蘇るべきではなかった記憶
時々現れる妖精のようなもの。こんなことを他人に話してしまうと、頭のおかしい人なのではないかと思われてしまいそうだが、実際に小さな、本当に映画などにでてくるような姿かたちをした、とても妖精のようなものが見えるのだ。
いつも現れるわけではないが、ふとした瞬間に、ぴょんっと、軽やかな身のこなしで目の前に訪れる。
最初は、もちろん驚いたが、今となっては、慣れっこだし、しばらく顔を見ないと、少し不安になったりもする。
「今日はステキなものを持ってきたよ」
そう言いながら、つんできた、とてもきれいな黄色のたんぽぽの花をくれた。
「ありがとう。ちょうど、デスク回りが殺風景でね。花でも飾ろうと思っていたんだ」
そう伝えると、妖精は消えていった。
いつも、そんな短い時間の、ちょっとしたコミュニケーションで終わるのだけど、それがまた癒やしにもなる。
最初は、夢か妄想か何かなのかと自分を疑っていたこともあったが、実際に今、目の前にそのタンポポの花はあり、花瓶に水を注ぎ、デスクに飾られている。
過去にも、色々な贈り物をいただいたが、どれも、ちょっとだけ気の利いた、小さなプレゼントだった。
その子がどういう目的で私の目の前に現れ、何をしてくれているのか、その理由は分からなかったが、とにかく心癒される存在である。
「なんだかすべてのことを思い出したような気がするわ。確かに、そうね。でも、嫌なことを思い出してしまったとしか言いようがないわ。あなたとのお付き合いは、とてもストレスばかりで、辛くって、別れようと思ってたの。とても苦しかったのよ」
そんなことが妻の口から発されるとは思いもよらず、状況を理解できなかった。
「私のことを束縛して、離そうとしてくれないあなたから逃げたい一心で、あの時、自ら道路に飛び込んだの。死んでしまいたいほどの苦しみを感じていたはずよ。それが、今、またお付き合いをして、結婚しているだなんて」
妖精は妻の側にコソコソと近づいていって、こう言った。
「この後の判断はお任せしますよ。私の役目はこれで終わりです。今がお幸せなのなら、そのままでも良いでしょうし、憎しみのようなものが残っているんだったら、改めて考え直すのも良いと思うよ」
そのまま、妖精は消えていった。
「僕達は、結婚をするずっと以前に、長く付き合っていたんだ。でも、君は事故にあい、その頃の記憶を喪失してしまった。その時に、このイヤリングも無くしてしまったのだと思う。実は、事故前にプロポーズもしようとしていたのだけれど。その後、改めて付き合い始めることになり、そして結婚をすることになった。何度も葛藤したのだけれど、失った記憶の時代のことを伝えることができなかったんだ。でも、今日、このイヤリングを見て、当時を思い出してくれたのだとしたら、また、改めて、新しい二人の未来が見えてくるのではないかと思って」
「おじさん、ようやく言えたわね」
普段なら、すぐに消えていなくなるはずの妖精は、まだそこに居て、そう言った。
「何を言っているの?」
「君は例の件で、一時期の記憶を失っているだろう? その前にも、お付き合いさせてもらってたのが私なのだよ」
随分と長い時間が、沈黙とともに流れる。
「よく分からないけど、それにしても、どうしてそれを今まで伝えてくれなかったの? なぜなの?」
確かに、妻には全てを伝えるべきかを、ずっと悩んでいた。
苦しんでいる妻に、かつての恋人であったことを伝えることができず、いや、伝えたとしても混乱させるだけだろうと感じ、自重しながらも、それとなく近づき、結果として、付き合い、夫婦になった。
相性は良かったのだろう。
そうなった以降も、その話題については触れることはなかったのだが。
それよりも随分と前にプレゼントしたイヤリングが、妖精から渡された小箱に詰められていたとは。
予想もしていなかったことなので、どういう風に対応して良いのか、とにかく混乱しっぱなしだったが、なんとか状況を整理し、妻に話し始めた。
随分と驚いた表情をし、驚くというか、少し睨みつけるよう視線で私のことを見る。
「これ、なんだか見覚えがあるわ。本当に随分と前になくしてしまった、昔の恋人から頂いたものそっくりよ。記憶を失ってしまっていた時期の話のはず。どういう経緯でこれを? そして、どういうつもりなの?」
もちろん分かるはずはない。何せ妖精から受け取ったそれの中身を確認することもできず、そのまま渡したものなのだから。
少しだけ覗き込み、中身を確認した時に、ゾッとした。イヤリングだ。
記憶喪失になっていた妻。事故にあった妻は、一時期の記憶をすっかり失っていた。
正直な話をすると、そのイヤリングをプレゼントした、当時付き合っていたのが私だ。
元恋人である、今では妻となった彼女と、一からやり直すと言ったら変な話ではあるが、いろいろと苦心し、アプローチした結果、無事、再び男女としてのお付き合いが始まり、最終的に結婚に至った。
「それ、私が、昔、君に渡したものなんだよ」
静かに流れる時間。静寂。
「美味しいわね。このビシソワーズなんて最高じゃない。前菜でこれだけ満足させてくれるってのは、本物ね」
久しぶりの二人での外での食事を喜んでくれているようだ。
しばらく、素晴らしく美味しい料理たちに舌鼓をうっていると、また唐突に、足元にその妖精が現れた。
「どう? いい感じ? これを奥様に渡してあげて」
これまで、一人きりのときにしか現れたことはなかったはずだが、書斎でもなく、妻と二人で訪れているレストランで、この妖精が出現したのには驚いた。
うっかり声をかけて、おかしなことをしている人だと思われてしまうのも怖かったので、とりあえず、無言のまま渡されたものを拾う。
こういったきっかけを作ってくれたのも、この妖精なのだし、悪いことにはならないだろう。
「例の結婚指輪。見つかったぞ」
嬉しげに、指輪をはめた指を妻に見せた。
「あら、どこにあったの。あれだけ探して見つからなかったのに。でも良かったわ。思い出のリングなのだから」
これで、少しでも妻との関係性が修復するならば、それ以上に嬉しいことはない。
「どこで見つけたんですか?」
もう一度尋ねられたが、詳しいことを語るとややこしくなることは目に見えているので、適当に話はごまかした。
「どこで見つかったかよりも、まずは、見つかったことをお祝いしようじゃないか。今日はごちそうにしよう。何が食べたいかね」
「まあ嬉しい。せっかくだし、フランス料理でもどうかしら」
もちろん妻の要望通りに、結構有名なレストランを予約し二人で向かった。
いつ現れるかわからないその妖精は、本当にいつも唐突だ。
「おじさん、今日も良さそうな物を持ってきたのよ。喜んでくれるといいのだけど」
そういって、差し出されたものは、大昔に、うっかりと紛失してしまった、妻との結婚指輪だった。
「なんと。これをどこで見つけたのだい? あのときは本当に、妻にはこっぴどく叱られ、いまだにネチネチと嫌味を言われ続けていたのだよ」
「そうだろうなって思って、探してきたのよ。大事にしてね。指輪も、奥様も」
そのように言うと、また、ひゅんっとどこかへ消えていった。
普段から、この妖精からは、色々なプレゼントをいただいている。
ステキな造形をした貝殻であったり、どこから取ってきたのかもわからないが、とても熟した柿の実であったり。
どれもそれぞれに嬉しかったが、しかし、昔紛失してしまった結婚指輪を持ってきてくれるとは。少々驚いた。
職業柄、自宅の書斎でデスクに向かって居る時間は長く、集中している私に、妻はあまり声をかけてこない。
そんな中でも、少しだけ気を楽にしたい瞬間もあったりする。そして、なぜか、そう感じたタイミングに、その妖精は都合よく、ひょっこりと顔を出してくれる事が多い。
まるでメルヘンの世界のようだが、都会の住宅地に住む私の目の前に、そんなものが現れるとは思えない、とも思いながらも、実際にいるのだから、否定のしようがない。
おとぎ話の世界では、よくあるシチュエーションなのだろうが、いざ、実際に現実にそれと直面すると、なかなかに興奮するのは確かなことだ。
子供の頃ならまだしも、今や立派な、いやそうとは言い切れないが、いい歳をした大人なのだ。
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