frederick
10月17日。
いつもと変わらない朝だった。
ずっと覚えている。
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frederik。昨日の2次面接通過の連絡がきた。良かった!でもまだ次が最終ではなさそう。書類と1次2次の振り返りをして、次に備えよう。あと、もう1社のほうも。
今日は予定どおり人事とのミーティングだった。結局、来月末で退職が決まり実際の出勤は今月末まで。来月は1ヶ月休みになった。まだ次が決まってないのに退職が先になってしまったけど、もうもう我慢の限界を越えていたんだからしょうがないと思う。現職に未練はないし、辞める決心はついていたから転職活動をはじめていたし。順序が逆になったのは予定外だったけど、あとは決めるしかないから。
せっかく連休だったのに、普段使わない頭を酷使して、休んだ気はもちろんしない。
ただ、今日は偶然に以前お世話になったGMに会えたことが嬉しかった。私が異動してから、全然だと聞いた。人が変わるとこんなもんかなって。そう聞いて、私がやっていたことは大きな意味があったんだと実感できて、自信をもらえた。
私の今の状況を伝えたら驚いていたけど、戻れらまた一緒にやりたいね!と言ってくれた。
戻りたい。戻って、自分ができることを最大限発揮したい。どっちに行けばできるんだろう…と考えてる。できるなら、どっちも内定もらって選べたらいいんだけどな。
frederick。やっぱり緊張したね。なんでだろう、昔はけっこう自信持っていたのに。
最近は求められるスペックが高くなっているからかな。若くないし、今の年齢、経験から当然できるであろうと思われるハードルは高くなる。ポテンシャル採用は若手の特権でしかないから。あとはポジションニーズ、カルチャーフィットとか、採否のポイントはたくさんある。この歳にして、まだ正社員採用を目指しているんだから仕方ないか。やりたいことをやれるようにするのは簡単じゃないね。
面接に呼ばれている会社がもうひとつある。
今日の選考が通ったとしても、まだ続きがあるから安心できないし、もう1社の面接対策も考えておかないとね。
面接に行く前に、昔もらったメールのメッセージを読み返した。
『自分らしさ負けないで突き進んで』
私はいま、現職で自分らしさに蓋をしてるってことを実感した。自分らしさを取り戻すために動いてるんだ。仕事にエネルギーを燃やすこと。それが私らしさだよね。
いつも共感くださっている方、ありがとうございます。とても励みになります。
frederick。選考結果が遅いから、お見送りされたかと思ったら、一次面接通過の連絡がきた!名刺のお守り効いたね。感謝。
二次面接の日までまだ2週間も先で、もやもやする。転職活動と現職での負荷、両方を抱える期間が延びるから。今は1社だけだけど、二次まで時間あるからほかもエントリーしておこうかな、内定もらえるとは限らないんだし。
まだ暑いけど、確実に秋になったね。
夏が終わると命日がきて、寒くなってきて、すぐに年末がくるような気がする。毎年そう思う。
毎日ただ目の前のことにあれこれ思い、しんどいなと思いながら生きてるだけで1年が終わっていく。今の私にとって、生きるとはそんなこと。それだけじゃ、そんなんじゃ嫌だなと思いながら。
frederick。今日はありがとう。やっぱり緊張した。スタンドのそばに名刺をセットしておいたけど、目をやる機会は1度もなかった。
このタイミングで、以前在籍していた会社の人、2人から仕事の案件をもらった。実際に動いている今、そんな話が舞い込んでくるなんて、今の会社は辞めてもいいということなんだな、と確信してしまう。どちらの話もきっと、私が行くと決めたら進行する話だと思う。そういう意味では、行き場がなくなるわけではないのでとてもありがたい。難しい面接なんてしなくても、1度の顔合わせで決まってしまう案件だと思う。だけど、私が最もやりたいことは今日の面接の会社にある。
思い出したこと。現職に内定をもらった時、嬉しかったけど、強く志望していたわけではなかった。他社の内定もあったけど、収入減を理由に辞退した。あのとき、ほかに選択肢があったわけじゃなかった。何社も落ちて、名前も知らなかったこのブランドをずっと後回しにして、いよいよもう他にエントリーできる会社がなくなって1番最後に応募した。あの時の面接は、今よりずっと不出来だったはず。今よりももっと自信を失っていたから。後がない状態だった。
一次面接面接の結果待ちだけど、落ちたらKさんのところに行こうかな。
Kさんは自分らしさを大事にしてほしいと私に言った。同じこと言われた。そう思ってびっくりした。私の本質を見てくれてると思った。
frederick。明日、一次面接。失敗できないから。
6月の面接は自己分析が足りず、勢いだけでいってしまったから落ちたと反省して、今回は想定質問にあわせて考えを整理した。その内容を本番で相手に伝わるよう表現すること。緊張さえしなければできるはず。
昔は簡単に取れた内定が、今はこんなに大変になるなんて。しかも、大変とわかっていてもやらずにいられない私の性格か、仕事への欲求。仕事は生き方そのもの。仕事することは生きること。この気持ちを理解してくれる人はほかにいない。
思い出した。いつも大事な曲面のとき、名刺をポケットに入れていた。明日はそうしよう。
リモートだからポケットには入れないけど、目に入る所に置いてお守りにしよう。
守ってください。
frederick。今日、面接に行ってきた。エントリーから1ヶ月経過した今になって呼ばれた。エントリーしたのは2社だったけど、もう1社の方はスルーされてる。今日の会社では、私が最後の面接と聞いた。さては、ほかの応募者の中から決めきれなくて呼ばれたのかな、と思う。
向かう途中、私にはやっぱりトップの位置が似合うと暗示をかけて、行くぜ!てかけ声をかけて行った。面接官に「自信満々ですね」と言われて、おまじないが効いていると思えてなんだか笑えた。
エントリーから1ヶ月たっていて、その間に変化したこともある。
新しく赴任してきた店長は、考え方、スタンスが自分に似ていると思える人でこれまでで初めて、この人が上にいるなら納得と思える。
優秀なマネージャーのアシストができる自分を目指すのも悪くないかも知れないと思う部分もある。だから、先月エントリーした2社以外の活動はしていなかったし、積極的な動きをする考えもなかった。
でも、この選考を辞退しなかった。
どっちも本心だから。
もちろん、採用を勝ち取るつもりで選考に臨んだ。あとは神様にまかせる。
でも採用の返事が来たら悩むと思う。
その店長とは信頼関係ができつつあって、私を今のポジションから引き上げてくれようとしている。私にとって、退社はその厚意に対する裏切りと思うから。
frederick。今月から異動になった。オープンから半年の若い店で売上は低迷中。
課題はすでに見えているけど、改善も変革も自分の今の立ち位置からでは守備範囲外と思える。自分のキャリアとスキルが合っていないことが十分にわかりすぎていて、我慢も限界になってきた。飼われている。飼い殺しになっている。昇給もして所得は上がったけど、それだけで満たせない仕事への情熱とは何だっただろう。
年齢のせいにしてあきらめようとしていたことは、行動してみてからでもいいかと思えるようになった。そんなふうに思える求人を目にしたから。
そうしたら『自分らしさ負けないで突き進んで』そう言い残してくれた言葉が心に響いた。
再び応募書類を作り直して、私が私らしくいられるような、私が望む未来に向っていけるように頑張ってみる。
高給に甘んじてあきらめるのは、選考に落ちてからでいいね。
frederick。今年は少し遅い桜だね。去年の今頃は、転職したばかりの見慣れない風景になんだかすごい違和感を感じながら、忙しさの渦に巻き込まれていたような気がする。1年たって、ポップアップショップから常設店になろうとしているいま、移設準備で慌ただしくしているけど、いろんなことを俯瞰して眺めることができる分、余裕が生まれているっていうことだよね。忙しいけど、充実しているっていうのとは違うかな。でもそれはきっと私のわがままだと思う。忙しいけどやりがいはあまり感じない、休日数は多いけど、休みの日はポカンとしてしまう。こんなんでいいのかな?と思ってしまう。
職場では私だけが独身で、あとの4名のスタッフはみんな家庭を持っている。それぞれ幸せかどうかまではわからないけど、1人でいる私は可も不可もない毎日。振り返ってみても、なんにも残してない人生だなと思ってしまう。
だけど、人や会社との出会いも別れも自分がしてきた選択には、あのときはああするしかなかったと思うことばかりだから、これでいいんだと思う。ただ1つ、あのとき無理にでも会いに行けば良かったと思うこと以外は。それも、あのときの私にはああするしかなかったんだと、遠くからながめている。今の私だったらどうするかなって、そんなことを考えたりする。
やっぱり待ってしまうかな。頑張っている人へのそれ以上の親愛の気持ちを思いつかなくて。
frederick。今日はクリスマスプレゼントを買いにくる人たちで賑わった。
歳の近い男性客の、奥さまへのプレゼントを選ぶお手伝いをした。慎重に吟味していて、愛情を感じた。
クリスマスはやっぱり人の感情に作用するんだなと思って、私も影響を受けた。
休憩に出て1人の時間、クリスマスなんて待たなきゃ良かったと思い出して少し涙が出た。
去年のクリスマスイブは何を思ってたんだろうと思って、去年のつぶやきを見てみたら就活に悩む自分の姿があった。
16年前の後悔を思い出して泣ける自分の余裕に、今この状況にあることを感謝だと思った。
いつだって自分を支えるのは自分だけだと思った。
私には、もらうプレゼントも贈るプレゼントもないけど、16年目のメリークリスマス。
frederick。もう12月になるね。クリスマスの装飾やイルミネーションがたくさん目につく。そのわりにはあまり寒くなくて、季節感がないから気持ちだけ取り残されている感じ。
1年前のこの時期はこのスマホで履歴書や職務経歴書を作って、エントリーする会社ごとに志望動機を書き換えたり、毎日夜中まで求人検索していた。いくつ受けても書類選考で落ちて、面接に呼ばれても見送られるばかりで絶望的な毎日だった。
今年は、クリスマスシーズンの繁忙期に備えている。
今の私の仕事、動きをどう思うだろう。
世の中も、業界も、私の立ち位置さえも変わって、一緒に働くまわり人たちも今までとは違う。
なんか違う、これじゃないと思うこともある。だけど思い出すのは去年の自分。自信も希望も持てず、自分の市場価値さえわからなくなった自分。それなのに待遇は以前よりも大幅に改善している皮肉。
私は、自分が本当に望んでいるものはなんだろう?て、わからなくなる。本当に望んでいるものがわかったとして、今からそれが手に入れられるのか、それもわからない。置かれた場所で安定することに気持ちが傾く。そのほうが楽だから。潜在的に自覚してる。叱られるかな。
365日あったら360日出勤するような人だって、私のことそんなふうに言ってたこと思い出した。もうそんなんじゃない。今くらいでちょうどいいって言ってくれないかな。
frederick。今日も何事もなく1日が終わっていくよ。帰りの電車の中でさえ涙が止まらなかった今日を、私は自分が生きている間ずっと忘れないよ。
どうしてもういないんだろう、と思うことがまだ時々ある。私はいつまで生きるんだろうと思うことも。死ねないから生きてるんだろうなと他人ごとみたいに思う。
一緒にいたあのときに比べて、世の中はずいぶん変わったよね。一緒に話していたこと、考えてた思ってた同じことが、今はもう違う気がする。違う気がするというか、変わっていくことまでは想定していだけど、それが本当になりつつある今、私はひとりになってしまって道標がなくなってしまってるってこと。
変わったあとどうしたらいいのかまでは、あのとき考えていなかった。あのときだって『今』を生きることに精一杯だったよね。変化のはじまりの中で。
今ここにいたら何を思うんだろう。
いなくて良かったのかもしれない。
今は楽にして、そこから見守っていてくれるだけでいい。
私が思い出すとき、いつでも存在しているから。
frederick。もうすぐ祥月命日なのに、今年はこの時期になってもまだ暑い。
気がついたら夏も終わる頃になってた。
今月、入社から半年になる。半年間の長い試用期間が終わって、正社員として無期雇用の契約書を交わした。
前職で退職の話を受けたのが去年の10月。
もう1年にもなるなんて早いよね。
あの瞬間から就活が始まって、落ちまくってうなだれたことを、今は少しだけなつかしく振り返る。
そんなのって心の余裕と言うのかな。
何か少し違う気もするけど、条件面で前職を上回っていること、定職に就いていられる安心感はある。だけど、業務内容はどうかな…と思うことがある。
新しい自分の立ち位置を受け入れること、表現や振る舞いを考えていくことは、たまにじれったくなる。この待遇でなければ続けていないかもしれない。
贅沢なことを言ってはいけないと思う。
あんなに就職活動で苦しんだことを忘れないように。今この状態でいられることを当たり前と
思わないように。
そんなふうに、たまに自分を戒めている。
きっと、『そのとおり』と言っている気がする。
いつも見守ってくれていてありがとう。
frederick。新しい職場に移ってから1ヶ月半、見ての通り毎日がすっかり塗り替わった。
最初だから、新しく覚えなきゃいけないことの情報量はたくさん、それからこんなに売れて忙しいなんて思わなかった。
毎日くたくたに疲れていたけど、その忙しさにも少し慣れて、自分の行動を考えながら仕事を進められるようになってきた。
今までに経験したことのない忙しさだし、扱う商品も、客層も、初めてのこと…自分が年齢を重ねているせいもあるかもね。
思い返すと、ずいぶん遠くまできたような気がする。
何回も、いつも話していた私達の目的としていた仕事のスタンス。
あのときからずいぶん時代が変わってしまったよ。
そんな気がする。
年下のスタッフから趣味を聞かれて、『仕事』と答えた。
時代が変わっても、そんなふうに答えた私自身は、あの頃と何も変わってない。
frederick。お誕生日おめでとう。今日は入社書類の準備で区役所にいったりして、少し忙しくしていて日付が変わってしまった。
今度の会社から銀行の指定があるから、今日新しく口座を開設してきた。暗証番号はもちろん0220。今日の日付だね。
今日は、選考が重なっていた会社から電話があって、返事をもう少し待ってほしいと言われた。内定している会社があるから辞退すると伝えたら、しばらくしてまたすぐに電話があって、ぜひ役員面接に進んでほしいと言われた。でもやっぱり辞退は覆せないから、丁重に丁重にお断りした。
予定よりも返事が遅れていたから、お見送りだろうと思っていた。まさかこんなことになるとは予想していなかった。先月までずっとお見送りばかりだったのに。販売以外の仕事で前向きな返事をもらえるなんて、とてもめずらしいことだったと思う。
ほかから内定をもらっていなかったら、間違いなく進んでいた。
スキルもキャリアもだけど、縁とタイミングと、それから運にも左右されるんだと思った。
変化が激しくて、今を生きているのはとても大変に感じる。おたがいに年齢を重ねた今、もし生きていたらどんな話ができただろうと思う。
一緒に頑張っていられたかな。
普通なこと、当たり前なこと、それが幸せだと話してくれたね。そのとおりだと思うよ。
普通も当たり前もわからなくなってしまった世の中だから。
>> 162
この内定の返事を待ってもらってまで、選考を受けなくてもいいと思ったから。
今月は面接と単発を交互に、10月からずっと仕事と就活を並行し、地に足の着かない毎日を繰り返してきた。それがやっと終わった。
これからは入社準備に忙しくなる。
有給の間に会おうと、話していた友達にも会えないまま。結局それどころじゃなかった。
入社したら、それはまた忙しい毎日のはじまり。クローズをたくさん経験したけど、新店も同じくらい経験してきたなと思い出した。クローズとオープン、その振り幅の大きさに笑える。どっちも大変なのは同じだけど、内容が違いすぎる。
今は就活の縛りから開放されて自由を感じているけど、違う種類の忙しさがはじまった。
本当に大変なのは、入社してからだといつも思う。求人見なくていい、面接行かなくていい、求人サイトからも退会した、その充実感がご褒美だと思っている。リスタートするまでの、今だけのほんの少しの間。
年末に内定もらった会社に妥協しなくて良かった。もったいないかなと思ったけど、心から喜べなかった。
この内定は、私にとってとても大きなものだと思う。こんなに苦しい就活もなかったし、その末につかんだものは、今まで手にしたことのないもの。きっともう、ラストキャリアになるかもしれない。とても大きな力添えを感じて、きっと一緒に喜んでくれていることも感じて、また歩き出してみるね。
だいじょうぶ。
>> 161
来月早々に新店を控えている話しも聞き、あせっているのかな、とも思えるような、もしかしてこれは?と期待を残して。
その日のうちに、1面通過と2次選考webテスト受験の知らせを受けた。
言語、非言語問題と、お客様への手紙を書く実技。手紙は書き慣れているし国語も得意気だけど、計算問題は非現実的で、これで知能が低いのが露見して落ちると思った。手紙でどれくらいカバーできるかなと。
その後、メールで現在年収と希望年収を聞かれ、希望年収は貴社規程に従うと伝えた。現状維持できたら十分と思っていたけど、ここまで受けた企業からは、今時それも厳しいという感触だったから。
採否を待つ間に、もう1社面接があった。配車業務のアシスタント。なんで面接に呼ばれたのかわからないと思いながら出向き、業務内容を聞いていたら、なんだかできそうという気持ちになっていた。
その翌日に外資から内定通知とオファーレターがきた。外資から内定。しかも想定年収は思ってもいなかった額。新店オープニングスタート。見送りに慣れすぎて、内定通知がとてもめずらしいものに見えた。これ私あて?と思った。これからどうしたらいいんだろう?と思った。
もう求人検索しなくていいんだ、面接にも行かなくていい、…そう思ったら感動して涙目になった。
そもそも今日は2社面接予定があった。もちろん両方とも選考辞退した。
frederick。月命日の今日に良い知らせができることをとても嬉しく思うよ。
やっと内定がきた。それも、自分が望んだ以上の条件で。10月から開始して、ほんとに長かった。
知らないブランドだったけど、外資だからエントリーしてみよう、外資だからどうせダメだろうけどと期待せずにweb応募しておいた。
クローズ前の微妙な時期に面接に呼ばれ、この際だからクローズが終わってからの日程で組んでもらった。
同業種の求人数は少ない上に、あったとしても条件が下がる案件ばかりで、応募できる企業もなくなってきていた。販売よりも物流業界に軸足を置きはじめていた。実際、販売よりも書類選考をクリアして面接も数件あった。ただ、1面で落ちてばかりいた。事務系も応募したけど全滅。webで画面をタッチすれば、簡単に応募完了するので、総数100社ほどに自分の個人情報を流出した。
正社員採用を諦めないと、再就職できないかもしれないと思いはじめていた。
販売職としては最後の選考になるかもしれないと思いながら臨んだ。クローズの緊張からも解き放たれ、最後になるかもしれないなら、これまで何を積んできて、今後百貨店業界がどうなるのか、そこで何ができそうか、率直に話そうと思った。
ラグジュアリーのわりに知名度が低いせいか、それまでの外資の面接と違い居丈高な感じがなく、私の話しに真剣に傾聴しているし、質問も高圧的ではなかった。
>> 159
私はコロナの真っ最中にこの会社に雇用された。2年半、この2年半、会社の業績は回復することなく、そんな中、会社は頑張って賃金を払ってくれていたんだな、と思う。こんな形での退職だけど、なぜか会社を悪く思えないのは、関わってくれた人たちの遠まわしの思いやりを感じていたから。
昨日は、今日もだけど、町田のクローズを思い出した。告知を受けたときから腹を立て、最終日の当日はしゃくり上げるほど泣いた。悔しさしかなかったあの時の私って、本当に未熟だったなって。紅白幕を剥がしたり、わずらわせたよね。
あのときに比べたら、今回はとても冷静だった。今は就活も続いているし、進捗が悪いせいで、感傷に浸っている場合ではないせいもあるかもしれない。1ヶ月以上の有給消化でも、再就職が決まるまではゆっくりできる気分じゃない。
でも、最後の4日間は返品や個人情報の処理等で対応に終われ、集中して疲れた。事故なく最後を迎えることができて荷が降りた。それについてはやっと緊張から開放されたよ。
見守ってくれてありがとう。店を後にして振り返ったとき、一緒にいてくれたように感じた。
私、またクローズやってしまった。
いつも真剣にやっているのにね。
毎回涙を流すけど、何度でもその涙を乗り越え、思い出を経験に変えて、また立ち上がるんだ。今回も。
きっと見ていて。
frederick。とうとう終わっちゃった。昨日クローズで、今日は撤収。
クローズっていつもどこでもそうだけど、とにかく早く店を片付ける、その作業に追われる。
最終日は、閉店の音楽が流れ始めると込み上げるものがあって、泣いてしまう、泣きながら片付け始める、そんなことが多かったけど、今回は平常心だった。
いくら頑張っても無理だった。時代背景と会社の状況に私の力量では及ばなかった。あきらめというのか、納得というのか。過去のクローズでは何度も悔しさを噛みしめたけど、今回はなかった。抜け殻になった自分の居場所を、振り返ってもう一度見たときも涙は出なかった。
お世話になった取引先とあいさつを交わして、惜しんでくれる人たちのやさしさに触れたとき、涙が止まらなくなった。
私への憐れみというより、時代の変化と業界衰退の仕方なさを見ていると思えた。
昨日のクローズは7店舗。同時にみんな職を失う。
今日は渋谷と立川で百貨店自体の営業が終了した。アパレル業界の失業者は、行場を失くしてこれからどこへ流れて行くんだろうね。
私もそのひとり。
私を見送ってくれた人たちも、これから始まる売却に自分の身を案じている。
frederick。すぐそばのお寺から、除夜の鐘の音が聞こえる。実感もないまま、新しい年になってしまった。
新年といったって、ただの昨日の続きにしか思えないんだけど。
私の人生のテーマは仕事だから、そう考えるとやっぱり大変な1年だった。伸びていかない毎日の連続に慣れてしまっていたけど、このままでいられるはずはないと思ってた。その日はいつなんだろうと、ぼんやりと感じていた不安。
ついにきた10月の宣告から2ヶ月、そこからの現職と就活が最も大変だったよ。
目標にしていた年内内定は叶わず、各方面の連休明けから再開する。
年の終盤の大事件だったけど、やっぱり思うのは、無事に暮らせてきた1年に感謝。生きてる以上、健康に送れた每日がなにより。年を重ねるほど、普通で当たり前のことをありがたく思う。
いつか言っていた。
普通なこと、当たり前なことが幸せだって。
そんな毎日をありがとう。いつも心の中にいると、教えてくれてありがとう。
まだ3か月あると思いながら、もう最終月。
きっとすぐに過ぎてしまう。
1日ずつ丁寧に生きていきたい。
>> 155
選ぶとか選ばれるとかでなく、独立して起業する人の気持ちもわかる。こんなことしてるなら、自分でやったほうが早いって思うよね。
休みのたび面接で、今日も1件行ってきた。その前に適性検査の指示があり、昨夜webで受検。性格検査のような300問と、言語、非言語問題。ふだん考えないようなややこい問題で、しまいに面倒になってテキトーにポチポチした。この会社からは、私は知能が低いと思われ、また落ちるだろうなと思いながら、私の入社意欲も低下したまま今日の面接。
質疑では、商品を想定したセールストークなんかも試され、見送りメールが想像できて、もういいから早く帰りたいと思った。
質疑が終わったあと部屋に残され、ほどなくして人事の人が現れて、内々定と言われた。面接は2回予定だったのに、即日内々定。あんな適性検査と、今日の質疑の内容で内々定。この会社、大丈夫かな?
あと27日に2社面接の予定がある。
今日の内々定で、エージェントの担当者も焦りが見えた。面接を控えている会社からの採否と条件提示を早くしてもらうよう交渉すると言っていた。
第1希望の会社はすでにとっくに落ちているから、今日の結果は嬉しくないわけではないけど、それ以上でもそれ以下でもない。
でもこのご時世、雇ってもらえるというだけでもありがたいと思う。1/30の会社だから。
やっと報告できることができた。
ありがとう。見守ってくれて。
frederick。就活をはじめて2ヶ月。エントリーした企業は、結局30社くらいになる。面接に呼ばれてるのは1割ほどで、あとは全部書類落ち。面接に呼ばれても、2次面接まで進めない。続々届く見送り通知に、呆然自失。私、こんなにダメな人かなって、自分の市場価値がこんなに落ちてる?年齢のせい、時代が変わってしまっせい、不景気だから。どれだけ理由を探しても、だからって生きてる以上、仕事しなきゃ暮らしていけないし、でもエントリーしても選考が進まず、自信をなくしたまま呼ばれた会社に面接に行き、また落ちての繰り返し。
時間的な焦りじゃない。今までなら考えられないくらい、落ちまくる自分に衝撃を受ける。
デスクの向こうに座っている人は選ぶ側で、私は選ばれる側。同じ人間なのにね、私の何をどれだけ知って落とすんだろうって、面接を繰り返しいるうちにアホらしくなってきた。社会からドロップアウトしていく人の気持ちがわかったような気がする。
frederick。生きてるといろんなことがあるよ。時間の経過も季節の進みも早くて、気持ちがついていかない。
クローズ告知からもうすぐ1ヶ月。自分が整理されるとは、どこかで思っていなくて、正社員なんだから雇用は守ってもらえるんじゃないかと、ぼんやり思っていた。
そうは言っても立ちどまっているわけにいかないから、動きだした。
仕事と就活の並行は、メンタルもフィジカルも大変だなあ、と早くも思っている。
せっかくなら、今よりもハードルの高い位置にターゲットを決めた。
1度きりの人生、生きてるいま、挑戦してみる。自分のやりたいことをもう1度思い出したから、歩いて行ってみる。だめだったら仕方ない。あきらめる。
まだ準備段階だけど、思うのは徹底的な客観視と自己分析。
自分のスキルと経験がどう評価されるか。
自分自身をどう表現して売込むか。
目標は1月内定獲得。
全力で取り組む。
frederick。急に寒くなって、今日はコートを着たよ。
毎年のこと命日が過ぎると、一気に季節が進む気がする。
今日はやっぱりきたね。
月初の、1月末クローズの報せに続いて、再びの部長の来訪。
申し訳ない。と何度頭を下げられただろう。
仕方ないよね。
この人はこんな話を何店舗回り、何人にしているんだろうと気の毒になった。
責める気持ちなんてないし、現実を受け止めた瞬間から、これからまだ私に再就職できる会社、たとえば今と同じ所得を維持していけるかな、とか、応募書類また作らなきゃとか、そんなことで頭がいっぱいになった。
また就活なんて、先が思いやられる。
もう今は昔と違って、それほど強気じゃなくて。
以前はね、自信を持ってどこへでも選考を受けにいっていたけど、もう時代も業界も変わってしまったし、私も年齢を重ねたからね。
だから、できるならずっとこの会社にいたかった。
この3年近くの間に、いろんな会社が体力をなくして、その影響がまさに今、顕在化してきている。
どうしよう、これから。
希望が見えなくて、どの方向に進んだらいいのかわからないよ。
あと3か月、有休消化を含めたら退社までは4ヶ月。
まだ今日告知を受けたばかりで、ダメージあるから、次の一歩踏み出すまで少し待ってて。
きっと見ていてくれると思って、また頑張るから。
frederick。祇園精舎。昨日これを思い出した。いろんなことが起きて、思い出した。
明日命日だからだ、と思ったよ。
あの日はピカピカなお天気だったけど、今日は曇り空で、同じ日のような気がしなかった。
生きていたら、いま何を話すだろうね。
私また、ちょっと大変な場面になっちゃいそうだよ。
そしたら、また浮かんだ。
あなたにはこういうことをしますと言える人になってほしい。
また話しかけてくれた。と思った。
でもね、まだやらなきゃいけないの?て思っちゃった。
ちゃんと生きていくっていう約束。投げ出さずに最後まで生きる約束。そのために残してくれた言葉を大切に、お守りにしてるよ。
ありがとう。ありがとうの涙が出る。
frederick。今日のことは、もう見ていてつらくなる。
休みだったのに、何にもできなかった。
すでにもう、世の中は歪んでいると思っていたけど、今日はそれを強く確信した。
普通の日常のようであって、今までのような普通ではない。
当たり前のことが当たり前でない。
なんでもない顔をしていても、誰もが潜在的に不安を蓄積させているような。
1日ずつ生きていく。
今日も無事で過ごせたことに、今日も感謝をして。
その繰り返しと積み重ねの中に、少しの安堵や喜びがあるなら、それが心を支えてくれる。
今までのように、それほど多くのものを必要としなくても、生きるのに十分だと、最近思い始めている。
frederick。年明けのニュースから、もう半年になるけど。1年の半分が過ぎた。なんて早いんだろうと感じている。
半年が経過して、この進捗はずいぶん長い時間がかかっていると思えるけど、まとまってきているみたい。
ここにいる以上、もうどうしたって、なるようにしかならい。
時間がすべてを決めていく。
この大きな流れは大きすぎて、多くの人を会社を、巻き込み飲み込んでいく。
それは、横浜に限ったわけではなくて、新宿も渋谷も同じことだし。業界は揺れまくっている。
どうなるんだろうと、みんな不安に思っている。
つらいだとか、苦しいだとか、言ってみたところで何も変わらない。
私は、やっぱり必死に、厳しいなりに必死になってしまうけど、仕事をいちばん大事にしたい、それが私の価値観だから、これでいいと思っている。
何がいちばん大切なのかは、ひとりひとり自分で選んで決めることだと思う。そしてそこに、第三者からのジャッジは必要としない。
だから、私自身も自分以外の人のことを否定も肯定もしない。
frederick。生きているのは大変だよね。
frederickが生きていた時より、この世は生きにくくなっているのかも知れない。
仕事も世の中も、暮らしもどうなっていくんだろうって、漠然と感じる不安定感。無意識に毎日を必死に過ごしているうちに、月日は早いスピードで過ぎていく。
そんな感じ。
考えてもしょうがないことは考えない
あの時、教えてくれた言葉。
そうだね。と思う。
10月17日に連絡がきたとき、もしかしたら自殺してしまったのかと思った。
前から苦悩していたこと聞いていたから。
そうではないと知って、安心とは言えないけれども、なんとかして助けられなかったのかと、強く強く思った。
ちゃんと先のことを考えていた。
私と会う時間を作るって、待っててって言っていた。
死ぬときってどんなだろうと思う。楽に死ねるのなら死んでみたい。
でも、自分から行こうとしたなら、会えないような気がして。
最後まであきらめるなと言われそうで。
そんなふうに、生きてることの理由を思えるだけの余力が、まだ私にはあると、自分を信じてみる。
frederick。明日、展示会。役員に部長に、最低でも4人に囲まれる想定。
だとしても、落ち着いて冷静に話ができるようにおまじないしてほしい。
実績が悪い。その事実を背負って行く。
責任を持つとは、人のせいにしないこと
そう教えてくれたのをよく覚えている。
夕方、暗くなりかけの駅のそばの陸橋の上で、手すりにもたれて一緒にタバコ吸いながら話した。
責任を持つってどういうことだろうって私が聞いたら、人のせいにしないことかなって言ってたね。
すごく納得できた。
この言葉が好きで、大事に持ち歩いている。
この言葉がたまにしんどいときもあるけどね。
教えてくれたことに記憶を戻す。
いつもそこに答えがある。
ほんとは話を聞いてほしい。あのときみたいに。
frederick。3月3日に会ったのが最後だったよね。
新年度、3月展、全店の店長が召集され、新しい人事の発表があった。そこで担当から外されることを知る。
朝からあいさつも上の空で、目を合わせてもくれなくて、変だなと思ってた理由がそこにあった。
解散してから、階段の踊り場で話して大泣きした。
これから一緒に頑張って行こうって、話したばかりなのに、一緒にやりたかったのにって言ったら、聞こえないくらいの小さな声で、聞き取りにくいくらいの早口で『ありがと』て言った。
ありがとと言われてうれしかった。
私が課長に直談判すると言ったら、99%覆らないと思うけど、やってごらん。と言ってくれたことも。
それを聞いて特攻したけど、予言どおり覆らなかった。
異動の内示を受けて、自分が外れたらアイツは辞めると言うよって、課長に反対していたと、告別式の席で本人から聞いた。それまで知らなかった。
いつだって、私の気持ちも行動も、どうしてそんなにわかってくれていたんだろう。そしてそれをいつも尊重してくれた。
ありがとう。今でも愛情を感じる。
あのとき、一緒だから頑張れた。身体中から、心の底から、勇気と力が湧いてきた。
いつも見守ってくれていたから。
今も、そこから見張っていて。私が脱線しないように。
frederick。おめでとう。お誕生日。
毎年、2度めぐって来る特別な日。
10月17日と2月20日。
誕生日をいつ教えてもらったのか、全然おぼえていないけど。
生きていたら、一緒にお祝いしたかった。
誕生日は、何歳になったって生まれてきた記念日。
生まれてきてくれたから、出会うことができた。
生まれてきてくれてありがとう。
必ず会いにいくから待ってて。
今は私がそう言う側なのかな。
この人生、最後まで生き抜くから、私のこと忘れないで待ってて。
もうすぐ行くよっていう時には迎えにきてほしい。
全部見てたよ、よくやったよ、もういいよって、一緒にいられる所へ連れて行ってほしい。
>> 135
家賃3万の田舎のひどいアパートから始まって、今は、その時の部屋よりずいぶん狭いのに家賃は倍だけど、頑張って出世したよねと思ってあげる。
困った、どうしよう、と思うことは何度でも。
私が人と違うのは、そんなときに逃げ帰れる場所も、頼る人もないこと。それだってここまで生きてこれてる。ひとりでやってきた。
これ以上の試練はもうたくさん!と思うけど、生きてる限り続く。
そのたびに昔のこと思い出して、今回だって、今だって、きっと大丈夫と思ってみる。
私なら大丈夫。くじけるなら、きっともっと以前にくじけてる。
ありふれた人生を生きてきたわけじゃないから。
誰にも言わない、ここだけの話だけど。
frederick。大雄山線の五百羅漢という駅が最寄りの木造アパートから、私の自立が始まった。
成人前、家出同然で出てきた。
6畳二間、家賃は3万。洗濯機は外置きで、仕事から帰ってくると、隣の柄の悪い男が洗濯機に水を張って、犬を洗っている場面に遭遇したりした。
お金がなくて固定電話は引けず、近くの赤い電話が私の電話だった。
超してからすぐに夏になると、帰って来て玄関のドアを開けたとき、たくさんの何かが大急ぎでカサカサと散っていく音がした。ほんとうに、音が聞き取れるほどの、どれだけの量がいるんだろうとゾッとした。
セキュリティなんて皆無だった。ある日に、帰宅して部屋に入り電気をつけたら、箪笥も押入れも荒らされ、畳に泥の足跡がたくさんあった。お風呂場の窓が壊されていて、足跡はお風呂場から始まっていた。
通帳と印鑑が盗られていて、翌朝口座を確認したら、もちろんなんにも残っていなかった。
警察に届けたけど、犯人はわからないまま。それよりも、その部屋はすぐに引き払った。半年しか住まなかった。
以降、1階の物件は敬遠していた。今の部屋を借りるとき、あのときの嫌な記憶を思い出したけど、どうしても気に入ってしまって、1階に住んでいる。
自分の原点を思い出すとき、やっぱり私、自分の力でここまでよく頑張って生きてきたじゃん、と思う。
ここだけの話だけど。
>> 133
最も嫌いなパターンだと思った。
自分の立場から、大事なことを特別に伝えにきた。本当は言ってはいけないことなのに。あなたを心配してるから。
そういう自分が好きなんじゃないの?と思う。
思いの強さは長所だと思うけど、冷静で客観的な視点も持つべきだと忠告された。
なんで?私は冷静だよ。とは言わなかったけど。
最後まで私はここにいようと思うのは、私の選択。それについて、ジャッジはいらない。
合理性だけで仕事をするわけでも、生きているわけでもない。
そういうことを言うかわりに、Tさんは厳しい世界で頑張っておられるんでしょうね。今の年齢はいちばん輝きを増す時なんだと思いますよ。と言った。
そうしたら、自分の裁量でできることも多く充実していると言っていた。
ほらね。高い位置にいる自分に酔っぱらっているんだなと思った。
そんなお年頃でもあるな、と思う。堂々と人に忠告できて、そこに同意がないと不思議にさえ思う自分への自信。鬱陶しい。
会社の看板と自分に付いている冠なんて、ちょっとしたことで一瞬にして消えてしまうよ。
組織なんて脆いものなのにね。
私の仕事に対する選択は、損得でも正誤でもなく、私が大事にしたいことを大事する、私の生き方。
いいでしょ、人と違ったって。
frederick。うねりが来そう。
以前、同じ現場にいた取引先の人が訪ねてくれた。今は出世していて、現場との関わり方が大きく変わっている。現場の采配を左右できる立場になっている。
決定していることではないし、会社の状況も今は不透明と前置きがあった上で、リモデルに伴うロケーションの変化で、私のいる場所は撤収の方向で動いていると。
ほかの情報源から聞いてはいたから、驚きはしないけど、その人が目の前に現れて、この人が動かしているのか、と思ってそのことに少し驚いた。
その人が言いたいのは、今のうちにリスクを分散しておいたほうがいいということらしかった。
私は、会社に対する感謝の気持ちがあるので、会社が存続するのなら、必要とされるうちは自分から退社を考えはしないと、正直に話した。
おそらく、政治的観点から、その人のほうがよほどうちの会社の窮状を理解しているんだろけど、私の言葉に呆れてるのがわかった。
本来なら、伝えるべき内容でも、伝えていい立場でもないはずの情報を知らせにきてくれた。
それはありがたいことなのかも知れないけど、厚意ならそこまででいい。それを知ったあと、どうするかは私が決めること。自分にとっての正解が、相手にとっても正解とは限らない。
立場を越えての行動にお礼を伝えたけど、何かが違うと思った。
どうするのか、その答えが一致しなかったことに、彼は不満そうだったから。
frederick。向かい合って話をしている時に、私のノートに『教育』と書いて、教え育てるってことなんだよ。て言ったことがあった。
教え育てる。
わかってるんだけど、教えて育てるのは、相手の個人的資質にもよるところがあって、いちばんつらいのは、愛情を持てない相手に対するとき。
なぜ相手に愛情を持てないかというと、できないことがいけないのじゃなくて、できないことをできるようになろうとする、最大限の努力が相手に見えないから。
言われれば、文句や反発ばかり。
それは、仕事に対する真剣さの欠如だと思う。
スキル不足の上、努力や工夫をせずに、ただ楽がしたいなら、ここは居場所として適切でないと思う。
こんな世の中になって、思うようにいかないこと、閉塞感に、心が疲れている人が多いと思う。私もそのひとりかもしれない。
ここにいて、これから先、もうどうしようもないと思う。
商品、販売体制、環境、景況感、私もだけど、会社もどうにもならないところまで来ている。在庫と人事で、それがもうあからさまにわかる。
ただ、いつ店がなくなろうと、明日会社が倒れようと、私の人生も仕事も続く。そうなったとしても、今ここにいることの意味を自分自身が見つけること。つくること。
希求される結果に届かなくても、届かないからこそ、自分の目標を自分で決めてそこに向かっていくこと。今できるのは、そういうこと。
frederick。ほんとうのことを言うと、誰にも興味がない。
会いたいって言われたり、職場に立ち寄ってくれたり、連絡をしてくる人、どうしてだろうって思うんだけど。
どうでもいい。
会いたいと思わなければ会わない。
誘われるままに出掛けていったりしたら、気を許してると思って、相手は私にやさしさを与えるんだろうか。
自分が求めない人からのやさしさなんていらない。
私もやさしくなんてできない。
社交辞令を誤解されるのもめんどくさい。
穏便にやり過ごすため、大人の対応なのをわかってもらいたいと思う。
ほんとにめんどくさいと思う。
そして、私がめんどくさい人だということをみんな知らないから、会いたいとか、飲みたいとか言う。
おたがいに言いたいことを本音で言い合えた、良い所も悪い所もわかった上で認め合えた、そういう人はもういないと思う。
いないと思っているから、好きな相手にだけ見せる自分の心は、誰にも見せない。
誰かにやさしくされても、連絡がきても、それがしあわせとは限らない。
frederick。今日はすごく冷えてる。
クリスマスが終わると、明日からお正月の雰囲気に一変する。今日までは、お正月飾りもあるけどクリスマスが優勢。一夜にして塗り替えなきゃいけない、そんな関わりの仕事の人は大変だね。
これだけ大人になると、クリスマスを他人事みたいに眺められる。
クリスマスだからって、メッセージをくれた人もいた。
クリスマスだからって、なんだってこの人はメッセージなんてよこすんだろう、なんて、心のはじっこで思う。でも、悪い気はしないから返信はする。
クリスマスだからって、特別にメッセージをするほうが、よほど照れくさいような気がする。
私は、今、クリスマスだからって、メッセージを送ろうと思うような人はいない。だから、誰にもしていない。
叶わなかったクリスマスのことを考えて、早く伝えなかったことを後悔したり、でもね、言えなかった自分を、しょうがなかった、と肯定しようとしたり。
ただ、ひとつだけ気がついたことがある。
さみしさも、悲しさも、消えることはない。ずっと。
でもね、さみしさと、悲しさと一緒に生きていけるようになるんだってこと。
今まだ私、ここに生きてる。生きてこれてるから。
さみしさと、悲しさと一緒に。
frederick。クリスマス前、好きな曲だから、なおさらかも知れないけど、『ラストクリスマス』が頻繁に耳につく。でも、カバーばっかりで、オリジナルに勝るものはないと、YouTubeで聴いてみた。私の『ラストクリスマス』はやっぱりこれだな、と思った。
クリスマスがまだ特別な日だと思えた頃のこと。思い出した。
あの最後の年の。
クリスマスまで待っていようと思ってた。クリスマスを理由に、会って、もう一緒に暮らそうよって言おうと思ってた。私にまかせてほしいって。
でもこれ、伝えたとしても、拒否される可能性だってあったわけで、イベントの勢いに乗らなければ勇気を出せなかった。
伝えたかった、たったひとこと。
まだ私の中に立ち止まっている。
あれからもう行き場を失った言葉。
いま聞こえる?
frederick。待つがつらいか、待たせる身がつらいか。
太宰治のこの言葉を最近知った。
待っていた。心配しながら、早く会いたい、早く会って伝えたいと思いながら。
待ってるだけじゃいけなかったのか。
良い悪いではなくて、あのときの私は待つことしかできなかったって、何度も何度も自分に確認して。
待つ身がつらいか、待たせる身がつらいか。
この言葉で、待たせる身のつらさを想像できた。
私は、好んで待っているからいいんだって言えるけど、待ってると知ってて、早く行かなきゃって思う気持ちのつらさを、今はじめて知るなんて、ごめんね。
待ってることの不自由さと、待たせていることの罪悪感なら、私は不自由なほうがいい。罪悪感は、自分に向かってしまうから、余計につらくなる。
だから、私は待たせるより待っているほうを選ぶんだと思う。
つらくさせてごめんね。
待っててと言われたら、いくらでも待ってしまう。待ってしまった。必ず会えるって信じていたから。必ず来る。そういう人だから。
行くのが遅くなっても、私はきっと待っているって、私を信じていたよね。
frederick。Hさんに、私は今でも毎日思い出しているし、寝る前に手を合わせて祈っているって話したら、14年になるのにまだしてるんですか?って、びっくりされちゃったよ。
びっくりされたことに、私がびっくりした。
驚くことかな。
それは、私にとっては習慣で、生きている限り消えることも、忘れることもないことなんだ。
ただ、Hさんにしか言わないけどね。
私たちのことをよく知るのは、Hさんだけだし、思い出話をできる相手がいることを少しうれしく思う。
私は、思い出すために生きてる。
私が生きてる限り、毎日ずっと思い出すよ。
生きてるってこと。
私の心の中に生きてるってこと。その意味がやっとわかった。
思い出すっていうこと。
frederick。今日は雨が降って寒かったよ。
あの日は、朝からぴかぴかに晴れて陽射しがまぶしかった。
いつもと変わらない朝を今日もありがとう。
あの日以外は、あの1日以外は、いつもと変わらない朝をくりかえしくりかえし迎えているよ。
報せを受け取ったあのときと同じ場所にいま私は立っていて、同じ日を迎えた。
職場にいる時以外は涙が止まらなくて、責務感だけで立ってた。
しっかりしていなきゃいけないって、私が私を見失うことなんて望んでないはずだからって、それだけが支えだったよ。
そんな自分しか記憶にないよ。
今日は少し忙しくて、元気に仕事してきたよ。
あの日、一晩中泣いて眠れなかった。今日は大丈夫。
でもやっぱり今日は、あの日の自分に戻ってしまうね。きっと生きている間は、あの日のこと忘れることできない。
会いたい。
frederick。この何日か、久しぶりに昔のスタッフが2人連絡をくれて、偶然にも話の内容が同じ。
私と一緒に仕事していた頃のこと、今でも実践していると。
厳しく指導した2人。そのときは、きついと思いながらついて来てたんだと思う。
今は2人とも部下を持つ立場になって、つまずいたり悩んだり、偶然にも同じタイミングみたい。
上に立つと、誰かが誉めてくれることなんて滅多にない。
悩みや愚痴だって簡単にアウトプットできない。
だから、よくやってるから大丈夫って誉めた。
だって私もね、かつての部下が自分のやってきたことを肯定してくれて、今も同じことを変わらずにやり続けてることに自信をもらったから。
ついでのHの思い出話は笑えたね。
私はうっかり忘れていた。frederickもきっと忘れてる。
そんなこともあったなって、命日を前に笑える私が不思議だった。
frederickの思い出話をして笑えるんだ私、と思った。
会いたいな、と思った。
frederick。結局、以前の職場で一緒にやってくれていたスタッフを2名引っ張ってきた。
声をかけて、やりたいと言ってくれたこと、それを認め受け入れてくれた会社、両方に感謝。
ヘッドカウントを揃えるだけの人事に仕方なく応じているより、自分で連れてきたほうが何倍も生産性がある。なぜならば、私の仕事の考え方、やり方をすでに知っていて、それでもなお一緒にやると言ってくれているのだから。
これで少しは精神的に楽になる。
敵も作るけど、味方もいる。私のような偏った人の味方になってくれる人は強力なんだよ。嘘やごまかしのない、深く関わった人だから。それをすると、合わない人は徹底的に合わない。表面的な関わり方では希薄な人間関係しかできないし、脆いものでしかない。
希薄な関係なんかで良い仕事ができるとは思わない。だからそんなものはいらない。
frederickもそうだったでしょ、私の強力な味方だった。
私もfrederickの味方だった。いつでも。
今でも。
frederick。最近、苛立って怒りっぽくなってる。入社1年、今の配属先に来て半年。景況感悪い中、管理する立場になったから?そうかもだけど、今は働くこと自体が大変。管理される立場にあったとしても、その立場なりの苦痛は感じると思う。
この状況をなんとかしたい。その思いの強さに疲れていると思った。もっと言うと、この思いの強さについて来てくれる、ついて来れる人がいない。
スタッフは全員私より年上。この道何十年とか、私のほうが先輩とか、そんなことばかり言って、じゃあ仕事のクオリティは?それで私は怒る。
言っても無意味なのに感情的になる。正面から向き合うのを避けることが最善と思って来た半年、1滴ずつこぼれてた雫がたまって、器から溢れはじめたかなと思った。
今日はそのスタッフに、次からもう来なくていいと言った。
私はそれを言える立場だった。
言う以上は、自分だけでやるつもりで会社に報告した。言ったとおり、その人はもう来ないよ。それはかまわないけど、冷静さと平常心を失った自分に嫌気がさす。
ベクトルは間違ってない。量をもっと多く、質をもっと高く。それを要求する自分に時間が足りない。心の余裕がなくなった。
忙しいという字は…
いつもわかってる。自分を客観的に見るのはとても難しい。疲れてる私、明日休み。あさっては少しゆとりを取り戻す。
見ていて。自分を制することができる私になるのを。
frederick。心の中に満ちる思いと頭の中に渦巻く考えは、たくさんありすぎて毎日の色んな現象にぎゅうぎゅうで、言葉にできなかったり言葉にする前に塗り替えられていってしまう。
忙しいという字は心を亡くすって書く。それじゃダメなんだよ。
て、真剣に言っていたよね。
何度思い出してるだろう、この言葉を。
いくつ思い出してるだろう、伝えてくれた言葉を。
そうしていつも、今の私はどう?て自分を振り返る。
世の中がどうであっても、自分以外の人がどうであっても、私は今なにをすべきか、どうあるべきか、見失わずにいたいと思っている。
おととい、もう何年になるっけ?て一瞬考え込んでしまった。
2008年から何年たったの?て。
もうそんなになるの?
まだこんなに身近に感じているのにね。
もういないけど、大きな存在感で私を支えてくれてる。ありがとう。
それから、いつも私のつぶやきに共感してくれている、この画面の向こうのあなた様にもありがとう。(*´-`)
frederick。変わるものと変わらないもの。両方あるけど、忘れてたものをもう1度取り戻してみる。
厳密には忘れてたわけじゃないけど、郷に従い、まあいいかってやり過ごしてしまってたことが、実はやっぱりそれって必要だったと思った。
一緒にやっていた頃のこと、あれがすべて基本で堅実だったと今でも思う。
正解は、過去の焼き直しにあると思う。だって、あの頃の仕事は丁寧で筋が通っていたから。今みたいに右から左に流していくような、機械みたいな仕事でなくて。ちゃんと意志があった。
そうだよね。
仕事を作業にしてはいけないって。
心の入っていない仕事はしたくないって。
そう言ってたね。
私がやるよ。仕事に心を入れて。
やりたかったような仕事を。
私がそれをすることが、生きてた証だから。
frederick。日々の流れがすごく早く感じる。1日ごとに思うわけではないんだけど、すぐに週末がきて、あれこれ考えているうちに1ヶ月が終わる。
変わってしまったものがたくさんある。これからどうなってしまうのと思わずにいられない世の中。
思い煩っても、でも昨日も今日も無事に暮らせている。ぜんぜん悪くないよね。明日のことも、来週のことも来月のこともわからないかもしれないけど、今日を今を確実に生きる。毎日その繰り返し。今していることがこれから先への布石と私は思っている。
昨日へは決して戻れない。だから今なにをすべきか。
私に残してくれた大切な言葉。
もしも明日会っても、下をうつむかなくていい私でいたい。
ちゃんとやってるよって言える私でいたい。
frederick。2007年の夏、町田の最終日のお客様と一緒に撮った写真を見てしまった。私は泣き顔。私よりいくつも歳上のスタッフと、お客様はみんな笑顔で写ってる。
みんなの優しさに私は囲まれていたんだなと思う。私だけが泣き顔でほかのみんなは笑顔だから。
リーマンショック前、百貨店の斜陽の先駆けの頃。そうとは知らず、迷いも疑いもなく自分を肯定し、運命を恨みながら悔しさをエネルギーにしてた。
できるものなら、障害になるものすべてを蹴散らしてやりたいくらいの衝動があった。どんなにジタバタしたって覆しようのない現実に屈した最終日の泣き顔が、自分の歴史の中に刻まれてる。
そういう私を理解し、支持してくれる人もいた。人からはまだ若いと言われた自分だったから。
あそこから10年以上がたった今は、自分が理解してあげる側にならなきゃいけないのかもね。歳を重ね、大人になるっていうのはそういうことなのかもね。
昔みたいな衝動がなくなった代わりに、今の世の中も業界もこんなもんて、冷静に捉えてるけど、迷い疑問に思うことが増えたみたい。
どっちがいいんだろう。わからないけど、それだけ世の中が変わったんだということと、経験が増えた分、私自身も変わったということはわかる。きっと、どっちがいいということではなくて。
あの頃の自分をなつかしく思った。自分というより、昔の知り合いみたいな気がした。
frederick。軌道の修正はほぼできた。これまでの習慣を取り払い、新しい出発点を作った。これからいよいよ運転できそうだよ。
状況は厳しいけど、たとえば明日会社が消滅したとしても、やるべきことをやる。
あれ何年前だったかな、未来はいつも白紙だよって、階段の踊場で私が言ったこと覚えている?
煮詰まったときは、少々言葉がきつくなるほどにおたがいに励ましていたような気がする。それも無意識的に。
私が着手しているのは建て直しなんだ、て毎日自分に言っている。
破壊が終わりつつあるから、これからは再生。
やろうと思うことが次々に出てきて、毎日忙しいし疲れも感じるけど、これが自分らしいのかな、と思う。
それから、私の考える方向に気持ちよく協力してくれるスタッフたち。思いに反して売れないことを気にしながら、頑張ってくれてる催事応援の人。みんな大変だけど、笑顔で動いてくれてる。それがいちばん嬉しい。すでに当たり前の大変さに振り回されずに、少しでも達成感とか充実感のある環境にしたい。
frederick。初日はやっぱり疲れた。8時から研修を受けて、そのあとあいさつ回りと前任者からの引き継ぎ。環境の変化に順応するためのエネルギーはいつも膨大。
明日からが私の本番になる。
辞令を受けたとき、これは破壊と再生だと思った。今まで慣習となっていたものを壊して、新しく生まれ変わる。
壊す作業も再生させる作業も、どっちもパワーを要する。きっと大変だけど、期待は重荷だけど、その役目をもらったことに感謝したい。自分から志願したわけでないのに求められたもの。
自分の人生の中身を詰めるために、もう1度やってみよう。これが最後のチャンスかもしれないと思って。
共感してくださってる方へありがとうございます。
この画面の向こう、確かに誰かがいる。見えなくても応援してもらっているみたいでうれしくなります。
frederick。なりゆきで今日は夜更かししてる。
初めて会ったとき、そのときが私の責任者としてのスタートだった。町田では会社をまたぎながら、続けて店頭を任せてもらったけど、撤退と舘自体の閉店と不本意なことが続いた。閉店が決まったとき、3年ぶりに電話をしたんだよね。あまりにショックで、気持ちのやり場がなくて、どうしようもなくて、あんなとき話をしたいと思うのは、ほかの誰も思い浮かばなかった。何を話したかったんだろう。
一緒にやっていた頃に与えてもらったものを大切にして、リベンジをしたかったのに、また自分の店をなくすんだって、その悔しさを受け止めてほしかったのかな。
あのときの純粋な反骨精神を私はまだ持っているかな。
持ってないかな。なくはないけど、あの頃の私の炎が真っ赤だとしたら、今はろうそくの炎くらいかな。静かで落ち着いていて、悪くはないと思う。
完成形はきっとないと思う。いつも流動的で無常だから。
追いかけるだけ。ただそれだけが人生の答えだ。
一緒にやっていたときのこと、もう一度思い出した。あれが私の出発点だからね。
会いたいな。話がしたい。
frederick。十三回忌を越えたタイミングで同じ場所へ帰る。不思議な縁を感じる。ロケーションはあのときとはとっくに変わっているし、私自身も変わったよね。
打診を断る理由はなかった。与えられたミッションをクリアできる根拠はないし、自信だってあるわけじゃないけど、きっと私には、私の性格には合ってるポジションだから。frederickもきっとそう思うでしょ、やったほうがいいよって、きっと言う。
ニューノーマルの世の中、普遍的なもだって必ずある。それは、心だよ。デジタルになって、ソーシャルディスタンスを保ちながら生きていかなきゃいけない世の中だって、誰だって心はあたたかさを必要としてる。私はそれを信じてこの仕事をしていくよ。
テクニックじゃなくてマインド。結果を見たら、スキルやテクニックだと思われたのかもしれない。私にはそれはどっちでもいい。ただ、今回の人事は、そのまま自分に対する評価の表れだと自負するから、ありがたく受け止めてる。
私のやり方で、0からスタートでいいと考えてると言われた。期待の大きさは、そのままプレッシャーに変換されるけど、今、この上昇気流に乗っておけばいい。迷いはなかった。
自分の決断を信じる。
frederick。自分の境遇と人生がつらくて、誰にもわかってもらえないだろうと思うと淋しくて悲しかった頃がある。誰にもわかってもらえないと思う。同じことを体験してなければわからない。もし同じ体験をしても、感じること思うことは人によって違うかも知れない。私の気持ちは私にしかわからない。たとえばわかってもらえたとして、その人は何をしてくれるだろう。私は何をしてほしかったんだろう。そして、私がわかってあげる側だったなら、私はその相手に何をしてあげるんだろう。相手は何を望むのかな。
frederickは私をただ受け止めてくれていたと思う。
いつも私に前に進む力をくれた。それがどうしてなのか、その時はわからなかったけど、今日気づいた。ただ受け止めてくれていたからだって。そしてね、私を引っ張るのではなくて、私が自分の足で前に進んで行けるように、私に自力で考え、自分の中の答えを見つける助けをくれた。
不思議だった。
わかってくれる人がいても、いなくても、私は今、ただ私でいるだけだと思う。
ありのままを受け止めていく。自分自身のことも、世の中のことも、自分のまわりのことも。嘆いても騒いでも何も変わりはしないから。
もう12年も生きてるんだよ。すごいでしょ。いろんなことずいぶん変わったよ。私も世の中も。自分の生き方を探して、けっこう力いっぱい生きてきたみたい。もう静かに過ごしたい。
frederick。日曜日から新しい仕事が始まる。月始めにやっと面接ができるようになって、何の障害もなく内定をもらった。面接の時点で、ぜひ入社してもらいたいと言ってもらっていて、あとは条件次第という感触があった。
前職での金額は伝えたけど、休業明けの状況と今後の消費環境を思えば、前職の所得を要望するのは無理とわかる。伝えるだけに留め、あとはお任せしますと言った。こんな景況感の中で採用に積極的なんてすごい会社だと思った。私の立場からは、採用になること自体ありがたいことだと思っていた。だから、お任せしますと言ったのは自然に出た言葉だった。結果的に前職の所得を大きく下回ることになったけど、求人票に載っていた金額からは上回っていた。
エントリーしたのは3月下旬。面接日も決まっていたのにすぐに自粛要請が出て、実際に面接になったのが今月。2ヶ月の間、この会社からは度々電話をもらっていて、タイムラグが発生している中での意思確認と、健康状態を心配してもらっていた。度重なる配慮を受け、他社と比較する必要もなく、この会社に入社したいと思っていた。
入社日が迫っているけど、以前のような高揚感や焦燥感なんかはなく、平常心なのが不思議に思う。
もうわかってる。入ってからのほうが大変だしね。これからは細く長くやっていこうと思うよ。
frederick。毎日休みなので、近所のお寺に行くのが日課になってる。境内を通り過ぎて、桜の木に囲まれた長い長い階段を登って行くと高台に霊園がある。山道みたいな急な階段を登るのは、息が切れて足にもこたえるんだけど、土と木々に囲まれた空気に包まれるのは気持ちいい。ほかに誰もいないしマスクなんてしない。
登り切るとランドマークタワーやベイブリッジが一望できて、どこまでも空が広がってる。うぐいすの鳴き声は本物。スピーカーはどこにも見えないから。うぐいすの姿を見つけようとするけど、いつもみつからない。その前に、うぐいすって見たことがないからわからないと思った。
霊園を守っているみたいに、合掌して不動のまま揺るぎない日蓮聖人の大きな像に手を合わせる。
桜は日々少しずつ花びらを地面に散らし、枝には緑を蓄えてる。この間満開だったのに、時は流れている。
ニュースの中の深刻な状況が別の世界のことのように、空はきれいで空気は澄んで、鳥が歌い、桜の木の枝をリスが駆け抜け行ったりしてる。自然に還りたい。ありのままでいたい。本当はそうだよね。
心地良い場所で風に吹かれながら深呼吸をたくさんして、下山する。階段を全部下って境内を通り過ぎたらマスクをして、門の両脇にいる怖い顔をした大きな木彫りの神様に挨拶をして下界に戻る。
家のそばの路地から振り向いて見上げると、さっきの日蓮聖人がいつでも合掌してる。
frederick。昨日から感じていた、なんだか心がむずむずする感覚。今朝は目が覚めた瞬間からそれが強くなって、なにかアクションしなきゃいけないかなと思ってたけど、根拠がないから見送ってた。そうしたら、発信とほぼオンタイムで優事の情報を受け取ることになった。昨日から前振りされていたんだと思った。大事なことは私に知らせてくれる。
つながるってこういうことなんだろうね。あのときもそうだった。
こんなとき、人はどこまでも個なんだと思う。どれほどの想いを持ってしても、誰も自分の代わりにはなれないし、私もまた相手の代わりになることもできない。個としての自分をどう生きるか。孤独に感じるかもしれないけど、違う。その生き方に共鳴し、心から尊重する。そんなふうに見守ることができるなら、孤独とはいわない。信頼があるところには安心があるから。
しらせてくれてくれたこと、いつも守ってくれていること、frederickとご両親に感謝しています。今は毎日のことに必死だけど、この瞬間も安全に過ごしていられることに感謝です。
frederick。面接予定の2社から日程調整がきた。両者とも、前向きに考えているからと申し送り付き。ありがたいよね。でもほんとに大丈夫かね、経済は混乱を避けられない。1ヶ月後に営業再開できるとは限らないしね。内定を出してくれた会社だって、わからない。こんな時にあんまり考えても意味ないかもね。先のことはわからない。
ただ、わかったような気がするのは、休業要請のリストに並ぶ産業は、社会が動き出したとしても絶対条件としての価値が低いと思った。これからは生きていくのに必要性の高い産業でしか続けていくのは難しいかもしれない。
ダイヤモンドも洋服も、眺めるだけのものになる。娯楽も最低限。生活維持が最優先。きっと経営維持できなくなる企業も出る。
満足を装飾品や過剰な娯楽で満たすのではなくて、日々の小さなことや当たり前のことにしあわせを見つけていくこと。そんな心を持てること。たぶんそんなふうになっていく。そんなふうになりたいね。
唯物主義の崩壊。そんな気がする。でもそれは、新しい生き方のはじまりであって、嘆くことなんかじゃない。少しの期間だけシフトチェンジに戸惑うだけ。むしろ昔に戻っていくことかもしれない。崩壊したあとは必ず再生する。それが道理だから。
frederick。失業7日目。就活は想定をはるかに上回りダウントレンド。自分に対するニーズが下がっていることに加えて困難な状況がプラスされてる。そこには仕方なさしかない。過去に経験したことのない不採用件数を更新中。
会社によっては、今の状況が終息したらまた連絡させてほしいとか。面接日のリスケとかを言われている。
厳しい状況の中にあって今日、初めて内定を出してくれた会社がある。
百貨店にはお客様はもういない。必然的に売場スタッフは必要なくなってる。最低人数が確保できていないような、それくらい困っている事情でもでなければ、採用に積極的にならないだろうと思う。こんな非常時に採用してくれるっていうんだから、よほど縁があるのかもね。
明日の緊急事態宣言によって百貨店の営業がどうなるかわからず、慌てふためいた空気が伝わってきた。本来なら2次面接を予定してたはずが、その余裕もなくとりあえず人材確保が最優先のような感じ。
他社の面接予定もあるけど、明日以降どうなるかわからない。やっぱり今は採用自体を見送るか、面接日の調整か、あり得なくはないと思う。
どうなるかな。例えば今の状況が終息しても、経済に残す傷あとは残る。きっともう元には戻らない。世の中の価値観は、物の価値は、人の心はどう変わっていくんだろう。私の心も。
仕事に何を期待し求めていくんだろう。つまんないよね、仕事にやりがいがないと。
frederick。月初の人事発令で私の異動はなかった。
役員に連絡すると、その日の午後に面会に来た。今回は動かせないので、疲れているならしばらく休職したらと勧められた。なんて見当違いな答えなんだろうと思った。異動がないなら退社と決めていた。そこまでの気持ちがあるとは思ってなかった様子。その場ですぐに退社の意思は伝えずに、考えたいので時間をくださいと伝えてその場を終えた。そして翌日に電話をして、来月末で退社したいと伝えた。先方はえらく驚いて、「昨日の今日のことで言葉が出ない」と言った。
私は入社から今まで、言いたいことは主張してきたけど、通らないことはそれ以上に追求せず、会社の意思に流されてきた。だから今回もそうなるはずと、それ以外のことは見積もっていなかったんだということがよくわかった。
1日置いて返事をしたのは、日にちを空けたら迷っていたと思われ、相手も一旦記憶が遠くなる。面談の席であえて退社を匂わせずに終えたのも、相手にほかの説得案を考える余地を与えないため。爆弾投下は予告なし、翌日がベストなタイミングと思った。
それは困ると漏らし、預からせてほしいと言ってた。
困らせるつもりはまったくなかったけど、ましてあんなに動揺されるほど困るものとは思わなかった。
今まで色んなことが後手になってきた。被害者的言い方をするなら、後手にされてきた。疑問に思うことも深く考えないようにし、そちら側を見ないようにしてきた。ただ、今回はそれはしない。
私は休職したいわけではないし、それが必要な状態でもない。
frederick。今年もまた10月がきた。11回目の10月を心乱すことなく迎えている。こんなに静かなのは初めてだよ。歳をとった証拠かな。2008年から11年後の今、世の中は大きく変化して、今年も複数の百貨店が閉店したし、日本のアパレルはますます元気がない。
この業界、もう長くはもたないかも知れないって、あのとき言っていたこと思い出してた。
アパレルだけじゃなく、宝飾も同じ。今はまだなんとかなっているけど、この先どうなるかなって思う。危機感はあっても、どうにも身動き取れない自分を感じる。もうどう足掻いたって良くなりようがない。強いて言うなら、きっと今やっていることが最善だと思う。
時代が変わったし、世代交代もはじまってる。前みたいに自分が最前に出なくてもね。つまらないような人生かな。流れに逆らってないからね、刺激がない分おだやかと言うなら聞こえがいい。戦闘態勢でない自分に慣れてないよね。
反骨精神なんて、もう必要ないんだよ。世の中的な大きな流れを個人の考えではもう動かせないし、動けない。私の同志内田。それが私のこたえ。あのとき一緒に探してた私たちのこたえ。
frederick。久しぶりだね。元気にしている?異動してから、私は本調子でなくて。順応力ないのは変わらない。柔軟性ないのもいつものこと。
本物の自由て、なんだろうて考えてた。私は、自分の正直な気持ちに素直でいられることだと思う。囚われないこと。縛られないこと。人としてこうあるべきとか、普通はどうとか。そんなの外から与えられた刷り込み。世の中の常識みたいなものが、自分の本当の気持ちを曇らせる。人の為と思ってする行動なんて偽善ぽい。人の為にする行動は、無意識に見返りを要求してる。自分が本当にそうしたくてする行動には、それができただけで満たされる。たとえ感謝されなくても、お礼の言葉なんかなくても。そんなものは必要としない。
人の為と書いて偽り。
その意味は、人の為なんてことはひとつもない。
そう言いたかったんだよね。
自分の為に生きられなくて、人の為になんて生きられない。
人の為と思い込み、自分を正当化して自分の心を守っていたいだけ。そのことに気付くこともできない、人間ていう生き物はどれだけ弱いんだろう。生きづらいこの世を、それでも生きなきゃならないなんて。
今いる場所から見えるでしょう。
frederick。昨日役員にアポを取って、異動先での私の希望を伝えに行った。それは、日本橋の続きをやらせてほしいということ。敗者復活戦だ。かなり迷った。そんな決意表明をして、また失敗したら?話しても認めてもらえなかったら?
前者の迷いは自分に対する侮蔑。おびえて遅れをとって、埋もれていく自分になる。それはまだ早いんじゃないかと思った。だから言わなきゃならならいと決めた。
言ってみて私の意志が通らなければ、それもまた運命かもねと思って。
私からののアポに、役員はてっきり退社の話しでもされるのかと思ったと言ってた。
私の希望を伝えると、嬉しいと喜んでくれた。話してはいなかったけど、はじめからそのつもりで考えていたと言われた。
埋もれるなら、考えようによってそれはそれで楽かもしれない。
用意されてた道は、でもそっちじゃなかった。私はまた、自分を追い込んで行くんだろうな。でもこれでいいと思う。
まず1年時間をくださいと言った。
frederick。昨日なつかしい曲を聞いた。そもそもは、わりと好きだったアーティストがライブをしたとニュースを見て、昔の曲をYouTubeで見たことがきっかけ。そこから波及して、かつてファンクラブに入っていて、1人でライブに出かけたりしていた大好きだったアーティストの大好きだった曲。今はもう聞かなくなってしまったし、越して来る時にCDもすべて処分してしまった。10年以上前の曲だけど、昨日聞いてもとても新鮮で、やっぱり好きだと思った。
出勤の電車で聞いて気持ちを高揚させ、戦闘体制を作ってたことを思い出した。そんなふうに自分自身を鼓舞する必要があったなんて。あの時の自分がなつかしくなった。毎日が崖っぷちの心境だったあの頃、そんなふうに自分を追い込んでいなければ自分を保てなかったんだね、と思う。今はそんな必要がなくなった。抗おうとは思わなくなったから。振り返れば、あの時からそうだけど普通に暮らしていられることが何にも変えがたい感謝だから。仕事があること、職場があること、その恩恵をありがたく思う。今だっていろいろある。昔なら自我を露にしていたであろう場面、事案がたくさんある。そんなこと、今更めずらしくもないしね、ただ現実を直視して受け入れていれば解決していく。外にあるものに負けまいとしていた心は、ただ自分の心の小さいこと弱いことだけだった。
私の血を沸かせた、ハイテンションのあの曲は必要なくなった。今は出勤前に何も聞いていない。
frederick。今日動きがあった。6月の1週目か2週目になりそう。
うちの社長が取引先に対し大変な憤慨だそうで、今すぐにでもと指示が出ていたと聞いた。気持ちはとても理解できる。
最短で5末の結論を提示したが、取引先に懇願されて6月をまたぐことになった。
私はただ組織の一員として会社の意向に従うのみ。
何度か足を運んでくれていたKさんに今回のことを伝えたら、すぐに電話がかかってきて、戻ってこないかと言われた。
本気でみたい。今の所得を聞かれて正直に伝えたら、その額を出したら店が赤字になると言われた。
以前に在籍していたときよりも、所得が上がっているからね。それは私もわかってる。
同じ額を出してもらえるなら、そちらへ行くかと考えたら、それでも行かないな、と今日は思う。
今のこの会社に対する感謝があるのと、思いのほか商品や会社に対して情がわいてしまってる。
だけど、戻って来ないかと言ってもらえるなんてありがたいと心から思った。このご時世にまだそんなふうに言ってもらえる自分であるなんて、とても嬉しく思った。
frederick。今日はまだ話したいことがあった。先日、横浜で仕事していたときに世話になった人から連絡があった。当時、その能力と権力を併せ持ち、クレームやら転職やら、いろんな局面で私を助けてくれた人。最もリスペクトしていた人。
離れてから1年半、生きてるといろんなことがあるよね、そのいろんな事情がこの春の人事に影響したらしい。
私は以前その人に言ったことがある。組織において正当な評価なんて存在しない。今でもそう思っている。今のその人にとっては気休めかも知れないけど。
同情はしない。私は自分が「かわいそう」と思われることが嫌いなかわりに、人に対してもそう思うことを良しとしていない。かわいそうだの気の毒だの思うことなんて、何の救いにもならない。
救える思いがあるとするなら、ただ黙って耳を傾けることと、信頼することだと思う。
与えられた環境の中で、その人がもう一度自分らしさを取り戻せることを。それは以前とは違う、新しい自分らしさになるのかも知れないけど。
私が以前、落ちていたときに言われた言葉「自分のしてきたことに自信があるならやってみろ」この言葉を、今度は私から言ってあげたい。その人は私がリスペクトした人。必ずできる人だから。
能力があっても、実力があっても、自分の脆さを内側に隠しながら、どうしたら自分の心に負けないでいられるんだろう。
そんなことどうってことないって、どこでどんなことをしていようと、その人がその人であることに変わりない。私はそういうふうに思う。
時間がかかっていいから、立ち上がって、後ろ振り向かないでほしい。
frederick。今日はお彼岸の中日。近くのお寺に行ってきた。引越して以来、気になってたそのお寺は、風情があってすごく気に入ってしまった。日蓮聖人の参道を登り詰めると、ベイブリッジ、マリンタワー、ランドマークタワーが見えて横浜を一望できる。
大きな桜の木は開花が始まって、昨日見たときよりも花が増えて、さらに大きくなったつぼみが増えてた。
時は流れていて、季節は変わっていって、すべてにおいて無常だと思った。同じようでいて同じではない。昨日見た桜と今日の桜を見てそう思った。明日はまた変わっている。
人の気持ちもまた同様に。
桜の木の向かいにお地蔵さんがたくさんいる。二人分のお賽銭を捧げて、いつも守ってもらっていること、いつも赦してもらっていることにありがとうございますと言って合掌した。そうすると、なぜだか涙が出そうなってくる。どうしてなんだろう。悲しいわけじゃないのに。
frederick。来月リニューアルオープン1周年。厳しい状況下で1年やってきたんだと思うと、自分でもびっくりする。伸び悩みの原因がはっきりわかっていて、改善策を提案し続けてきたけど、改善されることなく、原因の共有だけに終わっている。ならば、私が必要以上に病むことないと、気になることも気にくわないことも、ただ過ぎ行く事象として見送ることに努めてきた。そうでなければ、とっくに辞めたくなってる。昔の私なら辞めてる。
中途半端な1年をやり過ごし、来月の1周年のタイミングで売場の移動が決まった。今まで、フロアの一等地に最大の広さを誇る構えから、いちばん狭い場所になる。
リテールの知識も知恵もないくせに、立派な出店をしてプライドだけ満たしても、数字が出来なきゃ取引先からは戦力外にされるんだよ。政治力を駆使するなら、結果として現状維持を守ってほしかったよね。一流ぶっても結局はこうなるってことを自覚していただきたいもんだね。
失敗な出店なのは、私にはすぐわかってた。
こんななら撤退のほうがまだましだと思う。屈辱でしかない。
frederick。さっきYちゃんに電話した。最後に話したのは1年以上前。Yちゃんから連絡が来ることなんて今はなくなった。私も思い出すことは度々あるけど、しばらく連絡せずにいる自分に対して、もうこのまま連絡しなくなるのかな、なんて思ったときもあった。
いつも自分の感情は自分で扱う。誰にもわかるわけないと、私の気持ちを他人に簡単にわかられてたまるかと思っている。
他人はあてにしない、他人に期待しない、それが私。変えようがない私だから。
だけどYちゃんに電話した。私、弱っているかもと客観的に思った。そしてそんなとき、自分が素直になれる相手はYちゃんしかいないんだと思った。Yちゃんはあたたかく応じてくれた。1年以上の隔たりなんて感じなかった。受け入れることができるって、すごいと思う。そんな器を持ちたくて私もそんなふうにしてみるけど、そうするとこうしてときどき疲れてしまう。
frederick。今日は昔のことを思い出して眠れなくなった。
世の中にまだ元気があった、いい時代だったときのこと。そんな大昔の自分から帰ってこれなくなった。
新居でなんとなく落ち着いてきて、それでもなんだかしっくり来なくて、前のあの部屋のほうが居心地がよかったなんて思う。そんなことのはじまりから、あれこれ思い出したら止まらなくなった。
ここは、24年暮らしたあの部屋に比べてすべてが新しくきれいだし、設備も充実してる。なのになんでだろう。
ただ、自分の生活と人生を新しくするための決意表明だった。それは良かったと思ってる。
11月半ばに決心してから、駆け抜けるように移動の日を迎えた。ここに移ってしまうまでは気を抜けず、なにより荷物の処分がいちばん大変だった。
気持ち的にも落ち着いた今頃、緊張がほどけたら体調がよくなくて、今日も病院に行った。引越しで消耗した分だと自覚できる。
今までなら病院も馴染みの掛かり付けだったけど、この街では知らない病院になる。今どき不思議な感じだった。普通は、診察のあと処方箋をもらって薬局へ行くのに、院内で薬をもらった。昔からあるのであろう地域に密着した町医者という感じが、土地のイメージと合わない気をがした。
ここは以前の街よりも大きな都市なのに、あちこちに昭和的古風な佇まいが残ってる。
この街の空気が自分に染みつくまで、まだまだ時間がかかるんだろうね。必死だった時期が過ぎて、やっとまだこれから。はじまる。
frederick。来月引っ越しする。この部屋に24年暮らした。自分の生い立ちから、frederickの死まで、自分で自分に課した重みがほどけたから。
過去を否定も捨てもしない。自分の生きた証しとして心に刻んでいる。
新しく暮らすのは、私の大好きな街。
今の部屋よりも狭くなるから、ここにあるものの半分以上は捨てていく。服も本もCDもたくさんあるけど、昔に買ったものばかり。今の私は、もう多くを必要としていない。書棚もクロゼットもドレッサーも廃棄して、本当に必要なものだけを持っていく。たとえば、あのときあんなに必要としていたものが、時間が経った今では、まったく大切でなかったりする。自分を満たすものは、今の私にはもう物理的なものではないと思う。
ものが多すぎて準備に追われている。
何年も着てない服、開いていない本、聞いてないCD。この部屋には昔の私がたくさん詰まっている。全部思い出の中にしまって、身軽になって新しく生き直す。
frederick。昨日Oさんが店頭を訪ねてくれた。すごく久しぶりで、3年くらいたっているかな。
もうすっかり元気なんですよ、と伝えた。相変わらずときどき暴れん坊をやっていて、根っこの部分は変わらないと言ったら、それが私らしさでいいと言ってくれた。
あのとき、なぐさめを言ってくれる人や、力になるからと言ってくれる人もいた。その言葉のどれもが、相手の厚意からだとわかっていても、どかか絵空事みたいに思っていた。力になるって、どうやって?死んだ人が生き返りでもしない限り私の気持ちも戻るはずはなかった。それがわかるのは私自身でしかなかった。誰の言葉も私には届いてこなかった。それから誰にも会わなくなった。
悲しいだけの私にOさんが言ってくれた、そんなに思われて内田はしあわせですね。という言葉に私の心は初めて解放された気がした。
札幌の新店オープンと重なって、葬儀に出席できなかったOさんと個人的に会ったとき、Oさんはこれは内田の分と言ってビールを3つ頼んでくれた。内田はビールが好きだったからと言って。
本当に心ある人の言動や行動は、どうしてこうも染みるんだろう。
あの頃の人たちを私も誰も頼りもしないし、完全に切れているけど、Oさんだけが今でもつながってる。時間の隔たりがあってもつながってる。frederickの話をして、昨日一緒に笑った。
たしかにいたよね。そうなんだよね。
Oさんと私と3人での絡みは、いつもなんか笑えたよね。
昨日はOさんを私のところへ連れてきてくれたんだね。ありがとう。
frederick。また秋がきた。今年は2018年。丸10年になる。あのあとも私は10年も生きてるんだ。あの朝を今でもはっきり思い出せるんだけどね。
乗り越えようなんて思ったことはない。悲しいなら、いつまでも悲しいままでいいと思ってた。いつからか忘れたけど、乗り越える必要もないことだと思った。それよりも、この思いは私が生きている期間、ずっと持ち歩く私の一部になるんだと思った。そのことを受け入れられるようになってから泣かなくなった。そんな感情の変化に時の流れを感じることができる。
私は今、人生に何の欲もない。掴みたかったものは、全力で追いかけてきた。それは、私の欲が強かった証拠。掴み損ねて思い通りにならなかった未来が今。
だけどね、10年間、体を壊すことなく、収入が途絶えることもなく、普通に暮らしてこれたこと、それだけで十分すぎるような気がする。そりゃね、自分の生きざまに手こずることはあったけどね、生きることに意欲があまりないのに、生かされているのだとしたら、普通に生活できていることを何に感謝したらいいんだろう。この10年を見守ってくれてありがとう。
これからの10年を私はどう生きるんだろう。10年先も生きているのかな。そんなに長い時間を私は望まないよ。
この人生を頑張って生きた最後のご褒美に、肉体的苦痛を与えずに突然死なせてほしい。内田みたいに。
frederick。帰りの電車でたまらなく思い出し、考えてた。特別理由があるわけでもないのに、心の中を全部埋め尽くした。出会いと、つらい別れのわけを。
生きてたら、私は今とは違う人生を生きていたかもしれない。叶わなかった思い通りにならない人生だけど、いま生きてる現実を直視するんだって、それが私の務めなんだって、思った。
私は自分が生きてることを粗末にしてた。出会えるまでは。
frederickが死んでから、やっぱり私の人生はこんななんだって投げやりになった。それからしばらくの時間をかけて、生きてなきゃいけない理由を知った。
この出会いと別れが、私の生きる意味。
なんで私は生きてるんだろう、たまにそう思うけど、いつか最期の日がきたら、やっとそこへ行ける、そんなふうにきっと思えるんじゃないかって。
>> 38
私は他人を信じない。企画外だからなんて言って、展示を阻止したのは誰だろう、と考えた。考えてもわからないけど。百貨店に対する表向きのパフォーマンスなら、余計なことをしないでほしい。
翌朝SMが昨日の結果を聞きに来たので、ありのままを話した。展示すると聞いていたのにと立腹してたから、部長あたりにクレーム入るかもね。望むところだね。
自分の考え、自分の思いを信じたらいいと、さっき心に浮かんだ。
何が正しいんだろうね?正解はきっと求めちゃいけないのかもしれないって言ってたこと思い出した。
自分の出した答えが正解だって、私は答えた。あのときほど私は強情じゃないけど、今でもやっぱり思うよ、同じこと。
誰も信じる人がいないのに、自分すら信じられなかったら身動きできない。
自分を信じて行動する。自己責任で。
frederick。一昨日大きなイベントがあった。社内の他ブランドのそのイベントに飛び入りで参加した。なぜならば、自店で売上ができていないので、外へ出て売上の足しを作らなきゃならないというミッション。
贅沢な会場で、一流シェフの料理を振るまい、来場客は富裕層だけ。そこへ40点ほどの高額品を言われるままに持ち込んだ。
会場は盛況で、主催した店長の事前の仕込みはかなりなものと見た。私は何もしていない。他人が苦労して努力して集客をした中へ、自店の商品を持って、売上にあやかろうという趣旨、私はやりたくなかった。会社としては、ブランドは違っても同じ会社なんだからどちらが売れてもいい、むしろ私はそこで売ることを希求されていた。百貨店からもそれを求められていて、嫌でしょうがなかった。
売上は壊滅的だし、自力救済できる状況もないので、自分の意向なんて言える立場にない。黙ってトップダウンに従った。
ただ、実際には持ち込んだ商品は展示されなかった。理由は企画外との最終判断をされたから。らしい。部長からは朝の時点でストック販売をするように言われ、しばらく様子を見ていたけど、会場が盛り上がるほどストックから商品を引っ張り出すなんて無理だった。午後になって、これは無理だし無駄だと思って、商品を持って私は店に帰りたいと言った。展示しないと決まった時点で、この話はなかったことにしてもらいたかったと言った。そんなこと言って、もちろんいい顔はされないし、課長はこんな機会ないからここで接客したほうがいいと食い下がってきた。部長と課長を前に、商品を出してもらえないなら、店に帰って店頭に並べたい。店に帰りたい。と主張を繰り返した。トップダウンを覆し、組織を無視していいのかと、頭の片隅でぼんやりと思いながら、昔の自分なら、こんなとき怒りまくっていたな、と思いながら静かに怒りを感じてた。結局部長が折れたので、何千万かの商品を持って、店に帰った。
私の主張を通すような、そんなへなちょこな施策だったのかよと、もうひつの怒りも感じた。
あそこで流される私でなかったことで、あ、これがほんとの私だ。と思った。
店に帰っても売れる保証なんてなかったけど。商品はストックしておくより、出して人の目に触れるようにしておかなきゃいけないんだと思った。
frederick。自分のやりたいこと、好きなことを自分にやらせてあげる。それが自分の命を大切にすることにつながるから。
やりたいこと、好きなこと、私にはそんな強い衝動なくなってしまった。今やっていることも。めぐってくるチャンスはそれほどなくて、自分なり答えは見えた。
生涯現役と決めているけど、限りがある能力と時間に、もう焦らずにいつか死んでいく日まで、このままできるだけ嫌な思いをしないで生きていければいいのかな、なんて、つまんない余生を考える。
普通に不自由なく暮らしていけることのありがたさを、当たり前のこととして受け取り、退屈すら感じる私のばかさ加減を叱ってほしいよ。
もうみつかりそうにないよ。昔みたいに好きなこと、やりたいことに熱くなれる私なんて。
>> 33
気になって、いつなくしたのか探してしまった。書いたことは覚えていたから。
そうしたら、やっぱり5年前。6月26日だった。気持ち悪いほどの偶然だと思った。だって、リメイクの相談をしようと思っているのは今月の26日だから。デザイナーと、本社から人が来るので、その時に相談するつもり。片方なくした日と同じ日になる。
あのピアスは、それまでは気にせずいろんなものをつけてたけど、黒いカメリアが私の喪の印しと決めた。それからはそれしかつけなかった。なくすまでは。
今はなにもつけなくなった。
特別な想いがある。それがリングになってもう一度よみがえるかもしれない。
そして、それを思い付いたのが月命日なんて。
frederick。オープンまで1週間になった。来週からは、入社以来水木定休だったサイクルが変わる。今日明日が最後の連休と思うと少し残念な気もするね。
はじめのうちは何かと不便も感じたけど、慣れてしまうと当たり前になる。慣れることはつくづく大事だね。
路面での環境は暇すぎて、まるで脳死したかのようだったけど、オープンの話がはじめからあったので、期限つきの配属だった。だからいられたと思う。
いろんな動きの中ににいながら、わりと息を潜めて目立たないようにしていた。
でも来週からはそうはいかなくなるね。
私が成功できるとするなら、これが最後のチャンスかもしれない。そんなふうに思ってる。
自分のキャリアを完成させるには、残された時間はずいぶんと短くなってきてる。
マネジメントの大成をここで成さなければ、結局中途半端な報告しか持っていけなくなる。
これまでの、喪失感を持て余し、埋めようとしてきた10年間。
これからの10年は、確実に前に進んでいけるように。あの10年が私を成長させ、強くしてくれたと思いたい。
私はやっぱり結果を求める。
ワーカホリックと言われた、あのときみたいな自分がちょうどいい。
でも、あの頃よりは要領というものと、心の余裕と冷静さを得たと思うよ。少しはね。
今週末に新しい店の引き渡しを受けたら、そこからはオープンの準備だけになる。私の手並みをどうか見ていてよね。
frederick。私はいつも自由だよ。自由っていうのは、自分の素直な気持ちに正直な発言をし、行動すること。だから、私の心はいつだって自由だよ。
昨日横浜だった。安心できる場所に帰ったような居心地だった。以前にお世話になった外商や、お客様にたくさん会えた。行方不明になって心配していたと言ってくれた人もいた。
私はさまよって、心が荒んでどうしようもなかったと、あのときの自分を客観視した。
いまこうして、あのときよりずっとずっと晴れやかで穏やかな気持ちで古巣に立てたことをしあわせに思った。
どうしようもなかった時間と、自分のすべてを包み込まれたような笑顔に会ったとき、あのとき差し出された手を振り払って、ひとりで頑張ってみてよかったと思った。
あのときのどうしようもなさも許されたと感じたから。私に向けられたあの思いは本物だったんだと知ることができたから。
横浜にいたときの自分を、いまでは愛しく思える。自分自身のことではなく、遠くにいる大切な人を思い浮かべるように思い出す。
やっとあのときのクローズが自分の中で終結した。
あのときのことを大切な思い出と経験にして、これからまた腹を括ってもう一度頑張り直してみる。
振り返るのだとしたら、あのときは良かったと、泣きながら思うのではなく、あの経験があるから頑張れると前に進むために。
frederick。来週横浜に入店する日の夜、シニアと会うことになった。ひさしぶり。最後に会ったのいつだっけな、10月だった気がする。
横浜にいたとき、あのゾーンでの仕事の仕方を私に教えてくれた。私に期待と信頼を寄せ、目的を与えてくれた。それを誇らしく思い、支えにしていた。
いつも背中を見て、私もあんなふうになりたいと、リスペクトした人。
あのときのこと、あそこで過ごしたこと、いつになっても忘れないと思う。
仕事の話をしていて、よく言われた。こんな話は普通は男とするもんだって。
仕事の話は、私は男とするほうが好きだ。できる男でなければならないけど。
女は感情を持ち込むので、だいたいお話しにならない。
最後に会ったのは、底に沈んでいた私だった。
いま何が話せるだろう。5カ月たって、いろんなことが変わって、それでも期待と信頼を得られる私だろうか。
ひとつだけ確かなのは、あのときみたいなストレスがなんにもないこと。それだけでもよかったと思える。
frederick。先日の名古屋の催事は盛況で、私も充実した。元売りの事前種蒔きがしっかりされていることはすぐにわかった。宝飾を売る体制として、かなりレベル高く、すばらしいと思った。
前売りも合わせ3000万の売上と聞いた。忙しかった分すっかり疲れてしまい、しまいに帰りは新幹線のダイヤ乱れで、名古屋から新横まで立ち乗りで帰るしかなく、さらに疲労の上塗りになった。
翌日、心配して℡をくれた名古屋の店長から部長と営業な延泊したと聞いて、あの混乱ぶりでは無理ないと思った。
今月はこのあとまだ他店回りをするし、オープン準備にも拍車がかかってくる。
なによりオープンしてからのほうが大変だとわかっている。
私にとっては、来月のオープン以降がこの会社での本番になる。プレッシャーも不安もあるけど、やるしかない。
今日は途中で電車が止まって、帰宅に二時間半かかった。名古屋の疲れもまだ残っている上に更に疲れた。
frederick。今月は3月展。最後の展示会の日のこと覚えてる?ひな祭りの日だった。
言葉にならならない気持ちを全身で表していた。どれだけ私の気持ちを慮っていてくれたのかと思う。
なんか変だと私はすぐに気づいてたよ。
ただ、理由がわからなかった。午後のミーティングで組織編成が変わると発表されるまで。
私は大泣きした。
今の私は、仕事に感情があまりない。
それはそれで楽だよ。限りなく理性的でいることは。
それって、情熱が欠けているとも言えることかもだけど。
思い通りにならなくて、地団駄を踏むほど泣けるようなことなんて、もうないんじゃないかな。
思い通りにならないことなんて、もう当たり前だから。慣れてしまって、自分の思いに執着しなくなった。
frederickが死んでしまったときに、frederickが知っている私も死んでしまった。
私はいま、うつむかずに会うことができるかな。わからない。
>> 11
北の旅人さん、こんにちは。
レスありがとうございます。
しばらくお目にかかっていませんでしたが、またそのうちにいらしてくださるだろうと思っていました。
この冬は関東も寒いです。そのせいか、今は風邪ひきですが、元気だけは取り戻しました。
病状お察しいたします。
人が身に受けている痛みは、他人と比べようがなく、その人自身にしかわからないものだと思います。
そういう意味では、人は誰でも孤独な存在です。
誰にもわかってもらえない、代わってもらえない、そんな孤独と向き合いながら生きる芯の強さは、多大な精神力を必要とするかと思います。
どうか負けないでくださいね。
少しずつ春です。
>> 4
北の旅人さん、こんばんは。
今年も1年間おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。
お元気ですか?
そちらはずいぶん…
Seikoさん お久しぶりです
新しいスレになってからレスしていないので着信通知もできず年末のレスを今頃になって読んでいます
大変、失礼しました
昨年の12月のCT検査でいつの間にか「間質性肺炎」になっていて放射線治療、抗がん剤治療をすると重症化する可能性が高いようです
「治療したら死にますよ」
もう終わったな
そんな感じでクリスマスも正月も飛んでしまいました
昨年の3月に3㌢だったのが今年の1月には8㌢を越えました
他の人よりも進行が早いなと言われていましたが、俺のがん細胞はすこぶる元気そうです
「元気に動いていられるのは3月くらいまでだよ」
自分でも1年くらいは大丈夫だろうと思っていたので先生に言われても納得でした
そんな状態の一年でしたのでSeikoさんのスレ読んでませんでした
満レスになり新しいスレを立てられましたがほとんど見かけなくなりちょっと心配してました
Seikoさんも大変な一年でしたね
良く頑張るなと感心していました
俺には真似できないですよ
今年の札幌は滅茶苦茶に気温が低く寒い日が続いています
それでも日差しが入ると部屋の中暖かくなってきました
春はもうすぐです
桜が咲く日が早く来ることを願っています
今頃になってレスしてごめんね
俺は死ぬまで生き続けます
frederick。お誕生日おめでとう。
ふたりでいろんなこと話したね。そのほとんどが後ろ向きなことで、前向きなことがときどき少し。あの頃の後ろ向きな考えは、もし今も生きていたら、どんなふうに変わっていただろうね。
もし同じだけ歳を重ねていたら、私たちは今なら何を話せただろうね。
私は、今は訳知り顔で熱くなることもなく、淡々としているよ。
つまんなくなっちゃったかな、私。
何もない、静かな毎日も悪くはないよ。
この先にどうなるかはわからないけど。
でも、一緒にいた頃みたいに熱く、一途になれることはないかもしれない。
頭の中が不思議なほどいつも冷静で、だからといって真剣でないわけでもないのだけど。
おとなになるってこういうことなんじゃないの?なんて、ご都合主義的なことを言ってみたりする。
今ならどんなこと話せるだろう。会って話しがしたいな。
frederick。毎年思う。大晦日の、日付が変わるか変わらないかの、わずかな数分がいちばんそわそわするんだよね。
なんか不思議だけど、大晦日だけは。
必ず紅白は見て、紅白を見ないと、私は大晦日も元旦も感じることができなくなりそうで。いくら普段と変わらずに過ごしていても、世俗にいる以上は世間の空気を認識しないと、あけましておめでとうも言えなくなりそうだから。
今年も無事に終わったよ。いろいろあったけど、なんとかなって、無事だった。
守ってくれてありがとう。
私は信じている。見守ってくれていることを。来年も変わらず、揺るがず、迷わずに信じている。
そしてね、明るい方向へ、一緒に行けるように、連れていけるように、私は生きる。
北の旅人さん、こんばんは。
今年も1年間おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。
お元気ですか?
そちらはずいぶんとお寒いことでしょうね。関東も今日は日中も日差しがなく、寒い大晦日でした。
来年もおたがいに体を大切にして、生きることを受け入れていきましょうね。
消えない痛みがあちこちにあっても、それでも、笑顔になれる瞬間がひとつで多くありますように。
- << 11 Seikoさん お久しぶりです 新しいスレになってからレスしていないので着信通知もできず年末のレスを今頃になって読んでいます 大変、失礼しました 昨年の12月のCT検査でいつの間にか「間質性肺炎」になっていて放射線治療、抗がん剤治療をすると重症化する可能性が高いようです 「治療したら死にますよ」 もう終わったな そんな感じでクリスマスも正月も飛んでしまいました 昨年の3月に3㌢だったのが今年の1月には8㌢を越えました 他の人よりも進行が早いなと言われていましたが、俺のがん細胞はすこぶる元気そうです 「元気に動いていられるのは3月くらいまでだよ」 自分でも1年くらいは大丈夫だろうと思っていたので先生に言われても納得でした そんな状態の一年でしたのでSeikoさんのスレ読んでませんでした 満レスになり新しいスレを立てられましたがほとんど見かけなくなりちょっと心配してました Seikoさんも大変な一年でしたね 良く頑張るなと感心していました 俺には真似できないですよ 今年の札幌は滅茶苦茶に気温が低く寒い日が続いています それでも日差しが入ると部屋の中暖かくなってきました 春はもうすぐです 桜が咲く日が早く来ることを願っています 今頃になってレスしてごめんね 俺は死ぬまで生き続けます
frederick。今年もきた。1年の最後の日。
去年の大晦日も休みだった。休みだったけど、展示の設営のために夕方二時間仕事しにいった。
大晦日は食品売場は激込みで、百貨店は開店時間を30分繰り上げ、夜は自動閉店。
そんな食品売場の芋洗い状態の中に参加する理由もなく、やっぱり明日もただの今日の延長だと思う。
開店前の寒い早朝から長い列を作って、あんなにぎゅうぎゅうになってまで、なにを買いたいんだろう、あーやだやだ、なんて思いながら、あのぐちゃぐちゃの中にいる人たちのほうが普通の人に思えて、それが自分よりしあわせな人に見えて、ほんとうは少しうらやましく思ってる自分も感じてる。
今年も私は、生きたいように生きれたか、自分に求める自分でいられたか、今年の自分に悔いはないか。
ないと思う。
リスクに怯え、その恐れによって逃げるように生きるのではなく、信念に従って愛するものを選んで生きること。自分の選んだ生き方を最後まで全うすること。
私のしあわせはその先にある。
私の鍛練はまだ足りないね。
frederick。
ほんとうに出会ったものに別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり
私を見つめ
くりかえし私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎた死すら私を生かす
はじめてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今でも
「ほんとうに出会ったもの」とは、心と心が出会って、心がつながった相手ならば、ということ。
形の上で別れたことになって、その肉体がもはやこの世にはなくなっても、二度と会うことができなくても、その人の存在を心の中で感じることができれば、別れはこない。
たしかに、今でも私を見つめ、くりかえし語りかけてきているような気がする。
いつでも思い出せる。真剣に、私の側に立ち、やさしくも厳しくもいてくれた。
心の中に今でも感じることができる。
静かに涙がこぼれた。
frederick。私は待っていた。必ず会いにいくから待ってて。この言葉を深く、深く、信じたから。
人を信じない私が、あんなに信じることができたことを不思議に思う。あんなに信じることができる人に出会えたことを嬉しく思う。
待つことは、時間の無駄でも浪費でもなく必要な時間だった。相手が望むことを叶えてあげることが、相手に向ける本当の、正しい、やさしさだと思った。
ただ、あの時すでに苦しい中にいることはわかってた。それでも甘えようとせず、意地を見せるところに男気を感じたんだよ。だから今は待つ。それが私の女気だった。期限を決めたのは、私の気持ちを満たすため。私もつらかったんだよ。待つしかできないのはね。
でも、待てるのは最たる信頼の証しだった。
助けることができたら、私はどんなに嬉しかっただろう。
でも、その人の人生はその人のもの。人の人生を変えるようなことなんて、きっとできやしないんだ。
その人が望むように生きられなければ、満足もしあわせもない。依存しない、自立した生き方を望む私たちだから。
静かに見守り、待ってる。信じていなければできないこと。
信じた人にしかできないこと。
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情けないバカな私 No.56
1時間に1本のバスに乗って出掛けるか? 歩いてスーパーまで行ってくるか…(負け犬)
342レス 2978HIT 負け犬 (50代 ♀) -
💮🔥🔥🔥続き(51)🔥🔥🔥💮
ハッキリ言いますが重油の飲み過ぎと同じなんじゃないの?❗️🔥🔥🔥🔥🔥🔥…(匿名さん0)
141レス 1165HIT 匿名さん -
生きてこそ
色々な考え感情があるを前提に 今は相手を思っていても言う…(名無し)
48レス 3866HIT 名無し -
ガンダム玩具日記2
旧GフレームEXのパーフェクトストライクガンダムようやく組み立てた …(匿名さん0)
27レス 579HIT 匿名さん
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太く長く付き合いたいね5レス 171HIT 匿名さん
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大切な人へ45レス 1200HIT 匿名さん
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細く長く50レス 1316HIT 匿名さん
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夏の終わりに〜海への憧れ500レス 965HIT シェヘラザード (60代 ♀) 名必 年性必
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限界クソニート系高校生3レス 165HIT 匿名さん
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太く長く付き合いたいね
【やっと💦安定してきた】 相手を知り己を知れば百戦錬磨 て…(匿名さん0)
5レス 171HIT 匿名さん -
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ここでは…の〜んびり😊しよっか(笑)
·͜·♡♡𝙷𝚊𝚙𝚙𝚢 𝙱𝚒𝚛𝚝𝚑𝚍𝚊𝚢♡♡·͜· 。。。私 歳…(匿名)
414レス 12575HIT しなの♪ -
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日記
快気してから来て。 唐突は辛いんだ。 他人の心まで読める事ないけれ…(匿名さん0)
71レス 4186HIT 匿名さん -
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💕💕🌸🌸💮💮続き(50)💕💕🌸🌸💮💮
『アレ、扱ってない?』て来たら、基本的には真夜中の繁華街の路地裏とか繁…(匿名さん0)
500レス 4322HIT 匿名さん -
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細く長く
文字の上でのお付き合いの10年以上の方、もしここをご覧になって私に見当…(匿名さん0)
50レス 1316HIT 匿名さん
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