に初々しい学生さん達の姿が浮かんだ。

恥ずかしがって声もちゃんと出せてなかったらどうしようかな。

ちゃんとそこも指導していかなきゃね。

ふふっ
ちょっと楽しみ。


PM4:00

「今日からバイトで来ました。」

店内で作業をしていた私に不意に後ろから若い男の子の声がかかる。

来たっ!

「は~い!」

満面の笑みを浮かべて振り向いた私の目の前に、
ツンツンの金髪頭に複数のピアスをジャラジャラつけ、いかにもヤンチャそうな顔立ちをした男の子が突っ立っていた。

えっ?

バイトの男の子はいったいどこに…

思わず周りを見回した私に、

「4時に来いって言われたんですけど?」

とにこやかにその金髪君が言う。

えっ?

まさかとは思うけど…
この、はしゃぎ過ぎたスーパーサイヤ人みたいなの…がっ?

頭がクラクラした。

「と、とりあえず事務所に行こうか。」

彼を連れて事務所に入ると向かい合って座った。

って、おい!
サンダル履きやないかいっ!!

「靴は?」

「履いてます!」

「それはサンダルです…」

「え?サンダルは靴に入りませんか?」

……

おやつにバナナは…かよ…

「わかりました。
とりあえず次に来る時は必ずスニーカーか靴で来てください。」

「サンダル動きやすいんですけど…」

どこまでサンダルに拘るんだ…
サンダルの霊にでも取り憑かれてるのか?
1発、かめはめ波でもお見舞いして除霊してやろうか…

「それとその頭…なんですけど。」

私の言葉に、

「これ!なかなかカッコイイと思いませんか?」

と彼は嬉しそうに自分の頭を撫でてみせた。

No.13 18/10/25 12:20
自由人 ( 匿名 )

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「はあ、まあ、確かにカッコイイ…ですけど…」

私の言葉にスーパーサイヤ人は嬉しそうに笑う。

「ちょっと接客業やるには派手過ぎますね。
もう少しだけ暗くできませんか?」

スーパーサイヤ人ちょっと落胆する。

「それと、その耳がちぎれそうな程ぶら下がってるピアス。
数は1つのみで、それもできるだけ目立たない物か透明ピアスにして下さい。」

スーパーサイヤ人更に落胆する。

辞めるなこれは。

はあ、やれやれお疲れ様。

でも一応の形として一通りの説明だけ済ませておくか。

え~ともう1人の子もそろそろ来てるかな?

探しに行こうかと事務所のドアを開けると、ドアの前にものすごくガタイのいい男の子が立っていた。

「あの、今日からバイトで来ました…」

「ああっ!ごめんね、お待たせして。
説明あるから入ってくれる?」

立派な体格に似合わずボソボソっとした声で話す彼を慌てて事務所に招き入れる。

2人を椅子に座らせ、改めて履歴書に目を通した。

スーパーサイヤ人は、
牧田 優也
この春から高3

ガタイ君は、
加瀬 大吾
同じく高3

どうやら2人は中学時代からの友人同士の様であった。

2人が揃った所で簡単なオリエンテーションを行う。

加瀬君のリアクションは薄く、わかっているのかわかっていないのか掴みにくかったが、意外な事に、
「はしゃぎ過ぎのスーパーサイヤ人牧田」が物凄く飲み込みが早い。

この子、頭の回転早いな…

見た目と言っている内容はふざけているが、言葉遣いや態度は基本キッチリしている。

確実に伸びそうで面白そうな子ではあるけど…
まあ次は来ないだろうな。

私はそう確信した。

ところが、私のこの時の確信は半分当たり半分外れた。

高校を卒業後にうちの会社に就職した牧田君は、後にメキメキと頭角を現し、社内でも有名な「やり手の牧田」として知られる存在になるのである。

No.14 18/10/27 20:56
自由人 ( 匿名 )

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「ただいま!」

やっと大ちゃんが新人2人を引き連れて帰ってきた。

新人達は、人当たりは良さそうだが、どことなく我の強さを感じさせる新井 慎太、

お坊ちゃんな雰囲気で、本音をあまり出しなさそうな大川 弘樹、

この2人も個性強そうだな…

もう本当に不安しかない。

こんなメンバーで本当にやっていけるのか?
新米副店長!

「お姉さん、今から何します?」

ボーッと考えている私に、サイヤ人牧田が探るように声をかけてくる。

「お姉さん言うな、私は田村です。」

そう言いながらも2人に目で合図をし3人で事務所を出ると、入れ替わりに大ちゃんが新人の2人を事務所に座らせた。

「今から軽~くオリエンテーションやるから!」

大ちゃんが意味ありげにニヤニヤしながら言うのを新人2人は真剣な顔で頷きながら聞いている。

やれやれ。

初日からあまりとばさないで下さいよ?

私はため息をつき事務所のドアを閉めた。

大ちゃんが2人にオリエンテーションをしている間に、私はバイト2人を従え店内に入り、店内での作業の説明を行う。

品出し、レジ業務がバイトの主な仕事になるが、ベテランになると発注や売り場作成も任される事等も説明。

「店内に人も少ないし、ちょっと空いてるレジを触ってみようか。」

端っこにあるレジにキーを差し込み起動させると「研修モード」にセットする。

「これでレジに商品を通しても売上に反映されないから、少し練習してみよう。」

私の言葉に2人は「おおっ!」といった表情でいそいそとレジの周りに寄って来た。

「2人ともバイト経験は?」

私はまず加瀬君をレジの前に立たせながらそう聞いた。

「親せきの居酒屋と新聞配達!」

牧田君がすぐに元気良く答えてきたが、加瀬君は黙ってレジ前で俯いている。

「バイト経験ないよな。」

牧田君が代わって応えると、

「ずっと〇〇ばかりやってたから…」

と加瀬君はある格闘技の名称を出した。

「そうなんだ、強そうだね。」

「もうやってないから別に…」

シーン。

「ダイゴ、顔に似合わないから暗くなんなよ!」

牧田君の能天気な声で少し重い空気が一変。

「顔に似合わないって何だよ!」

文句を言う加瀬君の声はさっきよりも元気になっている。

「よしっ!じゃやりましょか。」

私は加瀬君の横に立ち、レジ操作を開始した。

No.15 18/10/27 21:51
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私達が〇〇店に揃って3ヶ月。

心配していた新入社員も新人バイトも何とか店に馴染んできていた。

新入社員の新井慎太と大川弘樹は性格が逆で「神谷店長」に対する接し方もまるで逆。

すぐに大ちゃんに懐き、大ちゃんの考えている事を察する能力に長けていた新井君。

仕事の能力はそこそこあるが、私と同じ様に大ちゃんに気圧されるばかりで、なかなか完全に実力を発揮できない大川君。

全く違うタイプの2人だったが、妙にウマが合うのか互いに足りない所を上手く補い合い、それぞれそれなりの成長ぶりを見せていた。

「来月の地区会議はミューズも一緒においで。」

前月、シフト決めの際に大ちゃんはそう言うと、私の返事を待たずに勝手にシフトを組んでしまった。

「会議は夕方の5時からだから、俺とミューズは早番で、あいつら2人はまとめて遅番でいいだろ。」

地区会議の場所は2ヶ月前にできたばかりの新店舗。

車で15分程の距離にある。

大ちゃんが
「あの店舗ができたらうちは食われる。」
と言っていた例の店舗だ。

幸いまだ大きな影響は出ていなかったが、遅かれ早かれ売り上げに影響も出て来るだろう。

それに加え、その店舗の店長は以前のここの店の副店長君。

田上 洋介 26歳。

童顔で大人しそうな見た目とは裏腹にかなり頭がキレる一筋縄ではいかないタイプとの事。

なかなか厄介な相手だな。
私は彼と話した時抱いた、食えない相手という印象を思い出し気が重くなった。

会議当日、

「じゃあ行ってくる、何かあったら電話して!」

大ちゃんが機嫌良く社員君達に声をかけると私達は揃って店を出た。

「他の店舗に出向いて会議なんて初めてです。」

少し緊張気味に話す私に、

「大丈夫、同じ地区の親睦会を兼ねてるみたいなもんだから気楽なもんだよ。」

大ちゃんがのんびりと答える。

「はい。」

頷く私に、

「同じ地区なんだから仲間みたいなもんだよ。
だから仲良くやって?
そのために他の店長たちへ引き合せるのも兼ねてるし。」

と、大ちゃんが優しく言う。

そうなんだ。

大ちゃんの心遣いに感謝した。

新米副店長頑張ります!

私が心の中で決意を新たにした所で車は新店舗の駐車場に着いた。

No.16 18/10/28 14:03
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〇〇店とは比べものにならないほど新店舗は大きくて立派だった。

店舗横にある細い通路を奥に進むと横手に小さな入口のドアがある。
そこを開けて入ると、うちの店舗の倍以上はある広いバックヤードがあり、突き当りに事務所と休憩室のドアが並んでいる。

ミーティング室はどこなんだろう。

キョロキョロと見回す私に、

「こっち。」

と、大ちゃんが反対側の方に立って手招きする。

見ると反対側にもドアがあり、入ると広いスペースの真ん中に長テーブルが2つくっつけて置かれ、その周りに10脚ほどパイプ椅子が置かれていた。

はあ、広いな…
うちとは桁違いだ。

少々気後れしつつも大ちゃんと並んで隣に座る。

と、ガヤガヤと賑やかな声が近づいてきて、ガチャっとドアが開く音と共に地区長と他店の店長達が談笑しながら入ってきた。

「あ!お疲れ様です!」

慌てて立ち上がり頭を下げて挨拶をする私の横で、

「お疲れっす。」
と大ちゃんも軽く頭を下げてにこやかに挨拶をした。

「お?今日は彼女も同伴か?」

地区長がニコニコしながら冗談を飛ばすと、

「まあ彼女って言うより、妻ですね。」

と大ちゃんがにやける。

ぐげげ。

「あはは、田村さん、余り緊張しないで。噂のやんちゃ坊主の監視役をこれからもしっかり頼みますよ。」

ひきつる私に地区長はそう優しく声をかけてくれると、

「さて、ここの店長もすぐに来ると思うしとりあえず始めていようか。」

と椅子に座り資料を取り出した。

途端に和やかな空気は一変してピリリとしたムードが広がる。

「まずは、✕✕店…」

皆に地区全店の資料を配り終えた地区長が資料を元に各店の売り上げ状況や問題点、対策、施策等を質問したり報告を受けたりしていく。

「次は〇〇店…」

地区がそう読み上げた途端、

コンコン!

ノックの音がして、

「遅くなりました。」

と、この店舗の店長の田上洋介店長が入ってきた。

田上店長は大ちゃんの方に少し目をやると軽く頭を下げ席に着く。

「じゃあ、〇〇店。」

地区長が再びうちの店舗の資料を読み上げる。

「神谷店長はまだ〇〇店に配属されて3ヶ月ほどだし、周りに競合店も次々にできたという事で大変だとは思うが…」

「競合店なんて目じゃないですよ。」

いきなり大ちゃんが鼻で笑う様に地区長の話を遮った。

No.17 18/10/29 00:56
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「ん?」

地区長の不思議そうな声を無視するかの様に、

「とりあえず僕にとって負けられない相手はココですから。」

大ちゃんが冗談ぽく笑いながら言う。

おい…でも目はぜんぜん笑ってないぞ?

「それは光栄…と言っていいのか?
まあでも勝ち負けじゃなく同じ地区同士助け合って…」

「地区長、本社からも色々言われてるんでしょ?〇〇店の事。
助け合い?
うちを食う店はどこも敵ですよ。」

大ちゃんはゆったりと笑いながら返す。

おいおいっ!笑いながら毒を吐くんじゃない!

ほ~ら周りの店舗の皆さんがあからさまにドン引きしてらっしゃる…

「そうか神谷君らしいな。
〇〇店はここらの郊外型店舗では最も古い店だから本社の思い入れも強いのは確かだし、僕もできる限り力にはなるつもりだ。」

地区長は穏やかな笑顔を大ちゃんに向けると、

「では次の△△店…」

と次に話を進めた。



私にとって大波乱となった会議は2時間ほどかかり、

「もう7時過ぎか、俺達は退店の時間だな。
店に電話をかけて特に何も問題が無いようならこのまま直接帰るか。」

と、大ちゃんはミーティング室の外に電話をかけに出て行った。

はあ、荷物も何もかも置きっぱなしで…

大ちゃんの残した荷物を自分のカバンと共にまとめて手に持ち、ミーティング室を出ようとした私に、

「田村さんお疲れ様でした。」

と田上店長が声をかけてきた。

「あ、お疲れ様です。
あの…先程は…」

もごもごと言いながら頭を下げる私に、

「やっぱり神谷店長は面白い。
僕は神谷店長みたいなタイプは好きですよ。」

田上店長がニコニコとしながら答える。

でも…貴方様の目も全く笑っていらっしゃらない様に見えるのは私の気のせいかしら?…

「うちの店長は何せ強烈な負けず嫌いでして…」

「あはは、そうですね。」

「いやもう、本当に気がやたら強くてもう。」

「あはは、さすが狂犬の異名を持つだけの事はある。
戦国武将の織田信長公を思い起こさせますよ彼は。
敵も多そうですし部下に寝首をかかれなきゃいいんですけどね。」

「そうですね。でも…」

少しカチンときた私は田上店長の顔を正面から見据えた。

No.18 18/10/29 12:59
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「うちの店長が織田信長だとするならば、田上店長は徳川家康といった所でしょうか。」

「僕が?」

「はい。狂犬の噂とは逆に冷静でなかなかの策士でいらっしゃるとのお噂を少し耳にしましたもので…」

「え?僕が策士家の家康?」

田上店長は少しボカンとした後に、

「じゃあ田村さんは濃姫ってとこですか。」

と即座に笑いながら言い返してきた。

「いや…濃姫ってわけでは…」

「いやいや濃姫でしょう?
それとも明智光秀にでもなるつもりなのかな?」

少し皮肉を込めたつもりがガッツリ笑いながら返されてしまった…

「田上店長、じゃあまた!」

声がしたかと思うと、
ドアを開け顔だけ覗かせた大ちゃんが田上店長に声をかけ、私の顔をチラッと見たかと思うとそのままぷいっと外に出て行ってしまった。

うげっ、なんなんだよ。

引きつる私に、
「神谷店長は何歳でしたっけ?」と田上店長が問いかけてきた。

「え~と23歳です。」

「マジか。僕より3つも歳下には見えないな。」

「ええ…むしろ…歳上に…みえる…かと…」

「あはは!顔立ちが大人っぽいですからね~。」

田上店長は可笑しそうに笑うと、

「さ、早く行かないと、せっかちな彼がヤキモキしながら待ってますよ?」

と、ミーティング室のドアを開けながら私に出るようにと促してくれた。

「あっ、すみません。では。」

慌てて頭を下げ挨拶をして外に出ようとした私の後ろから、

「困った事があったらいつでも言って下さいね。力になりますよ。」

と、田上店長の愉快そうな声が追いかけて来た。

No.19 18/10/29 21:02
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「何を話してたの?」

車を発進させながら大ちゃんがわざと明るく聞いてくる。

「あ~、うちの店長が織田信長タイプなら、田上店長は徳川家康ですねって…」

「ふ~ん、それどういう意味?」

「いや、田上店長が神谷店長はキャラ的に織田信長を思わせると言うから、まあちょっとそれに乗っけて田上店長を策略家と言われた徳川家康に例えたわけで…
ちょっと…嫌味だったんだけどね…」

「ふ~ん、要は田上店長に喧嘩売ってたってわけね。」

おい…先に喧嘩の叩き売りをしたのは誰だよ…

「まあいいや。それよりもこの後予定ある?」

「えっ?ううん特にないけど…」

「そうか。じゃあ夕飯食べて帰ろうか?」

「うん。いつものファミレス?」

「いや、ちょっと遠出でもいい?」

「あ、うん。」

私の返事に大ちゃんは高速道路方面へ車を走らせた。

「今、実家から通ってるの?」

「うん、やっと隣の地区に良さそうな2LDKのマンション見つけたから近々家を出るけど。」

「2LDK?一人暮らしなのに?」

「あ~…彼女も…住むんだ。」

大ちゃんが少し言いにくそうに答えた。

「そっか。遠距離じゃ寂しい思いさせるもんね。良かったね。」

そう言いながらもフッと心が寂しくなる。

いやいや何考えてるのよ。

私だって翔平という彼氏いるじゃない。

「ミューズはどうなの?
彼氏とラブラブなんでしょ?」

大ちゃんに聞き返され、少し答えに詰まった。

「う~ん、ラブラブと言うよりも、
一緒にいても疲れない相手って言うか、気楽に過ごせる関係っていう感じ。」

「そっか。それが1番大事じゃないの?
疲れる相手なんてまずダメでしょ。」

「そうかもね…」

疲れる相手はダメか…

やはり私達は
ダメになって当たり前の相性だったんだな。

「俺は疲れるタイプなんかな。
顔色を伺いながらビクビクするのに疲れたってフラれても仕方ないんだよな。」

大ちゃんがポツンと呟いた。

思わずドキン!とする。

私のこと?

「高校の時付き合ってた子だけど…」

あ、なんだ違うのか。
ビックリした。
それにしても、やはりみんな同じ事を思うんだね。

妙な所で共感をする。

「雨、降ってきたな。」

空は晴れているのに雨が降っている。

「狐の嫁入りって言ったっけ?」

私は独り言の様に窓の外を見ながら呟いた。

No.20 18/10/30 12:47
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「本当に1番欲しいものほど手に入らないよな…」

大ちゃんが私の呟きにまるで噛み合わない言葉を呟く。

大ちゃん?

「もしかして…まだ昔の彼女さんの事を?」

「いや、それはない。
完全に吹っ切れてる。
こうやって人に話せてるのがその証拠。」

「そうなんだ。彼女もいるしね。
ちゃんと大事にしてあげてる?」

「うん。今度の同棲の事もあいつが寂しいのは嫌だって言うから休日潰してずっと部屋探ししてた。
間取りもあいつが気に入る間取りが見つかるまで俺1人でも徹底的に探したし。」

「あれ?2人で探さなかったの?」

「うん。遠いからいちいち来るの面倒臭いしって託されてた。
俺の探した物件の品定めだけはして文句ばっかり言ってたけどね。
でも今の物件を見せたら喜んでくれてたからそれでいいんだ。」

「彼女のこと本当に好きなんだね。」

そう言いながらも、私は内心大ちゃんの彼女さんが羨ましかった。

「好き…か。
これ以上何も失いたくないって思うから、好きだ離したくないと思う相手と、
手に入らないと思うから、逆に欲しくて欲しくて仕方ないと思う無いものねだり?的に好きな相手と、どっちが本当の好きなんだろう…」

「どっちが?
う~ん、どっちなんだろう。
難しいこと言うね。」

「ミューズならどっちだと思う?」

私は…
どっちなんだろう。

「私は…私ならこれ以上失いたくないって思う方かな?
無理だとわかってても恋焦がれるのは辛すぎるし、途中で諦めちゃうだろうから。」

私は完全に大ちゃんの事を思いながらそう言っていた。

手に入らないものを今更望んでも仕方ないと思う自分がいる。
だからそれはきっと本当の好きじゃない…

「そっか。変な事聞いてごめん。」

大ちゃんは車のワイパーを止め、

「雨、上がったな。」

と言った。

「本当だね。」

私は車の窓越しに空を見上げた。

「そういえば、さっき田上店長にミューズはノーヒメだとか言われてなかった?」

大ちゃんが急に話題を変えてふってくる。

ノーヒメ?
ああ、濃姫ね。
聞こえてたのか。

濃姫。
織田信長公の正室。
このお二人、
ドラマ等、創作の世界ではよくベストカップルの様に描かれている。

「さあ?ノーヒメってなんだろうね。
私もよくわからなかった。」

何となく大ちゃんに言ってはいけない気がした私はシラを切った。

No.21 18/10/31 20:20
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「何だ、わからなかったのに返事してたのか。適当だな。」

大ちゃんが笑う。

私もつられて笑う。

車は少し前から高速道路を走っていた。

大きく視界のひらけた前方に夕焼け混じりの薄青い空が広がっている。

「綺麗な空だね。」

確か大ちゃんと初めて行った海で見た空もこんな感じだった。
懐かしい…

「ミューズはこういう空が好きだったな。」

あれ?
覚えててくれたの?

考えてみれば昨日の事すら忘れてしまいがちな鳥頭の私と違い、大ちゃんは色々な事を実によく覚えている。

「うん。あのビルの上あたりの薄いブルーの空。
あの色とか特に好き。
だってまるで…」

大ちゃんにもらったブルームーンストーンの様な色だと言いかけた私は慌てて口をつぐんだ。

「なに?途中で止めるなよ。」

「あっ、いや、この空の色がこの前見た変な夢と同じだなって思って。」

私は咄嗟に以前見た夢の話とすり替えた。

「なに?どんな夢?」

「えっ?え~と、笑わない?」

「笑うか笑わないかは聞いてから判断する。」

「うわっ、じゃあ言わない。」

「何だよ!早く言え!笑わないから!」

「う、う~ん。」




私は大ちゃんと再会する数ヶ月前にある夢をみた。

今でもその情景をしっかり思い出せる程ハッキリとしてとてもロマンチックな光景は私の胸に焼き付いて離れない。

まるでテーマパークのアトラクションの体験をしている様な、現実と非現実が混ざりあった世界の様な、不思議な感覚。
目覚めてもしばらくの間ボーッとした頭で、今体験していた事が夢であったと認識するのに時間がかかった夢。


大ちゃんに急かされて私はその夢の内容を語りだした。

No.22 18/11/01 08:11
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夕闇迫る空の下、霧に包まれた橋の上に私が1人でポツンと立っている。

目の前には広大な海が広がっており、
水平線の向こうには大きな夕日が沈みかかっていて辺り一面に黄金の光を放っている。
その海の沖合に夕日の光を受けてキラキラと浮かび上がる様に1隻の大きな海賊船らしきものが停泊していた。

その海賊船に行かなければいけない、
早く行かなくては!
謎の使命感と焦りで暮れゆく空と海賊船を眺めていた私の耳元で不意に声がした。

「飛んでいきなよ。飛べるでしょ?」

えっ?

声のした方に目を向けると、小さな妖精らしき生き物がフラフラと飛び回っている。

ティンカーベル!?

あ~、これ夢だ。

瞬時に全てを悟る。

「何で夢だと思うの?」

私の思いが即座に通じたのかティンカーベルが不満げに私の周りを飛び回った。

「えっ?だって、ティンカーベルに海賊船でしょ?これじゃまるで…」

ピーターパンと言いかけて私は止めた。

何となくティンカーベルに怒られそうな気がしたからだ。

「私、ティンカーベルじゃないけど。」

ティンカーベルもどきが不満そうな声を漏らす。

と、同時にそのティンカーベルもどきの姿が見えなくなった。

「飛べないの?じゃあ早く練習しようよ!早くしないと船が行っちゃうよ?」

今度は頭の中で声がする。

慌てて海賊船の方を見ると、
陽がほとんど沈みかけ黒に近い濃紺の空と薄い青い空がグラデーションになっていて、その空と黒みがかった海の間にキラキラとした光が点在している船の姿があった。

よく見ると、海賊船の至る所にランプが取り付けられており、それがいっせいに灯されている。
その光景はとても幻想的でまるで夢の中の世界の様であった。

いや…
実際に夢なのだけど…

「今夜はパーティーだからね。」

私の頭の中でまた声がする。

何のパーティーなんだろう…

「船長の結婚式。」

ウフフと笑う様な声の後に、

「だから早くして!
時間が無いから!」

とイライラとした声に急かされ、

「どうやって飛ぶの?」

と思わず聞いてしまった。

「自分が飛ぶことを想像するの。」

え?それだけ?

「それだけ。」

嘘くさいなあと思いながらも心の中で想像すると、

フワッ。

体が浮いた。

No.23 18/11/01 12:59
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「嘘っ!浮いたよ!」

「もっと強く想像して!」

グ~ン!!

体が高く飛び上がる。

うわわわわっ。

焦った途端に体はストンと着地した。

「想像するの止めたら飛べなくなるよ。」

なるほど。

妙な納得をする。

いつの間にか私の頭の中で、
これは夢なのだという気持ちは消え失せていた。


「じゃあ早く船に向かって飛んで!」

頭の中の声が更に私を急かす。

「ちょっ、ちょっと待って、進まないんだけど?」

「船まで行きたい!って思うの!」

こんなことも分からないのかと言うようにイライラした声が頭に響く。

そうだ。
早く行かなきゃ。

心を落ち着けて空に浮かぶ自分の姿を想像する。

フワ~~ッ。

体がどんどん上に上がっていく。

もっと。
もっと。

そのうちに自分が今までいた橋がどんどんと眼下で小さくなりだした。

よし、そろそろだな。

船に行きたい!!

ヒュンッ!

進んだ!

頭の中の声はいつの間にかしなくなっている。

後は自力で頑張れってか?

途端に速度が落ち出しユルユルとその場に停止してしまった。

あ、常に船に向かって意識を保たないと止まっちゃうのね。

もう一度、船に向かって意識を強く持ち願う。

ヒュ~ン!

また船に向かって真っ直ぐに進み出す。

だんだん船が近づいてくる。

何て大きな船…

今で言うならば、
ちょうどパイレーツ・オブ・カリビアンの映画に出てくるような立派な海賊船が私の行く手に待ち受けていた。

近づくにつれ、沢山のランプに照らされた甲板の様子が見えてきたが、甲板には誰もいない様だった。

だが、ざわめく人の声や音楽らしきものもうっすらと聞こえてくる。

みんな下の船内にでも集まっているのだろうか。

船長の結婚パーティーって言ってたけど、私は何故そこに行くんだろう…

考えた途端、意識が現実に戻り始めた。

これ…夢だよね?

途端に失速したかと思うと、どんどん体が落下し出す。

ヤバイ。

後、少しなのに…

お願い。
船まで何とか…

落下しながらも必死で手足を動かし何とかたどり着こうともがく。

後少し…

もう少しの所で力尽き海に落ちようとしていた私の腕が誰かに捕まれて船に引きずり込まれた。

えっ?だれ?

驚いて見ると、それはよく映画等で見るような海賊の出で立ちをした大ちゃんその人であった。

No.24 18/11/01 22:10
自由人 ( 匿名 )

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「え?あの、大ちゃん?」

腕を掴まれたまま問いかける私に、

「え?」

と大ちゃんは不思議そうな声を出す。

「え?人…違い?」

よく見ると彼はかなり日に焼けており、剥き出しになった腕は浅黒く筋肉がガッチリとついていて太い。
少しクシャクシャとなった髪も肩につく程長く無造作に後ろで束ねられていた。

もしかしてこの船の船長?

咄嗟にそう思った私は慌てて掴まれた腕を振りほどこうとするが力の差がありすぎるのかビクともしない。

「………か?」

私の腕を掴んだまま、怖いくらいの真剣な顔つきで「船長」が何かを問いかけてきた。

何を言っているのか聞き取れはしないものの、私とその「船長」は初対面に間違いないと思った私は、

「この船の船長さんですか?」

と聞こうとして口を開きかけたが、

「会いたかった…」

え?

「あなたに…やっと…会えた…」

え?え?え?

突然、自分の質問とはまるで違う言葉を耳にした私は少なからず狼狽えた。

その言葉を発しているのは紛れもなく私自身の口からであり、その言葉と共に私の目から止めどもなく涙が溢れ出す。

私の言葉を聞いた船長は少し悲しい目をすると静かに首を横にふり、私を抱き上げるとお姫様抱っこの様にして歩き出した。

船長は私を抱っこしたままゆっくりと船室に繋がる階段を降りて行く。

「あの?どこに?私はどうなるんですか?」

やっと「自分の言葉」で質問をした私に、

「お前が決めろ…俺は…」

また何を言っているのかちゃんと聞き取れなかった。

この時にはもう「目覚めの時」が近づいていたのであろう。

声が聞き取りにくくなっているのと同時に周囲の景色がだんだんボヤけてきていた。

消えないで。
もう少し。
もう少しだけ。

私の中の違う誰かが必死で懇願している声が聞こえた様な気がして、すがりつくように私は船長の顔を見上げる。

船長の唇が私の唇に触れた。

柔らかい…

もう辺りの景色はほとんど無くなっている。
そして…

「私は!!」

遠くから叫ぶ様な声がし、私はその声によって眠りから目覚めた。

No.25 18/11/03 17:09
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「はっ、何それ。」

大ちゃんが鼻で笑う。

ちっ、やっぱり笑うんじゃん。

しかも馬鹿にして。

「笑わないって言ったのに…」

拗ねたように言う私に、

「ゴメンゴメン。
でもよくそんなに恥ずかしい夢見るもんだなと…」

うっせ~よ。

「で?俺か俺に似た奴だかがミューズをお姫様抱っこしてその後は?」

「えっ…それは…」

キスのくだりは流石に恥ずかしくて話してはいなかった。

言えばどうせ、

「欲求不満なんじゃない?」

とか言って更に笑うに決まってる。

返事に詰まる私の代わりに、

「お姫様抱っこしたミューズをそのまま階段の下に投げ落としたかな?」

「そのあと、身代金をがっぽり請求とか?何せ海賊だしな。」

大ちゃんが嬉しそうにストーリーを外道な方向に進めていく。

「なんでわざわざ、会いたかった!って泣きながら身代金取られに行かなきゃいけないんだよっっ!!」

私の言葉に大ちゃんが不意に笑うのを止めた。

「ね?その2人…結局どうなった?」

「えっ?」

「いや…何でもない。
さて、もういい加減、妙な夢の話は終わりにして何を食べたいか考えてよ。
腹減ったし。」

自分が話せって言ったんじゃん。
妙な夢とか言うなあっ…

ブツブツ小声で文句を言う私を無視し、急に真面目な顔つきになった大ちゃんは無言でハンドルを握りしめていたが、

「お姫様抱っこして欲しい?」

「へっ?言われてる意味がよくわかんないんだけど?」

「まあそのうちしてやるよ。
抱き上げてゴミ捨て場に捨ててやろっ♪」

私の疑問をまるでスルーし、小学生男子が言うような全く面白くも何ともない冗談を言い放つと、
大ちゃんは嬉しそうにクックッと1人で笑った。

No.26 18/11/04 11:05
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「ほら焼けた。」

大ちゃんが焼けたお肉を皿に入れてくれた。

「ありがとう。
うわっ!美味しい!」

「でしょ?ここの焼肉屋安くて美味しいんだ。」

喜んで頬張る私を大ちゃんがニコニコと見守る。

大ちゃんオススメの焼肉屋。

そういえば私達って何かといえば焼肉食べてたよね。

で、大ちゃんがやっぱりこうやってマメに焼いてくれて、私はただ食べるだけで。

昔に戻ったみたいだな。
少し心が和んだ。

「さてと、ではこれからの事なんだけど。
とりあえず朝礼や終礼で今後の店の方針について話をしたいからミューズもフォロー頼むね。」

……

何の前振りもなく仕事の話かよ。

いきなり現実に戻ったみたいだな。
少し心が荒んだぜおい。

「う、うん、わかった。
フォローってどうすれば良いかまだわからないけど…
私にできる事って何かあるかな。」

「副店長は店長の女房役だろ?
俺が皆をとにかく引っ張るから、細々した事やその他雑用的な事を頼む。」

妻か!

あ、女房役か…

「わかった。なるべくフォローできるように頑張る。」

頷く私の唇の端に大ちゃんの人差し指がそっと触れる。

えっ?

「タレついてる。お子様かよ。」

大ちゃんは笑いながらその人差し指を軽く舐めた。

あっ…
胸がドキーンとなった。

「うん?なに?」

大ちゃんは平気な顔で不思議そうに聞き返してくる。

「あ、いやっ、なんでもないよ。
それよりも、とりあえず明日は土曜日だからパートさん以外は揃うね。」

「そうだな。パートさん達には俺が個別で話をしていくから問題ない。
ミューズは主にバイト達への指導を頼む。」

「わかりました。」

私は大ちゃんの恋のパートナーにはなれなかった。
だから仕事のパートナーとしては何としてもその役割を果たしたかった。

「うん、頼む。」

大ちゃんがニッと笑うと私の方に拳を突き出してきた。

「うん!」

私はその拳に自分の拳を軽く当てる。

こうして、私と大ちゃんは店長と副店長として新たな関係のスタートを切った。

No.27 18/11/05 12:46
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「おはようございます!」

朝の出勤のバイトの子達が続々と出勤して来る。

朝のメンバーはと、高3の加瀬大吾君、1ヶ月前に入った大学生の渡部真由ちゃん、1年目の専門学校生の井川理恵ちゃん、そして…

「あれ?牧田君は?」

「さあ?」

3人が揃って首を横に振る。

ま~き~た~。

また寝坊だな。
これで3回目かな?

2回は私の早番の時だったから注意をして済ませていたが、さすがに3回目ともなると…

遅番の大ちゃんが朝礼に参加するために朝から来る。

大ちゃんはかなり厳しい。

3回も寝坊で遅刻となると、クビにされる事は容易に想像がついた。

電話かけてみよう。

まだ牧田君は携帯電話を持っていない。
自宅の電話に電話をかける。

プルルルル。
プルルルル。

「おはよう!」

背後から声がして、振り向くと大ちゃんがニコニコとしながら立っていた。

げげっ。

思わずガチャリと電話を切った私に、

「どこにかけてた?」

「あ、あの…牧田君がまだ…」

「なるほど。じゃあ俺がかけるよ。
朝礼は後回しにするから、他の子達に開店準備を先にさせて。」

「わかりました。
あの…甘いかもしれませんが…
叱るのは程々に…」

「ん?叱られないとわからないでしょ?」

「ま、まあそうなんですけど…」

そう答えながらふと後ろに視線を感じて振り返ると、バイトの3人が不安そうな目でこちらを見守っていた。

「ああ、ごめんね。
先に開店準備します。
今日の朝礼に時間を取りたいから作業割り当ての分が済んだ人は終わっていない人を手伝って早急に終わらせて!」

私の指示に「はい!」の返事と共に3人が散らばっていく。

さて、私もレジの準備をしなきゃ。

金庫を開け、キャッシュトレイを取り出しレジのドロアにセットする。

キーを差し込みレジの起動。

店内の電源ON。

店内チェックその他諸々…

「終わりました~!」

作業中の私の元にバイト3人が戻ってきた。

「は~い!店長を呼んで来るから店内で待ってて。」

大ちゃんを探しに行くと、大ちゃんは休憩室でのんびりとタバコをふかしていた。

「牧田君に連絡つきましたか?」

「ああ、ついた。
やっぱり寝てた。
もうじきすっ飛んでくるよ。」

大ちゃんは笑いながらタバコを消すと、

「さて、先に朝礼始めてようか。」

と立ち上がった。

No.28 18/11/06 13:50
自由人 ( 匿名 )

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大丈夫かな?

「神谷店長」と仕事をし出してから3ヶ月、神谷店長はひたすら厳しく怖い。

狂犬と言われるのも頷けるレベルだなとつくづく身をもって思い知らされ出していた。

牧田君、怒鳴られすぎて怯えて落ち込んでなければいいけど…

牧田君は自由奔放で扱いにくい所はあるが、私に服装等の注意を受けた次の出勤時には髪を黒く染め、ピアスも全部外してきた。
もちろん足にはスニーカーも履いている。

「なかなか真面目君スタイルになったね。」

「だって姉さんがあれじゃダメって言うから…」

「姉さん言うな。田村さんと呼びなさい。」

私の呆れ顔にへへへと嬉しそうに笑う彼はどこか憎めない。

明るくて物事の飲み込みが早く仕事も早い彼は、バイトの中でも人気者になっていた。

できれば辞めて欲しくはないんだけどな。

「すみません、直ぐに戻りますから先に朝礼を始めててもらえますか?」

大ちゃんが軽く頷いたのを見届けた私は駐車場に様子を見に行こうと外に出た。

途端、
ババババババ!
原付バイクがものすごい勢いで駐車場に入って来る。

バイクのエンジンを停めるのもそこそこに転がり落ちる様にバイクを降りた男の子がこちらに向かって猛突進してきた。

「牧田君?!」

「あ!おはようございます!
まさか店長から電話あるとは!」

「怒鳴られた?」

「いえ全く。でも逆にそれが怖くて!」

かなり焦った様子の牧田君が走りながら叫ぶ。

ヤレヤレ。

私の時にもそれぐらい焦れよ…

呆れながら少し安心した。
怯えてはいるがあまり落ち込んではいない様だ。

「とにかく直ぐに店内に行って!
朝礼始まってるから!」

私も走りながら叫び返した。

2人で店内に駆け込むと、

「すいませんでした!!」

と牧田君が大ちゃんに向かって深く頭を下げた。

「おう!やっと来たか。」

大ちゃんは笑顔を向けると、

「まだ始めたばかりだから、ちゃんと話を聞いておけ。」

と牧田君越しに私に頷き、

「では朝礼を始めます!!」

大きく引き締まった声で朝礼を開始した。

No.29 18/11/07 13:00
自由人 ( 匿名 )

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「この店はハッキリ言って今のままではダメだ。
根本的に改革する。
売り場、接客、クリンリネス等の雑務、
やる事は色々ある。
そこで短期間で効率良く進めるために各自役割分担を設けた。」

「役割分担?」

バイトの子達が少し不安そうな声を出す。

「心配そうな顔するな。
バイトの役割は重要だが細かい分担はしない。
バイトチームは田村副店長の下についてくれ。
もちろん田村さんが休みの時は俺か他の2人の新入社員の指示を仰いでくれ。」

2人の女の子達が小声で、

「やった!」

と嬉しそうに呟くのを聞いて心が和んだ。
若い女の子達は歳の離れた妹みたいで本当に可愛い。

「うおっ!やったっ!
姉さんよろしく~!」

牧田が騒ぐ。
はあ、あんたってば…

呆れながらも憎めない牧田君につい笑ってしまう。
和やかなムードの中、ふと気がつくと加瀬君がじっとこちらを見つめている。

加瀬君?

私と目が合った途端に加瀬君は急に下を向いてしまった。

この子もねえ…
仕事は真面目にやるんだけど、ちょっと影あるっていうか…

「じゃあ朝礼はここまで!
各自持ち場について開店に備えて!
今日もよろしくお願いします!!」

元祖影キャラが元気良く朝礼を〆め、

「よろしくお願いします!!!」

バイト、いや田村チームのメンバーが元気に返事をして一斉に広い店内に散らばっていく。

よしっ!

頑張るか!

気合を入れ直した私の耳に、

プルルルル
プルルルル

と電話の鳴る音が聞こえてきた。

「もしも〜し!
お疲れ様で〜す!
本社の森崎です!」

電話を取った私が名乗るや否や電話の向こうにユッキーの元気な声が響き渡った。

No.30 18/11/08 21:36
自由人 ( 匿名 )

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「おお!どう?
本社は慣れた?」

「ボチボチだよ~。
でもまだ慣れるとかの前にいきなりそっちの地区に行くことになったよ。」

ユッキーがふふふと笑う。

「えっ?!そうなの?!じゃあまた一緒に仕事できるの?」

思わず声が弾んだ。

ユッキーは私が〇〇店に赴任するのと入れ代わりで本社に呼ばれた。

ユッキーが入ったのはこれまた新しい試みで作られた部署で、
本社が郊外型店舗にどんどんと取り組んでいった様に新しい時代の流れに乗るべく今までとは違うやり方を一気に増やしたため、現場に本社からの人間を派遣し、
本社と現場の意思の疎通を良くしようという、
簡単に言うと、本社と現場の連絡係&アドバイザー係的なものにユッキーが任命されたのだ。

各地区毎に1~2人が配属される予定らしく、今週は〇〇店、翌週は✕✕店、合間に本社。
という様な、なかなかに忙しそうな役割ではあったが、

「ウロウロする方が性に合ってるし、また神谷&田村ペアと仕事ができることが嬉しいしね。」

ユッキーも嬉しそうにそう言うと、

「あ、だから神谷店長に代わって頂けます?」

とわざとバカ丁寧な言葉で返してきた。

「ああ!ごめんなさい。
直ぐに代わるね。」

私は慌てて受話器を置くと、
店内放送のスイッチを入れ、大ちゃんに電話の外線を取るように伝えた。

電話を切った後の大ちゃんは案の定ご機嫌だったが、

「本社からの人間に入り込まれるのは面倒だけど、
ユッキーなら賢いから余計な事は言わないだろうし、逆に本社へも言わないだろうし、店側としてもやりやすいよね。」

え?

少し打算的にも捉えられた大ちゃんの言葉に寒々しい物を感じた私は大ちゃんから視線を逸らすべく少し下を向いた。

純粋にユッキーと仕事ができるから喜んでるんじゃないんだ。

大ちゃんのその言葉に 昔の様な友達関係の感情を持ち込んで甘えた気持ちで喜んでいた自分とのギャップを感じた。

正しいのは勿論大ちゃんの方なのだろう。

でも…

妙な寂しさがこみ上げる。

もう大ちゃんは私よりもずっと先を歩いているのかな。

いつまでも昔のままの気持ちで立ち止まって職場で友達ごっこしてる方がおかしいんだよね…

ふわっ。

頭に軽く何かの重みを感じ慌てて視線を戻すと、大ちゃんがそっと私の頭に手を置き、その眼差しは愛しむように優しい光を帯びていた。

No.31 18/11/09 12:16
自由人 ( 匿名 )

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「そんな顔しないの。」

私の頭を撫でながら大ちゃんが優しく微笑む。

「えっ…」

あまりにも急な大ちゃんの優しい声と眼差しに戸惑った。

「あの…」

バーンッ!!!

言葉を発しかけた私の背後のスイングドアが突然勢いよく開いたかと思うと、

「店長~!!」

元気な声と共に
牧田君が私達のいるバックヤードに顔を覗かせた。



うわわわっ。

ガコーン!

焦って大ちゃんから離れようと後ろに下がった私は、後ろ向きのまま足元の鉄製のゴミ箱に躓き倒してしまった。

「大丈夫っすか?」

牧田君が倒れたゴミ箱を元に戻してくれる。

「あ~、田村さん頭に虫がとまってたから取ってやろうとしてたらビビった
みたいだな。」

大ちゃんの笑いながらしれっとついた嘘に牧田君も笑う。

「へえ、姉さん驚き過ぎ!ゴミが散乱してますって!」

「姉さん言うなと何度言ったら…」

ブツブツ言いながらほうきとちりとりを用具入れから出し散らばったゴミを掃き集める私の頭の上で、

「そういば牧田、俺に何か用があったんじゃ?」

「ああ、お客さんが取り寄せを頼んでいた商品の引き取りに来てるんですけど、どこにありますか?」

「早く言え!
お客さんのお名前は?」

「平田様です。」

あっ、私が注文を受けたお客様だ。

それは数日前に会社のイベントの景品で使うからとまとまった数の注文を頂いて私が発注した商品だった。

「それなら昨日入荷してるはずだから…」

私は牧田君を連れて倉庫に向かうと、

「あった!これこれ。」

商品は出入口のわかりやすい場所に置かれていたが、その積み上げられた商品のケースを見た途端私の背筋に冷たい物が走った。

数が…足りない?

「牧田君ゴメン、これと同じ物が他の場所にも置いてないか探してくれる?」

私の言葉が終わるか終わらないかのうちに察しの良い牧田君が素早く倉庫を捜索しだす。

「おい何やってんだ?
いつまでお客さんをお待たせするんだ。」

少し不機嫌気味になった大ちゃんが倉庫に入って来て、私はますます焦り半分パニック状態になっていた。

青ざめた私の顔色を見て瞬時に察した大ちゃんは、

「入荷伝票を調べて来い。」

そう言いながら牧田君と共に倉庫の商品をくまなくチェックしだしたのを合図に私は事務所に走り、昨日の伝票を引っ張り出し入荷状況のチェックをした。

No.32 18/11/10 13:04
自由人 ( 匿名 )

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「注文数100」
うん間違いない。
注文数は合ってる。

「メーカー品切れにより入荷数50」

えっ?…

目の前が真っ暗になる。

大量に注文をした時にごくたまにこういう事態がある。

そのトラブルを防ぐために、お客様からの依頼時には念のために必ずメーカーに問い合わせをして在庫確認をするのだが、
生憎と注文を受けたのが日曜日でありメーカーが休みだったため、翌日の月曜日に問い合わせをしなくてはならない所を完全に忘れてしまっていた。

慌てて店内に入るとお客様の元に走り、
「大変お待たせしております。
お客様、失礼ですが商品のご入用はいつ頃でございましょうか?」

「え?明日の日曜日なんだけど。」

私のタダならぬ様子を見見てとったお客様が訝しげな声を出す。

どうしよう…

「まさか無いっていうんじゃ…」

「平田様!申し訳ありません!
本日の入荷予定が配送の具合で遅れておりまして、夕方には入荷する予定なのですが!」

突然、お客様の声を遮るかの様に私の後ろから大ちゃんの声がした。

No.33 18/11/10 13:09
自由人 ( 匿名 )

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「えっ?本当に間に合うの?」

お客様が不審そうな声を出すも、

「はい!入荷次第お届けに上がります!」

大ちゃんが深々と頭を下げる。

「いや、近所だからそれはいいよ。
じゃあまた出直すから入荷したら電話して。」

「はい!申し訳ございませんでした。」

大ちゃんはもう一度深く頭を下げ、
お客様が帰られたのを見届けると、
バックヤードに入るよう私に目で合図をした。

「申し訳ありません!」

「何故、確認を怠った?
お客さんに迷惑をかける事を何とも思わないの?」

「すみません…」

情けなくて声にならない。

「もういい。ウジウジしてる暇あったらやることサッサとやって!」

大ちゃんに厳しく言われ涙が出そうになるのを必死でこらえながら私は電話に手を伸ばした。

商品移動。

店舗間で商品のやり取りをする事。

発注ミス等で過剰な在庫を他店舗に貰ってもらったり、品切れになった商品を分けてもらったりする。

同じ地区の近隣店舗に片っ端から電話をかけ商品移動のお願いをした。

困った時はお互い様とどの店舗も快く商品を譲ってくれることなったがそれでもまだ数が足りない。
どこもそんなに大量の在庫を抱えている商品では無いのでそれは無理からぬ事だった。

やっと20個か…

受話器を置き、少しためらいながらも近隣店舗の電話リストの最後に載っている店舗の番号を確認しつつダイヤルボタンを押す。

「はい!お電話ありがとうございます!…」

電話の向こうから元気の良いハキハキとした声が響いてきた。

「あの…お疲れ様です。
〇〇店の田村です。」

「おお!お疲れ様です!
先日の会議はお疲れ様でしたね。」

気さくで親しげな声に妙な安心感に包まれた私は少しホッとしつつ、

「お忙しい所、申し訳ありませんがお願いがありまして…」

事の次第を説明し、商品を1個でも分けてくれるように頼んでみた。

「あ~そうなんですね、あと30個足りないのか…
ちょっと待ってて下さい。」

電話の向こうから保留音が流れ出す。

あ、これ未来予想図IIのサビの部分だ。

優しいオルゴールの音色にざわついていた心が落ち着き癒されていく様な気持ちになる。

何回目かのサビのメロディーが突然途切れ、

「お待たせしました!うちの在庫は10個ですね。」

と電話の相手が戻ってきた。

No.34 18/11/11 16:53
自由人 ( 匿名 )

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「そうですか!あの、もしよろしければ5個ほど譲って頂けるとありがたいのですが…」

「5個?う~ん。」

電話の向こうで悩んでいる声がする。

だよね。

メーカー品切れの商品だもん。

いつ入荷するか分からないし、
あまり渡したくないよね。

「あの…無理なら2個でも…」

言いかけた私の言葉を遮り、

「いやっ、丸々10個渡しましょう。
それでも足りないですが。」

と明るい声が返ってきた。

「ええっ!?
でもそれじゃあそちらの店舗が…」

「なあに構いませんよ。
取りに来てもらえれば直ぐにお渡しできる様に用意しておきます。」

電話の向こうの人の良さげな言葉に思わず涙が溢れてくる。

「助かります!
ありがとうございます!」

私は涙をグッとこらえると、
電話の向こうの田上店長に心の底からお礼を言った。

電話を切ると直ぐに大ちゃんの元に報告に走る。

「田上店長のおかげで…30個までは何とか揃ったんですが…」

「ふ~ん。田上店長のおかげ…ね?」

大ちゃんの視線が冷たい。

ううっ気まずい。

私のミスのせいで田上店長に借りを作ってしまったばかりか、まだ足りない20個をどうしたらいいのかという問題が残っている。

どうしよう。

「田村さん。俺は今からちょっと出てくる。夕方までには戻る。
足りない分の商品の事はとりあえず気にしなくていいからしっかり店番しててくれ。
あ、それと中番の大川がちょっと遅れて来ると思うから。」

途方にくれていた私に大ちゃんはそう言い残すとさっさと店を出て駐車場の方に歩いて行ってしまった。

あ~今から私が電話をした周辺の店舗に商品をもらいに行ってくれるんだな…

私のミスのせいであっちこっちに散らばっている店舗に車で廻って…

本当に迷惑ばかりかけている。

ヤキモキして気分が沈んだが、大川君が出勤したら説明はしておかないといけない。

ちょっと遅れて来るって店長が言ってたな。
30分くらいかなぁ?

私は早番社員の仕事をしながらとりあえず大川君を待つ事にした。
しかし、

「おはようございます!
道が思ったより混んでまして…」

疲れた~といった感じの大川君が出勤したのは、30分どころか出勤予定時間を2時間も過ぎてからだった。

No.35 18/11/12 12:49
自由人 ( 匿名 )

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「事故渋滞でもあったの?
相当遅かったね。」

今頃、地区内を車で移動しているであろう大ちゃんも巻き込まれているかもしれないと不安になった私は大川君にそう聞くと、

「いえ、そこまでの渋滞じゃなかったんですけど、何せ地区の店舗巡りだから時間がかかってしまって…」

と、大川君がおかしな事を言う。

えっ?

「もしかして、大川君が店舗移動の商品を持って来てくれたの?」

「はい。家を出る前に店長から電話がかかってきました。
商品は倉庫に置いてあります。」

そういえば大川君も車通勤だった。

と、すると大ちゃんは一体どこに?

大ちゃんはお昼を過ぎても戻って来ない。

携帯にかけてみたが着信に気づかないのか、運転中だからなのか、出ない。

「店長、どうしたんですかね?」

大川君が少し不安そうに聞いてくる。

「もしかしたら地区外の店舗にも商品をもらえる様に頼みに行ってくれてるのかも…
とにかく先にお昼休憩に行ってて。」

「え?でも田村さんは休憩まだですよね?」

「うん、私はいいから休憩とってきて。」

休憩に行ってもとてもじゃないがご飯など喉を通らない。

「おはようございます!」

そのうち夕方からのバイトの子達が続々とやってきた。

もうこんな時間!?

慌てて事務所で簡単な夕礼をする。

「店長は外出中ですので、もう少しすれば戻って来られると思…」

「あ~っ!!疲れたっ!!
お客さんに電話して!!」

突然、外で大声が聞こえたかと思うと事務所のドアが勢い良く開いた。

「あっ!うわっ!ビックリしたっ!」

驚く私に、

「早く平田様に電話っ!」

大ちゃんが私に移動商品の受け渡し伝票を押し付けながら急かす。

数枚ある伝票には平田様にお渡し予定の商品名と受け入れ個数が記載されていた。

5…5…4…3…2…1…

6枚の伝票の合計は20個。

20個!?

「早く電話っ!!」

大ちゃんの厳しい声に私は飛びつく様に電話の受話器を取った。

No.36 18/11/13 12:40
自由人 ( 匿名 )

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「これで全部積み終わりました。」

商品をお客様の車に積み終わった大ちゃんがお客様に声をかける。

「いやあ、2人がかりで手伝ってもらって悪かったね。」

「いえ、とんでもないです。
それよりもこちらこそ何度も御足労頂きまして申し訳ありませんでした。」

大ちゃんはピシッと足を揃え深々と頭を下げる。

続いて私も頭を下げる。

「近所だから大した御足労じゃないよ。ありがとね。」

ニコニコと優しい笑顔のお客様が帰られたのを見届けると、大ちゃんは私をじっと見つめた。

「あの…本当にすみませんでした。」

「お昼食べたか?」

「え?あ…食べて…ません。
店長は?」

「俺もだ。」

うっ、地区外の店舗を廻って商品をかき集めてくれてたから食べる暇が無かったのか…

「すみません。」

シュンとうなだれる私に、

「もういいよ。」

大ちゃんは優しく言うと私の肩を軽くポンと叩き、

「この埋め合わせは今度休憩が一緒になった時のランチ奢りでいいよ。」

と軽く笑った。

店長と副店長の休憩が一緒になる事なんてほぼ無いのに…

事務所に戻った私は移動商品伝票のデータ入力をしようとパソコンに向かったが、

……

え?

私は伝票を何度も見直した。

伝票にはそれぞれ移動商品の伝票を発行した店舗の名前が記載されている。

大ちゃんが持ってきた伝票の発行店は以前大ちゃんがいた地区の数店の店舗だった。

100kmは離れてる地域だよ?

しかもその地域の店舗間の距離はかなり遠いはず。
そこに行って店舗を廻って…だと余裕で更に倍位の距離になる。

「どした?何かおかしかったか?」

ちょうど事務所に入ってきた大ちゃんが私の肩越しに覗き込んで来た。

「あの…店長…
この地区まで行ってくれてたんですか?
かなり走ったんじゃ…」

「ああ、合計300km程だから大した事ないよ。
少々無理が通せる地区はここしか無かったし。」

「すみません…」

「いいよ。それより休憩取ってないんだろ?
もうそろそろ上がりの時間だから時間になったら早く帰れよ?」

笑顔の大ちゃんに私は思い切って、

「あの、店長。もし良ければ夕食ご一緒しませんか?
気持ちだけですがご馳走させて下さい。」

と聞いてみた。

No.37 18/11/13 21:36
自由人 ( 匿名 )

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「えっ?今日?」

「はい。」

「あ~ごめん。夕飯は…」

少し間が空き、気まずそうに言い出した大ちゃんの態度で瞬時に察した。

「あっごめんなさい。
彼女さんと…食べるんですね。」

「うん、ごめん。」

「いえいえこちらこそ。
じゃあせめてもの気持ちとして、仕事終わってから店長含めみんなにジュースでも差し入れしますよ。」

「うん、ホントごめん。」

「いえいえこちらこそ。」

仕事を終えて近くのコンビニに皆のジュースを買いに行きながら後悔した。

もう気軽に誘ったり馴れ馴れしい事しちゃいけなかったんだ。

私には彼がいるし向こうにも…ね。



店に戻るとジュースの袋を大ちゃんに渡し、

「今日は本当にすみませんでした。
お手数ですがバイトの子達に後で配ってあげて下さい。」

と頭を下げて帰ろうとしたが、
大ちゃんは何故かムッとした顔をして袋を受け取ろうとしない。

「あの?どうしましたか?」

「何で敬語なの?」

「へっ?何がですか?」

「だから何で敬語なの?」

「えっ?上司なので…」

「いつも仕事外は敬語使ってないでしょ?」

えっ?えっ?えっ?

意味がまるでわからなかった。

「あっ、え~と、ついまだ仕事中のつもりで…」

私の言葉に嘘は無かったつもりだったが、大ちゃんは更にムッとした様子で

「そこに置いておいて。
ありがとう。お疲れ様。」

とぷいっと店内に行ってしまった。

何なんだよ一体。

仕事のミスのことまだ怒っているのかな。

悲しみがどっと押し寄せて来て涙が出てきた。

さっさと帰ろう。

早く帰って、そして、
優衣に電話だあっ!!!

妹の優衣は私とは真逆な性格でタイプ的には大ちゃんに似ている(と本人が言っていた。)

優衣なら大ちゃんが何故怒ったか教えてくれるかもしれない。

優衣は人見知りで物静かなタイプだったが、何故か私とはウマが合い姉妹仲はすこぶる良かった。

優衣~~!
私の愚痴を聞いて~~!!

思えば自分にとって何の得にもならない姉の愚痴を聞かされる気の毒な妹。

でも妹にベッタリ甘えていた姉はそんな事など構い無しに、話しを聞いてもらう事を心の支えとしていそいそと家路を急いだ。

No.38 18/11/14 12:50
自由人 ( 匿名 )

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プルルル

ガチャ

「もしも…」

「優衣っ!私だよっ!」

「美優ちゃん?どしたの?」

毎度毎度いきなり叫ぶ姉の声に慣れ切っているのか、全く驚いた様子もなくのんびりと返してくる優衣。

ダダダダダ!と機関銃の様に一気に喋りまくった後に、

「あ、ごめん。今時間空いてる?」

とようやく相手の都合を聞く姉に対して、

「大丈夫だよ~。
でも、ちょっと先にトイレ行ってきていい?」

と、怒る所か逆に気を使って聞いてくる優衣。

「ああっ!ごめん!早く行って来て!
私のせいで膀胱炎になったら大変!」

「膀胱炎っ。」

優衣が笑いながら席を外し、戻ってきた時には私の話に対する分析は既に終わっていたようで、

「それね~、美優ちゃんの誘いを断ってしまって悪かったなと凄く気にしていた所に、美優ちゃんがよそよそしい態度を取ったから寂しくなっちゃったんだね。」

と言い出した。

「えええええっ?!
そんなつまんない事で?」

さすがに優衣の見解は外れているであろうと思った。

あの「信長」とも言われる狂犬がそんな女々しい事で?

「え~と、仕事のミスして迷惑かけたのに、更に厚かましく彼女持ちの自分を食事に誘ったりして無神経な奴め!!と怒ったんじゃないの?」

「何でそんな発想になるのかわかんないんだけど…逆だよ逆!」

優衣が面白そうに笑う。

「美優ちゃんが自分に対して気を使ってくれた事が嬉しかったんだよ。
でも断ってしまったからものすご~く気にしてたとこに、
よそよそしく敬語使われてガーン!といった所だね。」

「迷惑をかけたお詫びのつもりだったから気にしなくていいのに…」

「こちらはそうでもさ、
向こうはせっかくの好意を無下にした事が気になるのよ。」

「仕事のミスの事はもう怒っていないの?」

「もうとっくに完結してるよ。
仕事は仕事。
結果オーライになればそれで終了。」

「それにさ、」

と優衣は続けて言う。

「彼がそこまでしてくれたのはもちろん店長としての責任が1番だけど、
すみませんと凹んだ美優ちゃんの顔じゃなく、
ありがとうの笑顔を見たかったんじゃないかなあ?」

なるほど。

「接し方が分からなくて難しい…」」

自信喪失気味な私の言葉に、

「2人は逆のタイプだからね。
気まずくなった時の回復呪文を教えてあげるよ。」

優衣は楽しそうに笑った。

No.39 18/11/14 20:20
自由人 ( 匿名 )

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「おはようございます。」

翌々日の月曜日、中番の私は事務所のドアを開け中を覗き込んで挨拶をした。

今日の早番は大ちゃん。

昨日は大ちゃんは公休だったため、あれ以来の顔合わせとなる。

「おはようございます。」

予想通り、いや予想以上に大ちゃんの声が暗い。

私の方を見ようともせず、パソコンのモニターにかじりつくようにして入力作業をしている。

うっは~
気まずい。

仕方ないのでとりあえずそのまま休憩室奥のロッカールームで着替えを済ませ店内に入った。

「おはようございます!」

平日の朝~昼はバイトの子はおらず、
パートさん達が中心のシフトになる。

パートさん達に挨拶をしバックヤードに戻って来ると、事務所から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

笑っているのは店長と沖さんだ。

ちっ、沖さんには笑えるんじゃねえかよ。

「じゃあ店長、入力よろしく~!」

上機嫌な声と共に沖さんが事務所から出て来た。

「おはようございます。」

「あっミュ~ちゃんおはよ~!」

「店長ったらね、なかなかパソコン使わせてくれなくて、
もうっ店長!独り占めしないでよねっ!
って責めちゃった。」

沖さんが嬉しそうに報告してくる。

うはぁ…命知らずだなおい。

「でも私も入力作業あるから、どうしようかなぁ?って待ってたら、
もうっ!僕がやっておきますよ!だって。粘り勝ちしちゃった。」

マジか。
それ、私がやったら粘る前に斬り捨て御免だよ…

「そうだ~!ミューちゃん、昨日の伝票で入力し忘れてたのあったでしょ?
店長がわざわざそれを横にどけて放置してたよ?」

オーマイガーっ!!!

「店長、しばらくかかりそうだからミューちゃんも入力をお願いしちゃえば?」

沖さんが死亡フラグ確定な提案を嬉しそうに押し付けてくる。

ぐぬぬぬぬ。

「ほら、早くしないと12時過ぎちゃうよ?」

沖さんが完全に楽しそうだ。

当時、システムの関係で前日の伝票入力は翌日の午前中までにしなければならない鉄の掟があった。

これは行かねばなるまい。
行かねばなるまいて…

「田村行きま~す…」

昔懐かしい機動戦士ガンダムの
「アムロ行きま~す!!!」

のパクリの様なセリフを弱々しく吐き、

「頑張って~!」

と沖さんの声援?浴びつつ、
アムロもといタムラはヨタヨタと戦地へ赴いたのであった。

No.40 18/11/15 12:12
自由人 ( 匿名 )

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敵は背後に私の気配を感じつつも、
あくまで「気づかないふり」を貫き通す。

気づかないふりどころか、
「話しかけるな」オーラもその全身に纏出し、どうやら戦闘モードに入った様だ。

カタカタカタ!!
乱暴に鳴り響くキーボードの音が
ミサイル攻撃の様に私を襲う。

うおおおっ!
どうしよう…

あっ!!そうだっ!!

優衣に教えてもらった魔法の回復呪文を思い出した。

効きますように。
ドラクエの回復呪文の中でもヘッポコ中のヘッポコ「ホイミ」程度の効果でも良いです。
どうか効きますように…

祈る様な思いで呪文を唱えてみる。

「あの…先日は…ありがとう。」

カタカタ…カタ。

何と!
敵の動きが止まった。

「私、本当に嬉しかった。
ありがと…ね?」

敵がゆっくりとこちらに体を向ける。

え~と、え~と、

教えてもらった呪文は「ありがとう」
と「嬉しい」のみなんだけど?

ちょっとこの後何を唱えりゃいいのよっ。

「別にいいよ。」

敵が少しはにかんだ。

何と!呪文が効いている!!

更に、更にアドリブで何か言わなくてはっ!

「あの、あの、お昼奢らせて…だから一緒に食べ…あああっ!
違う時間だった!ああ~…」

シ~~ン

早番の店長と中番の私は当然ながら休憩時間が違う。

敵の顔からはにかんだ表情は既に消え失せ、「無」の表情になっている。

詰んだなこりゃ…

「俺この作業終わらないと休憩入れないから。
このペースだと難しいかも。」

あっ、もう参りました。
だから「無」は止めて下さい…

「あっ、うんわかった。
お邪魔してごめんね。」

慌てて立ち去ろうとした私に、

「これどうすんの?」

敵が私の未入力の伝票をヒラヒラさせる。

ひょおおおおお!

しまった。
それを解決しに来たんだったっ!

「俺がやる方が早いでしょ。
やっておくから俺の休憩はズレるからと沖さんに伝えといて。」

敵はそう言うとまたパソコンに向かい、さっきよりも凄いスピードでキーボードを叩き出した。

「はい。あの、いつも…ありがとう。」

「い~え!」

もしかして…
ベホイミくらいの効果はあっ…た?

背中を向けたままの大ちゃんが少し笑っている様な気がした。

No.41 18/11/16 12:33
自由人 ( 匿名 )

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当時バートさんは短時間勤務の方も何人かおり、朝から13時までと、入れ替わりで13時から16時までというシフトがあった。

人の入れ替わる13時台は社員の休憩を避け、社員は12時、14時、15時の休憩を取り、朝の部のパートさんやバイトの子達は12時、13時に分かれて休憩を取る。

「店長ったらとうとう休憩に来なかったわ。
13時からにでも行くつもりなのかしら。」

12時からの休憩が終わった沖さんが事務所の方を見ながらため息をつく。

14時になっても大ちゃんは事務所から出て来る気配がない。

「休憩行ってきま~す。」

店内のスタッフに声をかけ、
事務所を覗いた私に、

「何か買いに行くの?」
と相変わらず凄まじい勢いでキーボードを叩く手を休めずに大ちゃんが聞く。

「マックにでも行こうかと。」

「じゃあついでにフィレオフィッシュと照り焼きバーガーとポテトとコーラ買ってきて。」

「あ、はい分かりました。」

電車と徒歩通勤だと時間がかかるため、私は原付バイクを購入し、それで通勤を始めていた。

バイクに乗りマックへと急ぐ。

戻ると事務所を覗き、

「休憩室に置いておきますね。」
と声をかけ椅子に腰掛けた。

と、数分後に、

「終わった~!!!
はあ疲れた。全力出し切ったからしばらくはバソコン見たくないよ」

と大ちゃんが休憩室に入って来て私の隣の椅子にドカッと腰を下ろした。

それはおそらく大ちゃんに数時間に渡って力まかせに叩きまくられたキーボードも同じ気持ちであった事だろう。

キーボード壊れてなきゃいいけど…

「いくらだった?」

ひたすらキーボードさんの無事を心配していた私は大ちゃんに不意に話しかけられ焦った。

「え?あっ今日は奢りって事なのでお金はいいです。」

「ふ~ん」

シ~~ン

ああっ!
これから昼食って時に、いきなり消化が悪くなりそうな気まずい空気が漂ってきた~っ!

呪文、呪文を唱えねばっ!

「あの、私がお昼を一緒に…と誘ったんで仕事を頑張って早く終わらせてくれたんですよね?
ありがとうございます。」

焦り過ぎて結構な「上から目線発言:をした私に、

「うん。」

大ちゃんがあっさり頷いた。

No.42 18/11/17 10:02
自由人 ( 匿名 )

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「ぐえええっ!?なんでっ?」

「ぐええって…死にかけのアヒルかよ?
行きたいオーラをムンムン出してたからでしょ?」

あ…左様でございますか。

行きたいオーラっていうよりは、呪文を唱えねば!の必死オーラだったのだが…

「誰かさんのワガママのおかげで仕事を片付けるの大変だったなぁ。」

大ちゃんが口では嫌味を言いながらも顔は可笑しそうに笑っている。

大変なら無理しなくて良かったのに。

逆の立場なら私は無理しないよ?

でもきっとこれ言うと怒りそうな気がするから黙っておこう。

「あ~疲れたな~。」

まだ言ってるよおい。

身体は疲れてもお口は達者の様だな。

「だ、だから~ご馳走しますって!」

「あ~肩凝ったなあ。」

「も、揉みましょうか?」

「そう?揉みたかったら揉んでもいいよ?」

こいつ…
肩揉むと見せかけて首しめたろか…

「ほれ。」

大ちゃんが後ろを向いてから肩をちょっと動かす。

「な、なんですか?」

「揉んでくれるって言ったじゃない。」

「ああ、はいはい。」

立って大ちゃんの肩を揉む。

大ちゃんにこうやって触れるのは久しぶりだな…

ふと、後ろからそっと大ちゃんを抱きしめたい衝動に駆られた。

……

無言の時間が続く。

グッ。

突然、大ちゃんが右手で私の左の手首を掴んで引っ張り寄せた。

「えっ?わわっ!」

引っ張られた勢いで後ろから大ちゃんの頭を抱く様な形になる。

「えっ?なに?」

驚く私の声に答えず、

「………」

大ちゃんは無言で私の腕をグッと抱く。

あ…
私の好きなシャンプーの香りだ。

私の鼻腔を懐かしい香りがくすぐる。

私の好きだった匂い。

大ちゃんの匂い。

私はそっと大ちゃんを後ろから抱きしめ大ちゃんの頭に顔を軽く押し当てた、

大ちゃんは何も言わず私の腕を抱く手に力を込める。

ずっとこうしていたいな…

もう何も考えず、ただこのまま心地よい大ちゃんの匂いに包まれていたかった。

ピリリリリ!!!

「わっ!!ビックリした!!」

いきなり私の携帯が大音量で鳴り響き、
それに驚いて立ち上がった大ちゃんの後頭部が私の顔面にクリーンヒットした。

No.43 18/11/18 11:17
自由人 ( 匿名 )

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「痛って~ごめん、痛ってごめ、ごめごめ…」

大ちゃんが左手で後頭部を押さえ、右手てごめんごめんのポーズを取りながら「痛ごめん」を繰り返す。

お互い浮気の天罰じゃあ~~

しかし、バチが当たるとはよく言ったものの、まさか大ちゃんの後頭部に当たるとは想像だにしなかった。

それを言うなら大ちゃんの後頭部も
23年間生きていた今、まさか私の鼻と前歯にぶち当たる事になるとは夢にも思わなかっただろう。

大ちゃんが痛ごめのセリフを繰り返しながらのたうち回っている横で、
私はジ~ンコジ~ンコする前歯を押さえ、痛すぎて感覚の無くなりかけた鼻からの分泌物をひたすら気にしていた。

鼻血…出ません様に!

そのうち、溢れる涙と共に鼻からもサラサラした液体が流れ出し、
ビビりながらもティッシュで拭いてみると色は無色透明。

鼻水だっ。
セ~~~フ。

鼻と前歯は相変わらず
「ジンジンジン!ジンジンジン!ボワボワボワ~ン!」的なリズムで激しく痛かったが、少し余裕の出た私は自分の携帯を新ためてチェックした。

着歴1件。

あっユッキーからだ。

急いでユッキーに電話をかける。

「もしもし!お疲れ様で~す!」

嬉しそうなユッキーの声がする。

「お疲れ様~!どしたの?」

つられて嬉しさ全開の声を出した私に、

「今日は大ちゃんもミューズも出勤かな?
夕方に顔出しにでも行きたいんだけど。」

「そうなの?私は中番だけど大ちゃんが早番だからユッキーが来るまで帰らないように言っておくよ。」

私の言葉に、

「ありがとう。
大ちゃんを待たせないようになるべく早く行くからね!」

ユッキーは張り切った声を出し、じゃあまた後で!と電話を切った。

後頭部を時々触りながらもやっと落ち着きを取り戻し、氷と炭酸がほぼ消え失せたぬるいコーラをすすりつつ冷え切ったポテトをポソポソと食べていた大ちゃんに電話の件を伝える。

「そうか~、パートさん達がいる時間に来てくれたら紹介出来るからいいんだけどな。」

大ちゃんは相変わらず事務的な事を返してきたが、その顔にはいっぱい無邪気な笑顔を浮かべていた。

No.44 18/11/19 12:45
自由人 ( 匿名 )

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ユッキーはパートさん達が上がる少し前に店に着いた。

早速大ちゃんがパートさん達にユッキーを紹介する。

「ユキちゃん、お久しぶり~」

さすがの沖さんもユッキーと久しぶりの再会に上機嫌だったが、

「もっとゆっくり話したいけど、主婦はそうも行かなくて…
また話しましょ!」

と名残惜しそうに帰って行った。

沖さんは少し前に結婚しているのだが、職場では旧姓の沖を名乗っている。

「次はバイト達に紹介するから。」

大ちゃんも素直に嬉しそうな声でユッキーに話しかけた。

バイトの子達は既に出勤していてそれぞれの作業を始めている。

2人がは店内に向かったのを見送り、私は事務所に入るとパソコンの前に座った。

今日は大ちゃんにパソコン占領されちゃってたからな。

その日の伝票の入力や本社への報告書の作成を始める。

コンコン。

事務所のドアがノックされ、

「姉さん、両替お願いします!」

と牧田君が入ってきた。

「姉さん言うなと…」

金庫を開けながらブツブツ言いかけた私の言葉を遮り、

「あの森崎さんて人、前にこの店にいたんですか?」

と牧田君が嬉しそうに聞いてくる。

「ああ、うん。キレイな人でしょ?」

「キレイですよね~!上品で優しそうだし!」

牧田君がやたら興奮する。

若いのう。

「森崎さんはこの地区のアドバイザーとして来てくれるんだから失礼の無いようにね。」

「アドバイザーって偉いんですか?」

「そうだね~無理矢理当てはめると店長と副店長の間くらいかな?」

「え~っじゃあ姉さんより上なんだ。
何もかも負けてるじゃないですか!」

うっせ~よ。

「でも大丈夫です姉さん!
森崎さんの方が上ですけど、僕だけは姉さんを応援しますから!」

かなりディスリ感入ってるけど
「僕だけは…」って、もしかして少しは私に気があるの…かな?

「じゃあ聞くけど、もしも私と森崎さんのどちらかとデートするってなったらどっちを選ぶ?」

「森崎さんですよ!!!」

もう帰れ。


コンコン!

「ユウヤ~両替は?」

遅い両替を取りに来たのか、ドアが開き加瀬くんが事務所を覗き込み牧田君に問いかける。

「あっ!ごめん。」

慌てて両替を渡すと、彼は軽く頭を下げて出ていった。

この子もねえ…

寡黙で陰のある加瀬くんの後姿を見ながら私は小さくため息をついた。

No.45 18/11/20 13:02
自由人 ( 匿名 )

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「あの、田村さん。
少し良いですか?」

大ちゃんとユッキーが帰った後、
仕事の上がり時間となり、休憩室で帰り支度を始めていた私にバイトの井川理恵ちゃんがそっと声を掛けてきた。

「うん?どしたの?」

休憩室のドアを閉める様に目で促し、
椅子に腰掛けながら理恵ちゃんの顔を見る。

「あの…加瀬君の事なんですけど…」

やっぱり。

「また不機嫌なの?」

「はい。あの…私と真由ちゃんがゴミ捨て場で話しながらゴミを捨ててたらそれが気に障ったみたいで、早くしろ!みたいに横で大きな音を立ててダンボールを潰されて…」

「それからずっと機嫌が悪い訳ね?」

「はい…」

「ちょっと様子見て来るか。」

私は立ち上がり店内へ入った。

暇な時間帯ということもあり、お客さんのいない店内の薬壁カウンターで遅番の大川君が何やら作業をしていた。

「大川君!ちょっといい?」

顔を上げて私の顔を見た大川君に、

「加瀬君、荒れてるの?」

とそっと聞くと、

「店内ではそうでも無さそうなんですけど、どことなくピリピリした物は感じます。」

バーーーーン!!

苦笑しながら大川君がそう答えたのと同時に突然バックヤードの方で大きな物音がした。

「なんだ!?」

大川君とレジに立っていた牧田君が同時に声をあげた。

「積んでいた商品が崩れ落ちたのかも。見てくるよ。」

1人バックヤードに入ると、入ったすぐにトイレットペーパーのケースが転がっておりその横に加瀬君が立っていた。

トイレットペーパーのダンボールケースの横っ腹には大きな穴が開き、中のトイレットペーパーがボロボロになっている。

こいつはすげえな。

さすが元格闘家だと一瞬感心したが、
そんな事を言ってる場合じゃない。

「ついイライラしてしまってすみません。」

私が問うより先に加瀬君がボソボソとあまり気持ちのこもっていない謝罪の言葉を呟く。

「何故イライラしたの?」

「だって他のバイトの奴らまるでやる気を感じられないっていうか…
何かもうこんな店ずっとバカバカしいって思ってたらイライラがたまってきて…」

プチーーン

「はあっ?じゃあアンタがした事は何なのよ?
ふざけんな!!
そんなに嫌ならすぐに帰れ!!」

人生の中で後にも先にもあんなに人を怒鳴った事は無い。
店内にも確実に響き渡る大声で私は加瀬君を怒鳴り続けた。

No.46 18/11/21 18:56
自由人 ( 匿名 )

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頭に血が上っていたので何を言ったのかはあまり覚えてないが、加瀬君の態度で周りが振り回されていること、何か不満があるならこういう形ではなく社員に報告すること等などを言った様な気がする。

はっ!

加瀬君の蒼白になった顔を見てやっと私は我に返った。

やば、言いすぎた。

加瀬君の拳がギュッと固く握られている。

殴られるな。

今度こそ鼻血出るかな?

何故か鼻血の事が気になって仕方なく、殴るなら顔はやめろ!ボディを狙え!
等バカな事を本気で心配する私をよそに、加瀬君は握った拳を緩めたかと思うとおもむろにトイレットペーパーを片付けだした。

「すみません…ダメにした商品は買います…」

「廃棄処分にするからいいよ。
それよりも閉店まで倉庫整理して頭を冷やしなさい。」

加瀬君を倉庫に行かせ店内に入ろうとスイングドアを開けると、大川君が近くに立っておりその顔は恐怖で引きつっていた。

丸聞こえだったか。

説明は不要だな。

「ごめん帰るね。後はよろしく。」

大川君が必死で首をブンブン縦に振る。

もうやだ帰りたい。

いや帰るけど。

気まずい思いをしながらも早く帰らなくてはと急いで帰路につく。

明日は副店長の会議&勉強会だ。

朝早いから支度して早く寝なきゃ。



翌日、殺伐とした店長会議とは逆に和やか~穏やか~な半分交流会を兼ねた会議&勉強会を終え、帰りの電車に乗ろうとした私の携帯が突然鳴った。

ん?
知らない番号だ。

スルーして電車に乗ろうとしたが、電話はいつまでも鳴り響く。

誰だ?

「もしもし?」

電話をとった私の耳にボソボソと元気のない声が響いてくる。

「あの…すみません。加瀬です。」

「加瀬君?どうしたの?」

「あの…店に来たら田村さんは会議って聞いたんで、もし良かったら終わった後少し話せませんか?」

さては昨日の件だな。

「もう帰るとこだしいいよ。店で話すのも何だからどこかで待ち合わせしようか。」

私は駅前の小さな喫茶店の名前を出した。

喫茶店に着くと加瀬君が店の前で待っていた。

しょげきっている様子で大きな身体が一回り小さく見える。

叱られた犬みたいだな。

大ちゃんといい私の周りにはワンコが多いなあ。

少し可笑しくなりながら

「お待たせ!中入ろうか。」

と加瀬君の大きな背中をポンッと叩いた。

No.47 18/11/22 20:13
自由人 ( 匿名 )

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「ピアノだ…」

加瀬君が目を見開いて感嘆の声を漏らす。

シックなレトロ調にまとめられた店内は外から見るより広く、コーナーの一角にグランドピアノがドンと置かれている。

ここは私が以前住んでいたマンション近くの最寄り駅前。

近いと逆に行かないという通説通り、
私もこの店に来たのは初めてだった。

「何か大人のお店って感じですね。」

加瀬君がソワソワと店内を見回す。

「ご注文は?」

品の良さそうなマスターらしきおじいさんがオーダーを取りに来た。

「えと、ウインナーコーヒーお願いします。」

「え!?ウインナーコーヒー!?
あ、俺もそれで!」

加瀬君が興味津々といった目をして私の真似をする。

絶対「何か」を期待してるだろお主。

案の定、ウインナーコーヒーが運ばれて来ると加瀬君は不思議そうにカップを覗き込んだ。

「あれ?ウインナーは?」

……やっぱり。

てか本当にコーヒーにウインナーが浮いてたら飲むつもりだったのか?

「ウインナーコーヒーはウイーン風コーヒーって意味だよ。」

笑いながら教える。

「あっそうなんだ。俺、あ、いや、僕こんな大人っぽい店に来たことなくて…
何かいつも同級生とマックとかそんなとこしか行った事ないから、大人の女の人とこんな店に来れて緊張します。でも…嬉しい…」

「こらこら緊張する所が違うでしょ。今日話しに来たのは昨日の事でなんじゃないの?」

「あ、はいそうです。昨日は本当にすみませんでした。」

その言葉を皮切りに加瀬君は色々な事を私に話してくれた。

やっていた格闘技はスカウトされるほど強かった事、そんな中怪我をしそれが完治しても何故か急に格闘技に対する気持ちが冷めてしまったこと、友人関係、進路への不安etc.
彼は胸の中に溜めていたものを吐き出すかの様に一気にそれらを話し切った。

「そうか。色々あったんだね。
でも辛い気持ちがあっても周りへ八つ当たりはダメだよ?」

「はい。もうしません。
皆とも仲良くします。
だから…あの…またこうやって…」

「ん?また大人っぽいお店に行きたいの?
いいよ。今度パスタのお店でも行こうか。
その代わりちゃんと仕事頑張るんだよ?」

「ほんとですか?!
はい!頑張ります!!」

加瀬君が明るく答える。

そこには今までの暗い陰は無く無邪気に笑う18歳の男の子の姿があった。

No.48 18/11/24 22:05
自由人 ( 匿名 )

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「大吾に随分なつかれたな。」

閉店後の軽いミーティング&雑談タイムで大ちゃんが可笑しそうに茶化してきた。

「へっ?何がですか?」

「知らないの?あいつが『田村さんの大ファン』ていうのバイトの間で広まってるぞ。」

「ええっ!?何でファン?
しかもバイト間の話の事を何故知ってるんですか?」

「牧田が笑いながら報告してきた。」

ま~き~た~!!!

「バイトの高校生をたぶらかすのは社員としてどうなの?
オバサンが11歳も下の若い男に手を出すなんて痛てえ!!!」

バチーーーーーーーン!!!

「痛っあ~~。今一瞬息が止まったぞ。絶対背中に手の形ついたわ。」

懐かしいフレーズだな。
てかそのまま息止めてしまえ。

「冗談だって!大吾に怒鳴り散らしたんだろ?
それでアイツがビビって服従してるんじゃないの?」

「うっ服従…というか怒鳴った事を何で知ってるんですか?」

「大川がビビりながら報告してきた。」

……………

「いやまあ確かにちょっと私も冷静さに欠けてたっていうかアレは大人気なかったと…」

「まあいいんじゃない?
アイツも本気で叱ってくれる人がいて嬉しかったんだろうし。」

だから大ファン?
大不安の間違いじゃね?

「はあ、てっきり嫌われるか怖がられると思ってましたけど…」

「最近の若い奴にしては骨があっていいんじゃない?」

「若干23歳の」大ちゃんがしたり顔で頷く。

まあ確かに。

「まあ何だかんだ言っても田村チームは大丈夫だろ。
それに引き換え俺のとこは…」

大ちゃんがため息をつく。

「新人君たち…ですか?」

「ああ、いや、新井はまあ何とか物になりそうだけど大川がなあ。」

私の脳裏に自信もやる気も無さげにふるまう大川君の姿が浮かんだ。

と同時に、
「神谷店長に睨まれたら病院送り…」
という田上店長の言葉を思い出す。

大ちゃんは情は深いが、
仕事に関しては自分にも人にもかなり厳しい。

それで体調や精神に不調をきたしたり、辞めたりした人はパート社員共に何人かいた事実を副店長同士の交流の中で私は既に把握していた。

うちの店初の「脱落者」にならなければ良いんだけど…

新井君にも相談してみようか。

そう考えた私の思いを覆すように、

「それと近々新井が他店舗に移動になるから心しといて。」

と、淡々と大ちゃんが私に告げた。

No.49 18/11/25 21:26
自由人 ( 匿名 )

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「えっ、もうですか?」

言葉が出ない。

「ああ。うちの地区にまた新店が出来るだろ?
そこで使える奴ということで新井が抜擢された。」

はあ、いつもの事とはいえうちの会社のやる事といったら…

「ちょっと使えるようになったら抜かれるし。
うちの店は養成所じゃないっての。」

「養成所の神谷教官」はフウと息をつく。

「まっ文句言ってても仕方ない、大川はしばらく俺がついて再教育してみるからフォロー頼む。」

「わかりました。でも…私も何かあれば店長に頼っても良いですか?」

「もちろん!何かあったら直ぐに言って。」

大ちゃんが力強く返事をした。

この人とは大抵何でも乗り越えられる様な気がする。

彼は本当に厳しくて怖くてそれでもついていこうと思わせる。

強いカリスマ性を持つのだろうか。

現に新井君や牧田君は大ちゃんを崇拝し大ちゃんの言うことは絶対とばかりになっている。

でも「強すぎるもの」は時に人を潰す。

そして自分自身でさえも…

「何を考えてるの?」

大ちゃんが探る様に聞いていた。

「俺って怖い?」

げっまた心を読んだのか?

「うん。怖いよ。」

読まれてるなら…の私の言葉に、

「えっ…そうなの?怖い……」

驚く程に大ちゃんが凹んだ。

「えっ?だってみんなビビってるし、私も何回か胃痛起こしたよ?」

「えっ?!そう…なんだ…」

アカ~ン!正直過ぎる私のバカ。

てか自分の怖さをわかってなかったのか?
その事実が1番怖いわ。

「ま、まあまあ、美味しいココアでも飲んで帰りましょうか?買ってきますよ?」

慌てて敬語で機嫌を取ってみる。

「ココアなんて甘ったるいの嫌だ。」

子供かお前はっ!!

「じゃあコーヒー買ってきますね?」

「ブラックじゃないと飲まない。」

殴るぞ貴様っ!!

それでも急いでコーヒーと紅茶を買って帰ると、大ちゃんは見事に復活していた。

「おう悪いな。ご馳走様。」

嬉しそうにコーヒーを飲む大ちゃん。

やれやれ。

私も紅茶を1口飲む。

「あっこれ美味しい。」

「どれ?ちょうだい。」

大ちゃんが手伸ばしてくる。

「あ、口をつけちゃったから拭くよ。」

「いいよ。そのままで。」

強引に紅茶を奪い取った大ちゃんは、

「何これ甘い!よくこんなの飲めるな。」

と笑いながら更に紅茶をコクンと飲んだ。

No.50 18/11/29 20:32
自由人 ( 匿名 )

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「新井が新店に行く予定が1ヶ月延びた。」

大ちゃんがいきなり切り出してきた。

「あ、はい分かりました。何か事情でも?」

唐突に話を振ってくる大ちゃんにやっと慣れてきた私は冷静にそう切り返した。

「新井の後釜の社員が先日中途採用で入った奴に決定したから。」

何だか嫌な予感…

「本社でほとんど教育受けずにこちらに放り込まれるから基礎教育をとりあえず頼む。」

やっぱり…
うちは養成所じゃないっつーの!

「で、その人が慣れるまでの1ヶ月、新井君がいてくれる事になったんですね?」

「そう。裏を返せば1ヶ月でなんとかしろ!ということだ。出来るな?」

出来るか?
ではなく出来るな?ってあんた…

やれ!ということか。
う~~む。

基礎を教えて…
パートさん達のフォローを仰ぐかな?

パートさん達はバイトの子達よりも職歴が長い。

30代の主婦さんがメインでしっかりした方も多く、フォローも上手くやってくれるだろう。

ただ…
気に入られたらの話だけどね。

どうか、可愛がられるタイプが来ますように!
心の中で必死に祈るも、そんな私の心配は杞憂に終わった。


「今日からお世話になります神田です。
よろしくお願いします。」

照れているのか少し顔を赤くして挨拶をする彼にパートさん達が一斉にざわめきたった。

「すっごいイケメン、モデルみたい。」

そう。
彼は人の顔の好み云々をぶっ飛ばす程に本当にイケメンだった。

モデルにはなるには少し身長が低めだったが、細マッチョでスタイルも良いし少し恥ずかしそうに話す姿も可愛らしい。

私も思わずボーッと見とれてしまったが、残念ながらイケメン=仕事ができるわけではない。

副店長の立場としては素早く現実に戻る必要があった。

「さて、じゃあとりあえず事務所に行きましょうか。」

まだザワザワしているパートさん達を残し彼と事務所に入り新ためて彼の履歴書に目を通す。

神田正樹 23歳。
え?神田正輝!?

思わず名前を2度見した私の様子で察したのか、

「あ、字は違うんですけどよく笑われます。」

神田君が恥ずかしそうに言う。

「あっいやいや、神田君もすごくイケメンだから大丈夫だよ。」

慌てて意味のわからないフォローをした私に、

「照れますね。でもありがとうございます。」

神田君が人懐っこい笑顔を見せた。

No.51 18/11/29 21:59
自由人 ( 匿名 )

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オリエンテーションが終わり、神田君を連れて店内を廻る。

「ちょっとレジを触ってみようか。」

レジを研修モードにセットした途端、

「社員の方レジまでお越しください。」

店内放送で呼ばれてしまった。

またか。

今日は遅番の大ちゃんが来るまで社員は私1人。

そんな日に限ってスタッフからよく呼び出しがかかる。

どうしよう。
さっきから何回も神田君を放ったらかしだしな。

とりあえず神田君を待たせてスタッフの元に向かう。

用件を済ませて戻ろうとした私に、

「田村さん、品出し終わりましたけど次は何かありますか?」

とパートの松木さんが話しかけてきた。

松木綾 27歳。

人懐っこく明るい性格で少し空気を読まずにズケズケと発言してしまう所はあるが、悪気や裏表のない性格で憎めない可愛いキャラ。

まだ小さな子供さんがいるが、旦那さんの実家に同居しておりお義母さんに面倒を見てもらえるため、シフトもガンガン入れて働いてくれている。

そんな頑張り屋でもの怖じしない彼女を私は秘かに頼りにしていた。

「松木さんちょうど良かった。
悪いけど店長が来るまでの間、神田君に付いてこの店の事を色々教えてあげてくれない?」

「え~っ私がですか?緊張するな。」

松木さんは口ではそう言いながらもとでも嬉しそうな顔をした。

「レジ操作とか重要な事は午後から私が教えるから、商品の置き場とか店舗の基礎的な事を教えてあげて。」

「わかりました!」

元気良く返事をした彼女と神田君を組ませて店内を廻らせ、私は他のスタッフのフォローに撤する事にした。

この選択が1つのキッカケになったのであろうか。

それとも「成るべくして成った。」
のであろうか。

後にこの2人について心を悩ませる時が来るとは、この時の私には全く想像すら出来ていなかった。

No.52 18/12/03 18:38
自由人 ( 匿名 )

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「おはようございます。」

遅番の出勤時間よりかなり早く大ちゃんが出勤してきた。

「おはようございます。早いんですね!」

そう挨拶を返す私に、

「今日は中番が居ないからずっと1人だったろ?ちゃんとやれてたのか?」

大ちゃんが探る様に聞き返してくる。

うっっ

「あ~すみません。実は…」

かくかくしかじか、大ちゃんに説明する。

神田君への教育がほとんど出来てないから怒られるかな?
と秘かに怯えていたが、

「あっそ。松木さんは午後からもフリーだっけ?」

意外にも大ちゃんはアッサリそう言うと自分でスタッフの作業予定表を見に行った。

「フリーだね。神田君には午後一でレジを教えてから引き続き松木さんを付けて売り場メンテでもさせて。」

「分かりました。」


元々、松木さんはパートさん達の中でも断トツにシフトが入っており、レジにはほとんど入らずにフリーの立場も多い事から、こういう時に実に頼りになる。
この日から「神田君のフォロー役は松木さん」という図式が何となく出来上がった。

秘かに心配していた沖さんの事も、
沖さん自身が「頼るのは良いが頼られるのは嫌い。」というスタンスだったため、むしろ面倒臭い事を松木さんがやってくれるとばかりに喜んでいた。

他のパートさんも特に異論を唱える人もおらず、当初は何もかも上手く進んでいく様に見えた。


ある日、

「カンちゃんがお菓子を買ってくれたんですよ。」

松木さんが嬉しそうに私の目の前でチョコレートを軽く持ち上げてみせた。

松木さんは神田君に少しずつ甘える様になり、お菓子やジュース等をたまに買ってもらったりしていた。

「またオネダリ?綾ちゃんもお返ししてあげなきゃダメだよ。」

少し笑いながらたしなめる。

休憩時間等にはみんな少し気を抜いてお互いに愛称などで呼び合い、
神田君はカンちゃん、松木さんは綾ちゃんと呼ばれていた。

「大丈夫ですよ!今度休憩が一緒になった時はマクドナルドに行って奢ってあげるね!って約束してますから。」

「そうなんだ。」

「はい!私達もうすっかり友達なんですよ!」

松木さんが嬉しそうな笑顔を見せる。

仲良しの友達か。
いいな。

私もつられて笑顔になる。

異性の友達か、いいね。
カンちゃん優しいし羨ましいな。

私はそんな2人を微笑ましいと心の底から思っていた。


No.53 18/12/04 22:15
自由人 ( 匿名 )

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「田村さ~ん、森崎さんて彼氏いるんですか?」

松木さんとの2人の休憩時、
口調は冗談めかしつつも、目はかなり真剣な松木さんが聞いてきた。

「え~?どうかな~?モテてはいるみたいだけど…」

何となく嫌なものを感じて曖昧に誤魔化した私に、

「そうなんですか?森崎さんて凄く綺麗ですよね。
カンちゃんと並んで話してるのを見たらまるでお似合いのカップルみたい。」

と松木さんは少し拗ねたように言う。

昨日から森崎さんことユッキーがうちの店舗にまわって来ている。

立場上、店長だけではなく他の社員達とも色々話をする機会も多い。

まさかと思うけど、ヤキモチ!?

「え、え~と、ほら、綾ちゃんの旦那さんも前に写真を見せてくれた時に思ったけどカッコイイじゃない?
綾ちゃんも可愛いし綾ちゃん夫婦もホントお似合いだよね?」

返事に困り松木さんの旦那様の話題を出したが、それが大きな地雷だった。

「田村さん知らなかったんですか?
私達はとっくに破綻してますよ。」

「えっ?えっ?ええっ?でも旦那さんの実家にまだ同居してるんだよね?」

「してますよ。だからこそ余計…なのかも…」

もう何か言えば言うほど地雷を踏む。

「あの…無神経な事ばかり言ってごめんね。」

謝る私に、

「大丈夫ですよ~!他のパートさん達にも普段から愚痴ってますから。」

松木さんがカラッと明るく笑顔を見せた。

「綾ちゃん職場ではいつも明るく笑ってるから…色々…あるんだね…」

「そうですね。ほんと色々あって辛いです。1人に…なりたい…」

松木さんは今までに見たこともない悲しげな表情をして呟いた。

「綾ちゃん?大丈夫?」

「あ、はい、ごめんなさい。
最近特に辛くて…」

「綾ちゃん、あの、吐いて楽になる様だったら良かったら話聞くよ?」

「ありがとうございます。実は昨日もね…」

松木さんが話しかけた途端、

コンコン!

「休憩中、すみません。
本社からの書類について店長から何か聞いてますか?」

新井君が休憩室を覗き込み、私にそう尋ねてきた。

No.54 18/12/05 13:04
自由人 ( 匿名 )

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「あ~、休憩終わってからでいい?」

「それが今本社と電話中でして、至急確認したい事があるからと…」

「わかった。」

私は渋々立ち上がり、

「ごめんね。ちょっと待っててね。」

と松木さんに声をかけ休憩室を出た。

事務所に入ると店長の書類ボックスから人事関係の書類を取り出し電話に出る。

話は思ったよりややこしく時間がかかったため、電話を切った時には休憩時間はとっくに過ぎていた。

あちゃ~悪かったな。

慌てて松木さんを探しに行くと、松木さんは1人黙々と倉庫で作業をしていた。

「さっきはごめんね。良かったら仕事終わってからでも話しない?」

私の言葉に、

「ありがとうございます。
でも仕事が終わったら夕飯の買い物もあるし急いで帰らないと。
それに…」

松木さんは少し言葉を切った。

「遅く帰るとお義母さんに嫌味を言われますから…」

「そう…なんだ。話を聞いてあげられなくてごめんね。
良かったら夜に電話でもしようか?」

「いえ。旦那やお義母さんに聞かれちゃいますから。」

「あっ…そうだね。
じゃあまた何かあったら遠慮なく話して?でも本当に今日は大丈夫?」

「はい大丈夫です!明日の作業予定表を見たらカンちゃんと2人で休憩入ってるのが分かったんで元気出ました!」

「そうなんだ。良かったね。」

「はい!カンちゃんは私の栄養ドリンクみたいなものですから!」

悲しそうに落ち込んでいた休憩時とは打って変わって無邪気に嬉しそうな松木さんの顔を見ながら私は安心感と同時にモヤモヤとした不安感に襲われた。

松木さんの様子が私が今まで知っていた松木さんとは違う様な気がしたからだ。

何が?と言われても分からなかった。

ただ、漠然と得体の知れない不安がこの時の私を包んでいた。

No.55 18/12/06 08:44
自由人 ( 匿名 )

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それはいきなりだった。

「店長!!松木さんが!
来て下さい!!」

大川君がひどく慌てた様子で事務所に飛び込んできた。

パソコンで入力作業中の大ちゃんはすぐに立ち上がり店内へと走って行く。

松木さん?!

気になりつつもお客様と電話中だった私は行くことが出来ない。

ようやく電話を切った私の元に沖さんと共に松木さんを両脇から支えた大ちゃんが戻ってきた。

松木さんは真っ青な顔をしている。

「松木さん?!」

「ミューズ!!休憩室のドア開けて!!」

驚いて立ちすくむ私に大ちゃんが半ば怒鳴る様に言う。

慌てて休憩室のドアを開け、崩れ落ちそうになっている松木さんを何とか座らせたが松木さんはそのまま机に突っ伏してしまった。

「寝かせた方が良くない?」

と沖さん。

確かに。

でも休憩室の床は土足で歩きまわっているから汚いし…

「大ちゃん!潰したダンボール沢山持ってきて!」

私の言葉が終わらないうちに大ちゃんがダンボール置き場に走っていき何枚かのダンボールを持ってきた。

ダンボールを床に敷き更に私や大ちゃんの上着を敷いて松木さんをその上に寝かせる。

沖さんが予備のスタッフエプロンを丸めて枕にし、自分の上着を松木さんの上に掛けてくれた。

ふう。

「松木さん?大丈夫?救急車呼ぼうか?」

私の呼びかけに、

「大丈夫です…最近、寝られなくて…
ちょっと目眩した…だけです…」

うっすら目を開けた松木さんが弱々しく答えた。

「貧血起こしたのかもしれないわね、彼女元々貧血気味だし。」

沖さんがしたり顔で言う。

なるほど。

ってすげえな!

スタッフの健康状態までガッチリと把握してらっしゃる…

「店長~しばらく私が松木さんに付いてるね?」

沖さんが意気揚々と申し出たが、

「いや、ここは田村さんに任せますから僕らは仕事に戻りましょう。」

と、大ちゃんは淡々と答え、

「暫く様子を見てやって。」

と言い残すと沖さんと共に休憩室を出ていった。

うわあ、沖さんの申し出をスパッと切るなんて怖いものしらずだな…

そう思った瞬間、

「店長!さっきミューズとか大ちゃんとか呼びあってたわね?
店長副店長としてそれはどうなのかな?」

とドアの向こうでガッチリと
「大声で大ちゃんに注意する」沖さんの声が聞こえてきた。

うわ…
すみません…

No.56 18/12/07 13:00
自由人 ( 匿名 )

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「沖さんだって田村さんの事をミューちゃぁん!て呼んでるでしょっ?」

「パートの私はいいのよっ!立場のある店長と副店長が…」

「え~?それを言うなら沖さんは僕の大先輩ですから立場は雲の上の人…
あっ!年齢も-」

「もうっ!バカっ!!」

わあ…
楽しそう。

飄々と返す大ちゃんと何だかんだ言いつつ楽しそうな沖さんの声がしなくなった後、私はそっと松木さんの横にしゃがみ込んだ。

ぐっしょりと汗をかいているが顔色はかなりマシになっている。

「すみません…」

気配を察し松木さんが目を開けて起き上がった。

「起き上がって大丈夫?」

「はい、もう楽になりました。」

しっかりした声だ。

私はホッとして、

「もう少し落ち着いたら帰ろうか?
店長に送ってもらえる様に頼んでくるね。」

と声をかけたが松木さんは急に俯き返事をしない。

「松木さん?」

「もう…平気です…いて…いいですか?」

「え!?でも家でゆっくり寝た方が良くない?」

「帰ったら何を言われるかわかんない…
ゆっくりなんて出来ない…
ここだけが…落ち着ける場所…
嫌だ…帰りたくない…」

松木さんの息がだんだん荒くなる。

「松木さん!?」

松木さんの様子が何だかおかしい。

「松木さん!!」

松木さんはまるで呼吸困難を起こしたかのように息苦しそうにゼイゼイ言い出した。

もしかして過呼吸?!

「松木さん!!落ち着いて!!
大丈夫だから!
ここに居ていいから!
ゆっくり息して!!!」

とにかく落ち着かせようと松木さんの背中を優しくゆっくりポンポンする。

松木さんの呼吸が私のポンポンのリズムに合ってきて乱れた息も治まりだした。

「病院行く?」

松木さんは黙って首を振る。

「そっか。わかった。
じゃあここで休んでて。」

店内に入り、大ちゃんに事情を話すと、大ちゃんは私と一緒に休憩室までついてきた。

「マッツン大丈夫か?」

休憩室に入って開口1番、大ちゃんから発せられた「マッツン」の言葉に松木さんが少し驚いた顔をした後に微笑んだ。

No.57 18/12/08 22:35
自由人 ( 匿名 )

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「マッツン、その呼び名懐かしい…」

ん?ん?ん?

「えっ?あのマッツンて?懐かしい?」

「あれ?言ってたろ?俺が前の地区にいた時、少しの間だったけど松木さんと同じ店舗にいたって。その時の松木さんのあだ名。」

大ちゃんが、もう忘れたのかよ?といった呆れた声を出す。

あ~!思い出した。

大ちゃんが赴任した先の店舗で松木さんが働いていたが、それから数ヶ月後に松木さんは旦那さんの転勤に伴い実家に同居が決まりこちらに来た。

で、暫くしてから大ちゃんがまるで後を追うようにこちらに来たんだった。

ここに来てからは2人が特別に親しげにしている様子もなくその話題も出なかったので忘れかけていたが、
初めて聞いた「マッツン」の言葉に何故か気持ちがザワザワと波打つ。

松木さんはもうすっかり顔色も良くなり、敷いていた私達の上着を畳んでテーブルに置いてくれていた。

「も、もう大丈夫そうだね。
私はダンボールを捨てて来るから後は店長に指示もらってね。」

私はそそくさとダンボールを片付けると両脇に抱えて休憩室を出た。

ダンボールを捨てながら色んな思いが頭を巡る。

松木さんの前であんなに呆れたような声出さなくても…

だって…

マッツンとか知らないもん…

あだ名で呼ぶほど仲良かったなんて知らないもん…

だから気にしてなかったもん…

なんであんなにバカにした様な言い方するのかな。

それに比べてマッツンって呼んだ時の大ちゃんの声優しかったな…

はっ!

まさか…

大ちゃんがわざわざこの店に来る事に決めたのは…

松木さんがいるから?!

妄想がどんどん膨らむ。

うううううう。

うおおおおおおお!!!

何かもうやり切れない感情が沸き起こり、乱暴にダンボールをバンバン積み上げるうちに粗末な扱いにご立腹されたのか、ダンボールが一気に私を目がけて崩れ落ちてきた。

バサバサバサ!!

痛った~。

ダンボールに直撃されたおでこをさすりながらまたダンボールを積み直す。

もう泣きそう。

「…何やってんの?」

背後で声が聞こえ振り向くと
呆れ顔の大ちゃんが立っていた。

No.58 18/12/09 17:18
自由人 ( 匿名 )

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「何って、ダンボールを片付けてますけど?」

少し淡々と答える私に、

「あっそ。何でもいいけど早く片付けて松木さんに何か仕事の指示出して。」

大ちゃんは冷たくそう言うとプイッとその場を去ってしまった。

なんだよ。
元々はそっちが嫌な言い方したからじゃない。

いつもそう…

自分は気に入らないと直ぐに顔や態度に出して、私が気を使わないと余計に機嫌悪くなるくせに、
私がちょっと嫌な態度を取るとこうなるんだよね。

はあ、何でいつもこんな良い時と悪い時の差が激しいんだろう。

「店長はすご~く分かりやすいのに、何でミューちゃんはよく店長をイラつかせるのかな?」

沖さんに笑われた事がある。

「店長の地雷なんてむき出しで転がっているのに、なんでそこをわざわざ踏んで歩くんですかね?」

と牧田君にでさえ呆れられた事がある。

分かりやすかろうがなんだろうが私は人の気持ちが読めないもん。

はあ…

おっと、いけない。

松木さん。

松木さんの事を思い出し気持ちを切り替える。

この切り替えの早さは昔からの私の取り柄?だ。

慌てて店内の化粧品コーナーに行き、カウンターの引き出しから顧客様名簿とDMハガキを取り出し休憩室に戻った。

「松木さん、DMハガキの宛名書きをしてくれる?
これなら座って出来るからここでゆっくりと書いてて。」

「はい。」

笑顔で受け取る松木さんの様子はもうすっかり元気そうだ。

「顔色戻ったね、良かった。」

ホッと安心する私の言葉に、

「はい、ここ何日も寝られない日が続いてて…」

松木さんが少し苦笑する。

「寝られないのは辛いね。」

「はい。あ、でもね、昨日はずっと朝方までカンちゃんと電話してましたから少し救われたかな。」

え?

「あの…おうちは…大丈夫なの?」

「はい。真夜中でみんな寝てたから、こっそり外に出て話してました。」

「えっ?!そんな夜中に外なんて危なくない?」

何と返して良いのか分からなく、色んな意味で「危ない」という言葉を使った私の気持ちを察したのか、

「大丈夫ですよ。外といってもうちの敷地内にある納屋の中ですから。」

「そう?なら良いけど…」

「私とカンちゃんの会話は他愛もない友達の会話ですよ?友達ですから。」

私の不安を更に読み取ったのか、
松木さんが友達という言葉を強調して屈託なく笑った。

No.59 18/12/11 17:16
自由人 ( 匿名 )

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「お先に失礼します。」

夜のバイトの子達が出勤してきて、入れ替わりに松木さん含むパートさん達が帰っていった。

バイトの子達は可愛いが、パートさん達に比べるとどうしても細やかな指示が必要になり、手間がかかる分あっという間に時間が経つ。

「あっ!もうこんな時間だ。」

私の仕事上がりの時間間近になっていた。

大ちゃんは仕事の時間に対してとても厳しい。

会社は残業代を出さないので、こっそりサービス残業をする社員も多かったが、大ちゃんはそれを一切認めず定時になる前に仕事を終わらせる様に私達に徹底指導していた。

あと5分か…

大ちゃんの徹底指導の成果で、
私達は上がりの時間の5分前には仕事を切り良く終わらせる癖がついている。

でも…

何となく帰りたくなかった。

私、馬鹿なヤキモチ妬いちゃったな…

時間が経って冷静になると自分の態度が悪かったなと反省した。

謝りたいけど…

ちらっと作業中の大ちゃんを見る。

大ちゃんは黙々と推奨商品の大がかりな陳列売り場を作っている。

ちょっと話しかけられる雰囲気じゃないし、仕事中にこんなくだらない事言ったらまた気を悪くされるだろうしな…

暫く悩んだ末に帰ることにした私は、松木さんに宛名書きをしてもらったDMを帰り道の途中にあるポストに入れて帰ろうと軽くDMをチェックした。

あれ?

DMが違ってる…

前回の宛名書きした残りのDMを誰かが捨てずに名簿と共に引き出しに入れていたらしく、私は日付などを書いている裏面を確認もせずにその古いDMを松木さんに渡してしまっていた。

今回出すDMは?と探すと隣の引き出しに入っていた。

何たる凡ミス。

切手をまだ貼っていなかったのだけは救いだな。

さて、どうしよう。

DMは遅くとも明日の昼過ぎまでには出さなくてはならない。

仕方ないな…
誰か夜のバイトの子に書いてもらうか…

それにはまず遅番の社員にお伺いを立てるのが礼儀だった。
夜のスタッフの人数も結構ギリギリで回しているからだ。

謝る所か余計に怒らせるな…

物凄く憂鬱な気分になったが仕方がない。

私はDMハガキと顧客様名簿をむんずと掴むと、意を決して大ちゃんの元に歩いていった。

No.60 18/12/11 23:58
自由人 ( 匿名 )

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「店長…」

返事がない。

「あの…店長……」

返事がない。
ただの屍の様だ…

ドラクエならここはさっさとスルーしてタンスを漁り、壺の1つでも割ってとっととオサラバするのだが、あいにく敵は屍に見せかけたボスキャラ。
ここは対決しないとエンディングを迎えられない。

仕方ないので大ちゃんの横に立ったままボソボソ呟く。

「DMが…手違いで…ボソボソボソ」

「はあっ?!」

おっと!いきなりボスキャラが攻撃を仕掛けてきて戦闘モードに突入した!

(ここからドラクエの戦闘シーンのBGM流れ出す。)

思いっきり怒った声で、思いっきり呆れた顔で、最大級の「はあっ?!」光線を浴びせかけてくる。

うっっ。

さすがボスキャラ、今の攻撃だけでHPの半分を持っていかれてしまった…

「えっと…だからその…すみませんが…
夜のバイトの子に宛名書きをしてもらいたい…の…です…が…」

「無理です。」

わあおキッパリ。

「夜のバイトの子はアナタの失敗のフォローをするために来ているのではないから。」

わあおグッサリ。

か、回復呪文、回復呪文、
このままではHPが尽きて教会に直行しそうだ。

「そ、そうですよね、すみません、失礼しました。」

慌てて「逃げる」コマンドを選択した私の前に、

「どうするんですか?」

と、敵がまわりこんできた。

「あの…顧客様名簿とハガキを持って帰って書いて…きます…」

「大事な名簿は店外には持ち出し禁止だけど?」

おうっ。
更にダメージ…

もうHPは残り10くらいしかない気分。

回復呪文!ここで回復呪文を発動せねば!

って、「ありがとう」と「嬉しい」なんてどこで使えるんだあっ!!

もう…ダメだ…ガクッ…

「あの…残業はダメだと分かってますけど、どうせ家で書くつもりだったので、ここで…書いて…も…良いですか?」

逃げ場を失い、更にボスの攻撃力を上げるであろうセリフを
「捨て身攻撃!」とばかりに私はボスにぶち当てた。

No.61 18/12/12 12:53
自由人 ( 匿名 )

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「はあっ?そこまでしなくていいでしょ?」

おっほぉ!
攻撃がいとも簡単に弾かれたあっ!

しかもっ!更に怒りのオーラが強くなってはるっ!!

「あっ、でも私は明日は遅番なのでっ、
間に合わ…ないのでっ、それに…あの…
店長の仕事終わってから…話…したい…な…と…」

「話ならここで今して下さい。」

おうっ…終わった。

「ミューズよ死んでしまうとは情けない…」

私の頭にドラクエの教会の神父様の声がひたすら響く。

「えっ、ここで?!」

「はい。仕事しながら聞きますからどうぞ。」

うわっ、ここで「ごめんなさい」言うの恥ずかしいな。

私は周りを見回した。

幸い店内はお客さんが途切れ、スタッフも周りにはいない。
更にボスはまた売り場の方に目を向け私から視線を逸らしている。

これは逆に話しやすいかも…

意を決し、恥ずかしさと気まずさを押し殺し、
私は大ちゃんの後ろ姿に向かってボソボソと話しかけた。

「あの…ただ…ゴメンねって言いたくて…私…大ちゃんと仲直りしたくて…だって大ちゃんとはいつも仲良くしたいから…だから今日はずっと悲しくて…寂しいなって…」

「ぶぼおっ!!!ゴホゴホ!!!」

突然、ボスが奇妙な声を発したかと思うともがき苦しみ出した。

と同時に振り向いたボスの顔が真っ赤になっている。

そんなに苦しかったのか!?

思わぬ所でボスに会心の一撃を与えた様だ。

「な、なに恥ずかしいことこんな所で言ってるんだよ!!」

え?
だって言えっていったのはボス…

「と、とにかくこっち来て!」

大ちゃんは私の手を引っ張り休憩室に連れ込み、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと私に差し出した。

「ほら、これ飲んで!落ち着け!」

いや、落ち着いてますけど?

むしろ君が飲んで落ち着け。

ポカンとして水を受け取らない私を見て、大ちゃんは自分が水を一気に飲んだ。

「あの…店長?」

「あ、えと、DMの宛名書くんだったな?ごめんな。じゃあ頼むな!」

はいっ???

訳が分からずポカンと立っている私に向かって、大ちゃんは軽く手を挙げると店内に入ってしまった。

恐ろしい程に物凄い笑顔と共に…

あれは…
ボスの最終技「死への微笑み」
だろうか?

店長のあまりの豹変ぶりに、
ドラクエには存在しない新たなボス技の名前をぼーっと考え込む副店長であった。

No.62 18/12/16 22:10
自由人 ( 匿名 )

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「あれ?ミューさんどうしたんですか?」

閉店作業を終え、休憩室に入って来たバイトの加瀬君が不思議そうに尋ねてきた。

ミューズだの、姉さんだの、ミューちゃんだの、ミューさんだの、
みんな呼びたいように呼ぶ。

「あ~、ちょっと手違いでDMの宛名書きをやり直してるのよ。明日の昼までには出さないとマズイんだ。」

いい加減飽きてウンザリしていた私は苦笑しながら答えた。

閉店までには余裕で終わると思っていた宛名書きだったが、
運が悪いというか、間が悪いというか、今回のDMはご丁寧にも「お客様へのメッセージ欄」が設けられており、一人一人お客様に何かひと言メッセージを書かなくてはならない。

変な所で生真面目な私は、いちいちお客様の顔や会話を思い出しながら書いていたため、閉店時間になってもまだ幾枚か残していた。

「大変そうですね。良かったら手伝いましょうか?」

加瀬君が心配そうな顔で聞いてくれる。

加瀬君は見た目のいかつさとは裏腹に本当に心の優しい男の子だ。

「ありがとう。あと20分もあれば余裕で終わるから大丈夫だよ。」

加瀬君の優しさに癒されつつも少し不安になった。

店を閉めちゃうからここには居られないな。

宛名書きは終わって後はメッセージのみだから持って帰って書くか。

「お先に失礼しま~す!」

バイトの子達が次々に帰って行き、

「もう閉めるけど出られそう?」

と大ちゃんが声をかけてきた。

「あ~宛名書きは終わって、後はメッセージだけですから持って帰って書きます。」

慌てて立ち上がり、化粧品カウンターの引き出しに名簿を戻しに行こうとした私の背中に、

「手伝うよ。とりあえず切手を貼ればいい?」

ゆったりと優しい大ちゃんの声がかかった。

No.63 18/12/18 12:41
自由人 ( 匿名 )

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「はい!貼り終わった!」

大ちゃんがまだメッセージを書いていない分のハガキも含め切手を貼り終わった。

「うっっ、ちょっと待って…」

「焦らなくていいよ。それとも急いで帰りたい?」

「あ、いや、特に…」

「そうか。なら自分のペースで書いて。さすがに化粧品のお客さんへのメッセージは俺は書けないから。」

大ちゃんは笑いながらそう言うと、自分も書類の様な物を広げて読み出した。

が、直ぐに、

「あ~ダメだ。ゴミ入ったかな疲れてんのかな。
目が痛い。」

ブツブツと言い出す大ちゃんの顔を見ると、なるほど目が赤い。

「コンタクト?外した方が良くない?」

「そうするか。メガネ好きじゃないけど。」

大ちゃんはそう言いながらもコンタクトを外し、リュックからメガネを取り出すとかけた。

「メガネかけた顔見るの久しぶりだな懐かしい。」

思わず笑みが出る。

「そうだっけ?いつだったかな?」

「確か…」

言いかけて少し躊躇した。

確か、初デートの時だったね。

遊園地に行って観覧車に乗って3on3のコートに行ってそして…

「ん?山田さんやユッキー達と初めて呑みに行った時かな?」

私の言葉を継ぐように大ちゃんが聞いてきた。

「ああ、うん。そうそう。
その頃だよ。楽しかったよね。」

大ちゃんが勘違いしているのを逆手に取り、曖昧に誤魔化した私の言葉に、

「ああ、山田さんが最高に面白かったな。」

と大ちゃんも思い出した様にクスリと笑い、しばらく懐かしい笑い話に花が咲いた。

「ユータンさ、ユッキー以外には目もくれないの分かるけど、私なんか完全にどうでもいい扱いだったから酷いよね。」

笑いながらそう言う私に、

「そうそう!山田さんは本当にユッキーのこと好きだったからなあ。」

大ちゃんも笑いながら相槌を打つ。

「だよね~大好きなの丸わかりだったもん。」

当時を思い出しウキウキと楽しくなる。

「あのさ。」

浮かれて楽しくなっている私に大ちゃんが急に真面目な顔で話しかけてきた。

No.64 18/12/20 00:17
自由人 ( 匿名 )

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「丸わかりと言えば、神田と松木さんってどうなってんの?」

「え?」

「いや、ちょっとスタッフから最近のあの二人は目に余るものがあると苦情みたいなのきてて…
まあ正確には松木さんの方が色々と2人の事を言いふらしているみたいなんだけど…何か聞いてる?」

あ~。

私は松木さんから聞いた深夜の電話の事を掻い摘んで大ちゃんに話した。

「それは初耳だな…」

大ちゃんは溜息混じりにそう呟く。

「えっ?他にも何か話してるの?」

「何かも何も2人で出かけたとか色々と言いふらしてるんだって。」

「えっ?でもそれは友達としてやましい事がないからじゃ?」

「あのさ、やましいやましくないじゃなくてそれを聞いた周りがどう思うか…だよね?」

大ちゃんの言葉はしごくもっともに思えた。

「う、う~ん、まあ、ね。出かけたって…何処に行ったんだ…ろうね?」

「ああ、新井が配属された新店に2人でちょっと顔出しに行っただけらしいけど。」

ああ。
二人とも新井くんとは仲が良かったもんね。
もっと凄い所に行ったのかと内心勘違いしてビックリしちゃったよ…

「それなら別に特に問題も無いんじゃない?」

「まあね、正直俺は仕事外で誰が何処で何しようとどうでもいいしさ。」

大ちゃんは少し肩をすくめて興味無さげに呟いたが、

「マッツンって前はそんな事をペラペラ言うようなタイプじゃなかったんだけどな?」

と自分に問いかける様に首を捻った。

「ほら、松木さんは既婚者だから皆に黙って行動して変に勘ぐられるのを危惧して…の事じゃないかな?」

私の言葉に大ちゃんは頷きつつもスッキリとしない顔をしていた。

勘のいい大ちゃんはこの時に何かを感じ取っていたのだろう。

そう。
この日を境に
少しずつ少しずつ彼女の様子が変わっていく。

今の私の持論は

「救いを求めて誰かにとにかくすがりたい人に徹底的に寄り添える覚悟がないなら、中途半端な優しさは見せない。」である。

冷たい人間だと思われるかもしれない。

でも、

中途半端に関わる事が相手にとってより残酷だと思うから。

場合によっては更に相手を追い詰めてしまうと思うから。

しかし、当時の私はそれが分からず、ただ人に優しくする事が思いやりだと勘違いして自己満足していた。

No.65 18/12/22 19:21
自由人 ( 匿名 )

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「最近、松木さんが全くやる気ないんだけど、ミューちゃんの方からも注意してもらえる?」

遂にパートさんから私の方へも松木さんへの不満の声がかかり出した。

「あ、うん。ちょっと仕事の様子みて注意すべき事があればさせてもらうね。」

「お願いね。皆が迷惑しているから。」

ふう…

そのパートさんが事務所から出て行った後、一気に気持ちが疲れた。

松木さん、どうしちゃったのかな?

前日の夕方の出来事をあらためて思い出す。



「ちょっと買い物のついでに来ちゃいました。」

前日の夕方、休みだった松木さんがフラリとバックヤードに顔を出した。

「あれ?うちでもお買い物?」

事務所に行きかけながらそう聞く私に、

「特に買い物はないけど、カンちゃん頑張ってるかな?って。
ちょっと冷やかしに来ました。」
松木さんはイタズラっぽく笑う。

え?
カンちゃんはこの日が初めての遅番シフトで色々と気忙しいから余裕ないと思うんだけど…

でもまあそんなカンちゃんを気遣って様子を見に来たのかもね。

好意的に考えた私は、

「カンちゃんは事務所で作業中だよ。」

と声をかけ事務所に入った。

「あっ、今日はもう上がるよ!」

事務所にはカンちゃんの他に早番の大ちゃんがいて、事務所に入った私にいきなりそう声をかけてきた。

少し慌て気味でそそくさと手元の荷物をかき集めカンちゃんに、

「入力完了した?」

と聞きながらその荷物をリュックに詰める。

なに?

入力って事は何かを社割で買ったのかな?

うちの会社には社員のために社割制度というものがあり、不正防止のために必ず他の社員に購入する商品をその場でデータ入力してもらい購入済み伝票を発行してもらう決まりになっていた。

焦る大ちゃんの態度につられ何気なく大ちゃんの手元を見ると、
数点の化粧品、生理用品等など…
えっ?化粧品?!生理用品?!

あっ…
これは見なかった事にしよう。

「お疲れ様です。明日も早番ですよね?明日は森崎さんが朝イチから来るとの事なので…」

さり気なく視線を逸らし、翌日の予定の話をしかけた途端、

「え~っ?!店長ってすっごく俺様キャラだと思ってたのに!
彼女?頼まれたんですか~?
化粧品とか生理用品まで買って帰ってあげちゃうんですか~っ?!」

私の後ろで少し大袈裟に驚いた様な松木さんの声がした。

No.66 18/12/23 23:31
自由人 ( 匿名 )

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「えっ?あ、ああ…
ちょっと…具合が悪いらしくて…
買い物にも行けないって言うから。
男の俺がレジで買うのもちょっと…」

大ちゃんが気まずそうにモゴモゴ言うのを見かねたのか、

「店長、今日大量に入荷した商品は売り場に大々的に展開して良いんですか?」
と、カンちゃんがさり気なく話題を変える。

「ああ頼む。加勢を助手にして今日中に出しておいて。」

「わかりました。」

カンちゃんは直ぐに立って倉庫の方に出ていく。

それで何となくその話は終わったかに見えた。

が、

「ふ~ん。でも社割で生理用品を買うのも恥ずかしいですよね。
具合が悪いって、私なら旦那に頼むなんて出来ないけどな。
絶対買ってきてくれないし。
それにちゃっかり高い化粧品も買わされてるんじゃないですか。
お金もらうんですか?」

松木さんがやや嘲る様に言い出した。

「別に。
面倒臭いしもらわないよ。」

「へえ、優しいんですね。
うちの旦那と大違い。」

松木さんのその言い方は羨ましいとか微笑ましいというより、少し馬鹿にした様な雰囲気があり、私は慌てた。

「松木さん!神田君に用があったんじゃない?
倉庫にいるうちに話してくれば?」

「そうですね。そうします。」

松木さんが倉庫の方にあるいて行くのを見送りながらチラっと大ちゃんの様子を見る。

大ちゃんはまるで何事も無かったかの様にリュックを背負うと、

「じゃあ帰るよ。お疲れ様。」

と倉庫とは逆方向の店内側から帰って行った。

ふう。
気まずかった。

やれやれとため息をつきながら大ちゃんが買っていた商品の事を思った。

彼女の具合が悪いからか…
大ちゃんらしいな。

住居探しの件といい、大ちゃんって彼女のためなら尽くすんだな…

……

「ミューさん!!」

突然、頭の上で声がし私は驚いて飛び上がった。

「うわっっ!ビックリした!」

振り向くと加瀬君が後ろに立っていた。

180cmを優に越した高身長で私を見下ろしている彼は威圧感が凄い。

「すみません。少しここに居ていいですか?」

加瀬君が少し懇願する様に言う。

「え?神田君の手伝いのことを聞いてない?」

「聞きましたよ。でも今は松木さんがベッタリくっついてるから。」

あ~。

「神田君を呼んで来るよ。」

「待って!」

倉庫に行きかけた私の腕を加瀬君が急に掴んだ。

No.67 18/12/28 21:29
自由人 ( 匿名 )

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えっ?

「少し話をしていっていいですか?
俺…またイライラしてて…」

…私は安定剤か?
まあそれで気持ちが落ち着くなら良いけど…

「いいよ、どうしたの?」

開いたままになっていた事務所のドアを閉めながらそう聞く私に、

「俺、松木さんって人嫌い…
いちいち癇に障る事ばかり言うし…
だからあの2人がイチャついてるの見たら殴りたくなってくるっていうか!!」

少し申し訳なさそうに話し出したものの、直ぐにイライラした様に加瀬君の語気が強くなりだす。

はあ…
熱くなり出してるよ。
これは水をかけねば。

「あのさ、加瀬君ももう18歳でしょ?
小中学生みたいなこと言わないの!」

「わかってます。だからこうやってミューさんに話して気持ちを…」

途端にクールダウンする加瀬君がなかなか可愛くて面白い。

「気に障ることって何か言われたの?」

シュンとした加瀬君に私は優しく声をかける。

加瀬君がいくら好き嫌いが激しくて怒りっぽくても何か理由はあるはずだ。

「特に何か言われたとかじゃなくて、話す事そのものが気に障るっていうか…何か色々全体的に無理っていうか…」

「はあっ?何も言われたわけじゃないのにそんな事を言うの?
松木さんはいい人だよ。
素直で可愛くて優しい人だよ。」

自分で聞いておきながら、加瀬君の松木さんへの気持ちを聞きついイライラしてムキになってしまった私に、

「可愛くて優しい?
まあ…ミューさんは松木さんと仲が良さそうですもんね。」

加瀬君は一瞬何かを言いたそうな素振りを見せたが、

「そうですね。松木さんは確かに悪い人ではないです。
僕が子供過ぎるって事です。
変な事を言ってごめんなさい。」

と素直に頭を下げた。

「あ~いやごめんね。そんなつもりじゃなくて…」

と慌てて謝るも加瀬君に、

「それはそうと、神田さんの助手って、僕は何をするんですか?」

と話を変えられてしまい、何かスッキリしないモヤモヤした気持ちだけが残ってしまった。

No.68 18/12/28 22:11
自由人 ( 匿名 )

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帰宅後も何となくモヤモヤが続く。

そうだ、優衣に電話してみよう。

何か胸がモヤモヤとした時は優衣に限る。

姉にまるで占い師か胃薬の様な扱いをされていつつも優衣は穏やかにアドバイスをくれる。

そういえば優衣って人の悪口言わないな。

私が大ちゃんの事でブツブツ文句を言っても穏やかに大ちゃんの良い所を挙げてアドバイスしてくれる。
私がどんなに否定的な事を言っても優衣は決して人を否定する様な事を言わない。

ユッキーと同じだな。
私の周りはイイコばかりだねえと今更ながら感心する。

案の定、電話に出た優衣は、
「どしたの?美優ちゃん。」
と穏やかな声を出したが、

私がサラッと松木さんの話をしだした途端、急に黙り込んだ。

「それでさ~加瀬君てば人の好き嫌いが激しいとこあるから松木さんへの決めつけがね~悩む所よ…ってあれ?
もしも~し!聞こえてる~?」

「聞こえてるよ。」

えっ!?

ゾッとするほど冷たい優衣の声。

「あの…ごめん…優衣?」

「美優ちゃん、私もその松木さんって人好きになれないわ。」

驚く私の声を無視するかの様に、優衣が更にまた冷たく言い放つ。

「あの…私、そんなに松木さんの事を酷く言ったかな?」

「言ってないよ。」

「松木さんとカンちゃんの事ならやましい事なんて何もないと思うよ?」

「わかってるよ。」

なら、なんで?

「美優ちゃん、これは私自身も何と言っていいのかわからないから上手く説明出来ないんだけど…
加瀬君の言葉を借りて言えば、何となく全体的に無理…と言ったらいいのかな。」

いつもは私の話の聞き役に徹する優衣が珍しく饒舌になる。

「私なら彼女には近づかない。
加瀬君と同じだね。
美優ちゃんも深入りしない方がいいよ。」

初めて聞く、優衣の人を否定する言葉に私は少なからずショックを受けた。

「優衣どうしたの?優しい優衣がそんなこと言うなんて。」

「美優ちゃん、私は大ちゃんと似てるって言ったよね?
私も好き嫌いが激しい方だし、自分の好きな人に害を及ぼしそうな人には徹底的に冷たいから。」

優衣は狼狽える私の声を無視するかの様に更にキッパリと言い切った。

No.69 19/01/03 21:07
自由人 ( 匿名 )

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「ねえ、〇〇の映画一緒に行けないかな?」

「〇〇の映画?そうだね~行きたいかも。でも…」

松木さんと2人で休憩中の昼休み。

松木さんからの突然の誘い。

〇〇とはその当時大ヒットしていた映画で興味はあったが、私は冷静に可能か否か頭の中で判断してみた。

夜なら良いけど…
夜に出歩けない松木さんは昼間希望だろうし、そうなると一緒に休みを取らないと…
無理だな。

私は早々と結論を出した。

今はカウンセリング化粧品を扱っている店舗は教育を受けさせた専門のスタッフがいたりする事も多いが、
当時は女子社員が各メーカーや自社実施の研修を受け、ビューティーアドバイザーを兼ねる所も多かった。

私も例に漏れず徹底的に仕込まれ
ビューティーアドバイザーを兼任していたが、私が休みの日には代わりの人が必要になる。

それが松木さんだ。

松木さんには接客に必要な程度の知識を詰め込み、私の休みの日の接客を何とかこなしてきてもらっていた。

私達が揃って休んだら化粧品の接客できる人いないもんね…

「ダメだよね~」

松木さんの言葉に苦笑いをする。

松木さんはあの倒れた日以来、急にぐっと距離を詰めてきて、店外ではタメ口で私への呼び方も田村さんから美優ちゃんになっており、
私も屈託のない明るさを持ちながらもどこか危なげな雰囲気のする彼女を放っておけずで、私達2人は急速に仲良くなっていた。

「美優ちゃんがダメならカンちゃん誘ってみようかな。」

「えっ?!そういうの…旦那さんに…あの…バレたら怒られない?」

松木さんの冗談とも本気とも取れる言葉に私は驚いて松木さんの顔を見たが、

「なんで~?1人で映画観るのつまらないからカンちゃんなんかでも居ないよりはマシって程度だよ?
旦那にも余裕で言えるよ~」

と松木さんに逆に笑われてしまい、
変な想像のし過ぎか~と恥ずかしくなった。

それにしても…
その言い方はちょっとカンちゃんが可哀想だよ?

私がそう言おうと口を開きかけた途端、

「カンちゃんってイケメンだよね、優しいし。でも…」

松木さんが何かを言いかけ出して急に口ごもる。

「でも?」

聞き返す私に、

「うん?いくらイケメンで性格良くてもそれだけじゃね。」

松木さんはそう呟くと、

「店長って〇〇の俳優に似てない?
私ずっとファンなんだよね。」

と軽く笑った。

No.70 19/01/10 01:03
自由人 ( 匿名 )

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「えっ?ファンって店長の?」

思わず聞いた私の言葉に、

「俳優さんの方だよ~。」

松木さんが、何言ってるのよ!と言わんばかりの調子で笑う。

そ、そうだよね。

「でも、店長って似てない?
私、前の店で初めて会った時から似てる~!って店長に言ってたんだけど。」

そう…かな?

目力強くてインパクトあるのは同じだけど…

「美優ちゃんていかにもお人好しって感じだよね?言われない?」

「えっ?まあたまに言われるけど…」

いきなりまるで違う事を松木さんに言われ驚く私に構わず、

「美優ちゃんてお人好しでちょっと要領悪くていつも店長をイラつかせてるじゃない?
きっと気が合わないから見てて余計イライラするんだろうね。
美優ちゃんももっとテキパキ動くとかせめて空気読めればイライラされないのに。」

松木さんはかなりキツイ事を冗談っぽくサラッと言った。

うっ。

松木さんの毒舌はいつもの事だ。

でも最近はその毒舌がシャレにならないくらいキツクなってきたと感じてはいたが本人に悪気は全くなく、言われていることは的を得ているので腹を立てる方が大人げない気もして私はそのまま黙り込んだ。

「私ね、前の店では店長と結構気が合ったのか直ぐに仲良くなったんだ。」

「そうなんだ。」

マッツンと呼んでいた大ちゃんの姿を思い出す。

「ゴミを捨てに行った時に、店長が先にいてゴミを捨ててたから、後ろから丸めた紙ゴミぶつけたらそれから紙ゴミのぶつけ合いになっちゃったりね。」

松木さんが懐かしそうに当時の事を話す。

なんか…楽しそう。

「あ、ねえ神田君と結局映画に行くの?」

これ以上、大ちゃんの話を聞くのは辛くなった私はカンちゃんの話題を持ち出し話の矛先を変えた。

「カンちゃん?そうねえ。
一緒に歩いてると周りの視線が痛いけど優越感には浸れるよね。」

「えっ?見た目だけ好きですっていう感じはちょっと…」

「やだ美優ちゃん、
私は正直な話、カンちゃんの見た目は全く好みじゃないんだよ」

「えっ?そうなの?ごめんね。」

慌てて謝り、
てっきりカンちゃんの見た目を好きで仲良くしているのではなく、人として好きだからという言葉が返ってくるものと思っていた私の耳に、

「私の好みは店長に似てるって言ってた
俳優の〇〇だから。」

と言う松木さんの言葉が深く突き刺さった。

No.71 19/01/11 21:44
自由人 ( 匿名 )

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「神田が入院する事になった。
退院しても多分会社を辞めるだろう。」

滅多にない2連休の翌日出勤時、
顔を合わせるや否や、大ちゃんが苦い顔をしながら私にそう告げた。

「そうですか。」

私は自分でも驚くほど冷静にその言葉を受け止めた。

カンちゃんは前の職場で腰を傷め、うちの会社に転職してきたのだが、うちの業務内容も体力を使うし腰に負担もかかる。

大丈夫なのだろうか?と心配はしていたが、生真面目で仕事に手を抜けない彼はつい頑張りすぎたのであろう。


それでもまだ早めに腰の具合を大ちゃんに伝えていればまだ何とかなったかもしれないが、何も言わず愚痴もこぼさず頑張り通し、
いよいよ隠し通せなくなった時には、
手術をしなければいけない程に症状は悪化していた、という事なのだろうと私は何となく推測した。

「もうあいつにはこの仕事は無理だ。
こうなる前にちゃんと報告し、病院で治療すべきだった。
それを怠ったあいつに同情する気はない。

いいか?これは他人事じゃないから田村さんにも言っておく。
自己管理は社会人としての最低限の常識だ。
それは絶対守れ。」

「.はい、わかりました。」

答えながら薄ら寒い物を感じる。

遊んでて悪化したわけじゃないのに、

頑張って頑張って、

きっと、弱音吐いちゃいけないと思って辛いのを言い出せなかったんだろうに…

そんな冷たい言い方って…

何度も言っているが、大ちゃんは人の心を読む。

思った事がすぐに顔に出るタイプの私の気持ちなど即座に読み取ったことだろう。

「返事だけで何もわかっていないんだな。」

大ちゃんは冷たくそう言い捨てると、その日はもう私に話しかけてくることは無かった。

No.72 19/01/13 21:03
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カンちゃんが辞めうちの店舗は社員が3人になった。

この頃には会社が各地に新店舗を展開しており、社員の数が不足気味になったため、社員4~5人体制が一部大型店舗以外3人体制になってしまっていた。

それに伴い社員の出勤形態も変わり、
早番、遅番のみ。
社員の層が薄くなった分のフォローはパートさんに頼ることになる。

しかし、要のパートさんの1人の松木さんがその頃から更におかしくなりだした。

おかしいと言うと語弊があるかもしれないが、
仕事へのやる気が遂に全く感じられなくなり、人を不快にさせる言葉も増え、家庭の愚痴も延々と繰り返し周囲をウンザリさせているという、今までの彼女の通常状態とは言い難い話がポチポチと私の耳に入ってきた。

「完全に情緒不安定なんじゃない?
いきなり怒りだしたり、泣き出したり、せっかく話を聞いてあげてアドバイスしても全く改善しようとしてないしさ。」

パートさんが呆れた様にそう言うのを聞き、何とか彼女を救ってあげたいと思った私は、積極的に松木さんに関わりを持ち出し、私達はますますその仲を深めていった。

「綾ちゃん、カンちゃんとはまだ連絡取ってるの?」

「う~ん、たまに電話もあるけど、あんまり頻繁にできないし、もうどうでもよくなってきちゃった。」

「友達でしょ?どうでもいいなんて…」

「うん、でも年下の男の子には私の事なんて所詮分かってもらえないよ。
友達か。
私の事を受け入れてくれる人いないからよくわからないけど。」

少し自虐的に話す松木さんから寂しそうな空気がそこはかとなく漂ってくる。

「そんな…綾ちゃんの方が遠慮とかして心を開けないんじゃないの?」

「そうなのかな?
でも、私が近寄るとみんな離れて行っちゃう気がするんだ。」

自分が近寄るとみんなが離れていく?

「.綾ちゃん!私は離れないよ?
だからそんな寂しいこと言わないで!」

私の言葉に松木さんは少し意外そうに目を見開いたが、

「そう?じゃあ私のことイヤにならない?」

と何ともわからない薄笑いを浮かべる。

「うん、ならないよ。
なる理由なんて無いでしょ?」

「そう?じゃあ時々甘えていい?」

「勿論だよ!私なんかで良かったら甘えてね。」

「美優ちゃんてやっぱりお人好しだ。」

松木さんは少し皮肉な笑いを浮かべるとそのままふいっと何処か に歩いて行ってしまった。

No.73 19/01/15 13:09
自由人 ( 匿名 )

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カンちゃんの事があって以来、大ちゃんとはぎこちないままだった。

さすがに仕事の話はするが、雑談の類は一切しない。

今までは、私が折れて何だかんだと話しかけてまた元の鞘に戻り…を繰り返してきたのだが、松木さんの事で頭がいっぱいになっていた私には大ちゃんの機嫌を取る余裕もなく、
時々、ふと視線を感じると大ちゃんが何かを言いたげにこちらを見ていたり、周りを意味もなくウロウロする事にも一切気づかないフリをしていた。

そんなある日、

「私もうダメかも…
私を必要とする人なんていない…
私の居場所なんて何処にもない…
家族なんていらない…
疲れた…」

青ざめた顔の松木さんが今にも泣き出しそうな様子で言う。

「綾ちゃん、大丈夫?」

「ん。もう無理…
旦那の横暴な性格は直らないし、お義母さんは子供を自分の味方につけてるから、最近は子供も私に懐かなくなってる。
もう子供の事すらも可愛いと思えない。
家出たい…
もう何も要らない…」

「綾ちゃん!ね!今日仕事終わってから話す時間取れない?話そうよ?」

松木さんの呼吸がまた荒くなり出した様な気がして私は慌てた。

松木さんは黙って首を横に振る。

やっぱりダメか…

「ね?綾ちゃん、今ちょうど翌月のシフトを作っている最中だから店長に頼んで2人を一緒の休みにしてもらおうか?
それならゆっくり話せるでしょ?」

シフトは月終わりにギリギリに作成していたため、翌月までは数日しかない。

「月初めのこの日はどう?
今から3日後だし。」

言いながら、どうかシフトが完成していませんように!とひたすら心の中で祈る。

「うん、美優ちゃんと話したい。
でも…大丈夫?」

「うん!大丈夫だと思うよ!
店長っていつもシフトをギリギリまで作らないし。」

松木さんの嬉しさと不安の入り交じった顔を見てますます引っ込みがつかなくなった私は半ば願う様にそんな返事をした。

「うん、わかった。
仕事のふりして家を出るから、夕方まで時間作れるよ。」

松木さんがやっと穏やかな笑顔を見せる。

「うん。シフトの件は店長に頼んで来るから任せてね!」

そう虚勢を張ったものの、恐る恐る大ちゃんのいる事務所のドアを開けた私に、

「シフト出来たから渡しておく。」

と大ちゃんの淡々とした声と共に印刷されたばかりのシフトが私の目の前に突き出された。

No.74 19/01/16 22:27
自由人 ( 匿名 )

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「もう出来たんですか?」

「早い方が助かるでしょ?」

「あ~…」

いつもなら早くても明日の朝くらいなのに…

今更ながら大ちゃんとは全く噛み合わない事を実感しつつシフト表をチェックしていた私に、

「なに?何か休み希望でもあったの?」

大ちゃんが明らかに気を悪くした様な声を出す。

「あの、この日なんですけど…」

私が希望を出そうとしていた日のシフトは、松木さんが休みで私が出勤という形になっていた。

「この日?いいよ。俺が休みだから変わるよ。松木さんの休みも他の日にずらせばいいし。」

「いえ、あの、松木さんと…2人で休みを欲しいんですけど…」

「は?どういうこと?
化粧品販売できる2人が揃って店を放ったらかしで遊びに行きたいわけ?」

大ちゃんの背後から燃える様なオーラが発動しだす。

「いえ、あの、実は…」

その強烈なオーラに怯えながらも事情を説明する。

ダメかな。

考えが甘いかな。

更に気まずくなる事を覚悟しながら話し終えた私の耳に、

「そうか。ならいいよ。
話をゆっくり聞いてあげな。」

と思いがけない程に優しい大ちゃんの声が聞こえてきた。

「えっ?いいの?」

思わずタメ口になった私に、

「うん。実は松木さんの事は俺も気になってて1度本人と話をしようかと考えていたとこだったし。
先ずはミューズが話しを聞いてやってくれれば松木さんも俺にいきなり話すよりも話しやすいだろうし。」

大ちゃんが優しい笑顔でそう返してくる。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

喜んで事務所を出ていきかけた私を

「ちょっと待って!」

と、大ちゃんが呼び止めた。

「2人で休みを合わせて会うことは周りには内緒にしとけよ。
あくまでも2人の休み希望が偶然に被った事にしとけ。
他のスタッフ、特にパートさん達はこんな風に誰かと休みを合わせて遊びに行くとか出来ないんだから。
ましてや、化粧品担当者が2人揃ってだから…な?」

はい。勿論。

私達が2人で休んだら、

「化粧品のお客さんが来たらどうするの?」

と沖さんが大ちゃんににブウブウ言うんだろうなあ。

でもそれを宥める役も引っ括めて許可してくれた大ちゃんに感謝しながら、

「うん!ありがとう!」

と笑顔で答えた私に、

「おう、頼む。」

と大ちゃんも笑顔を見せた。

No.75 19/01/17 18:50
自由人 ( 匿名 )

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「おはよ~!」

改札口を出た私をいち早く見つけ、松木さんが走り寄ってきた。

「ごめんね、待った?」

「ううん。予定より1本早い電車に乗れたから少し早く着いただけだよ。
それより、遠出させてごめんね。」

「大丈夫だよ。
とりあえずそこに入ろうか。」

家や職場の近くだと職場の人や松木さんのご家族に見られる可能性がある。

電車で20分程の市内まで足を伸ばし、
そこでランチ等をして話そうという事になっていた。

まだランチの時間には少し早いため、とりあえず座れる所と私が指した場所は、駅の構内の小さなセルフタイプのコーヒーショップ。

店外側に向いたカウンターと簡素なテーブルと椅子があるのみの店はあまり小綺麗な場所とも言いがたかったが、松木さんは嬉しそうに、

「こんな所に来るの久しぶり!
何にしようかなぁ。
美優ちゃんはなに?
買っておくから場所取りお願い。」

と、いそいそと券売機の方に向かって行った。

私が奥のテーブル席に座り待っていると、コーヒーを2つトレーに載せた松木さんがこちらに向かって歩きながら、

「お待たせ~!
ちょっとこぼしちゃったよ。
ごめ~ん!」

と屈託の無い笑顔を見せた。

「こぼした分はちゃんと弁償してよ?」

「え~っ?いくらなのかな?」

「高額だから24回ローンでいいよ。」

私の冗談に更に口元を緩めた松木さんがトレーをテーブルに置くや否や笑い転げる。

「あはは、おかしい。
涙出てきちゃった。」

「綾ちゃん笑いすぎ。
笑いのハードル低すぎだよ~」

「え~っ?そうかな?
普段楽しく笑うことがあまり無いから耐性が無いのかな?」

そっか…

綾ちゃん、普段はこうやって楽しく友達と出かけたり出来ないって言ってたっけ。

目の前の綾ちゃんが無性に可哀想で愛おしくてたまらなくなり、

「綾ちゃん、今日は何でも吐き出してよ?聞くからね。」

そう言う私に、

「うん。ありがとう。
美優ちゃん、あのね、ランチはどうするの?愚痴も聞いてもらいたいけど、美味しいもの食べて楽しい事もしたいんだ。」
松木さんは少し遠慮がちに希望を言う。

「うん。考えている店はあるんだ。綾ちゃんが良いならそこにしようかと。」

「えっ?どこどこ?
美優ちゃんのオススメのお店って何だか楽しみだなあ。」

松木さんは子供の様に目を輝かせ嬉しそうにはしゃいだ。

No.76 19/01/25 21:15
自由人 ( 匿名 )

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美味しいランチに楽しい会話、
ウインドウショッピング…
ふと気づくと空には真っ赤な夕焼けが広がっている。

「そろそろ帰らなきゃ。」

同時に腕時計を見て、同時に同じセリフを発した私達2人は顔を見合わせて笑ってしまった。

「ねえ綾ちゃん、今日あまり愚痴らしい愚痴を聞けてなかったけど大丈夫だったかな?
モヤモヤ溜まってない?」

のんびり散策していた中央公園から駅へ向かう途中、そう尋ねた私に、

「うん。大丈夫。
楽しいと愚痴を言う気も無くなるし、家の話なんかしたらせっかくの楽しい雰囲気台無しになるしね。」

松木さんはそう言うと、

「さっ行こっ!」

と軽く私の腕に自分の腕を絡めると
少し私に寄り添う様に歩き出した。

「またこうやって遊びに来れるかな?」

少し甘えた様に聞いてくる松木さん。

「う~ん、私と綾ちゃんが同じ店で働いてる限り厳しいかも…
今回も綾ちゃんを心配していた店長の計らいあっての事だし…」

私はそんな松木さんに今回2人で休みを取れた経緯を簡単に説明した。

「そうなんだ。店長そんなにこんな私に気を使わなくてもいいのに。」

松木さんが小馬鹿にした様にふっと鼻先で笑う。

んっ?
もしかして松木さんは大ちゃんの事をあまり好きではないのかな?

カンちゃんと仲良かったもんね。
カンちゃんは見た目も中身も大ちゃんとは逆だもん。

大ちゃんのタイプは松木さんにはちょっと無理かも。

その点、カンちゃんは優しい見た目そのままに穏やかでかなり優しい性格だ。

「やっぱりさ、店長に気を使われても何か怖いだけだよね。
これがカンちゃんなら自然なんだろうけど。」

ちょっと冗談っぽく笑いながら松木さんにそう話を振った私に、

「カンちゃん?誰それ~?
興味のない人の事は直ぐに忘れちゃうから覚えてな~い。」

松木さんは冗談とも本気ともつかない曖昧な笑顔を向けた。

No.77 19/02/03 23:30
自由人 ( 匿名 )

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「おはようございます…」

遅番の大ちゃんが淡々と挨拶をしながら事務所に入ってきた。

「あ、おはようございます。」

挨拶を返した私の顔を一瞥すると、
ぷいっと顔を背けそのまま書類ボックスを覗き込むようにゴソゴソ引っ掻き回しだした大ちゃんの態度を見て嫌な予感がする。

またか…

どう見ても私と顔を合わせたくないからだよね?

「店長、パソコン空きましたのでどうぞ。」

ピタッ。

本当にそんな音が聞こえて来そうなほど、瞬時に大ちゃんが書類ボックス内を引っ掻き回すのを止めたのを確認した私は黙って事務所を後にした。

はあ、やれやれ。

今回はなんだ?

確か、前回は自分が気に入らない取引先の人と私が仲良く談笑してたのが気に入らないからと半日拗ねられてたんだっけ。

今回はそれよりも長引きそうな顔つきだしなあ。

少なくとも今日は会話は無いな。

案の定、大ちゃんは私に全く話しかけて来ようとせず、私も黙々と店内で1日作業を終え、さてそろそろ上がりの時間だなとチラリと腕時計に目をやった瞬間、

「田村さん、ちょっといいかな?」

後ろから妙に暗い大ちゃんの声がした。

「は、はい。」

おそらく私の上がり時間まで悶々としながら待っていたのだろう。

何が原因かは分からなかったが、わざわざ私の上がり時間まで待っていたということは、話が長引くかもしれないという事が予想され一気に気が重くなる。

「こっち入って。」

大ちゃんに事務所に入るように促され、すすめられるまま椅子に座る。

やだな。
何の話だろう。

どうにも心当たりが無く、募る不安な気持ちに耐えられなくなり、

「あの…」

と言葉を発しかけた私の声に被せる様に、

「松木さんと遊びに行ったことベラベラ言いふらしてるんだってね?
聞いたスタッフ達が嫌な気持ちになるのもわかんない?」

大ちゃんが心底呆れた様にそう吐き捨てた。

No.78 19/02/05 12:14
自由人 ( 匿名 )

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「松木さんの相談に乗ってあげたいって聞いたから休み希望を受けたのに。
化粧品販売者が2人揃って居ない事を挙げて沖さんに文句を言われたら可哀想だからって、ユッキーがその日は2人の代わりにずっとうちの店で化粧品販売してくれたのに。
なのに、当の2人は散々遊びまわってたとか…
俺に嘘ついてまで遊びに行きたかった?
忙しいユッキーに迷惑かけてまで遊びたかった?
なら最初からそう言えば?」

一気にまくし立てる大ちゃんの顔色が怒りで赤くなっている。

「あの…ごめんなさい…
私…本当に松木さんの話を聞くつもりで…遊びに行くとかそんなつもりじゃなくて…
でも…松木さんを喜ばせたくて…
松木さん美味しいもの食べて…嬉しそうで…
いっぱい笑って…幸せそうで…
ごめん…なさい…」

大ちゃんの剣幕に怯えながらグチャグチャな答えを返し、
それ以上言葉が出なくなり俯いた私の周りの張り詰めていた空気が突然フッと少し緩んだ。

「いや、どんな形にしろ休み許可を出したのは俺だから休みに何をしようとそれは自由だ。でも…」

少し優しくなった大ちゃんの声に顔を上げると、

「俺を騙して遊びに行ったの?」

大ちゃんが私の顔を少し覗き込むように聞いてくる。

私は慌てて首を横に振った。

「わかった。信じるよ。
でも、何で他のスタッフ達に2人で楽しく遊んで来たよと言いふらしたんだ?
俺の気持ちや周りの気持ちを考えてくれてないのかと思ったら…」

「ちょ、ちょっと待って下さい!
さっきから出ている、皆に言いふらしたってどういう意味ですか?
私、誰にも何も話してません!」

私はここでようやく大ちゃんの話に反論した。

No.79 19/02/06 12:51
自由人 ( 匿名 )

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「どういうこと?
ミューズはパートさん達とも仲が良いから、つい浮かれて皆に話したんじゃないの?」

大ちゃんが全く納得していない表情を見せる。

「一体誰からその話を聞いたんですか?」

「えっ?!いや…まあ…忘れ…た…」

やっぱり…
沖さん確定だな。
でもとりあえず問題はそこじゃない。

「私がその人にも松木さんと遊び回ってきたとか何とか言いふらしていると聞いたんですか?」

「いや…他のスタッフから聞いたらしくて、美優ちゃんだけが特別扱いなの?と俺に苦情を言われたから、てっきりミューズが…」

「私、最初から遊びに行くつもりも無かったし、誰にも何も話してません!!」

泣きたくなってきた。

ただ、松木さんを心配して、
ただ、松木さんの喜ぶ顔を見たくて、
ただ、松木さんに寄り添ってあげたくて、それだけなのに…

なのに、
なんでこんな風に言われなきゃいけないの?
私がそんな人間だと大ちゃんに疑われていた事が何より悲しかった。

「もう2人で休みを取ったりしません。申し訳ありませんでした。
お先に失礼します。」

私は大ちゃんの顔を見ることも無く深々と頭を下げるとそのまま休憩室に向かった。

「あれ?姉さんまだいたの?」

「あっ!美優ちゃん!お疲れ様~。」

着替え終わり店の駐車場に出た私に、そこで談笑していたらしい牧田君とユッキーが口々に声をかけてきた。

「あれ?こんな時間にどうしたの?」

思わぬ所で出会ったユッキーの優しい笑顔に涙が出そうになり、
慌てて誤魔化す様にそう聞いた私に、

「明日本社に持っていく書類でもらい忘れた物があったから慌てて取りに来たのよ。」

相変わらずユッキーの話し方は穏やかで優しい。

「ユッキー、この前は私の代わりに化粧品の販売をしてくれてたんだってね。ごめんねありがとう。」

「ああ、それね。あれは…」

ユッキーが何か言いかけたが、涙を堪えきれなくなり、

「ごめん、ちょっと急ぐから帰るね。」

と足早にその場を離れた私の後ろから、

「美優ちゃん?…泣いてた?…」

とオロオロしたユッキーの声が聞こえた様な気がした。

No.80 19/02/08 21:10
自由人 ( 匿名 )

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早く帰ってシャワー浴びて1杯やりたい。

こんな日はお風呂でサッパリした後に冷たいビールでも飲んで好きな音楽ガンガン聴いて…に限る。

なのに、

こういう日に限ってバイクで来てないんだよなあ。

朝に結構雨が降っていたため、安全を考慮し電車+徒歩で出勤した事を後悔しながら、ひたすら駅への道を急ぐ私の携帯がいきなり鳴り出した。

「もしもし?」

「美優ちゃん!今どこ?」

電話の向こう側から少し焦った様なユッキーの声がした。

「え?駅の近くだけど…」

「まだ電車乗らないで!迎えに行くから。ご飯食べに行こうよ!
どうせ暇でしょ?」

ユッキーは最後の「どうせ暇でしょ?」をわざと強調しながら笑う。

ユッキーなりの気遣いと優しさだ。

私を心配してわざわざ話でも聞こうと思ってくれているのだろうに、わざと憎まれ口をきいて軽い感じで誘ってくれる。

「うん、まあ暇だけど…」

「じゃあ決まり!駅に着いたらまた電話するから!」

有無を言わさぬ慌ただしい声と共に切れた電話を握りしめ、

「おい、まだ行くとも何とも返事してませんけど?」

と電話に向かって文句を言ってみるも、気持ちは嬉しくて仕方なかった。

私にゴチャゴチャと考える余裕を与えないためわざと早く切ったな。
それくらいお見通しだよ。
ユッキー…
いつも、ありがとね…

駅に着き、10分も待たないうちにまた携帯が鳴った。

「着いたよ~、ロータリー横の駐車スペースに車停めてるから来て。」

急いでそちら側に向かうと、駐車スペースに停められているユッキーの車が見えた。

あ…
そこは…

大ちゃん…

大ちゃんと付き合っていた数年前。

私との待ち合わせの時に大ちゃんがいつも停めていた場所…

大ちゃん…

切ない様な、悲しい様な、腹立たしい様な、寂しい様な、
ふと胸に覚えた奇妙な胸苦しさを払う様に私はユッキーの車へと駆け出した。

No.81 19/02/11 00:45
自由人 ( 匿名 )

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「そかそか、誤解されちゃったんだ。大変だったね。」

美味しいパスタと可愛い手作りケーキが人気の小さなカフェ。

ユッキーがまるでお姉ちゃんの様に私の頭を優しく撫でてくれる。

「うん、話がいつの間にか広まってて大事になっちゃってさ、大ちゃん私の事を完全に疑ってるんだもん、ショックだったよ。」

怒りに任せてタバスコをふりかけ過ぎたパスタにむせながらブツブツ言う私に、ユッキーは終始優しい目を向けてくれていたが、

「大ちゃん、きっと今頃どうしようどうしようってパニックになってるんじゃない?」

とイタズラっぽい笑顔を見せた。

「え~っ?そんなことないよ!
私と松木さんが休みの日にユッキーが気を利かせてくれてた事だってしっかり嫌味言われたしさ。」

私のその言葉にユッキーは更に可笑しそうな笑みを浮かべると、

「その話なんだけどね、大ちゃんが美優ちゃんにどういう説明をしたのかは知らないけど、実はあの前日に大ちゃんから電話があって、ミューズの代わりに1日うちの店に来てくれないか?と物凄く頼まれて急遽お手伝いに行ったんだよ。」

と私の頭をポンポンと軽く叩いた。

「えっ?!ええっ?ユッキーが自分から言い出してくれてたんじゃないの?!」

「知ってたらきっと自分からも言ったと思うけど、店長の出勤予定表しかもらってないのに、他のスタッフのシフトなんて知りようもないでしょ?」

そりゃそうだね…

「大ちゃん必死だったよ~、
まあ私も元々その日辺りに行こうと思ってたからスケジュールをちょっとやりくりするだけで済んだんだけど、すっごく感謝されちゃってさ。」

「そんなに…化粧品販売する人欲しかったんだ…」

「半分当たり、半分ハズレ。
化粧品を販売する人は欲しかった。
でもそれはね、きっと美優ちゃんが後で沖さんに嫌味を言われたら可哀想だと気を使ってくれたからだよ。」

「沖さんに文句を言われたら可哀想だから…」

大ちゃんが怒っていた時の言葉を思い出す。

あれはユッキーが言った言葉ではなく、大ちゃん自身からの言葉だったのか…

「大ちゃん、美優ちゃんのこといつも結構気にしてるんじゃないの?
今日だって美優ちゃん帰った後に…」

プルルルル

突然ユッキーの携帯が鳴りだし、

「おっ、早速かけてきたかな?」

とユッキーは意味ありげに笑い、電話に出るために店の外に出て行った。

No.82 19/02/12 22:32
自由人 ( 匿名 )

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出ていくユッキーの後ろ姿を見送った後、私は少し手持ち無沙汰気味に窓の外を眺めた。

窓の外には小スペースのオープンテラスがあり、誰もいない空間が静かにライトアップされて浮かび上がっている。

とそこに、外に出て電話で話しながら歩いてきたユッキーが、私のいる窓の近くにある椅子に座った。

ユッキーは私の視線にすぐに気づくと
、「早く食べちゃって!」と言うようにゼスチャーで合図をしてくる。

ん?
なに?
なに?

訝しげに思いながらも、言われた通りに急いで食べ終えた私の様子を見ながらユッキーが電話の相手に何かを言っている。

なに?
私に関係あるのかな?

私は2人分の荷物と伝票を持って立ち上がり会計を済ませると、外に出てテラス席側の方へ歩いて行った。

「うん…ちょうど美優ちゃん来たから…
あ、うん…わかった。じゃ…」

私の気配に気づいたユッキーはすぐに電話を切り、

「さて帰ろうか。」

とニッコリ笑った。

「え?ああ、うん。
あの、電話って誰からだったの?」

「ああっ!ごめん!お会計してくれたんだよね?」

「え?あ、うん。電話…」

「ごめんごめん、いくらだった?」

「いや、今日は話を聞いてくれたお礼にご馳走するよ。
それよりも電…」

「そお?じゃあ遠慮なくご馳走になるね!ありがとう!」

「あの…で…」

「ほら!早く乗って!置いてくよ!」

ユッキーがさっさと車のドアを開け、
私にも早く早くと促す。

電話の件は触れられたくないのかな?

私の名前が出てるのが気になるんだけど…

しかし、あまりにもあからさまに白々しく話を逸らされ続け、流石にこれは聞かない方が良いのだろうと私は質問をするのを止めた。




「え?あれ?私の家なら右に曲がった方が良かったんだけど…」

また来た道を戻る様にハンドルを左にきったユッキーに、私は疑問の声をあげた。

「うん、いいんだよ。〇〇駅まで送るから。」

「え?何の冗談?そこまで戻るよりも私の家の方が近いってば!」

私の声を無視する様にクルマは走り続け、

「着いたよ。」

と言われた場所は本当に〇〇駅のロータリーだった。

No.83 19/02/14 12:55
自由人 ( 匿名 )

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2月14日になると思い出す。

正確には、バレンタインデーでの出来事ではなかったのだけど、
それでもチョコをプレゼントする=バレンタインデーのイメージが強いのか、
何となく毎年思い出すので、番外編としてその話を書こうと思います。


「ね?唐辛子入りのチョコって知ってる?美味しいらしいよ!」

大ちゃん、ユータン、ユッキー、私の4人がまだ同じ店舗で働いていた頃、

ユッキーと2人での休憩時、
どこからそんな情報を仕入れてきたのか、ユッキーが目を輝かせて私にそう告げる。

「なにそれ?どこに売ってるの?」

「わかんない。ちょっと噂で聞いただけだし。
食べてみたいのに残念だなあ。」

ユッキーがいかにも残念そうな顔つきで言う。

ネットで何でもすぐに買える現代と違い、1990年代前半のその頃の私達にはネットで欲しいものを買うという発想がまるで無かった。

そっか~。
でも私もちょっと興味出てきたかも?

「ね?買えそうにないなら、自分達で作ってみない?」

「えっ!自分達で?それいいね!面白そう!!」

ユッキーの目が俄然輝き出した。

「よし!決まり!じゃあ明日はちょうど2人揃ってお休みだから、買い物行って私の部屋で一緒に作ろう!」

「わあ!楽しみ~!」

「だよね~!ね?大ちゃんやユータンにもプレゼントしてあげちゃおうか?」

「いいね~!美味しすぎて感涙されちゃったりして~!」

「えっ?なに?なに?俺がどうしたの?」

休憩室の戸を開けたまま、2人でキャッキャッと喜んでいる声が外まで聞こえたのか、ユータンがヒョイと休憩室に顔を覗かせた。

「あっ!ちょうどいいとこに来た。
ねっ、ユータン明日は中番で大ちゃんが遅番でしょ?
良かったら閉店後に4人でご飯食べに行かない?」

「おっ!いいね~、じゃあ俺仕事終わっても適当に時間潰して待ってるよ。
大ちゃんにも言っとく。」

ユータンが嬉しそうに大ちゃんのいる店内に向かったのを見た私とユッキーは何だか楽しくなり、顔を見合わせて笑った。

No.84 19/02/14 18:30
自由人 ( 匿名 )

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「ねえ、レシピってわかんない…よね?」

2人で出かけたスーパーの製菓材料コーナー。

ユッキーが悩み顔で言う。

う~ん…

食べた事があれば、想像で何とか近い物に仕上げる事も出来そうだけど、
全く味も知らないのにどうやって作るつもりだったんだ私達?!

と…いう問題に今更ぶち当たる。

「唐辛子チョコでしょ?
唐辛子をチョコに混ぜればいいんじゃないの?」

シンプルと言えばシンプル、アホと言えばアホな意見を真面目に述べた私に、

「そうだよね!さすが美優ちゃん!
頼りになるねっ!」

と、たまにいささか残念気味なユッキーがひとしきり感心した様に頷く。

早速「材料」を買い揃えた私達は、
ショコラティエよろしく気取った様子で私の家のキッチンに立った。

ショコラティエ達が挑戦するスペシャルチョコは、


①削ったミルクチョコレートに少し温めた生クリームを適量注ぐ。

②唐辛子(瓶入りの一味唐辛子使用)
を適量入れ混ぜ合わす。

③1口サイズのハート形アルミケースに流し入れ、ある程度冷ましたら冷蔵庫で冷やし固める。

出来上がり。

の予定。

「んっ?あんまり辛くないっていうか、唐辛子の存在感が意外とないね?」

チョコを溶かしたガナッシュに唐辛子を混ぜ入れていたユッキーが首を傾げる。

「足りないんじゃない?
もっと入れてみたら?」

「う~ん、結構振り入れてるんだけどな…
瓶を振り過ぎて手が疲れちゃったよ。中蓋開けて入れようかな?…
アーーーッ!!!」

ユッキーの突然の叫び声に驚いて振り向くと、ボールに入ったガナッシュの上にまるで「お約束」の様に丸々1瓶分の一味唐辛子が乗っていた。

オーマイガーーーッ!!!

「ふ、蓋がなかなか開かなくて…
思い切ってエイッ!ってやったら中身が飛び出して…」

と、うなだれながらユッキーがこれまた「お約束」の言葉を吐く。

「だ、大丈夫だよ。
混ぜたら案外辛味もマシになると思うよ。」

ユッキーをなだめるべく慌ててかき混ぜ、混ぜ終わった所でふと気づいた。

スプーンで一味唐辛子を取り除けば良かったんじゃ…

時すでに遅し。
後の祭り…

※覆水盆に返らず
起きてしまった事は元には戻らない。

※唐辛子瓶に戻らず
混ぜてしまった一味は瓶には戻らない。

諺というものは、実生活に密着しているものなんだなと痛感した一瞬だった。

No.85 19/02/15 12:51
自由人 ( 匿名 )

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不安しか無かった唐辛子チョコの見かけの出来栄えは予想以上に良かった。
…と、私は「個人的に」思った。

程よく混ぜた生クリームのおかげで生チョコよりもやや固め程度に仕上がったその中に、唐辛子がまんべんなく混ざり込んでいるのだが、
これがどことなく夜空に散りばめられた満点の星をイメージさせた。

うん。
意外にキレイ。
それに星空をイメージ出来て何かロマンチックだし…

赤は火星。
オレンジは金星かしら…

うっとりとチョコに見とれる私の横で、

「なんか全体にザラザラしてるし、いかにも唐辛子まみれって感じだよね。辛そう~…」

とユッキーが身も蓋もない現実的なセリフをのたまう。

「いや意外にオシャレな見た目じゃない?」

「そ、そうかな?」

ユッキーの目が何かを言いたげに泳いだが、

「美優ちゃんが言うなら間違いないね、よしっ!ラッピングしよっか!」

と、素早く気持ちを切り替えたのかいそいそとラッピングの作業にとりかかり、

「できた~!」

と出来上がった物は、

チョコを小さなハート柄の小箱に配置良く均等に並べ、その小箱をフワフワの不織布で包み、カーリングリボンをかけてアクセントに小さな薔薇の蕾の造花を添えた、なかなかに手の込んだラッピングであった。

化粧品販売のための勉強会等に参加していると、こういうラッピング技術も教わったりするのである。

「可愛いね~バレンタインチョコみた~い!」

チョコの出来栄えを見た時の異様に低いテンションから一転、ユッキーが少し興奮気味にはしゃぐ。

うんうん。
確かに予想以上に可愛く仕上がった。

「じゃあ、閉店までまだ時間あるけど、どうせ中番のユータンが暇してるだろうからそろそろ店にいこうか?」

「は~い!ねっねっ何食べに行く?
ご飯食べた後に2人にチョコあげよ~ね!」

「うんっ!そ~だね!何食べに行こうかな~」

ラッピングの可愛さとこれから皆で味わう未知の味の期待に心を踊らせながら私はユッキーの車に乗り、ユータンと大ちゃんの待つ〇〇店へと向かった。

No.86 19/02/17 23:09
自由人 ( 匿名 )

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「お疲れ様~」

「あ、ちょっと待ってて。」

店の事務所を覗くと、パソコンで何やら入力作業中だったユータンが振り向きもせずそのまま返事をした。

が、

「ん~?まだ仕事してるの?」

私の後から事務所を覗き込んだユッキーの言葉に、

「いや、もう終わるからミューズと食事に行く店決めといてよ。」

と、ユータンは手を止め振り向くと、ユッキーに向かって優しく微笑んだ。

おいこら~!
毎回毎回ユッキーと私への態度がまるで違うのはど~ゆ~ことだよっ!

ま~ったく、唐辛子チョコにタバスコクリームでも忍ばせてやろうかしら…

そう思いつつも、何故かユータンには本気で腹が立たない。

だって、ユータンは本当にユッキーの事を好きなのがわかるもん。
ユッキーの手作りチョコなんて食べたら嬉しくて嬉しくて涙が止まらなくなるかもねフフッ

自分の想像で勝手にニヤニヤしている私の横で、

「なによ~!人任せなんだから~、
焼肉にしちゃうよ~?」

ユータンに対してはいつも強気なユッキーがちょっと強めにブーブー言うも、ユータンは嬉しそうに笑うとまたパソコンの方を向いてしまった。

「うん、わかった。じゃあ休憩室で待ってるね。」

私はユータンの後ろ姿にそう返事をすると、

「まったく~」

ブツブツ言うユッキーを先に休憩室に行かせ、店内の化粧品カウンターコーナーに行くと、引き出しからサインペンと小さなハート型のPOP用カードを取り出した。

せっかくプレゼントするんだから、メッセージカードくらい添えなきゃね。

「お待たせ~!ね?チョコにメッセージカード付けようよ。」

休憩室に戻り、そう言いながらバッグからチョコを取り出した途端、

「お?なに?なに?それ?」

と背後から、ものすご~く期待に満ちたユータンの声がした。

No.87 19/02/18 13:05
自由人 ( 匿名 )

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「わわっ!」

焦ってチョコを隠そうとするも、

「なにそれ?俺にくれるの?」

人当たりが良く愛されキャラのユータンは、プレゼントは貰い慣れているらしく、冗談めかしながらも自然な態度で私の手からチョコの箱を取り上げたが、

「それ、私とユッキーの手作りチョコだよ。」

と言う私の言葉に瞬時に固まった。

「ユッキー…の…手作り…だ…と?」

…おい、どうでもいいが「ミューズと」の主語が抜けとるぞ?

「ば、ば、ばれんたいん…かな」

…おい、夏だぞ今は。
その上にバレンタインの発音が物凄くおかしい。
「ばばばれんたいん」とか、新しい夏の行事か?

私の真冬のブリザードの様に冷ややかな目とは対照的に、ユータンの目は真夏の太陽の様にギラギラしている。

「ちょっと…食べていいかな?」

「ダメだよ~!!」

ここでようやく呆気にとられていたユッキーが我に返り反対の意を唱えた。

「ぐえ~っ!!!」

余程食べたかったのか、ユータンが瀕死のアヒルの様な声を出す。

「もう見つかっちゃったんだしいいんじゃない?
私達が食べようと思っていた箱を開けよ?」

私は自分とユッキー2人の味見用のチョコの箱を取り出しながらそう言った。

「それは嬉しい!せっかくユッキーから貰った手作りチョコは観賞用に置いておきたいし。」

とユータンが何かのコレクターの様な事を言い出す。

…って、おい、「ミューズと」の主語が抜けていると何度も…

「じゃあ早速食べるよ!
いただきま~す!」

私の抗議の目をものともせず、
私の手から半ばひったくるようにして箱の蓋を開けたユータンは、

「わあ、チョコレートに何かがいっぱい散りばめられてて綺麗なチョコだね。」

とうっとりしながら口に入れた。

…ちょっと…やだわこの人。
感性私と同じとか勘弁してほしい…

「ねっ?どう?美味しい?」

待ちきれない様に味の感想の催促をしたユッキーにユータンは、

「.うん!何かこれジャリジャリしてるけど、それもアクセントになって美味い!!!」

と叫んだ後、急に、

「ぐえっはおっはひ~!!!」

とこの世の者とも思えない声を発してもがき苦しみ出した。

No.88 19/02/19 20:10
自由人 ( 匿名 )

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「辛っ!辛っ!何いれたの!ミューズ!!!」

何って唐辛子だけど…
ていうか、そういう時だけ「ミューズ制作」にスイッチするのはやめんか。

「唐辛子チョコっていうのが美味しいって聞いたからミューズと作ってみたんだけど、美味しくなかった?」

ユッキーが身体を震わせながら聞く。

「あ、いや美味しいのは美味しかったよ。ただちょっと唐辛子入れすぎじゃない?
あまりの辛さにビックリしただけ。
心配しないで?」

そんなに俺の事心配してくれたんだぁ。
でも大丈夫だよっ!
と言わんばかりに、ユータンはまたチョコを口に入れながら無理矢理笑ってみせた。

馬鹿め…
ユッキーが震えているのは、「心配し過ぎ」だからじゃなくて、
「笑いをこらえ過ぎ」だからだわ。
激辛チョコ食べて早よ目を覚ませ…

「これ味見したの?」

心の中でユータンを罵倒していた私にいきなりユータンが鋭い所を突いてくる。

「うっ…いや、まだ…」

「とりあえずミューズ達も食べてみなよ?
どうせ大ちゃんにもあげるつもりなんでしょ?」

それはごもっともだが、涙をポロポロ流しながらそれを言うユータンの顔を見てるとどうにも手が出ない。

「ねえ、それよりも…なんで…泣いてるのかな?
ユッキーの手作りで感動しまくって…
じゃ…ない…よね…?」

「アホっ!」

ユータンはぐちゃぐちゃな泣き笑いの表情のまま私達にチョコを食べる様に促した。

うっ、
仕方ない。
食べるか…

恐る恐る少しかじってみると、意外や意外、
あ…悪くない。

唐辛子とチョコが意外に合うことを初めて知る。

「あれ?案外いけるんじゃない?」

残りを口に放り込み、ユッキーに話しかけた瞬間、
それは猛烈に襲ってきた。

「辛っ!!やばっ!これ後で来るよ!」

慌ててユッキーに注意したが、ユッキーは既に号泣している。

「俺、ちょっと慣れたわ。」

相変わらずポロポロ涙をこぼしながらユータンがうそぶく。

「とりあえずこれどうする?
大ちゃんにも渡す?」

私の言葉に涙を流しながら頷く2人。

「じゃあメッセージカード書こうっと。喜んでくれるかなぁ。」

喜びより発狂のリスクの方が高めだが、

「大ちゃんにも食べさせてあげたい…」

その思いをどうしても抑えきれず、

私は込み上げる涙と鼻水をそっとティッシュで押さえながらサインペンを手に取った。

No.89 19/02/20 13:01
自由人 ( 匿名 )

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「大ちゃんへ
頑張って作った手作りチョコです。
食べてね。
ユッキー、ミューズ」

うん、これでいいかな?

頑張って作ったというより、頑張って食べる必要があるチョコです。
が真実なんだけど、それではあまりにも色気ないしね。

「んん?私の名前はいらなくない?」

ユッキーが私の手元を覗き込み、そう言いながら「書き直せ」と言わんばかりに新しいカードを私の目の前に置いた。

「えっ?なんでよ?2人で作ったじゃない。」

「いいの、いいの。
黙ってミューズからって事にしときなって!喜ぶから。」

「そう?なら、そうしようかな。
じゃあついでにキスマークとかも付けちゃったりしよかな。ププッ」

「お~っ!!いいね!やりなよ!」

私の冗談にユータンが即座に食いついてきた。

「やだよ。冗談だよ。そんな事したらその場で投げ捨てられるし恥ずかしいよ。」

「なんで?全くミューズは分かってないなあ。大喜びで持って帰るから喜ばせてあげなって!若いアイツに…(以下自主規制)」

ユータンの私への説得が何だか変態じみている…

「やだ~ユータン変態~!」

ユッキーが半分引いている。

「なに言ってんだ?!二人とも男の気持ちが分かってないだろ?
この前、大ちゃんと話した時に、
ミューズの事を…(自主規制)(自主規制)(自主規制)って言ってたぞ?」

ユータンの私への説得?が完全に変態化していて目眩がしてきた…

「げげげげっ、大ちゃんたらミューズの事をそんな目で見てるんだ…」

ユッキーが完全にドン引きしている。

「若い男ってそんなもんだよ?キスマークあげなって!喜ぶから。」

自分もまだ20代前半のユータンが何故かしたり顔で頷きながら言う。

「ねえ、ならさ、ユータンがキスマーク付けてよ。
私は絶対嫌だから。」

私の提案に嫌がるかと思いきや、

「おうっ!それ面白そう!」

と何の躊躇も無くユータンが即座に食いついてきた。

No.90 19/02/21 18:50
自由人 ( 匿名 )

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「大ちゃんへ。
一生懸命作りました。
食べてね。 ミューズ。」

よし書いた。

わざと字を小さくカードの上部の方に固めて書き、下部に余白を残す。

そこに口紅を付けたユータンが
「チュッ!」
と軽くキスをした。

「うわっ、気づかなかったけど、こうやって見るとユータンって形の良い唇してるんだね。思わず食べたくなる唇って感じ。」

ユッキーが無意識に小悪魔的なセリフを吐く。

「うほっ、そ、そう?
実物はどう?ね?どう?」

「ほらっ!そろそろ閉店作業の時間だよ。大ちゃん来る前に早く行く店決めようよ!」

案の定、調子に乗ってユッキーに向かって顔を突き出したユータンを引き戻し、あれやこれやと希望を出し合った結果、ユッキーおすすめの個室焼肉屋さんに決定した。



「あれ?もう3人とも来てたんだ。」

私とユータンとユッキーによる
「三者会議」も無事終わり、チョコを再びバッグにしまい込んだ所に、大ちゃんがひょっこり休憩室に入ってきてそう声を掛けてきた。

「あ、うん。もうお店も決めたよ!
焼肉でいいよね?」

私の言葉に、

「うん。焼肉好きだし。
それに…俺どこだっていいよ。」

みんなと一緒ならどこだって嬉しいと言わんばかりに満面の笑顔で答える大ちゃん。

まるで嬉しくて尻尾を振りまくっている子犬みたいだ。

こういう時は可愛いんだけどなあ。

「大ちゃん、そろそろ閉店作業だろ?
手伝うよ。」

ユータンが立ち上がり大ちゃんに笑いかける。

「あ、いいっすよ!僕らでさっさと片付けてきます。」

「いいって、いいって。」

「すみません。」

そう謝りながらも大ちゃんはとても嬉しそうだった。

「大ちゃん嬉しそうだね。」

2人が休憩室から出ていく姿を見送りながらユッキーに話しかけた私に、

「もしかして大ちゃんは、私達3人の中ではユータンの事を1番好きなのかもしれないね。」

とユッキーは優しい笑顔で答えた。

No.91 19/02/24 23:15
自由人 ( 匿名 )

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「さて~、そろそろ〆のデザートにいきますか?」

焼肉をタップリと堪能し、そろそろ甘いものが食べたいよねという雰囲気が流れ出した頃合をみて、こう切り出した私に、

「あ、私バニラアイス~」

「じゃあ俺は抹茶アイス。」

ユッキーとユータンが待ってました!とばかりに即答してくる。

「私はストロベリーにしよっと。
大ちゃんは何にする?」

「俺はいいよ。甘いものあまり好きじゃないし。」

私の質問に大ちゃんは、
甘いものはちょっとなあと言う風に少し顔をしかめて見せた。

「えっ?そうなの?アイス美味しいのに~」

そう言いながらアイスを注文し、
ここではっと気がついた。

チョコレート!!

「あの!大ちゃん!チョコレート食べない?」

慌ててバッグからゴソゴソとチョコレートの箱を取り出す。

「えっ?!なに?これ俺に?」

「あ、うん。メッセージカードもあるんだけど…
甘いもの…好きじゃないんだよね?」

「数個でしょ?楽勝で食べれるよ!!」

満面の笑顔でそう言いながら素早く箱を開けた大ちゃんは、

「ん?これ何か混ざってる?
いっぱいツブツブが見えるけど。」

と私に箱を差し出しながら聞いてきた。

「ぶぶっ、ぐぶっ…」

テーブルを挟んだ斜め前のユータンが奇妙な声と共に真っ赤な顔をして笑いを堪えている。

その隣に座っているユッキーに至っては、

「早く食べさせろ、早く食べさせろ。」

と言うようにチラチラ上目遣いで合図を送ってくる。

この2人ってば…

「あのね、これ唐辛子入りなんだ。
そこそこ美味しく出来たけど割と辛いんだよ。
辛いのダメだったっけ?」

つい先程までチョコを食べさせる事にワクワク感を覚えていた私も、いざ土壇場になると怖気づきひとまず予防線を張った。

「この意気地無しっ。」

向かい側の2人の心の声が聞こえてくる。

あんたら~…

「なに?3人で変な顔して。」

不審に思ったのか、大ちゃんは手に持っていたチョコの箱をテーブルに置いてしまった。

あああ~っ!!

勝手なもので、あれだけ食べさせる事に躊躇していたものが、いざ食べないとなると何としてでも食べさせたくなる。

「えっ?!食べないの?」

必死でそう聞く私に、

「俺って慎重派だから。」

と大ちゃんはすまし顔で答え、チョコの代わりにメッセージカードを手に取った。


No.92 19/02/26 12:52
自由人 ( 匿名 )

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「大体さ~、チョコに唐辛子とか
なんなの?絶対不味そう。
イタズラっぽいから止めとく。」

大ちゃんは、「その手には引っかかりませんよ~」的なニヤニヤ顔で手に持ったカードの方に視線を落とす。

ちいいいいいい。

「騙されたと思って1個くらい食べてみてよ~」

「そもそも何でそんなもん作ったの?
そんなの食べようと思うなんて趣味悪~!悪食なんじゃない?」

「ん~っ!んんんっ!」

私の向かい側にいる、言い出しっぺの「悪食女」が妙な咳払いをする。

が、大ちゃんはカードに気を取られているのか気づいていない様子で、

「これってミューズが書いたの?」

と真顔で聞いてきた。

「あ、うん。なんで?」

「いや、あの、この、何か口の形のやつって…これも…?」

口の形のやつ???

「これ…」

大ちゃんはカードのキスマークを少し恥ずかしそうに指さした。

「えっ?あ、えと…」

返事に困り俯いた私の姿を見て、
「何かを察した」大ちゃんは、

「あはは!そうなんだ!綺麗な色の口紅だな~、ミューズらしい色だよな~面白いこと考えるな~。
ありがとう。じゃせっかくだから頂きます。」

と大事そうにリュックの前ポケットにカードをしまい込んだ。

おいっ、持って帰る気だよ。
持って帰って何する気だよ…

ユータンに散々変な話を聞かされたせいか、私とユッキーの脳裏に咄嗟にその疑問が浮かぶ。

「ん?なに?」

大ちゃんが妙に機嫌の良い声を出す。

「えっ、あ、あの…チョコは?」

まさか、「あんた!そのカード持って帰って舐め回すんじゃないだろ~ね?!」
と考えてたとも言えず、慌てて誤魔化すように聞いた私に、

「ああ、せっかく作ってくれたもんな、食べるよ。」

と、さっきとは打って変わった上機嫌な様子で、大ちゃんはポイッとチョコを口の中に放り込んだ。

No.93 19/03/04 18:16
自由人 ( 匿名 )

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「ん?う~ん。
何か食感がショリショリしてる…
これ唐辛子?どれだけ入れたの?!」

「え…1瓶丸ごと…」

「マジかよ、狂ってるな。
あ~でも悪くは無い。
ちょっとピリっと来るのがアクセントになってて。」

……
…ちょっと?

「え?!(辛くて)泣きそうにならないの?」

「泣く?泣く意味がわからないけど?」

そう言いながら、大ちゃんは残りのチョコを次々に口に入れた。

その激辛チョコを何の反応も見せず次々に食せるアナタの味覚の方が余程意味わからないけど?
大丈夫か?
本当に人間なのか?

「ん。まあそこそこ美味しかった。
ご馳走様!」

いささか引き気味な3人の様子を気にすることも無く、あっという間に完食して満足気な大ちゃんに、

「あ、大ちゃん。
さっきのカードなんだけど…
持って帰るの?」

ずっと呆気に取られたようにポカーンとしていたユッキーがここでようやく口をきいた。

「うん?せっかく書いてくれたし…」

大ちゃんが心なしか少し顔を赤らめながら答える。

や~め~ろ~!!
何故そこで赤面する?!

異様に引きつる私とは逆に、
ユータンが謎の喜びの表情を浮かべる。

「あのっ、大ちゃん、キスマークなんだけどさ。誰が付けたかわかる?」

耐えきれなくなり、冗談めかしながらも暴露に踏み切ろうとした私に、

「えっ?ミューズじゃないの?
じゃあユッキー?」

大ちゃんが少し意外そうに驚く。

「この中の誰かだよ~」

イタズラ好きのユッキーがわざとからかうように焦らす。

ユータンはますます謎に嬉しそうだ。

「え~?何だよそれ~」

と言いながらも大ちゃんの顔はますます赤らみ「笑み」が一面に浮かんでいる。

ダメだ。
完全に喜んでいる…

「あのっ、これね、付けた犯人は、
実はユータンで~す!!
ははっ、私達ホント馬鹿なことしてるでしょ?」

やはり真実は伝えた方が…

大ちゃんがあのカードに何をしでかすか分からないし…

今思えば完全に大ちゃんを変態扱いしており、我ながら相当失礼な奴だったなあと思うのだが、その時の私は
「ユータンと大ちゃんの間接キス」を阻止するのにとにかく必死だった。

「………えっ?」

大ちゃんの反応は意外にも静かだった。

何か派手なリアクションをするかと思いきや、彼はその一言を発した後、静かにリュックからカードを取り出した。

No.94 19/03/09 18:00
自由人 ( 匿名 )

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大ちゃんはカードの端をそっとつまみ上げるとユッキーの目の前に置いた。

「あげる。」

「ええっ?!なんで~?!」

突然の事にユッキーが怯む。

「いらないから…」

遠い目をして大ちゃんが呟く。

「ええっ?!こんなのもらっても困る…」

こんな…の…?

ユータンの眉がピクリと動く。

「ちょっと大ちゃん!せっかく美優ちゃんが書いてくれたのに~私にくれてどうするのよっ!」

以前にも何度か書いたが、ユッキーは真面目モードや真剣モードの時には私をミューズではなく美優ちゃんと呼ぶ。

つい先程までは散々私をミューズ、ミューズと呼んでいたのに急に「美優ちゃん」に切り替わったって、どんだけ嫌なんだよ…

「だってホントにいらない…」

しかし、そんなユッキーの抵抗も無視するかの如く、
虚ろな目をして大ちゃんが呟く。

ホントにいらない…だ…と?

ユータンの眉が悲しげに下がる。

そんなユータンの微妙な表情の変化に全く気づくことなくカードを押し付け合う2人。

止めて、
もう止めたげて。
ほら、ユータンが引きつってる…

「あの…ユータン…」

いたたまれなくなりユータンにそう声をかけたのと同時に、

「大ちゃん!それはちょっと酷いんじゃないか?!」

と、それまでずっと押し黙っていたユータンが少し憤慨した様な声を出した。

おわっ、ユータン?

汚い物扱いされて怒っちゃったかな?

そう思う間もなく、

「俺のキスマークが嫌ならそれでいい!だが!ミューズがせっかく書いたメッセージを無下にするのはどうなんだ?
ミューズのメッセージも嫌ということなのか?!」

と、ユータンがカッコ良いんだか悪いんだかなセリフを吐いた。

「えっ?!ミューズのメッセージだけなら全然嫌じゃないですよ?」

正直者の大ちゃんがこれまたどストレートにとどめを刺す。

「おっ、おおっ、そか、そうなの…か…なら良かった…良かった…」

ユータンはウンウンと頷きながらそっとカードをポケットに入れた。

わあ…

結局カードは悲しみ溢れるユータンが持ち帰ったが、チョコとカードを結局どうしたのだろう。

その後ユッキーと付き合い、別れ、更には長く音信不通になっていたユータン。

些細な事だが何となく聞きそびれたまま、バレンタインが来る度何となく思い出す事を繰り返し…のまま、
今年でもう26年目になる。

No.95 19/03/09 21:35
自由人 ( 匿名 )

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チョコ&メッセージカードの思い出が長引いてしまいましたが、また本編に戻りたいと思います。



ユッキーとの食事の後、
当然私の家に送ってくれるかと思いきや、ユッキーの運転する車が着いた場所は〇〇店の最寄り駅というまさかの逆戻りに私は驚いた。

「えっ?ええっ?!〇〇駅じゃん!」

「だから~〇〇駅まで送るって言ったじゃない。」

呆気に取られる私の頬を軽くつつきながらユッキーが笑う。

「なに?本当にここから電車で帰れと?」

「あはは、ごめん。流石にそれはないよ。」.

ユッキーは笑いながら、車を駐車スペースまで移動させ停めた。

「さてと、そろそろ美優ちゃんを送ってくれる人が来るから安心して?」

「えっ?それってまさか…」

「美優ちゃんが帰った後に、牧田君と美優ちゃん泣いてたよね?どうしたんだろう?ってオロオロしてたら
それを後ろから来た大ちゃんに聞かれてたみたいでね。」

ユッキーは返事の代わりにそう話し出した。




「あいつ…泣いてた?」

ユッキー達への問いかけとも独り言とも取れる呟きに、

「何かあったのかな?」

とユッキーは既に薄々感づきながらもストレートに口に出した。

賢いユッキーは、大ちゃんに対する扱いをよく心得ている。

「うん、実は…」

大ちゃんのざっくりとした説明を聞き、

「そうなんだ。
まっ、美優ちゃんもいきなりでビックリしちゃっただけだと思うから気になるなら直接話せば?」

「えっ…でも…」

「大丈夫だよ。大ちゃんの仕事が終わるまで私がまず美優ちゃんの話でも聞いておくよ。
美優ちゃんもそれで少しは落ち着くだろうし。」

「そう?じゃあ…」

「うん。仕事が終わったら連絡して。
駅で待ち合わせしよう。」

大ちゃんが頷いて店内に戻って行く後ろ姿を見送りながらユッキーは私に電話をかけるために携帯を取り出した。


「…というわけなんだよね。」

ユッキーは話し終わるとふふっと軽く笑った。

「ちょっ、ちょっと待ってよ!
いいよ!話したい事なんてないし!」

「あっ!来た来た!」

抗議をする私の声を遮るかの様にユッキーが指さした方向から、1台の車がこちらに向かってゆっくり近づいてきた。

No.96 19/03/11 00:15
自由人 ( 匿名 )

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その車はゆっくりと私達の乗っている車の左横に停車した。

駐車スペースが少し狭めなのとユッキーの車が大きめなのが相まって、車同士の感覚がギリギリドアを開けられるくらいの至近距離になっている。

うげっ、左を見るとすぐ隣に大ちゃんが…

「ほら降りるよ。」

私に躊躇する暇を与えないかの様にユッキーが私を急かす。

「あ、あ、うん。」

モタモタとドアを開けようとしている間にユッキーはさっさと車を降り、大ちゃんの車の助手席側にまわると、空いた窓から車内に向かって何やら話しかけた。

と、ユッキーと少し言葉を交わしたらしい大ちゃんが頷いたかと思うと急に振り向いて、まるで「早く降りろ。」とでもいうように私の顔を凝視しだす。

「あっ、は、はい!」

誰もいない空間で慌てて1人呟くように返事をし、急いで車を降りるとユッキーの立っている助手席側にまわる。

「明日は✕✕店に1日いるから何かあったら連絡して…」

私が横に立つと、ユッキーは大ちゃんにそう声をかけながらも車のドアを開け、さり気なく私の背中に手を回すとシートに座るように促してくれた。

私がチョコンとシートに座ったのを確認したユッキーは、

「閉めるよ?」

と優しくドアを閉め、

「じゃあ私は帰るね。お疲れ様。」

と手を振り、自分の車に戻った。

「お疲れ様!また明後日にな!」

大ちゃんが運転席側の窓を開け、ユッキーに向かって軽く手を挙げる。

「は~い!」

ユッキーも軽く手を振ると直ぐに車を発車させ帰って行った。

……

……

……

「さて…どこか行きたいとこありますか?」

必死で首を後ろに向け、リアガラス越しにユッキーの車を見えなくなるまで見守っていた私に大ちゃんが声をかけてきた。

「えっ?ええっと、あの、どこでも…」

「絶対そう言うと思った。」

急に聞かれて返事に困った私に大ちゃんは少し苦笑しながら言う。

思えば大ちゃんは2人で会う時はほとんどといって良い程の確率で、私に何処に行きたいか何を食べたいかを先ず聞いてくる。

例え自分が行きたい場所、食べたい物を予め決めていたとしてもそれを言わずに先ずは私に聞いてくる。

適当に行き当たりばったりの私にとってそれが実は苦手だった。


No.97 19/03/12 12:51
自由人 ( 匿名 )

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懐かしの童謡で
「クラリネットをこわしちゃった」
という曲がある。
男の子がパパが大事にしていたクラリネットを譲り受けたは良かったが、それを壊してしまったらしく、その事を嘆く内容である。


1番で、
「ドとレとミの音が~出な~い♪」
という歌詞を聴き、

「ドとレとミの音が出ないって演奏する曲もかなり限られて致命傷じゃね?気の毒に…」

と同情してたら、2番の歌詞で、

「ドとレとミとファとソとラとシの音が~出なあい!」

おいっ!
それ全く音が出ないって事なんやないかいっ!!

思わずツッコミ入れてしまうレベルのたまらん童謡なのであるが、
更にそれを歌う歌のお兄さんお姉さんが、悲惨な状態になっているクラリネット&持ち主ボーイの気持ちを逆撫でするが如く、
妙に嬉しそうな顔と声で踊りまでつけ、幸せそうに歌っているという、何ともそのシュールさが印象に残る童謡であった。

で、そのシュールさゆえ、
その童謡が私の脳裏に深くこびりつき、
何か困った事態に陥った時になると、ジワジワと私の脳内にそのクラリネット…が湧き出てくる様になってしまった。

本編にさして深い関わりのないクラリネット…の説明が長くなってしまったが、
パパがとっても大事にしてたクラリネットを壊してしまった少年の困り度を想像して頂きたい。

さぞや困ったであろう。
狼狽えたであろう。
その現実から逃げたかったであろう。

車内で大ちゃんと2人きりになった私の脳内にはまさにこの時ひっそり静かにクラリネット…がBGMとして流れていた。

No.98 19/03/14 23:08
自由人 ( 匿名 )

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「とりあえずちょっと車で走りながら話しようか?
それとも何処か行く?」

「えっえっえっえ~と…」

ドとレとミの音が~出な~い♪

「なに?行きたいとこあるの?」

「えっ、いや、あの、すぐには浮かばないっていうか…」

ドとレとミの音が~出な~い♪

「じゃあとりあえず車出すよ?車で走りながら話すのね?」

「.あっ、は、はい、ド、ドライブだね!久しぶりにそれもいいかも~…」

「本気?運転するのは俺なんだけど?仕事で疲れてるから、ずっと運転しっぱなしっていうのは正直キツイんだけど?」

ど~しよっ♪ど~しよっ♪

「あ、ああ、疲れてるんだね。
じゃ、じゃあ、今日は帰ろうか?」

「は?そうなんだ…帰りたいのか。
ふ~ん、わかりました。帰ろっ!!」

ドとレとミとファとソとラとシの音が~出な~い♪

おめえが嫌味っぽく疲れてるって言うから気を使ったんじゃね~かよっ!!

「どうするの?帰るの?
なら送っていくけど?」

数分後、
話が帰る方向で決着したと思っていた私の右横からいきなり大ちゃんの更にイラついた様な声がした。

パッキャマラド、パッキャマラド、パオパオ パンパンパン♪

おめえさっき自分でも帰ろ言うたん違うんかいっ!!

だんだん面倒臭くなってきた。

さっきまで大ちゃんの機嫌を取ってビクビクしていたのだが、機嫌を取るのも面倒臭くなってきた。

もう嫌われても怒られてもいいや~

自分の言いたい事したい事を適当に言おうと決めた。

「あ!行きたいとこ浮かんだ!
前にユッキー達と4人で行った河川敷、でもあそこはここからだとそこそこ距離があるけど。」

「あの時の河川敷?」

「あ、うん。ふっと浮かんだんだ。
あの時は楽しかったね懐かし…」

言い終わらないうちに大ちゃんが車を発進させた。

「へっ?!なに?まさか行くの?遠いでしょ?」

「大丈夫!大丈夫!俺、車の運転はあまり苦にならないから!」

……

私の記憶に間違いが無ければ、
疲れてるから運転しっぱなしはキツイ言うたよな?!
その口が言うたよな?

それとも何か?
おめえの体力は数分で回復するのか?
ファイト一発リポビタンD!!

パッキャマラド、パッキャマラド、パオパオパンパンパン♪
パッキャマラド、パッキャマラド、パオパオ パン♪♪

No.99 19/03/17 20:20
自由人 ( 匿名 )

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「やっぱり帰る?」

信号待ちの車内、大ちゃんが前を向いたままポツンとそう問いかけて来た。

「やっぱり運転辛くなっちゃった?
ユッキーから少し話を聞いたから大ちゃんが仕事終わってから何故わざわざ来てくれたか大体わかったし、私も悪いとこあったからもうお互い気にするの止めるって事で解決じゃない?
だからわざわざ河川敷まで行かなくても大丈夫だよ?
話はあらかた済んだみたいなものだし。」

河川敷に行くと言ったは良いが、やはり運転が辛くなったのであろうと気を回した私はそう返したが、

「あっそう。ならもうそれで話は終わりって事ね。
じゃあ帰ろうか。」

大ちゃんは急にかなり不機嫌そうな声を出し、

「あそこのコンビニの駐車場でUターンするから。」

と後は無言で車を走らせコンビニの駐車場に入ると車を一旦停めた。

「はい、Uターンしますから。」

「あ!ちょっと待って!」

私は相変わらず不機嫌な顔で車を出そうとした大ちゃんを止めた。

「何ですか?」

「ちょっと買い物してきたいんだけどいいかな?」

「どうぞ。」

私は急いで車を降りると店内に入りコーヒーとココアを買った。

車に戻ると大ちゃんが物凄い形相でじっと前を見つめて座っている。

顔が怖ええなおい。

これは帰りの車内も気まずくなりそうだ。

つか、なんでこんなに機嫌が悪いんだ?

元々私への誤解から気まずくなって、その事を気にして話し合おうと来てくれたんだよね?

私はもう気にしてないって伝えたつもりだったのだけど…
上手く伝わってなかったかな?

それにしてもなんでこんなに喧嘩腰でつっかかって来るんだろう…

「.お待たせっ!ごめんね~、はい!これ買って来たから飲んでね?」

相手が不機嫌なのでこちらはわざと明るく優しい声を出す。

それが功を奏したのか、大ちゃんは素直にコーヒーを受け取りプシュッとプルトップを開けるとゴクゴクと一気に飲んだ。

「私も飲もっと。」

私もココアを飲もうとプルトップを引き上げようとしたが固くてなかなか開けられない。

「かして。」

大ちゃんが私の手からココアを受け取ると簡単に開けて

「はいどうぞ。」

と返してくれた。

No.100 19/03/17 20:47
自由人 ( 匿名 )

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「うっわ!さすが男の子だね~」
思わず感心した私の言葉に、

「23歳の男に男の子はないんじゃない?」

大ちゃんが苦笑する。

「ああ、もう23歳になったんだね。」

そう返しながら、
別れてから彼の誕生日におめでとうすら言っていなかったなと思った。

それはお互い様なのだが…

「この前の誕生日におめでとうも何も無かったよね?沖さ…他の人はちゃんとおめでとう言ってくれたのに。」

私の心を読んだかの様に大ちゃんが少し恨めしげな声を出す。

「あはは。沖さんは言ってくれたんだね。
じゃあこれから毎年誕生日にはおめでとうを必ず言い合おうか?」

沖さんの名前を出しかけて慌てて誤魔化した大ちゃんが何となく可愛く思え、思わずそう提案した私だったが、

「うん。でも多分そのうち忘れて自然消滅になると思うけど。」

大ちゃんがそんな私にすかさず現実的な返事を返してくる。

まあ、そりゃそうだ。

「うん。それでもねいいんだ。
それでも、いつまで続くか分からないけど、やろうよ。
七夕っぽくて面白くない?」

「なにそれ?」

大ちゃんは馬鹿にしたような声を出したが、さっきまでのトゲトゲした雰囲気は消えかけていた。

「ミューズ…」

「ん?なに?」

「帰りたい?俺といるの嫌?」

大ちゃんがさっきまでの威勢は何処へやら、少し探る様に少し自信なさげな様子で尋ねてきた。

「ん?なに?嫌な相手ならこんな風に話したりしてないでしょ?」

私の言葉に大ちゃんは頷くと、

「さっき俺の車に乗った時、ミューズが帰りたそうな顔をしてたから俺といるのが嫌なのかと思って…」

と言い訳の様に呟いた。

あ…そういう事か…

大ちゃんが不機嫌だった理由がやっとわかった。

「いや、ごめん。嫌とかじゃなくて私も気まずかったから…
仲直りしようと疲れてるのに来てくれたんだよね?本当にありがとうね。」

「俺もごめん。ミューズを疑う様な事言って。本当にごめん。」

私の言葉にホッとした様に大ちゃんも謝ってくれ、何となく仲直りをしてしまった。

何もかも違う私達はこんな些細な事ですれ違ってばかりだった。

それでも何故惹かれあったのだろう…



年月が流れ、主な連絡ツールは電話からメール、そしてLINEになったが、

「誕生日おめでとう。」

「大輔」から今でも誕生日にメッセージが届いている。


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