真夏の沖縄初めての旅

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2018/06/04 01:27(更新日時)

カバンにビキニの水着とビーチサンダルを入れて出かけた女子大生二人旅
母親同士が以前からうちらが女子大生になったら夏休みに沖縄に行かせると決めていた

出発前日に福島県から東北本線に乗って従姉妹が我が家にやって来た

その夜はうちの部屋で一緒に寝た。翌朝は早朝の出発である

スカイメイトで行く沖縄3泊4日の旅

母は女子大生となり二人だけで沖縄に出発するうちらにいつも二人一緒にいなさいと言った

17/06/15 14:27 追記
従姉妹と二人の沖縄二人旅は発展性もなく一通り書いたので
子連れ旅について書いてます

18/06/04 01:27 追記
従姉妹との二人旅からもう40年か。1978年は良い時代だった。ディスコに明け暮れ世の中がディスコに湧いた。

No.2478767 (スレ作成日時)

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No.201

小さい頃に家族で母の実家に行くと

おじいちゃんはオペルというワインカラーの車でお迎えが来て毎朝出勤していた


母の両親であるおじいちゃんとおばあちゃんは大好きだった

特に母方の祖母であるおばあちゃんは料理が好きな人で


幼少の頃の母の実家では我々の注文を聞いて目玉焼きを焼いていた


海外のリゾートホテルの朝食会場であるコーヒーハウスにエッグカウンターがあって
注文して卵を焼いてもらえたそんなリゾートホテルを思い出した

No.202

数年前に父が亡くなると
叔母がかけつけてくれた

両親のマンションに叔母と二人の息子さんと
私の二人の弟家族

夜になり私の息子と旦那が集まった


私は皆にハウスバーモントカレー甘口でカレーライスを作ってふるまった


叔母がそんな私を見て亡くなったおばあちゃんに似て来たね、と言ってた


料理を作って皆にごちそうするのが好き

No.203

私が夕食の買い物に出かけてる時に

東京に出張中の関西の次男さん従兄弟が線香を上げに来てくれた


大好きな大好きな従兄弟


私の帰りを待たずに帰ってしまったと聞いて残念


関西の次男さん従兄弟は音楽的に大きな影響を受けた人だ


私とちょっと個人的プライベートな交流のある渋くてかっこいいギタリストの沢木とも共通の知り合いが何人かいるそうだ

No.204

もう4年前になるが
桜が満開の時に父の姉である伯母が亡くなった

こちらは関西の伯母と呼ぶ事にしよう

当初、上の弟が葬儀に出るという話があったが

学生時代から関西の伯母の家に長逗留していた私が葬儀に出る事になった


それから四十九日や一周忌や三回忌も弟でなく私が出席した

十代の時と同じ感覚でつい長男従兄弟さん夫妻には甘えてしまっていた


2年後に七回忌か

No.205

真夏のフラメンコという歌を思い出した
オックスの歌

リアルタイムでは聞いてません

No.206

母の姉上である伯母は福島県の伯母

以前、薔薇美がまだ最初のイケメン夫と新婚だった頃に

皐月の実家に滞在していたら

伯母は薔薇美とイケメン夫に二人でお風呂に入って来なさいと言ってた

私と皐月はうわあーって思った

薔薇美は長女を妊娠していてお腹が大きかった


皐月と私は沖縄に行く前だったか後だったか記憶がちょっとあやふやになってる

二人でお風呂❗うわぁーっだった

  • << 288 その薔薇美だけど実家であるその二世帯住宅に入れないでいる 入る事を許されてるのは 薔薇美の長女のみ 彼女が祖母である薔薇美と皐月の母親のお食事の世話をしてる

No.207

伯母のエッチ❗


伯母は母と仲良かった頃は

あの堅物の母相手にかなりエロトークしていたらしい❗


いやいやうちの母だって上品ぶってるけど内心は❗


弟がまだ大学生の頃に弟の彼女(長男弟の嫁)が来ていた時には
帰宅時間がどうの

弟の部屋でドア閉めて彼女といただけで抱き合ってたんか!といきなり弟に詰問したそうだ

No.208

皐月と沖縄に行く前だったか帰って来た後だったか

皐月の家の二階で皐月と二人でいた時のことだ


二階は伯母と伯父のリビングと寝室になっていた


皐月は戸棚の引き出しを開けた


私は皐月の行動を黙って見ていた


引き出しには長方形の紙の箱が置いてあった


皐月が箱を開けると
個別包装された薄っぺらい正方形の衛生用品が出てきた😨

No.209

皐月は個別包装の正方形の包みを破り

中に入っていた衛生用品を取り出し

クルクル丸められていたそれを引き伸ばし

透明な袋状の物体を伸ばして観察していた


私はただ驚いてた


皐月は両親がまだこんなの使っているのかなどと話していた

皐月って好奇心が強いね


私はまさかあの年齢の伯父と伯母が使ってるとは思えないと話した

No.210

私は自分の両親に関しては

末の弟が生まれた後は一度もそのような事を両親はしていないと思ってる

No.211

以前勤めていた職場で毎年秋の慰安旅行へ行っていた

慰安旅行では

女だけで七人から十人ぐらいで集まって

宿のテレビの有料放送を見た


年上の女性の先輩もノリノリで有料放送を見ながらコメントしていた


職場の仲良しの女性同士集まると

そういう話しも自然にした


仲良しの女友達の一人とツアーで旅をした事あるが

そういうガールズトークも普通にした

No.212

皐月と二人の沖縄でも
自分達の事はぶっちゃけてはなかったけど
そういうのに興味があったから

そういう話しも普通にした


旦那と結婚して新婚旅行から帰って来たら
他人の前では上品ぶってる母親に旦那とのプライベートを質問された

一応さらっと答えた

No.213

沖縄の魅力あれこれ

西海岸の魚料理

お刺身や魚のバター焼き

No.214

本島南部のまぐろ基地

お刺身とエビフライ

No.215

民宿やペンションは味わい深い滞在ができる

宮古島の民宿に滞在した時は おとーりに参加した

No.216

子連れ旅行沖縄

子供の年齢;二歳2ヶ月

JALで羽田から那覇へ
ホテルはルネッサンス

まだまだ赤ちゃんな二歳2ヶ月


ホテルのカジュアルなレストランで食事しました


10月はじめの沖縄は夏の日差し

思いきり砂遊びさせました


砂遊びセットは現地で調達


帰りは羽田から電車

眠ってしまって駅で電車を降りて子供を抱っこして荷物もあって


タクシーはお金かかるけど

子連れ旅はタクシー利用が◎


行きは電車とモノレールで羽田へ行った

✏これがあると便利

♿育児の強い味方;折りたたみ式のコンパクトなベビーカー

♿子供が眠っても大丈夫


♿コンパクトなバギーは子連れ旅には欠かせない


二度目の沖縄は子供が二歳になって子連れでした

No.217

短大生時代の沖縄二人旅はどう逆立ちしても続きを発展させられそうもないので
子連れ旅の沖縄について書いて行きます

沖縄と合わせて幼少期の子供を連れてのアジアなんかにも触れてみます

No.218

最近よく思う事

子育て時代の育児に手がかかる頃は良かったなあ


🚲に小さかった子供を乗せて近所の園芸センターへ

セントポーリアの鉢植えを持った一歳の頃の息子が可愛かった

男の子だけど物心ついてなかった頃は可愛い服を着せていた

かなり可愛がって育てたけど最近の息子はちょっとね…


自立したからだと思うけど

寂しく思います


息子が遠い場所に行ってしまった5年前から

息子が赤ちゃんだった頃のことばかり思い出します


自立して遠くに居て寂しい…偽らざる本心だけど

息子の自立を遠くから見守ってる


日本国内の仕事で家から通えれば

毎日夕食や朝食を用意してあげられる

遠くの場所で一人暮らしの現在

自炊しお弁当を作って車で出勤している

No.219

今の勤務地に来た時はペーパードライバーだったけど

会社から車を足として通勤に使うよう言われた


会社の運転手に横に乗ってもらって練習したそうだ

No.220

若いから外にばかり目が向いてるから仕方ないが

あまり向こうの生活や勤務地のことを話してくれない

写真も見せてくれない

小さかった頃は可愛いがって育てたのになあ…


子供が自立して遠くに居るから

普段は節約して旦那と二人で質素な生活をしています


小さかった子供との旅行について書いて行きます


最初の子連れでの✈空の旅は鹿児島

二回目も空の旅は鹿児島

父親の定年後の勤務地が鹿児島でした

公団住宅に住んでいて
一歳になったばかりの時に初めての✈

夏の鹿児島の空港を出てクアラルンプールのような空でした

電車で指宿に行きリゾートホテルに泊まりました

赤ちゃん連れのホテルは工夫が必要

ツインのベッドをくっつけて真ん中に寝かせた


出来れば部屋食で畳の部屋の旅館とかコンドミニアムのほうが赤ちゃん連れの旅には向いてる

No.221

二度目の鹿児島は一歳10ヶ月のゴールデンウィーク


鹿児島から宮崎で

まだ海水浴には早いけど

波打ち際で遊んでたら
服を着たまま海に入ってしまった


指宿では海を怖がり
ビキニの水着姿の私にしがみついてましたが

宮崎では海を怖がることもなく楽しんでた

No.222

子連れ✈空の旅

三回目は 新加坡

成田からキャセイ航空で香港経由シンガポールへ

宿はマリーナ地区のパンパシフィック


折りたたみ式のバギー持って家族三人で成田からキャセイ航空へ


海外旅行前夜は成田空港そばのホテルに泊まりました


子連れ旅は子供の体調第一が鉄則

No.223

パンパシフィックホテルからの窓の外の夜景が美しく

興奮して眠れなかった

ツアーについてる観光はパスしてゆったり行動しました


家族で観光中に写真愛好家の撮影会に出くわし

華人のモデルさんに息子は抱っこされて撮影写真を撮られてた


写真愛好家が宿に写真を届けてくれた

文字の字体がシンガポールやマレーシアのペンフレンドを思い出させる字体で懐かしく感じた


マーライオンやサルタンモスクを観光し

アラブストリートやリトルインディアで布地を買い物した

食料品スーパーも見て歩き

マリーナスクエアで服を買った


帰りは香港経由キャセイ航空成田行き

新宿のヒルトンに泊まって帰った

No.224

香港経由はくたびれた
直行便のほうが疲れが少ない

特に子連れ旅では直行便が◎

新加坡なら

SQ11便が楽

7時頃成田発で到着は深夜だがこれが楽

子供が二歳になってすぐ Singapore

次の✈空の旅が沖縄

沖縄について書いていきます


10月の沖縄本島西海岸はまだ夏の日差し

ルネッサンスリゾートのコーナーツインのベランダの椅子に座り親子で海を眺める

平日に出かけたから母と息子の二人旅

親子二人旅の初の空の旅が沖縄西海岸

宿はルネッサンス

食事はカジュアルなレストランのワンタンが美味しかった


子供と海水浴

子供と砂遊び


子連れ旅は楽しかった


私は若かったからビキニでした


日本人の女性達は子育て中の母親ならタンキニやスカートつきのワンピースだと言うでしょうけど

出産でかなり痩せた私は迷わずビキニを着た

独身時代のホノルルで買ったビキニを愛用していた

No.225

母親になって痩せてビキニを着てたけど
ボーイハントはしなかった(笑)


従姉妹じゃあるまいし(笑)


子供を抱っこして海で泳ぎ

砂浜で砂遊びセットで子供と砂遊び楽しかった


アジアのバリやプーケットじゃないから
ビーチボーイにナンパされる事もなく

子供と二人

楽しく海で遊べた


後に子供が小学生の時にペナン島でビーチボーイならぬビーチオッサンから

ジェットバイクに乗るよう勧誘された事もあったな(笑)

ペナンの海、かなり海洋汚染が酷く泳ぐ気にはならなかった(笑)

No.226

ルネッサンスリゾート

この時期はホテルにディスコがあったかも知れない

子連れで踊るわけにも行かず

行かず終い


沖縄西海岸の旅が二歳2ヶ月

次は二歳9ヶ月の沖縄宮古島の旅


4月の半ばを過ぎて仕事が忙しい旦那に
泊まりがけで仕事に集中したいから二人で何処かへ旅行して来いと言われた

かねてから気になっていた宮古島の東急リゾートへむかったのが4月の末だった


沖縄は曇りや小雨の天気が続いていて


初日は中城の沖縄シェラトン

ここは経営難で潰れ現在は別の経営か


翌日宮古島へ


宮古島三泊


タクシーで観光し海水浴には水が冷たいので

砂遊びセットで前浜ビーチで沢山砂遊びさせた


洋服が汚れても思いきり砂遊びさせて

砂を流してホテルの部屋のお風呂で温まり

宮古島をタクシー観光して果樹園へ出かけた

この果樹園は後に親子でお気に入りの場所となる

No.227

従姉妹同士の沖縄旅行は若かったから出来た
今は疎遠になってしまっているけど会えば仲良く話せる

長い年月がたって年を重ねた二人が再び沖縄とかはあり得ない

若かったから沖縄旅行に期待も大きかった

片方は子供がいて片方は子供がいない

No.228

うん十年たった皐月とあやめ

もうすぐうん十歳か
携帯小説らしくその後の続きでも考えて書こうか


皐月とあやめが十代の頃は姉妹である母親同士も頻繁に連絡を取っていた


もうかれこれ二十年以上も前になるか

祖母の死と皐月の父の死が相次いで

皐月の母親は金の亡者となり祖母の残した遺産を独り占めにした

皐月の母はあやめの母に金返せの暴言電話を二十年以上前から頻繁にかけた

あやめが母の日に母の家に行くと

皐月の母親から携帯に金返せの暴言電話がよくかかって来ると言う

あやめは母親に番号拒否すればと勧めた

まあどうでもいい事だ

物語を考え、皐月とあやめの物語でも書こう

皐月の母親とあやめの母親ともう一人の妹の三人姉妹は昔から争いが絶えなかった

それを間近で見てきたから

皐月とあやめはケンカしなかった

No.229

また従姉妹の皐月と旅をするとしたら沖縄というビーチリゾートでなく
お互い歳を重ねたから温泉になるのかな
海外だのビーチだのは皐月は旦那さんと行ったほうが今はしっくり来ると思う

No.230

皐月と沖縄に行った時代の思い出話し

それぞれボーイフレンドに振られて

ちょっと淋しい気持ちで沖縄に来た

皐月は沖縄で頑張っちゃおうねと言ってた

何を❓とツッコミは入れなかったけど

真夏の沖縄で開放的になることかなあと漠然と思った

No.231

あの頃流行っていた曲はミスターサマータイム

当時のボーイフレンドには振られてしまったけど

その切ない気持ちにぴったり来る曲だった

No.232

ディスコブームに沸いた年で

ディスコは当時のボーイフレンドに連れてってもらった


ディスコブームが廃れてしまったのが残念


ディスコミュージックのアルバムは揃えた

No.233

あの時代の沖縄二人旅

まだ若かったから傲慢だった


美人でスタイルが良い皐月とそうでもない私

勝ち組の皐月と負け組の私


この歳になって二人だけで旅に出かける事はやっぱり考えられない

子供のいない皐月と子供がいるあやめ

旅に出たとして話題はそれぞれの家族かそれぞれの母親や兄弟の話か

ガールズトークはねえ

ちょっとね


やっぱりお互いの旦那も一緒に四人で行くほうが良いかもね

No.234

いい歳した妙齢の二人がビーチへ二人旅というのも限りなく不協和音を奏でる

もう若くないのである

色んな意味でね


若くないから抱えてるものが色々ある


海水浴主体の旅は難しくなっている

No.235

小説でなくつぶやきみたいになってしまった

皐月の母親とうちの母親はかつては一卵性姉妹と二人で言うほど仲良しだった

姉妹である母親同士がうちらの沖縄二人旅を計画していたのは一年くらい前だったか

まあ色々あったが親がお金出してくれて沖縄のような国内でも遠い場所に旅行させてくれた事はめっちゃ感謝してる

No.236

皐月は福島の短大の保育科で私は都内の短大の英文科だった

旅の申し込みは私が主体となってやっていた

短大の級友達にも夏休みの沖縄旅の事は話した

短大の級友達は私の沖縄旅行で盛り上がった

またその頃付き合っていた中大生の親が経営するお店で級友達と親睦会をやったことがある


そんな背景もあって私は級友達の話題の中心になっていた

No.237

沖縄旅行を控えて

6月頃に渋谷でビキニの水着を買った

私に取っては初めてのビキニだった

トロピカルな花柄

開放的な真夏のビーチに想いを馳せていた

No.238

中大生以外にも時々会う男性がいたが

そちらは皐月にも友達にも言わなかった

皐月も同じだったのだと思う

ダンスパーティーで知り合ったチャラい医大生以外にも秘密の存在が居たのだと思う

No.239

皐月が黒のタンクトップに黒の膝下ティアードスカートだったので

私も似たような感じで出かけた


皐月のビキニは花柄で白地に鮮やかなピンク色のトロピカルなハイビスカスの花の柄だった

バレエで鍛えた皐月は美しかった


私は…というと……余り

No.240

あの頃聴いていた曲はサタデーナイトフィーバーのサントラアルバムだった


他にディスコミュージックで

let's all chant


フュージョンではリーリトナーand ジェントルソウツのキャプテンカリブ

No.241

帰りにショッピングセンターや洋服の店を見て歩く事は多く
そういった店ではアース・ウィンド&ファイアーの宇宙のファンタジーがよくかかってた


ディスコへは数回出かけたが

いつも夜の9時には店を出ていた

ディスコへ毎回エスコートしてくれた中大生は

いつも帰りは新宿駅まで一緒に来てくれて駅で別れた

No.242

私と出会う以前に5歳年上の恋人がいたと言っていた

恋愛の醍醐味全てを味わい尽くしたのだと思う


中大生とは2ヶ月くらいの淡いお付き合いだったけど

お互いに三十代半ばの時に一度だけ再会し喫茶店で会話した事があった

No.243

18の頃の私は中大生には残念ながら振られてしまっていた

30代半ばになりその時の私は話題が乏しく物足りなかったのでしょう?

と率直に聞いた


《いや、好きだったよ。でも純情過ぎて俺を信じてたから重かった》


そうだ


またこうも言ってた

《それから暫くして連絡したかったけど電話番号書いた手帳を無くして連絡できなかった》


そうだ


こうも言ってた


《🌠りたかったよ》

へえ? そうだったの?


《あやめちゃんが擦れっ枯らしだったら🌠れたけど、あやめちゃんが純粋過ぎてけがれがないからできなかった》


という理由でふられたそうだ

No.244

私が18の頃にプラトニックな清いお付き合いしていた中大生は
三浦友和に実は似ていた

所が


三十代半ばになり再会すると…ビジュアルが変化し


秋元康夫さんのような雰囲気に変わっていた

No.245

お互い30代半ばになり
色々お互いにぶっちゃけた

今更 中大生とよりを戻す気持ちはなかった

中大生の本音が聞けてちょっと勉強になった

No.246

皐月に関しても

完璧な容姿を持ち若くスタイル良く顔も美人でお洒落な皐月でさえ

チャラい医大生に振られたそうだった


その翌年の弓が浜での民宿のガールズトークで

《医大生とは何もなかった、素っ気なくされた》


と語ってた

No.247

弓が浜は翌年で雨降りだった

8月の半ばも過ぎて残暑の頃だっただろうか


皐月は皐月で詳細は言わなかったけど

私にぶっちゃけてくれた


ああ…そうなんだ


と思った


従姉妹同士


どこかシンクロする私と皐月


数年後……沖縄二人旅から7年後の秋だった

結婚が先に決まった皐月と二人で神戸へ一泊の旅


異人館を見て夕食は中華だった


私が率先してガイド的な役割をした

No.248

皐月と二人の神戸は10月だったか11月だったか

たぶん10月だっただろうか


翌年の1月半ばが皐月の結婚式だった

No.249

小さい時から比較されながらも一緒に育って来た同じ年生まれの皐月の結婚が決まった事は

私も頑張ろうと思った


その頃 旅行で出かけた海外で

真面目で誠実な外国人の青年に出会い好感は持ったが


それほど強い《好き》ではなかった


まだまだ海外に出かけてその青年や

近隣の国のマイケルジャクソンに似た年下の外国人の青年と楽しく国際交流は続けたかったが


私は私なりに

大きな流れに乗る事になった


皐月達を取り持ったお見合い相手紹介おばさんの世話で翌年お見合いした


皐月達の結婚式のちょっと前だった

No.250

小さかった時から双子のように一緒に大きくなった皐月だから
同じお見合い相手紹介業を営むおばさんの世話になる事は安心だった


外国人男性はどこか浮世離れしていて絵空事のような出来事だった


好感を持った外国人男性の自宅で家庭料理をごちそうになったが

唐辛子が半端でなく沢山使ってあった


食文化の違い、体質の違い、生活の違い

観光旅行で立ち寄った家で頂いた家庭料理は美味しかったけど

胃がピリピリしたので半分ぐらい残してしまった


結婚して嫁になったら
嫁ぎ先の料理の味を体で覚え

スパイスも唐辛子もその家庭に合う使い方をしなければならない

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