『彼女が泣いた夜』
ヲタクな彼女と陸上バカな僕の話。
読んで頂けたら嬉しいです。
新しいレスの受付は終了しました
僕が彼女を始めて見たのは、漫画とかドラマみたいな運命的なものではなく、
ただ大学の大講義室でのことだった。
心理学の講義があまりにも退屈すぎて、僕は周囲の人間をぼんやり観察していた。
大抵寝てるか、携帯いじってるか、だな
しかし斜め前の席の女の子は、背筋を伸ばして凜とした姿勢で講義を受けていた。
姿勢の良い人だなぁー
始めは単純にそんなことを考えていた。
けれどやがて僕は彼女から目が離せなくなった。
彼女の暗めの茶色に染めた長い髪と、そこから見え隠れする彼女の横顔に、僕は目を奪われたのだった。
綺麗な人だ。
ありたいていにそう思った。
僕は講義の時間中、彼女の横顔を見つめ続けた。
そして講義が終わったあと、友達と話しながら席を立とうとする彼女が、いよいよこちらを振り返った。
正確には僕の方に振り返ったわけではないのに、僕にはそう見えてしまった。
ーやっぱり綺麗だ。
真正面から見た彼女の顔もやっぱり綺麗で、"美人"という表現より、"綺麗"が一番しっくりくる気がした。
「ハルカー、部室寄っていいー?」
隣の友達がやたらと大声で彼女の名前を呼んだ。
『ハルカ』
それが彼女の名前らしい。
僕は彼女の顔とその名前を頭に刻みつけた。
それから僕は食堂だったり、講義室だったり、自転車置き場だったり、彼女を発見するたび、彼女に密かに視線を送っていた。
ハルカ。名前しか知らない彼女。
ロクに恋愛したことのない僕には、彼女に近付く方法が分からず、正直この状態で満足していた。
「中学生か、おまえは」
と、横でカツ丼定食を食べている矢倉が言った。
矢倉は勘のイイ奴で、僕は彼女の話なんて一切していないのに、ある日突然『あの子のこと見てるだろ?』とニヤニヤしながら聞いてきた。
僕は矢倉の断定的な言い方に驚きつつ、彼女のことを話した。
まぁ話すまでもなく、ただ心理学で見た女の子が気になる、ってだけだけど。
「いい加減、話しかければいいのに」
「話すってどうやって?」
「さりげなく講義の時間に、『ねぇこないだ俺のアパートで君を見た気がするんだけど、もしかして同じアパート?俺はサンビオラってとこなんだけど』とか」
「嘘じゃん」
「嘘の何が悪い!嘘も方便と言うじゃないか!」
「って言ってもなぁ」
「じれったい!お前はこのまま大学生活まで陸上に捧げていいのか!?」
「何だよ、陸上漬けの何が悪い」
僕は少しムッとして矢倉を睨んだ。
「別に悪くもないけどな、陸だって彼女欲しいと思うだろ?」
「まぁそれはそうだけど」
「彼女がいると潤いが違うぞー」
すると最近彼女が出来たばかりの矢倉は嬉しそうに彼女の話を始めた。
僕だって彼女が欲しいとは思う。
昔からかけっこだけは得意だった僕は、中学も高校も部活はずっと陸上部。ひたすら短距離の世界に打ち込んできた。
鷹野陸(タカノ リク)という名前から、"お前の名前はピッタリだ"と何人もの友達から言われてきた。
高2の冬、オフシーズンに一度だけクラスの女子と付き合った時も2か月でフラれた。キスさえしなかった。
その時は告白してくれたその女子にどう接すればいいのか分からなかったのだ。
そんなわけで僕は恋愛に自信がない。
ましてやあんな綺麗な"ハルカ"に気安く話しかけるなんて、僕が二重人格でない限りきっと無理だ。
僕が初めて"ハルカ"を見た日から2か月が過ぎた。
すっかり冬めいてきて、日が沈むのが凄く早くなった。
陸部の練習も冬メニューに移行し、なんだか少しだけダラけた雰囲気が短距離班には漂っている。
そんな練習終わりの金曜日、短距離班の先輩が「プレ忘年会」という名目の飲み会を開催した。
大学ほど近くにある『ゴンガガ酒市場』という変わった名前のこの居酒屋は、チェーン展開の居酒屋より洒落た内装をしていて、
その割に値段も安いし料理もうまい。割と評判のいい店だった。
酒の弱い僕は運ばれてきた梅酒ロックをちびちび飲みながら、先輩の単位取得のコツ話に耳を傾けていた。
「生3つお待たせ致しましたー」
そこでふとビールを持ってきた女性店員に目をやった。
この店で女性の店員はあまり見たことがなかったからだ。
「…あっ!」
"ハルカ"だ。
生ビール3つを運んできたのは紛れもなく"ハルカ"だった。
「あ、有沢さんだ」
僕が"ハルカ"に気が付いてから数秒後、幅跳びの野村がビールを受け取りながらハルカに話しかけた。
「あーはい、えっと…」
名前を呼ばれた"ハルカ"は困ったように苦笑いを作った。
「ごめん、俺野村ー。可穂と同じ高校の。てか話した事ないんだけど、可穂から話聞いてたからさー」
「あー可穂の!」
そこで"ハルカ"もとい有沢さんは納得したように途端に笑顔になった。
かわいい。
かわいすぎる。
「ここのバイトは最近ー?」
「はい先月から。だからまだ分からないことだらけで」
「俺ら陸部、よく来るしまたよろしくねー」
酔っ払っているらしい野村は陽気に有沢さんに手を振り、有沢さんはぺこりとお辞儀して去って行った。
「何だよ野村、あの子めっちゃかわいいじゃん、紹介しろよ」
途端に先輩たちが野村に詰め寄ったが、野村はヘラヘラと
「だから俺だって今初めて話したんすよー紹介なんて無理すよー」
と呂律の回らない口調で言った。
それから有沢さんは何度かアルコールや料理を運んできては、陸部の誰かに絡まれていた。
でも慣れているのか笑顔でそれをやんわり受け流していた。
僕はというと、話しかけることすら出来ないまま、
でもあまり見つめ続けると不審がられると思い下ばかり向いていた。
クソ
僕ってやつは何でこうなんだ
何か、何か話さなければ…
そうやって自分を奮い立たせるものの、結局話すことのできないまま飲み会は終了した。
『ゴンガガ酒市場』を出る間際になって、僕は猛烈に後悔し始めたけれど、何も出来なかった。
そういうわけで僕は初めて"ハルカ"の声を聞き、フルネームを知り得た。そしてアルバイト先まで知ることができた。
そして飲み会の3日後だった。
僕が野村を含む陸部のメンツ5人で食堂にいた時のことだった。
突然野村が声を上げた。
「あー可穂!」
「あ、野村じゃん。久しぶり」
可穂と呼ばれた利発そうな女の子の隣には、まさかの有沢さんが立っていた。
可穂という子が野村の横に座り、有沢さんはその隣に座った。
僕の位置からすれば一番遠い距離だ。
「有沢さんって学部どこ?」
すかさず一番近い距離にいる中澤ことナカちゃんが有沢さんに話しかけた。
「社会学部」
有沢さんは素うどんをすすりながら答えた。
綺麗な有沢さんが素うどん…!!
その光景を見た僕は猛烈に感動してしまい、有沢さんから目が離せなくなった。
「シャガールかぁ…まさしくってかんじ!…てかお昼それだけ?」
ナカちゃんは会話をもたせようと慌ててそう聞いた。
やはりしがない体育会系。僕たちは一様に女子の扱いが苦手な奴が多い。
「うん、お金なくて。ほんとはA定食が良かったんだけど」
「あ、そうなんだー下宿?」
「そう。…えっと」
そこで有沢さんは思案するようにナカちゃんの顔を見た。
「あ、中澤です」
「中澤くんは寮?」
「そーそー。あの陸部の古めかしい春日寮」
「そっかー」
「あ、それでこいつが尾坂で、その隣が…」
ナカちゃんは思い出したように唐突に、僕たちの紹介を始めた。
なんて脈絡のない…!
内心そうツッコミつつ、でも自分に置き換えてみたら、きっと僕の方が素っ頓狂なことを口走っていたに違いない。
「…で一番奥が鷹野陸。名前の通り、陸上バカ。Mとしか思えないくらい練習大好きの変人」
「…バカ何言ってんだよっ。Mじゃねーよ!」
紹介されたらきちんと「よろしく」と言おうと思っていたのに、ナカちゃんの余計な説明のせいでツッコんでしまった。
「あ…よろしく」
僕は取り繕うように、できるだけ有沢さんの方をまっすぐ見て言った。
でもとても直視できないほど、僕は緊張していて、有沢さんと目が合うと更に緊張は増した。
僕はすぐ目を逸らそうとしたけれど、有沢さんがじーっと僕の方を見るので逸らせなくなった。
「…ねぇタカノくん。もう1回話してみて?」
「へ!?」
「いいから!じゃぁ出身地と好きな食べ物教えて?」
「え、あー、出身は鳥取で好きな食べ物は…ラーメンかな」
僕が慌てながら、そう言うと有沢さんは大きな目をより一層見開かせた。
「タカノくん、いい声してるね。よろしくね」
そう言って有沢さんは素敵な笑顔でニッコリ笑った。
僕はナカちゃんをはじめ、周りの奴らから「なんでお前なんだよ」的な視線が送られてくるのがヒシヒシと分かった。
「あ、そーだハルカ。今井先生んとこ行かなきゃ」
不意に野村と話し込んでいた可穂という女の子が有沢さんに声をかけた。
「そーだった!」
有沢さんは急いでカバンを手に取り、僕たちに「じゃぁまた」と言って、颯爽と去って行った。
僕は有沢さんが僕に話しかけてくれた内容を反芻しながら、余韻に浸っていた。
よく分からないけれど、この声で良かった、と本気で思った。
「はー彼女は陸みたいのが好みなのかぁ」
ナカちゃんが羨ましげに僕を見た。
「みたいなの、ってなんだよ。失礼な」
「だーって陸は顔は悪くないけど、陸上以外はかわいそうなくらい不器用すぎるし。彼女にはもっと大人な男が似合うだろうにと思うわけで」
ナカちゃんはそう言って長いため息を吐いた。
「悪かったな、まだまだガキで。つーか不器用とかナカちゃんに言われたくないし」
「まっ何はともあれ頑張れよ」
その夜、寮に帰ると隣の部屋の野村がチューハイ片手にやって来た。
「陸、有沢さんに気に入られたんだって?」
「気に入られたっていうか…」
「どうやら可穂に聞いた限りでは、有沢さんは一筋縄ではいかないらしい」
「重い過去があるとか?」
「それは教えてくれなかったけど、とにかく『あの子は難しい』って」
「そうなんだ…」
「ってか彼女かわいかったなぁー。俺もかわいい彼女欲しいなぁー」
「野村は続かないよなぁ」
「俺は運命のヒトを探し求めているのだ!」
「…チューハイ一缶で酔ってるのか?」
僕は呆れつつ、野村を宥めた。
そして昼間食堂で見た彼女の笑顔を思い出していた。
彼女が「よろしくね」っと言って僕に向けた笑顔。
彼女は笑うと目尻が下がって、本当に楽しそうに笑う。
その笑顔のかわいさと整った綺麗な顔つきを持ち合わせた彼女。
あんなに素敵なのだから、きっと彼氏がいるに違いない。
「…有沢さんって彼氏いるのかな」
僕は二缶目を開けようとしている野村に聞いた。
「それがいないらしい。だから陸、頑張ってみろよー」
野村はヘラヘラ笑いながら僕の背中をばしばし叩いた。
そんなことがあった翌々日。
有沢さんに会えないかなぁ、なんて考えていたら、食堂前のベンチに佇む彼女を見つけた。
僕は自分の幸運につくづく感謝した。
神様にありがとうと言いたいくらいだ。
僕が近付いていっても、彼女はぼんやりベンチに座って空を仰いでいた。
僕は思い切って、「有沢さん」と声をかけた。
すると有沢さんは勢いよくこちらを振り返り、僕の顔を凝視した。
「あ、鷹野くんかぁー」
声をかけたのが僕だと分かると、彼女はケラケラ笑った。
ーやっぱりかわいい
「何してんの?」
「んー雲って食べられないかなぁと思って」
「雲?」
「そう。雲がおいしそうに見えて仕方ないんだよね」
「…もしかしてお腹すいてる?」
「…昨日の昼から何も食べてなくって、お腹がすいてるのかどうかさえ分かんないよ」
「え、まじで?大丈夫?今金欠なんだっけ?」
「うん。バイトの給料日までの辛抱なんだけどねー」
彼女は恥ずかしそうに、そう言った。
「なんか奢るよ。俺も今から昼だし、ついでに」
僕はなけなしの勇気を振り絞ってそう言った。
すると彼女は目をパチクリさせて、こっちを見た。
「ほんとに!?いいの?」
パーっと彼女の目が輝いていくのが分かった。
「いいよ。行こう」
「鷹野くんって良い人だねぇー。でも給料日きたら絶対返すね」
そうして僕たちは食堂の席についた。
有沢さんは念願のA定食を、僕は唐揚げ定食を頼んでいた。
こんな所を陸部の奴らに見られたら何て言われるか…
僕は内心ハラハラしていたけれど、表面上は平常心を装って有沢さんに尋ねた。
「有沢さん、仕送りとか貰ってないの?」
「え?貰ってるよー。でも今月はちょっと出費が激しくて。出費のボーダーラインを給料日10日前に越しちゃったの」
「出費のボーダーライン?」
「そう毎月5万以内がボーダーライン」
「へーやっぱり1人暮らしって大変なんだなぁ」
「うーん、私が特別やりくり下手なせいもあるかな。…あ、ねぇ鷹野くんは陸上の専門は何してるの?」
有沢さんはいきなり陸上について聞いてきた。
よっしゃ専門分野!
「俺は100と200」
「あ、思いっ切りショートスプリンターなんだね」
「…有沢さんって陸上詳しいの?」
"ショートスプリンター"とサラリと言う人はそれなりに陸上について知っている人間だ。
「ん?いやーあんまり詳しくはないけど、スポーツ観るの好き。世界陸上とかオリンピックとかは毎回見るよ」
「そーなんだ。じゃあこないだの大阪世界陸上も見てた?」
「勿論!4継の決勝日はチケット買ったくらい」
「え、見に行ったの!???」
「ううん、当日ハプニングがあって行けなくて、泣くほど残念だった」
「えぇ、それは俺も泣くわ。けどあの4継決勝の日本チームはかっこよかったよなぁ!」
「ねー朝原さんも塚原さんもみんなかっこよかった!」
有沢さんは予想外に陸上について熱く語ってくれたので、会話はひょいひょいと進んだ。
「あ、じゃぁ私講義あるから行くね。今日はありがとう」
しばらく話したあと、有沢さんはそう言って席を立った。
「うん、また」
僕もそう言い、有沢さんの背中を見送った。
あ、
アドレス聞いてない
彼女が去ってしばらくしてからそう気付き、少しへこんだ。
「見ーたーぞー」
突然後ろでおどろおどろしい声がして振り向くと、得意のニヤニヤ顔をした矢倉が立っていた。
「うわっ」
「今の"ハルカ"だろ?」
「うん」
「何だよ陸、凄い進歩じゃないか!」
そう言って矢倉は僕の肩を掴んでガクガク揺さぶった。
「…あー、あの笑顔…かわいかったなぁ…」
矢倉の揺さぶりに気にせず、僕がぼんやり呟くと、矢倉は真面目な顔になった。
「おい、まじで惚れちゃった?」
「…うん」
矢倉の指摘通り、僕はすっかり彼女に夢中になっていた。
まだ知らないことばかりだけど、僕はきっと彼女が好きなのだ。
彼女の笑顔をもっと見たい
彼女について知りたい
彼女にもっと近付きたい
そう強く思った
*
それから数日が過ぎた。
もう12月も半ばとなり、街はすっかりクリスマスイルミネーションで華やいでいる。
こんな季節は人肌恋しくなるものだ、としみじみ思う。
「あ、いたいた鷹野くん!」
午前の講義を終えて階段を降りる途中、有沢さんの声がしたので辺りを見回すと、有沢さんは一階上から顔を覗かせていた。
「こないだのお礼したいんだけど、もうお昼食べたー?」
吹き抜けになった階段で、有沢さんの声はよく響いた。
「ちょうど今から食べに行こうと思ってたとこ」
僕が答えると、有沢さんが駆け下りてきた。
「よかった、今日は私におごらせて?」
隣にいる矢倉がニヤついてるのが分かったが、僕は無視して
「でもいいよ。お礼なんて」
と答えた。
「だめ!いいから行こう」
しかし有沢さんは渋る僕をよそに、どんどん食堂に向かって歩き出した。
そんな様子を見て矢倉は「頑張れよ」と一言置いて、食堂とは逆方向に歩いて行った。
食堂に着くと有沢さんは有無を言わせない様子でA定食を二つ頼んで、僕に一つを渡した。
「ありがとう。なんか悪いな」
「いえいえ。食べ物の恩はきちんと返さないとね」
「有沢さんって義理堅いなぁ」
「そう?」
「男友達だったらすぐチャラにする奴多いから」
「あーだめだよ。食べ物がらみの金銭のやり取りはきちんとしないと将来飢え死にするんだよ」
「え、そうなの?」
「嘘」
そう言って有沢さんはまたケラケラと笑うのだった。
そんな彼女の笑顔を見ながら、僕は以前野村が言っていたことを思い出していた。
有沢さんは『難しい子だ』と。
確かにそう言われてから有沢さんを見ると、彼女の心の奥底には何かが秘められているような気がしないでもない。
僕は立ち入れるのかな…?
「あ、ハルちん」
不意に頭上で男の声がした。
見上げると、眼鏡をかけて小太りの理系っぽい奴が立っていた。
なんだこいつは
「あ、栗たん!学校で会うの久しぶりだね」
え?
なんだなんだ?
ハルちん?栗たん?
なんだその仲良さげな呼び名は!
もしや只ならぬ仲!?
いやいやいや彼女には彼氏いないって言ってたし!
「10日ぶりに学校に来たからね。明日は7時でいいんだっけ?」
「うん、大丈夫ー。みんなにも伝えとくね」
僕のパニックをよそに、彼女はいつものように素敵な微笑みを浮かべながら、彼と話している。
いやいつもより笑顔がパワーアップしてるのは気のせいか?
「じゃあまた明日」
そして栗たんと呼ばれた彼は僕の方をチラリと一瞥して、去っていった。
「うんまたね」
栗たんが去ってから、僕は落ち着きを取り戻しながら聞いた。
「有沢さんってサークルか何か入ってるの?」
「うん、日本エンタメ研究会」
「えぇっ!?」
"日本エンタメ研究会"って噂の…!?
オタクによるオタクのための二次元研究会。通称ヲタ部!?
「それってヲタ部のことだよね?」
「そう。さっき話してた栗たんはその中のライダー部部長」
「ライダー部!?」
「知らない?仮面ライダー。私もライダー部なんだ。まぁ色々兼部してるけど」
「い、いや知ってるけど。ライダー部って何するの?」
「んーと、最近は初期の平成仮面ライダーシリーズを鑑賞したり」
「仮面ライダーとか好きなの?」
「あはは、さっきから質問ばっかりだね。うん好き好き」
「ほかにもアニメとか?」
質問ばかりと言われたクセに僕は凝りもせず、また質問をしてしまった。
「うんゲームと漫画とアニメは大好きだなぁ」
有沢さんはそう言って、とても幸せそうな顔をするのだった。
それから有沢さんの話によれば、明日は有沢さんのアパートでみんなで「仮面ライダーアギト」の最終回を見て考察しあうのだそうだ。
有沢さんの家で!?
なんて羨ましい!
僕は有沢さんの趣味嗜好に驚きつつ、それ以上にヲタ部の皆さんを羨ましく思った。
「あ、鷹野くん今引いてるでしょ?」
「いや引いてない引いてない!意外性というかギャップに驚いたけど」
僕が慌てて首を振ると、有沢さんはうつむき加減になり「鷹野くんはオタクに詳しくなさそうだしなぁ」と、とても小さな声で呟いた。
それから数秒間、沈黙が流れ、僕は急いで話題を探し、そして聞いた。
「あ、そういえばさ、アドレス聞いてもいい?」
「え、うん。そーか、まだ交換してなかったか」
彼女は携帯を取り出し、僕らは赤外線でアドレス交換をした。
そうこうしているうちに、僕はA定食をすっかり食べ終え、ふと有沢さんの膳を見るとまだ半分以上残っていた。
「あ、ごめんね。急いでる?」
僕の視線を感じたのか、有沢さんは申し訳なさそうに聞いてきた。
「いやいや急いでないからゆっくり食べなよ」
「ありがとう。実は昨日、一晩中ゲームしてたせいか朝も食欲なくて」
「え、一晩中って…徹夜!?」
「うん。やり出すと止まらなくてついつい徹夜で」
「何のゲーム?」
「三國無双!面白いんだよー」
「あーなんか聞いたことあるな」
「あ、ほんと?割と有名だと思う。戦国無双とかガンダム無双とか、無双シリーズって言われてるゲーム」
そこで有沢さんは「ハッ」とした顔になって、
「ごめんごめん。早く食べなきゃね」
と言って箸を進め始めた。
やっぱり彼女はゲームやアニメの話になると笑顔の輝きが3割増しになる。さらに幾分饒舌になるようだ。
そして僕はもうちょっと彼女のペースに合わせて食べるんだったな、と後悔した。
*
そういうわけで僕は彼女のメルアドを手に入れた。
しかし送るのに適切な用件とメール文章が上手く作れず、メールは結局送れまま、大学は冬休みに突入した。
そして忘年会はてっきり『ゴンガガ酒市場』で開催されると思っていたのに、予約がとれず別の場所になったという悲劇。
あぁこのままだと有沢さんに会えずに2007年を終えそうだ。
それでいいのか?
せめてメールだけでも…
そう思って、何度もアルファベットの羅列を見ては、うじうじと悩む。
まったく男らしくない!
そんな女々しい自分にイライラしながら、僕は地元に帰る電車に揺られていた。安いからという理由だけで鈍行に乗ったものの、帰省ラッシュでやはり車内は混雑していた。
半年ぶりの地元だ。
実家に帰ると、僕は一番に駒王丸に会いに行った。
「よう久しぶり!」
駒王丸は犬小屋から顔を出して、寝ぼけた顔でこちらをうかがっていたけれど、その目はまるで「あなた誰ですか」って顔だった。
まったく薄情な奴め。
しかし僕が駒王丸の背中をわしゃわしゃと撫でてやると、やがて「あぁお前か」とでも言うように尻尾を振って僕の手をペロリと舐めた。
「老犬と言えど、さすがたな、駒!」
僕は親バカ精神丸出しで、駒王を存分に褒めてやった。
「お兄!おみやげは!?」
僕が駒王丸とじゃれていると、妹の恵が立っていた。
「ないよ」
「なんでー!?」
「ごめんすっかり忘れてた」
「はぁ?あほやろ、買って来いよ。大学で何学んでるんよ」
妹よ、その口の悪さは如何なものか。
「また今度な」
「夏休みの時もそう言ったじゃん!」
そう言って、妹は憤慨しながら立ち去って行った。
しかし途中で思い出したように振り返って、
「お兄の原付、健介に貸してるから」
とニヤリと笑って言った。
は?
僕の愛車を健介に貸してるだと?
「つーか健介って誰だよ!」
「あたしの彼氏」
僕が叫ぶと妹はまた戻って来て、自慢げに言い放った。
「何お前彼氏いんの?」
「もうすぐ半年だよー。ウチによく来るし。駒とも仲良し」
「聞いてない聞いてない!」
「だって言ってないもん。てゆーかお兄こそ彼女の1人くらい出来たの?」
恵は「いない」と答えるのを想定して聞いているのだと、言い方からヒシヒシ伝わってきた。
だが残念ながら恵の読み通りなのである。
「あいにくモテないんでね」
「お兄はモテないんじゃなくて、足りないのは、絶対"押し"の心と経験値だと思うな。あと視野が狭すぎる。いつも一点集中しすぎなんだよ。"どーんと受け止めてやるぜー"っていう気概が足りないって言うか。女の子目の前にすると挙動不審でそれだけでいっぱいいっぱい。気の利いた言葉の一つも言えない。」
恵の指摘する僕の批評は、まるっきり僕が考える悪い所と同じだったので、僕は思わず「うんうん」聞き入ってしまった。
「何、いつもは怒るくせに。今日はそんな素直に聞いて気持ち悪いなぁ」
「なるほど。妹よ、助言をありがとう」
僕は「ふむ」と頷いて、恵の言葉を反芻した。
恵は尚も不思議そうな顔で僕を見ていたけれど、それ以上言及してこなかった。
こういう所、気が回るんだよなぁ。
僕はこの3つ年下の妹をちょっぴり尊敬しているのだ。
そしてとにかくメールを送ろう、と決めた。
*
そうして30日に実家に帰ってから、大掃除を手伝ったり、実家にあるマンガを読んだりしているうちに、
いつの間にか年が明けて2008年がやってきていた。
僕は有沢さんに当たり障りのない「あけおめ」メールを送った。
返事はなかなか来ず、ハラハラしていたけれど次の日の朝起きたら、メールが届いていた。
僕は一気に覚醒し、ドキドキしながら受信ボックスを開いた。
『あけましておめでとう。今年はいよいよ3回生だね。今日は箱根を見ようと早起きしました。鷹野くんは見る?』
おぉ新しい話題が…!
僕は嬉しくなって、少し返事を悩んでから送った。
『今日は成人式だから途中までしか見れないけど、録画して後から見るよ』
それから僕は箱根に釘付けだったのだが、3区から4区への平塚中継所あたりでメールを受信し意識は携帯の方に向く。
有沢さんかと思い急いでメールを開くと、送信者は高校の陸上部の奴だった。
『今から陸ん家行くからー』
今からだって!?
僕は成人式の準備をまるでしていなかったことを思い出し、慌てて準備にとりかかった。
準備といってもスーツに着替えてしまえば完了だから楽チンだ。
15分後に家のチャイムが鳴った。
出迎えるとワゴン車に久しぶりに顔を会わす陸上部の奴らが乗っていた。
「陸、久しぶりだなぁ!」
「おまえスーツ似合わんなぁ」
「ネクタイいがんどるし!」
いきなり口々に言われ、のっけから奴らはハイテンションだった。
会場に着いてもなおその勢いは衰えなかった。
…成人式のパワーって凄い。
大して親しくなかった奴でも会場で遭遇すると、不思議と懐かしい気分になるのだ。
親しかった奴なら尚更。
やっぱり地元はいい。
僕の地元はド田舎で、スタバもなければタワレコもない。
でもそれでも、生まれ育ったこの場所が僕は好きなのだ。
*
成人式を終え、翌日の3日の朝有沢さんからメールが届いた。
僕は同窓会で強くはない酒をあおりすぎせいか、気分があまり良くなかった。
『良かった!私、箱根大好きなんだけど、周りに見てる人いなくてつまらなかったんだ。また学校で会った時話しましょう。今年もよろしく』
うーむ。
脈あり?
脈なし?
うーん分からん。
…いや脈ないだろ、普通に考えて。メールの返事のスピードといい、内容といい、これはどう見たって言葉通りのメールだよな。うん。
でもまぁいいや。
ゲームが大好きな彼女は箱根も大好きなのだ。
そんな共通点があるだけで、今は十分だ。
「何その中学生並みの純愛。おまえアホだろ」
矢倉は心底『信じられない!』という顔で僕の顔をまじまじと見た。
1月8日。
冬休みが明けて、僕が学校に行くと教室の前で矢倉と会った。こんな休み明けの日に来るなんて珍しいものだ。
「もっと何かあるだろ。遊びとはいかなくても、メシに誘うとか」
「いや、それはまだ早いかと」
「ばっかだなぁー。何でもやってみなくちゃ分からんだろが」
矢倉は呆れたように僕を見ながら言い、そしてその視線はそのまま入り口に向けられた。
「あ、可穂ちゃん」
そこには有沢さんの友達の可穂という子が立っていた。
「あ、矢倉くんだぁ」
可穂という子は矢倉を見てにっこり笑い、僕らの隣にカバンを置いた。
「ん?」
僕は二人を交互に見回した。
「いつのまに仲良くなってんの?」
「それはー誰かさんが俺を放置してハルカちゃんとランチ行ってる間?」
「ランチって…てか放置って」
「偶然見かけたから俺がナンパしたんだ♪」
「ハルカから聞いてるよー。私、下柳可穂」
「あ、よろしく」
「名字嫌いだから絶対下の名前で呼んでね!」
彼女は明るい茶色のロングヘアーにゆるくパーマをあてていて、とてもお洒落で華やかだった。顔立ちもハッキリしていて派手な雰囲気の「美人さん」だった。
そんな彼女をちゃん付けで呼ぶのはなんだか抵抗があったので、僕は聞いた。
「えーとじゃあ可穂さん…?」
「『さん』づけかぁ。まぁいいや。陸くん女の子に免疫ないんだもんね」
「へ!? あ、矢倉何話したんだよっ」
「いや俺は真実しか話してないし」
「お前はいつもいつも俺の話をネタにして!」
「だからネタっつーか、ありのままを話しただけ」
「まぁまぁ心配せずとも大丈夫だよ」
そこで可穂さんがとりなすように会話に入ってきた。
「陸くんみたいなタイプはかわいがられるから大丈夫だよ」
「え、でもかわいがられてもなぁ…どっちかっていうと俺が支えたいし…」
「『ささえる』!? キャーそんなことサラっと言えるとは見直したわ」
そう言って可穂さんは楽しそうに笑った。
「あ、ハルカおはよー」
突然可穂さんが僕の後ろ方向に向かって大きな声で言い、僕が後ろを振り向くと有沢さんが立っていた。
"立っている"というよりは"立ちすくんでいる"という雰囲気で、有沢さんは不安そうにこちらを見ていた。
しかし僕と目が合って、僕が「どうしたの?」と声を掛けると、彼女はホッとしたように「あ、おはよう」と言った。
そして、可穂さんの方を見て
「廊下まで可穂の声が響いてたよ?」
と呆れるように笑った。
「えーだって陸くん面白いんだもん。それにハルカの耳が良すぎるの!」
「でも可穂の笑い声は格別だよ」
「なになに、ハルカちゃんって耳良いの!?」
そこで矢倉がまるで以前からの知り合いのように気安く「ハルカちゃん」と呼ぶので僕は驚いた。
「あ、こいつ矢倉。こないだ可穂さんと仲良くなったんだって」
僕が有沢さんに説明すると、矢倉は
「よろしくー!噂通り美人だね!」
と会釈しながら言った。
すると有沢さんはいつものように素敵な笑顔で、矢倉に
「よろしくね」
と言った。
ーやっぱ綺麗だ、有沢さんの笑顔
久しぶりに見た彼女の笑顔はやっぱり素敵だった。
「そうそう!さっきの質問だけどね、ハルカは耳良いんだよー!ジミー大西が犬並みの嗅覚なのと同レベくらい!」
可穂さんがまくし立てるようにそう言うと、
「ジミー大西には負けるけどね」
と有沢さんは苦笑した。
なるほど。
という事は以前、僕の声に反応していたのはそのせい?
そう言えば、食堂前で声を掛けた時もびっくりしていたっけ…
つまり僕の声は誰かに似てる?
「ねぇ鷹野くん、今年の箱根ハプニング多かったよね?」
僕が考えているといつの間にか僕の後ろに座っていた有沢さんが身を乗り出して聞いてきた。
「あーだよなぁ。あんなに棄権が出るとは思わんかったなぁ」
「私、順天堂の人の時はほんと見てられなかった。あんなひどい脱水症状でもまだ走ろうとするなんて、もーこっちまで苦しくなるっていうか…」
「確かに。見てる方は『もうやめなよ十分だよ』って思うんだけど、きっと意地なんだろなぁ」
「そーだねぇ」
「ほんと長距離やってる人の根性はすごいなと思うよ」
「……鷹野くんも根性あるじゃん
「え?」
「不屈の闘志、持ってるなって思った」
「…え!?」
「こないだ練習してるとこ見たの」
「え!?いつ?」
「秘密」
「なんで?」
「言ったらこっそり見れなくなるじゃん」
「こっそり見なくてもいいのでは?」
僕が口を尖らすと彼女はイタズラっ子みたいに笑った。
「こっそり見ないと楽しくないもん」
そして僕は有沢さんと出会ってからの練習日を思い返していた。けれどそんな根性丸だしの練習をしていた日はあっただろうかと不思議に思った。
「なんか監督の人と話してるのが武田家みたいで面白かったよ」
「タケダケ?」
「戦国BASARAっていうゲームの武田信玄と真田幸村みたいだったの」
「ふーん?よくわかんないけど俺褒められてる?」
「うんとっても」
彼女は満足そうに笑った。
それから有沢さんとは講義で会うとよく話すようになった。
たくさん話してみると分かった。
彼女はとてもユニークでかわいくて、情熱的な女の子だった。僕は彼女の素敵なところを発見するたび、彼女をどんどん好きになっていった。
*
「いらっしゃいませー。…あ」
その日僕が週1,2回バイトしているコンビニに現れたのは、可穂さんだった。
「陸くん、その制服似合わないね」
彼女は来るなり僕を上から下まで一通り見てそう言った。
「言われなくても分かってるよ」
「あ、そう」
「何か買いに来たの?」
「べっつにー」
「…冷やかしかよ」
「あら冷たい。来たのがハルカならニヤニヤへらへらするクセに」
「………え!? 知って…!?」
僕は慌てるあまり陳列していたおにぎりを落としそうになった。
「バレバレだけど」
「え。嘘!」
「顔に出すぎ」
「えぇ!?」
「…ねぇハルカなんてやめてあたしにしない?」
「へ!?」
「あの子オタクだしー、陸くんには合わないんじゃないかなぁ」
「似合わないのなんて分かってるよ」
「あ、分かってるんだ。ならさぁ…」
「それでも俺は有沢さんが好きなんだよ!」
僕が大声でそう言うと、レジにいたもう一人のバイトの奴がこちらを伺うのが分かった。
「だから、その…」
勢い余ってそう言ったものの、どう続ければ分からず僕は言葉を濁した。
可穂さんは僕の大声にきょとん、とした顔をしていたけれど、すぐに笑い出した。
「冗談だよ?」
「へ?」
「私陸くんのこともまぁ好きだけど、ハルカのことが大好きなのよね」
僕が呆気にとられていると可穂さんは尚も続けた。
「大学からの付き合いだけど、ハルカはほんとに素敵な子だから」
「うん」
「だからあの子には幸せになってほしいんだ」
「うん?」
「だから頑張れよ?」
可穂さんは挑むような目つきで僕を見て、僕は思わず「ハイ」と答えていた。
「負けないでね」
「何に?」
「ライバルたち」
「そんなにいるの!?」
「まずは二次元の人たちに…そんであと一人強敵がいるよ」
「強敵って?」
「それはあたしからは言えないけど」
可穂さんはそう言い置いて、コンビニから颯爽と出ていった。
取り残された僕は、最後に可穂さんが残していった言葉が気にかかった。
強敵って誰だ?
やはり有沢さんには何かありそうだ。
僕は聞けずにいることがある。
『僕の声は誰かに似てる?』
何度か聞こうと思ってやめた。
やめた、というより聞けなかった。
それが彼女の過去に関わる何か大事な部分な気がしてならなかったのだ。
バイトを終えて寮に帰ると、自室の電気が点いていた。
嫌な予感がしつつ、部屋に入ると野村とナカちゃんが酒盛りをしていた。
「何してんだよ、人の部屋で!」
「いやー、レポートからの現実逃避?」
既に赤ら顔のナカちゃんが答えた。
「こら陸くん、鍵閉めないなんて不用心だぞ」
野村は雑誌を読みながら顔を上げずに言った。
「まったく。俺レポートしたいんだけど」
「まぁまぁ。明日でいいじゃん。
それはそうとテスト終わったら浜練ばっからしいぞ」
「まじで?やった!」
僕がそう言うと野村は怪訝そうな顔で僕を見た。
「いつもながら陸が何故喜ぶのか不思議でならない」
「俺、浜好きだし。鳥取育ちをなめんなよ?」
「砂丘と海岸は違うだろ」
「同じようなもんだろ」
浜練とは、うちの大学からバスで15分の宮之浜での海岸トレーニングのことだ。
海岸に来ると何故かコーチのドSが倍増されるから、みんな嫌がるけれど僕はこの練習が好きなのだ。
僕たち短距離は冬の間は地道な基礎トレーニングが続く。春からのオンシーズンに向けて筋力増強や体づくりを目的とした、しんどいトレーニングばかりが練習メニューに並ぶ。
僕はこのトレーニングが好きだから、きっと部の連中から『練習バカ』とか『どM』とか言われるんだろな。
そんな風に言われるのは大学に入ってからのことだったから、最初はかなり新鮮だった。
僕は高校時代はハードな基礎練なんてどっちかっていうと苦手だった。つかむしろ嫌いだった。
高校時代、僕はただ人より速く走れる能力があったからって天狗になってた。
100mを10秒台で走れてチヤホヤされていい気になってた。
でも今は
あの頃とは違う
乗り越えなければならない壁がある
今年の春こそは乗り越えたいんだ
絶対
*
目が覚めたらナカちゃんの顔が目の前にあった。
「ぅわ」
僕が思わず小さく叫ぶと、ナカちゃんがうーんと唸って目を覚ました。
「…あ、はよー」
「…あれ?なんでここで寝てんの?」
僕は隣で伸びをするナカちゃんに尋ねた。
「覚えてないのか?」
「うーん。おぼろげにしか」
昨日はたしか…
野村とナカちゃんが持ってきたアルコールを飲んで…飲んで…
そのあと…?
「俺どんだけ飲んだっけ?」
「結構。珍しくハイペースで。でいつの間にやら酔っ払い」
「え、何、俺何か言ってた!?」
「言ったっていうか…まぁ結論はあれだな。陸は酒が弱い!!! そんで色々気にしすぎ!!」
「え?」
「みんな陸の膝の事知ってるわけで、陸がプレッシャーに感じる必要はないと思うよ、な?」
ナカちゃんがえらく真剣な顔で言った。
僕が言葉を返せずにいると、ナカちゃんは「気楽にいこうぜ~」といつものヘラヘラ顔に戻って言った。
…いい奴なんだ、ホント。
それから数日が経ち、いよいよ試験の到来が迫りつつあった。
普段は出席率の低い講義もこの時期になると、皆が出席しだす。
その日僕が1限の宗教学にギリギリで登校すると、いつも早く来ている有沢さんの姿がなかった。
「あれ?有沢さんは?」
「おまえ、開口一番がそれかよ」
驚きを思わず口に出すと矢倉は口を尖らせた。
「いや宗教学に来てないなんて珍しいなぁと思って」
有沢さんは宗教学の講義が大好きだと言う稀少な人で、必ず毎回出席、ノートもバッチリ、を貫いていた。
なおかつ今日は講義時間中にレポートを書いて出席代わりとする、と前々から先生が公言していた日だ。
つまり今日休むと宗教学の出席点は貰えない。
「遅刻なんじゃね?なぁ可穂ちゃん」
矢倉が可穂さんに話を振る。
「あー…うん。今日はねぇ…来ないと思うなぁ。この雨だし」
可穂さんは窓の外をチラッと見て言いづらそうに言った。
「雨?」
確かに今日は朝からザーザー降りの大雨で、歩いているだけで服も靴もびしょ濡れになった。
「うん、あの子ね…。いや、あ、そうそうメール来てたわ。風邪だって」
可穂さんは何か言いかけて少し慌てて言い直した。
「え、風邪なの?」
何かあやしい。
「風邪風邪。昨日から調子悪そうだったし。そーだ陸くん、お見舞い一緒に行こうよ」
「お見舞いって…有沢さん家に?」
「そうそう。今日部活ないんでしょ?」
「ないけど。でも俺が行っていいのかなぁ」
「大丈夫大丈夫! 女の子は弱ってる時に優しくしてくれたら嬉しいものよー」
可穂さんは意味ありげに笑った。
…明らかに思惑を感じるんだけども。
でも協力してくれるのは有り難い。
「そういうもの?」
「そういうもの!よし決まり!」
可穂さんは言い切ってそれ以上口を挟ませなかった。
「何か緊張するなぁ」
放課後
可穂さんと連れ立って有沢さんの家に向かう。
と、その前に
「手土産買ってこうか」という可穂さんの提案で、近くのスーパーに寄る。
僕はてっきり果物なんかを買うのかと思っていたのに、可穂さんは鮭とばやチーズたらなんかを次々カゴに放り込んでいく。
「あれ?それつまみ?」
「何、チーズたら嫌い?」
「いやそーじゃないけど。有沢さん風邪なんだろ?」
「……」
「…?」
「あれ、嘘。ほんとは、風邪じゃない」
「そうなの!?」
「ハルカはねぇ…冬・雨・朝の三拍子が揃うと引きこもるんだよねぇ」
「引きこもる?なんで?」
「…聞きたい?」
そう言って可穂さんは挑むように僕の方を見た。
試しているような鋭い眼光。
試されてんのか?僕。
「…うん、知りたい。でも、いつか本人に聞くよ」
僕がそう言うと可穂さんは納得したように微笑んだ。
買い物を終えてしばらく歩くと、いよいよ有沢さんのアパートに到着した。
「な、なんか緊張してきた」
ためらいもなくドアベルを鳴らす可穂さんを尻目に僕の手はかなり汗ばんでいた。
あぁドキドキする。
女の子の家に行くなんて久しぶりすぎる。
やがてドアが開く音がして、有沢さんが顔を覗かせた。
「入って入ってー!…て高野くん!??」
僕に気付くなり有沢さんは驚いた様子で目を見開かせた。
想定外の反応。
「メール入れたでしょ~。また携帯放置してるんだから」
「…え!ほんとに?見てなかった、ごめん」
「…俺、来たらマズかった?」
恐る恐る僕が尋ねると、
「違う違う!そうじゃないんだけどホラ私こんな小汚いカッコだし」
「小汚いとか、いやいやそんな」
確かに有沢さんはスウェット上下に厚手のウォーマー靴下を履いていたけれど、それでも十分素敵だった。
…なんて思うのは僕だけじゃないと思う。確実に。
「ホラとっとと靴脱いで!」
可穂さんにせかされ、僕は「お邪魔しまーす」と言って、何故だか忍び足で部屋に入る。
そうして初めて入った有沢さんの部屋は…
新しいレスの受付は終了しました
小説・エッセイ掲示板のスレ一覧
ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
タイムマシン鏡の世界4レス 101HIT なかお (60代 ♂)
-
運命0レス 65HIT 旅人さん
-
九つの哀しみの星の歌1レス 69HIT 小説好きさん
-
夢遊病者の歌1レス 85HIT 小説好きさん
-
カランコエに依り頼む歌2レス 89HIT 小説好きさん
-
神社仏閣珍道中・改
(続き) この日の鑁阿寺さんの行事は、正式には『観音経一千巻読誦…(旅人さん0)
271レス 9412HIT 旅人さん -
私の煌めきに魅せられて
私の初恋の続き、始まったかもしれません。。。 「それにしても玲ち…(瑠璃姫)
55レス 588HIT 瑠璃姫 -
北進ゼミナール フィクション物語
勘違いじゃねぇだろ飲酒運転してたのは本当なんだから日本語を正しく使わず…(作家さん0)
15レス 186HIT 作家さん -
仮名 轟新吾へ(これは小説です)
想定外だった…て? あなた達が言ってること、 全部がそうですけ…(匿名さん72)
196レス 2918HIT 恋愛博士さん (50代 ♀) -
タイムマシン鏡の世界
そこで、私はタイムマシン作ること鏡の世界から出来ないか、ある研究所訪ね…(なかお)
4レス 101HIT なかお (60代 ♂)
-
-
-
閲覧専用
🌊鯨の唄🌊②4レス 131HIT 小説好きさん
-
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?11レス 136HIT 永遠の3歳
-
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令1レス 147HIT 小説家さん
-
閲覧専用
今を生きる意味78レス 515HIT 旅人さん
-
閲覧専用
黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 968HIT 匿名さん
-
閲覧専用
🌊鯨の唄🌊②
母鯨とともに… 北から南に旅をつづけながら… …(小説好きさん0)
4レス 131HIT 小説好きさん -
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 136HIT 永遠の3歳 -
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 147HIT 小説家さん -
閲覧専用
おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1398HIT 檄❗王道劇場です -
閲覧専用
今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 515HIT 旅人さん
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
どっちの妻がいい?
A子 いつもニコニコ 優しくて謙虚 旦那を立てる 愚痴や悪口を言わない 料理上手で家庭的 …
15レス 647HIT 教えてほしいさん -
海外の人に原爆について教える。
こんにちは 自分は今海外の学校に通っていて一人の日本人として原爆について他の生徒の前で少しだけ発表…
102レス 1820HIT 悩みが多い高校生 (10代 男性 ) -
離婚し30年会ってない父親に会う場合
離婚しもう30年も会ってない父親に会う場合、 どうやって会います? 私は35父親は67 父と母…
7レス 255HIT おしゃべり好きさん -
女性の友達ってどうやって作れば良いですか?
女性の友達ってどうやって作れば良いですか? 僕は筑波大学附属駒場高校から慶應義塾大学に進学し…
7レス 235HIT 相談したいさん ( 男性 ) -
独身、恋愛経験なし。これから何を目標に生きたらいいか?
44歳でこれまで、一度も恋愛してこなかった女です。片思いは15年以上してきました。それから人を好きに…
14レス 277HIT ちょっと教えて!さん (40代 女性 ) -
予想でいいのですが...
幸せになりそう?予想でいいので回答お願いします。 友達で浮気をめっちゃ嫌う子がいてて、独身の時…
11レス 290HIT おしゃべり好きさん - もっと見る